#黒谷頭首工
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halkeith · 1 year ago
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#黒谷頭首工 #iPhoneSE3 #HDR #島尻神社 #片貝川 #レッドアロー #富山地方鉄道 #ベロスターミニ #インド料理 #ビリヤニ #ナン #インディラ
ぶらっとサイクリングに出かける。 いい天気。行先は決めずに、 標高400m付近まで駆け上がった。 雪融け水、豊富。帰路は最高速度42km/hを記録した。 道路脇、人が走ってるような模様に見えた(〇4-5)。 ビリヤニ弁当とナン。贅沢なランチとなった。
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅��盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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kachoushi · 11 months ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でも��ったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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kurihara-yumeko · 4 years ago
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【小説】The day I say good-bye (3/4)【再録】
 (2/4)はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/647000556094849024/)
「あー、もー、やんなっちゃうよなー」
 河野帆高はシャーペンをノートの上に投げ出しながらそう言って、後ろに大きく伸びをした。
「だいたいさー、宿題とか課題って意味がわからないんだよねー。勉強って自分のためにするもんじゃーん。先生に提出するためじゃないじゃーん。ちゃんと勉強してれば宿題なんて出さなくてもいいじゃーん」
「いや、よくないと思う」
「つーか何この問題集。分厚いくせにわかりにくい問題ばっか載せてさー。勉強すんのは俺らなんだから、問題集くらい選ばせてくれたっていーじゃんね」
「そんなこと言われても……」
 僕の前には一冊の問題集があった。
 夏休みの宿題として課されていたものだ。その大半は解答欄が未だ空白のまま。言うまでもないが、僕のものではない。帆高のものだ。どういう訳か僕は、やつの問題集を解いている。
 その帆高はというと、また別の問題集をさっきまでせっせと解いていた。そっちは先日のテストが終わったら提出するはずだったものだ。毎回、テスト範囲だったページの問題を全て解いて、テスト後に提出するのが決まりなのだ。帆高はかかとを踏み潰して上履きを履いている両足をばたつかせ、子供みたいに駄々をこねている。
「ちゃんと期限までにこつこつやっていればこんなことには……」
「しぬー」
「…………」
 つい三十分前のことだ。放課後、さっさと帰ろうと教室で荷物をまとめていた僕のところに、帆高は解答欄が真っ白なままの問題集を七冊も抱えてやってきた。激しく嫌な予感がしたが、僕は逃げきれずやつに捕らえられてしまった。さすが、毎日バスケに勤しんでいる人間は、同じ昼休みを昼寝で過ごす僕とは俊敏さが違う。
 帆高は夏休みの課題を何ひとつやっていなかった。テスト後に提出する課題も、だ。そのことを教師に叱責され、全ての課題を提出するまで、昼休みのバスケ禁止令と来月の文化祭参加禁止令が出されたのだという。
 それに困った帆高はようやく課題に着手しようと決意したらしいが、僕はそこに巻き込まれたという訳だ。一体��うして僕なのだろうか。そんな帆高だが、この間のテストでは学年三位の成績だというので、教師が激怒するのもわかるような気がする。
「…………どうして、保健室で勉強してるの」
 ベッドを覆うカーテンの隙間から頭の先を覗かせてそう訊いてきたのは、河野ミナモだった。帆高とは同じ屋根の下で暮らすはとこ同士だというが、先程から全くやつの方を見ようとしていない。
 そう、ここは保健室だ。養護教諭は今日も席を外している。並んだベッドで休んでいるのは保健室登校児のミナモだけだ。
「教室は文化祭の準備で忙しくて追い出されてさ。あ、ミナモ、俺にも夏休みの絵、描いてよ。なんでもいいからさ」
 帆高は鞄からひしゃげて折れ曲がった白紙の画用紙を取り出すと、ミナモへ手渡す。ミナモはしばらく黙っていたが、やがて帆高の方を見もしないまま、画用紙をひったくるように取るとカーテンの内側へと消えた。
 帆高が僕の耳元で囁く。
「こないだ、あんたと仲良くなったって話をしたら、少しは俺と向き合ってくれるようになったんだ。ミナモ、あんたのことは結構信頼してるんだな」
 へぇ、そうだったのか。僕がベッドへ目を向けた時、ミナモは既にカーテンを閉め切ってその中に閉じこもってしまっていた。耳を澄ませれば鉛筆を走らせる音が微かに聞こえてくる。
「そう言えば、あんたのクラスは文化祭で何やんのー?」
「なんだったかな……確か、男女逆転メイド・執事喫茶?」
「はー? まじでー?」
 帆高はけらけらと笑った。
「男女逆転ってことは、あんたもメイド服とか着る訳?」
「……そういうことなんじゃない?」
「うひゃー、そりゃ見物だなーっ!」
「あんたのとこは?」
「俺のとこはお化け屋敷」
 それはまた無難なところだな。こいつはお化けの恰好が似合いそうだ、と考えていると、
「そういやさ、クラスで思い出したんだけど、」
 と帆高は言った。
「あんたのとこ、クラスでいじめとかあったりする?」
「さぁ、どうだろ……。僕はよく知らないけど」
 いじめ、と聞いて思い出すのは、あーちゃんのこと、ひーちゃんのこと。
「なんか三組やばいみたいでさー。クラスメイト全員から無視されてる子がいるんだってさ」
「ふうん」
「興味なさそうだなー」
「興味ないなぁ」
 他人の心配をする余裕が、僕にはないのだから仕方ない。
 そうだ、僕はいつだって、自分のことで精いっぱいだった。
「透明人間になったこと、ある?」
 あの最後の冬、あーちゃんはそう僕に尋ねた。
 あーちゃんは部屋の窓から、遠い空を見上げていた。ここじゃないどこかを見つめていた。どこか遠くを、見つめていた。蛍光灯の��が眼鏡のレンズに反射して、その目元は見えなかったけれど、彼はあの時、泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
 僕はその時、彼が発した言葉の意味がわからなかった。わかろうともしなかった。その言葉の本当の意味を知ったのは、あーちゃんが死んだ後のことだ。
 僕は考えなかったのだ。声を上げて笑うことも、大きな声で怒ることも、人前で泣くこともなかった、口数の少ない、いつも無表情の、僕の大事な友人が、何を考え、何を思っていたのか、考えようともしなかった。
 透明人間という、あの言葉が、あーちゃんが最後に、僕へ伸ばした手だった。
 あーちゃんの、誰にも理解されない寂しさだった。
「――くん? 鉛筆止まってますよ?」
 名前を呼ばれた気がして、はっとした。
 いけない、やつの前で物思いにふけってしまった。
「ぼーっとして、どした? その問題わかんないなら、飛ばしてもいいよ」
 いつの間にか帆高は問題集を解く作業を再開していた。流れるような筆致で数式が解き明かされていく。さすが、学年三位の優等生だ。問題を解くスピードが僕とは全然違う。
「……この問題集、あんたのなんだけどね」
 僕がそう言うと帆高はまたけらけらと笑ったので、僕は溜め息をついてみせた。
   「最近はどうだい? 少年」
 相談室の椅子にふんぞり返るように腰を降ろし、長い脚を大胆に組んで、日褄先生は僕を見ていた。
「担任の先生に聞いたよ」
 彼女はにやりと笑った。
「少年のクラス、文化祭で男がメイド服を着るんだろう?」
「…………」
 僕は担任の顔を思い浮かべ、どうして一番知られてはいけない人間にこの話をしたのだろうかと呪った。
「少年ももちろん着るんだろ? メイド服」
「…………」
「最近の中学生は面白いこと考えるなぁ。男女逆転メイド・執事喫茶って」
「…………」
「ちゃんとカメラ用意しないとなー」
「…………先生、」
「せんせーって呼ぶなっつってんだろ」
「カウンセリングして下さい」
「なに、なんか話したいことあるの?」
「いや、ないですけど」
「じゃあ、いーじゃん」
「真面目に仕事して下さい」
 そもそも、今日は日褄先生の方から、カウンセリングに来いと呼び出してきたのだ。てっきり何か僕に話したいことがあるのかと思っていたのに、ただの雑談の相手が欲しかっただけなんだろうか。
「昨日は市野谷んち行ってきた」
「そうですか」
「久しぶりに会ったよ、あの子に」
 僕は床を見つめていた目線を、日褄先生に向けた。彼女は真剣な表情をしている。
「……会ったんですか、ひーちゃんに」
 日褄先生のことを嫌い、その名を耳にすることも口にすること嫌い、会うことを拒み続けていた、あのひーちゃんに。
「なーんであの子はあたしを見ると花瓶やら皿やら投げつけてくるのかねぇ」
 不思議だ不思議だ、とちっとも不思議に思っていなそうな声で言う。
「あの子は、変わらないね」
 ありとあらゆるものが破壊され、時が止まったままの部屋で、二度と帰ってくることのない人を待ち続けてい��ひーちゃん。
「あの子はまるで変わらない。小さい子供と同じだよ。自分の玩具を取り上げられてすねて泣いているのと同じだ」
「……ひーちゃんをそういう風に言わないで下さい」
「どうしてあの子をかばうんだい、少年」
「ひーちゃんにとって、あーちゃんは全てだったんですよ。そのあーちゃんが死んだんです。ショックを受けるのは、当然でしょう」
「違うね」
 それは即答だった。ぴしゃりとした声音。
 暖かい空気が遮断されたように。ガラス戸が閉められたように。
 世界が遮断されたかのように。
 世界が否定されたかのように。
「少年はそう思っているのかもしれないが、それは違う。あの子にとって、直正はそんなに大きな存在ではない」
「そんな訳、ないじゃないですか!」
「少年だって、本当はわかっているんだろ?」
「わかりません、そんなこと僕には――」
 僕を見る日褄先生の目は、冷たかった。
 そうだ。彼女はそうなのだ。相変わらずだ。彼女はカウンセラーには不向きだと思うほど、優しく、そして乱暴だ。
「少年はわかっているはずだ、直正がどうして死んだのか」
「…………先生、」
「せんせーって呼ぶなって」
「僕は、どうすればよかったんですか?」
「少年はよく頑張ったよ」
「そんな言葉で誤魔化さないで下さい、僕はどうすれば、ひーちゃんをあんな風にしなくても、済んだんですか」
 忘れられない。いつ会っても空っぽのひーちゃんの表情。彼女が以前のように笑ったり泣いたりするには、どうしても必要な彼はもういない。
「後悔してるの? 直正は死んでないって、嘘をついたこと」
「…………」
「でもね少年、あの子はこれから変わるつもりみたいだよ」
「え……?」
 ひーちゃんが、変わる?
「どういう、ことですか……?」
「市野谷が、学校に行くって言い出したんだよ」
「え?」
 ひーちゃんが、学校に来る?
 あーちゃんが帰って来ないのにどうして学校に通えるの、と尋ねていたひーちゃんが、あーちゃんがいない毎日に怯えていたひーちゃんが、学校に来る?
 あーちゃんが死んだこの学校に?
 あーちゃんはもう、いないのに?
「今すぐって訳じゃない。入学式さえ来なかったような不登校児がいきなり登校するって言っても、まずは受け入れる体勢を整えてやらないといけない。カウンセラーをもうひとり導入するとかね」
「でも、一体どうして……」
「それはあたしにもわからない。本当に唐突だったからね」
「そんな……」
 待つんじゃなかったのか。
 あーちゃんが帰って来るまで、ずっと。
 ずっとそこで。去年のあの日で。
「あたしは、それがどんな理由であろうとも、あの子にとって良いことになればそれでいいと思うんだよ」
 日褄先生はまっすぐ僕を見ていた。脚を組み替えながら、言う。
「少年は、どう思う?」
    僕の腕時計の針が止まったのは、半月後に文化祭が迫ってきていた、九月も終わりの頃だった。そしてそれに気付いたのは、僕ではなく、帆高だった。
「ありゃ、時計止まってるじゃん、それ」
「え?」
 帆高の課題は未だに終わっておらず、その日も保健室で問題集を広げて向き合っていた。何気なく僕の解答を覗き込んだ帆高が、そう指摘したのだ。
 言われて見てみれば、今は放課後だというのに、時計の針は昼休みの時間で止まっていた。ただいつ止まったのかはわからない。僕は普段、その時計の文字盤に注意を向けることがほとんどないのだ。
「電池切れかな」
「そーじゃん? ちょっと貸してみ」
 帆高がシャープペンシルを置いて手を差し出してきたので、僕はそっと時計のベルトを外し、その手に乗せる。時計を外した手首の内側がやつに見えないように気を付ける。
 黒い、プラスチックの四角い僕の時計。
 僕の左手首の傷を隠すための道具。
 帆高はペンケースから細いドライバーを取り出すと、文字盤の裏の小さなネジをくるくると器用に外していた。それにしてもどうして、こんな細いドライバーを持ち歩いているんだろうか、こいつは。
「あれ?」
 問題集のページの上に転がったネジを、なくさないように消しゴムとシャーペンの間に並べていると、文字盤裏のカバーを外した帆高が妙な声を上げる。
 そちらに目をやると、ちょうど何かが宙を舞っているところだった。それは小さな白いものだった。重力に逆らえるはずもなく、ひらひらと落下していく。帆高の手から逃れたそれは、机の上に落ちた。
「なんだこれ」
 それは紙切れだった。ほんとうに小さな紙切れだ。時計のカバーの内側に貼り付いていたものらしい。僕はそれを中指で摘まんだ。摘まんで、
「…………え?」
 摘まんで、ゴミかと思っていた僕はそれを捨てようと思って、そしてそれに気が付いた。その小さな紙切れには、もっと小さな文字が記されている。
  図書室 日本の野生のラン
 「……図書室?」
 どくん、と。
 突然、自分の心臓の鼓動がやけに耳に響いた。なぜか急に息苦しい気分になる。嫌な胸騒ぎがした。
 ――うーくん、
 誰かが僕の名を呼んでいる。
「どうした?」
 僕の異変に気付いた帆高が身を乗り出して、僕の指先の紙を見やる。
「……日本の野生のラン?」
 ――うーくん、
 僕のことを呼んでいる。
「なんだこれ? なんかの暗号?」
 暗号?
 違う、これは暗号じゃない。
 これは。
 ――うーくん、
 僕を呼んでいるのは、一体誰だ?
