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different-ywo · 2 years
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建築家が人種差別に対してできること
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Photo by Paul Earle on Unsplash
文|春口滉平(山をおりる)
初出|YwO Newsletter|Vol.03|17 June, 2020 『山をおりる Newsletter Book #1』pp.022–025
アメリカから広がったBlack Lives Matter(BLM)のムーブメントは、いまや世界を駆けめぐっている。デトロイトでジョージ・フロイド氏が白人警官に拘束され死亡した事件に端を発しているものの、このムーブメントがここまで広がったのは、コロナウイルスによるパンデミックによるところが大きい。エッセンシャルワーカーの割合、平均所得、大気汚染のひどい地域に住んでいるひとの割合、そしてCOVID-19の患者数と死者数、どれをとっても、アメリカでは非白人である少数派の人種・民族のグループにとって不利な数字が統計で示されている。コロナウイルスが人種の不均衡を目に見えやすくしたのだといえる。
人種差別と建築家
デトロイト出身で、アフリカ系アメリカ人の父を、彼の80歳の誕生日を目前にしてコロナウイルスで亡くした──。そうエッセイをつづったのは、建築家で、全米マイノリティ建築家協会の会長を務めるキンバリー・ダウデル。不勉強で、ぼくはこの組織のことを彼女のエッセイを読むまで知らなかったのだが、アフリカ系アメリカ人がその大半を占める、1000人以上の建築家たちで構成された専門組織なのだそうだ。
彼女は、コロナウイルスによってマイノリティな人種のコミュニティに属する人たちが統計として不釣り合いに命を落としている現状を、公衆衛生の問題ではなく「デザインの問題」としてとらえている。
たしかに、COVID-19は貧困や雇用機会、医療の享受などさまざまな場面で起きている/起きていた人種差別を明らかにした。しかし彼女はエッセイのなかでつぎのように力強くうったえる。「こんにち、私が注目したいのは、私たちがどのようにしてここにたどり着いたかではなく、解決策を模索する際にはどこに目を向けるべきなのか、ということです」。
そして、将来起こるかもしれない人種差別に起因する危機からすべてのコミュニティを守るために必要なさまざまなスキルを、建築家は持っているのだと彼女はつづける。
学際的な専門知識 Interdisciplinary expertise 建築家は、複雑な課題を解決するために、分野を越えた学際的なチームを導きコラボレートすることに長けたデザイン思考の専門家である。
健康構築環境のためのベストプラクティス Best practices for a healthy built environment 建築家とプランナーは、健康とウェルビーイングを促進させ、持続可能でレジリエンス(弾性、回復力)のある場所を設計する専門家である。構築環境とは私たちの家の集合であり、デザイナーは、あらゆるコミュニティのニーズを満たすために、私たちが生きる環境を最適化する能力を備えている。
視点の多様性 Diversity of perspectives 建築家は、すべての人にとっての構築環境の未来をかたちづくるという、おどろくべき職務と特権を持っている。私たちの建物や公共空間がコミュニティにとっていかに個人的なものであるかを考えると、建築家がクライアントのニーズと深く結びつく能力を持つことは必要不可欠である。私たちのコミュニティが多様であるように、社会の複雑な問題を解決するために、建築家が社会の中核に配置されなければならない。
あらゆる都市に人種差別は潜在している
アメリカの都市には人種差別が組み込まれている──これは彼女のエッセイのタイトルだ。では、アメリカ以外の都市には人種差別は組み込まれていないのか? もちろんそんなことはない。あらゆる都市に、人種差別は潜在している(オールジャパンの名のもとに他国の建築家のコンペ勝利案が棄却される都市もある)。建築家は、社会や都市の悪しき不均衡を助長するのではなく、解決策の一部でこそあるべきだ。あらゆるコミュニティの人びとが、次の誕生日を祝えるように。
山をおりる Newsletter Book #1
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エディトリアル・コレクティヴ山をおりるのブックレーベル第1段。2020年から隔週で配信された「山をおりるNewsletter」からテキストを再編集。「建築・都市のオルタナティヴな現在を議論するための場」を目指してスタートしたメールニュースは、人種差別、アナキズム、デザイン人類学、ナレッジマネジメントなど、領域を飛び越えた幅広いテーマをあつかう。本書をとおして、都市や私たち人類が潜在的にもつ複数の課題、視点、希望に思いをはせる。
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different-ywo · 4 years
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白い像
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文|立石遼太郎(松島潤平建築設計事務所)
建築の言葉を探すこと
青みがかった灰色の表紙。表紙の紙とは微妙に諧調の異なる灰色の文字**で、「建築のことばを探す 多木浩二の建築写真」というタイトルが印刷されている。タイトルは、単語ごとにスペースを多用した、ゆったりとした文字組で印刷されている。まずはタイトルに従い、言葉を探してみる。
「写真集」を開く。 誰が、何の目的で、どのような経緯で「写真集」を制作したのか、それを短くまとめた「はじめに」。目次が続き、次のページには多木浩二の短い論考「家のことば」が日本語と英語で見開き1ページずつ掲載されている。意味、イデオロギー、生きられた家、そして修辞学。よく見慣れた多木浩二の言葉が、短い論考の中に散見される。多木浩二の言葉を読んだところであらためて、多木浩二の写真集なのだな、と思わされる。 ページは多木浩二の写真へと迫っていく。焦らすように、左側は空白のページ。右側には黒地をシルバーと白の文字で抜いたタイトルカット。“花山南の家 South House in Hanayama 1968”と記されている。タイトルと同じく、空白と改行が多用された、明朝体の離散的な文字組が、「写真集」を貫く通奏低音となっているようだ。
この間、10数ページ。ここまで、この写真集は僕の期待どおりだった。確かな質感の造本、モノトーンにシルバーを加えた、抑えられた色調。造本のそこかしこに、詩的かつ難解というニュアンスが含まれている。最初の写真に至るまでの、ゆったりとしたアプローチ。焦らされる時間が心地よい。
もう1枚、ページをめくる。《花山南の家》の軒裏の写真が目に飛び込んだ瞬間、それまで順調にページをめくっていた手が止まる。多木浩二の写真が、こんなにも白いとは思わなかった。《花山南の家》は、僕の知らない色をしていた。《鈴庄さんの家》も、《未完の家》も、白い。《篠さんの家》までページを経ると、今度は黒い。思った以上に黒い。《直方体の森》も黒く、その黒いと言う印象は昔僕が実際に見た《直方体の森》とは180°異なる。《直方体の森》は外壁も内壁も天井も白かったはずだ。ともかく、僕の記憶の中で白かったはずの《直方体の森》が、この「写真集」では黒いのだ。 《同相の谷》まできてようやく、僕が知っている写真が現れて、少し安心する。手前にベルトイアのサイドチェアと思われる椅子、奥に細長い階段。《谷川さんの住宅》《上原通りの住宅》、それから《代田の町屋》や《中野本町の家》の、あの写真。僕が見たことのある多木浩二の写真は、コントラストが程よく効いて、幾何学的で静的な構図によって成り立っていた。
この写真に至るまで、60ページ。ページは次々とめくられていた。この「写真集」は、僕の知らない多木浩二の写真、それを収めている。
それにしても、なんて白く、なんと黒いのだろう。多木浩二による、僕の知らない写真はみな白く、あるいはみな黒く、そして粒立っている。しかし、「写真集」に収められた写真の白さ/黒さは、もはや被写体がなんであるかわからなくなるまでに抽象的なわけではない。そのどれもが建築が被写体であることがわかることから、きわめて具象的な写真であるといえる。と同時に、これらの写真は、被写体がなんであったのかわからないくらいまでに抽象化された写真とは別の次元で抽象的でもある。これらの写真を前にして、僕はどのような言葉を探せばいいのか、戸惑ってしまう。
もう1度、先ほどの60ページを読み返す。読み返した上で僕は、言葉を探すことをやめた。 たとえば鞄の中に入れたはずの鍵が見つからないとき、僕は鍵を探すことができるだろう。鍵を探すことができるということは、鍵がこの世界のどこかにあることを知っているということだ(この場合、世界は鞄の中にある)。当たり前のことだが、なにを探せばよいのかを知らなければ、それを探すことはできないのだ。「写真集」はこの当たり前の事実を僕に突きつける。「写真を見て、言葉を探す」という「写真集」のタイトルは、探すためには知らなければならない、ということを見知らぬ写真をとおして教えてくれる。
建築を写真にするということ
言葉と探し物の関係について、もう少し考える。探し物は鍵のように具象的なものでなくてもいいはずだ。時間や空間、人生や愛といった抽象的なものも、それらの一応の意味を知っていれば探すことはできる(もちろん、知ることと熟知していることは違う。僕は時間や空間、人生や愛のすべての意味を知っているわけではない)。もっとも、具象的なものを探すときは、具象物そのものを探せばよいのだが、抽象的なものを探すときは、その意味を探さなければならない。抽象的なものの意味を探し当てれば、それが抽象存在そのものを探し当てたことになる、少なくとも僕はそう考えている。 だから言葉は、抽象的な探し物を探すときに役に立つ。言葉は意味に溢れる世界から、世界の意味をひとつにまとめようとする作用をもつ。“存在者は多様に語られる、しかし一へ向けて”である*1。
写真はどうだろう。 写真は世界の意味をひとつにまとめようとはしないのだろう。多木が何に興味を持ち、何を対象として、何を考え、何に答えを出そうとしていたのかは、彼の言葉を読めば、その大枠はつかめるかもしれない。もちろん彼の言葉を読んだからといって、彼の興味や答えのすべてを熟知することなどできないが、少なくとも写真よりは意味をつかみやすいはずだ。ともかく、写真は興味・対象・思考・解答を速やかに提出するにはあまりにも多義的で、多義的であるがゆえに意味がつかみにくい。意味をひとつに定位しようとすればするほど、他の意味がこぼれ落ちる。こぼれ落ちた意味を拾っている隙に、先ほど掬い上げた意味がまた、スッと落ちていく。ただし、こと建築写真に限れば、写真の多義性はやや鳴りを潜めるだろう。
もちろん例外はあるが、建築物*2は基本的に、人の目線の高さ*3に意味の世界を展開している。色としての、素材としての、物と物の関係性の意味。同時に目線の高さとは異なる次元にも、意味の世界は存在する。図式や構成、幾何学やプロポーションなど、図面に表現されるような水平・垂直の世界に生まれる意味が、建築物には存在する。建築家による建築の意味を写真で表現するためにはまず、目線の高さに展開される世界の意味を捉える必要がある。と同時に、目線の世界の意味とはまったく異なる建築の抽象的な意味を捉えなければ、建築の意味は取りこぼされてしまう。そのため、建築雑誌などで目にする多くの建築写真は、大人が立った時の目線の高さから撮影し具象的な意味を捉え、同時に水平・垂直を徹底することで抽象的な意味を捉える。ふたつの次元の異なる意味を一枚の写真の中に同時に固定することによって、建築写真は写真が本来もっている多義性から離れ、意味をひとつに限定しようとする。建築写真は一義性を保つことにつとめることで、建築物の具象的な意味と抽象的な意味を同時に表現することができるのだ。建築写真のなかに建築の言葉を探す、ということは、1枚の建築写真から建築物に込められた具象的/抽象的な意味を読み解くことであると、少なくとも僕は考えている。建築物と言葉は、建築写真の一義性のもとでひとつに結ばれる(もちろん、媒介者なしに建築物と言葉が直接結びつくこともあるし、媒��者は建築写真に限られるわけでもない)。
では、僕がこの「写真集」を通してはじめて知った、多木浩二の白い/黒い写真は、いったい何を表現しているのか。白い/黒い写真は、その多くが一般的な人の目線の高さから離れ、思いのほか明るい/あるいは暗いせいで、物と物の関係性を捉え損なっている。あるいは、水平・垂直から逃れ、建築物の図式的な、構成的な、幾何学的な意味を写してなどいない。もっと自由に、奔放に、建築物が写真化されている。 何を探せばよいのかを見失い、探すことをやめた僕は、建築写真の基本原則から逸脱した白い/黒い写真をどう捉えればよいのか。これらの写真の意味を、どうひとつに絞り込めばいいのだろう。探すことについては考えた。今度は知っているということについて、考える。
知っているということ
僕は何を知っているのだろう。例えば、鍵を知っている。僕は、目の前の鍵が、鍵であることを知っている。鍵を鍵穴に差し込めば、それまで動かなかった建具が動くようになることを知っている。具象的に何かを知る、ということは、目の前の事物が何である(、、、)か、つまり、「である」ことを知っている、ということである。
では、僕は時間を知っているのだろうか。僕は、時間が存在していることを知っている。仮に時間は科学的/哲学的に存在していないのだとしても、それでも時間と呼んでいるものがある(、、、)ことを知っている。抽象的に何かを知る、ということは、時間が何であるかがわからなくとも、それがある(、、、)ことを知っているということだ。先ほどの「である」と対比させるならば、抽象的なものを知っていることは、「がある」ことを知っていることと同じことを意味する。
このように、人間は「である」と「がある」のふたつの「ある」を駆使して、物事を知っている、と見做しているようだ。知っている、とは、ふたつの「ある」を通して、物事がこの世界に存在しているというその手触りを確かめることである。さらに詳細に踏み込むならば、「である」は事物に意味をつけることで、事物を具象的に存在させる。「がある」は事物が存在することそのものを確認している。
では、知らないとはどういうことか。多木浩二は「「形式」の概念 建築と意味の問題」のなかで、「これは〈理解できる〉ものだけが、実在のものだという事実を別の形で表している」というロラン・バルトの一節を引用している*4。この引用からひとつの仮説を生み出すとすれば、知らないものは(僕にとっては)存在しない、と言えるだろう。どういうことか。 例えば、僕は葉を知っている。枝を知っている。でも、葉と枝の結節点を何と呼べばいいのか知らない。調べてみると、葉と枝の結節点は葉柄と呼ばれるらしい。あらためて考えてみれば、葉と枝の結節点が存在していることは当たり前だ。しかし、葉柄という言葉を知るまで僕は、葉柄を葉の根元、あるいは枝の分岐点としてそれを認識していた。つまり葉柄以前、葉柄は葉か枝の一部であり、葉と枝の結節点ではなかった。葉柄以前、葉と枝は結節していなかったのだ。当たり前のことだけれど、葉柄という言葉を知る以前の僕の世界には葉柄は存在してなどいなかった。これは思いのほか重要なことである。理解できるものの外に、物事は存在できないのだ。
加えるなら、葉柄という言葉は、葉と枝を「結節」という抽象的な関係に置き換えたことを意味する。葉と枝の結節点という具象物は、葉柄という言葉を知る前は僕の中で存在していなかったが、同時に、葉と枝という具象物を、葉柄は結節という抽象関係へと移行させている(もちろん、同時に葉柄は具象物でもある)。知らないものを知るということは、葉と枝のあいだに具象的な葉柄を存在させることであるのだ。葉と枝のあいだは、葉柄である(、、、)。同時に、葉柄を知るということは、葉と枝のあいだに結節という抽象的な関係がある(、、、)ことを意味している。葉と枝のあいだに結節を存在させることでもある。結節が何である(、、、)かは葉柄の存在によって明らかになるわけではないが、少なくとも葉柄という言葉によって結節がある(、、、)という事実が僕の世界に存在することとなる。
白象──無用の長物(White Elephant)ということ
多木浩二の白い/黒い写真は、確かにそれぞれの住宅の、具象的な一部分を捉えている。たとえば、さきほど僕の手を止めた《花山南の家》の1枚目の写真、これは軒裏を撮ったものだろうが、それ以上は映り込んでいるものが壁なのか床なのか、なにもわからない。石のようなもの、それから花が映り込んでいるが、それが《花山南の家》のものであるのかどうかもわからない*5。見開きに載る写真が、もはや1枚の写真なのか2枚の写真なのかすら、疑わしい。 では、この写真は抽象的なのだろうか。少なくとも、篠原建築のもつ抽象性を捉えているとは言えない。全体を貫く図式や、各部の構成、建築物を作品として成り立たせる幾何学は、「写真集」に納められた《花山南の家》についての5枚の写真のうち、最後の2枚からしか窺い知ることはできない。
具象にも抽象にも寄らない、そのどちらとも言い難い、「写真集」のいくつかの写真。僕の知らない多木浩二の写真は、「である」/「がある」という定義から逃れ続けている。「である」でも「がある」でもない、具象でも抽象でもない空白地帯。これらの写真は、事物を知っている、という状態から逃れる、見知らぬ空白地帯である。ここに捉えられている「ある」は、具象と抽象の空白地帯でしかなく、それ以外のなにものでもない。空白地帯が存在しながら、つまり「である」という存在のあり方、あるいは「がある」という存在のあり方の存在を消し去りながら、同時に写真として確かに何かが存在している(、、、、、、、、、、、、、、、、、)。ここに、言葉と写真の決定的な違いがある。
