#すぐ住める家
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kennak · 1 month ago
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https://anond.hatelabo.jp/20241019210503 俺は普通に地元が荒れまくっていて、何人か友達も死んでるし、俺自身も犯罪に巻き込まれたことがある被害者だ。 こういうのを見る度に思うのだけれど、「頭が悪いから犯罪する」だとか、「能力が不足しているから犯罪をする」という思考に流されすぎ。 いいか、今話題の強盗団は「何も悪くないのに強盗になってしまう」ことが一番の問題なんだ。 倫理意識が高かろうが、頭が良かろうが強盗になる。それがこれからの世の中。 お前が言っているのは「詐欺は騙される方が悪い」とかそういうレベルの極論。何も悪くなくても詐欺の被害者にはなる。 普通の人達が社会人をやってる時間を「どうやったら犯罪で一儲けするか」に振っている人間達がいるという思考をしろ。これは単純な労働力投下量の問題であって倫理の問題ではない。 まずこの文章を読んで、お前も、俺も、いつでもこういった犯罪に巻き込まれる、加害者にも被害者にもなる可能性があるという意識を持つことが何よりも重要なんだ。 要点を適当にまとめるから暇な時、読んでおいてほしい。 ●基本、悪人は強盗はやらない 「何言ってんだお前」という声が聞こえた気がするが、これは圧倒的事実だ。 「強盗と強姦はやるな」というのは、ちょっとでも犯罪に身が近い世界で生きてきたなら当然の常識だ。 すごく馬鹿にされそうな言い方をすると、不良界隈にいたのであれば強盗も強姦も基本的にやらない。置き引きや暴行は普通にやるやつら、簡単に人を喧嘩で刺すやつら、そういう人間達でも強盗はしない。 なぜかと言うとメリットに対してデメリットが大きいからだ。要は実刑を食らい、さらに長い刑罰を食らう可能性が非常に高いのがその二つの犯罪だからだ。 うちの地元だと「強」のつく犯罪はするな、というのは先輩から後輩に受け継がれる鉄則だったりする。 あと立証しやすいとかもある。 お前達の世界観だと、「犯罪をしたら警察に捕まって刑務所にぶち込まれる」くらいの解像度かもしれないが、犯罪にも色々種類があり、捕まり方にも種類があり、ぶち込まれ方にも種類があるということを知るべきだ。 犯罪者は犯罪を犯し捕まれば、泡になって消えるわけではない。 不良界隈は、犯罪のコード化をしっかりと進めているので「これは実刑まではいく」とか、「これはやったら割りに合わない」という思考をする。 犯罪をしたら刑務所、みたいなふわっとした思考でいないのだ。具体的な手順、具体的な刑罰を考えて割に合うように犯罪をするのが不良というものなのだ。 あとはこういう大金が絡む犯罪だと、10年懲役を食らったとしても、1億稼いでいるなら年収1000万だ。これは悪くない、という考え方もある。 (金の隠し方、要は税務署からどう逃れるかにも色々テクがあるが、これは言うと身に危険があるからここには書かない) ダラダラ書いたが、要は「悪いヤツ程強盗はしない」のだ。お前の周囲にも、置き引きやら喧嘩で鑑別とかにぶち込まれた同級生くらいいただろう。うちは年少行きもかなりいたが。 そういうやつら���、強盗は基本的にしない。割に合わないことを知っているからだ。 気軽に人をぶん殴り、喧嘩となれば刃物で人を刺すようなやつらが、強盗はやらないのだ。 じゃあ、誰がそういう犯罪の実行犯になるのか。 普通の人だよ。お前や、俺だ。普通に学校に行き、普通に社会で暮らす人達だ。 ●どうやって強盗団になるのか、どうやって逃げたらいいのか 俺の知るノウハウを書く。正直最早古い手順になっているのだが、啓発だと思って聞いてほしい。(多分、ニュースとかでももうやっていると思う) SNSかバイトサイトで、荷物運びとか適当なことで釣る。で、ここでもう「高報酬」とかあんまり言わん。普通の仕事と同じように見えるように書く。 というかお前ら、バイトの募集アプリで見た事あるか?どれもこれも「高報酬!」とか「隙間時間に手軽に稼げる!」とかでありふれている。 闇バイトと普通のバイトの見分けはハッキリ言ってつかない。というかつかなくしている。 現場にやってきたら、あとは簡単だ。「本人確認」と言って免許証を取り出させ、「スマホってある?」って言ってスマホを取り出させる。 それで免許証とスマホを奪う。これは大体車の中で行うことが多いかな。場合による。 これでもう完成。「俺はそんなバカなことはしない」と思うかもしれないが、基本的にもう手慣れているのでマジで騙されるよ。 ちなみに、これは周囲から聞いたのだが、基本的に逃げるならここしかない。基本的にこの後はもう車で現場まで行って楽しい強盗団に強制参加だ。 自分の家が書いてある免許証と、スマホを捨てて逃げろって話。 現場に降りた瞬間に逃げるのもアリだが、その時は当然中の人間も武装してるのでついでみたいにぶん殴られ、拘束される。 あと、「緊急連絡先」って言って、実家の住所と電話番号も提出させることが多いので、「実家襲うからな」」という脅しにも当然耐えなければならない。 (というか、事実見せしめで実家も襲われてるみたいなニュースがあったはずだ) ここに、「頭が悪いから巻き込まれる」とか「警戒心が低いから巻き込まれる」という要素は個人的にはないと思う。「スーパーのバイトに応募したら強盗団になる」くらいの感覚でいた方がよい。 バイトや派遣なんざしているのがもう悪い、という話はあまりにも昨今の就職事情からすると暴力的な話でもあるしな。 ●じゃあなんで今更こんな強盗団が流行ってるのか これには3つの要因がある。①技術の発達(普遍化)②犯罪のファンタジー化③ノウハウの高度化だ。 ①はわざわざ語るまでもないだろう。アプリ、SNSでいくらでも人と繋がれる時代になり、情報をやり取りできるんだからそんなもん悪用される���決まってる。 無知は利用するもの、知識は悪用するものだ。この世の基本だ。求人を誰にでも出せるようになったので簡単に実行犯を集められるようになった。 ②は俺は最も重い問題だと考えている。不良が減りすぎた。犯罪が減りすぎた。犯罪が遠くなりすぎた。 「悪い事」がなにやら魔法のような、よくわからない世界になってしまった。だから、万引きも強盗も同じ「犯罪」のくくりになってしまう。 本件に関しては、「何に替えてでも強盗には参加しない」という意識が低い。強盗は基本的にやったら超絶重たい罰を食らう。 だから、何に替えてでもやってはいけないのだ。 ③、これは①との複合の話になる。今、異常な速度で犯罪のノウハウは共有されている。前述したように、どうやって違法に金を集めるかに、多くの労働力を投下している層というのは存在する。 これからも存在し続ける。そういったやつらのPDCAサイクルが異常に早く回り出している。 「とりあえず試してみよう!」精神が、犯罪者界隈で最近活発になっている。統計上は犯罪が減っている。凶悪犯罪や強盗も減っている。 だから問題ないと考えるのは自由だが、これは俺は身近な空気感として感じている。 ●俺達はどうしたらいいのか 犯罪をしろとは言わんが、犯罪に対する無知があまりにも増えすぎた。もっと悪い奴らと会話をした方がよい。 別にこの話に限ったことではなくて、犯罪を身近においてどうやって避けるかのノウハウに頭のメモリを常時使うべきだ。 「何も悪くなくても強盗団になってしまう」という話と矛盾するようだが。 それでも上記の話のように「免許証とスマホを捨ててでも遁走しろ」みたいな話は俺は地元の先輩から3年は前に聞いていた。 そういう啓発は警察の仕事かもしれないが、基本的に警察というのは起きた犯罪に対処するのが仕事であって未然に事件を防ぐのはあくまでも副次だという意識をもっと持つべきだろう。 犯罪は遠い世界の出来事ではない。お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。 そういう意識をもって常に生きるべきだ。
