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【メモランダム】川淵さんでよかった(一連の狂騒劇には辟易です)
ここ数日、吐き気すら覚えていた一連の狂騒劇、アゴラでのこちらの記事が程よくまとまってると思いましたので、備忘録もかねて。。
森喜朗氏の「女性蔑視発言」はフェイクニュースである(アゴラ:池田信夫)
一応、それなりの社会人経験を積んで、それなりの会議やら、元請業者さんとの交渉事やら、下請業者さんへの業務コントロールやらの経験もそこそこに経ていますが、、どういったお付き合いの仕方であっても「仕事を共にさせていただく」にあたり、話が要領を得ずに無駄に長いのは「男女問わずに仕事ができない人」との実感です。あと、ウダウダと無駄話をして相手が辟易した辺りで無理筋を通す=交渉力だと思っている方は、どちらかというと「男性」に多かったような、と、まぁ、いずれも経験則ベースですが。
ちなみに、私の今の職場での部門トップは女性ですが、仕事の上では、論旨も指示も明快で簡潔です。たまに出てくる雑談は、まぁ、雑談ですのでとりとめのない話も多いですが、その辺りの線引きはしっかりとされている方です。
なんてことを踏まえると、以前、年上の女性の友人からサジェスチョンいただいていて肚落ちした、「プライベートでは、男性の会話の目的は結果をまとめること、女性の会話の目的は会話そのもの」だよなぁ、、と。これはもう、個体差はあるにしても、本質(本能)的��区別でしかないのではないか、と。
そういった意味では、突き詰めていくと、単に仕事の上で公私の別がつくかどうかではないか、、とは思いますが、、あらためて森さんの会見全文を拝見したところ、最終的には参加されている女性陣を褒めておわっていたりもして、切り取られた部分の言い回しに難ありとしても、少なくとも、朝からトップニュースで延々と叩く話ではないよなぁ、、と感じます(正直みるに堪えず、吐き気すらしました)。まぁ、そのうちブーメランが出てくるのかな、特大の、なんて思ってしまってもいますが、、と、言い方に難ありであれば、最近ではR4さんの不適切・不適格行動・言動も、公平に扱ってほしいとは思いますケド、まぁ、お里が知れますね、ナンテ。
さてあとは、「女性差別だ、弾圧だ!」と声高に仰っている意識高い系の方々は、今現在、ウィグルやチベット、モンゴルで行われている、言葉には到底表現できない(したくない)、女性たち(も含んだ民族全体)への差別、迫害、虐殺などに対して、先頭を切って“お声”を上げてくださるのですよね?、北京冬季五輪へのボイコット運動も率先して促してくださるのですよね?、と、折々で問いかけ続けていきたいと思います、まずは、五輪スポンサーの方々ですかね、、古巣も悪い意味で混じっているのが、どうにもやり切れませんが。。
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【ブックトーク】『教室に並んだ背表紙』(著:相沢沙呼)
なんとなくの表紙買い、図書室が舞台とのこともありましたが、 様々な女子中学生たちの、「読書」を切り口にしての連作短編集となります。
『教室に並んだ背表紙』(著:相沢沙呼)
劇中に出てくる「本」は実在か架空かはわから��に、 ふわっとしたあらすじのみで、気になってしまいました。
これらが実在するのかどうかを探してみるのも楽しそうですが、 架空であったとしても、『レインツリーの国』のような派生があったら面白い、とも。
連環としての大きな仕掛けは二つ、名前にこめられたつながりと、 行き違いから生じたズレが次第に収束されていく、そんなつながり。
学園ものとして読んでも興味深いですが、、同世代の息子がいる身としては、 どうしても親目線でみてしまうな、と感じつつ、どちらかというと、
学校司書として、図書館という「場」を構築していくのが、楽しそうだなぁ、、と。 自分が好きなもの、大切なものを語り会える友人ってのは、一生モノだな、なんて感じた一冊。
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【ブックトーク】『命がけの証言』(著:清水ともみ)
決して目を背けてはならない、明日のわが身かもしれないので。
『命がけの証言』(著:清水ともみ)
先日、アメリカのポンペオさんが「中国共産党によるウイグル人へのジェノサイド」を国家として正式に認定しました、今のところポンペオさんの後任っぽいブリンケンさんも、その路線は踏襲しているようです(口八丁で無ければ)。
現在進行中の「民族浄化(エスニッククレンジング)」の証言が、まとめられています。人は、ここまで残虐になれるものなのかと、おおよそ今の日本では考えられない内容で、柔らかなタッチでの漫画形式ですが、その内容は“凄惨”の一言に尽きます。
広義での中国、とひとくくりにするつもりはありませんが、少なくとも、今の政権を牛耳っている��中国共産党は責められるべき、でしょう。そういった意味では、中国共産党を弾劾する、ポンペオさんと同じスタンスです。
また日本でも、外交部会などでの議題には上がっているようですが、果たしてどうなりますやら、、これを許容するようなことがあったら、天安門事件の時の二の舞になります、同じ過ちは繰り返してほしくないところですが、、とりあえずは、地元の議員さんも含めて、各種SNSで発信されている議員さんたちにも、問いかけていこうと思います、ご存じですか、ご存じならどう動かれていますか、と。
しかし、ここまで、価値観を共有できない世界があるのかと、エプスタイン島にも、通じるものがあるのでしょうか、、とも。そして、チベット人やモンゴル人にも同様のことをしている、ナチスと同じですが、どうして、共産主義・全体主義は行きつくとこうなるのか、ともあらためて。
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【ブックトーク】『推し、燃ゆ』(著:宇佐見りん)
