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今日の東京は、ここ数日の暖かい気候から一転して寒い1日になりそうです。メダカの食欲が少しずつ落ちてきて、あまり日光浴をしなくなってきたのは、冬籠りの準備をしているからなのかもしれません。どうぞ十分に暖かくしてお過ごし��ださい。
10月7日から1ヶ月半以上続いているイスラエルとハマスの戦闘の休戦が昨日から4日間の予定で始まっていますが、素朴な疑問が湧き上がってきます。何故休戦ができるのに、中止にできないのでしょうか。何故4日間なのかもわかりません。どんな大義名分で戦争が正当化されるのか、罪のない子どもたちが巻き込まれ、殺されるのが許されるのかも理解できません。この4日間で戦争を始めた人たちが頭を冷やし、正気に戻るのを願っています。自分達のエゴに気づくことを祈っています。聖地をめぐる紛争が起きたとされる遠い昔に生きていた人はもう誰も存在しないのに、何故今もまだ個人的な憎しみを持ち続けることが可能なのかもわかりません。私にはアメリカ人の家族がいますが、かつて戦争で戦い、原子爆弾を落とされた国に住む敵国の人間として、敵対視したり憎んだりすることはありません。元々オリンピックの「頑張れニッポン!」にも共感できず、国というよりも選手個人を応援することが多いです。国と個人を同一視しないからなのかもしれませんが、スピリチュアリズムに惹かれたのは、そうした傾向があるからかもしれません。
先日、Apple TVで『エンフィールドのポルターガイスト』という映画を観ました。1977年、ロンドン近郊の街エンフィールドで実際に起こった怪現象を追ったドキュメンタリーです。調査員による数ヶ月の間の調査中に起こった怪現象は1,500件を超え、この映画の中でも再現されています。エンフィールド事件の主人公は11歳の少女のジャネットで、19世紀のアメリカで起きたハイズビル事件の当事者であるキャサリンとマーガレッタのフォックス姉妹と同世代ですから、まさに20世紀版ハイズビル事件といえるでしょう。思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーは時に計り知れない大きさで発揮され、ポルターガイストと呼ばれるような重たい家具を動かしたり、不可思議な現象を起こすことが稀にありますが、通常は単なる一過性の物理現象とされることが多いです。
ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。エンフィールドに住むホ��ソン家の次女ジャネットは、ある時から家の中で起こる怪現象に悩まされ始めます。始めはノック音だけだったのが、家具が勝手に動いたりするようになると、近所で噂が広まり始めます。そこで調査に乗り出したのが、英国心霊調査協会(SPR)のメンバーであったモーリス・グロスとガイ・ライアン・プレイフェアでした。当時の膨大な数の録音テープが調査記録として残っていて、映画ではそれぞれの役を演じる俳優達が自分の声を出さず、録音された当事者達の声に合わせて口だけを動かしている逆アテレコの演出が現実感を膨らませています。他にも写真や動画などの記録が数多く残されていて、調査員が連日泊まり込みながら片時も離れずに家族の様子を観察していたことが窺えます。ドキュメンタリーは4つのエピソードに分かれていて、3つ目まではよくある怪奇物といった感じで、ホラー映画が好きな人にとっては特に目新しい展開ではないかもしれません。けれど、エピソード4で初めて、調査員のモーリス・グロスが執拗に記録を取りながら調査に尽力していた理由が解き明かされます。
彼は元々、機械や電気装置に関する特許を持っていた優秀なエンジニアでしたが、エンフィールド事件の調査に入る約1年前に、22歳の愛娘を突然の交通事故で亡くしていました。彼が心霊研究に興味を持つきっかけとなったのが、娘の死後に起こった数多くの不思議な出来事でした。娘が亡くなった同じ時間に時計が止まっていたり、娘の母親が別の場所で体調を崩していたのです。最も不思議だったのが、娘が事故の直前に自分の弟に送っていたバースデーカードでした。彼女が亡くなったのが丁度弟の誕生日で、そのカードの表には頭に包帯を巻いた女の子の絵が印刷されていたのです。彼女は事故で頭を強く打ち、病院に運ばれた後、頭に包帯を巻いた姿で息を引き取っていました。また彼女は、カードを開いた面に「私も、もうすぐこうなる(頭に包帯を巻く)」というメッセージを書き残していたのです。モーリス・グロス自身は、このポルターガイスト現象に娘の霊が深く関わっていると感じていたそうです。そして、亡くなった彼の娘の名前もまた、エンフィールドの怪現象を引き起こした少女と同じ、ジャネットだったのです。
このドキュメンタリーの最後にホジソン家のジャネット本人が登場し、当時の現象に嘘や偽りがなかったことを証言しています。ハイズビル事件もエンフィールド事件も、思春期の子どもが持つ潜在的なエネルギーが起こした単なる物理現象ではなく、その現象に知的な存在が関わり、その現象を通して気づきのメッセージが届けられたことに深い意味があります。
心霊現象や霊界��信を通して、個人的で親密な愛に溢れる癒しや励ましのメッセージを受け取り、それが人生観を変えるほどの価値を持つものだと知る人がいます。宗教も元々は人生観や幸福観、価値観の源泉として生まれたものですが、個人的な行為である筈の信仰が宗教となり、国そのものになった途端、性質が変わってしまうのか、戦争にまで発展してしまいます。ですから、心霊現象も説明がつかない、個人的な気づきであり続けた方がいいのかもしれません。
私が自分のサイトやブログに『Awareness and Art』というタイトルをつけているのは、スピリチュアリズムがアートだと思うからです。アートは争わず、ジャッジしません。説明や分析も必要とせず、科学で証明されなくても価値が変わらないものです。そして、その価値は見る人が自由に判断していいのです。
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秋学期のクラスで行った誘導瞑想をショップにアップしました。丁度今、出雲では神在祭が開催されています。来年のご縁について会議中の神々に出会い、ご縁の不思議に触れてみませんか。
誘導瞑想「オアシス」 34:30
この瞑想では、“青の都”とよばれるシルクロードのオアシス都市サマルカンドを訪ねます。砂漠の中に佇む美しく鮮やかな青い色をした迷路のような都市を彷徨い歩きながら、イスラム教とゾロアスター教の持つ異なる神秘性の対比と教えに触れます。オアシス都市が教えてくれる、あなた自身が持つ霊的な美しさに出会ってください。
誘導瞑想「神在祭」 34:14
毎年出雲大社で旧暦10月に開催される神在祭に参加し、神々をお迎えする神事に参加する瞑想です。人間の生活に関わるあらゆる事項を司る八百万の神々が一堂に集い、清められた神聖な空間で来年の縁結びについての会議が執り行われる中、自らが祓い清められるのを感じながら、私たちに与えられた「ご縁」の役割と意味を尋ねてみましょう。
誘導瞑想「死者の日」 32:36
アステカの神様に迎えられ、毎年メキシコで行われる祝祭「死者の日」が誕生した場所を訪ねる瞑想です。現在も昔から伝わる伝統的なお祭りに参加し、故人の魂をこの世に迎えるための祭壇を訪れます。アステカ族の死生観に触れながら、カラフルに彩られた街の中で、楽しく陽気でユーモラスなお祭りを一緒に楽しんでください。
誘導瞑想「コスモス」 32:00
ギリシャ語で “宇宙の秩序“ “調和“ “整列“ を意味するコスモスの世界を体験する瞑想です。中央チベット西部の街、ギャンツェにある密教寺院ペンコル・チューデを訪ね、コスモスを表す密教美術に出逢いながら、仏陀の清らかな活動と人間の意識、感覚といった日常的な活動の調和の中に住む完璧な美に触れてみましょう。
誘導瞑想「女神の島」 30:55
この瞑想では古代ローマ時代に遡り、かつて地中海貿易の中継点として栄えたキプロス島を訪ねます。オリンポス山の麓にあるのどかな村を散策し、古くから伝承されてきた住民たちの繊細な手工芸に出会い、美しいモザイクに導かれてゆきます。愛と美の女神アフロディーテの誕生の地である、この島の愛に溢れたエネルギーに触れてください。
誘導瞑想「サグラダ・ファミリア」 30:58
スペインの都市バルセロナの象徴である、サグラダ・ファミリアと呼ばれる聖家族教会に導かれながら、神聖な空間の有機的な美しさに触れてください。自由自在に進化し成長し続ける建築物の根源となるエネルギーから学べることは一体なんでしょうか。また、この壮大なプロジェクトを見守る建築家の魂からのメッセージも受け取ってください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・12月14日(木)指導霊のサイキックアート
お申し込みはアイイスまでどうぞ!
霊界からのギフト ~直感と繋がる~
・12月10日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
・12月11日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ!
2024年春学期クラスへのお申し込みを受け付けています
2024年春学期クラスへのお申し込みを受付中です。新たに単独でのアウェアネスベーシック前期クラス(全5回)を含むラインナップが揃っています。
新規の方はこちらからお申し込みください。
継続受講の方は直接ショップからお申込みください。
私のサイトでお申込みいただけるクラス以外にも、私の担当日があるクラスがあります。詳しくはサイトにてご確認ください。
新たな年を迎え、共に霊性開花の光を灯し続けましょう。皆さまのご参加をお待ちしています!
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2022.05.04
久しぶりに、
ゆっくりブログを書く時間ができました。
気づけば5月になっており。
この団地に引っ越して来て、
間もなく3ヶ月になります。
あの大雪の引っ越しも、
数々の珍事件たちも、
今となればクスクス笑えるお話です。
日本は今、
ゴールデンなウィークですね。
皆さんは、
どのように過ごしているのでしょう。
飲食店を営んでいた去年まで、
GWなどの連休や祝日、
そして土日���含めて、
皆さんがお休みしている時ほど、
お店を開け続けないといけなくて、
仕込みや営業でバタバタでしたねー。
特にコロナ禍になる前は、
土日祝日連休というのは、
ありがたいことに本当に忙しかったので、
毎日ヘトヘトで、
連休なんて大きらーい!って叫んでいました(笑)。
良くやっていたなあ、
と思うくらい忙しかったです(遠い目・・・)。
そんな日々を思い出しつつ、
昨日今日は、
久しぶりに団地でユックリしています。
あ。
この連休で徹底的にお掃除をしようね。
と、勝手に私が決めていたので、
正確に言うとユックリしていないですね。
4月が忙しくて手を付けられなかった部分も含めて、
隅から隅までキレイにしたくなっちゃって、
お掃除に燃えた2日間でした。
そして、やっと暖かい日が増えてきたので、
和室の襖を取っ払って、
洋間と繋げてみました!
広く感じますねー。
解放感バリバリベイビーです。
お天気がとても良いので、
昨日はお掃除の後、
淹れたてのコーヒーをポットに入れて、
近所をお散歩してみました。
これ。
引っ越して来て初めてのお散歩です。
何しろ、最初は雪ばかり。
その後も寒かったり忙しかったり、
この3ヶ月、
いろいろと余裕がなかったんですね。
しかも、田舎はどうしても、
車移動が多くなってしまうんですね。
結果、
お散歩をする時間が、
東京にいる頃より減ってしまって、
ラジオ体操だけでは運動不足。
お外の美味しい空気不足。
お外でのコーヒータウコ不足。
こんなお天気の良い日には、
のんびりと歩きたくなっちゃうんです。
するとですね。
歩かなくっちゃ分からなかったことが、
実にたくさん��って発見の多いこと!
