#��戸彫勇会
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刺青 和彫り古典
2) 刺青 和彫り古典
刺青 和彫り 迦陵頻伽 雷神
ブリ庄さん
背:迦陵頻伽(筋:彫五郎 ぼかし:初代彫文)
腹:雷神(初代彫文)
「原色日本刺青大鑑」 芳賀書店 (1973年)より
刺青 和彫り 不動明王(右) 雷神(左)
右:彫錦さん 不動明王 初代彫よし
左:ブリ庄さん 背 羽衣(筋:彫五郎 ぼかし:初代彫文)腹 雷神(初代彫文)
TOKYO TATTOO (1970) ©Martha Cooperより
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では���例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自��変形組み手である。特��な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像を��祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き��願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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英会話・日本語会話にユーモアを !
2024年10月10日第1112号
■シャレ話■
戸開くのを見て、当惑する。 教祖と走った。競走だった。 勇敢な少年が夕刊を配達。
■シャレ問題■ 1.あともどりする犯人を警察が捕まえた。このことを何と言う? 2.手先が細かく動く人をある役職に用いることを何と言う? 3.料金の必要な湯屋に入る時、列のいちばん先に立つことを何と言う? ■英語のシャレ問題■ What do you call the feeling of happiness when you complete carving a sculpture half-stood-out from the wall? 訳:壁から半分突き出た彫刻を彫り終えたときの幸福感を何と呼びますか?
この答えは、来週の号までのお楽しみ。
■会話を楽しむ■名言の落とし穴。(349) You can’t use up creativity. The more you use the more you have. -- Maya Angelou --
創造力は使い果たすことはできません。使えば使うほど、それは増えます。
使えば使うほど、増えるものは何?といったクイズがありますが、その答 えの1つが創造力なのですね。私は、ダジャレ問題に創造力を働かせていま すが、一向に創造力が増す気配はありません。どうして? 天井効果ですか
ね。ちなみに、Maya Angelouは、アメリカの詩人、民権活動家です。
■先週のシャレ問題の答え■ 1.いつも欲求するイモを何と言う? 2.ささえる柱のところで食べる肉、魚介、野菜などを汁で煮込んだ料理を 何と言う? 3��家族の中で、高貴の人につかえる女の子を何と言う?
What do you call the action of a small brown bird with a pleasant song going furtively? 訳:心地よい鳴き声を上げながら鳴く小さな茶色の鳥のこっそりと行く行動 を何と呼びますか?
■先週のシャレ問題の答え■
1.干し芋。欲しいイモから。 2.シチュー。支柱から。 3.次女。侍女から。 lurk こそこそ行動する、 lark ヒバリ
編集・発行:安藤則夫(ほどき心理相談所) 登録無料 http://www.mag2.com/m/0000110992.htm
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。
言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレて��るところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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コーチを待っている
勇利は緊張しているようだった。彼が試合のときにそうなるのはいつものことだけれど、これはシーズン序盤のB級大会で、試合勘を取り戻すためと課題をわかりやすくするために出場しているのだ。もちろん試合は試合だが、普段よりは自由に、好きにすべってよいのである。ヴィクトルとしては、改善点を浮き彫りにしてくれたほうがありがたいくらいだ。しかし勇利はかたくなっており、顔は青白く見えた。ショートプログラムではそうでもなかったのに、フリースケーティングになってこれほど変わるとはどうしたことだろう? 「勇利」 ヴィクトルはただ名を呼んで勇利の手を握った。ひんやりと、つめたい手だった。ヴィクトルは勇利にほほえみかけた。勇利もかすかに微笑した。 「何も心配はない。おまえならできる」 「はい」 勇利はうなずき、氷の中央へひとりで向かった。ヴィクトルは勇利から目をそらさずに、ひたすら彼だけをみつめていた。 最初は問題ないように見えた。動きはすこしかたいけれど、緊張もあるし、まだプログラムが熟していないのだから仕方がない。この程度は予想していたことだった。スケーティングにいつものなめらかさがないが、これもかまわない。試合で初めてプログラムを披露するということに気を取られているせいだ。このぎこちなさでは、ジャンプの回転が不足するかもしれないけれど、アンダーローテーションくらいなら──。 勇利が最初の四回転ジャンプを跳んだ。ヴィクトルははっとした。軸が驚くほどに傾き、勇利は派手に転倒した。観客がどよめき、ヴィクトルも思わずフェンスから身を乗り出した。さいわい、勇利はすぐに立ち上がって続きをすべり始めたけれど、彼の表情から、焦りが大きくなっていることが見て取れた。 まずいな……。 ヴィクトルははらはらし、祈るような気持ちで勇利をみつめた。落ち着いて。いつもどおりやればいいんだ。練習と同じように。練習のときは、あんなに綺麗にすべることができただろう? しかし勇利は、落ち着くことはなかった。最初のジャンプの失敗が響いているのか、二本目もしくじり、転びこそしなかったもののステップアウトした。三本目はまた転倒した。コンビネーションでは、トリプルアクセルとトリプルサルコウのあいだのシングルジャンプに、あきらかに回転が足りなかった。そのあとも、フリーフットはタッチダウンするし、着氷のときにはこらえるし、さんざんだった。うつくしいはずのスピンでさえ、回転数が少なかったり、基本姿勢が崩れたりした。ステップシークエンスではクラスタができず、ときおりひどくぐらついた。度重なる失敗のせいで心身ともに疲労しているのだろう、かなり息が上がり、体力が続かなくなっているようだった。どうにか最後まですべりきりはしたけれど、終わったときは激しく肩で呼吸しており、痛々しいほどだった。 観客は力いっぱい拍手をしていたし、声援も大きく送っていた。けれど勇利にはなんのなぐさめにもならなかったようで、彼は蒼白になりながら、こころがどこかにいってしまったという表情で挨拶をした。ヴィクトルは早く勇利を抱きしめてやりたくてたまらず、彼が戻ってくるのを待ちわびていた。 ようやく挨拶を終えた勇利が、リンクから出るために出口のほうを見た。そこで待っていたヴィクトルは驚いて息をのんだ���勇利はヴィクトルと目が合うなり、いまにも泣き出しそうなくしゃくしゃの顔つきになり、両手をひろげて、子どもが駆けてくるように帰ってきた。 「勇利」 いきなり抱きついてきた勇利を、ヴィクトルは力いっぱい抱擁した。勇利はヴィクトルの肩に顔を押しつけ、全身をふるわせた。泣いているようだった。 「勇利、大丈夫だ」 ヴィクトルは優しく彼の背を撫でた。激しく動いたため、身体は熱く、汗が噴き出しているのがよくわかった。 「大丈夫だよ」 勇利は何も言わず、しゃくり上げるように呼吸してヴィクトルにしがみついた。ヴィクトルは彼の髪をよしよしと愛撫したあと、エッジカバーをつけてやり、キスアンドクライへ連れていった。そこでナショナルジャージを着せると、勇利がまた泣き顔でぎゅうっとくっついてきた。ひどい得点が出ることはわかっていた。ヴィクトルは勇利をいつくしむように抱き、彼の耳に、こころをこめてささやきかけた。 「気にすることはない。勇利が本当はできることを俺は知っているよ。こういう日もある。グランプリシリーズの前にこうなれて、かえってよかったんだ。いまのうちに失敗しておけばいい。いいかい勇利、おまえの武器は、うつくしいステップシークエンスと、低い、姿勢の動かない速いスピン、それにまるでダブルのようになめらかに跳ぶトリプルアクセル、そして、絶対にエラーのつかないジャンプのエッジだ。勇利のルッツは正確無比だ。それだけできるんだ。勇利は魅力的だよ。俺は知ってる」 勇利はずっと、顔をぐしゃぐしゃにし、ヴィクトル以外にはけっして見せないようにして泣いていた。ヴィクトルは、彼のその泣き顔が忘れられなかった。 グランプリファイナルが終わると、それぞれの国内選手権、ヨーロッパ選手権や四大陸選手権が続き、勇利と会えなかった。四大陸選手権が日本開催だったため、勇利はファイナルのあとすぐ日本へ発ち、国内試合が終わっても帰ってこず、しばらくロシアを留守にした。 「ああ心配だ。勇利が心配だ。大丈夫かな。彼は繊細なんだ」 ヴィクトルは自分の練習をしながらも、勇利が気になって仕方なかった。 「シニア上がりたての選手じゃあるまいし、ひとりで練習する方法くらい知っているだろうが」 ヤコフがあきれかえった。 「ヤコフは勇利のことを知らないからそんなことが言える」 勇利からは毎日のように練習動画が届くし、ヴィクト��も助言や指示、メニューなどをメールで送っているけれど、ヴィクトルがたわいない話題を示しても勇利はそれに返事をせず、ひたすらにスケートの話をしているので、ますます心配になるのだ。勇利はまじめな性格だからそうなるのだろうが、ヴィクトルとしては、何か思うところがあるのではないか、気持ちを隠しているのではないかと気が気ではない。 勇利の四大陸選手権には帯同できない。どうしても予定が合わない。しかし……。 「エキシビションになら間に合うな」 ヴィクトルは自分の日程表をにらんでつぶやいた。 「おい、まさかおまえ」 ヤコフが顔をしかめた。 「よし、行こう」 「近所に散歩に行くみたいに簡単に言うな」 「勇利にはコーチが必要だ」 ヴィクトルはいつかの���利の泣き顔を思い出した。 「俺がそばにいなくちゃ」 「試合が終わってから行っても意味がない」 「意味はあるさ。そうだろ?」 ヴィクトルはヤコフをじっと見た。 「ヤコフ、俺は行くよ」 ヤコフは苦々しい顔をしていたが、やがて溜息をついた。 「仕方がない」 「ありがとうヤコフ!」 「反対してもおまえは聞かんだろう」 ヤコフはヴィクトルをにらんだ。 「さっさとこのニュースを生徒に教えてやるんだな。きっと喜ぶだろう」 ヴィクトルは眉を上げた。 「何を言ってるんだ。勇利にはないしょだよ。じゃなきゃ驚かないだろ?」 「こんなときにまで驚きを追求するな!」 ヤコフががみがみ言ったけれど、ヴィクトルはやはり、勇利には話さないつもりだった。試合には行けないがエキシビションには行ける、と言われて、彼がどう思うかわからない。喜ぶか、あるいは、それなら試合にも来て欲しかったとせつない思いをするか……。おもてには出さないだろうけれど、胸を痛めるかもしれない。頭では仕方のないことだと理解しても、こういうことは理屈ではないのだ。それに、もし予定が狂って行けなかったら、かえって彼につらい思いをさせることになる。 勇利には話さない。その代わり、彼が驚き、喜び、うれしくて泣くくらいのことをしてやりたかった。勇利はさびしいときほど口には出さない。それをヴィクトルは知っていた。 ヴィクトルは四大陸選手権の主催に連絡を取り、大切な相談をした。 「何をごそごそしとるのか知らんが、どうせおまえのことだからおおがかりなことだろう。勝生勇利が優勝していなければかっこうがつかんぞ」 むっつりとしたヤコフの指摘に、ヴィクトルは平気な顔で答えた。 「勇利なら金メダルさ。俺の勇利だ」 エキシビションは、「離れずにそばにいて」にした。今季の曲はそれとはちがうものなのだが、ヴィクトルがいないとさびしく、勇利はそうせずにはいられなかったのだ。 すべっているあいだじゅう、ヴィクトルのことを考えた。勇利はスケートをしているときはたいていヴィクトルのことを考えているのだけれど、このときはことさらにそうだった。ヴィクトルはいまごろ何をしているだろう? どうしているだろう? 勇利のことをすこしは想ってくれているだろうか? ヴィクトルのことだから、忘れてしまっているかもしれない。でも彼は優しく、「勇利のことは忘れないよ」と言ってくれる。勇利はその言葉を信じた。けれど……、忙しいひとだから、遠く離れている生徒どころではないだろう。きっと。それは仕方のないことだ。 手を差し伸べるところでは、さらにヴィクトルを身近に感じた。彼は勇利のためにこのプログラムをすべってくれたことがある。見ていたのは勇利だけだ。あのとき、ヴィクトルもこうして、勇利のほうへ手を差し伸べて、甘く、いとおしそうにみつめ、情熱的にほほえんだ。 ああ、ヴィクトルに会いたい。この試合が終われば会える。よかったよ、勇利。すてきだった。なんてすばらしいんだ。おまえは俺の誇りだ。そう言って欲しい。勇利の金メダルにキスしてくれるだろうか? 勇利にキスしてくれるだろうか? 早く抱きしめて欲しい。いますぐに……。 曲が終わったとき、観客はすぐには拍手をせず、しんと静まり返っていた。勇利は何か失敗してしまったのかと思って慌てた。まちがっていただろうか? それとも──ヴィクトルのことを考えてすべったのがわかってしまっただろうか。勇利は戸惑い、赤くなった。 ようやく歓声と拍手が起こったので、勇利は深くお辞儀をしてリンクから去ろうとした。彼が最後��演技者だった。これでプログラムは終わりだ。 しかし、一歩踏み出したとき、会場内の大きなモニタが明るくなった。勇利は驚いて振り返り、観客たちも静かになった。映っているのは白い壁で、ただそれだけなのに、勇利はなんとなく見覚えがあるような気がした。どこだったかな……。 横からカメラの前に入ってきたのはヴィクトルだった。勇利ははっとして口元に手をやり、白い壁の前に立つヴィクトルをみつめた。 「やあ、勇利」 ヴィクトルがいつものすてきな声で話し始めた。 「優勝おめでとう。金メダルだね。きみの金メダルにキスするのをずっと楽しみにしてたんだよ」 勇利の頬は紅潮した。ヴィクトルらしい驚かせ方だった。この試合に帯同できなかったことの代わりとして、この動画を贈ってくれたのだろう。それにしても、撮影したのは優勝のきまる前だろうに、もし勇利が金メダルを獲れていなかったらどうするつもりだったのだ。それもヴィクトルらしいと勇利は涙をこぼしそうになりながら笑った。 「今回は一緒に行けなくてごめんね。とてもさびしかった。こっちでひとりでいるのはつまらないよ。勇利はさびしがってるのは自分だけだと思ってるかもしれないけど、俺のほうこそせつない思いをしてるんだよ。きみはそれをわかってないだろう」 ぼくのほうがさびしいもん、と勇利は思った。ヴィクトルこそぜんぜんわかっていない。 「勇利は俺がきみをどれほど愛してるか、ちっとも理解してないからね。いつかしっかり教えてやろうと思ってるんだ。いいかい? お断りだと言われてもそうするよ」 勇利は笑顔になり、客席からも笑い声が聞こえた。 「いま、ヴィクトルったらこんなことを言って、ぼくが金メダルを獲れてなかったらどうするつもり? ──なんて思ってるだろう?」 そのとおりだったので、勇利はさらに笑ってしまった。 「金メダルは獲るさ。俺の勇利だ。当たり前だ」 そのひとことに、勇利は胸がずきずきと甘く痛んだ。ヴィクトルは勇利が勝つといつでも信じてくれている。 「早く勇利に会いたいよ」 ヴィクトルはゆっくりと言った。 「勇利の金メダルにキスがしたい。きみを抱きしめたい。よくやったねと言いたい。ほかにも──いろいろ、話したいこと、したいことがあるよ」 全部して。勇利は苦しいほどにそう思った。ヴィクトルの話を聞きたかったし、彼のぬくもりを感じたかった。 「勇利の声が聞きたい。いつもの、ヴィクトルは何を言ってるのかわからない、っていうあきれた声でもいいよ」 みんながまた笑った。勇利は口元を両手で押さえ続けた。ヴィクトルは何を言ってるのかわからないけど、でも、そんなところが好き……。 「あるいは──、ヴィクトル、またやったんだね、と言うかな。本当に驚かせるのが好きだねって。──勇利、驚いてくれたかい?」 「うん。すごく……」 勇利はちいさく、ぽつんとつぶやいた。ヴィクトルを愛していると思った。どうしてこんなに好きなのだろう? ずっと好きなのに、どんどん好きになっていく。 「でも、もっと別のことを言われるかもしれないな。ヴィクトル、あれなに? そう言って怒るかな。だって、みんなの前でこんなことをしたら、勇利は恥ずかしがるだろうからね。全世界が見守ってる中で、勇利に愛の告白をしているようなものだから」 「ばか……」 客席がわいているけれど、勇利の耳には入らなかった。彼はいま、ヴィクトルしか見えず、ヴィクトルの声しか聞こえなかった。 「何も恥ずかしくはないさ。ただ、愛の告白は会ってちゃんと、直接言うよ。いつも言ってるけどね」 ヴィクトルがほほえんだ。 「勇利」 「なに……」 「俺に会いたいと思ってくれるかい?」 「当たり前だ��……」 「俺のことを考えてくれてる?」 「うん……」 「俺も勇利に会いたいよ」 「会いに来てよ……」 「早くおまえをこの腕につかまえたい」 「そうして……」 「すぐに抱きしめたいんだ──」 勇利のすらっとした後ろ姿を、ヴィクトルはリンクサイドからみつめていた。夢にまで見た勇利の立ち姿だ。「離れずにそばにいて」の青い衣装がよく似合っている。これはヴィクトルがもともと着ていたものと同じ型で、色だけがちがっていた。ヴィクトルは、それに合わせてつくった、もととはちがう衣装を身につけようと思ったのだけれど、やめておいて、黒いスーツにした。自分はいま、勇利のコーチなのだ。そのために来たのだ。それならばこの瞬間は、これ以外、着るべきものはない。 勇利は口元に両手を当て、夢中で大きな画面を見ている。彼がどれほど情熱的な目つきをしているか、後ろからでもわかった。そのまなざしを、もうすぐ浴びることができるのだ。 ヴィクトルは苦しいほどに胸が高鳴った。ほんの二ヶ月のことなのに、もう何年も勇利と会っていない気がした。足がふるえそうで困ってしまった。みっともないまねをするわけにはいかない。転ぶなんてもってのほかだ。勇利の前では、かっこうよいヴィクトルでいなければ。せめて氷の上にいるときは──。 ヴィクトルはエッジカバーを外した。ゆっくりと氷に踏み出すと、すぐに気がついた観客が、ざわっとざわめいた。勇利は熱心に画面のヴィクトルを見ている。まったくまわりに注意を向けていない。ヴィクトルは静かにすべり始めた。 「でも、もっと別のことを言われるかもしれないな。ヴィクトル、あれなに? そう言って怒るかな」 響く自分の声を聞き、ヴィクトルは微笑した。勇利は怒っているときも魅力的だ。とびきりかわゆいのだ。しかし、いまは笑って欲しい。全世界を前に、こんなふうに愛の告白をしても。 「勇利。俺に会いたいと思ってくれるかい?」 勇利の背中が近づいてきた。 「俺のことを考えてくれてる?」 ヴィクトルは頭がおかしくなりそうなほど、勇利のことしか考えていなかった。 「俺も勇利に会いたいよ」 そうだ。だからこうして会いに来たのだ。 「早くおまえをこの腕につかまえたい」 あとすこし。ほんのすこしで……。 「すぐに抱きしめたいんだ」 そう……。 ──いますぐに。 勇利は、歓声がどんどん大きくなっているのに気がついていなかった。彼は画面の中のヴィクトルだけをみつめていた。