#OASIS 日本語訳
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Oasis【Cloudburst】和訳 解説「雨降って地固まる」The Rain Falls The Earth Hardens
Oasis【Cloudburst】和訳 解説「雨降って地固まる」The Rain Falls The Earth Hardens LyraのBlogへ #LiamGallagher #Oasis #オアシス #NoelGallagher #PaulArthurs #bonehead #PaulMcGuigan #Guigsy #TonyMcCarroll #DefinitelyMaybe #cloudburst #oasisreunion #oasis2025 #オアシス再結成 #オアシス30周年
Welcome back Oasis!! 🎊 祝 Oasis 再結成㊗️ということで今日は Oasisの1st アルバムの日本版にしか収録されていなかったけど、最高に90’sの香りがして胸がドキドキしてしまう曲を和訳解説しちゃいます。 前から何度も書いているので「耳にタコができたよ」と言われてしまうと思うけど(笑)、初期オアシスは、どの曲も金太郎飴のごとくスゲ〜名曲ばかり。凄いどころじゃない、なまらスゲ〜名曲ばかりなのです。 勿論、どの時代のOASISも愛しています…が、やはり初期のOASIS…それも1st アルバム〜2nd アルバムまでの全て=…
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#About Liam Gallagher#Bonehead#Guigsy#Liam Gallagher#Oasis#oasis 2025#oasis a side song#oasis album#oasis b side song#oasis band#oasis Bside song#oasis come back#oasis Lyra Sky#oasis MV#oasis reunion#oasis singles#oasis songs#oasis wiki#oasis ミュージックビデオ#OASIS ライラ・スカイ#oasis 再結成#Oasis 和訳#oasis 和訳 解説#oasis 日本語訳#oasis 日本語訳 解説#oasis 来日#oasis 解説#OASIS 日本語訳#Oasis【Cloudburst】和訳 解説#Oasis【Cloudburst】和訳 解説「雨降って地固まる」
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【日本語訳】Oasis – Whatever / オアシス – ホワットエヴァー (Official Video)
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【日本語訳】Oasis – Live Forever/ オアシス – リヴ・フォーエヴァー (Official Video)
#Oasis :)#this is the video with the chair on the wall that Louis loved so much he put it in his video for Walls :)
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Junebug "Static Between Stations"抄訳
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(360°動画なのでモーテルの中を好きに見て回ってください)
見知らぬ場所を歩き回る感じが好き 一人きりでしか味わえない自由を感じるのが 新しい顔や声と出会うのが好き そしてどうやって見分けるか学ぶの
I like the feeling Of walking through a strange place A kind of freedom Only knowable alone I like the feeling Of finding a new face And a new voice to learn how to recognize
ステーション間 狭間のノイズが 私に安心をくれる 通りすがり 狭間の余白が 私の居場所
The static between stations Gives me relief now The space between places Is where I am bound
馴染みのない場所に 過去は置いてかれたまま 連れて行かなければ見えない 思い出されないまま
In unfamiliar territory The past stays behind It won't come along unless it's brought It won't come to mind
ステーション間 狭間のノイズが 私に安心をくれる 通りすがり 狭間の余白が 私の居場所
開かれた路上が孤独の砂漠へと変わるなら 私は別のオアシスを探しにいく
The static between stations Gives me relief now The space between places Is where I am bound
When the open road becomes a desert of loneliness I'll search for another oasis
※日本語版は非公式日本語翻訳mod使用
訳しててすごくKentucky Route Zeroらしい歌詞で、かつJunebugらしいなあと思った。
同じ生産ラインで生まれ見分けもつかない灰色のロボットだったジューンバグとジョニーがこの曲を歌っているのがとてもいい。二人一緒でよかったね。
いつかどこかの路上でふたり朽ち果てているのを見れたらいいなと思ってる。
Bandcampで試聴できるしアルバムも買える。
Cardboard Computerさんたちから歌詞翻訳の許諾をいただきました。
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Oasis - Whatever (Lyrics In Japanese & English / 英詞 +日本語私訳)
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8月も半ばで本当に毎日が早いねえ〜
忙しいから早く感じるんだと思ってたけど、お盆休みに入り何もしなくてもめちゃくちゃ早いことが分かった。
前は夏がきらいだったけど数年前から好きになってきた!汗かくと体も心もちょっとだけきれいになってく気がする。
小学生の頃は毎日日記を書いてた。誕生日に分厚い日記帳をもらって、1行でもいいから書こうって決めてた気がする。2冊分書き終わった頃から記憶がないけど、いつから書かなくなったんだろう
今も日記を書きたいのに、文章を書くのにすごく時間がかかるほうなのでいつも書けないでいる。
5月にEP「NEW ORDER」をリリースして、曲に出会ったときの気持ちとRecの日々を忘れないように、自分なりの思い出を書いていきたいと思います。
1.ハッピーエンドでよろしく
スパラビュに加入してすぐの頃、新曲が出来たんだって片貝さんから聴かせてもらって、この曲を初めてみんなで合わせたとき、今自分達はすごい名曲を演奏してる、と演奏しながら感動したのを今でも覚えてる。
ライブで必ずやるこの曲は、過去2回Recをして、今回また新しくRecをして、毎回思うけど今回が1番いい出来です。
Recのとき片貝さんに、本気でやろう、ネブワースのときのOasisみたいな伝説のライブしてる気持ちで!って言われて、気合いが入っていいテイクが録れたと思う。
ずっと悩んでたコーラスも、北山さんが軸をとってくれてみんなでたくさん練って、とても美しくなった。
リバーブの調整もエンジニアの梶間くんにかなり色々試してもらって、マスタリングのとき完成したコーラスを聴いたら感動して涙が出そうになった思い出がある。
2.yoursong
最近のライブでは必ずやっている曲を再録。この曲も、初めてスタジオで合わせたときから好きだった曲。ドリーミンなかんじもお気に入り。
片貝さんとツインボーカルの曲で、いつもはドラムを叩きながら歌うのが中々に難しくて息の吐き方とかを試行錯誤してるんだけど、レコーディングだと歌だけ、ドラムだけに集中できるのが楽しみでワクワクしてた記憶がある。
"I wanna be your LOVE SONG"って歌い出しの歌詞がすごくロマンティックで、本当に誰かにとってのそんな曲にしたいと思って歌ってる。
3.My Little Runaway
これも片貝さんからiPhoneの録音デモが送られてきたときから好きな曲だった。
コードのかんじが今までのうちらとはなんとなく違うかんじ?でおしゃれだ!と思って、ドキドキしたのを覚えてる。
Recのときにドラムのフレーズも見直して、シンプルながら好きなドラムを叩けてると思う。ただ中々スピード感が難しいけど。
My Little Runawayは、"僕のかわいこちゃんがいなくなっちゃった"って意訳できるって知ってから、コーラスをするときは"かわいこちゃん"になった気分で歌ってる。現れたり消えたり。特にみんなで「パパパ」って言うところはお茶目なかわいこちゃんのイメージ。
4.Spectacles
頻繁に登場する、かっちょいいメロディのリフがお気に入り。
アウトロで、北山さんのギターに片貝さんのギターが絡んでいくところが美しいなあって思う。京都でおとぎ話のライブを観たときに、有馬さん��牛尾さんのギターがシンクロして最後高く掲げられたときの感動と似た美しさがある。
5.waiting on you
このEP唯一の新曲で、コロナの流行でライブが出来なくなっていた頃にやった、片貝さんの弾き語り企画で歌った新曲をバンドアレンジした曲。
弾き語りがすごくよかったから、バンドでアレンジするのは難しいんじゃないかなと勝手に思っていて、やるのを最初は渋ってて。でも北山さんがサポートで入ってくれて、この曲をやろうよって言ってくれてから色々試行錯誤して、結果ほんっとにお気に入りの曲になった!
ギターソロからのキーボードソロにバトンタッチするところが気持ち良くて最高に好き。
アウトロのキーボードフレーズを朝までみんなで試行錯誤して録ったのもとてもいい思い出になってる。
本当はもっと書きたいことがあるんだけど、目が霞んできたのでこのくらいにしときます。
生活しながら少しずつ進めていったこのEPのRecは、10月から始まって気付いたら1月になっていて、そこからMIXにもこだわった大作です。
1曲目の「ハッピーエンドでよろしく」の最初に入ってる"ワンツー1-2-3-4"はRecの1番最後にみんなではしゃぎながら録りました。そのときの楽しさが伝わってるといいな。
今回のEPは最後の曲以外は再録の曲たち!
再録なんだけど北山さんがサポートで入ってくれて一緒にRecできて、どの曲もすごくパワーアップしてると思う。
なので全く新しい気持ちもあり、逆にベスト盤のような気もするし、スパラビュの名刺代わりになる作品ができたと思ってます。
メンバーのみんなはもちろん、北山さんのおかげで今までの曲にも新しい発見がたくさんあって、すごい一緒に考えてくれたのが嬉しくて超信頼してます。
毎回深夜まで付き合ってくれたエンジニアの梶間くんのセンスと根気強さでほんとに最高になったし、
このEPのジャケは内原のbaqという古着屋さんで撮影しました。店主でありカメラマンの西山ちゃん本当にありがとう。西山ちゃんの写真が大好きだし、一緒にいるとずーっと楽しい。
このEPを持って色んなところに行きたいです。たくさんの人に聞いてもらいたいな。
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Today's choice
By Saito Soma
1. XO
2. Art school
Love/hate
3. 村野真朱、依田温title『琥珀の夢で酔いましょう』
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クラフトビールを題材にした人情マンガ。ビール好きにはたまらない内容ですね。京都行きたいなあ。
4. (2020.12.12)
舞城王太郎 , 『煙か土か食い物』
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各所でも散々言っておりますが、たまたま手に取ったこの1冊で完全にノックアウトされました。文章のリズム、ビートというものを意識するきっかけになった作品です
5. LOSTAGE
title『PLAY WITH ISOLATION』
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初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。ゴリゴリのリズム隊と美しいメロディ。こういう音楽もいつかやってみたいなあ。
6. 赤河左岸title『果ての荒野でバカンスを』
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主に3つの短編が収録されていますが、表題が最高に素敵です。SFってこういう切ないストーリーに合いますよねえ。
Manga
7. 恒川光太郎title『無貌の神』
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どれも大好きなのですが、この短編集に納められている『死神と旅する女』がべらぼうにいいんです。こんな小説を書いてみたいものです。
8. 空中泥��
title『Crumbling』
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サブスクで見つけた韓国のアーティストさん。どんぴしゃで好きです。トクマルシューゴさんやエリオットスミスの雰囲気も感じますね。灰色の日に聴いていたい。
9. 町田洋
title『夜とコンクリート』
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最近活動を再開されたと知り、とても嬉しくなりました。『惑星9の休日』も最高だし、トーチwebさまにて読める『船場センタービル』もぜひに。
Manga
10. レイモンド・カーヴァー
title『愛について語るときに我々の語ること』
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ダーティミニマリズムとも称される作風で知られるカーヴァーの短編集。ソリッドな文体とダークな世界観にぞくぞくします。
11. ドミコ
title『hey hey, my my?』
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ローファイシューゲダウナータイトな2ピースバンド。M2『こんなのおかしくない?』、M9『くじらの巣』が特に好きです。ルーパー使えるようになりたい。
12. 田島列島
title『水は海に向かって流れる』
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ゆるさと重さの共存するユニークな世界。こんな共同生活、送ってみたいなあ。榊さんかわいいですよね。
13. 筒井康隆
title『懲戒の部屋』
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いちばん最初に読んだ筒井さん。いまではぼくもすっかりツツイストです。筒井さんのパスティーシュで『羅生門』の続きを書いたことがあります。
14. tempalay
title『21世紀より愛をこめて』
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めちゃくちゃ格好いいですよね。M3『そなちね』M5『どうしよう』などなど、サイケで癖になる楽曲揃い。『革命前夜』も最高にクール。
15. 星野之宣
title『ヤマタイカ』
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邪馬台国を題材にした壮大な伝奇SF。読み応え抜群で、久々に歴史もの熱が再燃しました。『宗像教授伝奇考』もおすすめです。
16. 中島らも
title『水に似た感情』
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何度も読んでいる本。小説としての完成度というより、読むときどきによって感じられるポエジーに惹かれているのかもしれません。エッセイもユーモアたっぷりなのでめっちゃおすすめです。
17. 金田一蓮十郎
title『マーメイドライン』
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『ハレグゥ』も大好きなのですが、今回はこれを。人魚姫ってすごく惹きつけられるモチーフですよね。絶妙な距離感を描いたマンガです。
18. 村上春樹
title『1973年のピンボール』
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初期の村上さんの作品の雰囲気が好きなのですが、そういえばあまり言ったことがなかったかも。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も好きです。
19. ロブ・ライナー
title『スタンド・バイ・ミー』
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スティー��ン・キング原作の大名作。少年のエモーションのすべてが詰まっていると思います。クリスのセリフは何度観ても落涙しますね。
20. Arcade Fire
title『Arcade Fire(EP)』
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カナダの大所帯バンド。これも中学生のころよく聴いてたなあ。M3『No Cars Go』が好きです。今後自分の曲でもアコーディオン使おっと。
21. ハロルド作石
title『BECK』
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バンドマンガといえばぼくはこれです。昔は平くんが好きだったけど、今読むと千葉くんが格好いいですね。中学生のころ、デモテープたくさん作ったなあ。
22. 梨木香歩
title『家守綺譚』
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マンガで挙げた今市子さんの『百鬼夜行抄』にも通ずる不思議な雰囲気を持った短編連作。こういう作品に出会うと、ああ、心に染みいるなあとしみじみします。
23. Devics
title『Push The Heart』
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アメリカのインディデュオ。だと思っていたらバンドみたいです。ちょっと気持ちが揺れ動く夜なんかに聴きたいですね。タイプライターも楽器なのだ。
24. 山田芳裕
title『度胸星』
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最新作『望郷太郎』も面白いですがこちらを。『へうげもの』もそうですが、山田先生の作品は本当にオンリーワンな魅力がありますよね。
25. ジョナサン・キャロル
title『天使の牙から』
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類稀なる発想力で独特のダークファンタジーを書いているキャロル氏。中でもこの作品はストーリー展開が本当に秀逸。気の利いた言い回しが好きな方にもおすすめの1冊です。
26. フジファブリック
title『TEENAGER』
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志村正彦さんのつくる世界が本当に大好きです。曲のツイストのさせ方や歌詞などに影響をかなり受けていると思います。M9『パッション・フルーツ』みたいな変態曲を書きたい。
27. 都留泰作
title『ナチュン』
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沖縄を舞台にしたクトゥルフSF。とにかく説明するよりも読んでいただきたいです。これを読んでめっちゃ沖縄に行きたくなりました。
28. 京極夏彦
title『姑獲鳥の夏』
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初めて京極先生の作品に出会ったのは中学1年生の暑い夏の日のことでした。オカルト、ミステリともに大好きな斉藤少年はそりゃもうノックアウトです。次作『魍魎の匣』もぜひ。
29. きのこ帝国
title『フェイクワールドワンダーランド』
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遅ればせながら最近聴きました。めちゃくちゃ素敵。ぼくが大学のころにやりたかったのはこういうバンドでした。たくさん聴こう。友人教えてくれてありがとう。
30. 今市子
title『百鬼夜行抄』
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妖たちと奇妙な生活を送る主人公・律を中心とした怪奇譚。もう長年好きなマンガです。こういう生活に憧れます。先生の他の作品もとても美��で素敵なのでぜひ。
31. 米澤穂信
title『さよなら妖精』
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『氷菓』などで有名な米澤先生のビターなボーイミーツガール。青春の味がすごくする、染みる小説です。米澤先生は短編も切れ味鋭く素敵なのでぜひ。
32. ももすももす
title『木馬』
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コンビニで流れていて気になって、歌詞を聴きとって調べた曲。選ぶ単語がとても素敵だなと思います。曲もオルタナで格好いい。
33. スケラッコ
title『盆の国』
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たまたま書店で見かけてジャケ買いしました。ゆるい雰囲気でありながら爽快感もある1巻完結作。先生の新作『バー・オクトパス』も穏やかに素敵。
34. チャールズ・ユウ
title『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』
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SF、青春小説好きにはたまらない1冊。しかし円城塔さん翻訳もうますぎてすごすぎます。非常に読みやすいのでおすすめです。
35. Passion Pit
title『Manners』
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大学生のときに友人に借りて聴き、ハマりました。M2『Little Secrets』を聴くと、日当たりのいい休日に寝坊して原宿に行ったことを思い出します。
36. 遠藤浩輝
title『神様なんて信じていない僕らのために』
commentこういう作風のマンガがたぶん一生好きなのだろうと思います。夜な夜な自転車を走らせて、少ない小遣いで何時間も吟味して買った中の1冊。
37.ヴィクトル・ペレーヴィン
title『宇宙飛行士オモン・ラー』
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ロシアの作家さんってこういう苦味の効いた青春小説をよく書かれるイメージです。この切なさは、小説という表現媒体ならではのものなのだと思うのです。
38. Mystery Jets
title『Making Dens』
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この時代の、いわゆるテムズ・ビートのバンドでもっとも好きです。サイケでポップで青くて渋い、理想的なバンドのひとつ。最近の曲もとっても素敵です。
39. 荒川弘
title『鋼の錬金術師』
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もうあえていう必要もないくらい最高のマンガですよね。皆さんは誰が好きですか? ぼくはロイとキンブリーです。女性キャラならもちろんそれはホークアイ中尉……いえ、リザです。
40. アントニオ・タブッキ
title『インド夜想曲』
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こんなにも短く、読みやすく、美しく、シンプルにして複雑な話があるだろうか。イタリア語を学びたいと思ったきっかけの1冊です。ぜんぜん身につかなかったけど。
41. Bloc Party
Title『Silent Alarm』
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かなり最初のころに聴いた洋楽です。初めてM2『Helicopter』を聴いたときの衝撃たるや。改めて聴くとかなりポップさもありますね。ラッセル・リサック氏が本当に格好いい。
42. 樋口大輔
Title『ホイッスル!』
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めちゃくちゃ読みこんだサッカー漫画。絵も素敵だし話も素敵。ぼくはとにかくシゲと不破が大好きなんです。ボイスリメイク版に出させていただいたときは本当に幸せでした。
43. Oasis
Definitely maybe
title:『Definitely Mabye』
comment: オアシスのデビューアルバム。ロックのわくわくってこういうことだよなといつも思い出させてくれます。拙曲『カナリア』はかなりまんま影響を受けていますね。
44. 真倉翔、岡野剛title『地獄先生ぬ?べ?』
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ぼくがオカルト方面にはまるきっかけとなった作品です。初期が特に怖くていいですよね。歯医者さんで読んでいたので怖さ倍増でした。もうぬ?べ?もはるか年下か……(遠い目)。
45. 福永武彦
title『愛の試み』
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『草の花』はもうさんざん各所で言ってしまったので、こちらの素敵な詩情をたたえた1冊を。愛についての考察はもちろんのこと、挿入される掌編もしんみりして素敵です。
46. 西川美和
title『ゆれる』
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香川照之さん、オダギリジョーさん、真木よう子さんの芝居が圧巻。ラストシーンで泣かない人はいないのではなかろうか。エンディングも素晴らしい曲。
47. 髭
title『Thank You, Beatles』
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髭なのかHiGEなのか表記が難しいところですが、M2『髭は赤、ベートーヴェンは黒』でハマりました。M5『ギルティーは罪なやつ』も好き。他にも名曲多数。
48. たなと
title『あちらこちらぼくら』
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めっちゃ泣きました。昔はぜんぜんキャラクターとして惹かれなかったのに、いつのまにか真嶋くんがぼくの心の中に入りこんでいました。続編もあるのでぜひ読んでいただきたいです。
49. 安部公房
title『壁』
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こんなの中学生のときに読んだらハマってしまうに決まっているじゃないですか。思えばこのあたりからぼくも中二病を発症していった気がします。名前を失うというモチーフはぼくもよく使いますね。
50. GRAPEVINE
title『Here』
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選べないのですが入りやすさからこちらで。M4『光について』が最初のバインでした。影響受けまくっていますね。大好きなバンドです。もっといろいろ紹介したい。
51. 漆原友紀
title『蟲師』
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中学のころは一発で変換できませんでしたありがとうございます。永遠に好きです。「原因は蟲ですな」はぼくの中学のときの流行りワードです。だってギンコさん格好いいんだもの。イサザも好きだしなにより化野先生大好きです。
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アリになりたかった���
アリになりたい、って思うよ。今はね、でもアリになったら、何になりたいとかも思わんのだろうね。
たまには人間で良かった、なんて思うでしょ。俺は思うよ
結局、人間が嫌いになったって、好きだって、他のものになりたくたって、欲望を捨てたくたって、人間なんだ。
産まれちまったんだ、産んだ親のせいでも無いし、産まれた俺のせいでも無い
大変さ、そりゃ大変さ。死んだら解決するって、解決というか何もなくなっちゃう。
というか生きてて良かったって、たまにでも思えるうちは生きてたいよ
愛だって時には恐ろしい。愛が辛かったりする、愛されなくても辛い、面倒くさいよなぁ、やっぱアリがいいかもな。
でも知らないだけで、アリだってなんか考えてるかもしれないし
望んだってできないよ輪廻転生。何となくそう思うよ、なんとなくね。
でもそれが出来るって信じて、それで救われるなら信じよう、そうした方がいい
結局みんな自分の為だよ。でも素直に、自分のためにみんなを愛してるよ、みんなに幸せになってほしい。
みんながみんな、不幸な世界って幸せ?俺は幸せとは思わない
だって、幸せになってくれたら、そしたら俺に優しくしてくれるから。そしたら俺も優しくできる、好きになれる。
でもなんだか、不幸が好きな人もいるね。俺もたまに不幸を望んだりする
不幸なときほど、後で俺は大変だったと、そうすればみんな優しくしてくれるから、だから不幸になりたいと思う。
いざ本当にそうなると、逃げたくなってしまう。本当に最低だよ
そんなこと考えちゃう、そんな1:56だよね、あるよねそんなとき
でもさでもさ、今が一番人生で辛い!なんて更新されてくよ、そう信じてるよ、そういう神様がいたら信じちゃうかも。
自分で自分が分からない、愛だって怖い、自分が怖いよ
そういえば、Paleveinというバンドの吉村君が一昨日のライブを見に来てくれた。
格好いいって言ってくれ��、嬉しかったな。CDを渡したら大事そうにずっと持っててくれてて、付き合いたいのはこういう人だと思ったよ
