#キートン
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アニー・ホール 東宝/United Artists 監督・脚本=ウディ・アレン/出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、シェリー・デュヴァル、キャロル・ケイン ほか
#annie hall#アニー・ホール#woody allen#ウディ・アレン#diane keaton#ダイアン・キートン#tony roberts#shelley duvall#carol kane#anamon#古本屋あなもん#あなもん#映画パンフレット#movie pamphlet
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ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
THE FOUNDER
映画の出来とマクドナルドの評価とがゴッチャになってしまいそうですが、 映画はちゃんと出来ているので及第点。
残念に思ったのは、本当の創業者の作っていたハンバーガーは美味しそう。 それがこの悪人の手に渡らずに食べられていたらな~と。 しかも約束を守らないクズ人間の主人公を見ていて、 本当に心底マクドナルドがあらためて嫌いになってしまう始末。
そういう主人公を演じるマイケル・キートンや作り手は凄い。 悪魔の軍需産業ともつながっていると噂の巨大悪徳企業の悪口を言ってるみたいなもん。 それができるアメリカの素晴らしさ。
乗っ取り男の映画を「THE FOUNDER(創業者)」としたのも皮肉が効いてる。 実際、乗っ取り男の死後「創業者追悼キャンペーン」をしたという、残された経営陣もクズっぷりがスゴイ。
何の肉を使ってるかわかったもんじゃないとか、 放置しても何か月も腐らないハンバーガーとか、 漂白剤に漬けられた真っ白なポテトとか、 異常なほどに誹謗中傷が多いもの悪の歴史故なのか。
マクドナルドで働いて使い捨てされた人を何人も知っていて、 マネージャーや店長経験者が、辞めてもマック自慢・崇拝している人ばかりで、 新興宗教っぽいし、実際には使えない人ばかり。 心の弱いなびきやすい人間を使い捨てていくもの帝国を築くためか。
元祖ブラック企業というイメージなので、 この映画を観ても悪口ばかりを言いそうで敬遠してましたが、予想以上に悪いマクドナルド。
今でこそバーガーキングのようなちゃんと肉の味がする店もあるけど、 マクドナルドのハンバーガーが美味しかったことはないし、 有名タレントCMでイメージアップに騙されている人たちの味覚って何?
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映画『アニー・ホール』
U-Nextでウディ・アレン監督・脚本・主演の映画『アニー・ホール』を見ました。
『アニー・ホール』は私にとって非常に大��な映画で、これまでに何度も、心が弱くなったときや、逆に心が高揚しているときに見ています。
今回は特に心が弱くなっているわけでも高揚しているわけでもないのに見たからでしょうか、以前ほど夢中にはなれませんでしたが、ウディ・アレン演じる主人公のスタンダップ・コメディアン、アルビー・シンガーがカメラの方を向いて観客に直接語りかけ、「このホテルの料理は本当にまずい。おまけに量も少ない」と「僕を会員にするようなクラブには入りたくない」という二つの小話から始まり、「先生、大変です。弟が自分をニワトリだと思っています」、「それはいかんね。すぐに治療をしよう」、「でも、先生、私は弟が産む卵が必要なんです」という小話で終わるという構成は、やはり見事のひとこと。
今回感心したのは、わざわざニューヨークからロサンジェルスまで行ってアニーに復縁を求めたのに拒絶されたアルビーが、数年後アニー偶然再会する場面で、アニーが新しい恋人を『悲しみと哀れみ』に連れて行っていることを知って「勝った」と思うところです。
『悲しみと哀れみ』はホロコーストを描いた4時間超(!)のドキュメンタリー映画ですが、アルビーはアニーと付き合っていた頃、アニーをこの映画に連れて行っています。つまり、かつてアルビーがアニーにしたことを今アニーは新しい恋人にしているわけです。