だから、ヴィクトルが背後から突然腕にふれ、そのまま引き寄せて抱きしめたとき、心底からびっくりしたようだった。 「え……!?」 勇利は振り返り、そのうつくしく澄んだ瞳にヴィクトルを映して、大きく目をみひらいた。彼は悲鳴を上げ、慌てたようにヴィクトルから離れ、向き直って、両手で口元を覆った。信じられないというそのそぶりがかわいくて、ヴィクトルは笑ってしまった。 「え? え? うそ……なに……どういうこと……?」 勇利はかぶりを振りながら、じりじりとあとずさりし、大画面と、すぐ前にいるヴィクトルとを見くらべた。ヴィクトルが腕をひらいても、まだ信じられないようで動かなかった。 「なんで? うそでしょ? なんでヴィクトルが……」 彼はあまりのことに可笑しくなったのか、かすかに笑った。しかしすぐにその表情は泣き顔になり、顔じゅうぐしゃぐしゃにすると、声を上げて泣きながらヴィクトルに駆けよってきた。 「ヴィクトル……!」 勇利はヴィクトルにしがみつき、ヴィクトルも力いっぱい抱き返した。ふたりを祝福の声と拍手が包んだ。 「ヴィクトル、ヴィクトル、ヴィクトル……」 勇利の声は嗚咽にまじって聞き取れないくらいだった。彼はヴィクトルにほっぺたをすり寄せ、顔を上げると、両手を伸べて頬を包みこんだ。ヴィクトルは勇利の腰を抱いたまま、彼に夢中でキスをした。 「勇利……」 幾度もくちびるを合わせては離し、勇利の瞳をのぞきこんだ。それはひどくうるんでいて、涙は、あふれては頬を流れ落ちていった。 「う、ひっく、えっ、ヴィクトル、あぁん、ヴィクトル、う、ううっ、あーん、あーん……」 勇利は泣きじゃくり、またヴィクトルにしがみついた。ヴィクトルは勇利の髪にくちびるを押し当てた。 「勇利、会いたかったよ。ようやくだ……」 勇利はしゃくり上げるばかりで、何も言わなかった。ときおり首をもたげては、本当にヴィクトルなのか、消えはしないのかと確かめるので、そのたびにヴィクトルは接吻した。 「もう離さない。離れないよ」 勇利のふるえる指が、またヴィクトルの頬にふれた。おそるおそる……。ヴィクトルは鼻先をこすりあわせ、くちびるをついばんだ。そして長いあいだ勇利を抱きしめ続けた。勇利はいつまでたっても泣きやまず、ずっと激しく嗚咽を漏らしていた。ヴィクトルはくちびるで勇利の涙をぬぐい、いとしい子の額にくちづけしてささやいた。 「愛してるよ、勇利」 勇利は勢いよくヴィクトルに抱きついた。ヴィクトルはそのしなやかな肢体を横向きにかるがると抱き上げて、たまらなくいとしいという笑顔を向けた。勇利��ヴィクトルの首筋にかたく腕をまわし、肩口に顔を伏せて全身をふるわせた。 「驚いた?」 「…………」 「最高だっただろう?」 「…………」 「俺は最高だったよ」 ベッドに並んで座り、ひと落ち着きしても、勇利はヴィクトルの腕を抱きしめ、肩にもたれかかったまま離れようとしなかった。ヴィクトルも彼から離れるつもりはなかったので、それでいっこうにかまわなかった。 「おなかはすいてないかい?」 「…………」 「何か飲む?」 「…………」 勇利が静かに目を上げた。長いまつげと、うるおいを帯びたチョコレート色の瞳を見たヴィクトルは、そっと彼にキスをした。勇利がねだるようにすり寄ってきた。ヴィクトルはもう一度くちびるを合わせた。 「勇利、何か言ってくれ。声が聞きたい」 「…………」 勇利は口元に指を押し当て、じっとヴィクトルをみつめた。その目つきだけでヴィクトルはくらくらした。勇利のこの目によわいのだ……。勇利は可憐なくちびるをひらき、ヴィクトルの耳元にささやいた。 「ヴィクトル……」 名前を呼ばれただけなのに、全身がしびれるような感覚に襲われた。なんという幸福……。ヴィクトルはくるおしいほどの胸のうずきに耐え、勇利の耳に口を近づけた。 「勇利がいることで、俺は完全になれるような気がするよ」 「ヴィクトル……」 勇利が続けた。 「どうしてわかったの……?」 「何がだい……?」 「ぼくが会いに来て欲しいと思ってたこと。それと……、ぼくがいますぐキスして欲しいって思ってたこと──」 ヴィクトルは言葉が終わらないうちにくちびるを合わせた。 「こうかい?」 「…………」 「こう?」 何度も何度もくちびるを押し当てると、「そう……」と吐息のような勇利の声が答えた。彼の目からこぼれた新しい清廉な涙にヴィクトルはキスをした。 「どうして来てくれたの……?」 「会いたかったからさ」 「どうして会いたかったの……?」 「勇利を愛してるし、俺は勇利のコーチだからね。勇利はシーズンの初め、試合で失敗して泣いたね。あのとき、俺は勇利に必要とされてるんだと思った。もし失敗しなくても、やっぱり必要とされてるんだ。失敗したらなぐさめて力になってあげられる。失敗しなかったら──、抱きしめて褒めてあげられる。俺はそれをしたかった。勇利が泣くときも笑うときも、そばにいたいと思ったんだ」 勇利は泣きながらほほえみ、ヴィクトルの頬にふれてキスをしてから、金メダルを取り出した。 「キスして」 ヴィクトルは勇利のメダルにくちづけし、それから勇利にも接吻した。���して彼の黒髪を撫で、微笑してささやいた。 「ジャンプでは転ばなかったね?」 「うん」 「ステップアウトもしなかった?」 「しなかった」 「回転は足りてたかい?」 「ひとつも刺さらなかった」 「タッチダウンは?」 「しなかった」 「スピンも安定してただろうね?」 「ずっと数を数えてた」 「ステップのクラスタは完成した?」 「した」 「全部完璧だね?」 「…………」 勇利は口元に手を当てて考えこんだ。 「完璧かどうか……は……」 ヴィクトルは笑いだした。 「そうだ。その向上心こそ大切なものだよ。次は世界選手権だから」 勇利はヴィクトルのネクタイにふれ、その結び目をすこし直した。彼はつぶやいた。 「かっこいい」 「そうかい?」 「似合ってる」 「勇利にそう言われると得意になるよ」 「ぼく、エキシビションで『離れずにそばにいて』をやったんだ」 「見てたよ。すてきだった。デュエットを一緒にしたかったね。かっこよく似合ってるスーツ姿だけど」 「だめ……」 勇利は甘えるようにかぶりを振った。 「コーチ姿の俺じゃいけないかい?」 「そうじゃなくて」 勇利は気恥ずかしそうに答えた。 「あのときは、ぼく、何がなんだかわからなくて、泣いちゃって、とてもすべれなかったから……」 ヴィクトルはほほえんだ。 「あとで、あの瞬間の動画をふたりで見よう」 「やだ。見ないで」 「なぜ? きっとすてきだよ」 「恥ずかしい」 「ちっとも恥ずかしくなんかないさ……」 ヴィクトルは勇利の手を握った。勇利が顔を上げた。ふたりのくちびるが出会った。勇利がそっとまぶたを上げた。 「ねえ……」 「なんだい?」 「ヴィクトルはいつか、ぼくが失敗したあの試合で、ぼくについて話してくれたね……」 「ああ、そうだったね」 「ぼくのトリプルアクセルはなめらかで、ルッツは正確無比だって」 「そうだ」 「ヴィクトルも……」 勇利は、濡れたまつげの向こうから、みずみずしく澄んだ愛くるしい瞳をきららかに輝かせ、聡明そうに言った。 「ヴィクトルもぼくの望みをかなえるときはなめらかで、ぼくの望みをくみ取る力は正確無比だよ。それと……ぼくも愛してる」
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01/21 ヤクザと家族 The Family 試写会に参加しました
*ネタバレどころか全編通しての感想なので一定期間が経過したら本記事は非公開に移行いたします🙆♀️
*記事全体でお名前や役名などを敬称略にて記載させていただいている部分が多数あります。ご不快に感じられる方がいらっしゃいましたらブラウザバックしていただけますと幸いです。
2021年1月21日(木)、映画「ヤクザと家族 The Family」試写会に参加させていただきました。年末年始は「1月29日を迎える」ことを目標に繁忙期を生き抜いたため、当選通知のメールを見た瞬間私の2021年は終わったような気持ちでした。(誇張表現)
今回も初見時の気持ちをフレッシュに残しておくべく、鑑賞しつつこんな感じでメモっていました。 黒い文字が上映中のメモ、緑の文字は帰宅後に補足で書き足したメモです。
これまでは人に見せることを前提とせず目と耳に入ったことや感想を自由にメモっていたのですが、今回を機にメモを見返しつつ(時に載せつつ)感想ブログなどもしたため始めてみようと思い、画像と文字を投稿しやすそうなTumblrを開設してみました。普段芸術と程遠い業務にいそしむ会社員の感想を眺めて「わかる〜」「いやわからね〜」みたいな楽しみ方をしていただけたら幸いです。
今回はB6ノートに見開き10ページ分ひたすら悶絶しているメモとなりました。
映画開始から終了までの時系列順で書いています。ちょこちょこ下記のようにスクショで掲載します。
水中から始まる…… フレッシュなダイイングメッセージみたいな文字で書き始めているのですが映画冒頭、あぶくに包まれながら沈んでいく推定・綾野剛さんの映像がとても綺麗でした。今思い出すと「ああ〜Familia……」という感じです…… 一緒に見に行った方が観賞後、「この映画は山本賢治の走馬灯なんじゃないか」という話をされていて打ちのめされました。
そう言われてみると最後の沈むシーンでは刺された血液か返り血かで体の周りにもやのような赤が浮いていますが、冒頭の沈む映像ではそれがなかった気がするので山本さんの自己認識的な映像なのかな〜とも考えていました。 確か右手を伸ばすようなカットがあり、写っている手がなんだか小さく見えたので「19歳の前に胎児からスタートなのかな?」と斜め上なことを考えていたのですが、上方に伸ばした手を自分で見上げているので確かに小さい感じに見えるんだな〜とも考えていました。
1999年
小さい原チャリの山本賢治くん(19)が着席するまでの一連、白い上着で葬儀場に入って行く俯き気味の後頭部が愛しかったです……読み間違いかもなのですが喪主が山本賢治に読めて、あ〜頼れる親族いなかったんだ……とすでに泣きそうになっていました。
少し後のシーンで山本宅が映る時、お父さんの名前で賞状も雑多に積まれていたのが何だったのかな〜と思いながら観賞後にサイトを読んだら証券マンだ���たとのことで、優秀な社員さんだったのかな……と思いつつ母親も離婚などではなく亡くなっているという記載からかつての山本家に思いを馳せて切なくなっていました。
いちはらはやとかわいい 市原隼人さんをドラマ版『ROOKIES』で知り、『猿ロック』『ボックス!』くらいしか見たことがないながらにくしゃっと笑う顔が好き^〜〜〜と思っていた高校生時代を思い出しました。原チャに足乗せて数珠をいじってるの大変かわいかったです。数珠は手作りなのでしょうか🤔2019年で大原の墓前にも赤マルと一緒にお供えされてるのを見ると三人でお揃いで作ったのかしら……と深読みして涙する私でした。
おかねにはしゃぐのかわいい 夜の堤防で強奪してきたクラッチバッグを開けるシーン。大原を演じる二ノ宮隆太郎さん、お顔は存じていたのですがお名前が出てこず、さらに事前にあまり情報を入れないようにして映画に没入しに行ったので「大原」「細野」の名前が最後までわからず迷走したメモになっています(言い訳) バッグの中から20万円くらいが出てきて堤防でめっちゃはしゃぐ大原が大変かわいかった……1999年でも2005年でも大原が笑ったり喜んだりすると見ているこっちもニコ……☺️と笑顔になるのが不思議でした。
このシーンで月におシャブさんをかざして「きれェ」って言う細野もやばいけ���投げ捨てちゃう賢治くんの衝動性も心配な感じでした。この衝動性が2005年の川山を瓶でゴン事件に繋がるんだろうな〜と思いつつ……
あかちゃんあやすいちはらはやときゃわ オモニ食堂で赤ちゃんの翼くんをせっせとあやす細野の笑顔がほんと〜〜に好きで…… 山本・細野・大原の三人でいっぱい食べてるのめちゃめちゃかわいい空間でした。
くみちょうかっこいい 帰宅してから追記したメモもだいぶ頓珍漢なのですが「激シブ」と書きたかったんだと思います。
この食堂乱闘事件の最後、大原が出口手前の机に綺麗にぶつかって気持ちよくひっくり返して走って出て行くのも爽快でした。(どんな感想?)
ドアちゃんとしめるけんじくん 寿司パに呼ばれた賢治くんがビルの入り口ドアを後ろ手ながら��ゃんと閉めるのが偉いな〜と思って見ていました。(今思うと金文字の「柴咲組」を見せるためかな〜とも思いつつ) この後商店街を走る時も「どけどけ!」だったのが「どいてどいて!」になって、後に続く言葉の方が優しい感じになる辺りに人柄を感じてグッときました……
はねられたあとはしるけんじくん 雑誌の『キネマ旬報』だったかで綾野さんがスタント無しで挑んだというのは読んでおり、事前公開された映像も見たので心の準備はできているつもりだったのですが劇場で見ると迫力が凄まじかったです……は、はねられている……あと確か長回しがはねられた後も続いていてハラハラしていました。
そしてこのあと盃交わす場面までほとんどメモ取ってませんでした。SNSの完成披露会を見られなかったので一緒に行った方に教えていただいたのですが、あのシーン本当に蹴られているということで……よくぞご無事で……😭 香港までの密輸(入国)船のサイズが意外と小さくて、時々ニュースで見る国境近辺の船ってそういえばこんな感じだったな〜と思い出していました。 あと加藤こと豊原功補さん、『のだめカンタービレ』の江藤しか知らなかったので「なんか見たことあるような…」とは思いつつ一瞬気づきませんでした……!江藤塾の指導が「ヤクザのとりたてみたいな指導しやがって!」と千秋に言われるのですが江藤と加藤全然違う人間ですごかったです……
ところでこの臓器くん三人が密輸されかけるくだりの辺り、賢治くんが柴咲組との関係を否定したのに中村の兄貴が迎え��来てくれて三人とも助かってる描写の理由が1回目だとわからなかったので今後わかるまで見に行きます(ムビチケを追加で積んだ顔)
盃交わすシーンで縦書きのク��ジット入るのめちゃめちゃテンション上がりました。かっこいい……ここのシーンの背景や人の配置とお顔など、後で出てくる方いらっしゃるのかな〜と思いながら見ていて白文字を読んでいなかったので結局エンドロールまで気づかなかったのですが今回岩代太郎さんが音楽だったそうで、初めて映画のサントラ買ったのが『武士の献立』だったのでエンドロールでもテンション上がる事態になっていました。
2005年
おしりまで入ってるの 銭湯で山本さんが湯船に向かう後ろ姿のシーンで刺青が背中通り越しておしりと太ももにまで入っていた衝撃のメモ。 そういえば私も小学生くらいの頃、近所の銭湯にどうしても行ってみたかったのですが連れて行ってもらえなかったことを思い出しました。(誰彼構わず話しかけては走り回って物を壊す子供だったのでいろいろな意味で人生変わるところでした)
大原と細野の背中にも線彫りでごっついでかい刺青が一面に入っているのですが、山本賢治さん(25)の気合の入り様がエグいかっこよかった……何年かけて彫ったのか…… 米国にいた時スナック感覚で一緒に刺青入れよ〜と誘われた際、断りつつ色々調べて知ったのですが、線ではなく面の刺青は痛さも尋常じゃない上にグラデーションは彫り師さんの技術も問われるところとのことでお尻やふとももとか脇の肋骨のあたりみたいな皮膚の薄そうなところにまで見事に入っているのを見て山本さんの六年間に思いを馳せたりしていました。あと全然関係ないですがお風呂めっちゃ気持ちよさそうで私も帰宅してお風呂沸かしました。
中村��てれるな」かわいい 安易に「かわいい」という形容詞を使いがちなのですが魅力を感じた時にさくっとメモする時やっぱり「かわいい」とか「かわ」って書くのがラクという。 若頭襲名?就任?のお祝いをされてぽつっと一言中村の兄貴が「照れるな」と言うのがかわいかったです。立ってるだけでめちゃめちゃ怖いし1999年の方でも怖かった中村さんが口を開くと思ったよりフランクで端々にポップさが垣間見えて「あっ好き」と引き込まれた瞬間のひとつでもありました。ドラマ『アンナチュラル』の宍戸だ!!と思って警戒しながら見ていたのですがここで警戒を解いて仲間だ〜🌼と思いながら見ていたので2019年の方で落ち込みました……(鑑賞中に落ち込む視聴者とは)
このシーンで細野が「これ山本の兄貴からです」のような文言で中村さんにプレゼント(とは言わないのかしら……)を渡す時、言い方や間の取り方があまりにも自然なモブっぽくて一瞬細野だと思いませんでした。山本さんから中村さんにお祝いの品を渡すだけの舎弟の役割を果たしている細野aka市原隼人にグッときていました……
せんえんくれる オモニ食堂で小学生の翼くんに千円札をくれる山本さんのシーン。一万円とかではなく、でも小学生には大金の千円札をお小遣いにくれる山本さんのバランス感覚がとても好きでした。愛子さんが止めるでもなく受け取っときなと言う様子になぜか嬉しくなってました。そして翼くんがンマ〜〜〜かわいい……その翼くんと会話してる時の山本さんと細野がこれまたンマ〜〜〜かわいい……あの笑顔は無形文化遺産認定の日も近いです。
「子供と会話すると笑顔になるよな〜」と思いつつ見ていたのですが今思うと大原くんと亡くなった翼くんのお父さんが似ていたというところから、自然と人を笑顔にさせる特性みたいなものを翼くんもお父さんから受け継いでたのかなぁとか、いろんな人の居場所になってたオモニ食堂を切り盛りしてるお母さんから学んだりしてたのかなぁとか色々考えていました。
ジッポのチーンかわいい この「かわいい」も魅力的だったな〜の「かわいい」です。2005年の山本さん喫煙シーンで印象的なジッポライターの開閉音、薄い金属音がおしゃれで好きでした……小中学生の時分、ジッポに憧れて百均やらドンキやらで安いのを買ってはガチッとかバチッみたいな音を立てて開閉させていた勢なので「かっこいい……」と痺れていました。あと山本さんの手が綺麗で二倍痺れました……
2019年、山本さんの出所後に「柴咲組一同、盛大に」のシーンで煙草に火をつける時は百円ライター的なジッという音になっていて泣きそうになりました。対比がエグい……
くうきのかわりかた 2秒前まで翼くんと近所のお兄ちゃんみたいな会話をしていた細野が山本の電話の様子を見て一瞬で空気を切り替えるのがビリッと来ました。オモニ食堂の壁際に飾られた七五三か端午の節句かの人形を挟んで会話していたのも何故か記憶に残っています。
この画面大原があまり映ってなくて若干寂しかったりしました。三人でご飯食べにくるの可愛かった……ビールの乾杯の時にグラス合わせる位置が特に山本さんが上という感じもなく三人でかんぱ〜いってなってたのが本当に好きでした。(見間違いだったらどうしよう…)山本さんの貴重な笑顔……
あめちゃんなげるのかわいい この「かわいい」は「かっこいい」と「かわいい」が半々くらいのかわいいです。去り際に細野が翼くんに2つか3つか何か投げるので「小銭?にしては雑…?」と思っていたらキャラメルなのかラムネなのかアメなのかオレンジ色の細長いのを翼くんが両手で受け取ってて可愛くて死にまし��。 お菓子を持ち歩く細野……
続くクラブ C'est la vie で敵対勢力が煽りに煽るシーン、細野が身を乗り出してゴリゴリに睨んでる中、山本さんが微動だにせず立ってるのがめ〜ちゃ怖かったです……まじで身じろぎひとつせず川山のことをじっと見ている様子が、あまりにも静かなのに絶対静かな訳がない嵐の前の大気そのものでひたすらぞわぞわしました……
川山が立ち去った後でママが気を取り直して女の子たちに声をかけるのがまた好きでした。ママの肝の据わり方よ……
そしてここで登場するみゆきちゃんこと工藤由香。青いドレスが似合ってて素敵でした。今思い出すと冒頭や最後の海を思い出すような深い青なのですが、由香ちゃんの明るい人柄と真逆な色かつ尾野真千子さんの雰囲気にぴったりの綺麗な深さだったな〜と思いました。(小並感)
自己紹介もなく隣に座り山本さんの親指の付け根部分にガラス片が入っているのをそっと取ってくれる由香ちゃんを見つめる山本さんの目元がサングラスと前髪でわかりづらかったのもエモでした。わかりづらいけれど、川山と話していた時とは完全に異質の静けさ……