強盗団の件、犯罪エアプの人達は平和ボケしすぎ
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papatomom · 6 months ago
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2024.06.30(日)
茅の輪をくぐり身を清め、今年もあと半分、家族共々無事にすごせるように祈願してきた。
その後福井駅前の「芝寿し」で「夏の野菜たっぷり弁当」を購入し、越前古窯博物館 旧水野家住宅へ出向いてお弁当を食し、陶ふうりんに癒されたそんな梅雨の一日。
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jaguarmen99 · 4 months ago
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344: 名無し:24/08/21(水) 19:11:29 ID:pe.rf.L1 コインランドリーのおかげで死なずに済んだこと。 どういうことかというと、数年前、職場のベテランが複数名辞めて皺寄せがこちらにきたことがあった。 精神を病んで、洗濯物を洗っても洗濯物が干せなくなった。
洗濯物を洗ってもそのまま洗濯機から出さずカビだらけに。 怖くなって服を洗えなくなり、下着だけ手洗いしてなんとか干してた。
洗濯物を干さないと綺麗な服も着られないので、毎週新しい服を買う意味のわからない行動に出てた。 罪悪感で胸が潰れそうだった。 ある夜コンビニにおやつを買いに出かけたら、住んでるマンションのお隣さんが私に「こんばんは〜」と挨拶して 大量の洗濯物を抱えて出かけて行った。 不思議に思ってこっそりと後をつけた。
そしたらお隣さん、大量の洗濯物をコインランドリーに放り込んでた。 徒歩2分くらいのところにあったようなのに、私は全く気づいてなかった。 それでも 「コインランドリーに頼るのは大人として失格だ。きちんと手で干さないと、太陽の光に当てないと、洗濯したとはいえないんだ」 とその時は思っていた。 さらに惨めになって死にたくなって、練炭も用意し、いざという時はこれを使おうと決めていた。
数ヶ月が経って、過労で職場で気絶し床に倒れた時、頭の中にパッとあの夜見つけたコインランドリーが浮かび上がった。
真っ白で清潔なコインランドリー、お隣さんが洗濯物を放り込んだ洗濯機の洗剤の匂い、看板に書かれた「10分100円」の文字。 そのまま暗転した。
目を覚ました時には病院だった。丸一日眠ってた。 看護師さんが名前はわかりますかと聞いているのに、 「私、コインランドリーに行かなくちゃいけないんです。 今すぐにコインランドリーに行ったら、これから全部うまくいく気がするんです」 と開口一番伝えて看護師さんを困惑させた。
病気ではなく、睡眠不足が祟ってぶっ倒れただけだったのでなんともなかった。
しばらく私は見舞いに来た上司や同僚に「コインランドリーに行けばすべてうまく行くんです」と何度も何度も伝えた。
「なぜうまく行くと思うの?」と理由を聞かれたけれど、 「わかりません。でも今の私を満たせるものはコインランドリーしかない」 とわけのわからない回答をしていた。
上司が不気味がって、休職していろと指示があった。
退院し、すぐさま床に散らばった家中の服、下着、タオルを家の洗濯機で洗濯して、脱水まで済ませたものを せっせとコインランドリーに運んだ。ちょっと贅沢に40分400円コースにした。
ゴウンゴウンと音を立てて洗濯機が乾燥していくのを、40分呆然と立ち尽くし、ずっと乾燥機の前で見つめていた。 どんどん心がスッキリしていくのを感じた。
それから洗濯物をきれいにしまい、途端に家事をやりたくなり、家中綺麗にした。 そして「あんな苦しい職場辞めちまえ」という気になり、貰うもんだけ貰って辞めた。
今はちゃんとした会社で、たまに残業しながらものんびり過ごせている。 週末お洗濯して、洗濯物の乾燥はコインランドリーに頼ってる。 大体10分もあれば乾く量なので、月額400円であの苦しさから解放された。 前の職場の同期曰く、「明らかに普通ではなかった。何を聞いてもコインランドリーの話しかしてなくて、本当に病んでた」 と言われた。
多分、家事の中でダントツめんどくさい「洗濯物干し」が楽になって助かったというだけの話なんだけれど、 私はそれ以上に、心が助けられたと信じてる。
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yoga-onion · 6 months ago
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"In a crazy world, you can live more happily without having any ‘hope’."
- Hiro Sachiya (b. 1936 – d. April 7, 2022) was a Japanese buddhist scholar and a popular contemporary writer of Buddhism.
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"The big lie of “making the world a better place”
The world has never been a ‘good place' for its inhabitants. Regardless of the era, the world is always a‘bad place'.
'The three realms are not at ease, they are still like a house on fire', says the Lotus Sutra. The three realms (Ref) are the worlds of greed, colour and colourlessness in which human beings reincarnate through repeated births and deaths. You could think of it as the world we live in.
The Lotus Sutra says that there is no security in this world, that it is full of anxiety, like a house engulfed in flames and burning. What is required now is to learn from this Lotus Sutra and recognise that the world is a house on fire. Politicians are trying to plant the wrong perception in the minds of the people with their nonsense. Thus we must not fall for such tricks to deceive people and must first face up to the fact that the world is always a house on fire.
That is to clarify, therefore to give up.
And you have to take a hard look at the state of the burning house in our time. People who work and have a decent income are all in debt hell. That is the state of a house on fire today.
