#なんだかんだ孫くん描くのが一等楽しい
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amumate · 9 months ago
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コレの模写↓
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ashi-yuri · 2 months ago
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Mouthwashing 「ある医務室の記録」
アーニャに関するごく短い掌編
<出航1週間前>
「1年ってだいぶ長いじゃない。よく受ける気になったわね。」
「かなり迷ったんですけど、終わったらいい額の臨時ボーナスが出るって。それなら奨学金の返済が楽になるし、今後のことを考えたらいいのかなって。」
「そうなの。まあ、部門縮小の噂もあるし、もらえるうちにもらっとかないとかあ。長期航海は小規模チームでも短期とはまたべつの大変さがあるから、いろいろ気をつけてね。」
「はい、メンバーはベテランぞろいらしいんですけど。自分は長期ははじめてなので、船医としてやっていけるかちょっと不安で。」
「あんまり根詰めないほうがいいのよ。そうだ、帰ってきたらお祝いに、このまえ本社のそばにできた、話題のちょっといいパフェごちそうするね!」
「気が早いんじゃないですか?でも……ありがとうございます、楽しみです。帰って来た時も、まだお店あるといいな。」
「確かにねえ。」
<発見3日後>
「そこ、3号、鼻から血を流してるほうの奴な、バイタル記録みたら二人分らしいぞ。」
「そっすか。」
お得意さんからまわってきた孫請け仕事の事故処理現場は、思ったよりきれいで助かった。ロケットの損傷は軽微、現場の保存状況は良好、内乱で死んだらしい死傷者たちの外傷・腐敗は最小限で済んでいる。空気が漏れた宇宙船の破裂した人体ほど悲惨なものはないから、だいぶ運がよかったものだ。その分、苦悶の表情がよく見える。
けれど、その表情の先を読み取ることはしない。仕事を続けるためには必要なことだ。それが自分の仕事。それで金を受け取っている。3号の顔は物言わず虚ろなまま自分を見つめ返す。この船はもうすぐ爆破処理される。船は会社が抱き込んだ査定員のもとで保険金へと変わり、その金は会社と遺族へ引き渡されるだろう。仕事は終わり、金だけが巡っていく。
あなたは必要なものを受け取った?
<衝突30分前>
銃だけは、ぜったいにあの男に渡してはいけない。
緊急避妊薬の使用期限は過���てしまった。どうしてバイタルチェックを見逃してしまったのだろう。ピルは飲んでいたはずなのに。でももう泣き言は通らない。結果だけがすべてだ。妊娠したことを告げたとたん、あの男はふらふらとなにも言わずに立ち去った。
ふしぎと驚きはなかった。期待していたわけじゃない。予想しなかったわけじゃない。けれど、強い失望だけがそこにあった。
不安とさみしさとプレッシャーの中で、あの男と関係を持ってしまったことをどれだけ悔いただろう。こちらを馬鹿にしたような素振りも、身勝手な欲望もイヤで仕方なかったけれど、決して私のことを見ることのない昏い瞳が見つめる先にいるときが、この逃げ場のない宇宙船の中での逃げ場所だった。
でもいまは、それ以上に嫌な予感がする。去る時に見た焦点の合わなかった目は、もうなにをしでかすかわからない気がした。
自分はあの男のメンタル不全の兆候を見逃したのではないか?同じく失調気味で、あの男のことに関してはまったく頼りにならない船長に、彼のメンタルチェックを任せたのは適切な判断だったか?船長の「異常なし」の所見を、本当に信じてよかったのか?精神を崩した患者に、過剰なショックを与えたとしたら……
ドンっ、と強い衝撃が襲う。バランスを崩した身体が床に叩きつけられた。
<過剰投与3日前>
『船医であるあなたが、船員のこころと体を守るの。完璧はむりだけど、せめて船を動かし続けられるように。だから、絶対に医務室では主導権を渡してはだめ。医務室の主はあなた。どんなベテランだろうと船長だろうと、みんな等しくあなたの患者なの。患者の健康管理があなたの責任。わすれないでね。』
先輩の言葉が今さらよみがえる。ここは、医務室は、もう私の場所じゃない。部屋の中央で船長だった肉塊が苦しみの声を上げ続ける。それを聞くことがつらくて、あの男に鎮痛剤の投与を任せたら、ずっとこの部屋に入り浸りはじめた。私のことも、お腹の子のことも、一度も口にせずに、船長の包帯を巻きなおし、薬を飲ませ、甲斐甲斐しく世話を焼き続ける。本当は、あの男を追い出して、私がしなければならないことだとわかっている。船長には船長として、船医には船医としての役割と責任がある。でもその苦しみを引き受ける気には、どうしてもなれない。
船医なのに、自分自身も、船長も、あの男も、この子のことも、だれの健康も守れなかった。
今となっては、この船全体が病んでしまった。船内はどこに行ってもアルコール臭いマウスウォッシュの臭いが漂い、きもちわる��て吐きそうだ。もうずっと、だれにも言えないけれど、気分がわるくてきもちわるい。媚びを売るようにして手に入れた鎮痛剤は、私ではなく船長のためのもの。食事管理もバイタル管理もなくなって、もうこの船に健康なんてどこにもない。
医務室の椅子に座って、うめき声とあの男がなにかぶつぶつ言う独り言を聞きながら、ただ失敗した、責任を果たせなかったという考えだけが頭に浮かび続ける。
<過剰投与3分後>
くるしいくるしいくるしい。
だけど最高に気分がいい!!
ロックのかかった医務室の中、なすすべなく横たわる船長と自分だけがここにいる。
今、ようやく、この部屋の主は私だ。だから私が患者の、自分の生死を決める。
あの男が逃げ出した責任、私の果たせなかった責任、すべてが身を苛んであまりにも苦しい。この身体もお腹にいる子も生きたいと叫び続けているのに、私はもうこの苦しみに耐えられない。
鎮痛剤を船長に分け与えれば、この意味のない苦しみを終わらせられるだろう。けれど私はただ、私に終わらない苦しみを与えたあの男と船長が、より長く苦しむことだけを願っている。希望のないこの場所で、生き続け、苦しみ続けることを!!
……私はどうして、医療の道へ進もうと思ったのだろう。
もう悲しくはないのに涙があふれる。口の中を埋めつくす味のしない薬を噛み砕きながら、食べに行くことのなかった生クリームと果物たっぷりのパフェのことを思い浮かべた。
あとがき
誰にもかえりみられることもなく失われたものと彼女の責任について。
労働SFが好きなので、被害者としてだけでなく労働者としてのアーニャ見たかったなあと思ったので書きました。満足。
被害者としてのアーニャについてはこちらの考察を参考にさせていただきました。深く感謝。
【Mouthwashing】感想+考察|鹿
なお、後半アーニャが自分のことをひどく責める描写になってますが、男女比率の偏った孤立しがちでプライバシーも確保できないろくでもない労働環境(会社がわるい!)と不測の事態のなかで、非熟練者なのに頑張ったと思ってます。
いつかおいしいパフェを食べてほしい。
(おまけ)
ジミーとカーリーに関する所見+Mouthwashing感想
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patsatshit · 1 year ago
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「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて2018年14号から連載中の『呪術廻戦』が面白い。人間の負の感情から生まれる化け物・呪霊を呪術を使って祓う呪術師の闘いを描いたダークファンタジー。読者の予想を裏切りまくる展開で、数多の考察系YouTuberを幾度となく地獄に叩きつける作者のイヤラシイ才能に惚れ惚れする。ストーリー、人物造形、魅力的な術式の数々、どこをとっても見どころ満載で語り始めたらそのまま夜を駆けて呪いに転じてしまいそうなんだけど、特筆すべき点をひとつ挙げるとすれば、主要なキャラクターのひとりである羂索という呪詛師の存在。他人の身体を乗っ取り、永い時を越え自らの野望を叶えるために存在する人物。この羂索が物語を牽引するから本作は特別なものになっている。どこまでも純粋に面白いことを追求する奴が真に面白いと思ったことだけを次々に実践していく訳だから、その内容が面白くならない筈がない。
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彼が目指すのは「呪力の最適化」である。 呪霊のいない世界でも牧歌的な平和でもなく、自らの生み出すもの以上の可能性を見つけること、つまりは呪術の力で新たな世界を創造しようとしている。 呪術師・呪霊・非術師、これらは彼曰く「人間という“呪力の形”の可能性の一つ」に過ぎないらしく、さらなる呪力の可能性の探求の為に、1000年もの間、様々な術師の身体を渡り歩いて暗躍を続けていた。 そして最終目標は日本全土を対象に人類への強制進化を成すため、人類と天元を同化させることである。 おまけに乗っ取った人物の身体能力、特徴だけでなく術式等の能力をもそのまま引き継ぐことができるのだが、本人の年齢及び本来の顔、性別も未だに不詳。ここまで書けば勘の鋭い方なら既にお気づきだろう。そう、これは完全にドゥルーズの生成変化である。生成変化とは他なる物事への複数の「外在��」な「関係」の付置それ自体としての、言うなれば「関係束」としての「自他」が組み変わることである。それは万象の渾然一体ではなく、互いに区別される関係束の多様な組み変わりである。ドゥルーズの動物論は、スピノザ的「生態学的倫理」として解釈されることが多い。要するに自己の「身体の能力」を開発し、他者のそれと絡み合わせ、自他が一緒に活力を増していく「強度の共同性」を拡大することである。まさに「闘争領域の拡大」というやつだ。そしてそれは数々の漫画作品からの場面引用と構図、展開等の組み合わせで『呪術廻戦』を構築する作者の意図としても汲み取ることが可能である。
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つまりは羂索≒芥見下々であると、わざわざ声を大にして僕は言いたい訳だが、これは世界とは、断片的な物事のあらわれを「想像」に於いて「連合」した「結果=効果」であり、そして世界のいたるところに、互いに分離した想像する「精神」があるというヒューム主義を独自に咀嚼した庵野秀明原作・監督によるオリジナルアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の概念を字義どおりに渡り歩いた芥見下々の巧みな筆捌きからも察することは容易い。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で作中人物の碇ゲンドウが目論んだ「アディショナルインパクト」をゲンドウ自身の言葉で要約すると「セカンドインパクトによる海の浄化。サードによる大地の浄化。そしてフォースによる魂の浄化。エヴァインフィニティを形作るコアとは魂の���質化。人類という種の器を捨てその集合知をけがれなき楽園へといざなう最後の儀式だ」ということであるが、これは羂索の最終目標である日本全土を対象に人類への強制進化を成す為、人類と天元を同化させようとする「超重複同化」と思想的にもかなり近しいものがある。『新世紀エヴァンゲリオン』は言わずもがな、他作品へのオマージュをふんだんに散りばめる『呪術廻戦』そのものが芥見下々なりの「アディショナルインパクト」であり「超重複同化」であり「生成変化」の一端であると言い切ってしまうのは、いささか暴論に過ぎるだろうか?
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『呪術廻戦』と同じく「週刊少年ジャンプ」で連載中のギャグ漫画『僕とロボコ』の第156話「オマージュとロボコ」と題された一話にはオマージュを最大の武器としている作者・宮崎周平の意図を盛り込んだ内容で、そのあまりにも大胆かつバカバカしい試みに失笑を超えて思わず仰け反った。「パクりはもう卒業しました!」と切り出す主人公ロボコは「複数の作品の良いトコロを参考にすれば、それはオリジナルになりうる!」と豪語する。そして数え切れないほどの他作品の「良いトコロ」をつまみ食いしてオリジナル漫画を描き上げては周囲を唖然とさせるも、本人は至って冷静に「オマージュの範囲内ですね」と嘯く。そしてキャリア2年目の編集者が編集長の目を盗んで本誌掲載に踏み切り、結果、見事に大炎上するという極めてメタメタで知的な内容だった。オマージュについては『リズム・サイエンス』(青土社)という書籍にも深い洞察が垣間見える。本書はヒップホップやジャズなどのブラック・ミュージックから現代音楽、果てはメタルまでを往還する境域のミュージシャンDJスプーキーが本名ポール・D・ミラー名義で上梓した渾身の音楽論��ある。前述のロボコが描いたオリジナル漫画のタイトルが『ドキ♡孫・D・炭太郎の青春‼︎大秘宝‼︎』であったことを鑑みれば、宮崎周平の目論見は明確である。ミドルネームの「D」それは単なる偶然にしては出来すぎた話ではないか。近/現代思想を核に、音楽、映画、小説、詩をサンプリングしながらも、「他人の思考を自分のものにするのは発明するのと同じくらい難しい」と天を仰いだその真意とは。彼の試みは確実にイギリスの批評家マーク・フィッシャーに受け継がれ、氏の没後は言うまでもなく……。
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東京を拠点に活動するラッパー、J.COLUMBUSが長野県松本市のトラックメーカーMASS-HOLEをプロデューサーに迎え、制作したアルバム『On The Groove, In The City』は、幾つもの言葉の断片が虚実の被膜ではなく、自己/他者の被膜をねっとりと愛撫するように言葉が置かれる。しかもそれらは決して打点を刻むことなく、じわじわと地中に溶解する。もはやJ.COLUMBUSの言葉とPAUL AUSTERの言葉に差異はない、否、具体的には決して交わらない他者と自己の言葉が混ざり合うことも溶け合うことも拒絶して地表に吐き捨てられる。これはストリートの詩情などという陳腐な戯れではなく、現前する意志を喪った風景を浮かび上がらせようとする稀有なる試みだ。因みに芥見下々は「パロディやオマージュの線引きは、自分の中では明確な基準がある」と明言している(コミックス16巻を参照)。ここまで記してきた僕の文章自体もWikipedia、ピクシブ百科事典、千葉雅也の論文「ジル・ドゥルーズと生成変化��哲学」を渡り歩いたものに過ぎず、無論、オリジナリティは皆無である。
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oivgbqiqfz358 · 7 months ago
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--深海人形-- 受け継がれる意志(ハジケ)
※多く、Threadsより引用
※クロスオーバーネタ注意
※全体的に閲覧注意
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
※格言:私の性癖に読者は無関係である。
…。
『Effigy(生体部品)』加工なんてのをやってる時点で、ワイにEXAを批判する権利なんて無ぇよ、畜生(※何れはハマーン様辺りが其れになった系の更なるIfを描きたいです!!!!)!!!!
