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生活が変わって少し経ち、慣れてきたところだけどまだ昔のように関わることが嫌でまともに連絡を取っていない。インスタでやけにネガティブなストーリーとかあげてるのをみるとこちらから連絡するのが余計億劫になるし、それならいっそ全く縁切ってしまおうかとも思うけど。人と縁を切るのは難しいことだと思う。あんな子でもなにかしら楽しい思い出はあったわけで、面倒だからとかで切り捨て切れるわけでもない。あー面倒。
特にわたしの私生活について報告したりすると、それが理由で塞ぎ込まれたりする。彼女は、おもうにSNSに向いていない。人の幸せに対して後ろ向きな感情しか抱けないなら、それ専用の暗いアカウントに引きこもってもらいたい、わたしのこの場所のように。SNSなんて所詮、自己満足の自己陶酔だ。それがわからないならやめたほうがいい。
そして、これは蛇足だけど。恐縮です、の使い方を間違えていると思う。読んだことのない本を読んだと言ったりする学生時代からなにも変わっていないんだなと思った。わたしたちが学生時代だったのなんて、いったい何年前のことだっていうの。
人はなかなか変われない進歩もできないのかもしれない。わたしもあまり人のことばかりは言えないけどね。
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2020.1.29
ふさぎの虫が顔出す。
人は日に当たるとカラダの中に特別なエネルギーを生み出して、それが骨の強さだとか心の強さを作るらしい。
わたしは日に当れない。アレルギーで少ない時間でも日に当たると湿疹や頭痛・目眩が起こるし、明るい光を見続けることも目に痛みを伴ってできない。
カラダから日の光をすべて抜き去って過ごしているとふさぎの虫が育ちやすいらしい。そんなの、仕方ないじゃん。ね。
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2019.12.23
百貨店でお買い物をした。
自分のために時間を割いてくれてとても親身に丁寧に対応してくれて、ラッピングのひとつひとつも全て綺麗で、見送りの時には素敵な一言を添えてくれる。
なんだか、買った商品以上にすごく充実した空間を味わえた喜びがある。店員さんにすれば当然のことなのかもしれないけど、わたしにとってはとても救われた感覚が味わえた。いいことだな、とても夢見心地でいい気分。

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いつもいつも自分ばっかりしんどいって思うのはわがままだし、こんなに厚かましいのに接してくれるだけでありがたいんだ。勘違いしちゃいけない。わがままになっていいって言われた言葉も鵜呑みにしちゃいけない。わたしがわたしのまま、ありのままになって、人から肯定されることなんて、あるわけない。勘違いしてばっかりだ。立場を理解して自重して、常に引き際を意識しよう。せめて、最後くらい泣かないで迎えよう。あと必要なのは勇気だけだ。でも今は、ごめん本当にしんどい。息するのも嫌だ。ただ寝てばっかりで、ストレス感じると寝るのもダメなところ。自分に自信がなさすぎる、しんどいし辛い。
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2019.11.4
親って、そんなにえらい生き物かな。親を大切にしろって言う道徳的なものは分かるんだけど、親がそれをひけらかして誰に口きいてんだなんて言える資格あるのかな。ましてや、それを偉そうにさも当然に言えてしまう人に親である資格ってあるのかな。
わたしがあんたに何かしたか。って言ったよね。したよ。わたしが自分に対してこんなに自信が持てないのはあなたの言葉の積み重ねだし、あなたが宗教さえしてなければわたしは無意味に苦しむことはなかった。
こんなこと言いたくないけど、この家に生まれたことに後悔した回数なんて、もう全然わからないよ。キチガイからはキチガイしか生まれないのかなって思って、すごく自分を自制させてきたし、感情的にならないようにたくさん我慢してきた。勉強もして、人付き合いもうまくしようとして、外面家族仲に問題ないように生きてきたよ。
そのわたしが、感情的になっても呆れはされても涙を拭いてくれる人を好きになれたのは、少しだけ幸せなことだと思ったんだ。でも、落ち込むこともたくさんあって、帰ってひと���で落ち込んできたところに突然やってきた異物に、どうして泣いている理由を言わされそうになったり、挙句わたしがあんたに何かしたかなんて逆ギレを向けられ、誰に向かって口きいてんだなんて言われなきゃいけないの。どこまで他人の心を汚せば気がすむの。
どこまで親がえらいんだよ。初めてそう口にした。昔みたいに殴られたら殴り返そうと思ったのに、殴られはしなかった。ただモノに当たってる。哀れだなって思うし、やっぱり嫌いだなって思う。
