#ウソにも消費期限
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ウソの温存期間
DSのウソには消費期限があります
もう元に戻らない既成事実を作ってしまった後では、種明かしをしても何の問題もない、というようなことになります。ウソの温存期間はモノにより異なりますが、5年のものもあれば20年、50年のものもあります。晴馬君のは、たぶん、20年
テレビやラジオの世界は、ずいぶん前からいろいろな制限があるため、自分で放送したものをきちんと保存していないようです。
ウソを垂れ流しているので、残さないというスタンスがずっとあるためです。
大昔に放送された、過去の音源募集とか、バカみたいなことをやっています。著作権よりも情報自体が貴重なものになってしまっています。
大昔の放送内容は、嘘が混じっていても、もうウソの有効期限が過ぎているので、出しても平気なのだそうです。
ウソにも消費期限があります
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当時、全国分譲マンション供給戸数トップだったプレサンスコーポレーションの社長・山岸忍さんは2019年12月、業務上横領容疑で大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、大阪拘置所に248日間も勾留された。社長を辞任したうえ、創業した会社の株を手放さざるを得ず、個人資産分だけでも75億6168万円の売却損を被るに至る。 いざ刑事裁判がはじまってみると、有罪とするため��唯一の証拠である部下と取引先社長の供述調書は特捜検事の恫喝・脅迫・利益誘導によってねつ造されたものであると明らかになり、一審だけで無罪判決が確定してしまう。 現在、TSUKUYOMI HOLDINGSの代表取締役を務める山岸さんが2022年3月に起こした国家賠償請求訴訟はいよいよ大詰めを迎え、10月29日、大阪地裁にて原告本人が意見陳述を行った。 原告の山岸さんはどんな想いで訴訟を戦ったのか? 法廷で読み上げた陳述書の全文を掲載する。 検察庁は不祥事への謝罪もなければ検証もしていない 3年前の昨日、私は無罪判決を言い渡され、晴れて、業務上横領事件の犯人という疑いから解放されました。 その後、当然、検察がこの冤罪事件についての謝罪や検証を行うだろうと思っていたら、何も起こらないまま半年ほど過ぎてしまいました。いぶかしく思った私が、元弁護人に対して「検察は何かしないのか」と確認したら、「するわけないじゃないですか」という素っ気ない答えが返って来ました。 私は驚きました。「自ら起こした不祥事について検証しないなんて、民間企業ではあり得ない。だからこの人たちは、こういうわけのわからない冤罪事件を繰り返すんだ」と思いました。 ですから私は、この国家賠償訴訟を起こしたのです。検察庁に自浄作用がないのであれば、私がやらねば、また同じような冤罪が起こってしまいます。どこにミスがあったのか、裁判という場で、公平中立な裁判所にご判断いただくことにしたのです。 山岸さんが犯罪に関与していたという物的証拠はなかった。それどころか無実であることを示す数多くの物的証拠があったにもかかわらず、大阪地検特捜部は見落としたり、消極的に解釈するなどしていた。 証拠がないにもかかわらず、特捜検事たちは自分たちの見立てに合うよう、山岸さんの部下であるA氏や取引先社長B氏に「山岸さんが横領事件に関与した」という虚偽の供述を強要したのである。 これら供述調書は大阪拘置所内の取調室で作られ、検事たちによる取調べの様子は録音録画されていたのだった。 山岸さんの陳述に戻ろう。 検事の違法取調べが録音録画に残っていた 裁判開始から2年半、ようやく地裁での審理の折り返し地点に近づきつつあります。 裁判を始めたとき、まさかこの裁判がこれほど長くなるとは思っていませんでした。 私が冤罪に��き込まれたきっかけは、事件に関係する2人の人間が、それぞれ、取調べを受ける中で検察官に脅されたりしたことで「山岸も横領されることを知っていた」という嘘をついてしまったことにあります。この取調べは録音録画されていて、取り調べられている人間と取り調べている検察官が何をどう言ったかはすべて客観的に記録されていました。 そして、私は、刑事手続の中で、この録音録画をすべて私の費用負担で文字起こししていました。だから、私の弁護士の手元にあるこの録音録画と反訳書さえ見ていただければ、裁判所も問題点を大体把握されるだろう、そう楽観的に考えていたのです。 A氏の取調べ録音録画は20日間計73時間半、B氏は20日間計69時間に及んでいた。証拠の吟味や調書の読解など多忙を極める刑事事件の弁護団がこれらの映像をすべてチェックするのは不可能である。 大阪拘置所に勾留中だった山岸さんは取調べ録音録画の文字起こしをするよう弁護団に指示。多くの若手弁護士を投入して広辞苑何冊分にも及ぶ長大な反訳書が完成した。 これらを弁護団が分析したところ、A氏、B氏ともども当初は山岸さんの事件への関与を否定していたにもかかわらず、強要や誘導で虚偽供述させられていたことがわかった。 なかでも、A氏に対する田渕大輔検事の取調べにおいては、強く机を叩いたり、「ふざけた話をいつまで通せると思ってる」「検察なめんなよ」「小学生だってわかってる、幼稚園児だってわかってる。あなたはそんなこともわかってないでしょ」「ウソまみれじゃないか」「本当ににぶい人ですね」と長時間罵倒し続けていたことが判明したのである。 刑事事件の公判においても、一部が上映され、無罪判決の決め手のひとつとなった。山岸さんはこの録音録画すべてを民事訴訟の裁判官に見てもらえれば、すぐにも結論が出るものと思っていたのである。 手元にデータがあるのに、裁判所に出せない! しかし実際には、「刑事証拠の目的外使用禁止」というルールのせいで、私たちの手元にある取調べの録音録画は、国家賠償の審理のために裁判所にお渡しできませんでした。国は国で、「録音録画を見る必要なんてない」と言って、公共の財産であるはずの取調べの録音録画を隠そうとし続けました。 結局、録音録画というこの裁判で最も重要な証拠を出すか出さないかで延々と争いが続き、この問題は最高裁にまで持ち込まれました。ようやく、先日、最高裁から「必要な分の録音録画は裁判に提出するように」とのご判断が下りましたが、この争いのために費やされた時間は実に2年半です。 この争いのために、私の代理人も国の代理人も、見るのもうんざりするような大量の書面を作成していました。正直、信じられません。不毛すぎます。時間と手間と、何よりも税金の無駄です。 刑事事件の公判で使用するため、弁護団は録音録画データの提供を受けていた。国家賠償���求訴訟も刑事裁判の中核を担った弁護士たちが引き続き担当したため、手もとにデータは残っている。 しかし、刑事訴訟法の規定により弁護団から民事裁判の法廷に証拠として提出することはできなかった。国の方から裁判所に出すよう求めたのだが、「文字起こしを見ればこと足りる」「Aさんの名誉やプライバシーが侵害される」という理由で敢然と拒否。 これらの録音録画を出すか出さないかについて別の裁判が続いていたため、これほどの長い時間が掛かってしまったのである。 ふたたび山岸さんの陳述に戻ろう。 「職務上の秘密」を理由に証言拒否連発 裁判を始めたときに予想していなかったことが、もう一つあります。なぜ冤罪が生まれたのかという検証を、国や検察が徹底的に妨害しようとしてきたことです。録音録画の提出が拒否されただけではなく、証人尋問で証言台に立った検察官は「記憶��ない」などと暖昧な話をするばかりで事実をありのまま証言しようとはしませんでした。 この冤罪が生まれた原因を解明するには、冤罪防止のための役職である「総括審査検察官」が捜査中にどういう風に活動していたのかを確定させる必要がありましたが、出廷した検察官は総括審査検察官の動きについて非常に暖味なことしか言わず、国も総括審査検察官の名前を決して明かそうとはしませんでした。名前が分からなければ、総括審査検察官の証人尋問が出来ないからです。 山岸さんの起こしたこの訴訟では、本年6月11日、14日、18日の3日間にわたって取調べを担当した田渕大輔検事、末沢岳志検事、山口智子検事、そして捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事に対する証人尋問が行われた。 尋問に先立ち裁判所に提出された蜂須賀検事の陳述書には、「総括審査検察官から、田渕検事が机を叩いたり大声で怒鳴ったりしている場面があったと報告を受けましたが……、供述の任意性を損なうようなものではなかったと評価できるとのことでした」とあった。 山岸さんが陳述のなかで言及している総括審査検察官とはいったいなんなのか? 2010年に発覚した村木厚子元厚労相局長をめぐる捜査での大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を期に、二度と同様の事件が起こらぬよう特捜部内部において「横からのチェック」を行うために設けられたものであり、山岸さんが言うよう「冤罪防止のための役職」なのである。 捜査の指揮官である蜂須賀検事の陳述書を読む限り、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の総括審査検察官は田渕大輔検事による罵倒恫喝取調べの録音録画を視聴していたにもかかわらず、まったく問題視していなかったことが明白だ。 特捜部の暴走を防止すべく導入された総括審査検察官制度がまったく機能していないことを正すため、原告代理人が証人尋問において総括審査検察官の名前を尋ねたのだが、検察官は一様に「職務上の秘密」として証言を拒否したのである。 法廷で罵倒恫喝取調べのビデオ上映へ このような国からの妨害があったためすべては解明しきれなかったものの、今までの裁判の中で、何故冤罪が生まれたのかについて多くのことを明らかにすることができました。 ��田裁判長、大谷裁判官、伊藤裁判官に、改めて申し上げます。この裁判の場で明らかにされた事実を前提として、本件について、どうか公平かつ厳正なご判断をお願いいたします。以上。 山岸さんが2022年6月に起こした付審判請求では、本年8月8日、大阪高裁が審判に付する決定を出し、田渕大輔検事は大阪地裁にて刑事裁判にかけられることとなった。検察官に対する付審判請求が認められたのは史上初である。 また本年10月4日には、プレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の捜査を指揮した蜂須賀三紀雄検事を公務員暴行陵虐罪、特別公務員職権濫用罪、偽証罪で刑事告発している。 そして、今回の国家賠償請求訴訟では最高裁の命により録音録画ビデオ18時間分が証拠として提出されることとなった。また、来たる12月20日の弁論期日では田渕大輔検事による罵倒・恫喝映像が法廷内で上映される見込みであることもわかった。 この国の刑事司法の在り方を正面から問い続ける山岸忍さんの今後の戦いに目が離せない。
「ふざけんな」「検察なめんなよ」。罵倒恫喝取調べビデオ公開へ。異例の決定を勝ち取った社長が法廷で激白(赤澤竜也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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桜林美佐の「美佐日記」(252)
「地震予知」から建築物・インフラの強靭化へ
桜林美佐(防衛問題研究家)
──────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、252回目となりま
す。
前回、お休みし、時間が空きましたが、柳澤真一さ
んについてご感想を頂戴しました。「柳澤さんは、
陰徳を励行する方だったのですね。人は、よいこと
をすると、ついつい、言いふらしたくなりますが、
それではよいことをしたことにはならないと、私も
考えています。私も、引き続き、柳澤さんをお手本
にして、できる限り、陰徳を積んでいきたいと思い
ます」
同感です。ありがとうございました。
先週は台湾で大地震が発生し、沖縄にも津波警報
が発令されました。自衛隊ではまだ能登半島地震の
災害派遣が続いており、恐れているのは、このよう
に複合的に災害が発生する事態です。
もはや現在進行中の災害派遣は報じられなくなっ
てしまっていますが、ファストイン・ファストアウ
トが鉄則のはずの自衛隊をここまで長期間にわたり
使うというのは、やはり問題があると思います。水
道などインフラのダメージが大きいことは承知して
いますが、派遣が長期間に及ばないよう国や自治体
は全力で努力してもらいたいです。
そうした中、地震学者である島村英紀さんと対談す
る機会がありました。内容は私にとっては目から鱗
が落ちる話ばかりでした。
島村先生は東大理学部物理学科で博士課程を修了
し、北海道大学教授、国立極地研究所所長も務めた
方で、海底地震観測を世界中で実施し、研究のため
の海外渡航歴は76回、船上で地球12周を過ごしたと
いう、まさに地震研究のエキスパートと言っていい
方。
その先生から出た日本の地震研究に関する言葉は
衝撃的でした。結論から言うと「地震は予測できな
い」というのです。
震度7を記録した能登半島地震は、政府機関である
地震調査研究推進本部では「能登半島が今後30年
間で震度6以上の揺れに見舞われる確率」は、わず
か「0.1%未満」だったといいます。
なぜ、こんなに大ハズシをしたのか?を問うと
「地震予測はできない」とひと言。そもそも「マグ
ニチュード」という言葉を考案した地震学者のチャ
ールズ・リヒター氏もこんな言葉を残しています。
「地震を予知できるのは、愚か者とウソつきとイカ
サマ師だけである」と。
それなのに、日本では「地震予知は可能」という前
提で、1978年に「大規模地震対策特別措置法」
(大震法)が制定されました。予測の信頼性がない
ことから「見直すべき」との声が上がっているもの
の、依然としてこれが有効になっていることに先生
は警鐘を鳴らしています。
これには、地震学会に属する3000人の会員の
抵抗があるようです。国費で維持されている地震研
究だけに、これを止めてもらっては困るというわけ
です。
しかし、数々の地震予測をあざ笑うかのように、
悉くノーマークの場所で大地震が発生してきたとい
います。
2016年の熊本地震の時は、発生前に「今後30
年以内の地震発生確率はほぼ0%から0.9%」と評
価されたそうで、これが安心情報になったことが、
油断を招き、被害を大きくした可能性も指摘されて
います。
では、緊急地震速報は何なのか、と思いますが、
これは地震予知ではないので誤解してはいけないと
いいます。
この原理は単純で、全国に設置されている地震計
のいずれかで揺れを感じたら震源を計算して、まだ
揺れが届いていない場所に警報を送るという仕組み
で、直下地震には対応困難なのだそうです。
地震予知研究は始まって以来、1兆円近い国費と
数百人の公務員が増員され、それも大学だけではな
く、気象庁や国土地理院をはじめとする数々の省庁
に資金が投入されてきたといいます。
これだけの巨額な投資が容認されてきたのは、私
たち日本人にとって、難しいとは分かっていても地
震予測は悲願だったからでしょう。
天気予報が可能なのは、大気の運動方程式がすで
に分かっているからだそうです。しかし、地震や火
山の噴火は同じような方程式がまだ分かっていない
のです。
余震などの前兆を観測していれば何らかの規則性
が見いだせるのではないかという期待に基づき研究
は進められてきたものの、残念ながら、前兆に規則
性や共通性はなく、前兆のない大地震も数多く起き
ているといいます。
世界には地震の起きない国もあるようですが、4
つのプレートがせめぎ合う日本では、現在言われて
いる南海トラフや首都直下な��だけでなく、いつで
もどこでも「起こり得る」というのが答えのようで
す。
一体、どうすればいいのか、と思いますが、島村
先生は何より建築物の強靭化や木造住宅密集の解消
など「あらゆる地域で」インフラを強くすることを
優先すべきだと説きます。
問題はそこに国費を注ぐと、地震研究に充てる資
金が減りかねず反発が起こるという、大いなる矛盾
です。
また「地震が起きない地域」を謳って企業誘致を
したり、逆に地震の可能性のあるなしで不動産価格
も左右するなど、影響は他にもあることでしょう。
しかし「ここでは地震が起きない」という安心情報
によって被害を広げているとしたら、これは見過ご
せません。
私たちは今、宇宙への進出やAIなどの先進技術
を目の当たりにし、科学の進歩を実感しているとこ
ろです。しかし、地震研究も長くて千年単位のデー
タでしかなく、何万年のスパンでの調査はできてい
ません。海底調査も数キロの範囲で、宇宙に進出す
るよりも困難です。AIといっても、存在する情報
を使用しているにすぎません。
結局、まだまだ人間の力ではどうにもできないこ
とがあるようです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.2)=((No.1)からの続き) 経過報告書 2007(H.19)年 H.19.1.11.旧売主S氏は当マンションの竣工(H.19.2.23.)以前に早々と当マンション401号室を4489万円で購入契約を締結(売買契約書(写)を参照)
H.19.2.23.当マンションが竣工。当マンションは1~8階まであり(1階は駐車場、住居部は2~8回)、各階には4所帯ずつ、合計28所帯が入居できる小型マンションで、全室はバリアーフリー、各部屋のドアーは(玄関扉以外は)全てが(『開き戸』ではなく)『引き戸』で、各部屋のスペースも最大限・フルに使える。表通りから少し奥まった場所にあり、隣には幼稚園もあり、環境は良く、店舗や病院も近い。当マンション各階には4所帯ずつある中で、最南側の角部屋には、東・南の両面に合計4個のベランダがあり、401号室全体が明るく日当たりも良い。私共は最南側の401号室(間取りは4LDK)が気に入ったが、価格が約4489万円とは!私共の年齢(当時、夫は69歳、妻は65歳)では銀行ローンを借りられる筈は無く、現金で購入せざるを得ないが、これは無理。結局「当マンションが中古品として売りに出され、精々3500万円以下に値下がりしたら買おう」と考えた。
H.19.3.24.旧売主S氏が401号室を保存登記。同日、水撒き人W氏も(旧売主S氏宅401号室の真上の)501号室を保存登記して単身生活するようになった。 H.19.5月.奈良市水道局が水撒き人W氏宅(501号室)の水道を開栓
H.19.5.29.マンション管理日誌より抜粋、「501号室(これは間違い、正しくは401号室)星山氏(=売主S氏の本名)フロア手直し、多数あり、H.19.6.4.に不二建設(=当マンションを建設した会社)再度来訪との事」との記載有り、S氏は後日(H.21.3.26.)に私共に当マンションを売却・引き渡す際に、私共に「401号室には何処も悪い箇所は無いよ」と言って居たが、これはウソだった。
2008(H.20)年
H.20.4.14.売主S氏が当マンション以外に、高齢者向け新マンション(=エイジングコート奈良新大宮)(以下「新マンション」と言う)の3階319号室をH.20.4.14に4460.8万円で購入(現在、S氏が居住して居る当マンション401号室が、上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に悩まされて居る為、自室(401号室)を売却し(逃げ出し)て、此の新マンション319号室に転居する目的で購入した。即ち、S氏は当マンション401号室をH.19.1.11.に4,489万円で購入したばかり、その僅か1年3か月後に此の新マンション319号室を4460.8万円で購入、余程、上階501号室からの漏水被害に悩まされて居た訳だ。
H.20.5月.奈良市水道局より501号室の水撒き人W氏に「(水道量)急増のお知らせ」あり(これは水道局から消費者に対する一種の警告)、但し、当月のW氏の水道使用量は未だ16㎥だったが、既に急増の兆しが見えて居たのか!
