#スーツケースに掛けられる
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自室の記録
5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち���1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。
窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
職場で割ってしまったマグカップ��無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らし��まま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
ギター・くま・本棚
ギターは���校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュ���を贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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Quote
海外売春をする日本人女性が増えている。これを読んでいる人の想像する100倍増えている。 ネットで海外売春のスカウトや求人を検索すると、大量にヒットする。彼女たちは国内のソープランドに短期で出稼ぎする感覚で海外に「出稼ぎ」に行く。 国内のデリヘルだと報酬は1日3〜5万。ソープでも1日10万を超えるのは厳しいが、海外だと円安もあり、国内ソープの倍以上は稼げてチップも貰える。だから彼女たちは海外に行く。日本で売春をするより、フィリピンのマニラに行くほうが稼げるのだ。 最近の一番人気はオーストラリア。シドニーやメルボルン。客層は中国人が多い。スカウトは「オーストラリアはワーホリ取れば売春は合法だよ」と行って女の子を誘う。もちろん観光ビザでもワーホリでも売春は禁止だが、売春自体が非合法な国よりハードルが低いらしい。 他にはカナダやアメリカも多い。メインの客層は主に中国系の富裕層だ。日本人スカウトが現地のエージェントに紹介し、航空チケットの手配をする。最近、日本人女性の単身渡航は売春を疑われるため、カモフラージュで手荷物にガイドブックなどを忍ばせるという。それでも審査で引っかかる日本人が後を絶たない。 現地のスタッフが空港から滞在先(ホテル)への送迎を行う。食事はUber Eatsで調達か宿泊先のキッチンで自炊をする。何人も受け入れているところだと現地に日本人スタッフがいて、スマホ用SIMカードの契約や日用品の買い出しなどもする。ホテルに滞在し、電話がかかってきたら出勤する。だから外国語が話せなくても問題はない。 中には悪質な店もあり、オーストラリアで女の子をほぼ監禁状態で1日2回の質素な食事を与えていた経営者が逮捕されている。 客層は中国系が多いが、黒人などを相手にするのが不安な人や渡航費用を抑えたい人は、韓国・ラオス・フィリピン・シンガポール・台湾などに行く。 昨日、韓国で売春をしていた日本人女3人が逮捕された。出稼ぎに韓国を選ぶ子は整形資金を貯めたい人が比較的多く、そのまま韓国で整形をして帰国する人もいる。 女の子たちと話した体感では、8割強がホストにお金を使うためだ。売掛金の返済、担当(ホスト)のバースデーにタ��ーをしたい、担当を1位にしたい。その他2割は整形資金、借金返済、発達障害等で普通の仕事ができなくてもともとデリヘルやってたけど海外の方が稼げるから…など。 ホストのメイン客層は、一昔前は金持ちの中年女性が多かったが、今は学生も多い。女の子にデリヘルで稼いだお金を使わせ、お金がキツくなってくると「海外行ってきたら?」と誘う。日本人スカウトと繫がっているホストも多い。 スカウトは現地エージェントから紹介料を受取り、エージェントは売上をピンハネして女の子に報酬を渡す。10日働いて渡航費差し引いても100万〜200万の報酬を手にした女が帰国後に向かうのはホストクラブである。(メンズコンカフェや地下アイドルなどにお金を注ぎ込んでいる人もいる) 1回の出稼ぎ報酬はホスクラでシャンパンタワーを1回やれば消えるような額だ。それでも担当のためにタワーをすることはそれだけ価値のあることらしい。その一夜だけは特別な「姫」になり、担当のエース客として接遇を受ける。そして一度タワーをやると期待に答えるためにまた高いお酒を入れる。実績があるから支払いは掛け。溜まった掛け金を支払うために海外出稼ぎをリピートする。 頂き女子の教祖こと、りりちゃんもおぢに頂いた金を担当ホストに注ぎ込んでいたのを見てもわかるように、女の子がセックスワークで稼いだお金はほとんどがホストと美容整形外科医に流れているのが構造だ。 このせいもあって、普通に海外に観光に行こうとした日本人女性が売春を疑われて入国できない事案が多発しているため、海外旅行に行く女性は注意してほしい。できるだけ地味な服装・スーツケースに華美な下着を入れない・コンドームなどの避妊具を荷物に入れない、スマホにセクシーな自撮りを保存していないなどの対策をしてほしい。 ●続き ホスト業界についてはホストと直接関わりがなくて女の子から聞いた話だけで書いてるので実態と違うかも。 ・スマホの中身まで見られるの? 入国審査でスマホの中身を見られるケースは増えている。もちろん疑いをかけられた場合のみ。特にアメリカの入国審査はカジュアルにスマホ取り上げてくるらしい。別室送りにされたら隅から隅まで見られる。 ・ホストは何にお金を使ってるの 女の子から聞いた話だと飲食費、車、独立するための資金、夢、親孝行、弟や妹の学費などに使っているそう。 あまり稼げないホストだと整形・衣装代・姫が掛け金払わず飛んでしまい回収不能になるケースもあり大変らしい。 ・何者ですか? 婦人科で働いている一般人。立地の関係で風俗関係のお客さんが多い。(定期的な性病検査などがある) ・なんでホストにハマるの? 女の子の共通点として自己肯定感が低い、不良ではないが学生時代はあまり勉強ができなかった、他に趣味がない、アイドル好きみたいなタイプが多いと思う。 初回料金が2,000~3,000円で90分飲み放題で設定されてるお店が多いので最初の入店のハードルが低くてそこからハマっていくらしい。
日本人女性の海外売春の現状●続きあり
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240302
引っ越しが完了した。スーツケース一つでロンドンに来たが、そのスーツケースを2回使っても収まらないくらいに荷物が増えていた。徒に物を増やさないようにしなければいけない。
けっこう行き急いで決めてしまった感もあったが、改めて見てもかなり多くの面で前よりも良くなったと思う。部屋も極狭から普通に狭いくらいになり、普通に狭いくらいは全然好きなので全く問題ない。本を飾る場所もあるし。寝袋があれば本多くんも寝れます。
唯一誤算だったのはシーツはおろか掛け布団さえないことに今夜来て気づいたということだ。流石にもう買える場所はない。たまたま持っていたでかストールをとりあえず敷いてみたが。今夜は安眠できない。
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わたしの勇敢なともだち
わたしには勇敢な友人がいます 小学生の頃から、わたしが誰かに傷つけられたと言って泣けば代わりに相手を怒ってくれるような子で、間違っていることは間違っていると、先生に向かっても、大勢の前でも、きちんと言える人でした
そんな彼女が先日、わたしが今住んでいるロンドンに旅行に来ていて、滞在最終日には一緒に過ごして、ロンドンの街全体を見渡せる名物観覧車・ロンドンアイに乗ってから空港へ向かいました
わたしが空港に同行したのには理由があります 彼女は旅の途中で、復路の便が先の巨大台風の影響で欠航になったというメールを受け取っていたのです、そこで航空会社の対応窓口に電話をかけましたが、恐らく同じ状況の人で問い合わせが殺到したのでしょう、とても繋がる気配がありませんでした そのためこれは直接空港のカウンターに行くしかないと判断し、彼女は英語を話せないので、わたしは一緒に行くことにしたのです
午後4時頃、空港のカウンターに着いたときには窓口に少し列ができていて、わたしたちもそこに並ぶよう促されました 確か先頭から6番目か7番目だったと記憶しています
わたしたちの後にも続々と、同じ状況の人が並び始めました
でも気がついたら、並び始めてから1時間近く経っても、2つしかないデスクには、それぞれわたしたちが到着した時にいた人たちがずっと変わらずに立っていました、つまり列が進んでいなかったのです
漏れ聞こえてきたことには代替便の候補がかなり厳しくて、当日中に出発したいとリスエストをした場合には、2回くらい乗り換えたり、日本の別の都市の空��に着くという話も出てきました
そりゃあ、より良い条件はないのかと尋ねたくなる気持ちもわかります、交渉に時間がかかるわけです
その列にいた人はほとんどが日本への直航便を予約していた人たちなので、乗り換えは厳しいなあ、でも覚悟せねばいけないんだなあという気持ちを抱いていたと思います
列の少し脇には既に交渉を終えた若いヤンキーチームがいて、それにも関わらずマネージャーと軽い口論になっていたため、困難な状況が伺えました
そして並び始めて1時間を過ぎた頃、ひとつのデスクが対応していた3人組のサラリーマンがついにそこを離れました 列の先頭にいたお兄さんが、腰掛けていたスーツケースからよっこいしょと立ち上がり、多くの人も列が少し動くことに希望を持ったそのとき、もうひとつのデスクに詰め寄っていた旅行会社の添乗員4人組が分裂して、お兄さんの前に滑り込むようにして空いたデスクに座る航空会社の職員に交渉を始めました
なんという華麗な割り込み! お兄さんはへなへなとスーツケースに再び腰掛けました、もちろん後に続いていたわたしたちも愕然とします お兄さんの様子を見ていた人たち同士で目があったりして、わたしたちはコミュニケーションを取り始めました わたしは思わずそのお兄さんに、今自分の番だって期待しましたよね、と声をかけました
列が前後した人たち同士で話し始めたら、だんだんと、それぞれの人が小耳に挟んだ会話から得た情報が集まって、添乗員さんたちが団体の席の交渉をするのに、団体をばらさずに乗せる方法を模索していることがわかりました 当日振替はまず無理、できたとしても2回乗り換え、直航便なら2,3日待つしかないと言われているこの状況で、です!
