#すてる英語くらぶ
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日本意味わかんない ・トイレが無料だがウォシュレット完備で超清潔 ・自販機で交通系カードまで使えてさまざまなドリンクが60ペンス ・モールに刃物を持ったギャングやヤク中がいない ・道に乞食がいない ・人が臭くない ・中高生がナタ持ってない ・ヘロインやってる奴がいない ・イオンやホムセンで電ノコで車をぶった斬って車上荒らしをする奴がいない ・その辺に畑があり電気ショックが流れるバラ線や塀で囲まれていない ・無職難民とか不法就労がその辺を歩いていない ・大麻の煙が漂っていない ・バスでKFCの骨を吐いたり殴り合う奴がいない ・郊外はほぼ100%日本人しかいない ・寿司が1パック4ポンドだがロンドンの80ポンドの寿司よりはるかにうまい ・その辺のスーパーで高級タラバガニとか高価な食材がガンガンある ・映画館のポップコーンとドリンク2名分が7ポンド。イギリスの半額 ・本屋に莫大な種類の雑誌やマニアックな本があり値段が英語圏の三分の一とかだが客は買っていない ・やたらと手帳とカレンダーがあり皆買っている ・やたらとテレビの種類が多く値段がイギリスの半額 ・100円ショップになんでもあるが店内で刃物を振り回す奴がいない ・人は大量にいるが事件が殆どない ・警官が小柄で武装しておらず極めて親切でナイスな紳士だらけ ・闘犬を連れた奴がいない ・子供の凶暴性が皆無 ・清潔な服の人しかいない ・ラーメン屋の気合いが凄い ・郊外のリサイクル屋に新品に近い家電やバカラやウェッジウッドのような高価な食器、キャンプ用品、高価な釣り道具がしれっと並び異様に安いが皆買わない ・綺麗な車だらけ ・その辺のモールで車の実車を展示して盗む奴がいない ・車がやたらと安い ・自転車がやたらと安い ・超高価な犬を抱えた人がやたらといる ・ハーフの子供をみて大興奮し握手を求めてくる老人 ・巨大な大根や白菜 ・しれっと並ぶロシア産海産物 ・学校の送り迎えで車の駐車で揉めて殴り合いやる親がいない ・自分が菜食主義なのを自慢して日本人下げしてくる特定宗教親がいない ・自分にはすでに婚約者がいると自慢してくる7歳児がいない ・外食や給食でハラル肉を強制されない
XユーザーのMay_Roma めいろま 谷本真由美さん: 「日本意味わかんない ・トイレが無料だがウォシュレット完備で超清潔 ・自販機で交通系カードまで使えてさまざまなドリンクが60ペンス ・モールに刃物を持ったギャングやヤク中がいない ・道に乞食がいない ・人が臭くない ・中高生がナタ持ってない ・ヘロインやってる奴がいない」 / X
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今森 茉耶は、日本のグラビアアイドル、TikToker。宮崎県出身。Seju所属。 ウィキペディア
生まれ: 2006年3月26日 (年齢 18歳)
身長: 164 cm
スリーサイズ: 78 - 61.5 - 87.5 cm
デビュー: 2022年
事務所: seju(GROVE株式会社)
他の活動: タレント、TikToker
愛称: まやちゃん
日本人とフィリピン人のハーフとして宮崎県に生まれる。
中学時代からTikTokで動画を投稿し始めた所を2022年10月にスカウトされ、現事務所と契約。
2023年3月27日発売の週刊プレイボーイ(集英社)でグラビアデビューを飾り、「宮崎のイツザイ」として注目を集める。
2023年5月、講談社主催の『ミスマガジン2023』ベスト16にエントリー(応募総数3204名)。同年8月29日、ミスマガジン2023のグランプリに選ばれたことが発表され、9月4日発売の週刊ヤングマガジンで表紙と巻頭グラビアを飾った。九州地方出身者のミスマガジングランプリ受賞は、2011年の衛藤美彩(大分県出身)以来12年ぶりで、令和改元後初となった。
小学生の頃から水泳を習い、中学ではバレーボール部に2年間入っていた。
趣味は読書、散歩、将棋、オセロ。特技は中国語、犬のモノマネ。
好きな食べ物は豆腐の白和えとごま団子。苦手な食べ物はプチトマト。
ミスマガにエントリーするまではファーストフード店でアルバイトをしていた。
憧れの女優は池田エライザ。
SNSフォロワー数は週プレ掲載時点で32万人だったが、ミスマガジングランプリ受賞時には63万人と倍近く増加した。
翌年(2024年)のミスマガジン・グランプリの葉月くれあは今森を注目していたことがミスマガジン応募のきっかけになったという。
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...
