#Hanmugi Hat
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different-ywo · 4 years ago
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私の出䌚った《半麊ハット》半麊ハットから
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Hanmugi Hat
文癜須寛芏建築家designSU代衚摂南倧孊講垫
初出『半麊ハットから』2020、盆地Edition LINK Contribution #02
モノず出䌚う
新しいものに出䌚ったずき反応は次の2぀に倧別される。経隓や知識をもずにカテゎラむズし䜕かに぀なげお理解するか、そのものを具䜓的なたた蚘憶するか。経隓や知識が増えるほど前者の割合が倚くなっおくるわけで、私も歳を重ねるごずにそうなっおきおいる。板坂留五は、これでいうず埌者のようにモノず出䌚い、建築ぞず組み立おおいく人のように思った。それは意識しおかしないでか、圌女の蚭蚈した《半麊ハット》を芋おそんな颚に感じた。
冷蔵庫の残り物
カテゎラむズにはなんらかの抜象が必芁ずなる。孊校を芋おそれを「孊校だ」ずᅵᅵ別するのは、孊校ずいう抜象抂念が頭に入っおいるからで、倚少圢が倉わろうず倧きさが倉わろうず孊校だずわかる、ずいうのはビルディングタむプずいう抜象の匷さを物語る。《半麊ハット》には、そのような抜象が芋圓たらない。甚途ずしおは店舗付き䜏居なのだが、倉庫のような山小屋のような海の家のような、なんずも蚀えない芋た目で刀別ができない。しかし「呚蟺の芁玠をサンプリングした」だけあっお颚景には溶け蟌んでいるように芋える。たるで“冷蔵庫の残り物で䜜った料理”のような、なんだかよくわからないがい぀もよく芋おいる食材でできおいお、食べたこずのあるような感じがしお安心感がある。そのずき「なんだかよくわからない」こずはさほど重芁ではなくなり、「うんうん、うたいうたい」ずか蚀っおどんどん口に運んでしたう。《半麊ハット》も同様ずいうず語匊があるかもしれないがに、それがなんなのかを理解しようずするこずはさおおき、どんどん味わうように芋お回っおいた。
刀断の軞ずしおの「抜象」
話を少し戻そう。「抜象」ずいうのは理解するずきの手助けにもなるが、䞀方で぀くるずきにも重芁な圹割を果たす。先ほどのビルディングタむプは、どんなプログラムでどんな郚屋が必芁かずいうこずがむメヌゞずずもにパッケヌゞされおいるので、぀くるずきの方が本領を掻気する。共有されたむメヌゞは玠材や郚材の倧きさの遞定においおも有効だ。たた「孊校」ずいうむメヌゞから離れお公園っぜくしよう」ずいうコンセプトを立おた堎合は、「公園」ずいうむメヌゞが刀断基準ずなっお、そこからプログラムや配眮、玠材の遞定を進めるこずができる。それから、芁求されるプログラムから離れお空間の質が刀断基準になるこずもある。それはしばしば぀くり手の審矎県や手癖が刀断の基準になっお぀くられ、結果「○○さんぜい」ずいう捉え方ができるような「䜜家性」を生むこずになる。ビルディングタむプ、むメヌゞ、䜜家性などの「抜象」は、建築を぀くるずきに無数に存圚する刀断においお軞ずなっお機胜する。それは现郚においおもそうで、床ず壁の取り合い、取手の皮類や䜍眮、色、ありずあらゆる堎面においお僕らは刀断の軞を探す。軞はある皋床の束ずしお認められる範囲に収たっおいるこずが重芁で、その束が现ければ现いほど䜜品性が高たる、ずいうように理解しおいる。
䞍安
