#しろうとコメディアン道場
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桂雀々さん急死 早すぎる64歳 波瀾万丈の生きざまを笑いに 「上方落語の爆笑王」TVやドラマでも活躍
「上方落語の爆笑王」として人気を博した落語家の桂雀々(かつら・じゃくじゃく、本名・松本貢一=まつもと・こういち)さんが、20日に死去した。64歳。大阪市出身。葬儀は22日に近親者のみで執り行われる。
関係者によると、10月下旬、茨城県内でのゴルフに行く途中に倒れ、救急搬送され入院した。いったん回復しリハビリをしていたが、今月に入り再び体調を崩していた。今月15日には所属事務所が「持病の糖尿病により、現在入院加療中です」とファンに報告。年内出演予定の落語��を全て休演していた。
#桂枝雀#ぎんざNOW!#しろうとコメディアン道場#6代目チャンピオン#「上方お笑い大賞」最優秀技能賞#「NHK新人演芸コンクール」最優秀賞#「日本放送演芸大賞」新人賞#「ABC漫才落語新人コンクール」最優秀賞#全裸監督(Netflix)
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテレビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました😚♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くもの��純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てくるのは、日本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいます。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見ていなかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシストと最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにしており、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑��たり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知ることができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽と当たり前に生きる中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるの��て辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンデ���ング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大盛り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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統計的会話について
AIによる自動会話技術を観察してみると、その手法はまさしく統計そのものであり以心伝心を目指すものでは無い。興味深いのはそもそも生命は情報伝達を表面的な変化によって行い、間違っても以心伝心するコストを払う様には作られていない点だ。
この点でもAIの行っている統計的対話は本質的に理に適っている。
オレの場合はどうしても対人恐怖の恐怖感が邪魔している面が大きいが、それさえ除けば別にプロの話師でもコメディアンでも無いのだしAIを真似て統計的会話と計算による意思疎通技術に集中すればやってやれない事は無いのかも知れない。
大半の人間は、単にある会話内容に対して統計的に対応すると思われる選択肢を出力する一連の繰り返し処理を行っているに過ぎない。と考えるのは非人道的だろうか。或いは生命を冒涜しているのだろうか。人間だけがAIとは異なる特別な処理を行っていると考えるべきだろうか。
まだオレ割り切れて居ないのは、どこかに倫理や良心の壁が存在するからかも知れない。
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『アイアム・ア・コメディアン』公開決定
テレビから消えたお笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔 忘れ去られた芸人の真実に迫った3年間の記録公開!!
テレビから、消えた男 嫌われ芸人、炎上芸人…。政治的な発言をきっかけにネットで炎上し、ついにはテレビから消えたお笑いコンビ・ウーマンラッシュアワーの村本大輔。
テレビに居場所を失った彼は劇場、ライブに活路を見出し、自分の笑い”スタンダップコメディ”を追求する。 本場アメリカへの武者修行、韓国での出会い、パンデミックの苦悩、知られざる家族との関係。世間から忘れ去られた芸人の真実に、『東京クルド』の新鋭ドキュメンタリスト・日向史有が迫った3年間の記録。
世間は彼の事を、嫌われ芸人、炎上芸人と揶揄する。彼のことが大嫌いなアンチ村本も多数存在する。 「テレビで政治的なネタを繰り返したことで、テレビ局が使いにくいから干されたのだ」と言うと、「いや単に面白くないからでしょ」と返される。 本当にそうだろうか?
彼が独演会を開催するとLINE CUBE SHIBUYA(旧渋谷公会堂)が札止めとなる。 「そう言えば最近テレビで見ないな…」本当にそこにメディアの忖度は働いていなかったのだろうか。 しかし、もはやそんな事はどうでもいいようだ。テレビに居場所を失った彼は日本ではなく世界に目を向けたのだ。世界は広い。そう言うと今度は、「日本で通用しなかったから逃げたんでしょ?」と返されるかもしれない。
アンチの皆さん、それももうどうでも良いのです。間違いないことは村本が世界に出てお笑いを追求している。自身がメディアとなって日本ではタブーとされていることを表現するためにもがいている。そしてもうひとつ間違いないことは、彼は日本のテレビから、消えた=言葉を消された。この国ではミュージシャンやタレントが政治的な発言をするとメディアから消えることがある。お茶の間に問題提起の声は届かなくなる。彼を毛嫌いしている皆にこそ、是非スタンダップして、この映画で彼のコメディ=言葉に触れてもらいたい。
『アイアム・ア・コメディアン』 製作:株式会社ドキュメンタリージャパン プロデューサー:石川朋子 植山英美 秦岳志 ゲーリー・ビョンソク・カム 企画プロデューサー:檀 乃歩也 監督:日向史有|撮影:金沢裕司|編集:斉藤淳一 出演:村本大輔(ウーマンラッシュアワー)、中川パラダイス (ウーマンラッシュアワー)他 2022年|日本・韓国|カラー|HD|16:9|108分|DCP|映倫審査区分:G 配給:SPACE SHOWER FILMS 宣伝:HaTaKaTa © 2022 DOCUMENTARY JAPAN INC.
2024年7月6日(土)よりユーロスペース他にて全国順次公開
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監督:日向史有(ヒュウガフミアリ) 2006年、ドキュメンタリージャパンに入社。東部紛争下のウクライナで徴兵制度に葛藤する若者たちを追った「銃は取るべきか」(2016年・NHK BS1)や在日シリア人難民の家族を1年間記録した「となりのシリア人」(2016年・日本テレビ)を制作。 長編版『東京クルド』(2021年)が全州国際映画祭で特別審査員賞などを受賞。 「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(2021年・BS12)は衛星放送協会オリジナル番組アワードグランプリ受賞。本作『アイアム・ア・コメディアン』は2022年東京国際映画祭Nippon Cinema Now部門で日本初上映された。
「なんてお笑いに一途な男なんだろう」。それが芸人・村本大輔に対する私の印象だ。 最初の撮影地はニューヨーク。コメディ修行に打ち込む村本さんに圧倒された。アイデアを思い付くと道端に座り込んでメモを取り、レストランでは店員相手に英語でネタを試す、毎晩コメディクラブに立ちネタを磨く。そして日本に帰ると全国を回り年間およそ600ステージをこなす。映画は、そんな人生をコメディに捧げる彼の熱と純粋さの結晶です。
監督 日向史有
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ウーマンラッシュアワー 村本大輔(ムラモトダイスケ):福井県出身1980年11月25日生 中川パラダイス(ナカガワパラダイス):大阪府出身:1981年4月12日生 大阪NSC22期生の村本大輔��23期生の中川パラダイスが2008年9月に結成。2009年「笑わん会第10回」優秀賞、「第7回 MBS新世代漫才アワード」 第2位、2010年「第31回ABCお笑い新人グランプリ」 審査員特別賞、2011年「第32回 ABCお笑 い新人グランプリ」最優秀新人賞を獲得、2013年「第43回NHK上方漫才コンテスト」「THE MANZAI 2013」で優勝を果たす。 2016年6月から2019年9月まで「AKBINGO!」(日本テレビ系)の2代目MCを務める。村本は講演会やスタンダップコメディの ライブといった活動を積極的に行い。2023年にアーティストビザを取得し、2024年より「世界的なコメディアンになる」と宣言し活動の拠点をアメリカに移している。現在コンビでの活動は休止中で、中川は声優や芝居の仕事もこなしている。 -----
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「平凡すぎて殺される」クイーム・マクドネル著を読了。 主人公のポールはダブリン在住の平凡な容姿の男。「世捨て人」中にたまたま元ギャングの最期に立ち会ってしまい、犯罪組織による30年前の「大富豪の新妻誘拐事件」の秘密を聞いたと誤解され、組織から命を狙われしまう・・・。看護婦のブリジット、はみだし刑事バニーの三人はポールの命を救うべく、組織の秘密を探っていく。 追いつ追われつの道中に登場する、強盗の息子のポールの旧友、ブリジットの元カレのプレイボーイ、失踪新妻の夫で未だ傷心の大富豪、映画マニアのたたき上げ警部補とぼんくら新人エリートのコンビ、臨月のシングル弁護士、さまざまな人々を巻き込んで、先が読めない展開が転がっていく感じが楽しい。 なんでも、作者は現役コメディアンだそうで、力の抜けたジョークの応酬など、セリフ回しやその背景にあるもの(刑事映画の途上人物とか)の引用が、物語を豊かにしている一因になっている。また、登場人物たちはそれぞれ、本人はまじめに生きているつもりなのに少し世間の基準からズレてしまい、いつのまにかかつての理想や夢から離れたところに流れ着いているのだが、それでも彼らなりの矜持のようなもの、信条のようなものがあり、それを全力で全うしようとする姿は、潔くて勇気を感じる。落ちこぼれなのにカッコよく感じるのは、そのせいだと思う。 続きがどんどん読みたくなるワクワク展開で面白かった。
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折の日 20230824.
