#ジョージア:ざくろ
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✿ プハリ | ფხალი (Pkhali) ・ほうれん草やビーツ、キャベツ、ナッツなどのペーストを丸めて作られるもので、トップにはザクロの種が飾られています。ジョージアの伝統的な前菜料理として知られており、そのままもしくはパンに付けていただきます。
#ფხალი#プハリ#pkhali#ジョージア#ジョージア:プハリ#ジョージア:ほうれんそう#ジョージア:ざくろ#food:ジョージア#コーカサス地方#コーカサス地方:ほうれん草#コーカサス地方:ほうれんそう#コーカサス地方:ざくろ#ざくろ#ザクロ#food:コーカサス地方#ジョージア:ほうれん草#ほうれん草#ほうれんそう#ジョージア:��菜
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10/10/2023 23:57
I💖Tbilisi
クマが首輪で繋がれているという…汗
逃げて逃げて…👀
ジョージア風水餃子ヒンカリで、決して小籠包ではございません🥟 パクチーが入っているところ以外は小籠包そのものの味です🥟 てっぺんを手でつまんで食べるのが地元のstyleだそうです✋
メインは肉の串焼き、シャシリク🍖豚肉だそうで、塩コショウのあっさり味で美味しかったです😊
老犬ですが、ジョージアでもこの地方にしかいない品種の犬だそうです🐶 また、オオカミに襲われないように、尻尾は短くしているそうです。日本ではオオカミは既に絶滅しているだけにびっくりしました😮!
途中で羊や馬を眺めたり、教会に停まっては見学しながら…⛪ 19:00にグダウリに到着(標高:約2,196m)
夜は、まさかの雪⛄!
寒いので夜の散歩はやめてホテルの室内をうろうろ笑
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)6月9日(日曜日)
通巻第8284号
現代世界史は1939年のモロトフ・リッベントロップ協定、1945年の「ヤルタ協定」で世界分割、1994年のブダペスト覚書によって形作された
*************************
トランプが大統領に返り咲くと、東ヨーロッパはどうなるのか?
日本で、この問題を提議した論客はすくない。ハンガリーやチェコ、ポーランドの人々のロシア恐怖症は理解の外である。
ウクライナの英字紙『キエフ・ポスト』は、ストックホルム東欧研究センターのアナリスト、アンドレアス・ウムランドに分析と今後の予測を尋ねた。
Q トランプ氏の勝利は、欧州地図の「書き換え」につながるのではないか。プーチン大統領の力を強化し、NATO同盟を弱体化させる可能性がある。東欧の政治���のトランプ再来に対する、こうした懸念をどのように評価するか?
A 「過去30年間、東欧諸国は世界平和の政治的力に対する魔法のような信仰に慣れてはいない。ロシア帝国とソ連による圧制と、西側諸国によるヨーロッパの価値観への裏切りの記憶は、遠い過去の記憶でしかない。
しかし、1939年のモロトフ・リッベントロップ協定、1945年のヤルタでの世界分割、1994年のブダペスト覚書によって形作された。東欧諸国はNATOに信頼を置いているけれど、トランプ勝利の後、ロシアのNATOに対する尊敬が薄れれば、東欧諸国は懸念材料が増える。ウクライナ、ジョージア、モルドバが現在そうであるように、再びロシアの格好の標的になると恐れている」
そしてウムランドはつづけた。
「トランプ氏は外交政策の明確な基盤がなく精神的に不安定なため、明確な予測を立てるのは難しい。彼は親ロシア派とみなされており、プーチン大統領から操られる可能性がある。とはいえ、なにをやらかすか、予測不可能な行動をとる」。
東欧の人々がバイデン政権のロシアに対する優柔不断さに不満を抱いていることは事実でとりわけマクロンは個人的演技にはしる。さはさりながら東欧かれみれば、バイデン政権の遣り方と民主党の行動は過去のパターンからも予測可能である。
ところがトランプがふたたび米国大統領になると、予測不能状態となり、また米国が内部紛争(シヴィル・ウォ-)に陥り、外交政策を実行できなくなる危険性も否定できないだろうし、米国のウクライナ支援は終了するだろう。
Q 最悪のシナリオはウクライナが米国の援助を止められ、NATOを支持する米国の約束が疑問視されるようになると、欧州は迅速かつ根本的に変わらざるを得なくなる。
NATOは自らの位置づけを変えなければならないのでは?
A 「2022年から23年にかけての、ウクライナ、モルドバ、ジョージアにEU加盟候補国の地位を与えることで、EU加盟国は、欧州領土紛争に間接的に関与することになった。
米国が欧州から撤退するとなると、リスクはさらに拡大し、たいへんな正念場となる。過去 70 年間、ヨーロッパ統合と共通の安全保障は、ワシントンがヨーロッパを保護する手を差し伸べていたからこそ、そして、その手を差し伸べている限りにおいてのみ存在した。
アメリカの保護の傘が取り除かれれば、統一され連帯してきたヨーロッパというアイデアは幻想に過ぎないことが判明するかもしれない」。
かくして東欧はトランプ恐怖症にかかっているようである。
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空中散布の歴史についての簡単な入門書 - 兵器級の高度なナノマテリアル、別名モルゲロンとCOVID19生物兵器との化学的重複 アナ・マリア・ミハルセア医学博士 10月3日
グローバル・ブレイン・チップとメソゲンの著者であるヒルデガルド・スタニンガー博士は、彼女と彼女の同僚が数十年にわたって発表した多くの歴史的な科学論文とプレゼンテーションを私に送ってきました。この出版物は彼女の同僚であるコロジン博士によって作成され、Health Freedom USA War Council 2010の会議で発表されました。それは先進ナノ材料の開発の重要なタイムラインを説明しています。また、4つの異なる毒物学研究所に送られた24人のサンプルに関するスタニンガー博士の研究についても説明されており、フィラメントは生物学的ではなく、アクリオリンとメチルメタクリレートの2部ポリエステル樹脂を使用したシリコンベースの兵器グレードのナノ材料であることがわかりました。ポリメタクリレートはモデルナの特許ではステルスナノ粒子であり、ジェアニナ・ハギマ博士などの研究者はCOVID-19のバイアルで大量のシリコンを発見していることに注意してください。これらの化学的特性は、COVID-19の生物兵器とモルゲロンと呼ばれる歴史的な先進ナノ材料の重なりに関する重要な手がかりです。
グローバル ブレイン チップとメソゲン 偽りの記憶を究極的に制御するナノマシン - 集団マインド コントロール用コンピュータ システム
速報:C19生物兵器の新たな分析:mRNAは含まれず、有毒金属とシリコン。歯科麻酔薬と肺炎ワクチンにもナノテクに使用されるシリコンと金属が含まれている - ジェアニナ・ハギマ博士へのインタビュー
この論文は
チキンリトル101:空中散布の歴史とそれを実行する人々の意識についての簡単な入門書。
ベンジャミン・コロジン博士による。元のプレゼンテーションで使用されたスライドの一部を挿入しました。この研究はすべて、COVID19 生物兵器で行われている現在の高度なナノマテリアル戦争を理解するための重要な背景情報です。
要約:私たちはもう、チキン リトルの物語を読んで空が落ちてくることを知った、純粋な心を持つ子供ではありません。さて、世界のチキン リトル 101 を卒業した新しいチキン リトルは、それが真実であることを知っています。空が落ちてくるのは、私たちが呼吸する空気の分子だけでなく、空中放出物、スモッグ、GEMS、スマート ダスト、スマート モート、RDIF ID タグ、およびその他の破片で満たされています。気象改変、媒介生物制御、および/または空中大量接種のためであろうと、それらは昼夜を問わず散布され、世界中の国の都市の上空に「X、O、A」などのグリッドを作成します。世界のチキン リトルの言うことを聞いてください。今こそ私たちが成長し、木製の少年ピノキオのようになる時です。
私たちは真に考える学者にならなければなりません。頭上を長時間飛行する飛行���の単純な飛行機雲にさえ継続的にさらされると、「悪い空気」を吸い込むことになり、最終的には肺にダメージを与えることは誰もが理解しています。それが炭素粒子であろうと、改良された水性ポリウレタン(発泡スチロール)を混ぜたナノ複合材であろうと、空中分散剤として改良された食品用デンプンを混ぜたものであろうと、それは問題ではありません。アスリート、子供、動物、さらにはチキンリトル自身の健康な肺でも、光沢のある白い粘着性の粘液しか生み出せません。
この論文では、空中放出イベントを描写するタイムラインを通じて空中散布の概要と対応を示し、最後に、環境の空気、陸地、水路に空中汚染物質を散布する人々の単純な意識形態に関する仲間の人間の考えで終わります。
これらはモルゲロン症の被害者の臨床サンプルであった
そしてケムトレイル成分の歴史的な顕微鏡分析。
赤、白、青、そしてアンクルサムの本拠地である米国における空中散布の歴史的タイムライン
1949 年: 1949 年の化学兵器および生物兵器に関するジュネーブ条約に基づき、州および連邦の指令により媒介生物 (昆虫、ウイルスなど) の制御に関する空中散布作戦が初めて実施されました。
1949 年 - 現在: 上記の法律に対するその後の多くの改正、および 2001 年の愛国者法、2001 年の宇宙保存法、2005 年の気象改変研究技術法などの並行する米国法により、さまざまな目的で米国領土上空での空中散布活動を実施する権限が拡大されました。
1954年~1975年:「ベトナム時代」米国の東南アジアへの関与により、東南アジアの何百万エーカーもの領土にオレンジ、青、白、ピンク、紫などのエージェントを散布し、これまでで最大規模の軍事研究、開発、およびさまざまな軍事目的のための空中散布作戦の展開が行われた。
1974年:米国政府を代表して米国海軍長官が、高低高度の航空機から放出する非常に効率的な粉末飛行機雲分散技術の特許を取得。
1984年:米国のドキュメンタリー映画『シークレット・エージェント』は、ベトナムと米国における空中散布作戦のビデオ映像を米国の観客に届け、地上の人々の健康への影響についてベトナム帰還兵とその家族へのインタビューも収録した。
1988年:当時のジョージ・H・W・ブッシュ副大統領は、1963年に議会によって閉鎖命令が出され、長らく休眠状態にあったMK-ULTRAマインドコントロール部門を復活させるようCIAに秘密命令を出したとされる。2009年にデイブ・ラーソンが行った申し立てによ��と、この部門は人間に埋め込むチップ技術に関与すると報じられている(2009年のタイムラインのラーソンを参照)。
1989年:ジョージ・H・W・ブッシュ大統領がオープンスカイ条約 (TOS) を発議。この提案により、国連航空機に搭乗する外国人パイロットが米国領土上空を合法的に飛行できるようになる。おそらくSTART国際協定に従って軍事データを検証するためだろう。
1992年:オープンスカイ条約(TOS)がヘルシンキで調印される(米国側はジェームズ・ベーカー国防長官が署名)。
1992-93年: TOSはクリントン政権によって支持される
1993年: TOSが米国上院で正式に批准される。
2000 年: ケムトレイルに関する質問に対する空軍省の公式回答の一部は、次のとおりです。「『ケムトレイル』という用語は、約 3 年前に広まり始めたでっちあげで、政府が共同で秘密裏に国民に散布する連邦計画に関与していると主張しています。…『ケムトレイル』など存在しません。自然の飛行機雲は安全で、自然現象です。いかなる健康被害も引き起こしません。」
2000 年 1 月 - 2001 年 7 月: クリフォード カルニコムは、空中散布作業で採取されたサンプル (「繊維状物質サンプル」) の分析依頼に対して、米国環境保護庁から初めて正式な拒否通知を受け取りました。拒否通知には、依頼日から 18 か月の返答期間が必要でした。
2001年3月:ペンタゴン統合参謀本部の元内部関係者である元米陸軍将軍アル・カペットが、米本土上空での空中散布作戦を通じて国連航空機を使用して散布作戦を行っているロシア人(おそらく外国人)パイロットの存在について米軍中央司令部に内部告発した。
カペット氏は、この活動は1993年に米国がオープンスカイ条約を正式に批准したときに遡ると主張している。
2002 年 1 月: ロシアとベラルーシが批准手続きを完了し、TOS が正式に発効しました。
2001-2006 : 空中散布作業の下の地上でサンプルが収集され、米国 (アイダホ州、ジョージア州、およびその他の場所) の多数の民間調査員によって分析されました。収集されたサンプルには、さまざまな重金属、有毒化学物質、生物工学的に作られた菌類、およびその他の生物学的活性物質が含まれていることが判明しました。
注: 飛行機雲とケムトレイルの違いは時間制限です。ケムトレイルは大気圏/上空で長期間にわたり持続します。
2004 年: 「モルゲロン病」と呼ばれる異常な病気の最初の報告が表面化し始める。皮膚から繊維が突き出るという症状が、1600 年代にフランスの医師モルゲロンが報告した症状に似ていることから「モルゲロン病」と名付けられた。この謎の病気の原因を正確に診断��きる人はいないようだ。
2004-2006 : ���国疾病予防管理センターは、これらの症状を訴える患者は「妄想性寄生虫症」に罹患している可能性が高いと述べ、モルゲロン病に罹患している患者は精神科医に精神鑑定を依頼するよう推奨した。CDC は、批判が高まり、反対の証拠が出てくる中、4 年間この姿勢を維持した。
