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非現実思考記録
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drooog · 4 months ago
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抽象的な食事(メモ帳)
2025/05/02
ネーム修正一旦終わった。眠いので仕事から帰ったらまた少し直す。
途中までは今までで1番好きな話が描けたが、やはりオチが雑魚すぎる。このまま提出するよりは、とりあえず思いついたシーンいれるか…(ここをメモ帳にするな)。ここ数年は脳細胞を大量虐殺週間のため、インプットも足りずスカスカなものしか作れない。本を光速で読みまくれる人間になりたい。1984をちょっとずつ読んでる。今、読みかけの小説3個あること思い出した。電子書籍って閉じたらその後読んでたということを忘れてしまう。
現状はとりあえず、ヘタでもゆっくりでもひとつひとつ最後まで終わらせまくることが目標。
あと、一人でネームやりすぎるとムダに思考の多重構造みたいになって、読み切りだから全然いらないのに裏の裏の裏設定とかまで考えてしまい出口がわからなくなるので客観視するためにこまめに人に相談したいと思っている。が、人と話した瞬間記憶が全部飛ぶので聞きたいこと出た瞬間に書き出しておいたほうがいい。今日のタイトル、メモ帳ってつけたほうがいい。(つけた)
作業してる間に担当殿から応募しようと言われている新人賞の概要を今更見た。
審査員の方々が青山剛昌、あだち充、高橋留美子、畑健二郎(敬称略)。
ひっくり返った。無理じゃないか?エンタメ神すぎる。担当殿はなぜ今のネームを描かせてくれているのか?勝機はあるのか?
めちゃくちゃ独りよがりで幼くて、エーミールのこととかを考えながら描いてたよ。
このネーム修正を提出した時点で、ボツにされるかもしれない。
ポップで軽めな話を1回描いてみたいし、考えといたほうがいいかも。
現実の話が描けなすぎるのでファンタスティックプラネットを見て勉強させていただきたい。見たい映画、やりたいと思ってることって常に視界の端にタスクとして表示されていてほしい。寝て起きたら忘れてしまう。
…忘れすぎじゃないか?!まだ健忘症にはなりたくない。きちんと脳を使い、脳細胞復活祭を目指そう。
自分が惹かれるものって収益が見込めないのか淘汰されてしまいがちだけど、大衆の価値観が俺になれば、自分の好きなもので世界が満たされるんだよな…。と思うともう世界征服したくてたまらない。
山頂にお子様ランチの旗を立て、成層圏に真っ赤な星ひとつ。孔球鈍器で窓辺から、海豚が暮らすスーパーボールを五月雨の向こうへ弾き出す。黒電話のダイアルを外し、チーズとピクルスを乗せ、ビスケットで挟む。分厚い本はすべて黄色く塗り、それ以外��すべて灰色に塗る。本日より、使用できる数字は6だけとする。
太古のブクマとか好きだった絵とかを見てたら人生における不安定な季節を思い出してゾワゾワした。(いい意味で)
アイデンティティクライシスと言うらしい。自分はもう通り過ぎたあの不安定で歪な季節を今も生きてる人がいると思うとへんな感じ。特に何もできないが、負けるな〜って思う。その頃の言葉や作品って不思議な力に満ちた光があるため。
アイデンティティクライシスってもう一回来るらしい。たのしみ。
雨がしゃとしゃと降っている。まだ昼なのに太陽を忘れたように暗い。深海みたいで、かなり気持ちいい。
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drooog · 5 months ago
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儉爻(けんこう)
2025/03/31
健康の漢字が儉爻だったら修行みたいでかっこいい。定期的に催される儉爻診断で注射器を満たす深紅の体液、性器から滴る黄金の水、可視外光線によって暴かれる白銀の臓器。そこには言語とはまた違う情報が秘匿され、白衣に身を包んだ研究員たちはそれらを解読することを生業にしている。人々は老いると、儉爻に帰依するという言い伝えがある。施設は老人で溢れかえっていた。
生物は陰と陽を操り、身体を絶えず好転させなくては生命活動を維持できない。儉爻であることとは、それがうまく行えている状態を指す。
儉:つつましい、質素/ひかえめにする/余剰を殺ぎ引き締める
爻:易(えき)の卦(け)を構成する基本記号/長い横棒と真ん中が途切れた2つの短い横棒の2種類がある。経では前者を剛、後者を柔と呼ぶが、伝では陽、陰とする。
「だから、焼きたてパンの自販機だけはこの先未来永劫つくられるわけないって!」と、脳内で誰かが語りかけてくる。
非・儉爻の人間は陰に蝕まれ、感受性も腐り落ちていく。
すみません。眠たくて、君が語った陽だまりの言葉も、床にころころと散らばってしまった。儉爻が私たちを奴隷にしようとしてくる。儉爻に見放されてしまえば、バラバラの元素記号になる。
最近ジオゲッサーをやったら人のいない森の奥に「DEAD END」とだけ書かれた看板があって、怖!と思って調べたら「行き止まり」という意味らしい。
作業中に、意味がなさすぎず、ありすぎない音を欲していて、前から作画がいいなと思っていた無職転生を流していたら、「デッドエンド」と呼ばれてる人が出てきて、それは明らかに「出会ったら死ぬ」みたいな意味合いで使われていた。
死んで終わるという意味にせよ、行き止まりではあるか…と思ったものの。どこか詩的に思えてしまう。日本語の行き止まりの印象と英語の行き止まりは印象が少しズレている感じがする。
それはまあいいとして、無職転生では独自の言語が発音まで設定されていて、「魔人語」や「人間語」などで話す言葉が異なり、字幕が付いている凝りようなのだが(人の名前や固有名詞はどの言語でも発音が同じ)、「デッドエンド」は英語なのか、外来語の暗喩なのか、謎だった。地球の言語はまた別で、地球語(日本語)が異世界では通じない描写があるので、英語ではないだろうと思われるが、わざわざ異界語で「デッドエンド」と発音し字幕まで「デッドエンド」と書かれるならそれは異界語ではなく英語なんだよな。それか、たまたまあの世界にも「死・終わり」の発音が英語と似た言語の地域がどこかにあるのかもしれない。
小説の推敲で「この世界にこの単語や概念はあるのか」といった添削をされているのを見たことがある。ファンタジーの異世界でも長さはメートル法なのか?みたいな。現実世界が舞台でも、西洋の話で西洋人が話してるのに「目からウロコ」という日本のことわざをつかうのか?とか。
たしかに言語は文明レベルや土地柄や民族思想を強く反映するから、どこまでがあり得るかってすごく難しい。実際にファンタジーの世界にある単語や概念を描写しようとすると造語だらけになってパルスのファルシのルシがパージでコクーンしたりしてしまう。
昔の小説とかも全部昔の言葉遣いで書かれたら何言ってるかわからないと思う。もしその時代に「タイヤ」がなくても、「頭がパンクする」と言ったほうが現代人に向けて当時の状況を表現するには親切な場合もあるかもしれない。でも夏目漱石とか読んでるとアホほど注釈があって最後の数ページが辞書みたいになってたし、推敲の世界ではなにかハッキリと決まりごとがあるのかもしれない。
デッドエンドはそのラインのキワにあるなと思う。
(↑半分寝ながら書いたから意味不明)
眠いと思考を全部書いてしまう。寝不足のせいか、寒いからか、お腹が痛い。もう寝ましょう。おわり
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drooog · 5 months ago
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生と死の最小単位/存在しない素描
2025/03/26
死ぬのが怖くて、絶対に死にたくないと思ってたけどよく考えると俺って元々は両親の細胞のひとつだった。
そう考えると、意識もないミクロの細胞から分裂しまくって人間の形になって、色んな要因に守護られて、今こんなでかくなって、意識を持って色々考えたりしてること自体がすごすぎて変な気分になってきた。
奇跡とか、夢の話みたいだ。
たいしたことしてないのに無駄に高性能なシステムが組み込まれている。高性能PCでクソゲーやってるみたいな贅沢をしてる気持ちになってきた。
そもそも地球の誕生自体がありえないほどの奇跡とはよく聞くけど…。
そうか、細胞だったのか、俺…。
細胞もやがて人になる。細胞もべつに、人間が解析できる限界の生物を構成する最小単位でしかないから、本当はもっともっと小さい何かだったかもしれない。だからもし死んでも、無くなるっていうよりは、ただバラバラになって、また何かになるだけじゃないか。
な〜んだ。
いや、でもやっぱり死にたくないな…。
空いた電車で椅子に座って目を瞑ると、車体に満ちるほどでかいバランスボールみたいな柔らかい球体に押しつぶされてる感じがする。
それは少し懐かしくて、幼少期に体験した何かの記憶、恐らくエアドーム遊具で経験した感覚だと推測している。(なぜ電車に乗るとエアドーム遊具の感覚がするのかは謎。)
他の人も特定の場所で起こる謎の感覚があったりするんだろうか。話を聞いてみたい。
記憶の奥底で、電車と懐かしさに結びつきがある気がする。
田舎に住んでた子供の頃は基本親の車かチャリでしか移動しないので、電車に乗ったことがなかった。
その時期に骨折したことがある。転んだ衝撃で右肘の骨が欠け、立ち上がったものの、恐らく骨折した部分に一気に血���が集中して気を失った。そのときに電車に乗っている夢を見た。その夢はセピア色で、電車には乗ったことがなかったのに、なぜかすごく懐かしかったのを覚えている。
なぜ、電車でノスタルジーが想起されるのか。
それは両親の、電車の記憶を持ったシナプスが巡り巡って俺になったからかもしれない。
電車の記憶の生まれ変わり…。
いや、細胞だからって別にシナプスになったり生殖細胞になったりはしないか。細胞の仕組みがよく分からない。分裂するはず。
細胞が入れ替わるって、どうやって?!死んだ細胞はどこへ行き、どこから新しい細胞が来るの?ていうか細胞って、なに?!
