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迷惑かけたくない
「迷惑かけたくないから、いつ死んでもいいんだ」と言われます。
迷惑かけないように死ぬ、って、どうやったらできるんでしょう?
動物みたいに、山の中に行って、誰にも知られずに死んだら、迷惑かからないのでしょうか?
でも、そんなの、現実的ではありませんよね。
だいたい、いなくなったら家族は探すでしょうから、その時点で迷惑がかかっています。
なにより、死にそうなくらい弱った人が、山の中に行くのは無理でしょう。
それに、ほとんどの人が、一応、お葬式と火葬は望んでいると思われますので、遺体はないといけません。
お葬式ができなければ、自分が「迷惑をかけたくない」と思った相手、たいていは家族でしょうが、家族がいつまでも心の整理ができず、かえって迷惑になってしまうでしょう。
つまるところ、「迷惑をかけないように死ぬ」ためには、「ピンピンコロリ」しかありません。死ぬ直前まで元気でいることが、一番誰にも迷惑をかけないのです。
しかし!これがなかなか分かってもらえない!
「迷惑をかけたくない」 → 「今すぐ死にたい」
となってしまうのです。
しかし、こればかりは神頼み。人知の及ぶところではありません。
もっとも、「自分は明日死ぬ」と言って本当に亡くなる方がいるという話は、聞いたことがあります。「明日死ぬから、親戚一同を集めておけ」と言われ、みんなの見守る中で逝ったとか・・・?
私の利用者さんでも「俺は今週中に死ぬ」とおっしゃり、本当に週内に亡くなられた方がいらっしゃいました。お元気だったので、私は、「まさかそんな訳がない」と思っており、びっくりしました。
ご自分で「その時」がわかったのでしょうか?それとも、有言実行の男だったのか?欲を言えば、土曜日まで生きて下さっていたら、ご家族に会えたのですが。まあそれは、生きている者のわがままというものでしょう。
いずれにせよ、そんな方は、めったにいらっしゃいません。
で、「迷惑かけたくない」利用者さんに、「じゃあ、死ぬときまで元気でいるために、デイサービスに行ったり、リハビリしたりしましょう!」と言うと、「もういいんだ。だって、迷惑かけたくないから」
「誰に迷惑かけたくないの?」と、心の中でつぶやく私。
毎週毎週仕事を早退して、新幹線で来てくれている娘さんたち。
娘さんたちの顔を見たい気持ちも、もちろんわかります。
だけど、娘さんたちにも生活があります。
お父さん(利用者さん)が元気だったら、来られない時は、電話で話して体調確認することもできます。
私(ヘルパー)を含め、デイサービスやリハビリなどの介護サービスは、逆に、利用していただければ、ありがたいのです。
ご自分でお金を払って利用されるのなら、娘さんたちにも迷惑かけていません。
「迷惑をかけたくない」ところが、違ってやしませんか?
まあ、ね、「迷惑をかけたくない」とおっしゃいますが、つまりは「人に助けてもらいたくない。自分でできることだけやっていればいい」と言い換えてもいいかも、と思います。
でもね、想像してみてください。
助けてもらいながらでも、30分できれいなお洋服に着替え、歯を磨いて髪をとかし、「行って来ま~す!」とデイサービスに出かけて、「楽しかったあ~」と帰って来る人。
助けてもらわずに、2時間かけて自分で準備して、買い物に出かける人。
2時間もかけて準備すると、疲れてしまって、歯を磨いたり、髪を梳かすのは、面倒くさくなってしまうかも知れません。
さらに買い物で疲れ、帰ってきたら、何もする気が起きずに寝てしまうかも知れません。着替えも洗濯も面倒になってしまって、お洋服は汚れ、もう外出したくなくなってしまうかも知れません。
さあ、「団塊の世代」が、75才になる、「2025年問題」は、すぐそこに迫っています。
この先、どのように生きて行きましょうか?
ひとりひとりの生き方が、日本の将来を左右するかも知れませんよ?
R6.2.23 H
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猛暑果つ
以前書かせていただいた、Cさんが、施設に入られました。
コンビニでしか買い物されない、あの方です。
今年の夏の暑さで、体調を崩されました。
毎回、買い物の時に冷たいお茶をリクエストされていました。
「コンビニで買ってくれ」とおっしゃってましたが、ヘルパーは黙ってお隣のドラッグストアで買っていました。コンビニで買うと140円、ドラッグストアで買うと110円。コンビニで4本買う値段で、ドラッグストアでは5本買えます。
今年の異常な暑さは、そんなチマチマした努力など焼け石に水だったようで、さすがのCさんも、座り込んで動けなくなっていました。
ケアマネが、すぐにショートステイに行ける施設を探してくれ、普段は憎まれ口をたたいていたCさんも、さすがにしんどかったのか、すぐに納得されて、施設に行かれました。
私は、ケアマネと一緒に施設に行き、残ったCさんのお金を、施設��職員さんにお渡ししました。
施設の職員さんの話では、Cさんは、その施設に1台だけある飲み物の自動販売機で散財しているらしいです。
台所に行けば、お茶があるのに、あるいは、職員さんに言ってお茶をもらえばいいのに、自動販売機で買っておられるらしいです。
やっぱり、Cさん、買い物が好きなんだなあ・・・。
「お金、無いって!」
「貸しておいてくれ。次にもらったとき、返すから」
「次にもらえる日まで、半月以上あるじゃないですか!さすがに貸せません!」
と、ケンカした日々が、途端に懐かしい日々になり、施設の職員さんと、同じようなやりとりを繰り返しているのかなあ?と思う��、自分が困っていた時のことを忘れて、「クスッ」と笑ってしまいます。
前回書いたように、Cさんは、Cさんでしかいられないのでしょう。
Cさんは、お金が無くなると弟さんに連絡してお金を送ってもらっていましたが、さすがにそんなにしょっちゅう弟さんに頼むわけにもいかなかったのでしょう。近所の知り合い、たとえばお隣の方とか、お子さんのお友達で家族ぐるみで付き合っていらした方などのところに、口実を作って訪問しては、お金を借りる機会をうかがっておられたようなところもありました。
そんな、社会的に、ちょっと困ったCさんの生活を、とりあえず困らないようにするのが社会福祉の仕事ですので、役所、包括支援センター、ケアマネ、民生委員さん、弁護士さん ヘルパーと、それぞれがそれぞれの立場でCさんにアプローチし、機会をうかがいました。
「家電製品は壊れていて、全部使えない!」と主張するCさんに「試しに使わせてみて」とお願いして炊飯器を使わせてもらいました。炊飯器はちゃんと使えたのですが、計量カップがなく、適当にお米を計ったら、糊のようなご飯が炊けたらしく「あんなまずいご飯は食べたことがない!」と、声を大にして言われ、お米を買って節約してもらう作戦は失敗しました。
その時に初めてお家の中に入れてもらったのですが、スリッパを履いて良いのはお玄関だけで、台所に入る前にスリッパを脱いでと言われ、スリッパを脱いで、うずたかく積まれたゴミの山を乗り越えました。(事務所に帰ったら、まあちゃんに「早く靴下を捨てなさい」と言われ、ゴミ箱のふたを開けてくれました)
弁護士さんは、毎月生活費を現金書留でのぎくに送ってくれていました。Cさんに直接送ると使ってしまわれるし、Cさんの生活費を会社の口座に送金するわけにもいかず、現金書留になりました。
そうやって、Cさんの生活を立て直そうと、色々な人がいろいろやってみて、最終的には今年の夏の、異常な暑さが事態を動かしたのでした。
もしかしたら、「結局、Cさんを動かせたのは、福祉の力ではなく、自然の力じゃないか」と思う方もいらっしゃるかも知れません。
でも、それでいいのです。
私たちは、Cさんを変えたかったのではなく、Cさんの生活を変えるチャンスをうかがっていただけなのです。
異常な暑さの夏は終わり、朝晩は寒いくらいになってきました。Cさんの人生は、ご自宅から施設に場面を移して、まだまだ続いて行きます。
自宅では、せんべい布団で、寒さに震えていらしたCさん。訪問するといつも、凍える手をこすり合わせながら出て来られてましたよね。今年は暖かい布団で眠れるね。温かいお茶も、いつでも飲めるね。
私は安心だけれど、Cさんはどうなのでしょうね。
何が君の幸せ~♪何をして喜ぶ~♪
バイクに乗って向かい風の中、アンパンマンの歌でも歌って、次の訪問に行きましょうかね~
(それにしても、バイクに乗ると、何で歌いたくなるんでしょうかね?)
R5.11.3 H
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わらの犬
ドラマを見ていると、「わらの犬」という言葉が出てきました。
「天地ハ仁ナラズ、万物ヲ以テ芻狗(すうく=わらの犬)ト為ス」
「天は優しくなんかない。すべての物を、使い終わったら捨ててしまう藁の犬のように扱う」という老子の言葉で、ドラマの中では、世の中の理不尽に触れて涙する主人公の女性に、相手方の男性が言った言葉です。
いろいろな方の人生を垣間見る、訪問介護の仕事の中では、理不尽と思われるような場面を見ることも、少なくありません。
夫と息子さんに先立たれ、生活保護を受けている女性のお宅に入っていたことがありますが、その時、テレビで生活保護の不正受給問題が取り沙汰されたことがあり、いたたまれない気持ちになっていました。
女性は、大正生まれ。父や夫に仕え、社会に出て働くことなど許されなかったでしょう。自分より夫や子供を優先し、お金も、自分より夫や子供のために使ったことでしょう。
そんな女性が、思いがけず夫を早くに亡くされ、頼みの綱の一人息子さんも病気で亡くなってしまわれたのです。
その方が高齢になられ、私達が入らせていただいている時には、すでに90才を過ぎておられました。
「公助」は、そんな方にこそ必要なのではないのでしょうか?