2005 年: 気象改変研究技術法により、米国本土上空での空中散布作戦の正当性がさらに高まり、根拠が拡大されました。この法律には、気象改変のための特定の化学物質「チャド物質」散布に加え、媒介動物の駆除や空中での大量予防接種に関する規制法が含まれています。
2006 年: 世界各地にいる 24 人の参加者から繊維やその他の材料のサンプルが採取され、収集されました。24 人の参加者全員が、モルゲロン病に似た異常な症状を呈していると報告されています。サンプルはヒルデガルド・スタニンガー博士 (Integrative Health Systems, LLC) に送られ、4 つの独立した研究所で分析されました。
初期調査では、繊維はシリコンベースで、アクリロリンとメチルメタクリレートの 2 成分ポリエステル樹脂であることが判明しました。また、生物学的物質は存在しないことも判明しました。これらのサンプルと、広範囲の分布地域内の個人から採取した追加のサンプルから得られた後続の調査結果はすべて、高度なナノ材料 (極小の人工材料) の存在を示しています。ナノ材料には、特許取得済みの兵器級ナノ材料の要素が含まれていることが判明しました。これらの兵器級ナノテクノロジーは、人間の病変から取り除かれた繊維だけでなく、米国テキサス州での空中散布作業後に地上で収集され、空を舞い落ちているのが観察された繊維状の「綿菓子」のような材料にも含まれています。
2006-2008年:疾病予防管理センターは引き続き「モルゲロン病」を妄想性寄生虫症と同一視し、精神科医による治療を推奨し続けています。
2007年:病原体/生物学的対抗策の国土安全保障プログラムを装って、許可なくアメリカ国民にワクチン研究を行う空中散布作戦による損害に対する訴追をワクチン製造業者が免除する新たな連邦政策についての疑惑(確認されていない)。
2007年:「これらの(連邦)法と病原体対策の現在のテストの下では、一般の人々は、USDAの媒介生物管理、国内準備、大量破壊兵器対策の許可なしに、これらの対策にさらされる可能性があります。」(ヒルデガルド・スタニンガー博士)
2008 年:アルゴンヌ研究所中西部構造ゲノムセンターは、ドラゴンの頭に似ていることから「ドラゴン タンパク質」というニックネームを付けたタンパク質構造について説明しています (分子ブランド)。この「ドラゴンの頭」に似た形状は、モルゲロン病の症状を持つ患者の病変から除去された繊維の顕微鏡写真で明らかになっています (ヒルデガルド スタニンガー博士の 2006 年から現在までの個人顕微鏡写真コレクション)。
2008 年: CDC はモルゲロン症候群に関する方針を変更。この症候群を「妄想性寄生虫症」の兆候と定義するのをやめ、ライム病に関連する可能性のある原因不明の症状と定義。CDC はモルゲロン症候群の研究グループを結成すると発表。2010 年末かそれ以降まで��表されない予定。
2009 年 1 月: (Science Daily) DNA からナノスケールの折り紙。ハーバード大学の科学者が「多様なナノスケールの機械部品を製造できるようになりました。機能的なデバイスも可能になるはずです。」と報告。
(実際、誰かがすでにさまざまなナノスケールの機械部品を作っています。8年前のADVANCED MATERIALS、2000、12号24、12月15日の「シリカナノチューブとナノファイバーアレイ」で、Wang博士は、ナノテクノロジーで使用されるさまざまなシリコンベースのナノチューブについて説明しています。これらは非常に小さな機械で、肉眼では見えないほど小さいですが、より大きな機械に自己組織化できます。現在、これらの機械はUSCによってSencil TMテクノロジーで使用されており、Hewlett Packardおよびその他の企業にライセンスされています。ナノクロー、チャイニーズランタン、舌状のシリコンチューブの形状に注目してください。これらの形状は、すべてのチキンリトルの生徒にとって重要です。なぜなら、異常なモルゲロンズ病のような症状を持つ人間から除去された材料のマイクロ写真で同じまたは同様の形状が観察されているからです。
2009年1月~現在:オバマ政権は前政権の上記政策を継続している。アメリカ国民に対する空中散布作戦を展開する意識は政権交代によってあまり影響を受けていないようだ。
2009 年 3 月: 元 CIA バイオメディカル技術プログラムの契約者であるデイブ・ラーソンは、ジョージ・H・W・ブッシュが 1988 年に復活させた秘密プログラムに基づき、体内に埋め込み可能なバイオメディカル機器が監視と拷問のために国内に配備され、2009 年 3 月まで監視も議会への報告もされずに運用されていたと主張している。また、政府の「対テロ戦争」政策と拘留は、これらの技術を米国人に対して違法に使用した場合の刑事訴追を回避するために特別に策定されたと主張している。
2009 年 6 月: 米国環境保護庁 (US EPA) が、先進ナノ材料の暴露と毒性に関するガイドラインの文書を作成しました。この文書では、先進ナノ材料に関する文書と毒性リスク評価が 2013 年に完了すると述べられています。
2009 年 6 月: (2009 年 6 月 11 日) 世界保健機関の事務局長マーガレット チャン博士が、H1N1 インフルエンザの蔓延に関してフェーズ 6 の「パンデミック緊急事態」を宣言しました。
2009 年 6 月: 中国青島海洋大学環境科学工学部の研究では、人工ナノ粒子はタンパク質や酵素との相互作用により毒性を及ぼす可能性があり、神経毒性がある可能性があることが示されています。これらの結果は、米国のヒルデガルド・スタニンガー博士の研究結果を裏付けています。
Wang, Z., Shao, J., Li, Fl, Gao, D., および B. Xing。「さまざまなナノ粒子によるアセチルコリンエステルの吸収と吸入」環境科学工学部。中国海洋大学。中国、青島。化学物質過敏症ネットワーク。
© 2009 年 6 月 19 日。中国青島海洋大学環境科学工学部 (Z. Wang 他) が最近実施した研究では、人工ナノ粒子がタンパク質や酵素との相互作用により毒性を持つ可能性があることが示されています。
アセチルコリンエステラーゼ(AchE)は、血液、脳、神経系に存在する重要な酵素です。Zangらは、特定のナノ粒子、多層カーボンナノチューブ、単層カーボンナノチューブによるAChEの吸収と阻害の重要な結果を報告し、これらのナノ粒子が神経毒性を持つ可能性があることを示しました。
2009 年 7 月: CIA 長官パネッタは、これまで公表されていなかった、2001 年から現在まで実行されていたとされる監視と拷問に関する CIA の秘密プログラムについて議会に報告。議会による調査が行われるかどうかは不明。
2009 年 9 月: ロイター通信は、Verichip がウイルスを検出するバイオセンサーの独占特許を 2 つ取得したと報じました。これらのセンサーは、人体に埋め込むことができるウイルス検出システムとして使用され、Verichip の埋め込み型人体無線周波数装置と組み合わせて人を追跡します。この取り組みの範囲は、カリフォルニア大学 – 産業国土安全保障ネットワークによる 2009 年 9 月 3 日の生物学的対抗策に関する通知で明らかにされています。この通知はhttp://www.ucdiscoverygrang.org/homelandsecurity/hsmissionAreas/Biological.htmで参照できます。この通知では、さまざまな化学および生物兵器の監視と検出をなくすためのスマート ダスト センサーが、さまざまなアメリカの機関のプログラムの焦点であると述べられています。
「スマートダストとは一体何ですか?」
「スマートダスト」とは、さまざまな目的のためにナノテクノロジー、バイオテクノロジー、高度な通信システム(マイクロエレクトロメカニカルセンサー、または MEMS)を組み合わせたシステムの総称です。2009 年現在、オンライン辞書 Wikipedia では、「スマートダスト」を「仮説的」(まだ実現されていないアイデアに過ぎない)と定義しています。
しかし、DUST NETWORKS 社は自社の Web サイトで次のように書いています。「標準ベースのインテリジェント ワイヤレス センサー ネットワーキング (WSN) のリーダーである Dust Networks は、超低消費電力で信頼性の高い組み込みシステムを世界有数のセンサー メーカーに提供しています。これらのセンサー メーカーは、センサーに組み込まれた「スマート ダスト」が市場におけるパラダイム シフトの主役であることを認識している市場の先見の明のある企業です。」
独立系ドキュメンタリー映画制作会社TANKER ENEMYは、スマートダストについて説明し、人口密集地域への展開を示すYouTubeの短編ビデオを多数制作している。
「飲料水中のスマートダスト」 http://ww.youtube.com/v/ouQCSZ8MY2s&hl=it_IT&fs=1&ap=%252fmt%3D18%22%3E%C/ パラメータ%3Cパラメータ
「スマートダストはすでに私たちの環境中に存在している」 http://tankerenemy.blogspot.com/2009/11/exposure-to-aerial-emissions-of-nano.htmlおよび���ルデガルド・スタニンガーのインタビュー、パート 1、2、3 (Out There TV) http://www.youtube.com/watc?v=JchfWlqbVxw&featrue-=related
これが、現在および将来の生活におけるスマートダストの現実性について十分に説得力がないのであれば、米国空軍のスコット・ディクソン少佐が 2007 年 4 月に航空戦争大学の戦略技術センターで発表したブルーホライズン論文「戦場における持続的監視の実現: スマートダストの形態、機能、および将来」も読んでみてください。
「スマートダスト」は「仮説」の段階をはるかに超えています。それはますます現代生活の隠れた一面になりつつあります。
2009 年 9 月: スタンニンガー博士は、先進ナノ材料と人間に対するその観察に関する調査結果を国立環境専門家登録簿に発表し、次のように警告しました。「人類は先進ナノ微生物材料への曝露による毒性メカニズムの解明の出発点にいます。」
2009 年 10 月: ヒストリー チャンネルが「気象兵器」と題するドキュメンタリーを放送しました。このドキュメンタリーでは、第二次世界大戦以降のケムトレイルと空中散布作戦について説明しています。
2009 年 12 月: モルゲロン病患者のための主要な情報センターであるモルゲロン病研究財団は、データベースに 15,000 人以上のモルゲロン病の症状を報告した人々をリストしています。オンライン ラジオ インタビュー (2006 年) で、ヒルデガルド スタニンガー博士は、米国で 60,000 人、世界中で 100,000 人の症状患者がいると推定していると報告しました。イタリアのデータベースでは、人口で 1 日あたり 5 人の新規症例が発生していると推定されており、2006 年以降、年間 1,825 人の新規症例が発生しています。
2009年12月: WHOにおける大規模な汚職スキャンダル。
過去 10 年間、WHO は自由に使える資金を増やすために、いわゆる「官民パートナーシップ」を結んできました。当初の目的である国連加盟国政府からのみ資金を受け取るのではなく、WHO は現在、助成金や民間企業からの財政支援という形で、通常の国連予算のほぼ 2 倍を受け取っています。その民間企業とは、2009 年 6 月の H1N1 パンデミック緊急事態宣言などの決定から利益を得る医薬品およびワクチン製造業者そのものです。
2009年12月:2009年冬至の準備、光の復活:
対策を開発するための初期の取り組みは、本当に有望です。生体電気および遺伝的能力を進化させる自由に対するこの新しい現代の攻撃を、招かれざる寄生虫のような機械を体内に存在させずに無効化および/または緩和することが本当に可能になるかもしれません。超近代的および古代の自然療法が地球の遠く離れた隅々に適用され、私たち人間はこれが実際に今地球の多くの場所で起こっていることに気づき始めています。私たちの体はそれに反応しており、すでに私たち全員がこの「もの」の下流で生きているように見え始めています。
空中散布作戦の最新派手なおもちゃであるこれらの宇宙時代の技術は、本質的に悪ではありません。それぞれに、人生を豊かにする素晴らしい用途があり、それを利用することができます。問題は、真の意図と反意図だけです。生命を尊重する意識によってプログラムされ、規制されることだけが必要です。それだけです。
光の復活により、人間の意識の最も暗い隅にまで浄化がもたらされますように。
国家、部族、家族に属する私たちが、人々が許可なく殺虫剤を散布されているときに沈黙を守り、無知を公言することを望まない指導者を見つけられますように。私たち国民が、たとえ一度に1つの家族を犠牲にしても、すべての銀河で最も美しい創造物である生命に対するこの戦争から私たちの将来の世代を守る勇気を見つけられますように。
ベン・コロジン 2009年12月
参考文献
1. スタニンガー、ヒルデガルド。カビやその他の特異な病気に対する遠赤外線放射熱(FIR RH)型修復。国立環境専門家登録(NREP)
2006 年次会議、テネシー州ナッシュビル。NREP、PO Box 2099、イリノイ州グレンビュー 60025