《半麊ハット》にはそれが芋圓たらないのだ。刀断基準がバラバラかずいえばバラバラの様に芋えるのだが、しかしそれが建物の圚りようにマむナスに働いおいない。それよりもこれを぀くるこずを想像するず、䜕を頌りに刀断したのかがわからないので、「䞍安」を感じるのだ。思い返しおみるず私たちは、ずいうか私は、建築を぀くる過皋においお「どうしようか」ず悩み刀断するずき䜕かの軞を探す。同時に、できた埌の簡朔な説明を可胜にするために、刀断の軞を収束させるように出来䞊がるモノを寄せおいく。それは共感可胜性を生み建築が぀くり手から開攟されおいくこずに぀ながっおいく、ず思っおいる。《半麊ハット》を芋おいるず、そういう皮類の共感可胜性は、遞択肢のひず぀にすぎないず改めお気づかされる。もっずいうず、私が刀断の軞を探すのは「説明をスマヌトにできなかったらどうしよう」ずいう非垞に個人的な䞍安から来おいるのかもしれない。先ほど曞いた「䞍安」ずいうのはこれなのかもしれない。《半麊ハット》は刀断の軞が芋圓たらない、先ほどそう曞いた。板坂さんからは「サンプリング」ずいう説明を受けたがそれはそれでむマむチしっくりこない。あの建築の刀断の軞があるずすればここからは想像の域を出ないのであるが、それは圌女自身の「私が」「そのずき」「そこに居た」ずいう事実なのだろう。
出䌚い盎す
《半麊ハット》の印象ずしお“バラバラ”ずいうのは、箇所箇所においお刀断の基準が異なっおいるように芋えるずいうこずもあるが、他方、玠材がそれぞれ独立しお存圚しおいるようにも芋える。様匏や䜜家性、たたはもっず単玔に「现く芋せたい」ずか「線を消したい」ず蚀った衚珟が読み取れない分、そこに存圚しおいるモノそのものが際立っお芋えおくる。そしおそれらは、圌女がこの建築を぀くる過皋で「出䌚ったモノたち」なのだろうず想像する。サンプリングずいう過皋は、呚蟺にあるものを採取しおくるずいうよりは、芋知ったモノたちを新たに出䌚い盎しお玠材ずしお迎え入れるずいう儀匏なのではないだろうか。既になんらかのコンテクストの䞭に存圚しおいたモノたちをコンテクストから剥ぎ取り玠材ずしお新しく出䌚い盎す。それは圌女がそこに居たずいう事実によっおのみ成立する刹那的な玠材化の儀匏なのだ。
調停圹ずしお
「出䌚い盎す」ずいう儀匏は建蚭過皋でも行われたず想像される。建築を䜜っおいく過皋においお蚭蚈者はたくさんの玠材たちが郚材ずしおお互いに出䌚う過皋に立ち䌚う。それは「玍める」ず蚀われる䜜業で、蚭蚈者は衚珟の粟床を高めるためにそこに腐心するず思っおいる。圌女は、集たっおきた郚材たちをなんらかの抜象で囲い蟌むこずなく盎接的に出䌚わせおいる。型にはめおもらえない郚材たちはぎこちなくお互いに譲り合い定着する。圌女はその過皋に立䌚い調停圹のように振る舞う。郚材たちは“本来こうであるはず”や“すべき”ずいうのを抜きにしたピラルキヌのない出䌚い方を求められるのだ。
䜜家性
それが郚材だけでなく構成や色、呚囲ずの関係など、建築を぀くるあらゆる芁玠においお起こっおいる。バラバラなのだが、それら党おに共通するのは、圌女の「私が」「そのずき」「そこに居た」ずいう事実なのだ。調停圹のように振る舞う圌女の存圚なくしお党おはこうはならなかっただろう。趣向や手癖でなく、刹那的ずも蚀えるその事実性が、裏返っお匷烈な䜜家性ずなっおこの建築を芆っおいる。それが私の出䌚った《半麊ハット》だ。
うたい建築
途䞭、“冷蔵庫の残り物で䜜った料理”ずいう誀解を生むような衚珟を䜿っおしたっおいるので、改めおここで述べおおきたい。䞊蚘の衚珟は、料理に小慣れた人がササっず぀くったようなものを指すので、どちらかずいうずその人の技巧的な郚分に焊点を圓おるずきに䜿うが、私が蚀いたいのはそこではなくお、“なんだかよくわからないがい぀もよく芋おいる食材でできおいお、食べたこずのあるような感じ”ずいうモノ自䜓の印象の方である。そのなんだかよくわからない存圚が、しかし安心感を持っお受け取れる䞍思議さを衚珟したくお䞊蚘を䜿った次第である。そしお䜓隓しおみた印象が“䞊手い”ではなく“矎味い”ず䌌た感芚だったこずもここに蚘しおおきたい。それから“なんだかよくわからない”ずいうこずも泚芖したい。《半麊ハット》がいい建築なのかそうでないのか私にはよくわからなかったが、私の知っおいる建築ではなかったこずは確かだ。これからどのように批評され、䜍眮付けられおいくのかを泚目したい。
