#お体のケア
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過度な運動は酸化を進め 体温 心拍 血圧 が激変して自律神経には悪いです。 辛い運動程終了後の達成感と爽快感が強く 自覚できない自律神経の疲れが溜まる危ない 疲労感なき疲労 を招く。 とは言っても 運動しないと体力は衰える一方。 運動で汗をかくと汗腺が活性化して 体温調節力が高まり 筋肉が増えて 血流が良くなると 自律神経も助かる。 必要なのは自分のキャパシティ(許容範囲) と ステート(状況) に応じた運動の負荷と時間の調整。 キャパシティは自律神経のトータルパワーで決まる。 加齢でパワーが落ちるので 30歳を超えたら 有酸素運動なら 軽いジョギング 筋トレなら自体重トレーニング程度に留めるほうがいいです。 汗がダラダラ流れ続けたり 息が切れたりするのは キャパシティー(許容範囲)を超えた証拠。 また 60分×週2回のように 長時間×低頻度で行うよりも 30分×週4回のように 短時間×高頻度の方が 自律神経に優しい。 ステート(状況)は 活動や睡眠の内容で日々変わります。 それを無視して毎度同じノルマをこなそうとするのは まさに無謀。 心拍数の上がり具合や発汗量などで ステート(状況)を見極め 普段よりも心拍が上がって発汗も多めなら 即切り上げて 休息に力を注いでいきましょう。 #ボディメイク #自律神経を整える #自律神経調整 #運動指導 #自律神経ケア #自律神経改善 #三島市整体 #Crea 整体#三島ボディメイク #Crea ボディメイク#三島駅近くのお店 #三島駅近く整体院 (三島駅近く) https://www.instagram.com/p/CoRuoB8uINc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「標準治療」ができなくなった患者さんに忍び寄るのが、保険診療外の自由診療を行なっているクリニックです。医師には特権が与えられています。保険診療外であれば、医師が「治療」と言い張ることで、なんでも自由にお金を請求できてしまうのです。それこそ、がんに効く水を飲ませると言って数百万円で買わされた・・・みたいな話もありました。 自由診療で行われているものには、免疫療法、ビタミン剤、標準治療以外の抗がん剤、温熱療法など、さまざまな種類があるようです。ただ、いずれにも共通しているのは「標準治療」と違って効果が実証されておらず、保険診療にはなれなかった(研究で標準治療に負けた)治療たちであり、治療に高額の費用がかかるというものです。 しかもこういった自由診療のクリニックの医師たちは、基本的に優しいのです。「標準治療」ができなくなって、ある意味病院から見放された患者さんたちに「よく来てくれました。ここでは治療できますからね」と励ますのです。治療効果についても、たとえ病気が大きくなって、身体が痩せていったとしても、検査結果でよく見えるところだけ強調して「このままできるだけ続けましょう」と自由診療を続けさせます。そして、いよいよ悪化して、自由診療のクリニックに通院できなくなったとき、最期に見放すのです。なぜならそういうクリニックは入院できる環境がないので、「救急車を呼んでどこかへ連れて行ってもらいなさい」というのです。そういう患者さん、いったいどれだけ私は診療してきたか・・・。
Xユーザーの廣橋猛@二刀流の緩和ケア医さん
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ネタは毎回俺が手配
曰く金欠で常に現金が無く
翌月頭に再度会っての後払い
会うのは3ヶ月に一度
久々に顔合わせても毎回笑顔一つない
駅から徒歩20分の自宅以外でのセックスは頑なに拒否
部屋にある繊維類は全て生乾き臭
差し出されたタオルで身体をふくのは躊躇われる
口臭ケアにとにかく無関心
チンコはシャワー後でもちょっと臭う
ノートレーニングの体型
ノーケアの肌
味があるっちゃー…まあそんな感じかもしれないけど
一言で言うとやっぱりドブス
机に散らばる大量の精神安定剤
睡眠剤
ごめん・ありがとう
が言えない
そんな奴と
なぜ会ってるかって言われたら
返答に困るんだなあ
強いて言えば
辛い気持ちになった時に
誰よりも細やかに
対応してくれたことがあったから
かも
嬉しくて
それがお守りみたいになってたな
根底いい奴だって
なんだかんだ言って気が合うんだと
思ってたな
おい
生乾き口臭ドブス野郎!
