#もう今年も残りわずか
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#今年も残りわずかなので今年一番ぶっ刺さった絵を自分で言う pic.twitter.com/joUhAy7iu6
— MAHYO/마효 (@mahyo0712) December 8, 2024
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「私の人生って何なんですか、、この子さえいなければ」と自閉症少年を連れておいおい泣いているお母さんにおじいちゃん先生が「この子がいなくたって別に大した人生でもなかったでしょうに」と言い放って場が凍りついたことがあるんだけどさ...😅
私は今なら分かるなぁと思う。自分の人生も含めて。
何者にもなれない人生なのよね大抵の人は。当たり前に。大勢の役に立つこともなく、居なくなっても人類が困ることもなく。それが私の人生。
なんかそういう人生の刹那的な部分を受け入れて、理解できるかどうかが病気や障害を受容できるかの鍵な気がするんだよね。
必死に勉強したところで東大やハーバードに入れたわけでもなく、必死に走ったところでオリンピックに出られたわけでもなく、何かに一生懸命になったところでせいぜい自分や家族を喜ばせられる程度。
若くして不慮の事故にあったり、大病をしなかったのは私の効力ではない。ただの運。それだけ。
大人の精神障害を見てた時も結局、自分の万能感みたいなものがある人ほど辛そうだった。自分はもっとできるはずだとか、こんなはずじゃなかったとかね。人生ってのは自分の操縦でどうにかできるのなんて体感2割くらいなもんじゃないかな?残り8割はずーっと運。
にも関わらず、残り2割をどうにかする為に操縦席に座ったことすらない人が人生を嘆く。
晴天の霹靂っていうのは、晴天の下にいる人にしか起こらない。生まれた時からずっと雨の下で生きる人生があることは福祉の世界に入って知った。
私は晴天の下に生まれた。それはそれだけですごく恵まれている。
https://x.com/peechiku_paako/status/1760252620630098079?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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「空飛ぶ車が欲しかったのに、代わりに手に入れたのは 140 文字だった」は、ピーター・ ティールが 21 世紀のイノベーションの性質、あるいはその欠如を表現するために作った言葉です。デジタル テクノロジーは爆発的な成長の印象を与えますが、それは誤った印象です。ティールは次のように書いています。 ボーイングが1958年に主力ジェット旅客機707を発表したとき、時速977キロメートルで巡航できるパワーは、大陸横断の商業飛行を日常的に可能にしただけでなく、ジェット機時代に入ったことを誇りに思う社会の楽観的な自己認識を育みました。60年以上経った今でも、私たちはそれ以上のスピードを出していません。ボーイングの最新機である737 MAXの巡航速度は、さらに悲惨な制限があるのは言うまでもなく、わずか時速839キロメートルです。 文明として、私たちは 18 世紀、19 世紀、そして 20 世紀の成果の残骸で動いています。
結局のところ、テクノロジーは未来ではありません。生殖能力こそが未来なのです。
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今から74年前、1950年の10月7日、中共軍が突然チベットに侵略をはじめました。軍隊も同盟国もなく、ただただ仏教を信じ平和を愛する国であったチベットは、あっという間に全土を占領されました。それから74年間、チベット人は信じるものを奪われ奴隷のように虐げられており、その事実を世界に向けて訴えるために僧侶が焼身自殺をするくらい追い詰められていますが、世界平和を標榜するUN(いわゆる国連)を、はじめとする国際社会は彼らに救いの手を差し伸べようとしません。それをいいことに、他にもウイグル、モンゴルなどで民族抹殺政策を現在進行形で行い、南シナ海や東シナ海においても傍若無人な振る舞いをしています 日頃は自由だ平等だ人権だと建前を金科玉条のごとく唱えている西欧諸国も然り、残念ながら国際社会の��実は力こそ正義であり、大義名分は後からついてくるものであり、口先だけで世界平和を唱えても何も変わりません 斯様な厳しい現実が存在しているにもかかわらず、我が国はいまだに米軍に頼り切った国防体制で、自衛隊を憲法に明記するか否かで揉めています。それどころか政官財の中共シンパは、過去、我が国の資金と技術が、中共を経済大国に育て上げ、チベットをはじめとするその周りの国に多大な迷惑をかけてきたことに対して反省のかけらもなく、日中友好という美名のもと、これからも中共と経済協力するべきだと声を上げています はっきりと言えば、我が国で「ヘイワ」だ「ユウコウ」だと、ひたすら中共を礼賛しながら資金や技術を援助する一方で自らの私腹を肥やしてきた人たちは中共がウイグル、チベット、モンゴルなどの人々に対して行っている犯罪行為の共犯者です。 我々日本人は、あらぬ過去の罪に謝罪するよりも、自分たちが蒔いた種により、今こうしている間にも行われている人類に対する犯罪行為を阻止すべき義務があるのではないでしょうか。今、ウイグルチベット、南モンゴル、香港で起こっている出来事は他人事ではありません 頼りにするアメリカが弱体化しているにもかかわらず、いまだに敵の基地は攻撃できないなどというレベルを議論する国会、国防を蔑ろにしている我が国はこのままでは74年前のチベットと同じ道を歩んでもおかしくはない。
Xユーザーの一色正春さん / X
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344: 名無し:24/08/21(水) 19:11:29 ID:pe.rf.L1 コインランドリーのおかげで死なずに済んだこと。 どういうことかというと、数年前、職場のベテランが複数名辞めて皺寄せがこちらにきたことがあった。 精神を病んで、洗濯物を洗っても洗濯物が干せなくなった。
