#りびはだ座談会
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一週間の夏休みを取得して、先週またバンコクへ行って来た。
夕方空港に到着、1時間後にはホテルにチェックインしたが、程なくしてバンコク在住の白人のセフレダディからの到着確認メッセージが。支度して直ぐに向かうと言うと、今晩はデカマラのタチリバのタイ人も参加と。
久しぶりの休みで、更に3Pと聞いて急いで支度し、ワクワクしながらダディの住むマンションを訪問すると、ロビーにそれらしい俺より若めの男っぽい筋肉質な男前のタイ人が。迎えに来たダディが俺とタイ人両方に挨拶したので、今晩の相手と判明。お互いに笑顔で挨拶交わしてそのまま部屋へ。
リビングのテーブルには早速準備されたPが3本準備されていたので、それぞれケツ割れやハーネスに着替え、コックリンク装着して早速フライト開始。タイ人は自分で刺せないと言うので、ダディの指示により俺が刺してやることになり、3本並んでいるPから適当に1本取って最初にタイ人に。彼の腕はしまった筋肉質で羨ましいほどの血管バキバキだったので、スムーズに刺注出来た。ゆっくり注入終わるや否や彼は腕を上げながら咳き込むと同時にハアハアと目を見開いてそのまま超興奮状態に。その姿を見て俺もダディも興奮してしまい、それぞれ急いで注入。ダディがどれだけ仕込んだのか知らないが、俺も咳き込んでそのまま全身がカーッと熱くなり鼓動と息が早くなった後は、完全変態モードに。
急な超エロモードに入った俺達はその場でお互いの乳首を触りながら3人でベロチュー。気付くとダディとタイ人が俺の両乳首に吸い付いていて、俺はヒクヒクしながらビンビンになったチンコからケツ割れを通してガマン汁垂れ流し。それを見たダディが即座にしゃがみ込んで俺のケツ割れから染み出したガマン汁をベロベロと舐めはじめ、タイ人もそれ��続いて俺のチンコをケツ割れから引っ張り出してビチョビチョの俺のチンコをしゃぶりまくり。
その興奮状態のまま、隣のベッドルームに移動。既に準備されていたエロビデオが流れる中、ベッドの上で3人でチンコしゃぶり合い。俺はダディのデカマラにしゃぶり着きながらタイ人にチンコしゃぶられて更に興奮。俺はダディのデカマラから金玉、そのままケツ穴を舐め回したが、タイ人も同じく俺のケツの穴を舐め回すので、あまりの気持ち良さに喘ぎ声とガマン汁が止まらない状態に。
その後はダディのエロいケツをタイ人と交代で掘り合ったが、タイ人がダディを掘っている時のプリプリしたケツを見て興奮して、掘っているタイ人のケツの穴を後ろから舐め回し、そのままガマン汁ベチョベチョのチンコを後ろから挿入。柔らかくてグチョグチョのダディのケツ穴も気持ちいいが、タイ人のプリケツの締まったケツ穴もかなり気持ち良かった。続いて俺がダディを掘っていると今度はタイ人が俺のケツの穴を舐め回し、指を突っ込んで来たかと思うと、おもむろにギンギンのデカマラを押し当ててきた。ゆっくり入れてくれと頼むと、タイ人はゆっくりとデカい鬼頭を押し込み始めた。すると、ダディがPopperを俺の鼻に持って来たので、それを深く吸うと、同時にタイ人のデカマラがグイッと押し込まれたが、不思議と痛みは殆どなく、堀りながら掘られる気持ち良さと変態なエロさが増して、むちゃくちゃ狂いまくった。しばらく連結したまま堀合っていたが、気付くとタイ人が俺のケツにイッちゃったと。それを聞いたダディがすぐさま俺のケツ穴を確かめるように両手で開くと、確かにザーメンがドロッと流れ出したのを見て、チュパチュパとケツ穴からザーメンを舐め取り、タイ人と俺にキスしながら口移し。3人でタイ人の濃厚なザーメンを舐めまわしながらキスしていたら、俺もたまらずイキたくなり、ダディとタイ人に顔射。二人はお互いの顔にかかった俺のザーメンを舐めまわし、その二人とザーメンキスしながら一回戦を終了。
その後はイチャイチャしながらの休憩を挟みつつ、翌日の昼まで更に2回追加+時々煙追加してエロく狂いまくってやりまくった。
最後はダディのデカマラで掘られ、何故かまた俺のケツに中出しされて、それを二人の口で吸い取られて、俺に口移しでザーメン向けまみれでキスしまくるという形で終了。その時には部屋の中も、三人の口もザーメン臭が漂っていたが、それが何故かエロくて心地良かった。
終了後は三人でシャワーを浴びてしばらく軽食を取りながら談笑して別れた。
その3日後、ダディからもう一度会おうとお誘いが来たので、喜んで向かったことは言うまでもない(その時のまたエロい絡みはまた気が向いたらレポートするかも)。
次回また行くのが楽しみでたまらない。
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戦闘服の男たちNo.1
さぶ増刊号 1985/7
G-men 2009/6
§1 夜明け前
俺は島護、25歳の陸上自衛隊員だ、体付がごついのでゴリラの様だと皆言う、勿論短髪、入隊して3年、我ながら戦闘服姿が板に着いて来たと思う。今俺は、ジープのドライバーとして、この久しぶりの大演習に参加している。
演習場の空が、ようやく白み始めてきた。午前4時、俺の運転するジープは、戦車がさっきこねくりまわしていったぬかるみを、ケツを左右にふりながら最後の目的地にむかっている。夜通しの演習は何度も経験してるけど、3日めになるといつも意識もうろう、ただ気力だけで動いているっていう感じ。頭は短髪だからなんとかなってるけれど、顔は不精髭、体だって風呂なんか演習中入れないので汗と埃でべっとりしている。隣で無線機片手にさっきまで巻くっていた金城3尉も、いまは黙りこんでいる。
金城3尉は27歳、骨太ですげえいい体しているんだぜ、頭はいつもさっぱりと刈りこまれた短髪で、いかにも沖縄生まれっていう顔は本当に野生の証明そのものだね。
実は俺、前から憧れっていうと照れくさいけれど、気になる人だったんだ。けれども違う小隊の幹部だったのでなかなか話すチャンスも無いし、遠くから見てるだけ。だから今度の演習でジープの運転手として一緒に行動をするって聞いた時とても婚しかったよ。
そんな金城3財が、ポツリと
「元太の奴、どうしてるかな。」
元太っていうのは、俺の同期で、九州からきた高橋士長のことだ。あいつも図体でけえくせに俺より3歳も年下で、口は悪いが性格よくてなかなか憎めない奴だ。
そんな元太なんだが腰を痛めたとかで演習の3日ほど前から入院して-まっている。たしか金城3尉の小隊だったはずだ。
「ああ、あいつのことなら心配せんで下さいよ。キングコングみたいな、図体がそう簡単にへこたれませんよ。」
「ひでえこと言うなあ。おまえもゴジラみてえな体してるくせに。」
「じ��、金城3尉は大魔神じゃないです��。」
あは、言ってしまった。3尉殿に大魔神だなんて、思わずペロリと舌をてしまう。
「お前も元太と一緒で可愛い奴だな。」
「エヘ、そうですかぁ」
なんて冗談を言っているうちに眠気も覚めてきた様だ。
夜も明ければ状況(訓練)終わり。終われば休暇が待っている。
§2 事件発生
演習が状況終了になると、その夕方は演習場の天幕(テント)の中で恒例の大宴会が始まることになっている。正直言ってこれを楽しみにしている隊員も多い、汗臭い戦闘服を脱いだ時の解放感と、酒を飲んでポロリと出る本音のぶつかり合いがたまらなく好きなんだよな。
あたりも暗くなり宴もたけなわ、俺たちの天幕は8人のむくつけき男どもで足のふみばもないくらいだ。さっきまでの疲労の色もなんのその、酒は命の水とはよく言ったもんだ。
幹部同士で呑んでいた金城3尉が赤らめた顔をして、焼酎の一生瓶をかかえてやってきた。そして俺の隣に座りこむ、
「おい、島、飲んでいるか。まっ一杯飲め!」
と言って一生瓶をさしだしてきた。
「3日間、御苦労だったな。お前のおかげだ、さあ飲まんか!」
いくら俺が力自慢でも金城3尉に押えつけられたら手も足も出ない。
それでも有無を言わさず、瓶ごと口につっ込んでくる。俺、思わずむせてしまった。そしたらやっと力を緩めてくれた。
「ふーっ!助かった。もー殺さんでくださいよ。」
あたりに笑い声が響き渡った。
そんなとき、俺の手がぐっと3尉に、握られていることに気がついた。
熱い手だった。急に頭がクラクラとしてきた。酔いが回って来たようだ。だんだん意識が……
「島士長!起きてください」
がんがん鳴り響く闇の底から起こされたのは、午前3時。俺をゆさぶっていたのは、不寝番の伊藤一士だった。重い頭をかかえながら起き上がると伊藤一士は
「高橋士長が、地区病院から行方不明になったそうです。今部隊から連絡が有りました。」
頭がボーッとしている俺は最初その事態の重大さに追い付いて行けなかったが。少しして、
「な、なんだって!元太が逃げたって!」
隣で寝ていた金城3尉も起き上がって来た。
「元太がどうしたんだ。」
「地区病院から脱柵(脱走)たって……」
「あの馬鹿野郎!いったいどうしたんだ。」
3尉もまだ酔っている様だ。俺は戦闘服をひっかけると、半長靴を急いで履き
「金城3財、中隊に電話してきます。」
といって天幕を飛び出した。いったい元太の奴、なにがあった��いうんだ。まだほとんど冷めて無い酔いとともにそんな思いがぐるぐるめぐっていた。
電話のある天幕はこの時間には誰もいない、さっきも不寝番が飛んで来て受けたのだ。
俺は中隊へ電話かけた。こんな事件のあった時は必ず当直が誰かひとり起きているはずだ。
「はい、3中隊当直幹部です。」
「演習部隊の島士長ですが、高橋士長の件でどうなったのか、知りたいと思いまして。」
「ああ島か、三上2尉だ、どうやら午前2時ごろいなくなったらしいんだがな。」
「いったいなにが原因何ですか、」
「それは俺が知りたい位だ。」
「じゃ、詳しい事はまだ…・・・・。」
「そんな所だ、島士長、あまり心配せんで移ろ。」
俺は、演習場に居て何も出来ない自分にどうしようもないいらだちを感じていた。
「何かわかったら電話下さい。俺、ここでまってます。」
そういって竃話を切った。
§ 3 ふたたび夜明け前
いつのまにか後ろには金城3尉が立っていた。
「詳しいことはまだわからないそうです、なんか信じられないっすよ。」
金城3尉は、俺の肩を抱きながら、
「元気出せ島。元太は戻って来る、必ずな。俺も一緒に連絡を待とう。」
そういって3尉は、持って来た一生瓶を俺に差し出した。俺は進められるままに一生瓶ごとくい飲みした。自棄酒だな、まったく。
「どうだ、もっと飲め。」
金城3財は、自分でも一杯飲むと、今度は俺を天暮のシートの上に押し倒した。ふだんならこうも簡単に倒れるわけないのだが酔ぱらってなんだか分からなくなってきた。
「まだ飲み足らんか、お前は可愛いやつだぜ。」
金城3時は、俺の体の上にのしかかって来た、酒の匂いと共に戦闘服に染み込んだ男の匂いがムッ、としてきた。
気が遠くなりそうな、でも俺、嫌じゃなかった。
金城3尉の手が俺をきつくだきしめる。耳に熱い吐息がかかる、だんだん体から力が抜けていく……
「元太の所へ俺だって飛んでいきたいんだ、島、分かるかこの気持ち、実はな、俺はこの中隊に来てからずっとお前ら2人が気にいっていたんだ。元太はともかく、お前だって俺は遠くから見ていたんだ。だがな、こんなふうになるとは思ってもみなかった。元太の奴め、俺は寂しいよ。」
そういい終わると静かに唇を重ねてきた。熱いものが体の中から沸いてくる。
3尉は俺の職闘服の上衣のチャックをおろすと胸のあたりをなぜまわし始めた。
「ウーツ」
自然に声が出てしまう。いつのまにか戦闘服のズボンのボタンも外されていた。
そして無造作に手が突っ込まれてきた。
「堅いな。」
そう言って俺の気持ちを確かめると、おもむろに酒を煽り、口移しで酒を送り込んできた。
あまりの量の多さに口から溢れてしまった、金城3尉は舌でそれを拭うとまた、唇を重ねてきた。舌と舌が口の中でからみあう、それに加、て強い雄の臭いがたまらなく俺を刺激する。
「金城3尉!た、たまんねえよう。」
俺はあえぎ声を出してしまう。
「そうか、たまんね��か、もっと良くしてやる。」
と、言って戦闘スポンからず大くなった俺のモノを引き摺りだした。
「体にお似合いのゴツいモノだな。」
そう言いながら唾をおれのモノに垂らすと、指で一番敏感な所をこねまわしてきた。もう片方の手は俺の口の中に容赦無く入り込んでくる。
「どうだ、今度は俺の番だ。」
といいながら、自分の戦闘ズボンの前をまさぐり、俺に馬乗りになってきた。そしていきり勃ったモノを口にねじ込んできた。