それは交渉に時間がかかるわけだし、ただえさえ無茶な要求をしているのに、たった2つしかないデスクを占領しているなんて、かなりひどいことです はじめはその状況をなんとかイライラせずにやり過ごそうと思って、わたしと友人でユーモアを最大にいかして、さっきのヤンキーはマネージャーの様子を動画に撮っていたから、きっとこの場にいたらこれも写真に収めたよね、ヤンキーここに呼んでこようか、なんて冗談を言っていたのですが、デスクを占拠されて30分ほどたっても状況が変わらないので、だんだんに列の人たちは怒りが湧いてきました これは声を上げたほうがいいのだろうか、という迷いが生じてきます
そして立ち上がったのはわたしの勇敢な友人でした
「わたし、今すごい言いたい、もう言ってくる」
添乗員に占領をやめさせるべく颯爽とデスクに向かう彼女をわたしも追います 彼女は添乗員チームの間に割って入り「すいません」と言いました
「あの、みなさん同じ会社の方ですよね? だったら1つのデスクにまとまってもらえませんか?」
すると添乗員さんチームが口々に、これまでずっと4人で頭を寄せ合って行動していたにも関わらず、自分たちが2つのデスクを使うことがいかに正当であるか主張し始めました
自分たちは別の担当を持っているんだ、同僚の後ろで待っていたんだ、何時から並んでいる、といった言葉です
友人は、待っているのはみなさん一緒です、と言ってから、添乗員には見切りをつけて、航空会社の人に向き直ってこう言いました
「航空会社さんのほうでも、団体と個人は受付を分けて対応するとか、していただけないんですか」
するとデスクでパソコンに向かっていたお兄さんは慌てたように、自分はそういうことはほかの職員がやっていると思っていたからと口籠ります そのときお兄さんは一旦団体をひとつのデスクにまとめようとしたように見えました、自分が向かい合っていた添乗員さんに、今自分がおこなった作業を一度改めて、隣のデスクに移してもいいですか、とまで言いかけたのに、添乗員さんは睨んでそのセリフを最���まで言わせませんでした
そこでお兄さんは、他の職員に団体と個人を分ける対応をやってくれるように伝えてきます、と立ち上がったものの、でも自分がそれをすると振替の手続きがもっと遅くなるけれどいいですか、と言い出したので、わたしは友人の後ろから「だったらこちらがほかの人に言えばいいんですか」と言いました 頷いた航空会社の人を見て、わたしは列の先頭で待つお兄さんに「荷物見ててください!」と言い残し、その足で友人を伴ってフロアを暇そうに漂っていた同じ会社の職員さんたちに声をかけに行きました
そこにいたのは現地スタッフばかりで英語が必要だったので、わたしが要望を伝えました でもその職員さんたちにできることがないのもすぐわかりました、希望を伝えたら上の人上の人に伝えていくばかり、さらにはわたしたちをただなだめようとする人に突き当たったので、その人と話しても不毛と思い適当に切り上げました
少し諦めた気持ちで列に戻ると、わたしたちの後ろに並んでいた現地在住の日本人マダムが、今ここに航空会社のマネージャーを呼んだから、と言いました 現場でこういうことが起きているのを、マネージャーは把握して整備する責任がある、とマダムは言います、マダムもわたしと同じように、ロンドンを訪れていたご友人の予約便の欠航にあって英語の補助をしようと空港にやってきた方でした
ほどなくやってきたマネージャーは、完全にクレーマーの処理をしにきたという体で、来るなり淀みのない謝罪の言葉の数々を口にし始めました、まるでそれは英会話指南本の謝罪のページのよう そのあまりに不誠実な態度にマダムは怒り心頭、マネージャーの声に被せてでも希望を伝えようとしましたが、マダムが何を言おうとしても言葉を遮って一言も聞かずにただただ大きな声で謝罪を口にするので、マダムはやがて「あんたの話なんて聞きたくない!」とそっぽを向くそぶりを見せました
その様子が見るに堪えず、わたしも思わず口を開いていました
「Excuse me, sir. わたしたちは台風の被害が大きいことなんてよくわかっているし、お宅が欠航したことを責めたいんじゃない、今ここで、お宅の職員が誰も列の進行を気に留めてないことが問題なんです、いいですか、わたしたちの要求はひとつです、団体と個人の窓口を分けてください!」
「団体だって個人の集まりです、わたしたちは個人をないがしろにしません!」
「でもあの団体はひとまとまりに座ろうとしているんですよ! そんなの個人じゃない!」
マネージャーはカウンターは長く待たせることが見込まれていたから、ホームページに「電話を推奨する」と書いているんだと言いました いやいや電話が繋がらないから来たんだよとマダムとわたしが幕したら、わたしの隣にいた現地人の女性が「だったら今ここでかけてみたら良いの?」と訊いたところ、マネージャーは「でも電話窓口は15分前に閉まりました」と返します
その女性が続けて、わたしはホームページで定刻運行という情報を見て来たんだけど、と問えば、あなたが見ているのはコードシェアをしている会社のもので、そこまでうちは��理していないし、うちは正しい情報を出した、とマネージャー 結局女性はカウンターに見切りをつけて、その場で別の航空会社の便を自腹で購入し、それは4日後のものだったそうですが、予約していた便をキャンセルすると言って列を離れました
背後の状況にさすがに恐れをなしたか、気がついたら添乗員チームは再び合体してひとつのデスクにまとまっていました しかしマネージャーはこちらがもはや聞きたくないと言っているのに延々謝罪を怒鳴るため、マダムとわたしとマネージャーの闘いはこのあとも少し続いて、その様子を添乗員チームはせせら笑いながら見ていました
マネージャーが何の利益も残さずにやっと立ち去り、わたしたちが並び始めてから2時間近くたって、ようやく添乗員チームはデスクを離れました 後ろの人たちに一言でも詫びがあれば見直したところですが、こちらをちらちらとうかがいながら、しれっと去って行きました
そのあとの経過はまあまあです、先頭のお兄さんが去り、そのあとにいたご夫婦は一旦提示された案に苦笑いで頭を抱え別の選択肢も検討している様子でした 少しずつ流れるようになった列の中で、マダムとわたしはお互いを労い、お互いのゲストの幸運を祈り合いました
マダムとそのご友人は、我が友に、あなたが初めに声を上げてくれたから、旅行会社は占領をやめて、列が動くようになったと言いました 結局わたしたちは旅行会社が無茶な要求をするのをやめさせることも、航空会社に団体と個人の窓口を分けてもらう希望を叶えたわけでもないので、心から謙遜しましたが、マダムは、こういう勇気のある若い人がいてくれるのは希望だわ、と言ってくれました
そして我が友人の番が来て、担当が英語話者のお兄さんだったのでわたしが通訳しつつ、翌日朝のフライトを得ることができて、彼女のターンはものの5分ほどで終わりました マダムのゲストと場所を入れ替えながら、マダムに彼女が得たフライトの報告をすると、マダムは英国式にグッドラックと言うので、わたしも、そちらもグッドラック、と言って別れました
彼女はのちのち、わたしの「荷物見ててください!」と「そちらもグッドラック」がおもしろかったと言いました 英国生活4年目、わたしもかなりかぶれてきたようです
でもわたしは、添乗員に向かっていった彼女の姿を見て、あの田舎の小さな町にひとつだけある中学校の教室で、おでこにできたにきびをからかわれて泣いていたわたしに「誰がそんなこと言ったの、わたし言ってくるから!」と言い残して彼女が見せた背中を思い出し、友人の変わらなぬまっすぐな勇敢さに感銘を受けました
