#itカースト最下層
Explore tagged Tumblr posts
chaukachawan · 2 months ago
Text
もう無理……キャクエンしよ……。
役者として1ステを迎えるのは、実に1年ぶり。
ぶっちゃけありえないほどのクソ雑魚っぷりを披露した私は、帰り道、道端に残る水たまりに片足を突っ込みならこう思いました。
そうだ、京都行こう。
役者エグむずいやん。みんないっつもこんな大変なことしてたんですか。いろんな感情があふれてこぼれて、僕の足元には新たな水たまり。明日は晴れます。晴れさせます。
かく言ってますけど、楽しくやらせてもろてます。おおよそベガさんとなぽりが寛容なおかげです。本当にありがとうございます。
何はともあれ役者はすごい!てなわけで、そんな偉くて凄い役者の中から、『いつか栞を挟んで』に登場する皆様をご紹介します。今回は「この役者を主役にするなら、こんなタイトルのこんな劇」というテーマで。
以下役者は本チラ掲載順。
園堂香莉
『シング』
歌でみんなを笑顔にすることを夢見てきた少女。念願叶ってバンドを結成。しかし、第三次世界大戦が始まりかけた世界で、音楽などの娯楽は次第にタブーとされるようになった。そうした社会の風に吹かれ、バンドメンバーも1人また1人と去っていく。そんな少女がたどり着いたのは、商店街にある小さなお布団屋さんだった。彼女の子守唄と、お布団屋さんのお布団で、彼女らは「全世界ふかふかすやすや計画」を実行する。
「世界中の人がふかふかの毛布で眠れば、争いなんてなくなると思わないかい?」
近未来ミイラ
私には主役になれるほどの器はありません。
誰かを主役にすることなら、きっと、なんとか。
たぴおか太郎
『キャッサバイバル』
タピオカの原料として知られる「キャッサバ」、その和名が「イモノキ(芋の木)」であることは周知の事実であるが、そんなキャッサバにも、一時期本物の芋になることを目指していた時期があるということを、君は知っているだろうか。
これは、キャッサバが芋社会からの洗礼を受け、まさに芋洗い状態になりながらも、憧れることの光と闇を垣間見るお話。ちなみに、これはネタバレなのですが、最終的には芋社会のカースト、通称ポーテトで最上位に位置する「スイートポテト」が貢茶(ゴンチャ)の本店を燃やすことになります。芋もホテルも、「スイート」が最上級なんですね。
錫蘭リーフ
『虚ろにジャックポット』
ゲームセンターで働く男。ある日、ゲームセンターの喧騒が似合わない風貌の紳士がその店を訪れる。男が様々なゲーム機に対応する鍵を全て腰からぶら下げているせいで、紳士は男のことを、この世の全ての鍵を開けることができる鍵職人だと勘違いする。半ば無理やり紳士に連れられ、男は大小様々な扉がある部屋へと案内される。紳士は言う。「ここにある全ての扉を、君に開けて欲しいんだ」
「鍵」をテーマに繰り広げられる、ゲームセンターのように騒がしく、それでいてどこか空っぽな物語。
帝京魂
『職場参観』
小学生が、後ろから見ている。作業中の俺のパソコンを覗いている。部長に資料の修正を求められている俺を見ている。電話なのに頭を下げながら話す俺を、なぜか愛しそうに。その小学生の中に、我が子はいるのだろうか。気になるけど、ここで後ろを振り返るのは、なんとなく恥ずかしいような気がする。
オムニくらいの尺で、サクッと笑える劇に仕立てたいですね。
森々仙入
『タイトルコールが始まらない』
とある劇団の公演。いよいよ本番。当初の予定だと、タイトルコールの映像が流れてから本編が始まることになっていた。しかし、本番直前。機材トラブルにより映像が流れなくなる。担当者曰く、「多分すぐ復旧できるから、前説出ちゃっていいよ」とのこと。男は半信半疑で前説に出る。注意事項をあらかた言い終わったところで、舞台袖にちらりと目を向けると、舞台監督が必死の形相で両手を広げている。……延ばせということか?
ラムダが数十分間真面目にふざけ倒す劇。彼は無事に、タイトルコールというエンディングを迎えることができるのだろうか。
『すがる藁もなく』
「この子、きっと何かの病気だと思うんです」。母親がそういって診察室に連れてきた少女は、何を尋ねても無口で、表情一つ変えない。どうやら学校でもこの調子らしく、クラスでは孤立し、家族もどう接すれば良いのか悩んでいるらしい。医者はその子を「不笑病」と診断し、一言。「今から治療をしますので、他の医者と看護師を呼んできます」。院内の医者と看護師総出で、彼女を笑わせにかかる。しかし彼女は笑わない。いや、笑えないと言った方が、正しいのかもしれない。
ルーベの口角が上がったが最後、この物語は崩壊します。地獄を見てほしい。
苔丸
『冷仏』
僕らのクラスには、「仏」と呼ばれる生徒がいる。なんでもできて、なんでも持ってて、なんでも許してくれる。と思っていたのだけれど、仏と同じ中学だった生徒が言うには、それは今が夏だからなのだという。なんでもその仏、「仏の顔もn度まで」のnの部分が、その日の最高気温と���しいという特殊な性質を持つらしい。とはいえ、一日にそんな何十回も仏の気に障ることなんかするはずもなく、大きな問題もなく時は流れていった。……その日、秋にしては異例の寒波が日本を襲う。最高気温は、0度。
苔丸の本当の怖さを、君たちはまだ知らない。僕もまだ知らない。
響夜
『見込み無き巫女見習い』
ある神社に、自らを巫女見習いと称する女がやってきた。おいおい。巫女見習いとかいうわりに、コイツ巫女についてなんにも知らねぇじゃねぇか。発言も行動も全部予測できない巫女見習いに、振り回される人々。挙句、巫女見習いはこんなことを訊いてきやがった。「あの、神様って、なんですか?」
今まで当然のように存在すると思っていた何かが、存在しないと言われたとき。あなたはその存在を証明できますか。
ミル鍋
『アマクチカラクチ』
インターネット上でも有名な辛口料理レビュアー。今日も口にする料理のほぼ全てにマイナスの評価をつけて回る。ある日、そんなレビュアーの隣で食事をしていたのは、インターネット上でも有名な甘口料理レビュアー。どんな料理でも「美味しい!」と言い、その料理の良いところをツラツラと述べていく。「そんなお世辞並べたって、この店は成長しないんだぞ!?」「じゃあ、あなたがつけた難癖で、この店は成長するんですか?」 食を通して、飴と鞭の使い方について考察する劇。
ゆには甘口レビュアーの方が似合いそう。ちなみに本編中に食事シーンが5〜6回登場します。楽ステ後は満腹ですね。
西峰ケイ
『穏やかな濁流』
親の都合で大阪から田舎の町へ転校してきた少女。その町のヌルさに愕然とした彼女は、大阪とは何かを体現していくことを決める。そしてクラスを、学校を、町全体を、大阪一色に染めていく。その町が彼女にとってかなり居心地の良い場所になってきた頃、彼女がいるクラスの扉を開けたのは、町長だった。「俺たちの町を壊したのは、お前か」
新しい宗教が蔓延れば、それを抑制しようとする派閥が出てくる。長い歴史でもずっとそうだったし、きっとこれからもそうで。
あろハム権左衛門
『スローに踊るだけ』
一流のマネジメントウーマン。日々様々な企業へ出向き、無駄を徹底的に省くよう的確に指導。その腕が認められ、彼女の予定は2年先まで埋まっている。一方で恋をする予定なんて入れてないから、恋なんてするはずがなかった。なかったのに。ある日訪れたベンチャー企業を統べる若い社長に、恋をしてしまった、ような気がするんです。
キャスパはもちろん、ゲスの���み乙女の「スローに踊るだけ」です。振付もアロー本人が(え)
アリリ・オルタネイト
『つづきつづれずとも』
日本政府は言う。「みんな別々のものを持っているから、それを振りかざして争うのだ。これからは逆の時代だ。みんな別々のものを失い、支え合っていくべきなのだ」 その次の日から、人々からはそれぞれ別々のものが奪われることが決まった。ある人はお金、ある人は片足。そして彼女から奪われるものは、言葉だった。奪われるまで、あと12時間。彼女は彼女の言葉をできる限り残そうと足掻く。文字で、音で、人伝てで。24時。政府の人間がやってきた。
イルルさんの役者紹介意気込みコメントが好きです。言葉を大切にしている感じがするからです。だからこそ。
〆切三日前
『いくつ担っても』
一人複数性制が導入された日本。今日はこっちの苗字の私で生きようかな。それは先週のことだから、今の苗字の私じゃなくて、先週の苗字の私が来た時に言ってください。そんな世界線で繰り広げられる、非日常的日常系短篇集。しかし日常というのは案外あっさり終わってしまうもので。「面倒だから」という理由で一人複数性制は突如廃止が決まる。おっけー、了解した。で、私はどの私を残せばいいんだろう。
キャスト欄に10個くらい異なる芸名が書いてあるんですけど、その内5個はみそかです。
黒井白子
『試行柵誤』
舞台と客席を隔てるのは、上手ハケ口から下手ハケ口まで一直線に伸びた柵。暗転が挟まるごとに、その柵は意味合いを変える。例えばそれは豪華客船の上。例えばそれは高校の渡り廊下。例えばそれはジュリエットがロミオを見下ろす場所で、例えばそれは高層ビルの屋上。この劇においてツラ線を破るということは、柵を飛び越えるということであり、柵を飛び越えるということは、大抵無事では済まない。そんなオムニバス公演。
僕がやりたいことに、彼はまだ付き合ってくれるのかな。付き合ってくれたらいいなという思いを込めて。
中森ダリア
『カメレオンガール』
バーで働く女。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。彼女の正体は、秘密結社「ユージン」のエリートメンバー。コードネームは「華芽麗音(カメレオン)」。彼女の本当の使命は、彼女自身が様々な姿に化けて、この世に数多いる、友達がいないと嘆く人にとっての「それなりの友達」になること。ある時はギャルに、ある時はおばあさんに、またある時は青年にまでなり、その任務を遂行する。
そんな彼女に、「それなりの友達」はいるのだろうか。
きなこ
『毒あるキノコは美しい』
���れはなんの前触れもなく、突然の出来事だった。全国民の頭の上にキノコが生えたのだ。そのキノコは色も大きさも様々で、次第に人々はキノコで人を判断するようになっていく。恋人に求める3Kは、価値観が合う、金銭感覚が合う、キノコと言われるようになった。しかし、ほとんどの国民は知らない。ただ1人、キノコが生えてこない少女がいることを。
キャスパ曲は多分「マッシュルームマザー」
暁レミエル
『マイノリティ魔女リティ』
