#ご時世的にか沢庵無し
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こんばんワイン。
(懐かしい!おぼっちゃまくんか)
来週の火曜まで地元金沢に滞在しておりますので、時間潰しがてら、石川県立美術館へ行ってあまり興味がない展覧会「加賀藩前田家の名刀」を鑑賞してまいりました。
(興味がない。笑)
実家からそれ程遠くはないのですが、中に入ったのはたぶん生まれて初めてです。
(まじか)
天下五剣の名宝のうち、「大典太光世(国宝)」、「無銘義弘・名物富田江(国宝)」、「短刀 銘 吉光・前田藤四郎(重文)」の3振が一堂に展示されるのは、57年振りとのことで「刀剣乱舞」オタク連中に交じって、しっかり鑑賞させていただきました。
国宝の二振りは、足利尊氏から足利義昭と、代々室町将軍家に相伝され、その後、豊臣���吉から前田利家に渡ったそうです。
本日は偶然にも「国際博物館の日」で、なんとこれらコレクション展は無料でございました。
国宝とはいえ刀三振りと、あとはいろんな刀の解説みたいなのだけなので、僕的には無料が妥当です。
(厳しい沙汰)
近江町市場で人が映らないように写真を撮るのは大変です。
5分くらい待って、人が滅茶苦茶少なくなったところで何とか撮影成功。
市場の二階にランチを食べに行ったのですが、魚屋さんで見たこともない巨大な「ほっけ」が売られており、お値段を見たら2800円~3400円くらいでございました。
(尋常じゃないくらい大きかった)
知らない観光客のイケオジが、高そうなガラス張りの冷蔵ケースの中に鎮座している能登牛の写真を撮りまくりながら、僕に「な、な、なっ、見てみ!すげーなこの能登牛!」といろいろ解説入りでランゲージされました。
(いつも誰かに声かけられる人)
毎度のことなので、観光客のふりをして最後まで聞いておりました。
(結構疲れる)
兼六園横の戦国武将ショップ「武将庵天翔」には一度も入ったことがございませんのでいつかは入って武将グッズを購入したいと思います。
帰り際、京都でもおなじみ「茶和々」でいつものように何か買おうと思ったけどやめました。
最後に、ドイツ人観光客と一緒に金銀のソフトクリームの置物を撮りまくりました。
(欧米人に大人気だった)
Tschüss!(チュース)
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濁りがない心
Friday 7 March 2014
禅寺へ車で行く。ちょっとこの頃、横着をする真観。 今日の言い訳は雪が降り始めていたことと坐禅会が終ったらすぐ東京に行かなければならなかったこと。
S子 『ふ〜ん、そうなんだ』
7時45分、茶畑庵を出発した。御殿場エリアになると銀世界が待っていた。またもや前と同じ様な事態になるんじゃないのか?でも「気配」としては多分大丈夫だなと感じた真観。8時25分、予定通りのバスに乗り順調に東京へ進んだが東名インター辺りで12kmの自然渋滞。バスは遅れたものの10時半過ぎには新宿に到着。東京はけろっと晴れていた。駅前では今日も募金活動をしている。
『アフリカの貧しい子供たちに募金をよろしくお願いしま〜す』&礼。(リピート)
今朝の真観は募金はしなかっった。
総武線に乗ってオフィスへ。Uさんはまだ来ていない。時刻は、11時過ぎ。今日東京に来た第一の理由はオフィスのMacでiPhotoのブックサービスのデータをネットで送ることだった。真観のWifi環境ではスピードが遅すぎてアウト。今週は仕事も学校もないので静岡でゆっくりしようと思っていたが盲点はこの作業が静岡で出来ないことだった。金曜日の今日にこのデータを送れば来週頭には注文したブックは届くであろう。茶畑庵近くで光回線を借りれるサービスがあればいいのだが。このブックとは真観のクラスの卒業記念ZINEだ。この試みは初めてだった。仕上りがとても楽しみな真観。
Uさんもやって来て束の間のおしゃべりをする。何故ウクライナの問題が起きたのか?と真観がUさんに問いかけるといつも嫌な顔をせず答えてくれるUさん。人種とは?国��とは?・・・と話を聞きたいのは山々だったが真観は次の予定があった。Uさんの話を身支度しながらオフィスを出る。今回の東京はUさんとは「会うこと」を優先し話すことは次回と考えていた。
真観は、歩いて九段下駅に行く。そして表参道駅に向かった。約束の時間は、12時半。明らかに数分遅れると思った真観は、JのiPhoneにメッセージを送った。そう今日は、Jと会う約束もしていた。先月末から10日間東京を滞在しているJ。今回Jがセルビアから来日する前からJと会えるかどうかやり取りしていたが真観には東京に行く予定がなかったので諦めていた。2009年の真観の写真展の時にJからとんでもない不義理を受けそれ以来Jとは昨年まで絶交していた。しかし昨年ふと真観は、Jを許す気になって2人の関係は雪解けした。そしてタイミング良くJが東京に来る事になって彼と再会したのは昨年の4月。真観は、Jと和解したがJとの付き合いにあるルールを作った。
「絶対にJを待たない」
昔の真観だったら東京でもどこでも会いに行くと思うがもうしない。
12時半過ぎ、表参道の交差点でJと再会。一緒に共通の知り合いのAもいた。Jと真観馴染みのオーガニックレストランに向かった。前払いのレストランでレジの前では行列。2人はパティオのテーブル席に座って食事をした。Jも真観も山盛りの料理を皿に盛る。玄米ごはんを久しぶりに茶碗一杯に食べる真観。このレストランはマッチアズユーキャンの店だ。Jの今回の来日目的を何となくアレについてだと思っていた真観だったが彼から話を聞くと全く違う国家レベルの一大プロジェクトに携わる仕事が目的だった。その仕事はプロジェクトが大きいためこれからも何回か日本に来る必要がある様だ。
Jは、面白い!Jはお金がある時とない時の差が激しく今回の来日時の所持金は、100円程度。100円!成田の税関で案の定軽くトラブルになったが難を逃れた様だ。セルビアからの旅費は700€ほど掛かった様だがそのお金はこれまた奇想天外な機関から捻出していた。頼もしい限りだ。Jと真観は、和解してからFacebookで繋がっている。Jは、真観の「Today's Fashion」が大好きな様で絶賛していた。話題は次から次へと移り時間はあっという間に2時を過ぎていた。このランチの後Jは「子どもの城」で他の友人と会う約束をしていた。真観はその友人を知っていた。最初にJと一緒にいたAは共にレストランに来るはずだったがどこかに消えてレストランには来ず「子どもの城」にいるJの友人と合流していた。Jは『一緒に来ないか?』と真観に尋ねて来たが真観はやめておいた。
「絶対にJを待たない」
このルールはJと19年間付き合ってから出した結論だ。Jは、とてもいい人で心に濁りがない人だが時間に極端にルーズだ。今回のランチの間にもその「子どもの城」にいた友人たちから何度もJに催促の電話をして来た。その電話の目の前にいるのが真観。Jは、真観との時間を優先する。だから次の約束に遅れる。待つ方は毎度のことと諦めつつも苛立始める。真観もかつてはそうだった。今回は、待つ立場ではなかった真観。「絶対にJを待たない」Jがこの悪い癖を直そうとしていないのが少し残念でもあり人ごとであればそれも可笑しく見えてしまう。
Jは、また5月に来日予定だという。その時は、是非静岡に来て欲しいとリクエストした真観。今回の来日時もそうリクエストしていた。Jと表参道で別れ1人原宿駅まで向かう。東京も雪が降り始めていた。新宿駅まで移動しヨドバシカメラに寄り、機材の値段やインクジェットペーパーの入荷状況、ラベルシート等の確認をする。また駅前を通ると大震災で飼い主を失ったワンちゃんニャンちゃんたちの里親募集を呼びかけていた。朝のアフリカの子供たちのことと同様複雑な気持ちになる真観。ペットは解体が茶畑庵では無理だ。4時半のバスに乗った。バスに乗る前バスの営業所の自販機でドリンクを買ったがピックアップせずにバスに乗りあとから気付いた真観。キャイ〜ン!な真観。
バスの中にいた時Jからお礼のメッセージが届いた。 『Great to see you today and see you again soon!!』
Jから沢山のことを学んだ真観。 真観の人生のターニングポイントのキーパーソンのJ。 人間的魅力の溢れた素晴らしい人物。彼と出会えて良かった。 でも、「絶対にJを待たない」
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この研究所で出される食べ物を食べ続けていると、不思議と段々と調子が悪くなる。なるべく避けようとしているが、どうしても出席せざるを得ないと、嫌でも食べ続けなくてはならないといけない日々が続く。そして必然、調子が悪くなる。どうもドイツとの相性が良く無いのか、単に、今まで住んでいた場所は、自分が好きなものを好きなように調理して毎日を暮らしていたからなのか、意味不明である。母が作ってくれるものを有り難く食べていても、調子が悪くなる訳では無いので、多分、こちらの水や土との相性が良くないのだろう。上五島の安藤先生が仰っていたように���ドイツは土地が良く無いのかもしれない。
Corkでの学会で明大で博士を取ってから、二個目の博士を取りに渡仏し、おパリ在住6年目と仰る御人に会った。ロックダウン中もおパリで過ごしていたらしい。その彼が曰く、久しぶりに日本に帰って驚いたのは、色と景色が三次元だという。エッ、とワシ。チミは二次元の世界にいるなら、どうやって移動しているの?と聞いてみる。苦笑いしながら彼曰く。いやぁ、ヨーロッパって風景はきれいかもしれないですが、死んでいますよね。全てが。。。抑圧されているというか、色がのっぺりしていて生気が無いというか。。。ワシは良い意味でピクチャレスクそのものって事?と聞くと、破顔で、そうそう。そうなんですよ。油絵ベタベタ塗ったくった平面的な絵画なんですよ。そして日本は美しくすぎる。見る風景、見る風景に、気が宿るというか、キラキラしているんです。生命が溢れているというか、生命のキラメキを全ての物から感じるんです、と。日本は美しい。八百万の神の概念が生まれざる得ない場所だと思うんです。神道は、全てが死んで、のっぺりしているヨーロッパ人には絶対に分かりません。と、ヨーロッパ人は感性低いのに、それが良いと思う日本人は、死んでいるものが好きで、死者の上に君臨したいんでしょう、と。日本みたいに、全ての物が生命に満ちあふれていて、全ての物が一斉に自分に話しかけて来ない。ヨーロッパは死んでいます。と断言した。日本の喧騒は、人間ではなく、モノなんです。でも、今は、五月蝿、人間が増えすぎていて、モノの声が聞こえない。だから僕、日本の田舎が好きです。ヨーロッパは物が死んでいるから、人間が五月蝿。うるさく、あーでもないこーでもないと、銀蝿のようにたかってブーブー言っている。僕、6年目にしてやっと、ヨーロッパと日本の違いが分かって、ヨーロッパへの違和感が言語化できたんです。だと。
アホで単純なワシ、彼の感性に感動。伊達に6年もおパリに幽閉されていた訳では無いようだ。ドイツも全く同じ。生気が無い。なので、美しく無いのだ。生気好きには、つまらない。色が踊らないからだし、陰影が無いからだ。また、何かにつけ権威主義的な癖に中味無いし。それにしても、彼の御実家は、どんだけ資産家やねん。。。と思った。ワシがドイツ渡航前の昨年、会津の馬皮職人の伯父さんからバッグを購入した時、バブル時代にエルメスだの、グッチだの、シャネルだののハイブランドのバッグの、一番高い奴は、実は伯父さんが作っていたんだよと、笑いながら教えてくれた事を思い出す。そして、ワシはその伯父さんから花豆の煮物を頂戴し、彼のバッグで通勤して、伯父さん元気かなって、毎日思う。
日本も、アメリカも、ドイツもそうだが、知識人と称する輩は驚くほど無知で、芸術の消費者でしか無く、ファッションセンスも皆無に近い。だから、手っ取り早く、有名ブランド、ミシュラン有名レストラン、有名な芸術家と名声がある所に、アホな奴ほど群がる。そして、あいつのチケットは300ユーロもしたのに、対した事無かったとか、訳わからん批評をしまくる。要は、自分が楽器を弾くわけでも、洋服を縫ったり、料理を作ったり、掃除したりという日々の繰り返しをバカにして、日常を軽々しく生き、それら日常の美を軽蔑しているために、審美眼が全く養われていないし、センスが無いのだ。実に下らない。ミシュランのレストラン行って幻滅したことを思い出す。
本当に良いものは、高い物の中にもあるかもしれないが、縫い物なら始末の仕方、裏地の始末、模様合わせなど、色々と観察ポイントがある。家庭科の授業は、それらを見極めるための教養だったし、絹のジャケットにライニングで金の鎖を仕込んで風でフラップしないようにするのよ、その重さが丁度良いのが金の鎖なんですってとか、そういう、日常的な生活の中の、ゆとりと贅沢な楽しみを知らない人々が、ブランドに飛びつくのだろう。まぁ、私もそれが分かるようになるまでには、色々と買い物をしたけどね。。。
という訳で、ワシはチクチクとクロッシェレースを楽しむ。別に意味が無いクロッシェレースを編むのは、正に贅沢の極み。ワシは幸せだ。そしてワシは手先が器用である。そして、夜は久しぶりにタンゴを聞きに行く。ワシの愛するブエノスアイレスの風。ErnestoやRomina、Doloresを思い出して涙する。ワシはドイツで、半生を振り返らせてもらっているような気がしてならない。人生も折り返し地点。もう、自分に鞭打たなくても良いのじゃないだろうか。父が十分、頑張ってくれたわけだし。ワシはどっかのアホ嫁と違って、疲れたフリして倒��てみたりとかできないし。農家の祖父母を持ちながら、祖母の作るサクランボを嫌い、子供に農家をバカにする発言させて、体力ある癖に大袈裟に体弱いフリする演技でサボる事なんてできないし。上手に気付かないフリして無視して旦那にお任せとかできないし。適当に甘えられて嬉しがっている旦那も終わっとると思うが、それも人生だし。ワシはそんなアホな旦那なら飽きるからいらないし、そもそも旦那いないし。いなくて良いし。20歳で腫瘍取ってから、もう結婚とかめんどいし、身体触られたり、体液交換するの気持ち悪くてゾッとするし。ベムのヨダレを拭く��けで十分。ワシの周りにも、案外ワシと同じように、子供を持つリスクよりも、ペットで良いという方は多いし、おまけに、種としての人間増えすぎやし。環境が心配だとほざく癖に、自分は子供産む権利があるとか思っているバカ見ると、マジで特権階級左翼オワッテルと思うし。
ってなわけで、白居易を思う。「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」。『礼記』の『中庸』である。小人は冒険をして幸せを求めるが、君子は居やすくして命を待つ。また、「楽天知命、故不憂」である。『易』の一文。白居易は、別名、白楽天としても知られる。ワシも中学三年生から麻貴楽天を意識して生きてきたが、人生の後半戦は麻貴居易、麻貴楽天として生きよう。ワシは小人を自負していたので苦労を厭わなかったが、もう良いかな。そして他人がどうであれ、「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸佛教」と『法句経』の一部を胸に、善を意識して生きよう。諸悪莫作まで行くと、ワシは完璧主義者なので、自分の存在を消したくなる。ワシが存在するだけで、気付かない内の悪行の数々は底しれない。だから、責めても、衆善奉行止まりでね。ほどほどに。
アホなドイツ人に、鴨長明の『方丈記』について、そいつが間違った解釈をされているので訂正して上げたら(そして、ワシ、なぜ丁寧語?)、自分が如何に正しいかを懇々と説明され、おまけに、俺は方丈記は全部読んでないけど、の枕詞までつけて、延々と説明される屈辱を味わいつつ、コイツバカ死ねと心底、心の中で思っても顔は引きつりながらニコヤカに。そして、彼が行ったことも無い京都の方丈庵からインスピレーションを受けたとかいう下らない建築物を褒めて、そいつのエゴを満たしてあげて逃げる。もうこうなると、国籍関係なく、エゴ高めの無知な人間が、ようここまで偉そうに闊歩しとる時代やわいと感心しかない。
しかし、多分、ワシの親族の誰かが同じようなことを他人様にやった、しっぺ返しとして、ワシにこうした気付きの機会が回って来るのだとしたら、ワシはアホな親族に代わって、このアホなドイツ人のエゴを満たしてやる事でしか、ワシのアホな親族に代わって代理謝罪できない。全ては繋がっていて、全ては円環と循環の中で、跳ね返ってくるだけだから。また、気付かないバカは素通りできるが、気付いた限り、対処するのが世の常。踏ん反り返って悦に入るドイツ人建築家を前にワシは、そいつにではなく、そいつが気付かせてくれた因果に頭を下げるのだ。でも、後で愚痴るのだ。そして笑い種にしてやった。それも、良し。いい加減にしろよな。。。と誰もが思う事まで我慢する必要は無し。いくらワシを慕おうと何しようと、親族の関係も同じ。いい加減が丁度良い。ワシは人生後半戦は、共にいて心穏やかに楽しく居られる人達と共にいたい。もうエゴ高めの面倒な奴は年齢関係なく御勘弁申し上げしたい。
まだワシは天命を知らぬが、麻貴楽天でいれば、命も自ずと開けよう。なにせワシは生まれた時に祖母の占い師から、若い頃には苦労するが大器晩成と言われとるらしいし、そいつの選んだ命名では別の占い師によると強すぎるらしいし。そりゃ麻に貴いだぜ。最強すぎて名前負けせんように生きていると、そんじょそこらの男に甘えるなんて事、��きなくなるし。甘えているフリだけする女子力高めのエセ女見ていて反吐出るし。それに振り回されて、子供が良い歳になってから嫁選び間違ったわー告白されても、今更なにゆーとんねんボケ。肉欲負けしただけやろアホ。男なら最後まで責任取りやーと、見知らぬ女の離婚の危機を救ってあげるしかないし。ワシ、ホンマ何やっとるんやろうねぇ。。。溜息。まぁええわ。ワシは男友達多めなんで、それはそれなりに楽しませてもらっておりますねん。そして、ワシが心から好きな人々はみんな、とてつもなく良い女で良い男。何故なら、ワシが良い女だからじゃ。がはは。
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茨戸編での尾形は何だったのか あるいは沈黙する破戒神父・鶴見中尉はなぜ死神を自称するのか
ガッツリ本誌176話まで。
1、序 鶴見と尾形の言説の不思議な酷似
父殺しってのは巣立ちの通過儀礼だぜ…お前みたいに根性のないやつが一番ムカつくんだ
ホラ 撃ちなさい 君が母君を撃つんだ 決めるんだ 江渡貝君の意思で… 巣立たなきゃいけない 巣が歪んでいるから君は歪んで大きくなった
こと江渡貝母への発砲については、私は鶴見の言い分をずっと好んできた。ここでの鶴見の江渡貝への殺害の示唆は正しく思える(母君は元々死んでいたから私にも倫理的禁忌感がない)。鶴見は時折とんでもない正しさで私を苦しめる。硬直した仲間の死体に向かって「許せ」と言う男。同じ4巻の回想には、マシュマロでゴールデンカムイには珍しい雲吹き出しで内面が記されていることも教えて貰った。
まるで死の行進曲のようなマキシム機関銃の発射音 この無駄な攻略を命令した連中に間近で聞かせてやりたい
私は��見中尉の内面描写が少ないという通説をとてもとても疑問視している。これはもはや読み手の願望に近く、検討するのであれば幅広い読解が必須であろう。ゴールデンカムイの人物は総じて内面描写が少ない。それところか、当初は梅ちゃんと寅次についてあれだけ饒舌だった杉元の内面は、「俺俺俺俺俺俺俺俺俺」という叫びとは裏腹に、「俺」も、その内面も、徐々に欠落を始めてしまったのだ。15巻にはアシㇼパの顔を思い出せていないのでは無いかと思わせるカットすらある。15巻で杉元の『妙案』が宙に浮いたままであるのは象徴的だ���私たちの心が取り残され���疑問は解決されず、1つの核心だけが深まるーー杉元佐一は自分を失っている、と。この話は杉元が梅ちゃんに認識されるような自分を取り戻す話出会った筈なのに(そしてそれを認知できない杉元は、梅ちゃんに自分を認識してもらえるように視力回復に躍起になる)、旅の過程で彼はますます自己を喪失していく。
これから延々と鶴見の話となる。
2、死神の自称
鶴見は意図的に自分を失わないために死神になることを選んだ男である、というのが私の基本的な考えである。それは「脳が欠けているから杉元佐一は自分を見失っている」という説を遠回しに否定する存在である。だいたいにして脳が欠けていなかったら杉元はスチェンカで相手を殴り続けなかったと言えるのだろうか。まぁ、杉元の話はさておくとして、それはおそらく尾形のこういった態度と対照づけることも出来る筈だ。
俺のような精密射撃を得意とする部隊を作っておけばあんなに死なずに済んだはずだ
今となってはどうでも良い話だが
鶴見は「今となってはどうでも良い」をやり過ごさなかった男である。一度は鶴見の腹心の部下であった筈の尾形は、戦後も心を戦場に置いてきたのではなく、戦場の側を自らに引き寄せようとする鶴見(や土方)にたいして冷笑的な視点を浴びせ続ける。
仲間だの戦友だの……くさい台詞で若者を乗せるのがお上手ですね、鶴見中尉殿
変人とジジイとチンピラ集めて 蝦夷共和国の夢をもう一度か?一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが政府相手に戦い続けられる見通しはあるのかい? 一矢報いるだけが目的じゃあアンタについていく人間が可哀想じゃないか?
