#ぶつ切りボブ
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先月のトモダチ限定プロミスや野良プロミスなど🎀 だーーーいぶ遅くなっちゃった! でも、それぞれみんな可愛く着こなしてくれてるので見ていただいてよろしいか……?(´Y`)(圧力)
ショーコちゃんとデュオ🎀🤝❄ ぼくは両方同じコーデなのに、
プリンセス同士のデュオ
プリンセスとやんちゃな私服ガールデュオ
みたいな印象の違いがあって面白い……(でもダサパンツは見せる🩲)(こんなにも可愛すぎるのにパンツがダサくないなんて完璧すぎて申し訳ないので)
先月はたまたまいる時間がかぶってる日がちらほらあってご一緒しやすかった思い出💭 いっぱいありがとね~(🙏´Y`)
野良やトモ限など💫ごちゃまぜ!
このあたりは野良でもミックスコードのアイドルさんをいっぱい見られて嬉しかった記憶…… ぼくも人間もミックスガールを見られた時がテンションMAXなのだ🎀👑(´Y`)🧡🎆
キッカちゃんは埋まりにくいプロミスから条件緩めのプロミスまでいっぱい入っ��くれて嬉しくなっちゃうね❣✨
スピカちゃんと微あろみかなデュオ(?)もできた!😈👼(写真が下手すぎて左上1枚のみ í Y ì )
見切れてるけど右上の主催者さんもミックスだった🙏✨
そふぃロングが登場した頃、フレンドみーーんな同じ髪型になってた記憶💭(なお、ぼくは交換チケットが🕳スーーーン……)
特にアニメキャラの髪型が出てきた頃からかな? 最近はみんなのイメチェンをいっぱい見られるようになってきた気がしてる! それついでのミックスコーデアイドルさんもちょびっと増えているような……?✨(。´Y`。)✨(期待のまなざし) いいぞ…… みんなの楽しみ方をもっと色々見せてくれ(´Y`)ふん(偉そう)
RLを観てそんな気分が高まっていたのでハムなる♪ボブ。 ハッピーレイン♪のこのシリーズ、いとちゃんのボトムス以外は持ってることに気づいた…… わぁ
プリリズを完走してからようやくコーデの区別がつくようになった!(遅) 今まで見えていた景色でもかなり違うものに見えるようになったよ~~🌈
ハムスターのこっそり裏話…… 高レアトップス指定で「ミックスコーデ見せて!」って名前のプロミスを立てると、エリートたちがミックスコーデを見せてくれる確率が高いことに気づいた(´Y`)有難し……
よく入ってくれる野良アイドルさんもありがとう🎀✨ 一期一会の野良アイドルさんもありがとう🎇🙏
(人間:アニメのプリ���ラって特定のチームを組んでないアイドルはその場で出会った子とライブすることもあったよね~。あまり多くは描かれていないけど、みれぃとか特に。 私も子供の頃、適当な公園に行ってその場にいた知らない子と遊んだりした覚えがあります。 そういうパッと出会って「じゃあまたね!」(”また”はないことも往々にしてある)ってするの、意外と忘れがちな女児っぽさの1つなのかもしれんな~~……と思いがちです。大人になってからはそんな機会あんまないからね。
野良でフレンドを見かけた時「今いそうなので」とかいう突発的で雑なプロミスを立てることがあるんだけど、そんな感じで気楽に身軽に楽しく遊べたらいいな~と思っています。
っていう私の楽しみ方のシェアでした。ハムと遊んでくれる人々、いつもありがとう~~)
(´Y`)長ぇよバーーカ校長先生か?
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちにな���。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればい��んじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「お��しれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めて���く。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題���して片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた���改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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Sunday August , 6
台風の中、きょう外出したツケがまわって中耳炎気味。
いたい(´;ω;`)
ずーーーっとぜんぶ上手くいってない。
仕事に?恋愛に?人間関係に?自分自身に。
変えたいときはとりあえず手っ取り早く髪を切る、明るく染める。深夜にインスタ漁って美容院を決めた。那覇ボブ。カラーが上手なひとがいい。
昨日よりは落ち着いた天候、それでも大荒れ。はじめていく美容院は幾つになってもドキドキする。ダブルカラーのつもりが、怖気付いて一回。暖色系はしたことなかったから自分的には冒険。
オレンジ🍊
気に入った〜。
濃いめにフルメイクした自分の顔は結構すき。
最近それさえも忘れてた。
「責任を持つということは問題��起きても何事もないようにカバーするということ」
いまの上司に言われて印象に残っている言葉のひとつ。
先々週からの激務と悪天候で買えていなかった備品を購入しに、美容院から徒歩圏内のスーパーへ買い物に行った。
休みの日に仕事のことを考えること自体がストレスではあるけど、残したままなことの方がわたしにとってはストレス。完璧主義やめたい。
購入後、店の外でタクシー拾うタイミングを待っていたら、おばあさんが話しかけてきた。
「近く��業務用スーパーに行きたいんだけど、わたしは此処のスーパーがそうだと思って来ちゃって。どうやら此処では無いの。あなた地元のひと?わかる?」
那覇市内ぜんぜん分からんと思いつつ、お困りのようなので一緒にGoogleマップをみて考えた。
マップをみてても埒が開かないので「嫌じゃなければ道案内するので乗せてもらえますか?」と提案して、乗り込んだ。
家に帰るだけの暇人だし、ここら辺はどこからタクシー乗ったとしても料金は変わらなさそうだし。
助手席にシスター姿のお友達の方がいて、背筋がのびる。
今から落ち合う方も含めて三人は中学時代のご学友で、50年振りの再会だそう。
豪雨の中、業務スーパー前で待ってらした女性が隣に乗り込んできて、ようやく会えた模様。
感動の再会に、無関係のわたしが同乗しててまじすみません状態😂
結局おうちの近くまで送ってもらって、その上エンダーのアップルパイもらっちゃった🍎
ひさしぶりに心の動くままに生きれた日。
予定をたてずその場のひらめいたノリで行動するのがわたしの自然体で、自分自身それが気持ちいい。
帰宅後、頭と気をつかうメッセージをおくるためにLINEを開いて現実に戻った。
性格も生活も変える。変えよう。
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幻想キッチン(2555字)
世の中には2種類の人間がいる。などと俗悪なレトリックに頼るのは癪だけど、世の中には2種類の人間がいる。 ホームパーティが大好きな人間と、そうではない人間だ。 私は完全な後者���300歳まで生きたとしても、ホームパーティを主催するような錯乱状態に陥ることはないだろう。でも、お誘いを受ければほいほい参加してしまう。何も不思議じゃない。私だって皆さんと同じ、社会的動物に過ぎないのだ。
知人の新居お披露目パーティに出席した私は、酒に酔う前に人に酔っていた。大豪邸で、50人近い参加者のほとんどが初対面だ。家主がサンフランシスコ帰りであるためか、パーティはアメリカ式で人口密度が高い。狭くるしい島国に住む日本人はひろびろとした場所でのパーティを好むけれど、管理しきれないほどの国土を持つアメリカ人はパーティではぎゅうぎゅうになりたがる。 私はどちらも好きじゃない。
ホームパーティを嫌う人間がなぜホームパーティを嫌うのかというと、話は単純。傷つきたくないからだ。 傷つきやすい性質であることを日々さりげなくアピールしている面倒な人間(すなわち私みたいなタイプ)は、ホームパーティのような防御の効かない場所では深く傷つけられてしまう。毎回違う場所を、毎回違う方法で。
私は広大なリビングの喧噪を早々に逃れ、キッチンで一人、牛乳を飲んで過ごしていた。 誰もいない、他人の家のぴかぴかのキッチン。 楽しげなお喋りや音楽が漏れ聞こえるなか、普段は飲まない牛乳なんかをちびちびやるのはなかなか気持ちの良いことだ。 時折この部屋に迷い込んでくる者もいる。私はそれらの漂流者たちと短い会話を交わすのが好き。万能の占い師みたいな気分になれるから。
