#コラージュ���像
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Thank you for always cheering me up. With my gratitude to you...
真・三國無双8
※過去にバレンタイン用で作ったコラージュ画像のまとめです。画像は自分で撮影した真・三國無双8のフォト・フリーフォント・フリー素材を使用。
“No unauthorized reproduction” 個人が見て楽しむ以外の行為、無断転載は禁止です。 ご協力どうぞよろしくお願いします🙇♀️
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AIを触る前は、画像をコラージュしてシームレスに繋いでるだけだろ と思ってたけど触ったあとだと人間と同じように画像の印象を学習してその結果上手い絵を描いてるのがわかった。だから、絵は素直に人間は負けたと感じてる。魅力的な絵を理解してる。今はAIの描き方に影響受けて描いてる。
Xユーザーの奥 浩哉さん
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
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Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それ��も、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品���損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけ��もありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえ���、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
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九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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「dessin summer market 2024」今週金曜からスタートです。金土の夜間に開催するイベントのご予約もぜひ。当日枠があれば飛び込みも可能かと思います◯
私のイベント「small window」についてご説明します。
「small window」
素材を1つ選んでいただき、それをメインに小さな窓のコラージュを制作します。
場所:dessin |東京都目黒区上目黒2-11-1
日時:7/19(金)、7/27(土) 18:00-21:00
サイズ:A5 (210x148mm)
使用画材:紙, 糊
制作時間:約20分
参加料:5500円(夜間入場料込)
*要予約。以下リンク先から予約可能です
7/19(金)予約
7/27(土)予約
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2020年春から制作を始めた「Open the Window」というシリーズ作品があります。コロナ禍をきっかけに「窓」をモチーフとした小さなサイズのコラージュを作り始め、同年5月の緊急事態宣言中には今回イベントを開催するdessinにて無観客展示を行いました(そのドキュメントとなっているのがZINE『Open the Window』です)。
その後も「窓」は作品のモチーフとしてたびたび登場していて、カーテンがかかった「closed window」や、割れた窓「Broken window(20220224)」など、状況によって変化しながらも現在の自分(内側)とその周辺(外側)の関わりを映し出すように制作を続けてきました。
今回のイベントで特別なポイントは、「参加者に窓の形状と、素材を1つ選んでもらう」という所です。参加者に制作に関わっていただくことで、作家自身と参加者(内側⇄外側)、参加者自身とその周辺...を映し出すような表現を試みていきます。
まずは画像1枚目のサンプルを参考にお好みの形状(四角orアーチ形)をお伝えいただいた後、画像2枚目のように印刷された紙素材の断片からお好きなものを1つ選んでいただきます。その素材をメインとして、窓のコラージュを制作していくという流れになります。
台紙にはドイツの製紙メーカー・グムンド社の「グムンドカラーマット」という紙を選びました。独自のカラーシステムを採用したという絶妙な水色です。コラージュする紙素材は台紙の水色に合わせていつもより少し彩度高めの寒色系(水色や青系がメイン)になる予定です。
以上、長くなりましたが大体このような感じで進めていく予定です。対面で制作するのは初めてですが、お楽しみいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
「dessin summer market 2024」告知ページはこちら
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2023/11/1〜
11月1日 忙しくて頭が変に冴え続けている。 昨日の帰りも、へとへとなのに電車で寝ることができず、昔好きだったお菓子のコラージュ画像を投稿してしまった。 今日こそはお洋服を買って元気を出したい!と思っていたけれど、買う決め手にかけていて、最果タヒに影響を受けてカラーマスカラを買っ��。SHIROの昆布のやつ。