第164回・芥川賞の受賞作、直木賞とあわせて発表される以前より、 他の候補作とあわせて、書店で平積みされていたのは、覚えています。
日ごろ、賞を取ったからとの理由で手に取ることは、そんなに多くはないのですが、 別の著作で三島由紀夫賞もとられているとの帯に惹かれて、なんとなく。
『推し、燃ゆ』(著:宇佐見りん)
さらっと、駆け抜けるように読めました。
といっても、疾走感、というよりは、没入感を強く感じた一冊です。
10代、20代、全てを削って、何がしかハマった記憶を呼び起こされるような、 ヒリヒリと灼けつくような、そんな印象を瑞々しさとともに。
といっても、どこか水面越しに眺めているようにも感じたのは、 私自身が、同時代性を共有できていないからかな、とは思っています。
10代、20代で手に取った方は、30代、40代でどう感じるのか、そう、 自分の社会の中での立ち位置が変わった際に再読も面白いのかな、とも。
なんて風に思ってしまうのは、息子がこの主人公の世代に入っていくからかも、知れません、 息子も“何か”に狂おしいほどに没入してほしいな、なんて、、まぁ、バスケでしょうけど。
ふと『燃えよ��』を再読したくもなった、そんな一冊です。
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【ブックトーク】『ローマ人の物語Ⅱ - ハンニバル戦記』(著:塩野七生)
ローマ人の物語、第2巻はハンニバルの物語から。
“プロセスとしての歴史は、何よりもまず愉しむものである”
塩野さんの、歴史に対する一つのスタンスが見て取れます。そして、大学で歴史を学んだ一人としても、肚落ちするものです。
『ローマ人の物語Ⅱ - ハンニバル戦記』(著:塩野七生)
私の学生当時、物語として歴史を紡いでいくことは、司馬史学なんて揶揄も込められの扱いが主流でした。最近の動向はわかりませんが、広く社会に還元していくのであれば、人が生きていくための道標となるのであれば、一つの在り様としては、とも思います。
“現代の研究者でも、古代=奴隷制社会=搾取、ゆえに悪、と断定して疑わない幸福な人”
ここ最近ではあれば、行き過ぎたポリティカル・コレクトレス、との言葉が合致するでしょうか、個人的には、機会の均等ではなく、結果の均等を強奪しようとしているようにしか、見えませんが。その上で、共和制から帝国制への萌芽、端緒を見て取ることができると、このハンニバルとの戦いの過程から見出しているようにも、感じます。
“人間も、そしてその人間の所産であるシステムも、時代の求めに応じて 変化する必要があることを訴えつづけたマキアヴェッリに賛成なのだ”
さて、そんな歴史を愉しむための素材となるのは、紀元前264年から133年に渡る約130年間との、なかなかに長い年月、ポエニ戦役から、マケドニア、そしてカルタゴ滅亡までの事象、このうち主軸となるのはやはり、三度に渡った「ポエニ戦役」でしょうか。ローマ人にとってはポエニ戦役を中心とした対外戦争の時代、であったのでしょう。
主役を担うのは、副題にもなっているカルタゴの将・ハンニバル、それに対するはスキピオ(アフリカヌス)、そんな二人の宿命的な生き様です。
“アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバルであるとすれば、 そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキピオではないか”
といっても、ハンニバルとスキピオには1世代ほどの開きがあり、スキピオの父がハンニバルに敗れた際、スキピオ自身はひよっ子でした。その後、ハンニバルは10年以上もローマ勢力圏内を、数万の兵を率いて戦い続け、その戦役の規模も20年単位とのスパンでもあるので、なかなかに壮大ですが、、
“優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。 率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人々でもある。”
史実としては、カンネの会戦でのハンニバルの圧倒的な勝利、ザマの会戦でのスキピオのリベンジ、が有名とは思いますが、ポエニ戦役は3度にわたり、幾度かの休戦期を挟みながらも、当然それ以外の小競り合いも含めての戦闘はあったわけで、その過程で「国家としての結果」を担保していくには、、旧来の方式にとらわれず、敵からすらも学んで刷新していく、これもまた、寛容の在り様の一つでしょうか。
それにしても、将官クラスの人材の、カルタゴというかハンニバル側と、ローマ側での人材の差が、いかんとも、、ローマ側は枯渇しませんね、本当に。ローマ元老院のハンニバルをイタリア内に孤立させるとの戦略もあったのでしょうが、この、人材輩出システムは、やはりローマに国家としての軸、国体がしっかりしていたからでしょうか。
“共和制ローマの魂(スピリット)は、この重装歩兵に体現されていた”
そういえば日本について、
“われらが日本の特色が和の精神であるとすれば、それを国際化時代では通用しないとして 全面的にしりぞけたりすれば、日本は日本でなくなる”
と述べられているのも、なかなかに興味深いです、塩野さん。
“真に優秀な弟子ならば、師のやり方の全面的な模倣では終らない。”
長年に渡り、ハンニバルに苦杯をなめ続けたローマですが、その敵からすら学ぶとのことの積み重ねから、ザマにつながります。とはいえ、ポエニ戦役が終わった時点では、カルタゴやマケドニアに滅亡の気配はなく、どちらかというと、ハンニバル、スキピオが表舞台から退いてから、その色が強まります。
“歴史を後世から眺めるやり方をとる人の犯しがちな誤りは、 歴史現象というものは、その発端から終結に向かって実に整然と、 つまりは必然的な勢いで進行したと考えがちな点”
結果から今の価値観で訴求すると、いかにも、カルタゴやマケドニアの滅亡ありきで、「覇権的な帝国主義」への道筋をつけるための動きであった、、ともなりますが、その時代の動きの中に入ると、意外とそうでもなさそうで、特に、、