「魔女ってなんか、思ってたのと違うね」 その言葉が彼女を蝕んでいく。そんなこと言われたって、それが私なのだ。魔女のくせにちりとりの方持ってるのとか言われても、それが私なのだ。魔女のくせに電子書籍で魔法覚えてるのとか言われても、それが私なのだ。それが私なのに。
これは悩める少女の、笑って泣ける物語。
肆桜逸
『寝るまで起きてる』
夜。眠れない夜。男の枕元にあるスマホもまた眠らず、その液晶を煌々と光らせている。その夜男には、無数の電話がかかってくる。恋人から、親から、友人から、先輩から、そして、すでに"眠ってしまった"自分から。
男は"眠る"ことを選ぶのか。それとも、もう一度朝日を見ることを望むのか。スチルさんと他役者の録音された声だけで進む、怒涛の一人芝居。
埖麦
『無念ゴミ』
部屋中の本棚に詰め込まれたアルバムの数々。これらは全て、男が後悔している出来事が鮮明に記録されている「後悔アルバム」であった。一度開けばその時の記憶は鮮明に思い出され、その度に男は、懐かしさというには悍ましいような感情を抱く。ふと、見覚えのないアルバムを見つける。「……これは、親父のだ」
「アルバムって、何曜日に捨てればいいんだろう」
紫苑
『as mysteriously as possible』
少し不思議、いや、かなり不気味。そんな1人の男がひょんなことから異世界に飛ばされるものの、男が不気味すぎて逆に異世界の住人が怯む話。異世界に行けば周りに馴染めると期待していた男は、「変」であることに虚無感を覚え始める。これは「私」が悪いのか、「私以外」が悪いのか。「変」なりの、奮闘記。
略称はAMAP。ほぼSMAP。
水琴冬雪
『いつかオレンジの原付で』
ブゥーーーンブンブブーンブンブンブブゥーンブーンブンブゥーーンブンブンブンブブゥーーーンブンブゥーーンブンブンブブゥーーンブンブリョゥドゥーーンブゥーンブンブブンブンスウブンカィーーンブゥーンブブブーーン
(原付の音であらすじがよく聞こえないが、ベガさんが主役を張る演劇なんて、良い作品になるに決まってる)
以上です。もし実際に脚本に起こしてほしいという物好きな人がいたら教えてください。そのときには10年かけてでも、あなたを主役にする体で当て書きして完成させたいと思います。
びあげのブゥーンはどうしようかなぁ……
大学のキャンパスでcampusノート使ってる学生、見たことない。
近未来ミイラ
2 notes · View notes
falseandrealultravival · 8 months ago
Text
Indian Prime Minister: Narendra Modi is a fraud (essay)
Tumblr media
Indians have little wisdom and low civility. Narendra Modi is taking full advantage of this and staying as Prime Minister of India. He is good at deceiving people. In the past, during a forced currency exchange that he orchestrated, he made a baseless verbal promise to the anxious farmers that he would ``drive away those who would harm you,'' and the farmers believed him. His party, the Bharatiya Janata Party, received an avalanche of votes and won in a landslide.
This is a case that clearly shows that the common people in India are stupid and have low standards of civility, but something like this happened recently. He alleged that during the Ukraine war, Modi wooed Russia and allowed Indian students to return safely to India. India's Ministry of Foreign Affairs denies this, saying, ``There is no such thing.'' Modi has no problem telling lies like this. Indian university students believed in Modi and praised him on this matter. Indeed, farmers and university students have little wisdom and low civility. They are people easy for politicians to handle. Isn't that enough to be a scammer? Hey, Modi.
Modi knows the situation of the Indian people very well, so he lies without hesitation. This tendency to lie is probably unrelated to the fact that he was from the lower class of the Shudra caste system and grew up with a strong desire to rise.
In addition, during his 10-year reign, he cultivated IT-related industries and engineers, giving preferential treatment to this field and its human resources, but India's industrial structure has become too specialized in IT. However, because other industries are weak, the unemployment rate among young people is an abnormal 30%, which is worse than in China. Modi will be forced to step down at some point, but for India, the sooner the better.
Rei Morishita
2024.04.20
インド首相:Narendra Modiは詐欺師だ(エッセイ)
インド人の知恵は浅く、民度は低い。これを最大限に利用してインドの首相の座に居座っているのがNarendra Modiだ。彼は人を騙すのが上手い。以前、彼は自分自身で策動した強制的通貨交換で、不安になった農民たちに「お前たちに危害を加える奴らを追っ払ってやる」と根拠がない口約束をし、それを信じた農民たちが彼の政党「インド人民党」に雪崩を打って投票し、地滑り的勝利を収めたという。
いかにもインドの一般庶民がバカで民度が低いことを示す事例だが、最近、こんなこともあった。ウクライナ戦争において、Modiがロシアに口を利き、インド人留学生を無事インドに帰還させたと、彼は主張した。インド外務省は、「その事実はない」と否定している。こんな嘘を、Modiは平気でつくのだ。またこの件についてインドの大学生たちはModiを信じ、口々に称えていた。なるほど、農民だけでなく大学生も知恵が浅く、民度が低い。他愛ない国民だ。詐欺師としてはもの足りないのではないか?なあ、Modi。
この辺のインド人の事情をよく知るModiは、だから平気で嘘をつく。この虚言癖はたぶん、カースト制度ではシュードラという下層階級出身の彼が、上昇志向を強く抱いて成長したことと無縁ではあるまい。
また、10年間の彼の治世において、IT関連の産業、技術者を育て、いやらしいほどこの分野とその人材を優遇してきたが、インドの産業構造はITに特化しすぎたイビツなものになってしまい、他の産業が弱いため若者の失業率は30%と異常であり、中国より酷い状態である。いずれModiは、退陣を余儀なくされるであろうが、インドにとって、それは早ければ早いほど良い。
3 notes · View notes
kennak · 2 years ago
Quote
黒人を奴隷にしていた時代に始まったカースト制度が、現代のアメリカでもまだ続いている。黒人(アフリカ系アメリカ人)を最下層に置くカースト制度によって、白人たちは身分を保証されてきた。ところが、2009年に黒人初の大統領が就任したのをみて、白人は自分たちの地位が脅かされると危機感を抱き始めた。警察が無防備な黒人たちを射殺する事件が相次ぐのは、カースト制度にすがる白人たちが、黒人による下克上を恐れているからだ。こうした白人たちの不安心理が、白人至上主義を体現するトランプ大統領の登場につながった。
カースト アメリカに渦巻く不満の根源 - akon2.00βのよっぱらいの戯言
7 notes · View notes
renmukouda · 3 months ago
Text
Tumblr media
おでかけメモ「くにたち映画祭2024/燃えあがる女性記者たち」
観たいと思っていたインドの映画『燃えあがる女性記者たち』も上映されるということで、くにたち映画祭に行ってきました。会場はKFまちかどホール(上映映画によって会場が違う)。
カースト最下層の女性たちが運営する新聞社「カバル・ラハリヤ」。地元メディアとして地域社会のジェンダー、カースト、貧困、暴力などフェミニズムの視点からニュースを取り上げてきた彼女たちが、新たな手段としてスマートフォンで動画を撮り、デジタルメディアとして多くの人々にニュースを伝えていくドキュメンタリー。
草の根のエンパワーで内側から社会を変えて行こうとする彼女たちの勇気、その姿に心が熱くなりました。今この世界に彼女たちが存在しているということが、なんと心強いことか!と同時に日本のメディアは?そして私たちは?と考えさせられました。
上映後のトークではこの映画について、『プリズンサークル』などのドキュメンタリー映画を手掛けている映画監督の坂上香さんが補足になるお話しをしてくれました。(『プリズンサークル』とてもいい作品なので機会があれば是非!)
