#ジョッキ生
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風呂上がりのビール、最高ッ!♪
朝方、献血して頂いたものもおつまみになりそう♪
しばらく、筑後川でも眺めながら、ぼ〜〜〜っとしましょう。
@観光旅館 桑之屋
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#京都 から #名古屋 入りして 服部さんと #新年会 #酒場ブラジル の新店舗が出来たと言うので、突入! 1Lの #大ジョッキ で乾杯! #生串打ち の #焼鳥 をつまみについつい飲み過ぎる! 15分以内に食べてくださいと言う #白レバー刺し と #若鶏刺し もいい感じだし、自分で潰して作る、#明太子ポテトサラダ も楽しい🤣 またまた、飲み過ぎだなぁ (酒場ブラジル 名駅4丁目店) https://www.instagram.com/p/CnS3Bg5hsw3aytcUnmWgCOnsODcsPutQah8PiU0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2022/12/30 PTAOB会の忘年会 PTA活動時には若かったけど、皆、還暦前後の親父世代になり、秘湯巡りやそば会を通して、20年間以上の交流が続いてるのは素晴らしいこと‥‥‥ いつもは鍋奉行手作り料理が、今回は、一品持ち寄り企画ということで、猪肉、合鴨、極太葱、沖縄チューリップスパム鍋、もつ煮込み、サラダやピザにワイン、純米酒、泡盛、ビールと多種多様なお酒の飲み比べをして、楽しく談笑しちゃいました🍺∩(´^ヮ^`)∩🍶🍻🍷🥃 残念なのは、大型サイズの油揚げを販売していた根小屋の豆腐屋さんが、高齢で跡継ぎがいないためやめちゃうこと! #iPhone日記 #スーパードライ生ジョッキ缶 #島唄泡盛 #Mahoro Noba Fuji no Yumeワイン #鳳凰美田純米大吟醸 #結ゆい特別純米きたしずく https://www.instagram.com/p/Cmz-MXyyCep/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Dungeon Meshi - Official barrel style drinking mugs. (They come in two sizes, 380ml and 1000ml. If you order the 1000ml version, you can pick one of the above designs to appear on the inside of the mug.)
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僕たちは続けていれば、どこに辿り着くのだろう。
目指してきた未来はあったけれど、思い描いていたところからはまた違う場所へと辿り着いたように感じています。みんなで同じステージに立って、足並み揃えて並んでいたはずの日常は少しずつ欠けて。なにも当たり前ではなかったからこそ見えた景色や感情が、きっといま僕たちの胸の中にあるんじゃないかな。最近気付いたのは、仲間を失ったのではなく、去っていった仲間たちがこの景色を教えてくれたということ。過去に蓋をしてなかったものにするのではなくて、きちんとあったものにしていい。そう教えてくれたのは、常日頃から僕たちを支えてくれているみなさまの声です。ありがとう。20年っていう月日はきっと長いんだろうけど、この長い旅路がまだまだこれからも続くと思えば、こんなラッキーなことはないですよね。それも5人だけでこの先を歩むんじゃなく、手を取り合いたいと思ってくれる方たちがきっとたくさんいる。これは本当にありがたいこと。希望があれば青春は一生!僕たちとあなたで、いつまでも青春を続けていけますように。と、まあこんなことを新潟の公演でおはなししたんやけども、こちらにも書き残しておきました。時には目を潤ませながら僕のおはなしに耳を傾けてくれて、そんな空間がとても温かかったな。ライブでの挨拶の時間ってすごく好きなんよね。