ともかく、自分個人の記憶というよりは、遺伝子などに元から電車の情報が刻まれてる気がする。そしてそれが、本能的な懐かしさを思い起こさせるような…。
なんだこの話…。
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drooog · 5 months ago
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回転する缶詰の中(窒息する鯖の切り身)
2025/03/18
心を殺して苦手な仕事をしていると魂が散り散りになって、小さな人間が沢山集まって辛うじておれになっている。
だから、若干他人でもある。
昔、夢から醒めたときに夢を見る前の記憶がなくなっていたら、世界を定義するものは夢の中の記憶だけになって、現実世界の方が夢みたいになるんじゃないかと思った。
個人が認識できる世界は記憶の集積でしかなくて、記憶がなくなったら誰が誰なのかも、何が何なのかもわからず、世界は全く別の姿に見えるに違いない。生まれたばかりの赤ん坊と同じように、すべてが新鮮でただ色鮮やかに光り輝いて、蠢いているんだろうな。
手のひらを指す言葉もわからなくて、前後左右も存在しなくて、自分とその他の境界もなくて、でももう身体は大人だから、そばには守ってくれる親もいなくて、普通に車にひかれて死んでしまうかもしれない。
社会、理性、学問、その他生物の営みのすべては情報の方舟で、細胞はそれを保有して未来へ運ぶための装置に他ならない。
その先に何があるのか、ずっと気になっている。ほんの些細な出来事で一喜一憂することが、壮大な宇宙の歴史にどんな影響をもたらすのか。
あるいは、まるで初めから何もなかったかのようにただ消えていくのか。
跡形もなく消えたって良いんだろうけど、少しでも宇宙の外側まで干渉できていたらいいのになと思う。傲慢だから。
ニュートリノに貫かれたみんなの夢が、未知なる波長を生んで、人間には聞こえない歌が宇宙に鳴り響いていたらいい。
なんとなく日記を書こうとすると、生活に何もなさすぎて空想ばかり書いてしまう。
仕事があると1日の大半に守秘義務が発生するため、ゴミを出し、コンビニでカリカリ梅を買ったことくらいしか書くことがない。
そういえば仕事の帰り道に雨が降っていた。途中で霰になったり、雪になったりしていた。帽子を深く被り、寒くて身を縮めながら帰っていると前が見えていなくて、歩道の端にある低木に躓いて全身を突っ込んだ。身体が小枝に貫かれ、膝がコンクリートの角に当たって痛かった。
近所のコンビニの店員さんは声がすごく優しくて、すごいと思った。あまりにも優しくて丁寧なので、こちらも優しく紳士的な対応しなくてはと思わされる。自分は感情を声に込めることが苦手すぎて、コンビニバイトをしてた頃ありがとうの練習をさせられたことがある。
あとありがたいことにskebの依頼が来た。金欠なので依頼だけでもうれしいけどうれしい文章が書いてて、うれしかった。
東京に来てから日銭を稼ぐことばかりに必死で何がしたいのかよくわかんない生活になっている。漫画を描いてはいるけど、ちゃんとした収入があったころのほうがのびのび描けていた。今は焦って、とりあえず描いている感じなので良くない。日銭を稼ぐことにリソースが取られて、気持ちと裏腹に作業があまり進んでないのも良くない。ていうか東京って家賃高すぎ。
自分の作品傾向的に投稿して一発逆転の奇跡を願うより、漫画投稿サイトとか、Kindleとかでちまちまセルフプロデュースをしていったほうがいいのかもしれない。
沢山の編集部に持ち込みとかもしたほうがいいのかもしれない。
もっと沢山描いてもっといい作品が描けるようになりたいし、もっと沢山目に触れるようにしたいなと思う。
圧倒的に手数が足りていない。
漫画以外にやりたい職が思いつかず、漫画で食っていけるようになるまで何しようって感じ。前にやってた分析の仕事は楽しかったしSF描くのにすごい勉強になったけど、もっと色々なものをもりもり作りたい気持ちもずっとあり、なんか良い感じの世界がないか探してる。今までずっとその場しのぎで生きてきたから何も培われてなくてワロタ。プログラミングとかモデリングとか物理工学とかとことん勉強したいけどどれから手を付けたらいいかわからない。
一度に色々解決しようとしすぎかも。今月は漫画のこと考えるのやめて生活のことだけ考えよう���な。
今年が終わる頃には、完璧な環境を整えて、漫画で何かひとつでも実績をあげたい。
もっともっと楽しくて最高の状態になりたい。なれるので、する。
この世の全ての賞とコンペに応募しようかな。いや、その場しのぎはダメだって!
別によくないか?もうすでになんの芯も通っていない空洞なのだから…。 
ああ、小さい人間たちがまた喚いている…(ポケ〜)
「今日が一番若い日」という言葉にずっと違和感があったが、これは未来が存在しないと成り立たないので時間の概念が必須にも関わらず過去が抹消されているというパラドクスが含まれるからかもしれない。
世界五分前仮説的な捉え方をすれば腑に落ちる気がするが、過去はもう存在しないと断定する胆力はおれにはない。生まれた瞬間が一番若いに決まってるだろ。と思ってしまうよね。
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drooog · 8 months ago
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サンタいます
2024/12/17
サンタを何歳まで信じていたか?という会話を何度聞いても正しく理解できない。
今も信じているから。というか、いるとしか思えない。
「信じる」という言葉は、神や幽霊にも用いられる。サンタははじめからそういった概念的な存在だと認識していた。幼稚園に来たサンタは園長のコスプレだったし、家に来るプレゼントは両親が用意したものだとわかっていた。だってそもそも、煙突なんて無いし、空飛ぶトナカイも見たことがないから。
ただ、サンタという存在がこの世に干渉して、彼らを『サンタの手先』にしていることは明白だった。
教科書にも恐らく元締めと思しきサンタの写真が載っていた。
このような考えに至ったのは、母親に「今、父親がお前たちに渡すプレゼントをサンタからもらいに行っている」と言われ、「分業制なんだ…」と思ったことが大きい。
(もしも、「サンタが空飛ぶトナカイが引くソリに乗ってプレゼントを運んでくる」という状況を本気で信じている子供がいるとするなら、自分はサンタよりもそっちの存在のほうが信じ難い。本当にいるんですか?!)