Q. 生ハムまだあります? A. あと少しありますよ
Q. あれー? ここトイレじゃないんだ? A. トイレは突き当たりを折れた先です
Q. うちの子見なかった? A. 2階に子供用のホビールームがあるみたいですよ
Q. アンジェリーナ・ジョリーってブラピの前、誰と結婚してたんだっけ? A. 最初がジョニー・リー・ミラーで、その次がビリー・ボブ・ソーントン
Q. 女の子3人でパンクバンドつくったんだけど、何かいいバンド名ありませんか? A. 地獄への3車線
Q. 人って何のために生きてるんだろう? A. 人ってもうみんな死んでるのかもよ?
Q. 私ってオオカミに育てられたんだけど、今もちょっと人と違って見えたりする? A. ぜんぜん。普通
Q. きれいな髪だね。少しさわっても良い? A. 絶対にだめ
Q. 大洪水で世界が終わるのって来月の4日でしたっけ? 14日? A. 明日ですよ。知らなかったの?
たいていの人は少し酔っ払っているか、ひ��く酔っ払っている。 私は何万年も前からこのキッチンに据え置かれているような気分。 高揚している、と言い換えても良い。
ドアが開いて、また一人が流れ着く。 とても美しい女性だ。 体重がないみたいな軽やかな動作で部屋に入ってくる。
Q. コーヒーをいれてくださる? A. インスタントで良ければ
よく見ると女性の体はうっすら透けていた。 幽霊だ。 私は幽霊のためにコーヒーをいれることにする。キッチンの棚を勝手に開け閉めし、必要な道具を集めてまわる。 幽霊は椅子に座って天井を見上げ、「酔ったなあ」とつぶやいた。 その姿は、私がずっと好きだった誰かに似ている。 でも、それが誰だったのかは思い出せない。 「少しだけ砂糖を入れてね」と幽霊は注文を付けた。
私は二つのカップにコーヒーを注ぐと、砂糖の瓶と一緒にテーブルまで運んだ。 幽霊は茶色の砂糖を瓶の中でそっとかき混ぜてから、コーヒーの中にざらりと落とした。とても残酷な手つきだと思った。
他人の家のぴかぴかのキッチンで、幽霊と向かい合ってコーヒーを飲む。ここだけ区切られた別世界のようだ。
幽霊は、やはり私がかつて恋い焦がれた誰かに似ている。この恋のためなら命を落としても良い……。そんな強力で幼稚な思考の残滓が、私のどこかに今もまだ息づいているのを感じた。
自分のものではないキッチンで、ドアの向こうの楽しげな喧噪を耳にしながら、死ぬほど好きだった人の幻を見ている。この部屋は私の人生を見事に表現したひとつの美術品だ。
「明日には大洪水で世界が滅ぶのに、どうしてホームパーティなんか開くのかな」とコーヒーを飲み終えた私が言う。 「大洪水で世界が滅んだのは先月の14日のことだよ」幽霊はコーヒーカップを口に当てたまま答えた。「4日だったかな」 「え?」 「人類は一人残らず滅んでしまった」幽霊は私をじっと見た。「ホームパーティなんかにうつつを抜かすからだ。ホームパーティを好むようなおめでたい人間は死んだ自覚すら持たない。死んだあとも平然とホームパーティを開いたりする。あつかましいことに。お前たちのせいで世界はいつまでも騒々しいままだ。いつまでも馬鹿馬鹿しいままだ。静かにしてください。静粛にしてください。黙って下を見ていてください。下ばかりを見ていてください」
いつしかパーティの喧噪は止んでいた。 冷蔵庫の鈍い低音だけが響いている。 みんな、自分のことを亡霊だと気づいてしまったのかもしれない。 私たちはすでに滅んでいて、その意思だけが幻のパーティ会場をさまよっているのだと。 目の前の幽霊が急に私に微笑みかけた。
Q. きれいな髪ね。少しさわっても良いかしら? A. ええと
幽霊の手が伸びてきて、そっと私の髪を撫ぜた。 つめたい指に髪を絡め取られると、私の中に眠っていた密やかな思い出が幾つも蘇った。髪を揺らされるたびに、無作為にひとつずつ掘りおこされていくみたいに。 それらの記憶はヘン��ルとグレーテルの小石みたいなもので、等間隔にばらまかれてはいるものの、本人以外には回収されることもないし、顧みられることもない。 すっかり静まりかえったキッチン。 いつしか幽霊の姿も消えている。 何もすることがないから、私は生まれてからのすべての記憶を、頭の中で正確に反芻する���とにした。 たぶんそれを、永遠に繰り返す。 私が死んでいるのだとしたら、そうするより他ない。 そういうものでしょう?
Q. そんな私にホームパーティの参加資格はあるのでしょうか? A. ありません。ホームパーティは、正しく生きている人たちを象徴する催しです。まずは正しく生きてみては? 話はそれからです
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スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行われたスティーブ ・ジョブズのスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めました。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。
【全文】
皆さん、ありがとう
私は本日ここに世界で最も優れた大学の一校である貴校の卒業式に皆さんと共に同席することを光栄に思います。実は私は大学を卒業していないのです。そして、これが私の大学の卒業式に今までで最も近い経験です。
今日は、私は自分の人生からの3つの話をしたいと思います。それだけです。たした話ではありません。たった3つです。
1.点と点を結ぶ事についての話です。
私はリード大学を最初の6ヶ月を終えたときに中途退学しました。しかし大学を実際に辞めるまでその後1年半ほどで戻り学生として大学に留まっていました。それでは、私は何故大学を辞めたのでしょうか?
それは私が生まれる以前から始まっていました。私を生んだ母は若い未婚の大学院生で、私を養子に出すことを決断しました。彼女は、私が大学卒業者の養子に行くべきだと強く願っていました。
それで弁護士とその妻により、私の誕生と同時での養子縁組の手続きがすべてが整えられていました。ところが私がいざ、生まれるというときになり、そのわずかその出産の数分前に彼らは本当は女の子を望んでいたと言い出したのです。
そういうわけで。養子縁組待ちリストに記載されていた私の両親に真夜中に問合せの電話がかかってきました。
「私達に予定外の男の子が出来ました。この坊やを迎えたいですか?」
私の両親は言ったのです。「もちろんです」
後日、私の産みの母親は、私の母が大学を出ていない事を知りました。そして父は高校を卒業しておりませんでした。産みの母は最終の養子縁組の書類を拒否しましたが、 数ヶ月後に産みの母親は、私の両親が私を大学に入れると約束した時にやっと態度を軟化させ私を養子に出すことに応じたのでした。
これが私の人生の始まりでした。
そして17年後、私は実に大学に入学したのです。しかし、世間知らずにも私はスタンフォード大学と同じくらい学費の高い大学を選んでいたのでした。そして私のワーキングクラスの両親の貯えの全ては私の大学の学費に費やされておりました。
入学して半年後、私は大学に意義を見出せなくなっていました。 私の自分の人生で何かしたいかが分からず、そしてそれを見��けるために大学がどのように役立つのかまるで分からなかったのです。それなのに私は両親がその生涯にわたって蓄えてきた資金を使い果たそうとしていたのです。そこで私は大学を退学することを決意しました。これでいいのだ、全てこれでうまくいくのだと信じて。
そのときは大変不安な思いもしましたが、振り返ってみると、かつて私が下した最善の決断の一つでした。
退学した瞬間から、私は興味が持てない必修の課目をとるのをやめる事が出来、 はるかに面白そうなクラスに出戻り学生として講義を聴きに行き始めました。全てがロマンティックというわけにはいきませんでした。
私は学生寮に部屋を持っておらず、友人の部屋の床で寝泊りしました。私はコーク瓶を店に戻し、返金された5セントを貯めては食べ物を買っていました。 毎週日曜日のよるともなると、7マイル(11km)を歩いて町を横切り、ハーレ・クリシュナ寺院で週に1度のごちそうにありついたものでした。
あれは本当においしかった。そして、私が自分の興味と直感に従って巡りあった多くのものは、後に極めて貴重なものとなったのです。
ひとつの例を挙げてみましょう。リード大学は、当時においてはおそらく国内最高のカリグラフィ(書体)の授業を実施していました。キャンパスのいたるところにあるどのポスターも、どの引き出しのどのラベルも、美しい手書きされたカリグラフィがほどこされていました。
私は退学していて、通常科目を受講する必要がなかったので、私は、カリグラフィのクラスに出席して、このやり方を学ぼうと決めました。私はセリフとサンセリフの活字の字体や、異自体を組み合わせたときの文字間隔を調整することや、立派な活字印刷を立派に見せるものについて学びました。
それは美しく、歴史を有し、科学という意味では捉えきれない芸術的な繊細さを具えていました。 私は魅了されていました。
このどれもが、私には私の人生で実際の仕事に応用する希望すらなかったのです。しかし、10年後私達が最初のマッキントッシュコンピュータを設計していたときに、それがすべて蘇ってきたのです。
そして私達は、それらすべてをマックに組み込んだのです。マックは美しい活字フォントを備えた最初のコンピュータとなったのです。
もし私が出戻り学生として、大学のあの単科目コースの講義を受けていなかったとしたら、マックには複数の活字フォント或いは文字の間隔を調整するフォントは決して備えることは無かっただろうと思います。
そして、ウィンドウズは単にマックをコピーしただけなので、それらを持つパソコンは無かっただろうとということはあり得たことなのです。
もし私が中退をしていなかったとしたら、私はこのカリグラフィのクラスに入る事は無かっただろうと思います。 そしてパソコンが現在のような素晴らしい活字フォントを備える事もなかったかもしれません。
もちろ大学にいたときは、将来を見据えて点と点を結びつけることは不可能な話でした。しかし、10年後に振り返ると大変はっきりと見えてきました。繰り返しますが、将来を見据えて、点と点を結びつける事は出来ません。後に振り返って見た時にしか点と点を結びつける事が出来ないのです。
それ故、あなた方は点と点がとにかくも将来に結びつくと信じなければならないのです。自分の根性、運命、カルマ、たとえそれが何であれ信じなくてはならないのです。
