About my life in NZ, and Tokyo. Something inspired me.ニュージーランドに住んでいた時のことと、日々のこと。日本語で更新します。
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They are us
とっても悲しい事件が起きた。
一夜経った今でも被害にあった方々とその家族のことを想うと苦しくなる。
平和だったクライストチャーチの街がテロの標的にされて、
49名の尊い命が無差別に奪われた。
夜勤明けで着替えていると前職の後輩から久しぶりに連絡がきた。
「思わず送っちゃいました😨」
このニュースの第一報は彼女からだった。
彼女はNZへの���航を考えていて
私が在住時に単身初めての海外旅行で
オークランドまで会いに来てくれた。
この事件が彼女にとってとても
ショッキングで、留学を迷う
要因になるに違いない。
銃乱射事件なんて、この国では起こらないのであろう、と
誰もが思っていたし、現地に住んでいるKIWIが
一番思っていたことだと思う。
首相のスピーチの動画をすぐに見た。
中でも印象的なのは
”They are us.”
このような悲惨な事件が起きても
多国籍であることを受け入れ、
彼らは国家の一部である、と
発言をする首相、
悲しい時こそ宗教や人種を超えて
暖かいハグを送ろうとする
KIWIの本質的な
素晴らしい人格が見える。
比べるつもりはないのだけれど
もしこれが日本で起きたら、
すぐさまイスラム教徒を批判する
運動が始まると思う。
もしかしたら私もそれに
参加していたかもしれない。
東京都でさえ地方からたくさんの
人が集まってできた街、
ぶつかっても何も言わない、
時々東京はこんな冷たい街だったのか、と
悲しくなる。
私たちにこんな暖かい配慮が
できるのだろうかと私は思った。
お互い歩み寄らなければ
何も始まらない。
違うことを受け入れ
違いを尊重するニュージーランド。
とても悲しい事件だし
テロは絶対に許せないけれど
何が起こってもNZは私の第二の故郷です。
このNZ史上最悪の事件で被害にあった方々と
その家族に哀悼の意を表し、
深くご冥福をお祈りいたします。
My thoughts are with you.
Stay Strong, Christchurch,
Kia kaha.
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お茶のお稽古
人生で初めての畳の上でのお稽古。
私が勤めている会社の違うホテルの中に
素敵な和洋室があって(はじめて入った)
その中に茶釜があり、
それを沸かすところもあった(!)
部屋に入ると社長が準備をしてくださっていて
畳の上にはやさしい紫のお着物をお召しになった
お茶の先生。
佇まいがかっこよすぎる。
一瞬で私は先生のファンになった。
簡単に自己紹介をして、
お稽古が始まった。
はじめはお客様になってもらうわ、と
一緒にお茶のお稽古に来ていた同僚が点てたお茶を
いただくことになった。
一つ一つの動きに
「あなーた、それはそうじゃないわよ」と
言われている同僚。
自分もいつかそうなるのだろう。
そうもしているうちに
お皿に乗った色鮮やかな和菓子が回ってきた。
どれをとればいいのだろう・・・
とりあえず一番近くにあったものを
いただくことにした。
ボロボロボロ・・・・
社長に借りた楊枝を使って和菓子を
懐紙の上で小さくしようとしたけど、
うまくいかん!!!!!汗
「あなた、早速難しいお菓子に当たったわね。
器用な方?」
ーーーーーー「いえ💦全然器用ではありません!」
といったところで初っぱなから”難しいお菓子”に
当たってしまったわけだが、
なんとか綺麗にいただくことができた。
いよいよお茶が回ってくる。
びっくりしたのが、
毎日見ているお抹茶とは全然違う色であった。
おそらく証明や茶器の違いにもよると思うが、
本当にキレーーーーーいな緑、新緑の緑であった。
いただいた後にお茶碗を拝見する。
誰の作品で、どこで作れられたものなのか、
お伺いし、お答えする。
”茶道” とは
自分が想像していた
”ただ畳の上でお茶を楽しむ”
というだけではなかった。
なんなんだ。素晴らしすぎる。
茶室にかけてあった掛け軸には
深のおじぎをして、敬意を払う。
掛け軸を描いた方はきちんと修行をしてきたから
だという。なるほど。