なのに、その頃世間では、生活保護を不正受給したとか、しようとしたとか、大きく騒ぎ、生活保護を受けること自体が悪いことのように捉えられて、なんだかなあ、と思��ていました。
高齢者虐待などもあります。
身体的暴力を伴うような、警察沙汰になりそうな事例は、さすがにそれほど多くはありませんが、言葉の暴力、というか、たぶん言う方の息子さんや娘さんは、暴力とは思っておられず、せいぜい親子喧嘩か愚痴ぐらいにしか思っておられないのです。
「いい加減にしろよ!○○って言っただろう!」とか、
「できもしないくせに、やるって言うな!」とか、
私達は「もっと優しく言ってあげればいいのに」と思いますが、何度も同じことを言われたりされたりしているご家族は、たまには怒鳴りたくなる時もあるのでしょう。
中には、息子さんや娘さんの方の事情で、生活が大変になったので、80代90代の親に頼み込んで実家で同居させてもらっているような方もいらっしゃり、居候のはずの息子さんや娘さんが、家主である両親に冷たく当たっているのを見ると、やっぱりいたたまれません。
もちろん、息子さんや娘さんにすれば、自分自身が病気やなんやで大変なのに、認知症になった親御さんが、困った言動をして、そちらにも対応しなければならないとなると、キツく言いたくなるのもわかりますが・・・。
世の中は理不尽です。
きっと、昔からそうだったのでしょう。
だから、老子先生も、そのような事をおっしゃったのでしょう。
ヨガの先生に教わった、インドの古典もそうでした。
「生」と「死」は平等であり、生きていても死んでいても(もっと言えば殺しても)、それは誰かが悪いわけではなく、ただ天の意に従っているだけなのです。
天が、万物を「わらの犬」のように扱った結果なのです。
介護の仕事は、「感情労働」だと言われます。
「感情労働」というのは、どんなにつらい時でもニコニコとほほ笑んでいることを求められるというような仕事のことです。
まあ、デパートの店員さんなどを思い浮かべていただくと、わかりやすいかも知れません。
理不尽を見たり聞いたりしても、感情移入して泣いたりせず、少しでも利用者さんの利益に供するように仕事をするべきなのですが、ヘルパーだって人間です。
理不尽を見たり聞いたりすると、心が痛みます。
そして、職を離れてしまう方もいらっしゃいます。
「介護職はメンタルやられる」などと、世間では言われているようです。
「天地不仁以万物為芻狗」
この言葉は、私達を突き放しているようで、そうでないかも知れない。
あなたも「わらの犬」なら、私も「わらの犬」。小池百合子東京都知事も、イーロン・マスク氏も、ゴミ屋敷に住むあの利用者さんも、病気で苦しむあの利用者さんも、みんな「わらの犬」。
天が気まぐれに決めたとおりに生きているだけです。
私は私でしか生きられない。私は私のままで生きて行くし、そのまま生きて行けばいい。
無理やり何者かにならなくていい、そのままでいいんだよ、と言っているようにも受け取れます。
物思う秋・・・秋の夜長にまたいろいろと考えてしまいました。
・・・と言っても、今年は暑すぎてなかなか秋にならないですね。
物思う・・・と言うより、暑さで頭がパンクしそうな私なのでした
R5.9.18 H
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Perfect Woman
素敵なお宅に訪問しています。
豪邸?の定義はわかりませんが、広くてきれいなお宅です。
ご主人さまは100歳近いのに、外国がお好きだったとのことで、海外勤務が長かっただけでなく、お仕事や旅行で、色々な国に行かれたそうです。
お家の中も外国仕様。お台所はアメリカ製で、冷蔵庫はGE製。お家の中、いたるところに、海外の素敵な調度品、絵画や置物があります。
ご主人は陽気な方で、スポーツマン。コロナ以前は、週2でゴルフに行かれるくらい元気だったそうですが、コロナで外出ができなくなり、足腰が弱ってしまわれました。
奥様も陽気で華やか。眉はキリっと山型。まつ毛エクステもしていないのに、長いまつ毛に大きな瞳。現代であれば、モデル事務所が次々声をかけてきても不思議ではないほどの美人です。
その美人の奥様が、ご主人のことを、細々と世話をしておられます。
「ほら、あなた。ここに名前を書いて。あら、あなた、手が汚れているわね。どこでこんなに汚したの。ちょっと待って。拭かなくちゃ。ほら、あなた、手を出して。拭いてあげますから。」
よく気が付いて働き者。まさしく良妻賢母です。
私は、ちょっと不安になりました。
こんなによく気が付いて、良く動かれる奥様ですから、お元気なころは家事も完ぺきだったに違いありません。
介護保険のケア内容は、身体介護と生活支援に分かれてはいますが、時間でお値段が決まり、特に生活支援は、利用者さんひとりにつき、1回60分までしかできません。
ご夫婦お二人いらっしゃるので、もう少し時間は伸ばせるものの、広いお家を、時間内に掃除できるものなんだろうか?
だいたい、広いお家は、「トイレもお風呂も広い」です。
また、お金に余裕のある方は、掃除グッズや洗剤などにも凝っておられる方もいらっしゃいます。
ドイツ製の洗剤で、使用方法もドイツ語で書いてあったりすると、読めません。いったいこれは、お風呂の洗剤なのか?トイレの洗剤なのか?
たまに掃除機なども外国製のお宅があり、使い方が日本の掃除機と違ったりします。例えば、日本の掃除機は、スイッチを1回押せば掃除機が作動しますが、外国製の掃除機は、「ON」のスイッチを押すだけでは作動せず、続けて「強」「弱」のスイッチを押す必要があったり、���ズルを伸ばすのにやり方がわからなかったり・・・。
幸いこの素敵なお宅の洗剤や掃除機は日本製でした。
しかし、この、何もかもパーフェクトな奥様のこと、掃除のやり方にもこだわりが強い可能性は大いにあります。
今までも、便器に手を突っ込んでたわしでこすって欲しいとか、便座を取り外して拭いて欲しいとか、お風呂ドアのレールの隅っこは綿棒でほじくって欲しいとか、数々の「お応えしにくい」ご要望がありました。
介護保険では「不潔でない」程度の掃除しかできません。(もっとも、時間的に余裕があれば、ある程度の要望にはお応えします)
この、パーフェクトウーマンは、いったいどんなご無体な要望を突き付けて来るのか・・・?
が、いざ活動が始まってみると、このパーフェクトウーマン、本当にパーフェクトでした。
ヘルパーがプロの目線から「ここはこうした方が良いです」「こっちは介護保険ではこうなっています」などのアドバイスを、きちんと聞いて下さり、素早く対応して下さるのです。
「ご主人、ずいぶん足が弱られていますね。お家の中の移動は、車椅子の方がいいかも知れませんね」と言った翌週には車椅子がお家に届いている、といった具合です。
かえって余計な気遣いはされません。その分、最初から本音で話ができ、結論が早いです。
私は、「お金持ちで、夫は社会的にも成功しており、眉毛がキリっと山型になっている女性は、高飛車である」という勝手な思い込みを猛省せざるを得ませんでした。
「人間は見た目ではない」という、昔からの教えは、何も金髪ロン毛の若者だけに当てはまるものではないことを、今さらながら思い知りました。
ご主人の身体機能が落ちてきたので、有料ホームへの入所を決められましたが、その決め方も、とても鮮やかでした。
ご主人には最後まで幸せに暮らしてもらいたい、という、愛に満ち溢れていて、私達ヘルパーにも、そのメッセージは、はっきりと伝わってきました。
このような出会いが、私達ヘルパーの仕事を楽しくしてくれます。
素敵なお家と素敵なご夫婦に感化され、今日、仕事が終わって、狭い我が家に帰ったら、夕飯のおかずを1品増やして(と言っても、冷ややっことか冷凍枝豆とかだけど)、夫とビールを飲もうかな、などと考えてしまう私なのでした。
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隗より始めよ
のぎくの部屋の、窓の外のグミの樹が青々と葉を繁ら���ています。少し前まで赤い実もぶら下がっていましたが、鳥たちに食べられたようです。鳥たちが虫を食べているのもよく見かけます。葉陰に飛んでくる虫を、枝にとまった鳥がパクッ、パクッと食べています。飛んでいる虫を、上手に捕まえるものだなあ、と、感心して見ています。
どこかで読みましたが、「都会の人たちは、蚊なんか、世の中からいなくなればいい。蚊がいなくなっても、誰も何も困らないだろうと思っているだろうが、実は蚊は生態系の最下層を、がっつり支えている」のだそうです。
世の中から蚊がいなくなれば、蚊を食べる鳥や、カエルなどがいなくなり、鳥やカエルがいなくなれば、それを食べる小動物がいなくなり、その小動物を食べる大きな動物がいなくなり、草花も種を運んでもらったり、受粉を助けてもらったりすることができなくなり・・・、つまり、世の中から蚊がいなくなれば、人間の種の存続にも大きな影響があるということですよね。
ちょっと前にネットニュースで、カエルの鳴き声がうるさいから、田んぼの持ち主に対策を依頼したというのを見ました。もう少し前には、子供の声がうるさいという苦情から、公園がなくなったというニュースもありました。
こんな時、私は、以前書いた「アラ90」の方たちを思い出します。
アラ90(アラウンド90歳)の方たちは、「他人に迷惑をかけないように」生きて来られました。
アラ90の方たちの言う、「他人に迷惑をかけない」こととは、「自宅の周りに散った落ち葉をそのままにしていると、誰かが滑るかも知れないし、汚い道路を見て通行する人たちが気分を悪くするので、掃き清めておく」ことでした。
つまり、「落ち葉は散るもの」であり、「散った落ち葉を始末ししない」ことが、「他人に迷惑をかけること」であると、教わりました。
しかし、今や「落ち葉が散ること」が「迷惑なこと」と捉えられ、「カエルが鳴くこと」も「子供がはしゃぐこと」も「迷惑なこと」になってしまうんですね。
だから、落葉する木を植えている隣家は「迷惑な人」で、カエルを田んぼに住まわせている田んぼの持ち主は「迷惑な人」で、公園で子供を遊ばせている保育園や親も「迷惑な人」になっちゃうんですかね。
このような考え方の変化は、今の70歳代辺りの方から、変わってきたように思います。
アラ90の人たちは、ヘルパーに「お世話になっている」と言ってくださいます。「仕事ですから」と言っても、「それでもお世話になっていることには変わりない」そうです。
アラ70の方たちは、どちらかというと「大変なお仕事よね」とおっしゃいます。
そういうと、俳句の本を読んでいたら、「水振舞い」という季語がありました。昔は、夏、木陰などに冷たい水を用意し、通行人に振舞ったそうです。
何という お・も・い・や・り!
