#カフェ開業への道
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カフェギャラリーを年内に開業する事になりました。 まだ物件の契約も済んでないですが、気も早くスイーツメニューを検討中。 私も初めてのスイーツ作りに挑戦です! チョコレートブラウニーのミックス粉を使ってですが、とても美味しく出来上がりました! パチパチパチ! ギャラリー部門担当ですが、スイーツ作りの楽しさに目覚めて、スイーツ担当も兼任するかも⁉️ さてさて、どうなりますかなぁ。 #カフェギャラリー #カフェ活 #beecafe #カフェスイーツ #チョコレートブラウニー #手作りケーキ #手作りお菓子 #カフェ開業準備中 #カフェ開業への道 (東京) https://www.instagram.com/p/Cnwq9Fhv73b/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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土田真樹さんのこと
10月29日、Facebookの投稿で映画ライターの土田真樹さん訃報を知った(しばらくして、審査員として出かけていたゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオープニングの翌日、10月25日の朝に亡くなっていたことがわかった)。とても驚き、ショックを受けたと同時に「ついにこの日が来てしまったか……」という思いが頭をよぎった。ここ数年の土田さんの健康状態は、それほど悪くなっているように見えていたからだ。
コロナを経て、地元から韓国に戻った後の土田さんは就労ビザでなかったせいもあってか、決まった住居を持たず、いくつかのゲストハウスを転々としていた。炊飯器を持って釜山国際映画祭に来たこともあった。彼のSNSを見ていた人であればよくわかるように、食事はどうしても不規則になり、そうした生活を続けること自体が体を蝕んでいるように感じられた。そのことは私だけでなく、釜山や富川国際ファンテスティック映画祭などで土田さんと会っていたライター仲間は皆、気づいており、集まって言葉を交わす度に「どうにかしたほうがいいよね」と話していた。しかし、私自身はコロナ禍のあるときに、お願いした原稿がいただけないままになってしまった経験(後で心臓の病気で倒れ、入院していたと人づてに聞いた)があったことなどから、心理的に距離をとるようになっており、10月のはじめに釜山に行った際も、土田さんに連絡しなかった。
最後に会ったのは7月の富川。旧知の韓国人カメラマンOさんと食事をすることになり、彼女から「真樹さんにも連絡ついたから3人で食べましょう」と言われ、2人して御馳走になった。セルフサービスでおかずのおかわりができる店で、土田さんは奥に座っていたにもかかわらず、私たちのために甲斐甲斐しくおかずをとりに行ってくれたことを覚えている。
土田さんが亡くなってしばらくして、故郷の山口県阿武町で葬儀とお別れの会が開かれると知った。コロナによって日韓の行き来がストッ��していた頃、ご実家に戻っていた土田さんが親しくされていた地元のみなさんとご��族が中心の会のようだったが、韓国から友人Yさんらが参加すると聞き、急遽、行くことに決めた。訃報を知って以来、もやもやしていた気持ちの整理がつくかもしれないという思いもあった。新幹線・新山口駅からの行き方を調べるために地図を見ると、阿武町は海に面した街で、海を挟んだ向こう側は釜山だった。
当日移動だったため葬儀には間に合わず、道の駅に隣接する、土田さんがよく仕事をしていたという眺めのいいカフェで行われたお別れの会に滑り���んだ。遺影のほかに、たくさんの写真が飾られている前で、おいしいお弁当をいただきながら、参加者それぞれの知る土田さんのエピソードが次々と披露された。ご家族や近しいみなさんが話す抱腹絶倒のダメダメぶり(それでも、なぜか許してしまう)や、同級生の語る若い頃の姿について聞きながら、なかなか掴むことができなかった(そのためにすごく親しくはなれなかった)土田さんの輪郭が少しずつはっきりしたような気がした。コロナが落ち着き、韓国に戻れることになったときのうれしそうな顔は格別だったという。
お別れ会がお開きとなる頃、韓国からいらしたIさんから「土田さんの残した功績はなんだと思いますか?」と質問され、とっさに言葉が出なかった。それは、たぶん、土田さんだからではなく、私を含め、ライターという職業を持つ人たちが、仕事でなにかを残すのは、とても難しいことだからだと思う。日々、目の前にあることを書いて、記事という形で誰かに手渡す。私たちの仕事はたいてい、そこで終わる。運よくそれをまとめて単行本にでもしない限り、なかなか形にならない。でも、目の前にあることを書くためには、その場にいて目撃したり、映画を見たりしなければならない。土田さんの場合であれば韓国に居続けることがなによりも大事だった。そして、それはとても大変なことだった。
最後に映画ライター、土田真樹さんが00年代初期に書かれた記事のごく一部を我が家にあった資料から紹介する。韓国映画の隆盛を最初に現地から伝えてくれたのが彼であったことがよくわかる。
土田真樹さん、長い間、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。いつかどこかで、또 만나요!(また会いましょう)。
雑誌『キネマ旬報』
2000年1月下旬号 特集「「シュリ」公開! 韓国《映画》を知ろう」「韓国映画A to Z」
2002年2月上旬号 特集「「ソウル」&ソウルで映画を観よう!」
「2002年2〜3月 話題の映画をピックアップ」
2003年6月上旬号 特集「“韓流” 韓国映画&テレビドラマ2003」
「太極旗を翻して 現場レポート」「チャン・ドンゴン、ウォンビンインタビュー」ほか
「韓国映画界の勢力図」
2004年1月下旬新春特別号 特集「KOREAN MOVIE STAR 2004」
「2004年上半期韓国での公開情報」
単行本への寄稿
『21世紀をめざすコリアンフィルム』1999 パンドラ
『韓国シネマコレクション』2006 キネマ旬報社
ほか多数
近年は主にウェブサイト『シネマトゥデイ』で、現地からのレポートを届けていた。
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7月26日(金)
木曜日に遊びに来ると思ってた従姉と叔母さんが桃のホールケーキを携えてやって来た。従姉と叔母さんとは最近、よく会う。従姉と同い年で親族なのは少し不思議な気分。向こうの方が陽気なんだけど、一人言を言う癖とか雰囲気がやっぱり似ている。双子ってこんな感じなのかな。みんなで祖母の誕生日祝いをした。平和な一日。
7月27日(土)
引きこもりDay。涼し気な羊羹を食べたり、夕食後に散歩をしたり、無印のライチゼリーを食べたり、夜中にCCさくらを観たりした。
7月28日(日)
花火大会。夜、祖母と歩道橋の上から花火を見た。綺麗だった。花火、好きだな〜ってしみじみ思った。次は近くで観たいな〜。
7月29日(月)
雇用保険番号を調べる為にハローワークへ。人生初ハローワーク。想像していたよりも怖い場所ではなかった。ハローワークに通って就活するのが嫌で避けていたけれど、別にそんな悪いところではないなって思った。その後、図書館へ行き、本をどっさり借りた。夜、母と妹と最近開拓したスーパー銭湯へ。たくさん話せて楽しかった。