Tumblr media
会場で隣席した(インド各地に行った経験もある映画好きの)おばさまと上映前におしゃべりしたり、アットホームで楽しかったです。10/09
0 notes
bailonglee · 10 months ago
Text
過保護と、自立
大田区は、随分と創価学会員がいる。
環境、それが区民殆ど創価学会みたいな状況を作ったのかもしれない。
徳川幕府の罪悪、士農工商というカースト。
そこには、“穢多非人”という、言われのない差別発生回路が、仕組まれていた…
大田区こそ、被差別部落、そして敗戦寸前まで、
「戦争万歳」
の、町だった。
なんてことはない、武器下請け業者の町だったゆえ。
そして終戦を迎える。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
原爆投下の少し前、アメリカはサイパンという攻撃拠点を得て、
1945年3月9日〜10日、
東京大空襲…
死者なんと、10万人…
私の居る大田区の人々は、そんな悲劇を体験した…
家もない…
食べ物もない…
勿論お金も、全て何もない…
そんな時、人はどうするだろう?
ただ天を仰ぎ、祈るしかない…
復興、再出発に向けて、人々は、協力なしには、先に進めない。
Tumblr media
池上本門寺には、力道山も埋葬されている。
玉音放送があり、ポツダム宣言受諾、敗戦日本の庶民に希望を与えたのは何か?
そう…
街頭テレビ。
Tumblr media
まさに、大田区体育館、力道山は、体の大きな外国人を、空手チョップでやっつける…
さて、
日蓮。
日蓮は、鎌倉時代に、法華経を開祖したそうな。
鎌倉時代と言えば、“禅宗”まっさかりw
つまり、己を律して、座禅を組む、内観する、そんな流れの中、
「南無妙法蓮華経を唱えれば、皆救われる」
それが、日蓮宗。
Tumblr media
池上さんとは、日蓮を支持した金持ち。
そして、日蓮が病気療養で茨城に向かう途中、今の池上本門寺で息を引き取った。
これは本当に、ルターの宗教改革そっくりだw🙂
ルターの宗教改革の背景、それはローマカトリック教会が売り捌いた、“免罪符”。
《免罪符さえあれば、どんな罪人も救われる!》
として、ルターの居たドイツにて、乱売騒ぎとなった…
日蓮の200年くらい後の、神聖ローマ帝国の話。
ローマカトリック教会は腐敗し、堕落し、お金を使い〘レオ10世による贖宥状〙さえ買えば、あらゆる罪は許されるというw🤣✨
さて、
一方日蓮。
鎌倉時代、
《南無妙法蓮華経さえ唱えれば、救われる》
、禅宗のような厳しさがなく、わかりやすい。
そして、日蓮の、強引さ、過激さ。
他の宗教を徹底批判、幕府に、そして朝廷に、「法華経に改宗せよ」、と迫る。
日蓮は、「外国が攻めてきて、日本は滅びる」という予言もした。
最初は相手にされなかった日蓮は、元寇により、各方面から着目される。
その日蓮の縁の地、大田区。
創価学会は、「我々は日蓮正宗だ」と主張するが、破門されてるw🤣
55年体制崩壊、あの頃、
「日本は政教分離なのに、創価学会は堂々と“公明党”を掲げている!」
、そんな批判は沢山あり、今のように、当たり前に創価学会が政治に口出しするなど、考えられない時代だった…
大田区の人々が広く知る、日蓮入滅の大田区。
そして、単なる利��団体の創価学会が、あたかも日蓮と直接的に関係あるかのごとく、物凄い勢いで信者を集めた。
簡単に言えば、
創価学会とは詐欺団体だw🤣
パソコンのプリンターで作った御札を、数万円で売ったり、仏壇を法外な値段で売りつけたり、信者は餌にしかなっていない…
だが、
親が創価学会、或いは地域丸ごと創価学会、人間関係上、抜けられない、結果、大田区丸ごと創価学会、SDGsみたいな惨状となったわけだw🤣✨
さて、本題に戻りたいw
過保護と、自立
、過保護とはつまり、
《親と子の同化》
を指す。
「おまえは俺の子供だ!だから、おまえは俺のコピーだ!」
、それが同化だ。
コピーな訳だから、自由意志など認めないw🤣
親の言う事を聞き、親の示す道を進め!、って訳だ。
そして、親が年老いたら、親の面倒を見ろ!、その代わり、財産はやる!
これが、大日本過保護帝国なわけだw🤣🤣🤣✨😎🥸💨
じゃあ、新しく生まれる生命は?
何も新しい物は生まれず、何も新しい意見も、文化も、生まれない。
今までやってきた事をひたすら踏襲し、その《維持》だけを考える…
つまり、
搾取する側に都合の良い、奴隷ファーム製造システムが、過保護であるw🥸💨🤣✨
わかるだろうか?🤣
さて、
万教帰一を、知って欲しい。
5教合一という、世界紅卍。
何かしらの真摯な信者が入会条件の、フリーメイソン。
そして、カオダイ教。
万教帰一。
全ての宗教は、一つである…
当たり前やん、
宗教とは、家畜育成インフラストラクチャーだよw🤣✨😎
おかしいと思いませんか?
有名な宗教たちは、一つだ、一つだと叫ぶ中、
ヴェーダ、ヨガ、ウパニシャッド、禅宗だけ、除外されてるんです…
つまり何か?
国家という概念自体、選民思想そのものです。
つまり、国民、市民、臣民、庶民には、自立させないというねw🤣✌️
アセンション。
私達もれなく幸せになるには、私達もれなく、自立する必要がある。
���ローレンス.スコーヴェルシンさん。
私達には、“表層意識”、“潜在意識”、それだけではなく、“超意識”があると、説く。
それこそが、キリストが示した道、
許すという事。
許す、許容、寛大さ、これこそが、超意識の扉を開きます。
宗教とは、人間の“潜在意識”に働きかける。
だから、だから信者は、色々不思議な体験も出来るが、《カルマ》因果応報から、逃れられない…
しかし、許すことにより、許される…
つまり、普通なら出来ない、《リセット》を可能にする、それが許す、寛大さだ。
だからキリストの示した技、病気が治る、つまり、許された。
死者が生き返る、リセットされた…
現状もそう。
誰か支配者がいて、誰か搾取され続ける。
奴隷の歴史は、とてつもなく、長い…
それを終わりにするのが、アセンションだ。
しかし、ニューソートだの、生長の家だの、馬鹿どものトンチンカンな解釈により、アセンションは随分遅れてしまったw🤣🤣🤣✨
艱難辛苦を愛で越した者だけが、本当のアセンションの意味を、紐解ける。
艱難辛苦を金やら、憎しみやら、戦いで越した者は、永遠にアセンションに辿り着かない。
生きるとは、己を知る事である。
己を、愛する事である。
己を愛し輝き始め、お互いがお互いを、照らす。
他力本願では、駄目、他力本願=宗教ですw🤣
私達に必要なのは、
己を知る、ヨガ、禅宗。
逃げる必要は、もう無いw✨
己を知れば知るほど、他人をも知ってゆく。
自己否定を強いる毒親に、逆に子供であるあなたが教えてあげて下さい。
親という字を良く見て下さい。
木に、立って、見てるんです、親。
つまり、ケツを拭いてやる必要が無くなれば、見ていてあげて下さい。
子供は、決して親のコピーではありません。
血肉をあげたんです。
「なんで!?じゃあ親は損ばかりじゃないか!」
…馬鹿を言うな。
今親であるあなたも、その親から血肉をわけて貰ったんだ。
今の立場でのぼせ上がり、あなたはあなたの親から貰ったものまで、最初から自分のものみたいに考えてる。
だから、子供をコピーだと思える。
さあ、簡単で、難しい扉が開きます。
己を知れ。
0 notes
doctormaki · 1 year ago
Text
こんなに青空の日もたまにある。昨日は一日、雨とアラレの寒い日だったが、今日は青空。最高気温20度。肌寒い位で快適。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ロンドン、ヒースローの管制塔が機能不全に陥り、一昨日はヨーロッパの空港は大変。特にシャトル便を飛ばしていたり、ロンドンを含めた周遊便の飛行機の都合で延着���延だらけ。それでも、午後2時頃には帰宅できた。
お買い物に行って、機内食とラウンジ食には出てこない野菜を買い求める。ジンバブエ産の絹さやの花椒炒めと、ロメインレタスサラダ、凍らせて保存してあった豆腐と買い求めたシイタケで春雨の煮込みを作る。
昨日は寒いし、家にこもってお仕事。昼食はスエーデンのクラッカーにイタリアのブルーチーズを載せて、ロメインレタスサラダを食べる。その後、Springer社からやっと出版される事になった情についての論文の最終校正をする。意外に時間がかかる地味な作業。今どき、ケンブリッジ出版もSpringerも校正はインドに外注。インド人のいい加減さには呆れるし、やれやれという感じ。中国がピークアウトしていく先にはインドがありますよ。手強いインドの知識層は面倒臭いなぁと、改めて思う。仕事しないで偉そうにしていたいだけなんだけど、それがインド国内では、カースト制度で補償されている国ですからなぁ。まだ階級制度のある、中世、近世を引きずっているんですよね、あの国は。
外が明るいので気付かなかったのもあるが、仕事を終えて時計を見ると夜の8時前。先学期の授業を履修してくれた学生からのアンケート結果に対する所感を書かなくてはならないのだが、私の授業は実に楽しかったらしい、と安堵しつつ、どおりで所感書きながら、お腹空いてたわと、慌てて食事を作る。凍らせて保存してあった豆腐、トマトやネギ、ニンニクにショウガで炒り豆腐。それに絹さやの残りを、やはり炒めものにして、御飯を炊いて、人参の糠漬けを添える。悶絶するほどの美味しさ。
今日は朝から、未来哲学研のシンポジウムに参加。シンポジウムを聞きながら、なんとなく思ったことを下に記す。ちなみにシンポジウムでは、AIは悟れるかとか、統合学問の可能性とか、人間と自然の二項対立構造の限界とか、哲学とは概念変化を促す学問とかいうことが話題になっていた。私は彼らの話しに耳を貸しながら、全く違う事を考えていた。
宗教と国家だった前近代から、科学と国家だった近代社会と全体主義。日本がドイツみたいになれなかったのは、ある意味で天皇性のお陰でもある。つまり、神道は白も黒も並列的価値と見る。キリスト教は白のために黒を排斥する。それがダーウィンの進化論をベースにしたヘーゲル的な進歩��観と弁証法で合理化された時、ナチがとったような極端な優生思想になってしまう。科学的なという言葉の危険性は、マルクス主義にも当てはまる。マルクスはヘーゲル史観を受け継いでいるし、科学的であることを根拠にマルクスレーニン主義は台頭していく。ソビエト連邦の科学とは軍事産業でもあったし、それはパワーに直結する。
日本は、科学立国だったかもしれないが、そこに理念や思想は無く、ただ楽しいから追求するというゆるゆるな感じが、救いとして働いていることを思う。何事も、良い意味に働くことも、悪い意味に働くこともある。中庸でバランスを取り、極論に陥らない事。極論は疑うことが重要だが、今どきは、無教養な人々が多く、何が極論かを見極める能力が、そもそも論として欠落しているようにも見える。だから、誰にでも分かるように、数値という記号が多様され、数値化できれば科学的であるとしてしまうのが現代教育産物。数値もバイアスが入っていることが見逃され、数値化された時点で色が無いように思われる。何故なら記号だからだ。