「ウグッ!」
むせ返るような強い臭いに圧倒され、俺は無心に頬張る。その間にも金城3尉は俺のモノをこねくり回す。
「いいな島、この事は2人だけの秘密だからな。」
腰を動かしながら金城3尉がいう。
頬張りながら俺がうなずく。
そして3尉は、一層堅くなったモノ引き抜くと体をずらし、俺の爆発寸前のモノと自分のモノを一緒に握り、激しくシゴキだした。
「ウ、ウッ島、」
「キ、金城3尉ー」
二人は、押し殺した声でお互いの名を呼びながらおびただしい量をほとばらして果てた。それは、戦闘服のはだけた分厚い胸にふりそそいだ。それを3尉はていねいになめると軽く口を重ねてきた。
俺はだんだん気が遠くなりそのまま寝てしまった。

§4 捜索
翌朝俺と、金城3尉は元太の捜索に協力する為、一足先に演習場を出発した。
二人とも照れ臭いのか黙ったままだ、だがその沈黙を破るように3尉が、
「昨日のこと、覚えて要るか。」
と、ひとこと言った。
「え、ええ。」
俺は思わずどぎまぎして答えた。
「嫌だったらごめんな。」
「そんな、始しかったです。」
言葉少なめに答える。ジープが信号で停車した。
シフトレバーを握る手がもうひとつの大きな手に包まれた。
中隊に帰るとすぐ捜索に加わったが、その日の手がかりは何も無かった。
だがその夜、金城3尉あてに電話が掛かってきた。
「元太、お前何処にいるんだ。え、よし分かった今行く。」
「島!来い」
慌てて3尉は飛び出して行く、俺も急いで付いて行く。シープは二人を乗せて夜の町へ走り出していった。
5分もジープを走らすと、ヘッドライトが道に立っている元太を照らしだした。
「さあ早く乗れ、一緒に中隊に帰ろう。」
金城3尉が元太に話掛けた、だが、
「俺、帰りたくない。」
と、一言言ったまま黙って仕舞った。
「仕方が無い、じゃ、俺のアパートに来い、それならいいだろう。」
3尉がそう言うと黙って元太はうなずいた。
結局元太は、退職していった。奴の腰の病気は、自衛官として仕事を続けていきり直ることはないというものだった。
陸曹になり、幹部に成ることを元太は夢見ていたのにそれが挫折してしまった。それがつらくて逃げだしてしまったそうだ。
俺も3尉もなにもしてはやれなかった。あんなに丈夫な奴だったのに。
「俺は、野原でひと暴れする為に自衛隊に入ったんだ。小銃片手に演習場を走り回る、屈強な男だけに許された仕事さ、だけどこの体じゃもうそれもできねぇ。たとえ部隊に戻れても、どうも事話関係の仕事に回されて任期がくれば、はいさよなら そんなのやだぜ」
そう言ってあいつは国へ帰って行った。
§5明日へ
それから数週間が過ぎた。あれ以来金城3尉ともなかなか話する機会もなくたまに目で挨拶をかわすぐらいしかできない日が続いた。
そんなある日、再び金城3尉のドライバーとして演習の偵察に行くことになった。もちろん3尉のご指名…っていうか元太の後釜。
ほとんど単独行動になるのでずっとふたりきりという訳だ。俺もじっとまってたよこの日をね。
けれども仕事は、そんな俺の甘い考えをふっとばすかのようにとても忙しかった。話すことは仕事上のことばかり、演習場のなかをシープは縦横に走り抜けて行く。
「さあ、これで終わりだ。島士長、シープを降りて一休みでもしよう。」
と金城3尉がいったのは午後の日が沈みはじめた時間になっていた。
「はい」
と返事をして俺はジープを道端に止めた、あたりは一面に草がおい茂っている。
3尉は降りて立小便をはじめた、おれも並んではじめる。
「フーツ」
小便が終わっても二人はそのままたっていた。ふと金城3尉の方を俺は見た。横顔が夕日に染まっていた。3尉もこちらを向く、視線が絡み合う。
「久しぶりだな。」
「長かったけど、俺待ってました。」
ふたたび前を向くと、金城3尉は俺の肩を抱いて茂みの中へ歩き出した。
夏の終わりの演習場は背の高い草に覆われ、ほんの少し足を踏み入れただけでそこはもう二人だけの世界になっていた。
「俺の事好きか?」
と、金城3時が聞く。俺が目でうなずく。
肩に回された手に力が入り思いっきり抱き締められた、背骨が折れんはかりの力である。
ああ、これが俺たちの愛し方なんだ、有無をいわさぬ強引さで右手が開いたままになっていた戦闘服のズポンの前に突っ込まれてきた、すでにはちきれんばかりとなっている俺のモノを引き摺りだすと唾を付けてシコキだす。
「たまんねぇよぅ。」
俺はうめき声を金城3尉の耳元でささやいた。
「よーしいいぞ。」
金城3尉はうなずくと、しゃがみ込み俺のモノをくわえこんだ。そして両手で俺のズボンのボクンをはずし際まで下ろす、右手は俺のケツのあなをいたぶり、左手はキンタマを滑り回す。
そして俺の手は金城3尉の頭をがっちりと押さえ込んでいた。
「金城3尉ーもうがまんできねぇー。」
「うるせぇまだだ。」
そういうと3尉は、俺を後ろ向きにした。
俺は覚悟をした。
ベトベトになった俺のモノをこねくり回しながら、ケツを舐め始めた
「あっ汚いっす」
臭くないわけがない、それでもグッと舌を突っ込んで舐めまわす。
俺は快感に蹂躙された。
3尉は立ち上がって口を拭う。
「いいな。」
と、一言いうと、自分の戦闘スポンから見事に怒り狂ったモノをまさぐり出し、俺のケツにあてがった。そして乳首を…
俺が、つい、力を抜くと同時にゆっくりと先の方がめり込んできた。
「ううつ・い、痛ェよう。」
「なあに痛てえだと?男ぞ!がまんせんかあ。」
そういうと、腰にまわした手に力を込めてきた。物凄い力で俺のケツが引き裂かれる様に少しずつねじ込まれてくる。
「し、島、入ったぞおーっ」
3尉がうめく様に汗を拭いながら言う、俺もまだ着たままの戦闘服で額の汗を拭った。
「まだ痛いか。」
俺は首を横に振る。
ゆっくりと金城3尉は腰を使いはじめた、手は俺のモノをシコキだす、もう片方の手は俺の戦闘服のチャックを下ろし、シャツをたくし上げ、乳首をいたぶる。
いつのまにか俺は金城3財の動きに体を合わせていた。
突然金城3尉の体が痙攣し、俺のモノが思いっきりシゴかれた。体の中で激しいほとばしりを感じると同時に、俺も勢いよく草むらに噴出してしまった。
そしてそのまま二人ともその場に倒れこんだ。
二人で大きなためいきをつくと、寝っころがったまま空を見上げた。あたりはすっかり夕焼けで真っ赤になっている。
ふと、金城3尉が言った。
「島、お前も満期(2任期‥4年)で除隊しちまうんか!」
「ええ、そろそろ国へ帰って親父の現場仕事でも手つだおうか、とでも思っていたんですが。」
本当はまだどうするか決めていなかった。
「そうか。どうだ、島、陸曹候補生受けてみんか。」
陸曹になると俺たち陸士の様な任期制の際員と違い、定年まで勤務ができる様になる。つまり職業軍人というわけだ。勿論その為には、試験があり。学科だけでなく、体力検定、基本教練、あげくの果てには小銃担いで障害物競争をする武装走まであるという苛酷なものだ。正直言って一度受験したらもうたくさんと思ってしまう。
「でも、この前一度受けて落ちましたから。」
「一度ぐらい落ちた位でなんだ。もう一度受けてみろ。お前は自衛隊に憧れて入隊してきたのは分かっている。演習に出ている時、お前は一番いい顔をしているじゃないか。」
そう言って金城3尉は立ち上がった。そして、
「島、そこの俺の帽子見てみろ。」
俺は、そばに落ちていた帽子を拾い上げた。
「あっ、この帽子は…」
「そうだ。元太のだよ。あいつが辞めた時、補給陸曹に頼んで交換してもらったのさ、」
「そんなに金城3尉は元太の事を、」
「そうだ、今でもお前と同じくらいな。好きだったよ。だがな、あいつは気付いてなかったよな。そんなこと。ただの口うるさい小隊長さ。」
ジープに寄り掛かりながら話てくれた。
「じゃ、俺が辞めても何か俺の身につけていてくれ��すね。」
すると俺の方を睨みつけて言った。
「馬地野郎!まだわからんのか。お前は陸曹になるんだ。そして俺に付いて来い!必ず良かったと思う。もう別れの寂しさなんかまっびらだ。」
そう言いながら俺を強く抱きしめた。迷いが少しずつ消えていくような気持だ。
「よし!俺、また挑戦します。」
「その調子だ、島、俺が合格するまでたっぷりシゴクぞ。」
「エへ、じゃ、合格したらシゴイてくれないんですかぁ。」
二人は顔をあわせて笑った。(終わり)
さぶのカットと、G-men 版の挿画
どちらも木村べん氏。挿画はべん氏より頂いた鉛筆画のコピー。

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G組メンバーが男子学生を前にぶっちゃけトーク!男子学生限定試写会イベントレポート
この度、8月16日(水)に『Gメン』の公開直前イベントとして男子学生限定試写会を実施!岸優太、竜星涼、矢本悠馬、森本慎太郎、りんたろー。が登壇しました。MCを務めるりんたろー。の呼び込みで客席を通ってキャストが登場するやいなや、抽選で選ばれ集まった男子学生266人から割れんばかりの拍手が!本作の主人公・門松勝太を演じた岸は「よろしくお願いします!男の子がこれだけ集まると拍手が力強いですね。いつもとは違う空気感で楽しんでいければと思います」と挨拶しました。
本作について、男子目線で「この人のここが熱い!」と感じたポイントについて聞かれると、岸は「アクションは本当に熱かったと思います。いざアクションシーンになるとスイッチが入って、みんなの役者としてのプロ意識がみえました」と回答。竜星が「現場も暑かったよね」と言えば、すかさず矢本が「りんたろー。さんは制服もぴちぴちで」と重ねるとりんたろー。は「違うんです。あれは太ったんです。最後のシーンは撮影期間が空いたから、幸せ太りで体がデカくなってるんですよ。でも悠馬くんは作���に向けて10キロくらい増量していたのに撮影期間が空いたら、体が小さくなってるんです」と撮影の“アツい”裏話を披露。
モテるための技を聞かれると、岸は「寝る前に香水をつけます。寝て香りが落ちるとナチュラルになって。これはマリリン・モンローもやってたんですよ!」と自信ありげに回答、さらに「モテるためにかっこいい言葉を使えるようになりたくて四字熟語を覚えていて。最近だと四面楚歌、あとは滑稽とか…」とまさかの二文字の単語が飛び出すと、「こっけい!?」とキャスト一同が持ち前の天然っぷりに驚き、場内は大爆笑!森本は「自分らしくいればモテるかなって。海が好きで、高���生の時は日焼けした肌に派手な海パンを履いてましたが……モテなかったですね」と自身のエピソードを披露。りんたろー。が「寝ないやつが一番かっこいいんですよ」とコメントすると、一同から総ツッコミが。岸は「最後に四字熟語ください」と言われると「百…」と言おうとしたが、浮かばず「森羅万象とかでいいですか?」と疑問形で返し、岸ワールド全開で会場が笑いに包まれました。
イベント後半では、「こんな男子学生、何人いるかクイズ」と題して、会場の学生に挙手で答えられる質問を投げかけ、何人の手が上がるかを予想する企画を実施。1問目で敗色濃厚かと思われたりんたろー。が逆転し最も離れた数字を選んだ森本が罰ゲームとしてマル秘エピソードを披露することに。ハードルの高すぎる罰ゲームに頭を抱えた森本だったが、5人で輪になり小声で相談した後、意を決したようにステージのセンターに立ち「��~皆さん1分ほどお時間よろしいでしょうか」とトーク。「『Gメン』では1年G組の男子校ノリがたくさん出てくるんですが、プライベートでもG組メンバー5人のグループメールがありまして。そこに送られてくる内容の9割はセクシーなお姉さんの画像なんですね。そしてそれを送っているのはほとんど私という。男子校ノリで皆さんに笑いを届けていました」と森本が身を切ったエピソードを披露!全力でやり切った森本に、会場からは大きな笑いと拍手が集まりました。
いよいよ来週末公開となった本作。最後は全員が作品への想いを語り、「このメンバーじゃなきゃ出せない空気感が出せたと思います」(りんたろー。)「8月25日に公開するのでまたぜひ映画館で楽しんでください」(森本)「『Gメン』を気に入っていただけたら、この作品を皆さんの手で育ててください。お願いします」(矢本)「男なら誰し��楽しめる作品になりました。皆さんで観に行っていただけたらと思います」(竜星)と挨拶。岸は集まった男子学生たち一人一人の顔を見ながら「本当に笑えて泣けて感情を出せる、様々な要素が凝縮された映画になっています。夏の思い出として、一緒に盛り上げてくれたら嬉しいです」と座長らしく締めました。 さらにフォトセッションでは男子学生達と「夏だ!青春だ!Gメンだー!!」の掛け声で会場中一体となり大盛り上がりのうちにイベントの幕が閉じました。