「日本の野生のラン、図書室……」
 考えろ。
 考えろ考えろ考えろ。
 これは一体、どういうことだ?
 ――うーくん、
 知っている。わかっている。これは、恐らく……。
「図書室……」
 今になって?
 今日になって?
 どうしてあの日じゃないんだ。
 どうしてあの時じゃないんだ。
 これはそう、きっと最後の……。
 ――うーくん、この時計あげるよ。
「ああ……」
 耳鳴り。世界が止まる音。夏のサイレン。蝉しぐれ。揺れる青色は空の色。記憶と思考の回路が全て繋がる。
「あーちゃんだ…………」
   「英語の課題をするのに辞書を借りたいので、図書室を利用したいんですけど、鍵を借りていってもいいですかー?」
 帆高がそう言うと、職員室にいた教師はたやすく図書室の鍵を貸してくれた。
「そういえば河野くん、まだ宿題提出してないんだって? 担任の先生怒ってたわよ」
 通りすがりの他の教師がそう帆高に声をかける。やつは笑って答えなかった。
「じゃー、失礼しましたー」
 けらけら笑いながら職員室を出てくると、入口の前で待っていた僕に、「じゃあ行こうぜ」と声をかけて歩き出す。僕はそれを追うように歩く。
「ほんと��そうな訳?」
 階段を上りながら、振り返りもせずに帆高が問いかけてくる。
「なにが?」
「ほんとにさっきのメモ、あんたの自殺した友達が書いたもんなの?」
「…………恐らくは」
 僕が頷くと、信じられないという声で帆高は言う。
「にしても、なんだよ、『野生の日本のラン』って」
「『日本の野生のラン』だよ」
「どっちも同じだろー」
 放課後の校内は文化祭の準備で忙しい。廊下にせり出した各クラスの出し物の準備物やら、ダンボールでできた看板やらを踏まないようにして図書室へと急ぐ。途中、紙とビニール袋で作られたタコの着ぐるみを着た生徒とすれ違った。帆高がそのタコに仲良さげに声をかけているところを見ると、こいつの知り合いらしい。こいつにはタコの友人もいるのか。
 この時期の廊下は毎年混沌としている。文化祭の開催時期がハロウィンに近いせいか、クラスの出し物等もハロウィンに感化されている。まるで仮装行列だ。そんな僕も文化祭当日にはクラスの女子が作ってくれたメイド服が待っている。まだタコの方がましだった。
 がちゃがちゃ、と乱暴に鍵を回して帆高は図書室の扉を開けてくれた。
 閉め切られた図書室の、生ぬるい空気が顔に触れる。埃のにおいがする。それはあーちゃんのにおいに似ていると思った。
「『日本の野生のラン』って、たぶん植物図鑑だろ? 図鑑ならこっちだぜ」
 普段あまり図書室を利用しない僕を帆高がひょいひょいと手招きをした。
 植物図鑑が並ぶ棚を見る。植物図鑑、野山の樹、雑草図鑑、遊べる草花、四季折々の庭の花、誕生花と花言葉……。
「あっ…………た」
 日本の野生のラン。
 色褪せてぼろぼろになっている、背表紙の消えかかった題字が僕の目に止まった。恐る恐る取り出す。小口の上に埃が積もっていた。色褪せていたのは日に晒されていた背表紙だけのようで、両側を園芸関係の本に挟まれていた表紙と裏表紙には、名前も知らないランの花の写真が鮮やかな色味のままだった。ぱらぱらとページをめくると、日本に自生しているランが写真付きで紹介されている本。古い本のようだ。ページの端の方が茶色くなっている。
「それがなんだっつーんだ?」
 帆高が脇から覗き込む。
「普通の本じゃん」
「うん……」
 最初から最後まで何度もページをめくってみるが、特に何かが挟まっていたり、ページに落書きされているようなこともない。本当に普通の本だ。
「なんか挟まっていたとしても、もう抜き取られている可能性もあるぜ」
「うん……」
「にしても、この本がなんなんだ?」
 腕時計。止まったままの秒針。切れた電池。小さな紙。残された言葉は、図書室 日本の野生のラン。書いたのはきっと、あーちゃんだ。
 ――うーくん、この時計あげるよ。
 この時計をくれたのはあーちゃんだった。もともとは彼の弟、あっくんのものだったが、彼が気に入らなかったというのであーちゃんが僕に譲ってくれたものだ。
 その時彼は言ったのだ、
「使いかけだから、電池はすぐなくなるかもしれない。でもそうしたら、僕が電池を交換してあげる」
 と。
 恐らくあーちゃんは、僕にこの時計をくれる前、時計の蓋を開け、紙を入れたのだ。こんなところに紙を仕込める人は、彼しかいない。
 にしてもどういうことだろう、図書室 日本の野生のラン。この本がなんだと言うのだろう。
 てっきりこの本に何か細工でもしてあるのかと思ったけれど、見たところそんな部位もなさそうだ。そもそも、本を大切にしていたあのあーちゃんが、図書室の本にそんなことをするとは思えない。でもどうして、わざわざ図書室の本のことを記したのだろう。図書室……。
「あ……」
 図書室と言えば。
「貸出カード……」
 本の一番後ろのページを開く。案の定そこには、貸出カードを仕舞うための、紙でできた小さなポケットが付いている。
 中にはいかにも古そうな貸出カードが頭を覗かせている。それをそっと手に取って見てみると、そこには貸出記録ではない文字が記してあった。
  資料準備室 右上 大学ノート
 「……今度は資料準備室ねぇ」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、帆高は面倒そうに言う。
「一体、なんだって言うんだよ」
「……さぁ」
「行ってみる?」
「…………うん」
 僕は本を棚に戻す。元通り鍵を閉め、僕らは図書室を後にした。
 図書室の鍵は後で返せばいいだろ、という帆高の発言に僕も素直に頷いて、職員室には寄らずに、資料準備室へ向かうことにした。
 またもや廊下でタコとすれ違った。しかも今度は歩くパイナップルと一緒だ。なんなんだ一体。映画の撮影のためにその恰好をしているらしいが、どんな映画になるのだろう。「戦え! パイナップルマン」と書かれたたすきをかけて、ビデオカメラを持った人たちがタコとパイナップル���追いかけるように速足で移動していった。
「そういえばさ、」
 僕は彼らから帆高へ目線を移しながら尋ねた。
「資料準備室、鍵、いるんじゃない?」
「あー」
「借りて来なくていいの?」
「貸して下さいって言って、貸してくれるような場所じゃないだろ」
 資料準備室の中には地球儀やら巨大な世界地図やら、あとはなんだかよくわからないものがいろいろ入っている。生徒が利用することはない。教師が利用することもあまりない。半分はただの物置になっているはずだ。そんな部屋に用事があると言ったところで、怪しまれるだけで貸してはくれないだろう。いや、この時期だし、文化祭の準備だと言えば、なんとかなるかもしれないけれど。
「じゃ、どうする気?」
「あんたの友達は、どうやってその部屋に入ったと思う?」
 そう言われてみればそうだ。あーちゃんはそんな部屋に、一体何を隠したというのだ。そして、どうやって?
「良いこと教えてやるよ、――くん」
「……なに?」
 帆高は僕の名を呼んだのだと思うが、聞き取れなかった。
 やつは唇の端を吊り上げて、にやりと笑う。
「資料準備室って、窓の鍵壊れてるんだよ」
「はぁ……」
「だから窓から入れるの」
「資料準備室って、三階……」
「ベランダあんだろ、ベランダ」
 三階の廊下、帆高は非常用と書かれた扉を開けた。それは避難訓練の時に利用する、三階の全ての教室のベランダと繋がっている通路に続くドアだ。もちろん、普段は生徒の使用は禁止されている。と思う、たぶん。
「行こうぜ」
 帆高が先を行く。僕がそれを追う。
 日が傾いてきた��ともあり、風が涼しかった。空気の中に、校庭の木に咲いている花のにおいがする。空は赤と青の絵具をパレットでぐちゃぐちゃにしたような色だった。あちこちの教室から、がやがやと文化祭の準備で騒がしい声が聞こえてくる。ベランダを歩いていると、なんだか僕らだけ、違う世界にいるみたいだ。
「よいっ、しょっと」
 がたんがたんと立て付きの悪い窓をやや乱暴に開けて、帆高がひょいと資料準備室の中へと入る。僕も窓から侵入する。
「窓、閉めるなよ。万が一開かなくなったらやばいからな」
「わかった」
「さて、資料準備室、右上、大学ノート、だったっけ? 右上、ねぇ……」
 資料準備室の中は、物が所せましと置かれていた。大きなスチールの棚から溢れ出した物が床に積み上げられ、壊れた机や椅子が無造作に置かれ、僕らの通り道を邪魔している。どんな物にも等しく埃が降り積もっていて、蜘蛛の巣が縦横無尽に走っている。
「右上っちゃー、なんのことだろうな」
 ズボンに埃が付かないか気にしながら、帆高が並べられた机の間を器用にすり抜けた。僕は部屋の中を見回していると、ふと、棚の中に大量のノートらしき物が並べられているのを見つけた。
 僕はその棚に苦労して近付き、手を伸ばしてノートを一冊取り出してみる。
「……昭和六十三年度生徒会活動記録」
 表紙に油性ペンで書かれた文字を僕が読み上げると、帆高が、
「生徒会の産物か」
 と言った。
「右上って、この棚の右上ってことじゃないかな」
「ああ。どうだろうな、ちょっと待ってろ」
 帆高は頷くと、一番下の段に足をかけて棚によじ登ると、最上段の右側に置いてあるノートを無造作に二十冊ほど掴んで降ろしてくれた。それを机の上に置くと、埃が空気に舞い上がる。ノートを一冊一冊見ていくと、一冊だけ、表紙に文字の記されていないノートがあった。
「それじゃね?」
 棚からぴょんと飛び降りた帆高が言う。
 僕はそのノートを手に取り、表紙をめくった。
  うーくんへ
  たったそれだけの、鉛筆で書かれた、薄い文字。
「……これだ」
 次のページをめくる。
  うーくんへ
 きみがこれを読む頃には、とっくに僕は死んでいるんだろうね。
 きみがこのノートを手に取ってくれたということは、僕がきみの時計の中に隠したあのメモを見てくれたということだろう? そして、あの図書室の本を、ちゃんと見つけてくれたということだろう?