“Let's admit that the world is on fire. If we live in an age of debt, which is on fire, then don't we need to make more efforts to extinguish the flames?” There are probably people who think this way. However, Buddhism strictly warns against the short-sighted idea that if a fire is raging, it is natural to put it out.
“Get out of the burning house immediately.”
In other words, Buddhism teaches that one should not stay in a house on fire to extinguish it. It teaches that you should leave the fire immediately. 
To think "let's make the world a better place" or "let's get rid of debt hell" is, on the contrary, to be attached to this rotten world. The modern way of reading this phrase is, “Don't do that, just leave the world as it is.”
Banks are surviving comfortably, while individuals are exhausted with debt. Look at this current situation. If you stay in the fire forever, the harder you try, the worse the situation gets.
When I say 'don't work hard, don't work hard', some people argue that they bought the flat for their family and cannot afford not to work hard to pay back the loan. The conversation ends there when I say, "Then why don't you just not buy a flat?"
If you remember the basics of living within your income, you don't have to work hard and you won't be taken in by the burning house called the world. The landscape of our times is that everyone has forgotten these basics and as a result is groaning.
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“狂った世界では「希望」など持たない方が楽しく生きられる。”
― ひろさちや (1936年 7月27日 - 2022年 4月7日) は、日本の仏教思想家。多数の一般向けの解説書を執筆。
「世の中をよくする」という大ウソ
世の中が、そこに住む人たちにとって「良いもの」であったためしは無い。時代を問わず、世の中というのはいつも「悪いもの」なのだ。
「三界は安きことなし、なお火宅のごとし」と法華経の中には書かれている。三界(参照)というのは、人間が生死を繰り返しながら輪廻する三つの世界(欲界、色界、無色界)のことだが、まぁ、わたしたちが生きている世界と考えればいいだろう。
その世界には安心などなく、炎に包まれ燃え盛る家のように不安に満ちている、と法華経はいうわけである。
いま求められているのは、この法華経に学び、世の中が火宅だという認識を持つことだ。政治家は能天気な御託を並べ、間違った認識を植えつけようとしているが、そんな手練手管に乗ることなく、いつの時代も世の中は火宅だということを、まず正視しなければならない。
それは明らめることだ。
[註: 仏教の世界では「諦める」を「明らめる」と書く。つまり、あきらめるとは断念するということではなく、事実をはっきり見ることであり、現実を直視し、それをありのままに受け入れるという意味にほかならない。]
そして、この時代の火宅のありようをしっかり見極めることだ。きちんと働いて収入のある人がこぞって借金地獄にいる。それが現代の火宅である。
「世の中が火宅であることは認めましょう。いまが借金時代という火宅の時代ならば、その業火を消すべく努力を重ねる必要があるのでは?」そう考える人はいるだろう。しかし、火が燃え盛っているなら消火活動をするのが当然だ、という短絡思考は、仏教が厳に戒めるところである。
速やかに火宅を出よ。
すなわち仏教では、火宅にとどまって消火活動などするな。すぐさま火宅から出てしまえ、と教えているわけだ。
「世の中をよくしよう」「借金地獄を無くそう」などと考えることは、逆にこのロクでもない世の中に執着することになる。「そんなことはせず、世の中なんてものはうっちゃっておけばいい」というのが、この文言の現代流の読み取り方なのだ。
銀行はぬくぬくと生き残り、個人は借金でヘトヘトになっている。この現状を見てください。いつまでも火宅の中にいたら、頑張れば頑張るほど、状況はますます悪くなるばかりなのだ。頑張って収入が上がったとしても、もっと高い買い物をローンでしたら、高い金利を払うことになる。
わたしが「頑張るな、頑張るな」と言うと、自分は家族のためにマンションを買ったから、ローンを返すためには頑張らないわけにはいかない、と反論する人がいる。「だったら、マンションなんて買わなければいいじゃないの」というと、会話はそこで終わる。
収入の範囲で生活する、という基本を忘れずにいたら、頑張る必要などないし、火宅に取り込まれることもない。誰もがその基本を忘れた結果、あえいでいるというのが、この時代の風景なのだろう。
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ari0921 · 1 year ago
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原��が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに��停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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chikuri · 6 months ago
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左翼活動家連中は、いったいどれだけの人を殺せば気が済むんですか。弱者や労働者の味方を装っているようですが、とんでもない。単なるテロリストであり、社会の敵でしょう。 70代の左翼活動家の危険行動を制止されようとした結果、ダンプカーに巻き込まれて亡くなられた警備員の方に、謹んで哀悼の意を表します。警備員の方は私と同い年と知り、さらに胸が痛んでおります。 本件に関しては 「左翼活動家による常軌を逸した妨害活動」、 「左翼活動家に寄り添い、彼らの行動を容認・賞賛してきた地元メディア」、そして 「活動家連中を取り締まるどころか、人の死に際してもなお活動家側に立とうとする知事」、 これらすべてが信じ難い程に異様かつ卑陋であり、このような不幸が二度と起きぬよう、徹底的な糾弾が必要であると考えます。 「左翼活動家による常軌を逸した妨害活動」 ⇒今般の事件が起きた場所では従前より活動家連中による違法駐車や、それによる渋滞が常態化。その他の場所でも活動家が私有地に不法侵入したり、活動のために自然を破壊したりする被害も報告されており、地元住民が迷惑している実態があります。 言論の自由はありますから、抗議活動するなとは言いません。ただし、やるならせめてルールと法律を守り、周囲に迷惑をかけない形でおこなうべきです。 「左翼活動家に寄り添い、彼らの行動を容認・賞賛してきたマスコミ」 ⇒地元含めたメディアの多くは、「抗議を排除するな」と左翼活動家側に立ち、妨害行動を援護し、後押しする論調でした。マスコミが活動家を煽り、エスカレートした結果人が亡くなった責任を少しは感じるべきではないでしょうか。 しかも、この共同通信の詐欺見出しときたらあまりに醜悪。「辺野古移設抗議の女性ら2人ひかれ1人死亡」じゃ、活動家のせいで何の罪もない警備員の方が命を落としたことが一切伝わらないじゃないですか。どうしても字数制限があるというなら、「活動家の飛び出し制止した警備員ひかれ死亡」と書くのが筋でしょう。警備員さんがあまりに浮かばれません。 そして、こんな時こそ言葉を紡ぐべき記者が、警備員さんへの哀悼の意さえ示さず「言葉が出ません」はないでしょう。せめて「活動家が危険な行動をしなければ、本来発生し得ない事故でした。私たちの報道の責任を痛感します。人の命を危険に晒すような抗議活動は即刻止めてください」くらいは伝えるべきです。 「活動家連中を取り締まるどころか、人の死に際してもなお活動家側に立とうとする知事」 ⇒「安全確保まで土砂搬入の中止要請へ」って何だよ。そんなの、警備員さんの命を奪った抗議活動が成功する=テロリストの要求に屈する行為に他なりません。 反対派の活動家連中による公務執行妨害や暴行罪、道路交通法違反など数々の犯罪や不法行為をなくせば安全になるんですから、「危険な抗議活動は禁止する。違法行為は容赦しない。違反者は即刻排除、逮捕する」と宣言して実行すればいいだけ。なぜそれができないのでしょうか。 そして本件については、警備員の方のみならず、ダンプを運転されていた方もまた不本意な事故に巻き込まれてしまった被害者といえるでしょう。左翼活動家連中は、自分たちの身勝手な行動のせいで、本来失われるはずがなかった人の命を奪うとともに、現役世代として働く1人の人の人生を大きく狂わせました。実に忌々しさ極まりない話です。 繰り返しますが、テロリストに成功体験を与えてはいけません。今やるべきことは、「安全確保まで土砂搬入の中止」ではなく「安全確保まで危険な妨害活動の中止」です。
新田 龍 / X