食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が���まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれに割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメ��ジしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法に記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さら��「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつけて婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽��を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗派。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄檗宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦��、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外の方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多作な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
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バブル期は日本の物価が異常に高すぎて、欧米からの出張客が手配された東京のホテルは高すぎて泊まれないからと別の安宿を求めてたぐらいだったし、自分が中学生のころアメリカから来た英語教師がアメリカのレストランではステーキが500円~800円で、ハンバーガーも200円ぐらいと紹介してからみんなが「なんでそんなに安いの?」と聞いたら「アメリカが安いわけじゃない。日本が高すぎるだけ」と答えてた時代だったから、日本の商品を売るためには円安が大歓迎だった。 ただ当時は1ドル160円でも日本の物価は高すぎると言われてた時代だったけど、今は1ドル70円��なったとしても日本の物価は世界的にも安い水準なのに、それで1ドル160円になったら子供のお小遣いで高級ディナー食べれるレベルだと思う。 日本がこの40年足らずでここまで経済が大きく衰退するとはバブル当時おそらく誰も予想しなかっただろう。
34年ぶり1ドル160円再来 バブル最盛期は円安が歓迎された(朝日新聞デジタル)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に��爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の��家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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10年くらい前までは、技術文書は絶対にすべて日本語に翻訳しなければならないみたいな固執みたいなのがあったけど、今はもう「英語読めよ」みたいな感じで日本語技術文書が急激になくなってきてるので、たぶん近いうちにすごい勢いで没落するよ
Xユーザーのいりじうむさん
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2泊3日の旅をした。旅先は台湾。あいにくの雨で到着した時には湿気が日本よりも帯びていて異国の地に着いたんだと肌でも理解せざるを得なかった。私にとって初めての海外だった。昔ここで言われた言葉が脳裏から離れていない。「海外に行けばいいのに。」それが少しでも報われた気がする。旅は恋人と一緒だった。夜の出発で飛行機が飛ぶまで緊張して怖くて不安でこっそり泣いた。到着すると日本語が少なくて緊張した。恋人は英語が話せたのである程度任せて宿泊先に向かった。途中見たことがない建物群にトキメキとワクワクを持って写真に収めた。スマホのシャッター音が鳴らなくて故障したのかと思った。
台湾に降りたって1日目。昼近くに目覚める。日本との時差は1時間なので時差ボケはなく、ただ日本だと+1時間なのか、と時計を見るたびに考えた。私は4時に寝た体を奮い立たせて、恋人と別行動をする準備をした。異国でわざわざ設けてもらったのは、現地に友人がいたから。4-5年前からゲームの繋がりでTwitterで仲良くしてくれてた友人。ホテル先で恋人と分かれ駅まで向かったんだけどあいにくわからなくなって迎えにきてもらった。彼女と会うのは今回が初めてだったけど、不思議と緊張もしなかった。彼女は台南に住んでいると言っていたが台北まで会いにきてくれた。現地人である彼女の日本語はとても上手くて聞きやすかった。早速地下鉄に乗り台北101の方に向かう。駅から降りると聳え立つ101があって見上げようと思ったけど雨粒が大きくて目に入って上まで見上げられなかった。商業施設は橋でつながっており雨を凌いで目的地に着いた。私は靴が買いたかった。台湾発のブランド。現在新宿でもポップアップストアはあるけど、欲しかった靴がなくて現地まで行ってどうしても買いたかった。���女が店員さんの間に立ち私にもわかりやすいように翻訳をしてくれた。無事購入できて大満足。彼女が行きたいと言ったポケモンセンターにも向かった。ぐるぐる巡って夜になると解散した。彼女からは長文で感謝と日本に行くねというメッセージが送られた。とても嬉しかった。夜市に行く予定だったけど雨がすごくて地下街でご飯を食べた。昼に食べた小籠包が愛おしい。タピオカが入った甘い小籠包も食べた。夜も飲茶を食べた。臭豆腐の匂いがどの場所でも存在した。
2日目。大雨だった。猫と提灯を見に行った。台北より雨脚が強く、川の氾濫がすごくて流れてしまうのではと思った。猴硐に行くと猫がたくさんいた。晴れた時にも来たかった。九份に向かうとより一層雨が強くて靴がびしょ濡れになった。人混みの中傘もさしているから見たかった建物まで混んでいて無理だ、と諦めようとしたら恋人が手を招いて向かった先が裏道でなんなく混雑も避けて到着できた。昔から道を知っているような足取りだった。今回が初めてらしい。私と違って行動力があるところが惚れた一部なのよね。帰り道、流石に電車が止まるのが怖くてタクシーに乗った。運転手がGoogle翻訳で私たちの宿泊先近くにあるお土産屋を紹介してくれたけど、全身びしょ濡れだったので寄り道せずに帰ることを伝えたら驚かれたけど、途中運転手がトイレに行きたいというので、どうぞ、と待った。ホテルまであと2-3分もしないのにと思ってしばらくすると紙袋を持った運転手が謝りながら帰ってきて暫くきょとんとしてたけど、コイツ…家族にお土産買ったな…??と思いバブにも伝えると彼も同じことを思ったらしくて笑ってしまった。良い思い出。私も服を乾かした後にパイナップルケーキを買いに行った。美味しかった。とっても。
3日目。は最終日で少し寝坊をした。雨は変わらずだったが、「台北はいつも雨だよ」と言っていた彼女を思い出した。タクシーに乗りながら初日に見れなかった街並みを見る。喧嘩をしていないことを思い出した。毎回毎回喧嘩するのに今回は平和だった。帰りのフライトは編み物をした。
帰りは晴れていた。日本に着くと秋が訪れていた。
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富山での仕事が終わってそのまま金沢。
(連日、あちこち行ったり来たりでしんどすぎる)
金沢駅は修学旅行の生徒で一杯。
金沢は京都と同じく観光地なので、JRだけではなくローカルの鉄道会社の車内アナウンスも英語がバンバン出てくるのが楽しい。
いつものように近江町で友達とお昼ご飯して、ひがし茶屋街へ行くと尋常じ��ないくらい観光客がいてまったく前に進まないので離脱。
(なんじゃこの人の多さは)
今週、約1か月ぶりくらいに米を食べました。
(まじか。笑)
水曜日に富山のローソンで、おにぎりポーク玉子というのを買ってたべたのですが、考えたら1か月ぶりの米だなと。
米を食べなくても全然大丈夫なタイプなので何の問題もないのです。
ひがし茶屋街は毎年のことですが、秋の観光シーズン前に所々で工事をしておりました。
ひゃくまん焼きを買うのを忘れたとか思いながら浅野川沿いを歩くと、柔らかな風が吹いて気化熱効果でちょぴり涼しい。
そのまま歩いて茶屋街から結構近くにある自動車屋で愛車の車検の打ち合わせ。
事務のおばちゃんから金沢一高級な加賀の冷たい番茶(ほうじ茶)を頂きました。
(やっぱ高い茶は旨い)
昨日土曜日は、いしかわ四校記念公園で毎年恒例の「金沢ジャズストリート」を見てきました。
駅の近くの東別院とか、尾山神社とか至る所でやってます。
バンド名は忘れましたがむちゃくちゃ演奏の上手いジャズファンク系のグループが「Starsky and Hutchのテーマ」を演奏してくれていてニンマリ。
しかし、尋常じゃないくらい暑くて��バンドだけ見て帰宅。
散歩とか歩いて行動するのはいろんな発見があって楽しい。
帰宅途中、街中なのに物凄く安く地物野菜を売っている八百屋さんを発見したので友達に教えてあげようと思います。
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何故、中共は「中国4000年の歴史」とか「中華民族」とか見えすいた嘘を吐くのか?侵略の準備なんだよ!