もちろん、現代で同じことをした方がいいとは思いません。
でも、その、他を思いやる心は真似をしても良いのではないかと思います。
今こそ!私たちは、アラ90の方たちに学ぶべきです!
そして
落ち葉にはロードスイーパーを。
カエルの鳴き声と子供のはしゃぎ声には防音サッシを。
蚊にはかゆみ止め、あるいは蚊を寄せ付けないグッズを。
人類の��智は、そういう方向に使って欲しいです。
私も、まず自分が、人に優しい人になりたいと思います。
まず、隗より始めよ、ですよね
R5.7.1 H
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お金がない!
のぎくの事務所のある場所、川崎市麻生区は、住宅地です。東京のベッドタウンというやつです。
40年くらい前に開発が進み、その頃30代、40代でお家を買われた方たちが、今、70代、80代となり、高齢化が進んでいるそうです。
で、振込詐欺なんかも多いらしく、利用者さんのお宅にお巡りさんが注意喚起に回ってきたそうです。
テレビでも、海外に拠点を置いていた詐欺団が逮捕されたニュースをやっていました。
手の込んだ詐欺の手口を考えられる頭脳があるんだったら、それをいい方向に使ったらいいのに、正当な方法でお金持ちになれそうなのに・・・、と、私達小市民は、誰もが思うのではないでしょうか?
でも、不思議と、悪いことを思いつく人は、なぜか良いことをする方法を思いつかないようです。
そう思うことが時々あります。
お金がないのに、お金を使い方が間違っているのでは?と思うような利用者さんが、時々いらっしゃったからです。
昔入らせていただいていたNさんは、テイクアウトのお寿司屋さんを愛用されていましたが、「生ものはお腹を壊す」とおっしゃって、キュウリ巻きばかりを注文されていました。でも、さすがに毎日キュウリ巻きの出前を取ると、高くつくので、キュウリ巻きはたまに取ることにして、ヘルパーがキュウリの酢の物を作ったのですが、なぜかそれは嫌で、やはりキュウリ巻きの出前に戻ってしまいました。
で、お金がないのに、時々「?」と思うようなものを買われるのです。ある時は、ダイエットのためのトコロテンの何十食セットとかいうのを買う!とおっしゃって聞かず、結局買われたことがありました。「そんなことをしたら、ご飯を買うお金が無くなっちゃいますよ。」とみんなで言いましたが、ダメでした。それでお金がなくなってしまいましたが、もうしょうがない。
どうすることもできないでいると、なぜかそのうち、お金を出して来られるのです。普段交流のないお姉さまに電話して、1万円ほど送ってもらったようでした。
Nさんは、若い頃は普通に働いておられたそうですが、ご両親の介護のために仕事を辞められたそうで、ご両親亡きあとは、特に復職せず、のんびり過ごしておられたようです。
散歩して、チェーン店のラーメン屋さんでよくラーメンを食べた、と、話して下さっていました。
介護のためとは言え、どうして仕事を辞めてしまわれたのか、ご両親が亡くなった後に、パートでも仕事をしようと思わなかったのか・・・。していたら、キュウリ巻きはともかく、トコロテンを買っても、毎日の食事代くらいはあったのではないか?・・・なんて、私達は考えてしまいますよね。
Nさんの人生なのにね。でも、ちょっとは心配しちゃったから。Nさんに振り回されたから・・・。
少し前に入らせていただいていた、Eさんは、病気で苦しそうなのに、食事内容があまり健康的でなく、心配されました。きっと、台所に立つのも辛いことが多く、インスタントラーメンぐらいしか作れない日も多かったのではないかと想像されます。
でも、「私のお金なのだから、私が何を買おうと、あなたに関係ないでしょ!」というスタンスでした。
そして、「何も食べていないのに、どうしてこんなに血糖値が上がってしまったのかしら?」とよくおっしゃっていました。
また、別の方、Cさんは、コンビニでしか買い物をされません。
お隣にドラッグストアがあり、ペットボトル飲料などが数十円安く売られているのですが、なぜか「コンビニで買って」とおっしゃいます。
ヘルパーは黙ってドラッグストアで買っています。ペットボトル飲料が、コンビニとドラッグストアで味が違うとは聞いたことがありません。
で、お金がなくなり、「そのうち返すから、立て替えておいて!」などと電話が来るようになり、「じゃあ、もうコンビニで買うのはやめて、スーパーで買い物してください!」と言ってスーパーで買い物したら、あずきの缶詰が、「スーパーのは柔らかすぎる!」と文句を言われました。
「カ〇ピーのはダメだ!コンビニのは井〇屋だ!」「じゃあ、井〇屋のを買ってくればいいのね!」と、売り言葉に買い言葉。「いや、スーパーで買わなければいいことだ!コンビニで買ってくれ!」
よく見たら、コンビニのはプライベートブランドでした。
週2回、あずき缶を買い、プラスチックのスプーンをもらっていたら、コンビニのお姉さんに覚えられてしまい、何も言わなくてもスプーンをつけてくれるようになりました。
そのCさんも、弟さんからお金を送ってもらっていました。
本当に不思議です。コンビニじゃなくてスーパーで買い物すれば、少しは節約できるのに、「自分で節約する」ことには頭脳を使わず、「誰かからお金をもらう」ということにばかり頭脳を使っておられるように見えます。
あっ、もう一人思い出しました。
サ責になりたての頃に担当していた、Iさんです。
いわゆる「いいとこのお嬢さん」だったらしく、少しは働いたことがあるものの、基本的には親御さんのお金、親御さんが亡くなった後も遺産で生活されていました。昔は今ほど平均寿命も長くなく、心配していなかったが、思いがけず長生きをして、そのうち遺産を食いつぶしてしまい、毎月少ない年金を使い果たしてしまうと、弟さんや姪御さんに無心するという生活をされていました。
ですが、そのお金でヘルパーに買い物を頼み、ヘルパーが買って来たものの中から、必ず何品かをヘルパーに渡そうとされるので、とても困りました。
で、「年寄りがあげるというものを、気持ちよく持って行けないの?私たちの年代は、こうするのが当たり前の価値観なの。ごちゃごちゃ言わないで!かえってうっとうしい。黙って持って行ってちょうだい!」(私は病気で辛いのに、不毛なやりとりで体力を使わせないでよ!)
ケアマネとも相談し、小さなお菓子のよう��ものはいただき、高価なものは一旦受け取ってから、姪御さんに返すようにしました。「母の形見の指輪」をいただいたこともあります。(ちょっと怖かったです)
ケアマネが「人に物をあげることによって、人間関係を築こうとしている」と言っていました。たしかに、「人に物をあげる」ことで、「私は、この人より上の立場なのだ。」という気持ちを持ちたいのかも知れませんね。
一度、「買い物依存症」のことを調べた時に、書いてあったのですが、買い物をすると、ちょっと楽しくなるそうです。楽しくなる時は、脳内に「快楽物質」というものが出るそうです。それは、麻薬みたいに脳に影響を及ぼし、やめられなくなるそうです。
なるほど、NさんやEさんは、自分の買いたいものを買うことで「ちょっといい気分」になり、快楽物質が出て、自制が効かなくなっていたんですね
Cさんは、スーパーでなくコンビニで買い物することで、Iさんは人に物をあげることで、快楽物質を分泌させていたんですね。
納得はできますけど、容認はできません。でも、快楽物質が麻薬のように体内を駆け巡っているのを、止めることもできないし・・・。
ということで、たぶん、自分でも、どうしても止めることができないんでしょうね。
そして、詐欺団が逮捕されたように、自分で痛い目を見ないと、変わらないのでしょう。
人間、なかなか変われるものではありません。特に、自分から変わろうと出来る人はなかなかいないですよね。
Nさんも、Eさんも、Cさんも、Iさんも、そのままでいいよ。
ひどい言い方だけど、お金なくなってひもじい思いをするのは自分だし。
お腹が空いて、ひもじくて、「何とかしてよ!」って言われた時に(みんな慣れててあんまり言わないけど)「じゃあ、こうしたら?」と言える提案だけは考えておこう
だって、私はヘルパーなんだから。
R.5.5.3 H
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生きている意味
年を取って歩けなくなったらどうするか?
食べられなくなったらどうするか?
年を取らなくても、急に倒れて、日常的に重い医療処置が必要となったらどうするか?
行きたいところに行けず、食べたいものも食べられず、何をするにも誰かの手を借りないと生きていけなくなったら、生きている意味、あるんでしょうか?
