#ケイト・ザンブレノ
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ケイト・ザンブレノ「ヒロインズ」-3
どこの国にも女の子はいるのだから、ガールズカルチャーというものがあるはずです。しかしそれらはケイト・ザンブレノからするとあくまで正統ではないという扱いを受けているらしい。
女の子の作り出すものは、個人的で過剰で一時の気の迷いに左右されがちであるということ。特にザンブレノが身を置く文学界においては。しかし私はやはりここにも異を唱えたくなります。少なくとも日本では、少々うんざりするほどに「女の子文化」が讃えられてきたように見えるからです。もちろん讃えているのはほとんどがあくまで自分達は選ぶ立場にあると思い込んでいる男性たちですが、作り手の女の子たちが「女の子である」ということを武器にしていないとは思えません。
たとえば文化と呼べるレベルに達しているものではない、ネットの炎上の一つに過ぎない「古塔つみ」の件に関しても、彼は明らかに「こんな女の子がいたらいいな」という男性によって作られたキャラク��ーです。女の子だからここまで注目された。そして本当は女の子じゃなかったから。(とドラマチックに書いてみる)彼が他人の写真を加工する様なことはせず真っ当な画家であったとしても、花卉農家の中年のおっさんではあのポジションは得られなかったでしょう。「2020年代に暮らす女の子が80年代への憧憬と再構築を込めた作品を異常なスピードで生み出す」という、いかにも髭やメガネで不細工をごまかしてるタイプのおじさんが好みそうな設定で作られた存在だったからこそ、騙された人が多かった。でも本当には彼の絵は描いたとは言えない代物だったし、技術もセンスもない「それらしさ」だけが詰め込まれたものだった。だからひとたび炎上してしまえば、こんな作品は好きじゃないし良くないと思った人たちによってあっという間に解体されてしまったのです。(まだ諦めてないみたいだけど)
日本のカルチャー界にはしぶとく「奔放で美しく若い女の子の表現」に甘いおじさんたちがたくさんいて、それを半分自覚している女の子たちもたくさんいます。しかしもちろん、こうして祭り上げられた女の子たちはほとんどが破滅とまではいかないまでもひっそりと消えていってしまいます。村上隆のお気に入りだったエビチリの女の子は今も細々作家活動をしてるみたいですが、見つけたのが本当にたまたまだったのとその活動規模には少々驚きました。(しかも名前ど忘れしてしまった)
若い一時の小銭稼ぎであろうと一生の仕事であろうと、女の子たちが自分で選んだ生き方を「消費された」「正統なものに見られない」と嘆くのはなんか違う気がする。しかし女性は一方では正統な評価がされないと感じ、また一方では若い女性という下駄をはかされる。改めてどうやって生きていったら良いのやらと思います。
一部の女性の世界では、ずっと「女の子はソフィア・コッポラの作品のようであるべき」という価値観が持たれ続けています。女の子が好むのはかつては「ベティ・ブルー」やその後は「アメリ」など、そして「ヴァージン・スーサイズ」であるべき、という価値観。これらは決しておじさんから押し付けられたものではなく、少なくともファッション雑誌の中では分析好きの女性ライターたちが「これはあたし達の物、あたし達の感性!」と宣言したことだったのです。
その後、私より下の世代の女の子たちはタヴィ・ジェヴィンソンに衝撃を受けペトラ・コリンズに夢中になったことでしょう。(その世代であるシェイナ・クリーのYouTubeはとても興味深く私も見ています。彼女は好ましい人物ですがちょっとスピリチュアルな発言が気になります。それから、私も含めておそらくはほとんどの人が彼女の作品よりも彼女自身の魅力の方に興味があるのだということも)この2人は確かにかつてはクリエイティヴであり刺激的でした。ざっくり分ければザンブレノもこのジャンルにいる作家だと思います。きわめて個人的な、あくまで自分達のためだけのセクシーさを表現するというような。彼女たちのインスピレーション源はたいていはソフィア・コッポラに代表されるちょっと生臭いガールズカルチャーです。最近はようやく落ち着いてきたように見えますが、いっときは「ガーリー=ソフィア・コッポラを好きであるべき」という押しつけ、オシャレ同調圧力が酷かった。
やはり私には、この洋の東西を問わない女の子カルチャーの持つあまりに類型的なイメージが受け付けない部分もあります。女の子は若くはちゃめちゃで、制服か突飛なファッションを身にまとい自分の体や心の傷を大っぴらにすることも厭わない。恋に溺れてボロボロになることもあり、自分を大事にしないこともある。そして女の子は怖いものでもあるというイメージ。全てにおいて過剰で感情的で作品よりも本人が注目される。私はこういうカルチャー界における女の子かくあるべしという風潮にはついていけないところがあります。私は、自分がいろいろな意味で自分を傷つけずにここまで生きてこられたことはラッキーだったのだと思ってはいますが。
だけど女の子が自分に正直に表現をした場合、大抵はこう言う感じのブツが出来上がる。あまりこういうことは書きたくないのですが、経血のついたナプキンを見せびらかしているような作品。そういうものが普遍的な芸術として評価される日は来ないと思います。だってナプキンはこの世の半分の人間にとって作品ではなく現象なのだから。そしてもう半分の人間にとっては、頭の中で理解はできても本当にはわからない。それを他人に見せることに意味がある、隠されているのがおかしい、というような意見はまだ多いですが、それはもう手垢のついた表現です。そしてこういった表現では、結局性的な関心やタブーであるがゆえの覗き見的な興味しか持たれない。
私は経験的に、そして性格的になにがしかの作品についての受け取り手の感性というものをあまり信用していないのです。ぶっちゃけると「わかってる」人間なんて世の中にはほとんどいません。バカが喜ぶようにエモくエモくしないと見向きもされない。(それでもプライドを持ってアイディアを実践していくことが大事だとは思っています)
私は最近たまたま飯野矢住代という人のことを知りましたが、こういう女性のストーリーがいつの時代も求められがちです。同世代の鈴木いずみしかり、ロリータ順子しかり、岡崎京子の漫画しかり。それらを純粋すぎたなどともてはやしながら平穏無事に年をとり落ち着いていくというのが、大抵のつまらない女の「あの頃バカやってました」という生き方です。
私は女の子はも��と、クレバーでクールでいることも可能だと思います。あふれてくる感情の表現が過剰で赤裸々なものばかりなのは納得いかない。タバコ、夜遊び、恋愛にドラッグに自傷行為と奇抜なパフォーマンス。こういったものが普通の女の子にとって手軽にできることではなかったという時代は、少なくとも日本やアメリカではとっくに終わっています。
だから「ヒロインズ」の後半に出てくるザンブレノの経歴や行動には少しがっかりさせられました。またしてもこれか、と。混乱した10代、20代の身の処し方はほとんどみんな同じ。自ら進んでビッチになること。(たとえしぐさであっても)いつまでそれをやってるの?と思います。これをやってる限りは、女の子というものの扱いやイメージはなんにも変わらない。これで女性の文学は下に見られていると言われてもそりゃそうだ、結局は自分の感性が死んでないと証明したいしたり顔の人たちの道具になるだけなんだから。
もちろん私はゼルダやジェインの味方でいたい気持ちのほうが強いです。ゼルダやシルヴィア・プラスへ批判的だったエリザベス・ハードウィックとメアリー・マッカーシーの印象については、概ね著者と同意見です。(私は女も捨てないし、文句ばっかり言わずに男を立てて上手くやっていくのよという態度)だけどザンブレノが思い入れを込めすぎるあまりに、ノートやメモ書きだけを残した小悪魔的なミューズから老いさらばえた狂女という扱いになってしまいがちであった「モダニストの妻たち」みんなを、家父長的な夫に邪魔されなければ作家になれたのにと繰り返し主張するのには賛成できません。ゼルダの本は私も読みました。つまらなくはなかったけど、何回も読みたいとは思いませんでした。あのゼルダが書いた、というのでなければ、あんな美しい立派な装丁で出されるような本ではなかったと思います。
自分も作家であり芸術家だと思いながら、厄介な病気や人格障害のレッテルを貼られていった女性たちにはシンパシーを感じはしますが、彼女たちに本当に才能があったのかどうか。そしてザンブレノは「本当の才能とか、本物の作家とか、それって誰が決めるの?」といったような意見も繰り返し書いています。まずは書かれ、表現することに意味がある。そしてそれを女性の一時の気の迷いや単なるメランコリックな日記と決めつけてはいけない、という感じのこと。