なぜなら点と点がいずれ将来に結びつくと信ずることは、あなたに自分の心に従う自身をもたらすからです。たとえそれがあなたを多くの人が通る道から外れる道へ導くとしても、大きな違いを作り出すのです。
2.愛と喪失について
私は幸運だった。人生の早い時点でたまらなく好きなことを見つけた。20歳のとき私は実家の車庫でウォズといっしょにアップルを始めました。私たちは懸命に働いて、10年でアップルは車庫のたった2人から4000人以上が働く20億ドル企業になりました。1年前に私たちの最高の創造物であるマッキントッシュを出したばかりで、私は30歳になったばかりだったのです。そして私は首になった。どうしたら自分が作った会社を首になれるかって?そう、会社が成長する過程で一緒に会社を経営するのにとても才能のあると思えた人を雇い、最初の1年ほどはうまくいった。しかしその後、将来のビジョンが分かれ始め最終的に仲たがいになりました。そうなったとき取締役会は彼の側に付いた。それで私は30歳にして失職した。しかも、とてもおおっぴらに。私は大人としての人生全体の中心だったものを失い、それは衝撃的でした。
何ヶ月か何をすべきか全く分からなくなりました。一世代前の起業家達を失望させたのではないかと感じた。私に渡されつつあったバトンを落としてしまったと。デービッド・パッカードとボブ・ノイスと会いました。そして、失敗してしまったことを謝ろうとした。私はよく知られた落伍者となり、シリコンバレーから逃げることも考えました。しかし、何かが徐々に私の中で湧き上がってきた。自分がしてきたことが、まだたまらなく好きでした。アップルでの出来事はほんの少しの影響も与えなかったのです。私は拒絶されたが、まだたまらなく好きでした。そして私はやり直すことを決意しました。
そのときには分からなかったが、アップルを首になることは私に起こり得る最善のことでした。成功していることによる重圧は、再び新参者となったことによる軽快さで置き換えられ、何事にも確信の度合いが減り、私は人生で最も創造性豊かな時期へと解き放たれました。
それから5年間、私はNeXTという会社を起こし、もう1つPixarという会社も起こし、素晴らしい女性と恋に落ち結婚しました。Pixarは世界初のコンピューターアニメーションの長編映画、トイストーリーを製作するまでになり、現在最も成功しているアニメーション制作会社です。
驚くべき事態の展開により、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに戻り、NeXTで開発された技術は現在進行中のアップルのルネッサンスの中核をなしています。そして、ローレン��と私は素晴らしい家庭を築いています。
私がアップルを首にならかったら、これらのことは1つも起こらなかったと私は確信しています。ひどい味の薬だったが、この患者には必要だったのだと思う。人生は時にレンガで頭を殴ります。信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きです。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じています。
たまらなく好きなことを見つけなければならない。そしてそれは仕事についても愛する人についても真実です。仕事は人生の大きな部分を占めることになり、真に満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じることです。そして偉大な仕事をする唯一���方法は自分がしていることをたまらなく好きになることです。
まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければ分かります。そして素晴らしい関係は常にそうであるように、それは年を経るにつけてどんどん良くなっていく。だから見つかるまで探し続けなさい。妥協は禁物です。
3.死について。
17歳のとき次のような一節を読みました。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる」。それは印象に残り、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟りました。
自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具です。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからです。
いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸です。自分の心のままに行動しない理由はない。
約1年前私はガンと診断されました。朝7:30にスキャンを受け、膵臓にはっきりと腫瘍が映っていました。私は膵臓とは何かも知らなかったです。医者達はこれはほぼ間違いなく治癒しない種類のガンだと告げ、3ヶ月から6ヶ月より長くは生きられないと覚悟するように言いました。
医者は家に帰って身辺整理をするように勧めた。これは医者の言葉で死の準備をせよということです。子供にこれから10年間に教えようと思っていたことすべてをたったの数ヶ月で教えろということです。可能な限り家族が困らないように万事準備が整っていることを確かめておけということです。別れの言葉を言っておくようにということです。
私は一日中その診断と共に過ごした。夜になって生体検査を受けました。つまり、内視鏡を喉、胃、腸を通して膵臓に針を刺し腫瘍から何個か細胞を採取したのです。私は鎮静剤で眠っていたが妻もそこに居たのでその時の様子を教えてくれました。
医者達は細胞を顕微鏡で見ると叫び出したそうでした。なぜなら非常に稀な形体の膵臓ガンで手術で治癒可能なものと判明したからです。私は手術を受け今は全快しています。
これはこれまでで最も死に接近した体験です。そして何十年かに渡ってこれが最接近であり続けて欲しいと願っています。この体験を経て、死が有用ではあるが純粋に概念上のものであった時よりはより自信を持って次のように言えます。
死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命です。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのです。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからです。死は生命に変化をもたらす主体です。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実です。
皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。
教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることです。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っています。その他すべてのことは二の次です。
私が若い頃、全地球カタログという驚くべき出版物がありました。私の世代の必読書の一つでした。
スチュアート・ブランドという人物が、ここからそう遠くないメンロ・パークで制作し、詩を思わせる作風を施して世に送り出した1960年代後半でパソコンもそれによる印刷もなく、タイプライターとはさみとポラロイドカメラだけで作られていました。
グーグル誕生の35年前のペーパーバック版グーグルのようなものです。理想に満ちていて、巧妙な道具や偉大な概念が溢れています。
スチュアート達は全地球カタログの版を幾つか重ね、自然な成り行きとして最終版を迎えました。
それは70年代半ばで私は皆の年齢でした。最終版の裏表紙は朝の田舎道の写真で、冒険好きがヒッチハイクをしていそうな場面です。その下にこんな言葉があります。
「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」。
これはスチュアート達が活動を終えるに当たっての別れの言葉です。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。 そして私は常にそうありたいと願ってきました。
そして今、皆が卒業して新たに歩みを ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
ご静聴どうもありがとう。
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2024年10月23日 23時00分 Googleは絶版本を含む約2500万冊もの書籍をスキャンしたデータベースを持っているが誰にも読まれず眠っている かつてGoogleは、これまでに出版されたほぼすべての書籍をスキャンし、著作権が切れた書籍にワンクリックでアクセス可能にするプロジェクトを進めていました。ところが、このプロジェクトは司法の壁によって阻まれてしまい、約2500万冊もの書籍をスキャンしたデータベースは誰にも読まれることなく眠っているとのことで、月刊誌のThe Atlanticがその経緯について説明しています。 Torching the Modern-Day Library of Alexandria - The Atlantic https://www.theatlantic.com/technology/archive/2017/04/the-tragedy-of-google-books/523320/ Googleの共同創業者であるラリー・ペイジ氏は、Googleを設立した当初から書籍をデジタル化してアクセス可能にするプロジェクトに興味を持っていました。そもそも、Google検索の元となった学生プロジェクトも、「単一の統合されたユニバーサルデジタル図書館」を実現するテクノロジーの一環として考案されたものだとのこと。 Googleが軌道に乗った2002年に、ペイジ氏は当時書籍のデジタルスキャンで世界の先端を走っていたミシガン大学にアプローチしました。そして、図書館の本をGoogleが借りてスキャンを行い、そのデジタルデータを大学や図書館に提供するという契約を持ちかけました。2004年までにGoogleはスキャンをスタートし、ミシガン大学だけでなくハーバード大学・スタンフォード大学・オックスフォード大学・ニューヨーク公立図書館・その他数十もの図書館システムとも契約を結びました。 