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koch-snowflake-blog · 11 months ago
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ちとせ よしのは、日本のグラビアアイドル、アイドル、タレント、コスプレイヤー。佐賀県神埼市出身、女性アイドルグループ「あまいものつめあわせ」のメンバー。SPJ Entertainment所属。 ウィキペディア
生年月日: 2000年1月8日 (年齢 24歳)
出生地: 佐賀県
身長: 158 cm
学歴: 佐賀県立佐賀北高等学校
カップサイズ: H
スリーサイズ: 95 - 65 - 98 cm
デビュー: 2018年10月
趣味は、夢占い、キックボクシング。
特技は、絵を描くこと、大食い、鉄工所にて覚えたCAD。幼少時から米俵を引けるほどの力持ちであったものの運動は苦手であり、2018年11月時点ではフラフープも縄跳びも上手くできないとの旨を明かしていたが、フラフープについては後に中京テレビのバラエティ番組『耳より三姉妹』の企画で克服しており、2023年3月時点では千葉県にて行われたDVD『いとしのよしの』の撮影の際にも普通に回している。
芸名��「ちとせ」は地元の旧名から、「よしの」は本名からそれぞれ取って母が決めた。なお、祖母曰く「小さい頃からあっけらかんとしてる子」だったという。
好物は、鶏肉などの肉類。小学生の時期には大食いを自覚しており、食パ��を単独で1袋食べていたほか、父がパチンコで勝った日は回転寿司に連れていってくれたが、ちとせは大食いゆえにあらかじめアメリカンドッグを食べさせられていた。その後、高校生の時期には毎日コンビニエンスストアにて買い食いしていたうえ、「残飯処理班」なるあだ名が付くほど友人たちの給食の残り物も食べていたことから、ボディサイズも大幅にアップした。
地元では自宅の周囲に出前が可能な店が無かった(自宅が水田に囲まれていた)ため、上京後は「ポストの中に出前のチラシが入っている。それだけで幸せ」と語るなど、出前を頼めることを嬉しく思っており、上京した当初はピザばかり食べていた。
鉄工所では、作業着、ヘルメット、すっぴんの姿に加えて唯一の女性社員だったことから、既婚者ばかりの周囲には親戚の子供のように扱われていた。また、芸能活動を社長以外には内緒にしていたため、作業着の下が恵まれた身体であることについては、周囲に知られていなかった。それゆえ、「YAグラ姫2019」にてファイナリストに残ったことについては、恥ずかしくて連絡を取っていないという。なお、鉄工所の社長はちとせの退職に際して勤務期間が8 - 9か月だったにもかかわらず優しく背中を押してくれたうえ、退職が決まった後に求人を出すとすぐにCAD経験のある女性から応募があったため、ちとせは神様からも上京を命じられていると思ったという。また、作業着については、上京後も初心を忘れないよう自室に置いているという。
家族については、弟が1人いるほか、自衛官である父の仕事柄ゆえに小学生時代は佐賀県から沖縄県・久米島、福岡県、高知県へ移住していた転勤族であり、小学5年生から再び佐賀県に在住した。なお、弟もかつては自衛官だったがこちらは退職し、上京してちとせの自宅にて同棲しながら彼女のサポートを担当している。しかし、同棲を発表した当初は弟がちとせのことを呼び捨てにしていたことからも彼氏と見なして疑うファンがいたため、実弟であることを後に改めて発表している。
YouTubeチャンネル「よしのんチャンネル」は、コロナ禍による休業に遭って外出自粛期間中に何かできることはないかと考えて始めたものであり、YouTubeで広く知ってもらえる��っかけにもなったため、本当にやって良かったと思っているが、グラビアアイドルがよく通る道である収益化停止に遭った際には、悔しい思いでいっぱいだったという。SPJ Entertainmentは関わっておらず、当初は企画、撮影、編集をすべて自分で担当していたが、弟が同棲するようになってからは撮影を担当してもらっているほか、編集も一部手伝ってもらっている。また、弟は企画も一緒に考えてくれるうえ、編集についてはちとせよりも高いクオリティに仕上げてくれるという。なお、2023年5月時点での最多再生回数を誇るのは『Eternal』のメイキング映像を収録した動画であり、227万回再生を記録しているうえ、YouTubeでちとせを知ってイベントを訪れるファンも増えていることから、YouTubeの凄さを実感したという。
「よしのんチャンネル」にて、ポジティブな意味でオカズにされて嬉しいとの旨を公言しているほか、グラビアアイドルをそういう目で見ないでほしいとの意識への反論として、美味しそうなケーキを見た際に無意識に思う本能を挙げている。
佐賀県への思い入れは上京後も変わらず、2020年には写真週刊誌『FLASH』(光文社)のグラビア撮影を祖父母の暮らす実家にて行う、地元のラジオ番組にゲスト出演する、2021年には大町自動車学校のハロウィンイベント「大町 車肉祭 2021 in鍋島」にてトークショーに登壇する、2023年にはサガテレビのミニ番組『ユビサシカクニン』に出演するなど、地元への貢献のためにも時間を作っては帰郷している。また、将来は地元に貢献できるような仕事をしたいとも明かしている。 
  
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shunya-wisteria · 4 months ago
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夏旅2024 新潟散策 - 旧小澤家住宅
新潟市内散策、目を付けたのは北前船の時代からの商家 旧小澤家住宅。
旧小澤家住宅
歴史ある建物はめぐることは欠かせない。ということで新潟市内散策の最初は、北前船でにぎわった新潟の地で、江戸時代後期から続く商家 小澤家の店舗兼住宅。
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内部は懐かしい感じのする日本家屋。こういう建物は廊下撮影が楽しいよね、ということでシャッターを重ねる(廊下をテーマにした写真コレクションがだいぶ貯まってきましたね)。盛夏のこの時期は、畳に敷かれた御座に腰を下ろし、簾越しに通り抜ける風に涼を感じるのも一興。
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地元の祖父祖母の家で過ごしたお盆の日々を思い出す、数年前まで元気に暮らしていたものの今は…。
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Lunch Snap
この日のお昼は新潟駅で歴史ある駅そば やなぎ庵さんにて。冷たい栃尾の油揚げそばをいただく。分厚い油揚げの食感・うまみと一緒に楽しめる冷たいお蕎麦が暑い時期には最高でした。
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yu-en · 3 months ago
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自室の記録
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5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私��部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。
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小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。
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Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。
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小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。
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小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラ��のくまもH先輩から貰っている。
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窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。
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向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。
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ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。
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職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。
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ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。
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モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。
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microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。
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机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。