改めて振り返ろう。言葉は、たとえば葉柄がそうだったように、言葉が生まれた瞬間に葉と枝の結節点を、(僕にとって)具象的に「である」として存在させる。あるいは抽象的に結節点「がある」としても存在させている。裏を返せば、葉柄という言葉なしには葉と枝の結節点は存在しないも同然であった。一方、写真は「である」とも「がある」ともおぼつかない、まだなにものでもない時点から、なにものでもないものを一気に存在させる。葉柄をクローズアップして写真に納めれば、否応なしに葉柄を、葉柄と知らずに認識せざるを得なくなる。ひとたび写真にとれば、それがなにものでもなくとも、その存在を認める他なくなるのだ。バルトの一節を借りるなら、「写真は〈理解できる〉ものでなくとも、実在のものだという事実を別の形で表している」、となるだろう*6。
多木浩二の白い/黒い写真は、具象からも抽象からも逃げ続け、空白地帯に存在している。ふたつの象のどちらでもない、空白地帯にある象、これを仮に白象と名付けてみよう。白象を直訳すればWhite Elephantとなるが、White Elephantは英語で「無用の長物」という意味をもつ。言語学的には完全に誤っているこの連想ゲームをとりあえず認めてしまうならば、白象は無用の長物であると言えよう。たしかに、多木浩二の白い/黒い写真は、建築写真と考えると無用の長物かもしれない。けれども、無用であればあるほど、長物であればあるほど、なにものでもない世界が(少なくともこの「写真集」に収められた住宅には)存在しているという事実を、饒舌に語りかけてくる。残念ながら僕はこの「写真集」に納められた住宅に訪れたことはない(美術館としてコンバージョンされた《直方体の森》を除く)。しかし、特定の建築物には言葉になり得ない、気配としか言いようのない世界が、確かに存在する。多木浩二の写真は、写真という「ことば」によってこの世界を一気に存在させる。これらの写真の意味をひとつに絞ることはできない(一般的な建築写真のように、「この写真は劇的な光の入るリビングを写している」だとか、「垂直性の強い建築物の垂直性そのものを表している」というわかりやすい意味をひとつに絞ることができない)が、多木浩二の白い/黒い写真は白象の世界を捉えているという点において意味をひとつに収斂させることができると考えられよう。言い換えるなら多木浩二の白い/黒い写真は、写真の多義性を保ったまま、具象にも抽象にもどちらにも移行できる状態にとどまっていると僕は考えている。
そして、白い像について
言語の限界が世界の限界であるとすれば、白象は世界の限界の外に存在している。この「写真集」に納められた無数の写真たちは、世界の限界の外側から、僕に言葉ならざるなにかを語りかけている。なるほど、建築の「言葉」ではなく、建築の「ことば」を探す。これがこの「写真集」につけられたタイトルであった。仮に「ことば」を「事の端」と言い換えてみよう。事物という枠組みの外側に、僕の世界の外に存在している、いや、もはや存在しているのかもわからない、事物の端──。
多木のカメラが捉えたのは、「である」と「がある」という事物の外側にある、存在という言葉の枠組みの外にある存在、白象である。象が人の手によって像となるのであれば、多木の写真は白像とでも言うべきなのだろう。それが本当に無用であるのか、もはやそれを言葉にしなくてもよい。 極めて白く、白く/あるいは黒く。「である」も「がある」も通用しない無用の長物を用立てるために、多木のカメラは存在していた。だが、誰もその意味はつかめず、誰もその存在を認識できない。ただ、「ある」とでも言うべき、主語も助詞もない、世界の外側。その外側の世界を捉えている写真をみて、しかし僕はそこから何も捉えることができない、というジレンマが、僕を否応なく、最大限に引きつける。探したくても探す術を持たない世界があることを、この「写真集」は僕らに突きつけている。求めるではなく、答えるのでもなく、やはり探すのだ。白象の世界をただ闇雲に、あてもなく探す。僕が唯一手にしているものは、多木という人間が白象の世界に介入した、白い像だ。
また、知らない事がひとつ、増えた。無用の長物を用立てるには、僕には知らないことが多すぎる。多木浩二は知っていたのだろうか。また、はじめから、「写真集」を眺めなければいけなくなった。建築の、ことばを探すために。
** 編注:実際には白のインキで印刷されている
*1 アリストテレス『形而上学』岩崎勉訳、講談社学術文庫、1994
*2 本稿では建築の物としての側面を「建築物」と表記し、概念やジャンルとしての「建築」とは区別する。また、具象・抽象を問わず一定の水準の意味をもつ建物を「建築物」と表記し、あらゆる建物一般とは区別している。
*3 ここでいう人の目線の高さとは、立位(場合によっては座位)を想定している。
*4 多木浩二『視線とテクスト 多木浩二遺稿集』「「形式」の概念 建築と意味の問題」青土社、2013 (『視線とテクスト』の当該引用箇所は出典元が明らかにされていないため、孫引きとした。初出は『新建築』1976年11月号であるが、ここでも出典元は伏せられている。本稿はロラン・バルトがどのような文脈で引用部分を書いたのかということよりも、多木浩二がこの言葉を引用した、ということが重要だと僕は考える。出典元を明らかにすることができないかわりに、多木浩二がどのような文脈でバルトの言葉を引用したのかを示そう。 「「形式」の概念 建築と意味の問題」は、建築家の思考がどこにあらわれているのか、それを形式という概念で明らかにし、坂本一成《代田の町屋》と伊東豊雄《中野本町の家》を対比させながらも、形式という言葉で統合し、批評した批評文である。 論考は大きくみっつのパートに分けられる。最初のパートは象徴をテーマにする。記号は意味するものと意味されるものの結びつきによって機能するが、象徴は両者が厳密に結びついていなくとも、ダイナミックに意味を生み出す。多木はドームが天を意味する、家が宇宙を意味するといった例をあげ、記号と象徴の違いを論じる。しかし、科学的思考のあらわれとともに象徴が記号化していく、と多木は続ける。現代において、ドームが天を意味することは周知のこととなり、象徴されるものと意味の結びつきのダイナミックさは失われてしまう。しかし建築は、記号を解体した上で(つまりシニフィエとシニフィアンの結びつき��解いた上で)象徴されるもの(たとえばドーム)を持たずに意味(たとえば天)を生み出す潮流が生まれていると、多木は指摘する。ここで明らかにしなければならないのは、「建築における意味」とは何を意味するのか、ということであるが、これを明らかにするために多木はふたつめのパートを用意する。 「「形式」の概念 建築と意味の問題」において、建築には機能・象徴・形式というみっつの意味があると多木は述べる。本稿で引用したバルトの孫引きは、建築のみっつの意味のうち、機能を説明するときに多木が引いている。多木はドアとドアノブを例に出し、ドアノブがドアの「使用」をわかりやすく表していることを指摘する。「機能をもったものが、つねに使用自体の記号に変換される」と述べ、「建築全体を「使用」の次元として把握することを可能にするように見える」と続ける(両者とも「「形式」の概念 建築と意味の問題」より引用、以下同様)。そして、本稿で引用したバルトの孫引きが多木によって引用され、「つまり実用主義は一種の記号学的秩序である」という一文で結ばれる。 ふたつめのパートはいよいよ「形式」について論じられる。形式について論じた後、みっつめのパートにおいて、《代田の町屋》と《中野本町の家》が多木によって批評される。その後の展開は本稿の関心の外であるため深入りは避けるが、意味や表面、形式といった現代的なテーマが多木によって鋭く論じられている。「「形式」の概念 建築と意味の問題」で多木が論じたふたつの住宅の写真は「写真集」にも取り上げられているため、「写真集」や本稿の理解を助ける重要な論考であると僕は考えている。
*5 《花山南の家》の1枚目の写真の右上には多木浩二の指紋が写っている。この事実は、校正のやり取りの中で指摘されるまで、それが指紋であるということに僕は気がつかなかった。この写真は本書における1枚目の写真であるから、指紋が写っていることには大きな意味があるのだろう。残念ながら僕は写真の専門家ではないため、ここで写真論として指紋の意味を述べることはできない。ともかく、僕は最初、これが指紋であることがわからなかった。「探すためには知らなければならず、知らなければ存在しない」という本稿を展開するキーワードが、多木浩二の指紋によくあらわれているのではないだろうか。
*6 「知らないものでさえ、写真は一気に存在させることができる」ということは、これもまた*5で触れた《花山南の家》の指紋によって語ることができるだろう。指紋は、僕がそれを指紋とわかろうとわからまいと、写真の中にいつも存在している。
立石遼太郎(たていし・りょうたろう) 1987年大阪生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。Akademie der bildenden Künste Wien���学。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。現在、松島潤平建築設計事務所勤務。
『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』
写真|多木浩二 文章|多木浩二, 今福龍太
デザイン|高室湧人 印刷設計|芝野健太
編|飯沼珠実
発行|建築の建築(2020)
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different-ywo · 4 years
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「何かであろうか」に向かうもの|半麦ハットから
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Hanmugi Hat
文|田野宏昌(建築家/田野建築設計室)
初出|『半麦ハットから』(2020、盆地Edition) LINK Contribution #03
淡路島の海辺にたたずむ、住宅と小さなお店を内包する《半麦ハット》。 声高らかに歌い上げられた建築とは異なる、でも寡黙にたたずむ建築でもなく何かが微かにずっと聞こえているような音の集積のような建築。 温室の鉄骨フレームを連棟のように用い、周辺にある海苔工場の形態や経年変化で淡い色合いになった波板屋根の表情を参照し、同じ街にある建売住宅をはじめ、スーパーや公園、ホームセンターといった街に何気なく点在するタテモノのカケラをサンプリングして、色や素材、納まりなどが決定されている。それらの履歴がレイアウトされていく様は、統合性をもつことなく、断片の連続によって全体性を獲得している。この形容しがたい建築について、少し離れて横に眺めながら断片的に考えてみる。
モノが機能を与えられる前に
モノには機能が存在する。ある役割を演じるためにそのモノのかたちがあり、大きさや色といった断片が、機能という統合性によってまとめ上げられて完成する。更新を繰り返してたどり着いたモノのかたちは機能美として人の心に感動を与える。一方で機能が与えられる前、つまり機能より先にやってくるモノのかたちや大きさ、色といった情報を機能より前に引き戻して眺めることで見えてくる在り様がある。日常生活において、モノの存在が機能によって担保されている状況で機能より前にある状態を眺めてみることは、何かを意識しないとなかなか見えてこない。マルセル・デュシャンが便器をそのまま置いた作品「泉」(1917)は、美術の在り方の問い直しもさることながら、モノから機能を取り上げて、モノそのものの存在を明らかにすることにも成功している。それはモノだけを抽出する眼であり、確かにそこに存在するモノを機能というある特定の側面だけでなく、モノそのものの存在をながめる視点だ。機能を脱ぎ去ることで解放されたモノ達は、生き生きとしたモノ本来の在り様を見せ、機能とは全く違った魅力を発揮する。
《半麦ハット》に目を向けてみる。海に向かう窓辺のカウンター板が窯業系サイディングの塗装品でできている。外壁に使われるサイディングは汚れが付かないようにツヤツヤの塗装が塗られ、相じゃくりの小口は丸く加工されている。普段は立面でしか見慣れていないけれど、どこにでもあるサイディングは周辺の建売住宅でふんだんに使われている。ツヤツヤの表面はカウンター板に使われることで、海辺の光を反射して室内風景に艶を与えている。表面しか塗られていない塗装は小口あたりで、液垂れのように塗装をしていない裏面のセメント色部分とあいまいな境界を生み、近くに置いてある塗装の剥がれかけたアンティークの家具と同調している。丸く加工された小口の薄さがエッジをきかせながら、優しいさわり心地を与えてくれる。そういえば、サイディングの肌触りを今まであまり意識してこなかったことに思い至る。ツヤツヤでデコボコした表面を触るとこんなにも気持ちよかったのか。サイディング─新建材─建売─パターン柄……。自身が建築という閉じた土俵に立っていかに物事に良し悪しをつけて、世界を眺めているのだろうかと気づかされる。境界のない開かれた世界からモノを見る透き通った眼。周辺環境をサンプリングする手法は、モノが機能を与えられる前の状況を注意深く眺めている。新しさや古さといった時間軸を外し、建築サイドからみたモノに善し悪しを与えるジャッジを止めて、そこにあるモノそのものを眺めてサンプリングする。建築をつくるうえで行うべき(あるいは行ってしまう)モノの抽象化作業をやめることで、こんなにもモノと生き生きと向き合えることを改めて考えさせられる。
フラジャイルな思考
松岡正剛の『フラジャイル──弱さからの出発』(ちくま学芸文庫、2005)は三島由紀夫の一節ではじまる。
使命、すでにそれがひとつの弱点である。 意識、それがすでにひとつの弱点である。
「フラジャイル」は弱さからの出発であり、全体ではなく部分であり、断片であり、弱くて脆く壊れやすいのになかなか壊滅しきらない内的充実があり、しなやかな強度をもっている。《半麦ハット》をかたちづくる部材には、ある種の使命感が存在していない。何かよりよいものを生み出そうとするつくり手が担う使命感とは異なる、モノそのものに宿る使命感。サンプリングで集められたモノの集積は、断片的でありそれぞれが何かを目指している様子もなく、おのおの自由に振る舞っている。みんなが同じ方向をむいていない状態ではあるけれど、隣り合うモノ同士には親密な関係性が見て取れる。材料の端部──取り合いの話でいうと、勝ち負けの定義が全体の美学で統合、決定されるのではなく、それぞれの材料の強さや個性といったものが、お互いを認め合いながら出会っていく様に、何か建築的な慣習にとらわれていない自由な風景が広がっている。研ぎ澄まされた建築が与える感動ではなく、もっとエモーショナルな出会いの場面に偶然出くわした状況に似ている。 建築的にどうであるかという意識、それは見られるという意識ではなく、モノ同士が出会って会話を始めている現場に居合わせたくらいの状況なのである。ここまでモノ同士を野放しにしながら、それでいて秩序がないわけではない見え方をしている不思議さ。板坂留五という個人が、透き通った眼をもって世界を眺め、サンプリングした対象には確かにある領域がおぼろげに見える。ただその先を深追いせずに、拡大解釈や抽象化といった作業を注意深く避けて、最終的に建築へとかたちを与えていく。板坂さんの半麦ハット日誌にフォークソングの話がでてくる。引用の引用になるが、ソングライターの折坂悠太さんの言葉、
フォークやブルースって、今、目に見えている世界をそのまま歌いますよね。たとえば、誰にいくら貸して、誰が死んで、あいつは結婚してしまったという。世界の成り立ちをそのまま歌っているわけで、「こういう世界になってほしい」という願望に近い視点はそこには入っていない。そうやって作為なく世界の姿を描けば描くほど、結果的にその歌がレベルミュージックとしての力を持つこともあると思うんですね。
少しずつ、感じていることとつながっていく。『フラジャイル』に次のような文がでてくる。
建築界では「ウィーク・ソート」という新たな発想が建ち上がってきた。建築家が勝手気儘に自分のデザイン思想で建物をたてるのではなく、その場所にひそむ文化の記憶や人間の経験などをていねいに扱おうというもの
イタリアの哲学者ジャンニ・ヴァッテッシモが提唱した「弱い思想」の考え方が下敷になっている。ちなみにその考え方に日本で最初に注目したのは磯崎新とのこと。演繹的な強制の思想にもとづく「強い思想」に対して、場所にむすびついた存在の記憶をていねいに注視する「弱い思想」。フラジャイルな感覚。「何である」でも「何であるか」でもなく、「何かであろうか」に向かっているもの。フラジャイルな感覚は、常に断片によって支えられた全体性でできている。半麦ハットは完結に向かうことなく「何かであろうか」に向かっているモノたちで溢れている。
遅滞進化
建築は統合する純度が高まれば高まるほど研ぎ澄まされて高い次元へと昇華していく。それは見る者を圧倒してある種の感動を与える。ジョセフ・リクワートによる『アダムの家──建築の原型とその展開』(黒石いずみ訳、鹿島出版会、1995)によると、建築の始まりは雨風をしのぐ覆いから始まり、雨水を上手く処理するために切妻屋根が生まれ、切妻─家型の形式を見て、人々に信仰心が生まれたとされる。そして、切妻の三角部分に空間を発見し、建築が生み出されたという。建築は文化や慣習、気候や経済、ありとあらゆる事象を引き連れながら人間の営みと共に付加的進化をし続けている。時に不純なものを内包し、建築の起源から遠ざかったものが生まれ、その都度見直され、純度が高められた建築が時代の節目で生まれていく。今の時代はどうであろうか。《半麦ハット》は決してアバンギャルドではなく何でもない建築。何でもないモノがない状況の中にある何でもない建築。その時代のある問題に切り込んだ純度の高い建築でもなく、その時間を淡々とそれでいて鋭く記述する建築。純度の高い建築とは異なるアプローチで誰もが自然とコミットできる建築の原型と同じ空気感が漂う。それは建築が生まれた当時の原型ではなく、今の時代にその場所での人々の営みから生まれた建築とシンクロするその場所の原型ともいえるもの。だからこそこの場所とセットになって感じる不思議な親しみやすさがある。山下達郎の言葉を思い出す。