その後、香合(茶室に置かれるお香)と
和花・花器を拝見する。
この日は初めてということもあり、
お辞儀の仕方、手の置き方、歩き方を
教えていただいたが、
時間が余ったので特別に袱紗の捌き方も
教えてもらった。
もちろん今の仕事をするようになって
お茶ってこんなに美味しいの���!と
びっくりさせられることが多いが、
そもそも私は器も好きだし、お花も大好きだ。
うちの家系は来客が大好きだ。
父はホームパーティーに張り切り、
職場の人や近所の町内会の人たちを呼んでは、
お酒や地元長崎の美味しいお魚を囲み、
よく宴会を開いていた。
母はそれに応えるように、
お客様が喜ぶようにと
炊き込みご飯やお吸い物を用意したり、
私の友達が来るときには
キッシュを焼いてくれたりしていた。
うちのリビングには常に
お花があっ��。
”どんなに貧乏でもお花は飾りたいわよね〜”と
母が言っていたが、私もそう思う。
母は元気がない植物を
生き返させるのが得意な人だ。
それだけ聞くと、もののけ姫に出てきそう。笑
そんな家庭で育った私も、
上京したての時は会社の寮にお世話になっていたが、
今はやっと念願の一人暮らしができていて
お友達や先輩がうちに来てくれる時は
必ずお花を買ってきて花瓶に生ける。
おばあちゃんがお花の先生だったけれど、
私にセンスはあるまでもなく、
H&M homeのお気に入りのグレーの花瓶に生ける。
だけどお花は大好きだから
きてくれる友達のイメージにあった
お花を用意する。
うちの近くにお花やさんがあるのも
今の家に決めたポイントの一つだった。
”来客とのこの時間を大事に、
お茶をお出しして、空間でおもてなしする”
そう言った面では、
この茶室の中のコアにあることは、
私が私生活で好んでやっていることに
通じるものがある、と思った。
もちろん写真撮影は許されない。
自分の眼で愉しみ、
自分だけが愉しめるのだ。
SNSが発展している(しすぎている)時代だからこそ
あの先生が準備してくださったあの空間、
あの綺麗なお菓子、美しいお茶は、
つい写真を撮りたくなるほど素敵だった。
だけどここにあるものは誰にもシェアしない、
まさに自分たちだけが味わえるものなのだ。
茶室の中には素敵なものがたくさんある。
なんて贅沢なんだ!!!!!!
と初めてのお稽古にして、感動した。
そんなことを思いながらも
やはり体は正直で、
足の痺れが限界に来て
何度も足を崩させてもらった。
情けない・・・。
こんなに上品な雰囲気の中、
私一人だけ生まれたての子鹿のような
姿だったのは本当に恥ずかしい。
早速次のお稽古も
ラッキーなことにお休みだったので
参加させていただこうと思う。
母にお茶をはじめる、と言ったら
40年前の茶道の道具が送られてきた。
次のお稽古からこれを使おう。
あーとてもたのしみ!!!!
PS お稽古で出されなかった桜餅を帰りにお土産でいただいた。
帰宅後急須で入れたお茶といただいたが、
これが惚れ惚れするぐらい美味しかった。
ちょっとずつ桜餅を食べて、
二煎目までいただいた。
あぁ、日本人でよかった。
そう虚ろ虚ろまどろんだ
夜勤明けの夜であった。
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⑦Change the department
ロビーで働きたい!!!!!
その想いをHR(人事)にぶつけた。
いつの日か、こんなにも
自分の気持ちを英語で
不自由なく伝えることができるように
なってきた。
少し前までは自分に自信がなく、
何かを伝えようとすると
まず日本語で言いたいことを
考え、それを頭の中で英語に変換する。
その間、自信がなくてモゴモゴ
してしまうのだ。
自分が言いたいことを
英語で伝える。
これがどれだけ私にとって
大変だったか。
学校のでの授業もそうだけど、
やはり職探しと家探しを
全て英語でして
それが自分の英語力向上になったの
かなって思う。
気がついたら
Aucklandで一番でかいホテルの
ロビーで、宿泊のマネージャー2人に
囲まれ、一人インタビューを受けていた。
質問はホテルマンとしての資質を
問われるものが多く、
日本語でもとても難しかったと思う。
でも私は割とマジだった。
どうしてもロビーで
ゲストと会話をしたかった。
面接の結果がいつまでも
通達されないのでしびれを切らして
こっちから突っついた。
結果はNO。
”Your English is not enough."