7月30日(火)
久しぶりの檸檬会議。私が毎回、場所を予約する担当なのだけど、 いつもと同じ場所でって自分が決めたのに一回だけ利用したことのある場所まで行ってしまい、無駄に歩いた。しかも、暑い日だった。とほほ。色々話した。話すと頭の中がすっきりする。その後、千種へ移動し、バビューというお店へ。タコライスを食べた。豆が沢山!そこでも色々話した。真面目な話題だったな。
7月31日(水)
7月ー!最終日。担当さんと会う予定が朝一で入っていたのだけど、向こうでトラブルが起こり夕方に変更になった。かなり時間ができたので早めに次の予定場所、市役所へ。座れるスペースがあり、そこで日記をまとめて書いた。その机と椅子の高さがわたしの身体にぴったりで、すごく書きやすかった。このぴったり具合、家でも再現出来たらなと思う。そんなこんなでマイナンバーカードをゲットした。ものすごく今更ではあるが、作ったおかげでようやく地に足着けたなって感じである。東京遠征に必要な細々としたものを100均で購入し、ドトールキッチンへ。人生初ドトールキッチン!郊外にしかないらしい。わたしの住んでる場所って郊外なんだな。しらすとたらこのパスタ、豆乳ティーを頼んだ。レジが俳優さんみたいなイケおじだった。たぶん店長だな。ドトールキッチンの雰囲気ととても良くマッチしていた。ドトールキッチン初心者の私に対し、とても丁寧に対応してくれた。それだけでハッピーな気分に。割引クーポンもお付けしちゃいましょう〜と言われ、わ〜!って感じ。そこで、檸檬のインスタにアップする用の月報をまとめた。帰宅し、15時頃、ギターの練習。弾き方をビデオ通話で伝授してもらった。全く弾けなかった。5日までに間に合わせなくちゃ。夕方、担当さんと会い、新しい職場の諸々の手続き。雇用保険に入れて安心。雇用保険って本当に大事ですから。急にどこかしら身体に不調って現れますからね。
8月1日(木)
8月〜!8月は夢中になって動く。新しい職場1日目。話を聞いただけなのにヘロヘロになってしまった。お昼を食べて、ゲームして終わり。帰りにカフェ・ド・クリエへ。レモンスカッシュを飲んだ。寄り道できる場所が栄えていて楽しい。仕事帰りに無印にも行けちゃう。これはかなり良いポイント。良いところを見つめるとテンションが上がる自分の単純さが好き。帰宅後、担当さんと電話。困ったことあったら、なんでも良いのでとにかく電話してくださいねと強く念を押され、はい〜と気の抜けた返事をしてしまったら、ツ���に入ったのか電話の向こうであはははと笑われた。
8月2日(金)
新しい職場2日目。名前がわかる人が増えた。明るくてコミュ力が高い人と仲良くなると、自分で無理矢理頑張らなくても自然と関わる人間の数が増える。そのことを前の職場で身に染みて実感したのだけど、この職場でも実感した。今のところ、怖い人は居ない。この日は結構汗だくになった。汗だくになって動いてたらとりあえず、印象は良くなるんじゃないか?と思い、残業もばっちりこなして帰宅。
8月3日(土)
一日休み。早起きしてご飯食べて寝てしまったので結局ぐだぐだしてしまった。外は暑い。危険な状態。無理に出かけなくたって良いのである。だから、ぐだっても自分を責めないで…。ギターを弾きすぎて左手の手首が痺れて、やばいかも?と思い、ちょっと怖くなった。これが腱鞘炎…?匙加減って難しい。腱鞘炎になるまで練習したことなんてないから、やばい領域に足を踏み入れかけてしまった。
8月4日(日)
早起き成功!長距離バスに揺られている。ギターを載せてもOKなバス会社さん、ありがとう。毎回こちらにお世話になっている。最近知ったのだけど、フード付き座席はカノピーというらしい。可愛いらしい。もうカノピーの虜。身体の負担を軽減させたいならバス代はケチらない方が良い。サービスエリアでは毎回降りた方が良い。にしても、外は暑いなあ。浜松と足柄だと、足柄のサービスエリアの方が観光感があって好きだな。
8月5日(月)
6時間のREC終わり。なか卯へGO。親子丼がしみた。その後カラオケへ。ヘトヘトだった。眠すぎた。目が開かない中、2017年を代表するMVをひたすら観た。楽しい時代。夜の街を歩くところが登場しがち。ベタにかっこ良いのが良い。朝になり、ようやく東京から出た。帰りのバスは別々で少し寂しかった。
8月6日(火)
曲を作った。良い曲だと思う。最近、自分に”さきメロ”というあだ名が付いていることを知り、曲ができた時にその言葉が頭に散らついた。バリバリ仕事の日々だからこそ、ギターに触れるぞーっていう気分になる。音楽が1番難しくて楽しい。
8月7日(水)
誤って消してしまったー。Roger Nichols & The Small Circle of Friendsって良いよねという話を結構ガッツリ書いたのに…。
8月8日(木)
仕事に慣れてきた。ベトナム語の挨拶を覚えて早速試してみたら、すごく喜んでくれて嬉しかった。話の内容がどうこうっていうより、通じ合おうとする気持ちが大事。
8月9日(金)
職場で褒められ上機嫌。褒められると伸びるタイ��だと思う。連休明けもこの上司と一緒に仕事ができるので嬉しい。午前中、身体が重くて熱中症になりかけて焦った。コンビニでC1000を買って、ぐびっと飲んだら午後からはスムーズに動けた。C1000に感謝。
8月10日(土)
CCさくらを観に行こうとしたけれど、チケットが売り切れていて断念。大人気!悩んだ挙句、ボンボンへ。並ぶかと思いきや、お昼前だったからかすんなりと入店。レモンケーキが無くなっていた。サバランとヤサイサンドと珈琲。妹はカルピスと杏仁ゼリー。ボンボンに初めて来た妹の反応が良くて嬉しかった。お土産コーナーにてノートとメモ帳を購入。8月生まれの両親へお土産の桃杏仁ゼリーも。有料になるが、3〜4時間耐えられる保冷剤を入れてもらえ、猛暑でも安心。電車とバスの乗り継ぎが上手くいかないと1時間以上の待ち時間が発生する。2時間に1本のバスというのはなかなかに不便だ。不便だけれどその分、最寄りの喫茶店へ立ち寄る機会が生まれ、初めて入店。この夏、初めてのかき氷を頬張った。
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2023/12/31
12月31日 年末っぽい曇天に嬉しくなって起きたけれど、おかげで(それとも体調が本当に悪いのか)一日頭が痛くて酸素不足の体調だった。
昨晩はあまりよく眠れていなくて、夜中にiPhoneを触ったり、早朝いつの間にかSNSを更新していた。それなのに朝、割とちゃんと起きれてしまった。 午前中はずっと掃除のかたわら年賀状を印刷した。やっと!やっとできた!例年の出来と比べると少し寂しい感じだけれど、今はこれが精一杯。 プリンターの設定で、何回ハガキサイズ、インクジェットハガキを選択しても用紙エラーが出てしまう。一枚印刷するたびに“これでok!”ボタンを押しに行っていた。 A4サイズまで印刷できるプリンター欲しいかも。 基本的にメッセージは入れないのだけれど、でも、このユーモアをわかってもらえないかも、怖い!と思った相手には少しメッセージを入れた(ホスピタリティです。好きでやってます)。
いまだにエアメールの料金と宛名の書き方が調べないと分からず、100円だった気がするので40円分の切手をペタペタ貼った。 全部で38通��ハガキをポストに投函した!
