#ただのファンで鬱
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入力した奴、全部消えた、、、
かやゆー貼っとこ
#ただのファンで鬱#マカロニえんぴつ#はっとり#結婚する#ワンナイト希望#ちょっと身長高かったのが死ぬほどキュンキュン#今から会いに行ってもいい?#@hattori0629#@Hattori_0512
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なんとかする日々
仕事する、生活するってのは「なんとかする」事の繰り返し
成果の積み上げはできない。「なんとかなった経験の積み上げ」しかできない風来のシレン的ゲームだと思えばいい
どんな知識も技術も時間経過と共に脳から揮発しスキルは衰える
だからこそ誰かの困難を手伝い「なんとかした」実績が未来の衰えた自分を救う
それを理解した上であえてその事実横に置き、今は目前の「価値あるタスク」に全力を注ぐ
全力注げばどんな物事も面白くならざるを得ない
思う存分恨ませてくれる「無責任な敵」さえいれば、成長のモチベーションは尽きる事なんてない。相対的弱者は相対的強者をいくら恨んでもいいし心の中で噛み付いていい(表でやると傷害や名誉毀損になるからバレないように工夫してやろう!)
自分が9割の力でどうにかこなせるタスクを3割の力でこなすバケモン観て「この野郎」と思い続けりゃいい
相手の運の良さと努力できる才能認め、嫉妬し発狂した後、冷静に学習アンド実技トレーニングに打ち込め
強さへの憧れ、飢(かつ)えこそ成長の起爆剤
自分の中の可能性の種子(たね)を腐らせたまま終わるな。毒花でもいいから大輪の華(はな)咲かせきってから散れ
なんでもいいからなんとかしろ!
一度でも無理難題を乗り越えなんとかすれば、よりあやふやな難題解く為の「勘」が手に入る
勘がよく間のいい人間はハードな現場で信頼されて評価される
ハードな現場で実績重ねた人間はやがてホワイト環境に招待されて重用される
が、飢餓を相棒に生きてきたあなた���もうゆるい現場では魂を満たせない
休息の無意味さ知ったなら、再び魂燃ゆる奈落へと堕ちればよい
困難と負荷だけがゲーマーの報酬だ
新しいストレスに満ちた理不尽ドラマ欲しろ。誰も用意しないなら自分で作って伸び代ある他人を巻き込め
対応しろ、適応しろ、直感しろ、解決しろ、理を圧縮洗練しシェアした後、蒔いた種を刈り取り己の血肉に変えろ
ライバルと互いの価値ある血肉を喰らい合え
一方的な搾取はやめろ。過分に与えたのち倍の養分奪い取れ
情けや親切は相手の為ならず。いずれ刈り取る立場の自分の為
なんとかしろ、なんとかしろ、なんとかし続ける中でアウェーな土地に陣地を築け
巨人の背中にいつでもパージ余裕の折りたたみハウスくくりつけてくつろげ
宵越しの銭を持つな。魂の成長にこそコストをかけろ。喪失から立ち上がる速度があなたの人としてのスコアを上げ地金を磨く
傷つく事が予想できる闘いなら前倒しで傷を負い鬱になり、超回復した上で実戦に挑め
日常を常に実戦のリハーサルと考えろ
「本気のリハ」を実況配信し、いざとなった際あなたを救う熱烈なファンを増やせ
応援されろ。皆の励まし足場に変えて跳べ!
無理って言うな、私はできる、私はやると今すぐ言え!
やった、やれた、もっとできる、もっとやりたいと言える自分に今すぐ勝手に思う存分なれ!
さ。今日もなんとかしていこう
「応援しづらい弱くいじけた自分」を箱にしまってポカンと忘れよう
強くなるしかない絶望受け入れた先にだけ観える「星」がある
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2023年10月7日
・この頃頭が働かなくて憂鬱で、ああ秋になったなと思う。目の前のことが余計な意味をなくして、本来の色が現れて鮮やかに見える。Xを見る時間が減った。あんまり面白いと思えなくなってきたから。多分一時的な状態異常だと思う、残念なことに。でも早く悪しきインターネットを卒業したい。
・とある件をきっかけに急に応援していたアイドルへの興味が落ち着いてきている。別にその件自体はそんな重い問題じゃなかったと思う。自分の状態によっては全然受け入れられてたと思うし、なんなら「そういうところが好きなんだよな~」って思えてたかもしれないんだけど、タイミングが悪かったみたいで一気に「あーあ、なんかどうでもいいかも」ってなってきた。ファンという存在は本当に勝手だ。勝手に好きになって、勝手に失望して消えていく。でも好きだった時間が、文字通り”熱狂”したことが、全部嘘だったことにはならない。それは覚えておかなければならない。今まで本気で好きだった。私の全部が彼になってしまうくらい好きだったんだけど、今はただ火だけが消えて、「ずっと幸せでいてくれたらいいな」と無責任な祈りだけが残されている。戻るのかもしれないし、もう戻らないのかもしれない。
・文章を読めなくなってきていて、論文を読むのが大変だ。教授に講義内の調査協力をこぎつけたので来週には調査用紙の草稿を作り、再来週中には調査用紙を完成させたいんだけど、今になって色々変更したいところが出てきて大変な感じになってます。胸を張れるほどじゃないけど目の前のことを頑張ってると思うから、もうちょっと勉学に割く時間を増やしたい。
・就職先でバイトしていて、今まで就職後に日々やる業務とは別の業務をやってたんだけど、昨日初めて就職後にやることになる業務をやった(具体的なことが言えないせいですごい分かりづらい表現をしざるを得ない)。自分的にも結構手応えあったし、他スタッフ同士の会話の中で私が褒められてるのが漏れ聞こえてきたりしたし、ちょっぴり鼻が高い。やりがいがあるから今は楽しいけど、終わる頃には疲労困憊で、これは思ってた以上に体力仕事だな~とも思った。あと5年後も私あそこで働いてるのかしら。楽な仕事なんてないんだろうけど、もうちょっと身体使わない仕事はあるだろ。
・一つ目のバイトのほうは、契約更新せず11月度でやめられそうだ。有給が3日分あったので11月度も在籍はするけど、本当に首が回らなくてこのままだと店長死んじゃうよ!って日以外は入らない方向性で意思決定している。
・アマゾンプライムで『Daisy Jones & the Six』を見ている。バンドの結成秘話やいざこざ、名曲誕生の裏側などを描く伝記ドラマの形式を取っており、概要も時代背景もやりたいこともたぶん映画『ボヘミアン・ラプソディ』に近いんだけど、肝心なのはこの”Daisy Jones & the Six”は存在しないバンドだということだ。完全なフィクションでありながらも、細部の緻密な描写の積み重ねで異常な存在強度を持たせている。まだ半分くらいしか見てないんだけど、70sのサイケミュージックは元々好きなので楽しみ。
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【ライヴレポート】MUCC、<鵬翼・極彩>再現ツアー日比谷野音公演に「時の流れ、長い年月を感じながら」
MUCCが5月6日、日比谷野外大音楽堂にて<MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」〜鵬翼・極彩〜>のファイナル公演を開催した。過去アルバム『鵬翼』『極彩』再現ツアーの最終公演にして、25周年イヤー締めくくりの公演を12月28日に東京国際フォーラムにて開催することも発表となった同ファイナルのオフィシャルレポートをお届けしたい。
◆MUCC 画像
2022年に結成25年周年を迎えたロックバンドMUCCが、過去のアルバムを再構築したセットリストで廻るツアーを開催中だ。第一弾は2022年10月~12月に行なった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~是空・朽木の灯~>で、彼らが2003年に発表した『是空』、さらに2004年に発表した『朽木の灯』をコンセプトにしていた。そして第二弾として行なったのが、2023年3月から始まった<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>である。そのファイナル公演となったのが、5月6日に開催された日比谷野外大音楽堂でのライヴだ。
