#オルガン修理
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約45年前、当時の愛媛県川之江市(現・四国中央市)の道路拡幅工事で、市道に取り込まれた民有地の一部の手続きに不備があり、四国中央市の男性(74)に固定資産税が課せられ続けていることがわかった。今年6月、男性の自宅倉庫から当時の関係書類が見つかり、市は固定資産税の非課税範囲を示した地方税法に抵触している恐れもあるとみて、調査を始めた。(岩倉誠) 問題が発覚したのは、市道東金川1号線(総延長991メートル)のうち、東金川橋付近から南へ延びる約160メートルの部分。 男性によると、男性の父親が1979年11月、山林の一部だった15・57平方メートルについて、当時の石津栄一・川之江市長と土地売買契約を交わした。道路の山側部分の工事は、のり面をコンクリート擁壁にすることになり、工事完了後に市が用地面積を測量して価格を算出し、売買契約を確定させる約束だったという。 工事は82年度に完了。しかし、市は土地所有権移転手続きを行わず、「今は予算がないので次年度で実施する」と用地測量や移転登記を延期していた。 男性は87年12月、父親の死去に伴い土地所有者となった。市建設課や税務課に「市道となった部分はもう民有地ではないから、工事前の面積で課税し続けるのはおかしい」と訴えた。 ところが、歴代の担当者は「今は測量調査の予算がない。来年度行う」「旧市時代の話で資料は残っておらず、工事が本当に行われたかどうかも疑問」と繰り返し、測量や課税額の修正に応じなかったという。 男性は2005年頃から固定資産税の支払いを拒否。県内20市町でつくる「愛媛地方税滞納整理機構」からの納税催告にも応じなかったため、08年10月には自家用車と電子オルガンを差し押さえられた。 今年4月には納税催告書が届き、19年度から5年間分として、延滞金を含めて計135万800円を請求すると記��れていた。男性が支払いを拒むと、5月に普通預金口座の現金32円を差し押さえられた。
市道として売却したのに市が所有権移転せず…男性に45年課税、訴え無視し差し押さえも(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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「虚無への供物」中井英夫 1201
第一章
20虚無への供物(くもつ) 01
さて、藤木田の推理の披露が終わって、皆がそれにいちゃもんをつけます。 ただ、 鴻巣玄次という与太者が、実在するという前提で推理が成り立っているのがね。
久生もそんなことを考えているのか 与太者の美貌を、「泥棒日記」のスティリターノか「蛭川(ひるかわ)博士」の混血児ならいいと、例えます。
『泥棒日記(ジャン・ジュネ)』 の登場人物であるスティリターノは、男色家のようです。 『蛭川博士(大下宇陀児)』の混血児ジュアンは不良ようです。 これもなにかの伏線なんですかね。
まずは、藍ちゃんです。 藤木田の推理の後半は憶測で、 実は、鴻巣玄次は買収されずに紅司さんに打ち明けて、 二人して逆に伯父さんの計画の裏をかくように手段をめぐらした。 十時半に鴻巣玄次が裏木戸から届けてきたかもしれない。
その後、久生も否定しますが、 そう簡単に死体を移動できるとは思えませんね。
次に、久生がいいます。 鴻巣玄次と紅司の相談を黄司が嗅ぎつけて、 もう一つ裏をかいて別な密室トリックを作りあげた考えてもいい。と。 かなりご都合主義ですね。
ただ、これらも、 藤木田老人がトリックを解明できなければいけないと、 いうことで、沈黙してしまます。
さらに、藤木田は、 私の考えたトリックは前例がないと鼻高々です。 それは、乱歩の「続・幻影城」に掲載されている類別トリック集成の密室トリック(3)犯行時被害者が室内にいなかったもの応用だと。 これは、“被害者自らが密室を作るのは、犯人をかばうためか敵の追撃をおそれるためかいずれかである”ことで、 今回、藤木田打考えたのは、 “ひたすら自分の秘密を守ろうとする咄嗟の心理を巧みに利用された” といいます。 微妙ですね。
そして、藤木田は動機について説明します。 それは、橙二郎の子供、緑司の出生の秘密で、それ���、紅司君に嗅ぎつけられたからだと。 久生が、その秘密とは、緑司が生まれなかったのではなかといいます。 藤木田は、感心して、その発想はどこからと聞くと、荒正人(あらまさひと)さんではないが、“薔薇のお告げ”だといいます。 荒正人が、海外探偵小説の翻訳や探偵小説の評論などを発表していて、単純にそれを読んでいたということなんでしょう。 「探偵小説小論(荒正人)」なんかを読んだらもっと詳しくわかるかもしれませんね。 緑色の薔薇は存在しないし、これからもできるかどうかもわからない。 だらか、緑司も存在しない。 妙な発想です。
で、藤木田曰く、 橙二郎の子供は死産だった。 予定日が近いのを幸い吉村という衛生兵上がりの子分の女房を亭主ぐるみ抱き込んで同じ病院に入れていて、 橙二郎の方に何かあれば、その子を緑司とすることにしていた。 その秘密に紅司が気がついた。 と、自信満々の調査結果だと、藤木田がいいます。
確かに動機としては有り得そうです。 ただ、状況証拠だけのような気もしますね。
藤木田は物的証拠もないから警察に訴えてもしかたない。 これからどうするかを皆に問います。 向こうが心理的トリックを使ったのだからこちらも同じ方法で、泥を吐かせようと提案します。
方法として、 素人探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するカナリヤ殺人事件(ヴァン・ダイン)のポーカーによる心理探偵法と、 アクロイド殺し(アガサ・クリスティ)のジェイムズ・シェパード医師を囲む場面を取り入れ真似てみようといいます。 あれを東洋風にもじって橙二郎と麻雀をやってみようと提案します。
藤木田は、橙二郎と麻雀をやって証拠を掴むと自信満々です。
ここで、今夜の会合は終わりますが、 この提案が実現して暗殺者の驚くべき意図と異様な殺人方法とが暴露される結果になると書かれていますね。 麻雀で何がわかるのか? 楽しみですね。
その後、“アラビク”でひときわシャンソン談義に花が咲きます。 出てくるシャンソンは 「アルフォンソ(リーヌ・クルヴェ)」 「ラ・コンガ・ブリコティ(ジョセフィンベーカー)」 「ラ・ダダダ(リーヌ・クレヴェルス)」 「アリババ(リーヌ・クレヴェルス)」 「恐い病気よりまし(リーヌ・クレヴェルス)」 「紅いさくらんぼと白い林檎の木(ペレス・プラード)」 というところでしょうか。 ちょっと勘ぐると、これも、伏線なんでしょうか? 流石にこれはないでしょうか?
あと、 「怪奇を抱く壁(角田喜久雄)」にでてくる加賀美警部が“アルフォンソ”に聴き入る場面があると書いていますが、 これは、作家が角田喜久雄を好きなのかも。
亜利夫は、 生まれて初めて本当の殺人事件らしいものに直面し、今夜の推理比べで、何を解決したのか?を回想します。 ・蛍光燈の点滅する暗い風呂場に裸のままうつぶせていた紅司の死体。 ・一番の急所に触れたのが藤木田老人らしい。 ・自筆である紅司の日記はなぜ書かれたのか。 ・共犯の鴻巣玄次が実在しているのか。 などです。
亜利夫は、蒼司に相談することを考えます。
藤木田老人が蒼司は、数学者の卵だが僧正(ビショップ)のような殺人哲学は持っていないと言っていたのも思い出します。 「僧正殺人事件(ヴァン・ダイン)」のことでしょうか? この小説の動機は、嫉妬でした。 藤木田老人が蒼司には、嫉妬のような感情はないといっているということでしょうか?