午後は、昨晩調べたスポットに行ってみるのと、いつもの日曜日の様にショッピンモールで日用品を買う予定ででかけてみる。 御徒町のギャラリーで写真展が今日まで開催している情報を知り、存じ上げない作家さんだったけれど、ステイトメントを読んで興味を持ったので行ってみた。 蔵前近くのおしゃれなお店の地下がギャラリーだった。 お店のカフェはおしゃれなこたつ席が2つあって、店員の赤髪のお姉さんが素敵だった。
そのまま浅草までお散歩。 合羽橋の道具街は全てシャッターが閉まっていたけれど、観光の人が多くてにぎやか。今半というお店(聞いたことあるけれど何のお店?)は行列ができていた。
そこからいつものショッピングモールへ行くといつも通りだった。 いやたぶん年末というか大晦日の時短営業のための忙しながありつつ、広場では大道芸が繰り広げられていて、トヨタカローラの店先ではミーアキャットがバーベキューをしていた。 でも帰りに電車から見たモールへ続く道にできた車の列が、今日はとても長い気がした。
一回帰宅して、もう一見今日は行きたいところがあった。 昨晩なんとなく辰のいるところを調べたら、都内に二か所スポットを見つけてしまった。そうだ、辰巳探偵しなくては!の気持ちになり夕方から出かけようと思っていた。 でも行けなかった。 駅から32分のところにあって、きっと途方もなくなる32分であることが想像できてしまい、三脚を持って電車に乗ったけれど隣駅で降りて買い忘れたギャヴァンのあらびきペパーだけ買って戻った。 (生活に侵されているな、とこうゆう時に実感する。) でもやりきれなさもあり土手へ行ってみる。 今日は土手も人が少ない気がして、みんな少し日常とずれた感じで生活している、と思った。 土手を降りたところで女の子2人組が自撮りをしていた。
そのまま歌いながら歩き、空がとっても曇っているのに気付いたり、自転車の人も少なくて、これはこれで地獄だな、と思った。 少し写真を撮ってUターンすると、土手の下ではまだ2人組が自撮りをしていた。
浅草で通りかかった寺院の掲示板の今日のお言葉が“おやすみなさい”だったのが良かった。
明日は元気だったら獅子舞を見に行きたい。 おやすみなさい。
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不���もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通���の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので��お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監���の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出さ���る。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開��によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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泥棒のいる町
一月、僕を含めた三人は円城塔の「道化師の蝶」を読む。 僕達は現在、毎週土曜日の夜に読書会をひらいている。2010年からの芥川賞受賞作をひとつずつ読み、それについて話すというものだ。人数はごくささやかで、様態もしずかだ。様態というのはつまり、存在のルールみたいなもの。昨晩も囁くように読書会は開かれていた。僕と、他の二人はそこで話した。銀色の網の秘密。構造がもたらす潤い。鱗翅目研究者のいざない。狭い暗いその部屋で、僕達はアルルカンの蝶を考える。存在のルールについて言葉を交わす。テーブルでは一本のロウソクがじろじろ燃えたっている。ゆらめき、歪むひとつの火だけを頼りに、僕達は秘められたことについておずおずと話す。まるで隣に赤子でも眠っているみたいに、三人が三人、つかう言葉はとてもしずかなものばかり。 「ほんとうに恥ずかしいことですが……アルルカンはいまも僕達の頭上をひらひら飛んでいるんじゃないかとさえ思っています」 「じつは、私もです」 「僕もです」
***
一月の午後。僕は雨のあがったあとの町を歩く。アスファルトは朝の弱い雨でじんわりと濡れている。足跡がそっとできては瞬く間に乾いて消える。僕はぺたぺたと足音を立てながら、濡れた町の坂を下ってゆく。ダウンのフードをすっぽりとかぶっていたから、その姿は泥棒みたいにもみえた。 歯抜けの子どもが笑いながら駆けてきて、そんな僕のまわりでくるくるとおどる。可愛らしくイエローのレインコートの袖をふりふり言う。 「ねえお母さん! 泥棒さん!」 「泥棒じゃないよ。小説家だよ」僕は素早くそう言って、そそくさと歩く。後ろでは母親が子どもをつかまえ、町の人々は怪訝な視線を僕に送る。おい。おれらは��前のことを見ているぞ。この町で泥棒は許さないぞ。そう言わんばかりに偽泥棒の僕をにらむ。逃げる――
僕は坂のカフェでコーヒーを飲みながら日記を書いている。カフェでも、僕は泥棒みたいだ。わずかな人々からの、ありったけの視線を感じる。後方からはかつかつとテーブルを弾く意味ありげな信号が届く。僕はカフェの隅にちょこんと座り、書きものに必死になっているふりをし、自分という存在をひた隠しにしようと努めている。もちろん、他の客やカフェの従業員にそんな思いは筒抜けだ。
坂のカフェから見えるものは、坂だ。坂、坂、坂。 坂は過去の雨から遠ざかり、いまのところはスニーカーたちの往来がメインになっている。履かれて歩く、赤白青のスニーカーたちはことばを話すことはなかった。ただ、どれもすごくきびきびと動いていたし、一歩一歩でまるで体操選手みたいにしてしなやかに靴底を曲げて、きゅっきゅっとかろやかに踊っていた。スニーカーたちはたしかに言葉を持たなかったけれど、僕達人類よりもずっとこの坂を楽しんでいるみたいだった。 坂を歩いている人類は駅に急いでいるか、プラスチック製品みたいに寡黙を守っていた。
***
坂でいま、二匹の犬が出会った。 犬たちがどんなことを話しているかはわからない。なぜなら僕はカフェのこちら側にいて、坂とは分厚いガラス窓で仕切られているからだ。聞こえてくるのはカフェのマスターと客の政治談義ばかり。安倍一派への追求について。 僕はしばらく日記を書く手を止めて、ただそうした犬たちを眺めることに徹していた。鼓膜には安倍晴明について喧々諤々する老人たちの声が届いた。 「安倍晴明は、未来がみえた。いまの日本のことも、みえていた。だから元旦の地震のことも、誰よりもずっとわかっとんだろう」 「地震で誰かが死ぬべきやったんか?」 「わからんよ。安倍晴明には、わかっとんやろか」 「わかっとったはずや。陰陽師やから。けど、なにもしてくれんかった。悲しい」 「ほんまに地震で誰も死んでほしくなかった。悲しい」 「うん。悲しいな」 「悲しい」 「もう地震なんて起こらんかったらええ」 「うん。起こらんかったらええね。起こらんかったら、みんな最高、ハッピーや」 「けどね、もう地震は起きたんや。死んだ人は生き返らん。ぼくらにできることは限られるとる。だからこそ、いまは祈る時間なんやと思うんや」 「わかった。祈る」 「うん。祈ろう」 僕はそれでも犬をみていた。僕は小説家だったから。でも、部分的には泥棒だった。みることはいつも盗むことだった。深々とフードをかぶり、僕はあらゆる風景を盗んでいた。そのとき、僕は薄いコーヒーをすすりつつ息を殺してすべてをみていた。駆け回る犬の幸せを、老人がする死者への黙祷を盗んでいた。
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Special TY in Bangkok 2023 October
ペンミの話は別スロットに書く(予定は未定)