図書館から持ち出された本はトラックに満載されてGoogleのスキャンセンターまで運ばれ、図書館や本屋で見るようなカートに積まれて人間のオペレーターに渡されました。Googleが構築した書籍スキャン装置には、本のページを撮影する4台のカメラや紙の曲率を測定するレーダーが搭載されており、オペレーターが1枚1枚手でページをめくって、フットペダルを押すことでページのスキャンができる仕組みになっていました。このスキャン装置は1時間に1000ページもの速度で書籍をスキャンできたとのことです。 Googleは湾曲したページを補正するアルゴリズムを開発するなど、スキャンに時間がかかる問題点の多くをソフトウェアで解決しました。ピーク時には約50人ものソフトウェアエンジニアが雇われ、生の画像データをテキストに変換する光学文字認識ソフトウェアや、画像を処理するルーチン、ページ番号や脚注を変換するシステム、関連性によって本をランク付けするアルゴリズムなどを開発していたそうです。 Googleは数年に及ぶ時間と推定4億ドル(約600億円)ものコストをかけて、約2500万冊もの書籍をスキャンすることに成功しました。Googleはもともと書籍の全文を公開するつもりはなく、あくまで本の全文検索サービス(Google ブックス)を作成することが目的であったため、サービスの作成はフェアユースによって保護されると考えていました。 しかし、自分たちの知らない間に膨大な書籍が図書館から貸し出され、Googleによってスキャンされていたと知った著者や出版社は、この取り組みに待ったをかけました。2005年に業界団体の全米作家協会が集団訴訟を起こすと出版社の団体もこれに合流して、デジタルの著作権を巡るGoogle対出版業界の法廷闘争が始まりました。 テクノロジー業界がコンテンツ配信を巡って既存の業界と対立するケースは、決して珍しいことではありません。そして、レコードやラジオでの音楽放送を巡る訴訟が「音楽を��売または放送するたびに権利所有者へライセンス料を支払う」という仕組み作りにつながり、結果としてミュージシャンの新たな収入源につながるなど、こうした訴訟が双方にとってメリットをもたらす形で終わることもあります。 実際、Googleを訴えた著者や出版社は、数年ほどで双方に利益がある妥協点を見つけました。それは、「すでに店頭には存在しない絶版本のデジタルデータを販売する」という新たな市場の開拓でした。長らく、出版社や著者にとって絶版本は新たな利益をもたらさない死んだ財産でしたが、Googleの大規模なデジタル化を通じたデータ販売が可能になれば、出版社や著者にとって新たな収益源となります。また、Googleのプラットフォームでデジタル書籍の販売を行うことで、Googleにも利益があります。 当時、全米出版協会の理事長だったリチャード・サーノフ氏は、「私たちはこの国の読者と研究者のために、何か特別なことをするチャンスがあることに気付きました。私たちはこの業界の絶版リストに光を当て、発見と消費という2つのことを実現できると気付いたのです」と述べました。 「Googleのデジタルスキャンデータを利用して絶版本のデジタル販売を実現する」という目標ができると、出版業界がGoogle ブックスとの訴訟に勝利することの意味が薄れました。むしろ、Google ブックスのように書籍の一部を表示するシステムは、書店では見つからない絶版本を読者が発見するのに役立つため、デジタル販売の売上促進につながる可能性もあります。 また、絶版本のデジタル販売を巡る問題の1つに、古い書籍では「どの書籍がデジタル販売可能なのか、現在の著作権保有者が誰なのか」といった点を確認するコストが高いということが挙げられます。しかし、全���作家協会とGoogle ブックスの訴訟は集団訴訟であるため、その判決は理論的にいえばアメリカの図書館にある書籍のほぼすべての著者と出版社を法的に拘束できます。つまり、集団訴訟を通じて出版業界とGoogle側がうまい妥協点を見つけることで、さまざまな問題を回避して絶版本のデジタル販売を実現する可能性が見いだされたというわけです。 ここで出版業界とGoogleの利害が一致し、2008年には「Googleが出版業界に総額1億2500万ドル(当時のレートで約135億円)の賠償金や訴訟費用を支払う代わりに、Google ブックスにライセンス許諾が与えられ、Googleは将来的なデジタルデータ販売収益の63%を出版社や著者に分配する」という和解案が提出されました。また、絶版になった本は「機関購読データベース」としてパッケージ化され、大学に販売されることも定められていました。 カリフォルニア大学バークレー校の法学教授であるパメラ・サミュエルソン氏が、「おそらくこれまでに試みられた中で最も冒険的な集団訴訟の和解」と呼んだこの和解案が成立すれば、Googleと出版業界の双方に新たな収益源が生まれる可能性がありました。 ところが、これに大学図書館やGoogleの競合他社が反発。大学図書館の関係者や研究者の主張は、「デジタル本の利用ライセンスがGoogleに独占されることで、学術雑誌の市場で起きたような価格のつり上げが起きるのではないか」というもの��した。一方、Googleの競合他社であるMicrosoftやAmazonは、検索エンジンやデジタル本の販売において、Googleが独占的な力を得ることを懸念していました。 これらの異議申し立てを受けて和解案の調査を行った司法省は、「Googleの競合他社が同じような権利を得るには、『書籍を大量にスキャンして集団訴訟を起こされ、和解を試みる』というあり得そうもないプロセスを経なければならない」として、和解案に否定的な見解を示しました。結果として2011年に和解案は却下され、集団訴訟は「Google ブックスの行為はフェアユースである」として、2016年にGoogleの勝訴で終わりました。そして、大量の絶版本がデジタル販売される未来は実現しませんでした。 和解案が却下された理由について、Googleのエンジニアリングリーダーとして和解案の策定に携わったダン・クランシー氏は、図書館関係者や学術書籍の著者が和解案に反対したことが大きかっただろうと指摘。「図書館や(当時ハーバード大学の図書館長だった)ボブ・ダーントン氏、サミュエルソン氏らがこれほど積極的に活動しなければ、司法省が関与することはなかったでしょう」と、クランシー氏はThe Atlanticにコメントしています。 皮肉なことに、和解案に反対していた人々の多くは「集団訴訟と和解」というプロセスがなくても、絶版本のデジタル販売が可能になるだろうと考えていました。和解案に反対していたサミュエルソン氏でさえも、「このビジョンが実現可能であることが明白になった今、このビジョンを実現しようとしないのは悲劇でしょう」と記しています。 しかし、和解案の却下から10年以上が経過した記事作成時点でも、議会に働きかけて絶版本のデジタル販売を可能にする動きは進んでいません。The Atlanticは、「確かに、誰かが政治資金を投じて書籍のライセンス制度を変えようとする可能性は低いと思われます」「Googleに対する集団訴訟が、この種の改革を行うおそらく唯一の場になったのは偶然ではありません。Googleはそれを実現するイニシアチブと資金を持つ唯一の企業だったのです」と述べました。 Googleは集団訴訟に勝訴したものの、古い書籍のスキャンをほとんど停止しており、2500万冊もの書籍がスキャンされたデータベースはGoogleのどこかに眠っています。データベースは50ペタバイト~60ペタバイトもの容量になるそうですが、それを見ることができるのは、データベースをロックする責任者である数人のエンジニアだけだとのことです。
Googleは絶版本を含む約2500万冊もの書籍をスキャンしたデータベースを持っているが誰にも読まれず眠っている - GIGAZINE
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浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴き、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそし��でいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
あ、そういやさ、健一、俺が、小学校のころ、飼ってた、雑種犬の、つまりさ、カール🐕、なんだけどさ、そう、この🐕、婆ちゃんち【家🏠】の、近所の、同級生の、男の子、【 金川 健一 】くんから、貰い犬🐶なんだよ。カールは🐕。
で、婆ちゃんちの、住む、地域はさ、相浦市、川下町って言う、みんな、そのこと、失礼やから、触れられては、いなかったんだけどさ、そう、実はさ、川下町は、部落地域、なんだよ。
つまりさ、外国かぶれの、カッコ良い、言い方で、言えばさ、ゲットー地区、な、わけよ = アメリカ🇺🇸シカゴあたりに、黑人が、ウロウロしてる、地域、つまりは、ブルーカラーの、低所得者の、労働者が、村みたいに、近所の、付き合いを、とても、重んじてる、つまりは、集落、部落な、わけよ😂 川下町はな。
あ、もっと、要約して、わかりやすく、言えばさ、スラム街なんだよ。川下町は。ボ���シングの、【マークタイソン】や、日本作家🇯🇵の、【中上健次】が、実際に、産まれた、部落地帯では、ないんだけどさ、ギリ、川下町は、俺のなかでは、完全に、【げんかいしゅうりゃく】な、わけよ。
でさ、その、川下町、実はさ、占い師やら、霊的能力、与えられた、人間たちが、たくさん、集められた、つまり、天の、主に、選ばれし者たち、つまりは、ウォーリアの、集まり、な、わけよ。川下町は。でさ、健一、いずれ、福岡、住むことに、なると、思うよ。それも、早良区の、建築関係かなんかの、したっぱの、職につき、したっぱ職人やりながら、俺と、ヒッピー生活、はじめるから。いや、これ実はさ、俺の、少しまえまで、よく、食べに、行った、小麦屋、ラーメンやら、広島お好み焼きを、店で、出してる、個人経営してる、LGBTの、元ヤン、走り屋、戦闘能力、激高い、大将さんが、経営してる、店、なんだよ。
でさ、ここから、本題に、入るとさ、その、大将さんの、幼なじみの、友人から、直接、聞いた、話し、なんだよ。早良区の、工場かなんかで、
浅井健一は、働かれてます、ました?
