Tumgik
#7分丈ズボン
eijukawai · 1 year
Text
あじさいフェア
Tumblr media
2023.6.25
今日は長居植物園で行われているあじさいフェアの最終日だったので朝から行って来ました。
今日も朝から晴れの予報でしたが、私の予想通り曇り空。梅雨の天気はわからないものです。晴れないことに慣れてきました。
今日も長居植物園のアジサイ園はたくさんの方が来られていました。私はTシャツに7分丈のトラウザー。軽装です。
周りを見渡すと皆さん長袖長ズボンです。肌を見せていません。確かに蚊が多いのでそれが正解かと思います。
でも、ここは都会のオアシスの長居植物園です。出来るだけ軽装で行きたいと思いませんか?
そんな訳で毎回めっちゃ蚊に刺されます。ちゃんと虫よけスプレーして行ってるにも関わらず、あいつらは刺してきます。
2、3か所じゃないですよ。5,6か所刺してきます。でも、長ズボンで行くとなんか負けを認めたような気がします。
4 notes · View notes
hachinana87 · 2 years
Text
The New Yorkerのハミルトン特集翻訳
The New Yorkerの2015年のハミルトン特集の翻訳してみた。1万7千字ぐらいなっちゃってますが。。。できてすぐの記事なので、のちの評価の俯瞰はないのですが、創作過程とミランダのキャリアがわかる記事です。締めがエモい。
【このカッコが私の注釈です。例のごとく誤訳マシンなので気になる人は原文を読もう!】 
ハミルトンについてのすべて 
The New Yorker, FEBRUARY 9, 2015 ISSUE  
レベッカ・ミード 
2009年4月、作家・作曲家・パフォーマーのリン=マニュエル・ミランダは、ホワイトハウスからの連絡を受けた。新しい大統領とファーストレディが「アメリカの経験」をテーマにしたライブ・パフォーマンスを企画し、ミランダは招待されたのだった。当時29歳だったミランダは、前年に彼が作曲・作詞したブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」に出演していた。ワシントン・ハイツを舞台に、サルサとメレンゲをラップやヒップホップと融合させた音楽と、ブロードウェイにありがちな展開を効果的に混ぜた物語だ。「ハイツ」はベスト・ミュージカル賞や作曲賞などのトニー賞を受賞し、後者の受賞の際には「Sunday in the Park with George」を引用した快活なラップを披露した。“Mr. Sondheim / Look, I made a hat! / Where there never was a hat! / It’s a Latin hat at that!”(そしてタキシードのポケットからプエルトリコの旗を取り出した)ホワイトハウスはおそらくミランダからラテンアメリカンの経験を期待していたのだろう。「イン・ザ・ハイツ」からの曲でも良いと提案された。 
ミランダはもっと違うことを考えていた。数ヶ月前、彼と彼のガールフレンド、ヴァネッサ・ナダルは結婚し、メキシコへ新婚旅行へ出かけた。プールの浮き輪に揺られながら、彼は気まぐれに読書を始めた:ロン・チャーナウによる800ページ超の、アレクサンダー・ハミルトンの自伝だった。ミランダはハミルトンの初期の人生に魅了された。婚外子で、セント・クロワ島で極貧のうちに育った。父に捨てられ、幼い頃に母を亡くし孤児となり、ハミルトンは青年期に自力で革命の熱気高まるニューヨークに移民した。雄弁で筆の早い文筆家で、フェデラリスト・ペーパーの2/3を執筆した。独立戦争でジョージ・ワシントンに仕えた後、アメリカ初の財務長官となった。のちに、不倫問題が明るみになり、政界初のセックス・スキャンダルにより悪名を集めた政治家となった。その後閣僚に入ることはなく、50代になる前に死んだ。個人的不和が修復不可能となったために、決闘で副大統領のアーロン・バーに殺されたのだ。 
ミランダはハミルトンの波乱万丈な人生、才気、言語の巧みさ、そして自己破壊的なまでの頑固さを、独特のレンズを通して眺めた。それは、ヒップホップの物語、移民の物語としての視点だ。ハミルトンは彼の父、ルイス・ミランダJr.を思い起こさせた。プエルトリコの地方で生まれ育った若く野心的な男で、18歳になる前に大学を卒業し、ニューヨーク大学で学業を治めるためにニューヨークに移住した。ルイス・ミランダはエド・コッホ市長のヒスパニック関連の特別顧問をつとめ、その後政治コンサルト会社のMirRamグループを設立し、フェルナンド・フェラーなどの顧問を行った。高校の夏休みには、リン-マニュエルも父の会社で働いた。のちに、彼はエリオット・スピッツアーの2006年の知事選などの、MirRamグループの顧客の政治広告のための宣伝曲を書いた。チャーナウの1800年選挙の描写はーー現代の政治キャンペーンの起源だーーミランダの政治キャンペーンに対する内部の視点と共鳴した。ハミルトンと同胞たちが行った政府の目的に対する議論は、MSNBCとFOXの対立のごとく今も活きている。 
ミランダはまた、ハミルトンのなかにトゥパック・シャクールを見た。西海岸のラッパーで、1996年に射殺された。シャクールは複雑な、社会派の歌詞を書いた。ミランダは特に“Brenda’s Got a Baby,” に魅了された。21歳の娼婦になった女の子が暴行者のこどもを産む物語を描いたヴァースだ。シャクールはまた極端に気難しく、気に入らないラッパーのことを公に罵倒した。ミランダはハミルトンの中に同じ言語的才能と、これまた似たような、致命的な、引き際の知らなさを見た。これらはハミルトンの物語の中でとてもドラマティックな要素だった。彼がのしあがるために必要だった性格が、彼を転落させると言う点だ。ホワイトハウスのイベントの主催者が電話した時、ミランダはハミルトンについてのラップを提案した。彼らは了承した。 
5月の夜、ミランダと他のパフォーマーたちはーージャズベーシストでボーカリストのエスペランザ・スポルディングや、ジェームス・アール・ジョーンズがいたーー大統領に紹介された。ミランダは彼に空港で買った”Dream from My Father”にサインを頼んだ。ステージで、ミランダはハミルトンのコンセプト・アルバムに取り組んでいると発表した。「ハミルトンはヒップホップを体現していると思う」と彼は言い、人々は笑った。まだ一曲しか書いていないとは言わなかった。ミランダはハミルトンが「言葉が違いを見せる」ことの体現をしていると説明した後、ハミルトンの最初の20年の人生を4分の複雑な歌詞で要約して見せた。華奢で、黒く短い髪で濃い髭のミランダは跳ねるようなエネルギーをまといながら、ステージを歩き回り、ラップした“the ten-dollar Founding Father without a father / Got a lot farther by working a lot harder / By being a lot smarter / By being a self-starter.” 彼のパフォーマンスは観客から歓喜の呟きを引き起こし、オバマ一家は熱狂した。(ミランダ���後から、大統領の最初のリアクションは「ティモシー・ガイトナー【オバマ政権の財務長官】も見るべきだった��」というものだった、と教わった。) 
6年後、その歌は、2月17日からパブリック・シアターで開幕した「ハミルトン」のオープニング・ナンバーとなり、ミランダがタイトルロールをつとめた。ヒップホップに根付いているが、R &B、ジャズ、ポップ、ティン・パン・アレー【ブロードウェイの音楽を起因とした商業ポップス】、現代ブロードウェイの合唱などを包括した。「ハミルトン」は歴史と文化の再イメージ化の到達点である。ミランダの語りの中では、成り上がりで向こうみずな移民の物語は、アメリカの物語となる。ハミルトンが自ら宣言するリフレイン“Hey, yo, I’m just like my country / I’m young, scrappy and hungry / And I’m not throwing away my shot,”は、その戯曲家にも言えることだ。ミランダは自分のツイッターのアイコンをハミルトンの10ドルの肖像に、自分のニッと笑った口、黒い眼、あごひげを抜めなく重ねている。 
「ハミルトン」はアメリカの歴史を現代の設定に置き換えたものではない。ミランダの建国の父たちはヴェルヴェットのフロックコートと半ズボンを着る。フーディやジーンズではない。デヴィッド・コリンのセットは、裸のレンガに木の足場。暖かな照明は蝋燭の光を思い起こさせる。ロープと金具の固定具で飾られたステージは、船の建設ーーそして建国、または18世紀のニューヨークの構築ーーを思い起こさせる。  
ミランダはアレクサンダー・ハミルトンを眩いばかりの焦点を持って描き出す。多才で、抑えるのがやっとの怒り。ハミルトンは条約を書く時歩き回り独り言をいうことで知られていたが、舞台ではラップでの独白は驚くほどの自問で彩られる。「死のことを思い出の様に想像する/いつ掴まるか/眠りのうちか/7フィート目の前か/逃げるか受け入れるか」“I imagine death so much it feels more like a memory / When is it gonna get me? / In my sleep? / Seven feet ahead of me? / If I see it coming do I run or do I let it be?”ミランダは閣僚会議を、囃し立てるサポーターたちに囲まれたラップバトルに置き換える。州の債務を補償するために設立を目指した国立銀行ーーハミルトンの先見的な発明だーーに関する議論は生き生きしたやりとりを生む。ハミルトンは悪意を込めてトマス・ジェファソンを貶す。“Always hesitant with the President / Reticent—there isn’t a plan he doesn’t jettison.” 
「ハミルトン」が初のアフリカン・アメリカンの大統領在職期間に創られたのは偶然ではないようだ。このミュージカルは国の誕生を意外にも、しかし必然的に、軽く描き出す。エリートの白人による荘厳な所業としてではなく、全てのアメリカ人の創造の物語として描いている。トマス・ジェファソン、ジェームス・マディソン、そしてジョージ・ワシントンはアフリカン・アメリカンによって演じられる。ミランダはまた、女性たちにも重要な役割を与えている。ハミルトンの妻イライザ・スカイラー(フィリッパ・スー)や義理の姉アンジェリカ・スカイラー(レネー・エリーズ・ゴールズベリー)だ。3人目の妹が加わったジグザグのハーモニーはまるでデスティニーズ・チャイルドのようだ。ミランダは建国の父たちを高尚な政治家とではなく、孤児や、無鉄砲な革命家として、時にはケチなライバルとして、極端に不安定な機運、機会、リスクを抱えて生きる。この瞬間の業績と危機はーー国の境の島で生まれた、移民の息子、父無し子の大統領の時代に生きる今にとってーー、決して時代の遠い出来事ではない。 
今年でパブリックの芸術監督就任10年目を迎えるオスカー・ユスティスは、「ハミルトン」はここ数年で最もエキサイティングな作品だというーーたぶん、1992年に彼が依頼し、プレミアのプロダクションを監督した、トニー・クシュナーの「エンジェルス・イン・アメリカ」以来の。彼はミランダのこの作品と、シェイクスピアの初期の史劇であるヘンリアド【リチャード2世、ヘンリー4世第一部・二部、ヘンリー5世を一塊としてみる言い方】との関係をみた。「リンがしていることは、国の市井の声を韻文に昇華しているということだ。それがヒップホップのしていることだし、強弱韻文がしてきたことだ。リンは彼の国の創造の物語を、現在のわたしたちのこの国がしているのと同じように語っている。韻文の形で、シェイクスピアは英国の物語をグローブの観客たちに語り、英国を英国たらしめる手助けをしたーー英国人としての意識を持つことに貢献したのだ。それをリンは「ハミルトン」でやっている。彼は建国の物語を『私生児の、移民の孤児』の目から、有色人種の目を通して語りこう伝える、『ここは俺らの国だ。俺たちのものだ』と」。 
10月の晴れた日、ミランダと彼のコラボレイター、「イン・ザ・ハイツ」と「ハミルトン」の演出家トマス・カイルは、パブリック・シアターを出てニュージャージーのウィーホーケンにあるハミルトン公園に向かった。「ハミルトン」を考えついて数年の間に、彼は数個のプロジェクトに携わった。チアリーディング映画のミュージカル化「Bring It On: The Musical」を共作、2012年にブロードウェイで上演された。「モダン・ファミリー」と「ママと恋に落ちるまで」に出演。即興ヒップホップ・コメディ・グループのFree Style Love Supremeとして、ジョーズ・パブやその他でパフォーマンスし、去年の秋にはTVシリーズが放送された。その間中もずっと、製作中の作品のために歌を書き、歴史書を読み続けた。2012年、彼は「ハミルトン」のコンサート・プロダクションをリンカーン・センターのアメリカン・ソングブックシリーズで上演した。タイムスでは、スティーブン・ホールデンが「ゲーム・チェンジャーとなることは明らか」と称えた。 
ミランダはミュージカルに取り組みつつ、ハミルトンの膨大な手紙や出版物を読み、独立戦争の名残の残るニューヨークのさまざまな場所を訪れた。パール・ストリートにあるフランシス・タバーンは、英国軍に敗北した後のジョージ・ワシントンが将校たちと涙の別れを告げた場所だ。しばらく、ミランダは西162番街のモリス=ジュイメル・マンションで執筆する許可を得られた。国の歴史的な建築物で、マンハッタンで現存する中では一番古い建物だ。ワシントンは邸宅をハーレム・ハイツの戦いでの司令部として使用し、のちには副大統領のバーの居住となった。「アメリカ金融博物館の館長に会ったんだけど、彼は建物の表札を見せてくれて『ここはトマス・ジェファソンのニューヨークでの家だったんですよ』って教えてくれたんだ」とミランダは言った。「僕たちはこの大騒ぎの地層の上にいるっていうのが良いんじゃない?」ロン・チャーナウはホワイトハウスのパフォーマンスの数ヶ月前にミランダと出会い、作品の歴史監修となった。「リンは無駄な発明はしなかったよ」とチャーナウ。「まずは史実に忠実にしようと努めた。それでもし事実から逸脱しなきゃいけない時は、大体納得がいく理由があるのがわかるんだ。彼に尋ねたんだ、『もし歴史的に間違ってたら指摘したほうがいいか?』と。彼は答えた。『もちろん。歴史家にもこの作品を尊敬してほしいからね』」 
ウィーホーケンへの小旅行はミランダにとっては初めてだった。決闘はここで、1804年の7月に行われ、バーはハミルトンを撃ち、彼はその負傷が元で翌日に死んだ。当時、決闘はニューヨークでは禁じられていたが、ニュージャージーでは許容されていた。「ハミルトン」では3つの敵同士による3つの決闘がドラマ化され、そのうちの2つが致命的なものである。死者の中にはハミルトンの息子フィリップを含む。「決闘は現代の仲裁裁判みたいなものだったんだ」とミランダは驚きを含めながら言った。「まるで『おい、納得できないんだったら、ニュージャージーの広場に行くぞ。武器と医者を連れてこい』みたいなノリだよ」 
台本を作る中で数年を費やしてもなお、ミランダはハミルトンの最期の瞬間をどう描けばいいかわからなかった。さまざまな困難があったが、歴史の記録が曖昧だったことが一つの理由だ。バーはハミルトンを最初の一撃で撃ったが、のちにハミルトンの行動がー銃を確かめる様子や、眼鏡をかけていたという事実がー自分を本気で殺しに来たことを示していたと主張した。ハミルトンはしかし、多くの手紙の中で、彼はバーを外して撃つつもりであるーーショットを投げ捨てるつもりだーーということを示唆していた。目撃者はのちに、ハミルトンは空に向かって撃ったと証言した。 
5月のワークショップ・プロダクションでは、ミランダはハミルトンに決闘の準備のラップを与えた。「目に日が入り思わず目が眩む/私のニューヨークがゆっくり立ち上がるのを見た」“The sun is in my eyes and I’m almost giddy / As I watch it slowly rise over my New York City”ーそしてバーを殺すか殺すまいかと考えあぐねた。音楽的にも歌詞的にも、この歌はミランダが捉えようとした賭けを捉えることはできなかった。 ハミルトンがバーに対して持っていた誠意の欠如への不信は、国の不透明な行く末への恐怖と重なった。その歌は、ハミルトンの柄にもない躊躇と、バーの柄にもない積極性がもたらす、避けられない悲劇への予感を表現することができていなかった。ミランダは再び歌を作り変えつつも、リハーサルへの心配もしていた。彼は言う。「存在しないもの、どうしても現れてこないものがあるのに、役者たちが部屋に入ってきちゃって『うわー!』ってなる」。カイルはミランダに締切を設けて、全ての歌の草稿に反応した。彼がいうに。「プレッシャーがある時のリンの反応はもっと多くのものを生み出す起爆剤なんだよ」 
バーとハミルトンの危険を孕んだ関係は、ミランダのショウの肝だ。オープニング・ナンバーでバーはハミルトンのことを「私生児、孤児、売女の子でスコットランド人」と紹介する。この歌詞はジョン・アダムスのハミルトンに対する侮蔑に由来している。バーは特権を持って生まれた。父はプリンストン大学となる学校の学長で、母方の祖父はジョナサン・エドワーズ【著名な神学者でプリンストン学長】だった。ただ、ハミルトンと同じく、彼は若くして孤児となり、法律を学び、政治の世界へ足を踏み入れていった。ミランダの語りでは、彼らはお互いの反転図だった。ハミルトンの熱心なまでの無鉄砲さはバーの冷たい慎重さと対を成している。「ハミルトンは失うものもない孤児だけど、バーは失うものしかない孤児なんだ」とミランダは言う。 
バーをハミルトンの引き立て役とすることは、史実に沿うばかりでなくミュージカルの前例からも必然だった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」はユダが物語を語る。ミランダは宿敵の視点からハミルトンを見せるというアイディアに魅せられた。スティーブン・ソンドハイム(2009年の「ウエストサイド物語」のリバイバルの時、劇をスペイン語に訳すためにミランダを採用した)はミランダが払うミュージカルの歴史に対しての尊敬の態度を称賛した。「現代の劇作曲家の多くはあまりこの業界の歴史に興味を払わない。でもリンはミュージカルシアターがどこから来たのか知っている。ミュージカルがどこから来たかを大事にしている」。ミランダはハミルトンの初期の曲を数年前、ソンドハイムに披露している。「圧倒されたよ。素晴らしいと思った」ソンドハイムは言う。「とても新鮮で、念が入っていて、舞台的だと思う」 
ミランダはソンドハイムのように、音韻構成と音楽のフレーズの組み合わせに注意を払っている。だが「ハミルトン」を作曲する際、商業的ブロードウェイ音楽からもインスピレーションを得た。「”レミゼ”的な音楽を作りたくてね。テーマを再登場させるのに賢い手が必要だった」彼は言う。「涙腺に直接響くと言う点では、あの作品の上を行くものはないよ」。「ハミルトン」はまた、ミュージカルの先人たちにもちょっとしたリスペクトを払っている。アーロン・バーがハミルトンや未来の革命家たちに怒りを鎮めるように忠告するせりふは、「南太平洋」からの引用。“I’m with you but the situation is fraught / You’ve got to be carefully taught.” 「これはロジャー&ハマースタイン的レイシズムの引用」ミランダは言う。ちょうど車はニュージャージーに向かうリンカーントンネルを通ったところだ。クリストファー・ジャクソン(彼は「イン・ザ・ハイツ」でも出演した)演じるジョージ・ワシントンは、自分のことを皮肉っぽく語る(“The model of a modern major general / the venerated Virginian veteran whose men are all / Lining up, to put me on a pedestal.” )が、これは「ペンザンスの海賊」からの引用で、ミランダ曰く、ギルバート&サリバンの改善である。「mineralは一番ベストな韻じゃないっていつも思ってたんだよね」 
ミランダのスコアは音楽のジャンルに対しても意味を込めた。キング・ジョージが去りゆく植民地に歌う曲は“You’ll Be Back”。ブリティッシュポップ的なーーただしハープシコードでーーウィットと美しい旋律に満ちた悪意。(“When push / Comes to shove / I will send a fully armed battalion / To remind you of my love,” と高慢な王を演じるブライアン・ダーシー・ジェームズ【オフ・ブロードウェイでの時は彼がジョージ3世を演じた】は歌う。)ミランダはハミルトンとジェファソンの世代の違いを、音楽で表現する。ジェファソンはハミルトンよりも一回り以上も年上なので、ちょうどパリから帰ってきた彼に屈折したジャズナンバー “What’d I Miss?” を与える。ジェファソンはラッパーのダヴィード・ディグスが演じる。彼は「ハミルトン」のために、国際ツアーを延期しなければいけなかった。彼は言う。「リンは普段滅多に交わらない世界の交差点に存在してるんだよ。ラップ音楽の熱心なファンで、とても優秀なラッパーでフリースタイラー。そして偶然にもミュージカルシアターと非常に親密な中で育った。その全部がオーセンティックに感じるんだ。」 
90年代初期のポップ音楽ーーミランダの青春時代のサウンドトラックだーーが、スコアの中に織り込まれている。聴衆はフージーズやモブ・ディープ、ブランド・ヌビアンの要素を聞きつけるだろう。作品はノートリアスB.I.G.ことクリストファー・ウォレスにさまざまな形で言及している。ニューヨークのラッパーで、1997年に24歳で射殺された。ハミルトンが自己紹介する時、自分の名前のスペリングをテンポに乗せて歌うが、これはウォレスが“Going Back to Cali.” でしたことだ。ミランダは特に楽しんだのは“Duel Commandments”において、ウォレスのドラッグ取引入門の曲“The Ten Crack Commandments”のリフを使った部分だ。この歌は作品の最初の決闘で現れる。ここではハミルトンとバーは敵手のセコンド同士だった。5月のワークショップでは、ミランダはハミルトンとバーの決闘でもこのカウンティングの構造を用いることにした。演出家のカイルが説明する。「ハミルトンとバーの決闘のために準備をする必要があった。ハミルトンは死ぬことになるからね。だから構造的にもその下準備が必要だって僕らは思ったんだよ。同時にヒップホップファンが愛する何かを入れることは、15年前にビッギーが言ってたようなことを、ずっと昔のやつらもやってたってことを表してるんだ。」ミランダは頷く。「これは不法な行為についての曲で、それがどう行われているかについての歌なんだ」彼は言う。「そして僕らも彼も両方ともモーゼからの盗用した構造で作っている」 
ウィーホーケンの柵に囲われた広場についてから、ミランダとカイルは不毛にもハミルトンが倒れた方向の手がかりを探した。1806年の初めには決闘のハミルトンの立ち位置に大理石のオベリスクが建ったが、数年のうちに壊された。のちに、崖の尾根に列車のレールが敷かれ、決闘場を根こそぎ無くしてしまった。最終的にミランダとカイルは1919年にハミルトンの胸像が立っていた柱を見つけた。 42番街の向かいにあるそのメモリアルは、驚くほど小さかった。ジェファソンやワシントンなら全身の像が建っていただろう。 
メモリアルは閉じられた門の向こうにあった。ミランダが低い壁を登って崖の端から見下ろすと、茂みと木々の間から、下にあるアパートメントの建物が見えた。「こんなに手入れされているとは思わなかった。歩いて入れる林を想像してた。頭の中では、僕が生まれ育ったところの林みたいに、鬱蒼として隠れたところを考えてたよ。その想像がこれに置き換わることはないかな」ミランダは携帯電話でハドソン川の向こう側にあるマンハッタンを撮った。「聖地巡礼」、のちにそうツイートした。 
「イン・ザ・ハイツ」の作曲家はワシントンハイツではなく、そこから30ブロックほどアップタウン側の、インウッド・ヒル・パークの近くで育った。マンハッタン最後の自然の森があるところだ。ミランダは2人姉弟の末っ子。姉のルツ・ミランダ-クレスポはエンジニアとして鍛錬し、今はMirRamグループのCFOである(リン-マニュエルの珍しい名前は、プエルトリコの作家ホセ・マニュエル・サンティアゴのベトナム戦争に関する詩“Nana Roja Para Mi Hijo Lin Manuel”から取っている。ルイス・ミランダが10代の頃に読み、将来のために取っておいた名前だ)。母は、プエルトリコで生まれたが赤ん坊の頃にすぐニューヨークに移民した、病院の心理士だ。 エドムンダ・クラウディオは住み込みの乳母で、プエルトリコから来た親戚。ミランダは彼女をアブエラ(おばあちゃん)と呼んだ。「うちの両親はずっと働き通しで、週末��か会わなかった」と彼は言う。「父と僕はアクション映画を見に行って、卓球やビリヤードで遊んだよ。同じ家に住んでるのに、週末だけ遊びに来る人みたいだった」 
夏には、彼と姉はプエルトリコに行き祖父母の家に滞在し、言語の上達に努めた(ミランダのスペイン語は流暢だが、ネイティブスピーカーのそれとは違う)。子供たちは学問の面でも文化の面でも、多くを期待されていた。ルイスは彼らにサルサの踊り方を教えた。「僕にとっては、踊りを教わったことは本当に本当に大事なことだった」彼は言う。家族は経済的にはさまざまな背景があった。ミランダの父方の大おじはプエルトリコ独立党の創設者だったが、基本的には親類は労働者階級だった。5歳の時、ミランダはハンター高附属小学校の試験を受けたが、そうしたのは近所では彼だけだった。「プエルトリコ人の父にとってどんなことだったか、僕には想像もつかない」彼は言う。「僕の友達はみんなユダヤ系だった。ハンターに行くのはそうだからね。僕は学校ではリンで、家ではリン-マニュエルだった。学校と家では別人だった。友達はみんなアッパー・ウエスト・サイドやアッパー・イースト・サイドに住んでいて、僕は彼らのナニーたちとはスペイン語で話してた」 
ミランダは6歳の時にピアノレッスンを受け始めた。「先生がリサイタルを催した。子どもたちがそれぞれ何曲か弾くんだ」ルイス・ミランダは思い返す。「リン-マニュエルが最初の曲を弾いて観客が拍手して、2曲目を演奏する。その時彼は『これもできる、これも知ってる』っていう感じになっちゃって。ピアノから引きずり下ろさなきゃならなかった。彼は拍手が大好きだからね」。彼のショーマンシップは時に宿題にも現れた。3年生の時の宿題、ジーン・メリルのThe Pushcart War(手押し車戦争)についてのレポートとして、彼は家族を巻き込んで本の中の出来事を再現したショートビデオを提出した。その中で彼はニュースキャスター風のスーツを着て、気取ったナレーションをした。「賢い子どもたちの中での必要通貨はファニーなこと。ファニーになれるなら大丈夫。だから僕はとても楽しい」(ミランダは今でも友人や家族を彼の創作意欲に巻き込んでいる。企業弁護士のナダルと2010年に結婚した時も、招待客を巻き込んで「屋根の上のバイオリン弾き」の”To Life”の寸劇で彼女を驚かせた。40万人がYouTubeでその様子を見ている) 
両親はミュージカルの愛好家だった。「たくさんパーティをしたけど、流している音楽はほぼラテン音楽だった。サルサやエル・グラン・コンボ」彼は言う。「でも掃除の時の音楽はいつもキャスト・アルバムだった」ブロードウェイに頻繁に行くほどのお金はなかったが、ミランダは”聖なる3作”「レミゼ」「ファントム」「キャッツ」に連れて行ってもらった。「7歳の時にレミゼを見に行ったのを覚えてる。フォンテーヌが死ぬところで泣いて、少し寝て、ジャベールの自死のシーンの時にはまた起きてた。あのショウを体験するにはすごくいい方法だったと思う。『キャッツ』を見たときは、花道を走り抜ける猫たちに触れられたのを覚えている。『ファントム』を見たときは『うわマジか!』て感じだったね。だって醜い作曲家が自分の意志を世界に押し付ける話だろう。親近感が湧いた。」 
ミランダは音楽を正式に勉強したことはない。ピアノレッスンは小学校を卒業するころには行かなくなっていた。ただ、ベッドルームのキーボードで、趣味としての音楽は続けた。高校で、彼はミュージカル演劇を始めた。9年生の頃、「ペンザンスの海賊」でシニアの生徒を負かして役を得た。「まだあの時の拍手を覚えてるよ。僕の人生で一番お気に入りの歓声だ」彼は言う。最終学年では、「ウエストサイド物語」を監督した。「シャークスにはラティーノがいなくて。いろんな濃さのブラウンと、アジアンの生徒たちだった」ミランダは思い返す。「だから父に来てもらって、シャークスのアクセントをつけてもらった。他の子たちにどうやってラティーノになるか教えたんだ。学校では全然ラティーノとしての自分は出してこなかったから、『ウエストサイド物語』はそのための方法だったね」ミランダが『ウエストサイド物語』の作詞家ソンドハイムと初めて道を交えたのはハンター高でだった。ソンドハイムは、同級生の父親(彼が生徒のためにアレンジを頼んだのだった)の友人だった。「彼はどうやってショウができるのかについて、素晴らしい話をしてくれた」ミランダは言う。「彼は僕らに、どうやってオープニング・ナンバーと台詞を書いたか教えてくれたーー歌詞に載せて歌い始めたーーでもジェローム・ロビンスは『いや、全部踊りで行こうと思う』と言ったんだって。すごく印象的だった。その時が初めてミュージカルが本当に作られるのか見た瞬間だった」 
1997年、17歳の誕生日の時、ミランダは『レント』をブロードウェイで見た。「僕は思ったよ、これならできる!って。今のことをミュージカルにしてもいいんだ」。彼は学校の文化祭で20分ほどのミュージカルを描き始めた。MSNBCのブロードキャスターで、その時ハンター高の生徒だったクリス・ヘインズは、ミランダの初期作品の「ニ長調の悪夢“Nightmare in D Major” 」を演出した。ヘインズが思い返す。「主人公の名前はディランで、悪夢の中にいる。彼の過去から愛は奪い去られ、その途中で邪悪な豚が出てくる。悲しいバラードがあって、忘れ去られた恋愛に関する歌なんだけど、今でも歌えるよ」ヘインズによると、ミランダは自分の才能に気づいていた。「それが彼の力だったと思うんだよ。自信と自尊心が彼のカリスマの一部なんだ。変に謙虚ぶらないんだよ。遠くから眺めてて、想像したよ、『あいつ、自分のことをなんだと思ってるんだろうな?』答えは、”世代に一つあるかの音楽の天才”だ」 
ハンター高を卒業した後、ミランダはウェズリアン大に行き、高校の頃の作品を再演した。「天国での7分間」という作品で、7年生のファースト・キスに関するミュージカルだ。「ウェズリアンはハンターに似ていて、頭にある馬鹿げたアイディアにを具現化することができるんだ」彼は言う。2年生の頃、ミランダはラティーノ文化センター兼寮のラ・カーサに移り住んだ。そこには8人の移民一世の生徒たちがいた。「この時が初めてラティーノの友達ができた時だった」彼は思い返す。「初めてマーク・アンソニー絡みのジョークと‘The ThunderCats’とか馬鹿げたアメリカ文化に関するジョークが、同時に通じる瞬間だった。『レント』が僕にミュージカルを書く許可を与えたみたいに、自分のホームについて書く許可が与えられた瞬間だった」 
2年生の頃、彼はワシントン・ハイツを舞台にしたミュージカルを書いた。ラテンミュージックとヒップホップで近所の音を再現した作品だ。ラテン音楽も、ヒップホップも、それまで作曲したことがなかった。苦しい三角関係を取り上げたストーリー自体に新鮮味はなかったが、2000年の春に作品が上演されたとき、ミランダはヒップホップが席にいる観客との距離を縮めることに気づいた。「ラテン音楽とヒップホップの融合は強い効き目がある。このグルーブには何かがある。」 
後の大学の二年間には、彼はそのミュージカル(初期の「イン・ザ・ハイツ」)の台本は棚にしまった。しかし、演劇関係の学生のあいだで評判は回って行った。2002年、ミランダの4年生でのプロジェクト“On Borrowed Time”がウェズリアンの劇場で上演されていた。2年上の卒業生トマス・カイルは劇団の立ち上げの手助けをしていて、劇場に立ち寄っていた。「イン・ザ・ハイツ」を気に入っていた彼は“On Borrowed Time”にはあまり興味がなかった。終了後ミランダと握手をして、横柄にも、「楽しめよ」と告げた(二人はいまだにこのフレーズを週に何度かお互いに言い合っている)。一ヶ月後、ミランダとカイルはニューヨークの西14番街にあるドラマ・ブック・ショップの地下で待ち合わせ、5時間話し込んだ。「『イン・ザ・ハイツ』のことを二年間ずっと考えてたから、話をはじめたら止まらなかったよ」カイルは言う。 
ミランダがウェズリアン大を卒業した後、父は彼をロー・スクールに行かせたがった。ルイス・ミランダはルーベン・ブラデス【作曲家でサルサ歌手。アメリカに亡命する前はパナマで弁護士をしていた】を引き合いに出し、大成する前に法律の学位を取って保険をかけておけば、と説得した。そうはせず、ミランダはハンターに戻り、7年生の英語の代用教師となった。「文法の授業をしたね。僕たちの頃はやらなかったんだけど。だから子どもたちに教えるために文法を勉強した」。同時に彼は���イン・ザ・ハイツ」の制作に取り組んだ。数ヶ月の間、彼とカイルは役者を交えて素材を試した。ミランダはボデガの店主でナレーターのウスナビを演じることにした。「この契約でいちからラップを習ってくれる人が見つからなかったから、僕に回ってきたようなもんだね」 
作品は最終的に数人のブロードウェイ・プロデューサーの目に留まった。「アベニューQ」などを手掛けることになるケヴィン・マクコラムもその一人だ。「彼は『なんの話かわかってきたらまた来な』て感じだったね」とミランダは言う。(マクコラムは「ハイツ」のブロードウェイでのプロデューサーとなった)2004年、ミランダとカイルは若き戯曲家キアラ・アレグリア・ヒュデスを雇い、脚本を書き直した。ヒュデスは大胆な書き換えをした。三角関係をなくし、ウスナビを謙虚ながらもカリスマのあるアンカーとして中心に据えた。【ハイツのメイキング本曰く、ベニー、ニーナ、リンカーン(ニーナの兄)の三角関係をなくしたのはプロデューサーの提案だったそうです】ミランダの愛するホームを描いた物語の中心だったロマンスは、二次的な要素になった。 
2007年、数回のワークショップを経て、作品はオフ・ブロードウェイで上演された。翌年ブロードウェイに移った。いくつかの感情的・ストーリー的矛盾はあったが、その独創性と中毒性は多くの賞賛を得た。タイムスのチャールズ・イシャーウッドはこう書いた「『イン・ザ・ハイツ』は+サルサ・フレスカ−(セックス、ドラッグ、病気)のアップタウン版『レント』である。」 
ミランダは動きの中で作詞をしている。アパートメントの近くのフォート・タイロン・パークを散歩しながら。または181番街からダウンタウンにゆく地下鉄の中で。彼のiTunesのフォルダはミュージカルのかけらでいっぱいだ。”Battle Loop”、”Burr-Hamilton Loop”はLogic Proで作曲した。「いいなとか面白いなとか、キャラクターに話してほしい片鱗とかを思いついたら8から16小節ぐらいの音楽をまず書く。そしてヘッドフォンをつけて出掛けて、犬の散歩をしながら独り言を言ってる」。時には作曲中の節をボイスメモに吹き込みながら、他のものをループで聞く。アーロン・バーを象徴する”Wait for It”のリフレインは夜地下鉄に乗りながら思いついた。「ダンボでやってる友達の誕生日パーティに行く途中だった。メロディをiPhoneに録音して、15分パーティに出て、帰りの電車で後の部分を作曲したよ」 
長い間、ミランダはハミルトンか、アメリカの歴史の中では悪役となることの多いバーか、どっちを演じたいか決めることができなかった。ハミルトンの死後、バーは南西部で謀反を画策したとの疑いをかけられた(最終的には無罪となったが)。ミランダは多くの歴史家とは違い、バーに同情的だ。「バーには同じぐらい親近感があるよ」彼は言う「バーはハミルトンと同じぐらい賢くて才能があった。それにハミルトンと同じぐらい失ってきた。ただ、だからこそ、ハミルトンが前に進むところでバーは一歩引いてしまった。人生の中で、自分がハミルトンのようだと思うのと同じぐらい自分はバーだったと思う。誰しもこう言うことがあるだろう、友達や仲間が自分を通り過ぎて、成功したり、結婚したり、家を持ったりする。自分は一文なしで、独身で、仕事もなくもがいているのに。そして自分に言い聞かせる、『機会を待て』と。」ミランダは最近35歳になった。「ハミルトンがこの歳に達成したことを考えると、すごくバーみたいな気持ちになる。それか、ポール・マッカートニーと比べたりとか。ソンドハイムとか。ガーシュインとか。アウトキャストとか。彼らの業績を考えると驚いてしまう。」 
最終的には、キャリアの面を見通した打算が勝った。「ハリウッドから連絡があると、大体は白人の主人公の友人役。もし主人公を演じたいなら自分で機会を見つけて、自分で書くしかない。ジョン・レグイザモもおんなじことを言っていた」(パブリックでは、バーは最近のNBCのドラマシリーズ”SMASH”に出演したレスリー・オドムJr.が演じている)ハミルトンを演じることは、ミランダいわく「本当の自分よりも生意気に、賢く、衝動的にならなきゃいけない。2時間半は自分の手綱を外さなきゃいけないね」 
トマス・カイルはミランダが最終的にハミルトンを選んだことには驚かなかった。彼いわく「ハミルトンが自分を時限爆弾のように感じてるのは、リンの性質ととても合ってる」。「ハイツ」のブロードウェイ公演のリハーサルの時に、開演前に死んでしまうという迷信的恐怖を発達させた。「いつもジョークを言ってたよ。『無名の作曲家、マンホールに落下』『無名の作曲家、バスに轢かれる』」ミランダはいう。「ハミルトンの『死はいつも思い出のように感じる』と言う歌詞を書いた時、『ああこいつのことは知ってるな』って思ったよ」 
親友となったキアラ・ヒュデスいわく、「ハイツ」は自伝的処女作である。「これが僕だ、これが自分が来た場所だーそれを爆発的なエネルギーで表現する必要があった」。対して「ハミルトン」は、彼女いわく、ミランダが大人として書いた初めての作品である。そしてこの作品も、彼のさまざまなアイデンティティと強く関わっている。「彼はプエルトリコで、彼はニューヨーク、彼はヒップホップで、彼はブロードウェイ。彼は異なる世界の全てだと言うこと。それを一つの部屋に全部持ってくると、人々は熱狂するって彼は気づいた。だってそれはこの国そのものだから。」 
パブリックシアターのミランダのチームは、このショウがヒップホップミュージカルと表現されるのを好まなかった。それも妥当な反論だろう。色々なジャンルを含んでいるから。また、戦略の面でもそうだった。そういったカテゴライズは聴衆の興味を限定する恐れがあった。特にブロードウェイ(最終的にそこを目指していた)では。(「ハミルトン」は2014年の終わりにはパブリックでソールド・アウトし、2回公演を延長した) 
ヒップホップは音楽シーンでは世代を制覇しているが、ブロードウェイでは影響が小さい。3年公演が続いた「イン・ザ・ハイツ」以外で試みがあったとしたら、去年の“Holler if Ya Hear Me”(トゥパックの歌詞を元にしたミュージカルで、6週間の公演だった)が唯一だろう。「ハイツ」のプロデューサーで「ハミルトン」に大金を注ぎ込んだジェフリー・セラーいわく。「誰も一晩中ずっとヒップホップを聴きたいわけじゃないし、こっちもそうするつもりはない。『ハイツ』を三年間公演したけど、もしヒップホップミュージカルと言われていなかったら、もっと長くできてたと思う。美しくて感動的なショウだったからね」 
「ハミルトン」宣伝の障壁は音楽の認識だけではなかった。セラーは観客たちが「誰がアメリカの官僚についてのショウを見たいんだ?」と言っているのが想像できた。同じ問題は、2010年のブロードウェイ作品“Bloody Bloody Andrew Jackson”でも起こった。7代目大統領についてのエモ・パンクミュージカルだ。評価は高かったが、興行面で振るわず四ヶ月の公演を終えた。 
セラーの警告に反して、ミランダの独立戦争についてのラップ・ヒップホップを作曲する才能は、アウトキャストを聞いたこともないであろう聴衆に受け入れられた。戯曲家のジョン・ゲールは去年の春、友人にワークショップ公演に誘われた。「ショウを見ながら、こんなに生を感じたことはなかった」ゲールはいう。「ドアを開けて新鮮な風が吹き込む時のあの爽快な気持ち。彼はハミルトンの精神をとらえ、ロン・チャーナウの本の空気をとらえ、時代の精神をとらえた。おかしなことだが、それを優雅さと注意深さと統制と、狂気を持ってしてやり遂げた」。ミランダのヒップホップ・フリースタイラーとしての才能の証明はまた、新しい観客も捉えたようだった。ブルックリンを拠点にしたパフォーマンスアーティストのレモン・アンダーソンは「ハミルトン」をこう表現する。「劇場に行ったこともないコミュニティが、これを見にくる。いつも自分達の文化圏のみんなに言ってるんだ、『ラップの観点からもこんな歌詞が凄いショウはないよ』って」。ミランダと「ティモシーの小さな奇跡」で共演したコモンは言う。「ランチタイムにセットでフリースタイルをした時のことをいつも思い出すよ。『うわ、こいつは凄い才能があるな』と思った」 
ミランダの作品はオペラのように歌い通しなので、キャラクターがラップに移っても違和感がない。「ハミルトン」のジェファソンを演じるダヴィード・ディグスは、そのことをアメリカをステージで表現したものだと言う。「それがお互い会話する唯一の方法なんだよ。それが大事だと思う。いつも省かれてきた自分達を、歴史の一部として見ることができる。ラップは僕たちの世代の声なんだ。有色人種の人々の声だ。それがこの作品の中にただ存在して、特異な扱いをされないと言うことが、歴史は僕たちのものだと言う感覚をもたらす。」威厳に満ちたジョージ・ワシントンを演じるクリストファー・ジャクソンは、低く響くヒップホップのビートに乗せるラップから、朗々とR&Bバラードまでを歌い上げる。彼いわく、この作品は奴隷制の構造とその悪影響について潜在的に批判している。「ブロードウェイの観客は説教されるのは嫌いだから。多人種のキャストにすることで、有色人種である我々役者たちがキャラクターを演じると言うことだけで、追加的な文脈を加えることができる。」 
「ハミルトン」のリハーサルは、タイムズ・スクエア近くの貸スタジオで行われた。12月初旬のある午後、キャストは”My Shot”に取り組んでいた。独立戦争前夜の活気に満ちたナンバーだ。出演者ほとんどが出てくるヒップホップダンスを、振付師のアンディ・ブランケンビューラーが振り付けていた。ミランダの音楽は、今やアレックス・ラカモアによってオーケストラ化され、力強いクレッシェンドを作り上げていた。彼もブランケンビューラーと同じように、「イン・ザ・ハイツ」からの付き合いのベテランだ。若き俳優アンソニー・ラモスが、舞台の向こう側から怒りを込めて突進する。彼はハミルトンの親友で、奴隷所有者の息子のジョン・ローレンスを演じている。独立戦争の頃、ローレンスは奴隷たちを兵士としてリクルートし、勝利のあかつきには身分を解放すると約束し、黒人連隊を作ろうとした。彼は1782年の終戦間近に戦死する。“Don’t this shit make my people wanna rise up!” とラモスは歌い、反乱者たちのコーラスをリードする。 
役のために髪を肩まで伸ばしていたミランダは、心配そうな空気を纏い、目は疲労に縁どられていた。11月の初めに、長男セバスチャンが生まれていた。それにも���わらず、ミランダは役としていきいきを��き回っていた。あるときはアンサンブルとダウンステージを踏ん反り返って歩き、指を頭の上に高く上げる。まるで銃を撃つように。次の瞬間にはパソコンやスマホに何かを打ち込む。「頭の中のアプリがたくさん開いてる。台本、振付を覚えること、ツイッター。それからニュース」 
その午後、ニューヨークでは、大陪審は警官のダニエル・パンタレオを殺人罪では起訴しないことを決めた。ステタン・アイランドのエリック・ガーナーは、去年の夏単本のタバコを売っていたことで逮捕された際、首を絞められ死んだ。その1週間前はミシシッピのファーガソンで暴動が起こった。これもまた大陪審がアフリカン・アメリカンのマイケル・ブラウンを射殺した白人の警官ダレン・ウィルソンを起訴できなかったことがきっかけだった。「『立ち上がれ』と僕らは叫んでいるけど、多くの人も同じように思っている」ミランダは言った。 
2009年、ミランダのホワイト・ハウスパフォーマンスのあと、パーティはロビーのレセプションエリアに移った。そこではDJがヒップホップを流していた。ミランダは驚いた。アメリカはついに昔の人間ではなくて、自分達と同じ時代を生きる人間が大統領をしてるんだと思った。もしここ最近の社会がその包括の約束を裏切る辛い証拠だとしても、ミランダはまだ言葉の力を示すことができると思った。デモの参加者がマンハッタンでのデモを始めた時、ミランダは”My Shot”からの歌詞を呟いた。“If we win our independence / Is that a guarantee of freedom for our descendants? / Or will the blood we shed begin an endless / Cycle of vengeance and death with no defendants?”  