この日、関東地方には朝から強風が吹き荒れていたが、野音は公園の木々のおかげか、強風の影響はそれほどでもない。初夏を告げる暑い日差しが降り注ぎ、むしろ風が心地いいぐらいだ。そんな野音にSEとして『極彩』の1曲目「レイブサーカス」が鳴り響いたのは17時35分のこと。トライバルなリズムに合わせ、オーディエンスはハンドクラップしながら期待を高めるばかり。紫色や黄色など様々なスポットライト���点滅し、まさに極彩色となったステージ。そこに主役のMUCCが登場すると、でかい歓声と拍手が湧き上がる。鮮やかな振袖の着物をジャケット代わりに羽織った逹瑯(Vo)は、オーディエンスを煽るようにマイクスタンドを高く上げた。
アルバム『極彩』の流れを汲むように、「極彩」へ突入。興奮を煽りたてるヘヴィサウンドが炸裂し、客席を埋め尽くしたオーディエンスも激しいヘドバンを繰り返し、開演から数分も経たずして一体化。ミヤ(G)とYUKKE(B)は立ち位置を入れ替わりながらプレイし、逹瑯は宣戦布告するように歌をとどろかせていく。
「いい天気だな、日比谷!」──ミヤの喜びの声から続いたのは「嘆きの鐘」。ヘヴィな面もありながら、レゲエのリズムやフレーズも飛び交うナンバーだ。曲の途中でブレイクして、「いこうか!」と笑顔も見せる逹瑯。また「ガーベラ」のイントロでは「日比谷、飛べんの? 全員で飛べー!」と焚きつける。とはいえ、ジャンプしながら���しめるのはイントロ部分ぐらい。なにしろ切ないメロディやメロウな展開も顔を出す曲で、一筋縄ではいかないアレンジが「ガーベラ」の特徴でもある。それでも曲に見事に食らいついていくオーディエンス。バンドとひとつになり、さらに曲とも呼吸をしていく様は、さすが、MUCCの熱心なファンである夢烏(ムッカー/ファンの呼称)たちだ。それに曲そのものも、リリース当時とは違う顔つきを見せている。
アルバム『極彩』をリリースした2006年当時、逹瑯はミヤの書くメロディに応えながら、シンガーとしての殻を破り始めた時期だったと思う。絶望感やネガティビティを背負ってもがいているような唱法が初期だったとしたら、暗闇や密室にいた自身を自ら解放したのが『極彩』に取り組んでいた時期だった。その結果、重苦しさばかりではなく軽やかさなども唱法に備わり、同時に幅広いメロディも積極的に歌い始めていった。そこからさらに約16年経ち、シンガーとして大きく成長した今、逹瑯は当時に思い描いた理想の歌を野音で具現化していく。細部まで気持ちを入れながら、しかし感情過多になりすぎることもなく、言葉のひとつずつがしっかり聴き取れる。早い話、伝わる歌だ。それが曲の新たな顔つきにもなっている。
「晴れたね。雨の野音も嫌いじゃないけど、やっぱ晴れって気持ちいいね。この自然の光も合わせてMUCCを楽しんでいってください。時の流れ、長い年月を感じながら、最後までよろしく」──逹瑯
逹瑯のそんな言葉をはさんで、曲はライヴ会場限定発売シングルの2曲へ。「想-so-」ではバイオリンとチェロ奏者も加わり、優しく切ない歌とバンドサウンドでオーディエンスを包み込む。しかしライヴはここから急展開。ミヤのエッジの尖ったリフに、逹瑯が気のふれたような狂った歌いっぷりが絡み合いながら「リスキードライヴ」で攻め立てる。その勢いのままコーラスやフェイクでコール&レスポンスも起こし始めた。逹瑯ばかりでなく、メンバー名を叫ばせるコール&レスポンスで楽しむのはYUKKE。さらにミヤもムチャなハイトーンすぎるフェイクでコール&レスポンスを楽しみながら、自分も笑ってしまうミヤ。一体感と熱気と楽しさのカオス状態だ。
「たくさんの人がMUCCに真剣に向き合ってくれて、そんな人たちに囲まれてとても幸せだと思います」──逹瑯
バンドを代表して逹瑯が感謝しながら曲は「パノラマ」へと続く。青空が徐々に夕刻へと表情を変えていく中で披露されたこのバラードは、自然の美も野音ならではの演出効果となり、スケール感ある曲となってどこまでも響き渡っていく。
ところが美しさにずっと浸らせないのが、『鵬翼』や『極彩』をリリースした時期のMUCCと言うべきか。憎しみと怒りもこもったレゲエテイスト強めの「メディアの銃声」を叩きつけたと思えば、そこから続くのは「25時の憂鬱」。YUKKEのアップライトベースでドゥーミーな香り漂うベースリフに、ミヤがサイケデリックで荒々しいギターを絡ませる。逹瑯は、怪しくけだるい歌を恍惚とした表情も浮かべながら聴かせていく。照明の色使いもひたすらドラッギーだ。美しき夕刻だったはずが、���かしな世界へ精神を誘い込む世界へ変貌。
こうしてライヴは何度もの急展開を見せながら突き進む。恐らくメンバー自身、このツアーのセットリストを考えるのに相当、頭を悩ませたはず。なぜなら曲それぞれが、あまりにも異なる色を持っているからだ。
特に『極彩』を作った2006年当時のMUCCは、“デビリッシュ・イヤー”と名づけ、国内ツアーはもちろん、フェスや海外ツアーなど、怒涛のライヴ活動を行なっている。その過程で刺激も触発もされただろう。新たな曲につながるヒントを掴むこともあったかもしれない。だがMUCCは、自分たちにしかできないことを常に探し求めた。その結果、自由にわがままに音楽を作り始めたのがその時期だったと思う。そのためアルバムは、ひとつの方向性を持ったものではなく、まるでオムニバスアルバムのように違った色合いの曲たちで構成された。だから付けたタイトルが『極彩』でもある。
リリースしたときは初期からのあまりの変化に驚き、ふるい落とされそうになったファンも少なくなかった。しかし、あれから約16年。MUCCの持つ多彩さや多面ぶりも楽しみながら、それぞれの曲に改めてハマり込むオーディエンスの姿が野音に広がっていた。
ライヴ後半、強烈なスラッシュメタル調の「G.M.C」で激しいヘドバンで狂った直後のことだ。逹瑯も、あまりの曲順に自分でも思わず笑いつつ、「優しい歌」へと続いた。MUCCからの温かさと優しさが広がっていく中、オーディエンスはそれを受け止めるように両手を広げ、左右に揺らし、自分たちもMUCCと共に歌う。客席からの歌声を心地よく浴びながら逹瑯が「オマエらのライヴを聴いてんだよ、俺は」と言うと、さらに歌声は大きくなり、大合���になって夜空に響いていった。そしてステージにレーザーの流れ星が幾つも流れる中、「流星」で感動的にライヴ本編を締めくくった。
アンコールでは、12月28日に東京・国際フォーラム ホールAで結成25周年イヤーのグランドファイナル開催も発表。その前には第三弾ツアーも、第四弾ツアーもある。逹瑯の「最後まで一緒に、盛大に駆け抜けようじゃないか!」という言葉に、野音からでっかい歓声も巻き起こる。
アンコールラスト「WORLD」は、イントロからMUCCとオーディエンスの大合唱から始まった。レコーディングでもファンのみんなからコーラスを送ってもらい、1000トラック以上のコーラスで構成したナンバーだ。声出しも解禁になった今、MUCCと共に新たな世界の始まりを誓うように、1000どころか約3000人のファンが歌う。喜びと幸せに満ちた第二弾ツアーのファイナルとなった。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我
■<MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~鵬翼・極彩~>2023年5年6日(土)@日比谷野外大音楽堂 SETLIST SE. レイブサーカス
極彩
嘆きの鐘
ガーベラ
月光
心色
耀-yo-
想-so- [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc)]
リスキードライブ
パノラマ
メディアの銃声
25時の憂鬱
ホリゾント
最終列車
謡声
G.M.C
優しい歌
流星 encore en1. 雨のオーケストラ [w/ 後藤泰観(Vn) 吉田弦(Vc) キラーズオーケストラ] en2. 蘭鋳 en3. TONIGHT en4. WORLD
2023.05.10 quelle: barks.jp
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大学のクラスメイトと3人で帰ってる時に、先輩にコムドット好きそうって言われて本当に傷ついた話をしたら、1人は最悪だね〜という反応だったのですが!!!!もう1人にもう嫌悪とか拾って傷つきに行ったり人を冷やかしたりするの俺にはできなくなったわ〜と言われました!!!!!!