そんな吉村君は今日、北海道に帰ってしまう。寂しい話もあるよね
北海道といえば、サリバンのヨシダ君がいい奴だった、同い年なのにお互い敬語だった、そういう感じが好きだった
最近は同年代が周りに増えてきて嬉しい、年上ばかりで、なんとなく息がしづらかったけど、最近はライブハウスじゃ息が出来る。
シュンタ君、ウララちゃん、ショーン、ミウラ君とこくぶくん、など。みんな近い世代で、疎外感がない、嬉しいな
しかし後輩な人生、そんな俺は先輩方も大好きだ。歳下はどうにも苦手だ、好きな後輩が思えば今まで二人くらいしか出来なかった。
まだしばらくは後輩ヅラが出来る、しばらくら先のことなんか考えずにやろう
何度も名前を出してしまって申し訳ないけど、吉村君がblur派だった。別にoasisも好きだが、どちらかと言われてしまうと。
神崎蓮は圧倒的にoasisだ、よく討論をするがどっちもいいね!で終わる(クソ不毛)
こんな夜だ、少し胸が痛い。胃はずっと痛い、最近調子が良くない、ライブは勿論最高だけど、心の調子が不安定。
自分を責めない事が難しい、でも人を責めることもまた、難しい
誰が悪いなんて考えたくない、俺が悪いと思うのが楽なのに大変だ。
もうそんなもんだ、でも俺は死にたくないし、バンドも辞めたくない
難しい夜だ、難しい夜はとくに長いんだ、心が元気な時に聴くblurの13ってアルバムくらい、とっても長いんだ。
そんな長い夜だ、どこに逃げようか、どこににも逃げないんだ、そういう逃げもあるって思うから
早くみんなに会いたいよ、心は帰るべきところに帰るべきだから
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平成の音楽を振り返る回、を振り返る
Twitterで散々告知していた、「軽音サークルOB(と現役)が集まって、『平成(OO年)といえばコレ』な曲を各々30曲ほど持ち寄り、平成を彩った名曲を振り返ることで平成という時代を総括する会」の第一回を、先日8/11の夜に執り行いました。その時に流した曲のリストが出来上がったので、会の模様を録音していた駄弁りデータを参照しつつ、ぼく視点で改めてコメントをつけてこの会の様子を残したいと思います。 一応ブログ末に録音したmp3を詰めた泥箱のリンクを貼るつもりではいますが、 会議が6時間を超える長丁場になってしまったのでさすがにそれを全部聞く暇人はこの世に存在しないだろうということで、文章にまとめた方がまだ追体験しやすいだろう、というのがこのブログ執筆の目的です。 録音データの書き起こし、というわけではないですが、脱線や菓子の受け渡しみたいな雑音が入ってるよりはむしろこの方がいいかと。勿論このブログ形式にしてしまうことで、筆者のバイアスがかなりかかってしまうことは重々承知してはいますが。
というわけで今回集まったメンバーから紹介。 ・ぷれしお 今回の首謀者。ブリットポップやシューゲイザーが専門ながら、J-popをほとんど網羅している平成の申し子。今回は「平成各年のオリコンシングルチャートTOP100を参照しつつ」「取り上げるのは1アーティスト1曲で被らないように」30曲���持ち込み、個人の思い出ではなく売上データからの分析的な検証を試みます。 ・まえぴ ぷれしおの同期。高校時代はジャズピアノを、大学軽音サークルではベースに持ち替えて精力的に活動したマルチプレイヤー。今回は「これぞ平成」な懐メロを多数用意してくれました。 ・伊38 筆者。賑やかし役。このブログに辿り着く人ならぼくの趣味はわかってると思うので割愛しますが、基本的に「他の人が持ってこなさそうな曲」をセレクト。このブログ内での「平成の語り」はぼく視点によるものなので文責はぼくにありコメントはぼく宛でお願いします。 ・各方面 軽音サークルの大先輩。筆者より10歳くらい上なのかな……? 今回は各年にハマった音楽を「表プレイリスト」「裏プレイリスト」にまとめ、交互に触れていくことで時代を多角的に検証します。年長者として、10代の多感な時期を平成と共に過ごした年代としての語り口に期待。 ・かっしー 軽音サークルの後輩。筆者より4歳くらい下。激動の平成音楽シーンにおいて数歳の差でいかに音楽体験が異なるのか。年少者からの視点が必要だとして今回参加。
この5人でお送りします。そして出来上がったプレイリストがこちら。 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826230232047616 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826235890102272
わかりづらいですが、一人が一気にプレゼンすると平成30年を一息に駆け抜けてしまうので、「平成をだいたい10年ごとに分け、それぞれの年代で自身が聞いていた曲を5人がそれぞれプレゼン、それを3セ��ト」という形式を今回採用しました。つまり上記プレイリストで誰がどの曲を持ち込んだかは結構ばらけています。その辺はぼくのこれからの語りで解説・補完していければと。
それでは前置きが大変長くなりました、適宜コメントをつけつつ、各曲を紹介し平成を振り返る回を振り返りたいと思います。
第一部、平成初期(平成元年~10年くらい) まずは主催ぷれしおから10曲ほど。開幕はプリプリのダイアモンド。昭和じゃねえんだコレ、と思うのはぼくがまだ生まれてないからか。開幕にふさわしい明るいナンバー。 たまのさよなら人類。平成2年売上トップ10てマジ? 小田和正。ドラマから有名ですからね。 浜田省吾。「平成4年は売上トップにビッグネームが並ぶので、(彼の課したレギュレーション上)被りを避けるために」とのこと。 ZARDは平成初期では外せないですね。というか某番組のおかげで今も通用してますし。 ミスチルからはイノセントワールド。この後もスマッシュヒットが続きますが、その後のヒット曲の紹介のためにここでミスチルのカードを切ることに。しかしこれ「百万枚売れるメロが書けた!」と桜井が言うだけありますね、ラスサビからの畳みかける歌詞もエモ。 B'zもここで紹介。しかしこのLOVE PHANTOMイントロ長いな。当時は色々余裕があったというか。そして4つ打ち。と言いつつ現代の4つ打ちとはノリも扱いも違うけど。ちなみにB'zの松本氏はその時々の最新のギターの音色で録音するので、B'zファンを呼んで30年分振り返るだけで平成のギターの音色の変遷がわかるのでは感も。詳しい人を呼びたい。 SPITZ「空も飛べるはず」。これ以降ずっと何かしらの曲でランキングに居座り続けるモンスターバンド。ちなみに会ではデモ版「めざめ」を流していました。「君と出会えた奇跡が」を「君と出会えた痛みが」に変えるだけで歌詞の意味がぜんぶ変わるという、スピッツがいかに歌詞を大切に考えてるかという好例。 Kinki Kids「硝子の少年」。「20年経っても歌えるから」とごり押ししつつちゃんとスマッシュヒットを叩き出す作曲・山下達郎もすげえし、山下達郎の曲というプレッシャーを跳ね返して歌い上げたキンキもすげえ。 そしてGLAY「誘惑」。この10年で出てくるミュージシャンは平成をずっと席巻し続けるあたり、平成初期10年間がいかに強かったかわかりますね。というわけでぷれしお第一ターン終了。
次はまえぴのターン。一曲目は平成元年1月11日リリースという、滑りこみで平成な美空ひばり「川の流れのように」。平成の幕開けというよりは、これで昭和が幕を下ろしたといった方がいいでしょうか。ちなみに美空ひばりは同年に亡くなっているそうで、最晩年にこのテイクをCDに吹き込める美空ひばりもバケモノだなぁという……。 BE MY BABY。つい最近流行ったけど。初出はそりゃ平成だよなと。 おどるポンポコリン。そりゃ我々世代聞いてない人間いないよなぁ……。実際B.B.クイーンズはBeingの凄腕ミュージシャンを集めて出来たバンドなので演奏がすごいんですよね。 めざせポケモンマスター。説明不要。 チャゲアス「On Your Mark」。チャゲアスから敢えてこれを持って来るという。 MISIA、「Everything」。歌うっま……。先日のフジロックでの名演も記憶に新しく。20年以上通用し続けた歌唱力……。 残テ。ヱヴァはついに平成の間に幕を下ろせなかったね……しかしこのスネアやバスドラ、メタルというかハードロック的処理の音ではないかという。 ウルフルズ。優勝。バンザイ。しかし平成初期のポップス、重心が高いというかウワモノ勝負みたいなサウンド。キックやベースの低音が決め手になっていくにはまだまだ時間がかかります。 もののけ姫。平成ジブリといえば外せない。 あ、リストから漏れてますがここで安室奈美恵「Can you celebrate?」が流れました。平成を振り返る回をやろうと言い出したきっかけは最近話題になってた安室奈美恵からだったりします。 そして1999年、椎名林檎「丸の内サディスティック」でまえぴの第一ターンは終了。20年経っても軽音サークルのスタンダードであり続ける椎名林檎嬢の強さ……。
さて��次は不肖わたくし伊38のターン。Spookey Ruben「These days are old」タイトルではピンとこないかと思いますがYoutubeで10秒再生すれば「これぞ平成」とわかるかと。 小松未歩「氷の上に立つように」、倉木麻衣「Secret of my heart」。というかコナンのOPEDを30年分振り返るだけで平成を振り返られるんじゃないか? アニソンつながりで「月灯りふんわり落ちてくる夜」 小川七生 。オラはにんきものと迷ったけど、色々あったクレしんEDの中で唯一、かつ強烈に覚えてるのはコレ。 ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツをそれぞれ。バラエティ番組の一企画として生まれたバンドだけど、今聞いても全然聞けるくらいオケが面白いし、千秋とビビアン・スーがべらぼうに歌うまいので企画バンドの枠を超えてる��思う。実際ゴールデンタイム発でヒットチャートを動かそうというわけだから金かかってるんだろうけど。つまりは当時は色んな余裕があったんだなという。 ジュディマリ「そ���かす」。ぼくリアルタイムではないんですが。YUKIの歌とTAKUYAのギターが圧倒的で未だに軽音サークルでコピーされるあたりね。 あと最後、一曲分枠が余ったので1999年RSRのブッチャーズを軽く流しておきました。というわけで次の方へ。
大先輩各方面氏。1989年はガンヘッドのテーマから開幕。そして1989年裏リストはBoredoms。これ持ってくるのか。 米米CLUB「浪漫飛行」。これも平成なんすね……で裏がHANATARASH。さっきボアダムス流したじゃないすか……ちなみに選外に人間椅子、ビョークの幼少期ジャズアルバムなど。 「SAY YES」チャゲアス再登場。歌うまいしメロがつよい。そして裏はマイブラとニルヴァーナ。1991年の選外としてはレッチリも。 1992年は「それが大事」大事マンブラザーズと、裏リスト「戦え! 何を!? 人生を!」筋肉少女帯。筋少も代表曲に困るバンドですが今回はこちら。 「EZ DO DANCE」。キンプリ、というかプリリズからリバイバルしてましたしね。そしてその年に裏で鳴っていたのがレディへ「Creep」。ちなみに翌年表プレイリストもTRF連チャンで「BOY MEETS GIRL」。 1995年、黒夢「SEE YOU」。90年代V系を持ってくるのはリアルタイム世代じゃないと……。裏リストはBjork「Hyperballad」。 電気グルーヴ「誰だ!」そしてBloodthirsty Butchers「二月」。ちなみに1996年はLUNA SEA「STYLE」X JAPAN「DAHLIA」 L'Arc〜en〜Ciel 「True」とV系の重要シングルが立て続けに出た年という。 1997年、Cornelius「Star fruits surf rider」、裏に池田亮司「+/-」。テクノ(?)な選曲。 1998年、HIDEの死んだ年ということで「ever free」。裏リストはまたBoredomsで「Super You」。選外にBoom Boom SatellitesとかSystem of a downの1stとか、ゆら帝「3x3x3」など重要盤が並ぶ。ちなみにリストでは先に出てましたが、Boa「Duvet」もこの年。
10年振り返ったのでここでプレゼンテーター交代、後輩のかっしーのターン。ただし平成初期は生まれて間もない(!)ので、当時見ていたアニメから「ニャースのうた」(クソ名曲)、おじゃる丸「詠人」(北島三郎なんだね……)を流して終了。生まれたときにはポケモンが存在していた世代……。
というわけで第二ターム。プレゼンテーターは一周してぷれしおに回り、平成11~20年のヒット曲を俯瞰するターン。 1999年、宇多田ヒカル「Automatic」。説明不要。ちなみに会では岡村靖幸によるトリビュート版を流していました。 福山雅治「���坂」。ちなみにこの年サザンの「TSUNAMI」も出てましたが、 サザンからは翌年の「波乗りジョニー」をチョイス。しかし桑田佳祐もつよいボーカリストですよねぇ。 「ピクミン愛のうた」。ゲームキューブってこの年だっけ……。 そしてSMAP「世界に一つだけの花」。クソ流行りましたねぇ。槇原敬之最大のヒット作というべきか。 ラルク「自由への招待」。イントロのドラムパターンが印象的だからとセレクト。 トラジ・ハイジ「ファンタスティポ」。堂本剛の歌がめちゃくちゃ上手い。 TOKIO「宙船」。会では中島みゆきのテイクを流していました。このように平成中期はジャニーズがかなり時代を持っていくチャートになっているとのこと。 「千の風になって」。クラシックでチャート入りしたのはこれと平原綾香「Jupiter」くらいなはず。 「羞恥心」。まぁ流行りましたからね……。ぼくはTwitterでさんざ言ってますがJ-popを殺したのは島田紳助とヘキサゴンだと思っています。実際この後年にはAKBが出てくるので、J-popの印象が変化するきっかけと言えなくもないという。
そしてまえぴにバトンタッチ。日立グループこの木なんの木はいいとして。 グランツーリスモより「Moon Over The Castle」。T-Square安藤まさひろ。まえぴが一番最初にやったテレビゲームだから、とのチョイス。そういや平成となるとゲーソンとともに過ごした人間とか呼んでみたい。 そしてレースゲームつながりで、リッジレーサー4より「Urban Fragments」。アイマス以前のナムコのゲーム音楽はつよい。 一青窈「ハナミズキ」。流れてたなぁそういや。 「知恵と勇気だ! メダロット」。ポケモン出したからには出さないわけにはいかないよなぁ。筆者は普通にコロコロ派でしたがメダロットとかサイボーグクロちゃんとかはアニメ見てた気がします。覚えてないけど。 Do As Infinity「冒険者たち」。そういやこの時代、女性ボーカルとトラックメイカーの野郎、みたいなユニット多かったですよね、デイアフタートゥモローとかガールネクストドアとか。そーいや遠ーい昔どっかで、「ガールネクストドアはテレビ主導・Mステ主導で流行りを生み出せるかどうかの最後の実験だった」という言説を読んだ気がします、実際ガルネクはイマイチぱっとしないで消えたような。時代の流行りとテレビ(と時代の変化)の関係も詳しい人に語ってもらいたい。 ちょっと時代遡って、「渚にまつわるエトセトラ」、「ハッチポッチファミリー」。ハッチポッチのインチキ洋楽カバー聞き直したい。 森山直太朗「さくら(独唱)」。そういや平成中期はバラードも結構ヒット曲多かったですね。Youtube前の時代なんで90秒で掴む、みたいなこともなかったですし。 というわけでヘラクレスオ��カブト……じゃなくて「カブトムシ」aikoでまえぴの第二ターン終了。
というわけで伊38第二ターンですが、ぼくも平成10~20年は小中学生だったのでまだテレビっ子で音楽にも目覚めてない時代なんですね。 スキマスイッチ「全力少年」。当時はズームイン朝で若手ミュージシャンをプッシュする謎のコーナーがあったんですよね。そういう余裕があった時代ってわけですが、スキマスイッチは頑張ってましたね。雨宮天の「奏」は神。 続いてもズームイン朝枠で、nobodyknows+「ココロオドル」。ニコ動でも不動のMAD素材。というか映える声のMCを贅沢に5人も抱え、トラックも面白いし、ヒップホップブームの今再評価に値するのでは。今も活動してるか知らないけど。 矢井田瞳「My Sweet Darlin'」。どこで聞いたんだっけ…… 奥井亜紀「Wind Climbing~風にあそばれて」。グルグル見てたはずなのに全然覚えてない…… 塊魂を流そうと思ってサントラ借りたら入ってなかったので仕方なく流した「塊オンザスウィング」。松崎しげるも歌うまいな……。 ここまで誰も流してなかったので「Butter-Fly」かけときました。「カサブタ」と迷った。 申し訳程度ですが菅野よう子も流さなきゃなぁ。ということで「Tank!」を。というか菅野よう子詳しい人に菅野よう子クロニクル解説とかしてもらっても平成振り返れそう。ていうか誰も「プラチナ」流してねえじゃねえか今回。筆者はCCさくら見てないのになんでオタクになったんだろう。 FLOW「DAYS」。エウレカも見てないのになんでオタクになったんだろう俺。 「リライト」も「メリッサ」と迷った。 最後は岡崎律子のために割いた枠で、メロキュア「Agape」を流して伊38第二ターン終了です。メロキュアもリアルタイムじゃ聞いてないんですけどね。なんでオタクになったんだろう俺。
というわけで各方面氏。この辺から表リストと裏リストの境が曖昧になってくる気が。 1999年。Mad Capsule Market「MIDI SURF」、Merzbow「Electric for ICC」。選外にハイスタなど。 Radiohead、KidAより「Everything in its right place」。エイフェックスツインが「ダサい」と一蹴したとかなんとか。裏は大友良英率いるGround Zero。 Daft Punk「One More Time」。が出た年にデビューしたのがDCPRG。選外はOwls、Ghost and votka、レイハラカミ、ASA-CHANG&巡礼などなど。 2002年「Num-ami-dabutz」ナンバガ。裏はオウテカ。 Prefuse73「The End Of Biters」。裏はチルボドの4thより「Needled 24/7」。 2004年のアジカンからは「振動覚」というチョイス。裏は想い出波止場「触媒」。 選外にSquarepusher「Ultravisitor」、アジカン「ソルファ」、フジファブリック・ZAZEN BOYS・東京事変それぞれの1st 。ザゼンと事変が同い年って。 Bloc Party「Like Eating Glass」。裏は吉田達也率いる高円寺百景「Rattims Friezz」。 NATSUMEN「Whole lotta summer」、裏は日本エモ界の隠し玉・倉地久美夫「あつい日本」。 そしてここでヤスタカをセレクト。Capsule「Starry Sky」。ヤスタカのキックは2007年には完成してたということですね。裏は大槻ケンヂと絶望少女達「人として軸がぶれている」。 andymori「Everything is my guitar」。裏にgroup_inou「Coming out」。同年は9mm「Vampire」、相対性理論「シフォン主義」が出て第二次バンドブームでもある年。というわけでこれで1999-2008の10年間の(偏った)振り返り。かっしーへバトンタッチ。
1999年でもまだ1桁年齢のかっしーのターン。やっぱその辺の時代での音楽体験はアニメやテレビからが主に。 松本梨香「OK!」、クレしん「ダメダメのうた」。既に出た「めざせポケモンマスター」、「月灯りふんわり落ちてくる夜」に対して、同じアニメでも入り口が違うというジェネレーションギャップ…… 「カービィ☆マーチ」。筆者は実は当時好きじゃなかったんですが今ヤバいアニメとして再評価されてますね。もっかい見直したいなぁ。 そしてもう一つポケモンから、そもそもルビー・サファイア世代(!!)ということで「アドバンス・アドベンチャー」。筆者、逆に知らない曲だ…… ナルトより「悲しみをやさしさに」little by little。オアシスフォロワー。 ロードオブメジャー「心絵」。CCさくらじゃないんだね……。 「青春アミーゴ」。めちゃくちゃ流行ったなぁ。 その流れでKAT-TUN「Real Face」。ホント当時破竹の勢いだった。 嵐「Love so sweet」。やっぱ平成中期はジャニーズ外せない。 GReeeeN「キセキ」。流行ったなぁ…………というわけで第二ターム全員終了。怒涛の平成晩期へ続きます。
というわけで平成21年~からの音楽。まずは例によってぷれしお氏によるヒットチャート分析リストから。 2009発売、2010にヒットしたゴールデンボンバー「女々しくて」。 そしてきゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」。Capsule、Perfumeで実験を重ねたヤスタカの結晶。 進撃の巨人より「紅蓮の弓矢」Linked Horizon。まぁ紅白出てたしなぁ。 SEKAI NO OWARI「Dragon Night」。この辺からキックがえぐくなってくる。 BUMP OF CHICKEN「Hello World!」。EDのUNIZON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」と並んで名曲。 星野源「恋」。売上基準のリスト故触れないわけにはいかない。 そして小沢健二「流動体について」。なん��熟練戦士たちが復活してきたみたいなリストになってますね。 というわけで趣味をなるべく排して売り上げ参照したぷれしおの俯瞰リストは終了。余り枠は彼の趣味を。 ゆらゆら帝国「昆虫ロック」。ゆら帝は全部マストなのだけど、1stからこちらの選曲。 the brilliant green「冷たい花」。1998年。というかまんまOasis。彼らはBlurのカバーとかしてるし生粋のブリットポップの民。 アイドルからはBABY METAL「ギミチョコ」。というわけでAKBにまみれたランキングからうまいこと外した選曲をしてくれました。
続きましてまえぴ第三ターン。 「マツケンサンバ2」からスタート。あったなぁ……。 「群青日和」。説明不要。 「メルト」。Supercell。ついにボカロが出てきた。 「恋のマイアヒ」。そう、平成といえばおもしろフラッシュ倉庫を外すわけにはいかないんですよ……。日本で唯一オリコンチャートに食い込んだルーマニアの曲。 ゆず「栄光の架橋」。ちらっと書きましたがバラードが流行りましたよね平成中期。 「最初から今まで」冬のソナタ、流行ったねぇ……。韓流ブームも触れないわけにはいかないよなぁと。 というわけで少女時代「Mr TAXI」。日本の市場をアテにして日本語を歌いだす韓流アイドルたち。そういや会が終わった後にエクストラコンテンツとして「江南スタイル」流しました。 相対性理論「LOVEずっきゅん」。やくしまるえつこ、平成晩期の女性ボーカリストのスタイルとして触れないわけにはいかないですよね……これ以降ウィスパーボイス女性ボーカリストがぐんと増えた印象。しかし相対性理論のキモはバックバンドのシンプルかつクソ上手い演奏でもあります。というか真部のコード進行とかもかなり独特なので詳しい人にみっちり解説してほしい。 ここで今まで誰も触れなかったAKB48「ヘビーローテーション」。 そして最後、まえぴ曰く「平成に始まり、平成で終わったジャンル」こと”””青春パンク”””からガガガDXを。確かにメロコアはともかくとして、ゴイステから始まった青春パンクはもはやフォロワーもいないし、創始者の峯田和伸自身が石原さとみとキスするような俳優になってしまったという点からも、青春パンクはジャンルとして終わってしまったと言って差し支えないと思われる。実際ゴイステの曲とかは平成のノスタルジーを抱えた平成の人間じゃないと書けないというのは間違いない。ここ詳しい人に語ってほしいですね。というわけでまえぴのターン終了。
さて伊38の第三ターンです。一番書きたかったパートゆえ、少々長くなりますがご容赦を。 BUMP OF CHICKENから「グングニル」。第一・第二ターンではテレビ経由の曲を紹介した伊38ですが、それに対して(当時)絶対にテレビに出なかったバンプは、いうなれば「オルタナティブ」でした。まぁ僕がバンプを知ったのは中学の先輩だったか、おもしろフラッシュ倉庫だったか、あるいはその両方だったか覚えてませんが。 その流れでピロウズ「ハイブリッドレインボウ」。「テレビに出ない」どころか「永遠のブレイク寸前」たるピロウズは本当にオルタナティブだった。 そのオルタナティブという枠に、「ロックンロールは鳴りやまないっ」神聖かまってちゃんを。そして先日映画「恋は雨上がりのように」主題歌に採用された同バンドの曲「フロントメモリー」。 ただ映画主題歌版は、女性ボーカリストを呼び、亀田誠二がリアレンジしたもので、非常に聞きやすくなっているというか、の子自身のポップセンス・メロディセンスが非常によくわかる構成になっている。しかし「フロントメモリー」の神聖かまってちゃん本家版、それもYoutubeのPVテイクはどうかというと、ピアノが何やってるかもわからないし、高音がきついし音も悪い、非常に「聞きづらい」ものになっている。しかし”””それこそが神聖かまってちゃんだった”””というか、「そもそもポップな人間だったの子だが、売れるため・認知してもらうため・ニコ動で頭一つ出るために、敢えて尖ったことをしていた」、それはよく知られる神聖かまってちゃんの破天荒なエピソードだったり、そして音源そのものの粗さ・聞きづらさ・尖った音質であったのではないか。あるいは、ニコ動という”場”がそもそも、そういったパンクで破天荒な振る舞いを要求するような場だったのではないか、それこそがニコ動文化だったのではないか。という仮説を立てられないだろうか。ここはもっとニコ動にどっぷり浸かっていた人間にコメントをお願いしたい。 さてニコ動からボカロ文化をぼくからもほんの少々。「初音ミクの消失」。初音ミク登場当時に生まれた「機械のボーカリストが人間に勝てる部分とはどこか?」という問いに対しての安直な回答として「人間には歌唱不可能な超高速詠唱」が生まれた、その元祖の曲だと思う。これがヒトリエとかミイラズみたいな、後年の高速ラップ邦楽に逆輸入される流れになった。 もう一つ、「般若心経ポップ」から始まる一連のムーヴメントを。同曲が流行った際に、製作者がボーカル音源を配布したために「般若心経ブーム」が起こり、「般若心経ロック」やら「般若心経シューゲイザー」など、ありとあらゆるジャンルの般若心経が生まれた。この般若心経タグを巡っていろんな音楽ジャンルを知った、なんて人間もいただろうし、これに限らず「初音ミクが歌ってさえいればどんなジャンルでも聞ける」というリスナーは沢山いたと思われる。これは(にせものさんの言葉を借りれば)”””ガワの文化”””というか、初音ミク以前・以後でも「V系なら・アイドルなら・好きな声優なら、どんなジャンルの音楽でも聞ける」という、ある意味逆にボーダーレスな音楽趣味を持つ日本人の特殊な音楽観に繋げて語ることができると思われる。この辺も詳しい人たちと議論してみたいところ。 さてニコ動文化はこのくらいにしてぼくの高校時代からの邦ロック趣味変遷に戻ります。9mm parabellum bullet「The World」、あるいは「Discommunication」。バンプ狂いだった自分が衝撃を受けたテクニカル・バンド・ブーム。 そして���として時雨。今回は「ハカイヨノユメ」。発売日にこれ買って、CDプレイヤーに入れた瞬間に吹っ飛んだ思い出の曲です。しかし、パワーコードとオクターブ奏法さえできればバンプ・エルレ・アジカンがコピーできたぼく世代に対して9mm・時雨・ホルモンが出てきたほんの数代下のバンドマンたちとは技術的に大きな隔たりがあるのが未だにコンプレックスです。 そしてこの辺をきっかけに残響レコードにハマっていく伊38。ハイスイノナサ「平熱の街」、そして「鏡面の波」。残響レコードの中でも最先端に尖っていたハイスイノナサがアニソンに接続したとき、得も言われぬ感慨にふけった思い出があります。 さて最後に、こうやってニコ動や残響レコードを経由してアンダーグラウンドに潜っていったぼくが辿り着いたのがネットレーベル文化。その中から未だ伝説的扱いをされている「HanazawaEP」より「恋愛サーキュレーション(Shoegaze arrange)」。ニコ動とはまた違う、宅録ミュージシャンの発表の場というものは刺激的でした。というわけで永遠の名曲「ヴァイオリンケースの夢を見る」を流してぼくの最終ターン終了。ケンセイオガタさんはやく公式円盤出してください。
さあ各方面氏。残業にまみれた暗黒期から抜け出したという平成晩期を振り返っていただきます。 2009年、モーモールルギャバン「Pop! 烏龍ハイ」、そして裏リストといいつつポップな、Neco眠る「猫がニャ~って、犬がワンッ!」。実際この辺からアンダーグラウンドですらポップになってくるという。同年の選外はNuito、TTNG「Animals」、サカナクション「シンシロ」、相対性理論「ハイファイ新書」など。 2010、七尾旅人「Search Boy」、神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」。 2011年、the cabs「キェルツェの螺旋」、TTNG「Adventure」。超絶技巧ギターバンド2つが並ぶすげぇ年だ。 そして震災を経た2012年からは、LOSTAGE「Blue」、そして裏は面影ラッキーホール「おかあさんといっしょう」。震災を経て日本人は何を歌ったか?、に対してこの二つはとりわけ振り切れてますね…… KANA-BOON「1,2,Step To You」。に対して裏はうみのて「もはや平和ではない」。笑っていいともさえ終わってしまった今、もはや平和ではない日本でこの曲はある種象徴のように鳴り響く。 の翌年、Wienners「Video Girl」。言わずと知れたでんぱ組のコンポーザー。の裏で生まれていたのはD'Angelo And the Vanguard「エイント・ザット・イージー」。 2015年。ceroより「Summer Soul」一切の音すべてが必然のもとに鳴らされた 大傑作Obscure Ride。 に対してChon「Splash」。これまた��協の一切ないサウンド。好対照な年。 MUSIC FROM THE MARS「Seaside, Seaside」。そしてこの辺から裏リストというより同率一位という感じになってくる。この年の裏選曲はOdol「逃げてしまおう」。 2017年、ものんくる「ここにしかないって言って」。 この辺りで各方面氏は菊池成孔のラジオを聞き始め、その影響で裏選曲としてジャズドミュニスターズ「革命」。 2018年。tricot「potage」。しばらく見てないうちに一皮どころか二皮くらい剥けたトリコ。ドラマーの交代らへんから音楽性が更なる深化を見せ、世界ツアーで得た経験値を完璧に開花させた名曲。そして裏選曲にCRCK/LCKS「No Goodbye」。ポップスといいつつ非常に複雑で難易度の高い音源をリリースする注目の音楽集団。を流して最終ターン終了。 そして番外編として「 BEAMS 40周年記念プロジェクト『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』MV」。平成を振り返る回、これさえ流せばよかったんじゃねえの?
