#やぶはら高原スキー場
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今年の初滑りは長野県のやぶはら高原に行ってきました☃️ 明日は絶対筋肉痛💦 #日本 #長野県 #スキー #スノーボード #やぶはら高原スキー場 #japantrip #写真 #photo #snow #雪 #旅行 (やぶはら高原スキー場) https://www.instagram.com/p/CnKF9NavdXI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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スノボにいったよ
週末スノボにいきました。岩��の安比高原スキー場です。 2,3年ぶりに行って、スノボは意外と過酷なイベントだなと思いました。キャンプや旅行、ディズニーとかと同じカテゴリーと思っていたのですが。
まず初日はいい感じに晴れて、久々きた〜!と爽やかにスタートしました。
晴れ渡る空
この後すぐ、友達について行った正面に映る急斜面で盛大にぶっ転び、背中から下向きに落っこちて、そのまま2回転くらい止まれませんでした。 30過ぎてこんなに盛大にぶっ転んでも許されるのはスノボだけ。友達に爆笑されつつパウダーに埋まって空を仰いでいると、1回も転ばずに終えるのはむしろもったいないと思えてきました。 1回転ぶとその後転ぶのが怖くなくなりましたが、同時にスノボ結構ハードな遊びやんと思いました。 ちなみに岡本太郎は”一番急な斜面の直滑降しかしない”そうです。 キャラ作り乙という感じですが、それで何回か骨折したりしてるらしくマジらしいです。 こっわ 同じコースにひたすら直滑降して”なんだこれは!”ってしてるおっさん居たらこわ お前がなんだよ 岡本太郎はこわい 世が世なら良いデビルハンターになれたと思います。 二日目 頂上がかなり吹雪いていました。ゴールデンカムイで言うロシアで遭難するシーンくらい絶望的に吹雪いてました。
これはまだマシな方で、ひどいときは目の前が真っ白で、”左かと思ってターンしたら下だった”ためにコケたりしました。下がどっちかわからない状況で自然に立ち向かえるのはスノボだけ。 僭越ながら自然に立ち向かってる感を感じました。スノボって過酷やんとこの時も思いました。結構昔にサーフィンして波に飲まれた時も、ディズニーの気持ちできたのに過酷やんと思ったな。自然で遊ぶ系はだいたい過酷ということだ。 蛇足ですが、リフト並んでる時、前の人のスキー板に、"Face the Force of Nature"と書いてあって、なんか厨二っぽいパンチラインに思えて好きでした。 そんな感じで楽しくスノボ旅行ができました。 安比高原は、広くて雪がパウダーでシャーベットがなく、東京から3,4時間という好立地なので、また行きたいと思います。 過酷なので年一で十分やが。
著者近影
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赤城山
このところ休日が休日になっていなかったので、朝から健康診断があったというのに終わるなり温泉目指して走り出した。
目標は道の駅中山盆地。群馬県立天文台の近くで盆地の中の高台にある温泉からの景色が美麗である。しかも洗い場が露天に並んでおり、この寒い中すべて外で風呂を満喫できるのだ。
すでに温泉セットを車にセットしてあり、健診会場から直接温泉を目指して出発した。しかし、角をいくつか曲がると正面には壮大な赤城山。そうだ、赤城に登ろう。
赤城山山頂を目指す道は数えるほどしかなく、鳥居を通って有名な桑風庵のある道を登っていく。混雑することはなく、淡々と山道を登っていく。
標高600メートルの看板を見たあたりから少しずつ雪が目につくようになるが、道路には全く溜まっていない。途中の姫百合駐車場のあたりから路面に雪が残り始める。ここまでならスタッドレスは必要なさそう。雪山ハイクの車でいっぱいだ。
上を目指して登っていく。エスクードはフルタイム四躯なので通常路面でもスタビリティが高いが、雪道でも嫌な挙動は示さない。今年は雪が多くないようで、上の方に行ってもアスファルト路面が顔を出している。雪(圧接)路面とアスファルトが交互に出てくるのでなかなか直結四躯にはしづらいが、その必要もないくらい安定している。
見晴山展望台を超えた、あとちょっとで大沼というところで多重衝突で警察が出ていた。5~6台が路肩に寄せていたが、うち2台は結構なダメージを受けているように見え、帰りも同じ位置にいたということは動けない状態なようだ。どんなスピードで走っていたのか。
大沼の周回路に入ると流石に全面雪道。スキー場は子供がいっぱいいて楽しそうな声が聞こえてくる。いきなり本格的な雪国だ。駐車場を巡るがどこもいっぱい。結局泥だらけの駐車場にかろうじて停める。
特に用があって来たわけではないので、何もすることがない。一休みして周回道路を奥に進んだ。
赤城神社の駐車場もいっぱい。その先に赤城山の北側に降りていく道があり老神温泉まで行けるのだが、冬期は閉鎖される。沼に沿って細い道を進んでいくと、一部で有名な群馬県立赤城高原キャンプ場がある。無料キャンプ場なんだが狭くて設備もあまりなく、キャンプ慣れしている人用って感じ。ここも冬期は閉鎖。
この辺は圧雪路になっていると思ったら、やはり所々で舗装路が見える。もう少し進んで日陰の道が雪深かかったので直結四駆にしてみたが、やはりなんの破綻もなかった。
ぐるりと回って元の道に出たので帰ることにした。帰りも特にドキドキするようなことはなかったが、目の前を走っていたアルファードにはちょっと困った。
下りの圧雪路なのでゆっくり走るのは当たり前だが、ちょっとアスファルトが見えるとすぐに加速し始める。次のカーブの手前に雪があるのにブレーキが遅く、しかもブレーキを引きずるクセがあるようで、カーブ途中でふらついちゃってヘロヘロになっている。更にまたアスファルトが見えると踏み込んで、カーブでヘロヘロ。加速するのをやめるか、ブレーキを引きずるのをやめるかしなければ何れ何処かに刺さるだろうと思ってかなり車間距離をあけた。きっときれいな道でタイヤ任せにしか走ったことがないんだろうな。
危ないといえば、姫百合駐車場のあたりで登ろうとしているバイクがいた。ヘルメットにでかい猫耳をつけた革ツナギのソロライダー。すでによくここまで来たな、というような位置だったが、これ以上は無理と察知したようで、Uターンを試みていた。駐車場に入ってみていたらもうまともに走っていられるような状態ではなく、引き返す決断は正解だと思った。ああいうのって「走ってみた!」系なんだろうか。
全部で1時間もいなかったが久しぶりの雪道は楽しかった。それでも時間がなかったので温泉はやめて地元の銭湯に浸かりました。楽しかった。
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2024/12/3 13:00:12現在のニュース
同友会、主婦年金の段階的廃止を 保険料負担、公平な制度に:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/12/3 12:58:57) 「100人の女性」に渡辺直美さん、旧優生保護法原告の鈴木由美さん(毎日新聞, 2024/12/3 12:55:57) トランプ氏、SNSでハマスに人質解放を要求…応じなければ「あらゆる地獄の報い」([B!]読売新聞, 2024/12/3 12:55:20) 日経平均���時700円高 半導体規制「除外」が呼ぶ意外高 大久保希美 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:54:26) 【新潟】越後製菓の堅くない米菓「ふんわり名人」 ドジャースタジアムで人気 信越企業 攻めの一手 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:54:26) 地銀が買い手のM&A増加、脱「自前」で成長投資にカジ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:54:26) EC7社から30万件情報漏洩 正規サイトに不正プログラム - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:54:26) 斎藤知事「議会と知事は車の両輪」 再選後初の兵庫県議会が開会(朝日新聞, 2024/12/3 12:54:18) ニセコ・スキー場のリフト券、初の1万円超え 観光客増加で設備投資 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/12/3 12:45:52) ICCの赤根智子所長、ネタニヤフ氏逮捕状巡り「攻撃や圧力に直面」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:42:39) テスラCEOマスク氏の巨額報酬、裁判所が再び無効判断 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:42:39) 攻めるアクティビスト、「よろい」失う企業 トヨタ系標的 資本騒乱 膨張アクティビスト① - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:42:39) 「ここで辞めたら何のために…」 能登半島自身で被災の漆陶舗「あらき」新城社長 (東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/12/3 12:41:40) 恋に前向きになれた…「専用」マッチングアプリ、障害者同士の出会いをつむぐ 好評だけど「モヤモヤ」の声も:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/12/3 12:33:34) ふるさと納税、年末「駆け込み」は要注意 偽サイト被害相次ぐ(毎日新聞, 2024/12/3 12:33:17) 生後5カ月長男に暴行疑い、父親逮捕「泣きやまずストレス感じた」(朝日新聞, 2024/12/3 12:32:50) 斎藤知事の公選法違反疑惑、弁護士と大学教授が買収罪で刑事告発 PR会社代表も([B!]