H.20.6月.当マンション住民から、当時のマンション管理人(岩井昭雄氏)に「水撒き人W氏が自宅501号室前にペットボトルを多数並べて居る」(これは「目障りだ!」「(通行の)邪魔だ!」という事)との苦情あり。 H.20.8月.水撒き人W氏の当月の水道使用量は124㎥、この頃からW氏の水道使用量が異常に増え始め、(当時、階下401号室に居住して居た)S氏が上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害に常時苦悩して居た事が推察される。 H.20.9月.水撒き人W氏の当月の水道使用量は125㎥、奈良市水道局から「急増のお知らせ」あり。同月にW氏は勤務先(=シャープ㈱)を定年退職、以後は無職で、生活は預金や退職金を取り崩す形で行った。 H.20.9.3.マンション管理日誌より抜粋「501号桧原氏(=水撒き人W氏の本名)宅 水道検針時 異常数値 本人に電話にて知らせる」
H.20.9.8.管理日誌より抜粋「501号(W氏) 水道使用量対前検針より12倍 奈良市水道局児島さん来館 (本人談 水道の出しっ放しとの事) 本人了承 14:40-14:50」(但し、後日(H.24.8.30.)に松村・南両弁護士先生が奈良市水道局から取得された『W氏の水道使用量証明書』を見れば、W氏は数ヶ月(H.20.8月~H.21.5月)に亘って毎月70~141㎥もの水道水(普通人の10~14倍)を使用して居る事が判明、これではW氏の主張する「『水道の出しっ放し』はウソ(言い逃れ)だ」と推察される。W氏は毎日・毎月ズッと水道栓を閉め忘れて『水道を出しっ放し』にして居たのか?後述の如く、漏水被害を受けて居た401号室(私共B夫婦宅)ベランダの排水枝管クランク部(屈曲部)や、その真下のスノコ(目皿)部には、上階501号室(水撒き人W氏宅)からの頻繁・長期間の汚水・漏水被害に因る赤錆が発生し始めた(而も此の赤錆は日を追って色濃くなって来た)が、若しW氏の主張する如く、単に『水道の出しっ放し』に因るものならば、これは清潔な水道水であるから、階下401号室の排水枝管クランク部(屈曲部)やスノコ(目皿)部には、(上階501号室からの)汚水・漏水に因る強烈な赤錆などが発生する筈は無い。『水道の出しっ放し』はウソだ。
H.20.9.11.私共は(上階501号室から階下401号室へ度重なる漏水被害が齎されて居る事実を全く知らなかった(=知らされて居なかった)ので近鉄不動産㈱に「当マンションは既に全28室は入居済みだそうですが、若し、空き部屋が出たら、是非買いたい」旨の要望を伝え、同社担当者・武内聖介氏から「情報が入り次第、連絡を入れます」とのFaxを貰った。 H.20.10月.W氏の当月の水道使用量は79㎥ H.20.11月.W氏の当月の水道使用量は80㎥、奈良市水道局から「急増のお知らせ」あり。 H.20.12月.W氏の当月の水道使用量は141㎥ 2009(H.21)年 H.21.2.2. W氏が、深夜、自宅501号室ベランダで大量の水を撒き、その水が階下401号室(旧売主S氏宅)のベランダへ漏れ落ちて来た。更にW氏は以前から[運動の為?]に馬型器具に跨ってギシギシと体を揺すって居るらしく、深夜、その騒音も階下401号室(S氏宅)へ聞こえて居た。S氏はスグに上階(5階)へ駆け上がって501号室のW氏を訪ねて抗議せんとしたが、W氏は『居留守を使って中へ入れて呉れなかった』との事(当時のマンション管理人(岩井昭雄氏)から私共が聞いた話) H.21.2.3.マンション管理日誌より抜粋「401号室S氏より(の苦情)、上階501号室W氏の件で、『夜、大量の水を撒く音がし、注意するも(W氏は)聞き入れない』と相談受ける」
H.21.2.4.管理日誌より抜粋「501号室の件、(W氏は)『ベランダを掃除して居ただけ』との返事、夜中2~3時に掃除か?大きな音鳴りも質問しなければ!」そして岩井昭雄管理人が水撒き人W氏に対して「階下401号室のS氏からの苦情」を伝えたところ、W氏は「もう二度とベランダに水は撒きません」と岩井管理人には約束した。即ち、W氏自身は「階下への漏水被害の原因は、自分がベランダに大���の水を撒いた為である」事を明らかに自覚して居り、当然、訴訟能力を有して居た。これは、後日、W氏の妹君・S子氏が主張した『兄(W氏)は([統合失調症]を患って居るので)訴訟能力を有して居ない』との主張とは明らかに矛盾する。而も、水撒き人W氏の「もう二度とベランダに水は撒きません」と言う約束は一向に守られず、その後も階下への漏水被害は頻発した。
岩井昭雄管理人から『漏水被害について注意』を受ける度に、W氏は常に「(ベランダに水を撒いたのは)ベランダを掃除して居たからだ」と返答・弁解をして居り、恰もW氏は如何にも『清潔好き・几帳面』なように見えるが、実はこれは全くのウソ。W氏は「自分の病気(=統合失調症)から(何の意味も理由も無く)、ただ単にベランダのみならず、アチコチ手当たり次第に(而も頻繁に)大量の汚水を撒き散らして居るだけ、ベランダ掃除などは全く行っては居ない」事が判明して居る。因みにマンション管理日誌(H.21.7.15.付け)には「W氏は自宅のベランダのみならず、共用廊下にまでも水を撒くので、岩井昭雄管理人が注意すると『暑いからだ』と言い返す」。またH.23.6.29.に私共(買主B夫婦2人)とマンション新管理人(=岩井昭雄氏の後任・佐藤秀司氏)との合計3名が、管理人室で「当マンション玄関ホールの防犯カメラが映した録画ビデオ映像」を見たが、それによると「W氏がH.23.6.22.深夜(午後11時半頃)に水を入れたポリバケツを手に持って態々エレベーターで1階まで下りて来て、オートロックの玄関から外に出るや否や、バケツの水を街路にバサッと撒き散らした」。更に管理日誌・その後の調査等により「W氏は、頻繁にゴミを不法投棄し、ペットボトルを自宅前に多数並べて、当マンション住民より苦情あり」「自宅トイレに何でも投げ捨てて、トイレを詰まらせ、廊下にまで汚水が溢れ出す騒動を引き起した」「ベランダの排水枝管内をゴミ類・木の葉類でビッシリと詰まらせ、排水・汚水が排水枝管内を下へ流れ落ちる事が出来ず、排水管の開口部から溢れ出て、ベランダの排水溝・排水口付近は常時水浸し、其処へW氏が更にバケツで大量の汚水を撒くので、排水溝・排水口付近の『溜り排水・汚水』と『更にバケツで撒かれた汚水』とが相俟って、ベランダ床面と排水枝管との円形(環状)隙間を浸み抜け、階下401号室へ漏れ落ちて(極端な時には『漏水シャワー』となって)漏水被害を齎した」etc.etc.W氏の『病的に異常な水撒き癖』は当マンション中でも有名である(岩井昭雄・前管理人および佐藤秀司・現管理人の話)。またW氏の妹君・S子氏の陳述書には「H.23.7.12.に兄(W氏)はコンビニの前で喚き散らし、警察から連絡を受けた。兄(=W氏)の自宅(=501号室)内に入って見ると、足の踏み場もないほどゴミが散乱して居た」との記述もあり、W氏は決して『頻繁にベランダ掃除をするような清潔好き・几帳面』な人物ではない。当マンションの岩井・佐藤両管理人および住友不動産販売㈱担当者によれば「W氏は日頃から大声で喚き散らす」「アチコチ手当たり次第に水を撒き散らす」、また当マンション管理日誌(ダメ押し証拠No.1)および奈良市水道局からの「W氏の水道使用量証明書」(ダメ押し証拠No.2)に照合して見ても、W氏の「病的に異常な言動、特に水撒き癖」「病的に異常な水道使用振り」が十分に伺い知れる。 H.21.3月.W氏の当月の水道使用量は113㎥ H.21.3.2.売主S氏は、到頭(堪り兼ねて?)近鉄不動産㈱に「現在、自分が居住して居る401号室を売却したい」と申し出た。早速、同社担当者・武内聖介氏から私共B夫婦に「当マンション401号室が売りに出されましたよ」との電話連絡が入った。だが「当日に至るまでの此の4カ月間(H.20.12月~H.21.3月)のW氏の異常な水道使用振り(毎月113~141㎥)」、「上階501号室(W氏宅)から階下401号室(旧S氏宅)への頻発する漏水被害」を私共は全く知らなかった(=知らされて居なかった)。因みに当マンション401号室の(中古品としての)当初の売り出し価格は3800万円だったが、その後、旧売主S氏はアッサリと(私共の希望通り)3500万円にまで値下げに応じて呉れたのは、一日も早く『W氏による漏水被害』から逃げ出したかったからであろう。
H.21.3.5.私共B夫婦は近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏と一緒に当該物件(401号室)の検分(内見)をする為、401号室(S氏宅)を訪ねた。(実は私共B夫婦はスグにも401号室を内見したいと思って居たのだが、旧売主S氏から「当方の都合(?)もあるので、内見は、もう2~3日待って欲しい」と言われ、私共は異議無く了承、結局、H.21.3.5.に内見した)。だが、S氏は此の期間内(H.21.3.2.~3.5.)に(恐らくは専門業者に依頼して401号室の漏水被害の痕跡を予め綺麗に洗浄・除去して置いたらしく?)部屋もベランダ床面・壁面も(更には排水枝管の外周も)綺麗に仕上げてあり、私共はスッカリ気に入った(=スッカリ騙された?)。而も、売主(S氏)・仲介人(武内聖介氏)の両人とも、その時は「上階501号室(W氏宅)からの頻繁な漏水被害」については(当然の事か?)私共に対して一言も喋って呉れなかった(=隠した侭だった)。S氏の表向きの[401号室の売却理由][他所への転居理由]は「S氏夫人が病弱で、現在居住中の当マンションよりも、(同じく奈良市内に新たに出来た)高齢者向け分譲マンション『エイジングコート奈良新大宮』(=新マンション)の方が便利だから、S氏夫妻は其処へ転居する事にして、現在居住中の当マンション401号室を売却するのだ」との事だった。(尤も今にして思えば、S氏が最初から『本当の売却・転居理由(=漏水被害)』を私共に正直に打ち明けて呉れる筈は無かった)。S氏は大資産家で「自分は今までに所得税を5億円以上も支払った」「自分は故郷の別府市にも、生駒市・奈良市にも自宅を合計5軒ほど所有して居る」「奈良市内で駐車場を経営して居る」「高級外車ベンツを乗り回して居る」などと豪語して居た。私共が確認��きたのは、奈良市内に「S氏の経営する駐車場」は確かに(当マンションから少々離れた場所に)あるが、当時のマンション管理人・岩井昭雄氏によれば「当マンションの竣工(H.19.2.23.)以来、当マンション内の駐車場にベンツを預かった事は一度も無い」との事だった。S氏は当マンション竣工(H.19.2.23.)以前のH.19.1.11.に早々と401号室を新築4489万円で購入し、その後、僅か1年3ケ月後のH.20.4.14.に新マンションを(これも竣工前に)319号室を新築4460.8万円で、而も両マンションともにスッパリと現金で購入したくらいだから、確かに同氏は大資産家である。 H.21.3.14.S氏が新マンションへ転居、同日、近鉄不動産㈱の事務所で、売主S氏と買主(私共)B夫婦は当マンション401号室を3500万円で売買契約を締結、私共は売主S氏に手付金350万円を支払い、仲介人(近鉄不動産㈱)にも仲介料の半額58万円を支払った。この時、近鉄不動産㈱担当者・武内聖介氏は「売買契約書の物件状況等報告書」の記載内容を私共に長々と詳しく説明しようとするも、売主S氏は慌てて遮って「もっとサッサと要領良くしないか!早くしろッ!」と武内聖介氏を厳しく叱り付けて、先を急がせた。何故、売主S氏は第三者(=私共B夫婦)の面前で、仲介人(=武内聖介氏)を斯んなに厳しく叱り付けるのか?S氏は、そんなに威張り散らして、武内氏に対し「随分失礼だな!」と私共は呆気に取られたが、これは「売主S氏が仲介人(=武内聖介氏)に『余計な事(=漏水被害)は喋るな!』と牽制したのだろう」という事が、後日になって私共には漸く分かった。即ち、仲介人(=武内聖介氏)は「上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を予め売主S氏から聞いて居り、被害状況も既に知って居たが、『大した事は無かろう』と思ったので『売買契約書の物件状況等報告書』には敢えて『浸水被害(無)』『漏水被害(無)』と記載した侭にして置いた」と後日、私共に正直に打ち明けて呉れた。然し、後掲の数多の大判(A4)証拠写真でも見る如く、漏水部には(その後の頻繁な漏水により)著しい赤錆が発生し始め(而も此の赤錆は日を追って強烈になった)、同時に発生したベランダ床面の水溜まり・シミ・壁面のシミなどを見れば、これが「大した事である」のか?「大した事ではない」のか?一目瞭然。また、たとえ一度でも漏水被害があったのなら(実際には後述の如く『一度』どころではなく『多数回』だが)、仲介人・武内聖介氏は勝手に「大した事は無かろう」などと「自分に都合の良いように」解釈せず、正直に買主(私共B夫婦)に告知すべきは当然であった。(然し、後述の如く、奈良地裁の宮本初美裁判官は、当該売買契約書に「漏水被害(無)」「浸水被害(無)」と記載された侭になって居る事実を全く無視して一切言及せず、更に原告・被告・証人等の出廷・尋問・証言を一切許さず、また私共が提出した数多の証拠写真・イラスト・資料なども徹底的に無視・握り潰した侭、而も自分は一度も現場検証・確認に訪れる事も無く、最後まで「漏水は、たった一度きり」「契約解除すべき理由にはならない」としてゴネ続け、私共の敗訴を判決した。これでは全く裁判にはならない)
H.21.3.26.(此の時点でも、依然として「漏水被害の事実」を全く知らない(=知らされない)侭の私共は、南都銀行JR奈良駅前支店の2階会議室で、売主S氏に当マンション代金残額3150万円を支払って同氏から401号室の玄関鍵(全6本)を受け取り、近鉄不動産㈱にも仲介料の残り半額58.55万円を支払い、私共は401号室の引渡しを受けた。その際、売主S氏は私共(買主B夫婦)に「401号室には何処も悪い個所は無いよ」言って居た。(然し、既述 のH.19.5.29.付け管理日誌にもある如く、S氏は不二建設に「多数のフロア手直し」を依頼して居り、H.19.6.4.には不二建設が「フロア手直し」に来訪した事実がある)。また本契約の締結後に私共が401号室を掃除する為に実際に入室し、掃除しながらアチコチ点検して見ると、食器洗い機が壊れて居り、和室の障子戸が硬過ぎて十分に引き開けられない、ガスグリルのレールがバラバラに外れて居り、ガスを点けるとガス臭い匂いがして、更に浴室の水捌けも悪く、私共が風呂掃除をした後(私共は当マンションに入居・居住しなかったので、風呂掃除はしたが、入浴した事は一度も無い)の1ケ月後でも浴室内の排水溝には排水が溜まった侭だった。然し、私共は「この程度の事は修理すればスグにも解決できる、何ら問題は無い。それよりも格好の中古マンションを入手できた」と満足し、スグに私共は401号室を保存登記した。 H.21.3.30.午後4時過ぎ、私共は当マンション玄関前で売主S氏に出会った。S氏は「自分は既に新マンションへ転居したが、未だに自分宛の郵便物が旧住所(当マンション)へ誤配されて来て居るかも知れないので、メールボックスを覗きに来た」と言った。私共はS氏に「貴方は当マンションのスペアキーを持って居るのですか?」と尋ねると、同氏は「そんな物は持って居ないよ」との返事、私共は「では一体どうやって(オートロックの有る)当マンション内に入ったのですか?(当マンションでは岩井昭雄管理人は午後3時に退社・帰宅するので)此の時刻では管理人にオートロックを開けて貰う事は出来ませんよ」と言うと、S氏は「当マンション内の他の住人が玄関から出入りするのを傍でジッと待ち構えて居て、自分もタイミングを合わせて一緒にサッと入り込むのだ」と答えた。然し、此の時点で私共は「S氏は既に当マンションのスペアキーを、間違いなく1本は所持して居る」と確信した。他のマンションと同様、当マンションでも玄関のオートロックを、住人諸氏は(各自が所持して居る)各戸別の玄関キーで開けて出入りする。そして各戸別キーは(全戸が)美和ロック㈱製で、それぞれの理論違い数は1,000億通りとの事(同社ホームページ、カタログおよび同社大阪支店総務課長・岡伸行氏の話)、他社・他処では絶対にスペアキーの複製は出来ない。此の時刻(午後4時過ぎ)では、岩井昭雄管理人は既に不在、従ってS氏は岩井管理人にオートロックを開けて貰う事は出来ない。あの短気で癇癪持ちのS氏が「当マンション内の他の住人が、此の玄関を出入りするまで、脇でジッと辛抱強く待機し続ける」筈がない。
私共は引っ越し荷物を全部搬入し終った時点で、改めて401号室の旧キーを、新キーに付け替える予定だったが、未だ引っ越し作業が完了して居ないので、当分の間は、S氏から受け取ったばかりの旧キーを、そのまま利用して居た。一方、(S氏が既に所持して居ると思われる(?))此のスペアキーのお陰で、後日、S氏が『401号室に不法侵入して稚拙・杜撰・卑劣な捏造工作を行うのに役立った』というトンデモナイ事態に私共が巻き込まれる事になったのである。詳しくは後述する。 以下、(No.3)へ続く
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2022年を振り返る(2)
前回より続く。
数学
今年はDover Publications から出版されている "Dover Modern Math Originals" の一編である "Calculus: A Rigorous First Course" by Daniel J. Velleman を使って微積分学の勉強を始めた。この本は、著者の言によれば、数学専攻の学生向けの初級の微積分の教科書とのことである。
私はこの本を、まる1年かけて2章弱しか進められなかった(全10章)。しかし私はかなり数学的に成長できたと思っている。もちろん私の数学力は理科系の大学1年生よりもずっと劣るものだが、それでも割り算について「割り算シンボルの、上と下どっちで『割る』んだっけ…?」というレベルであった過去の私に比べれば、この1年で私がやってきたことは大いにレ��ルが高いし、数学に対する態度、ひいいては難しく複雑な問題に直面したときの対処能力もずっと良いものになっている。
下記するようにまだまだ私は理想の、私流の、私があるべき mathematician からはずっと遠いところにいるが、それでもなお、私はこの1年数学について進歩したと認めなくてはならない。これを否定することは知的誠実さを欠く。
Basic Algebra
本書の第1章はまるまる高校数学の復習に割かれている。方程式、不等式、三角関数といった内容がレビューされる。それでも内容は後の章のための限定的な復習に留まり、怒涛の勢いで数学力の不足を埋めるといった内容ではない。
私は不等式が苦手でその復習にかなりの時間を割いた。ここでは『微積分学』(A. Anton, 京都大学学術出版会)などの別の参考文献でも演習問題を解いた。
極限
他の微積分の教科書をみても微分の話に入る前に「極限 limit 」の単元が必ずある。私はこれを不思議に思っていた。「なぜ微積分だけ教えてくれればいいのに時間をかけて別の議論をするんだ??」と。
並行して読んでいた『インフィニティ・パワー――宇宙の謎を解き明かす微積分』(紀伊國屋書店)(原著は "Infinity Powers: How Calculus Reveals The Secrets of the Universe" by Steven Strogatz)の手助けもあって、まだその単元を終えられていないが、私は極限こそが微積分学の骨格であると理解できた。微分はある意味で「無限の割り算」だし、積分はある意味で「無限の足し算」だ。このピースとピースが繋がったことに私は興奮し、また感動した。
それにしても極限についていろいろ基礎的な定理を証明してとても楽しかった。多項式は加減乗除の組み合わせによって定義される数で、つまり加減乗除それぞれの極限操作について定理があれば、それを組み合わせてあらゆる多項式の極限について推論できるという話の展開にもえらく感動した(これはとても初歩的な話だけどさ…)。極限操作についての基本的な定理のおかげで、私達は極限の操作のときいちいちδ-ε論法を持ち出さなくてよいし、それだけでなく極限の操作を普通の加減乗除の演算に類似したものとして扱えるのであった。
習慣
しかし、数学書をしっかり勉強したという点は良かったが、それ以上に良かったのはそれが習慣化されたということである。単に時折の気まぐれで数学にかかわる雑学を収集していますというだけでなく、数学を勉強することが日常の一部となったのだ。これは素晴らしいというほかない進歩で、いくら卑下しがちな私でもこればかりは認めなくてはならない。
朝のちょっとしたスキマ時間、朝のトイレの時間、昼休みの飯食っているとき、筋トレのクールダウンの時間、私は多くの隙間を見つけては教科書を読んだり問題を解くようになった。
こんな感じで私なりに数学にアタックしていたせいか、はたまた極限の理論の素晴らしさに触れたためか、この1年を通じて私はますます数学が好きになった。趣味の時間については他のすべてを犠牲にしても数学を勉強したいと思えるようになった。私の時間をもっと数学に捧げたい。数学は素晴らしい、もっといえば数学書を読み、理解できることはなんと喜びに満ちたことであろうか、定理を証明しある数学理論をほかならぬ自分が理解できたといえることはなんと幸福なことか、と思うようになった。
もちろんこれまでも数学は好きだったのだが、それが細々とした勉強を通じもっとはっきりした1年だった。自分のなかで数学の立ち位置が不動のものになった。
もっと私の世界を数学で満たしたい
…なのだが、取り組みは理想に対しまだまだ不十分である。大晦日に至る現在でも常に数学グルイの状態であるとは言い難い。もちろん本当に寸暇を惜しんで数学を勉強しているときもあるのだが、そうでないこともままあり、しかも休日でもあまり数学に時間を割かないことも偶然というには多すぎるほどにある。
私が至った結論はこうである。私は、もっと私の世界を数学で満たす必要がある。社会生活上必要な事柄以外は隙間なく数学の議論で脳を埋め尽くさなくてはいけない。…というのは理想で、その理想に向かってもっと隙間時間を活用しなくてはならない、これが今後の課題である。やはり日々ちょっとの時間ずつ怠けてしまい、数学の問題を解くチャンスを逃してしまっている。ある日のことだ、私は試みに筋トレしながらそのクールダウン中に数学の問題を解いてみたのだが、なんと15分の筋トレの間に2問も解くことができた。私は驚いた。カスみたいな時間でもしっかり集中して使えばきちんと数学の学習に役立てさせられるのだと。それ以来筋トレ中にもできるだけ教科書を読んだりするようにしている。おそらくまだまだ、細かい「死に時間」がたくさんあるのだろう。それを活用していけば、高度専門職業人ではない私にはいくらでも勉強の時間などある。
読む本も極力数学に関したものに限定しようと決めた。もともと私の趣味のバックグラウンドは人文学であったから本を読むにしても「いかにも文科系の学問の本」という感じの研究書なりに強く惹かれることもままある。しかし教養をつけることは人生を豊かにしてくれる一方で、やはり自分が最も時間を捧げている事柄以外の、それとは関連していない文献を読むというのは、やはり雑学の収集という側面が非常に強いことを直視しなくてはならない。私が得たいのは人類史についての雑学ではなく数学の能力だ。そこで社会系、政治系の本は極力買わず、できるだけ数学やその隣接分野の本(要するに数式が出てくる本)ばかりを買って、私の注意を数学に絞ろうとしている。
勉強の時間はいくらでもある
これも今年なんどか意識したことだからメモしておこう。私にとって~~だから勉強ができないというのはすべてウソである。どんな困難があっても勉強する時間などいくらでもあるし、どうとでも工面できる。私が勉強時間が無いと思ってしまうのは、それを確保するための工夫を怠っているからだ。
私は今年何度か勉強のために確保したはずの時間を、翌日が平日なのに、睡眠時間を削らなくてはならない時間に食い込んでまで、下らない娯楽で消費してしまったことがある。上記はここから得た教訓だ。睡眠時間にまで食い込んで遊んでいたのだから、当初確保していた時間が1時間程度であったとしても、それをまったく遊んだとしてもなお1~2時間の学習時間はあったはずなのだ。
おまけに家族や友人との時間を断ったとして、私が必ず有意義なことに時間を使うかと言われればそうではない。これは経験が��証している。しかもこういう場合、誰かと過ごしている方がかえってトータル時間では短く遊んでいる(怠けている)ことが少なくない。だからこれだって遊んだあとに別途勉強する時間を確保すればよいだけだ。~~があると勉強できない、あるいは~~がないと勉強できないなんてのは、私に関していえば嘘っぱちだ。全部ウソ。工夫次第で勉強時間なんかどうとでも捻出できる。
気軽に数学書を読む
今年始めて、低空飛行で軌道に乗っている施策の1つは「ごく気軽に数学書を読む」だ。知っての通り数学書は定理を証明し問題を解かなくてはその何たるかを得られない。そこで数学書との関わり方の基本は「全力をかけ手を尽くして理解しようとする」なのだが、メインで勉強している教科書は当然そうなるとして、すべての数学書に対して同じ態度で接しなくてもいいじゃないかと軌道修正をした。
つまり新聞を読む、ネット記事を読む、そうしたごく日常的な行為の1つとして、数学書を読めばいいんじゃないかと思ったのだ。もちろんそうしたアタックの仕方では数学の能力は高まらない。最も期待できる学習効果でも、将来使う教科書の予習というレベルだろう。だが気軽に数学書を読まなければその時間は他の事柄に使うことになっていたわけで、小さい程度でも数学的成長が得られるのであればそれは意味があることなのだ、私にとって。
加えて熱心にきちんと勉強している1冊があれば、異分野(というか別の単元)の教科書を読むことは視野を広げることに繋がるだろう。そうそう、この取組を始めた当初は理科系の学生の環境を少しでも擬そうという思いがあったかもしれない。つまり理科系の学生は当然微積分学だけで1年を費やすわけではなく、他にも様々な高等数学のトピックを同時並行して、しかも各単元が私の学習スピードのn倍の速さで進む(nは1より大きい任意の数)。私もそうした世界中の理科系の学生が当たり前にこなしているストイックな学習を真似してみようと思ったのかもしれない。
来年はもっと数学の能力をあげ、数学に親しみ、数学を身近に感じられるようにさらに学習を進めていく。1年前の私は自身が「あの」ε-δ論法を使って定理を証明していることなど想像できただろうか?定理同士を組み合わせてある関数において独立変数がある点に近づいたときの極限値を計算できることを想像できただろうか?こんな風に自分の考えていることを数学用語を使って説明できることを想像できただろうか?答えは全て否であったろう。だが、私は現にそうしたことができるようになった。子供の頃にはたかだか算数が出来なくて泣いていたあの私が…。だから私は今後も努力を続ける限りは自身に数学的成長があるものと楽観してよい。来年の今頃はもっと洗練された数学的思考ができるようになっているはずだ。そしてその過程がとても楽しみだ。来年もまた、理科系の学生じゃないと~~は絶対理解できないと決めてかかっていた過去の自分の限界を打ち破る一年となるだろう。
私でも数学の能力を向上させられたのは、ひとえに集中して1つの教科書にアタックしたからだ。やはり浮気性というか、すぐ「別の数学書ないかな?」と思ってしまうのだけども、その飽き性をぐっと抑えて目の前にある教科書に励むことが大切なのだな。集中して取り組み、飽き性を抑える。今後も常に意識しなくてはならないことだ。
つづく
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2月9日、平昌オリンピック開幕から4年の節目の日に、韓国の反オリンピック運動団体「平昌オリンピック反対連帯」の皆さんが声明を出しました。
以下、日本語訳を掲載します。
平昌冬季オリンピックから4年 オリンピック災害を止めよ
スポーツ分野の専門家たちは、オリンピック開催方式の根本的な問題をずっと前から指摘し、すでに様々な代替案を提示してきた。 しかし、地域社会への負担と抑圧を最小限にし、破壊を減らす改革案は、IOCの関心事ではない。 このような開催方式は最大の利益と強大な影響力の持続を保証しないからである。
2年ごとに新しい開催地でおなじみのオリンピック問題が浮上するとき、IOCとその協力者たちは言う。 若干の問題があることは認めるが、崇高なる「オリンピック精神」実現のためにオリンピックは継続しなければならない、と。 オリンピックは世界を良くする魔法のようなものではない。 民主主義と正反対の方法で公的な制度と法の枠を外して特権を享受する無責任な利権産業に過ぎない。 差別主義者―貴族白人男性が生み出したこの産業は、100年を超える歳月の間、人種差別主義者とファシスト、少数の特権層によって運営される伝統を維持し、欺瞞的な権力者や巨大企業と協力し、ますます大きな規模の搾取と破壊をビジネスとするやり方で発展してきた。 IOCは毎年6月にクーベルタン男爵を称え、オリンピックブランドの永遠の存続を祈願する。
他の開催地と同様、平昌冬季オリンピック招致過程でも民主的な意思疎通は徹底的に排除された。 2000年にキム・ジンソ���前江原道知事が公式にオリンピック招致の意思表明を行った後、地域市民団体を含む様々なコミュニティから懸念の声が上がった。 しかし、オリンピック招致の基盤施設という名目で推進され、結局江原道地域財政の悪夢と化したアルペンシアリゾート建設とオリンピック招致は続けられた。 その過程で、住民参加による公聴会や討論会はただの一度も開催されることはなかった。 13兆ウォンを超えるカネが投入されるオリンピック建設事業で公的資源を管理し監視する行政的手続は、新しく制定されたオリンピック特別法によりマヒしてしまった。
オリンピック開催地が10年以上前に決められる理由とは何か? スポーツイベントはオリンピック産業のごく一部であり、体のいい名目に過ぎない。 オリンピック産業は、開催地の事業者の不動産投機及び建設事業、スポンサー企業とIOCの最大利益獲得がドラマチックに出会って実現する。 オリンピック開催の予算が雪だるま式に膨れ上がる一方で、地域の福祉・教育・医療予算は削減された。 江原道全域でオリンピックと何の関係もない各種の建設事業が、オリンピックの名を以て推進された。 主催側はオリンピックを通じて地域経済が発展すると語った。 多くの住民はこの言葉を信じて期待した。 工事による苦しみにも耐えた。 だが、実際に迫ってきた現実は約束とは違った。 一部の住民はオリンピックの名前を掲げた不透明な開発事業に土地を奪われた。また、 他の住民は観戦客のためのホテル建設事業によって追い出され、生活の場を失った。 地域の中小企業がオリンピック特需どころか財政破綻レベルの売上減少に直面している一方で、金融資本と大型建設会社が新しく建てたホテルとリゾートは増え続けた。 オリンピックに貢献すべく集ったボランティアたちは、とても耐えられない過酷な環境の中、過酷な無給労働に苦しめられた。 開催に協力した短期人材、バス運転手、参加企業は正当な労働の対価を受けられなかった。 多くの建設労働者は莫大な規模の賃金滞納により、人生が崩壊した。 組織委は自らの特殊性を掲げて、予算・決算内訳も透明に公開せず、開催後、このすべての問題を放棄して解散した。 ほとんどの個人は最後までまともな給与を受けとることもできず、一部の企業は泣き寝入りを強いられ、部分的な支給に合意しなければならなかった。 上昇した地価による不動産差益さえも、地域住民を潤すことはなかった。 オリンピック招致推進が本格化していた2000年代半ばから投機屋が集まった。 財閥と上級公職者を含む江原道外の人々が土地を買い入れ、地価は上がった。 様々なオリンピック建設現場で癒着と利益供与疑惑が指摘され��が、これまで明らかになったことはない。 歴代最悪の経済事犯であるイ・ゴンヒ(李健熙)もオリンピックの受益者だった。 IOC委員でもあった彼はオリンピック招致の功労により特別赦免された。 オリンピックのスポンサーでもあるサムスンが平昌オリンピック招致当時、企業レベルで手っ取り早くロビー活動に乗り出したという疑惑が出されたが、サムスン側の反論文一枚でみな口を閉じてしまった。 最小限の費用で最大の利益を得た企業とIOCは去っていった。 私たちの選出職公務員(訳者注:選挙などにより選ばれた公職者。議員など)は、どんな問題にも責任を負わず、わき目もふらずオリンピックを名目に開発事業を推進し続けている。 全国の地方自治体と地域の有力者、大小の企業はこれらの模範事例にのっとり責任を免除され、成功に向かって進む熱望を隠すことなく表している。
カリワン山をめぐる全ての約束が無残に反故にされている間に、森の状態はさらに悪化してきた。 破壊は一瞬だが、蘇らせることはほとんど不可能に近いことを、専門家たちがオリンピック招致が確定した時から絶えず指摘してきた。 主催側もこれをよく知っていた。 伐採が行われた時にも、復元策は何もなかった。 オリンピック・パラリンピックが幕を下ろす前に、チェ・ムンスン江原道知事は「カリワン山の環境破壊について話すには、あまりにも遅すぎた。 森を完全に復元する方法はない。 該当地域の一部はスポーツ施設として使用しなければならない」と公言し、大韓スキー協会とチョン・ジョンファン前チョンソン郡長は「単純な復元論」で「アルペン競技場が消滅する危機に直面している」と欺瞞に満ちた言動を繰り返した。
山林庁が保護区域を解除した唯一の根拠だった現状復元の約束は、最初からウソだった。森を復元しようという対策も意思も最初からなかったのだ。平昌冬季オリンピックが閉幕して満4年になる今日、私たちは依然として荒れ地のまま残されているカリワン山の前に立って、とどまることを知らないオリンピック災害を今こそ止めなければならないと訴える。カリワン山を復元せよ、オリンピックはこれ以上どこにもいらない。
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伊藤詩織氏が告発した山口敬之氏の独占手記
「詩織」と名乗る女性の勇気ある���発!