僕のようなシンガー・ソングライターは実体験を歌にフィードバックする。だから、もともと僕らの歌は作り手と聴き手が同じ空気感を共有し、互いの距離が近い。歌い手と聴き手が入れ替わったとしてもおかしくない。一方、アイドルや歌謡曲のスターは職業作家が書いたフィクションを歌う。聴き手にとっては雲の上のあこがれ。今はシンガー・ソングライター的なアプローチが有効だと思う。リアリティが無いと聴き手に響かないからだ。
《半麦ハット》は今の時代の中で稀有な存在ではあるが、雲の上のあこがれではなく、同じ地平線上に地に足をつけて建っている。つくり手と使い手が反転しても成り立つかもしれないくらいの素っ気なさ。付加的進化を続けている建築の中で、純度を高めるといった態度をとらず、世界を抽象化せずに建築を記述し、モノが機能を与えられる前の姿を観察し、日常の風景に優劣をつけずに、あらゆることを断定せずに常に「何かであろうか」に向かって、その先に飛ぶための遅滞進化をしているように見えた。決して高跳びをすることなくリアリティと常に並走している。 《半麦ハット》を見終わって、帰路の途中に見えてくる風景が少し違って見えた。《半麦ハット》で出会ったモノとの関係性は街の中にもあふれている。コンクリート製の防波堤の継ぎ目に、モノとモノがぶつかりながら時間を超えて親和する風景が、《半麦ハット》のディテールと重なる。地面に中途半端に埋められたコンクリートブロックの小口が見せる表情と、コンクリートブロックの小口に着目してつくられたアプローチの階段。サイディングの表情と艶、公園のフェンスの種類、雑草の分布の仕方……いつもの風景が違って見える。建築を生業にしている者だけでなく、見た者全てに等しく与えられる感覚のような気がした。
僕らは街を風景をモノを見ているようで、実はあまり見ていない気がする。
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田野宏昌(たの・ひろまさ) 建築家。大阪市立大学竹原研究室を経て無有建築工房入所/2016年友藤桂子と田野建築設計室共同主宰
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参考文献
松岡正剛『フラジャイル──弱さからの出発』(ちくま学芸文庫、2005)
ジョセフ・リクワート『アダムの家──建築の原型とその展開』(黒石いずみ訳、鹿島出版会、1995)
ウェブサイト「半麦ハット日誌」板坂留五
ウェブサイト『CINRA NET』「のろしレコードと生活の歌折坂悠太ら3人が考える、歌とは何ぞ?」
ウェブサイト『NIKKEI STYLEアートレビュークローズアップ』「「リアルないと響かない」シンガー・ソングライター山下達郎震災、変わる創作者の表現」
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初出となる『半麦ハットから』(2020、盆地Edition)は、VIRTUAL ART BOOK FAIR(盆地Editionブース)にて出展・販売してい��す。
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different-ywo · 4 years
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私の出会った《半麦ハット》|半麦ハットから
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Hanmugi Hat
文|白須寛規(建築家/designSU代表/摂南大学講師)
初出|『半麦ハットから』(2020、盆地Edition) LINK Contribution #02
モノと出会う
新しいものに出会ったとき反応は次の2つに大別される。経験や知識をもとにカテゴライズし何かにつなげて理解するか、そのものを具体的なまま記憶するか。経験や知識が増えるほど前者の割合が多くなってくるわけで、私も歳を重ねるごとにそうなってきている。板坂留五は、これでいうと後者のようにモノと出会い、建築へと組み立てていく人のように思った。それは意識してかしないでか、彼女の設計した《半麦ハット》を見てそんな風に感じた。
冷蔵庫の残り物
カテゴライズにはなんらかの抽象が必要となる。学校を見てそれを「学校だ」と判別するのは、学校という抽象概念が頭に入っているからで、多少形が変わろうと大きさが変わろうと学校だとわかる、というのはビルディングタイプという抽象の強さを物語る。《半麦ハット》には、そのような抽象が見当たらない。用途としては店舗付き住居なのだが、倉庫のような山小屋のような海の家のような、なんとも言えない見た目で判別ができない。しかし「周辺の要素をサンプリングした」だけあって風景には溶け込んでいるように見える。まるで“冷蔵庫の残り物で作った料理”のような、なんだかよくわからないがいつもよく見ている食材でできていて、食べたことのあるような感じがして安心感がある。そのとき「なんだかよくわからない」ことはさほど重要ではなくなり、「うんうん、うまいうまい」とか言ってどんどん口に運んでしまう。《半麦ハット》も同様(というと語弊があるかもしれないが)に、それがなんなのかを理解しようとすることはさておき、どんどん味わうように見て回っていた。
判断の軸としての「抽象」
話を少し戻そう。「抽象」というのは理解するときの手助けにもなるが、一方でつくるときにも重要な役割を果たす。先ほどのビルディングタイプは、どんなプログラムでどんな部屋が必要かということがイメージとともにパッケージされているので、つくるときの方が本領を活気する。共有されたイメージは素材や部材の大きさの選定においても有効だ。また「学校」というイメージから離れて公園っぽくしよう」というコンセプトを立てた場合は、「公園」というイメージが判断基準となって、そこからプログラムや配置、素材の選定を進めることができる。それから、要求されるプログラムから離れて空間の質が判断基準になることもある。それはしばしばつくり手の審美眼や手癖が判断の基準になってつくられ、結果「○○さんぽい」という捉え方ができるような「作家性」を生むことになる。ビルディングタイプ、イメージ、作家性などの「抽象」は、建築をつくるときに無数に存在する判断において軸となって機能する。それは細部においてもそうで、床と壁の取り合い、取手の種類や位置、色、ありとあらゆる場面において僕らは判断の軸を探す。軸はある程度の束として認められる範囲に収まっていることが重要で、その束が細ければ細いほど作品性が高まる、というように理解している。
不安
《半麦ハット》にはそれが見当たらないのだ。判断基準がバラバラかといえばバラバラの様に見えるのだが、しかしそれが建物の在りようにマイナスに働いていない。それよりもこれをつくることを想像すると、何を頼りに判断したのかがわからないので、「不安」を感じるのだ。思い返してみると私たちは、というか私は、建築をつくる過程において「どうしようか」と悩み判断するとき何かの軸を探す。同時に、できた後の簡潔な説明を可能にするために、判断の軸を収束させるように出来上がるモノを寄せていく。それは共感可能性を生み建築がつくり手から開放されていくことにつながっていく、と思っている。《半麦ハット》を見ていると、そういう種類の共感可能性は、選択肢のひとつにすぎないと改めて気づかされる。もっというと、私が判断の軸を探すのは「説明をスマートにできなかったらどうしよう」という非常に個人的な不安から来ているのかもしれない。先ほど書いた「不安」というのはこれなのかもしれない。《半麦ハット》は判断の軸が見当たらない、先ほどそう書いた。板坂さんからは「サンプリング」という説明を受けたがそれはそれでイマイチしっくりこない。あの建築の判断の軸があるとすれば(ここからは想像の域を出ないのであるが)、それは彼女自身の「私が」「そのとき」「そこに居た」という事実なのだろう。
出会い直す
《半麦ハット》の印象として“バラバラ”というのは、箇所箇所において判断の基準が異なっているように見えるということもあるが、他方、素材がそれぞれ独立して存在しているようにも見える。様式や作家性、またはもっと単純に「細く見せたい」とか「線を消したい」と言った表現が読み取れない分、そこに存在しているモノそのものが際立って見えてくる。そしてそれらは、彼女がこの建築をつくる過程で「出会ったモノたち」なのだろうと想像する。サンプリングという過程は、周辺にあるものを採取してくるというよりは、見知ったモノたちを新たに出会い直して素材として迎え入れるという儀式なのではないだろうか。既になんらかのコンテクストの中に存在していたモノたちをコンテクストから剥ぎ取り素材として新しく出会い直す。それは彼女がそこに居たという事実によってのみ成立する刹那的な素材化の儀式なのだ。
調停役として
「出会い直す」という儀式は建設過程でも行われたと想像される。建築を作っていく過程において設計者はたくさんの素材たちが部材としてお互いに出会う過程に立ち会う。それは「納める」と言われる作業で、設計者は表現の精度を高めるためにそこに腐心する(と思っている)。彼女は、集まってきた部材たちをなんらかの抽象で囲い込むことなく直接的に出会わせている。型にはめてもらえない部材たちはぎこちなくお互いに譲り合い定着する。彼女はその過程に立会い調停役のように振る舞う。部材たちは“本来こうであるはず”や“すべき”というのを抜きにしたヒエラルキーのない出会い方を求められるのだ。
作家性
それが部材だけでなく構成や色、周囲との関係など、建築をつくるあらゆる要素において起こっている。バラバラなのだが、それら全てに共通するのは、彼女の「私が」「そのとき」「そこに居た」という事実なのだ。調停役のように振る舞う彼女の存在なくして全てはこうはならなかっただろう。趣向や手癖でなく、刹那的とも言えるその事実性が、裏返って強烈な作家性となってこの建築を覆っている。それが私の出会った《半麦ハット》だ。
うまい建築
途中、“冷蔵庫の残り物で作った料理”という誤解を生むような表現を使ってしまっているので、改めてここで述べておきたい。上記の表現は、料理に小慣れた人がササっとつくったようなものを指すので、どちらかというとその人の技巧的な部分に焦点を当てるときに使うが、私が言いたいのはそこではなくて、“なんだかよくわからないがいつもよく見ている食材でできていて、食べたことのあるような感じ”というモノ自体の印象の方である。そのなんだかよくわからない存在が、しかし安心感を持って受け取れる不思議さを表現したくて上記を使った次第である。そして体験してみた印象が“上手い”ではなく“美味い”と似た感覚だったこともここに記しておきたい。それから“なんだかよくわからない”ということも注視したい。《半麦ハット》がいい建築なのかそうでないのか私にはよくわからなかったが、私の知っている建築ではなかったことは確かだ。これからどのように批評され、位置付けられていくのかを注目したい。
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白須寛規(しらす・ひろのり) 建築家/designSU代表/摂南大学講師 主な作品、富士見台の家/並びの住宅など。
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初出となる『半麦ハットから』(2020、盆地Edition)は、VIRTUAL ART BOOK FAIR(盆地Editionブース)にて出展・販売しています。
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different-ywo · 4 years
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べつのなにかへ|半麦ハットから
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文|春口滉平(編集者、山をおりる)
初出|『半麦ハットから』(2020、盆地Edition)LINK Contribution #11
ここはどこだろう。目の前には木材でできた塀があって、向こうはすこし崖になっているみたいだ。崖の下には堤防があって、その先に海が広がっている。風が気持ちいい。 ぼくの皮膚は海に似ている。サイディングは1度に大量につくられていて、ぼくのと君のは同じものかもしれない。でも水平に置いてみてはじめて海に似ていると思った。 わたしには近くの電柱から線がつながれている。地球に飼われた宇宙船みたいだ。ここはどこだかわからないけれど、ここではないどこかに動けるのかな。行ってみたいところはとくにない。でも、わたしがわたしのままであるとは限らないので、わたしがわたしでなくなったら、ここもここではなくなるのかもしれない。そうなったらいいなと思う。ちょっと怖いけど。
ばらばらのジレンマ
私見だが、近年の建築意匠には「エレメントばらばら系」というジャンルがあるように思われる。ここでいうエレメントとは、柱や梁、屋根、あるいはボリュームの連なりなど、建築を構成する要素であり、全体ではなく部分を指している。この「エレメントばらばら系」は「エレメントまとまり系」と対比されていて、部分どうしが相互に作用して一定の関係性を持った場を構成する「エレメントまとまり系」の建築に対し、「エレメントばらばら系」の建築とは、エレメントがエレメント然としていて、つまりエレメントがばらばらになっていて、見知った関係性からずれた構成をした建築のことだ。 こうした「エレメントばらばら系」の建築には、次のような特徴がある。
1. 空間性を志向しない 2. 全体性を志向しない 3. 複雑性を許容する 4. エレメント同士の関係性に介入する
反対に、「エレメントまとまり系」についての特徴を「エレメントばらばら系」と対比して整理すると次のようになる。
a. 空間性を志向する b. 全体性を志向する c. 複雑な状態をあるひとつの状態へ構造化する d. 既存のエレメントの配置を守る
「エレメントまとまり系」は、特定の空間性や全体性を志向し、ひとつの状態へ構造化しようとするので、作者による「このようにしたい」という強い意志が働く。他方で、そのような単一の作者による意思をひとりよがりだとして、より他者に開かれた状態を目指そうとするのが「エレメントばらばら系」だと仮定できる。「ひとつ」を批判し、「全体」を批判し、ばらばらで複雑な状態を目指すのが「エレメントばらばら系」である。 しかし「エレメントばらばら系」の建築はしばしば、エレメントをばらばらにすることに腐心するあまり、エレメントをばらばらにすることが目的化しているような状況を生む。このような建築では、部分をばらばらに自立させることで「全体をひとつの表現ルールに統一しない」というアルゴリズムが発動するのだが、このアルゴリズムはじつは矛盾していて、「ひとつのルールにしないというひとつのルール」が敷かれていることになる。既存の規範から解放された自由な構成を目指したのにもかかわらず、そうした志向そのものが檻になってしまって、窮屈な状況を自ら用意してしまう──このような状況をここでは「ばらばらのジレンマ」と呼ぶことにする。
「ばらばらのジレンマ」は、批判していたはずの「ひとつ」や「全体」そのものに自らが転じてしまう現象である。固有の領域への「反 anti-」や「以後 post-」は、その対象となる領域に依存している。ポストモダニズムが近代の檻から抜け出せないのはそのためだ。「ばらばらのジレンマ」は固有の領域とその反/以後の領域とのはざまに発生する。私たちは、反/以後とはべつのしかたでの離脱、おそらくは、固有の領域を包含したままの離脱を目指さねばならない。
本稿は、「エレメントばらばら系」と「エレメントまとまり系」の二項対立を瓦解させ、反/以後とはべつのしかたで「ひとつ」から離脱する方法を、《半麦ハット》の読解をとおして検証するための試論、あるいは妄想である。
ばらばらとまとまり
《半麦ハット》は表現がばらばらだ。すくなくとも私にはそのように感じられた。空間性や全体性を志向せず、複雑な状況を許容し、エレメント同士の関係性について綿密に検討されている印象を持つ。 《半麦ハット》は、特定の表現に統一しようとしていない。目に見えるという次元では化粧材、下地材、構造材のヒエラルキーがない。巾木の高さが揃っていない。新しい素材の横にアンティーク素材が並んでいる。同じ素材でも塗料で塗られているものとそうでないものがある。 《半麦ハット》はまさしく「エレメントばらばら系」の必要条件を満たしているが、では《半麦ハット》は「エレメントばらばら系」かというと、そうとも思えない。どういうことか。
まず《半麦ハット》が「ばらばらのジレンマ」に陥っているかどうか考えてみよう。つまり《半麦ハット》は表現をばらばらにすることを目的化しているだろうか? 否である。なぜそう言い切れるかというと、《半麦ハット》には「エレメントばらばら系」の特徴だけでなく、「エレメントまとまり系」の特徴も見られるからだ。 《半麦ハット》の躯体は温室の転用で、水回りの機能が箱として入れ子になっているものの、全体は大きな一室空間になっている。外観も下屋のような屋根が付随しているだけで、ひとつの建物だという印象が強い。巾木の高さが揃っていないのは、床の高さが揃っていないだけで、GL(グラウンド・ライン)からの高さとしてはひとつのルールで処理されている。
《半麦ハット》には「エレメントばらばら系」と「エレメントまとまり系」が混在している。すでに「ばらばらのジレンマ」は解消されているのだ。ではなぜ、2つの体系が混在している状況をつくることが可能なのだろう。この問いに対して、次のような仮説を立てて、検証してみよう。 《半麦ハット》が2つの体系「エレメントばらばら系」「エレメントまとまり系」を混在させられるのは、エレメントがべつのなにかになるからである。
エレメントがべつのなにかになる