夢を見た。海が見えるマンションの一室(3階角部屋)に招待される。家の主人は母親の友人?バルコニーからの眺望は明石海峡大橋まで見通せる絶景。家の形をした船が船着場に浮かんでいる。雨の日の映像が流れる。何隻もの船が連なって、荒波にもまれている。家の形をした船も定位置を離れて流されている。あれは昔の某コメディアンの家だよと母が教えてくれる。なぜかシームレスで礼拝堂の前にUお姉さんと一緒に立っている。他の女の人たちは、外で礼拝を始めている。Uお姉さんは礼拝堂で礼拝をしようよと誘ってきた。一緒に中に入る。私はなぜかふらふらして、思いっきり扉に頭をぶつける。その音が静寂の中に響く。恥ずかしいながらも、スカーフを手にとってお姉さんを探すけど見当たらない。キョロキョロしている間に子供たちに囲まれる。整形しているのかと問われる。私の顔の上に人工物は何もないよと咄嗟に返そうとするけど、通じない。発音が悪いことを指摘される。そうこうしてると、子供たちのためのアラビア語教室が始まってしまい、礼拝ができなくなってしまった。堂内にサタンの像が担ぎ込まれてくる。サタンがその棺のような大袈裟なケースから出てくる。黄金のサタン。願掛けをすれば叶うと言われたので、咄嗟にいくつかお願いする。その一つは会えなかったアプリの男と会うことだったはず。それからそのサタン像の中身が実は小さな子供だったことを知る。特殊メイクの過程が再現される。隣に小さな子供が座っている。大丈夫?と聞くと大丈夫じゃないと答える。何回かこのやりとり。心配になってその子を抱いて外に出る。数人のグループで束になって細い海沿いの道をくねくね歩いてる。私が抱いてる子供はいつの間にか飼ってるグレーの猫になったかと思ったら、気づいたら白い猫になっていた。ミッフィと呼んでいた。猫は脇腹に怪我があって、えぐれたその傷口が痛々しく怖くなり、何回も名前を呼んだ。その度に小さくにゃあと返事する。少し目を逸らしていた隙に猫は瀕死状態になっていて、傷口はなぜか塞がっているのに息絶えようとしているのをただ見ている。体温の変化は感じられない。どんどん怖くなって、何度も名前を呼ぶ。呼吸が荒くなっていく。そして目覚めた。
ここ何日か実家を離れて、前に住んでたところで人とずっと一緒に過ごしていた。昨日帰ってきた。飼い猫との再会が嬉しかった。猫との繋がりは不思議だと思う。寝落ちしたくて枕元で映画を流していたら、なぜかイライラした猫が壁をガリガリと引っ掻くので、こら!と言うとやめて部屋から出て行った。私は猫の気持ちが全くわからない。それでも愛情がどんどん大きくなっていくのを感じている。知りたい、分かりたいというのは愛の形ではないのかもしれない。今朝目覚めてから猫がいつもの場所で寝ているのを確認したら心底ほっとしている自分がいた。夢の中で「だから猫を飼うのは嫌なんだ」と聞こえてきたような気がする。自分の心の声だったかもしれない。猫を飼う以上、未来においてその死を目の当たりにすることが決定しているという現実が辛い。なるべく考えないようにしている。これは誰の死についても同じことだ。なるべく考えない。これからも存在するものだと想定して、未来を思い描く。未来形と一緒に「絶対」とか「全部」とかいう言葉が生きてくる世界に私は存在している。約束が存在する世界。いつかは崩壊してしまうのかもしれないし、その恐れは決して消えないけど。信じることだけは残されている。信仰は絶望の中の光かもしれない。
去年の秋に友達が死んでしまった。乳がんだった。進行が一気に進んでしまい、会おう会おうと言っている間に会えなくなってしまい、やっと会えると思ってした約束もかなわなかった。そんなひっそりと、ジェンガの一片が静かに抜き取られるみたいに、ひとりの人間がいきなりいなくなるなんて全く想像できなかった。でも、友達がいなくなってからも、この世界は穴ぼこのジェンガタワーとして続行している。彼女が生きてる間に信じてた世界は未来のことについて「絶対」とか「全部」って言える世界だったけど、彼女が死んでしまったことによってその信念は一度崩壊したと感じた。どんな約束にも絶対はないと知らされた。それでも今はまた信じるようになった。私は昨日も胸の中で、絶対この人の翻訳した小説を手に入れるんだ。あの人が教えてくれた映画全部みるんだ、と自ずと唱えていた。信念があるから約束をするのではなく、信じる気持ちが途切れないように私たちは約束をするのかもしれない。信念に基づいて言葉が発せられるし、言葉に支えられて信仰が成り立つという両面あるだろう。光をたやさないように。たぶん簡単に消えないようにはなっている。自分のうちに隠されている、時間のない静寂に集中する。猫は死んでない。何も問題ない。
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つまり私はそういう日々の中で、自分がそれに耐えるともなく耐えていられるのは、自分の中にどこか死んだ部分、無感覚になりきった部分があるからだと信じていた。その部分は、これからも拡がるだろう。しかし人間というやつは死なない。火傷が皮膚の六十パーセントの面積を越えたときのようには、死なない。生きることができる。政治にも愛にも力関係にも、夢想にすら無感覚で、なおかつ人間は生きることができるし、げんに生きているのだ。
山川方夫『愛のごとく』
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プーチン29の誤算まとめ
①国と国との戦争未体験
②KGB時代にエリツィンに見出され常に有利な立場で闘争を勝ち抜き
③チェチェン、ジョージア、シリアもテロリスト向け【特殊作戦】で少ない戦力、装備不足の相手に簡単に勝った
④クリミアも楽勝
⑤ウクライナはクリミア敗戦後、軍事強化して40万人の予備役が存在
⑥今回もプーチンは【戦争】ではなく【特殊作戦】と自ら言い、つまりテロリスト、犯罪者討伐のやり方
⑦ヨーロッパで一番大きな面積で4000万人以上の人口のウクライナとの戦争準備が無かった
⑧電撃戦は第一派が侵攻し、後に二波、三波がすぐに続き補給路確保と第一派が撃ち漏らした敵を掃討すべき
⑨しかし二波、三波は存在せず第一派が苦戦したところで補給も無く燃料、食糧、武器弾薬が不足
⑩ロシア4000人以上が戦死。ロシア国民にはなるべく知らせていない。
11.ロシア新兵は志願したが、安月給で4ヶ月の訓練だけ、国から家を貰いたい恵まれない若者が多数
12.楽勝かと思ってたが戦死者多数で「ウクライナ攻めるとは知らなかった。本当に死ぬかも知れないとは知らなかった」と士気が下がってる
13.ヨーロッパ中などからウクライナへ武器、燃料など支援表明。2022年3月1日現在、下記の国々。アメリカ、ベルギー、カナダ、チェコ、フランス、ドイツ、ギリシャ、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、オランダ、イギリス。
14.日本などG7各国の経済制裁で株価暴落、ルーブル暴落で戦争継続が困難に。中立国であるスイス、スウェーデン、NATO入りを表明のフィンランドまでがウクライナ支持し支援。ドイツは防衛費を増額発表。ハッカーがクレムリンのウェブサイトを攻撃。
15.甘く見ていた支持率20%台だった元コメディアンのゼレンスキー大統領がタフで支持率90%を超えて、ロシア語でロシア人向けに侵略反対の感動的なスピーチを行い、ヨーロッパ各国首脳を動かすほど。ウクライナ側の抵抗は非常に強い。
16.ウクライナにクーデター呼びかけも失敗
17.あとは地上戦では無く爆撃で首都キーウなど平定するか戦術核、そして400人以上の傭兵を投入してゼレンスキー大統領らの暗殺ぐらいしか手が無いが、国際的な反発は避けられない。
18.ヨーロッパほぼ全土、そしてロシアと国内外で大規模なデモが頻発
19.アメリカが米国国内のロシア中央銀行の資金凍結発表。日銀も日本国内のロシア中央銀行の資産凍結。イギリス政府、ロシアが英国で債務を調達する事を禁止し、ロシア企業(合計300万社以上)がイギリス資本市場にアクセスする事をブロックすると発表。
20.ウクライナはクリミア半島での戦闘経験あるベテラン兵が30万人以上、各地域に存在し抵抗し、ロシア軍は個別撃破されてる。
21.ロシア兵はプーチンと同じく圧倒的戦力差で勝った【特殊作戦】しか知らない
22.仕方なく停戦協議へ。ウクライナはEU加盟に正式申請。
23.勝利となってもロシア経済破綻寸前、元々GDPは韓国以下
24.このウクライナ侵略後にプーチンの威光は物凄く落ちる
25. EUとNATOと日本などの結束は高まってしまった
26.プーチンに代わるリーダーが居ても苦労は変わらないだろう
27.結局、47歳で甘やかされてトップになったKGB局員は【戦争】は知らなかった
28.民間人攻撃は戦争犯罪であり裁かれる可能性
29.ウクライナの春の大地は雪解けで泥の海と化す。整備が不充分のロシア地対空ミサイル搭載車、装甲車などはタイヤが元々、多少は劣化腐食しており道路以外を走れない。悪いとパンク。そして道路をロシア軍の車両で塞ぎ渋滞。動けなくなった車両を置き去りして逃走。
https://twitter.com/kamilkazani/status/1497993363076915204?s=21
#プーチン#ロシア#ウクライナ#誤算#電撃戦#補給路#経済制裁#ルーブル#ルーブル防衛#株価暴落#クリミア#チェチェン#ジョージア#シリア#特殊作戦#戦争#NATO#EU#アメリカ#日本#戦争犯罪#民間人攻撃#ハーグ#泥の海#車両遺棄#逃走#卑怯#臆病#馬鹿#アホ
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CULTURE
ウクライナの大統領になったコメディアン。ウォロディミル・ゼレンスキーはどのようにして“物語”を支配したか?