2017年5月29日、「詩織」と名乗る女性が、東京・霞が関の司法記者クラブで、たくさんの記者とテレビカメラを前に、私から性的暴行の被害を受けたと主張した。
「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」ということで、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱った。この女性は自らの主張を詳細に説明するとともに、2016年7月の検察の不起訴処分について検察審査会に不服申請を行った、と述べた。
この問題は、この会見に先立つ5月中旬、なぜか『週刊新潮』が「安倍総理べったり記者の準強姦逮捕状」というセンセーショナルなタイトルで報じていた。
私は、週刊誌報道の段階から一貫して疑惑を全否定し続けた。しかしメディアの大半は、「勇気ある告発をした」として女性に寄り添い、私を犯罪者と断定するかのような報道が少なくなかった。
また、複数の野党議員が国会の内外で、女性側に寄り添い、事実認識を誤った質問を繰り返した。そしてなぜか、これら野党の主張に共鳴する集団も、ネット上で女性の主張を鵜みにして私を糾弾し、私や私の家族には「死ね」などという誹謗中傷のメールが殺到した。
事実と異なるあな��の主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負いました。私は虚偽の訴えに強い憤りを感じました。
しかし4カ月あまりの審理の末、検察審査会は9月21日、「不起訴処分は妥当」との最終結論を出した。「犯罪行為があった」という女性の主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した。
この間、私は様々な判断から基本的に沈黙を守ってきた。しかし、女性が民事訴訟を提起したことで状況が変わった。これまでの沈黙の理由も含め、私は自らの見解を「当該女性への書簡」という形で申し述べることにした。
いままで私が、沈黙を守ってきた理由
詩織さん、
あなたは性犯罪被害者ではありません。そして、自分が性犯罪被害者でない可能性があるということを、あなたは知っています。
検察審査会は、一般国民から無作為に抽出された11人のメンバーによって構成されます。
そして、あなたの「犯罪行為があった」という主張と、私の「犯罪行為はなかった」という主張、さらに当局が収集した膨大な客観的な物証に基づく4カ月あまりの審査の結果、検察審査会は「不起訴処分は妥当であった」という結論に達しました。
これにより、刑事裁判によって私に犯罪者という汚名を着せようというあなたの企ては、最終的に失敗したわけです。
もしあなたが民事訴訟に打って出なければ、私はこれ以上の議論をしないつもりでいました。それは、これまで沈黙を守ってきた判断と同様に、傷ついているように見えるあなたがさらに傷つく危険性があると判断したからです。
しかし、あなたがあえて「不法行為があった」との主張を民事訴訟の場で繰り返すのであれば、無関係な他者を巻き込んで騒動を継続しようとするならば、私は自らの主張の中身を公表せざるを得ません。
それは「あなたの主張が事実と異なっている」ことを示すことを一義的な目的としますが、そのために「全く根拠がないことを事実だと思い込むあなた特有の傾向」まで指摘することになります。
残念ですが、あなたが選んだ道ですから、冷静かつ論理的に、私の主張の一部をここに示すこととします。
あなたの主張は、要約すれば「2015年4月3日の夜、抗拒不能な状態で意に反して性行為をされた」ということになります。そしてそれは、「飲食店のトイレから翌朝5時まで継続して意識を失っていた」というあなたの認識に立脚しています。
それは全く事実ではありません。また、あなたは自らの主張が正しいと立証することが絶対にできません。このことは、実は捜査段階ですでに明確に示されていました。
だからこそ検察官は不起訴処分という結論に達し、検察審査会もその判断が妥当という最終結論に至ったのです。私はこれから、その詳細を5つの事象に分けて説明します。
①「デートレイプドラッグ」
②「ブラックアウト」(アルコール性健忘)
③詩織氏特有の性質
④あとから作られた「魂の殺人」
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
①「デートレイプドラッグ」――間違った主張のはじまり
あなたの「犯罪被害に遭った」という主張は、「私はお酒ですっぽり記憶を失くした経験はない」から、「山口氏にデートレイプドラッグを混入されたと思っている」という点からスタートしています。
私はそれを聞いて本当に驚きました。私はそもそも、デートレイプドラッグというもの自体を知らなかったからです。しかも、当夜の状況を見れば、私があなたのグラスにいかなる薬物も混入させることなどできなかったことは明白です。
2015年4月3日、我々は東京・恵比寿の2軒の店で飲食しました。1軒目は庶民的な串焼き店、2軒目はカウンターの寿司店。2軒とも、10数人も座ればいっぱいになる、小さいけれども明るいオープンカウンターの店で、客は店主と向き合って座ります。
1軒目の串焼き店はほぼ満席で、我々の両サイドにお客さんが座っていました。2軒目の寿司店もたくさんのお客さんで賑わっており、ほぼ満席でした。
当地で生まれ育った私にとって、両店は20年以上通う行きつけのお店です。あなたも記憶していると希望しますが、私はどちらの店でも、馴染みの店主やその奥さんと親しく談笑しました。
あの夜、あなたはいろいろな種類の酒を飲みましたね。1軒目の店に座ってほどなく、私はあなたの飲むペースが非常に早く、かなり強いお酒をぐいぐいと一気飲みのように飲むことに気が付きました。
少し心配になり、
「大丈夫ですか?」
と訊きました。するとあなたは、
「喉が渇いているので。お酒は強いほうだから大丈夫です」
と答え、その後もハイペースで飲み続けました。
私は少し驚きながらも、いい大人なのだからと、それ以上は警告をしませんでした。もちろん、私があなたに飲酒を強要したことは一切ないこともお認めになりますね?
結局、あなたは2軒の店でビール、サワー、ワイン、日本酒を飲んだ。そして2軒目の寿司店で、当夜1回目のトイレに立って、そこで酔いつぶれた。あなたは記憶を失ったのは2回目だったと主張しています。
しかし、あなたが寿司店でトイレの場所を私に訊いてから席を立ち、その後、戻ってこなかったので私はよく覚えているのです。酔いつぶれてしまった女性が、直前のトイレの回数を正確に覚えているというのも不思議な話です。
あえて2回目と主張しているのは、そう主張することで私に薬を入れる機会があったと主張するためではありませんか?
要するに、あの夜、あなたが飲んだ全てのアルコールのグラスは、ずっとあなたの目の前にあったのです。
百歩譲って、あなたがつぶれたのが2回目のトイレだとしても、ほぼ満席の客でごった返す明るいカウンター席の店で、顔馴染みの店主や従業員のいる前で、女性のグラスに薬品を入れることなどできるはずもありません。
「山口に違法ドラッグを飲まされた」
しかも驚くべきことに、あなたは薬を入れているところを見たわけでも、その後、目撃証言を得たわけでもなく、「私は酒に強いはずなのに、急に酔いが回ったから、山口に薬を盛られたに違いない」と言うのです。
失礼千万な話です。
あなたの言う「デートレイプドラッグ」は、その後、調べてみたところ、町の薬局で手に入るものではなく、ほとんどがインターネットを通じた取引だということですね。
私は所有していたすべてのパソコン、携帯電話、タブレットなど、ありとあらゆる物を警察に提供しましたが、違法薬物の購入や使用に繋がる物証は一切ありませんでした。
もし私が違法薬物を入手したり使用したりしたのであれば、日本の優秀な警察機構は何らかの手掛かりを見つけたはずですが、あなたの主張を聞いたにもかかわらず、そんなものはなかった。
串焼き店、寿司店でも捜査員が証言を集めに回ったことが確認されていますが、そこでも薬物混入を示す証言は一切なかったのです。
当たり前です。繰り返しますが、私はあなたの言う「デートレイプドラッグ」などというものは、聞いたことも見たこともないのです。
あなたはただ、「自分の酒量を過信して飲みすぎた」だけなのです。それはよくあることで、そのこと自体を強く責める気はしません。
しかし恐るべきは、その後のあなたの見解です。自分の飲みすぎを認めないばかりか、何の証拠もなく、「山口に違法ドラッグを飲まされた」という前提で主張のすべてを組み立てている。
記者会見で、デートレイプドラッグを盛られたという主張をした際に、あなたは「他に思い当たる節もある」と述べました。それは何を指しますか? 明確に示して下さい。
そんなものはあるはずがない。あなたの勘違いと思い込みなのだから。ありもしない証拠や傍証を、あたかも存在するかのように記者会見の場で匂わせるのは、卑怯なやり方です。
②ブラックアウト(アルコール性健忘)
繰り返しますが、あなたはいかなる薬物も混入されていません。ただ、飲みすぎただけです。
その一方で、あなたは記者会見で「私は酒に強く、泥酔したり酔いつぶれたりしたことはない」と主張しました。ということは、あのように泥酔してしまったのは人生で初めての経験ということになりますね。
それならば、あなたは酒の��剰摂取の影響下で、自分がどう行動するか、そして、その行動をどこまで記憶しているか、経験がないから類推できない。これが、今回の問題の核心部分です。
寿司屋でトイレに入ったあなたは、長い間出てこなかった。心配になった店の方に促されて、ようやく出てきたあなたは、見るからに酔っぱらっていました。驚いた私は、やむなく急いで会計を済ませました。
店を出たのは22時半から23時頃だったと思います。店を出る段階で、あなたは足元が覚束なかった。そして、店の入り口左手にあった荷物置きの棚から、あなたは自分のショルダーバッグに加えて、他のお客さんのカバンも持って出てしまったことが、あとになってわかっています。
誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態でした。
しかし、私は当時、TBS報道局のワシントン支局長を務めていたので、ワシントン時間の午前中、すなわち日本時間の23時過ぎまでに済ませなければならない作業(メール確認やパソコンでの調査・連絡)を複数抱えていました。
神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わらない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。
「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」
あなたはタクシー運転手の証言を元に、「『駅で降ろしてください』と言ったのにホテルに連れて行かれた。だからその段階で犯意があったのだ」というストーリーを作ろうとしているが、とんでもないことです。
そもそもあなたは、「寿司店のトイレ以降、記憶がない」と主張しています。あなたが相当程度酔っていたことは、あなたも認めているのです。
実際、あなたはそのタクシーのなかで嘔吐したではありませんか。嘔吐し、朦朧とした泥酔者が「駅で降ろしてください」と言ったからといって、本当に駅に放置すべきだと思いますか?
私が宿泊していた白金高輪のシェラトン都ホテルに到着すると、私は泥酔しているあなたがタクシーから降りるのを手伝いました。あなたはタクシーのなかで嘔吐したこともあって、傍目には少し回復したように見えました。
そして、千鳥足ではありますが、自分の足で歩きました。
このホテルでの移動について、あなたは「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」と主張していますが、それはあなたが何と言おうと物理的に全く不可能です。ホテルの1階ロビーは、車寄せからエレベーターホールまで100メートルほどあります。
もしあなたの主張どおり、全く意識がない状態だったとしたら、私はあなたを抱えて、どうやって100メートルも移動したというのでしょうか?
衆人環視のなか、正体不明の大人の女性を荷物のように背負ったり、引きずって歩いたりしたとでもいうのでしょうか?
あのホテルは、車寄せから入り口を入ると、まずドアマンや荷物係が待機しており、正面には24時まで営業している大規模なラウンジ、そして右手に曲がるとホテルフロントがあり、レセプションの人やコンシェルジェ、���内係がズラリと並んでいます。
意識を失っている、あるいは意に反して無理矢理移動させられている女性がいたとして、一流ホテルの訓練された接客のプロたち全員が、それを見逃すということがありうるでしょうか?
しかも、4月3日は金曜日で、ロビー階では多くの宿泊客やレストランの利用客が往来していました。あなたの主張がいかにありえないかは、金曜日の夜11時に、都ホテルに行ってみればすぐにわかります。
実際のあなたは、2つのカバンを自分で持って、自分の足でヨタヨタと歩いたのです。もちろん、千鳥足ではありましたから、私はあなたが転ばないように注意はしましたが、移動を無理強いしたり、あるいは担いだり引きずったりは一切していません。
防犯カメラに映っているのも、「意識のないあなた」ではなく、「酔っぱらっているけれども何とか自力で歩けるあなた」です。
要するにあなたは、犯罪行為が行われたという主張の根幹をなす「意識のない状態が朝まで続いた」という認識の一環として、「ホテル到着時も意識がなかった」との立場をとっていますが、あなたの主張は物理的にありえないのです。
私の部屋がある階でエレベーターを降りたあとも、あなたは自分の足で普通に歩きました。私が部屋の鍵を開けると、あなたは私を押しのけて先に部屋のなかに入り、小走りに窓際に向かいました。そして、いきなり嘔吐しました。
あなたは、いびきをかいて、寝ていた
私は翌朝、アメリカに帰ることになっていたので、パッキング前の荷物を窓際にまとめて置いていましたが、その上にも吐瀉物が飛び散りました。
自分の荷物を汚されて少なからず驚いていると、あなたは今度は踵を返して、無言でトイレに駆け込みました。あなたの吐瀉物をタオルで拭いておりますと、トイレのなかから嘔吐する大きな音が2度しました。
正直に言って、本当に迷惑でした。やらなきゃならない仕事を抱えて、翌日の移動のためにパッキングもしなければならないのに、荷物をゲロまみれにされたうえにトイレを占領されている。
しかし、早く済ませなければならない作業が複数あったので、私はやむなくパソコンに向かいました。仕事が一段落してもあなたがトイレから出てこないので、私は心配になってドアをノックしました。
すると、なかからかすかな声が聞こえたのでドアノブを回すと、ドアは施錠されていなかったため、ドアを開けてなかを見ると、あなたは尻もちをついて、トイレとバスタブの間に座り込んでいました。ブラウスとスラックスは、大量の吐瀉物で汚れていました。
私は吐瀉物が苦手なので自分も吐きそうになりましたが、このまま放置すると喉に物を詰まらせて事故を起こす可能性もあったので、やむなくなかに入って吐瀉物をタオルで拭い、あなたを起こそうと努力しました。
あなたは謝罪ともうめき声ともつかない声を上げながら、なんとか自ら起き上がりました。そしてゲロまみれのブラウスを脱ぎ、部屋に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまったのです。
私はあなたのあまりの痴態に怒り呆れましたが、翌日着るものがないとかわいそうだと思い、トイレに放置されたあなたのブラウスのゲロを拭って浴室に干しました。
また、バスルームの床面もゲロまみれだったので、シャワーで洗い流すな���して部屋に戻ると、あなたはいびきをかいて寝ていました。
部屋はツインで、シングルベッドが2つありました。前日まで私が寝ていたベッドはあなたに占領され、もう1つのベッドは、ベッドメイキングを壊さないままパッキング前の衣類などを並べていました。
私が全ての仕事を終えても、あなたは相変わらずいびきをかいて眠りこけていたので、私は荷物置き場にしていたベッドの、わずかに空いたスペースに身を横たえました。
下着姿でミネラルウォーターをごくごく。そして――
部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。
私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました。
「喉が渇いたのですが、飲み物をもらってもいいですか?」と言って、あなたがホテルの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、自分でキャップをひねって開けて直接飲みました。
下着姿であることを全く気にしていないのには少し驚きましたが、外国生活が長いせいかなと類推したのを覚えています。
そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。
面食らった私は、ひとまずいままであなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。
ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです。
はっきり言えるのは、私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反する行動は一切していないということです。
もし、あなたが覚えていることがあり、自分で差し支えないと考えるなら遠慮なく言って下さい。
誰も証明できない「密室」での出来事
もうひとつ強調したいのは、トイレから戻ったあとのあなたは、立ち居振る舞いもしゃべり方も正常で、すっかり酔いから醒めたように見えたということです。
それまでに複数回にわたって大量に嘔吐したあと熟睡したので、それで楽になったのかなと思いました。その後しばらくして、あなたはまた眠りに落ちました。
要するに、あなたは「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠ったのです。
あなたはこのことを覚えていないのかもしれない。あるいは覚えていたが忘れてしまったのかもしれない。あるいは覚えているのに黙っているのかもしれない。
それは私にはわからない。密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない。
しかし、1つだけ客観的な事実を示すことができます。私は一時帰国の期間中、1度もホテルの冷蔵庫の飲み物を消費していません。室内のミニバーの飲料はどれも高価で、好みのものもなかったので、飲み物はコンビニで買って持ち込んでいました。
だから、7日間の滞在で、唯一の冷蔵庫の出費こそが、あなたが飲んだミネラルウォーター���ったのです。
このことは、ホテルの領収書によって簡単に証明できます。あなたは、未明に自分で起きて、トイレに行ったあと、自ら冷蔵庫を開け、自分の力でペットボトルのふたを開け、飲んだ。
これ��あなたの「朝まで全く意識がなかった」という主張とは完全に矛盾します。
その後、あなたが被害届を出して、私は警察の聴取に全面的に協力しました。そのなかで、深夜のあなたの覚醒と再睡眠について何度も質問されました。
ペットボトルのことも含め、私は覚えていることを繰り返し詳細に話しました。おそらく捜査員は私から聞いたことを踏まえてあなたに確認し、その答えを踏まえてまた私に聞き直すということを繰り返したのでしょう。
何回か聴取が繰り返されたあと、捜査員は私にこう言いました。
「あなたの供述は何度聞いても詳細で矛盾がない。他方、詩織さんは朝まで記憶がなかったと言っている。双方の主張は一見矛盾しているようだが、2人ともウソをついていない可能性が1つある。それは『ブラックアウト』だ」
英語でブラックアウトと言えば、真っ先に浮かぶのは停電です。しかし、捜査員の言うブラックアウトは違いました。アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象のことをいうらしい。
たしかに、酒を飲みすぎてどうやって家に帰ったか覚えていないという話は珍しいものではありません。自力で歩き、自分でカギを開け、部屋まで辿り着いて寝たが、ただその経過の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。
それでも、最初に捜査員にブラックアウトの可能性を指摘された時には、私はにわかには信じられませんでした。
というのは、トイレから戻って再び眠るまでのあなたの行動は所作も会話も全く正常で、のちに記憶を失うような泥酔した状態とは到底思えなかったからです。そのことも捜査員に指摘しました。
しかし、医学的に「アルコール性健忘」といわれるこの現象は、アルコールの過剰摂取によって、脳内で記憶を司る「海馬」という組織の機能だけが低下することによって起きるため、傍から見ると当人の行動は、まったく酔っていないように見えるといいます。
普通に歩き、しゃべり、飲食をしているが、その状況を記憶として脳に保存することだけができない。もし当夜、そういう状況にあったのであれば、「朝まで記憶がなかった」とあなたが主張したとしても、辻褄が合うのです。
(つづく)
(初出:月刊『Hanada』2017年12月号)
【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」
③詩織氏特有の性質――「盗撮されたに違いない」
捜査員が示した可能性は、簡単に言えば「飲みすぎて記憶が飛んでしまった」という、酒飲みにとってはよくあるありふれた話です。
しかし、しかしです。私と同じく、あなたも捜査員からブラックアウトの可能性について説明を受けたはずだ。そして、あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にできない。
しかも、あの夜は人生で初めて自分の酒量の限度を超えて飲んでしまったのだから、なおさらです。
それまでの人生でアルコール性健忘の経験がなかったからといって、その現象が自分には絶対に起こりえないと断定するのは、少し独り善がりが過ぎませんか?
