#うえろくカメラ
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お久しぶりです。最近は音楽の方に熱が入っているのと、関東によく行ってるのもあって、写真を撮る時間をなかなか取れませんでした。
けれども、梅雨になると雨の風景に心動かされるのか、気がつくとスマホで何枚か撮影してました。
まずはこの写真。犬と紫陽花。
雨の日でしたね。
そして、最寄りの駅から帰る途中、白いアナベル(アメリカ紫陽花)が咲いてたけど、今年はお疲れの様子で、ポストにもたれかかっておられました。
京都府向日市で、帰り道に見かけるこのお家には、バラもたくさん咲いてます。
雨の日のバラも綺麗。
インスタグラムには、加工した写真を投稿しましたが、加工なしの方がよかったかもなぁとも思えてきました笑。
横浜の山手のフェリス女学院の横にも、紫陽花が咲いてました。
公式ブログには、Instagramに投稿したそのほかの写真も載せました。
もうすぐ梅雨が終わりますね☔️▶︎☀️▶︎🏖
#日記#ひとりごと#景色#風景#japan 2024#japan photos#横浜元町#横浜西洋館#yokohamacity#紫陽花#あじさい#アジサイ#花が好きな人と繋がりたい#梅雨#雨降り#雨の日#日本語のブログ#日本人#京都府向日市
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8月26日(土)・27日(日)『Gメン』公開記念舞台挨拶開催!26日(土)は全国同時生中継も実施決定!
8月26日(土)・27日(日)『Gメン』公開記念舞台挨拶の実施が決定いたしました! さらに、8月26日(土)丸の内TOEIで行われる舞台挨拶の模様を全国の劇場(一部劇場を除く)で生中継いたします!!
■開催日時 8月26日(土) 【会場】丸の内TOEI https://toeitheaters.com/theaters/marunouchi/ 1回目 9:00の回 上映終了後・舞台挨拶 2回目 12:50の回 上映開始前・舞台挨拶
【舞台挨拶登壇者(8月26日(土))】 岸優太、竜星涼(1回目のみ)、恒松祐里、矢本悠馬、森本慎太郎、りんたろー。、瑠東東一郎監督 ※登壇者は予告なく変更する場合がございますこと、予めご了承ください。
■開催日時 8月27日(日) 【会場】T・ジョイ梅田 https://tjoy.jp/t-joy_umeda 1回目 8:50の回 上映終了後 舞台挨拶 2回目 12:00の回 上映開始前 舞台挨拶
【会場】大阪ステーションシティシネマ https://www.osakastationcitycinema.com/site/oscc/ 1回目 11:50の回 上映終了後 舞台挨拶 2回目 14:45の回 上映開始前 舞台挨拶
【会場】T・ジョイ京都 https://tjoy.jp/t-joy_kyoto 1回目 14:40の回 上映終了後 舞台挨拶 2回目 17:45の回 上映開始前 舞台挨拶
【舞台挨拶登壇者(8月27日(日))】 岸優太 瑠東東一郎監督 ※登壇者は予告なく変更する場合がございますこと、予めご了承ください。
【舞台挨拶について】 ■チケット料金(1枚につき) 本会場:全席指定 2,200円(税込)
≪チケットの購入方法について≫ こちらの座席指定券は「チケットぴあ」のみでの販売となります。チケットぴあにて残席があった場合のみ劇場販売を行う予定です。
【先行抽選販売 「プレリザーブ」 】 ■ 申込受付期間: 8月11日(金)11:00AM - 8月18日(金)11:00AM ■ 抽選結果発表:8月18日(金)18:00PM ●プレリザーブとは? http://t.pia.jp/guide/prereserve.html ◆お申込み https://w.pia.jp/t/g-men-movie/
≪先行抽選販売に関する注意事項≫ ※ チケットのお申込は、��一人様2枚までとさせていただきます。 ※ 前売券からのお引換は出来ません。ご注意ください。 ※ チケット当選後の変更・払戻は出来ません。予めご了承ください。 ※ プレリザーブとは、事前のお申し込みの後、チケットを購入できるサービスです。 ※ 必ずしも優先的に良いお席をご用意するものではありません。 ※ お申込多数の場合は抽選にて当選者を決定します。(先着順ではありません) ※ 受付期間中ならいつでもお申込み可能です。(メンテナンス時間をのぞく)
【一般発売】 ■8月19日(土)10:00AM 発売開始
