#すながわリバーズ
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Emanon
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30.
ついに、30歳を迎えてしまった吉沢です。…とはいえまだあまり実感はありません。20歳の誕生日イベントをさせていただいたときに、事務所に入って4年半経つの早いね。みたいな話を当時のスタッフさん達としていたんですけど、そこから10年ですって。この仕事を始めて、15年になる今年。まさに人生の半分を、役者として過ごさせて貰ってるんだなと思うと感慨深いものがありますね。あの頃よりは、少しは成長出来てるかな。20歳の頃はあれか、ちょうど「ロストデイズ」の撮影期間でしたね。うわ、今作品の名前出したら急に懐かしくなった。急に、10年前を実感しました。そこから3年ほど、学園モノをたくさんさせて貰ってましたね。「水球ヤンキース」「アオハライド」「オオカミ少女と黒王子」「通学電車」「斉木楠雄のΨ難」「あのコの、トリコ」「ママレード・ボーイ」…ほかにも挙げだしたらキリがないほど、たくさんのことに挑戦させてもらったな。あ、みなさん知ってます?吉沢の初主演映画、「サマーソング」っていうんですけど。あれもこの時期だった気がする。学園モノは、同世代の幅広い役者のみなさんとふざけながら刺激し合いながら楽しみながら撮っていて、まさに青春でしたね。一方で「さらばあぶない刑事」や「悪と仮面のルール」では、大先輩方とご一緒させていただいて、たくさんの事を学びました。映画を中心にじっくり芝居をやりたい!という僕の希望を叶えてくださったスタッフさん達のおかげで、1年に8本公開されるなんて年もあったなー。その中には今でも好きだと言っていただくことの多い「銀魂」や「リバーズ・エッジ」もありますね。「キングダム」に出会ったのもこの頃かな。日本アカデミー賞の、最優秀助演男優賞を頂いた時の景色は一生忘れないと思います。今年はついに4作目。楽しみにしててね。作品を積み上げる度に、芝居の楽しさに気付いて、演じることが本当に楽しくて。本当にたくさんの挑戦をさせていただきながら、この時からひとつずつ重ねてきたものがあって。それはどれも、僕にとって大切な軌跡だなと思うわけですけど。それが少しでも、今に繋がっていたら。
20代の半ばから後半にかけては、「なつぞら」で朝ドラというものを経験し、「空の青さを知る人よ」で声優、「プロデューサーズ」ではなんとミュージカル。マジで大変だったし毎日吐きそうになってましたが、こうして映画だけではなくほかの分野にも視野を広げて初めての経験をさせていただけました。どの場所でも、どんなジャンルでも、役者吉沢亮として生きていける。そんな役者に、少しでも近づけたのかな?と。映画でも「ファミリア」や「AWAKE」「さくら」など、今までとは違った役どころをさせていただくことが多かったなーと。あとマイキーね。「東京リベンジャーズ」ですよ。「マイキーを演じられるのは吉沢亮だけです」なんて嬉しい言葉をいただけてね、今も多くの人に愛して貰って。彼との出会いも僕にとって特別ですね。特にこの頃からかな?個人の配信でファンの皆さんを置いてけぼりにしながら大好きな「僕のヒーローアカデミア」について熱弁していたら、声優の話をいただいて。ロディという大きな役に出会えて。「いつか大河に出たい」と、マネージャーさんに事ある毎に話していたら、出るどころか主演という大役をいただいて。「晴天を衝け」、同世代から大先輩までたくさんの方々に支えられて、無事にやりきることが出来たし。「ドラマと言えば月9」の概念を持って小さい頃育った僕が、初めてその枠をいただけたり。あ、今度スペシャルドラマやるんです。「PICU-小児集中治療室-」よろしくお願いしまーす。初演を観て「俺もいつかこういう舞台がやりたい」と言っていたことがまさかその作品で叶った「マーキュリー・ファー」。エリオットとの出会いは、また特別なものでした。また、生の芝居もやりたいですね。作品以外でも、「蟹が好き」と言い続けて、蟹を食べるだけの為に番組コーナーを何回も作ってくださったり。最近だと、ビール好きのイメージが世に知れ渡っている吉沢ですが、ついにCMをいただけたりね。こう、有難いことにやりたいことを声に出し続けて叶えて貰っていることが本当に多くて。言霊ってあるなと思うわけですよ。だから、30代の僕もやりたいことはやりたい!と声を大にしながら、そこに向かって頑張っていけたらなと思います。
そして、そんな数々のお仕事と同じくらい大切なのがこの場所。さっきまでは役者吉沢亮としての振り返り。ここからは、人間吉沢亮としての綴りです。俺が初めてここに来てから、2500日を超えてるっていうことにこの前ふと気づいて。1人で「マジ!?」ってなってた訳ですけども。今の場所に越してきてからで言ってももう2000日超えてて。いやー、ほんと信じられない気持ちと。でも、昔のことって意外と覚えてる���ので。あの時こんなだったなとか、こんな人と出会ったなとか。色々思い出していて、改めて縁の大切さについて考えたりしました。何年も前から一緒にいてくれる方々も、最近出会ってくれた方々も。出会ったタイミングや、交わした会話の数もそれぞれですが。ひとりひとりと、大切な出会い方があって、大切な思い出があって。宝物のような場所に、なっています。だからこれからもみなさんと交わした言葉や思い出を大切に、この場所を俺らしく染めていきたいなと。なかなか顔を出せない日もありますし、会話が出来ない日もありますが。みなさんのことを大切にしたい気持ちは大きくて。俺は、俺が傍に居て欲しいと思う人しか俺の世界に入れないタイプなので。最近話せてないな寂しいなとか、思わせてしまうことがあるかもしれないけど。俺にとって、みなさんはとても大切な人です。傍に、居て欲しい人です。それだけは、覚えていてください。俺と出会ってくれたこと、傍に居てくれること。後悔は絶対にさせません。俺の全力で、これからも大切にしていきます。これは、約束。いつも本当にありがとうございます。みなさんと共に、いい1年にしたいと思います。これからも、どうぞ吉沢をよろしくお願いします。
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韓国のボーイズバンド2Z(TU:ZI)、ニューシングル「Playground」発表!WMF出演決定と初日本ツアーに注目! 【2024 2Z 1st Live in Japan 'Summer of Playground'】
平均身長168cmファッションモデル出身の韓国ボーイズバンド「2Z (TU:ZI)」 韓国の人気ボーイズバンド「2Z(TU:ZI)」は、2024年7月19日正午に彼らの4枚目のシングル「Playground」をリリースしました。この新曲は、2Zが音楽的に新たな挑戦を続ける中で誕生した作品である��� 「Playground」は、「過去の思い出」や「失われた夢」をテーマにした楽曲だ。リバーズFXやPB R&Bスタイルのヴァースから始まり、原始的なロックサウンドへと展開するダイナミックな曲調が特徴のこの夏にぴったりな曲。この曲は2Zが国境を越えて世界中のみんなが共感できるような歌詞で、ライブで聴くとより楽しめるサウンドが特徴的だ。 歌詞には「Don’t look back! AH~ AH~ Someday 失われた翼を見つけ、母の星まで飛んでいきたい! Don’t step back! AH~…