電話口に言われたこの言葉が
グサっと心に突き刺さった。
いや、薄々気づいていた。
だって連絡なかったし、
面接かなり難しかったし。
「Saiの熱意ややる気は認めるし、素晴らしいと
思う。だけどこの大きなホテルでは
あなたの英語力は不十分。
でも応募してくれてありがとうね。」
わかっていたけど
めっちゃ悔しかった。
このままでは日本には
帰りたくないと思った。
帰れないと思った。
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⑥WORK
私が思ったより早く就活を���えたことで
周りの環境がガラリと変わる。
一つ目は学校��。
朝のクラスから夕方のクラスに。
今まで良いお友達、ライバルだった
みんなともバイバイだ。
午前中はアジア系の友達がたくさん
できたが、夕方のクラスは
南米系が多かった。
みんなとにかく喋る、喋る。
仕事が終わればバーやクラブで飲む、
そんな感じで楽しくやっていた。
二つ目は住まいだ。
HKのお仕事は朝7時にはホテルにいる。
職場と学校があるCityから
大好きだったジョージーナとリッキーの家は
だいぶ距離があり、
Citiyに引っ越す必要があった。
2人からのたくさんの愛情を受けたせいで
日本を恋しく思いホームシックになることは
少なかった。
Cityの近くのアパートの一室で
中国人とイギリス人とすむことになった。
ここで人生初めてのホームシック。
二人は間違いなくNZでの
家族であった。
めっちゃ急な坂の上に住んだ。(笑)
早くも引っ越したくてしょうがなかった。
HK(ハウスキーピング)のお仕事は
想像を絶するものだった。
手際と丁寧さ、両方を兼ね備えていないと
勤まらない。
結果7キロ痩せた(笑)
毎日大量の水分をとらないと
体が持たない。
以前は自分の部屋もろくに
綺麗にできなかったけれど
トイレ・バスルームの
上手なお掃除の仕方は習得できたし
綺麗なベッドが作れるようになったかと思う。
自分が一生懸命清掃した部屋でも
スーパーバイザーのチェックは
甘くない。
フロアから”SAI〜!!!!”と
怒鳴られる。
毎日お説教だ。(笑)
それなりにきつかったし
毎日重いトロリーを動かし、
大量のリネンを運び
細かいところまでチェックをする。
1日のノルマは16部屋。
1部屋30分で掃除して、8時間労働。
スイートルームは1部屋1時間。
まぁ、無理です。(笑)
でもこれをベテランはこなしているからすごい。
この大きなホテルを支えているのは
このチームで、
私も少しでも必要とされたくて、
毎日一生懸命働いていたら
気がついたら5ヶ月経っていた。
ボスは厳しいKIWIだったが
毎日のブリーフィングで
スタッフへの感謝の気持ちを伝え、
締めの言葉は”You have a lovely day!"。
チームみんなはボスに”You too, Boss."と
返す。
一日の終わりには、
どんなに怒られても
SVやBossからは
”Thank you for today, Sai."と
一日の勤務に対しての労わりの言葉を
かけられる。
もちろんいくら上司だとしても
下の名前で呼��呼ばれ、
なんでも相談できる環境にあるのは
とてもいいと思った。
あと楽しかったのが会社のパーティー。
突然行われるバンケットを貸し切ってとか
ガレージでBBQしたり、
結構楽しかった。
でもやはり、
ロビーで働きたい。って思うようになった。
人事(Human Resource)に
直談判しよう、と決意した。
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⑤JOB hunting
私にはこだわりがあった。
1 家の中で日本語を使わない
ー日本人とは一緒に住まない
2 仕事で日本語を使わない
ー日系の企業にはアプライしない
3 就活や家探しも英語でする
ー日本語サイトを極力使わない
4 最後までホテルにこだわる
この4つは帰国するまで
こだわり続けた。
3ヶ月間は、
ホームステイをしながら
朝の9時から3時まで語学学校の
モーニングクラスに通う予定だった。
だけどやはり働くことが好き
なんだろう。
日本から持ってきたお小遣いが0という
訳ではなかったが、
やっぱり収入が0では
思う存分お金を使えなかった(笑)
今行ってるモーニングクラスから
イブニング(17時から21時までのクラス)
に変更し、朝働けるところを探すことにした。
最初に、オークランドじゅうの
気になったホテルを見に行った。
Googleマップで調べ、
口コミを見て、
実際に休みを利用して
ロビーを偵察にいく。
自分がいいな、と思ったところに
現地の人が使う就活サイトを使って
アプライ。
私が使用したアプリは
SEEK.nzとTrade Me。
日本語の情報サイトは
ニュージーランド大好きという
サイトがあって、
いろんな情報が載ってって
とても楽しいけれど
私はあくまで”英語で就活”をしたかった。
NZの就活は、
カバーレターといわれる
自分のありったけのアピールポイントを
書いたものと
CV(写真なしの履歴書)
を添付して
先方に手渡しするか、
メールで送るか、する。
仕事をゲットするまで、
この学校の先生にかなり
添削や面接の練習をお願いした。
先生たちがいなければ、
私はあんなに早くお仕事を
ゲットできなかったかもしれない。
NZ最初のお仕事は、
400室以上ある大きなホテルで
ハウスキーピングのお仕事だった。
5年間ホテルに勤めていたけれど、
ハウスキーピングの経験が
なく、綺麗にベッドメイキングをすることが
できなかった。
今後の人生、一度は経験したかった
お仕事の一つで、
この学生のアルバイトの時期に
やろう!とおも��、応募した。
授業中に電話がかかってきた。
内容は、志望動機と、
ハウスキーピングに必要な
3つはなんだと思いますか?的な
質問をされたと思う。
突然の電話面接!そして
すぐにコールバックがあった!
