#キリスト者よ、この日を刻みこめ
Explore tagged Tumblr posts
ari0921 · 3 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月17日(日曜日)
     通巻第8507号
 「まっしぐらに走る人々」(トランプ次期政権はタカ派閣僚勢揃い)
   米国が驚いた。世界は震撼した。いや、共和党内部も動揺した
*************************
 トランプ政権前期(2017=2021)のキッチンキャビネットの主役は長女イバンカと夫君のクシュナーだった。クシュナーはサウジに何回も飛んで中東特使的な役割を果たした。彼自身はユダヤ教徒、イバンカもユダヤ教に改宗した。トランプ政権後半では、クシュナー・イバンカ夫妻は「閣外協力」となる。
 トランプ次期政権(2025~)のキッチンキャビネットを率いるのは長男のドナルド・トランプ・ジュニアと次男の夫人ララだろう。
とりわけ副大統領を、想定外だったJD・バンス上院議員の起用を進言したのも、ジュニアである。当選直後から衝撃が連続する閣僚人事はトランプファミリーと、イーロン・マスクら取り巻きが決めている。
 顔ぶれを見て、共通するのは「まっしぐらに走る人々」だ。このタカ派強硬派勢揃いには   米国が驚いた。世界は震撼した。いや、共和党内部も動揺した。そしてメディアの攻撃目標になった。
 ニューヨークタイムズなど米国左翼メディアはトランプ次期政権の罵倒、罵詈雑言を並べはじめた。
指名された閣僚人事の多くが不適切であり、友人、知人、取り巻きの中から「有能であるより忠誠度」で選抜したエゴイズムと批判した。つぎは各人の攻撃材料探しだ。誰それはいかに無能かというキャンペーンの開幕だ。
 
 マット・ゲーツ次期司法長官は議会下院で議長選出をめぐり、15回も投票することになって議会を混乱させたが、「司法省が標的とした人物がこんどは司法省を標的にしている」と罵声。共和党上院もすんなりと指名承���に踏み切る雰囲気ではないようだ。
 「暴れん坊」「無謀な人事」と批判されるゲーツ次期司法長官をめぐって、「議会の破壊主義者は三権分立を破壊する」、「共和党内にも強い反対がある」と批判した。
 トランプ次期政権の国防長官に指名されたのはヘグリス(海兵隊OB)で、「FOXニュース」の司会者だった。ヘグセスは2017年に女性への性的暴行の疑いで警察の調べを受けていたと報じた。これは訴追に至らなかった案件で、ワシントンポストは「かれでは国防そのものが危機に瀕する」と書いた。
 RJK(ロバート・ケネディ・ジュニア)は反ワクチンで知られるが、彼の厚生福祉長官は「不適切きわまりなく、そもそも13の枝機関と8万人もの職員を抱えている官庁を医学薬学知識に乏しい人間が牽引するなんて(できっこない)」
 矛先はディープステートへの挑戦だが、メディアはその基本姿勢には目をつむっている。
 FBI長官に指名されそうなカシュ・バテル(元国防長官代行)には「解体屋」のレッテル貼り。トゥルシー・ギャバード国家情報長官指名には『インテリジェンスの知識に欠ける人材』
 こうなるともっともタカ派のルビオ次期国務長官が『穏健派』に見える。
 トランプ次期大統領は、ホワイトハウス報道官に若干27歳の才媛カロライン・レビットを選んだ。驚くほどの若さだが、下院議員に挑んだ経験があり、議会スタッフ歴もそこそこあって、そのうえトランプ選挙でもスポークスウーマンを勤め上げた。
 内務長官にはノウスダゴダ州知事のダグ・バーガム。ダグは国家エネルギー会議の議長を兼ねる。バイデン政権下で停滞した国内エネルギー開発推進が急がれることになるだろう。
▼「いまの根強い人気がある」という欺瞞の前置詞
 他方、民主党贔屓のメディアは「いまも根強い人気のある」という前置詞を必ずつけてオバマ元大統領を比喩し、その無能を批判しない。オバマに人気があるなどとは作為的であり、かれは院政を敷いて、カマラ・ハリスをパペットにするつもりだったのだ。
 FOXニュースにでた政治風刺漫画には笑った。ハリス選対本部で電話も鳴らずしょげかえる民主党幹部のうしろの壁にべたべた貼られたプラカードの標語には「大きな政府」「犯罪にやさしく」「規制強化」「極左」「重税」「国境を開こう」「WOKEへ投票を」
 これら総てをトランプはぶちこわそうとしているのだ。
左翼メディアは執拗にレトリックによる情報操作を凝りもしないで続ける。
執行部が辞任に追い込まれた民主党全国委員長にエマニエル駐日大使が立候補する。日本で歓迎されなかった同大使だが、日本の新聞は言論が封殺されているのか、岸田政権にLBGBT法を押しつけて日本の主権を侵害した傲慢エマニエルを批判しなかった。
トランプは『20歳以下の性転換手術を禁止する』とするイーロン・マスクの進言を聞き入れ、民主党に仕掛けられた裁判を葬り、不法移民を追い返すと公言している。
ついでにトランプ嫌いで固まるEU首脳部をトランプは「社会主義者」と断言し、防衛分担で徹底的な要求をつきつける構えである。
波瀾万丈の世界。政治は十倍愉しくなる(?)
●余滴●ヘグセスの入れ墨は宗教的な意味合いを持つ。胸に十字軍。そして米国憲法冒頭の「われら人民」、アメリカ独立戦争の「参加せよ、さもなくば死す」という蛇、国旗、所属していた第187歩兵連隊のワッペンなどが刻まれている。
とくにエルサレム十字架の入れ墨が問題視されるのも、十字軍が建国したエルサレム王国を表すからだ。イスラム教徒やユダヤ教徒に対するキリスト教徒の戦争を意味し、たとえば、2019年にニュージーランドのモスクで起きた銃乱射事件の犯人は十字軍のシンボルをつけていた。2021年1月6日の米国議会議事堂暴動、2017年にバージニア州シャーロッツビルで行われた集会にも、こうした入れ墨組が登場した。
 また上腕に「デウス・ヴルト」というラテン語の入れ墨。「神の意志」を意味する。ヘグゼス次期国防長官はパレスチナ問題で二国共存案に反対している。そのうえで聖地におけるイスラエルの独占的主権を支持している。それゆえヘグセスはオバマ政権時代のイラン核合意をつよく批判した。ヘグセスの個人的な見解はかならずしもアメリカ外交に反映されないが、強烈なイスラエル支持者なのである。
7 notes · View notes
kennak · 1 month ago
Quote
首都圏にあるムスリム墓地 霊園内にあるムスリム区画には見慣れない墓が並ぶ 無機質な太陽光パネルが取り囲む高台に見慣れない墓が並ぶ。鮮やかな花が供えられ、墓石にはアラビア語が刻印されている立派な墓。四方をブロック塀で囲んだだけの簡素な墓。盛り土だけの土まんじゅうのような墓……。これらはすべて宗教上の理由で土葬を必要とするムスリム(イスラム教徒)が眠る墓だ。 1980年代後半からパキスタン人やバングラデッシュ人をはじめ多くのムスリムが労働者として来日した。一部は日本人女性と結婚するなどして定住し、彼らの配偶者となった女性も改宗した。いまや日本に住むムスリムは外国人と日本人を合わせて約34万人ともいわれるが、人口増加とともに深刻な問題になっているのが墓不足だ。 ムスリムは宗教上の理由で土葬を望むが、火葬率が99.9%を超える国内にはムスリムの土葬が可能な墓地は限られている。また、ムスリム向け土葬墓地の新設計画が持ち上がっても、地元住民から反対の声があがり、計画が頓挫してしまうケースも少なくない。 「ムスリムの土葬が可能な墓地のない沖縄から遺体が運ばれ、埋葬されたこともあります。いまでは全国から問い合わせがあります。一方で、約束を守らないなどトラブルが多いのも事実です」 こう話すのは、ムスリムの土葬を受け入れる霊園のひとつである埼玉県本庄市の本庄児玉聖地霊園を管理する早川壮丞さん(77)だ。ムスリムの墓不足の「実態」、そして埋葬現場に立つ当事者としての「本音」や「悩み」を聞いた――。 霊園には礼拝室や洗体場も 霊園は丘陵の頂上にある。周囲にあるのは工場だけだ 関越自動車道「本庄児玉IC」から車で15分。市の中心部から離れた丘陵地の坂道を上ると、突如「本庄児玉聖地霊園」の看板が現れた。丘陵の頂上にある霊園の周囲に民家はなく、太陽光パネルが林立している。 霊園の入口近くにはプレハブの管理事務所が建つ。その中には礼拝室がもうけられており、管理事務所の隣には洗体場もある。管理事務所を出て砂利の坂道を上ると、そこには平地が広がっており、入口にアラビア���の看板が立つ。その奥には見慣れない墓が並ぶ。ここがムスリムの土葬墓地区画だ。 本庄児玉聖地霊園は、全国でも10ヵ所程度しかないムスリム土葬墓地のひとつだ。なぜムスリムの土葬を受け入れるようになったのか。こう問うと、早川さんは苦笑いして「『先見性がありますね』なんて言われることもありますが、ムスリムの増加を見越していたわけではありません。まさに偶然が重なった形でした」と明かした。 「墓地を開設した1995年、当時許認可を管轄していた保健所の担当者から『土葬もできる墓地として申請しますか』と尋ねられました。というのも、この周辺地域には土葬の風習が残っていたためです。そこで、1万7000坪の敷地すべてを土葬ができるように申請しました。それがスタートです。 霊園には地主がいて、管理面を私の会社が担当しておりますが、地主が土地をめぐるトラブルに巻き込まれ、紆余曲折の末、4800坪だけが墓地として残りました。残りの土地には現在、太陽光パネルが置かれております。 もともと日本人向けの墓地であり、最大で270基の日本人のお墓がありました。もっとも、土葬を希望する人は長年現れず、現在に至るまで日本人による土葬の申し込みはわずか1件だけです。近年は墓じまいをする人も多く、収益は激減。墓地の維持が長年の悩みでした」 14体もの遺体が無許可で埋葬された 霊園内のイスラム区画 思わぬ事件が起きたのは、経営難に苦しんでいた2019年初めの頃だった。 「霊園の敷地内にムスリムの遺体が私の許可なく埋葬されていたのです。普段足を踏み入れない場所に重機が通った跡があり、それを辿っていくと石とブロック塀が並べられていました。調べたところ、そこには遺体が埋葬されていました。 私の許可なく埋葬していたパキスタン人は群馬県伊勢崎市にあるモスクの関係者を自称していました。土地をめぐるトラブルがあったのは先にお話した通りです。彼は『私はこの土地を購入している』という主張を譲りませんでした。その後も遺体の無断埋葬は続き、合計で14体もの遺体が埋葬されました。 イスラム教では埋葬は死後早いほどよいとされており、彼らは夜中に遺体を埋めるので現場をおさえられませんでした。警察に相談したところ、『現行犯じゃないと対応できない』とのことでした。そこで、監視カメラを設置したところ、ある日、夜中に重機が現れた。『これは埋葬するな』と思ったら、案の定でした。 警察に協力してもらい現場を取り押さえましたが、そこには20人ほどのムスリムがいました。私が管理する霊園内での出来事ですが、彼らは『土地を購入しているから問題ない』と言い張ります。結局、警察立ち合いの下、2019年10月に事務所内で念書を取り交わしました。このときばかりは、パキスタン人の男も態度を一変させ、しきりに『もう二度をやりません』と頭を下げていました」 「無断埋葬」事件の結末 14体もの遺体が無断で埋葬されたが、その一帯はのちに正式な墓地になった 無断で埋葬された14体もの遺体はいまも残る。早川さんは続ける。 「許可なく埋葬されたとはいえ、一度埋めたものを掘り返すことはできません。亡くなった���に罪はありませんからね。結局、そのまま墓地にして、いまでも残っております。 本来、正規の埋葬代金を請求したいところでしたが、200万円を支払ってもらうことで話をまとめました。男は警察官の前で念書に署名・押印し、その書類はいまでも保管してあります。もっとも、1銭も支払われていません。数ヵ月後、念書を取り交わしたパキスタン人は行方不明になり、現在に至っております」 このトラブルについて、本庄市役所の担当者はこう話した。 「土葬については経営者・管理者の方が判断するものであり、行政としてはいいともダメともいう立場ではありません。(埋葬をめぐり、本庄児玉聖地霊園で)トラブルがあったことは把握しておりますが、民間同士のやりとりのため、こちらが何か言える立場にはありません」 予期せぬ事態に困惑した早川さんだったが、東京都・大塚にモスクを置く宗教法人「日本イスラーム文化センター」の責任者から数年前に「ムスリム向けに区画を購入したい」という打診があったことを思い出した。 「大塚のモスクに連絡したところ、改めて『ムスリムの墓を受け入れてほしい』との話がありました。お墓がある限り、何としても霊園を維持していかなければいけません。ある意味、苦渋の決断ではありましたが、受け入れを決め、遺体が無断埋葬されていた場所の近くにムスリム専用の区画をつくりました」 恩義から草刈り 最初に埋葬されたガーナ人男性の墓。早川さんは無償で石材を提供した 最初に埋葬されたのは、大塚のモスクから紹介された埼玉県草加市に住むガーナ人男性だった。 「2019年6月です。一緒に来日した友人たちが故人のために必死にお金を集めたそうです。ただ、埋葬代を用意するのがやっと。本来、墓石代は別途ですが、霊園に余っていた石材を無償で提供し、どうにかお墓の体裁を整えました。友人らはその恩義から定期的に霊園を訪れ、毎年のように草刈りを手伝ってくれます」 墓地に眠るムスリムの国籍は様々だ。最も多いパキスタンのほか、バングラデシュ、スリランカ、インド、インドネシア、イラン、中国、ミャンマー、イラク、ウズベキスタン……。ムスリムの外国人と結婚した日本人もいる。 「受け入れを始めた2019年は8件でしたが、2020年は9件、2021年は23件、2022年は21件、2023年には31件まで増えました。今年は現時点で19件ですが、全体的に増加傾向にあり、合計で111件です。宣伝をしたわけではありません。口コミで広がったようです。ニーズがあったということでしょう。なお、キリスト教徒の土葬区画ももうけており、こちらは合計で5件です」 埋葬されたムスリムの居住地は、最も多いのが霊園の所在地である埼玉、次いで群馬だ。霊園がある本庄市は利根川を渡れば群馬県伊勢崎市という立地であり、また群馬はとりわけ外国人労働者が多く、ムスリムも多い自治体だ。一方で、本庄から遠く離れた場所も少なくない。 「ムスリム墓地のない富山や新潟、��城、沖縄の方もいます。いまでは全国から問い合わせがあります。地域のモスクを通しての申し込みもあれば、個人からの申し込みもあります」 白い布で包み、掘った穴の中へ ファミリータイプの墓地もある 日本に住むムスリムが死去した際、母国に輸送するという手段もあるが、燃料費の高騰もあり、利用したくても利用できない現状もあるという。 「成田には専門の業者がいて、遺体を運ぶと母国に輸送してくれます。ただし、高額です。以前は60~70万円でしたが、いまは90~100万円に値上がりしています。日本に暮らすムスリムの多くはもともと出稼ぎに来ていた人たち。