そして(?)ついにつみたてNISA口座の謎(!)が解決し、やっと0地点。なんだかんだ新NISAが始まるタイミングで開始することになりそう。今日は税務署へ行かなくて良くなった。
2日に一回は寝坊する遅刻魔の職員さんから、今朝も10分遅れる電話が入っていたようだった。でも遅刻途中で現場に向かう部隊と合流して、そのまま現場へ行ってしまい注意を受けていた。 (明日は我が身。気をつけよう。)
予定通り午後から都庁へ出かけた。 昼間はとても暖かくて、��だひたすら仕事のスケジュールを頭で考えて歩くことができた。
電車の移動中に週末の予定の確認や日記の文字起こしをして、あ、少し休もう!と寝ることもできた。 なんか自分の体が怖い。 やっとワクチンの副反応がおさまってきたところで、でもふわふわとした感覚で何か制御しきれていなさを感じている。
14時過ぎに都庁へ着き、30分足らずで用事を終えて年賀状を30枚買ってTOEICの英文を読みながら帰ってきた。
早い時間のスーパーは食材が新鮮にみえる。 今日もバナナとココアのムースみたいなのを作ってみた。
新宿西口広場では都?の主催11月1日の計測の日にちなんだイベントが開催されていた。 キャラクターのパンダの持つ天秤がやたら細かに描かれているのが気になった。
今月でお休みに入る上司の不在を考えると、不安でいっぱいなのであまり考えずに今は目の前のタスクを片付けるのと、年賀状のデザインをどうするのかと、年末に大阪に行っちゃおうか、について考えておきたい。
みんな風邪をひいていて、今日少し喉に違和感を感じたので新宿の地下の薬局で薬を買った。
11月2日 朝、職場のある町に降り立つと、数十メートル先が見通せないくらいのすごい霧。 カメラを持っていない事を少し後悔したけれど、昨日の出張帰りの荷物があるし、それに負けてしまった。
今日も一日中忙しなくて、お昼休みにお散歩しながら聴いた音声放送の内容を全く覚えていない。 頭と身体がぴりぴりする感じで忙しかった。 それで、こうやって忙しくなるといつにも増して他人に対してひねくれたことを思ってしまって、みんな元気で声が大きくて正しいね、とか思いながらお仕事をしていた。
帰り道にBluetoothイヤホンの充電が少なくなってしまい「バッテリーイズロウ!」と度々警告される中で、どこまで聴き続けられるか試してみる。 愛浴びる→セントレイ→最終電車→くりかえしのmusic→メトロ→おしえて検索→clock→踊らない、の、途中で「パワーオフ」と電池が底を尽きてしまった。
明日からの三連休で学園祭があるらしいけれど、あまりお祭りムードがない。
とにかく冴えすぎている頭を鎮める方法を探してあげたい。
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アメリカ人のホンネ 日本がアメリカにとって邪魔になればこの夏に原爆何発か落して黙らせちゃえ!!ってノリでしょ
アメリカとは付かず離れずで 付きすぎると属国 離れすぎると原爆
まあ、中露は問答無用で侵略民族抹殺なんで、比較すればアメリカの方がマシだっていうレベル感
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Francis picrews 🩷🩵
All the picrews I used ⬇️
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2020年の #クリスマス のお菓子。
これもお便り用に描いたもので、コラージュして使うため、レイアウトはしていないです。
#ブッシュドノエル #ベラベッカ #ボーロレイ 。
ボーロレイはポルトガルのお菓子。
お菓子を作っていたころは、12月に入ると #シュトーレン を作り、少しずつ食べていました。
美味しくて、クリスマスのかなり前には食べ切ってたっけ。
このイラストはコラージュしてカレンダーにしています。
2枚目の画像を見てね。
まだ忙しくて来年のカレンダーまで手が回っていませんが、15日くらいまでには、なんとかしたいと思っています。
少しお待ちください。
#art #coloredpencil #fabercastell #polychromos #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #1日1絵 #イラストグラム #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #stollen #christmas
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事案の概要 Yは、【A】というYouTubeチャンネルを運営する人気YouTuberだったが、そのチャンネルにおいて、Xが警察官に逮捕された状況を撮影した動画「不当逮捕の瞬間!警察官の横暴、職権乱用、誤認逮捕か!」(本件逮捕動画)を投稿した。 Xは、本件逮捕動画が投稿されたことにより、Xの社会的評価を低下させ、肖像権及びプライバシー権を侵害するものであるとして、Yに対し、損害賠償を請求した(本訴)。 また、Xは、自身のYouTubeチャンネルを開設し、【A】にてプライバシーが侵害されたと批判する内容の動画(原告動画1)を投稿し、その中で本件逮捕動画の一部分を編集した上で利用されていたが、これについて、Yは、本件逮捕動画に係るYの著作権あるいは著作者人格権の侵害にあたるなどとして、損害賠償請求を行った(反訴)。 原審(東京地判令4.10.28・令3ワ28420)は、本件逮捕動画の投稿によってXの名誉毀損及び肖像権侵害を認めたのに対し、原告動画1において本件逮捕動画の一部が複製等されたことについては、引用の抗弁が成立する等として、反訴請求をすべて認めたため、Yが控訴し、Xも付帯控訴した。 