というわけにいかないということで、大トリのかっしー。 宇多田ヒカルの再登場、キングダムハーツより「光」。平成において宇多田ヒカルは説明不要ながら何度でも取り上げたい。 AKB48「ポニーテールとシュシュ」。彼はハマった世代。そりゃそうか。 BUMP OF CHICKENから「ゼロ」。FF零式の主題歌。同じバンプでも入り口が全然違う……。 そして放課後ティータイムから「U&I」。曰くこれがなかったら彼は軽音サークルに入ってなかったという。実際当時は相当勢いがあったし、サークルでのコピバンも沢山あった。けいおんが与えた影響はやはり計り知れないと思う、もっと詳しく掘り下げてもよかったかもしれない。 UNIZON SQUARE GARDEN「流星のスコール」。ぼくがユニゾンの1stを聞いたときには「これで下北系の音楽は終わったな」と思ったのだけど、ユニゾンは以後どんどん音楽性の進化を深め、アニソンとも接続してファン層広げつつ、しかし核の「ユニゾンぽさ」を消して失わず、器用なだけのバンドとは違って非常に強度のあるバンドとして邁進していったなという印象。 Champagne「Starrrrrrrr」。ドロスでなくシャンペインが好きとのこと。しかしこの辺の音楽をバンド音楽ネイティブとして聞いてきた年齢層ズルいなぁ。 アジカン「ソラニン」。彼が軽音サークルに入って初めて演奏した曲だからとの選曲。アジカン何曲か上がったけど全然被らないな…… KANA-BOON「さくらのうた」。これきっかけにギターを猛練習するようになったとのこと。ちなみにKANA-BOONはこの曲がウケたのをきっかけに4つ打ちをやり始めて音楽性が変わっていったというが、この曲自体はそこまで4つ打ちを全面に押し出してるわけではないという。 Base Ball Bear「Perfect Blue」こちらも自身が組んだコピバン���ら。ベボベも取り上げる時期によって全然違うけど、こちらは非常にポップな時代。 そしてthe cabs「anschluss」。ぼくからはなんも言うことはありません。KEYTALKは殺す。 最後はtricot。Potageをかけるつもりだったが挙げられてしまったので「Wabi-Sabi」を。しかしどうやってバンドで合わせられるんだtricot。しかし、懐古的・郷愁的になりそうだった「平成を振り返る」というコンセプトの中で、最後にtricotやCRCK/LCKSといった「最新を更新し続けるバンド」の名前が挙がったのは、非常に前向きな最後でよろしかったのではないでしょうか。
というわけで以上、録音を聞きながらざっと書いてみました。ぼくのパートだけ長くなってしまったのは本当に申し訳ないですが、いずれにせよここまで読んでいていただき、長々とありがとうございました。 「あの曲がない、やり直し」などは今後の開催の際の参考にさせていただきたいのでお気軽にコメントを残してもらえればと思います。次回は9月頭に身内で、また何もかも未定ですが都内でも似たようなことをやれたらと思うので、直談判殴り込みの際はぼくのTwitter垢へリプかDMを。お待ちしております。
というわけで今回の駄弁りの録音です。平成のノスタルジアに浸りたい暇で暇で仕方ない方は適当に聞いてみてくださいまし。 https://www.dropbox.com/sh/rtbrnot2r26eyqx/AADxdHGXuJmtUx8TgYqYQ7x6a?dl=0
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2015/07/03 キング・ギドラ ”空からの力” 20th ANNIVERSARY SPECIAL Interview
文:伊藤雄介(Amebreak)
今こそ振り返るべき「空からの力」の“HIP HOPリリシズム” 「日本語ラップ冬の時代」と呼ばれた90年代初頭の厳しい時代を経て、小沢健二とスチャダラパーによる“今夜はブギーバック”やEAST END x YURI“DA・YO・NE”などがリリースされたのは1994年のことだが、それら大ヒット曲が支えたメインストリームでのラップ・ブームのカウンターを為すかのように、アンダーグラウンドの日本語ラップ・シーンが、作品として数多くの成果を残した年として記憶されるべきなのが1995年だ。アルバムというフォーマットで振り返ると、RHYMESTER「EGOTOPIA」、スチャダラパー「5th WHEEL 2 THE COACH」、MICROPHONE PAGER「DON'T TURN OFF YOUR LIGHT」、ECD「HOME SICK」などなど……「冬の時代」を乗り越えた男たちの鬱憤とルサンチマンを解消せんとするかの如く、凄まじい熱量とクリエイティヴィティに満ちた傑作が、この年には数多く産み落とされた。 そんな大きなうねりを、1995年当時にシーンをフォローしていたリスナー/関係者は誰もが感じていた筈だが、その95年も終わろうとしていた年末の12月10日に、ダメ押しの如くリリースされたのが、キング・ギドラの記念すべきデビュー・アルバム「空からの力」だ。 「日本語ラップ史上“最重要のアルバム”は何か?」と問われたら、今だとどんなアルバムが最も票を集めるのか分からないが、筆者はこのアルバムに迷わず一票を投じるだろうし、その思いは20年前のリリース時から変わることがない。だが、果たしてこのアルバムが、その後20年に渡って日本語ラップ・シーンを牽引してきたキング・ギドラのメンバーにとってキャリア最高の成果なの��?と問われると、そこには疑問が残る。Zeebraのヴァーサタイルなラップ巧者振りを堪能するには「THE RHYME ANIMAL」(98年)以降の作品を聴く方が適していると思うし、Kダブシャインの“ライム・サイエンス”が本当の意味で開花するのは「現在時刻」(97年)リリース以降だ。また、DJ OASISがプロデューサーとしてのオリジナリティを確立していくためには、90年代末以降のソロ活動がプロセスとして必要だった筈だ。同時期のUSラップで言うと、NAS「ILLMATIC」やTHE NOTORIOUS B.I.G.「READY TO DIE」のようなアルバムがクラシックとして挙がることが多いが、USシーンのルネッサンス期に当たる時期に産み落とされたこれらの作品と、日本語ラップ・シーンの黎明期から発展期に差し掛かろうとしていた時期に発表された「空からの力」とでは、“クラシック”の意味合いが異なる。 では、2015年に「空からの力」を再評価するとしたら、どんな部分に注目するべきなのだろうか? 「「俺も、『別に韻踏んでないラップだって全然いいと思うし、英語使いまくったっていいし、ラップなんて何でもいいじゃん!』って一回思ったんだけど、バトルで韻踏んでない子が多かったから、っていうのもあるかもしれないけど、『踏んでねぇラップはラップじゃない』と改めて思ったんだよね。今は『踏んでなくてもOK』みたいな風潮が作品でもあるけど、それは絶対違うと思うんだ。海外のラッパーで踏んでねぇヤツなんて、絶対いないし、『ラップする』じゃなくて『ライムする』って言うじゃん?」 上記は昨年末に掲載した、ギドラの“一番弟子”であるUZIのインタビュー内での発言だ。「ラップする」ではなく、「ライムする」。この概念を、日本語ラップにおけるアイデンティティのひとつとして成立させる上で、決定的な影響を与えたのは間違いなく「空からの力」だ。いや、誤解なきように付け加えておくが、もちろん「空からの力」と同時期に発表された日本語ラップ作品でも、当時のラッパーたちは「日本語で如何にUSラップと同様のスムーズさで韻を踏むか」という試行錯誤を繰り返していたし、そのレヴェルは80年代後半〜90年代初頭の日本語ラップのライミング・スキルとは比べ物にならない程進化を遂げていた。 そんな中、何故キング・ギドラは当時の他のラッパーとは更に別次元の“踏韻”を提示できたのか。それは、彼らが持つ“HIP HOPリリシズム”と、“HIP HOPリリシズム”に対するリテラシーの高さが深く影響していると思うし、この点こそが本稿で最も強調しておきたい部分だ。 英語が分からないリスナーがUSラップのリリックを理解しようとする場合、まずすることは“対訳”をチェックすることだと思う。もちろん、それは曲の内容を理解するためには極めて重要な行為だが、ラップを深く理解する上で「その曲で“何を”ラップしているのか」を理解するのと同じぐらい重要なのが、「(何を)“どう”ラップしているのか」ということだ。あるテー��について、如何にライミング/比喩表現/単語やスラングのセレクト、フロウ/デリヴァリーなどのラップの載せ方といった“テクニック”を駆使して語っているのか --それこそがHIP HOPにおける“リリシズム”の醍醐味であり、その点が秀でているからこそ、RAKIM/NAS/EMINEM/KENDRICK LAMARといったラッパーたちは“リリシスト”と評価されているのだ。エモーショナルな言葉や普遍性のある表現のチョイスで幅広い共感を得るというのは、“詩人”として考えるなら優れているのかもしれないが、“HIP HOPリリシスト”としては物足りない。“HIP HOPリリシスト”は、例えば2小節で韻を踏む際のフリとオチの付け方や、一聴しただけでは意味が掴めない(が、噛みしめるとニヤリとする)ような比喩表現、ワン・フレーズで書けば済むような説明を、時には数行を費やしたりするといったテクニックを駆使することで、そのラッパーが伝えたいメッセージや感情を“増幅”させる技に秀でている。「破壊力のあるライム/リリック」は、そういった“増幅機能”が優れているものを指すのだと思う。 キング・ギドラの2MC -- KダブシャインとZeebraは、USラップを“聴こえ”や“内容”だけでなく、“構造”にまで深く踏み込んで理解していたために(彼らがキャリア初期にまず英語でラップを試みていたという経験も大きいだろう)、当時のシーンにおいて段違いの“HIP HOPリリシズム”を提示できたのだと筆者は考える。USラップを如何に日本語に“翻訳”するかを試みていたラッパーは数多いが、当時の彼らほどUSラップを技巧/思想の両面で“直訳”することに成功したラッパーはいない。その“直訳”しようとする姿勢からは生真面目ささえも感じさせるし、彼らが自分��ちの作品をもって当時の日本語ラップ・シーンにどうコミットしようとしていたかという“志”の確かさが、今聴き返しても伝わってくる。 では、本作でギドラが表現した“HIP HOPリリシズム”は、どのような過程を経て煮詰められ、作品として昇華されていったのだろうか?それは、本特集用に敢行された、計3パート(インタビュー前後編+全曲解説)からなるロング・インタビューでの本人たちの発言を読んで頂く方が早いだろう。マニアックなエピソードも少なくないし、冗長に感じる人もいるかもしれないが、貴重な証言の記録として出来る限り掲載しようと思った結果であることを、予めご了承頂ければと思う。
「「俺とコッタ君で話していたHIP HOP観とか、『HIP HOP/ラップとはこうあるべきだ』みたいな考えを、日本語のラップで形にしている人なんて多分いないんだろうな、って思ってて、そう思えば思う程、『俺たちはグループとしてやるべきだ』って考えるようになったんだ」-- Zeebra
CHAPTER 1:THE GENESIS ■三人が初めて同じ場に集結した日のことを話して頂けますか? Kダブシャイン「そ���ぞれのメンバーと会ったときと、三人が同時に揃ったときは別だよね。俺がオアに初めて会ったのは結構後なんだよね」 DJ OASIS「キハ(T.A.K. THE RHHHYME)とヒデ(Zeebra)とコッタ君(Kダブシャイン)が作業してるスタジオに俺が行ったんだよな」 Kダブシャイン「自由が丘の外れの。確かそのときは、キハのデモを録ってたんだっけ?」 Zeebra「あー、違うよ。俺とキハでMIX JUICEっていうユニットをやってて、それのレコーディングをしてたんだよ……クソダセェ名前だな……(笑)当時、怪しい事務所と仮契約みたいのをしてて」 Kダブシャイン「すごい一時的な感じだったんじゃん」 Zeebra「事務所の社長が、スゲェ口八丁手八丁みたいな感じでマジ調子良いヤツだったんだけど、俺らは『こういうのやりたい』って言ってもあっちが提案してきたのがKLFとかで。『もー、マジ分かってくんねぇよ』って、死にそうだった(笑)。で、一回デモを録るって話になって、スタジオに行ったんだよね」 Kダブシャイン「その時点では、俺とヒデの中ではもうギドラをやるのは決まってて、このときがオアと初めて会う日だったんだ。それが93年の頭ぐらいだね」 Zeebra「それぞれと俺とはもっと古いけどね。コッタ君は中2ぐらいから知ってるし、オアとは小学校からの付き合い。最初は、グループを組もうっていう話じゃなく、コッタ君が当時オークランドに住んでたから遊びに行って」 Kダブシャイン「向こうのラッパーのトラック作ったりとか、俺のトラックも作ってよ、みたいな話をしてた」 Zeebra「そんなような話をしてて、向こうに行って色々話してたら、『コレはもう、グループを組んだ方がいいね』って話になった」 Kダブシャイン「2MCでやりたくなって」 Zeebra「『RUN DMCみたいな感じで……』みたいな話をして。で、RUN DMCにとってのJAM MASTER JAY(ライヴDJ)が俺らにも必要だよね、って話にもなってたんだけど、グループ名として“キング・ギドラ”が挙がったときに、『じゃあ、コレでDJがいてキング・ギドラ=三つ首の龍ってことで完璧じゃね?』ってなって、『それだったら紹介したいヤツがいる』って、オアを紹介したんだ」 Kダブシャイン「『スクラッチが上手いんだよー』って紹介されたんだよ(笑)」 ■ジブさんは80年代後半からラッパーとして動いていたと思いますが、コッタさんはこの時点ではまだ歌詞は書いてても、本格的には活動していなかった時期ですよね? Kダブシャイン「ラッパーとしてのヴィジョンみたいのは出来始めてて、ソロMCとして出ていくつもりだったんだけど、なんとなくヒデと一緒にやった方が相乗効果も高まると思ったんだ」 Zeebra「俺とコッタ君で話していたHIP HOP観とか、『HIP HOP/ラップとはこうあるべきだ』みたいな考えを、日本語のラップで形にしている人なんて多分いないんだろうな、って思ってて、そう思えば思う程、『俺たちはグループとしてやるべきだ』って考えるようになったんだ。当時(90年代初頭)だったからさ、俺らもまだアップリフティングなラップで、マルコム・Xの自伝読みながらリリック書いたりしてたし」 Kダブシャイン「自分たちのことを5パーセンターズだと思ってたからね。てか、その頃はみんなそうだったし」 Zeebra「『ヒップホッパーは皆リーダーであり、世の中にとって良いインフルエンサーとして生きていかないといけない』っていう意識だった」 Kダブシャイン「ICE CUBEだって『AMERIKKKA'S MOST WANTED』(90年)やったすぐ後ぐらいでしょ?CUBEだってネイション・オブ・イスラムになっちゃってたんだから(笑)」 Zeebra「俺らはそういうモンだと思ってたし、日本にそういうメッセージ=ボムをドロップしたい欲がひたすらあった。多分だけど、俺もオアもその時点で学校を辞めてたし、既存の社会の枠から既に外れた存在だったんだよ。コッタ君も、ギリギリ首の皮一枚繋がってるぐらいの状態でオークランドにいたような人だったし(笑)。だから、『俺たちは既存のシステムに対するカウンターだ』という意識が物凄く強かったんだ。そうなると、否が応でもPUBLIC ENEMYみたいなスタンスになっていく」 ■当時、皆さんの周りでは、そういった思想レヴェルにまで踏み込んでHIP HOPの話題を共有できた友達はあまりいなかった? Zeebra「もちろん、キハとかともずっと話はしてきたけど、物事の考え方とか突き詰め方みたいなところに関しては、コッタ君はちょっと違ったのかもね」 Kダブシャイン「ヒデもちょうどNATIVE TONGUEが盛り上がってきたタイミングでNYにいたし、オレもアメリカに行って黒人の置かれている状況を見て、USのHIP HOPも歌詞の内容や背景まで理解できるように聴いてた。そういった意味での造詣の深さは、ヒデも同じぐらいのレヴェルだったけど、その時点までに知り合ってた他のラップ好きの日本人は、そこまでではなかったね」 ■それぐらい、思想面まで語り合っていたということは、一緒にやるという話になった段階では、もう機が熟しまくっていたわけですね。 Kダブシャイン「そうそう。俺がオークランドに行ってたときは何年もヒデに会ってなかったんだけど、冬休みで久し振りに日本に帰って来たときに会って、当然のように『お前も(HIP HOP)聴いてるんだろ?俺もアッチでやってるぜ』みたいな話をして」 Zeebra「面白かったのが、ちょうどその頃はWU-TANG CLANとかが流行り始めた時期で、いきなりコッタ君とかもM-65ジャケットとか着てて超ハードコアな感じになってた(笑)。俺もバンダナとか巻いてたし」 ■あ、そうか。その前に会ったときはまだ80年代だったから、ファッションが全然違ったんですね。 Kダブシャイン「80年代後半のヒデとか、ERIC B.みたいな格好してたから(笑)」 ■すごい不思議なのが、ジブさんとコッタさんは80年代からかなりリンクしていたのに、コッタさんがオアさんと出会うのは93年と、かなり後なんですね。 Kダブシャイン「ヒデの友達はいっぱい知ってたけど、オアは存在も知らなかったぐらいだった」 DJ OASIS「もしかしたら、どこかでニアミスとかはしてたかもしれないけどね。俺は、海外暮らしっていうのを一回もしたことがなかったから、日本に住みながらひたすらHIP HOPの情報をゲトろうとしてたヤツだった。だから、追ってた音楽は確実に同じだったし、俺もヒデと話したら『やっぱ俺と思ってること似てるな』って思ったね」 Kダブシャイン「で、ヒデがオアを紹介してくれたのが93年。そのときに初めて話したら、育った場所がメチャクチャ近かったんだよね。ヒデから紹介されたのに、家はこっちの方が近いんだ、って(笑)。話してみたら、商店街の話とかガキの頃に食べてた店が一緒だったりとかして、親近感を一気に感じた」 DJ OASIS「仲良くなったキ���カケとして、それはデカかったよね」 Zeebra「あと、やっぱその頃はひたすら���処かしらで毎日“合宿”みたいな感じだった。オークランドに行ったときもそうだったし」 Kダブシャイン「ヒデの家でもそうだったね」 ■“合宿”というのは具体的に言うと? Zeebra「一緒に住んでたし、制作もちょっとずつでも毎日のようにしてた。あとは誰かのとこに行ってみたり、誰かのライヴに乱入してラップしてみたりとか、とにかくいろんなことをやってた」 ■その時期は、常にみんな一緒にいたんですね。 Zeebra「そうそう。ギュッと濃い時期だったと思うよ」 ■オアさんが最初にコッタさんに会ったときの印象は? DJ OASIS「俺は最初、ヒデから『コッタ君っていう人がいて、日本語でライムを書いてて、俺も日本語で書いてみたんだけど』っていう連絡があったんだ。で、『どう?ちょっと(一緒に)やってみねぇか?』って言われて。俺は、その時点では日本語のラップでマトモなのなんて聴いてことがなかったから、逆に興味があったんだよね。……で、最初にコッタ君と会ったときの話なんだけど、コッタ君は俺の目の前にあった階段の下で突然『グルリと周るは首都高速』っていきなりカマしてきたのを覚えてる(笑)」 Zeebra「俺ら、本当そんな感じだったよね(笑)。すぐ何かしらカマしてた」 ■でも、その「カマしてくる」感じというのは、94年に『YO! MTV RAPS』の東京特集でギドラがインタビューされたときの感じを見ると、すごくよく分かります(笑)。あの映像観ると、みんなめっちゃイキってますからね(笑)。 Kダブシャイン「ハハハハハ」 Zeebra「(当時Kダブシャインが通っていた)テンプル大学で(同じく同大学に通っていた)GAKU MC(EAST END)を紹介されたときも、一言挨拶したらもういきなりラップしてたからね(笑)」 Kダブシャイン「で、その横ですかさずサイドMCみたいのも入れて(笑)」 ■最初は英語でラップしていたジブさんが、日本語ラップを自分でやってみようと思ったきっかけが、電話越しでコッタさんに日本語のライムをキックされたときだというのは有名な話ですが、そのときのことを詳しく話して頂けますか? Zeebra「厳密に言うと、日本語ラップは既にキハがやっていた。キハは英語も日本語もやるスタイルだったんだけど、キハの当時の日本語ラップは俺に言わせれば“韻”としてはまだ甘いという印象があったんだ。最後の一文字が一緒、ぐらいのレヴェルだったから」 Kダブシャイン「“機械”、“社会”、“都会”ぐらいな感じかな」 Zeebra「いや、“い”だけで踏むぐらいの感じだったね。だけどコッタ君は、例えば3文字の単語だとちゃんと3文字分踏んでた。俺も、英語でラップするときは単語で韻を踏んでたから、『あ、コレだと“韻”になるな』って思ったんだ」 Kダブシャイン「語尾だけで韻を踏むのも、日本語古来からの定義で言うなら“韻”ってことになるのかもしれないけど、USのラップも80年代と90年代では韻の踏み方がどんどん複雑になって進化していったから、日本語のライミングでも92〜3年風に適応させるという試みをやってたんだ。ライムする部分のアクセントを強調して、文末の音節を合わせるようなパターンをね」 ■コッタさんのそのライミングを聴いたとき、ジブさんのリアクションはどんな感じだったんですか? Zeebra「『あぁ、ちゃんと出来てんじゃん。面白そう』って思った。『コレだったら日本語でも“ライム”になるんだな』って感じだった」 ■「衝撃!」というより「発見!」という感じ? Zeebra「うん、『コレだったら出来るじゃん。やってみたい』って」 Kダブシャイン「一気に可能性が広がったって思ったんだろうね」 ■��ドラ前から、それぞれがラップについて試行錯誤していたわけですが、ラッパーとしてのスタンスが確立していったのは、ギドラを結成して以降だと思いますか? Kダブシャイン「“キング・ギドラ”っていうコンセプトが出来たからね。“宇宙怪獣”だったり“空からの力”だったり。オアのサウンドに因るところも実はデカイ。オアの音を聴いたときに、そこで“宇宙感”みたいのはあった」 ■またベーシックな質問になってしまいますけど、キング・ギドラというグループ名を思いついたのは誰だったんでしたっけ? Kダブシャイン「本屋でいろいろ雑誌を見ながらヒデと決めたんだよね」 Zeebra「ゴジラ関連の本とか見なかったっけ?」 Kダブシャイン「アメリカで活動するっていう展開も考えてたから、アメリカ人も認識しやすいように、『日本のモノと言えば』ってところで『ゴジラ』に出て来るキャラクターの名前を見てたんだ。で、キング・ギドラは“ゴールド”だったり“ドラゴン”ってところがHIP HOP的だと思ってさ」 Zeebra「当時はそれこそWU-TANG CLANが流行ってたし、オリエンタルな感じがアリだったんだよね」 Kダブシャイン「いろんな意味で、日本を“レップ”してるような感じにしたかった」 ■じゃあ、“SF感”を重視したというより、“日本感”を重視した結果のグループ名だったんですね。 Kダブシャイン「そうだね。だけど、“宇宙怪獣”=“敵”とされているモノが外から来たけど、実際はその“敵”が正しいことを言ってるんじゃないか?っていう、PUBLIC ENEMY的なコンセプトも込めていた」 Zeebra「PUBLIC ENEMYって名前自体がそういうことじゃん?『公共の敵』だけど正しいことしか言ってない、そんな感じ」 Kダブシャイン「でも、悪者扱いされる、みたいな」 Zeebra「当時話してたのは、ゴジラが固定観念/既成概念の象徴で、日本的な“システム”の象徴のゴジラを潰すために、キング・ギドラが金星からやって来たってことで」 Kダブシャイン「カウンター・カルチャーっていう意識がメチャクチャ強かった。