はぁああ〜💢ですまじで!!!!!!!
これを言われてすかさず、だから山とか川とかの自然風景写真撮れるんだねー私には一生コンクリしか撮れないわーと言いましたムカついたので
これ言ってきた人(以下嫌悪マン)はいつも透明感を大切にして自然を撮って、人の作品にも積極的に意見しててその辺は良いと思うけど、人の作品に対して、嫌悪マンの言い方をすれば、嫌悪を拾ってくるので!!なんなんですか??💢となりました
嫌悪マンは毎日supremeやらstussyやらを着てウルフで髭生やしてるのに、なんでそんな女子大生みたいな格好なのに写真学科なの?と聞かれたこともあります!!ヘラヘラして消去法だと答えました!!!!私は総合型選抜という1番すごい入試方式で2番目に合格してるので嫌悪マンよりずっと上です!!!!消去法に負けてるぞ!!!!!!
スッキリしました
��ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌いなものと言えば…↓これはtumblerを始める前にインスタのサブ垢に殴り書きしたやつなのですが、書いてるうちにどんどんイライラ(太鼓みたい!)してきて入力の手が止まりませんでした!!全部に理由を書いていこうと思います!一旦一覧です!激長の予感…!!!
嫌いなもの→恋とか愛とかがなんだと言うツイートばかりしてるのに何人も元カレ元カノがいる奴、デブなのに足開いて電車で座る奴(男女問わず)、デブなのに電車で端の席座る奴(男女問わず)、思いっきり待機禁止と書いてあるところで電車待ちする奴ら(老若男女)、並んでる間に十分準備できるのに会計や受付時に慌てる奴、コムドット好きそうって言ってくる奴、人気すぎて定番化したものをダサいと言うエセファッションマニア、TikTokのコメント欄、ネトフリやアマプラの勝手にOP・EDをスキップする機能、当たり屋、ピアスがゴールドシルバーバラバラな奴、ファンでもない有名人が亡くなった時にSNSで追悼する奴、犬系彼女、自称画伯、本名ベースの男みたいなあだ名でTwitterやってる女、ガルちゃんで例え話する奴、バズってるツイートの引リツで「これ嘘松ってわかっててみんな笑ってるん?」って書く奴、散歩、中肉中背のスキニーパンツ、ギャルが着るくすみカラー、理事長とアメフト問題をいまだにネタにする日大生、男尊女卑、ミスiDだけは自分の個性をわかってくれてると信じてる少し前のJロックしか効かない Twitter大好き女、小さい頃の写真をアイコンにして自分のコンプレックスをユーザーネームにしてる女、性犯罪者、感情の起伏を利用するだけでストーリーに面白みがないホラーや感動モノ、��のときのあれだった笑、髪が長めでおとなしい男の人の髪をすぐ結びたがる女、男趣味が好きな女に対して無知呼ばわりしてくる男(カメラ時計車バイクスニーカー)、女が少しでも意見するとヒステリックと言ってくる男、整形否定派、ナンパやキャッチに返事する女、興味のない男に無視やブロックせずわざわざ返言する女
ー嫌いな理由ー
恋とか愛とかがなんだと言うツイートばかりしてるのに何人も元カレ元カノがいる奴
下手な奴が語るな黙ってろ
デブなのに足開いて電車で座る奴(男女問わず)
足開くだけでも最悪なのに太ってたら迷惑の域を越える
デブなのに電車で端の席座る奴(男女問わず)
端の席は痩せてて姿勢が良くないとその座席全体に影響を及ぼすため
思いっきり待機禁止と書いてあるところで電車待ちする奴ら(老若男女)
普通に日本人字読まなすぎじゃないですか??レジとか整列とか出入り口とか、字読めなくてもわかるように目印や絵までついててできないなら全員今の仕事クビで
並んでる間に十分準備できるのに会計や受付時に慌てる奴
普通に意味がわからない私ADHDだけど(全世界初公開、治療中)これなったことない 医者には衝動性がなく人目を気にしすぎるから出ない症状があると言われたのでその一部なのかも
コムドット好きそうって言ってくる奴
今日の話題のきっかけになったやつです そもそも、賛否分かれるものを好きそうと言ってくる神経がわからない 悪口なのだとしたらキモすぎる
人気すぎて定番化したものをダサいと言うエセファッションマニア
お前らが今キテる、アツいと言っているものもいつかオーソドックスになるし、ダサいと一蹴してるものも昔はおしゃれでしたよ
TikTokのコメント欄
例え話や漫才、映画や再現VTRの切り抜きを本当のことだと信じて批判するガキ、老害見てらんねーよ コメントを開かないモード作ってくれー
ネトフリやアマプラの勝手にOP・EDをスキップする機能
見るんだわ 次回予告もエンドロールも前回のあらすじも
当たり屋
犯罪者 早く取り締まれクソ国が
ピアスがゴールドシルバーバラバラな奴
なぜ????靴が左右で違うのと同じだと思う
ファンでもない有名人が亡くなった時にSNSで追悼する奴
これでミュートした友達たくさんいる 他人がSNS、ましてやストーリーに投稿したところで何にもらならない 心の中でやってくれ
犬系彼女
てかののちとその彼氏 普通に顔が見てらんないしカップルでSNSをやることから理解���できない その中でも犬系は別格 ブロックしてもミュートしても転載が回ってきてこちらの身を守れない
自称画伯
何も面白くない
本名ベースの男みたいなあだ名でTwitterやってる女
これでロクな女見たことない 〇〇のすけ、〇〇太郎など 女に全振りしてないことをアピールするのが名前という一番女らしい行為
ガルちゃんで例え話する奴
いらない 主の質問疑問テーマに対する意見や共感しか求めてない ここは掲示板であって会話する場所ではない
バズってるツイートの引リツで「これ嘘松ってわかっててみんな笑ってるん?」って書く奴
なぜ?????????