中学時代に何度も、彼女のそういうまっすぐさにハッとさせられて、わたしは彼女を尊敬して、見習いたいと思っていたはずでした 最近でもたまに彼女がわたしのために立ち向かってくれたシーンを思い出すことはあったけれど、不正を前にした彼女の、媚びも迷いもない真っ直ぐさにじかに触れて、どんな状況でも恐れずに守るべき正義のようなものを、わたしは忘れていたように思いました
無論今のわたしもどちらかといえば媚びないほうの人間ですが、そのルー��はここにあったんだな、ということにも気づきました
この文章はコーヒー屋さんで書いていますが、たった今、隣の女性に、トイレに行く間カバンやパソコンを見ていてください、と頼まれました わたしはあの日空港で、お兄さんに日本語で勢いよくそのセリフを言い残したシーンを思い出しながら、もちろん!と笑顔を返しました
勇敢なともだちに、乾杯 そしてわたしもそんな友達に見合う自分であろう、大事なときに立ち上がれる人間であろうと思いながら、冷めたコーヒーをすするのでした
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息するだけで胸が熱くなる街それがロンドン
ホーチミンから約13時間、横3列独り占めでファーストクラス並み(ごめん嘘多分ビジネスくらい)にくつろいでロンドン、ヒースロー空港に到着。英語圏の国の入国審査緊張するんだよなーーネイティブだから…電子認証も引っかかったのでカウンターで入国審査。久々の生のブリティッシュイングリッシュに心の中ではアーーン❣️と興奮しつつ真顔で審査通過。到着ロビーへの自動ドアが開いた瞬間流れ込んでくるロンドンの空気!ロンドンの匂いがする!!(気のせい)
来たことがある国だと市内までの交通手段にまごまごしないからストレスフリーだなぁ〜地下鉄きたねぇ🥹でも座席に腰掛けたら背もたれがふわっと受け入れてくれて、あ、ロンドンが私にWelcome言うてくれてる!って思った(気のせい)。電車が地下から地上に抜けた途端広がったロンドンらしからぬ青空さえも私を歓迎してくれている…!ピカデリーラインで1本のエアビーなので楽ちんだった。
駅からがらがらと音立てながらスーツケース引っ張って歩く間も、目に入ってくる景色全てが愛おしい。なんかいつも鼻の奥1%くらいに炭火焼きの匂いがするのが私的なロンドンの匂いなんだけど、ベトナムとは打って変わってきりっとしてて乾燥したつめたい空気を胸いっぱいに吸い込んでは涙が出そうになる。私ほんとにイギリス好きなんだわ…こんな気持ちになる国他にない。全部好き、愛してるよ!子どもですらOh dearとか言ってる。イギリスぅ〜!!
少し不安だったエアビーのホストさんも、メッセージ上では厳しそうに感じたけど全然そんなことなくて安心。もう17時すぎているのでセントラルまでは出ないけど、夕食を手に入れるため周辺を散歩しに出かける。
エアビーのエリアがウエストサイドだからか、めちゃくちゃ家々が綺麗…イギリスらしい長屋、そしてなんていうの?台形に張り出した出窓から見える温かげな光とセンス良いインテリア!なんかほぼほぼカーテンしてなくて家の中見えちゃうんだけど、まあ〜みんな良い部屋してんのよね。いやセンス良い家がカーテンしてないのかも。みんなすごく上手にグリーンを使ってる気がする。こんな家に帰ってくる幸せ…ほう😮💨部屋をどうにかしたい欲がかき立てられるけど、そもそも私は部屋を整理するところからなんだよな。
道々でいちいち(ラッパー)感情を揺り動かされ、胸いっぱいになりながらM&Sへ。私がイギリスで一番好きなスーパー!!(普段使いはテスコです庶民なんで)入った瞬間のイギリスのスーパーの香り!店中に張り巡らされたクリスマスのプロモーション!
アァーッッ(発狂)
ミンスパイフレーバーのピーナッツバターとかある。もう胸が痛い、辛い。涙出そう。心の中で泣きながらヨーグルトを眺め、ヨーグルトのフレーバーに心を打たれ(ルバーブ&カスタードとかグーズベリー&エルダーフラワーとかだから)胸の動悸を抑えながら店をあとにする。今ここでたくさん買っても、私には移動が待ち受けているから…!バーミンガムやデヴォンから戻ってきてからしこたま買おう。
高級スーパーはしごしてWaitroseで水とレモンカードのヨーグルトと、イギリスに来たら何故か決まりごとのように買っているinnocentのスムージーを買う。なんだろう、この風習(?)は、初めてイギリス���来たときから続けている。正確に言うと初めて自分で海外旅行に行ったフランスで買ってから、ヨーロッパに来たら必ず買っている。日本でも買えるようになって少しさみしい。
そしてイギリス最初のごはん、それ?!って感じなんだけどChipotleでローガンスペシャルを頼む。ローガン(カナダ人インフルエンサー)のオーダー方式でオーダーしようと試みたんだけど、スタッフのお姉ちゃんがめっっちゃくちゃインド系訛りで何言ってるか全然わかんなくて思わず日本語で「ヤベ、全然わかんねー」と呟いてしまった。そうだ、私にも訛りがあるようにロンドンは綺麗な英語を喋る人たちだけじゃないんだった、そこを強い気持ちと全てを受け入れる姿勢で生きていかなきゃならない(いかなきゃいけないというか、そっちのが楽?)のがロンドンだった。綺麗な英語ですら完璧ではないのに、全部忘れてぬるま湯に浸かった状態でのこのこ現れた自分に冷水を浴びせられた気分。英語、もっと頑張ろう…
何はともあれローガンスペシャルに気持ちを寄せたヨーコスペシャルのサラダボウルを作ってもらってtake awayして部屋で食べることに。
ところでイギリスはバスに乗るのが楽しい。運転手さんと乗客のやりとりを見るのが好きだから。降りるときに運転席と離れててもcheersって言って降りたり、降りてから運転席の横を通るときにハンドサイン👍で運転手さんと挨拶し合ったりしてるのが微笑ましい。日本ではあり得ないようなお願いを聞いてくれたり(全然停留所じゃないところで降ろしてくれとか、お金ないから次まででいいから乗せてとか)、乗降に間に合わなさそうな乗客がいたら他の乗客みんなで”Driver!!!”って叫んで知らせてくれたりとか、機械的じゃないというか、なんかそこにコミュニケーションがあるというか…
もちろんドライバーと乗客が喧嘩してバスが動かなくて勘弁してくれよと思うこともあったし、バスの中でホームレスにお金要求されてキャッシュないって言ったら、ポケットの中手突っ込まれてお金探されたりしたこともあるけどね。ダブルデッカーの2階に乗ってると街路樹の枝がバシバシ車体にぶつかる音を聞いてちょっと不安になるのもまた一興。
話戻って念願のチポートレ、チキンも他の具材もたっぷりでおいしかった〜満足!日本にもあったらいいのに。メキシカン(tex-mex含め)はいっぱい野菜を摂れるから助かる🥑🍅🧅🌽🥬まあ正直ファストフードチェーンでこの値段か…と一瞬日本円に換算してしまうが、誰も幸せにならないので£として考えることにする。(ちなみに£12.25だよ)ヒソヒソ
おなかいっぱいになって明日のことを調べたりロンドンに到着したよ報告をしてたらするりと眠くなって就寝。
いま10/30で、11日前のことなのでさすがに忘れてきてるな。たぶんこれでおわりッッ
やはりメモしておくべきだったッ
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前日入りの日
