#ドナルド・ジャッド
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ymyh · 2 years ago
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2023.4.5に見に行った展覧会(2):コレクション展 2023春@和歌山県立近代美術館
*出展作家:保田春彦、保田龍門、神中糸子、石垣栄太郎、原勝四郎、浜地清松、高井貞二、川口軌外、建畠大夢、村井正誠、野長瀬晩花、日高昌克、宇佐美圭司、湯川雅紀、小川朋司、ジョージ・シーガル、イサム・ノグチ、ドナルド・ジャッド、マーク・ロスコ、ルイーズ・ニーヴェルソン、アンソニー・カロ、ジャコモ・マンズー、アルマン、柳原義達、建畠覚造、木村賢太郎、今村輝久、清水九兵衛、森口宏一、山口牧生、福岡道雄、宮﨑豊治、北辻良央、戸谷成雄、川島慶樹、中西學、館勝生、中川佳宣、山崎亨、北堅吉彦、八木一夫、鈴木治、堀内正和、木村秀樹、田中孝、中路規夫、安東菜々、山本容子、柳原睦夫、坪田政彦、呉本俊松、杉山英之、津高和一、山田光、岸田劉生、萬鐵五郎、国枝金三、玉村方久斗、山口八九子、玉置照信、小野竹喬、大亦観風、木下孝則、木下義謙、硲伊之助、佐伯祐三、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、アンドレ・ロート、フェルナン・レジェ、パウル・クレー、黒田重太郎、東郷青児、古賀春江、林康夫
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respect-love33 · 2 months ago
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知って驚き!「現代アート」に関する面白い雑学を大公開!
### 1-1. 現代アートに関する雑学 現代アートの世界は、時に理解不能で、時に驚きに満ちていますが、実はその背後には「アートマイナス」が隠れているんです!この概念は、アートにおける「無」の重要性を示しています。例えば、アメリカのアーティスト、ドナルド・ジャッドは、空間そのものをアートとして扱うことで知られています。彼の作品は、物の存在を引き立てるために、あえて何も置かないこともあります。つまり、現代アートは「何もない」ことを楽しむことすらできるんです! ### 1-2. English Translation The world of contemporary art can sometimes be incomprehensible and at other times filled with surprises, but behind it all lies the…
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poetry-toru-karasawa · 4 months ago
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practiceposts2 · 6 months ago
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「日々のすべて」
と、バスの中ですぐ前に立っていた女の人のトートバッグにフランス語で書いてありました。
iPhone、iMac、Google、YouTube、Safari、SoundCloud、Amazon、Wikipedia、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ウェンディーズ、デニーズ、ローソン、コカコーラ、スプライト、ジンジャーエール、ウィルキンソン、伊勢丹、西武百貨店、キヨスク、エキュート、成城石井、コンランショップ、ハイネケン、バドワイザー、ギネス、ヒュー���ルデン、レーヴェンブロイ、ピルスナーウルケル、バランタイン、シーバスリーガル、ジャックダニエル、ジョニーウォーカー、フォアローゼス、ココ・シャネル、ディオール、イヴ・サン・ローラン、ポール・ボキューズ、ピエール・エルメ、ピエール・マルコリーニ、蓬莱551、サーティワンアイスクリーム、オーバカナル、ロイヤルホスト、ジョリーパスタ、マルボロ、ハイライト、ピース、フランク・ロイド・ライト、アルネ・ヤコブセン、フリッツ・ハンセン、バウハウス、パウル・クレー、モンドリアン、ヨハネス・イッテン、ジョゼフ・アルバース、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フラ・アンジェリコ、アンリ・マティス、ドナルド・ジャッド、フェリックス・ゴンザレス・トレスのポスター、ヤマハ、ニーナ・シモン、ボブ・ディラン、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、アニマルズ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス、ローリング・ストーンズ、フランク・シナトラ、ベートーヴェン、モーツァルト、J・S・バッハ、ブラームス、シューベルト、シューマン、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ヤリス・クセナキス、グレン・グールド、フルトヴェングラー、カラヤン、ルービンシュタイン、ルドルフ・ゼルキン、カール・リヒター、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、チェット・ベイカー、ルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、グレートフル・デッド、ローランド・カーク、アントニオ・カルロス・ジョビン、スターバックス・コーヒー、ジャン・リュック・ゴダール、ジャン・ポール・デズモンド、アンナ・カリーナ、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック、スタンリー・キューブリック、スティーブン・スピルバーグ、テオ・アンゲロプロス、ロベール・ブレッソン、フリッツ・ラング、フェデリコ・フェリーニ、アッバス・キアロスタミ、アンドレイ・タルコフスキー、メル���デス・ベンツ、フォルクスワーゲン、アウディ、BMW、フィアット、ランボルギーニ、ランチア、フェラーリ、フロイト、ユング、ハリー・スタック・サリヴァン、アンリ・エランベルジェ、カール・ロジャーズ、ロールシャッハ、マーガレット、オルレア、ニサアカシヤ(フリーシア)の花びらが舞って、菩提樹、柳、カワラハンノキ、トネリコ、プラタナス、睡蓮、石蕗、楓、桂、栃、露草、かえる、あめんぼ、蜜蜂、ひばり、つばめ、虻、木蓮、譲葉、オオヤマレンゲ、アイリス、ポピー、蒲公英、ミモザ、矢車草、芍薬、薔薇、ピエール・ド・ロンサール、紫陽花、クレマチス、芝生、エリゲロン、野葡萄、野いちご、えんどう豆、オリーヴ、クローバー、ステークフリット、キッシュ、ハムチーズサンド、ベーコンエッグ、オムレツ、オニオングラタンスープ、鴨のコンフィ、サーモンマリネ、レバーパテ、生ハム、フォアグラのテリーヌ、ムール貝の白ワイン蒸し、エスカルゴ、シーザーサラダ、舌平目のムニエル、仔羊のロースト、ペペロンチーノ、カルボナーラ、ボンゴレ・ビアンコ、ペスカトーレ、イタリアンワイン、エスプレッソ、カフェオレ、クレームダンジェ、フルーツサラダ、ムースオショコラ、シャーベット、プラトン、ソフォクレス、エピクテトス、セネカ、マルクス・アウレリウス、新約聖書、パスカル、カント、トルストイ、ドストエフスキー、ニーチェ、アルチュール・ランボー、アルベール・カミュ、ミラン・クンデラ、ガブリエル=ガルシア・マルケス、ブローティガン、サリンジャー、カート・ヴォネガット
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lvdbbooks · 2 years ago
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2023年2月18日
【新入荷・新本】
Bruno Tonini Artist’s Invitations 1965-1985, Danilo Montanari Editore, 2019
Softcover. 512 pages. 165 x 240 mm. Color, black and white.