産経新聞, 2024/12/3 12:30:48) 宇都宮LRT、自転車持ち込みツアー実証 事業化には難路 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/3 12:30:29)
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【対談】北村道子 × 鈴木親「靴と映画と衣裳のこと」
michiko kitamura x chikashi suzuki
photography: chikashi suzuki interview & text: tomoko ogawa
journal/
1866年の創業以来、伝統的な靴づくりを守りながら時代性を反映したコレクションを展開し、現在はパリのアトリエにてビスポークを、ノーザンプトンのファクトリーでバイリクエストサービスやメンズとウィメンズの既成靴コレクションを製作するブーツメーカー JOHN LOBB(ジョンロブ)。京都、祇園・新門前での新ショップオープンを記念し、映画監督・是枝裕和をモデルに起用した“JOHN LOBB x KORE-EDA”キャンペーンがスタート。鈴木親が撮影し、北村道子がスタイリングした本キャンペーン。京都での撮影を終えた二人が、本キャンペーンビジュアルのビハインド・ザ・シーンを語る。
鈴木親(以下、鈴木):まず、京都に JOHN LOBB の店舗が出来るので何か撮影をということで、相談されたのが始まりでした。ちょうど去年、フランスの雑誌の仕事で何度か是枝さんを撮影する機会が何度かあって、フランス人の是枝さんに対する熱量の大きさや、フランス全土における知名度の高さを知ったんです。そんなこともあり、是枝さんにお願いするのはどうかと制作チームに提案して。そうしたら、日本も本国の JOHN LOBB も大賛成してくれたので、是枝さんのプロデューサーさんを通じて交渉してもらいました。そのときに、条件として出したのは、「俺は自分が見たいものを撮りたいから、スタイリングは北村道子さんにやってもらいたい」ということで。
北村���子(以下、北村):最初、私は断ったのよ。是枝さんとは、私が衣装をやった『幻の光』(95) 以降、会っていなかったしね。
鈴木:まだ写真の仕事を始める前の頃、それまで日本映画を映画館ではほとんど観たことがなかったけれど、意識的に最初に観��行った作品が『幻の光』で。映画館にポスターが貼ってあって、日本映画であまり見たことがないデザインだったこともあり、すごく気になって観に行ったんです。当時は北村さんの存在も全然知らなかったし、是枝さんのことも何もわかってなかったんだけど。
北村:江角マキコさんのポートレートが使われている日本版ポスターは、COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)の服だとわからないように、フリルと襟を全部外したんですよ。リースした服に見えてしまったら、現実に戻されるじゃないですか。
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
鈴木:当時、『私をスキーに連れてって』(87) の反動か、単館系の洋画やアジア映画だと Wong Kar Wai (ウォン・カーウァイ) 作品が流行っていて、映画雑誌の表紙はほとんど海外の俳優になっていたし、日本映画はお洒落な子たちからはあまり観られていない時期だったと思うんです。でも、実際観てみて、海外作品の中に入ってても、全然違和感がないと感じたし、ストーリー以前に映像美が入ってくる感覚があって、強く印象に残っています。
北村:最初、私は是枝さんのことを知らなかったわけじゃない。まだ彼は30歳くらいで、それ以前はテレビマンユニオンでドキュメンタリーを撮っていたから、過去作品がなかったんです。私は言っちゃいけないことも言っちゃう人間だし、日本映画の衣装の予算はすごく限られていることは、その前に衣装を担当した森田芳光監督の『それから』(85) で思い知ったから、私が努力とお金を注ぎ込むための証拠となるものはあるのかと聞いたわけ。そうしたら、「会ってほしい」と頼まれて。それで、是枝さんから、浅野忠信くんが出演している作品の VHS を数本渡されて、是枝さんが、「彼はまだ全然有名じゃないけれど、絶対にブレイクする」と言うわけよ。私は、それを観て、やると即答したんです。
鈴木:確かに、岩井俊二監督のドラマ『FRIED DRAGON FISH: THOMAS EARWING’S AROWANA』(93) の浅野さんは、すごく印象的だった。北村さんが即答するのもわかるくらい、美しかった。
『幻の光』8月2日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて限定上映 © 1995 TV MAN UNION
北村:宮本輝の原作では、舞台が奥能登なんです。是枝さんがモノクロで撮りたいというから、どこのシチュエーションで撮るのかと聞いたら、大阪だと言う。ならば、こういう光だから、洋服の色はこうした方がいいとか、キャスティングも含めて二人でいろいろ話し合いました。それと、私は是枝さんに、「自然光でできるから、照明機材は要らない」と言ったのよ。ただ、暗闇の中で光が必要になるときのために、撮影の中堀正夫さんが丸山文雄さんという人を連れてきたんです。
鈴木:そうだったんですね。“ドグマ95”の純潔の誓いのようですね。
北村:前回と同様、衣装の予算は全然なかったけれど、すごいところまで行く作品だろうという自信があったから、引き受けたんです。映画って早くから準備をするじゃない。私の中で能登というのはアイルランドと同じではないかというイメー��があったから、アイルランドの色をつけていったんです。それで、国内外の店舗から集めた COMME des GARÇONS の洋服を解体して、洋服に組み直した。ちょうど縮毛のコレクションでやっていた頃だったから、 マフラーが50点あれば、コート4着が作れるという計算をしたんだよね。
鈴木:それができる人、日本で北村さんくらいしかいないですよね。結局、俳優が役に入る時のスイッチになる衣装のリアリティはすごく重要というか。例えば貴族の役でポリエステルのスーツを着ている人はいないじゃないですか。
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北村:あの時代、是枝さんとの作品から宇多田ヒカルさんのMV三部作 (「FINAL DISTANCE」「traveling」「SAKURAドロップス」) までの私は、集中力が半端じゃなかったんだよね。異常な集中力が無い限り、非日常は生み出せない��ら。
鈴木:北村さんから是枝さんの話もよく聞いていたし、純粋に、二人が組むところをもう一度見たかったんです。加えて、JOHN LOBB 自体がいわゆるファッションブランドではないので、キャンペーンには必ずストーリーか必然が必要だと思い、撮影自体を是枝さんと北村さんとのストーリーと考えて撮ろうと思った。
北村:何度か断っても、親くんが引かなかったからね。
鈴木:断られるのを承知で電話してたから(笑)。そうしたら、最終的に、「わかったよ。親くんのためだったらやる」と北村さんは言ってくれたんですよね。単純に、撮っている側が撮らされているという意識ではなく、見たいものを見られるか���うかがすごく大事だと思っているから。
北村:しかし、京都で撮影したときのスタッフの数は、ものすごく多かったですね。親くんは是枝さんをウォーミング・アップするために、「散歩がてらに、現場に来てくれないか」と安藤サクラちゃんにも声をかけていたしね(笑)。
