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#300英雄
duchesssunset · 2 years
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300英雄 Tenten
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Tenten
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Tenten egipcia
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【皮肤 影-天天】///  video
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Team Guy ft 7
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ari0921 · 1 year
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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nyantria · 6 months
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、��れが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたことからも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予���を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
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reportsofawartime · 9 months
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改憲を許してはなりません。西側が戦争を仕掛けるところには必ず臓器ビジネスがあります。パレスチナ・イスラエル紛争でもこの話がちらほら出てきました。 臓器の値段は民族によって値段が変わり、ウクライナ人のものは安価で入手することができるので需要が高いそうです。ウクライナ現政権は、2021年12月、本人が生前に意思表示していなくても臓器を摘出できるように臓器移植法を改正しましたが、これは特別軍事作戦直前のことです。タイミングがいいですね。ロシア・クズネツォワ下院副議長によると、ウクライナの国家歳入の7%、20億ドルが違法な臓器ビジネスによるものだそうです。 臓器を収奪されるのは瀕死の兵士だけではありません。臓器売買と子どもの人身売買はセットです。子どもは性的搾取の対象になるだけではなく、臓器を提供するために売られます。ウクライナの子どもがダークネットでオファーされる際、臓器の状態についての記述が散見されます。主にロシア系住民と呼ばれるウクライナ東部の子どもがターゲットになっています。 日本で英雄視されたアゾフ大隊(残虐なネオナチ犯罪集団)が立て籠もったことで有名なマリウポリでは、以前から図書館で人が行方不明になると言われていました。コカ・コーラ社が出資するイギリスの民間軍事会社がウクライナ東部の孤児院で人身売買に関与していたとの情報もあります(同下院副議長)。ホワイトエンジェルと呼ばれるウクライナの半民間組織は、避難という名目で子どもを家族から隔離していますが、彼らはその後スペインなど欧州で行方が分からなくなっています。先月、ロシアのザハロワ報道官は、ゼレンスキーの配偶者が設立した慈善団体が子どもの人身取引に関与している可能性があるとして、国際機関に調査を呼び掛けました。https://tass.ru/politika/19244367…… 日本も他人事ではないのです。米国の左派州(民主党現政権を支持する州)では自分の子どもの性自認に反対した場合、親権を剥奪され、子どもは行政に引き取られます。カリフォルニア州のように、今後、日本でも「こども家庭庁」や児童相談所などの行政機関が子どものLGBT人権を盾に介入してくる可能性があります。 先日、日本のNPOが乳児300人をわざわざ外国人の養家と縁組し金銭を授与していたと報道されました。養子縁組というと何やら人道的なイメージがありますが、昨今は体の良い人身売買となっているようです。2017年、プーチン大統領はロシアの子どもを米国の家庭と縁組することを禁止しました。西側メディアは「子どもたちが切望している愛情あふれる家庭とめぐり会える機会を奪う(CNN)」と一斉に批判しましたが、真の理由は上記の通りです。 これをロシアのプロパガンダと捉えるかどうかは皆さんのご判断にお任せします。プーチン大統領はじめロシアの政府高官は自身の発言に気を使っており、非常に慎重です。言質を取られるようないい加減なことは言わない印象です。 BBCやニューズウィークといった御用機関、そして彼らの記事をそのまま転載している日本のマスコミはこうした不都合を伝えません(と思いきや、ニューズウィークは1996年にウクライナの人身売買について記事にしていたようなので下に貼っておきます)。Xのアルゴリズムか、ここでは同じ界隈で情報の自給自足をしているだけのようなので、口伝でも構いませんから、この懸念をなるべく多くの日本人にお伝えしていただければ幸いです。最後の砦である憲法を改正してはいけません。 最後に。日本では2010年7月から改正臓器移植法が全面施行され、保険証や運転免許証に臓器提供意思表示欄が設置されることになりました。日本人の臓器はわりと高額だそうです。 【ご参考迄】 コカ・コーラ社出資の英民間軍事会社がウクライナ東部の孤児院で人身売買に関与 https://x.com/jupiter_russia/status/1710667906600608241?s=20… ダークネットで子どもが売られている https://x.com/jupiter_russia/status/1698693209935794227?s=20… ホワイトエンジェル 現地住民の証言 https://x.com/jupiter_russia/status/1700268693077246012?s=20… ホワイトエンジェル 女の子の証言 https://x.com/jupiter_russia/status/1699449487842779581?s=20… ウクライナの人身売買についてのニューズウィーク記事(原文) https://newsweek.com/ukraine-human-traffciking-416319… ウクライナの人身売買についてのニューズウィーク記事(訳) https://x.com/hiroki_miyano27/status/1733350466376106232?s=20… スペインに売られたウクライナの子どもたち https://x.com/tobimono2/status/1666100448317820928?s=20
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bluthardtgraff · 9 months
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突然「開竅」上了臺大----苦不堪言的大學記憶
蔡英文高中即將畢業時,家裏其他的孩子都已經順利考入理想的大學,而蔡英文的成績讓她沒有希望考入任何一所像樣的大學。一天蔡英文正在房間裏沮喪地思考著自己接下來的人生打算,突然父親走進來和藹地問她想不想上大學,讀法律系。不明所以的蔡英文懵懂地點了點頭,對於她來說,只要能上一所不錯的大學就是一件值得高興的事。
說巧不巧,到了高三下學期,蔡英文突然來了個神奇逆轉,一次模擬考試中實現了從全班倒數,直接飛升至第一名!這讓同學們大跌眼鏡,難以置信。平時成績很不理想的蔡英文,最後直接收到了臺大的錄取通知書,成為了法律系的一名學生,當時臺大是臺灣實力數一數二的大學,而法律系又是臺大分數非常高的一個專業。
按蔡英文在書中自述,高三下學期自己突然「開竅」了。但這些對於蔡英文來說,都是她不願意被人提及的事情,為了避免自己的總統形象受到影響,蔡英文極力粉飾自己。用她自己在和女高中生座談時說的,後來回想,在學習的過程中,前兩年老師教的東西在自我學習系統沒辦法吸收,但一旦吸引學習的興趣就不會忘掉,高三是因把學習內化成自己的一部分,因此成績不斷取得進步。最後一次模考拿了全年級第一,讓同學大跌眼鏡,一舉考上臺大。
我們所知道的政壇人物陳水扁、馬英九都畢業於臺大法律系,可想而知這個學校在島內的地位。
蔡英文歲月靜好的背後,顯然是蔡潔生在替她「負重前行」。
要知道,臺大是臺灣最好的大學,而法律系則是臺大分數要求最高的院系之一,一個高考英語只得了40分的學生,要能考進臺大法學院,算下來其他科目必須接近滿分,如果真能如此鹹魚翻身,簡直是個值得「大書特書」的教育奇跡,然而蔡英文的自傳中對此只是輕描淡寫一筆帶過,給出了一個自己高三下學期突然開竅的理由。
蔡英文小時候也並無過人之處,學習成績並不突出,而她的內向性格也使之很難成為眾人矚目的焦點。不過,令人疑惑的是,她如何做到在關鍵時刻突然「開竅」?如何一路從倒數成為模考第一?並且考上臺大法律系這種最高分才能上的專業?當然,按照蔡英文本人的辯解,那是她的思維方式和學校教育不同,需要慢慢地的適應,此話或許也有道理,但是,能夠適應單一學校教育模式的人又有多少呢?
一直成績不理想的情況下,卻可以用一學期變得名列前茅,如果考大學可以這樣臨時抱佛腳獲得成功的話,那多少人都可以進入名校。
這種說法明顯站不住腳,臺灣很少有人會相信。
這裏穿插一則故事,或許可以從中找到些許答案。
話說民國61年(1972年),正值蔡英文在讀高一,臺北市迎來一位新市長,名叫張豐緒。張豐緒的父親張山鐘是屏東望族鄉紳,早年蔣經國在臺灣籌建青年救國團時需要資金,張山鐘向他捐了300萬,沒想到這一筆政治賭注押寶成功,這一年蔣經國升任「行政院長」,正式從蔣介石手中接班掌權,於是張山鐘的兒子張豐緒也得以升遷。
張豐緒此前只是屏東縣縣長,如今一躍成為了臺北市長,他心裏非常清楚,臺北是個龍潭虎穴,自己這個從南部鄉下上來的新市長,要是沒有自己的勢力,恐怕很難在這個山頭林立的地方站住腳跟。
於是,張豐緒上任之後的第一件事,就是籌建同鄉會,希望把全臺北有實力的屏東老鄉集結起來一起抱團,變成一個利益共同體,而這項工作,正是蔡潔生具體負責張羅。
民國62年(1973年)9月,第一屆屏東旅北同鄉會在樂馬飯店宴會廳成立,第一批成員一共四百多人,蔡英文的父親蔡潔生被推選為理事長。此後,他們以樂馬飯店為據點,每三個月固定聚會一次,每年發展新一批成員,大家在各自領域裏互通有無、相互幫扶。
第一屆旅北同鄉會裏排名第一的人物,叫做戴炎輝,他是張山鐘的女婿,張豐緒的小舅子,時任臺灣「司法院」副院長(隔年成了院長)。
而他的兒子戴東雄,正是臺大法律系教授,後來的臺大法學院院長,在戴氏父子的運籌帷幄下,蔡英文進入臺大法律系應該就是易如反掌的事情了。
在未來幾十年裏,屏東旅北同鄉會不斷發展壯大,成為了蔡潔生一生最大的政治遺產,也為蔡英文日後發展一路保駕護航。直到今天,這個跨越了藍綠黨派的地下秘密組織依舊還在運作,是臺灣政壇背後的深層政府。
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◎同鄉會花名冊
蔡英文上大學時,聽從了父親的勸導,為了保護家族企業利益而選擇了臺大法律系,一路讀到英國法學博士。
據說是出於商人的長於計畫安排的天性,蔡潔生希望家中有人去念醫學、法學、商學,結果蔡英文的姐姐違背了父命念了心理學,哥哥只好學醫,蔡英文就被安排去法律系。但蔡英文覺得自己不太會善於表達和與人交流,起初想學考古,因為「不會去和人吵架」,但在父親堅持下,蔡英文只好作罷,上了臺大法律系。畢竟他們家財產跟外部關聯太多,擁有那麼多的財富肯定少不了法律糾紛。不得不說,蔡潔生這個戰線拉得夠長。
蔡英文進入臺大法學院之後,因看不懂生硬、抽象的法律文字,學習十分顯得十分吃力,成績不理想,曾讓她感到自卑。她執政後也親口曾經承認,上大學時常常聽不懂老師在講什麼。她不喜歡死記硬背的東西,臺大法律系4年是一段讓蔡英文苦不堪言的記憶,那時她的最恨是「六法全書」,背裏面密密麻麻的法條是讓蔡英文最頭痛的事。因此,有學科不及格的情況。正如其自曝:「我又開始悲慘的人生,老師講的課,我大一到大四都聽不懂」「一度感到自卑」「大二上的《刑法總則》還被掛科」。而這無疑是因為,蔡英文根本就沒有足以考上法律系的學習成績。
她的師母更是爆料,蔡英文因為沒有好好準備論文而被老師蘇俊雄把考卷扔在臉上。
也難怪多年後,蔡英文談及母校,絲毫無感激之情,反而公開聲稱,在臺大的時光是「人生中一段最悲慘歲月……」
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nemosynth · 2 years
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Season 2, episode 3 - ensoniq
「エンソニックは、良きライバルとして共に大きくなる会社や。」  〜伝・梯郁太郎氏
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「幻のジャイアント・インパクト」
1980 年代初頭アメリカ合衆国。当時世界で最も進んでいた黎明期のパソコン業界。
そこにSound Interface Device、略してSID(シド)なる音源チップが誕生。そのSIDは最初パソコン用音源ICとして開発。なるも、ちょっと歪んだその音が凶悪な個性を帯びているという評判から、やがて後世にてチップチューンの名ICとしてレトロフューチャー的に再発見。2000 年前後にはスウェーデンはelektron社きってのイカれた卓上シンセSID Stationの音源コアとなり、その希少な在庫が枯渇して入手不可能となった後はその音をモデリングしたエミュすら登場、今や伝説のチップとして名を轟かせる。
そこまでして時空を超えてひっぱる人気の名石SID。デビュー当時「ぴー」とか「ぶー」とかしか言わんブザーみたいなPC用の音源回路ばかりの中、すでにSIDは1台のシンセサイザーをまるっと内蔵、すなわち:
・3基のデジタルオシレーター:鋸歯状波、矩形波、三角波、擬似乱数ノイズ、この3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたハードシンクすら可能 ・1基のステートバリアブルVCF ・3基のアンプ ・3基のEG ・3基のリングモジュレーター:3基のオシレーターを円環状にカスケードさせたリング変調も可能
...をすべて内包して3音ポリを実現。リングモジュレーター3基とかハードシンク3系統とかどっちも円環状に変調できるとか何気に凄いですね。さしずめ「リング状リング変調」「リング・リングモジュレーション」「リンリンモジュ♬」てとこでしょうかね。SID Stationではウェーヴシーケンスすらできたよね!すぐバグってメモリーがぱぁぷりんに吹っ飛んだけどね!