知財高裁では、本訴について賠償額を増額(30万円→40万円)し、反訴については引用の成立を認めており、基本的な判断の変更はない。 ここで取り上げる争点 (1)名誉棄損の成否(本訴) (2)引用の成否(反訴) 裁判所の判断 (1)名誉棄損の成否(本訴) 原審判決より引用する。 Xが警察官によって白昼路上で逮捕され手錠を掛けられたなどという事実を摘示するものであり、これをYouTube に投稿することが、Xの人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させることは明らかである。 Yは違法性阻却事由を主張していたが、この点についても否定した。 本件逮捕動画は、Xが白昼路上において警察官と押し問答となり、警察官に制圧されたり、手錠を掛けられたりする様子が撮影されたものであることが認められる。そうすると、Xを白昼路上で逮捕する警察官の行動等に照らせば、現行犯逮捕をめぐる警察官の職務行為やそのXの行動に対する社会の関心は高いというべきである。したがって、本件逮捕動画は、公共の利害に関する事実に係るものであると認めるのが相当である。 上記認定に係るテロップの内容や体裁を踏まえると、本件逮捕動画は、「現逮(げんたい)」を「変態(へんたい)」と混同する会話の状況など、白昼路上で逮捕された容疑者と警察官とのやり取りを、面白可笑しく編集して嘲笑の対象とするものであるといえる。 そうすると、本件逮捕動画の投稿は、専ら公益を図る目的に出たものとはいえず、違法性を欠くものと認めることはできない。 なお、肖像権の侵害についても認められている。 (2)引用の成否(反訴) 引用の成否について、少々長いが原審判決から引用する。 ①原告動画1は、冒頭において「これから公開させて頂く動画は私が不当逮捕された時に通りがったパチスロ系人気YouTuberCさんに撮影されモザイクやボイスチェンジ加工等無しで面白おかしくコラージュされ他動画をSNSへ掲載され約2ヶ月で230万回も再生された動画です。」等のテロップが表示された後、「長文申し訳ございません。動画を開始させて戴きます。」と表示されること、②その後、背景に「当動画はYouTuberCさんにモザイク無しで掲載された動画と同等のものをプライバシー処理した動画です。」と表示された状態で、本件状況が映っていること、③その後、「ご視聴頂きありがとうございます。今後、削除処理の過程や、私の行って来た事 過去の申し立て内容や進捗を公開していければと考えております。 SNS被害ch」とのテロップが表示されていること、④原告動画1は、本件逮捕動画のうち、Xが現行犯逮捕されるなどした本件状況を映したいわば生の映像について引用する一方で、Yが本件状況の補足説明やX又は警察官の発言内容につきテロップを付すなどした部分については引用していないこと、他方、⑤本件逮捕動画は、遅くとも平成30年9月末頃に、その投稿が削除されており、原告動画1の投稿により、Yに実質的な不利益が具体的に生じたこともうかがわれないこと、以上の事実が認められる。 上記認定事実によれば、Xは、本件逮捕動画がYによって撮影され編集されたものであることを明記した上、本件逮捕動画を引用しているところ、原告動画1を投稿した目的は、Yがモザイクや音声の加工等を施さないまま、現行犯逮捕されたXの容ぼう等をそのまま晒す本件逮捕動画を YouTube に投稿したことを明らかにするためのものであり、本件逮捕動画は、その被害を明らかにするために必要な限度で利用されたものであり、他方、本件逮捕動画の引用によってYに実質的な不利益が具体的に生じたこともうかがわれない。 これらの事情を総合考慮すれば、原告動画1において本件逮捕動画を引用することは、公正な慣行に合致するものであり、引用の目的上正当な範囲内で行われたものと認めるのが相当である。 これに対し、Yは、引用して利用する側の著作物と、引用して利用される側が明瞭に区別されていない(明瞭区別性を欠く)という主張や、量的質的に引用する側の著作物が主、引用される著作物が従という関係が認められない(主従関係を欠く)と主張していたが、裁判所は明瞭区別性を否定し、主従関係についても、 本件逮捕動画は、XがYから被害を受けたことを明らかにするという目的の限度で引用されており、引用の目的上正当な範囲内で行われたものと認められることは、上記において説示したとおりである。そうすると、上記引用の目的及び態様を踏まえると、主従関係をいうYの主張は、上記の要件該当性を左右するものとはいえない。 と述べ、主従関係そのものを認めたわけではなく、正当目的の範囲内であるとした。なお、この点について、控訴審でも、 仮に、原告動画1に、本件逮捕動画との明瞭区別性、主従関係を欠く面があったとしても、そのことにより引用の相当性が否定されるものと理解すべきではないし、原告動画1は、冒頭において、本件逮捕動画を引用する目的についてテロップで紹介した後、「当動画はYouTuber【A】さんにモザイク無しで掲載された動画と同等のものをプライバシー処理した動画です」と表示された状態で本件状況が映り、その後、今後の削除処理や過去の申立内容等を公開していきたいというテロップが表示されているから、原告動画1と本件逮捕動画を明確に区別することができるものであり、また、引用の目的に照らして過剰に引用するものともいえないから、そもそも、原告動画1は、本件逮捕動画と明瞭区別性、主従関係を欠くものとはいえない。したがって、Yの上記主張は、いずれにしても理由がない。 としている。 