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸��の値段をどんどんさげてしまう。ずっとそばにいてほしい。幸福に値段なんてないよ、とかそんなこと言わなくていいの、わたしだってそんなことはわかっているし、いいの。天使とか悪魔とか神さまじゃなくて、ただわたしはわたしにそばにいてほしいし、そこにすきなひとたちがいてくれたらもっとうれしい。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。肌寒くはないよ、いっぱい着込んであるから。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
疲れた、という言葉にふさわしい努力をしていないのに、毎日すこしずつ疲れている身体はまさに地平線すれすれを生きているような具合で、わたしには喜びのほんの些細な余韻に浸れるほどの余裕もあまりない。なのに、そういうときに限って世界の美しさはいやに眩しい。たくさんのことを書き残したいと思うけれど降ってくる感情をひとつずつ捉えることはそう簡単なことでないし、そのくせして必ず少しの苦しみを伴うのだ。インターネットさえなければ言葉に残せなかったことを後悔することなんて無かっただろうに、それでも縋ろうと踠きながら残すべき自分を探してしまう自分をわたしは可哀想だと思う。わかっている。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。ううん、ほんとうはわたしが自分のからだで寒さを耐え凌いで、自分の力だけでもって愛すべきものたちや些細な記憶を守るべきなのだ。だけど、それが出来るほど強くないだけのこと。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になに���が込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。数字がどこでもすべてにレッテルを張るから、それなりのレッテルを貰えなかったらどれだけ美しいものを持っていても誰にも見つけてもらえずにおわってしまう。わたしはそれを未だ求めてしまうほど本当は幼稚で、幼稚で可哀そう。ねえこういうのって黒歴史になっちゃうと思う?今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。そういうふうに笑ってくれる友だちがいるだけで、わたしはもうすでに色々な人の中で財産なのかもしれない。そうじゃなくても、かけがえのないものに出逢えるきっかけになれているかもしれないと薄ら感じてしまってまた胸がきゅうってなる。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごに��結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。すぐそこにあるのに実態がわかんないし、むかつくむかつくむかつく、自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない、ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまう。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月7日(水曜日)
通巻第8359号
バングラデシュは暴動から政権転覆。「黒幕はパキスタンと中国」とインド
インド紙は「イスラム過激派のテロリストが政変を計画していた」と報道
*************************
8月5日、ハシナ首相はヘリコプターにとりあえずの財宝(スーツケース数個)を積んでパキスタン空軍基地からインドへ脱出した。嘗て「民主主義のイコン」といわれた彼女も15年間、権力の座にいるうちに“腐った”林檎になったのか。
他方、自宅監禁になっていたジア前首相は自由の身になった。ジアは大統領未亡人で1991年に夫が暗殺さ��ると首相となり五年間、バングラ国政を担った。BNP(バングラ・ナショナル党)党首でもあり、反ハシナ路線を唱え、2014年と2024年の総選挙をBNPはボイコットしてきた。
学生による暴動で死者は430名以上、負傷者数千。幕切れは呆気なくハシナ逃亡とともに軍が暫定的に権力を掌握し、新政府顧問にムハメド・ユヌス(2006年度ノーベル平和賞、84歳)を迎える。ユヌスは”亡命先“のフランスからダッカへ戻る。
当面は陸軍司令官のウエイカー・ウズ・ザマンが暫定政府を舵取りし「早い時期に総選挙を実施する」としている。
学生たちの最初の要求は公務員枠の撤廃だった。これは建国の英雄(アブドラ・ラーマン)が主導した独立戦争で犠牲となった遺族の子供達が公務員の枠で優遇され、これが不公平というものだった。ハシナはラーマンのむすめである。なにしろバングラでは1800万人の若者に職がなく、数少ない輸出産業の繊維産業もコロナ禍以後、ZARAなどが工場を縮小したため不況に陥っていた。若い女性の500万人が繊維産業に従事しているが、中国資本の人使いの荒さにも不満が昂じていた。
暴動は公務員枠の不公平が原因とされるが、これは口実でしかなく(すでに数年前にハシナ政権が撤廃を声明)、実際の狙いは政権転覆にあった。
中核となったのは「ジャマート・エ・イスラミ」というテロリスト集団だ。現在の指導者は不明。だが、インド情報部によればアフガニスタンで軍事訓練を受けた形跡があるという
「ジャマート・エ・イスラミ」は1975年に結成され、一時期はBNPと連携していたが、ヒンズー撲滅などを唱えて過激化し、非合法とされて地下に潜った。
「ジャマート・エ・イスラミ」の過激学生セクトが「シャハトラ・シビル」と呼ばれ、イスラム同胞団、イスラムジハードならびにハマスと連携している。この「シャハトラ・シビル」が暴動を煽ったプロ活動家である。
▼習近平は「貸したカネを取り戻せるのか」と心配
インドのメディアは政変の黒幕はパキスタンと中国とした。しかし中国は、むしろハシナ政権との癒着、巨額の汚職が問題であり、政権転覆でメリットはない。
中国のBRI(一帯一路)は、合計1兆3400億ドルを世界165ヶ国に投じて、合計20000件のプロジェクトを展開している。
ハシナ首相が訪中はつい先日、24年7月10日のことである。
北京の人民大会堂でバングラデシュのハシナ首相と会談し、両国関係を��包括的戦略協力パートナーシップ」に格上げしたばかり。中国はバングラデシュに50億ドルを投じ、さらにハシナ政権は追加50億ドルを訪中時に要請した。習近平は、とりあえず10億ドルでどうかと打診していた。
またハシナは23年4月に訪日しており、独立以来バングラへの支援は巨額に登る。バングラ進出の日本企業はすでに340社、在留邦人は千名を超えており、安全確保が急務とされている。
バングラデシュは世界銀行から195億ドルを借りており、年間の利払いだけでも2・5億ドル。日本のバングラデシュ援助は
バングラデシュのテロ組織は、ほかにJMB(ジャマトゥル・ムジャヒデン・バングラ)がISILの影響下にあって、その分派が2016年に日本人7名を殺害したテロ事件を起こした。他にAAI(アンサール・アル・イスラム)がアルカイーデの流れを組むとされる。
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお���まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体��ついてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だ��た。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残ってい��かった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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七篇 下 その二
京見物をしている弥次郎兵衛と北八。 三条小橋の先で旅館に着くと例のハシゴでまたひと悶着やりだした。
三味線を弾いて浄瑠璃を語りだした娘に北八が、 「これ、何が機嫌にいらぬのか。 つれないそぶりと、その思わせぶり。 われらのような、浪人のあかで汚れた着物がいやなのか。」 と言うと、 「そのまま、またしゃんせ。」 と浄瑠璃の声がかかる。 丸哲の梅が枝が答える。 「このざひき(座敷)をふとめる(勤める)ひゃず(筈)で、今日ここへほらわれた(貰われた)のは、手紙でひらせて(知らせて)あるじゃないか。」 「憎い男と思っていても~、会えたうれしさに涙する。 涙は恋の習わせなり~。」 浄瑠璃が歌う。 「ああ、こりゃ、寄るな寄るな。臭くてならねえ。 そっちへぐっと寄った、寄った。むちゃくちゃ臭い梅が枝だぞ。」 北八は近寄ってきた丸哲が余りに臭いので、つい台詞にないことを言う。
「ひょりは(それは)、聞こえませぬ。へんた(源太)さん。」 となおも擦り寄って来ようとする丸哲を、 「ええ、寄るなというに。 こりゃもう、手短にやってくれよう。」 と北八、顔を背けながら早口でまくし立てる。 「こりゃ、ぼうず。いや、梅が枝。預けていた産衣の鎧はどうした。」 「質屋に、売ってしまいましたわいの。」 「なに売り払った。そりゃ、なぜに。」 「そりゃ私が病気で、寝たきりになって間接が痛み出し、山即来という薬をのんだのだが腫れ物は、しくしく。 このひゃな(鼻)を直したいばっかりに、ひゃね(金)がほしくて。 でも、低いひゃな(鼻)はおとすし、ひゃね(金)もなくなるしなあ。」
浄瑠璃が聞こえる。 「二八十六でふみつけられて~、二九の十八でついその心~、 四五の二十なら、一期に一度~、わしゃ帯とかぬ。」 丸哲が、その歌に憤慨しながら、 「ええ、なんじゃに。 人の心もひらず(知らずに)に、ふたい(歌い)くさる。」 「いや、まったまった。」 と弥次郎兵衛。 こらえきれずに表に出ると、ずっと持ち歩いていた例のハシゴを持ってきて鴨居(かもい)に立てかけると、ハシゴの真ん中辺りに登り手ぬぐいをたたんで、三角の頭巾の格好にしてちょいと頭にのせると、 「さあさあ、源太が母の安曇のやくだ。 さあ坊主さん。続けなせえ。」 と言い出した。
丸哲は一瞬びっくりしたが、大きくうなずくと、 「伝え聞く、ひゃね(鐘)をつけば、富み栄えるのも自在。 心のまま、ほれ(これ)より小夜の中山へ。 はるかの道はへだたれども、ほもい(思い)つめたる念力で、この手水鉢をひゃね(鐘)となぞらえ、ひし(石)にもせよ。ひゃね(鐘)にもせよ。 心ざすのは、ほもい(思い)のひゃね(鐘)。」 とやり出した。 この時、弥次郎兵衛はハシゴの上から腰に巻きつけている袋の中の銭をばらばらと投げながら、浄瑠璃を語りだした。 「その金ここにと三百文、錢なげいだす~。 みやまおろしに山吹の~、花ふきちらすようにはあらで~。」 「ここに三文、あちらに五文~。拾い集めて、三百銅。 こりゃ、雇われの賃錢、さきどりとは有がたい。」 と丸哲は、その投げられた金を拾い集め出した。 勿論、丸哲は今回の報酬のつもりである。
それを見て弥次郎兵衛はハシゴの上から、丸哲を睨みつけると、 「そりゃ、やるのじゃねえ。俺のだ。」 とハシゴに乗ったまま丸哲を捕まえようとしたので、ハシゴもろとも倒れこむ格好になって先程まで、浄瑠璃を歌っていたこの宿の娘のわき腹をうつことになってしまった。 娘はその場に倒れこむと、一瞬、間があったがいきなりわっと泣き出した。 亭主は、 「大丈夫か。」 と娘に駆け寄ろうとして、煙草ぼんをひっくり返しているしているし、ハシゴが当たったらしく行灯(あんどん)もこけて真っ暗である。
弥次郎兵衛はハシゴから落ちたときに打った腰をさすりながら、 「あいたたた。」 とあたりを見たが当然、真っ暗で何も見えない。 その中で泣き喚いている娘の声が聞こえ丸哲の、 「ああ、うう。」 と呻いている声も聞こえている。 そんな中、亭主が灯りを持ってきて、 「ああこりゃ、いとおしい我が娘はどうじゃい。 いや梅が枝が、おかしな目をしおるわい。 これこれ、気をたしかにせいやい。」 「ああ苦しい。あしゃ、びっくりして、はっと思ったせいか、ひんたま(金玉)が上のほうにつったわいな。あいたたた。」 と股間を押さえている。