それもそのはず、SIDを設計した開発エンジニア・チームはパソコン業界を超えて、ゆくゆくはプロ仕様シンセサイザーに採用されることすら夢見てこれを作った。彼らに言わせれば当時のパソコン向け音源ICなんて、音楽のことなどまるで分かってないやつらがでっちあげた代物。そこにミュージシャンマインドでもって音楽的新風を巻き起こさんと取り組んだ意欲作 SID。唯一彼らが心残りなのは、イラチなクライアントのせいで開発期間が短すぎて音質を充分によ���できなかったこと。
いや、もうひとつ。さらにもうちょっとだけ時間があれば3音ポリどころか空前絶後の32音ポリにすらできたこと。ただでさえ当時ありえない32音ポリしかも前代未聞3オシでリンリンモジュ。 聴こえますか、このぎゅるぎゅる言うエンドレスなリンリンモジュの音が。まさにタキオン粒子加速器、エネルギー充填120%!反物質砲ファイア!!!
いやぁ、もし当時そんな怪物チップが出来上がっていたら6音ポリしかなかったJUNOはおろかPolysixやJX-3Pはひとたまりもなく吹っ飛び、最大でも8音ポリだったJupiterやTRIDENTはもちろん名機prophetもOBもSynthexも大打撃、挙句DX7をもってしても16音ポリとあっては戦略やり直しとなったのであろうか。
大陸を一撃で殲滅しえた恐るべきオーパーツの如き破局、そのコアたりえた一個の種、秘石SID。
このICを誕生せしめた若きエンジニア・チームは、彼らの偉業にちゃんちゃら無理解なパソコン業界に嫌気がさして見切りをつけ、いっそ電子楽器メーカーにならんと進路変更。 その社名を新規に考えるべく、まずは出発点として「音に関するもの」を意味するsonic(ソニック)、おふらんせ〜ふうに洒落てみるべく最後1文字「c」を「q」に変更してsoniq、さらに「包み込む」というような意味の接頭語 in- をくっつけて insoniq としたいところを敢えてそうせず、その接頭語 in- を古語 en- へとひねることで洒落てみて ensoniq。英語で「エンソニック」と発音するときは「ソ」にアクセント。なんならついでに「エンソニック」と「インサニック」の中間みたいな発音で。その名のとおり理想の音でくるむように、包み込むようなイメージでどうぞ。
やがて目からウロコの次世代シンセメーカーとしてめきめきと頭角を現すばかりか、海外シンセメーカーたちが安価で高性能なメイド・イン・ジャパン・シンセたちとの競争に敗北し軒並みばたばたと倒産する中、唯一、並みいる日本企業たちを相手にその好敵手として大立ち回り、デジタル・エイジにて大活躍、創造性の国アメリカならではのとらわれない発想と国産機の痛いところを突いた名機の数々でもって全地球のシンセヲタどもをぐぬぬと唸らせることになるこの会社。 これまでこの連載で紹介した電子楽器メーカーはすべて 70 年代前半までに設立され、ヴィンテアナログシンセ時代から続いてきた古参企業ばかり。YAMAHA や KAWAI に至っては戦前から存在する老舗。だが、ここについに新しい生粋のデジタル世代が登場。黄金の80sにふさわしくちゃきちゃきのとんがったデジタル野郎たちが大暴れするそんな彼らが旗揚げしたのは、時に1983年、MIDIが公式に誕生しDX7が電子楽器の金字塔として堰を切ったように怒涛の快進撃で世界へあふれだしていたころであった。
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「ファーストインパクト:Mirage」
ensoniq社が最初に出したのは実はパーカッションパッドであったが、ほとんど無名。いい音がするらしい。そして創業2年後の1985年、急速に成熟しつつある電子楽器マーケットにおいて全くの無名だった彼らはMirage(ミラージュ)という名の価格破壊サンプリングキーボードをだしぬけに投入。 お歴々はご存じであろう、当時サンプラーといえば最高1億円したシンクラヴィアか、1,200 万円もしたフェアライトCMI、はたまたイーミュレーターやカーツウェルK250 といった300万円はくだらない電子楽器のロールスロイスみたいなやつばかり。そんなところへやにわに1,599米ドルというアゴ外れんばかりにありえない破格でガチ道場破りしてきたのがMirageであった。
SIDチップをベースに自社開発した音源IC「DOC(ドック: Digital Oscillator Chip)」、コードネーム「Q-Chip」。これはSIDで開発期間が短すぎて具現化できず無念の涙を飲んだ32ボイス仕様を実現した夢のチップ。だがすでにDX7が出てきた今、Mirageではこれをあえて戦略的に8ボイスに制限し、その代わり1ボイスあたり2オシレーター最大4波形を重ねてトリガーできる仕様とした。8ボイス✕4波形で32音、うまいっ! しかも強力な自社開発デジタルオシレーターチップに加えてカーティス社のVCFでもってデジアナハイブリッドな音の加工も可能という、自力でIC設計できるensoniq面目躍如。
その一方で7セグ2桁LEDが唯一の表示、しかもテンキーだけでパラメーターを打ち込むという、しかもそれは16進数という、無慈悲なカスタマーエクスペリエンス。そもそもあまりの音質のひどさにMirageはサンプラーではなく原音をとどめないシンセであるとまでジョークにされて叩かれるも、そんな噂どこ吹く風。フェアライトが登場して6年、みんなアート・オヴ・ノイズの真似したくてしたくて「んもぉぅ辛抱たまらん」うずうずしてたところへ欧米ではDX7よりも安いサンプラーが放り込まれたのだから猛獣の檻に生肉を放り込むようなもの。
しかもシンセまるっと入った音源チップを自社開発できることがensoniqのコア・コンピタンスだったわけだが、彼らの強みはそれだけではない。 記憶メディアだって業界初の3.5インチ・フロッピーディスク。当時、他のサンプラーが採用していたストレージはほんとうに「フロッピィ」だったぺらっぺらの5インチ。耐久性ヤワすぎて折れ曲がる上に薄いプラが劣化するやつ。なので硬質な樹脂カートリッジに守られていた3.5インチはハンドリングも楽でガシガシとスタジオでもライヴでも現場でミュージシャンがタフに使える頼もしい相棒。一層お安い価格破壊MIDI音源モジュール版までちゃんと用意。上級者にはオプションでMASOS(メイゾス:Mirage Advanced Sampler Operation System)という黎明期のエディターソフトすら完備する全方位っぷり。PC業界からスピンナウトしただけあって、なおかつミュージシャン・マインドなだけあって「分かってらっしゃる!」
一方、Mirageには妙なところもあった。ビット深度が8bitだったのは時代だとしても、量子化の目が粗すぎてループ時に波形ゼロクロス・ポイント同士が出会わないことがあり、そのときはサンプルをディチューンさせることで波長を無理くり変えてゼロクロス・ポイント同士をつなげてループさせたのだという!!! 野蛮!!!
Mirageの雄叫びを純正ライブラリーサウンドで聴いていただきたい:
Ensoniq Mirage Sound Demo
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いいねぇ、粗さがインダストリアル♬ っていうか粗いくせに不思議にリアルというか、音楽的ですらある、圧倒的じゃないか...!
これですよこれ! 音楽的であればそれでいい。だってみんなこれがしたかったんでしょ? それにPC業界出身だからチップ設計はもちろん、ストレージメディア選択とかも時流を読んでばっちし的確。 デジタルに熟知した彼らはサンプラー市場にぽっかり空いたブルーオーシャンな窓を目ざとく見つけ、そこにピンポイントでMirageをぶちこんだのであった。そこまで狙い済ませたモデルが人気炸裂しないはずがない。それまでやれ音のクォリティだトータルな楽曲制作環境だとくそまじめに気にしていたやつらを尻目にMirageはパンクなまでに軽快なスペックでもってバカ売れ。この痛快さは、だがむしろ歴史の必然ですらあった。まさしく製造業界のパンク野郎ensoniqは、だがミュージシャンにとって大切なものが何かをよく分かっており、しかもそれをパソコンという外様の発想で具現化するヒーロー、旧弊であり様式美であった楽器業界を打破する新進気鋭の疾風怒濤であった。かっこいい!
同じ1985年、AKAI初代サンプラーしかもすでに12bitのS612やSequential Prophet-2000といったサンプラーが続出、CASIOからは庶民の味方SK-1 Sampletoneを見た。翌1986年には業界標準機となるAKAI S900、KORG DSS-1、Roland S-50/S-10などと個性派サンプラーが続々登場、世界はアナログとFMとサンプラーというサウンドが支配。それはまだPCMシンセが台頭する前のことであり、よってKORGもRolandもシンセメーカーでありながらフラッグシップはサンプラーというちょっとだけ不思議な時代でもあった。
え? 当時PCMシンセってまだだっけか? 当時のPCMシンセって400万円したKurzweil K250だけ?