散歩
歩くのが苦手、景色を楽しめない、無音が嫌いで音楽を聴くと動いてしまうため変な目で見られる、買い食いをしてしまう、そもそも目的のない行為は苦手
中肉中背のスキニーパンツ
脂肪がない人が着る前提で作られていますので
ギャルが着るくすみカラー
汚い
理事長とアメフト問題をいまだにネタにする日大生
2年生?の時のグループディスカッションでこの話をされて今まででトップレベルの怒りが込み上げて、その後口を開くことはなかった ちなみに今もたくさんいる この前クラスメイトがプレゼンのスライドに日大理事たちのコラ画像を使っていて教室から走り去りたくてしょうがなかった
男尊女卑
フェミニストなので 九州出身の女の子が無意識に家事をしていたり男をがばったりしているのを見て、一番の被害はこういうところにあると気づいて衝撃だった
ミスiDだけは自分の個性をわかってくれてると信じてる少し前のJロックしか効かない Twitter大好き女
明確にモデルがいますが ミスiDは個性も見てくれるだけであって基本はミスコンなのを忘れないでください それ以外はパタエモです
小さい頃の写真をアイコンにして自分のコンプレックスをユーザーネームにしてる女
これでロクな女みたことない だいたい遊んでるか、それを真似したいちっさい女 こういう奴はまず汚い声で笑って、その後悪気もなくヘラヘラしながら目を見て人に悪口を言う コムドットが好き
性犯罪者
男が想像する以上にいる 私も数えきれないほど痴漢やストーカーにあっていて、小さい頃は誘拐されかけたり路上で写真を撮られたりした 一番衝撃的だったのは自慰をした汚いオヤジに電車内で追いかけられてかけられそうになったこと
感情の起伏を利用するだけでストーリーに面白みがないホラーや感動モノ
最近まであまり映画を観てなかったのはこれ 明確にこの作品で映画から遠ざかったとかはないけど、嫌なものに当たりたくないから安全策で映画を観てなかった 最近観るチャレンジしてるのでおすすめあったら教えてくださいホラーとSF以外でお願いします
躁のときのあれだった笑
絶対躁鬱じゃないやつがSNSで言う
髪が長めでおとなしい男の人の髪をすぐ結びたがる女
言語化できないキモさで溢れています 自分に反抗しない人が好きだと言う点、自分ができて相手ができないことを強制的にやろうとする点、それが髪を結ぶとかいう女ならだいたいができることだと言う点、相手が男だという点 あと普通にそれを受け入れるキモい男 など
男趣味が好きな女に対して無知呼ばわりしてくる男(カメラ時計車バイクスニーカー)
実際、写真を撮るし時計の展示会に行ったりするのでよく遭遇する カメラ屋に行くとだいたいナメられるし、何もわからない前提で話してくるし、ただの客にお嬢ちゃんこんなの使えるの?と絡まれたこともある この前新宿で夜��撮影してたら、自称写真家にずっとロバートキャパの話をされて、無視してたのに15分くらい話し続けてて本当に恐怖を感じた 写真は上手く撮れた
女が少しでも意見するとヒステリックと言ってくる男
これずっと思ってます物心ついた頃には思ってましたほんとに ジャンダーに関する本をたまに読むのですが、脳の性差は世の中のイメージとはかなり異なることが最近の研究でわかってきてるそうですねー小さい頃に遊ぶもので変わってきたりもするらしい 人間って面白いねー
整形否定派
何がダメなのかわからない こんなこと言ったら私が不利になるだけだけど、整形がダメなら筋トレも勉強もダメだろ
ナンパやキャッチに返事する女
無視一択 下に続く
興味のない男に無視やブロックせずわざわざ返言する女
無視一択 上のやつもそうなんだけどさ、何にでもかまってあげちゃうの本当に良くないと思う ナンパとかキャッチは人と思わなくていいけど、好意を持たれたり都合よく遊ばれてたりするなら無視しかないでしょ 時間の無駄
大暴れ
クリスマスイブにこんなことしてすみません私は6年間毎朝礼拝をしたキリスト教中高出身だと言うのに
昨日ももクロのライブ行けて楽しかったーー!
今日はM-1だし明日は松枝とクリスマスパーティーするよー!みんなも来る???ピザとかケーキとかあるよん
では良いクリスマスをーーー!!!!!
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およ��グッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走する��のの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人���イラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活��グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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【更新日変更のお知らせ】
来週からは土日限らず、お互いのタイミングで更新していきます!今後ともよろしくお願いします。
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ようやく観に行けました『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』。
今回も3時間を超える大作。だけど夢中にさせる筋と迫真の演技のおかげで長尺であることを忘れてしまっていた。アメリカの歴史における暗黒の章に光を当てた、示唆に富み心揺さぶられる映画だった。
新たな富の発見により、支配と資産を求める冷酷な人間の標的となったオーセージ族。映画では彼らの最も悲惨な苦しみを描いている。人間の貪欲さ、人種差別の永続的な結末、歴史を清算することの重要性をタイムリーに思い出させる。人間の残虐行為の根底にある残忍さと暴力性を見事に表現した映画だった。
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とにかく主演の3人(ディカプリオ、デニーロ、リリー・グラッドストーン)がすさまじかった。
デニーロが演じる正常化された人種差別主義者のキャラクターは壮観で、スクリーンに現れるたびに恐ろしくて不吉な予感が漂ってきた。この感覚はそれまでのデニーロ映画でも感じてきたことだが、彼はスクリーンに登場するやいなや、その荘厳かつダイナミックなオーラで画面越しに我々を圧倒してくる。キャラクターによっては異常な恐怖心を覚える。本作でもデニーロの凄みが遺憾なく発揮されていて、ただ恐れ入りました。
Robert De Niro is No.1 actor in the world @imdb
善良な男から叔父に操られるがまま深い闇に堕ちていく主人公アーネストを演じたディカプリオも圧巻だった。非常に謙虚で醜い男を抑圧的な表情とセリフで見事に演じ切っていて、誠実さとは裏腹の残忍さが際立っていた。
子役からずっと第一線を走っているレオ様@imdb
そしてなんと言ってもアーネストの妻モリーを演じたリリー・グラッドストーン!彼女のドラマチックな演技には心を動かされた!話し方や表情に絶妙な気だるさがあり、憂鬱さや疲労感がとてもよく伝わってくる。特にディカプリオを伴っての会話や、シーンの端々での凍りつくような痛々しい演技は衝撃的。彼女の力強い存在感、繊細な表情から想像を絶する悲劇に巻き込まれた女性の痛みと回復力が伝わってきて何度も涙が溢れた。
この映画の大きなサプライズ!@imdb
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あと裁判のシークエンスがとても上手くできていると思った。一連の出来事の背景事情を明らかにしながら、その先の展開へとスムーズに繋げるために効果的なシーン。映画としてもかなり重要なシーンだと思う。ブレンダン・フレイザーが裁判に関する疑念を操るキーパーソンを演じている。後半にちょろっと出てくるのみなのだけど、すごく印象に残るキャラクターだった。
いろいろあったブレンダン・フレイザー。私の中では(スティーヴ)ブシェミと��ダム・サンドラーと一緒にロックバンドを組んでた映画(『ハードロック・ハイジャック』)のイメージが強かったので、こんなシリアスな役もできるんだと(かなり上からの言い方)結構衝撃でした。『ザ・ホエール』も観てみたくなったー。
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『アイリッシュマン』『ウルフ・オブ・ストリート』の撮影監督であるロドリゴ・プエリトの、キャラクター性を正確に捉えた巧みな映像とスコセッシの演出が今回も予想通りに見事だった。さらに長年スコセッシ作品の編集に携わってきたテイラー・スクリーンメイカーとのコラボレーションにより、各シーンが視覚的に魅了され没入感を与えてくれるものとなっている。どのシーンをみても編集の過程で細部にまで細心の注意が払われているのだろうなと感じられる。ザッツプロフェッショナル!
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スコセッシは『グッド・フェローズ』や『カジノ』、『ウルフ・オブ・ストリート』と同様、今回もメインキャラクターの態度や性格の変化を明らかにするために、「警察捜査」の部分を引き延ばした脚本を書いているように思った。常にメインの登場人物を真ん中に配置し、プロットを進化させ、観客を混乱させないように配慮している。それにより登場人物が裏切った時にはとびきり驚かされるし、中毒性のある展開を作り出すことができている…のかなと思ったりした。
ともかく衰え知らずの巨匠には恐れ入るしかない。一体どこまでいくんだろう、Martin,Martin,Martin…。
前作の『アイリッシュマン』をみた時「集大成」という言葉を使って感想を書いたけれど、この作品も十分それに値する。これからも我々の想像をはるかに超える作品を作ってほしい。一生ついていきます…。Love, Martin..