明日の福祉機器展に備えて、今日前日入りすることに。たかだか一泊といえど、こんなに持って行くなんて、こんなところ母そっくりだ。母もこんなに多いらしい。 商売道具も、スーツケースで持って出るので、ちょっとした遠征並みである。一泊なのに。 お陰様で、明日の福祉機器展は数えて3回目の出展となる。「しかさぽ」ってなんの会社ですか?は最初の時に多かったが、前に腰掛けた当事者にあれこれと説明し出すと「持ってる、持ってる」が昨年だった。3回目の今年はどうか。 業者によっては今日搬入して粗方ディスプレーして、明日は簡単な準備だけするところもある。今にして思えば宅配で送るという手もあった。去年もそう思った。つくづく成長していない自分に気づく。 とりあえず、今日持っていって、明日簡単にできるよう、粗方準備できればと思うのと、会場設営の手伝いができたらとも思う。 今日の夕食は相変わらずプロティンである…
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バックパック vs スーツケース
ラダックツーリングの荷造り考の前回からの続き。 結局スーツケース+バイクバッグとしてモンベルドライダッフルMという方式になりそう。はるかさんほぼそのまま参考にさせてもらった次第。
決めてはバイクバッグを乗せて転がせること。バックパック+ヒップバッグ+バイクバッグは明らかに運ぶのが面倒。ヘルメットとかはバイクバッグに入れて持っていくことを考えるとそこそこの重量になる。やっぱり車輪のあるスーツケースに乗せて運びたい。
今回ほぼ公共交通機関を使わない拠点型の旅なこともあり、バックパックの機動力があまり必須ではないはず。
懸念はスーツケース本体自体が重たいことだけれど、バックパック仕様の荷造り節約感覚そのままなら余裕ありそう。
インド国内LCCは基本料金に預けが付いてくるから、スーツケースだろうとバックパックだろうと重量の範囲に収まれば料金に差はつかない。
まだ完全体の積載ではないけれど、ざっくり荷造りの重量がこんな感じ。
スーツケース本体4.8kg+服・身��回り品3.4kg=8.2kg バイクバッグ本体0.6kg+ヒップバッグ+電子機器+ヘルメット等バイク用品=6kg
行き国内線の機内預け15kg・機内持ち込み7kgはクリアできそう。バイク用品をもっとスーツケース側に移せばバランスよくなりそう。持っていくか迷っているフルアーマープロテクターも入れても良さそう。
よりによってあのスーツケースが世界一向いていなさそうなインドにスーツケースを持っていくというのが正直抵抗なくもない。
けれど、スーツケースに収めたとたん、あ~、やっぱこっちだわ、と思った。バックパックだとかなり夏秋冬物の最低限の服だけでかさばり感があって不安だったけど、スーツケースなら余裕だった。
インド旅行といっても、特殊っちゃ特殊だものな。空港・宿間はタクシーばかりだし、全日レー拠点で動くし。合理的。
私はバックパックが好きだ。"旅人"感がテンション上がる。あのバックパックの重みを腰にかけて前にリュックを背負ったときのよっしゃバックパッカーだ!という謎の誇り。あれが好きだった。しかも機動力抜群で走れるし自転車だって乗れる。兄の結婚式に久米島行った時でさえバックパック使った。スーツケースだとバックパックみたいな一体感はなくて、悪くいうなら重たいデカブツという感じでエスカレーターやエレベーターのたびにヒヤヒヤする。
そして私の荷造りだとバックパックが重くてうんざりする、ということはほとんどない。だいたい重さを感じるのは街歩き用リュックか手提げバッグ。やっぱり重量分散がしっかり効くバックパックは良いものだ。
あと個人的に地味~にバックパックのメリットだと思うのが、意外と荷物破損しづらい気がすること。スーツケースは丈夫な前提で荒っぽく扱われて積み上げ放題だろうけれど、バックパックは不定形だからかえって荒く扱われづらいんじゃないか?と思っている。トルコの帰り便でIKEAのバッグを預け荷物にしたときもすごい不穏な見た目のわりに意外ときれいな状態で帰ってきた。もちろん破損して困るようなものはそもそも預け荷物には入れてないけれど。ウラジオストクからワインをスーツケースに入れたら割れたのも記憶にある。それはさすがに梱包が下手だったと思うけれど。
でも今回はヘルメットとかの特級かさばり物がある以上、最適解はバックパックではなさそうだった。別にバックパックでもいいんだろうけれど、体力が不安なんだよね……。思い出すのはトルコの帰りで顔真っ赤にしながらバックパックとお土産IKEAバッグを抱えていた時。北海道ツーリングの行き帰りで重い肩掛けバッグで肩が内出血だらけになったとき。肩掛けバッグは便利だがバックパックに比べて重量がダイレクトに体力を削りに来る。
年々、体力の心配を重めに見積もるようになってきた。快適さにお金を払うことに躊��がなくなってきた。LCCだから荷物を削って機内持ち込みに収める、とかよりも、荷物潔く追加しちゃう、というマインドになってきた。その延長線上にバックパックじゃなくてスーツケースにしたマインドがある。ちょっと悲しい?いや、合理的、と思いたいが。
次にバックパックかついでいくような旅行はいつになるだろう。2015年に買ったチャムスのバックパックはもうすぐ10年ものになる。コロナで間は空いたけれど、元はめちゃくちゃ取っている。見た目重視で買っちゃったから次はモンベルとかミレーとかの登山系の2気室に分けられるやつを買いたい気はする。でもまだまだ使えるのも確かなんだよね。
ラダックの次に行くとしたらどこだろう。もう少し政情落ち着いてくれたらイランがトップかな。メキシコをリピートするのもあり、ジョージアもいいし、VRC上の海外の友人に会いにヨーロッパ、そのついでにマーストリヒト再訪もあり。海外ツーリングならアイスランドやオーストラリアや台湾の台東も楽しそう。近場ならまだ行けていないマレーシアが筆頭。
荷造りしてて、あ~~~もう何もかも忘れてテキトーにスーツケースに放り込んで荷造りしてテキトーに行ける海外リゾート籠もりの旅とかしたいな~~~~という荷造り逃避願望もでてきてた。でも、まさにその典型のタイ旅行は私の中でもトップクラスのトラベル・ブルーに悩まされた旅だったもので。不思議な話だよなぁ。
コロナ後のインフレと円安でいろんなものが割高なんでしょう?という先入観でもって旅行欲が削れていたけれど。お金は使わなければただの数字で。過去の旅行体験の割高だなぁと思った瞬間はいくらでもあっただろうけれど、それらはぜんぶ風化して、ただもっとコアに感情を揺さぶった体験だけが記憶に残っていて。それがやっぱり今の自分を作っているんだよな。そう思う。
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アナキストの夜会 in 四川省
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Wednesday 27 August 2014