じつはMirageローンチの翌年、PCMワークステーションシンセの草分けensoniq ESQ-1リリース。Roland D-50の前年、KORG M1に先立つこと2年、ensoniqはすでに次の一手を打っていた。
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「セカンドインパクト:ESQ-1」
ESQ-1は実はMirageのアーキテクチャーを概ね引き継いでいる。同じ音源チップをあえて8音ポリに制限するところまで同じ。ただそれを3オシレーターとして見せており、
・3基のPCMオシレーター ・1基のVCF ・1基のVCA ・ハードシンクならびにリングモジュレーション可能
って、ちょっとSIDみたいな先祖返り的な構成。
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とはいえ32の音源波形はPCMではあったがサンプルまるごとではなく1波のみ切り出してループさせたもの。それでも流石ミュージシャン・マインドを持った彼らだけのことあり、サンプル1波ループとはいえ切り出し方が天才的にうまくてリアルに聴こえ、それをフィルターやEGで加工すれば表情ゆたかなPCMシンセサウンドになった。すなわちKORG DW-8000やKAWAI K3にも近いがサイン波倍音加算合成でもなく一応はPCMだったのであり、音のリアルさや音色バリエーションの豊富さにおいてもこれらを凌駕するものであった。なによりも音が音楽的。これまたスペックや数値ばっか気にする当時の真面目人間からは出てこない「使えるサウンド」であった。
加えて最大2万4千ノートの8トラックシーケンサーも搭載。これは2年後のKORG M1が最大でも7千ノートでベースライン2〜3曲分でしかなかったことを思えばその3倍以上、楽曲制作に充分であった。電源をオフってもバックアップ・バッテリーでシーケンスデータは保持。8ボイス8パートマルチティンバー音源はそのまま8トラックに対応し、じつはKORG M1よりも前に史上初の本格的こんにち的ワークステーションシンセ��してデビューしていたのであった。この質実剛健なつくりを見るといかにM1がマーケティングの勝利だったかって分かるよね。
パソコン業界ゆずりは音源やシーケンサーだけではない。初めてファンクションキーを導入した操作性も流石PC。アバウトだがLCDよりも視野角が広いFL管を採用、今ならそのエモい表示がレトロフューチャー・コンピューター感。そしてensoniqはファンクションキーのことを「ソフト・キー」と呼び、画面によって機能が変わるから、すなわちソフトウェアに依存して規定されるからだと説明。このクールなネーミングセンスもPCならでは。なのだが、どういうわけかその説明が欠落したまま日本に伝わり「押した感じが柔らかい」と紹介されてしまう。 この操作性を活用し、1画面内に10音色を一気にならべて表示、ファンクションキーでよりどりみどり思いつきで音色選択できるすぐれた操作性もお初。40年くらいたってからKORG KRONOSにてSetlistという名前でふたたび採用。
そしてトドメのプライス1,395米ドル。日本価格はDX7や後のD-50、M1を上回る29万8千円であり事実上無名であったが、海外ではぐっと親しみやすい価格設定。おかげで5万台も売れたらしく、特に北米ではESQ-1と一緒にATARI STやCommodore AMIGA など黎明期のパソコンが綺羅星の如くならび、ESQ-1は海外コンピューターミュージック用キーボードとしても市民権を得た。そして日本のミュージ郎よりも先にゆくその普及率に、じつはその航跡を追うかの如くもうひとつの知られざるビジネスが勃興していたのであった。サードパーティ音色ライブラリーである。
ESQ-1が売れるところ、雨後のたけのこの如くあまたの音色ライブラリーメーカーが登場。中には不幸にして自宅を失って友人の土地に長さ6mのトレーラーハウスを停めて暮らし、膝の上にESQ-1のっけてそのローンに苦しみながら夜な夜な午前3��まで一心不乱に音創り��るあぶね〜野郎まで登場。その彼が作ったESQ-1音色カートリッジは半透明のエポキシ樹脂にくるまれて生産され、それゆえにVoice Crystalシリーズと名付けられた。そう、Eye & I社Voice Crystalシリーズ。のちに大ヒットし、特にRoland D-50用のライプラリーはK社エンドースを受けていたキースさんまでを虜にしてクリスマス・アルバムまるまる一枚を制作せしめロゴをバミって隠したD-50とともににやけて雑誌宣伝広告写真にまで映ってしまったあのシリーズである。
同じ1986年、Apple社から初期のパソコンApple II GSが発売。GS とは Graphic and Soundの略であり当時盛んに言われていたマルチメディアへの対応を謳ったモデル。そしてここにも搭載されたのがまさにensoniqのDOC音源チップであった。Apple II GSは、これをそのまんま32ボイスのシンセ音源チップとしてフル活用、さらに15ボイスに達するステレオ波形再生も実現、Macintoshが登場するまで古典的時代の牽引役として輝ける看板機種となった。
一方、本業においてシンセとサンプラー、すなわちESQ-1とMirageというペアでもって時代を先取りしたensoniq。だが北米では絶好調でも日本では販売価格がむやみに高かったせいかあんまし認知されていない。そうこうしているうちにDX、CZ、FZ、S900、D-50、そして最後の大物KORG M1が「ワークステーションシンセ」というキャッチーなタームを繰り出してESQ-1のお株をさらってしまった。 そんなデジタル群雄割拠の中、ensoniqは音源チップDOCを進化させた DOC IIを開発。これをコアとしてESQ-1の後継機種SQ-80 と、Mirageの後継機種EPSことEnsoniq Performance Sanplerとを開発。中でもEPSはのちの電子楽器業界を大きく変えるコンセプトをはらんだ胎動となったのである。
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「サードインパクト:EPS, SQ-80」
EPSは、パンキッシュだったMirageから一転、ただまじめに音が良いサンプラーになっただけではない。
確かにシンセと違ってサンプラーには写実主義という出自があった。勝手気ままに理想の音を追究してもゆるされる自由奔放天真爛漫なシンセとは違い、当時のサンプラーに几帳面でくそまじめなイメージがつきまとうのは、その命題が写実主義だったからに他ならない。原音忠実、ハイファイ再生、だからビット数もサンプリング周波数も内蔵メモリー容量もどんどん数値はうなぎのぼり。高音質それだけのために恐竜のように肥大化してゆく一途。 でもなんかそれって袋小路。
だからこそ、そこに異を唱えたのがEPSであった。不毛な量的拡大ではなく質的転換、鍵はアーティキュレーションにあった。
生楽器にはアーティキュレーションがある。具体的に言うとさまざまな奏法がある。例えばヴァイオリンであれば、 ・弓を押し引きするアルコ ・弦をはじくピッツィカート ・短く跳ねるように弓で弦をこするスタッカート ...などなどあるわけで、既存の日本製サンプラーでは各奏法を別々のプログラムに収録してライブラリーが作成されていた。つまりプログラムごとに高度に専門化された内容でライブラリーが制作されており、現場では奏法ごとに異なるプログラムを逐一サンプラーにロードして演奏する。すなわち...
・アルコ用プログラム ・ピッツィカート用プログラム ・スタッカート用プログラム ...などなどなど。
だがEPSでは必要な奏法をすべて収録したプログラムを1つ作成し、それをロードしさえすれば主要なアーティキュレーションすべてが自在に演奏できるようにした。プログラムの中にレイヤーを設け、そこに各奏法を収録したのである。
・ヴァイオリン用プログラム  - アルコ用レイヤー  - ピッツィカート用レイヤー  - スタッカート用レイヤー ...などなどなど。
各レイヤーは単一奏法をサンプリングしたマルチサンプルで構成され、最大8レイヤーで1プログラムを構成する。 しかも奏法=レイヤーの切替は鍵盤左横の2連パッチセレクトボタンで行う。このパッチセレクトボタンがじつはensoniqならではの秀逸な発明であり、鈍重なプログラムチェンジを行うことなく、すばやく音色を切替えられる。プログラムを構成するレイヤーのみを切替えているからだ。だからタイミングよく反射神経で、それこそ演奏中その場の思いつきだけでぱっぱとアーティキュレーションを切替えられる。
なんならアーティキュレーションにとらわれず、まったく異なる音色を各レイヤーにもたせて切替えてもいいね。 なおこのパッチセレクトボタンは基本アンラッチ(モーメンタリー)だがラッチ設定にもできる上に、フットスイッチでも可能。
アーティキュレーションごとに個別プログラムを用意するのではなく、必要なアーティキュレーションをすべて網羅したプログラムをつくる。つまり楽器まるっと1つ、あるいは楽曲まるっと1つ収録したプログラムを制作する。そしてそれを最大限にぶん回せる構造にサンプラーを設計する。
ひょっとしたらライブラリーを先に規定し、あとからそれに合わせ込むようにしてハードを設計したのかもしれないサンプラー。それがEPSであった。 これは実に理にかなっていて、つまりコンテンツを最重要視した設計ということである。サンプラーたるものコンテンツありきなわけで、それが見抜けなかった当時の日本メーカーはやっぱハードしか念頭にない古典的ものづくり企業だったのであり、そもそもハードをなんのために使うのかがイマイチ分かっていなかったと言わざるを得ない。いや、それはE-muやKurzweil、Fairlightといった海外企業でも同じか。いかにensoniqがうがったものの見方をしていたかが分かろうというもの。
サンプリングはもう当たり前。次につくるべきは肥大化するあまりただのレコーダーへ堕ちようとしていたサンプリングマシンではなく、役立つ楽器としてのサンプラーであった。
もっと正せば、なぜサンプラーを使うのか?シンセがあるのになぜサンプラーなのか?サンプラーにしかできない事はなにか?と考えたとき、写実、というテーマがあるのであり、それを単に原音忠実としか捉えなかった既存メーカーと、アーティキュレーションという次元まで踏み込んで「写実」というテーマを考え抜いたensoniqとの違いであった。
そういやEPSではプログラムチェンジで切替えられる音色単位を「プログラム」とか「パッチ」とかって言わずに「インストゥルメント(楽器)」って呼んでたね。 歴史の浅いサンプラーがゆえに名称が固定化していない、そんな時代ならではの自由度の高さとはいえ、やっぱ示唆に富んでます。
もちろん当時これは目からウロコであった。今どきの大容量ソフトウェア音源には奏法の違いを切り替えるべく、最下1オクターヴをスイッチ代わりに打鍵させる機種があるよね。言わばその発想をすでに1988年に先取りしていたのがエンソ、偉い! 史上初めてアーティキュレーションに着目しアーティキュレーションを切り替えながらリアルタイム演奏できたサンプラーだからEnsoniq PERFORMANCE SamplerイコールEPSだったわけ。
13bitといういささか中途半端な解像度だったEPSは、12bitの2倍も音が良いというだけでなく、サンプラーのパラダイムシフトを宣言するものであった。
他にもEPSには自動ループ作成機能があり、いろんなアルゴリズムが選べたばかりかSynthesized Loopという究極アルゴリズムに至っては波形そのものを書き換えてしまうことで若干音が変わろうがおかまいなし、無理くりでもループをとる。え、サンプラーって原音忠実が至上命題と違ごたっけ? でも結果が音楽的でありさえすればそれでいいでしょ? 持続音がほしかったんじゃないの? やろうと思えばオケヒからでもループとってじゃ〜〜〜〜〜ってサスティン効かせて流せるのよ。おかげでensoniqはループがとれない音はない!と断言しきっていた。もはや蛮勇。
演奏中に別の音色フロッピーを読み込ませることができるLoad while playもまた目からウロコ。ロード中は他になにもできないのが当たり前と思っていた私たちは、マルチタスクというものを知らん原始人だったわけだ。 おまけにポリフォニック・アフタータッチも装備。世が世ならばMPEとともに大注目されていたはず! オプションでFlash Memory Bank、今で言うSSDも先駆的に搭載され、特にディスクベースだったOSをストアしておくと起動が早くて便利。なんて80年代には早すぎて誰も知らなかったよ。
最初は、単に安くておもしろいサンプラーでありさえすれば良かったMirage。 その次に、すぐれたサンプリング「楽器」たらんとしたEPS。
この成長は、E-muですら成し得なかったものであった。E-mu社がEmulator IIの開発に難儀したのは「単なるサンプラーを超えてサンプリング楽器とはなんぞや?」という問いに対し有効解を見つけるのに苦心したからにほかならない。それをensoniqはやってのけたのであり、無から有を、ゼロから1を、理想解を具現化しえた唯一のメーカーであった。ぐぬぬと唸らされたのは全世界。
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他メーカーにはない自由な発想の数々、そしてそれを惜しみなくつぎ込んだ豊かな果実EPS。当時メイド・イン・ジャパンを始めとする安価で高性能で高音質の機種が台頭していたときに、まったく違う発想のサンプラーが登場。それはそもそも何故サンプラーなのよ?サンプラーって何よ?という本質から考え直してゼロから起こした自由の国アメリカならではの機種のはずだった。
はずだった?