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ここまで結構な熱量で話してきたけど、この作品は正直自分の好きなスコセッシの感じではなかった。(どてー)だけど、彼のキャリア後期の作品に新たな輝きが加わったと思うと感動してしまう。
すでにおかわり欲でいっぱいです。
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『キラーズ〜』をみに久しぶりにトーホーシネマズさんへ行った。単館で映画を観ることが多くてなかなか行けてなかった。結構面白そうな映画、やるみたい。
私が気になってる映画5選。勝手に紹介。
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・『瞳をとじて』(ビクトル・エリセ監督)
待ちに待ったエリセ監督の新作!『ミツバチのささやき』のアナ・トレントも出るんですって。楽しみ。でもこれミニシアターでやりそうなところ、トーホーさんでやるのね…意外だな!
・『哀れなるものたち』(ヨルゴス・ランティモス監督)
これもトーホーさんでやるんだと驚いた!予告編の時点で毒��しさ全開!誰かとみたい映画。
・『ナポレオン』(リドリー・スコット監督)
リドリー・スコットの新作ということで。
・『サンクスギビング』(イーライ・ロス監督)
これも贔屓の監督案件。『イングロリアス・バスターズ』で「ユダヤの熊」に出会って以来、密かに応援してるイーライ・ロス。この映画の元ネタはタランティーノと(ロバート)ロドリゲスの『グラインドハウス』に収録されたフェイク予告編。それを長尺にしてみましたver.。大体の筋は分かるから正直あまり期待してない……小声。だけどみようと思ってます!!!スキだから!!
・『エクソシスト信じる者』(デヴィッド・ゴードン・グリーン監督)
『エクソシスト』ファンとして興味あり。「正統派」続編とか言われるとどうにもこうにも。本家のエレン・バースティンも出るしなぁ。
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しっかし映画も高くなったもんだ…。飲み物忘れたら悲劇。こんなちっさいコーヒーも590円って。もう悔しい、呆れて笑ってしまった。
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『キラーズ〜』を観て大満足した夜、BSで『レザボア・ドッグス』を観た。大好き映画の一つ。マドンナの「ライク・ア・バージンは〜」から始まる井戸端会議、からの壮絶な流血シーン。全画面全映像センスの良さがだだ光り。『パルプ・フィクション』もそうだけど、タランティーノ映画は物語の構成がカッコいい。今回も6人の「Mr.〇〇」の身に起こる出来事(災難)を断片的に伝えるっていう手法、斬新だしかなりいけてる。
推しはやっぱしブシェミas Mr.Pink🎀
だけど悔しいくらいティム・ロスがかっこいんだよな…。
ミスターオゥレンジ
点と点が繋がる瞬間がたまらなく気持ちがいい、とても物騒なお話。
タラさんが新作作るたびに脚本をある俳優がバラした云々言われるけど、それくらいタランティーノへの期待と人気が高いんだなぁって再認識させられたりする。
というわけで、ほぼ映画の話題でした!
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだと確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの��源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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■ ベースボール史に残る、伝説的な試合だった。 +201■ アメリカのファンとして、 唯一負けても良いと思える相手に負けた事を嬉しく思う。 オオタニに相応しいエンディングだ。 +1275 アメリカ■ 前評判通りの素晴らしい試合だったなぁ。 オオタニは偉大なプレーヤーだった。 そしてアメリカも素晴らしい試合をした。 失望する必要なんて全くないさ。 +143 アメリカ■ まるでシナリオがあったかのような終わり方!!! +21 カナダ■ 私は多くの人が納得出来る結末だと感じてる。 無敗で優勝を成し遂げたのは凄すぎる。 +78 メキシコ
【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「日本は優勝に相応しかった!」 WBC 世界一奪還の侍ジャパンに感動と称賛の声が殺到
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ハロー(´ー∀ー`)2023.7.8
7月になってしまいましたね!
大雨続きでしたが今の所被害はなく安全に暮らせております。梅雨はまだ明けてないので今後も警戒していきたいところです。
さて、久々に私の愚痴でも聞いていって下さい。
(唐突w
(大体愚痴しか言ってない←
3月末に髪を切り、それから3ヶ月が過ぎて結べる長さまで伸びてきていい加減切りたいところなのですがとあるババーがついこの間
「全然髪伸びてないね!もう切らなくてもいいんじゃない!いいわね!」
とか言ってきたんですよ。しかも別日に同じ事2回も言われてさ←
その度に「いや、伸びましたけど?」「もう結べる長さになったし」って抵抗していた私です←
(どんだけクソババー嫌いなんw
髪伸びたとか伸びてないとか正直どうでもいいのだけどね。他人の髪とか気にしないしどうでもいいよねー。
それがさ!髪結んで行ったらそのババーが
「ついに髪結んだね!伸びたね!」
って言ってきたんですよ。
いやあんたついこの間全然伸びてないやん言っとりましたがな←
何回もしつこく言ってきたやないかい←
これがクソババーの生態なのですよ、奥さん。
何が言いたいの?という気持ちをぐっとこらえ
「ハハハ(・Д・)」
と乾いた笑いをした私です。
クソババーはね、こっちの対応とか言動とかまず気にしてないし聞いてないのよね。
ただ言いたいだけみたいな感じだし、思ってる事吐き出せたらそれでオッケーなんよ。
でも聞いてないし見てないくせに、自分の思い通りにならない態度とか取ったらすぐ怒るんですよ。
いやーー本当に不快な生物ですねぇ。
引き続きヒト科ヒト属クソババーの生態を観察していきたいと思います!!
現場からは以上です!!
話は変わりまして、最近見たドラマや映画のお話。
まず、今更ながらドラマ「JIN」を見ました。職場のババー達がめっちゃ面白いよ!!って言ってたので見たのですがそこまでハマらず…
シーズン2では早く終わらんかな…と思ってたよね←
ただね、昔の人がこのドラマのような感じだったとしたら。
昔の人はなんて意志が強くて、ひたむきなのだろう…って感動しました。
現代って私が考えるに、SNSの普及によるものかはわからないけど誰かの目にどう映るかに重点置いてて映え重視みたいな部分があると思うんですよね。
承認欲求とも言われるけど、そこに自分の意志や個性はあるのだろうか…って疑問を感じてしまうのです。
かと言って少数派の意見も取り上げられやすく、人と違う事をしている人にも称賛を送られる事が増えたようにも思います。良いことではある反面、ただ単に人と違う事を言いたい・したい人も増えたように感じたり結局中身ないなーと思ったりします。
でも昔の人って家の為に!とか他人の目とか関係なく志高い人が多かったのかなと思ったり(ドラマのキャラしか分からないけどw
誰にどう思われたいからこその言動とかではなく、はっきりとした自分の意志を持っていてそれは人から見られていなくても軸のブレない気高さがあって。
でもそこは決して自分本位ではなく、誰かの為にという思いが芯にあるのです。
綾瀬はるかの片想いが何と美しい事か…片想いなんて言葉じゃ軽すぎて、片愛なんです。
(なんだそれ
なんかもう愛なんですよ。
愛だろ、愛。
(古いわw
「誰かの為に」の精神って、ロードオブザリングで旅の仲間みんなが「フロドのために」って命をかけるその心に通じるものがあるよね
(ロードオブザリング教の信者かな
報われない想いを抱えて生きていくってつらく苦しいけど美しいとも思うし尊い気持ちもあります
(現実では報われたいけど!自分なら茨の道は歩きたくない!笑
あとは「マシニスト」って映画を観ました。
何故かこの映画の鳥のポーズだけが鮮明に脳裏に残ってて、一度も観た事なかったのよね。
主人公のクリスチャンベールがこの役の為に30キロ痩せて挑んだらしいんだけど、まぁーーガリガリ。
まじで別人。
この命の危険を感じる痩せ方、役の為とは言え鑑賞者にも「大丈夫?」って心配されるであろう骨と皮なのである。
そしてこの主人公は1年間も不眠状態にあり、度々寝ようとするんだけど何かしらの邪魔が入ったりして(後々に幻覚ってことがわかるんだけども)眠れないのよね。
最後に眠れない原因・主人公をとりまく周囲の人との関係性・謎の人物など全てが解明されるんだけど。
はっきり言って鬱映画だよねー。
私としては最後これで眠れる…ってなった時に、何とも言えないモヤモヤな気分になったよね。よかったね、とも思えなかったしずっと苦しむべきだとも思ったし故意ではなかったとしても…被害者の方がやっぱり苦しみが深いのではないかと思ってしまうよね。
それと「キャビン」見返して、デトロイトビカムヒューマンのマーカスが出てて
ええ〜!?マーカスイケメン!しかも体鍛えててかっこよ🫶ってなったよね。
そして春ドラマ「あなたがしてくれなくても」
原作が好きで買ってるんだけど、ドラマは最終回が本当に本当に面白くなさすぎて原作とは別物だったから見なくてよかったのでは、、となりました。
原作のね、陽一のクソさが薄れてたしなんか報われちゃってるし。新名さんはドラマではただのストーカーだったし、あんなこだわり強い執着心の塊みたい��男性じゃないんですよね。全然新名さんじゃない!