なお、Xが行った顔のモザイク処理、音声の加工などが同一性保持権侵害にあたるとのYの主張は、いずれも「やむを得ないと認められる改変」(著作権法20条2項4号)として否定している。 若干のコメント 現行犯逮捕する瞬間を、モザイク等をかけずに録画してYouTubeに投稿すれば、公益目的性が認められる特殊な場合を除いて名誉毀損が成立し、一般人であれば肖像権侵害も成立すると思われます。 本判決を取り上げたのは、引用(著作権法32条1項)成立の要件について、従来から言われていた明瞭区別性、主従関係にとらわれることなく、「公正な慣行に合致するものであり、引用の目的上正当な範囲内で行われた」と認定したからです(なお、知財高裁は、明瞭区別性、主従関係もあると認定しています。)。すでに知財高判平22.10.13(美術鑑定書事件)以降、引用の判断は柔軟になってきたといえますが、本件でも「明瞭区別性、主従関係を欠く面があったとしても、そのことにより引用の相当性が否定されるものと理解すべきではない」とはっきり述べていることが注目されます。
YouTube動画の引用 知財高判令5.3.30(令4ネ10118) - IT・システム判例メモ
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物��がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結���的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
各人は、他者の世界の中での一客���であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させ���ところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。��体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう���部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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とうむそ写真部 tkrbw photo club
写真部の活動まとめ X ( 旧Twitter ) にて、非公式撮影会の募集期間間近になった時に投稿していたコラージュ画像です。これを見掛けた方が少しでも刀剣乱舞無双のフォト機能に興味を持つきっかけになればと思い続けております。 ※画像は自分で撮影した刀剣乱舞無双のフォト・フリーフォント・フリー素材を使用。 “No unauthorized reproduction” 個人が見て楽しむ以外の行為、無断転載は禁止です。 ご協力どうぞよろしくお願いします🙇♀️
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Day 7. 12月17日(土) 年の初めだけど昨年12月ジャカルタ滞在の振り返り日記 その5. いよいよワークインプログレス公演当日。 入り時間に余裕があったり、それまでの会場と違って宿泊先のゲストハウスから近かったりしたし、何より会場のロケーションがまるでリゾート地のようでとてもリラックスした一日の始まり。スタジオの使える時間が限られていたのでちょっとバタバタした局面もあったけど、限定招待のゲストを前に、今の僕たち(shelfとLTCのメンバー全員)の立っている地平を見渡せるような、小さいけれど強い作品になったのではないかと思います。 2020年の秋以来、リモートでずっと定期的にディスカッションやクリエイション(映像作品作りとかテキストワークとか)は重ねて来ていたけれど、そしてそれは確かに僕らの共有財産になっていたけど、対面で、同じ場所で一緒に過ごした7日間は格別に得難い、刺激的で、そして創発的なものでした。毎日一緒にご飯を食べて、というのも大事なんだな。同じ釜の飯を食うとはよくいったものだ、とも改めて。 先日の振り返りでも少し書いたけれど、Bambangの演出、LTCの創作のメソドロジーは、どちらかというと足し算とか掛け算に近いんだな、という印象。テーマに沿った題材をかき集めて、コラージュするような。そのときに、本当にいろいろたくさん集めて来る。もちろん、合わないと思ったらすぐにそれを捨てる。( ←これ、すごい大事な技術。)あと、足し算掛け算といったけど、テーマがガツンと先にあって、そこからこう、うにょうにょと、派生的に、自ら育つように作品が作られていく。最初にコンセプトを提示するのはBambangなんだけど、そこから俳優やスタッフが創作を行うことで、微妙に(絶妙に)フィードバックがかかって、コンセプトがより強固なモノとなっていく。 対して矢野の演出は、とにかく基本的にテキストベース。Bambangにもずいぶん昔に喝破されていたけど、どんな短いテキストでもいい、詩でも小説でも、つまり戯曲じゃなくても構わない。ただそこにテキストがあって、そのテキストを俳優が(人が)言葉にする、声にする必然を辿っていく。そしてそこに、発語者と他者とのあいだのコミュニケーションやディスコミュニケーションを介在させて、空間を構築していく。 発語ベースとはいえ、たぶん若いときにパントマイムを学んでいた経験からか、そもそも初めは俳優をやっていたからか、非言語のコミュニケーションを僕は、非常に繊細に、丁寧に扱う。視線、重心。意識の向いているフォーカス、身体の傾き、等々。 俳優の(人の)身体を徹底的に観察して、そこから緻密に、空間と時間を構成する材料として使っていく。 そして足し算というより引き算。舞台上にある要素を徹底的に削ぎ落して、余白を作る。