さっきまで流血沙汰の事件起こしてた男が、自分で気にもしていない(蔑ろにしている)傷に気づいて手当てをする由香ちゃん、彼女の来歴が映画の中ではほとんど見えないのも「山本の走馬灯」と考えると納得でした。
ついでにこの後ホテルに呼び出される由香ちゃんのシーンがめちゃめちゃ可愛くてニコニコしながら見ていました…… 由香ちゃんの到着で、画面には映らないジッポの音が「山本さん緊張してるのかな…」という感じでかわいかったです。そして由香ちゃんの私服(チェックのシャツワンピースとフードつきダウン)が青いドレスとこれまた180°正反対とは言わずとも90°くらいの位置にある感じでとてもかわいかったです。◯まむらかパ◯オスか……
ぺちぺちたたかれてる かわいい 抵抗する由香ちゃんのぺちぺちパンチが大変かわいかったというメモでした。
そういえば山本さんの背中におわしますは修羅でしたね
抵抗している由香ちゃんに動揺しまくる山本さん、さっきまで貫禄凄かったのに急に中学生男子になってニコニコしちゃいました。川山とか加藤にこんな態度を取ったら親族もいない由香ちゃんは臓器ちゃんコースでもおかしくないのに、運転しておうちまで送ってくれる…… ここで携帯渡して「入れろ」だけ言われて、一回でちゃんと正しい情報を打ち込んで渡してくれる由香ちゃんの律儀さもかわいかったです。ラブコメ映画ならここで一回ギャグ挟んでから山本さんが「あいつ…!」って思ってるときに携帯に由香ちゃんから連絡入るパターン……🤔💭と思考が逸れるくらいかわいいシーンでした。
セーターのおじちゃんかわいいね… この「かわいい」も「かっこいい」と「魅力的」の混ざった感情でした。川山の件で加藤との会談に中村の兄貴を連れて行く柴崎さんにスルッと流されてしまって立ち尽くす山本さんに肩ポンしながら「たまには兄貴に花持たせたれや」のようなことを言うおじちゃんがその場面で一人だけスーツではなくセーター着用だったのがかわいいな〜と思った感想。
ビリビリに張り詰めた空気の中で元凶とも言える山本さんに声をかけようにもかけられない(かける勇気が出なさそうな)雰囲気の中、かる〜い感じで声をかけてくれるおじちゃんが大変好きでした。何かあったときに気持ち的にラクにしてくれる方が職場とかに一人いてくださると心理的安全ダンチだなぁなどと今打ちながらしみじみ考えます。みんな頼ってひっそり相談に行く感じ……
あとこの「たまには」という一言、最初はおじちゃんが気を遣ってくれてる感じかと思っていたのですが、2019年の方で中村の兄貴と乱闘になる場面で出所したての山本さんに兄貴が「いつもいいとこどりしやがって」みたいなことを言っていたのを考えると、1999年〜2005年の6年で相当派手に活躍していたんでしょうね山本さん……
出待ちしてるのかわいい これは紛れもなく「かわいい」でした。クラブの前で車で由香ちゃんを待ってる山本さんのシーン。この直前の事務所でソファで仰向けで煙草吸いながら起き上がって天井見上げてまた吸って……というシーンの山本さんは手首や体の動かし方から漢と色気の混ざり合った匂いを画面越しに感じるほどかっこいいのに、由香ちゃん呼び出して「無理なんで……」とわりと年単位で寝込みそうな断り方をされて無言クラクションパーーーーーで強制的に呼び止めるあたりの流れまじでラブコメでかわいかったです。
みゆきちゃんにオラつけてないのかわいい ��さしく。別に山本さんが「オラついている」訳ではなく「ペースを乱されまくっている」と書きたかったのですが勢いでメモっていたのでこんな書き方になってしまいました。語彙力……
このシーンではまだ「ゆか」という名前が出てこなかったので鑑賞中のメモが「みゆきちゃん」記載。
ドライブ(きょうせい)かわいい 由香ちゃん青いドレスのまま上着だけ持ってきてドライブしてたような気がします。白い上着に青が映えるな〜と思いながら見ていた気がするのですが見間違いかな……次見る時確認します。
そして今気づきましたが「(強制)」と言うと常田大希さんが年末にSNSで公開していた綾野剛さんとのメッセージを思い出します。どんなおせちだったんだろう……ちょろぎ入ってたのかな……🤤
顔が良いあやのごう 夜明けの海岸で由香ちゃんに「どうやって儲けてんの」「なんでヤクザやってんの」のような質問攻めにされるシーン。今回のメモぶっちゃけ6割くらい綾野剛の顔が良い(または諸々が「かわいい」)で埋まっていたのですが、この辺りから各俳優さんの様々な「美しさ」に魂が震える映像になっていった気がしてメモ内容が圧倒的に表情のことや空気感についての言及になっていたので我ながら記述が曖昧で頭抱えました。咄嗟の語彙力 増強 方法 検索👆ポチ
夜通しドライブした二人が由香ちゃんの気軽な質問からほんの一瞬だけお互いの深いところに触れる描写が夜明け前の一瞬の空を思わせてエモでした。
まじすか!? かわいい ここからしんどかった…釣りに出かけた柴咲さん・山本さん・運転手の大原くんの三人が車内で会話しているシーン。 電話で呼び出された時山本さんが着てたセーターかわいかったな〜というのも記憶に残っています。そういえば山本さんが住んでるところって柴咲組の寮的なところなのかしら🤔最初に由香ちゃんが呼び出された時、ドアに避難経路が貼ってあったのでホテルかと思ったのですがそういえばこの場面でも同じベッドな気がするのでホテルじゃなくて家なのかな……?
運転手の大原くんが嬉しそうに相槌を打つのが可愛すぎて劇場でニマニマしてました。「こいついっつもお前の話するんだよ」みたいなことを柴咲さんに言われて山本さんが呆れてるのに「すみません!」ってお返事しながらニコニコしてるの本当にかわいかったです。
気を張ったり気が立ったりがデフォルトの中で大原くんみたいな人がそばにいるとホッとして笑顔になったり少し安心したりするんだろうなぁ、愛されてるんだなぁと思って(由香ちゃんとのラブコメからのエモの流れで完全に油断していたこともあり)完全にリラックスしてたところで二人乗りバイク………………………………
ずるい……………………… 大原くんの魅力にフォーカスした直後のこれはずるい……………………
今思い返すとこのシーンも多分長回しでした。どこからどこまでだったんだろう……完全に頭から世界観に浸って「釣りか〜何が釣れる時期かな〜」とか考えてたのでめちゃめちゃ衝撃でした…… そしてここで山本さんが車を振り返って呆然とする流れが辛いのにめちゃめちゃ綺麗でした。昼前の太陽の明るさ……
ないてるいちはらはやと 翼くんを撫でて笑おうとする細野がぼろぼろ泣いてしまうシーン。シンプルにつらすぎて胸にきました。トレーラー映像で主題歌が入る前あたりに映る煙、煙草かなぁと思ったらこの大原の葬儀のシーンだっ��んですね……ずるい……
この時の翼くん6〜7歳でしょうか。物心ついてから初めて参加したお葬式だったのかな、と思うと普段と様子の違う知ってる人たちの中で細野ならいつもみたいに笑ってくれる!と思ってたりしたのかなぁみたいなことも考えて辛み増してました。ちょっと戸惑うような様子が辛かった…… 細野の翼くんと接する時のあの笑顔が印象的に描かれていたからこそ辛さが倍増(どころの問題じゃない)でした。
そういえばこの後から細野の笑顔がちょっと変わったような。🥲 2005年ではもう笑うシーンがなく、2019年の方でも相当苦労したんだろうなぁという感じで笑顔の雰囲気が変わっていて辛かったです……パパしてる時ももう翼くんに笑いかけたみたいな笑顔じゃなくて……無形文化遺産儚い メタい感想だと「笑顔」ってそんなに種類分けられるものなの……?と市原隼人さんの表現ぢからにタコ殴りにされていました。安仁屋……
けいさつとヤクザの髪型 ちがうのすごい 柴咲さんと大迫が会話するシーン。画面右側に柴咲さんと中村の兄貴、左側に大迫と若い警官?が映るのですが、中村の兄貴も警官も「髪が短く襟足は刈り上げに近い感じ」「スーツ」「姿勢良く立ってる���とほぼ同じ条件のはずなのに、どう見ても右側がヤクザで左側が警官だったのがすごかったです。さらに場面的に逆光でほぼシルエットだったにも関わらず明らかな差異があったので痺れました。
ケン坊なのかわいいな…… 入院している山本さんのお見舞い兼報告?で柴咲さんと細野が病室を訪れるシーン。もうすでに嫌な予感はしていたので感想がかわいいポイントだけフォーカスして書いてありました。柴咲さんが「ケン坊」って呼ぶの本当に愛が深くてなんでか泣きそうになります…… 花籠を置きながらずっと泣きそうな顔をしている細野の私が代わりに泣きました。(なんで?)
えっ えっ顔が良い あやのごう…… だいぶ動揺しています。ベッドで横になった山本さんの思考をなぞるように俯瞰でゆっくり回る画面のシーン。天井視点というべきか何と言うか…… 1999年に侠葉会から逃げる賢治くんのシーンでも画面がぎゅん!と回って大混乱なところがあってすごく好きでした。
あの静かな表情が怖いのか美しいのか、ぞっとするのか狂おしいほど愛しいのか、全部詰まっていて文字通り息が止まりました。二重幅の目元がずっと脳裏に残っています。
そしてこの後クラブの中で山本さんに紙袋を手渡す細野、サイトのキャスト紹介の写真もしかしてこの場面では……?と気づいて地に倒れ伏しました。苦しい……
な…中村さん…… 1999年でおシャブさんを扱わない柴咲組に「じゃあ何をやってるんだよ」みたいなことを聞いた賢治くん19歳に、凛と張りのある声で答えていた中村さんを思い出しました。山本さんとはまた別の理由で耐えきれなかったのかな中村さん…… 屋上でゴルフしてる柴咲さんと山本さんを見てる時の中村さんの目線がなんとなく不穏だった気がしたのですが、中村さんは任侠の人でした……😭
刺殺する時は刃物を縦ではなく肋骨に沿うように横にして差し込むと致命傷になるみたいな話を思い出して現実逃避しながら見ていたのですが銃を選んだ山本さんと刃物を選んだ中村さんの違いみたいなところにも思いを馳せていました。 (そういえばサイト読むとドス的なものではなく包丁だったんですね)
そぼくなゆかちゃんハウスかわいい 質素倹約大学生の一人暮らしアパートとてもかわいかったです。調べたら2005年といえばファーが流行したりエスニック柄が流行した時期らしいのですがそんなものの影もない本棚やキッチンの生活用品のカゴに生活を感じてグッときました���そこに転がり込んでくる血まみれの山本賢治……
震えてる山本さんに動揺しながらも少しずつ落ち着いて癒してくれる由香ちゃんと、最初触れるだけのキスをするのがすごくグッときました。
みあげるとき 19さいだ… 翌朝、事務所に帰ってきた山本さんがソファに座ったままぼんやり柴咲さんを見上げて立ち上がるシーン。1999年、加藤の元から助け出された後を思い出しました。ESSE のインタビューで綾野剛さんが語られていた内容もふと思い出し、朝陽の入る光景に胸が痛くなりました。 その後で柴咲さんが山本さんが怪我をしている左肩を大切にして首元を引き寄せて、自分の白い上着を気にするそぶりも見せずにガッと抱き寄せるのがまた辛かったです……(あまりにも当たり前のように深く抱き寄せてたのでしばらく柴咲さんの上着が白いことにも気づきませんでした) 大迫が入ってきて手錠をかけているあたりのシーンで柴咲さんの上着に血がついててウグ……となっていました。
よりにもよって連行される時のニュースを翼くんがガッツリ見ているというのも辛かった……来なくなった大原、逮捕された山本さん、細野は一人でオモニ食堂にご飯食べに行ったりしたんでしょうか……2019年の方だと細野と翼くんのコンタクトが一切なかった気がしてまた辛いです……
怪我が治ってないのに歩かされて収監されてる山本さんが辛すぎると同時に、真っ暗な中から明るいところに出る流れの表情に鳥肌バキバキでした。
2019年
2019年の方が青いの…?(色)がめんの 早朝出所する場面から始まることもあってか映像が青くて「あれ…?」と思うなどしていました。初めて見る丸メガネの若い子と中村の兄貴が迎えにきてくれて、「細野くん来ないんだ…」とざわざわしていました。
そして事務所に到着すると剥がされている金の「柴咲組」。剥がされた後のスプレー跡が残ってるのが傷跡みたいでまた辛い…(この後ほぼ「つらい」「しんどい」しか形容詞が出てこない)
19才の鼻のキズのこっちゃうんだなぁ 出所後にすっかり様変わりした街並みを見上げながら事務所に戻り、多分14年ぶりに柴咲さんにも会うシーン。和装の柴咲さんに嬉しそうにしてる山本さんの鼻に傷跡が残ってるのがなんとなく印象的でした。
20年経ってるんだなぁと思いつつ、2005年の加藤との会談での「俺のたまでも取ってみるか」はもちろん何気ない会話の一言でも声の厚みがめちゃめちゃかっこよかった柴咲さんの声が弱くなっててめちゃめちゃ不安になりました。
あとこの事務所が映る時に「がらんどうだ………」と思った覚えがあります。置いてある小物の数が著しく減ったとかではなかったと思うのですが、何が違ったんだろう……2005年の時から人が減ったのに様子が変わらないから寂しく見えたのかしら……次見に行った時確認します……
そういえば美術の部谷京子さんが『容疑者Xの献身』の方と後で調べて知って唸り倒しました。寂寥感とあたたかさが混在する空間大好きです……
SEKISUI HOUSE 山本さんの新居のアパートの壁にSEKISUI HOUSEのロゴがありましたという。なぜこれメモったんだろう。しんどさが限界点突破して何か関係ないものメモりたかったのかな……
このシーンの前でたぶん大原くんのお墓参りをしているんですが、そこで赤マルお供えしてるのと、あと多分ほどけてる数珠がお供えしてあったのも印象的でした。お揃いで作ってたのか、それとも細野が趣味で作ってたのを置いてったのか、ちょっと次見る時に三人が1999年と2005年でおそろっちしてるか確認します……
丸メガネの子がしょんぼり辛そうに条例の話をシンプルにしてくれるのを聞いてから山本さんがまず由香ちゃんに連絡取ろうとしてるのがかわいかったです……しかし繋がらない…… ここのスマホ使い慣れてなさそうなところがまた紛れもないかわいさでかわいかったです。通信機器って差し入れできないんですね……
そしてこの後の出所祝いが😭ひ、ひたすら辛かった……… 「柴咲組一同、盛大に」という文言はきっと昔から使われてきたもので、山本さんも何度も聞いたことのあるような乾杯の掛け声なんだろうなと思いつつ、どうしてもかつての賑やかさを思い出してしまって辛かったです……煙草に火をつける音が百円ライター……���ールは瓶のプレモル……(これも現実逃避メモ)
追い討ちをかけるようにシラスの密漁シーンが入り、大変な寒さに違いないだろうに「これで食わせてもらってんだよなぁ」的なことを言いながらはしゃぐようにしてるオジキたちがしんどかったです……
そして現存していたオモニ食堂😭よかった……!あった……!変わらず待っててくれる愛子さん、久しぶりの細野……!でもやっぱり笑い方が変わってるというか、なんかあんまり山本さんの方を見てなかったような……この辺りメモがくちゃくちゃ(文字が重なってて)���なってて己の動揺を見ました🥲
配偶者を「ヨメ」って呼ぶ細野かわいいな〜と思いつつ、丸めた千円札をぎゅっと押し付けて出て行くまでの流れが辛すぎました。慰めるでもなく何か言うわけでもなく一緒に時間を共有してくれる愛子さんの存在に私も救われていた沈黙のシーンからの翼くん帰宅。上着こそ赤ですがまんま1999年の山本賢治(19)でかわいい〜!となるやら翼くん〜😭となるやら、感情のジェットコースターでした…… あとで加藤と会話してる時にも思ったのですが、翼くんの敬語の使い方が大変最近の若者感で好きでした。何が違うんだろう…🤔何が最近の若者感なんだろう……
ふうとうにフッてするんだね… 親父の入院費を中村さんが徴収するシーン。細かい仕草なのですが気になりました。確かに新しい封筒を開いて紙の端を指で支えて、こう、中の空間を広げて……みたいなのをモタモタやるより一発でガッと開くので効率的ですね。完全に現実逃避の着眼点的メモです。
ここで出所祝金を封筒ごと出して全額出す山本さんもしんどみでした😭お守りみたいに持ってる…… (この部分、あとで由香ちゃんが14年間300万円に手をつけなかった部分と重なるなぁと思っていました)
な…中村さん… おシャブ………………でもいろんな作品見てても「覚醒剤や大麻って儲かるのか〜」と思うので組を守るために背に腹だったのか……と思いつつ、本当に困窮するまで手を出さなかったであろう中村さんの葛藤を思って泣きそうでした🥲
ひかりのかげんすごいすき 車のライトの前で取っ組み合いする中村さんと山本さんのシーン。足が長い二人がこういう画面で喧嘩すると足しか映らないんだな〜と辛さ��ら逃げる思考をしつつ、画面の中央に車を置かない、全部見えない、どっちがどっちかわからなくなりながら怒鳴って掴んで引っ張って引きずり倒して、という二人の感情の発露を息を呑んで見入っていました。この時どこかのタイミングで月も映ってたと思うのですが、1999年に細野がシャブをすかしてた半月と同じだったりしたのかな……早くもう一回見に行きたい……
中村さんよかった…やってない… 「そこまで落ちてねぇよ」的なことを言いながら自分のハンチング帽?で山本さんをぺしってする中村さんの仕草に「照れるな」の時と同じホッとする気持ちで気が緩んで泣きそうでした。ちょっと嬉しそうな山本さんの表情に私も嬉しくて…😭
(そういえばFitbitの記録見たら多分大原くんの死から2019年中盤あたりにかけてめちゃめちゃ落ちててすごい落ち込みながら見てたんだなぁと思いました)
出待ちしがち山本けんじ 韻を踏ん���いる😄煙崎市の市役所職員入り口前で由香ちゃんを出待ちしているシーン。最後自宅前でも出待ちしてましたね。 私個人「来るかわからない」「いるかわからない」「会えたところでめちゃくちゃ嫌な顔をされるかもしれない」状態で待つのが辛すぎて無理の民なので、山本さんの忍耐力や相手を想う気持ちの強さに泣きそうになった場面でした。(よくわからないところで泣く系)
月の出ている夕方の海、かつて隣で見た明け方とは異なりこれから暗くなる空の下で会話して、送ってもらってからあの時の血のついたままのお金を持ってくる由香ちゃんのいろいろな気持ちを思うと辛すぎてダメでした………
キムチチャーハン(うまそう) 現実逃避メモ。お夕飯作ってる娘・あやちゃんが可愛くて可愛くて……😭😭そしてたぶんこれはキムチチャーハンではなくてケチャップライスでした。笑
昨年の『ドクター・デスの遺産 THE BLACK FILE』でも父だった綾野剛さん、今回は「父」としてあやちゃんに接する場面がありませんでしたが、先日公開された主題歌FamiliaのMVでおずおず近づいて抱きしめてくれるあやちゃんに腕を回して抱き返す姿になぜだか救われた気持ちがしました。(歌詞と学生服のあやちゃんが映った瞬間から涙が止まらなくて1日あけてからもう一回見ました)
オヤジからぬけろって言われるの… 入院した柴咲さんを見舞った山本さんに優しく柴咲さんが「お前はまだやり直せる」と言うシーン。辛かった…
ドラマ『アンナチュラル』5話で鈴木さんがミコトに「何が間に合うの」「果歩はもう死んだ」と返して刃物を握りなおすシーンを思い出しました。 山本さんにとっては何も間違えていなかった、やり直すことはなかったんじゃないかな、と思う反面、妻と自分の子供と静かに暮らすためには「やり直す」必要があったのか……と思うといろいろな感情で諸々ぐるぐるしました🌀
な…中村さん…… 除籍後、密漁するオジキたちのカットの後で車中で細い注射器で………………おシャブを打つ中村さんのシーン………………………だったと思います……
ハンドルに寄りかかって乱れた髪を手でさらにくしゃっと握りながらメガネがズレるのも構わない様子にめちゃくちゃ……落ち込みました……中村さん……
謎に上から(笑) 加藤宅でお話ししてるシーンで翼くんがタメ語になる瞬間。この場面でも翼くんはずっと敬語でお話ししていて無用な軋轢を産まないというか禍根を残さないと言うか、処世術的にというか極端に悪い言い方をするなら日和見寄りな部分で現代っ子っぽいな〜という印象でした。あっ最近の若者感ってこれかしら…?