真観は、禅寺には行かず東京に行く身支度を始めた。今日は、夏休み明けの授業があった。6時14分発のバスに乗って東京に向かったがバスが東京に入ると渋滞をしていた。通常なら8時には東京駅に着くのだが8時半になっても首都高をバスは走っていた。終点の東京駅の一つ前の霞ヶ関バス停で降りた真観は霞ヶ関駅に移動した。しかしこれは宜しくなった。入ったメトロの入り口から丸ノ内線に移動するのに結構な長さを歩いた。丸ノ内線に乗りそして大手町駅で降りてまた半蔵門線まで移動に時間が掛かりやっと半蔵門駅に着いたのが9時過ぎ。学校のタイムカードを打ったのは9時過ぎでギリギリだった。もう霞ヶ関駅を利用するのは止めようと思った。授業に出席した学生は若干少なかった。夏休み明け仕方ないかと思った。学生達は夏休みの課題としてZINEを提出してくれた。真観は1ヶ月前から髭を生やす様になった。髭は年齢の割には白髪が多く生えている。真観はその生え方を気に入っていた。学生達の反応は?まあそれなりに、悪くはなかった。彼らにとってはどうでも良いとは思うが・・・。タバコも1ヶ月前から止めた。禁煙したことは学生達に伝えなかったがその方が喜ばれると思う。タバコの匂いを嫌う学生は多い。誰も文句は言わないのだが・・・。
授業が終ると図書室のSさんを訪ねた。借りていたビデオを返し、夏休み休み明けの図書室の状況を確認。真観はまたZINEを展示を図書室で展開したいがまだ様子を見る方が良さそうとSさんと話した。そして真観は新たにビデオを借りた。今回は、川端康成、小林一茶、永井荷風の特集番組のビデオ。図書室を出た後は学生のMと個人面談をした。Mは自分のことを話している内に涙ぐんだ。真観は、ただ見守るしかなかった。これが西洋の場合だったらハグしてあげることは自然なのだろうか?真観はハグでも何でもして上げたかった。でも日本は"そういうこと"をすると誤解をしうわさをする。
学生のMと一緒に学校を出て市ヶ谷駅まで。駅でMと別れて真観はオフィスに行こうと思ったがUさんと電話で話し、少し遅らせることになり新宿に向かった。ヨドバシカメラで旅先で活躍したローライフレックスで撮ったフィルムの現像出しをして、いくつか気になる商品を物色した。
夕刻オフィスに移動。真観がオフィスに着くとUさんはまだ戻っていなかった。しばらくしてUさんが戻って来て久しぶりに再会。今月の始めUさんが耳の手術で入院していたのでお見舞いに行った時以来だった。Uさんは元気だった。手術した耳の具合はまだまだ完治していない様子。お互いのことを報告し合いながらおしゃべりを楽しんでいるとあっという間に8時近くになった。今日は、真観の元学生であるAがオフィスに訪ねて来るというので待っていた。Aが来た。2年振りの再会。真観はスーツケースから「出会いのカメラマン」の写真を取り出しAに渡した。それはAがギャラリーで写真展をした時のスナップ写真だった。3人でぽっちゃり中華で食事をすることに。Aの最近のことを聞かせてもらったがAもまだまだ若い。人生色々あるさと励ました。真観の話を聞いてもらう、という感じではなかった。まあUさんと一緒にAを見守る感じだ。食事の後はいつもの様にカフェに行く。カフェで話している時にAは自分の父親が韓国でペンション経営を始めたことを話してくれた。そしてそのペンションのウェブサイトを見せてくれたが真観はビックリした。それはそのペンションの規模と各部屋の内装の派手さだった。Aの親御さんは55歳になるというが人生の成功者の様に思えた。(人生の成功者が何であるかの定義は難しいが・・・)どんな人物なのか会ってみたいなと真観は思った。Aは、3人で会っている写真をFacebookにUPした。真観はやはり1ヶ月前まらFacebookはお休みしている。Aは、写真と一緒にテキストを添えようとしていたので真観は『アナキストの夜会 in 四川省』はどうかと提案してそうなった。真観はAにアナキストの意味を説明した。
真観は、10時のバスに乗って静岡に帰るつもりだったがAがオフィスに訪ねて来ることを聞いた時点で諦めていた。人と会って一通りおしゃべりする時間は3〜4時間は必要だと最近真観は感じている。そしてUさんにまたUさん宅に泊まらせてもらえないかとお願いしていた。11時にお開きになりA と別れ、Uさんと蒲田駅まで移動。Uさん宅に着いてから軽く飲みながらおしゃべりを続けた。おしゃべりの内容は近代史が中心。深夜2時に就寝となった。
茶畑庵では眠い眠いと言ったのに今日はどうだ?朝から動きっぱなしでこんな遅くまで活動。もちろん寝ていない。やっぱり環境のせいだな、と真観は思った。
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営業中。汗ばむ季節、汗がべとつく感覚が嫌で、私は肌着を上下ばっちり着込んでおります。薄着は決して涼しくて快適な訳ではありません。流れる汗は吸い取って肌に残さない方が、暑くとも、肌の不快感は軽減されます。若い頃に、人並みに薄着したのでたどり着いた結論。
うちの父は津軽民謡歌手なんですが、舞台の仕事で出かけるとなると、着物の他に、着替え用の下着を1日2~3回変えられるぐらい持ち歩く人で、そのぐらい冬でも汗だくになるのが舞台仕事。更に腹巻はオールシーズン欠かさない。下着だらけのスーツケース。帰って来たら、洗濯祭り。グンゼはためく我が家の物干し。
子供の頃は、腹巻=フーテンの寅さんのイメージ。その頃の父は、興行が掛かれば全国渡り歩くので1年に1週間帰ってくる人で顔の記憶もぼんやりな父でした。まさに寅さん生活。
寝食は常に自宅外ですから、体調管理が一番大変だったと思います。慣れるといっても、自分の一番心地よい環境が常に得られる訳ではないですからね。
父が家族と定住生活になり、たまに背中を流してあげました。やっと顔と声が一致した父は少し他人だったので、力具合を問い「調度いいよ」と言われてホッとしながらゴシゴシ。父も緊張していた事でしょう。
実家には弟家族が同居しているので、今も誰かが背中を流してあげているはず。
私の方は一人暮らし継続中なもので、腕が上がりにくいお年頃になったら、背中を自分で洗える事の満足感が、重要度を増してきております。
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手が届かないところを気持ちよく洗える、棕櫚たわしのボディブラシ。これで洗うと肌ツルッツル。棕櫚はへちまたわしと一緒で、水を吸うとしなやかで柔らかい感触になる繊維。肌に優しい感触。
ご自分用に、贈り物に、おすすめ。
通販→https://goo.gl/jJNyYt
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雨で濡れそぼつ日本を出発する。涙をこらえる。私ほど海外生活が嫌いにも関わらず、海外出稼ぎ労働者である人は日本では珍しいだろう。今回は、コレステロール値に気をつけながら、リハビリトレーニングしながらの日々の生活になる。ヨーロッパ好きぃーとかほざく幸せな身分に戻りたいが、白人至上主義が苦手な私は、アメリカの方が住んでいて居心地が良かった。かといって、ある種の特権階級にいないと、アメリカも大変だろうとも思う。いつも、何か目に見えないものにガッチリ守られている私、今回も無事に帰国できる日まで元気でいられますように。
JALのラウンジでは、関西からハワイへ飛ぶ家族連れの会話に微笑ましく思った。ハワイで、円が対米ドルで、どれだけ弱くなっているか体験する旅だ!と、お父さんが中学生と思わしき御子息と高校生と思わしきお嬢さん相手に鼻息荒く話しているのが、なんとも微笑ましい。その中、御子息の方は、おじいちゃんにもらったらいしペソをゴソゴソ、財布から出して、このお金、ハワイでチップに使えるかなぁとお父さんに相談。なんやこれ、ペソやないか?!とお父さん。おじいちゃんに貰ったんや、と息子。ハワイってやっぱ米ドルやよね。。と確認している息子さん。そして、どこでこんなペソ手に入れたんや、いつの時代のペソやと、ペソを見つめながら悩むお父さん。なんとも可愛らしい。