俺たちは社会からドロップ・アウトしていたけど、ドロップ・アウトしていたからこそ見れた真理みたいのがあって、それを表現したかったんだ」 ■仮に、グループを組むという話にならないで、それぞれがソロ・ラッパーとしての道を歩んでいたとしたら、全然違うタイプのラッパーになっていたと思いますか? Kダブシャイン「あの時点で枝分かれしていたら違ったかもしれないね。でも、ギドラをやる際に、WU-TANG CLAN(のソロ展開)も見てたし、それぞれ才能ある三人が集まってると思ってたから、『ソロでも出来るヤツが三人集まったから無敵』って思ってたんだ。だから、グループだけじゃなくてそれぞれのソロ・キャリアについても考えよう、って話した上でギドラの話を進めていた。『空からの力』にふたりのソロ曲が入ってるのはそういうことで。俺たちが、他のグループと比べて“解散”とか“活動休止”がユルい感じなのは、それが影響しているんだと思うな」 DJ OASIS「『空からの力』が出来る前 --オークランドで合宿していたときに、コッタ君は既に『ギドラでアルバム出して、ソロ・アルバムも出して……』って話をしていたからね」 ■まだ「日本語ラップ冬の時代」と呼ばれていて、ラッパーがアルバムを出すこと自体が敷居の高かった時期に、そこまでのヴィジョンがあったというのは驚きです。その時点で、自分たちのヴィジョンはリアリスティックなモノとして捉えていたんでしょうか?それとも、もっと“夢”的な話だった? Kダブシャイン「アメリカに住んでいたから、すごくリアリスティックに感じてたし、日本に帰ったらすぐBEASTIE BOYSみたいになると思ってた、っていうのが正直な話(笑)。何百万枚も売れて、コレで一気に変わっちゃうんだろうなー、ぐらいな」 ■それは、コッタさんはその時点で日本のシーンの状況について詳しくなかったから? Kダブシャイン「知っていたけど、良い部分しか見ていなかった。逆に、俺たちみたいのが出て来たら、みんな一気にコッチを向くだろうな、って淡い期待をしてたね」 ■ギドラとしての日本語ラップを確立していく上で、乗り越えないといけなかった壁/ハードルはありましたか? Zeebra「まずは、当時存在していた日本のシーンじゃない?日本語のラップでやるんだから、既に日本語ラップでやってた主流/トップを獲らないといけない、っていうのは普通に思ってた」 Kダブシャイン「スチャダラパーやEAST END辺りがターゲットだったのかもね」 Zeebra「でも、まだ“今夜はブギーバック”も“DA・YO・NE”もヒットしてなかった時期だったと思う。当時、『SLAM DUNK DISCO』(下北沢で開催されていたECD/YOU THE ROCK主催イヴェント)に“偵察”に行ったんだよな。当時『Fine』誌に出ていたラッパーたちはどんなモンだ、ってことで観に行ったんだ。そういうとこに敵情視察しに行って、看板頂いて全てぶっ潰すみたいな、ギャング的な感覚だった(笑)」 DJ OASIS「他の日本人ラッパーが出て来たら、コッチは首振らねぇ、ぐらいの感じじゃなかった?」 Kダブシャイン「斜に構えてた感じはあったね」 ■そういう態度だったぐらい、94年頃のギドラはシーンの主流から外れていたし、だからこそ『YO! MTV RAPS』で“日本代表”としてレップしたことが、当時のシーンで波紋を呼んだんですよね。完全に“ヨソ者”だった。 Kダブシャイン「それまでの“HIP HOP村”においてはね。でも、俺は当時、まだそんなにみんな繋がっていない感じがしたんだよね。“シーン”は存在してたけど、“HIP HOPコミュニティ”みたいなモノにはなっていないと感じていた」 ■そんな感じで殴り込みをかけて、煙たがられたりとかはしなかったんですか? Zeebra「もちろん、そう思ってたヤツもいただろうね。でも、デモ・テープを配った段階で、それなりのモノは証明できてた。当時の『Fine』で、(高木)完ちゃんと宇多丸がそれぞれ同じ号のコラムでギドラについて書いてて、『おー、やっぱ俺ら認めさせちゃった?』みたいに思ったから、誰が何を言ってようとまったく気にならなかった……んだけど、『ペイジャー・ディス事件』ってのがあったじゃん(笑)?」 Kダブシャイン「……あー!」 Zeebra「UZIとHILL THE IQが大学の同級生で、ある日HILL THE IQがUZIに『MUROさんにデモ聴いてもらえることになったんだ』って話したワケ。そうしたらUZIが『何言ってるんだよ、ペイジャーなんかよりキング・ギドラの方がカッケェよ!』みたいなことを言ったんだよね(笑)。UZIは当時、ギドラのセキュリティとして一緒にステージに立ってたから、UZIもギドラの一員だと思われちゃって、『ギドラがペイジャーをディスってる』って噂がペイジャー側に伝わっちゃったんだ。そんな話が広まってるとは俺たちも知らない中、たまたま六本木R?HALLに行ったらMASAO(MICROPHONE PAGER)が来て、その場にいたKEN-BOに紹介されたんだけど」 DJ OASIS「スゲェ感じ悪くて(笑)」 Zeebra「愛想悪かったから『何なんだろう?』ってなったんだけど、KEN-BOが『取り敢えずラッパー同士だし、クルマの中でフリースタイルとかしちゃう?』って言い出して(笑)。そうしたら、MASAOが挑発的なラップをしてきたんだ。ちなみに、そのとき二日連続でMASAOにR?HALLで会ってたから、俺はそれを連チャンでやったんだよね(笑)。結局、そこで話をして誤解は解けたんだけど」
「アルバムに入っているヴァージョンとの違いに気づいたりもしたし、デモの段階でしっかり作り込んでたなー、って。当時の年齢(25歳頃)を考えると、すごい本気だったな、っていうのが感じられるね(笑)。キャリアを進めるという意味ではスゲェ真剣だったんだろうし、その当時の真剣さがあったからこそ、今も続けられてるのかな、って」-- Kダブシャイン
『YO! MTV RAPS』出演時のキング・ギドラ(94年)
CHAPTER 2:DUNGEONS OF RAP
■面白すぎます(笑)。それぐらい、“黒船”状態だったギドラが一気にシーン内で認められるようになったきっかけが、今回のデラックス盤に収録されるデモ・テープ音源なワケですよね。そのクオリティの高さに、当時聴いた人たちが衝撃を受けたという。 Kダブシャイン「黒船というよりは咸臨丸だね。福沢諭吉みたいにアメリカ行って戻ってきたワケだから」 ■そうだけど、いいじゃん別に……(笑)。 Zeebra「今のはマジでこっちゃんテイスト炸裂だわ(笑)」 Kダブシャイン「ふたりをレップしたんだよ、慶応(出身)だからね。」 ■……そのデモ・テープは、今で言うと“ミックステープ”ですよね。アルバム前にデモでバズらせて、っていう。 Kダブシャイン「オークランドで仲良かったラッパーやバンドが、本気でミュージック・ビジネスをやろうとしてたから、デモを作ってからディールを掴むまでの様子を見てた。それを見てたからこそ『デモがないとプロにはなれないんだな』って思ってた」 Zeebra「A TRIBE CALLED QUESTが『LOW END THEORY』(91年)で“SHOW BUSINESS”っていう音楽業界の裏側を突くような曲をやってたから、俺は慎重だったし、ヘンなとことも仮契約しかしてなかったワケ」 ■なるほど!変なディールを掴まされたりする前の段階で、防御策として自分たちの音楽性/クオリティを確立しておく必要があったということですね。そうしないと、自分たちにとって不本意な音楽性でやらされる可能性があった。 Kダブシャイン「そうそう。あと、やっぱり同業者に聴かせたいって思いもあったし。まあ、とにかくハングリーだったんだよ」 ■デモ・テープはいつぐらいに作ったんですか? Zeebra「俺が覚えてるのは、『YO! MTV RAPS』の撮影があった前の晩。朝まで録ってて、昼頃に寝て夜になってみんな結構眠い中集合したんだよ。だから、あの撮影のときにデモを配るつもりもあったんじゃない?FAB 5 FREDDY(『YO! MTV RAPS』MC)にも渡したと思うよ。当時、方南町にUZIの兄ちゃんがやってた、レコーディングも出来るリハスタがあって、そこで録ったんだよね」 Kダブシャイン「二日ぐらいかけて6曲録ったんだと思う」 DJ OASIS「その前から作り溜めてた曲だね」 Zeebra「INOVADERの家とか俺の家とかでプリプロして」 ■有りモノのインストは使わず、全部オリジナル・トラックだったんですよね? Kダブシャイン「当時のグループって、みんなグループ独自のサウンドがあったじゃん?MAIN SOURCEもDE LA SOULもATCQも。だから、有りモノのトラックを使うより、サウンド面でも自分たちの名刺代わりとなるモノを作りたかった」 DJ OASIS「トラックは、デモを録るだいぶ前から作っていたからね。先にトラック作り始めたのはヒデからじゃない?」 Zeebra「同じぐらいじゃない?オアがCASIO FZ-1っていう、当時一番長い秒数サンプリングできたサンプラー/シンセを買ったんだよね。で、俺はMTRとROLAND R-8ってリズム・マシンを持ってて、FZ-1を動かすにはどうやらシーケンサーって機材が必要らしい、って話になってYAMAHAのQXをゲトって、俺の家でオケを作り始めたんだよ」 ■それぞれの機材をシェアしてたんですね。当時、まだ情報も少なかった時代だったと思いますけど、機材の選び方やトラックの作り方はどうやって覚えていったんですか?トラックを作ってた人なんて、まだそんなにいなかった時代ですよね? Zeebra「俺らの周りにはいなかったね。俺は、普通に説明書読みながら作ったよ。R-8しか持ってなかった段階で、俺は相当トラックを作り込んでたね」 ■ジブさんの、今に通じる機械/テクノロジー・オタク振りが窺えますね。 Zeebra「それは超デカかったと思う」 DJ OASIS「俺もヒデも“マイコン”とかいじってたからね(笑)」 Zeebra「あと、俺とオアはDJだったしね。俺の家にはタンテが3台あったから、レコード3枚の音を重ねるとかは(トラックを作る前に)やってたし。MTRはミックステープを作るためにいじってた」 ■“未確認飛行物体接近中”でジブさんは「変幻自在 俺の機材はAKAI」とラップしてますが。 Zeebra「あの曲を作ったときにはAKAI S-1100(サンプラー)を持ってて」 DJ OASIS「俺はS-950を持ってた」 Zeebra「まだ持ってるよ。データも残ってるから全部音鳴らせる」 ■今回のリリースのタイミングで久し振りにデモを聴いたと思うのですが、どんな感想を持ちましたか? Kダブシャイン「もちろん、アルバムに入っているヴァージョンとの違いに気づいたりもしたし、デモの段階でしっかり作り込んでたなー、って。当時の年齢(25歳頃)を考えると、すごい本気だったな、っていうのが感じられるね(笑)。キャリアを進めるという意味ではスゲェ真剣だったんだろうし、その当時の真剣さがあったからこそ、今も続けられてるのかな、って」 ■今回、僕も初めて聴かせてもらって悶絶しました。特にジブさんのフロウが時代を感じさせる(笑)。 Zeebra「もちろん、当時どういう感じだったかはなんとなく覚えていたけど、俺も実際聴き返したら今との違いがかなり想像の斜め上行ってて驚愕した(笑)」 ■当時、参照していたアーティスト/作品はありましたか? Zeebra「いくら日本で悪ぶってもたかが知れてるな、って思ってたから、ギャングスタ・ラップ的なスタイルというよりはもうちょっと柔らかい --NATIVE TONGUEほど柔らかくはないけどもうちょっとストリート寄りぐらいがいいな、って思ってやってたのがPOSITIVE VIBE(キング・ギドラ前にZeebraとDJ OASISが組んでいたユニット)だったりした。THE PHARCYDEとかは、そういう意味では92〜93年頃に『ちょうどいいな』って思ったし、その延長線上で出来たのがこのデモだったりする。でも、『悪ぶってもたかが知れてる』と思っていたとは言え、いざ日本のシーンに入ってきてみたら、俺らは自分たちが思っていたより“悪い子ちゃん”な立ち位置だったから、デモのラップの感じだとちょっと明るすぎると思ったんだよね。『日本のシーンを意識するならもう少しハードでいい』って」 Kダブシャイン「歌詞も、だんだん地に足着いた感じになっていくんだよね」 Zeebra「デモの頃に作った曲は、『殴り込み』な感じのリリックばっかだけど、“行方不明”を作ったときはある程度上手くいき始めてた時期だったから、『シーン(内)の人』の視点で書いてる」 Kダブシャイン「俺の場合は、93〜95年って時期を考えると、一番シンボリックだったのはNAS『ILLMATIC』(94年)だよね。その前まではTREACH(NAUGHTY BY NATURE)とかULTRAMAGNETIC MC'Sが好きだったと思うんだけど、NASやビギーが出て来て『よりリアリティに近づいていかなきゃいけないな』って思った。だから、デモの頃は抑揚の付いたフロウだけど、アルバムではもっとモノトーンなスタイルになっていく」 Zeebra「あと、グループ内でのキャラ分けとして、RUNとDMCとか、KOOL KEITHとCED GEEとか、CHUCK DとFLAVOR FLAVとか、SNOOPとDR. DREとか……」 Kダブシャイン「そういう、(ラップ・デュオが持つ)コントラストが大事だと思ってた」 Zeebra「だから、俺は最初『高い声』担当のイメージだったんだ。だけど、いざライヴでラップしてみたりすると、もうちょっとガナる感じになってきて、そっちの方がハマりが良かったんだよね」
「『空からの力』というタイトル自体が、俺らを凌駕する力のことで、それは自然とか太陽だったり、俺らの生活に必要なモノで、そういったモノを意識させようとしてたというか。『人間っていうのはこれぐらいちっぽけなんだぞ』ってことを、根底では伝えたかったんだと思う。95年を振り返ると、1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件があって、日本が大きく揺れた年だったから、そこでこういうアルバムが出たっていうのは、リスナーにとっても何か意味があったんじゃないかな、とも思うな」 -- Kダブシャイン
【PART 1】 【PART 2】 【PART 3】 【PART 4】 CHAPTER 3:POWER FROM THE SKY ■いよいよ本題、「空からの力」制作期の話に入りますが、その前にRHYMESTER“口から出まかせ feat. キング・ギドラ & SOUL SCREAM”での客演と、「THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2」に収録された“未確認飛行物体接近中”(SAGA OF K.G.名義)がありますね。どっちが先に出来たんですか? Zeebra「“未確認〜”の方が後じゃない?だって、“口から出まかせ”で『キング・ギドラ本邦初公開』って言ってるし。今でも覚えてるんだけど、『THE BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』に入ってるDJ BEAT“FREE WAY feat. SOUL SCREAM”は、最初俺が誘われてたんだけど、俺は“未確認〜”をやることが決まってたから、俺がHAB I SCREAM(SOUL SCREAM)に振ったんだよ。で、それは“口から出まかせ”の音源が上がったぐらいのタイミングだった」 ■デモを撒いていたときに反応した関係者のひとりが宇多丸氏で、それが“口から出まかせ”での起用に繋がっていくワケですよね。“口から出まかせ”のエピソードはありますか? Kダブシャイン「……なんか呼ばれて、言われてやったぐらいかな」 ■スゲェ淡白(笑)。 Zeebra「当時まだRHYMESTERのメンバーだったDR. LOOPER(現・LR STEREO)の家に集まって、“口から出まかせ”のデモを作ったんだけど、そのとき回しっぱなしで撮ってたヴィデオ映像があるんだよ。カメラに向かっておもむろにMVゴッコとかし始めたりしてて……ヤバイよ(笑)。で、そのときにみんな(ギドラ以外の面々)が初めてコッタ君に会ったんだよね」 Kダブシャイン「俺はまだオークランドにいて、東京ではヒデがプロモーション活動してた時期が半年ぐらいあるんだ。だから、俺がRHYMESTERとかと知り合うのは後の方だったんだよね」 Zeebra「そのときにコッタ君が来て、みんなが『へー、Kダブってこんな人なんだ!』って衝撃を受けたって、宇多丸が言ってたよ、このキャラに(笑)。キッチンが喫煙所だったんだけど、そこでE.G.G.MANとかに『Kダブって面白いんだね』って言われたのを覚えてる(笑)」 ■最初は曲で聴けるような“堅い”イメージだったのが、フタを開けてみたら“こっちゃん”だったっていう(笑)。 Kダブシャイン「俺は自覚ないけどね」 ■当時のギドラのイケイケな感じで、“口から出まかせ”でも「俺らが他のヤツらを食ってやる」ぐらいの意識だったんですか? Zeebra「まあ、良い意味でそうだったよね。でも、全員そう思ってたんじゃない?」 Kダブシャイン「そういう(競争)意識は俺らふたりの間にだってあるから。でも、“口から出まかせ”はポッセ・カットだと思ってたから、敵意は全然なかったよ」 Zeebra「そうだね。それよりも、『俺らのヴァースが���り敢えず“製品”になるから日本中のヤツが聴ける』って思ったな」 Kダブシャイン「俺は、『俺たちを最初に出したことで、RHYMESTERは上手いトコ持ってったな』って、斜に構えて見てた。コレで『キング・ギドラを発掘したのは俺たちだ』って言えるからねー(笑)」 ■そして、この2曲を経て、95年末に「空からの力」がドロップされるワケですね。そもそもどんな経緯でP-VINEから出すことになったんですか? Zeebra「FILE RECORDSからも誘われてたんだよ。“口から出まかせ”を出した後にギドラをやろうよ、って話になってて」 ■FILE RECORDSは、当時最も精力的に日本語ラップ作品を出していたレーベルだったのに、結局FILEからはリリースしなかったんですね。 Zeebra「出すつもりではいたんだけど、そのタイミングで当時はまだ和モノを手掛けていなかったP-VINEが手を上げてきたんだ。俺らからしたらP-VINEは、P-FUNKとかSTAXとか、ブラック・ミュージック作品の再発をしてた由緒正しいレーベルだと思ってた」 Kダブシャイン「そんなP-VINE初の日本人アーティストの音源を作るって話だったから、そっちの方が(レーベル内の)プライオリティも高くなるだろう、って思ったんだよね」 Zeebra「FILEには既にいっぱいアーティストがいたからね。当時も言ってたんだけど、HIP HOPレーベルがFILE RECORDSだけしかないっていうのも、シーンにとっては健康的じゃないな、って話になってたっていうのもある」 ■はー、そんなことまで考えてたのか! Kダブシャイン「だって、最初はメジャー・ディールを狙ってたぐらいだし。あと、当時P-VINEのオフィスが代々木八幡にあって家から近かったから、毎日会社に行ってレーベルのヤツがサボってないかケツ叩ける、っていうのもあったな(笑)」 Zeebra「実際、毎日行ってたもん。それで担当A&R;は2〜3ヶ月で髪の毛真っ白になってたし」 ■さぞかし迷惑だっただろうな……(笑)。アメリカでも、ディールが決まりかけていたんでしっけ? Kダブシャイン「DEF AMERICAN(RICK RUBIN主宰レーベル)とIMMORTAL RECORDS(KORNやINCUBUS、FUNKDOOBIESTや、OST『JUDGEMENT NIGHT』のリリースで知られるEPIC傘下のレーベル)に、話が出来るA&R;の知り合いがいて」 Zeebra「だけど、その話があった段階ではP-VINEでやるかやらないか、ぐらいの話をしていたと思う。状況的には、日本でもリリース出来ちゃいそうな感じになっているときに向こうからも話があったから、『US経由でリリースするより日本でやった方が話が早い』って思ったんだよね」 ■アルバムのレコーディング期間はどれくらいだったんですか? Kダブシャイン「2週間ぐらいだと思う」 Zeebra「ヘタしたらそんなにかかってないかもよ」 Kダブシャイン「高井戸と新宿御苑のBAZOOKA STUDIOで録ったね」 ■レコーディングしていたときの雰囲気はどんな感じだったんですか? Kダブシャイン「ココで大事なのは、オアがレコーディングにほとんど来てなかったってことで(笑)」 DJ OASIS「うん、2〜3日ぐらいしか行かなかったね。スクラッチ入れと流し込みで行ったぐらい。俺はその頃結婚してたんだけど、まだ『音楽でカネを稼ぐ』なんて出来ない時期だったから、現実的に考えたら俺には無理なのかな?って思って」 Zeebra「『お金にならないことを仕事って言われても困る』っていう、オアのカミさんのスタンスがあったってことでしょ?」 DJ OASIS「それだったら、ってことで俺は嫁を取った」 Zeebra「だけど、既にアルバム作り始めてたから、最低限の作業をやるために2〜3日だけ来たんだよ」 ■でも、オアさんは当時“脱退”まではしてないですよね?ジャケにも写ってるし。 DJ OASIS「そこまではしてなかったんだけどねー」 Kダブシャイン「“欠席”が長かったっていう(笑)。学校来なくなった同級生みたいな感じだよ。で、たまたまKEN-BOが近くにいて、凄くサポートしてくれてたからライヴDJを彼に頼んだんだ」 ■今このアルバムを若いリスナーが聴いたらどう思うのかは、僕には分からないですが、やはり「空からの力」は、今聴いても“教科書”になり得る作品だ、と聴き返して改めて感じました。ジブさんは、ソロ活動を始めた頃、自分のラップが“教科書”として機能することを意識していたと思うのですが、「空からの力」に関してはそういう意識で作っていたんですか? Zeebra「韻の踏み方に関しては、『コレが一番正しい日本語ラップのあり方だ』っていうのは自負していたよね」 ■それ故に、ライミングに対してものすごくコンシャスなリリックが多いんですね。 Kダブシャイン「あと、サッカーMC的なテーマだったりコンシャスな曲だったり、全体像としてHIP HOP作品の押さえるべき要素を押さえていたから、そういう意味では“教科書”というより“試金石”みたいなモノになればいいな、って思ってたね」 ■今思うとちょっと意外なのは、90〜95年ぐらいの間に、USラップはコンシャス的な内容からハードコアなモノにトレンドが変わっていきましたよね。「空からの力」は95年のアルバムですが、社会的/コンシャスな要素が強く押し出された曲も入っていて、それって当時のUSラップの状況を踏まえると、やや“時代遅れ”という解釈も出来る。 Kダブシャイン「確かに、ちょっと遅いんだよね。でも、俺の中ではこういう内容のアルバムを取り敢えず出しとかないと次に進めない、っていうのがあったんだ」 ■一枚目だったし、押さえとくべき要素は全部入れようとしたということですよね、意図的に。 Zeebra「日本のHIP HOPの歴史上、こういう内容の作品がないといけない、とも思ってた、例えそれが数年遅かったとしても」 ■当時、“アブストラクト”“SF的”と評されることもあったと記憶しているのですが、その辺りに対する意識はどれぐらいありましたか? Kダブシャイン「まあ、そういうモノが元々好きだったしね」 ■でも、一方で“リアリティ・ラップ”的なモノも好きなワケじゃないですか。 Kダブシャイン「俺の場合は、ULTRAMAGNETIC MC'Sに感化されていた気がするね。イルに知的な感じというか」 Zeebra「要は、メタファー(比喩)だよね。