鈴木:JOHN LOBB 側には賛成してもらえたけれど、北村さんと是枝さんが約30年ぶりに会うわけだし、北村さんと是枝監督の信頼のあるサクラちゃんに通行人として通りがかってもらおうと(笑)。
北村:写真を送ってもらって、やっぱり親くんの写真だなと思った。写真における高級さがあるんだよね。私たちが Henri Cartier-Bresson (アンリ・カルティエ=ブレッソン) を見ているときに覚える感覚みたいな。
鈴木:二人が再会した時に北村さんが「あんた、大きくなったわね。最初に会ったときは親くんと同じくらいだったわよ」と是枝さんに言ってましたよね(笑)。確かに、『ワンダフルライフ』(98) の公開時のタイミングに、雑誌『DUNE』で是枝さんを撮らせてもらったときの写真を見返したけれど、当時は少年みたいな感じでした。
北村:最初は TOM FORD (トム フォード) でやろうと考えていたんだけれど、サイズが合わないということがわかって、AT LAST&CO (アトラスト) の辺見馨さんに聞いてみたら、北村さんの仕事なら、サイズさえわかれば本人が来なくてもサイズは合わせられると言ってくれたんです。それで、AT LAST&CO のアイテムをリサイズしたものを使用しました。
鈴木:フランスでいろんなメゾンや雑誌のアートディレクションをやっている面白い人がいて、彼は JOHN LOBB や Alden (オールデン) の革靴に、AT LAST&CO や日本のブランドのデニムを合わせているんです。今回、北村さんが持ってきたのがまさにそれで、さすがだなと思った。フランスで今一番注目されているのは、スーツブランド HUSBANDS (ハズバンズ) やブランド FURSAC (フルサ) の周りにいる子たちだと聞いていたけれど、期せずして、北村さんがフランスの今最もクールなスタイリングを、スーツもクラシックなスタイルを取り入れていたから。
北村:もともと AT LAST&CO のスタッフは、Alden か JOHN LOBB を履いていたんですよ。去年まではお店でもセレクトしていたけれど、辺見さんは全部をメイドインジャ��ンにしたいから、今は靴も自分で作っているんです。
鈴木:ヨーロッパのいわゆる中年男性の着こなしですよね。近年、日本のセレクトショップがフレンチアイビーを打ち出しているのは、その流れを汲んでいると思う。
北村:デニムにも革靴を合わせるのがヨーロッパのスタイルじゃないですか、スニーカーじゃなくてね。私は若い頃、サントリーのCMの仕事で、サッチャー政権のときの政治家で作家の Jeffrey Archer (ジェフリー・アーチャー) をスタイリングして、メンズウェアのルールを知らなかったからすごく恥かいてね。それでロンドンで見ながら勉強して、メンズは真四角のサイズでできていることを知ったわけ。そうして、サヴィル・ロウで、アフターシェーブローションからハンカチまで全部が揃うことがわかったの。
鈴木:JOHN LOBB の撮影をした祇園もサヴィル・ロウに近いというか。祇園という枠の中でお互いに支えながら全部を回しているから、外からの資本が入ってこない。だから伝統が守られているという話を是枝さんもしていましたよね。
北村:そういう伝統を見て、知って、考えた上で、何を着るかなんだよね。そういう意味で、洋服って本当に大事ですよね。
鈴木:やっぱり、着ているものは自分では見えないからこそ、他人にどう見えるかがコミュニケーションツールとして大事になってくる。「何でもいいじゃん」とは言いながらも、何でもよくはないというのが一番いいんだけど、一番難しいから。今回、是枝さんに着てもらったスーツも黒いコットンのスリーピースでしたが、 JOHN LOBB の靴のソールがラバーだったからこそ、北村さんが持ってきてくれたスーツのウールじゃなくコットンだから出てくるカジュアルさやリラックス感がフィットしてましたね。
北村:メンズは、特にしきたりが根強いですから。
鈴木:なかなかそこに気づく人はいないですよ。スーツだけじゃなく、ボタンが猫目のオープンカラーシャツとデニムも用意してくれて、京都に合うクラシックをそのままやらずに、ちょっとズラすことで、モダンに仕上げてくれたなと。
北村:親くんの選んだロケーションが祇園の黒塀だったから、たまたま私がセレクトした洋服と合ったんですよ。
鈴木:商売する場としての祇園というより、仕出し屋さんをはじめとする祇園を支える人たちの生活する場所ですよね。Netflix シリーズ『舞妓さんちのまかないさん』も、このあたりの仕出し屋さんや紙屋さんに取材してたらしくて。
北村:だからか是枝さん、すぐフラフラっとどこかにいなくなってましたよね。
鈴木:そうそう。もうひとつの撮影場所は、祇園の両足院で。制作の人たちは意識していなかったみたいだけど、「両足」って、今回の撮影に最高にぴったりじゃんと(笑)。両足院で撮れたことは面白くて、単純にヨーロッパだったら、靴を脱ぐというシチュエーションは滅多にないけれど、禅寺に行けば自然と脱ぐから。だから、脱ぎ履きするシーンは絶対に入れたいと提案しました。
北村:すごくいいアイディアでしたよ。
鈴木:それこそ、北村さんがいろんな色のソックスを持ってきてくれたから。AT LAST&CO の黒いコットンスーツに合わせたグリーンの靴下は、抹茶感があって一番好きだった(笑)。
北村:いいよね、これ。パンツもサスペンダーで調整して、微妙な丈にしているんですよ。
鈴木:あと、撮影中、一番面白かったのは、ヘアを担当した子が、是枝さんと北村さんを前にカチカチになってしまって(笑)。大御所の二人だし、それは緊張する方が信用できるなと思いながらも、撮影の合間にちょこちょこ直しに入ってくれていたんです。俺も何かが足りないなと感じていたけれど、何の違和感かは気づいてなくて。そうしたら、北村さんとサクラちゃんが気づいてね。
北村:ヘアの子は、制作の人たちから、寝癖を整えるように指示されていたんですよ。私はサクラちゃんと二人でそれをじっと見ながら、「直す前の方がよかったんじゃない」とお互い思っていたわけ。だから、「サクラちゃん、言っておいでよ」と促したんです。彼女が言えば、みんなオッケーじゃないですか。
鈴木:そう北村さんに言われたサクラちゃんが是枝さんのところに駆け寄って、「なんか違う」と言いながら髪の毛をぐしゃぐしゃっとしたら、いつもの是枝さんに戻ったの。それで、カメラの前に立ってもらったら、俄然シャッターが押しやすくなった。是枝さんも撮られることに慣れているわけじゃないから、北村さんとサクラちゃんがそうやって話しかけてくれたことでリラックスしてくれて、すごく撮りやすかったです。
北村:是枝さん、京都の空間に合ってましたよ。撮影を見ていて、やっぱりね、かっこよかったです。
鈴木:北村さんと仕事すると、いい意味で運がついてくる。ちゃんと準備してきてくれるから、その上で現場で生まれる偶然性を取り入れると、さらに面白くなるというか。
北村:藤井保さんと葛西薫さんに、「関係なくても、『北村さん呼ぼうか』と言うのは、写真家にとっての条件を良くしてくれるから」と言われたことがある。ウェザーチェックみたいに、「俺たちだったら鉛のような天気なのに、北村さんが近づいてくると不思議と条件が良くなる。クリアになっていく」と。
鈴木:まさに。
北村:私は親くんと仕事をするときに、撮影が始まるとクリアになっていくのがわかるのよ。
鈴木:日本だと、ファッション撮影をきれいとかかわいいとか点で捉えがちだけれど、ストーリー性が重要だと思っていて、パッと見かっこよくて、ちょっと調べたらストーリーがあるほうがいいじゃない。そういう意味で、北村さんとやると、事前に全部を詰めてなくても、ファッションという点と点で捉えていたものの関連性が見つけられて、ストーリーという線になりやすいんですよね。いい靴だからこそ、その靴に相応しい人が履いているというのも重要だから、是枝さんには絶対に出てほしかったし。
北村:撮影が終わる頃には、是枝さんが子どもを演出するのがすごくうまいのは、やっぱりドキュメンタリーの人だからだということが見えてきましたね。是枝さんの映画は、リアリティとしてそこに子どもがいることによって完成していると思った。
鈴木:となると、デビュー作の『幻の光』は異質ですよね。是枝さんは、小津安二郎を意識してないのに、フランスの取材を受けると、大体“ネクスト・オズ”と呼ばれたりすることを最初は嫌だったと話していたけれど、今の作風を観てそう言われているというより、『幻の光』の印象に引っ張られている気もしますよね。
北村:『幻の光』は、本当に是枝さんの努力でできたものですよ。監督自身が5トントラックを用意してくれて、衣装合わせも二人で全部やったんですよ。それで、スチールで藤井さんと、グラフィックデザイナーで葛西さんを使いたいと私がリクエストしたんです。