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2019.4.20
言葉をきれいに並べなくては、という過大且つ無為な圧を自分にかけるところがある。けれど、気づくと余計なことまで話してしまうこの口はいったいなんなんだろう。分かっているのに直せない、口は災いの元。そんなことは分かっているのに、後からどれだけ嫌な感覚に責められるか知っているのに。愚かはきっと死んでもなおらない。
それに居直れる時もある。だからなんだ、それがどうした、上等じゃないか。けれどそれが長続きしない。その一瞬の居直りに何倍もの嫌悪と戦う時間を要する。
わたしは別に強い人間ではない。心の問題でいえば常に爆弾を抱えている人間であるという自覚がある。わたしにある唯一の理性なんて、自分が心の境界線に立っているという自覚があるということと、見栄っ張りな虚勢癖だけだ。それがなければ、わたしなんて人間はきっともう生きていない。
見栄に生かされている。誰だ、わたしを優秀だと評するのは。誰だ、わたしを恵まれていると陰口を叩くのは。お前らが見ているのはただの見栄だ。わたしという人間が生きるために、死なないために必死に見栄を張っている人間だ。顔で生きているなんて褒め言葉だと思っているのか?その言葉がわたしをどんどんと境界線のより隅に押し上げて行って、落ちないために見栄をはるんだ。
見栄に生かされている。宗教というレッテルがつけられないように、わたしの不幸はきっと他者から見たら宗教のせいにされる。わたしに信心は皆無だ、その団体に身を投じられる人間の気持ちを理解することなんてとてもじゃないけど、やっぱりできない。でも家族は違う、きっとほんとうに信じている。信じられることが羨ましいとも全く思わないけれど、彼らは彼女は、それをいかに恵まれたことかと���本気で思っている。本気なんだよ、本当に。
そういう環境で生きる人間がわたしだ。こんなのは、心の底で、宗教をしている家に生まれてもわたしはまともだ。って、必死に見栄を張っているだけだ。これでわたしが境界線から転がり落ちたら、案の定と周囲は思うだろう。そんな人の美味しい話のタネになってやるものか。
それでも、夕日に囚われたわたしは、夕日を見てぼんやりする時間なんて作ってしまったら、すぐに境界線から転げ落ちたくなってしまうんだ。その方が楽だからね。
楽して生きていけるなら、見栄なんて張らない。言葉をきれいに並べようと気負うこともない。誰にも見られない、誰にも気づかれないところで、ひっそりと死んでいるのか生きているのかもわからない人間になりたい。
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2018.8.6-7
宗教をしている家に生まれて、齟齬を感じるようになったのはいつのことだろう。
はじめは周囲の家の子との齟齬だった。わたしにとってそれは宗教ですらなく、信仰心という名前もある意味ではふさわしくない。ご飯を食べるときに「いただきます」を言い、家に帰ったときに「ただいま」と言って、朝になれば「おはよう」と言うのと同じことだった。
何か悪いことをすればバチが当たると言われ、良いことがあれば有り難いねと言われる。自分の努力などは存在せずに全てが宗教に委ねられた生活だ。
わたしはこの家の宗教的な決まりがもともと受け付けない。わたしの努力や悲しみ、嬉しさや怒りは全てその宗教がもたらしている。ならわたしはなにをしたときに認められるのだろう。わたし自身が認められることはないのかしらん。そういう気持ちになったのはきっと誰の想像よりもずっと早い。思えば宗教に向かない娘だったのだと思う。
そんなわけで、信仰心がかつてから厚かったことはない。ただ、身に付いた矜持というものは信仰という名が相応しい。なにかひとつ信じるものを持つことはブレもなく良いことだと思う。ただそれを他人に強要することが絶対の正しさでは、絶対にない。
他人に強要するほどの厚い信仰心は、この家に生まれても不思議と身につかなかった。昔から疑問に思うことがある。それを訴えれば怒られるので言いはしないが、家族が熱中できることがむしろ面白い。
成長するにつれ、興味関心は人の信仰心におよぶ。学生時代もよくそんな話題でゼミの教師などと話した。宗教全般を見ると人が人として出来上がった頃から信仰が生まれている。そして今の時代では廃れ始めていき、信仰が絡むところでは争いが絶えない。
美容院の隣の席で、金髪の美容師が若い人妻に講釈を垂れていた。それによるとカマキリが絶滅しないのには世界でまだカマキリに役割があるからだという。なるほど、宗教はいま廃れゆく流れにある。人はいつか宗教という定義を必要としなくなるのかもしれない。では信仰心はどうか、これが少々難しいのではないかと思う。