ここでの尾形の「正しさ」は、鶴見の「正しさ」とは違い私の心の拠り所になっていた。尾形が「いい人になれるよう 神様みていてくださろう」に適合するような行動をすると私はいちいち救いを求めてしまい、彼の行動がいつも噛み合わず言説が否定されるのを見てこの男の救いのなさに頭を抱えていたのだ(まさに本誌の『176話 それぞれの神』で現れた関谷の神にすがる心情である)。そして鶴見は、月島をある意味救ったが、尾形を救うのには失敗した。むしろ鶴見は尾形を利用するだけ利用していたように思えた。
尾形と鶴見と親殺しは4度交錯する。江渡貝。花沢中将。月島。ウイルク。
外敵を作った第七師団はより結束が強くなる 第七師団は花沢中将の血を引く百之助を担ぎ上げる 失った軍神を貴様の中に見るはずだ よくやった尾形
たらし めが…
尾形にとって鶴見の取り巻きであることが幸せなのかどうかは分からないが、他の造反組や、あるいは役目を見つけて下りた谷垣とは異なり、尾形は鶴見を『切』った、数少ない人物である。尾形は、月島同様戦前から鶴見の計画に加担していたのにもかかわらず、鶴見中尉から月島と同じ様に扱われなかった人間でもあった。
江渡貝の母殺しに関しては鶴見にも見るところがあると考える私も、この鶴見の花沢中将殺しにおける尾形の扱いが原因で、長らく鶴見のことをよく思えずにいた。さらに15巻149話、150話で鶴見が月島を父親殺しから救った(?)事実や、本誌にて戦前から尾形が鶴見の命で勇作を篭絡および殺害しにかかっていた事が判明した事を鑑みて、鶴見の風見鶏的態度に辟易していた。加えて言うのなら、ゴールデンカムイの中に時折現れる聖書に基づく表象や、それに対するキリスト教に軸足を置いた読み解き方というのは私が最も苦手とするところであったが、一方で鶴見が71話の表紙にて不完全に引用された聖書の一節を通じて『にせ預言者』(マタイ7:15)であると示されていることを筆頭に、いくつかのキリスト教的モチーフを(ところどころで反語的に)取り込んだキャラクターであることも否めずにいた。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。(wikisorceの口語訳より)
そもそも鶴見もまた、その他大勢のキャラクターおよび我々と同様、多面的な人物として描かれている。偽預言者であり、彼の演説はヒトラーのパロディとして描かれるほど(作者によるとミスリードらしいが。Mislead? Misread?)だ。そして、外敵に対しては自らのことを死神と称しながらも、仲間に対してはむしろ告解をうける神父の役割に近いものを演じ、坂本慶一郎とお銀の息子の前では聖母マリアとなり、月島や杉元と共有する傷は、スティグマと見ることも出来るだろう。キャラクターデザインには、明らかに鶴の要素が取り入れられている。さらには編集者のつけた仮面を被る悪魔、という表象ですら許容される向きにあるのだから、鶴見も大変である(悪魔という呼称は江渡貝の母によっても齎されている)。私がこの鶴見という、出自も分からぬいろんな人形が載せられたクリスマスケーキを長らく食べる気になからなったのは、そこに土俗の信仰と西洋的信仰が混ざり合って、あまつさえ鶴や死神の細工菓子まで載っていたことを考えると不思議ではあるまい。
私はどこかで、にせ預言者としての鶴見、という表象の正当性についてすら、もしかして議論になるのではないかと辟易している。不信の徒である私の読み解ける事項など限られていることは重々承知だし、そもそも私はゴールデンカムイを読み解くときに、作中での記載を第一に考え、外的世界に存在するマキリで作品をチタタプしない様に細心の注意を払ってきた。最近ラジオが出現したことで、ようやく文言に尽くし難かったそのバックグラウンドをまとめる事ができたような気がするが、私は解釈を取り払った読み方が先にくることを好むし、そもそも『らしさ』への拘泥は私の目を曇らせるのではないのかと考えている。とりわけキリスト教を扱う時には、竹下通りで千円で買った十字架のアクセサリーを身につける女の子のようにならないためには、むしろ触れずにいるのが一番なのではないかと長く考えていたものだった。それが私の最低限の敬意の示し方であった。
とはいえ、キリスト教と日本の間での困難を感じていたのは何も私だけではなかった。多くの作家がそれに苦しみ、むしろその困難を以って、日本を描き出そうとする作家もいた。もちろん私の考えでは、作家の作るものに於ける宗教的解釈は、仮に異端であっても一つの芸術作品になり得る一方で、評論家の宗教的解釈の異端さは、単なる誤読として片付けられる可能性がより高く、慎重を期するものであるのだが…。しかし私はだんだんと、そういったキリスト教と日本の狭間で描かれた作品であれば、鶴見像を見出せるのではないかと思う様になっていった。もっと言えば、私がキリスト教的表象を前にして立ち竦む、その逡巡自体を語ることならできるのでは無いか、と思う様になったのだ。
「にせ預言者ー貪欲な狼」「ヒトラー(ミスリード)」「マリア」「告解を受けるもの」、そして「聖痕」…を持つ「悪魔」で「死神」…の「鶴」をモチーフとした「情報将校」。
「にせ預言者ー貪欲な狼」に対してのとても簡潔な読み解き方は、単に鶴見が偽の刺青人皮を作ろうとしている、というものである。もう少し解釈を広げれば、鶴見が北海道の資源を活用して住むものが飢えない軍事帝国を作ろうと嘯くことであろうか。
軍事政権を作り私が上だって導く者となる お前たちは無能な上層部ではなく私の親衛隊になってもらう
これはヒトラーとして描写されていること(繰り返しとなるが、作者によるとミスリード)でもあり、ヒトラーとはたとえばその土地の出身では無いという点などでも共通点が見られる。実際には北海道はロシアと違って天然資源には恵まれておらず、またその後の軍事政権というトレンドの推移、戦争特需にも限りがあることを考えれば、金塊を持ってしても独立国家としての存続がおよそ不可能であっただろうことは見て取れる。
3、マリア、そして告解を受ける破戒的神父としてのあべこべさ
面白い事に、聖母として描かれる鶴見はほとんどもって無力であり、子をアイヌ的世界に属するフチに預ける事しか出来ない。
一方で「告解を受けるもの」、すなわち神父としての鶴見は極めて破戒的である。鶴見への告解は子羊たちの救済を意味しない。鶴見は誰とも共有すべきではない告解を共有することで、結束を強める「見返り」を期待する者である。教会に於いては告解の先には主による赦しがあることが期待され、十字架に架けられたキリストの苦難がそれを象徴していた。一見してキリストの苦難は鶴見の告解室においては「戦友は今でも満州の荒れた冷たい石の下だ」で代替されている。しかし鶴見の厄介さはその様な単純な構造におさまらないところである。一方で満州を彼らのいる北海道と分けて見せるそぶりを見せながら、時として「満州が日本である限り お前たちの骨は日本人の土に眠っているのだ」と口にし、それどころか戦争の前から月島・尾形らと何かしらの謀略を図っていたことすらわかり、『我々の戦争はまだ終わっていない』という悲壮にも満ちた決意が段々と『戦争中毒』である鶴見のハッタリであったことに我々は気づかされる。
彼への告解は何もかもがあべこべであり、神父の皮を被りながら極めて破戒的である。洗礼後ではなく洗礼前――つまり第七師団入隊前――の罪を、谷垣に至ってはあまつさえ衆人の前で告白させ、傷を共有させる。告解が終わった後に司祭は「安心して行きなさい(ルカ7:50)」というものだが、鶴見は自分に付いてきてくれるように諭すのだった(「私にはお前が必要だ」)。
破戒というのはあまり神父に使う言葉ではない。それでも、島崎藤村の『破戒』は、聖書のモチーフを色濃く反映させながら、被差別階級とその告白を描いた作品だったのだから、やはり破戒、と言う言葉はここにふさわしい気がする。
『破戒』において島崎が真に目指したのは、「身分は卑しくてもあの人は立派だから別」という、個人の救済を批判することであった。そのような個人の救済は、いわば逆説的に被差別階級の差別を補強する、矛盾した論理であったのだ。
この論理は2018年にも広く流通した。杉田水脈氏がLGBTに生産性がないと発言したことに、一部の人が、アラン・チューリングやティム・クックといった���産性のあるLGBTの名前を挙げて反論を試みたのである。このような言説が流布した後、リベラル派は、自分たちの身内の一部に対して、「生産性のないLGBT」が仮にいたとしても、その人たちも等しく扱われなければならない、とお灸を据えなくてはならなかった。
これこそ私が鶴見の恣意的な月島の依怙贔屓を、そして尾形の利用を、いまだに批判すべきだと考える理由である。
外敵を作った第七師団はより結束が強くなる 第七師団は花沢中将の血を引く百之助を担ぎ上げる 失った軍神を貴様の中に見るはずだ よくやった尾形
誰よりも優秀な兵士で 同郷の信頼できる部下で そして私の戦友だから
私はこの差異に於いて鶴見を許す気は毛頭ない。それは、私が谷垣を愛しながらも、アシㇼパを人質に取った事を未だに許していないのと同等である。谷垣を受容するに至った経緯が、私に鶴見というキャラクターを拒絶する理由は最早ないことを教えてくれた。そしてよくよく読み解いてみると、この、一見すると月島への依怙贔屓ですらあべこべなような気すらしてくるのであった。
4、主格の問題 ー 「死神」という主語について
ここにおける問題は『主格』に於いても明らかだ。鶴見が月島に話す時の態度は、軍帽を脱ぎ、主語は「私」、時折「おれ」と自らを自称する親しみのあるものだ。その一方でしかし尾形へは軍帽またはヘッドプロテクター(仮面)を装着して主語をあろうことに「第七師団」に置いている。尾形の父殺しについては未だに謎が多く、発端が誰なのか(花沢中将自身・尾形・鶴見)、なぜ花沢中将が死装束を身につけられたのかを筆頭に、また鯉登少将への手紙をいつ誰が書いたのかも問題となろう。よって、尾形が鶴見への忠誠心を失いつつも自らの父殺しの願望を成就させるために鶴見の案に乗っただけなのかどうかは、よくわからない。とはいえ、自らが時に「どんなもんだい」と誇示さえする狙撃手としての腕を買わなかった第七師団への離反は、狙撃手と対称をなすような旗手としての勇作を評価し、勇作の殺害作戦を撤回した鶴見への、勇作の狙撃をもっての”謀反”を契機として、花沢中将死亡時に、すでに尾形の胸の内にあったと考えるのが自然であろう。加えて尾形も、どこかの段階で破戒的神父・鶴見への告解というステージを踏んでいたことも想像に難くない。
このように読み解いていくと、単に鶴見は月島にだけ心を許しているようにも読めるのだが、そうは問屋が卸さない。まずはいご草への呼称問題である。月島は自らのことを『悪童』ではなく『基ちゃん』と呼ばれる事に意義を見出しているのに、彼女の事を『いご草』と表現する(本当は鶴見との会話の上でも名前で呼んでいたのだろうが)。さらにそれを受けて鶴見は『えご草ちゃん』と彼女の非人格化を進め、さらには自らの方言も決して崩さないことで会話の主導権を握る。加えて、私��長らく、江渡貝と炭鉱での爆発に巻き込まれ、煤だらけで雨の中を帰ってきた月島への労いの少なさにも違和感を抱いていた。これも一つの「あべこべ」なのかもしれないし、あるいは月島への圧倒的信頼が根底にあり、彼なら心配に及ばないと考えていただけなのかもしれず、もしくは鶴見がヘッドプロテクターという仮面をつけた時の「死神」としての決意の表れかもしれない。
「死神」を自称すること。
そもそもにおいて、我々が日々感じている他人への判断、偏見、予断の集合体、例えば、あの人は秋田出身で大柄で毛が濃く少々ドジなマタギである、と言われたことによって”我々が想起する予断と偏見”と、漫画を切って話すことはできない。小説よりもさらに視覚的な漫画という分野においては、ステレオタイプと”キャラ”立ちするための記号化というのはほとんど隣り合わせにあり、分離することがむずかしい(この論だけで何百ページも割かなければ説明できないであろう)。それでも、だ。この作品のキャラクターほど、「あの人はこう言う人だから」と型に嵌める行為が適切ではない作品もないのではないか。
作品内で繰り返される「あなた どなた」という問い、あるいはその類型でのマタギの谷垣か兵隊さんの谷垣かどっちなのか、山猫の子は山猫なのか、という問い、そしてその問いに対するわかりやすすぎる「俺は不死身の杉元だ」という回答を、繰り返しながらもゆるやかに否定し続ける世界線の中で、「私はお前の死神だ」という言葉は鶴見の決意と選択を象徴しながらも、結局のところ杉元の「不死身」の様にアンビバレントな価値を持つ言葉の様にすら思える。
鶴見と杉元はスティグマを残す男である点も共通している。鶴見は月島が反射的に自らを守った際に微笑み、二人はその後スティグマータを共有する人物になった。
杉元と傷の関係については未だに謎が多い。彼自身が顔につけた傷についても多くが語られる事はない。時間軸として1巻以降で彼が顔に受けた傷跡はかならず治っていくのに、彼が周りに残していく傷は確実に相手に痕を残していく。なぜ尾形が撃った谷垣の額の傷跡は消えたのに、杉元が貫いた頬の傷はいつまでたっても谷垣の頬から消えず、尾形の顎には縫合痕が残り、二階堂は半身を失い続けているのか、分からないままだ。ずっと分からないままなのかも知れない。
そしてウイルクもまた、顔に傷を残す男性である。傷を残しても役目を終えない男たち。聖痕と烙印ーー両極な語義を内包するスティグマータを共有し合う男たち。それはかつての自己からの変容であり、拭い去れない過去の残滓でもある。そしてそれは、作中の男性キャラクターたちが「視覚」を中心として動き回ることと決して無関係ではない��、ここではその論に割く時間はない。
「あなた どなた」に対してあれほど口にされる「俺は不死身の杉元だ」を“言えない”こと。この言えない言葉について、私はどれだけの時間をラジオに、文章に、割いて来ただろうか。そのことを考えると矢張り、「あのキャラクターはこうだから」と言う解釈がいかに軽率にならないかに気を使ってしまう。たとえば鶴見においては、まさに本人が、「俺は不死身の杉元」よろしく「私はお前の死神だ」と言っているのだから、もうそれで良いではないかと言う気がする。「不死身の杉元」は杉元が不死身ではないからこそ面白みの増す言葉であるように、今まで見てきた通り鶴見も何も「死神」だけに限定するには勿体無いほどの表象を持っているが、その中で杉元が、ある種の悲痛な決意を持って、半ば反射的に「不死身の杉元」と口走る一方で、「死神」にはもっと計画的な、そして底が知れぬ意志の重みを感じるのは私だけだろうか。「不死身の杉元」にも感じないわけではないが、「死神」はより一層”選択”であった、という感じがする。偽の人皮を、扇動を、月島を、傷を、周りに振り回されることなく自ら道を切り開いて”選ぶ”という高らかな宣言が、「死神」である、という感じがする。
5、「運命」と「見返りを求める弱い者」
『役目』を他人に認めてもらうことが作品内でどれくらい重要なのかは難しいところだ。谷垣源次郎が役目を見出し、果たす事を体現するキャラクターとして描かれ、見出す事、果たす事の重要性は単行本の折り返しから我々に刷り込まれているとは思うが、その結果としての他者承認は必須なのだろうか。杉元や尾形が他者承認を執拗に追い求めている様に見える一方で、白石が、シスター宮沢、熊岸長庵、アシㇼパ、杉元と、認めないー認められないことをずっと体現し続けているのもまた面白い。
長年の谷垣源次郎研究の成果として、谷垣の弾けるボタンは、インカラマッが占いきれない予測不可能性と、それを元にした因果応報やら占いに基づく予測的行動の否定の象徴であると気付いて、私はだいぶスッキリした。網走にいるのがウイルクである可能性は彼女の占いに基づくと50/50であるが、これがウイルクではないと100/0で出ていたとしても、彼女は網走にそれを確かめに行かなくてはならなかっただろう。それは北海道の東で死ぬと知っていながら網走に行く選択をするのと同根であり、いずれボタンが弾けとぶと知っているからと言ってボタンを付けない理由にはならないこと、またはボタンが弾け飛ぶからといって、彼女が谷垣に餌付けするのをやめはしないことと共通する。そもそもにおいて自分の死期を悟っている、ある種の諦念を持つインカラマッの行動は、途中から愛に近しいものを手にいれるにつれ、淡い未来への希望と言語化されない献身を併せ持つものになりつつあった。未来への希望と言語化されない献身……そういったものの為に嘘をつくことすら厭わない女たちを総括して、二瓶は『女は恐ろしい』と称し、自分たちの行動原理では理解不能なものとして警戒��ていたのだった。二瓶の持つ『男の論理』は、明白な見返りを望むものだったからだ。谷垣もその例に洩れず、インカラマッは怪しい女だからといって救わずにいようとすらしたし、彼女と打ち解ける様になった後も、その『女の論理』の如何わしさを感じ取って、彼女と寝る際には、やましさから『男の論理』の権化である二瓶の銃を隠し、彼女と寝た後には、その求愛は彼女を守らせるための行動ーーすなわち明白な見返りを求めた打算ーーだと考えすらしたのだ。もちろん、彼女自身のかつての行いによって、それを谷垣に見えづらくして、当たりすぎる占いが谷垣の心を遠ざけているのも皮肉であるし、その当たりすぎる占いが全て占いではなかったことは皮肉であった。妹を亡くしていること、アシㇼパの近くに裏切り者がいること、東の方角が吉と出ていることは、すべてインカラマッが既に知っていたことであり(探しているのはお父さんだという占いも同等)、キロランケの馬が勝つかもしれない可能性や、三船千鶴子の場所を言い当てるだけの能力を持ちながら、占い師としての力を使わず内通者として動いたことで、彼女自身が彼女を『誑かす狐』に貶めてしまっていた。彼女が溺れる話の表題が『インカラマッ 見る女』なのは、そんな彼女の人間性の回復を示唆しており、それは彼女自身が占いから逃れて、弾け飛ぶボタンの行き先ような、予測不可能性に身を委ねることであった。
「最悪の場合、こうなるかもしれないからやらないでおこう」だとか、「相手がいずれ自分にそうしてくれるはずだから、今こうしよう」という報酬と見返りの予測に基づく行動とその否定は、ゴールデンカムイを読む上で極めて重要な要素だと考える。
予測に基づく行動の抑制を行わない登場人物たちの決定は、残念ながら愛のみではなく、殺しと暴力も含まれる。即断性という言葉で言い表すこともできるかもしれない。私はこれをよく『反射的』という言葉を用いて説明している。私に言わせれば、極めて幼稚な、原始的な論理であり、月島が鶴見を助けたのもこれに分類される。それで鶴見が満足をしたのは、それはそれで鶴見の孤独を浮き上がらせる。反射とは、結局のところ「そうするしかなかったんだ」という男たちの言い訳に使われるものでもであり、杉元が初めて尾形に会った時に川に突き落とした時の口ぶりと100話の口ぶりなどは、まさにその代表例である。杉元という人物の中では、そのような反射的な即断性と、殺したものの顔をずっと覚えているという保持性の二つの時間軸が交差しており、その内的葛藤が我々を強く惹きつけている。そしてそこから、杉元が持つ時間軸は「地獄だと?それなら俺は特等席だ」「一度裏切った奴は何度でも裏切る」という回帰性、または因果応報性にまで波及するのだが、その思考の独特さは「俺は根に持つ性格じゃねぇが今��は傷ついたよ」という尾形の直線性と対をなす。尾形は直線的に生きていかなければ耐えきれない程の業を背負っている。それでも過去は尾形を引き止めに来る、杉元が梅ちゃんの一言を忘れられないのと同等に。
即断性/反射的の反語はなにも計画的/意図的なことだけではない。極めて重要な態度として、保留があり、現在この態度はインターネットが普及して、即時的な判断とその表出のわかりやすさが求められるようになったことで、価値が急速に失われつつあるが、明治期においても軍隊の中では持��ことが叶わなかった態度であっただろう。保留を持つキャラクターの代表格こそ、白石由竹であることは言うに及ばないであろう。
保留を持ち得なかったものたちが代わりに抱くのが反発か服従であり、造反組は勿論のこと、気に入らない上官を半殺しにした杉元と、諦念に身を任せて問いすら捨てた月島を当てはめることができるであろう。
その即時性や保留や反発や服従を生み出すのが、自らを死神に例える鶴見であり、鶴見はまさに意志の人、意図の人、計画の人である。そして仲間に対して「相手がいずれ自分にそうしてくれるはずだから、今こうしよう」という見返りを期待して関係を構築する人である。これも、私が彼を苦手としていた理由の一つであった。しかし繰り返しになるが、鶴見の”選択”は、「即時性や保留や反発や服従」を生み出す。そして本編では、どちらかというと出だしから鶴見からの離反者ばかりが描かれ、人たらしの求心力を持つ魅力的な人物であるということを読み解くまでに、私はじっくりと長い期間をかけなければならなかった。「先を知りたくなる気持ち」「ページをめくる喜び」を強く求められる男性向けの週刊連載において、保留の態度を試されていたのは、読者の方であったのだ。
それでもなお私は、裏切られる鶴見、離反される鶴見というものを立ち返って見るにつれ、この男の立場の脆さというのを改めて重要な要素として捉えるようになったのだ。
それは「死神」とは遠く、自らの周りを賞賛者で固めた男の、ともすれば惨めとすら言える姿であった。そして私は遂に「死神を目指す弱い男」、鶴見を見出したのであった。
そこで大事なのは、鶴見が「死神」になろうとしている、というただ一点であった。それはおそらく尾形が銃に固執するのと同等の、自己決定権のあくなき希求であった。
11巻で尾形は言った。「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふやなものですが」。その11巻で鶴見は愛を見出していた。「あの夫婦は凶悪だったが…愛があった」。そして同じ巻で、鶴見はふたたび高らかに宣言したのだ、「私は貴様ら夫婦の死神だ」ーーと。
以上の文章は既に3週間以上前に書いたものだったのだが、本誌ではさらに「神からの見返りを求める弱い男」として関谷が登場した。この「弱い」という言葉は私の元ではなく、イワン・カラマーゾフが『カラマーゾフの兄弟』の一節『大審問官』にて述べた、大部分の信者を指す言葉である。さらに本誌では、私が谷垣とインカラマッの関係に見ていた「予測不可能性」を、ある意味逆手に取った様に、自分への逆説的幸運をもたらす人物として門倉が描かれ始めた。私は一読して彼は谷垣の類型であると感じ取ったが、それは即ち尾形の「かえし」である事も意味することを忘れてはならない。尾形はキロランケが神のおかげだと言った直後に、「俺のおかげだ」「全ての出来事には理由がある」と神の采配を否定するような男だからだ。
すべてのあやふやな存在に輪郭を持たせ、弾け飛ぶボタンを先にむしり取っておこうという「覚悟」。その覚悟の名前が「死神」。私にとっては、それが最もしっくりくる「死神」の捉え方であるような気がした。
覚悟については鶴見の口から15巻でこのように語られる。
覚悟を持った人間が私には必要だ 身の毛もよだつ汚れ仕事をやり遂げる覚悟だ 我々は阿鼻叫喚の地獄へ身を投じることになるであろう 信頼できるのはお前だけだ月島 私を疑っていたにも拘らず お前は命がけで守ってくれた
そう思うと尾形と月島の扱いの差にも、月島へのあの苦しい弁明も納得がいくような気がした。
6、月島への『言えなかった言葉』
話は最後まで聞け 月島おまえ… ロシア語だけで死刑が免れたとでも思ってるのか?
初読時にはこの物言いは癪に障った。そこまで自明のことだと思うのなら。そうやって父の悪名を利用して月島を助けたのなら。月島にそう言えばいいじゃないか、と思っていた。しかしそれは、結局の所「ゴールデンカムイ」の根底を為す、『言えなかった言葉』の一種であったのだ。9年間、鶴見は自分の工作を月島に明かすことが出来なかった。それは杉元が、いずれ梅子に再び見出してもらう未来を目指している期間(つまり本編)よりもっともっと長い時間であるような気がする。その事実だけがまずは大事で、それに対して色々な意味づけをする前に、私は鶴見が”言い淀んだ”事実に向き合わなければならなかった。私は鯉登でも宇佐美でもないのだから、鶴見を信望する必要などなかったのだった。裏切りたくなるほど痛烈に、その存在を意識すればいいだけであった。
そして、理由はどうであれ『言えなかった言葉』を9年間抱えていた鶴見には、やはり弱さという単語が似合った。もし、もし本当に、月島の父親の家の地下から掘り出されたのが白骨であったのなら、10日前に行方不明になったいご草ちゃんが月島が逮捕されてすぐに掘り出されたのだから、白骨化するのには時間がかかりすぎるので、ジョン・ハンターよろしく骨格標本を作るような細工でもしない限り、髪やら服やらで誰だかすぐに分かってしまう。だから、きっと鶴見の工作は説得力のある良く出来たものであったのだが、それですら、月島に言えなかった、という事実��確認。
月島をどうしても手元に置いておきたかったのだろう。「告解を受けるもの」であった鶴見が月島の前では弁明をする男に成り下がる。それでもそこで「スティグマ」が2人を繋ぎ止める。鶴見は言った。「美と力は一体なのです」。そして彼の言葉にある”美”の定義は彼の顔の傷をも厭わないものであった(二階堂が本当にヒグマを美しいと言ったかどうかは大きな疑義が残るが)。この点に関しては、私はずっと鶴見の考え方に感心させられていたものだった。自らを美しいと定義してしまえば、もはや何も恐れるものはない。
ますます男前になったと思いませんか?
これは鶴見が自らの容姿に(杉元のように)無頓着であるとか、または本当にますます男前になったと考えている訳ではない、と考える。15巻で大幅に加筆された鶴見のヘッドプロテクター装着シーン。
どうだ 似合うか?