(購入方法) ・下記インターネットでお求めいただけます。 ・チケットの販売は、お一人様2枚までとさせていただきます。 ・前売券からのお引換はいたしかねますのでご注意下さい。 ・お席はお選びいただけません。
◆インターネット購入 https://w.pia.jp/t/g-men-movie/
●チケットのお問合わせは、 チケットぴあヘルプ https://t.pia.jp/help/
【全国同時生中継について】 8月26日(土)丸の内TOEIで行われる、 ①9:00の回(上映終了後) ②12:50の回(上映開始前) 舞台挨拶の生中継となります。 チケット料金は各劇場通常料金(前売券使用可、無料券・招待券使用不可)に準じます。 生中継付き上映会チケットは8月23日(水)0:00~(=8月22日(火)24:00~)以降、各劇場にて順次販売開始予定です。
≪生中継 実施劇場一覧はこちら≫https://toei-screeninginfo.azurewebsites.net/theaterlist/02822 ※「8/26イベント中継」と記載のある劇場にて生中継を実施いたします。 ※実施劇場一覧は随時更新いたします。 ※販売方法、販売開始日時などについては、各劇場名をクリックして詳細をご確認ください。 ※一部の窓口販売では、インターネット販売分と併せて完売となる場合もございます。
<当イベントの注意事項> ■ご来館前の検温など体調管理および発熱、咳などの症状がある場合は、体調を最優先いただき、ご来場をお控えください。 ■全席指定席となります。チケットをお持ちでない方はご覧になれません。 ■いかなる場合においても舞台挨拶中の途中入場は固くお断りいたします。 ■場内でのカメラ(携帯電話含む)・ビデオによる撮影、録音等は固くお断りいたします。当日は荷物検査を行わせていただく場合がございます。 ■会場内ではマスコミ各社の取材による撮影、弊社記録撮影が行われ、テレビ・雑誌・ホームページ等にて、放映・掲載される場合がございます。また、イベントの模様が後日販売されるDVD商品等に収録される���合がございます。予めご了承ください。お客様の当催事における個人情報(���像権)については、このイベントにご入場されたことにより、上記の使用にご同意いただけたものとさせていただきます。 ■インターネット・オークションへの出品その他の転売目的での入場券の購入及び転売はお断りします。 ■営利を目的として転売された入場券及びインターネットを通じて転売された入場券は無効とし、当該入場券による御入場はお断りします。 ■イベントの予定は、急遽変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。 ■いかなる事情が生じましても、ご購入後・お引き換え後の鑑賞券の変更や払い戻しはできません。 ■車イスでのご鑑賞をご希望されるお客様は座席指定券の購入後、劇場までご連絡ください。
以上、ご来場いただくお客様におかれましては、何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
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'23.8.27 春日大社参道にて
見たまんまですが、カラス。奈良公園でもよく見かけます・・
子鹿には天敵。小さい子や弱って動けない子には嘴で襲い掛かかります。
かと思えば、大人の鹿に対しては、換毛の季節にはその背中に乗って抜け毛をつついて自分の巣の材料にします。つつかれている鹿も我関せずと好きなようにさせているどころか、毛を抜いてもらって気持ちよさそうにも見受けられることも・・
鹿さんにとって敵なのか共生相手なのか、僕にはよく分からないのですが、人間が考える別の次元の中にある生物の大きなサイクルの中で、淡々と生きているに過ぎないのかもしれません。
何年も前の話ですが、春日大社の境内をカメラ持って歩いていると、静かに後ろから僕の頭をポンと押されて、被っていた帽子がちょっとずれました。「何や?😳」と思った瞬間、頭上すれすれをカラスがゆっくりと滑空して、僕を追い越して行きました。・・あれは絶対に解��て足か羽根でやったイタズラなんだと思います。
・・実にミステリアスな存在です。
#奈良#nara#奈良公園#nara park#春日大社#kasuga tasiha shrine#烏#crow#不思議#mysterious#晩夏#late summer#photographers on tumblr#natgeoyourshot