決して裕福な人ばかりではありません。 こうした事情も考慮し、埋葬料金は当初26万円に設定しました。一時、地主の意向で45万円に値上げしたこともありましたが、現在は30万円に落ち着いています。墓石代については別途という形です」 現在、ムスリムのお墓は111基。新たにファミリータイプの墓地の区画も設置した。早川さんは、ほぼすべての埋葬に立ち会ってきた。 「遺体が霊園に運ばれると、洗体室で遺体をきれいにして白い布で包みます。それからムスリムの区画に移動し、白い布に包まれた状態で1メートル50センチ以上掘った長方形の穴にゆっくり下ろし、頭をメッカの方角に向けて状態で土をかけます。遺体は棺には入れません。つまり土に返す形です。 ひとつの遺体につき、区画は1メートル50センチ×2メートル50センチ。御影石の立派な墓もあれば、土の中に埋めただけの質素な墓もあります。国による違いもありますが、基本的には経済力次第です。 印象に残っているのは日本で生まれ育った10歳のバングラデシュ人のお嬢さんが埋葬されたとき。お父さんは泣きながら穴から出てこなかった……。彼は週末になるとお嬢さんに会いに来ています。日本人に比べ、ムスリムは墓参りにくる頻度が高いと感じます」 管理費を払わないムスリム 霊園を管理する早川さん ムスリムの土葬を受け入れたことで霊園の維持は可能になった。だが、悩みや気苦労は絶えないという。 「お墓の収益なんて微々たるもの。何とか維持できているような状態です。日本人とムスリムでは価値観がまったく違うこともあり、新たな悩みも出てきました。 ムスリムにとって値切るのは当たり前。埋葬してから値切ってくるので呆れてしまいます。向こうは10人以上で事務所に入ってきて、『高い。安くしろ』と訴える。あまりにしつこいので『持って帰ってくれ』と言ったこともあります。こっちはひとりで、向こうは集団ですから怖いですよ。 ムスリムは女性も手ごわい。盛んに『お金がない』と訴えてきます。あまりにもしつこい場合、やはり『持って帰ってもらうしかないね』と伝えます。すると女性は観念して『払います』と現金を取り出す。たとえお金があってもないと言い張る。日本人の感���とはまるで違います。 約束を守ってくれないのも困ったものです。埋葬を���たいという連絡を受け、準備して待っていても、当日に現れない。こうしたことは一度や二度ではありません。また、年間1万2000円の管理費を払わないケースも多い。これでは草刈りもまともにできません。うちの場合、区画のサイズは決まっていますが、勝手に増設し続ける人もいます。 もちろん常識的なムスリムも多くいます。ただ、彼らは基本的に自分たちの慣習や常識を大切にしており、日本の風習や考え方をさほど意識していません。多文化共生というのは双方の歩み寄りがあってのもの。自分の主張ばかりでは相手も嫌になってしまいます。地域住民の反対により、各地でムスリム向け墓地の計画が頓挫していますが、そうしたことも根本にあるのでしょう」 後編記事『「闇土葬」が行われている…〈ムスリム土葬墓地不足問題〉在日イスラム教徒向け霊園経営者が懸念する「最悪の事態」』では引き続き、ムスリム向け土葬墓地不足の「実態」、そして霊園を管理する当事者としての「本音」や「悩み」を紹介しています。
「無断で死体を埋められた」「お金を払ってくれない」…ムスリム土葬墓地経営者が明かす、墓不足の「実態」と当事者の「深刻な悩み」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
esoterics-posts · 2 months ago
Text
キリストの身体
この世に生を受けたこの身体ほど真我に近いものはない。日頃、食べ、飲み、息をして、風呂に入り、生活し起きている間は誰も否定できない。瞑想や死や寝ている間は『精神世界』の霊的個性の自己同一性が重要である。真我は死を超越するエネルギーであり認識を通して帰還の道となるー。
神の下では、誰しもが平等に大切である。誰もが救われたいと望み、貧しさや生活の困窮の中で日々の生活の困難に直面する。問題は生きるための権利と義務が煩雑で複雑である事である。簡素で、素朴で、然し、安定した生活が大切であり、其れが保証されるべき『共同体』国家と国民の義務であるー。
属性
職業の適性が何よりも優先される。得意ではないことは其れが何れ程、力を注いでも、見返りの見込みのないものである。其れほど適性は大切である。『ケセラセラ』我々が望むものや、なりたいものは単なる願望にすぎず、あるがままに、無条件にそう在る事ではない。国家に望むことは生活であるー。
型と色
①カロリー、②たんぱく質、③ビタミン、④糖質、⑤ミネラル、⑥脂質、⑦カルシウム
素粒子は霊(要素ーエレメンタル)であり、大切である���、食事の偏りと過食は、万病の基である。
❶肥満、❷老化病、❸癌、❹糖尿、❺疫病、❻痛風、❼身体障害
①力②瞑想③分食⑤栄養学⑥睡眠⑦ゲノム
AIマッチング
就労や職業選択、受験の際に、お見合いに、使うべきものである。ぼくは非凡であれど秀才ではないので、霊的教師と音楽家、そして魔法特に超能力にも興味があるが危険である。低位心霊能力の開発は避けるべきである。絶え間ないエネルギーの伝導瞑想と霊能力と精神集注と奉仕を推奨する。
念力からメンタル界へ
スープン曲げとは理性の崩壊を誘発する。ぼくはメンタル極化により此れが不可能になった。ところで、相手に自分の理想を押し付けることは賢明ではないが、芸能人のゴシップネタの様な落ち着きのない猿のような忙しない心を落ち着ける為に音楽による精神の安定が有効であるー。
日本人改造宣言
一箇所に留まっていてはいけない型を打ち破り、昨日を越えて行け!『在るがまま』を生きることの大切さと周囲の無理解という困難を越えて生きる事は囚われない創造主として大事な私的視点を加味する事になる。ぼくの心はいつも昔に同一性されて🇮🇹や🇪🇸や🇮🇳
🇹🇷や🇯🇵や🇨🇳etc.『舌の記憶』
カタストロフ
創造物(型あるもの)は崩壊現象。死と共に私達の精神や知性や機械でさえ構造物は全て壊れ、軈て失われる。だから、DATAの引き継ぎは大切である。音楽では楽譜、ランドスケープ、ピアノ演奏、イラスト、習字、タイピストの手や論理性は死んでも残された情報の痕跡であるー。『儚い夢の跡』
R覚者ー原因と結果の法則
❸→❶
父と母ーカルマ(業)の法則ー❶→④→❸
ゴータマ仏陀ー再生誕の法則❶→④→❼→⑧∞
自由意思ー
∞(情報のソース)→❶
エドガーのコイントス
ー確率ー
②→❶
神の意志ー
❼→④→❶
プトレマイオスとベンジャミンそして全てのイニシエートに敬意と感謝ー。
意(マナス)
#DK覚者 (チベット・ロッジ)のレベルの情報は難解である。#アリス・ベイリー によって与えられた『秘教科学』は緻密に宇宙の構造と神秘についての洞察に富んでいる。心理学の深淵さと覚者方の厳しさと忍耐には頭��上がらない。双方向のメンタル・テレパシー(思念伝達)は稀有であるからー。
既知と未知
❼機械論的・科学的マインド(聖霊)の状態である②④⑥頭脳の❸識別力は『分神霊』であり神経の中にある器官であるナディに合成された精妙な❺ガス(気体)状でできている。⑥パイシス(双魚宮)と❼アクエリアス(宝瓶宮)の宇宙にある霊的な❶『統合のエネルギー』が働いている。②『伝導瞑想』
(不)信仰
キリスト教の原理主義者が唯一の「イエスは神でなくてはならない」とか、(唯物論的)科学者が「ダーウィンの進化論が真である」、「宗教の殆どが偽りである」とか「哲学は何もなしていない」などと言う事は無知に満ちている。『意識の進化』を信じているなら『幻惑』や『錯覚』に注意し給え!
主義
私は云々であるというとき、我々は我々の間に対立を生む恐れがある。在りと凡ゆる物事の嫌悪や善悪に対して、我々は我々の社会を異なる価値観で分断してしまうだろう。必要なのは社会の『調和』であり、『平和』であり、『非暴力』である。観念自体は象徴であり、対立を生む人工物に過ぎないー。
❺記憶自体
コロナウィルスの顕現は人類に対する避けがたい受難でした。これからの④芸術科学(素粒子の霊性)と❺化学医学(構造の形相)の重要性は言い過ぎる事はないです。全ては崇高な魂(全ての霊的な本源へ戻る旅路)の為の犠牲に違いない。無力は承知の上で皆様に御願いしますー。『人類科学の進歩』
Tumblr media
与え与えられ
日々与えられた物事に感謝して、生きていきます。
霊(言葉と絵)を尽くして、自我である個性体(パーソナリティー)を神である真我((宇宙)意識体)である魂の供物に捧げます。ごちそうさまでしたー。神に感謝して、命に感謝して、親に感謝して、先生に感謝して、食べ物に感謝してー。m(_ _)m
安定
人間の生き方に自由などはない。せいぜい
自分の自我の領域の中で我が儘な意思のもとに約束事とサービスの間で比較的自由な裁量があるだけである。
10割 Android
百分率で言えば100%
太陽系 9段階
人間レベル99が限界
100以上は死ねない
~255 霊界 
1000(1T)
16次元 宇宙全体
聖なる科学
霊の数学と哲学と美学としての音楽と美術を尽くして神的存在に触れる魂である自我の拡大と、霊である真我に帰絨する瞑想の帰還の道。真に純粋な理想的なイデアの想像力の究極的に完全な世界(実在)の上からは、太陽系が16個あり、太陽系外地球の兄弟の惑星も16個あるー。
解釈学
循環する霊と宇宙について
#インテリジェント・デザイン(知的創造論)からの『秘教数秘術的』なコンセプト(意匠性)ー2進法、10進法、60進法ー『カバラ数秘術』、『秘教哲学』、『七光線心理学』『神智学』、『素粒子物理学』、『情報工学』、『陰秘学』『数学』、『強迫性』、『偏執狂』
外部と真理
②主観と❸客観について私達が認識できるものは❺記憶であり、④イメージであり、❸認識性であり、②デジタル信号であり、❶霊である。❼存在を創るもの、⑥在ったと信じるもの、❺在ること、④在るかもしれないもの、❸これから在ること、②視えるもの、❶霊(的精神)性。『真我認識』
形式と存在
『モナド』ライプニッツ
『素粒子』精霊主義
『クオリア』アストラル体
『考える葦』パスカル メンタル体
『精神と物質』デカルト 物心論
『宇宙四次元』アインシュタイン
『時間と空間』ニュートン
『物自体』カント
『質料』プラトン
『弁証法』ソクラテス
『形相』アリストテレス
ライヒ『オルゴンエネルギー』
シュタイナー『エーテル体』光子
ユング『集合的無意識ー幻型』
フロイト『リビドーと超自我』
アドラー『目的論』
ニーチェ『永劫回帰』
ハイデッカー『存在と時間』
サルトル『存在と無』
ラカン『想像界・象徴界・現実界』
キリスト『三位一体』
盤古『陰陽』
ヴント『内観』
プロティヌス『一者』
エンペドクレス『風・火・地・水』
デモ��リトス『原子』
チェリオ『量子色力学』
ジョブズ『Apple製品』
ダリ『心理学から科学へ』
モーツァルト『曖昧な調和』
小室哲哉『宇宙の美化』
坂本龍一『現実』
小林武史『夢と魔法』
宇多田ヒカル『宝瓶宮の水』
植松伸夫『劇場音楽』
天野喜孝『ファイナル・ファンタジー』
楠瀬誠志郎『シリウス』
すぎやまこういち『ドラゴンクエスト』
鳥山明『ドラゴンボール』
高橋留美子『めぞん一刻』『犬夜叉』
桂正和『DNA』『シャドウ・レディー』
貞本義行『エヴァンゲリオン』
宮崎駿『ロマン派』
久石譲『映画音楽』
スピノザ『心身一元論』
クリシュナムルティ『私は何も信じない』
キリスト・マイトレーヤ『分かち合って世界を救いなさい』
ベンジャミン・クレーム『始まりは近い』
江原啓之『オーラの泉』
大槻教授『プラズマ』
韮澤さん『たま出版』
イエス覚者『救世主』
仏陀『真我』
プレマ・サイ『超心理学』
フェルメール『レースを編む女』
3ー7ー4ー2ー7(2.4)
Tumblr media
宇宙
針仕事の周りを描く『フェルメール』の絵の中に宇宙が回っている事を、夢と現実の間を行ったり来たりするシュールで、冗談好きの地獄ではないまでも煉獄に居る『ダリ』は知っていた。如何なる小さな物事でも、大切な人の存在は守りたい。大切な命に寄り添い生きていきたいものである。
『来世』
サルバドール・ダリ『レース編みの娘』
6ー4ー6ー4ー7(1.6)
(フェルメール・ファン・デルフトの絵の模写)
Tumblr media
「ダリ全画集」の『レースを編む女』
ダリに心の底から同情します。イニシエートの低さには右利きで頭の精神の線が細いスマートと云う理由と、光線構造が非常に高いのには、人類の輪廻転生を担保したいのと、神であるサルバドール(救世主)でありたいと言う野心と、謙遜と、拘りがあるからですー。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
芸術家と科学者
『ピカソ』は拘りのない自由な心の境地でどんな画家のスタイルも直ぐにマスターして、同じ場所に留まらずにどんどん変化する秀才。純粋無垢な子どもが描いた様な平気で、破壊的な創造で醜悪さをも描く。『ダリ』は古典的な描き方で言語性の強い鬼才。神に見いだされた犠牲者ですー。
ダリでもピカソ
二人ともきら星のような才能があるので何回輪廻しても本物の神になるべきです。業の深さは恐ろしくダンテの言葉を借りれば「まるで生きていることが呪われている様でこの地上以��に如何に『地獄』と呼ぶ事ができようか?」と言う程、人生を生きるのは大変です。才能の有無に関わらず。
Tumblr media
パブロ・ピカソ(2.4)
7ー4ー1ー6ー3
『サルタンバンカの一家』
パブロ・ピカソ『パイプを持つ少年』
Tumblr media
アンリ・マチス(2.4)
3ー6ー1ー4ー7
『ブルーヌード』
Tumblr media
2 notes · View notes
ashi-yuri · 6 months ago
Text
スイスで見た博物館・美術館 備忘録
栄華で罪深い過去と共に。
いろんなヨーロッパ絵画や歴史的史料を見るなかで、少しだけヨーロッパやスイスのイメージが具体的になってよかったな。
ぜんぶ素人の適当な感想なので、気軽な旅行気分で流し読みしていただければ幸いです。
ラ・ショー・ドゥ・フォン
時計博物館
Lorelei and the Laser Eyesに出てきそうな大きく複雑で謎めいた時計がたくさん見られて楽しかった。歴史的な展示もされていて、最初は日時計・砂時計から始まるのだけれど、最後正確性を求めるうちに、メカメカしい原子時計までいくのが面白かった。
時を、航路を、労働を、計り刻む合理性の象徴としての時計。
写真は複雑なアナログ時計と精密な原子時計。
Tumblr media Tumblr media
ヌーシャテル
美術・歴史博物館
地域のちょっとした歴史資料館見るのが好きなので。トラベルパスという共通観光チケットがあれば無料で見られるのも気軽でよい。(多くの博物館・美術館も同様)
小規模だけれど、全体的にまじめに作られていて好印象。精巧な自動人形が見られたのも楽しかった。緻密な絵を描いてくれる!