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入院者数は増加傾向にあり、毎週少なくとも1,200人が新型コロナウイルス関連で死亡している。 専門家らは、米国人はもっと頻繁にマスクをすべきで、ワクチン接種率は依然として低すぎると指摘する。 11月、ワシントンDCのユニオン駅を訪れた旅行者。 これまでの冬と同様、新型コロナウイルスの感染率は上昇している。 クレジット...ケビン・ディーチュ/ゲッティイメージズ 著 アポールヴァ・マンダヴィリ 2024 年 1 月 3 日 休暇が過ぎては過ぎ、アメリカ国民は再び新型コロナウイルスを含む呼吸器疾患の波に乗っている。 しかし今のところ、この冬の新型コロナウイルスの感染拡大は昨年ほど致命的ではないようで、オミクロンの急増で国が活動停止に陥った2022年よりもはるかに小さいようだ。 ジョンズ・ホプキンス大学健康安全センターの疫学者ケイトリン・リバーズ氏は、「新たな深刻な波に突入すると思わせるような兆候は見られない」と述べた。 「これまでのところ、我々は比較的良い状態にある。」 それでも、目に見えるマスクはほとんどなく、最も脆弱な人々のほんの一部が最新のCovidワクチン接種を受けているだけだと彼女は指摘した。
新型コロナウイルスが再拡大しているが、科学者らは脅威は減少していると見ている - ニューヨーク・タイムズ
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GOMIYAMA SIMの語り
SIM閉鎖にあたり、今更ながら、モチーフにしたネタなどをご紹介したいと思います。
色々なところからインスピを得て、好きなものを詰め込んでおりました。
■ 「GOMIYAMA」... ゴミヤマ。
ウォーキングデッドに登場するエリアの名前より拝借しました。 …というわけで、それっぽいバットとフィギュアをさりげなく設置。 こんなものまでSLにあるのがすごいですw(パロディの範囲ということでセーフ?w)
■ 河川敷
岡崎京子さんの「リバーズ・エッジ」よりインスピを得て、川崎あたりの風景を参考に作ってみました。
河川敷は、ヤンキー漫画の背景としても映えるんですよね。そんなこともあり、どうしても作ってみたかったのでした。
■ メインストア周り
大好きなヤシの木系でキメてみました。 全体的にアングラ感あるSIMの中でも、ここだけはおめでたいかんじでw
旅行に行くなら熱海!沖縄!ハワイ!な自分です。ヤシ&海だいすき!!
■丸信さんのレンタルボックス群
以前別の記事でも紹介しましたが、こちら実は、リクエストで作って頂いた商品でした。 自作しようとして挫折したネタを、丸信さんクオリティで作って頂くという夢のような体験でした。 …なので、これだけはどうしてもSIMに置きたかった!やっぱりイカす!(丸信さん、その節は本当にありがとうございました)
■ 団地周辺 WBC直後の今ならネタが通じるはず!? ささきといえば… そう、あのささきです。
団地の商店の看板は、全て贔屓球団関係者の名前となっております。 野球愛をさりげなくぶっこんでい���スタイル。
(ちなみに贔屓球団には、ささきが2人いるので、看板のTELに2人の背番号を仕込んでいます←オタク特有の早口) …こんなかんじで、楽しく作っておりました。 フルSIMを持つのが夢ではあったのですが、実際持ってみると、 やはり持て余し気味でしたね。全然使いきれなかったw マイナーなSIMではありましたが、ごくごくたまに お褒めの言葉を頂いたりと、とても嬉しかったです。
また景観スポットは作ってみたいですね~。 いつになるかはわかりませんが、そのときは是非、よろしくお願いします!
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私にもサブカルのこと書かせて-3(CUTIE)
CUTIEにはファッションの面でとても影響を受けました。
あの頃のスナップページに出てくる人たちは、おしゃれな服を着て「バタイユを読みました」とかコメントしていました。今は反知性主義な人がいるからそういうことを言うと馬鹿にされますね。
CUTIE系のはちゃめちゃなインテリアもありました。何というのかわからないけど、青文字系インテリアスナップとでもいうあの手の世界では、アントニオーニの「欲望」と「トレインスポッティング」のポスターが長いこと幅を利かせていた気がします。
私が初めて岡崎京子の漫画を読んだのはPeeWeeという雑誌で、双子が出てくるやつで特に面白くはありませんでした。その後CUTIEで連載していた作品を知ったけど、全面的に好きではないなぁと思いました。「リバーズ・エッジ」がちょうどリアルタイムで連載されていて、あまりの展開に私の通っていた学校にいたほんの一握りのサブカル女子達のテンションですらみるみる下がっていったのを覚えています。「pink」くらいまではまだ女の子の感性いいよねー的な雰囲気があったけど、あそこまでやれとは言ってないわーという空気でした。これは私が実際に体験したもので、決してみんながみんなあの作品を絶賛したわけではなかったのです。
それなのに、あっというまに「リバーズ・エッジ」は当時のもやもやした空気を見事に描いた、漫画にしかできない表現、などと言われるようになって、いまさら映画にまでなってしまった。
映画はGYAOで見たけどなんかダサい作品だったし、るみちんと観音崎くん役の人がヨゴレすぎて気の毒になってしまいました。あの2人他のドラマとかで見かけないし。(活躍してたらごめん)
岡崎京子の作品に熱狂的なファンがいるのはわかります。わかるけど、私はなんかあの自分と誰かを傷つけないと生きてる実感が湧かないのよみたいな感じが苦手です。
当時、私より2つ3つ年上のある女性が「pink」のことを「売春しても守りたいものがある、っていいよねー」と言っていて寒気がしました。結局のところほとんどの女の子というものは、本当にはなかなかそこまでは行けなくて、ガールカルチャーというものをフィクションとして消費してしまうんだなというのがずっとあります。ごく一部の女の子達がこういう作品やサブカルおじさんの言うことを間に受けてしまって痛い目に合うこともあるけど。
その頃はそういう、生きてる実感を味わうための、マイナーな雑誌ではないちゃんとした出版社から出た死体の本とか悪趣味なものを集めた本とかあったけど、私個人としてはダイアン・アーバスの写真集をこっそり見るのが精一杯でした。ダイアン・アーバスも「毛皮のエロス」という映画になって、なかなかいい作品だったけどAmazonのレビューで「でもこれ不倫の話ですよね」って書いてる人がいてびっくりしました。
その後ボリス・ヴィアン原作の「うたかたの日々」を漫画化した連載が始まって、60年代に作られた映画のリバイバル上映もありました。私は「日々の泡」というタイトルの方を読んでいたので「うたかたの日々」というタイトルがあっという間に主流になって納得いきませんでした。そしてそもそも、この小説がとてもつまらなくて嫌いでした。私はこの頃から今までずっと、そして多分これからも、主人公が難病で死ぬとわかっている作品の面白さがよくわかりません。「うたかたの日々」の映画は装苑の長沢節の映画批評コーナーで取り上げられて褒められていました。長沢節も微妙に私と好みが合いませんでした。この人毒舌がうまくないし、男でも女でもきれいでかわいい人が出てるだけでだいぶ点数アップするんだよな、と思って読んでました。
ただ、漫画雑誌でもないのにあれだけまとまった作品にできたCUTIEってすごいと思います。それともCUTIEはなんにもしてなくて岡崎京子がすごかったのか、その辺の話を聞いたことがないので誰か教えてほしいです。どのくらい編集者が関わってたんだろう。確かあの頃ナガイ編集長という人でした。
そのあと安野モヨコが載るようになって、岡崎京子に比べると読みやすい漫画でした。安野モヨコは今落ち着くところに落ち着いてるようで嬉しいです。おしゃれ漫画家だったのに、すっかりオタクの人たちからミューズ扱いされるようになっていてほっこりします。