洗濯物を洗ってもそのまま洗濯機から出さずカビだらけに。 怖くなって服を洗えなくなり、下着だけ手洗いしてなんとか干してた。
洗濯物を干さないと綺麗な服も着られないので、毎週新しい服を買う意味のわからない行動に出てた。 罪悪感で胸が潰れそうだった。 ある夜コンビニにおやつを買いに出かけたら、住んでるマンションのお隣さんが私に「こんばんは〜」と挨拶して 大量の洗濯物を抱えて出かけて行った。 不思議に思ってこっそりと後をつけた。
そしたらお隣さん、大量の洗濯物をコインランドリーに放り込んでた。 徒歩2分くらいのところにあったようなのに、私は全く気づいてなかった。 それでも 「コインランドリーに頼るのは大人として失格だ。きちんと手で干さないと、太陽の光に当てないと、洗濯したとはいえないんだ」 とその時は思っていた。 さらに惨めになって死にたくなって、練炭も用意し、いざという時はこれを使おうと決めていた。
数ヶ月が経って、過労で職場で気絶し床に倒れた時、頭の中にパッとあの夜見つけたコインランドリーが浮かび上がった。
真っ白で清潔なコインランドリー、お隣さんが洗濯物を放り込んだ洗濯機の洗剤の匂い、看板に書かれた「10分100円」の文字。 そのまま暗転した。
目を覚ました時には病院だった。丸一日眠ってた。 看護師さんが名前はわかりますかと聞いているのに、 「私、コインランドリーに行かなくちゃいけないんです。 今すぐにコインランドリーに行ったら、これから全部うまくいく気がするんです」 と開口一番伝えて看護師さんを困惑させた。
病気ではなく、睡眠不足が祟ってぶっ倒れただけだったのでなんともなかった。
しばらく私は見舞いに来た上司や同僚に「コインランドリーに行けばすべてうまく行くんです」と何度も何度も伝えた。
「なぜうまく行くと思うの?」と理由を聞かれたけれど、 「わかりません。でも今の私を満たせるものはコインランドリーしかない」 とわけのわからない回答をしていた。
上司が不気味がって、休職していろと指示があった。
退院し、すぐさま床に散らばった家中の服、下着、タオルを家の洗濯機で洗濯して、脱水まで済ませたものを せっせとコインランドリーに運んだ。ちょっと贅沢に40分400円コースにした。
ゴウンゴウンと音を立てて洗濯機が乾燥していくのを、40分呆然と立ち尽くし、ずっと乾燥機の前で見つめていた。 どんどん心がスッキリしていくのを感じた。
それから洗濯物をきれいにしまい、途端に家事をやりたくなり、家中綺麗にした。 そして「あんな苦しい職場辞めちまえ」という気になり、貰うもんだけ貰って辞めた。
今はちゃんとした会社で、たまに残業しながらものんびり過ごせている。 週末お洗濯して、洗濯物の乾燥はコインランドリーに頼ってる。 大体10分もあれば乾く量なので、月額400円であの苦しさから解放された。 前の職場の同期曰く、「明らかに普通ではなかった。何を聞いてもコインランドリーの話しかしてなくて、本当に病んでた」 と言われた。
多分、家事の中でダントツめんどくさい「洗濯物干し」が楽になって助かったというだけの話なんだけれど、 私はそれ以上に、心が助けられたと信じてる。
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今年初の兄貴と後輩クンとの🛫
いつもの様に後輩クンを迎えに行き19時前に兄貴のマンションに。3ヶ月振りの再開に近況報告をし合いながら各自準備。20時いつもの様に同じ燃料と量で今回は3人同時に🛫 。残り水を乳首に2ずつ掛けてベッドに。兄貴が今日は前回流れたお詫びや。と少量の燃料が入ったカプセルをオレと後輩クンのケツマンに入れてオレと後輩クンで絡みスタート。後輩クンは前にチンポに玉を入れたと思ったら今度は鈴口と金玉にピアス⁉️イカツイチンポやけど逆にテンションが上がり後輩クンと兄貴のチンポを交互に舐めてたらさっきのカプセルが溶けて一気にケツが熱くなり始めたのが分かり兄貴にケツ熱い事言うと後輩クンがオレもと返答。
いつもの様に2人にチンポおねだりする���後輩クンのチンポがオレのケツマンに入り後輩クンのケツに兄貴のチンポが。2人はケツの中が熱い状態やから少し入り口に触れても気持ち良い。後輩クンのチンポが入ったとたん漏らしてしまい💦
オレのチンポと乳首には、いつもの様にバイブが付けられてるから余計に汁が漏れてる状態で。
次に兄貴は後輩クンの乳首とチンポにバイブを付けローションたっぷり掛けたから気持ち良いのか後輩クンが少し猫鳴きになってオレが後輩クンに兄貴はオレにチンポ入れて後輩クンのケツがはいつも以上に熱くメッチャ気持ち良い。兄貴のチンポがオレのケツ奥に当たるからイクッて言う間もなくドロって射精して兄貴がチンポ抜いた瞬間、潮も漏れて後輩クンに種付けとション浣してしまい💦ビックリ···
後輩クンの身体の上に仰向けにさせられチンポが入ったら今度は兄貴のチンポが正常位でチンポが入り久し振りの2本差しやけど今回は自分でもビックリするぐらいスムーズに入って兄貴が小瓶の液が入った袋をオレの口に当てた瞬間、頭真っ白になり気が付いたらうつ伏せになった状態でヨダレ垂らして···1部分記憶がない💦時間は2時過ぎぐらいで。
オレのケツ割れは液と汁でベトベト。途中からの様子を後輩クンが撮影してたからシャワー浴びて水分補給しながら休憩の時に見せて貰ったら兄貴が『今回は今まで以上にエグいわ』の意味が分かって。オレいつもこんな感じなんですか?の問に2人同時に頷いて😅
休憩の後、まだムチャ出来へんからと兄貴は仮眠する。との事でリビングのソファーで様になりオレが起きるまで2人で楽しみ。と10ずつ詰めたペンをプレゼントしてくれて3時過ぎに再🛫。