男と女の関係に「勝つ」も「負ける」もありませんが、私も長い人生の中で似たようなことがありましたから、アルビーの気持ちはよくわかるような気がします。
でもホントにこの頃のウディ・アレンは輝いていました。1977年の『アニー・ホール』から1987年の『セプテンバー』あたりまでーー『インテリア』、『マンハッタン』、『スターダストメモリー』、『サマーナイト』、『カメレオンマン』、『カイロの紫のバラ』、『ハンナとその姉妹』、『ラジオデイズ』ーーどれをとっても名作ばかりです。たった10年でこれだけ名作を撮ったというのは、「すごい」としか言いようがありません。
でもそれ以降は……
どうしてこんなことになったんでしょう。いろいろスキャンダルがあったからですかね。それ以降の作品で名作と言えるのは、『世界は女で回っている』(1997)と『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)くらいでしょうか。
しかしまあ、名監督と言っても名作はほんの数作しか撮っていないものーーこれだけ多くの映画で私の心を震わせてくれたウディ・アレンに感謝すべきでしょう。
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DC最高傑作『ザ・フラッシュ』7月28日より地上最速でプレミア配信開始! - 海外ドラマNAVI
"最初の正式なフィッティングの時に、マイケルにカウルをかぶせながら「今回はかなり動かせるようにしました。」って話したんです。そうしたら、「それは不要だな。うん、動かせない方がいい。ロボットみたいに固定された首じゃないと。あれが、僕が演じるバットマンのパフォーマンスだからね」って言われたんです。なので僕は「ああそうなんですね」って(笑)もちろん与えられた条件下で見事に演技をしてくれましたが、オリジナルのスーツでの制限が彼の演技をそこまで助けていたというのは興味深いですよね"
*そうなんだよ。あのギコチナイ動きが、バットマンの「変人」性を滲み出させるんだナア。
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ホライゾン バットマンリターンズ
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ホライゾン バットマンリターンズ
バットマン 1/6フィギュアサイズ ソフビキット
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今日は雨☔
仕事はお休みにして、のんびり過ごしています。最近観た映画の鑑賞記録を書いておこう✍️
昨日観たのはこれ。
ロンドン、人生はじめます
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ダイアン・キートンが好きで結構観てるけど、この作品も、彼女の自然な魅力が溢れていて良かったです。街が綺麗な映画大好き。この映画は実話が元になっているそうです。
個人的な観点でいうと、自分を貶したり目の前で感情的になる男性に対して、毅然と拒絶の態度を示すところが素敵だと思いました。
好きじゃない友達とやりたくない事をやる人生なんてつまらない。空っぽなまま生きていちゃもったいない。いくつになっても、愛する人には愛してるって言わなきゃね、っていう前向きな物語。心を開くと未来も開ける。
2本目はついさっき観終わったホラー映画。
エスター
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たまーに怖い映画が観たくなるんだよ。苦手なのに。本当はホラーじゃなくて心理サスペンスみたいなのが好きなんだけど見つけきらん。
冒頭の悪夢のシーンで観るのやめようと思ったけどちょっと目を逸らしながらそこを乗り越えて最後まで観た。怖かった!真相は…衝撃的でした。
母というか、女の本能的な違和感や勘は決して侮ってはならんな。それが愛する妻の勘ならなおさら��よ。という感想。
鈍感な男性って、女性の本能的な危機感を嫉妬やヒステリーって決めつけて軽視するところあるよね。
マックス役の子役ちゃんが超かわいかった。
あと、これはこないだ観た映画。