価格:11,000円(税込)
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1960年代、70年代、80年代に開催された、フルクサス、ミニマリズ���、コンセプチュアリズム、ランドアート、ポップアートなどの展覧会開催に伴い制作された、インビテーション(招待状)をまとめた作品集。編集者であるブルーノ・トニーニが手がけている。この年代の美術界において、このような印刷物の存在はあまり注目を集めていなかった。カードであれ、小さな印刷物であれ、素材を選ぶ基準は、そのものがつくられるまでのクリエイティブな過程にアーティスト自身が関わってくるという「特権」であった。
本書には、さまざまな仕様のインビテーションやカードが500ページ以上、約900点収録。掲載作家はヨーゼフ・ボイス、ソル・ルイット、エド・ルシェ、ローレンス・ウィナー、ドナルド・ジャッド、カール・アンドレ、クリスチャン・ボルタンスキー、ギルバート・アンド・ジョージなどが名を並べる。
その高い資料性を通じ、それぞれの芸術的文脈がそれぞれの土地で持っていた歴史的かつ政治的価値を検証しており、あわせてスペインと南米の美術に対する批評的関心にも触れている一冊。
(twelvebooksによる本書紹介文)
A lesser-known aspect of art from the 1960s, ’70s, and ’80s is the material printed for the specific purpose of documenting an exhibition. Be it a card or a piece of paper, the criterion employed to choose this material was that of privileging the participation of the artists themselves in the creative process that led to the object’s production. Through a wealth of archival material, this book covers a wide range of artistic contexts, including Fluxus, minimalism, conceptualism, land art, and pop art, in its investigation of the historical and political significance these movements had in their respective locations, and also encompasses new critical attention for Spanish and South American art.
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satelliteee-com · 3 years ago
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Donald Judd 展覧会(1970)ポスター
1970年にニューヨークのレオ・キャステリ画廊とキャステリ・ウェアハウスの両方で個展「ドン・ジャッド」が開催。ドナルド・ジャッドのドローイングとグラフィックへの関心を組み合わせたデザイン。 ドローイングで描かれた作品は、亜鉛メッキされた鉄板で作られ、レオ・キャステリ画廊の3方の壁を覆うサイズで、その後ホイットニー美術館に設置。
61 x 73.7 cm
Donald Judd: 展覧会(1970)ポスター
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furukawa-genichiro · 4 years ago
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いつも講師としてお招きいただいているボンポワンアカデミーに受講生として参加する。
インスタライブを利用し、海太郎さんの弾くピアノを聴きながらオードリーさんが即興的に色鉛筆を走らせる。オードリーさんを介し海さんの音楽を見る。
受講生も紙と鉛筆を用意し(こどもだけでなく大人も参加可能)、途中から自由に描くようアナウンスがある。ピアノと口笛のための「日曜日」、組曲「テーブルクロスのバレエ」より第1番、「食後のテーブルクロス」、「カップルのためのワルツ」に合わせて各々筆を走らせる。
こどもたちは遊びながら音の視覚化を経験できるという相変わらず芸術性の高い贅沢なアカデミーだ。
ところで写真の抽象的な線は、わたしが海さんのピアノを聴きながらニヤニヤとbicのボールペンでモレスキンの手帳に描き散らかしたものではなく、ミニマルアートの巨匠ドナルド・ジャッドによる歴史的価値の非常に高いドローイングである。
ダイナミックな線の動きとセンシティヴなタッチが機微を穿つ。
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voidplus-jp · 4 years ago
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Unknown Image Series no.8 #2 鈴木のぞみ「Light of Other Daysー土星の環」 Nozomi Suzuki "Light of Other Days - The Rings of Saturn"
void+では、Unknown Series no.8 #2 鈴木のぞみ個展「Light of Other Days-­土星の環」を7月31日より開催いたします。本シリーズ2回目となる鈴木は、何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みています。その作品は静かで控えめでありながら、写真の本質をとらえた独自の構造と豊かさ、広がりがあり、見る人の想像力に働きかけます。
近年は、東京都写真美術館、埼玉県立近代美術館、MOTサテライトなどの国内の主要な美術館や場で発表を続け、昨年は、ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスのロンドンとベルファストに滞在していました。この地で鈴木が出会ったアンティークの眼鏡や舷窓、そして、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウやイギリスを旅したドイツの作家W・G・ゼーバルトの書物からインスピレーションを受けた本展は、帰国後初の個展となります。
また、今回は、埼玉県立近代美術館学芸主幹の梅津元氏をゲストに迎え、作家にメールインタビュー*を行います。Unknownシリーズにおいては初の試みとなります。この記録はvoid+のHPで後日発表予定ですので、個展をご覧になるとともに、ぜひお読みくださいますようお願いいたします。
(*大変申し訳ございませんが、予定されていたトークイベントは、感染症流行のため中止となりました)
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<展覧会概要>
■タイトル:Unknown Image Series no.8  #2 鈴木のぞみ「Light of Other Days-­土星の環」 ■会期:2020 年7月31日(金)— 8月21日(金)14:00-18:00 ■メールインタビュー:鈴木のぞみ+ 梅津元(埼玉県立近代美術館学芸主幹/芸術学) ■会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14, 1F ■定休日:日、月、祝日 ■お問合せ:[email protected]  
[主催]void+/Unknown実行委員会 [企画]カトウチカ                                                                                         [協力]rin art association/Pola Art Foundation
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Light of Other Days -土星の環 について  
イギリスで過ごした日々の中で、写真の黎明期とともに発展したヴィクトリア朝とそれ以降の土着的な文化において、人々のまなざしを拡張した事物の潜在性を顕在化したいと思索していた。
展覧会タイトルの《Light of Other Days》は、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウによって1966年に書かれた短篇から引用している。物語の中に登場する、過去の光を遅れて届ける魔法のガラスである〈スローガラス〉という発明品は、それ自身が写真そのもののようである。
《土星の環》は、晩年を東イングランドで過ごしたドイツの作家 W・G・ゼーバルトによって1995年に書かれた書物のタイトルから引用した。脱線と連想を繰り返しながら、ヨーロッパ帝国主義の史実と文学への思索による断片が、イギリスの地を巡礼するゼーバルトの足どりとともに散りばめられ、記憶を想起するような書物だ。
私はこれらの書物を参照し、事物に残された痕跡からその来歴を辿ることを試みた。かつての人々の営みへと想いを馳せ、事物に宿る記憶のようなまなざしを写真によって可視化してみたい。〈スローガラス〉を通してそれぞれの事物が孕む小さな物語と私たちのまなざしが交叉し、新しい物語が紡がれる場となることを願って。