コロナ後3回目のバンコクへ行って来た。メインはテギョンのファンミーティング。マイレージだったからなんとか予約出来た2日も前の木曜にバンコク入り。超早朝着であっという間にイミグレ出れた。空港で両替屋が開くのを待ち、エリアリンクの始発5時15分位ので市��地へ。車窓に広がるバンコクの街がだんだん目覚めて行く。今回は久しぶりにシーロムに泊まる。シーロムはHouse Partyのプレスコンファレンスが行われた、今は無いDusit Tani ホテルがあった所。ニックンのウギョルの撮影も行われた由緒あるホテルがあった地区。今は建て替え中。
予約したのは繁華街のタニヤ通りから程近いホステル。アーリーチェックインを前もって頼んでおいたら快諾。ところが行ってみたら誰もいなくて、オートロックで入れない。仕方なくホステルの前のベンチで待つこと30分。チェックアウトのタイ人男女グループが出てきたので、その隙にちゃっかり中に入り込んだ私は泥棒か?エアコンが効いたロビーで充電しながら待ってるとようやく従業員がやってきた。今日から宿泊予定で、アーリーチェックインを頼んである、と伝えるが、全く英語はダメらしく、スマホの翻訳機を示���れた。なんとか交渉し、掃除する彼女を待ち、8時には部屋に入れた。部屋はこんな感じ。清潔だし広さ十分。これで4泊で2万円切る。
到着日のランチはタイのハレスとシーロム近くで約束してたから、それまで部屋でまったり過ごす。
ランチはやっぱりタイ料理。4ヶ月ぶりの現地タイ料理が安くてなんと美味しいこと。そこでテギョンが今夜来ると情報ゲット。一旦彼女と別れ、また夜に空港で落ち合うことにする。
空港では懐かしい面々に再会。お迎えはKhunチームとテギョンチームで何故か左右��分かれる。別に両チーム仲がいいのに(笑)お迎えも見送りもコンバインした動画がこちら。日本人は私しかいなかったかも〜
帰りは明日も遠出に連れてってくれるタイペンチングがホステル近くまで送ってくれる。
金曜はタイは祝日。3連休の週末はバンコクから脱出する人が多いらしく、道が空いているからと(確かに渋滞もなくスイスイ。おまけに祝日は高速料金無料らしい)、郊外のミシュランレストランでランチ。そのお店がこちら。
外装も内装もお味も全て合格のレストラン。過去にミシュラン⭐️を5回も獲得してるだけあり、珍しい美味しい料理を堪能しました。ここは味を守るためか、あまり支店は多くなく、本店はチェンマイのニマンヘミンにあるらしい。ニマンヘミンと言えばKhunJun.K ハネムーンカップルがカフェを訪れた通り。チェンマイにはまたゆっくり行きたい。
ランチ後はここから車で15分ほどの、ニューヨークへ(笑)ニックンがFinding The Rainbow 🌈 を撮影したニューヨークのカフェがバンコク郊外にあったとは😂確かに雰囲気はニューヨークだった🇺🇸クルー総勢でのクランクアップの写真もこの前で撮影したのは間違いなさそう。
https://davincafethailand.com/
翌日土曜日はいよいよテギョンFM。これまたホステルまで、別のKhunペンが迎えに来てくれる。ペンミ会場はリノベ中で店がほとんど空いてないからと、行く道すがら、クイッティオ屋(麺屋)さんで腹ごしらえ。
皆んな最初から2杯ずつオーダーしてたけど、食べきれるのかわからなかった私はとりあえず汁なしを1杯だけ注文。細いの太いの平たいのと麺の種類も選ぶのがタイスタイル。これが美味しいのなんの😋タイチングがテーブルにあったドライ魚を千切って入れてくれたのも美味だった。ペロッと平らげ、結局私も2杯目に。2品目はスコータイ風餃子スープにする。私が注文したら、それKhunママの得意料理よ、と言われた。私には作れないw
途中、私のお気に入りのタイのお菓子屋さんにも立ち寄ってくれた。
会場は結構遠かった。地図見てどっかの駅から歩いて行けるかなと思った私は浅はか。交通の便が悪く、噂通り廃墟のような(←タイ人も言ってるw)ショッピングモール。帰りはまた車で送ってくれたタイチングと打ち上げ。おこわご飯とコーンソムタムを早くもこの旅で2回目食べる私。
日曜はこれまたちょっと郊外の駅で待ち合わせ。ニックンとベクホが撮影したレストランに車で連れてってもらう。ランチタイムは家族連れで大盛況。なんとか窓側席を確保し、ニックンが注文した料理をいくつか注文する。ニックンは注文してないけど、私が大好きな白身魚の丸ごとディー��フライปลาย่างราดพริกにもようやくありつけた。これが日本じゃなかなか食べれないんだよな。
ご飯の後はスーパーでラムヤイやらソムタム用ココナッツ砂糖、カバオソースやら例によって買い込む。ラムヤイはどうしても食べたくて、もっと少ないロットの袋を作ってくれるよう、友達がスーパーの店員さんに頼んでくれたら、店内一周してる間に用意してくれてた。なお今回一番買いたかったのはソムタム用スライサー。帰国してさっそく使ったけど、大根サラダにも使える👍
その後、仏教公園までドライブ。ここはワットではなく、公園。日曜とあり、近所の家族がハンモック張ったり、ピクニックしたり、散歩してたり思い思い楽しんでた。
立派な仏陀像があり、僧侶の会合とか開かれるホールも敷地内にある。広々としてて緑がいっぱいで実に気持ちがいい。タイの国土の広さを実感。あまりの広さにここで運転の練習する人がいるらしく、「ドライブ練習禁止」って看板が出てた(笑)
彼女に駅まで送ってもらいBTSでシーロムに戻り���ネイル屋さんに直行。実は朝も立ち寄ったけど、日曜朝は激混みだった。夕方のこの時間は空いてた。イケメンのお兄さんに、1日歩き回った(ほとんど車内だったとは言え)汚い足を洗ってもらってごめんね🙏マニュキアとセットなら50バーツ追加の550バーツで済むよ、と言われたけど、ペディキュアのみでお願いする。眼下でずっとイケメンのお兄さんが施術してるから、スマホばっか見てた私😅
無事ペディキュアを終え、ホステルでひと休みした後、夜はまたテギョンお見送りに空港へ。4泊5日で3回も空港往復する筋金入りハレスは私です。またも日本人は私だけだったかも。深追いはタイハレスに任せて、私は軽く済ませる(笑)帰りはすっかり深夜。また車で送ってもらう。空港の駐車場に行くと、彼女の車が出れない場所に別の車が停めてある。タイあるある。そこで始まりました。噂には聞いてたけど、実際見るのは初めての車人力押し。私は傍観者で🙏4人で押しのけ、無事車を出せました。5人乗りに6人乗って、途中、ハイウェイで土砂降りの大雨に雷。めちゃスリリングなドライブだった😆
翌月曜日はいよいよ帰国。当初は朝便に乗る予定だったけど、夜便が空いたのを見てすかさず変更。マイレージだから出来る技。今回シーロムに泊まることにしたのは、To Do Listミッションクリアのため。それはニックンが撮影��走ったルンピニー公園ジョギング。ルンピニー自体は行ったことあるけど、一度は走らなきゃ!が、ちょい寝坊し、既に暑くなりかけ。なんとか軽く一周駆け抜けた。軽くなのに汗びっしょり。テギョンタオルが役に立った💚
最終日、私にはもう1人会わなきゃいけない10年来の大事なチングがいる。有名大学を休学し、アイドル修行をソウルで頑張ったFちゃん。その夢をタイに帰国して叶えた。今はグループ解散しちゃったけど、たまにYouTubeアップしたり、元メンバーをサポートしたりしてる。透き通る歌声。もったいないから、これからもやめないで活動してね。その彼女、タイ語、韓国語、英語はもちろんのこと、日本語まで話せる。日本語の歌もご覧の通り。
youtube
彼女が探してくれた洒落たタイ料理屋さんで美味しいランチを食べた後、2人でマッサージ屋さんへ向かう。彼女はタイ式、私はオイルマッサージを予約してもらってた。たっぷり2時間。オイルマッサージなのに、なんかガッツリ揉まれた😆SASUGAタイマッサージ!
と、完璧な帰国日のスケジュールを終え、最後は空港まで車で送ってくれた。出会った時は高校生だったのに、すっかり素敵な大人の女性になり、私も感無量。今回はママにお会い出来なかったのが残念でしたが、また会いにタイに来ます!