どっちか、完全に、記憶から、消えてるけど、
そう、その人はさ、その、小麦屋の、元ヤン大将、暴走族、走り屋の、幼なじみの、友達であり、部下でもあるんだよ。2人の、関係性を、横耳で、ずっと、聞いてると、わかったんだよ。でさ、その、大将の、幼なじみ友達兼、部下でもある、その、それなりに、金を、持ってる、大将の、客友達からさ、たまたま、俺、聞いたんだよ。でさ、その人、個人経営で、ガーデニング、植木職人の、会社を、営まれてる、わけだよ。見た、感じ、その人の会社、それなりに、儲かってる、みたいだよ。つまり、次郎丸の、小麦屋の、大将の、幼なじみの、常連友人から、聞いた、はなし、何だよ。で、一回目に、その話しを、聞いたときはさ、純粋に、そのこと、信じたわけだよ。俺👀👌
でもさ、そのことに、対して、とても、興味が、湧いてたからさ、俺は、もっと、細かく、聞かなかったことを、後悔してた、矢先にさ、そう、また、別の日に、その、小麦屋に、俺が、酒飲みに、入ったらさ、偶然にも、また、その、大将の、友達が、カウンターで、焼酎水割りで、飲んでたんだよ。
それでさ、これは、チャンスと、思ったんだよ。
その、健一が、早良区に、いずれ来ることを、期待して、そう、俺から、また、その話しに、持っていった、わけだよ。そしたらさ、その人の、リアクションはさ、「あれ?私、前回、そんなことまで、口に、してたんですね、」と、少し、照れた様子で、また、話してくれたんだよ。で、彼、音楽通でさ、そう、珍しく、ブランキージェットシティのことを、知ってた、わけよ。そんで、そのボーカルが、浅井健一であることも、彼、知ってた、わけだよ。だからさ、つまり、これは、人違い、その人の、勘違い、では、ない、話し、な、わけよ
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『MJ』感想
マイケル・ジャクソンの伝記型「ジュークボックス・ミュージカル」『MJ』を見てきた。脚本はリン・ノッテージで、演出・振付はクリストファー・ウィールドンである。1992年の “Dangerous World Tour”のリハーサルという設定で、MJが自身の半生をMTVの記者に語りつつ、ライブを練り上げていく過程が並行して描かれる。
人格を否定してくる父親からの厳しい指導に、ジャクソン5としての成功、クィンシー・ジョーンズとの共作でヒット作連発といった各エピソードが、MJの楽曲によって綴られていく。批評に書かれている通り、テクストはMJという人物のコントロヴァーシャルな部分がだいぶ薄くて、押しも押されぬ大スターでありながら、創造的野心と金��的制約との間で板挟みになり、音楽シーンの変化に悩み、完璧にパフォーマンスできるか常に不安を抱える繊細な人物としてMJを描くことに徹している。
ミュージカルの作り方として面白かったのは、しばしば楽曲が途中で切れることである。それは、リハーサルの細切れの時間を表現するものであり、過去と現在を同時進行で考えてしまうがゆえに干渉しあってしまうMJの意識の現れともなっている。また、映像や照明の技術を駆使して華やかにステージングされている楽曲の多くはMJの空想であり、たとえば「スムース・クリミナル」の場面では、スタッフが経費を計算するごとに裸のリハーサル・ルームに戻っていくという遊び心も感じられた。クリストファー・ウィールドンの振付はダイナミックで、メザニンから見ていると空間の使い方のうまさがはっきりと窺えた。
現在、MJ役はトニー賞を受賞したマイルズ・フロストからイライジャ・ジョンソンに変わっているが、ジョンソンもMJの体の動かし方をよく研究していると感じられた。他方、MJにインスピレーションを与えた存在としてニコラス・ブラザーズにフレッド・アステア、ボブ・フォッシーが登場するのだが、あんなにMJは寄せているのにアステアとフォッシーは全く寄せられていなくてミュージカル・ファンとしては不満が残る(流石にニコラス・ブラザーズの動きはよく研究されていたと感じたが)。現在ブロードウェイの舞台に立てる実力を持つダンサーが、古き良きハリウッド・ミュージカルの振付を踊ると、アスリート的な力強さが先に立ってアステア的エレガンスは欠けてしまい、むしろジーン・ケリー的になってしまうのかもしれない。またフォッシー・スタイルについても、弾ける生命のパワフルさが全面に出て、関節をずらしていく退廃的な奇妙さは薄い。つまり『MJ』では、アステアとフォッシーの唯一無二っぷりが逆に際立ってしまっていたといえる。そうなると、マイケル・ジャクソンそっくりさんショーとしての色が強くなってしまって、あまり作品の志に資するとは思えない。伝記作品の思わぬ穴を感じさせられた。
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昨日は久しぶりに姉夫婦の家に行った。多分10年ぶりぐらい。姪っ子3人いるんだけども、下の2人がそれぞれ発達障害でASDとADHDらしい。発達障害家系…なんかわたしみたいなアラフォーおばさんの子供時代は発達障害なんて別にそこまで知名度なかったからきちんと診断受けてなかったけども、実際ちゃんと診断受けたらそうなのかもしれんな…ていうかうちの両親もちょっとそういう傾向がある感じする。明らかに他の両親と違うから。なんか明らかにうちの家系からの遺伝やな…とか思ってる。2/3で発達障害てやばい確率やよな。やっぱ子供おらん方がいいんやろうな…て思ってしまう。自分は子供できにくくてよかったと心の底から安堵している。
でもまあ、発達障害の姪っ子2人ともやっぱ一見発達障害とは全然わからない感じ。自分もその傾向あるから気持ちわかるというか。ASDの方はまだ小1やけどちょっと不登校気味になってるらしいけど、確かにわたしも低学年の時学校行くのめちゃくちゃ嫌だったなーって。そういえばアスペルガーって日本語では言うけどもさ、英語やとアスバーガーになるんだよなwサウスパークでもネタにされてたけども、アスバーガーてw
姪っ子3人とも腰くらいまであるロングヘアなんだけどもさ、姉���美容院連れて行かないかららしい。めちゃくちゃネグレクトしてびびった。姉も最近まで髪を寄付するとか言ってずっと伸ばしてたらしいけども、姉だけ切ってるのw一緒に美容院連れて行ってあげればいいのに。子供達が自分の意思でロングヘアが好きで伸ばしてるんかと思ったら、一番下の子以外は本当はボブぐらいにしたいんだってさ。それで一番上の高校生の姪は学割効くから一人で勝手に美容院予約して行けとか言われてるけども、姉の家は駅から遠い辺鄙な場所にあるから、一人で行くの嫌みたいやし、みんなまとめて連れて一緒に行ってあげればいいのになあとか思う。でも、年1でボブにしたらどんだけ伸びるの早くても普通のロングヘアぐらいまでにしかならんから楽でいいと思う。年1でカットならそこまでお金もかからんし全然ありやよな。中学時代には一人で美容院行ってた記憶あるわ。中学時代はgalsのみゆちゃんが大好きで、マンガ見せて切ってもらってたww今見てもやっぱ可愛くて好きだけども、これ見せてお願いする勇気はないわw
今見てもほんまかわええ…そういえばあゆもこんな感じの金髪ショートやったもんな。私と同世代の人は金髪ショートの憧れ高い人多いよな。わたしは全頭ブリーチもうせえへんけども、次はボブで毛先グラデとかにするのも可愛いなとか思ってる。
まあでもうちの姉も明らか発達障害なんかある感じ。昔から宇宙人みたいとか言われてたからさ。あと頭もすげえ悪かったし。小4から塾行かされてて結構一生懸命勉強してたのに一番底辺くらいの高校しか行けんかったしなw
福袋という名の不用品を詰めたカバンを持って行ったら、姪っ子めちゃくちゃ喜んでたわ。不用品だけども、ちゃんと新品とか新品同様の綺麗なものだけだけどもね。
ᙏ̤̫͚
最近れてんジャダムていうYouTuber見つけたんだけども、マークパンサーみたいな外国人顔の方が創価2世の話してて、おもろかったなあ。まさかこんなバタくさい顔の人の方が創価とは…と驚いたんだけども、そういえば結構白人も創価の人多いんだよな。ベルリンで住んでた時、道端で���目が聞こえてきたことあるしwドイツでは割と仏教はクールみたいなイメージあるみたいで、ブッダの置物とかがおしゃれなインテリア雑貨として売られてたりするwカナダでもw仏像がおしゃれとかwwて思うけどもさ、でも日本人でもキリスト教の十字架モチーフのアクセとか使ってたり、教会っぽいインテリアがおしゃれで人気やもんね。れてんジャレムの二人どっちも芸能人みたいなイケメンなのに、なんかすごいなんj民というか、負のオーラがすごい感じで妙に癖になるwロバートに見せたらこいつの父親はwhite trashやなとか言っててクソ笑ったwなんか日本におる白人男性ほとんどwhite trashらしいで。立派に働いてる立派な人もたくさんおるやろうけど、母国では底辺loserって感じの人も多いのは事実やろうな。米軍も含めて。あいつら日本語できんもんなw
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TEDにて
ウェンディ・フリードマン:宇宙の誕生が見える最新型望遠鏡
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
いつ、どうやって宇宙は誕生したのでしょうか?
天文学者の国際的グループは、大型で新たな望遠鏡を使い、可能な限り遠い過去を見ることでその疑問に答えようとしています。ウェンディ・フリードマンは、南アメリカに建設中の巨大マゼラン望遠鏡プロジェクトを先導しています。
彼女は、リオデジャネイロのTEDグローバルにおいて、巨大マゼラン望遠鏡によって可能になるであろう、宇宙に関する発見の壮大な展望を語ります。
歴史に残される限り、人類の祖先は、夜空を見上げ、我々の存在の本質に思いを巡らせてきました。もちろん、現在の私たちの世代もそうです。唯一の問題点は、現代の夜空が都会のまぶしい明かりで妨害されていることです。
だから、天文学者たちは、こういった人里離れた山頂に行き、宇宙を観察・研究しているのです。望遠鏡は人類が宇宙を覗く窓です。
南半球は、将来、21世紀の天文学の中心となる。そう言っても言い過ぎではありません。既に、チリのアンデス山中に一連の望遠鏡が設置されています。さらに、驚くような新機能を持った望遠鏡が、近々、そこに加わる予定です。
そこでは、2つの国際機関がヒトの目の様に可視光を検知する巨大望遠鏡を建設中です。
そこには、サー��イ望遠鏡も置かれます。2,3晩ごとに全天を走査します。電波望遠鏡も置かれます。波長の長い電波をキャッチします。さらに、望遠鏡は宇宙にも設置されます。
ハッブル宇宙望遠鏡を引き継ぐものでジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡と言い、2018年に打ち上げられる予定です。人工衛星TESS(テス)も登場予定です。太陽系の外側にある惑星を発見することが期待されています。
この十年間。私はある国際的な共同事業体を率いてきました。建設が完了すると世界最大の光学望遠鏡になります。その望遠鏡は、巨大マゼラン望遠鏡。もしくは、GMTと言います。巨大マゼラン望遠鏡は、ハッブル宇宙望遠鏡の10倍の分解能があります。ヒトの目より2千万倍も敏感です。
そして、今まで不可能だった太陽系の外の惑星にいる微生物などの生命体を見つけることが、できるかもしれません。宇宙誕生時の最初の一筋の光を、文字通り、宇宙の夜が明けるのを見ることができます。
宇宙の夜明けです。この望遠鏡は宇宙の過去を観察できます。星が集まりつつある時点での銀河を目撃したり、宇宙で最初のブラックホールや銀河を見ることができるのです。
何千年もの間。人類は、占星術などでも宇宙を研究し続けています。
宇宙における地球とは何かについて思索しています。古代ギリシャ人は、地球が宇宙の中心だと人々に説いてきました。500年前。コペルニクスは、地球を脇においやり、太陽を宇宙の中心に置いたのです。
それから、何世紀にもわたって、私たちは学んできました。イタリアの科学者。ガリレオ・ガリレイが5cmのとても小さな望遠鏡で空を見始めた時から人類は、より大きな望遠鏡を作る度に必ず、宇宙に関する何か新しいことを発見し学んできました。
20世紀には、宇宙が膨張していることと太陽系がその膨張の中心でないことを知りました。
今では、当たり前ですが、ある種、このような構造上のシステムを知ることで、仏教でいうところの悟りの境地をこの瞬間!全人類が共有したことにもなります!!