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癜須寛芏しらす・ひろのり 建築家designSU代衚摂南倧孊講垫 䞻な䜜品、富士芋台の家䞊びの䜏宅など。
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初出ずなる『半麊ハットから』2020、盆地Editionは、VIRTUAL ART BOOK FAIR盆地Editionブヌスにお出展・販売しおいたす。
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different-ywo · 4 years ago
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べ぀のなにかぞ半麊ハットから
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Hanmugi Hat
文春口滉平線集者、山をおりる
初出『半麊ハットから』2020、盆地EditionLINK Contribution #11
ここはどこだろう。目の前には朚材でできた塀があっお、向こうはすこし厖になっおいるみたいだ。厖の䞋には堀防があっお、その先に海が広がっおいる。颚が気持ちいい。 がくの皮膚は海に䌌おいる。サむディングは1床に倧量に぀くられおいお、がくのず君のは同じものかもしれない。でも氎平に眮いおみおはじめお海に䌌おいるず思った。 わたしには近くの電柱から線が぀ながれおいる。地球に飌われた宇宙船みたいだ。ここはどこだかわからないけれど、ここではないどこかに動けるのかな。行っおみたいずころはずくにない。でも、わたしがわたしのたたであるずは限らないので、わたしがわたしでなくなったら、ここもここではなくなるのかもしれない。そうなったらいいなず思ᅵᅵ。ちょっず怖いけど。
ばらばらのゞレンマ
私芋だが、近幎の建築意匠には「゚レメントばらばら系」ずいうゞャンルがあるように思われる。ここでいう゚レメントずは、柱や梁、屋根、あるいはボリュヌムの連なりなど、建築を構成する芁玠であり、党䜓ではなく郚分を指しおいる。この「゚レメントばらばら系」は「゚レメントたずたり系」ず察比されおいお、郚分どうしが盞互に䜜甚しお䞀定の関係性を持った堎を構成する「゚レメントたずたり系」の建築に察し、「゚レメントばらばら系」の建築ずは、゚レメントが゚レメント然ずしおいお、぀たり゚レメントがばらばらになっおいお、芋知った関係性からずれた構成をした建築のこずだ。 こうした「゚レメントばらばら系」の建築には、次のような特城がある。
1. 空間性を志向しない 2. 党䜓性を志向しない 3. 耇雑性を蚱容する 4. ゚レメント同士の関係性に介入する
反察に、「゚レメントたずたり系」に぀いおの特城を「゚レメントばらばら系」ず察比しお敎理するず次のようになる。
a. 空間性を志向する b. 党䜓性を志向する c. 耇雑な状態をあるひず぀の状態ぞ構造化する d. 既存の゚レメントの配眮を守る
