#タイ武者修行
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nariwaibook · 2 months ago
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民具から考える暮らしの素材と知恵の循環法 -竹小屋づくり続編-
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3月14から16日の日間の集中特訓講座を開催します。
昨年度に開催したタイ・アカ族式の竹建築ワークショップですが、好評でした!で、今年度も開催します。3月14-16日の三日間で少なくとも竹で板をつくれるようになると思いますし、おそらくデッキぐらいは自作できるようになるでしょう。
昨年は写真のような大きなデッキをつくりましたが、今年は屋根付き、一部壁付きに挑戦します。
竹は、日本でも豪雪地帯以外は繁茂し��いますんで豊富にあります。ウッドデッキ作るというとそこそこ材料費しますが、竹を自分で伐採できれば竹林管理にもなり一石二鳥。これから野山で活動するときに覚えておいたら楽しい技ではないかなと思います。
ちなみに日本でも以前、竹筋コンクリートという技術があり、現存する橋とかもある様子。けっこう耐久力があるそうです。
なお、4月30日集合で5月6日解散の本場のタイチェンライのアカ族の村で一軒建てるより本格合宿企画「タイ武者修行」も予定していまして、亀岡のワークショップ参加者は割引しますので奮ってご参加くださいませ。 講師側は3名でお迎えしますが技術指導の都合上で定員15人が限界です。
(遠方の方は泊まるところあります、お問い合わせください)
==以下、開催案内です===
昨年度11月に開催した竹小屋づくりWSの続編として「民具から考える暮しの素材と知恵の循環法ー竹小屋づくり続編ー」を開催することになりました。今回も伊藤洋志(ナリワイ代表)と福田真澄(大工見習い)を講師としてお招きし、竹を使った小屋づくりを実践します。 ⁡ 前回も多くの方に参加いただきました。同じように地域の竹資源を活用したい人、日本の竹文化を学びに来たイタリア人留学生や遠方から来た大学生など、多様なバックグラウンドを持つ人たちと有意義な3日間を過ごしました。 今年もみなさんと楽しく竹について学んでいきたいと思います。
|詳細| ⁡ 1. 聞く👂/アカ族にみる住まいの知恵 暮らしの住まいに竹を活かす方法を知る。 ⁡ タイ、アカ族ユースック村の現地調査の話や 前回WSの振り返りから、竹を住まいに活かす技法や知恵について伊藤洋志さんと福田真澄さんと共にお話しします。 ⁡ 話し手:伊藤洋志(ナリワイ代表)・福田真澄(大工見習い) 聞き手:安藤隆一郎(身体0ベース運用法) 公開:Youtubeチャンネル「身体0ベース運用法」 日程:2025年2月14日(金)14時〜 視聴無料 ⁡ 2.作る🖐️/つなげる手業 資源を素材に変換し、活用する術を学ぶ。 ⁡ アカ族のバンブーハウスの建築技術���使って前回ワークショップで製作した竹のデッキを土台に柱や壁、屋根を��り、竹で小屋を建てる技術を学びます。今回初めて参加する人でも、素材の調達から建てるところまでの一通りの技術を持って帰ってもらいます。 ⁡ 講師:伊藤洋志(ナリワイ代表)・福田真澄(大工見習い) 会場:鹿谷ワンダービレッジ 日程:2025年3月14日(金)・15日(土)・16日(日) 時間:10:00–17:00(各日) 定員:15名 対象:高校生以上(中学生以下の場合は保護者も参加必須) 参加費:保険込み1日参加/¥5,000(割引:¥4,000)2日参加/¥9,000(割引:¥8,000)3日参加/¥13,000(割引:¥12,000)※割引対象は学生、前回参加者。 持ち物:作業服・長靴・雨具・軍手・帽子・タオル・竹用ノコギリ・ナタ・飲み物※竹用ノコギリ、ナタは共用のものは少ないため、各自ご用意ください。※アカ族タイ式ナタの販売も行います。 昼食:大人¥600・子供¥400(土鍋で炊いたお米のおにぎりと採れたて野菜の汁物)※事前申込制 ⁡ スケジュール 3月14日(金)竹の調達/竹をナタで切って運び、加工します。基礎づくり/柱を地面に埋め、水平に竹を組んで基礎を作ります。 3月15日(土)屋根づくり/竹で屋根の骨組みを作り、屋根材を張ります。※屋根材には波板を使用します。 3月16日(日)壁づくり/丸い竹をナタで加工して1枚の板にし、壁面材を作ります。基礎に加工したフレームに組み合わせて壁を立ます。 ⁡ イベント詳細 https://mingu.shintai-0-base.com/news/519/ ⁡ イベント申し込みについて Peatixからチケットをご購入の上、お申し込みください。 https://mingubank.peatix.com/ ⁡ ⁡
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shoji · 9 months ago
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公開された情報には「ありえない」日本が多く描かれている。「日本の専門家が監修した」といっても、「日本人」の監修者は入っていないのだろう。畳は正方形ではない。畳の縁は踏まないし武士は正座をしない。家紋の扱いが違う。世が世なら打ち首だ。左右反転した中国の仏像も写りこまれている。これは、中国のものが日本の背景に使用されたことだけが問題ではなく、左右の概念に大きな意味を持つ仏教に対する冒涜である。 コンセプトアートにはAI生成だからだろうか、1500年代が舞台であるにもかかわらず1700年代から現代のものが描かれる。農作業の風景が現代のミャンマーやタイの写真の複製であることも判明した。ガードレールや軽トラックが戦国時代に「存在しなかった記録」はないので、「想像で補った」のだろうか。 これだけなら、歴史フィクションのトンデモ描写として笑い飛ばせるかもしれないが、著作権違反も判明している。関ケ原のPRのため平成元年より活動している関ケ原古戦場おもてなし連合“関ケ原鉄砲隊”の旗が無断使用されており、UBI日本支社はXで「当該アートはコレクターズエディション内のアートブックに収録されることを除き、以降は新たな使用・配布等は行われません」と謝罪した。同団体はアートブックからも削除を依頼している。 また、複製が許可されていない文化財の「二条城の屏風画」「東大寺の八角燈籠」と思われるものが画像内で確認されており、盗用の疑いがもたれている。 さらに、日本向けに公開した動画(英語音声)が中国語字幕だったことなども重なり、日本だけでなく中国や韓国からも「アジア軽視だ」と批判の声が上がった。日中韓の意見が一致するという異例の事態となった。 先日パリで開催されたジャパンエキスポのUBIブースでは、「弥助の刀」として日本刀が展示されたが、すぐに漫画『ワンピース』のゾロの特徴的な刀「三代鬼徹」と指摘された。ワンピースの作者「尾田栄一郎」を「織田信長」と間違えたのだろうか。
『アサシンクリードシャドウズ』が炎上する理由 | JAPAN Forward
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
   令和七年(2025年)1月7日(火曜日)
    通巻第8584号   <前日発行>
 中国軍、最新鋭ステルス戦闘機を披露、空母も三隻の陣容だが。。。
  この二年間に14人の軍人が全人代から消えた。汚職容疑だ
******************************
 2024年12月26日は毛沢東生誕131年にあたった。中国軍は最新鋭ステルス戦闘機J─36を公開した。いずれドロー��攻撃機との共同連携による超近代的な戦争ができるようになると豪語した。
 新タイプの戦艦076シリーズは、はやければ26年末までに就航すると海軍幹部は語った(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、25年1月6日)。076は強襲揚陸艦で第一号艦は「四川」と命名された。
近代史を回顧すると、1894年、李鴻章率いるシナの北洋艦隊には外国人顧問団が多数。猛訓練を重ねていた。司令官は丁汝昌である。ドイツから輸入した装甲艦「定遠」「鎮遠」は当時、世界最高最強と言われた。ほかに無数の軍艦。李鴻章の北洋艦隊は偉容を誇示し、日本の海軍なんぞ歯牙にもかけない風情だった。
日清戦争での海戦は黄海海戦と豊島沖海戦で、結果は日本海軍の勝利だった。シナ自慢の定遠は大破、鎮遠は日本が戦利品として鹵獲し、つぎの日露戦争に投入された。
降伏した丁汝昌は敗戦の責任をとって服毒自決、日本側は丁寧に弔い、捕虜を厚遇した。軍人にはモラルがあった。
拠点は山東省青島の北、威海衛の沖合にある劉公島である。ここには江沢民の肝いりで建造された甲午戦争博物館がある(中国では日清戦争とは呼称しない。甲午戦争と命名してはいるが日本に負けたとは展示パネルには書かれていない)。
 現在の中国海軍は空母三隻に原潜、上陸強襲艦、駆逐艦、巡洋艦など盛大な装備を誇り、空軍はアメリカのF22と並ぶ第六世代のステルス戦闘機のパイロット飛行に成功、また宇宙ロケット軍は米国より先に月の裏側に着陸し、有人宇宙ステーション、無数の通信、偵察衛星にくわえてキラー衛星も配備している。
 
壮大な軍事力である。アジア太平洋からインド洋を脅かす軍事的脅威となって西側の前に立ちふさがった。
 さて、似ていないか。「張り子の虎」のはったり、日清戦争前夜の光景に。
 空母が典型だろう。搭載機はスキージャンプで離陸は出来るが着陸がむずかしく、すでに訓練で六機が着陸に失敗し、パイロットは死亡した(うち一名は女性だったとか)。そこで垂直離着陸機を投入したら甲板に穴が空いた。二千度の高圧に耐えられる鋼材、特殊鋼ではなかった。いずれ���故障ばかりで、一度訓練航海に出ると半年か一年はドックにはいる。
 空母一号は『遼寧』、ウクライナから鉄の塊を曳航し、十年かけて艤装工事を行った。二号空母は「山東」でおなじくスキージャンプ型である。
 三隻目の空母『福建』はカタパルト方式だが、訓練の模様をなかなか公開しない。どのていどの技術を計測できないと米軍専門家はいう。
 ▼西側から盗んだ技術を活かす能力が欠如している
中国のハッカーがいかにして不器用な泥棒から軍事兵器を模倣するまでに成長したか。「米国のインフラと通信に対する大規模な『タイフーン』サイバー攻撃は、貴重なデータを収集し、カウンター防諜を阻止し、西側社会を大混乱に陥れることができる態勢を整えた」とサリバン補佐官は秘密会で説明した。戦争は総力戦だから別の手で攻める訳だ。
 バイデン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官からのメッセージは驚くべきものだったという。
サリバンは2023年秋ごろに、ホワイトハウスで秘密会議を開いた。その席で、「通信・IT企業幹部に対し、中国のハッカーらが米国の港湾、送電網、その他のインフラ施設を何十カ所も意のままにシャットダウンする能力を獲得した」と語り、「政府は侵入者を根絶するために企業の協力を必要とする」と述べた(『ウォールストリート・ジャーナル』、25年1月5日)。
 寿司職人がちゃんと寿司を握れるようになるには三年かかる。昔は飯炊き三年と言われた。寿司の一流どころの板前さんは十年の修行を積んでいる。
 中国軍が 最新の技術を盗んでも模倣しても、ノウハウがないから、つまり最新鋭の装備、兵器システムを誇示しようとも、それを使いこなせる軍人がいない。技術に追いつけないのである。
くわえて軍内の蔓延る汚職、部品や弾薬のチョロマカシ、横流し。品質管理の欠如。技術を修正し向上させようとする能力が欠如している。
 2024年9月26日の『ウォールストリート・ジャーナル』は同年五月か六月頃に中国海軍の最新鋭原子力潜水艦が「沈没した」と報じた。これは武漢の造船所で発生した事故で「周」級の第一号艦だった。現在までに放射能漏れは確認されていない。
 軍の高官で全人代委員(敢えて西側と比較すれば国会議員だ)のメンバーでもあった14人が、この2年間で失脚し、表舞台から消えた。理由は汚職容疑である。
 中国人は賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂の世界��から驚くことはないが、それにしても何と言うことだろう。習近平お気に入りの国防大臣が不在となり、新しい国防大臣も滅多に人前に出てこない。
苗華以下、なだたる軍人は規律違反とかで表舞台からいなくなった。
 
▼中国共産党の空軍創設も日本人パイロットが協力した
 また西側では英・豪の退役軍人らが、高給でルクリートされて、中国空軍パイロットの訓練を指導していたことが判明し、問題となった。
台湾や韓国の半導体エンジニアが、やはり高給につられ、あるいはハニートラップにひっかかって中国の半導体開発と指導をしている。
日本人技術者も千名単位で中国企業に雇われていた。日本の文科省統計では日本の電気メーカーのトップクラスのエンジニアが中国へ196名、韓国へ490名、タイ、台湾へ350名が渡航したとするが、公式統計の三、四倍の日本人エンジニアが各地へ散っている
 思い出すなぁ。フライングタイガーとは米軍の「志願パイロット」が中華民国空軍だといつわって事実上、対日戦で活躍したことを。
戦後の中国共産党空軍は、満州で残った日本人軍人が教えたのだ。
初の中国共産党航空学校「東北民主連軍航空学校」創設は、林弥一郎(関東軍第2航空部隊第4練成飛行隊隊長)が中国共産党中央東北局の彭真書記に要請され、中国空軍の創設に協力したのである。
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hitujijp · 2 years ago
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よくやってる
偶に海外から武者修行に来ている人に出くわすと意識の高さに驚かなくも無いし、それだけ日本が道場や修練に事欠かないパラダイスの様な環境なのだと改めて気が付く。感覚としては、タイとムエタイみたいな関係だろうか。
まあ確かに、徒歩圏内でも道場に事欠かないって案外凄い環境なのかもしれない。あと一つの流派を極めるのも悪くないと思うのだが、最近は幾つも並列的に学んでこちらでは徒手体術、こちらでは武器みたいな感じで手広く段位を重ねるスタイルが珍しくない様だ。
一方で健康とセキュリティへの意識は共通している気がする。余り過激なものや頭部にダメージが有る分野をやる人は少ない。そういうのは若い時しか出来ないのは誰でも分かっている。その意味でも武芸者で、無意味で無謀な享楽を求めるのは武士的な凜としたイメージとも合致しない・・・などと考えていて、そういうイメージも所詮江戸期後半のイメージだよなと自分につっこむ。鎌倉~江戸幕府成立ぐらいまでの武士とか無謀と享楽の化身みたいなもの。
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yotchan-blog · 2 months ago
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2025/2/28 13:00:27現在のニュース