鶴。
杉元の言を借りよう。
和人の昔話にも「鶴女房」って話があってね 女に変身して人間に恩返しするんだけど 鶴の姿を見られたとたんに逃げていくんだ
鶴の頭部を模したヘッドプロテクターは、おそらく杉元が被り続ける軍帽と同種のものである。とはいえ杉元は軍帽をなぜか捨てられない男として描かれているのに対し、鶴見はむしろ「覚悟」の顕在化としてヘッドプロテクターを装着している。そしてその内部には、自ら御することすらできない暴力への衝動があり、その暴力を行使する時に、そのヘッドプロテクターからあたかも精液/涙のように変な汁が”漏れ出る”。編集の煽りによるとこれは「悪魔」の「仮面」である。たかだか煽りの一文を根拠に、悪魔かどうかを議論するのはかなり難しいが、それでもやっぱりヘッドプロテクターが「仮面」であるというのは、意を得た一文と言って良いのではないだろうか。それは不思議にも姿を隠す鶴の昔話に符合する。
正直に言おう!鶴見が悪魔だったらどれだけ解読が楽だった事か!原典が山ほどある。しかも悪魔は二面性を持つ。ファウスト 第一部「書斎」でメフィストフェレスはこのように話す。
Ein Teil von jener Kraft, 私はあの力の一部、すなわち
Die stets das Böse will und stets das Gute schafft. 常に悪を望み、常に善をなすもの。
Ich bin der Geist, der stets verneint! 私は常に否定し続ける精霊。
Und das mit Recht; denn alles was entsteht, それも一理ある、
Ist wert dass es zugrunde geht; すべてのものはいずれ滅びる。
Drum besser wär’s dass nichts entstünde. であれば最初から生まれ��ない方が良かったのに。
そしてイワンの夢の中で、スメルジャコフは「メフィストフェレスはファウストの前に現れたとき自分についてこう断じているんです。自分は悪を望んでいるのに、やっていることは善ばかりだって。」と、ファウストに言及するのであった(第四部第十一編九、悪魔。イワンの悪魔)。
このファウストの素敵な一節にはいずれ触れるとして、鶴見は悪魔を自称はしないことを念頭に先を急ごう。
この情報将校を語る上で、最も大事な事象は彼が自身を「死神」と定義することだと私は考えている。そんな中で、数々の日本的ーキリスト教的装飾に彩られ、たとえば「スティグマ」というキリスト教的文脈で鶴見に聖痕/烙印という聖別を与えることを全く厭わない私からも、「死神」がキリスト教的であるかどうかには首をひねってしまう。よしんばキリスト教のものを作者が意図していたとして、「死神」という訳語を当てるのは、デウスに大日という訳語を当てたザビエルの如き、弊害の多いものであるように思える。もしかしたら鶴見はpaleな馬に乗った男であり、隣に連れるハデスが月島か何かであり、第一~第三の騎士が鯉登、宇佐美、二階堂のいずれかの人物であるのかもしれないが…それにしても示唆する表現が少なすぎるのだった。このことは私を悩ませた。というのも鶴見をキリスト教的に読み解くという行為は、私にとって禁忌だからこそある程度の魅力を感じさせるものだったからである。ましてや鶴見を「弱い神」と位置付けるならなおのことであった。日本におけるキリスト教的神は、決して強者たりえない。強者だと感じていたらこの程度の信者数には収まっていない。そもそもゴールデンカムイには何となくキリスト教を思わせるような描写が散りばめられており、それでもいかにそれが合致していてもその文脈で語る必要はないのではないかと思われる事象も多々ありつつ(たとえばアシㇼパによる病者の塗油をサクラメントとして読み解く必要はないと感じるなど)、その禁じられた評論とやらを、試しにやってみるとこうなる。
そもそもにおいてまず、キリスト教に触れること自体に禁忌感がある、というのは既に記した通りだ。「スティグマ」「マリア」一つに取っても、私にとっては言及する前に、日本的キリスト教観について長大な考えを巡らせることがそもそも不可欠であった。キリスト教自体は現地の土俗宗教を取り込んで来たが、こと日本においてはそれすら叶わず、日本的キリスト教観というのは、おおざっぱに言えば日本の多神教感との習合ということが出来るかもしれないが、むしろ、日本の側がキリスト教の本質を捉えることなくキリスト教を取り込んでいく、という逆転現象の方が著しいほどだ。
評論家における教義の解釈のズレは、ともすれば不勉強や読み違えとたがわない為、私も慎重にならざるを得ない。しかし創作者における教義や解釈のズレは、等しく芸術となり得る力を持っているのであって、私はそれを読み解いて良いのかどうなのかずっと逡巡していたのだった。日本に於いてキリストを描くことの可能と不可能は、作家自身がキリスト者であった遠藤周作が身をもって体現していた。遠藤の描く神は一部で絶賛を受け、2016年にマーティン・スコセッシが映画化したことも記憶に新しいが、一方でカトリック協会の一部からは明白な拒絶を受けた。そして彼の描く神は、誰かを救う力を持つような強い神で���なく、弱い誰かに寄り添うような神であった。
鶴見は「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふや」であるものに、覚悟を持って形を付けていった。それは日本人に許された特権であるかもしれない。ゴールデンカムイの作品世界の中で「神」「運命」「役目」が目に見えぬ大きな力としてキャラクターを飲み込む中(そしてそれが本誌に置いてリアルタイムでますます力を持とうとし、ともすれば谷垣のボタンすらそれに組み込まれてしまうのではないかという恐怖に怯えながら)、鶴見はひたすらに自律できる人生を求めている。運命を意のままに操ることへの飽くなき渇望。その裏返しとして彼は大嘘つきとなった。
そんな大嘘つきの鶴見ですら、嘘すらつけなかった事実が月島をあの手この手で自らの手元に置いておこうとした事実であった。9年間も彼はその努力をひた隠しにしようとした。それは大嘘つきの死神に存在した「俺は不死身の杉元だ」と同義の『言えなかった言葉』であった。奇しくも遠藤周作は、まさにこの国での神との対話の困難さについての一片の物語を、まさしくこのように著したのである――『沈黙』と。
対話の不可能さには逆説的な神性がある。
それはアイヌのカムイにおいても同じである。だからこそ送られるカムイに現世の様子を伝えてもらおうとし、それでもバッタに襲われた時にキラウシは天に拳を振りかざして怒ったのだ。しかしカムイとキリスト教的神の間には決定的な違いがある。キリスト教的神は全てを統べているのだ。そして「知って」いる筈なのだった。長年このことは日本の作家を悩ませていた。遠藤の『沈黙』においても、主人公は繰り返し、聖書におけるユダの記載、そして「あの人」がなぜユダをそのように取り扱ったのかを問うている。
だが、この言葉(引用者注:「去れ、行きて汝のなすことをなせ」)こそ昔から聖書を読むたびに彼の心に納得できぬのものとしてひっかかっていた。この言葉だけではなくあのひとの人生におけるユダの役割というものが、彼には本当にところよくわからなかった。なぜあの人は自分をやがては裏切る男を弟子のうちに加えられていたのだろう。ユダの本意を知り尽くしていて、どうして長い間知らぬ顔をされていたのか。それではユダはあの人の十字架のための操り人形のようなものではないか。
それに……それに、もしあの人が愛そのものならば、何故、ユダを最後は突き放されたのだろう。ユダが血の畠で首をくくり、永遠に闇に沈んでいくままに棄てて置かれたのか。(新潮文庫 遠藤周作『沈黙』p.256)
当時若干25歳の萩尾望都が抱いたのも全く同じ疑問であった。編集から1話目にて打切りを宣告されるも、作者自ら継続を懇願した結果、その後少女漫画の祈念碑的作品として今尚語り継がれる『トーマの心臓』において、萩尾は以下のようなシーンをクライマックスに持ってくる。
ーーぼくはずいぶん長いあいだいつも不思議に思っていたーー
何故あのとき キリストはユダのうらぎりを知っていたのに彼をいかせたのかーー
“いっておまえのおまえのすべきことをせよ”
自らを十字架に近づけるようなことを
なぜユダを行かせたのか それでもキリストがユダを愛していたのか
その後も「知ってしまうこと」は萩尾望都の作品の中で通底するテーマとして描かれ続け、時にそれはキリスト教的なものとして発露した。『トーマの心臓』の続編『訪問者』はもちろんのこと、『百億の昼と千億の夜』ではまさに遠藤が指摘した通りの役回りをキリストとユダが演じ、そして敢えてキリスト教的な赦しを地上に堕とした作品として、『残酷な神が支配する』を執筆することとなる。
私は日本に生まれた非キリスト者であるからこそ、むしろ不遜に、無遠慮に、宗教的な何かについて切り込んでいけるのではないかと常々感じていた(例えば私にとっては聖典とされる教義の中でも聖書に記載がないのではないかと思う箇所がままある)。そしてその鏡写しのように、概して宗教が封じ込めるものは懐疑と疑念と疑義と疑問ではないか、と考えてきたのだった。
神とは何か、愛とは何か。
そういった問いを挟まないために自らが神になることを決めた男。
それはおそらく弱さを自認した上での自らへの鼓舞であった。
はたして私のような不信の徒が、どのような表象にまで「神」を見て良いのか、いつも憚られると同時、そしてその弱い神をまさに、ドストエフスキーは『白痴(Идиот-Idiot)』として現代化を試みたのではなかったか、という思いがある。『白痴』という和訳は今からするとやや大袈裟なきらいもあるが、それでもやはり、罪なく美しい人間というのは、当時のロシア社会において『Идиот』としてしか発露し得ないというドストエフスキーの悲痛でやや滑稽な指摘は、裏を返せば知恵の実を食べた狡猾な『人間』であるためには、罪を犯し汚れる覚悟をしなくてはならないということであり、それをナスターシャ・フィリッポブナとロゴージンというキャラクターに体現させていた。このような本作を、黒澤明は、日本的なキリスト映画の『白痴』として図像化したのである。このように日本において不思議と繰り返される弱い一神教の神としてのキリストという存在は、ますます持って私の鶴見観を固めていく。
罪を犯し汚れる覚悟は、鶴見によっては以下のとおり示されているものかもしれない。
殺し合うシャチ… その死骸を喰う気色の悪い生き物でいたほうが こちらの痛手は少なくて済むのだが… 今夜は我々がシャチとなって狩りにいく
一方でキリストを『Идиот』と呼ぶことすら厭わないその姿勢��、私にとっては極めてロシア的なものである。信仰において美しく整っていることは最重要課題ではない。そのような本質性がロシアでは”イコン”に結実している。家族が毎日集まって祈る家の片隅のイコンコーナーの壁に掛けられた、決して高い装飾性や芸術性を誇るわけではなく、木片に描かれたサインすらない御姿の偶像。しかしそれこそが最も原始的な「信仰」のあり方なのではないか。ゴテゴテとした教会の装飾でも着飾った司教の権威でもなく、余分なものが根こそぎ取り払われて、日々の礼拝と口づけの対象となる木のキャンバス。真に信仰するものへの媒体としてではあるが、特別な存在感と重みを持つ象徴的なイコンという存在は、英語では「アイコン」と読み下されるものであり、文脈を発展させながらポップカルチャーにおいてもその役割を大きくしていったことは周知の通りだ。
7、親殺しの示唆と代行 ー 尾形の場合
翻って尾形の新平の親殺しはどうか。
父殺しってのは巣立ちの通過儀礼だぜ…お前みたいに根性のないやつが一番ムカつくんだ
鶴見も尾形も親殺しの事を「巣立」ち、という同じ形容を使うという事実。きっと何度も語られてきたことだろうけど、改めて15巻にて新たな父殺しが描かれてたことで、その関連性に驚く。父親の妾を寝取りながら、自らが手を汚す事もなく、両親が絶命した事で自由を得る新平のような人物は、私が『因果応報のない世界』として称するゴールデンカムイの特徴である。あるいは『役目』重視の世界とでも言おうか。そこで『役目』を果たしたのは意外にも尾形と彼の「ムカつき」であった。ただし尾形は、他人を結果的に助けてもその事を認識されない人物であるので、この『役目』もまた誰にも認識されることなく消えていく。
ホラ 撃ちなさい 君が母君を撃つんだ 決めるんだ 江渡貝君の意思で… 巣立たなきゃいけない 巣が歪んでいるから君は歪んで大きくなった
江渡貝の母は既に死亡していたが、江渡貝には支配的な母の声が聞こえ続けており、その声は鶴見に与することに反対し続けていた。母は江渡貝を去勢していたことすらわかっている。そんな母を殺せと示唆する鶴見。何より面白いのは「決めるんだ 江渡貝君の意志で…」という鶴見らしくない言い回しである。しかし結果として齎される“対象の操作””偽刺青人皮の入手”という点では功を奏しているので、単に相手によって取る手法を変えていて、それが本人にとってプラスに働くこともあれば、そうでないこともあるだけかもしれない。
ここで関谷のような問いを死神たる鶴見に投げかけるとこうなるーー鶴見は江渡貝から得る『見返り』がなくても江渡貝を助けただろうか?
これは関谷への以下の問いはこのように繋がるーー弱く清い娘を殺し、殺人鬼たる関谷を生かす神だったとして、関谷は神を信じ続けただろうか?
善き行いをした者に幸運しか降りかからないのであれば、なぜこの世に不遇は、不条理は、戦争はあるのであろうか。
これに対して「すべての出来事には理由がある」とする尾形が、自分の置かれた環境と新平の環境をダブらせた上で、親を殺す事が出来ず(巣立つ事が出来ず)大口を叩くのみの新平に対する「ムカつき」であることは明らかでありながらも、そこで結局新平が「救われた」事の偶発性、蓋然性、見返りのなさは見逃してはならないであろう。
同時に、墓泥棒を捕まえるのは自分の仕事ではない、と語る鶴見が、なぜ遺品の回収をしていたか(出来たか)、そして「傷が付いていた」という詳細、のっぺらぼうがアイヌだということまで尾形に情報共有していたという二人の結びつきを考えるのも実に面白い。アイヌを殺したのは誰なのか? そこにいたと分かっているのはもはや鶴見だけなのである。
兎にも角にも、鶴見は、むしろその「不遇、不条理、戦争」の側に立つ事で、幸福を齎そうとする者なのである。
それは奇しくも、イワン・カラマーゾフが大審問官で言わせた「われわれはおまえ(キリスト)とではなく、あれ(傍点、悪魔)とともにいるのだ。これがわれわれの秘密だ!」のセリフと合致するのであった。
8、デウス・エクス・マキナの否定
と、ここまで書き上げた中で、本誌でキリスト教の神を試すキャラクター関谷が出てきた事で、私は論考を一旦止め、その後176話が『それぞれの神』というタイトルで柔らかく一信教を否定する日本的描写にひどく満足し、自らの「弱い神」「死神」の論考を少しだけ補強のために書き加え、大筋を変える事がなかったことに安堵した。
既に触れたファウストでの悪魔の発言、「すべてのものはいずれ滅びる であれば最初から生まれなければよかったのに」は、自らの死に対して諦念を、そしてウイルクとの再会に疑念を抱いていたインカラマッを連想させる。インカラマッ、そして関谷がこだわった『運命』は、やはり緩やかに谷垣によって、そして土方・門倉・チヨタロウによって否定される(このあたりはまさにドストエフスキー論的に言うポリフォニーというやつだ)。
関谷の持つ疑問は「ヨブ記」に置いて象徴されている。ヨブは悪魔によって子供を殺されるが、信仰を捨てず、最終的に富・子供をもう一度手にいれる。『ファウスト』では、やはり悪魔がファウストを試すが、最後に女性を通じて神がファウストを助ける。『カラマーゾフの兄弟』では、神を疑ったイワンは発狂・昏睡に陥る。つまりヨブ記を元にした作品群では、一神教の神は勝利している(『カラマーゾフの兄弟』のドミートリーのストーリーラインは除く)。これは演劇において「デウス・エクス・マキナ」と呼ばれる手法であり、最後に神が唐突に出てきて帳尻を合わせていく手法の事である。
関谷は自らの死にそれを見た。自らの悪行に等しい罰、裁きが下され、意志の強い土方が奇跡を起こしたと考えることで神の実在を感じたのであった。もっとも、我々読者にとっては、関谷への裁きは遅すぎるし、それが娘の死の何の説明にもならないため、関谷がどう捉えようと我々には神の存在が十分に確認できた「試練」ではなかった、と指摘しなければならないだろう。ただ、「デウス・エクス・マキナ」はむしろ因果応報を覆す超常的な描写であり、関谷が見た「意志の強い人間の運命」���「奇跡」、「裁き」という物差しすら飛び越えるものであったので、皮肉なことに、かえって関谷を包む状況とは一致を見せるとすら言えるのであるが……。おおよそにおいて良作とは、物語も人物も「あべこべ」で「矛盾」と「パラドックス」を抱えるものであるため、関谷とヨブ記についてまとめた記載をするには、稿を改めた方が良いと思われる。
それでも関谷についての序章を、本稿の終章に持ってきたかったのは、まさに、新平への運命を急に出てきて変えていく尾形が、あくまで人として、それも銃の腕を除くととてつもなく弱く、惨めな人間として現れ、新平の親の殺人によって新平を救ったという、いわば「デウス・エクス・マキナ」の”変形という名の否定”ではないか、と指摘したかったからである。
時に死神でなくとも、人の子も人を救う。その一端が、尾形の「ムカつき」であったこと、そしてそれが本誌の白石や1牛山に引き継がれていくことを指摘して、この文の結論とする。
そこに「見返り」はない。尾形は新平を助けようとしたわけではないし、白石はアシㇼパを助けても依頼主の杉元が生きているかどうかすら知らないし、チヨタロウは牛山を失って自身に新たな力を得たわけではない。
だからこそ、「見返り」を問題にしてはならないーー外れてしまうとしても、ボタンを縫い付ける必要はあるのだから。
そしてインカラマッはきっと、情を持たず自分を守ってくれないとしても、谷垣に愛を伝えなくてはならなかったのではなかったのかと思うのだ。
読んでくださってありがとうございました。
過去の文をまとめたモーメント。
マシュマロ。なぜ書いているってマシュマロで読んでるよって次も書いてって言われるから書いているのであって、読まれてない文も望まれていない文も書かないですマシュマロくれ。と言って前回こなかったので人知れず本当に筆を絶ったのであった。そのことを誰にも指摘されなかったので、やっぱそんなもんなんだなって思ってる。
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【 栄養軒 】 15年ぶりくらいの訪問。 たぶん初めてチャーシューと麺大盛りの「肉デラ」注文。 はじめの一口あまーいという感じで、過去の記憶とスープの印象が違った。自分の老化が進んだか😆醤油が甘いのかな?結構癖がある豚骨。最近の豚骨は食べやすいのが多いからか意外でした。 相変わらずの大盛況店!ご馳走様でした🙏 #栄養軒 #肉デラ #920円 #中太麺ストレート #豚骨ラーメン #とんこつラーメン #メンマ #もやし #ラーメン #ramen #ramennoodles #麺活 #宮崎市麺 #japanesefood #noodles #ラーメン屋 #宮崎市グルメ #宮崎グルメ #宮崎市 #宮崎市ラーメン #宮崎ラーメン #宮崎市ランチ #宮崎ランチ #宮崎ラーメンスタンプラリー #ラーメンスタンプラリー #現金のみ #ご時世的にか沢庵無し (栄養軒) https://www.instagram.com/p/CaUKQ92lRWV/?utm_medium=tumblr
#栄養軒#肉デラ#920円#中太麺ストレート#豚骨ラーメン#とんこつラーメン#メンマ#もやし#ラーメン#ramen#ramennoodles#麺活#宮崎市麺#japanesefood#noodles#ラーメン屋#宮崎市グルメ#宮崎グルメ#宮崎市#宮崎市ラーメン#宮崎ラーメン#宮崎市ランチ#宮崎ランチ#宮崎ラーメンスタンプラリー#ラーメンスタンプラリー#現金のみ#ご時世的にか沢庵無し
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202101-11
読んだものを片っ端から忘れていき、訪れては見たものを忘れていく。メモはメモでしかなく、なんとなく書いては見るものの結局ノートは満足したら破っては捨てていく。
1月:新年の東博展示、舟越桂展、冨安由真展、千葉正也展
冨安由真の自分が幽霊になって浮遊しているみたいな感覚がよかったな。あと舟越桂の静かな彫刻も好き。
2月:眠り展、吉田博展、コンスタブル展
特に文句はなく、そこそこに満足。コンスタブルのグッズ、わたしは絵画を見た後でそんなにグッズ買う気にならなかった。ほんものの方がずっといいもの。最近のグッズそんな感じ。例えば鳥獣戯画とかそういうのはグッズにすると面白くて映えるけど(でもそれってデパートの特設会場でやったら?っていつも思う。わたし鳥獣戯画展に行ってないのに!)、大抵いいものを見た後でプリントされたもの見てもふ~ん、みたいな気持ち。印刷が許容範囲ならファイルかポストカード買うくらい。会期途中で終わったのでグッズが今も余っているとか大変だなとは思うけど、ちょっとだけしら~っとした目で見ちゃう。でもまああちこち大変だ。
3月:ドアノー音楽とパリ展、20世紀のポスター展、あやしい絵展、モンドリアン展
あやしい絵展は期待外れ。外見だけで中身がなかったもう少し踏み込んだらよかったのに。20世紀のポスターが今年の中で暫定一番楽しかったかもしれない。社会とビジュアルコミュニケーション。「あらゆるデザイン表現が、その成功―社会的な普及―と引き換えに、遅かれ早かれ飽きられる命運にあるとすれば、結局デザインは、季節の流行色��変わらないものになってしまう。」同時期だかなんだかに佐藤可士和やってた(結局行かなかった)けど、わたしはあんまり佐藤可士和のデザインを持ち上げるほど好きではなくて、もち���んユニクロのロゴとかスマップのCDジャケットとか出てきたときは新しいなと新鮮でかっこいいとかそういう時代だったと思うけど、いまもうわたしは飽きてしまっているのかもしれないと思うなどした。見てもいないのに!
SOMPOは当日券だと予約より値段が高くなる。当日券っていうと、受付で紙印刷する、今の時代そんなことする!?って逆に面白くなった。他にそんなところ知らない。でもわたしが知らないだけで他にもそういうところあるのかも。
4月:渡辺省亭展、酒井駒子展、マーク・マンダース展
マーク・マンダースのフィギュアを出したらいいのに。男でも女でもない目を閉じたひび割れた彫刻好み。
5月:緊急事態宣言
映画を見た。ニューシネマパラダイス、ゴッドファーザー1とか暗くなるまで待ってとか有名だけど見たことないものを見ていた気がする。
6月:安西水丸展、ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展、ファッション・イン・ジャパン展、イサム・ノグチ展
壁にずらっと並んで、対面の壁にキャプションがあったり、暗い中ライトもって見たい部分を自ら照らしゆく展示、新鮮だった。ひとは自分が見たいものを見る。彫刻って触ってみたら、口に含んでみたらどんなだろうと夢想しながら見る。特に口に含んでみたらって思う。せっかくだから、サカナクションがセレクトした曲を聴きながら回ってみたイサム・ノグチ。
7月:サーネリンとフィンランドの美しい建築展、イスラーム王朝とムスリムの世界展、マン・レイと女性たち
特になにもない。マン・レイは彫刻の方がいい。
8月:科博の植物展、隈研吾展、えの水にも行った。サーカス物語展(久しぶりのLIBRAIRIE6)、リバーシブルな未来展、イマドキの野生動物展、山城千佳子展
隈研吾展を見て、イサム・ノグチとイッセイ・ミヤケ!と思った気がする。隈研吾ももうなんかちょっと見慣れてきた気がする。全然建築知らないけど、SANAAはたぶん好き。金沢のは好き。夏休みって感じを満喫した。後半3つは写真美術館(いまだにTOPはないよ、と思う)。わたしは動物が好きなので、自然の中で生死の循環をする容赦ない姿とか、好奇心旺盛な動物とか、現代の賢い動物の姿とか、そういうのを見せてもらえてテンションがあがる。実は長い動画が展示されているのが苦手だと感じる。いつも最後まで見られない。ひとつだけならともかく、複数あるのは無理だなと思って、3つ同時だと少し安くなるんだったかなんだったか、せっかくだからと欲張ったけど。
9月:デミタスカップの愉しみ展、刀剣もののふの心展、キューガーデン英国王室が愛した花々展
ホームジャンル久しぶりだった。刀もだけど、滅多に見られないものを見る方が楽しいな。
10月:ブダペスト国立工芸美術館名品展、動物の絵展、庵野秀明展、川瀬巴水展
府中の展示、たまにいくとすごく楽しいなって。若冲のこと熱心なファンじゃないけど、像と鯨図屏風よかった。しみじみした。おじさんがずーーーーっとそこにいて、好きなんだなぁと思うなどした。あとクッキーモンスターだかエルモがいた気がした。(モダンアートの方)庵野展、じっくり見過ぎてびっくりするくらい時間が経っていて面白かった。
11月:和田誠展、イスラエル美術館所蔵印象派・光の系譜展
和田誠、見づらいあの柱みたいなやつ混んだら最悪だと思う。終わってから光の系譜?ってなった。キュレーションがいまいちだなと思った。レッサー・ユリィがいい。
読書:今年ようやく薔薇の名前を読んだし、ラウィーニア、ファウスト、百年の孤独、波、ボウエン短編とかあと八本脚の蝶も。シオンズ・フィクションとか毎月1冊はちゃんと本を読んでいた。まぁ読んだからと言って血肉になるかというとそれは読んだだけでは…というのは理解している。
今年は毎月最低1冊の本、美術館博物館、映画と思って、映画は月1で見れてないときは次の月で2本でとかゆる~く。緊急事態宣言中は仕方ない。でもsnsとかで言ってしまうと大抵だめになるので、来月(あと1時間切っているね)はどうなるでしょうか…
追記:12月はザ・フィンランドデザイン展と民藝の100年展に行きました。特にこれということはないけれど、民藝の良さみたいなものは私にはよく分からないなということです。
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【共感シアターナビ】たくさんの投稿頂きました!「おすすめしたい日本のアニメ映画」投稿全部ご紹介!
先日13日火曜日の21時より放送された共感シアターナビの中で、視聴者の皆さんの声を紹介するコーナー「俺たち共感族!」のお題は「おすすめしたい日本のアニメ映画」でした。 募集をかけたところ、多くの視聴者から熱いコメントをたくさん頂きました!ただ、番組内では放送時間の都合上、全部を紹介することは出来ませんでした。 そこでこの度、放送内ではご紹介できなかった投稿を含めて、視聴者の皆様から頂いた全投稿をこちらに掲載させて頂きます! 視聴者の皆様から寄せられた熱い投稿、ぜひご覧ください!!
番組アーカイブはこちら!