建物も立派。スイスは町中に豪華で立派で石造りの重い建物がずっとのこっている。
Tumblr media Tumblr media
「植民地主義者の銅像をどうしますか?私たちは公共の場で何を、どのように覚えておきたいのでしょうか?」
印象的��ったのは、地域の名士の銅像をどうすべきかという展示。ヌーシャテル中心部に立っている町の発展に寄与した名士は、実は奴隷貿易や三角貿易で富を得た人物であり、現代において彼を称える銅像が町にあるのは是か非か、市民はどう考えるのかという展示。地域の歴史紹介や美術家や歴史家など専門家のオピニオンビデオ、市民への公開アンケートなどを用いて多角的に議論の素材を提供する。正解はないけど、とりあえずみんなで過去を踏まえて考えて議論して、今後決めていこうというスタンス。
過去の他地域への搾取とそこから得た富・美を現在どう扱うべきかというテーマは、このちいさな地域の郷土資料館をはじめ、後述するようにほかの美術館当でも見られて、スイスやヨーロッパ全体での時流でもあるのかもしれない。
ベルン
パウル・クレー・センター
クレーの作品は今まで散発的に見たことあるだけでそんなに興味なかったのだけれど、作品をまとめて見られて、なんとなくよさがわかってよかった。作品保護の観点から、展示点数は規模のわりに少なめ。
限られた二次元の色と線という手法でいかに現実を描きうるかという自由で多様な実験みたいな作品が楽しい。絵単体というより、そのいろんな試みが自分には興味深かった。
Tumblr media
晩年の、勢いを増すナチス・ドイツの勢力から逃れて故郷ベルンに戻ったのち、なぜか線と色に迷いが消え、寡黙で内省的で象徴性を増していくなぞめいた作品群が個人的には好みだった。
ローザンヌ
リュミエーヌ宮・自然博物館
たまたま休憩に立ち寄った立派な旧宮殿内に、無料で市民開放されている博物館があったので。
おおきなマンモスの化石があった!ほかにもたくさんの剥製(絶滅種も含む)や鉱物・化石が展示されていて、時間なくてゆっくり見て回れなかったけれど、思いがけず充実した展示があり楽しかった。ここも建物が古くて立派。
Tumblr media
チューリッヒ
チューリッヒ美術館
中世から現代美術までいろいろなヨーロッパの美術作品がたくさん集まっている。自分の精神は近代で止まったままなので、いろいろな近代絵画が間近で見られてうれしかった。ほかの美術館等と違いトラベルパスは対象外で、別途入館料が必要なので要注意。
マグリットやキリコやフランシス・ベーコンの作品が近くで見られる!やった!!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ムンクのこの絵も、線と色合いの構成がしっかりしたふつうの風景画だけれど、見てるとつらくなってくるような感じがあってよかった。
Tumblr media
現代美術
バングラデシュ・ダッカ出身の非営利コレクティブが作ったインスタレーションがよかった。少しだけダッカという地域と縁があったので。
Tumblr media Tumblr media
急速な経済発展と社会の変化、押し寄せるたくさんの海外資本・商品・文化と市場社会、そのなかで抱える戸惑いや経済発展への期待や先進国への不信感。作品で表された、現地産業であるニットで編まれたキャンベル缶や粗末な屋台に並ぶたくさんの商品≒危険物のなかに、わずかに知っていたバングラデシュに住む彼らの思いを、芸術作品を通して改めて知れたようでよかったと思う。
デモによる政権交代後、みんなどうなるのかな。無事であるといいのだけれど。
ジャコメッティ作品
スイス出身の作家ということで、こちらも今まであまりよくわからなかった人なのだけれど、この機会にまとめて作品を見ることができてすごくよかった。人間性の衰弱と危機のなかでの抗い、という���ダニズムなテーマよかったな。フランシス・ベーコンや河原温とかもそうだけど、モダニズムのなかで人体の徹底的な解体と再構成を描こうとする作品が好きなのかもしれない。
Tumblr media Tumblr media
存在だけ再構成されたよろよろしてる犬。かわいいね。
Tumblr media
企画展
���ューリッヒ美術館のコレクションに多大な貢献をした武器商人「Sammlung Emil Bührle氏」の所蔵コレクションの今後の在り方について問うもの。
戦争という場を利用し、武器の販売で得た多額の富により築かれたコレクション。ここに飾られる絵画の額のすべてには「Sammlung E.G. Bührle」と刻印がされている。モネのきれいな睡蓮などもこの額に囲われ、周辺情報が気になって作品単体の鑑賞が難しい展示。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
なお、ほんの一部にナチス・ドイツがユダヤ人から押収した作品も含まれており、こちらについては返還手続きを進めており、展示不可となっているとのこと。
だから作品すべての来歴を明らかにし、それはQRコードで開示されている。展示自体がこれらの周辺情報含めて、たくさんの犠牲とそこから得た利益という過去のうえに築かれたコレクションをどう維持し、どういう文脈とともに展示していくか問題提起し、議論するための場となっている。
Tumblr media
非常に難しい問いかけであり、自分にはどういう方向性に進むのがいいのかわからないし、作品鑑賞の場としては周辺情報が多すぎるし、けれど無視できない・そうすべきでない問題なのもわかる。過去からは逃れられないけれど、いつか作品そのものをちゃんと鑑賞��きる環境が整えられる日が来るんだろうか。
日本では、国立近代博物館の戦争画展示や藤井光氏の展示などが、自分が知っている中では社会的・歴史的経緯に取りまかれる芸術と展示の問題を取り扱っていて、たまに気になって見に行く。
(チューリッヒ美術館まとめ)
いろんなお金と美術と考えが集まる場所なので、ものすごく駆け足に1時間半で見たら大変でした!
ジュネーブ
ルソーの像・ルソーと文学の家
ルソーの諧謔と矛盾に満ちた「孤独な散歩者の夢想」が好きなので、ルソー詣でをしてきた。
家のほうはふつうに1Fでカフェを営業していたのが意外。テーマごとにおしゃれでコンパクトな展示となっていて、日本語ガイドのレンタルもありで見やすい。「孤独な散歩者の夢想」展示が見られたので満足!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
国際宗教改革博物館
小ぶりな建物ながら、展示はきれいで整理され、非常に充実・意欲的な内容でよかったな。特設Wi-Fiで接続できるホームページから多言語対応されていて、しっかり翻訳された日本語で見やすく展示解説が読めるのも、ちゃんと説明しようというやる気を感じた。
当然プロテスタントの視点からの展示だけれど、あまり宗派に偏らず、比較的フラットに解説されている印象(自分がキリスト教に不明のためわからないだけかもしれないけれど)
聖書がラテン語からドイツ語・フランス語・英語に翻訳されることで、書物が権力関係を変え、そして社会が変わっていったことを、当時の書物を通して少しだけ思いを馳せることができるようでよかった。
写真はラテン語から英語やドイツ語など様々な言語に翻訳された、宗教改革当時の聖書。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ジュネーブに滞在し、宗教改革で大きな役割を果たしたカルヴァンについては、偶像崇拝を厳しく禁じていたため、彼が使ったといわれてるコップしか遺物が残ってなくて、それが展示されているのがおもしろかった。
宗教改革でよりモダンな形に切り替わったキリスト教が商業主義・物質主義に取り込まれていくこと、女性や疎外された人々がプロテスタントの教義について議論する演劇をもとにした映像作品、そして今日的な「プロテスト」の在り方など、意欲的な展示構成も見ていて楽しかった。時間の都合上、駆け足でしか見られなくて残念。
Tumblr media Tumblr media
ざっくりまとめ
海外でもGoogle翻訳のカメラ機能で展示解説をおおむね読むことができるので本当に助かる。ホームページやガイド端末で日本語含めた多言語対応しているところも意外とあった。
自分が行った場所はどこに行っても古く重い石造りの建物が残っていて、重く逃れられない過去のなかにずっといるようで印象的だった。
小さいけれど、伝えたいことがちゃんとあって、資料の保存や展示の意義を問い続けるような博物館・資料館は、国内外問わず見ごたえあっていいなと思う。大きな美術館や公設の資料館とかもそれぞれ姿勢に違いがあって、いろいろ見られて勉強になった。
最後にいい感じの湖の写真で終わります。湖は最高。
Tumblr media
4 notes · View notes
shingoiwasaki-blog-blog · 1 year ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
【2023-11-23】 勤労感謝の日
晴れ。午前七時三十五分起床。祝日。アラームで目覚める。顔を洗い、歯を磨きアパートを出る。セカンドストリートで1500円で購入した、グリーンのミリタリージャケットに胸にピースマークの缶バッジ、ボーダーのハイネックのニット、デニムパンツ、スニーカーという格好。今日は、祝日のため、平日通っている、精神病院のデイケアが休みだ。今日は、特に予定を入れていないが、暇なので、とりあえず地下鉄で、天神へ向かう。電車内、スマホをみたり、読書。数日前、ジュンク堂書店の古本まつりで250円で購入した、大島亮吉著「山ー随想ー」の続きを読む。大島亮吉は、学生時代から登山サークルに入っており、人生のすべてを山にかけていた。「山ー随想ー」には、ただ、登山している時に見える風景や、その日に摂った食事のことがただただ淡々と記されているだけだ。退屈と言えば退屈な随筆だ。ソローの「森の生活」のように。しかし、小説のように、ドラマティックな出来事が何も起こらず、著者の感じたことや、出来事をただ羅列しているだけの退屈な文章が、私は好きなのだ。そういう生き方をする人に「無常の愛」を感じるのだ。しいて、私が興味を惹かれた箇所は、「アイヌ民族」についての事柄が記されている箇所だ。そのことは、また、のちのち触れることにしよう。天神へ着き、まだどこも店は開いていないので、ただ、あてもなく天神の街を、タバコをくゆらせながらぶらぶら歩く。腹が減ったので、ロッテリアへ行き、野菜バーガーセットを食べる。サイドドリンクはメロンソーダ。私は、コーラやカルピス以外にメロンソーダも好きなのだ。向かいの席には、若い二人組の男が向かい合って座っている。前日、飲みすぎたのか、途中から、テーブルに突っ伏して寝始める。私も、若い頃はよくやった。せっかくなので、記念に二人が突っ伏して寝ているところを写真におさめ、SNSに投稿する。食後、ロッテリアを出て、ブック��オフへ向かう。途中、破れたデニムパンツを発見したので、迷わずリュックザックの中に入れる。この「リュックザック」という単語の「ザック」の部分は、大島亮吉氏が、「リュックサック」ではなく、「リュックザック」と「サ」を濁らせて「ザ」と書いていたため、普段私は、「リュックサック」と記入するのだが、今度からは私も、「リュックザック」と記すことにしよう。「ナップザック」でも良いような気もしてくる。そう、私は、古臭い言葉の言い回しや、現在では、「死語」となっている「言葉」が好きなのだ。ブック・オフで、無地のグレーのセーターを試着してみる。サイズ感はバッチリだし、デザインも悪くない。しかし値段だ。プライスタグには、二千円と記されている。最近の私の服を購入する基準は、千五百円以下なのだ。ちと高い。結局、商品を元あった場所に戻し、ブック・オフをあとにする。勿論、先程のセーターが、もっと面白い柄が入っていたり、かわいい胸ポケットがついていたら、多分二千円でも購入しただろう。しかし、あくまで無地なのでもう一歩購入に至らなかったのだ。しかし、この日記を書いていると、そのシンプルな無地も悪くない気がしてくる。書いていて、だんだん欲しくなってきたので、また週末にでもブック・オフへ行き、まだ商品が残っていたら購入することにしよう。ブック・オフを出たら、突然、体にタトゥーを入れたくなったので、どこに入れるか?を想像してみる。思いついたのが、手のひらだ。手のひらへ「Pain」と入れたいのだ。私が、日々投稿しているTumblrで、手のひらに「Pain」と入れている男性の画像を発見して以来、ずっと同じ箇所に同じ「文字」を入れたいと思っていたのだ。特に、予約はしていないが、とりあえず、タトゥーショップへ向かう。タトゥーショップは、最近、私がよく彫ってもらっている「KーTATTOO」だ。KーTATTOOでは、アンカー(イカリマーク)や、聖母マリアや、イエス・キリストや、誰かわからないが、首を切られた生首の男の写真の画像を入れてもらった。最近では、首筋に十字架や、肩に星マーク、足首にアルファベットで「MOM」と彫ってもらった。そして、KーTATTOOのど真ん前には、クリニックの駐車場があるのだが、なんと、私の名字と同じ「いわさきクリニック」というクリニックの駐車場があるのだ。「主」は、私がKーTATTOOで入れ墨を入れることを望まれているのだ。