しゃぼん玉
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原作の小説を読んだことがあるんだけど、この映画、前に観たっけ?って錯覚するくらい、私が原作を読んでイメージした映像と一致してる部分がありました。
小説でも色々考えさせられたけど、映画は役者さんたちの演技がものすごく良かったです。市原悦子さんはもちろんのこと、林遣都さんが素晴らしかった。
後ろめたい過去のことなどなかったかのように忘れて過ごせる楽しい瞬間が訪れて、テンションが上がって饒舌になるシーンがやけにリアルで印象に残りました。
人と関わることや体を動かすことでも意識は変わるけど、大切な人や自分が幸せになれない理由の重さを知った時、本当の意味で人は変わるのかもしれない。と思った。
原作があるものを実写化する意義を感じた作品。とてもいい映画だった。
まったくジャンルの異なる3作品の鑑賞記録でした☺️
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ベケット映画祭のオープニングイベントへ行った。 20世紀欧州の戦後から現代までの文学・美術・舞台&映画にめちゃめちゃ影響ある作家だよなーーーという理解を強化して帰ってきた。映画祭自体は来月なので楽しみ。
シェイクスピアもそうなんだが、影響元というより作品が文法として機能してしまうと、その文法にのっとって作られたものとかそうとわからず受容されるよね。おおもとを知らなくても「そういうもの」になっているというか。
「ベケット映画祭」(会場:京都)で検索するか、演劇博物館(会場:東京)のサイトを見るとイベント情報が出てるのでぜひみてほしい。
京都会場のほうは代表作の『ゴドーを待ちながら』や『エンドゲーム』、バスター・キートン主演の『フィルム』などなどの上映。東京会場のほうは実験的な映像作品が上映されるんだけど、アラン・リックマンとかジュリアン・ムーアとかの主演作品がかかる。ただしアラン・リックマンはでかい壺に入って首だけ出た状態のままだしジュリアン・ムーアは口だけしか出ていない。
何かの作家について語ると「その作家(あるいは作品)にめちゃめちゃ心酔している」ととらえられることが毎度なので毎度申しあげておきますがべつに作家が好きなわけではないです。>>>上演されるもの<<<が好きなだけで。そして上演されるものにも面白いものと面白くないもがあり、傑作か駄作かどうかもまた別。退屈を体現した傑作もあるし、作品見てめちゃめちゃ楽しく笑った挙句評価は駄作になることもある。評価軸は絶対のものではないし、見た時期によっても変わるので。
ベケットの作品を面白いものだと思っているけど、だれにでも100%ウケるものだなんて微塵も思わんもん。そりゃそうでしょう。なんだってそうよ。
これは最近作った絵具。 青・赤・黄の比率でどういう色の違いが出るのかなあってためしてみたもの。水干で作っているのでちょっとマットめ。アラビアガムの分量というか水分の具合で絵の具のまとまり方に違いがあってなんかちょうどいい感じがまだつかめてない。
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「だが、その全てを記すには、あまりにも時間が足りない。よって今は、碇シンジという名の少年。彼の心の補完について語ることにする」最初から全部言っててウケるんだけど、これキートン山田がナレーションしてたら伝わったと思う
鳴海ニートさんはTwitterを使っています
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MASTERキートン。結婚、転勤のたびに減っていった中で、最後まで本棚に残ってた漫画はどれも再読率高かったけど、一番はこれだった気がする。
[B! 漫画] 何度読んでも面白い漫画
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シネマ博物誌-エノケンからキートンまで 森卓也 平凡社 装幀=和田誠
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ザ・フラッシュ
The Flash
このところ注目のアンディ・ムスキエティ監督。 見せ方がうまい、面白い。