© 2006 年 10 月 18 日 ( www.staningerreport.com)
2.スタニンガー、ヒルデガルド。家庭、職場、環境における電磁場からの保護。国立環境専門家登録 (NREP)
2006 年次会議、テネシー州ナッシュビル。NREP、PO Box 2099、イリノイ州グレンビュー 60025 ©
2006 年 10 月 18 日 ( www.staningerreport.com)
3. スタニンガー、ヒルデガルド。モルゲロン:ナノ911の外来侵入者。全米環境専門家登録(NREP)2007年年次会議、テキサス州サンアントニオ。NREP、
PO Box 2099、Glenview、IL 60025 © 2007 年 9 月 6 日。( www.staningerreport.com)
4. www.rense.com モルジェロンのラジオ番組#5、6、7、8、10、11(ケムトレイル&
モルゲロン © 2006 および 2007
ジェフ・レンスによるヒルデガルド・スタニンガー博士、ラヒム・カルジュ博士、エドワード・スペンサー博士、マイケル・キャッスル博士、モルジェロンの患者たちへのラジオインタビュー。
5. www.sciechimiche.com RAI テレビ番組 Rebus では、ケムトレイル、モルゲロン、ヒルデガルド・スタニンガー博士の研究、その他の関連する発見について議論しています © 2007。
6. www.cliffordcornicom.comケムトレイル、気象改変、その他の関連トピックに関する特別トピック研究プロジェクトと論文のコレクション。© 2006、2007、2008、2009
7. http://www.luxefaire.com/devilvision/appxhtml/BappendixparticulatesB.html
付録 B: 最初の海軍微粒子特許、バリウムの定義、HAARP とコントレイル
(ケムトレイル)。米国出願番号: US19774000490610 1975 年 8 月 12 日 / 1974 年 7 月 22 日。出願人: 海軍長官を代表とするアメリカ合衆国、ワシントン DC、米国特許庁、ワシントン DC。さらに参照された特許: US1619183* 3/1927 Bradner 他; US2045865* 6/1936 Morely; US259188* 4/1952 Willcox: US3531310* 9/1970 Goodspeed 他、改良された金属酸化物顔料の製造; および USR0015771 * 2/1924 Savage (* 一部詳細不明)。
8. 米国特許第 4,686,605 号 Eastland, Bernard J. 譲受人: APTI, Inc. (ロサンゼルス、カリフォルニア州) 1985 年 1 月 10 日。地球の大気、電離層、および/または磁気圏の領域を変更するための方法および装置 (HAARP)。
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http://lookupabove.tripod.com
2007年アメリカ上空のケムトレイル
11. http://us.mc826.mail.yahoo.com/mc/showMessage?fid=Inbox&sort=date&order=down& ... R. Michael Castle 博士。自然地球の計画的消滅 ~環境への影響の概要~ 2007 年 11 月 12 日更新
12 http://www.bariumblues.com/haarp_dangers.htm HAARP、ケムトレイル、そして新たな戦争技術、Carol Sterritt 著。© 2008 年 12 月 2 日。
13. http://amphibiaweb.org/declines/ChemCon.html化学汚染物質 © 2008 年 5 月 14 日
14. http.//en.wikipedia.org/wiki/Project_Storm_Fury . プロジェクト・ストーム・フューリー 米海軍 © 1961-1983
15. http://en.wikipedia.org/wiki?Project_Cirrus。Project Cirrus 米国海軍、米国陸軍通信部隊、米国海軍研究局、米国空軍、米国気象局
写真などは原文よりご覧ください https://anamihalceamdphd.substack.com/p/a-brief-primer-on-the-history-of?publication_id=956088&post_id=149737910&isFreemail=true&r=21r2u2&triedRedirect=true
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Mがタラウマラを退職して今月末で早くも1年になる。Mとの出会いはサイクルショップすずめ時代で、彼がダルクからの帰り道に3,500円のママチャリを買いに来たのがはじまりだった。その後も何度か話をしているうちにとても面白い人だと思うようになり、おまけにサイクルショップすずめが立ち退きを迫られていたタイミングだったこともあり、純粋な気持ちで「自分はこれから新しい店を始めようと思うが、一緒にやらないか?」と声をかけた。その後はとんとん拍子に話が進んで……という訳にもいかず、突然連絡が途絶え、聞いていた住所を訪ねるも接触ができなかったりした(笑)。やっぱりあかんかぁ、と自分は自分で今後の準備に取り掛かっていたところで、突然サイクルショップすずめの店頭にふたたびMが現れて「ぜひともやらせてください」と言って来た。最初に声をかけてから数ヶ月が経過していたと思う。そこからは本格的にタラウマラの準備に取り掛かった。Mには諸々の事情があったので、契約面、資金面については僕がすべて請け負い、あくまでも雇用する者とされる者の関係性のうえで二人三脚で開業の準備を進めた。僕は開業資金の100万円を借り入れ、途中で不足が生じたので社会福祉協議会から新たに40万円を調達した。その間に数人の友人たちに「Mと一緒に新しい店をやろうと思う」と伝えたら、全員から猛反対された。これは誇張や脚色ではなく、本当に色んな人から「何を考えてるんですか?」「いままでやってきたことを棒に振るんですね」「あなたがやろうとしていることは商売ではなく福祉だ」との助言をもらって、これまでのMがやってきたことを勝手に想像しないではなかったが、それ以上にそんなダメダメなMをきちんと支えたいという想いが遥かに上回っていた。なかには「あなたがMと一緒にいるなら、もう関わりたくない」と言ってきた人もいたが、その方とは未だに再会できていない。とにかく当時の僕はMに夢中だったし、むちゃくちゃに酒癖は悪いがどこか憎めないところがあって、すべては許容範囲だと感じていた。実際タラウマラが始まっても酒でのトラブルは絶えなかったし、M自身も慣れない仕事で精神的にきつかったのだろう、いつだって抗不安薬を手放せないでいた。それでも僕はMの才能に魅せられていたし、ひとりの友人としてもこんなに腹の底から笑い合えるのは初めてだとも感じていたから、最初の2年間は本当に楽しかった。タラウマラで雇用する際にひとつだけ約束事として交わしていた「違法な薬物に手を出さない」ということもきちんと守ってくれていたように思う。Mの音楽作品もコンスタントにリリースを重ね、また彼自身の尊敬する先輩や友人からオファーを頂く機会も増えていった。とにかく酒や違法薬物をできるだけ遠ざけ、それ以上に夢中になれることをふたりで模索していた。僕はあのときの自分の感覚とMを信じて良かったと心の底から快哉を叫んだ。唯一の不安は金銭面だった。そこだけは本当に苦しかった。社会福祉協議会に追加の借り入れを申し込んだが、それでもまったく足りなかった。互いに友人や親戚の仕事を手伝ったり、単発の日雇いバイトに従事することで何とか糊口をしのいでいた。そんな金銭的な不安を打開するために僕は出版物のリリースを目論んだ。もともとMは編集者になりたかったと言っていたこともあり、それならば、と季刊刊行物を制作しようと思い立った。それが「FaceTime」である。タラウマラのような小さな店舗ではどれだけ頑張っても自転車だけでは到底2人分の給与は稼げない。Mの持っている技術で新たに売上をつくることができれば、今後、彼自身の自信にも繋がるだろうし、タラウマラの第2ステージとしても最高だと思った。実際、滑り出しは順調で尊敬する友人たちが素晴らしいテキストを寄稿してくれたこともありvol.1の500冊はすぐに完売した。Mの編集技術も回を重ねるごとに更新されていった。ちょうどその頃、Mに恋人ができた。Kという彼女は僕の「DJ PATSATの日記」を読んでMに興味を持ち、好きになったと言っていた。しばらくするとKはジョージアへ1年間の語学留学に発つことになるのだが、ロシアとウクライナの戦争が激化し、ジョージア国内でもキナ臭い動きが表面化したことで、彼女は緊急帰国した。そして淡路にあるM宅での同棲が始まった。突然の帰国に際してタラウマラからは自転車やTシャツを贈呈した。するとMが「Kが土井さんに直接お礼を言いたいとのことですので、土井さんの勤務日にお邪魔しますのでよろしくお願いします」と言って来たので、そんな気を使わんでええよ、と思いつつも心のどこかで楽しみに待っていた。しかし予定の日にKがタラウマラに現れることはなかった。その後、3度、同様のことが繰り返されたので僕ははっきりと気分を害していることをMに伝えた。Mは狼狽しつつも「Kの仕事が急に忙しくなって、家から一歩も出ていないんです」と必死にKを庇っていた。ちょうどその頃、常連のOさんがタラウマラにやって来た際に「そう言えば先日、Mさんの彼女��紹介してもらいました」と言うので「どこかでばったり会ったんですか?」と聞くと「いやいや、タラウマラでに決まってるじゃないですか!ビールまで頂いてしまって」と笑う。Oさんが店を出た後、僕はMに電話をしてはっきりと怒りを露わにした。もうKには挨拶に来てもらわなくて結構!と伝えるとMは終始すみません、ごめんなさいと誤っていた。翌日、Kは菓子折りを持ってタラウマラにやってきた。本人と直接話をしても僕の中で靄が晴れることはなかった。その後、周知の通りMの商業出版が決まり、Mは多忙な日々を送ることになるのだが、明らかに酒量は増えていった。そして遂には◯◯にまで手を出してしまうことになる。タラウマラを一緒にやるうえでの絶対的な約束を彼は破ってしまった。僕の妻は心底呆れて「もうあかんで、やめてもらって」と言っていたが、本人が深く反省していたこともあって、僕はなぜか不問に付することにした。いま思えばもうどうでも良くなっていたのかも知れない。その代わり、Mには土日だけの勤務にしてもらい、給料もそれまで売上の完全折半でやって来たところを日給制に切り替えた。Mは義兄のバイト、土日のタラウマラ、商業出版の執筆、最後の「FaceTime」の編集作業と引き続き忙しそうにしていた。その頃からますますKがタラウマラの業務について口出しをしてくるようになった。給与面、業務時間、業務負担についてなど、それらすべてをMの言葉を���して僕に伝えられた。何度かそばで聞いていた友人が「それ以上はKのことを土井さんに言わない方が良い、ネガティヴキャンペーンにしかなってない」と注意をしてくれた。Kは「なぜMばかりそこまでやらないといけないのか」と繰り返しているようだったが、物事には役割分担というものがあり、僕には僕のやるべきことがあり、MにはMのやるべきことがあるというだけの話だ。どこからか金が降って湧いてくる訳でもなく、自分たちで稼がないといけないのだから。そして遂にはタラウマラで行われるイベントの際にMは「いまのあなたには執筆の方が大事でしょ」とKから言われたとのことだったので、僕はイベントの最中にMに対して「もう帰りや」と言ったのだが、Mは慌てて「そういう意味じゃないんです」と訂正した。いまでもそれがそういう意味じゃなくてどういう意味だったのかわからない(笑)。「淡路が嫌いやから」という理由でMとKが引っ越しをしたり、その後も色々あったが、綱渡りのような精神状態で互いに業務を遂行していた。そしてその先に待ち構えていたMの解雇を決意するに至る決定打は、実につまらない些細なことだった。ライブやバイトのスケジュールでMは度々シフト変更を求めてきたが、僕も家族のことなどで逆にMにお願いすることが何度もあったので、そのこと自体については持ちつ持たれつで何ら気に留めるようなことでもなかったのだが、ある日Mが同日の予定変更を何度か重ねて依頼してきたことがあった���最初の変更時に僕自身もプライベートの予定を入れてしまっていたこともあり、2度目の依頼の際には代わりに出勤することもできず、その日は店を閉めることにした。一応Mに休みたい理由を聞いてみると「Kがどうしてもその日に新開地の立ち飲み屋に行きたいと言っている」とのことで、この瞬間にはっきりと僕の中で何かが崩れた。あのときのことはいまも忘れられない。本当にこれまでMと積み上げてきたことがはっきりと物音を立てて崩れ去った瞬間だった。僕は「わかった、でももうMとはタラウマラをやっていくつもりはない。年内で辞めてくれ」と伝えた。その後も例によって色々ありながらも、彼がタラウマラを辞めると決まってからは僕も色んなことがふっ切れて、随分と気持ちが楽になった。Mの商業出版に関しても素直に応援することができた。ただ一点だけ、彼の出版を手がける編集長がタラウマラにやってきた際に「著者と打ち合わせしたいので、しばし外して頂けますか?」と直々に言ってきたことについてはいまでも呪いのように自分の内側に燻り続けている。タラウマラはコワーキングスペースでもなんでもなく、僕が借金して作り上げた自転車屋やで(笑)。
※ ここから先は「他人の事情」につき閲覧注意!