鈴木:「私の名前を言えばやってくれるから」と、北村さんが葛西さんと藤井さんにつないでくれたと是枝さんのインタビューで読んだことがあって。過去作やキャリアがあって引き受けてもらえる可能性はあったとしても、普通、予算がなく無名の監督のデビュー作を大御所がデザインすることは難しいし、自分の名前を使っていいと取り計らってくれたことは、一生忘れないだろうなと思った。その後、藤井さんのアシスタントだった瀧本幹也さんがポスターヴィジュアルや撮影監督をしていることを考えると、ある種、北村さんが組んだヴィジュアルの座組は歴史として引き継がれているわけで。
北村:それはね、『それから』の衣装をやったとき、酷いポスターを見て、これはないんじゃない?と思ったからです。ものすごくね。
鈴木:(笑)。トレーラーで映画に観に行く人もいるけれど、結局、ポスターがきっかけになるところも大きいですよね。当時、テレビコマーシャルの延長で、看板のようなポスターはたくさんあったけれど、北村さんが衣装を手がける前は、基本、衣装部にあるものを繰り返し使っていたわけですもんね。
北村:私も最初はそう言われたんですよ。段ボールに入ったカビ臭い衣装が置いてあって、「みんなそれでやっているんだ」と森田芳光さんに言われて。
鈴木:そう言われて鵜呑みにするわけないですもんね、北村さんは。
北村:だから、私のやり方にものすごく驚いてましたよ。
鈴木:こういう仕事って移り変わりが激しいのに、是枝さんにとって最初の映画で出会って、二人ともそれぞれの仕事を続けて進化して。本当に凄いことです。
北村:でもね、今回は勉強になりました。親くんからこういう機会をもらえて、是枝さんとも約30年ぶりに再会して、笑いながら別れられたから。私は映画というものに対して、結構尽くしてきたつもりなんです。だって、本当にお金のない世界で、たったひとりで衣装を作るわけだから。おそらく、日本映画でそれをやったのは、私だけじゃないかと思う。普通は、複数のスタッフでやっているはずだし。
鈴木:Christopher Nolan (クリストファー・ノーラン) の映画でも、普通にみんながスーツを着ているけれど、その役ごとにスーツのかたちも違うわけで、全てオーダーメイドでしょうし、衣装のディレクションのもと、チームで動いていますよね。
北村:普通はそう考えるよね。日本映画はそうじゃなかったんだけれども。だから、京都の撮影のとき、是枝さんから、「北村さんは、相米慎二さんや森田芳光さんからすごく尊敬されていましたよね?」と言われたから、「そんなことは知らないよ」と答えたのよ。そうしたら、「いや、されていたんだよ。北村さんは彼らの映画の衣装をやって、日本映画を変えたんだ。今観ても新しく感じます」と言われたの。変えるとまではいかないと思うけれど、そういう言葉をもらえたことは、ちょっと嬉しかったですね。
是枝裕和監督の長編映画デビュー作『幻の光』が8月2日よりリバイバル上映
是枝裕和監督の長編映画デビュー作『幻の光』が、8月2日からBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で限定上映される。今回のリバイバル上映は「能登半島地震 輪島支援 特別上映」として企画され、収益から諸経費を除いた全額が輪島市に届けられる。
『幻の光』(英題:Maborosi) 祖母が、そして夫が突然死へと旅立った。愛する人を次々と失った記憶と引きとめることができなかった悔恨を胸に秘め、ゆみ子は奥能登に嫁ぎ、新しい家族に囲まれて平穏な日々を送るが──。
監督: 是枝裕和 出演: 江角マキコ、浅野忠信、柏山剛毅、渡辺奈臣、吉野紗香、木内みどり、大杉漣、桜むつ子、赤井英和、市田ひろみ、寺田農、内藤剛志、柄本明
プロフィール
北村道子 (きたむら・みちこ) 1949年、石川県生まれ。サハラ砂漠やアメリカ大陸、フランスなどを放浪ののち、30歳頃から、映画、 広告、雑誌等さまざまな媒体で衣裳を務める。映画衣裳のデビューは85年、『それから』(森田芳光監督)。07年に『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(三池崇史監督)で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞した。著書に『Tribe』(朝日出版社)、『COCUE』(コキュ)、『衣裳術 2』『衣裳術《新装版》』『衣裳術3』(リトルモア)がある。
鈴木親 (すずき・ちかし) 1972年生まれ。96年渡仏し、雑誌『Purple』で写真家としてのキャリアをスタート。『Purple』(仏)、『i-D』(英)、『Dazed & Confused』(英)、『CODE』(オランダ)、『Hobo』(カナダ)、『IANN』(韓)、『honeyee.com』(日)、『GQ』(日)、『commons&sense』(日)、『Libertine / DUNE』など国内外の雑誌で活動。Issey Miyake、United Bamboo、Toga などのワールドキャンペーンを手掛ける。これまでの作品集に『shapes of blooming』(treesaresospecial)、『Driving with Rinko Kikuchi』(THE international)、『CITE』(G/P gallery)、『SAKURA!』(リトルモア)、『新東京』(アートビートパブリッシャーズ supported by FUJIXEROX)など。
michiko kitamura x chikashi suzuki
photography: chikashi suzuki interview & text: tomoko ogawa
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志賀漂流記
本日は当ブログでお馴染みの孤高のチェアスキーヤー黄門様のツアー。標高低い場所は雨予報なので、一路、天界の志賀高原に凸ってみました。
という訳で久々の黄門様。白馬からの二時間強のドライブも茅葺トークに花が咲き(彼は茅葺職人でもあります)、あっつー間に到着。
ちょっと車椅子のタイヤ変えるから待ってて〜。手慣れた動作でサラッとスリックタイヤを雪道などのオフロード用のタイヤに変えてました。
さてさてオレも全然わかんない志賀高原。黄門様は何度か来てるけどまだまだわからないところだらけだそう。
いいすね、ワクワクしますね!
朝方はまだ天気もよく日差しの入る時間帯も。
リフトから見下ろす善光寺平の絶景。見て見て!黄門様!綺麗だよ!!後ろ向けないっちゅーねん!💢
リフトから降りてようやく眺める景色。ほんまやな、綺麗やな。
ほんじゃ、志賀漂流記始めましょうか。
初っ端、昨日のほうてい祭りの後に突っ込むも、久々のアルペンボードの操作に慣れておらず、コケまくる。
なんせ普段乗ってる普通のスキーの倍くらいの太さですから、操作性は全然違うでしょうね。
しかし、その太さのお陰でこうした端っこの残パウを楽しめるのです!!
ヒュ〜〜〜。極楽じゃ〜。
しかし、林道との合流地点の段差にやられる。人生楽ありゃ苦もあるさ。
だいぶ板の扱いにも慣れてきた様です。
焼額の方へも行って見ましょう!
綺麗な圧雪で滑りやすいです。
チェアスキーって実は普通のリフトは簡単に乗れるけど、ゴンドラは板を脱いだりしないといけないのでチェアスキーヤーにとっては実は利用しづらいそうです。なのでゴンドラを使ってしか遊べない焼額の奥の方へは今まで来た事なかったそうです。今日はせっかく俺がいるんで突っ込んで見ましょう!
係の方も快く手助けしてくださりサクッと乗れました。
てな訳で2000mで記念撮影。
なんてキャッキャッしてると小布施のスキーヤーの友達のカズシゲに遭遇。外国人のゲレンデクルーズガイドのお仕事中でした。彼の実家、小布施のジェラート屋、エルバート、美味いから要チェックやで。
ほんじゃ焼額山頂からの滑降を楽しみましょう。
ロングランで楽しいです。標高下がると雨っぽい雪に変わって来ました。
一ノ瀬に来ると数多くの修学旅行生達が。あかん、こんなところで滑ったら、絶対通学中の子供達の列に突っ込むトラックみたいになっちまう。
という訳で人の少ない寺子屋へ来てみました。
上の方はいい雪が降っていました。視界は暗いけど雪はいい。
帰りは林道で。ここがまたバンクドスラロームみたいでなかなか面白い!!
楽しかったけど、いつの間にか車のある高天原ゲレンデと全然違うゲレンデに降りてきてしまっている様です。
そしていつの間にかゴンドラの駅に迷い込んでしまいました。
また、さっきみたいにゴンドラ乗れないかな〜とあわよくば思っていましたがここは、ゴンドラに乗るまでの道のりが長い上に、ゴンドラが狭くて入れないとのこと。
こりゃだめだ。戻りましょう。
標高下げると雨模様。でストップスノー。いや〜やめて〜。
なんとかリフトを乗り継ぎ高天原へ帰って参りました。黄門様、もうくたくたなご様子。朝からみっちりやりましたからね。
お陰で志賀高原ってとこがなんとなくわかりました。
お疲れ山です!
帰りは美谷島の豪ちゃんおすすめの中華料理店にピットイン。
美味しいラーメン食っときました!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でした!!
黄門様とは明日も引き続きツアーします!