CUTIEのようなファッションを好むのはモテない女の子扱いだったけど、ひとつのスタイルを作り上げた雑誌だと思います。きちんと、若い人たちにファッションとカルチャーを結びつけてあげていた。系統としてはパンク系、エスニック、スポーツミックスのクラブ系、ロリータ(ゴス含む)、古着やレトロ系が軸だったと思います。あとチープシック特集だと便所サンダルとかかっぽう着とか載せてたんだけど、覚えてる人いるかなぁ。チープシック特集というのはCUTIEに限らず他の雑誌も1年半に1回くらいやるのですが、どこも必ず「文化屋雑貨店」のアイテムを載せていました。私もよく行きました。
堀越絹衣は大物スタイリストという感じでたまにしか載っていなかったのですが、吉川ひなのがモデルを務めていた「インナーウェアで街に出よう」という特集が大好きで、実はまだ切り抜きを持っています。この人のページはクレジットに「スタイリスト制作物」というのが多くて、それがまた良かったのです。スタイリスト制作物はいいけど、「スタイリスト私物」と「参考商品」ばっかりのページは「ハァ?」って思ってました。
あと名前を思い出せないのですが福島さん?みたいな名前の若いスタイリストの方が活躍していて、本人もよく出ていました。ジャージに古着のコットンスカートとか、ラインストーンの大きな飾りがついたスニーカーとか、そんな感じのスタイリングが印象に残っています。今でも100円ショップのラインストーンのシールとか見るとかわいいな〜と思ってしまいます。(集合体恐怖症なのであんまり小さいのはイヤ〜ってなるけど)
私は断然レトロ派でちょっとだけパンクとロリータが好きだったので、ジャージやスカートとパンツの重ね着はしなかったし、チビTとロングスカートも着なかったし、ヒステリックグラマーやスーパーラヴァーズもあまり興味ありませんでした。でもその頃はアニエス.bなどのフレンチカジュアルとギャルがメインストリームな感じだったので、どこかに勝手な仲間意識はあったような気がしています。高いものから安いものまで、とにかく風変わりで着ることが楽しいと思えそうな服がいっぱい載っていました。手作り系も楽しかったし真似しました。
私はオリーブを読む時と同様にCUTIEに載ってた人たち全部が好き、というわけではなかったので、安田トキコや花代は苦手でした。2人とも読者からするとお姉さんの年代に当たったのですがスタンスは違えど厚化粧する女の子をディスるようなことを言っていて、年下の子にこういう言い方をする人にはなりたくないな〜と思いました。態度も見た目も好きじゃなかった。カヒミ・カリィはこだわりはわかるけどインタビューでは大体いつも同じことばかり言っていました。(岡田眞澄や伊武雅刀などとデュエットしたい、小柄なのでキッズサイズを着てる、ずっと探してるデザインの服があるんだけど見つからない、の3本)あとCUTIE全体にちょっと下品さがあって、そこが好きになりきれない面がありました。CUTIEに限らず、どの雑誌も好きな部分だけ受け入れるという感じでした。
そしてあの頃からオシャレ動物愛護、オシャレ環境問題みたいな人たちがいて、ユアンが井浦新やKIRI等の他のモデル達から「ユアンはゴミ問題の話ばっかりしてる」とか言われていました。ヒロミックスもゴミ問題とかよく言ってた。井浦新はかっこよかったけどこんなに活躍するようになるとは思ってませんでした。まさか毎週毎週ドラマに出て視聴者を身悶えさせるようになるとは。市川実日子も。姉の実和子の方がシュッとしててきれいだと思ってたけど、実和子はその頃恋人だった三原康弘(やっちん)との微妙にすさんだポラロイド日記を連載していて、だんだん私もマイペースな実日子の方が好きになりました。
その後何年か経って驚いたのは、読者モデルだった村山ゆきが片桐仁の奥さんになってたことと、エアギターの金剛地武志が深夜番組で一回だけ見たyes mama ok?だったことです。イエママはCUTIEの新譜コーナーで紹介されてたけど、なんか渋谷系の搾りかすみたいだった。村山ゆきと横山優貴が出てくるようになった頃、私もあんまりCUTIEを買わなくなりました。ゴシップみたいな話ばっかりですみません。
(つづく)
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その数333基、世界一のダム輸出国・中国の「無責任」
AN IRRESPONSIBLE DAM BUILDER
2020年10月7日(水)16時45分
譚璐美(ノンフィクション作家)
2013年に完成したガーナのブイ・ダムは生態系に影響を与えたとされる PHOTOSHOT/AFLO
<決壊、ひび割れ、水資源対立......。アフリカ・アジアを中心に各地でダム建設を進める中国だが、この「ダム輸出」は単なる善意の経済支援ではない。本誌「中国ダムは時限爆弾なのか」特集より>
中国は世界のダム建設数第1位の「ダム輸出王国」である。
環境保護団体インターナショナル・リバーズの2014年のデータによれば、中国が国外で建設したダムの総数は333基に上り、その半数以上がアジア(57%)、特に東南アジア(38%)に位置している。次にアフリカ(26%)が多く、さらに南米(8%)、ヨーロッパ(7%、主に東欧)などにも進出している。
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東南アジアの「中国製ダム」は最多のミャンマー(32%)に次いでラオス(22%)、フィリピン(13%)、マレーシア(11%)、ベトナムとカンボジア(各8%)、インドネシアとブルネイ(各2%)に建設されている。
メコン川流域はダム建設が世界で最も盛んな地域だが、06~11年に中国は総発電量2729メガワットのダム建設事業に資金提供を行っている。
サハラ砂漠以南のアフリカでは、10~15年に実施された電力開発事業のうち3割を中国が請け負ったが、なかでも水力発電(すなわちダム建設)が多い。この地域で10~20年に中国が増やした発電量のうち、水力発電が49%を占めている。
中国が建設するダムは8割以上が大型ダムだ。00年以降、OECD(経済協力開発機構)諸国がダム建設から撤退するのと入れ替わるように増加し、14年から習近平(シー・チンピン)国家主席が推進する国家プロジェクト「一帯一路」戦略によって拍車が掛かった。
ひび割れ、決壊、水資源対立
だが、この「ダム輸出」は単なる善意の経済支援ではない。
中国がアジアやアフリカに投資する目的は、相手国の電力不足を解��して経済発展を手助けするのと引き換えに、資源を確保したり軍事的な拠点を造ったりすること。中国の政治的利益に直結している。
また、往々にして新興国の汚職体質と結び付き、相手国の発展ニーズを考慮せず、粗製乱造のダムを建設することも少なくない。
南米のエクアドルで中国が16年に建設したコカコドシンクレア・ダムでは、わずか2年で約7600カ所のひび割れが生じた。同国では中国から総額190億ドルの融資を受け、石油などで返済する契約を交わして、橋や道路、ダムなどを造ったが、契約当時の副大統領や高級官僚が相次いで汚職容疑で逮捕された。
中央アジアのウズベキスタンでは今年5月、東部のサルドバ貯水池にあるダムが嵐で穴が開いて決壊した。台湾の報道によれば、中国資金をめぐり汚職疑惑も取り沙汰されている。
中国は00年10月、「中国・アフリカ協力フォーラム」を組織し、経済支援を通してアフリカに中国式モデルを広める枠組みを構築してきた。
ナイル川中流域のエチオピアでは、中国が一部資金提供したと報道されている巨大ダム、大エチオピア・ルネサンス・ダムが今年7月に完成したが、下流のエジプトやスーダンと水の分配をめぐって対立が激化。