それはさておき、2022年の年末でMはタラウマラを退職した。最後の1ヶ月は本当にたくさんの方々がタラウマラを訪れ、みな口々にMを労ってくれた。ほんまに色んな人から愛されとんなぁ、と驚いたのをいまでも鮮明に覚えている。タラウマラを始める際には周囲からあれだけ反対されたのに、どないやねん(笑)。しかしある意味でこの両極の振れ幅こそがM「らしさ」なんやと思う。最後にシャッターをふたりで閉めた際に僕は素直にMに「楽しかった。ありがとう」と伝えることができた。Kからも「色々お世話になりました。これまではタラウマラにあまり顔を出せずにいましたが、来年はもっと遊びに行きます」とメッセージが届いていた。年明け早々にはMと友人と一緒にmole musicに行った。出会った頃のように話をして、笑うことができて嬉しかった。別れ際に「出版もうすぐやな、楽しみにしてるで。僕も同じタイミングで何か作ろうと思ってるから、タラウマラでダブル出版イベントとかできたらええな」と冗談めかして言った。そして「Kと一緒にいつでも遊びにおいでな」と言ってその日はMと別れた。その後、Mの書籍のリリース日が決定したが、タラウマラ限定特典についての打ち合わせもしっかりできないままに、いよいよ出版社へのオーダーの期日が迫っていた。Mは「義兄のバイトで忙しくて」と言っていたから、退職して間もないし確かにそうだろうなと思っていた。もちろんKも年が明けてから一度も顔を出さない。SNSで別の友人の書店には頻繁に行っている様子だけは伝わってくる。そんなある日、Kがインスタグラムに投稿した内容を見て愕然とした。Mからは「週7で義兄のバイト」と聞かされていた日に彼らは旅行に行っていたのだ。思わず「またや」と無意識に言葉が口から漏れた。1年前、Kの帰国後の挨拶問題とまったく同じことが繰り返されたと感じた。僕は瞬間的に自分を見失うほどの怒りが込み上げた。そしてみんなが呆れてものも言えなくなるような醜悪な内容をSNSに投稿した。純粋に死んでほしいと思ったし、自分も死にたくなった。結果、たくさんの人が僕のもとを去った。それは仕方のないことだといまでも思っている。誰だってあんなことを書くような奴と付き合いたくない。それでも継続して僕との付き合いを続けてくれている方々、大丈夫ですか?あなた方のほうが狂っていますよ、だけど心からありがとうと思っています。自転車関連でも、Mの退職後は何人ものお客様から「あの子がおらんねやったらもうええわ」と言われたし、それまで良好な関係だった方々にいつもと同じように挨拶をしても露骨に無視されるようになったり、Mを慕っていた若者からレジ金を盗まれたりもしたけど、この1年で自分なりのやり方を確実につかんだ。何事もゼロをイチにするまでの地道な活動こそが最も大変で、イチがサンになってようやく人々に少しだけ気にかけられるようになり、サンがゴになって多くの方々に認識される。言うまでもなくKや某編集長はゴ以降にMと出会った人たちだ。そんな彼らに僕らがふたりで積み上げた期間を蔑ろにされたような気がして、自分でも愚かだとは思いつつも怒りを抑えることができなかった。でもそれはもう大丈夫。僕はいまもや��べきことを継続してやれている。何度も言うけど、いまでもサポートしてくれるみんなのおかげ。Mはどうだろう。編集長が言ったように僕が彼の足を引っ張ることになったので、どうにも本来の力を発揮していないように思う。ガヤの勝手な意見やけど、これだけは言っておきたい。Mの胸には「チェンソーマン」のデンジみたいにスターターが付いていて、それを引っ張ってやればとんでもない能力を発揮する。だからお楽しみはこれからってことですよ。
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昨日、コロナウイルスのパンデミックに関する下院特別小委員会の公聴会で、アンソニー・ファウチ博士は「安全で効果的な」COVID-19ワクチンを擁護したが、科学は子供へのマスク義務化を支持していないことは認めた。 米国下院コロナウイルスパンデミック特別小委員会での公聴会で、アンソニー・ファウチ博士は、何百万人もの命を救った「安全で効果的な」COVID-19ワクチンを擁護した。 ファウチは、政府のパンデミック政策を概ね擁護し、ワクチン接種の義務化が「多くの、多くの、多くの命」を救ったと述べた。 彼は、ワクチン未接種者は、米国で「おそらくさらに200,000〜300,000人が死亡」と述べたが、「ワクチンの最初の反復は効果があったが、100%ではなく、高い効果ではなかった」ことを認めた。 しかし、「臨床研究はマスクの義務化を決定的に支持しておらず、学校でのマスクの義務化にもかかわらず、そのような研究は子供に対して行われていない」ことを認めた。 ロックダウンとマスク着用義務の期間が適切か過剰かは「議論の余地がある」と述べた。 今回のファウチの口頭証言の内容は、公聴会に先立って彼が提出した書面での証言と、1月に行われた下院議員との2日間の非公開インタビューの記録とほぼ同じだった。 マージョリー・テイラー・グリーン下院議員(��和党、ジョージア州)は、小委員会がファウチに対する刑事告発をすべきだと提案した。 「私たちは、人道に対する罪で起訴されることを勧告すべきです」と彼女は言い、マスクの義務化の結果として学齢期の子供たちを「口封じ」したファウチを非難し、彼と彼の「取り巻き」が大手製薬会社から資金提供を受けていると非難した。ファウチは「免許を持つに値しない」とグリーンは言った。 ロバート・ガルシア下院議員(民主党、カリフォルニア州選出)と他の民主党議員は、ファウチに対する攻撃について頻繁に謝罪し、国立アレルギー感染症研究所(NIAID)の所長としての38年間の在任中の彼の貢献に感謝した。 一方、共和党議員は、NIAIDの親機関である国立衛生研究所(NIH)が2022年から2023年の間に7億1000万ドル以上のロイヤリティを受け取り、そのうちファウチが6億9000万ドル以上を受け取っているというOpen The Booksによる暴露を取り上げた。 http://OpenTheBooks.com のCEO兼創業者であるAdam Andrzejewski氏は、The Defenderに対し、「すべてのロイヤリティの支払い、数万件は潜在的な利益相反を表している」と述べ、NIHは支払いの詳細を開示しないと指摘した。 Andrzejewskiの発言: 「NIAIDと米国国立がん研究所が歴史的に見てもトップのロイヤリティ受領者であることは、直感的に納得がいきます。これらのサブエージェンシーは、それぞれ感染症のワクチンと治療、そして癌と戦うための発明を担当しています。注目すべきは、パンデミックの発生に合わせて、前年比で急激な成長を遂げていることです。」 公聴会でファウチは、ロイヤリティから金銭的な利益を得ていることを否定したが、どの科学者がどのような目的でお金を受け取ったのかは説明できなかった。 ファウチはまた、NIAIDが武漢ウイルス研究所にEcoHealth Allianceを通じて物議を醸す機能獲得研究に資金を提供したことや、米国の納税者のお金がSARS-CoV-2の遺伝子操作に使われたことを否定した。 昨年公開のリークされたメッセージは、ファウチが機能獲得研究に気づいており、COVID-19が実験室の漏洩の結果として発生したことを示す研究を抑制するよう主要なウイルス学者に圧力をかけ、ウイルスの「人獣共通感染症」つまり自然起源を肯定する研究を支持していたことを示唆している。 今回の証言では、ファウチはこれらの疑惑を否定した。 小委員会の委員長であるブラッド・ウェンストラップ下院議員(共和党、オハイオ州)は開会の挨拶で、ファウチの科学と公衆衛生への長年の貢献に感謝したが、COVID-19パンデミック時のファウチ氏の行動には批判的だった。 「もっと正確にすべきだった」とウェンストラップは言う。「正確で誤解を招くことのない言葉や言い回しを使うべきでした。特に知らなかったことについては、正直に言うべきだった」 「政策決定はデータに基づいて行われるべきですが、そうでないものもあり��した」と彼は付け加えた。その結果、「抑圧的な命令」に疑問を呈した国民は「いじめられ」、「どんな反対意見も...たちまち『反科学』のレッテルを貼られた」 「ファウチ博士、あなたは米国がこれまでに見た中で最も侵略的な国内政策体制の1つを監督しました」とウェンストラップは言った。 「意図的であろうとなかろうと、あなたは非常に強力になり、大衆があなたと違う意見を持つことは、ソーシャルメディアやほとんどのレガシーメディアで何度も何度も禁じられ、検閲されました。だからこそ、これほど多くのアメリカ人が怒りを覚えたのです ーなぜなら、これは根本的に非アメリカ的だったからです」とウェンストラップは付け加えた。 閉会の挨拶で、ウェンストラップは「義務化のようなものをやらないことが重要だ」と示唆した。 「ファウチは自らを偽証した」、専門家は、ファウチの主張に疑問を呈した。 ラトガース大学の分子生物学者リチャード・エブライト博士は、機能獲得研究を頻繁に批判しているが、次のように語っている。 「ファウチは、2021年から2022年にかけての3回の米国上院公聴会で偽証し、その中で、NIHが武漢での機能獲得研究に資金を提供し、潜在的なパンデミック病原体研究を強化したことを、故意に、厚かましくも虚偽に否定しました。」 「ファウチは、米国下院特別小委員会での書き起こしインタビューで、再び偽証した。その中で、彼は政策報道について嘘をつき、政策違反について嘘をつき、上院での偽証について嘘をついた。」 イリノイ大学の国際法教授フランシス・ボイル博士は、「ファウチは既に議会で嘘をつき、偽証している。彼はすでに起訴されていいはずだ。彼が言っていることは一言も信じられません」。 1989年の生物兵器反テロ法を起草した生物兵器専門家のボイルは、ファウチは「中国の研究所の漏洩についてずっと知っており、2019年9月頃からそれを隠蔽していた」「ファウチはそれ以来、自分の犯罪性を隠蔽するために、COVID-19のパンデミックとワクチンに関連するすべてのことについて嘘をついている」と述べた。 ファウチは「ソーシャルディスタンスのルールは『ちょっと現れただけ』」と述べている。1月に行われたファウチの下院インタビューの書き起こしでは、COVID-19の規制の多くが科学に基づいていなかったことを認めていることが明らかになった。 学校を含む多くの公共スペースで制定されている6フィートの社会的距離のルールについての質問に対して、ファウチは「それはある種、現れただけだ」と述べ、「研究を知らなかった。実際、それは非常に難しい研究になるだろう」と付け加えた。 同様に、ファウチは、マスクの有効性に関して「多くの相反する研究がある」ことを認めた。特に子供へのマスク着用を支持する研究をレビューした覚えがあるかと尋ねられたとき、ファウチは「あったかもしれない」と答えたが、「具体的に思い出せなかった」。 ニューヨーク大学のメディア研究の教授で作家のマーク・クリスピン・ミラー博士は、プロパガンダに焦点を当てた研究と教育を行っており、2020年にマスクに関する議論の両面を見直すよう学生に求めたことで非難を浴びたが、次のように語っている。 「昔々、2020年初頭まで、ファウチ博士は呼吸器系ウイルスに対するバリアとしてのマスクの無用さについて真実を語り、『60ミニッ���』でそれを公に語ったが、数日後、『パンデミック』の最初に逆転した」。 「そして今、あの『大嘘』を鞭打って数年が経った今、彼は再びそれを否定し、あるいは半ば矛盾し、『科学』は『ウイルス』に対するマスクの使用を支持していないとほぼ認めている」 ファウチは、今日の公聴会でワクチンの義務化を断固として擁護した。しかし、彼は1月の証言で、義務化がワクチン忌避を助長した可能性があることを認めた。彼はこう言った。 「事後的にやらなければならないことの1つは、試合後、イベントを評価することです。国民の心理を本当に見つめ直し、社会的な研究をして、今の国民の精神的な枠組みの中でワクチンの義務化を図る必要があると思います。 それは実際にワクチン接種を受けたくない人を増やす原因になるのでしょうか? わかりません。しかし、それは私たちが知る必要があることだと思います」。 ファウチはまた、COVID-19の起源に関する研究所流出説は陰謀論ではないことを認め、今回の公聴会も繰り返した。 「私は常にさまざまな可能性に対してオープンマインドを保ってきました」とファウチは言った。 ニューヨーク・タイムズ紙は、マサチューセッツ工科大学とハーバード大学ブロード研究所の分子生物学者であり、「Viral: The Search for the Origin of COVID-19」の共著者であるAlina Chan博士のゲストエッセイを掲載し、「実験室での事故は、パンデミックがどのように始まったかについての最も直な説明である」と述べている。 1月と昨日の証言の両方で、ファウチは、NIAIDが機能獲得研究や、ウイルスを操作してヒトへの感染力を高め、COVID-19の発生につながる可能性のある研究に資金を提供したことを断固として否定した。 ディフェンダー紙等から
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五月のとある晴れの日のこと。 「大西さん、カードをお忘れです」 電話で彼はそう教えてくれた。声には親切な響きがあった。 僕は「すいませんまた」と言って、ちょっと笑いながら戻っていった。さっきのぼったばかりの階段を下り、その本屋を訪ねた。大学の書籍部だ。自動ドアを通り、僕にしてはめずらしくちぢこまって歩いていく。カウンターの向こうに立つ書籍部の彼が僕を見つけて、はにかむ。穏やかに「どうもすいません」と言う。僕も駆け寄っていって「いえいえ。すいません。電話ありがとうございます」と言う。ああ。ありがとうございます。カードを受け取る。 去りぎわに「すいません」と声がかかる。 びくっと震えて、それから振り返る。 彼がA6サイズのちらしを手に微笑んでいる。 「大西さんはたくさん本を読まれています。もしよろしければどうでしょう?」 そこには”読書感想文”を誘う文句がプリントされていた。
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きょう、天気は晴れだ。 きのうは嵐だった。台風一号と呼ばれる風、雲、流れの塊が日本の広域を襲った。 雨がひどく降った。あんまりにも激しいので外に出るのがためらわれた。雨がアスファルトを打ち鳴らし轟音が立っていた。うち返すしぶきでなにもかも白に染まった。 で、きょうの天気は晴れだ。 素敵な光だ。のんびりコメダの豆を食べているとカケスがおりてきて「ちょっとちょうだい」とねだってきた。こつこつ跳ねては首をかしげるカケスは可愛すぎた。さすがにあげたね。
きょうの日記はのどかに書こうかな。そう思っている。 "5"というタイトルはJJケイルのアルバムを意味している。 言うまでもないけど、いいアルバムだ。これも有名だけど、「ボイリン・ポット」もだいぶ好き。
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最初は「遠慮しておこう」と思った。僕は多読じゃないから。 けど、渡されたのは嬉しかった。 「大西さんはよく読まれらっしゃるから」 その響きに、はじめはどぎまぎしていたけれど、けっきょくにやにやしてしまった。言われて嬉しかった。 そして、やはりというのかな。読書感想文は僕を苦しめた。 つまづく原因はいろいろあった。本名が必要とか短篇ひとつだけじゃなく一冊とか。いちばん苦しんだのは字数だった。そこでは250字までしか書けなかった。 250字! 原稿用紙一枚に満たない器は、つらかった。いったいそれで何が言えるというんだろう。ペンを回しながらそう思った。ためしに「おもしろかった。」と書いてみた。 ハッと気づいたときには六百字書いていた。削っても400字なので泣きながら全部消した。くやしくなった僕はもう一度問うた。250字でいったい何が言える? それでも書いてみた。『喋る馬』、『スクラップ・アンド・ビルド』、『言葉と歩く日記』について。ときには一時間もかけて熱心に入れ込むこともあった。 「大西さんは成長性がない。あたらしいところに参加すべきよ」 そう言われたのをひきづっていたのだ。
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それにしてもカケスは可愛かった。人なれしているのかすごく近くまできた。ぼうっとコーヒーを飲んでる僕の足元を跳ねて、くりくりと目を漂わせてうかがっていた。写真がなくてごめんなさい。