94〜95年の頃は、確かにNASやビギーが台頭してきた時代だけど、それと当時にJERU THE DAMAJAとかBOOT CAMP CLIKとかもいたし、ストリート/拝金主義/ギャングスタ的なHIP HOPと、そのちょっと前の時代からあったメッセージ色の強いラップが混在していた時代だよね」 Kダブシャイン「あと、P・ファンクとかEARTH, WIND & FIREもSF的だったじゃん?その辺は、俺らの共通言語としてずっとあったんだよね」 ■ブラック・ミュージックとして考えても、そういうSF的な要素がしっくりハマったと。 Kダブシャイン「そう、それにキング・ギドラってグループ名も付けてたし」 Zeebra「俺らは当時、HIP HOP=現代のファンクだって思ってたしね。だから、実際デモ・テープの頃はサンプリングネタもファンクが多かった」 ■ラップ・デュオは洋邦問わず、それぞれのキャラの立たせ方というのが重要になってきますよね。ギドラも例外でなく、コッタさん/ジブさん共に違う色を持ったMCなわけですが -- 今話した“SF的”な話にも繋がるんですが、例えばジブさんのリリックはマンガのキャラクター的/スーパースター的で、コッタさんはライム・サイエンティストといった趣だと思うんです。『鉄腕アトム』で言うと、ジブさんがアトムなのに対して、コッタさんはお茶の水博士というか(笑)。更にHIP HOP的な喩えで言うと、RAKIMが持っていた側面をふたりで分け合っていたような感じにも聴こえます。 Zeebra「あー、RAKIMが出してくる“ワード感”をコッタ君が担ってて、フロウ/デリヴァリー感を俺が担ってたってことでしょ?それはあるかもしれない」 ■RAKIMが持つダンディさだったり、ストリート寄りの人にも受ける分かりやすいカッコ良さはジブさんが担っていて、知性的な部分はコッタさんが担っていたというか。 Kダブシャイン「RAKIMはもちろん影響として大きいんだけど、ヒデはKRS-ONEが好きで、俺はCHUCK Dが好きだったから、そこで線引きされる部分もあったね」 Zeebra「そうだね。俺はとにかく“ファンキー”なモノが好きだったんだ。KRS-ONEとCHUCK Dで比べたら、KRS-ONEの方がファンキーでしょ?そのカラーの違いだろうな」 ■その立ち位置の違いは、自然と出て来たんですか?それとも、「俺はこういうキャラだから、そっちはこういうキャラで」という感じに、示し合わせていった? Kダブシャイン「自然じゃないかな?多分コレが、元々のヒデとコッタな感じなんだよ」 Zeebra「元々、俺はピョンピョンしてたタイプだし、コッタ君は……高校生ぐらいの頃はもっと軽快だった気がするけど(笑)」 ■いろんなラップ・デュオについて考えると、例えば声の高低とか、フロウの違いとかでキャラ分けをしている人たちは多くても、リリックの世界観は案外近かったりするじゃないですか。でも、ギドラの場合は意外とバラバラですよね。 Kダブシャイン「でも、ATCQのQ-TIPとPHIFEはバラバラじゃない?」 ■あー……確かに、そういう意味ではギドラはATCQ的かもしれない。例えば“空からの力”にしても、同じテーマについてラップしててもそのアプローチは全然違うと思うんですよ。 Zeebra「FLAVOR FLAVとCHUCK Dみたいなことじゃないのかな?俺は、俺らがもしPUBLIC ENEMYだとしたら『ラップが上手いFLAVOR FLAVになろう』みたいなところはちょっとあった。RUN DMCとかはさ、RUNがグイグイ行く感じなのに対して、DMCは後ろでバシッと構えてる感じだったよね。で、俺らがRUN DMCゴッコとかしてたときも、コッタ君はDMCで、俺はRUNのマネをしてたんだよ(笑)」 ■その時点から立ち位置が決まってたんですね(笑)。あと、改めて「空からの力」を聴いて感じたのですが、このアルバムのリリックって、色々な意味で“リアライゼーション”が核にあると思ったんです。「自分たちが思う正当なHIP HOPとはどういうモノか」ということを気づかせようとしていたり、都会に住む若者からの視点で社会にどうコミットするべきかを示唆していたり、色々な意味で「気づかせる」ということがキーになっていると思うんです。 Zeebra「それこそCHUCK Dが『HIP HOPは黒人たちのCNNだ』って言ってたけど、そういう意識は俺らも本当に思ってたから、ストリートの側から見える現状を伝えることがHIP HOPの使命だと思ってたよね」 Kダブシャイン「『空からの力』というタイトル自体が、俺らを凌駕する力のことで、それは自然とか太陽だったり、俺らの生活に必要なモノで、そういったモノを意識させようとしてたというか。『人間っていうのはこれぐらいちっぽけなんだぞ』ってことを、根底では伝えたかったんだと思う。95年を振り返ると、1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件があって、日本が大きく揺れた年だったから、そこでこういうアルバムが出たっていうのは、リスナーにとっても何か意味があったんじゃないかな、とも思うな」 ■世相というものはどこまで意識してましたか? Kダブシャイン「それなりに意識はしてたけど、そういった事件がアルバムの出た年に起こるとまでは思ってなかった。俺らが出す前とかは、『日本語のラップでメッセージ?そんなの受け入れられるの?』なんてことをよく言われてたんだけど、震災やサリン事件があって『これからはオレらのようなことを言う人たちが必要とされるんだろうな』って予感はしてた」
「俺は、コッタ君のラップを聴いて『日本語でラップするというのは、こういうことか』って思って、その後にヒデのラップを聴いて自分もラップ書くようになったから、ふたりの影響から自分もラップを始めてるんだ。だから、『空からの力』は俺にとっても“教科書”だし、“教科書”の“目次”になっているような内容だったりする。韻に関してはもちろんのこと、気の利いた言い回しをするとか、そういうところも学んだ“テキスト”だね」-- DJ OASIS
CHAPTER 4:THE AFTERMATH ■「空からの力」が95年末にリリースされた後、どんな手応えを感じてましたか? Kダブシャイン「リリース直後に渋谷のHMVへ見に行ったんだけど、店のチャートで1位になってて、地元で1位になって嬉しいな、って思った」 ■「空からの力」リリース前後では、例えばライヴの盛り上がりなどで変化はありましたか? Zeebra「アルバムが出る前、95年中盤頃からライヴは結構盛り上がってた。当時、日本のHIP HOP的に一番のメディアが『Fine』だったんだけど、そこでひたすらギドラの名前が載ってたから、客はどこ行っても入れ食い状態だった。キング・ギドラのライヴが始まったらステージの前に客が押し寄せるみたいな。あ、でもアルバムが出た後の方は更に『入れ食い感』がヤバかったかもな」 Kダブシャイン「外タレの前座とかやることも増えて、洋楽好きなヤツらもオレらのことを認めざるを得ないような空気になってた」 ■当時は、HIP HOPリスナーの中にも徹底的に日本語ラップを嫌っていたり、所謂ブラパン的な女子も多かったですからねー。 Zeebra「その辺りのヤツらは一回完全に一掃したからね。完全にアイツらを取り込んだ」 Kダブシャイン「黒人も『ギドラが良い』って言い始めたんだよね。基地とかで呼び屋やってたようなヤツらもオレらのことを認めるようになった」 ■「空からの力」リリース後、96年の春にミニ・アルバム「影」がリリースされ、7月には『さんピンCAMP』に出演しますが、程なくして活動休止状態というか、ソロ/別ユニットの活動に移行していきますよね。活動休止直前のグループはどんな状態だったんですか? Zeebra「その段階では、もう俺らはシーンの一員になってるワケで、シーンに入ったら他にもいろんな人と知り合う。その中でコッタ君はDJ KENSEIやDJ MASTERKEY、宇多丸と仲良くなっていって」 Kダブシャイン「で、ヒデはMummy-Dと仲良くなったし」 ■シーン内にそれぞれ別の友達が出来てきたんですね。 Zeebra「そうそう。その辺りでツルむ相手が変わってきたんだろうね」 ■お笑い芸人が売れた後みたいですね(笑)。それによってグループ内の均衡が保たれなくなった? Kダブシャイン「あの段階では、俺もソロでやっていくって意識に切り替わってたし、オアも抜けちゃってたからね」 Zeebra「あの段階では、コッタ君の方が先にソロのディールが決まってたしね」 ■この時点で、「いつの日かまた一緒にやるだろう」という気持ちはあった? Kダブシャイン「『解散しよう』って言ったことは一度もないんだ。まあ、『一旦離れよう』と決めたぐらいだから、いつも一緒にいたいとは思ってなかった時期だったとは思うけど(笑)」 ■「活動休止しよう」って話はしたんですか? Zeebra「一番最後にライヴやったよね?R?HALLでやったライヴで『コレで最後だね』って話してたし、ライヴ中のMCでも確かそう言った」 Kダブシャイン「でも、ギドラは解散するには惜しい存在だと思ってたから、タイミングが来たらまたやりたいと思ってた。やっぱり、ソロとは違う味が出せるし、ふたりの声が重なったときの化学反応は、オレらにしかない組み合わせだという自覚があったから、『もう二度とやらない』とは思わなかった」 ■例えばLEADERS OF THE NEW SCHOOLとかは、BUSTA RHYMESのキャラが立ち過ぎちゃって、それによってメンバー間のエゴの衝突が起きたのが解散の大きな原因だと言われています。そのような「エゴ問題」はなかった? Kダブシャイン「実際オレらもそういうのはあったと思うけど、さっき話したように最初から『ソロでもやれるようにしておこう』って言ってたから、いきなりひとりになっても困るっていうことがなかった」 Zeebra「エゴはあったかもしれないけど、そこにカネの問題はなかったよね」 Kダブシャイン「そうだね。俺らはカネでモメたことはない」 Zeebra「だから、俺らはある意味、ソロ作品で自分たちのエゴを出し切れば、いつでもギドラをまたやれるって意識があったんだと思う」 Kダブシャイン「俺らはある程度は理解し合ってるから、確執が出来るとこまでモメないんだよ。モメる前に空気を読んでちょっと距離を置いたり、何かあったら一気に距離が縮まったりする。それは、グループ組む前から友達だったっていうのが大きいかもね。『空からの力』から『最終兵器』(02年)の間にも、それぞれのソロ曲で客演したりして、“ギドラ・ブランド”は常に残すようにはしてたんだよ。ソロ・アルバムも2〜3枚出したぐらいのタイミングで『最終兵器』があったから、そこでまた三位一体のことが出来るな、と思ったし」 Zeebra「『最終兵器』は本当にバッチリなタイミングだったと思う。世の中的にもそうだし、俺ら的にも良い意味でエゴが抜けてて、“キャラ立ち”という意味でも三人とも確立していたし」 ■「空からの力」が果たした功績や残したモノは、自分たちでは何だったと思いますか? Zeebra「自分にとっては、当時の自分の進化/成長していく様が見えちゃったりするから面白いな、って思う」 Kダブシャイン「自分にとっては、初期衝動を思い返させてくれる、鑑みるためには大切な作品だね。世の中にとってはどうだったのかは分からないというか、デカイこと言う感じになっちゃうな……僭越だけど、日本語でラップやるという人にとっての“雛形”としてこれからも存在していくのかな、って」 DJ OASIS「俺は、コッタ君のラップを聴いて『日本語でラップするというのは、こういうことか』って思って、その後にヒデのラップを聴いて自分もラップ書くようになったから、ふたりの影響から自分もラップを始めてるんだ。だから、『空からの力』は俺にとっても“教科書”だし、“教科書”の“目次”になっているような内容だったりする。韻に関してはもちろんのこと、気の利いた言い回しをするとか、そういうところも学んだ“テキスト”だね」 ■確かに、そう考えるとギドラに最も近い継承者はオアさんということになるんですね。DJだったオアさんをラッパーにまでしてしまったんだから。 DJ OASIS「ふたりのライムを聴いてて『ウハッ!』ってヤラれたことで、俺も人を驚かせたいって願望が生まれてラップを書き始めるわけだからね。ラップのフォーマットとしてはすごい完成度が高いし、分かりやすい“教材”だよね」
01.“未確認飛行物体接近中(急接近MIX)”(Pro. by Zeebra) Zeebra「オリジナル・ヴァージョンは『BEST OF JAPANESE HIP HOP VOL.2』にSAGA OF K.G.名義で入れた方なんだけど、あっちの方は元々サンプリングで作っていたトラックを、(オトナの事情で)弾き直しのトラックに差し替えたヴァージョンなんだ」 Kダブシャイン「まあ、イントロダクション、挨拶って感じの曲だよね」 Zeebra「コッタ君が曲名を思いついて、そこから書いていったんだよね。アルバム一曲目ってことで、キング・ギドラが金星からやって来るイメージをあのイントロで表現して。SAGA OF K.G.の方はもっと仰々しい感じだったのに対して、“急接近MIX”の方はよりスピーディな感じをイメージした。オリジナル・ヴァージョンは、ド頭からキング・ギドラが空を全部覆ってるイメージだけど、コッチの方はどこからかいきなり降り立ってきたイメージ。だから“急接近MIX”なんだ」 Kダブシャイン「ライヴの一曲目で使うことが多い曲だね。サビもお客さんが一緒に歌ってくれるから、やりやすい」 Zeebra「アルバム発売直後のライヴで、あのイントロがかかったら『ハイ来ましたー!ドカーン!』みたいな、“入れ食いチューン”って感じ。イントロをああいう感じに作れたのは良かったな、とテメェでも思っております」 DJ OASIS「いまだにDJとかでかけても反応良いからね」 02.“登場”(Pro. by Zeebra) Zeebra「西麻布YELLOWで、RIKO主催の『HIP HOP JUNGLE』ってイヴェントがあったんだよ。今も当時のフライヤー持ってるんだけど、他に出てたのはMICROPHONE PAGER、RHYMESTER、MELLOW YELLOW、LAMP EYE、SOUL SCREAMとかだったと思う」 ■客は入ってたんですか? Zeebra「結構入ってた。俺らが出たのは、イヴェントの二回目ぐらいだったと思う」 Kダブシャイン「ホウキ持って出たよね」 Zeebra「“大掃除”のときに本気で竹ボウキ持ってやってた(笑)。このルーティンは、当時は他のライヴでも何度かやってたと思う」 ■RHYMESTERの「RHYMESTERがライヴしにやって来た」みたいな感じですね。 Zeebra「俺らの場合はだいぶ妖しい登場の仕方だけどね(笑)。確か、このときライヴ映像を撮ってて、そのヴィデオから音声を抜き出した気がするね」 03.“見まわそう”(Pro. by Zeebra) Zeebra「今回のデラックス盤にデモ音源が入ってるから、(結成後)最初の頃に出来た曲だね」 Kダブシャイン「この曲が一番最初に出来たんだよ。まあ、この曲と“空からの力”“コードナンバー0117”は2〜3日の間に出来たから、ほぼ同時期だけどね」 Zeebra「『リリック書いてみよう』って感じで作り始めたのはこの曲が最初か」 DJ OASIS「最初は、ヒデの家でコッタ君のソロを録ろうとしてて、この曲のヴァースを最初に録ってみたんだと思う」 Kダブシャイン「サビが最初に出来たんだけど、コンセプトは、MASTER ACEの“TAKE A LOOK AROUND”とかの影響を受けたんだ。当時の日本/東京を意識して『周りを観察することが大事だ』ってことが言いたかった」 Zeebra「デモ・ヴァージョンは、サビが“連呼系”でちょっと違うんだよね。ULTRAMAGNETIC MC'S“RAISE IT UP”のサビとか意識したんだと思う」 Kダブシャイン「(発音的に)ERIC B. & RAKIMの“I KNOW YOU GOT SOUL”と“見まわそう”が似てるから、そこを意識したっていうのもあるね」 ■この曲のリリックで印象的なのは、ジブさんの「フリースタイル信じてたら韻辞典は禁じ手/あくまで参考 俺が先んじて言っとこう」というフレーズで、このラインが生まれた背景みたいのはあるんですか? Zeebra「『韻を踏みながら日本語でフリースタイルがまだ出来る人がいなかった時代だったけど、それがいつか出来るようになる』って信じてるってことですよ。日本語ラップにおいて、そこ(韻を踏んだフリースタイル)が出来るまでになれるって信じているんだったら、韻辞典なんて使ってたらそのレヴェルには行けねぇよ、って意味なんだ」 ■はー、だから「先んじて言っとこう」なんだ(笑)! Zeebra「『今はまだ出来ないから韻辞典に頼りたくなるかもしれないけど、この後出来るようになってきたら、そんなモンは禁じ手だぞ』って話」 Kダブシャイン「そういうことなんだねー。今初めて知ったよ(笑)」 Zeebra「でも、この曲が出来た後ぐらいから、同時多発的に韻を踏んだフリースタイルが出来る人が出て来るからね。キハとかUZIとかKINちゃん(MELLOW YELLOW)とか」 Kダブシャイン「俺はてっきり、歌詞を書く上での姿勢として、『韻辞典は禁じ手』って言ってるんだと思ってた」 ■でも、「行くぞ 行くぞ 言葉のジグソーパズルの為だったら辞書だって引くぞ」とも言ってるから、リリックを書く上で辞書を活用することは否定してないんですよね。 Zeebra「そう。知識を増やすために辞書を使うならどうぞ、って感じなんだ。だけど、韻辞典は“ズル”だから(笑)」 ■熟語とか、体言止めとかで難しめの単語をライミングに使うときは、どんなところから仕入れていたんですか? Zeebra「USラップのリリックの直訳とかはよくしたよね」 ■「あっちのラッパーが使ってるあの言葉は、日本語だとなんて言うんだろう?」っていうことですね。 Zeebra「うん、それはこのアルバムにスゲェいっぱい入ってたと思う。(JERU THE DAMAJA“YOU CAN'T STOP THE PROPHET”中の)“SUPER SCIENTIFICAL POWER”ってフレーズとかから“超常現象”って言葉を思いついたり」 04.“大掃除 feat. T.A.K. THE RHYMEHEAD”(Pro. by Zeebra) ■所謂、王道の「サッカーMC」モノだと思うのですが、セルアウトしているラッパーを叩いてるとかではなく、「韻が甘いラッパー」に照準を当ててディスしてるというのが、今思うと興味深いな、って。 Zeebra「そう、この曲はポップなラップをディスしてる曲じゃなくて、あくまでも『サッカーMCディス』なんだよね。ダセェというか、ヘタなラッパーをディスってるってことだよね」 ■でも、アウトロでコッタさんは「何がJ-RAPだよ」って吠えてますよね。95年頃にポップ・チャートを賑わしていたような売れ線ラップ=韻が甘いっていう認識で書いてた部分はあったのかな?って。 Zeebra「いや、それは違うんだよな。このリリックは、出来上がった“時期”が大事なんだよ。この曲は、6曲入りのデモ・テープを作り終わった直後ぐらいに作ったから、俺たちの(シーンへの)『殴り込み』の時期に出来た曲なんだ」 ■じゃあ、やはり“業界内”の韻が甘いラッパーが対象だったんですね。 Zeebra「もしかしたら、デモ作ってたときにはもう出来てた気がするね。だけど、デモ・テープ配るのにその中にいきなりディスが入ってるのも何だから、『アルバム用に取っとこうぜ』って判断したんだよ。今思うと性格悪ぃなー(笑)」 Kダブシャイン「同業者と面と向かったときに、『俺の方がお前より上だぞ』って、HIP HOP的且つトラディショナルなバトル・スタイルに忠実な曲なんだよ」 ■「お前らより上なのは、俺らの方がライムがタイトでクレヴァーだからだ」っていうことですね。 Zeebra「向こうのラップを(理解して)聴いていた立場からすると、ライミングの楽しさを知らないのはかわいそうだと思ってたんだよ」 Kダブシャイン「ラップじゃなくても、洋楽は韻を踏んでるのが当たり前じゃん?」 Zeebra「ライミングの楽しさを知らないのはもったいないっていう、その一点に尽きる。だから、その楽しさを広めるということは、ギドラをやる上では大前提中の大前提だったんだ」 Kダブシャイン「曲を作る上で、『韻を踏む』っていうルールがあるとないのとでは、全然違うモノになっていく、っていうのを主張したかった」 ■そうか、だからジブさんは「お前のライム甘くて」「悲しくなる」んですね(笑)。怒りというより、むしろ悲しいわ!っていう。 Zeebra「で、『あーもうやだ 目の前に広がるのは荒野だ』よ、と。そんなヤツばっかでさー」 ■韻が甘いラッパーがいるだけで、そんな殺伐とした景色が現われるのは凄いですね(笑)。一方のコッタさんは、「まさかの技にキャプテン翼もイラつく百点のうまさ」とか、その辺りのフレーズにSWAGを感じます(笑)。 Kダブシャイン「『位置に三途の川/誰も死後ろくな名前……』とかみたいに、“1”〜“10”まで同音異義語も使って書いていったことが『まさかの技』で『百点のうまさ』だって自画自賛したかったんだね(笑)」 05.“コードナンバー0117”(Pro. by DJ OASIS) Kダブシャイン「“117”って言いたかったんだよ。キング・ギドラはイニシャルだと“KG”じゃん?K=11番目で、G=7番目のアルファベットだから」 ■え!?“117”には“時報”以外にそんな意味もあったんですか(笑)!? Zeebra「それもある(笑)」 Kダブシャイン「キング・ギドラ=KG=117=時報を聞けば、今何をするべきか=You know what time it isが分かるっていう」 ■おぉ……。 Kダブシャイン「あと、阪神大震災も1月17日だったりとかするし、そういう要素がいくつか重なってるから、“117”には何か深い暗号的な意味があるんじゃないのか?って若い頃に勝手に思ってたんだよね」 Zeebra「当時、どっかのインタビューでは話していたのかもしれないけどね」 ■僕はリリック的にはこの曲がアルバムで一番好きなんですよね。一番リリックが狂ってる。ジブさんの「四次元空間と三次元の中間の三.五次元で魔の三週間」とか、今聴いても本当にワケが分からない(笑)。あと、この時期のジブさんの特徴ですけど、「DISした無知の口/暗い内に狙い内/一つ 二つ 三つ 四つ 五つ 六つ/ブツブツ言う奴一人ずつ撃つ」みたいに、結構ネチネチしたキャラなんですよね。 Zeebra「ホラーコアの時代だもん」 Kダブシャイン「暗殺者的な感じなんじゃないの?」 Zeebra「そういう感じもあるね。あと、数字を入れながら韻を踏んで遊ぶっていうのが面白いと思ってやってたんだよね」 ■曲の後半で、ふたりが掛け合いでラップしていきますよね。意外にも、ここまで2MC的な掛け合いラップが聴けるのって、この曲ぐらいなんですよね。 Kダブシャイン「ライヴでもその掛け合いはやってたよね。デモ・テープを聴くと、それぞれのヴァースでもうひとりが被せとかユニゾンしてる部分が多い。でも、アルバムを作るときはもっとクールなトーンにしようとしてたから、掛け合いが少ないんだと思うね」 Zeebra「この掛け合いは、ELEMENTS OF CHANGE(オークランド時代にギドラと交流のあったUSのラップ・グループ)の影響があるんだよね。彼らのラップは、掛け合いだったりエコー的に被せてみたりを2MCで複雑にやっていくっていう面白いスタイルだったんだ」 ■トラックはオアさん作ですね。 DJ OASIS「デモ・テープに入ってた曲だから、リリックは結構前に出来ていたんだけど、このトラックはアルバムの中では最後の方に出来たトラック。このトラックにこのラップを載せようと決めたのは、多分コッタ君だったと思うね」 06.