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2023.07 妙高山
火打山より
高谷池に戻ったらテントを撤収し妙高山へ
【コースタイム】高谷池ヒュッテ(0740)→茶臼岳(0800)→黒沢池ヒュッテ(0820)→大倉乗越(0845)→長助池分岐(0920-0925)→妙高山北峰(1030-1045)→妙高山(1050-1055)→光善寺池(1130)→天狗堂(1145-1150)→大谷ヒュッテ(1205-1210)→妙高高原スカイケーブル(1300)
雲のお陰で日差しはかなり減ったけど、やはり無風で暑い、気温は20℃超えてるだろうし。次のヒュッテまで道はなだらかで歩きやすく、ほとんどハイキングしている感じ。山頂付近以外はずっと樹林帯だし雲も出ているので景色はゼロ。
また途中に茶臼岳を通過したがこのピークも樹林に囲まれており景色ゼロ。
約40分で黒沢池ヒュッテに到着。青いドーム状の屋根が特徴的。
小屋のすぐ近くは高谷池ヒュッテと同じく湿原が広がる。
ずっとハイキングのようななだらかな道だったが、ここからどんどんキツくなってくるので少しだけ休憩。
まず大倉乗越へ急な傾斜から始まる。
約20分で大倉乗越に出た。ここは妙高山の周囲を囲む外輪山のピーク。雲の切れ間からゴールの妙高山が遠くに見えるが、このあと350mの大登りとなる。
乗越から妙高山のとっつき部までは道がかなり細く、木の根や岩などでとても進みにくく荒れている。写真はその途中、奥に長助池が見える。
まずは30分かけて長助池分岐に到着。かなりあるきづらい道だった上、ここから山頂まで大きな登りが控えているため一旦息を調えておく。
そして妙高への登りが非常に凶悪で、かなりキツい傾斜が延々と続く、高齢者は越せるのか?と思うくらい大きな段差の岩がたくさんある。下る場合も結構危険だと思う。自分は重装備で1時間かけて登りきったが、総じて黒沢池ヒュッテ~妙高山間の道については二度とゴメン。
山頂手前に祠。文字が書かれていても読めなかったけど、存在自体はかなり古そう。
長助池分岐から1時間かけて淡々と登り妙高山(北峰)に到着。山頂はかなり広い。
山頂は巨岩が多くゴツゴツしている。山頂周辺のみ雲が開けており南峰がたまに顔を出す。あっちも岩がすごい。
たまに雲の切れ間から歩いてきたルートが見える。どのあたりまで見えているのかは不明だが、茶臼山は見えていないかも?
南峰への道、わずか10分も歩かないが、その間に巨岩がいくつも現れる。
妙高山は古くからの山岳信仰の山で、南峰の方に祠が置かれている。こちらは岩だらけなので、休憩するなら北峰のほうが適している。
これからスカイケーブル方面へ下山する。先程登ってきた道よりもこっちのほうが登山道として断然良い。岩がゴツゴツしているが足運びしやすい適度な傾斜、視界がひらけて雲が無ければ展望が良い。
少し下ると樹林帯で非常に暑いが、先程の妙高山への登りとは違って大きな段差や強い傾斜はほぼない。
一箇所だけ、長大な鎖場あり(写真)。道は細くほぼ断崖絶壁となっている。雨などで地面が濡れている際はかなり滑りやすそうな岩場だったので、そのときはかなり注意。その他小さい鎖場やロープなどはいくつかあった。
その後はずっと樹林帯。場所によっては道の両脇に壁のように枝が伸びており、風を完全に遮断する。
道中立派なきのこを発見。ツルタケ系であることはひと目でわかるが、家に帰って調べてみるとカバイロツルタケという毒キノコっぽい。
大谷ヒュッテの手前で車道に出る。
あたりを眺めてみるとくずれた斜面の中に重機が何台か見えた。あれは土石流?それとも整備しているのか?ここはそのために設置した車道かな。
山頂から1時間下って大谷ヒュッテに到着。ここは無人小屋でトイレ・トイレットペーパーも用意されている。布団までも・・・無人小屋なのに至れり尽くせりだ。
ヒュッテのすぐ近くの水場は非常に冷たく、おそらく湧き水で煮沸しなくても飲めるやつ。この日用意しておいた水がギリギリだったのと、そもそも池の水を煮沸したもので(高谷池ヒュッテの水場より)どことなく警戒しながら飲んでいた。おもいっきりごくごく飲んで冷たくて美味しかった。
大谷ヒュッテを過ぎると再び山道となる。引き続き傾斜は緩く終始景色はない。
大谷ヒュッテから約40分ほどゆるい山道を歩きスキー場に出た。観光客がちらほら見える。
最後は妙高高原スカイケーブルで下山(1400円)。歩いても下まで降りれる距離だけど、テント装備だし疲れたので。ここから妙高高原駅へ市バスが出ているが2時間ほど先なので、しばらく麓のレストハウスでくつろぐ。
市バスは妙高高原まで350円、10分で到着。笹ヶ峰が1000円で1時間と長かったのに、こっちはとても安くて早い(もちろん距離が全然違うが)
1日目は6km、2日目は18kmの歩行距離。2日目はだいぶ長距離移動で久しぶりのテント泊装備に少し不安だったが、無事終えた。妙高山と火打山はすぐお隣なので1泊2日で2ついっぺんに登りたいと考えるのはごく自然な考えだが、1つずつ登るべし!!黒沢池ヒュッテから妙高山までの道が劣悪すぎて非常にキツイ。もちろん登山なので歩きにくい道があるのは当然なのだが・・・キツイ中でも途中の景色が良いなら救われるのだが(まぁ今回は重装備だったからしんどかったけど、小屋泊装備なら別に2つ登ってもいいかも?)。
あと、どちらの山も森林限界が山頂付近しかなく、基本的に樹林帯で景色なく、風なく、暑い日はとても辛い。登る季節を間違えたとしか言いようがない。
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映画『レ・ブロンゼ、再会と友情に乾杯』
フィリップ・ラショーたちBande à Fifiが作った映画『バッドマン、史上最低のスーパーヒーロー』を先日見て、彼らの先代(?)にあたるカフェ・シアターLe Splendidのことを思い出し、Le Splendidの面々が集まって作った映画『レ・ブロンゼ、再会と友情に乾杯』(2006)の中古DVDをAmazonで買って見ました。
原題はLes Bronzés 3, Amis pour la vieーーLes Bronzésというのは直訳すれば「日焼けした人々」、Amis pour la vieは「一生友達」。
「3」とあることから分かるように、1978年の『レ・ブロンゼ』、1979年の『レ・ブロンゼ、スキーに行く』に続くシリーズ3作目です。
監督はパトリス・ルコントーー日本では『仕立て屋の恋』(Monsieur Hire, 1989)や『髪結の亭主』(1990)が有名でしょうか。語弊のある言い方かも知れませんが、「意識高い系」の人々の間では結構名の知れた監督のはずです。
出演はジョジアーヌ・バラスコ、ミシェル・ブラン、ジェラール・ジュニョ、マリー=アンヌ・シャゼル、クリスチャン・クラヴィエ、ジェラール・ジュニョ、ティエリ・レルミット……要するにLe Splendidのメンバーで、日本ではそれほど知られていませんが、フランスでは有名な役者たちです。
私は知りませんでしたが、監督のパトリス・ルコントはもともとLe Splendidで戯曲を書いていたとかーーそうか、彼も仲間だったわけですね。
で、仲間たちが結集してどんな映画を作ったかと言いますと……
え?
ダメじゃんこれ。全く面白くありません。
私が1作目、2作目を見ておらず(日本ではDVDも出ていないようです)、それぞれのキャラクターがわからないからかも知れませんが、それにしてもひどすぎます。
前作から27年たちアラフィフになった面々が休暇を過ごすためにイタリア・サルディニア島の高級ホテルに集まって……という映画ですが、正直「いい歳こいて何やってんだ」という気持ちになってしまいました。
いやアラフィフでバカをしてもいいんです。ただ、許せるバカと許せないバカがあり、笑えるバカと笑えないバカがあるーーこの映画の登場人物たちは許せないバカ、笑えないバカをやっています。
だって……クリスチャン・クラヴィエとマリー=アンヌ・シャゼルは10年前に離婚した。金持ちのイタリア女性と結婚してリゾートホテルの経営者になったティエリ・レルミットの招待で彼らはサルディニア島にやってきて再会する。クリスチャン・クラヴィエはよりを戻したいと思っているが、マリー=アンヌ・シャゼルはアメリカでやはり彼らの旧友であるミシェル・ブランと再会し婚約していて一緒に島にやって来る。そこから奇妙な三角関係が生まれるわけですが、それって面白いですか?