日本では少子化は止まらないし、子供や親に金をばらまいても無意味。もっと教育に力を入れるべきと思うが、教員とは日本の未来に夢を託せない人間が就くべき職業ではない事も周知すべきと思う。アホが先生と呼ばれたいだけなのか、手の届く範囲の安定した職業が教員だったのか。。。教員らしい教員があまり見当たらない中、塾高野球部の監督、森林さんが幼稚舎の先生であることに、少しだけ救いを感じた。やはり教育は金をかけないとダメかな。Yaleのサルヴォイ学長が来年退任したいと宣言したらしい。私は教育者に戻りたいと。教育とは未来に触れる事。それはなんて素敵な事だろう。
などと、シンポジウムが終わった後、つらつら思いつつ、窓外の雲がゆったりと流れ行くのをぼんやり見ていた午後でした。今晩はカレーにしよっかな。寒いしね。
1 note · View note
ayablog · 2 years ago
Text
5日目 今日はNGO スクールを3つ訪問。たくさんの課題があった。
カースト最下層の村では、男たちが昼から酒を飲みながら何もしないでいる一日。働いているのは女性だった。何もすることがないから酒しかないのか、家庭での権力を維持して自分を保つために男尊女卑があるのか。
そしてNGOの支援は現場のニーズと差がある。井戸を作る団体。政府からの途上国支援金で井戸を作り、残ったお金は懐に入れる。そんなことが許されているのは気持ち悪い。
カーストは根強く、自分の自己紹介としてカーストをいうこともある。それによってどうかかわるべきか知るためである。
また、貧困地域には同じようなものを売っているショップがある。海外のお菓子や飲み物。これは競争意識がないからなのか。外の世界を知らないからそれらしか売り物を知らないのか
そして何よりもインドの課題は山積みすぎて何から手をつけたらいいのかわからない。複雑に絡み合っている。だからこそ、入り口はこの問題をではなく、この人のために問題を解決するにはどうしたらいいか、その視点で考えないと手がつかない。
またそれが問題なのかは本人に聞かないと分からない。現場に深く入り��んで、考えを受け止め、感謝されたい困っている人を助けたいお��っかい人間にならないようにしたい。
0 notes
yoga-onion · 3 years ago
Photo
Tumblr media
The Quest for Buddhism (67)
Early Buddhism and the disciples
Ten Principal Disciples No. 8: Foremost in Buddhsit Precepts
Upali was one of the 10 principal disciples (Ref) of the Buddha. Among the direct disciples, he was the most knowledgeable in the precepts, and played a central role in the project of compiling the monastic discipline (Skt: vinaya) on the First Buddhist Council, after the Buddha's death.
According to early Buddhist texts, he was from a Shudra, the lowest caste in India, and was formerly the barber to the princes of the Shakya tribe (Ref2) at Kapilavastu. He was made a senior disciple of the later ordained monks of noble birth, according to the order in which they were ordained, by the Buddha, who rejected the class system.
Upali had a dwelling place in Vaishali, a commercial city with a thriving trade and commerce, called Valikarama. He once asked the Buddha for leave to withdraw in the forest and lead a life in solitude. The Buddha refused, however, and told him that such a life was not for everyone. It was assumed that he Buddha wanted Upāli to learn both meditation and Buddhist doctrine, and a life in the forest would have provided him with only the former. The texts state that the Buddha himself taught the vinaya (monastic discipline) to Upali.
During the First Council, Upali received the important role of reciting the vinaya, for which he is mostly known.
This was one of the examples of the Buddha's revolutionary teaching at the time that "there is essentially no class in human beings".
As the teachings of Buddha, his disciples and Buddhism spread throughout the world, thousands of years later, discrimination and killings continue. In order to change this reality, we need to grasp the facts and review the teachings of Buddha and many other pioneers.
Furthermore, it is important to remember that equality is not necessarily a reversal of positions.
Tumblr media
仏教の探求 (67)
初期仏教と弟子たち
十大弟子その八: 優波離 (うぱり、梵: ウパーリ) 〜持律第一(じりつだいいち)
ウパーリは、十大弟子(参照)の一人あり、直弟子の中でも戒律に最も精通していたことから持律第一と称せられ、釈迦入滅後の第一結集では戒律編纂事業の中心を担った。
初期の仏典によると、彼はインドのカーストで下層のシュードラの出身で、カピラ城で釈迦族(参照2)の王子たちの理髪師だったが、階級制度を否定する釈迦により、出家した順番通りに、後で出家した貴族出身の僧の先輩弟子とされた。
ウパーリは、通商貿易が盛んな商業都市、毘舎離 (びしゃり、梵: ヴァイシャーリー)にヴァーリカーラーマという住居を構えていた。彼はかつてブッダに、森に引きこもって孤独な生活を送る許可を求めた。しかし、ブッダはそれを拒否し、そのような生き方は誰にでもできるものではないと告げた。ブッダはウパーリに瞑想と仏教の教義の両方を学んでほしかったのであり、森での生活では前者しか学べなかったのである。釈迦はウパーリに自ら戒律(梵: ヴィアナ)を教えたと書かれている。
第一結集では、ウパーリは、戒律(梵: ヴィアナ)の読誦という重要な役割を担った。
「本来人間に階級などない」という当時としては革命的なブッダの教えが示された事例の一つである。
お釈迦様とその弟子たち、そして仏教の教えが世界中に広まった数千年後にも、差別や殺戮は続いています。この現実を変えるためにも、私たちは事実を把握し、お釈迦様をはじめとする多くの先駆者の教えを見直す必要があります。
さらには、平等とは必ずしも立場の逆転ではないと言うことも忘れてはならないのではないでしょうか。
98 notes · View notes
cuttercourier · 4 years ago
Text
[翻訳] ナガランド州の犬肉禁止問題: 動物の権利、部族民差別
ナガランドにおける犬肉禁止をめぐるポリティクス
ドリー・キコン(メルボルン大学社会政治科学学術院)
2020年8月14日
先日、ナガランド州政府��犬肉の販売を禁止したことは、何が食べ物で何が食べ物でないかについての議論を二極化させただけでなく、私たちがいかに動物の体を私たちの政治や偏見のための戦場にしてきたかを示している。
7月3日、ナガランド州のテムジェン・トイ官房長は、犬の商業的な輸入および取引を禁止し、犬市場と犬肉の販売を禁ずるという州政府の決定をツイッター上で発表した。当該ツイートの最後に、彼はネイフィウ・リオ同州首相と、国会議員でありピープル・フォー・アニマルズ(PFA)創設者であるメーンカー・ガーンディーをタグ付けした。7月4日付ナガランド州政府告示によれば、この禁止事項に違反した者は、1860年インド刑法典第428条および第429条、ならびに1960年動物虐待防止法第11条に基づいて処罰される。これらの2つの法律に加えて、政府はまた、2011年インド食品安全基準委員会(FSSAI)規則、特に、人間が安全に消費できる動物を定義している2.5.1(a)節も援用している。今や犬肉はインドの食品安全基準外の食品に分類されているのだ。〔※同規則で食用動物とされているのはヒツジ・ヤギ・ブタ・ウシ・家禽・魚類〕
州政府の決定後の議論は、禁止を非難する犬肉支持消費者とそれを祝福する反犬肉の声の二項対立にエスカレートしている。論争についてはっきりしているのは、犬肉を消費する文化的権利について話す者と、動物の権利についての倫理的問題を提起する者が持ち出す極端な話法である。牛論争とは異なり、犬肉に関する論争は宗教を中心としたものではなく、文明の論理に基づいている。すべての動物の中で、現代インドにおける野犬は倫理、ケア、権利の代表である。また、路上の犬の経験と存在こそが家庭内空間と屋外の境界線を曖昧にしてもいる。
日常の食べ物の選択は、私たちにインドにおけるカースト暴力やウルトラ・ナショナリズムというより大きな問題に対処することを強いる。例えば、牛は最も崇拝されている動物であり、牛を保護せよと叫ぶ人々は牛を武器として用いるまでになっている。牛保護活動家たちは軍国主義的ヒンドゥトヴァ・ナショナリズムを推進してきた。犬はこのリストに加わり、インドにおける文明、純粋性、愛についての既に山ほどある論争を一つ増やすことになる。犬は道具化された存在となり、その擁護者は禁止令に違反した者を追い詰めるかもしれないが、犬肉��珍味として宣伝するグループは反撃するかもしれない。悲劇は、権利についての政治が応報的正義についての政治になってしまったことだ。