 きみがメモを見つけた時、どこか遠いところに引っ越していたり、中学校を既に卒業していたらどうしようかと、これを書きながら考えているけれど、それはそれで良いと思う。図書室の本がなくなっていたり、このノートが捨てられてしまったりしていたらどうしようかとも思う。たとえ、今これを読んでいるきみがうーくんではなかったとしても、僕はかまわない。
 これでも考えたんだ。他の誰でもなく、きみだけが、このノートを手に取る方法を。
 これは僕が生きていたことを確かに証明するノートであり、これから綴るのは僕が残す最後の物語なのだから。
 これは、僕のもうひとつの遺書だ。
 「もうひとつの、遺書……」
 声が震えた。
 知らなかった。
 あーちゃんがこんなものを残しているなんて知らなかった。
 あーちゃんがこんなものを書いているなんて知らなかった。
 彼が死んだ時、僕はまだ小学校を卒業したばかりだった。
 あーちゃんは僕��メモを仕込んだ腕時計をくれ、それを使い続け、電池が切れたら交換すると信じていた。僕が自分と同じこの中学校に通って、メモを見て図書室を訪れると信じていた。あの古い本が破棄されることなく残っていて、貸出カードの文字がそのままであると信じていた。この部屋が片付けられることなく、窓が壊れたままで、ノートが残っていることを信じていた。
 なによりも、僕がまだ、この世界に存在していることを信じていた。
 たくさんの未来を信じていたのだ。自分はもう、いない未来を。
「目的の物は、それでいーんだろ?」
 帆高の目は、笑っていなかった。
「じゃ、ひとまず帰ろうぜ。俺の英語の課題、まだ終わってない」
 それに図書室の鍵も、返さなくちゃいけないし。そう付け加えるように言う。
「それは後でゆっくり読めよ。な?」
「……そうだね」
 僕は頷いて、ノートを閉じた。
    うーくんへ
 きみがこれを読む頃には、とっくに僕は死んでいるんだろうね。
 そんな出だしで始まったあーちゃんの遺書は、僕の机の上でその役目を終えている。
 僕は自分の部屋のベッドに仰向けに寝転がって、天井ばかりを眺めていた。ついさっきまで、ノートのページをめくり、あーちゃんが残した言葉を読んでいたというのに、今は眠気に支配されている。
 ついさっきまで、僕はその言葉を読んで泣いていたというのに。ページをめくる度、心が八つ裂きにされたかのような痛みを、繰り返し繰り返し、感じていたというのに。
 ノートを閉じてしまえばなんてことはない、それはただの大学ノートで、そこに並ぶのはただの筆圧の弱い文字だった。それだけだ。そう、それだけ。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ「それだけ」であるという事実だけが、淡々と横たわっている。
 事実。現実。本当のこと。本当に起こったこと。もう昔のこと。以前のこと。過去のこと。思い出の中のこと。
 あーちゃんはもういない。
 どこにもいない。これを書いたあーちゃんはもういない。歴史の教科書に出てくる人たちと同じだ。全部全部、昔のことだ。彼はここにいない。どこにもいない。過去のこと。過去のひと。過去のもの。過去。過去そのもの。もはやただの虚像。幻。夢。嘘。僕がついた、嘘。僕がひーちゃんについた、嘘。あーちゃんは、いない。いない。いないいないいない。
 ただそれだけの、事実。
 あーちゃんのノートには、生まれ育った故郷の話から始まっていた。
 彼が生まれたのは、冬は雪に閉ざされる、北国の田舎。そこに東京から越してきた夫婦の元に生まれた彼は、生まれつき身体が弱かったこともあり、近所の子供たちとは馴染めなかった。
 虫捕りも魚釣りもできない生活。外を楽しそうに駆け回るクラスメイトを羨望の眼差しで部屋から見送る毎日。本屋も図書館もない田舎で、外出できないあーちゃんの唯一の救いは、小学校の図書室と父親が買ってくれた図鑑一式。
 あーちゃんは昔、ぼろぼろの、表紙が取れかけた図鑑をいつも膝の上に乗せて熱心に眺めていた。破けたページに丁寧に貼られていたテープを思い出す。
 学校で友達はできなかった。あーちゃんはいつもひとりで本を読んで過ごした。小学校に上がる以前、入退院を繰り返していた彼は、同年代との付き合い方がわかっていなかった。
 きっかけは小さなことだった。
 ひとりの活発なクラスメイトの男の子が、ある日あーちゃんに声をかけてきた。
 サッカーをする人数が足りず、教室で読書をしていた彼に一緒に遊ばないかと声をかけてきたのだ。
 クラスメイトに声をかけられたのは、その時が初めてだった。あーちゃんはなんて言えばいいのかわからず黙っていた。その子は黙り込んでしまったあーちゃんを半ば強引に、外に連れ出そうとした。意地悪をした訳ではない。その子は純粋に、彼と遊びたかっただけだ。
 手を引かれ、引きずられるようにして教室から連れ出される。廊下ですれ違った担任の先生は、「あら、今日は鈴木くんもお外で遊ぶの?」なんて声をかける。あーちゃんは抵抗しようと首を横に振る。なんとかして、自分は嫌なことをされているのだと伝えようとする。だけれどあーちゃんの手を引くそのクラスメイトは、にっこり笑って言った。
「きょうはおれたちといっしょにサッカーするんだ!」
 ただ楽しそうに。悪意のない笑顔。害意のない笑顔。敵意のない笑顔。純粋で、率直で、自然で、だから、だからこそ、最も忌むべき笑顔で。
 あーちゃんの頭の中に言葉が溢れる。
 ぼくはそとであそびたくありません。むりやりやらされようとしているんです。やめてっていいたいんです。たすけてください。
 しかしその言葉が声になるよりも早く、先生はにっこり笑う。
「そう。良かったわ。休み時間はお外で遊んだ方がいいのよ。本は、おうちでも読めるでしょう?」
 そうして背を向けて、先生は行ってしまう。あーちゃんの腕を引く力は同い年とは思えないほどずっと力強く、彼の身体は廊下を引きずられていく。
 子供たちの笑い声。休み時間の喧騒。掻き消されていく。届かない。口にできない言葉。消えていく。途絶えていく。まるで、死んでいくように。
 あーちゃんは、自分の気持ちをどうやって他者に伝えればいいのか、わかっていなかった。彼に今まで接してきた大人たちは、皆、幼いあーちゃんの声に耳を傾けてくれる人たちばかりだった。両親、病院の医師や看護師。小さい声でぼそぼそと喋るあーちゃんの言葉を、辛抱強く聞いてくれた。
 自分で言わなければ他人に伝わらないということも、幼いあーちゃんは理解していなかった。どうすれば他人に伝えればいいのか、その方法を知らなかった。彼は他人との関わり方がわからなかった。
 だからあーちゃんは、持っていた本で、さっきまで自分が机で読んでいた本で、ずっと手に持ったままだったその分厚い本で、父親に買ってもらった恐竜の図鑑で、その子の頭を殴りつけた。
 一緒に遊ぼう、と誘ってくれた、初めて自分に話しかけてくれたクラスメイトを。
 まるで自然に、そうなることが最初から決まっていたかのように、力いっぱい腕を振り上げ、渾身の力で、その子を殴った。
 あーちゃんを引っ張っていた手が力を失って離れていく。まるで糸が切れた人形のように���その子が倒れていく。形相を変えて駆け寄って来る先生。目撃した児童が悲鳴を上げる。何をやっているの、そう先生が怒鳴る。誰かに怒鳴られたのは、初めてだった。
 倒れたその子は動かなかった。
 たった一撃だった。そんなつもりではなかった。あーちゃんはただ伝えたいだけだった。言葉にできなかった自分の気持ちを、知ってほしいだけだった。
 その一撃で、あーちゃんの世界は木っ端微塵に破壊された。
 彼の想いは、誰にも届��ことはなかった。
 その子の怪我はたいしたことはなく、少しの間意識を失っていたけれど、すぐに起き上がれるようになった。病院の検査でも異常は見つからなかった。
 あーちゃんの両親は学校に呼び出され、その子の親にも頭を下げて謝った。
 あーちゃんはもう、口を開こうとはしなかった。届かなかった想いをもう口にしようとはしなかった。彼はこの時に諦めてしまったのだ。誰かにわかってもらうということも、そのために自分が努力をするということも。
 そうしてこの時から、彼は透明人間になった。
「ママがね、『すずきくんとはあそんじゃだめよ』って言うの」
「うちのママも言ってた」
「あいつ暗いよなー、いっつも本読んでてさ」
「しゃべってもぼそぼそしてて聞きとれないし」
「『ヨソモノにろくなやつはいない』ってじーちゃん言ってた」
「ヨソモノって?」
「なかまじゃないってことでしょ」
 あーちゃんが人の輪から外れたのか、それとも人が離れていったのか。
 あーちゃんはクラスの中で浮くようになり、そうしてそれは嫌がらせへと変わっていった。
 眼鏡。根暗。ガイジン。国に帰れよ。ばーか。
 投げつけられる言葉をあーちゃんは無視した。まるで聞こえていないかのように。
 あーちゃんは何も言わなかった。嫌だと口にすることはしなかった。けれど、彼の足は確実に学校から遠ざかっていった。小学二年生に進級した春がまだ終わり切らないうちに、あーちゃんは学校へ行けなくなった。
 そしてその一年後に、あーちゃんは僕の住む団地へとやって来た。
 笑うことも、泣くことも、怒ることもなく。ただ何よりも深い絶望だけを、その瞳に映して。ハサミで乱暴に傷つけられた、ぼろぼろのランドセルを背負って。
 彼のことを、僕が「あーちゃん」と呼んでいるのはどうしてなんだろう。
 彼の名前は、鈴木直正。「あーちゃん」となるべき要素はひとつもない。
 あーちゃんの弟のあっくんの名前は、鈴木篤人。「あつひと」だから、「あっくん」。
「あっくん」のお兄さんだから、「あーちゃん」。
 自分でそう呼び始めたのに、僕はそんなことまでも忘れていた。
 思い出させてくれたのは、あーちゃんのノート。彼が残した、もうひとつの遺書。
 あーちゃんたち一家がこの団地に引っ越して来た時、僕と最初に親しくなったのはあーちゃんではなく、弟のあっくんの方だった。
 あっくんはあーちゃんの三つ年下の弟で、小柄ながらも活発で、虫捕り網を片手に外を駆け回っているような子だった。あーちゃんとはまるで正反対だ。だけれど、あっくんはひとりで遊ぶのが好きだった。僕が一緒に遊ぼうとついて行ってもまるで相手にされないか、置いて行かれることばかりだった。ひとりきりが好きなところは、兄弟の共通点だったのかもしれない。
 あっくんと遊ぼうと思って家を訪ねると、彼はとっくに出掛けてしまっていて、大人しく部屋で本を読んでいるあーちゃんのところに辿り着くのだ。
「いらっしゃい」
 あーちゃんはいつも、クッションの上に膝を丸めるようにして座り、壁にもたれかかるようにして分厚い本を読んでいた。僕が訪れる時は大抵そこから始まって、僕の来訪を確認するためにちらりとこちらを見るのだ。開け放たれた窓からの逆光で、あーちゃんの表情はよく見えない。かけている銀縁眼鏡がぎらりと��を反射して、それからやっと、少し笑った彼の瞳が覗く。今思えば、それはいつだって作り笑いみたいな笑顔だった。
 最初のうちはそれで終わりだった。
 あーちゃんは僕がいないかのようにそのまま本を読み続けていた。僕が何か言うと、迷惑そうに、うざったそうに、返事だけはしてくれた。それもそうだ。僕はあーちゃんからしてみれば、弟の友達であったのだから。
 だけれどだんだんあーちゃんは、渋々、僕を受け入れてくれるようになった。本や玩具を貸してくれたり、プラモデルを触らせてくれたり。折り紙も教えてもらった。ペーパークラフトも。彼は器用だった。細くて白い彼の指が作り出すものは、ある種の美しさを持っていた。不器用で丸々とした、子供じみた手をしていた僕は、いつもそれが羨ましかった。
 ぽつりぽつりと会話も交わした。
 あーちゃんの言葉は、簡単な単語の組み合わせだというのに、まるで詩のように抽象的で、現実味がなく、掴みどころがなかった。それがあーちゃんの存在そのものを表しているかのように。
 僕はいつの頃からか彼を「あーちゃん」と呼んで、彼は僕を「うーくん」と呼ぶようになった。
  うーくんと仲良くできたことは、僕の人生において最も喜ばしいことだった。
 それはとても幸福なことだった。
 うーくんはいつも僕の声に、耳を傾けようとしてくれたね。僕はそれが懐かしくて、嬉しかった。僕の気持ちをなんとか汲み取ろうとしてくれて、本当に嬉しかった。
 僕の言葉はいつも拙くて、恐らくほとんど意味は通じなかったんじゃないかと思う。けれど、それでも聞いてくれてありがとう。耳を塞がないでいてくれて、ありがとう。
  ノートに記された「ありがとう」の文字が、痛いほど僕の胸を打つ。せめてその言葉を一度でも、生きている時に言ってくれれば、どれだけ良かったことだろう。
 そうして、僕とあーちゃんは親しくなり、そこにあの夏がやって来て、ひーちゃんが加わった。ひーちゃんにとってあーちゃんが特別な存在であったように、あーちゃんからしてもひーちゃんは、特別な存在だった。
 僕とあーちゃんとひーちゃん。僕らはいつも三人でいたけれど、三角形なんて初めから存在しなかった。僕がそう信じていたかっただけで、そこに最初から、僕の居場所なんかなかった。僕は「にかっけい」なんかじゃなくて、ただの点にしか過ぎなかった。
  僕が死んだことで、きっとひーちゃんは傷ついただろうね。
 傷ついてほしい、とすら感じる僕を、うーくんは許してくれるかな。きっときみも、傷ついただろう? もしかしたら、うーくんがこのノートを見つけた時、きみは既に僕の死の痛みから立ち直っているかもしれない。そもそも僕の死に心を痛めなかったかもしれないけれどね。
 こんな形できみにメッセージを残したことで、きみは再び僕の死に向き合わなくてはいけなくなったかもしれない。どうか僕を許してほしい。このノートのことを誰かに知られることは避けたかった。このノートはきみだけに読んでほしかった。
 きみが今どうしているのか、僕には当然わからないけれど、どうか、きみには生きてほしい。できるなら笑っていてほしい。ひーちゃんのそばにいてほしい。僕は裏切ってしまったから。あの子との約束を、破ってしまったから。
 「約束」という文字が、僅かに震えていた。
 約束?
 あーちゃんとひーちゃんは、何か約束していたのだろうか。あのふたりだから、約束のひとつやふたつ、していたっておかしくはない。僕の知らないところで。
  うーくん。
 今まできみが僕と仲良くしてくれたことは本当に嬉しかった。きみが僕にもた��してくれたものは大きい。きみと出会ってからの数年間は、僕が思っていたよりもずっと楽しかった。うーくんがどう思っているのかはわからないけれどね。
 ひーちゃんも、よくやってくれたと思ってる。僕が今まで生きてこられたのは、ふたりのおかげでもあると思ってるんだ。
 けれど僕は、どうしようもないくらい弱い人間だ。弱くて弱くて、きみやひーちゃんがそばにいてくれたというのに、僕は些細な出来事がきっかけで、きみたちと過ごした時間を全てなかったことにしてしまうんだ。
 気が付くと、自分がたったひとりになっているような気分になる。うーくんもひーちゃんも、本当は嫌々僕と一緒にいるのであって、僕のことなんか本当はどうでもいい存在だと思っている、なんて考えてしまう。きみは、「そうじゃない」と言ってくれるかもしれないが、僕の心の中に生まれた水溜まりは、どんどん大きくなっていくんだ。
 どうせ僕は交換可能な人間で、僕がいなくなってもまた次の代用品がやってきて、僕の代わりをする。僕の居た場所には他人が平気な顔をして居座る。そして僕が次に座る場所も、誰か他人が出て行った後の場所であって、僕もまた誰かの代用品なんだ、と考えてしまう。
 よく考えるんだ。あの時どうすれば良かったんだろうって。僕はどこで間違えてしまったんだろうって。
 カウンセラーの日褄先生は、僕に「いくらでもやり直しはできるんだ」って言う。でもそんなことはない。やり直すことなんかできない。だって、僕は生きてしまった。もう十四年間も生きてしまったんだ。積み上げてきてしまったものを、最初からまた崩すなんてことはできない。間違って積んでしまった積み木は、その年月は、組み直すことなんかできない。僕は僕でしかない。鈴木直正でしかない。過去を清算することも、変更することもできない。僕は、僕であるしかないんだ。そして僕は、こんな自分が大嫌いなんだ。
 こんなにも弱く、こんなにも卑怯で、こんなにも卑屈な、ひねまがった僕が大嫌いだ。
 でもどうしようもない。ひねまがってしまった僕は、ひねまがったまま、また積み上げていくしかない。ひねまがったままの土台に、ひねまがったまま、また積み上げていくしか。どんなに新しく積み上げても、それはやっぱりひねまがっているんだ。
 僕はもう嫌なんだ。間違いを修正したい。修正することができないのなら、いっそなかったことにしたい。僕の今までの人生なんてなかったことにしたい。僕にはもう何もできない。何もかもがなくなればいい。そう思ってしまう。そう思ってしまった。泣きたくなるぐらい、死にたくなるぐらい、そう思ったんだ。
 うーくん。
 やっぱり僕は、間違っているんだろうと思う。
 もう最後にするよ。うーくん、どうもありがとう。このノートはいらなくなったら捨ててほしい。間違っても僕の両親や、篤人、それからひーちゃんの目に晒さないでほしい。きみだけに、知ってほしかった。
 きみだけには、僕のようになってほしくなかったから。
 誰かの代わりになんて、なる必要ないんだ。
 世界が僕のことを笑っているように、僕も世界を笑っているんだ。
  そこで、あーちゃんの文字は止まっていた。
 最後に「サヨナラ」の文字が、一度書いて消した痕が残っていた。
 あーちゃんが僕に残したノートの裏表紙には、油性ペンで日付が書いてあった。
 あーちゃんが空を飛んだ日の日付。恐らく死ぬ前に、これを書いたのだろう。そして屋上に登る前にこのノートを資料室の棚の中へと隠した。その前に図書室の本に細工し、それ以前にメモを忍ばせた時計を僕に譲ってくれた。一体いつから、あーちゃんは死のうとしていたんだろう。僕が思っているよりも、きっとずっと以前からなんだろう。
 涙が。
 涙が出そうだ。
 どうして僕は、気付かなかったんだろう。
 どうして僕は、気付いてあげられなかったんだろう。
 一番側にいたのに。
 一番一緒にいたのに。
 一番僕が、彼のことをわかったつもりになっていて、それでいて、あーちゃんが何を思っていたのか、肝心なことは何もわかっていなかった。
 僕は何を見ていたんだろう。何を聞いていたんだろう。何を考えていたのだろう。何を感じていたのだろう。
 僕は何を、していたのだろう。
 何をして生きていたんだろう。
 あーちゃん。
 あーちゃんあーちゃんあーちゃん。
 僕は彼のたったひとりの友達だったというのに。
 言えばよかった。言ってあげればよかった。言いたかった。
 あーちゃんはひねまがってなんかないって。 
 あーちゃんはひとりなんかじゃないって。
 あーちゃんは、透明人間なんかじゃ、ないんだって。
 今さらだ。ほんとうに今さらだ。
 僕は知らなかった。わからなかった。気付いてあげられなかった。最後まで。本当に最後まで。何もかも。
 わかっていなかった。何ひとつ。
 ずっと一緒にいたのに。
 僕があーちゃんをちゃんと見ていなかったから、僕があーちゃんを透明にして、彼の見る世界を透明にしたのだ。
 僕が彼の心に触れることができていたならば、あーちゃんはこんなもの書かなくても済んだのだ。わざわざ人目につかないところに隠して、こんなものを、こんなものを僕に読ませなくても済んだのだ。
 僕は、こんなものを読まなくても済んだのに!