事務所に来て、直接話がしたい
と言ってくれたので向かう。
そこにはインド人の
アシスタントマネージャー的な
人がいた。
今までの5年間のホテル勤務のこととか、
HKは楽な仕事じゃないよ、
となんども脅されたが
無事、採用された。(笑)
結果このハウスキーピングのお仕事は
トータル5ヶ月。
いや〜本当にきつかった。(笑)
また仕事については
また次の記事で書きます。
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④Friends
少しの間、淋しかった。
今までの人生で友達がいない、という
ことがあまりなかったからだ。
学校に慣れるまで
とにかくきつかった。
でも授業は全て英語で
とりあえずめっちゃ楽しかった。
午後は午前中よりも少し
専門的なことを習ったり、
正直難しくて理解不可能な
日もあった。
でもだんだん慣れて行って、
気づけば周りにお友達がたくさん
できていた。
日本人はクラスに私一人。
韓国や中国、香港などの
アジアからのお友達が多かった。
毎日友達と仲良く過ごすも、
やはり学生に戻ると、
5年間働いてきた私にとって
もどかしさを感じていた。
やっぱり、働きたい。
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④English School
2017年10月1日、初登校。
まだNZはかなり寒く、
私はコートを一枚も
持ってきていなかった。
ジョージーナが厚手のコートを
貸してくれた。優しすぎる。
バスに乗って初めての学校へ。
NZのバスは基本手を挙げないと乗せてくれない。
SUICA的なチャージ式のカードがある。
なんとこのカード、
乗るときに少しでも残高があれば
降りるときに足りなくても、
バスに乗れちゃうのだ。
(次に乗ったときにマイナスからのスタート)
適当なKIWIの
ざっくりしたシステムなのだ。(笑)
バスに揺られること50分。
朝はかなり渋滞する。
AucklandのCity centre
逆バンジーのすぐそば、
Queen Stのすぐ近くのところまで
バスがいく。
Queen StはNZの最大の都市、
Aucklandでも一番栄えている通り、
と言っても過言ではない。
その通りの中心地に学校があった。
初日、かなり迷う。
���間に余裕を持って出てきてよかった。
ジョージーナがコートを貸してくれなかったら
マジで私は死んでたと思う。
いろんな人に道を聞いた。
なんせ学校の入り口がわかりにくすぎる。
「Excuse me, Could you tell me the destination
from here to Seafield school of English?」
こんなことをエンドレスに聞きまくった。
(Google Map使ってでもこの調子)
みんな優しく教えようとしてくれるのだが、
みんな学校名を知らないww
でも、意外と英語通じるやん!!
これが初めての英語圏での探検で
(ただ学校を探すだけだけど)
寒かったけど、ちょっと嬉しかった。(笑)
ストリートでコーヒー作ってるお兄ちゃん、
工事現場のおじいさん、
ホテルのドアマンまで。
ドアマンは、私が寒くて
鼻をすすっていると、
ティッシュを持ってきてくれた。(笑)
にほんでは鼻をすすっている人は
結構いるかもしれないけど、
NZではタブーで結構過敏に
反応されることがあると思う。
みんな本当に親切だった。
ちなみにこのドアマンがいたホテルは
5スターで、建物も素晴らしく、
私がNZ滞在時、2度宿泊した。(笑)
やっとの想いで学校に到着、
早速オリエンテーションと
クラス分けのテストを受ける。
日本人が少ない、小規模の学校、
とは聞いていたけれど、
本当に少ない。
というかいない!!!
完全AWAYだけど、
そもそもこのAWAY感がいいのだ!
テストは全100問あった。
時間が足りない・・・
結果午前中のクラスはPre-Intermediate、
午後のクラスはUpper-Usable なんとかっていう
なんかこんな名前の
クラスでした。(笑)
クラスには日本人は私だけ、
学校によっては日本人たくさん
通ってるところもあるみたいだけど
私が行ってたこの
”シーフィールドスクールオブイングリッシュ”
ってところは英語環境に
集中できておすすめです!
10月1日の入学から、
12月末までの卒業まで
月曜から金曜、トータル12Week
みんなと一緒に勉強することになる。
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③Arrived!