後はいつもの様な感じでオレのスマホのアラームが8時に鳴り終了。後輩クンと一緒にシャワー浴びて、少し休憩し色々片付けした後、兄貴のマンションを また来月な。と兄貴言われ11時前に出て後輩クンを自宅まで送り、まだ遣り足らんでしょ?上がって行ったら?の一言にクルマをタイムズに停め後輩クンの自宅に入り荷物置いて直ぐ服脱いでケツ割れ3枚目を履いて後輩クンが用意した煙りを交互に吸ったら全身フワフワした状態で気持ち良くなって後輩クンに、されるがまま。2人で色々と楽しんだ後、シャワー浴びて少し休憩と仮眠。目が覚めたら23時。後輩クンが明日も休みなら停まって行ったら良いよ。の言葉に甘え、そのまままた寝て朝方に後輩クンがオレの乳首舐め触りケツマンにチンポ押し当ててる状況で目が覚め何も追加せず、お互い余韻のまま後輩クンは2発オレは1発と種付けし合って終了。無事に自宅に着いた事を兄貴と後輩クンに御礼の連絡して風呂入って水分補給しながらデトックス。ちょっと今回は遊び過ぎたかな😅💦
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赤西渓谷(あとがき)
2024年12月15日(日) 11:30頃に家を出る。渓谷を訪れようと思ったのは、近所の山々に紅葉が残っており晩秋の渓谷を撮りたいと考えていたからだ。(ちなみにネット上では落葉とあり調査済ではあるが、行ってみることで何か意外なものごとを発見できるかも知れないというのが僕の考えだ。)が、その考えは僕を不��にさせる。車を走らせ北へ向かうにつれ曇り空は続き、山々の山頂では、いかにも寒々しそうな雪が降り積もっていた。現地に着いたのは13:00過ぎ。雲行きも怪しく15:30には折り返す事を決めて、早速、歩いていく。気持ちがはやり三脚忘れに気付き車まで戻る。・・・深呼吸・・・
入り口付近から苔むした岩に張り付いている木を見つける。木の袂の葉っぱが蝶が羽ばたいている様子をイメージしあれこれ考えながら撮影。人とすれ違う事もほぼなく、よいリズムでは歩けている。被写体によるレンズ交換やフィルターワークを意識しながら、なるべく丁寧な作業を心掛け進んでいく。数年前に訪れた際は気にならなかったが渓流付近では禁止されているはずの焚き火の形跡や、捨て去れらた雨具やビニール袋のゴミなどが気分を少し下げるが、足元にある苔から別の植物が寝癖のように見え可愛らしさを感じ、秋冬の季節であっても息吹を感じられたことに気持ちを切り替えられた。やはり少し訪れる時期のが遅かったのか、水たまりの落ち葉を見つけても、見上げても葉は仕舞いを迎えている。道端には落ち葉の上に積雪の跡、生き物は「遠眠」するのだなと心の中で意味不明にフッと笑う。人にも輪廻転生があることが理解できれば今ある恐怖感から解放されるのにな。そもそも渓谷を訪れたのは渓流が撮りたかったのだということを思い出し、過去に撮影したスポットで撮影を始める。カメラの設定値も初めてと訪れた時をとは違う。同じなのはレンズ、同じフィルターを使いながらあの手、この手を使い、少しだけ撮影に余裕や幅が増えていることに嬉しさを感じる。渓流の流れは誰かに呼ばれたような錯覚に陥ることがあり後ろを振り返っても脇見をしても誰もいない。ということがよくある。少し、怖さを覚え落ち着くために水分と携行食をとる。僕の中には「勇気」なんてカッコいい言葉は存在しないし、どちらかと言えば臆病な性格で死にたくないと言う気持ちは人一倍強いと思う。風景写真を撮ることは、生きていることへの刺激を実感するための課外活動時間だと思っている。相反する考えにを自問自答しながら撮影しているうちに、あっと言う間に15:30を迎え、渓谷を下っていく。光がどんどんなくなっていくこと、見えぬ生き物たちの気配・・・行きはよいよい帰りは怖い。車乗車直前に急��雨が降り出し、自分の判断によしよしラッキーと思わずにはいられない。少しの恐怖感を克服することは、家に帰ってからの安堵感や、今あることへのありがたみに変わる。
撮影枚数64枚とフィルム時代の36枚と比べると短い時間の割に随分撮ってしまった方だ。今後もその枚数を意識しながらより丁寧に撮影していきたい。いろんなところへ旅にでよう。
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(Xユーザーのスパークリング湯豆腐さん: 「#今年も残りわずかなので今年一番伸びたのを貼る ドヤ顔ぽんこつのせは― 今はまだガンには効かないが そのうち効くようになる https://t.co/DcqfeMrmHe」 / Xから)
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#今年も残りわずかなので今年一番伸びた絵を貼る 正直に言うと...一番伸びました pic.twitter.com/1MlgHKDt4l
— あじゃすた@C105_2日目東7_k-07a (@adju_ster) December 11, 2024
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キングダムハーツの一作目は私自身が深く関わった作品です。「ディズニーにとっても画期的かつ実験的プロジェクトだとおもいます。大げさかもしれませんが、ディズニー史に残るプロジェクトになるんじゃないかな」というこインタビューのコメントが、第一作目が発売される時にファミ通のインタビューに掲載されています。 当時、私はディズニーに在籍しており、日本を含むアジアのゲーム部門を見ていましたが、このプロジェクトが一番記憶に残りかつ成功したプロジェクトとなりました。ディズニーサイドのプロデューサーを務めたわけですが、この作品、幾つもの奇跡が重なり大ヒットに繋がり、ファミ通に引用されたコメントがあながち外れていなかった事になりました。今だから言える、キングダムハーツ一作目の舞台裏を、ディズニーの中での様子や、ビジネス面にスポットを当てながら今から振り返って見たいと思います 私がディズニーに入った時、米国のメンバーから実験的なプロジェクトが動いているという事は聞いていました。ただ、全くディズニー社内でオーソライズはされておらず、実験をしているという名目でした。ところが、私がディズニーにはいってしばらくたっても、契約は存在せずに、実験のはずが現場ではどんどん開発を始めていきます。