きょたさん
■作品:劇場版シティーハンター<新宿プライベートアイズ> ■おすすめ理由 2019年に公開されたシティーハンター最新作。前作から20年ぶりに作られた新作(パラレルワールドのエンジェル・ハートは除く)シティーハンターは好きだが昔のコンテンツというイメージだったので、正直期待しないで観に行ったが面白すぎて度肝を抜かれた。感想としてはとにかく完璧にシティーハンターをしてるシティーハンターだった。無駄な要素を一切入れていない。 作品のノリや雰囲気、キャラの性格が当時と変わってないから安心して観れる。何より監督や声優が当時のままなのが一番嬉しい!平成最後に神谷明主役のアニメをぶちこんでくれたのは最高でした。山寺宏一、山崎たくみ、茶風林など当時エキストラで出演してた声優が今回メインキャラになったのは感慨深いものがある。 ギャグシーンも多めで、獠は5分に一回くらいはもっこり言ってたイメージ。もちろん戦闘もバッチリ決める!ゲスト芸能人声優が邪魔してないのもGOOD。話題性ばかりで演技がド下手な「大物ゲスト俳優(笑)」を使う作品が多いが、今回のゲストヒロイン役の飯豊まりえが上手くて物語に集中できた。 そしてシティーハンターはあくまで獠と香が主役だからシナリオ的にもでしゃばってない他にも往年のファンのテンションが上がる要素が多くて飽きさせない。特に音楽。シティーハンターシリーズの歴代主題歌が随所で流れるが、タイミングも曲のチョイスもバッチリ過ぎて聴いた瞬間目頭が熱くなった。 原作を知ってるならあっとなる小ネタも多くて探すのが楽しい。劇場公開時よく言われてた感想で「昔馴染みのラーメン屋に入ってラーメンを頼んだらラーメンが出てきた」というのが秀逸。確かに最近はラーメンを頼んだら冷し中華が出てくる作品が多い。そんななかこの作品が完成したのはまさに奇跡としか言いようがない。 一見するとファン向けな作品のイメージだが内容は「いつものシティーハンター」なので入門書としてもオススメ。映像面もシナリオも完璧で、まさにシティーハンターの最高傑作と呼ぶにふさわしい作品だった。 ■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム! ■おすすめ理由 デジモンアニメの中で一番好きな作品。40分という短い尺の中に恋愛、戦争、生活、友情、勝利など様々な要素が詰まってる映画。最初はいたずらメールを送るくらいのコンピューターウィルスがどんどん進化していき、レジの代金をバグらせてとんでもない代金にしたり、交通機関を乗っ取って電車を暴走させたり少しずつ世界を混乱させていく…… それを阻止するため主人公達が立ち向かうというストーリー最終的には核ミサイルまで発射されてしまい、日本を壊滅させようとするスケールのデカさにビックリしたこの映画に「島根にパソコンあるわけないじゃん」という台詞があるが島根県出身の身として言わせてもらうと、一応パソコンは当時から島根にもあったぞ~~!!
鶴岡亮さん
■作品:クラッシャー・ジョウ ■おすすめ理由 僕がオススメしたいアニメ映画は「クラッシャー・ジョー」です。本作の舞台は2160年の宇宙で、主人公ジョウ率いる宇宙の何でも屋の「クラッシャー」がある依頼を受け、壮大な戦いと陰謀の渦に巻き込まれていくというスペースオペラものです。 このアニメの見所は何と言っても監督のみならず、作画監督も務めた安彦良和さんを始めとするアニメーター陣による圧倒的な作画力です。河森正治(かわもりしょうじ)さんデザインのスターファイターが宇宙空間で繰り広げる激しいドッグファイトシーンや、カーチェイスやクリーチャーを相手にした豊富なアクションシーン、人間の身体の動きを滑らかに描いたガンファイトシーン等が、80年代アニメブーム時代の高クオリティな作画で楽しめます。ストーリーも若干フィルムノワールを思わせる敗者の哀愁を漂わせる面があり、一見スタンダードなスペースオペラという体制をとりつつも、そういう所を取り入れてくるのが学生運動経験者の安彦良和監督らしく面白い所です。 後、一部の人にしか判らないでしょうが、安彦良和さん作画の「ダーティペア」が一瞬見れる所も今作の見所です! 高クオリティな作画を楽しみたい方には楽しめる作品だと思いますので、未見の方が居たら是非ともご覧下さい! ■作品: 機動警察パトレイバー2 the Movie ■おすすめ理由 この作品は言わずと知れた押井守監督作品のアニメ映画。 本作は90年代に作られた作品で、当時日本で問題になっていた自衛隊の海外派兵問題や、それを是とする日本国の情勢に対して、押井監督の鋭い指摘が冴えまくった作品です。 横浜ベイブリッジにミサイル発射テロが行わ���るシーケンスに代表される印象深いカットワークてんこ盛りの本作ですが、中でもテロに対して東京に非常事態宣言が発行され、新宿、渋谷、池袋に自衛隊が駐留し、「日常から非日常」へと転換していくシーケンスは非常にインパクトがあり一見の価値があります。 奇しくも、この映画が公開された1993年の2年後の1995年にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生し、「このアニメに影響されたテロでは無いか?」と物議を醸し出しだす事になりました。 社会、こと日本について描いた作品というと、庵野秀明監督の2016年の「シンゴジラ」が挙げられますが、本作「機動警察パトレイバー2 the Movie」は押井守監督が90年代の日本の状況を克明に描き出し、予言とも言える快作を作り上げました。 ポリティカルサスペンスとして非常に完成度が高く、90年代という日本の時代性を語る上で外せない作品だと思うので、未見の方は是非ともご覧下さい。
バッファロー・ビルさん
■作品:今敏監督作品「パーフェクトブルー」 ■おすすめ理由 アイドルを卒業し、女優への転身を決意した主人公。彼女は事務所の要望となりたい自分との狭間で思い悩むようになります。現実と虚構が曖昧になっていく中、彼女にストーカの影が・・・最近では実写でもあまり見かけなくなったサイコホラーという題材。 90年代はセブンとか羊たちの沈黙とかやたら多かったですが、人間というものの気持ち悪さをここまで、それもアニメで本格的に描いた作品はあまりないでしょう。 98年の作品ですが、インターネット、芸能界の思惑、ストーカー等、現代でも十分通じる物語です。この作品がダーレン・アロノフスキー監督の「レクイエム・フォー・ドリーム」「ブラックスワン」に影響を与えたことは有名です。2010年にお亡くなりになった今敏監督。訃報を聞いた時はとてもショックでした。本当に残念でなりません。
肴はサラダチキンでいいさん
■作品: OVA版ブラックジャック カルテX しずむ女 ■おすすめ理由 皆さんに見てもらいたいアニメで考えた結果これしか思いつきませんでした。また変化球気味で映画ではなくVシネマアニメですが、ギリOKという事で。 今作は手塚治虫先生の原作話で週刊チャンピオンで連載される訳でしたが、当時の公害描写などの理由でお蔵入りとなった話がOVAでアニメ化された物です。 ブラックジャックは医療アニメである前にヒューマンドラマだという事が分かる素晴らしい作品です。共感族の皆さんにも機会があれば是非見てもらいたいですね!^_^
nksさん
■作品:デジモンアドベンチャー ぼくらのウォー・ゲーム! ■おすすめ理由 本作は知る人ぞ知る細田守監督の出世作で、東映アニメ祭りで上映された、40分の短編映画です。 アニメーションの革新性、主要登場人物8人の手際良い配置、適度なギャグ、魅力的なアクション、どれを取っても20年前とは思えない出来の良さです。 スピルバーグが〈映画うま男〉なら、細田守は〈アニメうま男〉といったところだと思います。 細田監督がメジャー化してからの作品である「サマーウォーズ」は、実質本作のリメイクですが、個人的にはラスト10分でミサイルが着弾するスリルが現実の上映時間10分とぴったりリンクする所など、完成度において「ぼくらのウォーゲーム」の方が優れていたと思います。
■作品: 海獣の子ども ■おすすめ理由 本作は、主人公の少女(cv.芦田愛菜)が魚と会話できる不思議な力を持った少年と出会い、ひと夏の冒険を通じて海/地球/宇宙の神秘と生命の起源を知るという、ジュブナイルものかと思ったら「2001年宇宙の旅」だった、という映画です(なに言ってるか分からなかったらスミマセン。)。 ストーリーが難解でつまらないといった評価が多いですが、2001年やプロメテウス、エヴァが好きな私にとっては、大好物の作品でした。 しかしなんといっても本作最大の特徴は、一枚一枚が水彩画であるかのような、圧倒的な画力です。日本で同時期に公開された「スパイダーバース」と比較しても、勝るとも劣らない画の密度で、ハリウッドからの挑戦状に日本から回答を示すなら本作「海獣の子ども」だと思います。 2019年10月、制作会社のスタジオ4℃でアニメーターの残業代未払い問題が報道されました。そもそも本作は企画から完成まで6年を要した労作であり、そりゃ作り手が何人か倒れててもおかしくないよなと思いました。が、一観客として、「その成果はちゃんと届いてるよ!!」と、改めてアニメーターさん達に拍手を送りたいと思います。
甘えん坊将軍ユウスケさん
■作品:クレヨンしんちゃん~嵐を呼ぶジャングル~ ■おすすめ理由
しんちゃん映画だときっとオトナ帝国と戦国が挙げられるでしょうが、あの二作はアニメ映画としては最高ですが、しんちゃん映画としては言いたいことがあるので敢えてあの二作の直前の本作をピックしました。 擬似的な親離れ家族離れ体験としていつもの五人でジャングル探検してギャグシーンを満載にした前半(原恵一監督は結構このシチュエーションやってる気がするのですが、このテーマ好きなんですかね?)。一人の兄としてひまわりちゃんを守って頑張る中盤。徹底的にまたギャグに振ったみさえ&ひろしの救出シーン。で、本作最大の見処であるしんちゃんの憧れのヒーローであるアクション仮面のくだりです。 単純な強さで言えば、悪役のパラダイスキングに劣ってしまうアクション仮面ですが、皆の応援、特にどんな時でも憧れのヒーローとして慕ってくれるしんちゃんの声援と、悪役にはない優しさがあるからこそ勝つと言うちゃんと「正義は勝つ!!」のロジックを下手なアメコミ映画よりちゃんとやっている点。 また、ハリボテの城に住み、「力」は手に入れたが、また本当の意味で声援を送ってくれる者の居ない文字通り「猿山の大将」である、ある意味でヒーロー俳優としてあり得たかもしれない別視点の自分が最大の悪役として立ちはだかる点。 これら昨今のアメコミ映画に有りそうな題材をアメコミブームの10年近く前に既に、ちゃんとやっていると言う点ではヒーロー映画としての完成度は抜群に高いとと言いたいです。また、最後はバッチリお下劣ギャグやナンセンスギャグで締めてくれるのも最高ですね。 オトナ帝国や戦国、ロボとーちゃんばかりが、もてはやされがちですが、ギャグとアツい展開のバランスが取れてるクレしん映画としておすすめしたい一本です(特に特撮ヒーロー好きなら大西さんにもおすすめです。既にご覧になられてるかもしれませんが…笑)。
nikiさん
■作品: 時空の旅人 ■おすすめ理由 『火の鳥・鳳凰編』と同時上映の80年代角川アニメです。子供のころ、戦国時代が好きだったこともあり、劇場で見ました。こういったガキの時に見て面白かった作品が今見ても面白いのか?という疑問は昔の作品にはつきまとうと思うのですが、『時空の旅人』は大人になってから見ても面白かったです。 萩尾望都のキャラクターデザインの作画、竹内まりやの曲もいい感じです。ただ、ストーリーが原作ほど緻密ではない点、唐突に挟まれる角川春樹の俳句には目をつぶってください。
きゃわぐちさん
■作品:第5位 「帰ってきたドラえもん」と「サマーウォーズ」をセットで挙げます! ■おすすめ理由 13年前、まだ映画で涙した経験のない、鉄仮面だった高校生の私を大号泣させたのが、アメトークのドラえもん芸人で見た「帰ってきたドラえもん」でした。以来、涙腺がブッ壊れ、ついに映画館でも初めて泣いてしまったのが「サマーウォーズ」の花札のシーンです。 当時はセカチューや「1リットルの涙」から続いていた闘病モノブームもあって、そういう“お涙頂戴”がことさら多かった気がするのですが、“悲しさ”ではない感動で泣く、という経験ができるのもこの2本のいいところですね。
■作品: 第4位 「この世界の片隅に」 ■おすすめ理由 第4位は一転して底無しの“悲しさ”に泣けてしまう「この世界の片隅に」です。戦争モノのアニメ映画といえば、「はだしのゲン」や「火垂るの墓」や、いわゆるグロくて強烈な作品は数あれど、こんなにも穏やかな、それでいて辛い作品があったでしょうか!? 全編にわたりほぼほぼ戦闘シーンがなく、主人公・すずさんのおっとりした性格も相まって、日常系のアニメを観ているかのような気分になりそうな本作。しかし確実に戦時中である、というギャップが、どうしようもなく悲しい。去年の終戦記念日に初めて観たのですが、すずさんの穏やかな暮らし、健気な性格を見ていると「戦争さえなければ、平和に幸せに暮らせていたはずなのに」という思いが込み上げてきて、クライマックスでも何でもないシーンで涙が止まらなくなりました。 そして、当時の日本には何万人、何十万人という“すずさん”がいたのだという事実が現実味を帯びて感じられます。紛れもなく、映画史に残る名作です。 ■作品:第3位 「 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」 ■おすすめ理由 これは「クレヨンしんちゃん」という子供向けコンテンツを、大人の視聴にも耐えられる、むしろ大人こそ感動できる作品へと昇華させた金字塔的作品です。クレヨンしんちゃんの映画として必須な“お下品な笑い”はふんだんに盛り込んでおきながら、成長して見返すと泣かずにはいられない感動もある。 見る年齢によって、泣き所が変わってくるのもポイント。いつ観ても笑って泣ける、最高に楽しい映画です!こっちは何回も観るからブルーレイ化してくれ! ■作品:第2位 「 ルパン三世 カリオストロの城」 ■おすすめ理由 挙げるまでもない名作ですが「ルパン三世 カリオストロの城」! ・言わずもがな抜群の完成度。 ・テレビで流れていればつい観てしまう ・何度も観ているから安心感があるのに、何度観ても飽きのこない面白さまさにアニメ映画界の「ターミネーター2」! 今さら観てない人はいないと思いますが、「クラリスって誰?」という人がいないとも限らないので、念のため第2位にランクインです。 ■作品:第1位 「 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」 ■おすすめ理由 そして第1位は、完全に私の趣味「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」で決まりです!もちろん世代ではなく、小学生のころケーブルテレビで父に見せられたのがきっかけ。テレビ版も見たことがなく、最初に触れたヤマトが劇場版2作目の“さらば”。 まだアニメといえばドラえもんやクレヨンしんちゃんやコナン、あるいは少年漫画の単純な勧善懲悪しか知らなかった私に、いきなりの“さらば”はまさに世界がひっくり返るような衝撃でした。見終わったあとテレビの前で呆然としていたことは、20年以上経った今でも覚えています。ボロボロになっても戦い続ける、ヤマトの不屈のカッコよさ、白色彗星帝国の圧倒的な強さと絶望感、クライマックスの激闘、そしてきゃわぐち少年を衝撃の渦に呑み込んだラスト。最高と言うほかありません! ただ、ヤマトに限りませんが、大人になってから初めて触れると、どうしても奥にいる製作者や、話の辻褄ばかりに目がいってしまって、純粋に作品の世界に没頭することが難しくなるもの。でも子供の頃に観たものなら、大人になってもずっと“あの頃”のまま楽しむことができます。 共感シアターをご覧の皆さんで小さなお子さんを持つ方がいたら、早いうちに「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見せることをオススメします。あと「あしたのジョー」。 余談ですが、共感シアターではだ〜れも観てない「鬼滅の刃」、僕は初日に行ったしブルーレイも予約したし、結構感動しました(笑)
アレスさん
■作品:「 マジンガーZ対暗黒大将軍」 ■おすすめ理由 無敵のスーパーロボットと思ってたマジンガーZが新たに現れたミケーネ帝国の戦闘獣軍団にボロボロにされるのは幼心にそれはもうショッキングでしたが、そのピンチを救うべく飛んできたグレートマジンガーの無双ぶりはそれを上回るインパクトでした。 「マジンガーZの兄弟さ」とだけ言い残し飛び去って行くラストシーンの格好良さはアニメ映画の括りだけじゃなく、映画のマイオールタイム・ベストシーンです。
ぜんぞう
■作品:「 餓狼伝説/劇場版」 ■おすすめ理由 さて、おすすめしたい日本のアニメ映画ですが、僕のおすすめ日本アニメ映画は、「餓狼伝説/劇場版」です。「AKIRA」や「オネアミスの翼」等、大好きなアニメ映画は沢山ありますが、他の皆様のおすすめにあがりそうなので、あまり語られることのないであろう、「餓狼伝説/劇場版」をおすすめしたいと思います。 制作当時、隆盛を極めたSNK製のビデオゲーム「餓狼伝説」シリーズを基にした、劇場版ならではのスケールの大きいオリジナルストーリーがとにかく魅力的。ゲームでお馴染みのキャラクター達が、伝説の闘神の鎧を巡ってインディ・ジョーンズよろしく遺跡を巡り、謎を解き、鎧を狙う敵対勢力と超人バトルを繰り広げる展開は圧巻の一言。 ダイナミックなアクションとミステリアスなストーリーは、これぞ日本アニメ!「ヘルボーイ/ゴールデンアーミー」にも影響を与えた(と勝手に推測している)クライマックスも含め、見所満載のスペクタクルアニメ映画です。ぜひぜひ、ご鑑賞ください。
ヱキストラさん
■作品:クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ(2004年) ■おすすめ理由 クレヨンしんちゃん界隈の映画秘宝こと「クレヨンしんちゃん研究所」で絶賛された本作品。往年のマカロニ・ウェスタン/アウトロー作品への愛を異常なほど感じさせる本作は、これまでの明るい雰囲気を出さないためか、オカマキャラを一切登場させない徹底ぶり。 「荒野の七人」「夕陽のガンマン」「マッドマックス」「ローン・レンジャー」など自分がわかるだけでも数作品のオマージュ/パロディが随所に散りばめられていて、その上、元ネタを知らなくても楽しめるクオリティの高さでした。加えて最後のオチは、"映画"というギミックを笑っちゃうぐらい見事に活用! 上映時間は95分で、Netflixにも公開されているので、映画好きな共感族の皆さんにも、是非一度ご覧いただきたい作品です( ´-`)
リノス屋さん
■作品: バンパイアハンターD (英題:Vampire Hunter D: Bloodlust) ■おすすめ理由 古典的なモンスターホラー要素に、SFファンタジーや西部劇の要素も併せ持つ作品です。 舞台設定は、遥か未来。“貴族”と呼ばれる吸血鬼に支配された世界で、人類は家畜同然な存在に。貴族達に怯えながらも、なんとか生活を保っている人類に味方をするのが、人間と吸血鬼の混血で、吸血鬼ハンターを生業にしている、主人公“D”。全身黒ずくめで、大きな旅行帽を被り、背中に長い刀を背負い、左手には人面瘡(じんめんそう)を宿し、顔立ちは美形という、一見地味に見えてカリスマ性のあるこのキャラクターがまず魅力的です。 映画の内容は、名門と云われるエルバーン家の少女が、貴族に誘拐される所から物語が始まり、それを知ったエルバーン家の者が、主人公Dや人間の吸血鬼ハンターいち味を雇い、少女救出へと向かわせます。後に、『マトリックス』のオムニバスアニメ『アニマトリックス』の一作品を手掛ける事になる、監督の川尻善昭(かわじりよしあき)さんが描く、道中でのアクション等見所が随所にあり、混血な故に貴族からも人間からも毛嫌いされ、しかしながらも奮闘する主人公Dの孤独な戦いもドラマに絡んできて、終盤には思わず涙を誘われます。 又、この作品の公開時は、英語版での上映のみでしたが、ソフト化の際には、日本語版も発売され、声優ファンには堪らない錚々たるメンバーがキャスティングされております。特に、主人公の左手に宿る人面瘡(じんめんそう)の声を、永井一郎(ながいいちろう)さんがアテられていて、無口な主人公とは対照的に、ユーモアや皮肉に溢れるキャラクターを演じられていたのが印象的でした。『バンパイアハンターD』は、映画以前にもOVAやオーディオドラマ、プレステ用ゲーム等のメディア展開も多くあります。 何より、菊地秀行(きくちひでゆき)さん原作の小説には、キャラクターデザイン兼挿絵をファイナルファンタジーシリーズのイラストでも有名な、天野喜孝(あまのよしたか)さんが手掛けられていて、天野さん自身の個展でも度々、同作品のイラストも出展している為、おそらく共感シアターの皆様も、どこかで一度は“D”を目にしたことがあるかもしれません。
孔明(MOVIE TOUCH)さん
■作品: トランスフォーマー ザ・ムービー 1986年公開作品 ■おすすめ理由 1984年にアメリカでトランスフォーマーの玩具が発売され、テレビアニメ放送もあって大ヒット。それを受けて製作されました。テレビアニメ同様に日米合作で、作画は主に日本の東映動画(現:東映アニメーション)が担当。最初のテレビアニメ「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(通称:初代)」の続編ですが、本作は当時の子供達に深い傷痕を残しました。 開始30分以内に玩具の在庫処分のために初代に登場したトランスフォーマーの殆どが無惨にも殺されていき、同時に新商品の宣伝のために新しいトランスフォーマー達が主役の物語が容赦なく始まるという衝撃的な内容。総製作費40億円(尚、半分しか使い切れなかった)をかけた本作はCGと見間違える程の神作画が終始続き、日本のアニメーター達の底力を見られます。特に星帝ユニクロンの変形シーンはロボットアニメ史に残る神シーンです。ジャド・ネルソン、レナード・ニモイ、エリック・アイドル、オーソン・ウェルズらが声優として出演。 また本作はオーソン・ウェルズの遺作でもあります。勢いある80年代を象徴するような本作のアルバムは映画アルバムでもベストに入れたいほどの名盤で、特に主題歌「The Transformers Theme」と挿入歌「The Touch」は海外アニソン屈指の名曲。因みに劇伴は「ロッキー4/炎の友情」のヴィンス・ディコーラ。日本は玩具発売元であるタカラ(現:タカラトミー)の大人の事情で劇場公開に至らなかったものの、後にチャリティ上映やソフト販売が一応行われました。 現在国内で合法的に見る方法は北米版ブルーレイ(勿論日本語音声も字幕も無し)を海外から取り寄せる以外ほぼ皆無で、他はネットに違法アップされた物を見るしか方法がありません。しかしタカラトミーもブルーレイ発売や配信をする気が無いのにも関わらず本作の玩具を出しまくっているので事実上黙認状態(因みに今月も発売予定あり)。実写映画版シリーズで本作から引用されているシーンや台詞、設定がかなり多いので是非見てください。 ■作品: ガールズアンドパンツァー 劇場版 ■おすすめ理由 ある意味戦車アニメ版ワイルドスピード。その熱さは実際に鑑賞した多くの映画ファンから同年公開の「マッドマックス 怒りのデスロード」に匹敵すると言われた程。 砲撃戦のみならず戦車で戦車を投げ飛ばして攻撃、戦車同士で格闘戦、ジェットコースターのレール上で戦車チェイス、窮地を救う観覧車先輩などなど、「戦車でそんな使い方アリ?!」のオンパレード!仲間はファミリー同然に面倒を見る!一度戦った相手はマブダチ!応援大使は蝶野正洋!一見あり得ない戦車戦の裏には膨大なリサーチに裏付けられた世界トップクラスの再現度を誇る戦車描写があり、リアリティとファンタジーが見事に融合した戦車映画になっているのです。 特攻野郎Aチーム的な「どんな奇策でその場を乗り切るか」という展開も見どころです。オーケストラで収録された劇伴も作品を盛り上げる良い仕事ぶりを発揮し、オリジナル楽曲以外にもリパブリック賛歌やフニクリ・フニクラなど様々な国の曲が使われるので大変勉強になります。共感族なら一度は聞いた事があるであろう、あの映画にも出てきたあの楽曲も使われます。また劇中歌「おいらボコだぜ!」は人生何度ボコボコにされても立ち上がる力をくれる素晴らしい歌です。 現在劇場用OVA最新作「ガールズアンドパンツァー最終章 第3話」が公開中。それに合わせてNetflix、dアニメストア、Huluなどの各配信サービスにて本作ほかシリーズ作品が見放題配信中、更にシネマサンシャイン系列劇場などでリバイバル上映中です。以前アニメ業界にいたのですが、業界人として見ても手描きアニメと3DCGを組み合わせる現代のアニメの中でもトップクラスの作品と言える程クオリティは高いと思います。また、私が業界にいた頃にお世話になった方々が関わっていますので、是非ご覧いただければと思います。 因みにガルパンのムック本「不肖・秋山優花里の戦車映画講座」は監修/執筆が青井邦夫さん、執筆協力の1人が高橋ターヤンさん!ガルパンは実質共感シアター案件では?! 以上になります! 今回は「日本のアニメ映画」というように限定しましたが、アニメ映画はまだまだたくさんありますので、また皆様からのお声を募集したいと思います! お楽しみに!!