しかし、彼女たちに自分をダブらせ共感し支持していくことだけが女性を救うことになるのでしょうか。感情的な女の子や女性の発言には一様に価値があるのでしょうか。作品の体をなしておらずあるいは面白くないのなら、それはどんなに自分に正直でいようとし、抑圧された環境で作られたもので��っても、優れていることにはならないと思います。
作品だけを見るならば、たとえば夫のスコットが思う存分酒を飲み愚痴を吐きながら書いたものと、抑圧され検閲された妻のゼルダが書いたものに、バックグラウンドを足さなければいけないのでしょうか?スコットはゼルダを元ネタ扱いしやりたいように書いて、ゼルダは1日1時間しか書かせてもらえなかったんだよ、なんてことを。それはムシが良すぎるというものです。これは今だから言えることなのかもしれませんが、こういうタイプのフェミニストにありがちな意見である「文学の世界では男性の作品(フィクション、大作、手記)だけが認められ、女性の個人的な日記に端を発したものや感情的な作品は下に見られ、あくまで「男性作家のミューズ」であったことによるゴシップ的な興味以外で読まれることはない、それはおかしい」みたいなこと言われても、そんなんしょうがないじゃんと思ってしまいます。何かを表現したいと渇望する女性たちを病的と決め付けた世間は確かにひどいですが、日記やノートだって文学だし作品だと認めろ、という著者の主張は全面的に賛成できるものではありません。発表する権利があるなら、支離滅裂な女性性のほとばしりなんてものは金を取って人に見せるもんじゃないと言う権利だってあります。(エスパー魔美みたいになってきた)もちろん男性であっても同じです。私は無料漫画サイトの片隅に転がっている、70年代のアングラエログロ漫画やマイナー漫画を覗き見しに行くことが半年に一回ぐらいありますが、やっぱりこういう作品は「こう描くことしかできない」というのは伝わってくるけど、絵は下手だしつまんないしここにエンタメやヒットはおろか芸術性を見出すのもムリです、という気持ちになってサイトを後にします。もちろん、そういった作品からは時代性と漫画産業のあれやこれやが浮かび上がってくるので、無碍にできないとは思います。でもとにかく面白くないし売れるものじゃない。誰かが資料としてぶっこんどくしかない。これが好きって人も少しはいるかもしれないし。
メジャーだろうとマイナーだろうと、バックグラウンドを一切見ずに作品だけで評価される作家がこの世にいるのでしょうか?ザンブレノは、男性の作家はルックスなど気にされず女性はどんなに偉大な人物でもルックスを取り沙汰されることを憤っていますが、スコットはかつてはイケメン作家扱いだったはず。カポーティのデビュー作にはあの写真が大々的に載りました。(そして後年みっともないデブになったと言われた)村上春樹を小馬鹿にする人は、ほとんど全員彼があの顔であんな小説を���いていると嗤っているではないですか。(海外ではそう言われてないかもしれないけど)
女性の作家やアーティストのルックスについて感想を持つのは本当に男性だけ、それも彼女の夫のようではない最低な男性たちだけなのか?といった��、そんなわけがない。その辺の人たちは男だろうと女だろうと評価の一部にどうしたって���醜を含めます。だから素顔はおろか性別すら発表しないような漫画家がいたりするのです。
もちろん、男性には不細工を補う小技がいくつかあります。だけどルックスとライフスタイルを取り沙汰されるのは女性だけではありません。フィクションがフィクションとして読まれ、自分をモデルに書いた作品が資料として読まれる。それは当たり前のことです。それが嫌なら、女の作家はいちいち自分の生活の変化に照らし合わせた作品なんか書かなきゃいいじゃんか、どうせそれしか書けないくせに。
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2/9、3/9『ヒロインズ』読書会
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1003店主がフェミニズムを身近に感じるきっかけになったと折に触れて紹介してきた、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳 C.I.P.Books)の読書会を開催します。
配偶者の転職に伴い新天地に引っ越してきたもののなかなか新たな街に馴染めない著者が、ジーン・リースやゼルダ・フィッツジェラルドなど、モダニズム時代の女性作家と自らの人生を重ね綴ったブログを書籍化した本書。400ページ超と大部な本のため、2回に分けてみんなで読み進められたらと思っています。どちらか1回のみのご参加も大歓迎!感想や記憶に残ったフレーズなどを共有しましょう。
数多くの作品が引用されており、新たな読書への道しるべにもなる『ヒロインズ』、この機会に一緒に読んでみませんか。
現在、版元品切れのため新刊での入手が難しいのですが、店頭にて古書で数冊販売しています。
※今回の読書会は、毎年3月の女性の生き方を考えるブックフェア”WOMEN’S READING MARCH”を共催するNINE STORIESさんとの合同企画です ==========
第1回
日時:2024年2月9日(金) 19:00-21:00
場所:1003
参加費:1,000円
定員:8名
持ち物:『ヒロインズ』(ケイト・ザンブレノ著 西山敦子訳 C.I.P.Books)
対象範囲:『ヒロインズ』第1部(6~211ページ)
※最初の数ページしか読めていない!という方も遠慮なくご参加ください
==========
第2回
日時:2024年3月9日(土) 10:00-12:00
場所:1003
参加費:1,000円
定員:8名
持ち物:『ヒロインズ』(ケイト・ザンブレノ著 西山敦子訳 C.I.P.Books)
対象範囲:『ヒロインズ』第2部(214ページ~ラスト)
※最初の数ページしか読めていない!という方も遠慮なくご参加ください
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企画:NINE STORIES / 1003
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《申込方法》
下記リンク先(Peatix)ページよりお申し込みください。
第1回、第2回、それぞれ申し込みが必要です。
第1回申込→ http://ptix.at/whrWaH
第2回申込→ http://ptix.at/Spr9OY
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《問い合わせ先》
1003(センサン) 担当:奥村
TEL 050-3692-1329
MAIL [email protected]
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※2019年2月22日再入荷しました。
2018年9月6日
【新入荷・新本】
ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(C.I.P. Books、2018年)
価格:2,484円(税込み)
「別居生活が始まると、ほんの短いあいだヴィヴは自由を謳歌した。赤い口紅を塗り、ナイトクラブに踊りに出かける。「踊ることは忘れること。滅ぼすこと。意味というものを」シビュラの物語のひとつに、彼女はそう書いている」
彼女たちもこの道を、めちゃくちゃになりながら進んでいった —- すべてのトキシック・ガールのための反逆のマニフェスト
2009年、ケイト・ザンブレノは数年来取り憑かれてきたモダニズム作家の「妻や愛人たち」についてのブログを始めた。ときに偉大なる男性文学者のミューズになり協力者になるいっぽうで、自らの言葉を奪われ、名前を消されてしまった彼女たち。精神の病と診断されて苦悩の中で生涯を終え、あるいは自分も書きたいと思いながら叶わなかった女性たち。大学で働く夫の「妻」としてオハイオ州のアクロンという小さな町に暮らす無名な作家であ��自分。孤独や無力感、怒りを重ねつつ、��ンブレノはそんな文学史上の書き手とヒロインたちを〈私の見えないコミュニティ〉として描き出す。そうするうち、やがて新たに生成していくもうひとつのコミュニティが、そこに連なる。
文学とは何か、狂気とは? それを決めるのは誰か?