スクエアエニックス(以降スクエニ)では開発ディレクターの野村哲也氏の想いがあり、非常に前のめりに開発を続けたいという意志が固く、一方で、ディズニーはイエスともノーとも言わないで、頑張りましょうという曖昧な返事を繰り返していました。先ずは、何とかプロジェクトをオフィシャルにしなくてはいけません。 そもそも、『キングダムハーツProject』は、承認を得るには大きな問題がたくさん含まれていました。それは内容に関するクリエイティブのチャレンジが原因となっています。普通のライセンス契約は、すでにあるイメージを利用して商品を作るもの、ゲームのライセンスもすでにある映画やキャラクターの世界観を使ったゲーム制作がそのベースとなっていました。ところが、キングダムハーツは例外事項のオンパレードでした。 ・米国の外で、少なくとも日本では、全く新たな世界観を持ったディズニーのライセンスが認められた事はなかった。 ・当時、まだ3D のミッキーのモデルが公に存在していなかった。 ・ディズニーの違った世界観、例えばターザンとピノキオとミッキーを一つの作品の中に入れる事ができるのはディズニーランドだけであった。 皆さんも想像できると思うのですが、ディズニーという会社は非常にアメリカ的な会社です。アメリカ、ハリウッドが中心で、ここで作られたクリエイティブを日本を含めた世界に流すのがビジネスモデルです。ある意味、ハリウッドのクリエイティブを頂点にライセンスのビジネスモデルが完成されているのです。ディズニーの財産は、ディズニーの世界観である事が徹底されていて、ディズニーの世界観を守るため、とても細かいライセンスのガイドラインが設けられ、世界にその指示が渡っていました。ブランドを守るグループの力は強く、社内での隠語でPolice(警察)と呼ぶ人もいました。
日本においてのライセンスグループは、ミッキーの新しいイラスト一枚を米国に認めてもらうために四苦八苦するのが実情でした。その様な状況で、上の様な問題?を持ったゲームが認められるはずがないというのが社内の空気だったのです。
皆さん、ご存知ですか?ミッキーの耳はいつでも正面を向いている事を。2Dイラストのミッキーはたとえ横を向いている時でも、その耳はまん丸で正面を向いているのです。それが3Dになったらどうするんだ、そもそも3Dのミッキーなんて米国が認めないし、他の膨大なキャラクターの3Dデータ、個々のアニメーションデータをどう承認してもらうのだというのです。
日本のディズニーでは、日本初のジャパンクリエイティブ作品を是非押して行こうと言う掛け声はあったものの、ディズニーの日本のベテラン社員の方が、「事が大きくならないうちにダメならダメと言ってあげるのがクライアントに対する本当のサービスだよ」という忠告をしてくれました。
当時のディズニーゲーム部門のプレジデントはディズニーストアの店員からのし上がって行った女性でした。とてもガッツがあり、野心があり社内政治的にも一目置かれており、彼女もこのプロジェクトにかけていました。ディズニーでは、業績だけでなく、新たなプロパティ、クリエイティブを生み出せるという事が、高い評価となるからです。プロジェクトは挑戦的でクリエイティブだし、部門トップも��りたいと言う事で、そういう意味では、ゲーム部門には米国も含めて何とかこのプロジェクトを通したいと気持ちが行き渡っていました。
日本のディズニーブランドグループのアドバイスは当然NGです。ただ、あまりに彼等の評価基準からは、かけ外れすぎているので、あえて判断出来ないと言うのが、彼らの立場でした。米国では常にブランドとゲーム部門の交渉が行われていましたが、私も良く呼び出されました。ついていた事に、タイミングは悪くありませんでした。
当時のディズニーのブランド部門のトップの悩みは、ディズニーのキャラクターが女性にしか受けず、対象年齢も下がりすぎており、何か新しい動きが欲しいと思っていたのです。話してみると、ブランドのトップの人はディズニーの世界観のエッジがなくなって行くのを危惧していたのです。当時の私は、前職がセガの(コンスーマー)開発のトップでしたので、クリエイティブの匂いを感じてくれたのでしょう、非常に長い時間ディズニーのブランド論やキャラクターの見せ方について語り合いました。如何にビデオゲームという舞台が、当時のディズニーにかけているお客さんに上手くアピールしうるメディアであるかといった話もしました。
先方は、ミッキーが最初に出て来た時には少しやんちゃな部分があったのに、今はお利口さんすぎてエッジがなくなっていると言う事も正直に話してくれるのです。ある意味、それにどう答えるのかもテストであったと思うのですが、ディズニーのブランドをどうしたらあげていけるのかというアイデアや考え方も私なりの意見を述べました。セガの時代に、ソニックの再生プロジェクトに関わっていたのも役立ちました。また、ブランドトップの彼には、時々途中経過を流したり、事前にちょっとした事を相談する様にしました。いわゆる、根回しをして信頼を得る作戦を取ったのです(これが出来たのは、当然、絶対的に当時のスクエアの制作能力が高かった事が挙げられます。最初に彼らの作ったいくつかのキャラクターの3Dデータ、アニメーションの審査の時に、ディズニーのスタジオの人たちがその品質に驚いた程でした)。
ディズニーにとって、当時ゲーム部門は主流の部門ではありませんでした。あくまで、映画、テレビ、パークがメディアの中心で、ゲームはライセンス部門の一部でした。(因みに今では、ゲームとインターネット部門が一つになり、ディズニーの独立部署かつ戦略部署と位置づけされています。) ディズニーがあまり強くない領域であまり強くないターゲット層に向けて、他人のお金で(スクエア)実験的な施策を打つのは会社に取っても悪くないと言う空気になっていきました。しかも品質は高く、ゲームで定評のあるパートナーなのです。ただ、それでもブランドグループもなかなかオフィシャルにGOを出しません。 我々にとってもう一つの追い風は、当時他国が落ち込んでいる中、日本のディズニーが全体で絶好調だった事です。東京ディズニーランドに加えディズニーシーがまさにオープン準備中でしたし、i-modeへの対応でモバイル部門も立ち上がっていました。ライセンス部門も他国が落ち込んでいる中好調を維持し、ジブリ作品のビデオ流通も当たっていました。