「そりゃ、こまったものだ。 もしもし御亭主さん。梅が枝が金玉をつるしあげました。」 と弥次郎兵衛は、真剣に心配している。 「金玉があがったんなら、こうしなせえ。 さっき見たんだがここの店に錢膏薬という看板が架かっているのを見た。 それをぼんのくぼ(うなじのすこしくぼんだところ)へ貼ると金が下がる。」 と北八。 「何いわんすぞいな。錢膏薬を首筋へ貼ても何で、下がるものかいな。」 と亭主は、あきれている。 でも北八は、すましていう。 「はて、さがる理屈さ。 なぜかというと、錢(の相場)があがれば、金(の値段)がさがる。」 「ええ、なんのこっちゃいな。」 と亭主は、呆れ顔。
しばらくすると、 「ああわしゃ、どうやら落ち着いたようじゃが、お嬢さんはどうじゃいな。」 と落ち着いてきた丸哲が、女将に聞いた。 「これ誰か、一っ走り、寸伯さんへ行ってたもらんかいな。」 と女将は娘の様子に、医者を呼ぶようにいうと、 「わしはもうよいさかい、医者さまよんでこうわいな。 そのかわりお寺へは、誰か他の者をやらんせ。」 と丸哲。 「ええ何ぬかしくさるぞい。縁起でもない。」 と亭主は、丸哲をにらみつける。 「本当にお気の毒なことだ。娘御はどこを打ったんだ。」 と北八が、問うと、 「横腹をえらくうちおったてて、痛がりますわいな。」 と亭主。
「痛い横腹は都の生まれ。 人にどやされ悲惨な目に合わされて、流行歌と同じだ。面白い。」 「いや、おまえ。 人の娘に怪我さして、ふざけてる場合じゃあろまいがな。」 亭主は弥次郎兵衛の様子に、怒ってしまった。 「ははは、人の娘に怪我さしたとは、わしゃ恥ずかしい。」 とまだふざけている弥次郎兵衛に、 「いやいや、笑うところかいな。 だいたいお前さんがたは、けしからんやからじゃぞや。」 「けしからんとは何がけしからんだね。」 「何がとは生意気な。よう見さんせ。 わしゃこの年まで宿屋しておったが、かつて今まで一度もハシゴを持って来た客など泊めたことはないわいな��� いったい遠国のお方が何しにハシゴを持て歩かんすやら。 こちゃ、とんと理由がわからないわいな。 もしかしたら、屋根から忍び込むこむドロボウじゃないかと家内のもんがつぶやいておったが、なるほど、ふざけたことをする衆と見えるわいな。」 と亭主は怒り心頭で、すこし言葉あらくいう。
弥次郎兵衛は亭主の言いように、むかっ腹をたてて、 「おや、お前さん。おかしなことをいう。 おれたちゃ非常に正直で、真面目な旅人さまだ。 つまんない���談を言うと、ただじゃおかないぜ。」 亭主も負けていない。 「おお、よくもそういう口幅ったいことがいえるものじゃて。 お前さんがたがハシゴを持ってござんしたから、おこった事じゃわいな。」 そこの女将の声がわって入った。 「これ、あんた。そないな人にかまわずと、こちきて下んせ。 娘がアレ、変な目つきしてじゃわいな。」 と涙ぐんで騒ぎ出したので亭主も、うろうろしだした。
「これ見やんせ。もしも、娘が死におると、お前さんは、人殺しじゃ。そうおもうていさんせ。」 と亭主。 「返事がなくなったわいな。」 「こりゃ、目がまわったのじゃ。やあい、おとら。やあい。」 「おとら。」 と夫婦は娘をかきいだき、水を持ってこいと騒ぎ立てて、泣き喚き出したので、弥次郎兵衛はさすがにうろたえ出した。 「ええ、こりゃ、北八どうしたらいいんだろう。 俺はもうここに、いられない。」
つづく。
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2024年主催イベント・アンソロ振り返り
#一次創作イベント・合同誌主催や創作者に寄与する活動をしている人が1年を振り返る アドベントカレンダーに参加します。うぉんさんお誘いいただきましてありがとうございます。
初めましての方もいるかもなので簡単に自己紹介。オカワダアキナです。小説を書いて同人誌を作っています。おもに文学フリマなどの即売会で頒布しています。 小説を書いて本を作るようになったのは2015年くらい。イベントに出るようになったのもそのころ(それまでは演劇をやっていました)。初心者とは言い難いですがベテランってほどでもない…いわゆる爆売れはしてないですが自分としては本当におおぜいの方に作品を手に取ってもらってありがたいな…みたいな感じです。 受賞歴や商業出版の経験はありません。まあなんかこうわたしくらいのものを書く人はおおぜいいて、これといって秀でたものや特別なものはないよなあと思っていますが、でもわたしはわたししかいないからな…!(ものすごいポジティブみたいだけど、これはちょいちょいプリパラアイドルのマインドが顔を出す感じです…) 即売会だと純文学ジャンルで出ていますが、クィア文芸みたいな言い方をしたほうがしっくりくるのかも?と最近は思っています。J庭などボーイズラブのイベントにも出ています。だいたいいつも性の話をしている。
[主催したイベント&アンソロジー]
2月 コピー本交換会@つまずく本屋ホォル 5月 『庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五』主催 7月 任意のリーディングパーティー&五人の男たちブックフェア@犬と街灯 12月 ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト@platform3
アンソロジー主催は何度かやっていますが、イベント主催はこのコピー本交換会が初めてでした。すごくドキドキしながらやってみて、でもこういう規模感ならわたしにもやれることがあるのかもと思って、今年はいろいろチャレンジしてみた感じです。といっても小さなスケールで個人的なものなので、誕生日会とか忘年会の幹事をやるみたいな感覚だったかもしれない(どっちもあんまやったことないけど)。 つまずく本屋ホォルさん、犬と街灯さん、platform3さん。いずれも独立系書店さんと協力して開催しました。自分の同人誌を置いていただいているお店で、わたしの活動や作風、ポリシーなどを��る程度知ってくださっているので相談がしやすかったです。みなさん本当に親身にきいてくださりありがたかった。
また今年はいろんなアンソロジーにお招きいただきまして���たくさん寄稿させてもらいました。そうすると腰を据えて長編に取り組むのは難しいなあと思って、それならアンソロやろっかな! イベントとかもできるかな! みたいな感じでした。われながら勢い任せだなあと思うんですが、せっかくいろんな本におじゃまするのでいつもより開いた活動をしたいなあと思ったのもあります。 そういうわけでずっとドタバタしていましたが総じて楽しかったし幸せな時間でした。ほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったように思います。
以下、それぞれについてとりとめなく振り返ります。ノウハウのようなものを期待する人もあんまりいないと思いますが、個人的なレポートとしてもあまり参考にならないような話ばかりで恐縮です…。 先に結論のようなものを書いておきます。こういうイベントやアンソロジーの主催を通していちばん心に残ったこと、大事なこと、大きく感情が動いた瞬間や怒ったり笑ったりしたことは、本当にわたしの個人的なことで、こういうまとめ記事に書いてもあんまり伝わらないのかもなあと思います。そのとき一緒にいた人にしかわからないことばかりで、こういうところに書いちゃだめだろうなあということもあります。 Twitter(X)が壊れ、文学フリマの規模が大きくなるとともにようすが変わり、場や人の変化を日々実感しています。そういうなか、小規模な場所や自分で作った場所でその場限りの感情があったことが、わたしはとてもうれしいし感慨深かった。そういう「個」に立ち返ることを強く意識した一年でした。
[コピー本交換会]
2/18(土) つまずく本屋ホォルさんにて コピー本を作って物々交換する会。売り買いの場はすでにいっぱいあるからなんかそうじゃないことをしたいなあと思った。 それぞれ5部とか10部とか持ち寄って交換する。当日来られない人は郵送でも受け付け���。競争や選別ではない場所で作ったものをシェアする…これは一からアイデアがあったわけではなく、昨年「陰気なクィアパーティー」というzineの交換イベントに参加して、こういうのいいなーと思って真似してみた感じです。
つまずく本屋ホォルさんの2階(ふだんはコワーキングスペース)を貸切にしました。深澤さん吉田さんが本当に親身になってくださって、事前の打ち合わせでコンセプトの共有がしっかりできたのがありがたかった。わたしのフワフワしたイメージを丁寧に解きほぐしてくださり、方向性が定まった感じです。 13時〜19時までをイベントの時間として、途中で「本作り座談会」というトークイベントっぽいものをやったり、交換したコピー本やわたしのおすすめ同人誌zineなどを読める読書スペース、シルクスクリーンで遊ぶコーナーをやったりしました。またホォルさんの複合機を使わせていただき、その場で出力してコピー本を作れるコーナーも。場所が広いのでいろんなことができて楽しかったな。
思ったよりおおぜいの人が来てくれてうれしかった。わたしとツイッターやインスタでつながっている人、イベントで知り合った人、そういうわけではないけどどこかでイベントを知ってくれた人、ホォルさんについているお客さん、そのお客さんの知り合い…。必ずしも同人誌の活動をしている人とも限らなくて、何か書きたい人や書いたものを読んでほしい人はおおぜいいるんだなあと改めて実感しました。またわたしが小説の活動をしているので小説の人が多いかなーと思っていたのですが、そうでもなかった印象です。 そしてみなさん思ったより長い時間会場に滞在してくださって、13時の開場前からぽつぽつ人が来て座談会スタートの17時にあわせてずっと人が増えていった…という感じでした。会場のホォルさんからも、こういう出入り自由のイベントでみなさんが長い時間過ごしてくれるイベントはめずらしいとのことでした。座談会では人が座りきれないほどで、冷房つけるか?という熱気でびっくりした。正直ぜったいひまになる時間があるだろうなーと思っていたのと、トークはまあ5人くらい集まればいいかな~と思っていたのでうれしい誤算でした。
どなたでもOKにするのってけっこうドキドキしたんですが、意識的にそういう場をやらないと自分が閉じていくなあと思った。即売会でもオンラインのやりとりでも、だいたい決まった人とのつきあいに���っていく。それは自然なことだけど、予備知識なくふと出会った何かしらを読んでみる、読んで面白がってみるっていうのは、作品や他者に胸襟を開く訓練でもあるよなあみたいなことも思いました。めちゃめちゃ自戒ですが、自分の思う面白さや好きってけっこう狭い範囲で固まってしまうから、意識的にこういう機会を作るのは大事かもなーと思った。
本作り座談会は、谷脇栗太さん、瀬戸千歳さんをゲストに呼んで装丁とかアンソロの作り方とかの話をしました。ほぼふだんのおしゃべりのノリで完全に無軌道に話し…。まあ出入り自由イベントだからお客さんも好きにしてくれるだろうと思ったんだけど、けっこう最後まできいてくださりびっくりしました。2時間半ほどしゃべってたみたいですね…。 クリタさんくらなさんがほんとにお話じょうずで助かりました。さっき作品や他者に胸襟を開くと書いたけど、そういうことが普段から自然に身についている方々で、ずっとリラックスしてしゃべれました。この装丁がよかった!とかこんな本作りたい!とか、けっこうマニアックな話もできてうれしかった。お客さんからの質問もいろいろ受けました。いっこ申し訳なかったのが、わたしはおおぜいの人の前でお金の話をきかれるのがあんまり得意ではなくてちょっとちょけた回答をしてしまい…。親しい人とクローズドな場でなら話せると思うので、その場でそう言えたらよかったな。
けっこう緊張していましたがほんとに豊かな時間でした。いわゆるスタッフがわたし一人でドタバタだったので、写真とかほぼ撮れずだったのが心残り。。どなたかに記録係をお願いするべきだったなあというのはこのあと毎度思うものの毎度忘れていますね。。
[『庄野潤三「五人の男」オマージュアンソロジー 任意の五』]