きのう、図書館で賢人と会った。男だ。丸い頭にどっしりとした体躯をしていた。 賢人は中国文学、とりわけ『三国志演義』の研究をしているらしかった。座る彼の隣に立て看板があってそこにそう書かれていた。まるで商品みたいな扱いだが、実際言葉は僕の気を惹いた。「十分くらいなら」。そう思い僕はちょっと訊ねてみた。
賢人は賢かった。変な日本語だが、そうなのだから仕方ない。 僕は「小説を書いている人間に勧められる中国文学はなんですか」ときいただけだったが、話は長いことめぐった。気づくと一時間が過ぎていた。 賢人はけっこう一人で喋った。基本的に僕は「はい」や「そうですね」と相槌をうっていた。 賢人は賢人自身の歴史を紐解きながら中国文学について語った。僕は聞き入っていた。 そして彼と話した内容については、ここに書けなかった。複雑だ、読み物としての面白さと内容の確実性を両立させるのが大変、そもそもそれは僕の言葉ではないといった理由のために。
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最近他に何があっただろうか。
きょうは本当はメイドカフェに行く予定だった。バイト先のNさん、そしてまたべつのNさんが「メイドカフェにいったんです」と話していて気になっていたからだ。しかしなかなかうまいことはいかないものだ。行きたいきもちはあるものの、とりあえずきょうの予定は流れた。
あと、コークオンを使い始めた。 こんなことを書くとほんとうに日記みたいだ。 コークオンを使ってジョージアのコーヒーを買うようになった。先週スタンプが15個溜まった。僕はタダで170円のアメリカンを飲んだ。どうせ毎日のように飲んでいたので、なかなか嬉しい。
そして、最近はまあ、それくらいだ。五月、僕はのんびりやってるよ。
きょうの天気は晴れだ。 というのは話したか。そう。晴れだ。晴れなので、だれかとカフェに行きたい気分だ。こんな日にはエスプレッソがいい。 けど、悲しいかな��残念なことに行けなかった。予定が合わなかった。小学校のころから僕は突然に人を誘うタイプだった。予定という機能を備えず産まれてきた。だから断られることも多々あった。きょうがそうだ。折り合いがつかない。
だから日記を書いていた。なぐさめに。 だからきょうの日記は穏やかだった。話すように。
そしてエスプレッソはもう空だ(残念なことに)。カケスも満腹になって飛び立っていった(残念なことに)。 「そろそろ出ようか」。僕はあなたにそう言った。そして会計は僕がもち、二人は五月のカフェをあとにした。
みたいな結びはどうかな? 日記もカフェも、終わらせるのは難しい。 惜しいんだ。
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1杯の「お茶」が口の中の新型コロナウイルスを99.9%減少させることが判明 - GIGAZINE
以下引用
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が2023年5月に「5類感染症」に移行してから記事作成時点で1年が経過しようとしており、生活の中でCOVID-19が意識される機会は少なくなりましたが、「ブレインフォグ」や「ロングCOVID」といった後遺症に関する研究結果が続々と報告されるなど、COVID-19予防が重要な事に変わりはありません。 日常的に飲まれている「お茶」の効果に注目した新しい研究により、紅茶や緑茶には唾液中の新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)を最大で99.9%不活性化させる働きがあることがわかりました。
・Screening Commercial Tea for Rapid Inactivation of Infectious SARS-CoV-2 in Saliva | Food and Environmental Virology
・Can a Cup of Tea Keep COVID Away? Study Finds 99.9% Virus Reduction
アメリカ・ジョージア大学食品安全センターのウイルス学者のマラック・エセイリ氏らは、お茶がさまざまな文化圏で呼吸器疾患の治療に重宝されてきた歴史に着目し、お茶が口内の粘膜に感染したSARS-CoV-2にも効果を発揮するのかどうかや、最も効果的なお茶の種類を確かめるべく、市販の茶葉を使った実験を行いました。 お茶好きな家族にインスピレーションを受けたというエセイリ氏は、「感染症対策には、入手しやすく準備も簡単で、家族全員で使うのにぴったりなものが理想的です」と話しています。
エセイリ氏と研究当時大学院生だったジュリアナ・モリス氏は、まず市販のお茶24種類の抽出液をSARS-CoV-2が含まれる水と混ぜて、ウイルスの感染性が低下するかを調査しました。そして、一定以上の効果を示した「紅茶」「緑茶」「ミント入りのお茶」「ユーカリミントティー」「ラズベリージンジャーティー」の5種類でさらに実験を行いました。 実験では、ティーバッグ1袋をカップに10分間浸して飲用の濃さのお茶を作りました。なお、お茶はミルクや砂糖を一切入れないストレートティーとしました。 そして、SARS-CoV-2が含まれる唾液とお茶を混ぜたところ、5種類のお茶すべてが10秒以内に96%以上のウイルスを不活性化させることがわかりました。最も効果が高かったのは紅茶で、減少率は99.9%に達したとのこと。 また、お茶を飲みたくない時間帯などにうがい薬(洗口剤)として使うことを想定し、4倍の濃度で作った抽出液でも同様の実験をしたところ、5種類すべてがウイルスを99.9%減らすことも確かめられました。 お茶には主にカテキンの形で抗酸化物質のポリフェノールが含まれており、抽出液に含まれているポリフェノールの濃度とウイルスの減少率は有意に相関した一方で、お茶のpHは無関係だったとのことです。
今回の実験は、あくまでお茶を飲んだり口に含んだりすることを再現したものに過ぎず、被験者にお茶を摂取させた臨床試験ではありません。そのため、研究チームは効果を確かめるにはさらなる研究が必要なことや、お茶が治療の代わりになることが示されたわけではない点を強調しています。 その上で、エセイリ氏は「口や喉のSARS-CoV-2を不活性化させられれば、ウイルスが下気道系に侵入するのを防げる可能性があるため、この発見は重要です。ウイルスは鼻でも増殖し、陽性反応が出た時点で既に肺に到達している場合もあるので、まだお茶を治療法として提案できるわけではありませんが、お茶は患者やその家族が日常生活に簡単に取り入れられる追加の介入手段になる可能性を秘めています」とコメントしました。
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.96 (2022/12/7 + 12/14)
*本放送冒頭に前回分が流れるトラブルがありました。 申し訳ございませんでした… 2022 7th + 14th december
M1 chosungtal (Lee-tzsche)
M2 vuordamusat (Niko Valkeapaa) M3 銀貨が降る (木太聡)
M4 lament (Deep Forest) M5 hana-ne (おおたか静流) M6 njuvccat vohtet (Ulla Pirttijarvi) M7 the Shepherd’s song (Eddi Reader) M8 クリスマスに何します? (むぎ(猫))
< 好日の素 …正月飾りをつくること >
いよいよ師走。 あちらこちらで 年末年始のあれこれが並んでいます。 リースや門松、しめ飾りの ワークショップのお知らせなども きこえてきて、 もう年の瀬!と少し驚いたりもして。 以前は年末ギリギリに 購入していた正月飾り、 ここ数年は ワークショップに参加して じぶんの手でつくるようになりました。 毎年、デザインが異なるので 「今回はどんなかな?」とたのしみにしています。 また、一年に一度のことなので 基本的な部分を忘れていて、 集まった友人たちと どうしてたっけ?なんて 思い出しながらの作業も、 なんだかほのぼのとした気持ちになります。 年神様が安心して 訪ねてきてくださるように 用意する、しめ飾り。 シンプルなものから 縁起物がたくさんついたもの、 かたちも 海老飾りや俵飾り、鶴亀飾りなど 地域によってさまざまあり、 調べてながめているだけでも 興味深い世界です。 作家さんの手作りのものも ネットショップなどで購入できますから、 さすがに自作する時間はないなぁ、という方は お気に入りのものを買って 飾るのもいいと思います。 何かと気ぜわしい師走ですが、 新年を迎える支度、たのしんでできるといいですね。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * < 日々是食べたい! … アラニ >
先日、久しぶりに 新たなレシピ集を入手。 何か、すぐにチャレンジできるものが ないかなぁ…とページをめくっていたら、 魅力的な断面の画像が 目に飛び込んできました。 しかも、干し柿をつかったレシピ! なんともタイムリーです。 というわけで さっそくつくってみた、アルメニアのアラニ。 そもそもアルメニアって どのあたりなんだろう?と調べてみると、 トルコやジョージアに隣接する国なんですね。 なんとなく、柿あるいは干し柿というと 東アジアのもの、という イメージがあったので、 アルメニアに柿があるんだ、ということ、また 干し柿を用いるところに驚きました。 はちみつをからめた胡桃とレーズンを 干し柿に詰めて 一晩なじませるだけ、という シンプルな工程。 クリームチーズを加えてもおいしい、とのこと。 柿とクリームチーズの組み合わせが 大好きなわたしとしては やっぱり加えるでしょう!ということで 画像のような仕上がりになりました。 今季は豊作なのか、 柿をいただく機会も多く 干し柿づくりをしている人も いつもより多いように感じます。 スイーツとしてはもちろん、 もしかしたら お酒のお供にもなるかもしれないなぁ、なんて 思ったりも。 簡単に作れて、ビジュアルもユニークなので クリスマスやお正月にいただくのも いいかもしれませんね。 ちょっとずつ切り分けて…と 思いつつも、 おいしくてまるまるぺろりと 食べてしまっている、この頃のわたしです。
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冬の思い出
大学生のとき、アルメニアに行った。トビリシから夜行列車に乗って、一晩かけて首都のイェレヴァンをめざした。
ソヴィエト時代の古い列車でトイレは壊れていた。狭いコンパートメントにはベンチを引き出して使うタイプの二段ベットがふたつ詰め込んであり、熱気がむんむんとこもっていた。
夜中に一度乗務員に叩き起こされる。外に連れ出され、国境の駅でジョージアの出国審査とアルメニアの入国審査をおこなう。同じ列に並んだシーク教の格好をしたおじいさんは別室に連れられていってしまう。入国審査は英語での簡単な質問だけで終わり、アルメニア軍のひとたちが日本語で挨拶をしてくれる。
イェレヴァンには早朝に到着した。天気予報には「霧氷」と表示されるようなひどく寒い朝だった。唯一開いていた駅前の両替所で、ドルをアルメニアの通貨に両替する。窓口から差し出されたトレイには、お金と一緒にみかんが乗っていた。コーヒーももらって、街が動き出すまでしばらくそこで休んだ。
そういえば、独立を求めてジョージアと紛争をしているアブハジアは世界的なみかんの産地だ。これを題材とした『みかんの丘』という映画もある。トビリシにある青果店の軒先にはこぼれんばかりのみかんが積んであった。
アルメニアの両替所で食べたみかんの味は覚えていない。たぶん甘かったのかな。その後、イェレヴァンの案内をしてくれた親切で謎なおじさんが家でご馳走してくれたシェリーのジュースの味も、どんなふうだったか忘れてしまった。(パラジャーノフの博物館に行きたいといったら別の美術館に連れて行ってくれた。そこもよかった)
『みかんの丘』を上映した岩波ホールももうなくなってしまった。いろんなことが瞬く間に過ぎ去っていく。トイレでぼんやりしていたら思い出したので書き留めておく。
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2022 Best Albums 10
コロナ禍の収束の兆しが見え始め、それと同時に街の動きも加速し、日々多忙を極めた一年。あまりにも忙しく、2022年は音楽を積極的に聴く気になれなかったのですが、そんな中でも心に響いた作品を10枚選定しました。
再度聴きなおして、やっぱり良いなぁ~と思った作品が中心です。(順不同)
Fontaines D.C. - SKINTY FIA
アイルランドはダブリン出身の 5人組 ロック バンド が 3rd AL をリリース。自身のルーツを振り返り、現状をシニカルに表現したロック レコード です。
I Love You
本作はアイルランド人でありダブリン出身のメンバーがロンドンに移住してから経験したことを時に荒々しく、時に文学的に描き、詞に落とし込まれています。私は日本で生まれずっと日本で生活しているので、共感することは難しいのですが、アイルランド人としてロンドンで生活する息苦しさ及びアイルランド人としての矜持を吐露する感情が曲に籠っているので、聴いていて感傷的な気分になりますね。
そんな背景はもちろんですが、やはり曲が良い!リード トラック M-4 “ Jackie Down The Line “ や M-9 “I Love You “ を筆頭に、激しくも非常に重々しくて暗い曲が並��でいるのですが、それがたまらない。なんかイギリスの ロック バンド って感じがして好きなんですよね。儚げなコーラスと掻き鳴らされるギターとフロントマンである グリアン・チャッテン の切ないシャウトが印象的な M-10 “ Nabokov “ で私は昇天しました。
無骨さが目立った Debut AL の ポスト・パンク サウンド から スケール アップ した Fontaines D.C. ...デカいステージが似合うようになってきました。
2月の来日公演が楽しみだ!
Camp Cope - Running with the Hurricane
オーストラリアはメルボルンの 3 ピース フィメール ロック バンド が 3rd AL をリリース! 力強くエモーショナルな歌声とフォーキーな ロック サウンド はまるで全てを肯定してくれるようで、希望を照らしてくれる一枚です。
Blue
本作も最高だ…!サウンド自体はとてもシンプルで、だからこそ響く ジョージア・マック の力強い歌声。Debut AL ~ 2nd AL の エモ / パンク からの影響が色濃く反映され、バンド シーン の女性差別などを訴えていた頃は ”怒り” が一つの重要なファクターとなって曲を作っていました。ですが、本作はその頃とは雰囲気が変わり、それは曲を聴けばすぐにわかります。 M-10 “ Sing Your Heart Out “「 You can change and so can I ( あなたも変われることはできるし私も変われる) 」という一節を歌い幕を閉じるように、どの曲も優しく包み込んでくれるように暖かく、希望に満ちているようにも思えます。
その大きな理由にメンバーはパンデミックの間、ワクチン接種の仕事をするため看護婦として働いていた経験が大きく影響されているようです。
「音楽は最高だけど、それ以上に大切なものはたくさんある。たとえ自分たちの音楽を気に入らない人が多くいても気にしない。ワクチンを打って生きているんだから。」と語る彼女たち。音楽を聴かなければいけない。それが自分のアイデンティティだとある種、強迫観念に囚われていたといっても過言ではない時期が私にもあったけど、いい意味で所詮は音楽。聴きたいときに聴いて等身大に楽しめばいいんだよと、微笑みかけてくれるような一枚です。
個人的に現在のシーンで一番カッコいい フィメール バンド だと思っています。
Whatever The Weather - Whatever The Weather
ロンドン の エレクトロニック・ミュージック プロデューサー Loraine James 別名義での 1st AL。温度を音で表したコンセプチュアルなアンビエント レコードです。
17℃
何度も再生してはいるのですが、正直聴いているうちに寝ていたので、ちゃんと一から最後まで聴くのは今が初めて。でも改めて聴くと、めっちゃ気持ちいいですね...