フラッシュというとテレビ版レベルのヒーローじゃん、と侮っていましたが(すいません)、 前回からのジャスティスリーグでの活躍と存在感とカッコ良さをそのままに、 ちょっとおバカなキャラゆえの展開。
話はくだらない。 死んだ母親を死なせない為に過去に戻ってマルチバースをゴチャゴチャに。 途中でヤバいと気付いて元に戻そうとしても・・・
これまでの懐かしいヒーローたちを出してくるには上手い演出。 クリストファー・リーヴのスーパーマンも出てきたり、 テレビシリーズの人たちもいっぱい出てきて嬉しい楽しい。
今回映画初出演というサッシャ・カジェの初ラテン系スーパーガールもイケてる。
で、何より主人公エズラ・ミラーがイイ。 頭はめっちゃキレるくせにちょっとおバカ、がうまい。 どんどん主役が入れ替わって今最悪のスパイダーマンとは歴然とした違い。
見所が多すぎてお腹いっぱいですが、 最初のベイビーシャワーのシーンが一番好きかな。 お腹減ってて力が出ないフラッシュが、 頼んだ朝食が出来上がる間に、人の物を食べ食べ赤ちゃんたちを次々と助けちゃうところ。 つかみはバッチリ、ですね。
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映画『恋とニュースの作り方』
2日間にわたる劇団風波の合宿(?)を挟んで、レイチェル・マクアダムス繋がりで映画『恋とニュースの作り方』(原題 Morning Glory、2010)をみました。
でも、これはダメ映画です。
レイチェル・マクアダムスも全然かわいくありません。レイチェル・マクアダムスは映画によって……というより写し方によってたまらなく魅力的に見えるときと全くかわいくないときの落差が大きいようです。
彼女が演じるのは恋にも仕事にも貪欲な野心家のテレビウーマン・ベッキーですが、そもそもそんな役柄は彼女に合いません。もっとフツーの女性で、フツーの女性だがどこかちょっと変とか、フツーの女性がフツーでない状況に巻き込まれるとかいう方が合っているように思います(私がレイチェル・マクアダムスに惚れ込んだ『アバウト・タイム、愛しい時間について』がまさにそうでした)。
地方のテレビ局をクビになったベッキーは再就職先を必死になって探し、ある局の朝の番組『モーニング・ブレイク』のプロデューサーになります。
他局をクビになった人間が朝の番組のプロデューサーになるというのは変ですが、それもそのはずこの番組は視聴率が低くボロボローーその番組をベッキーが立て直すという物語ですが……陳腐です。あまりにも陳腐なストーリー。今どき日本のテレビドラマでもあんな陳腐なストーリーはないと思います。
ベッキーは番組を立て直すために「伝説のジャーナリスト」マイク・ポメロイにキャスターを依頼するのですが、ポメロイ役を演じるのはなんとあのハリソン・フォード。ポメロイと一緒に番組を進行する女性キャスター・コリーンを演じるのはあのダイアン・キートン。
脇役は無駄に豪華です。
想像するに製作陣はレイチェル・マクアダムスをメグ・ライアンやゴルディー・ホーンのような「ラブコメの女王」に仕立てようとしてこの映画を企画したのでしょうが、まあ見事に失敗したわけですね。
もったいない。
私は日本の女優では小芝風花が好きなのですが、レイチェル・マクアダムスと小芝風花って、美人だけれど写し方によって綺麗に見えるときとそうでないときの落差が大きい点、コメディに出れば軽妙な演技ができるのにあまり作品に恵まれない点で共通しているような気がします。
あ、そういえば小芝風花もレイチェル・マクアダムスも女優になる前はフィギュアスケートをしていたそうです。
いや、だからどうという話ではないんですが……
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DCオムニバース
DCオムニバース
メシア・クライストは、虚無の中に浮かぶ巨大なスクリーンを見つめていた。そのスクリーンには、無数の世界が映し出されている。神々と英雄、犯罪者と怪物が交錯する広大な宇宙――DCオムニバース。その一つひとつが、力と欲望、正義と悪の相克を繰り返している。
「人々は常に、救済を求めるものだ」とクライストは静かに呟いた。