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ギター・くま・本棚
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ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。
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左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。
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低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。
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声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。
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高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。
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Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除湿剤と防虫剤を置いている。
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小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。
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キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。
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Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。
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この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。
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食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。
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ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。
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部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰かの歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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kennak · 1 month ago
Quote
私は、高校を卒業してすぐに就職した。生まれ育った静岡県の山奥から、千葉県松戸市へ。 やたらと地方出身者ばかりを集める会社だった。会社名義でアパートを借りてくれ、家賃まで払ってくれる。なんていい会社に入れたのだろう、というのは若さゆえの勘違いだった。 とにかく休日というものがない。シフト上で「休日」と��れている日にはタイムカードをうってはいけない。それだけのことだった。 そんな��境でも二年間勤めたのは、単に逃げられなかっただけだ。会社名義でアパートを借りているので、職を失うというのは住居を失うのと同義だった。 食事もろくに摂れなかったため、がりがりに痩せた。食事の時間があるならば、そのぶん寝る時間にあてたかった。となると歯など磨くはずもない。虫歯が痛み、前歯を一本失ったが、それすらどうでもよくなっていた。 関連会社の男性社員から「借金してでも逃げろ」とまで言われ、ようやく逃げたのが二十歳の頃。 振り返れば、その二年間に休日という休日はなく、七百連勤以上を続けていたのだ。 千葉県内に土地勘などなかった。あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた。新津田沼を目指したわけではない。単に人がたくさん降りたから、つられて降りた。それだけだった。 駅とイトーヨーカドーがくっついているのは驚きだった。そんな場所がこの世にあるとは知らなかった。 そのままイトーヨーカドーへ入った。エスカレーターで上の階へあがると、そこにはゲームセンターがあった。ゲームセンターといっても、小さな子どもをメインターゲットにしたもので、真ん中には大きなトランポリンが設置されていた。 ここで働きたい。そう思ったのは、子どもが好きだとかそんな理由ではなかった。暇そうだったからだ。もう一生懸命働きたくなどない。この二年間で、一生分働いた。そんな気分だった。 求人誌で見つけたのか、インターネットで見つけたのかはいまとなっては記憶が曖昧だが、そこのゲームセンターは求人広告を出していた。アルバイトで、週に三日程度から可。 とはいえ、住所不定の若造を雇ってくれるとも思えない。先に住居を探した。 幸いなことに、新しい住居はすぐに決まった。駅から遠い、築五十年超の木造アパート。壁を叩けばゴキブリが五、六匹出てくるような部屋だったが、ようやく自分の居場所を手に入れた気分だった。 その住所を履歴書に書き、就職の際に両親が買ってくれたスーツに身を包み、伸びたままだった髪は自分でカットした。がりがりの体と失った前歯はどうしようもなかった。 鏡を見て、「まあ、これは雇わないだろうな」と自分でも思うほどだったが、面接ではなんとなく好感触を得た気がした。 そして数日後、採用が決定したと連絡があった。なぜ採用されたのかは知らない。他に応募者がいなかったのかもしれない。 赤いポロシャツに、黒いズボン。センスがいいとは言いがたい制服だったが、不満はなかった。 とにかく来客数が少なく、やることと言えばクレーンゲームの景品の補充だとか、当時流行っていたムシキングとかおしゃれ魔女などのカード補充とか。 あとはトランポリンで遊びたい子が来たら対応をした。たしか五分で百円。十分だったかもしれない。詳細は覚えていないが、百円玉を握りしめた子どもが目をきらきらさせながら声をかけてきたのは覚えている。 一度の勤務が四時間程度。それを週に数日。時給はたしか八百円ほど。食っていけるはずもなかったが、しばらくはその生活を続けた。とてももう、まともに働く気力などなかった。 借金がある程度膨らんでから、ようやく他にも仕事を始めた。コンビニ、警備員、チラシのポスティング、宅配便の仕分けなど。非正規雇用ばかりを山ほど抱えて、なんとか借金は返した。 ゲームセンターでのアルバイトは続けるつもりだったが、近いうちに閉店すると耳にした。一時間あたりの売り上げが私の時給を下回っているような有様だったので、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。 閉店まで続けようかとも考えたが、そのときに面接を受けた倉庫作業の会社で正社員の誘いがあったので、そのまま辞めてしまった。辞めた後、しばらくは営業をしていたようだったが、たしか一年経たずに閉店してしまった。 私は就職し、転職し、結婚して離婚した。また就職して、転勤して、いまは東京の西のほうで暮らしている。 津田沼まで片道一時間強。あまり気軽には来れなくなってしまった。 あれから約二十年。私はすっかりおじさんになってしまったが、おじさんになれてよかった。いま振り返ると、あの頃の自分はいつ人生を終わりにしてもおかしくはなかった。 あそこで働いたのは一年だったか、二年だったか。もっと長かったかもしれないが、まったく思い出せない。 あのゲームセンターはたぶん、七階のマクドナルドの前にあったはずだが、いくら検索しても情報は出てこない。 まるで幻だったかのように、私自身にも曖昧な記憶しか残っていない。検索しても、トランポリンがあったのは屋上だという情報ばかり。屋上ではなかったのはたしかなのだが。 ともあれ、私がなんとか再起をはかれたのは、あそこで働いた期間があったからだ。変に忙しい職場に入っていたなら、きっと潰れてしまっていた。 しかしまさか、イトーヨーカドー津田沼店自体がなくなってしまうとは。 なんとなく、イトーヨーカドー自体はずっとそこにあってくれるような気がしていたので、いつでも行けると思い込んでいた。 二十代前半の、あの時期の私の中心にはイトーヨーカドー津田沼店があった。書店にもよく寄ったし、四本の親知らずのうち三本はヨーカドー内の歯科で抜いてもらった。 あと、誰も気にしていないようなことだけれど、トイレの洗面台の脇に置かれた小さな花瓶に花が生けてあったのが好きだった。造花かもしれない。ただ、誰かの気遣いがそこにあった。トイレ自体古かったが、きちんと清掃しているのはよくわかった。私とは違い、仕事熱心な人が清掃を担当していたのだろう。もう何年も訪れていないので、最近はどうだったのかは知らない。 テナントが徐々に撤退していったのは伝え聞いていだが、それがなんだか思い出の場所が徐々に衰弱していくようで受け入れられなかった。 さて。ここまで長々と書いてきてどう締めればいいのかわからない。結局、歳ばかり重ねて、あの頃からまったく成長などしていない。 「さようなら、いままでありがとう」 でいいのだろうか。 あと、「寂しい」と「もう大丈夫」を付け加えて文を締めたいと思う。 小山征二郎さんが、イトーヨーカドー津田沼店閉館に寄せたエッセイ
時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
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shinjihi · 2 years ago
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何故、中共は「中国4000年の歴史」とか「中華民族」とか見えすいた嘘を吐くのか?侵略の準備なんだよ! 