本当は夏朝、殷、隋、唐、金、遼、元、清など全て騎馬民族など異民族支配で元々の漢民族は殆ど後漢で滅んでる
その王朝でも支配してたのは北京周辺であり今のチベット、内モンゴル、ウイグルなどの地域も異民族に支配されており、北京周辺王朝は貢いでたり、王族などから女を贈って、勘弁して貰ってた
女を贈って置いて「あの地方王朝の王は俺たちの婿様だから、あそこも中華王朝の一部」とか無理な事を言ってる
しかし中共はその論理でチベットを盗り、内モンゴルを裏切り、東トルキスタン(ウイグル)を強奪して、中共から人を沢山送り現地人をレイプ強姦して妊娠させ混血児を増やし、現地人には強制堕胎、強制不妊手術を行い純粋な現地人人口を減らし、言葉を奪い、文化や宗教を禁止して文字通り民族浄化して、根絶やしにしようとしている
「元々は中華の一部」「太古より中華民族(なんだソレ?)が住んでた」と言い張り、侵略している
同じ論理をプーチンがウクライナに言って「元々はロシアの一部」「昔からウクライナにもロシア人が住んでた」と言い張り、ロシア系住民保護と主張して、ウクライナに侵攻した
おんなじパターン
中共は「尖閣は中共の土地」「沖縄は中国(どの支那だよ?)に朝貢してた中国の一部」と主張している
北海道には沢山、移民させてる
次はどうなるかって?
そりゃ中共による尖閣、沖縄、北海道の侵略が始まるんだよ!
だから「中国4000年の歴史」とか「ずっと中国はあった」とか「偉大な中華民族(何ソレ?)」という嘘に加担しては駄目だ!
それは彼らの宣伝
それは彼らのプロパガンダ
なんだよ?
欧米なんか知ってか知らずか
鵜呑みにしてる
日本国民は洗脳されて
鵜呑みにしてる
まずそこを否定して
防衛強化して
教育を強化して行こう!
【関連】
828 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:12:24 ID:fsTA3r1B0(4)
支那人にも孔子、老子、孟子を生んだ立派な文明があると誤解している日本人が多いのだと思います。
漢文を通じて中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はありません。何故なら漢文はこの二千年間というもの中国語とは全く関係がない。日本人のほとんどは漢文を中国語の古語と思ってきたのです。
つまり日本人が尊敬し 知っている漢民族は紀元二世紀でこの地球上から姿を消し、中国住民はそっくり北方の騎馬民族の子孫に何回も何回も入れ替わってしまったのです。
そして秦や漢時代の中国人は,そのほとんどが大陸から居なくなったということです。
ところが日本は遣隋使や遣唐使たちの使節が派遣され膨大な漢籍を大陸から持ち帰り,それを今日まで途切れることなく勉強してきたのです。
つまり日本人は騎馬民族の子孫である中国でなく2000年以上前のいなく なった漢民族の文化を勉強してきたのです。
日本人なら誰でも知っている儒教の開祖である孔子は,紀元前6~5世紀 中国各地の有力諸侯が覇権を争っていた春秋時代のことです
830 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:13:38 ID:fsTA3r1B0(4)
使節団が中国から持ち帰った無数の漢籍を日本人は今日まで約1300年間も読み込んできたのです。
早い話が遣隋使や遣唐使が持ち帰った「論語」や「漢詩」などによって 皮肉なことに中国人でなく日本人の人格が磨かれてきたのです。
中国語と漢文は全く関係がない、つまり漢文の読めない中国人にとって孔子や孟子の教えなど身につくはずもありません。
いわゆるこの二千年間というもの,漢文は中国語とは全く関係がないと いうことを多くの日本人は知らなかったのです。
私はこれらのことを中国史研究の第一人者である岡田英弘先生から教えてもらいました。
私も20年前 漢文を通じて身につけた中国イメージのまま中国に進出してそのギャップの大きさに仰天した記憶があります。
中国進出する前は、信義に厚く,礼を尊ぶ文化人の国であると信じていました。しかし現実にいるのは,油断も隙もならない、詐欺師の野蛮人ばかりでした。
中国人に取って漢文とは外国語同然なのです.中国で話されている言葉とは全く無縁の言語体系なのです。
831 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:14:22 ID:fsTA3r1B0(4)
現在の中国人は,彼らが使っている中国語が,実は���体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということを隠そうとしています.現代日本文の真似をして前置詞や助動詞を明確に記すことによって、やっと文章が書けるようになったのです。
日清戦争後,日本に大量の清国留学生がやってきて,日本語を学び中国語を誰でもが読める中国語の表記法を改良していったのです.その中にかの有名な魯迅もいたのです。
日本語をマスターした魯迅の頭の中は日本語の文章があり,それを漢字に置き換えて表現することによって原文一致体の「白話文」が生まれました。
そして試行錯誤の結果 現在における中国語は北京語を元にした「普通話」がやっと確立されたのです。
つねに色んな異民族に取って変わられた中国の歴史を眺めたとき,中国政府が宣伝している四千年の歴史は中国人の歴史ではなく中国大陸の歴史だということがわかります。
中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった.中国語には