午後のリハーサル室は静かだった。ミランダとジャクソンはカイルと別のシーンに取り組んでいた。1776年の8月、絶望的なブルックリンの戦いの後の、ワシントンとハミルトンの出会いのシーンだ。”Right Hand Man”の中で、ワシントンはハミルトンを召集し兵士としてでなく秘書として働くようにオファーする。“Head full of fantasies of dying like a martyr? / Dying is easy, young man. Living is harder.” ハミルトンは反論する。彼は連隊の指揮権が欲しいのだ。 
カイルはミランダにハミルトンは何を考えているのか尋ねた。「保身モードになってる。ワシントンが正直になるまで���」とミランダは返答した。「『ゴッドファーザー』でアルパチーノが列車の音を聞いて、行くか行かざるか、と考えているところみたいな感じ。警察署長とソロッツオのところに行くか?それとも、ディナーに行くか?」ハミルトンは、ミランダが言うには、「勝利のための生贄」になる決心をしていた。戦場を離れるのはいつも最後だった。今やハミルトンはワシントンの側に着くことの将来の利点を素早く計算していた。この計算は一小節で示される必要があった。「この瞬間、彼はいう。『これをのしあがる手段にしよう』と。『戦場で成り上がると思っていたが、この方法で行くしかない』」 
数回歌を繰り返して、ミランダはワシントンへのハミルトンの返事を考え出した。“I am not throwing away my shot.” 数曲前では、ハミルトンの戦場で命を投げ出す決意を示すフレーズだった。今ここでは、彼の人生よりも続くレガシーを築くチャンスを掴んだ瞬間を示すものだった。台本では、ワシントンはハミルトンを一言で遮るーー「息子よ」ーーこれはワシントンの若い部下に対する親心が現れている。(チャーナウは、ハミルトンは根拠なくワシントンの私生児であると噂された、と書いている。)だがジャクソンの「息子」の言い方はまた、ヒップホップ風の、ブラザーフッドや対等さもまた示している。 
ミランダとジャクソン、そしてカイルは台詞を繰り返し、ワシントンのハミルトンの新しい目的に対する理解をどう表現するか探っていた。兵士から未来の政治家になるハミルトンの変化を聴衆に感じ取ってもらいたかった。ミランダは自分の原稿を確認した。「息子よ、じゃなくてシンプルに『いいぞ』と言った方がいいかな?」と言った。「『いいぞ』ってことは『お前を雇うぞ』てことだし。それでハミルトンは新しい才能が開花するんだから」 
ミランダの台本はまだ草稿状態だった。ハミルトンの死のページは「新曲製作中」と書いていた。数週間後、まだミランダは旋律に悩んでいた。「最後の瞬間ハミルトンは何を考えるだろうか?」彼は言った。「トミーが筆を置けと言うまでずっと考え続けるだろうね」続けて、「目の前のバーは、彼が10代の頃から知り合いだ。そのことを考えるだろう。たくさんの子供たちと共に置き去りにすることになる妻のことを考える。負債と、それに対する罪悪感について。でも彼はクリスチャンだったし、また会うことができる息子がいる。ジョージ・ワシントンともまた会える。たくさんの愛する人が、彼を向こう側へと呼んでいる。弾丸が銃を離れるまで、そのことを表現する時間がどれだけあるのか」 
決着はほとんど最後の瞬間に訪れた。元旦の早朝のこと。眠る赤ん坊の息子を胸に置いて彼はベッドに横たわっていた。隣ではナダルが寝ている。長いことなかった静かな時間だった。静寂。彼は考えた。それは「ハミルトン」でまだ演奏していないものだった。何も音楽がないのはどうだろうか。犬の散歩に行く。この時はヘッドフォンは家に置いていった。時々ノートにメモするために立ち止まった。次の日の朝5時まで起きて、ハミルトンの最後の瞬間をついに聴いた。 
3週間後、パブリック・シアターでプレビューが始まった。ロビーにはニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティから借りた、バーとハミルトンが向かい合わせで銃を引く銅像が立っていた。舞台では、ミランダのキャストは慣れない衣装を着て心地よく、観客の祝福を楽しんでいた。宝石に飾られたキング・ジョージの尊大な忠告は笑いを呼び、“Duel Commandments”でのビッギーのオマージュは喜んで迎えられた。「レ・ミゼラブル」“One Day More” のスタイルを恥ずかしげもなく拝借した一幕の最後は歓声で迎えられた。ハミルトンの自慢の息子、フィリップの痛ましい死は、観客の涙を誘った。 
2時間半の音楽の嵐の後、バーとハミルトンの決闘の瞬間が訪れた。バーが致命的な銃弾を放った後、ハミルトンは長く思い描いた死が訪れたことに気づくと、音楽は消えた。黒の喪服に身を包んだミランダはラップではなく、詩を語った。彼の最後の思考と感情のひらめきはもはやビートや旋律にはつながれていなかった。「誰かが私のために歌う旋律を書く/アメリカ、素晴らしき未完成の交響曲/あなたが私を呼んだ」と静かに語った。ハミルトンは妻や友人たちを思い、思考は飛び交い、昔の歌を歌う。言葉はばらばらになり、儚く浮かび上がる。彼はよろめき、そして静寂が落ちた。◆
2 notes · View notes
nh1026 · 1 year
Text
09.02~09.03 in広島!!!
お初広島。7月ぶりのはるちゃん。会えるって急に決まってドキドキ。いつもドキドキするけどいつも以上にドキドキしてた。朝はいつもと同じくはるちゃんより早起き!バタバタしてました(笑)お母さんから駅まで送って貰ってありがとうーって降ろしてもらって。佐賀から天神!天神から博多!博多からは新幹線!広島で降りるのは初めてだから乗り過ごさないようにしなくちゃって必死でした(笑)はるちゃんの方が先に着くかも!ってなった時が緊張のピーク。はるちゃんより先に着いてゆっくり深呼吸でもしながらまってる作戦でしたので!!わーーって。佐賀駅の時点で生理になっちゃって。あーもうなんでなのって。環境の変化に弱いし、はるちゃんと会うから生理なりたくない!とかこの日だけは!とか思ってるとなっちゃう。ほんとに困る。緊張でお腹が痛いのか生理で痛いのか分からんまま広島について。はるちゃんと会う前に1回ナプキン変えときたい!ってトイレに駆け込みました。トイレから出て初めての広島駅にキョロキョロしながら改札出て南口はどこだろって顔を上げたらはるちゃん!びっくり!もしかしてLINE来てたのかなって思ったら4件もメッセージが来てました(笑)そんなこんなで久しぶりのはるちゃん。新しいズボン!かわいい。手繋ごうとしてるのは分かってたけど手汗がー…って。やっぱり申し訳なくなっちゃう。繋ぎたいのに。2人でゴロゴロしながらホテルです!荷物を預けに行きました!荷物預けて外に出て。そしたらはるちゃんがどこ行くー?って。宮島行く気満々だったから宮島行くって言ってたじゃーんってなった(笑)電車で行こ!ってまた駅に戻って。宮島行く電車待ってる時に結構待ち時間があったのにはるちゃんは立ちっぱだったから大丈夫なのかなぁってなってた。宮島に行く電車に乗って。4人掛けのところに座らされました!(笑)向かいに人が来た時にはるちゃんがキョロキョロしてたからあーたぶん違うとこ空いてないか探してくれてるのかなーって。はるちゃんが隣に入れば平気です!行く時も電車に揺られてたら眠くなって寝てたような起きてたような感じ。駅について、てくてく人について行ってた(笑)フェリーの券も無事に買って!あー海の匂いだ!って嬉しくなってた。フェリーも割と酔う時もあるけど海が見れるから好き。室内があっても強風に耐えながら外にいるタイプなんだけどはるちゃん立ちっぱしんどくなるから室内かなって思ってたらまさかの外にも椅子があるフェリーでした!海見ながら宮島!!
宮島着いたらすぐ水族館の看板?があった。ちょっと歩いたら鹿がいて!鹿がいるって知ってたけどこんなに普通にいるんだ!って(笑)すごい、鹿が歩いてるってなってた。鹿においでーって言っても来てくれない!はるちゃんが食べ物持ってないからだよーって。そんなもんなのかなって思ってたら食べ物持ってる人には鹿着いていってたからほんとだーって(笑)すれ違う鹿ほとんどにおいでーって言ってたけどみんな来てくれなかった!あーみんな来てくれないって。試しに隣に居るはるちゃんにおいでーって言ってみたらすぐ来てくれた!わぁ!この鹿は食べ物なくても来た!!って(笑)鹿見たりこんな感じなんだーって周りみながら言ってたら鳥居のとこまで着いて写真撮って。画面暗いなって思ってたら曇ってたから写真自体が暗いだけでした(笑)それから水族館行こーって看板みたいなの見ながら水族館!神社のほうも行きたかったけど人多そうだったしはるちゃんは興味無さそう(勝手な偏見!)だから行かなくていいよーってそのまま水族館目指した!途中でお目当ての可愛いソフトクリーム発見!あったー!って思ってやっぱり可愛いし美味しそうって思ったけどはるちゃん食べないのに食べるのもなぁって思って諦めました!あとはまねきねこみたいなのいっぱいあるお店にも入ってお母さんにおみやげ買いました。それと途中にお店の外にサングラスがあってかけてーって言ったらかけてくれた!(笑)ちゃんと写真撮ったしはるちゃんにも送りました。絶対見えてないって思ったけど視界は良好だったらしい!途中までは水族館こっちって看板があったのにいきなりなくなってなっちゃんの勘でこっち!って歩いて行っててそしたらはるちゃんがねぇここだよーって目の前の旅館みたいなとこ指さして言ってた!ちゃんとスマホで調べてくれてた!勘じゃなくて!(笑)そんなこんなで水族館!2回目の水族館デートです!なんかなんだろ!すごく失礼だけどもっとしょぼい?の想像してたからちゃんと水族館だー!ってなってた(笑)はるちゃんがチケット買ってくれてる間にその場でPayPay送ったのに送れてなかったみたいで2日目に送りました!こっちの方がいっぱいついてるからこっちあげるって、いっぱい絵がついてる方のチケットをくれました!何かの水槽に向かってはるちゃんが全部食べれるよ!って言ってた。だめだよ!!(笑)タカアシガニだ!ってテンション上がってるはるちゃん。絶対写真撮っちゃうって言ってた!知ってるよ!マリンワールドでも写真撮ってたの覚えてる!カニでテンションあがるなんて可愛いーって思いながら歩いてたら後ろから来てた男の子がタカアシガニ!!!って喜んでてすごいなんか完璧な流れで笑っちゃった(笑)やっぱりはるちゃんは子供です!ペンギンがご飯食べてるのも見た!でも暑かった!割と長めだったし外で暑かったし立ちっぱだったし途中からは頭の中がはるちゃん大丈夫かなって心配しかなくて早く終われーとすら思ってた!(笑)はるちゃんの心配もしてたし自分も割とあーくらくらするーってなってたから!アシカのやつは座って見れたので良かったです!すごい、手振ってるのも拍手してるのもいい子。トレーナーさんもすごーいってなってた!そのあとは鯉見たり!見てないとこま���ったり!カワウソのぬいぐるみ!可愛かった。なんか子どもも大人も持ってる人見かけてぬいぐるみとか結構好きだから欲しいなって思ってたけどぬいぐるみで喜ぶなんて!って思われたくなかったので我慢。何年か前に友達と水族館行ってイルカのぬいぐるみ買ったんだけどその時も割と引かれてた気がする。その時ももう19歳くらいでしたので!はるちゃんからは引かれたくないです!お土産のとこにもいっぱいあってぎゅうぎゅうに並んでてほんとは手に取って見たかったけど!触りたかったけど!我慢!でもやっぱり可愛くてあ、あの人もカワウソ持ってる!あ、この人もーってなりながら歩いてました!(笑)水族館から出てまたてくてく。そしたら鳥居の近くに人がいっぱいで歩いて行けるよ!って。階段降りて歩いていった!初めての宮島で鳥居の下まで行けるなんて!海は好きだけど海にいる虫?も好きじゃない。はるちゃんは近道でずんずん行こうとしてたけど足元見たらうにょうにょーってなんか動いててあ!無理!って(笑)遠回りに付き合ってもらいました。途中ではるちゃんはズボってはまってた(笑)サンダルが死んだーって。でも2人ともサンダルで良かった!どっちが靴下履いてスニーカーとか簡単に洗えないくつだと絶対行けなかった!遠くから見たら小さく見えたのにやっぱり近くで見たら大きい!すごーいって。写真撮った。はるちゃんは1人で鳥居の下まで行ってて私は小山さん出して撮ったりしてた!なっちゃんの写真にははるちゃんがうつりこんでます!2人で鳥居の下!鳥居の棒?の部分で黒いの発見してここまで水が来るんだ!って。こんなに深いのかーって、すごいなーってなってた。触る機会なんてないので触っときました!写真もいっぱい撮ってまた階段登って。今度はお店がある道から帰ろうって言われたからそんか道があるのか!って。はるちゃんに着いて行った!はるちゃんは電話で宮島言った時の話してた時から次行く時も揚げもみじ食べたいって言ってたから。お店見ながら揚げもみじ売ってある!って思ったけど食べれないかなーって。揚げもみじはどんな味だったのかな。2人ともお腹空いたーってなってた!カップに入ったアイス?サンデーみたいなの買って食べました!買っておいでって言われたから!アイス好きだけど生理中出し特に甘いものを欲してました。この時におばあちゃんにお土産で買ったもみじまんじゅうの袋をはるちゃんがリュックの中に入れといてくれた!優しい。いつも小さいバッグだから荷物入るようにいつもより大きいの持ってきたのに!(笑)なっちゃんはアイス買って。最初のひと口はるちゃんにあげたいなって思ってスプーンで取ったはいいものの食べたくないかな…って断念!そのあとはるちゃんはベビーカステラ買ってた。ベビーカステラを食べれるならアイス食べれるかも!ってずっと食べさせるタイミング見計らってて。でもはるちゃんはマスクしてるし…って。てくてくしながらスプーンでとって自分で食べてって繰り返してました。でも溶けてきちゃって!溶ける前に食べて欲しいってなってやっと!やっとはるちゃんにはいってしたらいつの間にかはるちゃんはベビーカステラ食べてたみたいで口の中に入ってて気持ち悪いって言ってたからあー…って。なんだかんだアイス買って5分以上はあーんのタイミングを見計らってやっとできたらタイミングを逃してた。アイス買ってからはるちゃんのとこにスプーン持っていくまでの間なっちゃんの頭の中ははるちゃんにあーんすることでいっぱいでした。次こそ!次こそ!ってスプーンですくう度に思っては自分の口に入っていってた(笑)知ってたー?知らなかったでしょ!でも断られてしまったので全部自分で食べました!仕方ない!カステラ飲み込めないくらい具合悪いのかなって心配。でもあんまり心配しすぎてもダメな気がしたから!座ってアイスの残り食べてたら鹿がきてくれて!わーって!はるちゃんは服食べられてた(笑)アイスも食べてフェリーのとこに行ったら人がすごい並んでて。でも並ばなきゃ乗れない!って。並ぼうと思ったけどこれ並んでる間立ちっぱだししんどくなっちゃうよねって思って座って待ってよーって。座ってちょっとしたら人の列も進んで空いたから乗り場に行きました!もうちょい遅い時間だったらフェリーから夕日が見れたのかな。絶対綺麗!海で見る夕日好きなの。フェリー降りたらはるちゃんご希望の路面電車!路面電車は中学生以来くらい!乗って座ってからは記憶が曖昧。眠い時に座るとほんといつの間にか寝ちゃってる。この時もいつの間にか寝てた。なんかよくお母さんとかに首すごい角度で寝てたけど痛くないの?とかよく聞かれる(笑)眠いが勝つから痛さは無い!でもなんかガクンってなって起きたらはるちゃんの肩が近くにあったから寄りかかって寝ちゃってたのかなってぼーって考えてる間に眠気さめてきて起きてた!はるちゃんが引っ張ってくれてたのも知らなかった。寄りかかってたし重かったよね、ありがとう。眠い時になっちゃんを座らせてはだめです!(笑)はるちゃんが路面電車になったよって言ってて今までどこ走ってたの!?ってびっくりしてた。線路だよーって言われた。広島駅が意外と遠かったけど手にぎにぎしたりしてなんか癒しの空間でした。なっちゃんもはるちゃんと乗る電車好き。欲を言うなら人の目気にせず頭こてんってしたいし首の匂いも嗅ぎたい。首の匂い嗅ぎたいは行きの電車でも思ってた!けど人目があるので我慢。
駅についてホテルまで歩いて。ホテルついたらはるちゃんは靴を洗ってました!なっちゃんも靴を洗って。ごはん!やっぱりはるちゃんといるときに食べたいのを買うの苦手。でもコールスローは好きだからコールスロー買って食べました!はるちゃんは豚汁。美味しかったみたいで良かった。食べたあとかな、ベッドに座って明日はどこに行くー?ってスマホ見てた!この時はるちゃんは引っ付いてきました。かわいい!はるちゃんは最初よりひっつきむしになってる!そこもかわいい。なんかなっちゃんは最初より今引っ付かれて嫌じゃないかなあって考えるようになっちゃった。具合悪かったりしたらきもちわるくなっちゃうって。初めましてであんなに引っ付いて歩いたのに!初めましてであんなに階段を登らせようとした自分も引っぱたきたいです!!今なら絶対に登らせません!ほんとはホテルついてすぐはるちゃん!ってぎゅーしたかった!し手洗ってはるちゃんがベッドに座ってる時もはるちゃん!ってぎゅーしたかったけど我慢してはるちゃんの足とんとんって叩いた!のではるちゃんが引っ付いてきてくれて嬉しいです。ぎゅって引っ付いてる鏡越しのはるちゃんの写真撮りました。かわいい!!!!!そんなこんなで21時近くになってお風呂。なっちゃんの次ははるちゃんがお風呂。はるちゃんもお風呂上がってそろそろドライヤーしなきゃってしてたらなんで自立してるの!ってドライヤーを奪われてしまいました!(笑)乾かしてーって言いたかったけど言えなかったので奪ってくれて嬉しかった!髪触られるの好きだけどこの前ブリーチと髪染めてキシキシだからあーってなってた。ほんとは乾かす前にオイルつけるんだけどつけなかった!乾かしてもらったあとははるちゃんの髪も乾かした。前より時間かかって伸びたなーって思いながら乾かしてた。2人で座って歯磨きもした!22時ちょっと過ぎにお布団。そしたらはるちゃんが服越しにおっぱい触ってきてあーその気にさせようとしてるーって(笑)ホック外されたからはるちゃんのも外したいって思って背中に手回したらつけてなかった!わー!いっぱいちゅーもしたしえっちなこともした。かわいかったです。はるちゃんの気持ちいいとこは全部分かります。気持ちいいとこでも特に気持ちいいとこも分かります。触り方も!色んな触り方した!かわいいなーって。気持ちよくなってくれるの嬉しい!いつまででも触ってられる。でも疲れてないかな、大丈夫かなってなっちゃうけど!いつもよりすごいことになってました。だって足に垂れてきてたから!かわいい。触って欲しいなって何回も思ったしはるちゃんだけ気持ちよさそうなのずるいって途中拗ねそうになっちゃったけど毎回生理になっちゃうのは自分だから仕方ない。かわいいはるちゃんが見れるので満足。でもやっぱりなっちゃんははるちゃんの気持ちいいとこも知ってるのにはるちゃんはそんなになっちゃんのこと触ったことないし触った時もわかんないって終わっちゃってたから。どこなのーって。一応?最後までは出来たけど。気持ちよかったけど。気持ちいいとこどこーってわかんないで終わられちゃうからもっと知って欲しいのにって、泣きそうにもなっちゃってた。おっぱい触ってくれるのも嬉しいし気持ちいいけど、1番触って欲しいとこは毎回生理のせいで触ってもらえないから。あーーって。無責任だー!書いてて泣きそう。そんなにえっちなことしたい!触って!って、そういう泣きそうじゃなくて。なんだろー。なっちゃんははるちゃんを知ってるけどはるちゃんはなっちゃんを知らない気がして。泣きそう。でもそれははるちゃんのせいじゃないからーーー。でも気持ちよかったよ。はるちゃんのせい。ちょっと痛いってなるけど痛いって言ったらきっと辞めちゃうし言いたくない。今も?昨日もなんか当たったら痛い感じがしたけどそれもはるちゃんが舐めてくれたからって思ったら幸せな気がして。だからこれからも痛くしてください!でも痛いのが好きってそんなんじゃなくて!それだと変な人みたいになっちゃう。なんか、なんか。もっと舐めて、もっと触ってって。もっとおっぱいだけで気持ちよくなるようにして?って思っちゃう。変かな。はるちゃんから触られるの痛くても気持ちよくて好き。なんかはるちゃんは顔埋めていい匂いって言ってた。同じボディーソープだったのに。食べられるのも舐められるのもくりくり触られるのももみもみされるのも好き。なんか家帰ってお風呂入る時も洗う時痛いなってなったけどそれも幸せだった。はるちゃんの独占欲もいっぱいついてた。この前はるちゃんちお泊まりした時も痛くなってたけどすぐよくなっちゃったから今回もすぐ痛くなくなるだろうしそれもなんか寂しいな。この前よりヒリヒリ?するしなんかジンジンするのでその分はるちゃんが食べてくれたんだって思ったらまたえっちな気分になっちゃう。引かないでください!そのあとはいつ寝たのかな、いつの間にか寝てた。朝方お腹痛いしそろそろナプキン変えたいってトイレ行った!いつかなー、これは夜中だったのかな。目瞑ってるはるちゃんよしよししてた。寝てる、かわいい!って。よしよししても起きないはるちゃん。でもよしよししてたらまた寝てた!はるちゃんのいびきも聞けました!朝?起きた時はなんか触られた感覚で起きた。記憶曖昧。なんかん?って思って目開けたらすごい起きてる顔のはるちゃんが目の前にいた。なんて言われたんだっけ、もっと早く起きてくれなきゃどうのーって。ぜんぜん頭回んないしなんのこと?ってなってたらボタンも外したよって。なんか色々理解するのに時間かかった!ほんとにボタン外されてるし触られる感覚ははるちゃんが触ってきたのか!って。段々頭が起きてきて寝込み襲われた!って嬉しくなった。生理中じゃなくてもしおっぱいでも気づかなかったらそのままなっちゃんのなっちゃんのなっちゃんも触られたりするのかな。わー寝てるのに濡れてるーとか。あーはるちゃんでも試したいのにはるちゃんは起きる気しかしない!でもよしよしで起きなかったからそーーっとボタン外せば大丈夫なのかな!いつかお試しします。朝もえっちなこと。朝なのでちゅーはできません!なんかはるちゃんは分からないけどなっちゃんはちゅーしただけで濡れちゃうからはるちゃんもそうなのかなって思ってて。でも朝だしちゅーしてないし、ちょっとおっぱい触ったくらいだし濡れてないよねー、でも触ったら濡れてくるかなーってそんな感じで触ってみたらもう濡れてるの!嬉しかった!!!!大して何もしてないのに!って。嬉しい。夜もはるちゃんはすぐ濡れてた。なんか前は?触ったときにわー濡れてるとか思ってなかったのに今回はすぐわかった。かわいい。触ってたらすぐ気持ちよくなってくれました!途中触るの辞めたらなっちゃんって凄い呼ばれてもう触っちゃだめなのかなーって。なぁにーってぎゅーってしてたら舐めてって。かわいいお願いをされました!予想外!舐めるのに抵抗はないけどこの前よく分かんないって言われたから。今回は気持ちよくなってって思いながら色んな舐め方をしてみました。ちゃんとおてても繋いで。かわいい。痛くないように!優しく舐めたしちゅぱちゅぱした!吸ったしはむはむもした!なんかこの前はちょっとくらくら?するくらい甘い匂いがしたのにしなくて、この前と味も違った。なっちゃんの唾液なのかはるちゃんのなのかわかんないけど口離した時にみょーんって伸びてわぁってなった(笑)気持ちよかったのかな。舐めるのもずっと舐めてられる気がする。でも痛くないかなって気持ちも多くて。コンタクトしてないからはるちゃんの表情も見えないし。でも舐めるのも好き。なっちゃんははるちゃんの全部を知ってます。なんか足開いて?すごい体勢で舐めてたからえっちな気分になっちゃうし。あーっ���。朝もなってた。はるちゃんが気持ちよくなってくれるならそれでいいです!でもやっぱり私じゃ最後までできないのが少し悲しい。アラームに邪魔されたのでえっちなこと終わり!
朝もせかせか準備。毎度の如く洗面所を占領してました!ごめんなさい!途中途中はるちゃんと話しながらお顔を作りました。話す方に意識が言った時に眉マスカラがまぶたの上について1人でわーわーしてた。少しでもマシに見えるように顔を作ります。少しでも可愛いって思ってもらえならいいなって思いながら。はるちゃんは朝ごはんにメロンパン!ちゃんと食べれてえらいねって。でもはるちゃんは食べたいから食べるとかじゃなくて食べなきゃーで食べるのが心配です。なっちゃんも朝ごはん食べて。着替えたり、髪の毛したり。お片付けしたり。あっという間にチェックアウト時間です!
外に出たら暑いーってなってた。駅にお土産買いに行きました!うめちゃんときなこのやつがメイン!あとは家にお土産買ってないっておもったから家のやつも。どこかなーって探してて発見!箱で買いました(笑)きなことくろとそらの!家のやつも買って、ホテルに戻ってお土産詰めて。コインロッカー探してたけど全然空いてなくて。なんか曲がったとこにもう1箇所あるって書いてあって行こうとしたらはるちゃんがちょっと見てくるって行こうとした時になんかすごい寂しくなっちゃって1人で行かないでってなってついていった。はるちゃんの優しさだったのに!離れないでってめんどくさいことを言っちゃった。結局そこも空いてなくて。路面電車のとこ見て空いてなかったらバスのとこにしよーって言いながらいったら空いてなくて(笑)結局そのまま路面電車。今回も相変わらず量が多いし生理痛!って感じのお腹の痛さはその時なかったけどとりあえずずっと脳みそまわされてる感じのくらくらが続いてたけど頑張って歩いた。バスセンター?が見えてここで降りたら早いじゃん!ってはるちゃんが急になって慌てておりた!(笑)あいてますようにーって思いながら行ったら空いてた!よかったーって。コインロッカーに入れてスマホ出したら手が滑って床に落ちて人の前に落としちゃってあーごめんなさい!って、1人でわたわた。その人の足の上に落ちなくてよかった!それから原爆ドームとおりづるタワー。暑いねってなりながら。暑いところから先に行く?ってなって原爆ドームから行って。初めて見てすごいなぁってなってた。昔の話だけど現実で起きたことなんだよぁってなりながら。その後はおりづるタワーに行って。展望台のチケット?とかをはるちゃんが買ってくれたからまたPayPayで送りました!この時にたぶん昨日のお金送られてないじゃん!って気づいてとりあえず2000円送りました。QRピってしてエレベーターのって。折り鶴折るとこ!好きなの1枚選んでくださいって。はるちゃんはすぐ何番でって言ってて。早いよ!って思いながら、でも受付の人?も待ってるし早く決めなきゃ!でもどれにしようって決まる気がしなかったからはるちゃんの隣か下の折り紙を選びました。折ろうとしたら早いよーって言われた!早いよーってなるタイミングが違う!(笑)記憶を頼りに。はるちゃんは折るの早かった。はるちゃんよりなっちゃんのほうが不器用なんじゃ…?って思うくらいズレたしそれ見てはるちゃん笑ってた。けど!無事に折れました。折ったやつ落とすっていう貴重な体験。動画見返してたらなっちゃんの折り鶴はくるくるくるーーって回りながら落ちてました(笑)それから展望台行って、あれがグリーンアリーナだよ!って教えてもらった。なんか時間潰せそうなとこもあるーって。どこどこにいるよ!とか言わなくてもすれ違いそうなくらいだなって思ってた。あ、はるちゃん!って。お手紙にも小山さんに会う格好のなっちゃんに会うのが楽しみって書いてあったけど未だにちょっと迷いがあります!引かれないかなーみたいな。目立つーってお母さんからよく言われる。悪目立ちじゃなきゃいいけどなあ…って。身長高いのも嫌だし、きっと赤の他人?ならはるちゃんが苦手な感じの服装な気がするし。引かれたらどうしようって言う迷い。でも会います!嫌われませんように。鏡で写真も撮って滑り台です!ジェットコースターは怖くないけど大人になってからするああいう滑り台は怖いし恥ずかしい!(笑)はるちゃんが滑ってるのは見たかったし、滑ってってお願いしたら断れないって知ってるので滑ってるの見たいなぁってお願いしました!滑ってるはるちゃん。ファンサも貰った。宝物!投げちゅー。嬉しかった!!滑り台で喜んでるはるちゃんかわいいね。あ!階段!しんどい!ってなってたけど滑ってるはるちゃん撮りたい気持ちが勝ちました。その後は喉乾いたーって。レモン系のサイダー飲みたいってそれ買おうと思ったらなんかはるちゃんの後ろら辺にいる人たちが美味しそうだけどでもビンだから処分に困るって話をしてて確かに!って心の中でなってたらはるちゃんがゼリー買うって言うからまねっこしてゼリーにした。テラス席でゼリー食べました!はるちゃんが途中でおなかいっぱいって言ってて。ゼリーでおなかいっぱいになれるのすごいなー、女の子だなーって思いながら。その後はどこ行くー?って。暑いとこははるちゃんもなっちゃんもしんどいので路面電車の中からポケモンセンターがあるって看板を見たのでポケモンセンターに向かいました!手繋いでたんだけどはるちゃんが自分の手汗がすごいのが分かるって言っててそれ絶対はるちゃんじゃなくて私の手がベタベタしてるんだって思って離してた。こんな真夏に人と手を繋ぐことなんて初めてだから最初から気にしてたけど。あーごめんね。ずっと思ってた。手洗ってすぐは大丈夫な気がしてたけどすぐべたべたになる。手の甲もべたべたしてた。でもはるちゃんはすぐ握ってくるから大丈夫なのかなって気持ちと手繋げて嬉しい気持ち。そんなこんなでポケモンセンターに着いてはるちゃんはあ!なんとかだって見かけるポケモンの名前言っててすごーいってなってた。名前分かんないけどこれ知ってるってやつはちらほらいました!大きいぬいぐるみもあってぎゅーってしたい!って気持ちを抑えて頭ぽんぽんしてた(笑)その後は何回かにペットのやつがあるって書いてあったからエレベーターで行ったのに降りたらウエディングドレスが展示してあるとこに行っちゃって!絶対ここじゃないよーとか降りるー?とか言いながらわーきれーい!って心の中でテンションあがってた(笑)それからガチャガチャとかないのかなってなってはるちゃんが調べてくれて近くにあるよって歩いて行ったんだっけ…?この辺の記憶曖昧。地下を歩きました!確か!この時から割と具合悪くて頭はずっとぐるぐる回ってるしお腹も痛くなってきたし。はるちゃんは優しいから階段だけど大丈夫?とか聞いてくれてた。階段しんどいってなってたけどわがままは言ってられないので手繋いで降りた!ガチャガチャのとこにたどり着くまで迷った!どこー?って。やっぱり都会のガチャガチャは種類が多いしインスタとかで見かけるやつほとんどあった!はるちゃんとパンダ交換!チャーハンのやつも貰っちゃった!今回ガチャガチャいっぱいもらった!うれしい!!!!パンダの写真も撮った。それから歩いてバスのとこ戻ったんだっけ。お好み焼きの看板?が見えて美味しそう!ってなってた。生理中は食欲が増します!なんかすごい食べちゃう。でもただでさえ太ってるから!なっちゃんこんなに食べるの?とか思われたくないからはるちゃんが食べないなら食べない!お腹空いた…ってなるけど!(笑)気にしなくていいです!それがはるちゃんなので。体質?は仕方ない。いつかーとは思うけど。お腹すいたのに食べれなくて嫌だーとかは今んとこないし全然我慢できる。ワドルディ取ろうとしたのはどこだっけ!記憶が!記憶というか場所が!(笑)取りたかったのに取れなかった。あーって振り向いたらはるちゃんは撮ってるし!(笑)多分すごい顔してるよ。あー取れなかった!って変な顔。はるちゃんは可愛いって言ってた。取ってたらすごい!!って褒めて貰えたのに!得意じゃないから取れない。残念。今度こそバスのとこに戻ったのかな。コインロッカーで荷物受け取って。待つとこに座ってよーって。ああいうとこで座るのも遠慮しちゃって座れないからはるちゃんがすわるとこにつれてってくれるのほんとに助かる。うーお腹痛いぐるぐるする頭ガンガンするってなりながら座ってた。はるちゃんはよしよししてくれてた。そろそろ行くよーって。コンビニとトイレ。どっちも済ませてからまた座りにいった!あーしんどい…って。またはるちゃんは頭撫でてくれてた。よしよしって。よしよしされてたら具合悪いのともうそろそろばいばいだって気持ちとで涙出てきて。ずっと心の中で泣くなって、泣いたら困らせるって呪文みたいに唱えてたけどやっぱり泣いちゃって。ばいばいしたくないよって。でも時間は来ちゃうから一緒にバスの所まで行って。はるちゃんと柵越しに手繋いでて。はるちゃんの前に並んでたのはきっとカップルだった。一緒に帰るんだ、いいなって。いいなぁっていう涙。時間も来ちゃうし列も進んだからはるちゃんとばいばい。最後はちゃんとニコってしました。笑えてたかは分かりません!壁の方に下がってずびずびしてたら写真撮ってもらっていいですか?って。今!?って思ったけど断る理由もなかったから撮った。これで撮ってる間にバス出ちゃったらどうしようって思いながらそそくさとパシャパシャ。撮り直しをお願いされても困るので1枚って言われたけどスマホ横にして縦にしてって1枚ずつ。急いで撮って壁の方に戻った!(笑)バスの中は全然見えないし座る位置?も聞けてなかったから手振ろうにも振れないし…。はるちゃんどこかなってなってたらバスが出発しちゃって。見えなくなるまで見てました!