加藤の「時代遅れ」な助言の裏にしっかり見えてる支配欲に笑っちゃいそうな雰囲気が、絶えず続けられる撮影にも現れてるような気がしつつ、意外なところで動揺している様子が意外なようなちょっと安心するような気持ちで見ていました。お父さんのことが気になっていた翼くん……
く…くまさんカップ……! 工藤宅で朝ごはんを一緒に囲む山本さんがくまさんカップでスープなのかココアなのかをいただくシーン。この穏やかな朝ご飯の空気と山本さんの柔らかい表情をトレーラーで死ぬほど見てはいたので、これ多分後で崩れ去るんだろうな〜のような予想をしつつ色々気持ちの準備とか覚悟とかしていたのですが、まさかくまさんカップとは思っておらず「かわいい」という気持���で脳がパンクするかと思いました。と言うよりもパンクしまして準備していた覚悟的なものも全部粉砕したのでこの後のシーンのしんどさ全部真正面から浴びてしまって「もうやめて…やめて…」と泣いてました……(好き)
山本さんにくまさんカップを使わせるに至るまでのあやちゃんと由香ちゃんと山本さんのやりとりも考え始めると辛すぎました。かわいい。辛い。かわいい…………ゆるして…もうやめて………(好き)
空色の車で市役所と学校に二人を送るシーン、学校までのちょっとの時間をあやちゃんと二人で過ごす山本さんが愛しくて泣いてました。この辺りずっと泣いてる…… 「最近ママ楽しそうだよ」って言うあやちゃんに穏やかに笑ってる山本さんがもう無理でした。愛しい空気のままここで見終わりたい……と大号泣している自分と、ここからの展開に期待全開で姿勢を正してアドレナリン分泌の大号令を出す自分が同時に存在したので多分このシーンで私の副腎は副腎皮質も副腎髄質も絶賛大稼働していました。
ありがとうほそのくん… 社長に無理を言って産廃処理工場に勤めさせてくれる細野くん。本当にありがとう……「初めてこいつに感謝したよ」みたいなことを山本さんが笑いながら言うのですがそんなところまで含めてかわいいシーン……………と思っていたら、二人の正面に座る若いの(かみやくん?)が口を開いた瞬間から不安でたまりませんでした。翼くんともまた違う若者口調……
そして場面が変わって翼くんがけつもち?しているお店に大迫が来るシーン。しかし一枚上手の翼くん💪いやここで頼もしい写真の証拠と、さっきのシーンでの記念写真の対比がエグい……
翼くんに一枚取られたのが悔しかったのか、八つ当たりみたいに産廃工場に来る大迫さん。シーンが繋がってたせいか余計そう見えてしまいました。大迫さんへいい感じに負の感情が向いた鑑賞中でした。
そういえば大迫さんもざっくり20年以上刑事を務めているんですよね。ドラマ『MIU404』のガマさんに一瞬思いを馳せていました。ふと思い出すと米ドラマ『The Mentalist』や『NCIS』だと現場に出てくる定年後の刑事ってあんまり出てこない印象があるなぁとも考えていました。『The Mentalist』に至っては『MIU404』の陣馬さんポジションのレギュラーいなかったような🤔ミネリはマメジかな……
「全部終わりだよ」��くずおれる細野、にやつく大迫と山本さんのやりとり、続く由香ちゃんとのシーンはただ呆然と見ていました。目も合わせてもらえないまま「お願いです、出ていってください」と泣かれて土下座されて、敷居を挟んで立ち尽くす山本さん……
ここで気づいたのですが、どのあたりからか山本さんのセリフがどんどん少なくなってってる気がしました。元々しゃべる立ち回りはしない山本さんでしたがますます口を開かなくなって……いたような……
まばたきもしないでないてるの… 病院にかけつけた山本さんが危篤状態の柴咲さんに「まだ親父って呼んでくれるんだなぁ」と言われてまばたきもせずぽろぽろ涙をこぼすシーン。微笑んで「俺の父親は親父だけです」のように返す声で心臓がぎゅっとしました…
このシーン、不謹慎ですが見入ってしまいました。綺麗だった……
6組「彩」ってしんどさよ… 転校?の挨拶をするあやちゃんの左奥、教室の壁に大きく貼られたクラスの標語が皮肉すぎました。名前の漢字、あやちゃん「彩」じゃなかったっけ……
このシーン山本さんが事務所から由香ちゃんの携帯に留守電を残すモノローグが入っていて嫌な予感しかしなくてずっと心臓ばくばくしていました。 そして帰宅すると家がからっぽの細野………土砂降り……
そして半グレの仲間達と金属バット持参で傘もささず父の仇のもとへ向かう翼くんと、その時にはもう着手している山本さん。返り血を浴びた表情がまさに背中の修羅そのものでした……担架で運び出されていた大迫はまだ息があったのか否か……
血まみれのまま朝方の堤防でぽやっと煙草を吸って2、3回軽く咳き込む山本さん、バイクの音が3人分聞こえてたような…… そして泣いてる細野……
このカットがチラシなの!? 心の底から思いました。「ただ、愛した」という短いコピーと薄い空の色にどんな場面なんだろうと思っていたので、ここかぁと胸が熱くなりました。
刺されながら抱きしめて「ごめんな」と返事をする山本さんの体からどんどん力が抜けて、それでも溢れるほどの愛情がそこにあったような気がして息を呑みました。 細野の右頬にべったりと血が残っているのが脳裏に焼き付いています。
そして冒頭の沈む山本さん。海水の中で��を開けて、海面に手を伸ばそうとするような動作をしていたと思うのですが正直泣いててあんまり見えてませんでした。早く次見に行きたい……
後日、大きな白い花束を持って堤防に来てくれる翼くん。山本が吸っていたセッターを一口吸ってから箱ごと供えて立ち去ろうとするとあやちゃんが入れ違いでやってくるシーンがまた最高に好きでした。
お母さんゆずりのグイグイ…… 翼くんに「あんたヤクザ?」とどストレートな質問を投げかけ、「お父さんってどんな人だったの」と質問を重ねるあやちゃんに、夜明けの海岸で山本さんにグイグイ質問していた由香ちゃんを垣間見て涙腺にきました。その後の翼くんの表情の変遷がまためちゃめちゃ好きでした……
血を分けた家族、血や肉の繋がりを超えた家族、いろいろな家族が描かれる中で、ただ愛した人たちと一緒にいたかった山本さんの人生を時系列で見せてもらえてしばらく放心していました。 幸せは人によって異なり、一緒にいたい人と築く家族の形も世帯の数だけ存在すると改めて思いつつ、山本さんが幸せだった時間も一緒に見せてもらえたことが私にとって幸せでした。
感想何かちょっといい感じの感想で〆たかったのですが全然なにもまとまっていないので月間シナリオ2月号で掲載されているという台本を読みつつ1月29日を待ちます。あと円盤にインタビューやオーコメや未公開映像があったらいいな〜と思いつつ円盤も待ちます。あと今後藤井監督や綾野剛さん・舘ひろしさんをはじめとしたみなさんが今後いろんな媒体でまた『ヤクザと家族 The Family』について言及される機会があるだろうと願いつつ各種媒体おっかけながら生き延びます。生きます。
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刺青 和彫り古典
1) 刺青 和彫り古典
和彫り 刺青 羽衣 (腹:雷神)
ブリ庄さん 映画「博奕打ち一匹竜」出演時の映像(1967年公開)
背:羽衣(筋:彫五郎 ぼかし:初代彫文)
腹:雷神(初代彫文)
刺青 和彫り 雷神
ブリ庄さん 映画「博奕打ち一匹竜」出演時の映像(1967年公開)
腹:雷神(初代彫文)
参考資料:歪んだものほど美しい
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坂本龍一「“無駄”を愛でよ、そして災禍を変革の好機に」 文明をバージョン1.5に進化させるために
全世界の死者が30万人を超えても、コロナ禍の収束が見えません。人類がこのウイルスに打ち勝つにしても、負けに等しい打撃を被る「カドメイアの勝利」になると、誰もが感じています。 私たちがこれまで「日常」と思っていた景色は、すっかり変わりました。コロナ後に到来するであろう「ニューノーマル」についての議論が世界中で始まっていますが、それは多くの場合、単に従来の生活様式が変わるということではなく、世の仕組みや人間と自然との関係をも改変しなければ、という含意が込められています。 コロナショックで変わったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづるリレー連載「コロナ・ノート」。今回は特別編として、ニューヨークに住む音楽家の坂本龍一さんに、コロナ禍で大きく揺らぐ文明や現代社会のありようについて伺います。 「資本主義が行き着いたグローバル経済のあり方を根本的に問い直さなければ、もう人間に未来はない」 かつて学生運動に深く関わり世直しを志す若者の一人だった坂本さんは、いまあらためて、社会変革の必要性について訴えます。 (取材・文 石川智也)
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●「ぬるい」日本の対応 検査受けられないのは人権侵害
コロナパンデミックにより、坂本さんが住むNY州では3月、劇場や美術館のほか飲食店も強制的に営業停止となり、市民には自宅待機令が出された。同様の措置はNY以外のアメリカの都市やヨーロッパ各国でも取られ、入国禁止や制限も課された。いわゆる「ロックダウン」である。多い日には1日800人もの人が亡くなるという、日本とは比較にならぬほど悲惨な状況下にあるNYからは、母国のコロナ対策はどのように映るのだろうか。 「一言で言えば、非常にぬるい。不徹底だし、一貫性がないし、長期ビジョンもない。ここ1カ月、本当に歯がゆい思いで見ていました。といっても、強制的に都市封鎖や行動制限をすべきだということではありません。何よりも、検査数が絶対的に少なすぎます。検査しなければ、感染の実態や広がりがわかるはずがない。対策の目標を設定することだってできないはずです」 NYの自宅から外出する機会もほとんどなくなったという坂本さん。13時間の時差がある現地とのインタビューはSkypeで行った 「医療崩壊を防ぐためという説明は、当初は理解できないものではありませんでした。でも、2月に中国をはじめ隣の韓国で感染が広がり始めた段階で、あるいは遅くとも欧米で爆発的に感染が広がり始めた3月上旬の段階で、あらゆる資源を投下して集中治療病床を増やし、また検査態勢を整えるべきだった。韓国や欧米に比べれば日本にはまだ時間的余裕があったし、先行した諸外国の対策を学ぶことができたはずです。それなのに、クラスター対策や感染経路の解明にばかり人材と時間を費やしてしまった。残念というか、情けないです」 「誤解しないでいただきたいですが、実際に命をかけて治療に携わっている医療者の方たちには、本当に敬意を抱いています。NYでは毎晩7時にノイズを出して医療従事者などに謝意を示す運動が続いていますが、日本でもぜひやってほしい。僕が憤りを感じるのは、国民を一人でも多く救おうと本気で考えているとは思えない政治家や官僚に対してです」 「ぬるい」と言えば、休業要請に対する政策的手当も同様だ。スピード感がないうえに明確な「補償」ではなく協力金や補助金というかたちにとどまる。そして「自粛」の徹底度は、いわば日本的な相互監視に委ねられている。小規模業者や個人事業主からは「もう限界だ」との悲鳴があがる。 「経済活動や移動の自由という基本的価値を、強制ではないとはいえ奪われているわけでしょう。仕事をする自由を事実上奪われ、補償も充分ではない。しかも体調を崩し熱も出ているのに、なかなか感染検査もしてもらえない。検査にたどり着くまでがあまりに大変で、その間に亡くなった方もいた。理不尽としか言いようがない。自分が何の病気に罹(かか)っているのか、誰でも知る権利がある。それが技術的には可能なのに、政策によって遮られている。これは人権侵害だと思います。
●新自由主義が医療崩壊を招いた 日本も危うい
コロナ禍が浮き彫りにしたのは、まさに国による感染拡大抑止策や医療体制の差異だ。優劣と言い換えてもよい。ウイルスは世界中に広がったが、致死率の地図はまだら模様がある。そしてその背景には、グローバル経済の深化とそれに伴う新自由主義の負の側面という問題が横たわっていると、坂本さんは言う。 「他国と比べて感染拡大の抑え込みに成功していると世界的に見られているのが、韓国と台湾、そしてドイツですね。ドイツは感染者数は多いけど、死者や重症者は少ない。それは、イタ��アやスペインと違って、ドイツがまだ伝統的な国民国家の医療制度を保つことができていたからだとも言えると思います。逆に言えば、いわば社会民主主義的な福祉体制を維持できていたドイツに対して、イタリアでは、新自由主義的な政策によって病床数の削減や合理化を進めてきた。そのツケを今回一気に払わされ、医療崩壊を起こすことになったのでしょう」 イタリアは1990年代後半以降、緊縮政策によって医療資源や社会保障を大幅に削減してきた。新自由主義的な民営化政策が病床数や医療従事者の減少だけでなく医療水準低下の要因になったとの指摘もなされている。 「そういう意味では、日本も非常に心配です。日本でも80年代以降、特に2000年代の小泉・竹中路線以降、新自由主義的傾向が強まっています。大きな流れで見れば、医療費(の伸び率)抑制政策のなかで病床数と入院期間も減らし、バッファというか余裕のない、まさに重症者が何十人、何百人か発生したら医療崩壊するというぎりぎりの状況を、長期間かけて作ってきた。幸運なことに日本はなぜか今のところ感染者数も重症者数も爆発的に増えていませんが、今後を考えると改善しなければ非常に危ういと思います」 ●今の政策は「棄民」 安倍さんのどこが「保守」��のか
「新自由主義はアメリカ人が考えだしたことで、何よりも世界中をマーケットにして、自分たちの農産物や工業製品や知的財産を自分たちのルールで売りたい、紛争も自分たちの法律で裁くぞ、というものです。自民党政権は戦後一貫してアメリカの利益代表ではあったものの、軍事面はともかく、経済面ではアメリカに抵抗してきたし、日本の農業も守ろうとしてきた。でもその縛りは2000年代にはどんどん外され、市場を明け渡すような動きが進んでしまった。安倍さんはその新自由主義路線に乗っているだけだとも言えます」 「僕から見ても、安倍さんはとても『保守』とは言えない。保守的なそぶりは、トランプ大統領のメキシコ国境閉鎖発言と同じく、ジェスチャーだと思う。その本質は、アメリカ追随とネポティズムと露骨な大企業優遇です。国民はもっと怒るべきです」 アメリカでは俳優やアーティスト、スポーツ選手が旗幟を鮮明にして政治的発言をするのは日常的だが、日本ではバッシングを恐れて口をつぐむ人が多い。その中で、自らリスクを引き受け、原発や安保法制、辺野古問題で真っ向から政権を批判してきた坂本さんの姿勢は際立つ。 「もっと言っていいですか? 福島の原発事故のときにも思いましたが、いまの政権がやっていることは、国民のことを考えているとは思えない、あえて強い言葉を使えば『棄民政策』です。しかも今回は原発事故被害者だけでなく、日本国民全体を棄民しようとしている。なぜこれを多くの人が許しているのか、僕にはまったく分からない。いまはデモは難しいですが、本来なら100万人規模で国会に押しかけたっていい話だと思います」
●強権政治か民主的手法か この国は瀬戸際にいる
コロナ対策では日本も緊急事態宣言を発出し、私権が一定程度制限されたが、罰則や強制力を伴うものではない。そこで自民党などの一部から出ているのが、法律ではなく憲法に緊急事態条項を設けて対応できるようにすべきだとの声だ。安倍首相も憲法記念日の5月3日、「緊急事態において、国家や国民がどのような役割を果たし国難を乗り越えていくべきか、そのことを憲法にどのように位置づけるか、極めて重く大切な課題だ」と必要性を訴えた。 「日本は今回、欧米諸国や中国のような、強制的な措置やロックダウンをしなかった。その際に『法律がないからできません』ということを毎回、強調しています。非常にうがって考えるならば、これは、強制力がないから甘い措置しかとれない、だから憲法改正が必要なのだ、という世論をつくる地ならしの意味もあったのでは。国会のチェックを通さずに法律と同じ効果の政令を出せる緊急事態条項は、閣議決定という手段を多用し重大な法解釈まで変えてきた安倍さんが、まさにずっと目指してきたことですね」 「韓国や台湾、そしてドイツでコロナ対策が比較的うまくいったのは、民主的な情報開示を行い、ITを使った行動履歴の把握に対しても国民の政府への一定の信頼があったことも大きな理由だと僕は思っています。でも今回の対策の総括しだいでは、人権に配慮し情報をオープンにして国民の信頼を得るよりも、国家が強い権限をもつ開発独裁国のような仕組みの方が効率的、効果的に対策を打てる、という方向の議論に行ってしまうこともあり得る。そういう意味では歴史の分岐点にあると思います」
●グローバリズムの破綻は明白 社会民主主義が現実的
世界中の識者たちが「ポスト・コロナ」の未来像を唱え始めている。その主調音は、行き過ぎたグローバリズムへの批判だ。 「今回のコロナ禍で、まさにグローバル化の負の側面、リスクが顕在化したと思います。グローバリゼーションには色々な側面がありますが、ひとつには、先ほど言った過度の合理化の問題があります。生産拠点を海外に移し、最も効率的なサプライチェーンを築き、国外の安い労働力に依存する。そして国内の労働力は、調整しやすい非正規にどんどん切り替える――。こうした新自由主義路線が、いざ感染拡大防止のために各国がモノやヒトの流れを国境で止めた途端、経済自体を立ちゆかなくしています。そして、国内では色々な産業の逼迫と、失業者の増加や格差拡大といった矛盾を呼んでいる。グローバル化のしっぺ返しを受けているわけです」 「これに短中期的に対処するには、やはり、もう少しゆとりというか遊びを持った、効率とは違う原理をもつ社会の分野を、もっと厚くしないといけないでしょう。社会保障を充実させることはもちろん、医療で言えば、人員も病床ももっとバッファを持った体制をつくるべきだし、経済で言えば、国内の雇用を安定化させ、生産も、より自国に戻していくべきです。株価を上げることが正義、という経済合理主義からすれば『後退』と映るかもしれませんが」 「それは、国内的に言えば、新自由主義路線から社会民主主義に舵を切るというか、戻すということです。共産主義がいいと思っていた二十歳ごろの僕からしたら、こんな発想は考えられなかったけど。社会民主主義なんて、生ぬるいプチブル的な思想だと思っていましたから(笑)」 ●今回のコロナ禍の前から、過度なグローバル化への反動は世界中で起きていた。