“カルタゴの滅亡は、二重にも��重にも重なり合って起ってしまった、 不幸な偶然がもたらした結果であった”
なんてカルタゴの滅亡を位置付けている一方で、マケドニアやギリシャのそれについては、、
“何ごとにおいてもおだやかなやり方は、 相手もそれに同意でないと成立しえないという欠点をもつ”
“ローマ人に、寛容主義の限界を悟らせた。”
なんて風に評価しているように、複層的な要素が交わりあっての、それぞれの理由に基づいて、国家滅亡との結果につながっていたのか、とも。とはいえ、結果としては、
“(カルタゴ、スペイン、ギリシャの属州化で)地中海は、ローマ人にとって、 「われらが海(マーレ・ノストゥルム)」となったのだ”
との派遣を成立したからこそ、
“ローマ人の地中海制覇は、カルタゴの滅亡までふくめて、 「ハンニバル戦争」の余波なのであった”
なんて風にも言いまわせるのでしょうけど、、学界では余波なんて許されないでしょうねぇ。
歴史とは事実を積み重ねただけでは意味がない、とあらためて思います。数多ある事実に対して、自分の言葉で理解して、どう真実として昇華していくのか、そして、それをどう伝えていくのか、また、伝えていくのには、ただ無味乾燥な事実を並べるよりは、血沸き肉躍る方が記憶にも残るでしょう。
かといって、何もそれを頭から無批判に信じる必要はない、伝えられる内容に、自分の言葉で批判を加えていくことが、学問としての第一歩でしょうから。なんてのは、歴史学であればこそ、一番最初に叩き込まれる基本姿勢とは思うのですが、、どうやら、ここ最近の、息子たちの世代の歴史教科書などを見ると、怪しさがぶり返してますかね。
最後にやや耳に痛く残ったのは、以下のフレーズ。
“血も流さずにいて、何を言いたい!”
日本にしてみれば、湾岸戦争時のトラウマも記憶に新しいところ。
さて、われらが日本にとっての「日本らしさ」、いわゆる国体とは、と、あらためて考えていきたいですね、そして自分の子供たちに伝えていきたいところです。
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【ブックトーク】『日本の決意』(著:安倍晋三)
突然の総理辞任に、正直驚き、残念な気持ちでしかありませんが、難病との事であれば、どうにもならない���と、、まずは、快癒されることを願っております。で、思い出したのがこちらの一冊。
『日本の決意』(著:安倍晋三)
第二次安倍政権の初期の著作、というよりは、各国でのスピーチ集といった感じです。安倍政権の2006年・第一次の頃からのブレナイ軸が浮びあがってきます。2014年当時、個人的には非常に面白く感じた一冊でした。
基本的に、第二次政権に入ってからのスピーチ集となっていますが、一つだけ第一次政権時のものが収録されていまして、それは、、
“私は(インドの)皆様が、日本に原爆が落とされた日、 必ず決まって祈りを捧げてくれていることを知っています。”
平成19年、インドの国会で総立ちの拍手で迎えられた、「二つの海の交わり」にて。この時の外相、麻生さんが提唱した「自由と繁栄の弧」、安倍総理の提唱していた「セキュリティ・ダイヤモンド」、、そして、それらをつなげての「地球儀外交」。
“我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す「現実」から、 私たちは、目を背けることはできません”
実際にスピーチがなされた“国”をつなぐと、みごとに繋がっています。それは、冒頭に収録されている地図からも見れて、地政学”というのの面白さと、重要さが伝わってきます。精力的に“普遍的価値観を共有できる国々”との外交をこなしているな、とも。
こういった航跡と功績を、産経以外のオールドメディアが伝えようとしないのが、なんともわかりやすいですけどね、、ほんと、どこの国を向いているのか、と。との状況が、10年以上たった今でも変わらない、いや、むしろ酷くなっているのが、悩ましいです。つくづくに、リテラシーを、自分の言葉で理解するとの習慣を意識していきたいと思います。
さて最後に、、安倍さんはまだ65歳、復調がかなうのであれば、北朝鮮による拉致問題解決、憲法改正、普遍的価値観を共有できる国々との連帯、を実現するために戻ってきていただけるとの、期待を込めさせていただきたいと思います。
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【ブックトーク】『カフーを待ちわびて』(著:原田マハ)
アート小説で有名な原田マハさんのデビュー作となります。デビュー作にはすべてが詰まっている、なんて言葉をあらためて感じさせてくれます。
『カフーを待ちわびて』(著:原田マハ)
舞台は沖縄の小さな島・与那喜島、主人公はそこで雑貨屋を営む“友寄明青”。その彼がいたずら半分で絵馬に残した「嫁に来ないか」に、なんの縁か、普通に応募してきた女性と出会うところから物語が始まります。
白いワンピースと帽子を身にまとった、“幸”と。
離島の持続問題、経済問題、社会問題などを交えながらも、その本質は「ラブストーリー」、南の島での甘く切ない物語が展開していきます。
個人的に印象的だったのは、お迎えの夜での一筋の涙。触れてはいけない過去もまとめて、やわらかく包みたいところ、なんて。あとはやはり、沖縄に“おばあ”は欠かせませんねぇ、そして、二人が再び“カフー”と出会えたかどうかは、、内緒です。
また映像化もされていて、いい感じに染み入ってくるような、映画でした。ちなみにカフーは、ダブルミーニングです、明青が飼っている犬と沖縄の方言ででの、そのどちらとも出会いとは、なんて、、沖縄に旅行に行きたくなりました。。
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【ブックトーク】『祖父たちの零戦 - Zero Fighters of Our Grandfathers』(著:神立尚紀)