そこで、長年ディズニーでCEO(当時)として君臨をしていたアイズナー氏が、久しぶりに日本を訪問する事になったのです。この時の彼への権力の集中は凄まじく、彼の日本出張時に、何や感やで米国から100人以上の人が同時に日本にやって来ました。この様な中、日本での活動報告をアイズナー氏にする事になり、私もプレゼンをする事になったのです。
我々ゲーム部門の目的は、何とか此処で『キングダムハーツ』をオフィシャルにすることでした。数日かけて、ゲーム部門社長やディズニージャパン社長とプレゼン内容を相談し、当日に挑みました。アイズナー氏は流石にちょっと尊大とも言えるくらい威厳があり、カジュアルなセッティングにもかかわらず、場には緊張感が走ります。ストレートで厳しい質問もどんどん投げかけます。
私の順番になり、ゲーム業界の様子やいくつかのプロジェクトを説明したあと、『キングダムハーツ』の説明をはじめます。このプロジェクトが如何にクオリティが高くディズニーにメリットがあるか自分が説明するのを、横からゲーム部門社長が援護説明を入れます。とても助かったのは、アイズナー氏の内容に関する質問に対し、ブランドのトップが如何にディズニーのブランドにとってメリットがあるか援護射撃をしてくれたことです。
アイズナー氏は気軽に、「おー、そうか。頑張ってくれ」と励ましの言葉をくれましたが、この時が本当に『キングダムハーツ』がオフィシャルにディズニー内でGOになった瞬間でした。プレゼンが終わった後には、皆が祝福の握手に来てくれて、ブランドトップは祝福のハグまでしてくれました。この時まで、中立だった人たちがサポートに回ったのです。
何で、こんなに大袈裟なのかと思うのですが、ディズニーのクリエイティブに対する想いと、当時の組織の膠着が重なり合ったことが背景となっているのでしょう。あの時、アイズナー氏がちょっとでもネガティブな事を言っていたら、あのプロジェクトは飛んでいたかもしれません。
余談となりますが、当時一応、ブランドのトップは創始者ディズニーの甥 Roy Disney だったのですが、彼は保守的な立場の人でしたが、アイズナー氏との折り合いは悪く、彼は会議には出ていませんでした。彼がいたらここも一悶着あったかもしれません。
これは、言ってしまえば社内ポリティクスの苦労話です。そこには、普遍的な事もあるし、ある意味ディズニーという特殊な問題もあるでしょう。普遍的なことを言えば、どんな会社も形は違えどもなんらかの根回し、プロトコルがあるのだということです。よく、アメリカの会社には根回しがないという言葉を聞きますが、少なくともディズニーには全くその言葉は当てはまりません。ただ、日本の根回しとは少し違った感じはします。有力者にとにかく頭を下げてお願いするというよりは、一応こういう正義と言うか正しい気持ちとそこに伴うコミットメントが込められているかという説得はついていました。まあ、サプライズをビジネスマンは好まないという意味では同じなのかもしれません。また、どんな企業もトップが傲慢になりすぎると、決めるプロセスで苦労するというのも普遍的かもしれません。
ディズニーの特殊な面で言うと、クリエイティブに対する考え方、決め方、こだわりもこの��を通じてよく理解出来ました。あるところではビジネスを追求しているのですが、クリエイティブに対して尊敬しなければいけないとする問題意識は共有されています。ライセンスのガイドラインの作り方、ビジネスの作り方も見事なものです。コンテンツやIPをビジネスにする仕組みを積み上げているのです。
現在、日本ではサンリオが非常に上手いグローバルライセンス展開をしていますが、一方で集英社プロパティを中心に勿体無いコンテンツが沢山あります。世間で、ジャパンクールとはいうものの、その広がりを見せている様には思いませんが、コンテンツやライセンスのプロデュース、事業化能力をあげることも、コンテンツ、IPビジネスにおいてクリエイティブにも劣ることなく必要なことであるということはディズニーから学べるところです。
では、このライセンス商品を、ディズニーとしてどうプロデュースし盛り上げたかという施策を紹介します。ひとつが音楽に関する取引と、もう一つがプロモーション施策です。音楽に関して言うと、スクエアのクリエイターでディレクターを務めた野村哲也さんは、出来れば当時人気絶頂であった宇多田ヒカルさんを起用したいと言って来ました。ディズニーのゲームライセンスの契約で(とんでもない)社内ルールは、基本ディズニー作品に使われた曲はディズニーのものになるというものでした。
凄いアーティストと組んでゲームを作るという発想が、もともとなかったのです。ディズニーのリーガルと宇多田ヒカルさんの事務所、レコード会社と交渉しますが、此処でディズニーマジックが起こります。宇多田ヒカルさんがディズニーの大ファンで世界的に曲が広まるのであればと嬉しいと、日本語と英語版の楽曲提供を基本合意してくれたのです。然も、ディズニーの条件である、音楽のパブリッシング窓口がディズニーとなる事も納得してくれたのです。
キングダムハーツの主題歌「光」は、テクニカルには、宇多田ヒカルさん初の海外版になっているのです。ちょっと、蛇足ですが、この「光」という素晴らしい曲ですが、出来上がるのに時間がかかりました。丁度、彼女の病気と結婚の時期とかぶってしまったのです。この曲が素晴らしいものであったにもかかわらず、プロモーションビデオがとても地味な(失礼)出来になっているのは、病気が大きく影響していた様です。この曲は発売以来3週連続のオリコン1位を獲得します。人気絶頂だった宇多田ヒカルさんの曲とゲームのプロモーションを上手くリンクさせる下地が出来上がったのです。