家父長の言葉が支配する枠組みの中で声を抑えられた女性たちに寄り添い、彼女たちの物語を響かせようとする試み。あらゆる引用とパーソナルな記録の断片を無限に重ね、織り合わせることで現れる〈私たち〉の姿とは。
本書で主に取り上げられるヒロインと作品たち
ゼルダ・フィッツジェラルド/ヴィヴィアン・エリオット/ジェイン・ボウルズ/ヴァージニア・ウルフ/エンマ・ボヴァリー(『ボヴァリー夫人』)/アナイス・ニン/ジューン・ミラー/「私」(『黄色い壁紙』シャーロット・パーキンス・ギルマン)エドナ・ポンテリエ(『目覚め』ケイト・ショパン)/ジーン・リース/デューナ・バーンズ/ルイーズ・コレ/コレット・ペニョ(ロール)/ルチア・ジョイス/フランシス・ファーマー/ウニカ・チュルン/アンナ・カヴァン/エリザベス・ハードウィック/メアリー・マッカーシー/シルヴィア・プラスなど
著者:ケイト・ザンブレノ
2009年に作家リディア・ユクナヴィッチの出版社キアスムス・プレスが主催した「Undoing the Novel」コンテストで見出され、_0Fallen Angel _で小説家デビュー。ほかの主な著作にGreen Girl (2011)、_Book of Mutter _(2017)など。新作小説や、エッセイと講演を収録した作品集など近刊の予定多数。2018年現在コロンビア大学などで教鞭をとる。ニューヨーク在住。
訳:西山敦子
表紙イラストレーション:カナイフユキ
http://cipbooks.com/
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ベッドに入って、本と戯れている。役に立たない快楽をむさぼる。ただページをパラパラめくるだけでもいいと、自分に許可を下す。
ケイト・ザンブレノ著/西山敦子訳『ヒロインズ』(2018年7月、C.I.P. Books)
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わたしの人生を取り戻す作業
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いつか、こんな生き方では立ち行かなくなることは明白だった(本人はいまになるまで気づいていなかったけれど)
それがたまたま30歳になるまで、少女のまま生きてしまっただけの話である
わたしの抱える問題はいくつかあって、それに向き合っていくためには、いつからかやめてしまっていた書くことの必要性を思い出した
「自分を理解するために、自分になるために、自分で自分を書くことの絶対的な必要性を感じてほしい。自分を消してしまいたいという欲望とどうか闘って。」(『ヒロインズ』著ケイト・ザンブレノ)
いまはうまく文字にできなくても、言葉にできなくても、声にならなくても、誰かの心で生きるのではなく、自分の心で生きることができるように、ただ続けることでいつか足りないわたしのままでもいいんだと、本当の意味で安心したいのです
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エレン・��ライス × 平岩壮悟「『Purple』とエレンの編集・文章・写真術」 『エレンの日記』(アダチプレス)刊行記念
1992年に創刊され、今に続くインディー・カルチャーの発火点となった伝説的な雑誌『Purple(パープル)』。 その創刊者で編集長でもあったエレン・フライスが、2001年から2005年にかけて雑誌『流行通信』で連載していた日記エッセイをまとめた『エレンの日記』がアダチプレスから刊行されます。
文学・ファッション・映画への情熱、東京や香港、ブラジルなど世界各国への旅、アーティストたちとの交流……薄っぺらな流行や商業主義を拒否しながら、自らの感受性を信じ、常に〈美しさ〉を追い求めた“孤高の編集者”エレンの姿は、広告や情報が渦巻くなかで暮らす現代人に、「独立して生きる」ことへの勇気をあたえてくれます。
本書の刊行を記念し、閏日の夜にふさわしいスペシャル・トークイベントを開催。 1992年に創刊し、その後のインディー雑誌のありかたに決定的な影響を与えた『Purple』はどのように誕生し、そしてなぜ分岐するに至ったのか。 エレンはなぜ私的なジャーナリズム誌を始めたのか。 『エレンの日記』の英語での執筆体験はエレンにどのような影響を与えたのか。 連載当時の2000年代初めから2020年までの約20年間、エレンは何を考えていたのか。 写真家として作品を制作している今、何に興味があるのか。 などなど、エレンに根掘り葉掘り聞いていきます。
聞き手は、本書の編集を担当した平岩壮悟が務めます。
3月3日の発売に先がけ、当日は『エレンの日記』の先行発売も行います。 来場者の皆さんからも質問を受けつける予定でいますので、ふるってご参加ください。
※エレン・フライスによる撮り下ろしポラロイド付きの『エレンの日記』限定版を数量限定で販売することが急遽決定。 販売開始時間等については、決まり次第予約者にメールでご案内差し上げます。(2月18日追記)
【出演者プロフィール】 Elein Fleiss(エレン・フライス) 1968年、フランス生まれ。 1990年代から2000年初頭にかけて、インディペンデントな編集方針によるファッション・カルチャー誌『Purple』を刊行。 その後も個人的な視点にもとづくジャーナリズム誌『The Purple Journal』『H��lène』を刊行する。 1994年の「L’Hiver de l’amour」展をはじめ世界各国の美術館で展覧会を企画。 現在はフランス南西部の町サン・タントナン・ノーブル・ヴァルで娘と暮らしながら、写真家としても活躍している。 編著に『Les Chroniques Purple』(2014、VACANT)。
平岩壮悟(ひらいわ・そうご) 1990年生まれ。フリー編集。主に『i-D Japan』。 担当書籍に、山尾悠子『角砂糖の日 新装版』(Librairie6)、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P. BOOKS)。
時間 _ 19:00~21:00 (18:30開場) 場所 _ 本屋B&B 東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F ▼入場料 ■前売1500円+ドリンク500円(ともに税別) ■当日2000円+ドリンク500円(ともに税別)
チケットのご予約はこちら
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イベント情報の詳細はこちら
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B&Bでエレン・フライス×平岩壮悟「『Purple』とエレンの編集・文章・写真術」が開催
2020年2月29日(土)19時より、『エレンの日記』の刊行記念としてエレン・フライスさんと本書の編集を務めた平岩壮悟さんによるトークイベントが開催されます。
『Purple』はどのように誕生し、そしてなぜ分岐するに至ったのか。エレンはなぜ私的なジャーナリズム誌を始めたのか。『エレンの日記』の英語での執筆体験はエレンにどのような影響を与えたのか。連載当時の2000年代初めから2020年までの約20年間、エレンは何を考えていたのか。写真家として作品を制作している今、何に興味があるのかなど、『Purple』とエレンの編集・文章・写真術について話を深めていきます。
3月3日の発売に先がけ、『エレンの日記』の先行発売も行うそうです。トークイベントのご予約はB&BのWebサイトで行っています。
Elein Fleiss(エレン・フライス)
1968年、フランス生まれ。1990年代から2000年初頭にかけて、インディペンデントな編集方針によるファッション・カルチャー誌『Purple』を刊行。その後も個人的な視点にもとづくジャーナリズム誌『The Purple Journal』『Hélène』を刊行する。1994年の「L’Hiver de l’amour」展をはじめ世界各国の美術館で展覧会を企画。現在はフランス南西部の町サン・タントナン・ノーブル・ヴァルで娘と暮らしながら、写真家としても活躍している。編著に『Les Chroniques Purple』(2014、VACANT)。