「アメリカのような国でバーニー・サンダース旋風が起きたことの意味は、非常に大きいと思います。アメリカ経済を牽引してきた中間層の多くは経済的に余裕がなく、子女を大学へ行かせられない、あるいは医療保険もないという家庭も多い。金融偏重の経済政策で資産価値を増やす人がいる一方で、格差は広がり続けています。ウイルス危機は、元から抱えてきた矛盾をエックス線のように明るみに出しただけです」 パンデミックは経済成長の代償 方向転換しなければすぐ「次」が 今回のコロナ禍を、臨界に達した文明に対する自然からの警告の託宣かのように捉える人もいる。坂本さんも、過去のパンデミックや大恐慌の歴史から教訓を引き出すだけでなく、経済の仕組みや専門知の生かし方も含めた、新たな文明の作法をつくるべきだと唱える。 「今回の問題は、単に世界経済の中国依存の脆弱さが明らかになったとか、ヒトの移動が飛躍的に増えたためにウイルスが地球の隅々まで運ばれるようになった、というだけにとどまりません」 「グローバル資本主義が、つまり人間がやってきたことが、今回のような大規模なパンデミックを引き起こしやすい地球環境をつくってしまった。過剰な開発と都市化、そして生態系の破壊が人間と野生動物との接触機会を増やし、未知の病原体に感染するリスクも高めたわけです。言わば感染症は、人間が経済成長の代償として払っているコストです。このまま方向転換しなければ、パンデミックはこれまで以上に頻繁に起こり得るということが、だれの目から見ても明らかだと思います」 「これは、気候変動の問題と同じです。原因は人間の経済活動であり、立ち止まることができない資本主義経済の仕組みが事態を行き着くところまで悪化させている。パンデミックにしても気候変動にしても、現在の経済や産業、あるいは暮らしのあり方を大きく変えなければ、人間じたいが種として生き延びる可能性はどんどん狭まっていくでしょう。文明をバージョン2とまではいかなくても、バージョン1.5くらいに大きく変更していかないと、本当に先がないと思います」
●持続可能な世界のデザインを もはや人間に猶予はない
かつてペストの流行はヨーロッパ近代を準備し、世界史を変えた。前世紀初頭のスペイン風邪は第1次大戦によって爆発的に世界に広がったが、逆に、大戦を終わらせる要因ともなった。今回のコロナ禍は、少なくともグローバリズムを大きく失速させると見られている。そのうえで、新たな日常(ニューノーマル)の地平をひらくきっかけになるのだろうか。 「『ポスト・キャピタリズム』という言葉は一種の流行語ですが、やはり、持続可能な、新しい経済の仕組みをつくっていくしかないですよね。僕は社会学も経済学にも素人なので、残念ながらその回答は持っていないですが、今回のコロナ禍をただ対症療法で処して過ぎ去るのを待つのではなく、世界中の英知が集まって、持続可能な世界のデザインを描いてほしいです。経済学者も政治学者も社会学者も都市デザイナーも、もっと仕事をしろよ、と言いたい(笑)」 「今回、ウイルスのことで各国がここまで経済活動を減速させることができた。もちろん、これによって生活が逼迫する人がたくさん生じましたが、少なくとも、やる気があれば対策を打つことはできるということが証明された。現在は多くの国が国境を事実上閉ざしていますが、ウイルスの解析や情報、医療機器などでの協力はむしろ積極的に行われています。国際的連帯の重要さを各国が身に染みて感じたと思います。気候変動の問題にだって、協力して取り組めるはずです」 「パンデミックも気候変動も、どちらも生存に関わることですよ。根本にある資本主義の問題点を見なおし、早く持続可能な社会を実現しなければ、人間に残された猶予は少ない。世界史に刻まれた過去のパンデミックと同じように、この苦境を好機に変え、文明史的に意味のあるものにしなければいけないと思います」 「芸術なんて役に立たない」 そうですけど、それが何か? 積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだけ抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる。 今回のコロナ禍であらためて顕わになったのは、この国の文化支援の貧しさだろう。ドイツの文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、我々の生命維持に必要」とのメッセージを送り、文化施設と芸術文化従事者の支援に手厚い予算を組んだのとは対照的だ。 「政府や行政の支援が乏しい代わりに、クラウドファンディングなどでアーティストやミュージシャンを支えようという動きが広がっているのは、本当にうれしいですね。できれば、フロントにいるアーティストだけでなく、裏方として舞台設置やライティング、音響などに携わるスタッフさんたちも含めて支える動きがもっと広がってほしい。彼らあっての僕らですから」 「でもね、根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。お金を生み出すかどうかも分からない。誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。理解は誤解。何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」 坂本さんは「音楽の力」などという言葉は大嫌いだと以前から公言している。 「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。僕の音楽に力なんてないですよ。何かの役に立つこともない。役に立ってたまるか、とすら思います」 かつてナチス・ドイツはワーグナーの音楽を国民総動員に利用するとともに、ゲルマン精神の涵養に役立つ芸術とそうではない芸術を峻別した。芸術に体制賛美を担わせ目的に沿う作品のみを支援したのは、戦時中の日本や旧社会主義圏の国々も同様だ。 「そういう悪い見本が近い過去にあるんです。文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」 「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。ただ好きだから、やりたいからやってるんです。ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。それでいいじゃないですか」 自らの内に「無駄」を包摂しそれに親しむのか。それとも、余裕を失った果てに更なる効率化・合理化を追い求めるのか。私たちの社会は、どちらへ向かうのだろう。
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、���国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井��、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身��周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口��力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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火事むすこ
むかしは、江戸の名物というと、「火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬のくそ」などと申しましたが、いやな名物があったもんでございます。 江戸は火事早いということをよく申しまして、火事のない晩はすくなかったそうでございます。 その時分は、ただいまとちがいまして、火事となると、半鐘が鳴りましたもんで……そうなると、若い連中なんかじっとしておられません。 「おいおい、火事はどこだって?」 「うん、なんだか知らねえが、北のほうへむいてるね」 「北? ただ北じゃあわからねえが、観音さまの手前か?」 「いいや、そうじゃあねえな。五重の塔のうしろにみえらあ」 「へーえ、五重の塔のうしろ? ……吉原じゃあねえか?」 「ああ、吉原かも知れねえ」 「そいつあどうも……しめたぞ!」 「なにがしめただ?」 「なにがって……えー、おう、どうだい、ひとつ、女《あま》をひきとりにいこうじゃあねえか?」 「なまいきなことをいうない。女《あま》ってなあだれだ?」 「おれのなじみよ」 「なにいってやんでえ。なじみにもなんにも……おめえ、吉原へなんぞいかねえじゃあねえか?」 「ええ?」 「いえ、吉原へいかねえじゃあねえか?」 「いったあな!」 「いつ?」 「八年前に……よ」 「ふざけるない。親のかたきをさがしにいくんじゃあねえぞ。八年前の女がいるかいねえか、わかるもんか」 「なにしろ、ためしにでかけよう」 なんてんでのんきなやつがあったもんで……そうかとおもうと、見舞いにいくうちもないのに、あわててとんでいくやつもございます。いわゆる弥次馬というやつで…… 「やあい、あらあらあらあら、やあ、えーい、じゃまだ、じゃまだあい」 なんてんで、自分のほうがよっぽどじゃまで……こんな連中は、火事場へいっても、なんにも用事はございませんから、片すみのほうに寄って立っております。 「どうだい、いせいよく焼けるなあ。風がいいからね……西北《いぬい》でよ。こいつあ大きくなるぜ。しめしめ……」 「なにがしめしめだ? ふざけちゃあいけねえ」 「あっ、おいおい」 「ええ?」 「あすこに大きな蔵があるな」 「うん」 「何屋の蔵だ?」 「質屋の蔵だ」 「質屋か。質屋なんてえものは、まぬけなもんだな。じゃまっけなところへ大きな蔵を建てやがって……しゃくじゃあねえか。あの蔵のために、あすこでとまってしまわあ」 「おいおい、戸前から火がでるぜ」 「え? 戸前から火が? ……なるほど、蔵へ火がへえった。こいつあありがてえ……」 なんてんで……なにがありがたいことがあるもんですか。人の憂《うれ》いをみて喜んでおります。しかし、火事の好きな江戸っ子になると、そんなものだったでございましょう。 こういう一般|町家《ちようか》の消火にあたりましたのが、いろは四十八組の町《まち》火消しというものでございました。なぜ町火消しというものができたかと申しますと、公儀の火消し屋敷の人足というものがおりましたが、これは、大名、旗本の屋敷に火災があったときだけに出動いたしましたので、町家の火事は燃えほうだい……そこで、大岡越前守が、江戸の町火消しをつくって、町家の火災の備《そな》えをしたと申します。で、火消し屋敷の人足を臥煙《がえん》と申しました。これは、いきで、いせいはよかったが、命知らずのらんぼうな連中が多かったようで、たいてい彫《ほ》りものをしておりまして、いざとなると、火よけになる刺子《さしこ》なんぞ身《み》にまとわずに、法被《はつぴ》一枚で火がかりをしたという、どうも荒っぽいはなしでございます。
神田へんの伊勢屋という質屋の若旦那で藤三郎という人が、たいそう火事が好きで、火事と聞くと、すぐにうちをとびだしていくので、親御さんは気が気でございません。半鐘が鳴ると、 「これよ、半鐘が鳴るから、せがれをよく気をつけておくれ……ああ、それから、火事はどこだい?」 なんてんで、せがれのほうをさきにいって、火事のほうをあとから聞くというくらいでございます。 それでも、若旦那のほうは、なんとか鳶《とび》の者《もの》(町火消し)になりたくてたまりませんが、店に出入りの鳶頭《かしら》はもちろんのこと、ほかの鳶頭連中も廻状《かいじよう》がまわってますから相手にしてくれません。親御さんも不承知で、たびたび叱言をいうのですが、若旦那のほうは、火事ばかり追いかけるという道楽のために、家にはとんと寄りつきません。 この若旦那、年は二十六、色白で小ぶとりにふとりまして、体格のいいところへ、背なか一面に牡丹《ぼたん》に唐獅子《からじし》のあざやかな彫《ほ》りものまでほどこしまして、いっぱしの火消し人足気どりですが、鳶の者になれないものですから、火消し屋敷へはいって、臥煙《がえん》の仲間入りをしようというさわぎ……おやじさんは、かわいいひとりむすこだが、親戚の手前もあり、世間の手前もあるというわけで、勘当同様、うちへの出入りをさしとめということにいたしました。ところが、ご当人は、かえってそれをいいことにして、わびをいれるようすもなく、そのままどこへいったのか、親御さんの前に姿をみせません。 親が子をおもう情は、むかしもいまもかわりはございません。子どものほうはそうでもないが、道楽むすこを持つ親御さんの苦労はたいへんなもので、暑いにつけ、寒いにつけ、「ああ、あの不孝者は、いまごろ、どこでどんな難儀をしているか」と、おとっつあんとおっかさんとが、ときどき寝物語をするくらいでございます。
ある年、十一月の末のことで、ちょうど九つ(十二時)前という刻限、ジャンジャンジャン…… 「おい、番頭さん、半鐘が鳴るようだね」 「へえ、火事でございます」 といううちに、ジャンジャンジャンジャン、近火とみえまして、火の粉がどんどんかぶってまいります。 「番頭さん、こまったねえ。いや、ほかの商売ならいいが、うちは質屋で、人さまのものをおあずかりしてるのに、おまえ、蔵の目塗りをしなくちゃいけないねえ……きょうにかぎって、左官の八公がおそくてしょうがないなあ……こんなとき、目塗りもしてないようじゃあ、あんな店へ品物はあずけられないという評判が立っちまう……うちののれんにかかわるから、八公が間にあわなきゃあしかたがない……ねえ、番頭さん」 「へえ」 「おまえさん、ちょいと目塗りをしておくれでないか?」 「あたくしが目塗りを?」 「ああ、あれへあがって、おまえ、ちょいとやっておくれよ」 「へえ……ではございますが……あたくしは、どうも高いところへあがりますことが、まことに不得手で……」 「まあ、そんなことをいわないでさ……泥さえついていれば、それでなんとかいいわけは立つんだから……ねえ、あたしも手つだうからさ……おい、定吉」 「へい」 「おまえもこっちへきて、手つだいなさい」 「へえ、なにをいたしましょう?」 「おまえは、土をこねなさい」 「へえ、かしこまりました……旦那、こんなもんでいかがでございますか?」 「もっと大きくしな」 「へえ、では、このくらいでは?」 「もっと大きく」 「ええ、これより大きくなりますと、お値段のほうがずっと張りますが……」 「なにいってるんだい。たどんを買ってるんじゃあないよ……ああ、番頭さん、あぶないよ。しっかり、その折れ釘へつかまって……ああ、あやしい腰つきだな……片っぽうの手で、うまく泥がうけとれるかな……なに? 両方の手ははなせない? それはもっともだ……じゃあいいかい? 泥をほうるから、うまくうけとっておくれよ。そら、いいかい……あっ、おとしちまった! なんという腰つきをしているんだ? だめだな、そんなようすでは……第一、その……下からほうるものを、上でつまんじゃあいけないよ。なんのことだねえ……そら、いいかい? 手をこうひろげてうけとるようにするんだ。おまえだって、知ってそうなもんじゃあないか? かわら屋だの、左官だのが、泥をうけとるのをみたって、上からつまみゃあしない。いいかい、ほうるよ。小さいから、うまくおうけとりよ……ほら! あははは、おまえの顔へぶつか��ちまった。おまえの顔を目塗りをするつもりじゃあなかったんだが、つい、はずみがついたもんだから……さあ、いいかい? こんどはしっかり……いや、どうもうまくいかないもんだな……」 と、さわいでおりますところへ、屋根から屋根をぴょいぴょいつたわって、とんできたのは、年のころ二十五、六になります、色白で小ぶとりの男、からだじゅう彫りものだらけで、法被《はつぴ》一まいというこしらえで、猿《ましら》のようにぴょいぴょいと屋根から屋根をとんでまいりましたが、 「おう、そんなこっちゃあいけねえ」 「へえへえ、どうも、これは……」 「待ちねえ。おれがうまくやってやるから……片っぽうの手じゃあいけねえ。帯をときねえ。それ、ここでゆわいて、この折れ釘へひっかけるんだ。それ、そっちの手をはなしてもいい……両方の手がつかえるだろう?」 「なるほど……へえ���どうもおそれいりました。これならだいじょうぶで……なるほど、うしろへひもがついていて……もし、旦那さま、こんどはだいじょうぶでございますよ」 「これはどうもありがとうございます。おかげさまで……いや、さすがはご商売がらだ……なるほど、折れ釘へしっかり帯をゆわえつけて……それなら、おちる気づかいはありませんねえ……番頭さんや、どうだい?」 「ええ、もうだいじょうぶでございます。これなら両手がつかえますから、たしかにうけとれます……もう、踊りでもなんでも……なんならかっぽれでもお目にかけましょうか?」 「なにをのんきなことをいってるんだ。早くやっておしまい」 ようようのことで、目塗りのまねごとができました。 「ああ、骨が折れた。みているだけだったが、じつにどうもくたびれた。どうも年をとっちゃあいけないな。ちょいとしたことでもたまらない……しずかになったようだがどうした? 定吉、もう消えたか?」 「へえ、ただいまやっとしめったそうで……」 「ああ、そうかい。そりゃあよかった。はいはい、どうもありがとうございます……あ、どうもありがとう存じます。お早や早やとどうも……」 「へい、こんばんは。近江屋でございます。どうもおそうぞうしいことで……」 「ええ、山田屋でございます」 「へえ、どうもわざわざありがとう存じます……へい、どうも……おい、定吉、あれはどちらの? なに? あれが加賀屋さんの若旦那かい? そうかい……うーん、いいせがれさんになんなすった……たしか、うちのばか野郎とおない年だったな?」 「へえ、うちのばか野郎とおない年で……」 「なんだ、おまえまでばか野郎なんていわなくてもいい……ああ、あれをみるにつけても、うちのせがれは親不孝、加賀屋さんのせがれはりこうもんだ……まあまあ、勘当したやつのことをおもってもしかたがないが……そうだ、お見舞いにみえたかたのお名前を帳面につけとかなきゃあいけない。ああ、番頭さんはどうしたい?」 「番頭さんは、まだ、折れ釘にぶらさがっております」 「えっ、そりゃあいけない。だれか手つだっておろしてやんなさい。ひとりでおりることができないんだ。早くおろしてやんなさい……ああ、おりてきたか。いや、ごくろうさま、ごくろうさま。さぞこまったろう?」 「へえ、どうもなれませんことは、しょうのないもんで……」 「顔を洗ったか? ……いや、どうも、おまえさんも店でそろばんをはじいていりゃあ一人前だが、高いところへあがっちゃあ、どうもだらしがないなあ……しかしまあ、ああしておけば、人さまにみられても恥ずかしくはない。いや、結構、結構……」 「ときに、……旦那さま」 「なんだい?」 「さきほど、あたくしがこまっているところを手つだってくださったかたがございます」 「ああ、そうだった。すっかりわすれていたよ……しかしまあおどろいたねえ。