スクリーンに映るのは、暗闇に包まれたゴッサム・シティ。バットマンが荒廃した街の路地裏を駆け抜ける。彼の拳が犯罪者を打ち倒し、かすれた声で警告を与える。だがその目は、決して満たされることのない痛みを湛えている。
クライストはその姿に見覚えがあった。人類の罪を背負うために自らの身を差し出した者。だがバットマンは、赦しを与えることを知らない。「彼の苦悩は、私のそれと似ているが、どこか異なる」とクライストは考えた。「彼は救済を求めず、ただ罰を与えることで自身を保っている。それが彼の選んだ道なのだ。」
次に映るのはメトロポリス。スーパーマンが空を舞い、崩れ落ちるビルから人々を救い出す。光に満ちたその存在は、神そのもののようだ。クライストは思わず目を細める。「彼は人々に希望を与える。しかし、彼もまた孤独だ。地球を守る者としての使命感に縛られ、その重圧に耐え続けている。」
「彼らは皆、私に似ている。しかし、人間であることを捨てきれない。だからこそ、苦しみ続けるのだ。」
視界が広がり、無数のヒーローとヴィランたちの姿が映し出される。ワンダーウーマン、フラッシュ、グリーンランタン、アクアマン――彼らはそれぞれの世界で戦い、時には結束し、また時には対立する。彼らの力と意志が、絶え間ない宇宙の動乱を形作っている。
その中にあって、クライストはただ見守ることしかできない。彼はその存在があまりにも大きすぎるがゆえに、介入することもなく、ただ「傍観者」としてあり続ける。
そして、ダークサイドの姿が映し出された。圧倒的な力と悪意の象徴。彼が語る「反生命方程式」に、クライストは小さく首を傾げる。「生命の否定か。それが救済だと彼は信じているのか。」反生命方程式は、自由意志を否定し、すべての存在を無へと帰す理論だ。しかし、クライストにはその思想が理解できなかった。彼が知る救済は、命と希望の中にのみ存在するものだからだ。
突然、スクリーンの映像が揺れる。無数の平行宇宙が崩壊し、一つに収束していく。危機――クライシスの兆候だ。ヒーローたちはその渦中で苦闘し、犠牲を払いながらも新たな秩序を作ろうとする。クライストは、その努力に目を奪われた。
「彼らは常に、破壊と再生を繰り返す。しかし、その度に新しい希望を見出そうとする。人間とはなんと不思議な存在なのだろう。」
クライストは静かに目を閉じ、心の中で祈りを捧げる。彼が知るすべての世界の救済を願いながら。そして、再び目を開くと、スクリーンには新たな宇宙が広がっていた。そこではまた、新しいヒーローたちが現れ、戦い、そして愛を語っている。
「物語は続く」と彼は呟いた。「そして、それが彼らの力だ。」
メシア・クライストはスクリーンを背に、ゆっくりと歩き出す。DCオムニバースは、彼が見る限り、永遠に変わり続ける。そしてその中に、人間の真実が刻まれていることを、彼は知っていた。
ユニバース2
DCオムニバースとは?
DCオムニバースは、DCコミックスが展開する壮大なマルチユニバース(多元宇宙)の進化形であり、すべてのストーリーが同時に存在し、相互に関連し合う世界観のことです。コミック、映画、アニメ、テレビドラマ、ゲームなど、多岐にわたるメディアで語られるDC作品群を包括する概念で、2020年のイベント「Death Metal(デス・メタル)」以降に正式に導入されました。従来の「マルチバース」の枠を超え、DC作品の全歴史とすべての物語が「正史」として受け入れられる柔軟なシステムです。
この記事では、DCオムニバースの仕組みや背景、そしてその魅力について詳しく解説していきます。
1. DCオムニバースの基本概念
DCオムニバースの最大の特徴は、「すべてが正しい(Everything Matters)」という原則に基づいている点です。従来のDCマルチバースでは、各世界が異なる「地球番号」や独自の設定を持ちながら、それぞれの物語が別個に展開されるものでした。しかし、オムニバースの登場によって、異なるタイムラインや設定の作品がすべて同じ「一つの大きな宇宙」に収まり、それらが同時に正史とされるようになりました。
たとえば、以下のような設定が同時に存在できます:
ゴールデンエイジのクラシックなスーパーマン
ダークナイト三部作のリアル志向なバットマン
現代のDCU(DCユニバース)映画シリーズで描かれるヒーローたち
これらすべてがオムニバース内で有効とされ、フ���ンはどの時代のキャラクターでも自由に楽しむことができるようになりました。