…Effigy作った開発チームさぁ、本当は、Effigyを、なるべく、アニメ悪魔の桃玉か某侍魂の鶴女中(※萌えの究極体)かID-F87みたいにしたかったってさ(※無理です)。…筆者は最初から無理だと思います(※ぽよ)。
…。
…公式で海腹川背の子孫、横山埜鼓たんが存在する限り、海腹川背は人生の一度だけでも、結婚して、旦那持ちで子持ちでないと話が成立しないのだ(※…少なくとも、一生独身は無理)。
…『○○は××の子孫(※時空超越ネタ込み)』ネタ自体は大変ありきたりだが、安直に入れるべきでは無かったと思う。キャラを深掘りすれば深掘りする程、今回の彼奴等みたいに脳を焼かれる奴が出て来る(※怖ろしいね)。
…世界観とか話作る能力無い人間が、ストーリー性とキャラクター性がやけに強いゲーム作ると大抵悲惨な事になる(※気がする)。
…。
…ロボアニメ(特にリアル系)全般に言えるけど、オート操作と見せ掛けて実はマニュアルなので其の隙に奇襲をするみたいな攻撃も出来る筈なのにな(※…けれど、実際は全然無い)。
…基本的に、ロボアニメで描かれる、ロボ同士の戦闘って、スタイルが鬼滅か聖��士星矢に近い(※気がしてる)。…HxH、ジョジョみたいな『兵は詭道也(孫子)』の、相手を騙して少しでも出し抜く、知恵を使う戦い方は基本しない(※其う言う方面についての議論もされない)。
…「…此の一連の動作は全てオート操作だ!動作が終了する迄相手は隙だらけだ!!(※確信)」…と相手が思い込んで、ある程度近づいた瞬間に、実は此れ等動作は全部オート動作に見せ掛けたマニュアルで、一気に此方が詰め寄りバッサリ斬る(※…みたいな戦法全然無い)。
…宇宙世紀ガンダム履修してる時と過去拙作(特に異宇宙とボクは許さない辺り)を書いてる時によく思ってた……HxHって皆全編に渡って最高に高度な戦略を張り巡らせて戦ってたんだな……って(※其う考えると星矢は正反対)。
…The Oってどのモビルスーツ、モビルアーマーともパーツの互換性無さそうだけど、どうやって修理用のパーツ調達してんの?…真逆、わざわざ一から作ってんじゃないんだろうね?(※趣味で作ると如何しても其うなる)。
…The Oとエルガイム mk-1は割と対照的だと思う(同じ意見は全く見掛けないけど)。片方は性能重視で量産性も度外視なのに、エルガイムはパーツ一つ一つをデチューンしてでも量産性と整備性を確保したモンな(…其の御陰で、反乱軍はエルガイムを量産してポセイダル軍に優勢を取れる様になった)。
…世間は逆だと考えてるだろうけど、The Oは隠し腕だけ完全マニュアルで動かして居ると思う(※サイコミュ操作万々歳)。
…。
…コウ・ウラキ君にAT・アーマードトルーパーを見せてやりたい、どうせシロッコみたいな感想になる(※如何足掻いても最低の匂い染み付いて む せ る )。
…ポケ戦のバーニィ、ザクに乗るよりATに乗った方が戦果出せたんじゃないか説(※…ATの操縦は凄まじく簡単だし……)。
…。
…ウラキとかガトーとかも泳げると思いますよ。泳げない正規軍人とか有り得ない(※…宇宙賊とかゲリラとか宇宙戦国時代の軍隊なら幾らでも居るだろうけど)。
…宇宙世紀じゃなくこれてアナザーだけど、鉄華団とかはどうしてたんだろうな……??(※あの時に落ち所が悪かったら大打撃被ってたんじゃ……??)。
…。
ワイの歴代ネタ&(男・ショタ)リョナ用サンドバッグ(※或いはトレモの木偶かあすらん並オモチャ)一覧(※此れからの拙作で、昔の奴で復活する奴居るかも)。
…意外と少ない(※…尚、ア��ルじみやが生存する限り無限に増えます)。
ウェイン兄弟(※元祖でありR-9A的存在)
京サマ
NAOYA
漂流者数名
俺だけひょうきん族(※史実の新撰組副長は若かりし頃、非常にひょうきんであった為、検索避け目的でも此の様な渾名で呼んで居た)
死に損ないの猿
無言の不審者
元メトロシティの英雄
某モテモテリア充武神流忍者
某盗賊団の団長
ヒソカス
交渉人(ネゴシエーター)
七瀬ちゃん
ブレア・何とか
せぇこちゃん大好き反則君
ロソ豚
イカサマタマゴ
たまのりピエロ
アナベル・コケコッコー
死因:スイカバー突撃自称一握りの天才
…他に居た様な気がする(※居たら教えて欲しい)。
…。
ジェリド「…嗚呼、…シロッコか……。…彼奴は木星時代から不健康な生活してそうだからな……、…脱いでも……ってぇ、…うわっ……、…貴様?!何故其んなに筋肉質なんだ?!???(※注:ジェリド君はシロッコ君が上半身を脱いだところを見ました)。」
シロッコ「…木星は基本的に娯楽も無くて地獄だ。其れに、暇な時は筋力鍛錬で暇を潰してたからな(※謎のドヤ顔)。」
ジェリド「…何て健康的なんだ……!!(※健康的過ぎだろ!?)。」
…。
…此のシロッコ君は長生きしそう、どこぞのヴェイガン絶対殲滅爺さんみたいに(※絶対嫌な爺さんになるww)。
…。
…新人クリエイターを寄せ集めた練習台、当の監督にZガンダムの踏み台扱いされながら、FSSとZガンダム及び以降のガンダムシリーズの基礎になれたエルガイムは、可也の幸福なアニメかもしれない(※正直ドラグナーよりも幸福だと思う)。
…レイズナーは、何とか再アニメ化して、最後迄当初の構想通りに全てを描き切れないと、何時迄経っても救われないんだろうな(※遠い目)。
…ドラグナー最大の救いはスパロボに出て再評価された事とSEEDシリーズの礎になれた事(※割と救われてる、完全にリアルロボットアニメ史に埋もれなかったのは、最早奇跡に限りなく近い僥倖)。
…ガンダムだけが勝者でエルガイムとレイズナーとダグラムとドラグナーは敗者なんだね(※辛い)。
…本当はドラグナー好きな筈なのに、すぐ「…あんなアニメ凡作レベルじゃんww此れだから、マイヨニキとミン大尉は0083のガトーとシーマに本家越えされたし、ZZより可哀想な扱いなんだわww(※嘲笑)。」…みたいな事言い出すワイ(※最高に面倒くさい)。
…頼む!!!!!!!!!!!!!!エクバのシステムでスパロボさせてくれ!!!!!!!!!!!!陽昇リアルロボットアニメ限定でも良いから!!!!!!!!!!!!!!!(※特にレイズナーとドラグナーを頼む!!!!!!!!!)。
…。
ウラキ「…ガトーを家具の椅子としてうちに置きたいなぁ……(※溜息)。」
モンチッチ「…辞めとけ……(恐怖)。」
ウラキ「…花瓶にもしたいなぁ……(※過激派)。」
モンチッチ「…ええッ……(※後のティターンズドン引き)。」
…。
…館主様かふーけつかガトーをカタリ派の完徳者(※正統派からマニ教と一緒くたにされた奴)か異端審問官(※ほぼ実質悪役)にするって言う計画のネタがありまして(※急なネタ出し)。
…。
…星乃⚪︎ってレーダーシステム無いから、本家と違ってDiscordとかで連携取り合いながらじゃないと上手く共闘出来ないって聞いて、WW2の日本軍思い出した(※日本軍もレーダー無い所為で後半になれば成る程苦戦した)。
…エクバと星⚪︎翼、連邦とジオン以上あるよな基本的な戦力差(※…然も、其のジオン側には、ソーラレイも水泳部も無いと言う……)。
…大高達帝国(※元祖機動兵器群プラモデル文化込み)vs薄っぺらい中華な山寨文化スレスレコンテンツ(※某Kansenゲー似)じゃ、…其りゃぁ、絶望的ですよ(※連邦vsジオン以上に)。
…星⚪︎翼って完全に某艦船擬人化ゲーに対するブルオ⚪︎とかブラ⚪︎ジとかアズ⚪︎ンポジションやん。本家に勝てずに敗北して行くパターンやん(※中華って基本其んなばっかりかも??)。
…と言うか、東方エクバ作ってくれよ(※切実)。
…“幻想のヴァルキューレ?” 知ってる子ですね()。
…。
※以下、クロスオーバー注意
…キリコが聞いたら、普通に祝福すると思います(※…他の二人は、脳を焼かれてたけど)。
「…そうか。男を見つけて家庭を築いたのか。…彼奴らしくも無いが。」
「…俺にも、かつては、幸せにしてやりたい女が居た。」
…。
メモ 此奴等が泳げる理由
キリコ ギルガメス正規軍が教えた
ロジャー 軍警察が教えた
シロッコ 水泳教育の機会が多かった。
坊や(没案) 同上。
後、航空機や宇宙船が海に不時着した時、泳げない故の無駄な事故死を防ぐ為に宇宙船の乗組員は必ず泳げる様に教育されて居る(此れは現実の航空機パイロットや宇宙飛行士も同じ)。
…。
にせウラキ(嶺厳偽装型)
…館主様がウラキに擬態した姿。弁髪の様な後ろ髪を切っており、ウラキ��同じ短髪である。余りにも、本人に似て居る為普段は左目に眼帯をしている(※モノアイ)。
ガトーを誘き寄せ、釣る為の『擬似餌(ルアー)』だとよく言われるが、実際、ガトーはよく騙される。声質も違うのに(※…流石、Bガンダム関係の誤報に踊らされたと噂された奴だ。面構えが違う)。
……後、『中国のアレ』とか『中国製ウラキ』とか『中国製のパチモン』言うな(戒め)。
…最後は、ケジメとして、本物にスイカバー突撃され、ド定番変な顔芸しながら戦死(※御約束)。
…と言う訳で、ウラキはZガンダムに乗るかも?(※…但し、乗せる気は無いが)。
…。
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toshiki-bojo · 5 months ago
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「虚子への俳話」174
「花鳥」令和5年7月号より転載
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 「虚子の子」
 高濱虚子には二男六女の子が居た。全ての子が俳句に関わっていた。孫曾孫その連れ合い等を入れると数十人になるだろう。その子の中で主だった俳人を挙げる。
 「高濱年尾」
  戻りゆく踊疲れの三味抱いて
 これは越中おわらの「風の盆」の風景を想起する。町中を夜通し胡弓を抱いて踊りながら辻を巡る。そのせつない音色は明け方まで続く。年尾は情感の俳人。
 「池内友次郎」
  鶯や白黒の鍵楽を秘む
 友次郎は親戚の名字を継いだ。日本を代表する音楽家でもある。しかしこの人は俳句も天才的に上手かった。これは鶯の歌とピアノの音楽との取り合わせ。作曲家である彼にとってピアノの􄼴盤は楽を��でる命。
 「星野立子」
  初秋の大きな富士に対しけり
 立子の句はどうしてこう伸びやかなのだろう。山中湖の虚子の別荘での句か。父と供に過ごした日々。私は個人的にこの人が最も自由で奔放であり、虚子の資質を受け継いだと思っている。
 しかし虚子の子の中に一人だけ早逝した子が居た。名前は「高濱六」。六番目に生まれたからそう名付けられた。なんとも素っ気ない。彼女は三歳の頃にまだ首が座らないまま親に抱かれずに死んだ。  虚子曰く、「凡てのものの亡びて行く姿を見てみよう。私はそんな事を考へてぢつと我慢して其の子供の死を待受けてゐたのである。抱き上げると一層苦しげに体を藻掻くので抱かなかつた。三歳の少女は父母にも抱かれずに、風の空洞を吹くやうな声を残して其の儘瞑目してしまつた」
 この虚子の死生観はもの凄く俳句観に通底している。  物事はそのまま凡てありのままの姿であるべき。亡ぶ姿もまた。俳句とはそれを客観写生・客観描写する。   引用・2023年8月、南日本新聞への投稿原稿より
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jinsei-pika-pika · 7 months ago
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北村道子が語る、映画スタイリングという仕事。 好きなデザイナーの洋服を力に変える
25 May 2024
忘れられないシーンや胸を打つ映像の裏側には、必ずスタイリストがいる。もしくは、物語に没入してキャラクターの服装を覚えていない一本にも。気になる5名に聞く、コーディネートの枠を超えたどこまでも深い仕事術。連載 #映画スタイリングという仕事 より。
好きなデザイナーの 洋服を力に変える
森田芳光監督『それから』(85)、『キッチン』(89)、塚本晋也監督『双生児 GEMINI』(99)、黒沢清監督『アカルイミライ』(03)、犬童一心監督『メゾン・ド・ヒミコ』(05)など、日本映画史に残る名作およそ20本の衣裳は、北村さんの手によるものだ。
「私にとって映画は命。ファッションはすべて映画から学びました。誰かのアシスタントについたこともないし、畑が全然違うから、映画の力が100%なんです。だからドキュメンタリーに近いものは一切観ません。ちゃんとストーリーに即した衣裳デザイナーが洋服を作っていることが条件なんです」
初めて参加したのは、前述の『それから』。主演の松田優作に請われたからだが、この作品でポジティブもネガティブもさまざまな経験をする。
「松田さんが着ているのは、すベて〈コム デ ギャルソン〉。買い取って、ボタンを付け替えリメイクして。ブランドのPRがとても協力してくれて、いろいろな店舗から服を集めてくれたんです。その度に300万ぐらい自腹で払っていたので、『なぜそこまでやるの?』と聞かれたこともありました。それは〈コム デ ギャルソン〉があるからできたこと。映画をやっていると、好きなデザイナーの服をどこかで使いたくなる。それが力になっていく。デザインの力です。白いところに群青色が染まっていくみたいに伝播する。他の作品では〈マルタン マルジェラ〉(当時。現在は〈メゾン マルジェラ〉)を全部買って入れています。やっぱり好きなブランドがあると頑張れるんですよ。映画の予算は本当に少ないので、30歳からは広告仕事をめちゃくちゃやって、その稼ぎを回していました。映画貯金として、口座を分けていたほど」
服だけでなく、松田演じる高等遊民・代助の自宅の調度品や内装にも積極的に意見を出している。
「美術の今村力さんの一声で、私もタッチすることに。百合を生けるガラスの花瓶は湾曲している方がいいなど、台詞とリンクする案を考え、形にしていきました。だから、私の脚本真っ黒でしたもん。メモ書きや布を貼ったりするから。ここからここまで衣裳がいくつ必要か絵にしないとイメージがわかないので、風景画から全部描いていく。それを見た監督から『僕にくれない?』ってよく訊かれました。一般的に監督は誰も絵にしないんですが、綿密なコンテを描いていた黒澤明さんみたいなことを、私はやっていましたね。
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『それから』(85) 衣裳として参加した初の映画。劇中に登場する百合の花をいかに効果的に見せるかを考え、終盤の重要なシーンでは、花だけをカットし、平たい花瓶に生けるというアイデアを。
実は、仕事を受けるにあたり、黒澤明監督などの撮影で知られる宮川一夫さんに会いに京都へ行きました。そうしたら、『羅生門』(50)では、椿の葉と、藪の中のポイントに光が来るように、砕いたミラーを葉っぱに埋め込んだっていうんです。揺れる���キラキラするじゃないですか。『全部がリアルだったら、観客は飽きてしまう。現実と虚構を混ぜないと駄目だ』と言われましたね。その話をうかがって、ものすごく腑に落ちた。以降、フェイクより前に、リアルとは何かと、禅問答の繰り返しです。朝一番で鎌倉まで行き、どうやって葉っぱが揺れるのかをずっと観察したこともあります。映画は現象学のひとつなんですよ。フッサールの哲学。そこに水があったり、風があったり。そういうことを全部捉えてないと監督はできない。小津(安二郎)さんや黒澤さんは理解していましたよね」
ところが、大手映画会社の衣装部は、スタイリストとして加わった北村さんに非協力的だった。現場では名前も呼ばれない。すべて一人で準備しなくてはならず、無休で働いた。〈コム デ ギャルソン〉や〈ジュンメン〉のショップスタッフが厚意で知人を紹介してくれて、1カ月後には撮影を手伝うアシスタントが集結。ようやく50日目にして休むことができた。それも束の間、帽子デザ��ナーの平田暁夫にシルクハットの制作を依頼し、エキストラが多数出演した園遊会のシーンを撮影したが、終了後に心無いスタッフから錆びをつけられるという、陰湿な嫌がらせもあった。
「それで、もう二度と映画なんてやるもんか!と思ったの。この人たちは本当に映画を愛していない。本当に好きだったらそんなことやらないでしょう?」
ただひとり、北村さんの仕事ぶりを深く理解していたのは、森田監督だった。エンドクレジットで「衣裳コーディネイション 北村道子」と表示。公開当時は妬みに起因するバッシングもあったが、その後『キッチン』でもタッグを組み、高い評価を得る。先日再会した人物と、偶然それらの作品の話になったという。
「久しぶりに是枝(裕和)さんにお会いしたんです。90年代に、彼がその頃所属していたテレビマンユニオンから頼まれて、デビュー作『幻の光』(95)をスタイリングしたのですが、なぜかプロデューサーから出禁となり、是枝さんとも35年近くわだかまりがあって。よくよく聞くと、彼も絶縁状を送られた側みたいで。当時、若き是枝さんをカンヌに行かせようと、助監督や美術の数名が奔走していたのですが、ふと映画ポスターのアートディレクターは決まっていますか?と聞いたら、そんな余裕ありませんって。じゃあ、私が手配すると請け負い、その場でサンアドに電話し、AD葛西薫と写真家・藤井保を押さえたんですよね。
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『幻の光』(95)北村さんが撮影当日に急遽セットアップした、主演・江角マキコ、AD・葛西薫、写真・藤井保という豪華な座組みのキーヴィジュアル。夜明けのようなモノクロームが印象に残る。 DVD ¥4,180 発売・販売元_バンダイナムコフィルムワークス ©TV MAN UNION, Inc.
最後の映画衣装となった三池崇史監督の『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(07)から20年近く経つ。再びこの業界に戻ることはないのだろうか。
「『スキヤキ〜』は猛禽類をモチーフに、黒、白、赤のコートやジャケットをエイジング込みで制作しました。またやるかと言われたら、全然その気はない。あれは若さってやつですよ、30歳から40歳ぐらいのね。それと、なんとか映画デビューしたい若い俳優がいたからできたのもあると思います。浅野忠信くん、伊勢谷友介くん、安藤政信くん、菊地凛子さん。当時の日本映画になかったファッションぽい洋服を私が持ち込んだから、若者はうれしかったんじゃないですかね。
今はなんでもデジタルだけど、人間はやっぱり努力して何もないところから作り出すものに感動する生き物なんですよ。そのときは辛いけれど、あとから考えるととても楽しかった。だからそれが人間なんだって思いますよね。集中すると、とんでもないエネルギーが出てくるんですよ。なんであんなことができたの?と自分でも不思議です。それも全員でひとつのところに向かうパワーは何よりも強い。
映画に関して言うと、『一瞬で集まって、一瞬で別れる』のが私のセオリー。一緒に山登りしようっていうやつらが集まるわけじゃない?撮影後の散るときもすごいけどね、『終わり!』って。映画なんてもう二度と嫌だっていうところまで来て終わるのがいいんじゃないですか。だから、99・8%くらいまではやろうという感じ。いま振り返ると、スタイリングを見てくれた人もたくさんいるし、著書『衣裳術』の版元であるリトル・モアの孫(家邦)さんをはじめサポートしてくれる方とも出会えたし、帳尻は合っていますよ」
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『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(07) 重要な役を演じる伊勢谷友介と安藤政信は北村さんがキャスティング。「提案したら三池さんがOKしてくれて。名無しの権兵衛に服を作るよりも、二人をイメージした方がいい」。伊勢谷着用のコートには圧巻の刺繡が。
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『殺し屋1』(01) 山本英夫の漫画作品を三池崇史監督が映画化。垣原役の浅野は、光沢を映すため全編を通して生地から作ったシルクを着用。写真のシーンは、スパンコールとシースルーという繊細な1枚。©Mary Evans/amanaimages
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北村道子
きたむら・みちこ>> 石川県生まれ。シネフィルとしても知られ、現在の注目はアイルランドのマーティン・マクドナー。ジュスティーヌ・トリエやグレタ・ガーウィグなど女性監督も評価。「最近観た映画ではソフィア・コッポラ監督『プリシラ』の衣裳はブランド使いが上手だなと思いました」
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tenshitsukinuke · 8 months ago
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てん し つき ぬけ
👼 「天 使 突 抜」 ⛩️って〜どんな天使⁉️
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📝「 天 使 突 抜 」 の由来 -----
「天使」と言えば、羽根の生えたかわいい神の使いのエンジェル を想像してしまいますが、︎ この「天使突抜」の 天使 はそんなロマンチックな話しではなく、���本の歴史的な話しになりますーーー それは、牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶が、平安時代末期 1176(安元2)年に出会った京都のとある神社 → 平安遷都 の 794(延暦13)年に創社の 『 天使の宮 』 = 『 五條天神宮(ごじょうてんしんぐう) 』の 由緒ある歴史的な名前から きています〜!?