今日はお前と決裂したな
スッキリしたぜ!
でも
…風通しが良すぎて
少し寒いな
やっぱりちょっと
穴あいたのかもしれんな
神様…
早く
生乾き口臭精神安定剤野郎を
俺の心から追っ払ってください。
アーメン!
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A self-insertion fantasy about the sons of Nurgle from Warhammer, Putrid Blightkings, Tamurkhan, and Kayzk the Befouled. What if they liked you?
Machine translation and Japanese (native language) are included.
Putrid Blightkings are monsters who are completely corrupted in both body and mind, living to receive and spread the love of Nurgle. However, when they see you, they remember the simple desires they had when they had a decent body. It was to get a stable job, have a partner they love, and spend modest but happy days. For them, who have lost their way, lost hope, and given up and let everything go, you are their first love who will never age in nostalgia. They have no knowledge or skills like demons or doctors, so the only way they can give you the blessings of God is through simple and primitive exchange of bodily fluids and mucous membrane contact. They are happy to do this to make you more attractive.
Tamurkhan is a king who is loved by Nurgle, and his authority will hinder your free actions. When he is not on the battlefield, he always makes sure you are within his sight. While he growls that others should take care of the dogs, the Toad Dragon is breaking the fence in the barn out of loneliness. Tamurkhan does not apologize for what is right. He will treat you as a lady worthy of being next to the champion, and educate you. In return, as a brave warrior endowed with the power of Nurgle, he will not let you disappoint him. But for a moment, he will reveal his soft and delicate nature to you... It is the body of a huge, white, fat, hideous insect, just like the title of the Maggot King. When Tamurkhan warms it against his bare skin and asks it to sleep, he looks shy and pitiful, which is hard to imagine from his behavior towards his subordinates.
Kayzk the Befouled is a proud knight who is a poster boy for the cover of the Nurgle world's charity calendar. He gave up his body and offered his soul to Nurgle, showing the noble path to the lesser souls who found themselves in his father's arms on the way to hell. Kayzk is not arrogant, but he is always fighting on the front lines and has an overzealous side that argues with the unworthy. He