亜利夫は、 塑性(そせい)論の矛盾をめぐって教授と意見が対立し、 ヒヌマ・セオリーとしての発表は沙汰やみになり蒼司が大学院をやめたと聞いています。 アカデミズムの世界はわからない。と、思っています。 紅司の死が氷沼家にもたらした荒廃のせいで、 並みの頭脳とは思えぬ蒼司に相談するのも切り出しにくいと思っています。
ここで、簡単に塑性論について書かれていますが、 このあたりがもし動機になるなら、はあ、そうですか?というくらいで、お手上げです。 まさかですが、そうならないといいな。
事件の後、 橙二郎はほとんど産院に、 蒼司は、映画や小旅行に、 藍ちゃんは試験勉強もほったらかしで麻雀屋に入り浸っているような状態です。
一月の中頃には、 蒼司が二階の部屋全部の改造をしてしまう。 この家を売る話が八田皓吉の世話でだいぶ進んでおり、場所柄、学校や宗教団体にと思っているので、 突飛な装飾は取り払っておきたいとのこと。 “赤の部屋”、“青の部屋”、“緑の部屋”すべて、平凡な部屋に作り替え、 例のオルガン階段もすべて改修した。
亜利夫の問に、 蒼司は「でも仕方がないんです」と悲しそうに答えみたいですけど、 いったいどういう意味があるんでしょうね。
その後、 バラに話が移ります。
蒼司は、亜利夫を庭に誘います。 この二重の垣根で囲まれた日当たりのいい空き地に一本のバラが植えてある。 ただ、バラとは名ばかりで30センチほどの緑色の茎が地面につきささっているだけだった。 何でも枚方(ひらかた)のほうから頒けて貰った試作品の新種だとなっています。
たぶん、 1955年、京阪電鉄が「東洋一のバラ園」を目指し、岡本勘治郎氏にバラ園造営の監督を依頼し誕生したひらかた大バラ園のことだと思います。 ただ、かなり管理が厳しかったみたいですから、 実際には分けてもらえたかかどうか、それともそれほど親しかった��いうことか、あるいはこのバラが何らかの役��を果たすのか。
これが咲いたら、紅司は、“オフランド・オゥ・ネアン(虚無の供物)”にすると行っていたそうです。 ヴァレリーの詩も引用されています。 思わず、おって思いましたけど、これは、作家のお遊びでしょうね。
この場所が気になっている亜利夫に蒼司が、昔ここには花畠や温室があって、 茶色や金茶、スイスジャイアントのパンジーやビオラ、 ヒヤシンス、ラナンキュラスが咲いていたが、 誰かに見せることもせず、 まるで、人を呪う藁人形(わらにんぎょう)をつくるような気持ちでいたらしいといいます。 その相手が戦争で死んでからはふっつり栽培をやめてしまったと。 相手というのはむろん原爆で死んだ黄司であろうと想像します。
祖父の代から氷沼家の人間は名前まで色彩にがんじがらめにされているけど、 本当は色彩ってひどくおそろしいものなんだと蒼司がいいます。 憎しみに支えられて輝きを増すぐらいのことは平気なんだと。 そう考えたから思い切った造作変えをしたと、蒼司は、本心を打ち明けます。
一般の人間にはわからないですね。
蒼司が亜利夫に、親族会議への参加を促します。 親族会議で、この家を売った後のこと等を話したいのだそうです。 と、ここで、牟礼田俊夫のことが話題に出ます。
新聞の支局員を兼ねたラジオの欧州総局にいる牟礼田は、 フランスのピエール・マンデスが1955年2月信任投票により内閣は総辞職、 ソ連のゲオルギー・マレンコフが1955年2月にフルシチョフによる追い落とし工作に遭い首相を辞任、 などありすっかり足止めされていた。
牟礼田が帰ってくるまでの間に、 氷沼家は癲狂院めいた翳りを濃くし始め奇妙な活気を取り戻すことになる。 また事件が起こるってことでしょうね。
癲狂院とは、精神疾患を治療する病院のことで、 この当時はもうそういう表現は使っていなかったみたいなので、比喩なんでしょうね。
それにしても、四人四様ですが、 スッキリした解決にはなっていないですね。 ここまで描写を作家が事実として書いているすると、殺人としては、かなり難しい気がします。
わざと、描写していない部分がまだあるのだとしたら、 それが答えを導くことになるのでしょうね。
つづく
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ゲスト◇塚谷 水無子(Minako Tsukatani)オルガニスト
東京藝大楽理科卒業後オランダへ。パイプオルガン・作曲・即興演奏をヨス・ファン・デア・コーイに、ピアノ・室内楽をヴィム・レーシンクに、チェンバロをロベール・コーネンに師事。アムステルダム音楽院、デンハーグ王立音楽院修士課程を首席で卒業。17年にわたりロイヤルコンセルトヘボウ、オランダ国立歌劇場はじめヨーロッパ各地のコンサートに出演、委嘱作品の世界初演も数多く手がける。Music BirdやOttavaなど番組出演はじめ、国内外の新聞雑誌インタビュー多数。古楽から現代音楽、ジブリまでレパートリーは多岐にわたる。J.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》をライフワークとし、日本人初録音のパイプオルガン (PCD-1204)、演奏至難のポジティフオルガン (PCD-1305)、ブゾーニ編曲版を語り尽くしたピアノ (PCD-1712)のPooh’s Hoopレーベルからリリースされてい3つのアルバムは音楽各誌で絶賛。新感覚エッセイ「ゴルトベルク変奏曲を聴こう! 」 (音楽之友社)を出版。CD《涙のバガテル~シルヴェストロフ・ピアノ作品集》 (PCD-1409)、《ぬんこむ~Nun komm, der Heiden Heiland~》 (PCD-1507) (Pooh’s Hoop)、《バッハ・オルガン作品集》《バッハ・オルガン作品集II》《聖なるパイプオルガン》《愛と祈りのパイプオルガン》《癒しのパイプオルガン》 (キングレコード)、《Whispering Winds第2集 & 第2集》 (キングインターナショナル)発売中。 ・塚谷水無子ウェブサイト
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかた��に燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解か���る蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音��明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 ���眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 暦売る神となりし日遠くして 慶月 極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子 楽団の喧騒を待つポインセチア 順子 幔幕のうちは見せざり年用意 千種 聖夜待つランプの中の空青し 和子 悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 ���枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 旧華族らしき猫背を外套に 順子 二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月 寒鯉の鐚一文も動かざる 千種 凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 数へ日の水あをいろに神の池 要 外套のポケットに怒りを握る 和子 冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子 上野は勝つてゐるか像の極月 慶月 歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子 聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか 冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼 初対面黄色のマフラーして彼女 政江 花柊零るる坂の神父館 要 未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子 聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天 裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹 なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子 十字架に鳩の休息クリスマス 要 鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹 窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 年逝くや素木の鳥居乾くまま 要 擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子 大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか 数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子 サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹 風冷た悲しくなけれども涙 政江 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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『林田直樹のカフェ・フィガロ アーカイブ放送�� 2023/07/16 18時配信
ゲスト:音楽ジャーナリスト 菅野恵理子さん(16年5月放送)
今回は、音楽ジャーナリストの菅野恵理子さんのアーカイブ放送をお送りします。
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
今回は、2015年に発売された菅野さんの著書『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』をテーマにお話をお聞きします。ハーバード大学を始め、イェール、スタンフォード、MITなど…アメリカの一流大学に音楽学科や音楽学校が設置された理由からリベラルアーツ教育についてなど…様々なお話を伺いました。どうぞ、お楽しみに♪
※この番組は、2016年5月15日、2016年5月22日に放送されたものです。
【書籍情報】
『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』
ハーバード、イェール、スタンフォード、MIT…… 「音楽の知」を学び、奏でる次世代のリーダーたち! 一流大学に音楽学科や音楽学校が設置され、 年間1000人以上の学生が音楽を履修するアメリカ。 現代のグローバル社会に通用する音楽家を育てるだけでなく、 他分野の学生も音楽を積極的に学び、マルチな教養を身につける。 アメリカのトップ大学が取り組むリベラル・アーツ教育の最前線! いま、「大学で音楽を学ぶ」��は、「音楽とともに生きる」とはどういうことなのか?── 現代社会に音楽を活かすヒント満載の書! 発売日:2015年8月25日
・詳しくはこちら ・菅野 恵理子 ホームページ
【楽曲リスト】 2016/5/15 放送分
『半音階的ファンタジア』 作曲:スウェーリンク 演奏:クヌート・ヨハンネセン (オルガン)
『夜想曲第12番 ト長調 Op. 37, No. 2』 作曲:ショパン 演奏:アルトゥール・ルービンシュタイン (ピアノ)
2016/5/22 放送分
『バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)終曲の賛歌』 作曲:ストラヴィンスキー 演奏:イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
『ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 「雨の歌」 Op. 78 第一楽章』 作曲:ブラームス 演奏:ヘプツィバ・メニューイン(ピアノ) 、ユーディ・メニューイン (ヴァイオリン)
音源提供:ナクソスミュージックライブラリー
番組テーマ曲:「フィガロの結婚 序曲」 (音源提供:ナクソス)
過去放送一覧はこちら <ブルーレディオTOPに戻る>
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episode zero - EMS VCS3
そう、シンセとは何であろう?
生楽器のものまね? 既存楽器の代用? アコピ、エレピ、オルガンの音が良ければ、キーボードは売れるという。まさに三種の神器。でもシンセって、そんなお約束の様式美でいいのか? 電子楽器は、もっと既存の束縛から自由な、しがらみの無さが良かったんじゃないのか? 聴いたことがない音、分類不能な音がしてこそ、シンセ の本懐ではなかったか? 使える音、使えない音なんて関係あらへん! シンセはシンセ独自のアイデンティティ を追求すべきではなかったのか?