私は、『キングダムハーツ』の問題として(今でこそとても当たり前に自然に見えているかもしれませんが)、スクエニのキャラクターとディズニーのキャラクターが並んだ時の違和感を感じていました。これを払拭するには、その世界観をあまり見せないか(ミステリーにして口コミに頼る)か、目一杯メディア露出をするかだとおもいました。前者は何もしないに等しいことなので、せっかくディズニーも絡んだ大型作品なのでどう露出するか考えました。スクエニに広告費露出を頼もうにも、先方は開発費が予算を大幅に越えており、その枠にも限界があることはわかっ��いました。
ディズニーには、新しい映画を世間に出すときに、他の企業と組んでプロモーションをするというco-promotion という仕組みが出来上がっていました。例えば、トイストーリーの映画封切に合わせて、マクドナルドがハッピーセットを出してその告知をメディア広告(主にテレビ)するという類のものです。ゲームではこのモデルを使ったことがないけれど、何とか出来ないものかということで、幾つも営業に回りました。その甲斐あって三井ホーム社、日清社そしてアサヒ飲料社とco-promotion 契約を結べました。
特に、アサヒ飲料社とはゲーム業界史上最大規模となるco-promotionが成立します。内容は、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーを対象に、キングダムハーツのボトルキャップとデザイン缶キャンペーンを実行し、さらに大々的にキングダムハーツのイメージと宇多田ヒカルさんの「光」を使い、バイヤリスオレンジと三ツ矢サイダーをテレビ広告を中心としたメディア広告を展開するというものです。ブランドを二つに分けたのには実は裏の事情があります。ディズニーはグローバルにコカコーラ社とキャラクターライセンス契約をしていました。そのため、炭酸飲料についてはミッキーとその仲間たち、ディズニーでいうところのスタンダードキャラクターに関しては使えませんでした。そこで、どうしてもスタンダードキャラクターも使いたいアサヒ飲料社の要望に答えるべく、バイヤリスオレンジにスタンダードキャラクターをあてがい、本当に推したい三ツ矢サイダーにはその他のキャラクターをあてがうことにしたのです(ちなみにすべて『キングダムハーツ』に出ているキャラクターでないといけない)。
結果デザイン缶は10パターン作ることになります。こちらにとって結果的によかったのは、アサヒ飲料社が2つのメインブランドを推すキャンペーンになったためプロモーション規模が結果的に大きくなるおまけもついて来たのです。ここであえて追加すると、日本の他のディズニー部隊の協力は素晴らしいものでした。当然、コカコーラ社を担当している部門や当時のディズニージャパンの星野社長(現在ジブリ社長)の協力が無ければ到底出来ない内容でした。
このキャンペーン規模、テレビ広告の規模全国2500GRP以上という凄まじいものでした。どれくらいすごいかと言うと、ソニー・コンピュータエンタテインメント(当時。以下SCE)とスクエニがキングダムハーツにかけた広告を足したものの倍近くあったのです。また、ボトルキャップとデザイン缶を併せた『キングダムハーツ』仕様のドリンクは3000万缶近く作られ、コンビニでも『キングダムハーツ』のイメージが一気にばらまかれました。
キャンペーンタイミングも奇跡的にピッタリ合わせることが出来、今から考えても信じられないくらい上手く連動が出来たと想います。ゲームとの相性バッチリのアサヒ飲料のテレビ広告(YouTubeで捜しましたが見つかりませんでした。残念)は、ゲームの発売1週間前から集中投下され、この広告が始まるや、コンビニでのゲーム予約が8倍に跳ねました。ゲームも初回発注から、週末を待たず追加発注がなされ、何と1週目にスーパーロボット大戦の発売があったにもかかわらず、1位を獲得、大ヒットダイトルヘと成長をして行きます。海外では、『キングダムハーツ』��ファイナルファンタジーを凌ぐビジネスとなっています。 当然、この『キングダムハーツ』に関しては、ゲームの力やクリエイターの執念、またパブリッシャーの努力が第一義的に成功の要因です。彼等の更なる努力により、キングダムハーツが10周年を迎え、さらに大きなIPに育っていることを本当に嬉しく思います。おめでとうございます。
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❖ 昭和20年8月14日 ❖ 白旗を上げた非武装の日本人数千名に、ソ連兵たちが銃弾をあびせ、戦車で引き殺した事件、『葛根廟大虐殺事件』があった日です。 一方的に条約を破り満州に侵攻してきたソ連兵は、日本人を戦車で引き殺したあと、銃剣でとどめをさし、2時間余りで千人以上を殺害。 9割が女子子供でした。 婦女子は暴行をされた後、乳房を切り落とされむごい方法で殺されました。 小屋に隠れていた婦女子には、朝まで強姦し続けた後、小屋に枯れ草を投げ入れ火を付け焼き殺しました。 自害するものもいる中、やっとの思いでかろうじて逃れた者は日本本土をめざし南下の途中、次に待っていたのは満洲人や支那人や朝鮮人の無慈悲な想像に耐え難い強姦暴行殺戮でした。 日本の地を踏むこと叶わず無惨に命を落としたのです。 その内の僅か数十人が残留孤児となりました。 本当に語り継がなければならないのは、 ウソで作られたK国がいう慰安婦問題��も、 C国がいう南京虐殺でもなく、 真実の『葛根廟大虐殺事件』の方なのです。 日本人が被害にあった事件は、全く教科書では教えないことが、最大の問題だと思います。 毎年8/14、東京目黒の五百羅漢寺で今日も供養が行われているそうです。
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Hunt Mark Bune is actually Rielle's Dad - Translations
The English translation changed a bunch of facts that led English-only players to miss that Rielle's father is indeed alive and you can hunt him.