“フリースタイル・ダンジョン”(Pro. by Zeebra) Zeebra「それこそネチネチした俺が出た一番怖い曲だね。安室ちゃん経由で俺のファンになった女子が聴いたらドン引きするような曲だな(笑)」 Kダブシャイン「“Zeebra The Daddy”になる前は“Zeebra The Ill Skill”だったから、病的なサイコ感は常に出そうとしてたんじゃないの?っていうのが俺の解釈(笑)。初期はずっとそんな感じだった」 Zeebra「今でもたまにその側面は出て来るね。DJ MUNARI x AraabMuzikとやった“BEAST FROM THE EAST”とかはこういう感じだね」 ■ホラーコア的な要素もありつつ、RPG的な要素もこの曲にはありますよね。 Zeebra「この曲はねぇ、日本からオークランドに行く飛行機の中で書いたんじゃなかったかな。1stヴァースと最後の『又そこの墓地で墓参り/又だれかが死霊の仲間入り』ってフレーズが先に出来た(笑)。“墓参り”と“仲間入り”は韻としてスゲェキレイだな、って思ったんだよね。向こうのラッパーって、当時から結構ゲーム好きが多くて、それこそ『THE SOURCE』とかでゲーム特集やってたりとかしてた。ウチらとちょっと仲良かったHIEROGLYPHICSのDEL THE FUNKEE HOMOSAPIENもゲーマーだったし」 Kダブシャイン「ヒデの家にプリプロしに行くと、大体ゲームやってたからね。『ストリートファイター2』とか『NBA JAM』とか。ゲームとゲームの合間に曲を作ってた」 Zeebra「それは言い過ぎだと思うよ(笑)。あと、この曲の元ネタは、NAS“NEW YORK STATE OF MIND”のイントロの喋り“Straight outta fuckin' dungeons of rap”だね。『ラップのダンジョンで曲を作ろう』って、あの一言でインスパイアされた」 07.“空からの力 〜Interlude”(Pro. by DJ OASIS) 08.“空からの力 Part 2”(Pro. by DJ OASIS) ■デモ・テープに入っていて「空からの力」にも収録された曲は少なくないですが、何故この曲だけ“Part 2”と名付けたんですか? Zeebra「リリックもオケもデモ・ヴァージョンとは全然違うからだね」 Kダブシャイン「キング・ギドラっていうグループ名は先に決まってて、キング・ギドラ=地球に降り立った超自然的なモノ=空からの力という感じで表現したかったんだ」 ■CHUCK Dの“Power from the sky”というフレーズをコスリネタで使ってますよね。 Kダブシャイン「トラックが出来たときに、『CHUCK Dのあのフレーズをコスってよ』みたいなことをオアに言ったんだよね。そうしたら上手くハマったから、そこから“Power from the sky”=“空からの力”って訳して作っていったんだよ。アルバム・タイトルにもなってるワケだから、代表曲ですよ」 Zeebra「……とか言いつつ、パート1では俺何も言ってねぇ、みたいな(笑)。ただ韻を踏みたいだけのフリースタイル・ラップだった」 Kダブシャイン「最初に作った1〜2曲目だもんね」 ■“空からの力”というタイトルありきで、それぞれヴァースを書いたんですか? Zeebra「いや、違うね。たまたま出来たヴァースを当て込んだって感じだったと思う」 Kダブシャイン「デモ・ヴァージョンはね。そこからパート2にしていく過程で、“空からの力”感を出すためにブラッシュ・アップしていった」 ■そういった、楽曲が進化していった様が、リスナーにも明らかになるという意味でも、今回のデラックス盤にデモ・ヴァージョンが収録されるのは快挙だと思います。 09.“星の死阻止”(Pro. by DJ OASIS) Zeebra「まあ、“エコ物”だね」 ■“エコ物”ってアッサリ言いますけど、そのカテゴライズは何か凄いですね(笑)。 Kダブシャイン「エコ・ラップだね」 Zeebra「まあ、環境ネタの曲が一個必要だよね、って話になって」 Kダブシャイン「『空からの力』ってところで、“地球”“環境”というものを俺たち人間はないがしろにしてるんじゃないか?って。文明とか、人間が生み出した元々地球に存在していなかったモノが、地球を破壊してるんじゃないか?ってことをオレたちは当時感じてたんじゃないかな。で、キング・ギドラはそこに警鐘を鳴らしに来たというか、『自分たちが人間だということを忘れてない?』みたいなことを、いろんな角度で表現した中のひとつだね」 Zeebra「UZIがゴミ拾いに行かされたって話、知らない?UZIは昔ヒドいヤツでさ、俺のクルマに乗ってたとき、ヤツが後ろの席でビール飲んでたんだけど、いきなり窓開けて缶捨てやがったから、俺は速攻クルマを停めて『誰がその後掃除すると思ってんだよ、拾って来い!』って、拾いに行かせた(笑)」 ■モラリストですね(笑)。 Kダブシャイン「オレらがブラック・ミュージックやレゲエから教わった“リスペクト”というモノを、ちゃんと音楽を通して表現するというのは『空からの力』の源流だよね」 ■エコロジー的視点は、「空からの力」を作る上でマストな要素だったということですね。 Kダブシャイン「そう、だからすごいコンセプチュアルなアルバムなんだよ……って今更自分で言うのもアレだけど(笑)」 10.“地下鉄”(Pro. by DJ OASIS) DJ OASIS「“コードナンバー0117”のデモ・ヴァージョンで使っていたオケは、この“地下鉄”のオケで使われてるんだよね」 Zeebra「確か、“コードネーム0117”は、オアがトラックを別のにしたいって言ったんだよな」 Kダブシャイン「だけど、こっちのビートを使わないのももったいないから、スキットって形で使ったんだ」 11.“スタア誕生”(Pro. by Zeebra) ■ジブさんのソロ曲“フリースタイル・ダンジョン”はファンタジックな内容だったのに対して、コッタさんの“スタア誕生”はリアリズム重視と、この時点で両者のソロMCとしての立ち位置の違いがハッキリ表われてるのが興味深いんですよね。 Zeebra「俺は『ラップ界のスピルバーグ』って言い張ってたぐらいだから、エンターテインメント方面で書いてたよね」 Kダブシャイン「じゃあ、俺はオリヴァー・ストーンなのかな(笑)」 Zeebra「言うなればそういうことだよね」 ■今、30代前半ぐらいのラッパーに取材で話を訊くと、結構な確率でこの曲に影響を受けたという人がいるんですよね。 Kダブシャイン「ふーん、でも、そんなにその人たちは悲しいストーリー物とか書いてないでしょ?」 ■内容というより、ストーリーテラー/ヴィジュアライザー振りに感銘を受けたんだと思うんですが。 Kダブシャイン「当時、この曲を作る上でインスパイアされたのはDIAMOND D “SALLY GOT A ONE TRACK MIND”とかBIZ MARKIE “YOUNG GIRL BLUEZ”とかで、ひとりの悲しい少女についての物語を書いてみよう、って思ったんだ。『どんなのが出来るかな?』って書き始めたら、結構アッサリ書き上がったから、苦労して出来上がった感じの曲ではないんだよね。で、書き上がったリリックをいろんなトラックに載せてみて、ふたりには聴かせたりして。『コレでいこう』って決めてたトラックがあったんだけど、スタジオに入ったときに『ちょっと変えよう���ってなって、その場にあったレコードでサンプリングした新しいトラックに載せて録った」 Zeebra「最初は、こんなに悲しい感じのトラックじゃなかったんだよね」 ■ここで歌われている内容は、完全にフィクションなんですか?例えば、周りの人の話とかからインスパイアされた部分は? Kダブシャイン「いやあ、周りにはいないね。典型的な、実際にありそうな感じの話を色々並べてみたってだけ」 ■当時の世相は影響してないんですか?例えば95年当時だと、コギャル・ブームだったりブルセラだったり、ティーンエイジャーの女性に関連した報道が激増した時期だったと思います。 Kダブシャイン「アメリカの黒人コミュニティだと、性にユルい女に『ヘイ!シスター、しっかりしなさい!』って言うQUEEN LATIFAHとかMC LYTEみたいな女性MCがいたりして、割とありがちな話じゃない?日本だとあまりそういうことがないな、って思ったから、自分のことを粗末に扱ってしまう女の子に対して、何か言えることがあるんじゃないか?って感じぐらいだったと思うよ。だから、世相を反映したとか、そういうことではなく。あと、当時はAVメチャメチャ観てたんじゃない(笑)?『こういう子がスゲェ増えてきたな……』って感じたっていうのは影響してるかもしれない。それこそ、『しょっちゅう深夜番組に登場』って言ってるくだりとかは、飯島愛とかを彷彿とさせるよね。結局その後、彼女も死んじゃったし、今聴き返すと自分でもゾッとしたりするね」 12.“行方不明”(Pro. by Kダブシャイン) Kダブシャイン「コレも、アルバムを作る上では入れておかなきゃいけない要素としてバック・イン・ザ・デイ物があったから、作ったんだと思う」 ■当然、当時のUSラップにもバック・イン・ザ・デイ物が多かったというのも影響してるわけですよね。 Kダブシャイン「そうだね、NAS“MEMORY LANE”とかあったし。あと、俺的にはAHMAD“BACK IN THE DAY”とかLEVERT“GOOD OL' DAYS”とかが好きだったね」 Zeebra「SWEET SABLE“OLD TIMES' SAKE”とかもあったね」 ■意外とR&B;からもインスパイアされたんですね(笑)。 Kダブシャイン「他の曲よりエモーショナル且つハートフルな曲を作りたかったんだよね」 ■でも、ヴァースはラップ聴き始めの頃を振り返るという、バック・イン・ザ・デイ物としては王道な内容ですが、サビはそういう感じではないですよね。そもそも何故バック・イン・ザ・デイ物の曲を“行方不明”というタイトルにしたんですか? Zeebra「……分かんない、なんでだろう(笑)」 Kダブシャイン「バック・イン・ザ・デイ物を、ちょっとヒネった感じでやろうとしたんじゃない?昔、同じ思い出を共有してたようなヤツらに対して、『夢や希望を諦めたらそこで終わりなんだから、もっと自分のやりたいことをやれ』ってことが言いたかったんだと思う。『俺らは昔を思い出して、それをやり続けたから今こうなってる』っていう。だから、他の人を蔑みたいわけではなく、ただ『諦めるな』ってことを言いたかったんだ。でも、そんなことデビュー・アルバムで言うことじゃない気もするよね(笑)」 Zeebra「まあ、タイミング的にもただのバック・イン・ザ・デイ物を作っても面白くない、って思ったっていうのはあるかもな」 13.“真実の弾丸”(Pro. by DJ OASIS) ■後に、ギドラは“社会派”だったり“ポリティカル”という視点でも注目されることになりますが。 Kダブシャイン「でも、このアルバムで明らかにそういう視点で書いてる曲って、コレと“星の死阻止”ぐらいなんだよね。この曲は、簡単に言うとメディア批判だよ。『洗脳されるな!』みたいな」 ■PUBLIC ENEMY“DON'T BELIEVE THE HYPE”的なイズムがやはり影響しているんですよね? Kダブシャイン「そうだね。『本当のことを知ると人間は考え方が変わってくるぞ』っていうコンセプトを、なんとなくここで入れたかったのかなあ……」 ■なんとなく(笑)。 Kダブシャイン「いや、その当時のことだから、パッと思い出せない(笑)。当時もロジカルに考えてたというより、思いつきで作っていった部分があるからね。アルバムの全体像は最初からイメージしてたけど、曲を作り進めながら辻褄を合わせていった部分はある」 Zeebra「俺のヴァースとか、超分かりやすいよね。『元々持っている間違った価値観を変えろ』というか。世の中は今までもこれからも変わっていくモノだけど、『今あるモノが全てだ』みたいに思わせるシステムがある。そういうことに対して『何が正しいか/間違っているかということは自分たちで見極めないといけない』って」 Kダブシャイン「この曲も最初に作ったデモ・テープに入っているから、“空からの力”“見まわそう”“コードネーム0117”と同時期に出来た曲だよ」 14.“コネクション 〜Outro”(Pro. by Zeebra) ■このアルバムの翌年に出たYOU THE ROCK「SOUNDTRACK '96」でも“BIG SHOUT OUT”で、一曲丸ごとシャウトアウトという構成の曲がありましたが、アウトロをシャウトアウトにしようと思った理由は? Kダブシャイン「BRAND NUBIANが『ONE FOR ALL』(90年)の中の“DEDICATION”って曲でやってるんだよね。まあ、コレは曲というよりスキットっぽい感じ。当時、オレらを応援してくれてたヤツらにシャウトアウトを送りたかった。……俺は当時、キング・ギドラには初期のBRAND NUBIANとULTRAMAGNETIC MC'Sがミックスされたようなイメージを持っていたんだよね。BRAND NUBIANの5パーセンターズ的要素と、ULTRAMAGNETIC MC'Sの宇宙的ファンクやイルな感じをミックスさせた感じ」 ■……めっちゃややこしいですね、その音楽(笑)。 Kダブシャイン「俺の中のギドラ像を人に説明すると、そういうことになるのかなって。でも、PUBLIC ENEMYが『俺たちはRUN DMCとTHE CLASHのミックスだ』みたいなことを言ってたから、それをギドラに置き換えるとそうなるのかな、って」 ■まだ日本語ラップのアルバムがそんなに出ていなかった時代だっただけに、「他の人より先にこういうトピックもやっちゃいたい!」という貪欲さが出てるアルバムですよね。 Zeebra「それはちょっとあるかもね」 ■ラヴ・ソングぐらいですよね、分かりやすいトピックでこのアルバムに入ってないのって。 Zeebra「それは、敢えてやらないって感じだったもんね」 Kダブシャイン「別にラヴ・ソングをやるとリアルじゃない、ってワケじゃないんだけどね。この頃は、『渋谷や六本木のストリートから出て来た若いヤツらが、ラップで思い切り世間に対してモノを言う』っていうのを見せたかったから、こういう構成になった……んだと思うよ(笑)」
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【正解】 今朝のCDジャケット問題の 正解を発表いたします。 #くるり 「さよならストレンジャー」 1999年 音楽好きは必ずくるりをリスペクトしていると言っても過言ではありません。 アルバムごとに様々なジャンルを取り入れて変えてくるのですが、すべてがくるりなんですよ。 本当にすごい才能だなと思います。 一度数人で、くるり縛りのカラオケ大会をしたのですが、本当にみんなくるりが好きなことがわかりました。 ボーカルの岸田さんは東北の大震災の後に、仙台のフリーイベントで弾き語りに来てくれました。 夏の天気の良い日に青空を見上げながら聴くくるりの楽曲は最高でした。 今回どのアルバムを問題に出そうかな考えた時に、これもいいなとこれもいいなと最後まで悩みました。 それくらい名曲が多くて、もう日本のビートルズといってもいいのではないでしょうか。 【おすすめ曲】 「東京」・・・東京に上京などしたことないのにそんな切ない気持ちにさせてくれる名曲です。 「ばらの花」・・・この曲を聴くとジンジャエールが飲みたくなります。 「ワンダーフォーゲル」・・・打ち込み音が入った爽快な曲で何度聞いてもテンションが上がります。 「everybody feels the same」・・・RADIO from UK OASIS BLUR SUPERGRASSという歌詞が好きです。 「ロックンロール」・・・天国のドア叩くっていうボブディランの曲を直訳しているのが大好きです。 本当に名曲がたくさんありますよね。さあ今日はくるりをきいて寝ることにします。 #眼科 #仙台 #白内障 #結膜炎 #緑内障 #ドライアイ #視力 #目 #メガネ #眼鏡 #コンタクトレンズ #眼瞼下垂 #眼帯 #アレルギー性結膜炎 #太白区 #鈎取 #西多賀 #長町 #長町南 #八木山 #秋保 #秋保温泉 #名取 #仙台グルメ #ベカロポリス #長町モール #日帰り手術 #CDアルバム #ばらの花 (西多賀眼科医院) https://www.instagram.com/p/CCGU4KDgzG8/?igshid=1gkr10yzeakih
#くるり#眼科#仙台#白内障#結膜炎#緑内障#ドライアイ#視力#目#メガネ#眼鏡#コンタクトレンズ#眼瞼下垂#眼帯#アレルギー性結膜炎#太白区#鈎取#西多賀#長町#長町南#八木山#秋保#秋保温泉#名取#仙台グルメ#ベカロポリス#長町モール#日帰り手術#cdアルバム#ばらの花
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「カガヤのDO・KU・DA・NNレビュー」
第10回
Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』
おはようございます。昨日今日とちょっと寒いですね。
オンラインでの集まり(集まりか?)の予定が立ったり立たなかったり。ちなみに「オンライン飲み会」的なのまだやったことないです。バンドのいろいろが進んだり進まなかったり。いややっぱり進められないこと多いですね。制作がやはり進みません。僕らはいっせーのででスタジオで曲のアレンジを考えるので、家で曲の骨子はできてもそこからなかなか進められません。
いや打ち込みでやれよ、とか、もちろんそれも考えましたがドラムを打ち込みで作ってもなんだかなあ...って感じなんですよね。作りたい感じに作られへんし、いやそれは僕の技術不足なのか...いやはやそもそもデモなんだから完璧に作れなくてもいいのか、でも曲の雰囲気がわかる程度にドラム作らないと進まへんし....とかとか。そもそもあのiPhoneのちっさい画面でドラム打ち込むのちょっと無理あるわ。音楽を考える意外の神経使い過ぎるねん。
そんなこんなでいよいよ10回めを迎えました、この「カガヤのDO・KU・DA・NNレビュー」。
記念すべき第10回!ここはやはり僕にとって大切な1枚を取り上げたいと思います。
Oasisの『(What's The Story) Morning Glory?』、これでいきます。
きました。僕の最も好きなバンドのひとつ、オアシス。「洋楽だったらどのバンドが好き?」と訊かれたら僕はおそらく「んービートルズとかオアシスとかですかねぇー」と、そう答えると思います。好きなバンドはごまんといるのに、わざわざ2つピックアップしてそのうちの1つな訳ですから、相当好きです。
僕が海外の音楽を聴くきっかけになったバンドの一つであり、それでいて最もたくさん聴いたバンドの一つ。このアルバムに関していえば、冗談抜きで人生で一番聴いたアルバムだと思います。
Oasisは、イギリス・マンチェスター出身の、1990年代を代表するモンスターバンドです。Nirvanaなどオルタナティブ・ロックが世界的な流行をみせていた中、The BeatlesやThe Rolling Stonesなど60〜70年代の古き良きイギリスのロックをルーツとし、「王道」サウンドのロックで国民的・世界的な人気を誇ったバンドです。特にイギリス国内での人気は絶大で「ビートルズ以来の衝撃」と言われたほど。ロックンロールをお茶の間まで連れ戻したバンドだったんだと思います。Blur、Supergrassなどとともに「ブリット・ポップ」と呼ばれるシーンを牽引したバンドでもあります。
バンドの中心はボーカルのリアム・ギャラガーとギターのノエル・ギャラガーです。実の兄弟です。それ以外のメンバーはちょくちょく入れ替わったりしてます。リアムとノエルの兄弟喧嘩は有名ですよね。もちろんリアルタイムでは知らないですけどバンド活動中もしょっちゅう喧嘩してたみたいですし、バンド解散後もいまだにTwitterでリアムがノエルに文句言うたりしてますよね。リアムは再結成したそうですけど、ノエルはなかなか首を縦に振りませんねー。もし再結成したらさすがに観に行きたいなあ...。
CMソングにも使われてるのがあるので、「これオアシスの曲やったんや!」��ていう人は多分いっぱいいると思います。
僕がオアシスと出会ったのは[ALEXANDROS]の川上洋平さんのおかげです。当時は[Champagne]でしたけど。彼がテレビなどのメディアに出るたびオアシスがオアシスがと言っていたために、僕はオアシスのCDを手に取るに至ったんですよね。そしていざ聴いてみたらとんでもない衝撃を受けたと。
「こんないい音楽なんで今まで聴いてなかったんや!!」と初めて思いました。ようぺいんありがとう、と。そのときの場所も覚えてるほどです。自宅のこたつの横。なんやこれむちゃくちゃカッコいいやないか!これが自分の求めてたロックンロールや!
それからというものしばらくは毎日聴きましたね。僕、一日のなかで同じ音楽(アルバム)を2回以上聴くこと基本しないんですけど、その頃は1日2回は、このアルバムを聴いてました。擦り切れるぐらい。まあ、データなんで擦り切れはしないですけど。
『(What's The Story) Morning Glory?』はOasisの2ndアルバム。1stアルバムで飾った華々しいデビューを凌駕する大成功を収めた、オアシスの決定盤です。「ベストよりベスト」みたいな声もよく聞きます。僕もそう思います。いわゆる捨て曲みたいなのがマジでありません。チョーー有名な曲も入ってますが、そうじゃない曲もほんまにマジで良いです。こんなアルバム出したらもう解散しかなくね?って本気で思っちゃうぐらい全曲名曲です。
正直、このあとにこれを超えるアルバムはないと思います。もちろん、このあとのアルバム達も大好きなんですけど。このアルバムの頃のオアシスには本当に魔法がかかってたと思います。キラキラ。輝いてます。
ぼちぼちいきましょう。
リリース : 1995年10月2日
収録曲 :
1. Hello
2. Roll With It
3. Wonderwall
4. Don't Look Back In Anger
5. Hey Now!
6. Untitled
7. Some Might Say
8. Cast No Shadow
9. She's Electric
10. Morning Glory
11. Untitled
12. Champagne Supernova
M1「Hello」
記念すべき1曲目。最初、M3「Wonderwall」のギターがちょっとだけ流れて、そのあと始まります。オアシスらしい分厚いギターサウンドにリアムの声!これがオアシス。オアシスは基本的に兄のノエル・ギャラガーが作詞作曲を担当してるんですけど、「ノエルの作ったメロディをリアムが歌う」、これがオアシスの黄金の方程式なんですよね。これが最高。残念ながらノエル、リアムそれぞれのソロではこれは味わえない。だからみんななんやかんやソロじゃなくてオアシスが好きなんです。さて、第10回ということで今回から新しい取り組み、アルバム各曲にそれぞれある指標を付けてみたいと思います。今回は「リアムになれる指数」。そう、オアシスの曲を聴いていると、あまりのカッコよさに「オレもリアムになったのかもしれない」という錯覚に陥ることが多々あるんですよね。今回はそれを指標化していきたいと思います。
リアムになれる指数 : ★★★★★★★★☆☆
M2「Roll With It」
前曲からほぼ曲間なしで続くギターイントロ。最高。何を隠そう、このタンブラーのタイトルにもしてる「Roll With It」。オアシスで一番好きな曲です。全部良い。でも特にギターと、そしてリアムの歌。どの瞬間もサイコーにカッコいい。コード感、歌詞の語感、メロディがヤバい。好きすぎて、逆に語れない。「人生で最も好きな曲」のひとつであること違いなし。アルバムの2曲目っていうのも最高!