未来に挑むカンブリア紀の大爆発シンセたち。それら、へんてこなシンセたちこそ、本当に宇宙の挑戦を受けて立つ人類にふさわしい。そんなシンセサイザーのフロンティアたちを紹介していくのがこの連載である。
♬ ♬ ♬
まだシンセと言えば、MOOG(モーグ)製かBUCHLA(ブックラ)製かしか無かった時代のこと。すべてシンセはアメリカ製、それも壁を覆う巨大モジュラー・システム、天文学的なお値��、大学の前衛音楽���究室か放送局の音響実験室かに納品されるものばかり。楽器として生まれる初の機種Minimoog (ミニモーグ) は、だがまだ世に 出る前の開発途上。後にMOOGの好敵手となるARP (アープ) に至っては創業して日も浅く、社名もいまだ TONUS INC. (トーナス) となっていた、そんな時代の話。
そのとき、アメリカ合衆国から大西洋を隔てたイギリスはロンドンにて、小さなシンセ・メーカーが誕生した。 その名もEMS (ELECTRONIC MUSIC STUDIOS)、和訳すれば「電子音楽スタジオ社」。このひねりゼロの、しか し当時最先端アートだった電子音楽にかけたドストレートな社名。そしてその電子音楽に賭けた夢の初号機が、創 業と同じ1969年に登場したVCS3 (Voltage Controlled Studio Version 3)、和訳すれば、「電圧制御式スタジオ 第3版」ですか。最先端レコスタを丸ごと電圧で制御してやろうだなんて、なかなかどうしてエンジニア魂こもった 素敵な名前じゃありませんか。こうして史上初のデスクトップ型フル・アナログ・モジュラー・シンセが、これま た生真面目なまでに正確無比な形のノコギリ状波でもって産声を上げた (MOOGなどのは波形が崩れていてそれが また不思議に音楽的な音なのよ)。
EMSを創設し、VCS3を作ったのは、この三羽ガラス。
・Peter Zinovieff:コンセプトと仕様を決めたジノヴィエフ氏 ・David Cockerell:回路設計をしたコッカレル氏 ・Tristram Cary:外装などを担当したケイリー氏
ジノヴィエフ氏の両親は、帝政ロシア貴族。かの国の革命のときにイギリスへ亡命。そのあとの1933年に彼は生まれた。科学者だった彼は、1950年代から黎明期の電子技術と音楽とのカップリングにご執心であった。ロンドンはテムズ河畔の自宅に半地下の実験室を作り、軍から払い下げられた機械をぎゅうぎゅう押し込み、何とかして最先端電子テクノロジーを音楽に応用しようと日夜没頭。時にはテムズ川が氾濫、半地下の実験室が浸水。それでも彼は張り切ってクラシック音楽界の前衛作曲家シュトックハウゼンらを招いては、無料で貸し出していた。
そこには助手となるエンジニアがいるも、ジノヴィエフによるテクノロジカル無茶振りが過ぎるあ��り、面倒くさくなったエンジニア君はかつての同窓生だったコッカレル氏を誘い込み、彼に丸投げしてトンズラこく始末。当時コッカレル氏はイギリス国立医療センター勤務の技術者。のちの回想で、 「ジノヴィエフはすべからくアマチュア っぽい稚拙なスキルで解決しようとしていて無理あり過ぎ、郵便局からかっぱらってきたリレー回路なんかで実現 できるわけねーじゃねーかよ、そして我慢強いコッカレルが呼ばれたのだろう」 と。で、残されたコッカレル氏が辛 抱強くジノヴィエフ氏の要望を聞いては、VCOをはじめ彼らの夢を具現化していった。
1960年ごろのジノヴィエフ氏は、だが、当時の最先端だった録音テープ編集音楽“ミュージック・コンクレー ト”が大っ嫌い。スマホDAWみたいなグラフィック波形表示も無いのに、音と耳だけを頼りに磁気テープへの一刀入魂ばかり繰り返して切った張ったなんてありえん。そう考えた彼は “シーケンサー” というものを思いつき、帝政ロシア貴族の末裔らしく、妻が使わずに余らせていたという宝飾品の数々を売り飛ばし、DEC の汎用コンピューター、それも軍事産業か科学研究機関でしか使われない小型冷蔵庫ほどもある機種PDP-8を、家一軒分のカネを払って購入。ばかでかいナリしてRAMは8KBだったが、なんせ当時これが最安価の機種だったのだ から仕方がない。さらにもう一軒の家が買えるカネで32KBに拡張、トドメにもう1台また買う。電動機械式タイプライター “テレタイプ端末” をばちばち打ってプログラミングし、シーケンサーを開発。そのうち数字をタイプしていてはめんどっちぃとノブをたくさん付けて制御せんとした。
アメリカ人らがようやく電圧ですべてを制御するモジュラー・シンセを世に送り出すころ、既にジノヴィエフ氏 の一味は、一足飛びに全部コンピューター制御による全く新しい電化された機械作曲や、電化された機械音楽を構想していたのだ。彼らは64基もの16ビット/46kHzデジタル・オシレーターを開発。ADコンバーターも実現しモ ーツァルトのピアノ・ソナタを1~2秒ほどサンプリングし、新開発の64バンド・フィルター・スペアナでもって解析、原音忠実にリシンセシスで再現せんと四苦八苦。ついに全自動電子音楽コンサートまで敢行、聴衆理解不能 阿鼻叫喚若干爆睡倫敦崩壊河川氾濫地下室水没床下浸水イカした浸水(要出典)。
だがさすがにオイタが過ぎて資金難になり、財源とすべく開発したシンセが、何を隠そうVCS3だったのである。
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試作機VCS1は、オシレーター2基、フィルター1基、EG1基をラックマウント型に収めた代物であった。だが これではMOOGみたいな連中に勝てないというので、そのあと開発されたVCS3は、目標定価100ポンドだか200 ポンドだかを超えて300ポンド、当時のレートで24万円ほどになったものの、MOOGやBUCHLAと比べてもはるかに安価、かつ卓上に載るコンパクト・サイズ。そして“パッチ・コードも大嫌いだった”というジノヴィエフのお かげで、史上初のマトリクス・ピンボードを採用。これが戦艦沈没ゲーム方式であるため、1つのソースから複数 のデスティネーションへパラったり、複数のソースから単一のデスティネーションへ集約したりと結線も自由自 在。さすが、英国の星!
だが、すべてをV/Octで統一したMOOGの偉大さを理解していたのか否か、EMS VCS3では、 ・VCO1:0.32V/Oct ・VCO2:0.32V/Oct ・VCO3:0.25V/Oct ・VCF:0.20V/Oct ・DK1 (別売専用鍵盤) のCV出力:1V/Oct ほんでしかもDK1を使って平均律を弾くためには周波数ノブを369.99Hzに設定って、何じゃその端数は!? 虎の子 のマトリクス・ピンボードに至っては、クロストークする始末。
いい加減な仕様と作りのため変な音しかしないVCS3は、だがそれでもなおピンク・フロイドをはじめとするイギ リスのプログレ界へ、そして全欧に広まり、ケミカル・ブラザーズなど多くの愛好家を生んだ。ブライアン・イー ノに至っては、VCS3を修理に出すにあたり、“ここは直すな、あの不具合は直すな”と長いリストを添えたという。
どだい変な音しかしないVCS3は、だが、見事にシンセらしいシンセであった。
その後もEMS社のラインナップは拡充するも、1989年、創業20周年とともにVCS3を20年間にわたり販売し続 けていることを発表。当時の海外フェアにて、YAMAHA SY77、KORG T1/2/3, ROLAND D-5などの最新フル・ デジタル・シンセと一緒にVCS3が展示されていることに、シーラカンスを目の当たりにしたような感慨にふけった 人も、世界中におったことであろう。
VCS3やSynthi AKSなどが出てから半世紀以上たった今、EMSの中古品は50万円以上し、程度の良いものであ れば100万円したりもする。長い歴史にわたり人々を魅了してきた名機として今なお語り継がれているばかりか、 iOSアプリシンセAPESOFT iVCS3はもちろん、アナログ回路によるBEHRINGERの試作ハードウェアであると か、AKSクローンを超えたオマージュ機種ERICA SYNTHS Syntrxまで登場。デジタル化されたマトリクス・ピン ボードは、��定をメモリーに保存できて使い勝手がよく、モジュレーション・マトリクスの可視化という観点から しても、もっともっと広まってもいい。
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VCS3の外観デザインを担当したケイリー氏は、EMSに参加する以前から黎明期の電子音楽作曲家として活躍、 映画『火星人地球大襲撃』や TVシリーズ『ドクター・フー』などで電子音を鳴らして人々を唸らせ、偉大なコンポ ーザーとして2008年に82歳で没した。
VCS3の内部回路を設計したコッカレル氏は、その後、MiniKorg 700を見て、それがいかに洗練されているかを 目の当たりにして脱帽し、EMSからELECTRO-HARMONIXへ転職、今やビンテージとなっているフェイザー Small Stone や、フランジャーElectric Mistressなどを開発。彼が脱帽したMiniKorg 700や700Sも、仕様とし て今見ればけったいな機種なのだが設計思想が自由であり、かつ音にキャラがあって非常に良く、今年ご本家から 半世紀近くぶりに700Sの復刻版700FSとしてカーテンコールしたのは記憶に新しい。
さらにその後、コッカレル氏はフランス国立音響音楽研究所ことIRCAM(イルカム)にて研究。サンプラーを開 発、それをあちこちのメーカーへ売り込んで回り、最終的に興味を示したAKAI PROFESSIONALに就職、しかも当 時FAIRLIGHTやE-MU Emulatorしか無かった時代において価格破壊となったENSONIQ Mirageに続く、AKAI PROFESSIONAL初のサンプラーS612を1985年に開発。その後、彼はロジャー・リンとの共同開発たるMPC60 や、のちのS3200まで回路設計もしている。