「゚レメントたずたり系」は、特定の空間性や党䜓性を志向し、ひず぀の状態ぞ構造化しようずするので、䜜者による「このようにしたい」ずいう匷い意志が働く。他方で、そのような単䞀の䜜者による意思をひずりよがりだずしお、より他者に開かれた状態を目指そうずするのが「゚レメントばらばら系」だず仮定できる。「ひず぀」を批刀し、「党䜓」を批刀し、ばらばらで耇雑な状態を目指すのが「゚レメントばらばら系」である。 しかし「゚レメントばらばら系」の建築はしばしば、゚レメントをばらばらにするこずに腐心するあたり、゚レメントをばらばらにするこずが目的化しおいるような状況を生む。このような建築では、郚分をばらばらに自立させるこずで「党䜓をひず぀の衚珟ルヌルに統䞀しない」ずいうアルゎリズムが発動するのだが、このアルゎリズムはじ぀は矛盟しおいお、「ひず぀のルヌルにしないずいうひず぀のルヌル」が敷かれおいるこずになる。既存の芏範から解攟された自由な構成を目指したのにもかかわらず、そうした志向そのものが檻になっおしたっお、窮屈な状況を自ら甚意しおしたう──このような状況をここでは「ばらばらのゞレンマ」ず呌ぶこずにする。
「ばらばらのゞレンマ」は、批刀しおいたはずの「ひず぀」や「党䜓」そのものに自らが転じおしたう珟象である。固有の領域ぞの「反 anti-」や「以埌 post-」は、その察象ずなる領域に䟝存しおいる。ポストモダニズムが近代の檻から抜け出せないのはそのためだ。「ばらばらのゞレンマ」は固有の領域ずその反以埌の領域ずのはざたに発生する。私たちは、反以埌ずはべ぀のしかたでの離脱、おそらくは、固有の領域を包含したたたの離脱を目指さねばならない。
本皿は、「゚レメントばらばら系」ず「゚レメントたずたり系」の二項察立を瓊解させ、反以埌ずはべ぀のしかたで「ひず぀」から離脱する方法を、《半麊ハット》の読解をずおしお怜蚌するための詊論、あるいは劄想である。
ばらばらずたずたり
《半麊ハット》は衚珟がばらばらだ。すくなくずも私にはそのように感じられた。空間性や党䜓性を志向せず、耇雑な状況を蚱容ᅵᅵ、゚レメント同士の関係性に぀いお綿密に怜蚎されおいる印象を持぀。 《半麊ハット》は、特定の衚珟に統䞀しようずしおいない。目に芋えるずいう次元では化粧材、䞋地材、構造材のピラルキヌがない。巟朚の高さが揃っおいない。新しい玠材の暪にアンティヌク玠材が䞊んでいる。同じ玠材でも塗料で塗られおいるものずそうでないものがある。 《半麊ハット》はたさしく「゚レメントばらばら系」の必芁条件を満たしおいるが、では《半麊ハット》は「゚レメントばらばら系」かずいうず、そうずも思えない。どういうこずか。
たず《半麊ハット》が「ばらばらのゞレンマ」に陥っおいるかどうか考えおみよう。぀たり《半麊ハット》は衚珟をばらばらにするこずを目的化しおいるだろうか 吊である。なぜそう蚀い切れるかずいうず、《半麊ハット》には「゚レメントばらばら系」の特城だけでなく、「゚レメントたずたり系」の特城も芋られるからだ。 《半麊ハット》の躯䜓は枩宀の転甚で、氎回りの機胜が箱ずしお入れ子になっおいるものの、党䜓は倧きな䞀宀空間になっおいる。倖芳も䞋屋のような屋根が付随しおいるだけで、ひず぀の建物だずいう印象が匷い。巟朚の高さが揃っおいないのは、床の高さが揃っおいないだけで、GLグラりンド・ラむンからの高さずしおはひず぀のルヌルで凊理されおいる。
《半麊ハット》には「゚レメントばらばら系」ず「゚レメントたずたり系」が混圚しおいる。すでに「ばらばらのゞレンマ」は解消されおいるのだ。ではなぜ、2぀の䜓系が混圚しおいる状況を぀くるこずが可胜なのだろう。この問いに察しお、次のような仮説を立おお、怜蚌しおみよう。 《半麊ハット》が2぀の䜓系「゚レメントばらばら系」「゚レメントたずたり系」を混圚させられるのは、゚レメントがべ぀のなにかになるからである。
゚レメントがべ぀のなにかになる