シュールな展開によって大統領となり、今は英雄として世界的に存在感を示し続けているウクライナのゼレンスキー大統領。命をかけて戦い続ける彼の姿に釘付けになる私たちは、祈ることしかできない。
By Michael Idov
2022年3月1日
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ウクライナのゼレンスキー大統領
(Emmanuel Dunand/AFP via Getty Images)
ウォロディミル・ゼレンスキーは、世界で最も“ありえない”国家指導者であると同時に、世界で最も人気のある指導者かもしれない。大統領を演じて有名になったコメディアンが本当に大統領になり、それを超越する、という彼のシュールな人生模様は、筆者がこの記事を書いている2022年2月最後の週末の時点では、もう誰もが知っている。
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映画『パディントン2』のウクライナ版でパディントンベアの声を務めた彼は、12本のコメディと1本の映画に出演した人物である。ゼレンスキーは、2019年、当時のトランプ大統領から、ウクライナへの軍事支援などと引き換えに、バイデン氏に絡む疑惑の調査を依頼されたという。これが「権力の乱用」にあたるとされ、トランプ氏は弾劾訴追を受けることにもなった。そしてゼレンスキーは今、包囲された首都・キエフの街角で、プーチンと対峙している。
ゼレンスキーという存在が世界的な反響を呼んでいるのは、彼が世界中の誰もが知っている、あるタイプのキャラクターに当てはまるからだ。たとえば、数千年にわたる迫害のためか、「賢くて生意気なユダヤ人」というキャラクター設定が世界中に存在するようになった。その1人が戦時中の象徴になるということ自体が、完璧なジョークだといえる。『ウディ・アレンのバナナ』のウディ・アレン、『イシュタール』のダスティン・ホフマン、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』のベン・スティラーのようなものである。ただし、ゼレンスキーの場合はフィクションではなく、現実に死の危険と隣合わせの状況にある。
44歳のゼレンスキーの出世物語は、少し複雑だ。彼はロシアとウクライナの間に存在する信じられないほど厄介な文化のもつれのなかを歩んできた。ゼレンスキーのビジネスとコメディのルーツは、ロシアのコメディ番組・KVNにある。KVNは「かび臭いソビエト主義」の頭文字をとっており、「陽気で機知に富んだ人々のためのクラブ」という意味だ。スケッチ・コメディがプロスポーツのように機能し、メジャーリーグ入りを目指して各都市のチームが戦い、上位の試合はテレビで放映される状況を想像して��しい。
ゼレンスキーの一座は「Kvartal 95」と呼ばれ、ウクライナの都市であるクリヴィイ・リハを拠点としていたが、当時はロシア語で公演していた(これは当時としては普通のことだった)。彼は、「ヴォバン」というニックネームでチームのキャプテンを務めた。Kvartal 95がロシアのテレビで人気になると、ゼレンスキーはパートナーのセルゲイとボリス・シェフィルとともに、同じ名前のプロダクションを設立した。彼らの会社は、2006年にゼレンスキー自身が出場し、優勝を果たしたウクライナのダンス番組をはじめ、両国の市場向けに数多くの番組やイベントを制作した。
同じ頃、ゼレンスキーは、米国で教育を受けたマリウス・ベイスバーグという映画監督がロシアで手がけていたコメディ番組の製作、共同脚本、そして時には主演を務めるようになった。2009年の『ラブ・イン・ザ・シティ』は、ニューヨークで暮らす3人の友人が、魔法の妖精の呪いによって、真の愛を見つけるまでインポテンツになってしまうというストーリーである(華やかなロシアのポップスター、フィリップ・キルコロフも出演している)。
ゼレンスキーは政治家に転向しても、コメディのキャリアをないがしろにしなかった。彼の最新作である『I、You、He、She』は、彼が大統領に就任したのと同じ月に公開されたのだが、これは間違いなく歴史的な出来事である。驚くべきことに、これまで関わったロシア映画のいくつかで、ゼレンスキーは、現在は彼の死を願っているであろう人々と一緒に仕事をしていた。監督であり『オフィス・ロマンス』の共演者であるサリク・アンドレアシャンとマラト・バシャロフは、ウクライナへの侵攻を公然と支持しているのだ。
ゼレンスキーを真の有名人にした2015年のシットコム『Servant of the People』は、彼の他の作品に比べると、見応えのある作りの作品だ。ウクライナの政治をよくとらえたハートフルな風刺によって、権力の中枢に一般人が入っていってしまう姿を描いている。興味深いのは、ゼレンスキーがロシア語で大統領の役を演じていたことだ。彼は選挙に出るために「Kvartal 95」から手を引いたが、政党名は『Servant of the People』にちなんで命名された。KVNから政治への連続性は非常にスムーズなものだったのだ。
ゼレンスキーが2019年、ペトロ・ポロシェンコ元大統領に地滑り的に勝利したことは、想像を絶する展開のように思われるかもしれない。でも、現実は、もっと狂っていたともいえる。ゼレンスキーと同じ選挙に立候補したのは、ウクライナ最高のロック歌手のひとり、オケアン・エリズィというバンドのスラヴァ・ヴァカルチュクだったが、彼はゼレンスキーと違ってロシア語で演奏することはなかった。ヴァカルチュクは進歩的な若者の大部分にとっての第1候補であった。ヴァルカチュクの支持者たちは、ゼレンスキーの中道主義はかろうじて受け入れられるプランBである、と考え���皮肉なことに、ゼレンスキーがロシアと親しくしすぎるのでは、ということを懸念していた。
大統領としてのゼレンスキーの平時の内政評価は、まずまずであった。しかし、彼のKvartal 95の同僚たちのうち何人かが政権内での役職についたので、この点に有権者は眉をひそめた。汚職撲滅を公約に掲げていたのにも関わらず、だ。大統領就任2年の時点で、米シンクタンクのウィルソン・センターは「グッドガバナンスや法治主義とは程遠い、非公式な縦割りを構築した」と判断している。彼は民主主義国家における大統領権限の限界を回避するため、友好的ではないテレビ局3社を全面的に禁じた。ロシア軍が国境に集結するなか、彼は関係者全員を困惑させる不透明な立ち回りをした。2022年2月21日の時点で、キエフ・インディペンデント紙の編集長は、怒りに満ちた論説でゼレンスキーを「気落ちするほど平凡」と呼んでいた。「彼は自分自身のジェスチャーのほうが、もたらされる結果よりも重要だと思っているようだ」と彼女は書いている。
その2日後、ロシアが侵攻してきた。
すると突然、適切なジェスチャーをすることが歓迎されるだけでなく、不可欠になった。戦争が始まってわずか数時間で、明白になったことがあった。ロシアは軍事的にウクライナを圧倒するかもしれないが、ウクライナ人はどんな軍隊でも奪い取れないもの、つまり“物語”をしっかりと支配している、ということだ。言い換えれば、彼らは強力なインターネット・ミームになるという地位を獲得したのだ。「ひまわりの種をポケットに入れておけ」というフレーズは、もはやほとんど説明の必要がない。生放送に乱入する男たちはインターネット・スターになった。ウクライナの反抗的、宿命的、健全なレベルでの不潔なユーモアは、世界を席巻している。
この状況は、1676年にロシア・トルコ戦争で戦ったコサック兵がトルコのスルタンに「陸でも海でも汝と戦おう」と言葉を返したことと地続きのように思える。そして、現在、その頂点に立つのがゼレンスキー自身なのである。冗談から伝説へ、これほど早く変身した男はいない。
ゼレンスキーを英雄にしたきっかけは、3つある。1つ目は開戦前夜の演説だ。ロシア語で、ロシア国民に向けて行った。「私がドンバス地方への攻撃命令を出すと(ロシアでは)言われている」とゼレンスキーは話し、クレムリンの公式な爆撃正当化理由に反論した。「ユーロ2012で私や地元の連中が応援したスタジアムを? 負けたときに飲んだバーを? 親友の母親が住んでいるルハンスクを? そんなところに爆撃するわけない」
アリーナやバーのある通りの名前、そしてバーそのものの名前をあ��ながら、ゼレンスキーは語った。まるで、映画に出てくる誘拐された子供の親が、テレビのニュースで誘拐犯に語りかけ、子供の名前を何度も何度も言っているようなものだ。ゼレンスキーは、この戦術がハリウッドの決まり文句のようなものであることを明らかに知っていて、その直接的な目的(「ウクライナ人は、あなたと同じ人間である」)とメタ的な目的(「プーチンは連続殺人犯である」)の両方に使ったのである。
2つ目は、首都からの避難を手助けしようとしたアメリカ人に対し、「必要なのは弾薬であり、(退避のための)乗り物ではない」という、いまや伝説となった返答をしたことだ。3つ目はもっとシンプルだった。それは、キエフの夜の街で撮影された地味なビデオで、閣僚たちとともに並び、ウクライナと世界に対して「われわれはここにいる」という1つのメッセージを発したものだ。
ゼレンスキーのミーム化は、一瞬で起き、それも圧倒的だった。クリス・エヴァンスの体にゼレンスキーの頭を乗せた“キャプテン・ウクライナ”にした画像。防弾チョッキに身を包んだ彼と、空港でスーツケースを転がすテッド・クルーズや、ゴルフウェアを着たトランプを対比させた写真。こういった例は枚挙にいとまがない。プーチン一筋のトランプ自身も、今はゼレンスキーを絶賛している。「今はウクライナの大統領の方が男らしい」ということか、と指摘する声もあった。
さらに興味深いのは、ゼレンスキーをギャングスターに仕立て直したミームだ。「我々はまだここにいる」のビデオは、ヒップホップデュオであるモブ・ディープの「Shook Ones」のインストゥルメンタルがバックに流れることによってさらに人気を博した。また、彼の肖像画に“放送禁止”という言葉を組みあわせたステッカーが大量に出回っている。土曜日には、ジェレミー・レナーがTwitterでトレンド入りした。その理由は、映画化された暁には、ゼレンスキーに似ているレナーが適任だと人々が判断したからである。
これらは、トラウマになるような想像を絶する事態に直面した時の、人間の反応である。ゼレンスキーがアベンジャーズのようだと憧れるのは、COVID-19の大流行時にファウチやクオモをセクシーだと祭り上げていた人たちがいたのと同じ現象だ。人間が正気を保つための戦術だといえる。われわれは単純な生き物であり、こういうものに飛びつく性質があるのだ。
しかし、そこには病的な側面もある。私は今、生まれて初めて、自分が記事を書き終わるまでに一国の大統領が殺されないことを願いながら執筆している。今回のゼレンスキー崇拝は、通常の政治家への媚びとは異なり、ゼレンスキーの身の安全を守る呪文としても機能させたい、という思いが込められている。我々は、今こうしている間にも命の危険にさらされている人物をアイドルにしているのだ。ゼレンスキーはスーパーヒーローでも、ミームでも、プーチン��トランプに対する復讐劇のための器でもない。私たちにできることは、彼を見て、もし私たちがこのような想像を絶する任務に就いたなら、彼と同じことをする勇気が自分にもあるのを願うだけである。
MICHAEL IDOV (マイケル・イドフ)は、 ロサンゼルス在住の映画監督・脚本家で、ロシア版『GQ』の元編集長。
https://archive.is/2022.03.02-044335/https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220301-story-of-zelensky https://archive.is/2022.03.02-044335/https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220301-story-of-zelensky
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「アネット 」 総勢43名からの絶賛コメント到着!
(以下、コメント全文※五十音順※敬称略)
2時間20分のあいだ、ずっと愛。愛を失いそうになったとき、こんなことなら愛さなければよかったと思うか、どうか。
蒼井ブルー(文筆家・写真家)
ヘンリーとアンという主人公二人の名前も相まって、悲劇を描くオペラを彷彿させるクラシカルな雰囲気が漂う作品。いわゆるミュージカルの賑やかなイメージを覆すダーク・ファンタジーだ。人間のエ���や権威を欲するさま、そして何より笑いについて深く考えさせられた。
青野賢一(ライター、選曲家、DJ)
正真正銘のミュージカル映画だ。 ダンスや台詞の間に、これ見よがしに歌を散りばめたような代物じゃない。歌で始まり歌に終わる全てが作り物の世界の中で、生々しい歌によって紡がれる愛の物語。天才レオス・カラックスでなければ撮れなかったであろうこの怪作は、配信全盛時代において映画館で観る意味のある貴重な作品だ。
明石ガクト(ワンメディア株式会社 代表取締役CEO)
古典的且つ実験的、悲劇的しかし溢れ出るユーモアセンス、皮肉と愛と照れ隠し、私的且つ超大作、そして最新作にして集大成! 冒頭から最後の最後まで、息を止めて釘付けです。
有島コレスケ(arko lemming)
悲劇と絶望、そして罪と罰。西洋的「死生観」の表現は、オペラに詰まっている。壮大なオペラを通じて、カラックスはカルマを炙り出す。巨匠のたぎる愛のストライキか。映画の灯は永遠なり。 さて、「今から映画をはじめます」。
安藤桃子(映画監督)
闇夜に映る140分の夢を見た。
人生という不可解で優雅で美しい孤独な夢を。
タブーはない。映画の灯よ永遠に。
イマジネーションを失い続ける世界に映画の神童カラックスから贈られる極上のギフト。
レオス・カラックスがこの世界に居てくれることに心から感謝したい。
人生を芸術と捉えるカラックスがまた、私たちを目覚めさせる。
池松壮亮(俳優)
スクリーンの向こう側とこちら側を軽々と往来し、観る者を巻き込み、惹きこ���でいく異次元すぎる展開に唸った。すごい映画を観てしまった。
石川直樹(写真家)
レオス・カラックスが自分のことを映画にした極私的映画だと思って終始見た。アダム・ドライバーを通じて描いた世間からの自分の見え方、見られ方。当人にしか描けない立場と視点を軸にした物語の自虐的な曝け出し方と心の底からの本音に失笑しながら感動した。
今泉力哉(映画監督)
アダム・ドライバーがモデルにしてる芸人はレニー・ブルースという実在した芸人。 笑いをとってなんぼという概念に縛られたコメディアンという仕事への葛藤が画面から血が滲むように伝わってきた。
ウーマンラッシュアワー 村本大輔
(コメディアン、漫才師)
映画と音楽の本性が、心の防波堤を突き破って魂を鷲掴む!!!!!!! “アネット体験”によって「人」は紛れもなく「人間」であったということを思い出すだろう!!!!!!!