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--- 目 次 ---
(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
(2)���しい 「天使突抜」の 解 説
2-1)五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
2-2)豊臣秀吉 の 京都都市大改造
2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
2-4) 天正の地割 による 「天使突抜」 の誕生
(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
(4)📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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(1)端的に 「天使突抜」の 要 約
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✍️端的に『天使突抜(てんしつきぬけ)』を説明すると、次の① ② ③ になりますーーー
① 『 天 使 』 →
「天使の宮(五條天神宮)」を指す。
その「天使」とは、主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと) 」 の 別名・通称名。
〒600-8459 京都市下京区松原通西洞院西入ル天神前町351番地 に鎮座する、794年 平安遷都時に創社した洛中古参の神社。なお、当時の「五條通」は、現在の「松原通」。
また 中世以来、度々火災に遭い規模の縮小を余儀なくされ、現在の社殿は近時の再建で、1888(明治21)年に今の 幣殿 を再建、 1933(昭和8)年10月に本殿をはじめとした各建造物を改築し、現在に到ります。
② 『 突 抜 』 →
近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路形態の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言う���
③ 『 天 使 突 抜 』 ▶︎▶︎▶︎
時は、16世紀末 安土桃山時代…豊臣秀吉が実施した 京都都市大改造事業の一環で、正方形街区を南北縦割りの短冊形=長方形街区に分断して、新たに通りを増やす「天正の地割(てんしょうのじわり)」政策により、「天使の宮」の当時 広大な境内の真ん中を分断して、南北を通る道「天使突抜通(現:東中筋通)」を新しく建設し、その辺りの町名を「天使突抜○町目」としたことによる。
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(2)詳しい 「天使突抜」の 解 説
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✍️ もう少し詳しく知りたい方や興味のある方は、少々長くなりますが、以下の説明をご覧くださいーーー
⏱️ 時はさかのぼり〜平安遷都の西暦794年に始まり、16世紀末 豊臣秀吉の安土桃山時代の頃になります。
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2-1) 五條天神宮 と 少彦名命(すくなひこなのみこと)
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「五條天神宮」は、794(延暦13)年の平安京遷都の際に桓武天皇の命により、弘法大師・空海によってこの地に 大和国宇陀郡(奈良県)から 天神(あまつかみ)を勧請(かんじょう)されたと伝わる洛中最古社。創建当初から「天使の宮」や「天使社」とよばれ、鎌倉時代初期に「五條天神宮」に改められました。
「五條天神宮」のご祭神は、次の3柱です。
①主祭神:「少彦名命(すくなひこなのみこと、すくなびこなのみこと)」
②配祀神(はいししん):「大己貴命(おおなむちのみこと)」 = 「大国主命(おおくにぬしのみこと)」
③配祀神:「天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)」 = 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」
農耕、病気退散の神、疫神、厄除け、医道の祖神、医薬、禁厭(きんようorきんえん、まじないの意)の神様として、古くから広く崇敬されてきました。
ちなみに、神話をもとにして、我が国の「薬祖神」として崇められているのは、「少彦名命(すくなひこなのみこと、少名毘古那など11通りの書き方がある) 」と 「大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命など合わせて6つぐらいの異名がある)」である。二神が力を合わせて国を治め、人々や家畜の病気の治療法を定め、獣や昆虫の害をはらうまじないを教えたと言われています。
👉 3柱あるご祭神の内の主祭神である「少彦名命」の異名である「天子」の呼称は、当時は 神の子孫であるとした天皇 を示す言葉で 混同しないようにと配慮されて、神の使いを表す『天使』に呼び名を言い換え、創建当初から「天子の宮」ではなく「天使の宮」または「天使社」と呼ばれ、その近辺の住人達からは「お天使さま」とも呼ばれていたようです。
👉 ちなみに、794年「天使の宮」創建のほぼ半世紀後に生誕された「菅原道真(845〜903)」 の霊を祀った天神(てんじん)とは別モノですが、本殿の背後にある境内社の中に 菅原道真 を祀る「筑紫天満宮」(洛陽天満宮二十五社順拝 第3��)と、菅原道真と縁の深い ご祭神:十川能福(そごうのうふく)の「福部(ふくべ)」神社 及び ご祭神:渡会春彦(わたらい はるひこ)の「白太夫(しらだゆう)」神社が鎮座しています。
それは、北東方角100m強程の離れた 西洞院通仏光寺 菅大臣町に位置する、菅原道真 の生誕地「菅大臣神社」(洛陽天満宮二十五社順拝 第1番、菅公御霊地三社)が鎮座していることと、関係しているのかも知れません。
平安時代後期の 久寿年間(1154-1156)には「祇園社(現在の京都市東山区にある 八坂神社の旧称)」の末社でしたが、その後 平安から鎌倉時代初期に天皇家の支配下になり、少なくとも南北朝時代の1390年に再び「祇園社」の末社に戻ったといわれています。
👉 鎌倉時代初期の第82代・後鳥羽天皇(在位: 1183-1198)の支配下にあった「天使の宮」は、「五條天神宮」と改められました。
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👉 なお、清水寺への参詣道としてもにぎわった「五條大路(五條通)」は、豊臣秀吉の京都大改造までの呼称で、以降は「松原通」と呼ばれるようになり 今に至ります。
源義経(1159-1189)とその主従を中心に書いた作者不詳の軍記物語『義経記(ぎけいき)』によると、平安時代末期の 1176(安元2)年6月に 源義経(牛若丸)が 武蔵坊弁慶(?-1189)と出会った場所として描かれています。
それに取材した 謡曲「橋弁慶」でも弁慶は五條天神に丑の刻参りに訪れた際に五條大橋に現れる牛若丸の存在を聞いて橋へと向かったとされ、また その様子は京都では有名な「祇園祭・後祭」の「くじ取らず」の山鉾巡行 一基目の「橋弁慶山」でも描かれ、おなじみの光景となっています。
👉 当時「天使の宮」の東側を通る 西洞院通(旧:西洞院大路)には「西洞院川」が流れていました。牛若丸と弁慶の立合いがあったのは、天使の宮から約1.2km離れた五條大橋(現:松原橋)ではなく、この西洞院川に架かっていた橋という伝承もあり、確証はありませんが、この説の方が自然なのではと思われます……
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2-2) 豊臣秀吉 の 京都都市大改造
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✍️ それから 時は16世紀末の 豊臣秀吉 の安土桃山時代にワープしますーーー
1582(天正10)年に 明智光秀 が謀反を起こし、京都 本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した「本能寺の変」後、羽柴秀吉はいち早く行動をおこし、戦国の騒乱に終止符を打ちました。
秀吉は、1585(天正13)年に関白職を 受け、1586(天正14)年に豊臣の氏を賜り太政大臣に就任し、政権を確立すると同時に、戦国時代からの荒廃した京都の町の復興のため、かつての平安京の「条坊制」の特長を残しつつ、京都の地形並びに治水対策、商業を含めた街の活性化・繁栄のための街区の町割区画整備 等を考えた綿密な計画のもとに、下記の主な①から⑤の京都大改造の事業に取りかかり敢行しました。
👉 これにより 現在の京都の基盤を築きあげ、今日の京都を形づくったのは、天下人となった 豊臣秀吉 だったのてす。
① 「聚楽第(じゅらくだい、じゅらくてい)」の造営を 1586(天正14)年 に開始し、その周辺に「大名屋敷町」を建設しました。
② 「��所の修築」を 1589(天正17)年 から行い、その周辺に「公家屋敷町」を配置しました。
③ 「寺町・寺之内」の「寺院街」を 1590(天正18)年 に造成して、主に「寺町通」沿いおよび「寺之内通」沿いに寺院を「京中屋敷替え」と呼ばれた強制移転を強行し 集中させました。
④ 「天正の地割(てんしょうのじわり)」を1590(天正18)年から翌年にかけて敢行。平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画及び通りを増やし、街区の町割区画を整備・再編成。
この時の町割の変更に伴う新たな通りの建設事業が、「天使突抜」という地名ができるきっかけとなります。詳しくは、後述します。
⑤ 「御土居(おどい)」を 1591(天正19)年に、外敵の襲来に備える 防塁 と 川の氾濫から街を守る 堤防 として、京都の周囲を丸ごと取り囲む土塀を、防御施設=総構として張り巡らせました。その範囲は、北は上賀茂から鷹ヶ峰、西は紙屋川から東寺の西辺、南は東寺南側の九条通、東は鴨川西側の河原町通まで、南北約8.5km、東西約3.5km、総延長は 約22.5kmにも及びます。
この御土居によって、京都市中を意味する「洛中」と、外部である「洛外」が明確化されました。そして 御土居には「京の七口」と呼ばれる関所となる出入り口がつくられ、これによって京都に入ってくる人間をチェックするようになりました。
---関白になった豊臣秀吉は、京都を実質的に支配し、応仁の乱等で大半が焼失し荒廃した京都を大規模な都市改造政策をもって復興させ、①から⑤等の多くの都市改造の大事業を敢行し、聚楽第の建造や街区の町割区画整備 等の施策を中心に 洛中の周囲を土塁で囲まれ、容易に攻略できない巨大な城郭(城塞)都市に生まれ変わったのです。
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2-3) 天正の地割 の 町割変更 による 縦割り通りの新設
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✍️ 「天使突抜」の名前由来の話しに到達する前に、もう少し関連する歴史的な話しが続きます--- それでは、1590 (天正18)年 の ④「天正の地割(てんしょうのじわり)」 の話しになりますーーー
室町時代後期から力を付けてきた京都の商人は、「通りに面した向かい合わせた両側」のコミュニティを1つの町(ちょう)と考える「両側町」と呼ばれるグループを構成し、一体感を背景としたにぎわいをみせるようになっていました。
それまでの平安京からの「条坊制」による 正方形街区の場合、1区画が約120m四方の正方形のブロックの四辺に住居や商店が建てられ、中央部分が空き地になることが多く、農地として利用されたり 空き地になったりして、無駄な土地が多いという欠点がありました。そして、当時は「間口税」という 間口の幅=道路に面した建物の正面の幅 の広さによって税金の額が決められていたので、碁盤の目のような正方形街区を2つに分けて長方形にして面を増やせば、税収とは無関係だった中央の空き地部分にも商店や住宅が建てられ、より多くの間口税を徴収することができるようになります。
そこに秀吉は着目し、京都の復興には「商業の発展」が不可欠との確信から、町割と通りを増やして 街や商業の活性化 及び それに伴う「間口税」の税収増を目指し、平安京からの「条坊制」による 正方形街区=碁盤の目の区画を、要所要所で 縦=南北 に短冊形に割って 長方形街区にして 区画 及び 通り を増やし、町割を大きく変更する「天正の地割」を敢行しました。これにより、京の街路は南北120m、東西60m間隔で長方形状に区画されることとなり、現在に至っています。
新設された南北の通りの 東は 寺町通 から西は 大宮通 にかけてで、北端は 丸太町通 から南端は 五条通 付近となっているものが多く、後に延長されたものも多いとされています。
新設された南北の通り名を 東から順に次に記しますが、「 --- 」で続けて記した通り名は、道の途中で一旦中断して 数町(丁)進んだところで 南北の道が再び始まる同一直線上にある通りのことになります。
① 御幸町通(ごこまちどおり)、② 富小路通(とみのこうじどおり) ………平安京の 富小路通 は現在の 麸屋町通(ふやちょうどおり) にあたる、③ 堺町通(さかいまちどおり)、④ 間之町通(あいのまちどおり)、⑤ 車屋町通(くるまやちょうどおり) --- 不明門通(あけずどおり)、⑥ 両替町通(りょうがえまちどおり) --- 諏訪町通(すわんちょうどおり)、⑦ 衣棚通(ころものたなどおり) --- 小田原町通(おだわらまちどおり)、⑧ 釜座通(かまんざどおり) --- 若宮通(わかみやどおり)、⑨ 小川通(おがわどおり) --- 東中筋通(天使突抜通)、⑩ 醒ヶ井通(さめがいどおり)、 ……… 他、合計: 12 通りで、現在も京都市の市街地を支える重要な通りとなっています。
また、四条烏丸 を中心とする一帯(下京の中心部)は、天正地割以前から十分に市街地が発達していたため、通りの新設は行なわれなかったので、この地域では平安京以来の正方形の区画が残っています。
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2-4) 天正の地割 による 天使突抜 の誕生
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👉 そのうちの一つとして、五條通(現在の 松原通)にある 天使の宮・天使社 とも呼ばれた「五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)」の 広大な鎮守の森= 「天使の杜(もり)」を、南北に貫通するかたちで街路を分断し、その「天使の宮を突き抜けて作られた道」を「天使突抜通(てんしつきぬけどおり、現在の 東中筋通)」、その道に沿った 両側町 の町名(ちょうめい)を「天使突抜○町目」と呼ぶようになりました。その後、太平洋戦争終戦以降は「天使突抜○丁目」に変わったようです。
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ちなみに、「突抜(つきぬけ)」 とは、近世(安土桃山〜江戸時代)の京都市中の道路の一種。大路や小路の間に新しく通した南北の道路で、あいだに寺社や邸宅などがあって分断されるものを言います。
かつての 「天使突抜通」は、現在では名称が変わり「東中筋通(ひがしなかすじどおり)」と呼ばれ、西洞院通(旧:西洞院大路)と 油小路通(あぶらのこうじどおり、旧:油小路)の間に位置します。
北は 仏光寺通(ぶっこうじどおり、旧:五条坊門小路)から、南は 木津屋橋通(きづやばしどおり、旧:塩小路)までの下京区を南北に貫通する細い小路(こうじ、しょうじ)です。
👉 東中筋通(旧:天使突抜通)に沿っての両側町で 天使突抜の町名 として名付けられ、
①松原通(まつばらどおり)の少し南から 万寿寺通(まんじゅじどおり)までの 天使突抜一町目、
②五条通までの 天使突抜二町目 があり、
③五条通より南へ楊梅通(ようばいどおり)までの 天使突抜三町目、
④六条通(ろくじょうどおり)までの 天使突抜四町目 があります。
京都市のほとんどの 町名 は 末字(まつじ)に「町」がついて「○○町」と呼びますが、「天使突抜○丁目」は末字に「町」がつかない町名になります。ただ、その町内住人は 例えば 私の住んでいる「天使突抜二丁目」では、そのままでは少々長いので 普段は略して「天二町」と呼んだり書いたりしています。
🤟これは表に出てこない裏話ですがーーー天二町内の 今は亡き 昭和1桁生まれの長老のT氏から以前に聞いた話し ー→ 「昔は、五條天神宮= 天使の宮 =天使社 の坊さん達 が、南方面にある遊郭へ 買春しに行く時に 通り抜けていった=天使社の坊主が突き抜けていった から、天使突抜 と呼ぶんや〜」…とその辺りの住民達が揶揄して、天使突抜 の名前が 親しまれてきた経由があったと、その長老T�� も 同じように町内の長老からそのように聞かされてきたとのことでした…🤭💁‍♂️🤦‍♂️👻
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( 注📝 現在の「堀川通」や「五条通」や「高辻通」は、太平洋戦争時の空襲被害に備えるための 防空空地や消防空地 設営の「建物強制疎開」により、終戦年の1945(昭和20)年前半に道路幅がそれぞれ拡張されています。また、その時の「堀川通」の道路幅拡張により、五条通以南の「醒ヶ井通(さめがいどおり)」は消失し、オマケに「京の三名水」の一つの「左女牛井、醒ヶ井(さめがい)」の円井戸も消失してしまいました。)
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(3) ✍️オマケ📝【天正地割の副産物「路地」】
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✍️ 【 天正地割 の副産物 「路 地」 】
西暦794年の平安遷都では、中国の都:長安をモチーフに、街区の町割りを「条坊制」が採用されました。大内裏(平安宮)と羅城門を結ぶ朱雀大路を南北に通し、そこを境として左京・右京を配置。東西南北に、大路(おおじ)・小路(しょうじ、こうじ)と呼ばれる通りを張り巡らせることで、碁盤の目のように 縦横の一辺が一丁・一町(約109m、道路幅含まず)の 大きなほぼ正方形街区に区分けされた町並みが生まれ、通りに囲まれた区画の中心部に入るために作られた道が、「辻(つじ)」や「辻子・図子(ずし)」や「路地(ろーじ、ろうじ、ろじ)」=「露地・露路」です。
更に、1590 (天正18)年 から翌年にかけての「天正地割」によって南北を通る小路が増え、そして 建物と建物の間を通る「辻」や「辻子(図子)」や「路地」=「露地・露路」と言われる 普通の小路より更に細い=狭い 道幅の通り道が たくさん増えました。
通り(大路、小路)をつないで家(建物)と家(建物)の間を通り抜けられる=突き抜けられる 狭い道を「辻」や「辻子(図子)」と呼び、袋小路(行き止まり)になった通りの道を「路地」と呼んで区別することがあるようですが、辻・辻子(図子)も含めて 路地 と総称するため、明確な区別はないともいわれています。
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もともと「辻」は、十字状の道を表す「十字」という言葉に由来して作られた字で、次第に細い通りを「辻子」「図子」と表すようになったとのことです。
「路地(ろーじ)」には、「コ」の字型や「L」字型になっていて、入り口とは違うところに通じているものや、路地の入口に面した通りとは反対側の通りへ出る通り抜けられる路地もあります。
1949(昭和24)年生まれの私の幼少時に住んでいた京都市下京区有隣学区内では、当時の大人の人達や私も含めて、コの字型やL字型等の曲がって通り抜けられる路地のことを「抜け路地(ぬけろーじ)」と呼んだりしていましたが、辻子(図子)という言葉は 最近まで聞いたことがなく、古稀過ぎてから 京都通 などのサイトに出てくるネット検索で知った言葉です。今住んでいる天使突抜町でも 誰もその言葉は使わないし、耳にしたことはありません。その類いの道は、「路地(ろーじ) 」や「抜け路地(ぬけろーじ)」とか「 辻 」と呼んでいます。ただ それは、私が住んできた限定的な地域的な特徴かも知れませんが……
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 「路地」というのは、その路地の中にある家に訪れるために通る道としての通路のようなものなので、一般の小路を通る場合とは少し異なり、閉鎖的で私道的な雰囲気もあることから、無用の者が立ち入るのはちょっと躊躇もしくは気が引ける感じになりがちです。なかには、路地の入口にそこの住人の「集合表札」が掲げられていたり、「無用の者の立ち入りはお断り」というような注意書きが路地の入口に張られている場合もあったりします。
ところで、私の個人的見解での 小路と路地の違いは、端から端までの全ての道路が、 車(自動車)が通れる幅があるかないのか、及び 車が通れるように地面が整備されているかいないかの差ではと、勝手に解釈して区別していますけど……
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(4) 📝参考までに--- 建物疎開、京都の空襲
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4-1)建物疎開 の犠牲による 道路幅拡張 の歴史
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今は 五条通や堀川通や御池通など京都市の 大幹線道路として広い道幅になっていますが、これは「太平洋戦争」時の米軍の無差別爆撃の空襲による火災の延焼防止 の対応策として 防火地帯(空地) 等を設けるため、それまでは他の道路と同じような細い道幅だった通りの道路沿いに佇んでいる家屋を、戦争の名の下に 有無を言わさず「取り壊し=建物疎開=家屋等の強制撤去」が無惨にも遂行され、道路幅を拡張させられたことによります。
京都府 約2万戸、京都市 で1万世帯以上が 1944(昭和19)年から翌年の1945(昭和20)年 終戦時までに、建物疎開が 第1次~第4次までに分けて 以下の内容で強行され、無惨にも建物強制疎開で拡張されたことを、特に京都市民は 決して忘れないようにしたいものです🙏
 1、『 防空空地帯 』・・・防火帯、緊急避難路、防空活動道路としての利用を目的に、50〜100メートル幅で指定。京都駅周辺、堀川通、御池通、五条通。
 2、『 防空空地 』
イ、「 交通疎開空地 」……交通要地の防護が目的。京阪三条駅周辺、四条大宮交差点、梅小路駅周辺など。
ロ、「 消防空地 」……消防活動用の道路拡幅。智恵光院通、七本松通、高辻通など。
ハ、「 疎開小空地 」……軍需工場、役所、変電所、病院等の周辺を空地にしてそれらの施設を防護。
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4-2)京都の空襲 と 原爆投下候補地
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京都は、太平洋戦争時の 米軍による 当初原爆投下候補地の第3の原爆投下予定地だったようで、威力を分かりやすくするために、京都市内の空襲を5回程度の散発的に爆撃を控えた…とされています。その空襲は、終戦年の1945年1月から6月にわたって5回の空襲(馬町空襲、西陣出水空襲 他)を受けて 約100名程の死者が出ています🙏
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harawata44 · 10 months ago
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鳥山明さんが死去、68歳「ドラゴンボール」など日本を代表する漫画家 (2024年3月8日掲載) - ライブドアニュース
関連:
鳥山明さんが死去:ニュースまとめ - ライブドアニュース
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以下引用
「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」など、日本を代表する少年漫画の第一人者として知られる、漫画家の鳥山明さん(とりやま・あきら=本名同じ)が、3月1日に亡くなった。68歳だった。連載していた「週刊少年ジャンプ」(集英社)の公式サイトで8日、発表された。 また、鳥山さんの事務所「バード・スタジオ」と、作品の総合プロデュースを担当する「カプセルコーポレーション・トーキョー」のコメントを紹介し、その中で、鳥山さんの死因が急性硬膜下血腫だったことを明らかにした。 「週刊少年ジャンプ」編集部は 「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』...先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」 と追悼のコメントを発表。さらに株式会社バード・スタジオと株式会社カプセルコーポレーション・トーキョーのコメントも紹介。 「ファン、関係者の皆さまへ 突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。68歳でした。熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。 これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします」 既に葬儀は近親者のみで執り行ったという。 「なお、葬儀は近親者のみにて執り行いました。静謐を望む本人の意向により、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花その他はご辞退申し上げます。家族への取材等につきましてもお控えいただけますよう、ここにお願い申し上げます。今後のお別れの会等については未定ですので、決まり次第お知らせいたします。何卒ご理解を賜りますようよろしくお願いいたします」 とお別れ会に関しては未定とした。 鳥山さんは1955年(昭30)4月5日、愛知県清須市に生まれ、23歳から漫画を描き始めた。「週刊少年ジャンプ」(集英社)の新人賞にあたる「月例ヤングジャンプ賞」投稿を機に、78年に読み切り作品「ワンダーアイランド」で漫画家デビューした。 1980年(昭55)から「Dr.スランプ」の連載を開始。かわいい見た目とは裏腹に怪力を持つ主人公のロボット則巻アラレと、アラレの製作者の博士・則巻千兵衛やガッちゃんら個性的なキャラクター、ストーリーで人気を獲得。翌81年には「Dr.スランプ アラレちゃん」としてテレビアニメ化された。走る時のかけ声「キーン」やあいさつの「んちゃ」など「アラレ語」も流行語となった。 84年5月「Dr.スランプ」の連載を終了すると、同年11月からは同誌で「ドラゴンボール」の連載をスタート。初期は少年の孫悟空が、7つ集めるとどんな願いも叶える神龍(シェンロン)を呼び出す「ドラゴンボール」を探す冒険に出るストーリー。ここでもヒロインのブルマや仲間のクリリン、ヤムチャら人気キャラクターを次々と誕生させ、悟空と仲間の冒険や戦い、友情を描いた同作は、テレビアニメや映画作品も多数作られ、世界的人気を得て累計2億6000万部を突破し「Dr.スランプ」を超えるヒットとなった。 また、人気ゲームシリーズ「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも、1986年(昭61)5月27日発売の第1作から手がけ「スライム」などの人気キャラクターを生み出した。 鳥山さんは、都内で4日に開かれた、自身の漫画をメディアミックス展開する企画「SAND LAND Project発表会」に、描き下ろしイラストを寄せていた。同プロジェクトは、2000年(平12)にコミックス1巻で展開し、23年にアニメ映画化もされた「SAND LAND」の、その先を描いたゲーム、シリーズ版アニメを展開。鳥山さんは 「僕は連載していた『ドラゴンボール』というやや派手な作品の反動もあって、短編や読み切りはどれも、好みである小さな世界とゆるいヒーローのなんでもない地味で平和な話ばかりを描いてきました。『SAND LAND』も基本的にそんな内容ですが、さすがにこれではアクション作品として厳しいと思われたのか、アニメスタッフの皆さんには、いろいろ派手な仕掛けをプラスして演出に重厚感を加えていただきました。(中略)僕は新キャラである天使のムニエルの設定とデザイン、アンなどのデザイン、エピソードなどを提案させていただき、続編が完成しました。地味好きな僕では実現しなかったであろうドラマチックな展開は新鮮な驚きで、新たな世界観と迫力あるアクションを楽しんでいただけることでしょう。ベルゼブブ、ラオ、シーフの3人の新たな大冒険と新登場のキャラ達との出会い。恐ろしいエネルギー『アクアニウム』を巡るワクワクドキドキの物語を楽しんで、じっくりと平和を感じていただければ本当に最高です。鳥山明」 などとコメントを発表していた。
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
エリック・バーリッジ:テクノロジー企業に人文系が、一部、必要な理由
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
創造力に富む問題解決者のチームを作りたいなら、科学と同じくらい人文にも価値を置くべきだと、起業家のエリック・バーリッジは言います。
テクノロジー企業は、科学技術分野の人ばかり採用すべきではなく、芸術や人文分野の人が、いかに技術系の職場に創造性やひらめきをもたらすかを説明します。
同時に、人文分野の人々も、数学や物理学、工学などのテクノロジーのことを学ぶ必要もあります。
人文分野とは、文系に分類される。人間・人為の所産を研究の対象とする学問であり、人間本性を研究する学問のこと。
一神教と多神教とでも、人文分野は、言葉や概念の定義が異なります。
古代エジプトは、紀元前3��000年に集団が形成され、その後、紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生。エジプトの主神であったアメン神は多神教で世界最初の中央集権国家として現在では知られています。
その後、「アクエンアテン」が推進したアテン神を中心とする一神教が、人類史上初の一神教として誕生。
合議制の多神教である神官と言われる人々が政治に口を出すために、破壊的イノベーションにより誕生したかもしれません。一部。大統領制や政教分離です。
しかし、一神教はエジプトでは破壊されてしまい。モーゼの出エジプト記になり、古代ユダヤ教になったと知られています。参考までに、一般的には古代中国は、紀元前2000年。古代ローマは紀元前500年です。
みんなバーに行ったこと、ありますよね?
