#おれが死んだら夏目漱石やったことにしといてよ。
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w3sxi6 · 2 years ago
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44.
おれがあいらぶゆーを訳すなら、「 おれじゃない誰かに幸せにしてもらうんですよ。」なんよ。勿論泣きながら、萎みまくった心臓からもれる空気と同じくらいの微かな音にはなってまうと思うけどね。
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simamamoru · 9 months ago
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なた��だった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっ��、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼん��んであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵���姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様��チンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我���出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならな��ても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた���臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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sobajima · 1 month ago
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「文鳥」
夏目漱石の短編「文鳥」を朗読で聴いた。けっこう有名な短編だが、朗読で聴くとまた面白かった。
主人公が文鳥を飼い、その文鳥を見て過去の女性への思いを巡らし、やがて文鳥を死なせてしまう。というお話。
朗読で聴いて面白かったのは、文鳥の観察眼である。主人公はもちろん漱石自身で、実際に文鳥を飼ったことが
あるのだろう。まるで動物学者のように、文鳥を事細かに見て観察している。表現も豊かで、さすが文豪である。
読み手のせいかもしれないが、この文鳥の観察のくだりは、文章で読むより熱が入っているように思った。
夏目漱石の作品はどれも面白いが、漱石自身も相当興味深い(面倒なこことも多そうだが)人物だと思う。
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shiri1124 · 9 months ago
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ひよりへ
この手紙を書き始めて何年でしょうか。私が高校生の時から書いているはずなので、もう8年目でしょうか。8年もたっても毎年のように命日近くには手紙を書く私は律儀なのか、気持ち悪いのかどちらでしょうか、天国から評価を押してもらえると幸いです。8年も経って、世の中について知っていること、わかることが増えました。昔は何にもわからなくて、自分以外の全てが敵に見えて、モンスターがウジョウジョいるジャングルの中に一人放り込まれた勇者Aみたいに自分のことを過大評価していましたが、今の私を当時のままのあなたが見たら私の方がモンスターかも知れませんね。なんて冗談はさておき。去年、脳外科病棟での仕事をやめて、今は高齢者施設で働いています。まだ看護師の仕事は続けています。病気で苦しむあなたにちゃんとした対応ができなかったから、なんてこじつけのような理由でなった看護師ですが、そんな私も今年で5年目です。看護学生+看護師で計8年、あなたと別れてから9年経った私にはわかったことがあります。それは当時の私があなたへ伝えた言葉で間違っていた点は医学的な、カウンセラーの知識を元にあなたを励ましたり、傾聴ができなかった点ではなく、病気で早くに友達を亡くしてしまう哀れな10代の私に浸って��話をしていたという点です。数年前から薄々気づいてはいたものの、やっと言葉にすることができました。夏目漱石のこころの先生の気分です。私は高校3年生の時、国語の教科書でこの本の存在を知りました。高校3年生になれなかったあなたは知らないかもしれませんが、とても面白い本です。大人になったらあなたに追いつけるかもと思っていた私ですが、私は当時のあなたとは違い捻くれてしまいました。どこで捻くれちゃったのでしょう。でも、捻くれることは悪いことばかりではありません。もしあなたが今もこの世に実在するなれば私はあなたに悪い遊びやディープな会話展開することもできたでしょう。ひよりという人物が本当に実在したのか、ひよりはあの日本当に死んだのか。今も私の中では疑問と疑念が浮上しますが、私の中でひよりという存在とあの日を境に会話ができなくなった、認知できなくなったのは事実なので、これからもあなたの命日近くにはあなたのことを考えること、近況報告をさせていただくこととしたいと思います。その小さな体の1/50くらいでも守護霊として私のことを見守ってくれていたら嬉しいな。また来年。
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kuribayashisachi · 2 years ago
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拙勉強メモ
野口良平『幕末的思考』第3部 第2章-3に著者様からお返事頂いてしまいました!
日本じゅうがひとり歩きした天皇制にからめとられ、「優勝劣敗」なんてことを大真面目に言い出し、青年たちも成功ドリームに我を忘れてゆく明治20年代。
そんな中で、理想を語り合う仲間も見失った透谷は、一人で考え苦しみ、死んでしまいます。
本当の自由とは、あるべき社会とは……。 弱くて強くてでもやっぱり弱い人間の心こそ、基本では……?
透谷は本当にひとりぼっちだったのか。
彼と課題を共有し継承した人はいなかったのか? 著者は、夏目漱石『こころ』を取りあげます。
その探求の背景や思いなどをお便り頂きました。 一人で読んではあまりにもったいないので、ご許可を頂き、個々に共有いたします!
**************
■ 野口良平さまよりのご返信
言ってみたかったことは、漱石の『こころ』は、透谷の苦闘に一矢報いているところのある作品として読めるのではないか、ということです。
透谷の敵はバケモノだった。 しかし、そのバケモノの生命は、やはり有限である。 漱石はそのバケモノの像を、自らの生命の限界を自覚した存在として造型しようとした。 そのことを通して、透谷の戦いが妄想や幻覚として片づけられてよいものではなく、生きた人間の、血の通った戦いだったことを、いわば「証明」しようとしたのではないか、と。
これは、もちろん私の読み方でしかありません。 それに、こんなふうに『こころ』を、また漱石を読もうとしている読み手は、そんなにはいないのではないかと思います。
それでも、『こころ』には、また漱石には、そういう読解に開かれた何かがあることも、また確からしく思われるのです。
私にとって励ましになったのは、松元寛、森谷篁一郎、の二人の著作でした。(どちらも漱石の専門家ではありません。)
松元さんは、シェークスピアの研究者ですが、広島での被爆体験をもち、高校生向けの案内書を、岩波ジュニア新書(『新版 広島長崎修学旅行案内―原爆の跡をたずねる』)から出しています。『小説家大岡昇平』という好著(と思います)もあります。
森谷さんは、鳥取で高校の国語の先生を長く勤めた方ですが、高校で『こころ』の授業をしながら、この作品を高校生と読むことの意味がわからなくなり、苦しんだのだそうです。
それで、定年退職した後に、自分への宿題への答えを探ろうと、『こころ』論(『漱石『こゝろ』その仕掛けを読む』)を自費出版します。それを私は何かの記事で知り、直接版元に注文して読んだところ、とても面白いものでした。
日清戦争は、大きく日本を変えていくきっかけになった出来事で、これとともに日本の教育制度が、あるいは知識人の養成過程そのものが様変わりしていきます。
日清戦争の直前になくなった透谷も、その前後に松山中学の先生だった漱石も、日本の性急な近代化と、教育制度の変化に適応できなかったという共通点を持っていますね。
留学先では文部省に求められていない問題を自分で作って苦しみ、無鉄砲にも学校を飛び出す主人公を描き、博士号はいらないと文部省にたたき返す。そんな漱石に、透谷の面影を垣間見ることは不可能なのだろうか?そんなふうに、ここでは私は考えてみたのです。
ここで、幕末と明治のスキマに生きながら、近代化に適応できなかった人として、もうひとり、樋口一葉のこと���書ければよかったというのが、今考えるところですね。
一葉の小説には、その後の日本文学史が取り落としていったさまざまな可能性が、ぎゅっと凝縮されている感じがしています。
*************
野口良平様、もったいなきお便りをありがとうございました!!!
松元寛先生、谷篁一郎先生の研究にも心惹かれます。
しかしよく遭遇なさったなあ。。。。。(さらっとおっしゃってますが、ほんとにむちゃくちゃ先行研究を渉猟されてます……)。
本を一冊書くって、そういうことなんだ)
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ichinichi-okure · 2 years ago
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2023.5.25thu_saitama
鷹取さん���ら日記を書く依頼をもらって、日記日記、、と朝から思っていた。正しくは前日から日記とは、、?と考えていた。 私は日記を書かない。日記みたいな感じで日々SNSに写真や文章を載せているけれど、それを日記だと思ったことはない。もっとなんか、軽くて雑で。生活の延長にあって特別でなくて良いもの。と書いたところで、じゃあ日記は私にとって特別なんだな〜と気づく。普段やらないこと、意識していないこと。それはちょっと遠い。うーん?と考えて寝たら悪夢を見て起きて、夢日記にしてしまいそうになる。他人の夢の話はつまらないという話も聞くけれど、どうか。そんなことはないと思うけれど、自分の悪夢は面白くないからやめる。夢の話といえば夏目漱石、『夢十夜』もだいぶ不気味だなあと連想ゲームみたいに脳内が廻る。「こんな夢を見た。」
そんなことを言いながら、この頃大学で授業をしている中で学生に自由課題として挙げたのは『日記(文学)』だった。美大の学生は日記のようにドローイングをしたりもするし、考えをメモしたりしている子もいそうだから、自分の日記的なものか世の中の日記文学から引��して作品を作ってねという話。(でも自分でテーマを決められる人はそのテーマで制作してもらうので、この課題はやらない人がほとんどのはず。テーマが決まらない人向けの一例で設定。余談。) 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の冒頭が頭をよぎる紀貫之『土佐日記』や、沢村貞子さんが作った献立の記録集である『わたしの献立日記』とか、日記といっても創作日記なのか本当の記録の日記なのかも色々あって面白い。みんな何を見て何を考えているの?というのを垣間見せてくれるから、文学が好きだ。そういえば日記はその最たるものなのかも。写真も。アート全般か。
ここまで書いてみて、まだ今日のことを何一つ書いていない。 今日2023/5/25の埼玉県は晴れ曇り、爽やかな風が吹いていて洗濯物もよく乾きます。というのは天気予報からの情報で、体感としてはどうか。 机に座っている私の左側の大きな窓から日が射して、薄青い空が見えて、洗濯物が揺れていて、悪くない。正面ではだらだら昔の2時間ドラマがかかっていて、メールを返したり仕事の写真データを作ったりしながら時々事件を確認する。仕事に集中しているうちに別の刑事が事件を調査したりしていて、さっきの犯人はもうわからない。何か音が必要なだけだから時にラジオにしたり音楽をかけたりもするけれど、あんまり好きなものがかかるとそちらに気を取られて仕事にならないから、永遠に犯人がわからないくらいの興味でちょうどいい。 ところで昔のドラマだから、もう死んでいる人がたくさん映っている。あ この人もういないんだった とふと気がついて、俳優のその人のことも個人としても何も知らないのに、ニュースで流れるから死んだことを知ってるなんて変な話だなとなる。あと映像の中ではもちろん役として生きているから、死んでるけど生きてる〜という感じが不思議にもなる。そんなの映画でも写真でも音楽でもいつもそうなんだけど。十津川警部、信濃のコロンボあたりはいろんな俳優が演じていることによって、今は〇〇さん、次は△△さん、、?と面白くなって、この感じ水戸黄門だね!と時代劇のことも振り返る。あー永遠かーというのは時々考えていて、水戸黄門から式年遷宮のことも考える。「永遠に新しく、いつまでも変わらない」というのは外側の話なのか内側の話なのか総じての永遠なのか、何なのか。アートの永続性など。別に答えを出したいわけでも誰かに問いたいわけでもなくて、ただ私の内側でずっとぼんやり存在している問い��たいなもの。 午前中が過ぎた。