 あーちゃんがたとえ、ひねまがっていても、ひとりぼっちだったとしても、透明だったとしても、それがあーちゃんだったのに。あーちゃんはあーちゃんだったのに。あーちゃんの代わりなんて、どこにもいないというのに。
 ひーちゃんは今も、あーちゃんのことを待っているというのに。
 あーちゃんはもういないのに。全部嘘なのに。僕がついた嘘なのに。あんなに笑って、でも少しも楽しそうじゃない。空っぽのひーちゃん。世界は暗くて、壊れていて、終了していて、破綻していて、もうどうしようもないぐらい完璧に、歪んでしまっているというのに。それでも僕の嘘を信じて、あーちゃんは生きていると信じて、生きているというのに。
 僕はずっと勘違いをしていた。
 あーちゃんが遺書に書き残した、「僕の分まで生きて」という言葉。
 僕はあーちゃんの分まで生きたら、僕があーちゃんの代わりに生きたら、幸せになるような気がしていたんだ。あーちゃんの言葉を守っていれば、ご褒美がもらえるような、そんな風に思っていたんだ。
 あーちゃんはもういない。
 だから、誰も褒美なんかくれない。誰も褒めてなんてくれない。褒めてくれるはずのあーちゃんは、もういないのだから。
 本当の意味で、あーちゃんの死を理解していなかったのはひーちゃんではなく、僕だ。
 ひーちゃんはあーちゃんの死後、生きることを拒んだのだから。彼女はわかっていたのだ。生きていたって、褒美なんかないってことを。
 それでも僕が選ばせた。選ばせてしまった。彼女に生きていくことを。
 あーちゃんの分まで生きることを。
 褒美もなければ褒めてくれる人ももういない。
 それでも。
 でもそれでも、生きていこうと。生きようと。この世界で。
 あーちゃんのいない、この世界で。
 いつだってそうだ。
 ひーちゃんが正しくて、僕が間違っている。
 ひーちゃんが本当で、僕は嘘なんだ。
「最低だな……僕は」
 あーちゃんにもひーちゃんにも、何もしてあげられなかった。
   「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 廊下どころか学校じゅうにまで聞こえそうな大絶叫を上げて、帆高が大きく伸びをした。
 物思いにふけっていた僕は、その声にぎょっとしてしまった。
「終わったあああああああああああああああーっ!」
「うるさいよ……」
 僕が一応注意しておいたけれど、帆高に聞こえているかは謎だ。
「終わった終わった終わったーっ!」
 ひゃっほぉ! なんて言いながら、やつは思い切り保健室のベッドにダイブしている。舞い上がった埃が電灯に照らされている。
「帆高、気持ちはわかるけど……」
「終わったー! 俺は自由だああああああああーっ!」
「…………」
 全く聞いている様子がない。あまりにうるさいので、��のままでは教師に怒られてしまうかもしれない。そう、ここはいつもの通り、保健室だ。帆高のこの様子を見るに、夏休みの課題がやっと終わったところなのだろう。確かにやつの手元の問題集へ目をやると、最後の問題を解き終わったようだ。
 喜ぶ気持ちはわかるが、はしゃぎすぎだ。どうしようかと思っていると、思わぬ人物が動いた。
 すぱーんという小気味良い音がして、帆高は頭を抱えてベッドの上にうずくまった。やつの背後には愛用のスケッチブックを抱えた河野ミナモが立っている。隣のベッドから出てきたのだ。長い前髪でその表情はほとんど隠れてしまっているが、それでも彼女が怒っているということが伝わる剣幕だった。
「静かに、して」
 僕が知る限り、ミナモはまだ帆高とろくに会話を交わしたことがない。これが僕の知る限り初めてふたりが言葉を交わしたのを見た瞬間だった。それにしてはあまりにもひどい。
 ミナモはそれだけ言うとまたベッドへと戻り、カーテンを閉ざしてしまう。
「……にてしても、良かったね。夏休みの宿題が終わって」
「おー…………」
 ミナモの一撃がそんなに痛かったのだろうか、帆高は未だにうずくまっているままだ。僕はそんなやつを見て、そっと苦笑した。
 僕は選んだのだ。
 あーちゃんのいないこの世界で、それでも、生きることを。
 ※(4/4)へ続く→https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/649989835014258688/
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sorairono-neko · 4 years ago
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愛はひきだしの中に
「勇利、今日、勇利の家に行っていいかい?」  練習が終わってヴィクトルにそう尋ねられたとき、勇利は心底からどきっとして、うろたえて、しどろもどろになってしまった。いつかそんなことを訊かれるのではないかと思っていた。訊かれたらどうしようとも思っていた。しかし、あまりにも自意識過剰だし、こんなふうに考えるのはヴィクトルに対して失礼だとごまかしていた。  ヴィクトルが家に来ることに異論はないし、それはおかしなことでもなんでもない。勇利はもとはヴィクトルと一緒に暮らしており──ふたりきりではなかったけれど──仲がよいし、そもそも、彼は勇利のコーチなのだ。家にすこし寄って今後のことを話しあいたいというのは自然なことだ。だが、ヴィクトルは勇利のアパートへ来てもスケートの話はしそうになかった。相談すべきことはリンクできちんと済ませているからである。もちろん、ヴィクトルが私的な時間のために勇利のところへ来るのも何も問題はない。ふたりは──そう、仲がよいのだから。ごく普通の、たわいもない時を過ごすのはきっと楽しいだろう。でも。しかし。けれど──。  ヴィクトルはしばしば、「勇利の家に行きたい」ということを口にしていた。最初に一度、勇利がきちんとしたところに住み暮らしているか確かめに来たきりだったから、彼の主張は当たり前のことだった。だが、そう言われるたび、勇利は変な気持ちがしていた。どうしても、ヴィクトルが「勇利のところに遊びに行きたい」とかるく言っているようには思えなかったからである。ではどのように聞こえていたかというと──。 「だめかい?」  答えあぐねている勇利に、ヴィクトルが優しく尋ねた。勇利は慌ててかぶりを振った。 「そ、そんなことないよ」 「じゃあ、帰りにそのまま……いいかな?」 「う、うん」  断ることはできない。断りたいわけでもなかった。ただ──ただ──。  ヴィクトルがうちに来たら、ぼくはえっちなことされちゃうのかな?  勇利はずっと、そんなことを思ってきた。それこそ自意識過剰だし、ヴィクトルに失礼だ。けれど、そう思わせる何かをヴィクトルは持っているのである。ふたりきりでいるとき、彼は、何か──どこか熱のこもった目つきをしている。口ぶりはやわらかく、甘く、勇利の気持ちをとらえて離さない。勇利にふれる手にも意味がありそうで、声は深い響きをはらんでいて、もっと意味がありそうで、彼から向けられ���情熱ときたら──。  もちろん勘違いだとは思う。けれど勇利は常にそういったものを感じてきた。ふたりきりになったら服を脱がされるのではないかという想像が頭から離れなかった。ヴィクトルがいやらしいことを言ったり、そういう目で見たりするわけではない。彼はこのうえなく紳士的だ。ただ──まなざしは何かを秘めており、勇利は敏感にそれを感じ取ってしまうのである。誘惑されている気がする。もちろん──もちろん──もちろん気のせいだ。こんなことを考えてしまう勇利のほうに問題があるのだろう。もしかしてぼくはヴィクトルにそういうことをされたがってるのか? そんな問いかけをしたこともある。しかし、まじめに思案する前に勇利はその疑問を投げ出してしまった。あまりにも恥ずかしいしうぬぼれが過ぎるので、考えられなかったのである。それでいて、ヴィクトルがもしうちに来ることがあったら何かされるかもしれない──という思いは捨てられずにいた。  そしてとうとうヴィクトルは勇利のところへ来ることになり、勇利はどきどきしながら彼と通りを歩いた。どうしよう、ということしか頭になかった。本当に何かされたら……いや、そんなわけはない。ヴィクトルがそんなことを考えているとは思えない。何かされたらどうしようなんて、ぼくはずいぶん思いこみが激しくないか? そんな魅力が自分にあるか? しかも相手はヴィクトル・ニキフォロフ……。ぼくは相当頭のおかしい、気持ち悪いやつじゃないか? こんなこと、絶対ヴィクトルに知られるわけにはいかない。 「何か買って帰ろうか」  ヴィクトルが提案した。勇利は「えっ」と声を上げてしまった。やばい。変な声出しちゃった……。 「夕食だよ。食べるものがないとね」 「あ、うん、そうだよね。つくる?」 「いや、出来合いのものにしておこう。一緒につくるのも楽しいだろうけど、今日はすこし遅くなったし」  勇利はそうだねと返事をしながら、そんなに遅いかなと首をかしげた。まだせいぜい七時だ。これから帰ってふたりで食事をつくれば、八時か八時半だろう。それから食べてヴィクトルが帰るころには十時……。ごく普通の時刻ではないだろうか? ヴィクトルの家は勇利のアパートから近い。もっとも、彼は早起きだから、早く帰りたいのかもしれない。帰宅してからすることもあるだろう。……忙しいのになんでぼくの部屋に来るのかな、と勇利は思った。  すぐに食べられるものを買って帰り、それをちいさなテーブルに並べて夕食にした。買ってきた容器をそのまま出したら、ヴィクトルに笑われた。 「いいじゃん。ぼくの家、食器少ないんだよ。それに、食べたらおんなじだ」 「もちろんいいさ。時間がもったいないからね」  勇利は、ヴィクトルがこれでかまわないと言ったことにほっとしたけれど、「時間がもったいない」にまた首をかしげた。時間がないのになんでぼくの部屋に来るのかな……。 「ごちそうさまでした」  両手を合わせ、挨拶をすると、ヴィクトルも同じようにした。勇利はくすっと笑った。長谷津でおぼえたことをそのまま続けてくれていることがうれしかった。 「じゃあ、さっと洗っちゃうね」  飲み物を入れたグラスやフォークなどを台所へ持っていくと、「俺もやるよ」とヴィクトルが言った。 「ちょっとだから。ヴィクトルはもう帰ったら?」  ヴィクトル��驚いたように勇利を見た。 「なに?」 「……勝生勇利なら何か変わったことを言いそうだとは思ってたけど、本当に言ったね。なぜ俺を追い返す?」 「えっ、だって時間ないって言うから……」 「ああ」  ヴィクトルは笑いだした。勇利はきょとんとした。どうして彼が笑うのかわからなかった。 「勇利」  勇利がグラスを割らないようにすすいでいると、ヴィクトルは、ちいさなソファでくつろぎながら尋ねた。 「泊まっていってもいいかな」  割らないように、という注意力は台無しになった。勇利はグラスを流しに落とした。盛大な音がしたけれど、さいわい割れなかった。 「えっ、あ、えっと、な、なんで?」  勇利は混乱して顔を上げた。ソファに座っているヴィクトルが見えた。 「泊まりたいからだよ」  ヴィクトルはほほえみながら答えた。勇利はうつむいて、流れる水とグラスを見た。もうとっくにすすぎ終わっているのに、洗い物を終えることができなかった。えっと、えっと、どういうこと? ヴィクトルは時間がないんじゃないの? 今日は遅くなったんでしょ? あ、遅くなったから泊まりたいってこと? でもまだ九時だよ。ヴィクトルの家は近いし。えっと。えっと……。  勇利は、ヴィクトルがここへ来たら何かされそうだと思っていたけれど、いま、いちばん強くそれを感じた。  えっちなことしたいから、食べてる時間があまりないってことだったの? 「あっ、やっ、え、えーっと」  勇利はまっかになった。どっと汗が噴き出した。どうしよう。なんて言えばいい。どう答えるべきなのだ? 「泊まるっていってもあれだよ」  勇利は一生懸命に話した。ヴィクトルが「あれ?」と訊き返した。 「そう、あれ。あの、えっと……、そう! 着替えがないでしょ」 「着替え?」 「そうそう。そうそうそう。困るじゃない? 着替えは大事だよ。なにしろ、翌日着るものだからね」  当たり前のことを言ってしまった。変な発言だ。しかし勇利はそれどころではなかった。 「着るものがないと大変だよ! ヴィクトル、洋服好きでしょ? 洋服が好きなら着なきゃ。すぐ新しいのを買うよね。なんかすごい値段のやつ。よく知らないけど。あと、ぼくの着るものをいつもダサいって言ってくるよね。燃やすとか。それはともかく、着るものがないと大変だよ!」  勇利のめちゃくちゃな話しぶりを、ヴィクトルは黙って聞いていた。勇利はどきどきしながら口をつぐんだ。もっと何か言いたいけれど、何も思いつかなかった。それでも泊まるって言われたらどうしよう? だめだめ……着るものがないのは……ほら……えっと、大変だし……。 「……そうだね」  ヴィクトルが微笑を浮かべてうなずいた。 「着るものがないのは大変だ」 「そう!」  勇利は熱心に同意した。 「そうなんだよ! さすがヴィクトル」  勇利の態度に、ヴィクトルは笑いをこらえるような表情をした。しかしすぐに彼は平然とした顔つきになり、「じゃあやめておいたほうがよさそうだね」と静かに言った。 「うん、そうだよ! そう……、着るものがないと大変だから。何かと」 「そうだね。大変だ。勇利の言うとおりだ」  ヴィクトルはにこにこしながら帰り支度をし、「じゃあこれで」と言った。勇利は本当はヴィクトルともっと一緒にいたかったけれど、えっちなことをされる覚悟はできていなかったので彼を見送るしかなかった。  いや……待てよ。ヴィクトルが本当にそんなことをしたがるかな? やっぱりぼくが勝手に想像しただけじゃないの?  勇利はそんなふうに考え、自分のばかげたふるまいにあきれるやら溜息をつくやらだった。あのときは──あの瞬間はそうとしか思えなかったのだけれど、あとになって落ち着いてみると、いかにもあり得なそうな、とんでもないことだった。ヴィクトルも気の��に。勝手に勇利に何かしたがっているなんて想像されて。もしこのことを知ったら、さぞ迷惑するだろう。二度と勇利の家に行きたいなんて口に出さないかもしれない。  勇利は罪悪感でいっぱいになり、次にヴィクトルが「勇利の部屋へ寄りたい」と言ったとき、一も二もなく了承し、おまけに、「今日はぼくが夕食をつくるから」と言い張った。あのとき、妙な疑いをかけて追い返してしまったのだから、これくらいは当然だ。本当ならきちんと説明して謝るところだけれど、こんなこと、打ち明けられるほうがヴィクトルは気分が悪いだろう。世の中には言わなくてもよいこともあるのだ。勇利は子どもだけれど、すこしはそういう大人の事情もわかってきていた。 