宇川直宏(DOMMUNE)
ここ何十年、僕が映画を見ても感じられなかったことがここには詰まってます。不穏で怖いほどの映像美、読めない展開、ダークなシニカルな人生の???。結婚についての本を数冊出した僕には大変ビターで感慨深い作品でした。
岡村靖幸(音楽家)
舞台に立った時のあの孤独が鮮明に描かれていて、目が離せなかった。見せているのか。見られているのか。問いかけても、歌が言葉をかき消してしまう。そして次第に、観客であるはずの自分が、映画に見られているように思えてくる。
尾崎世界観 (クリープハイプ)
ショウビジネスの持つ狂気と愛と闇を、それら全部を使って表現したような作品。実験的であり、本質的でもあるエネルギーを感じました。
かもめんたる 岩崎う大(芸人)
次から次へと目の前に映し出される映像がとにかく美しく、そこにミュージカルの要素が加わり、あっという間に非日常の世界に引き込まれ、ずっと魅了されっぱなしでした。スタンダップコメディーのシーンは、実際にライブを体験しているかのような臨場感があり、とても楽しい時間を体験できました!最高!
かもめんたる 槙尾ユウスケ(芸人)
ヘンリーとアンと、そしてアネットの愛の行く末を観ました。ダークでファンタジーが故にものすごく感情が揺さぶられました。「どんなミュージカル映画なの?」と聞かれたら僕は『アネット』と答えます。これぞ唯一無二ですね。
ガリットチュウ熊谷茶(芸人)
カラックス。私が生涯一番影響を受けた作家。 『アネット』は、シニカルに表現の解体に挑み、自己を中傷しながらも、どこまでも映画でしかなくどこまでも極地、そしてどこまでも”カラックス”自身であることが最大の新天地である。影響受ける作家は多くいる。しかしこれは誰にもマネ出来ない。現在進行形だからである。
河合宏樹(映画監督)
現代にこそ撮られ、現代にこそ観られるべき映画!Just Now! 演者か?観客か?誰がエンターテインメントを葬送するのか? ミュージカルのスタイルで描く20世紀エンターテインメントへのレクイエム。ミュージカル映画はまだまだ進化の可能性を持っている事が確信できる。
岸野雄一(スタディスト)
スパークスの音楽が1999年のポーラXへと導き、私たちは質度の高い映像に引き込まされ、エンディングのアネットに打ちのめされてしまうのだ。一級品映画人、レオス・カラックス!
北村道子(スタイリスト)
『アネット』はスパークスのロックオペラから着想している。常にロック的であることから逸脱し続けるスパークス兄弟と’映画‘を革命し続けるレオス・カラックスは異母兄弟の様にも感じる。この兄弟達は手強く、深く、魅力的だ。
栗野宏文(ユナイテッドアローズ上級顧問)
「あまりの凄さに絶句。我々はここ何十年、こういう映画を待ち望んでいた。驚異的であることは、映画にとってやはり最高の価値なのだ」
黒沢清(映画監督)
ずっと胸ぐらを掴まれているようだ。映画には歌も踊りもあるのに掴んでくる相手は無言。緊張感がある場所を彷徨いながら、新しい自分の器が満たされました。
高良健吾(俳優)
60歳を迎えた“恐るべき子供”は、とんでもない“映像の犯罪”に手を染めた。 映画の定石だけでなく、自らのスタイルをも破壊、“ボーイ・ミーツ・ガール”の先にある愛と反逆を歌いあげるピカレスク・ロマン! カラックスは永遠の“ROCK”な悪童だ。
小島秀夫(ゲームクリエイター)
ニューウェイヴの雄スパークスが驚きの参加、レオス・カラックスが、魂の暗部をえぐり出し、心を震わせる。先端を走り続けるスパークスのロックを底力にして、特異で斬新なビジュアル宇宙が展開する。アネットの虚空を震わせる歌声によって、世界はダークサイドを裏返され、美しさを更新した。
サエキけんぞう(作詞家、アーティスト)
待ち焦がれたカラックスの新作、それもあのスパークスとのロックオペラ! 映画館の暗闇で思わず立ち上がりたくなるほどの興奮をぼくらは懸命に抑えねばなりません。今のぼくらは立ち上がることはおろか、呼吸をすることすら許されてはいないのです。
志磨遼平(ドレスコーズ)
どんな本音も心の闇も個人情報も包み隠せないパーソナルな歌声。男女の会話は歌にすることで、運命の相手かどうかわかります。
辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)
映画的興奮に満ち満ちた極上の140分間。 二人は歌いながら幾度となく死に観客を殺す。 深い愛に巻き込まれた僕らはエンドロールが終わる瞬間まで、呼吸の自由を禁じられてしまうのだ。
しんのすけ(映画感想TikToker)
夢幻美と暗示に彩られた映像とアンティークなアートに溢れたロックによって描かれるのは、オペラとしての王道な“愛と死”…?と思いつつ観ていたら、ひょっとすると現実の自分も愛の暴発と死の恐怖に“操られて”いたのかも?という気持ちに。 生まれ出た世界に『アネット』がもたらしたものは悲しみだけではなくて、新しい何かへ向かっていく意志の芽生えでもあるのです。
鈴木大介(ギタリスト)
ドラクロアの絵の様な深い青が印象的な画面。その中の人物が音楽を奏でながら躍動する。レオス・カラックス監督は絵画と音楽を融合させてこの映画を見事なロックオペラにした。色は歌を歌い、踊り、恋をする。そして奇妙で孤独な終わりを迎える。その時の色を私はまだ決められないでいる。
鈴木博文(moonriders)
2時間20分はあなたの人生のほんの一瞬かもしれない。しかし、この稲妻のような閃光と音響のカーニバルは、失意、幸福、後悔、恍惚、愛と死と共に生きたひとりの男の孤独な数千日の夜から発している。映画館の闇の中でその音光の渦に飲まれよう。あなたの脳には生涯消すことのできないアネットの聖なる痕跡が残るだろう。
諏訪敦彦(映画監督)
長い長いミュージック・ビデオを観ているようで、脳が痺れた。
曽我部恵一(ミュージシャン)
《驚いた…》と言う言葉を使って良いのだろうか… この映画から何を感じたか…それを言葉にするのは《嘘》になってしまう。全てのシーンはこのためにあったのか…!レオス・カラックスはそれを見事に映像と音楽に叩きつけた! 《ミュージカル映画》と言う次元を超え、ぼくたちはスクリーンに釘付けだ!「え?これでおしまい…?!」思わずつぶやいてしまった。もっともっと観続けていたい映画だった…
竹中直人(俳優・映画監督)
ステージを眺める私達がいる。目線の先には演者が全身を使って声を操っている。美しい旋律。その完璧な美しさの源に、誰かが気付く。歪である、と。それも正しい、自然な事だと私達が言葉にせずとも肯定している時、いつしかその思いは会場中にふわりと充満して、もう元に戻らなくなってしまう。いつからか私達が望んだ事が演者の人生にまで入り込んでいく。最後まで見届けるしかない。
玉城ティナ(女優)
言葉にし難い…。ミュージカル映画?否、これはカラックス映画だ。虚構と現実が混じり、詩的で私的。孤独と血が滲み、切実。英語で歌おうと、御伽噺を紡ごうと、アダム・ドライバーという繊細��猛獣を得ようと、カラックスはどこまでもカラックス。映像言語で苦悩し断絶している。恐るべき子供は変化した。しかし恐るべき子供のままだ。
津田健次郎(声優・俳優)
愛する者を失う、喪失した男の物語をレオス・カラックスは描き続ける。それは彼自身の人生とも重なる。60歳を越えても、新しい映画作りにチャレンジするレオス・カラックスの姿勢に敬服し、励まされました。彼の映画で一番好きです。
豊田利晃(映画監督)
映画でのみ成し得る感動をまたしても発見させられた。カラックスという芸術家の態度が、いつも僕を焚き付ける。
中島歩(俳優)
人生は映画のようにはいかないとみんな言いますが、人生こそが映画なのだと思いました。映画は娯楽だとみんな言いますが、映画は作家性なのだと思いました。なんでも分かった気になるもんじゃないですね。目が覚めました。
永野(芸人)
レオス・カラックスが映画の全世紀を映し出す。無声映画があらゆる時代とあらゆる世界に向けて響かせる、映画のフィードバック音と言ったらいいか。その怒涛の洪水がこの闇の世界の地下水脈となり、われわれを新たな世界へと導くだろう。そんなカラックスの幻視の凶暴さに、胸を打たれるばかりである。
樋口泰人(爆音映画祭主宰)
はっきり言って、こんな映画は観たことがない。その上ミュージカルとなると、より一層過去にこんな映画は存在しないだろう。前々から話題になっていた、例の赤ちゃんの演出。インタビューなどで読んで知ってたけれど、ああなるとは!
観た後、好き嫌いは当たり前ながらあるでしょう。でもこれこそ、百聞は一見にしかず。この映画を観る観ないのために生まれた言い回しなのかもしれない。
藤倉大(作曲家)
こんな息を呑むミュージカル映画は初めてでした。 マリオン・コティヤールの美しさ、狂気あふれるアダム・ドライバー、ラストシーンのデュエット。 映像もとても綺麗で、映画館で思う存分堪能して欲しいです。
前田敦子(女優)
美しきオペラ歌手と傲慢なコメディアンの夫婦のロックオペラ。 父と娘のデュエットは胸に刺さる。
町山智浩(映画評論家)
「恐るべき子ども」と称賛を集めたデビューから、カラックスの作品には必ず、子どもの身ぶりをとらえる印象的なショットがあった。そしてついに今回、子どもをタイトルロールに迎え、「恐るべき子ども」が真に実現される。円環の完成に喝采!
町山広美(放送作家)
いつ夢から覚めるんだと思いながら夢の中を突き進んだ。 そういえば、これはカラックスの映画だった。 カラックスと音楽たちの中に紛れ込むと、雄弁で潔いのに、こんなにもはっきりと五感にモヤがかかる。 ロックだった。深呼吸!