修学支援制度の「罰則」要件、1年で緩和へ 該当する大学・短大多く:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/28 13:00:05) 中国製の黒鉛電極、不当廉売 反ダンピング関税を検討 政府(毎日新聞, 2025/2/28 12:56:27) 米国のミサイル防衛構想「ゴールデンドーム」に改称 イスラエルと差別化(毎日新聞, 2025/2/28 12:56:27) 「パスポート売ります」 南太平洋の島国ナウル、気候変動対策費に(毎日新聞, 2025/2/28 12:49:24) 保護求めたウイグル族45人、タイが中国に送還 国際法違反の指摘も:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/28 12:48:40) 松竹が衛星放送から撤退 22年開局「BS松竹東急」:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/2/28 12:48:35) 老いる下水道、まち脅かす 愛知・岡崎はAIで劣化予測 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/2/28 12:48:19) ゼネテック[4492]:株式会社モアソンジャパンの株式取得(子会社化)に関するお知らせ 2025年2月25日(適時開示) :日経会社情報DIGITAL:日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/2/28 12:48:19) アート��館:薬師寺の広目天 本来のお顔に 「奈良県指定の文化財~未来へつなぐリレー」 なら歴史芸術文化村 /奈良 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/28 12:48:14) JR和歌山線に新駅構想([B!]読売新聞, 2025/2/28 12:45:27) 竹島はリアンクール岩礁? グーグルマップの表記に違い - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/2/28 12:42:59) 「PKKは役割を終えた。武装放棄せよ」クルド労働者党創設者オジャラン服役囚・声明全文([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:42:53) 「財務省解体デモ」拡大 主催者2人「私が始めた」 左右イデオロギーでなく「増税反対」([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:42:53) 2025年食品値上げは1万品目超に 帝国データバンク発表 物流・人件費上昇響く([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:42:53) milet 映画「知らないカノジョ」で演技に初挑戦 芯の強いヒロイン演じる([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:42:53) https://www.sankei.com/article/20250228-MOTKX4GHKZM25ISSZPY25SX2IE-2/([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:42:53) ブラジルのCOP30議長、米のパリ協定離脱は「ネガティブな影響」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/28 12:42:52) 札幌の道路陥没、28日夕に規制解除へ 原因特定は長期化…監視強化(朝日新聞, 2025/2/28 12:40:47) ブラジルのCOP30議長、米のパリ協定離脱は「ネガティブな影響」(朝日新聞, 2025/2/28 12:40:47) 極彩色壁画 「当分」墳丘外で([B!]読売新聞, 2025/2/28 12:39:12) トランプ米政権の初閣議、イーロン・マスク氏「末席」が示す亀裂の芽 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/2/28 12:36:58) https://www.sankei.com/article/20250228-BTZDRAR6PVN4DI2B6RDIAKVIF4-2/([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:36:44) キトラ古墳、青龍の全身くっきり 高精度赤外線撮影で判明 高松塚と類似「密接な関係か」([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:36:44) 和紙のツバキ、枝に生き生きと 東大寺二月堂に色添える「花つけ」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/28 12:36:15) キトラ古墳「青竜」、泥の下に隠れた輪郭線を確認 文化庁の検討会:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/28 12:36:15) 捜査令状をデジタル化、法案提出へ 「プライバシー侵害」懸念も(朝日新聞, 2025/2/28 12:33:35) 大敗「執行部の戦略ミスだ」 自民・下村氏、衆院選落選者向け会合で石破首相らを批判([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:31:39) ドラマ「ホットスポット」、山梨のロケ地が人気 富士吉田市のレトロ喫茶店は長蛇の列([B!]産経新聞, 2025/2/28 12:31:39) 復旧駅「具体的に選定」 検討会議 今年度末合意目指す 肥薩線 /熊本 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/28 12:31:34)
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kadookanobuhiko · 6 years ago
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父の死 連載第21回 夜空に咲いた花
   前々回の投稿で、ブログの反響がまったくないことを嘆いたら、その回は、なんと4名の読者から反応があった。大躍進である。まるで催促したみたいで申し訳ない。今後ともよろしくお願い致します(また催促しとるやないか!)。
 前回も快調で、3名のリアクションがあった。恐縮です。つい先日も、知り合いから葉書が届いた。ブログを読んでいることについて触れたあと<��事は送ってませんが、ずーと読者がここにいますよ>との有難いお言葉。私も返事を書いていないので、この場を借りて(というか自分の場所ではあるが)、H・Tさんにお礼を申し上げます。
     + + + + + 
 8月は、メモリアルな月である。6日は広島に、9日は長崎に、人類史上初めて原爆が投下された。15日は敗戦・終戦記念日である。
 個人的には6日が私の誕生日であると同時に、父親の命日でもある。私は56歳になり、父の死から丸6年が経った。7回忌法要については、5月に記した通りである。
 当ブログの連載『父の死』も20回を超えた。これまでは残された母親について多く書いてきたので、今回は父親のことを記しておこうと思う。
 父親は1932年(昭和7)に、兵庫県加古川市別府町(当時は市ではなく加古郡)で生まれた。満州事変が始まった翌年、15年戦争のとば口のきな臭い時代である。子供のころ、家の近くで道路を戦車が通過するのを見たことがあると言っていた。もう少し早く生まれていたら、戦場に駆り出されていただろう。
 敗戦時は13歳である。ちなみに32年生まれの有名人には、稲盛和夫、福田繁雄、富田勲、ミシェル・ルグラン、船村徹、小林亜星、小室直樹、田中邦衛、仲代達矢らがいる。
 五木寛之と石原慎太郎もそうで、ふたりは誕生日も同じである(9月30日)。
 父親の父(私の祖父)は、骨粉工場に勤めていた。動物の骨や皮を大鍋に入れてかき混ぜる仕事で、悪臭が漂う劣悪な職場環境だった。父親が7歳のとき、祖父は工場の爆発事故で命を落とす。危険な職場でもあったようだ。
 父親には妹がひとりいる。兄妹は以後、母親(私の祖母)の手ひとつで育てられる。祖母は再婚しなかった。
 6年前に父親が亡くなったあと、昭和20年度の国民学校高等科2年時の通信簿が出てきた。現在でいうと小学6年生にあたる。同年度の学年成績は、優が8つ(修身、国語、国史、地理、理科、図画、工作、実業)、良上が5つ(算数、体操、武道、音楽、習字)である。当時の成績評価が、何段階なのかは詳らかではないが、なかなかの優等生のようだ。
 父親は戦時下に学徒動員で祖父の勤める工場に勤め、国民学校を卒業すると同時に、そこに就職する。母子・貧困家庭に、選択の余地はなかった。以後、父親は、定年まで同じ会社に47年間、勤めることになる。
 国民学校を卒業する前に、担任教師が祖母に、成績優秀なので上の学校に進学させることを薦めたという話は、前にも書いた(と思う)。
 退職時の職階は知らないが、私の記憶ではヘルメットをかぶった現場監督だった。主任あたりになるのだろうか。高校や大学に進学していたら、少なくとも課長や部長にはなれただろう。
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 私が幼いころの父親の記憶には、酒がついてまわる。酔った父親が、居間で四つん這いになり、私と妹がその背中にまたがっている。馬役の父親は、のろのろと畳の上を這い回り、私達は声をあげて喜んだ。素面では威厳を保った父親なので、酔わなければそんな遊びに付き合ってくれなかっただろう。
 たまに職場の同僚や部下を自宅に招待し、酒宴を開くことがあった。楽しい酒で、みんなが笑っていた。同僚に慕われているのが、子供心にもわかった。
 ただ、飲みだすと深酒をする悪癖があった。泥酔しては夜更けに帰宅し、玄関の上がりがまちで寝入り、母親をてこずらせたのは一度や二度ではない。
 私が小学生のころ、地元に公民館が完成した。昼間に祝賀会が開かれ、しこたま飲んだ父親は、自転車を置いて徒歩で帰路についた。だが、まともに歩けず、公民館のすぐ隣りにある公園の柵につかまって体を揺らしていた。
 私はその公園で、草野球を楽しんでいたからタイミングが悪かった。数十メートル先に、父親の恥ずかしい姿が見えるではないか。
「あれ!? 伸ちゃん(私の愛称)のお父さん!」
 チームメイトが声をあげたが、私は知らないふりをした。父親の顔は真っ赤だったが、私はそれ以上に赤かったかもしれない。
 泥酔状態の父親の姿がトラウマになっているので、私は深酒をしないようにしている。とはいえ、年に何度かはそうなることが、ないことはない。にんげんだもの。
「あの時は、ほんま、恥ずかしかったで」
 父親が亡くなる前、昼間の泥酔事件について、私が本人の前でそうコメントしたことがある。父親は申し訳なさそうな顔をしていた。だが大昔の出来事を覚えていなかった。太平洋のように広く、摩周湖のように澄んだ心を持つ私は、その父を赦した。
 毎晩のように酔って帰って来た父親だが、実は私も謝らなければならないことがある。
 小学生のころ、私は居間で寝ていた。父親は背広で通勤しており、帰宅後は居間にそれを吊るしていた。私は夜中にこっそり起きては、背広のポケットにある父親の財布の中から、小銭を頻繁に頂戴していた。それを小学校の近くの駄菓子屋で、同���生に”交際費”として使っていた。悪いガキである。
 ある日の朝、父親が「財布にあった小銭がなくなってるんやけど、お前、知らんか?」と私に聞いた。何食わぬ顔をして「知らんよ」と答えたが、今から考えると、父親は気付いていたのかもしれない。それとも、わからないままだったのだろうか。酔っ払うと、いくら払ったか思い出せないときがよくあるからだ。
 ともあれ、私は窃盗を犯した上に、嘘までついた。もし私がワシントン少年のように正直者であったら、今やアメリカの大統領くらいにはなれていたかもしれない・・・。
      + + + + + +
 子育てに関して、父親は私には細かなことは一切言わなかった。それは母親の役割で、これはという時にだけ、カミナリを落とした。手を出すこともあり、それを察知すると、私は裸足で玄関を飛び出した。
 そういった怖い面もあったが、ふだんは頼りがいがある、まさに一家の大黒柱だった。夜に父親が帰って来ると、嬉しくてまとわりついたものだ。台風が接近すると、父親が北側の小さな小窓にまで板を打ちつけ、強風に備えた。父親が家にいると、安心だった。
 父親が勤めた会社は、戦後は大規模工場の脱臭装置の製造・設置を手がけるようになる。私が中学・高校時代は海外出張が多く、突然「これから英語を勉強する��と言い出したこともあった。国民学校には英語の教科がなかったので、海外での仕事では語学で苦労したのだろう。英語に関しては宣言するだけで、学習した形跡はない。
 私の中学時代、父親にタイ転勤の話が舞い込んだ。私は学校が大嫌いだったので、父親について行くことを申し出た。伸彦少年の日本脱出計画である。家族でただひとり私だけが手を挙げ、父親の内諾を得た。
 だが、なぜかその話は沙汰止みになった。実現していれば、私は今ごろ、タイの王族の一員になっていたかもしれない・・・。
 海外出張の中でも、台湾にはしばしば訪れていた。土産によくカラスミを買って帰ってきたのを覚えている。向こうに友人もできたようで、もし言葉ができたら…と思ったのだろう。父親は、NHKのラジオ講座で、中国語を熱心に学び始めた。5~6年は続けただろうか。退職後には母親を連れて台湾の友人に会いに行っている。
 四つ違いの兄は、70年代の後半、父親に「これからは中国の時代や」と言われ、外大で中国語を専攻している。学歴は低かったが、先見の明はあった。
 私が地方紙を退職した直後の90年代半ば、両親と香港・中国を2週間ほど旅行したことがある。香港で1泊数千円の安宿に泊まったとき、ホテルの入り口でドアを開けようとしたが、なかなか開かなかった。スタッ���が英語で説明してくれるのだが、私は聞き取れなかった。
 すると父親が「押すんやなくて、引けと言うとる」と教えてくれるではないか。えっ、お父ちゃんは、英語ができたんか、と一瞬感心したが、当のスタッフを見ると、しきりにドアを引くしぐさをしていた。私の早とちりであった。
      + + + + + +
 家庭の事情で進学こそできなかったが、向学心はあった。会社員時代に書道を長く学んでいる。私は小学生のころ、父親の手ほどきを受けたことがある。自分ではうまく書けたと思うのだが、父親はなかなか「よし」とは言わなかった。父親からは書を通して、地道に努力することを学んだが、身についていないようだ。
 家にいるときは寝転びながら、よく人差し指で空書していた姿を今でも思い出す。あまり本を読む人ではなかったが、何十巻もある書道全集はそろえていた。今も実家の本棚にある。
 長らく地域の書道会に所属し、準同人の資格を取得している。同人は師範なので、かなりの腕前である。同人になれなかったのは、出張が多く、練習が満足にできなかったからだ。定年退職してから時間がとれないこともなかったが、そのころには書道熱は冷めていた。
 それでも年に何度かは墨をすり、筆を握った。盆踊り大会に寄付した個人・団体の名称を紙に書き、会場に張り出された。父親の達筆が、夜風にひるがえった。父亡き後は、パソコンがその役を果たしている。
 その盆踊りは、私が小学生のころに開館祝賀会が開かれた公民館の隣りの公園でおこなわれる。そう、父親が泥酔し、柵につかまった、あの公園である。
 父親が亡くなった夜、私は実家に帰り、そのまま滞在し、初盆を迎えた。その夏、地元の盆踊りを久しぶりに見に行った。盆には死者の魂が帰って来るという謂れがあるが、えらい早いお帰りやなと思いながら、ぼんやりと踊りの輪を見ていた。
 用を足しに隣りの公民館に寄ると、黒板に1年間に亡くなった人物の名前が白墨で書かれてあった。父親の名前を見つけたとき、本当にこの世からいなくなったことを実感した。
 屋外では地元の子供たちが、打ち上げ花火に興じていた。私にはその光の輪が、父親を送る供花に見えた。
 父と私のふるさとの夜空に咲いた光の花は、一瞬だけ輝きを見せ、すぐに消えた。<2019・8・29>
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yukahatter · 6 years ago
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日本でタイの竹の家を建てる-南房総実習2019年3月21-24日
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床張りもついに竹にまで広がりました。通常の床張りでは床板を張るのですが、今度の特別実習では、タイ山岳民族アカの方々の技を実習します。
竹を伐り、その場で防腐加工をして、即座に建てます。竹で床板を作る技、竹を竹ひごで結束して家の骨組みをつくる技などを実際にやりながら習得しようという企画です。
3月23-24日の土日がメインですが21-22日もプレ実習として参加可能です。じっくり覚えたい人は4日間参加ください。場所は千葉県南房総市。新宿、東京からバスで一本です。
工程) |竹をナタで切り出します(竹林の伐採許可済み) |竹が長持ちするための処理をします |竹で床板を作る技を練習します |竹で柱と梁を組む方法を実習します |竹と竹を固定する技を練習します |竹で階段をつくる技を実演します。 時間があれば |1時間程度で竹ベンチなどつくります。
さて、そもそもの竹の家の良さですが
アカバンブーハウスのよい点) ・軽い ・材料が身近に調達できる ・床に通気性があり、日本の真夏に最適 ・ナタ一本で建築が可能で身軽 ・竹林も整備できて一石二鳥 ・1週間程度で一軒建てられる ・解体したあとの後始末も楽
など、日本でもサマーハウスとして有望なのではと思われます。この技をマスターできれば、日本でいきなりトップクラスのアカ式バンブーハウスビルダーになれると言っても過言ではないでしょう!