2. 歴史の背景: マルチバースからオムニバースへ
DCは長年にわたって「マルチバース」というコンセプトを物語の中核に据えてきました。この歴史は、1985年の伝説的クロスオーバーイベント『クライシス・オン・インフィニット・アース』から始まります。このイベントでは、無数の平行宇宙が一つに統合され、当時の混乱した設定を整理しました。しかし、その後もマルチバースは何度も復活し、『インフィニット・クライシス』や『フラッシュポイント』といったイベントによって設定がたびたび書き換えられました。
2020年の『デス・メタル』では、DCのすべての過去作品や設定がオムニバース内で有効とされ、これまでの「リブート」や「リセット」を超越した包括的な枠組みが生まれました。オムニバースは、創造性と柔軟性を尊重し、すべての作家やアーティストが自身の物語を語る自由を持てるシステムです。
3. オムニバースの主要な特徴
① 無限の可能性 オムニバースは、あらゆる物語や設定が共存可能なシステムです。異なるタイムラインやパラレルワールドのキャラクターが一堂に会するストーリーも実現できます。これにより、ファンは多様な解釈やバージョンのヒーローを楽しむことができるようになりました。
② キャラクターの多層性 一人のキャラクターに複数の解釈が存在できるのもオムニバースの魅力です。たとえば、コミック版のワンダーウーマンと、映画『ワンダーウーマン』シリーズのダイアナは異なる存在ですが、どちらもオムニバース内では「正しい」ワンダーウーマンとされます。
③ 新しい読者への親しみやすさ 従来のマルチバースでは、複雑な歴史や設定が新しい読者にとって壁となることがありました。しかし、オムニバースで��「どのストーリーから始めても良い」というアプローチが可能になり、新規のファンにも親しみやすい構造となっています。
4. オムニバースの未来: 映画やドラマへの影響
オムニバースの概念は、コミックだけでなく映画やドラマにも大きな影響を与えています。たとえば、2023年の映画『ザ・フラッシュ』では、DC映画における「マルチバース」が正式に導入され、異なるバージョンのバットマン(マイケル・キートン版やベン・アフレック版)が共演しました。このような多元的な世界観は、今後のDC作品における基盤となるでしょう。
さらに、DCスタジオが発表した「チャプター1: Gods and Monsters」という新しい映画・ドラマのラインナップでは、異なるキャラクターや設定がオムニバースの理念に基づいて統一的に展開されることが期待されています。
5. DCオムニバースの魅力
DCオムニバースは、「すべての物語が有効である」という革新的なアプローチを提供することで、ファンに多様な楽しみ方を与えています。過去の名作を振り返りながら、新しいストーリーを追い続けることができる柔軟性は、他のどのフランチャイズにもないユニークな魅力です。オムニバースは、すべてのクリエイターとファンに自由を与え、DCの物語の可能性を無限に広げていくでしょう。
結論: DCオムニバースは、DCの長い歴史と豊かなキャラクターたちを包括する新しい枠組みであり、過去と未来を繋ぐ架け橋です。その可能性は無限大で、これからのDC作品にさらなる期待���抱かせてくれるでしょう。ぜひ、あなたの好きなバージョンのヒーローやストーリーを見つけて、オムニバースの広がりを体験してみてください!
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昨夜は雨音を聴きながらこの映画を観ました。
『また、あなたとブッククラブで』
みんな言ってるけど私も言う、
この映画、シニア版SATCって感じ。
旧知の親友同士4人が、40年以上続けてる毎月恒例の読書会で官能小説 「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を読んだのを機にもう一花咲かせたろ、となっていくストーリー。超豪華キャスト。
シニアならではの会話がコミカルでほんとに面白かった。終始陽気で明るい雰囲気のラブコメなので観てて元気が出る。4人の女性たちがほんっとにファビュラスなのよ。(撮影当時の4人の平均年齢は70代前半だそう!)