先日お医者様のフォーラムのお手伝いをして、聞いていたら、「口から食べられなくなったら、どうしますか?生きている意味がないと思いますか?」という��いかけが印象に残りました。
歩けなくなってしまったSさんのところに、排泄介助に行くと、Sさんはいつもおっしゃいます。
「いいよ。私、あなたが帰ったらトイレに行くから。」
便臭がしていても、
「寝る前にお風呂に入るんだから」
嘘です。しません。できません。Sさんの願望にすぎません。
「はい、はい。わかっています。知っています。でもね、今日Sさんの顔を見に来たついでに、ちょっとだけ、私にもやらせて。ね、練習、練習。すぐに終わらせるから」
あの手この手でSさんをベッドに横たえ、ズボンとパンツをずらし、プライベートゾーンを素早く観察して、パッドやパンツを取り換え、拭いたり薬を塗ったり、必要な処置を行います。
「ああ、いやだ、いやだ。こんなことをされるのは大嫌いだ。もう死にたい。死んでしまいたい。」
こんなことを毎日続けています。排泄は毎日のことですから。
もっと重い症状の方もいらっしゃいます。
寝たきりで、呼吸器をつけ、栄養はチューブから供給される・・・。
「お子さんの頃から、そういう方もいらっしゃいますよね?その子は「生きている意味」がないんでしょうか?」と、お医者様は問いかけられます。
フォーラムを聞いている人みんなが、「生きている意味」とは何か?を考えます。
私自身は、生きていること自体が「生きている意味」だと思っています。今もってヨガの影響ですが。
「それはあなたが、辛い経験をしたことがないからよ!」とか、「物事を突き詰めて考えない、大雑把な人なのね。」とか言われそうですが。
「死ぬ準備」は、生き切るためにこそやるものだ、と、お医者様のフォーラムで言っていました。
例えばSさんは、お元気な時から「便や尿の後始末を他人にやってもらうなんて、まっぴらごめん。それだけは、絶対にイヤ!譲れない!」と思っておられたのかも知れません。
だったら、いつまでも歩いてトイレに行けるように、元気なうちからリハビリに励むとか、少し弱ってきてもポータブルトイレを利用するとか、Sさんの気持ちに寄り添えるような方法はいくつかあったはずです。
Sさんも含め、多くの人は「排泄介助を他人にやってもらうなんていやだなあ」とは思いつつも、「リハビリなんて辛いし、本当に効果があるの?」とか、「ポータブルトイレなんか部屋に置いたら、狭いしくさいし・・・。」などと言っていたら、そのうち自分でトイレに行けなくなってしまい・・・。
(ちなみに、今のポータブルトイレは、だいぶ進んでいます。臭くならないような工夫が凝らされています)
「排泄介助を他人にやってもらうのは嫌だから、何が何でもリハビリに励む」のか、それとも「排泄介助を他人にやってもらうのは嫌だけど、リハビリするのも辛いから、オムツ生活になっても仕方がない」のか、それを元気なうちから、決めておきなさい、というのがフォーラムの結論でした。
もちろん、排泄だけではありません。
最初に書いた通り、「食べられなくなったらどうするか?」
「食べない」「高カロリーの栄養食なら食べる」「胃ろうにする」「鼻からチューブ」「血管に点滴」どこまでやりますか?
足が弱ってきたら?
「デイサービスでも何でも通ってリハビリに励む」「歩いたり、スポーツクラブなどに通って自分なりに努力はするが、デイサービスまでは行きたくない」「自然にまかせる」
車椅子に乗るとしても、さらに細かい選択があります。
でも、介護保険なんて詳しく分からないでしょうから、どうぞ、ケアマネージャーや、私達ヘルパーなんかに聞いてくださいね。
そして、どうぞご自分の人生を、最後まで生き切ってください。
R5.4.4 H
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いつも思うこと
いつも思います。
お年寄りのこと、介護のこと、認知症のことなど、思いつくままに書いていますが、皆様にちゃんと届いているのだろうか?いつも同じようなことばかり書いて、と、思われていないだろうか?
しーちゃんが、認知症の方のドキュメンタリー映画を貸してくれました。
私達が数か月から数年をかけて見ている、認知症の進行度合いを、2時間弱で見るような形なので、とてもよくわかります。
たいていの方は、同じような経過をたどられます。
何でもできたスーパー主婦で、自慢のお母さんが、色々なことができなくなってきて、でも自分でやろうと思って、葛藤する時期
自分では出来なくなってきたことを認めざるを得なくなり、嘆き悲しむ時期。映画でもお母さんが「死にたい!」と泣き、お父さんが「みんな心配してくれて世話になっているのに、そんなこと言うのなら死にゃあいいがね!」と怒る場面が印象的です。
横道に逸れますが、昔、「お孫さんと動物園に行ったんだって?良かったねえー」と色々な人に言われ、泣きだされた、認知症の女性を思い出しました。
どうして泣きだされたのか、本当のところはわかりませんが、「良かったねーと言われても、何のことかわからない、自分だけがわかっていないことが悲しかったのかな?」と、周囲の人と話し合いました。
本題に戻りますが、介護保険サービスが軌道に乗り始めると、ヘルパーさんが来ることや、デイサービスに行くことが日常となります。
が、認知症は進行するので、様々な問題が出てきてサービスを増やしたり、変更したりするのですが、その段階でも、スムーズに行かない方もいらっしゃいます。
私達介護サービスの事業者にとっては、この段階が結構長いです。
いろいろな提案をしても断られたりします。
「生活」を「仕事」にするのは、境界線があいまいで、本当に難しいです。
例えば、重要事項説明書に、ヘルパーの出来ない事として「家具の移動」と書いてあります。これは、「模様替え」を念頭に置いて書かれたものですが、先日利用者さんに聞かれました。「小さな観葉植物の置いてある、キャスター付きのワゴンを移動して掃除してもらう事もダメなんですか?」と。
それが「良い」か「良くない」かは、私達サービス提供責任者が、様々な条件を鑑みて決めます。一概に横〇センチ、幅〇センチ、高さ〇センチまでなら良い、などと決めるものではありません。
それをどけて掃除しないと、清潔が保たれないのか?利用者さんにどけてもらって、その間にヘルパーが掃除機をかけたら、自立支援になるんじゃないか?いろいろなことを考えて、決めます。
きちんと理由を言って、決めたことであれば、多くの利用者さんは納得してくださいます。まあ、認知症の利用者さんなど、納得してくださっても、忘れてしまわれる、ということはありますが。
さらに認知症が進み、生活のほとんどを介助がないと出来なくなってくると、家族が介助するのか、施設にお願いするのか・・・と言う流れになります。施設に入られると、ヘルパー派遣も終了となり、私達も淋しいです。
多くの方が、「そんなに人様に世話になってまで生きる必要があるのか」と悩まれるでしょう。
逆に、家族の方からすると、「どんなになっても、最後まできちんと生ききって欲しい」と思われるかも知れません。
以前も書きましたが、「自分の人生は、自分だけの物ではない」と、今は私もそう思います。
何よりもまず、今まで自分の肉体を維持するために、多くの動物や植物(肉や野菜ですね)を犠牲にしてきたのに、自分は「死にたいときに死ぬ!」なんて、やっぱり自分勝手すぎるような気がします。
食べることが好きな私は、「美味しいものが食べた~い!」と言って、家計が破綻しない程度に食べたいものを食べ、今すぐに使わないエネルギー(脂肪ですね)を、体の中に溜め込んでいると言うのに、「生きているのがイヤになったから死ぬわ」とか言ったら、あの時食べた牛さん、豚さん、ウナギさんやマグロさんなんかが、体の中から一斉にブーイングをされそうです。
利用者さんを見ていると、体がもうエネルギーを必要としないと判断したら、勝手に食が細くなり、エネルギーを蓄えなくなり、最後には水分ですら必要でなくなります。
水分すら必要でなくなった肉体は、何もせず放っておくだけです。そんな肉体に点滴などで水分を補給すると、却って体がしんどくて、苦しいのだそうです。
でも、多くの人がそんなこと知らないので、びっくりされます。
知人にその話をして、「瀕死の病人に点滴すらしない、鬼のような家族」と受け取られたという話も聞いたことがあります。
もっとも、そこまで生ききる前に、病気で倒れる方のほうが多いのじゃないかと思いますが。
将来、「老化は治せる病気」になるそうです。そうなったら「人生の終わり方」も、もしかしたら変わるのかも知れませんね。
生々流転、世の中は常に変わっていくものなのです・・・
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家族のあり方
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて先月、「ヘルパーは家族じゃない」と書きましたが、やはり、結構、同じような方(なるべく親にはかかわりたくないと思う方)はいらっしゃるようですね。
ただ面倒くさくて親の世話を他人に任せれば楽だと思っていらっしゃる方は論外ですけれど、でも、世の中には、「毒親」と言われる方���がいらっしゃって、「そんな親とは金輪際かかわりたくない」というお子さんもいらっしゃるようです。
それで親の人生の後始末をどうするかと言えば、やっぱりお金で解決してくれるサービスなんかもあるそうです。
「地獄の沙汰も金次第」と言う言葉もありますが、様々な事情で、どうしても親にかかわれない子供にしてみれば、お金で解決できることは、ありがたいことでしょう。
その昔から「教育ママゴン」とかいう言葉もあったし、「アダルトチルドレン」というのもあったし、親子の問題は昔から本質はそれほど変わっていないのかも知れません。
「教育ママゴン」に反発して、今は音信不通だとか、そこまでじゃないけど、実家には寄り付かないとか、珍しい話ではありません。
さらに、そこまでじゃないけど、昔偉そうにしていた親が、年を取って様々な失敗をするようになったのに、失敗を認めないばかりか、昔と変わらず偉そうにしていて腹が立つ、とか、子供の方が親の老化現象を認められない(いや、認めたくない)とか、どこのご家庭にも、何かしらありますよね。
ヘルパーなんていう仕事をしていると、様々な親子関係を見てしまいます。
最初の頃に書きましたけれど、そこが考えさせられるところでもあり、ヘルパーと言う仕事の面白さにもつながるところでもあります。
長男夫婦と同居をしたら、デイサービスに行く時にお嫁さんが「いってらっしゃい!」と笑顔で送り出してくれ、帰ってきた時にも「お帰りなさい!」と笑顔で迎えてくれると思っていた姑。でも実際は、お嫁さんは自分たちの生活を維持するための仕事で忙しく、そんなことはしてくれない。文句を言ったら、心の中で「あんたの息子の稼ぎが悪いんだから、息子に言いなさいよ」と思われている。
食事の支度が面倒くさくてカップうどんで済ませたら、「そんなものばかり食べているから病気が悪くなるんだろう!」と怒られ、薬の量ばかりが増えて行く。だったら、お嫁さんが私の食事管理もしてくれればいいのに・・・。私のこと、いくつだと思っているんだろう?もう立っているのも辛いのに。
息子が高齢者向けのお弁当や、ヘルパーを手配してくれた。お弁当では食べられないようなもの、今食べたいものをヘルパーさんに作ってもらえばいいと言う。でも、そうじゃない。私の求めているものは、そういうことじゃない。どんなに美味しいお弁当も、温かい料理も、一緒に食べてくれる人がいなければ、味気ないのは同じこと。
この家は私の家。夫と私が建てた家。夫は亡くなり、家賃が浮くと思って、長男夫婦が引っ越してきた。リフォーム代も私が出した。
なのに、この仕打ち・・・!