スーダンのメロウェ・ダムは09年に中国が造った巨大ダムで、エジプトのアスワン・ハイ・ダムの上流に位置するが、わずか5年で完成したことで安全上の問題が懸念されている。
ガーナでは発電量400メガワットのブイ・ダムの建設を中国が請け負ったが、建設予定地に生息するカバの救済計画がなく、漁師を水のない土地に移転させるなど、多くの問題が指摘された。川の流れが変わり、下流域の水不足も危惧されている。
中国は概して、ダム建設に伴う弊害は相手国自身で解決すべきとしており、環境保全にも無頓着だ。
環境破壊が最も顕著なのは、東南アジアを流れるメコン川だろう。チベット高原に水源を持ち、中国からミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを経て南シナ海へ注ぐ第一級の国際河川で、流域の6000万人の生活を支える貴重な水資源だ。
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本誌2020年10月18日号28ページより
漁獲量「40~80%減少」の予想
ASEAN諸国は経済発展に伴い、電力不足が長年の悩みで、大型水力発電ダムの建設を望む声が強かった。だが各国の利害がかみ合わず、タイ、カンボジア、ベトナムは長らくダム開発を断念。
内陸国で発展の遅れたラオスは中国の支援を受けて大型のサイヤブリ・ダム、ドンサホン・ダムを建設し、���らに3基の大型ダムを建設中だ。
一方、この4カ国で構成し水資源を管理する組織「メコン川委員会」のメンバーでない中国は、自国の電力需要急増に伴い、独自にダム建設を進めてきた。
中国は目下、水源に近い雲南省に14基のダムを建設中で、全て完成すれば総出力2万2260メガワットに上り、広東省などの電力不足を大幅に解消できる。
だが最初に完成した漫湾ダム(1500メガワット)は、1993年の稼働直後から土砂やシルト(細かい粒子の砂)が堆積し、わずか3年で貯水池の有効貯水量が大幅に減った。その後も、大朝山ダム(1350メガワット)、小湾ダム(4200メガワット)を竣工。タイとの合弁事業の景洪ダムも稼働を開始した。
その影響で、メコン川下流域で昨夏、深刻な水不足が発生した。7月に中国が干ばつに備えて景洪ダムの放水量を半分に減らした上、同じ時期にラオスのサイヤブリ・ダムも試運転を始めたため、メコン川の水位が過去100年で最低レベルまで低下したのだ。
下流域の稲作地帯が広範囲に干上がり、漁獲量が減少。ASEAN諸国が中国に速やかな放流を強く求める事態となった。メコン川下流域の人々には死活問題だ。
18年、メコン川委員会は持続可能性調査を行い、「2040年までに計画中の11のダムと支流の100以上のダムが完成すれば、生態系、経済、食料安全保障への深刻な影響が生じる」と報告した。
ダムが全て建設されれば、食糧生産地であるメコンデルタ地域では栄養豊富な土壌の供給が97%減少し、農業に著しい悪影響が出る。ベトナムとカンボジアで「海岸浸食」が進む一方、回遊魚の遡上が寸断されて生態系が損なわれ、メコン川全体の漁獲量が40~80%減少すると予想した。
中国が国外で行うダム建設は、しばしば世界中の新興国に重い債務を負わせ、環境破壊や地域の「水争い」を助長する原因になっている。
<2020年10月13日号「中国ダムは時限爆弾なのか」特集より>
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🎼 00348 「学園天国」。
とある書店で "なぜに!" わたしのラブリー 岡崎京子さんの作品が表紙なのかしら? って思ってしまったところがご縁のはじまりでした 「高校生と考える 21世紀の論点 桐光学園大学訪問授業 (桐光学園中学校・高等学校。左右社 2019年)」 という本を読み終えました (ちなみに ジャケットは "リバーズ・エッジ" からのものでした)。神奈川県は 川崎市にあるらしい "桐光学園" というガッコーで 著名な方々の講演会ふうな "大学訪問授業 (特別授業)" を ガガッと 文字に起こして纏めた本です。中学・高校生活が 昨日のやうに感じるほど 若くはありませんけれど、本の中の講演会の模様は とても為になりました。質疑応答の場もあったさうで、それぞれの章のおしまいには 学生さんの ちょっとした質問が書かれていて、その質問に 著名な方々が ちゃんと答えているところが素敵に思えました。わたしが興味深く感じた授業は 羽生善治さん、三中信宏さん、丸山宗利さんのところでした。
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『雑談的な、、』
2020年6月25日
お久しぶりです、今回もしょうもない話をしていきます
僕まあまあ漫画が好きで、ちょくちょく集めてるんだよね
��見たら
『NARUTO』、『BORUTO』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『おやすみプンプン』、『ソラニン』、『うみべの女の子』、『世界の終わりと夜明け前』、『零落』、『ヘルタースケルター』、『リバーズ・エッジ』、『ヘテロセクシャル』、『亜人』、『東京喰種』、『スラムダンク』、『鋼の錬金術師』、『惡の華』
を持ってた
サブカルって感じもするし、少年って感じもするね
一番最初に買った漫画はNARUTOの37巻なんだけど、当時(小4くらい)は最新巻から買ってだんだん遡っていくというおバカな買い方をしていたな〜
今でも一番好きな漫画はNARUTOで、特にサスケ奪還編(たぶん19〜27巻くらい)が好きなんだけどNARUTO読んでる人なら分かってくれるはず、、ナルトの同期達の活躍がめちゃめちゃカッコ良くて涙さえ流してしまう、、
NARUTOが完結してから連載が始まったナルトの息子が物語の中心になってるBORUTOは惰性で買ったけど、正直あまり面白くない、、
スラムダンクに関しては中学からバスケをやっていたのにここ半年以内という割と最近に初めて読んだけど、当たり前に感動しました
岡崎京子作品は80年代〜90年代に描かれたものが多いんだけど、すでにLGBTに対する理解が作品の中から読み取れて、当時はまだ広く受け入れられてない概念だったろうにこういうの描いててスゲ〜って思ったな
そして全然関係ないけど今日の購入品
mont-bellのロックオンサンダル
去年の夏から目をつけておきながら買ってなかったんけど、今年は裸足で過ごすことが多いからちょっと家を出るときに便利かなと思って買いました
カカトのストラップが付いてないソックオンサンダルっていうのもあっ��、どちらも靴下を履いたまま履けるのがウリらしい
あと今日は古着屋の最終面接に行ってきた
まあまあしっかり話せた気がするけど、慢心せずに連絡を待ちたい、、受かっててほしい、、
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望郷太郎 / 山田芳裕
まず『望郷太郎』というタイトルからは望月峯太郎の名前を思い起こさせずにはいられない。いまでは望月ミネタロウとして活動している、あの望月峯太郎である。彼はやはり『ドラゴンヘッド』を境に名前をあらためたのだと思う。次の連載作の『万祝』は望月峯太郎名義ではあるが、内実は峯太郎→ミネタロウへの過渡期、��しくはミネタロウ名義の作品と位置づけられると思われる。というのは『ドラゴンヘッド』を境にして、動的で黒いコマ作りが、静的で白いコマ作りに変貌しているからである。これはマンガ家としての作家性を追求するための"閉じた"姿勢であると思う。逆にいえば、それ以前の望月峯太郎は"開いて"いた。開いて世間の荒波に揉まれる方向から、閉じて自らの作家性を研磨する方向へシフトしたともいえるかもしれない。