そして今は、再びELECTRO-HARMONIXに戻って新しいエフェクトを開発。可動部品を一切使わないワウ・ペ ダルCrying Toneを世に送り出したりしている。彼はビンテージの復刻には興味が無いが、それは“あくまで最新の ものが最良”という、エンジニア魂の成せるところ。テクノロジーによるセンス・オブ・ワンダー、それがもたらす 明るく健全な未来感。この点は、デイヴ・スミス氏もトム・オーバーハイム氏も梯郁太郎氏も同じですね。
VCS3のコンセプトと仕様を決めたマッド・サイエンティストのごときジノヴィエフ氏は、その後“ブリテンのボ ブ・モーグ”とまで呼ばれ、グランド・ピアノにソレノイド磁石を付けハンマーを動かすことで、コンピューターによる自動演奏をさせる試みまでしている。
すっかりおじいさんになった21世紀に入っても、DAWにCOCKOS Reaperを、ノーテション用にAVID Sibelius とPRESONUS Notionを、そしてソフト音源NATIVE INSTRUMENTS Kontaktを使って音楽。VSTをはじめとするDAW環境は素晴らしいと彼は言うが、��かしその一方、彼はPCの中にあるソフトを直接わしづかみして操作したくてたまらないのだと愚痴っていた。そんな彼が、自宅で転倒してから10日間ほど入院したまま、ついに還ってこなくなったのは、今年2021年6月のこと。享年88歳。転んでいなければ、もっともっと楽しいもん作ってくれはったやもしれんのに、と思うと、残念でならない。
(2021年7月11日Sound & Recording公式サイト初出)
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korg cx-3オルガンの修理より。 やはり配線不良〜 ドローバーの中もクリーニングするんやけど、、 あ〜目がチカチカするわ〜(^。^) Tee House Vintage E.Piano&オーディオ修理工房 hp:https://www.pianoman0304.com/rhodespianorepair #KORG #CX3 #オルガン修理 #Organ修理 #teehouse #京都 #西院 (Tee House Vintage E.Piano&オーディオ修理工房) https://www.instagram.com/p/CZmVyklJt69/?utm_medium=tumblr
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2021年に読んだ本から印象に残ったものを何冊か
ピエール・クラストル 『国家をもたぬよう社会は努めてきた』
ノブレス・オブリージュという言葉の本当の意味は、首長が民に対して負債をもつということなのかもしれない。民が首長に負債を持ち貢納を納める国家において、支配と服従の関係が前提されるのとは反対に、国家を持たぬ社会では、民の代弁者でもある首長が、民に気前よく与え民を飢えさせないことが彼の義務で、その義務を果たさない首長は直ちに引きずりおろされる。そこで首長が命令せず、権力を持たないのは、それによって社会に分断を生じさせないためだった。アマゾンの部族のフィールドワークに基づく視点は革命的なまでに刺激に富む。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』
ロリータの本名ドロレスがスペイン語で苦痛を意味する���との重い意味、ロリータの視点から小説を読む意味、それは、この書物を禁書にしておきながら、法定結婚年齢を18歳から9歳に引き下げ、少女との結婚になんの躊躇もないイスラム共和国で、ミサイルとミサイルの間にジェイムズを読み、アメリカに死をという喚声を聞きながらグレイトギャツビーを読む彼女たちこそ、切実に理解できるのだろう。文学が役に立たないなどと誰が言ったのか。彼女たちにとって文学こそがが生きるための糧、想像力という名の武器をもつ手段だったのではないだろうか。
ナディア・エル・ブガ『私はイスラム教徒でフェミニスト』
こういう本を待っていたかもしれない。差別されているといわれるにもかかわらず、モロッコ出身でフランスで性科学者として活躍する著者の生の声は力強く知性にあふれ、真の意味で宗教的。なぜスカーフをかぶるかの問に、他者の視線から身を守るためではなく、神と直に接するためだと言う著者は、大事にするように神から託された肉体なのだから、自分の体も他人の体もいとおしむ、そこが性的関係の出発点だという。男性本位の解釈で歪められてきたコーランの著者による再解釈は目からうろこ。イスラム化される以前のモロッコのベルベル人の自由な発想がそのような再解釈を可能にしたのかもしれない。
高橋たか子『装いせよ、わが魂よ』
肩書も職業も住処も捨てて赤裸になる、それが神の前で装うということだろうか。言葉のよく通じない異国の地で、住むべき場所を求め、ふと街角で耳にした旋律を求める波子の道程は垂直的で、あるときは教会の地下の暗闇の奥のオルガンに、あるときは雪に覆われた山の上の修道院に。だが、ひとりひとりの人間にキリストが内在するのならば、自らの内部にもまた存在するはずで、それなら住む場所さえ必要ないのかもしれない。最後のページで、野営地から野営地に、ふいと風に吹かれるようにしてうつろってゆく後ろ姿には、なにか霊的な輝きがさしていた。
高橋和巳『邪宗門』
国家権力にすり寄る既成宗教とは逆に、信仰を貫き汚濁の世を変えるために、負けるとわかっていてもあえて国家権力に翻す叛旗のもとに、死を肯定し死に急ぐ信徒たちの群像、泥水に浸かった城の破壊は、さながら中世フランスのカタリ派のモンセギュール落城を想起させる。ともすれば気味の悪い自己満足に陥りがちな新興宗教の内面を、千葉潔という、心に底知れぬ空洞をもった漂泊者の視点から冷ややかに描くこと��、逆説的にその深さを剔抉した本書は、戦中戦後を描く汗牛充棟の書物のなかでも宗教と国家の確執を描き切った点で類を見ない作品と言える。
カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』
たしかに、黙っていても夕食が出てくるのが当然と思っている人の思想など子どもの遊びのようなもので、思想の名に値しないだろう。自立して合理的で客観的な判断のできる個人を前提にした経済学が退屈なのは、それが男による男のための学問でしかなく、たとえば夕食係が夕食づくりをボイコットするだけで、たちまち崩れ去る脆い楼閣にすぎないからだ。たがいにケアしあい依存しあう、ときには気まぐれで非合理的な判断を下すこともある人間のための、「恐れや欲を食い物にするのではなく、それを克服するため」の新しい経済学が今必要とされている。
『ピエール・ルヴェルディ詩集』
シュルレアリスムの旗手という紋切り型で語られる詩人だが、通読後の印象は、むしろ孤高の神秘主義とでも形容したくなる。中年になってからカトリックの洗礼を受けて後半生を修道院で送り、エリュアールら盟友が政治的に参加する詩を書く大戦中も、世の中から隔絶して創作した彼の詩は、宗教的観念があからさまに表現されることはないものの、異質なイマージュの結合を通じて、超越的な何かを幻視する試みのように思える。特に「奇跡」「言葉が降りる」。前者はベタニアのラザロ、後者は聖霊降臨を連想した私の読みは間違っているだろうか。
チャールズ・ローゼン『古典派音楽の様式』
ブーレーズによるウェーベルン全集(一回目)でピアノを務めたことでも知られる著者の本を読むのはこれで4冊目だが、いつも思い出させてくれるのは音楽の知的な理解と感性的な聴取が両立すること、前者が後者の質をさらに高めてくれること。譜例を引用しての楽曲分析は専門用語も多いのに、退屈などころか、その曲を一層深く聴きたい気にさせてくれる。ベートーヴェンのハンマークラヴィアソナタでの、三度音程が全楽章にわたってどれほど重要な役割を果たしているかのくだりは、推理小説のような面白さ。ハイドンのピアノトリオやモーツァルトの弦楽五重奏曲の分析も。曲名索引が充実しているので座右において事典的に使いたい。
匹田剛『これならわかる ロシア語文法』
良く書かれた文法書は一つの町あるいは一つの世界に似ていて、見知らぬ町に迷いこんだ私の手をとってやさしく導いてくれる、��りや店や人々の場所や名前を少しずつ覚えるにつれて、その町の輪郭が徐々に明らかになってゆく喜びは何ものにも代えがたい。同じ著者の初級者向けのを買ったが物足りず、上級までカバーした本書ではじめていくつもの疑問が氷解した。語学書に読了はありえず、無料アプリのDuolingoでの毎日の勉強で生じた疑問を辞典的に調べるだけなのだが、この本に出会えて心から感謝している。
川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』
四つの物語のなかで表題作がいちばん好き。解体の途中の隣家に夜中に忍び込んで、真っ暗闇のなかでかつての住人であった死者を想像するうちに、彼女と語り手の間にながれだすひそやかな魂の交流、いないはずなのにすぐそばにいるような感覚。孤独に不妊に悩む語り手と同じように、隣家の住人も、女友達との間に子どもを産みたいという不可能な希望とともに生きて死んでいったのだった。彼女たちの体にまとわりつく藤の花びらとベートーヴェンの32番のソナタの第二楽章は此岸と彼岸の架け橋かのように思える。静かに流れる水のような透明で静かな文体。
金石範『火山島 第三巻』
植民地時代の小学生のときに奉安殿に小便をひっかけて逮捕されたことのある李芳根は、今では資産家の跡継ぎの無為徒食、革命への参加を促されても腰は重い。かといって、反共勢力による革命の弾圧にも憤る。どちらにも肩入れしない曖昧な態度のままに、自宅の書斎で酒を飲むばかりの彼の視点から見た4・3蜂起は、双方の立場の限界と機能不全を明らかにした。日本による統治は終っても、その負の遺産はあちこちにくすぶり、差別された島の怨恨は鬱積し、和解への摸索も頓挫する。数年後には朝鮮全土をまきこむことになる戦争の予兆。
川野芽生『Lilith』