SQ-80とEPSはユニークな発想が光り他社の弱点を突いた問題作でありプロからの評判も上々だったが、銀行屋がもっと売上をと言い出した。欧米の銀行は日本以上に短期的成果を要求してくる。それゆえensoniqはすみやかに次世代機種を出す必要があった。そんなアクロバットを実現するためには今までと同じことを繰り返すわけにいかない。 果たしてensoniqはSQ-80にとってかわる次世代シンセを開発。そのために下した英断とは:
・音源チップDOC、DOC IIを廃番とし、さらなる新音源チップDOC IIIコードネームOTISを開発、かつ、これを初めて投入 ・ESQ-1、SQ-80と続けてきたシンセのアーキテクチャーも敢えて棄てる ・サンプラーEPSをベースに、なおかつそれにひねりを加えた次世代シンセ音源をつくる ・次世代シンセは初めてCDと同じくサンプリング深度16bitを実現 ・更にエフェクト用に優秀なDSPを新規開発。これによる新型24bitマルチエフェクトを内蔵させる ・すべてをかつてなく短期間で商品化する
時に西暦1989年、名機VFXが誕生する。
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「フォースインパクト:VFX」
世の中ワークステーションシンセだらけ、もうすっかりワーステ・ブーム。かつてESQ-1がその草分け的存在だったのに、マーケティングの勝利M1にお株を奪われたわけで。 しかしその流行に乗って百花繚乱に咲き乱れるワークステーションシンセたちの真っ只中に��って、VFXは真逆にワーステを捨て、ただただ音のキャラと表現力のみにこだわった素のシンセとしてまさかの逆張りデビュー。内蔵シーケンサーはおろか、フロッピーディスクドライヴがあったはずのところには意味不明の穴ぼこがぼこっと口を開けている始末。こんな後始末もろくにしないとは、よっぽど開発を急いでいたのであろうか。とにかく、ただただ個性的な新音源と強力エフェクトあるのみ。 その一方でCPUには名門モトローラM68000! これ当時Macやフェアライトに採用されていたガチなやつですよ。ちなみにAKAI S900のCPUはNEC PC-98と同じV30。prophet-5はZ80だったよね。そしてVFXの音源ICには前述のとおり第三世代チップensoniq謹製OTISを、内蔵エフェクトには最新DSPを投入。音源チップのほうは90年代に入ると通信カラオケやアーケードゲームの数々にも搭載されることになる。
驚愕したのは音、音、音、壮大な音。映画館のような重低音が出る出る満ちる、エピックなサントラなど朝飯前。低域にコンプかかってんじゃね〜か?って思うくらい。しかもとにかく太い、押しが強い、いやそんなもんじゃない、もう我が強い、腕っぷしが強い、サウンドの力こぶ筋骨隆々、そこのけそこのけ強強すぎてミックスの中でいくら音量を下げても俺が俺がと出てくる出てくる。ごりごりのシンベ。のしあがるオーケストラ。つんざくリード。自己主張はげしすぎてそこんじょらのシンセはもちろんメタルのディストーションギターの音の壁ですらもろともせず抜けて聴こえるシンセブラス。どやかましいロックなアンサンブル全体をたった1音で深々とせき止め、がっぷり四つに組んでガッツリ支える、ヘラクレス級に腕力を誇るストリングス。重低音重低音。もはやVFXは音世界を支える巨人アトラス。あんなランボーなやつ、ちょっといない。他機種の音色は皆さん荷物まとめて帰って行きよりましたわ。
プリセット音色がまた秀逸、単体で聴くと「え?」と思う音色でもアンサンブルに混ぜると絶妙に良い音色になる。なんというミュージシャンだましいな耳でもって開発されたのか。 単に推しが強いメリケン・サウンドだけではなく、自分で音をつくるとそれはそれはもう深い深い幽玄なるたましいの深淵をのぞきこむ底なし沼にディープな音もつくれる。なんだか日本ではコムテツが多用したSYMPHONYというプリセット音色でばっか知られているようだが、なんともったいない! あんなもんオケヒ・ループにペットのサンプルをレイヤーしただけで自作できる。さらに工夫して作り込めばほんとうに深い味わいある音が、プリセットとはまるで違う音のパノラマが展開する名機。
・なんせPCM波形が実物以上に壮大な音がする ・その上に、PPGウェーヴテーブル音源の発想を取り入れた新開発TransWave波形もいろいろ搭載。楽しい! ・Oberheimにしかなかったモジュレーション・マトリクスも初めて採用 ・6系統の減算方式レイヤーによる重層的音創り ・強力エフェクトのおかげで何をやってもバルビエリ御用達どよよんサウンド ・そしてEPSゆずりのパッチセレクトボタンのおかげで、どぎまぎしながら音色選択ボタンを押すタイミングを狙いすます苦行さいなら
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VFXはすぐれて他社の弱点や欠点をうまく突いた名機であり、ensoniqが他社シンセをよく研究していることの現れであった。というよりそれ以前に、そもそもシンセとは何か?どうあるべきか?と鋭く問うシンセ史上たぐいまれな名作であった。ひとことで言えば思いつきに即答えてくれる、難しい仕込み不要、そんな直感的デジタルシンセであった。
そしてこの広大かつフレキシブルに音が変化するアーキテクチャーを、ensoniq はDynamic Component Synthesis(各ブロックが動的に他ブロックに働きかける音源)と呼んだが、さすが英語が母語だけあってうまくその売りとなる特徴をとらえている。
にもかかわらずVFXは不運なシンセとなった。 銀行屋が圧力をかけるゆえensoniqはVFXを手っ取り早くつくるはめに陥ってしまい、いい加減なつくりのまま量産してしまい基板や機構に不備が続出、バグも多くてクレーム続出。ついにアメリカにて「No more Ensoniq!」と言い出す楽器店まで現れた。それも最大手チェーンGuitar Center。 それでもなお音がいいのはなんでか?というと、これもやはりいい加減なつくりだったから! すなわちデジタルに強すぎてアナログ回路にむとんちゃくだった彼らがテキトーな最終段アンプをでっちあげてしまい、それが逆に奏功して良い音になったのだという!!!
度重なる蛮勇にクレーム殺到、それでもなおその音にこの上もなく恋い焦がれたユーザーたちアーティストたち。まさに「蛮勇引力の法則」ここに極まれりensoniq。
これゆえ不良撲滅すべく改良を重ねたあげく、半年後にワークステーションシンセVFX-SD投入。VFX「-SD」は機能追加されたSequencer + Disk driveの略。それでもまだ故障が多々あり、VFX-SDのFL管ディスプレイの直下をぐいっと押すとてきめんにエラーが出る笑 のちにアコピ波形に重点を置いたVFX-SD II、さらにはSD1、そしてついにSD1 32 Voiceと世代交代を重ねるにいたりようやく不具合沈静化。VFX-SDをSD1仕様にまでアップグレードしてもらえる基板交換サーヴィスもあったが、ただでさえ十万円もした上にエンソニック・ジャパン社まで送り返さねばならず諦めてしまったは一生の不覚。いやそもそも最初からVFX-SDをじっくり開発して出すつもりが焦って先にVFXというカタチで半年くらい先にフライイングで出しちまったんじゃねーの?とすら勘ぐってしまうね笑
そのVFX-SDというワークステーションシンセが誇るは音源だけではない。
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こちらもすぐれた最大24トラック内蔵シーケンサー。いにしえのOpcode 社 VISIONと同じく長大なパターンシーケンサーで構造的に作品が作れる。思いつきで断片的なシーケンスを12トラックでたくさん作り上げ、それがたまってきたら適当につないでソングにしてみたり順列組合せを変えてみたりと試し放題、思いつくままに発散しまくるアイディアを作品へと収斂させ昇華させてくれるクリエイティヴ・ツールとして最高! しかも12トラックのシーケンスをつなげてソングをつくると、ソング全体にわたりさらに12トラックのリニアトラックが追加。個々のシーケンスをまたぐオブリとか録音できる。
Undo / Redoも「オーディション機能」と変名された上で初搭載、シーケンストラックを再生しながらこれまた思いつきでbefore / afterを切り替えつつ比較試聴できるミュージシャンマインドな便利機能。当たり前ですがイベントエディットも充実しているばかりか、最後にオーディション機能で締めくくられるからホンマにエディットして良かったのかどうかbefore / afterで比較検証させてくれて気に入らなければもとに戻れるって、いかれぽんちな思いつきだけのク��エイターにとって至れり尽くせりじゃないですか。
デモ演奏も音楽的でセンスあふれる、もう立派な「いい曲」。 日本のワークステーションシンセのデモ曲といえば、マルチティンバー能力の限界に挑戦すべくアクロバティックなまでに各パートをぶん回した非現実的な曲芸「こんなことまでできます!ドヤ顔」みたいなもんばっかで聴いてるだけで目ぇ回ったが、ensoniqのデモ曲はちゃんと楽曲として成立しうるばかりか、落ち着きあってセンス良くてまとめ方もうまくて大人でかっこよくてデモだけでアルバム出来そう♬
ついでに機種名もロゴもアーティステイックでかっこいいね!
ミュージシャンマインドで設計された機械がミュージシャンを支援してくれる、理想のensoniqシンセ。 EPS 16 Plusという16bit化された新型サンプラーも発売、これにはVFXゆずりのグレイトなマルチエフェクトも搭載され、楽器としてだけでなくサンプル加工にも抜群に使えるようになった。EPS 16 PlusはVFX-SDとともに双璧をなし、その下にSQ-1(61鍵)、SQ-2(76鍵)、という廉価版ワークステーションシンセを配し、SQ-Rという1Uのコンパクトながらに実力派の音源モジュールも誕生、2Uの強力エフェクトアウトボードDP/4もスピンオフ、ensoniqは黄金時代を迎える。そればかりか音楽のたのしみを広げようと、補聴器まで試作していたというSDGsアクセシビリティ先取り!
その音は世界中で玄人ウケし、安いコモディティと化しつつあった日本製の機種とは一線を画す。そしてその高いプロファイルでもってensoniqは並みいる既存メーカーに対する異議申し立てとなり、それらの好敵手となった。
そしてついにensoniqは、EPS系の最終進化形ASRことAdvanced Sampling Recorderシリーズを経て、VFX以来5年かけて開発を重ねてきた夢のシンセを世に送り出すことになる。 同社最後の大輪、音源コアDOC IVコードネームOTTO、それを心臓として建造された双頭のフラッグシップシンセTS10とTS12。1994年のことである。
♬     ♬     ♬
「ファイナルインパクト:TS12」
Ensoniq TSシリーズ、それはそれは空前絶後に壮大な音がするシンセであった。構造はSD1をさらに発展させた完成形であり、音源波形も新規であるために既存機種との互換性は無い。比較して聴けばSD1もまだまだ粗削りだったのだと分かる。ド太い重低音はもちろん、澄みきった濁りのない深い音色もする。映画館「みたいな」ではなく今度こそまんま映画館そのものな音がした。
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TS10は61鍵シンセタッチ鍵盤、お家芸ポリフォニックアフタータッチ完備。TS12は76鍵ハンマーアクション鍵盤搭載。このタッチはかなり独特なものでアコピとは似て非なるもの。Flying Action Weighted Mechanismという大仰な名前がついた。88鍵ではなく76鍵でハンマーアクションを採用したのはステージピアノとしてクルマに載せられるサイズを考えてのこと、つまり車社会アメリカならではの機動力を考えてのことであろう。
16波形を数珠つなぎにしてウェーヴシーケンスをつくれたので、KORGよりも波形ステップ数は少ないものの音色ごとに個別設定できる点では実はKORGを凌駕する長所があった。デイヴ・スミス対ensoniq、ここでもアメリカ人同士の対決! KORGも気にしたのか最近のwavestateではウェーヴシーケンスを1,000もメモリーできるという、とてつもない上限値でもって事実上問題ないレベルにまで回避している。
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ASRシリーズのサンプルライブラリを読み込めたのもポイント、読み込むデータによって自動的にTSになったりASRになったりと二つの顔をもつ双頭シンセとなった。両者はアーキテクチャーが違うため、つまりこれはソフトを自動的に入替えることで機能が変わるパソコンのようなキャラをシンセでも具現化したことになる。
なによりも、とかく日本のデジタルシンセが冷たく痩せた音がするのに対し、あたたかく骨太で豊かでスケールの大きな音がする。これは4年後の1998年にあたかも打倒ProToolsと言わんばかりに出てきた同社DAWシステムPARISことProfessional Audio Recording Integrated Systemにも言えた。事実PARISは「あたたかい音がするDAW」としてハリウッド映画音楽業界でも話題であった。お得意の高性能DSPを6基も搭載したPCIカードを開発、これにより非力なパソコンでも高度な処理が可能となって文字通りレコーディング業界への福音のごときシステムだったPARIS。 そして巨大な体躯というか威容を誇る重厚長大なフラッグシップTSシリーズは、説得力あふれるビッグな音はもちろん、広大な仕様・性能を満載しているがゆえにensoniq最高傑作との呼び声も未だに高い。
だが、ensoniqは自分たちの理想郷を追い求めすぎた。
TSシリーズは業界最強な独自アーキテクチャーを貫きすぎたのか、SMFやGM、wavファイルといった互換性に欠ける孤高の存在であった。90年代ともなるとDTMが進展しユーザーが増大して市場の裾野が広がり、さほどパワーユーザーではないライトユーザーも参加した結果、今まで以上に簡単に音色やシーケンスデータをシェアできるよう互換性が求められるようになった。だからこそMIDI規格にもSMFやGMといったより細かいルールが制定されたのであり、MIDIと対をなすオーディオにおいてもwav/AIFF互換が必須となった。すべてはデータの再現性を担保するため。流通しやすく、誰でも同じような結果になるよう再現できるため。個性よりも普遍。普遍による流通とシェア文化。シェアラブルであること。
かつてPCからスピンナウトして誕生したensoniq、だが今ふたたびPCの軍門に下るときがきた。
このあとTSシリーズの中核を成していたVLSI音源チップDOC IVことOTTOはensoniq社製オーディオボードSoundscapeにも搭載され、そのままensoniqはPC系へと軸足をシフト。そして巨艦TSシリーズ亡き後、ensoniqから出てきたシンセは音はわるくないものの限定的なフィーチャーを帯びたモデルばかりとなった。
薄暮の迷路にさまよいこんだかにも見えたensoniq。 その中、唯一例外的に輝いていた変態シンセは第二世代TransWave音源を搭載したシンセFIZMO(フィズモ)。これはensoniqが物理モデリング音源を開発するも実現できず、「物理モデリング=physical modeling」略して「phys mo」そのつづりをストリート文化っぽく変えて「FIZMO」という機種名だけが残ってしまった機種である。今ならヴィジュアル系な外観はもちろん、ウェーヴテーブル音源として光る個性が注目されたやも。 さらには北米でいち早く台頭してきたhiphopサンプラー文化に着目、AKAI MPC対抗機種としてASR X を投入、卓越したサンプラーに強力無比なエフェクトを組合せた力作。音も太くてよかったよね、でもちょっとむずかしかったか。
やがてensoniqはSoundBlasterをつくっていたシンガポールのメーカー Creative 社の傘下に入り、そこでE-muと合併してEmu-Ensoniqとなり、そのままフェードアウト。
ちなみにKORG 01/Wは相当にVFX/SD1を参考にしたようで、VFXのモジュレーションマトリクスはKORGのAMS(Alternative Modulation Source)機能となり、アコピの音に重点的にPCM容量をあてがう戦術、内蔵マルチエフェクトのつくりや効き具合などなど、エンジニアをヘッドハントしたフシもある。ワーステ本舗のプライドとしては、ensoniqを無視できなかったのであろう。
そもそもなにがミュージシャンにとって一番うれしいのか、アーティストがやりたいことは何なのか?その本質「why?」をなによりも第一に見抜いてソリューションを提供していたensoniqの自由な着想と回答、それらはソフトウェアとコンテンツの天国アメリカならではのパラダイムに基づくものであったことを、お歴々はもうお気づきのことであろう。彼らが世に送り出した名機たちは、つねに物事の本質はどこかを探し、本質を問うところからはじまる斜め上をゆく自由さがあり、その外様ならではのすぐれた問題意識にはじまる思考と思索の旅路、その帰結であり果実であったに過ぎない。そして冒頭にかかげた都市伝説に語られるとおり彼らは日本メーカーと共に成長すべき良きライバルであったのだが、それだけに歴史の波に消えてしまったのはつくづく惜しいと言わざるを得ない。天才E-muですら思いつかなかった自由な発想、斬新な解、そして楽器業界の多様性、ロスト。
楽器進化論、その樹形図におけるミッシングリンクとなったensoniq。楽器というビジネスは、PCの前に消え去るしかないのであろうか? 当時SteinbergがVST規格を提唱し、初のプラグインシンセneonがぽよよんと出るに至り、さとい先取の精神の持ち主たちは異口同音にハードウェア退場論を盛んにぶちあげていたものである。そのあとも度々、特にpropellerheads社Reasonの宣伝などは「いつまでハードウェアを使ってるんだ? さっさと棄てて僕たちソフトの世界で完結��ちまいなよ」という主旨の、ややもすると苛立ちすらこもったものであった。
だが、苛立つということはそれだけ彼らの足元がヤワであることの証左でもある。
次はPC時代になろうがネット時代になろうが、それどころかなんべん倒産しようが不死鳥の如く奇跡の復活を繰り返してきた未来志向メーカー、その輪廻転生を見ていきたい。舞台はアメリカから大西洋を渡ってドイツへと移る。
(2022年8月13日同人誌にて初出)
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rigelmejo · 2 years
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I tell you what, gu long is definitely on the easier end of wuxia reading.