平岩壮悟(ひらいわ・そうご)
1990年生まれ。フリー編集。主に『i-D Japan』。担当書籍に、山尾悠子『角砂糖の日 新装版』(Librairie6)、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P. BOOKS)。
イベント情報
『エレン・フライス×平岩壮悟「『Purple』とエレンの編集・文章・写真術」『エレンの日記』(アダチプレス)刊行記念』
日時:2020年2月29日(土)
時間:19:00~21:00 (18:30開場)
場所:本屋B&B(東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F)
入場料 :前売1500円+ドリンク500円(ともに税別)、当日2000円+ドリンク500円(ともに税別)
http://bookandbeer.com/event/20200229b/
書籍情報
『エレンの日記』
著:エレン・フライス
翻訳:林央子
出版社:アダチプレス
¥2,640(税込)
2020年3月3日発売
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98-%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9/dp/4908251126
(文:Maki Takenaka)
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8/9/19
休み。掃除して洗濯して、合間にコーヒー飲んで、終わったらなんだか頭痛…。でも本を読み進める。ひゃー面白い。トランスジェンダーの子供とどう向き合うか、そこから見えてくるジェンダーバイアス、そしてアメリカのジェンダーの歴史と。男性間の友情、それもかなり親密なものがつい最近まで普通だったとか。このあたりは日本とは違うな。江戸時代は男色普通だったもんね。こんなに面白い本はケイト・ザンブレノのヒロインズ以来かな。 邦題は『ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか』レイチェル・ギーザ著、です。フェミニズムはマスキュリニズムを取り入れないともうほんとうに進めないんだと思う。知らない事ばかりでワクワクするなー。「慰安婦」についてのもう一つの記事も、間違った男らしさがどんなに危険かの話だった。ふむむ。
夫が帰ってきて、今日は残りものでパーティスタイルの夕食です。楽しいな。
明日は夫の同僚がビーチまで車出してくれるって!楽しみだー!
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なnD
今月のショーケース 6
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2019 | 5 | 15 WED → 6 | 2 SUN
OPEN 12:00 - CLOSE 20:00
FALL
今月のショーケースでは、3つの雑誌『なんとなく、クリティック』『nu』『DU』の編集者3人による「なnD」の活動を紹介します。
期間中は最新刊『なnD 7』の先行販売のほか、寄稿者の関連商品、『なんとなく、クリティック』『nu』『DU』のバックナンバーなども販売します。
6月1日(土)の閉店後の20時から21時のあいだ、「なnD/夜のお茶会」を催します。入場無料で、Masahiro Takahashi による「夜のお茶会のbgm」演奏を楽しみながら、なnDメンバーたちとゆったり歓談いただけます。カオスフーズによるチャイとヴィーガンアイスの販売もあり。
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/c67adab3fafbe4eaeb1a842d0b8cb3bb/tumblr_inline_pr9xdtcUYl1siufky_540.jpg)
コンテンツ EUNICE LUK > │(無題) 米山菜津子 > │未来で思い出す 鬼頭祈 > │Rat 西山敦子+近代ナリコ│引き裂かれるような葛藤を抱えて ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(C.I.P. Books)をめぐって 阿部純(AIR zine編集室)│尾道の街の本屋に私たちの選書棚をつくったら 竹田和也(ニュートレド)│音楽の密輸 迫川尚子 > │新宿 1996/2019 秋山伸(edition.nord)│作ることと地域性 堤あやこ(poncotan w&g)│雪景色、春の光 SHOKKI > │雪を見る 菅野信介(Hand Saw Press / アマラブ)+安藤僚子(Hand Saw Press / デザインムジカ)│自分のチラシ 森山裕之(スタンド・ブックス)│尊敬する編集者が亡くなった モノ・ホーミー│「貝がら千話」より 大城壮平(VOSTOK)+高山かおり(Magazine isn’t dead.)│雑誌であることの可能性 宮田文久(DISCO)│途中経過しかわからないのだけど 島田潤一郎(夏葉社)│ぼくが「岬書店」を始める理由 三澤慶子│働き盛りの夫が脳で倒れたら!?(夫が脳で倒れたら) 得地直美 > │『かじやのフライパン』より 平民金子 > │「イニエスタ」みたいなところにいる 奥村千織(1003)│岡本太郎に背中を押されて 和久田善彦│人にやさしく―平民金子展を終えて 温泉津醒│トージ発行記 木村彩子 > +二宮大輔(fischiff KÜCHE)│いろいろある 冨井大裕 > │モノクロで見えてくるもの 古川日出男 > │演じることで分かること 北村恵(ワワフラミンゴ)/田中耕太郎(しゃしくえ)│画廊劇に出演して 近藤恵介 > │まずは記録のために。そして、次に描か��る絵のために。 行貝チヱ > │旅から旅へ 川村麻純 > │パウエルズ・シティ・オブ・ブックスのこと 木下眞穂│ガルヴェイアス 〜記憶と土地〜 山本アマネ > │最愛の作家と翻訳者たちへ綴るコラージュ 森川晃輔│迷宮を彷徨う グラスパーゆきこ│テニスファンとウィンブルドン キデンセン > │「悪いセックス」を巡る談義 浜崎伸二(トラスムンド)│横につながるとっかかり 土居伸彰 > │ビックフォードは永遠に繁茂する 三宅唱│山口に住んで手に入れたパースペクティブ 七里圭 > │劇映画とは ライフ > │“ライフ”という活動のこと 青羊(けもの) > +佐々木誠 > │台湾で追い求めた「ただの夏」 いぬのせなか座 > │来るべき者たちへ向けて Gary Ieong│「White Noise Records」で考える音楽と仕事と香港のこと 小林英治│インスタ日記6 テンギョウ・クラ > │“The Boy And His Kite” 三品輝起(FALL)│彫刻と占い 五所純子│Day with Kazue Kobata 編集:森田真規(なんとなく、クリティック)、戸塚泰雄(nu)、小林英治(DU) デザイン:nu 表紙:五所純子「ツンベルギアの揮発する夜」より 2019年5月27日発売 232頁 文庫サイズ 900円+税
(「nu」ホームページより転載)
![Tumblr media](https://64.media.tumblr.com/300797c67ce0bc130ca4b1df8c6b7cb1/tumblr_inline_pr9xeki7Ws1siufky_540.jpg)
※ 店の一隅にある小さな棚を「ショーケース」と題し、月替わりでインディペンデントな出版社やレーベル、メーカーなどを紹介しています。
→ 今後の展示やイベントの予定
なnD
なんど