(2020年6月 鈴木のぞみ)
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まなざしの余白
展示空間には、円形のまなざしが浮遊している。窓、眼鏡、ルーペ、カメラ・オブスクラ、望遠鏡、そして人間の双眸……。
それらは何を見てきたのか。鈴木の紡ぎだす空間は、それ自体がカメラの構造を孕んでもいる。そこでは、時間と光に関わる事物のイメージ、形、物語が浮遊しながら連鎖する。
本来、生命も意思も持たないはずの事物が、感光性を与えられ、身体とまなざしを獲得する。客体であったはずのものが主体となる。その透明なまなざし。これらの蒐集された事物を使っていた人々は、すでにこの世界にいない。だが、人とは別の時間を蓄積してきた事物はまだそこに残っていて、かつてそこにあった風景や物語のかけらを写し出し、見る人の感情を揺さぶる。過去の光と影、言葉を写した一片��、人々を果てしない時間の旅に誘う。空間を訪れた人々の間で共有されながら、その内面で個々に変化する物語。小さき事物のまなざしの余白は、見えざるイメージと物語で満ちている。
死者、生者、事物、空間、時間、光、あらゆるまなざしと記憶が交錯する場で、私たちはその中の一粒となり、全体ともなるのだ。
カトウチカ(Unknown Series キュレーター)
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鈴木のぞみ SUZUKI Nozomi
1983年 埼玉県生まれ。東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程在学中。何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みている。現前しているが不在であるという性質を持つ写真を事物に直接定着することで、写真に触覚的な身体のようなものが付与され、過ぎ去りゆく時をいまここに宙づりにする。近年の主な展示に「あした と きのう の まんなかで」(はじまりの美術館、2019)、「MOTサテライト2018 秋 うごきだす物語」(清澄白河、2018)、「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」(東京都写真美術館、2017)、「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」(埼玉県立近代美術館、2016)など。受賞歴多数。平成30年度ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスにて研修。
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梅津元 UMEZU Gen
埼玉県立近代美術館学芸主幹。専門は芸術学。同館での主な企画(共同企画を含む)に「DECODE/出来事と記録ーポスト工業化社会の美術」(2019)、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」(2018)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相ー大地》が生まれるまで」(2005)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「<うつすこと>と<見ること>ー意識拡大装置」(1994)など。ギャラリーαMでの企画に「トランス/リアルー非実体的美術の可能性」(2016-17)がある。美術手帖や展覧会カタログなどに寄稿多数。
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<Unknown Image Series no.8 展覧会>
未知のイメージを創出する
イメージが持つ力と本質を探り、未知のイメージを創出する。
この世界においては、日々膨大なイメージが生まれては消えていくが、ときに稀有なイメージが出現する。今回の参加アーティストは、三田村光土里、横山奈美、鈴木のぞみ、山元彩香、庄司朝美の5名。連続する個展の形式をとる。各回のトークイベントとテキストのゲストには、光田由里、梅津元、飯田志保子、中村史子、中尾拓哉らを招く。 シリーズの終了後にはバイリンガルの記録集を制作し、本というメ��ィアにおいても新たな表現の展開をはかっていく。
女性たちがつくるイメージ
Unknown Imageのシリーズは、イメージをテーマに、今、注目すべきアーティスト一人一人の作品とその世界を深く掘り下げ、その可能性をさらに見出していく場でもある。今回は、はからずも全員が女性アーティストとなった。
初回の山元彩香は、言葉の通じない国で神秘的なまでの美しさと暴力性をもつポートレートを撮影する。被写体の名前や意識すら剥ぎ取り、空の器にしようとしても残るものとはなんなのか。鈴木のぞみは、写真や時間の原理の静かな探求者である。生命なき事物に「視線」と「記憶」を出現させ、写真に身体のようなものを与える。横山奈美は、絵画の大きな歴史と私的な小さな歴史を交錯させ、日常の取るに足らないものたちの美しさや、明るく輝くものの背後にある存在を描き出す。庄司朝美の描線は、舞台のように見る人を引き込む物語性と、生命と死のエネルギーに満ちた身体的絵画空間をつくり出す。三田村光土里は、このシリーズではもっともキャリアの長いアーティストである。ごく私的なイメージや言葉の数々は、写真、映像、オブジェ、ドローイング、インスタレーションとなるが、それらは個人の物語やアートの枠組みを越えて普遍性を帯び、見る人の心を捉えて離さない。そして、ゲストは性別や年代は幅広いが、いずれも芸術の発生の現場において、極めて優れた批評の言葉を紡いできた方々である。
美術史において、かつて周縁の存在であった女性アーティストたちは、今、最先端にいる。彼女たちがつくるイメージはどのようなものなのか。なぜそれを生み出さねばならなかったのか。参加者の出自やキャリア、テーマ、歴史や現在の状況との向き合い方、その目指すところも様々である。だが、彼女たちの存在と彼女たちがつくるイメージは、それぞれに強く鮮やかだ。その未知のイメージは見る人を深く静かに揺るがし、世界に多様な変化を生み出す力ともなっていくだろう。
カトウチカ
<Unknown Image Series no.8 今後のスケジュール>
#3|庄司朝美  [会場/会期]未定
ゲスト:光田由里(DIC川村記念美術館学芸員) *開催を予定していたHIGURE 17-15 casですが、新型コロナウイルス感染症を考慮した上、当面の間休廊することとなりました。新しい会場と会期が決まり次第、発表いたします。
#4|横山奈美 [会場]void+ 2021年5月(予定) ゲスト:飯田志保子(キュレーター)
#5|三田村光土里 [会場]HIGURE 17-15 cas   2021年(予定) ゲスト:中尾拓哉(美術評論家)
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Unknown Image Series no. 8 #2 “Light of Other Days – The Rings of Saturn,” an exhibition of work by Suzuki Nozomi, will open at void+ on July 31. In this second exhibition in the series, Suzuki endeavors to render visible by means of photographic principles the memories, akin to latent images, that dwell in mundane, everyday objects. These works may be calm and understated, but their unique structure, richness, and expansiveness, which together capture the essence of photography, mean they are sure to fire the viewer’s imagination.
Recent years have seen Suzuki present work in major museums and other venues around Japan, including the Tokyo Photographic Art Museum, Museum of Modern Art, Saitama, and MOT Satellite, and last year she also spent time in London and Belfast on a POLA Art Foundation overseas study grant. This exhibition inspired by the antique spectacles, portholes and similar objects Suzuki encountered during her stay in the UK, plus books by Belfast sci-fi writer Bob Shaw, and the German author W.G. Sebald, who traveled around Britain, will be her first solo show since returning to Japan.