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宮本武蔵
2月11日(木)
江戸時代の剣客。
自分の人生や兵法を『五輪書』にまとめました。
宮本武蔵の指南者「たくあん漬け」の沢庵和尚は、
一休さんに次いでよく知られている禅僧だと思います。
『我、神仏を尊びて、神仏を頼らず』
『 構えあって構えなし 』
『一理に達すれば万法に通ず』
好きな語録はたくさんあります。
個人的ですが、
龍興寺に務めることになったのも
多くのお寺の宗門がありながら
臨済宗という禅と出会い、
『剣禅一如』の精神をこの目で確かめたかったからです。
剣道を小学校から20年続けてきて
私の人格形成の縦軸は間違いなく『剣道』との出会いでした。
スポーツの要素が多い現代ですが、
宮本武蔵の時代は剣を持ち、
生きるか死ぬかという時代です。
剣によって人を傷つけるだけでなく
剣は人を守るために使うものだ��
現代の剣士たちに伝えたいです。
そして、剣を使うのは自分の心。
心ひとつの持ち様で
いかようにも変幻自在になる。
だから、鍛錬する。
『我、神仏を尊びて、神仏を頼らず』
『 構えあって構えなし 』
『一理に達すれば万法に通ず』
語録の3つを上げましたが、
どれもこれも『先入観』や
『とらわれない心』
『こだわらない心』を表しています。
なぜなら、人はおごる心があるからです。
いつでもお祈りできるよう
いつでも攻撃できるように
極端にならず
四方八方に気を配り
ここぞという時の一撃一心の剣。
宮本武蔵がまとめた『五輪書』。
お寺の五輪塔『空・風・火・水・地』になぞらえてます。
「ふだんから本番のように。本番はふだんのように」
「他人を知ってはじめて、自分がわかります」
「体は忙しく動いても、心まで忙しくならないように」
「他人のマネをしなくてもいいんです。自分に合ったものが、きっとあります」
「人はだれでも、これと決めた自分の道を、磨きぬいていくことが大切なんです」
「力んで道筋に反しないこと。あせらず自然に」
「目に見えるものを凝視してはいけません。本当に見るべきは、相手の心です」
「相手を傷つけようとすれば、自分も傷つくものです」
「弱気にならない、調子に乗らない、小手先の計算はしない」
「長い刀がダメなわけではありません。長い刀さえあれば勝てるという、片寄った考え方がダメなのです」
「剣術だけをマスターしようとすれば、剣術さえもマスターできません」
「どんなものにも、タイミング、流れ、呼吸、機微といったものがあります」
「朝も昼も夜も、自分の決めた道を心がけましょう」
「幅広くいろいろな芸に触れよう。さまざまな生き方を知ろう」
「うまくいくには、うまくいくだけの道理があります」
「うまくいく方法を身に付けた上で、それに固執しない」
「ふだん通りが一番です」
「心が体につられないように。体が心につられないように」
「心は広く、まっすぐに」
「張りつめず、ゆるまず、片寄らず」
「心を真ん中におく」
「心を水にする」
「大きな大仏も、小さな道具で作られます」
「小さなゆがみが、あとで大きなゆがみになります」
「相手の動きを知りながら、相手の動きにとらわれない」
「遠いところを近く見て、近いところを遠く見る」
「心は刀に表れます」
「山と思うところを海と発想し、海と思うところを山と発想する」
「粘ることと、もつれることは似ていますが、粘ることは強さです。もつれることは弱さです」
「とっておきの奥義など無いのです。奥義も基本もすべてつながっています」
「この五輪書は、習うのではなく、気づくつもりで手にとってください」
「はじめの思惑と違ったことになっても、それに固執せず、つぎの可能性を探ればいいんです」
『五輪書』 は世界中で訳され
多くのビジネスや生活に活用されております。
仏道もまた、同じなのです。
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12/1映画の日 誕生日/ #長谷川理恵 #富司純子 #愛子内親王 #ウディアレン #竹内海南江 #根津甚八 #本間泰子 誕生日 1573年 沢庵和尚(宗教家) 1875年 松永安左エ門(財界人・電力王) 1879年 荻原守衛(彫刻家) 1929年 奈良岡朋子(女優) 1932年 鈴木敏文(セブン-イレブン・ジャパンCEO) 1933年 藤子・F・不二雄(漫画家) 1935年 ウディ・アレン(映画監督) 1944年 梨元勝(芸能レポーター) 1945年 波乃久里子(女優) 1945年 富司純子(女優) 1947年 根津甚八(俳優) 1954年 渋谷天外(3代目・俳優) 1962年 林家正蔵(落語家) 1964年 竹内海南江(タレント・レポーター) 1966年 池田政典(歌手・俳優) 1964年 本間泰子(謎の女優/村上瞳) 1968年 加藤麻里(タレント) 1971年 井上りつ子(歌手) 1973年 長谷川理恵(タレント) 1995年 山上暁之進(マジシャン・山上兄弟の弟) 2001年 愛子内親王(皇族・愛子さま) 誕生花・誕生石 誕生花は 赤のラン、花言葉は“旺盛な探求心”、 誕生石は トルコ石(turquoise)、宝石言葉は“成功” 映画の日 映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定。 1896(明治29)年11月25日、神戸で日本で初めての映画の一般公開が開始された。この会期中のきりの良い日を記念日とした 12月1日世界エイズデー(World AIDS Day) 世界保健機関(WHO)が1988(昭和63)年に制定。国際デーの一つ。 エイズ問題への人々の意識を高めることを目的として制定された。 鉄の記念日 日本鉄鋼連盟が1958(昭和33)年に制定。 1857(安政4)年のこの日、南部藩士・大島高任が日本で初めて高炉による製鉄に成功した。 デジタル放送の日 地上デジタル放送推進協会(現 デジタル放送推進協会)と総務省が2006(平成18)年に制定。 この日は2000年にBSデジタルの本放送、2003年に三大都市圏での地上デジタル(地デジ)の本放送が開始された日であり、2006年のこの日には全都道府県で地デジ放送が開始されている。 いのちの日 厚生労働省が2001(平成13)年に自殺予防活動の一環として制定。 精神的危機に追い込まれ誰にも相談できずに1人で悩んでいる人たちのため、この日から1週間、無料の相談電話「いのちの電話」が設けられる。 冬の省エネ総点検の日 資源エネルギー庁が実施。 1980(昭和55)年10月24日の総合エネルギー対策推進閣僚会議で制定が決定された。 毎月1日が「省エネの日」、2月が「省エネ月間」になっている。 カイロの日 日本使いすてカイロ同業会(現在の日本カイロ工業会)が1991(平成3)年に制定。 カイロの需要が高くなる時期である12月の最初の日。 手帳の日 「能率手帳」を発刊している日本能率協会マネジメントセンターが制定。 翌年分の新しい手帳を準備する時期であることから。 データセンターの日 データセンター運営会社のソフトバンクIDCが制定。 12月はDataCenterの頭文字DCがDecemberに似ていることから。1日は安全第一ということから。 データセンターとはインターネット用のサーバやデータ通信・電話などの交換機などを設置・運用するための施設であり、その役割を広く紹介し、活用を促進する日として制定された。 着信メロディの日 携帯電話用着信メロディの規格を開発した株式会社フェイスが制定。 1999(平成11)年のこの日、同社が世界で初めて着信メロディの配信を行った。 下仁田葱の日 下仁田ファーム・下仁田葱の会が2009年に制定。 下仁田ネギの出荷解禁の日。 カレー南蛮の日 カレーうどん100年革新プロジェクトが2010年に制定。 カレー南蛮を考案した中目黒「朝松庵」店主・角田酉之助の誕生日。 防災用品点検の日 防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。 関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。 歴史・出来事 1640年 ポルトガルがスペインより独立 1857年 釜石高炉の操業開始 1885年 アメリカで、ドクターペッパーが初めて売り出される 1898年 淀橋浄水場通水 1918年 アイスランドが独立 1935年 年賀郵便用切手発行 1949年 お年玉付き年賀葉書の発行 1952年 国立近代美術館開館 1958年 聖徳太子1万円札登場 1969年 住友銀行が日本初の現金自動支払機を設置 1980年 日本初のワーキングホリデーが開始 1982年 マイケル・ジャクソンが『スリラー』を発表 1997年 地球温暖化防止京都会議が開会 1998年 NPO法施行 2000年 BSデジタル放送開始 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #こんにちは #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #C³ #色のみかた #シーキューブ (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CIOtwxzg5HJ/?igshid=z57s9nbgzmtb
#長谷川理恵#富司純子#愛子内親王#ウディアレン#竹内海南江#根津甚八#本間泰子#今日は何の日#パーソナルカラー#カラードレープ#カラーパレット#こんにちは#色見本#pccs#ドレープ120色#パーソナルカラー用品#テストドレープ#c³#色のみかた
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“ 多くの韓国人は空気が読めない(KY)という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ■1.「空気を読めない」大統領 文在寅大統領はどうしてこんな子供じみた真似をするのだろう、と不思議に思った。ペンス米副大統領が北代表団と鉢合わせしないよう求めていたのに、9日の各国首脳を招いたレセプションで、北朝鮮代表と同じテーブルに座らせようとした。多少でも言葉を交わせば、米朝対話を実現した「手柄」になるとでも思ったのか。 ペンス副大統領は安倍首相とともに、遅れて会場に入り、冒頭の集合写真で北代表と一緒に映ることを拒否した。それも文在寅大統領のスピーチが終わってから会場に入り、数人の各国首脳と立ち話をした後、5分ほどで立ち去った。北代表とは握手すらしなかった。米側の意向を踏みにじって強引に米朝対話の場を作ろうとした文在寅大統領の意向は完全に無視されたのである。 こんなだまし討ちのような真似をされて怒らない人物はいない。それほど相手の気持ちを読めていないとは、日本人のみならず欧米人でもシナ人でも、あきれてしまうだろう。こういう人間をKY、「空気を読めない」人と言う。 ■2.世界を怒らせた韓国のKYぶり KYぶりは文大統領の個人的な性格の問題ではなく、韓国全体としての傾向だろう。その極端な例が、平成14(2002)年の日韓共催のサッカーワールドカップだった。 韓国に有利な疑惑の判定が相次ぎ、国際サッカー連盟のまとめたワールドカップ百年の歴史における「重大誤審疑惑」10例のうち、実に4件がこの日韓ワールドカップで起こった。それも韓国チームが16強戦(対イタリア)と8強戦(対スペイン)に勝ち抜いた山場の二試合に集中している。 被害を受けたイタリア、スペインは言うまでもないが、それ以外の国でも次のような報道がなされた。 __________ ・ イギリス デイリーテレグラフ紙: 茶番判定で汚れた韓国の奇跡 ・ アルゼンチン ラ・ナシオン紙: W杯を中止に ・ オーストリア クリア紙: W杯に正義はなくなった  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ インターネットの世界も炎上した。たとえばアメリカのYahoo! 掲示板では次のような具合である。 __________ ・ No more dirty tricks, Koreans! (13,106 発言)韓国人よ! 汚いトリックはもう沢山だ! ・ I hope Korea loses (2,047) 韓国、負けろ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ こんなあからさまな「誤審疑惑」を行って、国際社会がどれほど怒るか、それが自国の名誉にどれほどダメージを与えるのか、まったく考えてもいないようなのだ。 観客の方もKYぶりでは負けてはいない。対ドイツ戦では「ヒトラーの息子たちは去れ」というプラカードを掲げ、中心選手の写真を黒枠で囲って遺影のように示したりと、国際社会を唖然とさせるような行動を平気でとった。 ■3.東大博士課程留学生のKY 韓国人のKYぶりは、大統領の晩餐会や、ワールドカップなどの特別な場合だけではなく、日常生活でも発揮されている。韓国から帰化した呉善花さんはこんな経験をした。日本で講演した時の事、質疑応答で韓国人の男性が真っ先に手を上げて、こう発言した。 __________ 皆さん、私は東京大学の博士課程でいま勉強しています。しかし呉さんは東京外大の修士課程でしょう。そんな人の話を信じられますか? なぜそんな人の話を聞いて盛り上がっているんですか、私には理解できません。 私はソウルの出身で父は学校の校長をしていたし母も教師をしていました。私はそういう教育者の家庭で育ちましたが、呉さんは済州島の田舎の出身で、新宿の歌舞伎町でホステスたちを相手にする仕事〔日本語教師〕をしていました。そんな女の人なんですよ。 そんな女の人が、なぜ日本と韓国の国際関係という大事なことを論じるんですか。なぜみなさんはそれを信じて盛り上がっているんですか。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 当然ながら、会場のあちこちから「失礼なことを言うな」「出ていけ!」といった言葉が浴びせられたのだが、その韓国人は「えっ? 失礼なのはあなた方じゃないですか」と、なぜ自分が失礼と言われなくてはならないのか、まるで納得いかないという顔をするばかりだった。[1, p99] 文化摩擦といえばどこにでもあるが、ここで注目すべきは、この韓国人男性は東大の博士課程で学び、これだけ日本語が達者なら、日本社会に住んだ期間も長いはず、という点だ。それなのに、こんな言い方をしたら日本社会では非難を浴びせられる、ということが全く分かっていない。 人並みに周囲の空気を読める人間なら、外国社会では、こんな言い方、振る舞い方をしたら相手の気分を害する、ということを学んでいくものだ。それが文化摩擦を減らしていく道なのだが、この韓国人男性は、まさに「空気を読む」態度がまったくないがために、日本人から見れば唖然とするような主張を平気でしているのである。 ■4.「ウリジナル」もKYから 多くの韓国人は空気を読まない、という事が分かると、彼らの異様な行動の謎が解けてくる。たとえば、なんでもかんでも韓国が起源だとする韓国起源説、別名「ウリジナル」説。Wikipediaでは次のように紹介している。 __________ 韓国起源説の対象は、侍、日本刀、剣道、空手といった武術・武道関連、歌舞伎や折り紙といった伝統文化、寿司や沢庵といった日本料理、「わっしょい」等の様々な日本語の語源、東洲斎写楽や天皇などの著名人物、熊本城や日本庭園や勾玉といった有形文化財、ソメイヨシノや秋田犬のような動植物、 旭日旗のような日本の国旗に至るまで、分野や有形無形を問わず、日本の象徴とである様々なものに対して主張されている。[2]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ これは反日思考の一種と捉えることも出来そうだが、相手は日本だけではない。対象はシナにも及び、シナ浙江省の新聞「新快報」は連載記事「文化をめぐる中韓の戦い」で、次のように伝えているそうだ。 __________ 「近年、韓国では『中国文化が実は韓国起源だ』との主張が相次いで発表されている。儒教の始祖である孔子や古代の美女・西施、中国医学の名著『本草綱目』の著者・李自珍はみな朝鮮人で、そればかりか漢方・風水などの中国文化も半島起源だという。 これらの韓国起源説はたんなる主張で終わらず、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産として登録しようとする動きも見せていると中国では警戒されている。実際、韓国の『江陵端午祭」が世界無形文化遺産に登録されたことは中国に大きな衝撃を与えた。[1, p55]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ あるものを自国が起源だと主張する「お国自慢」はどの国にもあるが、韓国のように、相手国を怒らせてまで根拠不明の自国起源説をなんでもかんでも、しかも堂々と主張する国は他にない。これも、韓国人の周囲の空気を読もうとしないKYの現れだと考えれば、納得がいく。 ■5.グローバルに摩擦を起こしている韓国人のKY グローバル化の時代となり、外国人が韓国にやってきたり、韓国人が国外に出るようになって、必然的にそのKYぶりが国際的な摩擦を引き起こすようになった。呉善花さんの著書[1]では多くの事例が挙げられているが、そのごく一部を紹介しよう。 台湾の少年野球チームが2006年8月に韓国から招待されて、韓国の少年野球大会に参加した。そのチームがベスト8まで進出した所、突然、韓国側から「試合禁止」を言い渡された。理由として「優勝旗は国内(韓国)のためにあるから」と台湾チームの監督は告げられたという。 メキシコシティの韓国人移民のコミュニティについて、メキシコの有力日刊紙「レフォルマ」が2001年に全面特集記事を組んだ。その中には次のような一節があった。 __________ 「韓国人が主に住んでいるメキシコシティのフアレス区域は、五十年ほど前までは様々な国からの移民が仲良く共存する地域だったが、韓国人が移住してから、隣人同士の情が薄れた代わり、不満がいっぱいの状態だ。現地の法を破った韓国人が、メキシコ人と多くのいざこざを起こしている[1, p211」  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 1992年のロサンゼルス暴動も、白人だけでなく、韓国系移民の黒人差別行為が一因となっていた。焼き討ちの被害額の半分は韓国系商店だったと言われる。暴動後のアメリカ黒人学生のアンケートでは「最も距離を置きたい民族」に韓国人が選ばれた。 さらに、アルゼンチンで追放したい民族第一位に韓国人が選ばれた(2002年)。フィリピン当局が韓国人による人身売買事件の多発から、自国女性に「韓国人警戒令」を出した(2005年)。ネパールのシェルパ組合が、韓国人はささいなことですぐ殴るからと「韓国人登山客の道案内はしない」と公式表明した、等々。 航空機内や空港で、ちょっとした事から集団で騒動を起こす韓国人たちの問題には、韓国の外交通商部も手を焼き、2006年4月から、「海外で醜態をさらして摘発された『醜い韓国人(Ugly Korean)』に一定期間のパスポートの発給��禁止」する「醜い韓国人総合対策」をとった。 外国人が、文化の違いから知らずに現地社会に対して失礼な振る舞いをしてしまうのはグローバル時代にはよくある事だが、本人が現地に気を使っている限りは、多くの国々は寛容である。しかし、その外国人が現地の文化もマナーも一切無視して、KYで振る舞ったら、現地の人々も我慢できなくなる。 多くの韓国人のKYぶりはこういう意味で世界でも突出しており、各国で摩擦を引き起こしているのである。 ■6.「韓国伝統の集団利己主義」を生んだ「党争」 民族性は歴史を通じて形成されていく。したがって、韓国人のKYの原因は、その歴史の中に見つかるはずだ。呉善花さんは著書で、「韓国伝統の集団利己主義」を指摘している。これは「身内=自分の属する血縁一族とその血統」は絶対的な善であり、その繁栄を侵す者は絶対的な悪と見なす考え方である。[1, p21] 韓国の少年野球で台湾チームを呼んだのは、自国の大会に国際色を添えたいというだけなのに、優勝まで狙おうと��うのは「身内」の利益を侵す。ワールドカップは「身内」の晴れ舞台なのだから、多少の「重大誤審疑惑」くらいよそ者は目をつぶるべきだ、等々。 自分たちの「身内」だけの利益しか考えないから、よそ者は敵か、利用すべきその他大勢でしかない。だから「身内」以外の空気なぞ読む必要はないのである。 この「集団利己主義」を呉善花は「韓国伝統の」と形容する。その理由は、こう説明されている。 __________ その歴史的な典型を李氏朝鮮王朝の高級官僚たちにみることができる。彼らは、有力な血縁一族(氏族)を中心に徒党を組んで政権争いにしのぎをけずり合った。ある党派が政権を握ると、他の党派はそれに協力して政治を行なうのではなく、次の政権奪取を狙ってさまざまな手を打つことに終始した。[1, p22]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 党争の典型例が、1659年、第17代の孝宗が死去した時、その継母の慈懿(じい)大妃の服喪期間をどうするか、に関して起きた論争だ。1年を主張する西人党と、3年を正しいとする南人党が十数年も論争した。 最終的には国王の鶴の一声で西人党の勝利に終わったが、負けた南人党を待っていたのは、「邪説」を述べた敗者として賜死(自殺を命ずる刑罰)、杖死(杖で殴り殺す刑罰)、流刑、蟄居、罷免などであった。 こうした党争の歴史を分析した韓国の学者の論文では、223件もの党争のうち、政策に関するものはわずか3件であり、他の大部分は、職務上の過失・腐敗・怠慢、人品上の欠陥、儀礼上の過ちにより、政敵を攻撃してその職を奪おう、というものだったという。[3,p136] ■7.空気を読み過ぎる日本人の苦難 韓国がまさに「党争」の如くにわが国を攻撃している「従軍慰安婦」問題では、その原作者はシナであると言われている[4]。米国内に慰安婦像を建ててアメリカや韓国の反日意識を盛り上げれば、最も利益を得るのはシナだからだ。 しかし、そのシナリオを演ずる韓国は、現地での摩擦や日本での反感などを全く気にしない、実にぴったりの役者なのである。 空気を読めない韓国人と違って、シナ人は空気を読むだけでなく、自分の有利なように空気を変えてしまう天才である。これまた数千年も大陸での異民族間で権謀術数の戦いを繰り広げてきた歴史が作りだしたシナ人の特性である。 これに比べれば、『日本人として知っておきたい 皇室の祈り』[a]で説いたように、皇室という利他心の源泉を国家の中枢に抱いて、2千年の間のほとんどの期間を「集団的利他心」で平和と安寧のうちに過ごしてきた日本人は、逆に空気を読みすぎるきらいがある。 空気を読み過ぎる我々日本人にとっては、空気をまったく読めない韓国人と、空気を自在に変えてしまうシナ人を隣人に持つとは、なんとも難しい宿命ではある。 (文責 伊勢雅臣)”
―No.1050 空気が読めない韓国人
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好きなシナリオ_過去ログ
2013~2016年頃にサイト移転前にメモしてたのを格納。 年代はうろ覚えです。 プライベッターに格納してしまってもいいかもしれない。
■ 好きなシナリオ シナリオ感想というより、好きなシナリオをただただ上げているだけのページ。 ユーティリティシナリオと店シナリオ以外は、ネタバレを避けるためコメントは少なめに。 通常、VIP、兄貴わりとごちゃまぜですのでご注意ください。(狂い、地雷はたぶんあまりあげてない、はず) ※各サイト管理人様へ。勝手にご紹介してすみません。ご迷惑でしたらご連絡ください。削除等の対応をいたします。随時更新。
◆好みな傾向(特に一番上。それ以外はあったら嬉しいな程度) ・PCメインで進行 ・口調設定有、口調対応有り ・PC同士の会話が多い ・PC同士の関係反映
◆少し苦手… ・NPCとの恋愛 ・PT内が非常に険悪になる
【はじめての方向け 】 ■チュートリアル ※一通りの遊び方を確認できます。 ■カードの世界 ※カードの使い方を実際に遊びながら確認できます。 ■ASKシナリオ ※公式サイト様のシナリオ。様々なシナリオでクロスオーバーされています。 ■さくっと寝る前カードワース ※良作の短編シナリオ詰め合わせ。
■制作者向け ※ありがたくも便利なテンプレートシナリオ(遊ぶのではなく、)WirthBuilderでこれをもとにシナリオを作ったりするのを目的に配布してくださっています。NEXT用と明記がないものは、当方はver1.50で動作確認しています。
■一人称・二人称自動設定リソース 一人称と二人称、そして口調自動設定処理まで実装されている寺雨さんのテンプレート���ナリオです。口調設定の処理を組むときにすごく参考にさせていただいてます。 ■二人用テンプレートシナリ(NEXT用) 二人用シナリオを制作する上で、キャラクターの役割分担、口調分け設定、3人以上で入っても問題なく開始可能な処理まで実装されているサンガツさんのテンプレートシナリオです。
【ユーティリティ】 ※口調、性格、種族、嗜好とか自分のキャラに細かい設定ができます。 シナリオによって対応してたりしてなかったりしますが、自己満足できていいかも。 これ以外にも沢山公開されてます。 ただ、個人サイトに控えめにあげられてるのが多い。
■VC2 ※年齢、性別、特徴、口調、種族、職���、役割、恋愛関係設定可能。 これ以前に上げられているユーティリティシナリオのクーポン配布がまとめて出来るので、 このユーティリティシナリオである程度クーポンをPCに配布しておけば、にやっとできるかも。 (口調、種族、職業、役割、恋愛関係は特に。) ■初期クーポン編集 ※年齢、性別、特徴設定可能。 ■称号登録所 ※口調・職業・役割などに加え、酒豪・方向音痴といったフレーバー的なクーポンを配布するシナリオ。 ■VIP Wirthクーポン配布 ※口調、性格、嗜好とか。現在入手不可ですが↓のシナリオで一部のクーポンは入手可能。 ■宿の自室 ※一人称、二人称、口調、性格(例:知識人、ツンデレ/素直、大人/子供など) それとこの方の「一人称二人称自動設定リソース」がとても参考になるしありがたいです。 ■風聞の暗躍者 ※口調、性格、味覚、生い立ち、性癖、職業、役割等色々設定可能。かなり他種類のクーポンが配布できます。 ■夢クーポン配布所 ※冒険者達が抱く夢をクーポンで配布。PCの個性付けに。 ■アスカロン教会跡 ※冒険者の心の闇を付与するクーポン。PCの個性付けに。 ■冒険者の心得 ※これで配布されている「料理上手、料理下手、デスコック」 は他のシナリオで見かけたりします。デスコックいいよね!! ■非公式種族登録所 ※いろんな種族クーポンを設定できます。鑑定を使うと・・・?作者様のシナリオはこれら種族に対応してることが多いので、より楽しめますよ! ■Adventurer’s Spice ※特徴付けクーポン配布シナリオ。食事傾向と関係設定が色々あって素敵! ■英知の書 ※異言語クーポン。 このPCはこの言語に精通している・・・とかとてもいいなっておもいます。 ■クーポンマガジン CW号 ※ユーティリティシナリオの称号はかなりの数網羅されている。もう手に入らないシナリオのものもあるので有り難いですね! ■星の距離を超えて ※人外PCの人間に対する思想や態度を決定するクーポンを配布されています。種族に寄って複数パターンにわかれているので突入するだけでも楽しいです。 ■その鏡に写るのは ※髪色、瞳色クーポンを配布されています。さりげに吸血鬼クーポン反応して嬉しかった…。
【 街・店 】 ※街中でイベントをこなしていったり、スキルを購入がメインのシナリオ。 好みが分かれるので色々探してみるといいかも。
■交易都市リューン #C2 ※画像差し替え、口調設定可能なリューン ■轗軻の人 ※美麗で心くすぐられる魔術 ■碧海の都アレトゥーザ ※港町で買い物とクエスト。舞踏家スキルときめく ■メレンダ街 ※買い物と数え歌を巡る謎。多種多様お洒落なお店とスキル達 ■隠者の庵 ※他のシナリオで対応されているスキルが沢山 ■水は流れず ※吸血技能販売シナリオ。PT内で吸血契約可能。 ■思い出は緑 ※植物系スキル。グラフィックが綺麗。温室とかいいなあ ■死霊術師の館 ※死霊術師、吸血鬼技能の販売+α。職業、種族クーポン配布有り ■4色の魔方陣 ※幽閉された魔術師からスキルを教わる。格好いい系魔術 ■城館の街セレネフィア ※多種多様スキル。銃スキル好きだなあ ■明けの森の花屋 ※精神適正、花スキル ■魔女のビブリオテカ ※セイレーンやエルフ専用スキル。種族クーポン配布有り。綺麗! ■きつねのパン屋さん ※妖狐技能とアイテム(パン)販売。妖孤クーポン配布有り。可愛い! ■WELCOME TO ADROAD! ※種族クーポン配布有り。グラスホッパーとライカンスロープいいぞ・・・いいぞ・・・ ■万魔の街シュカー ※人外向けクーポン盛りだくさん!!人外好きさんにおすすめです。 ■闘者の杯 ※アイテムとスキル。アンティーク調で高性能。リューンスキルのアレンジがすごいかっこいいです。渋いぞ!! ■時計塔と霧の街 ※吸血鬼や歌劇、機甲技師、医療系、童話モチーフ。見て回るだけでも楽しい作りこまれたスキルカードがたくさん。 ■夜渡る鬼 ※短剣技能に加えて、吸血鬼PCがいると…。【器用】適正の吸血鬼技能が嬉しい!局外者経由PCでぜひ! ■忘れ水の都 ※時空魔法(隠し)とか舟歌技能が好きです!斧とオカリナ技能も好きだ。 ■魔光都市ルーンディア ※血液パックが売ってるのがすごい。吸血鬼PCもにっこり! ■リューン互換+α ※リューン互換の美麗スキルカードにうっとりします。宝石モチーフになってたり、エジプト風になってたりとても素敵。 ■湖水都市カスケード ※ここの教会区の技能が好きで…。神官戦士達の槌、斧、槍、鎌、剣が特に好きです! ■万色の魔術師、その遺産 ※火・土・光・風・水・氷・雷・闇・無・星の全部で10種類の属性の美麗な技能が。魔術師PCの得意属性を考えながら買い物したらとても楽しいと思います! ■うさぎ小屋 ※器用適性の超能力・双銃・香水・家政婦・舞踏スキル。双銃かっこいいー!!