5/19 文学フリマ東京で刊行。 庄野潤三の「五人の男」という短編を足がかりに、父性や男性性について問い直すというアンソロジー。わたしは「五人の男」がすごく好きで、これ自分だったらどういうふうに書くかなあ、あの人だったらどんなふうに書くかなあと、最初の思いつきはすごくシンプルだったように思います。 1月終わり〜2月入ったくらいで声をかけ始めました。同タイミングで家父長制アンソロジー『父親の死体を棄てにいく』に参加していたので、なんかこう裏番組的なアンソロがあったらいいかなみたいなみたいな気持ちで始めたんだった気がします。上記コピー本交換会の打ち上げでも声をかけまして、直接会ったときにお願いするのってあんまりよくないよな〜と思いつつ(断りづらいだろうし)、でもなんかすごく楽しい気持ちでいっぱいだったので思わずお誘いしてしまった。
わたしが書いてほしい人にお願いしたアンソロで、今回は公募はなしにしました。コピー本交換会を誰でもOKの場にしたので、こっちはがっつり自分の色を出していこうと思った。イベントをやるのも本を作るのも「広場」みたいな気持ちでいるのかも。このアンソロはそんなに大きな広場じゃないかなあと思った。 いわゆる作家研究とかファンブックではなくて、とはいえ大喜利っぽい感じにもならないような温度感でやりたかったので、また父性や男性性というテーマを含む本だったのでそのあたりの話がしやすそうな方に声をかけたつもりです(実際に作品を作る中で各人と突っ込んだ話をするわけではないんだけど)。 今回はわたしが一方的にファンで作品を読んでいる方や、同人誌の活動はしていない方にもお願いしたのでけっこうドキドキでしたが、みなさん快く引き受けてくださり助かりました。長らく大ファンの晋太郎さんにお願いできたのは自分の中でもちょっとじーんとくる出来事でした。
〆切は5/10。文フリは5/19なので5/15か16くらいに入稿すれば間に合うっしょみたいなスケジューリングで、正直これは無茶なことをやっています…。5月文フリあわせのアンソロってだいたい2月末〜4月末が〆切で、わたしもそこらへんに提出する〆切いっぱいあったので、ちょっと時期をはずそうかな〜みたいな軽い気持ちでした。結果的に入稿したのは5/17で、仕事の昼休みに入稿。 このあたりの感覚はわたしがギリ入稿慣れしているのもあるし、パッと書いてパッと作る同人誌感を大事にしたいというのもあるかも。文学フリマはしっかり作った本が多いし商業誌もたくさん並ぶようになったので、わたしの活動はぐちゃぐちゃのままやっていってもいいんじゃないかと思っており…。 ギリギリにならないと動けない、計画的にものごとをやれない人も同人誌をやっているし、できるよ!というのを見せていきたい気持ちがあります。あとまあこれはわたしに無茶をやれる経験値がついてきたのと、無茶をやれる体力がまだある、そのあたりのバランス的に遊べるのは今だな…!って感じでやっていることでもある。14人中6人が〆切に間に合わなくて本当にヒヤヒヤしたけど同人誌作ってるな〜!という感じでよかった。
ものすごいドタバタで作りましたが、組版や表紙を自分でやった本なので作業自体は迷いなくパッとできました。思っていた以上にクィアやプロテストへの言及を多く含む、なんていうかバキバキの本になってよかった。先に作っておいた表紙はグレーっぽい色味だったんだけど、これはもうちょっと色が入っているほうがいいな…と思ってピンク寄りになった。
[リーディングパーティー]
7/13(日) 犬と街灯さんにて 五人の男アンソロの関連イベント。作品の朗読、好きなところや感想などを話す時間。要するに読書会なんですがアンソロ参加者さんに集まってもらえるのがとってもうれしくて「リーディングパーティー」というちょっとテンション高めのネーミングにしました。 本の販促というよりは、書いたものや読んだものの話をしたい…!作った本を作りっぱなしにしちゃうのがもったいない…!みたいな気持ちからやってみたものです。編集作業中にこれはなにか作品について話す場を作りたいな〜と思って、打ち上げ時に打診したんだった記憶です。 なんていうか、SNSの宣伝の文言でコンセプトや作品の紹介をするだけでは足りない、もっと「読んだ」話をしたいと思ったの。ちょっと話が飛躍してきこえるかもしれないけど、ジェノサイドに抗う、差別に抗う、そうい���ことへの態度や実践として、作品の細部を見つめる、具体的な小さい話をたくさんやっていく必要があるんじゃないかなあと思っています。個別の話、個の話。
朗読は暴力と破滅の運び手さん、兼町ワニ太さんにお願いしました。運び手さんはおもちゃのピアノと魚肉ソーセージを持ってきてくださって…という話は作品を読んでる方にはとっても楽しい…! たくさん笑顔になりました。ワニ太さんは、作品のどこを読みますか?とその場でリクエストにこたえてくださって、タヌキのところとパンダのところをお願いします…!とお願いしました。声に乗せて読んだときの方が切ない手ざわりで感嘆しました。 そしてこの日はKaguya Booksさんの朗読ライブがあって、完全に日時がかぶってしまい…申し訳なかった…。お声かけしたのがこちらのほうが早かったとはいえ運び手さんがリーディングパーティーに出てくださったのはほんとにありがたいことだなあと思いました。井上彼方さんと相談し、途中で中継をつないでコラボっぽいことをしたのが楽しかった。前日京都にお伺いして特典ペーパーの受け渡しをし…というのもおたがいとってもドタバタで、彼方さんが書店さんに納品に行くところに追いついて道端でサッと渡したのがなんかスパイっぽかった。
こういうイベントはわざわざ人間が一箇所に集まらなくてもできるような気はするのですが、集まること���会って話すことに重きをおきたかった。また刊行が文学フリマ東京だったので関西方面でなにかやりたいなあという気持ちがあって犬と街灯さんにお願いしました。書いてくれた方々、文フリで会えなかった人たちに会いに行きたい…!という気持ちもありました。 とはいえ同人誌の読書会ってあんまりない気がするのでけっこう緊張はしていました。お店の広さやコンセプト的におおぜい集客する必要はないんだけど、内輪っぽくはなっちゃうよなあみたいな怖さがあったかも。内輪っぽく”見えちゃう”怖さかな。でもある種の「輪」を作ってそこで自分が楽しく過ごす、リラックスして話すことをもっとやったほうがいいのかなあと思って、いままでだったらあんまりやらなかったことにチャレンジしてみたつもりです。 Twitter(X)はじめSNSのようすは日々変化していきますが、前からそうだったけどより一層殺伐としている、差別やヘイトの文言があふれている。そういうなかで活動することの苦しさがあって、どうやって対抗していこうと悩んでいます。リーディングパーティーちょっと前のヘイトのトレンドでは(いやなトレンドだ…)、AFABノンバイナリーへの罵倒や嘲笑が苛烈になっていて恐怖を感じていました。どうしたらいいのかわかんないですが、自分が好きな人や会いたい人と集まって過ごす時間を作るのは生きのびるために大事なことかなあと思った。
また当日来られなかった方の作品について、前日夜にTwitter(X)のスペースでしゃべりました。ゲストにマツさんをお招きしていろいろ話せてうれしかった。マツさんがアンソロジー各作品の感想をTwitterにあげてくださって、それがすごくうれしくて…。大阪のホテルの部屋から配信したんですが、けっこう壁の薄い部屋だったので隣の部屋のドライヤーの音とか入ってそうでドキドキした。旅行っぽくて楽しくもあったけど。 あとほんとにぜんぜん余談なんですが、このイベントの直前に妹が流産してしまってわたしはかなり気持ちが動揺していて…(もともと妹と甥と旅行する予定だったのが、妊娠がわかってわたし一人になって、出発直前に流産→手術となったの)。直前の告知があまりじょうずにできなかったり、反動で当日やけにテンションが高かったりしたんですが、会いたい人たちに会えて気分転換になったし、かなりなぐさめられたように思います。同人誌にはぜんぜん関係ないことなんだけど自分の体や心は一つだよなあと痛感した。いまはみんな元気です。
イベントにあわせてブックフェアも開催しました。アンソロ参加者の同人誌などを店頭に並べてもらいました。犬と街灯さんがリトルプレスとZINEのお店で、もともと関係者の本がたくさんあったので実現できたことかなあと思います。犬と街灯の谷脇さんとはリモートで打ち合わせだったんですが話が早くて助かりました。 アンソロジーを作るたびに毎回こういうイベントをしているわけではないんですが、せっかく自分がお願いして書いていただいたので、いろんなことしたいなあという気持ちに自然となりました。また何か主催するときはこういうこともやれたらいいなあと思っています。
[ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト]
12/1(日) platform3さんにて 文フリ東京抽選落ちしちゃって…という話から、じゃあ文フリ当日の夜になにかやりましょう!とplatform3のTANさんが助けてくださったイベント。裏文フリとか地下文フリみたいな気持ちで始めました。10月末くらいだったかな。 platform3さんは8月に開店した新しい書店さんです。 TANさんとは以前読書会でご一緒して、わたしの作品を読んでくださったり、集まるクィアの会で遊んでいただいたり、コピー本交換会にも来てくださいました。本や作品を通じて親しくなった方と何か一緒にやれるのはとてもうれしい。打ち合わせの中でイベントタイトルに「ナイト」って入れたい…という話をしたら、「ドキっ♡作者だらけの本屋ナイト」というかわいいタイトルをつけてくださいました。告知画像もかわいく仕上げてくださり本当にありがたかった。 作った本を持ち寄って販売するのと、輪になってトーク、弾き語り&朗読ライブ…と盛りだくさんな内容でした。
当初はもうちょっとこじんまりやる予定だったのですがだいぶにぎやかになりました。一年を通じて「会いたい人に会いに行く」を大事にした年だったから、ちょっと欲ばってしまったかもしれない。 こういうの、アンソロにお誘いするときもそうなんだけど、好きな人や会いたい人に声をかけると��う言い方をするのってちょっと難しくて、ほかの人は好きじゃないのかというともちろんそんなことはなくて…っていう。今回は書店さんに本を並べつつ夜に集まって話すみたいな場なので、そのあたり楽しんでくれそうな方にお願いしたつもりです。ふだんからやりとりある方とか、告知に反応してくださる方とかはやはり気楽に投げやすいですが、友だちに声をかけるというとまたちょっとちがう感じで…。本は作るけど即売会には出ないポリシーの方とかはあんまり無理にお誘いするの悪いかなあみたいなのもあります。あとplatform3さんがクィア関連の書籍を多く扱っているお店なので、わたしもそのあたりリラックスして話せる場だったのもあり、自分のセクシュアリティを知ってる人や話しても大丈夫そうな人…みたいな気持ちもあったかな。心理的安全性というか。 また今回はわたしとTANさんのダブル幹事みたいなところもあったので、わたしがplatform3さんで出会った本の作家さんやわたしが一方的にファンの作家さんにもお声かけしました。遠藤純一郎さん、C3さんありがとうございます…! 遠藤さんとクリタさん、それぞれウクレレを用いたライブだったこと、C3さんと瀬戸千歳さんに装丁の話をきけたことなど、なかなかない機会でうれしかったな…。このあたりTANさんがじょうずに舵取りしてくださったので、ちょっとめずらしいメンバーになったかなと思います。
本屋ナイトはまだ直近なので振り返るのが難しい。とにかくわたし自身がうれしくて幸せな時間でした。文学フリマのもろもろでタイムラインにいろんな意見が流れてきていて、そういうのに対する自分なりのできることってなんだろうって考えたときに、こういうことじゃないかなあみたいなのをいっこ掴んだというか…。 自分が幸せや喜びを感じるのってどんなときなんだろう、わたしは小説を書いて本にしていて、どうなったらうれしいんだろう。いろいろあるけど一つの答えとして、ああこういうことなのかもなっていうのを感じたので、ゆっくり振り返っていければと思います。
来年のことはまだなんにもわからないのですが、ひとまず個人誌ででかめの新刊をやりたいなあと準備中。5月の文フリ東京の刊行が目標です。アンソロ参加や主催の予定は今のところほぼないので、自分の作品をしっかりやる年になるかな…?