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2013年、西荻窪在住のデザイナーで「10年メモ」や音楽雑誌『nu』をつくってきた戸塚泰雄、ディスクユニオンが発行していた雑誌『DU』をてがけた小林英治、「批評とサブカル」をテーマにしたリトルマガジン『なんとなく、クリティック』を出版する森田真規という3人の編集者が「超文学フリマ」のために集まり、『なnD』というミニコミを企画から入稿まで1週間でつくったのが発端。その後の活動は以下のとおり。
2014年 展示「Diaries」(会場:FALL)にて『なnD 2』を刊行
2015年 展示「Frames」(同上)にて『なnD 3』を刊行
2016年 展示「and」(同上)にて『なnD 4』を刊行
2017年 展示「3月東京」(同上)にて『なnD 5』を刊行
2018年 展示「16」(同上)にて『なnD 6』を刊行
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FALL
167-0042 東京都杉並区西荻北3-13-15-1F
地図 | 12:00 - 20:00 | 月・火お休み
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「血みどろ臓物ジュニアハイ」へのお誘い
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いま、この文章を読んでくださっている、あなたへ
今度、「血みどろ臓物ジュニアハイ」という連続イベントを開催します。
これを文学のイベント、と呼ぶことには抵抗があるの。なぜなら、「文学」という言葉はこれまでに「文学」と「文学ではないもの」とを線引きしてきた言葉でもあるから。
もちろん、世界のさまざまな時間、あらゆる片隅において、「文学」という栄光にアクセスすることによって、存在を祝福された人々のいることは知っている。「文学」という栄光によって、生き延びることのできた人間がいたと読んだこともある。 「文学」という言葉において共有されてきた価値を、継承したいという気持ちは、わたしたちにもある。ただし、そのまま継承するわけにはいかないとも思っている。 言葉は連なるとき力を持つ。それが「文学」であろうとなかろうと。意識しようとしまいと。その力を整理し、分析し、価値付けすることを、誰かに任せることはできない。 わたしと、わたしたちはそのように思っている。
わたしと、わたしたちは、自分たち自身で、その力を整理し、分析し、価値付けしていきたい。 それは有機的な運動で、感情的であり、大切に育てていくような時間が必要で、冒険的で、そのとき限りにしか起きない可能性が高く、とても不安定でもある。それゆえに、わたしたちの日常的な領域において、生と死を含むような領域において、影響を与えうる。すべてを呪い、すべてを祝福する行為になりうる。 価値付けされなおした言葉の連なりをもう一度「文学」と���付けなおすのか、別の言葉を用意するのか、いまは、わからない。だから、わたしとわたしたちは、これから行うイベントをこのように定義したい。
「血みどろ臓物ジュニアハイ」は、これからの、読むことや書くことについて、再発明していく時間と場所を示しています。
わたしたちは、シグナルとしていくつかの課題図書を掲げた。あなたは、このシグナルが見えたから、いまこの文章を読んでいるはず。どうか、いま、(もしつけているなら、)手元のスケジュール帳と家計簿とを確認してみて。 もしもつまらないスケジュールが埋まっていたなら、それがキャンセルできるものかどうか、考えてみて欲しい。 もしかするとあなたはいま、お金に恵まれていない人生の時期にあるかもしれない。でも、試しに、モバイルの通信機器を使って、あなたの住む部屋から三島駅までの交通費を調べてみて欲しい。イベントに参加することなんてできない、とわかったとしても、地元の図書館へ行って、わたしたちのシグナル/課題図書を探してみて欲しい。
* * *
◎レッスン 1(1/25 FRI 7-9PM @ C.I.P.): 『血みどろ臓物ハイスクール』とキャシー・アッカー レッスン1ではわたしたちのコレクティブ名、イベント名のもととなった『血みどろ臓物ハイスクール』を扱います。まず最初に、チームキャシーというグループのメンバーでもある、ミャーザキさんに発話していただきます。ミャーザキさんは、キャシー・アッカーという人と、この人の書いた言葉の関係について、たくさん調べ、考えてきた人です。ミャーザキさんのアイディアをシェアしてもらおうと思っています。そのあとで、イベントに集まった人たちで、いろいろと話を継いでいこうと思っています。
◎レッスン 2(2/1 FRI 7-9PM @ C.I.P.): わたしを救ってくれないだろう人に宛てて書く レッスン2では、ケイト・ザンブレノという人の書いたキャシー・アッカーについての文章を手がかりに、直接あなた宛に手紙を返さないとわかっている人に向けて、手紙を書きます。まず最初に、この文章について少し話し合います。ケイト・ザンブレノは恐らくキャシー・アッカーに直接会ったことがない。キャシー・アッカーの肉体は、もうこの世にはありません。それなのに、ケイト・ザンブレノはキャシーに呼びかけるように書いているのです。 わたしたちは誰でも、誰かに宛てた言葉を書くことができます。わたしを救ってくれないだろう人に宛てて手紙を書くことができます。それは文化的なアイコンかもしれないし、死者かもしれないし、空想の中のモンスターかもしれない、あなたの部屋に住んでいる人形かも知れない。そのような行為が、わたしと、わたしをとりまく世界を、どのように変えていくのか、味わっていきます。 申し込みをいただいたタイミングで、ミャーザキさんとダーティさんによって試訳された日本語のテキストをお渡しします。 手紙を書くのは、レッスン2の時間の中でもいいし、その前に書いておいてもいい。その後に書いても構いません。 できれば、レッスン2の中で、幾人かの参加者から、手紙を朗読いただけるといいなと思っています。
◎レッスン 3(2/8 FRI 7-9PM @ C.I.P.): 『アイ・ラヴ・ディック』���ーディング・パーティー レッスン3と書いていますが、この日はパーティーです。『アイ・ラヴ・ディック』は手紙に埋め尽くされていくように書かれた驚くべき小説。いまは絶版になっているので、この小説の日本語訳は、古本屋で入手するしかありません。図書館で借りることはできます。レッスン2を経て書かれた手紙を、いくつか朗読いただいてから、この小説の、自分たちの好きな部分を音読していくような、パーティーです。誰かに手渡して、音読して、次の人に手渡して、音読して、ということを繰り返しながら、参加者がエンパワーされていくような波動を作り出していきたいと思っている。 ウェスタンハットを持ってきて、まわしていくのはどう?小説に登場する音楽たちを呼び込んで、踊りながら読むのも楽しそう。小説の中に出てくるように、部屋の真ん中にファックスを置いておいて、送るかどうか悩んでみるふりをしてもいいかも、いろいろなことを考えながらパーティーの準備をしているところです。楽しみにしていてください。
* * *
それから、このイベントの参加をあなたに呼びかけている、チーム・ジュニアハイについて書いておくね。チーム・ジュニアハイは、これからの、読むことや書くことについて、再発明していこうとしている人々の、コレクティブ(あつまり・つながり)を示します。現在は、ダーティさんや、ミャーザキさん、淳ちゃん、といった人々によって、あつまり・つながりが生まれつつある状態。
この文章を書いているのは、言い出しっぺである門戸大輔(もんこ・だいすけ)です。今回のイベントの、守人を担当します。 最後に、ぼくから、イベント開催にあたり、「安全な場所」ということについての考えを書いておきます。 この世界に安全な場所、というものはないと思っています。HIV啓発活動で使われている言葉を借用するならば、safe placeはない。けれど、safer place(より安全な場所)を目指すことはできると思います。 そのためには、参加者それぞれが、自分と、他者と、その場所を尊重することが必要。そのことについて、理解を持ち、文化を育てていく必要がある。 そのような雰囲気を育んでいくためにできることを行うのが、守人の役割。 参加者みなさんおひとりおひとりのことばを大切に取り扱っていきたいと思っています。