ともにバンブーハウスのセルフビルドの世界を開拓しましょう!
▼場所 千葉県南房総市 里山シェア「ヤマナハウス」 ▼日時 3月21日(春分の日/木)13:30スタート18時終了 3月22日(金)10時-17時ごろ 3月23日(土)10時-17時ごろ 3月24日(日)10時-17時ごろ 交通手段:自家用車またはレンタカー推奨 公共交通機関の場合は 房総なのはな号 http://time.jrbuskanto.co.jp/bk04010.html こちらで、ハイウェイオアシス富楽里下車です。送迎します。 ▼滞在場所:里山シェア「ヤマナハウス」(予定)…寝袋持参で滞在OK(カンパ制) 民宿も可能(一泊4千円程度) ▼持ち物:動きやすい服装、もしあれば竹用のナタ 詳細は随時アップします。 ※参加者には特別価格で、アカ族のナタを頒布可能です。 ▼参加費 4日参加32000円 3日参加25000円 2日参加18000円 定員:10名(残り5名)
【申し込み】 日本でタイの竹の家を建てる-南房総実習2019年3月21-24日
▼講師チーム タイ武者修行修了生一団(代表ナリワイ伊藤洋志) nariwai.org/mushathai/ ▼主催 ナリワイ タイ武者修行 nariwai.org/mushathai/
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dougaridercomstuff · 2 years ago
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ここからGPへ!モトGP目指すに正解は無い!タイで武者修行する少年! https://dougarider.com/archives/115990
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xf-2 · 7 years ago
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大虐殺の爪痕は残り、100万人のウイグル人が消えた…民族浄化の最終段階に入った東トルキスタン。習近平が進める「文革2期」は、最先端技術が管理・支配する反理想郷を生み出した。 2000人が殺傷され、1万人以上の行方不明者を出したウルムチ大虐殺から9年。今年も7月5日に世界各国でジェノサイドを実行した中共への抗議活動が行われた。 多くの亡命ウイグル人が暮らすトルコの最大都市イスタンブールを始め、ブリュッセル、パリ、キャンベラ。そして我が国では5日に前後して新宿と六本木の都内2箇所でデモ行進が相次いだ。 ▽豪・キャンベラの抗議活動7月5日(WUC) 「中華人民共和国は、やがては滅びる世界最悪の帝国主義国家です。今の21世紀にも18・19世紀のような植民地主義を公然と実行しているのは、この中華人民共和国だけです」 7月7日の六本木デモでは出発前の集会で、国際政治学者の藤井厳喜氏が、そう訴えかけた。ウイグル問題の核心を突いた発言。遠い未来であっても、中共の衰亡はソ連と同じく歴史の必然と説く。 ▽出発前にスピーチする藤井厳喜氏7月7日(撮影筆者) 「アジアの癌である中国共産党の政権から自由を勝ち獲るまで、私達が頑張って行くしかない」 拓大のペマ・ギャルポ教授は、1日の新宿デモに駆け付け、檄を飛ばした。塗炭の苦しみに喘ぐチベットと東トルキスタン。尖閣を巡り、中共の侵略は我が国にとっても遠い国の悲劇ではなくなっている。 ▽集会で挨拶するペマ・ギャルポ教授7月1日(YouTube) 我が国での東トルキスタン支援は、ウルムチ大虐殺の直後、欧米各国に先駆けて活発化した。既に10年近い実績になるが、今年の9周年デモは大きく様変わりした。 我が国に居住する大勢のウイグル人が集まったのだ。新宿デモでは、100人に迫る人数に上ったという。初めて参加したウイグル人男性は、こう理由を語る。 ▽新宿デモに参加したウイグル男性7月1日(ch桜) 「今、ウイグルが置かれている状況は、死ぬか生きるかしか選択の道がない。中国の弾圧が耐えられない所まで来たので、これからはもっと増えるのではないか」 ウイグル人をめぐる状況は、この1年で急激に悪化した。9年前のジェノサイドも、その後の大量拘束事件すらも「最悪の事態」ではなかったのだ。 【海外にも弾圧の恐怖が忍び寄る】 日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット会長がスピーチを始めて間もなくの出来事だった。デモ出発地点の六本木・三河台公園に数人の屈強な男が乱入。隠し持っていた横断幕を広げた。 突然、集会場に現れた妨害者。警備の警察官が速やかに排除し、大きな混乱には至らなかったものの、演説は一時的に罵声で掻き消された。中共による海外監視網の広がりを感じさせる実力行使である。 ▽六本木デモに現れた中共の駄犬7月7日(撮影筆者) 乱入者のうち2人は典型的な漢族の人相だったが、「地獄に堕ちろ」などと意味不明の言葉を叫んでいた男は発音から日本人の可能性が高い。不逞支那人だけがウイグルの敵ではないのだ。 大規模な7月1日の新宿デモに中共指導部が危機感を募らせたのか、在日工作機関が独自に動いたのか、詳細は判らない。だが、在外ウイグル人を標的にした弾圧は確実に強化されている。 昨年7月、エジプト在住のウイグル人留学生ら60人以上が一斉拘束され、強制送還される事件が起きた。中共の指示を受け、エジプト政府が不当な摘発に乗り出したのだ。 タイやカンボジアに続き、中共指導部の在外ウイグル人狩り指令は、イスラム諸国にまで及び始めた。正に査証なき惑星。そして、我が国で暮らすウイグル人にも魔の手は延びている。 ▽六本木のデモ行進7月7日(撮影筆者) 日本ウイグル連盟によると、大手企業に勤務するウイグル人ら少なくとも10人が一時帰国した後、戻れなくなっているという。ムハメット会長は、こう事態の深刻さを語る。 「自由な海外生活をしていれば、独立運動や政府による民族弾圧の情報にも触れやすいので海外に居る全てのウイグル人が疑われている」 ▽出前に挨拶するムハメット会長7月7日 ウイグル人という理由だけで監視・摘発の対象となる…地球規模の民族弾圧。日本政府が真剣に身の安全を守るべき在日外国人は、政治力を持った反日朝鮮人等ではなく、こうした普通の人々である。 各国で抗議活動に参加するウイグル人は、マスク姿がデフォルトになりつつある。これは、本人が自らの安全をはかる為だけの措置ではない。抗議に参加したことを理由に祖国の家族が危険に晒されるのだ。 ▽EU本部前で呼び掛けるウイグル人3月(AFP) 「私の親戚3名が収容所に送られています」 新宿デモを終え、インタビューに応じた男性は、力無い声で、そう話した。意を決して抗議に参加したウイグル人の中には、既に家族や親族が中共当局に捕らわれた者も少なくないのではないか… 祖国・東トルキスタンでは、海外の熱心な支援者ですら想像し得なかった凄惨な事態が進行している。 【絶望収容所に消えた100万人】 「100万人のウイグル人を収容所から解放しろ」 これまでになかったシュプレヒコールが副都心に響いた。100万人という膨大な数のウイグル人が強制収容所に押し込められ、殆どが無事の帰還を果たせずにいるのだ。 ▽新宿デモ先導するイリハム氏7月1日(撮影:真さん) 収容施設の急増と次々に消えるウイグル人の存在は、エジプト送還事件後に浮かび上がった。最初に告発したのは、米政府系メディアRFA(ラジオ・フリー・アジア)だ。 「帰国しなければ、代わりに母親が『再教育』を受ける」 RFAの記者は、そんな脅迫めいたメッセージがSNS経由で各国のウイグル人に相次いで届いている事実をキャッチした。再教育とは何か…中には「収容所」という単語が記されたケースもあった。 ▽EU本部前で訴える亡命ウイグル人7月5日(WUC) 現地からの断片的な情報を慎重に照合した結果、中共当局が東トルキスタン全域に強制収容所を新設している実態が判明。それらは表向き「技術研修センター」「再教育センター」を名乗っていた。 そして今年初め、亡命ウイグル人が運営するイスタンブールのネットメディアが流出した公的資料などを根拠に拘束者数を約90万人と推計。人数は今も増え続け、120万人に達するとの見方も出ている。 ▽収容所と見られる施設の開所式(RNS) 「当局は何も教えてくれない。家族は愛国者になる為の訓練を終えたら戻って来ると言うだけだ」 大規模な強制収容所送りの実態は、ウイグル人の妻を持つ外国人ルートからも浮き彫りになった。東トルキスタンに暮らす家族と連絡が取れなくなった者が相次いだのだ。 また著名なウイグル人サッカー選手や民謡歌手、慈善活動家らが消息を絶ち、今年2月には聖典の翻訳者として知られるイスラム学者の獄中死が判明。亡命ウイグル人社会に大きな衝撃を与えた。 ▽拘束40日後に獄死したサリヒ師(RFA) 更に今年7月、世界ウイグル会議のドルクン・エイサ総裁の母親が強制収容所に送られら末、帰らぬ人となったことが明らかになる。10代から高齢者まで問答無用で押し込まれる絶望収容所だ。 獄中でどのような拷問が行われているのか、詳らかではない。生還者が限られ、全体像を把握することは困難を極める。若い収容者の場合は無言の帰宅すら叶わず、臓器狩りの可能性も指摘される。 【文革の第2期が始まった】 RFAの後塵を拝する形で、欧米の通信社も僅かながら報じ始めた。ただし中共当局の受け売りに近い「再教育キャンプ」という紹介は論外。「政治犯収容施設」というネーミングも不適切だ。 連行対象者はテロリストやその予備軍ではない。海外に親族が居るなど「自由な情報」に触れることが可能なウイグル人がメーンと見られる。政治犯とは程遠い一般の東トルキスタン国民である。 ▽カシュガルのモスク前行進する公安’17年(AFP) 海外に亡命したり、難民として暮らすウイグル人は多い。しかし、中央アジア諸国への出稼ぎが厳しく制限されて以降、国外の安全圏に逃れる者は激減した。その中で、100万人超という人数は多過ぎる。 子供にムスリムの伝統名を付けたことで収容所送りになった夫婦もいる。長い髭やベールの着用禁止、未成年のモスク礼拝制限。個人の信仰に起因して連行されるケースも多いだろう。 ▽中共スローガン掲げたモスク’17年(RFA) こうした宗教規制だけでも許されざる弾圧だが、更に���ろしい「思想改造」が全域で進んでいる疑いも濃い。愛国教育というレベルではなく、共産党崇拝の強制である。 中共が死の収容所に掲げる「再教育」がキーワードだ。東トルキスタン各地では、共産党に忠誠を誓う地域集会が活発に開かれ、子供を含む集落の人々が出席を強要されている。 ▽各地で催される党マンセー集会(file) AFP通信によると、中共当局が“規律違反”と決め付けた行為・風習は約100項目。「工作組」と呼ばれる私兵集団が、党の目や耳となって摘発に勤しみ、住民が丸ごと消え去った村もあるという。 参照:AFP5月15日「不穏分子」を毎日訪問、中国・新疆ウイグル自治区でさらなる弾圧』 ▽騒動の現場を捉えた流出写真’17年1月(RFA) 東トルキスタン国内で撮影されたトラブル現場の写真。黒い制服に赤い腕章を付けた漢族は何者なのか。「工作組」とは断定できないが、武警や特警または公安とも違う。まるで紅衛兵ではないか。 同様の弾圧に苦しむチベットでは、当局による僧院の破壊や乗っ取りを「プチ文革」と呼んで蔑む。だが、東トルキスタンの実情を垣間見ると、現地で進行しているのは本格的な文革の続きだ。 【光彩を奪われたウイグル人】 かつての文革は、沿岸部や漢族地域とは比較にならない大きな傷跡をチベットなどの植民地に残した。末期の頃、半ば制御不能になった紅衛兵の武闘派を送り込み、好き勝手に暴れさせたのである。 それから約40年、21世紀の文革2期は、暴漢が直接手を下す分かり易いバイオレンスよりも、陰湿で凄惨だ。最新のIT機器を用いて特定の民族を徹底管理・監視し、見えない鉄条網で取り囲む。 ▽共産党旗を担いで歩くウイグル人'17年(CNN) 中共当局はウイグル人が持つ全てのスマホに対し、「百姓安全」というアプリのインストールを義務付けた。スマホの中身を盗み見て、行動を監視するスパイウェアだ。 公安や特警が街中で抜き打ち検問を行い、アプリのインストを確認。手持ちのガジェットに接続し、内部をチェックする。特定の単語などが検出された瞬間、連行される。 ▽カシュガル市内の検問所’17年11月(AP) 雑用係の公安が特殊なガジェットを携帯しているのか…現地からの情報も一部の報道も、疑問符を付けざるを得ない。だが、英BBCのウルムチ潜入取材で、実在することが判明した。 ▽特殊機器でスマホを検査する公安(BBC) 検問所ではなく施設の中だが、黄色い服装の公安が問題のガジェットを手にしている。摘発対象になるのは、宗教的なコンテンツだけではないだろう。 またスパイアプリには、特定の人物が���宅から300m離れた際、感知して追跡するシステムも組み込まれ���いるという。追尾して行き先を特定するのが、街中に大量設置された監視カメラだ。 ▽カシュガル中心部にある監視カメラ群(RFA) 拙ブログがウルムチ市内に増殖する監視カメラに言及したのは、8年前のことだ。以降、カメラは指数関数的に増え、都市部の裏通りや貧しい住宅街から、鄙びた集落にまで進出している。 参照:H22年7月7日『消えた1万人のウイグル人…民兵が徘徊する絶望都市』 過去に類例のないハイテク監視社会。例えスマホを持たなくとも、顔認証技術で特定個人の行動は記録される。そして今や当局がデータ化し、把握しているのは、全ウイグル人の「顔」だけではない。 ▽侵略国の旗に覆われた裏路地’17年(RFA) 昨年末、中共当局は東トルキスタン全域で、強制的な“健康診断”を実施。ウイグル人口の9割が受診を強いられ、指紋や血液から光彩に至る生体データを採取された。 なぜ幼い子の光彩までデータ化し、党が管理する必要があるのか? 既に常人には理解も想像も及ばない領域。何か、暗黒を極める壮大な実験が着々と進んでいるようにも見える。 ▽五星紅旗を振るウイグルの子供’17年11月(AP) 人口の1割以上が絶望収容所に送られ、外の居住区も監獄化。DNAサンプルも光彩も奪われた。大規模弾圧、民族浄化、恐怖政治…ありきたりの表現では、現状を正確に伝達できない。 中央アジアの片隅に誕生したのは、独裁政党が特定の民族全員をハイテク管理・支配するディストピアだ。 〆 最後まで読んで頂き有り難うございます クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります ↓ 参考動画: □YouTube『【総集編】2018.7.1【フリーウイグル!中国政府の人権弾圧糾弾デモ】日本ウイグル協会@新宿駅周辺』 □YouTube『2018年7月7日ウルムチ虐殺9周年記念デモ出発前の集会』 □BBC2月1日『「いっそ妻と母を撃ち殺してくれ」亡命ウィグル男性』 □YouTubeチャンネル桜7月8日『【ウイグルの声#14】もう耐えられない…在日ウイグル人が100万人強制収容にNO!』 参考記事: □ZAKZAK7月6日『【有本香の以毒制毒】77歳の老母を収容所送りにする中国と「友好」か 世界ウイグル会議・ドルクン氏の「悲しみと苦闘知ってほしい」』 □ニューズウィーク6月15日『サッカー選手もアイドルも ウイグル絶望収容所行きになった著名人たち』 □AFP5月15日「不穏分子」を毎日訪問、中国・新疆ウイグル自治区でさらなる弾圧』 □ニューズウィーク5月18日『イスラム教徒に豚とアルコールを強要する中国・ウイグル「絶望」収容所』 □産経新聞4月26日『中国の人権弾圧を非難「他の民族を同じ目に遭わせたくない」世界ウイグル会議総裁』 □ニューズウィーク3月13日『ウイグル絶望収容所の収監者数は89万人以上』 □ニューズウィーク2月16日『ウイグル「絶望」収容所──中国共産党のウイグル人大量収監が始まった』 □ロイター5月14日『コラム:中国ウイグル族を苦しめる現代版「悪夢の監視社会」』 □AFP2月28日『ビッグデータで「危険人物」特定、中国・ウイグル自治区 人権団体が指摘』 □ニューズウィーク2017年7月26日『中国、ウイグル族にスパイウエアのインストールを強制』 □大紀元2017年12月15日『中国当局、新疆で1900万人のDNA採集 「無料の全民検診」実施』 □大紀元2017年11月1日『中国公安部、声紋バンクを設立 音声通話も監視か』