今では、宇宙には観測可能な約1千億個の銀河があることが分かっています。さらに、個々の銀河には、1千億個の恒星が含まれています。個々の恒星の中心には、超大質量ブラックホールもあります。
さて、人類は前世紀に宇宙で神秘的なものを発見しました。ブラックホールです。ブラックホール(ダークマターやダークエネルギー)など見ることが出来ないものがあることさえ分りました。皆さんは、今、実際にダークマターの画像を見ているのです。
さて、ダークマターの存在は、それは見えないのにも関わらず、重力による明らかな引力から推測されます。今では、膨張し続ける宇宙の中の銀河の海を見ることができます。
物理学で「ダーク」という言葉を聞いたときは疑ってかかってください!!
物理学者は、それが���かよく分かってないことを意味するからです!!
私自身が行ったことは宇宙の膨張を測ることです。1990年代に私が行なったプロジェクトの1つでは、ハッブル宇宙望遠鏡を使い、宇宙の膨張速度を測りました。今では、140億年前まで追跡できます。次第に、恒星には個々の歴史があることが分かりました。
つまり、恒星は誕生し、成長していくつかは壮大な死を迎えます。この���に死に行く恒星の残り火が新たな恒星を形作っています。多くの恒星はいずれ、その周りを周回する惑星を従えます。
そして、この20年間における実に素晴らしい成果の1つは、太陽以外の恒星を周回する惑星を発見したことです。このような惑星を系外惑星と言います。
1995年まで、私たちは、太陽系以外の惑星の存在を確認できませんでした。しかし、今では、太陽以外の恒星を公転するおよそ2千個の惑星を検知し、その質量を測定できるのです。
我々は、今、遠い宇宙を観測し、宇宙の夜明けを見る用意ができています。太陽系外惑星をとても詳細に研究することも可能となるでしょう。
でも、私にとって何より興奮することはGMTの建設です。それは、人類が今まで知らなかった何か?想像もしなかった完全に新たなことを発見する絶好の機会なのです。そして、私の希望はこの望遠鏡と他の施設が多くの若者たちを星に到達したい気持ちにさせることです。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
1781年。英国の作曲家であり、科学技術者であり、天文学者であるウィリアム・ハーシェルは、空に他の星とは、動きが異なる天体があることに気づきました。
何かが異なり、何かがおかしいというハーシェルの認識は惑星の発見になったのです。その惑星は天王星です。
天王星という名前は何世代にもわたって、子どもたちを楽しませました。その夜に発見された惑星によってそれまでに知られていた太陽系の大きさが2倍になりました。
ハーシェルは、世界で初めて遠い宇宙の観測に成功した人間です。夜空が「ゴースト」で満たされていることを発見した人間でもあります。はるか遠い星々の光が届いた頃には、その星はもう死んでいるのです。
私たちが見ているのは、そう言う「ゴースト」ということです。特殊相対性理論と光速度不変の原理により、現代ではデータで精密に計算できるようになっています。
光は見えるが星々はもう死んでいる。ずっとずっと前に。夜空を見ることは、誰も見たことのない遠い過去を見ていることになります。何百万年も時をさかのぼって・・・
天体望遠鏡は、バック・トゥー・ザ・フューチャーのように、時を超えるタイムマシンということもハーシェルは、知っていました!!
宇宙を見ることは、過去を見ることです。
宇宙の大規模構造とは ・・・
銀河系よりも広大な「ラニアケア」という超銀河団の中に、太陽系があるということが、2014年の段階でわかります。私たちの銀河系が、さらに大きな銀河団である「ラニアケア」という超銀河団に属しているという学説を発表してます。
大きさの尺度としては、直径は5億光年、中に存在する銀河の数は10万個とのことです。ラニアケアの質量は太陽1京個分あります。銀河系の中心には超大質量ブラックホールがあり、ラニアケアにはより巨大なブラックホールも存在します。
このようにして、天体望遠鏡とスーパーコンピューターのエクサフロップクラスの処理速度により、判明したデータから銀河と空洞で成り立つ宇宙の地図を「宇宙の大規模構造」と呼んでいます。
<おすすめサイト>
ブランドン・クリフォード:古代の驚異的建造物に隠された建築の秘密
ジュナ・コールマイヤー:銀河とブラックホールと星々の最も詳細な地図
フェルミバブルと素粒子の偶然の一致について2022
サラ・シーガー:太陽系外の惑星を求めて
ルシアン・ウォーコウィッチ:太陽系の外にある惑星を探す
ダークマターとダークエネルギーは、アクシオンやブラックホールのことかもしれないというアイデア2022
アンドレア・ゲッズ:超大質量ブラックホールを探す!
重力波のデータ観測に成功。世界初
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
<提供>
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エオルゼア雑感・特別編 「華めく神域 タレイア」感想(ネタバレあり)
本日公開されたFF14のPatch6.5「光明の起点」、皆様楽しまれているでしょうか。私もうきうきで帰宅し、シリーズ「ミソロジー・オブ・エオルゼア」の第3段で締めくくり「華めく神域 タレイア」に突っ込んで6回ぐらい死に、いやあエモかったなんだあのラッシュ攻撃は、などとフレンドと語り合いました。
しかし好事魔多し。その後の物語を進めたところで大いなる解釈違いとぶち当たってしまいました。今回はそんなチラ裏です。
以下、「ミソロジー・オブ・エオルゼア」と「華めく神域 タレイア」その他のネタバレを含みます。 また、解釈違いの表明という都合上、少しネガティブな文章かもしれません。
消えるはずだった人が残るってのは1度きりの奇跡だから許されるだろう、と思うわけですよ私は!
このゲームって1回そういう展開を大オチとしてやっているわけですよ漆黒で。それもなかなか反則だろう、でもこのキャラを生かさないと困るよな、というわずかなわだかまりが自分の中にあったぐらいです。 今回、「華めく神域 タレイア」ではその展開をもう一度使ってしまった。消えるはずだったキャラを生かしてしまった。そしてその他は天へ還った。それでいいんだろうか、ちょっと不公平ではないか?とニメーヤと主神に抱くPCを持つPLとしては思うわけです。 閑話休題。 まあ正直誰が残って誰が消える、というのは重要な問題ではなくて、消えるはずだったものが残る、それはおいそれと使うべきものでない展開ではないかと。私は、「消えるものは消える」という展開の方が美しいと思います。また新しい物語を始めて欲しいと思います。
だからこの「人間として1人残る」という展開は正直解釈違いだったんですよね。禁じ手は1回だからこそ禁じ手、2回使うと軽くなるから。
でもオタクの好きなものてんこ盛りだったよねえ、主神がいてさ、言葉かけてくれてさ……でもこれリムレーン様を主神に選んだ人とかどうなるの?お言葉は?みたいなところも引っかかるわけですけど。なんかこう、語りたい物語とファンサービスの間で齟齬を感じざるを得ないんだよなあ、とちょっと思うわけです。これは小さいところかな。
ここの語りはものすごくよかったですよね。丁寧に1人ずつオリジナルを語っていく、オリジナルのことをを語り手が全て覚えているってのがすごくエモーショナルでした。 そう、彼は語り手だったわけです。記録するという役割を与えられた「ミソロジー・オブ・エオルゼア」における語り手でした。彼に最後まで物語を語らせるための歪みを許せるかどうか、だと思います。気にならない人も多いと思います。
「じゃあ、またどこかで。」のシーン。ここで「後々もう一度出番があって欲しいか」「このまま登場しないままでいて欲しいか」というところでまた解釈が分かれるシーンです。実際フレンドの1人と自分で感想がはっきり分かれました。多分めんどくさいのは私の方です。
あとは神殺しをここまで華々しく描いていいのか?という葛藤とか。いや神々は世界を支える機構であった、だから滅ばねばならないという解釈には頷くんですが。それにしたってもうちょっと切なくても良かったなあ……なんか世界設定の根幹に関わる部分を壊しちゃってよかったのかな。それでも胸に残るものが信仰なのかなと考えさせられる部分とか。 あとアレを見た後に���研究テーマ変えます!」と言ってのけるスノーゲイムさん強すぎない?目の前で研究テーマが斃される瞬間を見たんだよ?この世界における神��は何か?信仰とは何か?いやこれは身の回りにいる人達だけがレアケースかもしれない。でもこの神殺しを為してしまったPCは、敬虔な信者に対して何を思うのか?なんかあまりにサクッと、チェンソーでもってヤるみたいにそれを成してしまったなあと、なんかこうそういうもやもや感を抱えるのです。この矛盾、二次創作の起点でもあるような気がします。光明の起点。
めんどくさい感情だよなあ。でもニメーヤ様すごく可愛かったよな。このボブっぽい髪型欲しいんですけど、有料でもいいからどうにかなりませんか?