といいつつ去年のいまごろはコピー本交換会やろうかなくらいでほかのものは影も形もない状態だったので、またそのときそのときでいろんなことを元気にやれたらなと思います。コピー本交換会や本屋ナイトのようなことはまたやってみたいな。プラス、すでにある本、作った本を読み合う時間を作れたらうれしいです。
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日頃の感謝を忘れない、これ大事
おはようございます。先日とある先輩に「ちょうちょ結び出来なさそう」と言われ、「いや出来るぞ?先輩の想像を超えたぞ」と心の中でドヤっていたら最近逆にちょうちょ結びがほどけないことに気がついた、埖麦でございます。あれなんでなんですかね、履いてるうちに紐が本来通ってはいけない穴を通ってるんでしょうか、さすがに結び方は合ってると思うんですけど…
さて、新人公演の団員紹介です。早いですね、とってもはやい。ポケポケのピカチュウexデッキぐらいはやい。言ってる場合か。
タイトルにも書いた通り、日頃の感謝って大事だと思うんですよね。なので今回はみんなにいつもの感謝を伝えます。軽率にエモくなれ。ついでに今回演じる役についても少し触れますかね、せっかくなので。稽古日誌とかでは基本敬語を外さない僕ですが、ここからは敢えて外そうかと。その方が同期っぽくてよくない?いいよね?
箏
ルーベ!いつもツッコミありがとう!これだけ聞くとふざけてんのかって感じだけど、ルーベはほんとに36期のストッパー的な役割をこなしてると思ってる。ちゃうかにおいて稀有な存在である真面目なツッコミ、大事で貴重な立ち位置だと感じてる。切実に。そういえば最近、俺の適当なボケに対して「え、〇〇ってこと?w」ってノリなのかツッコミなのかノリツッコミなのか、わかりずらいことしてくるよね、あれさぁ……正直ボケ甲斐があるというか、「どこまでボケの設定で食らいつけるか」みたいな面白みあるから今後もやりたい。やってほしい。
今回の役、ムズいよな。わりと悩みながら練習してるけど、あんまり思い詰めず、そのときのベストを尽くして楽しもうやって感じでいこう。もちろんストイックなのが良さでもあるし、そこに刺激される部分もあるからやめなくてもいいよ、大事にしていこう。
森々仙入
ラムダ!こんな俺を見捨てないでくれてありがとう…!重い?重いか、そうだよなぁ…けど続けますね?いやもうほんとにいっつもダラダラとクソ人間ムーブをカマす俺をずっと気にかけてくれてる。心からの行動なのか面白がってるのか真意は分からんけども。「一緒に卒業しようなぁ…?」って言ってくれてるの普通に嬉しくて泣くかと思ったよ、できる限り頑張ろうとは思うよ。
今回の役、やっぱりコメディ合うよねって感じ。後でてにの所でも同じようなこと書くんだけど、ボケもツッコミも行けるのがいいよね。でもてにとは似て非なるというか、どう違うかと言われればムズいけどもって感じ。なにげにてにと初共演よね?この2人がかけ合わさるとこんなにも見応えのあるものが出来てしまうのかと。36期のコメディを背負って行ってくれよ。
月銀蓮
アネモネ!いつも癒しをありがとう!こっちが勝手に享受してるだけな気もするけど、稽古場でアネモネの声が響くだけでなんか和むんよな…俺が適当に振ったボケに対して、結構な頻度でそれを超える乗っかり方をしてくるのほんとに好き。オムニの時から言ってるけど、36期でアネモネが1番「おもしれーやつ」だと思ってるし、稀にぶっ込む毒舌(?)も癖になる。
今回の役、正直ムズそうだなって思ってる。日常会話と見せかけて家族とあんな会話普段しないしな。え、うちだけかな。けどアネモネの独特な空気感がなんかこういい感じに、いい感じにしてる。とてもいい感じだ。
白
ぶらん!いつも優しいツッコミをありがとう!なんていうかぶらんのいい所って「塩梅」なんだと思う。優しさと厳しさの塩梅、ラフと失礼の塩梅、出るところと抑えるところの塩梅、君が意図的にやっていることかは分からないけど、こういう細かいところが「ちょうどいい」気がする。だから一緒にいて心地いいし、気軽に話しに行ける。これはやっぱりかけがえのない長所だと思う。
今回の役、相変わらず座ってるっていうのには笑ったけど、ぶらんの初のガッツリコメディっていうのは、キャスティングの時点で楽しみだった。実際やってみたら合うもんだね。今後こういう役増えそうだなって思ったし、もっとそういう役見たいなって思った。
埖麦
おれ!死なずに生きていてくれてありがとう!お前のおかげで毎日楽しいよ!
叶イブ
ふぃあ!いつも男子勢のこといじり倒してくれてありがとう!こう書くと誤解を産むかもしれないけど、でも本音で思ってることで、こういう団体で男女間がほんとに気兼ねなく喋れるためには、程度はどうあれ「いじりいじられ」の関係って必要不可欠だと思うんだよ。実際例としてふぃあはぜを中心にてにだったりあずだったりがワイワイ喋ってたりさ。まぁそれはきっかけでしかないのかもしれないけど、思えば36期はらいらがはぜをいじったとこから始まったじゃん。ほら、はぜも「過剰」って言ってたことだしさ。まぁ限度はあるけど俺ももう単位云々でいじられるのはなんも感じなくなってきたとこだし。
今回の役、やっぱり鯛鯛を思わせるよね。発声の感じとか。滑舌とか声量とか、悩むところはいっぱいあるだろうけどさ、こういうタイプの芯のある声、正直36期でふぃあしか出せないと思うよ。羨ましい部分でもあるし。
ポンにゃ
なびや!いつも遠慮なく接してくれてありがとう!誰にでも遠慮とブレーキがなさそうななびやは、話してると謎の安心感があるよ。裏表がなさそうな感じが、なびやと他の人との距離を自然と縮めてる所をよく見る気がする。まぁ安心感ってのは俺と話してる時って意味で、なびやと先輩が話してる時はヒヤヒヤしながら見てるけど。
今回の役、秋公から連想するに「そりゃ合うよね」な役で、予想通りハマり役って感じだったな。でも第二回通しで、これまで以上の成長を見せた気がしてびっくりしてる。ここからまだまだ上手くなるんだなって考えたら楽しみでしかないよ頑張れ!
雨々単元気
てに!ちゃうかコメディの権化、いつもありがとう!これ書き始めた時は「てにはやっぱ日常ではボケが輝くよなぁ」とか思ってたけど、思い返せばこいつツッコミもめちゃくちゃやってるなと。なんならツッコミの方がやってる気がするなと。ともあれ36期が笑いの絶えないものであるにはてにの存在は不可欠だと思う。
今回の役、言わずもがなどっちもハマり役やね。もうてには自分がどういう役で求められてるかがわかってきてる感じがするよね、いいぞもっとやれ。やっぱり「自分にどんな演技ができるのか、どんな演技が映えるのか」を自覚する役者って強いと思うんだよ。強いね。憧れるね。
紫苑
なつめ!ほんまごめん、同類だと思って安心してるいつもありがとう!最初の方はそういう方向性だとは思ってなかったけど、最近化応勢から君の話を聞く度に、「仲間がいる…」と勝手に安心してるよ。でも取り返しがつかなくならない程度には一緒に頑張ろうな。俺に言われてもって感じだろうけど。
今回の役、なつめの新しい一歩って感じでめちゃくちゃワクワクしてる自分がいる。最近になって急にって感じだよね、直前の改定っていうか方向転換ってムズいと思うけどマジで頑張れ。極めれば絶対おもろいから。てかもう既におもろいけど。もっとやれるぞ。
暁レミエル
える!いつも趣味の話とか乗っかってきてくれてありがとう!君にならある程度コアな話しても大丈夫なんじゃないかっていう安心感がある。いつかセカライとかも行こうな。あと当パンありがとう!唐突な仲間入りびっくりしたけど助かった、でもキャパだけは気にしなね。チーフは基本自分で管理するしかないんだからね!
今回の役、何となくこれまでとは違った���イストだったけど結構ハマってて、こういうのも行けるんだってなってる。特に母親の方は、こんな演技出来たんだって、新しいものをみてちょっと嬉しくなってる自分がいる。この調子で演技の幅広げていって欲しいね。
熊吉
熊吉!まずはまじでちゃうかに来てくれてありがとう!最近くまの周りに人が集まってるかと思ったら、大量のボケに囲まれて乗るに乗れずに、ツッコミ切れることも無く苦労人ポジにはいって���ところをよく見る気がする。あのね、あんなの災害と同じなんだから。あんま真面目にならずに諦めて身を任せるのもいいと思うよ。とか災害の一部が言ってみたりする。あと、衣装の件はマジでありがとう!君がいなかったら一生靴わかんなかった、おかげで普段履ける靴が2倍にふえたよ。
今回の役、くまにとってちゃうか初の役になるわけだけど、なんか不安げなく乗りこなしてる感じがするよね。さすが経験者と言うべきなのか分からないけど、役がしっかり入ってる気がする、その調子でこれからも頑張ろうな!
張潤玲
マーモット!今回、当パンほんとにありがとう!明らかに分量マモの方が多かったよね、なのにめちゃくちゃ高いクオリティで仕上げてきてまじでびっくりした。マモが頑張ってくれたから俺の心に余裕が出来た感じがしたよ。助かった。
今回の役、正直最初は演じる想像ついてなかったけど、今となってはほんとにマモにしか出来ない役が完成してるよ。稽古中に他の代役やってたりする所も見たけど、みんな言ってるけどほんとに日本語上手よね。まじで尊敬してる。
和來
きなこ!今公演トップレベルでお世話になったよほんとにありがとう!衣装の相談とかはもちろんだけど、役の関係をきっかけに喋ったり関わる機会が増えたし、きなこの方から結構話しかけてくれたりもして嬉しかったしめちゃくちゃありがたかったよ!
今回の役、むずくて2人で苦しんだりもしたけど、今となってはきなこしか出来ない、きなこだからこそ映える今カノが出来上がってると思う。もう残り時間も少ないけど、観客に(とついでにふぃあにも)完璧な今カノを見せつけてやるためにも頑張ろうぜ!