本当は夏朝、殷、隋、唐、金、遼、元、清など全て騎馬民族など異民族支配で元々の漢民族は殆ど後漢で滅んでる
その王朝でも支配してたのは北京周辺であり今のチベット、内モンゴル、ウイグルなどの地域も異民族に支配されており、北京周辺王朝は貢いでたり、王族などから女を贈って、勘弁して貰ってた
女を贈って置いて「あの地方王朝の王は俺たちの婿様だから、あそこも中華王朝の一部」とか無理な事を言ってる
しかし中共はその論理でチベットを盗り、内モンゴルを裏切り、東トルキスタン(ウイグル)を強奪して、中共から人を沢山送り現地人をレイプ強姦して妊娠させ混血児を増やし、現地人には強制堕胎、強制不妊手術を行い純粋な現地人人口を減らし、言葉を奪い、文化や宗教を禁止して文字通り民族浄化して、根絶やしにしようとしている
「元々は中華の一部」「太古より中華民族(なんだソレ?)が住んでた」と言い張り、侵略している
同じ論理をプーチンがウクライナに言って「元々はロシアの一部」「昔からウクライナにもロシア人が住んでた」と言い張り、ロシア系住民保護と主張して、ウクライナに侵攻した
おんなじパターン
中共は「尖閣は中共の土地」「沖縄は中国(どの支那だよ?)に朝貢してた中国の一部」と主張している
北海道には沢山、移民させてる
次はどうなるかって?
そりゃ中共による尖閣、沖縄、北海道の侵略が始まるん��よ!
だから「中国4000年の歴史」とか「ずっと中国はあった」とか「偉大な中華民族(何ソレ?)」という嘘に加担しては駄目だ!
それは彼らの宣伝
それは彼らのプロパガンダ
なんだよ?
欧米なんか知ってか知らずか
鵜呑みにしてる
日本国民は洗脳されて
鵜呑みにしてる
まずそこを否定して
防衛強化して
教育を強化して行こう!
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828 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:12:24 ID:fsTA3r1B0(4)
支那人にも孔子、老子、孟子を生んだ立派な文明があると誤解している日本人が多いのだと思います。
漢文を通じて中国人を理解することぐらい、絶望的な行為はありません。何故なら漢文はこの二千年間というもの中国語とは全く関係がない。日本人のほとんどは漢文を中国語の古語と思ってきたのです。
つまり日本人が尊敬し 知っている漢民族は紀元二世紀でこの地球上から姿を消し、中国住民はそっくり北方の騎馬民族の子孫に何回も何回も入れ替わってしまったのです。
そして秦や漢時代の中国人は,そのほとんどが大陸から居なくなったということです。
ところが日本は遣隋使や遣唐使たちの使節が派遣され膨大な漢籍を大陸から持ち帰り,それを今日まで途切れることなく勉強してきたのです。
つまり日本人は騎馬民族の子孫である中国でなく2000年以上前のいなく なった漢民族の文化を勉強してきたのです。
日本人なら誰でも知っている儒教の開祖である孔子は,紀元前6~5世紀 中国各地の有力諸侯が覇権を争っていた春秋時代のことです
830 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:13:38 ID:fsTA3r1B0(4)
使節団が中国から持ち帰った無数の漢籍を日本人は今日まで約1300年間も読み込んできたのです。
早い話が遣隋使や遣唐使が持ち帰った「論語」や「漢詩」などによって 皮肉なことに中国人でなく日本人の人格が磨かれてきたのです。
中国語と漢文は全く関係がない、つまり漢文の読めない中国人にとって孔子や孟子の教えなど身につくはずもありません。
いわゆるこの二千年間というもの,漢文は中国語とは全く関係がないと いうことを多くの日本人は知らなかったのです。
私はこれらのことを中国史研究の第一人者である岡田英弘先生から教えてもらいました。
私も20年前 漢文を通じて身につけた中国イメージのまま中国に進出してそのギャップの大きさに仰天した記憶があります。
中国進出する前は、信義に厚く,礼を尊ぶ文化人の国であると信じていました。しかし現実にいるのは,油断も隙もならない、詐欺師の野蛮人ばかりでした。
中国人に取って漢文とは外国語同然なのです.中国で話されている言葉とは全く無縁の言語体系なのです。
831 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:14:22 ID:fsTA3r1B0(4)
現在の中国人は,彼らが使っている中国語が,実は文体もボキャブラリーも日本語からの借用であるということを隠そうとしています.現代日本文の真似をして前置詞や助動詞を明確に記すことによって、やっと文章が書けるようになったのです。
日清戦争後,日本に大量の清国留学生がやってきて,日本語を学び中国語を誰でもが読める中国語の表記法を改良していったのです.その中にかの有名な魯迅もいたのです。
日本語をマスターした魯迅の頭の中は日本語の文章があり,それを漢字に置き換えて表現することによって原文一致体の「白話文」が生まれました。
そして試行錯誤の結果 現在における中国語は北京語を元にした「普通話」がやっと確立されたのです。
つねに色んな異民族に取って変わられた中国の歴史を眺めたとき,中国政府が宣伝している四千年の歴史は中国人の歴史ではなく中国大陸の歴史だということがわかります。
中国には単一民族としての中国人は一度も存在しなかった.中国語には
北京語,上海語,福建語などの言葉があることを知られていますが、実際はもっと言語は細分化されています。これらは単なる方言というのでなく,ほとんど共通点がありません。
そこで中国政府は各国が持っている「国民国家」というシステムを作るために国民を北京語に統一して教育してきたのです。それもまだ100年足らずのことです。
833 :本当にあった怖い名無し :sage :2010/09/27(月) 12:16:10 ID:fsTA3r1B0(4)
そして言語だけでなく異文化、異言語の人々の寄せ集め集団である中国を統一するために歴史も歪曲せざるをえなかった。
毛沢東は少数民族を含めて全ての中国人を漢族にしてしまうために少数民族の文化を奪い、抵抗するものは容赦なく抹殺してきたのです。
もし少数民族の自治や、言論の自由といったものを実現させれば、中国政府が意図する最強の「国民国家」システムの改造計画が頓挫してしまいます。
この中国共産党の意図が理解できたとき、日本人やアメリカ人が思っている「中国は資本主義開放経済への道を進めば自然に民主国家になっていく」という考えが いかに愚かな事であるかということがわかっていただけたとおもいます。
http://2nnlove.blog114.fc2.com/blog-entry-2836.html
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yoga-onion · 1 year ago
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[Photo above by:  Ossi Saarinen]
Legends and myths about trees
Forest myths, Estonian traditional beliefs (6)
The world of the Estonians’ ancestors – Metsik, the forest elves
Metsik is the elf of the woodlands. According to ancient Estonian folklore, Metsik were wood elves who lived everywhere there were trees, from coniferous woodlands to shallow swamp forests. When Metsik appears to people, they assume the appearance of a bird, a wild animal, or a beautiful tree. A singing bird who truly is Metsik sings songs that humans can understand. They can also understand the language of the aspen tree that rustles in the wind for that aspen tree is Metsik.