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お昼は実家に食べに行って、父の作ったパスタを食べた。35歳で母と結婚したとき父は家事が全然できなかったらしいのに、今はひと通りやれる。という事実が人間は大人になっても成長できるということを物語っている。私は今36歳で、だから私も何か変わりたくなったら変われるだろう。長生きしたらそれだけ変われる可能性がある。そら豆とグリーンピースとトマトのパスタは美味しかった。両親は週の半分弱くらい茨城にある祖父母の家で畑作業をして暮らしていて、そら豆もグリーンピースも無農薬で彼らが作ったもので、美味しさには身近な人の作った信頼の美味しさもプラスされているのかもしれない。自分以外の誰かが作ってくれる美味しさもある。 午後、データを作っていると納期の問い合わせが来る。連絡するのをすっかり忘れていた。いつも自分の中で言葉が渦巻いているのに、外に伝えるのを忘れるしうまく話せないし困ったものである。というか他の人に迷惑をかけている。すみません今日中に納品します!と��ぐ返事をする。 日記を書けないのは、たぶん、こんなふうに長くなりすぎるからだろう。その日感じたことを全部書きたくなるかもしれないから、そんなのやばすぎる。献立だけ書けるような暮らしをしていない。今日だけだから、こんなふうに書ける。こんなの誰か面白いのかな?と頭に浮かんで、まあ日記なんだから良いかと思い直す。日記なんだからね。誰かが読む前提なのにこれで良いのかは謎。
そういえばここで一人称は「私」だけれど、実家に行くとほぼ「俺」に戻ってしまう。実家に居た若者の頃は女の子ぽくすることを拒否して、見た目も話し言葉も女性を感じさせるものからは遠ざかっていた。外の人の前ではあたしや私となり、家に帰ると俺になっていたのは今となっては面白いけれど、女性側に所属したくはないけど男の人になりたいわけでもなく、特別視されたくもなかったので当然ではある。内側にはこの先もずっと、俺として話す自分を飼い慣らして暮らすのでしょう。(現在は女の人の見た目の暮らしを楽しんでいるし、もう生き物としてそのまま何でもいい感じになって暮らしやすい。昔もそのようになりたかった。) そんなことも影響してか、赤木さんはよく分からない人ですね と言われたりもしていたけれど、そんなの私も分からないし、誰のことも本当には分からない。分からないのに案外人のことが好きで、知らないことばかりで、それを面白がっている。分かりたい気持ちと、結局どうでも良いかなというのが同居している。そういうのは駄目なのかしらね。誰にもジャッジされたくないし、したくもない。みんな好きに楽しく生きたら良いのにね。体現したい。
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夕陽が綺麗、夜を迎えた。夕焼けが綺麗だと次の日晴れるというのを信じている。明日は仲良くなりたい人と飲みに行くので、晴れてほしい。 写真家なのに、写真のことを書いていないしスマホで撮った写真を添付している。写真家だけど、人間がそれぞれ違うんだからいいよね。 もう少し仕事をしたら、今夜は悪夢を見ずに眠りたい。おやすみなさい。長い日記。
ープロフィール- 赤木遥 36歳 埼玉 写真家(今だけ大学講師でもある) http://harukaakagi.com
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shigerunakano · 2 months ago
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Her Majesty (4)
穏やかな午後だ。眼の前の自分と同じ法学部准教授、後藤輝明はいつもと同じく苦しそうな声と表情で自分の立てた計画と予定を私に説明していた。彼は2つ年下の37歳。ここが京都だと分かったうえで気取っているのだ。府外から来た人間に限ってそのように重苦しい態度をあえて取りがちだ。最初は自分は京都に染まらない、快活にそして軽妙に振る舞ってみせると意気込んでいるものの、1年も経てば思った以上の京都の京都然とした雰囲気にやられてしまう。魅了されてしまうのだ。
9月末だが、非常に暑いと感じる。例年よりも暑いだろうか。陽射しもいやに鮮烈で、屋内にいても汗がにじみ出てくる。後藤はここに入ってくる時に10分以上遅刻しているのに謝罪の一つもなかった。いやはや。
極めて優秀な男だ。おそらく京都府で1番頭がいいだろう。そしてこれはお世辞でもなんでもない。場所は立零館大学法学部キャンパスのほど近くにある、CafePark MICKで、学生がよく訪れるお店。ロコモコが安いので食べ盛りの学生にはありがたいのだそうだ。私はコーヒー一つを注文し優雅に外の雰囲気を味わいながら話を聞いていた。優雅に振る舞う努力をしていただけだが。そのような意味で京都とはたんなる空間なのだ。やり方次第でいかようにもなる。
「やはり以上のことから、我々はカール・シュミットの決断主義をアインシュタインが、スイス連邦工科大学チューリッヒ校を卒業して特許局に勤めていた時期に、特殊相対性理論を精緻化した事実に適合して、業績面、倫理面双方からアプローチすることが必要だと思うんだ」
「うん、それでいいよ。昨日メールで答えたけど」
後藤からの提案に私は答える。
話し合いは1時間ほど続いた。短く済んだほうだろう。内容は法学部教員同士の研究発表に関わるもので、これは不定期に開催されるもの、だいたい半年に一回、各セメスターごとに開かれる儀礼のようなものだと見ていい。我々は別れ、私は龍安寺駅から電車に乗った。
京都市北区は夕方であっても夏のような暑さで何度かハンカチで額や腕を拭った。ハンカチはあくまでもエチケットとして持ち歩いているものだ。本来の意味のエチケット。ソニーの社員はたぶんハンカチを持ち歩かない。カップルが目立った。
キャンパス近くの駅から最寄り駅の車折神社駅までは、乗り換えの時間を含めて30分ほどの所要時間。車は持っていた。家に置いてある。
「愈現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸氣の恩沢に俗さねばならぬ」夏目漱石、「草枕」
私は山の中を歩く。比叡山。延暦寺。ここまでは車で来た。1時間ほど。東塔駐車場に停め、ケーブルカーに乗る。それは坂本ケーブルと呼ばれ2025メートルあり、日本で最も長いケーブルカーとなっている。そこから1キロ弱10分程歩く。あくまでドライブであり、たいそれた気は起こしていないし、妻も来ていない。ここに来たのは2度目。過ごしやすい季節で、紅葉が見られだしたようだ。天気は曇り、実に素晴らしい、来てよかった。
高校を卒業し東京に住むことにしたのは、家に金があったからだが、奨学金を受け取ることへの交渉条件という側面もあったし、主観的な理由ももちろんあった。東京に住みたかった。私が大学5年になった時にある種の転機が訪れたと言わなくてはならない。ちょうどその頃に以前から望んでいた大学院入学を決め、卒業論文の執筆と並行して院の入試勉強を行い、派遣形態でのホテル清掃のシフトも減らした。あまりにも忙しく、入試だけでなく、休学なりなんなりして卒業論文の執筆を諦めようと思ったほどだ。しかし子どもの頃から勉強は得意であるという自覚はあったし、人生最大の勝負時だと腹をくくって一生懸命頑張ったのだ。誰にも否定はさせない。そしてさいわいなことに卒業論文の審査も通り、同時に早瀬田大学大学院法学研究科への入学の資格も手にした。その後私は旅に出た。岡山県岡山市、後楽園に行ってみたかった。後楽園は岡山藩主(大名���池田綱政が1687年に作らせたもので、完成は1700年のこと。日本三名園に指定されている。岡山市の路面電車に乗りながら思った。私は二度と東京の自宅に帰らない。旅人は帰らない。魂を置き去りに。2016年3月のことだった。そうして私は大学院入学を契機に普通の人生を逸脱したのだ。「ドラえもん」のセワシくんでもない限りそう考える。大学院が普通の場所であってはならぬのだ。それが倫理であって、明治政府への敬意とみなされなくてはならぬ。私には使命感と義務感しかなかった。まったく快くはない。達成感もない。世話になった親に自慢する気にもならなかった。多分私の魂の一部は今でも岡山にある。岡山のどこかで、流転している。中部地方にベルクソンの生命がある。
大学院に入った頃ホテル清掃の仕事をやめ、歌舞伎町で働き出した。ホストクラブのボーイだった。目的は金だったが、もともと繁華街や人混みが好きでここには地元である横浜があると思っていた。実のところ新宿は横浜と似ていた。渋谷や下北沢とは違い、役所的なオートメーションがあった。それが自分のようなガリ勉にはありがたかった。ここには母親がいる。あるいは父親が。それらの順次的移行。「お母さんに甘えるのはやめなさい」誰かがそう言っている気がした。しかしここには依然としてキャバクラ嬢という母がおり、私を高揚させた。自分はたしかに都会育ちなのだ。キャバクラ嬢こそが人間だ。強くそう誓った。きっとここで関東の死滅は約束された。それこそが私小説とロナルド・D・レインの役割だ。そして風俗にも行った。2、3ヶ月に一回だろうか。そこで働いている内に私は露骨に口が悪くなった。表情のせいだ。歌舞伎町にいる人たちは表情を殺している。内面を掴まれたくないのだ。ここでは体の掌握が必要なのだから。余計な表情はピエロやクラウンのようなアルカイックなスマイルに預けておけばよい。それか日曜の朝に。
赤と深緑の豪奢な出で立ちの大講堂を通り過ぎ、左に曲がる。そこに根本中堂がある。天台宗の総本山である比叡山延暦寺の中心的な建築物。現在の根本中堂は、織田信長による焼き討ちの後、徳川家光の命により1634年から1641年にかけて再建されたもの。内部は外陣・中陣・内陣に分かれており、本尊を安置している内陣は中陣や外陣よりも3メートル低い石敷きの土間となっている。この構造は��天台造」または「中堂造」と呼ばれ、天台仏堂の特色を示しているという。中陣の天井には「百花の図」と呼ばれる極彩色の草花が描かれており、柱は76本あり、諸国の大名が寄進したことから「大名柱」と呼ばれている。このように、根本中堂はその壮大な規模と精巧な構造で知られ、訪れる者を多様に触発する。以上のことは、英語が付属するパンフレットに書いてあった。さらに奥へ進もう。みんなにこんにちは。
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stage-mikeko · 3 months ago
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現代に甦る文芸誌「ホトトギス」 稲畑廣太郎(俳誌「ホトトギス」主宰)
俳句雑誌として生れ、現在も俳句雑誌として刊行を続けている「ホトトギス」は、明治40年代の一時期、俳句中心から、小説等の文芸を中心とする雑誌に変貌していました。そのきっかけを作った作品が夏目漱石の「吾輩は猫である」なのです。「ホトトギス」が文芸誌としての黄金時代を築いた時代背景を、この作品を通してコミカルに、又愛情深く描いた舞台がこの「三毛子」であります。今回は再演ということで、より一層磨き抜かれた舞台が繰り広げられることでしょう。一人舞台とはいえ、源川瑠々子さんの抜群の演技力と歌唱力が、時には笑いを誘い、そして最後には感涙で締め括って下さる、今回もそんな感動的な舞台を堪能出来ますことを今から楽しみにしている次第です。是非多くの方に、早春の息吹溢れる三越劇場に足を運んで頂き、時空を超えた世界を心行くまで楽しんで頂きたく存じます。 春灯下 一歩に明治 香りたる   廣太郎
ひとり文芸ミュージカル 「三毛子」 川上博 (ミュージカル評論家)  
再演を重ねた夏目漱石(1868-1916)の小説「こころ」に基づくひとり文芸ミュージカル「静-しず-もうひとつの、こころ」に続く第2作、漱石の「吾輩は猫である」を原作とする新作ミュージカル「三毛子-みけこ」が三越劇場で初演された。主要スタッフ、キャストは前作同様、脚本:スミダガワミドリ、演出・音楽:神尾憲一、振付・出演:源川瑠々子。源川演じる美人猫三毛子は、オス猫たちのマドンナ。二絃琴のお師匠さんの家で飼われており、お手伝いのフユ子と暮らしている。三毛子の夢に神様がよく出てくる。声の主は伊沢弘。猫の視点で人間の得手勝手をコミカルに描いていて楽しめる。源川瑠々子一人の語りと歌と踊りで展開するユニークなミュージカル。 舞台上手奥で、神尾憲一が美しい音楽をピアノで奏でる。その後ろ姿は、もう一人の主役といえる。見終わって、ほのぼのと心温まる余韻に包まれ、家路につく。
今度の「三毛子」はどんな猫 谷口直人(三越劇場 元支配人)
源川瑠々子さんとは「静」という作品で出会いました。ひとり文芸ミュージカルというひとり芝居ともミュージカルとも違ういったいどういう舞台になるのだろうと自分なりに想像していましたが実際に幕が開くとそこには想像とはちがう独特の世界が広がっておりました。芝居の様々な要素を全てひとりで表現する。力が無ければ出来ることではないでしょう。演出の神尾さんがおっしゃておられる日本語の美しさ、日本の代表的な文学作品を歌うように語るという事が出来る唯一の女優さんなのではないでしょうか。「三毛子」では猫を表現しなくてはならないというさらに新しい要素が加わりましたが、猫の持つ人間より優れているかもしれない感性を余すとこなく表現されていたように思います。再演というのは必ずしも同じ事の繰り返しではありません。前回とはまたちがった「三毛子」に出会えるのではないかといまから楽しみにしております。