In a first for the Unknown series, there will also be an email interview* with the artist, courtesy of Umezu Gen, curator at the Museum of Modern Art, Saitama. A transcript of the interview will be posted at a later date on the void+ website, as an informative accompaniment to the exhibition.
*We regret the scheduled talk event has been cancelled as a measure against COVID-19 transmission.
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<Exhibition>
■Title: Unknown Image Series no.8  #2 SUZUKI Nozomi “Light of Other Days-­The Rings of Saturn” ■Exhibition Period: 2020.7.31(fri) — 8.21(fri) 14:00-18:00 ■Email Interview: SUZUKI Nozomi + UMEZU Gen(Curator, The Museum of Modern Art, Saitama / Art Studies) ■Venue: void+  3-16-14, 1F, Minamiaoyama, Minato-ku, Tokyo ■Closed: Sundays, Mondays and holidays  ■Inquires: [email protected]  
Organized by void+/ Unknown executive committee Curated by KATO Chika                                                                                     In cooperation with rin art association / Pola Art Foundation
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About “Light of Other Days – The Rings of Saturn”
During my time in the UK, I mused on the idea of revealing latent images of objects that have served to expand the human gaze, in the context of the vernacular culture of Britain since the Victorian era, a period in which the nation’s development coincided with the dawn of photography.
The title of the exhibition, “Light of Other Days,” is taken from a short story written by Belfast sci-fi author Bob Shaw in 1966. The magical “slow glass” of the story, an invention that delivers delayed light from the past, could for all the world be photography itself.
“The Rings of Saturn,” meanwhile, is borrowed from the title of a 1995 work by German author W. G. Sebald, who spent his later years in the east of England. Sebald’s English pilgrimage is accompanied by scattered snippets of thought; meditations on the true history of European imperialism, and on literature, laced with digressions and connections, as if recalling memories.
Using these works for reference, I attempted to trace the history of objects from the marks left on them. Turning my thoughts to the endeavors of past people, my aim is to use photography to render visible the memory-like gaze that dwells in objects, in the hope that through “slow glass” the little narratives filling each of these objects will intersect with our gaze, and create settings for the spinning of new stories.
(SUZUKI Nozomi, June 2020)
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A blankness of gaze
Circular gazes—windows, eyeglasses, magnifiers, camera obscura, telescopes, and pairs of human eyes—float in the gallery space.
What have they seen? The very space spun by Suzuki also harbors the structure of a camera, images, shapes and narratives of things related to time and light, floating and forming links therein.
Things originally devoid of both life and thought are given photosensitivity, and acquire body and gaze. What should be objects, become subjects, all clear gazes. The people who used these collected items are no longer of this world. Yet, accumulating a different time from humans, they remain, describing pieces of the landscapes and narratives once there, and stirring complex emotions in those who see them. Fragments portraying the light and shadow, the words, of the past, invite people on an endless journey through time. Stories are shared among those who visit the space, each changing within each visitor. The blank gaze of these small items is suffused with unseen images and narratives.
In a place where dead and living, objects, space, time, light, all manner of gazes and memories intersect, we constitute just another tiny piece, and also, the whole.
KATO Chika (Unknown Series curator)
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SUZUKI Nozomi
Born 1983 in Saitama, Japan. Currently in the doctorate course of Intermedia Art at Tokyo University of the Arts. Suzuki Nozomi attempts to visualize, through the principles of photography, the memories resembling latent images submerged in innocuous everyday objects. Fixing photographs, which have the characteristic of being present yet absent, directly to objects, she assigns photographs something like a tactile body, suspending passing time in the now.   Recent group exhibitions include “In the middle of tomorrow and yesterday” (Hajimari Art Center, 2019), “MOT Satellite 2018 Fall: To Become a Narrative” (Kiyosumi-Shirakawa, 2018), “Photographs of Innocence and of Experience: Contemporary Japanese Photography vol.14” (Tokyo Photographic Art Museum, 2017), and “New Vision Saitama 5: The Emerging Body” (The Museum of Modern Art, Saitama, 2016). Among a number of other awards, she was recipient of the POLA Art Foundation Grant for Overseas Research in 2018, under which she studied in the UK.
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UMEZU Gen
Curator, The Museum of Modern Art, Saitama, specializing in art studies. Exhibitions he has organized/co-organized at MOMAS include ”DECODE / Events & Materials: The Work of Art in the Age of Post-Industrial Society” (2019), “A View of Prints: Trajectory of the Gendai Hanga Center” (2018), “100th Birth Anniversary, Q Ei” (2011), “Artist Project: Toward the Emergence of Sekine Nobuo’s Phase – Mother Earth” (2005), “Donald Judd 1960–1991” (1999), and “Visualization in the End of the 20th Century” (1994). He also organized as guest curator the Gallery αM series “Trans / Real: The Potential of Intangible Art” (2016-17). He has contributed a great number of essays to the art magazine Bijutsu Techo, as well as to art catalogues and books.  
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions>
Creating unknown images
Exploring the power and essence possessed by images, to create unknown images.
A vast number of images are generated every day in this world, only to vanish, but just occasionally, some extraordinary images do emerge. The artists in this eighth Unknown exhibition are Mitamura Midori, Yokoyama Nami, Suzuki Nozomi, Yamamoto Ayaka, and Shoji Asami, who will stage consecutive solo shows. Those serving as guests for the talk events for each of these shows, and providing the texts, will include Mitsuda Yuri, Umezu Gen, Iida Shihoko, Nakamura Fumiko, and Nakao Takuya. After the series is finished a bilingual document will be produced, thus extending the exhibition into another form of expression:  that of the book.
Images made by women
The Unknown Image series is also an opportunity to delve deeply into the individual work of some of today’s most noteworthy artists and their worlds, identifying further possibilities for each. This time, albeit not by design, all the artists are female.
Yamamoto Ayaka, featured in the first of the exhibitions, travels to countries where she does not speak the language, and takes portrait photographs suffused with a beauty and violence verging on the mystical. What is it that remains even when everything is stripped from her subjects, down to their names and consciousness, in an attempt to turn them into empty vessels? Suzuki Nozomi is a quiet explorer of the principles of photography and time. Endowing non-living things with a “gaze” and “memory” she gives her photos something like a physical body. Yokoyama Nami blends the vast history of painting and small personal histories to depict the beauty of everyday, insignificant things and what lies behind the bright and shiny. Shoji Asami’s lines create a narrative quality that draws the viewer in like a stage, and a corporeal painterly space suffused with the energy of life and death. Mitamura Midori is the artist in this series with the longest career. Her many very personal images and words are presented in photographs, videos, objects, drawings and installations, that go beyond individual stories or the confines of art, taking on a universal quality that irrevocably captures the heart of the viewer. The guests, meanwhile, are a varied lineup in terms of age and gender, but all individuals on the frontlines of art creation, of superb critical talent.