それからそれから、ようやっと僕たちのファンクラブ会員のみなさま宛てに20周年記念品なるものをお届けできたようで。先月、関西デビュー日にサプライズで到着したらしい。我ながらなんて粋なの。ビールでもノンアルでもジュースでも水でもなんでも入れてくれ!の気持ちでマグカップとは書いてあるけど、あれは完全にジョッキやな。重たいわ!とかでかいわ!とかいろんな感想がありそうやけど、でもきっと「関パイ」の文字には感動していただけたと思うのよ。僕たちの名前も失われたわけではない。奪われたわけでもない。ただ愛してくださるみなさまの元へ届けて、眠るだけ。僕たちとeighterさんで大切にできたらいいんです。なんだか特別な合言葉ができたようで嬉しくなるなあ。
20年が経ったんやね。ありがとう。一緒に過ごした時間は嘘じゃない。
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「これはテレビの番組に使われちゃったんですけど、ボクがテントの中に一人でいたとき、栗城のピッケルを磨いてたんですよ。あいつ、ロープとか道具の扱いが昔から雑で、スパッツ(脚絆)とかもボロボロなんですね。厳密に言えば単独の登山で他の人間がピッケル磨くの、アウトなんですけど……。そのときあいつ、何してたか? ……外で凧揚げやってたんです。スポンサー用の撮影かもしれないけど、それにしても……」 森下さんがビールを呷った。ジョッキを空けた後の表情が悲しげだった。 「シェルパにも伝わりますよね、『こいつはニセモノだ』って。『登る気はないんだな』って。これじゃあ彼らとの信頼関係なんて生まれないし、他の日本の登山家の評判まで落としてしまう」 こんなこともあったという。前年に続いて栗城隊のサポートについた通訳のテトさんが、「シェルパから相談を受けたのだが……」と森下さんのところにやってきた。 「栗城の荷物の一部を実はシェルパが預かっている、って。持って上がるよう頼まれたみたいなんですけど、どうしましょう? って聞かれて……そうかあ、ごめんね、これじゃあ全然ソロ(単独)じゃないね、って……」
(5ページ目)「ガイドにも伝わりますよね、『こいつはニセモノだ』って」死後も登山仲間たちが栗城史多を語りたがらない理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
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仕事終わりの彼と大通駅で待ち合わせる。すすきのを歩くと“ワインしか置いてありません”と書いてある看板を見つけ、ふたりで立ち止まる。あとで寄ろうと約束をして、ひとまずお腹を満たすためにふじとりへ行く。いつも混んでいるけれど、運良く座れた。いくつか串を選ぶ。ふたりで聞き合わなくとも、彼が「レバーはたれで」と注文してくれたことに仄かに嬉しくなる。「ジョッキってどんどん重くなってくる」と言うと笑われた。ストローでビール飲めたら楽なのに。「ライン来てたよ」と唐突に言われ、液晶画面を開くと【隣どんな関係?】【マチアプ?】【会話やばい】と彼から送信されていた。そっと横の男女の会話に聞き耳を立てる。初対面らしいふたりの会話は明らかに弾んでなかった。その奥にあるテレビでは、日ハム側がホームランを打っていた。
彼が先導してくれるなか、先ほど見つけた店に行く。ガタイの良い店主が迎えてくれ、「白、ロゼ、赤。どんなのがいいですか」と聞かれる。彼は濁り系の白を、私は軽めの白を頼む。「フードは単品とぐちゃぐちゃ色々のったやつありますけど」と言われ、そしたらぐちゃぐちゃので、と頼んだ。ライ麦パンの上にサラミやらポテトサラダ、生ハム、レバーのパテ、チーズが乗ったタパス。ワインと共に談笑。その後も、赤を2杯飲んだ。地下鉄に乗っておうちに帰る。
