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長塚洋監督「それでも私は Though I'm His Daughter」。この映画にマスコミ的に注釈を付けていっても誰も幸せにならないのだが、長塚監督の人柄が素敵だったので感想を書き残したい。主人公・松本麗華さん(麻原彰晃の三女)は1983年生まれなので私より1つ上だが、今年42歳と言われると若い感じがするし、ピュアな感じがする。今も純粋にじぶんの父親のコトを信じているのだろう。麻原彰晃じしんが大きなアポリアの前で挫折し、麗華さんも挫折した。かれらが地下鉄サリン事件について具体的に語るコトや、加害者家族として理路整然罪と向き合う瞬間は永遠に来ないかも知れない。かれらの挫折後の不自由な生活、それじたいが事件への具体的で直接的なコミットなのだろう。長塚監督はそれを無理矢理鋳型に嵌めて、錯綜したホーム��ラマを制作する気はないし、それよりそのアポリアを前に挫折したかれら(被害者、加害者、社会、国家を含む)一人一人がある柔軟な軌道に乗って健やかな人生を始められるといい、そんな願いを込めて完成させた。この映画に意図的な編集はないし、ここに映るかのじょの普遍性は真実である。
ここで求められているのはネガティブ・ケイパビリティ(敗者の想像力)である。この作品への切り込み方は、私の次に挙手された障害を持つ女性の、じぶんじしんを重ねての感想が一番だ。この映画に強く励まされたという女性は長塚監督に感謝を述べられていた。私はそれこそマスコミ的に麻原彰晃のズルさを植え付けられて育ったので、この父親への愛着を何のコンセンサスも得ずに吐露するスタイルは予想していなかったし、禍々しい諸事件に比して内容が淡泊だと言った。他の二名の挙手者も全く異なる当事者性からアプローチされていて面白かった。つまり、一つのアポリアをめぐって今もその大きな家族が打ちのめされ、一歩も前へ進めず今に至っているコトを的確に告げている映画だった。全く終っていない事件(映画)である。
『それでも私は Though I'm His Daughter』長塚洋監督舞台挨拶付き上映@フォーラム仙台_20250811
じぶんの憧れの家族「米寿の伝言」の西本浩子さんと健太朗さんがチラシ配りをなさっていた。今回の「それでも私は」のパンフレットも購入できなかったが、松本麗華さんが仙台で登壇されなかった理由もお金にまつわる事情だと聞き(交通費などが監督持ちになるらしい)、もっと「人類の努力」に予算を注ぎ込んでくれ、と石破茂氏に訴えたくなった。麗華さんが筋トレの大会に出場した勇姿は忘れられない。




20250810
西本家は本当に末永く幸せでいてほしい憧れの一家です!
規定されるコトと、思い残すコトは違う。
「僕は姿勢にずっと気を付けてました。水泳と剣道をやっていて、肩幅デカめの男なんで、肩をどれだけしまえるか、みたいなことを…」(吉沢亮)Kokuho
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『劇場版 米寿の伝言』西本健太朗さん、西本匡克さん、西本浩子P、西本銀二郎さん
親子三代舞台挨拶付き上映@フォーラム仙台_20250809
「米寿の伝言」(ガクカワサキ監督)。
老衰した「私」の死後、その血を分けた「孫」と中身が入れ替わったとしよう。その時、若い孫の身体を借りてまで伝えたいメッセージはあるだろうか。「私」を生き、その「孫」を生きてまで、伝えたいメッセージって何だろう。想像してほしい。核廃絶を訴えたとして、その孫の身体を借りてまで核廃絶を訴えたいと思うだろうか。孫の精神は老衰した「私」の死後の中に存在する。孫の精神を年老いた「私」に閉じ込め内面化してまで語るべきコトは果たしてあるのだろうか。そもそもそこまで切迫した厭世観を持っていたら子孫など残さないだろうし。「私」は私の未来に何を話すのか。「米寿の伝言」とは文字どおり親子三代で、何をもって人類の希望とするのかを語る映画だ。規定されるコトと、思い残すコトの違いについて教えてくれた。
パンフレットは予算なく購入できなかった。この作品ができるまでの紆余曲折も興味深い。池袋シネマ・ロサでは5週のロングランを記録し、公式サイトには銀二郎氏の声掛けにより多彩な著名人のコメントが並んでいる。まさに今年88歳=米寿を迎えた父・匡克さんの夢を二人の息子と共に叶えたプロデューサーの浩子さんが感極まって泣いていらして、それが記憶に残った。三人の男に囲まれて、女性の体が熱く発光していたのだ。
