[Jack-o'-lantern]
Photoshop
画家ギュスターブ・モローの代表作「出現」より着想を得た作品です。
人類の歴史と悠久の地球の時間の壮大さの交錯する中にある人の営みの灯りを表現しました。
0 notes
心の旅~その43
昨日の「心の旅~その42」の続き、『ヒグチユウコ展 CIRCUS』のご紹介。
ヒグチユウコさんの作品は色使いも独特で美しいのですが、モノクロの絵もとっても雰囲気があり見入ってしまいました。
絵だけでなく、いろいろな造形や食器や家具、デザインした服やらが飾られていました。
ご紹介したものは、ほんのほんのごく一部。作品数は1,000点以上もあったとか。呆然としてしまったこと、ご理解いただけたでしょうか?
家でゆっくり見られるように作品集を購入しました。それがこちら。表紙だけでも見入ってしまいますよね。
中身を一部だけ紹介いたします。彩り豊かなこちら。
次は「不思議の国のアリス」をモチーフにした絵。
こちらは「ポケモン」のキャラクターたち。子どもたちが歓声を挙げていた絵です。すごく可愛い!
そして昨日紹介した掛け軸。迫力に驚いた作品。若冲の雄鶏図へのオマージュでしょうか。『GUSTAVE 若冲雄鶏図』となっています。GUSTAVE(ギュスターブ)とは、絵に出てくる猫の顔したキャラクターの名前。
こうして、紹介しながらも圧倒されています。実際に、見に行くことができるようでしたら、ぜひ!4月10日まで六本木の「森アーツセンターギャラリー」で開催されています。
「たくさんの人が魅了される素晴らしい作品を創造できるって、なんて素敵で幸せなことだろう!」とこちらまでエネルギーをいただける「心の旅」でした。
0 notes
ギュスターヴくんのぬいぐるみができたー❣️#ギュスターブくん #ひぐちゆうこ #gustave #higuchiyuko #ぬいぐるみ #ぬいぐるみじゃありません家族です https://www.instagram.com/p/CW0XkWQpXBa/?utm_medium=tumblr
2 notes
·
View notes
「オペレーション・ワープスピード」(OWS)の3点目の特長は、組織の「縦割り」問題を回避したことである。アメリカの場合、薬品の認可は米食品医薬品局(FDA)が行い、コロナ対策は疾病対策センター(CDC)が前面に立ち、ほかにも厚生省や米国立衛生研究所(NIH)、米生物医学先端研究開発局(BARDA)など多くの関係官庁がある。しかし最高執行責任者(COO)はギュスターブ・ペルナ陸軍大将であった。有事対応であるから米軍が元締めとなり、トップは軍人なのである。
アメリカでは01年に炭疽(たんそ)菌テロ事件があり、以降はバイオテロリズムへの備えがなされてきた。感染症対策には、軍事面での蓄積があったことを忘れてならない。
こうしてみるとOWSは、久々に本気になったアメリカの底力を見せつけたプロジェクトといえよう。全米で60万人もの死者を出したが、起死回生のコロナ対策手段を生み出した。アメリカが自信過剰気味に見えても不思議はあるまい。「達成感」があるからだ。
さて、なにかにつけて「後手後手」批判が絶えないわが国では、同じようなことができるだろうか? 仮に政府がその気になっても、周囲が寄ってたかってつぶしてしまいそうだ。そもそも有事への備えがなかったし、今も発想は平時のままである。
【正論】米ワクチンに学ぶ行動する勇気 双日総合研究所 チーフエコノミスト・吉崎達彦 - 産経ニュース
2 notes
·
View notes
読書家デヴィッド・ボウイが最も影響を受けた100冊
ボウイが生前に発表したリストには古典から小説、歴史、社会科学、コミックまで、さまざまな本が並ぶ(以下、年代順)。
『イリアス』ホメロス(紀元前8世紀)
『神曲』ダンテ(1307?~1321年)
『ザノーニ』エドワード・ブルワリットン(1842年)
『高等魔術の教理と祭儀』エリファス・レビ(1854年)
『ボバリー夫人』ギュスターブ・フローベール(1856年)
『マルドロールの歌』ロートレアモン伯爵(1868年)
『死の谷――マクティーグ』フランク・ノリス(1899年)
『Blast(ブラスト)』雑誌、ウィンダム・ルイス編集(1914~15年)『荒地』T・S・エリオット(1922年)
『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド(1925年)
『チャタレイ夫人の恋人』D・H・ローレンス(1928年)
『白い黒人』ネラ・ラーセン(1929年)
『べルリン アレクサンダー広場』アルフレート・デーブリーン(1929年)
『北緯四十二度線』ジョン・ドス・パソス(1930年)
『死の床に横たわりて』ウィリアム・フォークナー(1930年)
『橋』ハート・クレイン(1930年)
『卑しい肉体』イブリン・ウォー(1930年)