余白を作って、そこに観客の想像力が喚起される仕掛けを作る。仕掛けの材料は、小道具だったり音響や照明だったりもするけれど、基本的には先に述べた俳優の身体。視線や、延ばした指先や、すれ違ったときの呼吸や空気の襞の振動など。 だから矢野の演出は、テキストがはまるとすごく活きる。対してBambangの演出は、大雑把といっていいくらいガシガシと外からイメージやテキストを足していく。その時にまた、政治的文脈や批評的な視座を持った要素をガツンとぶつけてくるから、矢野としてはちょっとドキッとするときもある。けど、その選択のセンスは抜群にいい。ぶっちゃけ、今回の共同制作で矢野がBambangから盗みたいところはこの辺りにあったりする。 もちろん、自分の方法を他者との協働で、長く文脈を共有していない相手に対しても通用するよう磨き上げ、鍛え上げていく必要もあるのだけど、もっとドラスティックに自分の方法を、良い意味で“分かりやすく”強いものにしたいと思っている。 それは例えば、「今回の作品(「Rintrik」)を通じて観客に届けたかったいちばんのメッセージは?」とコンパスの記者に問われたときに、僕にはそもそも作品を通じて“観客に伝えたいメッセージ”などないのだけど、それでも、それに相応する何か強いもの、それはやはりメッセージというしかないのかも知れないけれど、そういう強い表現を舞台上で為すことが出来ていれば、それなりの応答が出来るんじゃなかろうか、ということでもあり。 そうそう。ワークインプログレス公演の日はBamBangの長女の誕生日でもありました。公演が終わってみんなでサプライズでハッピーバースデーの歌を歌って、ケーキをカットして貰ってみんなで食べて。 夜は近くのメキシコ料理屋で打ち上げ。ああ、もう既にジャカルタの日々が懐かしい。 Day 7. December 17th (Sat) It's the beginning of the new year, but a retrospective diary of my stay in Jakarta last December, Part 5. Finally, the day of the work-in-progress performance. There was plenty of time to enter the venue, the venue was close to the guesthouse where we were staying, and the location of the venue was just like a resort area, making for a very relaxing start to the day. There was a bit of a hectic time, but it turned out to be a small but strong piece, which could show a glimpse of the horizon we (shelf and LTC members) were standing on, in front of the limited number of invited guests. Since the fall of 2020, we've been discussing and creating remotely on a regular basis, and it's certainly been our shared property. But we've spent time together face-to-face in the same place these 7 days. And that seven days were exceptionally exciting and emergent. As I wrote in the previous diary, Bambang's direction and LTC's creative methodology are more like additions and multiplications. Scrape up the material according to the theme and make a collage. At that time, they really collect various materials. Of course, if Bambang doesn't like it, throw it away very soon. (← This is an especially important technique!) Also, although I mentioned addition and multiplication, there is a theme that comes first. And from there, the work is created as if it grows on its own. Bambang is the first to present the concept, but from there, the actors and staff spontaneously create, giving subtle and exquisite feedback, and the concept becomes more solid. On the other hand, Yano's production is text-based anyway. Any short text will do. It doesn't matter if