If birdsong is heard, it may be a Metsik singing. People can hear Metsik in an aspen tree that rustles in the wind. Metiks are the guardian spirits of the forest. They do not approve of cutting down trees, bonfires and, above all, waste dumping. When people enter the forest with cruel intentions, Metik misleads them away from their sacred home.
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木にまつわる伝説・神話
森の神話・エストニアの民間伝承 (6)
エストニア人の祖先の世界 〜 森の妖精メツィク
メツィクは森の妖精である。古代エストニアの民話によれば、メツィクは針葉樹林から浅い沼沢林まで、木があるところならどこにでも住んでいた森の妖精である。メツィクが人々の前に現れるとき、彼らは鳥や野生の動物、あるいは美しい樹木の姿をとる。本当にメツィクである歌う鳥は、人間が理解できる歌を歌う。また、風にそよぐアスペンの木の言葉を理解することもできる。
鳥のさえずりが聞こえたら、それはメツィクが歌っているのかもしれない。人々は風にそよぐアスペンの木からメツィクの声を聞くことができる。メツィクは森の守護霊である。彼らは木を伐採したり、焚き火をしたり、とりわけゴミを捨てることを認めない。人々が悪意を持って森に入ると、メツィクは彼らを神聖な家から遠ざけるよう惑わす。
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chibiutsubo · 1 month ago
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#おでかけ #奈良井宿
純和風の通りの中に、急に異質な建物を発見。外観からするに、恐らく町のお医者さんだった建物ってところでしょうか。大正〜昭和初期ぐらいの建物ですかね……?
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木造の建物が建ち並ぶ中にいきなり現れるので異質感がすごいですけど、これもまたこの宿場町の歴史の一部ですね。空き家のままにしておくのは勿体ないような気はしますが……。
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こちらは櫛問屋だった建物とのこと。中は見学もできるようです。軒下の看板の上に装飾?が付いています。
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奈良井宿は、現在国内に残っている宿場町の中でも最長(1km)の街並みなんだそうです。早くに保存活動が始められたからこそ開発の手から守られたのでしょう。
観光客として訪れる側からすると、こういう古き良き街並みは良いものだなぁと思うのですが、住む側からすると景観の規制があって自宅を思うように触れなかったり、毎日観光客が自宅の前をうろついている環境だったりと、本当に本当に大変だろうなと思ってしまいます。
こういった景観の良いところに住んだ経験がないので、この風景が日常で、これに慣れてしまうってどういう感じなんだろう。ここに限った話ではなく、旅先の色んな場所で感じることなんですけど。当たり前に海がある風景とか、島の生活とか。ここに自分が住んでいたら、一体どんな生活になっているんだろうな、と想像をめぐらせています。
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petapeta · 1 year ago
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 女性作家はハードな調教物を書きたがるけど、女性が誘惑を書くと売れる。だが、誘惑を書く女性作家はそんなにいないと編集者が言っていました。 そのときは、なぜ女性はハードな調教物を書きたがるのか、なぜ女性が誘惑を書くと売れるのかわかりませんでした。 女性がポルノを書くのは怒りのためであり、怨念が滲んでしまうから売れないのではないか。誘惑を書くと売れるというのは、読者に楽しんで頂こうと思うからではないか、と思います。 思い出話をします。 23年前のことです。私は新婚で社宅に住んでいました。妊娠して喜んだのもつかの間、流産しました。社宅は子供と赤ん坊とママでいっぱい。身体は辛いし、精神状態は最悪。赤ん坊の泣き声が突き刺さりました。子供と赤ん坊とママたちを殺してやりたかった。三回連続で流産し、私はボロボロになりました。 外出することもままならないほど体調を崩していた私は、怒りをぶつけて小説を書きました。ベビーを抱く若妻が、夫の目の前で凌辱されて感じてしまうお話です。 官能小説雑誌の、読者の官能小説募集に投稿したところ、編集プロダクションの社長から電話がかかってきました。編「あなたの小説読みました。ヘタだけど若妻がリアルだねー。色っぽく書けていていいねー。告白手記書いてよー。あなたみたいに下手なほうが、告白手記らしくなるんだよね」私「私は普通の主婦ですよ。告白するような体験してませんよ」編「あれはね。ライターさんに書いてもらってるんだ。創作なんだよ。読者さんも、嘘だってわかったうえで楽しんでいるんだよ」 依頼に基づいて書いた告白手記が、私のデビュー作になりました。 今思うと、私の投稿作は、男性読者が引くほどハードでした。 赤ん坊と子供とママなんて殺してやりたいという、怨念をぶつけて書いたからです。 読者のことなんて、少しも考えていなかった。たぶん、ぜんぜん抜けなかったと思います。 編集プロダクションの社長は、月に数本の依頼を続けてくださいました。原稿用紙一枚千円。原稿用紙30枚。月に3万円ほどの仕事です。 この社長はすばらしい方で、うまく書けたときはすぐさま電話を掛けてきて、「いいねー。エロいねー。興奮するよー。次もまた書いてねー。依頼するからねー」と褒めてくださいます。いまひとつだったときは電話はありません。 私は、もっとたくさん依頼が欲しいと思いました。送られてきた見本誌は全部読み、上手いなと思うものは丸写しして、一生懸命に仕事をしました。 告白手記を一年ほど続けた頃、「短編小説書いてみようか?」と誘いが来ました。また一年ほど続けたとき、「長編を書いてみようか?」と言われました。普通のライター業をしたり、エロゲシナリオライターをしたり、エロゲノベライズを書いたりしました。 私はその後、フランス書院ナポレオン大賞、幻冬舎アウトロー大賞特別賞、宝島社日本官能小説大賞を受賞し、今に至ります。 女性が書いたハードものは、男性読者が引くほどハードになってしまいます。怒りをぶつけて書くからです。女性が書いたハードも��は、重くてスカッとしません。怨念で書いているから当然ですよね。 女が誘惑物を書くとき、読者さんのことを考えて、楽しんで貰おうとして書いています。 女性が誘惑を書くと売れるというのは、読者さんに楽しんで頂こうと思う意識のせいかのではないか、私はそう思います。 小説は、恨みよりも愛で書きたいものです。