『Infants of the Spring(春の子たち)』ウォレス・サーマン(1932年)
『イングランド紀行』J・B・プリーストリー(1934年)
『ノリス氏の処世術』クリストファー・イシャウッド(1935年)
『ビーノ』コミック誌(1938年~)
『いなごの日』ナサニエル・ウエスト(1939年)
『真昼の暗黒』アーサー・ケストラー(1940年)
『鯨の腹の中で――オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル(1940年)
『異邦人』アルべール・カミュ(1942年)
『ブラック・ボーイ――ある幼少期の記録』リチャード・ライト(1945年)
『街路』アン・ぺトリー(1946年)
『一九八四年』ジョージ・オーウェル(1949年)
『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ(1955年)
『A Grave for a Dolphin(いるかの墓)』アルべルト・ディピラーニョ(1956年)
『アウトサイダー』コリン・ウィルソン(1956年)
『かくれた説得者』バンス・パッカード(1957年)
『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック(1957年)
『年上の女』ジョン・ブレイン(1957年)
『山猫』トマージ・ディ・ランペドゥーサ (1958年)
『Writers at Work: The Paris Review Interviews, vol. 1(パリ・レビュー・インタビュー)』マルカム・カウリー編(1958年)
『Billy Liar(うそつきビリー)』キース・ウォーターハウス(1959年)
『北京物語』デービッド・キッド(1960年)
『ひき裂かれた自己』R・D・レイン(1960年)
『心眼を得る』ダグラス・E・ハーディング(1961年)
『ミス・ブロウディの青春』ミュリエル・スパーク(1961年)
『プライベート・アイ』英風刺雑誌(1961年~)
『サイレンス』ジョン・ケージ(1961年)
『世にも不思議な物語』フランク・エドワーズ(1961年)
『時計じかけのオレンジ』アンソニー・バージェス(1962年)
『The American Way of Death(アメリカ式死に方)』ジェシカ・ミットフォード (1963年)
『夜の都会』ジョン・レチー(1963年)
『次は火だ:ボールドウィン評論集』ジェームズ・ボールドウィン(1963年)
『Puckoon(パクーン村)』スパイク・ミリガン(1963年)
『午後の曳航』三島由紀夫(1963年)
『ハーツォグ』ソール・べロー(1964年)
『ブルックリン最終出口』ヒューバート・セルビー Jr.(1964年)
『冷血』トルーマン・カポーティ(1965年)
『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ(1967年)
『明るい夜 暗い昼』エブゲーニヤ・ギンズブルグ(1967年)
『クリスタ・Tの追想』クリスタ・ウォルフ(1968年)
『Awopbopaloobop Alopbamboom(ロック黄金時代)』ニック・コーン(1969年)
『The Sound of the City: The Rise of Rock and Roll(その街で鳴る音――ロック勃興記)』チャーリー・ジレット(1970年)
『青ひげの城にて――文化の再定義への覚書』ジョージ・スタイナー(1971年)
『Octobriana and the Russian Underground(オクトブリアーナとロシアの地下帝国)』ピーター・サデッキー(1971年)
『洪水の前――べルリンの1920年代』オットー・フードリヒ(1972年)
『西洋美術解読事典――絵画・彫刻における主題と象徴』ジェームズホール(1974年)
『ミステリー・トレイン――ロック音楽にみるアメリカ像』グリール・マーカス(1975年)
『Tales of Beatnik Glory(ビートニク栄光譚)』エド・サンダース(1975年)
『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ(1976年)
『ベッドのなかで』イアン・マキューアン(1978年)
『嫌いなものは嫌い――メトロポリタン・ライフ入門』フラン・レボウィッツ(1978年)
『ナグ・ハマディ写本――初期キリスト教の正統と異端』エレーヌ・ぺイゲルス(1979年)
『Viz(ビズ)』英コミック誌(1979年~)
『A Confederacy of Dunces(愚か者連合)』ジョン・ケネディ・トゥール(1980年)
『Earthly Powers(地球の力)』アンソニー・バージェス(1980年)