finds comfort in watching you tend to the rot beasts in your tent. If he had no soul and could not feel, he could watch for hours. If he had vocal cords left, he would have said, "You too can offer your soul to the god as an ornament. I am already there. I want to be with you under my father! Shine by my side!" However, pus bubbles in Kayzk's throat, and all you can do is watch with a smile.
ブライトキング達は、ナーグル神の愛を受け、それを広める為に生きる心身共に腐敗し切ったモンスターです。しかし、あなたを視界に入れる時、彼らはまともな肉体を持っていた頃の素朴な願望を思い出します。それは安定した職に就き、想い合う伴侶を持ち、ささやかだけど幸せな日々を過ごす事です。道を踏み外し、絶望して、全てを諦め手放した彼らにとって、あなたは郷愁の中で永遠に歳を取らない初恋の人です。悪魔や医者のような知識や技術を持たない彼らが、あなたに神の恵みを与える手段は、単純で原始的な体液交換と粘膜接触しかありません。彼らはあなたをより魅力的にする為に、喜んでそれに励みます。
タムルカンはナーグル神の愛を受ける王で、その威光であなたの自由な行動を阻害します。彼が戦場にいない時は、いつでも視界にあなたがいるように仕向けます。犬の世話など他の者にやらせておけと唸る一方で、納屋では腐敗獣が寂しさで柵を壊しています。タムルカンは当然の事について謝罪しません。あなたを覇者の隣にいるに相応しい淑女として扱い、または教育します。その代わり彼自身もナーグル神の力を賜った勇士として、あなたに失望される事だけはするまいと思っています。そんな彼も本当に一時、少しだけ、あなたにだけは柔らかく繊細な本性を顕にします…。それは蛆虫王の称号そのままの、巨大で白く肥えた悍ましい虫の本体です。それを素肌で温めて眠るよう頼む時のタムルカンは、部下達への振る舞いからは考えられない程内気でいじらしく見えます。
汚れたケイズクは、ナーグル界のチャリティカレンダーの表紙を飾る広告塔で、誇り高い��士です。肉体を捨てナーグル神に魂を捧げた彼は、地獄へ堕ちる最中に尊父の腕の中に収まっただけの下等な魂に崇高な道を示します。ケイズクは驕らない代わりに常に前線で戦い、不心得者と言い争う熱心すぎる面も持っています。彼が安らぐのは、幕舎で腐敗獣のケアをするあなたを眺めている時です。魂が無くて感じないのなら、何時間でも見ていられます。彼に声帯が残されていたら、「あなたもその魂を神に装身具として捧げましょう。私は既にそこにいます。尊父の元であなたと共にありたい!私の側で輝いて下さい!」と口説いたでしょう。しかし、ケイズクの喉では膿が泡立つだけで、あなたは笑顔のまま見守るしかできません。
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Asami
麻美さんにお会いできました🩷
某企業の執行役員を務められてる聡明で知的な麻美さん😍
身体のケアもしっかりで流石な常連さまです
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(「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは? | THE RIVERから)
「SHOGUN 将軍」女性の座り方をめぐる製作陣の葛藤、「立て膝」ではなく「正座」になった経緯とは?
マークスは「座り方についてはたくさん議論しました」と米The Hollyood Reporterのインタビューで語っている。マークスら製作陣は、京都大学の教授を歴史の専門家として招き、同氏が持参した実際の資料をもとに、戦国期の女性には「立て膝」という片膝を立てた座り方が一般的だったことを学んだという。ドラマでも立て膝を再現するものかと思った矢先、プロデューサーの真田広之と宮川絵里子からある提案があった。 「(戦国期から)少し後の江戸時代で正座が一般的になったようですが、そしたら日本人のプロデューサーである広之と絵里子が、日本の視聴者にとっては正座が普通だと伝えてくださったんです。それが、侍映画や時代劇の風習なのだと。現代の人たちには、女性が立て膝で座るのはおかしく見えるようなんです。」 この提案により、「歴史的な正確さとジャンルの風習に対する視聴者の期待が衝突してしまった」とマークスは振り返る。葛藤の末、「文化的権限の限界」を超えていると感じたマークスは、判断を真田と宮川に委ねたのだとか。「日本のプロデューサーにお任せして、正座でいくことになりました」。 ちなみに真田はプロデューサーとして、視聴者の世代ごとの嗜好を意識した作品作りに努めたことを明かしていた。「昔ながらの作りだと若者が見ない。若者向けに現代ナイズしていくと今度は本格派の時代劇ファンが見なくなる悪循環が起こります」。座り方をめぐっても、全体のバランスを考慮した上での究極の決断だったのだろう。