I looked up 流星·蝴蝶·剑 by gu long today, and 射雕英雄传 by 金庸. Reading gu long is significantly easier, I know almost every word. Surprisingly, at least chapter 1 of 射雕英雄传 is readable to me. Maybe because I've seen a couple other writers mimic this style a bit? But simpler. (Like priest mimics this description style slightly, but I'm much more familiar with priests word choices so I can read their stuff easier, and then some other wuxia and xianxia stuff I've read that favors a kind of descriptive but in curt phrasing way - like 4 character short descriptive bits, often. But, it's still distinctly diffetent to me than modern novels that fucking love to rely on 4 character not-literally-somethings you can picture phrasings - as opposed to the very literally picturable kn your mind descriptives priest uses, and both stories above so far.) Condor heroes IS far more difficult though, its like when I watch a new genre and they're using new words in tje subtitles for countries and titles and ways of greeting, but in book form and so More Often and More Densely doing it. I only grasped first paragraph is about a village, then a 50 year old guy telling a story of Ye San jie and her village getting fucked up by the Gold Soldiers, the 50 year old guy was telling a story and the crowd paid him at the end. (So mdzs kind of opens the scene with the storyteller about the dead yiljng patriarch this way)
I'm now wondering if I can handle reading mdzs maybe I should go check... anyway back to the point: I can handle a gu long novel now!
Another interesting thing to note. I mean kind of expected but. I read what? 300-400k chinese characters in the past 6 weeks? I haven't gotten up to the 4 million suggested range for reading lol, let alone a 1 million character mini goal. But! I already notice such a significant leap in reading ability. It's so funny how that just happens?
It's also funny how variable it is. If I have the idea in mind to read a novel with click dictionary tool like Readibu, I end up right now feeling "reading is hard and I should go use Readibu to look everything up." When I'm reading online and my click translate web browser tool doesn't work on the page? My reading is great, don't need a dictionary, can handle just reading. Clearly my brains somewhat recalling new vocab based on if it thinks it Needs to or not right now lol.
In other news I'm also on an English reading kick now too.
But yeah, today marks the first time I've read a chapter of an older wuxia novel! And extensively!
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getrend · 10 hours
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【画像】 地味な女の子ってエ●チだよね、彼女にしたい
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tokyousb · 3 years
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2世の戦い
タリバンから逃れたアフガニスタン正規軍の残存兵力が、マスード2世の呼びかけに応じてパンジミール峡谷に集結しタリバンと戦おうとしているという記事を読んだのだが、このマスード2世という人は、写真家の長倉洋海さんがずっと撮り続けていた、あのマスードの息子なのか。驚いた。
「パンジシールの獅子」と呼ばれた英雄マスード(自爆テロで暗殺されてる)の息子(イギリスの陸軍士官学校卒業)が、故郷のパンジミール峡谷に兵力を集め、首都を制圧したタリバンに反旗をひるがえす…って、すごい展開だ。 こういってはなんなのだが、ドラマが濃い。
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peterchiublack · 20 hours
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汪志雄觀點:三流政客下流政黨,民主必敗的方程式,風傳媒,2021-06-19。
汪志雄觀點:三流政客下流政黨,民主必敗的方程式,風傳媒,2021-06-19。
✍️民粹無法解決問題,但是民粹可以解決提出問題的人。
作者:汪志雄美國伊利諾大學芝加哥分校教授
臺灣的民主之路不是典範,而是警惕。它見證了...一個壞黨的崛起,
一個庸黨的沒落。沒有優秀的人才從政,民主只會越選越爛。
在臺灣,特別是開放黨禁以後,兩個主要政黨的基因,從來不具備什麼高貴令人尊敬的血統,都是蒼蠅蟑螂,蛇鼠一窩。我討厭民進黨,但我也從來沒有欣賞過李登輝當權之後的國民黨。
先談國民黨。國民黨自李登輝以降,就是一批奸巧投機的機會主義者,見縫插針,明爭暗鬥。他們的基因,基本上就是好逸惡勞,坐吃山空的公子哥兒,是典型的「疾風無勁草,樹倒猢猻散」。這種李氏血統承襲下來的背骨奸詐,在其身邊的近臣身上,一覽無遺。從老宋、奸王、到詐吳,處處都可以看得到國民黨骨子裏這種「吃裡扒外,賣主求榮」的醜陋基因。也難怪這個黨走到今日,成了一個只能靠著洗腎換血,乏人問津的窮途書生。再來談民進黨。
民進黨自陳水扁開始,就是一群豪取強奪的虎豹豺��。他們骨子裡多是流寇土匪,一旦掌權,便吃銅吃鐵,是典型的「國賊多祿鬼,裘馬喜聲色」。這種陳氏血緣一脈相傳的貪婪無度,其吃相之難看,只能讓人瞠目咋舌,嘆為觀止。從阿扁的海角七億、阿男的泰勞風雲、阿文的高鐵皮箱、阿菊的總統府私菸、到阿中超貴的高端疫苗,處處都可以看見民進黨這種貪惡的基因,到了蔡英文執政時,更是無以復加。
難怪柯P會説:「小英身邊的每一個都貪污。」
這個黨的基因「卑鄙齷齪,下流無恥」,幹的壞事實在是罄竹難書,流惡難盡。結果,當別人開大門走大路,努力革新邁向世界時,臺灣的民主卻孕育了一個壞黨、一個庸黨的「政黨輪替」,越走越封閉,越活越回去,越過越辛苦。整個國家社會越來越貪,越來越笨,越來越低俗。
今天臺灣最大的悲哀,就是劣幣驅良幣;君子隱於山林,小人汲汲於市。就如同作家卡爾維諾所寫的:「在一個人人都偷竊的國家裏,唯一不去偷竊的人,就會成為眾矢之的,成為被攻擊的目標。因為在羊群中出現了一隻黑羊,這隻黑羊就是另類,一定會被驅逐出去。」這正是經濟學的「格雷欣法則」,即「失信者得利、守信者受損」的最佳寫照。也難怪今日臺灣是:小人升天,君子落魄的荒謬場景了!所以,不要再講什麼「看好了世界」那種可笑自嗨的臺灣之光了!
在世界的鎂光燈底下,臺灣的綠螢微熹,唯諾乞憐,讓我感到無地自容,抬不起頭來。這個政府編了上兆的防疫預算,用了近兩年的時間超前部署,疫苗大部份是外國捐贈、和鴻海台積電、慈濟捐贈的。如今全臺灣人的一兆多納稅人的錢,你都用到那裏去了?沒人知道!也不准你查,國會改革5法立法院3讀通過,總統頒布了,他還是找大法官來阻擋。為什麼你用掉臺灣人民大筆、大筆的血汗錢,臺灣人民卻不能查。
這是不是皇帝制度,皇帝說了算,愛怎麼做就怎麼做,你再囉嗦,就殺你頭。你又説為了抗中保臺,讓臺灣的年輕人推上戰爭邊缘,又花了660億美元,等於是2兆臺幣,去買了66架美國戰場淘汰的老舊F16V,平均一架F16V要10億美元。這些飛機有用嗎?有人開嗎?新加坡買一架現役的第5代F35戰機,只花了一億多美元,我们卻要比人家多花10多億美元,當了寃大頭,買了充其量最多只能算4、5代戰機而己。
10億美金等於300億臺幣,買一架服役已經20多年的老舊款的美軍淘汰的F16V,這裏面若説沒有回扣貪污貓膩的存在,我相信神鬼都不會相信吧!這些臺灣人民的血汗錢像用水管灑草皮一樣,隨便用,隨便灑,臺灣人民卻是過著辛苦無希望的日子。如果你這個民進黨是真心的愛臺灣,怎麼忍心把臺灣的年輕世代推到戰爭邊缘呢?所以,結論就是民進黨跟本不會愛臺灣,更不會愛臺灣的年輕人。
如果你像日本、新加坡、以色列一樣,花個不到2億美元,買個第5代F35戰機,660億-132億 = 省下528億美元,是2兆5840億元臺幣,這樣我們健保不用漲價、勞保基金就不會破產、臺灣的小孩讀書不用繳學費,省下來的1兆5仟多億臺幣,還可以補助臺灣家庭,生一個小孩補助20-30萬元臺幣的獎勵,臺灣怎麼會少子化呢?就這麼簡單,臺灣人民就可以過好日子,民進黨就是不要,民進黨怎麼會愛臺灣?!
更好的治理臺灣的方法,是尋求國際的大國協調,讓中國大陸和我們中華民國簽定和平協定,才是最好的上策,而不是花那麼多納稅人的血汗錢,去買人家淘汰的老舊廢棄武器,還要讓臺灣及年輕世代處在不安全的戰爭風口浪尖之上。
治大國如烹小鮮,民進黨還要把臺灣淘空弄到破敗成什麼樣子?什麼時候才會讓全臺灣的選民覺醒?只怕臺灣到時候台積電也被美國挖走了,也搬去了外國,臺灣就變成了一個又敗又窮、只等中國大陸收復的次等公民了。臺灣人,臺灣殷實勤勞的臺灣人民,你為何不生氣?
還是麻木愚昧絕望到哀默等於心己死了!
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bnhaobservation · 3 months
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Keeping up with the Todorokis or, just me observing the Todorokis (Anime version): Ep. 1 & 4
So this is nothing else but a collection of informations, series by series, episode by episode about how the Todorokis appear in it, especially compared to the manga.
Ep. 1 Midoriya Izuku: Origin (緑谷出久:オリジン Midoriya Izuku: ORIGIN)
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Chap. 1 Midoriya Izuku: Origin (緑谷出久:オリジン Midoriya Izuku: ORIGIN)
I'm mentioning Ep. 1 merely because they cut the bit in which Enji appeared on a screen (as well as Midnight).
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It makes sense to cut him (and Midnight) as in the anime they would have been hardly visible.
Ep. 4 Start Line (スタートライン START LINE)
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Chap. 3 Entrance Exam (入 (にゅう) 試 (し) Nyūshi)
This episode only gives us a quick glimpse of Enji/Endeavor as Midoriya introduces the Heroes who also attented U.A. High.