In the Japanese quest, this is what Sidurgu says about Rielle's family:
シドゥルグ:Name……。俺たちが今まで調べたことと、リエルの証言……そして裏の筋から得た情報で、やっと事の全容が見えてきた。
シドゥルグ:こいつの本名は、リエル・ド・コーリニョン。高名な聖職者や、正教がらみの機関の重役を輩出している、名門貴族コーリニョン家の娘だ。
シドゥルグ:その母親……女当主の、イストリド・ド・コーリニョンは、ある貴族の男を婿に迎えて、リエルをもうけた。
シドゥルグ:婿となった男が、ひそかに異端者に賛同している過激派で、竜の血を飲んでいたことなど知らずにな……。
シドゥルグ:数年後、コーリニョン家で得た情報を異端者に流し終えた男は、さらに竜の血を呷り、完全なドラゴン族となって、一家を滅ぼそうとした。
シドゥルグ:その野望は、精��の騎士たちによって阻まれたが、事実を知ったイストリドは、男の……竜の血を引くリエルを幽閉した。
シドゥルグ:……今更になって、命まで奪おうとしているのは、正教に忠義を見せるためか……。
シドゥルグ:何にせよ、俺たちは暗黒騎士としての役目を果たすだけだ。イストリドとの決闘に勝利してな。
Sidurgu: WoL.... I've finally pieced together the whole story, from what we found in our investigation, what Rielle testified... and what I found out through the underground.
Her real name is Rielle de Caulignont. A daughter of the same well-known aristocratic Caulignont family that produces many famous clergy and instrumental Holy See attendants.
That mother... the female family head, Ystride de Caulignont, married another aristocratic man and bore Rielle.
Unbeknownst to her, her groom was a member of a radical faction of heretics who had drunk dragon blood...
A few years later, after having finished secretly leaking information gained in the Caulignont family to the heretics, the man drank more dragon blood and fully transformed into a dragon, and tried to kill his family.
However, his plan to kill them was foiled by elite knights but... knowing that her daughter had that man's- that dragon's- blood, Ystride locked up her daughter.
...Coming to kill her after all this time must be her way of showing her loyalty to the Holy See.
In any case, as Dark Knights we must carry out our duty. By winning this dual with her, that is.
This is what the Japanese hunt mark description says:
ユステシア: 異端者は、多くが平民出身だけど、中には貴族もいるわ。ある男性貴族が、妻である名門貴族の女当主を利用することで、長年に渡り、神殿騎士団の情報を流していた事があってね。
こともあろうに、この男は一通り情報収集を終えると、「竜の血」を飲んでドラゴン族の眷属と化したの。家族を殺して、証拠を隠滅するためにね……。
幸い神殿騎士団の活躍で、最悪の事態は免れたけど、眷属と化した男は、皇都を脱出して逃げ去ったというわ。討伐依頼を出してきたのは、生き残った妻よ。
Eustacia: Heretics usually come from the common people, but there are some aristocrats among them. One such aristocratic man used his wife, the female head of a noted aristocratic family, to get information on the Temple knights to leak, for many years. Of all things he could have done, the man finished his intelligence gathering by drinking dragon blood and turning into a scalekin himself. In order to kill his family and hide the evidence... Thankfully, the Temple Knights intervened and stopped the worst from happening. The man who turned into a scalekin was said to have escaped the city and run away. The one who put out the hunt bounty on him was none other than his surviving wife.
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先日31歳になりました。Tumblrを始めて何年になるのだろう。途中で全消ししちゃったから定かではないんだよね。ちなみに残ってるいちばん古い投稿は7年前でした。
夫が長期出張のためめずらしく平日に実家に帰省した。どう頑張っても片道3時間はかかるので、3〜4日じゃ全然ゆっくりできた気がしないのどうに��してほしい。ほんとうはこの期間に、5月末に出産した友人の赤ちゃんを見に行きたかったのだけれど、予定が合わず断念。高校時代の友人も9月には出産すると連絡をもらったし、最近ずっと人へのプレゼントに頭を悩ませている。30を過ぎてからというもの、出産報告におめでとうを送ると、カジュアルな「早く産みな〜どんどん体力なくなってくんだから」がまぁ必ずと言っていいほどついてくる。それは周囲がすでに30代の私に投げかける言葉としてすごく正しくて、スッと受け入れ有り難がるべきことなのだけれど、なんとなく心の奥がモヤっとしてしまう。最近はそんなアドバイスを遮って、甥への何にも変えられない愛おしさと育児の大変さ、どちらもひしひしと感じているからこそ簡単に決断できないんだよ〜!と言い出したくなる始末。※ちなみに甥は6月に1歳を迎え歩き出し、星のボタンがついた小さな靴で転ぶリスクも厭わず走り回るので帰省のあいだ面倒を見るだけでも疲労困憊。母もとい妹はすごい。
そんなこんなでここ最近は、ライフステージを駆け上がる友人と連絡を取るたび、私はどうしたらいいのか、に飲み込まれていたので、配偶者である夫と離れて実家に帰省した日々はとてもいい気分転換になった。どうしても自分の足で歩きたい甥っ子を追いかけ回しているとき。ほぼ物置と化した元子ども部屋でひとり学生時代に揃えた漫画や小説に囲まれているとき。甥と妹が並んで昼寝している横顔を眺めているとき。青い空と入道雲に見守られて車で田圃道を走るとき。以前は地元や実家にこんなにも救われるなんて想像していなかった。許せない過去はいまだに私の奥底に存在していてごく稀に顔を出すけれど、そのときはそのときだ。離れて暮らすことが私たち家族の正解だった、と今ならキッパリ言えるけど、がむしゃらに足掻いて人知れず泣いていた当時はそんなこと分からなかった。終わりよければすべてよし、なんて陳腐なまとめ方したくないけれど、私たち家族��限って言えば意外とぴったりな言葉なのかもしれない。これだって私からしたら努力して乗り越えてきたんだ。これからだって、自分が後悔しない生き方さえ選べれば、私たちは大丈夫。帰ろう、彼の元に。
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏���、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。
1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転��れていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
終わりに
ガラス美術館訪問後は軽く��昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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Sean bienvenidos japonistasarqueológicos en esta ocasión no os traigo una noticia de arqueología, hoy dia 8 de julio de 2022 no ha llegado la terrible noticia de que el ex primer ministro Abe fue asesinado en un atentado en la ciudad de Nara por un ex soldado de la marina de autodefensa. Antes que nada me gustaría aclarar que esta publicación no es apta para todo los públicos, ya que puede herir la sensibilidad del espectador dicho esto empezamos.