また、ジェラール・ジュニョとジョジアーヌ・バラスコは夫婦で、もう成人の息子がいる。息子は婚約者を連れて島にやってくるが、その婚約者は男性、しかもジェラール・ジュニョの会社の会計士……というところはまあ面白かったし、映画終盤で息子は会計士が「国境なき会計士団」(もちろん「国境なき医師団」のパロディです)に入るのでそれについてアフリカに行くというのも面白かったけれど、そのあとがいけません。
話を聞いて怒ったジェラール・ジュニョが発作を起こし入院。検査の結果、異常なしということで退院しますが、カリカリに焼いたパンをうまく持てず粉々にしてしまって食べられないというギャグやプールに二度も落ちるというギャグは笑えません。
「あんな奴は息子じゃない」と言うジェラール・ジュニョに対して妻のジョジアーヌ・バラスコが「安心して。あの子はあなたの息子じゃないから」(つまり父親は他にいるということですね)と言って、ティエリ・レルミットとミシェル・ブランとクリスチャン・クラヴィイエの誰が父親かを探すギャグも生々しすぎて笑えません。
最終的にジョジアーヌ・バラスコが「嘘よ。ね、あの子はあなたの息子でしょ」と言って和解する(要するに息子の気持ちを理解しようとしない夫を諭すために嘘をついたということです)としても笑えません。さすがにそれは言っちゃいけない嘘でしょ。
同じLe Splendidのメンバーで作った『サンタクロースはゲス野郎』(Le Père Noël est une ordure, 1982)は面白かったんだけどなあ。
『サンタクロースはゲス野郎』は留学時代(1985-1989)にフランスのテレビで見て大笑いして、帰国後もう一度見たいと思いましたが、日本ではDVDが発売されておらず、フランスに行った折に向こうのDVDを買ってもう一度見ました。
家のどこかにまだ置いてあるはずだから、引っ張り出して久しぶりに見てみようかな。
今見直したら「なあんだ、つまんないじゃないか」と思うんでしょうか。ちょっと怖い気がします。
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「ととと便り」 『先日のととと的語る部』 先日の日曜は「ととと的語る部」開催。 前半は2名参加、遅めにチェックインしたゲストさんも後から合流。 今回のシェアご飯はは人数が少なそうだったのと 最近だいぶ暖かくなってきたので たこ焼きにしてみました。 カナダのゲストさんは人生で初めてたこ焼きを作ったそうです。 食べるのはカナダにも日本人がたくさんいるから何度もあるそうですが。 今回はレギュラーメニューの「たこ」「ミニトマト」の他に 「もち&キムチ」「キムチ&チーズ」を試してみました。 キムチが予想以上に美味しく、もちも思ったよりも粘らずに食感だけ柔らかくなり、 食べてて全然邪魔になりませんでした。 キムチは今後のレギュラーになる可能性大ですね。 もちもお正月の切り餅がまだ残っているので、ある限りは使おうと思います。 カナダのゲストさんは少し日本語が話せるものの (Duolingoを毎日やっているそうです) ボクらが話す日本語を理解するのは難しく 日本語を話しながら、脳内同時通訳をして 日本語を話し終わったらすぐ英語で話しました。 これ、ものすごい英作文トレーニングになりますね。 もちろん全部を瞬時に正確な英語で話せるわけではないですが 正確さよりも瞬発力重視で、まずは思いつく英語を話して 通じなかったら別の表現を探すということの繰り返しでした。 後半は三鷹の森ジブリ美術館の話をきっかけにジブリトークになり YouTubeでジブリ映画の曲を流していました。 日本のアニメや音楽や海外の方と共通の話題になってくれるのでありがたい。 後から合流したゲストさんは夏油高原スキー場で滑って来たそうです。 夏油高原と安比高原は通常はゴールデンウィークまで滑れるのでまだまだシーズンは続きます。 ぜひぜひ岩手にも滑りに来てくださいね。 「ととと的語る部」は次回は12日(日)開催予定。 次もたこ焼きにしようかな? 参加お待ちしています。 #ととと #ととと盛岡 #ととと便り #ととと的語る部 #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか #岩手においでよ #盛岡のととと #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス ------------------------------------------------------- ととと -盛岡の泊まれるたまり場- 住所:岩手県盛岡市鉈屋町1-2 [宿泊] チェックイン 17:00-20:30頃到着まで ※泊まったのことのある方は21時到着まで 宿泊料金 1名1泊3,850円(税込)~ [たまり場利用] たまり場営業時間 17:00-23:30 ※最終入館 初めての方は21時まで 利用料 1時間まで:600円 / 1時間以上:1,000円 ※学生料金あり とととのたまり場(リビング&キッチン)は泊まらなくても利用できます。 宿泊ゲストの皆さんとの交流をぜひお楽しみください。 飲食物持込自由。キッチンで自炊可能。 ※来館前にあらかじめ連絡をください。10分前でもかまいません。 ※宿泊がない場合は休館の場合もあります。 ※現在、夜以外の時間のたまり場営業を検討中。曜日、時間帯などご希望があれば教えてください。 ※営業時間内の見学無料。お気軽にお越しください。 ご予約、詳細な情報はHPから! https://bokunohosomichi.fun/ ------------------------------------------------------- (ととと ―盛岡の泊まれるたまり場― Tototo Morioka) https://www.instagram.com/p/CphjTIMBq_L/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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上の方は楽しいかも。 下の方のリフトはかなり混み始めた。 (やぶはら高原スキー場) https://www.instagram.com/p/CpEStOvvheZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【日記】
親しい親戚の偲ぶ会で九州へ行っていた。父の実家やら叔母の家やら、何十年ぶりかしれない。近隣の家々の変わらなさとか、こんなに道が細かったっけ?とか、懐かしく、不思議なひとときだった。でも会えて良かった。 帰りは山陰を通った。 昨夏、大山(だいせん)に登った時に山頂から見えた、島根の三瓶山(さんべさん)の麓を経由する。標高千メートルちょいの山だけど、活火山で、古くから温泉が湧き、そばには感じの良い広々とした牧草地や、1600年頃から道標として立つ老松、伝説つきの池など、見どころが多い。また少し足を伸ばせば、世界遺産になったとかいう有名な銀山跡もあるらしい。山域の雰囲気は、どこにでもあるような、静かな里山にしか見えないのだけど、分け入れば面白そうだ。 鄙びてはいるけども、ありがちなゴルフ場もスキー場もないのは良い。 いつか登りに来たいな。温泉に一泊して。 復刻絵葉書を買った。 まだまだ、知らない山が膨大。 この日本列島だけでも、一生のうちに知り尽くすことなど、とても無理だろうな。
(写真1~3) 三瓶山 西の原登山口 熊鈴を鳴らしながら、一人、山に入っていく男性がいた。いいなあ。
(写真4,5)関門海峡〜山陰の海
(写真6~8)島根を通ったので、僅かな時間、初めて出雲大社へ。スケールは大きいが、どこか簡素でよかった。
(写真9)冠雪の大山が見えた
(写真10)三瓶山の復刻絵葉書
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2021
藍色の影
セブンイレブンで印刷した「知ってて知らない鳥の町」を読みながら、2021年の話を書いている。
しばらく日記を書くことから離れていたこともあり、この一年間で何があったか、思い出すのに時間がかかる。半年以上日記を書かなかったのは初めてかもしれない。今年はあまり本も読まず、メモも取らなかった。部屋が狭すぎて落ち着いて作業する場所がほとんどなかったからかもしれない。今年唯一のメモは宮沢賢治の詩の一節で、「衝動のようにさへ行われる/すべての農業労働を/冷たく透明な解析によって/その藍色の影といっしょに/舞踏の範囲に高めよ」と書かれている。コロナ禍中で仕事中は厳しい局面に出くわすことが多かったが、この詩が心のなかで生きていて、一歩退いてダンスステップを踏んでやろうという気持ちになれた。
氷濤
今年の二月頃、北海道を訪ねてきた友人たちと支笏湖の氷濤を見に行った。コロナ禍で旅行も飲み会も友人たちへの再会も後回しになっていたところに、楽しい一日が舞い込んできた。氷濤は水をスプリンクラーで吹き付け凍らせて作った氷のオブジェのことで、ただ巨大な氷の柱みたいなものもあったし、小さなお城みたく中に入ったり登れるものもあったりして、面白かった。巨大な構造物に囲まれていると、なにか悪ふざけめいた感じもあった。地域のイベントは行ってみたらやっぱり面白い。
転勤
街から街へ、住み慣れた場所を離れるのはいつも寂しいが、それでも不思議とそこに留まりたいという気持ちは湧かなかった。むしろ知らない街で暮らすことに期待感がある。妻はそうではなかったようで、なにか気に触るたびに新しい土地への不安を漏らしている。行政の行き届いた札幌のような街から出て、人生で一度も訪れたことのないような辺境の街に住むのは普通の人間からすれば相当なストレスに違い���い。屈強なアルバイトふたりが小分けにされた我々の生活をすみやかに運び出すと、掃除の行き届かなかった部屋の隅からほこりが噴き出してきた。すっかり入居当時の広さを取り戻した1DKを眺める。夫婦ふたりきりになるのも久しぶりだった。あの時はちがうよ、ああだったんだよ。私だけが単身赴任して、君は後から来ただろう、それでどこかで美味し物を食べようって言って、結局よくあるチェーンの居酒屋に入ったじゃないか。札幌に来てからの4年半で何があったか話し合う。