もしもあなたが、ここまで読んでくださったのだとしたら、とてもありがたく思います。もしも本当にお目にかかれるのだとしたら、それは格別なことだとわたしは思う。 イベントの参加を心よりお待ちしています。
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SHE CRIES IN PUBLIC 巡回展 @ CRY IN PUBLIC
2018年夏に C. I. P. Books の書籍第一弾として出版されたケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』。その刊行時に東京・学芸大学の SUNNY BOY BOOKS で開催された記念展が、いよいよ CRY IN PUBLIC に巡回します。印象的な表紙の原画を含め、3人のアーテイストが手がけてくださった本書にまつわる絵や言葉の展示です。
会期中には関連イベントもあります。また『ヒロインズ』の読書体験をシェアする zine 『私たちの午前三時』を先行販売いたします。
よろしければぜひ足をお運びください。
参加作家: カナイフユキ、きくちゆみこ、魚座
期間: 2019年1月19日(土)−2月11日(月・祝) オープン日時:1/19、1/22 、1/24、1/26、1/27、1/29、1/31 、2/2 、2/3、2/8、2/9、2/11 =11:00−17:30
1/20 、1/25 、2/1 、2/8、2/10 =イベントのためオープン(それぞれの時間はこの下の「関連イベン卜」の欄からご覧ください)
会場:CRY IN PUBLIC(静岡県三島市大宮町 3-11-35 芹沢ピル1F) お問合せ:[email protected] HP:cipbooks.com|Twitter:@heroines_jp
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(SUNNY BOY BOOKS 開催時)
【関連イベン卜 @ CRY IN PUBLIC】
▪️1.20(sun)3pm−6pm 『ヒロインズ』刊行記念展「SHE CRIES IN PUBLIC」 SPECIAL SHOW
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ACT:蛭田竜太、高梨哲宏(ラーメンやんぐ)、and protector(acoustic set) TICKET:¥2,000- 定員:20名 要お申し込み → [email protected]
▪️1.25 、2.1 、2.8(fri) 7pm−9pm 連続企画「血みどろ臓物ジュニアハイ」
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読むこと・書くことを通してこの世界を再発明し、次の時聞に使えるものを探ってみよう。
各回には以下の課題図書が設定されています。 レッスン1 (1.25) :キャシー・アッ力一『血みどろ臓物ハイスクール』 レッスン2 (2.1) :ケイト・ザンブレノ「ニューヨークシティ、2013年夏」 レッスン3 (2.8) :クリス・クラウス『アイ・ラヴ・ディック』リーディング・パーティー
参加ご希望の方は、以下のメールアドレスまでお申し込みください。各回ごとの参加も可能です。→ [email protected]
本企画の詳細については teamjuniorhigh.tumblr.com へ!
主催:チーム・ジュニアハイ
▪️2/10 (sun) 3pm−5:30pm ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』読書会
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装画のカナイフユキさん、訳者の西山敦子(C.I.P. Books)も参加するとっておきの読書会! 企画・主催はすてきなユニット、フィクストサイン。 お二人は、おととし CRY IN PUBLIC で1年かけて開催したカーソン・マッカラーズの読書会に東京から通ってくれた方々です!
参加費無料、申込不要。直接会場へどうぞ。
主催:フィクストサイン
【物販コーナー】
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物販コーナーにはカナイフユキさんの本『LONG WAY HOME』とグッズ、『ヒロインズ』の読書体験をシェアする zine として寄稿を募った『私たちの午前三時』など。まだ増えます。
翻訳の際に参照した文献などもこの隣で入れ替えつつ紹介していければと思います。
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2018年
映画ベスト10
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ビューティフル・デイ You Were Really Not Here (リン・ラムジー)
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フロリダ・プロジェクト真夏の魔法 Florida Project (ショーン・ベイカー)
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シェイプ・オブ・ウォーター The Shape of Water (ギレルモ・デル・トロ)
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顔たち、ところどころ Visage Villages (Agnès Varda&JR)
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ヘレディタリー/継承 Hereditary (アリ・アスター)
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アンダー・ザ・シルバーレイク Under the Silver Lake (デヴィッド・ロバート・ミッチェル)
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きみの鳥はうたえる (三宅唱)
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BPM 120 battements par minute (ロバン・カンピヨ)
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私はあなたのニグロではない I am not your negro (ラウル・ペック)
菊とギロチン (瀬々敬久)
2018年もたくさんの映画を観れて毎日がほんとうにしあわせだったんだ、その中の劇場公開作品から10本厳選。『君の名前で僕を呼んで』はもちろん生涯きっとあたしの中に残っていく映画だと思っている、個人的に思い入れが強すぎてベストには入れられなかった。
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何を見ていても、何を読んでいても、愛について考えずにはいられないみたいに、どの映画にも独特な愛についての考察がされていること、それがあんまりにもおかしくって、だって愛なんてほんとうにおセンチな言葉!脆くて弱くて、そんなんじゃあ世界の全てになんてなれないわ!なんて!でもほんとうは、全て最初に遡れば、そこが全ての始まりなんじゃないのと思っているから、やっぱりすごく偉大なんだと思う。