サンタが存在しないのなら、何故この世にプレゼントが届く人間が存在するのか?
プレゼントが届く人間がいることは、サンタがいることの証明に他ならない。俺たちは生まれたときからすでに、サンタという大いなる存在を成す部品の一部として教育されているのだ。
明日、サンタになるのはきみかもしれない。
Q.E.D.
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drooog · 9 months ago
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68の記録
2024/11/27
スケブを描きまくり、ギリギリ今月のクレカの支払いが出来た。
いつまでも絵がヘタクソで、コンスタントにいい絵を出す人って本当にすごいなと思った。それが難しい人間であると元から分かっているけど、なんか、もうちょっとで分かりそうな気がする。そもそも描きたい絵が描けてないので、単純に修練不足である。
とりあえず、焦って終わらせようとするとどんどんめちゃくちゃになってだめだ、ということを思い知った。計画や、構想の段階でもう少し考えたほうがいいなと思った。いつも言っているか?すぐ忘れてしまうから、いつだって言わせてくれ。
引き落とし後の残高を見たら、68円だった。思わず笑ってしまう。長い時間生きてきたのに、今この瞬間、手元に命と68円しか無い。対価とは、何に対して支払われるのか。すべて一重に、命かもしれない。日々、誰かの命に投資して、明日の自分の命を買っている。
このままだと命がなくなるので今日は日雇いのバイトに来ている。ここはパソコン工場なのだが、雨が降ってたのでうっかり駅からバスに乗ってしまい、工場についた瞬間バス代で小銭とICを使い切った。仕事は21時から6時で、休憩中に工場の自販機でメシを買おうと思っていたが、終わった。腹が減った。
作業している工場内では、ゲーミングPCよろしく変色する光を放ち、FFのBGMみたいな音楽を流しながら、頭にちっちゃいクレーンをつけた機械が忙しなく徘徊し続けていた。ルンバのようにひとりでに彷徨うその姿から、最初はお掃除ロボかと思って眺めていたが、頭のちっちゃいクレーンを台車などにくっつけようとしている姿を目撃した。運ぶのか、おまえ、ひとりで?
歌い狂い、徘徊し続ける。でもいつまで眺めていても、何をしてるのかわからない。社員たちは遠巻きにそれを見守り、そのロボが運ぼうとしたと思われる台車を運んでいく。そのロボが運ぶんじゃ、ないのか?
あれは…なんですか?
質問したくてたまらなかったが、おれはおれでとめどなく左から右に流れ続ける段ボールに保証書を入れ封し続けなくてはならなかった。呪われしシングルタスク人間は、手を動かしながらお話をすることができなかった。
ていうか朝から晩まで死ぬほどパソコンが作られているが、パソコンってこの地球上にこんなに使う人がいるのか。日本だけでも1億人くらいいるから、数字だけ見るとまあそうかと言う感覚だが目の前にあるとこんなに作って余らないんだ…ってびっくりする。
自分は10年くらい前にもらった自作PCのパーツだけ変えて使っているのでこの量のパソコンが毎日売れていくというのが不思議な感覚だ。レーンの数こそ違うが、弁当工場の弁当と同じくらい流れてくる。どうなってる?
この工場は、少し奇妙だ。時計が見当たらないのに休憩時間が近づくと、1人、また1人と作業をやめて棒立ちし始める。誰も何も語らない。感染するように棒立ち人間が増えてゆき、工場内に響いていた機械音も、少しづつ止んでいく。そして、やがて全員が棒立ち状態になり、すべての機械が動きを止めたあと、…ふと一斉にいなくなる。
そのパソコン工場でのバイトは今日で2回目。1回目は「休憩です」といったアナウンスもなく突然棒立ち人間が感染し始めてかなり恐ろしかった。休憩時間なのか、作業が一旦終わり次の段階に移行する準備時間なのかの判断が難しかった。どんなに探しても時計が見つからないからだ。「休憩ですか?」と近くの人に聞いてやっと、休憩時間の訪れを確信できた。2回目の今日は棒立ち感染時点でキョロキョロしていたら親切なおじさんが「〇〇分から休憩だから」と教えてくれた。沈黙し、休憩時間の訪れを感知したらただ立ち尽くして待つ。それがこの工場内に浸透した沈黙の掟だった。
1:47
朝の6時までここから出られない。出たとしても休憩時間で行ける場所にコンビニなどもない。水も買えないのはキツすぎるのでスマホのアプリを探すとペイペイに600円入ってて、水は買えた。
しかしメシの自販機は漏れなくペイペイ非対応で、コーンポタージュと炭酸水で朝までやり過ごすこととなった。
クレカ払えるかのチキンレース、過ぎてみればおもしろかったな。先月はネームできなすぎて仕事を休みまくったせいなので、来月からは大丈夫。ちゃんと貯金しようと思った。
8:27
おい、帰りの電車賃がない。現金とICを使い切ったのだった。クレカやペイペイだと切符も買えないしチャージもできないらしい。
とりあえず8時間ずっと立ち仕事だったため座りたくて、駅前のマックに入りクレカでアイスコーヒーだけ注文し、現金がない状態で電車に乗る方法を調べる。唯一方法があるとすればモバイルスイカやモバイルパスモらしいが、おれのスマホはおさいふケータイとやらが非対応。海外メーカーの軍用規格タフネススマホがここで仇になるとはね。NFCってなんだよ。
今日はもう帰れないかもと思いながらさっきのパソコン工場の給料前払いシステムを開いたらもう反映されていた。以前利用したときは申し込みから振り込みまで2時間くらいかかっていたが、今回はすぐに振り込まれた。帰れるぞ!やった〜。
こういった、もう無理かも状態は大体なんとかなるのだが、クリア後の謎の達成感があり、少し中毒性がある。締め切り日の23:50に同人誌の原稿を終わらせた時の気持ちに似ている。海外ヒッチハイクチャレンジとかバイクで日本一周とかする人もそんな気持ちだと思う。
自分は一応働いて税金を納め、社会に守られていて、最悪なことが起こっても家族などに頼れる状態ではあるので、少しダサい。本当にスリルを楽しみたいわけではなく、道楽としてのスリルだ。命を賭けたギャンブルや、海外ヒッチハイクとか、カイジの鉄骨渡りとかは、無理かもと思う。
何も捨てることのない年寄りになってからじゃないと命を賭けたギャンブルとかできない気がする。年寄りになったらやろうかな。
いや、歳を取ったほうが責任とか守りたいものとかが増えてるかもしれない。
やるなら、"今"か…。
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drooog · 9 months ago
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墜ち、ふいに煌めく
2024/10/27
凪いでいる。激しい嵐をずっと待ち望んでいる。同時に恐れている。突き刺すような希望の光に喜びを見出す。ゴミ溜めの矜持に心を打ちつける。
誰でもない感覚になる。空っぽの殻に、たくさんのコードが繋げられていて、ぱちぱちと電気信号が流れている。プログラムされた行動原理に従う。愛を探している。
電波に支配された海の底で、ふと同じ形の殻を見つける。どこにもない世界が、ぼくたちを誘う。どこにもないということ、なにもないということが、ぼくたちにとっての全てになる。
呆れた顔をして、あの子は笑う。あの子はこの世の全てを持っている。知っている。流れ込む熱が、ぼくの空洞の輪郭を撫で、暴く。
虚無を暴かれてなお、光っている。