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エポックメーキングな時代劇として「立て膝」も見てみたかったかも。 今までの映画でそういう描写あったのかな。 と思ったらドラマでは既にそうだった。
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント - オフィシャル | 京都橘大学
戦国時代の武家の女性の座り方について田端泰子本学名誉教授がコメント 2020年6月13日 大河ドラマなどで見る武家の女性が座るシーンが、正座ではなく立て膝で座ることがSNSなどで話題になっている。日本中世史・女性史を研究している田端泰子本学名誉教授の共著『身体はだれのものか 比較史でみる装いとケア』(昭和堂、2018年)で、戦国から江戸時代の肖像画をたどり、立て膝が不作法でなかったことを裏付けている。室町時代や豊臣秀吉の時代は、床は板敷き。当時の身分の高い女性の肖像を見ると立て膝やあぐらで座っている。肖像画を描かせる時には畳が敷かれていたが、立て膝のままポーズを取っていることから、正式な座り方だったと推測される。女性の衣服も、小袖は丈が短くゆったりした作りで足が自由に動かせたことからも、時代考証的に正しいと田端教授は話した。 【2020年6月13日 読売新聞・夕刊に掲載】
身体はだれのものか - 株式会社昭和堂
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の��女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(に��かには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキ���ンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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「なんとなく社会福祉だけはあってほしいアナーキスト」とは草も生えないほど辛辣な評だけど、真の問題はそれが本来刺さるべき方面にはあんまり刺さらないという現状じゃないかと。 「強力な福祉国家を実装運用するには効率的かつ機能的な統治機構と割と強烈なナショナリズムとが標準スペックとして必要になりますがいかがしましょうか」というのは本邦左派がなんとなく回避してきたテーマで、むしろそれらが供給されるのは前提でその行き過ぎを撃つみたいな構えだったわけです。 日本型福祉国家における家族主義批判でも、家族を超えた「ユニバーサルな福祉」という時、その「ユニバーサル」が具体的にはナショナリズムによって担保されることに本当に気づかない人と、気づかないふりをしてた人とがいたわけですね。 家族という中間団体がケアを担うことを批判するなら、それは結局、「配慮の単位」としての国家にコミットすることになるのかどうかというあたりを突き詰めて検討していた人は、管見の限り、本当に少なかった。
河野有理
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仕事に疲れきって、短い休みをとり、4回目の屋久島に行くことを決めた。
旅をするのがすきなわたしは、九州1周したり、四国一周したり、10年ほど通っていた伊豆七島の島があったり、日本の島は沖縄の離島から瀬戸内海とよく行ってきた。海外も10カ国は行き、好きな国は複数回行っている。それでも、回復や癒されることを考えた時に真っ先に浮かんだのが屋久島だった。屋久島だけだった。
今回の屋久島は、癒されることが必要な者同士、友人2人で過ごした回復やケアのための時間だった。私たちは本がとてもすきで、この時間のために厳選に厳選した2冊ずつの文庫を抱え、屋久島に行った。
私たちは年齢も違えば、生まれも育ちも違うのに、なんだか変に境遇が似ていて、今の政治の違和感について、家族について、ジェンダーについて、セクシュアリティについて、結婚について、なんだって話していた。屋久猿や屋久鹿を眺め「動物を可愛いっていうのは、無責任なのではないか。」という会話もして、考えることを楽しんでいた。私より6つ年下の彼女はいろんなことを教えてくれるし、感じてきた時代の雰囲気も違う中で、希望のようなものを一緒に持って来てくれた。下の世代への希望のようにも感じるし、わたしが個人的に彼女に感じている希望のようなものが、いつも会話の中にあった。
私たちは、行きたいところにはどこまでも車を飛ばして行き、道中は話が止まらないのに、カフェに入ると2人で黙って海風を浴びながら本を読み耽た。道中の話が止まらないせいで、夜中にとんでもない山奥に迷い込んだりもしながら、日中は地元の人と一緒に熱い熱い温泉に入って、温泉にいた地元の赤子をみんなで愛で、最後は夕焼けを見に海中温泉まで走った。お金がない!と嘆いて入った郵便局のおばちゃまがとってもキュートで、ここ屋久島の素敵なところだからこの3つは行って来てねと教えてくれたりもした。お金なんて久しく窓口で下ろしていなくて、こんな時間すらもご褒美みたいな時間になるんだと思った。夜はスナックで地元のおじいちゃんたちと古い曲を歌っては喜んでもらって、帰ろうとしたら10分くらい若いお兄さんに引き止められた。