2018年、ようやっと自分がオンナであるという意味について少しずつちゃんと考えられるようになり、そうしてようやっとフェミニズムについていろんなことを考え始める2018。思い出すのは、小さいころのこと。母親はフリフリのレースなんかがついた洋服をあたしに着せようとして、あたしは全力でそれを振り払い、男の子みたいな格好をずっとしていた。兄のお下がり、ダボダボのズボン、短い髪。女の子らしくという言葉の違和感は、ずっと残り続ける。女の子はタバコを吸わない、女の子は股を開かない(スカートの時は閉じた方がいいかも)、大きな口を開けて笑わない、下品な言葉を使わない、細くて綺麗な体でありなさい。スタイルが良くない子はのけもの。こういうことにずっとあたしは悩まされてきた。そんなに自由になれないなら、絶対男の子になりたかった。頭を剃って、そレデスマッシング・パンプキンズみたいなバンドをやるか���バンズのスニーカーを履いて、タトゥーをいっぱい身体に彫ってスケボーを乗り回すクールな奴になるか。全部逆のことをしたかった。女の子というどこかの誰か(これは男が作った)がつくった神話にはもうウンザリだなと思っているときに出会ったのは、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』。なんども読み返した。モダニズム文学史のなかで、男たちに抑圧されてきた女たちの消えてしまった声をもう一度取り戻そうと書かれたこの本で、ゼルダやヴィヴ、とりわけあたしはシルヴィア・プラスのことを何度も考えた。オーブンに頭を突っ込んで死んでしまった彼女。死んでしまう数ヶ月前には、母親に元気な手紙を書き送っていた彼女の死。それから、あたしがいろんなことを書き、いろんなことを言ってもきっと何も変わらないんじゃないのって思い始めて、一時期書けなくなった時に出会ったのは、リチャード・パワーズ『囚人のジレンマ』。謎が多すぎて、二度、三度読み返した。大きな敵と戦うときに必要なこと、その方法。それから、もう一冊、とっても大事にしようと思ったのが、ジェネット・ウィンターソン『灯台守の話』。ピューとシルバーの灯台での暮らし、物語は終わることなくずっとあなたの心の中で続いていく。映画も文学も、他人の心の中に入っていくと際限なく広がり続け、また新しいところに種を蒔く。
2018年、忘年することは正直なかったな、とても面白くて楽しい一年だったように思える。2019年、まだ2018年が13月になったような気持ちで生きています。
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7月5日(木)
〈シリーのお話たちが本になることはなかった。そのかわりということでもなかっただろうが、シリーが買い集めた本がこの家に残り、その本がいま、彼女の背後にある。彼女は振り向かなくてもどの棚にどんな本があり、どんな色の表紙にどんな題名が書いてあるか全部言うことができた。言えると、信じていた。ときどき、いや、それよりもずっと頻繁に彼女はあの前に立ち、その本の山の中にシリーの本がないということについてこんこんと考えてみたりしたのだから。何万冊もの本。有名な、偉大な名前たち。それらは一角だった、一角にすぎなかった。水面下に現れた名前の下には凍えたまま沈んでいる名前たちがあり、シリーはその中にいた。シリーが……そのことを考えると彼女は氷のように冷たい水に沈んだシリーをほんとうに見たような気がし、そこにとじこめられたシリーをどうしてやることもできなくて、息が詰まった〉
-「ミョンシル」ファン・ジョンウン 斎藤真理子訳『誰でもない』(晶文社)所収
リトルプレスが好きだ。ZINE、同人誌、呼び名はなんでもいいや(でも同人誌という言葉には、あこがれがある)。小冊子というかたちが、ただ好きで仕方ない。好きなものを収集したくなる性質で、これまでも本、文房具、コスメなどがあるのだけど、リトルプレスもSNSで情報を見かけ、ピンときたらどこで手に入るかネットで調べ、を繰り返していたら、けっこう集まってきた。文芸リトルプレス、おもしろい。
そうやって情報収集しているなかで、東京にある『SUNNY BOY BOOKS』という本屋さんを知った。他店では、ほぼ在庫を見かけない、イラストレーターさんの日記集や、個人的にファンである文筆家、きくちゆみこさんの展示があったり、リトルプレスを取り���っているのだが、最近こちらで先行発売された本(リトルプレスではない)が気になりすぎて、オンラインで発売されるタイミングを待つ、わたしなのだった(発売は来週っぽい)。
それは、静岡のC.I.P.Booksという出版社から発行された、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』という本で、内容を見るだけで、早く読みたくてそわそわしてくる。
出版社さんの公式サイトより〈2009年、ケイト・ザンブレノは数年来取り憑かれてきたモダニズム作家の「妻や愛人たち」についてのブログを始めた。ときに偉大なる男性文学者のミューズになり協力者になるいっぽうで、自らの言葉を奪われ、名前を消されてしまった彼女たち。精神の病と診断されて苦悩の中で生涯を終え、あるいは自分も書きたいと思いながら叶わなかった女性たち。大学で働く夫の「妻」としてオハイオ州のアクロンという小さな町に暮らす無名な作家である自分。孤独や無力感、怒りを重ねつつ、ザンブレノはそんな文学史上の書き手とヒロインたちを《私の見えないコミュニティ》として描き出す。そうするうち、やがて生成していく新たなコミュニティが、そこに連なる〉と、引用しているだけで興奮してくる、落ち着こう。
無名で書きつづけること。このことについて、きくちさんもインスタで投稿されていたのだけど、わたしもそれをとても考えたくて、冒頭の短編小説を思い出し、引用した。7年前、わたしは小さな文学賞で優秀賞をもらって、それから少しずつ書いて投稿してみても、なかなか評価はされなかった。だけど、そんなの、何人だっているんだ。潜在的な仲間たちは。大きな賞で1番をとることだけが、自分と文学との関わりかたではないと、やっと最近わかったのだった。書きたいのであれば、書きつづけることは(かたちはどうあれ)、そうわるいことではないのでは?と、産後から長いこと書けていない自分は思うのだけど、能天気なのかな。早く読んでみたいな。
わたしもリトルプレスをつくろう。
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9/20/19
ああ、ついに来ました。指紋を取りに移民局へ行く日が。緊張しないように、いろいろ工夫して、途中までは大丈夫だったんだけど、あ、水を買おうと思ったところからおかしくなった。どこにも売ってないのだ。なんとか見つけて、立ち直る前に施設の中へ。以前より雰囲気はよかったのだけど、わたしの担当の人がちょっと怖くて、きょときょとしてたら、Do you seak English?ってバカにするように言われてまた固まってしまった。すごい変なかおで写真撮られたー。これで次の10年かぁ。 フラフラで帰宅して、でも午後はお楽しみなんだ、と切り替え、出かける。 東京から来られているカナイフユキさんって作家さんとアートブックフェアに行くのだー。合流して、カナイさんのお友達と3人で回る。お二人とも柔らかくて、優しくってじんわり嬉しかった。こんな雰囲気の日本の方にお会いするのが久しぶりで。 お友達は先に抜けられて、カナイさんと最後まで一応回って。三時間ちょい?歩き回ったし、一人だったらもっと早くに諦めてたけど、一緒にいてくれたからゆっくり見られてとてもよかった。 その後、どっかで座りましょうかと言って、いつものカフェにお連れしたら、そこに若い、赤ちゃん連れのカップルがいて、ん?なんか、ちょっと待って、あれ?ケイト???って思ったらぐわーって空気が歪むみただった。カナイさんはケイト・ザンブレノの日本語訳の表紙を描かれていて、でも二人はあったこと無いのだった。え、そんなこと、あっていいの?って思いながら、おずおず声をかけると、向こうも、ユウコかと思ってた!だって。 あああ、びっくりした。カナイさん紹介して、写真撮って、喋って別れた。あんまり興奮して、いつもは飲まないアイスコーヒーを飲む。
そこでカナイさんと別れて夫の仕事場で合流して帰宅。
あー、なんて日!!!