Auckland国際空港についた。
土砂降りだった。寒すぎ。
あれ、日本よりあったかいって
言ってたのにな。。。
エージェントが手配してくれたお迎えの車に乗って
市街地に向かう。
私は到着したその日から、
ホームステイを3ヶ月、契約していた。
大抵の人はだいたい1ヶ月とかだと
思うけど、私は家を決めれる自信も、
一人でやっていく自信もなかった。
見ず知らずの人��、
しかも言葉が通じない人と、
3ヶ月も一緒に暮らす。
事前に知らされているのは
名前と住所と
だいたいのプロフィールだけ。
これがホームステイの常識なのかも
しれないが、
私にとってはドキドキが
半端なかった。
エージェントの人に荷物を手伝ってもらい
ステイ先の玄関までくる。
中から出てきたのは、
”The KIWI"なホストマザーだ。
”Hi I'm Georgina. Nice to meet you."
私にもわかるようなゆっくり、はっきりと
した英語だった。
包容力たっぷりの、マオリ系
ニュージーランド人の
ジョージーナだ。
ジョージーナから
この家の簡単な決まりが
書いてある手紙を
手渡され、
23年間実家暮らしだった私の
初めてのホームステイ生活が始まる。
思いの外寒かったのと、
オークランド名物・土砂降り。
そして長い飛行機、
緊張から解き放たれた感覚、
あとホストファミリーが良い人そうで
ホッとしたのとで、一気に睡魔が襲ってきた。
もちろん相手には一切日本語が通じない。
だけど日本の文化が好きで、
私の前にも何人も
生徒を受け入れていたみたいだ。
「ちょっと疲れたから
休ませてもらえますか?」
確かそのようなことを英語で
聞いたと思う。
私の部屋はブルーがベースの
素敵な部屋だった。
キングベッドなんて生まれて初めてだ。
少し休ませてもらって、
目が覚めると、
クラブサンドと
サーモンのお寿司が
食卓に並んでいた。
そして温かいココア。
とってもホッとした。
お寿司は私の前の
日本人の生徒が
私のために作ってくれていたらしい。
(なんというおもてなし!!!)
異国の地に降り立ち、
これから新しく生活を始めよう
としている不安な気持ちでいっぱいの中、
母国の食べ物、そして私の
ソウルフード、お寿司を
ここAucklandでたべられるなんて!!
とても嬉しかったのを覚えている。
その日はNZ名物
フィッシュアンドチップスの専門店にいき、
夜はホストファザーのリッキーと一緒に
ご飯を食べた。
次の日からいよいよ学校だ。
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②Departure
出発の日。
実家がある長崎県佐世保市から
福岡空港まで、友達と家族がお見送りに
来てくれた。
片道電車で2時間もかかるのに、
本当に嬉しかった。
高校時代からのお友達から前職の同期まで。
飛行機の離陸に合わせてメッセージをくれたりした
先輩や上司もいた。
自分の勝手な決断を、
こんなにもたくさんの人が応援して
くれていたのか、と思うと
胸が熱くならない訳がない。
出発の日を迎えるまで
友達や家族との時間を楽しんだ。
母はだんだんと涙もろくなっていた。
初めてNZ行きの話をした時は
「私はとってもいいと思う!」と
目を輝かせて応援してくれた。
21歳の時に父と結婚、
22歳で兄が産まれる。
社会人としては5年ほど
働いたが、バブルの時は
子育てばかりで恩恵を受けていない、と
言っていた。
早いうちからお嫁に行った母は
娘の私にいろんな経験をして欲しい、
と言った。
そんな母も出発の日が近づくにつれ
ご飯を食べててウルウルしてきたり、
やはり空港でも涙を流していた。
友達はプラットホームまで見送りに来てくれて
「さいちゃん、飛行機見えるからね!」
「私たちが見れない世界をたくさん見てきて!」とか
メッセージをくれたり、
離陸する時までずっとお見送りしてくれて
いたのだ。
泣かない、
はずがない。
福岡空港→成田空港までの2時間、
飴玉のような大きな粒の涙が
ひっきりなしに流れる。
それに追い打ちをかけるのが
音楽をシャッフルに設定して
たまたま流れた
Lady GAGAの「Born This Way」だ。泣
これは本当に不思議なんだけど、
人生のターニングポイントで、
よく彼女の曲が流れる。
この時は武者震いがした。
飛行機のエンジン音が
どんどん早くなるのと同時に
曲のテンポが早くなる。
ここからは日本を離れて一人なのだから、
こんなメソメソしていてはダメだ、と
思いながらもエンドレスで流れる
涙と鼻水。
今から隣の席の人に謝りたいぐらい
あの時はひどい顔をしていたと思う。(笑)
成田についてからは遠方で仕事をしていた
父や恩師から電話が来たり、
だいぶ落ち着いていたが
福岡空港を離陸するときの私は
大好きな家族や友達から離れ
異国で生活することへの不安と
少しだけのワクワク感が入り混じり
おかしなテンションになっていたのだ。
成田空港からはオークランドまで約12時間の
フライト、楽しみにしていた
Air New Zealand!