藤棚が解体されると知らずに巣を作っている鳩のようなものなのかもしれない、私は。私を構成していたはずのものは消え失せ、ネジを巻こうとしても手首のどこにも竜頭がみつからない。ここは私の居場所ではない、ここではないどこかへ、しかしどこへ?ゆきどころはみつからない。世界という異郷では、人が人を恋するというのも奇習にしか思われない。油絵のほうがもしかして実在で、私はその絵を覆うガラスにつかのまうつる影あるいは夢のようなものだろうか。人ではなくて馬に生まれ変われば、蹄にかけたいものもいくつかはあるのだが。「みづからの竜頭みつからず 透きとほる爪にてつねりつづくる手頸���
#読書#川野芽生#高橋たか子#高橋和巳#匹田剛#カトリーン・マルサル#金石範#川上未映子#チャールズ・ローゼン#ピエール・ルヴェルディ#ピエール・クラストル#ナディア・エル・ブガ#アーザル・ナフィーシー
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ドメニコ・ドラゴネッティ(Domenico Carlo Maria Dragonetti, 1763年4月9日 - 1846年4月16日)は、イタリアのコントラバス奏者、作曲家である。
◎人物
生まれて30年間を故郷で過ごし、喜劇オペラ、サン・マルコ寺院、ヴィチェンツァのグランド・オペラで働いた。その間に、彼の名は徐々にヨーロッパ全土にわたって知られるようになり、1794年のロシア皇帝から招待されるなどいくつかの招待を受けたが、彼はそれを断っている。結局、彼はロンドンの王立劇場オーケストラの一員となる誘いを受けて、残る生涯はかの地で暮らした。
50年にわたり、王配アルバート公やリンスター公爵のような有力者が集まる社交パーティーや、ロンドン楽友協会(Royal Philharmonic Society)のコンサートなど、イギリス首都における音楽行事には欠かせない人物となった。
彼はハイドンやベートーヴェンとも親交があり、ウィーンを何度か訪れ、彼らに コントラバスをソロ楽器として使う可能性を示している。それまでは、オーケストラの譜面ではチェロとコントラバスを同じパート譜にするのが普通だったが、ドラゴネッティの演奏技術の影響で、コントラバスのパート譜をチェロのパート譜とは別に変えるようになった。彼の名はまた、彼が生涯をかけて改良したドラゴネッティ弓を通じても今日に伝わっている。
◎経歴
●ヴェネツィア 1763-1794
ドラゴネッティは、ヴェネツィアにて、床屋で素人音楽家だったピエトロ・ドラゴネッティとカテリーナ・カレガーリの間に誕生した。彼は、父の楽器を使い、自分からギターとコントラバスを弾きはじめた。まもなく、ヴァイオリン奏者で舞踏曲の作曲家だったドレッティが彼を見出し、市中の人前で演奏するときに彼を伴うようになった。12歳で、彼はヴェネツィアで最高のコントラバス奏者だったベリーニに師事した。ベリーニはたった11回レッスンしただけで、既にこの子には教えることが何も無いと判断した。13歳で、ドラゴネッティはヴェネツィアの喜劇オペラの首席奏者に��名された。14歳のとき、彼は聖ベネデット劇場のグランド・オペラの首席コントラバス奏者となった。
18歳位のとき、トレヴィーゾにて、彼はトマジーニのカルテットに誘わた。そして、聖マルコの代理人(procurator)のモロジーニ(Morosini)の目にとまり、サン・マルコ寺院のオーディションを受けるように薦められた。彼は、1784年に初めて応募するが、このときはアントニオ・スピネッリに敗れた。結局、彼は1787年10月13日にここに採用される。このときは、教会のコントラバス奏者5名の末席で、報酬は年に25ダカットだった。しかし、彼はすぐに首席コントラバス奏者となり、ロシア皇帝から地位を用意して招待を受けるにいたった。その招聘は断ったものの、これによって、彼の報酬は上がった。その頃には、彼は非常に有名になり、当時のコントラバス奏者としては異例のソロ演奏を行いはじめ、ヴェネツィア共和国に14人の君主が来訪した際に開催された音楽祭のディレクターに選出されるまでになった。ナポリの女王は、彼のコンチェルトのひとつを特に高く評価した。
彼は、グランド・オペラの仕事でヴィチェンツァに赴いたが、そこで、当地の聖ペテロ修道院のベネディクト会の修道女から有名なガスパロ・ダ・サロ作のコントラバスを入手した。この楽器は、現在ではサン・マルコ寺院の博物館に収納されている。彼はロシア皇帝から新たな地位を提供されたが、聖マルコの代理人が報酬を50ダカット上乗せしたので、この招待も断った。聖マルコの代理人は、さらに、報酬を継続したままでロンドンの王立劇場に1年間行くことを認めた。それは3年間延長されたが、結局、ドラゴネッティはヴェネツィアがフランス支配を受けた1805年-1814年の間というごく短期間をのぞいてはヴェネツィアに帰ることはなかった。
●ロンドン 1794-1846
彼は1794年9月16日にヴェネツィアを離れ、1794年10月20日の王立劇場の初回リハーサルに参加し、1794年12月20日に、ジョヴァンニ・パイジエッロの作品であるオペラ『パルミーラのゼノビア』を演奏するオーケストラの一員として初出演した。数ヶ月の後には彼はロンドンでも大変有名になり、それ以降、人生の最後まで彼は脚光を浴び続けた。
その後、彼は王配アルバート公とリンスター公爵(Duke of Leinster)との親交を深めた。1816年から1842年の間に、彼はロンドン楽友協会(Royal Philharmonic Society)による42回の演奏会に出演した。イタリア・オペラ・オーケストラで、彼はチェロ奏者のロバート・リンドレーに出会い、親密になって、その後52年間共演を続けた。彼らのレパートリーでは、特にアルカンジェロ・コレッリのソナタを得意とした。
83歳のとき、彼はレスター・スクウェアにあった下宿で逝去し、1846年4月23日に聖マリア・ローマ・カトリック教会の墓所に埋葬され、1889年にウェンブレーのローマ・カトリック墓地に移された。ロンドンにおける彼の有名な友人は、ヴィンセント・ノヴェロ(Vincent Novello)とカルロ・ペーポリ伯爵(ベリーニ作曲のオペラ『清教徒』の台本家)である。
●ウィーン
1791年-1792年、ハイドンは、ドイツの音楽家で興行主だったヨハン・ペーター・ザーロモンからの提案を受けて、イギリスに渡って新しい交響曲を大編成のオーケストラで演奏することになった。この来訪は大きな成功を収め、彼の有名な作品がいくつも生まれた。このため、1794年-1795年に次の来訪が実現した。2回目の来訪で、ハイドンはドラゴネッティと出会い良き友人となった。ドラゴネッティは1799年にウィーンにいるハイドンのもとを訪れた。ドラゴネッティがベートーヴェンと親交があったことはよく知られているが、2人が出会ったのもこの初めてのウィーン来訪の間の出来事だった。 「ベートーヴェンはこの年、ほんのつかの間の出会いだったが、二人の知己を得た。この親交は後年に価値を生み出すことになる。ひとりは最高のコントラバス奏者として歴史に名を残すドメニコ・ドラゴネッティで、もうひとりは最高のピアニストのヨハン・バプティスト・クラマー(Johann Baptist Cramer)である。ドラゴネッティは驚異的技巧の名手だが、さらに、深く澄み渡るような音楽性を持っていたことでも知られている。彼は、手元の資料によれば1799年の春に、帰省していた故郷ヴェネツィアからロンドンに帰る道程でウィーンに立ち寄って、数週間を過ごした。そこで間もなく、彼とベートーヴェンとは出会った。両者にとってこの出会いは喜ばしいものだった。何年も後になって、ドラゴネッティは英国ブライトンのサミュエル・アップルビー殿にこう語った『ベートーヴェンは、新しい友人(ドラゴネッティ)が大きな楽器でチェロ曲を弾きこなせると聞いたので、ある朝、彼が部屋を訪れてきたとき、ソナタを聴きたいと望みを伝えた。そして、コントラバスを運んできて、チェロソナタ第2番Op.5-2
を選んだ。ベートーヴェンは自分のパートを弾きながらも、目はパートナーに釘づけになり、最終楽章でアルペジオにさしかかると嬉しさのあまり興奮して、演奏を終えるや奏者のところに飛んで行って楽器ごと抱きしめた。』 その後の数年間、オーケストラの不運なコントラバス奏者は、その楽器に見出した能力と可能性を、ベートーヴェンは忘れていないことを何度も思い知らされた。」(セイヤー, 1967年)今日でも、ベートーヴェンの交響曲のコントラバス・パートを修得することが、オーケストラの全コントラバス奏者に求められる能力の合格水準と考えられている。ドラゴネッティは、1808年-1809年、ウィーンに再び逗留した。2度目の逗留では、作曲家のジーモン・ゼヒター(Simon Sechter)と知己を得た。ジーモンは1824年に宮廷オルガン奏者になり、1851年にはウィーン音楽院の作曲の教授となる。彼はドラゴネッティのいくつかの演奏会向け小品にピアノ伴奏を書き、その後彼らは生涯にわたり連絡を取り合った。ドラゴネッティは1813年にみたびウィーンを訪れ、ベートーヴェンと再会した。ベートーヴェンは、��代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリーがビトリアの戦いでナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍を破った勝利を祝して、『ウェリントンの勝利』を書き上げたばかりだった。この作品の初演は、ベートーヴェンの交響曲第7番の初演と同時に、1813年12月8日大学の祝祭ホール(Festsaal)の演奏会で行われ、ドラゴネッティはコントラバスの首席奏者を務めた。
●演奏スタイル
ドラゴネッティ���恐るべき力とスタミナの持ち主として知られている。コントラバスがオーケストラのテンポを決めて結束させコンサートマスターを支える役割の場合においては彼の能力はとりわけ重視された。彼の手は大きく、指は長く幅広で、駒を高くして他の奏者の楽器に比べて指板と弦が2倍も離れている楽器が演奏できた。
大きな手は彼の肉体的に優れた素質だ:第1に、鍛冶屋の万力のごとく楽器の弦を握りつける驚くべき力に恵まれた。恵まれた五指は長く、大きく、敏捷で、演奏する各音符に合わせて曲げた親指もあわせて5本すべてが指板を上下した。(カッフィ, 1855)