「味の保証はできないけど、がんばってみるよ」 「勇利がつくってくれるならなんでもうれしいよ。手伝わなくていいのかい?」 「いい、いい。いいから」  勇利が台所に立っているあいだ、ヴィクトルはソファでテレビを眺めたり、勇利の雑誌をひらいたりしていた。そのうち、のんびりした声で「ゆうりー」と呼んできたので、慎重に下ごしらえをしていた勇利は顔も上げずに「なに」と短く答えた。 「ここ、使ってもいいかい?」 「いいよ」  ここってなんだ、とちらと思ったけれど、とくに意味はないのだろう。机の上を占領してちょっと仕事をしたいとか、ソファにのびのびと寝転びたいとか、そういうことにちがいない。そんなことより、勇利は調理を成功させることのほうが大事だった。テーブルだろうが床だろうが、ヴィクトルの好きに使ってくれてけっこうだ。 「できたよ、ヴィクトル。机、片づけて」  ようやく仕上がった料理に勇利はほっと息をつき、いそいそと器に盛った。なかなか上手くできたと思った。これなら先日のお詫びになるのではないかと、我がことながら得意になった。  ヴィクトルは、缶詰の魚をのせた黒パンだとか、いろどりよく盛り付けられたサラダだとか、野菜たっぷりのスープだとかを見て勇利を褒めた。 「すごいね。勇利、料理がじょうずなんだね」 「ちゃんとつくったのはスープだけだけど……」 「いいんだ。とても美味しそうだ」  口に入れても、実際ヴィクトルは「フクースナ」と何度も言ってくれた。彼は陽気にいろいろなことをしゃべり、勇利を笑わせた。勇利は楽しかった。今夜のヴィクトルからは、誘惑されているような、どぎまぎしてしまう気配をまったく感じなかった。いままでもそうだったにちがいない。勇利が勝手に妄想していたいたのだ。本当にばかだった。子どもだから、ちょっとしたことでもおおげさにとらえてしまうのだ。勇利は自分を恥じ、またヴィクトルに申し訳ないという気持ちになった。きっと今夜は、ヴィクトルは泊まっていきたいなんて言わないだろう。 「じゃあ、そろそろ帰るよ。とても美味しかった。ありがとう、勇利」  予想したとおり、彼は食事を終えると、大きなかばんを抱えてすぐに立ち上がった。勇利はほっとするやら、やっぱり勘違いだったのだと気恥ずかしくなるやらで大変だった。彼はごまかすように言った。 「ヴィクトルの荷物が多いのは珍しいね。重そう」 「いや、中身はほとんどないよ」 「そう」  クラブのロッカーに置いておくための衣服が入っていたのだろう。勇利もよく、着替えやタオルをまとめて持っていく。  ヴィクトルが笑顔で別れの挨拶を��、勇利も手を振った。勇利はひとりになってから、ベッドに座り、頬にてのひらを当てて吐息をついた。 「ああ……恥ずかしい」  ひとりで思いちがいをして、慌てて、騒いでいたのだ。しかも、思いちがいの内容が「ヴィクトルに何かされそう」とはなにごとだ。なんというはれんち……。 「…………」  勇利はベッドに身体を倒すと、まくらに顔を埋めて端を握りしめ、首を左右に振って羞恥にもだえた。  それからまた数日経って、ヴィクトルが勇利のところへやってきた。今夜は彼が腕をふるうというので、勇利は反対した。 「そんなことしなくていいよ」 「でも前は勇利がごちそうしてくれたからね」 「あれはお詫びだから」 「お詫び? なんの?」 「えっ、あ、あの、べつに……とにかくいいんだよ」 「とにかくというなら、とにかく俺にも何かさせてくれ」  結局押しきられ、ヴィクトルが料理をし、そのあいだ勇利はソファでくつろぐというかたちになった。なんか手持ち無沙汰だ、と思ったけれど、ぼんやりしながら、ヴィクトルがすぐそこにいる気配を感じ、彼のたてる物音を聞くというのはよいものだと安心した。以前は──長谷津にいるときはそれが当たり前だったのに。もちろん、そんなこといまさら言っても仕方ないけれど。ここは長谷津ではないのだ。 「勇利、できたよ!」  ヴィクトルのつくった料理は、野菜の切り方はぶかっこうだったけれど、味はよかった。勇利は魚ときのこのクリーム煮を食べながら彼に尋ねた。 「どうしてロシアって魚売ってないの?」 「売ってるよ」 「冷凍とか加工品ばっかりじゃない」 「海に接しているところが少ないからさ」 「あ、そうか。なるほど」 「日本へ行くと魚料理を食べたくなる。昔からそうだった。でもやっぱりカツ丼が好きだな」 「ぼくも好き」  勇利は匙を口へ運びながらにこにこして答えた。ヴィクトルは勇利をじっと見た。 「ふたつの意味で好きなんだけどね」 「ふたつの意味ってなに?」  ヴィクトルは笑っただけだった。食事はなごやかに済み、洗い物は一緒にした。勇利は時計を気にした。ヴィクトル、もう帰っちゃうかな。もっといて欲しいな。でもあんまりわがままは言えないし……。勇利は先日、食事が終わるなり帰宅してしまったヴィクトルのことを思い出した。 「勇利……」  洗い物のあと、勇利がもじもじしていると、ふいにヴィクトルが顔を近づけてきた。彼の声は低く、勇利はどうしたのだろうと思って目を上げた。 「今夜、泊まっていっていいかい?」  その物言いには、ひどく情熱的なものがこもっているようで、勇利はどきっとした。もちろん気のせいだ。そうにきまっている。あれは勘違いだったのだ。勇利の恥ずかしいまちがいだ。いまになってまた変なことを考えるなんてどうかしている。ヴィクトルが泊まりたいなら泊まればよい。何も問題はないのだから。  しかし勇利は、そんな考えとは反対にうろたえ、しどろもどろになり、反射的にこう言ってしまった。 「えっと、それはやめたほうがいいよ」 「なぜ?」 「だって、だってほら……、だって……、そう、着替えがないじゃない」  勇利は、以前に使った理由をまた口にした。こう言えばヴィクトルは帰ってくれるのだ。もう知っている。ヴィクトルを泊まらせないためにはこう言うしかない。──泊まらせないため? どうして拒絶なんてしているのだろう? べつにヴィクトルは勇利に何もしないのに。あれは考えちがいだったのだ。また自意識過剰なことを……。 「その点なら心配ないよ」  ヴィクトルははしゃいだような笑顔になり、勇利の部屋の衣装箪笥のところへ行った。そして彼は、得意そうに衣服を取り出した。 「俺の着替えなら、ここにたくさんあるから」 「ちょっと待っていま変なところから出さなかった!?」  勇利は素っ頓狂な声を上げた。なんだか──なんだか、自分の衣装箪笥のひきだしから出てきたように見えたけれど。 「変じゃないよ」  ヴィクトルは平然として、ひとつのひきだしを示した。そこはヴィクトルの下着や着替えでいっぱいだった。勇利は目をみひらき、わけがわからなくなった。 「なんでそんなとこにヴィクトルの服があるの!?」 「使うことにしたからさ」 「当たり前みたいに言わないで!」 「勇利がいいって言ったんだろ?」 「そんなこと言ってない!」 「言ったよ。使っていいかって訊いたら、いいよって」 「いつ!?」 「前にここへ来たとき」  勇利は頬に手を当てて考えこんだ。確かに──ヴィクトルに「使ってもいいかい」と尋ねられた記憶がある。勇利は了承したけれど、でも──。 「ひきだし使うってことだったの!?」 「そうだよ。なんだと思ったんだ?」 「いや……、机とか、ソファとか、そういうことかと……」  だって、まさか訪問者が��自分の衣装箪笥を使おうとしているなんて考えないではないか。そんな質問、勇利は人の家でとてもできない。しかしこれを訊いたのは勇利ではなくヴィクトルで、ヴィクトルはとんでもないことだって簡単にしてのけるひとだった。そうだ。 「だめだったのかい」  ヴィクトルがつぶやいた。勇利はうろたえた。予想外ではあったけれど、かまわないと答えたのは自分だ。それに、ヴィクトルが占領している場所はもともと使っていなかった。勇利はそんなに持ち物が多くないのである。 「あ、えっと……、あの、べつにいいけど……ちょっとびっくりしただけ……」  そうだ。何も問題はない。勇利が使用していなかったひきだしをヴィクトルが使うことにした。それだけのことだ。ヴィクトルが泊まっていくのだって、いちいち騒ぎ立てるようなことではない。何をひとりでおおげさに受け取っているのだろう。 「そうか。じゃあかまわないんだね」  ヴィクトルがうれしそうにほほえんだ。そのひきだしを使ってもよいと言うことは、ここに泊まってもよいと言うことだ。勇利はそれがわかっていたけれど、慎重にうなずいた。 「どうぞ。あの、狭いところだけど」  ヴィクトルが泊まる。そう思うと勇利は急にわくわくし始めた。長谷津でのあのころのように過ごせるのだ。それはたいそうすてきな、すばらしいことではないか? さっきはちょっとどきどきしてしまったが、そんなのは勘違いなのだし──ヴィクトルが勇利に何かしたがっているなんてそんなことはあるわけないのだし、彼がいる時間を素直に喜べばよいのだ。  勇利はさきに風呂に入り、交代でヴィクトルが入った。もちろんベッドはひとつしかないので、同じ場所で眠ることになるが、かまうものか。長谷津時代、ヴィクトルが「一緒に寝よう」と言うのをさんざん断ってきたけれど、いまならよいという気がした。だってヴィクトルと離れて暮らしているのだ。たまに彼と親密にするくらい……。 「ヴィクトルのベッドみたいに快適じゃないよ」  眠るとき、勇利は前もって忠告した。 「勇利がいれば快適だよ」  ヴィクトルが笑った。 「明日の朝もそう言っていられるかどうか、ぼくは知らないよ」 「明日の朝はもっと言ってると思うね」  ヴィクトルの論理はわからない。勇利は、ヴィクトルって相変わらず変なひと、と笑みを漏らしながら明かりを消した。 「おやすみ、ヴィクトル」 「おやすみ?」 「そう、おやすみ」  寝るときの挨拶も忘れてしまったのだろうか。忘れっぽいひとだと聞くけれど。ぼくとの約束は忘れないのに、日常的なことはおぼえられないのかな、と思いながら勇利はヴィクトルに背を向け、まぶたを閉じた。しかしすぐにぱっとひらいた。ヴィクトルが背後から勇利を抱きしめたのである。 「まだ寝ないだろ?」 「え……どうして?」 「どうしてって……、勇利、おまえは本当にそうやって俺のこころをめちゃくちゃにして……わかっててやってるのか?」 「何を?」  ヴィクトルの手が寝巻の中に入ってきたので、勇利はぎょっとした。何をやってるんだこのひとは! 「ちょ、ちょっと!」 「なんだい?」 「なんだいじゃないよ! どこをさわってるの──」 「え? だって……」  ヴィクトルが困惑したように言った。 「いいんだよね……?」 「…………」  何かがおかしい。勇利の思っていることとヴィクトルの思っていることには、へだたりがあるのではないか? 勇利はもぞもぞと身体の向きを変えてヴィクトルに向き直った。そして、ほの暗い中で彼の目を見て息をのんだ。ヴィクトルの瞳は情熱的で、何か深い意味を秘めており、あきらかに勇利に──勇利に──それ以上は勇利には考えられなかった。 「ヴィクトル……」 「さっき、いいって言ったよね?」 「……ぼくがいいって言ったのは、あのひきだしを使ってもいいってことだよ」 「使ってもいいなら泊まってもいいんだろう?」 「泊まってもいいよ。でも──」 「でも、セックスはだめなのか?」  勇利は赤くなった。 「勇利、わかってて俺を泊めることにしたんじゃないの?」 「わかっててって──わかっててって──」 「ずっとわかってただろう? 俺はあからさまに勇利に愛を表現していたじゃないか」  勇利はぱちぱちと瞬いた。あからさまに……ヴィクトルが……愛を……。 「……勘違いじゃないの?」  勇利はささやいた。 「いやかい?」  ヴィクトルは真剣に尋ねた。勇利はどう答えればよいのか思い惑った。ヴィクトルのことは深く愛している。 「あの……、ぼく、えっちなことされちゃいそうってずっと思ってて……」  ヴィクトルはうなずいた。 「そうだよ。やっぱりわかってるじゃないか。それなのになぜそんなふうに驚いてるんだ?」 「だから勘違いだって……」 「あれだけわかりやすくしてるのに、どうして勘違いだなんて思えるんだ?」  ヴィクトルは、まったく勇利は理解できないという態度だった。勇利は頬が燃えるように熱かった。 「えっと、ぼく、まだ、えっちなことの覚悟はできてなくて……」 「覚悟なんてなくてもできるよ」 「待って待って待って。ないと困るよ。絶対困るよ」 「じゃあ、ゆっくりするから、しながら覚悟も固めてくれ」 「難しいこと言わないでよ!」  初めてなのに、そんな高等なことができるものか。ヴィクトルの言っていることはめちゃくちゃだ。 「や、待って……ほんとに……その……」 「勇利」  ヴィクトルが顔を近づけ、熱っぽくささやいた。 「俺は勇利を愛してるんだ……」 「それはぼくもだけど……」 「勇利とセックスがしたい……」 「あの……あからさまに言わないでくれる?」 「勇利ははっきり言わないとわからないみたいだからね。早く返事をして欲しい。好きな子と同じベッドに入ってもう精神的にめちゃくちゃになってる。身体的にもだよ。このままだと、答えを聞かないうちにいろいろしてしまいそうだ」 「それって、イエスしか受け付けないってこと?」 「ノーと言うつもりなのかい?」 「…………」  ヴィクトルが熱愛とくるおしさと甘さでいっぱいの瞳で勇利をみつめた。いつも勇利が「何かされそう」と思うおりの目つきだった。しかし、その過去のどんなときよりも、彼は情熱的だった。 「あ、あの……」 「勇利」  ヴィクトルが真剣に言った。 「俺のところにも勇利のひきだしをつくるから……」  勇利は目をまるくした。なんだ、そのくどき文句は。いかにもおかしな言葉だった。勇利は笑いだしてしまった。 「……いい?」  ヴィクトルのことがこのうえなくいとおしく、彼は目を閉じてちいさくうなずいた。 「このいちばん下が勇利の場所だよ。なんでも持って��て置いてくれ。とりあえず、勇利の下着と服は用意しようかと思ったんだけど、勇利が持参した、勇利の生活を感じられるものを置いておいてもらいたい気がしてひかえたんだ。たとえどんなにダサくても、勇利の気配をまとっているものがいいよ」 「ダサいとか、大きなお世話だよ」  新しい衣服を独断で購入されなかったことに勇利はほっと息をついた。ヴィクトルならやりかねないと思っていたのだ。もっとも、彼が勇利のためのひきだしを支度するなんて半信半疑ではあったのだけれど、どうやら本当にそうしたようだ。どちらかといえば冗談ととらえていた勇利はすこし可笑しかった。 「どうせなら衣装戸棚ひとつを新しく買おうかと思ったんだけどね。選ぶ時間がなかった。今度一緒に行こう」 「そういうのいいから。ここだけでじゅうぶんです」  勇利はきっぱり言った。そもそも、ヴィクトルのところにあまり自分の荷物を置きたくなかった。遠慮があるし、それ以上に──いや、考えるのはよそう。 「勇利、わかってる?」  