Once a marginal presence in art history, female artists are now at its cutting edge. What kind of images do these artists make? Why have they felt the need to produce them? The artists participating in these exhibitions have different origins and career trajectories, different ways of engaging with their themes, with history and current circumstances, and different aims. Yet their presence, and the images they create, are without exception strong and vibrant. Their unknown images will quietly shake the viewer to the core, and likely serve as a force for many types of change in the world.
KATO Chika
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions schedule>
SHOJI Asami   Venue and period: TBD Guest: MITSUDA Yuri (Curator, Kawamura Memorial DIC Museum of Art) *HIGURE 17-15 cas, where the exhibition was to be held, is closed for the time being in light of the COVID-19 pandemic. The new dates and venue for the show will be announced as soon as they are determined.
YOKOYAMA Nami @ void+ May 2021 (TBD) Guest: IIDA Shihoko (Curator)
MITAMURA Midori @ HIGURE 17-15 cas   2021 (TBD) Guest: NAKAO Takuya (Art critic)
写真:森政俊 2枚目の舷窓の写真:鈴木のぞみ
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dezainnet · 5 years ago
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現在MoMAにて開催されているドナルド・ジャッドの展示「Judd」(MoMA) Judd - Donald Judd Retrospective at MoMA (MoMA)
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vogcopymonclersix · 2 years ago
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〈ジル サンダー(JIL SANDER)〉の2022年の春夏コレクションはたまらなく軽やかで、心が浮き立った。そんなシーズンを象徴するのがニットだった。ひとつはドナルド?ジャッドの作品にインスパイアされたロングスリーブニット。JIL SANDER コピードナルドはミニマリズム?ムーブメントの旗手と讃えられたアメリカの美術家だ。 後世の評価も頷けるマルチカラーブロックがウール、シルク、ブランド コピー リネンの三者混のニットに映える。首、裾、袖口は��ブ編みで仕上げている。もうひとつはロンTをレイヤードしたシルクモヘアのオープンニット。ドロップショルダー&オーバーサイズフィットが駄目を押して、そのニットは中空に舞いそうなほど軽やかだ。 2022人気Jil Sander激安ジルサンダーtシャツコピーユニセックス最高品質エレガントホワイトオーバーサイズ 商品番号:VOG2022KT0402-7 在庫状況: 100 会員価格:6500円 9750円 ブランド:JIL SANDERジルサンダー 更新時間2022-06-07 カテゴリー:半袖Tシャツ 注册会员:6500円 サイズ: S 個数: 1 Add to cart collect スーパーコピーブランド専門店 商品の詳細 2022人気Jil Sander激安ジルサンダーtシャツコピーユニセックス最高品質エレガントホワイトオーバーサイズ ▼メッセージ▼ 伸縮性 透け感 生地の厚み あり/なし あり/なし 厚い/普通/薄い vogcopy独自の方法により採寸しております。独自の基準で振り分けたサイズですが相異なりますのであくまでもご参考ください。 ▼付記▼ vogcopy.netへようこそ。          ▲新規会員登録された方に色々な割引サービスを差し上げます。 ▲当店ではご注文日から翌営業日までに当店よりお客様宛てに必ずご注文のお礼メール・ご注文確認メールを送信させて頂いております。 ▲当店メールアドレスが届いていないお客様の中には、サーバーにて迷惑メールと判断され、迷惑メールフォルダにメールが届。 ▲もし本当に届かなかった場合には[email protected]までご連絡くださいませ。 2022人気Jil Sander激安ジルサンダーtシャツコピーユニセックス最高品質エレガントホワイトオーバーサイズ https://www.ginzaweb.com/ https://vogcopy.net/tag.html https://vogcopydownjacket.blogspot.com/
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shuntsuzawa · 4 years ago
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夜街彫刻 20200719 ドナルド・ジャッド 《無題》1994 ファーレ立川 https://media.toriaez.jp/y1872/770703395183.pdf #DonaldJudd #artnightcruising (ファーレ立川アート) https://www.instagram.com/p/CDoZp5BDomR/?igshid=1bkeqvoi0tnvd
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playmountain-tokyo · 4 years ago
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MarfaとJudd
先日、入荷した書籍Donald Judd / Spacesをみていると、2016年11月の出張の折りに、アメリカ・テキサス州の南部にある〈Marfa〉マーファという小さな町に立ち寄った時の記憶が頭の中を駆け巡りました。
MarfaといえばDonald Judd。と漠然と認識してたものの、これまでこの土地を訪れた諸先輩方が興奮気味に話すその意味をいまひとつ理解しきれずにいました。
そんな中、幸運なことに実際にMarfaを訪れる機会をいただき、そこで感じた高揚感は忘れることができません。
ミニマル・アートやJuddについてほとんどの知識を持っていなかった僕でさえ、知識や言葉を超えた格別な実感がこの土地にはあったのです。
*ドナルド・ジャッド:Donald Judd 美術作家。1928年、アメリカ・ミズーリ州生まれ。1950年代後半から画家及び美術評論家として活動。1960年代に立体作品を発表し始め、特に箱形のオブジェを規則的に配置する作品が注目を集めた。この時期から広まったミニマル・アートの代表的な作家とされている。1977年にテキサス州マーファに移住して作品を制作し、同地域に恒久展示されている作品も多い。1994年没。
エルパソ空港から荒野をひたすら3時間ほど、あたりは砂漠地帯でこれぞテキサス!という乾いた空気感の中を走ったあたりにMarfaはある。
陸の孤島といわれるほどのアクセスの悪さに加えて、街自体も小さく車で30分ほどで周遊できるほどの規模にもかかわらず、フードコートの周りに若い人が多くいたり、感じのいいサインペイントの壁や洒落た外観の建物・お店が目立ちます。
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Donald Juddは1977年49歳の時にニューヨークからこの地に移り住み、第一次大戦時の大きな米陸軍の施設を再利用して自身の理想となるアートの恒久展示を行いました。彼の死後は財団(Chianti Foundation及びJudd Foundation)が管理し、現在に至るまで一般に公開されています。
エントランスででチケットを買って自由に〜というミュージアムスタイルではなく、何時に集合という形でスタッフの方が同行してツアーです。
早速、スタッフに案内されながらDonald Juddの作品の建物を歩く。
大きな窓から差し込む自然光が均一に整列された作品を包み時間がゆっくりと流れる。
本来、無機質で冷たいイメージの素材が、形と配置の妙で、大きく印象を変えることができるという事実に驚きました。
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ふと窓から外を眺めると広大に広がる荒野。
空には変わったカタチの雲が立ち込めていて、グッと土地に引き込まれる感覚を覚えました。
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ここにくるまでのJuddのイメージは色鮮やかでどちらかというと都会的なイメージだったのですが、作品を取り囲む環境との調和が作品を超えて強烈に印象に残りました。
Marfaの訪問から数年経ったあと、某先輩から、「Juddって思想だよね」という言葉を聞いて、ぼくはすごく腑に落ちました。
この椅子も、このテーブルも、思想を具現化したようなもの。だから魅力的なのだと思います。
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系列店のカフェTas YardにもJuddへのリスペクトが込められているのをご存知ですか?