どうやら本作は曲名を温度で表しているように気温や気候がテーマなのですが、天気というのは予測できないことから即興で演奏して作曲した模様。実験的であり美しさが光る作品です。
M-1 “ 25℃ “ (これは徐々に気温が高くなる春の温かみを表現しているのか..) を聴くとアンビエンスなアレンジが中心なのかなと思いきや M-2 “ 0℃ “ (これは水が氷結する瞬間を表現しているのか..) から M-3 “ 17℃ “(これは朝晩の気温の寒暖差を表しているのか..) の流れからは IDM 的アレンジも感じ取られ、また、M-9 “ 30℃ “ (これは夏になり人々が活発に過ごす様子を表現しているのか..) では幽玄なヴォーカルが乗ったエモーショナルな ビート・ミュージック と様々な表情を見せてくれます。これは抗えない天候の変化に伴い自然や人間の変化をも表すようです。
タイトルが温度なのでこの音は何を表現しているのか考えながら曲を楽しむこともできるし、ヒ��リング・ミュージック としてリラックスする時に聴くこともできる素晴らしい一枚でした。
Dry Cleaning - Stumpwork
サウス・ロンドン の注目株が去年に引き続き早くも 2nd AL をリリース! 鋭利でメロディックなナンバーがそろった名盤です!
Anna Calls From The Arctic
相変わらずループするビート上(特に ベース・ライン がヤバい!)で炸裂するギターがエロい.. そして、感情が一切排除された フローレンス・ショウ のヴォーカルはあまりにもシュール過ぎるしセクシーだ。本作は、緊張感ある演奏でミニマルに展開しつつその上に抒情的にジャキジャキと響かせるギターが印象的だった Debut AL の延長線上にある作品ですが、一曲一曲がよりメロディックになっています。
高揚感を誘いながら疾走する M-2 “ Kwenchy Kups “ ~ M-3 “ Gary Ashby “ に、アジアンな雰囲気を醸すサイケデリックなナンバー M-5 “ Hot Penny Day “ やハード・ロック風のサウンドからへろっへろなギターリフの高低差に思わずニヤニヤしちゃう M-8 “ Don't Press Me “ など、どの曲も個性的で、2nd の時点ですでに Dry Cleaning 節を確立させたといってもいいでしょう。
来日公演マジで最高だった!!!
Gilla Band - Most Normal
アイルランドはダブリンの狂気性を孕んだ 4人組 ノイズ・ロック バンド が3年振りに 3rd AL をリリース!神経と脳みそがぐちゃぐちゃになっちゃうほど興奮させてくれる猟奇的な一枚です。
Eight Fivers
Ex. Girl Band。時代の波により改名を余儀なくされてからの (Gillaは古いアイルランド語でGirlの意味だそう) 新作。はい。不快過ぎます。神経を逆撫でする音で埋め尽くされていますね。最高。
濁流かと思うのほどのノイズと病的に発狂するヴォーカルは彼らの個性でもありますが、より一層聴き手を試すようなナンセンスなサウンドに磨きがかかっているのかなと思います。
オープニング トラック M-1 “ The Gum “ は凶悪につんざくインダストリアル ビート。絶対に良くないことが起こるんだろうなと不穏を煽る見事なナンバー。ばつんとノイズ&シャウトが止み、何事もなかったようにすっとぼけた音が聞こえてきたかと思えば、展開が予測不能でひりついたAメロから一気に感情を暴発させる M-2 “ Eight Fivers “へとジェットコースターのように曲は流れていく。そして曲が終わると同時に次の曲へ・・そう、本作は一度再生してしまったら最後、聴き手に息をつく暇をあたえないサドスティックな構成になっているのです。細かくインタールード(しかしこれらも不快なノイズを用いている)を挟んでオープニングからエンディングまで曲を繋いでいくことで強制的に本作に没入させる。ただ煩いのではなく、つぶさにアレンジを効かして聴き手を圧倒する構成力に私はもうメロメロ..
世には様々なジャンルの煩い音楽で溢れていますが、私が Gilla Band を贔屓する要素でもある「理性的に狂気を音に落とし込んでいる点」がそれらと一線を画す要素なのかなと思います。
聴く際はヴォリュームを気持ち4つほど上げて欲しいのですが、聴いた後、頭が痛くなるので注意が必要です.. M-5 “ Binliner Fashion “ のアウトロ30秒間の濁流ノイズとかマジヤバ過ぎる..
Weird Nightmare - Weird Nightmare
カナダ の ノイズ・ロック バンド Metz のフロントマン アレックス・エドキンス がソロ作品をリリース! 甘酸っぱくもヒリヒリした最高な ガレージ・パンク レコード です!
Searching for You
大好き。こういう音楽をずっと聴いていたい。パワー・ポップ とか キャッチーな メロディック・パンク はもちろんテンションが上がるのですが、時折軽さや計���高さを感じてしまい個人的には物足りなさも感じたりします。しかし本作には、野性的に楽器を鳴らす荒々しい (それこそ初期 Cloud Nothings のような..) サウンドと直感でドカンと鳴っているプリミティブな勢いがそのまま曲に乗っているので、だからこそ興奮するし涙腺にも直撃してしまいます... M-3 “ Lusitania “ ~ M-7 “ Dream “ はヤバ過ぎる.. 拳突き上げっぱなし!
また、M-9 “ Oh No (feat. Chad VanGaalen) “ では本業でもある Metz 然とした激しさや、ラスト M-10 “ Holding Out “ では現行 エモ / インディー・ロック シーン にも通ずるノスタルジーさも感じられるので、決して思い出をなぞった懐古ではない、現代にリリースした ロック レコード だと認識させてくれます。
クレジットを見るにいろんな ゲスト ミュージシャン が携わっているようですが、Bully の フロントマンである アリシア・ボグナノ も参加しているのですね。大いに納得な出来。。
羊文学 - our hope
メジャー レーベル の ソニー から 2nd AL を2年振りにリリース。期待を優に超えていく、令和が誇る ジャパニーズ オルタナティブ・ロック の名盤レコードです。
光るとき
一曲一曲がとにかく強い。タイアップ曲 M-2 “ 光るとき “ や M-11 “ マヨイガ “ は言わずもがな、グッド メロディー がふんだんに凝縮している一枚。自然と口ずさみたくなるナンバーばかりです。
なんだろう.. 聴いていて幸せな気分になるんですね。M-3 “ パーティーはすぐそこ “ はとってもキャッチーでついつい口ずさんじゃうし、M-7 “ くだらない “ では切なくなっちゃうし、M-9 “ ワンダー “ で掻き鳴らされるファジーなギターにいつも頭がくらくらするほど恍惚とした気分になるし、スーパーカー を断片的に彷彿としてしまうエレクトロ テイストなアレンジが煌めく M-10 “ OOPARTS “ も大好きだ。それだけでなく、ルーツ・ミュージック の影響が色濃く反映されている M-4 “ 電波の街 “ や M-5 “ 金色 “ も淡くて良いんですよね..
また、デビューしてからずっと通ずることなのですが、フロントマンである 塩塚モエカ の歌声が良過ぎる.. 透明感と力強さが伴った歌声.. 歌が上手いことの シンプル イズ ベストな力って凄いなと羊文学を聴くたびに思わせてくれます。
「魅せる」という意識もあるのが羊文学の良いところ。ステージ衣装はいつも素敵だし、本当に良いバンドだなと思います。
12月25日のクリスマス公演は最高な体験だったな..
Alex G - God Save the Animals
US はフィラデルフィアの SSW が 神秘的な 9th AL をリリース。不思議な魅力を放つ唯一無二の世界がここに広がっています。
Runner
フィラデルフィアという地は本当に味わい深い インディー・ロック バンド を生み出してくれます。その中でもひと際不思議な存在感を放つ SSW Alex G こと アレックス・ジアンナスコーリ の様相は未だ掴めずにいます。元々彼は宅録ミュージシャンで一人で作曲をするタイプではありましたが、本作ではパンデミックの影響もあり、外に出て友人とともにいろんなスタジオで作曲したようです。そういったこともあり、たしかに以前よりは開放されたムードが感じられます。ですが、何度も聴いても未だこのアルバムとの距離感が掴めていません。
ピアノやアコギを基調とした胸を打つほどにグッド メロデイーが際立つ M-2 “ Runner “ や M-3 “ Mission “ は素朴で親近感を感じますし、ヴァイオリンの音色が優しく響く M-12 “ Miracles “ はどこか郷愁的。
しかし、ストリングスをバックに奇妙なエフェクトがかかったヴォーカルが乗る M-4 “ S.D.O.S “ やエレクトロニックなアレンジが加わった哀愁あるフォーク ナンバー M-7 “ Cross the Sea “ からアウトロでシンセサイザーが突飛に鳴り響いたかと思えば M-8 “ Blessing “ では謎な神々しさを演出するハードなナンバーへと展開していくさまは中々に奇妙でやっぱり掴みどころがないなと感じさせられます。浮遊感漂うポップなナンバー M-10 “ Immunity “ も異質な存在感がありますね。
一言では決して表せられないジャンルレス。しかしどの曲にも通底して切なさと暖かさが同居している秀逸な インディー・ロック レコード です。
Spoon - Lucifer On The Sofa
US が誇る ベテラン インディー・ロック バンド が渋くも踊れる 10th AL をリリース!キャリア豊富な大人たちが無邪気に鳴らすロックンロール ナンバーに酔い痴れること必至な一枚です。
The Hardest Cut
Spoon。名前は知っていましたが聴かずじまいだったバンドの一つで、新譜を5年振りにリリースするというニュースを聞き、いい機会だと思っていざ聴いてみたら、完全に心を鷲掴みにされてしまいました..
20年以上続くキャリアから醸し出されているのか.. 落ち着きを払った大人の余裕から薫る煙っぽさが全曲通してむんむんと漂っています。しかしそれはクセがあるようで無く、誰でもいいから気に入ったヤツから一緒に踊ろうよと誘うかのようにキャッチーなサウンドばかりだったりします。リードトラックである M-2 “ The Hardest Cut “ と M-4 “ Wild “ を一聴してみてほしい。熟成した熱が帯びつつも軽やかな���ンド アンサンブルは大衆性も孕んでいるかと思います。
中でも M-3 “ The Devil & Mister Jones “ と M-7 “ On The Radio “ がお気に入り。前者は卒なく仕事をこなすかのようにジャキジャキと歪ませて鳴るギターがたまらなくエロいし、後者はピアノの切ない伴奏の上で響くギターとフロントマン ブリット・ダニエル のハスキーな歌声に文字通り酔い痴れてしまいます..
2022年個人的に最も良いと思ったロックンロール レコードでした!
新進気鋭な尖った若手たちには出せないオーラに感服..
Cwondo - Coloriyo
No Buses のフロントマン 近藤大彗 によるソロ プロジェクト Cwondo が 3rd AL をリリース。00年代のエレクトロニカ シーンを彷彿とさせるノスタルジックでキュートな一枚です。
Sarasara
ひどくエモーショナルな気分になりますね。この妙な懐かしさと人懐っこさは。心がやられているときに不意に流れると絶対に涙腺が崩壊すると思います。M-2 “ Midori “ とかヤバいです.. 多感な思春期に何もすることもなく、ただ教室からぼーっと青空を見上げていたそんな淡い情景が嫌でも思い浮かんでしまいます。(さすがに抒情的になり過ぎ..?)