果たして信仰心というのは宗教的な言葉のみでしか使えないのか。そんなことを考えて辞書を引いて見ると、大辞林も広辞苑も現状では宗教と引き剥がすことを認めていない。
小さな話で言えば我が家の宗教にも相容れない集団がいて、それを種に一致団結をする。きっと向こう側もそうなのだろう。側から見ているぶんにはきっと違いなどないだろうに、本人たちは心の底から日本の未来を憂いている。
わたしには宗教的な信仰心がない。いつか結婚して家を出たときに、相手にその宗教を教えないことでいまの家族とは疎遠になると思っている。それでも、と言ってくれる母ではないだろう。
わたしには人に勧めたくなるほどの信仰心がない。他人がおかしなものを信仰していることに対しては虫が良いことに嫌悪感を抱くけれど、自分の信仰心を強要するほどの思いではいられない。
わたしの信仰心は生き方なのだと思う。宗教という名前を借りても良いが、何かの集団に属するとかそういうことではない。自分の心が弱ったときにちょっとすがる、都合のいい信仰心だ。
神さま仏さまなんとかさま、と人はいう。
何か1つにすら絞れない願い事なんてきっとそのくらいぼんやりした、誰にもない願いかもしれない。そんなときに、わたしが祈るのはひとつで信仰心というよりかは生活の一部になったものだ。
この感覚が誰かに理解されようとは思わないし、人にあまり説明しようとも思ってこなかった。でもふと、いつか自分がこの家を出て名字が変わるようになったとき、相手の家のルールや信仰に沿うように言われるようなことがあったときに。わたしは宗教という概念ではない信仰心があることを伝えるだけの勇気がないかもしれない。
他人に宗教と信仰心とこの生活の一部の違いが理解されないかもしれない。そうしたときに少しだけ怖いと思った。
ドラえもんのもしもボックスがあったらわたしが願うことはただ一つ。もしも宗教も信仰心もない世界なら。
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2018.5.23
最近、母がわたしのことを心配している。母からすればわたしの顔は申し分ないらしく、それ故にこれまでさほどの心配をしてこなかったそうだが、本人にその気がなければ推し進められないこともある。それが結婚だ。
なにも、わたしは結婚願望がないわけではない。むしろある。ちゃんとある。
心配されることは身に合わないから、申し訳ない気持ちになるけれど、わたしは見込みのない恋に身をやつしている。なんて面倒な沼かしら、なんて。そんなこと母には当然言えないのだけれど。
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2018.3.3-4
風邪でダウンしていた。仕事は5日も休んで月曜日は一週間ぶりの出勤だ。憂鬱でならないわりに、心境としてはそれで重々しいわけではない。人に会う予定があるだけでここまで安定するものか。
予定を押しているにしても、会えるという安心感があればこんなにもぼんやりと過ごせるものか。座ってコーヒーさえ飲めていれば端末も本もある。なにも苦労せずに待っていられる環境の完成だ。問題はいささかお金がかかる場合もあることで、それはまあいいとする。
今日は、これで会えなくてもそれはそれで許せてしまいそうな心持ちだから不思議だ。今朝、寝ぼけながらの電話で久々にまともに言葉が交わせた気がする。何しろこちらは寝ぼけているからあまり細かい会話は思い出せない。
でもあの不敵な話し方をする人が電話口にいた、という記憶がある。それを思うとなんだかそれだけでもういいやとなる。どんどん安くなるけれど、安いことも悪くはない。幸せもんだなと思えるようにすらなった。欲しがりません、なんとかまでは。
風邪は喉・鼻・悪寒・関節の痛み・発熱。いよいよインフルエンザかとおもい病院にも行ったが違かった。もう少しカタカナで初めて聞く人は、それはもう不治の病ではないか?とすら思えそうな病名のもの。結構な大敵でしたが、食べて薬を飲んで寝てを4回ほど繰り返したらなんとかなった。これでなんとかならないならそれは本当に不治の病だ。
さあて。何時まで待つか、��たせるつもりか。それが問題だ。
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2018.2.23-24
家に帰りたくなくて、くたびれたミスドに行った。珍しく混んでいると思ったら三太郎の日だったらしくて。とはいえわたしも三太郎のご恩にあやかることの身の上だけど、そこで、そういう、行為に出るのが面倒で、結局ただコーヒーを頼んだ。そもそもお腹は空いていないし、甘いものが特別好きなわけでもない。
「それからはスープのことばかり考えて暮した」は、この前読んだ「金曜日の本」があまりにも好きな文章だったので吉田篤弘しばり。文体が柔らかくて疲れていてもよく読める。疲れていても読めるというのは、今とても大切なこと。