ワインも美味しかったし
CAさん素敵だったけど
泣き疲れてたかな(笑)
あんまり寝れなかったと思う。
いよいよ私のNZ生活が始まります。
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①Working Holiday
海外での長期滞在は、VISAが必要だ。
私が取得したのは「ワーキングホリデービザ」だ。
1年間、��労可能なビザで、学校にももちろん通��る。
私は初めての英語圏滞在だったのと
ワーホリについて右も左もわからなかったから
某エージェントにVISAの手配や
語学学校の斡旋、ホームステイ先の
手配をしていただいた。
そこは現地にもオフィスがあり、
WIFIを使用できるのはもちろん、
生活する上で必要な情報を
教えてくれるようなところもあった。
つまり私は ”ワーホリ”していたのだが、
なんか
”ワーホリしてます!!!”と
言いたくなかった。(笑)
あくまでForeigner だけど
その土地に溶け込み、
”住んでる”、”働いてる”
って言いたかった。(笑)
NZでのワーホリビザ取得には、
結核のレントゲン検査さえクリアできれば
そう難しい課題はないし
英語力も関係ないと思う。
海外で生活しよう、と
思ったことの発端は、
東京・横浜に旅行に行った時のことだ。
ホテルのフロントさん、
所謂自分と同業の方々が
英語がペラペラだった!!!
私は単純なので
自分もそうなりたい!、
ならなければならない!、
と思った。(笑)
2019年はラグビーW杯もあるし、
2020年にはオリンピックもある。
でも英語喋れないし、
英会話スクールも行ってるけど、
高卒だし、
今すぐ関東圏で
自分の英語が通じるとは思えない。
👉よし、一回海外で生活して、
自信をつけよう。
どうせなら海外のホテルの内部を
見てこよう!
ということで、海外生活のための
お金を貯めていたわけでもなく、
愛車を売り、
それがそのままNZでも生活資金と
なりました。泣
大抵ワーホリに行く人って
ワーホリするっていう
目標がずっとあって、それに
向けて貯金とかするんだろうけど
私の場合は突如閃いて、決めて、
退職して、、、って感じだった。(笑)
だから理解してくれた前職で
お世話になった皆さんと
背中を押してくれた家族には
感謝しかない。
一つだけ断言できることがある。
ワーホリに行くか、行かないか、
迷っている人がいるなら
絶対に行くべき。
資金面とか英語力とか
不安なことはあるかもしれないけど、
本当に行きたい時が、行く時だな
って思うし、周りの人の話を聞いてても思う。
人生変わるよ。
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New Zealand
いよいよNZでの滞在について書く気になった。(笑)
あまりに濃い10ヶ月だったから、何から書けばいいのか...。
だけどこれだけは言えます。
渡航して本当に良かった。価���観がガラリと変わった。
英語力だけじゃなく、
自分が何が好きで、
どんなことにワクワクして、
これから何がしたいのか。
それがクリアになった。
もちろんピンチの場面はたくさんあった。
そこで助けてくれたのは、NZで出会ったみんなだった。
彼らは私が苦しい時にいつでも手を差し伸べてくれた。
NZのみんなの優しさにたくさん触れた私は
誰かが困っていたり、悲しんでいたりしたら
今まで以上に手を差し伸べたり
しんどい思いをしている人の
傍にいたいって思うようになった。
みんな本当に優しかった。
私が10ヶ月のNZ滞在で得られたものは
英語力だけではない。
第2の家族とも言える、
大好きな友達や仲間ができた。
「どうしてNZに行きたいって思ったの?」という
質問をよくされるけど、
一番の理由は、「直感」です(笑)
そりゃ色々他にも理由はある。
南島の山脈が綺麗、とか
コーヒー文化が盛ん、とか
国民性が温厚そう、とか。
でも2016年7月
(日本から出ようと決意したとき)の私は、
2018年9月に帰国した私が、
実際NZで楽しく生活して満足して
帰ってきた姿がなんとなく想像できた。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、
実際想像のまま、いや想像以上に
実際エンジョイして帰ってきた。(笑)
2017年9月30日に日本を発ち、
2018年8月13日、
突然の帰国に至ったまでの
約10ヶ月を
記憶の限り
写真を交えて投稿していこうと思う。
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My men
2019年の抱負は、”マイメン”を大事にする。
2018年は、数え切れないほどの出会いがあった。
その一つ一つを大切にしていなかった、
といえばそれは違う。
どちらかというと”広く浅く”だった2018年だったから、
2019年はSNSからの過剰な情報を断ち、
リアルの生活のなかで、
大好きな人たちをもっと大切にしたい
ということだ。
それはたとえば小さな事でもいいと思う。
嘘をつかない、とか
元気よく挨拶をする、とか
待ち合わせに遅れない、とか(笑)
当たり前のことを当たり前に大事にしたいな。
さっき、海外に住んでいるお友達から
久しぶりに電話が来た。元気そうだった。
今日の夜勤頑張れそう!