そして楓も全然楓じゃない…あれはただのみな実😂
主人公がただ一組の夫婦を壊して自分は元サヤエンドみたいなの、私は本当に許せなかった←
1人で生きていくとか言ってたくせに結局陽一やないかい。何それ(・Д・)せめて新名とくっついてよ。じゃないとみな実が1番可哀想←
原作の細やかな描写があってこそのストーリーだと思うのですよ。
あの原作の繊細な心の機微をドラマで描こうとするのはやっぱり無理がありますよね…
とても残念でした。
話題かわりまして。趣味についてですが…
私がもう12年ほど前から推してる2BROさんについて少し語りたい事があります。
私は今年で動画・配信活動10年になるのですが、その趣味を始める前から弟者さんのファンでした。
数年前からか、三浦大知さんとお友達になりよくコラボするのを見かけますが…
三浦大知さんはね、今から12年くらい前に友人が好きでそれに便乗してライブやら握手会やら行ったことがあってその時にとてもいい人柄だなーと思ったのですよね。
で、弟者さんと三浦さんが初コラボした時はよかったのですが、最近のコラボはあまり好きじゃなくて←
三浦さんのゲーム実況スタイルというか、話し方が私はあまり好きじゃないんだな…って思いました。
三浦さんが弟者さん大ファンでお近づきになったみたいだけど、今では当たり前なんだろうけど慣れすぎてて2人でゲームやってるのに三浦さんが舵を取ってる感があって…ちょっと苦手なんですよね😓
私は信者とかではないけれど(自分ではそう思ってるけどw)三浦さん主導になっちゃうコラボならあまり見ないかなーって何かモヤモヤしてしまいます😶🌫️
2人の関係性とか周りがあれこれ口出す事じゃないけど。それも感じ方は人それぞれだと思うし。
細かい事を言えば、「あーはいはいはい」とかはいを2度以上言う人があまり好きじゃない←
(これは話し方の好みの問題
失礼って思っちゃうし、上から目線に感じるのは私の価値観・捉え方なのでしょう。
現実でも「はいはい」って言う人結構いるけど、この人達からしたら相手の思いを汲み取ってますよという思いやりの精神もあるのかもしれませんが。
2BROうんぬんより、別の問題でしたね笑
自分はゲーム実況もするけど、ゲーム実況をよく見る人間でもあるので…かと言って色んな人見たいとはならないんだよね。
好き嫌いが激しいので12年も見続けるっていうのはそれだけ私にとってストレスのない配信者で、考え方に共感したりその人そのものへの興味が途切れないって事は人生でそうあるものじゃないと思います。
(私は無名ではあるけど)ゲーム実況者が他のゲーム実況者の事ってあまり言わない方がいいってどことなくそういう節度みたいな部分あるけど。
たまにはね…いいかなと。
「あまり言わないこと」繋がりでお話をもう一つ。
いつか…いつかこの話をしようと思っていたけど、なかなか口にする事ができなくて正直今も話すべきかどうかよくわかっていません。
私が仲良くしてもらっていたトミさんのお話です。
トミさんは私が動画を始める前にオンラインゲームで友達になった人でした。すごく真面目で優しくて、私が失礼な事を言っても笑って許してくれて何よりも私という人間を無条件に肯定してくれる存在でした。
動画ではよく下僕とかぞんざいな扱いで少しポンコツなトミさんにイライラしたり笑
私がやりたい放題してもとにかく穏やかで。
たくさん色んな話をしました。
人生の先輩であり、色んな相談やしょうもない話まで…気づけば約7年くらい経ち私は本当にたくさん元気づけてもらったり励まされたりしていました。
ですが今から4年ほど前のある日、トミさんは私の前から去っていきました。
トミさんを責めたい訳じゃなくて、そういう風に捉えてほしくないのですが
私はその事を酷いとも思っていないし、理由はわからなかったけど…もしかしたら私が何かしでかしたのかもしれないし笑
今となっては自分のせいとも思っても仕方がないというか…トミさんが決めた事だし、その裏には色々理由があったかもしれません。
私はただ、感謝の気持ちの一つすらも言えなかったので。
10周年記念動画にトミさんありがとうって気持ちを込めました。
当時はめちゃくちゃ自分を責めたし、何より辛くてこの話はできませんでしたね。
今はトミさんが地球のどこかで、穏やかに笑って過ごせていたらいいなと思います。
私が何かしでかしていたらそれは本当に申し訳ないけど←
私はずっとトミさんを応援します。
そんなお話でした。
何年もずっと続いてきたものが、この先もずっと続く訳ではありません。
人間関係も考え方も日々変わっていくし、自分が大事にしたくても終わりが突然きたりすることがあります。
自分にとっての大切なものについて、考えさせられながら…自分も大事にしていきたいですね
( ˊᵕˋ )
真面目か!!!