全曲通して、とてもキャッチーで愛おしいエレクトロニカ・ミュージックを聴かせてくれます。たしかに聴いていて心が温かくなる。しかしこの温もりは、少なくとも無償の愛や生命の儚さといった自然的な要素から起因するものではないと思います。
曲を象る音はどれも人工的で生々しい。それは i am robot and proud や The Postal Service を彷彿とさせる音。都市で生きる人々が無意識に欲する現代的な温もりともいえると思います。特に、機械的なピアノのフレーズの上に少々大げさにエフェクトがかかったサンプリングが切ないメロディーを生む M-4 “ Sarasara “ が象徴的だなと思います。
本業である No Buses は The Strokes や Arctic Monkeys からの影響がうかがえる ガレージ・ロック バンド (これまたとてもカッコいい!) で、バンドを稼働しつつも気付けばあっという間に Cwondo名義での作品は3枚目に突入しており、近藤大彗 というミュージシャンは本当に音楽を作ることが好きなんだろうなとストレートに伝わってきてそこも素敵です。
ようやく海外ミュージシャンの来日公演が増えてきたので、2023年はたくさんライブに行けたら良いな。
2022 Best Songs 27 もまとめました!
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6000年前の最初の車輪発明はカルパチア山脈が起源である可能性が濃厚に 記事の本文にスキップ 著者konohazuku・パルモ 公開:2024-11-15・更新:2024-11-15 image credit:Zunkir WIKI commons CC BY-SA 4.0 車輪は、およそ6000年前に発明されて輸送界に革命をもたらしたが、その正確な起源は謎のままだった。 構造力学技術を用いた新たな研究によると、紀元前3900年頃の車輪技術における3つの大きな技術革新の原動力になっていたのは、東ヨーロッパのカルパティア山脈で銅を採掘していた労働者たちだった可能性があるという。 車輪の起源についての3つの仮説 車輪や車輪がついた乗り物の考古学的な証拠は銅器時代(紀元前5000~3000年頃)のヨーロッパ、アジア、北アフリカでたくさん出土している。 壁に描かれた戦闘シーン、ミニチュアの車輪、子どものおもちゃ、荷馬車の埋葬や、初期の車輪技術に関する文献などがある。 しかし、車輪は急速に普及したため、いつどこで最初に発明されたのかは不明だったが主だった仮説は3つある。 仮説1:紀元前4000年頃にメソポタミアで登場してヨーロッパに広まった 仮説2:紀元前3800年頃にトルコ北部の黒海沿岸周辺で開発された 仮説3:紀元前4000~3500年の間にカルパティア山脈で発明されて広まった カルパティア山脈説を支持する歴史家の主張 2016年に3番目の説を唱えたのは、コロンビア大学の歴史家リチャード・ブリエ氏だ。 紀元前4000年頃にカルパティア地域で需要が大きかった銅鉱石が浅い場所では見つけにくくなり、鉱山労働者たちがより深くまで掘らなくてはならなくなった。 そのため、採取した銅を効率よく地上へ引き揚げる���要に迫られたことから初期の車輪が発達したという考えに基づいている。 カラパティア地方で見つかった後期銅器時代の荷車のモデルは長方形で側面は台形になっていて、現在の鉱山のトロッコに似ているという。 Xに投稿された5200年前の車軸つきの最古の木製車輪(左)2002年にスロベニアのリュブリャナ湿地帯で発見された。右は紀元前3000年のシュメールの装飾的な遺物「ウルのスタンダード(軍旗)」。車輪のついた荷馬車が描かれているのがわかる 車輪の進化に必要な3つの技術開発 そこで研究チームは、ジョージア工科大学、航空宇宙エンジニアのカイ・ジェームズ氏、元イリノイ大学のエンジニア、リー・アラコク氏と協力して、考古学的証拠に基づく古代の車輪システムの知識をベースに、計算力学と設計科学を駆使して、古代人が単純なローラーをどのように車輪と車軸のシステムに変えていったのかを調べた。 その結果、車輪の進化には、3つの革新技術が必要だったという。 重いバスケットや荷台を移動させなくてはならなかったため、道に沿ってローラーを設置して、必要に応じて後方のローラーを前方に移動させたのではないかと研究チームは考えた。 ADVERTISING 最初の革新技術は溝のついたローラーだ。銅鉱石を運ぶ箱をこのローラーの上に置けば前後に動くようになり、ローラーを交換するために人が周囲を歩き回る必要がなくなる。 これによって、より幅の広い荷台を鉱山の中に入れることができたかもしれない。 2番目の革新技術は車輪セット。つまり、車軸に固定された車輪のことで、これの発明により、坑道内に岩や瓦礫があっても荷車が余裕で通過することができるようになった可能性がある。 3番目は車輪セット誕生の500年後に生まれたとされる、車輪が車軸から独立して動く技術だ。設計に巧みな機動性を加えた可能性が高い。 最適化された車輪セットの設計が生まれた後で計算解析をしてみると、単純なローラーから車輪と車軸が進化することが、さらにエネルギー効率の高い設計を反映したもっとも妥当な道筋だったであろうことがわかった。 だがカラパティアの鉱山という環境そのものもまた、車輪の設計に影響を与えた可能性も考えられる。 最初の車輪の開発者が操業していた環境には、ローラー式輸送への移行を促進する独特な特徴がありました」は語る。 こうした環境の特徴、例えば狭く閉鎖された通路という環境が必然的に車輪の開発者たちをこうした設計へと導いたといえます(ジェームズ氏) しかし、車輪の進化は銅器時代に終わったわけではない。1869年のラジアルボールベアリング(軸と直角方向にかかる荷重を受ける軸受)の発明は20世紀の自動車産業や機械産業の大きな進展につながった。 本研究の新たなモデルは、東ヨーロッパでの車輪が発明され、そこから広まっていった可能性を説明できるかもしれないが、これが最終的な答えではないかもしれない。 複数の文明が同時期に車輪を発明した可能性もまだある、とジェームズ氏は言う。 この画像を大きなサイズで見る 古代アッシリアで使用されていた馬車の車輪 Photo by:iStock 今回、採用した計算設計アプローチは、ほかの考古学的疑問にも応用できるかもしれない。 例えば、ピラミッドが実際にどうやって建設されたのか、まだ解明すべきことがたくさんある。 このアプローチはそうした疑問の一部に答えを出すのに役立つかもしれない。 この研究は『l Royal Society Open Science』誌(2024年10月23日付)に掲載された。 References: 1st wheel was invented 6,000 years ago in the Carpathian Mountains, modeling study suggests | Live Science あわせて読みたい 5000年以上前のメソポタミアの印章の図柄が文字の誕生につながった可能性 古代マヤ人にとって割れた鏡は異世界への道筋だった 知られざる偉人。世界初の防弾チョッキはポーランドの司祭が発明した 古代シュメール人が4000年前に作った農業アルマゲドン回避装置が発見される 鋼の合成術。「ステンレス」の起源は1000年前のペルシア時代にあった(英研究) #古代 #起源 #仮説 #鉱山 #車輪
6000年前の最初の車輪発明はカルパチア山脈が起源である可能性が濃厚に|カラパイア
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「a^2+b^2=c^2」で表されるピタゴラスの定理は、よく知られている数学の基本定理である。この式は、直角三角形において、最も長い辺(斜辺)の2乗が、残りの二辺の2乗の和に等しいことを示している。 これまで数多くの数学者たちが代数学や幾何学を用いてこの定理を証明してきたが、三角関数による証明はより難しかった。三角関数の基本公式自体がピタゴラスの定理を前提としているため、循環論法に陥ってしまうためだ。 しかし彼女たちは、循環論法を回避した三角関数を用いた全く新しいアプローチで5つの証明方法を見いだすことに成功した。23年3月、米ジョージア州アトランタで開催された米国数学会の地域会議で研究成果を発表し、その後、厳密な査読プロセスを経て、1894年に創刊した数学雑誌「The American Mathematical Monthly」2024年11月号に、論文「Five or Ten New Proofs of the Pythagorean Theorem」として掲載されることとなった。 この論文で彼女たちは、三角関数を用いた5つの新しい証明方法を提示。これらの証明方法の特徴は、与えられた直角三角形から新しい直角三角形を作り出すというアプローチにある。 具体的には、元の三角形の3つの角度(α、β、90度)の整数倍の組み合わせで新しい三角形を構成する手法を用いた。この方法により、二等辺直角三角形以外の場合について、2αとβ-αを鋭角とする直角三角形をさまざまな方法で作り出すこ��ができ、それぞれの方法が新しい証明につながることを示した。
米国の女子高校生2人「ピタゴラスの定理」を新証明 しかも5通り 査読済みで権威ある学術誌に登場:Innovative Tech - ITmedia NEWS
なにやらおもしろそうじゃないか。後でゆっくり読もう。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)6月11日(日曜日)
通巻第7791号
トランプ起訴第二弾。むしろ支持率は高値安定しているが。
330もの機密書類に安全保障、国防計画などが含まれていた
************************
6月8日、機密文書の持ち出しでトランプ前米大統領はフロリダ州地方裁判所から起訴された。
二日後の6月10日、トランプはジョージア州共和党集会で演説し、「起訴内容は「根拠がない」と完全否定した。
トランプの演説は「バイデン政権による根拠のない、ばかげた起訴は恐るべき権力乱用だ」とし、起訴を吐き捨てた。また起訴に持ち込んだスミス特別検察官は「精神錯乱状態にある」と不満を爆発させた。
法学者のアラン・ダーショウィッツ教授は「トランプ前大統領に対する連邦政府の起訴は重要なテストに失敗している」とし、次のように述べた。
「これは『ニクソンの基準』と呼ぶものを満たしていない。これは極めて明白な司法妨害、証拠隠滅、賄賂の支払いだ」。
しかし6月9日に開示された起訴状では、これまで明らかになっていなかった当局側の情報が明らかにされた。2021年1月の大統領退任時に持ち出した機密文書は330点以上に上り、米国と外国の防衛・兵器能力、米国の核計画、米国と同盟国の軍事的な脆弱(ぜいじゃく)性、外国からの攻撃に対する報復計画などが含まれていた。
起訴状ではトランプ前大統領を国防情報の不法開示などさまざまな罪を列挙した。
ダーショウィッツは「安全保障上の許可を持たない人物に、イラン攻撃計画に関する情報を示したとされる人物にどのように正当化できるかについては、トランプ氏の弁護士かトランプ氏の例外規定を聞かなければならないだろう」と述べた。
トランプ大統領は「わたしは無実だ」と自信を述べたあと、政府の汚職を非難し、「ビル・クリントン元大統領など、多くの政府高官が機密情報を保有していたが起訴されなかった」と指摘した。
げんにバイデン大統領の自宅や倉庫から大量の機密文書が発見されているが、こちらのほうは起訴されるのか、どうか。
トランプ起訴後も共和党内の支持率は高値安定している。
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ジョージア再発見の旅
出発前日。火曜日。 ジョージア西部のアチャラ地方でワイン造り修行中のカンジから電話がかかる。 「もしもし、お疲れ~。」とはつらつなカンジ。 「もしもし、お疲れ様です。元気ですか」と自分は応答する。 「元気やで~」そしてカンジは申し訳なさそうに続ける。「いや、前に言ってたぶどう収穫の日、明日か明後日になりそうで、来れる?」
今後の天気予報が四日後に雨だとかで師匠が収穫を早めたそうだ。自分はケンさんに携帯を持っていき、三人で相談する。「いつでも出れるけど、ゾノさんも行きたいって言ってたし、一回相談するわ」とケンさんが電話を切る。
そしてゾノさんに電話をかけ、翌日、車の後輪が未だにスペアタイヤなので、タイヤを交換してから、出発する事で決まる。 その予定をカンジにも連絡し、家に残ったご飯を食べる。この前作ったラーメンがまだ残っているのだ。おまけに麵は消化が早く、小麦粉は身体に吸収されにくいのか、食べても食べても、お腹が膨れる感じがない。食べた直後は、多く茹で過ぎたと後悔するのだが、三十分後に胃が空いてる気がする。
作ったラーメンはカレーラーメン。日曜日に子供達と日本のカレーを作ったのだが、その残ったカレーと鶏がらスープを混ぜて、旨かった。
翌日、朝九時四十分に太陽の日差しで頭が暑くて目が覚める。実際は庭のソファで寝ずに色々と想うことに耽っていたら、朝七時とかでそこから目を瞑った瞬間、頭が熱かった。 久しぶりにカンジと会えることや、ゾノさんやケンさんと旅行に出れるって事で、自分はウキウキと遠足を待ち望む子供のように寝れなかったのだ。何はともあれ、十時前に起きれた自分を褒めてやりたい。 11時頃、ゾノさんを拾いに出発。家まで行くとすぐに登場。 「おはようございます。」とゾノさん。「いや実はもう一人一緒に行きたいと言ってる日本人がいるんですが、今連絡取れないんですよね~」と続ける。
その人は日本で畑を持っておりぶどうとワイン作っているそうだ。まずタイヤを履き替え、連絡を待ってみようということになり、途中見つけたタイヤをバラ売りしている修理屋を発見。「今出来るか?」、聞くと「どうした?」との返答。「タイヤ交換したいんやけど、四本交換できる?」 すると修理屋の兄ちゃんはタイヤの状態をチェックした後「この一本だけ変えればいいやん」とスペアタイヤを指差し言ってくる。ほかの三本も表面ツルツル気味で、これで大丈夫やと思うか尋ねるとあと一、二か月は大丈夫でしょうとのこと。いやそれなら今変えても一緒でしょと皆言うが、一本だけだと安いのもあって、それで交換してもらうことに。