ところで『ドラゴンヘッド』をはじめ、あるいは岡崎京子の『リバーズ・エッジ』や『ヘルタースケルター』、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』など、90年代~2000年代初頭のある種のマンガには、いわゆる世紀末感というか、何かが崩壊してゆく感覚、良くも悪くもそういうような時代的なスペクタクルがあった。あの時代からもうすぐ20年が経ち、来年には、なんとも荒唐無稽なことに、大友克洋の霊感まったくその通りに東京オリンピックが開催されることとなったが、辺りを見渡せば、大友が描いた雑多でゴタゴタしたサイバーパンク感あふれる近未来はどこにもなく、奇妙なまでに画一的でのっぺりとした嘘明るい光景は、本来のミニマリズムが追求する引き算的な美学における完成度の高さとはまるで無縁の心身共の貧しさからくる単なる経費削減であるし、おもてなしの心を履き違えてボランティアでオリンピックを運営しようなどと寝言をいう。ようするに世界の崩壊などは起こらずに、ただずるずると地盤だけが沈下してゆき、見てくれだけはどうにかそれっぽく体裁をととのえながらも、ただ確実に豊かさは随所から消え去っている。いっそのこと世紀末に世界を崩壊させて仕切り直したほうが良かったのではと思うほど、当時からすでに黄昏といわれていたのが、いつまでも沈みきらない夏の夕日のようにいまだ延命を続けている。あの時代には崩壊させるに足る世界がまだあった。しかし、いまではそんな舞台さえ、なにもなくなってしまった。無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、ほんとうになにもなくなってしまったのである。いまや望月ミネタロウのように独自の作家性を発揮する高踏派のマンガ家も安心とはいえないのではないだろうか、何しろ地盤の沈下がいちじるしい。マンガも所詮はいち産業なので、地盤がどこまでも沈下してゆけば、独自の作家性もいつしか個人の趣味と見分けがつかなくなろう。
いま、山田芳裕の『望郷太郎』は、この"なにもない"ところから新たな一歩を踏み出そうとしている稀有なマンガであると思う。キャリアを重ねて閉じてゆく作家が多いなかであえて開いてみせた山田芳裕の冒険者的な勇気に敬礼を捧げたい。マンガ表現の限界を探求する閉じた作家が重要ないっぽうで、また彼らは開いた作家によってもその地盤を支えられているのである。
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大倉忠義主演『窮鼠はチーズの夢を見る』ポスタービジュアル&予告編解禁!
この度、映画『窮鼠はチーズの夢を見る』(6/5公開)のポスタービジュアル&予告編が解禁となりました。
原作は、人を好きになることの喜びや痛みをどこまでも純粋に描き、圧倒的な共感を呼ぶ心理描写から、多くの女性から支持を得た水城せとなの傑作��ミック「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」。主人公・大伴恭一を演じるのは、映画では『100回泣くこと』(13)に続き、単独主演を務める大倉忠義。そして恭一への想いを募らせ葛藤する姿に誰もが共感せずにはいられない今ヶ瀬渉を、『愛がなんだ』(19)、『カツベン!』(19)など話題作への出演が絶えない実力派・成田凌が務める。メガホンを取るのは、ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を2度も受賞するなど、日本を代表する映画監督・行定勲。その繊細な表現力と確かな演出力で、様々な愛のかたちを写し取った『ナラタージュ』(17)、『リバーズ・エッジ』(18)に続き、本作では、揺れ動くふたりの狂おしくも切ない恋を、時に繊細に時に大胆に描き出す。
今回、初解禁されたポスタービジュアルは、窓際で読書をする恭一(大倉忠義)を見つめる今ヶ瀬(成田凌)、ふたりの愛おしい瞬間が収められている。「好きで、好きで苦しくて、幸せ」というコピーによって、恋の歓びと痛みが同時に表現され、切ない恋模様を予感させる一枚に仕上がった。そして予告編映像では、大学時代、新入生歓迎会で出会った恭一に「一瞬で恋に落ちた」今ヶ瀬との出会いのシーンからスタート。「僕と付き合いますか?」という今ヶ瀬の言葉に、「なんで俺が男と付き合わなきゃいけないんだよ」と素っ気ない態度の恭一。今ヶ瀬の「キスして」という甘い言葉に見向きもしなかった恭一が、一途な今ヶ瀬にすこしずつ心を開いていくような姿には、誰しもが胸を掴まれるだろう。しかし恭一の昔の恋人・夏生(さとうほなみ)が現れた���とで、ふたりの関係はすこしずつ変わり始めていく・・・。恋が始まる瞬間や、胸にそっとしまっておきたくなる言葉、複雑に絡みあう感情、それらのひとつひとつが、痛いほどリアルに、そして時に涙が出るほど美しく、どのシーンからも1秒たりとも目が離せない。さらにラストシーンでは、雨の音が切なく鳴り響く中、再びふたりの距離が近づき・・・・。予告編だけでも、胸が高鳴り、本編への期待度は膨らむばかり。
<予告編はこちら>
【イントロダクション】 僕たちはまだ本当の恋を知らなかった 原作は、人を好きになることの喜びや痛みをどこまでも純粋に描き、圧倒的な共感を呼ぶ心理描写で、多くの女性から支持を得た水城せとなの傑作コミック「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」。ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を2度も受賞するなど、日本を代表する映画監督・行定勲。その繊��な表現力と確かな演出力で、様々な愛のかたちを写し取った『ナラタージュ』(17)、『リバーズ・エッジ』(18)に続き、本作では、揺れ動くふたりの狂おしくも切ない恋を、時に繊細に時に大胆に描きだす。主人公の大伴恭一を演じるのは、映画では『100回泣くこと』(13)に続き、単独主演を務める大倉忠義。そして、恭一を一途に想う今ヶ瀬渉役には、『愛がなんだ』(19)、『カツベン!』(19)など話題作への出演が絶えない実力派・成田凌。好きになってはいけないと頭ではわかりながらも、どうしようもなく惹かれてしまう葛藤や強い嫉妬心・・それらの複雑な感情を、痛いほどリアルに、時に涙がでるほど美しくスクリーンに焼き付けている。 これは、胸が苦しくなるほど誰かを愛したあなたへ贈る、忘れられない恋の物語。
【物語】 7年ぶりの再会 突然の告白 運命の歯車が動き出すー 学生時代から「自分を好きになってくれる女性」と受け身の恋愛ばかりを繰り返してきた、大伴恭一。ある日、大学の後輩・今ヶ瀬渉と7年ぶりに再会。「昔からずっと好きだった」と突然想いを告げられる。戸惑いを隠せない恭一だったが、今ヶ瀬のペースに乗せられ、ふたりは一緒に暮らすことに。ただひたすらにまっすぐな今ヶ瀬に、恭一も少しずつ心を開いていき・・・。しかし、恭一の昔の恋人・夏生が現れ、ふたりの関係が変わり始めていく。
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【作品情報】 『窮鼠はチーズの夢を見る』
■監督:行定勲 ■脚本:堀泉杏 ■出演:大倉忠義 成田凌 吉田志織 さとうほなみ 咲妃みゆ 小原徳子 ■音楽:半野喜弘 ■原作:水城せとな「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上の鯉は二度跳ねる」(小学館「フラワーコミックスα」刊) ■配給:ファントム・フィルム
©水城せとな・小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
情報提供:ファントム・フィルム
6月5日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー!