とまあ、姑側の気持ちになって書いてみました。
もっと他のストーリーでも書けます。
昼ドラじゃありません。よくある話です。
息子側の気持ちで書いてみましょうか
父亡き後、母が「こんな広い家でひとりで住むのは寂しい」と言うので、嫁に頼み込んで同居を決めた。母は、出かける時に嫁にお見送りやお迎えをして欲しいらしいが、こっちだってまだ現役で働いているんだから、それは無理だよ。生活時間も違うし、母のように6時に夕食とか、難しいよ。せめてもと思って、嫁がおかずを作ってくれたり買ってくれたりし��いるし、自分だって休みの日には車で買い物に連れて行く。なのになんでいつもカップうどんばっかり食べるんだよ。冷蔵庫は食べ物で満杯で、ほとんどは賞味期限切れじゃないかよ。以前は時々外食にも連れて行ったんだけど、嫁に嫌味ばっかり言うから、嫁が嫌がるんだよな。俺と二人で行ってもいいけど、俺だって嫁の悪口ばかり聞かされたら嫌になるよ・・・。
さて、家族とはどうあるべきなのか?
人はどう老いるべきなのか?
20年近くヘルパーをやってきても、いまだにわかりません。
まあ、答えの出る問いではないでしょうが・・・。
Love & Peace
以外にはないでしょうかね
月並みでした。お粗末・・・
R5.1.9 H
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ヘルパーは家族じゃない
テレビの、再現ドラマなんかで良く見る光景・・・
体調が悪くて病院で検査したら、「家族を呼びなさい」と言われ、家族(たいてい夫婦)と一緒に病状の説明を聞く・・・。
それを見た視聴者は、「ああ、なんか重大な病気なんだな」と思う。
友人が乳がんの手術をした時も、家族と一緒に医師の話を聞き、治療方針なんかを確認した、と、言っていました。
でも、介護サービスを使った途端に、介護サービス事業者、つまり、ケアマネやヘルパーなんかが、その、家族の役割を肩代わりしてくれると思ってしまっている人々が時々いらっしゃいます。
特にヘルパーは、家事援助なども行っているせいか、疑似家族みたいに思ってしまう人が多いのでしょうか?
先日、下痢をされていた利用者さんを、近所のクリニックに連れて行ったら、大きな病気が疑われたらしく、医師に
「すぐに大病院で検査してもらいなさい」
と言われました。金曜日の夕方だったので
「紹介状を書くから、明日の朝イチで行ってください」
「えっ!ちょっと待ってください。家族にも確認しないと。家族が行ける時ではダメですか?」
すると看護師さんに
「急変するかも知れないのに!先生が明日と言っているのだから、明日行ってください」
と言われました。
え?いや、だから! と、私は心の中でつぶやきます。
私はヘルパーです。家族じゃありません。
大病院に連れて行って、急に入院や手術が必要だと言われても、賛成も反対もできないし、同意書も書けません。本来だったら、病状の説明すら聞ける立場ではありません。個人情報なんですから。
それに、土曜日に予約もなくヘルパーと大病院に行ったりしたら、何時間かかるかわからず、けっこうな利用料がかかることが予測されます。特に病院での待ち時間には介護保険は適用されないので、自費での���用がかかります。
また、昨今は、「治療しない意志」をお持ちの方も多く、たとえ倒れているところを発見しても、安易に救急車を呼んではいけないことになっています。
そして最後に、たまたま私は土曜日がお休みで、他のお宅に行く予定は入っていませんでしたが、違う曜日だったら、他の利用者さんを放っぽり出しておくこともできません。(もちろん、本当に緊急事態なら、話は別ですが)
なので、家族対応が大原則なのです。
でも、残念ながら、そういう時に「自分は仕事があるから病院には連れて行けない。こういう時にこそ、何とかするのが、あななたちの仕事でしょう?」と言う方がいらっしゃるのです。
もちろん、遠くに住んでいたり、小さいお子さんや介護の必要な別の家族がいらっしゃったりして、対応できない方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そうではないのに、母親に病気が見つかった時ですら、仕事を休めないなんて、どんなブラック企業なのかしら?いや、それとも自営業で、1日お店を休業にすると、倒産しかねないとか?などと、想像を逞しくします。
しかし、そんなブラック企業にお勤めの方であったとしても、せめて「何とかする」の「何とか」の部分、つまり、緊急時の意志の確認が、前々からできていれば、介護サービス事業者でも対応しやすいです。
例えば、
「母はまだ自分の意志をはっきり言えるから、まずは母の意志に従って欲しい。母が判断したことなら、自分たちは受け入れる。お金のことは二の次」
という意志を、家族が示してくださっていれば、私達介護サービスの事業者は、それに従って行動しやすいのです。
そして、急変したときの対応についても、意志を示しておいていただけると、ヘルパーも冷静に対応しやすいです。
以前も書きましたが、「リビングウィル」を、常日頃から示しておいてくださると、とても助かります。
結局、この方は、ケアマネが家族と話し合って、土曜日の通院はケアマネが対応し、医師が直接家族に電話で入院の同意を取り、入院されました。
とっても面倒見の良い先生です。「家族がいるんなら、家族が連れてこい!」と怒る先生もいらっしゃるのに・・・。いや、ちょっと盛りました。「怒る」ではなく、「不機嫌になる」です。医師に不機嫌になられても、ケアマネは困るだけで、ケアマネも不機嫌になり、ますます家族との関係が悪くなるかも知れません。
いずれにしても家族は、入院の手続きや、治療方針の説明と同意のため、来院しなければならないのに・・・。
このように、高齢の親の人生の選択すら、介護サービス事業者に任せてしまおう、というか、任せてしまえると思っておられる家族は、たまにいらっしゃいます。
これを書いている最中に、同じようなことを書いておられるお医者様のブログを見つけてしまいました・・・。
そんな中、私は、この高齢化社会において、病院の看護師さんの意識が変わっていないことにも、少なからずショックを受けました。
この高齢化社会、「急変」→「救急車」→「救命」とは限りません。
「急変」→「主治医」→「看取り」となる可能性もあります。
まずは「急変する可能性も含めて、どう動くか」を家族と話し合ってから、対応することが正解だったと思います。
いつか来る「その時」はどうするか、ぜひご家族で話し合って、私達介護サービス事業者に伝えておいていただければ、お互いに「こんなつもりじゃなかった」と言い合わ��くて済みます。
最近は、どこでも言われていることなのでしょうが、また想いを新たにしました。
もし、あの利用者様に、リビングウィルがあれば、ちょっとあの看護師さんに言い返せたかも知れない、と、何だか悔しい私なのでした。
R4.11.18 H
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来たれ!介護人材!
Sヘルパーが事務所にやって来ました。
「もう、Gさんったら、お酒がやめられないみたいなんです!すっごい大きなビン入りの焼酎を、1週間で飲み切るらしいんです~~~!体に良くないですよね!」
「そうなんですね。Sさん、ヘルパーはお酒を買ってはダメなんですよ。頼まれても買わないでくださいね」
「あっ!そうか!お酒は嗜好品ですよね。ああ、頼まれたら買ってしまうところでした。だって、Gさん、とっても笑顔が素敵なんです!にっこり笑って頼まれたら、私、断れないかも?」
「いや、いや。断って。Gさんのためにもね」
幸いにも笑顔の素敵なGさんは、ヘルパーがお酒を購入できないことをすぐに納得してくださったようです。
しかし、なかなか引き下がって下さらない強者も多いんです。
「黙っていればわからないじゃないか。俺(私)は、絶対そんなこと人には言わない」
「いえ、でも、ばれた時に私が怒られます。クビになっちゃいます。そんなことになったら、私が困ります」
「だから、誰にも言わないのに、ばれるわけがないだろう?」
「あなたが言わなくても、どこかからばれるかも知れません。実際、けっこうこういうトラブルは多いんです」
「そんなこと、あるはずがない!」
いや、あるから。
だいたい、家の中もよろよろ歩いている方のお宅に、大きな焼酎のビンがあったら、誰だって「これ、どうしたの?誰が買ったの?」って思いますよね。ケアマネさんだって定期的に来るんだし、サ責だって用事があって行く時もあるんだし。実際、私も用があって訪問したら、ヘルパーさんが「誕生日だから」と、利用者さんにお酒をプレゼントしていたことがあります。(ずいぶん昔の話で、もう時効だと思うので書きましたけど)
もちろん必ずばれるわけではないでしょうし、よっぽど悪質でない限り、ヘルパーさんがクビになることもないのでしょうが・・・。
もう、押し問答です。押し問答を制するのは、さあ、どっちか・・・。
利用者さんがキレて、「もういい!もう、お前なんか来るな!」と言うかも知れません。
傷つきます。私は、いらない子 なんだ、とか思います。
泣き落としもあります。「俺はよう、もう酒を飲むくらいしか、楽しみがないんだよ。どうして俺の楽しみを奪っちゃうの?」
そうだよねえ、私だって「酒が飲みたい、飲みたい」と渇望しながら死ぬよりも、「うまい酒をたらふく飲んで、満足、満足」って死ぬ方がいいんじゃないかと思いますもん。
でも、買っちゃ���メです。
なぜなら、私達は介護保険を使って派遣されているからです。
介護保険は税金で賄われているからです。
利用者さんは1~3割の利用料を払いますが、あとの7~9割は税金が使われているため、なんでも利用者さんのして欲しいことをしてあげられるわけではないのです。
税金を払っている人たちが、「どうぞ、使ってください」と思えるようなこと、つまり、健康で文化的な生活を送っていただくこと に使います。
健康を害するかも知れない、いえ、健康を害する恐れの大きい飲酒の手助けをするわけには行きません。
現役の頃に一生懸命働いて、足腰が悪くなって、家の中を歩くのもままならない人が、ヘルパーに掃除をしてもらうことは、誰もが納得するでしょう。
でも、お酒を飲んでへべれけになって、飲み物や食べ物を部屋中にまき散らし、ご自身も汚れた服のまま寝ている人の着替えや掃除を、税金で賄うことを容認してくれる人は、どれくらいいらっしゃるでしょうか
利用者さんの方も、介護保険を使う以上健康で文化的な生活を送るよう努力しないといけないし、ヘルパーは利用者さんが健康で文化的な生活を送れるように支援をしなくてはなりません。(中には、「健康で文化的な生活なんて、クソくらえだ!」と思っておられる方もいらっしゃるかも知れませんが、それはまた別の話で・・・)
それが介護保険の目的です。
そこまで理解し、そのことを心に刻んでいたら、押し問答を制することができるでしょう。
ホームヘルパーは、結構難しい仕事です。
介護保険開始頃は、生活支援は主婦の仕事の延長上だというようなことを言われ、特別なスキルはいらないだろうと言われていました。
高齢者が増え、認知症の方も増え、頑固な親御さんに手を焼いている人も増えてきた昨今、「(介護は)たいへんなお仕事ですねえ」と言われることが多くなってきました。
勉強しないと仕事ができない分、時給もちょっと高め、いや、けっこう高めです。最近は、介護人材を確保するため、色々な加算があるからです。
ちょっといやらしい話かも知れませんが、「夫の扶養内で働きたいので、仕事を減らしてください」と言って来られたヘルパーさんがいらっしゃいましたが、彼女は週に2.5日しか働いていません。
私も、子供が小さい頃は、登録ヘルパー(パートタイムですね)でしたが、長期休みの時など、午前中1~2件仕事をして、コンビニでおにぎりを買って帰り、子供たちと一緒に食べ、また午後から1件ぐらい仕事をする、というような働き方をしていました。
その頃、コンビニの商品でシールを集めてもらったお皿は、全部の柄がそろっており、まだ家にあります。それほど某コンビニを愛用していました。
お子さんが2時間くらいならお留守番できる年齢の方にピッタリのお仕事だと思います。
決して楽な仕事だとは言いませんが、やりがいはあります!