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7月8日 KUMA・PRE&大熊視察
7月8日に、福島県大熊町にあるKUMA・PREさんに伺い、手作りモルックを用いた交流企画を開催しました。
モルックの作成に必要な、材料等を事前の準備を通して確認し、それをもとに住民の方とコミュニケーションを取りながら、モルックの作成をし、それを用いて実際にモルックで遊びました。
モルック(Mölkky)とは、木製の器具を用いたフィンランド発祥の投擲競技です。「さらば青春の光」の森田さんが日本代表に選ばれるなどと話題になった、近年、日本での人気も高まりつつある老若男女が楽しむことができるスポーツです。
事前の活動への申し込みの数が少なかったことなど多少の不安はありましたが、KUMA・PREのスタッフさんや大熊町の住民さんなどがお越しくださり、モルックの作成などを通しながら、参加してくださった方々と大熊町の今のことや、現在行っている復興に向けた活動など私たちにとって大変貴重な話を聞くことができ、とても有意義な時間を過ごすことができました。
手作りモルックは作っている間も楽しい、そして、それを使って遊ぶのも、もちろん楽しいというのが醍醐味です。参加してくださった方々、福興youthのメンバー共々、モルックを使った交流で、大変盛り上がりましたチームメンバーのファインプレーに皆でハイタッチをし喜ぶ姿からは絆の深まりを感じることができました。
モルックで盛り上がった後、福興youthメンバーはKUMA・PREのスタッフの方にガイドしていただき、大熊町内にある「linkる大熊」、「学び舎ゆめの森」、「大熊インキュベーションセンター」、おおくまキウイ再生クラブの第2圃場の視察をしました。
「linkる大熊」は大熊町民だけでなく、大熊町を訪れたすべての方が利用できる場所となっており、音楽ルームや卓球、カラオケなど様々なことが楽しめるそうです。住民さんが体を動かしに来たり、大熊町に来た大学生も利用していたりととても温かく活気がある場所だと感じました。福興youthでも、カフェ活動やプライベートで使ってみたいなと思いました♪
「学び舎ゆめの森」は今年の2学期から保育園児から中学校3年生までが一緒に学ぶ学校であり、対象年齢がこんなにも広い学校は日本初だそうで、大熊町に日本で唯一の施設があることが誇らしいなと感じました。大きな畑もあり、子供たちが体験しながら成長することができ、のびのびと過ごせそうな良い学校だと思いました。
この2つの施設は歩いて回ったのですが、道中に復興公営住宅と再生賃貸住宅があり、全室満室と聞き意外と多くの方が大熊町に住んでいることを知りました。しかし、大熊町で働く人が少ないためスーパーやコンビニの営業時間が短かったり、ATMがゆうちょ以外の人は隣町まで行かないとお金をおろせなかったり、まだまだ住みやすくできると感じました。現地に住んでみないとその土地の住みやすさは分からないので、福興youthが大熊町民の声を行政に届けることのお手伝いができればなと思いました。
「大熊インキュベーションセンター」は旧大野小学校の建物を再利用して教室などの場所に企業を誘致し、現在多くの企業が入居しています。ガイドさんの1人が大野小学校に通っていらっしゃったので、思い出話を聞いたり、母校が閉校しても残されたままなのが嬉しいともおっしゃっていました。
おおくまキウイ再生クラブの第2圃場では震災前から作られつつあったキウイが、人の手をあまりかけずに育つことから震災後特産品として再び作られることとなりました。キウイの苗の周りにたくさんの雑草が生えており、私も何か手助けできればと感じました。
本日のKUMA・PRE、大熊町視察の活動を通して、KUMA・PREのスタッフさんや大熊町の住民さんと交流を深めることができました。改めて、スタッフさんの優しさや住民の方の温かさを感じることができる、また、大熊町の復興の実態などを知ることができる貴重な経験ができる素晴らしい交流活動だったと感じます。これからも、KUMA・PREのスタッフさんや地域の方々と活動をしていきたいと強く感じました。また私たち福興youthも広報活動などを通して、地域の復興の一助になりたいと感じます。
この活動は、公益財団法人ウェスレー財団様の2023年度「ソーシャルジャスティス活動助成金」及び、一般社団法人東北地域づくり協会様の2023年度「みちのく国づくり支援事業助成金」の助成を受け、実施いたしました。厚く御礼申し上げます。
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以下、今回訪れた施設の詳細です。
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2023.5.20sat_London
深夜2時。 友人に誘われたブリクストンのクラブから帰路へ着く。
眠い。と言うか、身体が痛い…そういえば朝は6時に起きていたんだっけ…思考がままならないまま最寄駅へ友人たちと到着。ロンドンの夜道はまだ慣れないし深夜に1人で歩くのは怖すぎることを口実に、逆方向の友人宅へ。(本当は、途中にあるマックの誘惑にただただ負けた…深夜のMcDonaldの罪深さたるや…)
塩分油分ジャンク過多による翌朝の浮腫に覚悟を、、、
そういえば、渡英してから1ヶ月と2週間が経った。景色が永遠に変わらない一生ディズニーランドなロンドンに入国3日で胃もたれを起こしつつも、1ヶ月も経てば多少の違いがわかるようになって来た気がする…
泊めてもらう友人の家は日本人多めのシェアハウスで、渡英してから1ヶ月間だけ居候させてもらっていた。(今は課金して血眼で見つけた家に、大家のおばちゃんと2人で暮らしている)
久しぶりのsweet home sweet!
3時 友人宅のリビングのソファで5枚くらいの毛布に包まり爆��。途中クラブに置いて来た友人が遅れて帰宅。向かいのソファで寝るとのことで毛布を渡したような、、、朝晩寒い…
8時 物音で目が覚めて、起きて来た友人と庭でコーヒーを飲みながら朝から霊感の話をする。
と言うのも、新しい家に越して2日目くらいの夜に私は生まれて初めて金縛りにあった。夢の中だったのかはわからないけれど、新しい家のリビングに飾ってある写真の彼が立ってこちらを見ている。というような内容だった。そのことを昨日ふと思い出して大家のおばちゃんに話したら、写真の彼はおばちゃんの息子で、10年以上前に交通事故で亡くなってしまったそう。21歳。そしておばちゃんに話した昨日(5/19)は彼の命日だったということ。
朝からなかなかヘビーだな。
今日は土曜日。故に仕事は休み。
5月頭から陶芸スタジオで働いている。 作家の量産がメインで、型に泥を流して固める作業のキャスティング、仕上げの成形、釉薬かけが主な仕事内容で、週5日フルタイム、有休ありの安定…!イギリスまで来て安定してどうするのさ!という心の声は聞こえるものの陶芸というワードに惹かれて一旦就労。試用期間が終わったら何か制作したいな。
最近思うことは、 アパレル→飲食(ベーカリー、カレー、カフェ)→OL→陶芸 と、仕事をしてきて、いよいよ経歴が意味不明過ぎないかということ。 何になりたいんだろう… やってみたいことはたくさんあるし色々やってみたつもりだけれど、この歳になっても全然しっくり来ない。みんなそうなのかな…
ひとつのことをずっと続けているひとが本当に羨ましい
さて、
10時 いよいよ帰路へ。
天気いいなあ〜〜〜
気分が良いとなんだか走りたくなったりする性分らしく、走ったり歩いたりを繰り返して、家の近くまで。
気になっていた近所のカフェ(Hourglass Coffee)でコーヒーと、お気に入りのスーパー(Sainsbury's)の£1のドーナツを買って、寄り道。近所の公園へ。
公園はいつも犬が渋滞している…
11時 ついにようやく帰宅。 sweet home sweet!(言いたいだけ)
大家のおばちゃんは仕事へ行くタイミングだった様子でおはようの挨拶。庭師の友だちが庭の草刈りをするよ、とのことだったので一緒に草刈り。エクササイズ。暇つぶし。日焼け止めも塗らずに草刈りを手伝う。
庭師のおばちゃんはフランス語も得意でフランス語講座を開催してくれたけど、難しすぎて忘れちゃったな…
庭師のおばちゃんのラブリードッグ!Mitzi!
16時 大家のおばちゃんが帰宅。おばちゃんファミリーと近所の公園でピクニックをするから一緒に行こうよと誘われて同行。辛うじて日焼け止めをようやく塗った。
大家の娘の娘。髪の毛のビーズが��わいい…
18時 sweet home sweet!