エレメントがべつのなにかになる。《半麦ハット》のエレメントは、そのただなかにあるのだ。 この2つの体系は、ともに事後的に操作、あるいは発見されていることに注意しよう。ひとつにまとまっているものをばらばらにする、ばらばらなものをばらばらなままにする、ばらばらなものをひとつにまとめる、ひとつにまとまっているものをまとまったままにする*1。ある既存の状態に対し、事後的に建築として操作/発見している。 《半麦ハット》のエレメントは、べつのなにかに変わろうとしている過程にある──ばらばらに/まとまりになろうとしている。私がさきほど《半麦ハット》のばらばら/まとまりの例としてあげた構成は、べつの時間、あるいはべつの人にとってはことなる感覚として現れているのかもしれない。ここには、設計時における決定が事後的に変化する可能性が散在している。
ところで、《半麦ハット》の設計者である板坂は、自らが記した《半麦ハット》についてのテキストが書かれた日付を気にしていた。オープンハウス時に配布されたハンドアウトにあるテキストには、「2019.10.12」とそれが記されたであろう日付が書かれている。同様に、大阪で開催された「Architects of the Year 2019」展に展示された《半麦ハット》のブースには、「本展覧会応募用紙にて」というただし書き付きで「2019.9.10」とある。 なぜ板坂は自らの言動の時間の前後関係を大事にしているのだろう。それは、ある時期に感じていたことがすこし時間が経つと変わっている、そのことに自覚的だったからではないだろうか。ここにも、ある決定、ある体感の、事後的に変化する可能性がかいまみえる。べつのなにかになる、そのただなかに流れている時間にこそ、板坂の力点がある。 また《半麦ハット》ではなにかがべつの用途に転用されることが多い。外壁用のサイディングが内部のカウンターに使われている、床に使われていたものと同じ石材がキッチンの壁面に使われている、そもそも住宅の構造フレームは農業用の温室の転用である……。ほかにもあるだろう。このことも、ものや状態が既存のまま固定されることなくつねに変化の可能性にさらされていることに、板坂が意識的であることの証左だと考えることができる。
2つの公共性
べつのなにかになる──それはエレメントだけなのだろうか? 《半麦ハット》は? 板坂は? べつのなにかになる──そもそもなにになるのだろう? エレメントがべつのなにかになったとき、それはエレメントなのだろうか? べつのなにかになる──《半麦ハット》には疑問が尽きない。私たちは、このようなつかみどころのないものに不気味さを感じる。なにになるかわからないものに、不安を感じる。 べつのなにかになる──このことで、《半麦ハット》のエレメントは���らばらになりつつもまとまっている。エレメント同士、あるいはまとまり同士は、それぞれに強い因果でむすばれているのではない。たまたまとなり合ったもの同士がその場で対応し、とりあえず、なにかしらの関係性をもつ。関係したとて、またいつかべつのなにかになってしまうのだから、毎回の関係に運命を感じない。
そのような抜き差しなる状況においてなお、《半麦ハット》はひとつの建築たり得ている。外からやってきた私たちが《半麦ハット》に不気味さを感じているあいだに、クライアントである板坂の両親はここに暮らし、豊かな生活を送っている。目に見えているものがばらばらになったりまとまったりするただなかで、なぜこのような状況が成立するのか──それは、《半麦ハット》には2つの公共性が取り巻いているからである。どういうことか? ここで、板坂のテキストに助けを借りてみよう。
先月竣工してからの間、家族として生活したり、内覧会を通してこの建築に接してきたが、この建築の意図が掴めずにいる。設計者本人なのにどうしてわからないのかというと、一般的に建築の意図が示している全体性に対する姿勢が、私の中から欠如しているからかもしれない。 その代わりに、部分同士が相対化される「構図」は常にあった。 ──板坂留五「展覧会に向けて」@ Architects of the Year 2019
設計者である板坂自身が「この建築の意図が掴めずにいる」、それは建築の「全体性」への意識が欠けているからである──このように読める。そして《半麦ハット》には、「全体性」のかわりに「構図」があるというのだ。ではその「構図」とはなにだろう?
ある部分の解決が、必ずしも他の部分の解決の方法と関係しているわけではない……どれかに比重が置かれるということによって、部分同士が相対化される「構図」が現れる。……〈半麦ハット〉において私は、淡路市東浦の構図を描いた。……それを見る誰かの視点は、〈半麦ハット〉を見ているようで、描かれた構図を通して街も同時に眺めている。〈半麦ハット〉を通して、設計者と施主をはじめとしたここを訪れる人がいつの間にか同じ側に立ち、この街を見ていた。 ──板坂留五「部分の相対化としての構図」内覧会ハンドアウト
本稿のこ��ばを使えば、「全体性」とは「まとまり」に相当する。他方で「構図」は部分どうしが相対化されているのだから、そこに大きなまとまりはない。けれど相対としての関係を取りもっている。つまりこの「構図」のなかなら、目に見えているものがばらばらになったりまとまったりすることが許容されている。そして私が見た「構図」は「淡路市東浦の構図」なのだと板坂はいう。温室やサイディング、ペンキにいたるまで、淡路市東浦を構成しているもの(=エレメント)で《半麦ハット》が構成されているので、そのようにいわれても納得できる。私が見た「構図」、相対化されたエレメントは、淡路市東浦そのものだ。 先述した2つの公共性は、ともにこの「構図」に見ることができる。ひとつは「サンプリング」という行為によって生み出されている。板坂がサンプリングする構図は、その地域の名もなき建築家、建築教育を受けていない市井の人びとによってつくられている。そしてそれらはしばしば近くのホームセンターで買い揃えられている。あなたも、私も、淡路市東浦のホームセンターに行けば同じものを買える。先述の展覧会ではサイディングを含むいくつかのマテリアルのカタログが並んでいた。「見たことがある」という経験を介して、《半麦ハット》の構図の関わりしろの広さに公共性が生まれている。
〈私〉と公共性
私たちは、「反/以後」とはべつのしかたでの、固有の領域を包含したままの離脱を目指していたことを思い出そう。「エレメントばらばら系」は「エレメントまとまり系」から、あるいは近代的な「ひとつ」から離れることを目指していた。ところがその志向そのものが反転して単一のルールのように機能してしまい、「ばらばらのジレンマ」にからめとられてしまう。《半麦ハット》は、エレメントがべつのなにかになるという動き、時間に注目することで、「ばらばらのジレンマ」を解消していた。しかし、べつのなにかになるという状況は、なにになるかわからないという不安を駆りたてる。にもかかわらず、そこでクライアントは豊かな生活を送っている。 なにになるかわからないという不安と豊かな生活、この新たなジレンマを、《半麦ハット》の構図が生むふたつの公共性はすでに乗り越えている、というのがここでの仮説であり、そのうちのひとつは街のサンプリングをとおして相対化される「見たことがある」という経験によって生み出されていた。
さきほど引用した板坂のテキストをもういちど見てみよう。外からやってきた私たちが感じた不気味さと施主が過ごす豊かな生活は、だれもが「この街を見ていた」という一人称の視点の重なりによって同一視されている。もうひとつの公共性はここに発生している。 この2つめの公共性について、正直に告白すると、筆者はまだここから先の議論を構築できていない。なので状況の整理にとどまるが、いったんは次のように言い換えることができる。まず《半麦ハット》の設計者は板坂留五と西澤徹夫の2名である。板坂の修了制作がもとになっているので、主体は板坂になるのだろうけれど、作者としては2名に分裂している。そして《半麦ハット》ができるのだが、それは淡路市東浦の構図としてつくられているので、《半麦ハット》を経験する人たちはその建築をとおして総体としての街を見る。このとき、「設計者と施主をはじめとしたここを訪れる人がいつの間にか同じ側に立ち、この街を見てい」るという視点の重なりが起きている。このような「まなざしの複数性」には、ひとつめの多くの人びとが関わることができるという開かれた公共性とは別種の公共性が宿っていると思われる。 《半麦ハット》の構図の決定には、つねに板坂の身体性が寄り添っている。板坂は何度も現場に足を運び、工務店の職人と言葉をかわし、エレメントの関係性や施工について何度も検討している。他方で、全体を統一させるルールが存在しない(べつのなにかになる)ので、まとまりとしての個性がない。そして《半麦ハット》にまとまりとしての個性がないことと、設計者である板坂に個性がないことが、等価ではない。構成のところどころは個性的(ばらばら)なのだ。そこに板坂の個性が発揮されている。
《半麦ハット》の構図は板坂の身体性に依拠している、にもかかわらず個性がない。そして《半麦ハット》の構図をとおして、私たちは板坂と同じ〈私〉という地点に立つことができる──板坂になることができる。だから、《半麦ハット》の構図は板坂=私=あなたの身体性に依拠している。設計者が2名に分裂していたことを思い出す。 ここでの議論が建築を考える/つくるうえでどこまで有用か、そのことによってなにが生まれるのか、それはまだ私にはわからない。ただ、板坂は本稿での問いに感覚として気づいているのではないかと私は思っている。板坂が描く「多視点アクソメ」は、描かれたもの同士の関係を側面の開く向きによって表す図法だが、この図は同時に、現実にあるものと板坂との関係を示し、またさらに同時に、それらの関係を板坂以外の私たちと関係づける図としても機能しているように思われるからだ。 《半麦ハット》が示した公共性は、建築をとおして〈私〉の感覚をべつのなにかにつなげる、その回路を開いたように思えてならない。
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*1) ここではエレメントという解像度で検証しているが、たとえばマテリアル(素材)として考えたとしても同様だ。木材をそのまま使用する、木材に色を塗って使用する、サイディングをサイディングとして使用する、サイディングの小口だけ加工する、外壁用のサイディングを内装に使用する、などなど。建築とは、ものや状態を事後的に操作/発見する営みである。
春口滉平(はるぐち・こうへい) 編集者、山をおりる。1991年生まれ。建築と都市のメディア『山をおりる』『ちがう山をおりる』編集人。京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab エディトリアル・アシスタント。デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)企画スタッフを経て、2018年より『山をおりる』スタート。
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初出となる『半麦ハットから』(2020、盆地Edition)は、VIRTUAL ART BOOK FAIR(盆地Editionブース)にて出展・販売しています。
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different-ywo · 4 years
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[スイス・チューリッヒ]チューリッヒのポスト・パンデミックにおけるバルコニー、またはこの健康危機から私たちが学べることについて|Post-Quarantine Urbanism
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Credits: L. Ballmer
文|Melanie Imefeld
原文|Placy・Medium 初出|2020年4月17日
※日本人読者へのスムーズな紹介のため、原文にはないリンクを適宜挿入した
スイスの現在の状況
COVID-19の視点から見れば、スイスは隣国であるイタリアやフランスほど国際的なメディアの注目を集めていない。しかしスイスは、世界的に見ても住民ひとりあたりの症例数がもっとも多い国のひとつだ。なかでもチューリッヒのイタリアに隣接した地域がCOVID-19の温床になっていて、今日まで(訳注:本稿の初出は2020年4月19日)に約1,100人が命を落としている。3月16日、連邦参事会は2013年改正のスイス感染症法にもとづき「非常事態」を宣言した。これを受け、スイス連邦制の構造上、通常は26の州の管轄内にある権限を、連邦参事会が引き受けることができるようになった。「非常事態」の宣言には、店舗やレストラン、バー、娯楽・レジャー施設など、かなずしも必要でないすべての事業の閉鎖が含まれている。公共交通機関の運行を縮小したうえ、チューリッヒ市は独自にハッシュタグ「#bliibdehei(#stayathome)」を使って、住民に自宅で過ごすよう呼びかけている。公共スペースでの5人以上の集会は禁止され、私たちが知っているような一般的な屋外生活は停止してしまった。
こうした公共空間におけるアクティビティが厳しく制限されたことを受けて、メディアは私たちの家のなかに関心を移している。たとえばスイス公共放送局のラジオ「La vie chez soi」(=Life at our place)では、隔離されている人たちが家のなかでの体験を話していて、人気になっている。そんななか、湖や川、公園など公共の屋外インフラが重要な役割を果たしているチューリッヒでは、ある空間が屋外との関連性を取り戻そうとしている──バルコニーだ。
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チューリッヒのとある広場。今年はこのような光景には出会えないだろう(Credit: Alessandro della Bella)
バルコニー・ショートヒストリー
都市研究者のキャロリン・アロニスは、バルコニーの特徴を、プライベートとパブリックの「閾(いき)liminal」に見出している。歴史をとおして関連性が変化しているにもかかわらず、バルコニーの閾的な特徴は重要でありつづけてきた──バルコニーは、封建制度がしかれた時代には権力と支配力を市民に示す場所だったし、産業革命時には労働者や増大していた中産階級のためのアパートの台頭によって庶民の手に届く場所になって、彼らにも同じような支配感の体験を可能にしていた。社会学者のアンリ・ルフェーブルは、パリのバルコニーから重要な仕事の大部分を書いていて、「道や通行人を支配する素晴らしい発明だ(訳注:Henri Lefebvre, Rhythmanalysis, 1992, pp.37–38、未邦訳)」と称賛している。
チューリッヒでは、バルコニーはしばしば市民と市当局のあいだで論争の対象になっている。たとえば2016年には、市議会が市の建築遺産を保護するため1999年に修正したゾーンプランに、バルコニーの張り出し許容寸法を150cmから120cmに減少させる提言が含まれていたことについての議論が起こった。この30cmをきっかけに、個人の自由を著しく侵害しているという非難からバルコニー自体の必要性への問いかけまで、多種多様な激しい政治的議論が展開した。建築的な観点から見れば、チューリッヒにおけるバルコニーは厄介者あつかいされている──人びとはそれを要求する一方で、その目立ちすぎる張り出しとアナキスト的な個人主義が建築の形態を乱しているのだ。
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別のバルコニーから見たチューリッヒの典型的なバルコニー(Credits: L. Ballmer)
パンデミックにおけるバルコニー──レジャーを超えて
時は流れ、COVID-19の時代になると、バルコニーはパーソナルなものであることが不可欠になってきた。バルコニーがあれば、私たちはアパートの閉所恐怖症から解放され、たとえば食べられる植物を育て、バーベキューやヨガ、Zoomミーティングへの参加、モーニングコーヒー、タバコ、夜のジン・トニックを楽しみ、ありふれた余暇を過ごすことができる。最近では、22歳の若者が近隣の高齢者にベランダから参加できるエクササイズ教室をはじめていて、こうしたアクティビティを隔離された状態でおこなうにしても孤独である必要はないことをあきらかに示している。COVID-19は、ベランダのまったくあたらしい活用法をも与えているのだ。市民は「Alles wird gut — 何もかも良くなるだろう」と書いた横断幕をバルコニーに飾ることで、他者とコミュニケーションをとる方法を見つけた。ソーシャルメディアの投稿は、これらのメッセージを増幅させ、他者を動員している。たとえば、イタリアの都市での先例にならい、バルコニーから小さな即席のコンサートを開催し人びとを励ます投稿がFacebookでも投稿されている。宗教行事までもが自宅でおこなわれるようになっていて、チューリッヒの地元の教会では老人ホームの中庭から説教がおこなわれ、住人たちは中庭に面したバルコニーから参加した。正統派(ユダヤ教)のコミュニティは記念日であるペサハ(過越祭)を、今年は自宅のロッジアでおこなった。そのほかの国からも、社会生活・文化生活で重要な役割を果たしているバルコニーの同様のストーリー──屋根を越えたあたらしい恋、バルコニーへのドローンによるデリバリー、マラソンをベランダで完走したフランス人など──が報告されている。
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Alles wird gut - 何もかも良くなるだろう──人びとは物理的にもデジタルにもつながっている(Credit: M. Switalski)
ポスト・パンデミック・バルコニー
これらの事例は、ポスト・パンデミック都市のデザインにCOVID-19からの学びをいかに活用できるかという問いを投げかけている。こんにち、慣習化した公共インフラは余暇や他者との社会的な交流を求める私たちのニーズに応えている。しかし、隔離された時間が増える未来において、バルコニーは公共インフラの代わりになるだろうか? ポスト・パンデミックにおけるバルコニーが担うあらたな責務をどのようにデザインに反映できるだろうか? イタリアの建築家ステファノ・ボエリによるミラノの垂直の森のユートピアのように、私たちはエコロジカル・アーバニズムへ移行しているのだろうか?