驚いちゃいましたよー。
まず、近所は人が歩いていない。
村人をなかなか発見できない。
ゴールデンウィークだけれどシーンと静か。
団地からすぐのところに、
「浅川」という川が流れている。
浅川の向こうには市街地が見える。
市街地の向こうには山々が見える。
いつも利用しているスーパーへの超近道を発見。
1回のお散歩で3匹の猫に出会えた。
辿り着いた公園には、
青空さんと新緑さんしかいなかった。
やっぱりお外で飲むコーヒーは美味しい。
マコさんは、
私が焼いたビスケットも一緒に食べて充実タウコ。
やっぱりお外のコーヒータウコは必要。
昨日買った富山産のホタルイカを、
食べ忘れていたことに気づいて落ち込む。
産直で美味しいパクチーを見つけたので、
夕食は、生春巻きを作ることに決まった。
産直の新鮮モリモリのアサツキ100円と、
新鮮モリモリのパクチー100円と、
庶民の味方なモヤシと、
グラム35円の鶏むね肉で作る生春巻きは、
原価が安すぎるんじゃないかと驚く。
気軽に出かけたお散歩なのに、
こんなにも多くの発見がありました。
随分と贅沢な気分で帰宅です。
心が元気になりましたね。
あ。
話は変わるのですが。
今ですね、
長野市を中心に様々な直売所を訪ねていまして、
いろいろな相談をしたり、
いろいろな勉強をしているんです。
ちょっと前のブログで、
アンズの花を見に行ったお話を書いたのですが、
あれもそのひとつ。
長野はアンズの生産全国1位なんですね。
そこに注目をして、
istutのアンズジャムを販売したいと考えています。
そのまま食べても美味しい長野のアンズ。
そのアンズを使ったジャムは、
飛びっ切り美味しいに決まっている。
収穫は6月頃と年に1回しかない。
チャンスを逃がさないよう、
美味しいアンズジャムを作りたい。
ちなみに、
ブルーベリーやクルミの生産量も全国1位です。
イチゴ、プルーン、ウメ、ルバーブ、
モモ、ネクタリン、ブドウ、
そしてリンゴ。
果物たち、豊富すぎるやろーって、
地元ふるさとながら、
大人になった今、
初めて知ることがいっぱいなんです。
お恥ずかしい。。
例えば、長野市でイチゴが作られているなんて、
全然知らなかったんですね。
2年前の千曲川氾濫の豪雨被害で、
そのイチゴ農家さんたちが、
とても大変な被害に遭われたこと。
そこから復活したイチゴ農家さんが、
今も美味しいイチゴを作っていること。
全然知らなかったんです。
本当に恥ずかしいです。。
そういう反省も含めて、
知らなかったことを知るのって、
少し成長できるようなキモチになります。
根回しや市場調査をしながら、
私たちが生まれ育ったこの土地で、
何が作られていて、
何が食べられているのか、
自分たちも勉強をしながら、
それを全国の方々に届けられたらいいな。
ジャム以外にも、
お菓子にしたり、シロップにしたり、
長野のことを知ってもらえる機会になるといいな。
そんな想いから、
istutの第2章は、
��面下でいろいろと動いていますよー。
まずは、
シナモンロールや焼菓子を、
コーヒーのドリップバッグをセットにして、
ネット販売をしたいと考えていて、
どういう形態にするのか、
マコさんと毎日ディスカッションです。
と、言っても。
今、マコさんは、
炬燵に入って猫の本を読んでいますけどね。
そうなんですー。
朝晩はまだまだ冷えるので、
5月なのに炬燵が片付けられないんです。
炬燵がしまえる日は、一体いつなのか。
炬燵をしまえる場所は、一体どこなのか。
分からないです~。
つづく。
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3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人というか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた(寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生��ちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒業生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
そして先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下す高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に矛盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてこと��いぜ。
そんなこんなで、私��紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活を送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言いながら彼女たちは駆け足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。ああそうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お別れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだ���うと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら発進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではないか。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよならするぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の��活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが人生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛いと思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至ったと。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???ってなった。
私としては、突然相手��目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
なんか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっているし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出てくるわ出てくるわ…
ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)
なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えたはずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに��ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。もっとディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気がした。
そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。
この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれで免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
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平成の音楽を振り返る回、を振り返る
Twitterで散々告知していた、「軽音サークルOB(と現役)が集まって、『平成(OO年)といえばコレ』な曲を各々30曲ほど持ち寄り、平成を彩った名曲を振り返ることで平成という時代を総括する会」の第一回を、先日8/11の夜に執り行いました。その時に流した曲のリストが出来上がったので、会の模様を録音していた駄弁りデータを参照しつつ、ぼく視点で改めてコメントをつけてこの会の様子を残したいと思います。 一応ブログ末に録音したmp3を詰めた泥箱のリンクを貼るつもりではいますが、 会議が6時間を超える長丁場になってしまったのでさすがにそれを全部聞く暇人はこの世に存在しないだろうということで、文章にまとめた方がまだ追体験しやすいだろう、というのがこのブログ執筆の目的です。 録音データの書き起こし、というわけではないですが、脱線や菓子の受け渡しみたいな雑音が入ってるよりはむしろこの方がいいかと。勿論このブログ形式にしてしまうことで、筆者のバイアスがかなりかかってしまうことは重々承知してはいますが。
というわけで今回集まったメンバーから紹介。 ・ぷれしお 今回の首謀者。ブリットポップやシューゲイザーが専門ながら、J-popをほとんど網羅している平成の申し子。今回は「平成各年のオリコンシングルチャートTOP100を参照しつつ」「取り上げるのは1アーティスト1曲で被らないように」30曲を持ち込み、個人の思い出ではなく売上データからの分析的な検証を試みます。 ・まえぴ ぷれしおの同期。高校時代はジャズピアノを、大学軽音サークルではベースに持ち替えて精力的に活動したマルチプレイヤー。今回は「これぞ平成」な懐メロを多数用意してくれました。 ・伊38 筆者。賑やかし役。このブログに辿り着く人ならぼくの趣味はわかってると思うので割愛しますが、基本的に「他の人が持ってこなさそうな曲」をセレクト。このブログ内での「平成の語り」はぼく視点によるものなので文責はぼくにありコメントはぼく宛でお願いします。 ・各方面 軽音サークルの大先輩。筆者より10歳くらい上なのかな……? 今回は各年にハマった音楽を「表プレイリスト」「裏プレイリスト」にまとめ、交互に触れていくことで時代を多角的に検証します。年���者として、10代の多感な時期を平成と共に過ごした年代としての語り口に期待。 ・かっしー 軽音サークルの後輩。筆者より4歳くらい下。激動の平成音楽シーンにおいて数歳の差でいかに音楽体験が異なるのか。年少者からの視点が必要だとして今回参加。
この5人でお送りします。そして出来上がったプレイリストがこちら。 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826230232047616 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826235890102272
わかりづらいですが、一人が一気にプレゼンすると平成30年を一息に駆け抜けてしまうので、「平成をだいたい10年ごとに分け、それぞれの年代で自身が聞いていた曲を5人がそれぞれプレゼン、それを3セット」という形式を今回採用しました。つまり上記プレイリストで誰がどの曲を持ち込んだかは結構ばらけています。その辺はぼくのこれからの語りで解説・補完していければと。
それでは前置きが大変長くなりました、適宜コメントをつけつつ、各曲を紹介し平成を振り返る回を振り返りたいと思います。
第一部、平成初期(平成元年~10年くらい) まずは主催ぷれしおから10曲ほど。開幕はプリプリのダイアモンド。昭和じゃねえんだコレ、と思うのはぼくがまだ生まれてないからか。開幕にふさわしい明るいナンバー。 たまのさよなら人類。平成2年売上トップ10てマジ? 小田和正。ドラマから有名ですからね。 浜田省吾。「平成4年は売上トップにビッグネームが並ぶので、(彼の課したレギュレーション上)被りを避けるために」とのこと。 ZARDは平成初期では外せないですね。というか某番組のおかげで今も通用してますし。 ミスチルからはイノセントワールド。この後もスマッシュヒットが続きますが、その後のヒット曲の紹介のためにここでミスチルのカードを切ることに。しかしこれ「百万枚売れるメロが書けた!」と桜井が言うだけありますね、ラスサビからの畳みかける歌詞もエモ。 B'zもここで紹介。しかしこのLOVE PHANTOMイントロ長いな。当時は色々余裕があったというか。そして4つ打ち。と言いつつ現代の4つ打ちとはノリも扱いも違うけど。ちなみにB'zの松本氏はその時々の最新のギターの音色で録音するので、B'zファンを呼んで30年分振り返るだけで平成のギターの音色の変遷がわかるのでは感も。詳しい人を呼びたい。 SPITZ「空も飛べるはず」。これ以降ずっと何かしらの曲でランキングに居座り続けるモンスターバンド。ちなみに会ではデモ版「めざめ」を流していました。「君と出会えた奇跡が」を「君と出会えた痛みが」に変えるだけで歌詞の意味がぜんぶ変わるという、スピッツがいかに歌詞を大切に考えてるかという好例。 Kinki Kids「硝子の少年」。「20年経っても歌えるから」とごり押ししつつちゃんとスマッシュヒットを叩き出す作曲・山下達郎もすげえし、山下達郎の曲というプレッシャーを跳ね返して歌い上げたキンキもすげえ。 そしてGLAY「誘惑」。この10年で出てくるミュージシャンは平成をずっと席巻し続けるあたり、平成初期10年間がいかに強かったかわかりますね。というわけでぷれしお第一ターン終了。
次はまえぴのターン。一曲目は平成元年1月11日リリースという、滑りこみで平成な美空ひばり「川の流れのように」。平成の幕開けというよりは、これで昭和が幕を下ろしたといった方がいいでしょうか。ちなみに美空ひばりは同年に亡くなっているそうで、最晩年にこのテイクをCDに吹き込める美空ひばりもバケモノだなぁという……。 BE MY BABY。つい最近流行ったけど。初出はそりゃ平成だよなと。 おどるポンポコリン。そりゃ我々世代聞いてない人間いないよなぁ……。実際B.B.クイーンズはBeingの凄腕ミュージシャンを集めて出来たバンドなので演奏がすごいんですよね。 めざせポケモンマスター。説明不要。 チャゲアス「On Your Mark」。チャゲアスから敢えてこれを持って来るという。 MISIA、「Everything」。歌うっま……。先日のフジロックでの名演も記憶に新しく。20年以上通用し続けた歌唱力……。 残テ。ヱヴァはついに平成の間に幕を下ろせなかったね……しかしこのスネアやバスドラ、メタルというかハ��ドロック的処理の音ではないかという。 ウルフルズ。優勝。バンザイ。しかし平成初期のポップス、重心が高いというかウワモノ勝負みたいなサウンド。キックやベースの低音が決め手になっていくにはまだまだ時間がかかります。 もののけ姫。平成ジブリといえば外せない。 あ、リストから漏れてますがここで安室奈美恵「Can you celebrate?」が流れました。平成を振り返る回をやろうと言い出したきっかけは最近話題になってた安室奈美恵からだったりします。 そして1999年、椎名林檎「丸の内サディスティック」でまえぴの第一ターンは終了。20年経っても軽音サークルのスタンダードであり続ける椎名林檎嬢の強さ……。
さてお次は不肖わたくし伊38のターン。Spookey Ruben「These days are old」タイトルではピンとこないかと思いますがYoutubeで10秒再生すれば「これぞ平成」とわかるかと。 小松未歩「氷の上に立つように」、倉木麻衣「Secret of my heart」。というかコナンのOPEDを30年分振り返るだけで平成を振り返られるんじゃないか? アニソンつながりで「月灯りふんわり落ちてくる夜」 小川七生 。オラはにんきものと迷ったけど、色々あったクレしんEDの中で唯一、かつ強烈に覚えてるのはコレ。 ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツをそれぞれ。バラエティ番組の一企画として生まれたバンドだけど、今聞いても全然聞けるくらいオケが面白いし、千秋とビビアン・スーがべらぼうに歌うまいので企画バンドの枠を超えてると思う。実際ゴールデンタイム発でヒットチャートを動かそうというわけだから金かかってるんだろうけど。つまりは当時は色んな余裕があったんだなという。 ジュディマリ「そばかす」。ぼくリアルタイムではないんですが。YUKIの歌とTAKUYAのギターが圧倒的で未だに軽音サークルでコピーされるあたりね。 あと最後、一曲分枠が余ったので1999年RSRのブッチャーズを軽く流しておきました。というわけで次の方へ。
大先輩各方面氏。1989年はガンヘッドのテーマから開幕。そして1989年裏リストはBoredoms。これ持ってくるのか。 米米CLUB「浪漫飛行」。これも平成なんすね……で裏がHANATARASH。さっきボアダムス流したじゃないすか……ちなみに選外に人間椅子、ビョークの幼少期ジャズアルバムなど。 「SAY YES」チャゲアス再登場。歌うまいしメロがつよい。そして裏はマイブラとニルヴァーナ。1991年の選外としてはレッチリも。 1992年は「それが大事」大事マンブラザーズと、裏リスト「戦え! 何を!? 人生を!」筋肉少女帯。筋少も代表曲に困るバンドですが今回はこちら。 「EZ DO DANCE」。キンプリ、というかプリ��ズからリバイバルしてましたしね。そしてその年に裏で鳴っていたのがレディへ「Creep」。ちなみに翌年表プレイリストもTRF連チャンで「BOY MEETS GIRL」。 1995年、黒夢「SEE YOU」。90年代V系を持ってくるのはリアルタイム世代じゃないと……。裏リストはBjork「Hyperballad」。 電気グルーヴ「誰だ!」そしてBloodthirsty Butchers「二月」。ちなみに1996年はLUNA SEA「STYLE」X JAPAN「DAHLIA」 L'Arc〜en〜Ciel 「True」とV系の重要シングルが立て続けに出た年という。 1997年、Cornelius「Star fruits surf rider」、裏に池田亮司「+/-」。テクノ(?)な選曲。 1998年、HIDEの死んだ年ということで「ever free」。裏リストはまたBoredomsで「Super You」。選外にBoom Boom SatellitesとかSystem of a downの1stとか、ゆら帝「3x3x3」など重要盤が並ぶ。ちなみにリストでは先に出てましたが、Boa「Duvet」もこの年。
10年振り返ったのでここでプレゼンテーター交代、後輩のかっしーのターン。ただし平成初期は生まれて間もない(!)ので、当時見ていたアニメから「ニャースのうた」(クソ名曲)、おじゃる丸「詠人」(北島三郎なんだね……)を流して終了。生まれたときにはポケモンが存在していた世代……。