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石川昌浩展、はじまりました。届いたものより、ジョッキ。めずらしいもの作っているので驚きました。家で生ビールはあまり飲むこと無さそうだけれど、ジョッキでモヒートやら梅シロップのソーダ割りやら作って飲むと楽しそう。
石川さんは昼ごろから来るはずです。よろしくお願いいたします。
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映画『ロッキー』の生卵一気飲みシーン、アメリカでは“衝撃的なシーン”だった…その理由に納得🤔
以下転載 https://x.com/Iwatekko6969/status/1832729951352872987
『ロッキー』で、主人公のロッキーがジョッキで生卵を一気飲みするシーンは、日本だと「精をつけたいんやな」程度の扱いだが、卵が日本ほど清潔ではないアメリカ的には 「生卵を飲むなんて、サルモネラ菌中毒で死ぬかもしれんのに、決死の覚悟で身体を作ろうとする覚悟」 を示すシーンである。
・https://x.com/Iwatekko6969/status/1832731024834367603
同時に、身体を作るのに必要なプロテインなど買えないため、安価な生卵を飲むしかないロッキーの貧しさをも物語るシーンなのだとか。 実際、シルベスタ・スタローンはこの撮影を本気で嫌がり、このシーンのために特別ギャラを奮発してもらい、このシーン撮影の際は医者同伴だったとか。
・https://x.com/Iwatekko6969/status/1832731762637848695
なんでこんな話をしたのかと言うと、今日、近所の養鶏場で卵を買ってきたから。 ここの養鶏場はかつて「生卵の試食」という狂気じみたコーナーがあり、割り箸と、豚汁お振る舞いの時に使う例の発泡スチロールの器と、醤油のボトル、そして生卵が置いてあった。 生卵が試食できるんですよ。
・https://x.com/Iwatekko6969/status/1832732536956481812
一回だけ試食したことがあるが、何とも言えねぇ。美味かったかどうかも覚えてない。 ウチのばあちゃんなんかは家で飼ってる鶏の生卵を味噌汁椀に割ってジュルルッと飲み干してたこともあったが、普通観光客相手にはやらないでしょこんなこと。
・https://x.com/Iwatekko6969/status/1832734071803531526
今日、そのことを思い出して卵かけご飯を食べてみたけど、卵が生で食べられるって凄いことなんですよね。いやむしろ、日本は卵を生食する文化があったからこそ、卵の除菌技術が発達した。そのおかげでロッキー決死の生卵一気飲みが日本ではそんなに凄まじいシーンではなくなった。 草しか生えない。
・https://x.com/terry10x12th/status/1833023384072200417
香港なんかでは今や、めちゃくちゃ高級な寿司が食べれるんだけど、生卵だけはやはり食べれなくて、日本でTKGを食べたことのある人が「あんな美味いものはない」って話を広め、高級寿司よりTKGがお金持ちのステータスと化している…って話を最近聞いたw
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やった記事は出るけれど、どう言う結果になったの記事はあまり見かけない。損害額をいくら払ったとか、刑事事件として懲役を受けたとか、 謝って許してもらったとか。罰があるから 自制心が生まれるのだと思う。
焼肉店で客がジョッキに……迷惑行為する動画がSNSで拡散 運営会社「警察と相談し厳正に対処」(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース