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ロジャー・ムーアが空港で「ジェームズ・ボンドとサインをするとブロフェルドに見つかるかもしれないからしないね」と子供に言った話はツイッターで見たことあったが全貌がここまでいい話だったとは。 30歳を一瞬で7歳に戻した話。 中高年になった脚本家さんがFacebookで綴ったロジャー・ムーアとの思い出。2度の邂逅。 ………………… ・1983年頃の話だ。まだ空港にファーストクラス専用のラウンジが設置される前。ニース空港でお祖父ちゃんと一緒にいた私はロジャー・ムーアを見た。彼は出発ゲートに座り、新聞を読んでいたんだ。 私はお祖父ちゃんにジェームズ・ボンドがいると伝え、彼のサインが欲しいから一緒に行ってくれとねだった。 お祖父ちゃんはジェームズ・ボンドが何なのか、ロジャー・ムーアが誰なのかも知らない人だった。ロジャー・ムーアのそばに寄り、『私の孫が、あなたは有名人だと言ってるんですが……サインをお願いできますか?』と聞いた。 期待を裏切らぬチャーミングなロジャーは私の名前を尋ね、航空機の裏に私への”Best wishes”を添え、丁寧にサインしてくれた。 私は大喜びしたが、席に戻る途中でふと見ると……読み取りづらいが、『ジェームズ・ボンド』とサインされていないことに気づいた。お祖父ちゃんがサインを読み取り『ロジャー・ムーア』と書かれていると判読した。 誰なんだよ、ロジャー・ムーア。私は落ち込んだ。 (7歳の子は空港で見た人物をそのまま『ジェームズ・ボンドその人だ』と思っていた) 私はお祖父ちゃんに、サインしてもらったけど、記名を間違えてるんだと訴えた。他人の名前が書いてある。 お祖父ちゃんはサインしたての航空券を持ってロジャー・ムーアのもとへと戻り、『名前が間違っています。あなたの名前はジェームズ・ボンドだそうです』と 孫の言葉を伝えた。 ロジャー・ムーアは破顔して7歳の私を手招きした。私が彼の膝のそばにいくと彼は上体を動かし左右を見回し、眉根を寄せ声をひそめて言った。 「……いまは“ロジャー・ムーア”とサインしなきゃいけないんだ。そうしないと、ぼくがここにいるのがブロフェルドにバレてしまうかもしれないから」 彼は、ここでジェームズ・ボンドに遭遇したのを誰にも言わないでほしいと私に頼み、君はきっと秘密を守ってくれる、ありがとうとお礼を言った。私は嬉しすぎて全身を緊張させ、席に戻った。 お祖父ちゃんがちゃんと『ジェームズ・ボンド』さんのサインを貰えたかと私に尋ね、私はううん、ぼくの間違いだったんだと答えた。私はたったいま、ジェームズ・ボンドと組んで“仕事”をしたのだ! それから時が経ち、私はユニセフの映像部でスクリプト・ライターとして働いていた。ロジャー・ムーアはユニセフ親善大使として私がいる場所でカメラに向かい、仕事をしていた。 カメラマンがカメラ準備中をしている間、7歳の時、ニース空港で彼に遭遇した思い出を話��た。彼は笑い、「よく覚えてないけどジェームズ・ボンドに会えてよかったね」と嬉しそうに言った。素敵な人だ。感じがいい。 そして彼は最高のことをした。撮影が終わってから彼は廊下で私の横を通り、そっと私に伝えた。「ニースできみと会ったことはもちろん覚えている。でも撮影現場では黙ってた。だって、あのカメラマンたちの中にブロフェルドの手先がいるかもしれないだろう?」 彼は自分の車に戻った。 なんて人だ。30歳の私は、7歳の時の同じだけ、歓喜した。
Xユーザーのこりまさん
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ゴッホ展を観に、友だちと東所沢まで行ったけどチケットが売り切れだった。仕方ないね、といって、でもせっかくきたんだし、と思って、コンビニに寄って買ったパピコを片手に緑の中をすこし歩く。今年の夏、はじめて蝉をみた。繊細な模様の羽根がか細く音を立ててはためいている。「ほぼ水になったアイスがいちばんおいしくね?」 そういう、ぼそっとつぶやいた何気ない言葉は静かにがらんどうの青空の中に溶けていき(あるいは沈んでいき)、わたしたちの夏の匂いの一部となっていく。この広い空に眼があったなら、風にくちびるがあったならどれほどうつくしいのだろうかをずっと考えていた。全ての境界線が暑さでじわじわ入り交じりゆくのを肌で感じながら、たとえばアマゾンの熱帯雨林に想いを馳せること、深海魚の生態について検索すること、もう2度と逢えない人に逢いたいと願ってしまうこと。前に好きだった人に「どうしようもできないものがすき」という言葉で夏が好きなことを伝えたら、「死も?」と返答された。なんでよ、なんで死はいつもそんなに暗くて辛くて悲しくて暴力的で痛くてさみしいんだろう?どうして。わたしはそんなふうに感じる機会が少なかったから、どんな返事をしたらいいのかわからなくて困ってしまった。