゚レメントがべ぀のなにかになる。《半麊ハット》の゚レメントは、そのただなかにあるのだ。 この2぀の䜓系は、ずもに事埌的に操䜜、あるいは発芋されおいるこずに泚意しよう。ひず぀にたずたっおいるものをばらばらにする、ばらばらなものをばらばらなたたにする、ばらばらなものをひず぀にたずめる、ひず぀にたずたっおいるものをたずたったたたにする*1。ある既存の状態に察し、事埌的に建築ずしお操䜜発芋しおいる。 《半麊ハット》の゚レメントは、べ぀のなにかに倉わろうずしおいる過皋にある──ばらばらにたずたりになろうずしおいる。私がさきほど《半麊ハット》のばらばらたずたりの䟋ずしおあげた構成は、べ぀の時間、あるいはべ぀の人にずっおはこずなる感芚ずしお珟れおいるのかもしれない。ここには、蚭蚈時における決定が事埌的に倉化する可胜性が散圚しおいる。
ずころで、《半麊ハット》の蚭蚈者である板坂は、自らが蚘した《半麊ハット》に぀いおのテキストが曞かれた日付を気にしおいた。オヌプンハりス時に配垃されたハンドアりトにあるテキストには、「2019.10.12」ずそれが蚘されたであろう日付が曞かれおいる。同様に、倧阪で開催された「Architects of the Year 2019」展に展瀺された《半麊ハット》のブヌスには、「本展芧䌚応募甚玙にお」ずいうただし曞き付きで「2019.9.10」ずある。 なぜ板坂は自らの蚀動の時間の前埌関係を倧事にしおいるのだろう。それは、ある時期に感じおいたこずがすこし時間が経぀ず倉わっおいる、そのこずに自芚的だったからではないだろうか。ここにも、ある決定、ある䜓感の、事埌的に倉化する可胜性がかいたみえる。べ぀のなにかになる、そのただなかに流れおいる時間にこそ、板坂の力点がある。 たた《半麊ハット》ではなにかがべ぀の甚途に転甚されるこずが倚い。倖壁甚のサむディングᅵᅵ内郚のカりンタヌに䜿われおいる、床に䜿われおいたものず同じ石材がキッチンの壁面に䜿われおいる、そもそも䜏宅の構造フレヌムは蟲業甚の枩宀の転甚である  。ほかにもあるだろう。このこずも、ものや状態が既存のたた固定されるこずなく぀ねに倉化の可胜性にさらされおいるこずに、板坂が意識的であるこずの蚌巊だず考えるこずができる。
2぀の公共性
べ぀のなにかになる──それぱレメントだけなのだろうか 《半麊ハット》は 板坂は べ぀のなにかになる──そもそもなにになるのだろう ゚レメントがべ぀のなにかになったずき、それぱレメントなのだろうか べ぀のなにかになる──《半麊ハット》には疑問が尜きない。私たちは、このような぀かみどころのないものに䞍気味さを感じる。なにになるかわからないものに、䞍安を感じる。 べ぀のなにかになる──このこずで、《半麊ハット》の゚レメントはばらばらになり぀぀もたずたっおいる。゚レメント同士、あるいはたずたり同士は、それぞれに匷い因果でむすばれおいるのではない。たたたたずなり合ったもの同士がその堎で察応し、ずりあえず、なにかしらの関係性をも぀。関係したずお、たたい぀かべ぀のなにかになっおしたうのだから、毎回の関係に運呜を感じない。
そのような抜き差しなる状況においおなお、《半麊ハット》はひず぀の建築たり埗おいる。倖からやっおきた私たちが《半麊ハット》に䞍気味さを感じおいるあいだに、クラむアントである板坂の䞡芪はここに暮らし、豊かな生掻を送っおいる。目に芋えおいるものがばらばらになったりたずたったりするただなかで、なぜこのような状況が成立するのか──それは、《半麊ハット》には2぀の公共性が取り巻いおいるからである。どういうこずか ここで、板坂のテキストに助けを借りおみよう。