ただ、暴れまわる風雨にさらされて、立っている意味を教えられる。見えているものがあるということが、隠された何かの存在を仄めかす。すべてが偽りだとしても、そのなかに本当があるのだと言う。
欠けたコップに、ぼくたちの記憶が埋め込まれている。
だんだんと闇に溶けて、宇宙に散らばる塵のひとつになる。
ゴミというのは、彼らが生きた証だった。見えないものは、ぼくたちの心臓だった。
それだけでいいんだと言う。それだけを信じたいと願う。
やがて頭上に広がる大気は地表に堕ちる。ぺしゃんこになったぼくたちは夢を見る。
意味があると錯覚する。馬鹿馬鹿しい意味の戦争の最中、無いはずのものだけが、世界を救う光になる。
耳鳴りがするとき、終わりの時間が降り注ぐ。何もかも塗り潰すには、絵の具が足りない。束ねられた紙切れは、無意味を手にするための切符だろう。慰めを必要とするから。
歌を歌うべきなんだ。安寧・秩序・法則は、気休めにすぎない。確かなものは、ずっとここにある。
ただ立っている。夢を見ながら。空っぽの殻の中で。
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drooog · 10 months ago
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無限ソフトクリームの城
2024/11/02
ネームがうまくいかないまま1ヶ月たち、俺はもうダメだ…の気持ちでネカフェに行き、ネーム終わるまで帰らんぞ!!ということをやったら1日で終わった。
18時間くらいかかり、寝れずにそのまま仕事に行くハメになってしまったが、嬉しすぎる。
時間感覚が狂って1時間早く会社に来てしまったが、嬉しすぎる。
1ヶ月ウダウダしていたものが、環境を変えれば1日で、しかも40ページ前後にまとめることができるのか!ということがわかり、もう少し早くネカフェに行くことにしていれば…と思ったが、大きな前進なので喜びのみを甘受させていただく。(今まではどう頑張っても100ページ付近になってしまっていた)
作画が大好きなのに、ネームがヘタクソすぎて作画に全然入れない期間が半年くらいあったのですごい開放感だ。
どうしてこんなに嬉しいのかって考えたら、ずっとできなかったことができるようになったの、はじめてな気がする。ずっとできないことって、ずっとできなかったから…。
ネームを捏ねてた半年で自分なりのノウハウみたいなものも整理できつつあるので、とりあえず今月は完成したネームの作画をやるけど、来月またネカフェで短めのネームをやろうと考えるとワクワクしてきた。
ネーム終わらない期間がつらすぎるので、早くコンスタントにできるようになりたい。
成長速度がミジンコだが、来年には毎月くらいのペースで漫画が出せるようになりたい。描きたいもの、描けるようになりたいものがたくさんある!
嬉しい。だが今、会社にいる。早く帰って作画したい。会社爆発しないかな。
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drooog · 10 months ago
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影と光の群衆
2024/10/19
ジャケ買いしたまま放置してたReturn of the Obra Dinnをやった。
こういうゲームを一度もやったことがなくて、はじめて起動したとき、意味がわからなすぎて急激に眠くなって閉じた。
それから1年ぶりに起動するとなぜか不思議なくらい理解できてきて、一気にクリアまでやってしまった。
と言っても、最初は全員同じ顔に見えるし、なんか60人もいるし、台詞も死ぬほど少ないし、誰も全然名前を呼ばないし。全員の顔と名前と死因を特定するなんて絶対ムリだろ…と軽やかに絶望していた。
しかしだんだんと、彼ら1人1人の想いや思索が混ざり合い、嵐のように吹き荒ぶ強烈な一夜に、どろりと呑み込まれてしまった。
すべての演出が必要最低限で構成されており、鋭利なシナリオの輪郭を堅くそびえ立たせていた。
なんて美しいゲームなのか!なんて美しいゲームなのか…。
2色だけのグラフィック、ほぼ静寂と変わりないBGM、たった1冊の手帳。自分にできるのは船を歩きながら懐中電灯を開くことと、扉を開けることだけ。
たった一言だけで鮮烈な印象を残す人物もいれば、一言も喋らず凄まじい光景で死んでいた人物もいる。
語るほどにその愚かさを露呈する人物、笑ってしまうほどゴキゲンな台詞で死んでいった人物。
果てまで続く漆黒の海で、まばゆい光��権威を振るう多種多様な怪物たち。
世界の秘密の断片。
静止した景色で構成されていたはずの過去への旅が、クリアしたあとだと魔法をかけられたみたいに、色鮮やかに彼らの生きていた姿として思い起こされる。
すごい体験をした。
元々自分は推理や情報を整理することがとても苦手なのに、だんだんわかってくるようになるのが不思議で、めちゃくちゃ面白かった。
最初は全員誰やねんとしか思えなかった1枚の絵が、情報の集合体として機能してくる感覚。
学者が絵画などから年代や作者を特定しているのを見て、スゲ〜…といつもアホ面で思っていたようなことが、自分にもできている!という感動があった。
こんなことがあっていいのか?!このゲームを作った人は、ハーバード大学卒に違いない。
自分の話になるが、漫画を描いても描いても「よくわからない」という指摘を受けるため、俺には才能がない!と完全に受け入れ、最近では初心者向けの漫画講座とかで読んでる人に伝わるための方法論などを学んでいる。
学べば学ぶほど、考えるべきこと、意識すべきことが多すぎて泣いちゃいそうになる。
読者、消費者を世界に誘うことができる力。
その能力の強さをこのゲームに見た。
買ったまま放置しているゲーム、本、映画、CDなどを一つずつ消化していきたい。
Return of the Obra Dinnはその1つ目だ。
ずっと今日を生きるのに必死で、俺は空っぽになってしまったよ。
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▲でかすぎてズッキーニかと思ったキュウリ
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drooog · 1 year ago
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言葉という容器
2024/08/12
今月、毎週日曜日に鬼頭先生の漫画教室に参加している。
正直未だに実感がない、「全部お前の妄想だ」と言われたら、「やっぱりそうか…」と思ってしまう。
高校の頃、ニコニコ動画でアンインストールに出会い、その歌詞に衝撃を受け、原作を読み。
学生の頃にバイトを始め、過去作や短編集、新作を買い漁り。
社会人になってから殻都市の夢のサイン会に行き。
青春を共にし、人間観にまで影響を与えられた漫画をずっと描きつづけてきた人に、隣の席で自分の漫画を読んでいただき、お話までしてもらったりした。
この実感のなさは、インターネットのせいかもしれない。インターネットが普及してから、インターネット…SNSにいるすべての人間との距離感が壊れてしまった。全然人と話さないのに、会ったこともない人の考えてることや日常を常に把握できてしまう。
そのせいで、今置かれている状況がインターネットの延長上みたいになっている感覚が拭えない。
会っているのに、ROMってるみたいな感覚が半分ある。よくないかも!