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Why have I studied English?
やっぱり私は英語が好きなんだと思う。
高校からズバ抜けて英語が
できていた���というわけではないし
大学にも行っていない。
ただ私が地元でホテルマンをしていた時の
月約3万円をかけて語学学校に
通っていたという事実を今思い返せば
結構な額を自己投資してでも
英語力をあげたかったんだと思う。
そして帰国してからも英語が恋しくなる時がある。
嬉しい事に仕事で毎日英語に触れる機会はある。
海外のゲストからのメールに
返信したり、口コミに返信したり、
レセプションで直接話したり。
やっぱり楽しい。(笑)
私のNZ渡航前の
帰国後のこんなことしたいな、というビジョンは
「自分の英語で日本のおもてなしの心を伝える」
でした。
それが今、お抹茶の点て方を海外からのお客様に
紹介して、茶筅をお渡しして
一緒に体験してもらっているのだから
”達成できた”と言ってもいいんじゃないかな。
私が大人になってから
どうして英語を勉強し始めたか
理由は二つある。
一つは、リゾートホテルでフロントをしていた時
宿泊している海外ゲストとの
会話に恐怖を覚えていたからだ。
洋楽や洋画は前から好きだったけど、
いざ目の前に海外ゲストが来ると
何を喋っていいのか、自分が変な発音で
喋っていないか気になってしょうがなかった。
というか怖かった。自信がなかった。
これをどうしても克服したかった。
二つ目は、映画「ビリギャル」を観たから。
(笑)
勉強が苦手なギャルが猛勉強して
慶應大学に合格する
実話を基にしたサクセスストーリーだ。
私は本当に簡単な人間だなと思う。(笑)
ビリギャルの中の有村架純ちゃんが
めっちゃ頑張ってたから、
私も頑張れるだろう、と思ってしまった。😝
単純やろwwww
ニュージーランドでは、
Aucklandで語学学校に3ヶ月
通った。授業はもちろん英語のみ。
日本人も全然いなかったから
休み時間も先生に相談するのも全部英語。
またこの事についてはまた書きます。
ちなみに実際の渡航前の英語力は
簡単な日常会話だけ。
TOEICは2回受けた。TOEIC本当に嫌い!(笑)
2時間も集中力もたんし、何より時間が足りん。
自己ベスト500点。悲惨。
履歴書にもかけない。
でも来週、帰国してから初めてTOEICを受ける。
何も勉強していない!!なのにこうして呑気に
買ったばかりのLaptopでブログを書いている。(笑)
TOEICってやっぱりTOEICのための勉強が
必要なんじゃないかなって思うね
☺️☺️☺️☺️☺️💦
支配人との面談で800点以上取りたいです!って
言っちゃった。
渡航前と今で少しでもスコアを上げれるように
頑張ります。💪💪
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”Who Cares”
突然ですが、
私の好きな英語は
”Who Cares”
です。
日本語訳すれば
「そんなこと誰が気にするの?😂」
という感じでしょうか。
これは日本にいた頃
どんなに暑くても
半袖を着るのが恥ずかしくて
七分袖ばかり着ていた程、
(自分の腕が太くて大嫌いだった)
私のちっちゃい人間性に
突き刺さった言葉です。(笑)
私の周りの
KIWI(ニュージーランド人)は
結構使ってたな。
ちっちゃなことなんて
気にするだけ無駄よ、
といったところでしょうか。
Wellingtonで出会った友達が、
「ウェリントンは最高にCoolな街。
他人をジャッジすることはしない
そんなCoolな人たちが沢山いる」
と言っていました。
めっちゃ共感した。
そんな最高にCoolな街、Wellingtonを
私の第二の故郷にしてくれた大好きなみんなに
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
次から真面目にNZ記事書きます。(笑)
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Leave an instagram!