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垂直の森 “Vertical Forests” Photo by Chris Barbalis on Unsplash
くわえて、COVID-19による危機は、住民の要求に応じて再定義/再構成が可能だというバルコニーの変容力を明らかにしている。私たちは、政府が目的の頻繁かつボトムアップな変容に寛容な(30cmに目くじらを立てることなく!)、「バルコニーの都市」と呼ばれるテルアビブ(訳注:イスラエル第2の都市)から学ぶことはできるだろうか? そして最後に、私たちの将来のバルコニー都市において、テクノロジーがどのような役割を果たすのかを問うべきだ。パンデミック時のバルコニーを使った事例の多くは、ドローンのようなまったくあたらしいテクノロジーやソーシャルメディアを取り入れ、物理的な空間にデジタルなレイヤーを重ねている。オランダの建築ファームMVRDV創設パートナーのヴィニー・マースは、テクノロジーが未来の都市をより3次元的なものにするのだと信じていて、彼のヴィジョンには空飛ぶモビリティがバルコニーまで乗り付ける都市が描かれていた。
未来がどうなろうと、いま現在のパンデミックは、バルコニーと私たちの関係性を再考し、最終的には都市を居住可能でありながら回復力(レジリエンス)のある場所として維持するための都市密度を、私たちがどのように組織したいかを考えるための理由にはなっている。
Melanie Imefeld スイス・チューリッヒ出身のITコンサルタント、都市デザイナー。特にカルトグラフィーとデータヴィジュアライゼーションに興味があり、データ分析は都市の複雑なネットワークを理解する助けになると信じている。ときおり自身でマップを作成している。早くベランダから出られることを願っている。
訳:春口滉平(山をおりる)
Post-Quarantine Urbanism ちがう山をおりる|Placy|Medium
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[中国・武漢]人間の条件についてのすべて|Post-Quarantine Urbanism
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sourced from Twoeggz Media
文=Shu Wei
原文|Placy、Medium 初出|2020年4月17日
※日本人読者へのスムーズな紹介のため、原文にはないリンクを適宜挿入した
2020年4月7日、中国・武漢でのロックダウン解除前日、人びとはまるでその日がもうひとつの閉鎖的な大晦日だったかのように、日付が変わる深夜0時に向かってカウントダウンしていた。エッセンシャル・ワーカーたちに敬意を払ってLEDで「ヒーローたちの街」と照らされた光のショーによって、夜は輝いていた。同じ頃、BBCニュースはイギリスの首相の健康状態についてライブ配信していた。ボリス・ジョンソンが集中治療室に連れて行かれた翌日、世界中の何百万人もの人びとがボリスの迅速な回復を祈り、そしてこのような言葉が人気トレンド2位につづいた——いまこそ中国のせいにする時だ。
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武漢のロックダウン解除を祝う光のショー(sourced from Twoeggz Media)
私たちはこれから中国の、現在も進行するのコロナウイルスによるパンデミック、国家による措置、そしてポスト隔離社会の姿に迫っていくことになる。しかし、COVID-19のジオ・ビジュアライゼーション(訳注:インタラクティブな可視化ツールを用いて地理空間データの分析を支援するツールや技術)が世界の地図を駆使しはじめたいま、世界のダイナミクスや国際的な感情に触れないままに話を進めることはほぼ不可能だ。
パンデミックラボにおけるガバナンス・テスト──勝利のための中央集権化?
カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の都市研究者であるベンジャミン・ブラットンは、今回のCOVID-19によるパンデミックをウイルスの「コントロール変数」による異なるガバナンスシステムを検証する最大の比較実験だと説明した。ウイルスとの戦いのデータを素直に見れば、中国は3月19日にローカル感染者数0を達成し(1日の感染ピークである14,108人に達した2月12日からわずか1か月ほどしか経過していない)、効果的な中央集権型ガバナンスモデルを提示している。
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中国のCOVID-19感染データ(graph sourced from World Data Meter)
中国モデルの国家介入を見てみよう。ウイルスの拡散を抑圧するため、1年のなかで家族の参集がもっとも重要な時期である旧正月の直前、湖北省全域(首都は武漢)で厳重なロックダウンが実行された。このロックダウンは、ソーシャルメディア上で流行っているハッシュタグ #StayAtHome のようなソフトなスローガンではなく、むしろ政府の措置によって施行された法律だった──公共交通機関は完全に停止し、駅や空港はどこにも行けないよう閉鎖され、社会福祉に従事する労働者やビルの管理者は地域住民の健康状態を注意深く監視していた。
抑圧は感染防止のためだけにあり、最終的にウイルスは短い期間内で医療とインフラの力を評価するための早送りテストになった。はじめの2週間、武漢では、医療従事者と患者が肉体的・精神的に奮闘した膨大な事例を目の当たりにした。国をまたいだ資源の再分配によりキャパシティを過剰に引き上げ、衣料品メーカーから自動車メーカーまでの国有製造企業は医療機器とマスクの製造ラインに組み込まれ、2万人の医療従事者と疫学者が国中から武漢に集まり、2,600床の大規模な隔離病院が12日間で2棟建設され、行動データは感染データとともに政府の管理化で保存されていた。しかし、パンデミック初期の地方自治体による隠蔽、そして私たちに警鐘を鳴らしてくれたにもかかわらず命を落とした李文亮氏へ流した涙を人びとが忘れない限り、これを勝利だと呼ぶことはできない。
ポスト隔離社会のモビリティ・トレース──自由のための自己開示?
中国が迅速な封鎖措置を成功させた背景には、政府の指令によるマクロな管理にくわえて、個人の位置情報の大量利用がある。そう、個人データ──欧米のメディアが中国政府への抗議としてもっともエキサイトしている言葉だが、ポスト隔離社会の現実は、プライバシーと必要とされる情報開示の境界線をこれまで以上に曖昧にしている。
現在(訳注:本稿の初出は2020年4月17日)、中国の全都市で徐々にロックダウンが解除されつつあるが、いまだに通常の生活は戻ってきていない。2月初旬に杭州市ではじめに公開され、杭州市の自治体と中国の大手テック企業アリババが開発した「Health Code」は、日常生活における移動の安全性を保証してくれるアプリだ。オンラインプラットフォームを用いて申請すると、まず自己申告の健康アンケートに基づいたカラーステータス(緑、黄、赤)がユーザーに発行される。ステータスはその後、スマートフォンのGPSを介して追跡されたユーザーの行動を用いて動的に更新される。デジタルヘルスコードの取得は市民の義務ではないが、公共交通機関の利用や都市間の移動、さらにはほとんどの公共施設(スーパーマーケット、ショッピングモール、オフィスビルなど)に入るためには、緑のカラーコードが必要になる。
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ヘルスコードのキャプチャ(緑=安全、自由に移動可能|黄=長期の自己監視のため保留|赤=危険、ウイルス保持者との直近の身体接触の可能性あり)
その優れた採用率、明白な利便性、検証された(すくなくともそう理解された)セキュリティによって、「Health Code」は中国全都市に展開され、3月中旬までには9億人のユーザーを獲得した。一方で、個人の日常生活や家族ネットワーク、社会への露出など、ペルソナの背景にある膨大な量の個人情報の漏えいや悪用への懸念が高まっている。アリババやテンセントなどの大手テック企業は、消費者データを政府に共有せず、アプリ内の位置情報の追跡はユーザーの同意のもとにあることを宣言したが、特にプライバシーに敏感な中国の若い世代からは、不正な監視の可能性への疑念は晴れなかった(Yang et, al., 2020)。パンデミックへのケアのためのデータセキュリティと自己開示のあいだには、つねにジレンマが存在している。しかし、パンデミック時において中国のマジョリティが前者によって構成されているとき、それに従うことが公的な選択になりはじめる。
また、地理的位置情報をベースにしたCOVID-19の追跡が世界的に拡大していることも注目に値する。イギリス政府は国民医療制度(NHS)と連携し、潜在的なウイルス保有者を特定するための接触追跡アプリの開発に取り組んでいる。Appleは、地方自治体が公共政策のために利用できるよう、人びとの移動量をスクリーニングしモビリティデータの傾向を示すツールをリリースした。GDPRがヨーロッパのインターネット上で広く適用されているように、データの保護は中国に限られた課題ではない。「安全が確認された公共圏を移動するための自己開示」と「未知の危険をともなうシェアスペースの自由な移動」、どちらが私たちの望む自由に近く聞こえるだろうか?
「メディアはメッセージである」──隔離はどのようにエンターテイメントをつくりなおすか
自己開示はつねに妥協するものではなく、隔離社会/ポスト隔離社会のエンターテイメントについてのストーリーに注目すれば、ポジティブなシェアにもなりうるだろう。ロックダウンのあいだに、中国版TikTok「Douyin(抖音)」の利用者が1日に200人増加するなど、中国では動画ライブストリーミング配信が国内エンターテイメントの主流となった。人びとは家庭での料理、インドアでの運動、ちょっとした日用品の買い物のための移動などをストリーミングしている。よくできた映像をシェアするために人気YouTuberになる必要はなく、すべてのショートクリップは日記のように気軽に位置づけられている。このことはもちろん、マーシャル・マクルーハンの有名なことば「メディアはメッセージである」を思い起こさせる。もはやコンテンツ自体が注目されているのではなく、ライフビデオというかたちで独自のメッセージを発信しているのだ。
壮大なパンデミックにおいては、物語を目撃した誰もが物語そのものになり、参加の感覚はパニックと不確実性によって実際に増幅される
物理的な距離の確保が避けられなくなると、人びとはネットの世界で見知らぬ人たちと共にいるという感覚(ヴァーチャルに同じ時間と空間を共有すること)を追い求めるようになる
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中国閉鎖中のユーザー増加率──動画共有プラットフォーム「DouYin」が1日平均76%の増加率で1位(sourced from QuestMobile Research)
もうひとつのポスト隔離社会におけるあたらしいソーシャルトレンドは、見知らぬ人と出会うとき、アイデアによるつながりがホルモンによる(訳注:性愛的な)つながりを上回っていることだ。隔離による孤立は出会い系サイトのようなネットワークサービスの需要を増加させるとの予想に反して、MOMOやTanTanといった主要なソーシャル/デートアプリのロックダウン中の利用率は劇的に低下した。他方で、コミュニティベースのアプリ(DouBan(中国版Reddit)やQQ(訳注:中国のチャットアプリ)のグループチャットなど)の人気が高まった。COVID-19の叙事詩下において人びとは、以前のように効率的にオフラインにできそうにないヴァーチャルな恋愛よりも、一緒に閲覧/議論可能な話題に夢中になりやすくなっている。PCのウィンドウを眺めるだけの孤独な時間に進行しているライフイベントの予測不可能性は、実際にホルモンの力を弱めている。
ポスト隔離社会の感情ゲーム──情報と人間の条件についてのすべて
COVID-19の感染爆発が中国から世界中に広がっていくなか、ウイルスそのものを超えた感情的な事例も現れている。欧米諸国の中華料理店は、中国料理がウイルスに関連付けられるために大きく売上を落とし苦しんでいる。UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)は留学生をなだめるために、パンデミック下に外国人に嫌悪感を抱くことは普通の反応であるという内容をインスタグラムにポストしていた(すでに削除されている)。ボリス・ジョンソンの病状を伝えるストリーミング中にはツイッターで「すべて中国のせいだ」というコメントがしばしば見られるようになった。一方で、ヨーロッパや北米で毎日のように増加する死亡者数は、社会経済的なショック下で誰しもの神経を刺激し、中国の人びとや文化に対する否定的な態度が強まり、そもそもかつて彼らがもっとも絶望的な犠牲者であったことは忘れられてしまった。
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中国系イタリア人の男性がコロナウイルスに関連した偏見に抗議 https://www.youtube.com/watch?v=lULceASXv88
しかし、地域人種差別はなにもないところから発生しているわけではない。興味深いことに、閉鎖後の武漢と中国のそのほかの地域とのあいだには微妙な「地域内の人種差別」が実際に存在している。ある女性は、故郷である武漢から自宅に帰り、すでに2週間の自己隔離を終え健康であることが確認されたにもかかわらず、それを知った隣人が急に社会的距離をとったとウェイボー(Weibo、訳注:中国で人気のSNS)で語っている。アイデンティティや共感がシェアされているため防衛反応はそれほど激しくないが、中国人のむき出しになった恐怖心や不確実性は欧米からの中国への悪意に近いかたちで根付いている。死への恐怖と最愛の人への不安、それは人間の条件についてのすべてだ。くわえて、パンデミック下における情報不足やデマの拡散もまた、否定的な固定概念化をエスカレートさせている。5Gがウイルスの拡散を加速させているという陰謀論のようなさまざまなノイズがバズっているなか、メディアのキャッチャーな見出しの背後に隠れた感染防止のための努力や試行錯誤を理解するのに十分な紹介や努力を、いまだだれも与えてはいない。誤解は、多忙を極める現代の読者に共通の末路になる。
Shu Wei バックグラウンドはゲーム開発と人文地理学。現在はブラックロック(ロンドン)にて勤務。パンデミック直前にスタンダップコメディをはじめ、やめた。故郷の武漢がどこにあるかを��人に説明する必要がなくなったことがうれしくもあり悲しくもある。
訳:春口滉平(山をおりる)
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Post-Quarantine Urbanism ちがう山をおりる|Placy|Medium
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中速シェアモビリティと都市(前編)
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photo by ©Lime
文=春口滉平(編集者、山をおりる)
2019年、ヨーロッパに行く機会が2回あった。1度目は旅行で、デンマーク、スウェーデン、フィンランドをめぐる北欧周遊。2度目は出張で、スイスのバーゼルを訪れた。
街を歩いていて感じたのは、ある乗り物に乗って移動している人たちがたくさんいる、ということ。その乗り物は「E-Scooter」という。日本語ではよく「電動キックボード」と呼ばれているが、より説明的な名称でいえば「乗り捨てレンタル電動キックボード」になるだろうか。
今回は、欧米で流行しているこのE-Scooterについてレポートする。
E-Scooterという乗り物のなまえは、日本語としてあまりにも定着しにくいだろうから、ここではその可能性を込めて「中速シェアモビリティ」と呼ぶことにする。このモビリティは、都市のなかでシェアされ、かつ中速という速度こそが、ヘルスケアやあたらしい都市のモビリティを考えるうえで重要になると考えるからだ。
中速シェアモビリティに乗ってみた
とやかく考えるまえに、まずは中速シェアモビリティをじっさいに利用してみよう。以下は、筆者がポシェットの前ポケットにスマートフォンを格納し、中速シェアモビリティに乗ってバーゼルの街中を移動している映像だ。ブレがはげしいので、苦手な方は注意してほしい。たいした映像ではないので、飛ばしてもらってかまわない。
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乗っているのはTierという会社のキックボード
この中速シェアモビリティは、どこかにステーションのようなものがあってそこに集まっているのではなく、街中に転がっている。まずはキックボードがどこにあるか探すところから利用ははじまるのだが、わざわざ街を練り歩いて探す必要はない。スマートフォンのアプリを立ち上げれば、現在地の近くにあるキックボードがマップ上に表示される。
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Limeのアプリでのマップ画面。モビリティが停められている場所がプロットされていて、アイコンの右上にはバッテリーの残量が表示されている。地図上の塗り分けは、青がパーキング推奨ゾーン、オレンジが低速ゾーン(自動でトップスピードが規制される)、赤がパーキング禁止ゾーンを指している。ちなみに場所はコペンハーゲンのNørreport駅付近