…まあそんなことはいいや。
自分の他に、参加者の方が5人いる。漫画を描いてる人と話すのが楽しすぎてすごい。
真面目な話をしてても楽しさが勝って思わず笑ってしまうし、よくわからないことばかり言ってしまう。(失礼だったかもしれない…)
参加者の方が、合理主義と、感覚主義の半々という感じなのもおもしろい。既にデビューしてる方々はエンタメ、客商売と割り切っていて、サービス精神と読ませるための技��に特化している。これからデビューを目指す方々は自分の感性をとても大事にしていて、それを商業という場に出すために試行錯誤している、といった印象だった。
自分もかなり後者なので、合理主義の方々のお話を聞けるのがすごく勉強になった。とはいえ、感覚主義の方々のお話にたいする「わかる!!」感や、「わかってくれている…」感もすごく参考になったし、やはり自分にとっては大事なことだなと再認識できた。
そして鬼頭先生はどちらも貫いて長い間ずっと作家業をされてるので、アドバイスの精度がすごかった。本当に…。
この教室のバランスが、すごく良いなと思った。みんな目指すもの・理想の漫画像がまったく完全に違ってて、それがすごく面白い。まさしく鬼頭先生の漫画が好きで集まった人たちという感じだった。
忌憚なく色んな意見が交わせる場所でよかった。
このような機会に恵まれたこと、このような場所を設けていただいたことに感謝してもしきれない。これまではほぼ家に引きこもって、家から出るときはお客様から罵詈雑言を浴びる仕事で、人類なんか早く滅びてしまえと願いながら浅い眠りにつく毎日だった…。
やる気がモリモリ出たし、もっと漫画うまくなりたいと強く感じた。
あと2回なのが寂しいけど、悔いのないように学びつくしたい。
1回目の雑談で、「言葉にすると壊れるものがある」と言う感覚を持っている人に会えたのも嬉しかった。
自分は会話を有耶無耶にすることでやってきたので会話筋がヨボヨボすぎてその場では何も言えなかったが。
「壊れるものがある」と表明できること、そのために外向けの情報を用意していることは賢いなと思った。ダブルシールドが築かれている。
鬼頭先生から教わったこともそれに近かったな。
漫画、作品って結局はコミュニケーションなので、何を言葉にして何を隠すのか、というのを普段のコミュニケーションでも意識するべきなのかもしれない。
全部有耶無耶にしてたら、何も伝わらない。それが漫画にも表れてる気がした。
人類!!やるぞ〜。
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drooog · 1 year ago
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水滴、海、クラゲ、惑星
2023/09/04
9月2日、3日に従兄弟の結婚式に出席する関係で親戚や身内での催しがあった。
その結婚する従兄弟や親戚とはもう、十年くらい会っていなくて、体感ではもはや他人と変わりない。親戚のなかには初めて見かける人もいた。
インターネットで一方的に知っている絵を描く人、音楽をつくる人、言葉を紡ぐ人、生きている人、ゲームをする人、その他諸々…の存在よりも、はるか遠くにいる感じさえする。
彼らは彼らの世界観の範疇で生きていて、その外側にいる自分らとはけして交わらないという感覚がずっとある。そしてそれは、逆もしかり。
明るくてまっすぐで、大した関わりのないおれみたいな親戚を式へ呼ぶことも厭わず、エリートの道を歩み、海外へ留学したり、一流企業に就職したり、ステージで踊りはじめたり、多くの人々と喜びを分かち合い、分け与え、祝われる気概に満ちた人。
いつも奇妙だ。関係って。
自分は今無職で、普段は寝間着のような衣類しか身に付けないため、正装で赴く場所への拒絶反応で前日は寝込んだし、当日は左目にものもらいができた。
でも普段なら絶対に行かないような場所だったし、ささやかな祝福の気持ちも、楽しみな気持ちも、ちゃんとあったことは述べておこう…。いや、どうだろう。体感他人なので完全に面白半分で出席してたかもしれない。顔も覚えてないし性格も知らない、人生で数回しか会ってない人の結婚式だから仕方ないだろう…。
式の途中でふたりの馴れ初め的なムービーが流れて、驚いた。胸を張って大衆へ自分の人生を開示できる人間のパワーを感じた。
用意された席においてある名前ネームプレートの漢字が苗字も名前も全部間違ってて笑った。
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おもしれーじゃねえか。
式の始まりは儀式めいてて、親族だけの部屋に通された。神様へふたりの結婚をお知らせする…というようなものだった。
前方には祭壇に神への供物が並び、神聖な空間で巫女の手ほどきによって決められた手順を執り行う。
ここで完全に、自分が知っている世界の形と、彼らの生きている世界の形の乖離を感じていた。
伝統行事や、伝統技巧などへは好意的な感情がある。価値観を紡いでいくことの難しさや、紡がれてきた歴史、時間の重み、希少価値みたいなものは大切にされるべきだと思う。
それと同時に、形骸化した仕来りへの嫌悪もある。もはや意味なんてどうでもよくて、時代錯誤にも関わらずただ形式的に繰り返されるからっぽの政。
ふたつのちょうど真ん中の感情にあった。
そもそも古来より伝わる宗教で扱われる神という存在に、違和感がある。自分は科学という宗教を信仰していて、自分にとっての神と呼ぶべきはただ物理法則を司る存在だから…。
神はこの宇宙の全てを支配する秩序を産み、それを守るもの。
だから、たとえ人類が消滅し死に絶えても神は存在し続ける。
そんな超越的存在へ、人間のちっちゃいちっちゃいお知らせをしても、神様は別に意に介さないんじゃないか?と思ってしまう。
いや…、宗教における神という存在は、人間が理解を超えた世界の理を理解するため…はたまた取り留めもない人類の営みに意義と制約をもたらすために意識が生み出した概念・キャラクターでしかないので、別に神とのストーリーも創作していいのか。
こういった儀式は、神へ誓いを立てるという体で、参加する人たちに制約を課すために行われるのかもしれない。
いや、とても良い式だった、花嫁と花婿は美しく格式高く、面白くて、ご馳走もたくさんいただいた。
花嫁の父親…叔父さんがピアノを演奏していたシーンもよかった。空気感が普段の無職生活とあまりにかけ離れていて、たのしかった。
次の日に水族館を見た。
子供の頃は動物園とか水族館がかなり苦手だったけど、大人になってから水族館は結構いいかもと思ってきた。
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水中の生き物は「そんなわけないだろ」みたいな形状でおもしろい。
特に深海生物や、クラゲ。クラゲってすごい。
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どうやって動いてるんだこれ〜。
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がんばれ〜。
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水族館って、水族館によって展示方法が全然違うし、色んな創意工夫があってそれもまたおもしろい。
金魚の展示方法がお祭りみたいになってて、残酷な人間の傲慢さがあって笑った。
基本的に水や水中の生き物というものは少なからず優雅で神聖さがあり、それを引き出そうとしてる感じにウオ〜ッとなる。
前に日本の下の方にある水族館に行った時はサメが大迫力の展示になっていてウオ〜ッとなった。
人間も海から来たからなのか、キラキラしてるのを見ると目頭が熱くなる。
わからないもの、理解の及ばないものを認識するたびに、足元がふわふわする。
自分がどうやって動いてるのかも、どうして生きてるのかもよくわからない。
クラゲから見た世界はどうなふうなんだろう。もっと気安くて、キラキラしてるのかな。
人間のこと、宇宙のことをずっと考えてしまう。そんなものないと言われても、意味について考えてしまう。
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drooog · 1 year ago
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水は光から闇へ流れる
2023/07/06
動物を見てかわいいと思うとき、『自分の脳は動物をかわいいと感じるようにインプットされてるな』と思う。