鞠凸二郎
はぜ!いつもサンドバッグありがとう!いやごめん、ほんとにごめん。でもふぃあの所にも書いた通りよ。ふぃあのとこ読んできて。読んできた?そういうことなんだよ。はぜがいないと今の36期はないし、はぜがこのポジションにいなかったら今の36期はないと心から思ってる。ほんとにありがとう。話は変わるけど、36期のなかで「尊敬」で言えば冗談抜きでトップレベルに君だと言えるよ。ほんとに映像については、好みもあるんだろうけど「自慢の同期」と胸を張って言える。それだけの魅力が詰まってる。
今回の役、言わなくてもわかる、ハマり役って感じだね。はぜにしか出来ないよこれは、自信もっていい。なんかね?いろいろ言われてるよ。セリフ覚えろだの読みを止めるなだの。俺も言ってるよ。でもね、心配しなくても唯一無二なんだよ。はぜがはぜらしくおじさんを演じるだけでそこにはそこにしかない空気感が生まれる。もっと胸張ってけ、気に病まんでいい。
東愛莉
あず!いつも当たりを引いてくれてありがとう!ってどういうこっちゃって感じだけど、あずってほんとに周りが見えると思うんだよ。ほんとに。そこでその場にあった行動が出来るというか、「ハズレの行動」をマジでしない人だと思う。あずならではの良さだし、ほんとに尊敬してる。けど、周り見えすぎて時々心読んだような事を言ってくるのはちょっと怖いしそれ以上に恥ずかしいからやめてくれ。秋公仕込み期間中の帰りの日、あの時のあずのセリフ、表情まで含めて覚えてるもん。まぁやめろとは言うけどほんとにすごいと思うよ。マジで。
今回の役、すごいよね。端的に。今の演技と85パーセント同じものが初回稽古の時には出来上がってた気がする。完全にあずのものにしてるよね、あんな大正解の演技、俺もしてみたいわ。演技の勘?がいいのかな、羨ましい限りですわ。
錫蘭リーフ
セイロン!36期屈指のまとも真面目男子!ありがとう!と、思ってた時期が僕には、いやほぼ全員にありました…いやまぁまともなのは今も変わらず間違いないんだけど、真面目なだけじゃない!はっちゃけたりしてるところにもセイロンならではの良さがある!セイロンのそういう側面を、新人公演で見つけれたっていうのは今公演の嬉しいポイントかな。最近は最近で、これまでとは違ったコミュニケーションが取れて毎日面白い、ありがとう。
今回の役、最初当てられた時正直びっくりしたよ、読みの段階であんま演じる想像ついてなかったから。でも今となってはあずに引っ張られてか実力か、はたまた両方か分からないけど、他の36期、特に他の男子じゃ絶対にこのヨルは出来ないし、唯一無二なアサヨルが出来上がってる。演じれる幅広すぎやろって俺の中で話題だよ。日に日に2人が普段から似てきてるのはおもろいけどw
城戸大夢
オーム!音響オペ選んでくれてありがとう!音響スタッフと音響仕込みと音響オペとで音響コンプやな、関わる機会多くて嬉しいよ。俺の計画性が無さすぎて会議日程とか中々にカツカツにしちゃってごめんな。会議がめちゃくちゃスムーズにいったのはオームの協力あってこそだったと思うよ助かった!
大良ルナ
らいら!いつもみんなをまとめてくれてありがとう!舞監っていう難しい役職は、らいらだからこそこなせるのかな、といつも外からみて感じてるよ。実際やってみたら俺から見たイメージとは全然違ってたりするかもだけど。役職から来るものなのか、それ以外の要素もありそうだけど、らいらの言葉って何となく重みが違うのよね。君が釘を指してくれてるからこそ、俺は本番遅刻とかの、取り返しのつかないミスをしていないのかもしれない。けどその責任感からなのか、キャパを抱えすぎるところを時々見る気がする。事前には避けられない事だったのかもだけど、今回早めに頼ってくれて嬉しかった。まぁ結局俺は何もすることはなかったけど。隠すことでもないし言うけどらいらのキャスト結構好きだから、しばらくちゃうかで演じる姿が見れないのはちょっと寂しい。またステージでらいらが見れるのを楽しみにしてるよ。あとキャスパめっちゃ好きだぞ。
海月
スミ!演出お疲れ様andありがとう!ほんとに初めての演出かよって!自称幽霊部員のころに実はやってたんじゃねえのって!そう思ってます。あまりにも手際がよすぎる。演出の仕事じゃねえだろって、それ誰の仕事なんだよってとこまでやってる。演出補佐ってなんだっけって感じ、俺ほぼなんもやってなくない?やっぱりスミの中で舞台演出がはっきりしてるって言うのは座組としてめっちゃいい利点だよね。みんな安心して演技稽古出来てた気がする。それでいてみんなの意見を取り入れる柔軟さ、誰でも意見提案が出来る空気感、何もかもがスムーズにいった公演になったのは他でもないスミのおかげだと思う。でもやっぱり俺はスミの役者も見たいな。Cが恋しいよ。いつかまた舞台上で暴れるのを心待ちにしておくよ。
やっぱりこう見ると、ほとんどの人には書いたけど全員が「これしかない」ってバランスでキャスティングされてるよね。全員が活きた役者になってる。ほんとに素晴らしい脚本だと思うし、この36期じゃないと出来上がらない劇だったと思う。
最後に全員に、ちゃうかに入ってくれてありがとう、36期で、同期でいてくれてありがとう!こんな感じだけど最終回じゃないです。ちゃうかを辞める訳でもないです。辞めれるわけねえだろ、こんなおもれえサークル。これからもよろしくね。
まずい。どこかにツッコミどころを作ってボケようと思ってたのに真面目に最後まで来てしまった。ツッコミどころがない役者紹介なんて、俺の役者紹介じゃない!ツッコミどころ…ハッ!この状況自体がツッコミどころのある寸劇になるのでは!?いやダメだ、こう言ってしまったことで自分でツッコんでしまった…ツッコミどころを作らなきゃ…ツッコミがぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
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石破総理を巡る批判が絶えない。 首相就任直後は、「アジア版NATO」や「日米地位協定改定」など、自民党総裁選の最中に打ち出した外交政策の目玉に対する手厳しい批判が中心だったが、先週の南米でのAPEC、G20首脳会合への出席を通じて国際場裡での立ち居振る舞いに火種が広がってきた。 外交のプロの立場から論じてみたい。 まず、カナダのトルドー首相その他の首脳が、会議場で自席に着いていた石破総理に次々に挨拶にきてくれたのは嬉しい展開だ。だが、相手側は立っているのに、日本の総理は座ったままで握手した。完全にアウトだ。 外交の世界には、プロトコル(儀典)オーダーというルールがある。各国の元首級のリーダーが居並ぶ場合、着任年月が古い者が上位に立つ。すなわち、米国大統領や中国国家主席であっても、常に上席を占めるわけではない。古くから就任している小国の首脳より下位に置かれることはたびたびだ。主権国家の平等を旨とする国際社会の知恵でもある。 石破茂は新参者の一人。オーダー上は最下位に近い位置づけ。そんな人間が名だたる先輩首脳が挨拶に来てくれているのに、なぜ座ったままでいられるのか?そもそも、プロトコル・オーダーなど知らずとも、先輩が自席にまで挨拶に来てくれたのなら、立ち上がって礼を尽くして対応するのが人の道。自民党の会合でも同じだろう。 もっと気がかりなのは、マルチ(多数国間)の国際会議が始まる前に自席でスマホをいじり書類をのぞき込むだけで、他の出席者と交わろうとしない孤独で寂しい姿だった。国際会議は国益がぶつかり合う真剣勝負。その前には、他国の出席者に誼を通じて情報交換に努めるだけでなく、日本にとって大事な議題につき日本の立場をインプットして支持を頼んでおく、というのは常道だ。 かつて防衛大臣を務め、いくつもの国際会議に出ていた石破総理が知らない筈はなかろう。SNS上では、「なぜ外務官僚が『ご起立を』と進言しなかったのか」という指摘が散見されるが、そんな基本さえわかっていない人物が首相の任にある不幸こそ、嘆くべきだろう。 これでは各国リーダーの輪の中にはとても入っていけない。集合写真撮影に遅れたのは、在ペルー大使館をはじめとする外務省事務方の責任大だが、プロトコル・オーダーで末席に近く、おそらくは最後列に近い場所で写���に写らざるを得なかった状況が参加を躊躇させた面があったのではないか? こんな腰の引けた外交姿勢と対極のものとして不可解なのは、習近平・中国国家主席との会談の際、相手が片手しか差し出していないのに、石破総理は相手の手を包み込むように両手で握手した醜態だ。旧知の相手との再会に感激して互いに両手で祝しあうなら許せよう。だが、相手は、日本の領土を脅かし、領海・領空を侵犯し、日本人を拘留し、児童を惨殺している国の首脳だ。なぜ地元の有権者に一票を媚びる時のように縋りつくのか? 日本国民のみならず第三国も見ている。阿諛追従に走った印象を決して与えてはならないのだ。箸の使い方、握り飯のほおばり方にとどまらない暗澹たる気持ちを抱いたのは私だけだろうか?
前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~総理の品格~ | Asagei Biz-アサ芸ビズ
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忘れられない夜を教えてください!
質問ありがとうございます。
先週の土曜日がまさに忘れられない夜だったんで一応リンク貼っておきます。
もっともっと昔を思い出してみると学生時代の事を思い出しましたのでちょっと書かせてください。
よく行くバーで知り合った五つ上の明子さん。
女優を目指していて歌やダンスが上手く劇団四季のオーディションもいいとこまで行ったらしい。
関西の人で気立てもよく美人でいつも明るい。無骨な俺のこともよく褒めてくれていた。
京都にある芸大の通信に通っていて芸術とか舞台に興味がある人だった。
互いに学生だったから学割��色んなところを観に行った。
何にでも興味を持つ明子さん。俺が助手という名の下僕で携わったピンク映画やストリップのダンサーに興味があるといって浅草ロック座に二人で一緒に行ってそのまま浅草で天ぷらを食べて帰ってきたりもした。
ある年、世間をにわかに賑わせていたのは上野に来たツタンカーメンだった。
一緒に行こうと言われ、二人で上野に行った。
その日の明子さんはエジプトチックなドレス姿で妖艶という言葉が合っていた。
当時の俺、いや今もそうだけれど上手にその姿を褒められなかったのを今でも悔やむ。
並んでいると色んな人に声をかけられ時には写真を撮られたりもした。
ツタンカーメンを見て、別な上野の美術館でフェルメールを見た。絵心のない俺にはその凄さはイマイチわからないんだけど、色使いがいいなと思った記憶がある。明子さんは真剣に見ていた。
夜になってアメ横にある居酒屋で酒を飲んでから、六本木ヒルズの上にある美術館に行った。
前衛的な芸術を見た記憶があるがあまり覚えてない。
展望室でぼんやりと東京の景色を見て話をした。
二人とも上京組だったから眼下に広がる東京の街が眩しかった。
今度は都庁に行きたいね。なんて話もした。
いつかこんな景色が見える部屋に住みたいなんて俺が言うと、きっとなれるよと言ってくれた。
帰り道、電車の都合で六本木ヒルズから乃木坂の駅まで歩いた。
腕を組んできたのは明子さんだった。
作られていない甘い人の匂いがした。
この坂道が永遠に続けばいいのにと思った。
乃木坂駅で電車を待つ間、明子さんに香水をプレゼントした。それはクレーンゲームで取ったミニチュアの香水で、確かサムライウーマンだったと思う。
何かプレゼントしようとガキながらに思って無理矢理家にあった景品を引っ張り出してお菓子屋の袋に入れただけだったけれど涙を浮かべて明子さんは喜んだ。
「大切に使うね」
明子さんがとびきりの笑顔で言った姿を今も覚えている。
帰りの電車の中、ずっと明子さんは俺の身体に触れていた。
俺より三つ前の駅で降りる。
徐々に近づいてきた。
「明日はお仕事ですか?」
「うん、銀座でね」
大人の女性ってこんな感じなのかと思った。
明子さんの最寄りに着く。
扉が開く。
「またね」
明子さんが俺から手を離す。扉が閉まって動くまで、明子さんは俺を見ていて手を振っていた。俺も恥ずかしげに手を振った。
最寄り駅について自転車に乗ると明子さんからメールが届いた。
「月が綺麗ですね」
確かに空を見上げたら満月がこっちを見ていた。
「そうですね。月明かりで漱石でも読みたいです」
そう返して自転車を漕いだ。
その後互いに忙しくなって、二人で出かけることはなかったけれど、たまに飲むと俺のことが好きだとマスターに言っていた。
冗談だと思って笑っていたけれど、本当は嬉しかった。
もしあの夜に戻れるならば、明子さんの部屋から一緒に月を見たかった。
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ロマンスカー・SE(3000形)はJR四国2000系やJR東海300系以上に比類なくファナティックなデザインで好きなクルマなんだよな
なんせドアエンジンや座席のリクライニング装置すら「軽量化のために」略したくらいの徹底っぷり。冷房装置も当時は小型軽量のものがなかったので省略という潔さが、特急型というよりスポーツカーみたいな特性で本当にかっこいい
TDK-806モータは性能で言うと決して傑出しているわけではない。軽く造るために(そして東洋電機ゆえに)やむを得ず高回転化を志向しているけど、ピークはWF40%で4300rpm。その代償としてWF40%時の定格電流(300A)だと、トルクは50kg切っちゃうような非力さなんですよ
で、3000形はどうしたかというともちろん車両を徹底的に軽量化したのはもちろんだけど、さらに9台車中6台車にモータを吊ってトルクを確保。さらに限流値はたしか560Aくらいに設定していたと思う。101系が350Aだったから、小田急がいかに高速性能を重視していたかがわかるというものでしょう
これで3.71と浅いギアリングながらも1.7km/h/s程度の加速力を確保しているんだよね。151系は同じモータ、しかも4M4Tでギアリング3.5じゃねえかと思うかもしれないけど、カーブが多くて頻繁に加減速が必要な小田急と平坦&直線な東海道本線を一緒にしてもらっては困る。新宿~小田原ノンストップとはいえ再加速をたびたびおこなう必要がある小田急��は中間加速の確保も重要だったんだ
台車は高速走行に定評のあるシュリーレン台車だけど、枕ばねが金属ばねのスイングハンガでボルスタアンカもない台車しかも低重心化で異様にスイングハンガが短くなったこともあって乗り心地はいまいちだった(俺が乗ったのが冷房搭載後のSSEってのもあるかもしれないけどゴツゴツした乗り心地だったんだよね)のはちょっと残念
シュリーレン台車の特性を生かすなら標準軌にして枕ばねを車体幅いっぱいに配置してコーナーでの踏ん張りを目いっぱい効かせるようなセッティングにして、スイングハンガをできるだけ長く取る構造にしないといかんよね、とは思った。実際同じ連接台車だった近鉄の10100系ビスタカーに採用されたKD-41Aはスイングハンガを長くして乗り心地が改善されていい走りをしてたからね。まあエアサスってのもあるんだろうけど
余談だけど国鉄もシュリーレン台車の良特性は認めていたし、1000形新幹線の1001号車だったかにシュリーレン台車履かせていたけど、SWS社と提携していた近畿車両など限られた会社でしか製造できないという権利関係が国鉄的には問題で、結果として新幹線はIS式になったけどまあ、IS式はIS式でよく練りこまれたいい台車だと思う
ともあれそういうのは些細な問題で、ロマンスカー・SE(3000形)は本当に「速い」電車だった。電車の本質は軽量化と低重心構造。それだけを愚直に追求した名車中の名車だと思う
乗り心地こそ台車構造からちーとゴツゴツしたものだったけど、シートピッチ1000mmの固定クロスシートはソファのような深いかけ心地で、軽量化を追求した33kgしかない座席とは思えないほど体に吸い付いたのを覚えているよ
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カテゴリー4に行ってきました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。10月13日(日)は、howellsさんと西池に行ってきました。西池は、一昨年の冬、ボウズを連発したことがあって、僕の中ではカテゴリー4(悲観)にカテゴライズされているのですが、時期的にまあ釣れるやろうと。500円割引券になってる暑中見舞いの葉書の有効期限が10月末までやし、晴れるとまだ暑いので西池の屋内釣り場が涼しくていいんじゃないかと思ったので、先週末howellsさんと連絡を取った時に「西池に行きません?」とお誘いした次第です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
howellsさんは、前日の寺口釣池で午前中だけで20枚釣り、午後は暑くてたまらんのとエサのうどんを今日のために残しておくために13時半で早上がりしたのですが、それでも合計28枚釣ったのだとか。
♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ スゴイッ!!!