じぶんもバサマと仲の良かった頃があった。ジサマはもう亡くなっていたので、主にバサマに懐いていた。それも小学校ぐらいまでで、それ以降は意思疎通があまりなかった。しかし、バサマが亡くなった深夜、小さな地震があって目がさめた。バサマにはそういう意思の波が残っていた。「米寿の伝言」はそういった個人的なエピソードを一人一人に思い出させるだろう。ふつうの家庭ドラマと思って暖簾をくぐったら、美容整形済みの顔がどでんとお出ましするように。
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Interactivity
「広島が人類最初の被爆地であることは永遠に変わらない。しかし長崎が人類最後の被爆地になるかどうかは、人類の努力にかかっている」(Ishiba Shigeru)20250809
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「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。(Ishiba Shigeru)20250806
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なぜ脱ぐのか?
この前の日曜日利府でベガルタ仙台の試合がありじぶんは生ビールとか「もつ煮」をお客様に提供する仕事をしていたら突然前触れもなくスタジアムに雷が落ちてきた。快作・小関裕次郎監督「となりの宇宙人」はまず主演・宇野祥平氏の尻(ケツ)が出てきた。それが奇麗だった。牛丸亮監督「クオリア」で宇宙人役の佐々木心音さんのような「あざと可愛い」キャラクターを宇野氏が開始1秒から発揮していたら、これはとんでもない傑作になっていたのではないか。終盤になるとその「あざと可愛い」さが炸裂するが、なかなか序盤中盤は生活様式として普通すぎて爆笑させてくださらない。貧困に負けない、そして、あなたを貧困に負けさせない。そんな気概を端々に感じたが、宇野氏の宇宙人というキャラクターをもう少しだけ「あざと可愛く」してほしかった。つまり試合に負けて勝負に勝つ、そんな気概を宇宙人に託すのだとしたらもう開始1秒目から全力で「あざと可愛い」く居てほしかった。この国の「自衛隊」を活かすかのように宇宙人を活かしてほしかった。
前田旺志郎氏などが演じる他のキャラクターに「あざと可愛い」成分が注入されていて、支離滅裂さが波及していた。宇野祥平氏がここまで「あざと可愛い」んだ、と認識させてくれた映画に「ありがとう」と感謝を述べたい。がしかし、未見のヒトにぜひみてくれとまでは言えない様な気持ちが並存する。最後の感動的なキスシーンはこの対置がなければ生まれていないだろう。そこまで狙った作品だとしか思えない。森羅万象氏の「セックス!」とか「クンニリングス!」とかの意味不明な叫びは「天皇陛下万歳!」を裏返したモノだと思った。
こういった低予算インディーズ映画俳優(今回はピンク映画色が濃い)の〝このヒトは「脱ぎ要員」なのか否か〟の線引きは全くもって難しい。大体有名人の誰かに似ているが、演技が上手いからといって脱がないわけではないという業態だ。素敵だった吉村優花さんなどはアイナ・ジ・エンド+杉咲花ふうの面構えで、「何で脱ぐんだ?」という気もしてしまった。インティマシーコーディネーターの西山ももこさんがクレジットされているのも不自然な気がした。
Photo 木村英子
『となりの宇宙人』小関裕次郎監督舞台挨拶付き上映@フォーラム仙台_20250801
10代の頃フォーラム仙台さんに通い詰めていらっしゃった小関裕次郎監督の舞台挨拶と、れいわ新選組の伊勢崎賢治氏、木村英子氏、 奥田ふみよ氏の初登院の日が重なった。これほど「あざと可愛い」新人議員の出現が、戦後日本にかつてあっただろうか?という感慨を呼び起す写真。ロッキング・オン・JAPAN。
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MILK2021
この番組を見て「なぜ君は戦争に?」と、一緒に考えてもらえたらと思います。(藤野智史)
天皇陛下万歳すばらしい日本の戦争
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to day 20250714