初めて読んだのは2013年ころ、文庫版の解説に『永遠の0』の百田さんと、なんとも豪華な感じで、、ちなみに百田さん、神立さんの別の著書である『零戦最後の証言』を一番の参考にして『永遠の0』を書いたとのこと。そう仰っているだけに、非常に読み応えがありました。『永遠の0』に感じるものがあった方であれば、オススメです。
『祖父たちの零戦 - Zero Fighters of Our Grandfathers』(著:神立尚紀)
主人公は、進藤三郎さんと鈴木實さんのお二人。この二人の零戦パイロットの戦前、戦中、戦後の物語を軸にして、大東亜戦争に対する普通の日本人の感性が綴られていきます。ノンフィクションではありますが、目の前の出来事のように映像が浮かぶ、そんな生き生きとした筆致に、背筋が伸びる思いで拝読しました。
“天皇陛下はこのこと(特攻)を聞かれたならば、 戦争をやめろ、と必ず仰せられるであろう”
冷徹な現実と向かい合っている��場の指揮官、そして、それに応えていく先人の方々。
“日本民族がまさに滅びんとするときに、 身をもってこれを防いだ若者たちがいたという事実と、
これをお聞きになって陛下自らのお心で 戦を止めさせられたという歴史の残る限り、
五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するだろう”
こんな想いが込められた「戦後」を受け渡されている「私たち」は、先人たちに応えるだけのことをできているのだろうか、そして私たちの「次の世代」に誇りをもって受け渡すことができるのだろうか。はてしない自問が、螺旋のように、、ただ繰り返される想いにとりこまれています、、私も2011年に旅立った祖父の足跡を辿ってみようと、考えています。
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【ブックトーク】『さいはての彼女』(著:原田マハ)
様々な女性達の人生の再生をテーマにした短編集となります。個人的には題名でもある「さいはての彼女」に、心が、震えました。
『さいはての彼女』(著:原田マハ)
サイハテに乗るひたむきさの美しい女性と、それに感化されていく一人の強い女性、最果てを目指すその二人の在り様が、一陣の風の様で、心の澱を洗い流してくれる、風のような物語でした。
“ナギ、生きるんだ。越えていくんだ。”
そして、「さいはての彼女」の sideBとなる「風を止めないで」もよかったなぁ、と。こんな話を読んだら、バイクに乗ってみたくなりますね、まぁ、免許は持っていないんですけども(汗
“ハーレー乗りって、みんなロマンチストなの?”
自分の心の風を止めずに、ただひたむきに、、「この風、止めないでね。」なんてフレーズを転がしながら、風に乗り続けて道を進んでいきたいと感じます、真っ直ぐに。
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【ブックトーク】『自由と繁栄の弧』(著:麻生太郎)
2007年当時、安倍内閣で外務大臣であった麻生太郎氏の当時の著作となります。文庫版も出ています���、やや圧縮されているので、手に入るのであればハードカバー版がおすすめです。
『自由と繁栄の弧』(著:麻生太郎)
題名でもある「自由と繁栄の弧」とはご本人がブレずに提唱されている主張で、これと「価値の外交」を併せて、麻生ドクトリンの理念とされているのでしょうか。その二つを基軸において麻生大臣の講演・スピーチをまとめた一冊で、話題や舞台は多岐にわたっていますが、上記2点を念頭に読み進めると、より具体的に理解できる内容となっています。
その「自由と繁栄の弧」を具体的になぞっていくと、、日本からみて、ユーラシア大陸の外縁をなぞりつつオセアニア諸国、ASEAN諸国にインド、CLV(カンボジア、ラオス、ベトナム)に、中央アジアや中近東諸国、そしてトルコ、V4(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア)、GUAM(グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドバ)、CDC(ウクライナ、グルジア、リトアニア、ルーマニア)やEU諸国にNATO、そしてアメリカ、、そんな、「普遍的価値を共有できるであろう国々をつなげたゆるやかな三日月状の弧」が示されていきます。
ここで言う「普遍的価値」とは「民主主義、自由、人権、法の支配、市場経済」のことであり、日本にとっては文字通りに、普遍の価値観の集合体であると思います。個人的には、主だった海洋国家群を数珠繋ぎとしている��が興味深い上に、地政学上、、潜在的・宿命的に敵性国家であるロシアに対しての包囲網となっているのもまた、同様に面白く感じました。
内容として、時系列ではなくテーマ別に収録されているためなかなかに分かり難くはありますが、麻生大臣の中では「特定アジア(共産中国、南北朝鮮)」をこの「弧」の枠外に置いていることも読み取れるのが、興味深い、、麻生さんの言っている「北東アジア」は、日本と台湾なんでしょう。
“(台湾は)民主主義がかなり成熟しているし、経済面でも自由主義経済が浸透し、 法治国家だ。いろんな意味で日本と価値観を共有している国だ。
この辺り、2007年頃の「日豪共同宣言」や「日印防衛政策対話」といった動きと相まって読み解くと、一つの青写真が浮かび上がるのではないでしょうか、将来的なロシアとの対決を見据えた特定アジア包囲網、との。
東西文明が入り混じるトルコ、世界最大の民主主義国家であるインド、オセアニアの大国であるオーストラリア、中央アジアのキーパーソンであるモンゴル、そして、北東アジアでは日本以外で唯一の法治国家である台湾。こういった、日本にとって「普遍的価値」を共有できる、また、していかねばならない国々と、今後どう共に歩んでいくのか、といった辺りを模索していく必要がありそうですね、なんて考えても見たり。