【クエスト】
■新月の塔 ※塔に囚われた五人の仲間を助け出せ!仲間を助けていく課程がたまらない。 ■アゼリナを翔る者達 ※船旅と港町、観光したり、謎を解いたり。壮大。キャラの人格設定が合致するととても燃える。 ■深き淵から ※PTに関係設定してプレイをおすすめ。PT会話豊富。最初の選択肢は是非大事な相手がいるキャラで。 ■桃源郷の恋人 ※PTに関係設定してプレイおすすめ。PT会話豊富。所持クーポン分岐、イベント分岐が作り込まれていて何周やっても楽しいです。
■廃墟のひとり子 ※姿を消した仲間を残りの5人が捜す。姿を消した側の仲間の場面もみれてときめく。 ■悪夢の地※PC達のかっこよさ。壮大で燃える展開。マルチエンド。一番長い展開のエンドは本当に熱くなります。 ■見知らぬ仲間 ※リーダーを気遣う参謀と盗賊が一癖あってたまらない。 ■帰らずの遺跡 ※参謀かっこいい。自キャラの参謀がリアリストというか冷血タイプなら是非。 ■碧眼の瞳 ※幾度も試行錯誤しながら頑張るPC。シリアス。徐々に広がる展開。 ■冒険者の宿で ※ある程度散策進めていくと、釣り、散策、ダンジョンなんか色々出来る。時々墓地の教会で…? ■砂を駆る風となれ ※PCの魔術師役メイン。カンタペルメのネタで雑談可愛かった。砂漠はロマン。 ■敵意の雨※シリアス。数々の強敵を倒してきたPTで是非。 ■協奏曲<FATE> ※6話完結。作り込みが凄い。リーダーメイン。2話目は是非リーダと仲の良いPCで。吟遊詩人反応有り。 ■キカイジカケ ※口調対応はそれなり。演出が凄く好き。リーダーと相棒がとても仲良しなので、そういう二人を選択するといいかと。 ■紫紺に染まる真紅都市 ※ファッションショー開催までに事件解決するシナリオ。多数のクーポン対応によるPCとNPCの反応の多さに脱帽と感動。調査楽しいいい ■凍える湖城 ※冒険者たちがわいわいしながら街を助けるのがとても好きです!サブイベントあったりする!かわいい!! ■幻牢の王国 ※見知らぬ土地で散り散りになった仲間を探しにいく…冒頭からときめきますね。仲の良いPTの軽いやりとりがすごく楽しいです! ■ 銀の小袋亭※暗殺者タイプの盗賊キャラで是非 ■ジェーンシリーズ ※コミカル。PCとNPCのやりとりが楽しい ■相棒捜しの依頼 ※親友、片思い、恋人設定で楽しめる ■ 汝は王様なりや?※さくっと笑いたい方。テンション高いパーティが好きなら。パイルドライバー!!!! ■屍の恋人※お互い大事に思っている相手がいる2人をパーティに入れて是非 ■よいこの雑貨※保護者とマスコットのある日。可愛い。ほんとかわいい!! ■幸福な関係 ※大事な相手を看病する話。親友、片思い、恋人で楽しめる ■盗賊物語 ※盗賊、盗賊スキル大活躍。潜入捜査とか好きな方向け ■B.U.Gallery ※ちょっと背筋が寒くなる話。PT内の会話多くて楽しい ■記憶は洞窟の中に…… ※仲間の1人がうっかり記憶喪失に。コミカル ■紅し夜に踊りて※紅い夜に戦う冒険者達。最後の敵は…! 人外PCいたら本当滾りますよ。 ■劇団カンタペルメ※演劇しようぜ!! 大好き!!! ■にわか雨の英雄 ※コミカルな立ち位置のPCがいれば是非。娘さんとの攻防! ■局外者 ※じんわりと雰囲気が大好きなんです……。PC1人が吸血鬼になってしまうのでご注意ください ■木の葉通りの醜聞 ※知識人、参謀系PCがとても格好いい。ちょっとした推理。 ■虹色の魚 ※海に潜って魚探し…だったんだけれども! ■がたごと。 ※おだやかにべた甘ですね…。お互い素直で甘い関係のPCがいるなら ■喧嘩にかぶる笠はなし ※ツンデレ口調が、なんかもう��好きです(真顔)くだらないことで喧嘩するけど仲良し冒険者達で是非 ■交易都市の一夜※追っ手をまいて書類を届けろなシナリオ。PCが帰らぬ人にならないようルート選択は慎重に… ■寸劇剣戟バレンタイン※しゃべりまくるPC達が楽しい!寸劇しながらチョコを依頼人にあげるシナ。クールなPCだとイメージに注意かもしれない。 ■��下美人 ※仲良しな二人組で。親友、恋人設定と口調設定可能。ツンデレも付与できます。ときめきます。 ■相棒捜しの依頼※2人用。恋人、片思い、親友関係設定+喧嘩仲間、普通、主従、暴走選択可能。口調設定もできるので、PCに関係設定考えてれば是非。可愛い。 ■ゴブリンの洞窟coolREMIX ※お前等…クールすぎるぜ ■アンタレス ※この世界観、雰囲気が凄く好きです…。静かな夜の街を一人で歩く。 ■盲目の道筋 ※すごい緊張感。低レベル向けとのことですが、高レベルでも楽しめるんじゃないかな。背筋が寒くなる演出が凄い。 ■美酒は魅惑の味わい ※兄貴系シナリオです。しかし、お酒の材料集め楽しい。 ■ザベリヤ村の攻防戦 ※緊張感ある村探索とギミックや建物を利用した篭城戦にときめきました…。 ■施錠された小屋 ※みんなで小屋掃除。丁寧な作りです。どうしようもなくなったばあいもちゃんと脱出できますが、色々とアイテム利用していく課程楽しい。 ■雨宿りの夜 ※この静かにぞくりとする雰囲気が大好きです…。探索ほんのりホラー好きにお勧めしたい…! ■ガラス瓶の向こう ※深い絆で結ばれた二人の冒険者でどうぞ。たのしみすぎてDLからしばらくプレイできなかった。ときめきますね。 ■賢者の果実 ※受難の主人公(戦士タイプ、あまり頭良くないの推奨)と仲間の掛け合いが凄く楽しいです。 ■My Own World ※恋人、仲が良すぎな親友とかの二人でプレイを是非。片方が依存気味なのがすごくたまらんです ■祝日のネットワヤージュ ※パーティがわいわいしながら、年末大掃除。保護者とマスコットの間柄設定できるノ嬉しいな。クロスオーバーの会話もいい。 ■ネムリヒメ ※仲の良い2人でぜひ。 ■わっしょい! ※わっしょい!!わっしょい!!そいや!!そいや!!(かなりルート分岐があるので狂い系大丈夫ならぜひ) ■アッチャラペッサー ※アッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサーアッチャラペッサー ■聖北屋敷(仮) ※吸血鬼が主人公ですよ!!吸血鬼PCをコミカルに大変な目に会わせたい人あつまれー!! ■魔導書解読の依頼 ※次第に様子がおかしくなるPCの1人。PT同士の会話がいろいろ考えられていて楽しいです! ■赤い花は三度咲く ※戦士がかっこいいーー!!戦士と参謀の互いを考えてこその喧嘩から始まり、救出、その後の展開が素敵。 ■毒を食らわば ※2人シナリオ。皮肉屋参謀とちょっとお人好しの戦士がかなり危険な目に。シリアスでややグロ。なんだかんだ信頼しあってる感じがすごく良いです。あと全体の雰囲気が好き。 ■In the mirror ※とあるNPCはわかるひとにはわかるあの方。巻き込まれたPCを助けるために仲間ががんばる展開大好きです。 ■Through the hole ※↑の続き。切り替えながらダンジョンの謎を解いていくのが楽しいです。バッドエンドはなかなかぐろいので注意。 ■アケロンの渡し ※最後の台詞がかっこいいです。幽霊船探索は楽しいぞ! ■老婦人と絵画 ※老婦人と1人のPCの短いふれあい。長命種でやるとまた感慨深いかもしれない。私はひねくれ系のやつ突っ込ませました。 ■ウニ退治 ※狂い系なのかな・・・?な、なんかすきです・・・。 ■まどろみは竜の夢 ※依頼先で病に倒れた主人公を救うべく、仲間たちが探索へ。PTの会話が主体。雰囲気が素敵です。 ■船出の歌を歌うという事 ※1人用。目が冷めたら見知らぬ船にいた。魂を救ってあげる話。静かで切ないですが、美しい雰囲気です。 ■碧落飛翔 ※竜と共にレースに挑む話。主人公だけじゃなく他の���間との連携や支え合いが描写されていてたまらない。後半の流れは鳥肌ものです・・・! ■Mimic ※参謀かっこいいーー!!後半の台詞ははまるかたにはがっつりはまるとおもいます。あと全体のつくりがとても丁寧だなあと感じます。 ■ごく普通のゴブ洞 ※これだけ大量のフレーバークーポンに対応しているシナリオを今まで見たことがない。すべてのPCでいきましょう!!ぜひ!! ■ハロウィンカーニバル!!(仮)企画サイト ※限られた素材を生かして各々がシナリオを作り、一箇所のアップローダーにまとめあげる企画。楽しいハロウィンシナリオいっぱい。 ■Wolf’s Night ※狼男の足取りを追うシティアドベンチャー。PTのキャラ付けがしっかりされているので合致すればかなり盛り上がるかと! ■ワナ罠 ※カードワースならではの楽しさ。まずはぜひやってみてほしいです。楽しい! ■まどろみは竜の夢 ※主人公と相棒の掛け合いを中心としたシナリオ。とある竜との邂逅。展開によっては…? うおお好きだ。 ■ねことぼうけんしゃと ※猫に触りたい冒険者とそれを見守る冒険者かわいい!!保護者とマスコットみたいな間柄で遊ぶと暖かい気持ちになります ■日記 ※同じ組み合わせで周回プレイでなるほどとなる感じ。PC同士のやりとりが、お互い信頼しあってるんだなあと感じて嬉しいです。 ■夜と私と吸血鬼と ※メンタル弱い吸血鬼ってかわいいとおもいます…。いつもは不遜な子がよわるとこうなるでも、もともとちょっと打たれ弱いタイプでも私は美味しいなと!! ■パーティ名会議(新) ※素養クーポンたくさんあればあるほど会話の幅が広がってすごくたのしい!!です!! ■夜闇を駆ける ※親友な間柄でやりました。視点切り替えと時間制限の緊迫感がすごい。頭脳担当の方のリドルは右の部屋に苦戦しつつなんとかなったのでよかった! ■金の鍵の部屋の恋人 ※内側にこもらせる系PCが好きだとときめきます。表面は落ち着いた水面みたいというか、感情を爆発させず、淡々とした態度をとってる相方が愛しい ■黄昏の恋人 ※仲間の逢引(?)現場に遭遇した主人公の胸中がみていてにやにやしてしました。相方が主人公を少し子供扱いしてるのが好きです。あとさりげに素養とか吸血鬼クーポン反応してるっぽくてウワアア! ■隣りにいるのは ※無音と効果音で構成された場面と、要所要所でかわされる会話で、じわじわと這いよってくるような恐怖とか狂気とか執着が垣間見えて、心臓を鷲掴みにされます。 ■より道 ※子供PC2人をつっこんだら大変かわいいリリカル空気になってこっちがにやにやしました…。好意をオープンにしてるほうのPCの可愛さ。と内省的な方のむずむずした感じがすごくいいです。 ■鋏 ※戦闘狂と飼い主の組み合わせがまず大好きです!!まさにそういうPCが自PTにいたので嬉しい…。戦闘狂の方を表現する文章一つ一つが、目を通す度に染みこんでくるような感覚になりました。 ■たなごころ ※長命種と短命種の組み合わせがまず大好きだし、この短命種の包容力と長命種の普段はそうでもないかもしれないけれど、ふと未来に不安を感じている臆病さが大好きだなあと思いました。 ■木漏れ日の雫 ※さりげない会話に気心知れた2人という印象を受けて穏やかな気持ちになりました。無礼講!という事でで酒癖暴露されてると楽しいです…ww ■6月末の簡易ブライド ※かーーーわーいかっっっったーーー!!冒頭のやり取りが大好きです。ドア「(解せぬ)」 ■なんかヤバイ洞窟 ※なんかヤバイので、いかないとまずい的な(たとえ脳筋戦士でも落ち着いたリーダーでもクールな参謀でも語彙って大事なのがわかる)
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引退と私 ・ 私がお世話になった上司・先輩は今の時代で言うとセクハラ、パワハラのオンパレードで今の時代で言うと絶対にコンプライアンスの兼ね合いからバッテンを喰らうような人ばかりでした。 ・ 机を蹴られたこと、お腹いっぱいなのにご飯を無理強いされたこと、「お前ぶっコ◯すよ」と言われたことも含めてダメなような気がしますが、何故か人として嫌いになれずむしろ、「ダメだった自分を正しい方向性に導いてくれてありがとうございます」と思ったものです。 ・ コンプライアンスがきっかけでテレビに出なくなった島田紳介さんも非常に興味深い人でしたが反社会的勢力とのつながりを指摘されて、それならば引退しますとなったのは法律としてはダメだったのかも知れませんが人としては正しかったのかなあとも思います。 ・ そんな彼が口癖のように良かったことを表す言葉が「素敵やん」これは、芯を食った褒め言葉で関東人の自分でもいい言葉なのがわかります。という訳で本日のディナーは #素敵庵 #素敵庵東京銀座店 です。 ・ かつての上司も引退して普通のいいおじさんです。自分が頼みたいものを頼むと言うより、私に食べさせたいものを発注するのを受け入れるのが正しい楽しみ方のようです。鹿児島の柔らかい牛肉の #ステーキ がオススメとのことで、それにしました。 ・ まずは #サラダ と 揚げられた #ピーナッツ を肴にたっぷりの #ビール で頂きます。サラダのドレッシングは色々と選べるようなのですが、サウザンにしましたが、なかなか旨い!そしてステーキがやって来ました。 ・ 沢山の玉ねぎで覆われて見えませんが、ほんのり中央が赤いお肉を箸で掴んで頂くようです。焼き具合、味付け、柔らかさ、そのどれもが最高な味わい。これと一緒にタップリのお野菜も一緒に頂いて、大満足です。 ・ #ニンニク を焼いたものは、お芋のような感じで食べられて臭みもなく美味しい。あっという間に完食でした。食後の #デザート の #バナナプリン も絶妙の旨さで最後まで幸せ体験が出来ました。 ・ #有楽町ランチ #有楽町ディナー #有楽町ステーキ #銀座ランチ #銀座ディナー #銀座ステーキ #とa2cg (steak&beer 素敵庵 銀座) https://www.instagram.com/p/B7eiw0Dgf7o/?igshid=1kn8subq2fge2
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#7 痛みを感じないロシア人の痛みを感じた杉元が、自らが悪人であると感じる日は来るか
1、泣く男のモチーフ
167話は1話である。
(ゴールデンカムイ 1巻P27。この段階から杉元は泣いていた。同じシーンが167話に収録されている)
私はまだ167話の感想を書き終わっていない。
「俺はもう日本に帰れない……」
第1話の寅次の台詞である。ずっと私は、おそらくありとあらゆる物語、そして関係性がそうであるように、ゴールデンカムイも『境界の物語』であると考えて来た。不思議なことに、その後旅順は日本となり、南樺太も日本となった(そう思って150話を購入したら、同じことを鶴見が言っていて、ははッ。前に冷たい土の下だって言ってたのにね)。寅次が帰りたいのは、厳密には「日本」ではなかったことが見て取れる。日本、に帰りたかったのではなく、梅子の待つ家に帰りたかったのだろう。この構造は、167話を読み解く鍵になる。
私はゴールデンカムイの中のキャラクターを使って別のキャラクターを読み解いている。犬童で尾形を、インカラマッで白石を。杉元は誰で読み解こう?おそらく、それは杉元自身なのだ。または、オールキャラ総出でチタタプとも言う。あなたも加わると良い。ちゃんとチタタプって言えるかな~?
回想の中で杉元は泣いて寅次を引き止めようとする。「おい待て行くな!」
ここで2人が逆転しているのに、描かれた順番が逆だったため、私は今週まで気づいていなかったのだった。
別れに涙するのは寅次ではなく杉元��方だったとは。
167話は35話である。
4巻 35話 求愛。先週の167話では、寅次の今際の際の「帰りたい」、という台詞に4巻167話と同じように泣いた幼い寅次を描く事で、この3つの話(第1話と第35話と第167話)に繋がりがあることを示している。野田サトル先生の筆致の恐ろしさを感じるのはここである。
(ゴールデンカムイ4巻p144。結婚式の日に帰ってきた杉元の前で不安に泣いただけでなく、幼い頃から泣き虫であった寅次の描写。同じ描写が167話に挟まれる)
続くシーンはこうだ。
「そのときは私ひとりでこの家に戻って トラちゃんが泣き止んで帰ってくるまでにごはんを作って待ってます」
私を打ちのめしたのは、むしろ「帰りたい」に返答できない杉元の空虚さであった。
杉元には、彼が泣くことを知っている人がいない。
泣いても彼が帰ってくるのを待ってくれる人もいない。
理由はいろいろあるだろう。
杉元は泣かない男だったから。
両親を結核で失ったから。
2名も結核患者を出した実家を焼いてしまったから。
自らも結核であることを恐れて故郷を3年離れていたから。
それを理由に梅子と離れ離れになり夫婦になれなかったから。
梅子は目が見えなくなって佐一を視覚で認識できないから。
梅子にとって佐一は戦争に行く前と別人に思えたから。
故郷では佐一が認めてほしいと思う人が誰も佐一を認めてくれなくなったから。
だから、167話は100話でもある。
彼の涙は、彼が良くも悪くも「戦場では 自分を壊して別の人間にな」ることに完全に成功しなかったことを意味する。アシㇼパにとって、杉元の心はまだ戦場にいるままかもしれないが、彼は「自分たち」と「ロスケ」に線を引き、「自分たち」の側には心を残すことにしたのだ。
これは「仲間だの戦友だのクサい言葉」でむしろ戦争を好機と「自分たち」を囲い込みにかかる鶴見や(戦争中毒、彼の計画は戦争以前からあった)、「自分」に近いものから殺害していく尾形と対比して語る事もできるだろう。
2、帰る場所は在るのか
第1話で示されていた「親友の死を泣いて引き止める杉元佐一」と、第35話で示されていた「子供の頃から泣き虫の寅次」の対比が、167話で同じページにまとめられることで急に繋がっていたんだとわかって(遅い)、もっと言えばそれが「レタラを泣いて引き止めたアシㇼパ」と重なることに気づいて、一週間私はずっとずっと苦しかった。単行本を開いてはとても読み進められず閉じて家の中を徘徊していた。自分の読みの浅さを呪った。
「おい待て行くな!梅子を未亡人にする気か 寅次っ おいッ」
「行かないでレタラ…アチャ(お父さん)」
「あなたは来なかった」
「ウイルクにとっては私はまだ子供でしたから 忘れちゃったかもしれないですね」
繰り返し描かれる、別れと忘れられることの恐怖。そしれそれを挽回しようと必死なキャラクターたち(そこから抜け出した男、白石由竹については第6弾に書いた通り。この中に入れるには「見てろよ!役立たずなんて言わせねえぜ」というセリフは前を向きすぎている)。
意外にも帰るところがないのはアシㇼパも同じだ。
キロランケはアシㇼパが「狩りばかりで村にいない」と言っていたし、マカナックルはアシㇼパについて「杉元さんと山にいるのが楽しいんだろう」と語る。アシㇼパが父との思い出を回顧するときも、レタラとの別れに心を馳せる時も、その舞台は常に「仮小屋(クチャ)」である。
帰る場所は家とは限らない。人とも限らない。それは環境であり、関係であり、境界が溶け合った、自らを認められた境遇である。
一方で第七師団というのは地方出身者の寄せ集めで、第七師団の尾形、谷垣、それに第一師団だが両親の病によって杉元も、いわば「棄郷」の人、であった。
帰りたいのは「場所」でも、「誰かの元」ですらなかった。アシㇼパにとっては「戦争に行く前の杉元」であるのかもしれない。あの100話のシーンについては私は独特な思いを持っている。戦争に行く前の杉元に戻ってほしくないという矛盾した思いだ。
だから正しい問いは、帰る『場所』は要るのか、というものになるのかもしれない。谷垣はインカラマッと阿仁に帰るのか、それとも北海道に残るのか、と考えても「別にどちらでも2人が幸せに一緒にいればそれでいい」と思ってしまう。
そもそも「帰る」ことと「本懐を果たす」ことは並列である。どちらを取るかはキャラクターの「意志(選択)」に任されている。両方を取ることも不可能ではないだろうが……刺青の囚人たちの選択を思い浮かべれば、答えは自明であろう。
だからキロランケこそ、作中でリアルタイムに棄郷を行っていく。
「刺青を売ったカネで 故郷に帰り嫁さんでももらって静かに暮らせる道もあるが 若いもんにはつまらん道に聞こえるかね?」
永倉新八の語りに意味深なコマ割りでキロランケは投影される。2つの故郷を持つ男、キロランケは、国境を超えた2つの故郷を離れて、2つの故郷を救おうとしているようだ。その独特の論理と、彼の行く末について、私はまだ語る言葉を持たない。
3、境界の男 杉元佐一
ゴールデンカムイは「反射的」な漫画だろうか。
思い浮かべるキャラクターによって違うだろう。
大きく分けると、戦争は概して「反射的」なもので、個人の意図は大きな流れの中に飲み込まれてしまい、生き延びるための反応しかできないように見える。もちろん、策略を巡らせる鶴見や、スナイパーの尾形を別として、だが。
一方で狩りは往々にして「意図的」なものだが、時として自然という大きなものが登場人物たちに襲い掛かる事もある。それを代表するのがヒグマであろう。
私はこの言葉を、インカラマッと谷垣の信頼係数の上下を読み解く際に使った(第6弾)。谷垣は当初、怪しい女インカラマッが襲われていても意図的に助けないという選択をしていたのだが、物語が進むと、インカラマッが自分を利用していると思い込み、かつ裏切っていることすら知った上で、繰り返し反射的にお互いを助けあうことで愛情を表出していくようになる。これはあまり成熟していない関係性である。
150話を読んでいたら、鶴見が同じような解釈をしていて驚いた。月島に「私を疑っていたにも関わらず お前は命がけで守ってくれた」から信頼できる、というのだ。ここで評論家としては、「反射的」と「意図的」を分けたことに対しては安堵するものの、一方で問い続ける姿勢を忘れてはならない。すなわち、「反射的な行動というのは、意図的な行動よりも信頼するに値するのか?」という問いである。一度声に出してみないと実感するのが難しいと思うのだが、「意図すること」は難しいのだ。一度思考のクッションが入る。そのことに、意外とエネルギーが必要なのである。反射のほうがよっぽど簡単である。意図には選択が入る。選択したものの方が、反射的なものよりも信頼に値しないことがあってもよいのだろうか、という問いは忘れてはならない。
さて、杉元は「反射的」な男だろうか。
少なくとも杉元が「反射的」である事に極めて長けていることに異論はないだろう。そしてアシㇼパが「意図的」である事に極めて長けていることにも異論はないだろう(それはウイルクの教育の賜物である)。
「危険で捨て身の戦い方だ よく知っていたな」
「知らねえよ とっさに身体が動いた」
これである……ッ(はぁ〜杉ㇼパ尊い)。
杉元は、その特性を活かすために、つまり自らの存在意義を発揮するために、半ば意識的に自らの得意とする反射的なフィールドに飛び込むし、その事をアシㇼパは認めている。得意とする反射的なフィールドとは何か。
それは死線である。
「ヒグマの巣穴に飛び込むようなヤツは父以外に私は知らない アイツは自分から、死神にギリギリまで近づくことで生き延びる活路を見いだす」
「それですよ!その思いが強いほど、強く激しく煌めくんです ! ! 」
死線とは境界である。
この世の物語は、それが融和であろうが断絶であろうが、すべて境界にまつわる物語である。ATフィールドも境界であるし、京極堂が落とす憑き物も境界である。アッシュ・リンクスと奥村英二が超えるものも境界である。あなたが私の文章を読んで感じるかもしれない違和感や、紐解かれたように感じるカタルシスですら、境界にまつわる物語である。境界は環境であり、ヒトであり、時に、いや往々にして無ですらである。
ゴールデンカムイの中には、境界を「引く」ことに四苦八苦する男たちが描かれる。その最たるものは「国境」であり、そこに立ち向かったのがウイルクとキロランケであり、日露戦争に従事した軍人たちである。彼らは「仲間だの戦友」にも「家族」にも境界を引いて、囲い込んだり切り離したりしようとする。
一方で作者は、私たちが普段引いている境界をやすやすと壊しにかかる。その最たるものは「アイヌ」である。この作品は、アイヌをアイヌとして捉えていなかった私を、むしろアイヌは私と同質である、と考える人間に変えてくれた。作品は「動物と人間」や「殺すことと送ること」の境界すら融かそうとする。
そして網走以前には、囚人とそれ以外という境界が最も顕著なものであったのが、樺太以降に物語のダイナミズムはさらに増し、我々に馴染み深い境界が、新たな形で提示されることになった。それが「ロシアと日本」である。
4、自分と似たものは殺せない杉元と、自分と似たものを殺す尾形
「あいつは俺だ」
驚くべきことに、杉元は自分と共通するものは動物であっても殺せなかった。
アシㇼパから彼らの「生きた証」について説かれて乗り越えたのは「自分と似た動物は殺せない」事だけである。
杉元佐一の本当の苦しみは、「相手を自分たちとは違う悪人だと思わなければ殺せない」ところにある。
杉元はそこに不思議な境界を引く。そして内側にいるうちは自らも辛うじて許されるかのような振る舞いをする。
「そのうちみさかいがなくなるさ」とは、まるで自らには“見境い”ーー美しい言葉だ、境界を見る力、とでも言おうかーーがあるかのような口ぶりである。彼は作中で多く見られる「不本意な行動者」(前にインカラマッと白石をその例として挙げたが)の一人であるような考えを何度も吐露する。「走れ走れ 止まると殺される 死んでたまるか 生きてやる ! ! 」「まあ……極悪人のほうが こちらとしても気兼ねなく刺青をひん剥ける」
「鈴川は……苦しんだか?どうやって死んだ?」
「アシㇼパさん 鈴川は悪人だ 悪人は人の心が欠けているから普通の人間より痛みも感じないはずだ だからいちいち同情しなくていい」
「子供だと思ってバカにしてるのか?そんな理屈でごまかすな」
「俺はそう思うようにしてきた…戦争の時もロスケは俺たち日本人とは違って苦しまずに死ぬはずだって………戦場では自分を壊して別の人間にならないと戦えない 俺たちはそうでもしなきゃ生き残れなかったんだ」
ここでの吐露が、尾形と勇作のやり取りと相似を描くことは以前指摘した通りだ。
「罪悪感?殺した相手に対する罪悪感ですか?そんなもの…みんなありませんよ」
「そう振る舞っているだけでは?」
「みんな俺と同じはずだ」
しかし杉元の論理は、彼の言う「悪人」を殺せば殺すほど、どんどん杉元自身が悪人に近づいていくという矛盾を孕んでいる。
「無関係のアイヌの村も襲って回った分際でよ テメェらに大義なんてねえだろうが盗っ人が」
「(略)アイヌも和人も無関係の人間は殺しちゃいねえ」
「そのうちみさかいがなくなるさ」
「わかるのかい?確かにあんたからは人殺しのニオイがぷんぷんするもんな」
あなた…どなた?