それから記憶を頼りに駅まで戻って。さっきまで一緒に通った道なのにって。さっきは一緒に乗った路面電車なのにって。寂しくなって。駅まで辿り着いてダメかなと思いつつまた薬飲んで。はるちゃんの前で飲むと時間あいてないのに!って怒られそうだけど怒る人もいないので飲みました(笑)そんなこんなで新幹線乗ってバス乗ってバス乗っておうち。新幹線使ったのにおうちに着いたのは同じくらいの時間でした!やっぱりばいばいは寂しいけどたくさん思い出もできたし、何よりはるちゃんに会えたし。はるちゃんだいすきってなってた。いつも帰る時泣いちゃってごめんね。はるちゃんはいつも通りのポーカーフェイス。いつもと変わらないお顔!手離す時が1番辛い。慣れません。ばいばいの時も本当ははるちゃんの顔見たいのに見たらもっと泣く自信しかないから見れない。いつも変なとこ見てる。それもごめんね。いきなりだったけど会う予定作ってくれてありがとう。あといつも生理被って心配かけてごめんね。次会うのは広島!多分生理は被りません。14日だし!でもお泊まりじゃないしお外で会うから。ぎゅーできるかな。人目があります。できたとしてもぎゅーまで。寂しいなぁ。髪が短いはるちゃんに会うの楽しみ!!髪が短いはるちゃんはかっこいいです。岡山で会った時の視界に入ったはるちゃんまだ覚えてるもん!ほんとに髪切ってる!!後ろかっこいい!って。今見たらさらに好きが増しちゃうのかな。かっこいいはるちゃんに会うの楽しみ。ホテルはまだ見つかりません!でも治安良さそう?だし1時間かけて会場行くくらいなら近くのネットカフェとかでもいいかなって思い始めてます。話が逸れてます!改めて思い出をたくさんありがとうございました!!好きと幸せが溢れた2日間だったよ。はるちゃんだいすき。写真ははるちゃんを探せ!です!(笑)
Tumblr media
1 note · View note
gallerynamba · 5 years
Photo
Tumblr media
◇PDR phisique du role(フィジクドゥロール)Lady’s パンツ入荷しました。 【パンツ】 ¥52,920-(税込)⇨セール価格¥37,260-(税込) ↓弊社HP商品ページ↓ http://www.gallery-jpg.com/item/18P065/ 2018Spring&Summer インポート SHOW SAMPLE 素材:ヴィスコース100% サイズ1(約9号)着丈約88cm、ウエスト約64cm、ヒップ約88cm、股下約54cm カラー:レッド系 グスタフ・クリムトの作品を想わせる植物柄。 ウエストはゴムなので楽チンです。 是非、店頭でお手にとってご覧下さい。 Gallery なんばCITY店 【営業時間】10:00~21:00 【休館日】5月、6月無休 【PHONE】06-6644-2526 【Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/ #PDR #PDRphisiquedurole #フィジクドゥロール #パンツ #pants #ズボン #テーパードパンツ #ボトム #レディースボトム #レディスボトム #ウエストゴムパンツ #ウエストゴムボトム #ウエストゴムズボン #クリムト #クリムト風柄 #クリムト風柄パンツ #クリムト風柄ボトム #クリムト風柄ズボン #植物柄パンツ #植物柄ズボン #植物柄ボトム #7分丈パンツ #7分丈ズボン #7分丈ボトム #イージーパンツ #赤色パンツ #なんばセレクトショップ #なんばシティ #なんばスカイオ #NAMBACITY https://www.instagram.com/p/ByWiiimpgNb/?igshid=1ciqkr8cnvmqo
1 note · View note
at-ht-2111 · 3 years
Text
シルクの雪
 夜明け前に一面に白く積もった雪を窓越しに上から見ても積雪量を知るのは難しく、早朝出勤らしい隣の車庫から道路に続くタイヤ痕の深さで雪嵩を目測する。早く起き出していた妻が「雪は3㎝くらいだから雪かきは不要ね」との声に「あっそう。じゃあ、もう少し寝るよ」私の見立てと合致する日もあるが「えっ、もっと多いんじゃない?」と疑問を投げかけて「もう一度よく見てよ」と催促し「7㎝ほど積もっていました」との訂正に「そうだろう」と雪かきの身支度をしながら答える日もある。今月の半ばまでは雪が雨に変じて雪を融かすことも多かったが、さすがに大晦日が近づけば、どんより空を覆い周囲の山並みさえも閉ざした鉛色の雲から落ちる雫は全て雪になる。「とうとう、雪かきの季節が来た」半ば諦めと半ば立ち向かう心情が交錯するが、二昨日から昨日まで続いた「雪は全然ありませんよ」妻の雪かき不要宣言に安堵の胸を撫で下ろす。
 膝下まで届く防寒コートを着て毛糸の帽子の上からフードを被り防寒防水の手袋をはめ、雪目防止のためにサングラスをしてゴム長靴を履いたのが私の雪かきスタイルである。冷え込みが厳しい朝は義姉さんから貰った防寒ズボンも必須のアイテムだ。昨夜から大雪暴風注意警報が発令されていた今朝は、窓障子を開けると二重の窓ガラスの内側が霜に覆われて外が見えない。かなり外気温が低い今冬初の現象に「だいぶ冷え込んだな」と呟く。霜を爪でこそぎ落として隣家のタイヤ痕で雪嵩を見ると、就寝前に覚悟していたよりはかなり少なく8㎝ほどのようだ。それは十分に雪かきの対象だから、急ぎ寒さ対策の着衣を身につけていると妻が顔を覗かせて「雪は10㎝くらい、気温はマイナス8度だって」と告げる。これまでマイナス5℃が最低だったから、これも今冬初の低気温だ。台所に立つ妻に「朝食前に片付けてしまうよ。ひとりで大丈夫だよ」と言い残し、玄関で雪かきの身支度をしていると「一段落したら手伝います」と妻の声が背中を押す。
 マイナス8℃の外気は一瞬ピリッと顔を刺すが防寒装備の内側までは侵入せず、むしろ動き続けている間に出る汗が心配になる。それよりも強い風に煽られた雪が絶え間なく舞い落ちて搔き出した雪面を跡形もなく覆ってしまい「この調子だと、今日は三~四回も雪かきする必要がありそうだ」などと独り言ちていると「遅くなりました」と出て来た妻に車二台の雪落としを頼む。 幸いなことにお向かいの田中さんが雪かき機械で道路の雪を吹き飛ばして片付けてくれたから、私の雪かき範囲は玄関前と駐車場だけでずいぶん楽になった。妻に「今朝の雪はシルクのようだよ」と言うと「本当にきめ細かくて艶めいてシルクみたい」と同調する。マイナス8℃の成すところだ。
 今日の天気予報は終日の雪で最高気温がマイナス3℃、凍えるような真冬日は明日まで続くらしい。沿岸地域は30mを越える暴風が吹き荒れて運休の鉄道路線がひっきりなしに報じられる冬の嵐だ。妻はクリスマス礼拝を兼ねた日曜礼拝に息子の運転で出かけ、車の跡に残った雪の片付けに出た私は、さっきの雪かきから僅か二時間でもう10㎝くらいの積雪に驚き、条件反射のように二回目の雪かきを済ませる。2021.12.26
0 notes
Text
仁保事件
一審
窃盗、強盗殺人被告事件
山口地方裁判所
昭和三七年六月一五日第二部
上告申立人 被告人 岡部保
         主   文
 被告人を
判示第一、の罪につき、懲役四月に、
判示第二、第三、の罪につき、死刑に、
処する。
右第一の罪(住居侵入等)についての勾留状による未決勾留日数中百二十日を右懲役四月の刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
         理   由
 (犯罪事実)
被告人は
第一、昭和二十七年七月中頃の夜、窃盗の目的で、山口県吉敷郡大内町高芝、食料品雑貨商、杉山正二方居宅に侵入し、金品を物色中、家人に発見せられて逃走し、窃盗の目的を遂げることが出来ず、
第二、昭和三十年六月中頃、大阪市天王寺区逢坂上之町四八、生越好一方前路上で、大阪市所有の、人孔鉄蓋一枚(時価千五百円相当)を窃取し。
第三、元来、本籍地である山口県吉敷郡大内町大字仁保下郷で農家に生まれて、両親に育てられ、本籍地の尋常高等小学校を卒業した後、山口市、萩市、福岡県等に於て、電工として働き、昭和十四年現役兵として広島工兵第五聯隊に入隊、満洲、中支、南支、仏印等の各地で戦斗に参加し、昭和十八年八月内地に帰還、除隊となつた後間もなく妻を娶り、山口県動員課嘱託として徴用工員の訓練助手を勤めたこともあるが、昭和十九年七月山口県巡査を拝命し、当時の堀警察署に勤務して居る中、約三ケ月で再び召集を受けて軍務に服し、昭和二十一年三、四月頃内地に復員して堀警察署の原職に復した。
次いで昭和二十一年六月警察官の職を辞し、その頃実父が経営していた製材業や農業の手伝をしたが、間もなく経営に行きづまり山口市湯田の建設会社で働く中、他の女と懇ろになつた為妻と離婚し、その後は山口市、福岡県等に於て製材職人、炭鉱夫などとして働いたが、いずれも永続きせず、その間窃盗罪に問われたこともあつたが、遂に昭和二十八年四月無断家出して郷里を出奔し、それからは、人夫、鳶職人などとして、神戸、姫路、和歌山等の各地を流れ歩き、昭和二十九年八月から、大阪市天王寺区、天王寺公園内に小屋掛けなどの仮住いに起居し、中田いと、福井シゲノと同棲し乍ら、所謂バタ屋生活に転落してその日を送つていたものであるが、商売資金を手に入れようとして、昭和二十九年十月二十日頃、郷里山口県に帰り、数日間所々を、さまよい歩いた揚句同月二十六日午前零時頃、同町大字仁保中郷二九一五、農業山根保方堆肥場にあつた唐鍬(証第二号)を携えて、同人方母屋に到り、土間物置内の金品を窃取すべく物色中、同人の妻美雪(当時四十二年)に気付かれ、誰何されるや茲に同家家人を殺害して金品を強取しようと決意し、奥六畳の間に入り、起き上ろうとする同女の頭部を所携の右唐鍬を振つて乱打し、続いて、その傍らに就寝中の保(当時四十九年)及び同人の五男実(当時十一年)、隣室表下六畳の間に就寝中の三男昭男(当時十五年)四男一吉(当時十三年)の各頭部を順次同様乱打し、次いで納戸四畳半の間に入り、起き上ろうとする老婆トミ(保の母、当時七十七年)を押し倒し、その頭部を同様乱打して、再び保夫婦の寝室に引き返し、尚も同人の頭部を同様乱打して、右六名に夫々瀕死の重傷を負わせた上、同室の本箱の抽斗にあつたチヤツク付財布(証第九号)内及納戸にあつた箪笥の小抽斗内から合計約七千七百円位の金員を強取し、最後に台所にあつた出刃包丁(証第三号)を持ち来り、之で右六名の頸部を順次突き刺すと共に保夫婦及びトミに対しては、その胸部をも突き刺し、以上の各損傷による失血の為夫々死に致して、殺害した上、保夫婦の寝室に掛けてあつた洋服上衣一枚を強取し
たものである。
(証拠の標目)(省略)
夫々之を認める。
尚右第三の事実については、右認定の理由につき、次に主な点につき更に説明を加えることとする。
一、先づ右に掲げた各証拠の中、最も直接且重要なものは、被告人の検察官に対する供述調書七通ー前掲標目(58)ーである。而して本件に於ては、被告人の警察官及び検察官に対する自供調書に記載された供述の任意性並に信憑性が問題となり、検察官、被告人(及び弁護人)の双方から夫々証拠の申出があつて、之が取調べをした次第である。先づ右任意性について、被告人は之を否定し、調書記載の通りの供述をしたことは相違ないけれども、該供述は、警察に於ては取調官が強制拷問を加えて、予め捏造した事実に合致するように強いて供述させたものであつて、被告人が任意になしたものではなく、又検察庁に於ては右のような有形的な強制手段は加えられなかつたけれども、その取調べは右の如き警察での自供調書を基礎とし、検察庁でもその通りに述べなければ再び警察署の留置場に戻して警察官に取調べをさせる旨告げて間接的に強制された為、被告人としては警察官に供述したことを今一度その通り繰り返す他なかつたものであるから、之亦結局任意に出でた供述ではない。と主張する。
一、検察官に対する被告人の供述調書につき検討するに、検察官は、警察に於ける調書を参考にしたことは勿論と考えられるけれども事件関係全般に亘つて、更めて詳細な尋問をなし、被告人又逐一之に対し極めて詳細に、或は之と異つた供述もなして居ること、前掲(60)(61)(62)(63)の各証拠によれば、検察官の取調べに際しては、被告人主張のような心理的乃至間接的強制は加えられていないことその他取調べの方法、時間等に於ても決して無理のなかつたこと前掲(59)の録音テープの録音の方法、内容及び之等から認められる取調べの状況等を綜合するときは右検察官調書記載の供述は、いづれも十分任意性のあるものなること洵に明瞭である。
次に検察官調書の信憑性について考えるに、該供述の内容には犯罪実行者でなければ到底語り得ないような詳細な供述があること、被告人は前掲(4)の検察官の実地検証の時迄本件犯行現場及びその附近に行つたことはない旨当公廷で述べて居るに拘らず、右検証調書の記載によれば、被告人が検察官、検証補助者等の立会人の先頭に立つて自分が事件当時歩いた道順、関係場所を自ら案内し、被害者方屋内でも被害者等の位置、物の場所、その他犯行の詳細につき自ら進んで、その地点、行動の順序等を現地につき指示して居ること、自供後の心境を表わす為書いた前掲(55)(56)の章句の意味等を綜合し、その他の前掲各傍証と比照するときは、検察官調書に十分の信憑性のあることを認めることが出来る。被告人は取調官が予め事実を組み立て、それに合う様に供述を誘導したもので、右未知の現場での指示も、詳細な供述も、警察で何度も繰返し述べさせられ言わば復習に復習を重ねていた事柄であるから、その通り述べることが出来たものであつて、その様に述べることによつて取調官に迎合的態度を示す為あの様な指示、供述作歌、作文、がなされたものであると弁解主張するけれども、検察官調書の任意性前説示の如くである以上、又警察に於ける取調べに於ても特に拷問と目すべき事実は認め得られないこと後述の如くである以上、右弁解は合理性を欠き、到底之を認めることが出来ない。
一、以上説示の通り、前掲(58)の検察調書、(59)の録音テープの内容はいずれも、その任意性及信憑性に於て、夫々欠ぐるところなきものであつて、之と前掲各補強証拠とを綜合すれば、判示第三の強盗殺人の事実を認めるに十分である。
(尚警察に於ける自供について、被告人自身の当公廷での供述は勿論、弁護人申請の証人、熊野精太郎、竹内計雄、西村定信の各証言は被告人主張の様な取調べ状況を推知させるかのようであるけれども、取調べに当つた各警察官の証言と対比するときは、被告人主張のような所謂拷問と目すべき取調べ方法の行われた事実は之を認めることが出来ない。然し乍ら検察官提出の警察官録取の録音テープ三十巻を静かに傾聴するとき、部分によつて変化はあるが、概して自供の初期段階に於ける供述の状況雰囲気(言葉に現われていることで疑問を残すものの一例ー第六巻中被告人の「糞ツ(或は畜生ツ?)」なる小独語、第二十九巻中、取調官の「膝を組んでもよい」旨の言葉ー之等の言葉の持つ意味は色々に解釈出来、必ずしも明らかではないが)、取調べに当つた警察官山口信の「調べは夜十二時以後になることはなかつた」旨の供述ー(記録第三冊九三八丁ーからは反面、夜も十二時迄は取調べを行つたであろうことが推知されること、等を綜合すれば、右取調べに際し、本件最後の容疑者としての被告人に対する追求が急であつた為多少の無理があつたのではなかろうかとの一抹の疑念を存せざるを得ない。而して供述の内容が真実であるか否かは固より別個の問題であつて、その内容の如何を問わず任意性について多少でも疑問の存する以上之を証拠とすることが出来ないことは法の明定するところである。尚本件に於ては、録音に表われた丈けでも、右と反対に、極めて冷静、積極的、合理的に述べて居ると思われる部分も多々あり(形に表われた一例ー第六巻中、被害者中子供をも殺したことに関し述べる所、心なしか被告人の声一寸つまり、うるむ感じ)従つていづれの部分が然るかを劃一的、截然と区別することは困難であると共に、証人木下京一の供述(第五〇回公判調書中同証人の供述記載部分ー七、の二九〇六)によれば警察に於ける自供調書の録取作成と、右警察に於ける録音の採取とは別個の取調べの機会に為されたものであることか明らかであるから、右任意性についての疑問が警察官調書のどの分のどの部分につき存するものと言えるか確定することが出来ないので、結局警察官調書全部につき任意性に疑あるものとせざるを得ない。
因つて本件に於ては、被告人の自供を録取した警察官作成の供述調書は一旦証拠として取調べがなされたけれども、その後全審理の結果、その内容の信憑性の有無はさて措き、いづれもその供述の任意性に疑があるとの結論に達したので、之を証拠としないこととする。
一、前掲(1)(2)は各被害者の死因、創傷の部位程度、使用推定兇器の種類認定の資料。
一、同(2)乃至(6)によつて現場及関聯場所の状況、発見直後の死体証拠品の状況が明らかである。
一、同(7)乃至(11)は事件発覚当初の模様と各物証の存在とその所在場所の証拠。
 一、同(12)(13)によつて、証拠品の唐鍬(同(44))が被害者方の物であることが認められる。
一、同(14)は被告人が、昭和二十九年八月に二回、九月に二回、十一月に三回、十二月に二回大阪で血液銀行に売血に行つて居るのに、十月には一度も行つていないことが認められ(被告人は十月にも供血申込には行つたが、血が薄くて不合格だつた旨弁解して居るが、第四九回公判に於ける被告人自身の供述ー七、の二七一一ーも結局「よく覚えま���ん」と曖昧な言葉に終つて居ることや、右以外は売血に行つた日の間隔が最大二十二日で十日以下が多いのに、九、十月にかけては三十九日も空白であることを綜合すれば被告人の右弁解は採用し難い。)同(15)(16)(17)と綜合して被告人が本件犯罪の行われた当時、それ迄生活していた大阪市に居なかつたことが推認される。証人西村為男、同西村君子、の各証言の記載(四,の一六七八、四、の一六九〇)は之に反する趣旨であるけれども、その正確性には疑問があり、前記明白な諸証拠に基く認定を覆えすには足らない。
一、同(18)乃至(26)により、本件犯罪の行われた直前たる昭和二十九年十月二十一日の午後、被告人が豊栄製材所を訪れ、三好宗一と面談したことがある事実を確認するに足る。この点につき当時同製材所に居たと思われる吉富豊彦等二、三の者がその時被告人を見なかつたと述べて居ることを挙げて、弁護人は右認定に対する反対証拠としているけれども、右(27)の検証の結果明らかな同製材所の当時の建物、人員配置の状況、立会人三好宗一の指示説明によつて明らかな同人と被告人との面談の地点、両名の間隔等を綜合すれば、三好宗一が被告人を見誤ることは考えられないし、又他の人が被告人を見ていないのは常に外来者に注意していない限り気がつかぬためであることが当然推測されるので、前認定を覆えすには足らない。又被告人は豊栄製材所を訪れたことはあるけれども、それは右の日時ではなく、昭和二十八年頃の四月頃のことであると述べて居るが、それが前認定の日時であることは、右(21)(26)の客観的正確さに富んだ証拠によつて裏付けされているのであるから被告人の右弁解は到底採用の限りでない。 
右認定の事実と、次項説明の向山製材所の件とを綜合し、当公廷では被告人自身当時大阪を離れていないと弁解するに拘らず真実は本件犯罪時直前山口市及その近辺に帰つていたことが明らかでこのことは、被告人自供調書の重要な裏付けと言うことが出来る。
一、右(28)乃至(31)の証拠により、本件発生の二、三日前頃に山口市石観音の向山製材所に被告人が向山寛を訪ねて話を交わした事実が明らかである。この点につき、小田梅一の公判廷での証言中、同人が向山寛から右のことを聞いた時期につき「岡部のことが新聞に出てから……」と述べており、一見時期が違うのではないかと思われ(被告人が大阪で逮捕されたのは昭和三十年十月のこと故)又向山が被告人を知つたのは権現山の石川木工所であると言うのに、当の石川は証人として之を否定している、けれども、仔細に検討するに、右(31)によれば小田梅一が向山製材所に傭われていたのは、昭和二十八年十一月頃から二十九年三月頃迄と二十九年十月二十一日頃から三十年一月末頃迄の間で、同人は被告人のことを向山から聞いたのは右後の場合で「初めは臨時傭としてその内常傭として使うかも知れぬとのことで働いていた時のことで六人殺しの号外を見た時より少し前の日だつたと思う」旨述べて居り又右(30)に於ても右のことを記憶している拠り所として「岡部は刑務所で囚人同志として一緒に製材の仕事をして自分より腕が上と知つていたので同人が自分と一しよに仕事をするようになつては困ると思つた」旨の特殊の事情を摘示して居る(被告人が逮捕された時なら、小田は最早向山製材所には居ないし、又被告人が逮捕された以上右のようなことを小田が心配する必要は全くない)ことから見ても時期は矢張り「仁保事件のあつた二、三日前」のことであつて、この時期に向山、被告人面談のなされた事実は相違なく、向山が被告人と知り合つた場所が果して石川木工所であつたかどうかは右認定を左右するには足らない。
一、同(32)(33)により、事件直後、被告人が逃走途中二人の男に出会つた旨の自供の裏付けが認められる。弁護人は、そのような場合は犯人ならば人影を見れば途端に逸早く踵を返して逃げるか又は身を隠すかする筈で、オメオメ人と行違う様な危険を敢てする者は居ないと主張するけれども、右証言記載によれば、暗い所で山の出端の辺で突然行き会つた旨を述べており、双方共突嗟の場面であつたことが明らかで、弁護人主張のような態度に出ることは却つて危険であり、その余裕もなかつたと考えられるので、道の端を顔をそむけて足早に通り過ぎる他なかつたと見ることは決して不自然ではない。
一、右(34)乃至(39)によれば、被告人自供の(38)の藁縄が防長新聞の梱包用に使われたものかどうかは必ずしも明らかでないけれども、少くとも右縄の出所については、農林十号の藁、栗原武製縄機による製品との一応の鑑定結果を基礎として近辺を八方手配して捜査を行つたもので、被告人の自供によつて甫めて八幡宮横の農小屋にあつたことを知り得たものであつて、被告人の主張するように捜査官が先づ右出所が解つて之を以て被告人の自白を誘導したものでないことが明らかである。
一、右(40)乃至(43)によれば、証人小崎時一は結局被告人自供の地下足袋を買つたという頃、月星印地下足袋を売つてはいなかつたこと、同人方は名古屋駅の裏を出て行くと左側であつて右側ではない旨述べてはいるが、被告人自身当時飲酒していて判然覚えないと言い(六、の二五二三)、その辺りで買つたことは認めて居り(六、の二五二五裏以下)要するに本件犯行現場に残つていた足跡は十半か十七の月星印地下足袋の跡であること、被告人が名古屋駅の裏で地下足袋を買つたことは事実であつて買つた家その家の所在に記憶違い等あつても、右の事実を左右することは出来ないし、又この点被告人の自供があつて甫めて捜査がなされたことも之によつて明らかである。
一、同(46)(47)は前出(7)(9)と綜合して被告人自供の強取金員の裏付である。
一、同(44)(45)は使用兇器
一、同(46)乃至(52)は国民服様の上衣丈け取つた旨の被告人の自供、被害者が国民服様のものを生前着用していたとの親族近隣よりの聞込み、形見分けを貰つた家全部を捜査した結果、木村完左が国民服のズボンを形見分けに受領し居るも上衣を受領した者は親族中捜してもなかつたこと。木村完佐提出の右ズボンを警察官が被告人に示し、被告人が強取した上衣は右ズボンに似たものであることを指摘したこと、福井シゲノが本件後被告人が国防色の将校服の様なものを持つて居たが、それを自分が焼いたが、その右側の横のポケツトの所に血のシミの洗つた様な跡があつた旨述べていることが明らかで、被告人自供の国民服上着強取の点の裏付けとなる。
一、同(16)(53)(54)右(49)によれば被告人の自供を裏書きするような状況や被告人の言動が認められる。
一、同(57)の渡辺サトノの証言につき、弁護人は犬の啼くことは松茸泥棒がいた場合でも有り得るし、該場所は斯る者の出没する可能性ある所だから、右証言は被告人自供の裏付たり得ない旨主張するが、右の証言によれば仁保事件の号外の出た前夜三時頃のことで当夜は証人方の犬が峠を行きつ戻りつして啼き眠れなかつた旨述べて居り、いつもの啼き方と異つた状況だつたことが推し得られる。
以上により、被告人の検察官に対する自供につき、その真実性を担保するに十分な裏付があると言わねばならない。
(前科)
被告人は昭和二十七年七月十七日山口簡易裁判所で窃盗罪により懲役六月に処せられ、該判決は同年八月一日確定し、当時その刑の執行を受け終つたもので、右の事実は被告人の検察官に対する昭和三十年十月二十九日附供述調書(三、の一〇八一)及び被告人に対する前科調書(三、の一〇六一)によつて明らかである。
(適条)
被告人の判示所為中第一の住居侵入の点は刑法第百三十条、罰金等臨時措置法第三条に、窃盗未遂の点は刑法第二百四十三条、第二百三十五条に、該当し、右両者は手段結果の関係にあるので同法第五十四条第一項後段第十条により一罪として重い窃盗未遂罪の刑に従い処断することとし、その刑期範囲内で被告人を判示第一の所為につき懲役四月に処し、刑法第二十一条を適用して主文掲記の未決勾留日数を右本刑に算入する。(第一の罪は前示前科に係る罪と刑法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十八条により未だ裁判を経ない右第一の罪につき更に処断するものである。)
被告人の判示第二の所為は刑法第二百三十五条、第五十六条、第五十七条に、同第三の各被害者に対する所為は夫々刑法第二百四十条後段に該り、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるところ、右第三の各被害者に対する罪については情状によりいづれも所定刑中死刑を選択するのを相当と認めるので、同法第四十六条第一項第十条第三項に従い、犯情の最も重いと認める山根実に対する罪についての死刑を択び他の刑を科しないこととし結局判示第二、第三の所為について被告人を死刑に処する。
尚訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して、主文の通り判決する次第である。
  高裁
窃盗、強盗殺人被告事件
広島高等裁判所
昭和四三年二月一四日第四部
上告申立人 被告人 岡部保
         主   文
 本件控訴を棄却する。
         理   由
 本件控訴の趣意は記録編綴の弁護人小河虎彦・同小河正儀及び被告人各作成名儀の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
右各控訴趣意に対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、事実誤認及び原判決引用の被告人の自白には任意性・信用性がないとの各論旨について。
先ず各所論は原判決が被告人において原判示第三の強盗殺人罪(以下単に本件ともいう。)を犯したものと認めたことは誤りであるというにあるが、原判決挙示の関係各証拠を総合して考察すれば、被告人が右の罪を犯したことを認めるに十分であり、当審事実調の結果によるも原判決の右認定に誤りがあることを疑うに足りる資料はない。各所論は右認定の誤りであることを主張する理由として、特に原判決引用の被告人の検察官に対する各供述調書に記載の供述及び検察官採取の録音テープ中の被告人の供述は、警察での拷問または誘導による自由を基礎に、被告人が検察官から「警察での自由を覆せば、また警察に返して調べ直させる。」と威されてした任意性も信用性もないものである旨主張する。しかし、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に記載の供述内容を具さに検討し、且つ各捜査段階で採取した録音(証第一四号・同第二八号の一ないし三〇)に耳を傾けて仔細にこれらを吟味し、さらに原審証人木下京一(三冊八六二丁以下・八冊二九〇六丁以下)・同小島祐男(三冊九六五丁以下、八冊二八八二丁以下)・同友安敏良(三冊九〇四丁以下・六冊二三二二丁以下)・同山口信)三冊九二六丁以下・四冊一四一四丁以下・五冊一八八二丁以下・六冊二二七六丁以下)・同世良信正(四冊一四三〇丁以下・五冊一八六九丁以下)・同橘義幸(三冊九五六丁以下)・同松田博(三冊九六一丁以下)・同西村定信(五冊一九〇九丁以下)・同西田啓治(二冊四八一丁以下)の各供述記載、当審証人木下京一(一四冊四八二六丁以下)・同友安敏良(一四冊四九一八丁以下)・同山口信(一四冊五〇一二丁以下)・同中根寿雄(一六冊五八一〇丁以下)の各供述、当審証人木下京一の供述記載(一五冊五二八九丁以下。以下「供述記載」をも単に「供述」と略称することもある。)、押収の捜査日誌(証第二七号。同日誌は原審証人木下京一の供述《八冊二九〇六丁裏以下》によれば、同証人の作成にかかるもの。)を合わせ考察すれば、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に記載の供述並びに前記各録音中の被告人の供述が主張のような任意性を欠くものとは認められない。もつとも、警察の録音中には聊か執ようにわたる質問や被告人において供述を渋つている点などが聴取されるけれども、被告人の警察での自白は昭和三〇年一一月一一日午後二時過頃被告人自ら進んで真実を述べたいから取調をしてもらいたい旨を申出たことに始まつたものであること(原審証人木下京一供述三冊八六七丁裏以下。同日採取の警察録音第三巻で,本件を全面的に自白するまでの前後の状況。)、被告人が供述を渋っているのは、特に初期においては親や子の身辺を案じ且つは過去の非行に対する抑えがたい煩悶悔悟の情の然らしめるところであつて聞く者をしてさえ涙をそそらせるまで真に迫るもののあることのほか、録音全般を通じて傾聴すれば、右のような質問や供述態度から、警察での取調に際し被告人の供述の任意性を失わせるような拷問脅迫等による不当な圧迫または誘導が行われたものと認められない(殊に被告人は元警���官で、しかもその自白は極めて重大な犯罪に関するものである。)。また、以上の各供述を原判決挙示の他の関係各証拠に照らして検討すれば、それら各供述の信用性を否定すべきいわれがないばかりでなく、後述のように当審での事実取調の結果をも斟酌して考えると、右各供述は一層信用すべきものであることがわかる。以上の認定に反する被告人の原審以来の供述(その供述は、後記(一)に認定のように真実に反することが明らかであつたり、供述に一貫性がないこと、例えば原審第四九回公判では「一二月二五日に長谷峠に行つたときと、熊坂峠に行つたときには拷問がなかつた。」旨供述しながら《七冊二八〇八丁裏》、当審第一三回・第一四回各公判では、長谷峠・熊坂峠に行つた際にも極めてひどい拷問を受けた旨供述する《一五冊五三五二丁以下・五四四八丁裏以下・五四五一丁裏以下。》など、被告人の捜査官の取調の不当性に関する供述は公判が進むにつれてその不当内容が次第に増大して行く傾向にあることからしても理解できない。)並びに原審証人竹内計雄(四冊一五五八丁以下)・同岩倉重信(五冊一六三六丁以下)・同熊野精太郎(五冊一六四六丁以下)・同広戸勝(五冊一六六四丁以下)の各供述記載中被告人の供述に副う拷問の事実を推認させるかのような部分は前掲各証拠に照らし採用しがたく、被告人が供述するような拷問と目すべき取調方法がおこなわれたことを認むべき資料とはなし得ない(竹内証人の供述によれば、同人が山口警察署留置場にいたのは三月頃とのことであるが、既にその時分には被告人の訴によるも拷問が行われていた事実がなく、また右留置場で被告人と話し合つたのは洗面所で二人だけの時であつたなどの点からしても同証人の供述は納得できない。熊野証人・広戸証人の各供述は殆ど同じ頃の状況に関するものでありながら異なるものがあることなどからしても首肯し得ない。さらに前掲木下・友安・山口各証人等の供述によれば、被告人の申出その他の都合により夜に入つて取調が始められたときなど一〇時過頃に及ぶこともあつたが、そのような場合には翌朝の取調を遅く始めるなどの配慮がなされていたことが認められる。)。したがつて、被告人の捜査官に対する自白は拷問または誘導による任意性を欠くものであるとの主張はすべて採用できないが、なおこの点に関連する主張の主なるものについて次のとおり判断する(以下当審第一五回・第一六回各公判における弁護人らの弁論で控訴趣意を補充するもののうち重要なものについても合わせて判断する。また被告人は当審第一五回公判で自分の言いたいことは上申書にあるとおりであると供述するので、上申書中の主要な点を引用しつつ判断を示すこととする。)。
(一) 被告人は山口警察署の留置場で拷問による受傷のため二回に亘り医師の診療を受けた事実があるにかかわらず、留置人医療簿にその旨の記載がないこと、うち一回は歯科医の診療を受けたものであるが、そのカルテに治療方法すなわち処方が記載されていないこと、被告人が着用していた衣類が大破して修理してもらつた事実があるのにその衣類の行方が不明であること、山口巡査部長が被告人に代りのシヤツを与えたことなどは被告人が供述する拷問の事実を推認させるに十分である旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の2・3・4。弁護人小河正義の論旨一の1。)について。 
司法警察員の「被疑者の診療状況について」と題する昭和三二年六月一五日付報告書(三冊九七〇丁以下)、留置人診療簿(証第一三号)、カルテ二通(証第一一号・第一二号)、原審証人糸永洋(三冊九九五丁以下)・同清水キミヤ(三冊一〇〇一丁以下)の各供述記載によれば、被告人は山口警察署留置場で昭和三〇年一二月二日には虫歯の炎症のため済生会病院歯科医師糸永洋の診療を受け、同月二〇日には急性腸カタルのため同病院医師清水キミヤの診療を受けたが、以上の各疾患は如何なる外力の作用にもよるものではなかつたこと、当時被告人の身体には何らの受傷の痕跡もなかつたこと、右各診療のカルテにはそれぞれ処方の記載があるばかりでなく当時の山口警察署の留置人診療簿(証第一三号)にも明確に右各診療事実についての記載のあることが認められる。してみれば、被告人の当審第一三回公判における前記歯科医の受診に関しての「拷問で熊本刑事あたりにほほをたたかれてはれたんです。それで歯が痛くてやれんからお願いしたわけです。」との供述(一五冊五三一六丁裏以下)の如きは全くの虚言というのほかはない。なお、弁護人小河虎彦は糸永歯科医のカルテにキヤンフエニツクを施用したことに関する記載のないことを論難するが、前記糸永証人の供述によればキヤンフエニツクを施用したかどうかは判然しないというのであるから、この一事をとらえて拷問事実を推認すべき資料とするわけにはゆかない。また、山口巡査部長が前記留置場にいた被告人に同情して着替のシヤツを与えたこと、被告人着用の衣類が古くほころびていたため山口警察署の女子職員に依頼してこれを修理してやつたことは原審及び当審証人山口信の各供述(五冊一八九五丁以下・六冊二二九八丁裏以下・一四冊五〇二八丁裏以下)によつて認め得るが、同証人の供述(五冊一八九六丁以下)によれば、留置人が着用している衣類については担当官に保管を委託しない限り留置人名簿にその記載をしない立て前になつていることが認められるので、同名簿に所論の衣類の記載がないことから警察側としてその行方が不明であるとしても、これをもつて拷問事実を推認すべき根拠とはなし得ない。
(二) 被告人作成の被害者方家屋の間取り等(四冊一四四九丁・一四五〇丁・一四五一丁・一四五五丁)が事件発生直後の検証現場の状況と一致していることは寧ろ不自然というべきで、右はいずれも捜査官の誘導に従つて作成されたものとみるべきであるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第二のイ・弁護人小河正義の論旨一の1。)について。
原審証人山口信の供述(四冊一四一四丁以下)によれば、右の図面はいずれも被告人が任意に作成したものであることが認められる。この点に関し被告人は原審第四九回公判では「私は建築業をやつております。それで田舎の建前は何十軒と言つていい程製材をやつております。それで田舎の建前というものは大体一定した建前でありますので、私は大体の見当をつけて一番初めに私の家に似かよつたように、そして隣近所の家とか、あらゆる家を全部比べてみて書きましたです。」と供述しながら(七冊二七五四丁以下)、当審第一三回公判では「初め概略は警察官が書いてくれたんです。私が一番不審に思うたのは、牛小屋が長屋の前にあるというのが書いてあつて、合わせるのによく納得がいかなかつた。」等の旨供述し(一五冊五三三九丁裏以下)、その間矛盾があることのほか、同公判での被告人のその余の供述(一五冊五三三九丁以下の「一四五五丁の図面のように本件の前々日何人かが夜山根方納屋裏で様子を窺つていた際映画帰りの人に発見されたということを捜査段階では聞かされていない。それを聞かされたのは公判になつてからである。」旨の点及び「一四四九丁・一四五一丁の鍬のあつた場所は私の家から判断してあの辺にあつたんだと言つた。」旨の点。)に照らし前掲弁護人の主張は採用できない。
(三) 被告人の手記が六年間伏せられてあつた事実並びに原判決引用の被告人の手紙及び和歌は昭和三〇年暮か昭和三一年一月中のものであるのに昭和三六年秋迄秘められておつた事実は納得できない旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の八。)について。