夕食の片づけを終えたヴィクトルは、食後のお茶を淹れながら確かめた。 「何が?」 「勇利は前のとき、ぜんぜん理解してなかったみたいだから。もしかしたら今回もそうかもしれない」 「だから何が?」 「こうやって私物を置く場所をつくるっていうのは泊まっていくということだし、泊まっていくっていうことはセックスするということだよ」 「ちょっと!」  勇利は慌てた。どうしてヴィクトルはこういうことをかるがるしく口にするのだ。しかし、もっと慎みを持って欲しいとか、あんまりなんでもはっきりずけずけ言うのは感心しないとか、こごとを言ってぷんぷんしている勇利を、お茶のあとヴィクトルは寝室へ連れていった。勇利はされるがままになっていて、そこで朝まで彼と一緒に過ごした。なんだかんだいってしあわせなのだ。ヴィクトルと仲よくすることになんの異論もなかった。  勇利の部屋のひきだしには、ヴィクトルのものがどんどん増えていった。もう一段増やしたほうがよいかと勇利は思いながら、しかしけっしてそうは言わなかった。ヴィクトルは少ない衣服でどうにかやりくりしているようだったけれど、その苦労さえ楽しそうで、「困るよ」とうれしそうによく勇利に報告した。勇利はといえば、ヴィクトルのところのひきだしを使ってはいたものの、最初にきめた以上には着替えを持っていかなかった。ひと晩過ごすだけならそんなに多くはいらないし、必要なら泊まるときに新しいものをひとそろい持っていけばよいのだし、あまりたくさん置いておくと、なんだか──なんだか──とにかくそれはよくないと考えた。 「勇利、もっといろいろ置いていったら?」  お互いの家に自分の場所を持つようになってずいぶん経ったころ、ヴィクトルが真剣に提案した。 「べつに困ってないし、これでじゅうぶんだよ」  勇利はとりすまして答えた。 「勇利はきちんとしすぎるよ。もっと適当にやってもいいのに。勇利の場所を増やすくらい、俺にはなんの苦労もないんだから」 「でも、いまのままでやっていけるからね」 「たまに二日続けて泊まりたくなることもあるだろう」 「二日続けて泊まるのを我慢すればいいんだよ」 「だから、我慢しなくていいように普段から……」 「きちんと線を引いておかないと、どんどん規律がみだれるよ」 「みだれてもいいじゃないか」  勇利はかぶりを振った。ヴィクトルは不満そうだったけれど、勇利のものを買ってきてひきだしにしまうということはしなかった。勇利がかたくなだからか、最初に言ったとおり、勇利の気配が感じられるものを置いておいて欲しいからか、どちらか��わからない。  ヴィクトルのところで過ごすのは幸福だ。そうするのが当然だというふうにひきだしから自分の衣服を取り出し、それに着替えるとき、勇利はどうしようもない喜びをおぼえる。ぼくはヴィクトルの家にいていいんだ、自分のものだって好きなだけ置いておけるんだ、と思うとたまらないときめかしさでいっぱいになる。だが、だからこそ用心し、自分がわがままになりすぎないように慎重になった。あまり贅沢をしてはいけない。だって──際限なく好きなようにふるまっていたら、ヴィクトルと暮らしたくなってしまうではないか。  それは自分の家で、ヴィクトルが置いていった衣類を洗濯しているときにもよく考えた。ああ、こんなふうにヴィクトルのものを洗うなんて、まるでふたりで暮らしてるみたい、とうれしくなり、ことさら丁寧に洗濯物を干した。ヴィクトルもこうしてぼくのものを洗ってくれてるのかな、といつも清潔になっている彼の家の着替えのことを思った。だめだめ……こんなことばっかり考えて……ヴィクトルと暮らしたくなっちゃう……。  勇利は、ヴィクトルが「今夜は泊まるよ」と言いながら、彼のひきだしから着るものを出してにこにこするのが好きだった。  シーズンに入るまでは、かなりひんぱんに互いの家に泊まっていたのだけれど、始まるとそうもいかない。ヴィクトルは、あまり泊まりに来なくなった勇利に対して不満を持っており、そして不安があった。スケートに熱中すれば、勇利がほかのことは目に入らなくなることはわかっていたのだけれど、何か──それ以上のものがあるような気がしてならないのだ。勇利はよくわからないものの考え方をしていて、彼の論理はヴィクトルには完全に理解不能なので、ちょっとしたことでも気になってしまうのかもしれない。しかし──やはり、勇利の態度はなんとなくおかしいように感じられた。 「勇利、今夜は泊まりに来る?」  ふたりとも、グランプリシリーズの前半戦でファイナル出場がきまり、すこし日程にゆとりがあった。勇利はシーズン中にセックスはしたくないかもしれないけれど、それでも、ただ一緒にいて話をするだけでもヴィクトルはよかった。 「あー、えっと……、今日はやめとく」  勇利は迷うそぶりも見せず、あっさりと断った。ヴィクトルはやきもきした。勇利は俺のことを好きじゃないのかもしれないと思った。もちろんそんなはずはない。勇利の愛はいつだって感じている。 「じゃあ、俺が行ってもいいかい?」  ヴィクトルはさらに踏みこんだ。勇利は瞬き、ちょっと困惑したような顔をした。なんなんだ!? 俺が泊まりに行ったら迷惑なのか!? ヴィクトルははらはらする思いだった。 「……いいよ」  勇利はちいさく答えた。うつむきがちな清楚な横顔を見たヴィクトルの胸は、めちゃくちゃにかきみだされた。どうしてこう抱きしめたくなるような態度をするのだろう。勇利はいつまで経ってもヴィクトルにとって謎だし、日ごとに彼への想いは増すばかりである。 「本当にいいのかい?」  ヴィクトルは念を押した。勇利はヴィクトルを見てはにかみながらほほえんだ。 「いいよ……」  ヴィクトルはどきどきした。この子は俺のことを愛している。どうしようもなく。そう感じた。都合のよいように受け取っているだろうか? しかし、勇利は愛情深くうつくしかった。確かに。  ヴィクトルはセックスはしないつもりだった。勇利もそのほうがよかったのか、それとも、ヴィクトルがしないのならそれでよいと思ったのか、とくに何も言わなかった。けれど寝るとき、ヴィクトルがまじめにキスしたら、彼のほうも楚々としたそぶりで身を寄せてき、頬を赤くして、きよらかな接吻をひとつした。ヴィクトルは気が狂いそうなほど勇利がいとおしいと思った。俺は勇利を愛している。勇利も俺を愛している。愛している……。  ああ、勇利と一緒に暮らしたい。これが日々の当たり前だったらいいのに。どうして勇利は俺の家にいないんだ?  十二月に入るとグランプリファイナルがあり、そのあとは勇利のジャパンナショナルなので、家に泊まるどころではなかった。ヴィクトルは、だからこそ、ああ、勇利と暮らしたい、とそのことばかり考え続けた。勇利にそばにいてもらいたいし、彼のそばにいてやりたかった。試合のときはもちろん、私的な時間にもそうしたかった。しかし勇利はいつも平気そうにしている。勇利が平気そうにしているからといって、本当に平気かどうかはわからない。彼はたいへん難しいのだ。 「俺も日本へ行きたいな」  十二月の終わり、勇利が突然ヴィクトルの家にやってきたとき、ヴィクトルは、全日本選手権に帯同したいということをほのめかした。それについてはずいぶん前から、「一月にはロシアナショナルがあるから来なくていいよ」と勇利に断られていた。いくら言っても彼は聞き入れてくれなかった。 「だめ」  このときも勇利はにべもなくはねつけ、首を縦に振らなかった。ヴィクトルは不満だった。 「でも勇利、俺がいなくても大丈夫?」 「大丈夫だよ」 「泣かない?」 「なにそれ。どういう意味?」 「さびしいだろ?」 「さびしいけど泣かないよ」  にらまれてしまった。さびしい、と言ってくれたことがヴィクトルはうれしかったけれど、浮かれている場合ではない。 「さびしいなら行くよ」 「そのことはもう何度も話しあったじゃない」 「話しあってない。勇利が一方的にきめつけただけだ」 「ぼくのことはいいから、ヴィクトルは国内大会のことを考えてよ」 「俺は勇利のコーチだ」 「わかってるよ。でもだめ」 「勇利はもっとわがままになったほうがいい」 「その代わり、ほかの試合では思いきりわがままにふるまってるよ」  そうだろうか? 勇利はそのつもりかもしれないけれど、ヴィクトルには足りなかった。ヴィクトルはもっと勇利に求めてもらいたいのだ。ずっとそばにいて、離れないでと言って欲しい。しかし、勇利は言いだしたら聞かないし、頑固なので、無理についていくことはできなかった。ヴィクトルはぶつぶつこぼした。 「マッカチン、勇利はひどいと思わないか? 俺なんて必要ないんだって。ひとりで試合にのぞむんだってさ。信じられない。俺は勇利のコーチだぞ」  勇利は試合のため、日本へ発った。なんてつまらないのだろう。勇利のいないリンクは寒々としているし、家だって──日常的に彼がヴィクトルの自宅にいたわけではないけれど、いまはロシアにいないのだと思うと、特別さびしいような気がした。 「くそ……やっぱり帯同すればよかった……」  ヴィクトルは、勇利のものになっているひきだしのところへ行き、なにげなくそこを開けた。まちがえて勇利のタオルを自分の持ち物にしていたので、それをしまっておこうと思ったのだ。だが、中を見た瞬間、彼は凍りついて息ができなくなった。  衣服が減っている……。  なぜ、という思いでいっぱいになった。もちろん、近頃は勇利はまったく泊まりに来ていなかったのだ。衣類が少なくても問題はない。だが、泊まりに来ていないからこそ、いままでとはちがっているのはおかしかった。置きっぱなしでよいではないか。ここにある服が少ないということは、つまり、勇利が意図的に持って帰ったということだ。ただ家で使いたかったからと考えることもできるけれど、こういうとき、勇利はたいていヴィクトルのして欲しくない行動を取るのだ。もうわかっている。 「勇利……なぜだ……」  ヴィクトルは、もう勇利はここへ来る気はないのではないかという気がした。来たとしても、一度か二度で終わってしまうのではないか。すこしずつ荷物を減らしていき���最後にはこのひきだしをからっぽにするのだ。思えば、互いの部屋に服を置いておこうと提案したのはヴィクトルだし、勇利のほうはさほど乗り気ではなかった。強引なヴィクトルに押しきられたかたちだったのだ。 「勇利は……勇利はもう……」  彼はヴィクトルのことを愛している。しかし、こんなふうに家を行き来して、そこに自分の居場所をつくるのには賛成ではないのかもしれない。「ひとりでも大丈夫だよ」と言って試合におもむいたように、「普段もひとりで大丈夫だよ」という気持ちなのだ。勇利は自立心が強い。 「ああ……」  ヴィクトルは頭がぐらぐらし、気分が悪くなったので、すばやくひきだしを閉めて、その日はそれきりベッドにもぐりこんでしまった。  ヴィクトルは勇利のことばかり考えていた。報道によると、公式練習での勇利の調子はあまりよくないようだった。いつものことだ。勇利は事前の練習では上手くいったためしがない。直前の六分間練習などでは入りこんで見事なすべりを見せることもあるのだけれど、それ以外はだめだ。だが、それでよいのだ。試合当日でもないのに絶好調になるのは感心しない。練習でいくら出来がよくても、本番でできなければ意味がない。だからヴィクトルは、勇利の場合、試合の前は、ちょっと首をかしげるくらいでちょうどよいと考えていた。  だがそれは、ヴィクトルがそばにいるときの話だ。ヴィクトルなら、ちゃんとできないと言って落ちこむ勇利を元気づけることができるし、笑わせることができるし、優しく撫でることができる。ひとりのときにそんな状態では、ヴィクトルのほうが気になって仕方なかった。いまごろ勇利は悩み、不安を感じ、泣いているのではないだろうか。  いますぐ勇利のところへ飛んでいきたい。ヴィクトルは苦しんだ。勇利はどうして来なくてもいいと言ったのだろう。もちろんヴィクトルのことを気遣ったからだろうけれど、ヴィクトルの家から勇利の荷物が減っていることを考えずにはいられなかった。勇利はヴィクトルからへだたりを取ろうとしている。私的にも──もしかしたら選手としても。勇利が必要としているのはコーチのヴィクトルで、しかしヴィクトルは四六時中勇利のコーチではなく、選手としての顔も持っているから、それで勇利はいろいろと思案しているのだ。確かに彼は、ヴィクトルコーチにだけはわがままを言っているつもりなのだろう。  コーチ以外の俺のことがいやになったんだろうか、とヴィクトルはぼんやり思った。ヴィクトルが彼の部屋に衣服を置いたり、我が物顔でひきだしを開けたりすることを、勇利はいやがっていなかった。しかし、ときおり、困ったような顔をするのも事実だった。 「ヴィクトル、ものがどんどん増えてない?」 「必要なんだよ。いいじゃないか」 「必要って、ほとんど一泊しかしないのに、どうしてそんなに必要なの?」 「勇利のところに俺のものがあるというのがいいんだ。その状況が好きなんだ。実際に使うかどうかじゃない」 「意味がわからない。そんなにたくさん置きたいなら──」  勇利はそこで口をつぐんだ。ヴィクトルはそのとき、彼が、「そんなにたくさん置きたいなら、もうひとつひきだしを使う?」と言おうとしたのだと思った。しかしもしかしたらちがったのかもしれない。本当は、苦情か、ひかえて欲しいということを言いたかったのかもしれない。 「勇利も俺のところにたくさん置けばいいんだよ」  ヴィクトルはしばしばそう勧めた。勇利は「いまのままで困ってないから」というひとことで済ませるか、「そうだね」と気のない返事をするだけだった。彼はそんなふうにするのはいやだったのかもしれない。だから──だからこんなに、いつの間にか彼の持ち物がヴィクトルの家から減っているのだ。  大丈夫だ。勇利はコーチとしての俺は必要としている。いつかみたいに、終わりにしようなんて言いたがっているわけじゃない��それはわかってるんだ。知っている──。  しかし、もはやヴィクトルは、師弟としてだけふるまうのでは満足できないのだ。もっと勇利を愛したいし、勇利に愛されたい。そうでなければ──。 「ヴィクトル」  勇利は朝、ベッドの中で、うつぶせになって両腕を重ね、顔を斜めにしてよくヴィクトルをみつめていた。そのときの清楚さ、まばゆいばかりの素肌、純真な微笑、やわらかいうつくしさ──すべてがヴィクトルにとっては永遠だった。 「ヴィクトルって、えっちだよ……」  勇利はビロードのような声で、陶酔したように笑いながらささやいた。 「えっちなのは嫌いかな」  ヴィクトルの問いかけに、勇利は目をほそめて口元をほころばせた。 「嫌いじゃないよ。でもヴィクトルってえっちだ……」  だから勇利は俺がいやになったんだろうか。セックスなんてしたくなかったのだろうか。ヴィクトルはそのことを思案した。勇利を抱きしめているときは幸福だった。彼とスケートをしているときと同じくらい──。  