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¿Quién es Abe Shinzō?, fue Primer ministro (2006-2007, 2012-2020) Nació en Nagano, prefectura de Yamaguchi, región de Chugoku, 21 septiembre 1954. Perteneció al partido Liberal Democrático (Jiminto) y desempeñó la profesión de politólogo.
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Al Sr. Yamagami es despreciable, no se le puede considerar patriótico, tiene la mentalidad fría hay que tener las agallas para realizar dicho acto de salvajismo en pleno acto público eso sí que es caer bajo además de crear una escopeta casera para asesinarlo. Los motivos que le llevó a realizarlo fue por estar en desacuerdo, el mundo está lleno de imperfecciones y no se debe matar a nadie por estar en desacuerdo, espero que le condenen con la máxima crueldad posible.
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Mis más sincero pésame, para japón y los japoneses por esta tragedia que se podía haber evitado yo también estoy conmovido por lo ocurrido. Os deseo una feliz semana y nos vemos en próximas publicaciones de historia, arqueología, geografía y antropología de japón.
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考古学の日本人は歓迎します、この機会に私はあなたに考古学のニュースをお届けしません、今日、2022年7月8日、元首相が奈良市で元兵士による攻撃で暗殺されたという恐ろしいニュースは到着していません-防衛海軍。まず、この出版物は視聴者の感性を損なう可能性があるため、すべての視聴者に適しているわけではないことを明確にしておきたいと思います。
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安倍信三とは?首相(2006-2007、2012-2020)1954年9月21日中口県山口県長野生まれ。自由民主党(じみんと)に所属し、政治家として活躍。科学者。
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山上さんは卑劣で、愛国心が強いとは言えず、冷淡な精神を持っており、公の場で野蛮な行為を行うには勇気が必要です。彼を暗殺するショットガン。彼がそれをやった理由は、彼が反対したからであり、世界は不完全さでいっぱいであり、反対したことで誰も殺されるべきではありません。彼らが彼を可能な限りの残酷さで非難することを願っています。
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避けられたはずのこの悲劇について、日本と日本人に心からお悔やみ申し上げます。また、起こったことにも感動しました。皆様のご多幸をお祈り申し上げますとともに、日本の歴史、考古学、地理学、人類学の今後の出版物でお会いしましょう。
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Archaeological Japaneseists welcome, on this occasion I do not bring you archeology news, today, July 8, 2022, the terrible news has not arrived that former Prime Minister Abe was assassinated in an attack in the city of Nara by a former soldier of the self-defense navy. First of all, I would like to clarify that this publication is not suitable for all audiences, since it can hurt the sensitivity of the viewer, having said this, we begin.
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Who is Abe Shinzō? He was Prime Minister (2006-2007, 2012-2020) He was born in Nagano, Yamaguchi prefecture, Chugoku region, September 21, 1954. He belonged to the Liberal Democratic Party (Jiminto) and worked as a political scientist.
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Mr. Yamagami is despicable, he cannot be considered patriotic, he has a cold mentality, you have to have the guts to carry out such an act of savagery in the middle of a public act, that is falling low in addition to creating a homemade shotgun to assassinate him. The reasons that led him to do it was because he disagreed, the world is full of imperfections and no one should be killed for disagreeing, I hope they condemn him with the maximum cruelty possible.
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24年9月1週目
社員が1人抜かれた上に主力メンバーの1人コロナになりちょっと限界めだった。久しぶりに深夜残業ギリギリまで働く。睡眠が5時間くらいになると、数日は大丈夫だけど、5日以上続くと脳みそは酩酊状態になる。これがもしずっと続くとたぶんそれだけで死ぬんだろうなという予感がする。
読書会の課題本でレイモンド・カーヴァーの『風呂』を読んで、その話の別バージョン『ささやかだけれど、役に立つこと』という話があることを知った。『風呂』の話はブツ切れでとても後者のタイトルになりうるような話だと思えなかったが、読んでみたら全然違う話になってて良かった。毎日12時間とか働いて、疲れすぎているのに、なんだかレイモンド・カーヴァーの短編集は読める。今まで繁忙期はエンタメ系で気を紛らわすという選択をしていたけれど、こういう淡々とした作品の方が向いているんだろうか。
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