でも、バーに行ったお陰で2億ドルのビジネスをものにしたことはありますか?
それが、10年前、私たちに起きたことなんです。それは、あるついてない日のことでした。私たちは大口顧客から切られようとしていました。
私たちはITコンサル会社ですが、その顧客がある最先端のクラウドシステムを展開できるようにするためのプログラミング技術を見出せずにいました。
エンジニアならたくさんいますが、誰もその顧客を満足させることができませんでした。そして契約を失いかけていました。
それでバーに行ったんです。バーテンをしている友人のジェフとおしゃべりし、彼は良いバーテンがすることをしました。私たちに同情し、慰めてくれ、私たちの悩みを理解し、言いました
「ちょっと大げさに言ってるだけですよ。心配いりませんって」それからまじめな顔をして、言いました「なんなら俺を送り込んでくださいよ。どうにかしますから」その翌日、私たちは会社の会議室にいてみんな少しぼーっとしていました。
私は冗談半分に提案しました「どうせ切られそうなことだし、バーテンのジェフを���り込んでみたら?」
しばらく沈黙があり、呆れたような視線がありましたが、それからボスが言ったんです「そりゃいい考えだ」
「ジェフは世知に長けているし、頭がいい。どうにかできるかもな。あいつを送り込んでみよう」
ジェフはプログラマーではありません。ペンシルベニア大学の哲学科を中退していますが、地頭が良く本質的なところを突くことができどの道、私たちは切られようとしていました。
それで彼を送り込んだんです。ハラハラしながら2日過ごしましたが、ジェフはまだ向こうでやっていて追い返されはしませんでした。
信じられませんでした「あいつ一体何やってんだ?」
分かったのはこういうことです。ジェフは顧客のプログラミング技術についてのこだわりを解きました。彼は話題を変え、私たちが作るべきものさえ変えました。
いまや議論の対象は、何を何のために作るのかということになりました。そしてジェフは技術的な解決策を見出したのです。その顧客は我が社にとって一番の推薦者となりました。
当時は社員200人で、その半分はコンピューターサイエンスか工学の専攻でした。でもジェフの一件で思うようになりました。こういうのをもっとできないか?それで私たちは採用やトレーニングのやり方を変えました。
今でもソフトウェアエンジニアやコンピューターサイエンス専攻者は求めていますが、それに加えて絵描きや音楽家やライターも採るようになり、会社中でジェフの例が幾度も再現されることになりました。
うちの最高技術責任者は、国文専攻でマンハッタンで自転車便の配達係をしていました。今では千人の社員がいますが、コンピューターサイエンスや工学専攻だった人は百人足らずです。私たちは今もITコンサル企業です。
この分野では、ナンバーワンの企業で年間売上げが、百億ドルに達する最も早く成長しているソフトウェアパッケージを擁しています。このやり方は成功だったということです。
一方で、米国におけるSTEM教育、科学、技術、工学、数学を中心とした教育の推進は、凄まじいばかりです。
誰にとっても避けがたくそして、大きな間違いだと思います。
2009年以来、米国のSTEM専攻者の数は43%増えていますが、人文専攻の数は変わっていません。オバマ前大統領は、他の分野を犠牲にしてSTEM教育に10億ドル以上注ぎ込み
トランプ前大統領は最近、教育省の予算2億ドルをコンピューターサイエンスに割り当てることを決めました。企業のCEOは絶えず技術者不足を嘆いています。このような動きや否定しがたい技術方面の経済的成功があり認めましょう。
世界で時価総額が、最も高い企業10社のうち7社までがテクノロジー企業です。そういったことから将来の労働力はSTEM分野の人で満たされるという予想が生まれます。
それは分かります。理屈は通っているし、興味深い考えですがちょっと度を過ぎています。サッカーでチームの全員が1箇所に向かってボールを追いかけているようなものです。
STEMを過大評価すべきではありません。科学に対し、人文以上に重きを置くべきではありません。
それには、いくつか理由があります。
第一に、今日のテクノロジーは、非常に直感的であること。私たちがあらゆる分野の人を採用しながら専門的な技術をまかせられるのは、現代のシステムはコードを書かずに扱えるからです。
レゴブロックのように容易に組み立てられ容易に学べ容易にプログラミングさえできます。学ぶための情報が膨大にあるためです。専門技術が必要なのは確かですが、そのような技術に必要とされる厳格で正式な教育は昔に比べてずっと少なくなっています。
第2に、直感的技術の世界において不可欠な差別化できるスキルというのは、人間として一緒に働く力であり、難しい部分は最終的な製品やその有用性をイメージするということでそのためには現実の世界における経験や判断力や歴史的文脈が必要となるのです。
ジェフの話が、教えてくれたのは顧客が間違ったものにとらわれているということです。
よくある話です。技術屋は、ビジネス系の人やエンドユーザーとうまくコミュニケーションが取れずビジネス系の人は、何が必要なのか明確に述べることができない。
そういうのをいつも目にしています。コミュニケーションを取って共に生み出すという人間としての能力を私たちはまだ本当に生かせていません。
どうやって作ればいいのかを科学が教えてくれる一方、何をなぜ作るのかを教えてくれるのは人文です。どちらも同じくらいに重要で同じくらいに難しいのです。
うんざりするのは人文が何かより劣った簡単な道のように言われているのを聞いたときです。そんなことありません。
人文は世界における文脈を与えてくれます。批判的に考える方法を教えてくれます。科学が意図して構造化されているのに対し、人文は意図して構造を持たないのです。説得する方法を教え言葉を与えてくれそれによって私たちは、感情を思考と行動に変えるのです。
人文にも科学と対等の地位を与える必要があります。芸術家をたくさん雇ってテクノロジー企業を作り、素晴らしい結果を出すことだってできるんです。
Appleのスティーブ・ジョブズが先駆者です。
STEMが悪いと言おうとしているのではありません。女の子はプログラミングなんてするもんじゃないと言うのではありません。
違います。車で橋を渡ろうというときやエレベーターに乗り込もうというときには、それが間違いなく技術者の手になるようにしましょう。
しかし将来の仕事が、STEM分野の人で占められるという思い込みは単に馬鹿げています。もし友人なり、子供なり、親戚なり、孫なり、姪なり、甥なりがいるなら「なりたいものになれ」と言ってください。
仕事はあります。STEMの卒業生を求めているテクノロジー企業のCEOが誰を採用しているか分かりますか?
GoogleやAppleやFacebook。そういった企業で求人している職の65%は非技術系です。
マーケティング担当者、デザイナー、プロジェクトマネージャー、プログラムマネージャー、プロダクトマネージャー、法務担当。
人事管理専門家、トレーナー、コーチ、販売担当、購買担当、その他求められているのはそういった職です。
将来の人材に求められるものが何かあるとしたらこれについては同意してもらえると思いますが多様性です。多様性というのは、男女や人種に限りません。経歴やスキルについても多様性が必要です。
内向的な人も外向的な人もリーダーもフォロワーも必要です。それが将来の人材です。テクノロジーが、より易しく使いやすいものになっていることでみんな何だって好きなことを学べるのです。
ありがとうございました。
デマルコは「怒り」という感情が人間である以上、関わってくることで「怒り」は効果がない!!と言い切っています。
テーラワーダ仏教でも指摘されています。
資本主義の負の側面でカイヨワも指摘しています。
デマルコは、本当の原因は、人間の中に存在する倫理的な社会学的問題だといいます。
確かに、生産性や品質は向上したでしょうが、実際、仕事に対する要求の複雑化、規模の増大は、このような技術の対応だけでは追いつかないところもあります。
これは技術的な問題ではなく、実は、仕事の倫理的な社会学的な問題によって引き起こされていると宣言しています。
意思疎通がおろそかになったり、働く意欲が欠如したり、あるいは退職してしまったり、上司。つまり、管理者��の不信感が募ったりなど。
人そのものと人に対する倫理的な問題がトラブルの原因になっているのです。
さらに自体を悪くしているのは、この事実を経営者たちが理解していないことだと、彼は言います。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎(所得政策も)
ブルース・ファイラー: 家族のためのアジャイルプログラミング?
人工知能にも人間固有の概念を学ぶ学校(サンガ)が必要か?2019
マエ・ジェミソン:アートとサイエンスを共に教える事について語る
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
<提供>
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arakawalily · 2 years ago
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小伝馬に道灌ですよ❗️馬喰町だけど小伝馬❗️しかもプラス道灌❗️ 唯ならぬ佇まいとネーミングセンス、ホワイトボードの手描きメニューから溢れ出る、お魚愛にそそられまくリリーまして、お店に吸い込まれました❗️ 中に入れば、馬喰町リーマンでひしめき、近隣稀に見るお店の活気、賑わいにびっくりりー❗️連日満員御礼の人気大衆お魚割烹料理店。 歴史ある非常に良い酒場が多い日本橋馬喰町界隈で鮮度抜群の旬���をリーズナブルに味わえる、昭和35年創業の「季節料理小伝馬」さんは、三代続く、ご家族中心で切り盛りするアットホームなお店です。親子三代は絶対美味しいお店です。 日本酒は近江の「道灌」のみを扱うこだわりで、この店の日本酒は、滋賀県草津市の太田酒造が手がける「道灌(どうかん)」のみを取り扱っているそうですね❗️ @kodenma001 

太田酒造は、関東地方の戦国武将・太田道灌の子孫が1874(明治7)年に創業した酒造です。その歴史は三代将軍・徳川家光の命で、関守(関所の番人)として草津に移った太田家が、江戸時代末期に年貢の近江米を使い、酒造りを行ったことに始まります。

道灌は、味がハッキリしていてコクがあり、どっしりしていて、お米の味がよく出ているので、一口飲んだだけで道灌だとわかるとか。小伝馬さんでは道灌を扱い始めて15年以上が経つそうですが、これからも変える予定はないとのことです。清酒、たる酒、山廃純米など常時7種類と、豊富なラインナップも魅力です。

道灌にぴったりで、人気のメニューは、豊洲市場直送の本まぐろ三種盛りや、季節のおひたしだそうです❗️ 私がいただきましたのは、本日のサービススペシャル丼で、その日おススメの、豊洲市場直の、ど新鮮魚がモリモリ乗っていますよ❗️ 天然ぶり マグロ中落ち 石川県ヒラスズキ 黒鯛ゴマ醤油漬け 4点 スペシャルとなると 本鮪中落ち イワシの酢〆 (私は代わりに大分のマゴチ) 有頭甘エビ 7点(+200円) 提供もスピーディー❗️ 切り方が均等に揃いすぎてないところが、逆に味わいあり旨さ倍増❣️ 早速いただきましたが、お魚がとにかくど新鮮❗️特にマグロ中落ちが絶品❣️🐟 小鉢にはゴーヤ炒め、お漬物、お味噌がつきまして 1080円という、時代錯誤の価格設定❗️この新鮮お魚が盛り沢山の内容でこのお値段は信じられない安さでした。 普段使いに通いたい、魅力溢れるお店でした❗️ 冒頭の疑問を調べましたが、 この店はもともと小伝馬町の一帯でも有数の老舗酒場で、魚を中心とした料理が楽しめるお店でしたが、馬喰町に移転され、名前は小伝馬なんですね〜❗️ 店内は正統派の大衆酒場といった趣きで、渋く落ち着きます。 ここには仕事帰りの馬喰リーマンが毎夜、道灌🍶と美味しいお魚を求めて賑わうのがよくわかりました❗️お魚愛が溢れていました❗️ 隠れた夜の人気メニュー、お魚たっぷりスリランカカレーも、かなり気になりました❗️ @kodenma001 #小伝馬#小伝馬道灌#道灌#季節料理小伝馬#大衆割烹小伝馬#馬喰町グルメ #馬喰町ランチ #東日本橋グルメ #東日本橋ランチ #荒川リリー#lilystudio #豊洲市場直送#豊洲市場直行 (小伝馬) https://www.instagram.com/p/CnS11MlSuRy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ashi-yuri · 1 month ago
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1000xRESIST感想
ネタバレありの個人的な感想。すごく長い。
しみじみ良い作品でした。すきな作品ともすこし違うのだけれど、繊細で若々しくて勢いがあって、今後のADVゲームへ与える影響も大きい予感がし、日本作品へのオマージュ・リスペクトも強くて、日本でももう少し話題になったり評価されてほしいと思わせる力のある作品だった。だから、もっといろんな人に遊んでもらいたいなと思っている。
ネタバレなしの感想・紹介はこちらのブログで書いた。
雑感
香港からカナダへ亡命した移民として世代間でのルーツとなる地域への思いのずれ、溶け込み方の違い、現地での軋轢、アイデンティティのゆらぎなど各種描写自体はこれまでの移民文学・映画で描かれてきたものであり、母権主義的な支配の継承や葛藤といったテーマも小説・映画等では描かれてきたものあり、ゲーム内で語っている内容自体はこれまで他媒体で見たことがあるけれど、ゲームの中でこれだけしっかり説得力を持った描写で、キャラクター操作を通じて、過去の歴史や様々な視点をゲームというメディアの特性を活かして重ね合わせる手法は見事だった。
主人公やメインキャラクターだけでなく、敵対者や周囲の人物の背景・心情も体験させられる物語は、繊細だけれど、伝えたいことは明確にある。各種センシティブなテーマを扱う作品だからこそ作成側が何を支持していてなにをよくないと思っているのか、メッセージが最後までぶれないのも偉い。
香港での民主化運動やカナダにおける中華系移民のアイデンティティ、パンデミックなどまで入れた近過去の体験を反映して、未来のために「なにを選択するか」を体験できることは新鮮で、現在にプレイする価値をきちんと提示できてる作品だと感じた。
青春物語にあまり感情移入できるタイプではないとか、アジア系移民の物語を東アジアずっと在住の民から見るとすこしふしぎというのもあって、いい意味で自分とすこし距離感のある作品であった��と思う。そして、その距離をゲームという形で体験できるのはおもしろかった。留学や海外在住経験のある人なら、もっと理解できる作品なのかもしれない。
よい作品だけど、果樹園のむちゃくちゃで���かりにくい構造はさいごまでゆるさないからな!