もちろん、今まで以上に���メリカとの協力体制も維持していく必要があるでしょうけども。
また、ビジネス用語である「ソートリーダー」、「ビルトインスタビライザー」といった言葉を使用されている点、こういった身近な言葉への置換をしていたけると、よりイメージが掴みやすくなるとも感じました。自分ならばそこに「ロイヤルカスタマー」との概念を付け加えたいですけども、同じくビジネス用語。当然、日本にとってそうなってほしいという点と、日本もそうならねばならない点の、双方からの観点での。
また「普遍的価値」はもとよりですが、その他に得心の言ったのが次の一節でした。
“「魚は自分で釣ってくれ」と言いますのは、自立自助、天は自ら扶くる者を扶くの精神”
「出藍の誉」とのことわざを思い出しました、「青は藍より出でて藍より青し」の方が一般的ですかね。元は中国の故事ですが、、台湾(中華民国)に相応しい言葉でしょうか、先日亡くなられた李登輝氏が繰り返し話されていた「日本精神(リップンチェンシン)」といった言葉を思い返しても。
「結果」だけではなく、その結果を出すための「手段」を援助する、文字通りの教え育んでいく教育であり、「一緒に汗を流して頑張りましょう」という日本人の心情にも沿っている援助のやり方だと、そう、感じます。日本人に元気と自信を示したい、そういった想いがヒシヒシと伝わってくる、そんな一冊だと思います。
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【ブックトーク】『浅田家!』(著:中野量太)
ノンフィクションをもとにしたフィクションとのことですが、手に取ったのはその題名が、高校からの友人の名前だったから。最初の舞台が出身地でもある「三重県」というのにも、不思議な縁を。ちなみに、三重県で生活したことはなく、妹共々東京育ちな身ですが、両親はもともともそちらの出身で、仕事で東京に出てきていたので、家の中は三重県風味な感じだった気がします、イントネーションとか。両親は定年して実家に戻っていますが、、閑話休題。
『浅田家!』(著:中野量太)
さて、主人公は、どうしようもなくふわふわした次男坊、政志さん、1979年生まれとのことですから、世代的にもやや被っていたりと。物語の舞台は、三重県から東京、そして岩手へと連綿と、その時代は、10代から20代前半の三重、20代後半からの東京、そして、岩手では2011年に始まった物語が綴られていきます。
軸となるのは「家族写真」、きっかけは些細なこと、どうしようもなく日常的な、それでも家族にとっては印象的な、そんな出来事を切り取った一葉の家族写真が、スタートとなります。
「一生にあと一枚しかシャッターを切れないとしたら、何を撮るのか」
それでも物語の前半は、政志さんのゆる~いキャラが投影されたかの如く、どうにも頼りなく、どこかふわふわとした、でもほっこりとする、エピソードが続きます。それが一転するのは、岩手の物語が始まってから、、そう、東日本大震災を経て、一枚の写真が、家族を映した様々な写真の大切さが、描かれていきます。
確かに2000年を過ぎたくらいから、デジカメが主流になりはじめて、今ではスマフォで、下手するとカメラよりも綺麗な写真も撮れるようになっています。そういった環境下では、現像してアルバムにまとめたり、あとから気まぐれにページをめくったり、なんて習慣は減っているかな、とも。
私自身、大学くらいまでは現像写真も結構な数が残っていますが、今の家内と付き合い始めたくらいからは、デジカメでの記録の方が多いですね、確かに。それはそれで、手軽で身近に残せてよいのですが、やはり、実際に手に取ってしみじみと眺められるのもよいなぁ、と思います。そういえば、デジタルフォトフレームは重宝しています、ランダム表示にしておくと、たまに予想外の写真が出てきて楽しいです。
そういった意味では、こちらの本でも合間合間に、浅田家も含めての、いろいろな家族写真が織り込まれていて、素敵だなぁ、と。家族でかしこまって写真、なんていうとどこか気恥ずかしさもありますが、我が家では、息子が生まれてからは、年賀状用に撮るようにしていますが、やはり1年に一枚くらいは残していきたいなぁ、、とあらためて思いました。
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【ブックトーク】『夕凪の街 桜の国』(著:こうの史代)
この時節になると折々で読み返している一冊になります。広島で生きた被曝された方とその周辺から始まる物語。やさしいタッチで、穏やかな日々が描き出されていると、思います。それだけに、どうしようもない成り行きが、どうしようもなく、せつなく伝わってきます。
『夕凪の街 桜の国』(著:こうの史代)
物語の軸は二つの時代、被爆者とその次の世代。広島に生きて早逝し��人も、長生きした人もいる。その生き方や在り様を、一つの枠組みだけで語り継ぐことはできない、そんな風にいったら、戦争を知らない世代の傲慢でしょうか。
それでも、子どもたちの世代に読み継いでいくのであれば、こんな優しいけれども哀しい、戦争の悲惨さだけではなく、人々の様々な想いが、まっすぐに伝わってくる物語がよいと、そう感じます。
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【ブックトーク】『第五の権力 - Googleには見えている未来』(著:エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン / 訳:櫻井祐子)
いわゆる、旧来のマスメディア(テレビ、新聞、ラジオ等)は、三権(司法、立法、行政)に続く第四の権力とも言われます。三権の相互監視だけでは自浄能力に不安が残るため彼らを監視する、ゆえに、社会の公器としての責任が、なんて言い様も耳にします。
それでは、第四の権力である彼ら自身には、真っ当な自浄作用が備わっていてその行使は期待できるのでしょうか?