当時では、この演奏法は標準から外れていた。ほとんどの奏者は、あるポジションに手を置いたとき、ひとつの音を人差し指で押さえ、もうひとつの音を他の3本の指を合わせて押さえて演奏していた。
ドラゴネッティの奏法は並外れて力強く、ひとつの逸話が残っている。ホテルに泊まったある夜、彼は深夜にバルコニーに出てコントラバスを最大音量で弾いた。翌朝、ホテルの宿泊客は口々に「嵐が聞こえたかい?」と問いかけ合ったという。
ドラゴネッティは家族を持たなかったが、等身大のマネキンをいくつか持っており、しばしば旅行にも持参した。数年間、彼の身近な連れ合いは犬のカルロだった。カルロは演奏中は椅子の下で眠り、時々テノールのソロの最中に目を覚ましてうなり声をあげていた。
◎楽器
ドラゴネッティは優れた芸術作品を愛した。彼は楽器のコレクターであり、また、スコア譜の原版や絵画など、芸術に関する作品のコレクターであった。彼が亡くなったときには、次の楽器が遺された: ハイドンが存命当時の演奏に使われていたといわれるガスパロ・ダ・サロによる巨大なコントラバス・・・これは、現在はロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に保存されている。;マッジーニの コントラバス;ストラディバリウスのバイオリン(かつてパガニーニが使っていた);ガスパロ・ダ・サロのバイオリン;2体のアマティのバイオリン;ラフォントのバイオリン;ストラディバリウスのバイオリンの複製;26本の無銘のバイオリン;ガスパロ・ダ・サロのビオラ;アマティのビオラ;ヒルのビオラ;5本の無銘のビオラ;6本のチェロ;大型のチェロ;3本のギター;2本のバスーン;3本のフレンチ・ホルン。 これについてThe Contrabass Shoppeのウェブサイトにはこう��述されている:
「ドラゴネッティが有名なガスパロ・ダ・サロのコントラバスを所有するにいたった経緯には、いくつか諸説がある。フィオーナ・M・パルマーの書いた伝記 『英国のドメニコ・ドラゴネッティ』(Clarendon Press Oxford 1997)は魅力的で高く推奨できる作品だが、この中にある記述が一番もっともらしい。ドラゴネッティのソリストとしての芸術的な妙技は空前の素晴らしさだったので、ロンドンとモスクワの両方から魅力的な仕事の依頼が集まった。これらの依頼を断って ヴェネツィアの聖マルコ公爵領教会(かなり重要なオーケストラ)の首席奏者として留まる代償として、1791年の契約更新でドラゴネッティは金銭的な賞与を受け取った。
ドラゴネッティはまた、彼が暮らしグランド・オペラで演奏するウィーンの聖ペテロ修道院にて、ベネディクト会の修道女から、ガスパロ・ダ・サロ(1542年-1609年)作の楽器を寄贈されたといわれる。パルマーによる伝記の中の、C.P.A.ベレンジが1906年に書いた記事についての脚注によると、その楽器はガスパロ・ダ・サロがヴィチェンツァの聖ペテロの修道士のために作ったもので、ドラゴネッティの契約を継続するために聖マルコの代理人達(procurators)によって寄贈された。」
◎作品
1795年にロンドンへ去るとき、ドラゴネッティは友人の元に多くの作品と原稿を残していった。その中には、『コントラバスの完全体系 (Complete system of the double bass)』や『コントラバス教則本』の他、多くの凝った課題や練習曲があった。しかし、彼が数年後にヴェネツィアに帰ったときには、それらは売り払われ、作者の元には戻らなかった。今日では、彼の多くの手紙、私的な書簡、作品、ソロ曲、原稿が大英図書館に収蔵されている。それには、ドラゴネッティから直接遺贈されたものもあり、ヴィンセント・ノヴェロen:Vincent Novelloが提供したものもあり、またオークションで購入されたものもある。
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さんさん 2/16 昼に音楽を聴いてたりしたら、インターホンが何回も鳴らされたので恐怖を覚えた。隣人に工事してるか、タバコ吸っているかなど疑われた。強く否定したが、あのトーンで言われると恐怖を覚える。今週、深夜に明らかに隣からドンドンと物音と犬の声が聞こえたけれど、それに関しては無視なんだな〜と思ったけど、口をつぐんだ…。「言いたい」圧がすごい人、苦手なんだよな〜…疲れる。職場にも2人もいるから疲れんだ笑ギターの音を録音したかったけれど、手が冷えてうまく弾けなかった。この時期に路上でギターを弾いてる人は尊敬する。あと、クラシックギターをうまくマイク録りしたいけど、音が小さすぎてできなかった。MTRだと割と録れたんだけどな。少し試行しなければ。 百貨店でやってたムーミンフェアに偶然出くわしたので、名言を見てるといいな〜と思ったのでムーミンを読んでみよう。 夜中にリップヴァンウィンクルの花嫁を見る。黒木華さんがかわいい。それが強く印象に残った。岩井俊二作品だけど、以前のものよりハマらなかった。しかし、あの世界観は多くに影響与えてるなーと強く感じた。映画見る習慣、復活させよう。 もつ鍋はガシガシと野菜を食べられるのでいいですね。 2/17 早速、図書館に行ってムーミンの本を借りた。そのまま、喫茶処に行く。トイレの清掃時間欄で、ん?と思ったけれど、ここ24時間営業だったのか・・・と気付く。24時間営業っぽくないところだったから気付いていなかった。電源コンセントもあるし、家から少し距離あるけど、ここ真夜中に来てもいいな~。 日付が変わってからギターの録音をする。これが苦戦。なんとか一旦終えてから、音楽鑑賞。ああ、ナンバガかっこいいとか思って見てたりして、ブッチャーズに行き着く。7月を聴いて、「やっぱ、ブッチャーズ。」と毎回なる。7月を生で聴いてみたかった・・・。 ライジングサンでナンバガがプールサイドのカバーをしたら、、、と妄想しただけで身体が震える。。 2/18 夜中に録ったギターにオルガンっぽい音を入れてみる。あ、オルガンの使い方はこれなのかなと少ししっくりきた。でも、声の音域と少し被るのでオクターブ高くしたくなる。うーむ。おもしろいけれど、難しい。ギターはやっぱり、クラシックギターで録りなおそうかな。 全然違う曲を少し修正。ドラムというか、打楽器の打ち込みをしてるときはなかなかの苦痛というかしんどさがあるけれど完成したときはとても気持ちがいい。 グッドワイフを見る。常盤貴子さんが毎回、かわいい。どうなってるんだ。台詞の言い方とかに感じるあのかわいらしさって天性のかわいさなんだろうか。あと、小泉孝太郎さんがさわやか。さすがだ。 2/19 冬×雨×朝=最悪の天気を迎える。外出たことに拍手。みんなにも拍手。 ナンバガのインタビューやら、当時のライブレポなどを掘っていたら終わってしまった。 帰りにAlgernon Cadwalladerの編集版のリリースとサブスク解禁を偶然知って喜んだ。demoとして発表している音源がすごく好きだったのでめちゃくちゃ嬉しい。しかし、こういうエモ系の音楽の情報が普段は入ってこないんだよな。困る。 晩にあたたたた!と野菜をぶった切る。これで翌日の仕込みがほとんど完成に近い。そして、思い立ってボウルにいっぱいのポテトサラダを作る。初めて作ったけれどなかなかおいしい。 2/20 終始、眠気に襲われ続けた日だった。さらに乾燥していたので喉が渇きまくった。食事するスペースに心から電子レンジを導入してくれと思った。 書き起こしをしてくれているサイトを見つけて、いろいろ読んだ。おもしろかった。ただ、書き起こしって著作権的にどうなんだろう。 帰ってから昨日にカットしていた野菜たちで炊き込みご飯と豚汁を作った。このセット��最強かもしれない。永遠に食べ続けられる。根菜は身体も温めてくれるし、とてもいい。 しかし、もっと作りおきが利く料理を作ろうかと思った。。 いつもよりかは早めに就寝。このまま春になってほしい気温だった。 2/21 お昼にドローンを聴きながらCasa BRUTASを読む。ル・コルビジェ特集を。何年か前まではしっくりこなかったけれど、いまはサヴォア邸とか国立西洋美術館、好きだな~。いつか、サヴォア邸に訪れてみたい。屋上庭園がほしい。 ドローンを聴きながら本を読むのすごく落ちつくことを知った。 帰りに初期の頃のVOLAを聴く。かっこいい。あと、良い意味でアヒトのギターの音が変だ笑 いまってどんなギター使ってるんだろう。 夜中にクラシックギターを録音する。マイク録音だと音が小さすぎたので昔使っていたMTRを引っ張り出して録音に使ってみる。この外部録音の音がかなり良いので無理やりそれをPCに繋ごうと。 そして、ここでびっくりなことが。昔作っていたfilm d'hiverのデータが復活している・・・。作りかけの曲があって、2回もデータが飛んで心が折れてしまった。。 本当はfilm d'hiverは5曲入りのEPではなくて、9曲入りのフルアルバム想定だったんですよね。。 そのデータが復活していたのはありがたい。形にしている曲も拙いのでいつか、すべて、再構成と再録してfilm d'hiver-完全版-を作りたいです。 ということでクラシックギターを録音する。やっぱり、こちらのほうがしっくりくる。そして、苦労することなく録音終了。この前の夜中の作業はなんだったんだ・・・。 でも、これでクラシックギターも録音で使えることがわかったので収穫。でも、メンテナンスに出さなければ・・・。 割と仕上がってきたかもしれない2019。 2/22 かけそば×炊きこみご飯という組み合わせで炭水化物を摂取しすぎて腹パン。I Am Robot And Proudの昨年出たアルバムを聴く。やわらかくて聴きやすいエレクトロニカでとても良い。こういうエレクトロニカをもっと聴きたい。 なんだか非常に疲れた日だった。めちゃくちゃ眠たかったけれど編集作業。コンプの設定とかよくわからないまま手探りでやっている。けれど、なんとかましになったかもしれない。 エレクトリックガットギターで録音してみたいな~。 2/23 穏やかな日差しだった。ちょうどいい昼を済まして最近の定番へ。迷った2択の両方ともを注文するという贅沢なことをした。帰りにいろんなところで買い物して帰り。 2/24 昼にがつっと肉を食べる。大葉は魚にも肉にも合う・・・。 それから京都へ行く。行くたびに店がいろいろ変わっているな~と思う。 好きな喫茶店に今年初めての訪問。注文で店員さんに覚えられてるとわかって嬉しい。特に会話はしないけれど、こういうとこもいいところのひとつだ。クリームソーダがおいしかった。 散歩がてらに歩いて出町柳まで向かって、『王国(あるいはその家について)』という映画を見る。自分のコンディション不良と会場内の暑さで前半はかなり眠たさにやられていたが、繰り返していくことで���見もあった。アフタートークを全編聞きたかったけれど電車の都合で帰り。電車の中で妻と意見交換。この時間が大事。 ちょっと技術的なことを言うと、音声の高音が少し耳に痛くてつらかった。録音状態のせいかなになのかはわからないけれど。 そして、24時間の営業のマクドナルドはゾンビみたいになっている人が少なくないのでやっぱりやめようと思った。あれ、店側が許してるの大丈夫なのか・・・。 2/25 麻婆豆腐の行列店に行った。おいしかったけれど、舌がシビれた。それでも隣の人が「ここのはそんなに辛くない」と言っていた。香辛料系の辛さが苦手なので恥ずかしいくらい汗が出る。びっちゃりびちゃ蔵になった。 茶屋で曲群につける名前をひたすら考えるけれど、全然これ!っていうのに行き着かない。テーマはあるんだけど。そうしてるうちに1曲追加しようかと思ってきた。 夜にもりもりと冷しゃぶサラダはずっともりもり食べられる。 なんだかんだでいろいろと長くなってしまった。 おわり。