女性たちも綺麗だけど男性陣もとても素敵で、出会いやデートのシーンの会話と雰囲気がスマートで理想でした。
印象的だったのは、ダイアン(ダイアン・キートン)が
「 彼とうまくいかず傷つくかもしれないけど、それが人生よ。あなたたちがどう思おうと、私の人生は終わってない。まだ冒険したいし、その権利はある」
と言って心配性の娘たちと暮らすことを拒否したシーン。娘たちの見送り方も良かった。
(ダイアンの娘役のひとりがなんと私の大好きなアリシア・シルバーストーンだった。顔も声も髪もクルーレスの時のままで可愛かった🥰感激)
あとアリゾナの風景が本当に美しくて、地球って素晴らしい!って思いました。
年を取ってもロマンスがある暮らしがしたいわね♡ではなく、とにかく大事なのは悩みや愚痴や刺激的な経験について語れる女友達がいるということ。これに尽きる。
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サミュエル・ベケット映画祭2024
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京都会場の3日間フル参加しました。つかれた。
11月23日(土)がオープニングイベント、12月7日(土)8日(日)が映画作品の上映会。
オープニングイベントはざっくりとベケットの来歴や代表的な作品の紹���、やなぎみわをゲストにやなぎみわの演劇作品『ゼロ・アワー ~東京ローズ最後のテープ~』のベケットの影響についての講演。
12月7ー8日が1日3本の映画上映とゲストトーク。
12月7日『ゴドーを待ちながら』『ねえ、ジョー』『クラップ最後の録音』ゲストは森山未來。
トークは主に舞台芸術とベケットの影響のこと、森山未來からみたベケット作品の印象などについて。パフォーミングアーツ、トラウマと表現の影響など。 特に滑稽さについての話の流れが印象にのこっている。ベケットが自作の改変をめちゃめちゃ嫌っていて、女性俳優がゴドー待ちをやることに許可を出さない理由に「女性には前立腺がないから」という返答をだしている。『ゴドーを待ちながら』の登場人物が年配の男性で、前立腺肥大でトイレが近いという行動をしており、俳優の性別が変わると登場人物の行動の動機が変化するのが嫌だったんだろう。
そのことなどを引き合いに「滑稽さの表現を女性が担いにくいのはなぜか」などの話に展開する。一応社会的に女性の地位が低い歴史があるからではというようなことを小崎哲哉は述べていたが森山未來は微妙に滑稽さの語義というか概念が違うよう。その部分の話をふくらませる感じではなかった。
女性の社会的地位について、こういう言い方が通りにくい場面があるのは重々承知だが実際選挙権を得るとか性別によって権利や規範が振り分けられ社会進出に数十年以上やりやすさの差があるのは事実でありその影響が文化に現れているところは絶対にあるので、女性が社会の正面に出てくる全体量が少ない歴史故に「滑稽さ」を担う場面でも女性が出てきにくい、というのは「ありうる」。とはいえ、これは社会全体がどうかというのもあるだろうが、笑いを受容するコミュニティの問題であるように思う。男性が大多数のコミュニティでスラップスティック的な笑いを催す「ひでえ目に遭っている女」の作品が成立するのか、あるとしてどのように扱う・見るのか?というか。女性が大多数のコミュニティ内ではありうる笑いではあると思う。条件によって結構いろいろだと思うが、「ひでえ目に遭ってる登場人物を笑う」タイプのコメディ作品の人物像が女性であることは少ない「イメージがなんとなく共通してある」という社会なのだとは思う。男性コミュニティ前提でそう感じてないか? ということかもしれないし、これ具体的な「作品」と、それを受容するなんらかのコミュニティという枠セットでみなきゃいけなくて、あんまり「社会」みたいなでかい枠で語ったらまずい気もするんだ。存在するのに議題に上がらず無視されるみたいなんはよくあることなので。 私は現代のお笑いについてはまったくよく知らないが、女芸人という語があるように、別ジャンルとしてカウントされてしまうのも女が「滑稽さを担う」ことを受容され切っていない段階の環境があるということなのだろう。いやまあ劇場のコメディ演劇でいえば普通に男女混合で成立してるけど、まじでこれ「そのコミュニティの問題」だよな。