というわけで第二ターム。プレゼンテーターは一周してぷれしおに回り、平成11~20年のヒット曲を俯瞰するターン。 1999年、宇多田ヒカル「Automatic」。説明不要。ちなみに会では岡村靖幸によるトリビュート版を流していました。 福山雅治「桜坂」。ちなみにこの年サザンの「TSUNAMI」も出てましたが、 サザンからは翌年の「波乗りジョニー」をチョイス。しかし桑田佳祐もつよいボーカリストですよねぇ。 「ピクミン愛のうた」。ゲームキューブってこの年だっけ……。 そしてSMAP「世界に一つだけの花」。クソ流行りましたねぇ。槇原敬之最大のヒット作というべきか。 ラルク「自由への招待」。イントロのドラムパターンが印象的だからとセレクト。 トラジ・ハイジ「ファンタスティポ」。堂本剛の歌がめちゃくちゃ上手い。 TOKIO「宙船」。会では中島みゆきのテイクを流していました。このように平成中期はジャニーズがかなり時代を持っていくチャートになっているとのこと。 「千の風になって」。クラシックでチャート入りしたのはこれと平原綾香「Jupiter」くらいなはず。 「羞恥心」。まぁ流行りましたからね……。ぼくはTwitterでさんざ言ってますがJ-popを殺したのは島田紳助とヘキサゴンだと思っています。実際この後年にはAKBが出てくるので、J-popの印象が変化するきっかけと言えなくもないという。
そしてまえぴにバトンタッチ。日立グループこの木なんの木はいいとして。 グランツーリスモより「Moon Over The Castle」。T-Square安藤まさひろ。まえぴが一番最初にやったテレビゲームだから、とのチョイス。そういや平成となるとゲーソンとともに過ごした人間とか呼んでみたい。 そしてレースゲームつながりで、リッジレーサー4より「Urban Fragments」。アイマス以前のナムコのゲーム音楽はつよい。 一青窈「ハナミズキ」。流れてたなぁそういや。 「知恵と勇気だ! メダロット」。ポケモン出したからには出さないわけにはいかないよなぁ。筆者は普通にコロコロ派でしたがメダロットとかサイボーグクロちゃんとかはアニメ見てた気がします。覚えてないけど。 Do As Infinity「冒険者たち」。そういやこの時代、女性ボーカルとトラックメイカーの野郎、みたいなユニット多かったですよね、デイアフタートゥモローとかガールネクストドアとか。そーいや遠ーい昔どっかで、「ガールネクストドアはテレビ主導・Mステ主導で流行りを生み出せるかどうかの最後の実験だった」という言説を読んだ気がします、実際ガルネクはイマイチぱっとしないで消えたような。時代の流行りとテレビ(と時代の変化)の関係も詳しい人に語ってもらいたい。 ちょっと時代遡って、「渚にまつわるエトセトラ」、「ハッチポッチファミリー」。ハッチポッチのインチキ洋楽カバー聞き直したい。 森山直太朗「さくら(独唱)」。そういや平成中期はバラードも結構ヒット曲多かったですね。Youtube前の時代なんで90秒で掴む、みたいなこともなかったですし。 というわけでヘラクレスオオカブト……じゃなくて「カブトムシ」aikoでまえぴの第二ターン終了。
というわけで伊38第二ターンですが、ぼくも平成10~20年は小中学生だったのでまだテレビっ子で音楽にも目覚めてない時代なんですね。 スキマスイッチ「全力少年」。当時はズームイン朝で若手ミュージシャンをプッシュする謎のコーナーがあったんですよね。そういう余裕があった時代ってわけですが、スキマスイッチは頑張ってましたね。雨宮天の「奏」は神。 続いてもズームイン朝枠で、nobodyknows+「ココロオドル」。ニコ動でも不動のMAD素材。というか映える声のMCを贅沢に5人も抱え、トラックも面白いし、ヒップホップブームの今再評価に値するのでは。今も活動してるか知らないけど。 矢井田瞳「My Sweet Darlin'」。どこで聞いたんだっけ…… 奥井亜紀「Wind Climbing~風にあそばれて」。グルグル見てたはずなのに全然覚えてない…… 塊魂を流そうと思ってサントラ借りたら入ってなかったので仕方なく流した「塊オンザスウィング���。松崎しげるも歌うまいな……。 ここまで誰も流してなかったので「Butter-Fly」かけときました。「カサブタ」と迷った。 申し訳程度ですが菅野よう子も流さなきゃなぁ。ということで「Tank!」を。というか菅野よう子詳しい人に菅野よう子クロニクル解説とかしてもらっても平成振り返れそう。ていうか誰も「プラチナ」流してねえじゃねえか今回。筆者はCCさくら見てないのになんでオタクになったんだろう。 FLOW「DAYS」。エウレカも見てないのになんでオタクになったんだろう俺。 「リライト」も「メリッサ」と迷った。 最後は岡崎律子のために割いた枠で、メロキュア「Agape」を流して伊38第二ターン終了です。メロキュアもリアルタイムじゃ聞いてないんですけどね。なんでオタクになったんだろう俺。
というわけで各方面氏。この辺から表リストと裏リストの境が曖昧になってくる気が。 1999年。Mad Capsule Market「MIDI SURF」、Merzbow「Electric for ICC」。選外にハイスタなど。 Radiohead、KidAより「Everything in its right place」。エイフェックスツインが「ダサい」と一蹴したとかなんとか。裏は大友良英率いるGround Zero。 Daft Punk「One More Time」。が出た年にデビューしたのがDCPRG。選外はOwls、Ghost and votka、レイハラカミ、ASA-CHANG&巡礼などなど。 2002年「Num-ami-dabutz」ナンバガ。裏はオウテカ。 Prefuse73「The End Of Biters」。裏はチルボドの4thより「Needled 24/7」。 2004年のアジカンからは「振動覚」というチョイス。裏は想い出波止場「触媒」。 選外にSquarepusher「Ultravisitor」、アジカン「ソルファ」、フジファブリック・ZAZEN BOYS・東京事変それぞれの1st 。ザゼンと事変が同い年って。 Bloc Party「Like Eating Glass」。裏は吉田達也率いる高円寺百景「Rattims Friezz」。 NATSUMEN「Whole lotta summer」、裏は日本エモ界の隠し玉・倉地久美夫「あつい日本」。 そしてここでヤスタカをセレクト。Capsule「Starry Sky」。ヤスタカのキックは2007年には完成してたということですね。裏は大槻ケンヂと絶望少女達「人として軸がぶれている」。 andymori「Everything is my guitar」。裏にgroup_inou「Coming out」。同年は9mm「Vampire」、相対性理論「シフォン主義」が出て第二次バンドブームでもある年。というわけでこれで1999-2008の10年間の(偏った)振り返り。かっしーへバトンタッチ。
1999年でもまだ1桁年齢のかっしーのターン。やっぱその辺の時代での音楽体験はアニメやテレビからが主に。 松本梨香「OK!」、クレしん「ダメダメのうた」。既に出た「めざせポケモンマスター」、「月灯りふんわり落ちてくる夜」に対して、同じアニメでも入り口が違うというジェネレーションギャップ…… 「カービィ☆マーチ」。筆者は実は当時好きじゃなかったんですが今ヤバいアニメとして再評価されてますね。もっかい見直したいなぁ。 そしてもう一つポケモンから、そもそもルビー・サファイア世代(!!)ということで「アドバンス・アドベンチャー」。筆者、逆に知らない曲だ…… ナルトより「悲しみをやさしさに」little by little。オアシスフォロワー。 ロードオブメジャー「心絵」。CCさくらじゃないんだね……。 「青春アミーゴ」。めちゃくちゃ流行ったなぁ。 その流れでKAT-TUN「Real Face」。ホント当時破竹の勢いだった。 嵐「Love so sweet」。やっぱ平成中期はジャニーズ外せない。 GReeeeN「キセキ」。流行ったなぁ…………というわけで第二ターム全員終了。怒涛の平成晩期へ続きます。
というわけで平成21年~からの音楽。まずは例によってぷれしお氏によるヒットチャート分析リストから。 2009発売、2010にヒットしたゴールデンボンバー「女々しくて」。 そしてきゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」。Capsule、Perfumeで実験を重ねたヤスタカの結晶。 進撃の巨人より「紅蓮の弓矢」Linked Horizon。まぁ紅白出てたしなぁ。 SEKAI NO OWARI「Dragon Night」。この辺からキックがえぐくなってくる。 BUMP OF CHICKEN「Hello World!」。EDのUNIZON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」と並んで名曲。 星野源「恋」。売上基準のリスト故触れないわけにはいかない。 そして小沢健二「流動体について」。なんか熟練戦士たちが復活してきたみたいなリストになってますね。 というわけで趣味をなるべく排して売り上げ参照したぷれしおの俯瞰リストは終了。余り枠は彼の趣味を。 ゆらゆら帝国「昆虫ロック」。ゆら帝は全部マストなのだけど、1stからこちらの選曲。 the brilliant green「冷たい花」。1998年。というかまんまOasis。彼らはBlurのカバーとかしてるし生粋のブリットポップの民。 アイドルからはBABY METAL「ギミチョコ」。というわけでAKBにまみれたランキングからうまいこと外した選曲をしてくれました。
続きましてまえぴ第三ターン。 「マツケンサンバ2」からスタート。あったなぁ……。 「群青日和」。説明不要。 「メルト」。Supercell。ついにボカロが出てきた。 「恋のマイアヒ」。そう、平成といえばおもしろフラッシュ倉庫を外すわけにはいかないんですよ……。日本で唯一オリコンチャートに食い込んだルーマニアの曲。 ゆず「栄光の架橋」。ちらっと書きましたがバラードが流行りましたよね平成中期。 「最初から今まで」冬のソナタ、流行ったねぇ……。韓流ブームも触れないわけにはいかないよなぁと。 というわけで少女時代「Mr TAXI」。日本の市場をアテにして日本語を歌いだす韓流アイドルたち。そういや会が終わった後にエクストラコンテンツとして「江南スタイル」流しました。 相対性理論「LOVEずっきゅん」。やくしまるえつこ、平成晩期の女性ボーカリストのスタイルとして触れないわけにはいかないですよね……これ以降ウィスパーボイス女性ボーカリストがぐんと増えた印象。しかし相対性理論のキモはバックバンドのシンプルかつクソ上手い演奏でもあります。というか真部のコード進行とかもかなり独特なので詳しい人にみっちり解説してほしい。 ここで今まで誰も触れなかったAKB48「ヘビーローテーション」。 そして最後、まえぴ曰く「平成に始まり、平成で終わったジャンル」こと”””青春パンク”””からガガガDXを。確かにメロコアはともかくとして、ゴイステから始まった青春パンクはもはやフォロワーもいないし、創始者の峯田和伸自身が石原さとみとキスするような俳優になってしまったという点からも、青春パンクはジャンルとして終わってしまったと言って差し支えないと思われる。実際ゴイステの曲とかは平成のノスタルジーを抱えた平成の人間じゃないと書けないというのは間違いない。ここ詳しい人に語ってほしいですね。というわけでまえぴのターン終了。
さて伊38の第三ターンです。一番書きたかったパートゆえ、少々長くなりますがご容赦を。 BUMP OF CHICKENから「グングニル」。第一・第二ターンではテレビ経由の曲を紹介した伊38ですが、それに対して(当時)絶対にテレビに出なかったバンプは、いうなれば「オルタナティブ」でした。まぁ僕がバンプを知ったのは中学の先輩だったか、おもしろフラッシュ倉庫だったか、あるいはその両方だったか覚えてませんが。 その流れでピロウズ「ハイブリッドレインボウ」。「テレビに出ない」どころか「永遠のブレイク寸前」たるピロウズは本当にオルタナティブだった。 そのオルタナティブという枠に、「ロックンロールは鳴りやまないっ」神聖かまってちゃんを。そして先日映画「恋は雨上がりのように」主題歌に採用された同バンドの曲「フロントメモリー」。 ただ映画主題歌版は、女性ボーカリストを呼び、亀田誠二がリアレンジしたもので、非常に聞きやすくなっているというか、の子自身のポップセンス・メロディセンスが非常によくわかる構成になっている。しかし「フロントメモリー」の神聖かまってちゃん本家版、それもYoutubeのPVテイクはどうかというと、ピアノが何やってるかもわからないし、高音がきついし音も悪い、非常に「聞きづらい」ものになっている。しかし”””それこそが神聖かまってちゃんだった”””というか、「そもそもポップな人間だったの子だが、売れるため・認知してもらうため・ニコ動で頭一つ出るために、敢えて尖ったことをしていた」、それはよく知られる神聖かまってちゃんの破天荒なエピソードだったり、そして音源そのものの粗さ・聞きづらさ・尖った音質であったのではないか。あるいは、ニコ動という”場”がそもそも、そういったパンク��破天荒な振る舞いを要求するような場だったのではないか、それこそがニコ動文化だったのではないか。という仮説を立てられないだろうか。ここはもっとニコ動にどっぷり浸かっていた人間にコメントをお願いしたい。 さてニコ動からボカロ文化をぼくからもほんの少々。「初音ミクの消失」。初音ミク登場当時に生まれた「機械のボーカリストが人間に勝てる部分とはどこか?」という問いに対しての安直な回答として「人間には歌唱不可能な超高速詠唱」が生まれた、その元祖の曲だと思う。これがヒトリエとかミイラズみたいな、後年の高速ラップ邦楽に逆輸入される流れになった。 もう一つ、「般若心経ポップ」から始まる一連のムーヴメントを。同曲が流行った際に、製作者がボーカル音源を配布したために「般若心経ブーム」が起こり、「般若心経ロック」やら「般若心経シューゲイザー」など、ありとあらゆるジャンルの般若心経が生まれた。この般若心経タグを巡っていろんな音楽ジャンルを知った、なんて人間もいただろうし、これに限らず「初音ミクが歌ってさえいればどんなジャンルでも聞ける」というリスナーは沢山いたと思われる。これは(にせものさんの言葉を借りれば)”””ガワの文化”””というか、初音ミク以前・以後でも「V系なら・アイドルなら・好きな声優なら、どんなジャンルの音楽でも聞ける」という、ある意味逆にボーダーレスな音楽趣味を持つ日本人の特殊な音楽観に繋げて語ることができると思われる。この辺も詳しい人たちと議論してみたいところ。 さてニコ動文化はこのくらいにしてぼくの高校時代からの邦ロック趣味変遷に戻ります。9mm parabellum bullet「The World」、あるいは「Discommunication」。バンプ狂いだった自分が衝撃を受けたテクニカル・バンド・ブーム。 そして凛として時雨。今回は「ハカイヨノユメ」。発売日にこれ買って、CDプレイヤーに入れた瞬間に吹っ飛んだ思い出の曲です。しかし、パワーコードとオクターブ奏法さえできればバンプ・エルレ・アジカンがコピーできたぼく世代に対して9mm・時雨・ホルモンが出てきたほんの数代下のバンドマンたちと��技術的に大きな隔たりがあるのが未だにコンプレックスです。 そしてこの辺をきっかけに残響レコードにハマっていく伊38。ハイスイノナサ「平熱の街」、そして「鏡面の波」。残響レコードの中でも最先端に尖っていたハイスイノナサがアニソンに接続したとき、得も言われぬ感慨にふけった思い出があります。 さて最後に、こうやってニコ動や残響レコードを経由してアンダーグラウンドに潜っていったぼくが辿り着いたのがネットレーベル文化。その中から未だ伝説的扱いをされている「HanazawaEP」より「恋愛サーキュレーション(Shoegaze arrange)」。ニコ動とはまた違う、宅録ミュージシャンの発表の場というものは刺激的でした。というわけで永遠の名曲「ヴァイオリンケースの夢を見る」を流してぼくの最終ターン終了。ケンセイオガタさんはやく公式円盤出してください。
さあ各方面氏。残業にまみれた暗黒期から抜け出したという平成晩期を振り返っていただきます。 2009年、モーモールルギャバン「Pop! 烏龍ハイ」、そして裏リストといいつつポップな、Neco眠る「猫がニャ~って、犬がワンッ!」。実際この辺からアンダーグラウンドですらポップになってくるという。同年の選外はNuito、TTNG「Animals」、サカナクション「シンシロ」、相対性理論「ハイファイ新書」など。 2010、七尾旅人「Search Boy」、神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」。 2011年、the cabs「キェルツェの螺旋」、TTNG「Adventure」。超絶技巧ギターバンド2つが並ぶすげぇ年だ。 そして震災を経た2012年からは、LOSTAGE「Blue」、そして裏は面影ラッキーホール「おかあさんといっしょう」。震災を経て日本人は何を歌ったか?、に対してこの二つはとりわけ振り切れてますね…… KANA-BOON「1,2,Step To You」。に対して裏はうみのて「もはや平和ではない」。笑っていいともさえ終わってしまった今、もはや平和ではない日本でこの曲はある種象徴のように鳴り響く。 の翌年、Wienners「Video Girl」。言わずと知れたでんぱ組のコンポーザー。の裏で生まれていたのはD'Angelo And the Vanguard「エイント・ザット・イージー」。 2015年。ceroより「Summer Soul」一切の音すべてが必然のもとに鳴らされた 大傑作Obscure Ride。 に対してChon「Splash」。これまた妥協の一切ないサウンド。好対照な年。 MUSIC FROM THE MARS「Seaside, Seaside」。そしてこの辺から裏リストというより同率一位という感じになってくる。この年の裏選曲はOdol「逃げてしまおう」。 2017年、ものんくる「ここにしかないって言って」。 この辺りで各方面氏は菊池成孔のラジオを聞き始め、その影響で裏選曲としてジャズドミュニスターズ「革命」。 2018年。tricot「potage」。しばらく見てないうちに一皮どころか二皮くらい剥けたトリコ。ドラマーの交代らへんから音楽性が更なる深化を見せ、世界ツアーで得た経験値を完璧に開花させた名曲。そして裏選曲にCRCK/LCKS「No Goodbye」。ポップスといいつつ非常に複雑で難易度の高い音源をリリースする注目の音楽集団。を流して最終ターン終了。 そして番外編として「 BEAMS 40周年記念プロジェクト『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』MV」。平成を振り返る回、これさえ流せばよかったんじゃねえの?