だって死に近いものこそ、本当はなによりもうつくしいのかもしれないと思うから。蝉と、太陽。海、燃え盛る炎と、富士山。死者の言葉や羨望、未練、その姿かたちは今この瞬間にも車窓から見える光景の隅々にまで溶け込んでいて、わたしたちは明日もまたアスファルト下に沈む沢山の人間の流した血と涙の上を歩いていく。草花の幹に、雨の雫の一滴に、海水の塩になって、失われた生命はその記憶を繋いでいく。そんなことをぐるぐる何度も考えては、ほんとうにこれでいいのか、これが正しいのか、わたしはまた自らの想像力の足りなさでだれか傷つけていないだろうか?と言葉を反芻していた。大学の講義のフィードバックで「だれのことも傷つけずに生きていくことができない世界なら生きていきたくない」という学生のコメントが紹介された。そのときに先生(その人は先生と呼ばれるのを嫌う人だったけれど)が「怒りの気持ちは大切にするべきもの/忘れずに守っていく���の」と言っていた。あなたがそう感じてしまうのはあなた自身の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であり、その社会に対する怒りとあなたは向き合わなくてはいけない。そんなようなことを言っていた気がする。親愛なるわたしへ。怒りに含まれる矛盾や素直な疑問は必ず次のより良い環境の土俵になるし、そうして得られた安らぎはだれかの優しくありたいと思う理由としてきっと光っていくから大丈夫。友達と東所沢から今度は渋谷まで移動して、おいしいサンドウィッチを食べた。ドンキホーテでピアッサーを買って、店頭に並ぶサンプル品のアイライナーで耳たぶに印をつける。不安な気持ちよりも、ピアスホールっていう一生残るかもしれないものを親友がわたしに頼んでくれたという事実を愛おしく思う気持ちの方がつよかった。渋谷の騒音の中、針が耳たぶを貫通する音はほんとうに小さかった。わたしの呼吸音はすごく小さかった。わたしたちの微かなときめきすら、その瞬間に街のどこかで繰り広げられているであろう壮絶なドラマと比べれば小さいのだろうなと思った。でも、それでよかった。それがよかったのだ。「ピアス開けたら人生って変わるらしい」と、友達が耳を冷やしながら呟く。わたしは3月にピアスを開けたけど、そこからの人生すごく色鮮やかだったなーと思う。新しく出逢ったひとがたくさんいる。つらいこともあったし、人のことを信じたくないと思うことも多かった。でもわたしは多分どんなことがあろうと人との関係を疑いからはじめない。人のこと信じないことを選択するくらいなら信じて裏切られたほうが美しく傷つけるし、好きな人に期待しないでいるよりも期待してしまう自分の幼さや素直さをいとおしく思えるほうが伸び伸びとやさしい。一昨日、Twitterに写真を撮らせてほしいとのDMをいただいた。レンタカーで三浦までいって、ほとんどはじめてわたしは人が誰もいなくなった海に入った。その日は全てが青くて、露わにした太腿にはオレンジの花の花粉の色が染み付いた。下着にレースのワンピースだけ羽織って、押し寄せてくる波に体重を預ける。髪が濡れて、額に張り付く。海ってこんなに塩っぱいんだ、こんなに力強くて、こわいんだ、たのしい、なんてことを感じながらカメラのレンズをみつめる。まるでその先に昔の自分がいるような気がして、涙がでてしまいそうだった。「知らなかったこと」が一瞬のうちに「知っていること」になっていくこと、その瞬間の微かな光の揺らめきと運命の歯車の軋む音が、夏の全てに意味を与えていく。もっと傷つきたい。駆け出していきたい。わたしも大人になったら、その人が私にしてくれたように、自分よりも幼いエネルギーの塊みたいないのちに素敵な景色を見せてあげたい。そう思える旅路だった。眩しくて鋭く発光する若さをぎゅっと抱きしめる。あなたの瞳をみつめながら、その眼差しに自分の人生の影を溢したこと。そこで交差した運命のような幻のような愛でもない何かについて考える。傷ついた分、その傷口に咲いた花の香りの美しさで感性の彩りが増すように、わたしは言葉を諦めたくない。ねえ、私に逢いたい?未来のわたしは過去のわたしを慈しめているかしら。わたしはずっと昇って登っていく、丘の上で逢おうね。
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納涼 水族館活動 - イルカとクラゲを求めアクアパーク品川
涼しく楽しめる場所の定番、ということで6年ぶりくらいにマクセルアクアパーク品川を再訪してみた。