この回転扉に、見覚えありませんか?
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この回転扉はいつもの千駄ヶ谷の風景をつくってくれています。
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Marfaでの夜はEl Cosmicoに宿泊。
ここも最高。音楽フェスなどの催しもおこなったりとヒッピーカルチャーが色濃く残り、トレーラーやサファリテント、ティピーで宿泊できます。
ぼくらが訪れた11月は朝晩は日本の真冬以上の寒さなのですが、そんな中での社長との野外シャワーはいい思い出です。
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Marfaは小さい街です。その分、歩いたり、五感を通して全体のつながりを感じるような体験ができます。一度では飽き足らず何度を脚を伸ばしたくなる魅力があります。
同じ場所だろうと旅から得るものは必ずあって、ぼくはどちらかというと旅にでて帰ってきて、しばらくたった後に消化できることが多いです。
「あ、あのときの〇〇はこういうことか、、!」みたいな。
興味、関心ある地に実際に訪れることができる今の環境に感謝しつつ、それらを自分なりに消化して紹介していければと思います。
チェック柄のシャツをジーパンにタックインというテキサススタイルがますます魅力に思えた、初めてのアメリカ・テキサス州の旅でした。
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そういえば現在はコロナウイルスの影響をうけて休館が続いているNYのMOMAでは、30年ぶりにJuddの大回顧展が行われているはずでしたね。
従来の予定では2020年の7月11日までの会期でしたが、どうなるのか、。多くの方が楽しみにしている展示なだけに残念で仕方がないです。
一刻も早い収束を祈るばかりです。
今中義貴
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tak4hir0 · 5 years ago
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1行のコード ソフトウェアと、それを記述するコンピュータ・プログラムは、今日もっとも身の回りに溢れ、私たちの生活の中に偏在するメディアとなった。コンピュータはプログラムに書かれたコードを翻訳、解釈、実行することで、大量のデータを処理し、その結果を表示したり、コンピュータ同士でやりとりする。人々は、コンピュータのプログラムを作成するだけでなく、ソフトウェアを日常的に使用することで、ものごとの見方や考え方を形作っていく。私たちは、プログラム・コードをつくるだけでなく、プログラムによってつくられている。 プログラムは、コンピュータと人間の双方が理解可能な、人工言語によって記述されている。プログラムはコンピュータと人間のコミュニケーションの記述であり、より一般的には(分析や解釈の対象となる)「テクスト」である。そこには、アルゴリズムだけでなく、プログラム制作の前提、目的、過程、改良の過程が埋め込まれている。さらに変数や関数の名付け方や、アルゴリズムの注釈や解説といったプログラムのアルゴリズム以外の部分にも、さまざまなものごとを書き込むことができるし、逆に人間にとって理解しにくいよう難読化することもできる。プログラムは数学/数値的、論理/構造的な言語であると同時に、文化/人文的、思想/哲学的なテクストでもある。 実用的な、あるいは有用なプログラムの多くは、正しく、効率よく実行すること、あるいは保守や改良、再利用がし易いことが求められている。それらを巧みなバランスで実現したコードはしばしば、コンピュータ・プログラミングの「ART(技芸)」と呼ばれる。しかし、そうした自明な目的や有用な機能がないプログラム・コードでありながら、多くの人に共有されているものも存在する。そのひとつの(代表的であり、極めて早い時期の)例が、「10 PRINT」と呼ばれる1行のBASICプログラムである。 10 PRINT CHR$(205.5+RND(1));:GOTO 10 「10 PRINT」プログラムをVirtualC64(Commodore 64のエミュレータ)上で実行している様子 Commodore 64という、米コモドール社が1982年に発売開始した8ビットの家庭用コンピューターで、この極めてシンプルなコードを実行すると、斜め線、または逆斜め線のグラフィック記号がランダムに1つづつ、左から右、そして上から下へと表示されていく。画面が一杯になると2行ずつスクロールし、このプログラムは(中断するまで)永遠にこの表示を繰り返す。当時のコンピュータの速度は遅かったので、記号が画面を埋め尽くすのには約15秒かかる。しかしこのたった1行のコードが、当時のさまざまななパーソナルコンピュータに移植され、さまざまなバリエーションが生みだされた。そして、Commodore 64の誕生から30年を経た2012年、この文化的工芸品としてのプログラムを、ソフトウェア・スタディーズの視点から詳細に分析した本※1がThe MIT Pressから出版された。本のタイトルも『10 PRINT CHR$(205.5+RND(1));:GOTO 10』である。 ジェネリックでないコード 今日の、使いやすく、わかりやすく、役に立つ、そして技芸に優れたソフトウェアからみれば、こんなちっぽけで単純な迷路生成プログラムは、取るに足らないもののように見える。しかしそんな、40年近く前のマイクロコンピュータのための1行のプログラムに対して、今なお多くの人が関心を持ち、議論し、さらには今日のコンピュータにも移植され、さまざな修正版が実行されているのはなぜなのだろう。 まず重要なのは、このプログラムが非常に短いことである(おそらくこれ以上に短いものは、“hello, world” くらいのものだ)。今日の大規模データを活用した計算論的(computational)な文化分析手法(cultural analytics)が、対象そのものに触れることなく、そのマクロな傾向を把握しようとするのに対し、このコードは私たちに、ミクロな「精読」を要求する。しかしその精読は、限られた専門家による精読ではなく、(コードが短いがゆえの)万人に開かれた、そして対象に自由に手を加えることができるような精読である。 伝統的なプログラミングにおいては、プログラムで記述しようとする対象を分析し、それをなるべくシンプルなかたちで抽象し、(人間にとって)わかりやすい形で表現することが推奨されてきた。こうした機能の抽象化によって、コードの汎用性、再利用性を高めたコードを「ジェネリック・コード(generic codes)」と呼ぶとすれば、「10 PRINT���のように、(キャラクター文字を使って迷路のような模様を生成し続けるという)ある限られた目的のために作られたプログラムは、「スペシフィック・コード(specific codes)」と呼べるだろう。 スペシフィック・コードという呼び名は、ジェネリック・コードの対義語であるだけでなく、米国の美術家ドナルド・ジャッドが1964年に提示した「スペシフィック・オブジェクト」という概念にも由来している※2。ジャッドのこの概念は、50年代から60年代に制作された、アメリカ美術の新しい傾向の特徴分析から生まれたものである。「彫刻でも絵画でもない」このスペシフィック・オブジェクトのように、スペシフィック・コードはプログラム・コードであるだけでなく「テクストでもポエトリーでもある」。一般的で汎用のコードは、コードそのものよりも、コードが記述しているアルゴリズムとその実行結果が重要であることが多い。