私が、聖母マリアやイエス・キリストのタトゥーをKーTATTOOで入れようと思ったきっかけは、別に「いわさきクリニック」がKーTATTOOの前にあるからではない。勿論、そんなことは、知らなかった。知ったのは、最初の予約をした日、グーグルマップでKーTATTOOへ到着してから知ったのだ。ある時(2023年6月初旬頃)、タトゥーが入れたくなり、たまたまネットの検索で引っかかったのが、KーTATTOOだったのだ。アンカーは、私は、佐世保出身であり、幼少期��ら米軍基地の近くを、よく車で通っていた。その時、走行する車の窓から、米軍基地の近くを通ったとき、大きなアンカーの彫刻が建てられているのを見ていた記憶が脳裏に焼き付いているのだ。子供心にカッコいい形だなと思いながら、見ていた。それでアンカーを腕に彫ってもらったのだ。彫師さんに聞いた話だが、アンカーは、縁起の良い彫り物らしい。KーTATTOOへ到着して、スタッフに「Pain」の画像を見せる。運良く、今日は予約がそんなに入っていないので、当日入れることができるとのこと。ただ、本日一人、十二時から予約が入っているため、その後の、午後一時からであれば入れることが可能とのこと。ただ、手のひらは、タトゥーを入れる体の中でも、特に痛い箇所らしく、おまけに手のひらというのは、人間の体の中でも特に墨が入りにくい箇所であり、入れても時間が経つと消えてしまう可能性が高いとのことを告げられる。それでも、いいから、私は、入れたい旨を伝え、上機嫌で店をあとにする。時間まで、1時間半ほどあるので、H&Mへ行き、レディース、メンズ服、くまなくチェックする。欲しい服も何着かあったが、どれも二千円以上するため買い控えする。時間になったので、KーTATTOOへ向かう。到着したら、女性の客がうつ伏せになり、左背中に何やら彫ってもらっている。私の順番がきて、「Pain」を入れてもらう。針が、手のひらを刺した瞬間激痛が走る。私が、今まで入れたどこのタトゥーよりも痛いし、痛みの種類が違う。途中から、手がブルブル震えてきたので、彫師さんが、しっかり抑えて「彫り」を続けられる。約、三十分ほどで彫り終わる。痛かったが、とてもカッコよく入ったので、もう先程の痛みを忘れて、上機嫌で店をあとにする。ジュンク堂書店で、「古本まつり」をまだやっているのを思い出したので、足を向ける。大平健一著「貧困の精神病理」、色川武大の(タイトルは忘れたが)書籍と、あとは、これもタイトルも著者名も忘れたが二冊合わせて計四冊の書籍を購入する。四冊で千三百円ぐらい。地下鉄で帰り、途中、セブンイレブンで、カップの担々麺、タルタルフィッシュバーガー、コーラ、カルピスを購入。アパートに帰り、買った食材をリュックザックが取り出してみたら、カップの担々麺を買ったつもりが、カレー味のカップ麺を購入していたことに気づく。気分は担々麺だったのだが後の祭り。(私は、基本、日々同じ食べ物を毎日食べることを好む。変化が嫌いなのだ。)シャワーを浴びて洗濯機をまわし、イソジンでうがいし、テレビを観ながら晩飯。食後、数日前、食べ残したポテトチップスの輪ゴムを外し食べる。食後、気持ち悪くなったので、胃腸薬を服用。他に、私��日々、服薬している薬も飲む。あのちゃんのユーチューブ動画(本田翼とのラジオ動画)を視聴して就寝。何時に寝たのかは覚えていないが、最後にスマホの時刻を見たのが23時過ぎだった。
3 notes · View notes
rrspica · 2 years ago
Text
Letter for City Boys. /文・柴田聡子
 男の子たちよ。 私は君らがおそろしい。校門の脇にいつまでもつっ立っている君らの間をうつむいてすり抜けた時から、今の今までずっとおそろしい。だけど私は君らを隣りや後ろに乗せて運転がしたい。見つめ合うことなく仲良くなりたい、いつも。会うたび痩せていくから、私は君の心配をする。健康診断行ってるか。がん検診行ってるか。野菜食ってるか。歯磨いて寝てるか。君はありがとうってただ一言つぶやくだけで、あとは海を泳いだり道を歩いたり、そうしているうちにこっちのことなんてすっかり忘れてしまう。私は勝手にそれが腹立たしい。生まれた時からやさしい君は困ってしまうが、けんかも出来ない。そういう発想がないところに生まれ育った。私もそうなんだ、一応、北海道イチのそこそこシティで育った。しかしけんかもろくに出来ない腰抜けと思われないように、ついでに君を腰抜けと見下したことをどうにか伝えたくて、こちとら雪だって降るし大変だったんだ、一緒にしないでくれ、と凄まずにいられない。どうしてこんなことになっているのか皆目見当もつかないといったその目はチワワみたいに潤んで震えていた。あれは悪いことをしたって、この頃、今さら、反省している。今、君の何かをコントロールできたところで長生きくらいしかいいことは起こらなそうだ。ということで、もうとにかくなんだっていいから、なんとかすこやかにやっていってくれ。こっちもこっちで、この心配は君のためじゃない。自分の中にだれかへの愛情があることを確かめて、ほっとして、生きる活力にしているだけなんだ。全て自分のため。こんな都会のど真ん中、なんてったって大人だし、だれでもなんでも出来るはずなんだ。たまにはそういう強さも見せつけたくて君の前で精神的に仁王立ちをしてみる。でも、そうして見せびらかす前から、君はそのポーズにほんのり気付いていたらしい。そしてそれを口にしないでいてくれる。自分と同じく、人を格好悪くすることもしない。単純に気にも留めていないだけの可能性がある。たまに考えるんだけど、もしも私たちがとても仲良くなって、周りもそんな風に思うようになったとしても、数日間連絡のつかない君の部屋の様子を見に行く役目を請け負うのだけはほんとごめんだ。もし君がそこで息絶えていたら、はじめにその姿を見た時の私の顔を見る人はだれも居なくなるんだ。そこで起きたことの全ては私しか知らないことになるんだ。世にも複雑でおもしろい顔をしているだろうに、それを見てくれないなんて、そんなのいやでいやで仕方がない。面白いことがないとすぐに退屈そうな顔して足を投げ出して座る君がそれを見ないのは罪深いよ。やっと迎えた休日の、じんわり幸福でほくほくとしているだけで充分な夜中であってもそんな態度をとるんだから。最後まで面白いことを見逃さずに大笑いしてくれよ。頼む。冗談と適当だけは死守してくれ。私たちは深刻ぶったら最後。ふざけていないと死ぬと思っていてくれ。あの日、大好きな人が離れていってしまおうとしているというのに、君はお金も時間も惜しんでた。明日も変わらず仕事をしようとしていた。それはそれでいいといった風な感じで王将で餃子をつついているぶっちぎりのタコ野郎だった。私は君の残した餃子、いらないんなら欲しいなって、つばを飲み込んでた。君は私の残したチャーハンにまったく興味が無さそうだった。君は人のものを欲しがらない。卑しさという概念がない。私は高揚した。こいつをぶん殴ってやろうと思い、そうした。君はびっくりしてた。私と君は一生友達になり、翌日、君はどこに隠していたんだか知らないけど、傍から見るとかなり大きな勇気を軽々と使いこなしてた。様になってた。優雅にコーヒーを飲む写真を送ってくる余裕っぷりだった。ラーメンをすするのも、猫背も、弱音も、全部絵になる。見事だなって、いつも感心する。あれからというもの、君からは短くて鬱陶しい連絡が時々きて、私はそれにいつも「はい」とだけ返信をしている。打たれ弱いんだか打たれ強いんだか、わけがわからない。もうとっくのとうにわけはわかっていないんだけど、どうしてもあきらめがつかない。君が私をばかにしているように、私も君をばかにしている。そんな不健康をどうして続けているかと聞くのは止して欲しい。その横顔が、若き日の貴乃花に似ているということしか理由は無いかもしれないのが恥ずかしいから。君とはよく公園に行った。近くの、なんてことない、普通の公園。そこで山も谷も無くおしゃべりするだけ。珍しいものを観に行ったり、計画を立ててどこかに出かけたりしたことはほとんど無い。あってもすぐに帰りたくなる。行くとこはどこでもいいし、食べるものもなんでもいい。どこに行ってもよそ者だった。山形の友達の家の水道水を呑んで、このところ口にしたもので一番おいしかった、って何杯もおかわりして、そのたび心底うまいという顔をしていた、という噂を聞いたよ。その愛らしさで素朴な俳句が詠める。君と出会った時にとてもうれしかったのは、たとえ大きな間違いだったとしても、私をリアーナやビヨンセと同じように扱ってくれたこと。そんなこと君はつゆ知らず。ここまでああでもないこうでもないって自分に言い聞かせるように書いたこと全てが、君にとっては大切なことでも残念なことでもない。君はほんとうになんにも思ってない。イエス=キリストもさ、うるさいやつの話を聞くときはどんなに声を荒げられても最後までなにも言わずにじっとしていて、相手がもうしゃべりきったなってところで目を見つめ十字を切って祈りそのまま立ち去ったらしい。君は知らず識らずのうちにキリスト流だよ。君を目の前にすると、今でもそわそわして頭が真っ白になる。あと、別れ際が潔過ぎるよ。もう少しだけゆっくり背を向けてくれたらいいのにって、ぶつぶつ言っているうちに電車が来て、私はそんなことを一瞬にして忘れてしまう。
6 notes · View notes
alaephoenicis · 2 years ago
Text
時間の操作、時間のカウント、時間の旅
ロビン・カイザー
Tumblr media
オリジナル動画:https://youtu.be/DNKxIIMKHrg 公開日:2023年3月19日
【和訳:ALAE PHOENICIS】 最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
私たちが今現在つかっているカレンダーの日付(暦日)は、どうやって使うようになったのでしょうか?この「時刻と暦日」とは、どこからやってきたのか。そしてこの日付はもしかして、ある特定の「意識プロブラム」にリンクしてはいませんか?
この時空で何かを経験したり、この日付に紐づいているこの時空の一部だと思っているときは常に、私たちは非常に特殊な意識プログラムに統制されています。
この動画では、そのことを皆さんにお話します。
いつものごとく、これは展望・既知の現象についての新しい捉え方であり、それが自分の心にどのように響くのか、自分で決めて良いのです。
そして、冒頭に掲げる大きなテーゼは、「私たちが生きているのは2023年なんかでは全くありません」ということです。最初はとりあえずちょっと異様な感じに聞こえるでしょうが、以下で詳しく説明したいと思います。
人類の歴史において、ある種の天変地異が訪れたことは幾度もあったし、社会のリセットも幾度も行われてきました。そして、そのようなリセット後には、時間の数え方が改められることがよくありました。
私たちが2000年以上前から生きているタイムラインを、私は「キリスト教のタイムライン」と呼んでいます。
私たちが過去2000年間過ごしてきたこのキリスト教のタイムラインは、ユリウス暦に端を発してグレゴリオ暦へと続く「太陽暦」によって裏付けられています。それは、私たちが現在生きている日付であり、時間というものは常に特定の振動と結びついていて、その振動によって私たちがどの意識空間を移動しているのかが決まります。
ですから、もし自分たちが2023年にいると思っているなら、私たちは文字通り、私たちのために書かれた非常に特殊な振動プログラムに従っていることになります。そして、この振動プログラムはキリスト教のタイムラインである2000年以上前から存在し、それ以降、人類の意識はそれ以上発展することなく、傾向としては退化してきています。
さて、いったい私たちはどの「時間」の中で暮らしているのでしょうか?それは結局のところ、視点の問題でもあり、私たち自身の意識の振動の問題でもあります。
私たちはカレンダーと時間に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト暦のタイムラインに合わせているのです。
まず第一に、私たちの前に置かれたこの日付と、私たちが人生を方向づけるためのこの時刻は、私たちの意識の振動に非常に特別な影響を及ぼすということを認識しなければなりません。
そして、もし私たちが意識を広げたいと思うのであれば、この時空の枠から飛び出す以外に方法はありません。
ユリウス暦とグレゴリオ暦が誕生する以前の地球には、主に月暦が存在しました。これは、1カ月が28日、1年が13カ月、それで合計364日になります。
そして、この月暦は、現在の太陽暦よりもずっと自然の地球のサイクルやリズムに強く結びついているのです。
ちょっと想像してみるだけでも、ジュリアス・シーザー、つまりユリウス暦が現在の日付の基礎を築いたのだと感じるでしょう。この歴史上の人物が本当に善意からこれを成したのか、私は確信を持つことが出来ません。
そして、現代のすべての計算、つまり古典物理学から宇宙物理学、あるいはその他、占星術における星座の計算に至るまで、この暦がベースになっています。しかし、それ自体に偏りがあるカレンダーをもとに計算をするとなると、そこから算出される結果には、私は常に慎重になります。
では、例えば占星術の計算結果はどうなるのでしょうか? もし、まったく違うカレンダーを基準にするとしたら?