そして、「自分が飲みすぎたはずはない」という無理な論理を補強するために、根拠もないのに「デートレイプドラッグ」などという違法薬物の話を思いついたのではありませんか?
そこで、私が指摘せざるを得ないのが、あなた特有の思考傾向です。
たとえば、あなたは朝起きてテーブルの上に私のパソコンがあるのを見て、咄嗟に「盗撮されたに違いない」と思ったと述べていますね。そして���れが、警察が強制捜査に着手するきっかけになったとも言っています。
私のような仕事をしている人間は、例外なくパソコンを使っている。部屋にパソコンがあるからといって、自分が盗撮されたと思い込むというのは、あまり普通の思考回路ではない。
実際、そのパソコンは警察に提出され、盗撮映像など一切出てきませんでした。当たり前です。私は盗撮などしていないからです。
それから、あなたは「独自調査の結果、得られた新しい証拠を検察審査会に提出した」とも述べました。そこで例示したのがタクシー運転手の証言でした。しかし警察は、そのタクシー運転手から早い段階で聴取を行っていました。
その証言に基づいて、私は捜査員から何度も質問されている。そのことはあなたも知っている。その証言も踏まえた捜査が行われ、検察官は不起訴という判断を下したのです。
「自分は酒に強いから薬物を盛られたに違いない」
「ブラックアウトは、自分には起こり得ない」
「パソコンがあるなら盗撮されたに違いない」
「自分は初めて聞いたから、新証拠だ」
あなたの思考パターンには、まず強い自意識があって、自分を被害者、私を悪意ある犯罪者と思い込むことによって、全ての事象をそのストーリーにはめ込もうとしているのではないか。
その結果、冷静な判断ができなくなり、結果と��て事実ではないことや根拠のないことを、自ら信じ込んでしまっているのではないか。そう考えざるを得ないのです。
④あとから作られた「魂の殺人」――「レイプは魂の殺人です」
ここまでは、「~に違いない」というあなた特有の思考パターンから、私を犯罪者と思い込むに至った流れを類推しました。
しかしこれから述べることは、アルコールという外的要因によって起きた、いわば不可抗力的なものではありません。事後、あなたの心の内部で時間の経過とともに深まっていった、不可解な「後付けの被害者意識」についてです。
あなたは記者会見で、「私はレイプされました」 「内側から殺されました」 「レイプは魂の殺人です」と、非常にエモーショナルに訴えた。
しかし、その激しい怒りと憎悪は、最初から一貫したものではなかったことを証明します。それは、事後のあなたの行動と発言を精査することによって、はっきりと浮かび上がります。
あなたは「給水タンクに寄りかかってから朝まで意識がなかった」という前提の下で、自分がレイプされたと朝の段階で確信し、口論の末に逃げるように部屋を出たと主張している。
しかし、あなたの翌朝の行動は、明らかにあなたの主張と矛盾しています。まずは翌朝のあなたの様子について、私の覚えている限り記述します。
1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。途中、1回だけ英語で少し大きな声を出しました。
「I fucked without contraceptives.」(避妊しないでやっちゃったわ)
急に英語で大声を出し、しかもfucked というあまり上品でない単語を使ったので、私は違和感を覚えましたが、あなたがすぐに日本語に戻ったので、特に気にしませんでした。
日本語の会話は、通常の音量で平穏な口調で、その日の予定や今後の連絡の取り方など、差し障りのない雑談でした。「口論の末逃げ帰った」というあなたの主張は、事実とかけ離れています。
なぜ「レイプ犯」のTシャツを着て帰ったのか?
しかし、もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない。
まず、絶対にしないはずの行動について説明しましょう。
朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」
あなたのブラウスは化繊の薄手のもので、朝までに相当程度乾いていたため、濡れて着用できない状況ではないように見えました。
しかし、私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。
あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの1つを選び、その場で素肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。
レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?
私はこのTシャツの末についても、捜査員に伝えました。そして、できれば返してほしいとお願いした。
しかし捜査員は、
「いまはまだ捜査の途中だから、物品の返却についてはもう少しあとで考えましょう」
と言われました。
結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?
あなたは記者会見で、自分が受けたと主張する「被害」について、「レイプという行為は私を内側から殺しました。レイプは魂の殺人です」とまで表現しました。
そこまで言うのであれば、いまのあなたは、私のTシャツを素肌に身に着けることなど、おぞましくて決してできないでしょう。
それならば、「あの朝のあなた」と「いまのあなた」の感情は、全く種類が異なっていることは明らかです。すなわち、あなたの強い被害者意識は最初からあったのではなく、あとから時間をかけて醸成されたものだということになります。
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか?
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
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MMT理解のコツ(実践編) :「政府が貨幣の供給者だ」という一点を知るべし
MMT理解のコツ(実践編) :「政府が貨幣の供給者だ」という一点を知るべし https://38news.jp/economy/14183 という記事を配信しました。 MMTとは何かを理解するために、 あるいは、上手に人に説明するためには、 「政府が貨幣の供給者だ」 という一点だけをしっかりと伝えれば、 MMTが示唆する「政策」の全容が すっと理解できるようになる・・・ というお話をいたしました。 この一点だけを理解しておけば、 ・どれだけ国債を発行しようが、 政府は破綻しないという「事実」 ・社会保障のために消費増税が必要だ、 という話が単なるウソ話であるという「事実」 ・政府にはオカネが無いから、 公共投資の拡大や JGP(政府支出による完全雇用と最低賃金の保証) なんて無理だ、という話もまた、 単なるウソ話であるという「事実」 をいとも容易くご理解いただける、 ということをご紹介しました。 ただし、この「政府が貨幣の供給者だ」と言う認識は、 MMTについての 「理論体系」 を理解する上でも、とても有用な 「出発点」 とるものなのです。 以下、「政府が貨幣の供給者」という一点から、 MMTの全体像をあらわすストーリーを 簡潔に描写してみましょう。 ・・・ まず、 「政府が貨幣の供給者」になれるのは、 「政府が、貨幣による、徴税義務を国民に課しているから」 です。 円での納税義務を国民に課しておけば、 日本で暮らす人は皆、税金を「円」で払わねばならず、 したがって、国民にとって「円」は絶対必須となります。 なぜなら、 日本にいる限り、誰も、納税義務から逃れられない からです。 だから、国民は全員「円」を「欲しがる」ことになります。 一方、 「そんな納税義務をなぜ、国民が受け入れているか?」 と言えば、それは、 国民は、政府によって国防、治安維持、防災等の形で、 実に様々な「庇護」を受けているからです。 国民にしてみれば、 「税金を払いたくないから日本から出ていく」 という選択よりも、 「しぶしぶ税金をはらってでも、日本に居る」 という選択の方が相対的に魅力的なのです。 (というか、そう思っている国民だけが今、 日本に住んでるわけです) これは、親子関係とそっくりです。 子供にとっては仮に親が不満でも、 家を出ていくと親の庇護を受けられなくなるから、 親の言うことを渋々聞きながら、家に居続ける――― という親子関係は、この世にごまんとあることでしょう。 国家と国民の関係も、 そんな親子関係と同じ構図にあるわけです。 そんな関係があるから、 「親」である国家だけが、 「現金」(円)を発行する独占権を 得ることができるのです。 ・・・・ 以上で、「MMTの本質」の説明は終了です。 そして以上の話と、「実践編」でのお話も含めると、 以下の様な因果構図が浮かび上がって参ります。 (1)「政府が国民を庇護している」 ↓だから (2)「国民は納税義務を受け入れる」 ↓だから (3)「政府は、自分で作り出す貨幣で納税を義務づけることで、 その貨幣に価値を宿らせることができる」 ↓だから (4)「政府は貨幣の供給者」になることができる。 ↓だから (5)政府は「インフレになるまでの間は、政府支出の拡大」 が可能である。 ↓だから (6)「インフレになるまでの間は、政府は、 国民のために必要な投資が可能だし、 財源調達のために 消費増税を行う必要性など、一切ない」 ・・・ MMTを理解している人々は実は こうした因果プロセスを「俯瞰的」な視点から 総合的に理解している人々なのです。 つまり、MMT論者達が 政府が貨幣の供給者だと主張するのも、 デフレ下での消費増税を反対するのも、 政府が破綻することなど無いと主張するのも・・・ 全て、「政府は親のように国民を庇護している」 という構図を俯瞰的に見て取り、そして、 政府と国民の間に そんな「国の家」=「国家」の関係があるからこそ、 貨幣を巡る現象が全て生じているのだ・・・ という大局観を持っているのです。 だから、MMTを理解するためには、 国家とは何なのか、 国民と政府との関係はどういうものなのかを 俯瞰的な視点から、 大局的に理解している必要があるのです。 ここに、MMTが現代日本で嫌われる最大の理由があります。 戦後日本には、 (戦争の反省の下)国家を否定するイデオロギーが 蔓延しています。 その結果、MMTが主張する 『貨幣の本質は、 国民・政府の間の「国家的関係」に裏打ちされている』 という構図を、認めたくないという強い潜在意識を持っているのです。 しかも・・・ 最近の学者、インテリ達の多くは、皆、 些末な理屈を「こねくり回す」ことには慣れていますが、 「大局的に把握する」ことが苦手な 専門家 に過ぎないので、 MMTが提示する大局的認識を理解できないのです。 つまり・・・ 今の日本のインテリは、 「国家嫌いの専門バカ」 ばかりなので、MMTを、本能的に忌み嫌うのです。 バカにつける薬は無い・・・ なんて言いますから、 日本でMMTを普及させるのは、 かなり骨が折れる仕事かもしれませんね(苦笑)。 ・・・とは言いつつ 「心ある日本人」もたくさんおられることも事実。 ☆☆☆☆☆ From 藤井聡@(京都大学大学院教授) MMT理解のコツ(実践編):「政府が貨幣の供給者だ」という一点を知るべし ケルトン教授が来日されてから、はや二週間。 その間、参議院選挙があり、 増税を掲げた与党の「大勝」を通して、 消費増税延期に向けた一縷の望みは事実上消滅。 日本国民は自ら「地獄の扉」を開き、 先進国から転落することを愚かにも事実上、 確定させてしまうとの愚挙に出たわけですが・・・ こうなれば後は心ある国民は、 消費増税後の世界を見据えた 「消費減税」に向けた闘争の準備を、 始めねばなりません。 その闘争に向けた最大の武器こそ、 もちろん、ケルトン教授が主唱する、 MMT、現代貨幣理論。 ケルトン教授との対話から 学ぶことは数多くありましたが、 その中でも特に当方が学んだのは、 「MMTで最も大切なポイントは、 政府は『貨幣の供給者』だという点です」 という「説明の仕方」でした。 もう少し言葉を足すなら、 「政府は貨幣の供給者であり、 貨幣の使用者である国民とは、 ぜんぜん違うのです」 と言うお話し。 MMTにはいろいろな側面があるのですが、 (信用貨幣論、表券主義、貨幣循環論・・・等) 確かに、この説明なら、誰でもスグに理解できるし、かつ、 「政府は財政赤字が原因で破綻することは無い」 というMMTの最大のメッセージを即座に理解できます。 なぜなら、「貨幣の供給者」である政府は 自分で好きなだけ貨幣を作れるわけですから、 どれだけ借りようが、 「破綻する」事などある筈ないですよね。 もちろん、貨幣が増えすぎて、 過剰なインフレになってしまっては 経済が混乱してしまいますが――― 逆に言えば、 「政府は貨幣の供給者だ」 という一点だけ抑えておけば、 そうしたインフレの問題「だけ」が、 政府支出量の制約になるんだという事も、 即座に理解することができますよね。 さすが、物わかりの悪い 不誠実な経済学者や政治家達を相手に、 何度も、何度も、何度も、何度も・・・ MMTを説明してきたケルトン教授ならではの、 ストレートな説明方式だと改めて感心した次第です。 ・・・ さて、「政府が貨幣の供給者」 であることさえ知っていれば、 次のような重大な「結論」を、 即座に得ることができます。 ■「財源調達のための消費増税が必要だ」論は、完全に間違い。 政府は自分で貨幣を作れるわけですから、 景気を冷え込むこと必至の消費増税までして 政府が貨幣を調達しようなんていうのは、 「正気の沙汰」とは思えない暴挙だ、 という他ありません。 ■「オカネがないから政府投資はできない」というのは、真っ赤なウソ 国民の生命と財産を守る防災投資、 次世代を担う日本人を育てる教育投資、 日本の科学技術力を���強する科学技術投資、 地方を豊かにする地方の新幹線・高速道路の投資等々・・・ こうした投資は全て、 日本国民を幸福にするものですが、今、 「政府にはオカネがない」というだけの理由で、 その投資の全てがストップしています しかし、「政府はオカネの供給者」なのですから、 政府にオカネが無い、なんて話は、 100%純粋な「真っ赤なウソ」。 インフレにならない限り、これらへの政府投資は、 全て進めることができるのです。 したがって、今の政府は国民を欺いて、 防災や教育、地方創生について成すべき仕事をしない 「サボタージュ」(=サボり)を重ね、 国民の生命と財産を傷つけ続けているのです。 ■「オカネがないから賃金水準の政府保証なんて無理」というのも真っ赤なウソ 政府は今、経済成長のためにも賃金の上昇が必要だ、 と主張し、財界に賃上げを要請し続けていますが、 そんなのは、完全なる「二階から目薬」。 いくら政府が要請しても、 民間が賃上げなど、する筈もありません。 ですが、公務員給与を上げたり、 政府支出で賄う公定賃金を直接上げたり、 賃上げ分を政府が補助をすれば、 確実に賃金を上げることができます。 ところが、今の日本でそんな主張をすると、 「そんな財源、どこにあるんだ!?」 という嵐の様な批判が巻き上がりますが、 そんな批判もナンセンス。 そもそも政府が貨幣の供給者なのですから、 政府は賃上げ対策を「直接」行うこともできるのです。 つまり、「オカネがないから賃金水準の政府保証なんて無理」 っていう話も、真っ赤なウソなのです。 ・・・ このように、「政府が貨幣の供給者」 であるという一点さえ抑えておけば、 誰がウソをついているのかが明らかになり、 政府が成すべき政策方針が明確になるのです。 しかも、「政府が貨幣の供給者」という一点さえ抑えておけば、 「MMTを深く知ること」もより容易くなるのですが・・・ その点についてはまた、次週、解説することとしましょう。 いずれにしても、 MMTについて知人、友人に語る機会があれば是非、 「政府が貨幣の供給者」 だという一点をまず、ご説明差し上げてみてください。 そうすると、 「正しくMMTを理解するの仲間」が 一人また一人と、増えていくことになるかも・・・知れません。 どうぞ、よろしくお願い致します!
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米中貿易戦争、日本経済への影響は?