Midoriya Izuku ‘U.A. kōkō HERO-ka‼ Soko wa PRO ni hissu no shikaku shutoku o mokuteki to suru yōsei-kō! Zenkoku dōkachū, mottomo ninki de mottomo muzukashiku, sono bairitsu wa reinen 300 o koeru‼ Kokumin eiyoshō ni dashin sa reru mo kore o koji‼ No. 1 HERO “ALL MIGHT”‼ Jiken kaiketsu-sū shijō saita! Nenshō-kei HERO “ENDEAVOR”‼ BEST JEANIST 8 nen renzoku jushō‼”BEST JEANIST”! Idaina (read: GRATEFUL) HERO ni wa o U.A. sotsugyō ga zettai jōken‼’ 緑谷出久「雄英高校ヒーロー科‼そこはプロに必須の資格取得を目的とする養成校!全国同科中、最も人気で最も難しく、その倍率は例年300を超える‼国民栄誉賞に打診されるもこれを固辞‼No.1ヒーロー『オールマイト』‼事件解決数史上最多!燃焼系ヒーロー『エンデヴァー』‼ベストジーニスト8年連続受賞‼『ベストジーニスト』!グレイトフルヒーローになる為には雄英卒業が絶対条件‼」 Midoriya Izuku “U.A. High School’s Hero Course! It’s a training school where students acquire the qualifications necessary to become professionals! It’s the most popular and difficult course in the country, with the competition rate exceeding 300 every year! The one who was offered the People’s Honor Award but firmly refused! No. 1 Hero “All Might”! The person who solved the most cases in history! The burning hero “Endeavor”! Winner of the Best Jeanist award for 8 consecutive years! “Best Jeanist”! In order to become a Grateful Hero, graduating from U.A. is an absolute must!!”
In the manga is hard to say who's doing the narration but in the anime we can hear it's Midoriya. The added how All Might is the Number 1 Hero and changed a little the final sentence but kept the fact that Enji was called the Nenshō-kei HERO “ENDEAVOR” instead than the FLAME HERO “ENDEAVOR” as he'll be called for the rest of the story.
Also, compared to the manga who showed the three Heroes together, the anime shows them alone, one after the other.
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yotchan-blog · 3 months
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2024/6/25 12:59:40現在のニュース
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yuki8563-caravan · 5 years
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【日誌】索蓋伊拉蘇蘇 資訊整理
稍微整理一下目前細碎的線索。 內含大量具透與臆測,還請慎入!
而且超~~~文長~~~
之後有什麼更新我就可以回來比對ㄌ。
關鍵字:鐸卡里爾王朝、索蓋伊拉蘇蘇、煉金術 關係人:蜥蜴人、奎格、梅希奧、戈拉德、喬伊納斯 (沒有列出來的人也有可能提到,因為這個王朝可是統領所有種族的王朝嘛!)
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以下正文
矮王,柏爾亞利雅王,在以索蓋伊拉蘇蘇為名的大宮洞中,建造了繁華的古都,他統御了各大種族。蜥蜴人的介紹中也有提到(情報來自日官網的蜥蜴人介紹部分)蜥蜴人曾經被迫臣服在矮人的麾下,理所當然會想到古矮王。 古矮王在傳說中十分擅長煉金術,但是他統治的大宮洞被龍給消滅了。
--矮人的古都因龍繁華、也因龍毀滅。 蜥蜴人受到沙塵暴保護,也受困於沙塵暴,蜥蜴人難道不怕那道障壁反咬自己一口嗎? 精靈的古都遭受強大的力量毀滅,那股力量的背後是什麼呢?會不會曾經有人想駕馭它呢? 人類權力鬥爭,光是一個種族就反覆分裂,當初古矮王朝是用什麼方式統領所有種族的呢? 獸人的故事中提及的魯格薩病是由毒龍達爾基藏造成,毒龍殲滅了許多村落(雖然魯格薩村的悲劇並不完全是毒龍造成),那這些村落是否也跟古矮王朝一樣,想嘗試控制這條龍呢?(魯格薩村的樂譜)
當前伊亞爾的一切貌似都在重蹈覆轍。
我只是想要中二一下而已,後面就是整理了。 順帶一提:
戈爾斯_前往索蓋伊拉蘇蘇 瓜拉爾_腐朽之物
這兩個物語不知何時新增了動畫!戈爾斯的是加在劇情後面,有小卡爾巴著喬伊納斯不放的片段,超級可愛XD瓜拉爾那個則是新增了毒龍對小女孩叫囂,還有前輩帥氣登場的片段。(不過毒龍變身真ㄉ有點給他噁)
更新劇情錄影: 【卡拉邦】喬伊納斯01_凶兆
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【卡拉邦】法里安特01_面具俘虜
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延伸閱讀:
【卡拉邦】戈拉德06_訊問
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哥哥這個是用手機錄給朋友看的,畫質音質都不會很好嗚嗚。
懶得看那麼多字可以直接看粗體下面列的東西。
【伊亞爾的歷史】
-紀元前300年左右- 「鐸卡里爾朝嶄露頭角」
鐸卡里爾王朝(熊貝之意)的稀世英雄.柏爾亞利雅王統一世界。但這僅止於傳言,實為矮人全領地的統一這點,則是現今歷史學者的見解。
-紀元前300年左右- 「英雄 諾法斯萊爾」
諾法斯萊爾環遊世界。即使現今已失傳,卻在矮人的世界中留下了諾法斯萊爾發明了獨特煉金術的傳說。
-M.C.480年- 「梅希奧誕生」
6月10日,梅希奧誕生。 本名為歐洛.阿卜瓦德.巴亞里歐斯。
【角色故事】
【梅希奧的故事05_古代王的傳承】 .梅希奧認為自己是矮人王--柏爾亞利雅王的後裔,為了找尋證明而踏上旅程,他對波古斯說過,會覺得波古斯等人這麼有親切感恐怕是因為祖先是主僕的關係。 .故事中提到,鐸卡里爾王朝統治了所有種族、但國王在晚年突然消失,延續幾代之後,王朝突然滅亡,有可能是正因為這突發的事件造成歷史文件毫無記載。 .進化道具:梅希奧追尋以久的血統證物「提爾迪奧神冠」只有梅希奧家族知曉,可以判別是否有當王的資格。為了尋找神冠,梅希奧還不惜向賞金獵人加里奧拉拜師。
-梅希奧講述古王朝的規模-
👑 梅希奧:「沒錯,大概是在800年前左右的事吧,即使過了這麼久的時間,他的威名依然沒有消失喔。」 👑 梅希奧:「古代矮人王國中有位偉大的統治者,建立了被稱為黃金時代的鐸卡里爾王朝,那個人就是柏爾亞利雅王。」 👑 梅希奧:「那朝代的勢力範圍遍及辦個普羅克西瑪大陸,人類、獸人、蓋西等所有種族,全都臣服在他的腳下。」 👑 梅希奧:「當然,他並非只是一位驍勇善戰的國王,也對人民施行善政,人民真的就像是生活在世外桃源一樣。」
-梅希奧與波爾卡講述古矮王-
👑 梅希奧:「聽說那位充滿智慧的國王,也是目前還處於黎明期的煉金術發明者。」 🥔波爾卡:「過去確實有那樣的國王存在,他也是與煉金術有深厚關係的人,應該沒有錯。」 👑 梅希奧:「不過我也不覺得剛才所說的內容就等於事實喔。也帶有一點誇張的成分吧。那是我們家代代相傳、讚揚柏爾亞利雅王的傳說。」  梅拉:「那個叫鐸卡里爾朝的朝代,最後變成怎樣呢?」 🥔 波爾卡:「關於這個問題嘛……柏爾亞利雅王晚年時下落不明,不確定是在什麼時候去世的。」
-波爾卡講述古王朝滅亡-
🥔 波爾卡:「不過後代繼承了他的王位,似乎延續了好幾代的鐸卡里爾朝,但是從那時候開始,史籍上就梅什麼相關紀載……」 🥔 波爾卡:「最後矮人古代王果終於從歷史上銷聲匿跡。」  波古斯:「啥?竟然這麼不了了之喔?」 🥔 波爾卡:「可以想像,強權統治的一大王國在瓦解之際,應該是造成很大的混亂。好像也有很多研究者推測,可能就是因為這個緣故,才沒有留下太多鐸卡里爾朝相關的資料。」
【以賽雅的故事05_貪圖黃金之人】 我把故事看了三遍但每次都是覺得以賽雅好可愛劇情就結束了。 我頭好痛,總之重點是這樣: .奎格的異狀,他不像人類。會是魔像嗎? .奎格貌似在吃金幣?吃礦物? .奎格明明到處撒錢,房子的裝潢卻是很簡樸,難道他把蒐集來的黃金都吃掉了嗎? .製幣所製作了以鉛鍍金製成的偽幣。
【戈拉德的故事06_訊問】 .戈拉德是煉金術的大FAN。 .鐸卡里爾王朝有藉由金屬轉換產生能源的技術。 .消失的黃金會是進到奎格的肚子裡了嗎? .奎格貌似知道鐸卡裡爾王朝的技術。
 🐸卡爾:「也就是說,以賽雅持有的東西混入了偽幣?也許這也是奎格的詭計吧。」 🧪戈拉德:「那傢伙確實到處撒錢,在各處都有影響力,但是會連造幣局也這樣嗎?那裡的人,自尊心之高連我也插不上嘴,畢竟是陛下直接掌控的。」 🐷佳娜爾:「啊~因為是黃金啊。那這個怎麼樣?好像一半是黃金,一半是鉛,但史考拉德也說,他不知道是怎麼製作的。」 🧪戈拉德:「…就算是用黃金與鉛接起來東西,但也跟合金所分離出來的東西不一樣。如果我的判斷沒錯,這個是煉金術,而且是由奧義做出來的。」 🐷佳娜爾:「是將鉛或鐵變成黃金的那個嗎?這種事真的做得到嗎?」 🧪戈拉德:「雖然文獻有記載,但現在的定論並沒有實際成功的例子。」 🧪戈拉德:「反過來說,據說也有從黃金中……該說是本質嗎,從黃金中抽出本質,使之成為卑金屬的方法。」※就是讓黃金變成比較低階的其他金屬的意思,煉金術為的是把卑金屬變成貴金屬。 🧪戈拉德:「據說在鐸卡里爾朝時代,有使用這種方法來取出某種能量的技術。」 🧪戈拉德:「當然,我也是從書中看來的,不知道有沒有實例。但是這個硬幣……無論如何,這確實是由我望塵莫及的煉金術師之手所製作的。」
-奎格的野心-
🏀奎格:(這個愚笨又無能、讓黃金只被視為貴金屬的盲目的……) 🏀奎格:(看我馬上、馬上就把你從那個王座拉下來!矮人的王……伊亞爾真正的支配者是我!!)
【戈爾斯的故事05_前往索蓋伊拉蘇蘇】 .艾德亞特說,來自蓋卜茲山的礦脈的石頭十分不安,這份不安跟元素精靈界沒有關係,同時也感受到從地底湧出的力量。 .梅希奧說王是仁王,但艾德亞特口中說的神話,古矮王是類似秦皇的存在(?) .獸人車上的波爾卡說,古矮王是晚年失蹤的,艾德亞特說的神話中,古矮王是被捲入炎龍的發狂中而死的。
-寶石伯講述索蓋伊拉蘇蘇-
💎艾德亞特:「我記得索蓋伊拉蘇蘇這個名字有兩個意思。」 💎艾德亞特:「其一是那個柏爾卡利亞王殘暴地區史無數的奴隸,鑿穿整座山建造而成的王朝首都,大宮洞索蓋伊拉蘇蘇--」 💎艾德亞特:「以及作為其名游來的邪惡古龍,古代神話中提到的熔焰之索蓋伊拉蘇蘇。」 💎艾德亞特:「之後大宮洞被遭到冒名而發狂的怪物毀滅,柏爾亞利雅王則被捲入崩毀而死亡。」
… …
不要跟我說吃書了啊!!!!
深呼吸,別緊張,雪紀可以的。
🧙‍♂️戈爾斯:「沒錯。索蓋伊拉蘇蘇是我們所知的最新神話之一。」 🧙‍♂️戈爾斯:「順帶一提,再新一點的神話是,被當成達爾基索斯神之力的那個東西呢,僅僅是百年前的事情而已。」
對,沒有吃書,只是神話版本的不同。 
-戈爾斯評價炎龍- 
🧙‍♂️戈爾斯:「那可是連被稱為偉大煉金術師的 柏爾亞利雅王都被輕易擊敗的怪物哪。」 
-戈爾斯跟喬伊納斯講述現在的大宮洞- .古都被視為詛咒之地,禁止進入。 .喬伊納斯算是寶藏獵人……嗎? .現在的索蓋伊拉蘇蘇住著許多從人口販子手中逃離的地精。 .帕爾楊的雙親也是地精,有可能被奎格抓住了? .地精是惹到誰!!