顔がヒリヒリする…完全に日に焼けた。。。 慌ててドラッグストアへフェイスパックを買いに行くけれど、洗い流すタイプのものしかないので仕方なく購入。日本と同じメーカーのものも、香りや成分が若干違うみたいでお気に入りを探すのが難しい。
20時 シャワーを浴びて日記を書いている。 ようやく日が沈み始めた。 そろそろ温泉いきたいなあ〜サウナも行きたいな〜(お風呂大好き)
22時 そろそろ寝ようか、明日起きれたら週末恒例カーブーツセール(フリマ)行こうかな、
そういえば、あいさんから日記を書いてくれない?と連絡があった日は、何か書くことをしたいと友人に話した日だったことを思い出した。
日本に帰るまでの間、イギリスで生活する間、自分と向き合うことを忘れないように、と思っている。
-プロフィール- 池上まい ロンドン ちのです。あだ名がたくさんあります。陶芸スタジオでなぜか今働いています。英国にて人生の夏休み真っ最中。楽しく暮らしたい。 Instagram @ikg_i
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたす��川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお金にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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2023年2月3日(金) 出張旅行記その90 【1月19日】 ついにハノイ行きのバスチケットを手に入れた店主。後はホテルで荷物をまとめ,バス停に戻ってくるだけです。 ホテルは今夜の分も取っているので,宿泊費は払います。店主の都合でキャンセルするわけですから,部屋を用意してくれたホテルには何の落ち度もありません。しかも,14時チェックインとして,すでに4時間は部屋を利用したことになります。 少し勿体無い気もしますが,ここでバスに乗っておかないと,いつハノイに行けるか先が全く読めません。 ホテルへ帰る途中,まだ心配事がありました。 果たして,バスの出発時刻までにバス停に戻って来れるのか。 ここからホテルまでは30分ちょいです。ホテルに着くのが18:30として,そこから荷物をまとめ,シャワーを浴びたら19時過ぎです。ホテルからタクシーに乗れば,余裕を持ってバス停に着くことでしょう。 しかし,しかしです。町中でタクシーをほとんど見ていないんです。 全くないわけではないでしょうから,ホテルにお願いすれば,配車してもらえるとは思います。 それでも,最悪の事態は考えておくべきです。 最悪の事態とは,ホテルでもタクシーを配車できない場合です。テト(ベトナム正月)を軽くみてはいけません。日本の常識では考えられないことが起きる,それが東南アジアです。もちろん,それはここに限ったことではありません。ルアンナムターでは,ホテルで頼んだトゥクが来なかったのですからね。 日本の常識は世界の常識ではありませんし,世界の常識も日本の常識ではないのです。 タクシーがなければ,どうするのか。 歩くしかありません。 あの重い荷物を持って30分の道のりを歩くとなると,倍,いえ,3倍の時間がかかると思っていいでしょう。となると,19時前にはホテルを出るべきです。それで,ギリギリ間に合うかというくらい。 一刻も無駄にできません。 無駄にできないと思いつつ,帰り道でも写真を撮る店主。ここで撮っておかなければ,二度と撮影することは叶わないでしょう。 だいたい読み通りの時間にホテルに戻った店主。3人のスタッフのおっちゃんたちが食事をしています。早速その一人に掛け合い,すぐにチェックアウトし,19時過ぎにタクシーを呼んでほしいと頼みます。バスのチケットも見せ,時間を確認しておきました。分かったと,頼もしいおっちゃん。お願いしますよ。 19時過ぎにフロントに降りてみると,おっちゃんは一人に減っていました。 タクシーは...来ていません! おっちゃんは携帯電話を取り出し,話し始めました。まさか,今から呼ぶ...とか?いや,それはないでしょう。あってはならない。 大丈夫だ,安心しろ,と目力強くアピールするおっちゃん。 すぐにやってきたのは,ピックアップトラック。タクシーではありません。 どうやら,スタッフの車のようです。おっちゃんにお礼を言って,別れます。Chúc mừng năm mới(よいお年を) 車だと5分で着いてしまうバスターミナル。基本まっすぐの道ですし,あっという間です。道沿いでいいよと言ったのに,おじさん,駐車場の中へ入ってくれます。中へ入り,中へ中へ。なんと,バスの後ろにつけます。 チケットを見せろというので渡すと,番号を確認し,このバスだ,と言って,荷物を運ぶのを手伝ってくれた上に,バスの運転手にハノイまでこの男が行くから,この2つの荷物を頼む,と手配までしてくれました。 送ってもらえただけでも嬉しいのに,乗り込むバスの間近で降ろしてもらえると,大荷物の店主としてはこれほど助かることはありません。ここでも,日本ではあり得ない常識が起きました。 おじさんに厚くお礼を伝え,別れます。次ディエンビエンフーに来た時も,必ず利用しますからね。また会いましょう。Hẹn gặp lại 【お知らせ】 海外出張から帰ってきちゃいました。現在、通常営業しています。 ご来店、心よりお待ちしております。 【身体のセルフケア】 2023年2月4日(土),3月11日(土)の開催を予定しております。 16:30~18:30 上福島コミュニティーセンターにて 詳細、お申込みはメッセージにてご連絡ください。 2月4日(土)の営業は,19:00〜23:00となります。何卒ご了承ください。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #ベトナムの旅 #ディエンビエンフー #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CoMVS_2SNhE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#カフェ#バー#東南アジア料理#サバイディー#osaka#fukushimaku#cafe#bar#福島区グルメ#福島区ランチ#福島区バー#ラオス#ベトナム#チキンライス#ベトナムの旅#ディエンビエンフー#変わろう日本
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2023年初釣り
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
どうも、こんにちは。旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。さて元旦は、真っ当な人生を歩んでおられる方々が、家族で過ごしたり、お世話になった人に挨拶に回っている中、(Fさん曰く)世捨て人w4人で初釣りに行ってきましたw。
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
実は、昨日、釣り納め釣行の朝食と昼食のサンドイッチを買いに朝6時から開いているいつものカフェに行ったんですが、年中無休と決めつけて「明日も開いてます?」って聞いたら、「元旦と1月2日は休みます(汗)」って感じでした。そういえば、大晦日に外食に行った定食屋も、いつもの時間(19時半〜20時半)ぐらいに行ってんのに、20時ぐらいに「ラストオーダーですが…」って聞きにきてたなあ。年末年始は通常営業じゃなくて休む日なんですね。秀天さん(仮名)も家の用事で1月3日に釣りに行けるかどうからしいです。なのに僕ら4人は、Fさんの「普通の人は元旦から釣りには行かれへん。俺ら世捨て人やから…ガオくん(仮名、僕のことw)、普通やと思ってる?」という演説を聞きながら釣り開始ですw。
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
竜田川釣り池は、元々鯉釣り池だったので隣の寺口釣り池と共存してたのかな?へら釣り池になっ��からも、底釣り専用池を標榜しつつ実質的にはへら釣りの自由釣り池として、隣接する両うどん底釣り専用池の寺口釣り池と住み分け出来ていたようです。が、今年から寺口釣り池が引継ぐことになって、今後は「上の池と下の池」みたいな関係になりそうです。年末に寺口釣り池に釣行したFさんが、そのいきさつと元旦に無料開放するという情報を聞き及んだので、教えてもらった僕とhowellsさんも同行した次第です。初めての釣り池でポイントもよくわからないし、最初は季節風を考えて写真の向きで釣り座を構えましたが、もの凄く浅かったので、風を受けてしまいますが反対向きに釣り座を変更しました。
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
こんな感じ。同行3人が写っています。右端の黄色い人は寺口釣り池の見知らぬ常連さんです。コンクリートの高台が寺口釣り池です。道路の関係で駐車場に車で行き来するのはグルッと大回りしなくてはダメなんですが、徒歩では横の道を歩けば寺口釣り池に行けるので、食事は寺口釣り池で頼めます。初釣りがどんなもんだったかというと、Fさんの釣りクラブ仲間のMさん(右から2人め)が両グルテン底釣りで最初からバンバン釣り始めてビックリ!竜田川釣り池は、寺口釣り池の人気に押されて寂れた印象だったので、Fさんは「1枚釣れたら上出来」みたいなノリだったんですが、池主交替のリニューアルオープンに備えて新ベラ300kgを放流したんだそうです。だから池の真ん中に新ベラが溜まってんのかなあ、13尺グルテン強し。howellsさん(仮名)は僕の隣で左から2番めでしたが、安定の釣果で「渋い」と言いながら両うどんでコンスタントに釣ってます。Fさんは色々やる人で午前中はもう一つでしたが、午後になって1人短竿(9尺?)でグルテンでバンバン釣って帳尻を合わせてはりました。