今年も酷暑のシーズンが到来しました。外出が億劫ではあるものの、さすがに毎週末 家に引きこもっているのも飽きがきて。。。涼しく楽しめる水族館でも行こうと思い、最も近いマクセルアクアパーク品川へ。6年前 仕事で心をすり減らしていた頃、休出の代休でふらっと訪れて以来の再訪。
夏休みの混雑をなるべく避ける and 道中の暑さを多少は緩和したい、ということで朝、オープン直後に入場。多少の混雑でしたが、ゆったり写真撮りながら巡るのに許容できる範囲内。
ここは生き物を魅せる系の水族館なので、雰囲���重視で。特にクラゲコーナーはめまぐるしく変わるイルミネーションが目で見る分には楽しいのですが、明るさがコロコロ変わり写真を撮るのはちょっと辛い。
目玉のイルカショー。迫力満点、水をいっぱいかけてくる系のショーになります。もちろん濡れたくないので、最後列でカメラ構えながら立ち見。薄暗い会場内で飛び跳ねるイルカさんを連写で、数撃ちゃ当たる作戦。おかげでよい感じのものが何枚か撮れました!6年前より良い出来。。。単純にカメラの性能さでしかないのですがね。
ランバ・ラルに見つかったら、「自分の力で撮ったのではないぞ。そのカメラの性能のおかげだということを忘れるな!」と言われそうな気がします。
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (坂本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up
海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄
今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いてパフォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ���これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにしてはカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。
Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリブから始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器もマスターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの��きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
youtube
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話せないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。
7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、��れはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなりのアップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場���降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
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横浜山手の末日聖徒イエス・キリスト教会 山手ワード前に、ピンクの花が咲いてました。
夏頃の写真になりますが💦
教会には、ピンクの花が似合うような気がします。カメラを構えた時、絵になるなぁと思うことが多かったです。
例えばこの近くのカトリック山手教会には、春になると桜が咲いて、とってもきれいです。
この辺に住んでいた頃は、春になると毎年写真を撮っていました。
そして、カトリック山手教会近くの代官坂辺にも桜がいっぱい咲いて、山手本通りの風景が華やかになります。
秋ならば、ピンクのコスモスと教会の風景も絵になるかも。
秋といえば、銀杏並木も美しい。
少し歩いたところにある山下公園通りの銀杏並木の風景、今から楽しみにしています。
マリンタワーの近くですね。
#日記#ひとりごと#景色#風景#花が好きな人と繋がりたい#yokohamacity#japan photos#横浜元町#山手#yokohamacameraclub#yokohama love#yokohama#教会#church#花のち晴れ#花のある生活#flower#japanese flower#ピンク#pink