というわけにいかないということで、大トリのかっしー。 宇多田ヒカルの再登場、キングダムハーツより「光」。平成において宇多田ヒカルは説明不要ながら何度でも取り上げたい。 AKB48「ポニーテールとシュシュ」。彼はハマった世代。そりゃそうか。 BUMP OF CHICKENから「ゼロ」。FF零式の主題歌。同じバンプでも入り口が全然違う……。 そして放課後ティータイムから「U&I」。曰くこれがなかったら彼は軽音サークルに入ってなかったという。実際当時は相当勢いがあったし、サークルでのコピバンも沢山あった。けいおんが与えた影響はやはり計り知れないと思う、もっと詳しく掘り下げてもよかったかもしれない。 UNIZON SQUARE GARDEN「流星のスコール」。ぼくがユニゾンの1stを聞いたときには「これで下北系の音楽は終わったな」と思ったのだけど、ユニゾンは以後どんどん音楽性の進化を深め、アニソンとも接続してファン層広げつつ、しかし核の「ユニゾンぽさ」を消して失わず、器用なだけのバンドとは違って非常に強度のあるバンドとして邁進していったなという印象。 Champagne「Starrrrrrrr」。ドロスでなくシャンペインが好きとのこと。しかしこの辺の音楽をバンド音楽ネイティブとして聞いてきた年齢層ズルいなぁ。 アジカン「ソラニン」。彼が軽音サークルに入って初めて演奏した曲だからとの選曲。アジカン何曲か上がったけど全然被らないな…… KANA-BOON「さくらのうた」。これきっかけにギターを猛練習するようになったとのこと。ちなみにKANA-BOONはこの曲がウケたのをきっかけに4つ打ちをやり始めて音楽性が変わっていったというが、この曲自体はそこまで4つ打ちを全面に押し出してるわけではないという。 Base Ball Bear「Perfect Blue」こちらも自身が組んだコピバンから。ベボベも取り上げる時期によって全然違うけど、こちらは非常にポップな時代。 そしてthe cabs「anschluss」。ぼくからはなんも言うことはありません。KEYTALKは殺す。 最後はtricot。Potageをかけるつもりだったが挙げられてしまったので「Wabi-Sabi」を。しかしどうやってバンドで合わせられるんだtricot。しかし、懐古的・郷愁的になりそうだった「平成を振り返る」というコンセプトの中で、最後にtricotやCRCK/LCKSといった「最新を更新し続けるバンド」の名前が挙がったのは、非常に前向きな最後でよろしかったのではないでしょうか。
というわけで以上、録音を聞きながらざっと書いてみました。ぼくのパートだけ長くなってしまったのは本当に申し訳ないですが、いずれにせよここまで読んでいていただき、長々とありがとうございました。 「あの曲がない、やり直し」などは今後の開催の際の参考にさせていただきたいのでお気軽にコメントを残してもらえればと思います。次回は9月頭に身内で、また何もかも未定ですが都内でも似たようなことをやれたらと思うので、直談判殴り込みの際はぼくのTwitter垢へリプかDMを。お待ちしております。
というわけで今回の駄弁りの録音です。平成のノスタルジアに浸りたい暇で暇で仕方ない方は適当に聞いてみてくださいまし。 https://www.dropbox.com/sh/rtbrnot2r26eyqx/AADxdHGXuJmtUx8TgYqYQ7x6a?dl=0
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文科省汚職:私立大学研究ブランディング事業と裏口入学、JAXA
谷口浩司の妻です。 乳癌を患って治療中なので皆様に直接対応が出来ないことを最初にお詫び申し上げます。 病気を患うまでは仕事をしていましたが、今は自宅から出たり出られなかったり体調次第の生活です。癌の療養のため主人は職場に近くに部屋を借り、二人の時間を多く取ることを優先してくれていました。 出来る仕事は自宅でするようにしていたため、仕事のミーティングもマンションにあるラウンジで行っており、私も仕事関係のことを直接見聞きする機会が多くありました。 そのため今回の逮捕・起訴には大変驚いています。 事件の真相が知りたい、というのが私の率直な気持ちです。 そのための第一歩として自分から声をあげるためにホームページを開設しました。 お問い合わせ先:[email protected]
今日は8月15日なので不謹慎に思える写真は削除させて頂きました。 更新予告 原子誠一氏について
疑問の前提
東京医科大学臼井理事長の前に二人の人物がいます。 一人は、医師で衆議院議員。 一人は、悪徳ブローカー。 佐野太官房長には大学のために便宜を図ってもらいたい。 JAXAの川端和明氏には大学の記念講演に宇宙飛行士 を派遣してもらいたい。 あなたが臼井理事長ならどちらの人物に頼みますか? 私は事件は初めから無かったと信じています。
1.吉田統彦先生 立憲民主党衆議院議員:20180723
報道では、谷口浩司が佐野太局長と臼井理事長を事件のために紹介したとなっていますが、実際の紹介者は立憲民主党の吉田統彦代議士です。日時場所は 2014年6月24日、代官山小川軒 吉田統彦先生主催による佐野太審議官就任祝いで12人くらいの会食です。この席で佐野太氏と臼井正彦氏が初めて名刺交換しています。就任祝いの同席者には病院事業評価研究会にも名前がある千葉大学医学部附属病院長の山本修一先生がいました。 2014年8月23日、すっぽん料理田吾作 (駒場東大前) 吉田統彦先生により東京医科大学の臼井正彦理事長に谷口浩司が紹介されました。このお店は臼井先生が頻繁に通い懇意にしているお店です。 2014年10月3日、銀座寿司久寿美 吉田統彦先生の仲介により東京医科大学の臼井正彦理事長が川端和明JAXA参与に宇宙飛行士の斡旋をお願いする。谷口浩司同席。その後、皆で銀座クラブ活動へ。 以降、吉田先生による食事会が定期的にあるのに、2017年5月10日に三人だけで会って受託収賄事件を起こすというのは非常に不自然です。 2017年10月20日の衆議院選挙以降は、吉田先生主催の食事会は頻繁にあり、私立大学研究ブランディング事業採択時期とも重っています。A氏は「この事件に吉田先生の関与が無いのであれば、事件そのものが存在しない」と主張したそうですが特捜には無視されました。 その後、谷口浩司、佐野太、臼井正彦の三人の関係による事件として起訴されました。 また、谷口は羽田雄一郎先生の秘書として活動してきたにも関わらず、「悪徳ブローカー」としか報道されていません。 政治家案件だと特捜やマスコミは隠すのですか?
費用申請の仕方 (削除) 谷口浩司が事前に予算申請してから中井洽先生、羽田雄一郎先生、吉田統彦先生等の議員と飲食等の接待を行っていた記録です。 吉田統彦先生が常時連れていた官僚が川端和明氏。 産経新聞(文科汚職)飲食費負担会社、「同じ人ばかり」指摘 過剰接待認識、裏付け(8月14日) 羽田先生と吉田先生のことですか?
1- 2.吉田統彦先生 接待主催者:20180801
2015年11月5日、吉田統彦先生と戸谷一夫氏のメールです。この時は7人が会食し、内6名が銀座クラブ活動隊です。メールCCには、谷口浩司、日高正人、川端和明のメアドが入っています。下をクリックするとメールのPDFがを見ることが出来ます。特捜は7月4日にこのメールを押収しています。
先生と次官のメール
NHKは「戸谷一夫事務次官が、贈賄側が設けた飲食接待の場に同席していたことが、関係者への取材でわかりました」と頑なに���道をしていますが、メールを読めば吉田統彦先生が設けた飲食接待の場というのは一目瞭然です。
1-3.吉田統彦先生と臼井先生
吉田統彦先生は、東京医科大学の臼井正彦前理事長から政治献金をたくさん貰っています。団体からも個人からもです。しっかり調べて下さい。 谷口は臼井さんからお金を貰ったことはありません。 (写真は @cyokuriさんのTwitterより)
2.羽田雄一郎先生 国民民主党参議院議員:20180724
2018年6月下旬、羽田雄一郎先生、佐野太氏、谷口浩司、A氏の四人が赤坂の焼肉屋で会食し、2017年10月から続いていた特捜の捜査について佐野さんから説明を受けました。谷口への捜査は2017年10月26日から始まっています。担当は特捜の田淵検事で、最初から「佐野太」について聞きたいと言われていましたが事件については語らなかったそうです。 事情聴取後、谷口から羽田先生に報告を上げ、佐野さんにも事情説明を求めています。 2018年5月中頃、佐野さんから「松野博一前文科大臣に呼ばれ特捜の捜査が終わったと告げられました。」という報告が急にありました。 羽田先生は、「松野さんが事情を知っているなら直接話しを聞きたいので、会えるようセッティングをして下さい」と佐野さんが同席した上で説明を受けられるように求めました。 このようなやり取りが谷口の逮捕前にあったので、羽田先生は谷口が文科省汚職に関係していないことはよく知っています。
谷口浩司の名刺(20180813追加) e-mailが参議院から支給される議員本人又は秘書が使用する物なので、官僚は本物の羽田雄一郎秘書と認識します。永田町や霞が関にはブローカーが暗躍するので見分けるためのモノサシです。
2-1.羽田雄一郎事務所の台所事情(3億円の借金):20180809
Subject: 谷口浩司の妻です From: 〇〇〇@yahoo.co.jp To: [email protected] Date: 2018/7/30, Mon 22:50 須田慎一郎様 須田先生の報道は興味深く見させていただいています。 情報について様々な分析をしているので、私も非常に参考になっているところです。 「裏口入学問題で羽田雄一郎の名前が国会閉会まで出なかったのは変。谷口容疑者は羽田の政策顧問。谷口氏のような人が出入りするので先代からの秘書も辞めた。また谷口氏は特別通行証がないと入れない国会で目撃され、貸したのは羽田事務所」 さて、羽田事務所の秘書が辞めた件について、正しい情報を送りたいと思い連絡しました。 佐藤清人さんの退職について 使途不明の借金を繰り返 し、返せなくなり行方不明になりました。 半年後くらいに自宅に隠れているところを発見されています。 借金額は、民主党顧問弁護士を入れて調査したところ約3億円あり、全て羽田雄一郎が肩代わりしています。 この問題を最初に厳しく追及したのが谷口で、顧問弁護士との折衝も谷口がやりました。 証拠となる佐藤の借用書(名刺に自著)を添付します。 中段の名刺に名前のある則竹功雄氏が、最後の方での一番の被害者です。 名古屋食糧という会社の社長で、谷口に佐藤の借金についても繰り返し相談していました。 証言を取りたい場合は、則竹功雄氏が一番よいでしょう。 谷口名義でも500万円貸しており、借用書を私が所持しています。 最後に 誤解なきよう書いておきます。 谷口は羽田先生の側近中の側近であり、民主党分裂後の神津連合会長との会席には必ず谷口が同行しています。 相互の連絡窓口は、谷口の携帯番号と神津会長秘書携帯番号でした。 この携帯は押収されずに保持していますので、連絡記録はいつでも立証できます。 谷口〇〇
Subject: RE: 谷口浩司の妻です From: Etsuko Suda ([email protected]) To: 〇〇〇@yahoo.co.jp; Date: 2018/8/2, Thu 10:37 谷口〇〇 様 須田慎一郎です。 このたびは、非常に丁寧なメールを頂戴いたしまして、 誠にありがとうございます。 メールでのご指摘、ご説明につきましては、私も全く 知らなかったことなので、とても参考になりました。 しかし、そうなってくると謎なのは、なぜ特捜部は谷口氏 を〝政界ブローカー″に仕立て上げようとしているのか、 その狙いは何なのか、です。今後は、そのあたりのことに ついても、取材を進めていこうと思っています。 さて、そこでお願いなのですが、今後何らかの形で情報提供、 あるいは取材対応をしていただくと私としましても、非常に ありがたいです。(直接お��いする形でも、メールを通じて でも) 一度、ご検討いただけないでしょうか。 末尾になりましたが、奥様もいろいろと大変な状況に置かれ ていることと思いますが、くれぐれも御身を大切にして下さい ませ。 心より、病気快癒を祈っております。 須田慎一郎 〒110-0016 東京都台東区台東1-2-1-3705 須田慎一郎事務所 TEL 03(6662)8940 FAX 03(6662)8941
2-2.羽田雄一郎先生の出口戦略:20180811
羽田雄一郎先生が個人的に肩代わりした3億円の借金を返すために谷口浩司に下された命令が、一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の設立と、一般社団法人病院事業評価機構(仮称)の設立です。 そのため文科省の官僚も厚労省の官僚も非常に協力的にフォローをしてくれたとのことです。 もし、谷口が多くの官僚との会食や交渉等で逮捕されるのであれば、これら一般社団法人との関連性や政治家の関与、役割も含めて捜査する必要があるでしょう。 これだけ次官クラス、局長クラスが登場して「政治家が何も知らない」ということがあるのでしょうか? スポーツコンプライアンス教育振興機構や病院事業評価機構等の一般社団法人を作り、どのように3億円を返していくつもりであったのかは私では知ることが出来ません。 谷口にもそのロードマップや出口戦略は分からないでしょう。 羽田雄一郎先生には多くのスポンサー企業がいるため、集金システムさえ作れば良かったのかもしれませんが、佐藤清人秘書が借金したという3億円がどこに消えてしまったのかも分からないので、深い事情は分からないのです。 少なくとも私立大学研究ブランディング事業への便宜供与や宇宙飛行士の斡旋程度では、文科省の事務次官や厚労省の事務次官が谷口と会う理由は無いと思います。 佐野太さんや川端和明さんでは「トカゲのしっぽ」にもならないのでは?と思ってしまいます。