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
そんな中で、「波除けパイプに近い方が釣れる」という発想で左端の釣り座(池中央から遠い)を選んだ僕は1人蚊帳の外…。4人並んで他の3人がビシバシ釣ってるのにウキがノーピク…動きません(悲)午前中ボウズ。元旦は寺口釣り池が休みで食事を頼めないので、車で10分弱のマクドに昼食を食べに行きました。
2023年1月、竜田川釣り池(奈良) SONY α7+SELP1650
そうそう、竿は10尺の名竿師でしたが釣れないので「げてさく」の13尺に変更。「ツツン」って感じの2段引きの魚信をアワセたらかかりましたがスレでした…。昼食から帰ってきて、釣りを再開したら、12時台になんとか釣れました。だが、しかし…このあとはウキがほとんど動かず、スレ1枚を追加しただけで終わりました。
ということで、2023年元旦はヘラブナ1枚でした。Mさんは軽く20枚以上、Fさんとhowellsさんも「つ」抜け。僕だけ1枚しか釣れなかった。(ノ_-;)ハア…
では、また。
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5月2日(木)
病院へ。左側の親知らずを一泊入院で一気に抜くことに。入院とは縁のない人生を送ってきたから、そわそわとする。その日のうちに必要な検査を受けた。血液検査が一番怖かったのだけど、全く痛くなくて良かった。検査が終わり、入院の手続きをする前に時間ができたから院内のカフェ・ド・クリエへ。ホットサンドとアメリカン。先生達の様子を見ながら食べた。お腹が空いているということを目の当たりにすると、みんな人間だなという気持ちになる。病院を出て、神社でお参りして、図書館で本を借りて、母の日用のお花と家族みんな用のお菓子を購入。夕方、迎えにきてもらい、そのままお寿司を食べた。7皿が丁度良い。おやつの杏仁豆腐がかっちりしてなくて、ラフな感じで美味しかった。
5月3日(金)
久しぶりの実家での起床。猫と一緒に寝ると、目覚めが良い。バナナサンドを作り、妹と庭で食べた。その後、40分歩いて足湯へ。足を湯に入れた瞬間の心地よさは半端なかった。また40分歩いて帰宅。お昼に炒飯を作ったり、余ったパンの耳できな粉ラスクを作ったり。夜は映画館へ。上映中の作品の中から見覚えのあるタイトルが目に入った。この映画が面白かったという日記を読んだから覚えていたのだった。ネタバレをしていない内容だったし、予告も観ずに鑑賞。わざわざ映画にしなくても良いけど、したら唯一無二で最高って感じ。余白が終始心地良く、場面転換の少なさが印象的だった。兎に角、会話に集中する。登場人物達の感情の機微を楽しめる。何より、夏が舞台で、具体的な記憶は浮かばないけど、こういう瞬間が確かに自分の学生生活の中にあったなという懐かしい感覚を思い出せたのが良かった。
5月4日(土)
父と母と霧ヶ峰へ。霧ヶ峰、凄すぎ。日本ですか?ってなる。夢に出てきそうな風景だった。エアコンを見る度にこの風景が頭の中で流れるようになった。営業力すごい。霧ヶ峰で食べたきのこパスタの味も忘れられない。引き算の大切さを教えてもらった気分。
5月5日(日)
祖母家へ。お墓参りとランチでハンバーグ。夜ご飯はおばあちゃん特製まぐろ漬け丼。朝から夜まで何から何まで話した。おばあちゃんの考え方、好きだからずっと話し続けられる自信がある。仲も良い。この日のおかげで将来が少しあかるくなった。
5月6日(月)
GW最終日。1日中、職調べ。頭がパンクしそうになる。生活を変えるって大変だ。夜中にワンピースを観て元気が出た。ワンピース、面白い。毎週欠かさず観るようになった。結局、アニメはワンピースしか観ていない。ワンピースって凄い。何年も何年もかけて作品を続ける体力が凄すぎて可笑しい。悪魔の実を食べているとしても不思議ではない。
5月7日(火)
連休明けだったから程々に頑張った。体調の悪さを自覚して早めに就寝した一日だった。これがかなりの英断だった。親知らずを無事に抜いてもらえるように体調管理にはしっかり気をつけなくちゃ。癖で頭痛薬を飲みがちだから更にこれは気をつけなくっちゃ。
5月8日(水)
日記を書くのが楽しい。仕事や将来の事で頭がごちゃごちゃとしてきたから、違うページにやるべきことなどを一気にずらりと書いた。スッキリ。わたしの今の職場に対するモチベの低さは異常。尊敬できる環境に身を置けるように動いていきたい。笑ってさようならできるように、我慢をしたりしないように。
5月9日(木)
一田さんの「大人の片付け」読了。最近の私は借りても読みきれずに返却をしていたから、なんだかすごく達成感に包まれた。求めていた感覚との再会って心地良い。朝一、母に将来についてLINEをしたら「色々悩んで決めたことだろうから応援します」とのことで、ようやく物事を動かす時がやって来た。よっし!となり、早速職場に辞める報告をした。帰り道、スーパーのポイントでラーメンと白バラのソフトクリームをゲットして最高になった。
5月10日(金)
華金はいつだって、嬉しい。今の仕事を辞めることが掃除好きの上司にいつの間にやら伝わっていた。すごく残念そうな顔をされ、「こんなこと言うのはあれなんだけど結構支えだった」と告げられた。どうやら、お互いにお互いをいい人間だなって思っていたみたい。それはそれで嬉しかったけれど、わたしの気持ちは変わらない。スーパーでおやつを買って、夕焼けを見た帰り道はいつもより大袈裟でドラマチックだった。
5月11日(土)
夕方からやる気が出てスーパーへ。珍しいサーターアンダギーを広島焼きを作ってるお店で購入。広島も沖縄も大好き。また行きたいな。高知にも行きたい。実はルーツ。お金を貯めなくちゃ。メルカリ活動を再開。真夜中にああ、そういえば…!となり、動画編集を開始、気づいたら朝4時。色味に対する自分のこだわりの高さにひぇ…と、なる。
5月12日(日)
目覚めの良い起床。洗濯物を干して家を出る。気になっていたユニクロ×マリメッコのコラボを実際に目で見てみる。やはり、たくさんの人と被ってしまうのはなあ…となり、諦める。併設されている雑貨屋さんで、ナリンのボディーミストを発見!これが、噂の…!北欧暮らしの道具店で度々紹介されているナリン。実際に香りを嗅いでみたら、初めて嗅ぐ香りでびっくり。好きな香りだった。いつかのご褒美はこれに決めた。帰宅後、与太郎さんの本を写経しながら読書。ゆったり、入浴。YouTubeとInstagramの更新。
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2023/5/20〜
5月20�� デジタル温湿度計を買った! 体感でエアーコンディショニングすることへの限界を感じていたので買ってみた。生活を計るものが一つ増えた。
待ち合わせへ向かいながら、レスタミンコーワのうとうとで今日はもうダメかも、と5段の階段を登るのすら辛かったのに、友人2人に会って、東京散歩をしてとっても元気になってしまった。 毎朝歩いている道も2人と歩いたら足取り軽く元気になるのかな。
2人に会う前にミッドタウン八重洲でCLCFのお洋服を見る。やっぱり靴下が可愛い。 こういうショップの店員さんの嫌な感じのなさってすごい。 その後富士フィルムのラボでフィルムスキャニングの注文をしに京橋へ行った。 カメラ好きおじさんのたまり場感をなるべく感知しないようにしていた。 対応してくれた店員のおじさんと、側から見れば和気藹々的な感じで注文から会計までを済ませる。 和気藹々すぎて2人で注文数を数え間違えて(7枚でなく6枚)2回転写シートを書いた。 フィルムスキャンを頼むために、昨晩と今朝はクローゼットのファイルを片っ端から開いては目星のネガを探す作業をしていた。何というか、一枚一枚のシーンが、全てここにある、残されている!!と感動してしまった。 今まで撮ったシーンが、モノとしてある!と。
1クリックで消えてくれない頑なさがある。
データができていないネガもあったので、ひと段落したらもう一度整理したい。
松屋銀座の8階で友人2人と待ち合わせ。 菊地さんの展示を観て、コレド室町まで散歩して、カフェで2人の写真集を見せてもらった。
菊地さんの展示、タイトルが好きだった。 散歩をしながらゴールデンウィークの話や福井さんの話、仙台と岡山どっちにいきたいか等を話して、道中の気になるお店に入って見たりした。
関西に比べて成り上がりの土地が悲しい!と、東京について話したけれど、ちょっと楽しそうなものに出会える東京はやっぱり大好き。
友人の写真を見せてもらって、うまく感想を伝えられなくて、何か無駄に自信をなくさせてしまっていたらどうしよう!と家に帰って思った。 とてもきれいな写真だった。観ていて心地よい。ら菊地さんの展示会場でグッズのノートを見た時「昔買って使えなくて家で保管している」という彼女のエピソードの様に、きれいに何かを保っていられるセンスを持っていて羨ましくなる。
あと2人ともイラストを描ける方々なのでいいな〜。
写真を見せてもらった時、友人のiPadの壁紙が彼女の結婚式の写真で、私が撮った写真によく似ている!と思ったけれど違ったかも!でもそうならば嬉しすぎるのでその場で確認できなかった!