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Shinonome, Koto-ku, Tokyo / Oct. 2024
今朝チャリンコ通勤時に危険な��転のタクシーと接触しそうになった。運転手に注意を促すと筋が通らない正当性を主張してくる。口論は平行線、細かいやり取りは割愛するがタクシー運転手は頭に血が上りっぱなしで色々あった末、最終的に私の背負っていたリュックの肩紐か首にかけていた自転車用ロックのコードかどちらか(自分からは見えないので)を掴み交差させて首を絞めてきた。通りがかりの男性2人が間に入ってくれて促してくれて運転手は手を離した。まぁ痛いわけではなかったけどカッとなって他人の首を絞めるって・・・。で警察を呼んで介入。ただ警察ってのはジャッジする立場にない。状況検分で私と運転手別々に話を聞き互いに謝ってと仲介を促す。勿論、口論になった以上、私の感情も高ぶるわけでその言動や振る舞いに己の過失が0とは言わないが「双方謝って終わり」というには納得がいかない。で、労働時間を割かれるし手続きも非常に面倒だとは思ったけど刑事告訴することにした。警察官の話からも経験からも暴行を受けた事実はあれど怪我はないし事故でもないし運転手が首を絞めた事実を認め反省しているとのことで、検察は受理してくれない可能性が高く不起訴になるとのこと。わかっちゃいるけどね、やらずして流してしまえばタクシー運転手はまた横柄な運転を繰り返すだろうしカッとなったら人の首を絞めるだろう。まぁ抑止力になるかも反省してるかもわからんけど自分の中での落とし所が欲しかった。3時間ほどの間、ほぼ待たされて最後に検分、供述書、告訴状の内容に署名し加害者情報を開示してもらうわけだけど年齢89歳だった。何だろうねぇ、高齢だからのひと言では終わらせられない。高齢になっても働かなくてはならない事情には同情するし(理由はわからんけど)そういう社会の現実に嘆くけど「運転手」という職業には年齢制限が必要では?と思ってしまったり。あと所属タクシー会社も後で調べてみたけどかなり悪評高いマイナーな会社だった。起こるべくして起こる負の連鎖みたいなものなのかね。まぁ自分が絶対的正義とは思わないけど目撃者もいたし防犯カメラもあったしタクシーのドライブレコーダーもあるわけだし全てはそこに記録されているから見てもらえればわかることだ。
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山田 ふと感じたんですけど、クルマのゲームとかだと一人称よりちょっと後ろに視点があるじゃないですか。あの視点があったら自分を客観的に見られて、突然怒ったり、他人を罵倒したりしなくなるかもしれませんね。 稲見 それに近い研究としては、2003年くらいに東工大の長谷川(晶一)先生が3人称視点でスキーができるというのを作ったことがあります。 すごくシンプルで、背中からポールを伸ばしてそのポール先のカメラからの映像を片目のゴーグルで見ながら滑るとそれっぽくなる。これはすごく楽しかったんですけど、その後レスキューロボットの操作にも使��ました。 レスキューロボットの操作ってすごく難しくて、でもそうやって3人称視点を作ると障害物回避性能がよくなって、国内のロボットコンテストでぶっちぎり1位になったこともありました。
人は4本の手を扱える?体は何個まで?→「体もう1つは余裕」 身体拡張の可能性を東大・稲見教授に聞く:「AIの遺電子」と探る未来(1/5 ページ) - ITmedia NEWS
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(最近双亡亭読んでるん - 二次元裏@ふたばから)
1 23/11/21(火)16:57:06No.1126657055 皆川亮二なんで刺されそうになってるの
2 23/11/21(火)16:58:35No.1126657381 絵がデビュー当時からずっと上手いから
3 23/11/21(火)16:59:35No.1126657637 そんなことで……?
4 23/11/21(火)17:01:40No.1126658143 皆川亮二ぃ~~~~~~~~~~~~~~
12 23/11/21(火)17:21:50No.1126663298 皆川亮二ってただ単に上手いだけじゃなく構図とかもなんかサッと描けるというか勝手に頭の中に出てくるんじゃなかったっけ
14 23/11/21(火)17:23:58No.1126663866 描きたいものを思い浮かべてそれを頭の中でグリグリ動かしていい視点が見つかったら紙に写すだけ 簡単でしょ?