何度か屋久島に来ている私は、会いたいけれどちょっと気負いするような関係性の人たちもいて、会いたいような会えないような感情を行き来しながらも、友人とちょっとだけ会いに行けた。久しぶりに会えた彼らは元気そうで、私がお世話になっていた時と同じだけの誠実さを持っていて、安心した。友人を変なことに巻き込んでしまった申し訳なさを持ちつつも、友人が微笑みながら、ずっとそばにいてくれたことにすごく感謝していた。私にとってやっぱり大切な人たちで、だからこそ友人と会いに来れて本当に良かったよってずっと思っていた。
回復の旅としながらも、書ききれないほどいろんな人に会い、いろんなところに行き、隅々まで楽しんだ。このペースは、2人にとって自然で必然で、必要な過ごし方だった。私たちにとって回復することが、興味関心に沿って制限なく動き続けることだった。
この文章で、私は、私と友人の2人を、私たちと括りすぎてしまった気がする。でも、そのくらい一体感があって、共鳴していた。こういうことってよくあることではないし、きっとずっと続くものでもない。だからこそ、すごく特別だった。
今後、彼女は私が思いもよらないくらい飛躍していくだろうし、私たちのステージが全く変わっていけば、きっと感じていることも、自然と変わっていくだろう。寂しいことではなくて、だからこそ、今回のこの時間があってよかったなって思う。そして、互いの変わった価値観をぶつかり合う時間も屋久島であったらいいなとも思う。
今回はとにかく、ずっと忙しくて、ずっと癒されていた。"癒し"ってすごくカジュアルに使われるようになっているけれど、もっとフォーマルな治療という意味でずっと癒されていた。癒されるっていろんな形があるんだなって思った。
私たちはきっとこれからも傷つく。傷つく場所に躊躇なくでていく人たちだから。でもそういう時はまた何度でも、癒されにきたらいい。そして回復した自分を連れて、また社会の中で傷ついている人たちのところに行こう。やっぱり、見なかったことにはできないから。
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市議によるパワーハラスメントについて、兵庫県三田市が管理職の職員にアンケートを実施したところ、約4割が「受けた経験がある」と答えていたことがわかった。支援者への利益誘導とも受け取れる要求をされたとの回答もあり、市は11日、再発防止を求めて調査結果を議会側に提出した。 三田市職員4割が市議からパワハラ経験、現職5人などの実名挙がる…温床は「上下関係にあるとの誤った認識」 市は、3月にあった一部市議によるパワハラを訴える公益目的通報を機に、実態把握が必要と判断。昨年11月にも議会側に申し入れたにもかかわらず、改善されていないとして、市議に対応する機会が多い副課長級以上の177人を対象に、6月に匿名のオンライン方式でアンケートを行い、171人の回答があった。 調査結果によると、市議からパワハラを受けた経験が「ある」と回答したのは65人(38%)で、見聞きしたと答えたのは91人(53%)。内容は「威圧的、高圧的な言動や���度」が最も多く、「対応や回答(答弁)について��倒」「大声で 叱責しっせき 」などと続いた。 具体的な事例としては、「机を何度もたたき、罵倒された」「気に入らない回答に『徹底的にやってやる』と脅迫に近い発言」のほか、「支援者の活動に、補助金制度を創設するよう要求された」もあった。 行為者として現職5人と元議員3人の実名が挙がり、職員68人から名指しされた現職もいた。 また、「市議と職員が上下関係にあるとの誤った認識」がパワハラの温床になっているとし、「管理職の多くが 萎縮いしゅく している」と訴える声もあった。「一般質問の内容を職員に書かせている」などと議員としての姿勢への疑問も寄せられた。 パワハラを受けたと回答した65人のうち、約半数が周囲に相談しておらず、「何をしても解決しないと思った」との理由が多かった。市側の責任を問う内容もあり、第三者委員会の調査や、職員への心理面のケアを求める声もあった。 市は現段階で、個別事案の事実確認は行わないとしているが、調査結果はホームページで公表する。 この日、記者会見した田村克也市長は「強い憤りを感じる。事態の改善に向けた職員の期待感に応え、ハラスメントを根絶できる態勢をつくる」と強調。実名の挙がった市議を匿名にしたうえで、森本政直議長に調査結果を手渡した。
三田市職員4割が市議からパワハラ経験、現職5人などの実名挙がる…温床は「上下関係にあるとの誤った認識」 | ヨミドクター(読売新聞)
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20240623 もやもやの雨降り、今朝は空だけじゃなく世界が白い
おはようございます。コーヒーを買うために仕事前に立ち寄るコンビニ。出入り口で怖がることも無く人間を見ているツバメのヒナ達。随分と大きくなってもう巣はみちみちな感じ。口元がなんとも可愛いらしい。
雨がポツポツと降っているのに親ツバメ達は忙しそうに飛び回る。羽が濡れるだろうにね。子育てのために厭わずエサを採りに飛び回る。頭が下がる。そのうちみんな元気に飛び回れるようになるといい。これからまだ何千キロって海を越えていかなければならない。こんなに小さな体なのにね。強いな。
本格的な梅雨みたいな天気。目の奥から脳をゆっくりと掴むようなぼんやりとした鈍い痛みが続く。季節って遅れてもちゃんと来るんだね。今年はやめとこうか、とかなんとなく曖昧に済ませようとか、そういうんじゃ無い。
日曜日ってだいたいケア担当だからなー。つまりは体力勝負!