遺伝子が未来へなんらかの情報を運ぶための使い捨ての乗り物が生物だと考えているから。生物の生体反応や機能の変化は、遺伝子にとって都合が良いほうに改築され続けているのだと。
かわいいと感じることだけじゃなくて、自分の意志ではどうにもならないことすべて、『インプットされてるな』と思う。
人が楽な方へ流れたり、光を美しいと感じたり、害虫を嫌悪したり、幸福を望むようになったり。それら全部、そういうふうに設計されている。
それが嫌だなと思う時がある。
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drooog · 1 year ago
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お茶碗を持つ方は右翼
2023/04/12
↑たのしい。KindleUnited?Unlimited?会員なら無料で読めます。
右翼と左翼とか、よくわからなかったことがわかりやすく書いてある。最終的にその垣根はグチャグチャになっていったけど。
もう近代というものは全部グチャグチャのめちゃくちゃで、すべてをちゃんと正確に知ろうとするとすごい頑張らないといけなくて大変だ。
情報は積み重なってくばかりで無くなりはしないから、都会の路線図みたいに複雑に入り乱れていく。だからこうやってお片付け上手な人が要点を纏めてくれると助かる。
前に同居人のズーニャ先生に右翼と左翼について聞いたとき、「色々細分化されててよくわからないけど、ざっくり言うと右翼は保守派で左翼は革命派、派手な動きをするのは大体右翼」みたいな話をされ(すごい、なんでも知ってる)、
右翼って暴れてるイメージだったから、革命派の左翼の方が暴れるんじゃないの?保守派って現状維持なのになんで暴れるの?ってびっくりした。
ズーニャ先生が言ってた通りだったし、より詳しく書いてあった。
でもよく考えると革命派が暴れるのではというのは自分の偏見でしかなくて、確かに、病院に連れて行こうとすると暴れるワンちゃんみたいなものかと思った。
現状に変化を齎そうとする動きは正当性と勇気と根気がいるし。
変えるな、戻せという方が簡単だ。
この本でおもろい知見を得���ので記す。(みなさんは小学校で習ったと思いますが、社会の授業中ずっと居眠りか落書きをしてたのでぼくは初めて知りました。)
元々、西洋の人間社会には神がいて、政治も神によってすべてが決まりがちだったらしい。
でも、デカルトが「我思う故に我あり」と言いだしてから、理性こそが自分たちの存在の証明なら、神はいなくても成立してしまうのは…ということに気付き、みんなソワソワし始めた。
そこから、理性信仰(合理主義)がすごい発展して、自分たちで政治するぞ!という流れになり、民主主義とか社会主義とか生まれたらしい。ちなみに、デカルトは神を信じてるのに周りの人たちが勝手にデカルトの言葉を神に頼らなくてもイケると解釈して合理主義が生まれたらしい。(かわいそう)
右翼とか左翼は、その合理主義が台頭してフランス革命が起こったときに生まれた言葉で、なんか会議みたいなやつで保守派(宗教好き)は右側に、革命派(理性好き)は左側にいたらしい。
右翼は神を信じていて、その人間の理性によった政治に疑問を呈す人たちだったらしい。そして、今ではその中にも色々な派閥がある。
「今の世界はクソ、神がいたときこそ最高!」っていう人たちや、「天皇万歳!過去の国家の在り方こそが完成されていた!」というような過去への執着が強い原理主義の過激派がよく暴れているらしい。
右翼の中には懐疑主義のような穏やかな人たちもいて、それも合理主義に反対する考え方ではあるけど、これは正直共感できる。
懐疑主義は「人間の理性が、人間の判断が、絶対に正しいとは思わない。現状や時代に合わせて、少しづつ、永遠に改良を続け���べき。」という思想。バーグみたいな名前の人が始まりらしい。「人間は確かに理性的、合理的に考えられる人もいるかもしれないが、愚かな民衆までもを政治に加えさせたらクソ政治になる」みたいなこと言ってた。これはむしろ、左翼的でもある。
今も続いてる老舗の甘味処は、理念や技術を引き継ぐために、時代に合わせて味を変えている。変わらないために変わり続けている、それに近い。(これアキバ冥途戦争でも言ってた。神アニメ。)
左翼は元々、最初に言った合理主義、理性主義の人たち。理性に導かれ、革命、改造を繰り返してしっかり構築された理想の社会を作っていこうとする人たち。
でも正直、もはや右翼と左翼の定義はあやふやだと書かれていた。あえて分けるなら、どちらも理想を抱えていて、右翼はその理想が過去にあり、左翼は理想が未来にあるという違い。
だから、左翼によって兵器の力を生活に役立てようと原発が開発されたりしたけど、正しいはずの理性によって導かれた進歩で事故が起きたりしたから、左翼の中には環境問題や食料問題に興味を持つ人が増えてて、右翼的な、懐疑主義の思想に近付いてるらしい。
前置きが散らかったが、この「理性」と「宗教」の対立に思うことがある。
まず、リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」という本の中で、「宗教が慰めをもたらすからと言って、宗教が正しいということにはならない。たとえ全ての無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても、これらのどれ一つとして、宗教上の信念が正しいと言うことを証拠立てる上で、毛ほどの役にも立つまい」という一節があるらしい。
(ツイッターのリチャードドーキンスbotが言ってた。←アホのインプット。良い子はマネしないように。いつかちゃんと読む。)
この、「無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても」という一文に思うことがあった。
無宗教の国は自殺率が高いらしい。
理性によって、道徳的向上はもたらされる。
左翼/右翼のあり方に近いものを感じた。
未来を創造する力・前進・発展・向上は理性がもたらす。それに対して右翼的な…保守主義・宗教は、問題解決をもたらさないとか、否定的に言われることが多いが、過去の叡智、原始的直感、未知の事象を忘却させないための力、人知の及ばない世界を認識させるための力を持っていると思う。
理性は道具でしかなく、それを扱おうとするときは信仰が要るんじゃないか、結局。
惑星軌道の発見も、神がテキトーに惑星散らかすはずがないって信じたから成されたし、さっきの理性主義の発現も、神を信じていたから辿り着いたデカルトの言葉がきっかけだったし。
なんで、日本は自殺が多いんだろう、自罰的というか、自分も含め、自分で自分を苦しめる人が多い気がして、ずっとなんかやだな〜と思っていた。
それは日本が、絶対的な信仰の対象…唯一神を持たなかったからなのかもしれない。赦しも罰も、自分で自分に下さなくてはならなかったからかもしれない。
切腹とか、自殺の美学みたいなものも歴史にあるし。かくいう自分も、中二病のときは(今もだが)自傷行為してる俺かっけ〜と思ってた。でも、実際に自殺を仄めかしていた友人と音信不通になったとき、「ほんとに死ぬな…………」と思った。
自殺するような人は絶対、間違ってない。死ぬ必要がない。その友人は、職場でパワハラにあったりしてたと言ってた。パワハラをするような人の方こそ、社会的制裁を与えられるべきだと思う。でも、そういう人は図太くて、のんきにのうのうと生きていく。
自分は、誰かを排斥して笑っているような人間に比べたら上等で、生きる資格も価値もあると思っている。そう思えるようになるまでは、本当にウンチ人間すぎて生きててごめんなさいと思っていたが、そう思うことで生きることを許されようとしなくても、のうのうと生きているウンチ人間がいるのだから、どんなウンチ人間だって生きてていいに決まってる。
すべてのウンチ人間は、生きてていい。
そして、そう、自罰的というのは、理性が思考の主導権を握っているときに起こりやすいと思う。多分、たのしくて脳汁ドバドバのときに死にたいとは思わない。それが過ぎたあとの、理性が戻ってくるときに死にたくなるか、あるいは、必ず戻ってくる理性の気配を感じ、脳汁ドバドバのまま死んでしまえたら…と思うかもしれない。
それは、人間という動物の本質がウンチ製造機であり、そんなウンチ製造機が道具として理性を手に入れたから起こる苦悩だと思う。理性は、人間が世界をその脳で認識し理解するための道具であり、それ故に、理性を使って世界を測るたびに、人間のウンチさを突きつけられるのである。理性は、この世界が地獄の混沌であり自らがウンチ製造機であることを認識させるためにある。