18 23/11/21(火)17:25:14No.1126664226 皆川亮二ぃ~~~~~~~~~~~~~~
23 23/11/21(火)17:28:21No.1126665107 皆川とは同期で受賞作の扉絵を見て(凄い書き込みの見開きだ…一体何十時間かけたんだ…!?)と思ってた 受賞式で顔合わせたから聞いてみたら「あ~…あれは2~3時間くらいかなぁ」って返ってきた 皆川亮二ィィィィ~~!!ってなった
90 23/11/21(火)17:54:50No.1126672614 頭の中でバイク走らせます カメラがぐるっと回り込んだ所で一時停止 そのまま紙に出力します ね?簡単でしょう
92 23/11/21(火)17:55:15No.1126672758 皆川亮二い~~~~~~~~~!
93 23/11/21(火)17:55:27No.1126672807 死ねえええええ~!!!!
177 23/11/21(火)18:10:37No.1126677814 もちろんアシスタントの力もあると思うけど 皆川先生の「敵の秘密基地」感とか「古代の謎技術遺跡」みたいな画力の説得力はどうなってんだよ…
186 23/11/21(火)18:12:04No.1126678286 そりゃ映画とか遺跡の資料を見て それを紙に書けばいいんだよ
190 23/11/21(火)18:12:49No.1126678515 亮二!!!
194 23/11/21(火)18:13:26No.1126678737 死ねえええ~~~~~~!!!
205 23/11/21(火)18:16:15No.1126679696 皆川先生って本人の知らない所で色んな人の心の器にひび入れてる話しあって酷い
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決断は英断
SONYが一部製品の値上げを発表したとの事。
8月1日に価格改定、平均約10%の値上げみたい。
そうですか、まぁ今のこの状況下では仕方のないことであろう。
しかし10%というのは結構な額だ。
ずっと心のどこかで気になっていたα7CⅡ、意を決して先月末に購入したのはどうやら英断だったようだ。
いや、使ってみてのこの満足感と喜びを思うと、値上げに関係なく英断だったんだろう。
このα7CⅡってカメラは使えば使うほど良さがわかるという、まさにスルメのようなカメラだと思ってて、実際にα7RⅣの稼働率を確実に下げてる。
実はレンズもそうで、絶対的エースの50mm/F1.4 GMも最近一気に揃えたTAMRONズームレンズ群の取り回し性と写りのバランスの良さに押され、持ち出す頻度が下がってしまった。
欲しいものは欲しいと思った時に頑張って買ってしまう、一見乱暴な言い回しかもしれないけど、幸せになるためにはこれに尽きるのかもしれない。
camera : SONY α7CⅡ
lens : TAMRON
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カレンダー撮影後記です。7月は只見川と天の川を渡る只見線です。
星景と鉄道の組み合わせは好きなテーマで、いままでいろいろな題材に挑戦してきたのですけど、天の川は取り組んだことはありませんでした。
何より天の川そのものを撮影することが難しくて、まず空の明るさで撮影の可否が大きく左右されます。月が出ているかどうかという時期的/時間的制約だけではなく、街の灯りによる光害の影響がない場所であることも大きな条件となります。
鉄道が走っている場所の多くが人の居住地域で、国内でも光害の影響を受けない鉄道沿線はごく僅かです。自分が主に活動しているエリアでは只見線に撮影可能となる地域が存在しますが、鉄道にカメラを向ける方位に天の川が存在する場所と地形、そしてシーズンも限られたものとなります。
夏場で太陽に光が空に全く届かなくなる時間帯(日没後2時間ほどかかります)となると、ただでさえ走行本数の少ない只見線となればチャンスは本当に限られたものとなります。もちろん星空を撮影するのですから天候にも左右されます。
昨年7月某日(この地点で撮影可能な特異日です)、天候も良さそうということで昼過ぎから沿線へ向かいました。夕方までちらほらと居た撮影者は誰も居なくなり、やがて船着場は道もよく見えなくなるほど真っ暗に。
でも頭上には新潟の街中では見たことの無い降る様な星が。うっすらと肉眼でも天の川が第一橋梁の上に昇っていくのが見えました。
しかしこの時期は川霧の季節。橋梁だけでなく目の前の川面も見えなくなる瞬間がありましたが、ちょうどいい塩梅に霧が消えてくれた時に最終列車がやってきました。
少し雲がかかってしまいましたけど、暗闇の中で画像をチェックした瞬間の感動は忘れられません。
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 ���による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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