5月21日 文フリへ行くつもりだったけれど、途中駅でUターンしてしまった。 この時期でもうOS-1を身体に入れて何とか…という感じ。
朝起きてすぐにちーちゃんへメッセージを送ったら、リアルタイムでお返事が来て嬉しかったり 帰りの電車でちーちゃんのInstagramの写真を見て、写真っていいな〜、と思ったのと、楽しかった日々が楽し過ぎて何でこれがいつまでも続かないのか!と悲しくなった。
qpさんがもうすぐalt_mediumで展示をされるとのこと! 白濱さんとqpさんのお散歩音声が好きなので勝手にとっても嬉しい気持ち。
友人のプライベートを日記に書いていて、それをtumblrにそのままアップしたこと、昨日の写真を見せてもらう席で、何だか大変失礼を言ってしまったことを謝るメッセージを送ったりした。
体調がダメになる頻度が多くなってきて、どうしたものかな〜とおもってます。
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11/15
今日は忙しいぞー
◉仕事
月曜日から鬼の4連勤。しかも先週に日曜のビル停電があり、業務の定休日があったがために月曜日からその遅れを取り戻すためにいつもの二倍働かねばならない。正直なんとかなったけど、なんかこう、疲れてヘトヘトになって退勤して、家と職場の往復(通勤なし)して何となくyoutube見て、翌朝起きて出勤する生活をしていると、なんか心のどこかが死んでいく音がする。さらには必死こいて仕事した後に、火曜日にら退勤後にエージェント面談+寝る前に適性検査(60分)もあった。多忙は正直嬉しいけど、ふとアレ?何のためにこんな必死なんだ?とふと本当に疑問に思う。このままでも勿論素晴らしいけれど、単調な暮らしに慣れたら、興奮を求めることも忘れていくんじゃないか?と焦り、水曜日友達のバンドのライブがあったので、見に下北沢へと向かうことにした。何より気候が素晴らしいですから、それだけで原動力になります。
◉感受性の復活
水曜にライブを見た。素晴らしかった。何よりもいつからかプレッシャーになっていたパーティという場がある程度距離を置くことによって、改めて音楽に没入できるという空間が出来上がっており良かった。演奏もDJも素晴らしかった。DJがかけた曲の中でチャペルローンの『Good Luck,Babe!』が良かった。BSSMの演奏後にかかっていたジャズも趣深くて良かった。昔は周りにたくさんいた友人たちが1人もいなくて寂しい。けれどもパーティなんて元々1人で見るもんだからね〜この孤独さもパーティの味わいひとつ、だけど、みんな元気かなあ。
◉体調
無理して下北沢行ったら体調崩した。幸いにも半休予定日だったから、午後帰宅して15時過ぎに寝た。昔から自律神経の乱れからくる鼻炎には悩まされてきたけれど、最近はセーブできてた。それが発作のようにスイッチがかかると鼻炎が止まらなくなる。薬も効かないし、ただ深呼吸して体を温めて寝るしかない。起きたら17時過ぎてて、空が暗かった。そうそう、久しぶりに音楽を聴いて、開いたなと思った。自律神経が乱れてると、感受性が深まるのかな。Duval Timothy⦅2 sim⦆と、Bill Frisell & Thomas Morgen⦅Epistrophy⦆を聞いた。あとNala Sinephro⦅Endlessness⦆も。どれも今まで聞こえてこなかった音が聞こえてきて心が温かくなった。とくに⦅2 sim⦆は素晴らしい。ピアノと民族的なトラック、あとは英語圏ではない話し声のアンサンブル。こういうことがあると、具合が悪くなるのもいいのかもしれない。いや、ヘルシーがいいけどね。
◉六本木
面接が六本木一丁目だったので、面接してから周辺を散歩。麻布台ヒルズ内の郵便局に行ったら、建物の通路ががえらい白いし、何がどこにあるかわからない。亜空間に来たみたいな気持ちになる。そのまま東京ミッドタウン方面へと向かう。道の途中に、かつてvaritがあった空間があった。ミッドタウン近辺のみちにはイルミネーションが施してあって、その道を辿ると、なにやら音楽が聞こえてきた。看板があって、読むと⦅6分間ごとにしゃぼん玉の演出があります⦆と。いやいや〜baby野郎だからキャッキャしたくて3分くらい待つと、確かにもくもくとシャボン玉が出てきて子供もキャッキャしてたけど、純粋に六本木の道でシャボン玉が出てきてキャッキャするのってどうなんだ…ってなってきて赤坂まで歩いた。でも、こういうのに興奮する気持ち、ある。だってディズニーランドのエレクトリカルパレードだいすきだから。人間って光ってて音が出るもの好きだよね。計算された娯楽に興奮して踊らさせる。
◉奨学金
帰り道にmayaongakuのポッドキャストを聞く。過去に戻ったら何をしたいか?という質問に対して、俺は高三の頃の自分に大学に行くな、奨学金が無駄だから、と回答していた。
実は先日同僚と中華の円卓をかこったとき、つい先日400万円の奨学金の返済が完了した、という同僚がいた。podcastでも、借金の返済は結局今足枷になっているし、大学入学後も学校にはいかず、地元の友人たちと音楽をしていたから、俺にとっては無駄だった、と言っていた。(てかおれらはあんまり東京行かないし、大学四年間はギフトだよねー) 学歴かー。
今日選考を受けた会社は学歴不問とは言いつつも、高卒〜短大、専門卒の人に関しては雇用形態が大学四年卒の人間とは異なる。将来的に見ると、生涯貰える給料も大幅に違う。今日は面接上手くいったけど、キャリアアップが見込めない。そうすると独り立ちできない。運良く、実家から通えるし、通って貯金&投資かなーとな色々考えた。もう最早、結婚しちゃった方がいいのかもなとかも思う。《高学歴で高収入で、1人でもきちんと幸せになれる女性》ってやっぱり難しいのかもしれない。母親から今日の夜はちゃんこ鍋ですとラインが。散歩もほどほどにして帰路に着く。
地元の駅に着くと、すぐ商店街が広がっている。
普段出る逆側の駅の出口は再開発が進んでいる。一旦更地になって、病院や薬局、スーパー、マンション、老人ホームが立ち並び10年でここまで変わるんだなと思った。一方、私が使う出口の方は商店街がそのまま残っている。どうやら、地元住民が再開発に反対したようだった。一時期はシャッター街となっていたが、ここ3年くらいで結構変わった。元々あった居酒屋に、お弁当屋さん、居酒屋(外でおしゃれな若者が煙草を吸っていた)、コーヒースタンド2件、ヴィーガンのカフェ、クラフトビールのスタンド、おしゃれな中華専門店、タコスを扱うメキシカンの居酒屋、新刊専門の書店など。この街はわたしと同年代の人が頑張ってるんだな!と思うとこの街に帰るたびに元気が出る。クラフトビール屋の店主ともこの間少し仲良くなれた。全然活かすかないけど、高層マンシャンもどんどん建っていて、オシャレな街が確立されつつあって、大学生に、地元と高校生など、しっかり若者も行き交っていたり、駅前の不動産屋は野良猫を可愛がっていたり。終電でこの街に帰ると体感的ではあるが、おしゃれな若者も増えたと思う。先週土曜日には近所の公園でフリマのイベントをやっていたり、最近なんかいい感じだよねをすごく感じる。
転職活動を行いながらも、わたしは将来的にこの街に残って子育てとかしたいなって最近は思い始めてきた。そしたら、店とかやりたい、イベントも開催したい。ワインバーとかいいな。ジャズ喫茶でもいい。東京で、搾取されながら暮らすよりも、適度に栄えた地方都市で緩やかに広い部屋でのんびり暮らしたい。その上で、自分が文化を守り継承していく存在となれたら、どんなに幸せなことだろうか。都市と田舎、どちらが良いとかない。けれども個人的には地方都市が一番好きだ。車移動も自転車移動もできて、都市に出向けば芸術鑑賞も容易くできる。かと言って、文化格差はそこまで感じない。(ひとによる。DIC川村記念美術館は残すべきだ。)治安も良い。自分は恵まれて育ったなと最近になって思うのだ。
六本木の再開発ビルを歩きながら色々考えた。今夜は⦅女ふたり、暮らしています⦆を読んで寝よう。
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