いかに商売とはいいながら、屋根から屋根へぴょいぴょいととんだときは、とても人間わざとはおもえないようだった」 「そのことについてでございますが……旦那さまが、あのかたにひとことお礼がおっしゃりたいのではないかと存じまして、あたくし、おひきとめいたしておきました」 「そりゃあよかった。よくおひきとめしてくれたねえ……じゃあ、さっそく会ってお礼を申しあげよう」 「へえ……けれども……むこうさまでは、旦那さまにお目にかかることは、まことにめんぼくないとおっしゃってるんでございますが……」 「なんだい、あたしに会うのがめんぼくない? へーえ、どういうわけなんだい? ……ふーん、すると、うちのお客さまだね? こちらでこまるという品物を無理に質に置きなすって、しかも、流してしまったというようなことじゃあないのかい?」 「いえ、そういうわけではないんで……」 「なんだい? それじゃあ……」 「へえ、せっかく、こういうときに、おかけつけなさいましたんでございますから……」 「せっかくかけつけた? なんのことだい? ちっともわからないじゃあないか」 「へえ、あのかたは、ご勘当になりました若旦那でございます」 「ええっ、あれがせがれかい!? からだじゅう彫りもので……」 「さようでございます」 「屋根から屋根をとんできた……あの男が?」 「へえ……」 「まあ、あぶないじゃあないか! もし、おまえ……屋根からおっこちたら……いやいや、あたしのせがれじゃあないから、そんな心配もいらないことだが……人さまだって、怪我をしていいということはない。なにはともあれ、こういうときにおかけつけになって、おまえの、ああやってこまってるところを……なにしてくだすったんだ。お目にかかって、お礼だけはいいましょうよ」 「へえ、どうもありがとう存じます」 「どこにおいでなさる?」 「ええ、裏口のほうから、台所の、あの二畳のところにいらっしゃいます」 「ああそうかい……では、いってお目にかかり、よくお礼をいいましょう」 番頭さんも喜んで旦那をつれてまいりますと、若旦那はきまりがわるうございます。法被《はつぴ》一まいで、太股《ふともも》のところも彫りものだらけでございますから、下帯のたれをとりまして、前だれのようにひっぱりましたが、どうしたってかくれるものではございません。しかたがないから、台所の隅で小さくなっております。 「ええ、旦那さま、ここにおいででございます」 「ははあ、おまえさんかい?」 「へえ……どうも、ごぶさたをいたしました。いつもおかわりがございませんで……おめでとう存じます。こうしてお目にかかりますのも、まことにめんぼくないことで……」 「はい」 はい……とはいったものの、おやじさんは返事もできませんくらいに、涙がいっぱいでておりますが、しかし、あくまで他人行儀に、 「いや、さきほどはありがとうございました。番頭から委細を聞きまして、ここまでお礼を申しあげにまいりました。どうぞこちらへおでましをねがいたいもんで、そんな隅にいらしったんじゃあ、暗くてしょうがございません」 「へえ、かような姿になりまして、お目にかかるのもお恥ずかしいようなしだいで……」 「へえへえ、どういたしまして……まあ、おまえさんもおかわりがなくと申しあげたいが、たいそうりっぱな絵がかけましたな。わたくしどもにおいでのころは、そんな絵なんぞかいてあげなかったが……まあまあ、おまえさんもおたっしゃで結構だが、親はばかなもので、おまえさんが、そういう道楽でとんで歩いているとは知らず、しばらくうわさにも聞かず、おもてでも会ったこともないが、ああいうやつだから、さだめしこまって、どこぞの木賃宿にでも住んでいやあしないかと、親はよけいな心配をしている……いや、親でない、子でない……お他人さまのことを大きなお世話だが……まあまあ、おたっしゃで結構……この寒いのに、そんなかっこうで歩くのも、おまえさんが好きですることだから、なにもいうことはないが……いまも、加賀屋さんのせがれさんが、火事見舞いにきてくだすったが、たしか、おまえさんとおない年だ。おない年でも、あちらはあの通りのりこうもの、おまえは、そんな服装《なり》をして、このへんをぶらぶら歩いて、『ああ、あれは伊勢屋のせがれの藤三郎さんか』と、人さまにうしろ指をさされる……親の顔へ泥を塗るというのは、おまえさんのことだ」 「へへへ、旦那なんか、さっき番頭さんの顔へ泥を塗りました」 「なんだ、定吉、おまえ、そんなところで聞いてたのか……あっちへいけ! ……お礼を申しあげまして、これでもうあたくしのほうでは用はございません。おひきとりをねがいます」 「まことにめんぼくしだいもございません。またおわびのかなう時節《じせつ》もございましょう。それじゃあ、これでおいとまいたします」 いっているうちに、小僧が奥へいって、母親にこのことをはなしましたから、母親は喜んで、抱いていた猫もなにもほうりだして、あわててでてまいりました。 「あの……おとっつあん、いま、定吉から聞きましたが、あれがきましたってね? ほんとうですか? どこにいます?」 「そこへ坐ってらあ」 「あらまあ……よくおいでだねえ。まあ、苦労をしたとみえて、わずかのあいだにずいぶん年をとっちまって、髪んなかへ白毛がまじって……」 「そりゃあ番頭だよ」 「あら、ほんとうだ。いやだよ、番頭さん、なぜおまえ、そこへ顔をだすんだ。まちがえるじゃあないか……藤三郎や、まあまあ、よくおいでだねえ」 「うかがえた義理じゃあございませんが、遠くからみておりますと、番頭さんがこまっておりましたんで、矢もたてもたまらず、ついお手つだいをいたしました……おっかさんもおかわりなくておめでとうございます」 「ああ、ありがとう……まあ、おとっつあん、みておやんなさい。このさむそうな服装《なり》……いいえ、おとっつあんとおまえのうわさばかりしてるんだよ……『こうやって身代《しんだい》はのびるばかりだが、これをゆずるものもない。どうかあれがまともになってくれれば、この身代はすっかりゆずってやるんだが……まあ、どうしているか? かわったことはないか? それとも死んでしまったか?』と、いって、いつもおとっつあんとうわさばかり……おまえが火事が好きだから、どうか世間に大火事があってくれれば会えるんだがと……」 「なにをばかなことをいうんだ!」 「ようございますよ。それくらいのことをいったって……わたしは、なにもこのうちへ火をつけようとは申しません」 「うちへ火なんぞつけられてたまるもんか」 「まあ、いいじゃあありませんか。そんなにぽんぽんおっしゃらなくても……男親というものは、いやにやせがまんをするというけれどほんとうですね。あなただって、お腹んなかで泣いていることは、よくわかってますよ」 「なにをばかな……」 「しかし、藤三郎や、おまえもいいかげんにまともにならなくっちゃあいけないよ。まあ、そんな服装《なり》をして、風邪でもひいたらどうするんだい? ……もし、おとっつあん、わたしは、この子のものを蔵へいってみると、胸がいっぱいになりますよ」 「なにもこんなやつのものを、蔵へなんぞしまっておくことはないじゃあないか。けがらわしいから、往来へすてちまいな!」 「それがあなたは頑固《がんこ》ですよ。すてるぐらいならやってくださいな」 「だからすてちまえっていうんだ……わからないなあ。すてりゃあ、着物でも、小づかいでも、ひろっていくからうっちゃれってんだよ」 「あはは、そうですか。よくわかりました。ええ、さっそくすてますよ。すてますとも……みんな、ちょいと手を貸しとくれ。たんすごとすてるから……」 「そんなにすてなくったっていいよ」 「小づかいは、どのくらいすてましょうね? 千両もすてますか?」 「そんなに一ぺんにすてずに、ちょくちょくすててやんなよ」 「それに、この子は、勇み��姿《なり》も似合いますけれども、色が白うございますから、ほんとうの……品のいい服装《なり》もよく似合います。あの……それ、いつでしたか、あなたのかわりに、年始まわりをしたことがございましたろう? ……一本、お太刀をさして、袴《はかま》、羽織で……ほんとうによく似合いましたね。あれは、伊勢屋のせがれだって、人がうわさをいたしました。あのとき、わたしは、もううれしくてたまりませんでしたよ……なにしろ、あの子は、あなたより男っぷりがようございますからね……」 「なんだい……つまらないことをいいなさんな」 「だって、ほんとうでございますもの……もし、あなた、これが色白でございますから、袴羽織で黒の紋付が、そりゃあもうよく似合います。どうか……ねえ、わたしはいま、これに……あのときの服装《なり》をさせて、小僧を供《とも》につけてやりとうございます」 「なにをいってるんだ。勘当したこんなやくざなせがれに、そんな服装《なり》をさせて、小僧を供につけて、いったいどうするんだ?」 「わたしゃあ、火事のおかげで……会えましたから、火元へ礼にやりとうございます」
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「見る、或いは、見える」
以下、「却下」のPNで文芸同人誌『あみめでぃあ』に寄稿した原稿です。嘗ての自分を見つめ直す為には些か勇気が要りますが……。尚、本来ルビとして漢字の上に存在していた文字が、括弧と共に横に出っ張っています。「元々は其処にルビが有ったのだろうな」と脳内補完しながらお読みください。
↓↓↓↓
愛するS嬢へ
前略
貴女がこれを読む頃には、私は既に何処かに旅立っていることでしょう。
……いえ、御安心ください。かねがね見たいと思っていたドイツの新白鳥石(ノイシュヴァンシュタイン)城あたりを旅しているだけです。ひょっとしたら中国の万里の長城かもしれませんし、アメリカの自由の女神かもしれませんが、詳しい所在地は私の知るところではありません。ともあれ、旅が終われば必ずや貴女のもとに戻って参ります。
旅支度も全て終わってしまい、出立の時刻までかなり手持無沙汰ですので、私がどのような訳で貴女に「同じ日に同じ場所で死のう」と心中を持ちかけたのかを説明し申し上げよう、と筆を執りました。先日は断られてしまいましたが、この遺書を最後まで読んでいただければ屹度、受け容れていただけると信じております。
なにぶん筆不精ですし、普段読んでいる本も偏りが激しいので、読みづらい点が多々在るかと思いますが、お許しください。
却説(さて)、何処からお話し致しましょうか。……矢張り、私がこの世に辟易する理由から始めるのが妥当でしょう。
では先ず、問いましょう。貴女は、「見る」ことや「見える」ことに就いて、どう思われますか?
……絵画や彫刻を解するのに必要不可欠な行為……ええ、それも然りです。作品に触れて鑑賞する方法も在るらしいですが、国宝や重要文化財等は気軽に触れることができませんからね。
……言語習得に非常に便利なもの……そうですね、それも亦た然りです。新しい文字を学ぶには目が有った方が遥かに便利でしょう。
ですが、弱冠まで生きてきた私の答えは違います。「見る」「見える」ことの本質は「苦しみの元凶」です。それ以外にはあり得ません。
貴女には馴染みが無いかもしれませんが、少々、仏教で説明されるところの「見る」行為に就いて触れてみます。尤も、私とて専門的に仏教を学んだわけではありませんから、私の解説の中には間違っていることがあるかもしれません。怪しいな、と思われた場合にはどうぞ御遠慮無く、この部屋の書棚から仏教の辞典を探し、御覧ください。本棚の上から二段目、右端に在る筈です。
人間が、世界に存在するものを其の儘に知覚することは、全く不可能である、ということは、簡単に了解していただけるかと思います。そして、かかる発想は、仏教の思想にも登場してきます。
仏教では、世界に存在する物を「色(しき)」と呼ぶそうです(尚、サンスクリット語ではルーパと云うそうです)。これを人間が目で捉え、脳内で「想(サンジュニャー)」と呼ばれるイメージを形成します。この想を通して人間は、色の正体を「犬だ」「猫だ」と認識します。この認識を「識(ヴィジュニャーナ)」と呼びます。当然ですが、この「想」「識」は、「色」と全く同様に形成される筈はありません。ここには、記憶や知識などの「行(ぎょう)(サンスカーラ)」が影響します。
例えば、貴女は昨日、「友人Rを見つけた!」と仰って、あろうことか私の手を離してまで、駅のホームで走り出しました。ですが其の男性が偶然にも振り向くと、実は全く知らない青年でしたね。この場合、謎の青年が「色」にあたります。そして貴女の脳内に生まれた「想」及び「識」は友人Rです。そして恐らく、「友人Rに会いたい」とかいう気持ちか何かが貴女の中に在って、それが貴女の認識を歪めた「行」だったのでしょう。
仏教では、何かを見て想や識が生まれることを「名言(みょうごん)が生じる」と云うそうです。人間は、禅行の訓練をしない限りは、必ず名言が生じてしまい、更にあれこれ連想してしまい、悩みが生じることになります。したがって、「物を見ることは苦しみを生じる」と結論付けて差支え無いことになります。
唯本棚の端っこの辞書から、かかる記載を見つけただけで、私はすっかり生きる希望を失ってしまいました。ですが、私の話には少々続きがあります。
……キッチンの戸棚に、貴女の好きな銘柄のワインを買っておきました。グラスに一杯分注いで、復たこの部屋に戻ってきてください。この遺書は、格別、集中して読むべき大層なものでもありませんから、口を潤しながら先へ進まれると宜しいでしょう。多少変わった味がするかもしれませんが、ワインが悪くなってしまっているのではありません。私から貴女への愛だと思って、気味悪く思わずにどうぞ気にせず召し上がってください。
閑話休題(それはさておき)。
人間が何かを見る時には、知識などの「行」が影響する、という話は致しましたね。この知識というのが、非常に厄介なのです。決して逃れ得ぬ、完全なる悪なのです。私の人生を破滅させた犯人なのです。
知識を付ければ付ける程、人間は不幸になります。例えば、貴女が小学生の頃を思い出してみてください。或いは、貴女の家の近くに在る公園で、無邪気に遊ぶ子供たちを見てもよいでしょう。彼らは暗鬱な未来を考えることも無く、世界の不条理を嘆く必要も無い。実に明るく生きています。そして、見るもの聞くこと全てに感動し、彼らにとっては世界は完全に輝いて見えています。……ところがどうでしょう、今では我々は、将来を憂い、理不尽な世を恨み、余裕も無くあくせくと生きています。「大人になったからには一人で生きていかねばならぬ、其の為には万事己で考えねばならぬ」という理由も在りましょうが、決してそれだけではありません。憖(なまじ)知識があるために、世の中の綻びが数え切れないくらいに見えてしまっているからです。人の醜い感情も、誰が誰を本当に好いて、誰を密かに疎んでいるかということも、見たくもないものが全て、大人になるにつれて見えてきてしまうからです。
又た、知識が有るが故に見えなくなってしまうものもあります。時々、貴女をお連れして美術館に行きますよね。其処で、私は特に日本画や仏像を好んで鑑賞しますが、最近はめっきり面白くなくなってしまいました。というのも、昔はただぼーっと眺めて、なんとなく「あ、いいなぁ」と沁々感じることが出来たのですが、鑑賞の為の知識を付けてしまったために、「構図が云々」「掘り具合が云々」などと考えてしまい、どうしても分析めいたことをしてしまうのです。細かな雰囲気、小さな違いが見えなくなり、頭でっかちに作品と向かい合ってしまう。不幸極まりないことです。
しかも、知識というものは滅多なことでは小さくなってくれません(忘れることはあるかもしれませんが、大抵都合の悪い知識は脳に残ってしまうものです)。知ってしまったら忘れられない、不可逆な苦しみなのです。
先週の金曜でしたか、雨が降ってしまった為にデートが延期になり、私の家で、何をするともなく一緒にぼーっと過ごした日がありましたね。あの夜のテレビ番組で、以下のような実験が在ったのを、貴女は覚えていらっしゃいますか?
……番組視聴者は、或る静止画を見せられます。この静止画は、実は徐々に或る部分が変わっているのです。壁紙の色だったり、人物の髪型だったり。それを見つけることができると、人間の脳に良い刺激が走り、脳が活性化される。又た、どうしても分からなくても、答えを聞いて再度「静止画」を眺めて変化を納得できれば、同等の刺激を得られる……。
私は、確か1問目と3問目は分かったのですが、2問目だけは分からず、答えを見てしまいました。すると何のことは無い、「空を飛んでいた風船が消えていた」が正解でした。答えを知った後に「静止画」を見ると、確かに、風船が次第に透明になり、空が透けてゆき、消えてゆくのが分かりました。静止画は、いとも簡単に動画になってしまいました。
丁度あの時、番組を録画していたので(詳しい理由は忘れましたが、確か、何処かの男性が殺害されたというニュースを録画しようとして失敗したのだと思います)、先程もう一度、件の「静止画」を見てみました。……どうしても、何処に注目してみても、風船が消えてゆくのがはっきり分かってしまい、「動画」にしか見えなくなっていました。山の稜線を凝視しても、遊ぶ子供たちの目を見つめてみても、風船の変化を私の脳は無視できませんでした。先週、あれほど変化が分からず悩んだ筈なのに、今日は寧ろ静止画に見えずに悩む羽目に陥ってしまいました。
答えを知ってしまい、知らなかった頃に戻れなくなる。例に挙げた番組は、風船が消えようと消えまいと些細な問題ですが、嫌な思い出やトラウマも同様です。一度得てしまったものは、易々とは消えてくれません。知識は、脳や目にこびりついて、死ぬまで我々を苦しめ続けるのです。
且つ、知識は麻薬です。知らないことがあると悔しく、それを知ろうと躍起になります。そして新しい知識を得ると、その周辺にも手を伸ばしてみたくなります。かくして知識欲には歯止めがかからず、投与量が増えてゆきます。
知識を多く得ることで、知識同士のぶつかり合いも生じますね。或る観点からすればXは真なのに、別の或る観点からするとXは偽である、というように。屹度双方の主張を止揚(アウフヘーベン)した「真実の知識」が在る、と期待して、苦しみながらも更に知識を求めますが、それこそ奴らの思う壺なれ。幻想を求めて、底無し沼に沈むのを、奴らは嘲笑して見ているに違いありません。……いっそ、「食われて死ぬ」という結末が約束されている蟻地獄の方が、余程良心的ではありませんか。
視覚は、人間が生きている中で得る情報の8割を担っている、と、何処かで聞きました。時と場合に依って割合は前後するようですが、視覚が知識の大部分を作り上げていると考えて宜しいかと思います。
したがって、私はかく断言するのです。「見ること、見えることは、苦しみの元凶に他ならない」と。
長々と書き過ぎました。そろそろ、貴女の手元のワイングラスも空になり、だいぶ酔われてきたことかと思いますので、このあたりで筆を置きます。ワインはきちんと飲み干していただけましたか?