🧙‍♂️戈爾斯:「柏爾亞利雅王在死於非命後,那塊土地應該被歷代國家、王朝當作禁地而禁止進入才是。」 🐘喬伊納斯:「是那樣沒錯啦。但要是因為被禁止就乖乖退下,可是不會遇見寶物的喔。」 🧙‍♂️戈爾斯:「你能告訴我們那塊土地發生了什麼事嗎?」 🐘喬伊納斯:「那個地下都市是鐸卡裡爾朝動員全力做出的遼闊岩窟,而且還遭受了嚴重的破壞,我完全無法掌握整體的狀況。」 🐘喬伊納斯:「雖然索蓋伊拉蘇蘇被禁止入內,但裡面其實有不少人。大概是我的同行,其餘像地精之類的也住在那裡。儘管大多是被人口販子盯上才逃到那裡,但意外地每天過得很悠哉。」 🐘喬伊納斯:「不過因為叫奎格的大臣帶著軍隊入侵,各方面的情況都惡化了。目前為止以索蓋伊拉蘇蘇為根據地的矮人同行們被趕了出去,反倒是有許多地精被抓了起來。」
【喬伊納斯的故事_凶兆】 .奎格脫口而出了索蓋伊拉蘇蘇的存在。 .艾德亞特根據頻繁的地震異象(受到索蓋伊拉蘇蘇的力量影響)推測,將來有可能誕生新的火山,會造成氣候變遷、生態浩劫。 .為了避免這樣的狀況,向戈拉德徵求了去索蓋伊拉蘇蘇的許可。 .索蓋伊拉蘇蘇的人們,也同戈拉德,因入口被堵塞而困擾著。 .喬伊納斯的同伴們受困於索蓋伊拉蘇蘇的眷屬。 .喬伊納斯提議在索蓋伊拉蘇蘇的存在曝光之前,消滅索蓋伊拉蘇蘇。
【法里安特的故事_面具俘虜】 .索蓋伊拉蘇蘇徘徊著波迪歐拉的士兵(戈拉德的部下) .索蓋伊拉蘇蘇真身出現?(頭很多ㄟ)
🎭法里安特:「我是法里安特,我就是索蓋伊拉蘇蘇的階下囚。」 🎭法里安特:「對了,阿爾亞利雅……索蓋伊拉蘇蘇……炎之龍將我束縛在此。」 🎭法里安特:「混蛋精靈! 侍奉汙濁的城與國王的卑劣蠢貨!事到如今終於來取我的性命了嗎!?」
大概花四個小時擷取比較重點的對話 嗯…… 我這邊猜想,索蓋伊拉蘇蘇可能是煉金產物,或是柏爾亞利雅王想要用煉金術控制的存在,另一種可能的路線是,柏爾亞利雅王跟炎龍決鬥之後,跟炎龍融為一體回歸沉睡,但是這樣的臆測在梅西奧版本的故事中是不可行的?柏爾亞利雅王也不會有這麼多代都叫柏爾亞利雅吧(?
如果不看梅希奧的故事的話,炎龍=古矮王=奎格的製造主也說不定。 奎格搞搞不好是用全盛時期的煉金術製做出來的人造人。 所以他才會清楚貴金屬轉卑金屬的價值何在。 奎格的身體可能正是靠這樣轉換而生的能源運作,所以波穆爾的黃金才會慢慢的減少。
或是說,索蓋伊拉蘇蘇其實也是需要進貢黃金的存在。(這一點我覺得比較不可能)
如果那些士兵是戈拉德的部下,也許戈拉德也是想要搜查煉金術遺址? 雖然基爾說戈拉德並沒有在會議上提過任何事情,但是要隱瞞東西,戈拉德還是可以藏的。 加上這遊戲的知識份子都好怪,感覺也很容易走偏(看里亞德) 更別提他的技能:打藥→肉體改造這點,很容易想歪超級母湯。 要是哥哥來場獻祭重要事物的故事或癡迷到合成寵物跟親人也挺ㄅ賴ㄉ。 或是把奎格壓在牆上說勒索煉金情報之類ㄉ也讓我好興奮啊(等等)
最讓我疑惑的是……
新的故事篇章怎麼沒有梅希奧呢!!為什麼!!!
讓他探查古蹟不好嗎!!他的王冠還可以當照明燈ㄟ!!! 
好了接下來的劇情我期待2021年更新。 我滿足了(雙手合十)
個頭!!!! 愛琳跟巴斯特拉還有克雷維斯的故事我很期待吼!! 是不是有點太久沒更新ㄌ!!!
來睏。
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shintani24 · 4 months
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2024年5月29日
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「100万円けちって落ちたら後悔するでしょ」 元自民党事務局長の証言 選挙の「裏金」(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月29日)
自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件をきっかけに、政党の裏金とされる政策活動費の存在がクローズアップされ、現在の国会でも議論の焦点の一つとなっている。自民党の元事務局長は中国新聞の取材に、激戦区に党幹部が応援に入る際に「表に出さないカネ」が使われていると証言。その原資は、選挙の年に増額する政策活動費だと語った。(4回続きの2回目)
【画像】政策活動費の資金の流れ
疑惑の当事者の口はどうしても重くなる。一線を退いた元幹部なら色々聞かせてもらえるかもしれない。2019年まで自民党の事務局長を務めた久米晃(70)に申し込むと、取材に応じてもらえた。通常国会開会前の1月23日にインタビューした。
選挙分析に定評があり、名参謀として歴代の党幹部から信頼されてきた久米。国民の政治不信を高めた党派閥の政治資金パーティーの裏金事件の感想を聞くと「政治資金が『悪』と結びつけられてしまった」と残念がった。
根底にあるのは「政治はカネがかかる」という思い。衆院議員は地方になればなるほど、選挙区は広くなり、複数の事務所を構えなければならない。抱える秘書も多くなる。人件費や事務所の賃料、光熱費がかさむ。
「英国製の背広を着て、(高級車の)センチュリーに乗っている人もいるけど、それは限られた人。実際にはカネに困っている議員の方が多い。政治家が金儲けしていると言われると困る」。久米は国会議員の多くは政治資金の確保に苦労していると訴える。
特に選挙前は出費がかさむ。党公認の候補者には、党から公認料500万円と活動費1千万円が候補者側に振り込まれるが、事務員や車上運動員などの人件費に加え、候補者をPRするためのポスターやチラシの印刷・宅配費も膨れ上がる。野党候補との激戦区になると、費用はさらに増していく。
「100万円をけちって選挙で落ちたら後悔するでしょ」
一方、自民党本部は選挙前から情勢調査を繰り返し、各選挙区の状況を把握する。激戦区には、幹事長をはじめとする党幹部が応援に入り、遊説する。久米によると、その際には党幹部が候補者に陣中見舞いとして現金を渡す。「幹部が演説して『はい、さよなら』というわけにいかない。人間社会の常識でしょ」
陣中見舞いの相場は1人100万円。党幹部は選挙期間中、1日3カ所を回ることも珍しくない。「1日に300万円。衆院選なら12日間やって3600万円。(100万円を受け取った候補者は)飲み食いに使う余裕なんてない。必要なことに使う」と説く。
選挙の際に陣中見舞いを渡すのは法律で認められている。政治家同士でやりとりする場合なら、それぞれの政治団体の政治資金収支報告書や候補者の選挙運動費用収支報告書に書けばいいが、久米が語るのは「表に出さないカネ」。政党が政治家個人に渡し、使途を報告する義務がない「政策活動費」だ。
「だいたい車中でぱっと相手の懐に(現金入りの封筒を)突っ込みますよ。それが表に出ないカネ」。こう明かす久米は続けた。「当選するためにできることはする。だって戦だもん。勝たないと意味がない。100万円をけちって落ちたら後悔するでしょ」
疑問なのは、なぜ「表のカネ」として処理しないのかということだ。陣中見舞いを渡したい政治家の政治団体や政党支部の口座に振り込み、領収書をもらって収支報告書に載せれば政治資金規正法に則った寄付になる。
表に出さない理由について久米は「出す方も、もらった方も名前を出してもらいたくないという人がいる」と説明した。その答えに記者が首をひねっていると、久米は「選挙運動はボランティアという体裁を取っている。後援会のメンバーから『先生は50万円もらっているの』と言われたら嫌だし」と言葉を継いだ。やはり記者の腹には落ちなかった。
なぜ水面下で陣中見舞いをやりとりするのか。ある元自民党国会議員が取材に応じた。選挙の時に応援に来た党幹部から100万円をもらったが、収支報告書には載せなかったという。表に出さなかった理由については「他の選挙区の候補者から『なんであそこだけに100万円を出すのか』となってしまう」と語った。
政策活動費 選挙の年に増額 二階氏に47億円
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2022年に自民党本部が党幹部に支出した政策活動費
取材を進めると、選挙の舞台裏でやりとりされる現金の多くが政策活動費から出ていることは間違いないように思えた。政策活動費のデータとも符号する。
自民党の政策活動費をみると、衆院選があった21年は党幹部ら25人に計約17億円、参院選があった22年は15人に計約14億円が支出された一方、選挙がなかった20年の総額は12人に対して計約10億円と、大きく減っている。
政策活動費は、党内を仕切る幹事長に傾斜配分される。21年10月まで5年にわたり幹事長を務めた二階俊博が在任中に受領した政策活動費の総額は約47億円に上る。匿名を条件に取材に応じたある幹事長経験者は国政選挙に使われることを認め「当選ラインに乗る可能性がある候補者に資金投入することはあり得る」と明かした。
信じられないほどの現金が飛び交った選挙として、19年の参院選広島選挙区がある。元法相の河井克行(61)の妻で自民党公認候補だった案���(50)が初当選を果たしたが、選挙から3カ月後に買収疑惑が浮上。検察の捜査で地方議員や後援会員ら100人に計2871万円をばらまいていたことが分かり、河井夫妻は有罪判決を受けた。
検察は重要な証拠を克行宅から押収していた。「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きされたメモだ。このメモに基づき、検察は幹事長だった二階が3300万円を元法相に渡していたとみていたが、捜査は進展しなかった。
記者が国会内で二階に質問をぶつけた。二階は「河井さんが書き残しておったからといって(裏金が)あったかどうかを俺に聞いたって分からない。メモがあるというなら持ってこい」とすごんだ。激戦区にカネを投入することがあるかと尋ねると「そんなこと知らない」と返答。そうしたカネがあったのかどうか、明確な回答は返ってこなかった。
「政治とカネ」の改革が問われる今国会で、政策活動費の見直しは焦点の一つになっているが、自民党は当初から見直しに背を向けてきた。今月に入ってようやく使途公開の独自案を示したが、公開の対象は限定的で、透明化にはほど遠い内容だ。一方で、野党の多くは政策活動費の禁止を求めており、今後の与野党協議は難航が予想される。岸田文雄首相が明言した通り、6月23日に会期末を迎える今国会中の法改正に与野党で合意できるが焦点となる。(文中敬称略)
取材を終えて
自民党の元事務局長の証言から浮かび上がるのは、昭和の名残が色濃い政治のありようだ。右肩上がりの経済成長が続き、政治家の特権が容認されていた昭和はとうに過ぎ去った。当時の慣行が今の有権者に受け入れられるとは到底思えない。選挙の激戦区に陣中見舞いが必要なら、堂々と使途を公開する形で配ればいいのではないか。
※この記事は中国新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です
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選挙の陣中見舞い「機密費から100万円捻出」 自民党元官房長官の証言、にじむ悔恨(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月30日)
自民党の選挙戦では、「表に出さないカネ」が水面下で飛び交ってきた。そうしたカネの原資の一つとして取り沙汰されてきたのが、内閣の要である官房長官が一手に扱う内閣官房報償費(機密費)。ある元官房長官は「選挙に使ったことがある」と打ち明ける。国の施策推進のために予算化されている機密費の選挙への流用は、目的外使用の疑いをはらむ。(4回続きの3回目)
前任長官から引き継がれた「機密費の使い道」
高層ビルが立ち並ぶ東京の都心。あるビルの一室で中国新聞の記者と向き合ったスーツ姿の高齢の男性が、言葉を絞り出すように語り始めた。
この男性は、2000年以降の自民党政権で官房長官を務めた元政権幹部。「どこそこにいくら、どこそこにいくらみたいなのを前任の官房長官から引き継いだ。自分が使うことより『ここへ』と言われて出した感じだった」。赤裸々に打ち明けたのは機密費の使い道だ。
機密費の目的は「国の施策の円滑かつ効率的な推進」。おおむね毎月1億円が国庫から支給され、官房長官の執務室の金庫に現金で保管される。年間の総額は約12億円。長官の判断で機動的に支出でき、領収書は取らなくてもいい。
内閣が抱える課題の情報収集や関係者の調整など、水面下での活動に使われるとされるが、使途は一切公表されないため実態は分からない。国会の野党対策や外遊に行く国会議員への餞別に充てられたとの証言や指摘もある。「権力行使の潤滑油」とも呼ばれ、首相官邸に陣取る政権中枢の一部しか触れることができないカネだ。
「出してはいけない」 原資は税金