羽田雄一郎理事、馳浩理事(元文科大臣)、川端和明文科省国際統括、髙橋道和スポーツ庁次長が出席した一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の設立パーティーです。 打ち合わせの会食には文科省戸谷次官が出席してます。 病院事業評価研究会は、主催羽田雄一郎(元国交大臣)、田村憲久(元厚労大臣)、オブザーバー参加厚労省武田俊彦医政局長、文科省義本博司高等教育局長。 打ち合わせの会食には厚労省蒲原次官が出席しています。
4. 5月10日の録音データ:20180726
5月10日録音データは、谷口浩司が記録や議事録のために仕事中はずっと録音していたものです。 谷口は拘留期間中に録音を何度も聞かされ、間違いなく自分が録音したものであることを確認していたと弁護士から聞きました。 この録音データは検察に任意提出されたと弁護士から聞きましたが、提出者は谷口の実兄又は実兄が勤めるアイシン共聴開発株式会社だと私は考えています。 また、この録音データを谷口元に渡したのは私です。 谷口浩司の録音データは私が毎回チェックをして、チェックの終わったデータから谷口元に渡していました。私の体調が悪化した時には谷口が直接実兄に渡していたこともあります。 そのため、全てのデータ管理は谷口元がしています。 谷口は、「なぜこの録音で逮捕されるのか分からない」と弁護士に伝えていました。 録音データが何者かによってアップされたとニュースでやっていましたが、この録音データを持っているのは、私が知っている限り実兄の谷口元(はじめ)、アイシン共聴開発株式会社、東京特捜の3者だけです。 真実を知る人 谷口元(はじめ)連絡先 埼玉県さいたま市西区三橋6-123-12 048-620-5966 090-5429-7477 TBSへの質問(20180804) 「どうして音声があるんだろ?しかもTBSに流れるってなんで?」 文科省汚職密談音声を入手 TBS| 2018/7/26(木) についてのブロガーの疑問です。 7月26日未明に録音データが何者かにアップされ、同日昼前のTBS番組S「ひるおび!」ではもう音声が流されていました。音声を流したTBSは、どうやってこの音声が本物だと短時間で確認出来たのですか? 音声データが本物であると短時間で確認出来た理由を教えて下さい。
5.アイシン共聴開発株式会社 日高正人社長:20180726
NHK報道で、「前局長は、谷口元役員と家族ぐるみのつきあいがあり、飲食の接待のほか、ゴルフバッグの提供を受けたこともあったということです。」とありましたが、飲食費の接待等がもし本当にあったとしたら、支払いは全てアイシン共聴開発株式会社によるものです。 私たちのマンションもアイシン共聴で契約しました。社長の日高正人氏も同じマンションに住んでいました。 アイシン共聴での役割分担は、顧問の谷口浩司が新規事業開発を担当、実務担当として実兄の谷口元が専務取締役に就任しました。 ゴルフバックは、日高正人社長が佐野太氏に誕生日プレゼントとして贈ったものです。 日高正人社長と安河内朗氏・アイシン共聴顧問は、ともに一般社団法人スポーツコンプライアンス教育振興機構の社員を兼ねてます。この団体は、NHKが不正疑惑の舞台として取材している団体ですが、馳浩元文科大臣のブログ(2016年6月27日)にあるように、羽田事務所の谷口として大臣室に行っており、全て適正な手続きにより設立した団体です。
川端和明さんが逮捕された事件でも、やはり全ての飲食接待の費用はアイシン共聴で支払われており、多くの場合、日高正人社長が同行をしていたからです。日高正人社長と川端さんだけで出かけることも多くありました。 アイシン共聴開発株式会社HP ※アイシン共聴開発株式会社はNHKアイテックから資本と役員が入っているNHK関連企業。
6.原子誠一と渡辺克也 総務省総務審議官:20180727
アイシン共聴の顧問には、原子誠一氏という方がいます。原子誠一氏は渡辺博道衆議院議員の秘書もしています。原子さんの顧問料は月額50万円で、原子さんの連れてきた有園さんという女性の方も50万円もらっているので、原子さんには合計月額100万円が渡されています。 原子誠一氏は、2011年6月にソフトウエア興行の脱税事件で特捜に逮捕されたことがあり、それ以来、特捜への情報提供者として太いラインがあると自慢をしていました。 原子誠一氏は、総務省総務審議官の渡辺克也氏と懇意にしています。そのため谷口も渡辺克也審議官とご一緒する機会が多々あり、その記録はこの章末尾に付けてあります。渡辺さんに頼まれて、2017年4月12日御酒塾にて羽田先生との会食をセッティングしています。 原子誠一さんは渡辺審議官にDOCOMOを紹介してもらい、DOCOMOからの紹介で株式会社ミライト、株式会社協和エクシオ、日本コムシス株式会社に営業に行っていました。この内数社とアイシン共聴開発株式会社は契約しています。(特捜に情報提供済)
2017年3月10日 新橋 酒処里味 渡辺克也 + 谷口浩司 = 逮捕されない
新橋 酒処里味 川端和明 + 谷口浩司 = 逮捕
新橋 酒処里味 義本博司高等教育局長
谷口浩司と渡辺克也・総務省総務審議官の会食記録(2017年) 2月17日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 3月10日 18:30~23:30 新橋 酒処 里味 4月12日 19:00~23:00 四谷 御酒塾(羽田雄一郎参加) 5月22日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 7月18日 19:00~23:00 新橋 酒処 里味 8月10日 18:30~23:30 四谷 御酒塾 10月23日 19:00~23:00 四谷 御酒塾 谷口浩司と渡辺克也・総務省総務審議官の面談記録(2017年) 1月19日 11:00 総務省電波部長室 2月14日 14:00 総務省電波部長室 3月 2日 15:00 総務省電波部長室 5月25日 11:00 総務省電波部長室 7月 7日 15:00 総務省総合通信基盤局長室 8月 1日 11:00 総務省総合通信基盤局長室 10月 4日 11:00 総務省総合通信基盤局長室 10月18日 10:30 総務省総合通信基盤局長室
7.一番、家族ぐるみで付き合った官僚:20180728
2016年~2017年に一番仲良く付き合っていた官僚は経済産業省の伊藤政道氏と「伊藤きわ」さん夫妻です。 家族での会食回数は2年間で100回を越えており、金額も140万円を越えています。毎週のようにマンションのラウンジで食事をしたので証拠はヒルズに残っています。赤ちゃん出産時に20万円くらいのベビーカー等もプレゼントしています。写真はバースデーをラウンジで祝った時のものです。 伊藤政道夫人「伊藤きわ」さんへのエステ接待(20180811更新�� 2017年1月16日0時41分出産、2月から体形を戻すためにエステ接待を求められる。 場所:ヒルズスパ 料金:一回2万円強(消費税別) 2017年3月1日 12:00より 2017年3月11日 13:00より 2017年3月18日 16:00より 2017年3月25日 18:00より 2017年4月8日 16:30より 2017年4月23日 16:30より 2017年5月7日 16:45より 2017年5月20日 16:30より 2017年5月28日 16:45より 2017年6月3日 16:30より 2017年6月11日 16:30より 2017年7月9日 11:30より 2017年8月18日 11:00より 2017年9月16日 11:30より 記録に残っているのはこれだけです。正確な数字はヒルズスパに「きわ」さんのカルテがありますので特捜で調べて、伊藤政道氏に何らかの利益供与を求めていないか調べて下さい。 マッサージの日には夫婦で食事していたので飲食費も正確に調べられます。 費用を出していたのはヒルズに住んでいた日高正人社長です。日高正人社長の妻も一緒のエステによく行っていました。
伊藤政道氏の妻「伊藤きわ」さんが原子誠一さんの紹介者です。 伊藤きわ(旧姓熊谷)さんは、野田佳彦元総理の秘書をしていました。野田佳彦氏に大樹総研の矢島義也会長を紹介したのも、きわ女史だと本人から聞きました。20年くらい前に矢島さんと付き合っていた時があったと言ってましたが真偽の程は分かりません。 原子誠一さんとソフトウエア興行のことも良く知っており、原子さんは特捜による逮捕・拘留中に完全に証言を拒んだので、野田佳彦は原子さんのおかげで総理になることが出来たと、原子さんのことをとても自慢していました。 真実を知る人 原子誠一衆議院議員秘書連絡先 東京都国分寺市新町二丁目17番12 090-2460-0012 原子誠一さんが特捜へ最初に録音データを提供した人だと谷口は考えています。多分、2017年9月か10月のこと���と予想しています。原子さんが不正入手したデータなので特捜は公表出来ません。 谷口によると原子誠一氏に一方的に敵対されいたようです。 敵対していた理由は原子誠一がスポーツコンプライアンス教育振興機構を乗っ取るためです。 谷口はスポーツコンプライアンス教育振興機構から解任されていますが、解任時の総会では原子誠一、日高正人、安河内朗が解任決議に賛成しています。(議決議事録を後日アップします)
8.読売新聞:20180729
読売の社説(7月27日)には「佐野被告も、谷口被告から接待を受けていた。特捜部には、癒着の全容解明を求めたい。文科省も、科学技術行政などに影響がなかったか、調査を尽くすべきだ」とありました。
読売新聞は写真を見て「佐野被告も、読売新聞から接待を受けていた。特捜部には、癒着の全容解明を求めたい。読売新聞も、取材や報道に影響がなかったか、調査を尽くすべきだ」と自社のことを書けるのでしょうか。
谷口撮影(2017年11月9日) 翌日の読売新聞の答えは、薩川碧さんを自社サイトから消すことでした。
2017年11月9日。私立大学研究ブランディング事業採択日2日後です。カウンター中央に録音機が置いてあるので不正を疑った取材活動かもしれません。
9.日高正人社長の重要性:20180730
川端さんが逮捕された26日夜「5.お金を出したのはアイシン共聴開発株式会社」を公開しました。 28日くらいから「電気通信工事会社が関与」等の報道が急に出始めました。 27日までは「コンサルタント会社に便宜を図るなどした見返りに」谷口浩司容疑者が接待をしていた、というのが定型句で、それ以外の存在は全く書かれていません。 <文科省汚職>受注希望業者も同席 前統括官に便宜依頼か 7月29日(日) 2時0分-社会(毎日新聞) 「関係者によると、この業者は西東京市に本社があり、無線設備や火災報知機の取り付けなどの業務を扱っている。同社には以前、谷口元役員の兄が在籍しており、元役員とも密接な関係があったという。特捜部は、この業者からも任意で事情聴取している模様だ。」 特捜部は、この業者からも任意で事情聴取している模様だ、と報道されたのが特に不自然です。 「アイシン共聴開発株式会社」の任意事情聴取が今頃はじまる理由が分かりません。 当ホームページで公表したから特捜に社名が知られたわけではないからです。 これまでは隠す必要があった、と思っています。 そうでなければ、谷口と佐野さんが逮捕された7月4日に、日高正人社長への家宅捜索と事情聴取が始まっていたはずです。 次章は、私がそう思う理由です。 真実を知る人 日高正人連絡先 090-7248-3113
10.日高社長はいつも主役級:20180730
佐野さんのゴルフにも、川端さんの会食にも、議員のクラブ活動にもお金持ちの日高社長が同行します。 日高社長は大物政治家との飲みに行っても酔うと中央席に陣取るため、席次にうるさい人の前には出せない、と谷口が困っていました。 特捜は同様の写真を多数押収しています。
酔うとオラオラになる日高正人社長(2015年7月)
少し酔っているだけなら控えめです
2017年5月28日 谷口浩司、佐野太氏、安河内朗氏、日高正人氏
これらのゴルフは接待でなく、休日のスポーツ活動であると特捜にも理解されています。佐野さんのプレー代はもちろん自己負担です。そうでなければ、ここに写っている日高社長と安河内朗顧問はとっくに逮捕されています。 しかし、谷口、佐野、臼井会食があった5月10日以降、毎月4人でゴルフに行っていたことも事実です。 谷口関係者の多くが家宅捜索や事情聴取を受けていますが、日高正人社長や安河内朗氏にはありませんでした。 しかし、このHPで7月26日に名前を暴露した後は、任意聴取が始まっています。 なぜ特捜は日高社長を隠していたのですか?