北京語,上海語,福建語などの言葉があることを知られていますが、実際はもっと言語は細分化されています。これらは単なる方言というのでなく,ほとんど共通点がありません。
そこで中国政府は各国が持っている「国民国家」というシステムを作るために国民を北京語に統一して教育してきたのです。それもまだ100年足らずのことです。
833 ���本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:16:10 ID:fsTA3r1B0(4)
そして言語だけでなく異文化、異言語の人々の寄せ集め集団である中国を統一するために歴史も歪曲せざるをえなかった。
毛沢東は少数民族を含めて全ての中国人を漢族にしてしまうために少数民族の文化を奪い、抵抗するものは容赦なく抹殺してきたのです。
もし少数民族の自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国政府が意図する最強の「国民国家」システムの改造計画が頓挫してしまいます。
この中国共産党の意図が理解できたとき、日本人やアメリカ人が思っている「中国は資本主義開放経済への道を進めば自然に民主国家になっていく」という考えが いかに愚かな事であるかということがわかっていただけたとおもいます。
http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2836.html
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今森 茉耶は、日本のグラビアアイドル、TikToker。宮崎県出身。Seju所属。 ウィキペディア
生年月日: 2006年3月26日 (年齢 17歳)
身長: 164 cm
出身地: 日本・宮崎県
スリーサイズ: 78 - 61.5 - 87.5 cm
デビュー: 2022年
事務所: seju(GROVE株式会社)
他の活動: タレント、TikToker
フィリピン人と日本人のハーフとして宮崎県に生まれる。
中学時代からTikTokで動画を投稿し始めた所を2022年10月にスカウトされ現事務所と契約。2023年3月27日発売の週刊プレイボーイ(集英社)でグラビアデビューを飾り「宮崎のイツザイ」として注目を集める。
2023年5月、講談社主催の『ミスマガジン2023』ベスト16にエントリー(応募総数3204名)。同年8月29日、ミスマガジン2023のグランプリに選ばれたことが発表され、9月4日発売の週刊ヤングマガジンで表紙と巻頭グラビアを飾った。九州地方出身者のミスマガジングランプリ受賞は、2011年の衛藤美彩(大分県出身)以来12年ぶりで、令和改元後初となった。
小学生の頃から水泳を習い、中学ではバレーボール部に2年間入っていた。
趣味は読書、散歩、将棋、オセロ。特技は中国語、犬のモノマネ。
好きな食べ物は豆腐の白和えとごま団子。苦手な食べ物はプチトマト。
ミスマガにエントリーするまではファーストフード店でアルバイトをしていた。
憧れの女優は池田エライザ。
SNSフォロワー数は週プレ掲載時点で32万人だったが、ミスマガジングランプリ受賞時には63万人と倍近く増加した。
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ジャ、ジャーン!
たまったマイレージで旅してきました
ドイツ→フランス→イングランド→スコットランドを2週間足らずで巡ってきました
もしかしたら電車やバスで移動してる時間の方が長かったかも
カタコト以下の英語でなんとかなったのはラッキー
そして、今、帰国途中。シンガポールで26:10発の乗り継ぎの便を待っています
楽しかった旅の話を誰かに聞いて欲しくて久しぶりのTumblrです
せっかくの特典航空券、欲張ってヨーロッパと決めたけれど
行ったことのない国、行ってみたい国のどこに行こうか?
まずはフランクフルト空港からヨーロッパ入り。
ドイツの温泉のある保養地、Baden-Badenへ。
ドイツ鉄道、予約したけれど
乗れるかしらん?大丈夫かなあ、私。
不安はありつつも、大丈夫でしょ、大丈夫なはず…
結論からいうと、ドイツ鉄道、噂通り遅れました。
海外の鉄道ど素人で、旅の初日、さらにドイツ語というハードルを超えなければならないこととなりましたが、今回もそこにいて人たちに助けてもらって、なんとか無事、電車に乗ることができました。
はあ〜やれやれ。
たどり着いたバーデンバーデンという町はかわいくて、素敵なところでした。
以下、続く
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初春の笑顔がいっぱいの宝船
にっぽん丸
3ヶ月ぶりの船旅のはずでしたが、
船の推進制御装置に不具合が認められたため、急遽、安全点検が必要になり運航を見あわせる事となりました。
残念ですが、安全第一!
またいつか共に船旅をできる日まで
予定していたセットリストと流れで、
空想の旅になれば🚢
Today I was meant to board this cruise, but due to technical issues the show and cruise itself were cancelled. Sad but safety first!
The theme was “aboard the treasure boat + smiles”.