ヘルシンキでは、京都から、おばあちゃんと一緒にプラハへ二人旅に出るお嬢さんに会う。今回はフライトが遅延してしまい、プラハ便とハンブルグ便は乗り換え時間が三十分以下。ヘルシンキで荷物検査に入国審査もあるので、股関節手術した末期ガンのおばあちゃんを二人で気にかけながら、ヘルシンキ空港を一緒に早足で歩く。走れないワシ。走れないおばあちゃん。そして迫りくる時間。ヘルシンキは何回も利用しているので、私は大丈夫だが、彼女達は初めての空港。一緒に、入国審査で並んでいる時に、私は急ぐラインに変更されたのだが、彼女たちのフライトはゲートを閉められてしまったらしい。健気なお孫さんが、頑張ってプラハに連れてきたおばあちゃんとの二人旅、ワシは涙出そうになりながら、別れ際に係員に色々と聞いて、次の彼女たちのやるべき行動を聞き出して、伝えて上げるのが精一杯だった。良き旅になっていますように。
ハンブルグはかろうじて曇天だったが、スーツケース2つだし、重いので、乗り換えが大変な電車ではなくタクシーで楽をする事にする。BMWの電気自動車タクシーだったが、加速が速すぎて、急ブレーキを踏むドライバーのせいで、少し酔う。加速が速すぎるのは、あまり良くないと思う。
家に着いて荷解きし、ママに愚痴ってから、雨が降る中、お買い物に行く。1月には戻る予定だったので、なんだか気持ちがまだ1月のままだった事に気付く。馴染のスーパーの棚替えや、閉店した店、開店した店に、時の経った事を感じる。ハンブルグは、店の回転が早く、一昨年、通いまくっていた店の半分はもう存在しない。
ゴーアジアという馴染の中華食材スーパーに行き、顔を覚えていた店員さんに、親しげに中国語で話しかけられて戸惑う。お前、ワシの事を今までずーっと中国人やと思うとったんか。。。でも納得。最近のヨーロッパで見かける日本人は貧相な人が多く、中国人の方が、まともそうな方がチラホラいる。ハンブルグ日本人会に誘われたが、お前らと一緒にされるんやったら亡命しちゃるわい。。。と心底思うような人相と雰囲気の日本人しか、ハンブルグでは見かけん。ちなみに、今の領事は上智でた女性です。良く高級デパートで見かけるので、棚の間から会話の盗み聞きストーカーをしますが、実に下らない話ししか聞こえてこない。あんなオバハンがトップの日本人会なんて、入会費免除どころか、入会費分貰えたとしても、お断りですことよ。
チンゲンサイがお店に入っていたのでゲット。昼はブロッコリーとレタスの炒めサラダ。夜はチンゲンサイの炒め物と、アリシアさんが作ってくれたキムチとチャプチェで野菜たっぷりチゲ。日本で手に入れた韓国味噌は、だんだん熟成されて八丁味噌のようです。
今朝は朝からなんだかんだ整理して、疲れたので編み物して、ランチは、お風呂の師匠に教えてもらった塩麹で作る素麺チャンプル。鰹節を振掛けて食べると、劇うま。心配だった糠床は、表面は様々なカビが生えていたが、まぁ予想通りだったので、カビを取りきって、昨晩からブロッコリーの芯を皮剥いて捨て漬けしている。空気を入れたら、香りは復活してきているので、大丈夫かな。。。
留守中、誰かに侵入された形跡あり。破壊されたくまちゃん���蛇口がポイとされていて、悲しいが、取り付け直す。ワシのキッチンでは、どうやらトマトのパスタソースを使ったらしく、壁にべっちょりとトマトソースが着いていた。ワシは神経質の綺麗好きなので、そんな事して家を留守にしているわけもなし。カーペットには、ワシは食べないパンのかけらが落ちているし。。。この部屋で、ワシの留守中、何があったのか不明だが、気分悪い。合鍵は研究所が管理しているので、研究所関係者が侵入したのだろう。入るなら入る、使うなら使うと言ってほしい。失礼極まりないし、ドイツ人とスイス人は全く信用ならん、と改めて思う。
昨日、牛乳や野菜を持って歩いたので、左脚が痛む。重い荷物を持ち歩くなんて、日本ですらやらないお嬢様なワシ。頑張ってリハビリしないと、体がボロボロになるぅ。
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クローゼット収納を拡張してくれる「縦横ズボンハンガー」 | ギズモード・ジャパン
以下引用
衣類の収納って悩みますよね。ズボン類はハンガーに掛けてクローゼットへ収納しているのですが、もっとまとめて見やすい収納にできないかなと試行錯誤してきました。 そこで使い始めたのがKIRORANのズボンハンガー。見やすく、そして取り出しやすい収納アイテムで、クローゼットの中がスッキ��片付いたんです。
滑り止めがついていてずり落ちないズボンハンガーなんだ
使い方は簡単で、両端のフックをクローゼットにぶら下げるだけ。ステンレスとプラスチックを組み合わせたシンプルなデザインで、棒の先端には滑り止めも付いています。 先端だけでなく、ハンガー全体にも滑り止め加工をしているので、服を取り出すときに滑り落ちたりといったプチストレスもないのがうれしい。
クローゼットのあらゆる場所に掛けていたズボンが、1カ所にまとめられてスッキリ。朝の身支度も、着たい服が簡単に見つけられて、さっと出かけられるようになりました。
フックを片方だけにすれば収納スペースは最小限に
また、片方のフックだけを掛ければ、縦空間をフル活用して場所をとらずにズボンをたくさん掛けられます。収納を増やしたいなら縦に、見やすさ重視なら横にかけたりと、服の量やクローゼットの大きさによって、使い分けることができるんです。
ズボンを出すときも、ハンガー部分がスライドできるため取り出しやすくなっています。出張や旅行の際にもスーツケースにそのまま入れることができ、ズボンだけでなくスカートやマフラーといったアイテムの収納にも役立ちそう。
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2924.3.9sat_tokyo
朝、むくっと起きたらまずベッドの上でその日の天気予報を確認し、自身の体調と相談することからはじまる。
「夢を多く見てなんだか疲れが取れていない感じがする」とか 「肩こりが昨日よりひどくなっているかも」とか 「目や喉に違和感がある…。今日は花粉が多そうだなぁ」
などということをまだぼんやりとした頭で考える。 歳を重ねていくなかで、自分の身体のちいさな変化を探ることがいつの間にか癖になっていった。
その日は雨だったので、前日から首〜肩にかけて重たく、偏頭痛が起きないかビクビクしながら起き上がった。
朝起きたら偏頭痛は大丈夫そうだったが念の為、予防のための薬膳茶をつくって飲むことに。 有機ほうじ茶に、クコの実や菊花、サルノコシカケ、ウコンやクマザサなど生薬を7種類程調合し、今日一日も平穏無事で過ごせるよう願掛けも込めつつ飲む。
夜に薬膳茶のWORK SHOPがあったので、黙々とガラス瓶に生薬や茶葉を詰めていく。 計量し、ひたすらに詰めていく。 これをひたすら繰り返す地味な作業なのだけど、昔から地味な作業が好きなため全く苦にならず、むしろ一人で黙々と計量できることに気持ちよさをも感じる。
5歳の時にピアノを習い始めたのだが、当時何よりも楽しかったのはピアノ教室が終わった後に近くの空き地に行き釘を集めることだった。 その空き地にはいろんな形やサイズの釘が落ちており、母に「帰るよー!」と声をかけられるまで釘を集めることに集中していたことをふと思い出す。 (そのうち空き地に工事が入ったため、釘集めからちいさなおにぎりのような小石集めへと収集対象が変わる)
その日使用する薬膳茶も調合し終え、準備がひと段落したところで読み進めている本を何冊か読むことに。