11.東証一部 PCIホールディングス
:20180731
アイシン共聴開発株式会社赤坂事務所は、〒107-0052東京都港区赤坂1-11-28 ユニゾ赤坂一丁目ビル10階(現 M-City赤坂1丁目ビル)に2018年2月までありました。 同居していたのがスポーツコンプライアンス教育振興機構とPCIソリューションズ総合研究所(代表取締役 中野康彦・ソフトウエア興行出身)です。 スポーツコンプライアンス教育振興機構のHPには、天野豊美PCIホールディングス社長が理事であることが公表されています。PCI全社を挙げての協力体制です。 原子誠一と渡辺克也総務省総務審議官が飲みに行く時にはPCIの中野康彦氏かアイシン共聴の日高正人社長が同行し、会食と銀座クラブ活動の費用を負担しています。 谷口浩司、川端和明さんが渡辺克也さんと一緒に行く機会も多かったそうです。 PCIはアイシン共聴開発株式会社にもお金を出していた関係の深い企業です。
御神塾は渡辺克也審議官が会員となっているメンバー制のお店です。 253,540円の領収書は途切れてますが金額的には銀座クラブ活動の領収書だと思います。
宝塚OGたちが日替わりで出演する「L'Age d'Or de la Chanson~シャンソンの黄金時代~」の領収書です。これは羽田雄一郎先生の趣味である宝塚鑑賞活動に協力してもらった分の領収書です。
これまで報道にPCIホールディングス等の名前は出てきません。
13.産経ニュースの接触官僚リストを公開:20180806
2013年10月7日厚労省大臣室にて 左から故中井洽先生、谷口浩司、田村憲久厚労大臣
中井先生への報告 病院リート、官僚説明・外国人投資家への宣伝 田村大臣と三井秀範審議官は、中井先生の親戚ということもあり、大変熱心にご指導して頂きました。 大臣から紹介された梶尾指導課長とは勉強会を始めました。局長クラスには大臣マターということで順次説明中です。原医政局長だけ明確な反対派です。 国交省の小林靖課長がリートの責任者で、ヘルスケアリートだけでなく病院リートの検討会を別途立てる必要があることを説明しています。 金融庁には病院リートの特殊性について説明し理解してもらいました。 DBJ藤井副社長は病院リート積極派です。栗原美津枝さんがこの分野のエースなので「いつでも活用して下さい」とのことでした。 外務省の越川官房長の手配で、6月ニューヨーク公使、9月ロンドン大使のアポ打診中です。担当は北米局の中島課長補佐です。シンガポールや香港についても調べてもらっています。 文科省は国立については難しいが私立大学病院リート化については賛成出来るそうです。 以上 面接にて説明した官僚リスト一覧を添付します。 谷口浩司
官僚リスト
14.厚労省・文科省は説明を! 病院事業評価研究会
: 20180807
中井洽先生により始められた病院リート研究会は、病院リート化の前段階となる病院運営のためのガバナンス研究会「病院事業評価研究会」として2018年6月27日参議院議員会館にて開催されました。 下記は6月26日、厚生労働記者クラブにて告知されたものです。 当日、田村憲久衆議院議員、羽田雄一郎参議院議員、椎葉茂樹厚労省審議官、義本博司文科省高等教育局長の出席を得て勉強会は開催されました。研究会配布資料はマスコミにも配布しています。 谷口浩司は研究会事務局として配布資料の説明を研究会で行っています。(当日の録音有)
厚生労働記者クラブ告知資料 プレスリリース用資料 病院事業評価研究会について 研究会開催の趣旨等 研究会名称:病院事業評価研究会 研究会趣旨:「病院運営のためのガバナンス」の具体化に向けた検討を行う。 (検討内容) 1.病院運営全体の意思決定の在り方を含む病院運営のためのガバナンス体制の定義 2.「医療安全管理体制のガバナンス」と「病院運営のガバナンス」の区別と連携 (開催日時) 平成30年6月27日(水)17:30~18:30 参議院議員会館B101会議室 (事務局・問合せ先) 病院事業評価研究会事務局(羽田雄一郎参議院議員会館事務所内) 担当:谷口浩司 FAX:03-3507-0066 携帯:090-9957-1310 主 催 田村憲久 衆議院議員 羽田雄一郎 参議院議員 オブザーバー参加者 武田俊彦 厚生労働省医政局長 義本博司 文部科学省高等教育局長
配布資料
(PDFの配布は終了しました)
6月27日の研究会には、厚労省からは 椎葉茂樹 審議官(医政、精神保健医療、災害対策担当):武田局長代理出席 樋口浩久 医政局医療経営支援課長 染谷 輝 医政局医療経営支援課医療法人指導官 が出席しています。 この研究会の準備ために、事前に病院ヒアリングが行われています。 谷口浩司、染谷輝医療法人指導官の二人で国立国際医療研究センターを訪れヒアリングしています。 厚生労働省医政局医療経営支援課医療法人指導官 染谷輝 TEL:03-5253-1111(内線2640)03-3595-2261(直通) FAX:03-3580-9644 e-mail:[email protected] 飲食接待 この研究会のための事前相談となる会食が、谷口と官僚とで2017年10月10日に行われています。 会食場:花ぶさ 東京都千代田区外神田6-15-5 出席者:蒲原基道厚労省次官、義本博司文科省高等教育局長、川端和明文科省国際統括官 悪徳ブローカーと言われてる谷口浩司へのこのような厚遇の理由を、厚労省と文科省は不正があったのか無かったのかを含めて説明して下さい。 蒲原基道・前厚労事務次官は「会費制で5千円か1万円か支払った」、「病院運営の話はなかったと記憶��ている」と述べたと報道されています。 谷口の記録を見ると、2017年10月10日花ぶさのお会計は104,603円でした。 蒲原次官の払った会費の領収書はあるのでしょうか? 蒲原次官は、厚労記者クラブでプレスリリースして「病院運営の話」のためにに病院事業評価研究会を盛り立ててくれました。 産経新聞だと便宜を期待しただけ(ニュースにリンク)で逮捕ですね。 病院事業評価研究会は厚労省によって便宜が図られた案件ですが、便宜を図ったのは誰ですか?
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2018.06.09 5月の記録
ふと湧いた思案を、たまーにつらつらと記すばかりの本ブログでありますが、たまーに「そうじゃない。ブログというものは、今日、どこ行ったとか、なに食ったとか、他愛もない日々の出来事を記録する媒体である。おまえも無駄な長文考察を記さず、普通に簡潔に、毎日こまめに、ブログを書くがいい」と諭されることがありますが、知るかよ。
私のブログで、私が書く内容なのだから、私が決めて然るべきですが、その私の自己決定権を蔑ろにしたうえで「自分の都合」を押し付けて来る他者にたまーに遭遇すると「自他の境界線侵略の罪」を訴えがてら、「土足厳禁」のプラカードを掲げてデモ行進したい衝動に駆られます。
ブログは一比喩で、自己都合によって他者をコントロールしようとする者や、自己にとって都合の良い言動を他者に要求する者が、他者の自己決定権を蔑ろにする事例が、人間社会ではいくらでも散見されます。これには自分の思い通りに他者を動かしたいという傲慢な欲望に加え、そうあってほしいと願う期待や愛着や執着、思い通りに行かない社会に対する耐性のない幼児性といった様々な感情が含まれますが、状況は総じて不潔です。
他者は自分ではないので、自分の思う通りには言動しない。他者は、他者の自己決定権を行使して言動している。その点を尊重すれば、自分バイアスによるコントロール欲求や期待を他者に抱くことそのものが、他者に対する侮蔑となります。他者を人間として認めるならば、かえって欲望や期待を手放し、関与を「諦める」方がよほど人権尊重に近い。親が子に抱く期待が「自分の思い通りに動く人形」だった場合、その自己欲求を諦めて、他者として子の自由を尊重する、それが愛です。
自分は自分、他者は他者、と自他を切り分けて考える力がない者は、自分事のうちに他人事を取り込み、自他意識を混同する。「自他の境界線」を清潔に保てない。ゆえに自他意識が不潔な者が、軽く境界線を越え、自己の土足で他者の領域を荒らす。以上のような土足の暴力を当方は「侵略行為」と呼んで糾弾しておる次第ですが、とはいえ、私の場合は極端に他者の関与を嫌う傾向にあるので、潔癖症や人嫌いのような、ちょっとだけ病的な拒絶が働いている可能性も否めません。
なにしろ「今日、どこ行ったとか、なに食ったとかとか、ブログで書け」と言われただけで、こんなにムカついてつらつらと「自他の境界線が〜」とか綴ってしまうような人間です。よほど嫌なのでしょうね、私は、私という自己に他者が気安く介入して来るのが。それもまた尻の穴の小さな話で、もうちょっと寛容になれないものか。いや、寛容にならずともサクッとスルーできないものか。
勢い反省し始めたので、ここはひとつ、侵略者の誘いに乗り、「今日、どこ行ったとか、なに食ったとか」を書いてみようと思います。そういえば、もう6月。5月は何をしていたのか。思い返してみると、何も浮かばない。何もしていない。酒ばかり飲んでいて記憶がない。いや、何もないわけはないだろうというわけで、SNSを眺めながら記憶大捜索。5月を一気に振り返ってみます。
【5月の出来事】
5月1日:ジムでヨガ。1ヶ月に渡る減量の結果、たったの2キロ痩せる。中年って大変。
5月2日:3種のお酢でこしらえたキャベツ酢。優勝はリンゴ酢でした。それにしても酸っぱいので、塩発酵のザワークラウトの方が好みかな。
5月3日:記憶喪失
5月4日:近所の公園で、金井美恵子先生の新刊『スタア誕生』を熱読。感想はこちら。
5月5日:こどもの日。極太魚肉ソーセージとスルメを甥っ子にプレゼント。鉄板でパエリアを作ってみました。
5月6日:激辛麻婆豆腐を食らって、LOFT9 SHIBUYAへ。隔月定例イベント『MOTION LOUNGE N』開催!第3回目となるスクリーニング&トークゲストは、映像クリエイターの川村真司さんとくろやなぎてっぺいさん!
5月7日:毎週月曜日16時過ぎは、渋谷のラジオ『道玄坂爆音部』! 16:10頃からはお天気予報も読んでいます。生放送後、東急東横店のパンマルシェでチャコールパンやドライフィグなどを獲得。
5月8日:空前絶後のねぎっこムーブメント到来。買っておいたねぎを放置していたら、坊主が生えた。
5月9日:その他2本のねぎからも坊主が現出。全員、ねぎっこ。調べてみたところ、ねぎっこヘッドにはタネが格納されていて、それが乾いて黒くなると「撒ける」とのこと。そのためには水分が抜けきってタネが黒くなりきるまで待つ必要があるとのことで、しばらく様子をみる。そして山口勝弘先生が亡くなる。お聞きしたいことがたくさんあった。己を悔いる。
5月10日:記憶喪失
5月11日:記憶喪失
5月12日:甥っ子と一緒にイカをさばいた。するめいかとやりいか。やりいかの方が皮を剥きやすいとのこと。
5月13日:母の日で、タコ焼き。昨日さばいたイカやチーズをアレンジ。
5月14日:毎週月曜日は渋谷のラジオ!ランチをしてから行こうと早めに渋谷についたら、ばったり華恵に会って、ランチ。夜は、映像作家の中根さや香嬢とエスニック飲み。イラストレーターの師岡とおるも合流し、別で飲んでいた友人のかいちゃんともとうらとかみさくと合流。良い夜。
5月15日:超絶二日酔い。しかも歯医者で抜歯。これで左の奥歯が2本なくなってしまった。あまりのショック&痛みで終日読書。いとうせいこう氏『小説禁止令に賛同する』、森博嗣先生『Ψの悲劇』。夜中まで一気読み。
5月16日:豆腐の味噌漬け、塩漬けで、チーズを作る。いまいち。
5月17日:ジムで筋トレ。だが、首肩の調子が悪く、痛みが増す。しばらく行けないかも。
5月18日:仕事してたような気がする。
5月19日:記憶喪失
5月20日:1時間ほど歩いて高幡不動の骨董市へ。何も買わなかったけど、良い気分転換になった。
5月21日:毎週月曜日は渋谷のラジオ! 帰宅後なんの脈略もなく煮豚を作る。
5月22日:ジムで筋トレするが、やはり不調。その後、歯医者。不機嫌。
5月23日:記憶喪失
5月24日:仕事してた気がする。
5月25日:仕事してた気がする。
5月26日:長文ブログを書いていた気がする。
5月27日:東京蚤の市へ。ずっと黙ってましたけど、可愛い布とかボタンとかが好きです。すごい人だった。その後、スイカとイワシを買って帰宅。甥っ子と一緒にイワシの手開き。梅しそ巻きを作りました。
5月28日:毎週月曜日は渋谷のラジオ!今日のゲストはYun*chiでした。生放送後、主治医の病院へ行って首肩の不調を訴えるが、原因がわからない。湿布と薬をもらってカラーをつける。
5月29日:記憶喪失
5月30日:原宿食品舶来館で買ったBonChiliにハマる。
5月31日:世界禁煙デー。で、禁煙1周年のブログを書いたが、全然禁煙について触れていない。脱線ざんまい。
以上。
って何やってんのこの人!全然働いてない!いや、でも上記以外の時間は、寝てるか、風呂入ってるか、原稿を書いているか、ですので、書いてはいるのです。が、目下一銭にもならないうえに誰にも頼まれてもいない文章を「書きたいから」、ただそれだけの理由でひたすらに書いているだけの日々です。貯金も底をついたので、そろそろ労働をしなけれなならないわけです。下半期から頑張ります。
って多分、「今日、どこ行ったとか、なに食ったとかとか、ブログで小出しに書け」ってこういうことじゃないよね。小出しじゃないしね。でも、怠惰な日々を見直す良いきっかけにはなりました。ありがとうございました。
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疫病と災害から戦争へ 発達障害とネットそしてファシズムへ コロナとアの戦争 何故70年前アの戦争を止められなかったのか、、、 何故、それでも今年にイマの今『交流広場』を目指すのか
何故70年前アの戦争を止められなかったのか、、、 疫病と災害から戦争へ 発達障害とネットそしてファシズムへ コロナとアの戦争 何故、それでも今年にイマの今『交流広場』を目指すのか コロナと云う疫病は、様々なことを赤裸々にしていますが、『ヒトとヒトが集まることを模索し続けている』コトをドンドン宣伝して頂けると、ありがたいんです。宜しくよろしくお願い致します。 コウ言い続けてきました。敢えて言うなら【コロナと云う疫病】より、以下の三点の方が��程深刻で怖ろしく、最終的には【精神病患者】や【まつろわぬ者たち】を『皆殺す』だろうと想うと、恐ろしくてタマラナいのです。コロナウィルスより余程恐いのが『人々の心性がファシズムに向けて傾く』コトだと言い続けてきましたが、その意味するところです。キーサンのセーカツからくる怖れと恐怖です。