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「10円出してくれたらあとは俺が出すから」って呼び出された居酒屋がスタジオの一部だった。俺は台車にすればいいと思った。歩道があまりにも狭い道を同僚と駅まで歩いた。冬の20時はとても暗い。都会だから模型みたいなビルがたくさんある。堅苦しいと思って地面を見たら地面も地面に生まれなければよかったと言わんばかりの色をしている。灰色が踏まれてやりきれなくなっているのだろうか。俺にはそう見える。同僚に「さっきの縦長の机、台車つけたら移動が楽だと思うんだけどさ」と投げかけた。同僚は車が一台目の前を通過するのを見送って一呼吸おいてから「そうかも」と言い「あれが急な坂から猛スピード��降りてきてるのを画面越しに見てみたい。脚にお札貼ってあったじゃん、最後そこだけ長く写って終わる。そんな感じに使ったら楽しいそう」と眉を動かさなまま言った。10円を出した時、お前10円玉をずっと見てたよな。と頭の中でしゃがんでお前にやさしく言った。お前は頭の中で小学2年生になっていた。背が高くも低くもないのに適当に配置された席が後ろでなんとなく出された引き算を解いてるお前は6時間目の授業全部楽しくもなくて、友達は居て裏表のない性格でうまくやっているが家は狭くて空気がさみしいのに妥協して畳をずっと見たり、ちゃぶ台のごはんを食べてうまく本当の気持ちを言えないで土鍋の蓋で蓋をするお前。半ズボンを一年中着てるおまえがさびしそうでスーツを着てても中身の抱え込んでる心はこどものままで、電車で知らない駅で降りてラブホ街を突っ切って狭い居酒屋に入った。ウーロンハイを注文して缶のウーロン茶をジョッキに移してウーロンハイを自分らで作るシステムだった。「俺は小さい頃、こういう事をするのが夢だったのかも知らない」と眉間を寄せた。泣くのかと思った。そのあとすぐ静かに泣いた。店の亭主がやけに驚いてあったかいおしぼりをたくさん持ってきた。お前はすみませんと言って「そんなにいらないっす」と言った。ああ、遠慮してるなと思ったから俺は「テーブル拭きます」と言って顔を拭ったり、テーブルを拭いた。
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「生ビール」という言葉を「製造過程がどうかは知らないがジョッキに注がれた状態で提供されるビール」の意味で使っている日本人はそれなりに多いと思うんだ
しんざきさんはTwitterを使っています
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写真
先日、ひょんなことから、写真家の友人に私がずっと愛している男を会わせる機会があった。 友人との待ち合わせ場所に男を同伴して赴いたのは、きっとその写真家がわたしたちふたりの姿を撮ってくれるだろうという淡い期待があったためだ。 世界に二人きりであることをひたすら求めて関係してきたわたしたちにはついぞ「公」をやる機会がなく、数年来、頑なに「二人きり」を行使してきた。しかしここにきてどうしてか、このところわれわれは公に現れたくて仕方ない。その衝動の一環として、他者に二人を撮ってもらう客観的な一枚を渇望していた。何かしら、愛の証拠を残しておきたかったのだろう。二人の成し遂げた、類稀な愛の、その証拠を。 「二人の写真」。われわれを捉えるそれは傑作であるべきだった。美しいものであるべきだった。われわれが、心底から納得できるものであるべきだった。それがゆえに、軽々しくは撮らせられないのだった。この愛を、何も知らない者に撮らせるわけにはいかない。少なくとも私の文章を解する者でなくては。私は偶発性への賭けに出たのだった。 写真家の友人は私がことわりなく人を引き連れてきたことの異常性を察知し、瞬時におのれのなすべきことを把握した。待ち合わせた交差点で軽やかに、何の準備も指示もなく、彼は私が愛する男と私のツーショットを撮った。愛する男は私を愛しているし、写真家の友人も私に対して友愛をもっている。彼がシャッターを押し、彼がレンズに映る、その一瞬は私のために捧げられた一瞬だった。