論争の中心にあるのは、犬の肉を消費する、あるいはそれに近づかないための「権利」の問題である。動物愛護活動家、ナショナリスト、雑食主義者、反カースト活動家、伝統文化継承者と、さまざまに自認する人々が声を上げている。犬肉禁止は、何が食べ物で何が食べ物でないかについての価値観、虐待、嫌悪感、禁忌、人種差別等々をめぐる議論を二極化させた。
COVID時代における食肉
とりわけCOVID-19パンデミックの時期にあって、インドにおけるウイルス拡散のもっともらしい要因として食肉への注目が高まっている。ナガランド州を含むインド北東部では、豚の輸入を禁止する告示が出されている。犬肉禁止の場合、動物福祉(犬を苦痛から救う)の主張と、犬は不潔で、病気にかかる可能性があり、したがって消費には適さないという記述が同時になされていた。COVID以前の時代でさえ、FSSAIの勧告の下、犬肉を含むさまざまな食品は、消費しても安全とされる食品の定義の外に置かれていた。目下は清潔で安全な動物という論理が、禁止を正当化するために用いられている。しかし、犬肉の禁止はインドのアニマルライツ活動家が始めたキャンペーンの成果として祝われようとしている。
州政府はまだ禁止措置の詳細を示していないが、犬肉は禁止リストに入った2番目の食品である。1989年、ナガランド州酒類全面禁止(NLTP)法により、州内での酒類の販売と消費が禁止された。今日では、ブラックマーケットが活況を呈しており、アルコールは州内で広く入手可能である。皮肉なことに、ナガランド州の犬肉取引についても同様の未来を目にすることになるかもしれない。
とはいえ、アニマルライツ活動家にとってこれはまさに法的勝利の瞬間である。ナガランドで犬肉を禁止しようとするキャンペーンは継続的なプロジェクトだった。ローカル市場からの数多くの文書や動画は、犬がいかに悲惨な目に遭い、恐ろしい残虐行為の犠牲になっているかを見せつけた。禁止直後の期間、犬肉消費賛成派・反対派双方の口調は非難がましいものであった。道徳的に唯一正しい選択としての菜食主義と雑食主義についての発言は声高になっている。
人種差別の道具
そもそも犬肉はナガ人の食生活の中心ではない。犬肉は珍しく、多くのナガ人世帯では消費されていない。しかし、犬肉の語りは、インド北東部の部族民コミュニティに対する暴力、憎悪、人種差別を扇動するための道具となっている。ナガ人コミュニティ全体を、野蛮と未開についての本質主義的な人種差別的イメージである犬肉食いとして描写する例がインドでは横行している。それほどまでに、ナガ人の集団的アイデンティティと犬肉は、半人半獣的な住民像、ナガ人臣民は道徳的に劣っており、���化されなければならないという〔英領期の〕語りを構築するうえで著しく影響を与えてきた。この説明は、犬を消費する文化的権利や犬を保護する道徳的権利といった権利の主張が、肉や植物に実際に齧りつくことによってなされるというナショナリスト的なアジェンダを生み出してきた。この二項対立は、権利についてと、どのような行為が非正統化されるべきかについての私たちの理解が、いかに禁止という観念によって動かされているかを示している。このような倫理観の形成とモラル・ポリティクスは、動物と人間の区別をさらに先鋭化し、アニマルライツ団体と人権擁護活動家の間に深い溝をもたらしている。
ナガランドでは、何十年にもわたる武力紛争と人権侵害が、深刻な不安と恐怖をもたらしてきた。犬肉の禁止が国軍特別権限法(AFSPA)の延長直後になされたという事実は「我々は犬を守るがナガ人は守らない」というメッセージを送っているように思える。犬肉禁止への抵抗の中で、食品選択の問題が伝統と文化の一部として用いられている。
ナガランド州における犬肉取引が禁止されたことで、アニマルライツ団体は州内での犬の悲惨な扱いに終止符が打たれると感じているかもしれない。それが実現しないことを私は危惧している。禁止がもたらした怒りや憤慨は、別の現実が展開される可能性を警告している。すなわち、自分の文化を証明するため、無理強いされた道徳的勝利を打ち破るため、覇権的秩序に抵抗し、粉砕するために犬を食べたいという衝動である。道徳的勝利と反撃の政治が、犬の身体の上に組み上げられている。
州政府の降伏
庶民の間には怒りが渦巻いている。ある特定の種類の活動家が、24時間にも満たないような目覚ましい速さで州政府に犬肉を合法的に禁止させることができるのはどうしてなのだろう。保健や教育のような基本的な権利を得ることができないナガランドの普通の市民にとって、犬肉の禁止は、ナガランドから遠く離れていながらナガの人々の文化実践を支配することができるアニマルライツ団体の要求に州政府が屈するという屈辱的な動きの集大成である。この禁止令は、いかに犬とナガの人々の生命がこのナショナリスト的な文明化プロジェクトの中心的主題であるかを浮き彫りにしている。ここにおいて右翼ヒンドゥー・ナショナリズムをめぐる政治は特に重要である。牛の屠畜禁止が宗教的少数派の迫害を正統化する動きになったとすれば、犬肉禁止が表しているのは野蛮人を文明化する運動であり、その中で動物的人間/部族民は清潔で安全な食べ物について教えられることになるだろう。
私たちは、アニマルライツ運動と他の形態のアクティヴィズムを互いに対立するものとして設定すべきなのだろうか。それとも、包摂的政治について考え、二項対立をなくすことに重点を置くべきなのだろうか。動物の世界、人間の世界、霊の世界(祖先の価値観)が、ケア、責任、答責性についての観念を共有できるような環境を考えるべきなのだろうか。犯罪性を強調する法的手段に完全に頼ることなく、地球のための共通目標をもつことができるだろうか。
新たな議論の必要性
犬肉に関する論争が曖昧にしているのは、右翼ヒンドゥー・ナショナリズムの意見とアニマルライツ運動の意見との間の線引きである。これは熟考に値する。なぜなら、いやしくも私たちが連帯を求め、価値観や倫理観についての新たな対話を始めるとしたら、それは後者のグループとのものになるだろうからだ。カースト、社会階層、ヒンドゥトヴァ・プロジェクトが絡み合っているように見えるアニマルライツについての政治の中で、私たちはどのような方法で自身の道を切り開くことができるだろうか。アニマルライツを支持する人々と、食習慣についての民族的・人種的価値観を擁護する人々のカーストや社会階層のヒエラルキーは、殺生、屠畜、肉食についての対話を結ぶ方法を見つけることができるだろうか。私たちの皿は、ある政治的主張を証明するために、すべて植物か、すべて肉かのどちらかでなければならないのだろうか。
犬肉の禁止から学べることがあるとすれば、それはオープンマーケットで売られている動物たちがどこでも経験している苦しみと残酷さである。動物の肉を食べるということは厄介なことであり、殺す行為がこのプロセスの中心にある。私はノンヴェジタリアンである。ナガランドで育つあいだに、私は動物を殺す方法を学び、食べようとする肉をきれいにする方法を学んだ。このような瞬間はめったになかったが、私は自分の存在が責任と犠牲という形で絡み合っていることを学んだ。これらは私が実践しようとしている価値観、つまり、自分が食べられるぶんだけをいただき、無駄にしないということだ。私が示唆したいのは、殺して肉を食べるという行為が可視化され、野蛮で非人間的なものとして隠されたり、排除されたりしない世界である。同じ精神で、植物や作物を栽培するプランテーション(オーガニックブランドを含む)で貧困や構造的暴力に苦しんでいる労働者の状況も解明する。このことは、私たちが日々の食事をめぐる社会的・政治的な現実と向き合うのに役立つだろう。
ナガランドの市場ができなかったのは、犬を隠し、消費のために処理されようとする他の動物から引き離すことだった。犬は鶏やアヒル、鳩の隣で縛られていた。また、彼らの肉は派手な袋に詰められていたり、「オーガニック」や「放し飼い」製品としてブランド化されたりしていたわけでもなかった。しかし、全国の市民の憤慨は、インド全土のオープンマーケットで販売されているすべての生きた動物が同様の状況に苦しんでいるという事実とは無関係に、犬だけに向けられていた。ナガランドの市場から犬を救出することは比較的容易であった。しかし、これは犬にとっては脱出したことにならない。これは利益と苦痛の論理が支配しつづける闇市場の活況の始まりとなるだろう。それは、人間が〔動物の〕権利を確立し、思いやりを示し、秩序を創出しようとする一方で、市場、屠畜場、動物保護施設、リハビリテーションセンターにおいて動物がどのように深く道具化され、動員されつづけるかについての現実に私たちを連れて行くだけだ。犬肉禁止に発する論争は、私たちがいかに動物の身体を自分たちの政治と偏見のための戦場に変えてしまったのかの内省を迫るべきである。インドにおいてこの論争は権利をめぐる政治の二極化を推し進めたにすぎない。
5 notes · View notes
jaguarmen99 · 4 years ago
Quote
インドでカースト最下層のダリット(Dalit)の女性(19)が上位カーストの男たちに集団レイプされて死亡した事件で9月30日、遺族の意思や宗教的慣例に反して遺体を死去した晩に火葬したとして、警察が非難の的になった。適切な捜査が行われたかについても疑問が生じている。  女性は北部ウッタルプラデシュ(Uttar Pradesh)州で9月14日、男らに襲われ、首と背骨をけがして体がまひし、血まみれになって倒れているのを発見された。女性は発見されてすぐに地元の病院に搬送されたが、容体が悪化したため28日にニューデリーの病院へ移送され、翌29日、治療中に亡くなった。  女性の母親は30日、「火葬前の最後の時に、娘の遺体を見ることさえ許されなかった」と報道陣に語った。  当局によると、男4人──全員が20代から30代──がすでに逮捕されている。英字紙インディアン・エクスプレス(Indian Express)によると、うち1人は地元でダリットに恐れられている大地主一家の一員だという。  インディアン・エクスプレスがある村人の話として報じたところによると、この男は「トラブルを起こすが、どうこう言う人は一人もいない」「酒を飲み、女性に嫌がらせをする。みんなが大地主一家を恐れている」という。
カースト最下層女性集団レイプ死、警察が遺族の意思に反して遺体を火葬 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
2 notes · View notes
dempameat · 4 years ago
Text
1 note · View note
ari0921 · 5 years ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)6月1日(月曜日)
       通巻第6517号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 インドの「輝かしい未来の発展」シナリオに暗雲
  コロナ災禍がもたらした伏流水がGDPを押し下げた
****************************************
 インド経済が予想に反して、年初来、苦境に陥った。
これまで5%から6%台の成長をなしてきたインドのGDP成長率は市民法への抗議、デモとコロナ災禍によって急減速し、IMFは今年のインド成長予測を1・9%に下方修正した。