先週のコラムで、これから日本の景気に関する悪い統計数値が出てくると予測したが、ここ一週間で発表された統計をみても、おおよその傾向は変わりないようだ。
5月10日に発表された3月の毎月勤労統計では、「実質賃金」が2015年6月以来の下げ幅となったことが報じられた。これひとつでも景気の悪さを印象付けるが、この数値は、景気動向指数の一致指数を算出する個別系列には指定されていない。
指定されているのは「事業所規模30人以上の季節調整値の所定外労働時間指数(調査産業計)」だ。その数字をみると、3月は95.3と前月比▲2.6の大幅減である。ということは先週に予測した景気動向指数より悪い数字が出るかもしれない。となると、20日に公表されるGDP一次速報も、予想よりさらに悪い数字になることが予想される。
また、海外経済環境もさらに悪くなりつつある。米中貿易戦争の先が見えなくなっているからだ。アメリカは、対中追加関税を25%に引き上げた。それまで米中交渉には楽観的なムードが出ていたが、土壇場で中国が外国企業への技術移転強要を是正する法整備の約束を反故にしたようで、一気に先行きは暗くなった。
筆者の本コラムを含め、いろいろな著作を読んでいただければ、米中貿易戦争は貿易赤字減らしという単なる経済問題ではなく、背景には米国が軍事覇権を保つために技術優位を維持しようとする戦略があることがわかるだろう。今回の米国の姿勢は、その米国技術を盗み取るような中国の行為を許さないという強い意志の表れであり、究極的には中国の国家体制そのものを問題視しているということだ。
米国が怒りを示している中国の行為とは、中国の国家体制に由来するもの。すなわち、①知的財産の収奪、②強制的技術移転、③貿易歪曲的な産業補助金、④国有企業によって創り出される歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行である。
なぜ、アメリカがこの4つを問題視していることが明確に分かるかというと、中国とは名指しされていないが、なんと昨年9月の日米共同声明(https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000402972.pdf)に、これらを許さないとすることが盛り込まれているからだ。これらの文言は、米交渉担当者が対中戦略としてこれまでも語ってきたものだが、それが公式の外交文書にまで登場していたのだ。
このアメリカの戦略を理解していれば、米中貿易戦争の抜本的な解決にはかなりの時間を要するということは、前から分かりきっていた。その意味で、「米中貿易戦争はどこかで歯止めがかかる」という市場関係者の楽観的な見方は、単なる希望的観測だったと言わざるを得ない。
政治的にみても、来年11月にはアメリカ大統領選が控えている。中国に対して厳しい姿勢をとることは、おおむねアメリカ国民に支持され、トランプ大統領に有利に働いているようだ。トランプ大統領の支持率は、現時点で45%程度と、歴代大統領の再選時に比べて遜色のない高い数字を維持していることから、それがわかる。
では、今後はどうなるか。米中の関税報復合戦は、貿易量を考えても中国に不利だ。特に、中国からアメリカへの輸出品はほとんどが代替可能なものであるので、これにアメリカが関税を課しても、米国国内物価への転嫁が難しくなり、結果として中国の輸出企業が苦しくなるのだ。
こうして中国経済が悪くなると、中国国内の消費や輸入が減る。となれば中国に依存している国ほど経済が落ち込むだろう。無論、日本への影響も避けられないが、それはどの程度のものか。中国向けの輸出業は大変になるだろうが、アメリカで中国製品��かわる代替需要も出てくるので、一部は負の影響が帳消しされるかもしれない。問題は、そのプラスマイナスが国全体でどうなるかだ。
リーマンショック級だらけ
こうしたトランプ大統領およびアメリカ政府の対中戦略について、安倍総理はかなり以前からつかんでいたに違いない。その結果、世界経済への悪影響もある程度は読んでいたはずだ。
そのため、日本は今のところ、世界の中では比較的米中貿易戦争の影響の少ない国であると言えるだろう。
ただし、いずれにしても経済二大国の戦争が、世界経済にとってよくない結果をもたらすことは明白である。その上、欧州のブレグジット問題はいまだに先行きが不透明である。
このようなことを鑑みると、世界経済を見渡せば「リーマンショック級の出来事」を探すのは容易な状況なのである。
さて、安倍総理は、6月28・29日に大阪で開かれるG20サミットの議長である。世界経済が問題山積の中、日本だけがぬけぬけと「10月から消費増税します」と言えるかどうか。国内経済と海外経済事情から考えたらわかることだ、と筆者は思う。
それでも、財務省は「財政再建が遠のくから、消費増税延期なんて許されるはずがない」というだろう。「社会保障の問題も、消費増税が先送りされると大変なことになる」ともいうだろう。
本コラムで何回も繰り返している「消費税を社会保障目的税としている国はない」という事実だけで、いかに「社会保障整備のための消費増税」という主張がセオリーから外れたものであるかが分かるのだが、消費増税によって、本来なら労使折半である社会保険料負担を企業が免れることになるので、経済界は消費増税を推進している。
財務省は経済界をさらなる味方にするたために、社会保険料負担だけではなく、消費増税のタイミングでの法人税減税という「おまけ」も付ける気でいる。また、財務省のポチ学者も「財政再建のためには消費増税が必要」という間違ったロジックを相変わらず唱えている。マスコミも、新聞の軽減税率を受けたいから、消費増税推しである。
バランスシートをみれば一目瞭然だが…
これら経済界、学会、マスコミはすべて「日本の財政危機」をすり込まれている。確かに「財政危機」は、国家の財布を握っている財務官僚が言うので、学者を含めた部外者がこれに疑問を抱くのは難しい。
そこで、筆者は日本の財政状況を分かってもらうために、きちんとした財務諸表(とりわけバランスシート)を作り、それで説明するしか方法はないと思い、25年前ほどにバランスシートを作成した。これは財務省(大蔵省)の部内者以外に作りようがないので、筆者が担当していた財投改革の一環として作成した。
これらの経緯は、2018年10月15日付け本コラム<IMFが公表した日本の財政「衝撃レポート」の中身を分析する>にも書いた。筆者がいつも言うのは、「国の財政状況をバランスシートでみれば(つまり、負債だけでなく資産も見れば)日本の財政に問題がないことは分かる」というものだ。
ところが、財務省は相変わらずバランスシートの右側の負債(の一部)のみを発表して、日本の財政危機を訴えている。たとえば去る10日にも、こんな報道発表をしている(https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/gbb/3103.html)。
上に掲げたIMFの記事のなかにある資料は、基本的には、筆者が大蔵省時代に作った、日銀を含めた連結バランスシートの数字だ。しかし、現在公表されている連結バランスシート(https://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/fy2017/20190328houdouhappyou.html)には、日本銀行が含まれていない(筆者の主張は、当然日銀を連結バランスシートに加えたうえでのものだ)。
なぜこんなことになったのか、その経緯はちょっとわからない。このバランスシートを公表しはじめた当時、筆者は財務省を離れ内閣府、内閣官房に在籍していた。
小泉政権の時、財務諸表を公表するまでの段取りはつけた記憶があるが、その中身まではチェックできなかった。結果として、後で連結バランスシートに日銀が含まれていないことに気がついたが、後の祭りだ。
おかしな言い分
財務省が作成したガイドブック(https://www.mof.go.jp/budget/report/public_finance_fact_sheet/fy2017/guidebook.pdf)には、「日本銀行については、省庁の監督権限が限定されているうえ、政府出資はあるもののその額は僅少であり、補助金等も一切支出していないことから、連結対象としていません。」と、日銀をバランスシートから除外した理由が書かれている。
今もその当時と同じ考えであるようだが、いま読んでもこの理由は噴飯ものだ。①監督権限が限定的、②出資額が僅少、③補助金なしというが、どれも的外れだ。
まず①について。財務省の日銀への監督権限が限定的、とはいえない。財務省は日本銀行法を所管(金融庁共管)している。日本銀行の独立性に配慮した必要最小限のものというものの、総裁などの国会同意人事、内閣の任命権(24条)、他業の認可(43条)、経費予算の認可(51条)、決算の承認(52条)、剰余金の処分(53条)、財務大臣又は内閣総理大臣の求めによる監査(57条)など、かなり広範にわたっている。これで「監督権限が限定的」と言うのは無理がある。
次に②出資額は僅少というが、出資割合は50%超だ。もちろん出資割合が50%超だからといって、株式会社における議決権のようなものはないが、政府による広範な監督権限であるので、日銀が政府方針とまったく別の業務を営めるはずない。
最後に③補助金なしというが、事実上、日銀には各種の優遇措置がある。日銀の利益の源泉は通貨発行益である。そして負債は基本的に無利子無償還の日銀券である。毎年負債見合いの資産の収益が利益になり、その将来の現在価値は発行した日銀券総額になる。これが通貨発行益だ。
その利益処分は、財務省の裁量の範囲だ。例えば、日銀職員給与を「(公務員並みではなく)銀行員並みにする」とすれば、収益(通貨発行益)の一部は日銀職員のものとなるが、これは裁量的な「補助金」ということもできる。つまり、補助金が一切ないというなら、日銀職員の給与その他の待遇も公務員並にしなければいけない。
そうした均等扱いがない以上、日銀は「補助金がない」とはいいがたいだろう。やっぱり財務省の言い分には、無理があるのだ。
さて、日銀を含めた連結ベース(これを統合政府という)は、いろいろなことを見やすくする。財政危機だという財務省の言い分も、標準的なファイナンス理論を知っている人が統合政府のバランスシートをみれば、そのウソが一発でわかる(これは、2018年10月15日付け本コラム<IMFが公表した日本の財政「衝撃レポート」の中身を分析する>を読んでほしい)。
そして、「日銀が量的緩和して大量に国債を資産として購入すると、金利が上昇したときに国債価格が低下し、評価損が出て、日銀が債務超過に陥る」と煽る話も、統合政府から見れば、デタラメとわかるのだ。バーナンキ元FRB議長が言っていたのは、日銀の資産が評価損ということは、発行者の国からみれば評価益であり、統合政府でみれば両者は打ち消し合って何も問題ではない、ということだ。
日本のみならず世界経済が悪い方向に向かおうとするなか、消費増税について、どんな判断が下されるのか。そのときには、今回述べたようなことも議論の材料とすべきだろう。
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181213 拍手RES #2
レスが長くなったのでエントリー分けました。
>>15:23 僕は自分の行動に逐一意味を求めてしまいます。自己矛盾を起こす様な理念や好きと言えない絵を描いてると妙なモヤモヤや後悔を感じます。いっそ狙って描いたものに関しては(版権モノ等)『こんな狙いでコレを描いてみた』『コレは何となくノリで描いた』とブログか何処かに上げてからSNSへ投稿、結果、コレはまぁまぁ、コレは全然ダメ、などするのはどうでしょう?
◆クックック…姫械博士です。ウソです。私です。それは過去、大量にやりました。pixivで言えば、NeedsSeek(需要探り)というタグをつけて投稿したものは、全て感情込めず不本意に描いた内容です。ただ、そのタグを付けられるレベルの感情移入度、力の入れ加減ではやはりリアクションは得られません(今ではそのタグはほとんど外しているのとマイピク限定にしてしまったのでpixivで検索しても見れません)。
どんな作業でも集中して向き合っているうちに「壁を破れた」「何かを掴んだ」と感じる瞬間があるわけですが、版権にせよオリジナルにせよ、その要素が内包されている絵だけが、過去の自分の絵でも高評価でした。本気で向き合ってると、途中からそのモチーフを「好き」になってしまうのです。そういうものは、好きで描いているのだからその分評価が低くとも耐えられますし、実際評価が低ければ派手にスベったという苦痛を感じますから、次回は全力でリカバリーを目指すようになります。
しかし、毎回「好き!好き!」という気持ちを上げながら描くのは疲れてしまいます。疲れない為には何とかして醒めた気持ちのまま、欠点をダメ出ししつつ消去法とトップダウンで描けないか?という模索をする事になります。クレバーに、サイコパスのようなメンタリティで淡々と描いて行きたくなるわけです。
が、そもそもモチベが低い中で「建設的な積み上げ」ってのはできないんです。だって、そもそも楽しくない行為なわけですから、もしそれをやった結果リターンが得られないとなると「ノリノリで描いて、描く事自体が楽しかった時」と比べて旨みがいっこもない。ただただ無味乾燥で辛いだけ。その辛さに淡々と耐えていけば、いつか凄いシステムが出来上がるんじゃねーの?って思いながら意固地に生きてれいれば、あっという間に10年経ちます。っていうか経ちました。
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僕は各種作業を高速化するPhotoshopアクションや段取りのレシピを常々考え、更新しながら描いていたわけですが、それはあくまで「絵を描く事が大嫌いなサボり魔の自分」をなんとか使い物になるようサポートする為のシステムだったわけで、元気とやる気を取り戻した自分には、ほとんど空回りの足かせにしかなっていないのです(昔はブラシをカスタムして枝を広げたり、テクスチャと素材のバリエーションを沢山用意してマットペイント的に描くという方向での蓄積はしませんでした。だって、毎回判断が必要で面倒くさいですから。今はそういう方向に切り替えてます)。
重要なのは、モチベが低いまま描く為の技術を積み上げるよりも、後ろ暗い気持ちのまま嫌々描いている自分のメンタルや、選民思想的に「本当は自分の方が目が良くて優れているのに…」という井の中の蛙的プライドを改善する事の方なのです。
ま。そうは言っても変えられない、変わらないからこんな日記を書いてるわけですけど。それほどまでに頑固で、臆病で、自分可愛さみたいなもの…すなわち「幼稚さ」が自分の中には根付いているって事ですね。
常に前向きな自分が出すアイデアをバカにするもう一人の自分がいて、そいつの言葉に負け続けるから先に進めない。厭味ったらしい脳内のそいつが怒らなさそうな行動ばかりしている。
要するに「勘違いのイタイ事」をしないようにする。そんだけなんですよね。どん��人でも実際の動機ってのは、大抵は痛々しいものなんです。痛々しい動機でも「乗ってる車や着ている服」がいいから様になってるだけです。
車とは体のこと。着ている服は肩書やキャリアのこと。絵描きの凄いところは仮想世界で乗る為の「車」を自分でデザインできるって部分。
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さて、話を最初に戻して。 『こんな狙いでコレを描いてみた』『コレは何となくノリで描いた』
この宣言から垣間見えるのは「嘘をつきたくない」という欲求です。自分に正直でいたい、という、「欲望」です。僕は「正直な姿でいたい人」の事が「好き」なので、そういう事を書いている人を支持しますが、ほとんどの人からはどうでもいいと思われるか、自意識過剰だと思われるでしょう。
実際、自意識過剰なんです。サービス精神が足りない。っつーか、レッドオーシャンな「媚びへつらい合戦」に参加すんの死ぬほど嫌だ、ヘドが出そうってやつ。
だからこそ「恥を忍んで媚びさせて頂きました!」みたいな態度をとって、何かを発信するわけですが、どうです?その「媚び」を普通に消費している側からしたら、その宣言って「悪意」にしか感じませんよね?
あのね、これ掘り下げるとヤバい話題なんですが、これって女性蔑視とまったく同じ構造なんですよ。
「せっかく絵が描けるんだからもっと世の中受けする、食べやすい絵描いた方が描き手も見る側も幸せじゃん!」
という物言い。これ、自ら望んで覚悟決めてその性別を選びとったわけでもないのに、男性ウケが悪い服装や態度を取ると「損しかないよ?」と言われる女性の立場と何ら変わらないのです。
いやいや、絵は自分で描くと覚悟決めてやってんだろ?って言われそうですが、そんな明確な「これから自分は絵描きになる!」なんて宣言で始めて、なおかつそこそこのポジションを獲得してる人なんて正直居ませんって。絵描きは気づいたら絵描きになっていて、それ以外の自己表現の方法なんて大抵は持ち得ない。近年ではね、そもそも絵を描く以外の基礎ポテンシャル高い人も沢山現れましたけどね。ゆえに僕らみたいな「絵にすがるしかない」人種はより一層追いつめられる展開になっている。ジリ貧で惨めな思いをしつつ、業界にしがみつくか、面倒な葛藤や駆け引きの一切を捨ててアシスタントや消費者に徹するか。
そーいう感じなんじゃないすかね。
・ ・
もし、僕が過去の自分にアドバイスが出来るなら「流行りものには全力で、命がけで乗れ!それが10年後の自分の人生を180度変える…確実にいい方向にな!」と言うでしょう。小馬鹿にした態度で皮肉を込めてそういうものに乗って、仮にウケたとしても、ずーっとディスり芸みたいのを続ける羽目になってそれはそれでしんどいハズ。
つまり、仮にですけど初期サザエさんに「批判するに値する内容」があり、それへのディスりでウケた漫画家がいたとして、未来であまりにも普遍化して「これはこういうもの」扱いされてしまっているサザエさんに対してはディスりをぶつける余地がない。
結局、ディスりや反発で支持を得てそれを生業とした人間は、常に新しい「ディスり先」を探し続けるしかなくなるわけです。そしてその様子を傍から見ると、他人のコンテンツに寄生して食ってる野卑な寄生虫にしか見えないってわけです。ともすれば、僕などはそういうキャラになり兼ねなかったわけです。
しかし、ざわつく心を何とかしつつ、淡々と絵は描いていたい。それを実現するにはどうすれば?イヤなコミュニケーションを避けつつ正直な絵を描くにはどうすれば??差別せず、差別されたくもない…一体どうすれば?
今の所出ている結論は、全部ムリ。ざわつく本心を横目に激しく絵を描き、最悪なコミュニケーションに前のめりに乗っかって、嘘にまみれた絵を描いて泣き笑い。その後唐突に真顔でヘンなポーズ。
これを5000回繰り返した時、灰になっている事でしょう…
アーーーッシュ!!!
P.S.要するに結局「痛み」を回避し��じけて被害者ぶってると、最悪な追い詰められ方しかしないって事ですかね。世の中は残酷っすから。
さらにP.S.ドラえもん展に会田誠さんも出品されてましたが、彼の絵にはキャラが描かれていませんでした。展覧会の趣旨に対し「批判も肯定もできない」のであれば、そうする他なかったのでしょう。おみやげコーナーには彼の絵をグッズ化したものは一つもありませんでした。ただ、その結末こそが会田さんが伝えたかったメッセージなのだとは思いますが(ドラえもん展に出品しておみやげコーナーにグッズとして並べられたら敗け、と)。
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9月4日、詐欺などの疑いで逮捕された大阪市中央区の野崎永遠容疑者(25)と弟の野崎宇宙容疑者(24)ら計5人。警察によると、野崎容疑者らは今年1月、訪問販売で火災報知器の電池交換の業務を勧誘する際、新品だと偽り、中古電池に交換するなどの手口で、男女4人(30代~80代)から現金合計2万円をだまし取った疑いが持たれている。 高齢者を狙って火災報知器の交換を執拗に売り込んでいたとみられ、去年8月~今年5月で、顧客はのべ約1500人、売上は3500万円に上るということだ。その手口とはどういうものだったのか。 訪問販売を受けた高齢者の証言 大阪市平野区に住む浜口一三さん(71)。去年11月、自宅に1人でいたところ、突然制服姿の男が訪ねてきて「火災報知器の点検に来た」と話したという。 (浜口一三さん)「向こうは一方的に、よそでも付けてきました、だから付けた方がいいですよと。消防法にも引っかかりますよとか。だから替えておいた方がいいですよ、期限が切れてますんで、と」 消防法では全ての住宅で火災報知器の設置を義務付けている。ただ、守っていなくても罰則などはない。ところが男は「火災報知器の期限が切れていて、消防法に違反するため、交換しておいたほうがいい」と強引に契約を迫ったという。 (浜口一三さん)「金額はどのくらいですかと言ったら、1万円です、と言われました。1万円くらいならええかなと思って承知しました」 しかし、その後に帰宅した同居する真砂子さんが、費用が相場と比べて高いと契約の解除を申し出た。 (浜口真砂子さん)「いつもよくしてもらっている電気屋さんがいるから、その人に付けてもらうから、もういいですって断ったんです。でもお父さんが契約してるからって。だからどうかこうかっておっしゃって。最後はどうしても付けないとあかんみたいなことをおっしゃっていました」 法律では訪問販売での契約は一定期間は無条件で解除ができると定められている。しかし男は「解除はできない」とウソの説明をして火災報知器の交換を強行した。 この日この集合住宅で『15軒が契約』 浜口さんの家で火災報知器が交換された日、この集合住宅では他に14軒が契約を結んだ。契約した別の住人も当時の状況を次のように証言する。 (Aさん)「トントンたたいて入ってきて、あれ(火災報知器)を替えに来ましたからと言って。替えなければ罰金ありますよって言われて。あのままほったらかしていたら10万円くらい取られますよって言われて」 (Bさん)「何もせずに放っておいたら刑法に触れるんで警察に捕まりますよって言われた。しゃあない、捕まるって言われたら」 執拗な売り込みを不審に思ったBさんは、他の住民らと相談し、警察を呼んだ。するとしばらくして現場責任者を名乗る弟の野崎宇宙容疑者が姿を現したという。 (野崎宇宙容疑者と直接話した住人)「僕が集会所の前で1時間くらい言い合いをして、払う払わないで。クーリングオフのことも言ったけど対応しないと言われて。せめて9割返金でも、今日で全て終わってみんなゆっくりできるのであれば、そういうふうに話をしましょうかというのを提案しますって言って出しました」 支払った金額の1割を手数料として渡すことで返金に応じた野崎宇宙容疑者。被害者の心の傷は今も癒えない。 (Bさん)「だまされたし情けないわ。信用できひんくなるしね、人を。鍵は絶対開けないとか思ってね。人来ても、いやーって思ったりとかね。うわーってなるんですよ。来んといてーってなるしね」 逮捕前の容疑者本人に直撃取材 その言い分は? 高齢者をだまして火災報知器の交換を強引に行う野崎容疑者ら。取材班は現場責任者の野崎宇宙容疑者を逮捕前に直撃した。 (記者)「火災報知器ってあるじゃないですか。交換しないと違法になるというふうにおっしゃられていると聞いているんですけど」 (野崎宇宙容疑者)「言ってはいないですね。やめてもらっていいですか」 カメラを嫌がりながらも、自身は法律を理解していて、違法なことはしていないと語り始めた。 (野崎宇宙容疑者)「自分ら法律わかっとる?」 (記者)「はい、特商法わかっています。ウソをついたりしたら違法になりますよね」 (野崎宇宙容疑者)「不実の告知に当たるよね」 (記者)「はい、当たります」 (野崎宇宙容疑者)「それやるわけないよね。やけど個人間でプレイヤーがね、お金ほしくてやっちゃってしまったことあるでしょ」 (記者)「プレイヤーというのは従業員の方のこと?」 (野崎宇宙容疑者)「そうですよ。だからそれは改善をずっとやってるわけじゃないですか。正直ね、従業員の子らも認めてるわけですよ、不実の告知を認めてるわけですよ。僕もそれやったらあかんよと言っててん」 従業員の違法行為は認めたが「個人責任でしょ」 従業員が違法行為をしていたことを認めた。一方で…。 (記者)「どう思われますか、責任者として。自分の会社の従業員の方たちが、指導はしていたとはいえ、違法な行為をしてしまった」 (野崎宇宙容疑者)「あかんでしょ」 (記者)「あかんと思うんですけど、それに対して責任者として、どういうお気持ちですか?」 (野崎宇宙容疑者)「だからその分の責任を負わすために報酬を渡しているし。これやったらあかんよあれやったらあかんよ、取り決めを破ったならば、こういう仕事やから捕まっちゃうよという話をしているから」 (記者)「ということは、ある程度の金額を渡しているから、違法行為があって捕まったとしても、それは従業員の自己責任だということですか?」 (野崎宇宙容疑者)「個人責任でしょそれは、もちろん」 野崎宇宙容疑者は「指導していたが従業員が勝手にしたことで自分に責任はない」と話した。 専門家は「日本の消費者保護制度は遅れている」 消費者問題に詳しい専門家である西塚法律事務所の西塚直之弁護士は訪問販売で高齢者が多く狙われる背景をこう分析する。 (西塚直之弁護士)「訪問販売は家に来るので、家にいる時間が長い方が被害にあわれる。今であれば高齢者の方が中心になってくるか���と思います。自分の子どもや孫にオーバーラップして、ついつい話を聞いてしまって、被害にあうということが一定数あると思います」 また、被害を減らすためには、消費者に寄り添った法整備が必要だと訴えた。 (西塚直之弁護士)「私の感じるところでは、海外と比べるとまだまだ日本の消費者保護制度は遅れているかなという印象は持っています。例えば外国に行くと、訪問販売の禁止、あるいは訪問販売お断りステッカーを貼っているところには訪問販売してはいけないと、法律でしっかり決まっていますので。日本もそういった外国の制度に合わせて、訪問販売を規制していくというのも1つの考え方かなと思います」 警察は野崎容疑者らの認否を明らかにしていない。不安を煽って強引に契約を結ぶ卑劣な手口。被害にあった高齢者は「人を信用できなくなった」と訴えている。