【所謂云うトコロの発達障害概念と特性に親和性がある】 【ネットに親和性がある】 【ファシズムに親和性がある】
誰が、一体ドンな人達が、何故に、【所謂云うトコロの発達障害概念と特性に親和性がある】のか、そのうえで【ネットに親和性がある】と、ドウ為りやすいのか、そしてそれは、【ファシズムに親和性がある】と云うことに為らないのか、、、この『コロナと云う疫病』は、赤裸々にしたんだと、想います。 ソコを直観しました。リクツではなく。ソコを直観させてくれたものは、精神病患者会に居続けてきたことと、そして、三月に39度を超える熱を出しほぼ一か月自主隔離をし、やすらぎの里作業所前進友の会を一旦休止しました。4月限定的に拡げ始め、5月からほぼ、元に戻していきました。その間にい病院が全面的に外出面会禁止する中50年以上入院しているなかまが亡くなりました。なかま内で、ドウココを開くのか閉めるのか話し合いをし続けてきた中で、見えてきたものが在りました。そして今、10/3作業所交流広場に集まろうと言い始めて、9/27に生活保護減額のデモと集会が動き始めてみて、皆さんからの反響も含めて、世間様の動きも含めて、ドウ言えばいいのか、、ドウ言えばいいのか、、 「10/3作業所交流広場」は、実際の集まり自体は、『感染症対策』と『なかま内の不安対策』のために、『非公開の限定公開』なんですが、、、実は、ムズカシい独特の判断なのかもしれないのですが、、コンな『ご時勢』なので、信頼している皆さんには集まることを是非とも拡げたいのです、、、だから、もしよろしかったら、周りで『このご時勢』の中『感染するリスクもバッシングを受けるリスクもツブされるリスク』も引き受けてでも、今、イマ、いま『精神の作業所の交流会』を『このご時世の東京』でヤロウとしている『キーサン勢』が居ることを、是非とも拡めて頂けるとありがたいです。 そう、ホンとまさしく『集まることをお知らせることすら躊躇せざるを得ない世の中』になったのです。『70年前、何故、あの戦争を止めることが出来得なかったのか』、リクツではなく心から腑に落ちた次第です。うまくコトバで説明しきれない感覚です、、、おそらく『学問』を積んだ人たちはコトバに出来るのか、、、ソリゃあ、止められないはずだ、、、ソレを書いておきたいと想っているのですが、、、だからこそだからこそ、今最も『戦争に近づいている』と感じています。だからだからこそ、だか��こそ、『イマ、今こそ、ヒトとヒトとが集まって、話さなければ』と想っています。それが、戦争とファシズムに対する最大の抵抗です。来年ではなく、今年、今こそ、イマこそ、ヒトは、集まらないといけない、、、、だからだからこそ、アンなに『ご立派に反権力』を叫んでいた人々は、『ゲンジツのジッサイのヒトが集まってナニかする』ことを模索し続けないといけない、、、さもないと、またもや『あの時、いくらでも引き返せる可能性があったのに、何故アの戦争を止められなかったのか』と、問うことに、問われるコトに為るのだと想っています。
なるほど、何故アの戦争を止められなかったのか、、そりゃあ止められないはずだ、、、、その時代その時代で、押しとどめられナインですよ、、、自分たちがクラスターに為って、感染源に為って、徹底的に、、、が恐ろしいのです。自分たちが感染源と為って、徹底的に、、、、が怖いのです。『非国民』と言われることがナニよりも恐いのです。『ケンペー隊』に眼を付けられるから、止めといたほうがと言われ、ジブンもソウ言い、『トッコー』に眼を付けられないようにしないと、、、さもないと、生きていく上での正業の手段も奪われる。付き合いも人間関係も奪われる。ナニもかも全てが、奪われていき、これまで積み上げてきたものも、根こそぎ失われてしまうかもしれないのです、、、徹底的に排除されるのです。店に行ってもモノを売ってくれなくなる。暮らせなくなるのです。『自粛警察』『自粛自警団』『帰省警察』『ネットでの誹謗中傷』『貼り紙』から始まっていく、その後に来るのはホンとに『コロナ憲兵隊』か『コロナ特別高等警察』か『コロナ保健所隔離部隊』か、、、、『コロナ自警団』はもうアッて活動しているんだから、、、ソレは、もう実際には始まっていることなのです。おそらくは、特に保守的な農村部において、えばっちもそう云うトコの出ですから、、、『帰省警察』はそれを明らかにしてしまった。『ムラ八分』と云う古い古いコトバは、本当のことなのです。今回は『ムラ九部』に為った『お弔い』も禁止されるのですから、、しかも、幾つかの、いやもう沢山の狙い撃ちされた店や事業所や、個人はもうはやツブされてしまっているのです。しかも、実際にナニかの病気に罹ってしまうかもしれない、病気を染してしまうかもしれない、息が出来なくなる病気に罹るかもしれない、、煽りに煽られ、実際の感染者数も死者数も増えていく、、、『自警団』から狙い撃ちされて『虐殺』されるかのように無残に冷酷にツブされていくでしょう。恐いでしょう、えばっちだって恐いですよ。とても怖いんですよ、、、
だから、アの戦争を止められなかった、大地震の後の「朝鮮人虐殺」も止められなかった。災害が引き続き、貧乏人を襲う。貧乏人ほど被害が大きく、そして立ち直れないでいる。そこにまた次の災害が襲ってくる。何時に為ったら『復興』できるのか『元の生活』を取り戻せるのかと、三年前に五年前に災害に襲われた人々が、ため息をつく。ソコに流行り病が追い打ちをかけてくる。【IT】が【巨大資本】が【ワクチン】が、【悪者】をあぶり出し【元の生活】を誘いかけてくる。そりゃアー『朝鮮人虐殺』も止められなかった、『ハンセン病』に罹患したんだと云う人たちが、ドウ扱われていったのか、『感染する』と言われてドウ扱われてしまったのか、、もう一度、見つめなおすべきですよ。 だから、アの戦争を止められるとしたら、おそらく、駐屯地前で反戦ビラを撒くことよりも、ソレが出来なくなりつつあったのなら、特に、人々が、それでもパーマネントをかけ続け、ジャズのSPレコードを聞き続け、「ダンスホール」に通い続け、野球の試合の時に「よし一本」と言わず「ストライク」と言い続け、いや【言い間違い続け】なければナラナカッタのです。出来得る限り。でも出来なかったのです。出来なかった、恐ろしくて、、、、イマ、ヒトとヒトが集まることを、集まって話し合いをする催しを企画していることを知らせることすら躊躇せざるを得ないコのご時勢に為ったのです。おそらく、アの戦争の後で、今がイマが最も『次の戦争』に近づいている一瞬一瞬を生きているのです。だったら、『次の戦争』をドウしたら止められるのか、、、今、イマ、ドウ為ってシマッテいるのか。『コロナ感染症対策』なら、ドンなコトも進んでいってしまう、、、だったら、、、今イマ、いまこそ、ヒトは集まらなけりゃあーーイマ集まって話しをしなければ、、世間様の言う最大限の感染症対策をやりましょう、その上で、少なくともキーサンのセーカツの場を拡く開き続けないと、、、たまり場もサロンも作業所も患者会も、、とにかく開き続けましょう、拡く開き続けましょう。そして、もう一歩ダケホンの少し踏み出しましょう。それで、少しは、【止められるハズ】なのです。そのホンの少しもう一歩踏み出すことが『みんなでの食事会』なのかもシレナイし『みんなでレクに行く』コトなのかもシレナイし『なかまのうちに差し入れに行ったり様子を見に行ったり泊まったり』するコトなのかもシレナイし『交流広場』なのかもシレナイし、、、誰かが、みんなで、「よし一本」ではなく「ストライク」と言い続け【言い間違い】続けなければ、、、、 フト気付くと、生活保護が六年かけて減らされてきたことに反対する集まりが出来なくなりつつある、反原発も、ダム反対も、基地反対も、およそ考える限りの沢山の運動や集会や学習会やデモが、自主的に止まった、開けないでいる。全てのおよそ全ての『市民運動』『庶民活動』『示威行動』『非暴力直接行動』が、止まってしまった。萎縮してシマッタ。一人でも『コロナ感染患者』が出たら、、、と想うと萎縮し自粛し、自主的に止まってしまった。ソレデもヤロウとしたところが狙い撃ちにされて、徹底的に『権力』からではなく『隣人』から嫌がらせを受けてツブされていく。ソコに震えるほどの恐ろしさは感じないのか、、、しかもそれでいて、代替がネットでヤルことだと、何時しかソレは代替ではなくなるかもシレナい、、、ナニかが決定的に失われてしまうのではないか、それは、集会の時のヒトの熱気と、ヒトの息遣いと、ヒトとヒトとのニンゲン関係、トモダチ関係、信頼関係、同志的紐帯を生み出す最初の握手したときの力強さとやさしさと温かさなのかもしれない、温もりをカンジてウンドーは始まる、、ダのに、握手も出来ないんだから、、、熱気をもって訴えるアの本気度が伝わらなければ、、、リモートでの会議がネットでの話し合いが代替には為らないはずだけれども、、、熱気を持った運動には、その運動独自の匂いと、味と、そして汗と涙が、感じられるものだったのだけれど、、、最���匂いを感じられる距離にヒトとヒトは居てはいけないらしいのです、、、ソコに『ワクチン』が登場すればドウ為るのか、、、『ワクチン』は元の生活を取り戻すためにアルのではなく、命を救う為にアルのでもない、、、『ワクチン』は取り戻せるセーカツをコントロールするためにアルのです。『ワクチン』で大儲け、ソンなモンだけじゃあない、『ワクチン』は『核兵器』と同じくらいの戦略兵器なのです。『ワクチン』を先頭に、おそらく『IT企業』と『巨大資本』が、およそ考えられなかったトコロや分野にまで進出していくはずです。だって、この疫病で焼け野原になってしまっているんですから。その焼け野原になってしまったところに、元のセーカツを取り戻せるんだとばかりに進駐してくるのです。おそらく、自営業、自営農、自営漁、中小製造業、飲食業、観光業、旅行業、小売業、の、焼け野原の後に『ワクチン』を先頭に『IT企業』『巨大資本大財閥』が進駐してくる。ドウ元に戻れ、ドウ生業を続けられるのかは、『ワクチン』『IT』『巨大資本』が決定しコントロールするのです。【疫病】と【大災害】で【焼け野原】になってしまったところに『ワクチン』を先頭に『発達障害特性』を梃子に、【命と暮らしを救うのだ】と云う旗印のもと『IT企業』『大資本大会社』が進駐してくるのです。 「観察法病棟の質問状」「意見交換会、説明会の要請状」ソンなものは、此のコロナ禍では、会えない、話し合いの場を持てない、感染が収束しないうちは他所者を院内に入れることは出来ない、と言われてしまえば終ってしまうのです。『コロナがアル限り余所者は来るな入れない』、同じ様なことは、ほかの場所でも、別なモンダイででも、さんざん使われているはずであり、ソウ言われてしまえば、納得せざるを得ないダロウよとタカをくくれる、そもそも、ヒトとヒトが集まれない、、ウンドーの側も、『発達特性』満載の活動家中心に為っていけば、この状況の方が活動しやすいと、リモートバンザイ、ネット会議バンザイ、ネット集会バンザイ、ヒトとヒトの体臭と熱と息を感じられるほどのトモダチ関係や同志的紐帯や信頼関係や、一緒な空気で息をし、一緒の鍋でものを食べ、一緒の便所で糞をするヨウなセーカツに根付いた運動は、元々嫌で仕方がなかったのだから、、ヒトと会わないで何らかの運動や活動が出来るのなら、その方が余程いいのだ、と云うワケなんだから、、オソロしい、『発達特性バンザイ』なわけです。 えばっちとって、衝撃的だったのは、決定的だったのは、精神病院が全面的に、外出禁止、面会禁止、外泊禁止になって、閉鎖化していくことを、誰も不思議がらなかったことである。戦後ナン十年もかけて、如何なる立場の当事者も、ツマリ精神医も看護も学会も、もちろん患者側も、精神病患者の解放とは、具体的には精神病院のまず鉄格子を外し開放病棟を増やしていく試みではなかったか。そう、まずは精神病院の具体的な開放化であった。時間もかかった、ナン十年もかけ、外国のハナシも持ち込み、内ゲバもあった、職を失うことも、左遷されることも、病状を崩し、己が病状をかけ、保護室に戻らざるを得なかった病者も、自殺したなかまも、苦労に苦労を重ねて開放化は、着実に進められていった。それが、たった一発の今度の『コロナ感染症対策』の名のもとに、一気に閉鎖病棟に戻っていくのを、ナンとも想わなかったのか、、、深刻には捉えなかったのか、、、と云うコトである。精神病院の開放化への取り組みとは一体ナンだったのか。このニホンで、一時期、そして断続的コレからも、開放病棟のある精神病院が無くなったのである。そう一時期全ての精神病院が全閉鎖に為っていたかもしれない。ソレは、イマ、今、この時もである。信じられない想いで見ていた、ナン十年もかけて開放化を進めてきたのに、、この『コロナ感染症対策』の名のもと閉鎖されていくのを、、、ソコは誰もナニも言わないのか、、、言ってもコロナが収まったら元に戻ると本当に信じているのか、、元に戻らないとは言わない、でも、ナニかが、ナニかが決定的に変わっている、コトに気が付かないのか。