勇利をどのようにして説得しようか、ヴィクトルは真剣に考えた。言葉を尽くすつもりではいた。しかし、勇利のかたくなさ、自立心の強さ、法外なほどのおそろしい決断力を彼は知っていた。何をどう言っても勇利のこころを変えることはできないのではないかと思った。勇利はヴィクトルを愛している。愛していれば愛しているぶんだけ、彼の決心はかたいのだ。  勇利が心配するほど、選手としてちゃんとできていなかっただろうか。それとも、彼を求めすぎたのだろうか。どうすればよいのだろう。なんて言えば勇利の気持ちを変えられる?  ヴィクトルは全日本選手権の勇利のショートプログラムを見た。たいへんすばらしい出来だった。ほっとし、うれしくなり、いますぐ抱きしめて褒めてやりたいと思った。勇利は立派に独り立ちしている。だからヴィクトルの家から服が減るし、彼はそのうち、ひきだしはもういらないと言いだすだろう。  ショートプログラムの結果をコンピュータで流しっぱなしにしながら、明日練習へ行くための支度をヴィクトルはした。いつも使っているタオルが見当たらなかった。勇利と一緒に買ったもので、ヴィクトルにとってはひどく大切だった。どこへやったのだろう? そういえば、勇利のタオルをまちがえて自分のものにしてしまったことがあった。あべこべに、今度は自分のものを勇利のひきだしに入れているのではないだろうか。  衣服の減ったところなど見たくもなかったけれど、ほうっておくこともできないので、ヴィクトルはしぶしぶ衣装箪笥のところへ行き、いちばん下の勇利のひきだしを開けた。自分のタオルは見当たらなかった。奥のほうにあるのかもしれない。ヴィクトルはたたんであるシャツをいくつか取り上げ、ひきだしの底に目を向けた。 「フリーもすばらしい出来でしたね!」  諸岡が、まるで自分のことのように喜びながら、勇利にマイクを差し出した。勇利は輝かしく頬を紅潮させ、おさえられない高揚に声をつまらせた。 「どうも──ありがとうございます」 「どのような気持ちで演技にのぞまれましたか」 「今回はヴィクトルがいなかったので──彼を心配させたくなくて──彼の誇りになれるようにがんばろうときめてて──それに──それに──」 「それに……なんですか?」  勇利の頬はさらに赤くなった。余計なことを言ってしまった。勇利ははにかんだ笑みを浮かべた。 「……なんでもありません」 「では、ヴィクトルコーチに伝えたいことはありますか? きっと見ていらっしゃることと思います」 「は、はい。えっと……」  勇利は緊張した面持ちでカメラに視線を向けた。きちんと言えるかな? ──言わなければ。 「ヴィクトル、あの……、���ろいろ話したいことはあるけど、それは帰って、顔を見てから話します。いま……、いま言いたいことはひとつだけで……、ヴィクトル、ぼくの……ぼくのひきだしを見てください。ぼくのひきだしの中……それだけ……」  諸岡や、ほかの記者たちがふしぎそうな表情をした。もちろん、中継を見ているほかの者たちもわけがわからないだろう。しかし、勇利が言いたいことはこれしかなかった。これ以外には何も言えなかった。 「……それだけですか?」 「それだけ──それだけです」 「ヴィクトルコーチに会いたいですか?」 「あの……」  ヴィクトルに会いたいかどうか? そんなこと、考えたこともなかった。わかりきっているからだ。 「……はい。会いたいです」  勇利がこっくりとうなずいたときだった。ミックスゾーンの奥から、「勇利!」という、すてきな、いまいちばん聞きたい、愛情深い──大好きな声が聞こえた。勇利ははっとして振り返った。 「勇利! ──俺の勇利!」 「ヴィクトル!」  勇利はあぜんとした。スーツ姿のヴィクトルが関係者を避けながら、急いでやってくるところだった。勇利はわけがわからなかった。胸がいっぱいになった。 「なんでいるの!?」 「勇利、俺の顔を見ていちばんに言うことがそれかい?」  ヴィクトルが笑った。勇利は彼に駆け寄って、「だってヴィクトル意味わからないんだもん!」と叫び、思いきり抱きついた。ヴィクトルはしっかりと勇利を受け止め、抱きしめて、優しく髪を撫でた。 「勇利、すばらしかったよ。おまえは最高の生徒だ。俺の勇利だ」 「ヴィクトル、どうして来たの?」  勇利はヴィクトルの顔をひたむきにみつめた。 「ひきだしの中を見たからさ」 「え?」  勇利は目をまるくした。 「だって──いま見てって言ったんだよ。ついさっきだよ。それで、あれを読んで、すぐにぼくのところへ来たの?」  ヴィクトルは笑いだした。彼は、おおげさにうなずいてはしゃいで答えた。 「そうだよ! 空を飛んできたんだ──勇利のためにね」  愛するヴィクトル  ヴィクトル。やることがたくさんあって、日本へ発つまであまり時間がありません。ぼくは今日じゅうにこれを書いて、ヴィクトルのところへ行って、ひきだしにしまわなければなりません。  全日本選手権へ行きます。ぼくひとりで行きます。とてもさびしいです。向こうで泣いてしまうかもしれません。ヴィクトル、ぼくが泣いたら、それに気づいて、ぼくのために空を飛んできてくれる?  貴方はきっと、いま、笑っていますね。おまえが来なくていいと言ったんだろうとあきれていることでしょう。でも、ぼくが来なくていいと言うとき、それは、本当は、来て欲しいということなのです。ひとりで大丈夫と言うときは、つまり、貴方がいなくちゃだめということなのです。それでいて、そう言えないのです。いろんな理由から言えないのです。もちろんもうヴィクトルは知っていますね。  ヴィクトル、貴方は、ぼくの部屋にたくさんの着替えを置いていきますね。この春からずっとそうしてきました。貴方の服が増えるたび、ぼくはたまらなくうれしい気持ちになりました。貴方の着替えたものを洗濯するときなど、まるで──まるで──いえ、たとえすべてを書くと決心した手紙でも、あまりはしたないので言えません。  ヴィクトル。貴方はぼくの残した服を洗濯するとき、ぼくのことを考えてくれていましたか?  貴方の衣類が増えると、ぼくは、ひきだしをもう一段使ったら? といつも言いそうになりました。でも我慢しました。ぼくは貴方の家に服を置くとき、これも置いていこうかといつも一枚余分に残したくなりました。けれど、これも我慢しました。なぜ我慢していたかわかりますか?  ぼくはだんだん貴方の家に置く荷物を減らしていきました。貴方のことをあんまり愛しすぎて、慎重に、用心しなければならなかったのです。だって──そんなことをして甘えてわがままにふるまっていたら、貴方と暮らしたくてたまらなくなってしまいます。だから自制をしようと、どんどん少なくしました。  いま、ひきだしを開けた貴方は、��うしてこんなにものがないんだと驚いているかもしれません。そういう理由だとわかってください。ばかなやつだなと笑ってください。  けれど──、もう、その気持ちをおさえられそうにありません。ヴィクトル。ぼくはひとりで日本で戦うときめたとき、どうして貴方は来てくれないのだろうと不満を持ちました。いつも貴方のそばにいられればいいのにと思いました。貴方がそばにいてくれればいいのにと思いました。だから決心しました。もし──もし、ひとりでも立派にやりとげることができたら──そうできるほどぼくがしっかりして凛としていられるのなら──そのときは貴方に気持ちを打ち明けていいのではないかと思ったのです。  ヴィクトル。  貴方を愛しています。  一緒に暮らしたいです。  貴方の家にぼくを置いてくれますか?  早く貴方に会いたいです。  お目にかかって、すべてきちんとお伝えします。  貴方の勝生勇利
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shunsukessk · 5 years ago
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、や��小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって���かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような���造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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3 notes · View notes
bakeshichi · 5 years ago
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今日のブライト博士まとめ
Personnel Director Bright's Personnel File ©TheDuckMan http://www.scp-wiki.net/dr-bright-s-personnel-file CC BY-SA 3.0
今日のブライト博士
初対面の新人職員に殺される。 彼女の子を惨殺した死刑囚の体だったのが原因。“残機”候補のDクラス選抜基準に「財団職員と関係がないか」を追加するよう上申した。
● お気に入りのネット小説の続きがアップされてご機嫌だ。 SCP-101-FR隠蔽策"tale"の一環として作られた、ブライト博士が探偵役の推理モノで、奇矯だが賢い財団博士達の頭脳合戦に心が躍る。財団の工作が生み出した、思わぬ副産物である。
● 技術開放についての会議に出席している。 「既に民間でも量子経路干渉法によるフォノン生成過程の同定成功との発表があり、我々が保有する量子コンピュータ技術受入れ素地は整っているものと──」 今日もまた一つ、我々の努力の結晶が日の目を見る。
● 鶯谷デッドボールに入り浸っている。 下ネタ発言が過ぎた為、キレた日本支部女性職員達によってブチ込まれたのだが、熟練の技に感激した博士はすっかり虜だ。
● 部下がオブジェクトを削り取ろうとしていたので、慌てて止めた。 素材特定の為に、と反論されたので、結晶軸の数が違えば反射光も変わるから目視で宝石は同定できる、と教えたら感心された。 SCP-963の初期研究の際に覚えたことなので、胸中複雑である。
● Explainedへの変更申請3件を審査している。 理解不能という恐怖に科学が勝ったという証、《解明済》。 いつか、SCP-590などと呼ばれている弟へも、この宣告をしてやれるのだろうか。 してみせる。必ず。 その日を目指して、博士は今日も財団にいる
● 『通達:女性職員の皆さんへ SCP-963-1は精神的自殺の道具ではありません。不誠実な男への報復には大いに協力しますので、まずは相談をして下さい。 妊婦になるのは一度でたくさんだ!!! 人事局長 J.ブライト』
● サイト壊滅からの復興の為、5件のコホート研究の詳細なデータを再現している。 誰よりも長く生きている、誰よりも記憶力の良い財団職員。私はバックアップメモリ代わりか? と文句を言いながらも、七十年余の記憶の中から、長期観察記録研究の全データを再構築していく。
● ザーション博士共々、膝から崩れ落ちている。 BZHRの脆弱性は過程の繊細さに由来する。効率と正確性を両立させる為にどれだけ苦労したか。それが、こんな購買でお手軽に買える大量生産品で、こんな簡単に改良できるだなんて。 https://www.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html
● SCP-590の配給食に異物を入れた、と担当職員達に詰め寄られている。 弟の食生活に少しでも彩りを添えたかっただけで、と弁解しているが、"ミルメーク"を知らない担当者には信じて貰えない。
● 「君達、ご承知の事とは思うが、SCP-504は全てのジョークに反応するんだ。下ネタだけじゃなく、な。 エージェント・ディオゲネス、トレビュシェット博士、頼むからその鉢植えと煮え滾ったトマトソースの鍋は、収容チャンバーへ戻してくれないかな?」
● 体乗り換えに伴う、所定の心理鑑定を受けている。 《この新たにSCP-963を首にぶら下げた個体は、ブライト博士と定義し得るか否か》 父も兄も他界した現在、その判定が可能な人物は、もうグラス博士以外に��ないのだ。
● SCP-409-JP担当エージェントに、カビた豆腐を食べろと詰め寄られている。 演芸場████亭にて、笑来亭ふしぎ氏に対し「酢豆腐」をリクエストしたらどうなるか。 "研究者として不可欠な好奇心と冒険心"とやらでプロトコルを無視した、これが代償だ。
● プラムを見ると父を思い出す。 いち科学者としても兄としても、父が妹に行ったSCiP乱用の件は、未だに許せないでいる。 だが昔、晩夏にプラムのケーキを作りながら、先祖伝来のレシピだぞと笑っていた、そんな幸せな親子であった事も、また事実なのだ。
● SCP-2000修復中。 催眠学習と体組織複製機の連携をさせなければ、一応正常な人類を生成出来るようになった。 意識のない人体を、残機として貰い受ける。 ちなみに、BZHRのテストパターンは、“生前”のブライト博士のDNAである
● 「蒐集院接収交渉の時から思っていたのですがね、エージェント・カナヘビ。 何故貴方が収容されないのです?」 「蒐集院接収交渉の時からおんなじ答えで恐縮やけどね、ブライト博士。 アンタにだけは言われたないわ」
● グラス博士に「黒後家蜘蛛の会 第9作目に出てきた晩餐のフルコース」を提供させられている。 5人のDクラスの中で、どれがジャック・ブライトか。 7回やったその賭けに、グラスは全て正解したのだ。 ※「9作目の晩餐」=ホストの手料理
● 神経再生に関する論文を読んでいる。 蘇生効果を持つSCiPを使って“生き返った”SCP-321は、何故大脳白質の髄鞘が活性化しない= 知性が蘇生しなかったのか。 SCiP乱用の生ける教訓。 妹の犠牲を無駄にしない事、それだけが唯一自分に出来る償いだろう。
● 名付け親(教父)は、両親他界の際遺児を養育する義務がある。 財団内ではブライト博士がよく教父を依頼されている。 「私は"死なない"からな。年中死人が出るココでは一番大事な条件さ。君も名付け親となったからには、生きろよ、ジェラルド博士」
● 食堂のTVで新薬のニュースを見ている。 財団フロント企業は、研究の副産物を製品化して資金を稼ぐ、という役目も持っている。この新薬もその一つだ。 普段は世界の影に生きる自分達が、今日だけは世界を照らす。そんな気になれるこの瞬間が、彼は好きだ。
● 《通達: イルカ類にSCP-963を暴露させ深海探査に使用する提案に関して
回答: 却下 理由: 我々の目の届かない場所にブライトを置けば、こちらの予想の3倍は碌でもないことをしでかす、と何故解らない?