だから、人はその理性を手放したくなるときがある。それは快楽、義務、信仰によって成される。音楽やゲーム、スポーツ、映画、アニメ、フィクション、あらゆる娯楽、あるいはお酒、ドラッグ、ギャンブル、はたまた、仕事…そういった一見生きるのに必要なさそうなものが人間社会と常にあり続けているのは、他ならぬ理性のせいだと思う。理性がなくては生き残ることも困難だが、脳は、理性だけじゃこの世界のあらゆることを抱えきれないから。
そしてその、理性の負荷からの逃避にかなり役に立つのに代表されるのが、宗教。
正直、信仰していればなんでもその代わりになると思う。さっき言ったすべて。娯楽も仕事も義務も、理性にもたらす影響は宗教とあんまり変わらないんじゃないかと思ってる。
推し活とかが流行っとるが、それも結構宗教だと思う。日本の宗教観にアニミズムがあり、アニメーションなどによってキャラクター信仰が浸透することは、構造として神の信仰と通じる部分がある。
心から信じていて、自分を絶対に救ってくれると信じられる何かがあれば、絶望の淵にいても人は生きていけるんじゃないか。
罪悪は、理性が生み出す道徳的向上の標である。信仰は、慰めと救いをもたらす。どちらとも、人が生きることには欠かせないのかもしれない。
だから自分はダメだ…って思いすぎるひとは、全然ダメじゃない。生きててえらい。
もしも死にたくなったら、そうさせた奴らを殴りに行こう。社会に蹴りを入れに行こう。死んだら何も言えない。死ななかった人のための世界になるだけだ。
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drooog · 1 year ago
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全人類パン食い放題
2023/03/03
人間社会に問題提起する人はいつだって、弱者・労働者階級・マイノリティだ。
そりゃそうだ。満たされ、なんの不便も苦痛もなく生きてる人間は、社会に対する問題なんて見つからないだろうから。
あえて問題を作るとすれば、もっと贅沢をしたいとか、もっと名声を得てチヤホヤされたいとか、そういったことになるんだと思う。それもまた、取り立てて批判する気にはなれない。それはもはや個人の意志ではなく、人間という動物が概ねそういうふうにできているから。彼らもまた遺伝子の奴隷で、与えられたもので生かされている動物に過ぎない。自分だって、生まれたときからなんの不自由も感じない環境にいたなら、同じ思考をしたかもしれない。根本的にはどんな人間も行動原理の芯にあるのは「自分が幸福でありたい」だけだと思う。その解釈が全員違うだけで。
テレーズだか、アントワネットだかの「パンがないならお菓子を食べればいい」みたいな言葉も、人類全員がパンもお菓子も食い放題だったなら、「確かに」で終わる話だ。食えない人間が沢山いたから、その言葉は問題提起に用いられた。
もちろん、満たされた人間特有の乾きや退屈、苦悩もあるだろうし、弱者の気持ちを慮ることができるえらい人だってたまにいると思う。
でも自分はそんな立場に生まれたら、こんな色々人間や社会のこと考えたりしなかったと思うから、弱者、労働者階級、マイノリティに生まれてよかったなと思う。全部タラレバで、意味のない仮定だが。
で…。
嫌なこと① 弱者・マイノリティの問題は強者・マジョリティにとっては問題ではないし、正直どうでもいい
嫌なこと② 「みんな幸せになって欲しい思想」と「短絡的でも自分が得すればいい思想」は、前者の人が搾取される形で顕在化しがち
嫌なこと③ 集団心理には理屈が通じない
嫌なこと④ どんなに頑張っても意思疎通が不可能な人間がたくさんいること
…これらが複雑に絡まり合い、世界との関わり方がわからなくなる。たまに。
善良で品行方正な人間は、悪くて狡賢い人間の発想を知らない、思いつかない、持たないことが多いが、悪くて狡賢い人間は、善良で品行方正な人間の発想を知っている。
例えば詐欺。カモは詐欺師の考えてることなんてわからないことが多いが、詐欺師はカモが何を考えてるかわかる。
これ、嫌すぎ。
面倒なことだが、世界が平和で善良な状態を保ちたいなら、その自分の守りたい世界を脅かす存在の考え方も学んで知らなきゃいけない。そして、それを未然に防ぐ体制を習得しなきゃならない。善良のつもりでいる人間たち、理不尽に蹂躙されて、どうして…って泣いてんじゃない。無知だ。全部の問題、社会全体の幸福は、全人類が思慮の浅さと無知を克服しようとしなければ成し得ない。
自分で積み重ねた努力や経験じゃなくて、他人のそれを掻っ攫って得しようとするやつが嫌いだ。そうやって手に入れた金になんの価値がある?そうやって生きることになんの矜持がある? 
↑この考えもうざい。ある程度恵まれた立場だから言えることだと思う。奪うことでしか生きられない境遇の人だっているんですよ。 
人類は基本的に楽したいからそのように発展してきました。限られた時間の中でしか生きられないので、移動手段や家事なども機械に任せるようになりました。楽で手っ取り早いな手段をとることの何が悪いんですか? 正当な手段とはなんでしょう? 法律や倫理道徳のことを言ってるなら、そんなもの便宜上人間が定義しただけなのだから、目安に過ぎません。 時代が変われば変容してしまうような、絶対のものじゃない。自分の頭で考えて、判断を下すしかないと思います。 人は生きていくために、金がいります。それで、何も持たない人間が自分の切れる手札で一番有効な手段が詐欺や強奪しかなかったら、やっぱりそれをするしかない。社会に生かされているのなら、社会のルールに従うべきだと思います。しかし、社会が私たちを排斥しようとするなら、それを破ることもやむなしと思います。
それに、普段から搾取されてないつもりなのしょうか?基本的に市民は、資本家に搾取されるために日銭を稼いでいます。会社も同じこと。小規模な範囲で国というものの在り方を模倣してるだけ。無知な人間は搾取されるために存在するし、搾取する側はそれを掠め取る。それは悪いことではありません。すべての人に役割が与えられ、すべての人に生きる権利が与えられます。 
たとえそれが詐欺で、騙されていたとしても、本人は金を払う価値があると思ったから払っただけです。 元々人は、実態のないものに金を払います。宗教とか、キャラクターとか、風水とか。ただの紙切れでも、ボールでも、それについた付加価値に対して平気で大金を払える人だっています。それらも、詐欺だと言えるでしょうか?全部、嘘だとしても、本当だと思っていれば幸せでいられるんですよ。
↑良いとか悪いとか、正しい正しくないとか、効率がいい悪いとかじゃない。お前の言う通り、何に価値を感じるかなんて人の数だけある。俺はただ、それを利用して利益を掠め取ろうとするその腐りきった根性が嫌いだって言ってんだよ。誰かが一生かけて技術を磨いて作り上げられた作品や人生を複製して売り捌くようなマネをして、そこにお前の価値が無さすぎてかわいそうなんだよ。そんな手段で金を稼いだって、誰かから搾取し続けたっていつまでもお前は誰かの価値のおこぼれで生きてんだよ。俺はお前の存在、働きに対して対価が払われるべきだと思うよ。嘘や、見栄や、虚言じゃなくて、お前から生み出される宝石に対してだ。それが1番あるべき社会の構造だと思う。
おい、誰だ。勝手にレスバするな。
何が言いたかったか忘れちまったよ。
まあこのように、価値観は人の数だけあり、どれもが絶対的な正しさを持たない。
たとえ自分が吐き気を催す邪悪さを感じている行為があったとしても、それがキラキラと輝いて憧れの対象に感じる人もいるのだと思う。また、自分が大切だと思っていることも、心底くだらない何も救わないカスの理想論だと思ってる人もいるのだと思う。
寄り添う素振りを見せたとして大半の人は本当に自分と相反するものに対しては分かり合おうとする気などないし、基本的にどうでもいい。自分もそうだ。猟奇殺人犯に命の大切さを説いたところで、徒労でしかない。
根本的に知能や環境によって言葉自体が通じないこともある。同じ場所にいて、同じ時代を生きていても、見えている景色はまるで違うものである。思想は結局、権力や武力で縛るしかないこともたくさんある。それはとても寂しいことだと思う。
最近はSNSの発達で、大衆は短絡的で、刹那的なものばかりを求めているのが見える。
心のパンが枯渇している。
心のパンに飢えていて、みんなが心を満たすことのできる手軽なパンを欲している。本当は何が欲しいかなんて、自分のいる世界がどんなふうに作られてきて、死んでいった人たちに何を託されてきたのかなんて、考える余裕もいない。