ベケットは欧州アメリカにおいて20世紀から現代までの美術・舞台芸術の概念ベースというか影響の震源地というか基礎教養のようなもので、知っててわかってて当然の表現言語の一種と化しているが、現在の日本ではあんまりそのように受容されておらず読み取れてない人が多そう、という話をしていた。日本でも70年代ごろにはインパクトがあったみたいだが、現代ではピンとこないのそうだろうな。ボルタンスキーとかケントリッジとかヤン・ファーブルとかロバート・ウィルソンとかもろに影響下じゃんね、っていう。恐らく現代作家でベケットを引き合いにだすのは心酔して影響されてそうというのもあるだろうが「ベケット以降」的な感じで、表現の歴史のベースにすでにベケット作品が在るので記号的に取り扱う、あるいは、ベケット作品のテーマが生と死と人の認識の仕方というようなものだし、イメージのミニマムさから、「つきつめていろいろ考えていくとベケット的にならざるをえない」場面も多そう。
トークでは舞台芸術、特にダンスでの繰り返し・リフレインの重要性を言っていたが、ベケット作品にみられる反復の影響がどうこうというより人間が「繰り返すもの」に快感を見出す生き物だというだけな気がする。音楽というものがまずそうなので、音楽とほぼ同義で存在するダンスもそうだろうよ。
12月8日『エンドゲーム』『フィルム』『ハッピーデイズ』ゲストは北小路隆志。
トークはベケットと映画界の影響について。ベケットがそもそもチャップリンやバスター・キートン、ローレル&ハーディなどのスラップスティック・コメディ映画が大好きだったため、不条理演劇と呼ばれる作品を作っているがクソ真面目な顔で意味不明な状況に遭い続けて変な調子でばかみたいなふざけ方をしてて、笑えるかどうかはともかくお笑いのポイントが作品中になんだかんだずっとあるのも事実という。また、いろんな有名映画監督がベケット作品を映画化したいと申し出ているがベケットは結構拒否してて、ほんとこだわりつええなと思う。
ベケットの偏屈エピソードの鉄板は、ノーベル文学賞を受賞したが授賞式は欠席し、取材も拒否し、スウェーデンのTV局一か所だけ取材を許可したが(ノーベル賞の財団があるのスウェーデンだからスウェーデンのTV局なんだろうな)「質問をするな」という条件で、取材というかただベケットがいるだけ、という映像がある。
Samuel Beckett - "Mute" Interview for Swedish Television - 1969
とりあえずベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』ちゃんと読んでないんだよなーとトークを聞きながら思ったのでちゃんと読もうと思います。
一番言いたいことは、ベケット作品を一日3本、二日続けて見るのすっごく疲れる。思ったより面白いし映像もよいがはてしなく疲れる。確信をもって言えるぐらいこいう表現好きだし私も後追いの者のひとりではあるが、好きかはともかく客を楽しませようというタイプの面白さではないので「面白い」という意味で人に勧めるのかなり難しい。疲れる。
物語ではなく現象をやっていて、見ながらずっとそうだよなー人生は別に物語じゃないからなーと思っていた。現代は広告戦略から何から物語であることを前提に組み立てられるがべつに生きてることはただ生きてるだけだもんな。
退屈でめんどくさい作品の代名詞みたいな『ゴドーを待ちながら』だけど、この作品が大ウケした場所がある、という話をトークでしていた。その場所は刑務所だそうな。
シェイクスピア劇なんかもそうだが、海外では刑務所で受刑者たちによる演劇上演があったり劇団が慰問公演をしたりする。日本だと落語家とかお笑い芸人が慰問で芸を披露したりするそうですね。
刑務所で上演された『ゴドーを待ちながら』は「これは俺たちの話だ」とめちゃめちゃウケたというの、ほんとこう、ベケット作品をみる時に感じる、生きてくことって自分に決定権がなくただ重たい身体を引きずって生きてくだけがある、という平べったい気持ちに確信を与えてくれるな。
滑稽さを担うとはどういうことか、って話もそうだけど、笑う笑わせるってめちゃめちゃ難しい話だな……
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