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newsletterarchive · 6 years ago
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NEWSLETTER  vol.50
ニュースレターの第50号をお届けします。
今回は2019年9月3日にArt Jewelry Forumに掲載された、ハーロウ・タイさんによる「不屈の精神」展の展覧会評です。
この展覧会では、マナ・ヒューイットさんという作家の方が制作した、めざましい功績を残した女性に捧げるメダルが数多く展示されました。
正直、私自身は、これらのメダルがジュエリーとして魅力的だとは思いませんし、日常の装着に適しているかというと大いに疑問が湧きます(もちろん、中にはこのデザインだから身に付けたいという方だっているのかもしれませんが…)。
ですが、特定の役割を担う装身具(この場合は個や団体の功績を称えるメダル)と、作者の意図とがマッチした好例であることは間違いありません。
これは、必ずしも日常レベルでの装着性という観点だけでは、ジュエリーの良し悪しを判断できないということだともいえます。
メダルのように、公的な役割を担う装身具は、ヨーロッパ諸国で中世以降、公職に就く要人が身につけるチェーン・オブ・オフィスというネックレス(chain of office)などがあります。
また、日本での公的な装身具といえば、記章(弁護士バッジなど)や勲章、褒章がありますが、これらのアイテムを作品へ発展させたジュエリー作家さんには、記憶している限りでは覚えがありません。どなたかご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。
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https://artjewelryforum.org/mana-hewitt-persistence
 2019年9月3日
マナ・ヒューイット:不屈の精神
偉大な女性に捧げられた特別なメダル
執筆:ハーロウ・タイ
 マナ・ヒューイット:「不屈の精神」
2019年7月25日 – 9月8日
701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国
マナ・ヒューイットの個展「Persistence(不屈の精神)」には、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、そしてガラスエナメルを使った一点物のメダルが60点並んでいる。このメダルは、社会の認識に挑んだ女性の勇気と忍耐を讃える作品で、スーザン・B・アンソニー、ヴィクトリア女王、マリ・キュリー、ローザ・パークス、アメリア・イアハート、ルース・ベイダー・ギンズバーグらの重要人物が描かれている。多様なスタイルが混在するこの作品は、「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」という、時代に即した取り組みを実現させる好機となっている。
「たしかに人生は簡単ではありません。しかしそれが何だというのでしょう。私たち人間にはどんな困難をも乗り越える、忍耐も能力も備えられているはずです」マリ・キュリー、物理学者、ノーベル賞受賞者
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マナ・ヒューイット、マリ・キュリー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
現代は歴史上もっとも、社会生活や職場のあらゆる場面で、女性が自分の意見を通す成功例が目立つ時代である。女性議員はよりいっそう要職を担い、女性アスリートは男性との同一賃金を求めて訴訟を起こす。女性ミュージシャンはオンエアの男女平等を要求し、ベテラン女性芸術家はよ���やく然るべき注目を受け始め、#MeToo運動はセクハラと権力濫用の横行を明るみに出した。今でこそ女性がはっきりと声をあげ、人々がそれに耳を傾けているが、女性の側に属する人間は、男女平等や自らの功績への評価を手にすべく長く悪戦苦闘してきた。マナ・ヒューイットは個展「不屈の精神」で、歴史上そして現代の偉大な女性たちと、その功績を称える60点のメダルを展示し、現代女性がなしとげる数々の成功は、毅然として困難に立ち向かい乗り越えてきた先人の努力の賜物であることを、見事に示してみせた。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
ヒューイットは長いあいだ、エリザベス・キャディ・スタントンとマーガレット・サンガーの2人の活動家を称えるメダルの制作を考えていたが、2016年の大統領選と、この選挙が示唆したいかにも強固なガラス天井を目にしたことを受け、本シリーズの制作に着手するに至った。彼女は社会の認識に挑み、万人のために状況改善に力を尽くしてきた女性たちの勇気と忍耐を称えるシリーズの制作に、たぎる創造性と知性とを注ぎこんだ。目指すは100個のメダル制作だが、かといってそれで終わりにするつもりもなく、これまで芸術家やミュージシャン、著述家、航空業界の先駆者、アスリート、科学者、活動家、世界のリーダー、米国最高裁判事を含む偉大な女性たちを作品にしてきた。
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 マナ・ヒューイット、ヴィクトリア・クラフリン・ウッドハル、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 64 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
歴史上、男性には功労や武勇を称えるメダルが贈られてきたが、ヒューイットは、それと趣旨を同じくする一点物のメダルを、エッチングを施した銅、スターリングシルバー、ガラスエナメルで作り、個の功績や業績を表現してきた。各メダルには、中央に配した楕円形の七宝製ポートレート、人物名、その人物の個性や功績、様式の重要性を表す装飾モチーフが配されている。また、装着を想定し、各作品には固定したりぶら下げるための金具を取りつけ、裏面にはその人物の言葉の引用や略歴をエッチングで刻んでいる。
 なかには装着するには重い作品もあるが、どの作品のスケールも親近感を抱かせ、細部まで気を配った入念な細工がされている。ヒューイットは、これらの宝飾品仕立てのメダルを作るにあたり様々な工程を活用する。繊細なガラスエナメルのポートレートは5~10回もの高温での焼成を必要とし、失敗は許されない。外側の金属部は、デジタルでデザインしてからエッチングと透かし細工を施してロウ付けをし、最後に各パーツをリベット留めするという、手仕事とデジタル作業との巧みな融合で制作されている。見事なスタイルの多様性、細部、スキルが一体となって全体の印象をつくりあげ、作品に近づいて目に見えるヒントから秘められた情報を読み解きたいと思わせる、魅力と多様性を備えた作品群にしあがっている。
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「不屈の精神」展会場風景、マナ・ヒューイット、2019年、701現代美術センター、コロンビア、サウスカロライナ州、米国、撮影:ハーロウ・タイ
701 CCAの展示室は広々としていて明るく、このような小さく可愛らしい作品は、ともすると巨大な空間に埋もれてしまう。ヒューイットはあえて多種多様な空間にマッチするような展示戦略を立てた。大部分の作品にガラスのドームを被せ、台座にのせたり壁に設置したり��て、あらゆる角度からじっくり見られるようにした。残りの作品は関連するイメージを背景に嵌めたシャドーボックスの額に収め、視覚的な変化をつけた。サフラジェットの垂れ幕風のバナーには、本展を彩る女性陣の示唆に富む言葉の引用を印字して歴史的背景を加味し、小さな作品群を関連するテーマごとに分類した。ヒューイットはできるだけ多くの土地に本展を巡回させたいと考えているが、この展示法であれば様々な会場に対応できる。シリーズの一部は、これまでノースカロライナ州のPiedmont Craftsmen Gallery、同州レイクシティのTRAX Visual Art Centerでも展示された。次なる巡回予定地は、ペンシルバニア州フィラデルフィアのセント・ジョゼフズ大学横の会場である。
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マナ・ヒューイット、合衆国憲法修正第19条、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
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 マナ・ヒューイット、スーザン・B・アンソニー、20017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、146 x 76 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
本展は、アメリカ国内における参政権の男女平等を認めた合衆国憲法修正第19条に賛辞を送るメダルで幕を開ける。その根幹を成すのは活動家精神だ。個人に捧げられたメダルは尊厳と犠牲を表現し、独創的で時に遊び心あるスタイルの様々な手法が用いられている。社会改革��女性参政権獲得のために活動したスーザン・B・アンソニーへのメダルには、一束の髪を収めたメメント・モリ風のペンダントが下げられている。これはおそらく、アンソニーが女性の服装規制に対する抗議の表明として断髪したことを思い起こさせるためだろう。モンゴメリーのバスボイコット運動で果たした役割で名高い公民権運動活動家、ローザ・パークスへの記念メダルは、スターリングシルバーのビーズで縁取ったポートレート、上方の名入りのリボン、下方のエッチングを施したバス形の真鍮製ペンダントが、彼女の功績を偲ばせる。産児制限運動初期の活動家、マーガレット・サンガーの顔は、繊細なエッチングを施した真鍮の枠に収められているが、これには、卵管、卵巣、卵子群の浮遊が装飾的に描写されている。
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 マナ・ヒューイット、ローザ・パークス(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 82 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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 マナ・ヒューイット、マーガレット・サンガー、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 82 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
 科学や創意工夫、研究の成果が、先駆的な女性の肖像によって豊かに表現されている。女性初のノーベル賞受賞者で、物理学者・化学者のマリ・キュリーを回顧させるのは、その先駆的な放射線研究を表現した印象的なメダルだ。銀球が織りなすパターンは、ラジウムの分離精製の成功を表し、その下に原子力マークがぶら下がる。ヘディ・ラマーは多くの人にハリウッドのアイコンとして記憶されているが、一方で熱心な発明家としても活躍し���Wi-Fi、GPS、Bluetoothなどの始祖となる無線誘導式魚雷用の周波数ホッピングシステムの特許を取得した。見目麗しい彼女のポートレートは、特許取得技術を製図表現したエッチングとのコントラストを成し、特許を取得した1942年8月11日の日付が左上に刻まれている。民俗学者で作家のゾラ・ニール・ハーストンのポートレートは、背景に印象的なアフリカのバティックのデザインがあしらわれ、民族性とアイデンティティに関する彼女の仕事をグラフィックで示している。女性初の大西洋単独横断飛行を成し遂げたアメリア・イアハートのメダルは、地形図をバックにしたポートレートの下に、飛翔する彼女の愛機を象ったペンダントが下げられている。
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 マナ・ヒューイット、ヘディ・ラマー、2019年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、120 x 63 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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 マナ・ヒューイット、アメリア・イアハート(展示時)、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、101 x 140 x 6mm、撮影:ハーロウ・タイ
リーダーシップや公職における功績を称えるこれらのメダルには、女王、世界的リーダー、最高裁判事の面々に加え、ひとりのスパイも混じっている。ヴィクトリア女王の凝ったメダルには、光り輝く石を並べた楕円の枠に威厳のあるポートレートがはめ込まれ、それを包み込む葉飾りの上にはルビー色の赤い石が留められている。アメリカ合衆国最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグのポートレートは、裁判所の荘厳で威厳ある古典建築に収められ、縦溝入りの柱に��まれ頭上にはペディメントが乗る。ストリッパーにして第一次大戦中にスパイ活動にも従事したマタ・ハリへのメダルは美しい宝石形だ。ポートレートの銀のビーズの縁取りが装飾的なヘッドドレスと響き合い、アールヌーボー調の背景の曲線は、彼女の演舞を彩ったドレープ入りの緞帳を示唆している。
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マナ・ヒューイット、ルース・ベイダー・ギンズバーグ、2017年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、127 x 89 x 6 mm、写真提供:マナ・ヒューイット