後日届いた二人の写真を見ると、互いがまるで別の世界を生きているような、まったく異なる筆致をしていた。 つるりとした顔の私、複雑に入り組んだ顔の彼。モノクロームに加工された二人の姿の、あなたの顔はおそろしく暗い。私の顔は、反して、白く輝いている。腕を抱えて寄り添いながらも、わたしたちはまったく違う地獄を生きている。写真とは残酷なものだ。ありありと、二人の形而下での隔たりを示してしまうのだから。それでも、わたしたちが別の地獄を生きていることもまた、わたしたちの関係を深める糧となっていることを双方ともに理解している。生を共にするとは、本質的にそういうことだった。おためごかしでもなりゆきでもない、そんな真に迫るかたちで共にあれる人が現れてくれることを私はずっと切望していた。現れ、意志でもって関わり、道行きを共に歩む。この実現は生の奇跡であった。
*
「もしかすると気を悪くしてしまうかもしれないんだけど」 交差点での出来事のひと月後、写真家と飲みに行ったところ、例の写真の話題になった。撮ってくれてありがとう、嬉しかった、と伝えたら、何やら神妙な顔をするので少し驚いた。私はその友人の品性を信用していて、むやみなことは言わないとよく知っているので、気を悪くするわけはないよと続きを促す。 「写真を整えていて、思ったんだ。その、彼の目が、狂気を孕んでいてさ……」 だん、と音がするほどに荒々しくジョッキを机に置いて、「そう」と叫んだ。 そうなのだ。叫びながら、私は悶えた。どうしてか、誰もあの目の孕む狂気に気づかない。あの異常性に。世界で私だけが気づいている、恐ろしい輝き。ようやく気づいてくれる人が現れて高揚する。カメラマンというのはずばぬけた観察眼を持っているのだなと思う。あの一瞬で、よくも。 そんなふうに話すと、写真家は少し謙遜して、付け加えた。 「会って話していてもわからなかったことも、撮るとわかるんだよ。写真の明度を調整している時に、ああこの目は、と思った。あなたが彼をミューズとしたのはよくわかる。あの男は異常だよ」 写真家が彼を評するその言葉のすべてに頷く。よくぞ見抜いてくれた。私は彼のその異常性に恋しているのだから。 「そうでしょう、そうなの。にこやかに社交をこなしている彼の目がまったく笑っていないことに気づいた時、本当にぞっとした。そして恐ろしく惹かれた。その狂気を徹底して表に出してこない、人間離れした抑制。あれを飼い慣らす知性の強度。本人ですら、自分が何を制御しているのか気づいていないのではないかと思った。そして、私はそれをどうしても暴きたくなってしまった」 写真家は苦笑して、「あんなのに会ってしまったらもう、仕方ない。苦しむからやめとけだなんて、おいそれと言えないよ」と言う。 「写真を撮るとき、人にカメラを向けると誰しもかならず身構えるんだよ。撮られたい顔を模索したり、少なからず萎縮したり、恥じ入ったりする。でも、彼にはそれが一切なかった。怖じるということが。撮られ慣れているとかそういうことじゃない、世界におのれの身を投げ出してしまっている人の無頓着と言うべきか、あ��いは……。正直、こちらが一瞬怯んでしまったよ。悔しいなあ」
*
話しながら、男の目を思い出す。 写真家はその眼光の鋭さを指摘していたが、私が見ていたのは、彼の目に何の感情も宿っていないことの異常さだった。表情は微笑みを絶やさないのに、目だけはたえず無を湛えていた。生まれて初めて、これほどまでに世界から乖離している人を見た。あの目が光る瞬間を見てみたくなった。彼の目が光る時、その光が私に向けられているべきだと思った。 撮ってもらった写真のなかの男の目は、改めて見ると、少なからず威嚇の表情を帯びている。おそらく思い上がりではないだろう、「この人はわたしのものだから、くれぐれも丁重に」ということを言っている。私が友人として親しんでいる写真家の存在を尊重しつつ、自分の所有物である私を傷つけたら殺す、と言っている。 他者に暴力を向けることを徹底して避けてきた男が、殺す、という目をする。わたしの大事なものを傷つけたら殺す、と。私があの目を光らせたのだ。欲望によって。本質的には何事にも無関心であった男の目を私だけが光らせた。私がその狂気を剥き出しにした。そうして今ようやく、あの目の異常な輝きが第三者の手によって写し取られ、顕現したのだった。私を見つめるあの目の獰猛な輝きが、私の視界にのみ映っていたあの輝きが、ついに表象された。