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ゲスト◇塚谷 水無子(Minako Tsukatani)オルガニスト
東京藝大楽理科卒業後オランダへ。パイプオルガン・作曲・即興演奏をヨス・ファン・デア・コーイに、ピアノ・室内楽をヴィム・レーシンクに、チェンバロをロベール・コーネンに師事。アムステルダム音楽院、デンハーグ王立音楽院修士課程を首席で卒業。17年にわたりロイヤルコンセルトヘボウ、オランダ国立歌劇場はじめヨーロッパ各地のコンサートに出演、委嘱作品の世界初演も数多く手がける。
Music BirdやOttavaなど番組出演はじめ、国内外の新聞雑誌インタビュー多数。古楽から現代音楽、ジブリまでレパートリーは多岐にわたる。J.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》をライフワークとし、日本人初録音のパイプオルガン (PCD-1204)、演奏至難のポジティフオルガン (PCD-1305)、ブゾーニ編曲版を語り尽くしたピアノ (PCD-1712)のPooh’s Hoopレーベルからリリースされてい3つのアルバムは音楽各誌で絶賛。新感覚エッセイ「ゴルトベルク変奏曲を聴こう! 」 (音楽之友社)を出版。CD《涙のバガテル~シルヴェストロフ・ピアノ作品集》 (PCD-1409)、《ぬんこむ~Nun komm, der Heiden Heiland~》 (PCD-1507) (Pooh’s Hoop)、《バッハ・オルガン作品集》《バッハ・オルガン作品集II》《聖なるパイプオルガン》《愛と祈りのパイプオルガン》《癒しのパイプオルガン》 (キングレコード)、《Whispering Winds第2集 & 第2集》 (キングインターナショナル)発売中。 ・塚谷水無子ウェブサイト
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Philip Glass - Music In Twelve Parts
(Venture, 1987)
ミニマルミュージックの旗手として知られる現代音楽の巨匠、Philip Glass(フィリップ・グラス)によるオーケストラ作品。3台の電気オルガン、2本のフルート、4本のサックス(2つのソプラノとアルト、テノール)と織り込まれた絹のような女声で構成された本作は、Philip Glassの作品を体系的に見たときにはミニマルな構成でありつつも複雑さが極まることから、ある種の過渡期的な位置付けをされている。1976年の初出時に”12の部分からなる音楽"は12部構成の音楽という意味ではなく"12行の対位法のハーモニー"を意識して作られたもので元々は1曲の作品であったが、曲を聞いた友人から「他の11部は?」という誤解がきっかけとなり3年かけて残りの11曲を製作したというユニークな逸話が残されている(12部構成のリリースは1988年)。 吸い込まれるほど澄み切った美しい音は緻密に計算された完成図に向けて複雑さとスケールを増しつつ組み立っていく。それはまるでイワシの魚群のように大きな塊が絶えず有機的なフォルムに変化をしているような大きな量感のうねりと柔らかさを感じる音塊で、細やかな移り変わりさえも見逃してしまうことが惜しく一時も目を離せず、凝視せざるを得ない。そして驚かされるのが基本的な展開は同じものの、同じテーマで12種類のパターンを作り出し、その中で細部における変容中で見事に造形的な美しさを構築したことだ。これらおおよそ3時間にわたる音源を聴き終えるのはなかなか根気がいる事かもしれないが、そのリッチな音作りと見事に徹底された美意識と完成度を浴びることで針を上げる頃には多幸感で満たされる。 本作品の美しさを後押しする存在として、見過ごしてはならないのはアートワークである。美しい線の重なりで構成されたヴィジュアルは美術家であるSol Lewitt(ソル・ルウィット)によるもので、様々なフォルムに揺らめく線状のパートを視覚化している。また概念を遂行することを重要視し、実行者(ドラフトマン)は別にある作品完成へのプロセスや、論理空間の地としてのウォールドローイング的解釈は、演奏者と作曲者が必ずしも一致しないケースが多いオーケストラ作品と近似的なものであることを指摘できる。(1) ブラック・マウンテン・カレッジで行われたDavid Tudor(デイヴィッド・チューダー),John Cage(ジョン・ケージ),Merce Cunningham(マース・カニングハム)らの共作Untitled Eventで実現させた不連続性とは対照的な手法で、1979年12月にはPhilip Glassの音楽をバックに、Sol Lewittの描いたグリッドの上で、振付家のLucinda Childs(ルシンダ・チャイルズ)によるダンスを複合させた"Dance"が発表された。それぞれが同期して正確無比に連動していく設計は、Philip Glassの緻密な組み立てが視覚的にも実感できる作品であり、アーティストの通底したコンセプトと実行者の技巧によって実現させたものとして各フィールドを横断したアートの傑作として位置付けられている。(2)
- note - (1) 一色陽子 / Sol LeWitt論 (多摩美術大学 大学院 修了作品・論文アーカイヴ 1999-2000) (2) Julie Caniglia / Dancing in "Sol LeWitt's Expanding Grid"(Walker Art Center, Sightlines)
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YAMAHA INNOVATION ROAD へ行ってきた
YAMAHA Innovation Road は、ヤマハによる言わば楽器・音響ミュージアム。要予約、無料。パンデミックの隙間にちょっくら行ってきたので雑感メモ。
背ぇ高いガラス・ドアやねぇ。あんなもん誰がどな��して磨いたはるんやろなぁ。まぁ業者さんが出入りしはるんやろな笑
・アコースティック楽器をつくるにあたり、倍音が出る出ないを物理的に切削・研磨することで制御してる。シロフォンなら削り方ひとつでオクターヴ上の倍音やオクターヴと5度上の倍音が出る出ないとかを制御できる! すげぇノウハウ。完成度も高い。
・オートバイとギターとサックスとが並ぶデザインを提示する展示、なるほどと思う。楽器とバイクとが通底する優美なカタチとたたずまいと躍動感。ヤマハの世界を理屈抜きで感覚的に提示している。
・明治時代に山葉寅楠(やまは・とらくす)が舶来オルガンを修理するところからヤマハは始まった。しかし物理的に仕組みを把握し修理できても音楽を知らないことには楽器として役立つものにまで仕上げられないと分かり、山葉寅楠は西洋音楽を学んだ。ハードのみならずソフトはもちろん最終形たるアートも学ばないことには、楽器は修理ひとつできない。
なんでもそうか。目標たる完成形がわかってないとあんぽんたん。
・DX7は、やはり突出して誇らしげに2,3回出てくる。15万台も売れたらしい。お歯黒 DX7IIFD も展示されていたが7IIはFMシンセの完成形であろう。デザインもいいよね。次のSYはAFMはさておき色んな意味でちょっと逸脱?笑
でもDX7展示機、出力端子がへっこんでるやん。もちょっとええ個体あらへんかったんかいな。せめて直してあげーや。
・80年代なかばのヤマハのデザインには、イタリア人デザイナーの名前が繰返し出てくる。DSR2000とか。なるほど、なんかあのへんに首尾一貫したテイストが感じられるのはそのためなんですね。企業のアイデンティティのためのプロ意識というか、欧米人らしいデザインからくる進んだブランディングというか。
・日本では発売されてないプロ仕様アレンジャーキーボード Tyros(タイロス)、久しぶりに見た。やっぱでっかいねぇ。貫禄。
・ほんで最新アレンジャーキーボード機種Genos(ジーノス)は初めて見た。これも海外のみ販売。あれ、このピッチベンダー、まるでR社仕様???
・AvantGrand(アヴァングランド)というマイクログランドピアノ。デジピ音源にアコピの響板をくっつけてアコピみたいに響かせる機種。それでいてサイズはグランドより小さくて済む。鍵盤もアコピのもの。ヘッドフォン練習も可。デジアコ混在につき「ハイブリッドピアノ」と呼ぶ。
値段はアップライトのちょっと上くらいなのでグランドを考えている人にとってはアリな選択肢、つまり生徒が練習する用としてのフラッグシップということらしい。場所を取らないわりにタッチも音もグランドそのものなので、ホテルのロビーとか駅ピアノ空港ピアノ街角ピアノとかもアリ?