「三毛子」よ、再び!! 藤田洋(演劇評論家)
「吾輩は猫である」は、誰もが知っている夏目漱石の国民的文芸の代表作である。発表されたのは明治三十八年(1905年)、すでに1世紀を越す歳月が流れているが、いまだに新鮮な作品だと評価されているのはなぜだろうか。それはたぶん、時代の変転に関係のない「猫」の目で描いてるからだろう。猫の目というと、くるくると変わるという連想になる。くるくる変わっても、核心さえきちんと捉えていれば猫の目は人間の目よりも鋭く、事態の真実を見抜いて逆に人間をびっくりさせるのかも知れない。ひとり文芸ミュージカル「三毛子」という名前がついて、それが再演になるという。漱石が生みの親の作品を、初演からさらに練りあげてどのように育てられたのか興味深い。源川瑠々子さんの“挑戦”を楽しみに観たい。
手づくりの温かさ感じさせた『三毛子』 森洋三 (演劇ライター)
「ひとり文芸ミュージカル」との出合いは一昨年三月の三越劇場『静』だった。夏目漱石の名作「こころ」の主人公の自殺から一年後、妻の静が先生との思い出を語り歌い、踊るというユニークな脚本のアプローチとミュージカルの新人・源川瑠々子のフレッシュなヒロイン像に魅了された。「ひとり文芸ミュージカル」の名称にはミュージカル評論家・瀬川昌久氏の推挙があったというが、確かに文芸作品を読むような、そして原作を読み直したくなるような香り高い舞台で、私小説的ミュージカルとでもいえようか。その第二弾が、やはり源川と、神尾憲一(脚本・音楽・演出)コンビによって漱石原作「吾輩は猫である」をもとに生まれた『三毛子』。こちらは平塚らいてう、与謝野晶子らしき人物まで登場するややコミカルな創作で、漱石家(?)に近い二絃琴師匠宅に飼われた美人猫を神尾の親しみやすい音楽に乗って生き生きと演じる源川、透明感のある舞台美術など初演舞台は手づくりの温かさを感じさせた。
三毛子は「青足袋をはいたネコ」?! 米田佐代子(女性史研究者) 
源川瑠々子さんとの出会いはまったくフシギ。信州四阿山麓に建てた平塚らいてう記念「らいてうの家」に瑠々子さんがみえたとき、偶然わたしがいたのです。若い方にしては『青鞜』や明治時代のことをよくご存じ、と話し込むうちに彼女が「ひとり文芸ミュージカル」に挑戦中の女優さんで、夏目漱石の「吾輩は猫である」をもとに『三毛子』を演じる予定ということがわかりました。 それからお付き合いがはじまり、とうとう友人にも宣伝して『三毛子』を観たのですが、これがまた抱腹絶倒。なにしろ二絃琴のお師匠さんと「下女」の冬子さんが口角泡を飛ばして「女性は働くべきか、子育てに専念すべきか」と大論争。三毛子は『青鞜』ならぬ『青足袋』という雑誌を広げて「元始、メスネコは太陽であった」と読み上げるのです。男の漱石さんも「吾輩」も顔色なし。薄命の三毛子に語らせるあたりは「フェミニズム的悲喜劇」の面目躍如でした。 ペロー童話に「長靴をはいた猫」というのがありますが、三毛子はさしずめ「青足袋をはいたネコ」かしら。再演を楽しみにしています。
あらすじ
三毛子は猫である。二絃琴のお師匠と、下女のフユ子と暮らしている。時は明治後期、日本は大きな変革をとげ、ついに女性文学花盛り!が、新聞は、新しいのスキャンダラスなネタを見つけてはバッシング!なんとも面白い時代となっていた。おもしろい?そう面白いのだ、猫たちにとっては、人間の世界全てが滑稽なのだ。
さて、我らがヒロイン三毛子は、今日も女性文芸誌に目を通し、人気女性歌人の作品を朗読していた。毎日の日課だ。「君死にたもうことなかれ」「元始女性は太陽であった」「にゃ~だこうだ!」ひとしきり終わると。ふわ~~っと大きなアクビ。退屈なのではない、三毛子にとって最高に気持ちのいい瞬間なのだ。そして最後に決まってこのセリフ。「わかんないからさぁ。わかんない!」・・・そう、三毛子には全然わからない。しかし、その軽く首を傾げる愛くるしいしぐさに、近所の人々はうっとりする。三毛子は、町内の人気者である。お師匠さんも若い衆の人気者である。フユ子は、・・・夕飯の支度である。
◆ひとり文芸ミュージカル『三毛子』
原作 夏目漱石『吾輩は猫である』
脚 本 スミダガワミドリ
演出・音楽 神尾憲一
出演 三毛子 源川瑠々子 前口上/猫の神様 敷丸
二絃琴演奏 藤舎蘆船
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straycatboogie · 3 months ago
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2025/01/09 BGM: Ben Watt - You're Gonna Make Me Lonesome When You Go
今日は早番だった。今朝仕事をしていて、いつものようにいろいろなことをあれこれ考え込む。そのうちここで書けそうなことを1つ明かすなら、いま書いている短編小説のタイトルを考える必要があると思って、それで試行錯誤する。いや、本文なりプロットなりを組み立ててからあとでタイトルをつけたっていいのだけど落ち着かないし、仮題としてつけておけばその仮の案が思わぬ方向に作品を引っ張ることもあると思ったりもしたのだった。それで取り急ぎ、暫定的に「ビジターズ」という題にした。ぼくが10代の頃に出会ってからこれまで折に触れて愛聴してきて、いまでも畏敬の念を以て接している佐野元春の同名のアルバムから冠した。日本語だと「訪問者たち」「来訪者たち」という意味になる。
それで、こないだ書き出しを書いてタイトルもなんとか暫定的に決まったということでプロットを少しばかり組み立てるべくあがく。大まかに、この作品のテーマというか背景にある概念が「孤独」ということになるのかなと思ったりした(と書いていて、なんだかまだカタチにもなっちゃいないというのにはやくもエラそうにあれこれ「ホラを吹く」のもみっともなくて赤面してしまうが)。「孤独」と言えば、たとえばぼくにとってこれまた偉大な先人の1人であるアメリカの作家ポール・オースターの作品が思い返される。『孤独の発明』『ガラスの街』『ムーン・パレス』などなど。そういった作品から、ぼくは都会という一見すると孤独とはなじまないシチュエーションにおいて、それでも(まわりに人がたくさんいることが、逆説的に孤独感もしくは離人症的感覚をふくらませるというのか)孤独を感じざるをえない心理をたとえば主人公の心象風景の描写などから学んだかな、と思う。
ぼくが若かりし頃(この日記でもくどいくらい書いてきたことをまたなぞるのだけど)、当時はいまより「男であること」がもっと抑圧的な響きを帯びていたので、したがってすぐ泣いたり弱音を吐いてしまっていたぼくは「弱虫」と言われて先生や女の子からも嫌われて、そのせいで「強くならないと」「タフにならないと」と思い込んでずいぶん無理をした。痛みをこらえてなにもかもグイと呑み込んで、孤独にも耐えられる男になるんだとあがいて……そして、そう実践したりもした。その実践の果てにぼくは毎日毎日浴びるほどビールを呑まないとやってられない依存症になってしまい、そうして実家で1人で呑んだくれることで文字どおり悩みごと・憂さを完全に頭から「飛ばそう」「消し去ろう」ともした。いまもお世話になっている職場は環境が特殊で、ぼくがグループにおいて唯一の男性の従業員だったので悩みを分かち合ったり愚痴を言い合える仲間なんておらず、そうした女性のスタッフから���情・親愛を示されることもなかったのでより孤絶・孤立を感じることとなった。いや、これらはすべてジョブコーチと出会う前、なにもかもあきらめて希死念慮さえ抱えて生きていた時代の話だ。あのころと比べると会社だって変わったし、ぼくも変わったと言えるかもしれない。
いまでも、他のスタッフの方がぼく抜きで、ぼくが必死で作業しているのに雑談に終止して無駄口を叩くのを見るとなんだか複雑な気持ちになる。いや、それはいじめとかぼくを無視するとかそんなことを意味するのではないことは「頭で」わかる(もしくはそう「理屈において」納得しようとぼくなりに日々努力している)。でも、それでもなんかバカにされているというか、バカを見ているような気もすることを禁じ得ない。たぶんそれはそれこそ文字どおり、ぼくの中にあるトラウマ……というほど深刻ではないにせよそれでも暗い思い出とつながっているからかなと思う。ぼくが若かった頃(とりわけ10代の頃)、入った放送部でコケにされてから「もういいや」「生まれてきたことが間違っていたんだ」と思って、それで教室の中でそれこそ自分を殺してしまって、死んだふりをして生きていたあの頃のこと……そんな時期、たしかに肌で「孤独」「孤絶」を感じ、自分がエイリアンになった気さえしたのだった。それこそ村上春樹や高橋源一郎や吉本ばななの本などをむさぼり食うエイリアンに。
夜になり、歯医者で診療を済ませた後に自室に戻り夕食をいただく。その後、毎週木曜恒例のZoomミーティングに友だちと一緒に参加してあれこれ楽しむ。こんかいは雑談ということで、それぞれの参加者が年末年始の時期にどう過ごしたかを話して、それから市で今後どんなイベントがあるかなどを話し合う。実は来週、晴れてぼくが発表をするように依頼されていたのだけれどそんなこんなで小説のことを考えたりその他私生活のあれやこれやでバタバタしていたりして、なんら準備ができていないことを告白せねばならない。ああ、新年早々恥ずかしいことだ……だが、語れるならさいきん読んだ奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』というミステリから夏目漱石について話すとか、あるいはまったく違うトピックになるのだけどスチャダラパーの曲から「国際化」「グローバル化」ついてぼく自身が思っていることを手短に話すとか、そんなことも考えたり考えなかったり。ともあれ、またしても自閉症的な・ぼくらしくスットコドッコイな1年の始まりを感じる日となった。
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curefat · 4 months ago
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夏目漱石 (1905)『吾輩は猫である』
 吾輩はやまちゃんである。名前もやまちゃんである🐱
 無職になり、つくばの路傍で餓死しようとしていたところ、今の主人であるかなちゃんに拾われて、どうにかこうにか生きている。もともとぐうたらな性質なので、働くつもりはこれっぽっちもなかったのだが、主人の「働きなちゃい!」という発破のおかげで、こうして東京で職にありつけている😺
 しかし、どうも吾輩には労働というものが向いていない。一日八時間労働が提唱されたのは百年以上も前のことであるのに、未だに八時間労働を続けているという不合理が、吾輩にはどうにも承知できんのだ。例えば、電車やパソコンの発明により、人類には多大なる空き時間ができた。空き時間ができたなら、ぐうたらと余暇を楽しめばよいものを、しかし人間たちは空き時間で新たな仕事を始め���のである。「業務の効率化」なるものが叫ばれているが、効率化により空き時間ができたところで、やっぱり新しい仕事を始めるのである。いったい、何のための効率化なのか。いったい、何が楽しくて生きているのか。とんと見当がつかない。仕事ができない者はアホウ扱いされるが、この不合理をまるで自明の理であるかの如く受け入れ、無意味な効率化競争に勤しむ者たちのほうが、よほどアホウである😸
 しかし、吾輩はやまちゃんだが、やまちゃんという名の猫ちゃんでもある。最大限に愛嬌をふりまけば、もしかしたら主人が養ってくれるかもしれぬ。
「やまちゃんは猫ちゃんだニャァ😻」
「よしよし、猫ちゃんでちゅねえ」
「猫ちゃんはご主人様を癒すのが仕事だニャァ。だから外で働かなくてもよいのだニャァ😽」
「それはだーめ❤️」
「ぴえん😹」
 ううむ、専業主夫への道のりは、まだまだ遠いようである😿
 ただ、不合理な人間社会にも良いところがあり、次々と新たな発明品が生まれてくる。最近ではオーディブルが最大の発明であろう。実は吾輩、読むのがつらくて本書を長らく放り出していたのだが、オーディブルで聴いてみるとあら不思議、内容がスラスラと頭に入ってくる。主人もオーディブルを気に入った様子で、先ほど川上未映子を読み終え、今は谷崎潤一郎を読み始めている。新たな文学少女の誕生である。いつかロボットがすべての労働を担い、人間はオーディブルでのほほんとするだけでよい未来が到来することを願うばかりである😺
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solomon13703597 · 5 months ago
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人の生と死
知っての通り、武本監督は京アニ事件の放火犯、青葉真司により殺された。今わの際に武本監督は何を思っただろうか?それは誰にも分らない。恐らく煙に巻かれて昏睡状態に陥ったであろうから、意識を失うのは一瞬だっただろう。武本監督がご存命であれば、やりたい事もあっただろうし、やりたい事も増えていたかもしれない。が、武本監督はお亡くなりになり、彼に出来る事は無くなった。
武本監督の死に何か意味はあっただろうか?