結論から言えば、期待できないと判断せざるえません。日本に限定してみても、公共放送であるNHKや朝日新聞とその系列がいい実例でしょう。そんな自家撞着に陥っていた彼ら、時に“三権”すら凌ぐ、凄まじい権力を振りかざしながら好き放題にしてましたが、、そんな彼らの“闇”を暴きうる力を持ったのが“第五の権力”、インターネットをインフラとして遍在する“普通の人々”で、これからの未来、そんな“普通の人々”はどんな想いで、何をしていけばよいのか、なんてことを、未来予想的にまとめた一冊がこちらになります。
『第五の権力 - Googleには見えている未来』 (著:エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン / 訳:櫻井祐子)
出版されたのが2013-2014年にかけてですからエッセンスとしてはやや古めですが、今(2020年)から振り返ってみてもなかなかに示唆的な内容で、一種の未来予想的な位置づけで読んでも興味深く。少なくとも第四の権力たるマスメディアが流す、恣意的な報道や誤報(時に虚報)は、即座にインターネットの世界ではその“嘘”を暴かれる機会も速度も上がってきているのは、あたってるなぁ、と。
さすが、“情報”の全てをつなごうとの理念��基づく“Google”の、元CEOのエリック・シュミット氏が著しているだけのことはあります。
“情報(インフォメーション)”と“情報を扱う力(インテリジェンス)”は、使いようによっては他者への支配的な影響力を持つ“権力”となります、仮にそれらが嘘にまみれていても。それが故にマスメディアは、“第四”の銘を冠することになりました。それが今、崩されつつあります、、“第五”を冠する存在、インターネット上に遍在する“普通の人々”によって。
長らく専権事項であった“情報を扱う力”が浸食されつつあることを意識させられたマスメディアが、インターネットという存在に対し不自然なまでに敵愾心を燃やすのは、、それを本能的に悟っているからでしょう。インターネットの真の意味でのコネクティビティにいつか後塵を拝すことを分かってるからこその、あがき、なのかもしれません。
最近では、インターネット上のコンテンツを一次情報として、後追いするケースも増えてきていますね、、かって新聞がラジオに、ラジオがテレビに、その速報性との点で凌駕されていったがごとくに、ただ違うのは、インターネット上での情報コンテンツを取り扱う人々は「双方向性」が求められているとの点。
それが故に、それまで安全なところから一方的に情報を発信しているだけでよかった、コントロールできていた時代は終わりを迎えています。それが故に、情報発信者は「自分が発信する情報に責任を持つ必要」を求められています。なんてことのない、通常の社会生活を営んでいれば自然と求められる「自分の言葉には責任を持ちなさい」と同じとは思いますが、、既存のマスメディアではそれを理解しようとする人々は少ないようで。
自分たちの意図した方向に動かない状況を「サイレント・マジョリティー」といったフレーズでも表現してまうあたり、既存のマスメディアが“オールドメディア”と揶揄されてしまう原因の一つと思いますが、、さてさて。10年前、20年前に、今の世界のあり様を想像できたでしょうか、そして、10年後、20年後の世界を今の尺度で想像してよいのでしょうか、とは、自分自身でにも問いかけていきたいところです。
そして、そういった“オールドメディア”が発信する情報への一次批判を実践していくには、“情報格差(デジタルディバイド)”が無い環境下での、“情報活用力(メディアリテラシー)”を、個々人が認識し保持していく必要もあるよなぁ、、なんてことを意識させられながら、生涯コレ学習だよなぁ、、とも感じさせられた一冊でした。
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【ブックトーク】『風の万里 黎明の空』(著:小野不由美)
ここ最近、地上波テレビの質低下があまりにひどく、アマゾンやWOWOWのサブスクを彷徨っていることが増えてきているのですが、、ふと十二国記のアニメ版を流し見していたりも、、オリジナル要素も入ってきていますが、概ねは原作を丁寧に描いていたのではないかと思います、その中でも個人的に好きな話がこちらとなります。
『風の万里 黎明の空』(著:小野不由美)
元々は1992年ころに講談社X文庫という、今でいうライトノベル(ヤングアダルト?)レーベルから出ていたシリーズで、当時『ロードス島戦記』や『指輪物語』、『アルスラーン戦記』などにハマっていた私に、妹が薦めてくれて手に取った覚えが、、その後、講談社の通常レーベルでも出て、エピソード0に位置付けられている『魔性の子』とつなげたかったのか、2012年ころから、新潮文庫レーベルで再販されています。
少し前に、20年越しくらいに彷徨していた、一つの物語がようやく一区切りついたのですが、続きは、、紡がれるのでしょうか、、、(ロードスやアルスラーンみたいには、、(略)。閑話休題、こちらの世界観としては古代中華風の異世界が舞台でそれを構成する国はすべてで12ヵ国(いずれも王権君主制+アルファ)あり、それもあってシリーズとしては「十二国記」と名付けられていて、今のところはエピソード0~9まで物語としては紡がれています(短編集も含めて)。