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UPLINK MARKET | ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』刊行記念「CRY IN PUBLIC」ポップアップ 「夜の森」出張版 - 2018/9/9(土)17:00-19:00 http://bit.ly/2PkpUg4
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ケイト・ザンブレノ「ヒロインズ」-2
この本はあるタイプの人々を惹きつける一冊です。しかし訳者のあとがきに書かれているように、ちょっと一方的な物の見方・考え方があるのも事実です。
私も大きな括りでは自分はリベラルなフェミニストだと思っていますが、かといってザンブレノ本人にも他のタイプのフェミニストにも共感しきれない部分があります。私もザンブレノと同じようにファッションが好きですが、しかしファッションを追い続けるのが女性として正しく、戦うための武器になるとは思いません。女性だって簡素なスタイルをすることを選ぶのは何も間違ってない。問題はどんなスタイルであっても人に押し付けることであって、着飾るのが好きでも嫌いでも構わないはずだと私は思います。
例えば、私は常に自分がスーツケースひとつでホテルを転々とするような、いつも自分がよそ者で居続けられるような生活を夢想することがありますが、そのためには服や化粧品をたくさん持つことはできません。スーツケースを何十個も持って他人に運ばせて暮らすのは自由ではない。自由でいるためには、自分でコントロールできて責任を持てるものだけを持つのが本当だと考えているからです。それは「ティファニーで朝食を」のホリーの哲学でもあります。私はホリーが言う「ティファニーにいるような気分になれる場所が見つかったら、家具も買うし猫に名前をつける」というセリフがいつも心のどこかにあります。それから「なにひとつ自分の物ではないけど、やっぱりニューヨークが自分の物のような気がする」というセリフも。(私は特にこの2つの部分が大好きなのですが、古い翻訳は絶版になっており村上春樹の新しい翻訳ではそれが伝えきれない言葉になってしまってるので、これは大きな文化の損失だと思っています。)結局のところホリー・ゴライトリーや「誕生日の子どもたち」のミス・ボビットこそが私の理想の生き方なのであって、それはカポーティの書いたフィクションの中にのみ存在できるような気もしてくるのです。永遠に年を取らず、どこかへ消えてしまう存在でしか理想は実現できないのではないか。
そして私はゼルダ・フィッツジェラルド的な「かわいいおバカさん」スタイルが正しいとは思いません。私もハイブランドの物が欲しいと思わないわけではないしデパートに行くのも大好きですが、数があればいいわけではないし、とある大嫌いな人がハイブラ狂いといった風なのを見てなんか冷めてしまいました。
ザンブレノは自分がフェミニストとして、ファッションが好きであることを認めるのが難しかったということを書いています。私はこんなふうに考えたことなど一度もなかったので驚きでした。私はフェミニズムというものを学んだり本を読んだりしたことがなく、自分が大人になってみて個人主義者であることに気づきましたが、どうも大抵の人はそうじゃないらしい、ということにも気づいたのです。これは結局、フェミニスト達の間にも着飾る派と着飾らない派の断絶があるということです。そして日本の大抵の自称フェミニストは、着飾ることを捨てる潔さなんて持っていない。
「天才バカボン」にフェミニストのパロディで、化粧っ気がなくズボンを履き、バカボンパパの一言一言に「ナンセーンス!」と言い返す女性が出てきたことがありました。バカボンパパはナンセンス、に対抗して「オンセーンス!草津オンセーンス!」といいます。するとあまりのくだらなさに彼女は「ゲラゲラ 私はこのバカを評価する」と笑い、バカボンパパは「ひょうかひょうか(そうかそうかの洒落)」と返します。なんだかんだあって、女性はすっかり女の子らしくなりミニスカートを履いて恋人の帰りを待っているようなタイプに豹変するというオチだったと思います。この頃は単にフェミニズムとファッションというものが、「女の子だってジーンズ穿いてあぐらかいたっていいじゃん」という程度のものだったように思えます。最初はコルセットなんてやってらんねーとかズボン履きたいとか、そういうものだったはずです。
バカボンのエピソードはとりあえず置いておきます。しかし昔から、過激なフェミニストは揶揄されがちだった。過激でない場合はエレガントな姿勢と完璧なファッションを求められがちだった。というイメージがあります。
お正月にEテレでフェミニズム特集みたいなのをやっていましたが、そこに登場した人たちは沖縄の方以外みんな、まぁ高そうな服とアクセサリーをつけヘアメイクもビシッとされていました。お正月の番組だからドレスアップしてるにしても、みんなお金持ちなのね〜そしてゴージャスな物が好きなのね〜、とそっちの方が気になった。ゴージャスなものが好きというのはなによりも、良くも悪くも女そのものです。なんかドレスアップは女の戦闘服なのよ!みたいなノリのオタク女性まだいるけどほんともういいよ。
フェミニストに限らず過剰なドレスアップというのは、好奇の目で見られるようでいてわか��やすい賞賛の対象でもあります。よく年老いた人がど派手な格好をしている写真集などがありますが、毎日きちんと着飾り新しいブランドとヴィンテージを組み合わせて自らを作品のように仕上げる女性に、この手の人は簡単に「ああいう年の取り方をしたい」などと口にします。身なりを整え新しい服に袖を通すのは、確かに楽しいことです。楽しいし、「この服を着ていれば自分はどこへだって臆せず行ける」という自信は生き方そのものにも繋がります。だけど、ほとんどの人間というものは装飾が施されていなければファッションではないと思っている。逆に言えば、じっくり見てみるとバランスがおかしくクオリティの低いものであっても、装飾的であれば印象で素晴らしいと思う。そういう態度はありきたりで退屈だと思います。
数年前、個人的にファッションについてとても印象に残ったことがありました。大晦日に紅白歌合戦に出演した菅田将暉と、その後ナインティナインの番組に出演した田中圭が同じマルタン・マルジェラの丈の長いセーターを着ていたのです。田中圭の方はバラエティ番組だったのであまり取り沙汰されなかったのですが(かわいいセーターだな、と思っていたら岡村が「長ない?!」とツッコミを入れていましたが)、菅田将暉の方は紅白歌合戦といういわば晴れ舞台ともいえる場所にシンプルなセーターで出たというので、ツイッターでちょっとだけ話題になったのです。でも若い女性はそのセーターの良さをわかっており、あのファッションを取り入れたいけどマルジェラの数十万のセーターは買えないからプチプラで似たのを探すとか、素敵な男性のセーター姿は良いとか、そんな感じでした。一方おそらくオタク系の男性は、あんな普通のセーターが数十万するのかとか、イケメンはGUやユニクロみたいな服で紅白に出ても許されていーなーとか、そんな意見が見られたのです。(私がなんでその時ツイッターを見たかというと、まさしく田中圭のセーターが素敵だったので話題になってるのではないかと思ったからです。紅白は見てなかったので菅田将暉の姿はあとで見たのですが)
このように、一見シンプルな服というのは価値が分かりづらい。マルジェラだからというのではなく、テレビに映ることに耐えうるシンプルなセーターなどというのは、実物はもっとすごいものであることが多いのです。だけどほとんどの人はシンプルなセーターよりもたとえプラスチックでもビーズがびっしりついたドレスの方が着飾ることについては上だと思っている。それはファッションというものに対して一元的であまりに退屈だと私は思うのです。
かといってもちろん、一部のフェミニストのように着飾らないを通り越して不潔さを感じさせる、反抗期の中学生男子のような態度だって良くないと思いますし、かわいいものに惹かれる女の子を頭ごなしに否定するのは良くない。いちいち着飾ることやスカートやピンクが嫌だと思うならそれらはおのれで身につけなければよろしい。
反抗と怠惰はちがうのです。おしゃれが大好きでも自分を大事にしない人はいるし、服を着ることが楽しくないと思う人もいます。ファッションを楽しむということと、スタイルを持つということは別であって、なんだかんだ言って清潔が一番大事だから何にも考えたくなければ清潔というスタイルを選べばいいんだよ。ヒロインズの話がどっかいっちゃった。
(つづく)
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