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マナ・ヒューイット、マタ・ハリ(展示時)、2018年、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、76 x 44 x 6 mm、撮影:ハーロウ・タイ
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マナ・ヒューイット、ルイーズ・ネヴェルソン、記念メダル、ガラスエナメル、エッチングを施した真鍮、銅、スターリングシルバー、152 x 83 x 6 mm、写真提供:701現代美術センター
エレノア・ルーズベルト、マヤ・アンジェロウ、ジョージア・オキーフ、マーガレット・ミード、マザー・テレサなど、数え上げればきりがない。そして、おそらくそれこそがポイントなのだ。ヒューイット自身のリサーチと、次々と舞い込む提案を基に選ばれる、メダル化候補の偉人リストは終わりがなく更新が続く。サウスカロライナ大学の視覚芸術およびデザイン学部の教授を務めるヒューイットは、この大作を携え、教育者とアーティストという2つの役割を精力的にこなしている。彼女の掲げる意図は明確である。それは「現代女性が発言権を得るに至る道を築いた先人を忘れぬよう、人々を啓蒙する」ことだ。
ハーロウ・タイ:美術史家およびフォトグラムとカメラ不使用の撮影技術を専門とするビジュアルアーティスト。スミス大学にてイタリア文学の学士号、テキサス大学オースティン校で美術史の修士号を取得した後、ロータリー奨学金を得てフランスのディジョンにある国立美術学校にて学ぶ。ヒューストン美術館でキュレーターとしてのキャリアの一歩を踏み出す。その後、イタリア美術界で20年間、美術関係の出版業と美術館計画事業におけるコンサルタントを務め、現在はミラノとサウスカロライナとを行き来している。2017年、医薬品のための工業用大麻の栽培を手掛ける会社を設立。
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 本ニュースレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて翻訳しています。配信停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来の発音とは異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
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honyade · 6 years ago
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三沢厚彦 × 杉戸洋 × 小林孝亘 × 舟越桂アーティストトーク 進行:坂本浩章 『ART SCRUM』開催記念
「ラグビーは、アートだ」をコンセプトに、ラグビー経験があり現在も変わらずラグビーへの熱い想いを持つ、日本を代表する美術家、音楽家、建築家、デザイナー15名が、ラグビーボールをテーマに制作した作品を展示するオリジナル・アートプログラム「ART SCRUM(アート・スクラム)」。 ラグビーというスポーツをテーマにした作品展示というユニークな機会に制作された、個々のアーティストの体験や思い出が詰まった様々なアプローチの作品を見ることができます。 小澤征爾さん、坂茂さん、水野学さんといった参加アーティストの中から、この度日常でも親交の深い三沢厚彦さん、杉戸洋さん、小林孝亘さんをお迎えし、トークイベントを開催いたします。 ラグビーとアートという一見異なるジャンルをテーマにしたトークが語られる貴重な機会に、皆様のご参加をお待ちしております。
<登壇者> 三沢厚彦(彫刻家/東京藝術大学ラグビー部) 杉戸洋(画家/愛知県立芸術大学ラグビー部) 小林孝亘(画家/愛知県立芸術大学ラグビー部) 20時ごろから登壇予定:舟越桂(彫刻家/東京造形大学ラグビー部)
<進行> 坂本浩章(公益財団法人 彫刻の森芸術文化財団)
「ART SCRUM(アート・スクラム)」は、2019年6月12日(水)から11月2日まで、東京・丸の内エリアや横浜、大阪、大分を経て、今後、箱根、岩手、丸の内へ巡回予定です。
〜ART SCRUM 展示スケジュール〜 ・9月7日(土)~ 9月16日(日・祝)彫刻の森美術館 ・9月25日(水)~10月6日(日) 岩手県立美術館 ・9月20日(金)~9月23日(月・祝)/10月10日(木)〜11月2日(土)丸ビル※予定 (詳細はART SCRUM ホームページをご覧ください) アートスクラム
【参加条件】 代官山 蔦屋書店にて、対象商品をご予約・ご購入頂いたお客様がご参加いただけます。
【お申込み方法】 以下の方法でお申込みいただけます。 ①代官山 蔦屋書店 店頭 (2号館1階 レジ) ②お電話 03-3770-2525 (アートフロア) ③オンラインストア
【対象商品】 ・イベント参加券 1,500円(税込)
【ご注意事項】 *参加券1枚でお一人様にご参加いただけます。 *イベント会場はイベント開始の15分前から入場可能です。 *当日の座席は、先着順でお座りいただきます。 *参加券の再発行・キャンセル・払い戻しはお受けできませんのでご了承くださいませ。 *止むを得ずイベントが中止、内容変更になる場合があります。
【プロフィール】 三沢厚彦 (みさわ・あつひこ) 1961年京都府生まれ 1987.東京藝術大学美術学部彫刻家卒業 1989 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻修了 2001 第20回平櫛田中賞 受賞 2002 「三沢厚彦 アニマルズ」(求龍堂)刊行 2005 第15回タカシマヤ��術賞 受賞 2007 「三沢厚彦 アニマルズ+」(求龍堂)刊行 2006~10 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科客員教授 2011~ 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科特任教授 2013 「三沢厚彦 アニマルズ No.3」(求龍堂)刊行 「三沢厚彦 動物の絵」(青幻舎)刊行 2017 「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」(求龍堂)刊行 神奈川県に住む
杉戸洋 (すぎと・ひろし) 1970愛知県名古屋生まれ 1992愛知県立芸術大学日本画科卒業。 美術家としての積極的な活動の展開は、90 年代後半に入ってから。 小山登美夫ギャラリー(96年~)、ケンジ・タキギャラリー(99年~)などでコンスタントに発表を続け、アメリカやヨーロッパのギャラリーでも個展を重ねている。
小林孝亘 (こばやし・たかのぶ) 1960 東京都生まれ 1986 愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業 1996 文化庁芸術家在外研修員としてタイ、バンコクに1年間滞在 1998 アートスコープ’98ガスコーニュ・ジャパニーズ・アート・スカラシップ派遣アーティストとして、フランスのロット・エ・ガロンヌに3ヶ月滞在 1999 バンコクに移住 2002~2012 バンコクと東京に住む 2012~ 神奈川県逗子市に住む
会期 / 2019年9月27日(金) 定員 / 60名 時間 / 19:30~21:00(15分前に開場) 場所 / 蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース 主催 / 代官山 蔦屋書店 共催・協力 / 三菱地所株式会社/公益財団法人彫刻の森芸術文化財団/株式会社クオラス 問い合わせ先 / 03-3770-2525
チケットのご予約はこちら オンラインショップでの受付2019年9月25日(水)午前9時の受注分までとさせていただきます。
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イベント情報の詳細はこちら
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ysformen · 6 years ago
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プロパガンダ映画『主戦場』の偽善 山岡鉄秀
2019.07.08
月刊『Hanada』2019年7月号に掲載され大反響!
山岡鉄秀「プロパガンダ映画『主戦場』の偽善」を特別公開!
※今月号(2019年8月号)に掲載されている藤岡信勝「慰安婦ドキュメント『主戦場』デザキ監督の詐欺的手口」と併せてお読みください。
■上智大学の思想環境  
私の元に興味深い報告が届いた。4月上旬、北海道のある小さな映画館に、ひとりの女性が映画の宣伝に訪れた。
「東京でたいへん話題になっていて人気だから、こちらの映画館でも上映していただけませんか?」 と言いながら示した映画が、『主戦場』だった。
その女性の名は石純姫(ソク・スニ)。苫小牧駒澤大学助教授だった。石氏は、2017年に『朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり』という著書を出版している。「強制連行されて日本国籍を持たない在日朝鮮人には平等な機会、権利は保障されておらず、生存が脅かされている」と主張する方だ。  
4月13日には映画『主戦場』のデザキ監督のロングインタビューが、朝日ファミリーデジタルに掲載された。
「僕はもともとユーチューバーで『日本における人種差別』という動画を自分のチャンネルにアップしたところ、日本の“ネトウヨ”と呼ばれる人たち(ネット上で活動する右翼)に見つかり、オンラインでものすごく叩かれた。 その後、元朝日新聞記者の植村隆さんが慰安婦について書いた記事で同じように叩かれているのを知り、慰安婦問題に興味を持った」
「植村さんと僕のケースは『ある人が語ろうとしている問題を語らせまいとしている』という点で共通していると感じた。 アメリカ人としての自分は、誰かが語ろうとする言葉が遮られようとしたら『それはいけない!』と反応する。なぜなら告発や発言の背景には、苦しんでいるマイノリティー当事者が必ずいるからだ。彼らはただでさえ差別を受けているのに、告発の声を遮られることで二重に苦しむことになる」
インタビュー映像が撮影された上智大学には『主戦場』のポスターが誇らしげに貼ってある場所があった。「上智大学グローバル・コンサーン研究所」だ。映画に登場する中野晃一氏がかつて所長を務め、現在も所属している。
当該研究所のホームページに行けば、思想的傾向が明確にわかる。たとえば、雑誌、新聞、メディア関係のリンクをクリックすると、各種刊行物のリンクがリストされている。岩波書店『世界』、『週刊金曜日』、人民新聞(天皇制廃止を主張)等々である。
デザキ氏がどのような思想環境に身を置いてきたか、どのような人々と繋がっているかを見れば、『主戦場』があのように偏向した映画になることもうなずける。最初からそういうスタンスだったのだ。 映画のナレーションで、デザキ氏は言う。
「驚いたことに、私に付けられた反日的なイメージにもかかわらず、多くの保守系論者が取材要求を受け入れてくれた」  
朝日ファミリーニュースのインタビュー記事のなかでデザキ氏は、「自分が日系アメリカ人であることがポジティブに影響した」と考える旨の発言をしている。
またもや完全な勘違いである。彼が日系アメリカ人であることは100%無関係だ。インタビューに応じた保守系論客たちは全員、「慰安婦の証言も矛盾しているんですよねえ」などと言うデザキ氏が「慰安婦性奴隷説に疑問を抱き、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとしているまじめな大学院生」だ、と単純に信じ込んでいたのである。  
ケント・ギルバート氏は、試写会に行って驚愕したという。それほどまでに皆、人が良いのだ。
彼らがなぜデザキ氏を信用したのか? それは彼の国籍などではなく、彼が上智大学の大学院生だったからだ。「学生なら協力してあげなくてはいけない」という道徳観に従って動いたのだ。それにまんまと付け込まれてしまった。
■取材せずに虚偽を流布  
それにしても、特に災難だったのは櫻井よしこ氏だろう。ギルバート氏の紹介だったので、うっかり取材依頼を受けてしまったが、ひどい扱いを受けた。
突如、映画に登場し、慰安婦性奴隷否定派から肯定派に転向したと紹介されるケネディ日砂恵(ひさえ)氏は「深く考えずに米国人ジャーナリストに6万ドル支払ったことを後悔している」と語るが、この部分で登場回数が少ない櫻井よしこ氏にインタビューが飛ぶ。
「あなたもそのジャーナリストと関係があったと聞いたのですが?」と訊かれ、櫻井氏は表情を曇らせて「その件には触れたくありません。複雑なので」と短く答える。  
デザキ氏は、この櫻井氏の反応を、いかにも都合が悪くて言葉を詰まらせているかのように映画の宣伝バージョンに使用している。  
しかし櫻井氏が言葉を濁したのは、自身に後ろめたいことがあるからではなく、ケネディ氏のプライベートな問題(人間関係・金銭関係など)に触れたくなかったからである。ケネディ氏が様々なトラブルの果てに姿を消したのは、彼女を支援した人々にとっては苦い思い出だ。  
そして櫻井氏こそ、ケネディ氏に相談を受けてサポートしようとした人だ。コメントを避けるのは当たり前なのである。 櫻井氏の発言は少ないのだが、映画の後半ではさらに「明治憲法復活を目指す日本会議という恐ろしい軍国主義集団」の宣伝塔だとしてレッテルを貼られてしまう。
日本会議はすでに「映画は事実無根の妄想だ」という抗議の声明を発表している。取材もせずにこのような虚偽を流布するに至って、『主戦場』はもはやドキュメンタリーではなく、プロパガンダ映画の正体を晒す。  
それにしても奇妙なのは、ケネディ日砂恵氏の名前が映画のパンフレットのどこにも書かれていないことだ。出演者一覧のなかにも含まれていない。左派に転向したケネディ氏こそ、デザキ氏の最終兵器だったのだろうか? ちなみに、彼女が接触し、現金を渡したとする米国人ジャーナリストは「彼女に騙された」と激怒している。  
オウム真理教ウォッチャーで有名なジャーナリストの江川紹子さんが、『主戦場』を見て次のようにツイートしている。
〈《主戦場》見てきた。最初は面白いなと思ったし、よくまあこれだけの否定論者を引っ張り出したなあと感心しながら見ていたが、作りのあまりのアンフェアさにうんざり。一人一人が考える機会をくれる作品かと期待していたけど、むしろ分断と対立を煽る作りに、かなり落胆した〉(6:20 - 2019年5月7日)  
慰安婦問題に関する知識の多寡や立場に関係なく、冷静な人が客観的に見れば、極めてアンフェアなプロパガンダ映画なのが明白なのである。
■慰安婦の涙を政治利用  
後半、荒唐無稽になってしまう『主戦場』だが、最後の最後にデザキ氏が登場させるのが、生前の金学順さんだ。幼い頃、初めて客を取らされた時の驚きと恐怖と苦痛を思い出して涙する金さんの姿を見て、「日本人は反省しろ」というわけだ。  
私は、このような手法は苦難の人生を生きた女性への冒瀆であり、偽善の極みだと思っている。