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キャラクターがたり
シスターたちも、両親も、装甲服の人たちも、占有者まで、みんな繊細で悩みを持ちみずみずしく描かれててたのしかった。一方的な悪役をほとんど描かずみんな同じ重さで書き込んでいるのは、この作品の良心とバランスのよさなのかなと思う。
好きなキャラクターはジョンソン50でした!中途半端に良識的で、最後まで狂えずに投げ出せないところが良かったです。反人道的な処置はぜんぶ過激派のミミに担ってもらってて、結局ふたりでバランスとってるのがお似合いですね。よわくてやさしいまま死んでしまう父親もよかった。本作の数少ない男性陣、みんなこんな感じ。
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好きなコンビは、ヒーラー+バンバンファイア。ふたりともやさしいがゆえに報われない.......エンディングはかなしすぎる。やさしいままの人ほど死んでしまう.......
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リトルシスター(プリンシパル)+アイリスのジャオ・ジャオタイプへの執着は、トキシックなエモさがあってよかったな。結局、プリンシパルがアイリスにいちばん似ているという。
ジャオから雑に扱うな!とちゃんと反抗されているところが描かれてるのは安心できてよかった。なぞなまでに献身的なジャオ・プライムかわいい。
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他作品からの引用・オマージュについて
いろんなゲームやアニメや映画のオマージュが、結構そのまま屈託なく用いられてるのはほほえましかった。ストアページにも書かれてる各種セカイ系や今敏作品やニーアは自分は通ってきていないので、そのあたり詳しい人の感想・解説が読みたいなあ。
エヴァ風のプラグスーツとか好みが分かれそうだけれど、モチーフとともに、ちょっと青臭くて青春ぽい本作のテイストに合っていると思う。
ラストの還願オマージュシーンも唐突で、最初ちょっとわらってしまったけど、思い返すと感傷的で良かったな。家族と社会の問題を、なんども記憶のなかで巡って再構成する構造がそのまま用いられていて、もう取り返せないものを語る手段として非常にエモーショナルに映った。
還願は各種圧力によりSteamから追い出された台湾の作品だけれど、香港の民主化運動の取り扱いも合わせて、今はとおく離れた場所・地域のことを、どこか自分たちの問題として引き寄せ��考えたいのかな、と勝手に感傷的に考えたり。といってもカナダには中華圏からの亡命者が結構な数ほんとにいるのだろうし、コロナ下での海外での中華系移民への風当たりの強さとかを考えるとそんなに簡単に離れられるものではないんだろうけれど。
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記憶の中でだけなら和解できる。
翻訳について
翻訳は良好で、学生や家族を主軸とした作品として自然に読み込めてよかったな。ただ、SF用語は直訳が多かったので、雰囲気作りかねてエヴァっぽいけれんみあるともっと魅力的だったなあと、難しいの承知でないものねだりをしたくなる。
あと、差別用語や罵倒語関係や政治用語は、翻訳にあたってちょっとマイルドになっている様子。このあたりは、日本語で適切な用語・概念に置き換えるのがむずかしいし、取り扱いに一貫したポリシーがないと事故になるので、バランス大変そう。
なにはともあれ、他言語に先駆けていい日本語訳が入ったので、もうちょっと話題になるといいですね……
Kentucky Route Zeroと表現としてのゲーム
Nierシリーズやエヴァンゲリオン、今敏作品と同様に、本作に強い影響を与えていると公言されているKentucky Route Zeroとの関係について。
以下は、KRZの改訳版翻訳者としてのかなり特殊史観のはなし
作中の馬はたぶん、KRZオマージュの印かなと思ってる。
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Kentucky Route Zeroが与えた影響について語る開発者インタビュー(59:19-)
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※Xanathophyllum氏の情報提供に感謝
開発者インタビューから一部抜粋・翻訳
「Kentucky Route Zero」がなかったら、このゲームは存在しなかったと思う。 たしか22歳かそこらの時にプレイしたのだったかな。 あのゲームがきっかけで、そうだな、ほんとうに気づかされたんだ。 こういう作品を人生を通じてずっと待っていたんだって。Kentucky Route Zeroがその最初で、それからこのゲームについて考え始めることができるようになるまでに、さらに10年かかった。だけど、Kentucky Route Zeroを体験したことで、こういう表現が可能な空間がゲームにあると確信したんだ。
選択と結果を必ずしも決定づけない微細な言葉を選択させていくことで登場人物の性格付けをプレイヤー自身に肉付けさせることや、視点・場面を躊躇なく転換させながら、飽きさせず、同時に多くの視点を取り入れようとするところなどにKRZの影響を感じた。
KRZよりずいぶん若々しく粗削りなところもあり、社会や人との距離も生々しく近く、そのぶん素直で明朗で、プレイ後の印象はかなり異なるのだけれど、何よりゲームを通じて楽しさを提供したいというよりも、表現媒体としてゲームを選択している姿勢が近いのだろうなと感じた。
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本作は、表現としてのADVゲームにおける、Kentucky Route Zero の直系の子孫であり、ひとつの発展系でもある。
独自の今日的テーマとデザインを採り、素直で明確でよりポピュラーに進化してて、間違いなく2024年のADVのマイルストーンになる作品であり、海外のゲーム関係の賞もたくさん受賞していて、影響力もあることから、今後、こういう感じのADV表現を通して現代を映す作品が別の地域含めて増えてくるはず。
開発者インタビューでも映画撮るお金や体制がなかったからゲームを作ったと語られていて、お金あまりないけど現代表現をやりたい若者にとって、ゲームがほんとに映画や小説と比較されうる表現の選択肢になったんだなとしみじみしてしまった。
たぶんゲームという表現手段でもって、現代や社会について映画や小説と同様にリアリティをもって語ることは、もう個々の作品、点と点としてではなくて、ゲームシーンとしてより広がっていくはずだと思うし、それを確信させてくれる力のある作品だった。
そして自分にとって、ずっとKentuky Route Zeroという作品はゲーム史のなかの傑出した特異点というだけでなくて、今後のゲームシーンのなかで重要な役割を果たす起点のひとつになると信じていたから、それが影響作を通じて現実になったと知れたことがほんとうに感慨深い。今後がたのしみ。
しかし、贔屓目込みだけれど、音・画面・文章・演出・物語・表現として一切隙なく完成されているKRZはほんとうになんなんだ......ポピュラーさは全然ないが......
最後に
好きなシーンをぺたぺた貼って終わる。
みんなも1000xRESISTのすきなスクショをぺたぺた貼るだけの感想記事を書いてくれ。
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ずっとかっこいいノウワー
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お洒落でたのしい占有者
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最後にみんなとおわかれできたので満足!
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dropsofmoonlightzine · 4 years ago
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「月の雫:セーラームーン30周年記念ファンプロジェクト」始動します!
「なかよし」1992年2月号に漫画「美少女戦士セーラームーン」第一話が掲載されてから、もうすぐ30年。この30年間、セーラームーンは海を超え世界中のファンに感動を与え、愛されてきました。これってなかなかすごいことだと思いませんか?
欧米では結婚30周年は「真珠の記念Pearl Jubilee」と呼ばれ非常に大切にされています。日本でも「真珠婚式」がありますね。30周年を迎える2022年は、セーラームーンにとっても特別な年になるはずです。記念すべきこの年を、世界中のファンで一緒にお祝いできないかと考えこのプロジェクトは動き始めました。
2022年の夏に国内外のセーラームーンファンコミュニティでも過去類をみない規模のZINE(ファンアンソロジー)発行を企画しています。本ZINEには幅広いコンテンツを掲載したいと思っています:同人小説や同人漫画、イラストはもちろんグッズやコスプレの写真、自由研究エッセイ…すべてが本誌でしか読めないものです。またZINEは全編通して日本語と英語の二か国語で制作されます。日本のファンと英語圏のファン…言語や文化の壁を超えてファン皆で一緒に作り上げたいと考えています!
ZINEのテーマは「その後のセーラームーン」。
セーラームーンのアニメや漫画、ミュージカルなどの最終回以降のお話、またその後のファンコミュニティでの出来事、なんでもかまいません。最終回以降のキャラクターたちや、その後のファンコミュニティに関する作品を広く募集します。キャラクター、カップリング、公式非公式…縛りはありません!
参加登録はこちらからどうぞ! 皆さんのご参加を心よりお待ちしています。
募集案内
登録の前に以下ご一読いただければと思います。
スケジュール
2021年5月30日:参加登録〆切
2022年2月1日:作品投稿〆切
・参加登録から投稿〆切までの期間は約一年です。なおその間は手放しではなく、定期的に主催から情報発信や進捗確認などさせていただく予定です。
・ZINEは事前に予約注文していただき、発送は2022年夏頃(公式の記念イベント等がある頃)を予定しています。
作品ガイドライン・ルール
できるだけ多くの方にご参加いただけるよう、長さの上限を設けています。
長さの上限:
同人小説:最低40002000字〜上限16000字まで
エッセイ:最低1000字〜上限6000字まで
同人漫画:最低2ページ〜上限なし
同人イラスト、写真:上限なし
なるべく綺麗に印刷するために、画像はDIN A4縦向き(2480px x 3508px)での作成をお願いします。DIN A4横向きでも構いませんが、その場合は2ページに渡って印刷されます。具体的なご案内は、登録完了後にまたお知らせします。
言語:
作品は英語または日本語いずれかで投稿していただけます。作品はZINEには原語で掲載され、逆の言語で各作品の短い要約、またオンライン翻訳版へのQRコードを合わせて記載します。
作品の公開に関して:
ZINE配布前のオンライン・またはオフライン上での作品の発表はお控えください。ZINE配布以降は、各自ご自身の作品を自由に公開していただいてかまいません。
投稿数に関して:
ZINEには複数の作品を投稿することが可能です。一人当たりの作品数に制限はありません。
選考に関して:
ファンの間で制作される多くのZINEは掲載の前に選考がある場合がほとんどですが、本ZINEはそうではありません。ガイドラインとルールに沿ったすべての投稿作品が掲載されます。ただし、ZINEが400ページを超える場合は、第一冊目を印刷、第2冊以降をオンラインのみでの公開とします。その場合、続刊へのQRコードは印刷された冊子に記載されます。あなたの作品がどこに掲載されるかは事前にお知らせします。
マナー:
ポジティブな制作環境を維持するため、万が一対立があった場合は、主催は仲裁、または著しく有害な環境を作り出している参加者を排除する権利を持っています。「うさぎだったらどう接するか」を行動基準にしていただければ、参加者みんなが楽しく取り組めるはずと考えています。
収益金:
本ZINEはチャリティーZINEです。制作費を超える収益は全額、同人小説をはじめとする同人作品をホストする変革的transformativeな作品のためのNPO(OTW)に寄付されます。変革的作品のためのNPO (OTW)は、AO3、Fanlore、オープンドアプロジェクト、変革的作品とその文化研究、そしてリーガル・アドボカシーなど複数のプロジェクトを抱える非営利組織です。詳しくは組織ホームページをご覧ください。(https://www.transformativeworks.org/)
レーティング・年齢制限:
本ZINEは大人のファン向けのZINEです。子供時代・青春時代にセーラームーン���大好きだった大人の女性、男性、その間のすべての人、今でもセーラームーンが大好きな人向けのZINEです。そのため作品内容に制限は設けていませんが、性行為や性行為を暗に示す描写を含む場合は、それがセックスポジティブで、登場人物に主体性のある描き方をしていただくようお願いします。登場人物それぞれが主体的に自らの欲求やニーズ、また限界を自覚した上で行動し、それをパートナーにも伝えられる、そういった性描写を増やせればと主催は考えています。同意がない、または同意が明確でない性行為、未成年の性的描写、また露骨な暴力や痛ましいテーマ(虐待、不法薬物の使用、自傷行為などトラウマに触れるようなもの)は主催による審査の上除外いたします。
作品テーマ例:
「その後のセーラームーン」をテーマにどんな同人小説や同人漫画・イラスト、エッセイをかこうかなかなかイメージが湧きにくい、という方のために、参考までに以下いくつか例を用意しました。
エッセイ(自由作文)
作品は小説やイラスト・漫画だけとは限りません。ご自身の体験談や、自由研究的なエッセイも大歓迎です!あなたの意見や分析・研究、作品やファンコミュニティへの愛のメッセージなどを大募集します。
たとえば…
あなたのお気に入りのマイナーカップリング(以下CP)は?
年齢を重ねた今、キャラクターやストーリーに対する自分の解釈の変化
お気に入りのCPが30年間ファンコミュニティでどう位置付けられ、また描かれてきたか
今振り返ってみて、セーラームーンから最も影響を受けたメッセージは?
好きなキャラクターやメディアそれぞれの良さを賞賛したり、また30年経った今嘲笑されないよう擁護したりしていますか?
作中で描かれた哲学や価値観についての自分の考察
ファンコミュニティの歴史ー同人小説、同人イラスト・漫画の歴史や変遷
子供のころ好きだった懐かしのジャンルを自分の子どもや孫、甥っ子姪っ子と共有するのってどんな気持ち?
あなたの人生にとってのセーラームーンのファンコミュニティとは?
過去30年に出会ったお気に入りの同人作品へラブレターを書いてみましょう!同人イラスト/漫画からコスプレ動画まで何でも!
作品へラブレターを書いてみましょう!30年後の今、あなたや他の人にとって「セーラームーン」はどんな意味を持っていますか?
セーラームーンが「魔法少女」ジャンルに残した遺産とは?
あなたの国や文化の中のセーラームーファンコミュニティ、今と昔
セーラームーンの後に登場した他のメディアでのセーラームーンへの言及集
セーラームーンとLGBTQIA+の表現について
他にも 過去30年間のセーラームーンの遺産について、何か思うこと
同人小説、漫画やイラスト
最終回以降であれば、原作、アニメ、どのメディアの設定でも大丈夫です。かいてみたいと思うアイディアを色々考えてみて下さい。作品のテイストもシリアスから甘々、コメディまで何でも構いません。
たとえばこんなのは…?
 昔からのお気に入りのキャラクターやお気に入りのCPのお話
クリスタルトーキョーの物語ークリスタルトーキョーはどのような経緯で誕生した?スターズ編終了直後からクリスタルトーキョーを舞台にした話まで、ちびうさの戴冠式…想像できるものなら何でも!
本編以降の悪役についてー本編以降に現れた敵、たとえば神話の悪神や、日本の妖怪が攻撃してくる話、世界を襲う新たな脅威の話、クリスタルトーキョーでのブラックムーン一族の台頭の話など
ちびうさと彼女のセーラーチームについての物語
セーラー戦士それぞれの未来
転生したほたると彼女のママたちの話

脇キャラの未来、スターズ編終了後やクリスタトーキョーの話、何回もするキャラクターも一度しか登場しなかったキャラクターでも
他にも娘が女王になったことで、うさぎの両親はどう反応した?宇奈月は結局ファーストキスをしたの?なるちゃんと海野はその後どうなった?アマゾントリオは生まれ変わってどんな生活を送っている?思春期や大人になった進悟って一体どんな感じ?エイルとアンは理想の惑星を見つけた?それとも密かに地球に戻ってきた?人生2回目のネヘレニアはどうしてる?ギャラクシアは、すべてのスターシードを返し、破壊活動の修復のためにどんな苦労をしてる?キンモク星の彼らの復興はどうなってる?20世紀の東京で、あやかしの4姉妹はどうしてる?若木はセーラーVの世界からセーラームーンの世界に移動した?浦和くんは亜美と二度目のデートはできた?衛の石のコレクションはボディガードに戻った?それとも幽霊としてクリスタルトーキョーでエリュシオン/ゴールデンキングダムとシルバーミレニアム両方の正統な後継者であるちびうさのベビーシッターをしてる?衛センパイがキングになって浅沼はどう反応した?などなど!今挙げたどれでも&もちろんそれ以外のお話も大募集します!
 IFもしもの話
   原作漫画にあるように、クリスタルトーキョーは多くの異なる未来(クリスタルトーキョー、セーラーコスモスの孤独な世界、ぱられるせぇらぁむ〜んなど、公式で描かれた色々な未来を挙げればキリがありません!)の一つに過ぎず、キャラクターたちは何度もタイムスリップして自分たちの未来を変えてきました(ちびうさ、セーラーコスモス)。 これらのパラレルな未来でもっと遊んでましょう!本編の間に何か起きたとしたらどうなっていた?もし、本編の中で何かが少し変わっていたら、それはどんなふうに発展してまた別の未来を生み出しただろう?ちびうさが過去を変えすぎてとうとう歴史を狂わせてしまったとしたら?それがセーラープルートやキングエンディミオンだったら?あるいはブラックムーン一族?ダークキングダムが君臨するディストピアは、スターズ編の後どうなっていた?衛とうさぎが別れたことでクリスタルトーキョーへ続く道が消えてしまったら?そうしたらその先はどうなっていた?セーラーコスモスがもっと過去までさかのぼり、二人が生まれ変わったことをお互い知ることのないようにしていたら一体どうなっていただろう?何かが違っていたらありえたかもしれない色んな未来を描(えが)いてください!

スターズ編の後、クリスタルトーキョーの体制がまだ確立していない未来の話?

セーラーコスモスの話ーセーラーコスモスはスターズ編でみんないなくなったままの未来を変えるために過去へタイムスリップした?彼女の旅はどんなものだっただろう?

本編以降のお話であればどんなものでもかまいません!
*この30周年記念ファンプロジェクトにおける「真珠」について。このZINEの名前である「月の雫」は、日本語で「真珠」のこと。英語の「Drops of Moonlight」はその直訳です。30周年=真珠記念、また真珠や月のイメージがセーラームーンにピッタリ!ということで今回タイトルに採用されました。
*本プロジェクトは読者・視聴者に愛のメッセージを贈ってくれた作品を節目の年の機会にお祝いするものです。このイベントでは、参加者の皆さんがお互いに思いやりを持って接することができるよう、他の参加者に対して許容できない態度をとった参加者は主催によって出入禁止にすることがあります。万が一こういった事態があった場合、当該参加者の作品はZINEには掲載されません。
3 notes · View notes
keredomo · 4 years ago
Text
『八月の光』、分厚いですよね(後半)
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 後半です。前半ではクリスマスとジョアナを中心に愛と承認についてうだうだ書きました。後半では腹を括って書ききれなかった「信仰とはなにか」問題について書かねばなりません。書き切るためにも、とにかく気合でページを進めるのみです。デスマーチ……(私はものを読むのが得意でない)。  後半で取り扱う人物がまー軒並みクズでして、奴隷労働をさせられることになった怒りをフォークナーに癒してもらうために読み始めたはずが、より一層怒り狂うはめになりました。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:神がジェファソンに導き給うた。そろそろ産まれそう。
ジョー・ブラウン:自分が作った酒でアル中になるバカ。
ジョー・クリスマス:愛した女を殺し家を燃やして逃走中。賞金首。
ジョアナ・バーデン:愛の渦に飲み込まれ死亡。享年44歳。
バイロン・バンチ:おれがリーナを守る!夫に会わせてやるからな!