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2023年6月11日 配役(role)から逸脱する瞬間
市川沙央の『ハンチバック』を読みたくて大学図書館と市の図書館を調べてみたけれど、文學界5月号はともに誰かに借りられているので、読めそうになかった。その話をドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』読書会のときにしてみたら、そのときのメンバー四人とも『ハンチバック』を読みたいらしかったので、四人で割って一人300円ずつくらい負担して文學界5月号を買うことになり、おかげで明日には読めるかもしれない。
***
小説で言えばヴァージニア・ウルフの『波』も読みたい。ここ数ヶ月くらいは脳が壊れていてほとんど小説を読めない状態だったので、『ハンチバック』と『波』をきっかけにしてまた読めるようになったらいいな。
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ふと思い出したけれど、数日前の日記に書いたメンタルクリニックの待合室での待ち時間の間、何をすればよいのかよく分からなくて、ずっとwikipediaで「あさま山荘事件」のページを見ていた。
その中にはよく覚えている箇所が一つあって、それは2月20日。当初は人質を縛り付けて口にはハンカチを押し込んで声が出ないようにしていたものの、その姿が山岳ベース事件で縛られてリンチされた同志と重なったから坂口が独断で縄を解き、人質を交えて夕食を取ることになる。
そしてそのとき、電気ジャーでご飯が炊きあがってすぐに食べようとしたのを見て、人質が「ご飯は少しそのままにしておいた方がおいしいよ」と言う。それを聞いて犯人たちの側がしばからくご飯が蒸れるのを待ち、人質の「もういいでしょう」の言葉を聞いてから食べる、という犯人と人質の間での雑談がここにはあり、事件そのものの緊張感との不釣り合いさ。
人は何らかの役割を演じる訳だけど、その役割(role、配役)から逸脱する瞬間のようなものが、確かにある。匿名ラジオの353回で、ARuFaが「放課後過ぎて先生の性格が違うとき好き(ただの人としての先生が出ちゃっているとき)」ということを言っていたけれど、それもroleからの逸脱の瞬間で、そこには特有の美しさがあるかもしれない。与えられたもの、与えられた形式からの逸脱。
***
今日の音楽。シャフル再生で流れてきた溶けない名前の「幽霊少女は八月を殺す」は突き刺されるような音で、Pixiesの「Monkey Gone to heaven」と、いよわの「パジャミィ」と「地球の裏」も聴いた。the cabsの「花のように」。
大森靖子。脱方ハーブ、握手会、風営法、放射能。
***
マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』を読み返している。
特に精神疾患と資本主義の間の関係、そして精神疾患の物質化の功罪について。
〈それゆえ、もし注意欠陥多動性障害(ADHD)のようなものが病理であるのなら、それは後期資本主義に特有の病理なのである。――それはハイパーメディア化された消費文化の娯楽=管理回路に接続されていることの結果なのだ〉(マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』、p70)
〈個人の内面に渦巻く精神的葛藤は犠牲者を出さずにはいられない。マラッツィは双極性障害者の増加とポスト・フォーディズムの関連性について研究しているが、ドゥルーズ=ガタリが述べるように、もし分裂症が資本主義の外縁を特徴づける症状だとすれば、双極性障害とは、資本主義の「内部」に固有の精神病だといっていいだろう〉(p93)
〈現在において支配的な存在論では、精神障害に社会的な原因を見出すあらゆる可能性が否定される。この精神障害〔にまつわる認識〕を化学・生物学化(chemico-biologization)していく潮流はもちろん、精神障害の脱政治化と厳密に相関している〉(p98)
特に3つ目の引用に��いて考えることが多くて、まず素朴に考えれば、精神障害が科学・生物学化されること(たとえば鬱病はセロトニン濃度の低下によって、ADHDはノルアドレナリンおよびドーパミンの機能の偏りによって説明される)は悪いことではなくて、むしろ私たちにとって利益があることだったと思う。
なぜなら、精神障害を物質的に考えることによって、「心の問題」とか「甘えている」とか「努力が足りない」といった形で本人の「心」の問題にしてしまうような考え方を解体できるから(それに、問題が自分の脳の神経伝達物質にあるのだと考えられることで安心する、ということはある)。
でも、ここでマーク・フィッシャーが指摘するのは、そのような精神障害の科学・生物学化(chemico-biologization)によって資本主義が利益を得るという点。
〈全ての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは論を俟たないが、だからといってこのことはその「原因」について解明するものではない〉(p99)
〈例えば、鬱病のセロトニン濃度の低下によって引き起こされるという主張が正しいとすれば、なぜ、特定の個人においてセロトニン濃度が低下するのかが説明されなければならない。そのためには社会的・政治的な説明が求められるのである。〉(p99)
すべての精神障害が神経学的な仕組みによって「発生」することは間違いないし、(もちろん、まずはそのことについての正しい理解がないといけない)のだけど、しかし、だからといって、精神障害の原因がすべて個人の神経伝達物質のみに還元されてはいけないし、社会的・政治的な領域にその原因を求めなくてはいけない(実際、間違いなくそこにも原因は存在する)、というのがここでのマーク・フィッシャーの主張なのかな、と思う。
***
バイトに行くために夕方の梅田をうろうろしていたら、何らかのコスプレイベントがあったらしくて、ピンクと水色の二重らせんみたいな超てんちゃんの長い髪の毛と後ろ姿だけが見えて、すぐに消えてしまった。
日曜日の梅田、人が多すぎて、どのカフェを見ても埋まっているし、何だか疲れてしまう。バイト前の時間、どこかで本を読んだり文章を書いたりしようと思って安上がりにするためにマクドナルドで冷たいローストコーヒーとツイストのソフトクリームを頼んだ。260円。二階のスペースはほとんど人で埋まっていて何かの巣みたいで、マクドナルドという空間は好きだけど、ハンバーガーとポテトの匂いは資本、という感じがしてときどき嫌になる。
資本、資本、と言えば、最近、いま「オタク」と呼ばれる(もしくは呼ばれていた)人たちに対して一種の嫌悪感を持ってしまうのは、彼ら/彼女らが資本(あるいは資本主義)に対してあまりにも迎合的に見えてしまうからだと思う。
何かを推すこと、何かのファンである、ということは元々資本からは一定の独立性を持っていたはずだけど、いまではもう資本に飲み込まれてしまっている。
資本はあらゆるフロンティアを侵食し、資本の増殖の手段へと変えていく。でも、もちろん自分自身もオタク(と呼ばれるような人種/だった)わけで、その意味では同族嫌悪でもあるのかも。更に言えば、「お前は一体どうやって資本に対して抵抗しているのか」と聞かれたのなら、どんな抵抗だってできてはいないわけで、ただ泥になって眠っているだけ。夢を見ているだけ。いつも思うのは、どうして現実世界よりも、夢の中の感情の方がリアルなのだろう。
ふと、手元にある処方箋の「◆きょうのお��すり◆」と書かれた紙を読む。
〈効能効果:脳内の神経細胞の間で情報を伝える神経伝達物質を調節し、症状を改善する作用があります〉
***
いつの間にか、ずいぶんと長くなってしまった。
(何人がこの日記を読んでいるのか分からないですが、もし読んでいる人がいるのなら、二枚貝は現在ドゥルーズ+ガタリ『カフカ マイナー文学のために』およびドゥルーズ『批評と臨床』を読んでいるので、もし一緒に読みたい人がいた場合、Twitter等でDMを送ってくだされば、読書会という形式でともに読みます)
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※擬人化、クロスオーバー、愚痴とか
不法監禁のプロでも悩むときは悩むもんだ(そういやハリィってピューロでやってたイルミナントのブラックみたいな言動してんなーって思っただけのネタ)
ブラックホール「俺でよければ話聞くぞ?」
Hallyboo「お前だったら別にいいです…」
さて最近、各所運営においてしっかりしろよ!案件多くてこの画像よろしく鬱です(ザライブチケ先行販売サイト不備の連発とか…)
ファンが離れる原因にもなるんでしっかりしてもろて…
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【日記】
先日に引き続き、Appleの話。といっても今日はMacではなく、思い切り気分を変えてポップな話。ここしばらく、沼、とやらに私もハマった。青リンゴの。 (多くの方、ましてMrs.ファンの方には今さらな話だと思いますが、私には今来たので、日常の感銘記録の一つとして。相変わらず生真面目に沢山書いていますので、お暇なときにどうぞ。にわか者の主観なので、誤解あったらごめんなさい)
・