例え武本監督の死に意味は無くとも、我々は武本監督の人生における活動に意味はあったと知っている。彼の遺してくれた作品がまずそれだし、生前に武本監督と交流があった人々の中にも、武本監督の影響は息づいていると思う。
死んで何かを為せる事は何一つない。何かを為せるのは生きていればこそだ。故に何かを成し遂げたいと願うのなら自己の命を大事にせねばならない。一身を軽んじる者に大事は為せない。
「窮するも命なることを知り、大難に臨んでいささかの興奮の色も無い孔子の容を見ては、大勇なる哉と嘆ぜざるを得ない。かつての自分の誇であった・白刃前に接わるも目まじろがざる底の勇が、何と惨めにちっぽけなことかと思うのである。」
これは中島敦の小説「弟子」の一節だ。己の武勇に自信のあった子路が、陳蔡の厄に遭い、狼狽し、それを孔子に戒められた時に思ったであろう事を中島敦が想像して描いたものだ。この時の子路の述懐を若し孔子が聞いたら、孔子は何と答えたであろうか。
「そうではない由よ。勇に大も小も無い。ただ、勇の用い方が違うのだ。」
私なら、孔子はこう答えたであろうと思う。詰りここが子路と孔子の違いの部分であり、子路と言う人物を中島敦が活写してみせた部分でもある。無論、中島敦は子路が孔子には及ばないという事を知悉した上で敢えて子路をその様に描いたのだ。何故かと言えば、子路が子路である故に彼の辿った人生を著述する上で必要だったからだ。作家の心情を代弁する為に小説を書いているのではない。
世の常の凡百作家共が自己の意思を押し付け、強弁する為に話を作り、キャラを改変し、その上で自己の薄汚い欲望を満たす為に筆を執っているのとは全く違う。これは鴎外や漱石にも共通する事で、だから私は日本の作家で森鴎外、夏目漱石、中島敦の3人以外を作家と認めてはいない。この違いが分るかどうかは、完全に読者の理解力と読解力に委ねられる。他人が何を言った所で無駄だし、作者は相手に伝える為に書いているのだから、伝える為の努力を怠っている訳でもない。故にそれは作家の力量外での話になる。小説を書く以上、作家には伝える為に己の文章力を最大にまで費やす義務があり、読者にはその文章を理解できるだけの読解力が要求される。これはどちらがその責務を怠っても目的は達せられない。何をどう思って書に臨もうとそれは読者の勝手だが、為にする為の行為は虚しいと私は考える。
ブランド銘に騙されて美味いと思う様では食通とは言えまい。また、味の好みは千差万別で、個人差があるという事も考慮出来ねば片手落ちになる。故に万人受けする料理など無いし、それはまた小説も然りだ。蓼食う虫も好き好きだが、現今の屑商業作家共の垂れ流す糞小説を美味いと、私は思わない。誰憚る事も無い、これが私の意見だ。
自己の行為に責任を持つのが一人前の人間であり、己の業から逃れる事は何人にも出来ない。その意味において人の生は自業自得であり、これは人と言う存在においての普遍的性質であると言える。
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shinayakani · 8 months ago
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人生どうでも飯田橋の袋小路
 おいおい、春の不穏さに心騒いで云々から、ずいぶん久しぶりじゃないか。すっかり季節は変わっている――人間がものを考えることを一切できなくさせる季節でお馴染みの、夏。四月から七月までの間、日を追うごとに情緒が不安定になっていた。そんな時は、書くことはおろか読むことさえ一切する気になれない。もちろん私のナチュラルボーン怠惰もすべての原因としてあるが、振り返ってみると自分でも驚くほどの荒みようだった。今月に入ってからも、危機から抜け出す兆しを見つけるには全然至ってないわけなのだが、誤魔化しながらやり過ごしていこうとする正気はいくらか取り戻したのだろう(他人事)、だからこうして書いている。といって、この数ヶ月の自身の退廃っぷりを書き出してしまったら、内面の牢獄へと向かわせる悪循環に再び囚われそうになるので、気が進まない。だから相変わらず私には書くことがない。
(240818)
 ――やっぱり自分はまともな人間じゃないんだよな。
 不意に人に向かってそう呟いてしまった夜があった。よくもまあこう恥ずかしげもなくみっともない言葉が口をついて出てきたものだ。先月はそれだけ不調がピークに達していた。いい迷惑だろうに、その言葉を聞かされた人は一瞬心配そうな顔に���りはしたが、すぐ「なに下らないこと言ってるの」とだけ言って笑った。ずっと前から自分でも分かりきっていたはずではないか、改めて言い出しても仕方がない。「当たり前じゃん、私たちマトモだったためしある?」なんて過去の自分や知人たちなら笑い飛ばしていたろう。だが自分がこうして失墜しているときに限って、そう言っていた人たちが皆、よっぽどまともな人間に見えてくる。少なくともこんなことをいちいち言葉にする(ましてや他者に向かって発する)人間は、どうであれ正気ではない。そもそもが具体的に何を指しているのか不明瞭で、粗雑な常套句。しかし世間一般的に見ると、いま私はまともな生き方をしていない。
 ……外部から規定されたにすぎないある種の「マイノリティ」の立場に、自身が置かれていることに改めて気づいたとき、そんなに動揺し慌て出すなんて、いったいきみは今まで何を学んできたというのか?
(240819)
 手癖で引用を、と思いながらも、そういえばほとんど本に触れてさえいなかったので、他者の言葉を手繰り寄せられない。ただ先月の今頃、なぜか夏目漱石の「思い出す事など」だけは読んだ記憶がある。人生イヤイヤ期には漱石の随筆や小品がやけに滲みる。とはいえ人生論的なものに傾く文章(誰が書き手かを問わず)に対して、私には昔から強い忌避感がある。たとえばこの随筆であっても、思想的な意味合いというよりは、漱石の言葉の運びそのものに感銘を受ける。生死の境が不明瞭になるほどの大病からかろうじて生き延びた後、病いを潜り抜けたゆえに得た奇妙に寛いだ眼差しで、過去や事物を描写する。その文体の瑞々しさが、捨てばちになっていた私に平静さをもたらしてくれたのかもしれない。
《今の青年は、筆を執っても、口を開いても、身を動かしても、悉く「自我の主張」を根本義にしている。それ程世の中は切り詰められたのである。それ程世の中は今の青年を虐待しているのである。「自我の主張」を正面から承れば、小憎しい申し分が多い。けれども彼等をしてこの「自我の主張」を敢てして憚かる所なきまでに押し詰めたものは今の世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主張」の裏には、首を縊ったり身を投げたりすると同程度に悲惨な煩悶が含まれている。ニーチェは弱い男であった。多病な人であった。又孤独な書生であった。そうしてザラツストラはかくの如く叫んだのである。》
 いま文庫本を開いて確認すると、ところがよりによって、付箋が貼られているのはこの段落だけだった。漱石にしては大して面白味のない文章ではないか。彼の言葉にというよりは、何よりもここに印を付けていた先月の私に対して、ずいぶんな甘ったれじゃないの、と苦笑したくなる。声高に「自我の主張」ができるならまだしも、とうに自己の中身は空っぽになっている。それともこの空虚は、内省を突き詰めていった先で、ますますペシミズムにとり憑かれたことによって生じたものなのか。しかし私の現状は、心理的な問題というよりは、もっと実際的な習慣の問題に関係しているにすぎない……経験の貧困。嗚呼、こんなことなら辻潤でも読めば良かった。
 ところで末尾のニーチェについて。そんな単純化されては困ります、と大家である漱石に向かっていくらでも反発を示すこともできよう。だが、いわゆる「人生論」の観点からしたらこんな風に呆気なく語られてしまうものかもな、と妙に納得もする。しかしニーチェが残した著作の意義は、全く別の次元にある。「自我」という枠をあらかじめ想定して生を矮小化する先入観を、彼は何よりも軽蔑するはずだ。
(240821)
 ここまで書いてきたことは、自己と向き合うことの苦痛によって生まれた言葉だろうか。しかし自身と向き合うことは、個人の内面の問題を捉えるというよりも、すでに取り返しのつかないものになってしまった過去という時間全体と対峙することだ。過去のふるまいがどれほど軽薄なものに見えるとしても、その意味合いはひとりで担いきれないほどに重い。時が経つほど重みを増して迫って来る。
 過去とは、すでに取り返しのつかなくなった経験のすべてだ――だがそれでいて、つねに自身へ影響を与え続けるという意味で、決して過ぎ去ろうとしない。
 過去の取り返しのつかなさから、手当たり次第に糺すようにかつての甲斐性のなさを後悔したり、はては自身の行いを否認したりし始めると、これから先の生きていくあてがなくなる。内部をいくら掘り起こしてみたところで、行き着く先には空っぽになった頭だけが残る。置かれている事態が慌ただしくなればなるほど、わが身を、つまりは過去を掘り尽くそうとする悪循環に、なぜ向かってしまうのだろう。過去への悔いだけが必然のように残り、結局いま生きられる場からは逃避することになるのに。
 それにしても、何の気なしに「空っぽ、空虚」という言葉を使っていたが、人間が文字通りの意味でそんな状態にあることはほとんどない。ここには誇張というか嘘くささというか、言葉の詐術がある。そもそも空虚であるならば、こうして言葉を費やそうとすら思えないだろう。
 外部からの刺激に対して身体が受動的になりすぎると、その代わりに精神が騒がしさでいっぱいになって方向が効かなくなる。そしてそのまま疲弊する――状況に対して能動的��振る舞うことができず、身体の受動性が窮まったすえの無気力といったらいいのか、精神的な不安定さの要因は所詮そんなもので、その状態をさし当り「空虚」と名指したまでだ。個人的な問題に対しては、とにかく目の前にあることを片付けて、少しずつ体験を積み上げていくほかない。いつもきっと、そんな凡庸な結論に達する。しかしその当然のことが、私には難しかった。
(240822)
 ふと、いま読んでいる小説からこんなフレーズが眼に入る。ここでは「後悔」という言葉が、謎めいたものとして示されているようなのだ。
《「車に乗って高速で走っていると、ときどきちらっと視野をかすめて消える美を発見しますからね」とジョナス・メカスは映画で語った。「ところで美しさとは何でしょうか?」形式的な挨拶もなく、ウルが尋ねた。「美しさとは後悔することです」と彼が答えた。形式的な挨拶はなかった。彼らは死ぬ日まで一度も会ったことがなく、知り合いでもなかった。偉大なる今日、》  ――ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』
 作品冒頭、女性は目を覚ますと自身の記憶をすべて失っていることに気づく。メカスの訃報が載った新聞から、いまが 2019 年 1 月だというおおよその日付だけは確認できる。しかし、三つに分かれたそれぞれの章では時制や場所、人称が混成していくため、現在時の具体的な日付はあまり重要ではなくなる。不明瞭になった境界で、彼女(たち)は書く。流れ続ける言葉のなかで舞踏する、声とイメージ。
《いつの間にかウルの手はひとりでに文を書きはじめた。自分の手から出てくる文章を、ウルは見知らぬ、驚異的なもののように眺めた。頭の中はほとんど空っぽだが止める方法はほとんどなく、ウルは書きつづけた。(…)その日、ウルが書いた最初の文章は、彼女があるとき受け取ったはがきに書いてあったものだ。美しさとは後悔することです。意見、方向、希望、意志、意図、信念、主義を持たずウルは書きはじめた。(…)おお、私は何になるのか? その日の夜ウルは存在せず、ウルが書く文章だけがあった。(…)その夜ウルは書きはじめ、書きはじめることを永遠に止めなかった。生きるために書くという言葉は事実だ。言葉は生に先立って歩み、そうやって生を発明してゆくのだから。そうでなければもうこの先には空っぽの時間という形式が残るだけだろう。(…)ただ遠くにだけ、ウルはいた。もしもいつかこの文が完成するなら、ウルはこれを遠くで書いたといえるだろう。遠くで、自分自身をも先取りして。》
 言葉は逸脱していく。このまま危うく「自分と向き合う」つまらない文章を書き続けるところだったよ。立たされている情況に対して「空虚」という言葉を粗雑に使うことを許しながら、それを克服するために何を「すべきか」を、何を「してはいけない」のかを、書き出してしまいそうだったよ。言葉は逸脱していく――書くことの次元においては、「〜すべき」という義務や「~するな」という禁止、そしてもしかしたら「〜したい」という願望からも無関係に。
 自身を省みるように書くのではない、さらにまた書くことを単なる経験の代替として行うのでもない。現実に対して強度を持ちながらも軽やかに動く言葉は、そのどちらからも生まれえないはずだ。ある意味では「空っぽ」になれないから、こうして書いている、しかし空っぽにならなければ、書くことはできない。
 どこへ行くか分からない言葉に導かれることの、苦痛と愉しみ。
(240824)
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shingoiwasaki-blog-blog · 9 months ago
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ano、夏目漱石の、吾輩は猫であるの、ラストはさ、その、名前のない猫🐱は、飼い主、クシャミ🤧先生の、家に置いてある、古い、水の入った、壺🏺の、なかに、落ちて、溺れ死に、すんだからな👀👌つまり、これはさ、anoが、永久溺れに、なるか?仏様に、無事に、なれるか?と、いうこと、なんだからな👀👌とにかく、俺の言う事を、全部、聞いておけば、永久溺れには、ならずに、そう、ちゃんと、仏様には、なれるから。でも、俺の、苛つくことや、俺の、助言を、無視して、突き進むと、永久溺れに、なるから、まだ、安心は、するなよ👀👌
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ano、夏目漱石の、吾輩は猫であるの、ラストはさ、その、名前のない猫🐱は、飼い主、クシャミ🤧先生の、家に置いてある、古い、水の入った、壺🏺の、なかに、落ちて、溺れ死に、すんだからな👀👌つまり、これはさ、anoが、永久溺れに、なるか?仏様に、無事に、なれるか?と、いうこと、なんだからな👀👌とにかく、俺の言う事を、全部、聞いておけば、永久溺れには、ならずに、そう、ちゃんと、仏様には、なれるから。でも、俺の、苛つくことや、俺の、助言を、無視して、突き進むと、永久溺れに、なるから、まだ、安心は、するなよ👀👌