若し、私が申し上げた通りの手順で、貴女が一杯のワインをすっかり飲み切られたならば、次に貴女と私が何処かで再び見(まみ)えることができるのは、8月23日あたりになるでしょう。それまでは暫し、お別れです。
ですが、私の肉体は今でも貴女と共に在ります。紙にして200枚程の隙間から、最早閉じることさえ能わぬ眼で、じっと貴女を見守っております。「同じ日に同じ場所で死のう」という約束を違(たが)えるつもりは、私には寸毫も無いのですから。……そうそう、どうでもよいことですが、仏教の辞典は、きちんと本棚に戻しておいてくださいね。決して目を逸らさず、確実に、元在った場所に、お願いします。
……おっと、これは失敬、私がこの世に絶望した理由をお伝えし忘れていましたね。尤も、貴女には屹度お心当たりがあろうかと思いますし、手紙末尾のこの文を読むまで貴女がまともな理性や視力を保ってらっしゃるか分かりませんが……。
ヒントをひとつだけ差し上げましょう。……三日前の夜、仕事帰りの私は偶然、隣の駅の歓楽街で、私も未だ見たことの無いくらいに綺麗な貴女が「見えた」のです。「友人」に手を引かれながら建物から出ていらした、宵闇に満開に咲いた貴女を。
草々
2016.7.6 貴女の親友、却下
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vol.12【2018aw】家宝にしたいガリトラップ。
ーー今シーズンのスペシャルページは、これが最終回です。
辻 早いな~。何でシメる?
ーーまだ、いろいろと聞いてないアイテムはあるんですけど、まずは前回に引き続いてTHANK YOU ROBINをお願いしようかと。
德田 どのアイテム?
ーーやっぱりここは、ゴールドの『ガリトラップ ブレス』でしょ!
辻 値打ちあるよ~、あれは。
德田 あるね~。あれは本当に金が好きな人向きのアイテム。同じTHANK YOU ROBINでも『BAKU!! RING』とか『シルフリング』は10金だから。
ーー『ガリトラップ』は違うんですか?
辻 あれだけは18金なんです。
德田 それも青金っていうね、金の次に銀の含有率が高くて、よりゴールドに近い色をしたのを使ってる。
辻 皆さんがイメージする、金らしい金色をしてると思うわ。
德田 18金って変色とか、ほぼしないしね。やっぱりカジュアルな人はシルバーが好きかもしれないけど、シルバーは手入れしないとどうしても変色するし。劣化しないっていうのも、ある意味、魅力のひとつよね。
辻 ボク、買おかなぁ…。実はずっと欲しいと思ってて。
ーーゴールドの『ガリトラップ』ですか?
辻 そうそう。ちょっと傷が入ったり、潰れたりしてきたら、めちゃくちゃカッコいいと思うねんけど。
ーーえ、傷ついた方がいいんですか? 上代70万円ですよ!?
辻 そりゃ、いいんちゃう。ちょっと古色が付いてきたり。値段のことは置いといてね(笑)。
德田 で、それを辻家の家宝として代々伝えていったりして。
ーーあ、それは素敵ですね。お爺ちゃんから受け継いだのが『ガリトラップ ブレス』って、壺とか掛け軸とかより嬉しいですもん。
辻 ほんまにそうしよかな。
ーー値段的に簡単に買えるものじゃないですけど、代々伝えていくっていう大義名分があれば、買えそうな気がしないでもないですね。
德田 絶対、いいと思う。木彫りのケースも一緒にね。
ーー金太郎の(笑)。あれはまた北浦和也さん作ですよね。
德田 そうそう。スーベニアシリーズの絵を描いてくれてる木彫り作家の。
辻 あの木彫りのケースは化けるかもしれんよ~。もうホンマに10年前と比べたら、彼の作品は3倍では効かないぐらい値段上がってるから。
ーーいろんなところで名前聞きますね。似顔絵木彫りとかでも。
辻 関西では売れっ子やね。
ーーもしかしたら金のブレスレットよりケースの方が値打ち出るかもしれませんね(笑)。
辻 いや、あり得るかもしれんよ。芸術家だけは、わからんから。バスキアの絵とか見てみいな。123億円やで。
德田 まあでも、18金のアクセサリーを木彫りのケースに入れて売ってるのは、ブルーナボインぐらいだと思うよ(笑)。
ーー確かに(笑)。どうして木彫りのケースにしようと思ったんですか?
德田 ちゃんとしたケースにいれてしまうと、遊び心がなくなってしまうような気がしたから。作品としても楽しんでもらえるしね。でも、決してシャレで作ったわけじゃないし、THANK YOU ROBINで作るんだったら、いままでにないような張り切った入れ物にしたいな、と思って北浦君にお願いした。
ーーいまあるのが旅立ったら、また違うケースが登場するんですか?
德田 木彫りだから、もちろん同じのは世界にひとつだけど、どんなカタチであろうと金太郎は登場する。
ーーどうしてですか?
辻 カン悪いな~。"金"やし金太郎やん(笑)。
ーーホントですか?
德田 そうそう。デザインはおまかせしたけど、必ず金太郎モチーフで、っていうのはお願いした。なので代々引く次ぐときは、ケースも一緒にお願いしますね。
色もカタチも充実のウォレット。
ーー今シーズンのウォレットラインは、だいぶ華やかですね。
德田 ゴートのお財布が、かなりカラフルだからね。
ーー何色があるんですか?
辻 サックス、イエロー、オレンジ、ブラックの4色。
ーーどうしてこんなカラフルにしたんですか?
辻 面白いから(笑)。
ーー確かに財布では、あんまり見ない色ですね。
德田 男の人がカラフルな財布を持ってるのって、なかなかオシャレな気がすんねんけど。
辻 そうかもしれへんね。男の人ってどうしても、黒とかネービーとか落ち着いた色を選びがちやし。
ーーゴートって財布に使ったことありました?
辻 財布には初めてちゃうかな。
德田 ジャケットでは使ったことあるよ。『スプリガン ジャンパー』とか。
辻 ゴートに関してはビシッとコーティングしてあるから、使い込んでもあんまりピカピカにはならない。どっちかっていうと、財布は汚れて欲しくないって人向きかな。あ、ブラック以外はね。ブラックは素上げなので、使うと光沢が出てくる。
ーーゴートとは打って変わって、ホースハイドの『カラーウォレット』は渋めの色ですね。
德田 ホースに関しては『アランジャケット』とか『ドラグーンジャンパー』を作るときに、どうしても使えない場所っていうのが必ず出るのよ。その革をムダにすることなく使おうっていうことで、ジャケットと同色を毎年作るから、今シーズンは深みのあるカラーが揃ってる。まあでもカッコいいと思うよ。革ジャンと同じ色の財布を持ってたら。
ーーそういうのもできますね。
德田 できちゃうのよ。オートクチュールではないかと思わすような、すごい粋なアイテムにもなり得るし、やっぱり12月になると「プレゼントに」っていう人も結構いらっしゃる。
ーー確かに『カラーウォレット』はプレゼントにいいかもしれませんね。値段もそこまで高くないですし。
德田 好きな人へのプレゼントとしては想定内の値段かな。逆に『クロコウォレット』は旦那さんとか奥さんにプレゼントって人が多いかも。
ーー確かに『クロコウォレット』は、値段的にただ好きってだけの人にプレゼントするには勇気いりますもんね(笑)。
德田 最高のプレゼントにはなるけどね。
ーー今シーズンは何色があるんですか?
辻 ネービーとグリーン。あと、『パイソンウォレット』は墨染めにしました。
德田 あ、そうそう。もしプレゼントされるときは、お財布の中に5円玉を入れてあげてください。
ーーなにかあるんですか?
德田 そうすると、お金が貯まるっていわれてる。もし財布を買われたときに、私か辻が店頭にいたら、5円を入れて差し上げますので、声かけてください。それと、12月7日更新のレディブルーナでも、プレゼントに使えるアイテムの特集をするので、皆さん見てね。
ーークリスマスにちょうどのタイミングですね。
德田 そうそう。人からもらうのも嬉しいけど、自分へのプレゼントにしてもらってもいいよ。私は大好き、自分へのプレゼント。間違いなく欲しいものが手に入るし(笑)。
辻 ボクもそろそろ財布買い換えよかな…。
德田 お、ありがとうございます。辻さん、いま使ってるのは『クロコ』のスモールよね?
辻 そうそう。ネービーの。
德田 ウォレットはデリバリーしたとこなので、いまだったら色もカタチもお好きなのを選んでいただけますよ(笑)。そういえば、ブルーナボインの財布は縁起もいいらしいよ。直営店のスタッフから聞いたところによると、昇進したとか、いい仕事に巡り会ったとかって人もいるみたいだし。まあそれは、たまたまだと思うけど(笑)。
ーー広告しましょうか、「幸運の財布。私はこれで…!」みたいな。
辻 胡散臭いわ(笑)。
ーーそろそろ時間なので、この辺りでシメたいと思うんですけど…。
辻 あ、ちょっと待って。12月にまた大阪店でイベントがあるんです。告知させて。
德田 そうそう。「tsutae」っていう手織りストールの。
ーーいつからですか?
德田 12月8日の土曜日から14日の金曜日まで。で、初日の8日と9日には、そのストールを手織りしてる酒寄剛史さんが織機を持ち込んでデモンストレーションしてくれはる。時間とか詳細はストアブログとかSNS告知しますので、よろしくお願いします。
辻 あと、1年間ミーツでやってたTシャツプレゼント企画も、12月1日発売の神戸特集で最終回です。
ーー最後はどんなデザインですか?
德田 ジョナパンからのメッセージ。何が書いてあるかは本を見てのお楽しみということで。
ーー今シーズンもありがとうございました。
德田 いえいえ、こちらこそお付き合いありがとうございました。
辻 またお会いしましょ。ちょっと早いけど、よいお年を!
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各地句会報
花鳥誌 令和4年6月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和3年2月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
立春の富士泰然と雲寄せず 三無 立春や玻璃越しの日の柔らかき せつこ ほどほどの人生うれしく梅見かな あき子 うすごほり割る子跨ぐ子ジャンプの子 美貴 薄氷や緋鯉ゆらりとくねりけり 和魚 立春やどの梢にも空展け 三無 紅白梅お寺の屋根の美しき反り あき子 新しき珈琲挽く日春立てり 貴薫 風神の滑り跡ある薄氷 三無 立春やベランダ野菜少し伸び エイ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月2日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
左義長の火の昇るとき黄昏れる 世詩明 日脚伸ぶ柱時計のネジを巻く ただし 山寺の雪降りやまぬ寝釈迦かな ただし 草の戸に五人囃子や雛あられ 輝一 生まれたるままのお顔のお雛さま 洋子 風花を路面電車の軋む音 清女 日脚伸ぶ切るに切られぬ長電話 同 卒業す最後の家路ペダル踏む 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
裁縫箱折れ針二本供養する 由季子 百歳の君風花のやうに消ゆ 同 つばめ来て知らぬ大地に思ひはせ さとみ 誰が古墳今も謎めき山笑ふ 都 野遊びのかの日の友もみな老いし 同 筓も髪のほつれも譲り雛 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
朧なり阿羅漢の息かかりては 光子 あの羅漢春の夜より吾に棲みぬ きみよ 百態の羅漢に残る箔や春 眞理子 阿羅漢の水晶の眼に春の夢 光子 阿羅漢のゆるやかに着てあたたかし 炳子 石に彫る魚に目のなき涅槃かな 千種 雛の顔どこかに重ね羅漢見る 順子 乳母車春の闇へと押しやりぬ 和子 阿羅漢のひしめく息の春の闇 光子 肩少しいからせながら地虫出づ 悠紀子
岡田順子選 特選句
囀の鎮まりて僧本堂へ 小鳥 理髪店鏡のなかに椿の千 光子 水草生ふ瀬戸の火鉢に沈む魚 炳子 金箔の泪の羅漢春浅し 佑天 阿羅漢の水晶の眼に春の夢 光子 魂は螺旋階段昇る春 俊樹 朧より羅漢お一人ついて来し きみよ 権の助坂へ突き出る辛夷の芽 要 阿羅漢の手のひらに受く涅槃西風 小鳥 立子忌の夜を渡りて弔ひへ 俊樹 阿羅漢の寂寞のこし鳥帰る 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月10日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
バス停の薄き座布団日脚伸ぶ 雪 冴返る万年筆のペンの金 同 北風と云ふ路地を一直線の風 同 表情も気品も秘めし古雛 かづを 山笑ふ遠嶺々未だ覚めずとも 同 降るもよし木の芽起こしのものなれば 同 人間の蛮行さなか鳥帰る 数幸 されど三月叢生の息吹せり 同 耐へに耐へ山と云ふ山笑ふなり 同 振り向きて人影もなし涅槃西風 匠 雛の間に雪洞の灯の入りをり 希 観音の裾口ふるる桜の芽 千代子 そこばかり明かりのほのか雛の間 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
野遊やすぐに泣く子はすぐ笑ひ 都 逃水や写しては消ゆ里の空 宇太郎 強東風や奇巌に跳ねる波頭 益恵 良き刀の切口美しき挿木かな 宇太郎 掌に雪のつぶ受け待つ便り 佐代子 花杏保育姉妹の帰る頃 すみ子 春の雪万の土鈴に万の黙 悦子 飾る世に喜寿となられし雛かな 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
芍薬の芽に呼びかける風微か 秋尚 鶯の声降り止まぬ陽子墓碑 三無 春の土利き足の踏み残る跡 美枝子 土産物しじみ大きく輝きて 節子 蜆汁啜る同胞父忌日 三無 三椏の三輪親し冠木門 亜栄子 看板は蜆汁なる定食屋 白陶 耕運機ペンペン草の花揺らす 美枝子 母の香や譲りうけたる雛飾る 同 紙雛思ひ思ひの粋な貌 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
春雷や少し怖くてをかしくて 信子 正論を述ぶるに勇気冴返る 昭上嶋子 春寒し海辺に寄せし注射針 みす枝 背戸口の扉を叩く春一番 三四郎 未だ経に和せず老いて寒の紅 昭上嶋子 若狭路のお水送りの夜の色 ただし 春光る大志抱きて門を出る 英美子 日野隠すひとかたまりの春の雲 信子 一か八かやると決めたる春なりし ミチ子 恋猫の闇も月夜も隔てなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春の風むかしの母の在すごと 令子 春風を抱き平たき胸でをり 昭子 夜の更けて椿のおつる音一つ 雪子 春日和もういいかいと声のあ�� 同 摘草やいつしか祖母の子守唄 啓子 春風や天守を望む校舎跡 笑子 お精舎の木彫の天女春の風 同 其の人の椿の花を嫌ふ訳 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月17日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
われ生きるため置れたる春炬燵 世詩明 孕猫雌雄意のまま御意のまま 同 鳥帰る遠嶺かがやく日の中を かづを 美しきままに椿は落ちにけり 同 雪見たし酒飲みたしとのみの文 雪 仏皆美男で御座す彼岸寺 たゞし 花冷や襟高々と異邦人 真喜栄 掌を握り最後の別れ鳥雲に みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
日の色に添はぬ春蘭影もまた 斉 風光る兎狩り後の行在所 三無 うしろ手に歩く鴉やうららけし 千種 水温むとろりとろりと鯉群るる 炳子 春光や赤駒の碑に風のこゑ 幸風 卒業の唱歌流るる木の校舎 久子 陽炎やブリキ看板由美かおる 佑天 オルガンや弾き継がれたる春の曲 同 散る梅にきのふの雨の水たまり 兎生 江戸人形繰る糸や養花天 久 内裏雛烏帽子きりりと男前 三無 圭魚選 行く雲の薄墨桜に遅れがち 久子 豪農の裔の門扉や梅散りぬ 炳子 濡れ色にほぐれあぢさゐ芽吹きけり 秋尚 手際よく風を操る雪柳 三無 遣ひ手を待ちゐる傀儡花の昼 千種 江戸人形繰る糸や養花天 久 飛び石の間を奔りゆく春の水 三無 木の芽吹くけやき並木の空滲む 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月22日 鯖江花鳥俳句会
十字路に来て春風の屯せる 雪 古語辞典漢和辞典や春隣り 同 春灯墨つぎ足して書く一書 同 春風に各駅停車人拾ふ 世詩明 飾られて現し世を見る雛かな 同 地の温み風の温みに木芽立つ 昭中山子 北窓を開けて忘れし仲違ひ 一涓 境内は別の風吹く涅槃かな たゞし 衝立に虎の咆哮春寒し 昭上嶋子
………………………………………………………………
令和3年3月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
陽炎のたつや我が影見失ふ 睦古賀子 翅裏に戦火の色を揚羽蝶 佐和 蘆の角蘆の骸の積むところ 勝利 葬列を見送る先の紫雲英かな 美穂 さくら満つ校庭水のないプール 由紀子 春潮の膨れに踊る浮灯台 洋子 辛夷燃え東に白き十三夜 勝利 悉く天日とらへたる木の芽 さえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2022年4月11日
「専守防衛」自民に変更論 敵基地攻撃能力保有で(時事通信)
自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)の11日の会合で、憲法9条に基づく「専守防衛」について、名称や解釈を変更すべきだとの意見が出た。政府が検討を進める「敵基地攻撃能力」保有との絡みで提起された。専守防衛は、武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使するとの原則。
自民 いわゆる「敵基地攻撃能力」保有 政府に求める方針で一致(NHKニュース 4月12日)
自民党は、敵のミサイル発射基地などを破壊する、いわゆる「敵基地攻撃能力」について議論を行い、こうした能力の保有を政府に求める方針で一致し、国民に理解されやすいように名称を変更すべきだという意見が相次ぎました。
政府は、国家安全保障戦略など安全保障関連の3つの文書を年末までに改定する方針で、自民党の安全保障調査会は今月末までに政府への提言をまとめることにしています。
11日の会合では、敵のミサイル発射基地などを破壊する、いわゆる「敵基地攻撃能力」について議論を行い、こうした能力の保有を政府に求める方針で一致しました。
そのうえで、出席した議員からは「敵基地攻撃能力」という名称が、先制攻撃をするような誤解を招き適切でないとして、国民に理解されやすいように名称を変更すべきだという意見が相次ぎました。
具体的には「自衛反撃能力」や「領域外防衛」「ミサイル反撃力」といった名称が提案されたということです。
また、会合では敵のミサイル基地に加えて指揮統制機能なども対象とすべきだという意見や、歴代政権が防衛政策の基本的な方針としてきた「専守防衛」について、解釈や名称の変更を求める意見も出されました。
いわゆる「敵基地攻撃能力」をめぐっては、自民党がおととしまとめた提言で「相手領域内でも弾道ミサイルなどを阻止する能力」という表現を使いましたが定着せず、岸田総理大臣が名称の変更も検討していく考えを示しています。
業務スーパー創業者が掘り起こす“世界3位”の資源(テレ朝news)
ウクライナ侵攻で浮き彫りとなった日本のエネルギー自給率の問題。その解決のカギは、私たちの足元にありました。
実は日本には、世界3位の資源が眠っているのです。きょうは『未来をここから』プロジェクトの一環として、持続可能な社会に欠かせない地熱エネルギーを取材しました。
■ウクライナ侵攻で迫る危機 日本を救うカギ
(山口豊アナウンサー)「あちこちから蒸気が湧き出していますよね。あそこなんてすごいですね。お湯が柱状になって噴き出しています。町中がご覧のようにこの白い湯気に包まれていますね。」
ここは“地熱の里”と呼ばれる、熊本県小国町の「わいた温泉郷」。
住民たちは湧き上がる温泉や蒸気を古くから暮らしの中で利用してきました。
この自然のエネルギーを活かした地熱発電の開発も進んでいます。そこに―
(沼田昭二さん)「これが地熱発電の掘削のためのタワーです。」
まったくの異業種から地熱発電に挑戦するのは、沼田昭二さん。実は、沼田さんは、全国で960店舗以上を展開する「業務スーパー」の創業者です。経営を長男に引き継ぎ、2016年、地熱発電を行うための新会社を立ち上げました。
Q.このあとどのくらいの深さまで掘るんですか?