さて、今回の『風の万里 黎明の空』の主人公の一人は、とあること(詳細はエピソード1にて)から一国の「王」となった主人公・陽子の物語、位置づけとしては「エピソード4」となるようで、普通であれば「様々な苦難を乗り越えて、無事に王様になって平和に暮らしましたとさ、メデタシメデタシ」で終わっているところの、その後の「王の苦悩」が描かれていく物語にもなります。
本作を通じて考えさせられるのは「無知の知」、そして「無知の恥」でしょうか。
一番偉いはずの王になったからといって、全てが思い通りになるわけではなく、むしろ異邦人(現代日本からの漂流者)であることをいいことに、前王の時代から国家・宮廷の実務を管理・運営してきた、昔ながらの官吏たちにイイように転がされています。本人もそれが分かっているだけに、なおのこと懊悩を深めていきますが、個人的には、陽子に王権を与えてかつ、補佐する立場の景麒も、もうちょっと言葉を紡げばいいのに、とは思いますが、、それはそれで物語としては面白みがなくなりますかね。
なお、陽子の他にも二名ほど主人公がいて、一人は陽子より100年ほど前にこの世界にわたってきた、明治時代の日本人・鈴、一人は、先の芳国の公主であった・この世界の住人の祥瓊、ここに陽子を加えた三人の足跡と想いが交錯しながら、物語は進んでいきます。決して善行だけではないけれど、それぞれの苦悩と向き合い、一つ一つを積み重ねていくことで救われていく、そんな風に自分を見つめ直しながら歩んでいった路が交錯した先に、あらわれるものとは。
終盤、景麒とともに空を翔ける陽子は、個人的には一番好きなシーンの一つで、すべての鬱屈が浄化されていくかのような、そんな心地よさを感じさせてくれます(アニメ版でもよい出来でした)。
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【ブックトーク】『終の棲家』(著:仙川環)
そろそろ両親もよい年だなぁ、と感じた事案がありまして、思い出したのがこちらの一冊。以前から、医療をネタにした小説を発表されている仙川環さんの著作で、私は『チーム・バチスタの栄光』の海堂さんの著作と前後するように、折々で手に取っていますが、同じ医療が題材でも異なる面白さがあるなぁ、なんて思いながら読んでいます。
『終の棲家』(著:仙川環)
主人公は、MBA取得者ということで鳴り物入りで入社した、麻倉智子さんなんですが、アラサーとなってもイマイチ目が出ず、(本人的には)飼い殺し状態なスタートから。もちろんそれには理由があり、周辺からの評価としては、頭でっかちすぎること、現場を見ないこと、小手先の実感のない理論を振りかざしていること、等々、30前後は皆さん通る道ですかね(私もご多分に漏れず通過儀礼的は受けてます)。
そんなアイタタな彼女が、老人医療現場の現実を向き合う事で、一人の“記者”として成長していく物語で、お仕事物語として読んでも、面白かったです。
また、仙川さんご自身が、医学部を卒業→新聞社とのキャリアで、実体験かな?と思うようなリアリティを感じられたりもしました、、題材となった老人医療や老老介護、終末医療などについては、自分も家内の両親も後期高齢者になり、おのずからアンテナを伸ばしている身としては、非常に興味深く読めました。
人はいくつになっても成長できるし、いくつであっても成長が無い人は、、でしょうか。“現場”を知らない理論は説得力がなく、一方で、“理論”の無い現場にも解決力は生まれてこない、なんてことを感じましたが、、これ、今の職場にもそれなりに当てはまっていたりも、、所属している部門のトップは両方ともに兼ね備えていますが、、その周辺でボトルネックになっている人が、なんて、下の子達から思われることが無いよう、自戒していきたいところです。
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【ブックトーク】『永遠の0』(著:百田尚樹)
昨日、TwitterのTLを見ていてびっくりしました、、、三浦春馬さん、まだ30歳、「永遠の0」での演技が印象的でした、、残念です。
『永遠の0』(著:百田尚樹)
小学生くらいのころ、祖父母に先の大戦の話を尋ねた覚えがあります(祖父は大正10年、祖母は昭和元年生まれ)。その時は「“南”に行ったけど鉄砲が怖くて逃げ回っていた」なんて風にはぐらかされましたが、、そんなわけが無いであろうことは、さすがにこの年になればわかります。復員後は普通の会社員として務めあげた祖父ですが、2011年に大往生をしました(祖母もその5年後に旅立っています)。今更ながらに、少しでも戦時中の話を聞いておけばよかったと、折々で思います。
私が初めて読んだのは2011年の春、手に取った理由は今でも思い出せませんが、その年の6月に祖父が亡くなったことを振り返ると、何か予兆めいたものがあったのかもしれません。読後、「次に帰省したら戦争のコトをあらためて聞いてみよう」と考えていましたから。祖父の南方戦線との話が本当であれば、所属は陸軍であったと思いますので“零戦”とはなじみは薄かったかとも思います。ただ、どんな内容であれ、我々に祖国を託すために戦った“祖父たちの想い”は語り継いでおくべきだろうと、あらためて感じています。
さて、物語は、主人公・佐伯健太郎とその姉・慶子が、ふとしたことから自分たちの血縁上での祖父の足跡を追いかけるところから始まります。その名は、アメリカ海軍から“悪魔”とまで呼ばれた零戦パイロットであった“宮部久蔵”、終戦間際に特攻で亡くなったとしか2人は聞かされていませんでした。