介護人材はまだまだ足りず、今後もホームヘルパーの需要は大きいです。
ぜひ、ホームヘルパーの仕事をして下さる方(できればうちの事業所で)が増えることを望んでいます。
手取り足取り、楽しくお仕事教えます!
来てね~!
(ひとつ補足です。このブログは、介護職の中でも、ホームヘルパーの話です。デイサービスや���設介護はまた違うことを、補足しておきます。)
R4.10.10 H
#介護 #介護ブログ #ホームヘルパー #ホームヘルパーの仕事
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百歳 万歳
皆さま、お久しぶりです。
少しばかり忙しく、ご無沙汰している間に、Yさんが100歳のお誕生日を迎えられました。
100歳!百歳!ひゃくさい!
すごくないですか?
100歳でもとってもお元気で、なんと!おひとり暮らしです。
とは言っても、3人のお子様たちが交代でいらして、一緒にお食事作りや洗濯を手伝われています。
お子様たちも70代。さすがにお掃除はヘルパーにお願いしたいとのことで、週1回のお掃除で入っています。
ご本人は、無駄な物が一切置いていないリビングから寝室の間を、飛ぶように歩いておられます。
広いお庭でお花や野菜を育てられ、天気の良い日は、少しの時間ですが、ご自分でもお手入れをされています。
お好きな数独パズルを、ご長男さんと競いながら楽しまれています。
(私の勝手な統計値では、数独パズルの好きな方は、認知症とは縁遠い方が多いように思います。多いと言っても約3名・・・。ですが、私がかかわった方のなかで3名ですよ?確率的には高くないですか?数独パズルは、認知症予防の効果があるんじゃないか?と思ってしまいませんか?)
おしゃれで、細くて、スカートがお似合いで・・・。
スカートをはためかせながらお庭を歩いておられる様子は、世界中で愛されている園芸家のターシャ・テューダーさんを彷彿とさせます。
事業所からお祝いの花束を贈ったら、とても達筆な字でお礼状をいただきました。
もう、見ているだけでありがたくて、ご利益にあずかろうと、事務所前に張り出していました。
前にも書きましたが、日本人は、本当に長生きになったと思います。
嬉しいことではありますが、巷で言われているように、問題もあります。
誰しもがYさんのように元気なわけではありません。
先日、奥様が入院され、ひとり取り残されたご主人のところに、臨時で入りました。
奥様との年の差が7歳というご主人は、今まで家事一切を妻にまかせており、電子レンジで食品を温めることもしたことがないとのことでした。
つまりは、昨今の便利な冷凍食品も使えないことになり、担当のやっちゃんは、「奥さんが入院している間、朝昼晩のご飯をどうしよう?全部をヘルパーさんで賄うには、膨大な料金がかかるし、派遣するヘルパーさんもいないし・・・」と悩んでいました。
若い妻がテキパキと働き、年��離れたご主人が温かく見守る・・・。ご主人は高収入で、お金の苦労もさせていない・・・。
それで良かったのでしょう、若い頃は・・・。
しかし今や、ご主人は90代半ば、奥様は80代後半です。
80代後半の妻が病気になって入院することは、十分にあり得ることです。
時代背景もあったのでしょうが、妻に最後まで世話をしてもらい、介護もしてもらい、看取ってもらうつもりでいらしたのでしょう。
しかしこの高齢化社会、夫が妻の介護をされている方も少なくありません。
ご主人はため息をつきながら「(妻が)復活してさえくれればなあ・・・。こっちが先に逝くだろうから」とおっしゃっていました。
まあ、結局はご主人の希望通り、奥様は復活されましたが、いつまた奥様が入院しないともかぎりません。
日本の男性が家事ができないのは、なにも男性のせいばかりではない、と、またまた何かで読みました。
「男子厨房に入らず」の考え方を受け継ぐ女性たち。いわゆる「嫁姑問題」で悩んでいる方も少なくありません。もちろん利用者さんたちは、姑側です。
でも!男子が厨房に入ることは、男子のQOL(クオリティーオブライフ)を向上させてくれます。
天は自ら助くる者を助く、のです!
今や若い世代は、共働き世帯が多く、家事の分担に苦労しているようですが、若くなくてもぜひ!中高年の男性も、今からでも家事をされることをお勧めします。
・・・こう書いていると、奥さんに「片付かないから早く食べてよ!」と言われ、「はいはい。じゃま者は早く死にますよ~~」と悪態をつきながら食卓に移動されていた、98歳の男性を思い出しました・・・。
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一緒にいようよ
「ボンビーボーイ」で私が書いたようなことを、きちんと理論化して書いてある本を読みました。
人間は、本当に社会的な生き物で、人とのかかわりがないと生きていけない生き物のようです。
毎日ウーバーイーツで最高級のお寿司を取っても、一人で食べると美味しくないみたいです。
親しい人たちと談笑しながら楽しくいただくとか、はたまた貧乏な人たちに見せびらかし、優越感に浸りながらいただくなど、何らかの人とのかかわりがあってこそ、最高級のお寿司を美味しいと思えるようです。
まあ若干(?)私の勝手な解釈が入っています。
ちょっと話は逸れますが、赤ちゃんが言葉を覚える時は、たくさんの人が話しているのを聞いた方が、正しい発音になると聞いたことがあります。
また、赤ちゃんが何か言葉を話したときに、大人が意味を付けてゆくのだそうです。
赤ちゃんが、リンゴを持って「あー、あー」と喃語を発したら、日本人の大人は「あった?あったね。リンゴ、あったねー���」と話しかけるでしょう。英語圏の人なら「Apple? Apple!」とか言うかも知れません。赤ちゃんの「あー」は、日本では「あった」になり、英語圏では「アップル」になるのです。
心でも同じことが起こります。
たくさんの人と関わり、小さな「嬉しい」「楽しい」「腹立たしい」「悲しい」を積み上げてゆくと、自分の心持ちを正しく理解することができるし、他人の気持ちを思いやることができるようになります。
そしてより大きな「嬉しさ」「楽しさ」を味わいたいと思うようになり、より大きな「腹立たしさ」や「悲しさ」を回避したり、軽減したり、やり過ごしたりする技を覚えることができるのでしょう。
人間が、人間らしく生きるためには、その過程が必要であり、赤ちゃんが、人間らしく育つために、家族や友達とのかかわりが必要なのです。
何らかの事情で、長く社会から隔絶された方には、そのかかわりを、最初からやり直す必要があります。
そうして、ホームヘルパーはその第一歩となる場合も少なくありません。
「ボンビーボーイ」で書いたような方や、長い間認知症に気づかれずに放っておかれた方が、どうしても生活が回らなくなって困った時に、「仕事」と言って入って行けるのは、ホームヘルパーです。
「掃除」とか「買い物」とかの名目は必要ですが、掃除や買い物をしながら、その方の生活を360度見渡し、足りないところに必要なケアを届けるのがホームヘルパーの役割です。
その間にも「小さな気持ちのやりとり」を続けます。
まず私は、「季節の挨拶」を、大切にしています。
「暑くなりましたね」「寒いですね」「雨が続いてうっとうしいですね」
お決まりの文句ではありますが、体調や、認知症の進行を測る、バロメーターでもあります。
春夏秋冬、今はどの季節なのかをきちんと把握されているのか、季節に合った服装や暮らしをされているのか・・・。
暑い中、大汗をかきながら暖房をガンガン入れている方がいらっしゃいます。
大雪の中、長時間歩いて訪問し、「すごい雪ですね」と言ったら、「え?雪降っているの?知らなかったわ」と言われたこともあります。ちゃんとお家のカーテンも開いており、庭に降り積もった雪が見えるにもかかわらず、です。
「暑い中、大変ね。まあ、麦茶でも1杯飲んでからお掃除してちょうだい」と言われ、前回書いたような、茶渋だらけのコップで麦茶をふるまわれたら・・・。意を決して飲むべきか、ヘルパーはいただいてはいけないことになっています、と言って断るべきか・・・。お茶1杯のことで、究極の選択を迫られます。
自分で「いろいろ鈍感」だと思っている私は、「大丈夫!」と自分に言い聞かせながらいただくことが多いです。
そして、満面の笑みを浮かべ、「ああ、美味しい!生き返るわあ!これで、バッチリ掃除ができますねっ!」
銀歯をキラリと輝かせる決め顔で、お年寄りをイテコマシます。(汚い言葉ですみません。大阪弁で『一発かます』『やっつける』という意味です。)
まあ、今はマスクをしているので、自慢の銀歯を輝かせることができず、魅力が半減しているので���が。
だんだん慣れてきたら、体調を気遣ったり、服装をほめたり、髪を切ったんですね、とか、お花が咲きましたね、とか、小さな変化を共有したり、冗談を言い合ったり・・・。
���ういうことが大事なんですよね。そう思いませんか?