(沼田さん)「最長は1kmくらいまで。」
これが掘り当てた井戸です。地熱発電に、十分な量と温度の熱水と蒸気が確認されました。
(沼田さん)「本当にうれしかったですね。8000世帯強くらいは(電力を)賄えると思います。」
地熱発電は、地下深くから、高温の熱水と蒸気を取り出して分離。その蒸気の勢いでタービンを回して発電します。太陽光や風力と違い、天候に左右されない、純国産のクリーンエネルギーです。
Q.どうして「業務スーパー」の創業者である沼田さんが、ここで地熱事業をやっていらっしゃるんですか。
(沼田さん)「ロシアとウクライナの問題がありますけども、資源のない、日本で危険なのは食料の自給率と、エネルギーが止まることなんですね。消費者ですね。そこにリスクがある。」
日本のエネルギー自給率は11.2%、食料自給率も37%と低く、どちらも海外からの輸入に依存しています。沼田さんは、地熱発電で、この2つのリスクを解決したいと言います。
Q.シジミですね。結構育っていますね。
シジミに、東南アジア原産のオニテナガエビ。南国の果物などを熱水で育てるための研究が進められています。
(沼田さん)「“熱水”は地球の恵みなので、それでできるだけ食料自給率を上げたい。ここの面積の数百倍のもの(養殖・栽培)が簡単にできます。」
■解決策は「業務スーパー」の経営哲学
沼田さんが手がける、地熱発電所は再来年4月に運転開始の予定です。
(小国町 渡邊誠次町長)「エネルギーと食料と、しっかりと自立していくような、こういう壮大な計画もお持ちだということでございますので、非常にありがたいと思っております。」
火山国である日本には、世界で3位という莫大な地熱資源が眠っています。ただ実際の導入量は10位で、開発が進んでいないのが現状です。
(沼田さん)「5本、10本掘っても、1本ぐらいしか当たらない。(失敗すると)数千万円なり、数億円を全部一括“損金処理”しないといけない。誰かがそのリスクを負っても、数十年、数百年後のことを考えて、この資源の開発はすべきと考えています。」
どう地熱開発を前に進めていくのか。沼田さんの解決策は、「必要なものは自分たちでつくる」という「業務スーパー」の経営哲学にありました。
(沼田さん)「このアジフライも、白身フライも、うずら卵もすべて、自社開発商品になっております。」
実は、国内に25カ所もの工場を持ち、自分たちで商品を製造して、コストをカット。さらに売り場の冷凍ケースまで自分たちで設計。出荷された商品が、ひと箱そのまま入り、何度も補充する手間がないよう工夫されています。
(沼田さん)「地熱もまったく一緒ですね。この設計と同じように見直しさせていただいて、今機械もすべてつくらさせていただいて、」
北の大地、北海道では沼田さんの秘密兵器がすでに稼働していました。
(沼田さん)「当社独自で自分で走りまして、自分でアームを上げて、自分で掘る機械を開発しました。」
この機械なら巨大なやぐらを組まずに掘削することが可能で、調査時間の短縮につながると言います。
(沼田さん)「狭い場所でも下に少しガタガタでも全部掘削の場所まで行けます。着くともうそのまま数時間後には掘削できます。」
調査費用もおよそ2億円から、6000万円に減らすことができたと言います。さらに別の課題。掘削技術者の高齢化による、人材不足に対しては―
(山口豊アナウンサー)「沼田さんは、地熱に関する学校までつくり上げました。それがこちら、北海道白糠町にあります、日本初となる掘削に関する技術を学べる専門学校なんです。」
実際に使われていた機材や、掘削シミュレーターが導入され、地熱開発の専門家らが講師を務めます。
(沼田さん)「この技術はあと10年すればまったくなくなってしまうので、必ずこれは日本になくてはいけないと。勇気を持って私は全部つくっていこうと。」
沼田さんのもとには、すでに全国20市町村から地熱開発の依頼が寄せられていると言います。
「この地下に世界で3番目の資源があるのは事実なんです。それがいろいろな問題があって、(開発が)できていないのも事実です。業務スーパーと同じように、何とか解決して、食料自給率を上げて、純国産エネルギーを上げたいと、ロシア、ウクライナの問題もありまして、私はもう待ったなしだと考えています。」4月10日『サンデーステーション』より
「業務スーパー」創業者、熊本に地熱発電所 24年稼働(日本経済新聞 3月28日)
再生可能エネルギー事業を手がける町おこしエネルギー(兵庫県加古川市)は、熊本県小国町に同社にとって第1号となる地熱発電所を建設する。2023年12月中に工事を終え、24年4月の稼働を見込む。年1基のペースで各地に増設していきたい考えだ。
同社は食品スーパー「業務スーパー」を展開する神戸物産の創業者、沼田昭二氏が16年に設立。エネルギー自給率と食料自給率の向上を目指し、牧場経営やエビ養殖などの事業も手がける。
地熱発電所の出力は4490キロワットで、年間発電量は約3449万キロワット時。発電した電気は固定価格買い取り制度(FIT)に基づいて九州電力に販売する。年間売上高は約14億円になる見通しだ。総工費は約100億円。うち50億円を三菱UFJ銀行からの融資で調達し、そのほかは沼田氏の私財などから捻出する。10年以内に投資額を回収できるとみる。
鹿児島県湧水町でも地熱発電所の建設計画を進めている。今後、北海道や秋田県など全国各地に展開し「3メガ(メガは100万)~5メガワットの発電所を年に1基のペースで建てていく」(沼田氏)計画だ。今後の建設に際しては、大手ゼネコンなどと共同出資で資金を捻出する。4月には掘削技術に特化した専門学校を北海道に開き、地熱発電事業���欠かせない専門人材の育成も図る。
【本日 (4/11)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 34人死亡 3万3205人感染 (11日18:00)(NHKニュース)
北海道 新型コロナ 4人死亡 新たに1551人の感染確認(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 4562人感染確認 先週月曜より178人増(NHKニュース)
愛知県 新型コロナ 新たに1198人の感染確認(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 2人死亡 新たに1449人感染確認(NHKニュース)
ワクチン 3回接種 全人口の45%超に 新型コロナ(NHKニュース)
国内で新型コロナウイルスのワクチンを3回接種した人は全人口の45%を超えました。
政府が11日公表した最新の状況によりますと、国内で新型コロナウイルスワクチンの▼3回目の接種を受けた人は5754万7225人で、全人口の45.4%となりました。
また、ワクチンを▼1回接種した人は合わせて1億280万4704人で、全人口の81.2%、▼2回目の接種を終えた人は1億92万4027人で、全人口の79.7%です。
このうち、5歳から11歳の子どもを対象にした接種で、▽1回目を受けた人は66万7621人で、全体の9%、▽2回目の接種を受けた人は19万2047人で、全体の2.6%です。
実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後、増加することがあります。全人口にはワクチン接種の対象年齢に満たない子どもも含みます。
都道府県別 ワクチン接種状況
政府が11日公表したワクチン接種を受けた人の都道府県ごとの数と割合です。
実際はこれ以上に接種が進んでいる可能性があり、今後、増加することがあります。
▽北海道 1回目を終えた人が427万4812人(81.79%)このうち2回目も終えた人は419万2214人(80.21%)また3回目を受けた人は236万982人(45.17%)
▽青森県 1回目を終えた人が107万6284人(85.45%)このうち2回目も終えた人は105万5397人(83.79%)また3回目を受けた人は56万8310人(45.12%)
▽岩手県 1回目を終えた人が104万1091人(85.28%)このうち2回目も終えた人は101万9645人(83.52%)また3回目を受けた人は56万962人(45.95%)
▽宮城県 1回目を終えた人が190万6931人(83.56%)このうち2回目も終えた人は186万2593人(81.62%)また3回目を受けた人は102万1233人(44.75%)
▽秋田県 1回目を終えた人が83万9253人(86.41%)このうち2回目も終えた人は82万3512人(84.79%)また3回目を受けた人は43万8462人(45.14%)
▽山形県 1回目を終えた人が91万5046人(85.55%)このうち2回目も終えた人は89万7156人(83.88%)また3回目を受けた人は53万9100人(50.4%)
▽福島県 1回目を終えた人が156万9048人(84.26%)このうち2回目も終えた人は153万8904人(82.65%)また3回目を受けた人は91万3100人(49.04%)
▽茨城県 1回目を終えた人が244万751人(83.94%)このうち2回目も終えた人は239万4792人(82.36%)また3回目を受けた人は140万5814人(48.35%)
▽栃木県 1回目を終えた人が160万9486人(82.31%)このうち2回目も終えた人は157万9293人(80.77%)また3回目を受けた人は85万8564人(43.91%)
▽群馬県 1回目を終えた人が159万9706人(81.7%)このうち2回目も終えた人は156万6680人(80.01%)また3回目を受けた人は99万5151人(50.82%)
▽埼玉県 1回目を終えた人が606万3965人(82.01%)このうち2回目も終えた人は594万7352人(80.44%)また3回目を受けた人は320万274人(43.28%)
▽千葉県 1回目を終えた人が517万4936人(81.84%)このうち2回目も終えた人は507万9854人(80.34%)また3回目を受けた人は282万8337人(44.73%)
▽東京都 1回目を終えた人が1120万5272人(80.94%)このうち2回目も終えた人は1101万659人(79.54%)また3回目を受けた人は639万9040人(46.22%)
▽神奈川県 1回目を終えた人が753万9382人(81.77%)このうち2回目も終えた人は741万7638人(80.45%)また3回目を受けた人は409万1024人(44.37%)
▽新潟県 1回目を終えた人が187万3461人(84.65%)このうち2回目も終えた人は183万4963人(82.91%)また3回目を受けた人は108万7639人(49.14%)
▽富山県 1回目を終えた人が88万9558人(84.91%)このうち2回目も終えた人は87万7156人(83.72%)また3回目を受けた人は51万1324人(48.81%)
▽石川県 1回目を終えた人が92万8321人(81.96%)このうち2回目も終えた人は91万1734人(80.5%)また3回目を受けた人は51万7670人(45.7%)
▽福井県 1回目を終えた人が64万2897人(83.0%)このうち2回目も終えた人は63万1555人(81.53%)また3回目を受けた人は37万4835人(48.39%)
▽山梨県 1回目を終えた人が67万5852人(82.32%)このうち2回目も終えた人は66万4364人(80.92%)また3回目を受けた人は39万7160人(48.38%)
▽長野県 1回目を終えた人が170万9562人(82.52%)このうち2回目も終えた人は167万6408人(80.92%)また3回目を受けた人は101万777人(48.79%)
▽岐阜県 1回目を終えた人が165万6081人(82.11%)このうち2回目も終えた人は163万3858人(81.01%)また3回目を受けた人は102万4311人(50.79%)
▽静岡県 1回目を終えた人が310万8820人(84.34%)このうち2回目も終えた人は305万5031人(82.88%)また3回目を受けた人は164万7980人(44.71%)
▽愛知県 1回目を終えた人が596万8232人(78.96%)このうち2回目も終えた人は583万6192人(77.21%)また3回目を受けた人は331万4565人(43.85%)
▽三重県 1回目を終えた人が146万7652人(81.51%)このうち2回目も終えた人は144万4202人(80.21%)また3回目を受けた人は80万6623人(44.8%)
▽滋賀県 1回目を終えた人が114万9624人(81.03%)このうち2回目も終えた人は113万933人(79.71%)また3回目を受けた人は62万2885人(43.9%)
▽京都府 1回目を終えた人が201万6317人(79.68%)このうち2回目も終えた人は197万6127人(78.09%)また3回目を受けた人は107万6554人(42.54%)
▽大阪府 1回目を終えた人が686万6348人(77.68%)このうち2回目も終えた人は675万7539人(76.45%)また3回目を受けた人は358万1891人(40.52%)
▽兵庫県 1回目を終えた人が440万9546人(79.83%)このうち2回目も終えた人は434万1647人(78.6%)また3回目を受けた人は242万9126人(43.98%)
▽奈良県 1回目を終えた人が109万98人(81.06%)このうち2回目も終えた人は107万4012人(79.87%)また3回目を受けた人は63万8017人(47.45%)
▽和歌山県 1回目を終えた人が74万6588人(79.05%)このうち2回目も終えた人は73万4279人(77.75%)また3回目を受けた人は47万7592人(50.57%)
▽鳥取県 1回目を終えた人が43万9436人(78.92%)このうち2回目も終えた人は43万1175人(77.44%)また3回目を受けた人は26万5284人(47.65%)
▽島根県 1回目を終えた人が55万6471人(82.71%)このうち2回目も終えた人は54万5027人(81.01%)また3回目を受けた人は31万1283人(46.27%)
▽岡山県 1回目を終えた人が150万2572人(79.34%)このうち2回目も終えた人は146万4520人(77.33%)また3回目を受けた人は87万1468人(46.02%)
▽広島県 1回目を終えた人が222万5962人(79.15%)このうち2回目も終えた人は218万9167人(77.84%)また3回目を受けた人は130万144人(46.23%)
▽山口県 1回目を終えた人が111万3242人(82.09%)このうち2回目も終えた人は108万4200人(79.95%)また3回目を受けた人は72万9157人(53.77%)
▽徳島県 1回目を終えた人が59万6017人(81.1%)このうち2回目も終えた人は58万5134人(79.62%)また3回目を受けた人は36万5741人(49.76%)
▽香川県 1回目を終えた人が77万3396人(79.41%)このうち2回目も終えた人は75万9960人(78.03%)また3回目を受けた人は43万172人(44.17%)
▽愛媛県 1回目を終えた人が110万3201人(81.34%)このうち2回目も終えた人は108万5056人(80.01%)また3回目を受けた人は63万6536人(46.93%)
▽高知県 1回目を終えた人が56万1182人(80.04%)このうち2回目も終えた人は55万662人(78.54%)また3回目を受けた人は31万9846人(45.62%)
▽福岡県 1回目を終えた人が410万4145人(80.09%)このうち2回目も終えた人は400万3097人(78.12%)また3回目を受けた人は231万5069人(45.18%)
▽佐賀県 1回目を終えた人が65万2819人(79.79%)このうち2回目も終えた人は64万1442人(78.39%)また3回目を受けた人は39万2697人(47.99%)
▽長崎県 1回目を終えた人が108万8073人(81.45%)このうち2回目も終えた人は106万7202人(79.88%)また3回目を受けた人は67万7335人(50.7%)
▽熊本県 1回目を終えた人が144万5373人(82.19%)このうち2回目も終えた人は142万812人(80.79%)また3回目を受けた人は90万1041人(51.23%)
▽大分県 1回目を終えた人が91万7851人(80.39%)このうち2回目も終えた人は89万7135人(78.58%)また3回目を受けた人は52万3679人(45.87%)
▽宮崎県 1回目を終えた人が86万1995人(79.28%)このうち2回目も終えた人は84万5763人(77.79%)また3回目を受けた人は49万1536人(45.21%)
▽鹿児島県 1回目を終えた人が130万6775人(80.79%)このうち2回目も終えた人は127万6102人(78.89%)また3回目を受けた人は75万3352人(46.57%)
▽沖縄県 1回目を終えた人が105万1262人(70.79%)このうち2回目も終えた人は102万6817人(69.14%)また3回目を受けた人は50万1710人でした。(33.78%)
オミクロン新系統「XE」確認 空港検疫で、国内初―新型コロナ(時事通信)
厚生労働省は11日、米国から到着した30代女性の空港検疫で、新型コロナウイルスのオミクロン株の新たな系統「XE」が検出されたと発表した。日本で確認されたのは初めて。同省は「国内での感染拡大は現時点で確認されていない」としている。
厚労省によると、女性は3月26日に成田空港へ到着。入国時は無症状だった。検疫でコロナ感染が判明し、国立感染症研究所の詳しい解析でXEが検出された。女性は国の指定する施設に隔離されたが、9日間の療養期間を終え退所した。ワクチンは米ファイザー製を2回接種していた。
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【《サン・シスター》から《フローラへ》〜サン・シスター編〜】
《サン・シスター -なぎさ-》2015 兵庫県立美術館 / ミュージアムロード(兵庫) 《サン・シスター》は、希望の象徴である「輝く太陽」を手に持ち、大地に立つ少女像。現在、神戸の兵庫県立美術館前に恒久設置され、公募により愛称をもらい「なぎさ」ちゃんとも呼ばれる。 神戸市の「ミュージアム・ロード」のシンボルオブジェ制作依頼を受け、阪神・淡路大震災からちょうど20年となる2015年に合わせて、再生・復興を祈念するモニュメントとして構想された。
《サン・シスター Sun Sister》(ドローイング、1/10模型 ) 2013 ◆《サン・シスター》の誕生
《サン・シスター》は、《サン・チャイルド》の姉のような存在である。《サン・チャイルド》は、東日本大震災を受け、復興を目指す人々の心に大きな夢と勇気を与える希望のモニュメントとして2011-12年に制作。一方の《サン・シスター》は復興が成し遂げられた未来像として、防護服ではなく白いワンピースを着て、災害による困難や葛藤の中でも輝き続ける「生きる希望」を讃えるモニュメントとして誕生した。
◆「太陽」との祈りの旅 《サン・シスター》は、目を閉じて再生・復興の実現のために祈りを捧げる。頭上の先には、光がゆっくりと明滅する《呼吸する太陽》。そして時が来ると立ち上がり、手を広げて目覚めるという動作を繰り返す。 2014年初頭に誕生したこのプロトタイプの《サン・シスター》は、京都、東京、福島で展示され、各地で注目を集めた。
「京都府美術工芸新鋭展 ~京都国際現代芸術祭2015への道~」2014年、京都文化博物館 別館ホール(京都) 舞台上のヒロインのようにデビュー。《呼吸する太陽》との旅立ちが始まる。
「オオハラコンテンポラリーアットムサビ」2014年、武蔵野美術大学(東京) 地元中学生とのコラボレーション企画「みらいのたいよう計画」が立ち上がり、次世代クリエーターたちと祝祭的空間を演出。
「福島現代美術儀ビエンナーレ」2014年、JA会津いいで喜多方駅前石蔵(福島) もとは米蔵として使用されていた築90 年程の歴史的建造物であり、仏像彫刻の展示照明で有名な東京国立博物館・木下史青氏が空間演出を手がけた。ヤノベはより地域交流を積極的に行い、地元酒造会社とのビエンナーレ限定酒や有機栽培米のパッケージラベルに《サン・シスター》のドローイングを提供した。
◆《サン・シスター -なぎさ-》から、世界へ 再生への祈りの旅を経て、《サン・シスター》はステンレス製の「輝く太陽」を手に持ち、力強く大地に立つ姿となった。ヤノベにとって「太陽」とは、自身が希望を見出した経験にもとづく再生のシンボルである。人が人と生きるために生み出した信仰の営みを知る敬虔なシスターのように、《サン・シスター -なぎさ-》は神戸の地で、世界中のすべての災害からの復興・再生を見守っている。
【《サン・シスター》から《フローラ》へ〜フローラ編〜】>>
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