毎日、本を読んでいる。 隙あらば読んでいる。
もう何度も読んだ本を持ち歩いてはまた繰り返し読んだりするので、そのうちに本はボロボロになり、人に貸したりすることができないような一冊へと変貌を遂げるが、それすらも愛着が湧くため新品過ぎないのも良さだなと思う。
<丁先生、漢方って、おもしろいです。> 漢方や中医学を様々な角度から面白おかしく描いたこの本を、またしても読んだ。 もう何十回読んでいるかわからないが読むたびに思うことがある。 ユニークさはどんな分野でも心を揺さぶるものであり、お金では買えないものだなぁと。
口寂しくなったため、本のおともにとラベンダーやジャーマンカモミールなどを調合し、またお茶を飲むことにした。
感覚というのは正直で、大事な日の前日や新月の前辺りはドキドキしてあまり寝付けなかったり、交感神経が優位になりやすかったりして、力が入りっぱなしになったままなんてことがよくある。(拳を握りしめて寝てしまうことも…。そんな時は漢方薬の抑肝散陳皮半夏が効く)
ゆるめるのをついつい忘れてしまうと過度な緊張状態が続いてしまうため、無理矢理にでも副交感神経を優位にしたいもの。
そんな時、私は信頼を置いているラベンダーに頼っている。 (漢方薬局から仕入れており、特に香りが上品でうっとりするラベンダーなのです)
不安や緊張、神経性の頭痛やめまい、消化不良、不眠、中枢神経のバランスを回復したり、疲労にもよく、副交感神経を刺激してくれる。
生きる薬と書いて生薬、食べる薬と書いて食薬、食を養いながら生きるで食養生。
好きなものを飲んだり食べたりできるって素晴らしいし、当たり前ではなく、ほんとにありがたいこと。 寝ている間も止まることなく動き続けてくれている臓器のおかげであることを、日々感じる。
そんなことを思いながら生薬の瓶やポットをスーツケースにパンパンに詰めていき、二子玉川のTODAY'S SEPCIALさんへと向かう。
お店のスタッフの方とお話しをしながら準備をする時間も愉しく、一人緊張しキュッとなっていた気持ちがやわらいでいく。 薬膳茶を淹れ、スタッフのみなさんにも一緒に飲んでいただきながら、ホッと一息。
スタッフの方にたくさんのサポートをしていただき、あたたかなご参加者のみなさんのおかげで無事終わり、またスーツケースを持ちコロコロと家路をたどる。
帰り道、「次はこうしたらもっと良くなるかなぁ」と一人頭の中で会議のようなものが行われる。 自分の一番の親友はおそらく自分なので、頭の中で行われる改善会という名の会議は場所も取らず、人にも迷惑をかけず粛々と行われていった。
帰宅後、熱めのお湯にざぶんと溶けるように浸かった。 一日の回想をしたり、またここでも本を読んだりして。
-プロフィール- gokan/narumi 33 東京 漢方養生指導士 @gokan_cha WEB: https://gokan-cha.studio.site/ ONLINE STORE: https://gokancha.base.shop/
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25 帰郷
支度をして待っているとチャイムが鳴った。 ハヤセさんが迎えに来てくれた。 挨拶をして荷物を持って部屋を出る。鍵をかけてハヤセさんに渡す。 コインパーキングに停めてある黒いワンボックスへ。 後部座席にはサクラちゃんとノダさんがすでに乗っていた。 酔った勢いで、だと思っていたのだけど。まあ問題ないか。
スーツケースをトランクに乗せて助手席に乗り込んだ。 四人を乗せた車が出発した。
首都高環状線に入り半蔵門から四号線新宿方面へ。 高井戸を過ぎて八王子から中央道へ。 なにか大事な忘れ物をしている気がする。 そのまま順調に進み、談合坂を通過したあたりで思い出した。
あっ!と大きな声が出た。
ハヤセさんが「どうしたんですか?」と焦った声で尋ねてくる。
「車を、浜松のファミレスに置き去りで… レッカー移動されてると思う…」 「浜松に向かったほうがいいですか?大月から東名へ」 「いや、行っても鍵がないし。とにかく電話します」
携帯で浜松の警察署を検索。電話をかける。 車はレッカー移動されて保管されていることがわかった。 保管から一ケ月経過しても持ち主が出てこない場合は 競売に掛けられるそうだ。
スペアキーは家にある。来週の早いうちに取りに行くとお願いすると、 そのまま保管してもらえるようになった。 危なかった。穴に落ちて今日でちょうど一ケ月。 きっと明日か明後日がタイムリミットだった。
―――――
渋滞もなく順調に走って、到着予想時刻の通りに地元に戻って来た。 最寄りのインターチェンジを降りたところで、 家に「もうすぐ着くから」と連絡をした。
家の前に、息子二人と奥さんが立って出迎えてくれていた。 車から降りると、次男が飛びついてきた。 前はこんなに人気なかったのに、今はすごく慕ってくれる。 長男は、不安から解放されたような、照れくさそうな顔でいる。 一ケ月留守にしただけで、ずいぶん成長したように見える。
「ただいま」 「おかえり」
ひとまず奥さんにただいまを言えた。
後部座席と運転席のドアが開いて、ぞろぞろと人が出てくる。 口々に「こんにちはー」「初めまして」「こんにちは」と挨拶が飛ぶ。 奥さんと子供が、ぽかんとしている。だよね。
「きょうまでの話を、いまから話そうと思うけど、いいかな」 「そう、だね」
事態が飲み込めないまま、奥さんは了承した。 ひとまず全員で家の中に入った。
―――――
ダイニングに五人で座って、浜松からの経緯を話した。 座る場所がない息子たちはリビングで聞き耳を立てている。
「ワームホール?」「ウルグアイ?」「海軍?」「アメリカ国家安全?」
奥さんは目を白黒させている。 そりゃそうだ、映画やドラマのような話なのだから。
「で、こちらの方々は、どういう…」 「初めまして、私、ウルグアイ日本大使館のサクラです」 「私は、防衛省のハヤセです。旦那さんの補佐をしています」 「初めまして、警備会社のノダです。私は家事をしていました」 「大使館?防衛省?警備会社の方が家事を?」
謎は深まるばかり、といった感じの奥さんに ゆっくり、一つ一つの出来事について話をした。 奥さんはどうにか理解しようと都度、質問を挟んだ。 出来る限り丁寧に答えながら、推察を混ぜながら話をした。 たまにサクラちゃんが、 すごく勘が鋭いんですよ旦那さん、とフォローしてくれた。 ハヤセさんとノダさんは概ね黙って聞いていた。
中国人に監視されていた件は、ノダさんの上司が解決してくれたと説明した。 ハヤセさんはその件が初耳だったらしく、驚いていた。 なぜ知らせてくれなかったんだと、ガッカリした目を向けられた。
あれこれ話しているうちに奥さんも、サクラちゃん、と呼ぶようになった。 彼女の懐に飛び込む姪っ子スキルは特殊能力だ。 いっ��外交官になったほうがいいとおもう。
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Trip to Shenzhen, November 2023 - Day 1: How to get in Mainland China
Now it's time to get a visa!
いざビザを取る!
▶️7:10 入境庁到着
はやばやと到着したこともあり、かなり人は少なめ。
「入境庁」の入口はこちら。いっしょにSkylimoに乗っていた人たちについて行って、いったんまっすぐ進んだのですが...