松居大悟(映画監督)
理屈ではなく沈み込ませる圧倒的な凄み。芯を打たれた気持ちよさ��ぜんぶ冗談じゃない!映画ってこんな痺れるほどカッコいいんだって生き様を見せつけてくれた。こんな映画があるからやめられない。スクリーンに生存する愚直な怪物たちに称賛しかない。
真利子哲也(映画監督)
レオス・カラックス×スパークス!! 顔合わせに驚いたが、双方の「寓話性とロマン」が強力に引きつけ合い、観客から未経験の感情を引き出す凄さに脱帽。人間を越え、至高を目指す芸術と、人間の業を肯定する芸能(お笑い)の愛の結晶たる「アネット」の明日はどっちだ?!
湯山玲子(著述家・プロデューサー)
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プーチンの侵略を止める唯一の方法
ゼレンスキーは大統領として2つの大きな過ちを犯した。
プーチンと同等の罪、あるいはプーチン以上に責任を問われる大罪かもしれない。
ロシアへの制裁を続けることは止めるべきだ。
1つは「ウクライナ市民を混乱に巻き込み多くの子供達を死なせた大罪」
「それはプーチンの罪だ」とゼレンスキーは言うだろう。
しかし「火炎瓶を持ちロシアと戦え!」「60歳以下の国民は全員武器を持ちロシアと戦え!」と、戦地に自国民を送り込み続けているのはゼレンスキー大統領である。
プーチンは「抵抗するな」「戦うな」と警告している。
もう一つは「世界中に〝ロシアと戦え〟と訴え、欧米と日本を巻き込み世界中を危機に追い込んだ大罪」
実際、ロシアを敵と見做して経済制裁や〝敵〟だ〝悪〟だと攻撃してメリットのある国は世界中どこにもない。
あえて得する国があるとするならば〝中国〟のみだ。
中国から見れば、あわよくばロシアを傘下に取り込める可能性がある。だから適度にロシアを中傷しつつもロシア寄りを維持している。
更に、得する人物がいるとするならば、それは紛れもなく〝Володимир Олександрович Зеле��ський〟ただ1人。
ウォロディミル・ゼレンスキーは、ドラマで大統領の役を演じたコメディアンとして人気となり、その人気に乗じて本当に大統領に就任することになった人物だ。
そして今、ゼレンスキーは大統領としてドラマの主人公を演じてウクライナだけではなく〝世界中の人気者〟を目指している。
明らかに〝売名行為〟である。
大量虐殺の仕掛け人は〝Volodymyr Oleksandrovych Zelenskyy〟ウォロディミル・ゼレンスキー大統領である。
《ウォロディミル・ゼレンスキーの選択》
ゼレンスキー大統領の正い選択は「ウクライナ国民は元より1人の犠牲者(死者)も出すことなく、隣国は元より世界中の平和を脅かすことが無い選択」である。
無��、突然の砲撃で侵略行為を遂行したロシアは間違い無く大罪であり、あってはならない選択だが、日本の真珠湾攻撃(パールハーバー)とは違い、再三の警告があった。
ウォロディミル・ゼレンスキーは大統領としてプーチンを甘く見て対応にミスがあったのだ。
同じように日本の「ロシア専門家」と呼ばれる評論家全員がプーチンに対する見識が甘かった。
私は再三に渡りTwitterで「プーチンを追い込むな」「世界中がロシアを敵視することは危険」と警告してきた。
当初からゼレンスキー大統領の発言は「ロシアは悪だ!ロシアと戦え」と世界中を対ロシア戦に本気で巻き込もうとしていた。
むしろ戦略を見誤ったのはゼレンスキー大統領である。
第三次大戦を回避する為に戦争を起こさないという基本的な考え方は現代のセオリーである。
ゼレンスキー大統領は所詮コメディアンであり政治家では無い。
「SNSを活用してドラマチックにロシアを撃退する」
《正い選択》
私がゼレンスキー大統領の側近だったなら、以下の様なシナリオを提案する。
最初に・・・
ゼレンスキー大統領「私は国民の生命と世界平和を守ために断腸の思いでプーチンの条件を全面的に受け入れることにした」
と、表明する。
ロシア軍は攻撃する大義名分を失い、多少のウクライナ侵攻はあってもミサイルでウクライナの国民が死傷する最悪な状況は回避できる。
ゼレンスキー大統領の〝無条件降伏〟とロシアは報道するだろう。
プーチンも怒りの矛先をウクライナに向ける意義を失う。
ここからが本番である。
ゼレンスキー大統領の無条件降伏を理由にロシアが経済的、実質的に侵攻してきた時に初めてゼレンスキー大統領は世界中に向けてメッセージを送る。
ゼレンスキー大統領「私は〝核ミサイルを使うぞ!〟〝化学兵器を使うぞ!〟プーチンに脅迫され、ウクライナ国民の生命と近隣諸国や世界の平和を守ために断腸の思いでプーチンの条件を全面的に受け入れたが、ウクライナの主権を脅迫という卑劣な方法で奪うプーチンのやり方には同調できない。今こそ世界平和の為に、戦争を回避する為に世界中の国々の代表者の仲裁を求める」
と、表明する。
実践的な戦闘が行われるということは、攻撃するロシア側にも死者は出る。
戦場がウクライナだとしてもゼレンスキーが大統領命令で戦闘を指示すれば両国で死人は増加する。
兵隊も一般市民も1つの命であることには変わりない。
兵士だから死んでも当然という考え方は正当化されないからだ。
ロシア兵にも親や兄弟はいる。また、攻撃するウクライナにも多くの友人を持つロシア兵も大勢いるのだ。
私は問いたい。
もしあなたの目の前に敵国の兵士が現れ銃を向けてきたとき、その兵士は友人だった。
本当にその兵士はあなた殺す為に引き金を引くと思いますか ?
あなたは撃ち殺しますか ?
と・・・
ガチで戦争したらデメリットしか生まれないことを誰しもが知っている。
「ロシアの侵攻がうまくいっていない」 とか・・・
「プーチンの戦略は失敗した」など・・・
様々なニュースが聞こえてくるが、昭和時代の戦争とは違い、何百倍も速く、何百倍も多くの〝情報〟を得ることができる現代では、実際の状況が順調でも遅く感じるものだ。
それを昭和時代の評論家や専門家は理解できないのだ。
《無条件降伏後》
ゼレンスキー大統領の最大のミスはココだ。
「ウクライナ国民は戦え!ロシアを攻撃しろ!」
「ウクライナを守ために世界中がウクライナに協力してプーチンを追い詰めろ!」
と、間違ったメッセージを送り続けている。
更に最悪なことに、このゼレンスキー大統領のメッセージを美化してロシアを糾弾するデモが世界中で起こったことだ。
ますます調子に乗ったのが〝Volodymyr Oleksandrovych Zelenskyy〟ウォロディミル・ゼレンスキー大統領だ。
無条件降伏後のポイントは「国益は国民の命」「最優先は国民の生活」と訴えることである。
〝戦争〟では無く〝政治〟で解決する洗濯であれば、ゼレンスキー大統領は政治家としてヒーローになれるし、欧米各国や日本もロシアとの交渉に深く関与することが可能だ。
実践的な戦争��中ではウクライナに協力する範囲に限界があるし、ロシアへの経済制裁も長くは続けられない。
【ウクライナ侵攻を終わらせる唯一の方法】
以上の理由からゼレンスキー大統領はウクライナ国民全員を恐怖と不幸に巻き込んだ最悪の大統領と結論付けることができる。
この戦争を終わらせる方法は、ゼレンスキー大統領が他国がウクライナと共に戦争に参加することは無いと早く〝理解〟して、プーチンの提案を全面的に受け入れるしかない。
最悪の場合、ロシア国民の生活が窮地に追い込まれたり、ロシア国内でのプーチンの立場が危うくなれば、第三次大戦にもなりかねない〝核爆弾〟や〝化学兵器〟が使われ、日本の様に再起不能になってからゼレンスキーが降参するというシナリオだ。
ゼレンスキーを一方的に支持する様なマスメディアは報道を控えるべきだ。
#ВолодимирОлександровичЗеленський #VolodymyrOleksandrovychZelenskyy #ゼレンスキー大統領 #Z #ウクライナ
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🎼 00786 「Muscle Of Love」。
いつかの東京堂書店の、映画の本がずらりときちんと並んでいる棚 (この棚を見ているだけで わたしは しあわせな気持ちになります) に並んでいました、表紙のアーノルドが笑っているのだか何なんだか分からない本 「シュワルツェネッガー主義 (てらさわホークさん、洋泉社 2018年)」 を読んでみました。表紙のセンスを除けば 面白い本でした。アーノルドの そのすべてを知りたい、受け入れたいとは思いませんけれど、それなりに彼のことが学べました。写真も (白黒ではありますけれども) とても豊富で、ファンには たまらない内容になっているかなって思いました。さてさて、この本は 大まかに 11章に分かれています。わたしは アーノルドのことが大好きではないですけれど、それでもアーノルド映画は わたしの側に ちょこんといたやうに思います。時代と共に 彼の作品を映画館で観ることは少なくなりましたけれど、カリフォルニア州知事になる前までの彼の映画は それなりに映画館でちゃんと観ていたやうに思います。そんな訳で アーノルダー映画で溢れたこの本をテキトーに書き留めます。
#1 「シュワルツェネッガーの黎明期」。
お兄さんばかり可愛がられていた家庭で育った 弟のアーノルドは (パパに鞭やベルトで叩かれながら) 日々劣等感を抱えていたさうです。ある日のこと、彼は バーベルに出会い、ここから アーノルドのすべてが始まったみたいです。映画でいうところの "SF超人ヘラクレス" から "レッドソニア" あたりまでの あんまり服を着ていないころのアーノルドの日々が書かれています。
#2 「ターミネーターの衝撃」。
ジェームズ・キャメロン監督作品 "ターミネーター" が出来上がるまでが書かれています。アーノルドのターミネーターも凄かったですけれど、彼が持っていた 赤いレーザー光線のやうな照準が付いた拳銃がとてもも怖くて、でも魅力的だったりして、わたしはこの拳銃ばかりに 目が行っていたやうに思います。ちなみに あの拳銃は 何という名前だったのでしょうか。わたし、気になります。
#3 「決定打 コマンドー」。
マーク・L・レスター監督作品 "コマンドー" が出来上がるまでです。わたしが初めて映画館で観たアーノルダー映画は "ターミネーター" でも "レッドソニア" でもなく "コマンドー" でした ("ターミネーター" はビデオカセットで見ました)。"コマンドー" は 当時 "残虐非道映画" のやうな扱いでした。確かにそんな感じな映画でした。ジェイソン・ボーヒーズ映画に引けを取らない感じ。入れ替えのない映画館で、わたしは 2回観て帰りました。
#4 「シュワルツェネッガー快進撃」。
忘れもしません、忘れません。わたしが生まれて初めて 映画館の上映に間に合わずに 本編上映の途中から観た、わたしのなかの思い出深いアーノルダー映画、ジョン・マクティアナン監督作品 "プレデター" についてあれこれと書かれています。他にも The Rolling Stones の "(I Can't Get No) Satisfaction" をカーステレオで掛けながら (殺戮ソングに使いながら) 悪者を次々に撃ち殺す場面が眩しいアーノルダー映画 "ゴリラ" や、説明不要の超問題作 "バトルランナー" や、鳥の餌やり用腕時計のことばっかり頭にちらついて離れなくなる "レッドブル" を紹介しています。この頃のアーノルドの映画は ほんと名作揃いで うっとりします。
#5 「コメディアン。シュワルツェネッガー」。