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monthly-ambigram · 9 months ago
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2024-7月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「猫」です◆
今月は参加者の皆様に「猫」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月も逆さまな作字が集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。今号は失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
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「猫/ネコ」 図地反転型:ぺんぺん草氏
「猫」の隙間に「ネコ」が見える、ラングドン御大の作品でも見られる伝統的Figure-Groundタイプ。我々が現在定義している図地反転型の定義より弱いアンビグラムとはなりますが、ネコっぽいタイポグラフィも楽しい良い作品ですね。
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「三毛猫」 旋回型:ヨウヘイ氏
「三毛」を回転重畳すると「猫」になる作品。文字幅がアンバランスでも読みやすくて面白いです。
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「虎/猫」 旋回型: いとうさとし氏
虎のような模様のネコ。アンビグラマビリティは高くない語句だと思うのですがキレイに回っていて素晴らしいです。
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「わんこ/ねこ」 交換型:kawahar氏
「わんこ」をうまく敷詰めると「ねこ」になり、さらに重ねるようにすると犬か猫かのような絵になる面白いデザインです。
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「捨て猫」 回転重畳型:ラティエ氏
「捨/猫」の共存対応がキレイです。背景の絵も併せて回転重畳になっているのがすごいですね。素晴らしい。
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「ネコ/液体」 敷詰振動型:Jinanbou氏
「液」の敷詰と「体」の敷詰と「ネコ」の敷詰が一致するようになっています。確かにネコは液体であるようです。
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「肉球」  回転型:lszk氏
猫と言えば。図形を欠けさせつつ読ませるデザインに驚愕です。
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「CAT TOWER」 図地反転鏡像型:ちくわああ氏
「TT/W」のハマり具合が気持ちいいですね。折り返しの「O」の自然さに驚きます。
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「熊猫」 図地反転敷詰鏡像型:松茸氏
「熊」はパーツ反転しています。「正図」「図地反転」「逆図」「逆図地反転」を敷き詰めると、「非自明な対称軸や回転対称中心」が現れるのでアンビグラムの定義に当てはまる、という意図の驚異の作品。
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「家族同然」 鏡像型:.38氏
「家/然」の対応がキレイですね。「族」の変形が楽しいです。
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「ギコ猫」 旋回型 「ゴルァ」 回転型:無限氏
匿名掲示板で流行したAAの一つ「ギコ猫」とギコ猫のセリフ「ゴルァ」をAAベースのアンビグラムに仕立てるという面白い作品。
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「逝ってよし!」 回転型:うら紙氏
こちらもギコ猫のセリフより。吹き出しとしんにょうの一体化が面白いです。
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「猫娘」 図地反転型: いとうさとし氏
ゲゲゲの鬼太郎より。「猫」は字画がバラバラになっているのに重要なパーツ分けはしっかりしているので読めてしまいます。
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「F.D.C.WILLARD/CHESTER」 回転共存型:兼吉共心堂氏
科学論文誌を執筆した物理学猫の名前より。F.D.C.ウィラードがペンネーム、チェスターが本名です。文字数の差の吸収のさせ方に注目です。
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「ドラえもん」 図地反転回転型: いとうさとし氏
言わずと知れたネコ型ロボット。読みやすくていうことがありません。
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「仲良くケンカしな」 回転型:繋氏
「トムとジェリー」の主題歌の歌詞より。同作のロゴ風の処理ですね。「ケ」第一画の思い切った処理が好きです。
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「ねこねこ日本史」 回転型:あおやゆびぜい氏 日本の史実の人物を猫にして歴史を描く4コマ漫画シリーズでアニメ化もされました。読みやすくなるように文字組が工夫されていますね。「ね」のループは飾りとして処理しやすいのですね。
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「黒船屋」 回転型:douse氏
竹久夢二の代表作の一つで、和服の女性が黒猫を抱いているさまを描いた絵画。「船」の自然さをはじめ、「黒/屋」も自然に読めすぎて脱帽です。
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「吾輩は猫である」 回転型:きいろいビタ氏
夏目漱石の代表作。ひらがなをすべて袋文字風にすること���漢字との字画密度差を解消していますね。素晴らしいです。
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「猫の手も借りたい!」 回転型:peanuts氏
近松門左衛門の浄瑠璃の一節が由来と言われています。文字組が面白いですね。最後の「!」が工夫できれいに対応付くようになっています。
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「猫に小判」 回転型:つーさま!氏
猫の付くことわざと言えば。ひっそりと猫の横顔と猫の目のようなあしらいが楽しいですね。
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「猫も杓子も」  回転型:lszk氏
何もかも。「杓子」の二つのハネがちょうど猫耳になるのが気持ちよいですね。
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「猫の恩返し」 回転型:douse氏
図案が非対称のため共存型と見る方が良いかも知れません。全体的に網目のような文字が面白いです。
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「宅急便」 内包型:螺旋氏
3重内包型。本家ロゴに似せているのもあり一目で読めますね。内包の関係にあることの発見が素晴らしいです。
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「観測するまで猫の生死は判らない」 内包型:超階乗氏
現実に書いたものを実際に重ねて表現された3重内包。細かい調整と猫の絵が見所ですね。
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「窮鼠猫を嚙む」 敷詰振動式旋回型:Σ氏
「窮鼠+を」の敷詰と「猫+噛む」の敷詰が一致します。「窮/猫」「鼠/噛」「を/む」の対応がピッタリですね。
最後に私の作品を。
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「異郷で会える猫」 回転型:igatoxin
旅先で猫に出会う。
お題 猫 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「夢」です。真夏の夜の夢、レム睡眠、無我夢中、夢の島、トロイメライ、枕、荘子、儚、夢窓国師、枯野 など 参加者が自由に 夢 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は7/31、発行は8/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}        2月{レトロ}   3月{うた}         4月{アニメ}    5月{遊園地}     6月{中華}          7月{猫}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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saintdesire · 11 months ago
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新規ノート
2024.05.27 月 午後 3:07 ・ 25分 31秒
こんばんは。豊島美穂です。収録している今日は5月23日木曜日です。
今日はですね、早速なんですけど、お便りを最初に読ませていただきたいと思います。前回読みきれなかったって言ったお便りですね。千葉県40代のスズメタカさんからです。これ、4月5日付けで、結構ね、立ってしまって申し訳ないんですけどとポットキャストを引っ越しだなんだと���う理由で休んでいた時にいただいたメッセージですね。
読みます。シマさん、こんにちは。お引越しお疲れ様です。そして、ご入学おめでとうございます。聖なる欲望。大場がない日々はなんだか物足りないです。過去、プレッシャーをかける意図ではないのですが、それくらい毎回楽しみにしております。過去と時。ありがとうございます。
更新のない間、以前にご紹介されていた雁須磨子さんのあした死ぬにはを読みました。自分と同世代の女性3人の悩みや葛藤や、体と心の変化が書かれていて、とても良かったです。そうですよね。もう中身をね、きっちり説明してくださってます。スズメダカさんが。
この作品を読み終えて、田島さんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。私はそのようなものをここ数年感じていて、出口のないモヤモヤに困惑しています。
20代の頃のように、これから仕事やライフステージにおいて全く新しい局面が訪れるとも思えず、けれど、このまま現状維持でなんとなくやり過ごすには、人生はまだまだ長いようにも思います。
自分が時間も心も傾けたいと思える何かを見つけた、いわばそれで社会的なリターンかお金や立場などがあればさらに良い、などと思ったりもしますが、ラセン時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思うに任せず点々々まで、 トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、ぜひ可能な範囲で伺えたらと思っておりますしな質問で申し訳ありません。過去触れていただかなくても全く問題ありませんとまで書いてくださってます。
そして最後はこれからも番組を楽しみにしておりますという言葉で結ばれていました。スズメダカさん、どうもありがとうございました。すごい色々気遣いながらメッセージ送っていただいたんですけど、全然物と思わないです。私。個人的にはね。むしろなんか話していくテーマをくださってありがとうございます。という感じです。
今日はね、この中年の危機についてちょっと話してみたいんですよね。なんか今更ですけど、今回もガラガラ声ですいません。なんかここに来た急に声がガラガラす。中年の危機についてっていうかね、前回ちょっとこの中年の危機についてのお便りが来てるっていうことに触れたと思うんですけど、なんかそれで私、これを語れる立場にあんのかな。っていう疑問はその時点でお話しましたね。
確かね、私今42歳で、中年の危機。中年の危機か。っていう気持ちもあったり、カリスマコさんの明日死ぬにはっていう漫画に、もうまさにそういう転換点が描かれていて、あれって、あ、ま、言ってしまえば、中年の危機だったのかなっていう、主人公にとってね、
ていう感じもするんですけど、自分自身の経験から、すごい10年の危機の、こんな山があったよっていう話は、私はもう、最初に言っちゃうけど、出てはこないんですよね。
でも、なんか、このモヤモヤがあるっていうことについては、わかんない気もしなくもないので、ちょっとね、あと、結構、こういうことで、なんかこう、モヤっとしてる人っているのかな、多いのかなと思ったので、 ちょっと、今日はね、それを、テーマっていうほどでもないですけど、なんかちゃんと喋る気があんまりしないんですけど、こう、お喋りのネタにして喋ってみたいと思います。今日で第51回になります。それでは始めましょう。聖なる欲望ラジオ。
また前回の話で申し訳ないんですけど、つ独のさ遠い太鼓っていう村上春樹さんのエッセイがすごい分厚いエッセイの文庫が出てる。40歳ぐらいの転換点について書いてるという話をしたんですけど、残念ながらやっぱり このままでしたね。本当に日々の積み重ねみたいな本だからさ、すごい時間のある時に読まないとゆっくり読めないかな。