私たちが知っているようなの時刻を測るだけのカレンダーではなく、時間の質、そして時間の中で起こることに焦点を当てたカレンダーです。
純粋なカレンダーは、お知らせのために日時を示してくれるという限定された機能に留まり、これはひとつの時間層のみを指し示しますが、私たちがこの地球上で使っていた昔の暦では、時間を計るだけでなく、複数のタイムラインで、何時、何が起こるかを明確に予測することができました。つまり、暦とは、時間の中で起こる出来事の測定手段でした。
決して時間そのものが重要なのではなく、その時間に何が起こるのかが重要だったのです。
今日、占星術の世界でもそのようなことが行われています。しかし、先ほども言ったように、私個人としてはそのベースにされている暦の波動には、非常に疑問を感じます。
一歩下がって、もう一度時間をより身近に見てみたいと思います。
時間とは、私たちが計り、そしてそれに自分を合わせるものだと考えています。刻まれる時間が、そのように私たちを指揮するからです。
しかし、実は時間はもともと創造のための手段であるとしたらどうでしょう。意識の進化を発展させるための創作ツール。だって、それが真に時間の背後にあるものなのですから。
他の意識レベルとコンタクトがある私には、時間について別の理解を与えられているのです。彼らは私に、時間と、暦の枠内での日付というものをどうやって使うのか教えてくれました。
そう、地球人には覗き込めば何時なのかを示してくれる時計があり、それによって非常に特定の意識プログラムに組み込まれるのです、と彼らは言いました。
私たちには時計があり、それを調整し、どの日付に時計を合わせるかによって、私たちは時計を合わせた通りの時空間座標にいることになります。
つまり、正反対なのです。
それは、まったく逆の意味です。私たちはカレンダーと時刻に自分を合わせ、それによって意識の振動をこのキリスト教のタイムライン、そしてこの時刻がリセットするところに合わせているのです。
一方、別次元に在る創造者たちは、時間を純粋な創作ツールと見なしており、何時であろうと自分たちが暦の中の日付に設定したところに、その意識のまま自らを見出すことが出来ます。
さて、いま起きていることを見ていると、すべてが新たなリセットに向かっていることを示しています。
そして、すでに時々仄めかしては来ましたが、私がこれほどはっきりと口にしたことがなかったことが、このリセットによってもたらされることになります。
それは、リセットの後、私たちは新しい時間をカウントし始めるということ。
私たちは今後数年、数十年の間にいくつかのイベントを経験し、特に大きなイベントがひとつあります。
このイベントの後、地球には新しい時代がやってきます。
なぜ、そんなことを?なぜ、システムは新しいカレンダーを考案しようとするのでしょうか?
そう、人々の意識を特定の時空間プログラムにこの先も留めておくためです。
私たちはキリスト教のタイムラインの中で生活しています。つまり、過去2000年の間、それは私たちの意識を閉じ込めているのです。
そして、私たちは2023年という日付、今ここにいるものと思っていますが、実際にはもっとずっと先の時間にいます。
もし、いま2万4,327年にいる、と言われたら私たちはどう感じるのでしょうか?これは単なる例えです。そして、過去2,000年の意識プログラムである時間カウントを巻き上げるだけでなく、私たちがもっと古い日付まで歴史を遡れるのだとしたら?
そうすると、私たちはキリスト教のタイムラインによる意識プログラムを超えてしまうでしょう。
そして、このリセット、そしてグレゴリオ暦のこの日付というのは、私たち人類が集団でその出来事を忘れてしまったことと関係があるのです。
そして今、まったく同じことが計画されています。社会的なリセットが訪れ、新しい時間カウントが行われ、新しい日付を与えられ、歴史記述にゼロ・アワーが設けられ、それまでのすべてが人類種族の集合意識から抹消されることになります。
これが計画なのです。
こうやって歴史の中では何度も同じことが繰り返され、社会は非常に特殊な時空間プログラムに基づいて自らを構築してきました。
ある時点から、その中で起こるすべてのことが、どういうわけか少し制御不能になり、人間は自らを破壊し始めます。
リセットが起こり、すべての時間カウンターにゼロアワーが書き込まれ、新しい日付が始まる。そして、この新しい日付は、私たちがこれまで蓄積してきたすべての意識、すべての過去、すべての遺伝的遺産、すべての経験的知識を、タイムラインから、そして意識から切り離すことにあります。
つまり、私たちはいずれ、イベントの1年後、2年後……といった時代を生きることになるのです。そして、リセット前の集合意識にあった情報をまとめることは、一般的な歴史学では禁止されるでしょう。
既にそのようなことは起こっているのです。
もちろん、歴史家は2000年前に遡ることを禁じられているわけではありません。
しかし、そこでは時空間エネルギー的に、新しい時間カウントの導入を通じて、人類の集合意識に断絶が起こったのであり、その結果、多くの時空間のイベントや アトランティスやレムリアのような以前の時代の記憶全体が集合記憶から消去されました。
そして、私たちはちょうど今、新しいリセット、新しい時間カウントに向かっている最中で、キリスト教のタイムラインの時空の枠組みで経験したことはすべて、いずれは私たちの意識から消えていくか、あるいは消えているはず、となります。
今、私たちがいるこの場所では、とても消化しにくい、あるいは理解しにくいと思われるかもしれませんが、こうしてプログラム、つまり人類を抑圧するための意識プログラムは、何度も何度も同じシナリオを構築するのです。リセットと集団的忘却によって。人類の意識全体に波及する記憶喪失、集団的な記憶喪失、を通すことで…
そして、私たちを忘却の彼方へと率いるための最も中心的手段となっているのは、この私たちの生活基盤となっている時間の数え方と日付なのです。
Tumblr media
自分なりの感覚をつかんでみてください。私たちは2023年にいると言われています。とても若々しく、とても新鮮で、まだあまり経験を積んでいないかのように聞こえ、それ以前のものはすべて切り捨てられいます。
他の意識レベル、他の存在は、時間の数え方が全く違っています。彼らは時間をまったく違った形で使っています。
私たちは自分の意識を使って共創しているものは何なのでしょうか。それはなによりも、我々という存在の意識を制限する枠組みとなるよう、非人間的なある特定の存在がプログラミングしたものです。
私たちは、時空間のシミュレーションのようなものの中で生きています。
そして現在、このプログラムによって、私たちは2023年に生きていると思い込んでいるのです。
(少し笑いながら)あなた方がこれを信じるのか、信じないのか。
しかし、実はこのビデオに至るまで、私はまずカレンダーを見て、今が何年なのかを確認する必要がありました。なぜなら、私の意識は、ほとんどの場合、時空間プログラムの外側で活動しているからです。
私は、その日付を単純に意識から消し去りました。私にとっては、全く別の時間カウントが適用されるため、私自身の歴史記述の中にあるもっと過去に遡ったイベントを参照したり します。
今から約9,800年前に大きなイベントがありました。��れがアトランティスの滅亡で、非常に大きな激震が起こりました。その時から新しい社会秩序が生まれ、その影響は部分的に今も続いています。
私たちはいわば、ポスト・アトランティスの時代にいるのです。
そう、最近になって人類の昔の文明に関する情報が出てきたため、私たちが意識の中であっちやこっちへ転がして確かめてみてもいいことがいくつかあります。何が自分たちにとって正解なのか、どの時間軸が自分たちにとって適切なのか、人類は実際に時間の流れの中でどこに向かっているのか、そして、どうやって意識を拡大し、リセット地点の前にたどり着けるのか、などです。
昔の文明に関する情報は消えておらず、人為的に断ち切られただけでした。しかし現在、振動が高まるにつれて、以前の時代、過去の時間の数え方などが再び浮上してきました。
もし、2023年の時空間プログラムがあなたの意識を制限しているということを、あなたの体のすべての細胞が知っていたとして、あなたはこの時間の代わりに、別の宇宙的時間計算を自分に贈れるとしたら、あなたは自分自身をどのように経験するのでしょうか?
もし私たちが、時間を教えてくれない時計を持っていて、そこに自分で日付を入力し、その日付の場所に自分の意識があるとしたらどうでしょうか。
すべての時間、すべての時間記号は場所と結びついており、本当はすべての場所、すべての波動の存在がそれぞれの時間の中で生きているということを認識することが重要です。
現在、全人類には一つの時間が与えられています。単一の日付が、すべての人に降り注がれている。これには、人類の振動を普遍化する作用があるのです。私たちは、いわばこの時間の意識プログラムを受け取り、全人類がこの時間を遵守すれば、いわば人類の集合意識はそれによってグローバル化され、極めて限定的な振動枠に入ることになります。
この時空間プログラムが存在しない他の次元では、それぞれの意識は独自の時間で振動しています。なぜなら、意識の振動は常に、どの時空枠の中を移動しているかと関係しているからです。そして、もし私が自分の意識の振動の拍子を変えたら、時間軸上のにある全く別の時代に滑り込むことになります。すべては、私たちの意識の振動に関係しているのです。
私たちは、この日付があること以外に何も知らず、その日付に自分を合わせていますが、その日付が私たちの内面にどのような影響を与えるのか、どれほど私たちに制約を与えているのか、どれほど私たちすべてを一つの時間、つまり一つの周波数、一つの振動に集めようと目論むグローバリズム計画の一部であることに気づいてもいないのです。
しかし、自然界ではそれぞれの人が持っている独自の周波数によって、異なる時間を生きている…これらは、現在の意識からは想像しにくいことかもしれませんが、意識が多次元に広がると、並行する現実が存在するだけでなく、それぞれの生命体がそれぞれの意識振動にしたがって、それぞれの時間サイクルで生きていることに気づかされるのです。自分のリズムで生きている、とも言えます。
そして、私が皆さんに結論として提言しておきたいのは、自分の内なるリズムを見つけることです。あなたの内なるリズムがあなたの時間となります。そしてこのリズムは、あなたの魂の波動のサインと結びついています。これが、あなたの存在のリズム、あなたの自然な生体のリズムを、あなたに与えてくれます。
そして、与えられた時間のリズムではなく、自分自身のリズムで生きていると、その中で自分は次第に自分らしくなっていきます。いつ寝ても、いつ食べても、1日のサイクルの中で、いつ、どのように、何をやってもいいのです。
「この時間に眠らなければならない」 「この時間に起きなければならない」 「この時間に食事をしなければならない」 「この時間に・・・しなければならない」等等…
私たちは、そう考えるよう仕向けられている、条件付けにより学習させられています。
これらはすべて、元から自然に備わっている意識のリズムを、条件づけによる路線へと誘導するために設けられ、そうするように吹き込まれているのです。
そして、私たちはいずれ、歴史の記述にゼロ・アワーが訪れる時を迎えることになるのでしょうが、単に我々人間の意識を制限しようとする存在によって書かれた新しい時空プログラムなどに乗せられたりせず…その時には、その新しい時空プログラムに入る代わりに、私たちは自分たちが実は何者であるのかを思い出すのです。そうして、時空のあらゆる地点に自分の意識で自己を顕在化させるためには、時間を創作ツールとして駆使するのだ、ということを再認識するでしょう。
時空間のプログラムをすべて捨てたとき、私たちの旅が向かう先はそことなります。
時間を線状のに捉えている思考では理解できない部分もあると思いますが、大切なのはいつも、振動に注意を払うことです。それは、私たちが知覚するすべてのものの背後にあります。
このことを念頭に置いて、もう一度「日付(!)」をよく確認してみましょう。
もしかすると、その背景には、人類を操るための最大級の意識プログラムが潜んでいるかもしれません…
7 notes · View notes
sakura-zakki · 2 years ago
Text
読書の記録
泥があるから、花は咲く 青山俊董
なんだか不思議ですが、清流には蓮は育たず、泥沼、泥田にしか蓮は咲かないそうです。
『泥』=『嫌な事、苦しいこと』を糧として、『美しい花を咲かせる』=『人として成長していく』
仏教に蓮はよく出てきますが、蓮の花に仏教の教えの基本が詰まっているようですね。
正法寺住職。尼僧さん。
著者の出会った方々の話や偉人の言葉や詩等、仏教に限らず、キリスト教や宗教以外の様々な分野を通して、人生について語っています。
【メモ】
✏眠りこけている間も、自殺しようとしているときも、腹を立てているときも、いついかなるときも私を生かしつづけてくださっている、その働きを仏と呼びます。
✏嵐のような真只中にあるときも、そういう自分を、自分の苦悩をつきはなして、遠くから見る冷静さを、客観性を、智慧を忘れずに、毎日を生きてゆくことができればいいね
✏下り坂でしか見えない景色をたのしむことです。どん底に落ちたらどん底でしか味わえない風光をたのしみ、味わうことです。
✏あちらからこちらを見、こちらからあちらを見るというように、角度を変えたり立場を変えたり、遠く離れて見たり、近づいて見たりして、今ここの一歩をあやまらないように、心して運べというのです。
✏苦は、泥は、アンテナを立てよという仏さまの慈悲の贈り物と受けとめていきましょう。アンテナが立っていなければ師のもとで教えを聞いても、出会うこともできなければ、教えも聞こえてきませんから。
✏ご主人の立場に立ったら、お姑さんの側になってみたら、私のような母親を持った子供の立場に立ったらと、相手の立場に立って考えられる人を大人というのです。
✏一つははどの一点をおさえても、今まで生きた人生の総決算の姿が、今日只今の私の姿なんだということです。 ~中略~ 何を考え、何を語り、どう行為したか。その一つひとつが一点のごまかしもなく、目に見えない鑿となって人格を刻みつづけるのです。
✏嫌な人や仕事に出会ったときこそ、私の中に”我”という氷を凝視するチャンス、氷を水に溶かす修行のチャンスを受けとめてまいりましょう。
✏お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。「闇から闇へゆく人、闇から光へゆく人、光から闇へゆく人、光から光へゆく人」と。
✏人間の欲がイコール悪ではありません。欲は天地から授かった大切な命のエネルギーです。そのことに気づかず、小さな自我の、ああしたい、こうしたい、たいたいという欲望のほうに向けたとき煩悩となります。 ~中略~ 火はいいものだとしがみつけば火傷をする。火は恐ろしいと遠ざければ凍える。そうではなく上手に火を利用するように、人々よ、欲を道を修める方向へ、向上へと向けよ、というのです。