it's a poem, a novel, a speech, or a play. There is a text there, and the actors (mankind) put that text into words. And chasing the inevitability of turning it into a voice. And there, communication and dis-communication between the speaker and others are interposed to construct a space. Of course, it is based on verbal communication, perhaps because I had experience learning pantomime when I was young, or maybe because I was an actor at the beginning of my theatre work, I handle non-verbal communication very delicately and carefully. Gaze, the body's centre of gravity. The focus of consciousness, the tilt of the body, etc. Thoroughly observe the actor's (human's) body and use it as a material to construct space and time from there. And subtraction rather than addition. The elements on the stage are thoroughly scraped off to create a blank space. Create a blank space and create a device that arouses the imagination of the audience. The materials for the gimmicks are props, sound, and lighting, but the bodies of the actors I mentioned earlier. The gaze, the outstretched fingertips, the breath, and the vibration of the air folds when we pass each other. That's why Yano's staging comes alive when the text fits. On the other hand, Bambang adds images and text from the outside roughly and roughly. At that time, there are times when I get surprised because he gives it the political context and elements with a critical perspective. But Bambang's sense of choice is outstanding. (To be honest, this is the part that I want to steal from Bambang in this joint production.) In collaboration with others, it is necessary to refine and refine my method so that it can be used even with people who have not shared a context for a long time. I want to make it “easy to understand” and strong. For example, when I was asked by KOMPAS journalist that "What is the most important message you wanted to convey to the audience through this work ("Rintrik")? I, to be honest, don't have a "message I want to convey to the audience'' through my work. However, if I can make such a strong expression on stage, I wonder if I can respond in a certain way. Yes. The day of the work-in-progress performance was also BamBang's daughter's birthday. After the performance, we all sang a happy birthday song as a surprise, cut the cake, and ate it together. In the evening, we launched at a nearby Mexican restaurant. Ah, I miss my days in Jakarta already!