男がひた隠しにしていた狂気をあますことなく引き出し、そのすべてを自分に浴びせる。その愉楽に酔いしれて日々を過ごすことの、なんという甘さ。なんという痛々しさ。痺れるような快感に耽って、私も男も、かつては備えていた厳格な統制機能を放棄してしまった。生きることに淫している。共に生きることに。道行きを行くことに。
*
かつて、「ファム・ファタール」というタイトルで、男について書いた。ファム・ファタールとはフランス語で「運命の女」を指す。女が男たちの文学の題材として易々と死なされてきたことを批難し、そのような文学作品たちへの復讐のためには男たちこそが私の文学のために死ぬべきであると語った記事だった。 実際に、これまで私はほとんど書くためだけに男たちの性を搾取し、愛することもせずに暴虐の限りを尽くしてきたつもりだったが、その運動は奏功しなかったのかもしれない。それが、ついには一人の男に忠誠を誓ってしまったことで露呈した。計画を頓挫させ、忠誠を誓った相手が、この眼光の男だ。ファム・ファタールを題材として筆を走らせてきたような男どもはけっして一人の女に忠誠を誓わなかった。私の計画は、一人の男に忠誠を誓うことで瓦解した。 その瓦解を引き起こした当人である私の男はこれを読んで、「ファム・ファタールはあなただろう」と笑っていた。いつまでも笑っていた。理知的な人なので、けっして男性強権的な価値観のもとにそう言っているわけではない。ただ、現実的な状況に鑑みて、自分がファム・ファタールと呼ばれることにどうしても納得がいかないらしい。 出会い、惹かれあい、関わり、生殺与奪の権まで預けた女。何十年にもわたって敷いてきたおのれの統御を巧みにほどき、押し込めて潜めていた狂気をあられもなく暴いた、たった一人の女。いわゆる伝統的なファム・ファタールを演じている当の本人が、自身のやったことを差し置いて男の側をファム・ファタールと呼んで嗤おうとする。男は、その手のひら返しをある種の裏切りだと感じたのかもしれない。
指摘されるとおりなのだ。私は確かにあなたのファム・ファタールで、本当は、あなたは私の「ミューズ」。私にものを書かせる女神。ミューズという概念もまた、搾取の文脈を逃れ得ないものかもしれないが、「あなたを描かせてくれ」と一方的に恋い縋っているだけまだよいだろう。そもそもの位相が違う。あなたはファム・ファタールである私によって快楽とともに人生を狂わされる。私はミューズであるあなたを描いて人生を至上の美しさに仕立て上げる。 写真がとらえたわたしたちの顔が白と黒のソラリゼーションをなしていたことが、この位相の相違をよく示していた。そここそに私はあなたと私の対等を見出す。 あなたは私のミューズで、あなたが私に向ける狂気を糧に、私はものを書き続ける。ファム・ファタールを抱えてしまったあなたは、あなたをミューズとして追い縋っている私に、一方的に運命を翻弄され続ける。私はあなたのために書く。あなたは私のために死ぬ。これがわたしたちの対等で、わたしたちにとっての「共に生きる」ことなのだ。共に歩み、共に死ぬことなのだ。
*
写真家は言う。「いつかもう一度、彼を撮ってみたい」と。 ミューズを持つ生がどれほど美しかろうと、彼を書くことによって明らかに命を削られている私は思う。あなたもあの狂気に魅入られないといいけれど、と。
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2023.10.22
10月20日にずっと行きたかった大阪天満の「韓国料理ふぁるふぁる」さんにみんなで伺いました。
美味しくて身体が喜んでいます✨
オーナー様からDIESELさんの黒のTシャツをお誕生日プレゼントで頂いて早速お店の中で着替えました🤭嬉しい!