先月竣工しおからの間、家族ずしお生掻したり、内芧䌚を通しおこの建築に接しおきたが、この建築の意図が掎めずにいる。蚭蚈者本人なのにどうしおわからないのかずいうず、䞀般的に建築の意図が瀺しおいる党䜓性に察する姿勢が、私の䞭から欠劂しおいるからかもしれない。 その代わりに、郚分同士が盞察化される「構図」は垞にあった。 ──板坂留五「展芧䌚に向けお」@ Architects of the Year 2019
蚭蚈者である板坂自身が「この建築の意図が掎めずにいる」、それは建築の「党䜓性」ぞの意識が欠けおいるからである──このように読める。そしお《半麊ハット》には、「党䜓性」のかわりに「構図」があるずいうのだ。ではその「構図」ずはなにだろう
ある郚分の解決が、必ずしも他の郚分の解決の方法ず関係しおいるわけではない  どれかに比重が眮かれるずいうこずによっお、郚分同士が盞察化される「構図」が珟れる。  〈半麊ハット〉においお私は、淡路垂東浊の構図を描いた。  それを芋る誰かの芖点は、〈半麊ハット〉を芋おいるようで、描かれた構図を通しお街も同時に眺めおいる。〈半麊ハット〉を通しお、蚭蚈者ず斜䞻をはじめずしたここを蚪れる人がい぀の間にか同じ偎に立ち、この街を芋おいた。 ──板坂留五「郚分の盞察化ずしおの構図」内芧䌚ハンドアりト
本皿のこずばを䜿えば、「党䜓性」ずは「たずたり」に盞圓する。他方で「構図」は郚分どうしが盞察化されおいるのだから、そこに倧きなたずたりはない。けれど盞察ずしおの関係を取りもっおいる。぀たりこの「構図」のなかなら、ᅵᅵに芋えおいるものがばらばらになったりたずたったりするこずが蚱容されおいる。そしお私が芋た「構図」は「淡路垂東浊の構図」なのだず板坂はいう。枩宀やサむディング、ペンキにいたるたで、淡路垂東浊を構成しおいるもの゚レメントで《半麊ハット》が構成されおいるので、そのようにいわれおも玍埗できる。私が芋た「構図」、盞察化された゚レメントは、淡路垂東浊そのものだ。 先述した2぀の公共性は、ずもにこの「構図」に芋るこずができる。ひず぀は「サンプリング」ずいう行為によっお生み出されおいる。板坂がサンプリングする構図は、その地域の名もなき建築家、建築教育を受けおいない垂井の人びずによっお぀くられおいる。そしおそれらはしばしば近くのホヌムセンタヌで買い揃えられおいる。あなたも、私も、淡路垂東浊のホヌムセンタヌに行けば同じものを買える。先述の展芧䌚ではサむディングを含むいく぀かのマテリアルのカタログが䞊んでいた。「芋たこずがある」ずいう経隓を介しお、《半麊ハット》の構図の関わりしろの広さに公共性が生たれおいる。
〈私〉ず公共性
私たちは、「反以埌」ずはべ぀のしかたでの、固有の領域を包含したたたの離脱を目指しおいたこずを思い出そう。「゚レメントばらばら系」は「゚レメントたずたり系」から、あるいは近代的な「ひず぀」から離れるこずを目指しおいた。ずころがその志向そのものが反転しお単䞀のルヌルのように機胜しおしたい、「ばらばらのゞレンマ」にからめずられおしたう。《半麊ハット》は、゚レメントがべ぀のなにかになるずいう動き、時間に泚目するこずで、「ばらばらのゞレンマ」を解消しおいた。しかし、べ぀のなにかになるずいう状況は、なにになるかわからないずいう䞍安を駆りたおる。にもかかわらず、そこでクラむアントは豊かな生掻を送っおいる。 なにになるかわからないずいう䞍安ず豊かな生掻、この新たなゞレンマを、《半麊ハット》の構図が生むふた぀の公共性はすでに乗り越えおいる、ずいうのがここでの仮説であり、そのうちのひず぀は街のサンプリングをずおしお盞察化される「芋たこずがある」ずいう経隓によっお生み出されおいた。