映像の冒頭、ハンドルの中央部分にQRコードが見える。キックボードにはこのように個別のQRコードがふられているので、キックボードを見つけたら、アプリを使って読み取る。すると利用者とキックボードがペアリングされ、キックボードが利用可能になる。モビリティが電子制御され、かつネットワークに接続されているからこその機能だ。
操作方法はとてもシンプルだ。ハンドルの右グリップにレバーがあり、押し込んだりひねったりすると加速する(会社ごとにすこしずつことなる)。自転車と同じように、両側にブレーキがついていて、握れば減速する。映像では見えづらいが、QRコードの手前の平滑な部分に、デジタルの速度メーターが表示されている。
利用のたびに、スマートフォンの画面に利用上の注意が表示される。アプリごとにデザインは異なるが、表示される内容は基本的に同じだ。ヘルメットを着用して安全に利用すること、減速は一般的なキックボードのように後輪を踏むのではなくブレーキレバーを握って減速すること、最高速度は20km/hで下り坂などではとくに注意すること、駐車場には通行の邪魔にならないような場所に停めること、など。
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Tierのアプリでのチュートリアル画面
中速シェアモビリティとは
この中速シェアモビリティについてもうすこし説明しよう。中速シェアモビリティの特徴をあげると次の4つになる
電動である
最高速度は基本的に20km/hである
スマートフォンのアプリを使って街��にあるキックボードをだれでも利用することができる
利用後は街中に乗り捨てることができる
この4つの特徴は、中速シェアモビリティを考えるうえでどれも重要だ。ひとつずつ詳細を見ていこう。
電動である
中速シェアモビリティは電動である。そもそも、日本では電動キックボードと呼ばれているが、その形状が既存のキックボードと同じであるだけで、電動で動くわけだから、地面をキックすることはない。
いま、環境問題への意識が世界的に高まっている。自動車や飛行機が排出する二酸化炭素などの温室効果ガスの削減も、かつてない勢いで取り組みが進められていて、人の移動が環境へ負荷をかけないようなモビリティの開発が求められている。
電気自動車などの普及も進んでいるが、より手軽に利用することができる中速シェアモビリティが電動であることは、現代のモビリティを考えるうえでは必須の機能だろう。
最高速度は基本的に20km/hである
日本では、現代の自動車の公道での制限速度は、基本60km/hになっている。人が都市のなかを高速に移動するために開発されたのだから当然なのだが、自動車は速い。モビリティという面で、高速であることは有益なのだが、その反面、とても危険だ。いま高齢者の自動車運転が問題になっているのは、自動車による移動が高速であるという、根源的な危険性があらためて表面化してきているからだろう。
中速シェアモビリティは、最高速度が20km/hである。アクセルを目いっぱいにふかしても、20km/h以上の速度はでない。電子制御されているため、下り坂でアクセルを入れても自動でブレーキがかかる仕掛けになっている。
人の歩行速度は平均約4km/h、通常の自転車だと約15km/hといわれている。20km/hという「中速」の速度帯は、とても中途半端だが、人が都市を移動することの便益と危険性を天秤にかけ、導き出された速度なのだろう。
以下の映像は、筆者が中速シェアモビリティをフルスロットルで疾走している様子だ。あなたはこれを速いと感じるだろうか? それとも遅いと感じるだろうか?
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ここで乗っているのはVoiという会社のキックボード。安全を考慮して人のすくない広場で乗っている。ちなみに場所はヘルシンキ、右手がアアルト設計のフィンランディアホール、左手奥に見えるのが最近できた中央図書館《Oodi》
スマートフォンのアプリを使って街中にあるキックボードをだれでも利用することができる
中速シェアモビリティは、スマートフォンのアプリと連動している。スマートフォンに専用のアプリをダウンロードし、クレジットカードの情報を登録すれば、だれでも利用することができる。Uberのようなシステムだと思ってもらって問題はない。
中速シェアモビリティとアプリを運営している会社は、ひとつではない。ひとつの都市に複数の会社がキックボードを提供し、競いあっている。基本的なキックボードの仕様や性能、サービスに特段変わりはないのだが、おもに料金体系が異なっている。たとえば利用した距離あたりに応じて料金が発生するものもあれば、一定の金額を先払いし、その金額で定められた制限時間内は乗り放題になる、といったようなちがいがある。
また、筆者は短期間しかその都市に滞在していないため正確に把握できていないが、キックボードの充電や故障時の対応など、さまざまな点で優劣があるのだと推測される。長期的に利用をつづければ、より明確なメリットとデメリットがわかるようになるのかもしれない。
ささいなちがいかもしれないが、複数の会社が競争してサービスを高めあっている状況は、ひじょうに健全だ。
加えて、ここで合わせて特徴としてあげた「だれでも」という点も重要だ。20km/hという速度で、性別や年齢に関係なく移動することができる。こうしたインクルーシブでパーソナルなモビリティというような複合的な視点については、後編でも取り上げることにする。
利用後は街中に乗り捨てることができる
もっとも重要で、かつ賛否がわかれるポイントでもあるのだが、この中速シェアモビリティは、利用後どこにでも乗り捨てることができる。
短期間滞在し、たんなる観光客として利用した筆者にとっては、この特徴はとてもよかった。移動先でどこに駐車しておくかを考える必要もないし、さらにそこから移動するときにも同じキックボードである必要はないから、置いた場所を覚えておく必要もない。なぜならすぐ近くに別のキックボードが乗り捨てられているからだ。
乗り捨てということは、専用のステーションや充電スタンドなどが存在しない。そのためバッテリーの残量が少なくなれば、スタッフがバッテリーを交換にやってくる。故障の際も同様だ。ユーザーは故障したりパーキング禁止ゾーンに停められたモビリティをアプリをとおして報告できる。リスクヘッジをユーザー側にも分散させる仕組みだ。
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photo by ©Tier
とはいえ、日本の乗り捨て型のシェアサイクルがそうであるように、乗り捨てることで通行の邪魔になるなど、多くの問題を抱えていることも事実だ。このような問題点は、ひとつの乗り物に対する問題としてではなく、モビリティと都市というより大きな問題系として考える必要がある。
後編では、都市や福祉など、より大きい視野で、この中速シェアモビリティの可能性を検討してみよう。
すこし先どりするとすれば、高速で移動するという高度経済成長時代の(資本主義的な認識を含めた)「速さ」を求める潮流に対し、それを中速にまで「遅くする」ような思想が、中速シェアモビリティと都市をめぐる議論に現れているように思われる。遅いモビリティと都市は、私たちの生活をどのように変えるか? 考えてみる価値はあるのではないだろうか。
後編へつづく
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different-ywo · 5 years
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芸術、癒やし、カオスとの戯れ
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文=Zenarchy(小説家)
自然におけるあらゆる事物は、意識を含めて完全無欠に実在しているのだから、思い悩むべきことなどは絶対にあり得ない。「法」の鎖は既に断ち切られているだけではなく、決して存在してはいなかったのであって、悪魔たちは決して星々を守護せず、あの「帝国」は決して着手されず、「エロス」は決して顎髭を生やしたりはしなかったのである。(ハキム・ベイ『TAZ──一時的自律ゾーン』カオス:存在論的アナーキズムの宣伝ビラ – カオス)
こんな依頼がきた。
Zenarchyへの依頼
なにかしらの「制限」がある状況について書いてください
制限そのものについてでも、制限がある環境でなにかをするということについてでもよいです
「制限」がなにかという設定はおまかせします(時間、空間、制度、文字(言語)、物質(重力?)、身体、魂、など)
依頼理由
Zenarchy小説は、何の不自由もなく、文字を使って自由自在に飛び回るような文章が特徴だと思います。 他方で、ものづくりにはなにかしらの制限が自明なものとして横たわります。知り得ない(思いつかない)ことは書けないし、寝ないで書きつづけることはできないし、読む人がいないと書けません(最後のはすこし概念的ですが)。そもそも小説家にとって「このようなテーマで書いてください」と依頼すること自体が制限でしょう。 表現することへの制限があふれる現代で、それでもなお自由自在に表現される文章を読みたいです。
私へ向けられた以上のナゾナゾは、真夏の強烈な日差しの中で、右手に握られたソフトクリームと連動するかのように一気に溶け落ちてしまった。灼熱の中でドロドロになった意識の陽炎はベチョベチョになったそのナゾナゾの水溜りの中から昇る宇宙開闢の瞬間の焦げ付いた臭いを嗅ぎつけ、ふと昔のことを思い出した。
ある日、私はとある父に「高い高い」をされていた。身体の上下運動とともに私の魂はどこまでもどこまでも上昇し、気が付くと鷲のように空から地上を俯瞰していた。その時の私にとって、獲物はまず第1に視界を覆う大きな絵の中の違和感として察知され、私はだんだんとその違和感へ向かって下降していくことになる。絵自体の大きさは変わらないが、絵の中に占める獲物の割合はどんどんと大きくなり、やがて視界を覆い尽くす。そうして気が付くとお腹が膨らんでおり、それから数日間は生き延びることができるのであった。長いあいだ私は鷲として魂の日常生活を送っていた。その数年間は人間であった頃の自分がイメージしていたものとはずいぶん乖離があった。人間であった時、私にとって鳥は「かもめのジョナサン」のようなもので「この大空に翼を広げ飛んでいきたいよ、悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい」などと口ずさんでいたくらいだ。しかし実際に鷲になってみると、自由というものはまったく問題ではなかったのだ。ただ生き延びること、そのために闘うことがすべてであった。生き延びるために身体を鍛え武器を磨き感覚を研ぎ澄ませた。その延長線上に芸術というものがあることも知らずに。鷲である私には自由も不自由もなかった。故に制限などというものはなかったのだ。
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Photo by Lysander Yuen on Unsplash
ベトベトの手を舐めながら私は考えた。果たして現代は表現することへの制限があふれているのだろうか? なるほど、色々と世知辛い世の中になってはきている。SNSでは表現の自由についての議論、もとい、放言が溢れている。街を歩いてもどこか神経症的な強迫観念によってつくられたさまざまな張り紙や人びとがウロウロしている。しかしそんなものが沈みゆく船だということは誰もがもうわかっているんじゃないのか? 少なくとも言葉を使った表現というものに携わっている私にとって、沈みゆく船の模様替えなんぞに正直興味はない。自然の調和から外れたものはすぐに喰われるということは鷲の経験からよくわかっている。彼らからお墨付��をもらう必要はまったくないのだ。彼らが許そうと許すまいと、自然はただ圧倒的な力であらたな世界を創造しつづけているのだ。この国が近代社会なのかどうかは甚だ疑問だが、たかだか数百年しか続いていない近代社会というものが宇宙開闢から続く焦げ付いた臭いを消せるものではないのだ。
ル・クレジオは『悪魔祓い』のはじめにこう記している。
この本が完成しかかっていたころ、わたしは気づいた。この本が、わたしの知らぬうちに、たまたま、タフ・サ、ベカ、カクワハイという呪術的治療の儀式の順序を追ってしまったことにである。インディオを病気と死から奪い返すためのこれら三つの段階は、あらゆる創造の小径の道しるべそのもの、すなわち、秘法伝授、歌、悪魔祓いなのであろう。芸術というものはなくて、あるのはただ《医術》だけだということを、いつの日か人々は悟るにちがいない
《医術》が禁じられる社会は考えられるが、《医術》が人を癒さないことは決してない。そういったものを《医術》とは呼ばないであろう。なぜならそれらは自然の法に従っているのであり、決して人間のつくった法ごときで太刀打ちできるものではないからだ。国破れて山河あり。星は互いを引き寄せあい、堤防は決壊する。秋にはトンボが飛んで、コンクリートの上には草が生えるのだ。そしてその草を吸った人間は陶酔し、音楽を奏で、踊り、祭りを始めるだろう。もちろん人間が想像できるようなそうした自然の奥には、超然たるカオスとしての自然というものがあるのだろう。《医術》はそうした大いなる自然と人間との間に道をつくり出そうする闘いの軌跡にほかならない。
ソフトクリームとの甘美な時を逃した私を不憫に思ったのか、無料でもうひとつ用意してくれたオヤヂに会釈をしながら、私は芸術と癒やしに思いを馳せた。もちろん、「癒やし」はバザールで手に入るようなものではない。それは命がけの闘いであり、生活形式を根底から変容させるものだ。それは一種の修行とも言えるものであり、試練とも言えるものである。ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクは、戦略的な自我という中心点へと収束する心的な遠近法のイリュージョンを解消させてくれるような思考訓練の全体として瞑想を位置づけ、芸術が近代的伝統の中でそうした広義の瞑想的な思考訓練の組織的方法を指し示す、極めて重要な指標となってきたと主張している。
芸術とはいわば感性と精神を一体化する、西欧世界におけるヨガ道場となり、象徴的な仕方で自らを燃焼し尽くすための方法を作り上げたのです。私には芸術が、規範的美学と表現の自由、技能的な訓練と奔放な遊びとの相互作用を通じて、いわば西欧的タントリズムとでもいえるものをきわめてうまく形作ってきたようにみえるのです
つまり芸術は、太古から続いてきた宗教的修行や儀式がそうであったように、宇宙と人間を媒介する身体技術のひとつなのであり、根源的癒やしを求める人間の生命活動と分かちがたく結びついているのである。
ソフトクリームとの甘い一時も終わり、ハッと我に返った私は、現在自分が置かれている状況を誤魔化すためのいかなる手段をも失ってしまったことに気付かされずにはいられなかった。ナゾナゾは跡形もなく溶け落ち、眼の前では真夏の太陽に長時間熱せられた大地から陽炎がゆらめいていて、その灼熱は刻々と私の体力を奪っていた。いち早く屋内に逃げ込まなければ生命が危ない。私は急いで歩いて来た道を引き返し、アイスクリーム屋のオヤヂの店へと駆け込んだ。冷房の効いたその部屋で私は再びソフトクリームを舐めながら、溶けて輪郭を失ったあのナゾナゾを読み返してみた。そしてなぜナゾナゾが溶けてしまったのかをやっと認識した。
そもそも制限と限界はちがうものだ。制限は人間が限度を決めることであるが、限界というものは自然の法にしたがう。制限は自らの内にしか存在しないが、限界は自ずとそれが決まる。限界を知るということ、つまり自由というものが幻想だと知ることは、自らが何に縛られているかを知ることである。奴隷は自らが奴隷であることを受け入れない限りは戦士として闘うものであり、信仰のあるものにとってはいかなる状況も制限ではない。不安や恐怖に突き動かされている者にとってこの世は制限で溢れているが、神に承認を与えられた者にとってはこの世は遊びに変わる。その人の欲望のあり方、目的地の設定次第で、何が制限などというものは変幻自在に変わるのだから、制限それ自体について語ってもあまり意味はない。我々はただ、鷲のように自らの世界の中に違和感を察知し、つねに自らを変化させ続けることによって、大いなる癒やしに近づいていくことができるだけである。
Zenarchy カオス/小説家。『Kenbo S/U88/55』(2015)、「夢の『書」の夢』(2017)。「混沌」「遊び」「夢」などをテーマに日々「無の贈与」を送るべく生命活動を続けている。現在、新作エッセイ風「抗体詩護符賽」をnoteで連載中。
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different-ywo · 5 years
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中途半端「すぎる」こと──白須寛規《並びの住宅》
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文=春口滉平(編集者、山をおりる)
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世の中にはさまざまな2項の対立というものがある。
それぞれの端を過剰(〜すぎるもの)にすれば、ものの特性は極端に際立つものになるだろう(青すぎる屋根、濃すぎる鉛筆、やわらかすぎる豆腐…)。たとえば豆腐は、やわらかすぎる豆腐と硬すぎる豆腐とで対立する。
ここでふと、2項が1本の棒の端であるとして、その棒の中央に思いをめぐらせてみる。ちょうど棒磁石の赤(N極)と黒(S極)の色の境い目のことだ。
ここで考えようとしていることは、この2項の中央がどのような性質を持っているか、ということではない。2項の中央は、その2項の性質から考えると、どちらともいえない、中途半端な性質だ(やわらかくも硬くもない豆腐)。では、その中途半端な2項の中央を過剰にすれば、ものの特性はどのようなものになるのだろう──つまり私たちはいま、中途半端「すぎる」ことの特性について考えようとしている。中途半端「すぎる」こととはどのようなものなのだろう?