金学順さんは基本的に正直な方だと思う。だから、これまでにも最初から包み隠さず、自分が幼くして親にキーセンに売られたことも、キーセンのオーナーに中国へ連れて行かれたことも率直に話している。長いこと日本でも、貧困から娘を遊郭に売る悲劇があったし、さらに���しかった朝鮮半島ではなおさらだった。
幼くして親から離された少女たちはどんなに不安だっただろうか。また、芸人として生きていくと思って修行していたら売春をさせられてしまった彼女たちは、どれほど傷ついただろうか。金学順さんの悲しみを他人が推し量ることは難しい。しかし、彼女の涙は本当の心の叫びだと思う。  
だからこそ許せないのが、金さんのような人を利用しようとする人々だ。朝日新聞の植村隆記者は金学順さんについて初めて報道したが、彼女がキーセンに売られた事実を書かなかった。植村氏の韓国人義母が会長だった太平洋戦争犠牲者遺族会は「日本政府を訴えれば賠償金を取れますよ!」と嘯いてお金を集め、本人を含めて詐欺罪で逮捕者を出し、有罪判決を受けた者もいる。
当時、慰安婦問題が国際問題にまで発展したのは、単純に慰安婦が存在したからではなく、日本軍が組織的に人間狩りのように女性を駆り集めて慰安婦にしたとか、勤労奉仕の女子挺身隊として集められたのに慰安婦にされたとか、朝日新聞が流布した虚報を日韓の国民が信じて衝撃を受けたからだ。  
西岡力氏は、金学順さんがキーセンに売られた女性で、軍隊に拉致されたわけではないことを『文藝春秋』誌上で指摘した。 これを受けて、吉田清治の慰安婦奴隷狩り証言の検証をすべく済州島に向かう準備をしていた秦郁彦氏が、金学順さんの弁護士である高木健一氏に電話をして「金さんは親にキーセンとして売られた人ではないのか?」と訊いた。
高木弁護士は「あれは玉が悪かった」と言い、「いま、次のいいのを準備している」と答えたという。彼らにとって元慰安婦は、反日活動と金もうけのツールでしかないのだ。  
西岡氏はソウルで金学順さんに会おうとするが果たせず、代わりに日本語通訳を務めていた韓国人女性に会って話を聞く。 彼女によれば、彼女が「おばあちゃん、なんで出てきたの?」と訊いたら、金学順さんはこう言ったという。
「寂しかったんや。親戚も誰も訪ねてこない。食堂でテレビを見ていたら、徴用された人が裁判を起こしたと報じられていたから、私も入るのかなと思った」
■壮絶な人生を歩んだ女性  
日本人として初の従軍慰安婦被害者として祭り上げられたのが、城田すず子さん(仮名)だ。城田さんは下町でパン屋を営む裕福な家庭で育つが、切り盛りしていた母親が急死すると家は急速に困窮化し、神楽坂の芸者置屋に奉公に出される。最初は雑用をしていたが、やがて座敷に上げられるようになる。
彼女はあとで、父親が置屋から多額の借金をしていたことを知る。近所の学生との初恋もつかの間、遊び人の男に水揚げされて、いきなり淋病をうつされる。その後は台湾、サイパン、トラック島、パラオと転々とするが、南洋諸島には自分の意思で行き、内地とはうって変わった伸び伸びとした生活を送る。  
米軍の攻撃が迫ると内地に返されるが、恋人に会いたくて無理やり舞い戻り、激しい空襲を体験する。 日本軍人との恋、米軍兵士との恋と彼の帰任に伴う自殺未遂、学徒動員から帰国した男性との駆け落ちと流浪の果ての心中。自分だけ蘇生して知る恋人の死。
途中、何度も彼女を救い出そうとする人も現れるが、恋は成就せず、覚醒剤、賭博、たばこ、飲酒に溺れて立ち直ることができない。最後の最後に、奇跡的に知り合った赤の他人に助けられてキリスト教団体が運営する支援施設に転がり込み、やっと更生するが、作業中に腰骨を折って寝たきりとなった末に他界する。  
私は、彼女の自伝である『マリヤの讃歌』(日本基督教団出版局、1971年初版)を読んで何度も目頭が熱くなった。裕福な家庭に育ったおきゃんな少女が、母親の死を境になんと壮絶な人生を生きなくてはならなかったことか。彼女は自分の境遇を嘆きながらも、「貧乏が悪い」と人を責めず、苦労する兄妹のために借金を繰り返す。  
しかしひとこと、「父親はなんと無慈悲な人だろう」と本音を漏らすシーンが胸を打つ。もし、彼女の父親に命がけで娘を守る気概があったら、きっと彼女はここまで悲惨な人生を生きなくても済んだだろうに、と思わずにはいられない。
■碑文にある虚偽の一文  
だが、自伝を読んではっきり言えることは、彼女は人生のかなりの部分を売春婦として生きたとはいえ、従軍慰安婦ではなかったということだ。軍隊によって強制連行されたわけでもない。日本軍人も米軍兵士も相手にしたし、恋愛関係に陥ったりもした。
せっかく借金を返してまとまったお金を得ても、贅沢三昧で散財したりもした。親切にしてくれる人もいたが、守ってくれる親や親戚がいなかったばかりに、社会の底辺をひとりで彷徨わなければならなかったのだ。  
まだ貧しかった日本が大戦争を経て焼け野原に帰した時代、彼女のような人生を歩まざるをえなかった人も少なくなかった。心から哀悼の意を捧げたい。  
彼女の写真が、北米で初めて慰安婦像が建てられたカリフォルニア州グレンデール市の図書館に掲げられた。2013年、韓国人反日活動家たちが開催した慰安婦関連パネル展に、唯一の日本人女性として登場したのが城田さんだったのだ。  
彼女の写真の下には「I was their slave. 私は彼らの奴隷だった」と書かれ、英文の説明が続く。
〈1938年、城田すず子さんは17歳の時、父親の借金返済のため日本軍に身売りされた。戦争が終わるまで城田さんは台湾やサイパンの慰安所で働き、日本軍の性奴隷となった〉  
完全な虚偽である。 そして、慰安婦像の脇にはめ込まれている碑文には次のように書いてある。
〈1932年から1945年まで、日本帝国軍によって、朝鮮、中国、台湾、日本、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、東ティモール、インドネシアで家から連れ出され、性奴隷にされた20万人以上のアジア人とオランダ人女性に捧げる〉  
これもまた虚偽である。前述の弁護士といい、韓国人活動家といい、女性の人権を云々しながら、女性たちを政治的ツールに利用しようとする人々を私は心から��蔑する。  
このような碑文とともに像が建ち、故人を虚偽の経歴で利用されたら、当然コミュニティに悪影響を及ぼし、侮辱されたり嫌がらせをされる日系人も出てくる。日本のブランド力低下にもがる。  
韓国人の反日メンタリティは中国共産党の「超限戦」にとことん利用される。豪州ストラスフィールド市のケースでも、突然、中華系の「日本の戦争犯罪を糾弾する会」が結成されて、韓国人会に慰安婦像設置をけしかけたのだ。日本政府が謝罪したり補償したりすればするほど、「弱さ」と捉えられて激しく攻撃される。
■問題が解決されない構図  
そのような事態になってしまったから、学者ではない者まで反論せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのが現状なのだ。だから、『主戦場』に登場した保守派の人々は総じて、前述した反日団体のプロパガンダに反対意見を述べているのだ。  
たとえ左派でもまともな学者なら、反日団体の主張は学術的にも虚偽が多いことはわかるはずだ。デザキ氏でもある程度は気付くだろう。しかし、「反日団体の主張は学術的に正しくないし、強引に無関係な土地に慰安婦像を建てる行為は非生産的だからやめるべきだ。慰安婦をめぐる議論は自分たち学者に任せるべきだ」と主張する左派の学者を私は見たことがない。
それどころか、「性奴隷」や「強制連行」の定義を拡大して、反日団体や活動家を後押ししているようにさえ見える。それは偽善的で、問題の解決を遠ざけるだけの行為だ。だから、いつまでたっても議論がみ合わないのだ。  
ちなみに、『主戦場』の慰安婦性奴隷派のメイン話者の吉見義明氏は著書にこう書いている。
〈「官憲による奴隷狩りのような連行」が朝鮮・台湾であったことは、確認されていない。また、女子挺身勤労令による慰安婦の動員はなかったと思われる。(中略)しかし、「官憲による奴隷狩りのような連行」が占領地である中国や東南アジア・太平洋地域の占領地であったことは、はっきりしている〉(『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店)  
つまり、法律が存在し、統制が取れていた朝鮮半島や台湾では権力による強制連行は行われなかったが、それ以外の前線では統制が崩れて犯罪行為も散見され、記録にも残っている、というわけだ。  
しかし、前述の碑文を予備知識のない人が読めば、当然、「武装した日本軍が組織的に民家に押し入って、一般女性を拉致して性的目的で奴隷のように酷使した」と理解するだろう。これは吉見氏らの学説とも明らかに異なる。明らかな虚偽なのだから、反論せざるを得ない。  
すると、デザキ氏のような活動家が現れて「歴史修正主義者」 「否定論者」と侮蔑的な表現でレッテル貼りを行う。それを吉見氏や林博史氏らが後押しするという構図になっている。
吉見氏も林氏も、慰安婦制度とは日本軍が単独で創り上げていたわけではなく、女性の人権を完全に無視する朝鮮半島の儒教的な封建制と徹底的な男尊女卑文化が背景にあったことを指摘している。  
今日的価値観からすれば、日本軍や日本政府にも道義的責任があると主張するのは自由だが、現実には娘を売る朝鮮人の親がいて、女衒がいて、客としての朝鮮人もいたわけで、それが当時の朝鮮社会における現実の一部(fact of life)だったから、ただの一件も暴動が起きなかったし、日本軍に所属していた朝鮮人兵士も反乱を起こさなかった。
また、反日の李承晩政権でさえ、日本の責任を追及して賠償を求められるものとは考えなかったのである。それもまた現実なのだ。  
にもかかわらず、ことさらに慰安婦制度は「日本軍性奴隷制度だった」と強調し、政治的目的を持って明らかに事実に反するプロパガンダを展開する反日団体を容認する姿勢は独善的で、学者としての誠意(integrity)を疑わざるを得ない。  
吉見氏や林氏がその時代に生まれ、目の前に金さんや城田さんのような女性がいたとしたら救うことができたとでも言うのだろうか? 金さんや城田さんの境遇に胸を痛めるのであれば、困窮した元慰安婦がいたら労り、政治活動に巻き込むようなことをしてはいけない。  
それどころか、現在も存在している女性の人権侵害問題に取り組むべきである。韓国で売春が違法とされたあと、大勢の韓国人女性が世界中に進出して売春をしている。悪質な業者に拘束されている女性も多い。  
シドニー空港の税関で止められた若い韓国人女性はテレビカメラの前で、「私は韓国にいたら気が狂う」(Korea drives me crazy)と泣きながら訴えた。北朝鮮から命からがら中国へ脱出した朝鮮人女性は、文字どおりの性奴隷にされていると報告されている。  
それらの、いまそこにある問題に取り組むこともせず、慰安婦像を建てたり、偏向した映画を作ってあたかも女性の人権を擁護する善人のように振る舞う人々とそれを応援する人々は、極めて独善的で偽善的だと言わざるを得ない。
■今度は植村隆記者の映画  
驚くべき情報が飛び込んできたので、最後に報告しておく。なんと、元RKB毎日放送社員で映画監督の西嶋真司氏が起案者となって、植村隆元朝日新聞記者を支援する映画の製作が企画されているというのだ。タイトルは『標的』。植村氏が不当な言論弾圧の標的にされているという主張を展開する映画だそうだ。  
チェックしてみると、A-Port という朝日新聞社のクラウドファンディングサイトで資金集めをしていることが確認できた。反日急先鋒のテッサ・モーリス=スズキ(オーストラリア国立大学教授)も絡んでいることがわかる。
資金調達達成率は、残り約100日を残して56%とのことだが、すでに完成している部分があり、プロモーション動画の冒頭には「日本の正義が問われている」と書かれている。うんざりだが、裁判では飽き足らず、情報戦まで仕掛けてくる執念は見習うべきか。  
貧しい時代の不条理を生き抜いた、同情すべき女性たちを政治ツールに利用する反日勢力からの攻撃は止むことがない。彼らは慰安婦問題を円満に解決したいとは考えていない。どんな手口を使ってでも日本を世界史上に例を見ない犯罪国に貶め、永遠に日本人と日本政府を糾弾し続けたいのだと見做されても仕方がない。デザキ氏と『主戦場』が、そのことを改めて教えてくれた。
彼らが「標的」にしているのは日本の名誉だ。
(初出・月刊『Hanada』2019年7月号)
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snk-u · 6 years ago
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EVO JAPAN 2019について
金曜日からEVO JAPANをtwitchでずっと流しながら作業していた。格ゲーは動画勢の域を超えないのだけれども面白かった。twitchのコメント欄も結構おもしろくてDOA6のハプニング時の盛り上がりはすごかった (そのあと、しつこいぐらいにそのネタを擦られていたけど)。
見た中で実際にプレイしたくなったのはキャリバー6か鉄拳7。両方とも小学生の時にプレイしただけで、キャリバーは1、鉄拳は3で記憶が止まっているのだけれども。
鉄拳7のトーナメントは色々な意味でおもしろかった。最近は韓国1強といわれる中、ベスト8はばらけた国(韓国x3, 日本x1, USAx1, タイx1, フィリピンx1, パキスタンx1)の選手が残り、決勝はフィリピン勢の若手AK選手とパキスタンの超新星Arslan Ash選手の対決。これは誰もが予想しなかった展開だったと思う。twitterのコメントを読んでいると、パキスタンにはさらに強い選手がゴロゴロいるということで、韓国の超強豪Knee選手も武者修行に行くと書いていた。まだ見ぬ強豪がひしめく新大陸が発見されたような衝撃が走ったことがtwitchやtwitterのコメントから見て取れる。
CC2017を制したドミニカのMenaRD選手の登場も衝撃的であったが、トレーニングにお金がかかったり、遺伝的素質が問われるスポーツ以上に、これからのe-sportsは国籍問わずより平等であると思われる (そのうちに遺伝的な要素質が明らかになったり、トレーナーがついたりして今のスポーツ同様になっていくのだろうが)。これからの展開に期待である。
その反面、ビザの問題はe-sports業界にもつきまとっているようである。日本出身の身からすると中々visaの問題は正直分かりにくい部分がある。Ash選手は優勝後のコメントで日本に来るためのビザや渡航手段を手配してくれた人たちに感謝すると言っていた。アメリカを中心に行われているe-sportsの大会では、アメリカにビザの問題で渡航が難しい選手を見ることは難しい。アメリカで開かれている本家EVOに参加できないそのような選手のためにこれからもEVO JAPANを開いていくべきだというコメントも見られた。隣のラボのAndrewもエジプト人のポスドクを雇おうとしたが色々とアメリカ入国やビザ申請が難しく大変だと言っていた。
ストリートファイターVは去年のCC覇者であるガチくん選手などの強豪プレイヤーがあまり参加しない中での開催だったが、波乱も多く、非プロでは最強の一角であるPOWELL選手が3位に入賞するなど、見どころは多く面白かった。元MMAプレイヤーで吉本所属のjyobin選手とアメリカのpunk選手の試合はとても熱かった。配信でもjyobin選手は中々人が集まらないことを悩んでいるようだったので、これで視聴者も増えることだろう。