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猫汰つなからひーちゃん呼びされて照れギレする橘ひなののAPEXコラボが面白すぎたw【橘ひなの/猫汰つな/かわせ/ぶいすぽ 切り抜き】 0:00 ひき肉です!にハマってるつな 1:00 チョロいかわせ&スパグラでうっきうきなひなーの 2:35 レヴ=かわせ説&養ってあげ ... via YouTube https://www.youtube.com/watch?v=gn2UoQ2uUF4
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シャニムニ=パレードの『拝啓ラジオです。』9月9日分
2023/9/9 シャニムニ=パレードの「拝啓ラジオです。」
シャニムニ=パレードの「拝啓ラジオです。」 | FM AICHI | 2023/09/09/土 26:30-27:00 #radiko
それぞれの役割だったり、私服事情? 元気が出る曲など。 #サキドリエース の撮影の話も?
~オープニング MCは #小倉百花 さん? #麦茶ひの #篠崎のの #新垣みなみ の4人。
私服に関するオシャレポイントはありますか? 収録がライブある日の前だから。 衣装に履く靴でバラバラ。
みなみ:最近大人っぽいワンピースに手を出して 小倉:顔がいいよね? 麦:それはあなたもだよね?顔面国宝でしょ?
のの:服の系統、多系統で。ストリートよりもあればワンピースに付け襟つけて可愛い日もあれば~。 小倉:でもさ、ののの服っていつも300円くらいじゃない?(茶々がはいってから)ディスってる訳じゃな��て、本当に300円なんでしょ? のの:ホントに300円の時もある。 麦:コーディネート上手なんや。組み合わせて高見えするというか。 小倉:中古とかで買ってるから300円ってこと?(のの:だったりもするね) しまむらとかでしょ? それ1枚できたらそれっぽくなるから、色々合わせると。手を抜いてませんよって。 レッスンとかでもラッパーだよね?
麦:収録の時Tシャツじゃん。いつもTシャツ。オシャレに興味あるけど小物とかプラスでオシャレが出来ないから…… みなみ:たまにかわいい服着てません? 撮影会とか? 麦;アイドルって撮影会とかあるわけ。私服撮影会とか。その時の為にワンピースとか買っているだけ。 小倉;でも、麦がいつも使ってるポイントのアイテムが可愛い。(麦:ポイントの?)1個1個がカワイイ。 麦:カバンとか靴とかそこら辺は気にしてるかな? 靴をドクターマーティン履いてれば、Tシャツ一枚でも可愛いってあるじゃん。(わかる) 麦:あそっか。ののは安い物で頑張って揃える派で、私は高い物1品で良く見せる。そういうので頼ったりしてる。
小倉:最近はお姉さんになりたい。 麦:20歳超えたくらいからどんどんお姉さん化してない? 小倉:アイドル期間に色々私服が変わってるから、地雷みたいな時とかあったり黒歴史だよね。 突然さ、姫カットにしてきてさ、(伝説やん)これどう?って聞いてきてさ、(伝説やんそれ)みんなが前の方が良いと。 小倉:あれ自分で切ったのよ。 のの:前日に、美容院で可愛い横際作ってきて。もも一番いいよこれにしなよ。の次の日にパツーンと切ってきて。 小倉:ののにめっちゃ怒られたよね。
青、自乗 ~可愛いジングル
~近況トーク 3rdアニバーサリーライブ前。3周年ライブは月末に。
麦茶が週刊ヤングチャンプに人生初めて掲載されまして。初めての水着グラビア撮影したんですよ。 東京に撮影いったんだけどさ緊張しすぎてさ、最初ガチガチで、撮影してくれる方々が本当にいい方々ばっかりでテンション上げてくれてすっごい楽しく笑顔で撮影できて、プロの人達ってやっぱり凄いんだって。プロの現場に関われていい刺激になった。 麦:深夜なんで言いますね。本当にないんですよ。 小倉:私見たけどさ、他の出てる方さ、おっきかったけど麦だけ線がなかったの、真ん中の��� 麦:本当に私だけつるつるてんでね。困ったことに。グラビアやってる方はみんな立派なんですよ。私だけ本当に残念でないんですよ。いい意味で目立てるかなって。そこだけじゃないんだぞ。貧乳の時代が来るということで。新しい風を巻き起こそうと。(笑)
~聞くと元気になる曲はありますか? 麦:ワンピースが好きなのね。ワンピースの主題歌全般で元気になれます。全部明るくて活力が出る曲。曲も明るくて朝元気が出るから。ワンピースの主題歌プレイリストあるから。 新垣みなみ:乃木坂46さんの「日常」って曲なんですけど。力強く激しい曲なんですけど、カッコいい系の。力強さに元気をもらう感じ。 小倉:もっと可愛らしい曲なのかと思った? みなみ;私けっこうカッコいい曲ばかり聴きます。(麦:そうだね。シャニパレの好きな曲でもカッコいい曲多いよね?小倉:何聞くの?) みなみ:シャニパレは「青、自乗」「ブッ壊レランナー」()とか……好きです。
のの:曲を定めてるって訳じゃなく、季節に合わせて。8月9月を連想する曲を。季節を感じながら聞きたい。
小倉:基本、落ち込んでてさ。暗い曲ばっか聞いてるんだよね。元気出るといったら「新しい学校のリーダーズ」さんが凄く大好きなので、その方たちの曲を聴いてると元気が出る。 麦:SUZUKAさんの歌声が力強いから元気出るかも。
~集団行動する時のメンバーそれぞれの役割、ボケツッコミなど。裏の一面?
小倉:ももはボケじゃないと思ってるの。 のの:ももはネタ枠。 日常の会話ではツッコんでるかも。 小倉:ボケは、ののとゆい。ツッコミたい話を持ってくる。(弄られキャラ?) 麦:凛ってちょっと抜けてるところとか。その後ちょっと変な事言うよね。(天然?)いつも2人で居る時笑ってるわ。ワードセンスなのかな?
ボケ:のの、ゆい、凛 ツッコみ:麦(滑り芸) みなみ、ゆうかは不明。ゆうかもネタ枠かな。 ボケ大渋滞。 みなみ:みなみは不明でいい。
結論 ボケ:のの、ゆい、凛、ゆうか ツッコみ:麦、もも 傍観者:みなみ
~色っぽいジングル
~メンバークイズ 出題者は自分の答え。他の出演者が当てる。 出演者は小倉百花。 お題は最近の悩み。
みなみ:それは今ですか? 小倉:ナウすぎるっていえばナウすぎる。 それはシャニパレの仕事に関係してる事ですか? 小倉:関係してると言えばしてる。 それは、外見に関するお悩みですか? 小倉:外見です。 小倉:やだ、当てないで欲しい。分からないで欲しい。
解答。 麦:痩せたい。最近痩せてるやん?昔言ってたやん。 のの:当てて欲しくないから、痩せたい。 みなみ:絶対これです。髪の毛切りたい。 正解は髪の毛を短くしたい。髪の毛をボブにしたい。
(ショート以外は)ゆうかとももだけだよ。
聞いたらダメって言われた。 (じゃ、髪の毛の長いメンバーを入れるしか)
ぶっ壊れランナー
麦:初めてのまわしだったけどめっちゃ上手かったよ。昔からラジオっ子だったっていってたからそれが出てたよ。
シャニムニ=パレードからの今週のラブレター。 今週は一番告白してなさそうな、ののちゃん。 篠崎のの「のののどんなボケにも全力で突っ込んでね」
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2023/08/11
BGM: たま - マリンバ
今日は遅番だった。朝、いつものことではあるのだけれど鬱な気持ちになる。どうしてなのかわからず、したがって対処のしようもない。思い当たるところと言えば昨日高橋源一郎の小説を読み「この世界とは何だろう」「ぼくとは何だろう」と考えてしまったからというのがある。そのことを詩にしてしまう。空を見て、ぼんやり「あの空はほんとうに青いのだろうか」と考える(「青い」からもう一歩進んで、具体的な青さを描写する言葉を探し「紺碧」という言葉を学んだ。詩の中には結局使わなかったのだけれど)。イオンのフードコートで詩を書き、その後弁当を買って食べる。実にぜいたくな悩み・問題ということになると思うのだけれど、なんだかいろんなことが虚しく感じられる。それを突き詰めていくと「詩を書くこと」や「仕事をすること」、もっと言えば「生きていること」が虚しい……X(元Twitter)を開くと他人の意見をボロクソに言っている人がたくさんいる。ぼくもかつてはそうした罵倒を繰り広げたことを思い出す。ある目標に向かって何かを行う時に、ぼくは生きていることそれ自体にまつわる索漠とした不安を忘れられる……と書いていくとなんだか哲学じみてきた。結局サルトル『嘔吐』を読むのも頓挫したままであることを思い出した。
今日はフィリップ・フォレストというフランスの文芸評論家が書いたエッセイ的小説『さりながら』を少し読んだ。この作品では日本の偉大な俳人である小林一茶について触れられている。そこから一茶が生きた激動の時代について語られ、一茶の句にある鋭利な観察眼について分析されているのが目を引いた。実にメランコリックで美しい散文が澤田直の達意の翻訳によって綴られているのにやられる。この本は折に触れて愛読してきたつもりだったけれど、今日生まれて初めて読んだかのような実に新鮮な気持ちで読むことができた。そして、一茶の句を読みたいと思ったのだった。池澤夏樹が編んだ『日本文学全集』の中に芭蕉などと一緒に収められているはずなので読みたい、と……そして、今はたぶんぼくは「そういう気持ち」なのだと思った。生きる意味について、生きることの価値についてあれこれ(答えなんて、逆立ちしたって出ないというのに)考え込まざるをえない。もちろんこんなこと考えたって腹が膨れるわけではない。イヤミでもなんでもなく、「考えない練習」というか「持ちこたえること」が大事なのだと思うけれどそれがぼくの性分なのだとしか言いようがないのだった。