恐るべき繁忙期を迎え、毎日の睡眠時間が3〜4時間になっている。昔から過眠症気味なところもあるのでとてもつらい。気をぬくと涙がこぼれそうになるくらいつらい。お昼とかの一人になれるタイミングでは遠く離れた、およそ職員が立ち入らないであろう場所に移動して、泣きながら寝たりしている。
朝ごはんは食べるくらいなら寝ていなくて自主的に食べていないし、昼は昼で睡魔と泣く欲求に負けてそれどころじゃない。幸いお腹も空かないし、この一週間は午後の間食ハッピーターン4枚と夜に家に帰ってからの冷凍うどんで出来上がっている。
家に帰っても楽しいことはなにもないし、家と職場、どちらもつらいだけで居場所がない。お風呂はいい。お湯に浸かっていられるし、ひとりで過ごせる。いくら泣いてもお湯に混ざってくれる。
なんでこんなに泣いているんだろう。なにをしても慢性的な悲しさがあって、理由もわからず泣いていられる。泣いていないと心が壊れそうになる。
調べてみてもよくわからない。とにかく、涙が止まれば、いいと思う。
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2018.2.17-18
1日寝て過ごした。気分が悪くて、体調が悪いとかではなくて気分が悪くて、1日寝て過ごしてさっき起きた。
母親は呆れて口も聞いてくれない。もういい歳だし、別に親からの肯定が必ずしも欲しいわけではないけど、落ち込んでいる時の娘の機微に気づかずに怒ることしかできない大人にはなりたくないなと思う。
いい母親だとは思う。どんなことをしても結局見捨てずに育ててくれた。愛されているなと思う。例え一番じゃなくても、おばあちゃんと兄さんと父さんと、メダカと金魚と庭のお花とかわいい猫の、その次くらいには愛されているはず。
人から嫌われることが特技なわたしにとって、誰かに愛されているリストに入れているだけで嬉しい。
けど、いつかでいい。死ぬまででいい。来世でもいい。誰かの一番愛されている人間になりたい。
人と関わろうとしない人間には無理だと言われるだろうけど、それでもわがままでもなんでもいい。誰かに愛されてみたい。必要とされてみたい。大事にされてみたい。
わたしが愛する人からは母親にしろ誰にしろ、あの天秤の人も、わたしが一番じゃない。リストに名が上がることもない。
誰かに愛されてる人が羨ましい。寂しいと愛しいは、絶対に紙一重だ。
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2018.2.15-16
いまが、忙しいときでよかった。
忙しくないときだったらきっと耐えられない。何で好きなのかわからないけれど、嫌いなところがいくら見えても嫌いになれない。そんな人初めてで戸惑って、でも自分の性根は変わらないからイヤなことをしてしまう。
その自己嫌悪で疲れているのに目が冴えている。夜の涙は拭���ずに流すのがいいらしい。拭いてこすると腫れてしまうから。目の下にタオルをおいて、ただ涙を流すのがいいのだという。
とにかくいまが忙しいときでよかった。
こういう時は休みが怖い。好きなのに好かれていないことはどうしてこんなに辛いんだろうか。
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2018.02.13-14
一年くらい前のぼんやりした文章がiPhoneに埋まっていた。こういうのは結構恥ずかしいパンドラの匣。でも一年経っても何も変わらない堂々巡りがビシバシ伝わってきて無駄にしている無駄にしていると反省もしてみたり…。
** *
鬱ぎの虫が今か今かとこちらを伺い始める。声に出してみると全身に何かが湧き立ち、ツブツブの光がその速さで体を巡る。
他愛もない話である。人を好きになると一喜一憂の嵐。あめあられ。
エルメスの大判ヴィンテージスカーフは19000円。布切れにその値段。でも綺麗なグリーンに90×90の素敵なサイズ。森茉里の贅沢貧乏・貧乏サラヴァンを思い出す。独特の言葉使いは、父への憧れか、受け継がねばという意気込みか。けれどあまりその成果は見られない。
私も似たようなもの。布団をかぶってカラスの鳴き声。受診するメッセージでまた一喜一憂。
どうなることやら、この恋路。
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2018.2.14
口は災いの元。他意のない言葉でも後から思うとそれが相手に他意なく伝わっていたとは思えない。なんてことがある。昨日そういうことがあった。
仕事中は忙しくて何も考えないんだけど、お手洗いの時とかお昼ご飯の時とか。頭が仕事に向いていないと、その時の自分の発言を���芻しては頭を抱えた。
であれは語らずが人生総じて吉ではないか。それが今日のわたしの答え。
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