代わりと言ってはなんなんですけど、カイハさんの中年危機っていう本を、朝文法からで、でも元がすごい古い本なんですよね。なんか犯行法の本当に最初出たもんでか、カイは先生だし、1993年の本で、ちょっとキドでね、買って、前半3分の1ぐらい読んだ。
それはね、結構小説を題材に中年の危機を読み解いていくみたいな臨床の先生なんで、その臨床例っていうのをすごいたくさんさん、その心療内科で、カウンセリングにおいて、 こう、中年の危機っていう事例をたくさん見てるけど、自分は守秘義務があるんで、なんかね、そういうのちょっと変えたいして喋る人もいますけど、ちょっと話せないから、なんかちょ せっていうのを題材にして、河合は先生はなんかすごいさ、人物語好きじゃないですか。だからちょっと適当に撮ったみたいな感じゃなくても、ガチですみたいな感じで読み解いていくみたいなもんなんですよね。ちょっと読書案内にもなってて、結構
話っていうか、知らない本もいっぱい出てくるけど、あとちょっとね、13年の本だから、昔の作家さんが多いなとは思うけど、でも夏目漱石とか知ってる作家ももちろんいてさ、結構面白げな本ですよ。
何が言いたいかって言うと、そこになんかこう、概要、その中年の機器っていうものについてさくっと触れてるねところがあったんで、ちょっと読んでみますね。
心理学の中で中年を結構ユングが扱ってるそうなんですよね。で、ユングが言うには、中年において人間は大切な人生の転換点を経験すると考えるようになった。
彼は人生を前半と後半に分け、人生の前半が自我を確立し、社会的な地位を得て、結婚して子供を育てるなどの課題を成し遂げるための時期とするならば、今このように、一律じゃないですけど、ま、昔ですかね、ユグの時代だから、 そのような一般的な尺度によって自分を位置付けた後に、自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、来るべき詩をどのように受け入れるのかという課題に取り組むべきであると考えたのである。ちょっとま長い文章ですけど、ちょっとそのまま読みますね。
太陽が上昇から下降に向かうように、中年には展開点があるが、前述したような課題に取り組む姿勢を持つことにより、加工することによって上昇するという逆説を経験できる。
しかし、そのような大きい展開を経験するためには相当な危機を経なければならないというわけである。ま、もうちょっと後でもう1回。これからの人生は、一山型のカーブではなく、 双子型の山の軌跡を辿ることになり、1回目の山を止め、2回目の山に取りかかろうとするあたりが中年にあたると考えられる。これは河合先生自身の解釈なんですけど、そういうさ、人生の
山が、山が、昔は超、昔は1個あったけど、今2個あるよねっていう話で、その2個目の山を見るのが、見始めるのが、こう、我々。スズメタカさんも40代って書いてたので、我々ってくっちゃいますけど、我々40歳前後の人間だっていうことになるんでしょうかね。
ちょっとお便りに戻りたいと思うんですけど、トシさんに伺えたらと思ったのですが、中年の危機のようなものを感じることってありますでしょうか。そして、トシさんの母や妻としてではない、個人の人生における目当てなどがありましたら、可能な範囲で伺えたらと思っております。という風に書いてらっしゃるんですけど、
うん、このなんていうの。時間というリソースを家族のために使わなければならない部分も多く、思いに任せるっていうのはすごいわかるんですよね。
私はさ、結構自己中なんですけど、なんか子供産んでから夫になんでそんなに変わんないの。っていう風に何回も言われるんですけど、でも、それでもさ、やっぱ時間は使ってる。子供いない時期と同じようには全然過ごせないですよね。
なんかその中で、母や妻としてではない、個人の人生における目当て、これですね。私、正直焦んないみたいな感じを日々心がけてるんですよね。
なんか目当て。そういうわかりやすい目標とか、私は子育てしながらこれ頑張ってるみたいなことがあったらさ、あるに越したことないなってね、思うんですけど、本当、かっこいいってやつですよ。私はよく言う、そういう方がかっこいいなって思うっていう、そういう憧れの対象にはなってるけど、うん、自分がそれできるかって言ったら、多分、できない。
それは、その、体力的な問題とか、持病があったりとか、そういう話もあるし、あと、私の性格的にさ、すごい怠け者っていうか、本当、隙間を縫ってなんでも努力するみたいなさ、そういう、なんか、大きな志を持った人間
ていうか、大きな志が乗る乗り物になってない感じっていうか、そういうのを、さすがに、うん、悟ってきたと思ってんですよね、自分では。それ、世の中では諦めと言うのかもしんないけど。
だから、なんかこう、何かをしようっていうよりは、何かを、なんか今回は自分の人生ちゃんと立てていかないといけないみたいなことを、なるべく逆に思わないようにしてんですよ。
うん。でも、その考えが固まってきたなって思えば、結構最近なのだろうかっていう気もしますね。
なんか思うところがあって、私、その前やってたyoutube、そもそもこのポッドキャストは何かって言うと、そのyoutubeチャンネルの最初、なんか本を紹介するyoutubeになってって始めて、それが全然回んなくなってポッドキャストに移ってきて、なんか話題をもうちょっとさまにしたっていう経緯があるだけなんですけど、
その、youtube始めた頃って、やっぱそういう気負いがまだあったかなって思うんですよね。それを、なんか、この、なんか、さっきさ、その、youtube、自分の喋りを、なんかyoutuber無理でした、すいませんみたいなタイトルの動画を見るまで忘れてたんですけど、本当、マジで忘れてたんですけど、 それが、動画を2、3個アップした後に、もうすぐさ、体調崩して、めっちゃ色々、連鎖反応的に具合が悪くなって、全部直った、よかったっていうとこで、最後、骨折するっていう、
すごい、なんか、どうしようもないことがあって、カーミだって、うん、思った。あの辺までは、やっぱり、なんか、なんか頑張んなきゃっていう気持ちってあったと思うんです。
あれって2年前だから、子供の連中ですよね。その辺ってすごいさ。
うん、結構、こっからどっかで立て直していかないとっていう気持ちは、確かに思い出せてきたけど、あったような気がしてきましたね。うん。危機みたいな、さしてったものには感じなかったですけど、なんか、
何をやっているんだとまでは思わなかったですけど、自分にはもう、その、お母さんやりながら働くっていうね、今はかなりの人がちゃんと履きこなして、そのあと、私は絶対書けんって思うわって思う決断があって、選挙になってるから、なんかそこからさ、何をやっているんだとまでは思わないわけなんですけど、 でも、なんか副業的なものをやりたいなって思ったりとか。そうそう、本当、この年中組ぐらいのあって子供さん、なんか金が欲しいって思ってましたね。
金なんかの身も蓋もなく言うと、なんかすごい。あの子、お金欲しかったな。なんでだろう。うん、なんか本当、専業主婦の1番面白くないとこ、やっぱ稼げないっていうとこ。だから、
なんか頑張ってもお金が入ってくるわけじゃない。なんか自分で好きなもの買いたい。なんか頑張ったから、ごめん、今日、今日じゃない、今月8万円入ってきたよって、よっしゃ、あれかちょうみたいなさ。
なんかこんだけ頑張ったからこれ買おうっていう計算が何もできなくて、なんかあんまりお金のかからないように生活しようなんとか、でもあんまり我慢したくないから、折り合いつけてこうみたいな、なんかこう、いいところを探っていくみたいな、そういうのも
悪くない。悪くないけど、でもやっぱぱっと使いたい時あるから、なんとかもうちょっと、なんか副業みたいなやつないかなって思ってたんですよね。youtuberで。それまではいけないんじゃないかなってすでに思ってたから、別にそれですぐ投稿しようと思ったわけじゃないですけど。
でもそういう思いが、なんかどっちかっていうと、こう、無理���ないようにしようっていう方に向いてきた。
でもそれってあんまり一般的に当てはまんないですよね。なんか無理が利く人の方が、私はもう早々に自分は無理が利かない顔だってわかって、
なんかそっちは胃の継ぎというか、むしろ自分のケアっていうかさ。なんかこれ、夫も聞くから、こんなこと言うの微妙なんですけど、結構自分を甘やかして生きていこうっていう風に決めて、なんかこう、今がグズグズでさ、グズグズでダラダラでもしょうがないっていう風に 思ったけど、なんか逆に、私と違うさ、体力のある人の方が、なんかそんなに簡単に割り切れないって感じがしますよね。なんか、その頑張りが効く人の方が、もうちょっと頑張んなきゃっていう、頑張んなきゃでもないか、そういう、その外側からのとまた違うんだもんね。
もう人一山欲しいなって思うっていうことですかね。うん。
ちょっとすいません。別の角度から喋ってみたいんですけど。私はそうやで。グズグズで過ごしてるけど、一方で、うん、仕事やライフステージにおいて全く新しくなると思えば。っていう。
この文面を読んだ時に、なんかそうかなと。
私はさ、そうやってグズグズに生きてる割に、なんか新しいことって全然あるかもと思ってんですよね。でもこれ反対意見じゃないんで、ちょっと最後まで聞いていただきたいんですけど、なんか40代でみんな結構固まってると思ってんのかなっていう。
私はまだまだ何があるかわかんないと思って日々過ごしてるんですよね。それはもちろん外部からの何かが急に悪いこと含めてさ、なんかあって、自分の人生が想定外にあるかもしれないっていう、うん、例えばこう、かなりきついですけど、なんか事故とかにあってさ、体の機能を何か損なうようなことがあって、
今の自分と全然違う風にしか思い切れなくなったとかさ、そういうネガティブなことも起こりうるし、逆に、私は何も努力してないから、こう、新しく素敵な局面に、こう、ライフステージが上がっていくっていうことは絶対にないんだけど、それでも、なんかこう、趣味で始めたことがかなり楽しくて、かなりこう、楽しいの階段を上がっていくその ちとか、人の役に立つとかでは、多分上がっていかないかなって、もう思ってんだけど、でも、ちょっとずつさ、何か自分なりの楽しい階段は上がっていくかなって。
なんか、それがさあ、私はすごいスーパーミック坊主みたいな人間、すごい。前回相場の話したけど、もうやってないですからね。そう、あれ、本当に本当に3日ぐらい、相場面白いっつって思いましたね。
そんぐらいさいか坊主なんだけど、でもなんか楽しくて、続くことあるかもって思って、なんかこう、外側から見た自分が塗り替わることはもうないけど、内側から見た自分は塗り変わるかもしれないと思ってんですよ、日々
でも。でもですよ、まだまだ話終わりじゃないんですよ。だからこう、40って、私、全然固まったと思ってなくて、自分的には。なんか一方で、よくこのお便りを、スズメタカさんのお便りを読み返してみるとさ、なんか私も、でも固まってないと思ってる自分も、ある種の方にはまってんなと思ったんですよ。
方が新しいこと始まらないと思ってるっていうお便りに、新しいことはきっといつもあるんじゃない。っていう私が、なんかこう、反対の立場にいるように見えるけども、本当は私はさ、そういう3日坊主を繰り返すっていうサイクルにはまってる。
なんか新しいことをさ、初めてはすぐやめるパターンが身についちゃってんですよ。多分ね、自分。自分が楽しけりゃいいやっていうパターンにはまってんですよ さ、スズメナカさんは、そうやって周りからのその地位とか、お金もついてくるといいなって思ってることは、持ってるってことは、周りに貢献する気持ちがおそらくあるんですよね。直接書いてないですけど、社会の役に立ちたいとか、わざわざ書いてないけど、当然なんか前提として、そういうのに付随してお金はついてくるからさ、そういう風に多分お考えなんだなって私は勝手に思ったんですけど、違ったらすいません。
一方でさ、私は何も積み重ねたり、人のために、人のために続けるっていうのをさ、してないわけですよ。なんかいつもいつも私繰り返してねっていうさ。
ここでポッドキャストでさ、趣味の話よくしてるじゃないですか。今これ楽しい。みたいな。これ楽しいんだよね。今キャハハみたいな感じで喋ってさ、喋ってすぐ忘れてるっていう。また次の楽しいこととかして、きゃははってなってるっていう。なんなんだこれ。と思って、 あれ、私ってなんかもう完全その方にハマってるわって気づいて、ちょっとぞっとしたんですよね。
スズメタカさんみたいな人はこう、ちゃんとライフステージがこの後変わると思えないって言ってるっていうのは、ちゃんと積み重ねてく人の発想なんですよね。それ、多分私は自分の趣味でさ、自分ができる範囲で、自分だけの力で、 もう通りがでかくなったぐらいのこう方みたいなのをさ、そでシュシュシュって編んでさ、そんで新しい海だわつってそこに飛び込んで、バシバシャつって、すぐ転覆して、サブって書いて転覆して、あ、無理だったわって帰ってきて、まだ新しい海だって。それずっとやってるだけで、もうなんかスズメタカさんみたいな人は、こう、コツコツと船をさ、ちょっとこの海に出よう。風はどうやって行くんだ。
ちょっとこの調査をして、こういう船が適している、よし、じゃあこの船を1から組み立てていこうじゃないかって。この材料はよそから持ってこなきゃいけないとかさ、そういうことをして、しっかりして船を作って出ていく。だから、そういうことは容易ではないですよ。確かに。だから、なんか簡単に次の場所に行けないって思うのかもしれないなって。
なんかそういうのをすごい読んだ。読んだんじゃない。そ、勝手にこの3つのお便りから色々考えちゃったんですよね。
うん。でもなんかそれに、自分がその型にはまってるっていうことに気づいてなお、なんか私はちょっと1回かってなったけど、でも本当にショックじゃなかったんですよね。そうかっていう。
40ともなれば、やっぱりそういうパターンっていうのは出てきてる。なかなか変わるものでもないっていうか。さっきのカイ先生の話だと、本質本みたいなこと言ってなかったですか。
自分の本来的なものは何なのか、自分はどこから来てどこに行くのかという根源的な問いに答えを見出そうと努めることによって、死をどう受け入れるのかみたいなことは書いてましたけど、うん、そこまで残ってると、だんだん自分の本来的なものっていうのに