修理屋の兄ちゃんはその後、テキパキと作業を進め、最後に全部のタイヤに空気を詰めてくれると、二十分くらいで、どうぞと車を渡してきた。 自分たちの予想では、二時間は色々なごちゃごちゃした事で長引くだろうと思っていたが、実際二十分位で済んでしまい、その日本人を探す事に。
まず一緒に住んでるタクには電話し繋がらず、取り敢えず家がある方向に向かって車を進ませるかと話していたらタクから��り返しの電話。 「おいっす~」相変わらず調子の良いタク。「そっちどんな感じ~?」 「おっす~」釣られて自分たちも返してしまい、変な感触。「いや実は、その一緒に住んでる日本人探してるんやけど、今家おるん?」 「ジュンさん? いや、居ないね」とタク。「なんか携帯をまた修理しにステスク行ったよ」 「おお、マジか」ちょうどステスク手前に居た自分たちはそのまま探しに行くことに。「ありがとう。因みにどこらへんか分かる?」 「そう、あの携帯を一階と地下で売ってるところあるやん、ちょっと奥んところの。」とタク。
「オッケー、了解。じゃあまたー」と了解してしまった自分は電話を切り、皆と予想を立てる。自分は一階と地下という情報を基に考えると路面店ではなく、銀行裏の建物の中だろうと思い、そこへゾノさんと探しに行く。建物の中でゾノさんと二手に分かれ、探し始めた五分後、ゾノさんから着信。
「見つけました。番号55のショップです」とゾノさん。
すぐに向かい、状況をケンさんに報告する。ケンさんは忘れた上着を取りに家に向かっており、「向かうとき連絡するからちょっと待っといてくださいって伝えてくれや」とのこと。 修理がまだ終わってないらしく、一緒に待つ間にゾノさんからジュンさんの話を聞く。昨日買ったiPhoneがまた壊れて修理に来たそうだ。何かとトラブル続きな旅だそうで、トビリシに辿り着くまでにも香港とニューデリーでの出会いや話も色々あるそうだ。運もその分良いらしい。
今回、こうやって簡単に見つられたのも何か引き寄せたのか、引き寄せられたのか。 その後、珈琲シバきジュンさんの荷物を取りに行って二時過ぎトビリシを出発。良い感じの予定通り。
トビリシを出るころ、タクミから連絡。「どう見つけれた?」 「バッチリ確保しました~。ありがとう。」と自分。「行ってくるわ~」
「いってら~」とタクミ。 向こうにカンジからはもうバトゥミで待っているとのメッセージが。気が早い。彼もウキウキしているのだろう。 バトゥミまで六時間弱かかるのだが、軽自動車のUZUFitでは無茶も出来る訳じゃなく、六時間強掛かって、バトゥミ入り。 道中、二回犬が高速道路に飛び出してきたり、眠気に打ち勝てない気がしてきたり、運転ってのは意外と疲れる作業だったと改めて思った。 一回目ももちろん危なかったのだが、二回目はタイヤが滑り前の車とぶつかりそうになった。
バトゥミでは渋滞にハマり、ちょっとケンさんはイライラしていた。 ホステルのおじさんを呼び出し、案内してもらい、着くころにはカンジと愛犬ヘイリーが宿前で待っていた。また大きくなったヘイリー その後、カンジ君の音頭で飲み会が始まり、西ジョージアご飯を味わいつつ、久しぶりに聞くカンジの話や皆の合の手を見てると楽しく、良い時間だった。結局、明日早朝出発だと言うのに、二時半まで飲み続け、翌朝カンジ君が来たのは朝七時過ぎ。本当は六時半集合だったのだが、まあ仕方ないだろう。
自分は六時半にはもう起きていたのだが、カンジ君が来るまで二度寝。その時も身体の中にアルコールを感じていた。
バトゥミからその畑まで二時間ちょっと。山道を村々を通り抜け、途中シュアヘビという村で小休憩。お腹に何か入れようという話になり、メグルリハチャプリとお茶を飲む。その時、興奮有り余るカンジ君はどっかから手に入れてきたチャチャを持ち出してくる。ショットグラスをカフェの主人から貸していただき乾杯する。結局付き合ってしまうゾノさんと自分。朝にはチャチャ三杯とハシというスープを飲むと二日酔いから完全復活するという話で、皆飲み会の翌日とかはそれで仕事をしているとかなんとか。ただの迎え酒な気もするが、身体に気力が巡る感覚はある。気合十分でワイン収穫に挑む為、車に乗り込み、出発する。道中、一曲カンジ君のカラオケを聞き、畑に到着。着いたはいいものの、車が上まで上がらない。あともうちょっとの所で登らなくなってしまったのだ。残りの四人で押し上げ何とか駐車する。ヘイリーははしゃいでるのか、走り回っている。急な斜面にある畑で、ぶどうは美味しかった。
着いた頃は、十一時辺り。早速仕事を始める。けども、三時間ちょっとで車に積める量、限界に到達。 二時か三時には終了と言われ、何だか肩すかしを喰らった。横にある建設途中の建物の三階にあがり、休憩する。そこでチャチャの効果が薄れてきたのか、ソファに腰かけた瞬間、少しの間、眠っていた。
その畑がある村は元々カンジの師匠の先祖が治める地域だったらしい。カンジの師匠の家系は元王族で、オスマン帝国が攻めて来た時に城を壊され、その跡地にモスクを建設されたそうだ。今もまだ残るしっかりした石積みの城壁の上にモスクやイスラム文化は残っており、コーランが流れてきた。師匠の先祖は戦って殺されたそうだ。
休憩の後、文化として収穫の後は畑で集まってご飯を食べたり、宴会的なのがある様なのだが、師匠のところは人手もあまりないのと、ぶどうの収穫の後は、すぐに潰して甕に入れるのが好ましいとの理由で、ご飯はなしでそのままワイナリーに帰り、ブドウを潰す予定だったのだが、やはり師匠が何かしら作ってくれて簡単な宴会を開いてくれる。4、5年物のワインを飲み、ご飯を食べ、最後に珈琲まで出してくれる。ジョージアの客人に対するおもてなしは手厚く自分は居心地が少し悪く感じる。自分の気持ち的にはカンジ君がお世話になっている師匠のところへ手伝いに来たわけで、客人のつもりで来ていない。と言う訳にも行かず、しっかりもてなされた。
その後、ワイナリーまで戻り、ブドウを潰してクヴェブリという埋まった壺にブドウ汁を注ぎ、五パーセント位の潰した皮や種を入れ、その日の作業は終了。昔ながらの製法でブドウを潰すので、なかなか時間がかかり、終わったのは十一時辺り。
そこから師匠の奥さんが作ってくれたご飯とワインで宴会。ジョージア流の宴会では乾杯の時は音頭が終わるまで話を聞いていなければならず、加えそのワインも一気に飲み干さなければならない。 と言う事で、終わって飲み干せば、急いでご飯を食べ、また一気というループが一時間半続き、宴会は終了。
その後、用意してもらった部屋に行き、ベランダでこそこそ喋って朝五時就寝。部屋にはクイーンベット一台だけで、ケンさんと少し恥ずかしくなりながら、並んで寝た。
翌日、今日もまた収穫に行くのかと思いきや、ぶどうがまだ熟しきっていないということなので、収穫は延期に。カンジ君がいつまでも起きてこず、師匠の息子に竹はどこで手に入るかと聞くと俺持ってるぞと。庭を見せてもらうと竹林がなっており、そこから一本太めのやつを切���ていただく。車に乗せると笹の葉で一気にジャングル。そのあとまたコーヒーを頂き、ワインを買って、二時過ぎにカンジ君と分かれワイナリーを出発。やけに寂しそうなカンジ君とヘイリーに見送られた。
コブレティの方まで行き、昼飯を食べる。観光客に有名な大衆食堂らしく、賑わっている。 西側のジョージア飯は味付けが変わっており、また新たな味わいで美味しい。ムツヴァディという豚肉の串焼きは肉が漬け込まれて、柔らかく美味しい。他にも、スープなんかはもっと辛かったり濃かったり。その食堂ではビールがなくなっていたのがとても残念だった。
その後、クタイシから一時間下にあるヴァ二という所から東側にある天然温泉に皆で向かう。
車には竹が積まれ、ケンさんは左側のミラーが見えず、追い越すときや道路に出るときは自分がチェックしなければならず、気が休まらない。高速道路では車に乗り疲れたのか、ちょくちょくウトウトしてきてしまう。そんな時は健さんも同じように眠たくなっているようで、二人で何とか高速道路を乗り越えた感じがある。
夕方、日が沈む前に温泉に到着。先客も居ないので、さっさと服を脱ぎ捨て湯につかる。 気持ち良すぎて、自分はテンションMax。先輩らからも興奮してんな~と言われる。 上は空で、西の方じゃ太陽が沈みそうで、空が赤黒く染まっていき、月も南側に顔を出してきた。 ビールを開け、乾杯する。硫黄交じりの源泉が湧く温泉で、湯温は四十度辺り。長湯できるわけです。
そこから一時間半位、暗くなるまで湯に浸かり、人が続々と集まってきたところで日本人は退散。そのままクタイシに向かい、ゲストハウスで一泊。
夕飯はクタイシで人気のヒンカリ屋。華金だということもあり、街中では若者が騒いでいる。さすがクタイシと思える程、不良感が強い。子供な自分はすっかりビビってしまい、何だかハマらない。何が楽しいのかよくわからない。
ホテルに着いて、気疲れでちょっとやられてしまった。
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バックパック vs スーツケース
ラダックツーリングの荷造り考の前回からの続き。 結局スーツケース+バイクバッグとしてモンベルドライダッフルMという方式になりそう。はるかさんほぼそのまま参考にさせてもらった次第。
決めてはバイクバッグを乗せて転がせること。バックパック+ヒップバッグ+バイクバッグは明らかに運ぶのが面倒。ヘルメットとかはバイクバッグに入れて持っていくことを考えるとそこそこの重量になる。やっぱり車輪のあるスーツケースに乗せて運びたい。
今回ほぼ公共交通機関を使わない拠点型の旅なこともあり、バックパックの機動力があまり必須ではないはず。
懸念はスーツケース本体自体が重たいことだけれど、バックパック仕様の荷造り節約感覚そのままなら余裕ありそう。
インド国内LCCは基本料金に預けが付いてくるから、スーツケースだろうとバックパックだろうと重量の範囲に収まれば料金に差はつかない。
まだ完全体の積載ではないけれど、ざっくり荷造りの重量がこんな感じ。
スーツケース本体4.8kg+服・身の回り品3.4kg=8.2kg バイクバッグ本体0.6kg+ヒップバッグ+電子機器+ヘルメット等バイク用品=6kg
行き国内線の機内預け15kg・機内持ち込み7kgはクリアできそう。バイク用品をもっとスーツケース側に移せばバランスよくなりそう。持っていくか迷っているフルアーマープロテクターも入れても良さそう。
より��よってあのスーツケースが世界一向いていなさそうなインドにスーツケースを持っていくというのが正直抵抗なくもない。
けれど、スーツケースに収めたとたん、あ~、やっぱこっちだわ、と思った。バックパックだとかなり夏秋冬物の最低限の服だけでかさばり感があって不安だったけど、スーツケースなら余裕だった。
インド旅行といっても、特殊っちゃ特殊だものな。空港・宿間はタクシーばかりだし、全日レー拠点で動くし。合理的。
私はバックパックが好きだ。"旅人"感がテンション上がる。あのバックパックの重みを腰にかけて前にリュックを背負ったときのよっしゃバックパッカーだ!という謎の誇��。あれが好きだった。しかも機動力抜群で走れるし自転車だって乗れる。兄の結婚式に久米島行った時でさえバックパック使った。スーツケースだとバックパックみたいな一体感はなくて、悪くいうなら重たいデカブツという感じでエスカレーターやエレベーターのたびにヒヤヒヤする。
そして私の荷造りだとバックパックが重くてうんざりする、ということはほとんどない。だいたい重さを感じるのは街歩き用リュックか手提げバッグ。やっぱり重量分散がしっかり効くバックパックは良いものだ。
あと個人的に地味~にバックパックのメリットだと思うのが、意外と荷物破損しづらい気がすること。スーツケースは丈夫な前提で荒っぽく扱われて積み上げ放題だろうけれど、バックパックは不定形だからかえって荒く扱われづらいんじゃないか?と思っている。トルコの帰り便でIKEAのバッグを預け荷物にしたときもすごい不穏な見た目のわりに意外ときれいな状態で帰ってきた。もちろん破損して困るようなものはそもそも預け荷物には入れてないけれど。ウラジオストクからワインをスーツケースに入れたら割れたのも記憶にある。それはさすがに梱包が下手だったと思うけれど。
でも今回はヘルメットとかの特級かさばり物がある以上、最適解はバックパックではなさそうだった。別にバックパックでもいいんだろうけれど、体力が不安なんだよね……。思い出すのはトルコの帰りで顔真っ赤にしながらバックパックとお土産IKEAバッグを抱えていた時。北海道ツーリングの行き帰りで重い肩掛けバッグで肩が内出血だらけになったとき。肩掛けバッグは便利だがバックパックに比べて重量がダイレクトに体力を削りに来る。
年々、体力の心配を重めに見積もるようになってきた。快適さにお金を払うことに躊躇がなくなってきた。LCCだから荷物を削って機内持ち込みに収める、とかよりも、荷物潔く追加しちゃう、というマインドになってきた。その延長線上にバックパックじゃなくてスーツケースにしたマインドがある。ちょっと悲しい?いや、合理的、と思いたいが。
次にバックパックかついでいくような旅行はいつになるだろう。2015年に買ったチャムスのバックパックはもうすぐ10年ものになる。コロナで間は空いたけれど、元はめちゃくちゃ取っている。見た目重視で買っちゃったから次はモンベルとかミレーとかの登山系の2気室に分けられるやつを買いたい気はする。でもまだまだ使えるのも確かなんだよね。
ラダックの次に行くとしたらどこだろう。もう少し政情落ち着いてくれたらイランがトップかな。メキシコをリピートするのもあり、ジョージアもいいし、VRC上の海外の友人に会いにヨーロッパ、そのついでにマーストリヒト再訪もあり。海外ツーリングならアイスランドやオーストラリアや台湾の台東も楽しそう。近場ならまだ行けていないマレーシアが筆頭。
荷造りしてて、あ~~~もう何もかも忘れてテキトーにスーツケースに放り込んで荷造りしてテキトーに行ける海外リゾート籠もりの旅とかしたいな~~~~という荷造り逃避願望もでてきてた。でも、まさにその典型のタイ旅行は私の中でもトップクラスのトラベル・ブルーに悩まされた旅だったもので。不思議な話だよなぁ。
コロナ後のインフレと円安でいろんなものが割高なんでしょう?という先入観でもって旅行欲が削れていたけれど。お金は使わなければただの数字で。過去の旅行体験の割高だなぁと思った瞬間はいくらでもあっただろうけれど、それらはぜんぶ風化して、ただもっとコアに感情を揺さぶった体験だけが記憶に残っていて。それがやっぱり今の自分を作っているんだよな。そう思う。
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