ゲイル・ハイタワー:実はバイロンとマブダチ。本は結構読むらしい。
 それでは参りましょう。悪態が炸裂して大変なことになりそうです。
【目次】
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
395ページ 「確信」への憧憬  
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
474ページ まるで死が賜物であるかのように
495ページ 黒人の神様
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
526ページ リーナの出産
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
やっと読み終わりました(656ページ)
383ページ 頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えない
 前半冒頭で「走る下半身」として紹介したジョー・ブラウンという男がいましたね。こいつの名前は偽名です。リーナの夫になることから逃れるために町を移り、名を変えました。本名(かどうかも怪しいが)ルーカス・バーチ、バイロン・バンチと名前が似ていた偶然がリーナを彼のそばまで運んできたのです。必然でしょうね。  このクソ野郎は、リーナから逃げて流れ着いたこの町に同じく流れ着いたストレンジャーであったクリスマスとつるんで密造酒の製造販売で儲けようとするのですが、脳が5gくらいしかないのであちこちでヘマをやらかしてクリスマスに睨まれます。とはいえクリスマス自身もストレンジャー特有の警戒心があり他に仲間にできそうな人もなく、同じくストレンジャーであるブラウンと一緒に過ごすことを選びました。宿のない彼をジョアナに与えられていた小屋に招いて共に暮らすようになると、ブラウンはクリスマスとジョアナが男女関係であることを知るようになります。へえ、こいつはおもしれえや。あの北部人の女とね。のみならず、クリスマスが酩酊して「自分には黒人の血が流れている」と独白するのも聞く。いよいよこいつの弱みを握ってやったぜ。こいつは使えそうだ。  それで、火事の現場に偶然居合わせたブラウンに容疑がかかった際、相棒クリスマスの複雑で繊細な事柄をぜんぶ、ぜーんぶぶちまけて、自分の利益に替えようとするわけです。我が身の安全とクリスマスの首に懸かった賞金の千ドルのために、知ってることをすべて警察に打ち明けて、「あいつが殺したんだ!あいつが悪人だ!」と喚く。「俺は何もかも知っている!犯人を明らかにしたんだから千ドルよこせ!」とぎゃんぎゃん叫ぶ。なんなんだこの下劣野郎は。最悪すぎる。
ブラウンはしゃべりたがった、熱心に大声でしゃべりたがり、どうやら彼がそうするのも千ドルの賞金が欲しいためだとすぐに明らかになったのだった。 「おまえは共犯証言をして自分の罪を軽くしたいわけかね?」保安官が尋ねた。 「俺はそんな証言したくねえよ」ブラウンは表情も声もやや荒っぽく、突っかかるように言った。「誰がやったか俺は知ってるんだ、千ドルくれれば話すんだ」
 ちょっと頭蓋骨に蛆が詰まっているとしか思えないですね。それとも、この時代、1930年代のアメリカの南というのは、ここまで人を貶めなければ自分が生き延びることができないような時代だったのでしょうか。
 2020年を生きる私はブラウンのキャラクターに対してはっきりと憎悪をもっていますが、当時の土地や時代のことや、信仰のもう手に負えないほどの形骸化のことに鑑みるに、彼が神を無視し、慣習を無視し、父親となってこの世に囚われることを拒み、逃げ、逃げ続け、この世に反抗して生きられるのならば何だってやる、という態度を選択するのももしかすると一つの生き様なのかもしれない、とわずかな同情の余地をもつこともできます。彼の発言や行動の迂闊さと利己心をみるに、そこまで確固たる思想があるとはまったく思えないけど、絶対ないとは言い切れないよね。
 もちろん、どう擁護しようと、こいつのせいでリーナは孕んで共同体から疎外され、こいつのせいでクリスマスはリンチに遭って死ぬわけです。  ですが、彼を悪であると断じていいのかどうかはわかりません。
 リーナはすごく晴れ晴れしく旅を続けています、この男を追う旅を。この小説のラストシーンは再びリーナの歩みで締めくくられるのですが、そのリーナの姿の晴れやかなことといったら。生きる勇気をもらえるラストシーンです。この美しさ、晴れ晴れしさは、未読の方には是非読み通して味わっていただきたいものです。  クリスマスは、これは想像にすぎないけれど、多分ジョアナを殺して一人になった時からずっと死にたかったのだろうと思います。二人で死ぬつもりだった女を一人で死なせて、彼はもう生きていくことはできなくなったような気がする。二人で死のうとしていたような女を一度人生に置いて、それから再び一人になるということはできないような気がします。
 ジョー・ブラウンの存在は、「引き金は意思を持たない」ということを示しているのかもしれません。事実、この世には、明確な意志で以って引かれる引き金なんかほとんどないのです(私たちが抗いながらも自殺に憧れる理由でしょうか)。
395ページ 「確信」への憧憬  
 これまでこの記事では愚昧な男バイロン・バンチと追放された牧師ゲイル・ハイタワーのことにはほとんど触れずにきました。どちらも物語の主要人物なのですが、どうも魅力に欠いて、それは彼らに主体性がないからだと思います。自己についても他者についても社会についても責任を有していない。呆れたことですが、一般的なことかもしれません。  動くことはもちろんsurviveするための能動的選択ですが、不動のまま耐え続けることもまた生き延びるための一つの選択肢でしょう。とくに共同体から疎外されては生きてゆかれないような状況では、動くことのほうが愚策であることが多い。  バイロンとハイタワーの両者は「耐える」ことを選んだ者でした。  ある側面では、この小説の結末について思えば、これはそういった「どこに自分を見出せばいいかわからない」ような生を生きてきた彼らを救済する物語であるとも言えるかもしれません。
「彼女はいまあなたがしているように僕を見つめてて、それから言ったんです、『その黒ん坊の名は何というの?』まるで神様が見るみたいに、人間の嘘から知りたいことだけを、尋ねもせずに、見つけだしちまうんです」
 バイロン・バンチがリーナに恋をするのも頷ける話です。確信を持つ人間は、従い続ける人間にはあまりにも眩しく見えるものでしょう。
 バイロン・バンチは、よりによってジョアナの死体と家が燃え上がっているまさにその時にジェファソンにたどり着いたリーナと偶然出会って恋に落ちます。「ルーカス・バーチ(下半身ジョー・ブラウン)を探していたら、バーチじゃなくてバンチならここにいるっていろんな人に言われたわ。バンチってあんたなのね。」みたいな感じで話します。今書き出してみて気づいたけど、売野機子の描く物語の登場人物にこういう話し方をする子がけっこういますね。『かんぺきな街』とか。
 バイロンがリーナを保護し、彼女の望みを叶えるためにブラウンに会わせてやろうとするその健気さ、甲斐甲斐しさというのは、明らかに当時理想とされていた男性像から逸脱したものです。言ってしまえば性役割が反転しています。ここがリーナというキャラクターの底知れなさで、この人、主語が一貫して「あたし」なんですよね。前半の登場人物紹介で「電波」と書きましたが、彼女を電波と言わしめる社会順応性のほうがどう考えても悪ですね。
403ページ ハイタワーの受け取った「おつり」
 『いかん、わしはせんぞ。わしはお役ご免の株を買ったんだ』。それがいまは口でしゃべる言葉ほどになって、繰り返し、執拗に、主張するように、『わしはそのために支払ったのだ、値段をごまかしはしなかった。誰にもそうは言わせんぞ。わしはただ平和が欲しかっただけだ。言い逃れもせずに彼らの値段どおり払ったんだ』。
 『 』は作中人物が頭の中で考えた会話や独白を示すそうです(原文では ‘ ’ )。ゴシック体(原文はイタリック)となっている“意識の中を走る「思考の流れ」”との違いが相変わらずよくわかりませんね。より強く現実に即している思考ってことなのかな。
 本書ではバイロン・バンチとハイタワーの対話に少なくない紙面が割かれているのですが、この箇所ではバイロンがハイタワーにクリスマスを助けるための嘘をついてくれないかと懇願します。  バイロンはハイタワーに頭を下げつつ、「悪人と同様に善人にも負債が——償わねばならぬ負債が——あるとあなたに言いましたね」と話しています。ハイタワーはそんなこと、つゆほども承知していない。  先に「耐える」者として触れたとおり、そして上記の引用からも見て取れるような、「ただ悪事を犯さないというだけで“善人”である」というスタンスをとっていたハイタワーには、自分が支払わなければならない負債なんか到底あるとは思えないのです。  しかしその後、ハイタワーはほとんど自らの意志で「おつり」を受け取ることになりました。
 この場面の前後で、クリスマスの祖父母が新たに登場します。ここにきて新キャラ出すのやめろ。クリスマスの(微妙にたいしたことない)出生の秘密が明らかになると同時に、前半で触れた孤児院の「番人」はクリスマスの祖父だったことが判明します。孤児院のシーンでの描写でも完全にヤバい男でしたが、何がどうなってあんなにヤバかったのかが明らかにされて私も安心しました。詳しくは後ほど。
474ページ まるで死が賜物であるかのように
それでいてなおその音楽は冷酷で執念ぶかい性質を持ち、用心ぶかくて、わが身を犠牲にする情熱もなく、頼み、懇願するのだが、それは生をではなく、死を請い願っているのであり、他の新教音楽と同様、人々に生命を禁じるその高い調子は、まるで死が賜物であるかのように、死を請い願っているのだ。
 ハイタワーが今は自分の所属先ではなくなってしまった教会、そこで奏でられるパイプオルガンの音色について回想しているこの箇所は、明らかにイエス・キリストを擬人化(擬人化?)した挙句クリスマスに重ねている文章ですね。  この、クリスマスの心情を髣髴とさせる一節をハイタワー(堕落した牧師)の思念として描き出すのもなかなか皮肉に満ちていながら、……もしかすると、「わかりあえなさ」を強調しているのかもしれません。
この人々は喜びや陶酔には耐えられぬようであり、そこから逃避するために暴力と酒と喧嘩と祈りを用い、破滅するときにも、また、同様に、きまって暴力を用いるのだ だから彼らの宗教も当然のことに、彼ら自身やお互いを、十字架上に追いあげるようなものになるのだ と彼は考える。この音楽の内奥には、あの人々が明日はせねばならぬと知っているものに対する彼らの宣言と献身とが聞きとれるように思える。また、前の週は奔流のご��く過ぎ去り、明日に始まる来週は深淵であり、いまだけは瀑布(ばくふ)の落ち口に集まった水の流れが一つに調和して厳粛で朗々たる響きをあげているといったふうなのだ、それも弁明のためでなくて自らの落下を前にしての末期の挨拶であり、それを神へではなくて鉄棒のはまった監房に死を待つあの男へであって、その合唱ばかりか他の二つの教会の音楽も聞えてくる監房にいる男に、彼らは喜んで磔のための十字架を建てようとしているのだ。(太字箇所はここではゴシック体)
『というのも、あの男を憐れんだりすればそれは彼ら自身への疑問を生むことになるからだ、彼ら自身を憐れむ希望と必要を生むことになるからだ。だから彼らは喜んであの男を磔にする十字架を建てるのだ、喜んで。それが恐ろしいことなのだ、まったく恐ろしい、恐ろしい』
 思念はイエス・キリスト、クリスマス、そしてハイタワー自身が民衆から受ける仕打ちを重ね合わせながら、自己を守るために他者の理解を拒むという民衆的暴力の陰惨さに辿り着きます。  この箇所を他人事として棚上げすることは許されないように思われます。私たちが他者を拒むとき、それが暴力の行使にあたることにはほとんど気づきません。しかしそれは、『八月の光』あるいは聖書に描かれる実際上の血祭りとなんら変わりないと、ここにはっきりと記されていました。
 ハイタワーとクリスマスは、それこそクリスマスの死の瞬間まで一切、直接に接触することはありません。隠居しているハイタワーは、クリスマスの存在を知ってはいるものの、バイロンの噂話で聞きかじる程度です。  こうしてかつての自分が民衆から受けた迫害にあらためて思いを馳せる夜を経たことで、その後ハイタワーはクリスマスを暴力と死から逃そうとする行動をとることになるのですが、結局守りきれず、無力感に包まれたままハイタワーもまた孤独に息をひきとりました。
 直接に愛し合うことのない人間がほとんど唯一の理解者としてこの世に存在しうるということは、絶望でしょうか。それとも希望でしょうか。自分が生きながらにして享受できない救いははたして救いなのでしょうか。生前評価されなかった画家を死んでから愛でるというおこないの下劣について、私たちはどう折り合いをつければいいのでしょうか。
 死が賜物であると宣べるとき、私たちはこの生の耐え難い無力感から解放されることの安堵に支配されてしまうのでしょう。その安堵に抵抗し続けることの困難に、それでも立ち向かわなくてはならないのですが。
495ページ 黒人の神様
『坊や、なんであっしばかり見つめとるだね?』するとその子(引用者注:孤児院時代のクリスマス)は言った、『おじさん、どうして黒ん坊になったの?』それで黒ん坊が言った、『あっしが黒ん坊だなんて誰が教えたい? ええこの白人の父(てて)なし子め!』するとその子が言うんだ、『ぼく黒ん坊じゃないよ』、そして黒ん坊が言った、『おまえはそれより悪いだ。自分が何だか知らねえんだから。それもだ、これからずっと一生知らねえだ。おまえは行きて、そいから死ぬだがそれでも死なねえままだ』
 呪いがすごい。この呪詛によって、人種差別の罪、暴力でもって黒人を奴隷として使役してきた白人の罪のすべてがクリスマスに注がれています。神なき人の子に重すぎる原罪を背負わせるのやめろ。
そしてその子が言うんだ、『神様は黒ん坊じゃないよ』、そしてその黒ん坊が言うのさ、『おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ』。
 「神様は黒ん坊じゃない」!  その次の黒ん坊のセリフもまたすごいものですが、「神様は黒ん坊じゃない」という一節に衝撃を受けました。そうだよな、黒人の歴史においては、キリスト教が布教される(あるいは強制される)その担い手は白人だったわけで、それは書物ではなく口承と絵図とモチーフのみによって教えられたわけで、イエス・キリストは黒人の姿をしていない……。一度も考えたことがなかった。黒人にとっては、神の子は自分と同じ肌の色をしておらず、よりイエス・キリストの姿(と思い込まされているもの)に近い白人たちのほうが上等な生き物であると思わされてきたのかもしれない。白人たちも当然その傲慢に染まっていたことでしょう。聖書におけるイエスの肌は褐色であるにもかかわらず。  ここで私が割って入って「神様は黒ん坊でもないけど白人でもありませ〜〜ん残念でした〜〜〜!」と叫びながらハリセンでクリスマスの頭をはたけたら何か変わっていたかもしれません。悔やまれます。
 その直後の黒ん坊のセリフ「おまえは神様が何だか知ってるにちがいねえな、だっておまえがどんな人間かは神様だけが知っとるんだからよ」、こっちが真実ですね。どんなに正しいことに触れても、それが正しいと知らなければ受け取ることは叶わないのはやるせないものです。私もきっとおびただしい正しさを取りこぼして過って生きているのだろうな。
 それにしても、構造が明らかになるにつれフォークナーの筆力にひれ伏すばかりです。私事ですが、ここ何年かは、複雑きわまりない人生から「咀嚼可能なていどに簡易化をほどこした物語」を抽出することに取り組んできましたが、そろそろ「複雑な物語構造を組んで現実を再構築する」ということに取り組んでみたい気がしています。
498ページ 罪を抱えきれない弱い人間
 クリスマスの祖父について少し触れておきたいと思います。老ハインズと呼ばれている、町で噂のキチガイ爺です。「番人」の描写の時もやたらと��神神神言ってましたが、この人もまたあんまりよろしくない形で神と共にあり神を都合よくつかって救われたがっている人です。彼は常時、神と会話(対話でなく会話です)をしています。
老ドック・ハインズはあれが馬車に乗って出てゆくのを見送ってから、神様がおいでになるのを待っとると神様がやってきて老ドック・ハインズに申された、『おまえも行ってよろしい。おまえはわたしの仕事を果した。あとはもう女の悪業しか残っておらぬが、それはわたしの選んだ手先に見張らせる値打ちもないものじゃ』。
 クリスマスを孤児院から養父母に引き渡したあとのシーンですね。老ハインズは自分を神の使者だと思っているようです。  彼の一人芝居の滑稽さには正直ちょっと笑ってしまうのですが、直後に来るシーンはかなり切実で泣けてしまいます。
夜になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あれはまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズは神様と連絡をとっておってそして晩になると彼は言った、『神様、あの父なし子は?』そして神様が言われた、『あの子はまだわたしの大地を歩いておる』、そして老ドック・ハインズはなおも神様と連絡をとっておって、そしてある夜に彼はもがいたり荒れくるったりしてから大声で叫んだ、『あの父なし子、神様! わしは感じます! わしは悪魔の歯と牙を感じます!』そして神様が言われた、『それはあの私生児じゃ。おまえの仕事はまだ終っておらん。彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのじゃ』
 ぐううう……(ぐうの音)。いやね、今となっては「私生児くらいでそんな……」という感じですが当時は気が狂うほどの罪だったんでしょう。自分の手から放してしまった孫をずっと気にして、不安にかられて、神様、神様と唱え続けている老ハインズの哀れな姿に胸が締めつけられます。ついに不安も苦しみも罪の意識も自責の念も背負いきれなくなり、ハインズは神様に「彼はわたしの大地の汚れであり憎しみなのだ」と言わしめてしまいました。  貶めることで安堵しようとする。人間のそういう弱さはよくわかります。自分の罪を自分で抱えきるには人間は弱すぎる。老ハインズと同じことを私もよくやっていると思います。でも、人間が弱いからと言って、自らその弱さを手放しに許すことは堕落にほかなりません。生きる以上、私たちはこの弱さに抗っていかなければならない。