でも、1つの価値観で世界を統べることなどできないし、それを求めるのは独裁者の思考と同じだ。
おれはパンを作りたい。
目指すは全人類パン食い放題の世界。
いつまでも夢を見ている。誰も求めていなくとも、パンを作りたい。1番独善的で、醜くて愚かなのは自分だと思う。昔から、口先ばかりで言っていて行動が伴ってない。行動できるようになりたい。
最終的な判断は、正しいか間違ってるかではなく、好きか嫌いかであるべきだと思う。
どんなに正しい世界でも、嫌いな世界だったら嫌だから。
自分のオモロを信じて行動している人が1番信用できる。
さようなら。
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drooog · 1 year ago
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未確認飛行デカダンス
2023/02/24
twitterで、UFOで検索するとUFOみたいなのが飛んでる動画がたくさん見れる。
フェイクかどうか、もはやわからない。
この世界に本当の不可思議があって、それをインターネットの海に放流してフェイク扱いされたら勿体ないなと思った。
そういうのは肉眼で見るしかない。
昔、スカイフィッシュみたいなものを見た。
新聞配達のバイトをしてたとき、深夜3時から5時くらいのあいだ。墓場の隣に立ち並ぶ家たちに新聞を配達してるとき。街灯の下を、墓場に向かって飛ぶ細長いヒダみたいなものを見た。
たった1つの小さな惑星に、たった数千年しがみついてるだけの自分たちが、永遠にも似たこの宇宙のすべてを知っているはずがない。
この世界には本当の不可思議は絶対にあるけど、それがとても希少で、滅多に人前に現れないものだとしたら、それを妄想や幻覚や夢ではないことを証明することはほぼ不可能だ。ましてやそれについて研究してるわけでもない1個人なら尚更だ。目の前に世界の常識を揺るがすような何かが現れたとしても、それが見間違いじゃなかったかどうか、証明するのは難しい。UFOを見たと言っている人を怪しく思ってしまうのは、見たことがない人が過半数を占めてるから。そして、見た人だって、そう何度も見られるものじゃない。
地動説誕生のときよりはずっと、人類は変化に対して寛容になっている気はする。
不可思議だったはずのものが結構解明されまくり日常に組み込まれまくっているから。
もし誰もがUFOを頻繁に遭遇するようになれば、案外それは劇的なドラマもなく、ふわ〜っと希少だった頃のざわめきが薄れていき、別の名前を与えられ、日常に組み込まれて終わりかも。そして一部の人だけがマニアになって研究を続けたりして。
最近、量子力学をちぎっては食べ、ちぎっては食べ、をしているが、3次元空間は閉じていて、その表面に3次元の情報が全て書き込まれていて、おれたちはホログラムとして存在してるかもしれないらしい。過去も未来も全部、量子真空に書き込まれていて、それをなぞってるだけらしい。
科学を突き詰めてSFやファンタジーやオカルトみたいな話になっているのがおもしろい。
魔術や、精神世界、念波とか、風水とか、超常現象とか、そういった胡散臭いものもある程度は、解明されてないだけの科学なんじゃないかと思う。
シュレディンガーの猫で揶揄された重なり合った光子の状態だって、正直ずっと何言うとるんやと思っているが、現段階ではそうとしか言えないらしい。「見る」という人間の意識が、光子の動きを確定させる。観測してないときは様々な動きをしている光子の状態が重ね合わさっているが、人間が「見た」瞬間、1つの動きに確定する。
今のコンピュータは全部0と1で処理してるけど、スーパーコンピュータはその素子が持つシュレディンガーの猫的な性質を利用して、0と1が重ね合わさっている状態、確定していない状態で演算処理するからすげ〜早いらしい。スパコン、今はまだ幼稚園児レベルだから、たくさん教え込まれてるらしい。がんばれ。
そんなふうに、よくわかんないことさえもすでに日常の中に入り込んでいる。
話逸れたけど、スカイフィッシュも、シャッター速度遅く切ったときに写り込んだ蛾という説が有力とか言われてた。そう言われると、自分が見たスカイフィッシュも、すごいスピードで虫か鳥が街灯の下を飛んでっただけかもと思えてくる。
でも、絶対に見たことのない動きをしながら水平移動する、変なモノだった記憶がある。
量子力学を少しちぎって食べると、一見ありえなさそうなコトやモノを、頭ごなしに嘘だ非現実的だと否定するのもまた現実を見誤ることになりそうだと思った。
だから、UFOみたいな意味不明のものが飛んでてもおかしくないかも。
でも心霊系の話は、金縛りのときによく見る幻覚に似てるから、創作か、人の脳が産んだ幻覚だろうと踏んでいる。たとえ幻覚だとしても、本人にとっては現実との差はわからないのである意味真実だが…。
現実はいつも不可思議にただ佇んでいる。それを言葉にしたり、科学で翻訳して、なんとなくわかった気になってるだけ。本当の意味では全部、意味がわからない。冒頭でも言ったけどどんな不可思議も、希少性をなくして頻繁に目撃されるようになったら、いずれ当たり前になって、名前を与えられ、日常に組み込まれる。その異常性について、脳と時間はすぐ忘れてしまうようにできている。たまに全部意味がわからなくてすごい怖くなる。
果てしない闇にいろんな玉がたくさん浮いてて、そこに住んでるって何…?!この怖さは自分が生み出した思想や性質によるものでしかなく、世界に意味なんか元々ないし、全部たまたまこうなってるだけなのに、何が怖いの?と言われることもある。そっちの感じ方のほうが自然で、いいなと思う。意味なんて虚無に屈した人間が作り出した気休めの概念だから。自分の考えは「全部に目的や理由はあるはずだ」というような、どこか人間主義的でなんかちょっとイヤな性質も孕んでいる。
全部ただ、泡のようになんとなく生まれて、消えてくだけ。諸行無常とか、色即是空とか、頭では分かってても、世界が怖くて、色々考えてる時間が嫌いじゃない。なんの生産性もなくて、無駄なことだと思うけど。生活よりも、世界そのものが怖いほうが安心するから。大は小を兼ねる。怖さは、ワクワクに成る。SFや創作された話が好きなのは、世界の煩雑さを理解できる範疇に落とし込んで少しでも理解できた気になれるからだと思う。
終わりのない闇のなかで、ちっぽけな豆粒みたいな光の中で、泣いたり笑ったり、歌ったり踊ったり、殺し合ったり慰め合ったりしてるのがすごいヘンな感じ。
いつかUFOも日常になり、「また飛んでるな〜」とみんながピースしてUFOと自撮りした写真をSNSにあげまくる時代が来るかもしれない。それを見てまた、ヘンなの、って思うかもしれない。
そんな妄想をしてたら、学者が「UFOはいるかもしれないが、広大な宇宙の中でわざわざ地球を選んでやってくる可能性はかなり低い」と言っているのを見た。
そっか…。
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drooog · 2 years ago
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犬専用ワームホール
2023/01/21
人気のない歩道で信号待ちしてて、青になったから歩き出そうとしたら足に何か当たる感触がした。下を見たら突然ちっちゃい犬が足にまとわりついてて、思わず「うわっ!」と言ったら後ろから飼い主の「スミマセ〜ン!」という声が聞こえた。
感覚的には"無"から犬がいきなり現れたから、ビックリしすぎて飼い主の顔を見て「ワンちゃん…」とだけ言い放ち、その場を後にしてしまった。
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drooog · 3 years ago
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2022/10/03
だけどほんとうは皆が奇跡を知っていて、
その光の渦に導かれて抜かれた親知らずから流れた血が、
ぼくらに設計された奇跡の残り滓を数える
夢も見ずに明けた夜のことを、ぼくら刹那と呼んで
あるはずだった朝のことを、ぼくら永遠と呼んだ
騒がしい箱庭に、ぼくをうっかりと滴らせた宇宙の陽炎は、
幾億の闇を追って拡がっていく
誰がその罪を贖うのか
誰がその罪を産むのか
全部忘れたあとに、パーティーが催される
それは閉じ込められた奇跡の孵化するとき
夢の淵でのみ、邂逅する
ぼくらそれを、奇跡と呼ぶしかできなかったんだ
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