一昔前、土曜の夜の "ゴールデン洋画劇場" や "日曜洋画劇場" あたりで幾度となくリバイバル上映されていました、アイバン・ライトマン監督作品 "ツインズ" や "キンダガートン・コップ" や "ジュニア" などの、アーノルド映画が アクション映画だけではないところを見せはじめたころのアーノルダー映画を紹介しています。けれども、なぜか 宮沢りえさんと組んだ "アリナミンV" については 不思議と 一言も触れていません。
#6 「トータル・リコール という特異点」。
ポール・バーホーベン監督作品 "トータル・リコール" についてあれこれと触れています。あ、さうさう、物語の舞台は 2084年でした。
#7 「ターミネーター2 という問題作」。
ジェームズ・キャメロン監督作品 "ターミネーター2" は 確かに問題作ではありましたけれど (公開当時、わたしは "日本劇場" の先行オールナイトでこの映画を観ました。たしか 混み合いながら 立ち見で観て 足と腰がとてもズキズキした覚えがあります)、それよりも ブルース・ウィリスや シルベスター・スタローンらとつくった、知る人ぞ知る "プラネット・ハリウッド" のほうが問題だったやうに今は思います。
#8 「シュワルツェネッガー、大いにつまずく ラスト・アクション・ヒーロー」。
公開当時、大期待して観に行きました、AC/DC や Teslaが流れたりする ロックなポンコツ映画 "ラスト・アクション・ヒーロー" を取り上げています。
#9 「低迷期」。
"トゥルーライズ" 以降の、大ヒット映画が年々減っていくアーノルド映画をそれなりに紹介しています。
#10 「シュワルツェネッガー都へ行く」。
アーノルドが "カリフォルニア州知事" になったことについてのお話よりも、文中で見つけました 映画雑誌 "プレミア(Premier)" のことのほうに気持ちが流れてしまいました。日本語版も当時発売されていて 毎月買っていました。確か 角川書店から発売されていたやうに思います。
#11
「それからのシュワルツェネッガー」。
政治活動をバトルランナーし終えた アーノルドのそれからを紹介しています。この章では "エクスペンダブルズ2" から先のアーノルダー出演作品をを紹介しています。
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「地球一周の船旅100万円」と書かれたポスター。居酒屋などで見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。
これはNGOピースボートと株式会社ジャパングレイスが主催する地球一周クルーズを募集するポスターで、私も参加経験があります(2015年に地球一周クルーズに参加、2017年に台湾・宮古島方面を巡るショートクルーズに参加)。
実はこの度、私は「ピースボートの8月出港クルーズ中止を求める会」を設立し、日本政府や各省庁に対して「ピースボートの2020年8月出港クルーズ中止を求める声明」という声明文を提出するに至りました。
その内容は以下の通りです。
ピースボートの8月出港クルーズ中止を求める声明 私たちは、ピースボートクルーズ参加者(過去乗船者、スタッフ経験者など)によって組織された会です。
現在、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミック状況を受けて、日本政府および各自治体は、7都道府県への緊急事態宣言、外出自粛要請、学校の休校措置など、数多くの対策を打ち出しています。
しかし現時点において、NGOピースボート・株式会社ジャパングレイスが主催する「第105回ピースボート 地球一周の船旅」(2020年8月出港)および「第4回ピースボートプレミアム 地球一周の船旅」(2020年8月出港)は調整を挟みつつも、実施の方向で動いております。これは現在の世界情勢に鑑みても、日本社会の動向と照らし合わせても逆行するものであり、適切な対応とは考えられません。
日本社会において新型コロナウィルス感染症の知名度が高まったのは、今年2月に横浜に寄港したイギリス船籍のクルーズ船・ダイアモンドプリンセスにおける集団感染に端を発しております。
この記憶が冷めやらぬ中でのクルーズ実施は、乗客・スタッフの親族や友人、各寄港地の運転手や通訳、ホテルスタッフ、ならびに現地住民の方などからの不安や反発を招くことに繋がりかねません。
また諸外国が都市封鎖(ロックダウン)を行う中、客船からの観光客らが大挙して押し寄せることは、不適切と言わざるを得ません。
万が一、クルーズ実施中に船内での感染者の発生・拡大(クラスター)や、クルーズを媒介とした船から寄港地、寄港地から寄港地への感染拡大(オーバーシュート)が発生した場合、NGOピースボート・株式会社ジャパングレイスのみならず、日本という国そのものへのイメージダウンに繋がりかねません。
従って、私たちは「第105回ピースボート 地球一周の船旅」および「第4回ピースボートプレミアム 地球一周の船旅」の即刻中止(あるいは無期限延期)を求め、政府にはNGOピースボート・株式会社ジャパングレイスに対する出港差し止め命令の発令を要請するものであります。
これは乗客・スタッフらの生命と安全を確保し、各寄港地の混乱を避けるためのものであり、ひいては諸外国から日本への好感度の低下を未然に防ぐことを目的としています。
以上、政府および国会に対して検討を求めます。
(2020年4月14日、政府に提出済)
ピースボート「いまのところやりますよ」 私は新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の流行に、かねてより心を痛めていました。
ダイアモンドプリンセス号でのクラスター感染、日本を代表するコメディアン・志村けんさんの訃報、学校の休校措置…。東日本大震災の時とはまた違った、じわりじわりとした恐怖を感じ取っていたのです。
特に船旅に参加した経験がある私は、ダイアモンドプリンセス号のニュースを食い入るように見ていました。
そこでふと脳裏によぎったのは、「今年もピースボートクルーズは実施されるのか?」ということでした。そこでスタッフの方に問い合わせてみると、なんと「いまのところやりますよ」という返事が来たのです。
もちろん調整を挟んでおり、寄港地を変更するなどの可能性はゼロではないようですが、「いまのところは予定通りです。まだこの先の状況が読めないので」とのことでした。
絶対に今やってはいけない ダイアモンドプリンセス号のニュースを鮮明に覚えていた私は、「このままではいけない」と決意し、先述の通り会員を集め、声明文を書き上げて提出するに至ったのです。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックは1年延期され(これも1年だけの延期で足りるのか大いに疑問ですが)、テレワークの実施、外出自粛要請などが行われている中、1000人規模の客船で船旅を行う。
これは絶対に今やってはいけないことです。
私はピースボート関係者が憎くて言っている訳ではありません。もちろん企画内容の偏りなど様々な瑕疵がNGOピースボートにあることも事実です(詳しくは拙著『僕がぼくであるために』を参照して頂けると幸いです)。
しかし私にとってあのクルーズはかけがえのない体験であり、大切な仲間との出会いを与えてくれたものでした。
しかしながら、「ピースボート関係者と仲が良いからピースボートを批判しません」というのは正義に反します。私は見知らぬ人が万引きをしていたら、「それ何やっているんですか?」とやんわりと注意します。
しかし、もし友達が万引きをしていたら「お前何やってんだ、おかしいだろ!」と強く注意します。相手が間違っていることをしていたら、それを止めたり注意したりして、正しい方向へと教え導く。それが真の仲間だと考えているからです。
『ハリー・ポッターと賢者の石』という小説に、次のような一節があります。
敵に立ち向かうのは大変勇気がいること。じゃが、友達に立ち向かうのはもっと勇気がいる。
正しいことを正しい、間違っていることを間違っていると主張すると、人は嫌われてしまう。それでも私は勇気をもって、声をあげる道を選びました。
今クルーズを実施しても、良いことは一つもありません。クルーズの中止ないし延期が正しい判断です。目先の利益に目を奪われ、「正しい運営」���「NGOピースボートの存続」といった本質を見誤ってはならないのです。
以上のことから私は、「第105回ピースボート 地球一周の船旅」および「第4回ピースボートプレミアム 地球一周の船旅」の即刻中止(あるいは無期限延期)を求めます。また乗客への旅行代金の返金(あるいは次回クルーズへの引継ぎ)も必要な措置だと考えます。
コロナ騒動に揺れる日本社会にて、こうした声をあげた会があったことを皆さんに知って頂きたいと思います。そして賛同して頂ける方は、この記事のシェアなどして頂けると幸いです。
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フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督『ロープ 戦場の生命線』 原題:A Perfect Day 制作:スペイン, 2015年 停戦から間もないバルカン半島の紛争地帯。水と衛生の管理を任務に活動する男女5人と、地雷、死体、武器、廃墟の地で生きる人々が描かれる。やるせない展開と荒廃し枯れた風景がつづくなか、戦争から残された人々への静かだが深い彼らの思いが切々と伝わってくる。わたしはこの映画を「ブラック・コメディ」と呼ぶことはできない。1)
5人はそれぞれ国籍が異なる。スペイン人のマンブルゥ、アメリカのビー、ウクライナ人のカティア、フランスのソフィー、そしてボスニア人のダミール。国境を越えて支援活動する彼らは、支援の対象がそうである以前に、内面にも国境のないヒューマンとして描かれている。生物学上の人(ヒューマン)は狩猟採集民の時代から道徳性を備えていたという。2) そしてもうひとり、現地の少年ニコラが一行に加わる。ニコラは戦争で両親と別れ、祖父に預けられている。5人に助けられながらも少年は、両親に会いたい理由を隠し保安責任者のマンブルゥを裏切る。だが、ニコラの両親は戦闘で廃屋となった自宅で首を吊って死んでいる。事情を知るマンブルゥは、必ず祖父といっしょに会いに行くようにとニコラを諭しながらも、隠し持っていた100ドル紙幣をニコラに与える。ニコラは、マンブルゥが苦労して探し与えたサッカーボールを、旅に必要な僅かなお金に交換していたのだ。 マンブルゥはニコラが受けることになる悲しみを共有し、ニコラはマンブルゥの気持ちを裏切って別れた両親に情愛を注ぐ。こうした情動は宗教や戦争が生まれるはるか昔、先史時代すでに人類が授かっていた本来の性質だ。2)3) エンディングに置かれた「花はどこへ行った」は、大きな忘れ物をした現代人の悲しさの象徴なのだろう。残された人々の情動が、戦争で失なわれた花として歌われている。 だが、この映画に描かれているのは共感や悲しさだけではない。ユーモアや辛辣な皮肉も描かれている。「この土地では赤ん坊も笑いながら生まれる」「いちばん有名なコメディアンは、この地の出身だ」という通訳のダミールに、マンブルゥは「井戸の男も大爆笑だな」と返す。地元のロープ店でロープを買おうとするビーに、店主は首を吊るのにロープがいるから売ることはできないと言う。