・あんまし普段なじみがないせいか、音響展示スペースは面白い。例えばプロのバンドステージのミキシング体験ができる。録音済の動画を再生し、そのパートごとのバランスやEQなどをPA用デジミキで自由自在にいじれる。これは楽しい。PAエンジニアとはオケの指揮者だったのだと気づく(んなこと言うとシンフォニー好きからシバかれるんかもしれんけど笑)。
・バーチャルステージがすばらしい。ほんまもんのライヴステージ上にジャズトリオがライヴしている映像とデジタル録音済の音源とを再生。冒頭の MCまで録音済の音源と映像とで再生してくれる。
なにがすごいってステージ上にセッティングしてある生楽器の中で音を振動に変えて再生するので、ほんまにその楽器が鳴る! 目ぇつむったらライヴハウスん中にいて生演奏を聴いているとしか思えない。映像は多少ぷーでも音声から息遣いに息吹まで感じられるので、臨場感はんぱない。 これならどこにでも配信できるし、リアルなライヴ体験ができる。リモートライヴ、配信ライヴ、亡くなった人の生前の演奏再現、いろいろ応用できる。ちょっと前までチック・コリアが生前弾いてた演奏をやってたらしい、見たかった、残念。
これはReal Sound Viewingと呼ぶシステムであり、生楽器の中で録音済音源を振動として鳴らすのは TransAcoustic テクノロジーと呼ぶらしい。デジタル音源を生楽器の中で再生するという点では、AvantGrandもそう。 メーカー的には押し寄せるデジタル時代スマホ時代にこだわりのアコースティック職人さんを食わせる意味もあるんだろうとは思う。
・薄型スピーカーとかも最近見かけるけど流石。将来これが建材になってすべての壁や天井に全部内蔵できるようになったら、自室にいながらにして没入サウンドスケープ。さっきのリモート配信ライヴも自宅でどうぞ。なんなら最寄りのスタジアムでライヴヴューイング観戦。VRも組合せたら最強ですね。あるいはAlexaみたいなAIアシスタントと組合せたら、家中のどこにいても楽しい音楽体験。
・リモート会議システムにおける音声伝達とか、補聴器用コンポーネントとか、ヤマハは生活に浸透しようとしている。生活に浸透。これ大事。
・シンセヲタには憧れの楽器の数々が展示。SPX90なんて史上初のマルチエフェクトやったやん。
生まれて初めてVP1を見た弾いた聴いた。なるほど生楽器の表現力を持った独自のシンセサウンドかも。ボール型コントローラーをぐりんぐりんしてみたけど周りがうるさくてちょっと分からん笑 久石譲の曲を猛然と弾く人らとかいはるし、まぁしゃーないよね、ここはおおらかに♬
でもDX1、CS80、VP1という三段積みはちょっと重量ありすぎて見た目もしんどい笑 ちゃんと平べったく並べたらええやない。
・ベーゼンのグランド、さすが重低音。CFXIIIもヤマハにしてはまろやかで良いと思った。
・川上源一氏は、最初は名君だった。ポプコンなど然り。楽器のみならずそれを弾く場を提供しようとし文化創造まで考えたのは流石。おかげでそうそうたるアーティストの数々を輩出。そのまま勇退したのだから、そこで終わっておれば良かった。さすれば「あの人はええ人やったねぇ」で終わり、めでたしめでたしであったであろう。
・かねてから思っていたがヤマハの製品は非常に完成度が高い。精緻につくってる。文句なしの仕上がりと信頼性。業務用機器まで手掛けるのも丁寧な仕事のヤマハだからこそ。 しかし同時にあまりにも優等生というか模範生で、ばっちしだしハイテクだけど予定調和してるというか、あたまでっかちと言おうか、逆におもんないところも散見される。楽器へのこだわりが楽器からのしがらみにもなっているがゆえ、ヤマハからモジュラーシンセは出ないしそもそもありえない。彼らにしてみればモジュラーは楽器というよりは装置なのだろう。なら冨田勲氏はなんなのか?とも思うが、ヤマハにとってはユーザーインターフェイスが異質すぎてCS-30がせいぜいの回答だった。既存楽器から自由なところに電子楽器の天真爛漫さがあると思うのだが、それは他社に任せているのがヤマハ。 音声に特化しているがゆえに動画時代なのに映像への招待も無い。ローランドで言うところのAeroCasterのような映像と音声とを同時にミキシングするパーソナル動画配信システムは、ヤマハからは出ない。
逆にいかにおもしろくないコンサバと言われようが、一定の範囲の中で、まじめにきちっと作ってくる。基本に忠実。国民的メーカーとはそういうものなのでしょう。かつ楽器については世界標準をつくるという自負と責任感すらある。Innovation Road ではそれらを追認することとなった。
・一方、Innovation Road へ行ってみて初めて分かったこともあった。すなわち先述のとおり、ヤマハは生活に浸透しようとしているということ。楽器からインフラへ、プレイヤーやパフォーマーのみならずリスナーのことも考える、どう演奏したいかのみならずどう聴いてほしいかどう聴きたいかを考える、それがヤマハをして総合音楽音響メーカーたらしめている。
ベーゼンやベヒやコルグやスタインバーグを買収したのは、各楽器メーカーとしてとんがった存在をヤマハというプラットフォームの上にコンポーネント的に配置したかったのだろう。多民族世界帝国を打ち立てようとしたモンゴル帝国と一緒か笑
イノベーションロードは滞在時間2時間限定。 また行きたい。今度は的を絞って特定の楽器や展示だけを集中的に見たい。
バーチャル・イノベーションロードもあり、いつでも楽しめます:
https://www.yamaha.com/ja/about/innovation/vir/
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今回の修理はオルガンのあの名機「KORG CX-3」です。 またHammondとは違う音色で、年代モノのシブい音と表現すればよいでしょうか(^^) スイッチ系に不具合があるとの事で、これから分解点検やっていきます。 しかし、佇まいが美しいオルガンです。 #HammondOrgan #KORG #CX3 #KORGOrgan #Hammond #オルガン修理 #コルグ #KORGCX3 #ハモンドオルガン #ローズ修理 #ローズピアノ修理 #rhodespiano修理 #rhodesrepair #rhodespianorepair #rhodes #rhodespiano #ビンテージ #ローズピアノ #アンプ修理 #プリアンプ修理 #オーディオ修理 #藤田真弥 #フジタシンヤ #ふじたしんや #ShinyaFujita #teehouse #teehousemusic #kyoto #京都 #西院 (Tee House Rhodes Piano工房) https://www.instagram.com/p/CZRh1hXpj3X/?utm_medium=tumblr
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【解説】東京放課後サウンズ -金剛譜栄-
放サモのアレンジアルバムを作ろうと考えた時に、最初にテーマを「東京」にしました。東京が持っている要素を考えて、それぞれに曲を当てはめて七芒星を作る、そんな感じで始めました。放サモと言えば魔法陣ですからね! 僕の中で東京は田舎と比べて、いろいろな要素が並列に存在しているようなイメージなんですよね。ちょっと混沌としています。 七芒星なので、それぞれが対極の2つを含んでいるように配置しました。 曲の解説一緒に掲載します。
1.「Urban Concrete」 (メニュー マップ)
都市性/Urban
都市性は自由と活気に繋がるものです。 自由だけど自己責任、みたいな感じですね。東京が見渡せるマップの画面がぴったりでした。それにこの曲は大好きなので、絶対入れようと思ってました。 田舎ではいわゆる「不良」的文化はスタイルのみでごく一般的なものなんですけど、都市では実際に治安の問題になったりしていますよね。そういう少々アナーキーなイメージを入れ込みたくて、リズムトラックをヒップホップ的なものにしたり、サンプリングのブラスセクションやコンガを入れてみたりしました。 それとサブテーマとして、東京の暑い夏のイメージを盛り込みました。昔始めて1人で池袋に行った時(楽器の修理化何かだったかな)、ものすごく暑くてコンクリートから陽炎が出ていたのが印象的でした。
2.「Freedom in After School」 (学園 日常)
自由/Freedom
自由は都市性と心に繋がるものです。 放課後っていいですよね。東京ではないですけど、僕が高校に進学した時、田舎っぽい実家から急に都会に通い始めて放課後が毎日楽しかったんですよね。東京の学校ならもっと自由なのかな?そんな感じを盛り込みました。 都会っぽくスタイリッシュなドラムンベース。音色は全体的に爽やかにしました。 最後のソロは自由で浮足立ってる感じをイメージしました。音色関係は昔のアニメの変身バンクのSEみたいな要素を盛り込んでます。放課後はみんな変身するものですからね。
3.「Urban Myths」 (謎 思考)
神話/Myths
神話は心と宗教に繋がるものです。 神話はどの時代にもあって、古くは宗教と一緒だったりしましたが、現代東京の神話は都市伝説です。謎っぽい、不思議な感じといえばこの曲ですよね。この曲はすごく特徴的で、なかなか真似できなさそうな感じが好きです。 都市伝説って都市部の特徴で、1つのモチーフがしつこく繰り返し出てきたり少しだけ変わって出てきたり、流行りの入れ替わりが早かったり、結構ごちゃごちゃしてるんですよね。そういう要素を曲に盛り込みました。 同じことを繰り返すオルゴール、しつこいポリリズム、神秘っぽい鉄金、複雑なドラムトラック、いろいろ合わせてみました。
4.「Life and War」 (通常戦闘)
活気/Life
活気は都市性と多様性に繋がるものです。 活気もいろいろあって、経済が回るような活気があったり、ちょっと血の気の多い活気もあって、今回は東京のちょっとピリっとした空気を表現したいなと思って、この曲を選びました。シナリオが進むたびに1度は流れるこの曲、放サモの看板って感じしますよね。 原曲のリズムやベースパターンがすごく変形的なものだったので、逆に馴染みやすそうなものに解凍するアレンジにしてみ���した。 原曲の、馴染みのオルガンのフレーズに入る前の4音を拡大して、一触即発っぽい感じのユニゾンにしてみました。 個人的に、全体的にマガンっぽいイメージで作りました。血の気多め。
5.「New Religions」 (青山戦闘)
宗教/Religions
宗教は神話と多様性に繋がるものです。 どこのどんな場所にいても宗教とか神話は普遍的に存在します。現代東京の宗教はやっぱり新興宗教かなと。放サモの宗教と言ったらやっぱり青山ミッショネルズ!2人のマリアの話は放サモの話の中で最も好きなエピソードの1つです。 原曲はオルガンの教会的な音でしたが、現代東京の新興宗教は西洋、東洋、全く別の根を持ったもの、あらゆるものが存在するので、ミックスしたような雰囲気にしました。元のフレーズがちょっと東洋的なので、そこは作りやすかったですね。 原曲のリズムはクラブ的な音色だったので、アレンジはゴアトランス風にしました。西洋的な価値観で進む都会に突如現れる異国的な価値観、思想、発想、それがまるで香が匂い立つようなイメージで作りました。
6.「The Tale of the Diversity Theater」 (六本木ボス+回想)
多様性/Diversity
多様性は宗教と活気に繋がるものです。 多様性っていうのは人そのものですよね。いろんな人間がいてそこに多様性があれば、ひとりの人間の中にも小さな世界があって多様性を持っています。必ず。それは放サモのメインテーマですよね。そういうものを表現したくて組曲にしました。 六本木のボス曲を基準にして、そこが目に見える部分として作り、回想している時のテーマをその影の部分として作りました。 舞台に上がっている何かがいて、そこにスポットライトが当たれば影ができて、影は舞台裏まで伸びていて……というような感じですね。 全編に渡ってそれぞれの曲の動機(モチーフ)をこねこねして作りました。オーケストラ風というよりか、クラシック音楽風のアレンジです。 カーテンコールの部分は今までのフレーズは出てきません。表も裏もない新しい自分、そういうイメージです。
7.「Hearts」 (本心 優しさ)
心/Hearts
心は神話と自由に繋がるものです。 どんな場所にいても、人間がいる限り心はあって、東京も田舎も関係なくだいたいみんな同じような心を持っていると思います。ただそれぞれの場所、それぞれの人で発露の仕方が違うだけかなと。 心って人間のものではあるんですけど、なんか自分が自由に扱ってるような感じは実はしなくて、自分の心なのに一歩遠くから見ているような、そんな感覚になるものですよね。 そういうちょっと神聖な感じというか、近寄りがたいというか、ギリシャの神殿みたいな、敬意を持たなきゃいけないな、みたいなそんな感じを盛り込みました。 繊細な感情を表現するのに、個人的にピアノが一番やりやすくて迷わずピアノの曲に決めました。 放サモの登場人物はみんな優しいですよね。この曲の原曲はそれと合わせて印象的ですね。
(物理アルバム版のジャケットで思いっきりHartsって書いてあるんですけどめっちゃ誤字です。ごめんなさい……恥ずかしい……!!!)
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