しかし記録によれば、右手配(昭和三一年一月二九日付。四冊一四四七丁以下。)は既に昭和三二年一〇月二一日の原審第一四回公判で、手紙(証第二六号)は昭和三五年一一月二日の原審第四二回公判で、和歌(証第一九号)は同年五月一二日の原審第四一回公判で各証拠調が施行されたことが認められる。しかも、原審証人友安敏良の供述記載(六冊二三三〇丁裏以下)・司法警察員友安敏良の昭和三五年五月一二日付山口地方検察庁検事土井義明宛「参考資料提出について」と題する書面の記載(六冊二二四〇丁以下)によれば、右手紙は被告人が山口警察署留置場にいた時分(同手紙の日付として「一月三十日」とあるは他の関係証拠からみて昭和三一年一月三〇日の意と解される。)同署警部友安敏良の次女典子(当時小学二年生)に対し菓子を差入れてもらつたお礼として差出された私的なもので、父である右友安により保管されていたもの、また原審証人山口信の供述記載(六冊二二七九丁以下)によれば前記和歌は昭和三〇年一二月三〇日頃前記留置場で当時同署勤務の警察官であつた右山口証人が正月近くのこととて被告人のひげを剃つてやりながら「今までできたことは仕方がない。これからは人生の一歩を踏み出してやつてくれ。」などと話しかけた際、被告人がこれに答えて「今度のことであんたには随分世話になつたので、一つ私の心境を書いて差上げようと思う。」と言い、その後もらい受けた留置場看守巡査の手許にあつた仮還付請書用紙に当時の心境をしたため右山口に「記念に」と言つて渡された私的なもので同人の手裡に保管されていたものであり、それらが何らかの事情により特に秘匿されていたものであつたとは認められない。そして右手紙・手記・和歌は次のとおりのものである(次に掲記の手記中「終」・「夢」・「邪」・「鐘」・「胸」・「煙」・「皆」、手紙中「静」・「坊」、和歌中「煙」・「境」・「暮」はいずれも原文中には誤字が用いられているが、活字がないため訂正して掲記したもの。その余は原文のまま。)。
(手記)
「私は大正七年七月十二日に人の世に生を受け貧乏百姓の長男として生れ父母にかはいがられて一通の教育もさして戴き身心共に壮健で元気一ぱいで社会に出て幸福に送日致して来ました終戦後迄はどうやらこうやら人としての務めをはたして来たと思います二十四年頃より商売の手ちがいから気がいらいらして弱者と成り一ヤク千金の夢を見るように成りやる仕事に永続きが出来ずとうとう世間の皆様へ御迷惑をかけ人としての道をふみはずして自分自心が邪道に足をふみ入れてしまいました。
『人の世に生き行く為にまよい出る黒玉だいてふみ出す一歩』
今度はあのよう事を致しまして何んと言つてよいか書き表す言葉を知りません過ぎし日の事が日夜思い出され片時も頭からはなれた事が有りません毎夜なる鐘のネ遠くから聞こへて来る何かさびしい汽車の音等々数かぎり無い社会の物音を聞く度懺悔の室でたつたりすわつたりして苦悩集懆して気持を静めようとしてあせつて居ます
『思ふまい思ふまいぞと思えども心のうづきとめようもなし』
日影に狂い咲きかけた花のように生きようとして人としての勝負に負けて叫び悲みもだへもだえて進み行く道に迷い目に見え無い御仏の心を捉えようとして鉛のような重苦しい気持で胸一ぱいに締めつけられて来ます
『大声で叫びどなりてなげつける狂える心に情さけの言葉』
何か一寸した事にでも興奮して頭のけなどかきむしるような気に成ります時など係官殿の厚い情でなぐさめられ涙が出て来てしかたが有りません此の胸の内を御仏に御願ひ御話して一時も早く仏にすがり懺悔して人としての務をかならずはたして山根様の霊に御詫致します
『いざさらばわかれの煙草すい修め死での遊路ににじをわたりて』
皆様の情の品を胸にひめわかれのお茶にむせびし吾は
胸に思つて居る事を書こうと思いますが書き表らはせません
昭和三十一年一月二十九日 岡部保 指印」。
(手紙)
「坊ちやんとつぜんこんな事を書いて御便り差上げますのを許して下さいませ今頃は日本の国は一番寒い時ですねまい日まい日学校に通勤されるのに御ほねがおれる事と思います
私は山口県に生れた人ですが日本全国でいや世界中で一番悪い事をした者ですけれど今はそのつみのつぐないを致そうと思つて一生懸命ベンキヨウし修養して日本一のえらいほうさんになろうと思つてまい日小さいへやの中で静かに今迄私の見たり聞たりやつて来た事等を思い出しては一つ一つ頭に入れて居ますそしてあの時はおもしろかつた又あの時はほんとうにかなしかつたとか数かぎりない過ぎさつて来た事を思いベンキヨウをして居ますきつときつと私はえらいほうさんになつて今迄悪い事をしたつみのつぐないをしてせけんの皆様方に心からおはびを致しますから其の時は許してほめてやつてくださいませ先日はおいしいおかしをたくさんほんとうに有難う御座いましたあのような御か子は何年と云つて食べた事は有りませんでした遠い遠い昔坊ちやんぐらいの時よく食べて居ました其の時の事を思い出してなつかしくうれしくいただいている中涙が出てしかたが有りませんでしたほんとうに何より有難う御座いました厚く厚く御礼を申し上げます私には一生わすれる事は出来��せん今夜は寒い寒い雨がふつて居る様ですが御休に気をつけてベンキヨウして下さいませ私がえらいほうさんに成つた時は御知せ致しますほんとうにほんとうに有難う御座いました御休に気をつけられまして学校に行つてえらい人に成つて下さいませかげながら御いのり致して居ます
さようなら
ほうさんより
坊ちやんえ
一月三十日
(和歌)
「一、思えども生れてこの方この吾に老母よろこぶ一つだになし
一、過ぎし日のおも影六つ胸に秘め生きるこの身の苦しき思いは
一、杖ついてあの山こへてみ仏のお家に急ぐなさけの道を
一、我は今身然の景しき見つめつゝ遠くへさけぶ胸のうづきを
一、三年(ミトセ)前いとし子供の御影をてつさく見つめて身をもお吾は
一、飲べたさに昼夜わすれぬよくの川流れ流れていづくの海へ
一、捕されて初めて逢つた其の君に又も無理いふおろかな吾は
一、生れ来て三十七才(ミトナナサイ)で胸にシミ思い出すまい人生行路
一、過し日のあの過を胸に秘め六つの影に手を合す日々
悔恨を胸に日々新た己が苦しみ歌にと読みて
一、かたことゝ雨戸ゆすぶるしとれ雨
一、あの煙りどこがよいのか身にしみる
今はただ御仏の袖に罪み悔つ
父としていたわれずして去り来たる籾なる石憫涙だ払いつ
今はたゞ己が罪を懺悔して歌に心境読み暮す君
御仏の袖にすがりて罪を悔い六つの影に手を合す日々」。
以上の各内容から考察して、それらは当時の被告人の真情を吐露したものと認めるのほかなく、捜査段階における被告人の自白の任意性と信用性とを認むべき極めて重要な資料たるを失わない。被告人は原審以来「右はいずれも警察での拷問による取調から一日も早く逃れたいとの念願から��己の心境を偽つて作成したものである。」旨���張するが(原審第四一回公判六冊二一六〇丁以下。原審第四九回公判七冊二七九八丁以下。当審第一三回公判一五冊五三二〇丁以下。当審第一七回公判一六冊五九六九丁以下。なお原審第四一回公判六冊二一六二丁以下の「和歌は昭和三〇年一二月二五日頃から確か翌年一月の一〇日か一五日頃までの間に書いたと思う。」旨の被告人の供述記載と、前掲山口証人の供述記載とによれば、前記和歌は昭和三〇年一二月三〇日頃から翌年一月一五日頃までの間に作成されたものと認められる。)、一方原審第四九回公判での被告人の供述(七冊二八〇八丁ないし二八一三丁)によれば、被告人が警察で拷問を受けたというのは昭和三〇年一一月六、七日頃から同年一二月二七、八日頃までの間のことであつて、右の手記・手紙・和歌を書いた時分には被告人の供述からしても「一日でも早く拷問による取調から逃れたい念願」が生ずるような状況にあつたとはいえない。
(四) 原判決では本件犯行当時被告人が山口地方にきていた証拠として三好宗一・向山寛の各証言を援用しているが、それらはいずれも措信しがたいとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の6。弁護人小河正義の論旨一の4の(2)。)について。
しかし、右各証人については当審でも取調をした結果(一一冊三九五三丁以下・三九七八丁以下)同証人らの原審及び当審での被告人に出会つた点に関する各供述は十分信用し得るものであることが認められる(但し、証人向山寛の当審での供述《一一冊三九七八丁以下》によれば、同証人の原審での供述中「石川木工所」とある部分は日「進製材」の間違いであることが明らかである。)。殊に被告人は捜査段階で「井久保の製材所に行つて三好という三〇才位の男に岡村のことを尋ねた」旨を述べた(四冊一二四一丁以下・一三二七丁裏)ことに関し、当審第一三回公判で「警察官がどうしても製材所へ行つたと言うんで、一番知らないところの井久保の製材所へ『岡村君はおりませんか』と言うて仕事師に尋ねたら『おらん』と言つたなどの供述内容を創作して言つたわけである。」旨弁解するが(一五冊五三三〇丁末行以下。同趣旨一五冊五四三〇丁裏。上申書三冊八五五丁・七冊二四八五丁。)、原審第三回公判で証人三好宗一に対し「私は工場へ行つたことはありますが、それは松茸の出る頃ではなく、四月頃と思いますがどうですか。」、「私はその時三人いる中の板をたばねていた人に岡村という人のことを聞いたと思いますが。」、「年度は昭和二八年頃と思います。」、「私は工場の前の道路から直ぐ自転車に乗つたが見ていませんか。」と反対尋問をしていること(一冊三一七丁裏以下)に照らしただけでも、前掲被告人の弁解は納得できない。なお、弁護人小河虎彦は当審第一五回公判で前記三好証人が被告人から脅迫状めいた書信を受取つたかどうかとの点に関連し(一一冊三九六一丁裏以下参照)、「在監中の被告人が証人に対し脅迫がましい書信などを出し得ないことは明らかである。」旨強調するが、監獄法その他の関係法規を検討するも、拘置監内の被告人から発せられた書信はこれを検閲し得ても、内容の如何によつてその発信を制止し得る根拠を見い出し得ない。
(五) 元の内縁の妻山根スミ子が当時被告人に出合わなかつたことは、被告人が山口地方にきていなかつたことの証左であるとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の4の(2)。)について。
しかし、被告人の検察官に対する供述によれば「昭和二九年一〇月二二日に以前同棲していた山根スミ子を訪ねて行き『ごめんください山根さん』と声をかけたが、中から返事がなかつたので、あるいは情夫でもきていて具合が悪いのかも知れないと思い家に入るのをやめて元きた道を引返した。」というにあつて(四冊一三二八丁裏以下。司法警察員に対する一二五三丁も同旨。)、被告人が当時山根スミ子に出合わなかつたことをもつて山口地方にきていなかつたことの証左であるとする主張には賛成できない。なお、当審では被告人が立寄つたという売店等の関係者を取調べたが、それらはもともと被告人の顔を知らないか、当時既に記憶が薄れていた人達ばかりで、同人らの供述によつては被告人に出合つたかどうか判然しなかつた。しかし、石川松埜の司法警察員に対する供述調書(一二冊四一三〇丁以下)、当審証人石川松埜・同石川松菊尾(一三冊四三八五丁以下・四三七八丁以下)、当審各検証調書(一一冊三八八一丁以下・一三冊四四七六丁裏)の各記載を総合すれば、被告人が捜査段階でした「昭和二九年一〇月二四日午后六時頃宮野の新橋の店(角の店)で女の人からパンを買つて食ベながら仁保に向つた。」旨の供述(四冊一二五六丁裏以下・一三三〇丁裏以下)中の店は、昭和二九年六月中旬(被告人は昭和二八年五月頃以来山口地方にきたことがないという。)開業してパン菓子類等を販売していた山口市市会議員石川菊尾の妻石川松埜が経営管理していた店舗(但し昭和三三年三月閉店)であつたことが明らかで、このことはまさしく被告人が本件犯行当時山口地方にきていたことの証左であるとみないわけにはゆかない。
(六) 被告人の大阪におけるアリバイに関係のある山本高十郎の手帳を捜査官が押収しなかつたこと、並びに西村為男・西村君子・水谷武三郎の各証言によれば、被告人は当時大阪にいたものでアリバイが確立しているのに、原判決ではその正確性につき疑問があるとしている点はいずれも納得できないとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の五。弁護人小河正儀の論旨一の4の(1)。)について。
しかし、原審証人山本高十郎(二冊三九六丁以下)・同友安敏良(六冊二三二二丁以下)・同熊本清(五冊一九三三丁以下)の各供述記載によれば、山本高十郎が所論の手帳を所持していたことは明らかで、これを押収しなかつたことをもつて同証人らの供述、殊に右山本証人の当時被告人が大阪にいなかつたとの点に関する供述の信用性を否定することはできない。また、原審証人水谷武三郎・同西村為男・同西村君子の各供述内容(二冊四二一丁以下、五冊一六七八丁以下・一六九〇丁以下)を検討すれば、これらの供述内容をもつて当時被告人が大阪にいたものと確認すべき資料にはできないばかりでなく、当審証人西村まさのの供述(一四冊四七四三丁以下)によれば、かえつて当時被告人が一時大阪にいなかつたもので、この点に関する同証人(原審当時は西村君子と名乗つていたが、戸籍上は「まさの」が本名。)及び西村為男の原審証人としての各供述はいずれも記憶違いによるものであつたことが明らかであり、同各供述に疑いがあるとした原判決の判断には何ら誤りのなかつたことが一層明白となつたのである。因みに、被告人は上申書(昭和四二年六月一六日受付。一六冊五七五一丁以下)中で「捜査陣は古賀はむろん(当人を証人とすることができれば、大阪でのアリバイ一切がうきぼりになる。)、靴屋一家(五人家族)、眼帯の男(私の処で寝起きしていた)、また出入の女等々の住所氏名を知りぬいて隠して出してくれない。」と主張し、さらに当審第一四回公判で以上の人々に関し「警察の一番初めの取調の頃からアリバイですから詳しくメンバーをあげて説明している。」と供述するが(一五冊五四七〇丁裏以下)、被告人がこれらの人々について言い出したのは昭和四二年一月二七日の当審第一三回公判でのことである(一五冊五四〇〇丁以下)のみならず、右の人々が昭和二九年一〇月二五、六日頃被告人が大阪にいたことを知つている事情に関しての被告人の供述はそれ自体極めて不可解で到底首肯できない(しかも、一五冊五四〇〇丁裏以下では「昭和二九年一〇月当時には古賀はあまり寄りつかなかつた。」と述べており、また当時被告人は天王寺公園の小屋で巡礼母子と同棲していたので「眼帯の男」が寝起を共にし得る状況にはなかつた。)。
(七) 被告人の郷里と被害者方とは同村でも四粁以上も隔つており、被告人は一度も山根保方付近に行つたことがなく、また同人方一家六人を皆殺しにしなければならない理由も必要もなかつたとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第三の(二)・(五)。)について。
被告人は原審第四〇回公判では「牧川部落は人も地形も知らないが、むすび山の上から回りを見たことがあるので、山の手前から見渡せる範囲は知つている。牧川には子供のときから一回も行つたことがない。」旨(六冊二〇五三丁裏以下)、原審第四九回公判では「牧川への道は行つたことがないから知らないが、田舎の道は田の畦を通つて行けば大体何処にでも行けるということを私は農村出身であるから見当はついていたと同時に、子供の頃むすび山の頂上で木の上に上つて遊んだことがあるので、裏側がどんなふうになつておるかということも遠い記憶に残つている。」旨(七冊二七五〇丁以下)、「自分は本件犯行現場である牧川には以前行つたことがなく全然知らない。しかし汽車の上から見たことはある。」旨(七冊二七六八丁以下)各供述し,且つ上申書には「牧川はへんぴなところで子供の頃から一度も行つたことがない。」旨記載し(七冊二四七八丁以下)ながら、当審第一四回公判では「牧川は戦前まではよく知つておりましたです。それから戦後はあまり行つたことはありません。と申しますのも牧川のあの部落をつきぬけて鉄道線路の暗渠へ通ずるキドヤマ方面は私たち部落の柴刈場であります。それで青年時代よく通つたことがあります。」というのである(一五冊五四三六丁以下)。以上によつてみれば、被告人はむすび山より奥の牧川方面に生来一度も行つたことがないとの被告人の弁解は到底採用できない。
また、本件犯行に際しての前後の状況に関する被告人の警察以来の各供述を通じて考察すれば、被告人は金品奪取のため山根保方に侵入し、台所土間で誰何された際一時は逃げ出そうとも考えたが、その夜どうしても金を取る気持で一杯であつたため「ええくそやつてやれ」という気になり結局その目的の実現と証拠隠滅のため同人方一家六人を殺害するに至つたものと認めざるを得ない。(本件については、記録中の被告人が殺人を犯しかねない性格の持主であることを認めさせるような供述記載《二冊六九四丁・三冊一〇二二丁裏・一〇五二丁裏以下・四冊一四四三丁》は事実認定の資に供しない。)
(八) 被告人の捜査官に対する自白は、(1)商売資金を得るため郷里に帰る旅費をパチンコ屋で儲けたとの点、僅か一万円の資金を得るため大阪から山口県に帰る気になつたとの点、(2)堀経由で帰郷したとの点、バス賃を十分持つている筈の者が何故に十里の徒歩旅行をしなければならなかつたかの点、(3)納屋の引戸をあけて侵入したのにその戸を閉めて逃走路をふさいだことになる点、(4)調理場には脱穀した玄米が山積していたのでそれを持つて行くのが自然であるのに何故にその中を通つて母屋に入る必要があつたかの点、(5)藁縄は何の必要があつた��の点において不合理であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第三の(一)、弁護人小河正儀の論旨一の2。)について。 
(1)被告人の警察以来の各供述(三冊一一七八丁以下、四冊一二三七丁以下、四冊一三二三丁以下、四冊一三五九丁以下。警察録音テープ第二巻)を通じてみれば、被告人は昭和二九年一〇月一九日大阪市内でたまたまパチンコで儲けた金で一杯飲んだことから急に里心がつき、郷里に帰つて子供の顔や家の様子を見たり、よい仕事があれば働こうと考えたり、場合によつては両親に商売資金を出させたりするなどの考えであつたもので、当初から僅か一万円の資金を得るために帰郷したものとは受け取れない。(2)被告人の警察以来の各供述調書(四冊一二二七丁以下・一二六二丁以下・一二六八丁裏以下・一三二五丁以下。)には、被告人は昭和二九年一〇月二〇日夜三田尻から防石鉄道の線路伝いに堀駅に出て同夜同駅構内に寝た旨の記載があり、且つ被告人の司法警察員に対する供述調書(四冊一三一五丁以下)中には、右の寝た場所に関し「堀駅構内北側の材木等が積んであるところで、近くに黒いような紙のような物に何かぬつたもので屋根が葺いてある小屋のあつたことが翌朝みてよく記憶にある。」旨の記載があるところ、原審証人森岡正秋の供述記載(六冊二二五九丁以下)・佐波警察署と山口県警察本部長との間の電話聴取書三通の各記載(六冊二二三六丁ないし二二三九丁裏)・当審各検証調書の記載(一一冊三七七〇丁裏以下・一三冊四四六八丁裏以下。)によれば、右屋根は堀駅構内北側材木置場の北方にあつて昭和二八年七月から八月(被告人は昭和二八年五月以来同地方にきたことがないという。)にかけてルーフィン葺にされた右森岡証人方の屋根にあたることが認められ(以上の各証拠によれば堀駅構内付近にはルーフイン葺の屋根は他にない。また、六冊二二三八丁一四行目以下によれば右森岡方家屋は元鶏舎であつたものを改造した間口三間・奥行二間位のものである。)、前記被告人の捜査官に対する各供述には裏付がある。被告人はこの点に関し原審第四九回公判で「これはキジア台風だつたですが、二六年か二七年に私は大正通りの増本建設に出ておつたのであります。それでこの時に住宅を二〇戸堀付近に建てたわけであります。これを私は責任を持つておりました関係上全製材をやつたわけであります。この時の図面からいつても、みなルーヒンぶきになつておつたんであります。それをまとめてトラツクで持つて行つてあの付近に建てたり、あの付近に流れたらバラツクだつたら必ずルーヒンでふいた家だとこういうふうに思つたから、当時のことと総合してみて、当時というのは終戦前の私が勤めておつたころの状況とにらみ合わせて言うたことなのであります。」(七冊二七三四丁裏以下)と弁解するが、その内容自体から到底採用の余地がないのみならず、右供述からすれば、被告人は職業上の経験から夙に屋根葺用の被告人のいわゆる「ルーヒン」なるものを熟知していた筈であつて、前掲供述調書中の「黒いような紙のような物に何かぬつたもので葺いてあつた。」との表現には直ちに首肯しがたいものがある。さらに、被告人の司法警察員に対する供述調書(四冊一二九六丁以下)には「昭和二九年一〇月二一日午前一一時頃八坂の三谷川の橋を渡つた所の散髪屋前の店でパン四個位を買つてたべながら歩いた。」旨、検察官に対する供述調書(四冊一三二六丁以下)には「昭和二九年一〇月二一日夜あけおきて堀の町をみてから八坂へ出て散髪屋の前の店で女の人からパンを三個位買つてから仁保井開田へ向つた。」旨の各供述記載があり、且つ被告人作成の図面(四冊一四五九丁)中に「十月二十一日この家がバンカツタ所」として表示があるところから、当審において検証の結果「一一冊三七七一丁裏以下・一三冊四四六九丁以下。)、右の店は三谷川橋北詰から東方四軒目の渡辺美太市方に該当することが認められたのである。この点につき被告人は原審第四九回公判で「三谷川橋の所にパン屋があるということは、ここは学校もあるし、旅館もあるし、散髪屋もあるし、昔バスの終点になつておりました。それで町ですからパン屋の一軒ぐらいどこかにあることは私は見当をつけて言つたわけなんであります。」というが、その弁解は前記被告人作成図面中のパン屋の位置とこれに対する当審検証結果とに照らし到底採用の限りでない。さらに、被告人は上申書中(一一冊三八七一丁以下)で「三谷川の橋のたもとの散髪屋は昭和二九年一〇月頃既になかつた。」というが、当審証人新宮直次の供述記載(一三冊四四六三丁以下)・蔵田敏雄(一二冊四一〇三丁以下)・山本義方(一二冊四一〇七丁)・新宮直次(一二冊四一一一丁以下)の司法警察員に対する各供述調書の記載、新宮直次の住民票謄本(一二冊四一二九丁)の記載によれば、右三谷橋たもとの散髪屋は新宮直次方のことで、同人方では昭和二九年一一月一九日まで三谷川橋のたもとで営業が続けられていたことが認められる。さらに弁護人小河虎彦は当審第三回公判で「三谷川橋は当時仮橋であつたのに、被告人の捜査段階での供述が仮橋を通つたという供述になつていないことは不可解である旨」主張するので検討するに、右各証拠によれば三谷川橋は昭和二六、七年のキジヤ、ルース台風で流失し昭和二九年一二月三〇日に新たな橋が完成(同年一〇月竣工予定が延期された。)するまでは、その上に架設されていた仮橋が一般の通行に供せられていたことが認められる。しかし、被告人の司法警察員に対する供述調書中には、その供述として「三谷川の橋を渡つた。」とあつて(四冊一二九七丁)、「仮橋を渡つた。」とはないが、これがためその供述が不可解であるとするには足りない。以上の認定経過に被告人が当時家郷を捨て浮浪生活を続けている身であつたことなどを合わせ考えると、三田尻から防石鉄道の線路伝いに堀・八坂を経て徒歩で帰郷したとの被告人の供述は、たとえその間の道のりが所論のとおりであるとしても、真実とみないわけにはゆかない。(3)犯人が侵入口を閉めるということは必ずしも不自然稀有のことではない。なお、被告人は本件の前々夜山根方納屋裏付近で同人方の様子を窺つていた際他人に発見された事実がある(被告人供述四冊一二三〇丁以下。関係人供述等三冊一〇九五丁以下・一〇九九丁以下・一四冊五一五五丁以下。なお前掲(二)の説示中一四五五丁の図面に関する点参照。)。(4)山根保方の納屋に玄米が積んであつたことは記録上(二冊五五二丁図面)認め得るが、同所は暗かつたうえに被告人は納屋の引戸をあけて入ると直ぐ右折して母屋に通ずる開き戸をあけて台所土間に出たため右の玄米に気がつかなかつたものと認められる(司法警察員に対する供述調書四冊一二八七丁・検察官に対する供述調書四冊一三七二丁以下)。それに被告人は最初から米だけを狙うつもりではなかつた(検察官に対する供述調書四冊一三六九丁裏以下)。(5)被告人の供述によれば「現金をやれない場合には米をやろう。米をやるなら序でに自転車もやれば都合がよいがなあなどといろいろ思案の末牧川に行くことに決めた。そして小屋を出るとき米の袋の口を破つたり自転車の荷張りのときよく縄がいることがあるので、小屋の中をさぐり鋤の柄の方にかかつていた縄の中から取りやすい藁縄をとり、引張つてみたら丈夫そうであつたので、これを腰にまいて前の方で一回もじりその端を胴の両横にはせておちないようにして出かけた。」というにあつて(検察官に対する供述調書四冊一三六九丁裏以下)、その供述が不自然不合理であるとは考えられない。
(九) 被告人の地下足袋は鳶職用山型裏のもので、その買入先は名古屋駅裏の右側の地下足袋店であるのに、原判決が現場の足跡が普通の地下足袋の足跡であることから同駅裏左側にある小崎時一方で買つた月星印のものであると��定したことは重大な事実誤認であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の1。弁護人小河正儀の論旨一の3。)について。
しかし、被告人は当時自分が履いていた地下足袋に関し、原審第四一回公判では「一〇文七分の五枚付鳶職が履く地下足袋であつた。」旨(六冊二一二〇丁以下)、同第四九回公判では「自分は警察の取調に際し名古屋で買つた地下足袋は鳶職の履く五枚合わせのものであると言つたが、絶対にお前はそんな足袋を買つておらんと言つて取りあつてくれなかつた。」旨(七冊二七六六丁以下)、当審第四回公判では「自分の買つた地下足袋は四枚はぜの鳶職用のものと思つていた。買つた場所は小崎の店よりもまだ先である。その地下足袋の裏は無地で文数もなかつたと思う。」旨(一二冊四三二四丁以下)、当審第一三回公判では「自分は警察の取調に際し名古屋駅裏で買つた地下足袋は鳶の足袋でとにかく土方には履かれん四枚はぜのものであることを主張した。」旨(一五冊五三五八丁裏以下)及び「自分は警察で最初からあくまでも名古屋駅裏で買つた地下足袋は例の普通の地下足袋ではなく、鳶職の履く四枚はぜのものであると申し上げている。」旨(一五冊五三七三丁以下)各供述するが、警察の録音テープ第二五巻中の被告人の供述には「あれは名古屋で八月に買つたあさひ印で裏は波型であつたと思う。」とありまた当審第一四回公判では「捜査段階における調書中に自分の供述として普通の形の地下足袋と出ておれば、そのとおり自分が言つたかも知れない。」旨供述する(一五冊五四八二丁以下。被告人は捜査段階では一貫して普通の地下足袋と供述している)など一貫しないものがあるのみならず、当審で被告人が地下足袋を買つたと主張する名古屋駅裏の本郷店は、被告人のいう場所や構と必ずしも一致しないし、また当時同店で販売していたという地下足袋は証第三〇号のように裏に極めて明瞭に「大黒足袋」という印と文数がはいつていて、山形及びこれを側面から観察した点で被告人の主張するものとは一致しない(七冊二五二二丁以下・一二冊四三二三丁以下・四三三〇丁、一三冊四五三六丁以下・四六〇七丁以下・四六一三丁以下、一五冊五四九四丁以下。)。以上は、被告人の当審第一四回公判での「自分はなまかじりながら犯人を捜し出す上に足跡は一番大事な点であることを習つていたので、足跡が問題になつて地下足袋のことを聞くんだなと知つていた。」旨の供述(一五冊五四六〇丁以下)を合わせ考えると、被告人は当時自分が履いていた普通の地下足袋の銘柄を忘れているか、ことさらに隠して、これを鳶職用のものであつたと強弁しているとしか認められない。なお、原判決の理由中に「証人小崎時一は結局被告人自供の地下足袋を買つたという頃、月星印地下足袋を売つていなかつた旨述べている。」旨判示するが、(40)原判決引用(40)の証人小崎時一に対する尋問調書(七冊二五〇七丁以下)には、その供述として同人方で右の当時月星印地下足袋を販売していた旨の記載があり、しかも同供述記載によれば、当時名古屋駅裏界わいで月星印地下足袋の販売店は他に一軒もなかつたことすら認められ、原判決の右判示は誤りであることが明らかであるが、このことは判決に何ら影響がない。
(一〇) 現場に遺留の藁縄は原田次正の鑑定によれば、農林一〇号種の稲藁を矢野式製縄機で製作したものであるというが、農林一〇号の栽培並びに栗原式製縄機は当時仁保地方に普及していたもので、これを藤村幾久の農小屋から持ち出したというのは捜査官の誘導にほかならないとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の3。弁護人小河虎彦の論旨第三の(五)。)
しかし、当審証人渡辺繁延の供述(一四冊四七一三丁以下)その他記録上認められる捜査経過によれば、右藁縄は被告人の自供によつてはじめて藤村幾久方の農小屋から持ち出されたことが判明したもので、捜査官の誘導によつたものであることを認むべき何らの根拠もない。もつとも当審証人原田次正の供述(一四冊四六八七丁以下)によれば、右藁縄は農林一〇号であるとは必ずしも判定し得ないが、このことは本件認定を左右するに足りない。
(一一) 唐鍬・包丁が兇行に用いられたことは証拠上明白であるのに、これらに指紋が検出されなかつたとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の3。)について。
広島県警察技師南熊登の鑑定書(四冊一五八〇丁)・原審証人高橋定視(五冊一六〇九丁以下)・同鈴山乙夫(五冊一六一四丁以下)の各供述記載によれば、右の各物件の柄から指紋が検出されなかつたが、それはいずれも脂肪の付着が多いため指紋の隆線が判然しなかつたことに原因するものであることが認められるのである。
(一二) 原審証人西田啓二は警察の囮であつて、同人は留置人でありながら嘔吐するまでウイスキーを飲んだ事実などがあるのに、同人の供述をもつて被告人の自白の裏付としていることは不当であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の7。)について。
しかし、原審証人西田啓二の供述記載(二冊四八一丁以下)によれば、右主張の事実は到底認め得ないのみならず、被告人の当審第一三回公判での供述(一五冊五三六二丁裏以下)によれば、被告人が山口警察署留置場で一時西田啓二と同房にいたことがあるのは、被告人から特に「係長に西田のところに入れてくれと頼んだ。」ことによるものであつたと認められることなどからして、右弁護人の主張は採用できない。因みに、被告人は昭和三一年一月三〇日夜山口警察署の刑事室で酒を飲ましてもらつた旨供述するが、当審証人木下京一の供述(一五冊五二九五丁裏以下)に照らし、到底右被告人供述は信用できない。
(一三) 原判決引用の被告人の自白は客観的事実に合致しない。仮にそうでないとしても、右自白以外の各証拠はいずれも事実に反し、畢竟本件における認定資料は被告人の自白のみに帰するので、原判決は憲法第三八条三項に違反するとの主張(弁護人小河正儀の論旨二の1・2、三の1。)について。
判示第三の事実に関する原判決挙示の被告人の自白が十分信用し得べきものであり、且つその余の挙示の関係各証拠が右自白を補強するに足るものであることは前段までの説示によつて明らかなところであり、原判決には所論の違憲はない。殊に当審では記録並びに新たな事実取調の結果次のことがらだけからでも本件に関する原認定が結局誤りないものであるとの確信を得た。
(1) 本件が昭和二九年一〇月二五日深夜から翌二六日にかけて原判示山根方(牧川部落の奥)で行われたものであるとの被告人の捜査段階における自供は一貫して変らないところであり(その最初は昭和三〇年一一月一一日午后二時過から被告人が自ら進んで取調方を求めて自供した警察の録音テープ第三巻中に採取のもの。原審証人木下京一供述記載三冊八六七丁裏以下参照。)、このことが客観的事実に合致するものであることは証拠上明白であり(原審証人須藤玉枝一冊一二二丁以下、同西村肇一冊一三九丁以下、同須藤クラ七冊二五四八丁以下、同堀山栄五冊一七九八丁以下、同須藤友一五冊一八二一丁以下の各供述記載。須藤玉枝検察官に対する供述調書一四冊五〇七九丁以下。司法警察員の各検証調書二冊四九六丁以下・五九三丁以下。各鑑定書一冊一六七丁以下。)、このことは本件認定上特に重要なことがらである。この点に関し被告人は原審以来「本件強盗殺人事件の日時及び被害場所は昭和三〇年一一月上旬山口警察署留置場で他の房にいた西村定信から聞いて知つたもので、それに合わせるように警察以来供述したものである。」旨強弁するが(原審第四九回公判供述七冊二七二五丁・二七八九丁裏以下。当審第一三回公判供述一五冊五三七五丁裏以下。当審第一四回公判供述一五冊五四六七丁以下、『同丁末行以下に「それに警察官の方のいろいろの雰囲気から云々」の点はここで初めて供述されたもので、従前及びその後の各供述内容からみて到底信用できない。》。当審第一八回公判供述一六冊六〇五五丁以下・六〇五七丁裏《参照》、上申書三冊八四二丁裏以下・八四九丁。七冊二四六〇丁以下《二四六〇丁の五行目に「昨日」とあるは「昨年」の誤記と認める。》・二四七二丁裏・二四七八丁裏、一二冊四〇一七丁裏以下。)、原審証人西村定信の供述記載によれば「自分は山口警察署留置場にいた時分被告人から仁保の六人殺し事件は何時あつたかと聞かれただけである。何処であつたかは余り新聞を読まないので知らない。」旨(五冊一九一二丁)、「被告人から仁保の六人殺しの事件は何時あつたかと聞かれたとき、僕はその頃は山口にはいないので九月か一〇月の初めじやないかと答えた。」(五冊一九一四丁裏)というにあつて、前記被告人の弁解は全く信用できないところであり、さらにこのことに原審証人吉川梅治(二冊四二八丁以下)・同村越農(二冊三九二丁以下)の各供述によつて認められる被告人が昭和三〇年一〇月一九日大阪市内で住居侵入・窃盗未遂罪の嫌疑で逮捕された際天王寺警察署留置場で同房の者らに対し「自分は窃盗で入つてきたが、六人殺しの分もばれたかも知れない。向うの出よう次第では仕様がない。今度はちよつと出られん。」などの旨を語つた事実並び当審第一八回公判における被告人の「自分が逮捕されて天王寺警察署に引致された際新聞記載に取り囲まれて山根の事件を知らんかと聞かれたと先に述べたのは、自分の間違いであつた。」などのその前後に亘る甚しい矛盾・撞着を含む供述(一六冊六〇五七丁裏以下・六〇五六丁以下。)をも合わせ考えれば、被告人は本件強盗殺人事件発生の日時・被害者方を誰からも聞かずに自らよく知つていたものとみなければならない。
(2) 被告人の司法警察員に対する「私は山根方の事件後すぐ大阪に帰つて天王寺公園でルンペン生活をしていたので私のしたことはまさか判りはすまい、大丈夫だと考えていた。もし調べられるようなことがあつても広島市白島町の者で原爆で家族も全部死んだという心算でいた。それで新聞も見ようとも思わず新聞を買つて読んだこともない。しかし私はあれ程のことをしたのであるからあれ以来自分のしたことが気になつてならなかつたので、あのことを忘れて気をまぎらわそうと焼酎を飲んで許りいた。もちろん前から焼酎は飲んでいたが、あれからは飲む量がうんとふえた。昭和三〇年一〇月初め頃マンホールの件で天王寺警察西門派出署の平井巡査から本署に連行されて部長さんらしい人に調書をとられた際山口刑務所に昭和二七年に行つたと口をすべらしたが、品物を売つた先の店がなくなつているとかで調書の途中で午後一〇時頃に帰らしてもらつた。その際広島市白島二丁目山根保四一才と所と名前は都合よく嘘を言つてとおつたが、山口刑務所と言つてしまつたから照会されたら判ると考えそれからは気になつておちおちしておられないようになつたので、金さえあれば早く神戸の方にでも逃げようと思い、たしか一〇月一五、六日頃に当時一緒にいた福井シゲノに神戸の方に働きに行こうと思うから金を千円位作つてくれと頼んだことがある。その後一〇月一九日拾つた屑を問屋に持つて行つての帰り天王寺駅に出て待ち合わせていた福井シゲノと出会つたとき、福井が目で合図して『刑事さん刑事さん』と小声で知らしてくれたので逃げだしたが、一〇米位行つたところにタクシーがあつて逃げられなかつたため、平井巡査ともう一人の私服の巡査に逮捕されたのである。」旨(四冊一二八八丁以下)、「私は昭和三〇年四月終り頃から福井と関係ができて一緒にいたがその間同女から何か悪いことをしておるんじやないかと聞かれたことがあり、その際詐欺をして前科があると言つたことがある。また、あるときは福井が『あんた夜うなされておつた』と聞かせてくれたこともあつた。平井巡査に一度引かれてからは特におどおどしていたので福井も私の様子を特別怪しんでいろいろ聞いていた。」旨(四冊一二九三丁以下の各供述に対しては、原審証人福井シゲノの「私は昭和三〇年四月以来被告人と心易くなり茶臼山やガード下などで一緒に暮していた。被告人がマンホールの件で平井巡査に署へ連れて行かれて帰つてから私に『千円作つてくれ、神戸まで行かねばならぬ。お前だけに言うが早く飛ばねばならぬ。』と言つたので私はそれは作るが晩まで待つてくれと言うのに早く作つてくれと言うし、また被告人は平素山根保と名乗つているのに、私に預けたジツセキ(転出証明書の意)には岡部保となつておることなどから不思議に思い平井巡査にそのジツセキを見せた。その後平井巡査から逮捕されることになつた。被告人は自分と同棲中寝ていて首に手をやり『悪かつた、かんにんしてくれ。』と言つて苦しむので、私が起してやると、ため息をしていることがあつた。その時は顔が青くなつて汗を流していた。そのようなことが四・五回あつた。」旨の供述(二冊四〇七丁以下)によつて裏付けられるところであり、被告人の警察以来の自白の真実性を認定するうえに看過することができない。
(3) 前記(八)・(2)に説示のように被告人が警察で述べた「昭和二九年一〇月二一日朝防石鉄道堀駅構内材木置場から見た黒いような紙のような物に何かぬつたもので葺いた屋根」は森本正秋方の昭和二八年夏に葺いたルーフインの屋根であり、また(五)に説示のように被告人が警察で述べた「昭和二九年一〇月二四日午後六時頃女の人からパンを買つた宮野新橋の店(角の店)」は同年六月中旬に開業したパン菓子類等を販売する石川松埜経営管理の店舗であつたことが認められ、これらのことだけからしても昭和二八年五月頃以来山口地方にきたことがないとの被告人の弁解を否定するに十分であり、前掲(四)・(六)の原審及び当審証人三好宗一・同向山寛、原審証人山本高十郎、当審証人西村まさのの各供述の信用性等と合わせて被告人が本件犯行当時山口地方にきていたことを認めることができる。