それに対して、スペシフィックなコードは、コードそのもの、そこに何がどのように記述されているのかが重要である。つまり、コードの実行結果(例えば「10 PRINT」が描く迷路自体)だけではなく、コードを実行した主体がその実行をどのように受容(観賞)したのか、コードの実行中に何が生み出されているのか、そしてそれらが指し示しているものごとは何なのか、ということに思いを馳せなければならない。 ミニマルであるが故に、固有のものであると同時に拡張的でもあるスペシフィック・コードは、ユーザーにシステムやツールを提供するのではなく、ユーザーとしての、つまり個人の使用から見たコードの内在的な可能性を探求し、それを限りなく拡げていこう��する。通常のプログラミングにおける有用性や再利用性のような、客観的な価値や機能を実現するのではなく、その意味や価値は状況や文脈(コード以外の環境)に大きく依存している。スペシフィックであるということは、ジェネリックでないだけでなく、それが異質であり、強いインパクトを持っている、ということでもある。 テクストとしてのコード スペシフィック・コードが現れる代表的な場として、「コード・ポエトリー」と「ライヴ・コーディング」の2つがあげられる。コード・ポエトリーとは、その名前の通り、コードを用いて詩を書くことである。その代表的なサイトの一つである、Source Code Poetry※3には、このような規範が書かれている。 どんな言語でもいい:あなたが一番好きな言語で書いてください。 コンパイルできること:とはいえ、インタープリタ言語で書かれたものでも受け付けます。 韻を踏むこと:とはいえ、現代の名作は規範を逸脱しています。 このサイトには、さまざまなコード・ポエトリーの作例が掲載されている。中でも、Python言語で書かれたこのMike Heatonの詩はもっとも短いものである。 t = 0 while True: print("Nothing lasts forever.") t += 1 「10 PRINT」と同じように、単にテキスト出力を無限に繰り返す(だけの)ものであるが、時間を表す変数名の「t」と出力を繰り返す文の間には、意味の詩的な結びつきがある。 2012年に刊行された「code {poems}※4」というアンソロジーには、55のコード・ポエトリーが掲載されている。これらは、プログラム・コードとして実行するよりもむしろ、テクストとして読まれることを意図している。例えば、Daniel Bezerraの「UNHANDLED LOVE(処理されない愛)」は、C++のプログラムではあるが、その実行結果ではなく、プログラムのエラー管理機能としての「例外処理」が持つ意味を用いた詩である。 class love {}; void main() { throw love() ; } Richard Littauerの「Import Soul」も同様に、Python言語としての意味とテクストそのもの意味が重ね合わせられている。 # This script should save lives. import soul for days in len(life): print "happiness" Daniel HoldenとChris Kerrによる、「./code–poetry※5」は、逆にコードの実行結果に着目したものである。そこにはコードの実行時に具体詩、あるいはアスキーアートのような視覚的出力が生まれる、実行詩としてのコード・ポエトリーが数多く収録されている※6。 ./code –poetryトップページの「turing.poem」のスナップショット パロールとしてのコード ライヴ・コーディングは、プログラム・コードを直接操作しながら行うライヴ・パフォーマンスの総称である。その起源は、21世紀初頭のラップトップ・ミュージック、さらには80年代のFORTH言語の音楽制作への使用に遡ることができる※7。今日のライヴ・コーディングは、Algorave※8というクラブ文化との融合や、プログラミング教育への応用※9など、多様な文化と結びついている。 ライヴ・コーディングのスタイルには、白紙のエディターから始めて、その場で一からすべてのコードを書く人から、事前に用意していたコードのフラグメントを、DJのようにその場で組み合わせていくスタイル(CJ:コード・ジョッキー)まで、さまざまなやり方がある。しかし、基本的にライヴ・コーディングにおけるコードは、音のようにその場で生まれ、その場で消える。コード・ジョッキーのように、事前に準備しておくことはあっても、パフォーマンスの場で一度実行されたコードを、そのまま別のライヴで再利用することはない。 ライヴ・コーディングの場におけるコードの現れ方を、もっとも特徴的に体現しているのが、ライヴ・コーディング運動の提唱者の一人であり、自らが生み出した TidalCycles※10というライヴコーディング言語を用いて行われる、アレックス・マクリーンのパフォーマンスだろう。彼が2018年11月に来日した際に出演した、DOMMUNEでのライヴの様子が以下に記録されている。 YouTube: Alex McLean (Yaxu) live on DOMMUNE Tokyo, 14 Nov 2018 TidalCyclesという言語が、少ない入力で迅速に出力(パターン)を変化できるように設計されているため、アレックスが書くプログラムは決して長くはなく、どんなに長くても数行で、全体が1画面の中に収まる程度である。ライヴ・コーディングにおいては、ディスプレイが身体であり、この身体をパフォーマーと観客が共有することから出発していることを考えれば、常にコード全体を一望できることは、ライヴ・コーディングの演奏者にとっても、リスナーにとっても、重要な意味を持っていることがわかる。 しかし何よりアレックスのコーディングで印象的なのは、コードの入力のしなやかさと、書いたコードを実行し終わるとすぐに消し、新たなコードを次々と書き続けていく、エフェメラルな姿勢である。プログラム言語というと、どうしてもアルゴリズムを正確に記述するラング(規則体系としての言語)を思い浮かべがちだが、アレックスのライヴ・コーディングにおけるコードは、話しことばとしてのパロール(個人的な発話)である。コード入力の行き来はアレックスの思考の構造を垣間見せ、カーソルの揺らぎはアレックスの思考の状態を反映している(ように見える)。このパフォーマンスでは、映像のちょうど18分のところで突然コンピュータがクラッシュし、再びそこからライヴを再開するのだが、そんなハプニングも決してエラーやミスには感じられない。日常の会話においては、言い直したり、中断する(させられる)ことは茶飯事である。パロールとしてのコードは、スペシフィック・コードのもうひとつの重要な特徴である。 通気口としてのコード ソフトウェアが日常のインフラストラクチャーとなり、スマートフォンが生活の日用品となった今、それらは生活の中で、ますます見えなくなっている。人間は、スマートフォンを運ぶメディアとなり、人々のものの考え方や行動は、暗黙のうちにソフトウェアによって操作管理されている。冒頭で述べたように、プログラム・コードは確かに人間がつくったものであるが、逆にプログラムによって人間なるものがつくられている。 そうした状況の中、個人、あるいは市民としてのエンドユーザーが、自らの手でプログラムを書き、それを実行することに、一体どんな意味が残っているのだろうか。本稿で取り上げたいくつかのスペシフィック・コードは、 極めて短いミニマルなコード 正しさよりも大切なものがあるコード アルゴリズム以外の部分も重要なコード 環境や文脈に依存するコード 実行する必要のないコード 話し言葉のように生成され消滅するコード といった特徴のいくつかを持つ。