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6.24
最近よく屋上にいる。好きなアーティストさんが、「根暗は屋上が好き、という説」と言っていたけど、ほんとうにその通りだなぁと半ば自虐的に思った。たまたま読んでいた本の影響か、にわかにポテトチップスが食べたくなって生協に買いに行った。特別食べることが好きなわけではないけれど、時々無性に何かが食べたくなることがある。ポテトチップスと期間限定らしいパインの果汁グミを買って屋上へ行く。人が少なくて大好きだった。たぶん此処へ来るのなんか、わたしみたいな根暗と年々つまはじきにされていく肩身の狭い喫煙者だけ。わたしにとって数少ないゆっくりと息ができる場所だった。適当に座って、ポテトチップスの袋を開ける。本を読みながらほとんど狂気のように夢中でそれを食べる。貪るって言ったほうがよかったかな。『リバーズ・エッジ』のこずえさんを思い出す。過食症ではないけれど、側から見ればそんな風に思えたかもしれない。空を見上げればいつのまにか雨が降っていた。晴れているのに。狐の嫁入りってやつだった。日焼けしそうなくらい日が差しているのに、雨が降っているという矛盾、滑稽さ。流れてくる煙草のにおいでほんの少し目が痛い。建物から伸びた屋根に守られながら、軒下のようなこの場所からたった何センチか手を伸ばせば雨に触れられる。パインの果汁のせいで、舌が少し溶けるような痺れる感覚を味わいながら、わたしは動かない。敷居を跨げば、飛ぶこともできるのに、雨に濡れようともしない。ここからがきっとわたしの、境界線。
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▶追加キャスト3名が発表!!
新田真剣佑と北村匠海が、性格の正反対な役を演じるとともに、新田演じるアキが、北村演じる颯太の体を借りる、という斬新な設定から生み出される物語に期待が高まる中、アキのかつてのバンド仲間であり、颯太とも関わりを持つようになるバンドのメンバー3名のキャストが発表となりました!
ギターを担当する山科健太、通称“ヤマケン”役には、NHK連続テレビ小説「まれ」への抜擢で注目を浴び、 2017年からは「TERRACE HOUSE」シリーズのスタジオメンバーとしても話題の葉山奨之。
ドラムを担当する重田幸輝役には、モデル出身、NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」や映画『一週間フレンズ。』『リバーズ・エッジ』に出演し、今後の活躍が注目を集める上杉柊平。
ベースを担当する森涼介役には、放送中のNHK連続テレビ小説「なつぞら」で話題沸騰中、 雑誌「MEN'S NON-NO」のモデルとしても活躍する清原翔。
葉山は今回ギタリスト役に初挑戦! さらに上杉と清原は、それぞれドラムとベースに初挑戦いたします!
合わせて、それぞれの役柄になりきった表情で、3人が本当のバンドメンバーのような空気間をかもしだしたキャラクター写真も解禁となりました。
颯太に体を借りたアキがバンドの再結成をもくろむ事により、次第に心を動かされて成長していく3人の若手個性派俳優の演技と演奏にぜひご期待ください!
■ 山科健太役:葉山奨之コメント
山科健太役の葉山奨之です。僕が演じる山科健太はバンド内のムードメーカーでありギターを担当します。作品に提供していただいている楽曲がとてもパワフルでカッコいい曲が多く、毎日聴きながら僕自身も役に入り込めています。撮影現場は、同年代でも僕が尊敬している新田真剣佑君、北村匠海君含め、出演者皆それぞれお互いを刺激し合える環境なので、日々リスペクトしながら撮影しています。本当のバンドメンバーのような関係性があり、個々の役割がはっきりとしているので、このままクランクアップに向けて、より一層チームワークを高めていけたらと思います!「こんな音楽映画観たこと無い!」と思っていただけるような良い作品になるよう、僕も精一杯盛り上げていきますので、是非公開を楽しみにしていてください!
■重田幸輝役:上杉柊平コメント
重田幸輝役として出演させて頂くことになりました。皆からは、シゲ!シゲ!と呼ばれています。僕自身、久しぶりに同世代(歳上ですが同世代と強く主張したい)のキャストと作り出す作品に参加できて、スタッフさん、キャスト一同が最高の物を生み出すために同じ方向を向いている感覚にゾクゾクしています。バンド内で、ドラムを演奏しているシゲは、繊細で傷つきやすく、無骨だけどとにかく皆を���していて、でもその吐き出し方が下手くそな奴です。最初に台本を頂いた時から愛くるしくて仕方ありませんでした。今現在まだ撮影中ではありますが、心から身を委ねられる最高な尊敬できる仲間達に出会えた事に感謝します。きっとそれが伝わる作品になっていると思います。
■森涼介役:清原翔コメント
森涼介役を演じます清原翔です。今回オーディションを受けさせていただいた段階でバンドをやると聞いて、いつか挑戦してみたいと思っていたので気合いが入りました。決まった時は本当に嬉しかったです。それぞれ個別に楽器の練習をしていたのですが、撮影のクランクイン前にバンドメンバー全員で初めて練習をした時は、今までに感じたことのない感覚がありました。この味わったことのない感覚を大切に、撮影に挑んでいます。僕が共演するのは皆さん初めてなのですが、そんな事を感じないくらい楽しく、そして真摯に、映画"サヨナラまでの30分"に取り組んでいます。本当に尊敬できるキャスト、スタッフさんの方々です。期待していてください。
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#TVOD Essay27 「セッちゃん」のこと/comeca
「セッちゃん」は、イラストレーター・映像作家の大島智子による、初めての長編まんが作品である。「誰とでも寝る女の子」である「セッちゃん」と、「誰にも興味を持てない男の子」である「あっくん」の物語。
大島はかつて、自身の作品の主題を、日本国憲法の条文を読んで決めた、と語っている。
大島:そう。続いてるのは……クラスメートがいいって言ってくれたからかな? それからずっと絵柄は変わらないんですけど、サブカルっぽいテーマのイラストを描いていて、しばらく経ってから今のような日常的なテーマを描くようになりました。
泉:何かきっかけがあったんですか?