その機密費を選挙に使うことはあるのか―。記者の問いかけに、この元官房長官は「あると思う」と語った。実際、国政選挙の候補者の選挙応援に行った時に、陣中見舞いとして渡す100万円を機密費から捻出したという。「首相が行けないから代わりに行ってくれと言われ、仕事みたいに思っていた。何らかのものを渡さないといけないと思った」と振り返った。
しかし、「国の施策推進」のための機密費を選挙に使うことは適切なのか。記者の質問に、元官房長官は言葉を詰まらせた。「厳密に言えば選挙ではいけないと思う。税金だから」。本来の目的を外れた不適切な支出だったと認めた。その表情には悔恨の念がにじんでいた。
ブラックボックスの使途 「月1千万円を総理に」野中元官房長官証言
機密を大義名分に、使途が公表されない機密費。一定期間を経た後にチェックする仕組みもなく、目的外の使用があっても分からないのが現状だ。
それでも、関係者が口を開いたり、出所不明の記録が出てきたりして使途の一端が表面化したことはある。大きなインパクトを残したのは、10年に共同通信の取材に応じた野中広務(18年死去)の発言だ。
自民党の小渕内閣(1998~99年)で官房長官を務めた野中は、国会で野党対策に当たる自民党国対委員長や参院幹事長にそれぞれ毎月500万円程度を渡していたと暴露。前長官からの引き継ぎ簿に基づき、政治評論家や野党議員にも配っていたと語った。
いずれも、国益や人命を守るための極秘活動に使われる機密費のイメージとは大きくかけ離れた使途ばかり。野中は「悪癖を直してもらいたい」と訴えた。自らが月に5千万~7千万円の機密費を管理し、首相にも毎月1千万円を渡していたことも明かした。
首相から2800万円提供疑惑 「機密費で出せないことはない」
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2019年参院選広島選挙区を巡る裏金疑惑
野中の「告発」の2年後に誕生した安倍政権を巡っては、機密費流用疑惑が持ち上がっている。舞台となったのは、19年参院選広島選挙区を巡る大規模買収事件だ。
この事件では、元法相の河井克行(61)が妻の案里(50)を当選させる目的で広島県内の地方議員や後援会員ら100人に計2871万円を渡した公選法違反罪で有罪が確定。捜査は終了しているが、「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きされたメモの存在が昨年9月、中国新聞の取材で明らかになった。
メモは捜査当時の20年1月、元法相宅を捜索した検察当局が押収していた。検察は、当時首相の安倍晋三(22年死去)が2800万円、官房長官の菅義偉が500万円、自民党幹事長の二階俊博が3300万円、党選挙対策委員長の甘利明が100万円を提供した疑いがあると分析。首相官邸に陣取る安倍と菅は機密費、党幹部の二階と甘利は政策活動費から出した可能性があるとみていたが、元法相がメモに関する取り調べに応じず、捜査は進展しなかった。
メモは元法相らの公判でも提出されず、闇に葬られていた。中国新聞が報道した昨年9月時点では、既に安倍は亡くなっており、取材はかなわなかった。残る3人は中国新聞の取材に応じ、菅と二階が現金提供を否定した一方、甘利はメモの記載通り100万円の提供を認めた。
安倍の2800万円提供疑惑に関し、前述の元官房長官に「機密費から出すことは可能なのか」と聞いてみた。「いろいろあるやつを集めて一つにして出せないことはない。毎月1億円が入ってくるから」。無理をすれば出せる額だとの答えが返ってきた。
「どう使っても違法にならないカネ」
後日、別の官房長官の下で官房副長官を務めた元衆院議員が取材に応じた。注目したのは、検察が押収したメモにある「すがっち500」の記載。当時官房長官だった菅が出そうと思えば、メモが示す500万円は機密費から容易に出せる額と断じた。
19年参院選で広島選挙区は全国有数の激戦区となり、注目を集めていた。「政権の命運に影響を与える選挙。それならば機密費を使う理屈にできる」。こんな見立てを語り、機密費をこう例えた。
「使途を明かす必要がなく、『この世に存在しないはずのカネ』があるようなもの。どういう使い方をしても、違法にならない」
年間約12億円の国費で賄われているのに、領収書を取らずとも支出でき、使途は一切公表されない機密費。今回の中国新聞の報道を機に、野党から運用の見直しや使途公開を求める声があらためて上がっている。しかし、政府は5月24日、過去に選挙向けに支出されたことがあるかどうかについて「現内閣において確認を行うことは考えていない」とする答弁書を閣議決定した。チェック機能の強化に向けた運用見直しも考え��いないとし、不適切な取り扱いがあった際の罰則規定は不要との認識も示した。
機密費の性格上、即時の使途公開は難しいとしても、事後のチェックの仕組みや不適切な支出を防ぐルールは欠かせない。政府は税金の重みをかみしめ、見直しに動いてほしい。(文中敬称略)
取材を終えて
国益や国民を守るための機密費が、国政選挙の陣中見舞いに使われたと語った元官房長官の証言は重い。ただ、これは氷山の一角だろう。機密費は使途が公表されず、領収書を取る必要すらないため、使う側の規律がゆるみ、本来の目的を外れて使われているケースは少なくないのではないか。このままでは国民の不信が高まるばかりだ。
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機密費の使途公開巡る動きなく、相次ぐ疑惑 「国民との約束」踏み切れなかった民主党政権(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月31日)
選挙を巡る不透明なカネとして、使途が非公表の内閣官房報償費(機密費)にも疑惑の目が向けられている。2009年に政権交代を果たした民主党政権が使途の公開を検討したが、結論を出せないままで幕を閉じた。12年に返り咲いた自民党政権では使途公開の動きは途絶え、機密費を巡る疑惑が相次ぐ。13年の参院選で首相だった安倍晋三が候補者に100万円を提供した疑いが発覚。機密費の流用もささやかれる。(4回続きの4回目)
「やるべきだった」元民主党政権幹部の悔恨
「機密費の使途を明らかにしなかったのは本当に心残り。国民との約束でもあり、やるべきだった」。09年の政権交代で誕生した民主党の鳩山政権で官房副長官を務めた松野頼久(63)は悔しそうに振り返る。
鳩山政権が発足する8年前の01年、当時野党だった民主党は「官房機密費流用防止法案」を国会に提出した。機密費と呼ばれる内閣官房報償費の支払い記録の作成と保存を義務づけ、機密の程度に応じて10~25年後に公表させるための法案だ。事後であっても使途を公表することで、目的外への流用を防ぐ狙いがあった。自民党などの賛成を得られず廃案となったが、8年を経て実現した政権交代によって使途公開への期待が高まった。
使途公開に踏み切れなかった民主党政権
政権中枢にいた松野は、当時の法案に沿って使途公開に踏み切るよう求めたが、官房長官だった平野博文(75)は賛同しなかった。まずは機密費を1年間運用した上で、一定期間が経過した後に使途を公表できるかを検討する方針を示した。その後、鳩山政権は9カ月で退陣に追い込まれ、使途公開の可否に結論を出せなかった。
なぜ使途公開に踏み切らなかったのか。平野は中国新聞の取材に「機密費(の実態)を自分で見ていないので、全部をオープンにできるのか分からなかった」と語った。
鳩山政権は1年ともたずに退陣したが、平野は官房長官として在任中に機密費を使った。最も多い使途を尋ねると「情報収集の費用が多かった」と説明。さまざまな政権課題の関係者らと極秘で面会する際に相手側の交通・宿泊費や会場のホテル代を支払ったとした。自民党政権と同様、国会の野党対策の費用にも使ったという。
機密費の使途公開「ものによってはできる」
一定期間後の使途公開は可能なのか―。平野は「ものによっては出せる」と明言した。情報収集の費用は「(相手がいるから)難しい」としつつも、国会対策や政権内の組織運営のための費用は「出せる」と語った。
鳩山政権退陣後、菅政権を経て11年9月に野田政権が発足。30年後の機密費の使途公開を検討したが、12年12月の衆院選で大敗し、政権は自民党に戻った。使途公開を検討する動きは途絶えた。
一方で、機密費を巡る疑惑は後を絶たない。昨年11月、元国会議員で石川県知事の馳浩が東京五輪の招致活動で、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会の委員に、機密費を用いて贈答品を渡したと発言。後に発言を撤回した。19年参院選広島選挙区の大規模買収事件では、主犯の元法相河井克行(61)に対し、当時首相の安倍晋三(22年死去)が2800万円、官房長官の菅義偉が500万円を提供した疑惑が浮上。機密費が使われたのではないかとの見方が出ている。
安倍首相が13年参院選で候補者に100万円 報告書記載なし 機密費か
安倍を巡っては、別の疑惑も持ち上がっている。13年の参院選で東日本の選挙区の自民党候補者に100万円を渡していた疑いがあることが中国新聞の取材で判明した。
この候補者によると、参院選中に安倍が応援演説に入った当日、個室で面会する場面があり、安倍からA4判の茶封筒を受け取った。茶封筒の中には白い封筒が入っており、その中に100万円が入っていたという。
候補者は100万円の趣旨について「陣中見舞いのような感じで差し出された。厳しい選挙戦の足しにしてほしいという意味と思った」と説明。「表にしないカネ」と受け止め、選挙運動費用や政治団体の収支報告書には記載しなかったという。
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2013年の参院選での安倍晋三首相の「裏金」提供疑惑
安倍が関係する政治団体の収支報告書にも100万円の記載はなかった。どこから出した現金なのか。自民党の元幹部らによると、政権幹部が候補者の応援に行った際に渡す陣中見舞いは党の政策活動費から出すことがあるという。政策活動費は使途を明らかにする義務がなく、事実上の裏金と指摘される。
ただ、13年の党本部の収支報告書を見ると、政策活動費は幹事長だった石破茂に10億円超が渡っていたが、安倍に提供された記載はない。複数の元政権幹部は、機密費から出していた可能性があると指摘する。
政権中枢の「政治とカネ」の不透明な実態に国民の不信感はかつてなく高い。「官房長官は機密費、自民党の幹事長は政策活動費をばらまく。金権政治ここに極まれりだ」と話すのは法政大大学院教授の白鳥浩(現代政治分析)。「政治とカネの透明性を上げて、国民への説明責任を果たしていくことが重要」と強調する。
現在開会中の通常国会は会期末(6月23日)に向け、終盤に入っている。今後は、政治資金を透明化するための改革が最大の焦点になる。不透明なカネを国民に見える形にするのか。われわれ国民は、各党の動きに目をこらす必要がある。次の衆院選で投票先を考える際の大きな判断材料となる。(文中敬称略)
取材を終えて
機密費は、今国会で検討中の「政治とカネ」改革では議論の遡上に上っていない。しかし、かねてから選挙への流用や国会対策などに充てられてきた疑惑が浮上し、そのたびに国会で物議を醸してきた。選挙への流用疑惑は今も取り沙汰されている。「政治とカネ」の改革の機運が出ている今こそ、機密費の使途公開や使い道のルールを定める時ではないか。
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cale1108 · 4 months
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「猿の惑星/キングダム」★★★★☆
2011年リブート版からの猿の惑星シリーズ最新作。前作との繋がりはあるが、経過年数は数世代に及ぶのでここからでも大丈夫ではある。
猿の英雄シーザーの死から数百年後。猿は部族ごとに集落を作り、独自の文化と教えの元に生きている時代。
シーザーの教えを歪めた猿の王・プロキシマス配下の兵士達の侵攻によって集落を焼かれ、鷲使いの若者ノアだけが取り残された。人間の本とかつてのシーザーの教えを守る老オランウータンのラカ、猿に狙われている人間の女性ノヴァと出会う。ノアは仲間を取り戻すためにプロキシマスの拠点に向かうが…。
ノアの父が従えていた鷲のイーグル・サンが悉くノアを小突いていくのを、彼の自我と自尊心を確立させた時に認めてくれる展開はベタながら王道的。
平和の願いを託された地球を生きる子孫たちは、かつて暴力と支配の連鎖だった人類の愚行を繰り返すことになるのか、より良い道に向かうのかを問う一本である。
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