今日はふと、仕事をしながら「たま」の曲のことを考えてしまった。「さよなら人類」や「らんちう」で一世を風靡したあのバンドのことだ。休憩時間に詩をノートに清書して、『犬の約束』の中から「夏の前日」を聴く。それで、今月末くらいにぼくが木曜日のミーティングでプレゼンテーションをする際は「ぼくの好きな詩」について語れたらと思った。ぼくは実に文学や音楽に関しては野蛮極まりない育ち方をしてきたので、詩といえば萩原朔太郎や中原中也ではなく――ましてやランボーやボードレールでもなく――佐野元春のようなミュージシャンが書いた詩が思い浮かぶ。そこからビート・ジェネレーションの詩人を知り、あるいはルー・リードやボブ・ディランの詩を知っていったのだった。「たま」の曲から言えばぼくは4人の書く詩はどれも好きなのだけれど、強いて言えば滝本晃司が書いた詩が好きだ。メロディの上で自在に広がっていく詩。そしてイメージ。それについて語りたくなってきた。高村光太郎や宮澤賢治について、あるいはルイーズ・グリュックやヴィスワヴァ・シンボルスカといった詩人について。いや、問題は「ニーズがあるか」「退屈しないかどうか」なのだけれど。
そんなわけですっかり、「詩人気取り」も板についてしまった。今日も終わってみれば金子光晴の新刊の文庫本『詩人/人間の悲劇』を買おうかどうか考えてしまい、ボーナスを実際に手に取るまで待ったほうがいいのかなと思い……過去に(親が尻拭いをしてくれていると気づかず)ポンポンと酒を買い込んでいた日々から比べるとずいぶん堅実なお金の使い方をし始めたものだなと思う。いや、広い目(?)で見ればこうして「買わない」「使わない」のは「経済を回さない」ということでもあるけれど……買えるもの・読めるものならブレイディみかこの新刊だって買って読みたいけど、「それにつけても金の欲しさよ」という懐事情もあってなかなか手が伸びない。部屋の本の片付けもして思い切って「断捨離」で本を捨てないといけないとも思った。夜、仕事が終わり帰宅後詩をブログにアップロードする。すぐにアメリカの友だちが詩を褒めてくれたのでうれしくなる。そして「ぼく自身は謎だ」とあらためて思ったのである。だって、朝うんうん唸って「憂鬱だ」「ぼくって何だろう」と考え込んでいたのだから。自分の「今の気持ち」に引きずられず、「いとしのエリー」でも歌いながらノリで生きるのも1つの「人生の達人」の生き方なのかもしれない。
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【浅井健一の音楽性🎸と、活動状況報告】 - zshingoの日記
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴き、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちになれる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
あ、そういやさ、健一、俺が、小学校のころ、飼ってた、雑種犬の、つまりさ、カール🐕、なんだけどさ、そう、この🐕、婆ちゃんち【家🏠】の、近所の、同級生の、男の子、【 金川 健一 】くんから、貰い犬🐶なんだよ。カールは🐕。
で、婆ちゃんちの、住む、地域はさ、相浦市、川下町って言う、みんな、そのこと、失礼やから、触れられては、いなかったんだけどさ、そう、実はさ、川下町は、部落地域、なんだよ。
つまりさ、外国かぶれの、カッコ良い、言い方で、言えばさ、ゲットー地区、な、わけよ = アメリカ🇺🇸シカゴあたりに、黑人が、ウロウロしてる、地域、つまりは、ブルーカラーの、低所得者の、労働者が、村みたいに、近所の、付き合いを、とても、重んじてる、つまりは、集落、部落な、わけよ😂 川下町はな。
あ、もっと、要約して、わかりやすく、言えばさ、スラム街なんだよ。川下町は。ボクシングの、【マークタイソン】や、日本作家🇯🇵の、【中上健次】が、実際に、産まれた、部落地帯では、ないんだけどさ、ギリ、川下町は、俺のなかでは、完全に、【げんかいしゅうりゃく】な、わけよ。
でさ、その、川下町、実はさ、占い師やら、霊的能力、与えられた、人間たちが、たくさん、集められた、つまり、天の、主に、選ばれし者たち、つまりは、ウォーリアの、集まり、な、わけよ。川下町は。でさ、健一、いずれ、福岡、住むことに、なると、思うよ。それも、早良区の、建築関係かなんかの、したっぱの、職につき、したっぱ職人やりながら、俺と、ヒッピー生活、はじめるから。いや、これ実はさ、俺の、少しまえまで、よく、食べに、行った、小麦屋、ラーメンやら、広島お好み焼きを、店で、出してる、個人経営してる、LGBTの、元ヤン、走り屋、戦闘能力、激高い、大将さんが、経営してる、店、なんだよ。
でさ、ここから、本題に、入るとさ、その、大将さんの、幼なじみの、友人から、直接、聞いた、話し、なんだよ。早良区の、工場かなんかで、
浅井健一は、働かれてます、ました?
どっちか、完全に、記憶から、消えてるけど、
そう、その人はさ、その、小麦屋の、元ヤン大将、暴走族、走り屋の、幼なじみの、友達であり、部下でもあるんだよ。2人の、関係性を、横耳で、ずっと、聞いてると、わかったんだよ。でさ、その、大将の、幼なじみ友達兼、部下でもある、その、それなりに、金を、持ってる、大将の、客友達からさ、たまたま、俺、聞いたんだよ。でさ、その人、個人経営で、ガーデニング、植木職人の、会社を、営まれてる、わけだよ。見た、感じ、その人の会社、それなりに、儲かってる、みたいだよ。つまり、次郎丸の、小麦屋の、大将の、幼なじみの、常連友人から、聞いた、はなし、何だよ。で、一回目に、その話しを、聞いたときはさ、純粋に、そのこと、信じたわけだよ。俺👀👌
でもさ、そのことに、対して、とても、興味が、湧いてたからさ、俺は、もっと、細かく、聞かなかったことを、後悔し���た、矢先にさ、そう、また、別の日に、その、小麦屋に、俺が、酒飲みに、入ったらさ、偶然にも、また、その、大将の、友達が、カウンターで、焼酎水割りで、飲んでたんだよ。
それでさ、これは、チャンスと、思ったんだよ。
その、健一が、早良区に、いずれ来ることを、期待して、そう、俺から、また、その話しに、持っていった、わけだよ。そしたらさ、その人の、リアクションはさ、「あれ?私、前回、そんなことまで、口に、してたんですね、」と、少し、照れた様子で、また、話してくれたんだよ。で、彼、音楽通でさ、そう、珍しく、ブランキージェットシティのことを、知ってた、わけよ。そんで、そのボーカルが、浅井健一であることも、彼、知ってた、わけだよ。だからさ、つまり、これは、人違い、その人の、勘違い、では、ない、話し、な、わけよ
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ちいかわ最近少しずつ集めてる。ハチワレがいちばん多いけど、モモンガも気になってる。モモンガふわふわしとるからそれだけでいっそう可愛く思える。手帳も楽天で久しぶりに頼んだ。
これ。水色のほしくて楽天で見つけたから購入。マンガの吹き出しに日記が書けるらしい💭めっちゃやりたいとおもった。最近日記全然書けてへんし。毎日疲れ果ててるんだよな。無職だけど歩き疲れて。毎週50kmは歩いてるもんな。月曜にポケゴのリワード貰えすぎて毎週ビビる。
手帳のペンはこの前丸善で買ったこれ使おうかなとかおもってる。仕事の時とかでも使えそうだしね。フリクションのマーカーかわいい色で一目惚れした。パターン写すのに役立ちそう。
500円もするけどかわいくてつい買っちゃった。段ボールを机として勉強するのえらい…わたしも頑張ろうと思った。
あとポケセン昨日いったんだけども秋冬にぴったりなミミロルのピアス見つけたから買った。
わかりにくいけどふわふわな起毛加工されてるやつ。他にもチリちゃんのアクスタとナンジャモのアクスタ買いました。寝かせたら価値上がるかなとかおもって。
ロバートがランダムのtシャツ買ったんだけども、まさかの���リちゃん!だった。メルカリで7000円〜取引されてる。でもクソ高いユニフォーム集めてるロバートにとっては7000円のtシャツなんて特別高いもんでもないんだよなあー
ていうか髪色落ちほとんどしてないのすごない?はじめはそーっと洗ってたけど、今普通に毎日洗ってるし、もうタオルに色落ちもほとんどしなくなったほど。短いからトリートメントいらんかもとか思ってる。カットは実家近くのショッピングモールで3ヶ月おきぐらいに行こうかな。調べたら2700円ぐらいでやってるらしい。美粧館でもいいかも。とにかくシンプルな切りっぱなしボブ気に入った。楽だし可愛い。でももう秋だからネイビーブルーとかブルーブラック入れて落ち着かせたい気持ちもある。求職するのも暗髪がいいだろうし。いくら表面黒髪でも内側ターコイズは目立ちすぎるwビューティーンのネイビーブルー安いし色味可愛いから使ってみたいんだよなあ。ようつべで美容師がカラーバターと違って残留しないとか言ってたし。とにかく色落ちさせたいのに全然落ちないんだがw美容院で染めてあんま傷んでないのもあるんかな。
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