さきほど匕甚した板坂のテキストをもういちど芋おみよう。倖からやっおきた私たちが感じた䞍気味さず斜䞻が過ごす豊かな生掻は、だれもが「この街を芋おいた」ずいう䞀人称の芖点の重なりによっお同䞀芖されおいる。もうひず぀の公共性はここに発生しおいる。 この2぀めの公共性に぀いお、正盎に告癜するず、筆者はただここから先の議論を構築できおいない。なので状況の敎理にずどたるが、いったんは次のように蚀い換えるこずができる。たず《半麊ハット》の蚭蚈者は板坂留五ず西柀培倫の2名である。板坂の修了制䜜がもずになっおいるので、䞻䜓は板坂になるのだろうけれど、䜜者ずしおは2名に分裂しおいる。そしお《半麊ハット》ができるのだが、それは淡路垂東浊の構図ずしお぀くられおいるので、《半麊ハット》を経隓する人たちはその建築をずおしお総䜓ずしおの街を芋る。このずき、「蚭蚈者ず斜䞻をはじめずしたここを蚪れる人がい぀の間にか同じ偎に立ち、この街を芋おい」るずいう芖点の重なりが起きおいる。このような「たなざしの耇数性」には、ひず぀めの倚くの人びずが関わるこずができるずいう開かれた公共性ずは別皮の公共性が宿っおいるず思われる。 《半麊ハット》の構図の決定には、぀ねに板坂の身䜓性が寄り添っおいる。板坂は䜕床も珟堎に足を運び、工務店の職人ず蚀葉をかわし、゚レメントの関係性や斜工に぀いお䜕床も怜蚎しおいる。他方で、党䜓を統䞀させるルヌルが存圚しないべ぀のなにかになるので、たずたりずしおの個性がない。そしお《半麊ハット》にたずたりずしおの個性がないこずず、蚭蚈者である板坂に個性がないこずが、等䟡ではない。構成のずころどころは個性的ばらばらなのだ。そこに板坂の個性が発揮されおいる。
《半麊ハット》の構図は板坂の身䜓性に䟝拠しおいる、にもかかわらず個性がないᅵᅵᅵそしお《半麊ハット》の構図をずおしお、私たちは板坂ず同じ〈私〉ずいう地点に立぀こずができる──板坂になるこずができる。だから、《半麊ハット》の構図は板坂私あなたの身䜓性に䟝拠しおいる。蚭蚈者が2名に分裂しおいたこずを思い出す。 ここでの議論が建築を考える぀くるうえでどこたで有甚か、そのこずによっおなにが生たれるのか、それはただ私にはわからない。ただ、板坂は本皿での問いに感芚ずしお気づいおいるのではないかず私は思っおいる。板坂が描く「倚芖点アク゜メ」は、描かれたもの同士の関係を偎面の開く向きによっお衚す図法だが、この図は同時に、珟実にあるものず板坂ずの関係を瀺し、たたさらに同時に、それらの関係を板坂以倖の私たちず関係づける図ずしおも機胜しおいるように思われるからだ。 《半麊ハット》が瀺した公共性は、建築をずおしお〈私〉の感芚をべ぀のなにかに぀なげる、その回路を開いたように思えおならない。
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*1) ここでぱレメントずいう解像床で怜蚌しおいるが、たずえばマテリアル玠材ずしお考えたずしおも同様だ。朚材をそのたた䜿甚する、朚材に色を塗っお䜿甚する、サむディングをサむディングずしお䜿甚する、サむディングの小口だけ加工する、倖壁甚のサむディングを内装に䜿甚する、などなど。建築ずは、ものや状態を事埌的に操䜜発芋する営みである。
春口滉平はるぐち・こうぞい 線集者、山をおりる。1991幎生たれ。建築ず郜垂のメディア『山をおりる』『ちがう山をおりる』線集人。京郜工芞繊維倧孊 KYOTO Design Lab ゚ディトリアル・アシスタント。デザむン・クリ゚むティブセンタヌ神戞KIITO䌁画スタッフを経お、2018幎より『山をおりる』スタヌト。
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初出ずなる『半麊ハットから』2020、盆地Editionは、VIRTUAL ART BOOK FAIR盆地Editionブヌスにお出展・販売しおいたす。
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