『民衆のアメリカ史』ハワード・ジン(1980年)
『Raw』米コミック誌(1980~1991年)
『フロベールの鸚鵡(オウム)』ジュリアン・バーンズ(1984年)
『The Life and Times of Little Richard(リトル・リチャードの人生と時間)』チャールズ・ホワイト(1984年)
『Money(お金)』マーティン・エイミス(1984年)
『夜ごとのサーカス』アンジェラ・カーター(1984年)
『Nowhere to Run: The Story of Soul Music(行き場がない――ソウル音楽の物語)』ジェリー・ハーシー(1984年)『魔の聖堂』ピーター・アクロイド(1985年)
『ホワイト・ノイズ』ドン・デリーロ(1985年)
『スウィート・ソウル・ミュージック――リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢』ピーター・ギュラルニック(1986年)
『肉への慈悲――フランシス・べーコン・インタビュー』デービッド・シルべスター(1987年)
『ソングライン』ブルース・チャトウィン(1987年)
『David Bomberg(デービッド・ボンバーグ)』リチャード・コーク(1988年)
『性のぺルソナ――古代エジプトから19世紀末までの芸術とデカダンス』カミール・パーリア(1990年)
『Beyond the Brillo Box: The Visual Arts in Post-Historical Perspective(ブリロボックスを超えて――ポスト・ヒストリカルの視点におけるビジュアルアート)』アーサー・ダントー(1992年)
『Kafka Was the Rage(カフカは怒りだった)』アナトール・ブロイヤード(1993年)
『バード・アーティスト』ハワード・ノーマン(1994年)
『ウィルソン氏の驚異の陳列室』ローレンス・ウェシュラー(1995年)
『ワンダー・ボーイズ』マイケル・シェイボン(1995年)
『終わりなき闇』ルーパート・トムソン(1996年)
『A People's Tragedy: The Russian Revolution 1891-1924(民衆の悲劇――ロシア革命1891-1924)』オーランド・フィゲス(1996年)
『TADANORI YOKOO』横尾忠則(1997年)
『アメリカの陰謀とヘンリー・キッシンジャー』クリストファー・ヒッチェンズ(2001年)
『コースト・オブ・ユートピア――ユートピアの岸へ』トム・ストッパード(2002年)
『荊(いばら)の城』サラ・ウォーターズ(2002年)
『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』ジュノ・ディアス(2007年)
『Teenage: The Creation of Youth Culture(ティーンエイジ――若者文化の創造)』ジョン・サべージ(2007年) 『The Age of American Unreason(アメリカの反逆の時代)』スーザン・ジャコビー(2008年)
『Selected Poems(傑作詩集)』フランク・オハラ(2008年)
鬼才デヴィッド・ボウイの本棚、覗いてみませんか? | ワールド | for WOMAN | ニューズウィーク日本版 オフィシ��ルサイト
8 notes
·
View notes
お気に入りのクッション #ギュスターブくん #ギュスターブ #クッション #インテリア #部屋 #すきなものに囲まれて暮らしたい
0 notes
ギュスターブ・モロー美術館
(via 世界の建築家がスゴいと思った建築リスト 日本からも2つランクイン! : 海外の万国反応記@海外の反応)
0 notes
【画像】現地人を300人食い殺した伝説の巨大ワニ「ギュスターブ」さん、デカすぎる
あとで読む 1: ひえたコッペパン 2021/05/17(月) 20:31:49.54 ID:xWAAUYl10 あとで読む
Source: ひえたコッペパン
View On WordPress
0 notes
夏やね
@霧島ヶ丘公園
25 notes
·
View notes
[The Apparition]
Photoshop, Blender
画家ギュスターブ・モローの作品群から着想を得た作品です。天上の王国の到来を幻視する様な世界観を表現しました。
#conceptart #fantasyart #illustration #イラスト #ファンタジー
0 notes
【画像】人を300人食った伝説の巨大ワニ「ギュスターブ」さん、デカすぎる
オタクニュース – 【画像】人を300人食った伝説の巨大ワニ「ギュスターブ」さん、デカすぎる
【画像】人を300人食った伝説の巨大ワニ「ギュスターブ」さん、デカすぎる