お誕生日は7月15日だけど笑
7月1日からまだいまだにお祝いが続いていてホントに感激😭
2枚目の写真は、10月19日に別の方からプレゼントを頂きました🎁😭
3枚目は10月20日にまた別の方からLINEギフトを頂いて、
4枚目は、歌手TAKERUが10月17日にお誕生日祝いにご飯を奢ってくれて、その後カラオケに移動して歌をプレゼントしてくれました🎤😭
ジョッキはコーラじゃなくて赤ワイン🍷
皆さんありがとうございます���幸せ者です( ; ; )
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9月締め括り
大きな大きな夏の尾を見上げ続けていたら、小さい秋に気づかないわけ。
「あの頃は」と言って秋を見逃さないように、9月を締めくくっていこう。
ソリティアは自分のバイオリズムを確認する手段として有効である。「紙の本を読もうよ」みたいな。
人はいつの間にか自分がどうやって生きていたかを見失ってしまうことがあります。そんなときは活動的だった時の轍をどこかにとっておいて、その動きをト��ースすれば感覚は擦り合わさっていく、もしかしたらだけど。
数独や詰将棋はやや味気ない、上手くいかなくてもそれはそれでいやはや参ったよな思い出ができる。なによりカードをシャッフルして引くだけというお手軽さが調子の悪い時にも負担にならなくていいじゃない、最高点を取っても繰り返し遊べる素晴らしいゲームです。
213日という数字にややビビるよね。だって213日っておめー1年の58%くらいだよ?パーセンテージにすると案外妥当だな、そんなもんです。「今年も早いね」とかも全部錯覚です。ちゃんと今日を生ききってください。
実際35℃前後で追肥等の面倒をしっかり見ていた(とは決していいがたいけども)頃に比べてもそれ以上にポンポコ実ができている。外気35℃~40℃に対応できる生命は結構限られているのかもしれないと思うと地球という星の生命は綱渡りというか、刃の上を歩いているね。なんかの拍子に平均50℃とかになったらドーーーーーーンwwwwwwwwwって感じで何もかも終わっていくよね。はかないね、でも正しいよねそれも。正しいならしゃーなしっていうかさ、まぁちゃんと今日くらいは生ききってくださいよ。ハラペーニョの話をしなさいよ。虫がすげーんで明日からちゃんとやりますよハイハイ。
和歌山県に行ってきました。最初の動機は「天神崎でウユニ塩湖的な写真を撮る」だったはずが色々想像を絶するものであった。すげーや和歌山。
現地更新型の旅行記はなんだかんだで手元が忙しい、ライブ感のままに書き留めようとすると意識がスマホに吸われてライブ感が薄まるというジレンマ、いや、熊野古道の電波が悪いのがいけないのではないか?すげー投稿しなおしたよ確か。
思いのほとんどは記事に書ききってるわけだけど、そんなん言ったらあんた何のための締め括り振り返りなんじゃいって話。差し置いて言うならば本当にクジラが見れて良かった。ずーーーーっと言ってたもんね、クジラが見たいって、なんでクジラがいいんだろうね?多分「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というアイコンとして「大洋を泳ぐクジラ」というものを置いているような気がする。その同族意識が「必ずしも孤独を嘆かなくていい」という命題に二律背反になっていませんか?じゃあ正しくないか、よくわかんねーや。
しかし皆さんにお伝えしたいのは和歌山ラーメン、いやさ和歌山の中華の美味さよ。食べたことあるかい?和歌山の中華、もう最高さ。
豚骨醤油というか、醤油豚骨というか、存在感を主張しながらも決して重くない凛としたスープに「これでいいのか」と思わせる中太ストレート麺、豚骨ハリガネ細麺に慣れ切った私にはラーメンのカテゴリーにいながら「和食」のアトモスフィアを感じずにはいられない、やや少なめな丼を開けた後は鯖すしを食べてさっぱり終了、完成されているんだこの一連の流れは、食べたことない?そりゃあもったいない。
熊野本宮大社に行きながら御朱印はあえて頂いてません、御朱印ほど世俗煩悩に塗れたものはないと考えているためです。帰りの空港で日本航空限定御朱印帳が買えなくて駄々こねてるおじさん見てうわ……ってなっちゃったもん。仮にそれ手に入ったとしてそこに書かれる御朱印そんなに偉いもんか?そんなもん500円払わずとも心に刻めよ。その点スタンプラリーのスタンプを景品目当てでなく手帳に押して帰るのは敬虔な行いです。ていうかインク薄いな。