行ってきます。
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2024/10/03 ケアの倫理と魔法少女まどか☆マギカ
「ケアの倫理 the cthics of care 」はアメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンが1982年に公刊した『もうひとつの声』で提唱して以来、哲学、政治学、社会学といったさまざまな学問領域に影響を及ぼした考え方である。ギリガンは1960年代後半、道徳性発達理論の権威である心理学者ローレンス・コールバーグの助手としてハーバード大学において女性と道徳に関する調査研究を進めるなかで、当時の女性たちが社会が期待する女性像を内面化した結果、既存の心理学においてはその道徳能力が未発達であると判定されるディレンマに陥っていることに気づき、多くの女性にインタヴューを重ねるなかで、これまでコールバーグの発達理論をはじめとする既存の心理学が捉え損なっていた「声」を発見する。こうした「声」を彼女は『もうひとつの声』において「正義の倫理」ではなく「ケアの倫理」から再評価する。
ここでいう「正義の倫理」とは自由意志をもった自律的な主体を前提として、諸権利の競合から生じる道徳的問題を客観的で公正な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決しようとする思考様式である。これに対して「ケアの倫理」とは関係性の網の目のなかで個々人は決して完全に自律的ではなく常に相互依存の関係を結んでいることを前提に、個々人の責任の衝突から生じる道徳問題をその人その人が置かれた具体的・個別的な語りのなかに文脈づけることで解決しようとする思考様式である。
そのため「ケアの倫理」は近代社会で必ずしも自律的な主体ではないケアされるものと見做されてきた子ども、高齢者、障害者、病人などの存在や、彼らのケアを負担する存在のニーズにどう答えていくかといった「正義の理念」からは導かれない問いを積極的に引き受けることになった。換言すれば「ケアの倫理」とは互いにケアし合い依存し合う関係性を中心化することによって、いかなる者であろうとも取り残すことはない非抑圧的・非暴力的な平等社会を構想する思考であり、この理念のもとで個々人は「具体的他者のニーズへの応答」を引き受けることになる。かかる視座から同書は「正義の倫理」と「ケアの倫理」を対比的に考察し、これまで男性に比べて「劣っている」とされてきた女性たちが異なる発達の過程を経て成熟に至ることを論証する。
確かに「ケアの倫理」は「正義の倫理」のようにディレンマを一刀両断に解決できるような明瞭さはない。しかしそのディレンマが現れてくるその文脈においてあらゆる重要なことに目を凝らし、しっかりと対応するという道、決断というより熟考することにむしろギリガンは道徳的な価値を見出している。そして、ギリガンはこのような新たに獲得した視座から既存の視座を補い、拡張し融合することで人間の発達に対する理解に変化をもたらし、人間の生に対する見方をより実り豊かなものとなる将来を思い描けるようになると述べて同書を締め括るのであった。
そして思えば���ロ年代的な想像力の総決算とも評され、現代表象文化に多大なインパクトをもたらした『魔法少女まどか☆マギカ』という作品をこのような「正義の倫理」と「ケアの倫理」のせめぎ合いを鋭く描き出した作品でもあったといえる。同作が斬新だったのは、従来の魔法少女観を根本的に転倒させた点にあった。そこで描き出されるのは「夢や正義の象徴としての魔法少女」ではなく、いわば「システムとしての魔法少女」である。物語が進行するにつれて徐々に以下のような「魔法少女の真実」が明るみに出されていく。
地球外生命体、インキュベーターはこの宇宙の寿命を伸ばす為、エントロピーに逆立するエネルギー源として人類の、それも二次性徴期における少女の「希望と絶望の相転移」による感情エネルギーに着目する。そして、そのエネルギー源を効率的に採掘する為「魔法少女」というシステムが開発された。このシステムにおいて少女達は「ひとつの願い」と引き換えに、その魂は身体から引き剥がされ「ソウルジェム」に具象化されて「魔法少女」を構成する。このソウルジェムは何もしなくても徐々に穢れを溜め込み濁っていく。やがて極限まで濁ったソウルジェムは魔女の卵である「グリーフシード」へと相転移し、かくて魔法少女は「魔女」となる。インキュベーターの狙いはまさにその際に生まれる莫大なエネルギーの回収にあった。