(4) 被告人の捜査段階における(1)「山根保方でカーキ色の折襟の上衣を取つた。」旨(三冊一一九八丁以下)、(2)「その服は木綿のよりはよい国防色の折襟で普通の背広よりは狭く折るようになつた夏物か合物でさわりのやわらかい感じのものであつた。」旨(四冊一二二四丁)、(3)「その服は山根夫婦の部屋の枕許のあたりの上にかけてあつた。」旨(四冊一三四〇丁裏。同調書は昭和三〇年一月一三日付であるが、原審証人橘義幸の供述《三冊九五六丁以下》によれば,その前日までの取調メモによつて作成されたものであると認められる。)、(4)「その服は大阪の天王寺茶臼山の便所の横の小屋にいた時分、同棲していた福井という焼酎婆が酒に酔うてりん気半分に小屋を焼いた際焼失した。」旨(四冊一二四八丁裏以下・七冊二七八一丁裏)の各供述は、(1)・(2)の点につき司法警察員の捜査報告書の記載(六冊二二四五丁以下)、原審及び当審証人木村完左(一冊一五五丁以下、一一冊三九一六丁以下)、原審証人須藤玉枝(一冊一三二丁)、同山口信(六冊二二七六丁以下)の各供述記載、須藤玉枝の検察官に対する供述調書(一四冊五〇八二丁)、押収のカーキ色ズボン一着(証第一号)、(3)の点につき司法警察員の「裏付捜査状況報告書」と題する書面の記載(六冊二二四三丁以下)、原審証人木下京一の供述記載(三冊八六七丁)、(4)の小屋を焼失した点につき原審証人福井シゲノ(二冊四〇八丁裏以下)・同山本高十郎(二冊四〇〇丁裏以下)の各供述による裏付けがあり、真実とみるべきである。以下の点に関する原審第四九回公判における被告人の「自分は警察の取調に際し『山根方を出る際鴨居にかけてあつた国民服を持つて出た』と述べたが、それは当人が曹長であるので、当時国民服は誰も一、二着持つておつた筈と思い、ちよいちよい着として、そういうところにかけてあると思つておつたので、そう言つたものである。」との弁解(七冊二七六八丁以下・二七九五丁以下)はそれ自体不可解で採用できない。なお、以上の上衣は司法警察員検証調書二冊五九七丁裏及び同調書添付第一図に各記載のものとは異なるものである。
(5) 前記(二)に説示のとおり四冊一四四九丁・一四五〇丁・一四五一丁・一四五五丁等の各図面は被告人によつて任意に作成されたもので、それらが本件犯行現場の状況に概ね符合し(あらゆる細部の点にまで亘つて符合することは寧ろ困難であると考えられる。 
)、且つまた検察官がした現場検証に際し、それまで全く現場付近に行つたことのないという(一五冊五四八二丁裏以下)被告人が何ら遅疑逡巡することなく本件犯行に際しての行動を指示説明し、それらがすべて犯行直後の検証(二冊四九六丁以下)に際しての状況に概ね一致する(三冊七八六丁以下)ことは、本件認定上容易に看過できない。被告人は原審第五八回公判で「検察官の検証に際しては、前もつて検察官に説明して教えられたとおりをそのお気に入るように説明して行つたわけである。」旨供述し(八冊三〇九二丁以下)、さらに当審最終の第一八回公判で援用の昭和四二年一一月二日受付の上申書中で「以上の検証に際しての指示説明は現場で警察官から暴行を受けやむなくしたものである。」旨主張するが、それらの供述は当審証人中根寿雄の供述(一六冊五八一〇丁以下)のほか原審証人橘義幸・同松田博・同小島祐男の各供述に照らし到底採用できない(検察官から説明して教えられたとおりをそのお気に入るように行つたというのであれば、何ら主張のような暴行を加えられる筈がなく、また如何なる理由によつても検察官の現場検証に際し、警察官が被疑者に暴行等によつて指示説明を不法に強要するなどということは経験上からしても考えられない。)。
(一四) なお、当審第一五・第一六回公判での補充弁論中の(1)山口警察署取調室の窓にはカーテンが取付けられて講堂その他から室内を見えないようにし、通路の入口には縄張りして通行止の貼紙をし、講堂から右取調室に通ずる入口には新たに扉を設けて通行ができないようにしたことは被告人の訴える拷問事実を推察させるに余りがある(弁護人小河正儀)。(2)昭和三〇年一一月一一日の録音の採取は午後九時から始められて深夜二時過迄かかつたものである(全部で六巻あるのに、一巻を聴取するのに約四〇分を要する。)(弁護人小���正儀)。同日警察における取調は午前中から午后一二時近くまで続けられたことは録音テープ第六巻中に「今一一時五分だから云々」という取調官の発言があることからも明白である(弁護人阿佐美信義)。(3)警察の録音テープの罐に午後八時開始の記載があり、その日に八巻録音を採取している。一巻につき三〇分を要するから午後一二時までかかることは算数上明白である(弁護人小河虎彦)。(4)同月一八日採取の録音テープ一一巻には二時を打つ時計の音が聞え、一三巻には「三時頃」と「今晩はよう言うたで。」との発言があることなどから、同日の取調が長時間に及んだことが窺われる(弁護人阿佐美信義)。(5)警察の録音テープの第一巻からの被告人の発言をきくと被告人が極度の疲労をしている状態が窺える(同弁護人)。(6)同月二一日付のテープ第一四巻において取調官は「台所の炊事場に置いてあつたことはおかしい。」との発言があるのは柿の渋と庖丁を結びつけるための誘導である(同弁護人)。(7)録音テープ第一三巻中には「金はどの位か、見当で言え。おおよそでよい。なんぼうか言え。こつちにはわかつているが、あんたがいわなければいけない。」と問うている。これに対し被告人は「服のポケツトにあつた一万円を盗つた。」旨供述している(同弁護人)との各点について。
(1)当審証人木下京一(一五冊五二九一丁裏以下)・同中根寿雄(一六冊五八一四丁以下)・同山口信(一四冊五〇三二丁裏以下)の各供述並びに当審検証結果(一五冊五二六五丁以下)によれば、山口警察署で本件を取調べた当時は新聞記者の出入が激しく時には取調の邪魔になることもあつたことから窓にカーテンをはつて講堂側から取調室内を覗かれないようにしたり、通行禁止の札を貼つて廊下の通行を制限するなどの措置を講じたことが認められるが、右の措置をもつて被告人の主張の拷問事実を推測すべき根拠とはなしえない。(2)原審証人木下京一の供述記載(三冊八六七丁裏以下)によれば昭和三〇年一一月一一日の取調べは、被告人の申出により午後二時二〇分頃から開始し同日午後四時頃終了したところ、同日午後九時頃に至り被告人の再度の申出により更に取調を始めたためやむなく同日午後一一時過ぎ頃までに至つたことが認められ、同日の録音はその間に採取されたものであることが認められる。(一巻の聴取に要する時間は約三二分ないし三五分である。)。(3)警察の録音テープの函(罐はない)に「午後八時開始」の記載あるものは一つもない。(4)同月一八日採取の録音テープ一一巻中には五時を打つ時計の音は聞かれるが(四時を打つ音に聞き間違えやすい。)、所論のように「二時を打つ時間の音」は聞かれない。そしてその後に間もなくサイレンの音が聞えるが、証第二七号中の一一月一八日の記載をも合わせ考えるとそれは五時の終業のサイレンと解される。更に、一三巻中には所論のような「三時頃」との発言は全く聞かれない。しかも、証第二七号中の「一一月一九日」の記載をも参酌すれば、右一三巻の録音は同月一九日に採取されたものと認めざるをえない。(5)警察の第一巻からの録音を聞けば、被告人が真実の自白を決意しながらも親や子の身辺に思いを馳せ、あるいは過去の非行に対する後悔の念等が錯そうして極めて切ない心情にあつたことが窺われ、聞く者をして涙をそそらせるまで真に迫るものがある。これを被告人が極度に疲労している状態であると聞くのは当らない。(6)第一四巻の録音中には「台所の炊事場とはおかしいではないか」とあつて、その前段の問答からみてそれは「台所の炊事場」との言葉の表現がおかしいとの意に解される。所論のように「台所の炊事場に置いてあつたことはおかしい」との発言ではない。(7)第一三巻中には「金はどの位あつたか云々」の問に対し「まぜこぜで」と答え、更に「まぜこぜでおよそなんぼ位、およそでええ。後で弁当食つたり酒のんだりしたんでおよそでええ。言つてみんさい、およそどの位だつたか。」との間に「一はいしろ位。」と答えたのに対し「一はいしろとはどの位か。こちらは判つているんじや��。あんたの口から聞くということ、これは大事なんじや。」と問うたのであつて、右のうち「こちらは判つているんじやが。」というのは「一はいしろとはどの位か。」との意味は「こちらは判つているんじや。」との意に解される。所論のように「金はどの位か。こちらには判つているがあんたが言わなければいけない。」との問は聞かれない。また、右の問に対し「服のポケツトにあつた一万円を取つた。」旨の供述はなく、「七・八千円から一万円位あつたと思う。」との供述がある。右供述に関し、被告人は当審第一三回公判(一五冊五三四六丁末行以下)では「たんすの方から状袋にある七千円を取つたというのはわたしの考えから言うたわけです。」と供述し、弁護人小河正儀の一万円に近付くように言つたのか。」との誘導尋問に対しては「はい天王寺署で逮捕されたときに、そこの署員がわたくしの手を出させて言うには、それは何とかの波状紋だと、三人組強盗で三六万円口だと言うたわけです。それで私はてつきり三人組で三六万円程やられたんだなとその頃思つておつたんです。三人組もあと二人の犯人が出てくるんだと考えておつたんです。警察が一万円とすれば七千円位がちようどいいからそう言つたんですが、私は初め三六万円から二〇万円、一〇万円、五万円と下げていつたわけです。そして七千円と。友安警部がお前金もありもせんのに馬鹿らしいことをしたもんだと言われたんで、百姓屋には金がなかつたんだと思つたから、七千円はたんすにあつたんだと、七百円は財布の中にあつたんだと、警察の方が言われたわけです。それでそのように合わせたわけです。」と供述し、昭和四二年二月一〇日受付の上申書(一五冊五五〇四丁裏以下)中にもほぼ同様の記載があり、さらに当審第一四回公判での裁判長の「あんたが七千円いくらの金を取つたということになつているがあの金額はどうして出たのか。」との問にしては「友安警部さんがお前は金もないのに馬鹿なことをしたと言われるんで、三六万円から少し宛二〇万円、一〇万円と下げていつてあの段階に落ついたら、その位だろうと言つて拷問がなくなつたんでこの位のところに置いておけばいいんだと思うて言うたわけです。」と供述する(一五冊五四七九丁以下)。以上の被告人の供述の如きは全く理解しえないところであつて窮余の弁解としか受取れない(単独犯行として自白の本件につき三人組強盗の金額を持ち出したことは理解できない。)。もつとも警察の録音中には執ようにわたる質問がところどころ聴取されるけれどもそれらは概ね被告人が一応本件を自白した(第三巻中で被告人は本件犯罪そのものを全面的に認めている。)のちの細部に関するものであり、犯罪史上未曽有の極悪重大な本件についての被告人(しかも元警察官であつた)の自白の任意性を否定しなければならない程のものとまでは認められない。
二 被告人は昭和三〇年一〇月一九日逮捕されて以来窃盗の容疑者として取調を受け同月三一日山口地方裁判所に窃盗未遂罪で起訴され、その頃同裁判所からその第一回公判期日を同年一一月二九日に指定する旨の通知を受けた。しかるに、同裁判所においては同月一四日付の検察官の申請に基き右期日指定を取消し、該期日は追つて指定する旨の決定をした。しかし検察官の右申請は専ら本件強盗殺人事件の捜査のためのもので、現に捜査官においてはその後専ら右事件の捜査をし、右期日変更申請の日から一三六日を経過した昭和三一年三月三〇日同事件を起訴するに至つた。右捜査は前記窃盗未遂被告事件の勾留に藉口してなされた違法なもので、その間捜査官の手になる被告人の自白調書及び録音もまた違法に帰し、これらは断罪の資に供すべからざる旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第一点。この点に関するその余の弁護人・被告人の論旨も同旨。)について。
記録に基いて検討するに、被告人は住居侵入窃盗未遂の被疑事実で昭和三〇年一〇月一九日大阪市内で逮捕され、同月二二日山口地方裁判所裁判官が発した勾留状の執行を受けて代用監獄山口警察署留置場に勾留され同月三一日右各事実につき山口地方裁判所に起訴されて、その頃その第一回公判期日が同年一一月二九日午前一〇時と指定されたが、同裁判所においては検察官提出の同月一四日付変更申請書に基き被告人の意見をも聞いたうえ、同月一七日付にて右期日指定を取消し該期日は追つてこれを指定する旨の決定をしたこと、その後同年一二月一〇日付で窃盗罪の追起訴がなされ、さらに前記住居侵入・窃盗未遂罪についての勾留が起訴後三回更新されてその最後の期間満了の前日である昭和三一年三月三〇日本件強盗殺人罪についての追起訴がなされたこと、前記検察官の期日変更申請は、その申請書には単に「当職において差支のため」と記載されているのみであるが、記録上窺われる当時の捜査の推移から、右各追起訴の窃盗罪と強盗殺人罪との捜査のためのもので、しかもこれらの捜査は前記住居侵入・窃盗未遂罪についての勾留中におこなわれ、所論の被告人の自供調書及び録音もかかる捜査の段階でできあがつたものであることが認められる。しかしながら、ある事件について勾留起訴の手続をとつた後、捜査官がその者を他の事件の被疑者として取調べることは、捜査官において専ら他事件の取調に利用する目的をもつてことさらに右勾留・起訴の手続をとつたものでない限り何ら法の禁ずるところではないと解される。本件では捜査官が本件強盗殺人事件について捜査中探知した前記住居侵入・窃盗未遂事件についての捜査を遂げ指名手配の結果、大阪市内でルンペン仲間に入り住居不定の生活をしていた被告人(当時ルンペン仲間では「広島のおつさん」と呼ばれていた。)をようやくにして発見逮捕し、右手配の被疑事実に関しそれ自体独立に勾留の理由も必要も十分あつたため裁判官に対し勾留の請求をし、且つ起訴の条件も具備していたためこれを起訴したもので、捜査官において当初から専ら前記各追起訴事実の取調に利用する目的または意図をもつてことさらに右の勾留・起訴の手続をとつたものとは認められない。してみれば、検察官が所論のように第一回公判期日の変更を求めたうえ住居侵入窃盗未遂罪について勾留中の被告人を前記追起訴の各事実についての被疑者として取調べたからといつて、これを違法とすべき理由はなく、またその取調をもつて直ちに自白の強制や不利益供述を強要したものとみることもできない。もつとも、前記検察官の公判期日変更申請の日から本件強盗殺人罪の起訴の日まで一三六日を経過していることは所論のとおりであるが、記録及び捜査官が採取した録音によれば、被告人は山口警察署の取調室で昭和三〇年一一月一〇日夜八時頃その二、三日前から「いかな聖人でもあやまちはある。」などと言いきかせていた担当の司法警察員に対し「この間から説明されていたことは大体判つた。実は悪いことをしている。心をおちつけて明日状況を十分に話す。」と言いだしたことに端を発し、翌一一日から同年一二月二五日までの間(その頃はまだ住居侵人・窃盗未遂被告事件の第一回勾留更新前で、しかもさきに指定の第一回公判期日に右事件の審理が開始され、途中追起訴の窃盗事件が併合されたと仮定した場合、各事件の内容等からみて、それらの審理判決には通常すくなくともその頃まで日時を要したものと考えられる。)本件強盗殺人罪を自白し、これを犯すに至つたいきさつや、その態様並びに犯行後の状況につき詳細供述し(これにつき捜査官においては録音三〇巻を採取し、自供調書一〇通作成。)しかも事案の重大複雑なるに加えて、その供述は大筋において変りないとしても、ところどころ虚言を交えてのものであるため(一度否認しかけた。警察録音一〇巻)、これが裏付に困難を極めたことなどの諸事情を合わせ考えると、右期間の取調をもつて不当に長期に亘つたものとは認められない。さらに、その後起訴の日まで検察官により供述調書七通、検証調書一通の各作成と録音三巻の採取とが行われ、司法警察員により警察の捜査の補充として供述調書五通が作成されたが、それらの自供内容はいずれも犯行の動機順序等につき若干の修正を加え、あるいは一部につき一層具体的に詳述はしているものの、実質的には従前の自白の繰り返しであり、特にそれまでの勾留により新たに生じたものとは見られないので、これらもまた不当長期拘禁後の自白とはいえない。一方、原審裁判官としては最初の住居侵入窃盗未遂罪の起訴状に「余罪追起訴の予定である。」と記載された検察官の認印ある符箋が貼付されていたことから、追起訴をまつてこれを併合審理し一個の判決をする方が被告人の利益であると考え(中間確定判決があることについては当時予想されえなかつた。)、前述のように被告人の意見をきいたうえ検察官の申請をいれて一旦指定した第一回公判期日を取消し、これを迫つて指定することとしたものであることが容易に窺われるのである。そしてこれがため結果的には最終追起訴まで所論の日時を要したとしても、追起訴にかかる事件の重大複雑であることと、前述の��き自供経過とこれに対する裏付の困難さ並びに併合審理による被告人の利益を彼此考量すれば、原審裁判所の以上の措置には必ずしも失当であつたとはいいきれないものがある。以上の理由で所論は採用できない。なお、各所論は捜査官は本件強盗殺人罪につき取調中被告人の申出による弁護人の選任を妨げた旨主張するが、被告人は原審第四九回公判で「自分は窃盗未遂で起訴された際裁判所から弁護人は国選にするか私選にするかとの間合わせの書面を絶対に貰つていない。警察官に対し、家には父も母もおるので金は何とかするから小河先生を呼んでくれと言つたが、警察官は金がない者が弁護人を雇われるわけがないと言つて聞き入れなかつた。」旨(七冊二七九〇丁裏以下)、「弁護士さんを雇いたいんだが金がないから困るというようなことを自分の方から申し出たことはひとつもない。」旨(七冊二八一四丁以下)、当審第一七回公判では「自分が小河弁護士さんを頼んでくれと警察に申し出たのは昭和三〇年一〇月下旬頃からである。」旨(一六冊五九六七丁裏以下)各供述しながら、昭和三〇年一一月一日付弁護人選任に関する通知書及び照会書中の回答欄には「唯今は自分は金が無い為裁判所で弁護人を御願ひ致します。」(一冊九丁裏。同回答欄は昭和三〇年一一月八日付。)、昭和三〇年一二月一二日付弁護人選任に関する通知及び照会書の回答欄には「私は貧困して現ざい金が無いので裁判所で弁護人を御願ひ致します。」(一冊二四丁裏。同回答欄は昭和三〇年一二月一八日付。)、昭和三一年三月三〇日付弁護人選任に関する通知及び照会書の回答欄には「裁判所で弁護人を選任して下さい。」との印刷の文字の上に○印を付し、その理由として「貧困のため」(一冊三〇丁裏。同回答欄の日付は昭和三一年四月七日付。)との各記載がある(原審第四九回公判での被告人供述によれば、以上の各回答欄の記載は被告人によつてなされたものであると認められる。七冊二八一三丁裏以下。)。しかも。当審第一三回公判では被告人は「昭和三〇年一〇月三一日起訴の住居侵入窃盗未遂の事件について弁護人選任に関する照会書が来た際自分は『官選弁護人をお願いします』と回答したが、それはその時期には自分は強盗殺人事件について嫌疑をかけられているということがまだ判らなかつたからである。」旨供述し(一五冊五三九四丁以下)、一方被告人の同公判での供述によれば「自分が仁保事件についての嫌疑をかけられているということを知つたのは昭和三〇年一一月四、五日か五、六日頃である。」旨(一五冊五三七五丁以下)、「仁保にはおやじもおるしわしが一口いえばすぐ金ぐらい出してくれるから強盗殺人の起訴につき最初から小河先生を私選に頼むよう警察に頼んでおつた。」旨(一五冊五三九六丁)、また、阿佐美弁護人の「警察官の方からむしろ積極的に、あなた弁護人を選任しなさい、選任することができるんだと言われたことはないわけですね。」との間に対しては「言われたかもしれませんが、わたくしは自分で知つておつたから私選弁護人をお願いしますと強調したわけです。」と答えるなど(一五冊五三九九丁以下)被告人の弁護人選任に関する供述には矛盾撞着があり、且つこれに当審証人中根寿雄の「被告人の取調中誰からも弁護人選任に関する申出も相談も受けたことはない。」旨の供述(一六冊五八五〇丁裏以下)を合わせ考察すれば、前記主張は到底採用できない(起訴事件に対する弁護人選任は第一回公判期日前に公判準備に支障のない期間になされればよいと考える。)。
三 原田弁護人は当審第一五回公判で裁判所に対し職権の発動を促し、仮に被告人が本件強盗殺人罪の真犯人であるとしても、事件后一一年余を経過していることなどの理由から被告人に極刑を科すべきでない旨主張するが、本件の態様・被害状況などからみて、職権により原判決の量刑につき再考を加うべき余地があるものとは認められない。
四 よつて刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、なお原審及び当審の各訴訟費用の負担免除につき同法第一八一条一項但書を適用して,主文のとおり判決する。 
  最高裁
          主    文
     原判決を破棄する。
     本件を広島高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 被告人本人の上告趣意および(一)弁護人小河虎彦、同小河正儀、(二)同阿左美信義、同原田香留夫、(三)同青木英五郎、同沢田脩、同熊野勝之、同原滋二、(四)同西嶋勝彦、(五)同渡辺脩、(六)同石田享、(七)同及川信夫、(八)同佐藤久、(九)同原田敬三、(一〇)同榎本武光の各上告趣意は、末尾添付の各上告趣意書記載のとおりである。
 職権をもつて調査すると、原判決は、刑訴法四一一条一号、三号によつて破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。
 本件公訴事実は、被告人が、昭和二九年一〇月二六日午前零時ころ、山口県吉敷郡a町大字bcd(現在は山口市に編入)のA方において、同人を含む家族六名(夫婦、子供三名、老母)の頭部を唐鍬で乱打し、さらに頸部を出刃庖丁で突き刺すなどしてその全員を殺害し、金品を強取したとの強盗殺人の事実(一審判決判示第三の事実)および昭和三〇年六月中ごろ、大阪市において、マンホールの鉄蓋一枚を窃取したとの窃盗の事実(同第二の事実)である(なお、同第一の、昭和二七年七月中ごろにおける山口県下での住居侵入、窃盗未遂の事実については、中間確定裁判の関係で別個の刑が言い渡され、適法な控訴がなく確定してその刑の執行も終了している。)。
 右強盗殺人の事実について、被告人は、いつたん捜査機関に対し自白したが、起訴の日である昭和三一年三月三〇日、裁判官の勾留尋問に対し、犯行を全面的に否認する陳述をなし、その後、同年五月二日に開かれた第一回公判以来、今日にいたるまでその否認を続けている。
 一審裁判所は、審理の結果、昭和三七年六月一五日、被告人の検察官に対する供述調書七通および被告人の検察官に対する供述を録取した録音テープ三巻のほか、多数の証拠を掲げて右強盗殺人の事実を認定し、前記窃盗の事実とあわせて、被告人を死刑に処する旨の判決を言い渡した。原審は、昭和四三年二月一四日、被告人の控訴を棄却し、一審判決を是認したのであるが、この判決に対する上告が本件である。ただし、右窃盗の事実については、一審以来、当審にいたるまで、全く争いがなく、証拠上も問題がない。そこで、以下においては、もつぱら、右強盗殺人の事実(単に「本件犯行」ないし「本件」ということがある。)につき検討する。
 原判決の是認する本件犯行についての一審判決認定事実に関し、証拠により、ほぼ確実と認められる外形的事実は、つぎのとおりである。すなわち、
 一、判示日時、判示A方に何者かが侵入し、おりから座敷で就寝中であつたと思われる家族六名の頭部を鈍器で殴打し、ついで鋭利な刃物で六名の頸部を突き刺し、またA夫婦およびAの母Bに対してはその胸部をも突き刺して、各損傷による失血のため、全員を死亡させたこと、
 二、右鈍器は、現場に遺留されていたA方の唐鍬(証二号)であり、刃物は、同様遺留されていた同家の庖丁(証三号)であること、
 三、屋内物色のあとがあり、夫婦の寝室に五円貨一枚在中のチヤツク付ビニ―ル製財布(証九号)が放置されていたこと、
 四、裏底に波形模様のある地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)の血染めの足跡が約二〇個、主としてAの蒲団およびその付近の畳に印せられており、そのうちのひとつは月星印のマークを現わしていること、
 五、Bの死体の傍に、その状況からみて、犯人の遺留したものとも考えられる藁縄一本(証四号)が落ちていたこと、などである。
 問題は、これが被告人の所為と認められるかどうかであるが、右凶器からは指紋が検出されておらず、屋内の建具、什器等から採取された六六個の指紋のうち、約三〇個は家族のものであり、かつ、その余の指紋の中に被告人の指紋に合致するものがあつたとの証拠はなく、その他、本件犯行と被告人とを結びつけるのに直接役立つ物的証拠は発見されていない。検察側の提出した証拠も、被告人の捜査機関に対する自白と、その真実性を担保するためのもの、ないし公判段階における被告人の弁解に対する反証としての、いくつかの間接事実、補助事実に関する証拠とに限られるのである。
 これに対する被告人側の弁解の骨子は、
 一、被告人は、本件犯行があつたというころ、当時小屋掛けをして住みついていた大阪市内のe公園を離れておらず、山口方面に出かけたことは全くなく、本件犯行は被告人の所為ではない、
 二、捜査機関に対する自白は、警察における拘禁中に強制、誘導を加えられ、その苦痛に耐えかね、あるいはその影響のもとになした虚偽のものである、
 三、自供のうち、客観的事実に符合し、自供全体の真実性を裏付けるかのごとく見える点は、捜査官の暗示、誘導に基づくものか、あるいは本件犯行と関係なく、過去に経験したところによつて述べたもの、ないし偶然の一致にかかるものである、
 四、検察官が、自白の真実性を担保するものであるとし、または弁解に対する反証となると主張する諸事実は、証拠上、認められないか、あるいはその趣旨を異にする、というのであつて、この弁解を裏付けるための証拠も多数提出されている。
 ところで、本件をめぐつては、他に若干の重要論点があるのであるが、審判の核心をなすべきものは、この、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつき如何であると考える。本件一、二審裁判所が肝胆を砕いたのも、主としてこの点に存したのであり、多岐にわたる上告論旨も、その力点は、結局、無実の論証に向けられているものと解されるのである。
 もちろん、書面審査を旨とする上告審において、事実の認定をめぐる問題について検討を加え、原判決の当否を論ずることには慎重でなければならず、安易に介入すべきものではない。しかしながら、刑訴法四一一条の法意に照らし、もし、原判決に重大な瑕疵の存することが疑われ、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合には、最終審として、あえてその点につき職権を行使することが、法の期待にそうゆえんであり、しかして、本件は、事案の特質および審理の経過にかんがみ、まさにかかる場合にあたると考えるのである。
 記録によれば、本件犯行が被告人の所為であることを示すとされる直接証拠は、つぎに掲げた、捜査段階における被告人の自白およびこれに類するもの(以下において、便宜上、これらを単に「自白」と総称することがある。)のみである。すなわち、
 一、検察官に対する供述調書(昭和三一年一月一三日付ないし同年二月一九日付、計七通。一審判決証拠番号(58))
 二、検察官に対する供述を録取した録音テープ(昭和三一年三月二二日、検察官が、拘置所において、録音することを明示して被告人を取り調べ、その模様を採録したもの。一審判決証拠番号(59))
 三、司法警察員に対する供述調書(昭和三〇年一一月八日付ないし同三一年一月二三日付、計一五通。ただし、一審判決は、任意性に疑いがあるとして証拠に挙示しなかつたもの。なお、最初の二通は、前記窃盗未遂の事実による勾留中に作成された被疑者調書であつて、本件犯行の自白ではなく、逮捕時までの生活状況を供述するものである。被疑事件名は空白となつている。)
 四、警察署において録取した録音テープ(昭和三〇年一一月一一日から同年一二月二五日までの警察署における取調の際、隠しマイクにより、被告人不知の間に採録したというもの。ただし、自白のみでなく、昭和三〇年一一月一四日の否認供述を含む。なお、これらの録音テープは、一審五一回公判において、右三、の証拠の任意性立証のため、との趣旨で提出された。)
 五、検察官の検証調書(昭和三一年三月二三日になされた犯行現場等の検証の際、被告人が現場への道筋を指示し、現場において凶行の模様を再現した状況に関するもの。一審判決証拠番号(4))
 六、被告人作成の図面(昭和三一年一月二〇日付A方見取図、同日付殺害状況図、同月二二日付A方屋内状況図、同日付逃走経路図等、計一一通。被告人が、取調警察官に対し、図示説明するため作成したというもの。記録四冊一四四九丁ないし一四五九丁)
 七、被告人の手記(昭和三一年一月二九日付。記録四冊一四四七丁。原判決一の(三)に引用。)
 八、被告人が差し出した手紙(一月三〇日とあるもの。一審判決証拠番号(5��)。原判決一の(三)に引用。)
 九、被告人が作つた和歌などをみずから記載した紙片(一審判決証拠番号(55)。原判決一の(三)に引用。)
 一〇、C、Dの各証言(一審判決証拠番号(54)および記録二冊三八一丁以下。昭和三〇年一〇月一九日、被告人が逮捕された直後に、大阪市天王寺署留置場で、同房者たる右両名に対してなしたという発言に関するもの。発言内容は、原判決一の(一三)の(1)に引用。ただし、同所判文中、被告人の逮捕された日を「昭和二九年一〇月一九日」とするのは「昭和三〇年一〇月一九日」の誤記と認められる。また「六人殺し」とあるのは正確ではない。調書には、「六人の口」「六人組」と記載されている。)
 一一、Eの証言(一審判決証拠番号(53)。昭和三一年一月一〇日ころ、被告人が、山口署留置場で、同房者たる同人に対し、自分は犯人であるから捜査官に聞かれたらそう言つてほしいといつたというもの。)
 さて、以上の自白が、もしも信用することができ、その内容が真実に合致するものであると認められるならば、その余の証拠とあいまつて、本件犯行を被告人の所為となすべきことは当然であり、原判決は、もとより正当であるわけであるが、これが信用に値せず、真実に合致しないものであるとの疑いを容れる余地があるならば、前記のとおり、他に本件犯行の外形的事実と被告人とを結びつけるべき直接の証拠のない本件において、被告人を有罪とする一審判決を是認した原判決は、失当といわなければならない。したがつて、右自白の信用性については、十二分の吟味を必要とするのである。
 ところで、原判決は、一審判決挙示の被告人の検察官に対する供述調書のほか、司法警察員に対する供述調書の記載内容、ならびに録音テープ、図面、手記等の存在およびその内容、あるいは他の関連証拠によつてうかがわれる自白のなされた状況等を検討して、一審判決の判示に照応する被告人の自白を信用できるとしている。
 そこで、まず、被告人の右各供述調書を見ると、詳細で、かつ迫真力を有する部分もあり、また、犯人でなければ知りえないと思われる事実についての供述を含み、さらに、客観的事実に符合する点もなしとしないのであるが、他面、供述内容が、取調の進行につれてしばしば変転を重ね、強盗殺人という重大な犯行を自供したのちであるにかかわらず、犯人ならば間違えるはずがないと思われる事実について、いくたびか取消や訂正があり、また一方、現実性に乏しい箇所や、不自然なまでに詳細に過ぎる部分もあるなど、その真実性を疑わしめる点も少なくないのである。供述中には、終始不動の部分もあるが、それは主として捜査官において本件発生当初から知つていたと思われる事実についてのものであり、はたして、被告人のまぎれもない体験であるが故に動揺を見せなかつたものであるのか、捜査官の意識的、無意識的の誘導、暗示によるものであるのか、他の証拠と比較して、軽々に断じ難い。たとえば、侵入口に関する被告人の供述は、裏口からである旨、一貫しており、捜査官らの証言中には、この点が捜査陣の予想と違つていたので、自供が真実であると考えたとの趣旨のものもあるのである(記録三冊八七一丁、一四冊四八六三丁、四九六四丁)が、昭和二九年一〇月三〇日付捜査報告書(記録一四冊五〇八三丁)には、A方は昭和二一年以来三回にわたり盗難にかかつており、侵入口はいずれも裏口であつた旨の記載があることをあわせ考えると、はたして右証言をそのまま信用できるか、疑いなきをえない。そのほか、被告人の前記手記、手紙、和歌等については、原判決のごとく一義的に解釈することには問題があり、さらに、自白がなされた状況に関する証拠も明確を欠くところが多く、いずれも決定的であるとはいい難い。
 結局、供述調書の記載自体に徴し、あるいは上記関連証拠等によつて、本件犯行についての被告人の自白には信用性、真実性が認められるとした原審の判断は、肯認し難いのである。
 原判決は、さらに進んで、多くの間接事実、補助事実を認定、挙示し、右自白の内容がそれらと符合するが故にその信用性真実性に疑いがないとし、また、犯行を否定する被告人の弁解を排斥しているのであるが、そのうち最も重要なものは、つぎの六つである。すなわち、
 一、被告人が、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内のe公園にいなかつた事実、
 二、被告人が、本件発生の日の数日前に、前記b近辺において、二人の知人に姿を見せた事実、
 三、被告人が、本件犯行前数日間徘御した経路として供述した内容には、当時、被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれている事実、
 四、被告人が、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していた事実、
 五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであることが、被告人の自供に基づいて判明した事実、
 六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋が、裏底に波形模様のある月星印の十文半もしくは十文七分のものであつた事実、
以上である。
 これらは、それぞれ相互に独立した事実であるが、本件の具体的事情のもとにおいては、そのうち一、ないし五、のいずれのひとつでも、その存在が確実であると認められるならば、それだけで被告人の前記弁解をくつがえし、その自白とあいまつて、本件犯行と被告人との結びつきを肯認するに足り、六、もまた、確実であるならば、被告人の弁解に対する反証として、さらには有罪認定のための資料として、相当の比重をもつということができる反面、一、または六、が確定的に否定された場合には、被告人の嫌疑が消滅するか、または著しく減殺されることもありうるのである。したがつて、これらの事実の存否は、本件事案解明の鍵をなすものであるといわなければならない。そして、もしこれらの事実を積極に認定しようとするならば、その証明は、高度に確実で、合理的な疑いを容れない程度に達していなければならないと解すべきである。けだし、これらの事実は、上述のごとく、被告人と犯行との結びつき、換言すれば被告人の罪責有無について、直接に、少なくとも極めて密接に関連するからである。なおまた、上記一、ないし六、は、おのおの独立した事実であるから、必ずしも相互補完の関係には立たず、そのひとつひとつが確実でないかぎり、これを総合しても、有罪の判断の資料となしえないことはいうまでもない。
 ところで、原判決は、これらの事実をいずれも積極に認定しているのであるが、その理由として説示するところは、記録に照らし、必ずしも首肯し難いのである。
以下、順次、検討を加える。
 一、被告人は、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内のe公園にいなかつたか。
 この点に関する証拠としては、つぎのものがある。
 (イ)いなかつたとするもの
  (1)Gの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(16)(17))
  (2)Hの証言(同(15))
  (3)被告人がe公園に在住していた当時、血を売りに通つていた大阪市内の血液銀行の被告人関係のカルテ中には、本件発生前後のものが見当たらないことに関する一連の証拠(同(14)等)
  (4)IことJの第二回証言(昭和四一年九月七日、原審九回公判。記録一四冊四七四三丁)
 (ロ)いなかつたことはないとするもの
  (1)Iの第一回証言(昭和三四年一月一九日、一審二七回公判。記録五冊一六九〇丁)
  (2)Kの証言(同。記録五冊一六七八丁)
  (3)Lの証言(昭和三一年八月一八日証人尋問期日。記録二冊四二一丁)