来年以降はどうなるのかわからないし、運営やスポンサーなど、色々と難しい問題はあるのだろうが、これからも是非継続していってほしいイベントだなと思った。
今年のEVO JAPANは福岡で開催されていたが、福岡に行きたい欲がまた一段と強まった。今年の分生は福岡なので是非行きたいのだけれども結果が間に合うか... かなり雲行きはあやしい。
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sattworld · 6 years ago
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当たり前。
有料会員限定記事ということで該当部分より転載。
――海外のレースで長く活躍を続け、米国では世界3大レースの一つであるインディアナポリス500マイル(インディ500)で日本人初優勝を果たしました。世界を夢見始めた時を覚えていますか。
 「10歳の時です。父に連れられて行った鈴鹿サーキット。自動車レース最高峰のF1・日本グランプリを見ました。音の迫力や速さがもう、衝撃的で。みんな日本人の中嶋悟さんを応援していましたが、僕はぐんぐん前の車を抜く同僚ドライバーの姿にも目を奪われました。アイルトン・セナ。僕のヒーローになりました」
 「レース大好き少年になり、当時たくさんあったF1専門誌を読みあさりました。『セナはブラジル人で、単身英国に渡り、圧倒的な速さで英国のF3シリーズに勝ち、F1に行ったんだ!』と夢中に。でもあこがれはあっても、当時は自分がどう始めればいいか、わからなかった」
 ――高校では自転車競技を始めました。
 「街のプロサイクルショップを通じて活動していたけれど、3年生で高校総体を目指そうと、部員1人の自転車部をつくったんです。自転車とF1マシンをだぶらせながら、高校、大学で全国制覇しました。弁護士だった父は『走る弁護士なんてどうだ?』と言っていたけど、それは早々に挫折しちゃったな……」
 ――大学2年で大きくハンドルを切り、鈴鹿サーキット・レーシングスクール(SRS)に。モータースポーツの道へ進��ました。
 「『チャンスさえあれば、絶対にできる』という若気の至り的な確信は持っていました。そこにSRSの記事が偶然、目に入った。資金やコネがなくても、この扉から世界のレース界へ道がつながる。興奮しました。これだ、と」
 ――ただ世界のトップドライバーは10歳に満たない頃から経験を積むことが多いと聞きます。SRSでは最年長の20歳で初心者でした。苦労はなかったですか。
 「まずスクールに入るのが大変で、崖っぷちでした。一般公募の枠は7人。応募は70人超で、そのほとんどがレース経験者。入校説明会では履歴書による書類審査で合否が決まると知り、質疑応答で『面接をしてほしい』と訴えました。それで急きょ全員が面接を受けることになったんです」
 ――同調圧力や「出る杭は打たれる」という文化が強い日本で、いろんな意味で飛び出ていますね。
 「みんなと一緒というのは苦手で、中学から集団で高校受験の願書を出しに行くのも嫌でした。自分がやると決めたら、とことんやりたい。でも��分の力だけではどうにもならない時、『親方』的な大人たちに助けられてきました。自転車部創部のために顧問になってくれた高校の担任の先生や、SRSの説明会で急な面接を了承してくれた人……。環境を整えることが大事だと気付きました」
 「モータースポーツは、エンジニアやメカニックの協力が欠かせないチームスポーツ。時にはケンカもするけど、自分よりもいい案なら素直に受け入れ、引き出しを増やします」
 ――SRSを首席で卒業し、翌年にはセナの足跡をたどるように英国に渡って入門レースに参戦し始めました。文化の違いによる誤解や摩擦はありませんでしたか。
 「F1の前に参戦していた英F3は、英国人の誇りです。日本人で初めてトップタイムを出した時は、『アジア人が速いわけがない』『違反をしている』って、マシンの中をすべて開けてチェックされました。でもそうした反応は結果ではねかえすしかない。見てろよ、という闘志がわきましたし、僕を受け入れてくれたチームは『国籍は関係ない、ドライバー・佐藤琢磨と一緒にやっていこう』と誓ってくれました」
 「日本人は『一を聞いて十を知る』文化ですが、海外では『10回言って、やっと1が分かる』という感じ。語学学校などで英語を学びながら、チームの仲間とできるだけ一緒に食事し、同じ景色を見るようにしました。彼らの考えを理解し、心から『こいつを勝たせたい』と思ってもらえるように」
インディ500で初優勝  ――F1では2004年に日本人最高位タイの3位に。その後、米国の最高峰レースのインディカー・シリーズに転戦します。
 「F1での所属チームが08年途中に資金難で消滅しました。他チームから声がかかりましたが、政治的な事情で実現しなかった。F1以外に目を向けるようになった09年、インディ500を現地で見たんです。F1が最先端で最速と思っていたけど、もうびっくり。約35万人の観客の前で、最高時速390キロのままコーナーに入り、コンクリート壁ぎりぎりで横滑りする車体をドライバーが修正する姿が見え、『あれは無理でしょう!?』と。でも、どんなクルマか乗ってみたい、と興味が湧いたんです」
 ――17年にはそのインディ500で初優勝。どんな思いでしたか。
 「夢が叶(かな)った瞬間でした。新聞1面に載ったり、どこに行っても『チャンピオン』と呼ばれたり。モータースポーツの一戦というより、アメリカ文化の一つとして市民権を得ている、と感じました」
 ――ただ、水を差すような出来事もありました。米紙の記者が「メモリアルデー(戦没者追悼記念日)の週末に、日本人が勝つのはとても不愉快」とツイッターに投稿し、解雇されました。
 「僕への個人攻撃ではなかったけど、彼のツイートは世界中に拡散した。すると、アメリカ人からも『時代遅れも甚だしい』『インディ500という素晴らしい大会で、日本に初めて優勝者が生まれたんだよ』ってものすごい反応があった。すごく助けられたし、いろんな意味で興味深かったです」
 ――トランプ大統領が登場して米国社会は分断が進んでいると言われますが、一方で「懐の深い米国」という面もあります。
 「おもしろい国ですよ。スポーツでは娯楽性と同時に、全員平等という、あるべき姿を追求している。欧州は強いところがより強くなる歴史を繰り返している。そこが圧倒的に違います」
 ――高校の自転車部から、夢のF1、インディまでどう自分を高めてきたのでしょう。失敗してめげたことはなかったですか。
 「自分に足らないものを認めること、そしてそれを埋めるために何が必要かを見つめること。この二つができないと、何も前には進みません。『俺の腕一本で勝負できる』っていうすごい才能と自信がある人は、そんなことやる必要ないかも知れないけど」
 ――え? 自分にすごい自信があるんだと思っていました。
 「ありました、昔は。ははは。ただ世界の一線ですごい才能あふれるドライバーたちと競いましたから。でも僕も不完全ながら、ところどころで可能性を見せてきたし、最後は『同じ人間だから、あいつにできて俺にできないわけがない』という所に帰って来ます」
 ――今年42歳です。アスリートとしてピークを越えたなと思ったことはありますか。
 「瞬発力や回復力などは10代にかなわないかもしれないけど、経験という大きな武器があるから負けないですね。まだまだ進化できるところがある」
 ――SRSの四輪部門のプリンシパル(校長)にも就きました。
 「SRSから僕のレース人生は始まったわけで、ずっと気にしていました。四輪で25周年を迎えたSRS側からお声がけいただいた。自分は海外でも失敗を経て、学んできた。経験を少しでも伝えたいと思いました。好きなことを何かしらの理由でできないとしたら、それは何なんだ、と科学的に見る。そして、まず行動。挑戦しないと見えてこないよと。何とかしたい、という熱意や向上心のある子は、とことんサポートしたい」
 ――就任会見で「箸の持ち方から指導したい」と語ったねらいは。
 「基本姿勢という意味です。例えば食べ物を粗末にする子が、スポーツで頂点に立つなんて無理なんですよ。感謝の気持ちも大事で、人としても魅力がある子じゃないと周りがついてこないし、応援をうけられない。そんなもったいないことはないわけで、そこを気付かせてあげたい」
 ――企業や専門学校などでも講演しています。社会で活躍を目指す若者に、どんな話を?
 「僕の信条である『ノーアタック、ノーチャンス』です。挑戦し続けることで好機を作り出し、夢を実現する。そのプロセスが大事で、楽しい。無限の可能性があるのに自分で線を引くなんて、もったいない。会社に限らず、どんな場で生きていくにしても一緒でしょう。限界を超えて、失敗して。それで初めて、自分の足らない点がわかるんです」
 「僕はF1を夢見た10歳から世界の頂点に立つまで30年、レーシングドライバーになってからも約20年かかっている。でも時間がかかっても、すごい才能がなくても、そこまでいけるんだ。自分だからこそ経験から伝えられることがあると思います」
 ――東日本大震災の被災地の子どもたちや各地の小学生を招待して、自動車レースへの入門となるカートを教えてきました。
 「こんなのがあったらいいな、僕が愛情を込めて作ろうと。『自分には無理だ』と思っていた子どもたちが、夢を持つ楽しさと、挑戦する大切さを身をもって感じてくれたら、うれしいです」
 ――今後の「アタック」は。
 「そろそろ次のことも考える時期というのもあって、SRSの話を引き受けた。これも僕の挑戦です。とはいえ、まだまだレーサーとしても挑み続けますよ。年齢的なもので力の低下を感じたら身を引くと思うけど、今はまだ『可能性は無限大。やってやるぜ』という気持ちですね」(聞き手・原島由美子)
     ◇
 1977年、東京都生まれ。19歳で本格的にレースを始め、2002年にF1デビュー。10年、米インディカー・シリーズ参戦。17年にインディ500を制覇。
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itifusai · 8 years ago
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憎しみの種を植える中国
憎しみの種を植える中国 加担する記者たちは責任を負う 米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン》 2017.02.25 産経新聞
 アメリカ人のジャーナリストに、「あなたは中国政府を信じるか」と尋ねてみなさい。もし、答えがイエスであるなら、もうその人と何も話す必要はない。しかし、もし、答えがノーであるならば、次には「彼ら(中国政府)は、日本について真実を語っていると思うか」とたださなければならない。
 中国は、死をもたらす情報戦争を主導している。第一の標的は日本。最終的な目標は米国だ。2年以上、私たちのチームは、中国が推し進める過激化プログラムが、日本を標的としたテロの発生につながるだろうと警鐘を鳴らしてきた。これらの警告が正しかったことは、小規模な攻撃が加えられたことなどから証明されている。
 2015年11月には、過激な韓国人の男が靖国神社内で爆発物を起爆させた。男は韓国に逃亡したが、翌月、日本に戻ったところを逮捕された。
 2013年には、別の韓国人の男が靖国神社に不法侵入し、建物にシンナーが入った缶を投げつけて取り押さえられた。これは2011年に中国籍の男が靖国神社の門に放火した事件を模倣したものとみられている。同じ男がその後、ソウルの日本大使館を襲撃し、逮捕された。しかし、男が靖国神社放火犯だとわかると、韓国当局は男の身柄引き渡しを拒否した。
 さらに、2010年に日本大使殺害未遂事件を引き起こした韓国人の慰安婦活動家が、2015年には、米国のリッパート駐韓大使暗殺未遂事件を起こし、大使は刃物で顔を切りつけられて血まみれになった。
 中国、韓国のメディアと両国政府が、日本を悪魔のように扱うことが多くなるにつれ、同様の事件が増え、それが当たり前のようになってきているのだ。
 私は個人的に、この題材などについて中国、韓国、日本、タイ、台湾、フィリピン、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、ミャンマー、そして米国の11カ国・地域で調査を行った。だが、反日感情を持つとプロパガンダ(政治宣伝)されているこれらの国のほとんどが、まったく逆の状況であった。たとえば、インドネシアでは、日本人は同国の独立のために戦ったとして、米国のアーリントン国立墓地に相当するインドネシアの墓地に埋葬されている。私と研究チームの仲間は実際、数千ものイスラム教徒が眠る墓地に、日本人がまず先に埋葬されているのを見た。
 タイも、(日本人に対する)恨みを持った国であると喧伝されている。私は米国人だが、私のタイ人の家族は、休暇には日本に旅行する。タイ人たちは、日本人に対する恨みなどはない。彼らは、(日本人を)仲間だと思っている。市民の草の根レベルから政府まで、関係は良好である。
 私の事務所近くのバン・カットには、日本兵を祀った大きな記念碑が学校の敷地内にある。もし、日本人が地域を破壊し尽そうとしたなら、タイ人たちは1万8000人もの日本兵士の記念碑を学校に建立するのを許すだろうか。タイのアピシット・ウェーチャチーワ元首相とバンコクで個人的に話す機会があり、靖国神社や慰安婦について、タイの立場について尋ねたが、答えは��何もないだった。
 一握りの日本人たちは、第二次大戦の戦場だったバターンやカンチャナブリで戦争犯罪は行われなかったと、主張している。私たちはこれらの場所やほかの場所でも調査を行った。その結果、日本兵による戦争犯罪は事実であった。ただ、反日プロパガンダとは異なり、その問題について学んだほとんどの日本人は、証明された事実やほぼ確実な事実については痛恨の念を表明している。
 しかしながら、日本人が慰安婦として40万人もの女性たちを性の奴隷として組織的に誘拐していたというプロパガンダは偽りだ。そうしたことは起きなかった。20年前、先ほどの誘拐された女性の数は20万人だったが、その前には2万人だった。このまま増え続けると、そのうち100万人になるだろう。誰も、慰安婦という名の合法的な売春制度が存在していたことを、議論しようとしているわけではないのだ。慰安婦制度は存在していた。そして、韓国にも、そのほかの国にも、いまなおそうしたものが存在している。
 こうした慰安婦たちは、旧オランダ領のジャワ島でいくつか報告されているほか、私もミャンマーのカロゴン村で新たに3人の元慰安婦の女性を見つけた。97歳の生存者にも聞き取り調査も行った。しかしながら、ほとんどの女性たちは自ら奉仕していたと語った。ただ、朝鮮人のブローカーたちにだまされて、連れてこられたという女性たちもいた。
 ある米国人の作家で、有力な雑誌のジャーナリストが、ソウルを旅して突然、慰安婦についての記事を発表した。彼の記事は、中国と韓国の視点を載せたものだった。私は彼に電話をして、どこから情報を得たのか尋ねた。
 彼と、ほかのジャーナリストたちはツアーに招かれ、「説得力のある」展示をみせられたのだ。私も同じツアーに参加したが、時期が違った。詐欺であることは明らかだった。真摯な研究者はこうした罠には陥らない。しかし、ジャーナリストたちは、日々、誤った方向に報道を繰り返す。偽りのニュースは広がり、しばし、それを邪魔する者を破壊するのに十分な慣性を得るのである。
