#オルフェとユリディス
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映画『黒いオルフェ』
Wowowオンデマンドでマルセル・カミュ監督の映画『黒いオルフェ』を見ました。1959年の映画なので、私と同い年ーー60年前の映画ですが、少しも古さを感じませんでした。
私が最初にこの映画を見たのは大学2年のとき、1979年のことだと思います。当時、私は京大西部講堂にあった学生劇団・風波で我が畏友・石田学が書いた芝居『詩人は遊泳禁止』に出演し、ナルシストの鳴島君の役を演じることになっていました。一応、主役だったのかな……2枚目の役です。
物語は鳴島君が高校時代思いを寄せていた街子と偶然再会するところから始まります。二人は高校の文化祭でオルフェとユリディスを演じたことがありました。二人は恋に落ちますが、街子は兄のヒドラ教授に手篭めにされていて……というアングラ芝居で、唐十郎の匂いがプンプンする芝居でした。出演した私が言うのも変ですが、非常にいい芝居だったと思います。
これが私の初舞台だったわけですが、その後芝居を続けたのも、長いブランクの後ピッコロ演劇学校に入学したのも、演劇ユニット・チーム銀河を立ち上げていまなお芝居をしているのも、この時の経験があったからだと思います。
この芝居はギリシャ神話のオルフェとユリディスの物語を下敷きにしているのですが、恥ずかしながら私はオルフェを知りませんでした。そこでちょうどテレビの深夜劇場で放映していた『黒いオルフェ』を見て勉強したのです。
ギリシャ神話のオルフェは竪琴の名手です。彼はユリディスという女性と恋に落ち結婚しますが、ユリディスは死んでしまいます。ユリディスのことが忘れられないオルフェは竪琴でケルベロスを眠らせ、冥府に赴いて、冥府の王ハーディスにユリディスを返して欲しいと頼みます。
オルフェの竪琴に心を動かされたハーディスはユリディスを地上に連れて帰ることを許します。ただし、ハーディスは地上に出るまで絶対に後ろを振り向いてはならないという条件をつけます。オルフェはその条件を守ってユリディスを先導するのですが、あと少しで地上に出るというところで、とうとう振り向いてしまい、ユリディスは冥府に連れ戻されてしまいます。
『黒いオルフェ』はこの神話を実に巧みにアレンジしています。
場所はブラジルのリオデジャネイロ。カーニバルを翌日に控え��き立つ町に田舎から出てきた若い女性ユリディスがやってきます。��女は市電の運転士のオルフェと出会い恋に落ちます。オルフェはギターの名手で、婚約者がいるのですが、女性にモテモテです。
ユリディスは村にいる時からおかしな男に追いかけられていると言います。その男はリオにも現れるのですが、死神の装束をまとっています。安っぽい装束で背中のチャックが見えていますから、単にカーニバル用の衣装を着ているだけにも思えますが、本物の死神のようでもあります。
カーニバルの夜、死神装束の男に追われたユリディスは市電の電線にぶら下がって逃げようとして感電して死んでしまいます。オルフェは死神に殴られて気を失い、病院で目をさまします。彼はユリディスが死んだと聞かされますが、それを信じず、ユリディスを探して夜の街をさまよいます。
その彼の彷徨がまさに「冥府巡り」であるわけですが、その場面が見事で、驚くほど大量の紙くずが散乱した廊下を全く無意味に掃いている老人の不条理かつ非現実的な姿に私は感心しました。老人はオルフェをある儀式に連れて行きます。あれはマクンバというのかな、葉巻をくわえた男女が踊り、一人の女がトランス状態に陥ります。
そこでオルフェはユリディスを取り戻し、そして再び失うことになるのですが……このアレンジの仕方は素晴らしいの一語です。
神話というのは普遍的な物語であり、時代や国を問わずどんな状況でも再活性化できるものだと言いますが、『黒いオルフェ』はそれを実証した映画です。
是非ご覧ください。
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演劇ユニット・チーム銀河×モンゴルズシアターカンパニーは毎月第4日曜の14時に大阪・四ツ橋のイサオビル2階ホールで新作『リハーサル』をロングラン上演中です。
次回公演は4月28日(日曜)です。
また、それと並行して『改訂版・オズの部屋探し』も毎月第3土曜の18時半に大阪・緑橋の杉浦実業株式会社2階会議室でロングラン上演中。
次回4月20日(土曜)がいよいよその千秋楽。フランス語字幕付きで上演いたします。
みなさまのご予約・ご来場をお待ちしております。
詳しくはこのサイトの「次回公演」のページをご覧ください。
『リハーサル』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/blank-10
『改訂版・オズの部屋探し』http://toura-h.wixsite.com/team-ginga/jikai
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映画『燃ゆる女の肖像』と『水の中のつぼみ』