狙われる高齢者「替えなければ罰金」「警察に捕まる」集合住宅で『1日に15軒が契約』火災報知器の訪問販売...被害者らが証言 そして逮捕前の容疑者を直撃すると | 特集 | MBSニュース
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#2 異次元緩和に至るまでのリフレ派の攻勢 2021.3.2 5件のコメント
武田 真彦 オーストラリア国立大学名誉教授
リフレ派の主張の妥当性は、その満願がかなった量的・質的金融緩和(QQE)の実施によって試されることになる。従って、本連載の興味の中心もQQEの効果にあるが、そこに至るまでさまざまな曲折があった。今回は、QQE以前に何があったか、簡単に振り返っておこう。
金融政策の死 リフレ派の主張を一言で表すなら、「デフレ解消のため金融政策をしっかり緩和せよ」ということだが、問題はどうすれば「しっかり緩和」できるかである。つまり、第1回で示したリフレ派の定義の中の「金融政策により対処可能、そして対処すべきだ」の部分を、どのように具体化するのか。
日銀に限らず、多くの中央銀行の伝統的な金融緩和の手段は、政策金利の引き下げを通じた市場金利の低め誘導だった。これにより投資が刺激され、株価・地価など資産価格の上昇を通じて消費の拡大も期待できる。景気が悪化し、インフレ率がマイナス圏内に沈むような状況では、日銀ももちろん金利を引き下げてきた(*注1)。しかし、金利をゼロ%まで引き下げても景気やインフレ率が上向かず、それ以上の利下げ余地がなくなったらどうすればよいのか。
(*注1)その程度やタイミングが不適切だったという批判はしばしばなされており、リフレ派の主張の背景には、日銀の政策判断に対する大きな不満や疑問が存在する。ただ、本連載の対象は金融政策の方法論なので、政策判断の是非には立ち入らない。 このような状況は、1990年代末に出現した。90年8月に6%に達した政策金利はその後徐々に引き下げられ、99年2月から「ゼロ金利政策」が始まった。当時筆者は、国際通貨基金(IMF)の日本理事室に勤務していた。仕事柄、IMFの日本担当チームのメンバーと議論する機会が度々あったが、「死後の世界はあるか(Is there life after death?)」をもじって、”Is there monetary policy after ZIRP (zero interest rate policy)?” について話し合ったことを記憶している。正に、「金融政策の死」が意識された時代だったのである。
しかしリフレ派にとっては、おそらくゼロ金利は本質的な問題ではなかっただろう。もともと彼らは金利ベースの政策運営に懐疑的で、貨幣量の調節を使った金融政策を良しとしていた。たとえ金利操作の余地がなくなっても、貨幣量の調節が可能であれば、「正しい道が残されたので、その道を進めばよい」と考えていただろう。
連載第3回で説明する通り、日銀はその気になればある種の貨幣量は確実にコントロールできる。そして第4回以降説明するリフレ派の「理論」によると、民間主体に十二分な量の貨幣を持たせれば、それが彼らの支出(消費・投資)を増加させ、インフレ率の上昇につながることになる。
量的緩和の導入 2000年前後に日銀が置かれた状況をうかがい知るには、白川方明(2018)、岩田一政(2010)による回顧録が参考になる。当時白川は速水優総裁をサポートするスタッフの一員だったが、01年1月に発足した経済財政諮問会議の場における議論や、01年3月の政府による「デフレ宣言」が、日銀の政策に対する有形、無形の圧力になったと述べている(*注2)
(*注2)デフレ宣言の発出は、当時内閣府政策統括官として本件を担当した岩田一政の判断によるものだった(岩田一政[2010])。 また小宮隆太郎(00)は、1999年後半からマスコミ、学者、政治家に広がった日銀バッシングの風潮を、「日銀はさまざまな不満のゴミ捨て場になった」と表現している。
「デフレ宣言」の3日後、さらなる政策対応を求める政治的圧力に押される形で、日銀はそれまでの金利操作から量(日銀当座預金残高)をベースとした政策に転換する。このときから伝統的な金融政策の「死後の世界」、すなわち量的緩和(quantitative easing、以下QE)が始まった。
この政策の下では、市中銀行は必要とする額を上回る量の資金を「持たされる」ので、供給超過に陥る短期金融市場の金利は、恒常的にゼロ近傍に張り付くことになる(この点についても次回参照)。QEの期間中、日銀は8回にわたって当座預金残高の目標値を引き上げたが、そのたびに、日銀が追加的に緩和したと解釈され、そのように報道された。
リフレ派の政策処方箋は貨幣供給量の増大にとどまらず、多岐にわたっていた。例えば、日銀による長期国債買い切りオペの増額、幅広い資産(株式、外貨建て資産、金融派生商品など)の購入、財務省によるドル買い・円売り介入の不胎化、そしてインフレーション・ターゲティング(以下IT)の導入が含まれる。
これらの政策は、金利を使った伝統的な政策とは質的に異なるため、「非伝統的金融政策」(unconventional monetary policy、以下UMP)と呼ばれる。UMPの本格的な使用はまだ先のことになるが、量的緩和を含むUMPのある部分はQEの期間中(2001���06年)にも実施された。しかし少なくともインフレ率の引き上げに関して、目覚ましい効果を持つには至らなかった(*注3)。
(*注3)第1回でも触れた通り、金融政策がマクロ変数に与える効果を統計的に測定するのは難しい。QEの効果については幾つかの実証研究が行われているが、その結果は手法、使用されたデータ、計測期間などによりかなり異なる。しかし、「効果あり」との結果を得、リフレ派により繰り返し引用されている本多佑三らの研究(07、11)においても、インフレに対する明確な効果は検出されていない。その一方で、QEを通じた資金の大量供給が、不良債権処理に苦しむ邦銀の資金繰りに余裕を与え、それを通じて景気をサポートしたとの評価は反リフレ派にも共有されている。
円高、失業率上昇……リフレを求める第2の波 QEが06年3月に終了したのは、日銀が、インフレ率は安定的にゼロ%以上になったと判断したためである。しかし、08年9月のリーマン・ショック以降、実質経済成長率、インフレ率がマイナスとなる一方、失業率は跳ね上がった。また同じ時期に、1ドル70円台に達する未曽有の円高も生じている。こうした状況下、再び日銀に対する緩和圧力の強いうねりが生じた。
もちろん日銀も、金融緩和措置を講じている。リーマン・ショック前に0.5%だった短期金利の誘導目標は、08年末までに0.1%に引き下げられた。また09年末からあの手この手の追加緩和措置を導入したり、その規模を拡大したりしている。2010年10月には、金利誘導目標を0~0.1%に引き下げてゼロ金利政策を復活させたほか、「包括的な金融緩和政策」を導入し、国債のみならずコマーシャルペーパー(CP)、社債、上場投資信託(ETF)、不動産投資信託(REIT)という幅広いリスク資産の買い入れに乗り出している。
このとき日銀は、こうした措置は「中央銀行にとって異例」であると述べ、その意義を強調している。そして12年2月には「中長期的な物価安定の目途(めど)」を公表し、日銀がずっと拒んできたITに半歩踏み出した。
おそらく日銀は、歯を食いしばって次々と緩和策を導入したと想像される。金融政策に対して確固たる哲学を持つ白川がUMPの導入に踏み切ったことは、特筆に値する。それでも当時の日銀は量的緩和には意義、効果を認めず、その導入はしないという一線を守った(*注4)。しかし、これはリフレ派の主張の核となる部分であり、彼らから日銀の対応は不十分だとの強い反発を招いた。
例えばリフレ派のリーダーの1人である浜田宏一は、若田部昌澄らとの共著(2010)において、思い切った量的緩和を避ける姿勢が著しい円高を招いているとして日銀を厳しく批判したのみならず、白川個人に政策転換を切々と諭す公開書簡まで出している(*注5)。
また山本幸三(10)、高橋洋一(10)は著書やメディアへの寄稿などを通じて一段と激烈な「口撃」を展開しており、例えば高橋は、「日銀は [日本を] デフレ経済にしている『確信犯』」(p.28)であり、「日銀という官僚組織の虚妄と、これまでの定説を疑うことからしか日本経済の復活はない」(p.17)と断言している(*注6)。
(*注4)この間の状況は、白川(2018)第12章参照。 (*注5)この書簡は、浜田・若田部・勝間(2010)の冒頭に収録されている。 (*注6)山本幸三は国会議員であり、リフレ派グループに属するエコノミストではない。しかし彼の主張は、リフレ派の主張とほぼ完全に重なっている。 興味深いのは、リフレ派のもう1人のリーダーである岩田規久男(以下、岩田)の反応である。上に述べた「目途」の公表は、その直後から円安・株高をもたらした。
これを見て岩田(2012)は、「デフレの原因は日銀の政策ではなく、中国などからの安い製品がどんどん日本に輸入されるからだとか、少子化による縮小経済のせいだとか、さまざまな『原因』が言われている。しかし、最近、これらのデフレ原因がすべて誤りであったことを示す、『社会実験』の『成果』が目の前に現出した。皮肉にもこの12年2月14日に実施した、日銀によるインフレ目標の要素を取り入れた『中長期的な物価の安定の目途』の発表と、その『成功』がそれである」と論評し、自らが推奨してきたITが絶大な功を奏したとの評価を下した。
しかし、実は「目途」発表後の市場インパクトは短期間で剥落し、株価・円相場は5月上旬までに発表前の水準に戻ってしまった。岩田の本が書店に並んだ6月には、岩田の言う「社会実験の成果」は既に霧消していたわけである。
岩田は翌年3月にも著書を出し(岩田[2013])、手のひらを返して「目途」をこき下ろしている。いわく、「『目標』と言わないあまりにも曖昧な姿勢」で、「その場をしのごうとした」。自分が正反対の評価をいったん下していることには、もちろん一切触れていない。そして、市場の好反応が一時的だったことに関する岩田の説明は、「5月以降のマネタリーベース (*注7)の動きを見て、市場の期待はしぼみ始め」たというものだった。
(*注7)貨幣供給量の一種で、リフレ派にとって重要な概念。その意味は第3回で説明する。 しかし、一般に相場が何に反応したかなど、確たることは誰にも分からない。相場の動きに何かしら理由を付けコメントせねばならない、メディアや評論家をほうふつとさせる説明ぶりである。
安倍政権の誕生、ITの導入、そしてQQEの開始 12年の終わり、安倍晋三がまず野党党首として、次いで首相として、デフレ克服を含むさまざまなマクロ政策のメッセージを発信した。これに続いて2013年1月、白川総裁最後の大きな仕事として正式のITが導入され、さらにこの年春の正・副総裁人事で、QQEを担う日銀の新体制が誕生する。
IT、QQEの導入により、リフレ派の主張すべてが、最大限の効果を狙った演出とともに実施に移された。その意味を明らかにするため、これからリフレ派の主張を1つひとつ検討していくが、次回は手始めに、白川前総裁が拒み、黒田東彦新総裁の下で2000年代のQEと比べて大幅にスケール・アップして導入された量的緩和について、考えることとしたい。
(文中敬称略)
<参考文献> 岩田一政『デフレとの闘い 日銀副総裁の1800日』、2010年7月、日本経済新聞出版 岩田規久男『日本銀行 デフレの番人』、2012年6月、日本経済新聞出版 岩田規久男『リフレは正しい アベノミクスで復活する日本経済」、2013年3月、PHP研究所 小宮隆太郎『見当はずれの日銀バッシング』、岩田規久男編著『金融政策の論点 [検証・ゼロ金利政策]』、第5章、2000年7月、東洋経済新報社 白川方明『中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年』、18年10月、東洋経済新報社 高橋洋一『日本経済のウソ」、2010年8月、筑摩書房 浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』、10年7月、東洋経済新報社 本多祐三・立花実、『金融危機と日本の量的緩和政策』、Osaka University, Discussion Papers in Economics and Business, No.11-18, 2011 山本幸三『日銀につぶされた日本経済』、2010年7月、ファーストプレス Honda, Y., Y. Kuroki, and M. Tachibana, “An Injection of Base Money at Zero Interest Rates: Empirical Evidence from the Japanese Experience 2001-2006,” Osaka University, Discussion Papers in Economics and Business, No.07-08, 2007
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【第75回】「リベラルはどこがダメか」を検証する 七月一〇日に投開票が行われる参院選。与党の自民公明を含め、改憲勢力が三分の二以上の議席を占めれば、憲法公布以来はじめて憲法改正が発議される可能性がでてきた。 野党側もさすがに危機感を覚え、全国のすべての一人区に、民進党、共産党、社民党、生活の党の四党の統一候補を立てる野党連合が成立した。共闘の音頭をとったのは共産党。これまで必ず独自候補を立ててきた共産党の譲歩は喝采すべきだ。安倍政治はもうたくさん。私も野党側に勝ってほしいと切に願っている。 なんだけど、ほんとに勝てるかとなると「今度もダメなんちゃう?」という疑念も禁じ得ない。疑念というか半ば確信だな。野党、特に左派リベラル陣営の戦い方に、じつをいうと、私はだいぶ前からウンザリしているのである。 選挙のたびに彼らはいう。ここで勝たなきゃ日本は終わりだ! だけど、結局負けるよね。なのに敗因を検証するでもなく、政府与党の悪口に明け暮れて、やがて次の選挙がくると、また「今度こそ勝たなきゃおしまいだ」という。で、また負ける。作戦がないんだもん。勝てるわけないわな。希望的観測で「次こそ勝つ」という幻想にすがっているだけじゃ、まるで旧日本軍ではないか。 しかし、そういうこというと、みんな怒るのよね。ここはもうちょっと冷静に考えてほしいです。ということで、参院選直前緊急企画、「左派リベラルに苦言を呈する本」を読んでみた。 左派は経済も憲法もわかってない まず、松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』。副題はそのものズバリ「安倍政権に勝てる対案」だ。 一言でいえば、左派リベラルが選挙で勝てないのは経済政策が間違っているからだ、というのが本書の主張である。 安倍晋三首相の目標は改憲だとした上で、著者はいう。〈「アベノミクス」と銘打って遂行されている経済政策もまた、安倍さんの野望実現のための手段だと見ています。選挙のときに好景気を実現して圧勝し、あわよくば改憲可能な議席数を確保するための手段です。もしそうならば、「アベノミクスはお金持ちや財界や金融資本のためにやっていることで、すぐに破綻する」というような見方をしていたら、足をすくわれることになります〉。 実際、反安倍派がタカをくくってアベノミクスを嘲笑している間にも、綿密な作戦を立て、景気の動向を読み、安倍政権は見かけ上の成果をあげてきた。二〇一四年に消費税を五パーセントから八パーセントに上げたことで失速したものの、一三年以降、企業倒産件数は減り続けているし、失業率も漸減してきた。 世論調査の結果を見れば、集団的自衛権の行使にも安保法制にも川内原発の再稼働にも、じつは反対の人が多い。それでも安倍政権は高い支持率をキープしてきた。〈なぜかと言えば、やはり、景気のこと以外に考えられないと思います。安倍政権は、安保政策や原発政策は大して支持されていないけれど、他の政党より景気の先行きに希望がもてるから良しとされているのでしょう。「庶民には景気の実感がない」と野党のみなさんがいくら叫ぼうが、また民主党政権のころまでのような不況に戻るのはまっぴらごめんというのが、多くの有権者の実感なのだと思います〉。 有権者は長引く不況の中で「改革」に痛めつけられ、もう不況はこりごりと思っている。だとすれば、〈左派・リベラル派の野党がまず掲げるべき経済政策のスローガンは、「安倍さんよりもっと好況を実現します!」ということ以外にありません。景気拡大に後ろ向きのことを言ったら自殺行為になります〉。 ああ、そうかもしれないなあ。景気回復に後ろ向きでは勝てない――これは左派リベラルの盲点だったのではあるまいか。〈有権者が選挙で重視してきたテーマは、このかんずっと、景気や雇用、福祉など、暮らしに直結するテーマであって、安保問題等々は二の次なのだということ〉に彼らは(私も)鈍感だった。 それ以前に、左派リベラルは、望ましい経済政策とはどのようなものかを見失っていたきらいがある。 ヨーロッパの左派政党はこぞって「量的緩和」と「財政出動」を打ち出している。量的緩和とは、中央銀行(日本でいえば日銀)にカネをじゃんじゃん出させることだが、この二つの組み合わせが景気を回復に向かわせる。で、安倍政権が「第一の矢」でやろうとしたのは、まさに量的緩和と財政出動の組み合わせだった。安倍政権に、野党はお株を奪われてしまったのだ。 〈そう考えれば、安倍さんの暴走にストップをかけるために野党側が掲げるべき政策は明らかです。日銀がおカネをどんどん出して、それを政府が民衆のために使うことです〉。 一方、井上達夫『憲法の涙』は、いわゆる「護憲派」に厳しくダメ出しをした本である。〈護憲派は、憲法を守ると言いながら、憲法違反の自衛隊・安保の現実を専守防衛の枠内ならOKと政治的に是認している。しかも、この矛盾を解消するために必要な専守防衛明記の新九条制定を求める改憲運動も拒否している。護憲と言いながら、その実、違憲事態を存続させようとしている。憲法を裏切っているという点では護憲派のほうが罪が重いでしょう〉。 ううむ、これまた厳しいご意見だ。 〈私は国会前デモで「九条守れ!」と叫んでいる人たちに聞きたいですね。「あなたたちはいったい何を守りたいのか?」と〉。 〈専守防衛体制を守りたいの? だったら、九条は一切の戦力保持と交戦権行使を禁じているのだから、専守防衛のための戦力保持と交戦権を認めるよう、「九条改正」を主張すべきでしょう。「九条守れ!」じゃなく、「九条変えろ!」でしょう〉といわれればその通り。〈非武装中立という九条の真義を守りたいの? だったら、安倍政権の安保法制どころか、自衛隊・安保そのものの廃止を求めるべきでしょう。「戦争法案反対!」じゃなくて、「自衛隊反対! 安保反対!」でしょう〉というのもその通り。 右派の改憲勢力が勢いづいているこのときに、まして安倍政権下で九条改正論を持ち出すのは火に油を注ぐだけ。そういう原則論としての改憲の是非は「平時」にやろうよ、というのがいまのところの私の考えだけれども、九条が抱える矛盾と私たちが真正面から向き合ってこなかったのは事実である。 九条を変えろではなく、九条を削除しろというのが井上の提言だ。安全保障の基本政策は、通常の民主的な立法過��で、絶えず議論しながら決定され、試行され、批判的に検討されていくべきものであって〈憲法に書き込むべきではない〉というのが彼の持論。みんなが好きな〈九条が平和を守っている〉という認識もウソで、〈戦後日本が外から侵略されることなく平和でいられたのは、これはもう自衛隊と日米安保のおかげです〉。 真面目な護憲派は不機嫌になっちゃうかもしれないな。 反安保法制デモは「三ちゃん農業」 以上二冊の本から導き出させるのは、左派リベラルの言説がいかに現実と乖離しているか、それがいかに形骸化したクリシェ(決まり文句)と化しているかである。こういう意見には耳を傾けなくちゃいけない。心情的には左派リベラルを支持していても、紋切り型の台詞にゲンナリすることは、事実、少なくないからだ。 その伝でいくと、左派リベラルへの苦言として、さらに辛辣なのは、浅羽通明『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』だろう。これはほんとにイヤミな本で、左派リベラルの「痛いところ」をこれでもかと突きまくるのだ。 二〇一五年の安保法制反対デモは、法律の成立で敗北に終わった。だが、反対派は人々がデモなどで自らの意思表示をしたことを評価した。負けたのに勝ったという。その現象をとらえて〈撤退を転進と言い換えた大本営発表は有名ですが、リベラルも全く同じでしょう〉と浅羽は切り捨てる。〈バーチャル脳内観念世界で闘っているから、リアルな勝敗はどうでもよくなってしまう〉。〈これでは何度闘っても、経験は生かされない。同じ闘いをし、同じ限界へぶつかり、同じ敗北を続けるでしょう〉。 どうです。耳が痛くありません? 同じ一五年八月のデモを指して彼は〈なんか三ちゃん農業という古い言葉を思い出しました〉とまでいっちゃうんだから。三ちゃん農業とは、息子がサラリーマンとなり、残ったじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの「三ちゃん」が担う高度経済成長期の兼業農家のこと。〈デモ参加者も、同じくばあちゃん、じいちゃん、母親、そして若者子どもで、ここでもサラリーマンが欠けている〉。こういう参加者ばかりだから、「バーチャル脳内観念世界」から先に進まないのだと。 働き盛りのサラリーマン層を、なぜデモは取り込めないのか。忙しいから? というより彼らは「バーチャル脳内観念世界」とはほど遠い社会で生きているからだ、というのが浅羽の意見だ。〈リアル生活現実世界を生きているビジネスマンほかの実務家にとっては、彼我の力のバランスを測り、周囲の状況もにらみながら、最善の策を練りあげた上で繰り出すのは、仕事で日々やっていることなのです〉。だから集団的自衛権の行使の是非も、観念的な憲法論ではなく〈必要かどうか、有効かどうかで判断してゆく〉。 これではかみ合わないのも当たり前か。 経済政策もダメで、憲法解釈もインチキで、脳内はバーチャルな観念世界。何かもう左派リベラルはメタメタである。そんな人々がそれでも知恵を出し合って、野党連合を築けたのは奇跡? はたしてその結果がどう出るか、あまり興奮しないで見守りたい。
【第75回】「リベラルはどこがダメか」を検証する- 斎藤美奈子 http://www.webchikuma.jp/articles/-/219