近づいてきてるとも言えんのかなと思って、うん、私はこういうさ、なんか 役に立たないっていうか、こう、何もなさない人生においての、うん、意味みたいなのを、若干考える時があるんですよね。うん、なんか、やっぱ、それがダメなことじゃない。そういうの、言い方で、転覆して、 3日歴史に戻ってきてても、自分が楽しければ万々歳だなっていうところと、
なんか、それは、私は、一山目がそういう課題だったんですよね、多分、課題っていうか、自分にとっての一山目での学習が、やっぱりこう、私だって、前は船を立てようとしていたけど、なんか、 当たらないわけじゃないけど、それをやるのに、こう、結構無理していたというか、 うん、なんか、結果を出さなければとか、ちゃんとしなきゃみたいなプレッシャーがすごくて、でも、そっからこう、自由になるっていうか、それはやんなくてよかったなっていうのが、一山目での学習だったから、
山は今んとこないというか、学習の結果によってののんと生きてるっていう感じになってるんですよね。何が言いたいかわかんなくなってきたんですけど、すいません。
私はですけど、多分、ある程度の人生に対する本来的な役割、 自分がこうあればいいっていうのは、もうある程度決めてるっていうことが1つと、もう自分が楽しいのが、
なんかそれ以上求めても無理かなっていうね、そういう諦めなのかな。違うような気もするんだけどな。私はとにかく楽しければいいやっていうことが1個と、20代の若者ももっともっと浅はかだよね。重大レベルのこと言ってると思うんですけど、そういう楽しみが1個の���的だっていう 最終結論と、あともう1個言っても絶対先がわかんないなっていう。その 自分の人生を10パーセント自分で選べるわけじゃない、自分では察することもできない、どうしようもない流れみたいなのがあるから、今どう思ってても、どんだけ固定されてると思っても、まさかではないっていう。
その2つがあるから、あんまり結果として、中年に対する不安感みたいなものは今はあんまりないのかもしんないですね。
それも、でも、あがいてみたかったけどね。そのyoutuberとしてやっていこうみたいなことを、一応、一応あの時ちょっとでもやってみたから思うのかもしんないですね。
なんか本当回答になってない回答ですいません。スズメナカさんのお互い本当に話題のね、なんかこう、きっかけにして色々勝手に喋ってしまったなっていう感じで、あんまり質問にすっきり答えたなと思ってないんですけど。すいません。
うん。なんかもうちょっと喋りたいことあったような気がするんだけどな。今日を改めてまた喋っております。5月25日土曜日になってます。
結構前の話をつぎはぎして編集して、なんとか形にして、何回も聞いたりしたんですけどね。本当に今回はまとまってなくてごめんなさい。
これですね、夫の話とか足して、あとなんか自分が喋ったこととか、本で読んだこと、無理やりこう、きゅきゅっとまとめて、話をまとめようかなって思ってたんですけど、聞き返してるうちに、なんかそういう風に無理まとめない方がいいかなと思い始めて。
私のさっきの話って、結局もう中年の危機の中年をさ、縁をくるくる回っているだけで、あまり入ってってない当事者感がなかったなと思って。でもそこが今の自分の把握してる部分だなっていう風に思ったので、ここまでにしようかなと思います。スズメナカさんは、今はもうモヤモヤしてらっしゃるのかな。
うん。なんか今話してみて、ぼわってだんだん思ってきたのは、やっぱりみんな何かしら納得感が欲しいんじゃないのかなっていう、自分が自分であることを納得感。
なんか、若い時も、そういうのって欲しいような気がしてたけど、それって、もうちょっと手前の、浅いってわけじゃないけど、
それこそ、うん、許容されたいというか、周りからも存在を許されたいし、その、社会的な意味でも、プライベートでもね、 し、なんか、自分、でも、なんか、もっともっと手前の、思春期の時とかって、こう、すごい自分に不満をぽんぽんって爆発させながら生きてるわけだから、その不満がなんとか片付くとこまで行くみたいな、なんか、それが、20代のさ、1つの山かなって私は振り返ると思ってて、この2つ目の山っていうのは、もうちょっと
自分で良かったなっていうとこまで結構行かなきゃいけないのかな、行かなきゃいけないってこともないけど、行きたくてモヤモヤするのかなっていう風に思ったんですよね。だから私もこの先まだあるかもしない42でさ、まだなのかもしれないです ね。今の納得ではやっぱりダメだって、自分が楽しいだけじゃ生きていけないわみたいな感じでやっていくのかもしれないなっていう風にね、もう1回、もう1回じゃない、3回ぐらい聞いて思ったりしましたね。ちょっと中途半端な感じで終わっちゃって申し訳ないんですけど、 そういう、うん、自分であることの納得みたいなことにね。最近近い読書をしたので、その本を紹介して終わりたいと思います。
柴崎智子さんのあらゆることは今起こるっていう、これ新刊ですね、結構出た。ペアやぽや、5月15日間ですね、医学所っていうとこが出てる部屋を開くっていうシリーズがあるんですよ。
部屋を開くがひらがなね。医学書院って、その名の通り医学系の専門出版社なんですけど、 このケアを開くっていうシリーズは単行本でみんな2000円台ぐらいの、結構ね、ソフトカバーだけど、がっしりした作りの厚めの単���本で、いろんな人が書いてるんだけど、
なんていうの。そのシリーズ名の通り、ケアする側の、なんていうのかな、テキストじゃないけど、そういうものも若干あるみたいですけど、近年割と、 うん、ケアが必要な人、必要な人って言い方もあるかな。一般的に誰かの助けをかいた助けを買いたいって言うよりも、その人のために社会が変わった方がいい。
なんか、そのままではフィット感のない人たちの当事者の声みたいなのを届ける本も結構出してて、ご存じの方もいらっしゃると思うんですけど、毎回、多分それなりに売れてるっていうか、話題になっているんですよね。私もね、ここまで3冊、
何十冊も出てるうちのですけど、3冊ほど読んでて、今回シバサキさんがそこからセ出すっていうの、どっかで見て買ったんですよね。その本の端的なことを書いたシバサキさんの文章があるので、ちょっと読みますね。
ここで書くことは、私がadhdと呼ばれる脳の特性があるとの診断を通じて、捉えたり考えたりした、私自身の感覚だったり認識だったり、今までの経験です。本当にこのadhdのものとしての感覚とか認識とか、認識とか経験っていう、 そう割と系統だった話じゃなくて、結構ふわっとした作りのエッセイの本なんですよね。シバサキさんはadhdの特性があって、さらにはaの傾向もあって、両方持ってる、
そういう診断を受けて、服役をしたりして、そういう日々と、なんかそれまでの経験もいろんなこと含めて、1冊分、結構本当ボリュームあるんですけど、このボリュームの中で、こう、ふんわり本当に行ったり来たりしてるみたいなエッセー集だったんですよね。
シバサキさんはその診断を受けたのは2021年の9月って書いてらしたと思うんですけど、私はもうちょっと後の時期に 検査を受けて、asdの傾向がある、なんかそういう、限りなく白に近い売れみたいなふうに先生に言われて、いつも行ってる病院だけとかで、なんかこう、特別にそのために検査の病院に行ったとかじゃないんですけど、そういう風に言われて、
だから、めっちゃ、なんで、なんでその検査を受けることになったかっていうと、あまりにも人と比べて価値ができなさすぎっていう問題が1つと、あとは、友達ができなさすぎるっていう、なかなか、なんていうのかな、なんか自分以外の人はみんなこう、 なんか鈴虫とかさ、蛍みたいに、何かでこう共鳴し合って、ファーファンファンてなって友達になってるのに、自分だけそれついてないんじゃないかなみたいな、違う生き物かな。みたいな風に感じる時があって。うん、 でも同じ特性。なんか本とか読んで、多分私っぽいなって思ったんでしょうね。あんまり覚えてないけど。その流れの順番をさ。
でも何かこう、社会的に確定診断が欲しかったわけじゃなくて、その家事の敵なさについて家族に分かってもらうっていうことが1つと、あと、当事者会みたいのに行きたかったんですよね。
なぜなら、友達が欲しいかとも。なんかそこに行くと、私も今まで周りの人たちがやってると思ってたみたいに、こう、ふわふわんわんってなって、こうさ、なんか信号送るやつ、友達になったらいいのかなと思ってなか、それは極端に、今言いましたけど、そういう共鳴現象みたいなのが起こって、友人ができるかもしれんと思って、
そのためだけに受けた検査だから、あんまり、なんていうのかな、このシマザキさんの体験談を読むと、なんかここまで深いテストじゃなかったなっていうのもね、かなりぼかして書いてますけど、それは思って、 ま、だから、そんなにしっかりした確定診断ではなかったかもしれないですけど、一応、知能検査みたいな、人通り受けてま、すごい人と比べて、その単純作業の能力がめっちゃ劣ってるみたいな結果が出て、そのiqみたいにさ、普通の数値が0のとこ、87みたいな数字で、 iqだったら、85からしたら評価機能って言われるから、もうほぼほぼそういう線の単純作業能力しかないっていうことがわかって。
だからといって、なんか共鳴、共鳴しないみたいな風に。そこでね、言われるわけじゃないけど、テストの結果として、なんかでもその診断を、診断ってほどでもないけど、そういう先生の言葉を受けて、よし、これで当社会に行けるぜ。と思って。でも調べたらコロナ中であんまやってなかったんですよね。
中は全然開かれなかったし。それで、その後、いけねえやってなって、グズグズになって、わたなんか何も生かすところなく終わってしまったんですけどね。友達もさ、やっぱ同じ幼稚園で過ごすうちに、徐々に徐々にこう、
素早い共鳴はしなかったけど、だんだん人のことが分かってきて、みたいな風になって、なんとなく問題が流れてったみたいな感じだけど、なんかやっぱ自分の中で経験をさ、振り返って、ああ、こういう傾向があるからあんなことがあったんだなとか、やっぱりこの共鳴しなさみたいなのも、もうしょうがないんだなっていう風に 思ってたんですよ。最近ね、最近っていうか、その2年前の秋ぐらいから。ちょうどこのポッドキャストのスタートの時ですね。でもそれはなんていうのか、
あくまで自分がその目的を持って受けたもので、別に人に言いたいわけでもないし、なんか親にも言いづらいなって。正直結構言いづらいなと思って言ってなかったし、今初めて多分親聞いてあ、そう、そうなの。ってなってると思うんですけど、なんかそういう興味もあって、このシバサキさんのあらゆることは今こ呼んだんですよね。
それで、やっぱりさ、結構ふわっとした作りの本だから、こういうとこめっちゃ一緒とか、ここ全然違うなとか、いろんなことを思いながらさ、割と普通に淡々と読んでいって、ふってページを閉じたんですけど、
ただのあるもんじゃないですよ、かなり。やっぱり医学書にから出てるだけあって、なんかプラス、やっぱシバサキさんがちゃんとしたご配慮のある人だからさ、なんか本当に書く間、なんていうのかな、決め付けみたいなことしないように、こういうのの特性があって、こういう困り事があるんですっていう断定的な書き方じゃなくて、 その因果関係もふわっとしてるままっていうか、もう本当にいろんなことが人によるんだよっていうことを、なんでも断りながら断りながら、自分でも迷ってるっていう風に、書きながら、語ってってくれるんですけど、
なんか、そういう風に、何かはっきりしたメッセージがこの本にあるわけじゃないにも関わらず、なんか、読んだと3日ぐらいしてからさ、すごい 不安とした気持ちになってきたんだよね。不安とした気持ち、なんていうのかな、その、脳の特性によって、うん、困ること。実際、そういう泊まりができにくいとか、私の場合はね、 なんとなく、あんまり、共鳴してる人と、人間と、共鳴してる感情があんまりないとか、そういうのがあるんだけど、なんかそれだけじゃなくて、本当に、なんか絶対いいこともあるはずっていう、なんていうのかな、本当、シバサキさんも書いてはいたんですけど、この社会の中で
そういう困り事とかは発生してるけど、別にね、なんかそういう、困るためにいるわけじゃないっていうか、なんか絶対いいことあると思うんですよ、 なんかそういうのね、なんか個人的にちょっと思ったりしてたけど、この本読んだことで、余計さ、なんかこう、勝手に確信を深めてるっていうか、勇気、勇気づけられたって、なんかすごい。なんかベタっとして、言葉であんまり使いたくないんですけど、なんか頼もしい感じがしてきて、
うん、さっきの私の話もね、前半で喋ったのもなん。なんでこの人こんなやる気ないの。とか、なんか私の仕事人生、前半の仕事を見てくれた人もきっとたくさん聞いてると思うから、なんかマジで仕事やる気ないのこの人。みたいなので、ドン引きした人もいるかもしれないんですけど、ちょっとそういうね、人には申し訳ないなっていう感じはするんですけど、 なんかやっぱ、そういう特性のこともあって、一般的な意味での、こう、頑張るとか、仕事を頑張る、なんか使命を持つみたいなの、 こう、みんなと同じになるっていう意味合いではやんなくていいんじゃないかなっていう風にさ、最近は思うようになってたんですよね。何が言いたいんだっけ。
とにかく、このシバサキさんの本読んでより、本当、うん、まだなんかあるはずって、なんか、なんかいいことあるはずっていう風に思ったんですよ。
正直、前半で紹介したカイは先生の本よりこっちおすすめです。なんかもうちょっと読み進めたら、結構退屈になってきちゃってね。前半で面白げな本ですって紹介したけど、なんか中盤割となんか眠いなみたいな感じになっちゃったから、 この進化の方がね、やっぱり興味ある方、ぜひ買ってみてください。別にそういう特性とかない人でも、あの人はへーみたいな、え。まじで。みたいな感じなのかな。
でも、何かしらさ、本当にペタっと平均の人っているわけじゃないからね。なんか私から見ると、こう、すごいどうしても自分と自分じゃないものに分けがちと思う。
何か劣ってる自分と、なんかみんなうまくやれてるみんなっていう風に負けがちだけど、そうじゃないんだもんね。なんか、なんかしら、やっぱみんな困ってることとかちょっとあるよねっていう感じ。だから、気になる人はぜひ読んでくださいと思います。
最後になりましたけども、お便りくださったスズメタカさん、どうもありがとうございました。本当に今までの中で1番ぐらいむにゃむにゃな回答で申し訳ありません。どうかね、なんかあんまり焦らず、いつも私、人に焦らずって言っちゃうんですけど、ゆっくりね、人生の山を登っていっていただければと思います。