いつもはうるさい、面倒くさいと思っている家族が、たまたま誰もいなくて一人で過ごすとき・・・それが長時間になると、やっぱりちょっと寂しい・・そんな経験をされた方も多いことでしょう。
一人暮らしでも、自分の足で外に出て行くとか、インターネットで他者と繋がれる人は大丈夫でしょう。
今、私がここにいること、生きていること、私がここに存在していること、息をして、食べて、寝て、〇〇していること、それを認識してくれている他者がいること。
他者がいるからこそ、私は自分自身の存在を確認することができます。
育児でも、介護でも、「ネグレクト(育児放棄・介護放棄 と訳される。つまり、「存在の無視」ですね)」は虐待です。
風薫る5月。目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ。(そう言えば、今日のつくしの里の昼食は、カツオのたたきでした。)生きてるって、いいなあ!って、利用者さんみんなにそう思ってもらえたら・・・。
いえ、そこまで贅沢は言いません。「いつものオバチャンが来て、ご飯を作って行った。いつも同じようなものばかりだけど、まあ、食ってやっか」とでも思ってもらえるのなら。
生きていましょうよ、とりあえず、死ぬまでは。
まあ、いろんなこと、あるだろうけどさ。出会えたことも、何かの縁。しばらくは私もあなたのそばにいて、小さな毎日を過ごして行くよ。
そうやって、今日が終わって、明日が来て、地球は廻って行くんだよ。
R4.5.5 H
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愛しのおばちゃん
おばちゃん、こんにちは。お久しぶりやね。
いくつにならはったん?え?87歳?いやあ、お元気やねえ。
87歳でひとり暮らしなんて、感心するわ。
でも、まあまあそれなりに、お家の中、雑然としてるな。
え?ほこりでは死なへんって?まあまあ、程度問題やけどな。
あ、お茶淹れてくれるん?ありがとう。
・・・なんやこのお湯呑み・・・茶渋だらけやん。
それに、お茶うけに出してくれたこの里芋の煮っ転がし、何とも言えん変わった味やなあー。卵焼きはえらいしょっぱいし。
87歳やからしゃーないって?まあまあ、確かにな・・・。
そやけど、お家のほこりも、茶渋も、料理の味も、放っておいたら健康を害するやん。割れ窓理論ちゅうやつもあることやし。
そろそろ介護保険のサービス、使うたらどない?
え?認知症になったら使う��て?そやから認知症になったら教えて、って?
いや、認知症は、「今日からなりました」ちゅうもんちゃうやん。
この里芋かて見た目は上手に煮えてるけど、味はビミョー。
こういうの、私らヘルパーはこう言うねん。
「包丁や鍋などの調理器具を使うことに関しての認知機能は保たれているが、味付けに関しての認知機能は落ちている」
つまりこれは認知症?認知症じゃない?おばちゃんはどう思う?
この家は、おばちゃんが女ひとり、手に職つけて頑張って建てた家やもんねえ。なるべく長くこの家で暮らしたいやろうし、おばちゃん、いつもそう言うてるもんね。
え?最後の最後までこの家で暮らすって?
うんうん、そうなったらいいねえ。おばちゃんは、お子さんがいないけど、私で良かったら、できることは手伝うよ。一応ヘルパーやし。
ぜーーーったい、最後までこの家で暮らすんやーー!って、そんなにムキにならんといてよ。
できることとでけへんことが、世の中にはあるんやから。私かて、24時間おばちゃんのそばにいることはできへんねんから。
放っといてくれたらいいって、そういうわけには行かへんやん。
それこそ、認知症がひどくなって、徘徊とかするようになったら、どないするのん?
認知症、なめたらあかんで。
ご飯かて、「これはご飯や」と認知できるから食べられるのであって、「これはご飯や」と認知できなかったら、食べずに飢え死にするで。
お腹すいたら食べるやろって?だから、お腹がすいたことが認知できたらね。
まあ、先のことはその時になってから心配しよ。
そんで、転ばぬ先の杖で、ヘルパーさんだけでも使っといたらどない?
あ、デイサービスもいいよ。
え?「デイサービスなんて年寄りの行くとこや。ワタシはまだ早い」やて?
おばちゃんにとって、「年寄り」言うたら、何歳からのことなん?
「自分が年寄りやと思た時が、年寄りや」って、アハハ、上手いこと言うな。
そやけど、デイサービスで体操したり、他の人と話したりするんは、ええことなんよ。認知症予防にもなるらしいで。
おばちゃんは、デイサービスに行ったら、いずれは施設に入れられると思ってんのやろ?
そやから、そんな先のことはまだ心配せんでもええって。
私は、職業婦人としてキリっと凛々しく働いているおばちゃんのことを、子供の頃からカッコいいと思っとったんやで。
いつまでも元気で長生きして欲しいわ。
湯呑みの茶渋、きれいにしとくね。
ほんで、近いうちにまた来るわ。
ほな、さいなら
R4.3.28 H
0 notes
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ボンビーボーイ
買い物支援をしているMさん宅に伺うと、「今日はお金がないんだ。だから、買い物はいらないよ」とおっしゃいます。
Mさんは、ご自分で調理するわけでもなく、コンビニで買って来るパンやおにぎりを主に召し上がっており、買い物をしないと、食べるものがありません。食べるものがないと、水を飲んで過ごされるようです。背中を丸めた時に、スウェットの生地を通して背骨が浮き出ているのが見えると、心がキュッと締め付けられます。
Mさんは、家計管理が上手にできません。お金を使い果たして、借金で文字通り首が回らなくなってしまったので、お金の管理を弁護士さんがすることになりました。
で、定期的にお金が送られてくるのですが、それでもやっぱり、すぐに使い果たしてしまわれます。
Mさんの場合、認知症ではなく、過去の出来事が今のMさんをそうさせているのかなあ、と思われる節があります。
すみません。歯切れの悪い文章なのは、私が専門家でもなんでもなく、Mさんの過去をはっきり知っているわけでもないからです。
知っているのは、奥様を事故で亡くされ、お一人で娘さんの病気と向き合ってこられたと言うことだけです。心が折れかけたこともあり、壮絶な人生だったと聞いています。
悲しみや、苦しみを、本当にわかってあげることはできません。せいぜい、想像することくらいしかできません。
どういう心の持ちようで、Mさんが有り金全部使ってしまうような生活になってしまったのか、私にはわかりません。
いや、実際、壮絶な人生が、そのような生活にさせたかどうかすらわかりません。
だけど、自分が飢えて苦しむことがわかっていながら、目の前のお金を使ってしまうのはなぜだろう?その時、Mさんは、どんな気持ちなのかな?
「もういいや!食べなきゃいいんだよな」と思っておられるのでしょうか?それとも、「俺のお金を他人が管理するって、どういうことだよ!」と、怒っておられるのでしょうか?
とても投げやりな感じがします。「俺がどうなっても、誰にも関係ないだろう?」と、Mさんは言いたいのかも知れません。
「よけいなお世話だ!帰れ!」と言わないところが、Mさんなりの優しさなのかも知れません。
そして、そういうことを考えるのが、ヘルパーの仕事でもあります。
Mさんがどうなってもいいと思っていない人だって、この世にはいるのです。
先月も書きましたが、「ふたつの永遠の間のわずかな一閃」であるところの、この人生で、奇跡的にかかわることができたご縁です。まさしく「袖触れ合うも他生の縁」です。
Mさんにもそう思ってもらうことが、ヘルパーの役割でもあると、私は思っています。
家族でもないし、友達でもない。「愛している」とか、「ずっと一緒にいたい」とか、そんなことは思いません。だけど、Mさんが、打ちひしがれているのなら、少しでも力になれないかなあ?と考えるくらいには、気にしています。
そういう人が、世の中にはいるのだということを、Mさんにはわかってほしいですし、わかっていただくように努力することが、ヘルパーの、もっと大きく言えば社会福祉の役割だと思います。
誰をも取りこぼさない社会、生活保護の不正受給が時々社会問題として取り上げられ、生活保護なんていう制度はいらないと思う人たちもいると思いますが、本来、生活保護は、病気などの思いがけない事情で収入を得ることが難しくなってしまった人のための制度です。
それがなければ、安心して病気になることができません。制度の細かい決まりとか、運営方法に改善点があるにしても、制度自体は必要なものだと思います。他人の幸せなくして、自分だけが幸せになれることはないのです。
そのために社会福祉はあるのです。
家族でも友達でもないけれど、少しでも自分のことを気にしている人間がいることを認識して下さった時、Mさんは、もう少し自分に優しくできるのではないかと思っています。
「もう少し自分に栄養をあげるために、少しだけ節約しようかな」と、思ってくださるのではないかな?と思っています。
そしてそうなった時、私自身は自分自身に栄養をあげすぎていることを深く反省し、食事改善と適度な運動によって、スレンダーな美人になっていることを、切に切に願って止みません。
いいえ、実はウン十年前から、切に切に願って止まないのですが、いまだ実現していないので、いまだに願って止むことがないのです。
もしかして、これは永遠のミッションインポッシブルなのかも。悲しい。
R4.2.11 H
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家で死ぬ Part2
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
年は明けましたが、昨年の話をさせていただいても良いでしょうか?