Wowowオンデマンドでセリーヌ・シアマ監督の映画『燃ゆる女の肖像』(Portrait de la jeune fille en feu、フランス、2019)と『水の中のつぼみ』(Naissance des pieuvres、フランス、2007)を見ました。
『燃ゆる女の肖像』は、画学校だか絵画教室だかで女性の先生がモデルになり女学生たちにデッサンを描かせているところから始まります。女学生の一人が先生の描いた絵を持ち出していて、題名を尋ねると、先生は「燃ゆる女の肖像」だと言います。
そこから時間を遡り、その先生(この女性がヒロインです)がボートで島に渡る場面になります。時代は……いつなんだろう。映画の中には時代を明示するものはありませんが、ネットでは1770年となっています。
ヒロイン(マリアンヌという名前です)は島に上陸しお屋敷に向かいます。その屋敷に住む若い娘(エロイーズという名前であることが後でわかります)の肖像画を描くために呼ばれたのです。
エロイーズは近くミラノに住む貴族の男と結婚することになっていて、その嫁入り道具(なのでしょうね)として肖像画が必要なのだが、肝心のエロイーズは絵のモデルになりたがらないということで、マリアンヌは画家であることを隠し、散歩やおしゃべりの相手をする女という名目でエロイーズを観察し、こっそり肖像画を描きます。
ようやく肖像画が完成します。マリアンヌはエロイーズに自分が画家であること、エロイーズの母親に頼まれて彼女の肖像画を描いていたことを打ち明けます。
エロイーズは肖像画を見て、「私の本質が描けていない」と言います。それを聞いたマリアンヌは肖像画をぐちゃぐちゃにして、一からやり直したいと言います。
依頼人である母親は怒って、これから5日間、屋敷を留守にするので、その間に必ず肖像画を仕上げるようマリアンヌに命じます。
こうしてマリアンヌとエロイーズ、それに女中のソフィーの奇妙な共同生活が始まります。ソフィーは生理が来ないことを二人に打ち明け、二人は赤ん坊を堕すためにソフィーに無茶な運動をさせたり、妙な煎じ薬を作って飲ませたりします。
この辺り、マリアンヌ、エロイーズ、ソフィーの3人は、一緒にトランプをしたり、オルフェとユリディスの神話を読んで語り合ったり、参加者がなぜか女ばかりの夜の祭りに行ったり、その祭りで焚き火の火がエロイーズのスカートの裾に燃え移ったり(それが「燃ゆる女」というわけです。比喩ではなく、文字通りスカートに火がついたということですね)、挙げ句の果てにはソフィーを堕胎をする老婆のところへ連れて行き、その夜堕胎の場面を再現して絵に書いたり、なんだか楽しそう(?)で、見ていて微笑ましいなあと思いました。
ある日、浜辺でマリアンヌとエロイーズはキスをします。そしてその夜、二人はベッドをともにします。
私は何の予備知識もなくこの映画を見たので、レズビアン映画だとは知りませんでしたが、まあ流れから言ってそうなるよなあとは思いました。
マリアンヌは肖像画とは別に、自分のためにエロイーズのミニチュア画を描きます。自分も何か欲しいと言うエロイーズに、マリアンヌは「好きな数字を言って」と言います。エロイーズが「28」と言うと、マリアンヌはエロイーズが持っていた本の28ページを開き、そこに自分の裸体画を描きます。
しかし、幸せな日々は長くは続きません。5日目の朝、エロイーズの母親が帰ってきます。マリアンヌは完成した肖像画を引き渡し、屋敷を出て行きます。
物語は冒頭の場面に戻り、デッサンを終えた女学生たちが帰ってきます。マリアンヌはその後、エロイーズと再会したときのことを語ります。
再会と言っても最初は実際に会ったわけではありません。エロイーズはオルフェとユリディスの別れの瞬間、つまりオルフェが思わず振り返り、ユリディスが冥界に永遠に連れ戻される場面を絵に描き展覧会に出品します。そこで彼女はエロイーズとその娘が描かれている肖像画を見つけます。
絵の中のエロイーズは手に本を持っていて、指を差し込んであるページを開いています。そのページは……もちろんわかりますよね……28ページです。
マリアンヌはさらに最後にエロイーズと会ったときのことを語ります。あるコンサートの会場で、マリアンヌは反対側の2階席にエロイーズが座っているのに気づきます。マリアンヌは「エロイーズは私に気づかなかった」と言います。
舞台ではオーケストラがヴィヴァルディの「四季」の「夏」を演奏します。この曲はかつてマリアンヌがハープシコード(なのかな、とにかく屋敷に置いてあった鍵盤楽器です)でエロイーズに弾いた曲です。
その思い出の曲を聴きながら慟哭するエロイーズの顔を驚くほど長時間クローズアップで写して映画は終わります。
この映画が名作かどうか、私は知りません。レブビアン映画で言うと、私自身は『アデル、ブルーは熱い色』の方が遥かに好きでした(時代ものがあまり好きではないからかもしれません)。
でも、あのラストはちょっと感心しました。
その勢いで、同じセリーヌ・シアマ監督が撮った『水の中のつぼみ』も見たのですが、長くなりましたのでそれについては項を分けることにします。
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