526ページ リーナの出産
 さて、物語も終盤にさしかかっています。ついにリーナが出産するのですが、ブラウンが彼女を匿うことにしたのは実はジョアナ・バーデン邸の一角、クリスマス(とブラウン)が寝泊まりしていた小屋なんです。  クリスマスがジョアナを殺して家を焼いたそのすぐそばの小屋でリーナの子が産まれた瞬間、そこには、大人になったクリスマスに再会することで罪を許されたいと願ったものの叶わなかったクリスマスの祖父母(老ハインズら)と産婆役のハイタワーが集い、ここまできてもなお事態を我が事とみなしていなかったために医師を連れて来るのが間に合わなかった情けないバイロン・バンチが遅れてやってきて……なんというか、すごい構図ですね。ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897-98)を思い出します。
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 ゴーギャンこれ。好きなんだよね。
『哀れな女だ』と彼は考える。『哀れにも不毛な女。あと一週間だけ生きのびておれば、幸運がこの場所に戻ってきたものを。この不毛の破滅した土地に運と生命が戻ってきたものを』。
 ハイタワーはリーナの小屋に医師役として通いながらこんなことを考えますが、ほんとにそうかなあ。ジョアナとクリスマスが破滅し、家が燃え上がって何もかも失われてしまったからこそ、ここに新たな生命が芽吹いたんじゃないのかな。わからないけど、そんな気がします。世界は運動し続けるもので、とどまることはないと思う。
574ページ このタイミングで新キャラ出すの何なの
 おい、もうほぼ読み終わろうとしているこのタイミングでなぜまたも新キャラを登場させる。すごい度胸だフォークナー。登場させたペラッペラの新キャラにクリスマスを惨殺させる役割を担わせるのに何の意図があるんだフォークナー。  この新キャラ(警官パーシイ・グリム)は物語に颯爽と現れて颯爽とクリスマスを殺して消えます。なんなんだ。
 留置所から逃げ出したクリスマスはハイタワーの家に駆け込み(クリスマスの祖母が彼に会いに留置所へ行き、ハイタワーが守ってくれるはずだと説いたためです)、ハイタワーも彼を追っ手の警官グリムから守ろうとするのですが、空しくクリスマスはグリムに撃たれて殺されてしまいます。
他の連中が台所に着いたとき、テーブルは横にのけられ、グリムは死体の上にかがみこんでいた。彼が何をしているのかと近づいて、一同は男がまだ死んでいないのを知った、そしてグリムのしていることを見たとき、彼らの一人は咽喉のつまった叫びをあげ、壁のほうへよろめいていって嘔吐しはじめた。グリムもまた、血だらけの大ナイフを背後に投げすてながら飛びさがった。「これで、きさま、地獄に行っても白人の女にいたずらできないぞ」と彼は言った。
 このシーンは……ちょっとあまりにも悲惨で口を噤んでしまいますが……。直後に「尻や腰のあたりの切り裂かれた服の間からは」という記述があるので、おそらくそういうことですね。一体、警官には正義の名の下にそんな仕打ちをおこなう権利があるというのでしょうか。正義は最悪。いや……マジで最悪ですね正義……。正義によって私刑が正当化されると思っている人間は本当に吐き気のする悪でしかないですね……。おえ。
彼らはこの澱んで僧院めいた薄暗さの中へ、いま彼らが彼にしたばかりの残酷な夏の光に似た何かを持ち込んだのであった。  その光の残映は彼らの上に、彼らのまわりに、ただよっていた——それは光の持つ恥知らぬ残忍酷薄な明るさともいえた。
 「八月の光」が何であったのか、端的に述べられた箇所です。  柔い光は人に優しく、あたりを照らして私たちに景色を与え、世に温度と色彩をもたらし、それは恩寵というべき恵みです。しかし、あまりにも強い光は私たちから視力を奪い、体を灼熱に焦がし、すべてを奪いつくす暴力と転じます。それは私たちの力ではどうにも操ることのできないもの、畏怖すべき自然です。  このグリム然り、『異邦人』のムルソー然り、どうも「太陽のせい」で人は道を踏み外しがちになるようです。それはお前が常日頃からきちんと責任について考えておらず、また畏れという意識のもとに生きてないからだと思います。バーカ。
631ページ ハイタワーの死/リーナの再出発
『いずれにせよ、人間の手で神様に非難や責任を押しつけえないものが、何かあるにちがいないのだ。どこかにあるにちがいない』。
 終わりから2番目の章はハイタワーが息をひきとる間際におこなう回想に充てられています。祖父の栄光、父の真面目さ、自殺させた妻のこと、などなど。相変わらずあまり反省の様子は見受けられませんが……。初めて知ったのですが、死ぬ間際にはアメリカ人にも走馬灯が見えるようです。
 それでも、上に引用したハイタワーの独白は、「八月の光」を否定しうる力強い一節に違いありません。この小説に登場した人物には、神を信じるのではなく、神に責任を転嫁したり、神を都合よく利用したり、神にすべてを預けて破滅へと堕ちていったりする者も多くありました。まともに神を信仰していたのは記憶の限りではリーナくらいでしょうか。  別に神を信仰することが圧倒的な是ということもなく、神のかの字も口にしないジョー・ブラウンのあっぱれな逃げっぷりもそれはそれでよかろうと思います。人倫には悖るし、局部を切り取られるべきはクリスマスではなくこいつなわけだが……。
 自分を手放してしまうこと、抗うことを諦めてしまうこと、すべてを「八月の光」のせいにして責任を取らないまま都合よく救済されようとすること。生きるという重圧からの解放に誘惑され、ともすれば抗い難く飲まれてしまうそういった堕落に抵抗し続けることこそ、私たちが生きるこの世界にたいする責任を果たすことに繋がるのかもしれません。
 ちゃっかり逃げおおせたブラウンを追って、リーナは再び立ち上がります。今度はバイロン・バンチも一緒です(残念ながらまだまだ片思いの模様。)。
『逞しいもんだ。男どもがあんたを踏みつけにして行っちまうと、あんたおはやつらの残したものを集めて、また進むというわけだ』
 そのとおり。私たちは何度踏みつけにされても立ち上がるのです。
やっと読み終わりました(656ページ)
 読み終わったぞーーー!!!ワーーー!!すごかった!!!  軽い気持ちで書き始めた感想文のために2周もするはめになり、私もリーナと一緒にずいぶん遠いところに来た気分です。私の読解力の低さゆえ一読では読みきれないところが結構あったので、こうして精読する機会を得られてよかった。
 しかしフォークナーの筆力えげつないな……。 
 と言うのが今は精一杯です。人の人生を初めから終りまで描き切るようなことは、今の私には逆立ちしたってできっこありませんが、「人の人生を初めから終りまで描き切るようなことも人間には可能なのだな」ということをこの20代の終りに初めて知れたので、おそらくこれから先、見ようとするもの、見えることをわかっているので見ようとすることができるもの、が格段に増えてくると思います。とても嬉しい。嬉しいな。精読できてよかったな。
 追うリーナ、逃げるブラウン、彷徨うクリスマス、助けるジョアナ、閉じるハイタワー、従うバイロン。人間同士を物語によって絡めあい、多様な生き様を浮き彫りにしつつ、フォークナーはけっしてその是非を問わない。善悪を診断しない。評価を下さない。優れた小説とはかくあるべし、というまさにお手本のような作品でした。これは個人的な感触にすぎず、後日もっと学びを深めたあかつきには撤回することになる謂いかもしれませんが、多くの小説においてはテーマがすでに正義を帯びているような気がします。気がするだけだけど……。
 というわけで、拙い感想文に長々とお付き合いくださり本当にありがとうございました。長かったでしょう……。読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。  最後に、フォークナーがノーベル文学賞を受賞した際のスピーチより有名な一節を引用して締めくくりたいと思います。
I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance.
 ——私は、人間とはただ耐えるだけの存在ではなく、打ち克つことのできる存在であると信じています。人間は永遠の存在です。あらゆる生き物のうちただ人間だけが尽きることのない声をもっているから、というわけではありません。人間に魂があるからです。他者を思いやり、自己犠牲を厭わず、忍耐強く耐え抜くことのできる精神を人間が備えているからです。
訳は拙訳でした。全文はこちら↓ https://www.nobelprize.org/prizes/literature/1949/faulkner/speech/
 リーナの旅は続く。わたしは次は何を読もうかな。
(2020/05/17 16:21)
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heyheyattamriel · 5 years ago
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エドワード王 八巻
昔日の王の一代記、八巻
ワイルダーランド
ヴァレンウッドの旅は楽しいものでした。ほとんどの場所で昼間は晴れて、夜間は涼しい気持ちの良い天候が続きました。彼らの馬の足元に、舞い落ちる朱色や茜色、金色や緑の明るい色の葉っぱが降り積もってカーペットを作っていました。ヴァレンウッドは、曇りがちで急峻な森林の多いハイロックとはとても違っていました。北の国境に着いた時、振り返ったエドワードの目には、ほとんど丸裸で、栄光を失ってしまったような木々が見えました。彼らの前には、数えるほどしか木が生えていない、丘がうねる広大な緑の土地が広がっていました。それは永遠に続いているように思えました。
「エドワード、これがワイルダーランドだ」モラーリンが言いました。「気をつけるんだぞ。気持ちのいい土地に見えるが、この辺りを治める方法を知る王はいない。皆互いのやり方を否定している――人間より悪いものもいる。ここではタムリエルのすべての種族がいて、衝突している。身を守るんだ、ことによればな」
彼らの旅は、ちょっとした事件とともに、それから数日続きました。カジートの盗賊団が夜に彼らのキャンプに這い寄ったこと以外は。彼らはたやすく撃退されました。シルクが一人を倒すと、残りは叫びながら逃げて行きました。大人しいウッドエルフの少女、ウィローは彼らの後ろに向かって弧を描くように火の玉を投げました。街道はありませんでした。互いに交差し、どこにも続いていないように見える小路ばかりでした。
力強く馬を飛ばして二週間ののち、彼らは土地が途切れるボウルのような形の丘に着きました。収穫物が積まれた畑は整っているようでしたが、そこにいた人々は覇気がなく、ぼろをまとっていて、友好的ではありませんでした。宿についての質問も、ただ肩をすくめて困ったような顔をされただけでした。その時、武装した一団が現れて、用件を言えと要求しました。モラーリンがモロウィンドに向かっていると答えると、何も盗まずに早く行ってしまえと言われました。
「通過できただけで充分だ」モラーリンが静かに言いました。
「あの田舎者たちに誰か礼儀作法を教���るべきだ」普段は穏やかなマッツが唸りました。
「それなら、留まってエチケットの学校でも開いてみるか」モラーリンが言いました。「ああいう悪党のために講義をしてやるには、私の人生は短すぎると思うがね。空の具合が気に入らないな、あれはあの村人よりも邪悪に見える。町で運試しをしてみようか」
町は木の柵で囲まれ、丈夫な門がありました。彼らを見渡すと、衛兵が入場を拒絶しました。「人間だけだ、エルフ。下等な仲間を連れて去れ」
「わかった。アリ、マッツ、エドワード、お前たちがここで暖かく迎えられることを保証しているようだ。我々はどこか雨宿りできる場所を探すよ」
アリエラは、この門に足を踏み入れた途端、嵐が来る前にみんなファーストホールドに吹き飛ばされるのが目に見えるようだと皆に言いました。そこで彼らは町を迂回し、砦らしきものの中にある岩壁を備えた堀を渡りました。北に延びている 近くの道の脇に、大きな納屋がある小さ��家があります。どちらも粗末な修繕しかしていないように見えましたが、モラーリンはドアをノックして納屋で眠らせてもらえるかを尋ねるのに、アリエラとエドワードを行かせました。あとの者たちは道で待っていました。
年かさの女性がノックに応えて出てきました。彼らに会って喜んでいるようでした。「泊まりたいんですって?話し相手ができてうれしいですよ。納屋で寝なくたってかまやしませんよ、奥様。空いている部屋がありますからね。私はオラ・エンゲルスドッターと言います」アリエラは待っている仲間たちに合図をしました。女性は眼をすがめて彼らの方を見ました。「ご主人とお友達がいなさるの?ええ、それじゃみんな寄り集まっていましょう。その方が暖かいでしょうからね。火にスープの鍋が掛けてあるんですよ。一週間分の食事ですけど、どうかお気になさらず。まだ作れますよ」
「夫はエルフですの」
「そうなんですか?あの方はあなたと息子さんの面倒をよく見なさっているように見えますね。豚みたいによく太って。あの人たちを連れておいでなさい。私の孫娘にも、こんな風に気にかけてくれる方がいるといいのにねえ」
客人のもてなしに金を払わせなければならないほど困窮していないと言って、オラは支払いを拒否しました。その夜の物語と歌の楽しさで充分だと言いました。雨漏りの最悪の事態を避けるために、鍋と皿が置かれていました。彼女はその位置を熟知していました。雨戸と扉をしっかりと閉め、屋根が全部飛んでいかないかと怯えるような嵐が荒れ狂う中、彼らは暖炉の周りに集まって、とても楽しく過ごしました。
「奥様、教えてくださいな」オラがアリエラだけに囁きました。「あの方は本当にあなたに良くしておられる?あの方はとても大きくて、とても黒いのね」
「本当に良くしてくれますのよ」口は真面目そうな形を保っていましたが、アリエラの目は笑っていました。
「ああ、それはいいことですよ。あの方が大きくて黒いものだから、ちょっと男爵を思い出してしまって。あの人は孫娘のキャロンをさらって行ったんです――それに、あの子を手厚く扱ってくれやしません。あの人は――あの人はあの子を傷つけるんです、奥様。そして、あの子は逃げ出すこともできやしないんです。どこに行けるって言うんです?」オラの目に涙が浮かんで、使い古されて親しみのあるしわに沿って頬を流れ落ちて行きました。
女主人が就寝のために部屋に引き取ったあと、アリエラは彼女が話したことを皆に繰り返して聞かせました。
「その子を助け出そう」ビーチが言った。「怠惰な生活で腐っちまう」
「賛成!」シルクとウイローが即座に言いました。
マッツが同意を示して唸りました。ミスとスサースは興味があるように見えました。
モラーリンは疑わしげでした。「我々はタムリエルのすべての間違いを正すことはできないよ。この男爵は村人に避難所のようなものを提供しているのだし。よそがいいと思えば、彼らは出ていくだろう」
「賛成」ミスが言いました。「盗賊を遠ざけてるから、そいつは楽しみのために村人から盗むのかもな」
「それで、彼を引きずり降ろすのかね?代わりになる誰かがいるだろう。あるいは、よそ者がやって来て、根こそぎ持って行かれるさ」
「この不潔な何かに勝るものはない」マッツが言いました。
「そういうことね」嵐は過ぎ去ったようでした。アリエラは戸口に行って、雲が素早く行きすぎる東の月を見上げました。一つの大きな輝く青い星が、月の近くに浮かんでいました。「ゼニタールがタムリエルの近くにいるわ。モラーリン?」
「明日ここの屋根を修繕しようと思っていた、それが公正ならね」彼女が炎のそばに戻ってくると彼は言いました。「少なくとも、大仕事だよ。一夜の宿にしてはね――違うか?」
「彼女なりに……私に助けを求めたのよ……そして私――風の中にゼニタールの声を聞き、今夜の雨の中に彼の手を感じたの」
「君の試練、というわけだね、奥さん」
アリエラは頷きました。笑ってはいませんでした。彼女は煙突がある隅でモラーリンと一緒に身体を丸め、少しの間囁き合って笑いました。エドワードは眠っていました。朝になると、彼はビーチとウィローが新しいこけら板を置くのを手伝いに屋根の上にやられました。モラーリンは手紙を書いて、夕食の時間に間に合うように、徒歩で男爵に持っていくようにと、マッツに言い付けました。
「女の子のために彼に挑戦するつもりなんだね!」エドワードがにやりと笑いました。「でも彼は戦うかな?それに、僕たちがいなくなったら、またその子を取り返すんじゃない?」
「いや、彼は私を町に入れなかったから、代わりにお前の母上は彼を我々の家に招くことを考えたんだ」モラーリンはシグネットリングで手紙に封をしてマッツに渡しました。
「わあ。でも、おうちまでは遠いんじゃない?」エドワードはこの救出劇が差し迫ったものでないことに、少しがっかりしました。でも、彼には8人の人間だけで砦を奪おうなんて、とても筋の通ったこととは思えませんでした。たとえそれがモラーリンの仲間たちであってもです。多分、あの歌は彼らの行いを大げさに言っているのでしょう。
モラーリンはにやりと笑ってエドワードの髪をくしゃくしゃと撫で、質問をやめて屋根に行き、母上の心配をしなさいと言いました。モラーリンとミスは一緒に歩いて出発しました。アリエラは狩りに行ったのだと言いました。夕飯時になっても、彼らは戻ってきませんでした。アリエラはエドワードに心配はいらない、あとで会えるから、と言いました。
女主人にお別れを告げたのは、日が沈んでからかなり時間が経ったときでした。彼らは馬を全部連れて行き、砦の北側の壁の近くの木立に置いていきました。アリエラはエドワードに馬と一緒に待っていたいかと尋ねました。エドワードがどこに行くのかと訊きた。
「私たちは砦に入ってオラのお孫さんを取り戻すのよ。質問は駄目です、エドワード。あなたが来るなら、私と一緒にいて、言われた通りのことをなさい。堀はレビテトで渡るの。私は泳がなきゃだめね。渡り終えたら塀をよじ登るのよ。中に入ったら、私についてきて、できるだけ音をたてないようにして」
エドワードはぽかんと口を開けて、母と他の仲間たちを見ました。彼ら6人でどうやって砦を襲うというのでしょう?3人の女性と、2人の男性と、男の子が1人で?壁の上には衛兵がいるでしょうし、中にはもっといるでしょう。マッツも一緒に中に入るだろうけど、と彼は考えました。でも、モラーリンとミスはどこに?