スーツケースの中でビールが漏れ出たり、バーベキューに馳せ参じたりほら僕達なんて十分適度にドラマチックさ。あるいはバイオリズムはビールで取り戻せということか。
「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というのは「如何なる選択も孤独を選べ」ということではありません。十分適度にやっていけばいいんじゃないでしょうか。会合に参加できているうちが花とかなんとか、でも来年の夏は平均50℃とかになるかもよ?そうしたらなにもかも終わりだね。よかったね、正しいね。なんつって。それでも生きてる奴は生きてるよきっと。馬鹿なこと考えてないでさっさと寝な、という意味の歌を52ヘルツの鯨が歌ったのは私だけにしか理解できなかったんです。鯨が好きな理由は、多分そんな感じだ。
イマイチ調子が上がらなくて、「これからの僕ら、一体どうなっちゃうんだろう」と考えてしまうのは年々上昇する夏の気温のせい、だから明日から秋を始めよう、もう今日から10月なんだからさ。
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2023.9.17sun_tokyo
山の日が父の命日であることは知っていたが、"初めての山の日"※1であったとまでは今回調べるまで知らなかった。僕の特技に「これまでに何回山の日があったか言える」が追加された訳だ。 今年はちょうど山の日に帰省したにも関わらず墓に手を合わせにすら行かなかった。こういう言い方をするとまるで毎年通っていたかのようだが、一度も命日に墓を訪れたことはない。習慣が無かったのなら作れば良かっただけの話だし、予定が入ったのなら断れば良かっただけの話だ。要は、父が居ないことを示すモノに対面することが苦手なのだ。その代わりに、といってはなんだが、父が居たことを示すものは好きだ。特に父の服は今でも頻繁に着ており、自分のトレードマークになりつつある。 そんな墓参りに今日行った。��縁墓さながらに生える草を目の当たりにすることで、漸く墓参りをする目的に出会えた気がする。 これまで自分は父の動の部分とだけ向き合ってきたことに気づいた。父の服や本、言葉といったものは今でも生活に影響を与えるだけの動力を保持しており、父の動きによって生み出された動の一部である。それに対して、墓にあるかつて父で在ったモノと馴染みのない名が刻まれた石は、父の動から生み出されたものではない、あえて名付けるとしたら静の部分である。 "「無縁化」した墓ある" 自治体の半分以上。敬老の日の贈り物を渡すために訪れた祖父の家で流れていたNHKニュースに映る、ピラミッドさながらに積み上げられた墓石は烏龍茶の入ったジョッキに伸ばしかけた手を止めた。巨大な静の塊は今朝の墓を数ミリ引き寄せる力を持っていた。その新たなピースの選出基準である青々とした動に対し、父の静は抵抗する術を持たない。 来年は新たな特技を披露しに行こうと思う。鎌とポリ袋を携えて。
墓の草。無縁墓は少し盛り過ぎた気がします。
Panasonicの充電式9V電池。おすすめです。(録音もしました。)
山梨県石和町にある北斗辛軒の汁なし坦々麺。何度か移転をして今はユニードンキの中にあります。
祖父の家の美味しい焼肉の秘訣。欲しいです。
祖母の家で取れた太秋柿。サクサク美味しいです。
※1 平成28年から、8月11日が「山の日」として国民の祝日になった。
-プロフィール- でらうえ家とかげ 25歳 練馬区 ITエンジニア / レコーディングエンジニア 「いい音はいい心といい機材から」をモットーに散財を繰り返す。現在は音楽(機材)に還元出来るだけの額を稼げるよう、都内で会社員生活を送っている。 Instagram https://instagram.com/dare_dakke?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==
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