大島:大学生のとき、日本国憲法の第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるのを知り、「この言葉すごい!」と思って、絵のテーマにしようと決めたんです。健康で文化的な生活って、つまりは普通の日常だなって。
「泉まくら×大島智子 共作を通じて、生きる自信を膨らませた二人」https://www.cinra.net/interview/201504-izumimakura
「健康で文化的な最低限度の生活」としての普通の日常。セッちゃんもあっくんも、そういう日常の中を生きている/いた。その日常の中でセッちゃんは、「セックスは、『ごめーん』とか『��りがとー』とか必要なくていいな」「セックスは、私と同じく、汗が出て、よだれが出て、声の出る人間が、いると思えるからいいな」と思いながら、中学生のときから誰とでもセックスをしていたし、あっくんは高校のクラスメイトの黒須さんの死体を見つけてしまっても、「おれは大丈夫。おれはこっち側。友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって、おれはそういうことができる。あのぐちゃぐちゃの物体はただの死体」と感傷を封じ込めていた。
セッちゃんはコミュニケーションをまともに介在させない「ただのセックス」を繰り返しながら、あっくんはコミュニケーションをとることが不可能な「ただの死体」を遠ざけながら、それぞれの日常を生きていたのだ。セッちゃんは日常の中で浅薄なコミュニケーションをとることをあらかじめ拒絶しているし、あっくんは日常の中で浅薄なコミュニケーションに留まるしかないという諦観をあらかじめ持っている。
いつまでも続いていきそうだったそういう「平坦な日常」(ウィリアム・ギブスンのこの言葉を引用した「リバーズ・エッジ」などの、岡崎京子の諸作品の意図的な参照が本作品には散見される)に、亀裂が入る。学生運動の中からテロ行為に走る過激派が現れ、社会を動揺させる(ただ、このストーリー展開における政治や社会運動に対する描写の単純さはどうかと思う。浅野いにを「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」でも同じようなことを思ったけど)。セッちゃんやあっくんの身の回りの人々も、「すぐに生き方を変える」。キスもセックスもしなくなって、「いつものくだらないカラオケのストーリー」や「真夜中の自撮り」もやめて、「デモに参加したり論文とか書き始める」。鯖缶を食べ終えたあと、猫のように友だちとセックスをしようとするセッちゃんは、「こんな時にそんなことしないでしょ!?」と拒絶されてしまう。
「日常生活を批判する」過激派の学生たちは、動物園も電車もシェアハウスもアパレルショップも爆破していく。「健康で文化的な最低限度の生活」としての日常の風景は、どんどん壊れていく。「だれかだれか だれでもいいから 前みたいにいっしょにいて」と思っているセッちゃんと、「でもおれたちは、ずっとこっち側で、大丈夫なはずじゃん」と思っているあっくんは、周りの人々から取り残されていく。
「『ごめーん』とか『ありがとー』とか」、そういうコミュニケーションをとらなければいけない世界は、「友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって」生きていかなければいけない世界になり得る。「めんどくさい」不可能性だらけの世界。そういう世界を無理やりにでも遠ざけていたセッちゃんと、そういう世界に諦めと共に留まろうとしていたあっくんは、日常の風景が壊れていく状況の中で、いつの間にか一緒に過ごし始める。二人で意味もなく座り込みをしたり、二人で難解な台詞回しのよく分からない昔のフランス映画を観たり、あっくんの部屋で二人で漫画を読んだり喋ったり。でも、セックスはしない。二人は「そういうんじゃなかった」から、「なんか落ち着く」から、「なんとなく一緒にいる」。それぞれ異なる形で世界に取り組もうとしていた二人は、「普通の日常」が壊れていったからこそ「もうなにがこっち側なのか分かんないし、今までのこっち側もなんだったのか分かんない」状態になって、一緒に過ごすことができるようになる。
二人はたぶんお互い生まれて初めて、コミュニケーションを拒絶することも、コミュニケーションに諦観を持つこともない形で、「なんとなく」他者と共に過ごすことができたのだと思う。だからセッちゃんは、あっくんとつくったカレーを二人で一緒に食べたとき、「だれかとするよりおいしい」「セックスよりも体に染み渡ってとってもおかしかった」と感じたのだ。「日常」が壊されていくなか、自分たち自身の「日常」をつくりだしていくことで、「日常」ひいては世界の中にある不可能性ではなく可能性に、セッちゃんとあっくんはいつの間にか触れていたんじゃないかと思う。
「『ごめーん』とか『ありがとー』とか必要」な世界を拒絶したり、「友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって」生きていく世界に諦観を持ったりできる存在とはつまり、「子ども」である。セッちゃんとあっくんは、「少女漫画にかぶれてる」「悪意の無い計算高さが浅はか」な、あっくんの彼女のまみさんをバカにするけれど、二人ともどこかで、そういう「浅はか」なまみさんの方が大人になれる可能性とその意志を持っていることに、本当は気付いている。自分たちの方が本当は「バカ」で「子ども」であることに、二人とも気付いている。だからセッちゃんは「誰かわたしを運んでくれないかなあ 誰かわたしをどこかに」と、自分で自分の主体を引き受けることを恐れているし、あっくんは「おれがこっち側でいるために、だいじょうぶでいるために、その計算が必要なんだよ」と、自分の主体を誰かに預けることばかり考えている。この社会における「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が、日本国憲法第25条によって保障されていることを、「子ども」たちは気にかけない。「普通の日常」は自明のものではなく、そうやって歴史的かつ社会的に構成されているものであること。大人たちが自らの主体としての責任を引き受け、その社会的な構成の維持にコミットしなければ、「ずっとこっち側で、大丈夫なはず」であるわけがないこと。「浅薄なコミュニケーション」をとる人々や世界をバカにし、拒絶し、諦観を持っているだけでは、「日常生活を批判する」過激派の学生たちと何も変わらないこと。
セッちゃんもあっくんも、そういうことに、いつまでもずっと「子ども」ではいられないことに、本当は気付いていたんだと思う。
でもたぶんセッちゃんは少しだけ、主体を引き受けようとした。自分では「なにかを選んだりすることができない」セッちゃんが、唯一誰かにしてあげたいと思ったこと。中間テストで一番をとったらクラスメイトに殴られて、歯が折れてしまった妹のうたちゃんに、差し歯を買ってあげること。そのためにバイトして、でも母親が(まったく悪気無く)先に差し歯を買ってあげてしまって。セッちゃんはそういう自分を「バカだ」「間違えた」とごまかそうとしたけれど、あっくんが「バカじゃない」と言ってくれて、うたちゃんもそういうセッちゃんの行動を喜んでくれて。
そして、誰かに運んでもらうことばかり考えていたセッちゃんは、「セッちゃんさあ、オレと付き合わない?」とあっくんに言われたときも、ちょうど食べていたアイスが「はずれ」だったから「付き合わないよお!」と言ったセッちゃんは、フィンランドに行ってしまったあっくんに、誰かに運んでもらうのではなく、「色々すっ飛ばして」自分自身の力で会いに行ったのだ。愛用の熊のポーチにコンドームを入れて。「なんとなく一緒にいる」ときには一度もセックスをしなかったのに。セッちゃんは、自分自身の力であっくんに会いに行くときに、自分自身の選択で���ンドームを持っていったのだ。
ただ、そうしてセッちゃんが少しだけ主体を引き受けようとした瞬間に、物語は終わる。「真相は分からずじまい」の外国のテロに巻き込まれて、セッちゃんはあっけなく死ぬ。あっくんは「セッちゃん自身がもう限界で、世界がきっかけを作って待っていたのかもしれない」と言うけれど、セッちゃんは本当に「もう限界」だったのだろうか?セッちゃんのいない世界に取り残されたあっくんや私たちが、勝手にそう思い込もうとしているだけだったりはしないだろうか?