 右証人らのうち、GおよびHは、本件発生の時期における被告人との関係からみて、ことさら被告人にとつて不利益な証言をしなければならない立場にあつたとも考えられないのであるが、しかし、両名とも、認識、記憶、表現等の能力において問題があり、各供述記載の内容を見ても、意味の明らかでないところや、あいまいな箇所が少なくなく、被告人が本件の前後に大阪にいなかつたとする各供述を全面的に措信すべきかどうか疑問である。血液銀行のカルテに関しても、本件発生のころの被告人のカルテがないのは、検査に合格せず、血を売ることができなかつたことによるもので、被告人が当時大阪を離れた証左ではないとの被告人の弁解を否定するだけの積極的な証拠は見当たらない。また、原判決は、一の(六)において、IことJの第一回証言をとらず、右証言の七年後になされた、しかも供述時より一二年前に属する隣人の動静についての第二回証言をもつて判断の資料としているのであるが、その合理性には疑いなきをえないし、のみならず同人の右第二回証言は、被告人が二日ほど不在であつたというのであるから、被告人が、約七日間、b近辺にいたとする一審判示を是認する根拠とはならないのである。これに対し、L証言、K証言およびI第一回証言は、同人らの資質、年齢、生活状況、被告人との関係、供述内容等にかんがみ、たやすく排斥し難いものがある。
 結局、本件発生の時期に、被告人が大阪にいなかつたとの点についての証明は、いまだ十分とはいえないのである。
 二、被告人は、本件発生の日の数日前に、b近辺において、二人の知人(M、N)
に姿を見せたか。
 この点に関する証拠としては、
  (1)Mの証言(一審において二回、原審において一回。一審判決証拠番号(18)(19)および記録一一冊三九五三丁)
  (2)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇八四丁)
  (3)Nの証言(一審および原審において各一回。一審判決証拠番号(28)および記録一一冊三九七八丁)
  (4)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇八七丁)
  (5)Oの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(30)(31))
がある。
 被告人の捜査官に対する供述調書にも、この二人に会つた旨の記載があるが、公判において、被告人は、これを創作ないし誘導による虚偽のものであると弁解する。記録中に存する捜査時の資料によれば、右供述調書作成当時、すでに警察側では右両名から被告人を見かけた旨の聞き込みをえていたことが窺われるのであり、まず被告人の自供があり、ついで両名にその真偽を確かめたものであるとなすべき証跡は見当たらない。右両名の証言の信頼性について考えるのに、両名とも被告人の罪責につきなんらの利害関係もなく、意識的に虚偽の供述をしたと考えるべき事情はないのであるが、他面、両名は、被告人と面識はあつたものの、そのころ交際があつたわけではないことが認められるほか、両名がそれぞれ被告人と会つたという日時、場所、情況、および関連証拠上、各面談の事実に確たる裏付けを欠くことなどをも考えあわせれば、人違いその他なんらかの錯誤を生じた可能性のあることも否定しきれない。また、右両名のことが被告人の供述調書に現われるのは、昭和三〇年一二月一七日付および同月一八日付の司法警察員に対する各供述調書からであるが、両調書には、被告人が後に取り消した虚偽の自白にかかる事項が少なからず含まれている点からみて、被告人の前記弁解も、あながち無視し難いのではないかと思われる。さらに、Mの一審第一回証言の調書には、原判決一の(四)に判示するとおり、被告人が反対尋問をした記載があり、そのなかには、被告人自身、Lが被告人と面談したというP製材所をかつて訪れたことを認めていると見るべき発言のあることは事実であるが、それは、被告人がLと面談したことまでも認める趣旨であるとはいえないのみか、右判示が引用するように、被告人のいう訪問の時期は、本件犯行の遥か以前で、被告人がなおb近辺に居住していた昭和二八年四月ごろというのであるから、この反対尋問の事実をもつて被告人の弁解を排斥するのは明らかに妥当を欠くといわなければならない。そのほか、前掲のOの証言等を参酌しても、被告人が、本件犯行発生の直前に、前記両名に会つていることは、いまだ確かな事実とは認められないというべきである。
 三、被告人が、本件犯行前数日間徘徊した経路として供述した内容には、当時、被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれているか。
 原判決の挙げるところは、
  (1)fのQ経営の菓子店(原判決一の(五)および(一三)の(3))
  (2)g駅付近のルーフイング葺の小屋(原判決一の(八)の(1)および(一三)の(3))
  (3)h橋際の散髪屋の前の店(原判決一の(八)の(2))
の各存在であるが、(1)については、原判決が前提とする同店の開店時期に事実誤認ある疑いが濃く、(2)および(3)についても、被告人の供述に的確に照応するものとはいい難いのである。
  (1)右「fのR店」につき、原判決は、昭和二九年六月中旬開店、同三三年三月閉店と認定し、昭和二八年春以後、この付近を通行したことがないという被告人の供述にこの店が出て来るのは、実は、昭和二九年六月中旬以後、さらにいえば本件犯行のころに、被告人がこの店の付近を通行した証左であるとする。そして、原判決は一の(五)において、右に関する証拠を挙示しているのであるが、そのうち、Qの司法警察員に対する供述調書(昭和三八年一〇月四日付。記録一二冊四一三〇丁)には、いかにも右判示にいうごとき開店および閉店の時期の記載があるけれども、同じくQ、同Sの各証言(昭和四一年四月二二日になされたものであり、店は供述の時から一二年前の昭和三〇年ころにやめたが、それまで五年ほど開いていた、とするもの。記録一三冊四三八五丁、四三七八丁)は、昭和二五年ころに開店した、との趣旨と解することができるのに対し、検証調書二通のうち一通には、昭和二九年ころ、ここに出店を出していたというだけの、場所に重点を置いたQの指示説明の記載があるに過ぎず、他の一通には、警察官Tによる場所の指示の記載があるのみで、開店時期については触れるところがない。かえつて、原判決が挙げていない捜査状況報告書(昭和三〇年一二月二四日付。記録一四冊五一二〇丁)には、Qが、現在(すなわち、原判決がなお営業中と認定している昭和三〇年一二月末ころ)、自分はそこでは店をしていない、と述べた旨の記載がある。これは、右書面の作成時期をも考えると、前記各証言を支持すべき有力な資料とするに足り、これを前提とすれば、R店の開店時期は昭和二五年ころと認めざるをえないから、そうであるかぎり、この点に関する原判示は、その基礎を失なうこととなるのである。
  (2)「g駅付近のルーフイング葺の小屋」に関して、被告人の司法警察員に対する昭和三一年一月二三日付供述調書(記録四冊一三一五丁)に、被告人がg駅北側で野宿した翌朝 「黒いような紙のようなものに何かぬつたもので屋根が葺いてある小屋」を見た旨の供述記載があること、およびg駅北側のU方家屋の屋根が、昭和二八年七、八月ころルーフイング葺にされた事実を認めるに足りる証拠のあることは、原判決一の(八)の(2)の判示するとおりである(ただし、原判決挙示のその余の自供調書、すなわち、司法警察員に対する昭和三〇年一二月一七日付、同月二〇日付、同月二五日付各供述調書および検察官に対する昭和三一年一月一三日付供述調書には、いずれも、単に駅構内あるいは駅前等で寝た旨の概括的供述の記載があるのみで、「小屋」についての言及はない。)。被告人は、前記供述について、g方面には昭和二八年五月以降行つたことがないが、たまたま昭和二六、七年ころ同地方にルーフイング葺の住宅がいくつも建てられたことを知つていたので、その知識に基づき、架空のことを述べたものであると弁解している。これに対し、原判決は、右U方家屋が、前記供述の「小屋」に該当するものであると認め、被告人の弁解はそれ自体信じ難いとし、かつ、前記供述の用語が、弁解において用いられている「ルーヒン葺」というような技術的用語でないことをも根拠として、これを排斥したのである。ところで、被告人を取り調べた警察官T作成にかかる捜査日誌(証二七号)によれば、昭和三〇年一二月二五日の項に、被告人が、g駅付近の「黒のフア〇タール塗り」の小屋について述べた旨の記載(ただし、上記〇の部分は、一字が判読困難なため、かりに〇としたものである。) があるから、この日に、被告人は、警察官に対し、「小屋」につき、右のごとき表現を用いて供述したものと考えられる。しかるに、前述のとおり、同日付の司法警察員に対する自供調書にも、その後における昭和三一年一月一三日付の検察官に対する自供調書にも、「小屋」に関する供述記載は全くなく、前掲の昭和三一年一月二三日付司法警察員に対する自供調書(これが被告人の警察における最後の調書である。) においてはじめて、g駅付近の詳しい叙述と、これに関する従来の供述を訂正する供述とがあらわれるのであつて、前記の「黒いような云々」の供述もまた、この調書にのみ存するのである。このような事実を総合し、特に、原判決の重視する「黒いような云々」の供述と、右「黒のフア〇タール塗り」という表現(その意味するところは必ずしも明らかでないが)とを比較して考えると、前記供述は、あるいは、捜査官が実地に臨んで知りえたところに基づく取調の結果、おのずからなる誘導迎合を生じたことによるものであつて、被告人自身の体験によらない架空のものではないかとの疑念を禁じえない。また、右捜査日誌にあらわれた用語は一応の技術的用語と解されることに徴し、前記供述記載に技術的用語が用いられていないことをもつて被告人の弁解を排斥する一根拠とする原判決の説示にも疑問を生ずるのである。
  (3) 「h橋際の散髪屋の前の店」に関しては、原判決一の(八)の(2)掲記の証拠も存在するので、これによれば「散髪屋」の営業時期についての判示は正当と認められる。しかし、その挙示する被告人作成の図面(記録四冊一四五九丁)には、基準となるべき「散髪屋」の表示はないのである。それにもかかわらず、原判決は、この図面に基づき、h橋北詰を基準として、その東方四軒目のV方を、被告人の自供にいうパンを買つた店にあたると認めたのであるが、同人方で本件犯行発生のころ、パンを売つていたかどうかについては、明確な証拠が見当たらない。取調にあたつた警察官Wの「昭和三一年一月一七日、X方に捜査のため赴いたとき、同人方は食料品、荒物類を販売していたのみで、パンは売つていなかつたが、店の者が昭和二九年一〇月ころはパンも売つていたと言つていた。」との一審証言(記録四冊一四一八丁裏)は、伝聞証言でもあり、その内容に照らしても、証明力は高いとはいい難いし、原審第一回検証での立会人Vの指示説明中には、前にパンを売つていたことがある旨の記載もあるが、「前」とはいつのことかこれを知る由がない。
 さて、このように、原判決の指摘する右(1)(2)および(3)の情況のうち、(1)については誤認の疑いが濃く、(2)および(3)についても、自供との関連に疑問をさしはさむ余地がある。もちろん、それがためにただちに被告人に対する嫌疑が消滅するわけではない。しかし、右のごとき証拠上の難点が解明されないかぎり、右情況の存在を判断の前提とすることはできないのである。
 四、被告人は、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していたか。
 前掲「捜査日誌」(証二七号)によれば、昭和三〇年一一月二〇日の項に被告人が「国民服」奪取の事実につきこの日はじめて供述したことを示す記載があり、また同年一二月三日の項に、A方遺品である「将校服上衣」「国民服上衣」について捜査がなされたことを示す記載があるほか、これに関連する捜査報告書の日付が昭和三一年一月一〇日および一二日である事実をも考えあわせると、その捜査は、被告人の右供述があつたのち、それに基づいてなされたものと見ることができる(Wの反対趣旨の証言もないわけではないが、これは恐らく同人の記憶違いであろう。記録六冊二二九五丁)から、本事実が確実なものであれば極めて有力な証拠となりうるのであるが、奪取したという「国民服」上衣が現存しないのみならず、この間には、なお、つぎのような問題が存在するのである。
 けだし、本事実を積極に認定するためには、被告人の捜査官に対する自白を別とすれば、
  (1)A方に本件発生時まで存在していた国防色の上衣が、その直後見当たらなくなつたこと、
  (2)被告人が、本件発生直後から国防色の上衣を所持していたこと、そして、それ以前にはこれを所持していた事実がなかつたこと、
  (3) (1)(2)の上衣が同一物であること、
が、それぞれ確実でなければならないのである。
 まず、(1)の点についてみると、A方家族全員が殺害されているため、直接の確認は困難であつて、原判決一の(一三)の(4)の判示は、主として、昭和三一年一月一〇日付捜査報告書(記録六冊二二四五丁。近隣の人々からの聞き込みを記載するほか、「形見わけ一覧表」が添付されている。) およびY、Zの各証言(記録一冊一五五丁、一一冊三九一六丁、一冊一三二丁)に依拠している。そして、被害者Aが国防色の上衣を着用していたことのある事実は、前記の証拠から認めることができるのであるが、着用していた時期についてははなはだ明確を欠くのであつて、右捜査報告書に記載された聞き込みによれば、昭和一九年から昭和二四年ごろとなつており、Zは時期の記憶がないと述べ、Yは、本件事件直前ごろには見なかつたとしているのである。なお、右「形見わけ一覧表」によれば、A方遺品中に、対応すべき上衣のない国防色のズボン一着(証一号)があつたことは認められるが、それがもともと上下一揃のものであつたかどうかは明らかでない。また、遺品中には、その他にも、軍服上衣二着と国防色の上衣一着との存することが認められるのであつて、これらと、前記の人々の見たという国防色の上衣との異同は、まつたく不明である。
  (2)の点についていえば、被告人が国防色の上衣を所持していたことは、HおよびAaの各証言(記録二冊三九六丁、四〇七丁)の認めるところであるが、Hの証言の信頼性については、既述のごとき問題があり、Aaの証言についても、同女の資質、性格等のほか供述記載の内容をも考えあわせると、その信頼性には、同様の問題があるのである。のみならず、Aaは、本件犯行発生後約半年を経た昭和三〇年四月一七日に、はじめて被告人と相知るにいたつたものであるし、Hは、昭和三〇年四月ごろに被告人が国防色の上衣を着ているのを見たと供述しているだけであるから、両名の証言をもつて、本件以前に被告人が国防色の上衣を所持していなかつた事実までも認定すべき資料とすることはできない。さらに、本件発生当時、被告人と同棲していたGは、当時の被告人の服装や手持ち衣類等について明確な記憶がないと述べており、国防色の上衣について特に尋問されたのに対しても、「兄ちやんから借りていた」という、趣旨不明の答をしているのみである(記録二冊六九九丁)。なお、同人の検察官に対する供述調書にも、国防色の上衣に触れるところは全くない(記録四冊一四三七丁)。
  (3)の点については、A方の被害品という国防色の上衣なるものがいかなるものであつたかはもとより、その存在自体が明確を欠くのであるから、AaとHのいう上衣との同一性の識別は本来不可能に属するのである。それにしても、もし、Aaらのいう上衣が、A方遺品である証一号のズボンと、その生地、色合い等を同じくしていたことが認められるならば格別であるが、その点に関し、最も重要な証人というべきAaは、右ズボンを示されて尋問を受け、上衣の色はこれよりちよつと濃く、生地も違うと述べているのである。
 なお、Aaは、同人が見た国防色の上衣および被告人所持の鳥打帽に、血の「しみ」がついていたとも供述しているが、現物はいずれも同女が焼き捨てたというのであり、その「しみ」が血痕かどうかは確めるべくもないし、一方、本件犯行発生のころに被告人と同棲していたGは、右鳥打帽によごれのあつたことを否定している(記録二冊七〇八丁)。
 結局、国防色の上衣の点についても、証拠はとうてい十分とはいえないのである。
 五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであることが、被告人の自供に基づいて判明したか。
 被告人の右藁縄(証四号)に関する自供のうち、これを持ち出した場所はFの農小屋であるとする点は、関連証拠上、捜査官の示唆誘導によるものとは考え難い。そこで、もしこの繩の出所が右農小屋であることが確定されるならば、それはほとんど決定的な証拠となりうるものである。この点に関し、一、二審においては、右藁縄の用途、その製造に用いられた藁の品種および製縄機の機種、ならびにその山口県内��おける普及状況等につき多数の証拠が取り調べられたのであるが、これらの証拠はいずれも決定的なものではない。また、証四号の藁縄にはなんら顕著な特徴がないのみならず、記録中には、捜査に際し、右農小屋から同様な縄が発見されたとするごとき捜査官の証言もないではないが、これを裏付けるに足る的確な証拠はなく、その他記録を精査しても、被告人の自白を除いては、この縄が、本件直前まで右農小屋にあり、犯行に際してここから持ち出されたものであることを確認しうべき証拠は、ついに見出だすことができないのである。
 六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋は、裏底に波形模様のある月星印の十文半もしくは十文七分のものであつたか。
 被告人も、本件発生のころに、i駅裏商店街の、同駅から行つて右側の店で買つた地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)を所持し、時に着用していたことは争わない。その現物は、被告人逮捕の時には既に存しなかつたのであるが、しかし、もし、それが月星印の品であることが明らかにされるならば、本件犯行の現場に残されたひとつの足跡の特徴と合致するが故に、決定的とまでは言えなくても、有罪認定のための有力な資料となるであろう。
 一審で、検察官は、この地下足袋の買い入れ先は、i駅裏近辺で月星印地下足袋を販売する唯一の店であるAb方であると主張したが、同人の証言で、その店はi駅から行けば商店街左側であることが判明した。原審でも、被告人のいう店が、右側にあるAc商店(この店では、当時大黒印地下足袋のみを販売していた。) であるか否かとの点について、同商店街の検証などが行なわれたが、既に一〇余年を経たのちのことでもあり、事態を明白にするにいたらなかつた。原判決は、一の(九)の判示において、被告人の弁解を採用しなかつたのであるが、それは、被告人の弁解が一貫しないことなどを主たる根拠とするにとどまるのであつて、必ずしも首肯せしめるに足りない。要するに、当時、被告人の所持、着用していた地下足袋が、前記Ad商店から購入されたものであるとする根拠には乏しく、他に、これが月星印の品であつたとすべき確実な証拠も存在しないのである。
 以上、一、ないし六、の事実について検討したところによれば、これらはいずれも証拠上確実であるとはいい難く、これによつて被告人を本件犯行の犯人と断定することができないのはもちろん、原判決のごとく、これを被告人の自白の信用性、真実性を裏付ける資料とすることも困難であると考えざるをえないのである。
 なおまた、原判決が、被告人を有罪とした一審判決を維持すべき根拠として掲げるその余の判示についても、疑問の余地なしとしない。一例を挙げれば、原判決は、一の(一三)の(1)において、被告人は本件犯行発生の日時を誰からも教えられずに知つていたとするが、取調にあたつた捜査官の証言にも、右にそうごとき供述はなく、その他、右判示の根拠となしうべき積極的証拠は見当らないのである。自白にかかる犯行の日時は、昭和三〇年一一月上旬ころ、留置場の他の房にいたAeからこれを聞いて知つたものである旨の被告人の弁解について、原判決は、西村の証言と比較して信用できないとし、これを排斥している。しかし、西村証言(記録五冊一九〇九丁)は、被告人からbの六人殺しはいつあつたかと聞かれたこと、およびこれに対して答えた旨を明確に述べているのであつて、その点は被告人の主張と一致するのである。それが事実であつたとすれば、被告人の用意周到な演技であるなどと疑うべき格別の事情のないかぎり、むしろ当時被告人は犯行発生の日時を知らなかつたものと見る方が自然であるといえないこともないのである。
 本件が強盗殺人事件であることは、ほぼ確実である。そして、本件記録を通観すれば、被告人がその犯人ではないかとの疑惑を生ぜしめる種々の資料が存するのであり、犯行を否定する被告人の弁解が、はたして真実であるかどうかについても問題がないではない。また、本件一、二審の判決裁判所は、いずれも、被告人の公判廷における弁解を長時間にわたつて直接に聴取し、しかもなおこれを採用しなかつたのであつて、このことは軽視できないところである。
 しかしながら、右の諸点を十分に考慮しても、上述したとおり、本件記録にあらわれた証拠関係を検討すれば、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつきについて、合理的な疑いを容れるに足りる幾多の問題点がなお存するのであつて、原審が、その説示するような理由で、本件犯行に関する被告人の自白に信用性、真実性があるものと認め、これに基づいて本件犯行を被告人の所為であるとした判断は、支持し難いものとしなければならない。されば、原判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、このことは、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
 よつて各上告趣意につき判断を加えるまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文にのつとり、さらに審理を尽くさせるため本件を原裁判所である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
 検察官横井大三、河井信太郎公判出席
  昭和四五年七月三一日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    村   上   朝   一
0 notes
himatsubushini7 · 5 years
Text
【事案】「この子ならいける!」と意味不明な事を叫びながら女子小学生を追いかける事案 茨城県潮来市
1: 風吹けば名無し 2019/10/10(木) 20:28:31.97 ID:kY7QGIzKM1010 茨城県 > 潮来市 > 子ども被害 > 詳細情報 つきまとい(潮来市潮来)
(1)場所 潮来市潮来456-1付近
(2)日時 令和元年10月10日(木曜日)13時20分頃 
(3)児童等 小学生女子
(4)不審者 50歳くらいの男性,身長170cm位,丸顔,小太りの男,スキンヘッド,黒縁のめがね, 裾がつぼまっていないニッカボッカのようなズボン(クリーム系),迷彩色のような7分丈シャツ
(5)状況 潮来公民館で児童は下校班から別れて帰っていったが, この男が脇道から出てきて「この子ならいける」などと意味不明のことを言いながら小学生女子の後を追いかけた。 女子は急いで家の中に逃げた。
(6)その他 反射テープがたくさん貼られたママチャリ
h…
View On WordPress
0 notes
kanata-bit-blog · 6 years
Text
*精一杯の愛を
冬馬女体化、北冬、裏。フォロワーの誕生日リクエスト。
 朝、目が覚める。カーテンの隙間から差し込んだ日差しが冬馬の意識を現実に連れ戻し、ゆったりと瞼をあげた。ゆるりと視線をサイドテーブルの上のデジタル時計に向ける。7時05分。程良い朝だ。  うっすらと残る眠気を気合で振り切って勢いよく体を起こすと、ベッドのスプリングがぎしりと音を立てた。  欠伸を一つ落としてベッドから降りると、閉じたカーテンを左右にさっと開く。レールの音と共に顔面を襲った日差しが気持ち良く、冬馬はその場で「んんん、」と唸った。 「・・・よし、」
 天ヶ瀬冬馬、今日は彼氏の北斗と自宅デートです。
「いらっしゃい、冬馬。迎えに行けなくてごめんね。途中で変な人に話しかけられたりしなかった?」 「お前んちくらい一人で来れるっての!」 「ふふ、恋人として心配はさせてくれよ」  開かれた玄関の向こうから現れたのは今日も今日とて足の先から髪の毛の先端まできっちりと手入れの届いた恋人の北斗��一見いつもとなんら変わらないようにも見えるが、初めて見る服装だった。  彼はオシャレという言葉をほしいままにしていながらも服を使い捨てにすることなく毎日異なるコーディネイトで冬馬の前に姿を見せる。パーツで見れば見覚えのあるものばかりで、どうすればそんなに組み合わせの種類を考え付くのだろうかといつも驚嘆する。そんな北斗が上も下も皺ひとつない新品の服を身に纏っているのだから彼が今日に向けて何を思ってきたかなど考えるに容易い。  しかし、冬馬も負けじと今日の服には気合を入れてきたのだった。  白いシャツにジーンズジャケットを羽織り、下は買ったばかりのミニスカート、それも白ベースにピンクの花柄。家の傍のコンビニくらいならジーパンとTシャツで十分だと言って手を抜きまくる冬馬がここまで気合を入れたファッションをすることの意味くらい彼はとっくのとうに理解しているだろう。  だが、彼は冬馬の服装を目に視界に入れた上で言及することはなかった。それどころかわざと視界に入れないように顔を逸らしているようにも思えて、胸がじくりと痛んだ。北斗の驚く顔が見たかったのに。
 北斗と付き合い始めて間もなく5か月が経とうとしている。  同じユニットの仲間としての好きがいつの間にか異性としての好きに成長して、ライブ後の高揚感に身を任せて冬馬から告白したのがきっかけだった。  付き合ってもしばらくは元の関係性を崩すことが出来ず、デート中も仕事の話ばかりしてしまっていたが、最近では随分と慣れて世間話の比率の方が高くなった。それでも冬馬自身の恋愛面への奥手さも相まって5か月もの月日がかかっているのだが。  ところが、更に驚くべきは北斗である。この男、見るからに「女の子を沢山抱いてきました」と言いたげな顔と性格をしていながらもこの5か月間一度たりとも冬馬に手を出すどころか手すら握ってこなかったのだ。  はじめの内は"緊張"の二文字を予想させたが、それは次第に冬馬の中で"不安"に代わり、"疑惑"を生んでいった���  ―――本当は、北斗は仕方なく告白を受け入れたのではないか。冬馬の事など微塵も興味が無いのに、断ればJupiterとしての立場が危うくなるから現状に収まっているのではないか?  そこまで考えると先に見えるのは"自然消滅"ただ一つで、冬馬はいてもたってもいられず、プロデューサーに頼み込んで今日と言うオフを作ってもらったのだった。  同じ事務所の水嶋咲に選んでもらった勝負服は冬馬にしては女の子っぽすぎるし、ズボンを履きなれているせいか股下がすーすーする。それに、ジーンズジャケットは伸縮性が無く動き辛い。しかし、事務所の二大オシャレ番長の内の一人とも言われる咲が言うのだからきっと間違いはないはずなのだ。
 もしも、この服を着て北斗の家に行って何も無かったら、その時は………    二人でソファに座り、借りてきた映画を流す。これも咲にチョイスしてもらった。曰く、ソウイウ場面があるようで、「それが来たらほくとの手を握るんだよ! 頑張ってとうま!」と選別に東雲作のケーキまで頂いてしまったのだから、期待に応えるという意味でも冬馬は今日と言う日を成功させなければと思っていた。  北斗は真剣に映画に見入っており、真剣な表情の彼は横から見るとまるで絵画のように美しい。もう一人のオシャレ番長の名の通、りシンプルながらも彼の魅力を存分に引き出した私服はオシャレに頓着のない冬馬ですら素直にかっこいいと思った。  しばし冬馬が北斗の横顔に見惚れていると、視界の端に映った画面の中に肌色が映る。  見れば主人公の男がヒロインに熱いキスを落としながら服を脱がそうとしている所であった。件のシーンだ。  見る見るうちに画面の中の温度が上がっていき、冬馬が北斗としたことのないようなことばかりがそこで繰り広げられていく。それに伴い冬馬の顔も熱くなる。  北斗としていないからという理由だけではない。単純にこういったシーンに慣れていない冬馬は顔をトマトのように真っ赤に染め上げながらも、頭の中に再生された咲の「ほくとの手を握るんだよ!」という言葉の通り、両膝の上に強く握られた北斗の手に震える手を伸ばした。  ゆっくり、ゆっくり、逃げられないように、気付かれないように。  テレビの中ではヒロインの甲高い喘ぎ声と主人公の彼女への愛の言葉が綴られている。
 いいなあ、俺も、北斗に、触れたい。
 とん、指先でつつくように北斗の右手の甲に触れるとぴくりと跳ねた気がしたが、構わず握り込む。手の中のそれは冬馬のものよりもずっと冷たく、触れたところから氷が溶けていくようにぬるさを帯びていく。  きっと今自分の顔を見ればどうしようもなく顔を赤く腫れあがらせ、震える様は子羊のような様相となっているだろう。近くに鏡がないことだけが救いだ。  汗ばんだ手を恥ずかしいと思いながらも控えめな力でぎゅ、ぎゅと何度か握ってみる。心臓が張り裂けそうなくらい緊張している自分。一方で北斗の方から息を呑む音が聞こえて、恐る恐るその顔を覗いた。
「………………………………………!」
 困り顔。どうしたらいいか分からないといった顔。  眉を落とし冬馬を見つめるその瞳は迷子の子供のようである。見方によっては迷惑そうなそれにも見えて、思わず冬馬は手を引っ込めてしまった。  呆然としつつも何かを言おうと口を開いた北斗の言葉を遮って冬馬は叫ぶように言う。 「わ、悪い! 確か昼飯にカレー作る約束してたよな! お、俺作ってくるからお前見てろよ! 後で結末教えてくれればいいから! な!」 「冬馬!」  逃げるようにソファを立ち上がり、駆けていく。恥ずかしくて、悔しくて、悲しくて、苦しくて、今にも死んでしまいそうだった。  キッチンに逃げ込んで地べたに座り込むと、途端に視界がぼやけて溢れた。ぼろぼろと洪水のように落ちる涙を手の甲で拭き取るがそれでも止むことを知らず、ついには買ったばかりのジーンズジャケットの袖で強く目元を擦る。ジーンズの生地が涙で弱った肌を擦って痛い。痛いけど、胸はもっと痛い。  どうしてこうなったんだろう、俺はただ、北斗の事が好きだっただけなのに。 「っく……っふ………う………」  拭って、拭って、痛い気持ちを北斗に聞かれないように口の中で押し殺して、嗚咽を堪える。きっと今頃目の周りは真っ赤になってるだろう、このままじゃ北斗の前に顔出せないなあ、今日は急に用事が出来たとでも言って帰ろうか。  きっと、帰ればこの関係は終わるのだろう。明日からはいつも通り仕事の仲間として接することになるのだろう。冬馬はこの燻ぶった恋心の首を絞めて少しずつ殺していかなければならない。苦しい日々が目の前に広がっている。  困らせてしまった。大好きな人を。あんな顔見たかった訳じゃないのに。  彼もまた赤面しながらも喜んでくれると勝手に思い込んでいた。告白したのは自分からだが、彼も自分を女として好きになってくれただろうと信じていた。
 答えなど、あの困惑が全てを物語っている。
 冬馬が一人声を殺して泣きじゃくっていると、ふわりと少しきつい香水の香りが鼻を掠めた。
「…………冬馬」
 香りに気が付いた次の瞬間、冬馬は自分が北斗に抱き締められていることを悟った。感じる体温はやはり少しだけ冷たい。 「ほく、」 「ごめん」  冬馬が口を開く前に放たれた謝罪は一体何に対してなのか冬馬には分からない。だってさっきのは明らかに映画鑑賞の邪魔をした冬馬が悪かった。北斗はJupiterの中でも人一倍芝居に真剣な人間だから、そりゃ邪魔されれば怒るだろう。よく考えてみたら分かることなのだ、デートで舞い上がっていた馬鹿な自分が気付かなかっただけで。  しかし、北斗はもう一度ごめんと一言置くと、後ろから冬馬を抱き締めながら優しく頭を撫でる。まるで割れ物を扱うかのような指先が気持ち良かった。 「冬馬が不安がってたこと、知ってたけど気付かないフリをしてたんだ」 「北斗……?」 「どんなにお互い好きでも冬馬はまだ17歳の女子高生で、俺は20歳の男子大学生。世間的には認められない関係だろ? だから、せめて冬馬が高校を卒業するまでは手を出さないようにしようって思ってたんだ。…その結果がこれなんて、アイドル王子が笑えるよ」 「………」 「冬馬が俺の手を握ってくれた時、嬉しかったけどどうしようかとも思った。大切にしたいけど、俺から手を出したら壊してしまいそうで、」  言いながら北斗は冬馬の体を自身と向かい合わせる。そして、今しがた冬馬の頭を撫でてた指先で真っ赤に腫れた目元を拭った。 「とても恥ずかしいんだけど、冬馬の前だと歯止めが利かなくなりそうでさ。堪えるのに必死だったんだ、情けないよな」  へにゃりと自嘲した北斗はそう言ってもう一度冬馬の頭を優しく撫でる。冬馬は涙で少し荒れた声で「んなことねえよ」と彼の首もとに飛び付く。 「俺だって我慢できなかったんだ。北斗がもしかしたら仕方なく俺と付き合ってるのかもしんねーって思って、寂しくて、こんなことした。その癖空回りしてダッセーよな。話し合わなかったんだからお互い様だろ」 「うん……お互い様か。そうだね」  北斗を強く抱きしめると、一度だけ耳元に鼻を啜る音が聞こえて「ほんと、お互い様だな」なんて笑った。  暫くそうして体温を分け合っていると、冬馬がゆるりと体を離して北斗を見上げた。 「あのよ、お前のその高校卒業までは手出さねえってのは分かったんだけどさ……」 「………?」 「…やっぱり、なんつうか…何て言えば良いんだ……」  もだもだと何か言いたげに身を捩る冬馬に北斗は首を傾げる。  言いたい言葉は分かっているのに、すんでのところで自分の余計なプライドが邪魔をするのだ。ついさっきお互い様だとか言っていたのにまた言葉を引っ込める気か自分!  震える唇が必死に言葉を紡ごうとするが出てこず、下唇を噛む。と、北斗が優しく冬馬の方を撫でた。待ってくれている。ゆっくりでいいよ、と甘い声で言われれば冬馬の声帯を押さえ込んでいたプライドはぐずぐずに溶け出して、ようやく声になった。 「お前の気持ちは分かったし、高校卒業まで我慢する。けど……っ今日だけは俺の事っ……」  抱いてくれ。精一杯の勇気を振り絞って告げた言葉はやはり情けない程震えていて、北斗にちゃんと届いたのかすら定かではない。  冬馬が不安に思って上目で北斗の様子を伺うと、彼の表情を確認する前に視界が北斗で一杯になった。キスされていた。  触れたかと思うと離れて、もう一度触れて、繰り返していく内に冬馬の心にも火が灯る。貪るように北斗の薄い唇に自分のそれを押し当てていく。  次第に燃え上がり、無我夢中にお互いの唾液を交換しているとすっかり呼吸するタイミングを見失って冬馬の視界がぼやけ始める。酸素が足りなくて苦しい、けど、きっとこれを人は気持ちが良いって言うんだろう。  砕けた腰を北斗が支えて冬馬を寝室に運んでいき、整えられた北斗の柔らかいベッドの上にゆっくりと下ろされる。初めて入る北斗の寝室は色んなところから北斗の香りがしてドキドキした。  再び触れようとした北斗の手が止まる。 「ど、した……ほくと?」 「……やっぱり駄目だ、冬馬」 「だめって、なにが」 「本当はそんなつもりなんてなかったから、持ってないんだよ」  その言葉だけで北斗が何を危惧しているのか理解して。  どこまでも誠実な男だ。女を性欲処理の道具としか見ていなければ今ここにソレがなくとも気にせず欲望を突き立てていただろうに。こういうところも含めて冬馬は北斗の事が好きなのだ。
 だから、
「……ある。俺の鞄の中、その、サイズとかわかんねーから適当なの買ってきた」  冬馬がおずおずと、気まずそうに言う。  目を丸くした北斗が呆然と口を半開きにして、 「もしかして、一人で買ってきたの?」 「いや、水嶋さんに付き合ってもらって……二人で」  今回の作戦に尽力してくれた咲は成功のことしか考えていなかった。もしも上手くいけばきっとコウイウことにだってなる。そんな時に「ゴムを持っていないのでやっぱり今日は」となるのは勿体ない! そう言って冬馬の手を引きコンビニへと向かった咲は、さも冬馬と二人で「女子会の罰ゲームで買いに行くように言われた」と言う体でにこやかに冬馬の初めてのゴムのおつかいに付き合ってくれたのだった。頭が上がらない。 「………水嶋君とは、」 「なんもない。お前だけだから、変なこと考えんな」 「そっか」  コンドームが入った鞄を取りにリビングに向かうと、テレビはすっかり沈黙してテーブルの上に映画のパッケージがぽつりと置かれている。折角咲が選んでくれたものだったのに、北斗に見惚れるばかりでロクに見ることが出来なかったなあと思い出して申し訳なくなる。  でも、上手くいったぞ、サンキュな。心の中で感謝を述べて冬馬は鞄の中からピンク色のパッケージのいかにも女の子が選びそうなそれを取り出し、箱を開ける。  ぎくしゃくしながらも中からひと繋ぎ取り出し、「本当にこんな形してるんだ」といつか赤面しながら読んだ青年漫画で見たままの形に感動した。 「見るのは初めて?」 「北斗」  再び首に手を回し、後ろから冬馬を抱き締めた北斗が耳元で囁く。熱の籠った彼の声はまるで麻薬のように冬馬の体の中に染み渡っていき、返事をするように彼に口づける。 「言ったろ、お前だけだって」 「っ…………」  勢いづいた北斗にソファへと押し倒され、思わず声を漏らす。のしかかられて、狭い空間に閉じ込められたまま冬馬の舌は簡単にも絡めとられてしまう。耳を閉じたくなるほどの色気を孕んだ水音に犯され、控えめな胸を撫でる北斗の手が行為の開始を教えてくれる。 「さっきは言えなかったんだけど、今日の服凄く似合ってる、可愛いよ」 「………おせぇよ馬鹿」 「ごめん、冬馬がとても可愛くて。…汚したらまずいし今だけは、ね」  促されるままにジーンズジャケットを脱ぐ。続いてシャツの第一、第二ボタンを外そうとすると北斗に遮られ、キスされながら一つずつボタンを外されていった。  露わになったブラジャーは下もお揃いのもので、今日の為にと冬馬がショップで悩んで買った物だ。店員にコレガイイ、アレガイイなどと呪文のように言われながらも選んだ下着は自分でも気に入っている。  押し倒された勢いでスカートは捲りあがっており、北斗は一目にその光景を見ることになるだろう。彼はぐ、と息を呑んで、「冬馬ってほんと、」なんて言葉を殺して冬馬に再びキスをした。  ブラジャーが上に押し上げられ、下から顔を出した胸飾りを北斗は口に含んだ。舐めて、吸ってと赤子のように冬馬の熟れたそこを可愛がっていく。 「んっ………」 「我慢しなくていいから、聞かせて。冬馬の声」  好きなんだと笑う北斗に胸が熱くなって、どうしようもない愛おしさが溢れそうになる。こんなに格好良くて普段はアイドルとして大衆から愛を向けられている男が今は自分だけを見て、自分だけを愛してくれている。  パンツの上から気持ちのいいところを擦られて、あ、あ、なんて身も蓋もない声をあげて悶えるはしたない自分に北斗は幻滅しないだろうか。  ………しないだろうな。きっとこの男はそんな自分も愛してくれる。可愛いと言って、キスをしてくれる。自分だってどんな北斗でも愛する自信があるのだから。