Have posted the setlist and tried to portray what it would’ve been like on the musical boat :)
「宝」、「笑顔」 をテーマに✨出発🚢
衣装はキラキラな宝箱のようなサラスタイルを予定していました
マリリンのピアノアドリブにのって、スキャットしながら時々「春よ来い」のリフを。本編最後に繋がる。
そこからRiverdanceの神秘的な歌のイントロへ。
今回伊勢神宮の近くに行くということで、神様に近い音楽からスタートしたく。マリリンの綺麗なハーモーニでデュエット。こちらはアルバムにも収録していますが、よく聴きなれてる綺麗な3度のハーモーニだけではなく、4度が特徴的な響きなのでこれも神秘的に聞こえる理由の1つ^_^
Riverdance / Drowsy Maggie / Sarah Àlainn
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そして、この曲はヴァイオリンのフィドル的な表現で軽快な世界へ。キラキラ、ニコニコ。宝石のような煌めきを放つアクティブな一曲。
サポーターさんなら、この曲の変拍子できっと手拍子をして下さったはず。色々なアーティスト、バンドのライブで手拍子する曲があるように、私もライブでそんなノリノリの曲があればなと思いましたが、こんな変拍子な曲を選ぶ何てドSとしか思えないですよね。それでも、これで手拍子できる皆さん、最高にカッコ良いです!(とはいえ、今後はもっと楽に楽しめる手拍子曲を作りたいと思ってますー^_^;)
MCなう。サラッと面白い洒落でも言えたかな?🤔
海と宝ということで、ディズニー『リトル・マーメイド』より、アリエルが歌う「Part of Your World」。普段ライブで楽器も色々弾くので、この曲の「あれも!これも!」という場面ではそんな楽器の宝を指しています。
そして、この次のシネマ音楽にも「お宝」が。『The Greatest Showman』より、スターが歌う「Never Enough」。スポットライトを浴びても、星も金も手にしても、全て物足りない。あなたがいないと、物足りない。
私、今年初めて宝くじをやってみました(プレゼントで券?をスタッフさんから頂きました)。1億?あたったらどうするという話で盛り上がる。簡単に使えきる自信もあるけど、結局は本当に欲しいものはお金では中々買えない。因みに600円当たりました。
笑顔で始まる初春だから元気な曲多め。ジャズ出身のマリリンだからこそ、情熱的で踊りたくなる「Spain」へ。去年大阪でDream Caravanに出演させて頂いた時、久しぶりに寺井尚子さんともお会いでき、フルオケ+ジャズバンドをバックに彼女が演奏するSpainは最強でしたね!!とても勉強になり刺激になりました。もっともっとセッションをしてジャズを追求していきたいこの頃。来月2月呉・広島でのバレンタインはクリヤマコトさんを始めとしたジャズカルなので、ワクワク。
ここで一曲、オリジナルの弾き語り。
元々去年から予定していた楽曲でしたが、年始の心が痛むニュースとも重なる一曲でもあります。
「The Final Time Traveler」。ゲーム『タイムトラベラーズ』からのエンディングテーマは阪神淡路大震災に思いを寄せて作られた一曲です。こちらはゲームが大好きな羽生結弦さんとアイスショーでコラボさせて頂き、彼のサポーターさんをはじめ、ゲームをプレイされない人にも知られるようになった一曲でとても嬉しいです。オリジナルは日本語歌詞でしたが、海外で羽生さんが滑られるとのことで、英語歌詞を書かせて頂きました。
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高音のサビの部分には本来歌詞を入れて欲しいと言われましたが、あえてAh〜だけにしたいとお願いしました。ヴォカリーズで、楽器のように、言葉では伝えきれない思いを届けられたら。
いつからかこの曲を弾き語りに挑戦するようになりましたが、ピアニスト、ミュージシャンに良く言われるのが、とても弾き語りするような曲ではないですねと。この曲、かなり複雑!伴奏ではなく、オーケストラの部分を演奏するような感覚。なので、毎回ドキドキ緊張する一曲です… ただ唯一、とても揺れる曲なので、それは自分で演奏すると歌と合わせやすい心地よさはあります。
この曲に「秘められたtreasure」という歌詞が出てきます。宝物、大切なものという意味ですが、英語の to treasure = 「大切にする」という動詞になります。
最後も笑顔で締めくくりたい。
第九は日本ではカウントダウンの一曲かもしれませんが、年始でも、どや^ - ^ これは去年のクリスマス・教会・合唱バージョンですが、ピアノとのデュオの時も、RnBからゴスペル、讃美歌からオペラチックな歌い分けが楽しい、人格がなん度も変わるJoyfulな選曲です。
【LIVE】Joyful Joyful/よろこびの歌/ Ode to Joy 第九 |Sarah Àlainn サラ・オレイン
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本編ラストは、初披露のマッシュアップ。
元旦のファミリー向けコンサ��トで初披露した「NeverEnding Story」 🐲でしたが、『初春』に因んで、こちらを「春よ来い」とマッシュアップ。編曲、ちょっと頑張ったのでこれはお見せできず残念>< 😖今回はキーボードでオリジナルの80年代ディスコサウンドを表現する予定でしたが、マリリンとも話して、少し変えてみて八ヶ岳でチェンバロでやってみても良いかもと思えました。
そして、アンコールへ。
「Smile」。定番ですね。ただの笑顔の歌ではなく、とても切ないCharlie Chaplinのタイムレスな作品。歌詞と真逆になりますが、悲しい時は無理して笑わなくていい、と言うのが個人的なスタンスではありますが。そんな裏の思いをこの歌詞に乗せて歌う予定でした。
今回のライブはいつも以上にお時間が遅い開始のものであり、美味しい食事とお酒で、船に揺らされてそろそろお眠の時間になって来たかと思います。
そんな簡単には寝かせませんよ。うふ。
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オペラ『ツーランドット』より「Nessun Dorma〜誰も寝てならぬ」。我々ミュージシャンにとっても眠気覚ましになる壮大な一曲です。この後優雅に食事というところでしたが、これから代わりにサラメシを作りに材料を調達しにスーパーに行って参ります。この時間になると嬉しいシールが貼られる頃でしょうw ちりも積もれば山やまとなる。この場合この表現はあってるのだろうか…
(未来に行って来ました。やはり笑顔になるシールが貼られていた)
ジャンルと楽器も色々登場した、宝箱のようなセトリになったでしょうか?