これまで音楽はわりと、曲さえ良ければあまり歌詞は気にしない派、歌なら女声ボーカル派だったのだけど、鮮やかに打ち破られた。数ヶ月前ふと耳にした近所のスーパーのBGM以来、無性に気になって、ここしばらく遡ってこのバンドの色んな曲を配信で聴き、気になったのは音源をブツで買い、ちょうど公開されていた、一風変わったミュージカル仕立てのLIVE映画や、昨年のライブ配信も観た。 ひと通り聴いた印象は、寂しそう。でもこの感覚、なぜか知っているような...。歌詞だけ読むと、内省的で、決して明るくはない。でも、そこに目の覚めるような鮮やかなサウンドがついて、大森元貴という人が歌うと、なんだろうこのカタルシス、というか、心洗われる感じは? 声域が広く、どこか中性的な歌唱の魅力はさることながら、思想があって、それが音とからんで心に響く。歌詞カードまでちゃんと読みたいと思ったJPOPなんて久々、いや、十代までふり返っても私は初めてかもしれない。最初は、中高生に人気の青春ソングバンドかと思ったけど(その一面もあるけど)、ちょっと侮っていたかも。
決定打は、《Attitude》♪という楽曲を聴いた時。嬉しくなった。 何も考えずただ曲に身を任せるだけでも充分な魅力なのだけど、他の曲にも通ずるステイトメントのようなこれが、私にはストライクだった模様。この青さと冷静さ、失ってほしくないし、失いたくない。作詞作曲編曲ボーカル全てを手がける大森元貴という人物、ただ者ではなさそうだ。 世界はどこへ向かっていて、この限りある人生、どう生きようか?…きっと誰もが多かれ少なかれ考える、でも答えはなかなか出ないまま、背負って生き続けるしかないこの問いに、きっと早い時期から向き合い、今にいたるまで、当事者として、ロックバンドとして、またポップアーティストとして、表現でアプローチし続けてきた人なんじゃないかと思う。 十代で作ったという楽曲 ♪にもすでに、一歩引いて世界のしくみや、人間の生を俯瞰する視点を感じるから。 何より、憂鬱な字面でも、彼らの音と歌にのせた途端、その鬱ごと「よし」と希望にも似たものに変わってしまう、独特のミセスマジックのようなのが凄い。そこはもう理屈じゃない。そしてどこか、旧来の価値観をほろほろと溶かしてくれる何かを感じるのだ。なんだろう? 哲学もあり華やかな割に、どことなく不安定な感じがするからだろうか。
バンド活動開始は十年ほど前だそうだけど、2020年から二年ほど休止ののち、5人から3人体勢になり、ビジュアルも一新、というか、楽曲ごとに解放して、華やかなエンタメ(アイドル的?)路線に舵を切った模様。いま両脇を固める、ギターの若井滉斗と、鍵盤(たまにフルート)の藤澤涼架も、演奏はもちろん、キャラクターもパフォーマンスもそれぞれに立っている。裏ではとてつもない仕事量だろうな。曲ごとに、メイクで変身する度合いも新鮮だ。そのほうが届く、と判断したのかな? 少し前にMVの件でニュースになった「コロンブス」ももちろん視聴した。コカコーラとのタイアップソングだったそうだから、それを意識したであろうワードを、楽しげな曲調に乗せてはいるけども、歌詞を読めばやっぱり、底に流れているのは作者の人生観だろう。 人はいつかは死んでしまうし、生きていく中で色んな闇を抱えていくことを見据えた上で、それでも尽きない憧れ、のようなものがあって、それは私もあなたも持っていて、きっと人類共通のもの。かけがえのない一つひとつが、幸せな形で繋がっていきますように…。そんな願いが感じ取れる、素敵な曲だと思った。MVの一件には色々思うこともあったけど、ひとまずもうここでは書かない。
にわか者が失礼ながら、曲の世界観は昔から変わっていない印象で、5人のフェーズ1も過去のものになっていない(むしろ輝いている)し、今のフェーズ2も、表面は圧倒的にポップでありながら、依然、人間と向き合い、大切なことを歌い届けようとしているように見える。人気も質も高いから、なら次は世界進出だ、とか、そういうありきたりな価値観はさておき、今ここに生きている人々にしっかり届く、凄いアーティストが出て来たな(居たんだな)と思った。歌いたいことの芯があるので、きっと自然に、色んな垣根を超えていける人たちだと思う。でも嬉しい。日本にこんな人たちが居てくれて。年齢性別問わずファンが多いというのも納得がいくし、捨てたもんじゃないと思える。顔の見えないAIの時代になっても、やっぱり多くの人が、人間らしいものを求めているんだ、と。 個人的難点は、制作中BGMにしづらいこと。 あとこの活動のスピード感。毎月のように新曲を出し、出演もLIVEも自演も多く、人は放っておかないだろうとはいえ、やっぱりちょっと度が過ぎるようにも見える。今巷で流れている音楽も、ミセスで半飽和状態みたいになっているし(私が反応しているだけかな)。とにかく裾野を広げるための一環なのか、溢れ出す泉なのか、それとも、フェーズ2もそろそろ完結するつもりなのか? 次のフェーズではどんな一面を見せてくれるのか、楽しみではあるけども…。
・
日頃から感じたささいなことは、スマホのメモに残しておくのだけど、いつしかミセスのネタがこんなにもかさんでいた。ので、ここらで吐き出しておきます。流行りものには斜に構えるタイプだったのに…。知りたい情報をすぐに得やすい現代の流れに、結局私も巻き込まれていたのかな。でもとても刺激になったし、ポップカルチャーの動向は、ダイナミックな時代の空気が見えて、じつは嫌いじゃないのです。凄いなと思うし、面白い。まあ、ハマった時だけですが笑。
写真1:青リンゴではなく、まだ若い洋梨。でこぼこ感が良い。(アーティスト画像はやっぱり控えておきます)
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【動画】 女の子、友達が同じベッドでセ○クスしてるのを見てオ○ニーしてしまうwww
今日のピックアップ記事 「ルフィ・・・早く助けに来て・・・ッ!」ナミ���ん、天竜人のエ□ガキに買われて性奴隷に・・・(オカズランド) ドラゴンボールのビルスってなんでファンから受け入れられてるんや?(まるたろうの怖い心霊ブログ) フリーレンのパロディAV発売wwww(動ナビブログ ネオ) 【中国】 母親が中学生息子のスマホを取り上げる →息子がブチ切れて母親をヘッドロックで締め上げる 四川省(保守速報) 【動画】 買い物客で賑わう中国の繁華街にサンタナミサイル。(1000mg) 【動画】 女の子、友達が同じベッドでセ○クスしてるのを見てオ○ニーしてしまうwww(ポッカキット) 海外「日本のブランド力は強大だ…」日本の定食チェーンが海外で高級レストラン化している現実が話題に(パンドラの憂鬱) 【与田りん】…
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Look Back in Anger
by John Osborne
dir. Atri Banerjee
2024年10月5日 Almeida
2024年秋のアルメイダは 「Angry and Young」 と題し、ジョン・オズボーンの 『怒りをこめて振り返れ』 とアーノルド・ウェスカーの 『根っこ』 を同じキャストでレパートリー方式で上演する。この日に見たのは前者で、演出はAtri Banerjee。ビリー・ハウルがジミー、エローラ・トーチアがアリソンを演じる。
ナオミ・ドーソンの美術。赤い円形の張り出し舞台は真ん中が迫りになっており、アイロン代やダイニングセットが上がってくる。また、幕開け時には縁の部分が回転する。後方にはティーセット、バッグ、人形といった小道具が置かれている。
キッチンシンクリアリズムのはしりとしてリアリズム寄りに演出するのが一般的な作品を、ミニマルな建て付けで心理ドラマのように演出する、どこかイヴォ・ファン・ホーヴェによる 『橋からの眺め』 を思わせるつくりで、実際のところジミーが小さなフラットで孤立無縁であること、最後に 「怒りをこめて振り返」 っているのは実はアリソンではないかという構図が浮かび上がる。現代ではその女性嫌悪的な言葉遣いとドメスティック・ヴァイオレンスが取り上げられることが多く、それ自体は変えようがないのだが、俳優のパフォーマンスとダイアログ自体にじっくりと集中させることによって特にアリソンやヘレナ(モーフィッド・クラーク)、クリフ(イワン・デイヴィス)それぞれが抱える鬱屈と怒りにも意識が向けられる。ここ10年の流行りのスタイルと言っていいタイプの演出だが、これくらい小さな劇場だとパフォーマンスとセリフに集中して対峙しやすくなるので悪くないと思う。
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パフォーマーの信者も、頭が悪過ぎる。
身代わりとか、普通に頼んでるだろうに。
庶民の暮らしを考えない連中が、オカルト儀式とかで祈願するだろ。
信者が鬱陶しいって『気』があるしね。
頼んでる頼んでる!!
いきなりチャネリング。
やっぱり?
信者も攻撃的だしな。
減って欲しいとかあるんだよ。
『紙』とか『木』とかが分かりやすいけど、西洋の人形とかねー。
『アイツからの呪いは、ファンが受けてくれる!!』とかね。
優しい系ばっか残したいってのはあるな。
プライベート知らないからなー。
ムカつくお偉いさんとかは、コッソリ呪ってたりねー。
『アイツが死に◯すように!!』とかは当たり前。
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