実はビザを取るカウンターは右側でした。まっすぐ行っても意味なし。
ビザカウンター。ここでビザを申請するみたい。オープン時間は9:00〜16:30とのこと。
せま〜い待ちスペースと並び列。 1つだけ椅子があったのですが(多分、入国管理関係者用のやつが放置されてただけだと思われる)、それ以外には何もないので、立って待つしかありません。スーツケースに腰掛けて待つしかないです...
▶️7:20 暇なので先に写真を撮る
とりあえず、ここに写真撮影機があるので、どうせ暇だし、いっちょ撮ってみっかなと思ってトライ。
よくわからんので「English」に設定して、 パスポート番号を入れて、 顔の位置を調整して(2枚撮られた)、 いい感じの方を選ぶと、
白黒で撮れました。別に番号とか入れなくても撮れるので、先に撮っておいた方がスムーズ。
...とか言いつつ、その後再撮影をさせられたので、急いで撮らなくても大丈夫なのかもね。まあ何回でも撮れるということがわかりました。無料だしね。
▶️7:40 ただひたすら待つ
ラッキーなことに、同じSkylimoに日本人のカップルの方が乗っていて、声かけして荷物を見てもらったりすることができたので、カウンターがあくまで周辺をウロウロ。
入境庁の入口と、車止めエリアに免税品の売店(酒とか)があるだけで、それ以外はなんもないし、そこらに「禁煙」の張り紙がされているのでがっかりしてたんですが、念のため売店のおねえさんに聞いてみたら、「そこのゴミ箱のところに灰皿あるよ」とのことで。
これか!だいぶラフな灰皿やな!
▶️8:57 ビザ申請担当官が出勤
おい...もうちょっと早く出勤してくれよ...
▶️9:00 ぬるっとカウンターオープン、整理券をもらう
さすがの私は整理券番号001が取れました。
順番に並んでいたものの、日本人の方の付き添いで来ていた"我の強い中国人"が順番抜かしで整理券をもらっていて憤慨。我先にと行く生命力の強さが大事なんでしょうね。
申請用紙が入った箱も出されたので、とりあえず書いて待ちます。
昨日の整理券が落ちていたのだが、16:34の時点で044。たしか、皇崗口岸はAM35人 PM 35人の合計70人/日だと聞いていたのだが、、、、。もしかしたら平日だったら並ばなくても全然大丈夫なのかもしれない。(そういえばここのカウンターが閉まる時間が16:30って書いてあるから、なんで16:34の整理券があるんだろう。1日何人来たか確認するために発行したのかな...)
▶️9:05 申請用紙に記入、番号順に申請
せっかく事前に写真を撮ったのに「耳を出して再撮影して」と言われる。さらに再撮影の時に機械に「目が開いてません」と言われる。うるせーわ、悪かったなw
▶️9:10 お支払いをして申請完了
日本人のビザのお値段は275元。ちょっと前までは165元だったようなのですが、値上がりしてますね...日本円にして5800円。高え。
とはいえ、アメリカは1295元(26,900円)、イギリスは834元(17,300円)ともっと高え。そこまで払うなら期間ギリギリの5日間くらいいないともったいないね...
▶️9:20 パスポートを持っていかれているので待ち
... せっかくの整理券番号001なので、10分15分くらいでもらえるのかな?と思っていたら、並んでいた15人ほどの申請が終わってもうんともすんとも戻ってこず。
業を煮やした我先にオバハンが「ちょっと!これあとどれくらいかかるの!?」と聞いたところ、「え、ここから1時間くらいだよ」とのこと。まじか...
待っている間、入国管理の人がスマホで行列を撮ってた。「ちょww 今日こんなに並んでるわww」とかSNSで上げてるん��ゃねえだろうな。
▶️10:14 やっとビザ取れたーーー
「特区旅游ビザ」という、深圳エリア内だけ5日間いられるビザです。やっとこっさ...
整理券番号001だったのですが、ビザは20人くらい一気に渡されたので、あんまり早くから並んでまで申請する必要はないかもしれません。「申請から15分ほどでもらえた」という投稿も見たので、こればっかりは運なのかもしれませんね。
▶️10:21 入国カードを書いて入国管理官のところへ
何回パスポート番号を書いただろうか...
▶️10:29 深圳入国
やっとですよーーーーーーーーーーーーーーー!!! やっとこさ深圳へ入国しました。
----- 香港到着から 6時間経過 -----
私自身、いろんなサイトにあった誰かの経験談がかなり参考になったし、状況・条件が随時変更になってるので、新しい経験談がいろいろ残っていた方が後々誰かの役にも立つかもしれないので、この「特区旅游ビザ」の申請のポイントを。(2023年11月頭時点。平日の申請の場合。)
★健康診断QRコード登録、的なのは不要になったみたい (2023年11月から。ラッキーなタイミングでした)
★ビザの価格が168元→275元に値上げ (2023年9月から。チッ)
POINT 1: 香港入国時の「スリップ」はめちゃくちゃ大事
申請するときに「スリップ出して」と言われた。みんな「???」ってなってた。あの香港に入る時のちっちゃい紙、実は結構大事...! 出国審査のゲートのところで、無くしちゃったり無くされちゃったりすることもあるらしいので、パスポートに挟んでおかずに、手元に持っておいた方がいいかもぞ。
POINT 2:eSIMで香港側と中国側両方のSIM入れとけ
入境エリアは電波よわよわ。特に建物の中は電波よわよわで、フリーWiFiとかそんな親切なものはないので、香港側と中国側の2タイプのeSIM入れておくと便利です。オフラインで暇つぶしできるものもあった方がベター。
ネットが繋がってなければ、文明の利器もただの文鎮。
私が事前に買っておいてたのは以下の2つ。
①中国 データ無制限 eSIM / KKDAY ②3 HK PREPAID
①でいけるかなと思ったのですが、「電話番号アリの方がいいかな...」と思って直前、羽田空港の待ち時間で②を買っておいたのですが、これが功を奏した。電話番号あるとないとだと全然違う...!
POINT 3:正直クソ待つ
ほんとにジャスト9:00にしかカウンターは開かないし、記入紙もないから写真撮るくらいしかできない。さらに受付してから発給されるまで1時間は待ったし、015くらいまではほぼ同時に渡されたので早く行っても無駄かも。9:00のカウンターオープンくらいに行くのがベストだと思う。(混み具合は曜日によるのかもしれないけど)
POINT 4:飲み物・軽食はあった方が良い
周りに売店とかまじでなんもない(トイレはある)ので、飲み物食べ物はあった方がよいです。喫煙所はあるよ。
POINT 5:泊まるホテルの予約ページを印刷して持っとけ
「滞在先」を書く回数多すぎ。あとパスポート番号も覚えるほど書いた。
POINT 6:ボールペンもっとけ
カウンターはボールペン2本しかないっす。誰かが書いてるのを待って、借りようとしても、いざ申請のときに「あれが足りない、ここが間違ってる」と1本は絶対に空かないので、自分用を持って行ってください。
どなたかの助けになれば幸いです。
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「ここに来れば凄いスーツケースがあるって聞いたんです」 「他の人と被らないバッグが欲しいけど、なかなか無くて」 最近こうしたお声と共に御来店下さるお客様が増えました。 「ネットで調べたらこの店が出てきたので」と。 そのお客様方から「これは確かに凄い!」「これなら人と被らないね」と驚かれているのはイタリアブランド、テクノモンスターのコレクションです。 テクノモンスターは世界で初めてドライカーボンを使ったスーツケース作りを成功させたユニークな会社で、銀座HIKOは長年同社と意見を交わし様々なHIKO限定アイテムも手掛けてまいりました。 おかげさまでドライカーボンのコレクションは1台100万円前後のお品であるにもかかわらず店頭の商品が次々と売れておりまして、現在スーツケースについてはスタッフの私物を「参考品」として展示する嬉しい事態になっ…
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