その上で、切れたロープに代わるのは、ニコラの両親の首に掛けられていたロープだ。 一方で、国連軍には「裁判官の許可が必要だ。和平合意の取り決めを尊重しないと衝突が起こる。死体に触れてはならない」と言わせ、死体を吊ったロープを切る兵士の姿を映し出したりもする。おそらくこれは���8000人のイスラム教徒が殺害されたと言われる、1995年のスレブレニツァの虐殺4) を防げなかった国連軍への当てつけだろう。こうしたユーモアや皮肉も、ヒューマンの証なのだ。 首にかかるロープが悲劇、死体を吊るすロープが支援の絆、死体が投げ込まれた井戸が戦争による分断の象徴なら、ロープを切って死体を落とすのは大きなお節介、大雨で井戸から浮かんだ死体を引き上げる住民たちの姿は、悲劇からの回復の象徴ばかりか彼らへの尊厳の現れだろう。『ロープ 戦場の生命線』に描かれるこうした多様な思いこそが、まさに人が咲かすことができる「花」なのだ。戦争はその種子を墓場へと導く。 字幕とともに流れるデートリッヒの「いつになれば、みんなわかるのだろう」の歌声に共感を覚えると同時に、切なく辛い思いを抑えられなかった。わたしたちはいまこそ、先史時代に授かった人本来の能力を取り戻し守る必要がある。墓場へと連れ去られる人々と、それゆえに残された人々を思いやることができなければ、どれほどの犠牲を払っても戦争は何も解決できない。どれほどの祈りを捧げようと宗教に意味はない。『ロープ 戦場の生命線』は、人間の本性を呼び起こすことの大切さを知らせる、現代社会に不可欠の教えだと思った。 1)Wikipedia「ロープ 戦場の生命線」はこの映画を「ブラック・コメディ」としている。 https://bit.ly/2HmsqDY 2)フランス・ドゥ・ヴァール『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』紀伊國屋書店, 2014. 3)クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらした 病んだ社会の起源』河出書房新社, 2020. 4)Wikipedia「スレブレニツァの虐殺」 https://bit.ly/35juvIN
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『沢田・志村の「さあ、殺せ!」』 (2003年7月19日〜8月9日、Bunkamura シアターコクーン) 公演プログラム p.2
久世光彦 《彼方のコメディ・ジュリーズ》
もうずっと前の話になるが《薔薇の名前》という、ほんとうはとても難しい本が、日本で何故かベスト・セラーになったことがあった。キリスト教の神学の混乱の歴史に、十分な理解がなければわからない上に、アリストテレスの《詩学》には、現存する〈悲劇論〉と対になる〈喜劇論〉が実はあったという、大胆な大嘘フィクションの上に成り立っているのだから、私などはとても歯が立たなかったが、とにかく〈悲劇〉と〈喜劇〉がバランスよく相対していないと、世の中は案配よく治まらないということだ。エーコーの《薔薇の名前》では、中世の禁欲的な神学が、人間の〈笑い〉を禁じ、抑圧しようと意図したことから、古い僧院の図書館で殺人事件が起きる。 ずいぶん小難しいイントロから始まってしまったが、私はかねてから、〈笑い〉がないと生きていけない性質の人間である。それも、かなり過激で、爆発的で、リアリティなんか糞食らえというほどの、いわゆる〈スラップ・スティック〉コメディが大好きだ。わが国ではこの〈スラップ・スティック〉のことを、〈ドタバタ〉とか〈アチャラカ〉とか訳して侮蔑する向きがあるが、私はそう呼ばれたところで、お客が笑い転げてくれるなら、ちっとも恥ずかしくも何ともない。むしろ名誉なことだと思う。──人間、笑わずに半年暮らしたら、気が変になる。 ここで勘違いして欲しくないのは、私がこの年齢になっても憧れているのは、よく訓練され、練り上げられたコメディであって、テレビで毎晩やっている〈身内ネタ〉や〈暴露ギャグ〉のことではない。練習に練習を重ねたものを、生の舞台で、なるべく〈アドリヴ〉のように見せかけるのが、この道の〈粋〉なのだ。──ここに〈同志〉が一人いる。ジュリーという、美しいコメディアンである。この人がこんなに〈笑い狂い〉とは、少し前まで知らなかった。私がこの人とした仕事は《悪魔のようなあいつ》とか《源氏物語》とかが主なもので、およそ〈アチャラカ〉とは縁遠かった。だから三年前に〈ドタバタ〉で再会したときは、嬉しかった。奇蹟に出会った気持だった。だから、こいつと腕を組んで、阿呆な道中をいけるところまでいきたいと思っている。 もう一人、阿呆の〈同志〉がいた。──志村けんというこの人は、顔はともかく、後ろ姿が可笑しいコメディアンである。後ろ姿でも、ちゃんと顔まで見えるのだ。ということは、たぶん切なくて哀しい人なのだろう。破壊的でありながら切なく、アナーキーに見えて哀しいのだ。稽古に入ってから、私はこの人のことを〈コメディアン〉というよりは、〈役者〉だと思うようになった。 こうした奇蹟的な〈同志〉たちと、〈笑い〉の修羅場を潜り抜け、〈笑い〉に命を賭けて、やがて私たちの芝居が《コメディ・フランセーズ》にあやかって、《コメディ・ジュリーズ》と呼ばれるようになったら、どんなに幸福なことだろう。
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経済活動の一部再開、抗議活動やESLで質問されたことについて
・経済活動再開に向けて
私の住んでいるナッソー郡ではコロナの感染者数、死亡者数が少なってきたので、少しずつ経済活動再開に向けて、動き出しました。【 ナッソー郡の感染者41,060名(前日41,015名)、死者数2,654名(前日2,653名)】 以前、経済活動の再開は4つのフェーズに分けて段々としていくそう、ということをブログに書きましたが、ナッソー郡は水曜日にフェーズ2に進むことになりました。
第1段階:建設業,農業,林業,水産業,一部の小売業(カーブサイドや店頭での商品の引渡し等のみ),製造業,卸売業,
第2段階:専門サービス,小売業,事務職,不動産業
第3段階:レストラン,飲食サービス 第4段階:芸術,エンターテーメント,リクリエーション,教育
近くのショッピングセンターなどからリオープンのお知らせのメールなどもきていました。外を歩いている人は、マスクをしている人がまちまちになってきた気がします。屋外を歩いていて、他の人と2m以上間隔があけられるならマスクしなくてもいいだろうという認識のようです。マスクしていると浮くときもあります。でもフロリダでは経済活動再開後、患者数が増えたそうなので、油断があったりするのは怖いですね。
・抗議活動(Black Lives Matter)について
先週末までは一部な過激な抗議活動による暴動を抑えるため、ニューヨーク市では夜間外出禁止令が出ていました。近所のショッピングモールにも暴動予告?があったようで、店のガラス窓などは木のボードで覆われていました。
ですが、多くの抗議活動は平和的に行われているようです。私の住んでいるところでも先週末、抗議活動のため道路が封鎖され、平和的な抗議活動が行われていたそうです。
写真のように広場にチョークで”Black Lives Matter"と書かれていたり、自宅の庭に標語が書かれた紙を掲げたりしている家庭もあります。
抗議活動の発端となった、ジョージ・フロイドの事件につていは日本ではどう報道されているのでしょうか。私はまだまだテレビのニュースの言っていることが5割くらいしか理解できてないので、アメリカのニュースではこんな報道がされているよ!とはっきり言えません。。なので、 Netflixで「 ハサン・ミンハジ: 愛国者として物申す 」という スタンダップ・コメディアンのハサン・ミンハジが、社会問題などについてコメディ調に説明する番組をみています。
その中でジョージ・フロイドが首を押さえつけられてた時に同じ場所にいた警官の中にはアジア人もいたということを知りました。白人、黒人だけの問題じゃなくて、アメリカ社会全体の問題だなと思うのと同時に多分私も気が付かないところでそれに加担しているんだろうなと思いました。起きていることに関心を持って自分なりに知識をつけて、自分で考えて判断できるようにならないとなと思いました。
・ESL( English as a Second Language :英語のクラス)で質問されたことについて
毎週火曜日、水曜日、金曜日にオンラインで図書館のESLを受講しているのですが、火曜日のフリートークが主のクラスでクラスメイトに「なぜ日本人はあまり抗議活動をしないの?Mr.ABEをなぜ辞めさせないの?」と質問されました。
私は、日本人はコロナについて厳しい人が多いから今は抗議活動をしない。コロナの前は抗議活動をしている人はいたし、SNSなどを見ていると政治に関心を持っている人も増えてきているように思うが、高齢化が進んでいて、若者は貧困化して、選挙にいけないことも多いし、高齢者の支持の多い、Mr.ABEのいる政党の人数を減らすことができず、政権交代ができない」と説明しました。先生はアメリカでも高齢化による票の偏りがあり、、という説明につなげてくれたのですが、後でよくよく考えたら何も説明になっていないなと思いました(日本について聞かれてなかなかうまく答えられたことがないなといつも反省します…)。
そもそも総理大臣の選び方は国によって違うので、その説明をしなくてはいけないし、、政権交代したところで各党の党首の選び方も細かく知らないな…とか今頃気づきました。日本にいた時は毎回選挙には行っていたし、選挙新聞の公約も読んで選んではいたものの、肝心なところを知りませんでした。なんとも恥ずかしいのですが家事しながらYouTubeで勉強しました。。でも発信者の意向が入っていて100%信用できるかといわれればよくわからないので、そろそろオーディオブックでも始めようかな…と悩んでいます。来週のESLではクラスメイトに日本の総理大臣の選び方を簡素に説明しよう…!総理大臣の選び方を説明したところで、質問の明確な返答にはなってませんが。
本当は週末に行った植物公園やボランティアのこと、収穫した野菜について、○○月間(今月は LGBT Pride Month)についてなどについても書きたかったのですが、長くなってしまうのでまた次回に書こうと思います。
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映画「ジョーカー」「蜜蜂と遠雷」
みてなくても読める記事ですがネタバレあり すべて私見です
「同情に値する人を深刻なタッチで描きました」
っていうこととして受け取りましょう!ってトーンがものすごく強くないですか??かわいそうな映画、気分が暗くなる映画、みたいな。
この作品、言外に鑑賞態度を強制されているような気がしました。劇場でみると特にそう。
たとえばタランティーノの作品における暴力シーンは、ただ物語上の展開として冷静に「うんうん」つってみることもできるし、描写のえげつなさに手で目を覆って隣の席の人に「終わった? 終わった?」って聞いてもいいし、荒唐無稽さに手を叩いて笑い声あげてもいいって気がするんですけど、「ジョーカー」ってそういうの無理じゃないですか? 暴力シーンに限らずね。個人的にツボにはいったとて、笑いづらくないですか? アメコミ原作の暴力映画で、コメディアンを描いているのに?