あなたとの時間をtreasureしています!✨
〜 Sarah
NIPPON MARU
- Treasure Boat Cruise with SARAH ÀLAINN -
2024.1.8
〜マリリン イントロ(「春よ来い」リフ Sarahスキャット〜)
1. Riverdance
2. Part of Your World 『リトル・マーメイド』
3. Never Enough
4. Spain
5. The Final Time Traveler (Sarah 弾き語り)
6. Joyful Joyful ~ 喜びの歌〜第九
7. NeverEnding Story〜春よ来い
Encore
8. Smile
9. Nessun Dorma
次は初の鹿島・佐賀へ🎻
スケジュールはHPよりチェックしてみてね
#にっぽん丸#サラ・オレイン#sarah àlainn#sarah alainn#サラオレイン#中林万里子#羽���結弦#the final time traveler#タイムタラベラー#タイムトラベラーズ#yuzuru hanyu#Youtube
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日本と中国の強さは、自国語で学び自国語で働けること。前段として外国語を学ぶようなハンデ戦をせずにビジネスや研究を行い創発までこなせることが強みな訳で、全国民に英語を!みたいなのは国力を落とすだけだよ
[B! 英語] 英語ができない人はチンパンジー扱い…「日本人の米グーグル副社長」が31歳から英語を猛勉強し始めたワケ 3年間、1日3時間「見る」「聞く」「読む」を続けた
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system collapseの日本語訳版を買って、4時間ぶっ続けで読んで、いま読み終わった‼️‼️最高‼️‼️
I bought the Japanese translation of system collapse, read it for 4 hours straight, and just finished it ‼️‼️ best ‼️‼️
日本語版のsystem collapseは冒頭に翻訳者と出版社が共同で編集した「よくわかるnetwork effectのあらすじ」的なものが付いてておもしろかったです。
The Japanese version of system collapse is interesting because it has a "easy synopsis of network effect" at the beginning, which was edited jointly by the translator and the publisher.
各登場人物間の関係の変化にめちゃくちゃ気を取られていて各企業の動静がぜんぜんふわっとしか理解できてなかったな…というところもありましたし❗️
I was so distracted by the changing relationships between the characters that I only had a vague understanding of the dynamics of each company... ❗️
ラッティの悲鳴とかARTからアイリスに対する二人称とか、翻訳されることによって生じる なんというか 2次的な好ましい要素?というのもこの作品でつとに感じて面白いですね そう訳すんだ⁉️みたいなのを日本語訳のみ読んでいる段階でもう感じるというか
For example, Ratti's screams, the second person used by ART for Iris, etc.
It's interesting to see how the translation of the original English text has a secondary positive effect on the text. It's interesting to see how the translation of the original text in English is always a secondary favorable element in this work.
機械翻訳やチャットボットの力を借りて、日本語版を読んだことがないひともパラパラめくってみると差分がすごく楽しいかもしれないですね❗️自分もこれから英語版やaudibleに戻ってここはどういう表現だったかな…とかを見に行く予定です❗️
With the help of machine translations or chatbots, even those who have never read the Japanese version may enjoy flipping through the differences❗️ I plan to go back to the English version and audible to see what expressions were used here......etc❗️
その前に人間たちは睡眠時間を取らないといけないのですが、覚醒作用のある飲料などを飲用して今日の日本語ファンダム各位はみんな夜更かししているので…(日本はいま発売日の午前2時です❗️)
Before that, humans need to get some sleep, but since all of today's Japanese language fandom is up late drinking stimulant beverages and the like... (It is now 2:00 am on the day of the release in Japan: ❗️)
��まはお話の終盤に出てきた激マブの船について考えています。あんなん全員好きだろ…
Now I am thinking about the very favorable ship that was mentioned at the end of the story. You know how we all like those things...
MBに二本の腕でしがみつくドローンのARTってNEで MBが愚かな人間たちのようにドローンを抱え上げて気持ちをそそぎたくなったところと若干の対応関係を感じない⁉️とかそういう話はよくよく眠って目が覚めてもう一度読んで原文にもあたりながらしたほうがいい その通り この文も日本語で書いたやつ愚直に翻訳機に突っ込んでるから原語での表現とたぶんズレてるしね〜!
The scene in ART where the drone clings to MB with two arms, I feel a slight correspondence with the scene in NE where MB wants to hold up the drone and pour out its feelings like the silly humans ⁉️ and all that stuff, i should sleep well and wake up and read it again and go through the original text as well.
That's right, this sentence was written in Japanese and then foolishly plugged into a translator, so it probably doesn't match the expression in the original language!
いやーよいお話でした。大満足!おもしろかった!
Well I love this story. Very satisfying! It was interesting!
おやすみなさい。よい宇宙を!
GOOD NIGHT AND HAVE A NICE SPACE!
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💕Yumi Arai Roleplay account💕
Scenario (EN): Yumi was informed about Tumblr by a fan in a grocery store, so she joins due to her interest peaking in the site💕
Scenario (JP): ユミ は、小売店のファンからTumblrについて知られていたので、彼女はサイトへの興味のピークのために彼女に加わります💕
💕 Warnings!💕
Age warning (En): Please be 15+ to interact with this account, due to the mature themes this account will use (Smoking, Drinking, Ect)
Age warning (Jp): このアカウントでコミュニケーションするには15歳以上になることをお勧めします。 (Smoking, Drinking, Ect)
Genuine Warning (En): I am Not Miss Yuming, I am just a fan from the us, I don't know how to speak English I am using a accurate japanese Translator until I learn Japanese myself.
Genuine Warning (Jp): 俺はミス・ユミンじゃない 私はアメリカからのファンで、私は英語を話す方法を知らない私は私が日本語を自分で学ぶまで正確な日本語翻訳機を使用しています。
Harassment/Not Interested (EN): If you aren't a fan of the account just block it, no one really gives a damn harassing is for weaklings anyways so don't harass this account or any other Musician Roleplay because they put lots of work and energy into making their account and don't need some annoying pricks ruining the fun.
Harassment/Not Interested (JP): あなたがアカウントのファンでない場合は、それをブロックするだけで、誰も本当に悪魔の嫌がらせを与えることは、いずれにせよ弱い人々のためにありますので、彼らは彼らの口座を作成するために多くの仕事とエネルギーを投入し、楽しみを台無しにいくつかのイライラするピックを必要としません。
💕Solo Career💕
Yumi Matsutoya (松任谷 由実, Matsutōya Yumi, born January 19, 1954), nicknamed Yuming (ユーミン, Yūmin),is a Japanese singer, composer, lyricist and pianist. Generally the writer of both the lyrics and the music in her songs,she is renowned for her idiosyncratic voice and live performances, and is one of the most prominent figures in the history of Japanese popular music.