 世界が、とくに欧米が期待したインド。いずれ中国を抜き去るとの楽観的予測もあった。
人口では間違いなく中国を抜く(2025年に15億人)。しかしインドが製造業を大飛躍させて、サプライチェーンの基軸を中国から奪うというシナリオは望み薄である。たしかにソフトウエア開発ではトップ集団を形成するが、それは数学の天才が多いからであり、 インドの主力であるソフトエンジニアは米国のシリコンバレーで大歓迎されている。
 モディ首相がカリフォルニア州を訪問したおり、在加州インド人が六万人も七万人も会場となったスタジアムを埋め尽くした。
ピチャイ(グーグルCEO)らインド系アメリカ人がシリコンバレーを牽引し、政治方面でもたとえばニッキー・ヘイリー前国連大使がいる。また英語が公用語であるために、フィリピンなどと並んでコールセンターとしても重視された。そうはいうもののGDPで中国を抜くことは考えにくい。
 国際政治学では「ツゥキディデスの罠」論が持て囃され、インドが浮上したこともあった。
嘗てスパルタ vs アテネのペロポネソス戦争の動機は、大国は新興国の台頭を許さないからだった。しかしスパルタとアテネが疲弊困憊したあと、ローマが台頭したように、米中戦争のあと、インドが漁夫の利を得るというシナリオだが、これも実現性は低い。
インドは基本的に農業国家なのである。
コメ生産は世界一、小麦、綿花でも輸出国であり、コメの種類に至っては百種以上。主力はインディカ米で、ジャポニカは作れない。というのも、耕地を見ると、全土が水不足であり、とくにベンガル地方は湿地帯、農業に適さない。輸出のドル箱=紅茶は北東部に集中している。
▲インフラの未整備と水不足、そして停電
 発展を阻む最大の障害はインフラ未整備。この脆弱性がアキレス腱である。交通アクセスが悪いのもインフラ整備の遅れ(道路、水道)。就中、日常的な停電と交通渋滞。
くわえて大気汚染、環境破壊、不衛生、教育の遅れ(貧困層が3億人)等の原因が挙げられる。
13億人の購買力(しかし@GDPは2015ドル)に期待した。 
年初来、絶好調に急ブレーキがかかったのは、国民の資力、預金のなさ、消費拡大に貢献したバイクもスマホも月賦での購入だったのだ。
賃金が横ばいとなれば、消費に息切れがおき、ノンバンクのローン破裂が目立つようになった。
中国の鉄鋼ダンピングのため、製鉄でも高炉が止まり自動車生産も急減速となった。ましてやインドでも労賃が上昇したため、繊維などはバングラへ移転した。
インドの西海岸に位置するムンバイとグジャラート州などは対中東、アフリカへの輸出基地でもあり、安部・モディの蜜月関係に���り、新幹線工事が始まっている。
 社会構造をみると、インドは29州からなる連邦国家である。
各州が独自の法律と税制を持ち、強い���治を誇る。なにしろ各州が独自の首相、閣僚を選挙で選び、産業発展のメッカと言われるチェンナイが属するタミルナド州などは露骨に中央政府に逆らう。
酒が典型例になる。インドで酒が飲めるのは限られた州で、国際都市だけだろう。
くわえてヒンズー vs イスラムの根深い対立、文化状況はといえ、お酒が飲めるところはニューデリー、ムンバイ、バンガロール、そしてゴアくらい。外国人にはリカーライセンスが供与されるが、この手続きには一時間ほどかかる。ホテルの滞在証明、パスポートなどが必要である。
ムンバイを中心にボリウッド(ハリウッドの対抗)と呼ばれる映画産業があるが、地方へいくと映画はその州の言葉に吹き替えられる。主要言語が16以上。共通語は英語となるが、インテリ、ビジネスマン以外、英語は通じない。
 そのうえインド社会には構造的な矛盾が多多ある。
第一はヒンズー教の戒律があって、カースト制が最大障害である。だからヒンズー教徒のキリスト教、あるいはイスラムへの改宗が増加している。
第二には富と貧困と最貧の問題で、金持ちは御殿のようなきらびやかな住居、広い庭園に住むが、スラムへ行くと、吐き気を催すような臭い、トイレも水道もない。悪臭ただよう閉鎖的な空間に夥しい人々が暮らしている。
第三にインドは民主主義国家だが、政党間の政争にも増して、宗教対立の根深さ(シーク教もイスラムも)がある。
 ▲それでも日本企業は健闘している
 このインドへ進出した日本企業は1072社。筆頭はスズキである。
 重要な事実はインドが親日国家であること、そのうえ日本は旧宗主国の英国を抜いて、最大のインド援助国だ。
日本人は大東亜戦争におけるインド独立支援をあげるほかに、お釈迦様の生誕地という近親観がある。しかし正確には言えば、生誕地はネパールのルンビニ、インドは布教と入滅の土地である。
日本人はデリー、ムンバイ、チェンナイで1万名が駐在しており、ジャパンタウンはないけれども、ニューデリーに行けば、居酒屋、寿司屋もあり、いまでは日本料理の食材店もある。
 さてコロナ災禍でインドは都市封鎖を行い、それも全土にわたって、三回延長されている。3月25日から全都市の封鎖が発動されたが、感染の拡大はスラムの人口密集地帯だった。狭い住宅、トイレ、水道なし、医者にかかれない赤貧層が最悪の被害者となった。
モディ政権は財政出動を三回行った。
しかし貧困国ゆえに限界がある。3月26日に邦貨換算で2・5兆円の経済対策を発表し、翌日 2・5兆円程度の量���緩和を行い、4月12日には20兆円の追加経済対策を発表した。
インドの夢は経済大国となって、地域のヘゲモニーを掌握することだ。
いずれ「MADE IN INDIA」という戦略が樹立されるだろう。けれども労働力は豊富だが外国企業の進出が鈍く、ハイテク産業は都市部に集中していて、軍需産業梃子入れに偏重が見られる。インド軍は136万人。核保有国である。 
 こうみてくるとインド経済のネックが顕在化する。
あまつさえ企業活動となると、タタ、リライアンズ財閥の寡占状態があり、宗教的理由で効率労働ができない。まだインド人の性格は約束を守らない。土地の貸借に難儀があることなどが加わる。
 ▲G7にはインドも招待席へ
 しかしインドは地政学的に重要なのである。
トランプは中国封じ込めのためにも、インド支援を明確化し、日米豪「インド太平洋」戦略の要として海軍の演習に力をいれた。
5月30日、フロリダ州の宇宙衛星打ち上げ成功を祝した帰路に大統領専用機でトランプは「G7の六月開催を九月に延期し、このG7にロシア、豪にまじえてインドを呼ぶ」と語った。
トランプ大統領はインドの地政学的重要性を認識しているのである。
南シナ海を我がもの顔で軍事支配する中国は、その魔手をマラッカ海峡を越えて、カンボジアのシアヌークビル港、ミャンマーのチャオピュー港、バングラのチッタゴン港の浚渫を近代化工事を請け負い、さらにスリランカのハンバントタ港を事実上、中国の海軍基地とした。
ついでインドの南西に位置するモルディブの無人島開発を持ちかけ、パキスタンのグアダール港からホルムズ海峡を扼し、アフリカの紅海ルーとの拠点であるジブチには、正式な中国人民解放軍の軍事基地を置いた。
見方によってインドを見事に取り囲み、いずれ海上封鎖が可能な軍事的能力を保有することになるだろう。
このようにしてインドの周囲は中国の「海のシルクロート」となっており、海軍戦略も周辺国を中国が軍港化したため、インド最大の脅威となっている。
そこでトランプは二月に訪印したが、武器購入16億ドル以外に目立った成果はなかった。
 国内政治を見渡すと、ガンジー vs チャンドラ・ボーズという政治思想の対立が存続している。
ネルー率いた国民会議派は依然根強い。モディ(人民党)はヒンズー原理主義であり、イスラム敵視にかわりはない。こうした環境の変化があり、複雑な人種構成、社会構造のインドが、ふたたび勢いを取り戻すことが期待されている。
1 note · View note
kennak · 1 year ago
Quote
[11日 トムソン・ロイター財団] - 昨年、インドの首都ニューデリーで宗教間の衝突が起きた後、警察は顔認識技術を使って数十人の男性を特定し逮捕した、と発表した。2020年の暴動に続き、こうした例は2度目だ。両事件とも、起訴された者のほとんどがイスラム教徒だった。人権団体や技術専門家らは、インド当局が貧困層や少数派、社会から疎外された人々を標的にするために人工知能(AI)技術を使用していると批判している。当局は、AIの導入によって効率性とアクセスが向上すると主張する。しかし、技術専門家らはAIの倫理的使用に関する公式な政策が欠如しているため、古くからの偏見が定着して少数派が犯罪者とされ、ほとんどの利益が富裕層に流れることで、底辺の人々が傷つくことを懸念している。ニューデリーで「予測的取り締まり」を研究している研究者、シバギ・ナラヤン氏は「(カースト制度で最下層とされる)ダリットやイスラム教徒、トランスジェンダーなど、社会の片隅に暮らす人々に直接影響を与えることになる。そうした人々に対する偏見や差別に拍車をかけるだろう」と語る。広告 - スクロール後に記事が続きます
アングル:AI利用、インド分断助長も 目立つ警察利用の弊害 | ロイター
1 note · View note
774 · 5 years ago
Quote
AFPによる電話での取材に応じた警察幹部は、2人が早朝、「生理的欲求に対処するため足を止めて」いたところを襲われたと説明。「子どもらは病院へ搬送されたが、けがのために死亡した」と述べた。 この幹部はまた、この事件をめぐり兄弟2人が逮捕されており、うち1人には「知的障害」があるとみられると付け加えた。 犠牲者の一人の父親は、自身の家族が上層カーストの人々から差別を受け続けてきたと主張。 PTI通信(Press Trust of India)の報道によると、この父親は「私たちの家にトイレはない。子どもたちは朝、排便するために外へ出ていく」と説明し、「(加害者の兄弟は)子どもたちが路上で排便していたため怒鳴りつけ、用を足している2人の頭を棒でたたきのめして」「ものの数秒で殺してしまった」と語ったという。 同国ではこれまでにも、屋外で排便していた人が捕まり、暴力沙汰に発展する例がある。
カースト最下層の子ども2人、路上で排便し撲殺される インド 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
1 note · View note
forgetfulsubs · 6 years ago
Video
youtube
【TaKU.K】The mysterious story of an imbécile's fall - eng sub【GUMI】
✞Music by TaKU.K @ Mylist | Twitter | Piapro | YT ✞Art by Miyukaji (みゆかじ) @ Twitter | Pixiv +Translation by Forgetfulsubs (with permission) +Eng grammar checks by Mage of @magenetratranslations
アンベシル滑落奇譚 The mysterious story of an imbécile’s fall.