それはいずれも、IT/SNS企業やエリートハッカーのように超越的に見える何者かが提供してくれる、使いやすく、わかりやすく、役に立つものとは違うかもしれない。しかしスペシフィック・コードは、自分でつくり実行するものであり、変更できるものであり、他の人たちと共有できるものでもある。その意味で、スペシフィック・コードは、究極のエンドユーザー・プログラミングであり、今日の資本主義と監視社会の中で、個人が自由に息をするための、通気口のひとつにもなる。だから僕自身、個人が生き延びるための通気口としてのスペシフィック・コードを書き、そのことについて、もうしばらく考え続けたいとも思っている。 本原稿の初出は、HAUS++(HAUS+久保田晃弘)が制作した「P-Code Magazine(TRANS BOOKS 2019で販売)」である。極めてシンプルな構文による、サウンドパフォーマンス用ライブコーディング言語の「P-Code」とその実行アプリケーションも、本論におけるスペシフィック・コードが現れる場の典型例といえるだろう。 ※1 Nick Montfort, Patsy Baudoin, John Bell, Ian Bogost Jeremy Douglass, Mark C. Marino, Michael Mateas Casey Reas, Mark Sample, and Noah Vawter “10 PRINT CHR$(205.5+RND(1));:GOTO 10″ (2012) ※2 テキストは、例えばここで読むことができる。Writing | Judd Foundation ※3 Source Code Poetry ※4 code {poems} ※5 ./code–poetry ※6 久保田晃弘「コード・ポエトリー:算法詩から自己複製芸術まで」ー『遙かなる他者のためのデザイン ー 久保田晃弘の思索と実装』(2017) も参照のこと ※7 Historical Performances ※8 Algorave ※9 例えば「Sonic Pi」 ※10 TidalCycles
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keijukita2018 · 5 years ago
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戦略会議 #21 アートライティング/ アルフレッド・ジャー《The Sound of Wind/風の音》Kenji Taki Gallery
根津のSCAI THE BATHHOUSEと初台のKenji Takiの2カ所で開催されているアルフレッド・ジャーの展示を回ってきた。
ミニマリズムの厳格な視覚言語を使って作品を提示してくるアルフレッド・ジャーという作家の特性上、SCAI THE BATHHOUSEの展示《Lament of the Image》に関してはギャラリーの解説がすばらしく、どうしてもそちらへ解釈が持っていかれてしまいそうなので、今回はKenji Takiギャラリーでの展示《The Sound of Wind/風の音》について。
今回この展示ではじめて知った初台のKenji Takiであるが���アルフレッド・ジャーの前には塩田千春の展示をしていたようだ。アンテナを高くしていないと観るべき展示を本当に逃してしまう。
こちらでの展示は3つのシルバーの時計と真四角なライトボックスの上に置かれたアルミの削り出しのオブジェ3点という展示。
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何も知らずに入っていったが、相当にエッジが聞いたミニマリズムだということはすぐにわかるシンプルかつソリッドな展示だった。
壁に掛かった3つの時計はそれぞれに秒針のみが動いている。それぞれの時間が何を示しているのかは盤面に示された「8.6.1945」「8.9.1945」「3.11.2011」という数字の表記から日本人であればすぐにわかるだろう。
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第二次世界大戦時のふたつの原子力爆弾と先の福島の東京電力の原子力発電所の事故についての日付と時間だ。アルフレッド・ジャーは時計の秒針だけを動かすことで、我々の時間はあれから止まっているわけではなく「空回っている」のではないかと批評的に示してくる。
中央のアルミのオブジェを使ったインスタレーションも同様の方向性をこちらに示してくる。時計のオブジェをしばらく観ていたら、急に部屋が暗くなったので驚いた。部屋の中の照明は作品そのものが発する光によってなされていたのだ。
こちらの作品は真四角のライトボックスと、その上に3つのアルミから削り出されたオブジェとから構成される。ライトボックスは一定の時間で明るさを変え、上に乗ったアルミのオブジェを照らす。。。いや、むしろ僕らの目の前から消してみせる。
立方体のアルミの削り出しにはそれぞれ側面に「HI RO SHI MA」「NA GA SA KI」「FU KU SHI MA」と彫られている。
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ライトボックスの光は暗転から徐々に明るくなり、最大に明るくなったところで、その明るさにより僕らの視界を奪うのだ。
この光が何を示すのか?東日本大震災という自然災害によって引き起こされた福島の原子力発電所の事故は、震災の災害の話すらも全て飲み込み原子力というものの話へと進展した。原子力というものに対する我々のアレルギーがあの時に表に出てきたと思う。それは2011年に始まったことではない。にもかかわらず、日本からは未だに原子力発電はなくならない。
本当に不要で不要と言っているのか?本当に必要で必要と言っているのか?もはやそこに自分たちの答えを持ち、過去から学んで示されるべき未来が見えなくなっているのが我々日本人なのではないか?と問われているようであった。
SCAI THE BATHHOUSE方の展示もそうだが、アルフレッド・ジャー作品の特徴は現代版にアップデートされたミニマリズムの視覚言語であることだと思う。そこにドナルド・ジャッドのような「そこに在る」という演劇性は当然にあるのだがむしろ作品の「動き」があることによってその動きについて考えさせられる。
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satelliteee-com · 3 years ago
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Donald Judd 展覧会(1966)ポスター
1966年にニューヨークのレオ・キャステリ画廊で開催された、ドナルド・ジャッドの初の個展の為に作成。この画廊の展覧会では作家自身がポスターをデザインしていたのが特徴。ジャッドは1980年代までレオ・キャステリ画廊で数多くの個展やグループ展を開催し、サイ・トゥオンブリーなども所属。 58.4 x 58.4 cm
Donald Judd: 展覧会(1966)ポスター
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wkmn · 6 years ago
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(ドナルド・ジャッド 木材(ベイマツ),合板 サインとメーカーマークの刻印 《デイベッド(寝椅子)》 から)
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