Her recording career has been commercially successful with more than 42 million records sold. In 1990, her album The Gates of Heaven became the first album to be certified "2x million" by the RIAJ, and she has had twenty-one No. 1 albums listed on the Oricon charts.
She is the only artist to have at least one number-one album every year on the Oricon charts for 18 consecutive years.
After gaining several years of experience as a session musician, she debuted as a singer-songwriter in 1972. During her early career, she worked under her birth name Yumi Arai (荒井 由実, Arai Yumi). In 1975, Arai became known as a composer for "Ichigo Hakusho wo Mou Ichido", a commercially successful song recorded by the folk duo BanBan. She also gained popularity as a vocalist in the same year through the success of "Ano Hi ni Kaeritai", which became her first number-one hit on Japan's Oricon Charts. Other famous songs include "Haru-yo, Koi" and "Sweet, Bitter Sweet".
She also uses the name Kureta Karuho (呉田軽穂), which is derived from the Swedish film star Greta Garbo, when offering her work to other musicians.
In The Encyclopedia of Contemporary Japanese Culture, it is written that "Yuming incorporated influences from progressive rock and European pop to produce a sophisticated, upper-middle-class female Japanese voice and sound in a contemporary musical and journalistic world dominated by discussions of folk music and social critique. This musical idiom is generally thought to have been first realised on [...] Cobalt Hour".
The album The 14th Moon and the three albums that ranked in the top 10 of the Japanese charts in 1976 (Cobalt Hour, Yuming Brand, and Hikōki-gumo) "contained several songs which are considered to be early classics of the J-pop genre."
After marrying her musical collaborator Masataka Matsutoya in 1976, Arai began recording under her married name and has continued to do so. Throughout the 1980s, Matsutoya's music was prominently featured in advertisements for Mitsubishi Motors in her native Japan and her image was used to promote their vehicles. In addition to multiple hit singles, she has obtained enormous commercial success on the Japanese Albums Chart, particularly during the late 1980s and the first half of the 1990s.
The magazine Shūkan Gendai ranked Matsutoya third (behind only Miyuki Nakajima and Masayoshi Son) in a list of the smartest Japanese figures that was determined based on the criteria of "intelligence, determination, sensibility and capability".
💕Information On Yumi Arai💕
Early years
Yumi Arai was born in 1954 in Hachiōji, Tokyo. She had three brothers and one sister, and her family ran a draper shop called Arai Gofukuten, established in 1912. When she was a junior high school student, she used to go to an Italian restaurant called Chianti, which had opened in 1960. In those days, many celebrities went to the restaurant; Akira Kurosawa, Yukio Mishima, Kōbō Abe, Seiji Ozawa, Ryu Murakami, Taro Okamoto, Kishin Shinoyama, and Hiroshi "Monsieur" Kamayatsu, who eventually became her first record producer.
Alfa Music, the publishing company to which she belonged early her in career (later to become a full-fledged record label in 1977), was founded by people who were regular customers at Chianti.
Her nickname "Yuming" was given to her by Sy Chen (シー・ユー・チェン), a Chinese bassist she had a crush on when she was 13 years old. She began her music career when she was still young. At the age of 14, she worked as a musician for the first time. Having worked as a studio musician, she also wrote many original songs. When she was 17 years old, her first original song titled "Ai wa Totsuzen ni" was released. It was sung by Katsumi Kahashi, the former guitarist of the influential 1960s Japanese band The Tigers.
In April 1972, Arai entered Tama Art University. At the same time, she signed with then-publishing company Alfa as a music artist. At first, she wanted to be a songwriter. However, the founder of the publishing company, Kunihiko Murai, encouraged her to work as a singer-songwriter.
Early career; works as Yumi Arai
On July 5, 1972, Arai released her debut single "Henji wa Iranai". It was produced by Hiroshi "Monsieur" Kamayatsu, the former vocalist of The Spiders. Released by Toshiba EMI, the label to which she would be affiliated and release all her albums throughout her career, under its Liberty sublabel (with Alfa acting as publishing company), her first single sold only 300 copies. (It would later feature in re-recorded form on her debut LP, Hikō-ki Gumo.)
She recorded her first full album, Hikō-ki Gumo, with the band Caramel Mama, better known as Tin Pan Alley, which consisted of Haruomi Hosono, Shigeru Suzuki, Tateo Hayashi and Masataka Matsutoya, and it was released by Toshiba EMI under its Express sublabel in November 1973; the title track (and lead-off track) was later used as the theme song for the movie The Wind Rises (2013). For her next album, MISSLIM, (1974), Masataka Matsutoya, who was the keyboardist of Tin Pan Alley, arranged all of her songs. Her third studio album, Cobalt Hour (1975), features her early famous song "Sotsugyō Shashin". The same year, it was covered by the chorus group Hi-Fi Set (who also performed on the original song) on their first album with the same name. That cover version also succeeded as a single. In later years, it was covered by many Japanese artists and became one of Japan's classic pop songs. The same year, the male folk duo BanBan recorded her song "Ichigo Hakusho o Mou Ichido" and reached number one on the Oricon chart. Because of the commercial success of other artists, she became famous as a songwriter.
Yumi achieved moderate success with her fifth single, Rouge no Dengon ("Rouge Message"), an up-tempo song considered to be a proto J-Pop classic. She gained a television appearance singing this song with the top Japanese girl group of the time, Candies, and the song has been covered by a number of artists over the years.
Her first top hit as a singer-songwriter was her sixth single "Ano Hi ni Kaeritai". In August 1975, it was used as the theme song for the TBS TV drama Katei no Himitsu. Two months later, it was released as a single and reached the top of the Oricon chart. The 14th Moon (1976), her final album as Yumi Arai, featured Leland Sklar on bass and Mike Baird on drums. Since this album, Masataka Matsutoya has produced all her albums himself. She considers her nickname "Yuming" to also mean the name of the union with her husband. Following the success with "Ano Hi ni Kaeritai", it became her first album to reach number one on the Oricon chart. Besides, in the end of the year chart in 1976, three of her albums (Cobalt Hour, Yuming Brand, and Hikō-ki Gumo) ranked in the top 10.