「………来いよ、北斗」
 スカートを自らの手で捲り上げて誘ってやる。散々掻き乱されたのだから、お前も苦しめばいい。視線を揺らした北斗を少しだけ愉快に思いながら強気な笑みを浮かべると、彼は深いため息をついた。 「俺がどれだけ耐えてきたと思ってるんだ……っ」 「はは、それこそ、"お互い様"だろ」  ゴムを一つ千切って説明書きを見る。そう言えば買ってきたは良いけど付け方を知らないのだった。表、裏、なるほどこっちから付ければいいのか。ふむふむ言っていると、北斗がそれを奪って「次の時に教えてあげるから」と言う。  ソレを付けようと北斗が体を起こしたことによって冬馬はようやく強く主張するソレの存在に気が付いた。北斗の足にぴったりと履かれたズボンが一点だけ違和感が誇張されている。こくり、唾液を胃に押し込め震える手でチャックを降ろした。  すると、パンツの上からでも分かるくらいはっきりと形を成したそれがお目見えして、思わず驚嘆の声を漏らす。実物を見るのはきっと父とお風呂に入っていた幼い頃以来だ。当然記憶に無いのでこんなに大きい物なのかと感心すらしてしまう。 「そんなに見られると恥ずかしいんだけどな……」  北斗が自嘲する。好奇心の赴くままにズボンと一緒にパンツのゴムを下に引っ張ると、ついにソレが冬馬の前に顔を出した。 「わあ………うわああ………」  真っ赤になりながらもソレから目を離すことが出来ず、珍しい物に触るような手つきでつんつんと優しく突くと、北斗はやれやれと言った様子で。優しくソファに冬馬を押し倒し、片足を開かせる。 「ほ、北斗! いいのか、その、確か舐めたりするって、ネットで………」  今日に向けて収集した情報だ。ゴムの付け方だけは失念していたが、「気持ち良いセックス」で調べて出てくるよろしくないサイトを潜り抜けながらも経験談などを読み耽り、頑張って学んできた。つもりだ。  ところが、北斗はそれにすらうんざりしたような態度で、 「冬馬、これ以上煽らないで。頭がおかしくなりそうだ」 「わ、悪い……」 「違うんだ。嬉しいんだよ。冬馬が俺の為に色々頑張ってくれたなんて。けど……今日はもう冬馬の中に挿入りたい」  息交じりの声が耳に吹きかけられて、全身に電流が走るようにぴりぴりと震えた。自分が自分じゃないような、そんな不思議な気持ち。気を抜いたら口の中に溢れた涎が垂れてしまいそうで、幸せすぎて表情を整えておくことなんて出来そうにもない。  北斗の首後ろに手を回し自分の胸に引っ張り込む。来い。もう一度強く言うと、北斗が小さく息吐いたのが分かった。 「挿入れるよ。痛かったらすぐに教えて」 「お、おう………」 「ふふ、緊張する?」 「うるせ…!」  北斗の先端が冬馬の入り口を擦る。結局ゴムを付けるのも北斗に任せてしまったが、彼の手付きは慣れている人間のもので、やっぱり昔は遊んでたんだな、と思うと少しだけ彼の過去の女達に嫉妬した。これからは俺のものだから、そいつらに出番は二度と来ないけどな、ざまあみろ! 心の中で私憤をぶつけた。  定めた所にゆっくり、ゆっくりと大きなソレが侵入し、未だ誰も知らない冬馬のナカを押し広げていく。苦しくて、少し痛くて、気持ち悪くて、だけど、うれしい。そんな気持ちを抱きながら北斗の名を呼ぶと、彼は応じて冬馬の頭を撫でながらキスをしてくれたのだった。 「ん、んんんぅ………」 「息止めないで、大丈夫だから」 「ん………っ」  キスされると少しだけ緊張していた筋肉が和らいで、ようやく瞳を開けて北斗の顔を見ることが出来たのだった。彼は綺麗なブルーを嬉しそうに揺らして、心底嬉しそうな笑みを漏らして冬馬の名前を大切そうに呼ぶ。  接続部に茂みの感触がして、北斗がこんなにぴったりと傍にいるんだと実感する。腹の中に異物感と熱を感じ、優しく表面を摩った。表面からは分からないけど、ちゃんと繋がってるんだ。嬉しくて北斗の胸に顔を擦り寄せた。  彼からの簡潔な伺いに肯定で返すと北斗はゆっくりと腰を動かし始める。体の中の異物感は未だに拭いきれないが、ゆっくりと出たり入ったりを繰り返していると次第に馴染むような気がして冬馬も求めるように腰を動かした。  口から意識しない喘ぎが漏れる。少ない冬馬の酸素を奪っていく。短い喘ぎはキスで閉じ込められた。  ちょっとだけ痛くて気持ちが悪いけど、温かくて、気持ちが良くて、幸せだ。 「…あっ! あっ、ほくっ、とっ!」 「ん、冬馬、気持ち良い?」 「いっ…いいっ…は…っ!」 「よかった…俺も、ん、きもちいい」  全身が食べ物になったみたいに北斗が体中を舐めたり、甘噛みしてくる。舐められたところが熱を発してぐずぐずに溶ける。どうしようもなく愛おしくて、自分も同じ思いを返したくて彼の逞しい胸板をぺろりと控えめに舐めてみた。少しだけしょっぱい、汗の味。 「でっ!」 「!?」  行為に夢中になっていたせいで体を伸ばした瞬間、冬馬はソファの腕掛けに頭を強く打ち付けてしまう。折角いいところだったのに痛みが快感に勝ち、咄嗟にぶつけたところを摩った。北斗もすぐに動きを緩め、痛いところをなぞるように上から優しく撫でてくれた。 「やっぱりソファだと狭いか。移動するよ、冬馬」 「は? 移動って、うわあ!!??」  挿入したまま北斗は冬馬の体を持ち上げる。落ちそうになって咄嗟に北斗の首に手を回すと、北斗もまた冬馬の足の付け根を掴んだ。その拍子に二度三度揺らされ、喘ぎ声が漏れる。重力で体が落ちるせいで冬馬のソコは北斗を深く咥え込んでしまい、快感を逃がすように北斗の頭を強く抱いた。  鍛えているとは聞いていたが、まさかこんなに軽々と持ち上げられるとは思っていなかった。と言うよりも挿入られたまま運ばれていくことになるとは思いもしなかった。歩く度に振動で感じてしまい、小さな息が漏れる。 「…ふ…ぅ…北斗ぉ……」 「着いたよ。ほら」  挿入したままゆっくりと二人でベッドに沈み込む。空間がさっきよりもずっと広くなって二人の邪魔をする物はなくなった。  手を開き、伸ばすとその中を北斗が飛び込んできて、冬馬は力いっぱいその体を閉じ込める。自分よりもずっと大きな体は包み込みきれないけど、それでも素肌と素肌が触れ合うと温かい。 「……ふふ」 「…なんだよ」 「なんでもないよ。ほらそんな顔しない、可愛い顔が台無しだ」 「くだらない事言ってねえで早く動け……っ!」 「はいはい」  名前を呼べば名前を呼んでくれる。気持ちいいかと聞けば気持ちいいと返ってくる。  どうしようか、思ったよりも自分は北斗の事が好きらしい。一突きされるごとに心臓が跳ねて鼓動が早くなっていく。この身全てが大好きだと叫んでいる。  次第に溜まった快感が火花を散らして限界を知らせる。得体のしれないキモチイイの波に飲み込まれそうになって冬馬は全身に力を入れた。 「北斗…っ! ほく、なんか、くる…っ! なんだ、これぇ…あっ」 「冬馬…ん、俺ももう、」  次第にピストンのペースが上がっていって溜まった快感が今にも爆発しそうになる。気持ち良さで脳味噌がどろどろに溶けて、他の事はもう何も考えられなかった。ただ幸せだという感情ばかりが胸に灯っている。  肌と肌がぶつかり合う音と生々しい水音が寝室に響き、冬馬の甲高い喘ぎ声と北斗の唸るような声が交わる。声を堪える余裕などとうに吹き飛んで、冬馬はただ体の赴くままに鳴くだけだった。 「あっ! あぁっ! く、んん…っ! あああ! ほくとっ、イっ…」 「ん…ふ、とうま……は……っ」 「っ…ああああああああ………っ!!!!」 「…っ!」  震える体を抱き締められながら冬馬は思考がはじけ飛ぶような快感を味わった。ちかちかと視界が光る。 「はぁ……はぁ……ん……北斗……」 「………冬馬」  先程までの激しい動きが嘘のように静まった二人はお互いの心臓の音を聞きながら、見つめ合っていた。言葉もなく、表情に意味もない。世界にたった二人だけのような空間で口から洩れる吐息の音すら愛おしいと思いながら、額同士で触れあった。  やがて心臓の音も元通りの速さを刻みだして北斗が口を開く。 「痛くなかった?」 「初めは少し痛かったけど、大丈夫だ。お前こそ我慢してたんじゃねえのかよ」 「うん、今日は少しだけ我慢した。冬馬が可愛くて何度も理性が飛びそうになったけどね」 「飛ばしても良かったんだぜ」 「それはまた今度ね」  また今度と北斗は言う。正確には約二年のおあずけ。明日からは再び健全なオツキアイが始まるけれど、次がある。  だからこれは高校卒業までのお楽しみ。卒業したらもっと色んな北斗を見せてもらおう。色んな自分を見てもらおう。それまでに一つ一つ二人の好きを重ねていって、次に来るその時一緒に確かめられたらいい。
 だからもう不安なんて無かった。
「そういやお前まだ足りねえんじゃねえのか?」 「まあ、そうだね。冬馬にあまり無理はさせたくなかったし。どう処理しようかと思ってたところだけど」 「…今日一日はって言ったろ。俺の事は気にすんな。……全然付き合う、し、俺もまだ……」 「……!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先天性女体化北冬、R-18、自宅デートの為に下着の準備をする冬馬、駅弁。
お誕生日おめでとうございました。
0 notes
weepingpersonathing · 6 years
Text
ネットでショートパンツを頼んだのですが、Mサイズでウエスト68cmってかいてあるの...
ネットでショートパンツを頼んだのですが、Mサイズでウエスト68cmってかいてあるの…
ネットでショートパンツを頼んだのですが、Mサイズでウエスト68cmってかいてあるの… ネットでショートパンツを頼んだのですが、Mサイズでウエスト68cmってかいてあるのですが大きい感じがして… ネットでよくサイズを失敗しているので聞きたくて… ネットで買うなって感じなん ですけどネットの方が可愛いの沢山あって簡単なのでよく使いますがそれぞれのウエストの表記が違ってよくわかりません(´;ω;`) この前買ったズボンは長ズボンなのですがウエスト63cmとかいてありました。 ショートパンツと長ズボンでは表記が違うんですか?(続きを読む)
ショートパンツのサイズが大きすぎるんです。 今日 ユニクロに「ロールアップスリ… ショートパンツのサイズが大きすぎるんです。 今日 ユニクロに「ロールアップスリークォーター」という 7分丈のパンツを試着しました。 私はジーンズばかり履いていて…
View On WordPress
0 notes
犬を散歩させている男に近づいた男子児童が、大声で「かめはめは」と叫ばれる事案が発生
1:記憶たどり。 ★: 2018/07/29(日) 15:48:23.11ID:CAP_USER9.net
https://www.gaccom.jp/safety/detail-248593
7月28日午後5時頃、福井市二の宮3丁目地籍において、犬を散歩している男に 男子児童が近づいたところ、男が「かめはめは」と大声で叫ぶ事案が発生しました。 男は、30歳代、身長170センチメートル位、細身、黒色短髪、白色のTシャツ、 茶色の七分丈ズボン、サンダル姿でした。このような事案に遭遇した場合は、 すぐに警察まで通報して下さい。
福井県警察本部生活安全企画課
3:名無しさん@1周年: 2018/07/29(日) 15:49:11.86ID:68GbOUIQ0.net 犯人は孫悟空
5:名無しさん@1周年: 2018/07/29(日)…
View On WordPress
0 notes
mahhasokuhou-blog · 6 years
Text
犬を散歩させている男に近づいた男児が、大声で「かめはめは」と叫ばれる事案が発生…福井
1 名前:記憶たどり。 ★:2018/07/29(日) 15:48:23.11 ID:CAP_USER9.net
7月28日午後5時頃、福井市二の宮3丁目地籍において、犬を散歩している男に男子児童が近づいたところ、男が「かめはめは」と大声で叫ぶ事案が発生しました。
男は、30歳代、身長170センチメートル位、細身、黒色短髪、白色のTシャツ、茶色の七分丈ズボン、サンダル姿でした。このような事案に遭遇した場合は、すぐに警察まで通報して下さい。
福井県警察本部生活安全企画課 https://www.gaccom.jp/safety/detail-248593
続きを読む Source: 痛いニュース
View On WordPress
0 notes
mynetdiary-blog1 · 6 years
Text
犬を散歩させている男に近づいた男児が、大声で「かめはめは」と叫ばれる事案が発生…福井
1 名前:記憶たどり。 ★:2018/07/29(日) 15:48:23.11 ID:CAP_USER9.net
7月28日午後5時頃、福井市二の宮3丁目地籍において、犬を散歩している男に男子児童が近づいたところ、男が「かめはめは」と大声で叫ぶ事案が発生しました。
男は、30歳代、身長170センチメートル位、細身、黒色短髪、白色のTシャツ、茶色の七分丈ズボン、サンダル姿でした。このような事案に遭遇した場合は、すぐに警察まで通報して下さい。
福井県警察本部生活安全企画課 https://www.gaccom.jp/safety/detail-248593
続きを読む
View On WordPress
0 notes
kasego777-blog · 6 years
Text
犬を散歩させている男に近づいた男児が、大声で「かめはめは」と叫ばれる事案が発生…福井
1 名前:記憶たどり。 ★:2018/07/29(日) 15:48:23.11 ID:CAP_USER9.net
7月28日午後5時頃、福井市二の宮3丁目地籍において、犬を散歩している男に男子児童が近づいたところ、男が「かめはめは」と大声で叫ぶ事案が発生しました。
男は、30歳代、身長170センチメートル位、細身、黒色短髪、白色のTシャツ、茶色の七分丈ズボン、サンダル姿でした。このような事案に遭遇した場合は、すぐに警察まで通報して下さい。
福井県警察本部生活安全企画課 https://www.gaccom.jp/safety/detail-248593
続きを読む Source: 痛いニュース
View On WordPress
0 notes
orisyu-manako · 6 years
Text
スクエアンノウン.01.始まるよ
【なんか】今から黄色い奴に会いに行く【立てちゃった】
1 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square
というわけで俺の名前は六窓、そしてこれはクソスレ。 何を言ってんのか分からないと思うが俺も良く分かってない。勢いで立てた。 なんていうか、転生。
【体格の良い外国人然とした男と、背が小さく袖の余った学ランの少年、白髪の外国人と特徴的な髪形の外国人がなにやら焦った表情でこちらを見ている写真】 【頭に包帯の巻かれた、特徴的な前髪の赤毛の学ランの男の写真、困ったような笑いを浮かべている】
2 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square オラオラオラオラオラオラ 【学校の保健室らしき室内で、鎖つきの学ランを着た男と袖の余った学ラン少年がにらみつけてくる写真】 【黒髪のセーラー服の女子を斜め前から見た写真。腕を突き出しているが、肘の辺りで不自然に切れていて、切れた先が何も無いところに横向けに浮いて見える】 【クレープを海苔巻きか何かのように食べ進める赤毛の学ランの少年の動画】
3 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 もっとくれ
4 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 な、ないわーと言おうと思ったけどもっと貼れください
5 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 ガチショタかよどん引き~と思いきやJKもいるじゃねーか!
6 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 クレープってこんな食べやすい食べ物じゃなかったやろwww
7 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 セーラー服が違う、やり直し。
8 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- この口のサイズはテンメイですわ……
9 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square >>3-4 それは今後の展開によるってやつだな まぁ別に信じなくて良いから適当に付き合ってくれ。
俺のスタンドの名前は「スクエア」 俺が「行ったことのある場所」に繋がる、ネットの窓枠みたいなやつ。最後に行ったのがあんまり昔だと繋げるまでに時間かかる。履歴検索してるみたいな感じだな。最初にネット繋げた時は一晩かかった。1年で1時間かかるっぽい。いつも行くところはすぐ繋がる。 承りに会うまでは「行ったことのある場所ならいつでも行ける程度の能力」とかって呼んでた。
四角い。3セット6個まで出る。だから六窓。浮く。最大2m四方。枠は幅1cm固定。 一応物理で殴れる。結構硬い。裏から見るとガラスみたいに透明。一応「道具型」だと思ってる。
ネットが見れる理屈だが、お前もネットのリンク飛ぶときとか、スレ移動する時「行って来る」って言うよな。窓を開いてる状態で移動していけば、そのまま指先で画面(?)に触れているので「行ったことがある」場所になっていくから、知らないリンク先も見れる。そういう理屈で、「行ったことがある」に該当するらしい。さすがにそっちの世界には繋がらなかったが。
10 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>9 えっこの感じで続けんの?
11 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 てかどこ済み? LINEやってる? 併せしよ?
12 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square >>10 続くんだなぁこれが >>11 女の子のことは詳しくは知らん、髪の毛がクソ長い。
ちなみに基本ROMだったから書き込みのちゃんとした要領とかよく分からん。 段々丁度よくなるとは思うが、なんか駄目だったらスマン。
13 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>2 人間自体のクオリティの高さがガチすぎだろ これCGじゃなくて?
14 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>12 イッチのレス時空歪んでるやんけ
15 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>12 なんでもいいけどあくしろよ こちとらJOJOに飢えてんだよ
16 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square >>12 こいつら、生きてるんだぜ…嘘みたいだよな……
>>14 それな ROM専してないでもっと前から書き込めばよかったと思ったけどやっぱ写真とかねーと転生スレは信憑性なくて駄目か、なんでもねぇ。話に入るわ。
17 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>16 なめらかな自己完結
.
.
----伝人視点----
 俺の名前は曲木伝人。まがりきつてとである。乙女座18歳。悩みは背丈。145cmしかないせいで、じょうたろうさんじゅうななさい、つてとくんじゅうはっさい。みたいな比較を良くされる。俺に20cmくらいくれ。髪も染めていないし、付けてるアクセサリーと言えば右耳にイヤーカフが一つだけ。
 ことの始まりは、花京院が眼鏡をかけていたことだった。  文庫本を持っているだけで、お絵かきもしていない。
 思わず横顔を二度見してしまい、何か勘付かれるかと思ったが、この地域に馴染んでいない花京院は俺の行動の違和感を感じ取るまでに至らなかったらしい。承太郎の足をずっぱ切った後、文庫本をポケットにしまって、そのまま階段の下へ降りて行った。  ただの黒い眼鏡といえばそれまでだが、表現しがたいおしゃれな眼鏡だ。日本に来る際になんとなく、というものには見えない。長らく使うことを前提に拘って買ってこそ、というデザインに思える。派手すぎず、けれど地味すぎず。
「7人目とかでも、いや……どこの何でも、見たことが……」
 しかし未来の平行世界に助けは求められない。ネットへの書き込みはできるようだが、文章だけじゃあ信憑性が全く無い。よって、未来を知りたければ自分でどうにか彼が始めから眼鏡をかけている話を探すしかない。たぶんそんな話はねぇ。  正史と全く違う展開では俺のスタンドは大分不利だ。大筋くらいは合っていて欲しい。
「おはよう承太郎」 「ああ」
 階段下で、もらったハンカチを使いもせずにポケットへねじ込む承太郎へ声をかける。
「2万円もするズボンが破けてんな」 「妙なヤツに会った。恐らくソイツに切られたんだろうぜ」 「前髪が変なヤツか?」 「知ってんのか伝人」 「さっき見た」
 承太郎は俺といるおかげでスタンドにもそこまで動揺することもなかったが、何故か律儀に牢屋にぶち込まれていた。  見に行こうかと思ったが、俺が行くと事態が余計にややこしくなること間違いなしなのでやめておいた。
「つーか、お前なんで捕まった? 別に勝手に暴れるとかなかっただろ?」 「……上手く、使いこなせなくてやらかしたぜ」 「ふーん」 「こういったもんは全て、『スタンド』というらしい。」
 ……史実と違うよりも嫌な王道パターン、修正力様の可能性。  それだけは勘弁して欲しい。何のために俺がこいつのレベリングしてきたと思ってんだ。
 下駄箱へ着いたところで、学校の周りをぐるっと確認しておく。この人の出入りの多い時間にどうやって上ったのか。花京院は屋上で承太郎を待っていた。さりげなく医務室の様子も窺っておく。知ってる通り、不良が二人、ベッドの上に居座っていた。  承太郎が『見える』ようになって暫く経つ。あからさまに怪しい動きはできないので、確認はひとまずここまでにして一旦教室へ向かうフリをする。
「俺は医務室に行く。鞄は任せたぜ」 「りょーかい」
 俺は鞄を預かり階段の方へ、承太郎は医務室の方へ。花京院がいつどのように医務室へ行くのか分からないため、教室へ向かうそぶりだけはしておく。  そしてしばらく踊り場に突っ立って、スクエアを発現。他生徒から見えないように、承太郎と俺の鞄を袖で隠して直接机に突っ込む。こういうのは変に警戒するから見つかるんであって、堂々とやっちまえば、案外細かいことは気にされないものだ。
「戻るか」
 嫌な予感がしたと言えば十分言い訳は通るが、いきなり空間を捻じ曲げての登場は流石におかしい。普通に歩いて戻る。  改めて医務室につなげて承太郎を見ると、ズボンを脱ぐ手前だった。……あれ、ベルト二つとも外しちまうのか? 動き難くないか? 花京院遅くね?
 そのまま承太郎がズボンを降ろすかという手前になって初めて、先生が万年筆を振り始めた。
「……?」
 展開がおかしい。ハンカチだよ。ハンカチどうした承太郎、受け取っただろ。  承太郎、良いから。お前それ大事なシーンでズボンずり落ちるから見てないでベルト締めろ。
「それじゃあ良くッ! 見て、みなさいッ!!」
 俺は自分の手元と不良Aの目の前にスクエアを1セット発現、背面で万年筆を受け止める。  金属がぶつかり合うような音を立て、彼の左目は守られた。
「ヒッ!? ま……万年筆が、空中で止まった?」 「おめーらとっとと逃げな」 「ゲェッ曲木!!」 「テメェー! またなんか厄介ごと引っ掛けてきたのかッ!!」
 金属の扉を開けて中に入ると、不良たちから嫌そうな声が上がった。助けてやったのに失礼なやつだ。
「て、テメー、なんで戻ってきやがった」
 ベルトを締めながら尋ねる承太郎と、俺に対して酷い濡れ衣セリフを浴びせながらバタバタと医務室から出て行く不良共。  せっかくずばっと登場したのにシリアスが死んでいる。もやつくので、役割を果たしたスクエアを手元でくるくると回転させて落ち着く。
「そりゃあ、無敵の承太郎様がケガをして登校来たとあっちゃあ、嫌な予感しかしないだろ?」 「……そういうことにしといてやるぜ」 「仕留め損ねたわぁ……ねぇJOJOォ……?」
 先生が俺たちに向き直る。俺のスタンドでは、流石にこの人を無傷で助けるのは難しい。  難しいが、既に俺は、俺のスタンドでハイエロが急いで先生の体から出なければならない状況を作り出す方法を、考えて準備している。
「あなたはまさか万年筆に見えるなんて、言わないわよねーッ!?」 「う、なんだこの腕力! 女の力じゃあねぇ!」
 今度は承太郎の目玉が危ないため、もう一度スクエアを構え、今度は腕ごと別の空間に逸らして助ける。  その隙を突いて、なんとか二人を引き離すことに成功した。
「そのとおり……」 「てめーは……!」
 声のしたほうに視線を向けると、眼鏡院が窓枠に腰掛けていた。  ……その眼鏡は一体なんだ? ここは花京院が眼鏡をかけている並行世界、またはn巡後だってか? ただ、俺がそんなことを考えている間にも、花京院は余裕たっぷりに説明している。その慢心が命取りだ。俺のスタンドの餌食となるが良い!
「だから! 貴様を……」 「スクエアッ!!」 「なっ何だと!?」
 スクエアを3セット使い、校舎の医務室のちょうど上、屋上から地面に向かって突き落とす。  1セットで場所を繋げ、残りの2セットで足元をすくい、胸を殴りつける。スタンドはスタンドでしか攻撃できない。だが、スタンドからは物体に触れることができる。つまり、生身では押し出されているのに窓枠に掴まることができない、というわけだ。
「くっ……! ハイエロファント・エメラルド!!」
 スクエアの窓と医務室の外。同時に焦った声がして、先生の口から光るメロンが飛び出してスクエアに滑り込んだ。
「伝人、もしあの緑色のが間に合わなけりゃあ瀕死の重傷だぜ」 「『スタンド』で襲ってくるぐらいだ。このくらいで死にはしねーだろ」
 本体をキャッチして外から部屋へ戻ってくるまでのその隙に、気を失っている先生を無人の空き教室へ送っておく。これで騒ぎにはなるまい。
「……私の名前は花京院典明。空条承太郎と、曲木伝人だな」 「あ? 俺のことを……!?」
 窓から帰ってきた花京院に、一応驚いて見せるが、想定済みだ。俺は能力者、もといスタンド使いであることを、隠してはいない。  いや、正確には『超能力があるとは言っていないが、能力は積極的に使って過ごして来た』わけだ。俺は普段から、悪いやつらをやっつける、所謂『自称正義の味方』として行動している。その際に、ちょっと攻撃をかわしたり、先回りしたり、道具袋代わりに使ったりする。  そんなことをしていて、ついた通り名は。
「小悪魔曲木。空間を捻じ曲げるようなトリックというのは、その窓のスタンドが正体だったということだ」
 なぜ『小悪魔』って?  しんちょうひゃくよんじゅうごせんちだからです(白目)
 花京院は自分が劣勢になった筈なのに、まだ余裕な態度だった。  いくら肉の芽で操られているとはいえ、2対1、それも、俺のスタンド暦はそれなりに長いと分かっているのに、何かがおかしい。そう思っていたが、その答えはすぐに、そして耳を疑う単語で示された。
「サユッ!」 「『サユッ』!?」 「日本に来てから黙りっきりだけど、どうかしたのかい?」 「さ、サユ……?」
 この世界、そこかと思った。
 だが、花京院は伝説の『サユッ』を叫んだあと、急に電話でもする様に空中へ話しかけだした。単語のインパクトで処理が遅れたものの、イントネーションも多少違ったし、それは人の名前らしいと理解できる。
「君がちゃんと教えてくれれば、彼の攻撃は防げたというのに。……私は無事だから待ってろって? 何を慌てているんだい?」 「誰と喋ってやがる」 「私の親友さ」
 聞けば律儀に答えてくれた。親友。確かに17歳の少年には親友くらいいても全くどこもおかしい話じゃあない。だが、こいつは違ったハズだ。  ある筈だった17年の孤独がない。謎の眼鏡、相手は慌てている、日本に来て黙りっきり、『サユが教えてくれれば』防げた? ……まだはっきりとは分からないが、俺と『同じ』でなければ分からない質問をするしかない。
「花京院、『サユ』とやらに伝えろ。お前は『7人目』……いや、『奇妙な冒険』を知ってんのか?」 「しち、奇妙な……? ……フン、貴様に伝言だ。『質問に答えろだと? だが断る。この汚らしい阿呆がァ』だとさ」 「……」
 ビンゴ、サユは、俺と同じだ。そして花京院は分かっていない、承太郎にも知らせていない。花京院を死なない程度にぶっ飛ばして、『サユ』の情報を聞き出さなくては。  向き直る花京院は尚も不敵に笑っている。おい、自称正義の味方様を舐めるなよ。
「さて、エメラルドスプラァッシュ!」 「何!?」
 だが予想に反して、花京院は先手必勝不意打ち全開でいきなりぶっ飛ばしてきやがった。  スクエアでガードしようにも、承太郎の体格じゃあ、十分なサイズに拡張するのは間に合わない。スクエアを1cm×1cmから2m×2mにするまで2秒。かなり早い方だとは思うが、戦いの場における1秒2秒というのは大分重要だ。
「オラァ! ぐっ!」
 弾丸を撃たれてから盾を構えたところで何の意味があるか。やっぱり庇いきれなかった。  承太郎はスタープラチナで多少払ったものの『不意を食らって胸を傷つけ』て派手に吹っ飛んだ。一方の俺は小柄なのもあり、しゃがみこんでスクエアの後ろに収まったことで無傷。
「ほぅ」 「……う、不意打ちたぁな」 「ふむ、初めてスタンド攻撃をもろに食らった筈だが……。ああ、JOJOも小悪魔と共に活動していたんだったな……サユ?」
 承太郎がさほど動揺していないのが意外だったのか、足をガクガクさせながらも立ち上がってきたのが目に留まったか、注意が俺から反れた。その隙に俺は触手にも警戒しつつ、スクエアをある場所へ繋げ始めていた。
「承太郎ッ!」 「ああ分かったぜッ!」 「何を……?」    ところで俺は、高校1年の夏は海へ行った。こんな時に何をのん気にと思われるだろうが、俺の能力を踏まえた上で、沖合いまで行って潜って来た、と言いかえれば、意味合いは全く違ってくる。  接続が完了したスクエアの片割れを、花京院の背後に思いっきり広げてやる。
「海水砲!!」 「ハッー!!?」
 直径1m四方。水圧で勝手に打ち出される超強力な水鉄砲、いや、水砲台だ。
「……しまっ……!」 「そして裁くのは、俺のスタンドだッー!!」 「お前も直接裁いてるけど」
 こちらの方向へ吹っ飛ばされたがために『本体とスタンドの首』をそれぞれ捕まれ、天井まで殴り上げられる花京院。  ちょっとやりすぎた気もするが、まぁ手当てまでの時間は大分カットされるから、大丈夫だろう。とりあえず、俺の足元に落ちたこの気がかりな眼鏡は取り合えず拾っておく。
手に持ってみると、黒というより、透き通った暗い紫色のような色をしていることが分かった。
.
.
----承太郎視点----
 青い腕の試運転で殴った道路標識がまさか���んな見事に空高く吹っ飛んで、車道からコンビニの駐車場にすら上がれそうもねぇ、地面すれすれの車高の車にぶッ刺さるとは流石の俺も予想しなかった。直後、当然だが色々とあって、俺はそのまま牢屋に入ることとなった。寝て起きた次の日の朝には、スタンドなりのワビのつもりなのか好き勝手に環境を整えられているやら、そのせいで同室のやつらは怯えているやら、看守は怯えて拳銃をぶっ放すやら。  ようやっと牢屋から出られたかと思えば、朝一番に妙なヤツに絡まれる。何故かそこから場を改めて襲ってくる。一体俺が何をしたってんだ。
 血を流して意識を失った花京院を肩に担ぎ、伝人に向き直った。道路標識の反省を踏まえて加減はした。骨が折れたり内臓がやられたりはしてねぇハズだ。  今日はもう学校をフケるとするが、ここからケガ人を手荷物にして街中を歩くのは目立つ。
「伝人」 「ああ、繋げる。お前ん家の、門の影で良いか?」
 俺の腹くらいまでしかない身長。  釣り目気味の大きな目は梟のようで、顔の割りに大きな口には、ギザギザに尖った歯が並んでいる。
「さっきの……『7人目』ってのは何だ?」 「俺の、因縁みたいなもんかな」 「因縁」
 見栄と希望的観測によって準備したという学ランは、コイツには余りに大きく、裾だけを詰めて着ている。  母親が裾を詰めすぎた結果、短ラン気味になり、ズボンも幅は太めなのに変に短い。それはヒザまであるブーツで誤魔化して、怖いので袖はそのまま。やりたかった訳じゃあないとは言うが、伝人はついに改造制服のまま卒業しようとしている。
「細けーこたぁ良いんだよ。お前の事情と雑ざってるみたいだからな」 「俺が首突っ込んだのか、テメーが首突っ込んだのか分かりゃあしねーな」
 伝人とは中学頃からつるみだした。そこから二年も友達付き合いをして、ある日『自分は超能力者だ』と打ち明けられた。  最初はついに中学二年生がかかるという例の病気になっちまったのかと思ったが、違った。本当に見えない板で空間を歪めて、学校から俺の家まで一瞬で送り届けて見せやがった。  それから、正義の味方ごっこをしていることも知った。俺は知ったがために巻き込まれた。その頃からガタイはいい方だったし、反吐が出るような悪をぶちのめすのもまんざらではなく、付き合っているうちに俺も喧嘩は強くなったし、いらない場数も踏んだ。
「言っとくが、俺の運命は百年の眠りから目覚めた吸血鬼退治らしいぜ」
 それが今になって必要になってくるとは、話が上手すぎて笑えるくれーだ。  縁側を歩きながら、お互いの事情を話す。
「へぇー……。俺の因縁は二十うん年後あたりで世界が滅ぶっぽいから、なんとしてもそれを阻止しねーとってとこだな」 「俺の運命の規模を軽々と超えんじゃあねぇ」 「しょーがねーだろマジなんだから」
 だが伝人のそれは、想像以上に頭の痛い話だった。俺のいない四日間に、こいつはこいつで色々あったんだろう。  直接狙われるようなことはないと言うが、放っておけば人類仲良くお陀仏たぁ洒落にならねェ。
「伝人の方は急ぎの話か?」 「んにゃ、最悪の最悪、滅ぶ直前までに原因の息の根を止めればなんとかなるハズだ。結局そうなる予感しかしてねーけど」 「やれやれだぜ……。てめーはいつも、どっからそんなややこしい話を見つけてくんだ?」 「いやー……なんか、成り行きでそうなる」
 ただの善人気取りなら俺も止めた。  そうならなかったのは、こいつが貰うもんをきっちり貰い、一種の商売としてやっている節があるせいだ。正真正銘、自分のためにやってやがる。
「そういや承太郎」 「あん?」 「お前、花京院になんかもらってなかったか?」 「そうだったな」
 ポケットの中にしまいこんだままのハンカチを取り出す。  ……漢字を間違えていたので、丁寧に破いてゴミ箱へ捨てた。こんな時だってのにまるで危機感がねぇ。
 じじいを探し、途中おふくろとも下らないやりとりをして茶室へと向かった。  茶室で花京院を見せると、頭に植わってる肉の芽の説明だとか、DIOとやらは今まで相手してきたチンピラどもとは別格だとかいう話をされた。それを聞きながら、俺は自分のスタンドがうずくのを感じていた。できる、そう言っている気がした。
「……でなければわたしも、この少年のように『肉の芽』で仲間に引き込まれていただろう。『スタンド』をやつのために使わされていたろう」 「そしてこの少年のように数年で脳を食い尽くされ死んでいたろうな」 「死んでいた? ちょいと待ちな。この花京院はまだ、死んじゃあいねーぜ」
 スタンドの手で肉の芽を引っ掴む。体内に侵入するというのは聞いていなかったが、気力で無事に引き抜く。そのあとじじいの波紋で灰と化した。  伝人を見ると、柱に背を預けて何かを考え込んでいる。
「な……? なぜお前は自分の命の危険を冒してまで私を助けた……?」 「さあな……そこんとこだが、俺にもようわからん」 「……アッ!?」 「!?」
 呆然とする花京院を置いて部屋を出ようとしたところで、急に叫んだ。  何事かと振り返ると、きょろきょろと辺りを見回したかと思えば、まだ頭に穴が開いてるってのにかなり慌てた様子で掴みかかってきた。
「ちょっと待て助けてくれたのは感謝する!! それでっサユリはどこだッ!?」 「サユリ?」
 サユリというのは医務室で話しかけていた『サユ』で間違いないんだろうが、まさかあの時すでに一緒にいたとでもいうのか。
「ち、違う、眼鏡だッ! 眼鏡はどうした!? まさか置いてきたのか!?」 「……これか?」 「サユリ! ……よ、良かった……」
 伝人が苦笑いしながら袖から取り出したのは、黒い眼鏡。拾っておいたのか今取り寄せたのかは分からんが、考え事はその眼鏡についてだったらしい。  花京院はそれが生きているかのように受け取り、眼鏡を庇うようにそのまま倒れる。
「おい、花京院……?」 「……」 「へんじがない、ただのしかばねのようだ」 「マジに気を失ってるぜ」
 無理もねぇ。  花京院は布団で寝かせておいた。
.