なので2日連チャンで早起きはしんどいので「遅れてくるわ」と前振りがあったのですが、そこは僕なのでw「今から出ます」とメールしたら「もう松原(市)です」「(釣席は)16番と17番にいます」とメールが入り先着されたのでした。
いつもながら、小物が重役出勤でサーセン(汗)
さて、今日の朝ごはんはセブンイレブンの「バタークロワッサンスティック」です。ついでに、今日の竹竿は、初夏にMy New Gearしてコシガ池で筆おろし…じゃなくて入魂した「朴石」の11尺です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子は、最初はクルージャンにしようかと思ったんですが、水がアオコで汚れているので、クルージャンより安い「佳翔」の1号にしました。パイプトップ。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
釣りの準備も釣るのも早いhowellsさんがまだ釣れてないし、僕には早々にサワリがあったので、「先に釣りますよ〜」と煽ってたらhowellsさんが2連発。こっちはサワるだけで全然釣れんくて、やっと「チク」って魚信を取れたらアッパーでした。いい魚信やったけどな〜。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
サデンスキー鉗子…って医療ドラマの見過ぎですね(汗)
鉤外しはこんなん使ってます。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
7時過ぎに到着して、準備が遅いのでたっぷり1時間かけて8時過ぎから釣り始めて約2時間ボウズ。まずいやんけ。まさかボウズって…。朝方は屋内釣り場はひんやりしてて寒いぐらいなので、「屋外釣り場どうです?」って相談してたら話がまとまって屋外釣り場に移動。田圃側の特等席(ヘチ)の28番が空いていたので座らせていただきました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
全然釣れへんわ。竿11尺、両ウドン床釣り、鉤4号、段差6cm、タナはトントン〜2節ずらし。特に異常な釣り方はしてないと思うけど、なんで釣れへんの?
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
午前中ボウズ…(ノωヾ*)ウゥ…
今日の昼ごはんはお勧めセット。いつもながら美味しゅうございました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
短竿(8尺)に替えて浮子を目の前に置いて釣ろうかと思ったが、食堂で他の釣人の会話に聞き耳を立ててたら「長い方が良い。13尺から15尺」とか言うし、howellsさんも15尺に替えてすぐ釣ってたんで、僕も15尺にしました。My New Gearした「寿るすみ 静水調 銘木握り」です。筆おろし…じゃなくて入魂できるかな?
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子は舟水の「オールマイ��ィーかや」の13番です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
はあ〜、また徳を積んでしまうとこやった(´▽`) ホッ
出家せずに俗世で生きていきますわw
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
10月の中旬というのに暑い。しんどくなって、howellsさんと屋内釣り場に戻る相談がまとまって最後の1投でまた来た!
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
両目が開きました。ε- ( ̄、 ̄A) フゥー
マブナですけどw。西池は、最近はヘラブナが多かったのに今日はマブナばかり。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
屋内釣り場に戻ります〜。西池の屋内釣り場は雨風が凌げるので天気が悪い日は満席が多いけど、今日は晴天で釣席には余裕がありました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
とにかくもうちょっと釣りたい。「師光」の8.2尺(実寸7.8尺)に尺数変更。この竿は水藻FCでセット釣りしてたら、桟橋下に潜ろうとしたヘラブナにへし折られて穂持ちが折損したんだが、直して使ってるので愛着も一入。寺口釣池とか中セ池とか竿規定が8尺以上なので実寸が足りなくて使わないが、西池ではよく使ってます。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子はこれ。「彩羽」やったかな。岩田池用に買った浮子。岩田池は、管理人が常駐してないので、料金の支払いがめんどくさかったり、食用うどん専用池(Gうどん、わらびうどん、タピオカうどん禁止)になったらしいので足が遠のいたが。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
全然釣れへんわ。怪しい魚信を取ったら掛かったので「もうけ?」と思ったが口の外やんけ。スレやスレ。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
いつものコーヒータイムになりましたが、まだ2枚しか釣れてないよ(悲)
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
やっと喰い魚信キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
まだ3枚です…。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
西池で今年「つ抜け」した時は9尺を使ってたような気がするし、色々な竹竿を使いたいので9尺の「若駒 最上作」に尺数変更。この竿は握りの意匠が気に入って「柴舟」さんの通販で新品を買おうかと思い悩んだことがあるのですが、ヤフオクで中古品を安く買えてしまった。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
なんと、1投目でエサを切ろうとしたら掛かってたw。居食いですか?嬉しくないね。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ところで、今日って水温は何℃か見にいったら21℃でした。いい感じやと思うけどなあ。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子は派手に動くが糸スレばかりで釣れる気がせーへん。糸スレって魚が底に入ってないってことですよね?とはいえ、howellsさんは軽く「つ抜け」で、常連さんたちも次々と釣果を検寸に持ち込んでるんですが。エサがうどんって言ったところで、howellsさんも両ウドン床釣りやしなあ。何がアカンのかさっぱりわからん。
ということで、15時半でおしまいにしたので今日は4枚だけでした。スレ2枚。
howellsさんも含めて皆さん撤収が早く、片付け終わって周りを見回したら屋内で残ってるのは僕だけでしたw。
では、また。
#streetphotography#snapshot#写真好きな人と繋がりたい#japan#osaka#大阪#ファインダー越しの私の世界#釣り好きな人と繋がりたい#fishing#ヘラブナ#へら釣り
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかした���京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さ���教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出��� サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955��5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受��、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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山梨県内の富士急行線の電車内で、外国人の男らがダンスをする迷惑行為を撮った動画が物議を醸しており、県警が威力業務妨害などの疑いで立件を検討している。 インバウンド客があふれる中で、神社の鳥居で懸垂するなど、迷惑行為も一部で目立つようだ。こうした行為は、文化の違いもあるが、テーマパークのように日本を考えているのではないかとの指摘も出ている。 米ニューヨークのダンサーグループが、来日して撮影 ドレッドヘアで耳にピアスを着けたラフな���装の黒人の男が、制服の中高生らが座る前で、いきなり仰向けに寝転がる。 男は、生徒らに握手を求めるが、応じてもらえない。 しかし、立ち上がると、ノリノリの様子で踊り出した。そして、隣の車両まで床をスライディングし、ブレイキンのようなアクロバティックな技を始める。 飛び跳ねたり、頭で逆立ちをしたりした後、今度は、フードを被った別の男が踊り出し、イスに座った黒人の女もノリノリだった。 この動画は、2024年10月19日ごろにX上で取り上げられ、車内の様子から富士急行線の電車内と特定され、話題になって拡散した。 実は、この動画は、米ニューヨークのダンサーグループがユーチューブやTikTokなどの動画サイトで投稿していた。グループは、繁華街の路上などで踊る動画を多数投稿しており、日本にもダンスの撮影に来たようだ。 東京・渋谷のスクランブル交差点でブレイキンのようなダンスをしたり、浅草の雷門前でも着物姿で同様なダンスをしたりする動画を投稿していた。人が多い場所だけに、杖を突いた高齢者にぶつかりそうな場面もあった。 グループは、電車内で踊る様子を撮った動画をほかにも上げており、富士急行線の電車内では、上部の金属棒で交互に懸垂をするシーンが映ったものもあった。 ネット上で、こうした動画が拡散して騒ぎになると、富士急行線を運行する富士山麓電気鉄道(山梨県)は23日、乗客による迷惑行為があったとして公式サイトでお知らせを出した。 威力業務妨害、軽犯罪法、県迷惑行為防止条例での立件を検討 そこでは、富士急行線の電車内で、乗客が通路でダンスをする危険で迷惑な行為があったとし、こうした行為は「断じて容認いたしません」と述べた。 富士山麓電気鉄道の総務部が10月25日にJ-CASTニュースの取材に答えたところによると、会社の関係者からSNS上に動画が投稿されていると21日に聞いて、防犯カメラの映像を調べた。 すると、16日19時30分から20時30分にかけて、河口湖駅発大月行の普通電車内で、ダンスをしたり懸垂をしたりする様子が映っていた。SNS投稿の動画もそのときのものではないかと判断し、23日になって、山梨県警の富士吉田署に行って相談した。ユーチューブやTikTokなどSNSの運営に対しては、動画の削除要請を行い、一部で動画が見えなくなったのを確認したという。 また、同社の顧問弁護士に法的措置を取るかどうか検討してもらっているとしている。 富士吉田署は25日、取材に対し、富士山麓電気鉄道から相談を受けていると認めた。防犯カメラの映像提供も受けており、被害が特定できて立件できる場合は、被害届を出してもらうことを検討したいと明かした。男らの容疑としては、威力業務妨害、軽犯罪法違反、県迷惑行為防止条例が考えられるという。 ところで、ダンスグループはなぜ、繁華街で今回のような迷惑行為を繰り返しているのだろうか。 メンバーの1人は、TikTokの投稿動画で、次のように語っていた。 「外野のノイズは無視しろと言っている。自分自身に集中すればいい。周囲のネガティブな声を気にするな。それを気にしていたら、ユーチューブは続けられない。TikTokも同じだ。こんなにフォロワーのいる自分ではなくなるんだよ」 (J-CASTニュース編集部 野口博之)
「外野のノイズは無視しろ」外国人YouTuberが主張 電車内の迷惑ダンスに山梨県警も立件を検討: J-CAST ニュース【全文表示】
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