Source: 5ちゃんねるまとめのまとめ
View On WordPress
0 notes
上野動物園-国立西洋美術館
バイト終わり、「人生こんなんでいいのか」的な発想に取り憑かれて久々に外出。
電車に乗って本格的な外出(そとで)だ。
なんとなーく近場の駅まで歩いてみたらなんとなーく動物園にいきたくなって、上野まで。
京成線は上野駅に一本で行けるから便利。
スマホがないと電車内ですることがない。
本も持ってこなかったのでひたすら考え事。
むしろいい時間の使い方してる気がする。
上野駅に到着し、看板などをたどって上野動物園へ。
実は高校生の時分ここに二度来たことがある。
一度目は夏で、二度目は冬。
どちらも東京芸大の受験関連のイベントだった。
すっかり忘れてたので、駅を出たとたんに受験の思い出が広がってちょっと腐った気分になった。
上野公園も並木道も人で溢れている。
そのほとんどがカップルか家族連れか友人か。
一人でぶらぶらしてると多少寂しい。
彼女いたらなーとか、まあ考えるんですが。
が、そんなこと気にしない、と心に決めて動物園にはいる。
フクロウ、ヤマアラシ、ケープハイラックス、アイアイ、ワオキツネザル、リクガメなどを鑑賞。
生で見る動物がこんなにも興味深くかわいらしいものだとは思わなかった。
久しく忘れていたようだ。
特にケープハイラックスが興味深い。偶蹄類と齧歯類の特徴を併せ持つ中間生物のような形態をしている。
それはカピバラのような大型の齧歯類ならば皆共通なのだが、このケープハイラックスには他の齧歯類には見つけられなかった特徴がいくつも見出せて満足だった。
ケープハイラックスの良いところは歩き方ですね。
前脚、後脚の作りが異なるのに四足獣の座り方をする。
通常のネズミよりも重心が前脚にあるようだ。
また上向きの鼻も面白い。鼻の筋肉が発達した動物といえば象やバクでしょう。始祖のネズミの流線型の頭部がそのまま発達したと思われる。
尻尾も面白い。おそらく脂肪や筋肉はほとんどなく、尾てい骨が軟骨と皮に守られているだけのお飾りのようなもの。
ケープハイラックスが座る時この骨に重心はかかるのか? 尾の強度はどれほどのものか? などを観察してスケッチしていた。
ぷらぷら遊びに来たわけですが目的が1つだけあって、象。
描いてる漫画に象が出てくるのでその資料集めに行ったわけですが、上野動物園には象がいないんですね。
知らなかったな。その点だけは極めて残念でした。
あと、休日の動物園だけあって家族連れが多いんですが、わいわい騒ぐ子供がかわいかったです。
毒を持つ動物のいるケースを指差して「あいつ(の針)に刺されると命を奪われるんだよ!」と叫ぶ男児が印象的でした。
命を奪われる、という表現がなんだか面白かったです。
僕んちも「簡単に殺すとか死ねとか言うな」という教育の家庭だったので、わりと子供の頃から「亡くなる」とか別な表現を使っていたのですが、彼もそうなのかなあと。
だって「殺す」「死ね」ってめちゃくちゃ使い勝手の良い表現じゃないですか。
実際大人になった今の俺は頻繁に使ってますし。
馬鹿に刃物と同じ原理で子供に殺意を示す言葉はなるべく禁じた方が良いのではないかなあ……というのが僕の個人的な感情ですから、彼には好感を持ちましたね。
それは別にして、これ小説なんかに頻出する表現ですが、「命を奪う」なる比喩を最初に発明したのは誰なのだろうとものすごく気になりまして。
結局調べてもわからなかったのですがそのうち突き止めたいですね。
そんな感じで思考の寄り道含めて動物園を堪能。
せっかく上野に来たわけだし美術館に寄っていくことにした。
人波をこえて国立西洋美術館へ。
プラド美術館展がやっていて、俺が好きな画家・ベラスケスの絵が来ていた。
ベラスケスはとても良かった。
一番最初に展示されている目玉作品の『自画像』は感動的でした。
特に髪が薄くなった頭部のうっすらとした質感、これはすごい技術だと目を見張りましたね。
ベラスケス以外の作家にもいくか感動する作品がありました。
大御所はやっぱり力が違うもんで、ルーベンスが描いたマリアの目などはものすごい集中力がありました。これ以外のルーベンスはあまり良くなかったのですが。この上なく贅沢な『良くない』ですな。
一番興味深かった作品は常設展示にありました。
ギュスターブ・ドレの『ラ・シエスタ/スペインの思い出』(画像)
これはもう、うっとりしてしまいました。
ここで一つ講話なんですが、写真とCGを通過した現代において絵画を鑑賞する意義について。
ペンタブレットを駆使して描くデジタルイラストも含めてCG(コンピュータグラフィックス)が発達した現在、絵に西洋絵画のようなリアリズムを出すことはそれほど難しい話ではありません。
ゴッホ風の絵もデジタル処理すれば簡単につくれますし、画家が腐心して作った画面全体の色合いもいまやフォトショップを使えば加工は容易い。