.
----伝人(六窓)視点----
 でかいテレビのある部屋で、ソファに座りながら暖かいホットミルクを啜る。斜め向かいに座るのがもうちょっと気を抜いていい相手なら、最高だったが……。
「孫がスタンドを扱えずに苦労してると大急ぎで駆けつけたというのに、まさか牢屋でマンガを読んでいるとは思わんかったわい」 「あれ? 承太郎から聞いた話じゃあ、スタンド? が上手く扱えなくて牢屋に入ったって聞いたんすけど」 「……承太郎なら、ベッドの上でビール飲みながらマンガ読んで不貞クサれておったぞ。標識がなんとかと言ったきり、詳しくは何も言わんかったが」
 その日の晩、俺はジョースターさんに捕まっていた。  俺が超能力者(ガチ)であることはなんとなく前から知っていただろうから、ぶっちゃけ全く疑わないことはできねーだろう。承太郎と仲良くやってた信頼もあるが、それと同時に、色々と引っ張りまわして危ない橋を渡らせてもいる。100%信じてもらうには、ジョースターさん自身との信頼を詰まなければならない。
「標識……?」
 俺に心当たりは全くない。  実は二周目でDIO戦でも思い出したか?
「警察に聞いた話じゃあ、なんでも走行中の車に道路標識を槍投げのように刺して揉め事になったらしい。詳しくは分からんが、あのスタンドを扱えなかったことが原因なのは事実じゃろう」 「道路標識を投げた……? ……?」
 つまりどういうことなのかは良く分からないが、まぁ、それは追々聞いてみれば良いか。
「それはそれとして、いくつかお前さんに聞きたいことがあるんじゃが……」
 質問タイム、知ってた。  俺はこのナリでも、ひとたび口を開けば人に無条件で信用してもらえるような純粋さも可愛らしさもゼロだし、『小悪魔』が余りにも定着している。いきなり転生の話をしたところでそこまで信じてもらえる気はしない。希望はほぼ見えない。
「お前さんのスタンド、超能力なんじゃが……いつ頃から使えるようになった? 生まれつきか?」 「いえ、俺のは小学生の頃です。ある日高熱が、いや、川で遊んでいたら何かで腕を切って、その晩から三日間、熱を出して寝込みました。それからっすね」 「腕を切った……?」 「はい。で、その時見た夢の中では、鏡のようなものが浮かんで見えるんすよ。始めは意味が分からないし怖かったんですが、その板状のものが、鏡なんかでないこと、自分の中にある像、ヴィジョンであることが分かってきて、なんで分かるって言われても分かるからとしか言えませんが、これは自分だって自信を持ったら、すっかり熱は引いて、自分のものになりました」
 因みにその『矢』の欠片は、ちゃんと回収してある。  変に放置して余計面倒なことにするのは不味いし、かといって持ち運ぶのも余りにリスクが高い。だから結局、家の地下に俺だけの秘密倉庫を作り、そこにいつもの武器と一緒にしまっておくことにした。
「生まれつきでなく、後から……? DIOのスタンドも、眠りから目覚めたからではなく、そういう、外部的なことの可能性もあるな……」
 ジョースターさんはひげを触りながら推察しだした。案外早く『矢』の秘密に気が付きそうだな。やれやれ勘が良くて困るぜってか。隠すのも変だから話したが、これが後々変に響かないことを祈るしかねぇ。
「ん?」
 その時、遠くからチャリンコで急ブレーキをかけたような音がした。  空条邸の前で急ブレーキとなると、俺はちょっと嫌な予感がした。
「なんの音じゃ?」
 直後にガッシャァアという派手な音が続く。大胆に乗り捨てたらしい。いよいよ嫌な予感がした。もちろんスクエアを出して身構えた。
「すいまっせェん!! 花京院典明がいるのはこちらでお間違いないですよね!?」 「女……?」 「例のサユリ……ですかね」 「じゃろうな」
 花京院の名を唱えた大声は、女のものだった。花京院を探す女といえば、現時点で一人しか思い浮かばなない。彼女が敵か味方はともかく、広い屋敷だ。迷うだろうと思って声のした門へ向かった。が、何故か付いてみるとそこには誰もおらず。軽く塗装が擦り向けてこそいるが、壊れてまではいない自転車が転がっているだけだった。
「い、いねぇッ!?」 「花京院の方じゃ!」 「先に行ってますよ!」
 ジョースターさんを置き去りに、スクエアをスケボーのようにして上に乗かった。コッチのほうが速い。いきなり部屋に登場したって良いが、知らないスタンド使いをあんまり驚かせて即死攻撃は絶対に嫌だ。
「あっずるいぞ伝人!」
 数秒後に花京院の寝ている部屋へ着くと、縁側に黒いバスケットシューズが脱ぎ捨てられ、部屋の敷居から一本の黒い縄のようなものがはみ出しているのが見えた。  そこから聞こえる声は感極まって何を言っているのかも良く分からなかった。めちゃくちゃ入りにくかったが、意を決して部屋を覗き込む。
「典明助かったァアアアアアアアアアぴんぴんしてるぅううううう!!!!! 異常なし!! 奇跡かっ!!!!!!! うわぁあああああああああ柿ピー無事だァアアアァアアアアアアアア!!!!!!!!」 「あっ……、ど、どうも」 「ああ……。そいつがサユリで良いんだな?」 「ハァイ! 私が『カザミサユリ』にございますけど!? テメェよくも塩水ジェット噴射してくれたなァ!? 典明べったべただぞゴルァ!!」
 勢い良く立ち上がり振り返ったのは、俺が拾ったあの眼鏡をかけ、花京院を背に此方を睨みつけてくるセーラー女子。  スカート丈はヒザががっつり出るくらいと今の時代にしてはかなり短いが、下に小豆色のジャージを履いている。そして相対した今、部屋からはみ出していた黒い縄が、縄なんかじゃあなく、ヒザ下まである長い三つ編みだと分かった。テンションについて行けず目線をずらすと、布団の傍に皮製の背負い鞄が置かれている。サユリのものらしい。
「……ですが」
 俺が思い切り見上げるほどの身長。170cmはありそうだ。  サユリは攻撃してくるかと思いきや、急に声のトーンを落とし、少しわざとらしく眼鏡をかけ直して、こう言った。
「典明が危うく罪なき市民に対し傷害罪��犯すところを防いで頂いたことには、感謝します」 「んー、まぁ。止めたい、そう思った時、既に行動は終わってるっていうか……」 「そうですか……。ところで先ほどから随分回りを気にしているようですけれど、何を気にされているんですか?」 「何って……」
 俺はそんなに分かりやすく動いていただろうか。  サユリは相手の動きを見切ったり、追跡したりするスタンドが使えるのかもしれない。サポート特化タイプか? にしては、こう、本体がでかいな……。
「伝人……騒がしいぜ」 「なんじゃ、敵ではなかったようだのォ」 「花京院の言っていた『サユリ』というものが、こちらに来ているのか……?」
 星屑十字軍、全員集合。  開けっ放しは流石に寒い。取り合えず部屋に入り、アヴドゥルさんが戸を閉めた。花京院は布団を畳み、サユリと隣り合って座り直す。そしてやはり、俺のせいであるベタつきを気にしている動作が見えた。すまねぇ。  二人と向き合う四人という構図で、適当に落ち着く。
「さて、私はカザミサユリと申します。風を見るに、小さな百合と書きます。典明とは十年前、小学校へ入ったばかりの頃、お互いの特別な相棒が見えるという縁(えにし)により親友と相成りました」 「ご丁寧にどうも」 「じじいッアホらしいぜ」
 サユリはぺこりと正座から綺麗なお辞儀をして見せるが、花京院の目はサユリに冷たい。そして承太郎の目もジョースターさんに冷たい。  何も分かりきった猫かぶりに真面目に対応することはあるまい。
「そして私の���力ですが……」
 俺はサユリはサポート型だと推測していたが、彼女のスタンド能力、恐ろしさは、すぐに彼女自身によって証明された。
「空条承太郎、ジョセフ・ジョースター。お二人とも身長195cmとは、やはり大きいですね」 「……!?」
 唐突に、『知っていなければ分からない』ようなプロフィールを述べ始めるサユリ。
「ジョセフさん、貴方のスタンドは中距離直接攻撃型、固有能力は探索系。能力が目覚めたのは最近、ということは、能力には伸び代があるかもしれませんね。と、承太郎さんのは、近距離パワー型。パワーに加え、精密動作特化。それと、お2人は首筋に星型の痣、ジョースター家の証をお持ちですね。ああ、それとスタンドの名前を教えていただければ、ステータスをアルファベットで表すこともできますが、まだ名前はありませんか?」 「なッなんじゃと!?」
 メモかカンペでも見ているように語る。空中の何もないところをゆらゆらと彷徨う視線は、操られているのではないかと思わせるが、隣でそれを見る花京院は平然としている。
「加えてモハメドさん、貴方は特殊能力の欄に『マジシャンズレッド』の他、『占い』も見えます。占星術師ですね。本物の占い師ということが私の中で証明されました。お店はハンハリーリで宜しいですね?」 「そこまで分かるとは……!」 「おい……スタンドってのはマジになんでもありかよじじい」 「う、むむ……。スタンドについては未知の部分が多すぎる。何せ世間には全く知られておらんし、研究もほとんどされていない……。あり得ないとは言えんのだ」
 まだ、俺はこの時点では信じきっていなかった。何故なら、『知っていなければ分からない』プロフィールということは、『知っていれば分かる』ということ。しかしその考えはすぐに打ち破られることとなる。
「そして曲木伝人さん」 「ああ」
 他の奴らに比べて、僅かにもったいぶる。名前もフルネームだ。  言われなければ分からないような微妙な間だが、俺にはこの間が『見せてやる』というようにしか感じられなかった。
「貴方の『スクエア』は射程距離C、すなわち10数mせいぜいですが、能力が時空間干渉タイプであるため、射程距離は実質A。そして発動したのは10歳の時。始めは1セットであった窓も、今では3セットと見せていただきました」 「はァ!? 発動時期まで、成長過程まで分かるってかッ!?」 「嬉しそうだねサユ……」
 ドヤ顔を決めるサユリの横で、花京院が呆れた顔をしていた。  しかしそのほかのジョースター一行は大分それどころではない。見ただけで個人情報が筒抜けなど、恐ろしすぎる。みんなかなり動揺していた。俺も怖いくらいだ。特に射程距離なんて、3セットフルに手元に出してしまうと一直線に並べた最大の大きさ、つまり12mが限界なのだが、そんな話は承太郎にもしていない。
「まぁ、貴方は随分と私の前で名前を叫んでくれましたし、『私に直接触れて』も頂いたので、結構見えるようになってます、よ」 「直接…………ハッ!?」 「となると、サユリ、テメーのスタンドは……!!」 「そう! 典明が必死で守り抜いてくれた、この眼鏡ですよ!!」
 右手を左の肘に、左手を眼鏡の淵に。ズアッと逆の腕の位置で、眼鏡をズイッと持ち上げる。  そんなべらぼうにチートなスタンドがあってたまるか。  いや、花京院が置いてきたのかと掴みかかったりするくらいだ、自分で移動できないのかもしれない。それどころか……もしかすると。
「私の眼鏡はアン・ノウンといいます。能力は先ほど述べた通り。名前と姿があれば、大抵のことは知ることができます。しかし物理的にはかなりただの眼鏡です。スタンドなので象が踏んでも踏めないので壊れず、一般人には見えませんが、人型スタンドがちょっと力を込めて握れば、それだけで私はもれなく死にます。そういうスタンドです」 「ひ、貧弱すぎるのでは……?」
 アヴドゥルさんが思わず呟いた。……やはりそうきたか。  例えば似たように相手のプロフィールを知る能力ならヘブンズ・ドアーやホワイトスネイクがある。  しかしその二つはかなり近くまで寄らなければ能力は使えないのに対し、このアン・ノウンというスタンドは、『名前を知る』ことさえ満たせればあとは『見るだけ』で良い。『知識持ち』ならこの上なく有利な能力。更に『一度でも触れる』ことができればもう何でも見放題。ただし、ステータスが余りにも特殊能力に極振りだ。
「……おかしな話だぜ。するってーと、なぜそんな貧弱なスタンドを花京院に預けていた? いつからだ?」 「……持って行ってもらうべきだと判断したからです。……典明、話していい?」 「いや、僕から話す」 「……!」
 お前、花京院に話したのか? 思わず声に出そうになった。一体何の話なのかは大体予想がつく。つくだけに、マジかと思った。  花京院はびしっと座り直すと、真剣な顔で口を開いた。
「……サユリと私は、10年の腐れ縁。それ故に、彼女は私の簡単な運命が見える。そして……私は1年以内にDIOによって殺される運命にある!」 「しっ死ぬッ!? 肉の芽は抜いたぞ!? 何故きみが死ななければならない!!」 「そこまでは……分かりません。だが、逃げていては絶対に駄目だと思った。だから、あえて運命の地、エジプトカイロへの家族旅行を止めなかったし、小百合について来てもらったというわけだ」 「……」 「……」
 その時、サユリと目が合い、薄く微笑まれる。  ネコを被っているようだが、『余計なことは話すんじゃねーぞ』とでも言いたげだった。
「エジプト、カイロ……?」 「じじい、写真はあるか」 「写真?」
 9時間かそこらほどイベントが早まり、承太郎とジョースターさんのスタンド名が決まった。というわけで今夜は解散となったが、俺はサユリに用があるので花京院となんとか離れて欲しい。しかしその希望は、サユリ自身のほうから叶えられた。
「こうして勢いでここまで来てしまいましたが、私はどこへ寝たら宜しいでしょうか?」 「意外だな……サユのことだから一緒に寝るとか言い出すと思ったけど」 「まだ回復しきってない柿ピーと一緒に寝るとかのたまうほど無神経ではないわ。あと1回頭の穴に気をつけつつシャワー浴びて来い。塩落とせ塩」 「ああ、まぁ……。そうだね。浴室を貸してもらえるか?」 「……その『見ました? これがサユリですよ』って顔止めろ柿ピー」 「仲良いなお前ら」
 花京院にこれほど信頼できる友がいるというのは既に救われた気になるが、彼女が『運命を見た』通り、まだ死亡フラグは折れていない。  ついでに言うと、あと1人と1匹の死亡フラグも、折れていない。
「……あー、客間で良いだろ。伝人、2人は任せるぜ」 「俺が案内するのかよ、俺も客人なんだけど」 「テメーはいつも当然のよーに飯食って、自分で持って来た菓子まで食って、挙句布団なんかいらねーとか言ってテレビ前のソファで寝てるじゃねーか。偶には役に立て」 「ウィッス、言うとおりっス、やらせていただきます」 「仲良いですねお2人共」
 そんな感じで承太郎とぐだぐだと分かれた後、先に花京院を風呂へ案内し、客間へサユリを連れて歩き出す。
「……んで、やっと2人っきりだな」 「ええ」
 一瞬の無言、百年の因縁とは全く無関係、とは言い切れない、奇妙な縁がここにある。
「お互い、守りたい相棒がいるのは分かりきってますから、今更動機の話は良いですよね?」 「ああ、すっ飛ばして構わねーよ」 「承知しました。貴方の背景は大方『見えて』いるので、少し私のことをお話します。私も、生まれつきであることを除けばほとんど貴方と同じです。歳は典明と同学年。伝人さんが前回どこまで生きたのか分かりませんが、私の方が後輩ですね。それと、戦闘面において見えないところを補足するならば、私のことを侮っていると格ゲー女子の様な足で相手の股間を蹴り潰します」 「結構鍛えてんだな」 「ええ、10年前からですから、当然です」
 この時代、夜は結構静かだ。そこまで騒がしい施設も近所にないし、空条邸は広く、塀もあるため尚更だ。  後ろ斜め上から聞こえる声に、振り返らずに応じる。
「ここからは簡単に、黄色いヤツのところへ行った結果をお伝えしますが、宜しいですか?」 「良いけど、黄色いヤツって」 「黄色いヤツです。……話を進めますが、向こうサイドに間違いなく『私達と同じ』『奇妙な冒険』を知るものがいました」 「ああ?」 「メタメタしい、私達には良く分かる台詞を使っていました。そして完全に黄色いヤツの味方です。残酷なことを好む性格なようで、3部悪の能力について悪い応用を憂い憂いと語っていましたね……」 「……マジか。ソイツはもしかして、勝った、第3部、完。その後が見たいタイプか?」 「動機については恐らく、としか言えませんが。それと、彼女はペレータと名乗っていましたが偽名でした。黄色いのにすらそう呼ばれているのに、詳しいプロフィールは見えませんでしたから。……筋書き通りだと侮っていては、やられるでしょうね」
 思わず舌打ちした。嫌に響いた。  客間はもうすぐだった。
「ただ、貴方も『鍛えてはおいた』のでしょう?」 「既に成立しているフラグを折るために鍛えた訳だ。それを超えて向こうもパワーアップしてもらっちゃあ困る」 「それでも負けるつもりは毛頭ありません。典明は、誰にも見えない友達を、唯一見つけてくれたのですから」 「俺も承太郎には、大分『自称正義の味方ごっこ』につき合わせちまったからな……。俺だって最後まで付き合ってやらにゃあ気分悪いわ」
 目の前に迫った障子を開けてやった。  サユリは背負っていた鞄を手に持ち直し、数歩先へ進んだかと、振り返って口を開いた。
「ところで」 「ん?」 「私のプロフィール、最終機密をお見せしましょう。ちょっとかけて見てください」 「最終機密?」 「少し部屋に入ってください。直ぐ終わりますから」
 障子を閉めてひょいと眼鏡を外したかと思うと、俺にかけ直した。  サイズが若干大きかったが、すぐに丁度良くなる。スタンドはサイズを変えられるというし、俺のも良く考えたらそうだが、こんなにあっさりと。
「おっ……!? 何だこの視界すげぇ……そして、そして!! こ、この、キチガイスマイルで、四つんばいで這い寄るアスキーアートは!!」 「掛け算、それは魂に刻まれし宿命」 「……Oh、腐ってやがる、早すぎたんだ……」
 なんていうか、アン・ノウンで見る世界は凄かった。  サユリの意識が細い白い糸のようになってわしゃわしゃ見えたし、半透明の文字で「風見小百合(カザミ サユリ)」という表示が頭の上に。さらに体の横には年齢性別、数種の格闘技、特殊能力アン・ノウン、など、プロフィールがずらっと並んでいた。そしてそこに、四つんばいで這い寄るあのアスキートもあった。
「最終機密はそれだけど、会話ログもあるからそっち覗いてみて。便利だから」 「いや、最終機密軽く流し過ぎじゃね……? ……まぁ、流してやるけど。ログはどうやって行くんだ?」 「ああ、……アクセス権開けますね」 「今ちょっと花京院に接するノリだったか?」 「それはだって、典明以外に私の眼鏡を使える人なんていなかったものですから」
 音は聞こえなかったが、錠前のアイコンが目の前に出てきて、それが独りでに開いた。  次に出てきたのはパソコンでよく見るウィンドウ。中央に入力できそうな横長の四角がある。まるで俺のスクエアだった。
「ではアカウント名を決めてください」 「アカウント」 「パソコンとゲームが基礎になっている能力ですので。……今のアン・ノウンは大分機能解禁、拡張してあるんです。10年がかりで育てました」 「あー……。なら、英語で『Square』で」 「畏まりました。次にパスワードを入力してください。貴方なら脳内でキーボードを想像すれば直接打てると思います」 「分かった」
 パスワードを打ったあと、エンターを押すイメージ。  みごとに*マークが並び、画面が溶けるように消えた。
「やはり才能ありますね」 「スタンドも窓だからな」
 そのあと会話ログを見せてもらい、なるほど前のやり取りが遡れるのは便利だと分かったし、アン・ノウンを借りていれば小百合に視覚共有できる上、会話ログの窓を小さくして表示を小百合だけにすれば、離れていても小百合とのやりとりができる。花京院の『サユッ』の秘密はここにあったのだ。が、俺はここで気づいてしまった。
「……なぁ」 「はい?」 「俺のスクエア……ネットができるんだ」 「ええ……見せてもらいましたが……?」 「それは『行ったことがある』に該当するからだってのも見たか?」 「見まし…………あっ」
 小百合も気づいたようだった。  そう、ここでようやく、全ては繋がる訳だ。
「で、俺、さっきお前に聞いたよな? 『どうやって行くんだ?』って」 「聞かれましたね」 「俺は今から、スクエアをアン・ノウン、会話ログへ繋げるぞ」 「私は今から、ID『Square』との重複ログイン状態をロックし、外部アクセス機能を作成します」
.
.
152 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square 長くなったけど、そんな感じ。 以上。第3部冒頭の回想、完。
153 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- ……回想、完じゃねーよ……
154 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- もっとざっくりでも良かったんやでwwwww
155 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- わりと静かにしててほぼ一人でこの進みwwwwww
156 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- IDってそういう
157 :サユ:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:an known いや寝てないんですかwwwwwww 六窓先輩何してるんですかwwwwwwwwwww うけるwwwwwwwww灰塔戦どうする気ですかwwwwwww
158 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- 話なげーなと思いながら誰も止めないwwww
159 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square だって会話ログとってあるんだから詳しく書けるだろ? 書いてたら長くなっただろ? みたいな? ってサユ来ちゃったとか今何時だ?
160 :サユ:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:an known >>159 ウォッチ☆ お外は明るいですよ☆
161 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>157
162 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>157 まじか、二人目の過去からの刺客かよ
163 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square >>160 もしかして:朝
164 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- >>160 もしかして:朝
165 :サユ:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:an known もしかしなくても:朝
166 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- くっそwwwwwwwww
167 :名無しの目覚め:XXXX/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:-------- お前らwwwwww
168 :六窓:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:Square じゃあこうしよう! お前にスクエアで俺の手首預けるから、柱の(ような)男の所まで着いたらモーニングコールして!!
169 :サユ:1988/XX/XX(X) XX:X:XX.XX ID:an known 灰塔戦は六窓先輩の能力がないと乗客の安全が厳しいので駄目です。 大事ことなので二回言いますが、駄目です。
0 notes
kurookamasahiro · 7 years
Photo
Tumblr media
旅の記録2017年8月「膨大な熱量にうなされたい」
頭がまた暴走している。旅をした後は、大体こうだ。トントンツートントンツー、いろんな音が聞こえる。サックスの音、トロンボーンの音、何かから唐突に始まる。音が聞こえ出すと、楽器の音も増えてきて、やけに美しい旋律を奏ではじめる。ただただ僕は止まらないまま流れっぱなしの音楽を金縛りで傍聴している。音を流しているのはどこだ。俺か?記憶か?とにかく感覚の蛇口が解放されている。何かに引っ張られながら、あたらしい音が頭の中で鳴っている(ような気がする)。残像か。はたまた未来を切り開くメロディーか。しかし、この頭で鳴っている音は、無情にも書き留める前にどんどん進んで行く。これはいわゆる「降って来ている」という状態じゃないかと認知する。こういうことはしばしば起こる。そのメロディーやら感覚を、ぼくの身体の中の一部の収集家黒岡が、録音機を探してモソモソやりはじめる。モソモソを感づかれた場合、音楽は少し輪郭をおぼろげにする。収集家黒岡が妙な虫取り網のような録音機を出しているうちに、はたと頭の中の音は鳴り止む。ちょっと待った!この感じを覚えておきたい。とどめておきたいのだ!肉体の黒岡が、1フレーズだけでも歌いながら現実世界に引っ張り出そうとする。収集家黒岡が、虫取り網を構えた瞬間、捕まえようと録音ボタンを押すと頭の中で流れていたはずの曲が止まる。無情。一瞬で消える。忘れた。なくなった。ああ。また行ってしまった。
旅の間中、隣の遠藤里美に向かって喋り続けた。喋っていた時間が続き、ハタと、ひとり、考え事。窓から外の雲。元気な積乱雲。なんだっけ?あ。そうだ。元気にまたしゃべる。帰り道の車に乗り込む。で、揺られ、疲れて、急な睡魔に襲われる。グゥゥゥゥぅとなる。頑に持っていた飲みかけのオリオンビールから手が離れて、車の後部座席にドバドバこぼしているのに気付く。ばっちり目が覚める。お尻のズボンもシートも濡れていた。宿に到着。少し呑んで、深夜、足りなくなって買い物に出かける。寝るのがもったいない。いや、眠くない。睡眠時間で考えると少ない。いや「そんなの関係ねぇ」精神。ハイポジション。身体の疲労を、いつも越え裏側までひっくり返っている。それでも大丈夫です。何何ドーパミンとでも呼ばれている元気成分がバシバシ出ているヤツか。頭は身体のことを放っておいてしまう。旅はそんな風な現象と共にウズウズと始まる。ギリギリまで起きたまんま。3日の行程を経て東京まで帰ってくる。玄関に着いた途端にふわっと眠気が襲ってくる。いわゆる充実しているというやつなんだろか。名古屋に行くと、いつもこの緊張状態の感覚になる。これが3、4日続くと、狂人の一歩手前になる気がする。誰か話をする人がいると熱しやすいのか。ぼくは。素敵なことです。
黒岡オーケストラ。名古屋編。終了。熱冷めやらぬま書き記す。
20才前後のピカピカ個性的なメンバー、一緒にやるにあたって、どの子(あえてこの言葉をつかいます)にも未来が同じように待っているんだと思うと、嬉しくなってくる。若い子たちが原石のピカピカの状態でいることが美しい。この子たちがこれからどんな人生が待っていると思うと楽しみでしょうがない。若人には未来しかないす。まず、「黒岡オーケストラ」について説明をしておこう。「黒岡オーケストラ」とは、2014年、2015年と名古屋学芸大学の子たちと黒岡まさひろが合体してできた集団であり名称だ。ハポンのモモジさんが、紹介してくれ始まった。大学生の子たちとやるので、毎年、メンバーが変わる。卒業していくので。大学生にとってみたら、ぼくと絡みながら、既存の曲をぶりぶり演奏をするというものである。曲を決めて、ぼくはその曲に事前につくってきた歌詞をのせたり、小芝居を入れたり、本番で思うように変えたり即興性の高いことをやってきた。曲の合間に小芝居、一貫してストーリーを持たせたい。1回目、2回目は、そんなかたちで。1年空いて、今年2017年の3回目。ぼくは、既存の曲にあわせるというのと、ちょっと違うかたちでやりたくなった。吹奏楽の曲に歌詞をつけるというのが、激ムズというのもあるのだが、いつまでも既存の曲の豪華盤生カラオケみたいなのに発展性を見いだすことが難しくなってきた。ま。その感じも好きなのであるが。そうではなくて、自分がつくった曲でやってみたくなった。というわけで、自作の曲7曲、そして今まで通り吹奏楽の曲3曲というかたちでやることにした。自作の曲には楽譜がない。ぼくには、大人数の楽譜を作成することがすぐにできないので、急ピッチにて1ヶ月前から遠藤里美さんに譜面を各パートごとに作成してもらった。名古屋学芸大学の新部長とメールでやりとりしながら、曲を決め、東京にて、曲を作り、遠藤里美さんに譜面をかいてもらった。遠藤里美さんには大分ご尽力いただいた。その功績への感謝と、彼女の楽譜をつくる力に、すごいなぁと思うばかりである。プレイヤーとしても素晴らしい彼女は。
せっかくだからと言うこともあって、名古屋でやる1週間前、東京のミュージシャンとも7曲をやった。これはなかなか���ピネス漲る感じであったのでまた後日書いてみたいと思う。
さて、名古屋ハポン。今年は終わった後に、いろんな感情が巻き起こった。
「いい面」から書いてみよう。とにかく学生たちがキラキラしている。そしてずっと先まで未来があるということ、美しい。みんな何にも汚れてない。逆を言うと、世間知らずとも言えるが、それがまた良い。可能性のかたまり。美しい。学生たち、個人個人に、何とも言えないキラキラと光る個性があり、若さと言うものは面白い現象だと思った。最後まで駆け抜けた。長時間であったものの良いリハの時間を持った。締め上がった。バリトンサックスのアッキーに「激しく!もっと下品に吹け!もっと下品に!」とリハで言い続けていたのが原因か、吹きすぎて唇がキレて血を出していた。それでも最後まで諦めず頑張った。素晴らしい。他の木管の子たちも「指が痛い」「こんなに練習したのは高校以来」「もう楽器3日間は持ちたくないなぁ」と口々に言っていたが、終わった瞬間は、彼女たちに満足感が漂っていた。これは嬉しいことだ。充実感を持って楽しそうだった。
もうひとつ「思うこと」も書いてみよう。前回、前々回とは、違う点があった。まず、直前(前日)にメンバーが減ってしまっていたこと。しかもよく数えたら、3人も減っていた。理由もあるのだが、全員ではないにしろ「バイトめんどくせぇから行かないっす」的な類の感触を持った。まあ。理由があってそうじゃないと思うけど・・・。新部長とのメールのやり取りもあまり頻繁にできなかったが「まあ。当日になると大丈夫だろう」と思っていた。何故かと言うと、メールのやり取りが少なくとも、前回、前々回は、楽曲を鬼のように引き締めてきていたから、多分今年も大丈夫だろうとタカをくくっていた。彼ら、彼女たちを信じていたところもあった。当日、朝も早よからみんなと会って軽く挨拶して、曲をやってみる。あれ?全然完成してない?今年はちと様子が違うぞ。実際に音を出すと、曲が締め切れていない。完成度20%の状況のものもあった。ほとんど、初見の曲もあり、「あー。純粋に練習してないのね」と思った。危機感が確実に足りていない気がした。甘い。ぼくの勝手な予想「少なくともこの辺まではやってくると思っていたのだが・・・」とは違っていた。まあ、違って当然だろう。人が違うのだから。いや、そんなことを逐一言いながらやるのは、子どもだ。大人は、もっと、信頼して、、、、。相手を信じてやる。これが大人のやり方なのだ。できることをリハーサル中、最後までやり抜いた。最後まで駆け抜けた。メンバーが減ったというのも含めて、なんだか違和感。部長!しっかり!(ま。部長すごいいい子なんで好きですけど。それとは違う側面で)何となく、音楽に対しての真剣なまなざしが過去よりも薄いような感じがした。若さ故の盲目感。気のせいか?それに付随してか全体の音が弱く感じた。全体的な練習不足。う~ン。個人個人の素質は素晴らしいのに、活かしきれていない、どんよりしている気がした。ムードが、違う。これは指導者の責任でもあるが、個人個人の問題でもある。自分たちで「音楽」を選んだはずなのに、やらされている感というか、また「こんなもんで大丈夫っしょ」感があった。「いや、いや、大丈夫じゃないから・・・」誰かが言うと、変わっていたと思うのだが。
そんなこともあり、厳し目にストイックにリハーサルをした。甘えた感情に目を向けさせることなく、リハーサルの5時間あまりをやりきった。ひとつはっきりさせておきたいのは、冒頭にも書いたように、この子たちは、すごく個性的だし素質のある面白い子たちなのである。ただ、せっかくの金のピカピカタマゴが、光っていないような、途中で成長を止めているかのような気がした。人と違うことやりたくないっす。的なものを感じた。ま。全員ではないが。誠実な向き合い方がなされていないような。こどもたちだった。とはいえ、先にも書いたようにリハーサルを重ねるにあたってだんだんと演奏も締まってきて、最後の方になると気持ちがまとまってきたような気がした。良い!過去2年は小芝居をいれて、演奏の合間に和ましていたが、今回はやめた。
ぼくは、大学で吹奏楽の演奏にかかわっている人を尊敬している。過去の1年目、2年目を過大評価しすぎなのかもしれないが、ちゃんとまとめてきた彼女たち先輩の基礎体力のようなものと、ある種の吹奏楽部の結束のようなものに、信頼感を持っていた。そんな頑張りに若者の未来を見ていた。真剣に取り組むということは美しい。なにかが見えるチャンスである。そこから、ズバズバ入り込んで行けば良い。真剣にやらないと、妥協して行く道をこれからも歩んでいきがちだ。リハーサル中ずっとぼくも(連れの遠藤も)パワーを出していたが、逆に学生たちからパワーをもらっていた。しかし、前回、前々回と比べて(比べてもしょうがないが)、全体のムードがどんより、引っ張る人がいないまま、緩い方に流れていく無力感と言うか。責任逃れのような。自分のことじゃないような。他人まかせのようなムードを感じた。まとまっていないのか。まとめあげられていないのか。「もっと真剣にやろうよ!」って声を上げる子がいなかったからか、、、。汗くちゃ、もみくちゃになって欲しい。甲子園の球児のように。若さ故の無謀さで良いと思っている。でもそうじゃなかった。この時代、世代の違いは何だろう?と疑問に思いながら、かわいい子たちのせいにしたくない。何か、別の現象のせいにしたい。よしこれは、もう、全部これは携帯電話のせいだと、思った。もうそれが悪行の原因だと決めつけようと思う。すべてはSNSとかツイッターとか、ラインとか、インスタグラムとか、すべてを平均化しようとするような魔力のムードせいだ決めつけようと思う。ひとつの考え方が、「良い」という真綿で締め付けられるような支配。嫌いです。多様化してるのに。これは極端に考えすぎかもしれない。いや、考えすぎに違いない。しかし、バラバラな美しさを、平均化・・・若者の四方八方に伸びる芽をつぶしているのだと思っている。もちろん、自分たちでそこに飛び込んでいるのであるが。わからないんですね。せっかく才能も未来もいっぱいあるのに~!それが残念でならない。これ、全部時代のせいにしちゃって良いですか?良いですか?大人の人の責任もあると思うぞ。すぐ下の後輩にちゃんと伝えて欲しいな。「世代間のギャップ」をあれこれ、どうこれ言っているぼくは、もう、おじさんになったのか。いや、そうじゃなくて・・・。
とはいうぼくも、現代の時代に生きているので、気をつけなきゃなと思うのだが。これを機に、ふと振りかえる。「インターネット上でばか騒ぎしているやつは、自分の実力を知れ!」と最近ユーチューバーの笑い声を聞いて思うばかりである。そしてその想いは、100%自分に帰ってくる。神様がいるとすれば「ば~か!お前もだよ!」と言ってくる。「まぁ。いいっしょ」という無気力な人には、素敵な世界を教えたいと思う。ああ。暑苦しい。でも、、そうじゃないかしら?世界を変えたいというか・・・なんか、イヤっすね。再度、言いたいが、今回、活躍してくれた学生たちは、本当に頑張ってたので、悪口を言いたい訳じゃない。
旅に同行した遠藤里美と、学生たちの雰囲気についてずっと話した。最初に、メンバーが減ったということに「あ?」と思ったからか、学生たちに僕たちは「音楽なめんなよ!」という気持ちをずっと持っていた。遠藤は、「おい!おい!もっとやれよ~!」と踊っていた。真摯にやらないと、ダメなのじゃ。というオッサンみたいな気持ち、親みたいな気持ち、もったいないような気持ち。少なくとも、学生たちは、一生懸命やったし、精一杯やったので、何か充実したものを持って帰ったのではと思っている。今回参加できなかった学生は損ですよ。もう!
ずっとホライズンでやってきたからか、音に締まりが欲しい。バックはガチガチの力で来て欲しい。そういう経験からも来ているのかもしれぬ。
とかなんとか、遠藤と話していたが、話の流れ上、自分の大学生の頃を思い出した。もう、だらしなくて、天狗状態で、世間をなめ腐っていたし、自分の殻に閉じこもっていた。昭和の小説家以外、よく知らないくせに「軽い」と思っていた。頑張ることに、かっこわるいという気持ちを持っていた。ああ。変わらないな。いや、今の学生よりもふざけたやつだっただろうな。あーだこーだ言ってしまいごめんなさい。しかし、なんか、熱量だけはあった(と思う)。責任も自分でとっていた(と思う)。服も自分で着替えた(と思う)。迷っていた。進んでいた。よくわからぬエモーショナルに体全体を投じて必死に生きていた(ような気がする)。とにかく、下手でも、ぼこぼこ道でも、不細工でも、不格好でも、熱量だけが欲しいんだよ。おれは。とか、なんとか思いました。学生の子たちがいつか、わかる日が来る・・・のか。ドラムの多々良とかは「いや、黒岡さん、何言うてんすか。これがスタンダードなムードですよ!」って言ってきそうだな。うん。それはそれで正しい。君たちは、君たちの、我が道を行けば良いんだ。ぼくが君たちの年の頃は、もっとだらしなかったのに、偉そうに言ってすいません。ただ、奥には奥があって、同じ世界を見てても、もっと深い楽しみがあるから、ノソノソ入り込んでいってくれたまえ!と思う限りです。よし!ぼくも頑張ろう!ありがとう。名古屋の子たち。全面協力のモモジさん、全感謝。撮���の井上竜一きみは可愛い!嗚呼。熱量にうなされたい。
0 notes
【悲報】犬を散歩させている男に近づいた男子児童が、大声で「かめはめは」と叫ばれる
1:記憶たどり。 ★: 2018/07/29(日) 15:48:23.11ID:CAP_USER9.net
不審者情報(福井市二の宮3丁目) 7月28日午後5時頃、福井市二の宮3丁目地籍において、犬を散歩している男に男子児童が近づいたところ、男が「かめはめは」と大声で叫ぶ事案が発生しました。 男は、30歳代、身長170センチメートル位、細身、黒色短髪、白色のTシャツ、茶色の七分丈ズボン、サンダル姿でした。 このような事案に遭遇した場合は、すぐに警察まで通報して下さい。 続きはこちら
https://www.gaccom.jp/safety/detail-248593
3:名無しさん@1周年: 2018/07/29(日) 15:49:11.86ID:68GbOUIQ0.net 犯人は孫悟空
5:名無しさん@1周年: 2018/07/29(日)…
View On WordPress
0 notes