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いろんな紹介
こんにちは、MIS.Wに所属している56代cg研のKeiです。今回紹介するのは自分が普段参考にしている人だったりアプリだったり、携帯で加工しているアプリだったりの紹介をしていきます
参考にしている人
まず、参考にしている人を紹介します
ほんまりんさん
みたさん
一人目のほんまりんさんはめっちゃえぐいコラージュをする人で、いろんな素材使ってるのに、全然ごちゃごちゃしてなくてまとまりがある人です。
二人目のみたさんは、横顔の素材を使ってコラージュをやられてる方で、どの作品も本当に綺麗な人です。
参考にしているアプリ
参考にしているアプリはみんな大好きPinterestとBehanceです。
Pinterestは有名ですよね。Pinterestでよく検索をかけるのは、「collage」、「graphic design」、「web design」です。綺麗なwebサイトだったり、いろんなwebデザインを見るのが好きなので、webデザインが入ってます
Behanceは聞いたことある人も少しはいるんじゃないかなって思ってます。Behanceは、Adobeが運営しているソーシャルメディアプラットフォームです。ポートフォリオとして使ってる人も多く、さまざまな作品が見られます。Behanceの良いところは、cinema 4dだったりafter effectsなどの使ってるソフトのタグが存在するので、「このソフトの作品が見たい!」ってなった時めちゃくちゃ便利です。あと、ツヨツヨな人たちがそこに作品をよくアップしてるしてるので、モチベが上がりやすい(自分にとっては)
携帯で使ってるアプリの紹介
携帯で使ってるアプリの紹介をしていきます。
よく加工で使うアプリはこの6個です。雑に紹介していきます。ibis paintとPhotoleapはめちゃくちゃ有能なアプリで、いろんなエフェクトだったり機能が豊富。phontoはフォントが豊富。RNI FilmsとPsはフィルターがめちゃんこ豊富。vsc oは作品をアップするのに有能です。
使い方の例
1.ibis paintかPhotoleapで作る
2.photoleapかPsで色合いなどの調整
3.RNI Filmsでフィルター掛ける
4.phontoで文字入れ
こんな感じで作ったりしています。
他のアプリ(pics artなど)、自分に合った加工アプリを見つけて、画像加工をしてみましょう!!
画像加工はめちゃくちゃ暇つぶしになります。
おわり
みなさん画像加工をしましょう。
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23-1-24
風が強く、気温も低かった。歩いていて、信号待ちで立ち止まったときに笑いがこみあげてきてしまうほど。昼休み、井戸川射子「する、されるユートピア」を読んでいた。数年前に読んだ時とはまた、私の側の感じ方、感度が変わっていて、より身体感、というのか、もっと生々しく、肉体のかんじ、という言葉が相応しいのかもしれない、その感じが伝わってきたような気がした。「詩」というアートフォームに対しての、詩のなかの主人公のまなざしや、街やこども、に対する視線、について、以前に感じたような親しみや共感は、変わらずに感想として持ったものの、それ以上に、「わたしのなかにないもの」を痛切に感じて、それはしかし、羨ましさとはまた別種のものであったことに、どこか安心もした。通所が終わり、美容院に行って休日を満喫していた恋人と合流して、サンマルクで軽くお茶をする。クロワッサンを買って、食べようとしたときに床に落としてしまって、寂しそうな顔をしていた。帰宅してから、ここ数日頭をよぎることの多かった、「働いて、糧を得たとして、それで豊かになることもなく、生存のために辛苦を続けるむなしさ」について、少し出口がみえたような気がした。私が何かしたとして、それが誰かに(私がそうとは気づかないうちに)とってのささやかな益を生み出すとしたら、それは私にとっても良いことではあるだろう。そう思えることが今日に少しだけであるかもしれないがあった。むしろ問題は賃金の低さ(特に障害者雇用において。少しづつ改善しつつあるとはいえ。)とこの物価高で言い出すことが防衛費の大幅増、そのための増税、なんて発想をする政治の側にこそある訳で。久しぶりに画像編集ソフトを立ちあげて、コラージュのようなことをしてみたら良い感じの作品が出来上がって嬉しかった。
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