そして、本作における「正義の倫理」と「ケアの倫理」の対立は第9話におけるまどかとキュゥべえの対話に象徴されている。ここでキュゥべえは上記のような「魔法少女の真実」を理路整然と説明した上で「長い目で見れば、これは君たちにとっても、得になる取引のはずだよ?」と述べる。そして、まどかの「バカ言わないで。そんなわけのわからない理由で、マミさんが死んで、さやかちゃんがあんな目に遭って。あんまりだよ…ひど過ぎるよ」という言葉に対して彼は「僕たちはあくまで君たちの合意を前提に契約しているんだよ?」「認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、何故か人間は、他者を憎悪するんだよね」と答え、さらに「今現在で69億人、しかも、4秒に10人づつ増え続けている君たちが、どうして単一個体の生き死ににそこまで大騒ぎするんだい?」と冷然と言い放つのである。
キュゥべえの論理は極めて明快である。彼の主張は徹頭徹尾「宇宙の寿命」と「少女の生命」という諸権利の競合から生じる問題を客観的で公���な原理に基づき形式的に優先順位をつけて解決する「正義の倫理」に依拠している。これに対して、まどかの語りは終始、歯切れが悪く、どこまでも感傷的なようにも見える。けれども、それは裏返せば彼女がどこまでも「ケアの倫理」に誠実であろうとする態度からくる証左であるともいえるだろう。そして、このようなまどかの「ケアの倫理」は土壇場において、キュゥべえの「正義の倫理」を見事に出し抜くことに成功し、すべての魔法少女に向けたケアともいえるあの願いに至るのであった。
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20代後半に転職することになった時、有給休暇消化で1か月ほど時間ができた。
だけど、それがいけなかった笑
ポン中手前まで荒れた生活になってしまったのだ。
退職金もらえたことが「買い物」に走らせ、時間ができたことで毎日のようにシューティングで寝る時間がどこかにいってしまった笑
異変に気づいたのは相手から手の震えを指摘された時。ドラマや映画で見るあの震えの描写、それがついに自分にもやってきたとやりすぎを自覚した。今になってわかることだけど明らかに睡眠不足だ。
それと汗から排出されるアレや皮脂が毛穴などに詰まって、特に顔に酷いニキビができたり、瞼の脂が詰まってモノモライのようなものができたりして、顔のニキビの一部は跡になってしまった汗 あの頃はデトックスなるものを理解していないまま粗雑な健康管理をしていたことは事実だ。
当時百戦錬磨の相手に、この遊びは自然界にない化学物質を体に取り入れている時点でインパクト強いのだから、「百害あって一利なし」を念頭に体のケアと遊びへの距離を保たないと頭も体もみんながやられちゃうぞと笑われた。
事実この頃の自分は体から完全に抜けきれないままに追加するような荒れた生活だっただけに、ちょっとした言動でも感情がグアーっと上がり攻撃的になったり、泣けるような感動の話では嗚咽するぐらい泣いたりして感情の起伏が激しかった。勘繰りにハマった経験したのもその時だったので、他人がいたら相当オカシイように見えていたかも汗
そういえばアレはカルシウム欠乏を促すから気をつけろと言ったのはどの先輩だろうか?歯がガタガタになるのは水分失って口内菌が増殖して歯茎がダメージ受けるからという人もいて、カルシウム欠乏なら実際に骨粗鬆症になった奴がいるのか知りたいところだ。
さて、その後自分はほどなくして転職先の仕事が始まってからは普通の生活にランディングした。それと同時に気づいた。
お金と時間があった時に「暇」であるのが一番危険だと笑
そういえば自分には音楽や映画、トレーニングの趣味があったよなと思い、とりあえず不摂生した体を立て直すためにジムを再開した。そして好きな音楽を聴きにライブハウスやクラブに行ったり、たまには二丁目に寄って仲間と酒を飲む。そうした「暇」を補う自分なりの楽しめる時間とモチベーションでバランスを取れるようになった。
こうした発想の転換は「百害あって一利なし」から少しは回避できてる感じがしている今日この頃。これからどうなるか知らんけど笑
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2024年8月31日(土) 『月』
元気ですか?