リアムになれる指数 : ★★★★★★★★★★
M3「Wonderwall」
有名度でいえばこっちの方が高いと思います。ダラーっとしたメロディとリズムのオアシスらしい曲ですが、しっかり名曲。みんな大好きワンダーウォール。大ヒット曲。コード感とかめっちゃアレキサンドロスやんな。まあ、こっちが先なんですけど。エレキ感より、アコースティック感が強い、それでいてストリングスがずっしりと効いてる実は絶妙なバランスの曲。タイトルはジョージハリスンのサントラから取られてます。オアシスはマジビートルズリスペクトバンドなので、こういうの非常に多しです。
リアムになれる指数 : ★★★★★☆☆☆☆☆
M4「Don't Look Back In Anger」
これはみんな知ってるでしょ!!のやつ。もはやイギリスの国歌。どこをとっても名曲。イントロは明らかにジョン・レノン 「Imagine」のオマージュ。全く一緒。歌詞中の「Sally」がThe Stone Rosesの「Sally Cinnamon」なのかThe Whoの「Sally Simpson」なのか、はたまたThe Beatlesもカバーした「Long Tall Sally」なのかはロックファンを悩ませる(沸かせる)トピックであります。歌ってるのは、ボーカルのリアムじゃなくギターのノエル兄貴。この曲をどっちが歌うかで喧嘩したっていう話もありますね。でもそれぐらい名曲。ベタベタの王道バラードですが、最高です。ギターソロも死ぬほどカッコいい。ロック史に残る名バラード。これがアルバム4曲目に来てしまうあたりも最高。
リアムになれる指数 : ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
M5「Hey Now!」
名曲M4が終わってひと安心、でもこれも名曲。かなりダラーっとした曲です。聴き始めの頃には、M4の余韻用にちょうどいいです。今となっては熱唱してしまいますが。メロディとか「リアム感」みたいなのがすごくあってカッコいいです。実際そこまで長くありませんが、まあまあ長く感じる曲だと思います。オアシスが苦手な人はこういう感じが無理なんだと思います。
リアムになれる指数 : ★★★★★★★☆☆☆
M6「Untitled」
別の「The Swamp Song」という曲の一部を切り取ったインストです。インタールードを「Untitled」って名付けるの他であまり見ませんよね。[ALEXANDROS]に「Untitled」っていう曲ありますけど明らかにここから取ってると思います。
M7「Some Might Say」
いかにも70年代のグラムロックみたいなギターフレーズから始まります。ビート感もオアシスらしく良い意味でもっちゃりしてて最高です。シングルカットもされて、かなり人気曲です。みんな飛び跳ねるやつです。最初から最後までギター鳴りっぱなしで超うるさくて、オアシスやなあって感じ。長ったらしいアウトロも良い。昔ながらのブリティッシュ・ロックをしっかりオアシスがやってみた!っていう曲だと思います。最高。
リアムになれる指数 : ★★★★★★★☆☆☆
M8「Cast No Shadow」
これまでとは少し雰囲気が変わって暖かくて優しめな曲です。The Verveのリチャード・アシュクロフトに書いた曲らしいですね。OasisとThe Verveは仲もいいらしいです。ストリングスとかのアレンジが美しくて癒されます。ノエルのコーラスも相変わらず良い。
リアムになれる指数 : ★★★★☆☆☆☆☆☆
M9「She's Electric」
今度も一風変わって軽やかなビートの明るい曲です。いかにもブリット・ポップって感じです。サビの抜け感がたまらないです。こういうちょっと変わりダネ的なポジの曲もしっかり名曲。
リアムになれる指数 : ★★★☆☆☆☆☆☆☆
M10「Morning Glory」
タイトルトラック。死ぬほどカッコいいです。イントロのギターのチョーキングも、サビの「ウェーーー」も、全部ヤバいです。ここまで全てがカッコいいと、例によって逆に語れない。リアムソロのライブで聴いたときマジでブチ上がった記憶があります。この曲だけじゃないですけど、オアシスも比較的歌詞の英語が簡単で歌いやすいです。その点ビートルズに近いかもしれません。あとリアムのいかにもイギリス(もっというとマンチェスター)みたいな訛った発音がむちゃくちゃカッコいいです。歌い方も。ついつい真似して歌いたくなりますねー。もちろん、後ろで手を組んでね。
リアムになれる指数 : ★★★★★★★★★☆
M11「Untitled」
またインタールードです。M12に繋がる音が入ってます。
M12「Champagne Supernova」
名盤の最後を飾る、名曲に次ぐ名曲。こんな曲ありますか。はじめ波の音が入っていて、それがフェードアウトしつつギターのイントロが始まります。そこからリアムの歌もイン。ああ、良い。この曲はロックのカッコよさに加えて、もはや神々しささえ感じられます。何の、というわけではありませんが何か走馬灯のようなものを想起してしまうような壮大さ、終末感さえ漂っています。美しい。自分の葬式で流してほしい曲です。このアルバムの最後を飾るにふさわしい、まさに「名曲」。
リアムになれる指数 : ★★★★★★★★★★
いやー、良すぎて、好きすぎて、ところどころレビューを放棄してしまいました。でもそれぐらい好きやし、僕にとって大きなアルバムなんですよね。
当時洋楽に興味のなかった僕がどハマりできたように、Oasisはとても聴きやすい部類のロックに入ると思います。「洋楽聴いてみたいけど、どこから入ったらいいのかわからなーい」って人は、この『(What's The Story) Morning Glory?』をまず聴いてみるのをおすすめします。メロディや歌詞もわかりやすく、良い意味で日本人向けな洋楽だと思います。
ロック不振の時代ですが、また世界規模でロックバンドが活躍する時代が来ることを秘かに願っている僕であります。
洋楽初心者のアナタ、まずは「どロック」、王道のOasisから始めてみては。
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EXO PLANET #5 - EXplOration - in JAPAN 横浜公演1日目レポート
本公演に関して実際にファンであるスタッフが現地に行き、MCの内容や公演のポイント等をまとめております。
▷お問い合わせや質問はこちらまでお願いします
本公演に関する公式情報はこちら
https://exo-jp.net/news/detail.php?id=1074976
※なお、スタッフ本人はスホペンのため、スホペン目線でのレポートになります。
※通常の記事とは文章の雰囲気がかなり違います。
【レポート】
1,TEMPO
オープニングのVCRが最高でした。
からの、トラックで横浜に駆けつけちゃったEXO。 湘南ナンバーのデコトラですか?(違う)第三京浜ですか?(違う)
トラックの荷台がオープンして、メンバーが出てきたときは冗談じゃなく泣きそうになりましたが、1曲目で泣いたら、大変なことになってしまう、と思ったので、全力で我慢しました。
2, transformer
TEMPOの衣装のまま突入!
しかし、記憶が薄い、、、テンポで興奮したので、、、
トランスフォーマーの最後のダンス、すごい好きなので宮城で真面目に見たいと思いました
3,GRAVITY
これ、、最高に好き曲、、ダンスも好き、曲も好き。いや、好きじゃない曲なんて無いんですがね。
この曲の途中でセンターステージに移動したような、、?
どんどん近づいてくるEXOちゃんが怖かった(いうても立ち見席のワタシ)
あ、ちなみに、立ち見席は並んだりする必要はなく、立ち見席一つ一つに番号が振り分けられているので、そこで立つ!って感じです。
、、、、今更って感じですね。もう立ち見席のある公演無いのに。
ま、今後の参考に、、
4,UN village
SMTOWNぶりのベクソロ
センターステージでの披露でしたが、照明が横アリの天井にベクの影を映し出していて、とてもおしゃれでした
「影までかっこいいのかよ、ビョンベッキョン」
ちなみに、横浜DAY1のローリンローリン係はチャニョルとジョンデでした
ジョンデのローリンローリン、条例かなにかで保護したほうがいいと思いました
5,24/7
VCRを挟んでこれ!
照明が幻想的で、口笛と合わさってすごく感動しました。
なんて言うのかわかりませんが、なんか、、クリスマスツリーに付ける感じの光方の照明?自由自在に動くやつ
あれ、すごいですね!ああいうの見るの好きなので、ついつい照明をみちゃーう時間がありました、みちゃーう
6,Love Shot
なーーなっなっ、、、の時点で震える
キム・ジョンイン、あなたは天才です
スホさんのパート、上から見れたの最高でした。
2番の最初のダンスが凄く好きなんです
ここらへんでMCしましたかね?自己紹介?
🐶「キラキラ!リーダー!」
🐯「キラキラ!!!」
と、やはりうるさくする彼ら。
🐰「今、外は雨降ってませんよね?昨日の夜、すごく雨が降っていましたよね?僕が、超能力でみなさんのために晴らせました」
🐶「スホさん!?!?スホさん!?!」(ペットボトルの水を見つめて)
🐯「スホさん?!?!??!?」(ペットボトルの水を見つめて)
7,Ooh La La La
ダンスがエロかった、それしか記憶がないです
(脳内ハードの読み込みエラー)
8,Monster
VCRを挟んでモンスター!
ここらへんのEXOの曲、まさか私が生で拝める時が来るとは思わなかったので気絶するかと思いました。
スホさんのパート、声裏返らないかな、、平気かな、、とか農民の身分に合わない心配をしてしまいましたが、最高でした
9,Oasis
ソワソワが止まらない
10,Been through(スホソロ)
ほぼ終始真顔で見てしまいました
11,lights out (チェンソロ)
モニターに出る歌詞、、、ジョンデの優しさが身にしみる。
そして、光に照らされて歌うあなたは本当に美しい。
んーここでMC入りました?記憶ないけど、、、
チャニョルかな、多分チャニョルが「ここ見ました?」とスホさんの筋肉を指差しながらいいました
うん、見たよ。ガッツリ見た。
🐶「スホさんのここ(腹筋)には〜僕のここ(腹筋?)と同じものがありますよね〜〜」
なら見せてよ(笑)ローリンローリン(笑)
12,What a life (EXO-SC)
🐯「みんなーーこの歌知ってる〜〜??一緒に歌おう〜〜!!」
知ってる!!!!でもごめん、韓国語だからワラライしか歌えない私を許しておくれ
13,Closer to you (EXO-SC)
🐯「みんなーーこの歌知ってる〜〜??一緒に歌おう〜〜!!」
知ってる!!!!でもごめん、韓国語だから途中のなんか、、英語っぽいところしか歌えない私を許しておくれ(2回目の謝罪)
🐯「メインステージに、せーので指先向けよう!誰か出てくるよ!」
🐯「うん!可愛い感じでね!」
出てきたー!!!!!!
14,Falling for you
指先向けたら出てきた可愛い子たち
あれ?この時スクーターでした?
15,Wait
ソファでのWAIT
優しい雰囲気でとても良かった、、、、
16,Power
2018SMTぶりのパワー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
好きー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
メンバーを見たいけど、個人的にはモニターに映ってる映像も気になって忙しい私でした。
サインボールを投げまくるのはここ。
ラスサビは踊るので、本当に最高。パワー、好きです(告白)
17,confessions (カイソロ)
前を大胆に開けたジャケットキム・ジョンイン
、、、、、そんなに見せていいの?と不安になりました
まるで、身体をスキャンされてるかのようなレーザー照明?がすごく良かったです
18,Bad dream
若干、というよりかなり記憶ありません
メインステージ、、、でしたよね?
19,Damage(セフンソロあり)
オセフン!オセフン!オセフン!!!!!
とても雰囲気を褒めてくれたオセフンさんのソロがあるよ
オセフン、赤ちゃんじゃなかったです
本編ラストMCが入ります
絶対ここのMCも面白いこと言ってたと思うんですが、脳内メモリがどこかに飛んだみたいです
🐯「ここから僕らが頑張るところです」みたいなのは言ってた気が。
なぜなら、大連続ですからね
20,Growl
うううううううるろんんんんんん!!!!!!!!
まさか、まさかこれを生で見れる日が来るなんて、、、、!
と思っていたら
21,overdose
に高速切替!!!!
頭トントンすること(伝わりますか?)あれが最高に好きです
22,Call me baby
🐯「みんな!!!最後の曲だよ!!!!!!!」
いやあああああああああああああああああああああああ!!!!!
帰らないでEXO様!!!!!!!!!!!!!
-encore
23,Unfair
アリーナのどこからかスクーターで登場
しかし、スクーターなので全く見えない
ベクのスクーターの異常なスピードと、超安全運転のスホさんが可愛かったです
スホさんって、もしかして、、、運転系苦手なんですかね?
そういえば、アリーナが狭すぎてスクーターなんでしょうね。
トロッコの道幅確保したら、座席少なくなりますもんね。
24,on the snow
🐯「みんな、上を見て」
で、素直に上を見ると照明がキラキラキラ、、、、!!
雪の降るみなとみらいを想像しました(横浜市民マインドなので)
EXOちゃんは人の失われた想像力を取り戻してくれる、いい薬です
さて、ここでホントのほんとにラストのMC
、、、、、、、、、すっごく長い
SMのアイドルは、メントが長いですね、SMドルしかライブ行ったことないですけど。
🐰「明日も期待しています。明日来られない方は、宮城でお会いしましょうね」
私「はーーーい!(横浜DAY2行かずに宮城行く)」
そして、ほんとにほんとにとにかくうるさいベクチャニョル
、、、原因は、この二人が隣になってしまったことです
あまりにもうるさくて全く進まないし、ジョンデは笑っちゃう(そういえばあなたこの日真面目だったね)ので、スホさんが
「おまえ、向こう行け!!」とチャニョルにジェスチャーし、連れて行こうとしますが、チャニョルはその場にひざまずいた、、、っけ?
そして、数十秒後にカイくんにお尻叩かれてました、チャニョルさん
この「1日を振り返るメント」で一番個人的に最高だったのは
🐶「まあ、ふざけてますけど、僕は真面目なことも言えるんです」(ニュアンス)
と言った時に、あまりにもMC長くてヤンキー座りして下向いてたスホさんがものすごい顔でベクのこと見上げて睨んだ時です。
私は、常に双眼鏡でスホさんを捉えていたので(そのため視界は常にホワイト)
、、、、、、、、、最高だった
25,Bird
🐯「みんなー!歌おう〜〜!!!」
これは日本語の曲だから歌える〜〜〜!!
🐯「みんなで歌いたいから、もっともっと聞いてください」
私「はい、すみません先輩。聞いてきます」
26,smile on my face
涙ちょちょぎれる、、、、、!!!!!!!!!!!!!
最後の曲じゃん辛い、、、と思いながら聴いてました
しかし、最後はお決まりの「おやす!」「み!!!」があったので上機嫌に(ちょろい)
さて、最後にいいMCだったが、どこで言ったのかわからないやつらをまとめます
▼オセフン、横浜を褒めちぎる
🐣「今日は、本当に雰囲気がいいです。他と比較できるものではないですね」
🐣「本当に雰囲気が良くて、いいですね」
🐰「それ、セフンがいい気分なんじゃない?」
🐣「いえ、そうでも無いんです」
一同「!?!?!?!?」
🐣「あ、公演が始まったら気分が良くなりました」
個人的に、わたしは横浜出身なので横浜公演で褒められて、すごく嬉しかったです。
いい雰囲気だったんですね
▼チャニョル、日本語があまりにもうますぎる
あまりにも日本語がうますぎて、オセフンのMCを通訳するパクチャニョル
🐣「もごもご、、、」
🐯「うんうん、それで?」
何を翻訳していたのは全く忘れてしましましたが、チャニョルの日本語のうまさに本当に感激しました
本当に本当に上手でしたよ、好きなアイドルがこうやって努力して日本語勉強してくれるのは、本当に嬉しいですね
サイト内に本公演のセットリストや当選確率など掲載しておりますので、
あわせてぜひ御覧ください
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まわりまわる
こんにちは。この文章はMacからこんにちは。なぜなら僕はMac を所有しているからこの文章をMacからこんにちはできるのですね。
しかし僕は今所持金が比喩表現でなく0で40分前まで入っていた夜勤7時間の間に同僚からタバコを計6本。今日本で使われている「円」で換算すると約135円。あれーこうみると大層な物品をもらったわけではないんだね。夜勤でばくばく食べてるファミチキとかは160円(くらいだっけ?)
なーんだ俺って他の人にあんまり迷惑かけて生きているわけではないんだね。だっていろんな人からお金を借りたり、車の免許を持ってないからいろんな人の車に乗せてもらったり、曲を作ったはいいもののドラムパターンとかリードギターがイマイチまだ浮かばないからイメージだけ伝えてバンドのメンバーに投げちゃったりしてるだけだものね。
まあとにかく他の人に迷惑をかけずに生きている人間ってマジの0な訳でバカみたいに天候悪い時にサーフィンして流されちゃったり、立ち入り禁止エリアの登山道に挑んで遭難しちゃったりしてレスキュー隊で捜索されるような、謎の自信に満ちてる人間に比べれば僕らがかけてる迷惑なんてものはまだ迷惑の「めいw」ぐらいなものなわけであって・・・って俺は何が言いたかったんだっけ!こんな「自己を正当化しまくってやる!」みたいな文章を書き出そうとしたわけではなかったな。さっき聞いた小沢健二の「彗星」の歌詞が素晴らしすぎてツイッターでも呟いたし久しぶりにtumblrでも開いて僕ちゃんのエッセイにでもしちゃおうかなと思ったのだったな。あれー。でもこんな感じで元来の目的から外れてしまって全然想像してなかった自分になってるってのは良くある話みたいで。
今日発表された2019年12月22日に行われる大会の中で僕の一番好きな、つまり「My king of 大会」であるM-1グランプリのファイナリスト達であったが、その中に吉本クリエイティブエージェンシー所属の「すゑひろがりず」というコンビがいるのよね。今、急にシーナ誠的昭和軽薄体的文壇で軽くあしらわれる的な語尾になっちゃったネ。
まあとにかく「すゑひろがりず」は芸歴13年目、かな?にして初めてM-1グランプリの決勝の舞台に立つことになりましたと。彼らの漫才スタイルはとっても奇妙で、というかごく当たり前とされているスーツ姿やジャケット姿の漫才師と違っていて能楽のような袴姿で二人とも登場しては、片方は小鼓と呼ばれる伝統芸能でよく使われてそうだな、くらいの知識しかない小さい太鼓を持ってステージ上にやってくるのである。
しかし���らは「漫才師になるために入ってきた13年前には今の姿は考えられなかった」と2018年4月21日の「よしログ」で語っていたわけである。
そもそも袴姿で小鼓を持って伝統芸能を取り入れた和風の漫才と呼べるのか怪しいことをしようと思って芸能界に入ってきているわけがないだろ、なんてツッコミが長い宮下草薙の宮下くんもびっくりのツッコミをしてしまったわけだが、最初の目標や目的がそれて形や方法、正義が変わっていくのは当たり前なのである。それを「お前○年前はEDMのことめちゃくちゃバカにしてたじゃん」とか、「oasisじゃなくてblur好きな奴は斜に構えすぎだって言ってたよな?」とか言われてもそんなのその時の気分とか知識経験なんならその場で言っちゃっただけの事なのでそんなことを掘り返して現在の僕を攻めてくるのはナンセンスというか、狂っているというかはっきり言って「だるい」のである。僕が大分前と違ったことを言っていたって、「お、成長したんだなぁ」とか「いろいろ経験したんだなあ」みたいな感じで広い心を持って接して欲しいわけである。
今頃気づいたけどまたこれ結局自分を正当化してるだけの文章になっちゃった。ウケる。
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[記事訳]ジョン・ヨンファ”合奏通して音楽を作るのが、すなわちバンド…バンドのための公演会場建てたい”
ソウル チョンダムドンFNCエンターテイメント作業室で会ったCNBLUEのジョン・ヨンファ。 アイドルバンド。2007年FTIslandがデビューする時とても到底似合わない二つの単語の組み合わせは、案外なじみある名称となった。’バンドの名家’FNCエンターテイメントを母胎にCNBLUE・N.Flying・HONEYSTなどバンド型アイドルのデビューが着実に成し遂げられて、ダンス一色だったJYPエンターテイメントも毎月2曲ずつ新曲を発表しているDay6を通して新しい変化���図った。ここに’スーパースターK’出身であるチョン・ジュニョンが率いるドラックレストランとナム・テヒョンがウィーナー脱退後結成したサウス・クラブまで加わって、今はK-POPの一軸を担うようになる程に規模が大きくなったようだ。 K-Popの隠れたプロデューサー<8>CNBLUE ジョン・ヨンファ ミニ7集発売 アジアツアー中 ソロ2集 ”今はバンドの意識をせずに自由に作って 放送はライブで見せられない 公演を好む” 一度聞けば合わせて歌うことができる曲が得意 その中でもCNBLUEは、このジャンルを代表するグループだ。デビュー曲[ひとりぼっち]を初めとし、[愛光]、[Can’t Stop]など発売する曲ごとにヒットしたことはもちろんで、デビューアルバム[Bluetory]で、1曲でスタートした作曲の比率は、ミニ4集[Re:BLUE]では、6曲全曲に拡大されるなど、勝ち続けてきたからだ。特にリーダーであり、ボーカルを任されているジョン・ヨンファ(28)はソロアルバム[ある素敵な日]で歌手兼プロデューサーだけではなく、ドラマ[イケメンですね]、[俺のこと好きでしょ]などで演技者として位置づけながら、アイドルの恩恵を最も多く受ける主人公だ。
去る6月ソウルSKオリンピックハンドボール競技場公演を皮切りにアジアツアーに向かったCNBLUE 自然と動線もグローバルだ。昨年はフランスで下半期放送予定のJTBCドラマ[The Package]の撮影を終えて、去る2月中国で公開した映画[決戦食神]が終わるやいなや、先月からアジアツアーに向かった。 カン・ホドン、キム・ヒソンと共演しているオリーブのバラエティー番組[島銃士]のために一か月に一度は島に行くことだけでなく、今月2番目のソロアルバムを出す予定だなんて、彼にとってバンドとして生きることは果たしてどういう意味なのだろうか。 ソウル チョンダムドンのFNCで会ったジョン・ヨンファは「合奏を通して音楽を作れる人たちがすなわちバンド」だと定義した。その楽器が何であれ、ジャンルがどうであれ、一緒に音楽を楽しめるならそれで十分だという話だ。「最初、僕たちも『お前たちがバンドか』と、後ろ指さす人たちをすごく意識しました。誰が聞いてもロックという感じを与えるために、わざと入れなくてもいいギターをジンジンジン叩きつけて、すごくオーバーにしました。しかし2013年にワールドツアーをしながら、そういう考えがかなりなくなった気がします。こんなに僕たちの音楽が好きな人たちが多いのに、もう少し自信を持ってもいいんじゃないかと思ったんです。その時から少し楽になりました。」
去る5月日本で11番目のシングル[Shake]を発売して、アリーナツアーをしているCNBLUE Q.ある瞬間から公演の話題がより頻繁に聞こえるようだ。 A.どうしても音楽番組は制約が多い。僕たちはライブをやりたいが、与えられた条件でできない場合も多く。その上、他のアイドルはダンスを踊るので見せられることが多いが、僕たちは楽器を持って立っているので、いつも同じ姿しか見せられないので、悔いが残る。 Q.コンサートでたまった興を放出しているのか。 A.そうだ。無条件に走らないと。あまりにステージの上を歩きまわって、警備員が嘆き訴えたこともある。それでも高いお金を払って来たのだから、最大限に満足できるようなステージを披露したい。だから3日するならセットリスト(新曲含む)を3つ作る。同じ曲でも歌うたびに少しずつ変えて歌って。メンバーたちも最初戸惑っていたが、今や目つきだけみればわかってちゃんとついてくる。 Q.観客たちも一緒に走らせるのは簡単ではないだろうに。 A.僕たちのステージを初めてみる人も一度聞けばすぐついて歌えるように、最初から意識をして曲を書く方だ。サビの部分は同じ単語を繰り返し使用するとか。ColdplayやMaroon5のような有名なバンドの公演を研究してみても、走り続けることはできない��下がるかと思ったらタイトル曲を入れて緩急の調節をしたんだ。