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プロダクトマネジャーは特定の職能やスキルで評価することが非常に難しい役割の一つだ。エンジニアリングからマーケティングやセールス、組織マネジメントに採用、時には広報業務もカバーする必要がある。企業によっても求められる要素は異なり、少なくとも「これができれば合格」と言える指標はないだろう。 幅広い領域への理解、膨大なインプットが求められ、当然ながら思考もアップデートし続ける必要がある。そんなプロダクトマネジャーに、新しい視点を手に入れるヒントとなる書籍を7つ紹介する。その前に、「定番」といえる書籍についても簡単に触れておこう。 昨年の発売にも関わらず非常に評価が高く、「プロダクトマネジャーの教科書」と評する方も多くいる「INSPIRED 熱狂させる製品を生み出すプロダクトマネジメント」。GAFAをはじめ、NetflixやAdobeなどアメリカを代表するテック・カンパニー流のプロダクト開発を体系的にまとめた良書だ。また、一般社団法人日本CTO協会理事も務める広木 大地氏による「エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング」もその内容の厚みに驚く。 INSPIRED 熱狂させる製品を生み出すプロダクトマネジメント 著者 佐藤 真治 出版 日本能率協会マネジメントセンター (2019/11/1) エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング 著者 広木 大地 出版 技術評論社 (2018/2/22) プロダクト開発にも様々な方法論が存在するが、顧客の本質的なニーズを理解したいのであれば「ジョブ理論」は読んでおく必要があるだろう。また顧客理解という観点で、行動経済学というアプローチもプロダクト開発では一般的だ。 ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム 著者 クレイトン M クリステンセン他 出版 ハーパーコリンズ・ ジャパン(2017/8/1) 予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 著者 ダン アリエリー 出版 早川書房(2013/8/23) プロダクトを成長させるためにはより多くの顧客に届ける必要がある。つまりマーケティングに関する知識も必要になるわけだが、そんなときに役立つのが以下の2冊だ。 キャズム Ver.2 増補改訂版 新商品をブレイクさせる「超」マーケティング理論 著者 ジェフリー・ムーア 出版 翔泳社(2014/10/3) たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング 著者 西口 一希 出版 翔泳社(2019/4/8) プロダクト開発全体を統括するプロダクトマネジャー。一人ひとりのメンバーが能力を最大限発揮し、チームとしてワークするよう組織をつくるのも数ある役割の中でも大きな要素の一つだ。そして「個を活かす」マネジメントに興味があるならば本書を手にとってほしい。サイバーエージェント曽山氏も「ずばりすごい本です」と唸る不変の名著だ。 心理学的経営 個をあるがままに生かす 著者 大沢 武志 出版 PHP研究所(2019/5/30) 著者の大沢 武志氏はリクルートの創業メンバーであり、創業者である江副 浩正氏のもとで専務取締役も務めた。また同氏は「適性検査SPI」の開発者としても知られている。モチベーションの仕組み、フィードバックの構造、そして組織づくりに欠かせないリーダーシップなど、まさに時の流れにも淘汰されない不変的な学びが詰まっている。 理系特化の就活サービスを提供するPOLにてPdMを務める田中氏や、複数社で取締役を兼任するエキサイト取締役CFO石井氏も絶賛する。 グロースハックに関する情報発信で広く知られるMESON代表の梶谷氏も内容を絶賛、簡潔なまとめもしてくれているので、本書が気になっている方はまず同氏のツイートを見てみよう。 あなたが本書を読む理由 リクルート創業メンバーの1人、あの「SPI」を開発した大沢氏による「個を活かす組織づくり」のナレッジが満載 組織とメンバーはどうすれば活性化するか?人間心理から紐解く、仕事に対するモチベーションの公理を知る トップだけでなくメンバーにも必要な「リーダーシップ���。必要な素養と具体的なアクションまで網羅 「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論 トヨタの「主査制度」を知っているだろうか?実は、我々がシリコンバレー流と認識しているプロダクト開発の”源流”となったシステムだ。本書はそんなトヨタを例に、「新たに価値を創造し、利益を生み出すことができるタレント」と、彼ら彼女らが活躍できる組織・制度設計について説いた内容となっている。 「タレント」の時代 世界で勝ち続ける企業の人材戦略論 著者 酒井 崇男 出版 講談社(2015/2/20) GMOペパボ取締役CTOの栗林氏や、エン・ジャパンにてPdMを務める岡田氏も薦める1冊だ。 そもそも「主査制度」について知らない読者は、「ドキュメント トヨタの製品開発」も併せて読むと良いだろう。効率化を目的とした「トヨタ生産方式」は広く知られているが、実は利益の95%は設計情報を創造している開発段階にあり、その肝が「主査制度」だという。 あなたが本書を読む理由 AppleやGoogleも参考にしたというトヨタの「主査制度」。現代のプロダクトマネジャーの型をつくった源流から学ぶ 求められるのは、プロフェッショナルやスペシャリストを超えた「それ以上の人材」 才能あるタレントを活かし、永続的に価値創造できる組織づくりを目指すなら必読の1冊 どれだけたくさん努力をしても、その方向性が間違っていては良い成果は得られない。事業やプロダクト開発においても同様だ。つまり、「良い戦略」でプロダクトを成功へと導くのも、プロダクトマネジャーの重要なミッションの一つといえる。 戦略論と経営理論の世界的権威であるリチャード・P・ルメルト氏による本書は、そんな自身の描く戦略の良し悪しがダイレクトに事業に影響するPdMにこそ、読んでほしい一冊だ。 良い戦略、悪い戦略 著者 リチャード・P・ルメルト 出版 日経BP(2012/6/23) 本書の特徴は、取り扱う実例の多さだ。ビジネスや経営に関するトピックだけではなく、戦争や政治などの実例も交えている。本書を参考にしている経営者も多く、メルカリ創業者の山田 進太郎氏も「特にスタートアップに関わるひとには必読」と記しており、現在進行形で経営に役立てていることもブログから伺える。 すぐに役に立つことも多かったですし、まさに今、中期経営計画を更新しているところでもあり、活かしていきたいと思ってます。 先日公開した注目のPdM記事でもピックアップさせていただいたドクターズプライム高橋氏も、本書を薦めている。 あなたが本書を読む理由 大手IT企業の経営戦略から政治、戦争まで。取り扱われる実例の多さは、メルカリ山田氏も太鼓判を押す 「意味のない努力」をしないように。プロダクトの成否を左右する「戦略」を学ぶ ①ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言 ②岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。 続いては、2冊併せてご紹介したい。書籍自体の魅力も当然ありながら、題材となっている岩田 聡氏こそプロダクトマネジャーであればロールモデルとして参考にしたい人物の1人と言えよう。10X創業者の矢本氏��「プロダクト型経営者の完成形だ」と表現し、エムスリーにてPdM兼事業責任者を務める西場氏も「岩田さんは私が思うPdMだ」と絶賛する。 ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点: 高校同期生26人の証言 著者 岩田聡の記録を残す会 出版 スタジオスパーク(2016/7/6) 岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。 著者 ほぼ日刊イトイ新聞 出版 株式会社ほぼ日(2019/7/30) 42歳という異例の若さで任天堂の代表取締役社長に就任。あの「ニンテンドーDS」や「Wii」などは、岩田氏が社長を務める間に爆発的な大ヒットを記録。天才ゲームクリエイターとしても知られ、自身を「社長であり、ゲーム開発者であり、ゲーマーだ」と語っていた。そんな同氏のクリエイティブへの思いや哲学、経営理念は、プロダクトマネジャーとして見習うべきポイントが凝縮されている。 あなたが本書を読む理由 極めて論理的でありながら、人を動かす人柄の良さも兼ね備えていたという。その岩田氏を「まわりで見ていた人」が執筆したのが、この2冊だ 「ニンテンドーDS」や「Wii」で、ゲームを大衆化させた功績。そこに隠れるプロダクト開発の本質 PdMとしても経営者としても、ロールモデルにしたい人物 隠れたキーマンを探せ! データが解明した 最新B2B営業法 残り2冊は別の視点からピックアップ。B2Bプロダクトに携わる方には本書をおすすめしたい。一見すると、プロダクト開発にはあまり関係のないセールス向けの実務書に思えるが、導入プロセスや体験設計を行う上で参考となる重要なエッセンスが隠されている。 モビライザーと呼ばれる「隠れたキーマン」、つまり商談をスムーズに成約に繋げるために味方につけたい担当者をどのように見つけるかを解説している本書。意思決定には平均5.4人が関与し、なんと57%が実際に営業担当に会う前に離脱しているという。そのような購買プロセスを理解し、プロダクトに落とし込むというアプローチも有効といえそうだ。 隠れたキーマンを探せ! データが解明した 最新B2B営業法 著者 マシュー・ディクソン他 出版 実業之日本社(2018/12/13) ベルフェイスにてグロースハック/PdMを務める石田氏や、ペイミーにて事業責任者を務めている仲川氏もnoteにて本書を紹介している。以下のような内容から、プロダクト開発の現場で活用できる学ぶが得られるかもしれない。 BtoBソリューションの購入判断には平均5.4人が関わる 顧客関係者は、7つのタイプに分けられる モビライザー(顧客が上手に購買活動するための「隠れたキーマン」のこと)を見つけ、接するべし モビライザーには攻略法がある あなたが本書を読む理由 セールスを担当している方だけでなく、プロダクト開発に携わっている方に知ってほしい「顧客の体験設計」 隠れたキーマンを見つけ、スムーズに導入してもらうためのヒントに FastGrow読者の中で、「新R25」を知らない方は少ないだろう。最後に紹介したい書籍は、その前身となる「R25」の創業物語だ。 「R25」のつくりかた 著者 藤井 大輔 出版 日本経済新聞出版(2009/2/1) リクルートと電通の合弁企業・Media Shakersが2004年に創刊。M1層と言われる、25歳から34歳までのビジネスパーソンを対象としたフリーマガジンだ。当時、首都圏の主要鉄道駅、コンビニエンスストア、大型書店のスタンドで無料配布するという大々的な手法をとり、若手ビジネスパーソンからの圧倒的支持を得た。 そんな若手ビジネスパーソンの間に一大ブームを生み出した「R25」。創刊当初にどのようにインサイトを探り、プロダクト開発を行ったのかを実際のエピソードとセットで理解できるのが、本書となっている。 「インタビューでユーザーはウソをつく」「定量調査ではターゲットのインサイトは発見できない」「ユースケースや利用シーンが重要」といったノウハウを聞いたことはないだろうか?本書では、それらの学びを実体験ベースで得ることができる。読み物としても面白いものとなっているので、ぜひ手にとってみてはいかがだろうか。 あなたが本書を読む理由 読者から「自分を見透かされている」とも言われていたR25のインサイト発見は、PdMとして身につけたい素養 「R25の一つのエポックは『帰りの電車で読んでもらう』という”シーン”にフォーカスをしたこと」といった具体的なエピソード・ナレッジが満載 いかがだっただろうか?イノベーション・エコシステム発展のため、そしてベンチャーパーソンである皆さまに少しでも多く新しい学びをお届けするため、今後も「ベンチャーのプロフェッショナルから学ぶ」ことにフォーカスした情報を発信していく予定だ。 そしてぜひ今回紹介した書籍を気に入ってもらえたら、「#私の推し本」を付けてTwitterでツイートしてほしい!もちろん今回紹介していないものでも、PdMやスタートアップ・パーソンにとって学びになるようなおすすめ書籍があれば、「#私の推し本」とともに紹介してくれると幸いだ。
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BMX歴20年
こんにちは、加藤兵太郎商店の7代目、加藤篤です。
実は私、高校入学と同時にBMXのフラットランドという自転車競技を始め、今年の4月でなんと20年が経った。
と言っても2年前に引退してしまったし、今まで特に語ったこともないけど、20年経ってさすがに色々と思うことがあったので、自分のBMXに対する想いを書きたいと思う。
長いですが悪しからず。
BMXを始めたきっかけ
中学3年、15歳だった私はBMXをなんとなく知っており(テレビかなんかで見たのかな?)、漠然と「カッコイイ」「面白そう」と思っていた。
当時はスケートカルチャーがブームで、ファッションもそうだがスケートボードやBMXを街中でよく目にした気がする。
その時、自分は高校受験の真っ只中。
狙っていた高校は自分にとって難関だったが、運良く受かることができた。
それに気を良くした祖父(加藤兵太郎商店の5代目)が「褒美に何か買ってやる」と。
BMXは競技用の特殊な自転車のため、初心者用を選んだものの、なかなかに高価だった。
それでも祖父は気持ち良く買ってくれた。
それからと言うもの、暇さえあればBMXに乗ったり、プロがトリックをする映像(当時はビデオ)を繰り返し観察する日々。
当時はブームだったために地元小田原にも20人ほどの仲間がいて、すでに上手な人もいたし、みんな年上なので何かと刺激をもらった。
高校の定期テストなんてお構いなしにBMXばかり乗るもんだから、成績は酷いものだった。
成績が悪いのはBMXのせいだけじゃないけど・・・。
BMXに本気になっていく
高校ではBMXを沢山練習したけれど、それはあくまで遊びだった。
自分なんか足元にも及ばないほどレベルの高い人達が存在していて、憧れはあるけどあくまで憧れで、目指すものでは無かった。
理屈ではそう思っているけれど、「プロのBMXライダーになりたい」みたいな気持ちが無いと言えばウソになる。
何しろその時代のプロライダーはみんなオリジナリティに溢れ、物凄く格好良く、とにかく憧れた。
だけど自分の実力とセンス、何より努力の無さを考えると、夢を語るのは恥ずかしくて。
そんな気持ちでBMXに取り組んでいた高校時代。
勉強の成績は本当に酷かった。
だけど大学受験だけはBMX仕込み?の根性で頑張り、なんとか現役で進学した。
大学のために東京で1人暮らしをするようになると、一緒に練習する人たちが変わったり、自分の練習時間も大幅に増えたり、様々な変化と刺激があった。
人は環境が変わると考え方も行動も変わるもので、だんだんBMXに本気になっていった。
うまく説明できないけれど、「遊び」とか「趣味」よりももっと大きなものというか。
BMXはそんな存在になっていった。
社会人になっても情熱は冷めない
大学でも酷い成績だったけど、なんとか留年することなく無事に卒業。
家業である味噌屋を継ぎたくない一心で、大手メーカー系のシステム会社に就職した。
職場は東京日本橋だったが、通勤に支障が出ないかつBMXに打ち込める環境を検討し、横浜での1人暮らしを選んだ。
横浜に知っているBMX仲間が数人いたし、練習場所まで近いしで、とにかく環境が良かった。
すると当然ながらよく上達するので、BMXへの情熱はさらに上がる一方だった。
仕事はもちろん一生懸命やるけれども、BMXのために色々と犠牲を払う生活。
というのも、BMXは練習に膨大な時間を費やす必要がある。
そうなると、人との付き合い方や仕事の仕方をよく��えないといけない。
友人からの遊びの誘いでも「その日はBMXの練習だから」とよく断っていたし(悪気は無い)、仕事の日は夜の練習時間のために残業しないよう気を付けた。
職場の先輩からの飲みの誘いでも「これからBMXの練習なんで」と断って、よくシラけさせていたな~。
人からは「何でそこまでして」という目で見られていたけど、これが好きな事に対する情熱というものだと思う。
だんだんと変わる「目指すもの」
そんな感じで社会人になっても情熱を注いでいたわけだけど、経験を積めば積むほど分かってくるのはトップクラスの人達とのレベルの差。
目指している地位には到達できそうもないことは、痛いほど感じていた。
それを受け入れたくない自分がいて、とても複雑な気持ちの中、必死に過ごしていた。
だけども面白いもので、時間が経つにつれて自分の器の小ささとか、目指しているものが無理なこととか、受け入れていけた。
そうなるとBMXがつまらなくなるのかなと思っていたら逆で、気が楽になって、もっと純粋にBMXを楽しめるようになっていった。
以前は周りの仲間などの成長を見ては「自分も成長しなきゃ!」と焦ったりしていたけれど、周りのことは気にならなくなって、自分がどんな風になりたいかのみに集中するようになり、精神的に余裕が持てるようになった。
大人になった、っていう感覚かもしれない。
その時、たぶん26歳前後だったと思う。
そうして目指すものは何となく変わっていったけれど、BMXに対する情熱が消えることは無かった。
事実上の引退
30歳で家業を継ぐことになり、BMXの環境がまた小田原に戻った。
BMXを始めた当初は20数人いた仲間はほぼいなくなっていて、本当に孤独なものになってしまった。
それでも情熱は冷めることなく、仕事と両立をしていた。
がしかし、ずーーーっと悩まされていた腰痛が悪化。
原因はBMXにあるが、そこに家業である重労働(味噌造り)が加わったことが追い打ちをかけた。
BMXだけ、もしくは重労働だけだったら何とかなった腰も、両方に板挟みになって回復する時間を与えてもらえず、とうとう限界を迎えた形だ。
整形外科や整体に行ったり、姿勢を正したり、色々とやってみた。
それでも腰痛は改善せず、産まれて数か月の娘を抱っこできないほどに悪化した。
そして、娘を抱っこできなくなったその日、BMXをやめる決断をした。
今から約2年前、BMX歴18年の時だ。
数日の間は「BMXをやめたんだな」と考えると寂しくなって涙が出た。
何となくでダラダラと続けてきた18年間ではない。
だからやめるというのは簡単な話ではなかった。
気持ちの整理はつかないけれど、整理をつけている余裕なんてない。
「自分のワガママで娘を抱っこできなくなっている」と思った瞬間、BMXをやめる以外に選択肢は無かった。
そもそもBMXをやめれば腰痛が改善するなんて保証もないが、とにかく甘い考えは捨てる必要があった。
仕事に影響が出てしまったら最悪だ。
立場上、あってはならない話だ。
ということで、BMXを始めてからは20年も経つけど、実際に取り組んできた歴は18年��なる。
BMXをやめてから2年が経ったけど、いまだにBMXをやりたい自分がいる。
業界の動向はいまだにチェックしているし、自分と同じ世代の活躍や若手の成長が気になる。
それほどBMXが好きだったんだな、と思う。
やってきて良かった
BMXに限らず、仕事とは別の「遊び」とか「趣味」に情熱を注いで取り組んでいるというのは、経験上、他人にはなかなか理解されない。
それゆえ孤独を感じることがよくあった(BMXはマイナースポーツだから特に)。
自分ですら「何でこんなに犠牲を払ってまで取り組んでるんだろう」と思うこともあった。
骨折や靭帯損傷、そして引退の原因となった腰痛など、数えきれないほど怪我もした。
それでも今は「やってきて良かった」という気持ちの一点しかない。
その理由を挙げればキリが無い。
言葉にすると安っぽい表現になる気がするからやめておく。
そう、言葉にできないほど18年間は価値のある時間だったんだ。
そしてその後
そんな感じでBMXという競技を楽しんできたわけだけど、今はBMXの代わりと言ってはなんだけど登山とトレイルランニングを楽しんでいる。
登山とトレイルランニングの何が良いって、腰に優しいこと笑
BMXをやめてから2年、腰の状態はかなり改善した。
そしてBMXに注いでいた情熱をそのまま登山とトレイルランニングに注いでいるため、全く退屈じゃないし、寂しくない。
「自分にはBMXしかない!」とか思っていたけど、実際は他のことでもやってみるとハマるもんだな、と。
何でもそうだけど、大切なのは、本気で取り組むことかなと思う。
本気にならないと、物事の本当の楽しさ・価値には気付けない。
中途半端に取り組むことほど勿体ないことは無いと、BMXで教わった気がする。
とは言うものの、そのBMXだってもっと本気でやれたんじゃないかとか思ったりもするんだけど。
なんにせよ、BMXはやってきて良かった。
そのうちまたやれる日が来るかな。
ちなみに今では腰痛は改善し、少し大きくなった娘も難なく抱っこできる。
だからこそ、BMXが良い想い出になっている。
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【報告】5.9 五輪とても無理です。即刻ヤメロ!新国立競技場GURUGURUデモ
(A photo by @mkimpo_kid: Check here for more photos.)
新型コロナ変異種ウイルスが猛威を奮い、3度目の緊急事態宣言が発出される中、都内各地ではオリンピック・テストイベントが目白押し。都立明治公園をつぶし、都営霞ヶ丘アパートをつぶし、野宿する人々を追い出して建てられた新国立競技場でも、5月9日、陸上競技のテストイベントが開催された。
私たちは、人々の命と暮しを踏みにじるオリンピックを今すぐ中止しろ!奪ったものを返せ!と声をあげるべく「五輪とても無理です。即刻中止!新国立競技場GURUGURUデモ���を開催した。
(photo by @galbraithian; Check here for more photos)
テストイベントはTBSが生中継する力の入れよう。それに加えてオリンピック中止を求める声の高まりを受けてか、デモへの注目度も高く、開催前からスポーツ新聞を中心に「不穏な動き」などと抗議行動を予告する報道が行われ、集合場所には国内外のメディアが集結していた。
デモ前の集会では様々な人がオリンピック反対の思いを訴えた。
まずは、98年長野オリンピック反対運動を取り組み、長野市での「聖火」リレーでも「オリンピック反対!」の声をあげた「オリンピックいらない人たちネットワーク」からの連帯アピール文が読み上げられ、続いて5月11日に福岡で「聖火」リレー抗議行動を呼びかけていた「オリンピック不要団」がリモートでアピール。
続いて、入管での面会支援を行っている学生の方が、オリンピックがいかに移民・難民の人々の人権を踏みにじっているか、実態を交えて強く訴え、「オリンピック追い出しヤメロ明治公園国賠」原告団の仲間からも新国立競技場建設における野宿者排除とオリンピック利権を糾弾するアピールが行われた。おことわりんくからは、5月1~2日の沖縄での「聖火」リレーとその抗議の様子を報告。新国立競技場建設に際し取り壊された都営霞ヶ丘アパートの元住民の方も駆けつけてくれ、生の思いを語って下さった。医療従事者の方からは「五輪をやめて医療や貧しいたちにお金を回すべき」と声が上がった。
(それぞれのアピールは記事後半に要旨を記載)
デモは新国立競技場を2周!競技場の中からは時折、イベントを盛り上げるアナウンスや音楽が漏れてくる。
3月の2度のデモでは、警察官が車線よりはるか内側にデモを圧縮し、「早く歩け」「前につめろ」と至近距離から大声で叫ぶというデモ妨害が続いていた。同じことを繰り返さないよう、事前に抗議申し入れを行っていたにも関わらず、警察はこれを完全に反故にしたため、デモ隊は密状態を強いられながら進むことを余儀なくされた。
それでも、目の前に公園を奪い、団地を奪い、人権を踏みにじった新国立競技場がそびえ建っている、その中でオリンピック関係者たちがのうのうとテストイベントを行っている、それだけで抗議の熱気は高まり「オリンピック今すぐやめろ!」の声は力強く轟いた。
オリンピック再開発やめろ!
オリンピックで貧乏人を追い出すな!
明治公園を返せ!
霞ヶ丘アパートを返せ!
新国立競技場は呪われたスタジアムだ!
今すぐ解体しろ!
デモ前日には、水泳の池江選手がオリンピックに反対する人々から「辞退しろ」という声を受けて苦しい、とTwitterで発信し、メディアではアスリートに怒りの矛先を向けるのは間違っているという論調が相次いだが、私たちは以下のようにコールした。
オリンピックは政治だ
アスリートは極めて政治的だ
アスリートは政府の道具になるな
批判の声を封じるな
後の報道を見ると、抗議の声はテストイベント開催中の新国立競技場の中まで届いていたという。
デモが終わるころにはすっかり暗くなっていた。最後に、反五輪の会のメンバーが、オリンピック・パラリンピック翼賛教育が続く学校現場からのアピール、パラリンピックについて批判するアピールをおこない、解散となった。参加者は110名。
終了直後から、地上波テレビ番組を含む国内外の多くのメディアにオリンピック反対デモが報じられ、SNS等には賛同するコメントが無数に並んだ。いまやオリンピック・パラリンピックの中止を求める世論の高まりが、無視できないほどに大きくなってきていることの表われだ。
オリンピック今すぐやめろ!オリンピックより命を守れ!