 私は、丁重に彼が情報戦の渦中に踏み込んだことを知らせた。彼は、自らを守る姿勢に転じ、私がホロコーストを否定する者であると非難した。ホロコーストは実際にあった出来事だ。その証拠は動かしがたい。だが、日本とはまったく無関係なのである。彼は、反日勢力理想的な道具となった。情報の戦士たちは、キーボードをたたくことで雄叫びをあげる。勝ち誇った叫び声なしに、情報戦はうまくいかないのだ。
 ソウルでの3週間に及ぶ調査では、毎日のように、時には1日に数回、ソウルの日本大使館前の慰安婦像に足を運んだ。今から1年以上前のことだが、反日団体として知られる韓国挺身隊問題対策協議会の活動の一環として学生たちは、像のそばに24時間体制で寝泊まりしていた。カトリック教会の修道女たちもしばしば彼らとともに夜を徹して抗議行動を行うのだ。ソウルのカトリック教会は、公然とこうした政治的な憎悪が波及するのを助け、日本大使館前で毎週のように行われる抗議行動に参加している。ソウルにあるフランシスコ会修道院の入り口にまで、慰安婦像が設置されていた。
 中国の南京では、大虐殺をテーマにした巨大な博物館に行った。建築費は、数千万ドルはかかっただろう。そこは、中国政府が支援してつくった、日本への憎しみを焚きつける場所のひとつであった。建物の前には、生徒たちで満員となったバスが次々到着し列をつくり、生徒たちは鮮やかな色の旗を持ったガイドに連れられてディズニーランドの水準にある博物館に入る。博物館の展示物は、忘れられないほどショッキングなものだ。1000点以上にも上る展示品は、スマホのカメラで撮影しやすいようにライトで照らされ、斬首している人形の写真撮影を勧めている。博物館は、まさに(情報戦争の)最前線の武器となっているのだ。
 南京で様々な者たちによる戦争犯罪は起きた。日本人も部分的には責任を負っている。しかし、中国側が誇張するほどのものではない。日本は過ちに対する自責の念を表明したが、中国は決して自らの過ちを認めない。中国側は現在、30万人が殺害され、多くの女性がレイプされたと主張している。米国の反日ジャーナリストたちは、当時の犠牲者数は2万から3万人だとしている。中国側は決して明らかにはしないだが、犠牲者の多くは、中国国内で起きていた内戦に起因するものなのである。
 現段階で最低限言えることは、▽南京において戦争犯罪は発生した▽犠牲者の数は、宣伝されている数より遙かに少ない▽中国人の軍人自身が多くの残忍な行為に関わっていた▽そして、現在、中国側はそれ(南京事件)を、国民が日本への憎悪を育むための肥料として使っている-という事実である。
 米国のベストセラー作家、ローラ・ヒレンブランド氏が著書『アンブロークン』において、第二次大戦中の1944年、日本軍が北マリアナ諸島のテニアン島で、5000人の朝鮮人を皆殺しにしたと偽りの主張を二度もして、真っ黒なしみを残してしまった。私たちは、彼女の主張に反論した。そして、軽蔑され、さげすまれた。ヒレンブランド氏は、まだ生存している可能性がある人々たちに対して、戦争犯罪の疑いをかけたのだ。戦争犯罪に対する時効というものは存在していない。
 ヒレンブランド氏が1944年に起きたと主張する虐殺のすぐ後に、米軍はテニアン島に侵攻し占領。その島から2つの原爆投下作戦を遂行した。私たちの調査チームは、朝鮮人たちが元気に生存していた証拠である米国の月間人口調査報告など多くの文書を見つけた。それらの中には、朝鮮人たちが日本を敗戦に導くため、666ドル35セントの寄付をしたとする文書も含まれている。
 私たちは、ヒレンブランド氏が彼女の読者たちを欺いたことを証明した。最後に私は、ヒレンブランド氏、もしくは彼女の告発が正しいと証明できた最初の人物に対し、2万ドルを支払うと公表した。もし、その告発が真実であるなら、驚くほど簡単に証明できるはずだが、いまだ証明した者はいない。
 もう一つの情報戦の舞台は、東京にある靖国神社だ。私を含む米国の退役軍人の多くがその聖なる地を参拝し、自分たちの祖先とかつて戦った日本人に敬意を示している。慰安婦や南京に焦点を当て憎悪を扇動することは、人々が靖国神社への参拝に対し、感情的に反応するよう仕向けているのだ。しかしながら、靖国神社を批判する者や抗議する活動家たちは、北京でガラスの下に横たわる、史上最悪の大量虐殺を行った毛沢東の蝋人形を中国が崇拝している、という皮肉を決して口にはしない。
 靖国神社とアーリントン国立墓地を比較すると、アメリカ人の中にも反発する人が出てくる。彼らは、自分たちにとって都合のよい見識に合うように勝手に決めつける人か、靖国には戦犯たちが合祀されていると、反発するかのどちらかだ。しかし、アーリントンにも戦犯たちが埋葬されていると反論することはできる。私たちの内戦(南北戦争)で(合衆国に反旗を翻し、敗れた)南軍の軍人たちもアーリントンには眠る。彼らは、奴隷制度存続のために戦った。フィリピンでの暴動や、アメリカ大陸の原住民に対する扱いなど、ほとんどすべての戦争の戦犯たちがアーリントンには確かに埋葬されているのである。
 ベトナム戦争中に起きたソンミ村での虐殺事件で、軍事法廷で処分を受けたコスター准将も、その一例である。コスター准将は、第二次大戦後に戦犯として処刑され、靖国神社に合祀された山下奉文大将とも比較される。コスター准将は、(米陸軍士官学校の敷地内につくられた)ウエスト・ポイント墓地(第18区画、G列、墓標番号084B)に埋葬された。果たして、米国人はベトナムの大統領からの不満表明を真剣に受け止めるだろうか。あるいは、政府高官がアーリントンかウエスト・ポイントの墓地に敬意を表したとして、何か問題が起こるだろうか。
 米国で尊敬されている指導者のひとり、米軍人のカーチス・ルメイ大将は、こんな名言を残した。「もし、私たちが戦争に敗れれば、われわれはすべて戦犯として罰せられていただろう」
 日本人の死生観は、ほかの多くの国の人たちとは異なっている。神道では、死んだ人はすべて平等になる。突如として、将軍も、個人の権利も、犯罪者も、聖人もなくなるのだ。すべての人は、ニュートラルなものとなるのだ。ロサンゼルスには、ほとんどの隊員が日系アメリカ人からなる第442連隊戦闘団の記念碑がある。第二次大戦中につくられた第442連隊戦闘団は、米国史上最も多くの勲章を受けた部隊となった。第442連隊戦闘団は、記念碑を有し、それは正真正銘、名誉ある場所なのである。第442連隊戦闘団の記念碑は、戦没した英雄たちの名が刻み込まれた大きな壁だ。だが、そこに階級は記されていない。彼らの魂は平等なのだ。これが日本人の価値観なのである。
 靖国神社には、240万柱以上の英霊が祀られている。朝鮮人も、軍務で亡くなった動物たちも含まれている。その中には、14柱のA級戦犯も含まれている。中国人は、これをうまく使ってアメリカ人をだまし、韓国人をたきつけ刺激する。その一方で、中国人は、日本の残虐行為を批判しながら大虐殺を行った毛沢東を礼賛し続けている。だまされやすいアメリカ人は特に、この皮肉の意味を理解できないのだ。朝鮮人たちは、彼らが日本国民として、日本軍兵士や将校として戦った事実に目を背けたいようだ。ただし、アメリカ人捕虜たちを虐待した「日本の」憲兵隊の多くは、実は朝鮮人たちだった。しかし、こんな事実もほとんど語られない。
 中国は、日本人が悪霊を呪文で呼び起こすために靖国神社に祈りを捧げていると宣伝することで、中国自身の犯罪から目をそらさせ、日米の関係に摩擦を起こすという一石二鳥の効果を得るのである。これはまるで、映画の筋書きのようである。
 2016年12月29日、日本の防衛大臣が靖国神社を参拝した。予測されたように、米紙ワシントン・ポストは次のように伝えた。
 「東京発-米国の真珠湾から先ほど帰国した日本の防衛大臣、稲田朋美氏が木曜日、戦犯たちを含む日本の戦没者を祀った東京にある神社を参拝した…稲田氏の参拝と、それに先立ち行われた別の閣僚による同神社への参拝は、日本に隣接する韓国と中国から非難を浴びた」-。
 中国政府は、人々の心に憎しみを植え付け、過激化させることで、紛争が起こるように仕向けている。これは、マインド・ゲームどころの話ではない。人々が武器と化すのである。
 中国が人々の心に植え付ける憎悪によって日本人が殺害されるのは、もはや時間の問題である。そして、中国が作り出す、日本で軍国化が進んでいるという神話は、もはや単なる予言ではなくなるだろう。だまされやすい記者たちは、そうした結果をもたらすことに責任を負う必要がある。
■ マイケル・ヨン 1964年、米国・フロリダ州ウィンターヘイブン生まれ。元グリーンベレー隊員だったが、90年代以降、独立した特派員として活動を開始。イラク戦争やアフガニスタン戦争の前線の真実を伝えたリポートが評価された。慰安婦問題では、米政府が3千万ドル(約35億6200万円)と7年の歳月をかけた調査で強制連行や性奴隷化を裏付ける証拠は発見できなかったと結論づけたIWG報告書をスクープした。
 ヨン氏は「中国の謀略としての慰安婦問題」と題してジャーナリストの古森義久氏とも対談。その内容は発売中の正論3月号に掲載されている。
http://www.sankei.com/premium/…/170225/prm1702250023-n1.html
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carguytimes · 7 years ago
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【SUPER GT2017】ランクトップに返り咲いた初音ミク!第7戦タイRdを振り返り、チャンピオン争いを占う
いよいよツインリンクもてぎでの最終戦を残すの��となったSUPER GT2017シーズン。10月7〜8日にタイのチャンインターナショナルサーキットで開催された「2017 AUTOBACS SUPER GT Round7 Chang SUPER GT RACE」では、いよいよシーズンチャンピオンを狙えるチームが絞られてきています。 最終戦ツインリンクもてぎでのチャンピオン争いを占うためにもタイラウンドでの戦いを振り返ってみることにしましょう。 予選日午前中の最大のトピックは、鈴鹿戦で2位を走行しながらも横転クラッシュで大破したVivaC 86 MCが完全修復され、空輸でタイ戦に間に合ったことではないでしょうか。 箱換えも辞さないほどの大破となったVivaC 86 MCですが、新車で買えるGT3ならまだしもマザーシャーシのマシンはGTAから共通部品やシャーシを購入してチームが一から作るもの。つまり大破したら作り直さなくてはならないのですが、もうこれはチーム代表にして監督の土屋武士さんの意地。薄かろうがなんだろうが2年連続チャンピオンへの望みをつないだということで大きな拍手を送りたいほどの偉業といえるでしょう。 そんな話題もあった予選日、午後からはタイ特有のスコール!Q1は各車レインタイヤでのアタックとなりHitotsuyama Audi R8 LMSのリチャード・ライアンがJMS P.MU LMcorsa RC F GT3の坪井翔とのアタック合戦の末Q1トップで通過。続くQ2は一瞬晴れ間が見えたもののスリックタイヤ勢は1周でレインタイヤにチェンジ。 そんな中、Hitotsuyama Audi R8 LMSの柳田真孝が1分38秒142というスーパーラップを叩き出してポールポジションを獲得。 優勝は経験したことのあるHitotsuyama Audi R8 LMSですがポールポジションは参戦以来初めて。そのポールポジションをタイの地で獲得したのです。 そしてチャンピオン争いの中核となるJMS P.MU LMcorsa RC F GT3が2番グリッド、グッドスマイル 初音ミク AMGが4番グリッドとなります。 午前中には晴れていたチャン インターナショナルサーキットですが、グリッドウォーク終了間際にはスコール!スタート時は雨が上がったものの路面はウェットで各チームともタイヤ選択に悩みます。そしてセイフティーカースタート。 序盤は完全なウェットのためレインタイヤを装着したHitotsuyama Audi R8 LMS、JMS P.MU LMcorsa RC F GT3、ARTA BMW M6 GT3、グッドスマイル 初音ミク AMG、SUBARU BRZ R&D SPORTの5台とそれ以外の差は大きく広がっていきます。 しかしウェットとはいえ雨は上がっているために周回が進むにつれ路面は走行ラインから乾き始め10周前後辺りからスリック勢の追い上げが始まっていきます。 そうなって来ると苦しくなるのはレインタイヤ勢。追い抜かれるか、タイヤ交換か。このタイミングでタイヤ交換をすればドライバーの周回数規定に抵触するのでピットインが2度になる。我慢して抵触しない周回数まで引張るかの判断をつけなくてはいけない各チーム。 ギリギリの判断でピットインしたのは予選2位だったJMS P.MU LMcorsa RC F GT3。JMSは周回数の読みを入れ18周で坪井から中山雄一にチェンジ。スリックタイヤで勝負をかけます。 スリックタイヤスタートの中で強さを見せていたのはD’station Porscheで22周目からトップに立ちタイヤの限界まで引張りまくった40周目にピットイン。JMSと初音ミクに順位を奪われますが、それでも3位でレースに復帰します。このときトップに立ったJMSは初音ミクに10秒というマージンを持っています。 初音ミクはファステストラップを繰り返しながら猛追します。しかしそのマージンは大きかったようでゴールの時には6秒。しかし4秒も詰めたところには男気を感じざるを得ません。 優勝は逃げ切ったJMS P.MU LMcorsa RC F GT3。これでランキング2位に浮上します。 そして2位にグッドスマイル 初音ミク AMG。これでランキングトップ! このタイ戦でチャンピオン争いの顔ぶれがほぼ決定しました。 その中でもトップとなるグッドスマイル 初音ミク AMG。2位のJMSに9ポイント差で最終戦もてぎに臨みます。 グッドスマイル 初音ミク AMGがチャンピオンになるためには最終戦もてぎでJMSの前でゴールすればいいのですが、JMSがチャンピオンになるためには優勝してなおかつ初音ミクが3位以下でなくてはなりません。また初音ミク、JMSともにポイント圏外であればLEON CVSTOS AMGとARTA BMW M6 GT3にもワンチャンス無いこともありません。 チャンピオンの権利がまだ残っている2台と自力でチャンピオンを狙う2台。この4台が軸となりながら、そこに一矢を報いるライバルたち。最終戦もてぎで笑うのはどのチームなのか?いまからワクワクが止まりません。 (松永和浩) あわせて読みたい * 書きたてホヤホヤ!? インディ500勝者佐藤琢磨のサインを発見!【東京モーターショー2017】 * 日産自動車が参戦を発表した「フォーミュラE」ってどんなレース? * WTCC、ツインリンクもてぎで開催!1Dayで予選と決勝が楽しめる世界選手権 * 悪天候のなかトヨタが1-2フィニッシュ!中嶋選手、小林選手のコメントを紹介【WEC第7戦富士6時間レース】 * 応募者約200名! モータースポーツでキレイになれる、女性のためのイベントが開催【TOYOTA GAZOO Racing WOMAN BOOTCAMP】 http://dlvr.it/PzBBNY
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