僕は元気です。
こちらでの生活にも慣れて、自分がやるべきことにもフォーカスしていけるようになってきた。
心も身体も合致していて、今を生きることができている。
特にこっちにきてから気づいたのは自分の心の向き合い方、即ち『生き方』自体が明確になって、それと同時に「あ、今まで自分の方法を知らなかったのか」ということにも気づかされた。
分かっているようで分かっていない。
分かったと感じた今でさえ、まだ分かっていないのかもだけれど、それでも前に進んでいるということは確かである。
『周りの人を幸せに』
これって究極だと思う。
日常生活、仕事、自然界。全てにおいての究極。
結局、周りを幸せに���きる人っていうのは自分が幸せで。自分が幸せじゃないと周りを幸せになんかできない。
周りを幸せにすれば、いつか自分に返ってくるというのは結果で、最初から願うことではない。
また、ジェントルマンというのは結果で、自分から名乗るものではないということにも最近気づいた。
でもそれができている人はほんの僅かで。
「誰かのために」というのが言い訳になって、それに見返りを求めてしまっていたり、自分が歯を食いしばって言うほど寒いことはない。
「他人に向き合う前に自分に向き合ってあげないと他人のために生きられない」
当たり前のことだが、身体のケアはするのに、心のケアしないの?と質問するとドキッとする人もいるんじゃないか。
僕は1日の始まりに、1日の終わりに。自分と向き合う時間を作っている。
1日の始まりは、まず自分自身と向き合う。この世の何よりも強く、思い切り自分のために生きる。
そして、その時間が終わると、その瞬間からは思い切り他人のために生きることにしている。
1日の終わりは、森の中を駆け抜ける様に。
今日これ良かったな、これダメだったなって言うのを振り分けていく。
いずれも、意識を自分の中に向けることを練習し続けている。筋トレをする人は多くいるけど、心の筋トレもきちんとしている人は少ない。
Dなら必須だよね。
皆、太陽ばかり大事だと思っているかもしれないが、月も大事で。
月がなくなったら潮の満ち引きが少なくなり、1日が長くなり、季節は無くなる。
そして、地球の生活は一変する。
世の中にもそれと同じものがある。
『目に見えるものは見るな。』
『耳から入ってくるものは聞くな。』
自由なのに自由になるための制約が多い世界で、努力を怠らなければ何とかしていける。
単純なことだけど、忘れてしまっていないかい。
一生懸命やること。
初めから正解ばかり見極めるのに時間を使いすぎてはいけない。
何でも調べればいかにも答えのようなものが沢山あるから難しいけれど。
努力。をする。
という単純なことは忘れずにいこう。
そして、自分が責任を取れることにも感謝していこう。
世界を変えるクラブがそんな小さい努力惜しんでたらダメだよ。光の速さで挑戦して、失敗していかないと。
長くなったが、結局伝説を作る人は自分軸に生きている。
志がそうさせる。
競争している人たちはそれなりになる。
きちんとした心理学を学ぶといい人と悪い人は逆になる。
『人生が私にレモンをくれるなら、レモネードを作れ。』
인생이 나에게 레몬을 주면 그것으로 레몬에이드를 만들어라.
今僕は僕自身に熱狂している。
No excuses, 以上。
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今日は晩酌なし。晩飯は牛丼。
先ほど訃報が入りました。千葉にいる叔父が亡くなったとのこと。3月末に体調を崩して救急車で運ばれ、検査の結果、癌であることがわかりました。そして、治療はお勧めできない、緩和ケアをお勧めするとされたのが今月上旬。この時、早ければ2ヶ月、長くても半年もつかどうか、とされました。
しかし、今日、突然の訃報。2ヶ月どころか1ヶ月ももたなかった…
子どもの頃からお世話になった、大好きな叔父さんでした。
#牛丼
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