そんな祖父と共に戦場を飛び廻った人々に聞き取りをしながら、“祖父たちの物語”は様々な様相を見せながら綴られていくことになります。常に「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた、そんな宮部がどうして特攻に赴くことになったのか。
“それは私たちの世代では、愛しているという言葉と同じでしょう”
聞き取りで訪問した相手��全てで「10人」、臆病者だったとの人も、優秀な戦闘機乗りであったとの人も、そして、命の恩人であったとの人も、様々に。それぞれの人々が“戦争”をどうとらえていたのかも浮かび上がるようで、興味深く。この辺り、著者の百田さんが一番参考にしたという、『零戦最後の証言(著:神立尚紀)』をモデルにしているのかなと思います。
そして、最後の10人目に訪れた人物は、、なかなかのインパクトでした。何かを繋いで何かを紡いで、“絆”という言葉と、そして家族を人と“愛する”ということを、強く感じさせてくれる物語となっています。
また2013年12月に映画化もされています、家内と一緒に見に行った覚えも。実家に祖父の手記や写真などが残っているのであれば、それを追いかけるところから始めてみようと、息子たちの世代に伝えていくためにも、、祖父たちがどんな思いで戦ったのか、少しでもその欠片を集めておこうと感じた、そんな一冊です。
【あわせて読んでみたい、かもな一冊。】 『海賊とよばれた男』(百田尚樹/講談社) 『祖父たちの零戦』(神立尚紀/講談社文庫) 『英霊の言乃葉』(靖国神社/太陽社) 『きけ わだつみのこえ』(日本戦没学生記念会/岩波文庫) 『靖国への帰還』(内田康夫/講談社ノベルス)
【補足】 ちなみに、文庫版の解説は児玉清さんがされています、たまりません。あと、数年前に漫画化もされていて全5巻、原作を丁寧に再現されていて面白かったです、、そうそう、劇中に出てくる姉に惹かれている新聞記者は、典型的な“アサヒ脳”に描かれていたのも愉快でした、その顛末も。余談ですが、本屋大賞をとった『海賊とよばれた男』の中でも、宮部さんが出てくるシーンがあります。フィクションだからこその、クロスオーバーでしょうか。
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【ブックトーク】『ゲームのルール』(著:ピエルルイジ・コッリーナ / 訳:山口英雄)
2003年ですから、もう17年以上も前の一冊となります。そのさらに前年の「2002年6月18日(火)」、私は富山駅前にいました。当時の職場での金沢からの出張帰りに、飛行機の関係で富山空港に向かう途中、2002年ワールドカップ・決勝トーナメントの「日本 vs トルコ」を偶然にも駅前のオーロラビジョンにて��戦していました。すべてを観れたわけではありませんでしたが、試合終了のその瞬間、すべての音も色彩も消えたような、そんな世界を画面越しでも感じたのを今でも覚えています。
『ゲームのルール』(著:ピエルルイジ・コッリーナ / 訳:山口英雄)
その2002年のワールドカップ、決勝の審判でもあったコッリーナさんの、自伝的なエッセイとなります。2003年の本ですから、ワールドカップ後すぐの本となっています。今から振り返ると、なんとも懐かしい選手の名前などてんこ盛りなのですが、今でも印象に残っているのは、次のくだり。
「準備をする」ということは(中略)偶然に任せない、という意味
業種を問わず、仕事を進めるにあたって、共通する認識かなと、そして準備とは身体的な意味合いのみでなく、
(準備とは)何をしに行くかということの認識でもある
との「心構え」も含めてのことだと話されています。
このような「想い」をベースにされているからこそ、コッリーナさんはあれだけの実績(5年連続でFIFA最優秀審判員に選出)を残す事が出来たのでしょうか。そして、根底にあるのは「サッカーへの愛」、審判は経済的には決して裕福とは言えません、好きでなければやっていけないとの要素もそこからは汲みとれます。そんな、審判という職業の実態についても、ご自身の経験を交えながら丁寧に描き出されていて、サッカー観戦にあたって、審判の立ち位置や考え方に触れることができるのもまた面白い、と。
なお、2002年大会で笛をとった試合の一つ「日本 vs トルコ戦」についても言及されています。試合終了の笛を吹いたのちの「10秒間の完全な沈黙」と、それに続く嵐のような拍手。それはとにかく結果を出したという、二つのチームへお感謝の気持ちの表れであろう、、そしてそれは今までの私(コッリーナさん)には沸き起こったことのない、感動的な瞬間だったとも。
自分たちのしたことに誇りを持っていいと思う。悲しむんじゃない。胸を張れ
当時のキャプテン宮本選手へのこの一言は、今でも震えます。当時私自身が富山駅前で感じた想いと、どこか共通していたからかもしれません。ここ最近、ようやくスポーツの観客を入れ始めての試行錯誤が始まっていますが、どんな競技でもどんな立場でも、それぞれが胸を張れるような、そんな「自分たちらしさ」を失わないプレイをみたいな、とあらためて。
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