まぁ薄々気づいていたけれど、
私はインスタグラム・ホリックだ。
インスタ大好き、
何かあったらインスタの
ストーリーに投稿する。
自己承認欲求のためとかではなく
ただ単純にインスタグラムを
見るのが一日のルーティーンに
なっていた。
朝起きてインスタ、
通勤時もインスタ、
お昼休憩インスタ、
寝る前もインスタ・・・
どこかに旅行に行きたくても
まずはホテルのインスタをチェック。
海外旅行を考える時も、
位置情報に行きたい場所を
合わせる。
その方が旅行誌向けに
5割増しに良く撮られた写真や
プロが書いた文章よりも
何よりリアルだ。
自分も同じ写真を撮ってみたい
って気分になる。
これは承認欲求なのか・・・?🤔
2018年、何度
インスタ離れを試みたか(笑)
もちろんNZでの生活を
UPするのはとても楽しかったし
インスタグラムを通じての
出会いもあった。
SNSって昔はなかったはずなのに
今はなくてはならない物に
なってるよね。
他にもFBやツイッターとか
ここのTumblrももちろん
SNSだけど(笑)
それはTumblrでブログを書こう!という
2019年の私の目標に
目をつぶってもらって、(笑)
___私、今”SNSデトックス”やってます!
そして今1週間もインスタグラムを
開いていないの!!!!!!
これは快挙やと思う!!!!!✨(笑)
インスタグラムを開いていた時間
Netflixでシリーズ観るとか
他のことをするとか、
ちょっと試験的にやってみようと思って!
いつまで続くかって感じだけど、
とりあえずやってみよう。
もし次にインスタグラムを
開いてしまった時は
ここで報告する。(笑)
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Laptop
昨日念願のMac Book Airをゲットしました(!)
私にとっては大きなお買い物だったけど
2019年はこのTumblrも沢山更新したいし
音楽でも沢山遊びたいから
購入して後悔はしてない。はず。笑
前に使っていたLaptopはVAIOのもので
両親に就職祝いで購入してもらったものでした。
人生初めてのお仕事でのプレゼン(7年前)
の時も大活躍だったし
NZで就活で必要だったCoverLetterもCVも
全部このLaptopを使った。
今の東京でのお仕事も
Wellington ⇄ 日本 で
スカイプ面接がきっかけで採用していただけたので
全てはこのLaptopがあったからこそ
今の私がいるわけで
バッテリーが壊れてるのだの、
やたら重いだの、
文句ばっかり言っていたけれど
ありがとうって気持ちで
リュックに入れて秋葉原に連れて行きました。
買取してもらったら2,160円でした。
本当に7年間、お疲れ様。
この2,160円は綺麗に私のお寿司代として
消えました。
とっても美味しいお寿司でした。
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Nice to meet you
帰国して5ヶ月、
上京して3ヶ月が経とうとしています。
Wellingtonからバタバタと帰ってきたから
全然NZのことをまとめられていないことに
気づいた。私の限りある記憶と、撮りまくった
写真やムービーたちを頼りにこのブログを
更新していけたらと思います。
まずは自己紹介します。
Sai (♀)
1994年2月6日生まれ 水瓶座 マイペースなB型
長崎県佐世保市出身
高校卒業後、地元の某テーマパークの中の
リゾートホテルで5年間
ベルスタッフ・レセプションとして勤める傍ら
3年間程 語学学校に通い英語を
文法から勉強する。
初めは毛嫌いしていたホテルのお仕事の
奥深さを知り、たくさんのお客様と
素晴らしい同僚に囲まれ勤務しているうちに
ホテルマンの仕事は自分にとって天職だと
感じるようになる。
だけどこれから自分の人生を見つめ
いつまでも地元にいては挑戦ができない、
でも自信がない!! と感じる。
→23歳 4月、海外のホテルで働きたいと
一念発起、渡航を決意。
18歳の時からお世話になったホテルを退職。
好きな食べ物は お寿司、シーフード、
麻婆春雨、うどん。
嫌いな食べ物は レバーとメロン。
あとチョコミントは歯磨きの味がするから苦手。
性格は楽天的だけどせっかち。
最近仕事を溜めるのが大嫌いだと気づいた。
割とさっぱりしていると自分で思っているけれど
感動的なメロディーなどを聴いてしまうと
曲を聴くだけで涙が出て来る。
情に熱いのは父似かもしれない。
高校時代には、卒業式の予行練習から
体育館で一人号泣してしまい
かなり恥ずかしかったのを覚えている。
Sai というのは
私の高校時代からのニックネームで
いまだに昔からの友達には
さいちゃん、さいちゃん と
呼ばれて結構嬉しかったりする(笑)
これといって趣味はないけれど、
好きなことはたくさんある。
音楽、映画、コーヒー、お酒。
体を動かすのが好きで幼少期には
地元でよさこいをしていた。
NZでも自分にあったWorkoutは
ダンスだと気づき、ランニングの傍
Zumba(南米コロンビア発祥のダンス)に
現地の方々と一緒に汗を流した。
2019年の豊富は
身近なご縁があった方々を大事にすること、
ダンスとDJを始めること!!!
長くなりましたが自己紹介でした。
宜しくお願いします。
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