女性が書くハード系が、男性が引くほどハードになってしまう理由。|わかつきひかる
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chikuri · 1 month ago
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埼玉県川口市に集住するトルコの少数民族クルド人をめぐり、法務省入国管理局(現出入国在留管理庁)が20年前の平成16年、難民認定申請者の多いトルコ南部の複数の村を現地調査し「出稼ぎ」と断定する報告書をまとめていたことが24日わかった。しかし日本弁護士連合会が「人権侵害」と問題視したことから、調査結果は表に出なくなった。これらの村などがある3県の出身者は現在も同国の難民申請者の8割を占めることも判明、報告書からは、クルド人の難民該当性について、すでに一定の結論が出ていたことがうかがわれる。 この文書は「トルコ出張調査報告書」。当時、クルド人らが難民認定を求めて各地で裁判を起こしており、同省が訴訟対応として16年6~7月、これらの村へ入管職員を派遣し、生活実態などを調査した。 報告書は「わが国で難民申請した者の出身地が特定の集落に集中している」「いずれも出稼ぎ村であることが判明。村民から日本語で『また日本で働きたい。どうすればよいか』と相談あり。出稼ぎにより、近隣に比べて高級な住宅に居住する者あり」などと記されていたという。 ところが報告書が訴訟資料として法廷へ提出されると、クルド人側の弁護団が問題視。入管側が難民申請者の氏名をトルコ当局へ伝え、現地の家族を訪問していたことなどを記者会見して非難した。当時のメディアも「法務省が不手際」「迫害の恐れ」などと批判的に報じたが、報告書の内容自体には触れなかった。 報告書は、氏名を伝えたのは申請者から提出された本国の「逮捕状」の真偽を確かめるためで、トルコ側から「氏名がなければ照会できない。欧州各国も同じ方法で事実確認を求めている」と指摘されたためとしているという。 当時、法務省は「新たな迫害がないよう配慮して調査した」と反論したが、弁護団側はクルド人らの人権救済申立書を日弁連に提出。日弁連は翌17年、「難民申請者の情報を提供することは、新たな迫害を生む恐れがあり、重大な人権侵害だ」として当時の法相あてに「警告書」を出した。 この結果、法務省は報告書の調査内容について「封印」せざるを得なくなったという。 弁護団側は、入管の案内役に憲兵を同行させたことについても問題視したが、報告書には「村民と憲兵隊との友好関係を確認」「憲兵や警察は日本の難民申請者に無関心」などとも記されていたという。 これらの訴訟で原告となったクルド人らが難民と認められることはなかった。また、入管関係者によると、当時調査した村などがあるガジアンテプ、カフラマンマラシュ、アドゥヤマンの南部3県には、日本に在留するクルド人難民申請者の出身地の8割が集中しているという。 入管庁によると、トルコ国籍の難民申請者は16年からの20年間で延べ1万2287人にのぼるが、難民認定されたのは4人。また川口市によると、市内のトルコ国籍者は同期間で約200人から6倍の約1200人に増えた。難民認定申請中の仮放免者を含めると約2千人にのぼる。
<独自>川口クルド人「出稼ぎ」と断定 入管が20年前現地調査 日弁連問題視で「封印」 「移民」と日本人 - 産経ニュース
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0500w · 1 month ago
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2024/11/14
気付いたら妊娠して4ヶ月になっていた。夏に実家に帰省して田舎のクソ野郎どもに、子供はまだなのお?と聞かれた後すぐのことだった。
ツワリがひどく、今まである程度満足いくまでやれていた仕事が自分の納得いくまでできず、自己肯定感がダダ下がりで、毎日半べそをかいている。思い返せば幸せなことに私は今まで健康そのものだった。寝込んだ記憶もないし特別病んでしまった記憶もない。そんな経験不足の私が1ヶ月以上体調不良が続いてるので堪えるのもわかる。
こんなしんどくて、仕事はろくにできなくて、満足いく日々を全く過ごせてない中、今は出生前診断の結果を待っている。陽性だったら堕ろすことを夫婦で話し合って決めている。陽性の結果を受け、中期中絶するところまでは一気に進められると思う。そこに迷いはひとつもない。ただ中期中絶をした後に私は果たして立ち直れるのか不安だ。また社会復帰できるのか、辛い妊活を再開しようという気になるのか、少ないながら報告した人たちにはどう伝えようか。最近は中期中絶後のことばかり考えるようになっている。子の心配ではなく自分の心配かと、こんな時でも自分ファーストかと、自分で自分に呆れるが、これが私だから。自分の悩みは自分が1番尊重してあげるべきだと思う。
妊娠してから本当に脆くなった。週数相当の発達を調べ見比べては肝を冷やし、生活費や保険の見直しを早急に行い、住まいの改善を行い、育休後の保育園、障害があった場合の療育、支援等、色んなことを調べて、常に何かにくらっている。妊活している時から考えておけばよかったんだろうけどやはり当事者にならないと身が入らない。今の所残念ながら幸せなマタニティライフは夢のまた夢のような気がする。
準備できるならなるべく準備しておきたい、できることは事前に確認したい、そんな気持ちが働いてしまって、自分が辛くなることをわざわざ想定することが多くなった。PMだからリスクとクリティカルパスを考えてしまう癖が抜けないのか…?とかバカみたいなことも考えてしまう。出生前診断の結果が出たらボチボチ周りの友達にも頼ろうと思っているから、今が1番精神的に不安定になってしまうと思う。あと数週間耐えて、少しで良いから、妊娠できた喜びや、これから子供と過ごす日々に幸せを感じたい。
あともう少し、もう少しだ。辛いけど耐えよう。
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