愚者は錆の現を視た さあ、賢者の番だ A fool has thus gazed at our rusted reality, Now, it’s the “wise man”s turn*
*I’ve used she/her for the pronouns and put “wise man” in quotations as the illustration seems to feature a lady. Though wise man could also have just be translated as sage or switched to wise woman I felt that didn’t carry the same implications.
安寧の日々は滑稽なヒビへ形を変える エス・カーストの最下層 トロイメライ覚め、カオスな今へと 終演間近の演目で足掻く有様、無様! 腐乱(ふらん)、ブラクラを踏み抜けば 破棄場(はきば)が手を招く
My peaceful days changed form to that of a comical everyday The lowest and worst possible s. caste* I awaken from a träumerei* o the chaotic present tThe sight of struggling as the final programme plays, how very unsightly! Decomposition, stumbling on a browser crasher, I found the scrap heap beckoning to me.
* S.caste refers to a form of social class system, appaarently * träumerei is german for dream it’s more so a noun describing the state or the act of dreaming
排せよ栄光、席を崩した 廃せよ願望、縁を下した 拝せよ劣等、支配者の御前(ごぜん)なるぞ 采地の解放、盤面乱れて 才知の落陽、とうとう崩れて 見下す者は見下されていた
Reject glory– I destroyed my position Abandon hope– and let all my relationships fall Worship inferiority– thou now stand in the presence of a ruler The liberation of the fief*, the whole board in chaos The setting sun of wisdom at last crumbling away The one who looked down upon it all was truly looked down upon.
*Fief is “a person’s sphere of operation or control.”
贖う術など知らなくて、 僅かな繋がりすら切れ果てた 見る目が無く、無価値な 愚か者ばかりだな、と吐き血を吐く 悪辣(あくらつ)な香りが路地裏を染める 降り出した雨で肌は冷め、 心は湧いた憎悪で熱を出した 蒔(ま)いた憎しみが芽を出して、 人々に絶望を振り撒けと、 呪詛(じゅそ)のように唱えた言葉は 誰にも届かずに消えてく 延命も、弁明も、許されることなく、 憐れみすら手向けられず、 道化には暗幕が下る
I know not any means of redemption – Any faint connections I had are now completely chopped to bits “They’re all such worthless fools, lacking any kind of discerning eye” I say, spitting up blood. A sharp and unscrupulous fragrance stains the end of the back alley, and my skin grew cold by the rain that began to pour. but my heart burned feverishly by the hatred that welled up inside. “The hatred I’ve sowed begins to sprout, now we scatter despair upon the people.”* The words I chanted like some kind of curse disappeared before ever reaching someone’s ears. Not allowed a long life, nor an apology, or even pity in my passing, the curtains fall upon this buffoonery.
*The words that cover the screen at this point are all negative words disappointment, despair, etc.
愛と優しさは屑箱へ 地位と名誉は懐へ 形の無いモノに価値は無いと 賢者様はおっしゃいました その目は誰より底深く その手は誰より小綺麗で その口はすべてを貪り尽くし その重みで溺れていることを知りませんでした
“Throw love and kindness to the trash bin Tuck status and honour away within your bosom Things without form are without value" Or so the ‘wise man’ said such– With those eyes far deeper than anyone else’s and hands far prettier than anyone else’s and a that mouth devours everything, leaving not a crumb She didn’t realise that the weight of it all was causing her to sink down and down. *
*“weight” and “importance” are the same word in japanese. Connecting with the line above you could take this line as just flatly saying “indulging will make you fat” but there’s also a “importance (power) causes corruption” implication here which I tried to include.
-第二幕開演- -The curtain rises on the second act-
惨憺(さんたん)たる日は閑散(かんさん)なる日が 呑み干してゆく 終末色の末端で、 脆(もろ)い、得体なき灯りが揺れてる 醜悪(しゅうあく)、癇癪(かんしゃく)、 浅薄(せんぱく)、不躾(ぶしつけ)が滲んだ顔 違う、誰だ此(こ)の化け物は 恥、止まり知らず
The leisurely days of inactivity drink up the wretched ones. At the end of the colours of the end, the fragile, characterless light sways A face blurred with ugliness, irritability, superficiality, and impoliteness No– Who is this monster? My shame knows no end.
環境には妄言(もうげん)をつらつら並べ、 人間には侮蔑(ぶべつ)を込めて責任転嫁 自己愛で満たして、 この愛こそ極上だと言立(ことだて) 嗚呼、御免 当然で失敬 語るまでもない
Carefully lining up thoughtless words in my surroundings, I shift the blame on humanity, casting disdain on them all the while. Satisfying myself with self-love, and making a big thing out of such love, I claim it’s the very best Aa, sorry. Of course, how presumptuous of me That already goes without saying, doesn’t it.
垂れ流れ、浸す世迷言 驕(おご)り、高めることが上手いこと 壊れた玩具(おもちゃ)のように 己を崇(あが)め、讃えてを繰り返す 嗄(しゃが)れた声と雨音の交合い 溶け朽ちてく身体よりも 酸鼻(さんび)な心が蠢(うごめ)いた
Oozing and flowing away, the immersing nonsense Swelling my own pride is what I’m good at like a broken toy I revere myself, repeating my praises. The union of my hoarse voice, and the sound of the rain My excruciatingly disconsolate heart squirmed even more than my rotting body.
見放して、見放され、 賢者様はどこへとゆくのでしょう 流れ着く、その果てで、 呪いと加護の まじないを唱え続けました 自分を信じて疑わない 自分だけしか信じられない かわいそうな賢者様 あわれでみじめな賢者様 さあ さあ さあ さあ 望みを言ってごらんなさいな
Having given up and been given up on in return, just where does the 'wise man’ go Washed ashore, at the very limits, she continued to chant a incantation of curse and divine protection Believing in herself without an ounce of doubt Unable to believe anyone but herself The poor 'wise man’ What a pitiable and wretched 'wise man’ now come, now come, now come, now come, Speak that of which you desire.