息子は作業の手伝いを真似ながらもガムテープを投げたり、しまったミニカーをどこからか出してきたり邪魔しかしないので、ぎりぎりまで保育園に預けている。いつもの帰り道とは違う方向に向かっていく予定であることなど何も知らずに、今頃昼寝でもしているものだろう。あと数時間もすれば不動産屋が鍵を取りに来る。追加で料金が発生しない程度には掃除を終えてしまいたい。部屋の隅に生えたカビを落としたり洗面台を磨いたりする。この汚れは実は擦ってみれば落ちるものだったのだと気付く。この一週間の疲れがまるで遠泳を終えたあとのように降りかかる。転勤が決まってから、ほとんど息継ぎなしで泳いできたようなものだ。勤務最終日まで、やらなければいけないことは燻っていた。私しか理解していない顧客の引き継ぎ、こうでもなければ手をつけるのを後回しにしていた仕事が次から次へと現れたのだ。
最後に会えていなかった顧客との面談を終え、保育園で息子を回収する。今日のさようならは少しだけ意味が違うんだよ。また明日という意味が入っていないんだよ。さようならをいうのは少しの間だけ死ぬということだよ。この一年間で書いた絵(のようなもの)や画用紙でできた花束、保育園でのふれあいの結果をトランクに詰めこむと、港に向かって車を走らせる。ワイパーもほとんど意味がないくらい、強い雨が降っている。高速道路を降りてしまうとほとんど明かりもない。前方の車のテールライトを必死に目で追いながら、初めて通る道を進んでいく。カーステレオからはなっている音楽を遮って、スマートフォンが道を案内してくれる。だけど2km先を右折と言われても自分にはどこがその2kmなのかわからない。スマートフォンがそういっているだけで、ほんとうはこの先に道なんてなくて、巨大な穴に吸い寄せられるように落ちていっているのではないかとさえ思われた。
港は月面に存在する基地のようだった。巨大なトレーラーがフェリーの底に何台も格納されているなかにいると、にわかに私の車がおもちゃのミニカーのように感じる。もうすぐ家族も増えるし、車を買い替えるのも良い機会かもしれない。フェリーには大浴場があって、浴槽のお湯は船の揺れに合わせて海と同じくらい波打っていた。同じく風呂に入っている男どもと浴槽の中で鮨詰めになり、その不愉快な揺れは自らの力で抵抗できるようなものではなく、海中で漂う昆布のごとく揺れているのはなんだか面白かった。嫌な出汁が出るだろう。船に乗るのも久しぶりだ。最後に乗ったのは高校生の頃で、北海道の音威子府村までスキーの合宿に行った時以来だ。私がなにから難しい顔をしていたためか、一緒に乗っていた自衛隊員から先輩と思われたのか「お疲れ様です」と頭を下げられる。そうだよ、俺は疲れているよ、と思った。
どうぶつの森が面白いのは転勤するのに近いかもしれないなと思った。新しい場所で暮らすということ、自分のための拠点を一から作り始めること、そこで身を立てることは、人生最大の娯楽のようなものなのだ。どこに家具を置こうとか、ルーターをどこに隠そうとか、テレビ周りの配線を組み直している時とか、ホームセンターに工具を買いに行くとか、まんまどうぶつの森だった。相違があるとすれば、飯を食べたり、気の進まない仕事に向かっていったり、強かな人付き合いの連鎖が常に降りかかってくるというところとか、年金だとか税金だとかの手続きからは逃れられないとか、もしそういう仕様が一つでもあったらあのゲームは台無しかもなと思った。どうぶつの地方都市なんてだれもやりたくはない。引っ越しの費用をケチって単身赴任用の部屋に3人で住んでいたのは本当に無理があった。後からきた後輩もみんな私の前例に習って同じように結婚し、同じ場所に住み続ける悪き風習を残してしまった。家賃のほとんどが会社負担で金銭的な余裕は大きかったが、家族用の冷蔵庫みたいな大きい家具は搬入できないし、3人で歪に布団を敷いて寝たりするのはあまりよくなかった。転勤先には家族向けのアパートがほとんどなかったため、謎の一軒家(周りは草原)を支給されている。家主だって立てたことを忘れたんじゃないかというくらい古めかしい外観だったが、思っていたよりも中は綺麗だった。相応に広いし、納屋だってついている。冬タイヤをベランダに並べておく必要もない。やっと好きな家具を置ける。40万円分も家具を買い集めるのは楽しかった。冷蔵庫もやっと買い替えることができた。それまで使っていたのは大学生の時に買った無印良品の冷蔵庫で、キャベツ一個買うだけで満杯になっていた。新しく買った三菱の冷蔵庫はキャベツはおろか白菜まで何個でも入る。すごい。野菜の持ちも全然違う。そうして完成した部屋はどこかおしゃれにはなりきれなかったが、私も妻も満足していた。
ざっくりとベストよかったこと
今年よかったことといえば、来年の春くらいには子どもが増えるということで、日記を書き始めた頃から随分状況も変わったなと思った。もちろんアドベントカレンダーに書いている20xx年からも、変わっている。毎日全く同じような一日を暮らしているような気がするんだけど、一年間振り返ってみるとやっぱり違う場所にたどり着いた気がする。目を瞑って足踏みをしているように。一年も足踏みしていればもう別の場所の別の人間だろう。
あんなに色々言われていたオリンピックだって今年だった。オフィスが競歩会場に面していたために、かなりいい位置から見ることができたのはよかった。歩いているとは思えないくらいめちゃくちゃ早かった。
ほかにもチョコボールの金のエンゼルが当たったり、スーパーに行った帰り道にでかい虹をみたり、人生で初めてパーマをかけたり、Apexでソロダイヤ達成したり、そんな一年でした。
この記事は2021 Advent Calendar 2021の5日目として作成されました。前日はoooooooooさん、明日はnnca_ntnさんです。
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#おでかけ #ひるがのピクニックガーデン
郡上八幡を早めに出て、ソフトクリーム食べたさに次はひるがの高原へと向かいました。
郡上八幡からひるがの高原へは東海北陸道に乗って40分程度、乗ってしまえば意外と一瞬。でもよく考えると郡上八幡もひるがの高原も同じ郡上市であるわけで。同じ市内の移動で高速40分となると、やっぱり広いですね。
ひるがの高原に着いて、まずやってきたのがひるがのピクニックガーデン……という名のひるがの高原スキー場。
スキー場も、冬場だけの営業では立ち行かないのか、夏場も違う形で営業を始めたようです。
バーベキューや森の中のアクティビティ、そしてリフトに乗って山頂に向かうこともできます。
郡上八幡では気持ち良いぐらいに晴れていた天気は、ひるがの高原に着く頃には小雨がぱらついていました。どうやら荘川辺りに大きな積乱雲があって、この辺りがちょうどその雲の端っこにかかっているようです。
ちなみにこのリフト、雨でも乗れるようで、傘を差しながら乗ることもできるとのこと。
もちろん手配してもらう車で山頂まで行くことも可能なのですが、それだと空を舞う開放感は味わえません。
濡れる開放感を選ぶか、安全な車か……。
遠くで聞こえる雷鳴が何だか心配だけれど、折角なので濡れる開放感を選ぶことにしました。
さて出発。
乗ってみると、雨とか全然気にならないぐらいに気持ち良い!郡上八幡での暑さが嘘のように空気がひんやりしています。
もちろん雨のせいでもあるんですが、それだけ標高が高いんだよなぁ…。7月末なのに半袖だと肌寒いくらいでした。
どんどん登っていって……見えてきました。
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あの男が帰ってきたぜ。
おばんでヤンスー!!えんでかしブログを読んでくださっている方々にはお馴染みのあの男が帰ってまいりました!!え?ケノザじゃないよ。まあ、奴も確かに高知からの幽閉が終わって帰ってきたけどさ。
そうそう、去年、チェアスキーで遂には八方バックカントリーをデビューした彼です。あれは感動的でしたね〜。全白が泣きました。
ほんとは一月にくる予定だったのですけどちょっと体調を崩して来れなくなり(流行病ではない)、今回が今季初えんでかしです。
過去のブログはこちらから。
その1
その2
その3
その4
その5
実は今回は冬が始まる前から進めていたあるプロジェクトがありました。それは、本人とチェアを合わせれば100kgほどになるのに、わずか12mm程度のスキーでは到底パウダーで浮力を得られないという結論に達し、それではスノーボードをつけてはどうかという事になりました。更に、フリースタイルボードではちょっと太すぎるし強度も不安という事でアルペンボードを使えばどうだろうかという事に。ありがたい事にお客さんの中に使ってないアルペンボードがあるからあげるよという方がいて使わせ���もらおうかと思ったものの当然ながらアルペンボードなのでパウダーランなど想定して作っているものではなく全然浮かなそうな形状…。
うーんど〜したものかと考えていたところ思い浮かんだのが、アルペンボーダーながらもバリバリフリースタイルな男、白水翔君(現在はお医者様としてバリバリ活躍中!!)!彼に相談したところ彼の友人の西原秀彰さんという郡上のプロレーサー上がりのコーヒー焙煎士という方が多少ノーズロッカーな板があるから譲ってくれるそうです。しかも無料で!!なんと!!いろんな人に助けられてますねえ〜。
こうして板職人さんのとこへ駆け込み出来上がった板がこいつ!!ど〜なんだ〜ワクワク。
前回の降雪から三日経ち白馬界隈でのゲレパウはもはや皆無、南岸の降雪はあるものの降り始めは遅かったので対して積もっていない。む〜どーしたものか〜。もしかしたらあのローカルスキー場ならまだ端パウがあるんじゃないかと一縷の希望を持ち我々は糸魚川へ車を走らせました。
駒ケ岳にとんでもねえ氷瀑ができてました。いつもあんなんできないよね?