ロッキング・オンの渋谷陽一氏がお亡くなりになった。中高とミニコミ誌というモノに触れて、じぶんも作っていた。その時に渋谷陽一氏に影響を受けた。私が購読していたのは「JAPAN」だったが、渋谷氏のロッキング・オンの文体が私を導いた。高2の春だから2001年だが、それまで作っていたミニコミ誌を出版社に送り、その編集長の方がインタヴューに応じてくださった。有難いコトに制服姿で出掛けた私をY氏は丁寧に迎えてくださった(今年に託つけて言えば三島由紀夫の出世作「仮面の告白」が出版されたK社である。Y氏とその後「B」という雑誌のイラストを描くコトになり2009年夏に再会している)。2001年の春、Y氏とは終始話が噛み合なかった。というのも、ポストモダンという事象をめぐって話したからだ。「J文学」なるモノの取材だった(その年の秋に「B」誌から同じ1984年生まれの綿矢りさ氏がデビューする)。ポストモダンというのは、とりかえしのつかないモノ(戦争に規定された21世紀)ととりかえしのつかないモノ(9.11のNY同時多発テロ、3.11の東日本大震災・原発事故)を対置するコトでしか超克できない、というのが私が2025年に得た結論である。無論、その時そんな結論が出るはずもなかった。ガザ侵攻などで21世紀がポストモダン的事象であるコトが明るみに出ているが、その2001年当初から何一つ業態を変えるコトなく時を進めているのが21世紀である。とりかえしのつかないモノととりかえしのつかないモノを対置し、その間にあるラインを抽出するコトにのみ世界は存在する。それが22世紀である。土日も肉体労働で映画をみる金銭的余裕もない。世間のニーズとじぶんが研究してきたコトは完全にすれ違っていた。
1970年11月25日三島由紀夫はなぜあのような死に方ができたのか? 天啓に従ったとしか思えない。ならば、かれの〝続き〟は明確に存在するはずである。かれはとりかえしのつかないモノととりかえしのつかないモノを対置させたのだ。
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四次元の賢治
日本の平和学研究者、元国連職員、東京外国語大学名誉教授の伊勢崎賢治氏がれいわから立候補し当選した。三島由紀夫のこだわったマッチョを批判検討し、換骨奪胎した武装解除のプロが国防とは何か?を伝えるために顕れた。かれの語るヴィジョンがいかなるモノなのか、ここに日本のポイントがある。20250722
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every little thing every precious thing
宍戸大裕監督「杳(はる)かなる」に出演されていたALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者の岡部宏生氏が2025年7月17日に亡くなられたという。姿形を変えてもまた新しい世界で沢山の友人と出会えるだろう。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。








forever forum friends
じぶんのアカウントがforum friendsにログインできず、一般でチケットを買うとポイントも付かず予算オーバーになるのでさいきん行けてないのだが(貧乏すぎる笑)、仙台に来てフォーラムさんやチネ・ラヴィータさんで沢山映画をみたのはいい思い出だ。仙台に来るきっかけになった友人とは東京で知り合ったが、かれの祖父が亡くなり、葬儀を終えて職場に戻って来た際、お土産に「萩の月」をくれたのである。クリーム色のお菓子だった。
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Vote
7月20日は人類が初めて月面に着陸した日でございます。われわれを生かすレトリックに思いを馳せて投票しましょう。


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きょう最後にみた映画は「羊たちの沈黙」(ジョナサン・デミ監督)だった。スクリーンでみるのは初めてだった。
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戦後80年
The Silence of the Lambs
木村英子さんおめでとう
じぶんはずっと「れいわ」に入れている。A賞とかN賞(N党ではない笑)が該当作ナシってのは、コトバってのが完全にタコツボ化していて、社会状況と関与していないコトの厳しい顕れだと思う。そんな中、重度身障者を国会に送り出してきた「れいわ」が残る。
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