終幕 -end-
賢(さか)しさが果てる娑婆(しゃば)になど 塵芥(ちりあくた)程の価値もないなと 跡形もなくこの身を消してくれと 笑いながら叫んだ 分解が始まる 記憶も、身体も ちょっと待て、すぐ果てないだと? 後の祭り 記憶は剥がれて舞った 嘆願(たんがん)も虚しくやがては 言の葉すら紡げなくなってた 唸(うな)り声 虚(うつ)ろな目 不様な顔のまま 身体も剥がれる 願いは叶い、全ては消え果てた 路地裏の骸(むくろ)は鼠(ねずみ)が 新たな住処(すみか)にしてた
“This corrupt world where intellect goes to die can’t even hold a candle to a pile of trash So erase this body of mine from it without a trace” I cried out, while laughing The decomposition begins, my memories and body itself– Wait a minute, this won’t end quickly? Alas, it’s far too late, my memories came unstuck and danced in the air around me My pleas end fruitlessly, and before long I lost even the ability to form words. With a groaning voice, empty eyes, and my face still unsightly as ever, my body comes unstuck and my wish was granted; everything vanished from existence. The mice took my corpse lying in the back alley as their new home.
愚か者だった I was such a fool
閉幕 -the curtain falls-
33 notes · View notes
de-salle-pour-sana-e · 2 years ago
Text
自分会議 この気持ちだけは残しておきたい
この気持ちだけは忘れてしまう前に残しておきたい。 2022年10月8日土曜日、丸善インデクスサブアリーナにて、大阪府剣道段審査(三段~五段)に参加した。 4月からの剣道再スタートだった。 世界一周をしようと思ったときに、自分が世界と関わるうえで武器になるものが、剣道しか浮かばなかったのが正直な理由だった。 お金払ってない期間が長くて、行きづらくなってしまってたけど、勇気をもって行ったら先生たちは受け入れてくれた。 立ち合いの向き合い方、型の練習の仕方、本当に一生懸命教えてくださった。 自分にこれだけ指導してくださったことが本当にうれしかった。 先生たちが、応援してくれたことが何よりもうれしかった。 剣道の練習はしんどいことの方が多い。 何に向かってるのか半分わからず練習していたがため、圧にも感じていたのも正直なところだ。 でも本当に受けてよかった。 中央線に乗り換えて、弁天町になると一気に車両に剣道選手らしき人が増える。 コロコロ付きの防具袋の人がほとんど。 これは確か強い人しか持っていないというイメージなのだが これはトレンドなのか実際強い人たちしかやはり残っていないことの象徴なのか 会場の受付が始まる。 ほとんどの人が友人づれに見える。 スポーツ用の服がほとんどなく、恐ろしくダサい格好で来てしまった体たらくだ。 物はそろっているはず。 普段走り書きで汚い字ばかりを書くが、提出レポートだけはここ最近一番の集中力で仕上げた。 勉強するときの姿勢はこれでなくてはと思う一瞬だった。 着替ええる。 足の筋肉がすごい選手がいる。 稽古の差の大きさがこの上ない。 会場に入ると地稽古をして体を温めている人たちがいる。 知り合いのいないわたしは誰とどうしたらいいのかわからない。 とりあえず飛打ちを繰り返す。 他の場所だったら迷いなく声をかけられるのに。 剣道の場ではチキンな、その場のカーストにしっかりしたがってしまう。 変な人でいないようにしてしまう自分に久しぶりに出会う。 それも悪くない。 しかし当たり前だがみんなつよい。 本当に強い。 そりゃそうである。 ここにいるのが怖い。 緊張も高まる。 でも今更、プラスアルファの能力があがることはあり得ない。 緊張で堅くなって、実力が下がることだけを避けないと。 この状況を楽しむなんて簡単に言えない、だからこそのそのいい聞かせをする。 この状況を前向きにとらえる。 実力は増えない。だからこそ開き直ろう。 これは一つの経験になる。 確実に一つの+は保証されている。 そう思うと少しだけ楽になる。 昨夜が遅かったため、あくびが止まらないのが悲しい。 昨夜見たバキのあくびをかみ殺す表情が頭に浮かぶ。 しかし礼の振る舞いもなにもかもがぬるい。 自分を今一つ剣士として認めていない自分がいるのがわかる。 礼儀は抜群な選手がほとんどだ。 そういう世界だということも知っている。 受信番号は9番。 三段を受ける女性は9人。 シニア枠の3人の女性と一緒に練習する。 白袴の私より4歳ぐらい年上の彼女は絶対かなり強い。 メンタル的にそれが確定している風格である。 準備万全できたものの、動揺のためか面紐のむずびがおかしくなる。 立ち合いの先生に指摘される。 動揺が止まらない。 三弾の女性選手の立ち合いが始まる。 みんな上手だ。 高校生はやはりうまい。 動きも軽い。 打ちも重い。 そして私の番だ。 礼をする位置があっているのかどうかが本当に心配だ。 案の定白袴の彼女は強い。 速い。 打ちも小さい。 気も強い。 気合十分。 しかし私の好きなタイプでもある。 地稽古なしの最初の立ち合いなので思うように声が出ない。 そこだけが自信なのに。 怖くて仕方ないが、一つでも自信のあるものがあるという安心があるのを知った。 怖くて情けなくているのもやっとだが、17年前に作ったお守りがずっと胴についている。 気合と忍耐 今になって初めて助けてくれた、守ってくれたような気がした。 弱くて仕方ない私だから、ずっとつけさせてもらうよ。 時間。繰り返す。ずっといる。 時間の重み、繰り返しの重み、 それ以上に支えてくれるものはやっぱりないんだ。 そう思った。 時間の重み。繰り返しの重み。 二人目の女性はシニア層の方だ。 私の方がもちろん動きははやいけど、全く逃げていない。 間違いなく打ち始めは私の方が遅かった。 それは慢心でしかない。 あっという間の二分間。 本当に疲れた。 体が動ききっていないことだけわかる。 朝に走っておけば、、と少しだけ思う。 しばらく立ち合いを見続ける。 男子選手の打ちの速さと重さ、 涙がっもう出そうになるじゃないか。 女性選手の面の鋭さ。 かつての先輩を思い出す。 あんな面が打てたら。 あんな面が打てたら。 自分の時間の多くがスマホに奪われだしたが、 剣道の姿はすべてのカルチャーもテクノロジーも何もかもを切り裂いていく そんなことを思った。 この迫力を、会場の振動を、気迫を映像で見ることはできない。 どんなアバターもメタバースも見せてくれやしない。 ひたすら生身の人間の突きつける力の強さだ。 そしてそれは生への意志ともつながるのだろう。 宮本武蔵たちの強さはそこにある。 本当の侍の強さはそこに期限をもつ。 今の時代に決して必要な強さではないだろう。 強い先輩たちは勝つ��が楽しくて、上手さを生かして楽しんで剣道が出来ているのだろう。 私はどうしたい。それを問う。 ただ、剣道をする当事者に自分の意志でなれたこと、その場に戻れたこと。 16年かかったけど、それが本当にうれしかった。 私しか得られない喜びだ。 自然に涙が出た。 時間だ。 なんとか立ち合いは合格。 型の準備だ。 大阪大学ヒンドゥー語を学ぶ彼女と練習。 大学生となると、先生に声をかけてしまうノリで話しかけてしまう。 私の教室長が一瞬顔を覗かす。 七本目の不安があるが、なんとかなるかもしれない。 型の時間はもう覚えていない。 もう一体私は何をしたのか。 一つはっきりわかっているのは、私がしたかった型をしたということ。 私が何者だろうと。 弱い剣士だろうと。 型だけは思いっきり決めたいんだ。 思いっきりかっこよくしたいんだ。 しっかり攻めたいんだ。 記憶はほとんどないが終わっていた。 みんな受かれ・・・!そんな気持ちで見ていた。 ほんとみんな、、受かれ・・!!! 四段の小太刀をたくさん見れた。 気迫がないと逆に決まらない。 25番宮本さん。 めちゃくちゃかっこよかった。 やっぱそうきめなくちゃ。 結果は2週間以内に届くらしい。 まだどうなるかわからないけど。 受けてよかった。 幸せだった。 こんなに幸せな気持ちになるなって思っていなかった。 剣道をやめて16年になる。 16年ぶりの段審査だ。 ぼちぼち道場に行った時もあったけど、でも出来なくなった、いけなくなった。 続けられたらそれでいい、楽しめたらそれでいい、そんな形で続けたこともあった。 でも違う。 どれだけ老いても、今の自分から少しでも強くなろうとすること。 それが一番楽しく剣道が出来る方法なんだと思う。 この16年いろんなものに、いろんな剣道以外のものにもまれてきた。 琴 和太鼓 心理学 洋服づくり 企画作り 大学教育 哲学 フーコー ニーチェ 研究 大学院 パチンコ屋 ファッション 教室長 ギター 旅 英語 フランス語 イラスト どれも大切だけど 剣道はやっぱり、絶対すてちゃだめな何かなんだ。 もっと強くなる。 私が何者でも。 これから先年を取っていくだけだとしても。 五段を受けている外国人も見た。 高校でしていないことをどうこう言ったってもう仕方がない。 うまい人はやっぱり小学生からうまい。 指導の雰囲気やいろいろあるのだろうけど、何より圧倒的に竹刀を振っているんだと思う。 足を鍛えることと、竹刀を振り続けること。 絶対に出来るはずだ。 3年後、絶対四段を受けたい。 もう一度あの雰囲気にチャレンジしたい。 変わらない練習と、いろんな稽古を見ること、いろんな場所で剣道をすること それが一つでも出来るようになれたらと思う。 時計の針が、やっと本当に動いた。
1 note · View note