ちなみに、棒磁石の赤と黒の境い目は、赤黒い色をしていない。赤と、黒だ。中央で切ったとすれば、切断した片方がN極、もう片方がS極になり、棒磁石が2本になる(磁力は弱まるが)。つまり赤と黒、N極とS極以外の、第3軸となる性質はそこに現れていない。にもかかわらず、そのような2項の中央──ここで言う中途半端であること──を過剰にした場合について考えようとしているのだ。
なんとも中途半端な問題設定なので、どちらともつかない結論に向かうかもしれない。だから論考やレポートのようなテクストではなく、メモとして読んでもらえれば幸いである。とはいえ、なにかしらの仮説がなければメモもたいくつになってしまうだろうから、次のように結論じみたことを先取りして書いておこう。
中途半端「すぎる」こととは、キャンプだ。
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さて、なにか仰々しいものを書くような書き出しだったが、本稿は建築家・白須寛規(design SU)が設計した住宅《並びの住宅》のオープンハウスにおとずれた際の感想文である。まずはこの住宅について概説しよう。
《並びの住宅》は特殊な住宅だ。作品名からして特殊であることがうかがえる。なにが並んでいるのだろう。オープンハウス当時の案内状に書かれていた作品名は《T邸 O邸》であった。現地に到着すると、《T邸》と《O邸》という2軒の住宅が並んで建っていた。そしてその2軒はさまざまな意味で似ているのだけれど、似ているだけで、同じではなかった。
ふたつの住宅の外観をくらべてみよう。同じような色だけれどすこしだけちがう色で塗られた青い屋根。その屋根の稜線はたがいに複雑なのだが、折れ曲がる回数やおおかたの方向は同じ、でもかたちはちがう。ともに立面の一部が切妻(家型)になっている、かのように見えて、それは屋根の稜線が似ているだけで、片方は切妻の中央部分で壁がなくなり、大きな庇がつくられている。窓も立面の同じような位置についているけれど大きさはちがう。外壁の表面の素材はちがうけれど、仕上げかたが似ている。エントランスの位置と方角は一緒でも、開口の大きさも印象もまったくことなるし、片方はそのまま1階から内部に入るが、もう片方は階段をのぼったさきに玄関扉がある。
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《並びの住宅》外観。手前が《O邸》、奥が《T邸》 photo: design SU
ここまでの外観の印象から、ふたつのものが同じように並んで建っているが、それぞれの住宅はべつの住宅であり、それぞれの住宅に特性があるものとして設計されたのではないか、という仮説が立つ。そしてその対立がひとつの建築作品として位置づけられているのではないか──ちょうど赤と黒がくっついた棒磁石のように。
では内部はどうだろうか。私はまず北側の住宅におじゃました。さきほど階段を登ったさきに玄関扉があると書いたほうの住宅だ。こちらが《T邸》らしい。中に入ってまず印象に残ったのは、ラワンベニヤの表面だ。壁も、キッチンの側板も、キッチン裏の棚や冷蔵庫置場、宙に浮いて入れ子のようになった2階の吹き抜け側の壁も、天井の仕上げまでラワンベニヤだった。
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《T邸》キッチン photo: 筆者
さては、こちらの住宅はラワンベニヤでつくり込んで、もう片方の住宅はべつの内装(OSBとか白ペンキとかPB現しとか!)にして差別化しようとしているんだな、と思った。
でも、ちがった。2階からして真っ白だった。中2階は外の植物の色が反射して緑色をしていた。
さっそくひとつめの予想が裏切られたわけだが、内装の仕上げだけが建築の表現ではない。もっとちがうところに、ふたつの住宅の対立のルールが隠れているのかもしれない。ほかの部屋の見学をつづけてみよう。
さきほどラワンベニヤで覆われていた場所はダイニングキッチンだ。キッチンはこじんまりした印象で、真上にある浮いた2階には吹き抜け側に両開きの窓がついていてかわいい。その窓の上は天井が家型になっていて、さらにかわいいのだが、その造形は家型と言ってしまうには複雑すぎる。窓のむこうには、庭をはさんで、となりの住宅が見えた。
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《T邸》ダイニングキッチン photo: design SU
つづけて奥のほうへ進む。奥には小さい階段が見え、下にも上にも、さらに上にも行けるような立体構成がよくわかる。階段をのぼった中2階のような場所がリビング、その先にテラスがある。テラスには床から天井まである大きな建具があり、ガラガラと音を立てて開閉する。開け放つと、いちおう屋根がかかってはいるが、そこはほぼ外だ。にもかかわらず、左奥に見える吹き抜けの下を覗くと、お風呂があった。
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《T邸》吹き抜けから浴室、和室、カーテンの向こうにテラスが見える photo: design SU
ちなみに奥(写真左上)には、これまた宙に浮いたような和室がある。吹き抜けには家具のような階段が置かれていて、直接お風呂場に降りられる(オープンハウス当時はまだ降りられなかった)。場面の展開、建築的な要素が立てつづけに視界に入ってくるのだが、いやらしさはまったく感じられない。建築家のドヤ顔が見えない、と言えばいいだろうか。ありていに言えば、とてもたのしいのだ。
このほかの居室をめぐってみても、共通するルールのようなものは見受けられなかった。それぞれの居室はまったく印象がちがう、というわけではないのだけれど、いくつもの要素が積み重なったような印象はある。
さて、もうひとつの南側にある住宅にもおじゃましてみよう。こちらは《O邸》だ。まずエントランスからおどろくのだが、アプローチ部分の壁が曲面になっていて、その上に敷地境界線に沿ったL字の壁が浮いている。そのL字壁の内部、エントランスの上部は、なにもない、吹き抜けている。
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《O邸》外観 photo: 筆者
この「なにもない」という感覚を覚えておいてほしい。おそらくそこになにかあるだろうという予感、しかしそこにはなにもない。でも喪失感はない。なにもない、という状況に豊かさを感じる──そんな感覚。
アプローチを抜け玄関をくぐると、だだっ広い部屋があった。まず広い土間があって、小さな段差を挟んでつながったリビング。その奥にダイニングキッチン、引き戸を開くと寝室。こちらの住宅もさきほどと同様、居室ごとに印象がちがっていて、シーンがどんどん展開していく。この「シーンが展開していく」という状況には、しばしば建築的に「シークエンス」という言葉が使われる。建築内を移動するときのひとつながりな景色の変化をデザインの対象にするようなこの言葉には、どちらかといえばシーンの展開を体験している人間をコントロールするようなまなざしが含まれているように思われる。A→Bへの移動のあいだにどのような体験をもたらすか、その先になにがあるのか──。
しかしこの《並びの住宅》という住宅には、シーンの展開の先に待っているものは、ない。おそらくそこになにかあるだろうという予感、しかしそこにはなにもない。たとえば《O邸》の外観は2階建てのプロポーションをしているが、2階に相当する居室はない。中に入っても2階があるような雰囲気はあるのだが、ない。すべて吹き抜けであり、ロフトとして設けられているところにも階段や梯子が用意されていないので行けない。上階に床があたえられている場所があるのだが、そこは光庭になっている。室内に光を取り入れるという機能を持っているものの、そこにはなにもない。そういえばエントランスの上部もなにもなかったことを思い出そう。
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《O邸》外観 photo: design SU
たとえば《T邸》では外部としてのテラスから直接浴室へとアプローチできたが、このようなシーンの展開には意味がないように思える。正確には、意味があるように思えるのだけれど、解釈できる可能性が多すぎて、逆転して解釈不能になっている。テラスは茶室における庭になっていて和室へのアプローチとして要請されたのだとか、露天風呂のようにつくりつつプライバシーを守るために半屋外としてのテラスと併置したのだとか、内→外→内という移動が《住吉の長屋》へのオマージュだとか……そのような解釈は可能だが、ひとつながりな「シークエンス」として成立していない、断片的な構成なため、その解釈が意味とならない。
そしてそれら断片化したそれぞれのシーンや要素は、お互いに優劣関係がない。どこか特定の居室が特別な意味を持っていたり、クライマックスが用意されていたりすることがない。お互いに併置されながら、ただそこにあるだけだ。だからたとえば《O邸》のキッチンの上にあきらかにほかの建築言語とは異なる意匠を持ったフレームの窓があったとしても、それは特定の意味を持ってほかの建築言語と異なるのではなくて、ただたんにちがうだけなのだ。
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《O邸》ダイニングキッチン photo: design SU
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ここでいう「なにもない」ということは、物質がそこにない、というだけではないことはおわかりいただけると思う。意味がない、解釈が存在しない。逆にいえば、物質がただたんにそこにあるのだ。
私たちは、なにかの物質がそこにあるとき、なぜそれがそこにあるのか、意味を考え、解釈しようとしてしまう。
建築に適用された場合の解釈とは、作品全体からいくつかの要素(X、Y、Zなど)を取りだすことである。そして解釈の仕事は実際には翻訳の仕事とひとしいものとなる。解釈するひとは言う──ほら、わかるでしょう、Xは本当はAなんです(またはAを意味するんです)とか、Yは本当はBなんですとか、Zは実はCなんです、と
解釈は、なにかしらの価値を見いだそうとする力学だ。なぜこの壁はここにこのようなかたちで立っているのだろう。なぜエントランスの壁は曲面なのだろう。なぜ半外部のテラスと浴室が階をまたいで直接つながっているのだろう。なぜリビングダイニングがすべてラワンベニヤで覆われているのだろう──。それはね、Aを意味しているんです。ほんとうはBなんです。だからこういう価値があるんです──。そのような価値は、いったいだれのための価値なのだろう?
[引用者注:解釈によって]建築というもの自体が──個々の作品をこえて──疑わしいもの、弁護を必要とするなにものかにならざるをえない。この弁護の結果、奇妙な見解が生じてくる。すなわち、あるものを「形式」と呼びならわし、またあるものを「内容」と呼びならわして、前者を後者から分離するのだ。そして、いとも善意にみちた動機にしたがって、内容こそ本質的、形式はつけたしであると見なすという次第だ。……建築作品とは本来何かを言っているものだということが大前提なのだ
内容と形式。形式を「目に見えているもの」くらいに置き換えてもいいだろう(ここでいう「形式」はStyleのことだが、建築の話をするときには似た意味としてTypologyが使われることがある。このちがいについてはまたの機会に検証することにしよう)。いままさに目に見えているものとはべつに、その背景にこういうものだという「内容」を見て、なにか意味があるものとして解釈すること。それは、解釈する側の人たちにとっての価値として資するものだ。私たちはそのようなものとして「建築学」をとらえてきた。
他方で、住宅はだれのものだろう?
住宅を建築作品とするならば、それは住宅を設計した建築家のものと言えるかもしれない。しかし、住宅に住む人にとっては、建築家による建築の「内容」は、かならずしも価値になるものではない。住人は建築家の「内容」から離れて、住宅から自由に意味を見つけ、住む。建築家による建築作品としての住宅。クライアント、そこに住む人のための、棲家としての住宅。住宅はふたつに分裂している(住宅が分裂しない例として建築家の「自邸」というものがあるが、ここでは触れない)。
このふたつに分裂した住宅を、さきほどの「内容と形式」という分裂に重ねてみたとすれば、以下のような整理が可能だろう。
内容──建築家の建築作品としての住宅
形式──住む人の棲家としての住宅
とはいえ、そこにある住宅は、たったひとつしかない。
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さきほど、ふたつのテクストを借用したが、これらはともに美術批評家のスーザン・ソンタグが「反解釈」(高橋泰也訳、『反解釈』(ちくま学芸文庫)所収)という論考で書いたテクストの一部だ。ただし「芸術」と書かれている部分を「建築」に置き換えてある(なお本節にも引用があるが、同様の出典である)。
この論考のタイトルのとおり、ソンタグは「解釈」することを批判している。そして「必要とされるのは、芸術の形式にもっと注目すること」、そして「形式を描写するための語彙──かくあるべしと命令する用語ではなく、かくあると描写する用語だ」とする。
なぜか。それは、芸術が解釈家、批評家による解釈によって意味付けられ、その内容こそが芸術である、という逆転がおきてしまうからだ。ここでも「芸術」を「建築」に置き換えて考えてほしい。ソンタグは、解釈が反動的、抑圧的に作用してしまうことに対し、「解釈するとは対象を貧困化させること、世界を萎縮させること」だと言う。解釈こそが、その作品の解釈の幅を狭めてしまう。「解釈の横行が私たちの感受性を毒している」。
建築においては、建築家が雄弁に「コンセプト」を語る。このコンセプト、あるいはステートメントが、さきの整理における「内容」の位置をしめるようになる。これはある意味で、すでに批評家による解釈から「内容」を制作者の側にとりもどした、とも言えるかもしれない。建築家による表現は解釈的である、あるいは内容がある。しかし、こと住宅においては、そこにある建築は建築家のものだけではない。住宅はふたつに分裂している。建築家による内容によって、そこに住む人の感性を奪ってはいけない。
われわれのなすべきことは、ものを見ることができるように、内容を切りつめることである
私たちは、そこにあるものの裏側の内容にばかり目を向けていてはいけない。形式、そこにあるもの、それ自体をどのように見るか、どのように感じるかが重要なのだ。
いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ。われわれはもっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じるようにならなければならない。批評の機能は、作品の経験の確かな実在感を薄めてしまってはならない。批評の機能は、作品がいかにしてそのものであるかを、いや作品がまさにそのものであることを、明らかにすることであって、作品が何を意味しているかを示すことではない
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白須の《並びの住宅》には解釈が存在しない。私はさきにそのように書いた。このことをもうすこし理解するために、懸命に解釈してみよう。
《並びの住宅》に内容がないわけではない。それぞれのシーンに建築家の意図がはっきりとある。でもそこに解釈が追いつかない。解釈しても意味がありすぎて意味がない。なぜか? 私たちはここで、建築を解釈しようとするとき、建築作品単体として解釈しようと試みていることに気づく。「解釈しても意味がありすぎて意味がない」という状況は、ひとつずつのシーンの解釈は可能でも、それらが断片的に構成されているために、ひとつの建築作品としての解釈が避けられていることを指している。ここでは《T邸》と《O邸》それぞれを単体の建築作品としてとらえようとして、失敗しているのだ。
ふたつの住宅をおとずれたときのことを思い出そう。さまざまなシーンの展開、いくつもの要素の積み重ね、優劣関係はなく、それらのさきにはなにもない──。これらの感覚は、ふたつの住宅に共通して感じられた。そういえば、この建築作品は、ふたつの住宅がひとつの作品としてクレジットされていたのだった。それぞれを単体の建築作品としてとらえようとして失敗するのであれば、ふたつでひとつの建築作品としてとらえてみれば、解釈可能かもしれない。
ここで当初の作品名《T邸 O邸》における各住宅のあいだにある「 」(半角スペース)について考えてみよう。ふたつの住宅のあいだには、半角のスペースがクレジットされている。じっさいにふたつの住宅のあいだにあるのは、庭である。ふたつの住宅にひとつしかない、共通の庭。住宅+庭+住宅でひとつの建築作品であるという解釈をしてみる。
ちなみに、このふたつの住宅のクライアントはべつべつなのだが、ご兄弟なのだそうだ。片方の住宅の設計依頼がさきにあり、途中からもう片方の依頼が追加されたと聞いていた。なるほど仲がいいなと思ったが、とはいえべつの世帯であることには変わりない。ではこの庭は、ふたつの世帯のプライバシーを守るような壁として機能しているのだろうか? それとも、ことなる住宅をつなぐ接着剤のようなものとして機能しているのだろうか?