到着。地元の小・中学生のスキー学校で結構賑わってました。今日のライバルはこいつらか。
料金表にはしっかりと障害者券の表記も。ここは理解がありそうですね。中には結構お断りされるスキー場もあるそうです。
しかもAM10:00~PM3:00までの程よい時間設定の昼日券なる券も!
遂に装着!!おお!板が太くて自立できる!!
更にニューアイテム。パウダースカート。これで膝に雪がたまらなくなります。
減速されるとかえって乗りづらいという旨を伝えるとちゃんと対応してくれるスキー場。助かります。
新潟名物、全層雪崩。
おっしゃ!いよいよ行ってみましょう!!
お〜〜〜〜っとぉ!?
あまりの太さにうまくエッジが使えず転倒。ぐぬぬ〜。こいつはなかなか手強そう。
それでも次第に慣れてきました。
ちょっと端パウ狙ってみますか。
ぬお〜クラストしてるやんけー!!標高低すぎだ〜。
それでもだいぶコツを掴んだようで転ばなくなってきました!!
俺もゴープロに、写真に、転んだら起こしとなかなか多忙です。
少年少女達の好機の目。
端パウも結構食われてましたね〜。でもとりあえずこのじゃじゃ馬を乗りこなすには圧雪でもいっぱいいっぱい。
ふ〜、そろそろ飯にしますか。我々茅葺職人の興味をそそるネーミングのここへ行ってみましょう。なんか昔の茅葺の写真とかあるんじゃないすか〜!?
中は歩荷茶屋なイキフンゼロの昭和な食堂。ズコー!ま、飯は美味しかったけど。
唯一の茅葺の写真。
こんなおっさんが出てくると思ったんだけどな〜。
そんなこんなで午後の部。さっきの板は諦めた訳ではないが、あんまり乗るとスキーが下手くそになりそうなのでと午後は元の板で滑る事に。
林間コースも意外と楽しい。
ちょっと端パウ攻めてみましょう!!
オラオラオラオア〜〜!!!
どわ〜〜〜!!すげー嫌なとこで止まった〜!!
しかし果敢に攻めます!!
時にはかなり高めな設定の開放値にも関わらず板がぶっ飛ぶ一幕も。
次第に降りが強くなりしかもかなり湿った雪が降ってきました。そろそろ帰りますか〜。
なかなかびしょびしょになりながら下山!いや〜今度はもうちょっとバフバフばコンディションをあの板で攻めたいですね!
しかし事あるごとに気さくに声をかけてくるゲレンデのスタッフの方達。所謂神対応ってやつでした。気持ちよく滑らせてもらいました!おしょっ様でした!!
そして、びしょびしょになりながら頑張ったゲストもお疲れ山でした!!&おしょっ様でした!!
彼の挑戦は続く。
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2021′3′15′ 今シーズン最後の雪山に。いつものようにヤマ友だちのK氏に海老名駅で拾ってもらい東北道をひたすらに北に。安達太良高原スキー場の駐車場まで。とにかくものすごい暴風雪。この中を登るの、と思ったのですが、上から下って来た登山者の方からの情報などを仕入れて小屋までは行けるだろうと判断。歩きはじめました。スキー場のリフト(動いていません)の下をひたすらに登り詰めていきます。飛ばされそうな暴風です。1時間ほど歩いたところでGPSで道を確認。なんと、頂上に向かう道を詰めていました。この天気の中で頂上に向かうのは遭難するようなもの。心折れながら戻って本来の道を登りはじめます。とりあえず吹きだまりで昼食を。心を落ち着けて気持ちを奮い立たせて小屋に向かいます。とにかくすごい風。25㍍は風速があったはず。何とか小屋に到着。すぐに源泉掛け流しのお湯に。落ち着いて���参の日本酒を呑みながらK氏とぐだくだといろんな話しを。夕食はおいしいカレー。もう一度温泉につかって18時30分に就寝。シュラフは暖かでした。
2021′3′16′ 朝の6時に起床。11時間以上も寝たことになる。よくこんなに眠られるもんだ(*^ー゚) 6時半に朝食。準備をして7時半に小屋を出発。気温はマイナス数度ほどとそれなりに暖かなんだけど風が強い。昨日よりはましだけど10㍍ほどは吹いている。アイゼンを履いて小屋前の雪の斜面にとりつく。トレース(踏み跡)はもちろんなく、ガスが濃くて数㍍先がやっと見えるぐらいの視界。マーク(木にくくりつけてある登山道を示すリボン)や竹竿などのポールなどはほとんどが雪に埋もれて見つけられない。K氏が頻繁にGPSでルートを確認しながら登っていく。40分ほど登ったところのトラバース(雪の斜面を横切る)の場所でいよいよ視界が悪くなる。もう戻ろう、ということになって戻りかけた所に、小屋から3人パーティーが登ってきた。山岳会に所属していてバリエーションルートも登っているような話をしていた人たちだ。少し前を歩いてもらってついていけるところまで行くか、ということで再び頂上へのチャレンジ開始。分岐の所まで先行してもらい、そこからはまた私たちが先を進むことに。とりあえず雪崩れそうな場所や滑落しそうな場所はない道なので、GPSで方向を確認しつつ進んでいく。K氏は毎週のように雪山に入っている中で「山のスキル」をどんどんあげているのがわかる。頼もしい。9時40分。2時間かけて安達太良山の山頂に。もちろん何も見えない。証拠写真を撮って早々に下山。来た時のトレースはすでにほとんど消えかかっている。それでも、登ってきた方向はわかっているし、下りは早い。途中から少しガスも晴れてまわりの山々が顔を出してくれた。1時間ほどで小屋に。荷物を整理して車を停めているスキー場の駐車場まで1時間半ほど。「奥岳の湯」という日帰り温泉につかり、名物の「ソースカツ丼」を温泉街の食堂で食べて帰路に。この「ソースカツ丼」はボリュームがスゴすぎた。山から下って腹ぺこでもない限り食べきるのは無理だろう。いつものことだが、K氏には運転を任せっきりで感謝。とにかく雪と格闘した山行になった。山はいつもいい顔ばかりはしてくれない。時にはこうしてこちらを試すかのような顔をする。こんな山行が何度も続くと嫌だが、今回は久しぶりの難行が楽しかった。同時に「山っぷ」というアプリのすごさも知った。今シーズンの雪山はこれで打ち止め。さて、春はどこに登りましょうか(^^)
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