5 notes · View notes
the-unsigned-ground · 2 years ago
Text
2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
Tumblr media
朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
Tumblr media
霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
Tumblr media
コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
Tumblr media
1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
Tumblr media
聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
Tumblr media
聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
Tumblr media
外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
Tumblr media Tumblr media
ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
Tumblr media
公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
Tumblr media
聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
Tumblr media
1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
Tumblr media
手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
Tumblr media
庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
Tumblr media
庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
Tumblr media
入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
Tumblr media
スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
Tumblr media
聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
3 notes · View notes
magazine-hitori · 12 hours ago
Text
書物礼賛③
Tumblr media
岩浪れんじ/コーポ・ア・コーポ①/GOT2020
テレビとマンガは記号の王国。記号=共通の意味。視聴者・読者に意味が伝わらねばならないから、測って寄せてくる。最大公約数という言葉のとおり、王国といっても盲人の国では何とやら。私より少し後の世代からは、テレビとマンガの合体といえるビデオゲームで育った男性が多数を占め、次第に作る側にも回ってきたのでますます貧困化。
書物礼賛①で触れた、私の好きな現役のラジオ番組、兄弟漫才師・中川家のお昼の番組に女芸人・友近がゲスト出演、テレビの食レポでティラミスだかミルフィーユだかを関東ローム層にたとえたところプロデューサーに苦い顔をされたと語っていた。アルコ&ピース平子も同様の案件でアメトークの加地Pに叱責されていたな。実際アメトークの客は彼がカニクリームコロッケの熱さをマグマにたとえたことにポカンとしたのでしょう。私は好きだが。視聴者が高齢化し減少してくるし、制作側が誘導しなくても負のスパイラルが起り、今はもう「叩かれ役」として延命させられている段階。
それに対しマンガは本来深夜ラジオに近い本音のメディアであった筈が、初期から少年向け少女向けに分かれていたり雑誌単位の棲み分けも進み、出版社の官僚主義も手伝ってテレビと同レベルに貧困で、しかも狭いから意味さえ分からない、1ページ目から入っていけない結果になる。本書はウシジマくん的な経済弱者の群像劇を、よりサブカル的なモチーフと絵柄で見せていく体裁で、一応入っていける。しかし例えばウシジマくんの貧しい女たちの言葉「甘いパン甘いパン」「前に聞いた前に聞いた前に聞いた」「ポークって何?」には、私にとって今のテレビとマンガが根本的に抱える障壁=視覚と言葉で具体的に説明されると馬鹿にされているように感じてしまう=を超える生々しさがあるのに対し、本書の言葉・人物像は超えていない。良くできていると思うが、小さくまとまって食い足りない。
ニック・ハーカウェイ/タイタン・ノワール/ハヤカワ文庫2024・原著2023
タイタン化と呼ばれる遺伝子改変によって不老長寿を実現すると共に身長も2メートル半ばと巨大化した数千人の超富裕層「タイタン」の一人が殺された事件に端を発するクライムサスペンス。
ひさしぶりに手に取るハヤカワSFということでワクワク。この世に絶対とか永遠とかありえない。相互的に影響し合いながら常に流れている、それが時間であり生命であり、変化できなくなったとき命は終る。どのようなトリックによってそれをありえるよう錯覚させるのか、そこに興味があったのだが、この著者にもっともらしいトリックを考案する能力などなく、登場人物にこれこれこういう設定なんですと語らせるのみ。聞けば肉体改変などを扱うボディ・ホラーと呼ばれるサブジャンルがあるのだそうで、そうした舞台設定を借りて陳腐なパルプフィクションが展開される。もしパルプフィクションに徹しているのであればそれなりに雰囲気を堪能できる筈だが、翻訳に「元カレ」「置き配」といった今の軽薄な用語が頻出するなどで台無し。途中で投げ出した。現代イギリス人らしい幼稚で新自由主義的な作風ではあるが、挟み込まれた新刊案内などから察するにそもそも早川書房自体がジャンル細分化と経済至上主義を先導する存在で、今は細々と延命(前項でも使った言葉)しながら縮小再生産を繰り返すだけということのようだ。
マックス・ウェーバー/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上下)/岩波文庫1955・原著1905
タカアンドトシの古いラジオ番組の中で語られたエピソード。トシが家族でディズニーランドを訪れ、中1の次男が打ちひしがれた様子なので聞いてみると、杖を買うためにハリーポッターのアトラクションに並んだのだが抽選に外れて買えなかったのだという。母親が励まして一緒に並んだがまたも外れ、3度目でようやく買うことができた。計1時間ほど行列に。
買うと言っているのに抽選があり、行儀よく並ばされる。Lord is my shepherd…羊飼いを自称したキリスト、刑死した彼を看板に立てて復活だの最後の審判だの嘘を並べて集客したキリスト教こそ新自由主義の元祖であり、私にとってディズニーランドもパチンコ屋も同じように虚無だ。本書、いわゆるプロ倫は戦争と加工貿易の世紀、20世紀初頭にドイツで発表され、「神が与えた使命である職業の平等」「正直であり時間に正確であること」「禁欲の否定と質素の奨励」といったプロテスタントの徳目は、単なる道徳や処世術という以上に独自かつ普遍的な〝エートス〟であるとして、利潤追求や投資を正当化している。「資本主義は中国にもインドにもバビロンにも、古代にも中世にも存在した。しかしそれらの資本主義には独自のエートスが欠けていた」。
そうかな…。江戸時代前期に自作農の比率が高まり勤勉革命と呼ばれる労働生産性の向上を(産業革命に先んじて)実現したわが国なので、パチンコ屋とディズニーランドに相似が観察されるのではないか。さらに本書では既に米国の拝金と物質主義も批判されているが、現在の米英およびイスラエルは、キリスト教文明全体の閉塞を証明するかのようにナチスの災いを再来させている。プロテスタントだけ正当化することはとうてい無理だ。本書の論旨は説得力を持たない。まあ批判のために読んだのですが。私見では共��主義もキリスト教の異母弟のようなものと思います。
大森庸雄/ロック豪快伝説/立東舎文庫2017
米英ロックスターのご乱行が軽薄な文体でこれでもかと詰め込まれている。井ノ原とかいうのはアレでしょ、記者会見で「子どもさんも見ているから生々しい質問は控えて」的なことをほざいて隠蔽・保身を図った糞野郎でしょ。ジャニタレとしては不細工。面食いでない主婦層からの好感度高そう。逆にホストや半グレみたいのもいるし、いろいろ取り揃えておけばメディアや広告、不倫や不祥事、常に露出させることができて便利で儲かる。中居をCM起用した企業が損害賠償請求? ふざけてんのか、盗っ人猛々しい。お前らはジャニー喜多川の一味であり共同正犯だ。
マッチポンプ。イギリスが��しかけてアメリカが梯子を外す。怒っている欧米白人よ、お前らはずっとそういう争いの種をばら撒いて有色人種を食いものにしてきたんだ。わが国はそのやり方を進んで受け入れた。ジャニー喜多川はお寺の息子で朝鮮戦争に従軍。ロックンロールミュージックもまた、キリスト教帝国主義の飲む打つ買う慰安と戦後のベビーブームが合体して世界に広まった。音楽そのものは新機軸でバラエティーに富んでいるが、ミュージシャンの振る舞いは古今東西変わらない、空しい。今の私にとって音楽は一人に戻るためのもの。ライブ・カラオケ・ミュージシャンの私生活などまったく無用。
辨野義己/大便革命 腐敗から発酵へ/幻冬舎新書2018
現代人の生活状況を一言でいえば、「女はたまる。男はくだる」とでもいえるでしょう。ヒトの大便は水が80%、固形成分が20%、固形成分の3分の1が腸内細菌であり、この腸内細菌の塊は大便の6~7%に過ぎませんが、われわれの人生にとって決定的なものなのです。(中略)戦後の日本では、食生活の欧米化にともない、悪玉菌にとって、とてつもないご馳走が供給されるようになりました。(中略)ほかの動物の場合、大便を体内にためこむと体臭がきつくなり、周囲に存在を知られやすくなります。それは自らの生命を危険にさらすことになるため、ためこむということがありません。
大便移植を試みている医療施設のなかには、現実的に効果がある大便が出てきたところもあるようです。ただし、それはAさんに与えると効果があるが、Bさんに与えても効果が出てこないという程度にとどまっています。大便移植の場合、それに含まれる腸内細菌の長期保存が困難です。凍結してもバランスが崩れてしまうのです。(中略)ヒトの腸内細菌にとって大事なことは、重要度でいうと腸腰筋を鍛える運動が50%、そして40%が食物繊維、つまり野菜です。そして残りの10%がヨーグルト・乳酸菌飲料です。
本書によれば香港住民は中国復帰後に男女とも5~6年平均寿命が延びたという。逆にかつて世界的長寿地域として知られた沖縄県は、フライドチキンやスパムなど脂っこい食べ物を好み野菜を食べないアメリカナイズが災いして男性全国36位、女性同7位に下がっているとのこと。便秘も日本人女性の半分近くが悩む深刻な状況で、30代以下ではお腹がすいたらパンやお菓子を食べ、炭酸飲料を飲むという生活のためウンチの元になる食物繊維が不足し、腸内環境が高齢者なみに悪化している者が少なくない。足腰を使った運動をして腸腰筋を鍛え、野菜・豆・海藻など食物繊維とヨーグルト・納豆など発酵食品を豊富に摂って腸内環境を良好に保つことが推奨されている。
0 notes
shigerunakano · 4 days ago
Text
アルフレッド (2)
「講堂」と入口に墨で記してある畳11畳分はあろうかというかなり大きな広間に入る。私が室内中央の大きな机の入って左側の真ん中辺りにゆったりと座り、その正面にアルフレッドと永井が。軍隊だったらあり得ない態度だろうな。うむ、たしかにあり得ない。
永井はいわゆる地主として権勢を誇る農家であり、明治以前から地域を牛耳ってきた家系であった。近年は県知事の右腕として国の改革におよそもっとも精力的に尽力している人物だった。はっきりいって私のような中級武士の末裔などより、断然地位も名誉もあり、政治的指導権を握っているというのが今の世の実情だった。なんにせよ我々武家の者どもはフランス革命の後に王族が辿った末路のように徐々に衰退するし、それまでの穀潰しとして利用され、その後に捨てられることは火を見るよりも明らかなことだった。みな口には出さないがそう考えていた。今日の主役は私ではなく、永井だと考えてよかった。そしてこのアルフレッドという、なにかを企んでいそうな気心の知れない西洋人……。アメリカという国は知っていた。弾圧される前のキリスト教が我が国に広まった頃、すなわち戦国時代の頃に、イタリア人探検家クリストファー・コロンブスが発見した新大陸の一部、その中央北部にある新興国で北海道がいくつも入るほどの面積を誇るという。その名前は同じくイタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチにちなむという。なおその頃の日本の種子島に伝来したもののひとつに、銃剣、要は今で言うボルトアクションライフルに刀を装着した「飛岳(ひがく)」があった。ただただ恐ろしくおぞましかった。しかしこのような人物と関わって国を変えていくのが私の仕事であった。部屋の中には飾り棚が大仰にも居座っており、その上にいくつもの置物や銅像、そして鮭を咥えた熊を象った木彫りの模型が置いてあった。すさまじい威厳だった。圧倒される。その上の壁には「質実剛健」そして「富国強兵」と横に書かれた書がこれでもかと堂々と開陳されており、笑ってしまうような屈強さである。なにかの冗談か。
「今日あなたに面会を申し入れたのは、先程説明したように、カーターさんが学校を立ち上げるための土地と予算の確保のために県知事に許可を得て欲しいという一点に尽きるのだ。ここだけの話、我々の行わんとする、国の改革は一刻の猶予も許さないほどの段階についに到達した。いわば改革の最終段階にさしかかっているのだ。我々はカーターさんとともにそのことを誇っていい。もうすぐだ。そうでしょう、カーターさん」
「はい、まさしくそうだと思います。あなた方のポテンシャル、おっと、可能性には我が国の者たちみんな驚いていると聞きました。もっとも私は手紙で及び聞いただけなので、いわば新大陸のそのまた新大陸にいるといったありさまですが。非常にさみしいです。早くあなた達の暮らしのことを故郷であるモンタナのみんなに教えてあげたい」
彼はポテンシャルと言った後に、わざとらしく口に丸めた手を持っていき、咳払いをした。ポテンシャルとはなんだろう。ポテンショ……?