<各社の報道>
国立競技場で陸上東京五輪テスト大会 周辺では五輪反対デモ予定 緊迫感漂う中開幕(デイリー)
【東京五輪】「中止デモ」の予告で厳戒態勢…陸上のテスト大会がスタート(東スポ)
東京五輪中止求めるデモ行進が決行「今すぐ止めろ!」陸上テストイベント中の国立競技場周辺で(スポニチ)
【東京五輪】国立競技場周辺で大規模の反五輪デモ「中止しろ!」「誰のためにやるのか!」「貧乏人を殺す」(東スポ)
反五輪デモで国立競技場周辺は騒然…公安警察の〝抗議運動潰し〟も発覚(東スポ)
国立競技場前で五輪反対デモ「人殺しの五輪」「ぼったくり」陸上テスト大会中に抗議の声(デイリー)
国立で五輪リハ、温度差くっきり…緊急事態宣言下で“厳戒”陸上テスト大会(サンスポ)
国立競技場周辺で五輪反対デモ「医者もナースも限界だ」(共同通信)
国立周辺で開催反対デモ 東京五輪(朝日新聞)
「五輪いらない」デモの中、無観客で本番向けテスト大会(朝日新聞)
国立競技場前で東京五輪反対デモ 海外メディアも取材(毎日新聞)
東京五輪開催に抗議、国立競技場周辺でデモ(AFP)
「オリンピックより命を守れ」…東京都心で「オリンピック中止」デモ(WowKorea)
Two Tokyo Olympics: Inside and outside the National Stadium(AP)
[출처: 중앙일보] 일본 하루 확진 7000명 육박, 국민 59% “올림픽 취소해야”(中央日報)
Japan: Dozens march around Tokyo Olympic Stadium to protest against 2020 Games(Ruptly)
Protesters call for Tokyo Olympics to be canceled(Japantimes)
Tokyo Olympics: From a dream in 2020 to a risk in 2021(Times of India)
Protest against Tokyo Olympics(ABS CBN)
‘Olympics kill the poor’: Furious Japanese public protest Tokyo 2020 Olympics as calls to cancel Games continue
youtube
当日映像 :ken23quさんより
<集会アピール要旨>
1,「オリンピックいらほない人たちネットワーク」長野
皆さん、市民の力でオリンピック開催止めよう!ね。オリンピックより命が大切!あたり まえだよ! 4月1日、長野でも聖火リレー反対!東京オリンピック反対!の抗議行動をやりました。 「東京五輪開催反対!オリンピックいらない!聖火リレー反対!」を叫びました。バナーには「Fukusima Not Tokyo Olympics! (オリンピックなんかより福島だろ)」「NO Olympics Any Where!(世界のどこにもオリンピックいらない!)」「Breads Not Circuses!(サーカスよりパンを)」「オリンピックよりコロナ対策を」など。夜の7時、まるで葬式の参列者のような静かな観客の中を、スポンサー企業のデコバスと警察車両がぞろぞろ、スポンサーのための聖火リレー・オリンピックでしかないことが明らかだ。聖火 ランナーも集った観衆も IOCやオリンピックのダシにされたんだ。
そして、まさにこの時、NHKはライブ中継していた音声を30秒間「消音」した。公共放送を自称するNHKが、意図して「オリンピックいらない!」の声をなかったことにしたんだ。NHKがやったことは、私たちの声を消音しただけではなく、私たちの「思想・ 信条の自由」「表現の自由」を侵害したんだ。あったことをなかったことして、歴史を3 0秒消したんだ。
4月16日、NHK に「オリンピック・聖火リレー賛美の御用報道をやめろ!」「消音」を指示した過程などの調査公開を求める抗議文を提出。オリンピックは平和の祭典という大ウソ・五輪開催による国民意識(ママ)の統合が、憲法改正へつながる。消音は自ら報道の自由を侵害し、ジャーナリズムの自死に他ならないなどを理由にあげました。
皆さんの中にも、テレビで聖火リレーハイライトを見た人いるとおもうけど、気持ち悪い。感動の押し売りと涙。まるで戦時中の「肉弾三勇士 」、若い人は知らナイネ。
私たちは東京の皆さんへ連帯の意味も込めて 5月16日(長野)、22日 (松本)で「オリンピックいらない!コロナ下の五輪強行開催やめろ!」の連続集会をやります。
私たちは、「戦争をしない!させない!」ための練習として、オリンピックいらない!の声 を上げてきました。 私たち市民の力のリレーで、ホッケを食べてオリンピック・ファシズムをぶっとばし、貧困と格差・コロナまで拡げ、命まで奪うオリンピック止めましょう。
2021.5,8 オリンピックいらない人たちネット ワーク
Masao Ezawa
2,「オリンピック不要団」福岡
何年も前からオリンピック反対行動をやられてきた皆さんをリスペクトします。
僕は絵をかいてメッセージを伝える職業なので、表現の自由といったテーマを中心に活動することがあります。2011年に警察からデモ行進を妨害され、国賠訴訟で争い、本人訴訟で2015年に高等裁判所で勝訴確定しました。警察相手の国賠訴訟で市民が勝つ割合は6%とすごく低いと言われている���に勝ったのが自慢です。
オリンピック反対行動をやらなければと思いつつ、福岡から地理的にも離れているので、今までなかなか腰があがらなかったのですが、聖火リレーが福岡にも来てしまうということでおしりに火がついてやっといま行動しています。
普段、福岡で脱原発、反戦、G8先進国首脳会議反対などのデモをやったり、Twitterに投稿したりすると、時々ネトウヨなどに絡まれるのですが、今、オリンピック反対と投稿してもそういうことが一切ありません。大多数の人たちが、この時期にコロナの中でオリンピックを無理やり進めようとするのはおかしいんじゃない?と感じている。マジョリティ側になって行動するのは初めてなのではないか、すごく珍しい機会だと思います。これを一緒に大きい声で福岡でも言っていきたいと思います。
福岡では、公道での「聖火」リレーは中止になりましたが、5月11日火曜日に平和台陸上競技場で聖火リレーの点灯式だけ行われます。この点灯式に夕方4時から競技場前で抗議行動をやろうと思っています。(5月11日当日の様子)
東京の皆さんと連帯して行動でき心強いです。
3,品川にある東京入管に被収容者の面会支援に行っているという学生の方
シュプレヒコール
オリンピック反対 税金使うな
オリンピック反対 コロナが優先
オリンピック反対 医療が優先
オリンピック反対 生活守れ
オリンピック反対 命を守れ
前提として、オリンピックというのは差別と暴力の祭典。それはあらゆる形で社会に現れているがその一つが入管だ。オリンピック招致が決まってから3年後の2016年の内部通達では「東京オリンピック・パラリンピックの年までに安全・安心な社会の実現を図るため、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは喫緊の課題である」と述べられている。ここでいう「不法滞在者」というのは正規の在留資格を何等かの形で失った人。ただビザがない、紙切れ1枚がない、それだけのことだ。実際に2016年から収容はどんどん長期化し続け、5年以上も収容されている人もいる。
収容所内の状態は、まともな医療も食事も環境も一切提供されていない。医者に行きたいと訴えても実際に診察されるまでに一週間もタイムラグがある。検査もまったくしてくれず、嫌なら帰れと言われるらしい。死亡事故も毎年のように出ている。いかに入管の医療が医療として機能していないかわかる。
最近、仮放免されたネパール人女性は入管に2年1カ月収容されていて、子宮筋腫が悪化していた。外部の医者が検査結果を見て驚くほどの、いつ倒れてもおかしくない、手術をしなければならない状態だったにもかかわらず、仮放免されたのはそれから半年後。彼女は入管から、「病気が治ったらまた収容する」と言われたらしい。仮放免者は無保険で高額な医療費がかかること、就労できないためにお金がないことなど、入管はわかっていながら「出してやるから自費で治して帰ってこい」「治ったらまた収容するからな」と脅しをかける。こんな状態だ。
食事も品川入管では冷え切っていて、虫や髪の毛が入っていることもざらにある。そんなもの食べたくない。衰弱して食欲もない。しかし、食べないとハンストと思われて懲罰房に連れていかれる。だから無理に食べている。
懲罰房は、入管が問題行動を起こした人だと判断した人を連れて行く部屋。窓がなく、トイレも頼まないと流してもらえない。狭くて不潔なところ。
昨年の秋に仮放免されたフィリピン人トランス女性は、ハンストや抗議行動に一切参加していなかったにも拘わらず、懲罰房に6カ月も入れられた。これはやはり自分がトランスジェンダーだからだと彼女は語っている。
一方、オリンピックは何をやってるか。オリパラ公認プログラムとして、セクシャルマイノリティの情報発信や安全な居場所づくりを行うプライドハウスTOKYOレガシーなる事業がある。トランスジェンダーの移民をトランスジェンダーだからという理由で6カ月も懲罰房に閉じ込めておきながら、日本人のトランスジェンダーやマイノリティにはエールを送る。在留資格をもたない移民・難民を入管の中で虐待し、時には殺しておきながら、一部のスポーツができる難民は難民選手団として組み入れる。こういうレイシズム、排外主義、能力主義、様々な差別による命の選別こそがオリンピックの本質だ。だから、COVID19の感染拡大に合わせて選手やオリンピック関係者を医療面で優遇しろという話になったのも当然と言えば当然、オリンピックの論理はそういうものだ。いまはCOVID19が拡大したことで、この社会でデフォルトとされているような人にも命の選別が及んだから抗議の声が広がったが、これまでもずっと社会の中で弱い立場に置かれてきた人たちはオリンピックのために殺されてきた。それを忘れてはいけない。オリンピックが続く限り犠牲者は増え続ける。オリンピックは、様々な差別を軸にしてそれを押し広げることによって成り立っているから。
今やっているトーチリレーも、あの火の燃料はレイシズム、セクシズム、能力主義、資本主義、新自由主義、ファシズム、優生思想、その他ありとやらゆる差別と暴力だ。それによってあの「聖火」は燃えている。だから「聖火」は消さなければいけないし、オリンピックは今ここで完全に廃止しなければいけない。オリンピックをやっている限り誰もが安心していきいきと暮らせる社会なんてものは絶対に実現しない。名古屋の入管で亡くなったウィシュマさんの問題がいま話題になっていて、「彼女が生きていけた社会を目指して」というスローガンがあるが、彼女が生きられた社会はオリンピックをやってる限り絶対に実現しない。だからオリンピックは世界のどこにもいらない。オリンピックを、いまこの場で終わらせたい。
4,オリンピック追い出しをヤメロ明治公園国賠原告団
皆さんが今いる新国立競技場は都立明治公園という公園だった。野宿者で、長い人は30年近く暮らして来た。新国立競技場を建設するため、2014年から16年にかけて、警察、裁判所、JSC、東京都が総力をあげて5名の野宿している住人を蹴散らすという国家権力むき出しの暴力が振るわれた。オリンピックという国策事業のためなら、貧民を暴力的に蹴散らして突き進む、そういったことは許してはならないということで、2年前から国賠訴訟という形で争っている。
最初は長年住んでいた仲間と追い出しをやめろ、話し合いで解決しろと交渉を重ねてきたた。それに対して2016年4月16日、強制執行という暴力で叩き出された。それから緊急避難として明治公園の一部であったこの「こもれびテラス」に半年間テントを張って暮らしてきたが、この場所も廃止された。そのあとに建ったのがこんなどでかいJOCビルだ。
もともとJOC、日体協は老朽化した岸記念体育館に本��があった。そこを建て替えても高層化できないということで困った森喜朗が東京都に相談したところ、都立公園であったこの土地が優先的に払い下げられた。立ち退き料として古い老朽化したビルは東京都に買い上げられ、その建設費も丸儲け��オリンピックだから、スポーツ団体だから、まるで私物化したように税金がじゃぶじゃぶ使われ、その一方で貧しい者、野宿している者にはむき出しの暴力がふるわれるということを、5年前、私たちはまざまざと見せつけられた。
これは日本に限ったことではなく、どこの国のオリンピックでも、もれなく巨額のお金が動くオリンピックのために貧民の暮しが蹴散らされてきた。私たちは東京で、こんなことは止めるんだということで闘ってきた。やれることはすべてやるつもりで、今現在も裁判で対抗している。
今年、こんな状況下でもオリンピックをやるとオリンピック推進事業者は言い続けている。その際には、いま皆さんの立っている新国立競技場地域一帯を封鎖する計画があるという。ラーメン屋もマンションも全部、地域一帯を囲って、そこら辺にゲートを作って、顔認証で関係者しか入れない。これを警視庁はセーフゾーンと言っている。
私たちは今年の開会式に合わせて既にデモ行進の申請をしている。警視庁からは、この辺りはセーフゾーンになるからデモができないかもしれないと言われた。この一帯にはまだ野宿する仲間、明治公園から追い出された仲間が暮らしている。その仲間のところにもいま東京都から「出て行け」「フェンスで囲うからな」「工事の邪魔だ」という圧力が徐々にかかっている。今、日本全国こんな状況下で「聖火」リレーが行われているが、東京で「聖火」リレーがやられるとき、また国や東京都が追い出しをかけてくるのではないかと皆心配している。皆で知恵絞って対抗していこう。
その一環として国賠訴訟に取り組んでいる。次回は6月22日15:30東京地裁706法廷。ご注目いただきたい。今回、東京地裁が証人として憲法学者の内藤先生を採用し証人尋問が予定されている。学者は通常書面のみで済まされることが多いので異例だ。
明治公園で起きた出来事は5年前だが、国家による暴力、オリンピックによる暴力について、一つ一つ洗いざらい蒸し返し、こんなことは二度とさせないと闘っている。皆さんも、コロナで国がこんな状況下でも暴走を続けるオリンピックに違和感を覚えているはず。ともに食い止めていきましょう。
5,おことわりんく
5月1日と2日に沖縄でもトーチリレーが行われた。沖縄ではまん延防止措置が取られているので、沖縄本島では公道を走るということはなく、人を制限した中で無観客のリレーが行われた。
私たちが行くことについて躊躇があったが、パンデミックの中でも辺野古の工事はずっと継続し、オリンピックも中止されない、「聖火」リレーもやられている、運動の側だけが止まってしまっていいのかという声におされて行くことにした。
沖縄本島の「聖火」リレーは無観客ということだったが、5月1日、名護市市民会館の駐車場を白いシートで囲った中で、100人のランナーが1日かけて走るということが行われた。上から見ると、囲った中を、さらにゴーカートのコースのように区切って、そこをランナーと警察官が走る。漫画のような光景だ。その市民会館の前で抗議のアピールをし、セレブレーションの間中私たちの声が響きまくっているという状況だった。途中、反基地運動をやっている医療従事者の方も飛び入りで参加してくれた。
翌日は沖縄戦の激戦地だった糸満の平和の礎で、人が入れないような形にしてトーチリレーが開催された。その日は那覇の県庁前でスタンディングをし、国際通りで「道じゅねー」という練り歩きを行った。沖縄ではいま、辺野古の埋め立て工事に南部戦線の激戦地の遺骨が残っている土砂が使われようとしており、人々は非常に怒り、県庁前でハンストをされている。その横でスタンディングをした。
その日は離島でもトーチリレーが行われることになっていたが、宮古島では基地反対の市民運動の人たちとともに中止するべきだという申し入れを行った。島ぐるみ共闘の中で生まれた、自衛隊基地に反対する市長は、宮古島では一切リレーをやらないという非常にすばらしい決断をした。同じ離島の石垣島では公道を使ったリレーが行われたが、日本会議系の市長で、首長の立場性が現れたのではないか。八重山諸島は9月にも史上最大の自衛隊演習が行われることになっていて、今回のトーチリレーもそれに対するセレブレーションのような意味合いを持つという風に沖縄の人々は感じているようだ。
1964年のオリンピックのときには沖縄から聖火リレーが始まった。復帰前で禁止されていた日の丸を振ることがそのときは認められて、一時期には復帰運動のシンボルにもなったが、復帰後の現状、日本として沖縄が一つに束ねられることに対しても非常に強い違和感をもち反対の行動をとっている。そういう意味でも、今回福島からリレーが始まるということも含め、トーチリレーのおかしさ、政治性を皆口にしていた。
目取真俊さんのブログの中に「5月1日に名護市では、市民会館周辺を使いオリンピックの聖火リレーが行われた。西海岸では巨額の放映権料を当て込んだオリンピック利権。東海岸では増額される工事費・警備費を当て込んだ辺野古利権。さらに選挙がらみの権力亡者たちが、新型コロナウイルスで市民に不要不急の外出自粛を呼びかけながら、自分たちは世論を無視したイベントや工事を強行している。」と書かれている。まさにこういうことが沖縄では行われている。沖縄と福島、東京五輪の問題はつながっているし、東京に住んでいる私たちの責任もすごくあると思っている。命を蔑ろにされいる人たち、暴力に抗って闘っている世界中の人たちと一緒にオリパラを中止させていきたい。
6、霞ヶ丘アパートを考える会&霞ヶ丘アパート元住民の方
<霞ヶ丘アパートを考える会>
このJOCの庭となっている「こもれびテラス」の向こうのエリアには230世帯10棟もの都営アパートがありました。ここで暮らしている人たちに対して、国立競技場ができるから、当初はラグビーW杯のため、そのあとは東京五輪のため、国策だと言って、事前の相談もほとんどないままに追い出しが行われました。2016年1月くらいまでに出て行けというのが東京都都市整備局の言い方でした。最終的に3世帯が残り、その1年後くらいまで、工事の中で、回りの棟が壊されていくひどい騒音と振動の中で暮らすという、過酷な状況に追い込まれました。今日は元住民の方が来て下さったので、ぜひ思うことを聞かせてください。
オリンピックのためにこれだけ弱い人たちが思いやりもなく追いだされたということは非常に悲しいです。日本だけじゃなく各国で弱い人たちがいじめられて強制的に排除されていると思う。その点はオリンピックに反していると思う。皆で頑張ってオリンピックより福祉に力をということでやっていきたいと思います。
<霞ヶ丘アパート元住民の方>
みなさん、こんにちは。私はこの辺、飯場があるあたりに住んでいました。国立競技場を建設するので出て行けと急に言われて、僕は重度の身体障がい者なので、そんなに簡単に出て行けないと言ったのですが、なんだかんだといろいろ言われて出ていくことになりました。出て行くにあたって、皆に一律17万円ずつ渡し、3カ所の場所を指定するからそこへ行ってくれと言われた。私は福祉関係や病院の都合で簡単に指定されたところに行けないと言ったが、ダメだと言われた。僕はすごく怒っているのです。この辺でずっと長い間住むつもりでいたのですが、強制的にオリンピックのために追い出されました。僕はいまどうしていいかわからないような状態でおります。
7,医療従事者の方から
医療関係者の一人として、なかなかこういう場で叫ぶことができない仲間に代わって声をあげたい。
日頃、ドヤ街で働いている。貧しい人、外国人労働者の人、非正規労働者でクビになった人、そういう貧しい人たちがかかるプライマリーケアの一人として従事している。日常のプライマリーケアにおいても、誰がコロナウイルスに感染しているかわからない深刻な状況だ。
いま経産省をはじめとして民間の医療機関をバッシングしている。公立病院に比べて民間病院はコロナ対策をしっかりしない、入院もさせない、そういう言われ方をしているが、いま、誰もがコロナウイルスをもっているかもしれないという懸念・危惧の中で、みんな緊張感を持って働いている。特にコロナ専用病棟の人たちは本当に大変な状況に置かれている。立川相互病院の窓ガラスに「もうカンベン オリンピック無理」という声があげられている。あれが医療関係者の声だと思う。いま医療が崩壊しようという状況、東京も今日も1000人を超えるような新規感染者数だ。緊急事態宣言が延長されようが、コロナウイルスの収束は見込めない。ここに五輪が呼べますか?五輪をここで呼んだらどうなってしまうでしょうか?(聴衆から「殺される!」の声)東京が、世界中に感染を拡大させる一大クラスターになってしまう。日本の責任、東京の責任として絶対に東京五輪はストップさせないといけない。
東京五輪、もともと6000億円と言われていた費用が、1兆6000億円、それも嘘で実際には3兆円、どんどんお金が膨らんでいる。そのお金を即刻医療に回してほしい。いま誰もが安心できる生活をするために、無料のPCR検査をしっかりとすること。そしてお金は貧しい人にこそまわしてほしい。経済対策、経済対策と言って、大企業にばかりお金を回してどうなるのか。非正規労働者の人たちが、消費に回すお金もなく、野宿に追いつめられ、自殺にまで追いつめられている。それを助けるためにしっかりとお金をあてること、それがお金の本来の使い方ではないか。
いまこれだけ全国でコロナが感染拡大したのは、まぎれもなく、菅首相と二階幹事長のGoToキャンペーンのせいだ。その責任をしっかりとってほしい。
五輪をやめて、人々のためにお金をつかってほしい。
6,東京の学校現場から
私は都立学校の労働者です。水泳の池江璃花子選手はSNSで、東京五輪出場を辞退してほしいという声に対して、「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と答えたことが大きな話題となっています。どこかで聞いたようなことのあるこの言葉、学校で職場で、何かにつけ「もう決まったんだから」と物言う口を塞ぐおなじみの言葉ではないでしょうか。
学校の同僚に、東南アジア出身の在日外国人生徒を何人か受け持ったことのあるというベテランの方がいます。外国人の在留資格には詳しいと自信満々ですが、話を聞いていると、例えば「そんなことをしていると強制送還される」等々、えっと思うようなことを口にすることがあります。その方は体育科で、入管法をスポーツのルールと同じように受け止めているーまさに池江選手の言葉と相通じる、「ルールとして決まっているのだから、決まったことは受け入れ、頑張るだけ」という発想なのです。それが、在留資格を認められない在日外国人一人一人の人権をいかに奪っているのか、まさに自分の目の前に在日外国人の生徒がいても、そこに思い至ることが全くないわけなのです。
話は変わりますが、4月末、赤旗が「学校連携観戦」―これは、オリパラ組織委員会が準備したチケットを都や県などの自治体が公費で購入し、それを各学校単位で子どもたちの観戦に当てるというものですが、この「学校連携観戦」についてのスクープを行いました。多くの保護者が我が子の学校の年間予定表をSNSにupして、感染症が蔓延し、修学旅行など学校行事が次々と中止になる状況の中で、オリパラ観戦だけは強行されるのか、と不安の声を上げています。幸い、私の勤務する学校は、リモート観戦にすることになり、現地での観戦はなくなりました。赤旗の報道があるまで、まさか、今の状況で生徒を競技場に連れて行くなんてありえないよね、どこの学校も同じだよね、と思い込んでいました。
学校のホームページを見ると、都立の障害児学校だけで、20校以上が今年の年間予定に「学校連携観戦」を入れていることがわかりました。基礎疾患のある生徒の多い肢体不自由校も4校が予定に入れています。
コロナが流行しなくても、猛暑の季節でなくても、チケットを一方的に公費で購入して、学校単位で観戦をさせるというのは、学校の裁量権を逸脱するものではないでしょうか。学校単位ということは、個々の生徒の立場からすれば、事実上の強制参加です。
すでに、学校連携観戦に向けて、引率担当教員による競技場の実地踏査が始まっています。多くの学校から教員が授業を抜け、子どもたちのそばを離れて競技場に赴くことを余儀なくされています。池江選手の言葉ではありませんが、多くの教員が「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と子どもたちと自分自身を大きなリスクにさらそうとしています。そして、それに対して責任を負う主体は全く見えてきません。
東京都教育委員会のサイトを見ると、学校連携観戦は2016年から進めてきた「オリンピック・パラリンピック教育」の「集大成」として「学校単位で直接観戦する機会を提供する」としていることが分かります。オリパラ教育で子どもたちの心と体をオリパラ成功のために絡めとり、学校連携観戦で観客席を埋める駒として利用する、それは「教育」ではなく「洗脳」に他なりません。
学校連携観戦は、神奈川や千葉など、東京都以外の学校でも、また私立学校でも多くの学校で予定されています。学校に通うお子さんのいる方、どうか、お子さんの学校の予定表を確かめてみて下さい。学校連携観戦の予定が入っていて不安を感じられたら、お子さんと話をしてみてください。担任の先生には、連絡帳などで不安な気持ちを伝えて下さい。そして、校長に「学校連携観戦をやめてほしい」と電話してください。
かけがえのない子どもの体、心、命を守るため、声を上げましょう。
まだ間に合います。
子どもにオリパラ教育、オリパラ観戦を押し付けるな!
オリンピックはいらない、世界のどこにも!パラリンピックはいらない、地球のどこにも!
7,反五輪の会から
パラリンピックにも「聖火」というものがあって、「やまゆり園」で採火するということが相模原市長から突然発表があった。障がい者も、「やまゆり園」の被害者遺族も、聞いてない!と抗議の声をあげ、抗議の結果、採火は「やまゆり園」ではしないということになったというが、このいきさつはオリンピック・パラリンピックの本質を象徴していると思う。
当事者ぬきで、権力を持っている人の思い描く「共生社会」を当事者に押し付けるてくる。私たちが全然共に生きているというリアリティを感じないような、パラリンピックの採火というもので「共生社会」を目指す決意を示す。これこそオリンピック・パラリンピックの本性を雄弁に物語っていると思う。
平和の祭典といっても、どこが平和なのか。宣戦布告をして戦争をしていないからといって、私たちまったく平和だとは感じていない。「共生社会」も同じで、当事者、障がい者やマイノリティの人たちが共生というものを感じていないのに、権力の側がこれが共生だとかこれが平和だとか押し付けてくる、それがオリンピック的だと感じる。
私たちが障害者運動から学んだことは、たぶん、それぞれの能力をのばすとか、欠点を克服するとかいうことではなく、それぞれのできること・できないことを、コミュニティが補いあい、共有する、そういう社会のありようだ思う。私たちは、競争しなくても、努力して無理しなくても、十分コンビビアルに楽しく幸せに暮らせるにも関わらず、オリンピックなどをやって、無駄に競争させられている。奴隷たちが争って支配者に気に入られるようにやっているのを、支配者が眺めて得をしている。そういうのがオリンピックだと思う。やめてほしい。
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