杉元は「ほとんどひとりで偽アイヌ共を皆殺しにしやがった」ので、偽アイヌの仲間である鈴川も、悪人と断罪しなければ自分が保てなかった。自分の反射的な行動を後追いで意図的に正当化しなければ自分が保てなかったのだ。ここは戦場ではなく、死線でもない。アシㇼパ達との旅には日常があり、杉元はそこに惹かれ安らぎを見出している(ヒンナヒンナしていて欲しいんだよ俺はッ)。杉元は反射的と意図的の境界を彷徨っているのだ。アシㇼパはすでに鈴川を自分たちの協力者だと見なしていた。鈴川と白石・土方・牛山・家永らにどんな違いがあるというのだろうか?それでも杉元は不思議な境界を引く。
尾形の過去が明らかになるにつれ、杉元においても一つの重大な問いが立ち上がってきた。『杉元に罪悪感を感じる心はあるか?』というものである。杉元は辺見の問いにはっきりと回答しないのだ。
「何人殺したかおぼえていますか?」
「顔だって忘れてねえよ 顔が見えるほど近くで殺した奴はね…」
「(僕と同じだ)忘れられないのは罪悪感なのでしょうか?」
「せめて忘れないでいるのが俺の償いさ 俺には俺の殺さなきゃいけない道理があった 必要なら鬼になる覚悟だ そのかわり…俺がくたばる時は安らかに死なせて貰おうなんてつもりは毛頭ない」
この考え方、つまり極めて『反射的』な「殺されるくらいなら躊躇なく殺す」ことを、のちに半ば『意図的』に「人間を殺せば地獄行きだと? それなら俺は特等席だ」と微笑む男。
それをなんと呼ぶか。因果応報である。
自ら報いを受けることを望む男。自らへの処罰を、今際の際や死後に求める男。そのことで”現在”の自分の正当性をなんとか保とうとしている男(杉元の論理では善人しか死ぬことに痛みを感じない。彼は自らを善人と捉えているのだ)。いつまでも死線に身を置くことが、自らが”役に立つ”ありようであることを自覚している男。それでも”現在”の自分が、戦争に行く前の自分と同じように梅子に認められることを望んでいる男。自らへの罰と自らへの赦しを同時に希求する男。
「もし俺が死んだら アシㇼパさんだけは俺を忘れないでいてくれるかい?」
彼が引いた不思議な境界の向こう側にいる人間に対して罪悪感を感じているのであれば、あんなに優しくアシㇼパを心配できるだろうか?また、あんなに生き生きと都丹庵士にどう使うつもりかわからない恐ろしい形の棒by杉元佐一を「オラ咥えろよこの野郎」なんて言えるものなのだろうかごっつぁんです!!!!そしてこの杉元は若かりし土方と重ね合わせられる……
私は、ゴールデンカムイの中に、キャラクターが言語化しない一つの大きなテーマが存在しているのではないかと思い始めてる。それが代償と供物である。そして私は杉元に対してこう思い始めている……彼の求める見返りは、200円と彼自身を忘れられないことという些細なものであるかもしれないが、それに比べて彼が払おうとしている代償が、欠けた脳みそをもってしても少なすぎるのではないか、と……。
杉本が壊した二階堂を見てみるといい。
もしくはこの作品では本当に因果応報が存在しないのかもしれないが……(第1弾)。
翻って尾形は「殺した相手に対する罪悪感」がない、「みんな同じはずだ」と主張する人間だ。彼がそう考える(ことにしている)という証左となるような行動はいくつもある。その最たるものが『肉親殺し』であろう。尾形は周りからその血縁について言及されることを避けられなかった男だった(公然の事実ーそのあたりの悲しさは6.5弾に少し書いた)。しかし最も近い存在であるはずの父・母・弟は、尾形から最も遠い存在であった。なぜなら尾形を認めようとしなかったからである。尾形と肉親の間には境界があった。杉元は境界のこちら側にいる寅次の死には涙を流せる心の余地を残しておけたのに、尾形にはそれすら許されなかった。
もちろん、本当に罪悪感がないのなら、なぜ人殺しという境界を勇作に超えさせようとしたのか、というのは尾形にまつわるおそらく最も根源的で重要な問いだ(第3弾)。私はその答えを杉元に見る。杉元は何のために不思議な境界を引いてきたのか。自分の心を守るためではなかったか。自分を正当化するためではなかったのか。
だから私はいつも、彼が「殺した相手に対する罪悪感」がない(ことにしている)という注釈を入れずにはいられない。みんな同じであることに理由を求める彼に弱さを見出さずにはいられない。「貴様も頭のおかしくなった母親が哀れで疎ましかったのだろう 私と同じじゃっ」と父は言ったが、私はこの発言も花沢中将の自己正当化だと捉え、罪悪感のない人間は自己正当化をする必要すらないと考えている。
杉元は自らが覚えていてもらうことを希求するように、殺す相手の顔を覚えていることを償いとした。これもおそらく、自らのバランスをとるための彼の手段であった。
尾形は、自らが希求する愛情を与える相手の根拠に「血」を求め、また鶴見からもその「血」を利用されていたのに(6.5弾)、同時に「高貴な血」を否定する、という自己矛盾を持っていた(第4弾)。
そして尾形は遂行した家族殺しの全てを、自らが何か欠けた人間であった(ということにしている)ことすらも、愛情を持たなかった父親の責として自己を正当化していた。尾形には杉元のような生きる執念は見られないが、どうように杉元が持つ自罰的な面も見られない。肉弾戦を得意とする杉元は、死線において必ず自らにも傷を負うことが必定であり、絶対的な自己決定権の権化としての銃を好む尾形とそこでも対比をなす。一方で心の上では、杉元はアシㇼパという相棒を手に入れ、体の上では、現在アシㇼパは尾形と共にある(いやらしい意味じゃないぞ)。尾形が銃を寄る辺とするのであれば、杉元は加速する自分の暴力にアシㇼパという新たなバランサーを発見し、ひたすら無自覚に戦地と同じ行動を取り続け、他人(と、おそらく自分)を傷つけている。二階堂。偽アイヌ。谷垣を攫ったアイヌの顔面にお見舞いした一発(尾形くんのお墨付��)。岩息との殴り合い。
その中で167ー168話は随分と興味深い話だった。南樺太は当時日本であった。167話で杉元が殺したロシア人の顔を覚えているという描写が出てくる。杉元が寅次のように帰りたいと言えなかった描写も、泣くこともできなかった描写も出てくる。アシㇼパが杉元を呼ぶと杉元は泣いている(梅ちゃんが泣き止んだ寅次を待っていてくれるのだから、杉元���泣いていいはずだ)、そしてそれはロシア政府を信用していなかった元ロシア人夫婦とたまたま出会ったことによる命拾いだったのである。
国境はズレる。境界もズレる。自分がどちら側にいるのかもズレる。杉元はかつて言った。
ぶっ殺した露スケの白いケツをかじってでも生き延びてやる
ロスケは俺たち日本人とは違って苦しまずに死ぬはずだ
そのロスケには人の心があり、誰かを助ける心があり、家族の無事を願う心がある。杉元はそれに深く共鳴する。きっとこれは彼が戦争から帰ってくることを少し補完したのではないだろうか、谷垣が、マカナックルの言葉やフチの介護を経て「降りる」ことに成功したように。
168話は、鈴川は悪人だから苦しまずに死んだと言った100話の杉元への反駁であると信じたい。
それでも杉元佐一くん、平成より愛を込めて、きみはほとんどきみのいう悪人への境界を超えかかっていた、自覚がないのがなお悪い、そのままでは再会してもアシㇼパさんの側には居続けられないのではないか、そしてそのことが悲しい。
第1〜6.5弾の分をまとめたモーメント。敢えて言うなら6弾は読んだ方が話はつながる。マシュマロ。マシュマロが来ないと簡単に筆を折ります。マシュマロくれ。
そして信じられないことにこの文章は当初の予定の1/2程度のものであり、杉ㇼパと狩りと食事に関する部分がガッツリ抜けています。長すぎて誰が読むねんと思ったので前半のみアップロードしました。
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今や東京を代表するストリートフェスティバルとなった銀座の「GL」、今年は11月16日(土)に開催決定!銀座の街の点在する個性的なバーやレストラン、ライブハウス等で、HIPHOPからJAZZ、REGGAE、HOUSE、ROCKそして歌謡曲まで、豪華出演者たちの最高のパフォーマンスを自分の好きな空間で心ゆくまで堪能できます。
■GL とは? 13年前、銀座の街を活性化しようと若者が集まり「GL」というパーティーが始まりました。今日、情報の取り方、遊び方も多様化してきました。GLとは、渋谷、新宿、池袋のような繁華街とは異なる特性を持つ銀座の魅力、可能性を世代を超えて伝えるため、アートを通して新しい“銀座”表現する街規模の多店舗参加型大交流パーティーです。 1店舗で行うパーティーとは異なり、銀座一帯をラウンジとして扱うことで、回遊性を高め新たな“銀座”を発見してもらい、人と人を横軸で結ぶコミュニティづくりに貢献することを目的としております。 GL web site: http://www.gl840.com/
■ GL ・ 開 催 日 2019年11月16日 (土) ・ 開 演 20:00(店舗により異なる場合有り) ・ 閉 演 店舗によって変わります。 ・ 料 金 店舗購入前売り2,000円 ネット購入前売り\3,000円 当日\4,000円 ・ 開 催 地 銀座2丁目~8丁目 ・ 備 考 雨天決行 20歳未満は入場できません。 当日券のお求めは「VAPEUR」にある当日券売場までお越しください。
• web site: http://www.gl840.com/ • 協賛/協力 サッポロビール株式会社 / New Era Japan / BackChannel / SPECTATOR / 長生庵 / 築地はしご酒 / KING of DIGGIN’ / THC / MOLSONCOORS
■チケット発売概要 ▽ネット購入前売り3,000円 限定200枚 ※ネットでの前売りチケットご購入の方は、当日、本部「VAPEUR」にございますチケット売り場にて、リストバンドとの引き換えが必要となりますので、あらかじめご了承ください
ネット前売りチケット購入の方は下記URLへ http://www.gl840.com/ticket/
▽店舗購入前売り2,000円 ※店舗で販売中の前売りチケットは引き換えも必要無いので、どの店舗からでも遊ぶことができます。
<GLチケットお取り扱い店舗> • Ginza Suki Bar ��京都中央区銀座6-3-5-5F 03-3573-5544 • 八古屋 東京都足立区千住4-23-1 03-3881-6799 • 芳味 東京都足立区千住2-31 03-3881-0712 • Grow Around 東京都渋谷区宇田川町4-9 くれたけビル1F 03-5489-4333 • 喫茶 マコ 東京都中央区築地4-9-7 中富ビル2F • 長生庵 東京都中央区築地4-14-1 モンテベルデ 1F 03-3541-8308 • HMV record shop 渋谷 東京都渋谷区宇田川町36-2 ノア渋谷 1F/2F • 安べえ 東京都中央区勝どき2-14-2 03-3531-4711 • 気まぐれえりこ 東京都台東区浅草2-7-21 初音小路 • Lettering Avenue 東京都中央区日本橋本町1-9-8 2F 03-6262-1989 • cillout酒場~常夏~ 神奈川県藤沢市南藤沢23-8 LANDPOOL FUZISAWA 2F
■GL2019ご来場案内 GLへの参加方法についてご案内させて頂きます。 当日チケット受付、NETチケットのリストバンドへの引き換え、インビテーションの受付、ディスカウントゲストの受付は、インフォメーションがございます「VAPEUR」にて受付しております。※PLAYGROUND「VAPEUR」その他の店舗での対応は出来ませんので、あらかじめご了承下さいませ。
リストバンドを手に入れたら後は自由! 銀座2丁目~8丁目の間に点在するお店をはしごしてお楽しみ下さい。 店舗によってはFOODブースや物販ブースが出店しているお店もあるので、当日各店舗にて配布されているタイムテーブルをチェックしてみて下さい! また、当日「GLバス」が回っています。歩くのに疲れた際は、店舗の前で少し待ってみて下さい。運良くバスに乗れれば遠くのお店に行くのも楽チンです! ※当日のタイムテーブルの進行状況や運営上の変更点等は随時GLオフィシャルホームページ、TWITTER等にて更新される予定です。
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【山形】山形就要這樣玩!朝聖歷史景點兩天一夜小旅行 https://zuche.io/tumblr 對山形縣感到陌生且遙遠嗎?莫急莫慌,這次讓我們手持「JR東日本鐵路周遊券(東北地區)」,一起暢遊山形兩天一夜!繼續使用「JR東日本鐵路周遊券(JR EAST PASS)」走跳山形!位於東北地區的山形縣,除了有古城、武家倉敷等歷史建築物之外,改建古建築而重生的咖啡廳、蕎麥麵店、新鮮水果等觀光資源豐富。若想征服景點眾多的山形縣,但又「想省交通費」的話,非常推薦使用「JR東日本鐵路周遊券(東北地區)」。此周遊券能不限次數乘坐可使用區域內的新幹線、特快列車、快速列車、普通列車、JR巴士等交通運輸。周遊券可以在日本或自己的國家進行購買。詳細購票方式和相關使用注意事項,請參考下方連結。■JR東日本鐵路周遊券(東北地區)※JR東日本鐵路周遊券僅限訪日觀光者購買,日本人與持非觀光簽居住於日的外國人無法購買此優惠票券,敬請見諒。本次將介紹使用「JR東日本鐵路周遊券(東北地區)」來進行兩天一夜小旅行,暢遊山形縣的歷史景點!第一天。08:00〜 東京車站出發兩天一夜山形之旅從東京車站出發。首先搭乘東北新幹線やまびこ(Yamabiko)號(08:08出發)前往福島。需時1小時46分(9:46抵達)。乘坐10:02的足湯列車「Toreiyu Tsubasa」號「Toreiyu Tsubasa」號是行駛於福島至山形區間的足湯觀光列車,車廂內以山形果物裝飾,設有和風榻榻米座位、山形特產與地酒吧台,足湯車廂可享受溫暖足湯,舒舒服服地抵達下一個目的地:山形縣上山市。足湯車廂需另外付費並預定利用時間,詳細請參官方網站。11:15〜 漫遊歷史三景點Picture courtesy of 上山城上之山溫泉站(かみのやま溫泉駅)擁有上山市主要觀光景點:上山城、武家屋敷與春雨庵。趕緊來去參觀吧!別名月岡城的上山城(かみのやまじょう),是過去統治山形縣的戰國大名最上氏一族的城堡,重建而成的上山城目前作為傳承當地歷史文化的鄉土資料館。上山城除了遠脁藏王山脈之外,每年四月下旬櫻花滿開的季節則蛻變為當地的賞櫻勝地。 查看資訊上山城 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu4e0au5c71u5e02u5143u57ceu5185uff13u756auff17u53f7","code":"38.157503, 140.27620890000003"],"center":"38.156799462927275, 140.27638056137698","zoom":"15","latitude":"38.156758655496695","longitude":"140.27638056137698" 地址 山形県上山市元城内3番7号 營業時間 09:00~16:45(最終入館時間) 休息日 奇數月第二個週四,年末年初(12/29~12/31) Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 かみのやま溫泉站 交通方式 かみのやま溫泉站步行約12分鐘 金額 入場費:成人410日圓大學生、高中生360日圓中小學生50日圓 電話號碼 023-673-3660 官網 http://kaminoyama-castle.info/ 從上山城步行約7分鐘,抵達的是過去守護城堡的武家屋敷,雖然已不見武士身影,但過去的生活情景依舊殘留在這有200歷史的建築中,洗去戰鬥氣息,現在是平靜而美麗。 查看資訊上山市 武家屋敷 "map_code":"pin":["title":"u4e0au5c71u5e02u9db4u811bu753a1u5730u65b9u5167","code":"38.159569944016965, 140.27404708703307"],"center":"38.15935313230914, 140.2745942576721","zoom":"17","latitude":"38.159569944016965","longitude":"140.27404708703307" 地址 上山市鶴脛町1地方內 營業時間 09:00~16:45 休息日 週三,年末年初 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 かみのやま溫泉站 交通方式 かみのやま溫泉站步行約20分鐘 金額 入館費(三輪家):成人210日圆學生160日圆小孩50日圆※三輪家以外的住屋僅可參觀庭院 電話號碼 023-672-1111 官網 http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=2728 春雨庵是山形縣史跡之一,是江戶時代被流放至山形的僧侶澤庵禪師(沢庵禅師)的住所,現在則免費開放參觀,內有茶室聽雨亭(聴雨亭),可以在此享用抹茶(含稅500日圓,需預約),靜觀庵中美景。 查看資訊春雨庵 "map_code":"pin":["title":"u4e0au5c71u5e02u677eu5c712-10-12","code":"38.156464, 140.2689845"],"center":"38.15630738715182, 140.26864117724608","zoom":"15","latitude":"38.15630738715182","longitude":"140.26864117724608" 地址 上山市松山2-10-12 營業時間 9:00~16:45 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 かみのやま溫泉站 交通方式 かみのやま溫泉站步行約10分鐘 電話號碼 0237-672-0824 官網 http://yamagatakanko.com/spotdetail/?data_id=1895 也可以使用旅遊行程來參觀以上的觀光景點哦。有興趣的人,可以參考【上山歷史散歩行程】。15:00〜 山形市區散步觀光與晚餐・JR山形站→霞城公園,步行約10分鐘。右下:Picture courtesy of 山形縣搭乘新幹線從上山溫泉站前往山形站約9分鐘。感受完上山市之後,就往山形市區移動吧。距離山形站步行約10分鐘距離的霞城公園入選為日本100名城,位於日本第五大的山形城跡之內。一年四季均可欣賞美麗風景。山形縣勇猛戰國名將最上義光的銅像也立於公園之中,適合在此拍照留念。 查看資訊山形霞城公園 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u971eu57ceu516cu5712","code":"38.2554306, 140.32807630000002"],"center":"38.2547355, 140.32823659999997","zoom":"14","latitude":"38.2547355","longitude":"140.32823659999997" 地址 山形市霞城町1番7号(公園管理處) 營業時間 霞城公園:5:00〜22:00(4月1日~11月30日)5:30〜22:00(12月1日~3月31日)山形城(二之丸東大手門櫓):詳細時間請參考官網 休息日 霞城公園年中無休。山形城(二之丸東大手門櫓:冬季不開放,詳細時間請參考官網 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 山形站 交通方式 從山形站西口徒步10分鐘至公園南門;從山形站東口徒步15分鐘至東大手門。 金額 免費入園 官網 山形霞城公園 霞城公園中還有不少文化設施。其中山形市鄉土館 舊濟生館本館(旧済生館本館)是參考明治時期位於橫濱的英國海軍醫院建造而成。最特別的就是連結成一個圓的一樓走廊,仿若無止盡的優雅。 查看資訊山形市鄉土館 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u5e02u971eu57ceu753a1-1","code":"38.2531056, 140.32849720000002"],"center":"38.2531056, 140.32849720000002","zoom":"15","latitude":"38.2531056","longitude":"140.32849720000002"・霞城公園→文翔館,步行約25分鐘。山形縣鄉土館 文翔館是大正時代的代表性建築,仿造16〜18世紀的英國風,來到這裡彷彿瞬間渡海,一秒到歐洲!許多電影・日劇製作單位看上這裡的復古氛圍到此取景,如知名的漫畫改編電影作品《神劍闖江湖 京都大火篇》(るろうに剣心 京都大火編)。 查看資訊山形縣鄉土館 文翔館 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u5e02u65c5u7bedu753a3u4e01u76ee4u756a51u53f7","code":"38.256677956508035, 140.34118152698363"],"center":"38.256897, 140.3412459","zoom":"17","latitude":"38.256677956508035","longitude":"140.34118152698363" 地址 山形市旅篭町3丁目4番51号 營業時間 09:00~16:30 休息日 每月第1、第3個週一(週一若是國定假日則開館,隔天休息)年末年初(12月29日~1月3日) Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 山形站 交通方式 山形站乘坐路線巴士於「市役所前」巴士站下車後步行1分鐘即達。 電話號碼 023-635-5500 官網 https://www.gakushubunka.jp/bunsyokan/ ・文翔館→紅の蔵,步行約18分鐘。活用過去倉庫建築「蔵」而成的山形まるごと館・紅の蔵,是餐廳、咖啡廳與伴手禮店的複合式園區。紅の蔵的「紅」,來自於山形興盛一時的「紅花貿易」,現在的紅花成為精緻的文創產業,將古老紅花文化繼續流傳。 查看資訊山形まるごと館・紅の蔵 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu5c71u5f62u5e02u5341u65e5u753a2-1-8","code":"38.2467008, 140.3356523"],"center":"38.2467008, 140.3356523","zoom":"15","latitude":"38.2467008","longitude":"140.3356523" 山形まるごと館・紅の蔵View Map 地址 山形県山形市十日町2-1-8 營業時間 依各店家而有所不同,詳細請參考官網 休息日 依各店家而有所不同,詳細請參考官網 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 依各店家而有所不同,詳細請參考官網 最近車站 山形站 交通方式 山形站步行約10分鐘山形站乘坐100日圓循環巴士於「十日町紅の蔵前」巴士站下車即達 電話號碼 023-679-5101 官網 http://www.beninokura.com/ ・紅の蔵→そば処三津屋,步行約3分鐘。1921年創業的そば処三津屋・出羽路庵,是山形縣代表性的蕎麥麵老店,創辦人寺崎一家,對蕎麥有著無比熱愛,走訪日本各地品嚐學習,最後創作出屬於自己的蕎麥麵。如此用心的蕎麥麵千萬不能錯過! 查看資訊そば処三津屋・出羽路庵 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu5c71u5f62u5e02u5341u65e5u753a1u4e01u76ee1-26","code":"38.24651489995954, 140.3337847361763"],"center":"38.24662022414087, 140.33393091656762","zoom":"20","latitude":"38.24651489995954","longitude":"140.3337847361763" そば処三津屋・出羽路庵View Map 地址 山形県山形市十日町1丁目1-26 營業時間 11:00~21:00(20:30最後點餐) 休息日 週三(國定假日則營業) Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 山形站 交通方式 山形站步行約8分鐘 電話號碼 023-622-0328 官網 http://www.soba328.com/ 想要在山形市過一晚的話,推薦入住山形大都會大飯店(ホテルメトロポリタン山形)。下車後就能直達飯店check in 放行李,位置超方便!想要繞遍山形市區的散步景點,也可以選擇參加旅遊行程。旅遊行程的詳細資訊可參考【山形散步與山形蕎麥午餐】。第二天。造訪山寺的好景色,美食伴手禮也不放過10:30〜 山寺・JR山形線 天童站→山寺。搭乘天童計程車約20分 or JR仙山線 山寺站。山寺的正式名稱為寶珠山立石寺(宝珠山立石寺),是日本知名詩人松尾芭蕉(まつおばしょう)的作品《奧之細道》中的造訪地。從山門開始到最上方的奧之院,共有1000多個階梯,沿途風景優美。山寺中最古老的建築納經堂,以及擁有超過180度觀景視野的五大堂,是絕對不可錯過的景點! 查看資訊山寺(寶珠山 立石寺) "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu5c71u5f62u5e02u5c71u5bfa4456-1","code":"38.3122076, 140.43602529999998"],"center":"38.3122076, 140.43602529999998","zoom":"16","latitude":"38.3122076","longitude":"140.43602529999998" 地址 山形県山形市山寺4456-1 營業時間 8:00~17:00 休息日 年中無休 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 山寺站 交通方式 山寺站步行約7分鐘 金額 大人、高中生:300日圓國中生:200日圓小學生、孩童:100日圓 電話號碼 023-695-2843 官網 https://www.rissyakuji.jp/ 12:25〜 新鮮採果趣ー王將果樹園・山寺→王將果樹園,搭乘天童計程車約20分鐘。王將果樹園是天童區的人氣觀光果園,依不同季節可以採收櫻桃、葡萄、水蜜桃、蘋果等水果,也販售多樣水果製作伴手禮與甜點。這次前往正好是蘋果季節,王將果樹園提供30分鐘的蘋果採收與吃到飽,現採現吃果然美味無敵!採後之後的蘋果還可以當作伴手禮帶回家哦(3〜5顆)! 