昨年11月末に、また、とっても素敵な方をお見送りしました。
ずーっと長く、6年くらい掃除で入らせていただいていた方でした。
夏ごろに体調を崩して入院されましたが、手術をしないことをご自分で決められ、お家に帰って来られました。
私たちは、「看取り介護」を、させていただきました。
「看取り」とは、これ以上の治療を望まず、「死」を避けられない状態になった方に行うものです。医療・看護が中心になりますが、私達介護スタッフも微力ながら一端を担わせていただくことが多いです。特にこの方は、長くヘルパーが入らせていただいていたので、慣れたヘルパーが来て、思い出を語り、少しでも安心していただくことに貢献できたらいいな、と思っていました。
この前読んだ介護の本に、「人間は、誰でもいつかは死ぬものだから、「看取り」などと言って美化しなくても良いのではないか?」と書いてありました。
施設の方が書かれた本のようでしたので、お家で行う「看取り」とは、少し違うかもしれません。
でも、少なくとも「死」は、ご本人とご家族にとっては一大イベントだと思いますから、もし、できるのであれば、何とか上手に区切りがつけられたらいいんじゃないかな、と思うので、やっていることは当たり前のことでも、「看取り期」と呼んで、少しでも気持ちの整理とか、心の準備をする期間に当てられたらいいだろうな、と思います。
まあ、ご家族にとっては、そんなこと、きれいごとかも知れませんが。
私自身は、「看取り」を選択された時の方が動揺しましたが、「看取り介護」をさせていただき、亡くなられた時は静かに見送ることができました。
そして、その方を思い出すたびに、悲しみより、むしろ温かい気持ちになれます。
笑顔の素敵な方で、8月生まれでいらしたので、私はひそかに「ひまわりのような笑顔」だと思っていました。
それにしても、以前も書きましたが、「家で死ぬ」ことは、様々な条件がそろわないとできない��とです。
お家で看取ってくれる家族がいること、医療や看護、介護の体制が整っていること、それに、何よりご本人とご家族が、納得されていること、などです。
その点、この方の看取りは理想的でした。
たくさんのお孫さんやひ孫さんに囲まれ、お聞きする話は、ほとんどが楽しいお話でした。
この方の人生、そして最期は、幸せだったと言ってもいいのじゃないだろうか?そう思ってから、私は、ふと立ち止まります。
え?だったら、私が訪問させていただいている、別の利用者さん、たとえば、4畳半ほどのお部屋で暮らしておられるあの方は?幸せじゃないのだろうか?
家族がおらず、天涯孤独なあの方は?
あの方や、あの方は・・・?
だいたい、幸せって何?
何をもって幸せと言うの?
幸せなんて、他人が決める事じゃないよね?
次々と、そんなことを思い始め、たいてい私は、最終的に、考えることをやめてしまいます。
みんなすごいよ。素晴らしい。生きている意味なんて、いらないよね。生きているっていうだけで、すごいことだよね。
昔の偉い人が、「人生は、二つの永遠の間の、わずかな一閃」と言っているけれど、その、それぞれの一閃の間に知り合えて、言葉を交わして、いろいろな感情をやりとりして・・・。
もう、それだけで、すごいことだよね、っ
て・・・。
でも、やっぱりその後でいろいろ考えてしまうんですよね。
命の倫理のこと → 動物虐待 → 酪農の問題 → アニマルウエルフェア → 地球温暖化 → SDGs ・・・
思うに、やっぱり、人の死というものは、大きな出来事であり、残された私たちに、いろいろな課題を気づかせてくれたり、未来を考えるきっかけをくれたりするものなのかも知れません。
では最後に、Sヘルパーの句を一句・・・
幾山河越えつつもなを まだ見ぬ景色さがして 彷徨の旅
R4.1.14 H
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高齢社会ラプソディー
Kさんから電話がかかってきました。
「具合が悪いから、〇✖病院に行こうと思うんだ。だから、あなたが来た時には、僕は家にいないよ。」
「わかりました、Kさん。じゃあ、私は今日はKさんのお宅には行きません。〇✖病院に、気を付けて行って来てください。お大事にね」
電話を切って、私はケアマネに電話しました。
「Kさん、具合が悪くて〇✖病院に行くそうです。今日はヘルパーは入りません。」
するとケアマネは
「わかりました。��は、Kさんが病院から帰られたころにお電話をかけて、様子を尋ねてみます」 と言いました。
その後、仕事に没頭していますと、お昼過ぎに、今度はケアマネから電話がありました。
「〇✖病院から電話がかかってきました。Kさん、診療時間外に〇✖病院に行ったらしいんです。しかも、保険証も診察券も持っていなくて、病院が調べてくれたんですが、診察履歴もなかったそうです。」
たぶんKさんは、朝食を食べて身支度をして出かけられたのでしょうが、とにかく何をするにも時間がかかり、また、時間の管理も難しいので、病院に到着した時には、午前中の診療時間を過ぎてしまっていたのでしょう。
「具合が悪いから、診察してくれ」と頼みこむKさんに困って、病院の人が色々話を聞いてくれたところ、ケアマネの事業所の名前がKさんから出て、連絡がついたようです。
ケアマネは車でKさんを迎えに行ってくれました。
介護の現場を良く知らない方がこの話を聞くと、
「Kさんは、もう一人暮らしは無理なんじゃないの?施設に入った方が良いのでは?」とおっしゃるかも知れません。
でも、Kさんはお買い物に行ってお惣菜を買って来ることができます。ご飯を炊いたり、あるいはお弁当を電子レンジでチンすることもできます。洗濯もできます。たまにはお風呂にも入ることができます。
ヘルパーが洗濯干しや食器洗いや、たまには掃除など、ちょっと手伝えば、お家で暮らしてゆくことができます。
いままでずっとやっていらしたことはできるのです。
お金をたくさん出せば入れるような、有料老人ホームは別ですが、介護保険で入れるような施設は、Kさんのような方を入れてはくれないでしょう。
ただ、一事が万事。
他にも、自分で新聞の折込チラシを見て頼んだ品物が届いたのに、「頼んでいない」と追い返したり、受け取った後も代金の振込に行けなかったりと言うことがありました。
ヘルパーはそのたびに、Kさんにちょこっとアドバイスをしたり、ケアマネや家族と一緒に解決方法を考えたり、連携しあってKさんを支えます。
届いた品物を追い返したのは、荷物のサイズがKさんの思っていたものと異なっていたからのようで、息子さんが電話で話してくださったら、納得できたのですが、それでも受け取るまでに紆余曲折ありました。
郵便局に取りに行ったが、身分証明書を持って行かず、郵便局さんが「では、今夜配達します」と言ってくれたのですが、寄り道していて時間に間に合わず、郵便屋さんがまた出直して下さって、3度目の正直で、やっと受け取れたのです。
郵便局さんは3度手間です。ちょっとムカついているかも知れません。
高齢化、と言うのは、このような方が増えてゆくということです。
そのうえ、少子化で子供のいない方も増えてくると予想されます。
多くの人が「自分でできなくなったら、介護サービスのお世話になりたい」と考えています。しかし、「自分でできなくなる」時期が判断できません。
ほこりだらけの部屋で、「掃除機を時々かけているから大丈夫。自分でやらなくなったら、できなくなってしまう」とおっしゃいます。
時々、と言うのは、半年とか、一年くらい前だったりします。
こういう時、やっぱり頼りになるのは、家族、つまりお子さんです。
「お父さんやお母さんのことが心配なんだ。頼むから、介護サービスを受けてよ」と言うにしろ、
「いいかげんに介護サービスを受けなさいよ!家の中、ほこりだらけじゃないの!」と言うにしろ、最初はやはり、ご家族の勧めでサービスを使い始めたという方は、多いです。
でも、お子さんがいない方が増えてくると、どうなるのでしょう?
以前も書きましたが、私達のようなオバチャンは、安易に「若者は子供を作りましょう」と言いたくなります。
でも、高齢になった自分の世話をさせるために子供を産むというのも、ちょっと違うよね、と、思い直します。
しーちゃんも、利用者さんのゴミを捨てに行ったら、近所の方に「あの人、介護の人の力で、施設に入れられないの?」と言われたことがあるそうです。
何か、ご近所トラブルがあったのでしょうか。
でも、無理です。ご本人か、ご家族しか決められません。
認知症のことは、かなり世間に知られてきました。
それでも、社交ダンス用のドレスを着て、元気に出かける方を見て、ご近所の方が「あんなに元気な方が、介護サービスを受けているの?おかしいわ。役所とケアマネが賄賂をもらって結託して不正を働いているんじゃないの?」と、言われたこともあります。
私達ヘルパーは、「あんな派手なドレスを着て出かけること自体、TPOに合わせた服装ができないという、認知症の症状なのに・・・」と、苦笑いしました。
これは、認知症を理解していただけていなかったから起きた誤解でしょう。
以前から、「お子さんのいらっしゃらない方は、自分の最期のことまで、きちんと考えておかないといけないのは、大変だなあ」と考えていました。それも、今のままの社会の仕組みのままだったら、30代とか40代とかから、考えておいた方が良いと思います。
子供がいようがいまいが、適切な介護サービスを受けられ、ゴミ屋敷にもならず、不潔からくる病気も回避して、自分らしく生きていける・・・そんな世の中の仕組みが、早急にできるように、願って止みません。
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