堀では恐ろしいことがありました。エドワードは抗議しかけましたが、それからその方がいいと考え直しました。スサースが最初に堀に滑り込みました。小さな水音とシューッという声がして、水面が静まりました。アリエラが水の中に入りました。他の者たちは宙を浮いて渡りました。
「ロープがある」ビーチが壁を探りながら言いました。3本のロープがありました。エドワードとビーチとスサースが最初に上に上がりました。アリエラ、ウィロー、シルクがそのあとに続きました。モラーリンとミスが上で待っていました。二人の衛兵は荒れ果てた建物の上で穏やかにいびきをかいていました。
「どう―」エドワードが言い始めると、母が片手で彼の口をぴしゃりと叩いたのがわかりました。他の場所の壁の上にいる衛兵が大きな声で呼びかけ、エドワードは心臓が止まりそうになりました。ミスが何かを叫び返すと、どしどしという足音が遠ざかって行きました。
仲間たちは静かに階段を下りて、影のように中庭を横切りました。砦の中に入る扉には、衛兵が一人もいませんでした。通路の中は不気味なほど静かでした。彼らは堂々とした扉のところで身を屈め、壁にぴったりと身体をつけました。中の声が聞こえます。か細い、ゾッとするような泣き声がして、静かになりました。モラーリンがそのあとに続いた静寂に向かって口笛で短い曲を吹きました。ドアが大きく開き、彼らは中に駆け込んで、猛烈な勢いで驚いていた衛兵の上に身体を投げ出しました。
エドワードがトゥースを手に最後に中に入りました。彼は一番近くにいた衛兵の脇腹に突き刺して、ビーチが頭への一撃でとどめを刺しました。マッツはずっと中にいました。扉を開けたのはマッツだったのです。彼の斧が一人の衛兵の頭を割り、それから内側のドアに向かって振り抜きました。アリエラとウィローが外側のドアに素早くかんぬきを掛けました。モラーリンの敵はとても若い男でした。彼は大きなダークエルフを一目見ると、彼の剣を床に捨てて跪き、慈悲を請いました。
モラーリンは汚らわしいものを見るような目で彼を見て言いました。「ゼニタールによろしく言ってくれ。エボンハートのモラーリンが慈悲を推奨していたとな。お前のような者に対しては、私には持ち合わせがない」彼は若い衛兵の喉を切りました。モラーリンの革鎧に血が吹きかかりました。彼の犠牲者は床に倒れ、ゴボゴボと恐ろしい音をたてています。燃えるような酸味がエドワードの喉にせり上がってきましたが、彼は固唾を呑んで目をそらしました。
控えの間の中にいた衛兵たちは処刑されましたが、ドアの外では怒号と足音が轟いて、ドアに体当たりする音が聞こえました。エドワードは母のあとについて、巨大なベッドに鷹が羽を広げるような形で縛り付けられた裸の少女を除いては誰もいない、奥の部屋に行きました。彼女の眼が彼らを見つめていました。
アリエラが彼女の肩を押さえている間に、仲間たちが彼女の縄を切って自由にしてやりました。「おばあさまが私たちをよこしなさったの。男爵はどこ?」
少女は本棚を指さして、アリエラにしがみつきました。彼女はエドワードより大きくもなく、年もそう変わらないように見えました。彼女の胸は膨らみ始めたばかりです。彼女の体はみみずばれと血と紫色と黄色の打撲で覆われていました。アリエラは自分のマントで彼女を包みました。ビーチが彼女を抱き上げました。ミスの指先が本棚を探っています。カチリという音がして、横に滑りました。彼は慎重に中に入りました。他の者たちがあとに続くと、秘密の扉が彼らの後ろで閉じました。
「それはただのねじ穴だと思う」ミスが言いました。「だけど、罠を仕掛けてあるだろう。間違いない」
「じゃあ、気をつけて」アリエラが言いました。「急ぐことはないわ。男爵は戸口で客の見送りをする準備をしてるでしょう、いい主人の常識みたいにね」
細い通路が左側に開けました。ミスは雷の矢を打ち込みました。床は骨でいっぱいです。人間の骨です。小さな頭蓋骨が空っぽの目で見つめていました。「彼を殺すことを楽しむことにするよ」モラーリンが言いました。
「駄目よ!」アリエラが抗議しました。「私の試練です、私が殺すの!」
モラーリンが彼女の方を振り向きました。「アリエラ――」
「私はアリエラの手によって死んだと歌われたいの!彼と対決する権利を主張しますわ、我が王よ」
「私に任せるんだ、歌は君の言った通り歌うから!彼は君の二倍はあるんだぞ。権利のために私と戦いたいのかね?」エルフは彼女に向って身を屈めました。彼は彼女の頭一つ分余計に身長がありました。
「必要ならね」アリエラは彼を撫でて通り過ぎ、腕につけた盾を鳴らしました。そして走り出すと、彼女のショートソードを抜きました。
モラーリンは彼女���掴みましたが、掴み損ねて彼女のあとを走って追いかけました」彼の大きな体は低くて狭い通路で引っかかりました。不用意に壁にぶつかると、彼の魔法のシールドから火花が飛びました。
「二人とも、早く」ミスが前方で叫びました。「お前らのためにやつを取っておくとは約束してないぞ」
「モラーリン」エドワードが彼の後ろを走りながら喘ぐように言いました。「母さまにやらせないつもりなの!」
「させるさ!どうやって止められるか教えてくれるのか?私は提案を受け付けるぞ。実際に彼女と戦うには知識が不足している」彼は半分怒っていて、半分は面白がっているように見えました。
「た、多分あいつはもう逃げちゃってるよ」
「ないな。彼は我々と一緒にここに閉じ込められたんだ。さっき反対側から出口を見つけてミスが男爵には開けられない鍵をかけた」
「じゃあ、麻痺させよう。父さまは運べる」
「彼女は盾を使ってる。他にも効果はあるが、あれは呪文を跳ね返すんだ。私はただ自分を麻痺させるだけだし、私は運ぶには不便だ。彼女は大丈夫さ。あれはすばらしい盾だ。とても強い魔法を使える。アイリック本人が細工をしたんだよ」
「今晩、鍵にちょっとした問題がおありかな、男爵?」前方からミスの声が聞こえました。彼らは広い部屋に出てきました。そこでは、男爵が巨大なドアの隣のスイッチを虚しく引っかいていました。
「彼には必要ないでしょう」アリエラが鼻で笑いました。仲間たちは彼女の周りに半円状に広がりました。男爵は背中を扉につけて戦う間合いを取りました。彼は大男で、マッツほどの大きさがありました。そして、彼はマッツが持っているのと同じくらい大きな斧を抱え、ブレストプレートと兜を身に着けていました。彼はモラーリンを指さしました。
「9対1だ。お前のような黒い悪魔たちからのオッズを期待しているぞ」モラーリンはグループの後ろにいましたが、男爵は彼をリーダーに選び出しました。なぜかみんなそうするのです。
「ウェイトでアドバンテージを取るのがお好みなのだろう?だが、妻が戦いたいそうでね。お前の魅力に抗えないと見える。私もだ。招待への返事を待ち切れなくてね。だから代わりに来てやったぞ」
「俺があの女を負かしたら、残りのお前らが俺を殺すのか?はっ!その値打ちはあるかもな」彼はアリエラを冷酷な黒い瞳で見つめながら付け加えました。
アリエラは恐ろしい微笑みを見せました。彼女の黒い髪は肩の辺りで奔放に揺れ、彼女は輝いているようです。「男爵、お前はこの女を打ち負かすことはできないでしょう。ですが、もしできるなら、どこにでもお行きなさい。今夜、お前は私だけのものです。皆に誓います、ゼニタールに懸けて!もしまかり間違って彼が私を殺したら、私の幽霊が墓まで、その先も彼を追い立てるわ」彼女の声は予想よりも楽しそうでした。エドワードは震え始めました。
「ゼニタールに懸けて!」
男爵は笑いました。「信じられんな。だが俺のコレクションにまた女が加わるわけだ。その女にそんなに飽きてるのか、エルフ?」
「そんなに彼女を恐れているなら、代わりに私とやる方がいいか?」エドワードの心が、どこか深いところでかのエルフが正しいことを理解しました。男爵の虚勢にもかかわらず、彼はアリエラを恐れていました。エドワードは彼らとともには誓いませんでした。彼はしっかりと杖を握り締めていましたが、足は床に根を張っているようでした。
男爵は再び笑って、答え代わりにアリエラに強力な一撃を繰り出しました。でも、それは彼女の盾に傷もつけずに跳ね返されました。彼女が魔法でシールドを張っていることがわかると、彼の目が見開かれました。アリエラは踊るように脇に避け、彼の腕を切りました。彼女は敏捷でしたが、彼はどうにか多くの攻撃を当てることに成功しました。もし彼女のシールドが切れ…エドワードには最後まで考えませんでした。
彼女の盾の効果を消すことばかり考えて、彼が体を開いていたため、彼女は彼の足に何度も攻撃を加えました。彼女は打撃を低く保って、足を鈍らせ、血を流させようとしていました。その間中、彼が死んだら玉を抜いてやると言いながら、彼女は彼の男らしさをあざ笑って挑発していました。猛烈な一撃が彼女を後ろに下がらせました。彼女の盾が光ると、消えてしまったのです。
男爵は彼女の頭を一撃で割ろうとして斧を高く構えました。彼女は腕を後ろに引き、細身のショートソードを敵の目のにまっすぐ投げ込みました。彼は斧を取り落として叫びながら膝をつき、両手を顔に這わせました。アリエラは前に進み出て、彼の脳に深く貫通するほど、痛烈に剣を突き刺しました。身をよじり、痙攣させながら、彼は倒れました。
「よくやった、奥さん!」
「私にはすばらしいトレーナーと、いい甲冑師がいますもの!」アリエラは笑って、やがて頭を戻し、こぶしを握り締め、両手を挙げて言葉ではない勝利の叫びを上げました。
「お前のおかげだ!」モラーリンはシルクを掴むと荒々しく抱きしめて大きな音をたててキスしました。「お前が彼女に教えてくれた、いかしたトリックのおかげだよ、シルク」
「私のトレーナーさんを口説くのをやめて下さったらありがたいんですけど、旦那様!」細身のアダマンティウムの剣を慎重に拭いながらアリエラが言いました。
「私が?口説くって?怒っていないだろうね……それに、君の盾はまだ魔力がある。私はただ感謝しただけだよ。次に会った時はアイリックにキスしよう」
「本当に死んだの?」戦闘の間中、キャロンは目をつぶってビーチにしがみついていました。今の彼女はアリエラを――畏敬のまなざしで見つめていました。エドワードは適切な言葉だと考えました。エドワードも何か同じことを感じていたのです。恐怖に近いものでしたけれど。
「充分死んでいるわ」アリエラは、まだかすかにぴくぴくと動く身体を満足気に見つめながら言いました。少女は近寄り、彼の隣に膝をつきました。彼女は石を持ち上げると、泣きながら、何度も何度も彼の顔にぶつけました。彼女がそれを終えると、スサースが彼女に治癒の呪文をかけました。ミスが鍵を開けて外に出ると、馬を置いて行った場所のすぐ近くでした。
彼らは少女を母親の家に送り届け、彼女を冒涜しようとする人間には誰にでも、もし彼女が傷つけられたら、ゼニタールの番人たちが戻って来ると言うように、と教えて立ち去りました。まごついた老女は孫娘を抱きしめました。彼女が別れの挨拶をすると、夫の面倒を見るようにとアリエラに耳打ちしました。
「あら、そうしますわ」アリエラは言いました。「そうしますとも」
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彼らが休憩のために足を止め、アリエラが話をしようとエドワードの方に行きましたが、彼はとても疲れていて、ただただ眠りたいと抗議しました。息子に必要とされていない時は、君を必要としている夫に会えるだろうと言いながら、モラーリンが彼女を引き離しました。二人は火を囲む輪の外に出て行きました。エドワードは目を覚ましたまま起きていて、二人の小さな、鼻を鳴らすような音を聞いていました。それは、珍しいことではありませんでした。最初は気になりました。「眠れないよ、二人ともうるさいんだもん」ある夜、彼は抗議しました。「ねえ、何してるの?」その言葉は仲間たちから忍び笑いを引き出しました。「少なくとも、眠る振りぐらいできないのか?」モラーリンが平静を装って尋ねました。「僕は今、どうしてダークエルフがよく一人以上子供がいるのかわかったよ。僕がわからないのは、どうやって人間がこんなにいっぱい増えたかってことだ」モラーリンとアリエラは、その夜彼に嘘をつくために戻ってこなければなりませんでしたが、彼が眠ったふりをしたあとは、他の夜と同じようにしていました。
その騒音はあまりにも身近なものだったので、その夜の冒険の映像が彼の心の中で明滅するのを防ぐことができず、まるでそれらが再び本当に起こっているように、生き生きとしていました。彼は自分のデイドラが餌を食べ、それを止められないのを感じていました。不公平だ、と彼は考えましたが、自分のデイドラに餌をやり、それでも神々とともに歩むというモラーリンの言葉の意味を理解し始めていました。ゼニタールとともに。
モラーリンがアリエラを抱えて戻ってきました。彼は彼女を優しく下ろしてから、エドワードと彼女の間に横になりました。
「女でいるということは困難に違いないね」彼は優しく言いました。「彼女を見ていると大変だ。ただ見ているだけでね」
エドワードは頷きました。
「私はそれについてよく尋ねたものだ、彼女に」モラーリンは続��ました。「彼女はそれがどんなに大変か教えてくれたが、今晩まで知らなかった。彼女が勝つことは知っていた。ゼニタールが彼女とともにあって、男爵にはデイドラしかいなかったからな。それでも、見ているのはとても辛かった。彼女は10回のうちの9回を使った。そして、もし失敗すればあの盾にはさらに使い道がある……彼が疲れ切ってしまう前に、消耗を回復したかもしれん」
「僕もそのことを考えていたの……そしてあの衛兵…彼は命乞いをした?」
「わかっているよ。だが、彼は同じ言葉を聞いていた……毎晩毎晩な。それでも彼は男爵の手下であり続けた」
「大抵の男は父さまみたいに強くないんだよ。自分でもどうしようもなかったんじゃない?」なぜ彼は、もう死んでしまった男の弁護をしているのでしょう?彼の心はその夜の出来事を、良くも悪くも違う結果になったかもしれないと何度も繰り返し考えていたのです。
「あのように腐った魂のような邪悪を目にしたのに、ただ見ているだけで何もしないなどとは……マッツは持っている値打ちなどない私の片手を持ったままだったかもしれないな。それに、若者にとってはさらに悪い。今夜のようなことを経験させて済まなかった」
「僕の魂は腐っちゃった?」
「苦虫を噛み潰したような気持ちだろう、みんなそうだ。だが、治るよ」
「今治せる?」
「もちろんだとも」モラーリンは彼を腕の中に引き寄せて寝返りを打ち、エドワードが両親の間で横になれるようにしました。アリエラは眠ったまま彼女の両腕を彼に回しました。エドワードの鼻で、彼女の強い女性の香りと、モラーリンの麝香の暗いスパイスの香りが混じりました。
「母さま、とても怒ってた」エドワードは囁きました。彼はまた同じような気持ちで母を見られるようになるかしら、と考えました。きっと、モラーリンもその安心感を求めていて、それを求めるには充分賢明だったのでしょう。
「彼女は女だ。他者に対するああいう類の傷は、彼女の心の琴線に触れる」彼は言いました。
どのぐらい?少年はその質問を口に出せるわけがないことを察しました。
「お前の父上は怪物ではない。だが、彼女は自分のことを気にもかけない男に嫁いだ。そして、彼の下から去ることができなかった。お前の種族にはよくあることだが、だからと言ってそれが耐えることをたやすくはしないと私は思うよ」
「じゃあ、母さまにもデイドラがいるの?」エドワードは悲しげに尋ねました。
「それについては本人と話さなければいけない」
「今日のはほんとには公正な戦いじゃなかった。母さまはシールドがあったし、彼にはなかったもの」
「公正な戦いは闘技場のためのものさ、坊や。お前は狼やヘルハウンドが何も持っていないからって、武器も呪文も鎧もなしに戦うのかい?私は使うだろうな」
「男爵が死んじゃって、キャロンとオラはどうなるの?それに他の村の人たちも。」
「私が予言者マルクに見えるかね?わかるわけがない。春までここにいて、今夜我々が焼いた畑に何が育つかを見ることはできる。私は留まる気も、耕す気もないがね。私には私の、手入れすべき畑がある――聞いたかい、ノルドの農夫みたいじゃないか。鉱山の方がもっと私らしいな」彼はあくびをしました。
「他のみんなはあとのことは考えてなかった。父さまは考えてた」
「私は王だよ。それが仕事さ」
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moshimobokuga · 5 years ago
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Gold can Stay #01
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 深川ひのでは八歳で兄になった。それと同時に家の中でも外でも大暴れしていた少年は消えた。  母の妊娠が判明し弟が生まれるまで父方の祖父母の家で世話になることが増えた。両親と離れる日々は満足できなかったが、祖父母からお兄ちゃんになる準備が必要なのだと言われ納得していた。兄になることはすごいことだと繰り返し聞かされ、洗濯のやり方や簡単な調理法を教わった。思いの外、器用で分別のある孫に祖父母は感心し、おだてることはせずに彼を冷静に評価して本心から褒めた。  少しずつできることを増やした。近所のコンビニでの買い物やバスの乗降を一人でできるようになったのもこの頃だ。  弟の生まれた日もそうだった。急いでバスに乗った。予定よりずっと早くに産気づいた母は一人で病院へ運ばれた。そのことを授業中に知らされたひのでは教科書も体操着も置いて空のランドセルだけ背負って病院へ向かった。  バスに乗っている間は何もできずもどかしい思いをした。降りてすぐ病院に続く坂を駆け上がる。途中でへとへとになり足が止まる。顔を上げるとギラギラした見事な夕焼けが広がっていた。眩しかったこの光景は現在でも鮮明に覚えている。  この日からひのでは家にいることが増えた。放課後に友達と遊んでもすぐに帰宅した。幼いながらに自分が家にいることで何かしらの助けになればいいと考えていた。  案の定、両親は弟を中心にてんやわんやだった。祖父母から教わったことでひのでが役に立つことも多かった。そして彼なりにたっぷり弟を慈しんだ。
 弟の世話や親の手伝いに慣れた頃には外で遊ぶことがめっきり減り、家でよく絵を描いていた。一人でも友達とも家族ともできる遊びだったのでのめりこみ頭角を現した。かつての暴れん坊は中学の美術部へ入り、絵画コンクールで何度か入賞するようになった。  これに気をよくした両親や教師たちの計らいによって美術を学べる高校への受験勉強が始まった。ひのでも大人たちが褒めてくれるから悪い気は全くしなかった。  ひので��は美術だけだった。得意科目は五教科にはなく、体育もできるくせに手を抜くような少年だった。  そんな彼は美術予備校へ通うようになる。ここには様々な年齢の人がいて誰もが真剣だった。それだけで彼の気持ちは重たくなった。向上心を持たなくてはいけない。上手くならなくてはいけない。様々な劣等感に潰されながらも描き進める。そうすることしかできないのだった。
 沈んだ季節を耐えた彼は美術科のある高校に進学が決まった。滑り止めの一般の高校以外にも美術を学べる高校を複数受験したが合格した学校はここだけであった。  受験した中で最も通学が楽な高校だった。美術科のある特殊な高校なので地方からの入学者も多い。そのため学生寮も完備されていた。ひのでは少し興味を持った。しかし金銭的なうしろめたさがもう十二分にあったため親に入寮の希望は冗談でも言い出せなかった。  高校には美術科の他に普通科、音楽科、体育科の四コースがある。美術科のクラスに男子は三分の一ほどしかいなかった。見るからに美術肌の変わった人物は見当たらない。気が良さそうな人ばかりでひとまずひのでは安心した。  美術科の一年生には共同作業と呼ばれる課題があった。三人一組になって一つの作品を作る。作品はなんだっていい。三人で協力し完成させ、秋に行われる文化祭に出展するまでが課題だ。  ひのでは長山という女子と高谷という男子のいる八班の班長になった。彼らとはできるだけ大きい富士山の絵を描くことに決まった。  二人といると必ず毎日何かしら絵を描こうと前向きに考えられた。予備校に通っていた頃とははっきり違っていた。
 入学してしばらく経ったある日、ひのでは運悪く担任教師の手伝いを頼まれてしまった。二人で荷物を美術科の校舎の隅にあるプレハブ小屋まで運ぶ。するとどこからか聞こえる歌声がひのでを捉えた。 「音楽科の子だね」  足を止めた彼に先生は目線で声が漏れ出てる場所を示した。プレハブ小屋のすぐ向かいは音楽科の校舎だった。窓から一人の男子生徒が歌っている姿が見える。歌ったかと思えば止めてまた頭から歌いなおしているようだった。その度に男子生徒は体の向きも変えた。顔はよく見えなかった。  覗き込もうとしたが先生が先を行ってしまうので諦めて彼女の後に続いた。  先生によるとこのプレハブ小屋は少し前までは教室として使われていたという。今は使わないけどいつか使うかもしれない物をしまっておく物置になってしまった。 「夏は暑いし冬は寒くてデッサンも座学も集中できなくてこの様よ」  小屋はダンボールばかりだが石膏像や画板、イーゼルなど授業で使われていたであろうものも揃っていた。ホワイトボードが三枚も重なって置いてある。 「ねぇ、先生。俺、ここ使わせてもらっちゃ駄目ですか?」 「空き教室なら他にたくさんあるよ?」 「ここがいいな。今の季節はちょうど良さそうだし落ち着くしいいBGMもあるし」 「そうだなぁ」  交渉した結果、いくつか条件を出して先生は許可してくれた。美術科の出城が一人の生徒の根城となった。
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geniusbeach · 5 years ago
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている���実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いが��ない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと��上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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