CNBLUE ジョン・ヨンファは「元々はロックな感じを与えるためにギターをたくさん使っていたが、最近はピアノですぐ作業を始める場合も多い。」と語った。 Q.作曲はいつ始めたのか。 A.中高生のときもバンドを続けていたので、デモプログラムをダウンロードしてあれこれいじってみたりもした。練習生としてソウルに来てからは、ハン・スンフン副社長と宿舎生活をしていたが、外出するとこっそりコンピューターをつけてやってみたり、ピアノもこっそり弾きながら書いてみたりした。ばれ続けたら教えてくださったんだ。 Q.バンドだから、特別に気をつかう部分があるのか。 A.最初は音楽的趣向が全部違った。だからそれを全部考慮するのが簡単ではなかったが、今はすごく似てきた。歌も癖(習慣)があるように楽器もそういうのがある。ドラムをここで合わせるのが好きだとか、ギターはこの音の次はあの音で行くのを好むとか、そういうことを合わせてあげる方だ。アルバムもリズム感がある歌が出れば、アコースティックなものも入れて、ロッキンな曲があれば甘い曲も加えて構成を合わせる方だ。
来たる10月放送予定のドラマ[The Package]。[イケメンですね]など韓流スターとして浮上したジョン・ヨンファはイ・ヨニと息を合わせた。 Q.本人はどういうスタイルに強いか。 A.どうしても甘い曲をより簡単に書けるようだ。勘が鋭いので、こんな話をすると好きなんだなと、観察するのがすごく役に立つ。実際に不平不満を並べるスタイルが本当に嫌いだ。誰かが悪口を言って、良くない話をするのを聞くとイライラするのではないか。だから最大限の肯定的な力を与えよう、いい話だけしよう、そういう主義だ。映画で言えば12歳以上観覧可能のような感じ? Q.CNBLUEとソロアルバムはどう違うのか。新しいアルバムのヒントをちょっとくれるなら。 A.一人でやるときは、実験がもう少し自由な気がする。CNBLUEがそういうスタイルをしないが、僕が一番好きなバンドはOasisだ。サウンドは荒いが歌詞は温かくて。トロピカルのような最近流行っている音楽をすることもできるし。口で楽器の音をだしたり、ボーカルエフェクトも増えてきたから、そういうこともしてみたい。Locoなど多様なフィーチャリングも準備している。
カン・ホドン、キム・ヒソンと共演しているバラエティ番組[島銃士]に出演しているジョン・ヨンファ。 ジョン・ヨンファは自分を「なぜ逸脱しなければならないか知らない人」だと表現した。仕事をしていると、海外のスケジュールが生じて、旅行に行くことになって、島に行っていいものだけ見て、澄んだ空気を吸って帰ってくればいいじゃないかという論理だ。だから1年365日が足りないとしか。20代が他人の物を奪い奪われる’海賊船’のようだったという彼は、アイドルバンドの後輩たちのために公演会場を建てるのが夢だと明らかにした。 「僕はその子たちが競争相手だと思いません。僕たちがもうすでに悪口はたくさん言われてきたから、花道だけを歩けるように手助けしたいです。日本のバンド市場が大きい理由は公演する空間が多いからのようです。僕たちは初めて公演をして、次の公演会場に行くには必ず2倍以上に行かなければなりません。5000席、次は1万席、その次は2万席、そういう方式で。しかし1000席、2000席、3000席規模で多様な公演会場があれば、それほど多様なバンドが生存できるという話なんです。だから機会があるなら8000席程の公演会場を一度作ってみたいです。」 出処▶ http://mnews.joins.com/article/21719778#home
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新曲の部屋とは
2014年の1月から12月まで、阿佐ヶ谷rojiを会場に「新曲の部屋」というイベントが月一で行われた。行った!という方が正しいかもしれない。
このイベントは、ぼく(黒岡まさひろ)が、「ゲストと曲をつくっていく企画」を発案し、司会にタッツ(仲原達彦)を迎えて1年間行われたものであった。人によってやりかたの違う「曲作り」というもの、それにちなんでつくるという作業。どこからともなくやってくるアイデアや、瞬発的に織り交ぜられるひらめきを反映していく至福の時間を、お客さんが垣間みる特別な時間を持ちたいと考えた結果のイベントであった。アイデアが浮かんだ瞬間は「うおー!これだ!」と思った。毎月、面識のないミュージシャンをゲストに迎え、呼吸を合わせながら、ゲストの「曲つくりの方法」を踏襲して、1曲をつくっていく。
最初、「新曲の部屋」が始まる前に、なにか文章を書いてと言われて書いた文章が、ある。「曲というのはどうやってできるのか。空から落っこちてくるのか?土の中から引っこ抜いてくるのか?あたらしい曲ができていくプロセスを、黒岡まさひろが毎月いろいろなゲストと共に分析。曲作りの場所は阿佐ヶ谷ROJI。果たしてどんな曲ができるのか?乞うご期待!」なるほど。
「新曲の部屋」が終わった頃に書いた文章があったのでここに掲載してみる「曲つくりを共作でやるっていうのは、ぼく、ずっとバンドやなんかでやってきたことなんですが、お互いに、扉のようなものを開けて、、、まあ。開ける具合もそれぞれなんですが、その中で反応しあって、お互いに持ち寄るというか、あーだこーだと、こねている間に、予想もしないものが出来上がってくる。その予定してなかったものが産まれるっていう瞬間の喜びは本当にすごいものがあって。しかも、人とやると、普段、自分から出てこないものが不思議と出てくるというのがあって、それはぼくが出したのか、出されたのか、もしくは、どこかから引っこ抜いて来たのか、わからないんだけど、そういう面白さは毎回ありました。うわ!すごい!ってことだけを真摯に放り込みながらつくっていく作業。みんなミュージシャンだから、こだわりがあったり、その中で違うなってことはやらずに毎回やってきました。ゲストの意志の強さを垣間みたり、おおらかさを見たり、ほんと、ぼくは毎回奇蹟に立ち会ってるという気持ちでドキドキしてました。」(黒岡まさひろ)
黒岡の解説やら思い出
1月「マジカルミステリー☆」
初回に登場してもらったのは、どついたるねんのワトソン。その当時、どついたるねんはほぼ毎日、動画をupしていて「新人類だ」と思ってタッツ(仲原達彦)に1回目のゲストでお願いしました。ワトソンは当日、最近手に入れたという全然使い方もわからないであろう黒光りして格好いいシンセサイザーを持ち込みやって来た。セッティングを終えて、開演まで2人で阿佐ヶ谷駅前の本屋でそれぞれ立ち読みして、セブンイレブンで買い物をして、やることなくなったら困るからと、お菓子とか、雑誌とか買い込んでrojiに戻りました。「これお金払って見に来てくれた人が満足するにはどうすればいいっすか?」と聞かれたので「曲をつくっている最中にスパークが、何回かあればいいんじゃない?無理矢理完成させることはないから、満足いくまでやりきろう。途中出てきたアイデアを試せるだけ試そう」と話した。ぼくもドキドキしながらこの日を迎えたんですが、ワトソンの人柄もあって最後まで駆け抜けていった。曲の最初のギターはMIYAVI(知らなかったけど)を意識してつくりました。曲中で、「オカリナ」という単語が出てくる。「気持ちE」というところで、ワトソンが持参したシンセサイザーが炸裂。コンビニで買ってきた雑誌(たしか週間現代みやいなやつ)はドラムとしてつかわれた。ギターのコードがEmのところで「今いなげや」という歌詞が出てくるのがスパークのひとつ。イベントが終了したのは、深夜2時だった。ルミさんに「長すぎる!」って笑いながら怒られた。いや、怒られながら笑われたのも良い思い出です。
2月「かまくら~お前が憎い~」
いじわるな女と、それに気づかない男の仲睦まじいデュエット曲をつくろうと始まった。付き合っているであろう2人組の男女のちぐはぐさが出てると思う。柴田さんには、ほんとうにいじわるな女を演じてくださいとお願いした。ぼくは、よく物事をわかっていない男で、なんか時が過ぎて行くというような歌のとりとめのない内容であるが、最後は、雪が降って仲良くかまくらをつくろうと変なとこに落ち着く。変なマジカルな曲と言えば曲である。柴田聡子さんは、「芝の青さ」のPVで知って、すごい人が出てきたなーと思っていたので、お願いして、一緒に出てもらって嬉しかった。この日も、結構長い時間、曲が完成するまでかかって、終電を逃す人が多数というイベントになった。ぼくやタッツは、朝までいたので、良かったけど、お客さんの終電問題を考えてなかったので、悪いことをしたなーって思った。そういえば、この日に、韓国から来ていたイランにCDをもらった。
http://hora2.exblog.jp/22100364/
3月「VIDEO OASIS」
イベントの最初に、昔、何を聴いていたか?という話になりDorianさんが「ジャングル」と言ったので、「ジャングル」というジャンルでつくりたいと無茶な提案した。始まる前にDorianさんがこの日のために用意してくれたセッティングを、また1から組んでもらいトライした。Dorianさんのようなパソコンをサクサクつかって、リズムをつくっていくという作業は、すごく興味深く光り輝いて見えた。ぼく、その横で、自分の世界に入りこんで、歌詞を考えていた。途中の展開部分の「夕暮れが~」という場所が歌詞の意味は不明だけど、グッと心を掴まれる。「こんちゅうさいしゅうにのりおくれないように」ってところで、カウンターで見ていた髙城くんがあたたかいガヤを入れてくれたのも覚えている。チェック柄の種類が出て来なくて、「何かありますかね?」とお客さんに聞いたら、ルミさんが「マドラスチェック」と教えてくれた。ぼく、この曲すごい好きですね。自分じゃ絶対につくれないですもの。
4月「レゲエの4箇条」
柔道部のさとうゆか、、いや嫁入りランドのゆかちゃんと、ラップバトルを何回か繰り返した後に、生まれた新境地。ゆかちゃんは、これぼくの感想ですが、芯がある女であり、想像力豊かな女性でした。始まる前、もしも、ゆかちゃんがラップに対する愛がそれほどなかったなら、民謡でもやろうと思っていたのですが、幼少期からの強い想いがあり、「はは~お見それします」となった。「これはラップをやらせていただきたい」と思い胸を借りるきもちでトライ。この頃は、今(2017年)程、ラップというものが世に出ていなかったような気がする。実際に、ゆかちゃん、ラップ、うまくて、強かった。一方、ぼくの方は、語源の少なさと、できてなさに途中冷や汗をかいたものです。とはいえ、瞬発的な要素をとりいれながら進行していく時間の流れ。新曲の部屋では、いつもrojiの空気を吸いこんでやっていくのであります。導いてくれるタッツ、じっくりと聞いてくれるお客さん、その全体の空気感が、曲つくりに関与しているんだとぼくは思っているのです。だから、録音中に間違えても、そこにある空気感が良ければOKにしてきた。ラップ特有の韻を踏むために、言葉を並べて、検証していく作業がとても楽しかった。サビは一緒に考えて、お互いのバース(ってゆうのかな)は何回かやってみて呼応していく感じを採用しとります。「足立区育ちのおっとせいの友達今何時?」って耳に残ります。いろいろ奇蹟的に当てはまったような気もしますが、これも、タッツとゆかちゃんの真面目さのおかげだと思います。この日も楽しかった。ちなみにレゲエの4箇条は「友達・家族・恋人・感謝」だそうです。その4つが1ブロックずつ入っておるのじゃっ。
5月「DANCING ELEVATOR」
日本語がたどたどしい外人の方とやってみるとあたらしい試みで面白いかも!ってタッツがセッティングしてくれたダニエルクォン。繊細なダニエルの美しい旋律が心地よい。ただ、イベント中はダニエルが「うー」と悩み、それを盛り上げようと兎にも角にも頑張った。ぼくは、心地よい時間や、瞬間をつくりだすことを、ひたすら心がけた会になりました。ダニエルもすごい頑張ってくれたと思う。ぼくも「うーん」「うーん」と唸った。心の中で腕を組み「どうしようかーー」と悩んでいた。できた曲は、それに反してなのか、とても面白いものができたと思う。
6月「とっても」
上半期の最後に出てきたボスのようなアチコさん。堂々としたアチコさん。ふたりで空中から引っこ抜いてつくっていった。その中で、どこに向かうかドキドキした。アチコさんとつくっていく最中(物語を進行していく中)、いろんなものがバンバン浮かぶ脳内。感覚が麻痺していくような一種のドラッグ体験のような感じがアリ。「脳裏に浮かんだことを、そのまま落とし込んで行けば良い!」という空気をつくってくれたのはアチコさんの力だと思う。それに引っ張られるように、好き放題、ことばを紡いで、空間を満たしていくことに「絶好調の幸せ!」と震えました。すごい傲慢にも思えますが、なんだか世界をとらえたような感覚とナル。見てくれた人は、そんなこと思ってないかもしれないけど、ぼく個人的にはそんな状況になっていました。中盤から、アチコさんが歌うと空気がガラッと変わって、優しさに包まれた心地よさが最高点に向かってゆきます。声だけで、持って行ける��ですね。動物の声はお客さんが参加してくれています。途中と最後にアチコさんの鍵盤が入ってます。アチコさんかっこいいです。ありがとうございました。PS忘れていったアチコさんのケーブルいまだに持ってます。大丈夫かな?→返しました。
7月「光の国境」
下半期に突入。後半戦。がらりと変わってmitumeの川辺くん。つくりあげる強い意志は、最後まで強くて、とにかくオットコ前だなーと感じました。それで、何故か、人間って面白いなと思いました。さて曲ですが、BPMは2人の誕生日の月と日を足した83で始めることに決めて、曲のコードは、最初にスパスパ決めたので、歌詞の方に重点を置いてつくりました。当事者なので、そこまで俯瞰できないのですが、「あなたはどうやって曲をつくっていますか?」という問いに「わたしはこうやってつくっている」という秘密の作業を見せてるようで(実際にそうなんだけど)、これは、本当見せちゃ行けないものを見せてるんじゃないか・・・ぼく自身も、得した気分でいました。できた曲は、かっこいいっす。川辺くんのdemoみたいですが、川辺色っていうものが確実に如実に出てます。ぼくは横にちょこんと座っていたっていうのが正しいかもしれません。歌詞に関してですが、浮かんだことをたくさん詰め込んでいくっていうより、どれだけ言葉を削ったり、言葉をなくしていって並べるということを重点的につくっていきました。曲作りというものを1から丁寧に解体しながら真摯に取り組めた回になったと思っております。川辺くんは、サクサクひとりでつくっていく能力があるので、その隣で「OK」とか「もうちょい」とか言ってるうちに終わりました。スリリングに物事が進んでいきました。タッツと川辺くんは、同世代なのでその関係性もうまくことを運ばせてくれました。イベント始まる前にピザを食べていろいろ聞いた気がする。
8月「夏のバカンス part2」
いやー。よく完成しました。始まる前は、いつもゲストの方と、お互いのチューニングの如く、ご飯を食べたり、少し話してイベント���始めてるですけど、タッツもぼくも、この日は、バタバタしていて、始まったので、本当に初対面っていう感じでスタートしました。トークで、いろいろ、始まってみて、うてなさんのことを探ろうとするが、どこを着地点にするか、「どうしよ~!」とあっと言う間に時間だけが過ぎていく。うてなさんの世界観。本当に独特で、根底に流れてる川を覗いてみるとその深さにクラクラしました。どこを触っていいのかすごい考えた。多分ぼくの中にうてなさんに似た知り合いがいなかったのだと思う。失礼のないように何かを求めること1時間。なんやかんやで、「夏のバカンスの曲をつくろう!」となって、そこからすごいスピードでどんどん進みました。終わった時「やったー!」て不思議な感じになった。お互い顔を見合わせて「やったー」と登頂した気分に。最後のフレーズ、お客さんに男女にわかれてもらって、男女それぞれで歌っていただいきました。男と女の象徴的な概念がそのまま声になったようなものができたと思ってる。うてなさんも、ぼくも全部出した。充実した時間を共に過ごせた。ぼくは、この曲を聴くと、なんでかフランスの小さな街のパン屋さんの前で凄い真剣な顔した男女が、無言で立って、向かいあってる映像が浮かぶのです。
9月「ホットステップサンド」
田中!田中!田中!鍵盤奏者とやるときは、なんかぼくのある部分がグッときます。好きなのか。とても、個人的にやりやすいです。そう合わせてくれてるのでしょうが・・・。振りかえってみると、ホライズン山下宅配便のメンバー伴瀬が、鍵盤の達人なのもあって、そういう経験からくるのでしょうか。田中佑司は、ふたつの鍵盤を持ってrojiにやってきてくれました。イベントが始まる前、ギットギトのラーメンを食べながら「どんな音楽が好き?」と聞いたら「ドラマチックなもの」と返ってきました。「ドラマチックかー」とぼくの中で、「ドラマチックとは何か?」想像しながら迎え、イベント中も脳裏に置きながら過ごしました。曲中の舞台は、くるりに参加していた頃の田中佑司を想像しながら勝手につくっていきました。イベント中に、タッツと田中佑司が話している間に、ぼくが、ザクザクと歌詞を書いて、ぼくが鼻歌でうたったものに、アレンジを施してもらうというスタイルでつくりました。コーラスの「ベイベ」っていうタイミングを「ここだろう」「ここのハズし方かっこいー」って盛り上がった。好きです。ベースの音も好きです。このベースの音、機械じゃないと出せないということです。こういう音なんて言うんだっけ。モスキート音じゃなくて。なんか、現実の楽器からは出てこないと言うことらしいです。イタリアから帰ってきたばかりの田中祐司の語りも好きです。「ホットサンド」って、言葉も、味も良いですよね。いやあ、ビバ!田中佑司!美しいです。
10月「lived in Jamaica」
冬ですね。「京都はこんなに寒くなかった」とスカート姿でやってきた畳野さん(homecomings)。「南半球のジャマイカでのクリスマスの歌をつくろう!」って始まりました。homecomingsの曲の歌詞は、英語なので、そのままのスタイルをつかわせていただきました。英語も畳野さんが、ペラペラ堪能な訳じゃなくて、電子辞書を確認しながらつくっていく。このやりとりと、作業のたどたどしさが、不思議な独特なリズムをつくっていきます。電子辞書を駆使しながらつくるアナログ感と言いますか、寄り道とかが、homecomingsのアイデンティティを強くつくっていると思いました。こういう制約は本当好きですね。クリスマスソング。ぼんやりしたイメージが徐々にクリアになっていきます。曲は完成し満足いく出来になりました。曲は完成したけど、すぐにハモれなかったので、録音するのに手間取りました。曲がキラキラして綺麗です。100%畳野さんのおかげですが。「ジャマイカにだって夜は来るから、日が暮れる前に探し出すのが僕らのやるべきことだ」ってのが最後のフレーズです。素敵です。
11月「神☆戸」
ここまで来てなんですが、奇数月に男性ゲスト、偶数月に女性ゲストになっていること気付きました?ま。いいです。さて11月。漫画家の長尾謙一郎さん。肩書きは置いておきますが、この世界観。すごいと思いませんか?歌詞に出てくるのですが、宇宙に浮かんでいるFAT LADY(太ったレイディ)がいて、タイトルは「神☆戸」ですから。好きですとしか言えません。絵が浮かんでこないわけありません。ぼくは、長尾さんの漫画の愛好者なのですが、みなさんも長尾さんの漫画、掛け値なしに最高です。好きです。歌詞を一緒につくって、採用していって、のせていくのですが長尾さんと「うーん」「こうかな~」「いや、こうでしょ」と絵を描いていくような感覚でつくっていきました。ぼくが持ってきたドラムマシーンを、ベースにして、その上からギターを弾いているのは長尾さん。そこに、ふたりで考えていった歌詞をのせていって、録音したパズルのピースをはめ込んでいくと、祭りのような、祝祭のような、にわかに立ち上る煙を見つけれます。とにかくギターがすごいです。ジミヘンも好きですが、長尾のギターも好きです。このパズルのようなmix作業は、後日にぼく、夜な夜なしました。面白かった。
12月「23歳」
最後のゲストは、黒岡まさひろ(23歳)です。これ、どうやって出現させようか考えたんですがね。ぼく、23歳の時、5ヶ月くらいの間、金沢にひとりでこもっておりまして、その時、膨大な日記やメモを残してましてね。それをもとに35歳のぼくが一緒につくっていくというスタイルでやりました。タッツに日記を読んでもらって、「あーこんな甘酸っぱいこと考えてたんだな」とか振りかえって、恥ずかしいんですけど、まあ。基本的にあんまり変わっていなかった自分も見つけて、気恥ずかしさを棟に抱えつつ、その日記の一部を歌詞にして、それを曲にしたっていう感じです。サビのところは、今読んでもよくわかりませんが、23歳の黒岡が燃えているニュアンスがちょうど出ていると感じて、採用してます。ちょうど、韓国から見にきてくれてたイランが、会場にいたので、サビのところ一緒に歌ってもらってます。イランは、「新曲の部屋」を韓国でもやりたいって、2014年の5月から韓国でもはじめてましたからね。勝手に、ぼくの中で日韓の兄弟という感覚です。どっちがお兄ちゃん?お姉ちゃん?イランは奔放ですが、すごく実行力のある「生きている人間」をそのまま出現させた、妹みたいな存在です。それで、ぼくもタッツも、2015年(翌年)に、韓国の新曲の部屋のゲストに、よんでもらって、つくりましたよ。ということで1年間走りきった「新曲の部屋」はこれにて最終回でした。
締めくくり
まあ。とこうやって終わったのですが、振りかえってみると、自分で言うのもなんですが、なかなか面白い企画だったと思います。この「新曲の部屋」お客さんとして、12回コンプリートで来てくれた方もいて、「何がおこるのか、全部見てやる!」っていう気概が、嬉しかったですね。遠方からも、電車を見逃すの覚悟で来てくれたお客さん。あなたたちのその気概が、ぼくは、好きです。そんなこんなで、イベントはどの日も大盛況に終わったと思っています。いやぁ。楽しかった。魂を削って、自分以上のものが出てきて、イベントの次の日はいつも快楽の余韻に浸っていました。イベントの最中は、そんな余裕を見せる暇はなく、歯を食いしばって「あの山(って最初はまだ定まってもいないのですが)」に登るぞって、同行者と、ふたりっきりのドラクエのパーティーみたいな気持ちで登っていた訳でして、「この山」になった瞬間に駆け出して掴み取っていました。タッツがたまに、ドラクエの中に出てくる村人とか、大事なことを教えてくれる重要なキーパーソンとしてそこにいたという感じでしょうか。タッツがいなければこういう風にスムーズにいかなかったと思います。タッツが、もしかしてこのゲーム(?)の物語をつくっていた人かも知れません。あ。ちょっと言いすぎました。とはいえ、毎回のゲストの方は、楽しかった。それはドラクエのパーティーか?もしきは愛人との1泊旅行かって感じもしてました。
先日、rojiで「新曲の部屋」の話をしながらタッツと少し飲んでいたんですが、たまたま、王舟(ミュージシャン)がたまたまいて、「黒岡さん、今度は音楽とかまったく興味のない人とやった方が良いですよ。そっちんが面白い」と真顔で言われました。「タッツやる?」と言ったら、「いや~~」って、笑ってました(笑)
また最後になりましたが、イベントを行っていた2014年、ルミさんが逝去されました。このイベントを後押ししてくださったのもルミさんだったし、ぼくにとっても、お母さんみたいでした。「どうしよ」と少し思っていたところ、ルミさんのパートナーのとしちゃんから「黒岡さんは、好きなことドンドンしてください」と言われて、「それしかぼくのできる手向けはない」と解釈し、イベント最後までやりきらせていただきました。最後になりましたが、rojiとルミさん、としちゃんに感謝します。
2017年4月26日 黒岡まさひろ
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