「私はその提案に同意することにやぶさかではないものの、実はその際最終的に決断するのは知事でも私でもなく、県庁の予算係と県議会の主要構成員、そして県議会の主要構成員に関係する支援者の方々ということになるので、この場で先々の予定をはっきりと決めることができないことはご了承願いたい」私は言う。
これは本当だった。いままで散々このような「御用聞き」を行ってきたものだがそのたびに自分の決断が揺るがされ却下されてきた経緯がある。それというのも、県議会の主要構成員の支援者達の中には利害が対立する戊辰戦争の敵がお互いにひしめきあっているので、意見がまとまらない。中央省庁の調停は時代が時代だけに泥沼化を招くことは必定と言っていいほど、謀略の嵐と化していた。いわば中央も地方も日本全体が陰謀の坩堝となっていたのだ。私だってそのことに、はたはた困り果てていた。
「はい。そのことは承知しています。今日あなたに会ったのはあくまでもゴーサイン、やるという意志を聞きたいがためなのです」
アルフレッドが口を開く。かなりゆっくりとした日本語の発声で言葉を噛みしめているかのようだ。
「ならば、とりあえず私からの不満はありませんし、今週中、いえ、明日にでも上に申したい所存です。どんな学校を作るおつもりですかな」
「越後と信濃にプロテスタントの信仰心にかなった中学校もしくは高校を2つ3つ作りたいと考えていまして、そのうちのひとつはぜひともここ新潟女子師範学校のような女の子だけが通う学校にしたいと思っています」
「かなり漠然としておられますな」
「申し訳ないです。勢い余って会いに来てしまいました」
「なるほど」
私はすこしアルフレッドの言っていることについて考えてみたが正直内容が分からなかった。中学校と高校の違いもよく分からない。私はただ判子を押すだけなのだ。今の世の武士に刀は不要。子供たちは自然と戯れ、私は延々と判子を押す。それの何が悪いのか。
10秒間ほどの沈黙が生じ、どこか崖から落ちていく気分だった。
「カーターさんはこの辺りの海水浴場についてご存知かな」と永井が話題を切り上げる。より穏やかな話題に移行したかったようだ。この手際はさながら飛脚。よほど外国人に慣れているようでもある。
0 notes
ari0921 · 1 year ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)
   通巻第8068号  <前日発行>
 熾烈なAI開発戦争を横目に
   古代人の霊的な技術の脅威をどう評価するべきか
*************************
 十五年ほど前、チベットへ取材に行った帰り、高山病を調製し、乗り換え便を待つために四川省の成都に二泊した。
それ以前にも成都は何回か来ているので「珍しい所はないか?」とガイドに聞くと,クルマで二時間弱の場所に「三星堆遺跡」があるという。その時、筆者は初めて三星堆なる文明の存在を知った。
 戦後教育で教わった『世界四大文明』とはメソポタミア、エジプト、インダス、黄河文明だが、マヤ文明、インカ文明と縄文文明がかけている。三星堆は中華文明とはまったく無縁で地理的な要件はともかくシュメール(メソポタミア)に似ている。
 早速、見に行った。
明らかに太陽信仰の農耕文明だが、出土した仮面、神樹(御神木)の高さは4メートルにも及び、巨木信仰を窺わせた。人物像や神具などシュメールとの共通要素が多いが、シナ歴史の起源とされる夏・殷・周の中華文明とはまったく別物である。
 ▼巨大な目玉のデフォルメ青銅像は霊力の象徴ではないのか
 道具類も多彩で1934年に本格調査が始まり数百点のめずらしい出土品があった。戦争を挟んで1982年に発掘が再開され,大きなミュージアムもできた。 ブロンズ像の特徴は大きな目、飛び出した目玉、大きな鼻など、これはエジプトと似ている。
 筆者は売店でミニチュアのレプリカを二つほどあがなって書棚に飾った。
とくに143センチの杖は力の象徴であり、大きな目玉は『ホルスの眼』「第三の眼」として神の力であり、シナの古典の『蜀王本紀』には「巨眼の王がいた」と書かれ,『華陽国史』には、この三星堆文明は、「民とともに王が去った」と書かれている。
そして数千年、三星堆遺跡は土に埋もれていた。
 わが国でも亀ヶ岡縄文遺跡からは巨眼土偶が出土している これを日本では「射光器土偶」などと言っているが、神話性を無視した近代人の解釈では古代の謎は解けない。
眼には霊力が宿ったのだ。シュメールもエジプトもヒンズーも古代人は眼に神の力がやどると信じてきた。
 「ホルスの眼」は古代エジプト文明において重要な象徴。目の形だが、人間の脳にある松果体という部分の断面図に酷似している。この「ホルスの目」は、癒し、修復、再生の象徴でありエジプト神話の太陽神であるラーの右目は全てを見通す「知恵の目」とも言われた。魔除けと守護のシンボルだった。
水木しげるの漫画をみよ。目玉の妖怪だらけだ。
 ユダヤ教やキリスト教では、ホルスの目は神の監視と保護を表し、イスラム教では、真理と力を表している。ホルスの目は、力、保護、治癒を表す、歴史と文化的背景にあふれた霊力の象徴である。
中国の監視カメラは前項の目的、宗教を軽んじている。
「第三の眼」とは目に見えない目、ヒンズー教では頭脳にあるとされ、ネパールでは額に眼を描いた巫女のような神職がいる。まさに松果体(脳に存在する内分泌器)に似ている。さきにマヤ文明と書いたが、最近は人工衛星によってホンジュラスの山奥からも古代遺跡の所在が判明し、どうやらインカ文明とマヤ文明はことなることも朧気にわかってきた。
 ▼あのプマ・プンク遺跡の巨石切断は古代人がレーザーを使ったのだ
インカ文明以前に南米で現代人の創造を絶する遺跡が発見された。
 プマ・プンク遺跡は巨石が組み立てられた謎の構造物として知られる。一番の謎は10噸以上の巨石を80キロ離れた石切場からどうやって運んだか、石を見事なH型に切断、生前と並べた技術はレーザーか、超音波か、あるいは宇宙人かまるで違う文明がもたらしたものだったのか。
 レーザーはいうまでのなく半導体製造の一等中枢にある技術で、数ミリのチップに数十億の回路を刻み込んで集積回路とする。
 プマ・プンク遺跡の場所はボリビアのチチカカ湖の南、ペルーとの国境で標高は3800メートル。建造は紀元前2000年頃と推定される。
一万年前と唱える考古学者もいる。
 世界の考古学者、建築学者が謎の究明に挑んだ。運搬に関してはチチカカ湖を筏で移動、あるいは運河を造成したとういう説は退けられた。
丸太をコロとして人間が引いた? 
英国のストーンヘンジはたしかにそうやって造られた。またチチカカ湖は古代には海だったという説、大洪水でノアの箱舟と関連があるなどの説もほぼ否定された。巨石は安山岩で、大理石よりも硬質、それゆえに数千年の風雪に耐えた。
  ▼これは天文台なのか。
古代人は始原的な天文学に通じていたことは明らかである。
邪馬台国の卑弥呼なる巫女も原始的な占星術、鬼道に通じていたと魏志倭人伝は書いた。
天文学的な、シャーマン的要素で戦争を指導したのは壬申の乱で勝利した天武天皇である。
プマ・プンクの巨石の列が山頂に建てられたのだから城塞ではなく神殿だろうが、文字がないうえに人骨が周辺から発見されておらず、この点では忽然と去った三星堆の謎に似ている。
ピラミッドは地下には美術館のような彫刻、地下に墳墓があるがやはり巨石の切断方法と運搬方法が解明されていない。
U型のフォーク形状の道具や、金の杖を共通に待つのは指導者の威信、力の象徴とされ、シュメール文明と共通である。ワトキンスという学者は,太陽光を人工的な集光器にあつめてレーザー光線として切断したと唱える。
もし、そうやって古代人が巨石を生前と切断し、神殿のような建造物を造成したとしたら、古代人の智恵は明らかに現代ホモサピエンスの知能を超えている。プマ・プンクの岩石には異様な磁力があるという。
 巨人(宇宙人?)がラッパを吹いて巨石を動かしたという言い伝えは超音波が運搬手段に使われたとする学説である。超音波の運搬も、否定できない。
 またファラオ、ツタンカーメン、オベリスクなどのエジプト古代文明とシュメールの共通点、類似性に神木がある。
神話でいわれたことで真実に近いことは夥しいのである。
 
AI開発が生成AIを産み、やがてチャットGPTが進歩すると逆に人間の思考力は低下し、いずれAIが人間を支配する。そうやってAIの脅威が語られているが、だれも霊力との関連を語ろうとしない。
6 notes · View notes
kennak · 5 months ago
Quote
強い台風の影響で激しい雨に見舞われた8月29日。浜松市のマンション一室は静寂に包まれていた。  時刻は午後2時半過ぎ。窓際のイスには、袴田巌(88)が深く腰掛け、目を閉じてくつろいでいる。半年前から飼い始めた保護猫「ルビー」が、棚の上から巌の目の前のテーブルに飛び移った。  「ひどい雨ですね」。問いかけに、無表情の巌は「ああ」と短く答える。午後3時が近づくと、同居する姉・ひで子(91)にヒゲをそってもらい、いつも通り支援者が運転する車に乗ってドライブに出掛けた。普段と変わらない日課。「雨でも巌には関係ないから」。ひで子がつぶやく。  拘禁症――。1966年に強盗殺人容疑などで逮捕された巌は、無実を訴えながら死刑判決を受けた。2014年に釈放されるまで半世紀近く身体を拘束され、心を病み、今も意思疎通が難しい。  釈放から10年。穏やかな暮らしの中でも「異変」は随所に見られる。「猫もお金が必要だから」���言って飼い猫に千円札を渡したり、新聞を手に取って「死」という文字をじっと見つめたりすることもあった。  巌の心がむしばまれていった様子は、ひで子が自宅で保管する7000枚超の手紙から見てとれる。逮捕直後から巌が母やひで子らに宛てて、獄中から書いたものだ。  <神さま。僕は犯人ではありません>(1967年2月頃)  <私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚><私がなんの罪を犯したというのだ>(73年11月)  1960~70年代は無実を訴える言葉が丁寧にしたためられていた。  だが、80年に死刑が確定してから変化が見られるようになる。  <悪魔は電波攻撃により(私を)傷つけようとした。しかし、私はそれらを全てブロックして笑い飛ばしたのである>(87年10月)  意味のわからない文章も書かれ、字体も崩れていった。そして95年を最後に、巌からの手紙は途絶えた。 私は無実 叫んだ手紙 袴田巌さんからの手紙を手に取る姉のひで子さん(8月29日、静岡県浜松市で)=高橋美帆撮影  〈今朝方母さんの夢を見ました 元気でした 夢のように元気でおられたら私はうれしいが お母さん 遠からず真実を立証して帰りますからね〉 袴田巌(88)の姉・ひで子(91)が今年5月、本人に代わって再審公判の最終意見陳述で読み上げたのは、弟が拘置所からの手紙にしたためた母・ともへの思いだった。  この手紙が書かれたのは、逮捕から3年が過ぎた1969年10月。ともはその1年ほど前に亡くなっていたが、巌にそれを伝えることはできなかった。ひで子は「母親と一生懸命���通していた。そんな巌に知らせるのは、さすがにかわいそうだった」と振り返る。  6人きょうだいの末っ子だった巌。家族には、方言で末っ子を意味する「おとんぼ」とも呼ばれた。母は巌を特別にかわいがった。  〈お母さんお元気ですか〉〈お母さんも苦がたえ無いですね〉〈あまり無理をしない様に〉  逮捕から数年間、巌の手紙は母宛てのものがほとんどだった。母の証人出廷が決まると、〈事件となんの関係もないのだから、自信を持って来て下さい〉と安心させようとした。  無実を信じたともは病で寝たきりになっても、息子が戻ってくると期待して「巌はダメかいね」と問いかけ続けた。その姿を見るのは、ひで子にとってもつらかったという。ともが息を引き取ったのは68年11月。静岡地裁による死刑判決の約2か月後だった。  巌が母の姿を夢に見たことを手紙で知ったきょうだいは「もう黙ってはいられない」と、返信で死を伝えた。巌はのちの手紙でこう振り返っている。  〈人生で最も悲しい時が迫るのを感じ体中一気に凍るような衝撃〉〈この事実が何かの間違いであることを神に祈った〉  死刑判決は80年に最高裁で確定した。ひで子の手元には、80年代のものを中心に巌が獄中でほぼ毎日書いた7000枚超の便箋がある。拘置所で面会した際に「何でもいいから書いて」と伝えたからだ。「巌が元気でいるという証しが欲しかった」と、ひで子は言う。  内容は事件のことにとどまらなかった。拘置所での日常、死刑確定後に入信したキリスト教への信仰、自身が打ち込んだボクシングの選手たちへのメッセージ。便箋いっぱいにつづられていた。 80年代は死刑事件で再審となった4人の死刑囚が相次ぎ無罪となった時期でもあった。面会した弁護士らから話を聞いた巌は〈今度は私の番だ〉と期待を抱いた。だが、その日はなかなか訪れない。  〈豊かな正しさと希望の夜明けは見えています。それなのに何故か脈打ち踊る確かな喜びと豊かな希望の光が迫ってこない〉  焦りが精神を病ませたのか、文面には徐々に意味のわからない言葉が増えていった。電波が攻撃してくる、悪魔がいる……。91年には手紙が途切れがちになる。「へのへのもへじでもいいから書いて」と伝えた姉の願いは届かず、差し入れを求めるはがきも95年に途絶えた。  巌は長い身柄拘束で拘禁症を患い、ひで子や支援者に支えられている。2014年3月、地裁の再審開始決定とともに釈放されたが、心神喪失状態と判断され、昨年10月からの再審公判に出廷することはなかった。26日の判決内容は、浜松市内の自宅でひで子から直接伝えられる予定だ。  巌は1967年の手紙にこう書いた。  〈神さま。僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処(ここ)静岡の風に乗って、世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ。お母さん〉  半世紀以上にわたる、心の叫びだ。  静岡県一家4人殺害事件で、強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌被告。26日に静岡地裁で言い渡される再審判決では無罪となる公算が大きい。袴田さんの人生を翻弄してきた事件と裁判を改めて振り返る。(敬称、呼称略。手紙は原文を一部補って掲載しています)  ◆静岡県一家4人殺害事件=1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅が全焼し、専務(当時41歳)と妻(同39歳)、次女(同17歳)と長男(同14歳)の他殺体が見つかった。袴田さんは80年に死刑が確定したが、2014年に再審開始決定が出て釈放された。再審開始は昨年3月に確定した。
獄中から無実を叫んだ手紙「遠からず帰ります」…願いは母に届かず、拘束半世紀で壊れた心(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
psalm80-lilies-iv · 5 days ago
Text
北欧の神話
【1,496字・3分】
Tumblr media
山室静『北欧の神話』(ちくま学芸文庫)