そして描いてる側にもレベルの高い人間は相変わらず存在するわけで、デッサン力で言えばそれこそベラスケスやルーベンスを上回る人もそれなりにいるでしょう。ベラスケスは別にずば抜けてデッサン力が高い画家ではないですし。
絵画の特徴は絵の具で描かれているというだけで、現代の一流画家たちがそれをみてもそこに画面処理技術としてのうまみは昔ほどはないでしょう(多くの一流アーティストはそんなことないと否定すると思いますが)。
では、なぜ今の時代に絵画を見る理由があるのでしょうか。
多くの場合は『教養』そのひと言に尽きます。絵画は歴史であり教養です。画家を知り時代を知り図像記号学を解釈することは文化生活を豊かにします。過去の技術を知ることで現代につながるルーツも理解できます。
しかしですね、僕はもっと本質的にコンピュータグラフィックスとは異なる面白みがフィジカルな絵画にはあると思いますね。
それは絵の具のマチエール-質感。
絵の具はフィジカルなものですから、平面とは言っても必ず凹凸があります。
特に古い絵画作品などはニスが塗布されていて照明次第ではテカって見えにくかったりします。
そういう絵画のものとしての質感や量感を見ていくと、画家がどう筆を動かしたのか、またどういう軌跡があって絵画が完成したのか、またどのような躍動を絵が秘めていてどう画面効果として出ているか……
これらをモザイクを見るようにして鑑賞することができます。
これは極めてマニアックな鑑賞法ですが、一つの方法論として機能するでしょう。
印刷が発達し、写真が発達し、動画が発達し、グラフィックが発達し……そうやって絵画はどんどん形態を変えて、ありていに言えばより複雑化し高速化しています。
そんな中にあってもっとも情報量が少なくもっとも時間的コストがかかるであろう絵画鑑賞を楽しむこつが、マチエールなんじゃないかなと思いますね。
マチエールはあらゆる図画映像芸術のなかでももっとも静かで深化された時間芸術と言えるでしょう。
マチエールを楽しみ、絵画の量感を楽しみ、それを色彩や図像学や描かれているモチーフと結びつけて絵画の見方を深める。
そしてそういうものの見方は往々にして教育的な側面を孕むわけで、その意味でも価値ある行為となります。
これは絵画が絵画として存在する立派な理由であると思われます。
ギュスターブ・ドレの作品は、この日みた作品の中でマチエール的時間芸術という点でもっとも深みがある味わい深い作品でした。
また、ニスのテカリで見る角度によって描かれた人物が見えたり見えなかったりして、定点で鑑賞し尽くすことが難しい作品であります。
人物を描くタッチがそれぞれ異なっており、一つ一つが浮いて見えたり調和していたりする。
ものすごく技術のある人が、画面を緻密に構築し、その上で郷愁や慈しみといった“遊び心”を筆で加えていった結果こういった作品になった気がします。
これはとてもよかった。常設展示だけでももう一度見たいとおもうくらい良い作品でした。
国立西洋美術館には以前一度行っているはずなんですが、もしかしたら企画展だけ観て常設展示は回らなかったかもしれない。
もったいないことをしたような、そうでないような。
ドレで満足したので帰宅。
帰りにショッピングモールのパン屋でピザとハンバーガー、明太フランスを購入。
その後別のパン屋でカレーパンを購入。
帰宅してパンを食べる。
うまい。
食い終えたら猛烈な睡魔に襲われ眠りにつく。
まあ夜勤明けからそのまま動物園いって美術館回って体力と集中力使い果たしたんだから当然っちゃ当然。
起きてこの日記を書いている。
日曜の夜も夜勤だ。
今週はバイトだの携帯の破損だのバタバタしていた。
来週は漫画をがっつり描きたく思います。
2 notes
·
View notes
三國さんのイベントで買ってしまったゴム編み(?)のブローチ。KPKPで1目ゴムだよね。すぐに持ち帰りできるものを集めたコーナーにありました。 🧶 帰り道ヒグチユウコさんのガチャが目に入り、つい…。もちろんギュスターブ君狙いだったんだけど、出てきたのは椅子だった。椅子だよ…(笑)。 🧶 家に帰って、本棚の縁になんとなく置いていた真鍮のヘンな猫のチャームを、移動してみたら、けっこう似合うような。へんなもの同士のマッチングかなあ。ガチャの容器はダーニングの友になりそうですよ。中に糸も入るし。 https://www.instagram.com/p/B67b62pJyz5/?igshid=st4ihctre1jc
0 notes
OWSにはFDA以外にも、CDC(疾病対策センター)、NIH(国立衛生研究所)、BARDA(生物医学先端研究開発局)、HHS(保険福祉省)など多くの省庁が参加している。が、COOとして指揮を執ったのはギュスターブ・ペルナ陸軍大将であった。有事対応である��ら米軍が元締めとなり、トップは軍人なのである。これも日本では考えにくいことであろう。
0 notes