ここでね、いつもでしたらお便りコーナー行くんですけど、今週はお便りいただいておりませんので。そして曲紹介コーナーもね。曲が紹介できなくなっちゃったから、ここでお別れみたいな感じにしよっかな と思いつつ。でも本当はね、今週すごいこのテーマでかけたい曲あったんですよ、私。回答はむにゃむにゃだけど、もういっそ曲で締めくくろうかなみたいな曲があって。それはカーネーションっていうバンドのリアルマンなんですよね。99年のシングルで、 ちょっともう曲紹介コーナー入ります。ミュージックプラストーク機能がなくなってるのに曲紹介だけするので、ちょっと雑談。お付き合いいただける方はよろしくお願いします。
これでも私、その、リアルタイムで聞いたわけじゃないんですよ。正直99年にこの曲聞いた覚え全然なくて。どこで出会ったかって言うと、私、中村貴子さんのミュージックスクエアスジだっていう話をこの番組の序盤では結構度々してたかと思うんですけど、2011年にこの番組、リスナーによるリナーのためのdjイベントがその時あったんですよね。
岡山でなんですけど、たかちゃんライト、その名もタカちゃんナイトっていう、たかちゃんがミュージックスケアしてた時の曲を流してもみんなで踊るみたいなさ、すんごい楽しみなイベントがあって。私、明日から春まで行ったんですよね。その時、岡山まで
だからさ、何もしてない時だから。2011年2月。それでその時に懐かしい曲がさ、たくさん流れてさ、めっちゃ楽しかったけど、この曲だけ知らなくって、正直自分の中ではもうほぼ新曲みたいな感じで聞いたんですよ。
でもその時のさ、高揚感とか、今こう何年か、1、2年田舎で何もせず過ごして、でもなんかそろそろ動き出そうかなっていう辺りの高揚感。なんかこう、パッと行くのに、こう、離陸にふさわしい曲だったんですよね。すごく もうそういうのて、でも頭で考えないで、もう、ぱって体に落ちてくるじゃないですか。これだ。っていう、
もう帰ってすぐさ、曲を買って、そのitでさ、ぴぴってすぐ買えるからさ、それがずっと自分の中でお守りみたいにしてる曲なんですよね。これ、あれだわ、今wikipediaをじっと見て気付いたけど、メンバーのナエさんがその作詞、作曲のナオエさんが40歳の時の曲ですね。なんか今ふっとさ、中年関係あるかなこれ。と思って。
そうですね、なんか20代の終わりに聞いてすごい響いたけど、なんか今も響き続けるっていうか。アルマン、リアルマンっていう自分の外側の人間がいて、
外側、今の自分と一体ではないけど、それはリアルマンは自分なんですよね。なん���、なんていうのかな、そうやって今の自分に納得するっていう話と非常に似てるかなって思うんですよ。外側にあるって言っても、なんか違うものになる。返信をするっていうのとはやっぱ別の話だと思うんです。
外にいるけど中にいるみたいなさ。なんかなんかすごい。感覚的にはすごい。言いたいんだけど言葉にできない。言語化ができない。でもこの曲を聞けばきっとみんな納得するだろうっていうぐらい、なんかすごい曲なんですよね。
うん。リアルマンがまだ一体化してないけど、自分と。でも欠乏感のない曲なんですよ。何かが今の自分から欠けているっていうとこなしに、 なんていうのかな、むしろこう、ピーンとさ、繋がってるっていうかさ、そうと感覚的な言葉しか出てこない。本当にね、充足感に溢れてんですよ。なんかまだ目覚めてない何かだけど、でも絶対いるなっていう確信。より良き自分みたいなものがね。
そういう歌なんですよ。ちょっとぜひspotifyとかで聞いてみていただければと思います。spotify初めね、いろんなとこでね、皆さん自分の耳にしやすい配信ツールで聞いてもらったら、
結構気に入る人もいるんじゃないかなと勝手に思っております。本当に人聞き惚れだったからさ。そういうことってそんなにはないですよね。そのさあ、元々すごい親しみのあるバンドで、なんか今回の曲すげえいいじゃん。みたいなのも違う話なので。本当 ね、別にカーネーションのこと知らなかったわけじゃないけど、すごい1曲をパシッと意識するてこと、それまで正直なかったのにも関わらず、これはパンって来たから、本当に名曲だと思っております。
なんかあれ作りたいな。spotifyのリスト作りたいですね。今までもさ、実は密かに欲望ラジオ紹介曲っていうタイトルで紹介した曲をね、1か所にまとめてるんですよ。それ私の実は便宜的な理由でまとめてんですけど、そこに勝手に足していこうかな。なんか50回かも。その、作っちゃおうかな。そんな風に考えております。
じゃあ今回はこの辺にしましょうか。皆さん、長い間お付き合いくださりありがとうございました。いや、なんか何もさ、自分がこれからやんなきゃいけないことはないみたいで。さっき喋っゃったかもしれないけど、このポッドキャストは割とその、楽しいもの、だんだん楽しい階段を上がっていくつもりで続いているものではあるので、今後もお付き合いいただけましたら幸いです。
じゃあ、今回も最後まで聞いてくださり本当にありがとうございました。じゃあね、だんだん暑くなってきますし、あれが出てきたかが最近出てますので、皆さん外出の際は無視よけおやれなく。
じゃあ、どうもお付き合いありがとうございました。じゃあまたお耳にかかりましょう。もしくはおやすみなさい。トシまミほでした。
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eii-m · 1 year ago
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士官学校での或る体験
50年前の夏は、職業軍���養成の陸軍士官学校に在籍していました。私はその前年(昭和19年)に試験に合格し、終戦の年の2月に入学したのです。 その士官学校も、本土決戦に備えるためだったのかどうか、8月には浅間山の麓に疎開していて、そこで終戦を迎えました。士官学校生徒の私たちは、捕虜としてカリフォルニアの炭坑に連れていかれるというような噂も一部で流れていました。 疎開前でしたが、「歴史の大きな改変」を校庭に集まった全生徒の前で予言した高級将校がいました。戦局は敗戦が必至だと解っていたのでしょうか。敗戦後、割腹自殺をしたという上級教官の話も聞きましたが、そういう人達とは違った理性的な勇気の持ち主が、この集団の中にもいたというのも、いまでは大きな教訓となっています。 短い期間であっても、士官学校でのあれこれのことは、私にとって忘れ難い体験でしたが、中でも次のことは、生涯をつらぬくような一つの教訓にもなっているような気がします。 当時の陸軍士官学校では、昔からの伝統を重んじたのでしょう、毛筆で日記を書かされていました。それは強制でもありましたが、一面では、わずかに許された自由な表現の時間でもありました。それまでの中学時代に夏目漱石全集などを読み漁っていた私などには特にそう感じられていました。 しかし、ある日、思っていたことを率直に書きとめたことから、思わぬ波紋が起こりました。 “将校生徒といえども一人の軍人だし、軍人もまた日本人の一員である。” 書いたのはこれだけのことですが、感じていたのは、この士官学校で将校生徒々々と強調されおだてられることへの自制だったのでしょうか。願っていたのは、この集団以外の兵隊たち国民たちを蔑視するな、ということだったと思います。そういう愛国少年の一人だったのでしょう。 ところが、それがどうして「彼ら」に知られることになったのでしょうか、この日記を盾にとられて「貴様は自由主義者だ」と、教官からではなく同僚の同級生から決めつけられ、ある日「彼ら」の集団から呼び出され、とり囲まれて袋叩きにあったのです。 自由主義者というのは、当時の日本では反社会的思想の持ち主として最悪の決めつけ語であり、非国民と同義語に使われたものです。 「彼ら」というのは「幼年学校」出身者のことですが、この「幼年学校」というのは他国にはあまりない、日本帝国陸軍独特のもので、「彼ら」はそこで13~14才の少年時代から特別の職業軍人幹部養成教育を受けていたのです。ここから士官学校へはもちろん無試験で、はじめは将校の子弟を育てるためのものであったのかも知れませんが、この学校の出身者でないと、士官学校から陸軍大学を出ていても、中将どまりで大将にはなれないというのが、帝国陸軍の不文律であるといわれていましたから、彼らはそこで徹底したエリート意識を植え付けられていたのではないでしょうか。 「彼ら」は、私たち中学校出身者よりも数ヵ月遅れて士官学校に入ってきましたから、はじめは私たちの方からいろんな規則を教えてあげていたのですが、何の何の、しばらくすると「彼ら」は自らを帝国陸軍の「貞幹」(幹部)中の貞幹だといい、われわれ中学校出身者を『馬』と称して軽蔑しているのが分かってきました。「彼ら」は教官についても差別をしていて、よく隊をこえて幼年学校出身者の教官のところに結集しているのを知り「彼ら」の派閥意識に味気無い思いをしたものです。 今でも忘れません。中学校出身者が万葉集を読んでいたといって「軟弱者」と批判し、廊下に張り出された新聞の変なところを見ていたと難癖をつけて非難するという、そういうことを繰り返していました。 しかし「彼ら」が最大の集団的暴力を発揮したのは「兵科選び」の時でした。 当時、負け戦を続けていた日本軍の航空隊は飛べる飛行機もなかったのでしょう。殆どが爆弾を抱えて敵地敵艦に突っこみ、生きて帰ることは絶対にない、日本独特の無謀な戦術「特別攻撃隊」の要員だったのですが、「兵科選択」に際して、その「航空隊」を選ばなかった者に、「命惜しみ」として集団リンチをかけたのが彼ら幼年学校出身者の一部集団だったのです。 しかも彼らは、規則を破って深夜同級生に呼び出しをかけ、「命惜しみ」として集団暴力を加えながら、そのくせ陰では「俺は航空参謀だ」などといい、後方で指揮をとる「命惜しみ」をしようとしているのですから、偶然それを聞いた私は、彼らの本音を知り「許せない」と思いました。 本音と建て前の違い、非科学的なものの見方を平然とまかり通していたエリート軍人の卵たちの認識方法、それは当時の日本の指導者達の思考方法と共通性がなかったでしょうか。彼らにとって国家とは、天皇とそれをとりまく指導者集団、そして国民は彼らに奉仕する『馬』や『道具』と見ていたのではないでしょうか。 私の場合は、兵科選びでは彼らに強制された「航空隊」は拒否して「工兵隊」を選びましたが、それはやはり生きて帰ることが許されない「特別攻撃隊」に繋がっていましたので、その点ではリンチを受けなかったのです。けれども、さきにも言ったように日記の件で呼び出され、「自由主義者」だとして白昼軍服が血だらけになるぐらい集団で殴られたのでした。それもはじめに呼び出すときは、ただの一人で、「話がある」と呼びに来たのですから卑怯なやり方なのです。 派閥的な集団主義は、しばしばこうした卑怯なやり口をもたらすのだということを身をもって知ったわけです。 野間宏の小説『真空地帯』では、将校間の反目の犠牲になった主人公(木谷一等兵)をかばうインテリの下士官がいましたが、私の場合は、軍服が血で汚れているのを認知していても教官はそのことには一言もふれませんでした。その教官は幼年学校出身ではなく、知的な人で、私も尊敬した人でしたが、そういう人でさえそうだったのです。いや、暴力をふるった「彼ら」でも、いま会えばどうということはない「普通の人」なのですが、皇国日本のエリート集団の卵たちの意識は、人を人とも思わないようにしてしまっていたのでした。 私はその頃、早くこうした汚い雰囲気から脱出して、死んでもよい、第一線に行って自由になりたいと思ったものでした。 自由を欲する気持ちというのは、いかなる場合も消すことのできない人間の本性だと今は思うのですが、勇敢な日本軍人の献身的な戦闘性というもののなかには、愛国心や周りの人々への愛情とともに、或いはそれとは別に、こうした半ば絶望的な自由への願望があったかも知れません。 苛酷な戦いを生き抜いてきた人たちが、戦争を語りたくないというのも、凄惨な極限状況とともに、こうした説明のできない非合理主義の横行が背景にあったことが影響してはいないでしょうか。 このようなせまい集団の派閥主義、官僚主義は、近代化の遅れた社会につきもののようで、今の日本でも払拭されていないように思えますが、軍隊という戦闘組織の中での派閥主義は暴力装置をもっているだけにいっそう恐ろしいのです。無謀な15年戦争を引き起こし、広大な戦線の中で非合理非科学的な戦略戦術で莫大な犠牲をもたらした、少なからぬ要因にもなったでしょう。 夏目漱石が明治の末期に“日本は滅びるよ”と喝破したのは、こうした日本の指導者層の非合理主義的体質が続くのを見抜いていたからかも知れません。 いずれにしても私にとっては、短い間の端的な体験が終生の教訓になったことは確かです。せまい派閥主義をどんな場合も嫌うようになりました。自らの体験や頭あるいは討論などで確かめないで、外から教え込まれたものを教条的に受けつけないようになりました。 戦後50年経って「経済大国」になった日本はもう「戦後」ではないという論もありますが、本当は、以前と同じではないにしても、似たような大きな矛盾を残したまま、日本の歴史は進行してきたように思えてなりません。 戦前のように、暴力主義の横行というのは露骨には見られませんが、矛盾を合理的���解決する努力の弱さや「派閥主義」は、残念ながらまだまだ続いているように思えます。矛盾を発見して、その解決方法を討論しながら推進していく民主主義の原点がまだ社会的に定着していないからでしょうか。 私の中学校時代の友人で、普通より早く4年生から当時の高等学校に入った秀才で、学徒兵として軍隊経験をもったM君が、終戦の年によこした手紙の中で言っていた言葉を思い出します。“天皇制が変わらない限り、日本はたいして代わらないのではないか”と。 「象徴天皇制」にはなったけれども、「お上依存」は克服されたのでしょうか。国民主権は確立されているのでしょうか。 日本の社会の、こうした困難な近代化の歩みの中で、『学習』は本当に大事なものに思えます。近ごろのように幼い時期からの受験本意の勉強は真の知性を損なわせ、またどんな分野でも余り早い時期から専門的分野に入りこむことは、視野を狭くさせ、大衆の存在を忘れさせ、民主主義��人間の自由な発展を遅れさせるような気もします。 “知を力として”この言葉の重みを、近ごろつくづく噛みしめています。そして戦後50年を経た今こそ、戦争の教訓から得た人類の貴重な歴史的遺産、「平和と民主の日本国憲法」をどうしても守り発展させ、子や孫たちに伝えないとと切実に願っています。
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