查看資訊王將果樹園 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu5929u7ae5u5e02u5927u5b57u5dddu539fu5b501303u756au5730","code":"38.4017729, 140.43116039999995"],"center":"38.40715376364967, 140.3976864314941","zoom":"13","latitude":"38.40715376364967","longitude":"140.3976864314941" 地址 山形県天童市大字川原子1303番地 營業時間 餐廳:9:00〜17:00咖啡廳:9:00〜16:00水果採收受理時間:8:30〜16:00 休息日 年中無休 Wi-Fi 有 信用卡及其使用種類 VISA,MASTER,JCB 最近車站 天童站 交通方式 從天童站搭計程車約20分鐘 金額 季節水果聖代 含稅750日圓採收蘋果(30分鐘吃到飽)+附伴手禮 含稅1,080日圓 電話號碼 023-657-3211 官網 https://www.ohsyo.co.jp/ 13:15〜 搭上專用巴士前往道之駅 天童溫泉(道の駅 天童温泉)・王將果樹園→道之駅 天童溫泉,搭乘天童計程車約15分鐘。走了很多路,所以來去天童溫泉泡泡足湯,放鬆雙腳吧。天童為生產將棋(※1)的著名城鎮,這裡的足湯池也做成將棋模樣,一旁的商店也販售多項當地伴手禮、農特產品,一不小心大家又入手了好多戰利品。※1:於棋盤上交換下棋的競賽。 查看資訊道之駅 天童溫泉 "map_code":"pin":["title":"u5929u7ae5u5e02u936cu30ceu753au4e8cu4e01u76ee3-41","code":"38.354538, 140.38714359999994"],"center":"38.355497121675974, 140.38347433806757","zoom":"15","latitude":"38.355497121675974","longitude":"140.38347433806757" 地址 天童市鍬ノ町二丁目3-41 營業時間 ■天童市森林情報館 もり~な天童 9:00~18:00 (休館1月1日)■SUN PURE 9:00分~18:00■足湯 6:00~21:00 休息日 不定休 Wi-Fi 有 信用卡及其使用種類 VISA,MASTER 最近車站 WAKUWAKU LAND(わくわくランド)站 (山交公車) 交通方式 從WAKUWAKU LAND站步行約5分鐘 電話號碼 023-651-2002 官網 http://www.pref.yamagata.jp/rakuraku/detail_tendo_007.html 13:35〜 享用在地特色料理來劃下完美句點ー國丼(国丼)・道之駅 天童溫泉→國丼。搭乘天童計程車約5分鐘。午餐來到天童站前的在地食堂國丼(国丼),要享用的是山形鄉土料理芋煮鍋。芋煮鍋是將芋頭以醬油、日本酒、砂糖熬煮,搭配上大蔥、蒟蒻、牛肉的豐富料理。補充了一上午消耗掉的體力,也為天童區之旅畫下完美句點。 查看資訊國丼 "map_code":"pin":["title":"u5c71u5f62u770cu5929u7ae5u5e02 u672cu753a1-4-1","code":"38.36009809999999, 140.37077810000005"],"center":"38.36009809999999, 140.37077810000005","zoom":"17","latitude":"38.36009809999999","longitude":"140.37077810000005" 地址 山形県天童市 本町1-4-1 營業時間 午餐:11:30〜14:00(最後點餐14:00)晚餐:17:00〜21:00(最後點餐20:40) 休息日 不定休 Wi-Fi 無 信用卡及其使用種類 無 最近車站 天童站 交通方式 天童站東口步行 1分鐘即達 電話號碼 023-653-2921 官網 https://r.gnavi.co.jp/k789wawv0000/ 想要繞行天童周邊的觀光景點,也可以選擇參加旅遊行程哦。有興趣的人請參考【山寺及當季水果行程】。快使用JR EAST PASS來去【山形・新潟】走走吧!https://matcha-jp.com/tw/yamagataniigata最有魅力的東北行程,都可以在以下網站找到哦!TOHOKU BUFFET: https://www.tohoku-buffet.com/tw/Written by ChiaSponsored by Yamagata Prefecture and Niigata Prefecture #溫泉 #zuche #汽車租賃 #租车 #租車 #自驾游 #自駕遊 #hirecar ##matcha-jp https://zuche.io/2019/01/12/585/?feed_id=1107&_unique_id=5dcaaa56a334b
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深川怪談2017 「お化けの棲家」お化け詳細情報
2017年8月20日、深川江戸資料館夜間特別開館「お化けの棲家」終了致しました。ご来場の皆様、ありがとうございました!今年の江戸の町並みに潜んでいた妖怪は全部で17箇所、以下のようなものがおりました。
1.「鍋の付喪神(つくもがみ)」…八百屋の台所 2.「ハサミの付喪神(つくもがみ)」…舂米屋の座敷、箪笥の上 3.「五徳猫(ごとくねこ)」…舂米屋の座敷、長火鉢の前 4.「河童(かっぱ)」…猪牙舟の船縁*深川に伝承あり 5.「毛羽毛現(けうけげん)」…船宿「相模屋」の中庭、手水鉢の横 6.「傘化け(かさばけ)」…船宿「升田屋」の玄関 7.「がんばり入道(がんばりにゅうどう)」…船宿「升田屋」の便所、便壺の中 8.「三つ目小僧」…火の見櫓の下*深川に伝承あり 9.「深川の海坊主」…火の見櫓の裏、掘割の上*深川に伝承あり 10.「なき茶釜」…水茶屋の茶釜の上*深川に伝承あり 11.「蔵鬼女」…舂米屋の土蔵、階段裏*本所に伝承あり 12.「しょうけら」…長屋「於し津」の屋根、明かり取りの窓の上 13.「かいなで」…長屋共同便所、便壺の中 14.「家鳴り(やなり)」…長屋「木場の木挽き職人 大吉」の床下 15.「木枕」…長屋「舂米屋の職人 秀次」の部屋*深川に伝承あり 16.「狂骨(きょうこつ)」…長屋井戸の中 17.管狐(くだぎつね)」…お稲荷さんの祠横 以上、17カ所でした! いかがでしたでしょうか?アンケート等で「潜んでいた妖怪の解説を」というご要望が多数ございましたので、追記させていただきます。(『日本妖怪大辞典』村上健司編著角川書店版他より)
1.+2. 付喪神(つくもがみ) 九十九神とも表記される。室町時代の『付喪神絵巻』によれば『陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を化かす是を付喪神と号といへり��という巻頭の文がある。煤祓で捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だが、古来日本では器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。『絵画に見えたる妖怪』吉川観方 ちなみに、これらの付喪神は深川江戸資料館の壊れて廃棄処分になった展示物を再利用して作られています。展示物を粗末に扱って壊せば妖怪となる?!実物に触れる体感展示がこちらの資料館の売りではありますが、化けて出ぬよう大切に扱っていただきたいものです。
3.五徳猫(ごとくねこ)
五徳猫は鳥山石燕の『図画百器徒然袋』に尾が二つに分かれた猫又の姿として描かれており、[七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者といいしためしもあれば、この猫もいかなることか忘れけんと、夢の中におもひぬ]とある。『鳥山石燕 図画百鬼夜行』の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画『百鬼夜行絵巻』に描かれた五徳を頭に載せた妖怪をモデルとし、内容は『徒然袋』にある『平家物語』の作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だった��、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫は、このエピソードと囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された妖怪なのであろう。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
4.河童(かっぱ)*深川に伝承あり 全国各地でいう水の妖怪。河童という呼称は関東地方の方言カワッパが語源だと言われている。地方によりさまざまなよび名があり、大別すると、水神を思わせる名前の系列、子供の姿を強調した名前の系列、動物の名前に近い名前の系列、その他の計4つに分けられる。 水神系には、東北地方のメドチ、北海道のミンツチなどがあり、子供の姿系には、関東地方のカッパ、カワランベ、九州地方のガラッパなどが入る。動物系には、中国四国地方のエンコウ(猿猴)、北陸地方のカブソ(川獺)、カワッソーなどが挙げられる。その他、特定の信仰に関わるものとしてのヒョウスベ、祇園坊主(ぎおんぼうず)、身体の特徴からのサンボン、テガワラなどと、上記3つの系列に入らないものがある。 姿形についても、地方によって相違があり、頭に皿が無いものや、人間の赤ん坊のようなもの、亀やすっぽんのようなものと、実にさまざまに伝えられている。 起源についても、草人形から河童になったとする説、水神が信仰の対象から外されて零落して河童になったとする説、アジア大陸から渡来して土着したとする説など諸説ある。 人に憑く、物に変化する、人間の作業の手伝いをするなど、地方ごとに河童の特徴は異なるが、ほぼ共通していることは、大の相撲好きであることと、胡瓜(きゅうり)などの夏野菜や人間の肝、尻子玉が好物だということだろう。 人間の肝をこのむというのは、昔の人たちの観察力によるものらしい。溺死した死体は腹が膨れて肛門がポカンと開いてしまうといわれる。このようなひどい姿を見て、河童が手を入れて内蔵を引き出したと人々は想像したのだろうといわれている。河童の凶暴性は水難事故の恐ろしさに起因するといっても過言ではないようである。また、相撲や胡瓜を好むのは、河童が水神としての性格を有していたことにほかならない。かつての相撲は神事であり、端午の節句や七夕あたりに行われ、東西の土地の代表者が豊凶をかけて争った。相撲は神と精霊との争いを表しているともいわれ、神が水の精霊を打ち負かすことにより、農耕に欠かせない水の供給を約束させるのだという。胡瓜などの初なりの野菜も、水信仰に欠かせない供物だった。このことからみても、河童が水神として信仰の対象になっていたと考えられる。 古(いにしえ)の水に対する信仰と、近代までの民間信仰とが複雑に絡み合い、無数の枝葉にわかれているので、一口に河童は稿であるとはいえないのが現状だろう。 深川ではカッパは、仙台堀と木場の2箇所で捕獲されていたという。仙台堀では伊達候の蔵屋敷で河童を撃ち殺して塩漬けにしたという。仔細は、伊達候の屋敷では子供がよく水難事故に遭う。怪しむべしということで、堀の内、淵ともいえるところを堰き止めて水を干したところ、泥を潜って風のように早い何かがいて、ようやく鉄砲で撃ち仕留めたという。木場入舟町では、この辺の川で水に入ると引っ張り込むものがいる。木場のいなせな兄いが捕らえてみると河童。この水辺の者には、二度と悪さをしないと詫び証文を書かせて手判を押させて許したという。(『河童の世界』石川純一郎、『河童』大島建彦編、『神話伝説辞典』朝倉治彦・井之口章次・岡野弘彦・松前健編、『総合日本民族語彙』『民俗学研究所編、『日本未確認生物辞典』笹間良彦、『日本妖怪変化語彙』日野巌・日野綏彦、『耳袋』根岸鎮衛)
5.毛羽毛現(けうけげん) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にけむくじゃらの妖怪として描かれたもので、[毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふか。或は稀有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなればなりとぞ]とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陜西省陰県の西の空獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため山に逃げ込んだ。そのとき谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと『列仙伝』にある。 この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖怪のようである。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』高田衞監修・稲田篤信・田中直日編)
6.傘化け(かさばけ) 一つ目あるいは二つの目がついた傘から日本の腕が伸び、一本足でぴょんぴょん跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(『妖怪学入門』阿部主計)
7. がんばり入道(がんばりにゅうどう) 加牟波理入道(がんばりにゅうどう)雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の『図画百鬼夜行』には、便所の脇で口から鳥を吐くにゅうどう姿の妖怪として描かれており、[大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道ホトトギス」と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる処也。]とある。 松浦静山の『甲子夜話』では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、その頭を取って左の袖に入れてまた取り出すと、頭は小判に変化するなどの記述がある。「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異に会わない、というのは江戸時代に言われた俗信だが、この呪文は良い効果を生む場合と禍を呼ぶ場合があるようで『諺苑』には、大晦日にこの諺を思い出せば不詳なりと書かれている。 村上健司著『日本妖怪大辞典』より「加牟波理入道」の項より抜粋
8.三つ目小僧(みつめこぞう)*深川に伝承あり 「海からの声」明治33年永代町生まれの伊東進一郎さんの談話 十二、三才の時でしたね。釣りに行っての帰り、お台場を通る頃には暗くなっちゃう。そうすると、「オーイ、オーイ」と声が聞こえるんです。だんだん近づいてくると、船頭が「口を聞くんじゃない」と言って、用意してきた、底の抜けた杓とか土瓶の底のないやつをほおるんです。そうすると、みんな沈めたと思って、声が聞こえなくなる。永代橋に来ると、みんなホッとしましたね。海坊主だとか、海で死んだ人の怨念だとか言われましたけど、今考えてもわからないです。 それから、人魂を永代二丁目のところでみました。もう一人いたんですけど、片っ方は腰抜かしちゃった。まだあります。うちのおばあちゃんが、渋沢倉庫の横の河岸っぷちの柳の植わっているところから。川を見ている女の人に「ねえさん、何やってるんだ」と言ったら、のっぺらぼうなので、腰抜かして、熱出して、しばらくして死んじゃった。背中からおんぶされて、みたら三つ目小僧だって、そういうの本当にあったんです。 (江東ふるさと文庫『古老が語る江東区のよもやま話』より)
9.深川の海坊主(うみぼうず)*深川に伝承あり これは、母から聞いたものだが、深川一帯では桑名屋徳蔵が有名であったらしい。彼は深川の何処かの掘割の岸で廻船問屋をやっていた。若い衆の数も多く、繁盛していた。ある年のおおみそか、大事なお客から今夜中に荷を運んで欲しいという伝言があった。だが、深川のあたりでは大晦日の夜はあの世のご先祖様たちが、お盆とお同じように家へ帰って家族と元旦の雑煮を祝うと信じられていた。こういうわけで、川で死んだ人の霊も水から上がって来るので、その邪魔をしてはならないと、大晦日の夜は船を出すのを厳禁していた。 徳蔵は日頃恩になっているお得意だから、そんな迷信に構っちゃいられないと考えたが。若い衆はみんな休みを取って出払っていたので、若い女房の止めるのも聞かずに船を出した。 ところが、しばらく漕いで行くと、川いっぱいに大きな山がぬーっとせり上がってきた。豪胆な徳蔵は「しゃらくせえ真似をしやがる」と叫んで、その山へまともに船をぶっつけた。その途端に、山はスーッと煙のように消え徳蔵はなお船を進めて行った。が、今度は舳先の川面に大きな海坊主が現れてケタケタと笑った。海坊主とは、首から上が目も鼻もない真っ赤な大入道で、胴体はこれも真っ赤なマントをきたような血の袋が水の上ににょきっと立ち上がっていたらしい。徳蔵は舳先に走って行って海坊主を棹で叩きのめした。海坊主はぎゃっと言って、血しぶきをあげながら川の底へ沈んでいった。だがそれをきっかけに、船のまわりに大小の海坊主がニョキニョキ現れて、声を揃えてケタケタと笑った。徳蔵は夢中になって駆け回り、片っ端から海坊主を叩きのめした。 その頃、留守宅では女房が急に癪を起こして苦しみ始めた。幸いにも表の通りから按摩の笛が聞こえてきたので、子供に呼ばせた。按摩は鍼を打たなければいけないといって、たくさんの鍼を畳の上に並べた。女房は按摩がいい男なのに安心して鍼を打たせたが、鍼を打つたびに血がパッと天井に跳ね上がり、梁の上で小さな海坊主になってケタケタト笑った。仕舞いには梁の端から端まで海坊主が並んでしまった。 徳蔵が仕事を終えて帰ってきた時には、女房は全身の血を失って白蝋のようなむくろになっていた。 田辺貞之助『江東昔話』より
10.心行寺のなき茶釜(なきちゃがま)*深川に伝承あり 『深川心行寺の泣き茶釜』 文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られている。 群馬県館林の茂林寺の話が有名だが、江東区深川二丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したという。 『新饌東京名所図会』の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅及び文福茶釜(泣き茶釜と称す)とあり」 とある。また、小説家の泉鏡花も『深川浅景』の中でこの茶釜を紹介している。 残念ながら関東大震災(1923)で泣き茶釜は、他の什宝と共に消失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が化けたとされる同名が残るのみである。文福茶釜という名前の由来は煮えたぎる湯の音がそう聞こえるという説や福を分けるという説がある。
11.「蔵鬼女」*本所に伝承あり 『十方庵遊歴雑記』「本所数原氏石庫の妖怪」に載る話 本所二つ目の相生町と緑町との境にある横町に、数原宗得(すはらそうとく)という五百石二十人扶持の御典医が住んでいた。 屋敷には石でできた立派な蔵があったのだが、蔵の中で尿意を我慢すると小女や小坊主、傘お化け、大ダルマ、鬼女、牛馬など、色々な妖怪が出現した。 また、近くで火災がある時は、夜に蔵の中で鉄棒を引いて歩く音がした。音が聞こえて家の者が用心していると、必ず近くで火災が発生し、数原家だけは火災の難を逃れた。 ある時、近隣で出火があり、道具類を蔵の中へしまおうとしていたところ、人手が足りずに困っていると、蔵の中から髪を振り乱した女の妖怪が現れ、積まれた品々を蔵の中へと運び入れた。この時も、数原家は類焼を免れた。
12.「しょうけら」 鳥山石燕『図画百鬼夜行』に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、ショウケラは庚申(こうしん)信仰に関係したものといわれる。庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわれ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策として、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我や土へねぬぞねたかぞねたかじねぬば」との呪文もつたわっている。石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。(『衛鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
13.かいなで 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなけれ��何事も無いが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談という物だが、類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校で便所を使うことは無いだろうから、節分のよるという条件が焼失してしまったのだろう。しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび)(何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、本妻がそれを妬み、旧暦正月15日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は、日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響をうけていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。新潟県柏崎市では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山野理夫の『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「紙くれ紙くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月まではまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えている。便所神の祭りで、紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろうか、白い紙よろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語��れる便所の怪異では、変化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というよになり、より妖怪化がすすんでいったようである。 島根県出雲市の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデというが、氏子がこの日夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるかもしれない。(『総合日本民族語彙』民俗学研究所編、『日本民族辞典』大塚民族学会編、『現代民話考七 学校』松谷みよ子、『民間伝承』通巻173号「厠神とタカガミと」川端豊彦)
14.家鳴(やなり) 家鳴は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれたものだが、(石燕は鳴家と表記)、特に解説はつけられていない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の『画図百鬼夜行』では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。昔はなんでも無いのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのしわざだと考えたようである。 小泉八雲は「化け物の歌」の中で、[ヤナリといふ語の…それは地震中、家屋の震動する音を意味するとだけ我々に語って…その薄気味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居たもので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また)ヤナリと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像していたものである]と述べ、『狂歌百物語』に記載された[床の間に活けし立ち木も倒れけり やなりに山の動く掛け軸]という歌を紹介している。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編、『小泉八雲全集』第7巻)
15,木枕(きまくら) 昔三十三間堂近くに、住むと病気になる空き家があった。その家の持仏堂にあった木枕が妖をなすとわかり、荼毘にふしたら屍を焼いたのと同じ臭気がし、完全に焼けるまでの時間は人一人を焼き尽くす時間と同じくらいかかったという。
16.狂骨(きょうこつ) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に井戸から立ち上がる骸骨姿で描かれているもので、【狂骨は井戸の中の骨なり。世の諺(ことわざ)に甚だし事をきやうこつといふも、このうらみのはなはだしきよりいふならん】と解説されている。肉の落ち尽くした白骨をきょう骨といい、神奈川県津久井郡では、すっとんきょうなけたたましいことをキョーコツナイと言う。狂骨という妖怪の伝承は無い事から、石燕が言葉遊びから創作したものと思われる。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
17.管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる。個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地で言われることで、これは管狐をつかって他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は大食漢で、しかも75匹に増えるので、やがては食いつぶされるといわれている。同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐がかってに行動して金品を集めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山(きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏はそれを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていること悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、一旦竹筒から抜け出た狐を再び元に戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令するものがいないので、人に憑くことはないという。(『日本の憑き物』石塚尊俊、『民間信仰辞典』桜井徳太郎編、『日本狐付き資料集成��金子準二編著)
館内配置図はこちら。
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