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《並びの住宅》共用庭 photo: design SU
その答えは、どちらでもあるし、どちらでもない、というのがここではふさわしいように思う。それぞれの住宅から庭へは軒や縁側のようなものが出て、親密な雰囲気がある。もちろん向かいあっているので、両家族がそこでつどい、バーベキューをしている光景が目に浮かぶ。とはいえ、たとえばそこに大きな屋根がかかっているとか、おたがいのリビングが庭を介して向かいあっているとか、日常の生活でお互いが庭を積極的に使うようなしかけがあるわけではない。庭は、ただの庭だ。
庭がただの庭であること。庭には庭である以上の意味がそこにない。より正確に言えば、いわゆる庭(庭(にわ)は、住宅などの施設の敷地内に設けられた、建造物のない広場である……木や植物、草花を植えたり…して住民の安らぎと慰みとして利用されることが多い[Wikipediaより])以上の機能がないように設計されている。この住宅において、このことがいかに特殊か、考えてみてほしい。
《並びの住宅》の庭を考えるにあたって、前提を整理してみよう。一般的に、おとなりさんの住宅の庭は、採光であったり草木だったり虫が行き来したりして、環境的には関係がある。建築は、このような環境に配慮して設計される。しかしじっさいには、こちらにとってはほんらい関係がない。おとなりさんの敷地内だからだ。関係があるように見えて関係がない、中途半端な存在なのが、おとなりさんの庭である。
では《並びの住宅》の庭はどうか。おとなりさんは親族である。この時点ですでに関係がある。おとなりさんの庭はおとなりさんの敷地内にあるが、おとなりさんは親族なので、関係がないとは言えない。さらに《並びの住宅》では、ふたつの住宅の庭をとなりあわせて、境界もない、ひとつの庭のようにしつらえられている。ふたつのものをひとつのものにしているという意味で、とても作為的だ。なにかしら特別なものとして位置づけられている。にもかかわらず、見たところ、この庭はただの庭である。いわゆる庭以上の意味がそこにない。なぜか? 建築家がそのように設計したからである。この庭は、ただの庭であるように、緻密に設計されている。共有の庭であることを明示するような、大きな屋根をかけたりおたがいが積極的に利用するしかけを用意したりという操作をしていない。操作しないという操作によって設計されている。作為的「すぎる」にもかかわらず作為的でない。半角スペースは《T邸》と《O邸》をつなぎ、切り離している。
なんと中途半端なのだろう。《並びの住宅》は、中途半端「すぎる」建築である。
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《並びの住宅》は、なぜ中途半端「すぎる」のか。さらなる解釈の試みのために、設計者である白須の言説をいくつか確認してみる。まずひとつは、「木村松本建築設計事務所『K』について」という論考だ(ちなみにこの論考で白須もソンタグの「反解釈」を引いている)。これはタイトルのとおり、木村松本建築設計事務所(以下、木村松本という)が設計した『K』という住宅兼ショップについてのテクストで、このなかに「他人の庭」について述べられた箇所がある。このテクストでは、「他人の庭」は木村松本が2011年に実施した展覧会のタイトルであり、当時の木村松本の建築についてのキータームであることが示される。すこし長くなるが、白須による「他人の庭」の説明を引用してみよう。
私たちの周りにある土地というのはほとんどが所有の関係のもとにある。公共であろうと個人であろうと、「ここは〇〇の土地」というように名前がついていて、所有された土地どうしは明確な境界で仕切られている。それを意識して街を歩くと、この境界というのが塀や溝や段差によってかなり具現化させていることがわかる。よって境界の“あちら側”を簡単に意識することができる。たとえば、街を歩いているとこういった境界の向こうに不意にいい場所を見つけることがある。自分ではない誰かの所有地を気に入って、前を通るときはいつも眺めてしまうことがある。この境界の向こうにある“お気に入りの場所”を、彼らは親しみを込めて「他人の庭」と呼ぶ。
「「他人の庭」とは具体的な境界が所有の概念をひとまずキャンセルして見せてくれた開放的な「あちら側」である」と白須は整理している。さらに木村松本の「他人の庭」は、具体的なエレメントを介して開放的な「状態」を提供しているのだとする。このテクストでは「他人の庭」自体への評価は留保してあるのだが、ここではこの木村松本によるキータームを《並びの住宅》の「おとなりさんの庭」に接続してみよう。
所有された土地どうしは、明確な境界で仕切られていて、あちら側を意識し、関係があるように見えてじつは関係がない。ほんらいの「おとなりさんの庭」は「他人の庭」である。しかし《並びの住宅》の中途半端な「おとなりさんの庭」は「他人の庭」であると同時に「私の庭」だ。所有された土地どうしが明確な境界で仕切られておらず、あちら側を意識しつつこちら側も意識し、関係がないように見えて関係がある。所有している土地と所有していない土地が重なっている。「他人」と「私」が重なっている。重複するまなざしが《並びの住宅》の中途半端な庭には向けられている。
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《T邸》ホールから共用庭と《O邸》が見える photo: design SU
《並びの住宅》が中途半端「すぎる」のは、重複するまなざしを建築に導入するためである、と仮定してみよう。さきほどソンタグの「内容と形式」を住宅の分裂と重ねて整理したが、ここまでの議論をさらに強引に整理すれば、次のような表をつくることができる。
解釈 内容 建築家の建築作品としての住宅 他人 あちら 反解釈 形式 住む人の棲家としての住宅 私 こちら
目に見えているものには内容があるはずだ、という解釈をする建築家の建築作品としての住宅は、目に見えているものの「あちら側」を想像する「他人」のまなざしが向けられる。他方で、反解釈的な住む人の棲家としての住宅は、目に見えているままの「こちら側」の形式を感じる「私」のまなざしが向けられる。
しかし、思い出そう。とはいえ、そこにある住宅は、たったひとつしかない。
このような2項の対立は、まず「解釈」という概念が前提になっている。《並びの住宅》は、この「解釈」を瓦解させ、「反解釈」に近づけることで、対立自体を調停しようとしているのではないか。2項の中央、中途半端であることを過剰にすることで、それを実現しようとしているのではないか。
建築をまなざすふたつの主体を統合する《並びの住宅》は、解釈しすぎる建築を、反解釈側へと近づける試みである。「反解釈」とはなにか? ソンタグの言葉を思い出そう。「いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ」。かくあるべしと命令(解釈)する用語ではなく、かくあると描写(感覚)する用語。感覚的な言葉、感覚的な評価軸を、中途半端「すぎる」《並びの住宅》は、「他人」と「私」のまなざしを重ねることで要請しているのだ。
このような他人/私、あちら/こちらが重なったまなざしは、《並びの住宅》の経験を経たいま、街のいたるところに見いだせるように思う。他人の家の窓から、自分ももっているぬいぐるみが見える。両親が乗っているのと同じ車が道を走っている。すれちがった人から、好きな人とおなじにおいがする──。とてもありふれている。木村松本の「他人の庭」がそうであったように、白須が提示する中途半端な感覚は、普通なのだ。建築における「普通性」という感覚を、白須は再度うったえかけようとしているのだと、私は思う。
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最後に、ここでいう「感覚」に、もうすこし輪郭を与えておこう。
白須は、WADAA2018にて次のような発言をしている。なお、この引用は筆者がイベントでの白須の発言をその場でツイッター上にて書き起こしたものなので、まったくこのように発言したというわけではないが、ここではこのように白須が発言した、という前提で話をすすめることにする。
白須:Ginza Sony Park。オシャレだと思った。建築の側からするとこういう意匠を与えがちという表現に対して、そうせずに減築したうえでオシャレにできている。それは評価しうるのでは。 #WADAA2018
December 16, 2018
WADAA(Wonders in Annual Development and Architecture Award)は、建築家による当事者同士のピア・レビューの場として設置され、相互批評を通じて、共通の課題を見出すことを目的としたイベントである。2018年に開催���れたこのイベントに白須は選考委員として参加し、さきほどの発言をおこなっている。
ここで白須が展開しようとしているのは、建築における「オシャレ論」だ。WADAA2018ではオシャレ論の展開に失敗しているが、なぜ白須はこのような場でオシャレ論を展開しようとしたか、そちらのほうが重要である。
「オシャレ」とはどういう状況だろう。白須のみじかい発言からすれば、まずオシャレは「建築の側からするとこういう意匠を与えがちという表現」、言い換えれば、建築家がデザインしそうな表現、ではない。《Ginza Sony Park》は「そうせずに減築したうえでオシャレにできている」。「建築の〜表現」は「減築」ではなく「オシャレ」について言おうとしていると考えられる。つまり、建築家の表現はオシャレではない、という前提がここにはある。
では、オシャレとはどのような表現か。白須はこの場で「オシャレ論」の展開に失敗しているため、これ以上オシャレに関する発言ができていない。なので、さきほどのオシャレの前提を、本稿における整理にあてはめて考えてみよう。オシャレは建築家的な表現ではない。建築家的な表現とは、解釈的なのであった。つまり本稿の整理をオシャレ論に短絡させるとすれば、オシャレとは反解釈的である。
オシャレとは装うことだ。現代において、装うとは、服装や髪型、化粧など身なりを装うことだけを指さない。SNS、とくにInstagramの普及にともない、なにを食べているか、どのような生活をしているか、暮らしの状況までがオシャレに装う対象になった(参照)。とはいえ、その装いがオシャレかどうかは、程度の問題だ。その尺度は人それぞれと言うほかない。どの程度オシャレか、それは反解釈的、つまり感覚的である。
オシャレが感覚であるという議論には、ある程度の方が納得していただけると思う。自分がどれだけオシャレだと思っていても、他人から見ればオシャレではなかった、という経験は多くの人に覚えがあるだろう。そのような感覚的な尺度は再現性にとぼしく、建築を評価するという視点において忌避されるのは当然ともいえる。にもかかわらず、オシャレという感覚的、反解釈的な評価軸を建築批評に導入しようとする、このことが白須による「オシャレ論」であると仮定できるだろう。これは《並びの住宅》における反解釈への接近と同様の試みだと考えられる。
問題は、現状「オシャレ論」を導入すること自体が評価になるような論調であることだ。どの程度オシャレかという尺度は人それぞれなのだから、そのオシャレがべつのオシャレと比較したときにどちらがよいか、という評価が成立しない。N極かS極かという診断を必要としない、中途半端な評価軸なのだから当然だ。これを評価として成立させるためには、どの程度オシャレかという程度の問題から離れて、どのようにオシャレかという、より精密な感覚的態度が求められるのかもしれない。
感覚的、反解釈的な評価軸の導入は、このように慎重に考えるべき問題だろう。
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しかしそのヒントは、ソンタグがすでに与えてくれている。『反解釈』に収録されているべつの論考「《キャンプ》についてのノート」がそれだ。
キャンプとは、取るに足らないものだ。そして、感覚についての言葉である。
ソンタグはキャンプを51条の箇条書きで説明しようと試みているが、定義として確立したものは提示していない。どちらかといえば、さまざまな言い方でキャンプの輪郭を探している。それは「感覚を──とりわけ生きていて力強い感覚を──言葉でからめ取るためには、われわれは断定を避け、柔軟にふるまわねばならない」からだ。
1── 一般論から始めると、キャンプとは一種の審美主義である。……キャンプの見方の基準は、美ではなく、人工ないし様式化の度合である。
5── ……キャンプ芸術とはしばしば装飾的芸術のことであって、内容を犠牲にして、見た目の肌合いや感覚に訴える表面やスタイルなどを強調するもの……である。
7── キャンプ的なものやひとは、必ず人工という要素を多く含んでいる。自然界のものは決してキャンプ的ではありえない。
キャンプは、「インスタント(33)」で「大衆(5)」的であり、「喜劇的(44)」でかつ「意図的ではない(19)」、一種の「人間性に対する愛情(56)」としての「両性具有的スタイルの極致(11)」である。そして「キャンプはふざけており、不真面目なものである(41)」、なぜなら、真面目であること、つまり「誠実さ」は「無教養ないし知的偏狭さにすぎないかもしれない(42)」からである。つまりキャンプはこんにちではとてもよわくなってしまった「アイロニー(43)」の一種である。
感覚的、反解釈的な評価軸の導入に慎重になるべきなのは、感覚的な言葉やものは、人それぞれ、個人的な意見になってしまうからだ。ある対象について、私はこう思うことと、あなたがこう思うことは、かならずしも一致しない。このような前提に立たなければ、感覚的な言葉はときに分断をひきおこす。ソンタグはキャンプという感覚の基準を、さまざまな言い方で表現することで、個人的な感覚から社会的な現象に開こうとしているようにも見える。キャンプは、誘惑され、感覚した「私」の身体性が動いてしまうような、情動的な状態や雰囲気──ヴァイブスに近い。建築におけるオシャレという感覚も、どこかそのような「私」という身体性をゆるがすようなものであってほしいと思う(むろん、オシャレという用語の適用自体がふさわしいか、という段階から議論が必要だ)。
近年ではキャンプを再評価する機運も高まっていて、2019年5月から9月にかけてニューヨーク・メトロポリタンミュージアムで「Camp: Notes on Fashion」という展覧会もおこなわれている。
キャンプは語源も用法もあいまいで中途半端だ。しかし、表現からとある感覚を導き、審美性を評価するための用語として批評的にあつかわれたことは、今後オシャレ論を検討していくうえでも重要な参照点になってくるだろう。
かくして、白須寛規《並びの住宅》の感想文は、住宅が中途半端「すぎる」こと、オシャレであること、あるいはキャンプであることについてのエッセイのようになった。これはなにより、《並びの住宅》をおとずれたときの経験が「たのしい」という感覚的なうったえかけに大きくよっていたことの証左だ。中途半端であること、あいまいであることが評価されない、むしろ虐げられるような現代において、グレーゾーンをゆるしてくれるような思考を可能にする白須建築のたのしさが伝わっていればいいなと切に思う。
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photo: design SU
《並びの住宅》白須寛規/design SU 掲載誌
GA HOUSE 166(A.D.A. EDITA Tokyo)
住宅特集 2019年10月号(新建築社)
参考文献
スーザン・ソンタグ『反解釈』」(ちくま学芸文庫)
千葉雅也『意味がない無意味』(河出書房新社)
小澤京子「シークエンシャルな建築経験と(しての)テクスト──鈴木了二『ユートピアへのシークエンス』ほか」(「10+1 website」2018年1月)
立石遼太郎「第1章 誰も乗り越えてはならない──青森県立美術館」(note連載「建築におけるフィクションについての12章」、株式会社ミルグラフ)
春口滉平「インスタ映えする建築写真論──空間、ロラン・バルト、表面」(「山をおりる1.0」、山をおりる)
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