僕は暴力シーンで笑いたくなる人間なので、笑いづらさに過剰に窮屈な感じを受けてしまうだけ、って話かもしれない。っていうかたぶんそう。
でもでもでも、そういえば、作中のジョーカーは、「ただでさえ暮らしてくのしんどいのに、世間はオレに「普通の人」のようにしていろ!って求めてくる!うわ~~余計しんどい!!」って状況にいるわけですが、これ、劇場に座るわたしの「笑ってはいけないの?」っていう気分と重なってるなー、と思った次第。
さて、「ジョーカー」みる前に「時計仕掛けのオレンジ」をみたんですが、並べてみると対比がすばらしかったです。
素行クソ悪少年アレックスが、その暴力性を抑制するための「治療」を受ける、という「時計仕掛けのオレンジ」。
「ジョーカー」と違うのはたとえば、アレックスの暴力性の原因についてまったく言及されないところ。こういう極端な描き方をすることで、「暴力性ってなんなんでしょうかね」って問いをたてることができる。
それがどうですか? 懇切丁寧に行動の原因を解説してくれる「ジョーカー」、観客に対してなにか発問しているのでしょうか。おれはもっと「わからなさ」に圧倒されたいよ。しかも「行動原理の読めない狂ったヤバイやつ」っていうジョーカー像も壊れちゃうし、ついでに、「バットマン誕生秘話」みたいにもなってるせいで、バットマンの暴力についても「わかって」しまうんだよな。暴力の根を「わかった」気にさせちゃうの、すっごい暴力的ですね。
(ついでにほかの悪口をいえば、ジョーカー、「笑いとはなにか」ってアプローチが弱いような気がしてそれも不満でした)
一方、最近みにいった新作映画でおもしろかったのは「蜜蜂と遠雷」でした。
自分がいかに海外の映画ばかり・暴力の映画ばかりみているかを思い知らされた。
たとえばホラー映画では「鏡」に仕掛けがある。ひとつのショットで登場人物の死角や背後やいろんな角度をうつせるので緊張感がでます。加えて、人物の背後にモンスターが現れた場合、モンスターの顔面と被害者の形相が同時にうつせます。
というやり口が横行しているため、ホラー映画ファンはいつしか、鏡面が登場するだけで「���にかがうつりこむのではないか」と期待してしまうようになったという。
余談ですが、「ジョーカー」における鏡は、他人の目にさらされる自分の姿を確認するための道具でした。部屋で踊ってるシーンと、屋外での踊りのシーンのあいだに、鏡の前で踊るシーンがあったような気がします。記憶違いかもだけど。余談おわり。
「蜜蜂と遠雷」はそもそも、四人のピアニストによる、ピアノコンテストを舞台とした群像劇。主演の松岡茉優ちゃんが、出番前に控室で心配そうに鏡をみているシーンなんかでも、「もしかして、これから出番だっていうのに、松岡茉優ちゃんの背後に血まみれのピエロがあらわれるんじゃないか?」式のわくわくを抱いてしまうんですけどそんなことは起きない。
「蜜蜂と遠雷」の魅力を記すためにまず、よくなかったところを出しておきます。
・ブルゾンちえみのコント演技。
・「中央に真顔の片桐はいり置いとけば画面もつでしょ」みたいなシーン。片桐さんにも、映画にも、���くない感じがしました。
・「音楽の神様に愛されるのは誰?」的なキャッチコピー。
はじめの二点はいいとして、最後の「音楽の神様」はほんとうに、心から異議を唱えたい。そもそも「音楽の神様」が登場しない話なので。
さて「蜜蜂と遠雷」
コンテストもののはずなのに、全然対立しないんです。競い合う話ではなくて、むしろ、ひとりひとりの戦いをひとりひとりが戦いながら、やさしく連帯していく話。
しかもコンテスト出演者同士に「対峙・対立」の構図がないばかりか、出演者と審査員のあいだでもそうだし、出演者とその家族のあいだでもそうだし、それこそ「音楽の神様」と演奏家ってこともなく、VSの構図が見当たらない。(だからキャッチコピーに違和感がある!)
カメラワークにもそれはあらわれていました。暴力映画でよくあるような、「二人が対峙している状態の全体」もなければ、正面から話し相手や観客に視線を送ることもない。
(タランティーノの「キル・ビル」です)
(ハネケの「ファニー・ゲーム」です)
むしろ多用されていたのは、「フレーム内の登場人物がななめをみており、話し相手や視線の先にあるもの自体は見切れている」というショット。会話する二人ともがうつっていたとしても横並びに座ってました。「対立」の状態をカメラがとらえてしまうことは露骨に避けられている。(とはいえカメラワーク、物語の中盤からおおきくかわりますが)
スクリーンの人物の視線が行き着く先の「解答」が実は常に留保されてる状態でもあるわけです。
で、話は「鏡面について」に戻る。「鏡面」は明確に「対」をつくるわけですけど、この映画では、いくつか印象的な「鏡面」のシーンがあります。
松岡茉優ちゃんが前室で不安そうにしていたり、審査員長(斉藤由貴)が「昔のワタシ思い出すわ」なんて語ってたり、コンテスト本番中に「ピアノの楽しさ」についての原体験を感じ直したり。そういうシーンが、鏡面を効果的に用いて撮影されています。
「昔のワタシ思い出すわ」ってのも、化粧室での一幕なんですが、洗面台のおおきな鏡がスクリーンの七割八割を埋めてる感じ。
ふだんみている映画にはでてこない「鏡面」の使い方に戸惑った私は、いったいどういう意味なのかと考えながら鑑賞しておりました。すると、こんなシーンに出くわした。
コンテスト期間中に、伝説の演奏家の追悼コンサートが催されるんです。そこで鹿賀丈史が挨拶をします。鹿賀丈史って歳とってる? ずっと鹿賀丈史じゃない?
ま、とにかく、そこで鹿賀丈史はこんなことをいう。
「音楽って不思議。たったひとりの人間の、たった一本の指がチョイって動いて、しかもそのときに鳴った音なんてすぐ消えていくのに、それでも、演奏されているとき、人はなにか普遍的なものに触れることができる」っていう話をする。「いま・ここ」という具体性を超越した領域があることが示唆される。
でもこれを「普遍性」とか「神様」とかの話にもっていきたくないんです。
おなじときに世界に存在している蜜蜂や遠雷の存在を感じ、音楽に翻訳していく。それこそが音楽のわくわくの正体。コンテストとはいえ、どの演奏者もそれぞれしあわせになっていい。それが話のキモならば、「一神教」とか「垂直構造(天上と地上)」っていうイメージを鑑賞に持ち込みたくない。だからキャッチコピーに不満がある。
あ、話がまた「鏡」からそれてしまった。これここまで読んでる人どれくらいいるのかな。やっほーお母さんみてるー?
ともかくですね、鹿賀さんのスピーチを聞き、そして松岡茉優や斉藤由貴の見つめる鏡の意味を考えました。
鏡をがっつり撮って先述したシーンたちがとられている意味というのはつまり、これらのシーンは、登場人物が、時間的な限定を超越した領域に思いを馳せているからなのではないか。
(「いま・ここ」の個人の指先の動き vs もっと詩的にひろがった領域 ということであれば、この物語の受け取り方に「対」の構造を持ち込んでもいいのではないか。)
そう思うと腑に落ちることがあります。
わざわざ「鏡」の前に立たなくても、この映画、鏡面ならたくさんでてくる。それはなにか。グランドピアノです。
グランドピアノはぴかぴかに磨かれていて、演奏者の手元が、常にくっきり映っている。グランドピアノが鏡面となり、演奏者の体を映す。これの映像言語としての意味はつまり、そのとき、演奏者は、超越的な領域にも同時に存在していることを暗示しているのではないか。
ていねいに説明すると明確なネタバレになるのではしょりますが(今更そんな気遣いいるのか)
雨みたいなドレスを着た松岡茉優ちゃんが演奏を終え、「万雷の」拍手を受けるのは、世界とつながるシーンとして描かれているんですが、さきほども触れた「世界」(蜜蜂や遠雷含め、生き物とかのいる地球って意味での「世界」)、この「世界」とのわたりあいの方法としての「音楽」が、この物語にとっての「音楽」らしい。予告編でも「あなたが世界を鳴らすのよ」なんてささやき声が聞こえてきます。
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ところがこの予告編でもでてくるように、この映画、ときおり「遠くから覗いているようなショット」が出てくるんです。もっというと「全体を見下ろす」というショットもある。
海外の映画や暴力の映画ばかりみている人間としては、「覗く」というショットは
・狙ってる(あとをつけてるとか、様子をうかがってるとか)
・状況に翻弄される人間たちを見下ろしてる(まさに「神の視点」ってワケ)
って意味になってきます。
もちろん、状況にポツンと飲まれている、その情景のリリシズムみたいなのもあるけど、あるけどあんま暴力映画ではそういう演出しないよね。そんなことないか? あ?
ここで特に思い出せるのが「聖なる鹿殺し」という映画。the killing of a sacred deerってタイトルだから「聖なる鹿/殺し」ね。「聖なる/鹿殺し」ではなくて。
「神様の大切にしてた鹿を殺したら、めちゃくちゃきっちり取り立てられちゃった」という神話をモチーフに、まあ神話をなぞるようなことが起こる、という話なんですが、「神の怒り」に翻弄される人々をとらえるカメラの位置が高いこと高いこと。
「映画が世界をとらえている」というような、映画=神っていう狂信的映画至上主義のフレーバーも感じられます。(もちろんここでいう「世界」は「蜜蜂と遠雷」のそれではありません)
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雨の音、雨の音をピアノで表現した「音楽」の原体験、雨をもたらす雷のサウンド、その存在を遠くに予期させる遠雷。地面を揺らし、世界を鳴らす黒い馬、あるいは黒いグランドピアノ。
人間を見下ろすのは月で、月をみながら「月光」を連弾して笑った。
花々からすてきなものを、羽音をたてながら踊りながら集めていく蜜蜂(劇中に蜜蜂のヒントを見つけられず、なのでこれは半信半疑)
ピアノコンテストって設定だし、クラシック演奏家たちはとてもハイソな感じがするので、どうかするとお高く留まった人工的な状況にも思われるけれど、実際スクリーンには、要所要所に自然物が登場する。「音楽」とは、そういったものとつながるためのツール・もしくは、そういったものとつながったことのよろこびとして描かれる。
「対立のなさ」それに付随する映像内でのモチーフの扱いは、暴力映画ばっかの人間にはとても新鮮でおもしろかったし、
(対立のなさともつながることだが、)一神教的・垂直的な視点や追う-追われるの往還といった切り分け方ではない世界へのまなざしのありかたが、やはり新鮮に感じられたうえ、なにかとてもアジア的、というか、「森の文化」っていうんですか? もしかしたら、日本人作家である恩田陸(原作者)の抱える文化観がそうさせてるのかなあ、などといらぬ穿鑿をしてみたり。ナイスでした。
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