そして、元に戻す装置は『ワクチン』と『治療薬』なら、ソレを握っているもののコントロール下で元に戻るのだが、、さて、ナニをドのように元に戻せると云うコトに為るのか、為らないのか、なら『ワクチン』が出来た時からが、真に恐ろしいことに為っていくのではないか、、、 コンな危機感を抱いているのは、えばっちの病気のせいなのか、、、えばっちの考えすぎなのか、、、えばっちの業なのか、、、コンな危機感は理解されないものなのか、、、年内はヒトが集まることは止めた方が良いと止め続けられるのか、、、今、イマこそ、ヒトはヒトと会い、話し、集会を持ち、息遣いを感じられる、体臭を、その場の風と匂いと味を感じられる交流を模索し続けねばならないと想うのだけれど、モチロンもちろん、世間様の言う感染症対策を出来得る限りした上で、、、でも、、この危機感はキチガイの戯言として葬られ、やはり恐怖と不安と『ワクチン』に支配されるのか、、やはりえばっちは、イマ今こそヒトとヒトは会わなければいけないと詰め寄ってしまうことに為るのか、、、確かに、年齢も持病も健康状態も、長年のクスリのせいで免疫力も落ちているかもしれない、、失うものの大きさも質も違う、それでもなお、今イマ会うことを模索し続けねばならないと叫び続けなければならないと想う、、、えばっちの考えすぎなのか、、、えばっちの業なのか、、、えばっちの病気のせいなのか、、、ボクだって恐いんですよ、、集まることはね、、、ボクだって失うものはアルんですよ、、『一人でもコロナ感染者が出たら』と想うと、ここまで開き続け在り続けた患者会が作業所が、たまり場が維持できなくなるかもしれない、ジブンがそして大事ななかまが、この『感染症』で死ぬかもしれない、、、腰が引けているのです。またもや、誰もが喜ばないモノを書いてしまった。でもサイゴには、この危機感を書いておかなければと想ったのです。 おそらく、元に戻るものと戻らないものが在る いや、どのようにどのくらいナニを元に戻し、どのようにどのくらいナニを元に戻さないのか、それを決めることが出来るのです、自由に、『向こう側の人たち』がです そのための手段が『治療薬』と、 そして最大のものが『ワクチン』なのです。 彼らは素晴らしい武器を手に入れることに為る そして、『ワクチン』のおかげで、ある一定のものが元に戻ったように見えたとき、決定的なものがもう元には戻らないことが分かるのです おそらく産業構造は変わる ヒトとヒトとの関係性も変わる ヒトとヒトとの距離感が変わる ヒトとヒトの心性はファシズムに傾斜していく 発達障害特性がソコを後押しする ネットがITが、産業構造も、富の分配も、ヒトとヒトの関係性も、心性をも、支配していく ワクチンと治療薬が、元に戻すものと元に戻せないものとをコントロールしていく 【疫病】と【大災害】で【焼け野原】になってしまったところに『ワクチン』を先頭に『発達障害特性』を梃子に、【命を救う】のだと云う旗印のもと『IT企業』『大会社』が進駐してくる 2020/6/8起稿 9/4脱稿
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所 あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
前進友の会やすらぎの里のホームページ http://yuinoumi.web.fc2.com/zenshin-index.html えばっちのはてなブログ https://ebacciblog.hatenablog.com/ えばっちのタンブラー https://kisanebacci.tumblr.com/ えばっちのホームページ 乾坤一擲 http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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みちのく三都物語 ③
<青森・金木町>
青森は4度目と書いたが、数年前に東北の民謡に興味を持ったのが、そもそものきっかけだった。青森の民謡と津軽三味線を地元で聴き、たちまち魅了された。やはり、生演奏は違う。以後、毎年訪れている。
今では全国各地で津軽三味線の技を競う大会が開かれているが、やはりなんといっても地元で開催されるそれがレベルは高い。
その中でも私と北川景子は、五所川原市の金木(かなぎ)町で、5月の大型連休におこなわれる「津軽三味線全日本金木大会」(以下、金木大会)に、毎年エントリーしている。ただし、聴衆としてである。
金木町は、台形に突き出た津軽半島のほぼ真ん中に位置している。津軽三味線発祥の地として知られ、太宰治と吉幾三の出身地でもある。ちなみに吉の父親は、民謡歌手だった。
聞きたい種目まで時間があったので、町内にある津軽三味線会館を見学する。発祥と発展の歴史が展示してあり、先達の音源を聴くことができる。
津軽三味線の元祖として知られ、金木大会の最高賞にもその名を冠せられているのが、仁太坊(にたぼう)である。彼の経歴は、次のように記されている(一部省略した)。
<1857年(安政4年)、金木新田の一つ神原村で生まれた。父・三太郎は岩木川の渡し守である。渡し守は、当時の階層「士農工商」のさらに下である「筋目悪しき者」賤民であった>
身分制をあらわす「士農工商」はあくまでも比喩表現であって、実態を示したものではない。したがって現在では、教育現場などでは使われていない。また、「賤民」はまだしも「節目悪しき」の意味が、よくわからない。ともあれ、仁太坊と私は”同胞”ではないか。だから津軽三味線に惹かれたわけではないのだが・・・。
ちなみにインターネットの「コトバンク」では、仁太坊は<女盲の三味線弾きの子として生まれ>とだけあり、父親につては触れられていない。
仁太坊は疱瘡を患い、8歳で両目を失明。早くに両親を亡くし、生きるために三味線の技を身につけた、という説明のあと、こう続けている。
<幼少から人並みはずれた聴覚と記憶力を持つ仁太坊であったが、社会の最下層の生まれからなる「ナ、ナンダモンダバ!」という反骨精神が、その芸を更に磨き大きく飛躍させるバネとなった>
ナンダモンダバとは、なにくそという意味だろうか? 独特の叩き奏法を編み出し、即興性に長けた演奏を確立した仁太坊は<乞食坊主ではない「芸を売って糧を得る芸人」として一生を全うし>多くの弟子を育てた。1928年(昭和3年)歿。享年71。
津軽三味線の創始者が賤民で、その出身地まで書いてある。身分によってはルーツを曖昧にする傾向がある昨今、はっきりしていていい。
津軽三味線は、和太鼓とともに邦楽の雄である。その祖が賤民であったことを、演奏者をはじめ、どれだけの人が知っているだろうか。
<金木公民館>
はるか彼方に、冠雪した岩木山が見える。広大な田園に囲まれた公民館で、金木大会は開催される。築半世紀は経つ、いい感じの老朽施設である。
大会は、小学生以下から大人まで、個人と団体に分かれている。大会の目玉で掉尾を飾る「個人・一般の部 A級」(以下、A級)は、他と違ってトーナメント制である。
A級以外や他の多くの大会は、自分の得意曲を参加者全員が順番に演奏し、最後に順位が発表される。一方、A級は、参加者のくじ引きで対戦相手が確定し、1戦ごとに7人の審査員が、どちらの奏者が優れていたかを判定する。前年の成績優秀者は、予選は免除される。予選、1回戦、準々決勝、準決勝、決勝と4~5回勝たなければ、頂上に立てない。
課題曲は回戦ごとに、じょんから節、あいや節など津軽5大民謡の中から、聴衆がくじ引きで決める。
つまりA級は、偶然性を多分に含み、そのため実力者が早々と戦列を離れることも珍しくない。課題曲、対戦相手の組み合わせによって勝敗が左右されるので、演奏者は緊張を強いられ、聴衆はそのドラマを堪能できる。
運はあるものの、むろん実力がなければ勝ち進めない。ちなみに第1回大会の優勝者は、現在も第一線で活躍する上妻宏光である。
参加者は年齢、性別、演奏歴を問わない。10代から壮年までのプロ、アマが、ガチンコで技を競う。およそ何の制限もない競技というのは、ジャンルを問わず、いまどき珍しい。
弘前で開かれる世界大会は、大ホールが会場で、ネットでも中継されているが、金木は前記したように公民館である。会場の後ろ半分はパイプ椅子、前半分はござが敷いてあるだけだ。
入場はなんと無料で、見放題、聞き放題。数百人の聴衆は、地元住民をはじめ、大会参加者やその家族で占められる。私たちのような純粋なファンは、あまりいない。5月の連休に金木に行くと言えば、よく大会参加者に間違えられる。
今年のA級の参加者は15人で、演奏のレベルは、例年以上に高かった。後に、5年前に1位に輝いた奏者がエントリーしていたことを知る。3年前は中学生で体も小さく、三味線が大きく見えた本多凛さん(石川)は、予選で1-6の大差で敗退し、敗者復活戦でも同じ点差で敗れた。
「あるレベルまでいったら、誰もがぶち当たる壁なんでしょうねえ」
後に参加者のひとりは、私に教えてくれた。
強豪は、まだまだいる。前日、青森市でおこなわれた「津軽三味線日本一決定戦」で2位に輝いた白藤ひかりさん(東京)は、1回戦は6-1で勝ったものの、準々決勝は3-4で惜敗している。
ちなみに白藤さんが準優勝した日本一決定戦で、最年少優勝した中3の中村滉己君(愛知)は、金木大会の常連である。今年の金木大会には顔を見せなかったが、もし参戦していたら、より激しい戦いになっていただろう。
やはり金木の常連で高1の大塚晴也君(静岡)は、今回、個人的に注目していた。晴也は「せいや」ではなく「はれるや」と読む。昨年は準優勝しており、優勝候補の筆頭である。
なぜ、注目していたかというとーー。津軽三味線会館を見学していたとき、入り口付近でスタッフに声をかけられる夫婦がいた。「大会に参加するんですか?」と聞かれ、「いえ、大塚晴也の親です」と答えているのが、入り口付近にいた私にも聞こえた。
前日、彼が弘前において開催された別の大会で入賞した話になり、スタッフがスマホで名前を確認しようとしたが、なかなか見つからない。私は当日の地元紙・東奥日報を読んで、彼の名前が掲載されていることを知っていた。たまたま持っていたので、受付けでそれを彼らに見せた。新聞だと、すぐに見つけることができる。両親はたいそう喜んでおられた。スマホで名前を見ても、それほど感動しないだろう(と活字人間の元地方紙記者は思う)。
そんなことがあったので、晴也君の演奏に注目していた。もはや、聴衆ではなく、親の目線である。彼は1回戦は不戦勝、準々決勝を7-0、準決勝を6-1と圧倒的な強さで勝ち上がり、順当に決勝戦まで駒を進めた。
対戦相手は、A級初参加の鈴木利枝さん(大分)。現在31歳で、年齢だけを見ると、倍は違う。鈴木さんは1回戦で常連の藤村由慈君(岩手)を6-1、準々決勝で前出の白藤ひかりさんを4-3、準決勝では常連の佐藤晶君(青森)を5-2で下している。
佐藤君は、3年前に青森県黒石市のみやげ物屋の蔵を改造した小さなホールで、北川と私のたったふたりを相手に演奏してくれた若者である(当ブログの2016年5月掲載の『津軽』を参照)。酷使した指が自由に動かない病・ジストニアにかかっていたが、それを感じさせない演奏で、鈴木さんには敗れたものの、今回はこれまでで最高位のベスト4に入った。青森の参加者は彼だけで、地元の意地を見せた。
さて、決勝戦である。A級初参戦の鈴木さんは、桃井かおりにそっくり(個人の感想です)。何よりも背筋がぴんと伸び、演奏する姿が美しい。撥(ばち)が、正確に弦をはじいている。だから音が力強く、かつまた美しい。
野球の打者でたとえるなら、ボールをバットの芯に確実に当てている感じ。打球の速さや飛距離が、格段に違う(松井秀喜がそうだった)。
アコーディオン奏者のCOBAが、逸材であるがゆえにイタリアに留学した際、最初に教えられたのが椅子の座り方、楽器の構え方だった。基本ができてこそ、より高いレベルに到達することができる。
決勝戦の課題曲は、津軽三味線の代表曲の津軽じょんから節。晴也君は高校生にして数々の大会に出場し、すでに舞台慣れしていた。緊張している様子は、まったく感じられない。会場からの声援にも、余裕の表情でこたえていた。
本番は安定した撥さばきで、3分以内の演奏を終えた。一方、鈴木さんは音の強弱、テンポを自由に操り、聴衆の心をつかんだ。まさに、甲乙つけがたい。
「審査員じゃなくて、よかったーっ!」
思わず出た司会者の叫びに、私たち聴衆もうなずいた。
結果は4-3の僅差で、鈴木さんが制した。両手で顔を覆う桃井かおり。どちらが勝っていても、誰も文句を言わなかっただろう。稀に見る、充実した優勝決定戦であった。
<愛知⇒青森⇒アジア⇒大分>
鈴木さんの経歴がユニークだ。名古屋市の出身。小学高学年で三味線を始め、中学生で津軽三味線に心を奪われる。だが、そこから、流浪の旅が始まる。
青森の中学校に転校し、修行を続ける。4歳で母親と死別したため、青森には父親とともに移り住んでいる。ところが新天地で人間不信に陥り、ひきこもりに。<人生で一番辛い時期>(ブログ)を過ごす。
高校には進学せず、父親とともにネパール、インド、カンボジアを数年間、放浪する。三味線を持っていったのだろうか。どうもこの父親が、彼女にとってキーパーソンのようである。
帰国後は大検資格を取得し、大分の立命館アジア太平洋大学に入学する。前後して東京や関西で開催された津軽三味線の全国大会で優勝を果たす。大学卒業と同時に、大分で教室を主宰し、現在に至る。
人生のどん底を過ごした、青森での快挙。大会に参加する弟子に誘われ、自身もエントリーした。いまは、弟子とともに人生がある。ブログには<複雑な思いがあった青森でしたが、たくさんの温かい思い出に変わりました>とつづっている。
愛知⇒青森⇒アジア⇒大分と移動し、楚々とした印象からは想像できない険しい道を歩んでいる。あの美しくも激しい音色は、彼女の人生経験を凝縮したものなのだろうか。
<青森空港>
空港の待合室で、見おぼえがある靴が目に入った。黒のローファーだが、上辺だけ白い革があしらわれている。金木大会のA級に参加していた堀尾泰麿さん(愛媛)ではないか? 座敷席から、演奏者の靴がよく見えるのだ。
靴から視線を上げると、黒いスーツに、白いワイシャツ。本番のときのように、真っ赤なネクタイこそしていなかったが、やはりそうに違いない。10代、20代の大会参加者が多い中、47歳は最高齢であろう。
「堀尾さんですか?」と声をかけると「そうです」と応じてくれた。私たちと同じように大阪まで飛び、そこから愛媛に向かうのだろう。
堀尾さんは、予選では0-7で前出の佐藤君に敗れ、敗者復活戦で本多凛さんに6-1で勝った。だがそのあとの1回戦において、宮﨑啓佑君(神奈川)に2-5の判定で苦杯をなめている。宮﨑君は、ベスト4に残った強者である。
「惜しかったですねえ」と水を向けると「5年前に優勝したんですが、思うところがあって出場しました。でも、やることはやったので、納得してます」とおっしゃった。調べてみると、確かに言われた通りだった。
驚くべきことに優勝した翌年も出場し、決勝戦で破れている。さらにその翌年も参加し、ベスト4に名を連ねた。1位に輝いた勝者が、翌年に出場しても再び勝てるとは限らない。なぜ、挑戦し続けるのか? トップに立った者にしかわからない”何か”があるのだろう。
今大会は、最初は音が響かなかったので、後に音程を上げて演奏したという。優勝した名人であっても、試行錯誤があるのだ。
空港の待合室の椅子に、ひとりぽつんと座っている姿は、心なしか寂しそうではあったが、「やることはやった」という言葉に、いつまでも挑戦し続ける堀尾さんの心意気を感じた。
堀尾さんは愛媛で津軽三味線を教えながら、演奏活動を続けている。今回優勝した大分の鈴木さんは、昔からの知り合いで、海を隔てているものの隣県同士であることから、ジョイントライブを開くこともあるという。ふたりのかけあいを、いつか聴いてみたい。<了>
(2018・5・15)
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