Four years after her debut, she dominated the Japanese album charts. This astonishing record has never been broken by anyone since.
In 1989, her fifth single, "Rouge no Dengon" (from her third album), and third single, "Yasashisa ni Tsutsumaretanara" (the version used was from her second album), were featured as the theme songs of the film Kiki's Delivery Service. Nowadays, those tunes are known as her early notable songs.
Some of her songs were deeply influenced by many American and European musicians, such as Joni Mitchell and Carole King. As a pioneering singer-songwriter who mixed Western culture and Japanese pop, she left a strong impression on Japanese popular music.
Works as Yumi Matsutoya
After marrying Masataka Matsutoya on November 29, 1976, she had considered retirement. But eventually she decided to continue to work as a musician, performing under her married name. In 1978, her memorable first album as Yumi Matsutoya, entitled Benisuzume was released. In the late 1970s and early 80s, she released two albums every year. However, those albums were less successful than the ones she released when she was single. Nevertheless, she wrote several of her well-known songs during those years, and her albums reached the top 10 on the Oricon chart.
Before the release of Benisuzume, a compilation named Album was released by Toshiba EMI. It mainly contained songs she had released as Yumi Arai, and two songs released as singles only. Matsutoya didn't want to release this compilation; in her autobiography released in 1982, she writes about this album and calls it "The biggest stain on my music career."
Because of this, she never allowed the release of another compilation album until 1998. However, her ex-record-label-and-publishing-company Alfa Records had, after 1977 (when Alfa finally established itself as an independent record label), released many compilations which consisted of her old tunes without her permission. Hence, in the late 1990s, she bought the copyrights of all her songs that she had written under her maiden name; helping in this decision was the fact that Toshiba EMI had by then regained control, in 1994, of the Alfa catalogue, including the albums released by Toshiba EMI while Alfa was still a publishing company, thus her early catalogue being spared of Alfa's 2001 sale to Sony after Alfa faced financial difficulties.
Her tenth album, Surf and Snow (1980), changed the negative tide for her. When the album was released, it did not sell as well as others had previously. However, in 1986, "Koibito ga Santa Claus" became popular as the theme song for the hit movie ''Take Me out to the Snowland [jp] (私をスキーに連れてって, Watashi wo Ski ni Tsuretette.) (1987). The album eventually sold over 400,000 copies. In 1981, she returned to the top of Japanese pop music. Her husband wrote the score for the movie Nerawareta Gakuen, which was directed by Nobuhiko Obayashi and distributed by Kadokawa Pictures. She wrote "Mamotte Agetai" as the theme song for the movie. The single of this song reached number two on Oricon and sold nearly 700,000 copies. Following the success of the single, her eleventh album Sakuban Oaishimasho (1981) became her second number one album. From that year through 1997, 17 consecutive studio albums she released reached number one on the Oricon charts.
Ian Martin of The Japan Times wrote in 2016, "At the same time she was contributing to Matsuda's record-breaking run of No. 1 hit singles, Matsutoya’s own work retained an almost militant focus on albums, and the balance she struck between commercial success and artistic integrity is a source of inspiration to many aspiring musicians."
In 1982, she published an autobiography, Rouge no Dengon. In this book, she wrote about her life in an exaggerated style. She contemplated doing the artwork on her own albums. The artwork of the album Sakuban Oaishimasho (1981) was designed by Hipgnosis, and the video Compartment was produced by Storm Thorgerson, Aubrey Powell and Peter Christopherson. A logo design from the latter film also became the logo of "Yuming", and was used as the cover of the 1984 album No Side. Aubrey Powell and Richard Evans of Hipgnosis also designed the cover of the 1983 album "Voyager". Since the 1970s, she has also been famous as an artist who performs in concerts using gorgeous and novel sets. She used elaborate visual technology on the stage and it is said that they cost over a hundred million yen. She has released two live albums and several videos. In 1986, she released her first live album, Yuming Visualive DA-DI-DA,. It was released on CD and cassette tape only, and it became one of the rarest items among her fans for many years
💕Discography💕
Hikō-ki Gumo (1973) (credited to "Yumi Arai")
Misslim (1974) (credited to "Yumi Arai")
Cobalt Hour (1975) (credited to "Yumi Arai")
14-banme no Tsuki (The 14th Moon) (1976) (credited to "Yumi Arai")
Benisuzume (1978)
Ryūsenkei '80 (1978)
Olive (1979)
Kanashii Hodo Otenki (The Gallery in My Heart) (1979)
Toki no Nai Hotel (1980)
Surf and Snow Volume One (1980)
Mizu no Naka no Asia e (1981)
Sakuban Oaishimashō (1981)
Pearl Pierce (1982)
Reincarnation (1983)
Voyager (1983)
No Side (1984)
Da-Di-Da (1985)
Alarm à la mode (1986)
Diamond Dust ga Kienumani (Before the Diamond Dust Fades...) (1987)
Delight Slight Light Kiss (1988)
Love Wars (1989)
Tengoku no Door (The Gates of Heaven) (1990)
Dawn Purple (1991)
Tears and Reasons (1992)
U-miz (1993)
The Dancing Sun (1994)
Kathmandu (1995)
Cowgirl Dreamin' (1997)
Suyua no Nami (The Wave of Zuvuya) (1997)
Frozen Roses (1999)
Acacia (2001)
Wings of Winter, Shades of Summer (2002)
Yuming Compositions: Faces (2003)
Viva! 6×7 (2004)
A Girl in Summer (2006)
Soshite Mouichido Yumemiru Darou (And I Will Dream Again...) (2009)
Road Show (2011)
Pop Classico (2013)
Uchū Toshokan (Universal Library) (2016)
Shinkai no Machi (2020)
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