「真相」なんてそれこそ「分からずじまい」である。そんなものは存在しない。私たちはただ物語を読むことしかできない。ただぼくは、セッちゃんが生き得たひとつの可能性について考えたい。セッちゃんのいない世界で感傷に浸り続けることを選択したくない。
確かに、うたちゃんが言うように、セッちゃんのお父さんがNPOで語る講演なんかにセッちゃんの「本当」なんて無いだろう。でもそれでは果たして、あっくんのログイン画面のなかだけに、社会を拒絶した小さなコミュニケーションの中だけに、セッちゃんの「本当」が本当にあるのだろうか?
「真相」も「正解」も存在しない。ただ、セッちゃんが少しだけ引き受けようとした主体性が、一体どこに向かう可能性があったのかを考えたい。うたちゃんもあっくんも大島智子も、「こんな世界はセッちゃんには似合わない」と思っているのかもしれないけど、本当にそうなんだろうかとぼくは思う。少しだけ「主体」を引き受けようとしたセッちゃんの方が実は、いつまでも「子ども」みたいな私たちより少しだけ早く、この世界で、「日常」で、大人になるきっかけを掴んでいたんじゃないのだろうか?
そういうことを考えるのを繰り返していたら、いつの間にか私たちはたぶん「子ども」ではなくなってしまうだろう。「セッちゃん」を読んでどうしようもなく感じる切なさも、忘れていってしまうだろう。
でも、それでいいのだと思う。
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【リバーズ・エッジ】
<あらすじ> 女子高生のハルナ(二階堂ふみ)と、ハルナにだけ心を許すゲイでいじめられっ子の山田(吉沢亮)と摂食障害であるモデルのこずえ。彼らは河原で見つけた死体に魅せられていた。山田をいじめるハルナの恋人・観音崎(上杉柊平)や、山田のことが好きな田島カンナ(森川葵)らも、それぞれに事情を抱えていた。ある日、新たな死体が……。
(シネマトゥデイHPより引用)
イオンシネマ防府で遅れての2週間限定上映。でもタイミングが合わず、観たかった作品。
暴力いじめ、SEX、ドラッグ、援際、LGBT、過食嘔吐 etc なんだかな…こんな高校生活、田舎ではイメージ出来ない👊 っていうか私には理解不能。部分的には共感できるところもあったけど…。
いきなり吉沢亮くん演じる山田一郎が、ロッカーから裸で縛られ転がり出てくるシーン、どこかで観たような…。キムタクのギフトも似たような登場の仕方だった😅
暴力を受けた後の傷痣���らけの山田がシャワー🚿を浴びてる。 そして、援交相手の小太り男性の前に白ブリーフ姿で跪き、男性の下半身のガウンを捲りながら口を開ける👄…エロいです😝
ハルナ役の二階堂ふみちゃん、 観音崎(上杉柊平)とのラブホでのSEXシーン…ここで脱ぐ必要性があったのか、私には疑問。映像の妙で何とでもなったような…🤔
山田一郎の彼女役の森川葵ちゃん、一歩的に自分の事ばかりよく喋る、ウザい感じ…ピッタリハマってました😅
過食症で山田と秘密を共有するのこずえ役に、浅野忠信さんとCHARAさんの娘のSUMIREさんが出演されてます。コンタクトレンズを入れているのかも知れませんが、目元がとても印象的な女優さん。不思議な雰囲気がします✨
こういう雰囲気の映画は嫌いではないけれど、経験の無い事ってやっぱり理解不能だもの、ただ漠然と観るって事でもいいのかと😕
スクリーンサイズが4:3だったのは時代背景を表現するためだったのかしら❓
(画像は映画.com,CINRA.NETより引用)
2018.9.2
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映画『BLEACH』に、吉沢亮、早乙女太一、MIYAVI出演決定!新たな“死神”と“滅却師(クインシー)”、物語のカギを握る謎の男たちに豪華キャスト集結!
映画『BLEACH』の新たなキャストとして、石田雨竜(いしだうりゅう)役に吉沢亮さん、阿散井恋次(あばらいれんじ)役に早乙女太一さん、朽木白哉(くちきびゃくや)役に、MIYAVIさんが決定、物語のカギを握る謎の男たちに豪華キャスト集結!
『銀魂』(17)で沖田総悟役を演じ注目を集め、今年は『リバーズ・エッジ』、『ママレード・ボーイ』など様々な作品に連続出演し、漫画実写映画に欠かせない吉沢亮さんが演じるのは石田雨竜(いしだうりゅう)。雨竜は、黒崎一護のクラスメイトで成績優秀な生徒ですが、実は死神を嫌っており一護を含む死神に対抗する“滅却師(クインシー)”という種族の生き残りです。滅却師は、弓状の武器を使用し、今回解禁されたビジュアルでもその武器を持ち、戦いの最中なのか鋭い眼光で獲物を見つめるシーンが収められています。
一護を狙う阿散井恋次(あばらいれんじ)役には、映画だけでなく舞台でも活躍している早乙女太一さん。恋次は長い赤髪を結び、眉毛から額、首から上半身にかけて派手な刺青を入れています。朽木白哉の部下で、朽木ルキアとは幼馴染ですが、死神界の掟を破ったルキアを連れ戻すために、一護に対して刀を向けます。一護を演じる福士蒼汰さんとは、劇団☆新感線の舞台「髑髏城の七人Season月」で共演しており、本作で2回目の共演。福士さんとの殺陣のアクションシーンに期待がかかります。
そして、朽木白哉(くちきびゃくや)を演じるのは、世界を舞台に活躍するギタリスト・MIYAVIさん。最近は音楽活動だけでなく、『不屈の男 アンブロークン』、『キングコング:髑髏島の巨神』など、ハリウッド映画にも出演し、劇中では軽やかな身のこなしでアクションを披露しています。そんなMIYAVIさんが演じる白哉は、冷静沈着かつ厳格な性格、死神の中でも血筋・実力ともに抜きん出た存在であり、ルキアの兄でもあります。本作では、死神界の掟を破ったルキアを現世から連れ戻すために一護たちの前に現れます。今回解禁となるビジュアルでは、白哉が自身の刀を引き抜いたシーンが収められています。このシーンだけでも、白哉の絶対的な強さがひしひしと伝わり、ギタリスト・MIYAVIさん同様に日本という枠に収まらない戦いが本編で描かれることが予想されます。
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