北欧神話の特色は「ラグナレク」と呼ばれる壮大なバッドエンドである。三年続いた冬のあと、神々の王オーディンはフェンリルという狼、力強い神トールはヨルムンガンドという大蛇、そして神々の国アスガルドの見張り番だったヘイムダルは「神々と人間にとっての欺瞞と恥辱の張本人」と呼ばれた巨人族のロキ、と戦ってそれぞれ相討ちになり死んでしまう。知恵と世界を支えていたユグドラシルの樹も炎に包まれ大地は海の底へ沈んでいく。
こうして『巫女の予言』に歌われたとおり、神々の世界は滅び去っていったのです。世界に神話は少なくありませんが、これほど凄惨な姿に神々と世界の運命を説いた神話が、他のどこにあるでしょうか。
(神々のたそがれ)
最後にアメリカのすぐれた神話学者エディス・ハミルトンのことばを引いて、しめくくりとしましょう。かのじょはいっています――
「北欧神話の世界は奇妙な世界だ。それは人間の空想した他のいかなる天国にも似ていない。そこには何ら喜びの輝きはなく、幸福の保証もない。しかもその上に避けがたい破滅の脅威がのしかかっている深刻厳粛な場所だ。神々は知っている、いつかかれらの滅びの日が来ることを。やがてはかれらは敵を迎えて、敗北と死の中に没しなければならぬだろう。善の力の、悪の力に対する防戦は��望的だ。にもかかわらず、神々は最後まで戦うだろう。そして人間性にとってもこのことは不可避なのだ」と。
これが、北欧ゲルマン人の、ひいては近代ヨーロッパ人の人生観世界観なのでしょうか。キリスト教やギリシア神話の世界と、それがどんなにちがっていることでしょうか。ヨーロッパ文明の影響下にあるといっていい現代人は、こんな点にも思いをひそめることが必要だと思いますが、どうでしょうか。
(よみがえる世界)
人間の想像力がこういう徹底的なバッドエンドをあえてするのは特異なことだ、という認識が著者にはあるのだが、だからこそ「このバッドエンドは史実だったのではないか」という考え方もできる。たとえばトロヤの滅亡は考古学的事実だったではないか。
そう考えるとき、北欧でかつて「神々」が実際に体験したこととは何だったかというと、更科功『絶滅の人類史』(NHK出版新書)という本によれば、約48,000年前のヨーロッパでは、ネアンデルタール人が寒冷化によって人口を減らしながら南下を余儀なくされていた。そのあと47,000年前に急激な温暖化が起こるとホモ・サピエンスがバルカン半島を北上してヨーロッパに進入してくる。さらに43,000年前になるとホモ・サピエンスは急激に分布を��やし40,000年前にはネアンデルタール人は絶滅してしまう。
初期の頃ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは平和裏に混血したという。ネアンデルタール人は文字を残さなかったが、かれらが世代を越えて伝承した記憶のいくばくかがそのままホモ・サピエンスにも継承されたとしたら、寒冷化の記憶(フェンリル)、急激な温暖化による大水害の記憶(ヨルムンガンド)、そして次第に先鋭化したネアンデルタール人とホモ・サピエンスとの対立(ロキ)などが「神々(個体の形質としてはホモ・サピエンスよりすぐれていただろうと言われるネアンデルタール人)の物語」へと結晶化していったのではないだろうか。ネアンデルタール人が現実に遭遇した苦難と絶滅こそが「神々のたそがれ」の原型だったと考える方が、絶望的なメンタリティによる創作だと考えるよりも説明がしやすいようにぼくは思うのだ。
0 notes
littlebarrel111 · 18 days ago
Text
シンポジウム 「孤独・孤立にアートができること」 
 日時:2月21日(金) 第一部:13:00-14:30 、第二部:15:00-17:00 
開場12:30、入場自由(先着順) 、UDトークによる文字支援あり
 ◆会場 大和市保健福祉センター(大和市鶴間1-31-7)Googlemap
小田急江ノ島線「鶴間駅」下車、徒歩約5分
◆第一部 「孤独・孤立とアートの力」  ●登壇者
大西 連(内閣府孤独・孤立対策推進室政策参与、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)
Tumblr media
1987年、東京うまれ。2010年頃より、ホームレス支援、生活困窮者支援に携わる。2014年より、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。現場での支援活動のみならず、生活保護など社会保障の在り方についても積極的に発信している。2021年6月より、内閣官房孤独・孤立対策担当室政策参与、2024年4月より内閣府孤独・孤立対策推進参与を務める。他に、社会福祉法人日本いのちの電話理事、政府のSDGs推進円卓会議構成員など。
鈴木 康広(現代美術作家、令和5年度同プロジェクト参加アーティスト)
Tumblr media
1979年静岡県生まれ。船の航跡が海や川を開く《ファスナーの船》の制作をはじめ、《まばたきの葉》、《空気の人》など、日常の見慣れた事象に新鮮な切り口を与える作品によって世界の見方を問いかける活動を続けている。主な個展に、水戸芸術館「近所の地球」(2014)、箱根 彫刻の森美術館「始まりの庭」(2017)、Tikotin日本美術館「BLINKG」(イスラエル、2021)など。主な国際展として���瀬戸内国際芸術祭2010、第4 回モスクワビエンナーレに出展。第1回ロンドン・デザイン・ビエンナーレ2016 日本代表。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。
西原 珉(秋田市文化創造館長、東京藝術大学美術学部准教授、心理療法士) 
Tumblr media
キュレ—ション、米国心理療法士。90年代の現代美術シーンで活動後、渡米。ロサンゼルスでソーシャルワーカー兼臨床心理療法士として働く。心理療法を行うほか、シニア施設、DVシェルターなどでコミュニティを基盤とするアートプロジェクトを実施。2018年からは日本を拠点にアーティストや作り手のための相談と心理カウンセリングのほか、アートプロジェクトを通じたコミュニティのケアに力を注いでいる。秋田公立美術大学教授をへて、東京藝術大学美術学部准教授。 アートセラピーを活��したセラピューティックワークショップ、ケアする人のためのケア「クッション」で活動中。
◆第二部 「孤独・孤立支援における広域/多職種連携の必要性」
●登壇者  奥田知志(NPO法人抱樸理事長)
Tumblr media
1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年12月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。
室井舞花(一般社団法人ひきこもりUX会議理事)  
Tumblr media
13歳で自分の性的指向が同性に向いているのではないかと感じはじめ、18歳でカミングアウト。20代で当事者活動を始める。LGBT当事者やその家族・友人が生きる日常を可視化するアートプロジェクト「Love is Colorful」主宰。  生きづらさ、 LGBTQ、ローカルなどをテーマに多様な人たちが違いを超えて生きられる社会を目指している。UX会議では事業コーディネーターとして行政や民間団体との連携を進める。著書に『恋の相手は女の子』(岩波ジュニア新書)。
田中みゆき(キュレーター、プロデューサー)
Tumblr media
「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の⾒⽅や捉え⽅を鑑賞者とともに再考する。2022年ニューヨーク⼤学障害学センター客員研究員。主な仕事に、「ルール?展」(21_21 DESIGN SIGHT、2021年)、「⾳からつくり、⾳で遊ぶ。わたしたちの想像・創造を刺激する『オーディオゲームセンター + CCBT』」 (シビック・クリエイティブ・ベース東京、2024年)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)、『ルール?本 創造的に⽣きるためのデザイン』(共著、フィルムアート社)がある。
●ファシリテーター  大西 連
0 notes
shingoiwasaki-blog-blog · 2 months ago
Text
2024.08.13 あののオールナイトニッポン0
youtube
俺さ、去年、エレベーターの中の、ビル掃除の、おばさんの、胸を、もんだのと、路上歩いてる、女性の、胸、連続、3人もんで、強制わいせつで、逮捕されたんだよ。で、最期に、もんだのはさ、もろ、ギャルの、ちょう、性格、悪そうな、19歳ぐらいの、女の胸なんだよ。そう、その娘がさ、その場で、警察に、電話して、すぐに、警察官👮が、8人ぐらい、駆けつけてきてさ😂体を、みんなに、抑え込まれて、逮捕されたんだよ、俺😂でさ、いくらなんでも😂警察官👮の数、多すぎだし、その、無抵抗の、俺をさ、みんなで、体を、押さえ込まれたこともさ😂おかしい、おかしいと、思ってたんだよ😂ずっと😂でさ、その、状況を、例えるならさ、なんか、まるで、ハイジャックとかの、凶悪犯が、人質を、捕らえて、その、犯人と、人質は、どこかに、長いこと、立てこもっててさ、それを、警察官👮たちが、ようやく、捕まえたときの、状況に、似てたんだよ😂無抵抗の、俺が、複数人の、警察官👮たちに、押さえ込まれた、状況が😂
でさ、逮捕されて、すぐに、天神の中央警察署に、パトカーで、連れてかれて、事情聴取、してもらったんだけどさ、そう、その、事情聴取する検察官がさ、俺の、幼少期からの、出来事と、学歴、職歴を、ヒアリングして、それを、紙に、書いてくんだよ。その、検察官。でさ、これ、前にも、伝えたと、思うんだけどさ、そう、その、検察官が、書いてる、字なんだよ。おっかしな、漢字を、つらつら、つらつら、書いてくんだよ。なんかさ、中国語とも、日本語とも、言えないような、わけのわからん、字を、俺から、ヒアリングした、内容を、つらつら、つらつら、その、おかしな、��を、書いてく、わけだよ。で、その後、留位置所に、放り込まれてさ、まず、パニックに、なったんだよ。俺。理由は、閉所恐怖症だから。で、この、閉所恐怖症の、話しは、ここでは、どうでも、いいから、流すな。
でさ、奇妙なことに、俺以外の、囚人が、誰も、トイレ、しないんだよ。そう、囚人たちが、入れられてる、牢屋はさ、ガラーンとした、古い、コンクリートの、場所に、横並びで、並んでてさ、とても、音が、響くんだよ。で、トイレの、音がさ、そう、ズコーンって、流したときにさ、かんなり、デカい、音が、する、わけだよ。なのにも、関わらず、夜中、シーンとしてるときもさ、その、トイレの、音がしないんだよ。なんなら、立ち小便の、ジョボジョボ、ジョボジョボの、音も、しないんだよ。で、2週間ぐらい、経った頃さ、ようやく、隣の部屋の、囚人とか、その他、横並びの、囚人たちの、トイレの音が、聞こえだしたんだよ。でさ、俺、最近、USENの、テレアポの、バイト、やってんだけどさ、普通、稼働中は、みんなの、電話を、発信して、お客さんと、電話で、話す声が、ガヤガヤ、ガヤガヤ、聞こえてくるのが、アウトバンド【発信テレアポ部隊】の、普通な、こと、なんだよ。なのにさ、不思議なことに、だーれも、電話してないんだよ。そう、稼働中さ、ずっと、シーンと、してんだよ。で、休憩、はさんで、も一回、仕切り直しで、責任者がさ、さっきの、時間の、テレアポは、どうだったか?を、伝えるんだけどさ、そう、みんなが、テレアポ、してないことに、一切、触れないんだよ。でさ、極めつけは、そう、今、俺が、働いている、テレアポ部隊の、みんなの、成績、良くてさ、めちゃくちゃ、今、その、俺が、働いている、テレマ部隊の、全体の、成績、良いらしいんだよ😂目標数値を、すでに、大きく、上回っててさ、そう、現在の、その、テレマ部隊の、状況はさ、目標数値、超えてるから、貯金してる、状態なんだよ😂でさ、俺、営業会社、長いから、その、会社が、掲げる、目標数値はさ、そう、とても、無理な、数字を、掲げるのが、お決まりな、パターン、なんだよ😂だからさ、そう、元々、その、目標数値を、上回ること自体、おかしな、はなし、なんだよ😂で、これさ、単に、みんなが、テレアポ、サボってる、わけじゃ、ないと、思うんだよ。そう、去年、俺が、留位置所に、入ったときに、周りの、囚人たちの、トイレ、しない、現象と、テレアポの、みんなの、声が、聴こえてこないのに、全体の、数字は、上がってる、状況に、よく、似てるんだよ。
でさ、これ、みんな、幽霊の、ベテランメンバーたち、だから、なんだよ。そう、今、俺が、暮らしてる、世界はさ、みんな、幽霊、なんだよ。だから、トイレも、しないし、幽霊たちが、テレアポバイトで、働いては、いるけども、一応、かたち、だけの、世界、なんだよ。で、俺の、隣に、住んでる、住人の、山口さんは、トイレも、洗濯する、音も、一度も、聴こえたこと、ないんだよ。そう、今、この、アパート、住んで、8年ぐらい、経った、けどさ、隣の、山口さんが、洗濯機を、まわす音も、トイレを、流す、音も、ただの、一度も、聴こえたことは、ないんだよ。でもさ、男はつらいよの、寅さん映画は、たまに、聴こえて、きてたんだよ。ここ、1年半ぐらいは、聴こえて、来たことは、ないからさ、そう、男たちも、ようやく、救われたんだよ。俺の、手🫳に、よってな。
で、人間の、死後は、お空の上の、霊界に、行くことは、もう、ないんだよ。そう、再臨はさ、俺たちが、生きてる、この、地上が、天国に、なってくことが、最終形態、なんだよ。で、もう、幽霊たちが、俺の、まわりに、ゾロゾロ、ゾロゾロ、集まって来てるということは、再臨は、大成功、なんだよ。だから、お空の、霊界が、今後、どうなってくかは?わからないんだけどさ。つまり、ハッピーエンドの、「風を集めて」なんだよ。で、俺は、もうさ、かなり、早い段階から、再臨の、最期が、みんな、ハッピーエンドに、なることは、知ってたんだよ。でも、演技では、ないんだよ。何故なら、途中、とても、深刻に、とらえてたんだよ。
俺に、とっての、大ボスは、麻原彰晃🧔‍♀️だったんだよ。で、麻原彰晃🧔‍♀️は、オウム🦜と、猿🦧=【霊長類=霊鳥類】🐦‍⬛に、完全に、のっとられてるんだよ。それで、野生動物たちのなかではさ、鳥🐦‍⬛と、猿🦧が、一番、危険だからさ、みんなから、毛縁、されてんだよ、鳥🦜と、猿🦧は。そうなると、人間🦧も、毛縁、されてんだよ。勿論、麻原彰晃🧔‍♀️とも、ちゃんと、最期は、和解したよ。あと、イエス・キリストとも、ちゃんと、和解したから、また、俺、教会に、日曜、行きだしたんだよ。
ま、結局はさ、今、宇宙や、地球🌏で、起こってることはさ、俺の、体のなかの、白血球とか、悪玉菌とか、その他、もろもろの、風邪症状や、喉の、痛みや、頭痛や、微熱、なんだよ。だからさ、そう、俺が、なんか、みんなから、救世主、気取りだと、思われてるかも、しれないんだけどさ、そう、ただ、自分の、体のなかの、悪い部分を、自分自身で、治してる、だけ、なんだよ。つまり、塩水で、うがいしたり、風邪薬、飲んだり、点鼻薬、飲んだりはさ、幽霊や、野生動物やら、野蛮な、男たちと、うまく、やっていくための、自己医療、行為、なんだよ。
0 notes