副局長 A.クレフ》
● SCP-590解析班に、やけに熱心に職務に打ち込む女性研究員がいる。 理由をきくと、彼女はこう答えた。 「この異常性の仕組が完全解明したら、それを利用して『妊婦の悪阻が全部“妊娠させた男”に移る薬』を作りたいんです』 あまりの剣幕につい、全面的に協力する約束をした。
● 「クレフ博士、何故その『ブライト博士』が偽物と判ったんです?」 「奴のテーブルマナーはガチガチのドイツ式だ。フォークを右手に持ち替えるなんざ有り得ねぇよ」 そう言うと、クレフは死体がかけた首飾りの赤い石を、ショットガンで粉々に撃ち砕いた。
● 「ブライト博士、せめて平和な賭けをして下さい」 「なら、コンドラキはクレフの素顔を写真に撮れるかで賭けようか、オッズは2:3から」 「大惨事の予感しかしませんやめて下さい」 「勘が良くて結構、君は長生きしそうだな。デスゲームのオッズを3に変更だ」
● 3ヶ月振りに帰宅したら、自宅が跡形もなく吹き飛んでいた。
Dr Clef's Personnel File  by DrClef http://www.scp-wiki.net/drclef-member-page
Dr Glass' Personnel File  by Pair Of Ducks http://www.scp-wiki.net/dr-glass-personnel-file
SCP-321 by AdminBright http://www.scp-wiki.net/scp-321
SCP-590 by AdminBright http://www.scp-wiki.net/scp-590
SCP-2000 by FortuneFavorsBold http://www.scp-wiki.net/scp-2000
SCP-101-FR by DrGemini http://fondationscp.wikidot.com/scp-101-fr
SCP-504 by BlastYoBoots http://www.scp-wiki.net/scp-504
SCP-409-JP by Rhapsodyyyyyy http://ja.scp-wiki.net/scp-409-jp
エージェント・カナヘビの人事ファイル by tokage-otoko http://ja.scp-wiki.net/author:tokage-otoko
Dr Gerald's Personnel File by Dr Gerald http://www.scp-wiki.net/dr-gerald-s-personnel-file
SCP-963 by AdminBright http://www.scp-wiki.net/scp-963
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hi-majine · 5 years ago
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三十石  1/2
 京都見物にまいりましたふたりの男が、円山二軒茶屋、八坂の塔、高台寺、清水坂、大谷鳥辺山、大仏さん、耳塚三十三間堂と見物いたしまして、でてまいりましたのが、伏見街道でございます。 「さあ、早よう歩き、なにをぼーっとしてるねん?」 「べつにぼーっとしてるわけやないけど、なんぞ子どものみやげを買《こ》うて帰ろうおもうて、なにを買おうと、思案《しあん》してるねん」 「ほな、伏見人形でも買うて帰りいな」 「伏見人形てなんや?」 「この稲荷山の土で焼いた人形や。ここの人形はな、持って帰って破れても、その土が、もとの稲荷山へかえるというねん」 「ほう、えらいもんやな……そんな人形を売ってるか?」 「このへん��、人形屋ばっかりや……みてみ。だんだん職人がじょうずになるのか、器用になったんか、人形も焼き物とみえぬ羽二重細工《はぶたえざいく》のようやろ? ……どうや? 所帯道具かて、なにひとつないものはないわ。みな焼き物でできてるやろ?」 「そうかいな? ……けども、みわたしたところ、横槌《よこづち》がないな」 「これっ、焼き物の横槌がつかえるか?」 「おまえ、焼き物でなんでもあるというたがな」 「そら、いうたけど、焼き物の横槌があるかいな……そのほかのもんなら、あるというねん」 「ほうきがない、ほこりたたきがない。十能《じゆうのう》がない」 「おい、おまえ、ないものばっかり選《よ》ってるがな。あの棚にある大黒さんが、えびすさんの耳をほじくっている。あの肉づきといい、にたっと笑うてるとこは、ものでもいいそうやな」 「やあ、こっちののれんのあいだから首をつきだして、鼻たらしてる丁稚《でつち》もようできてるわ」 「どれいな?」 「あののれんのあいだから顔をだしてるやないか」 「あほ! あれは人間やがな」 「ああそうか……人形屋はん、ごめんなはれや」 「おいでやす。どうぞおかけ」 「おまえ、どれでも売るかえ?」 「へえ、どれでも商《あきな》います」 「ほな、あののれんのあいだから首だしてる人形、あれ、きれいに鼻ふいてなんぼや?」 「のれんのあいだから首だしてる人形? ……これ、あたまひっこめてい……あれは、わたしのせがれで……」 「なんや、おまえはんのむすこか……けったいなむすこをこしらえたんやな。あんなせがれ、大きなってもろくな者になれへんで、いまのうちに売ってしまい」 「ひとりしかないせがれを売ってしもうたら、跡とりがなくなります」 「なかったら、またこしらえたらええがな」 「こしらえたらええがなというて、じきにできるものやおまへん」 「そこをうんときばって……」 「なにほどきばったかて、わたしのような年になったらだめどす」 「ほな、わいが手つどうてこしらえよか?」 「いや、それにはおよびまへん」 「そうか。わいならすぐこしらえるんやがな。おしいな……棚にあるあたまの長い人形、あれはなんや?」 「へえ、福禄寿《ふくろくじゆ》どす」 「なんぼや?」 「あの福禄寿、百七十文どすが、百六十にまけておきます」 「なんや? 百六十が百七十やが、百六十にまけるのか?」 「いいえ、福禄寿、百七十を百六十にまけますので……」 「ややこしいねだんやな。値を聞いて肩がこってしもた……この小さい人形は?」 「へえ、この人形は、肌身につけていただきますと、船などに酔わぬまじないで……」 「これはなんや?」 「へえ、寝丑《ねうし》と申しまして、子どもに瘡《かさ》ができましたら、この丑《うし》に、坊《ぼん》の瘡を食べてくれ、嬢《いと》の瘡を食べてくれとたのむと、ふしぎとその瘡がなおりますねん」 「ふーん、お医者はんみたいな丑やな」 「値はなんぼや?」 「三百だす」 「この小さい、きたない寝丑が三百とは、ねうしがないな……やあ、いろいろな丑があるなあ」 「へえ、これが黒丑で、これが赤丑、こっちが斑丑《まんだらうし》だす」 「ああ、さよか……ほな、背なかにすき鍋を背負うて、なかに葱《ねぶか》と焼き豆腐いれると、ジューと鳴く丑はないか?」 「そんなすき焼きみたいな丑はおまへん」 「とにかく、寝丑と、この小さい文づかいと虚無僧《こむそう》の人形をもらうわ。みんなでなんぼや?」 「へえ、五百だす」 「だれがぼやくねん?」 「いえ、ぼやくやおまへん。五百だす」 「ああそうか……ほな、銭はここへおくで」 「ありがとうさんで……」 「えらいじゃまをしたな。それ、みやげができた」
 やってまいりましたのは、伏見寺田屋の浜で、夕方になりますと、三十石の夜船に乗るお客さんを呼んでおります。 「へえ、あんさんがた、お下《くだ》りさんやおまへんか? もし、そちらの顔の色のわるいかた、あんた下《くだ》らんか?」 「いや、結《けつ》して(便秘して)こまってんねん」 「おい、なにいうてるねん」 「え?」 「結してこまってるとは、なんのこっちゃ?」 「あの人が、わての顔をみて、下らんかというてたずねてはるさかい、結してこまるというたんや……わてな、一昨日《おとつい》から便所《ちようず》へいかずや」 「ちがうがな。船に乗って大阪へ帰ることを下らんかというてるのや」 「ああ、そうか。ほな、大阪へ帰って下ります」 「そないていねいにいわんでもええ……おい、船はすぐにでるか?」 「へい、すぐにでます。どうぞご一服を……」 「そんなら待たしてもらおう」  二階へあがりますと、お客さんがたくさん待っておりますが、そこへまいりましたのが、船宿の番頭さんで、 「へえ、どちらさんも、えらく長らくお待たせいたしました。もうほどなく船がでます。今日《こんにち》は、えらいおつかれのことでござります。宿の番頭でござります。みなさんのおところとお名前を帳面に書かしていただきます。役場へとどけますのんどすが、どうぞてんご(じょうだん)をいわんように、ひとつていねいにいうていただきとうおす……ええ、あんさん、どちらさんでござりましょうか?」 「わいはな、大阪船場っ」 「わあ、きたないな、つばがはねまっせ……ええ、大阪船場どすな」 「今橋二丁目」 「へ……ええ、お名前は?」 「鴻池善《こうのいけぜん》右衛門《えもん》」 「ええ? ……鴻池はんのお手代《てだい》で?」 「いやいや、手代やない。わいが鴻池善右衛門」 「そんな、あんた、無茶いうたかてあきまへんで……鴻池はんにはごひいきになっておりますので、よう存じております。鴻池の旦那《だん》さんは、もっとよう肥えてはったようにおもいますが……」 「米高がこたえて、どかっとやせたんや」 「米高でやせた? てんごばっかりおっしゃって……もうすこうし背が高かったようにおもうてますが……」 「道中をして歩いてるうちに、ちびって背が低うなったんや」 「ちびった!? なにいうてなはる……そっちの旦那《だん》さんは?」 「おいどんは、鹿児島は本町通り二丁目、西郷……」 「え? 西郷!?」 「西郷ひくもり」 「どうぞなぶらんように……そっちのおばあさんは?」 「みずからは、小野《おのの》小町」 「いやあ、きたない小野小町やな。みずからちゅう顔やないわ。塩辛《しおから》みたいな顔をしてなはる。そっちの坊《ぼん》は?」 「ムチャチボウベンケイ」 「なんや、お子たちまでなぶりなはる……そっちのご出家は?」 「愚僧は、高野山弘法大師、これなるは、円光大師……おんなぼきゃ、べろしゃな、まかぼたら、まにはんどまじんばら、ばらはりたやむ……真言経を二十一ぺん書け」 「どうぞなぶらんように、ていねいにいうておくれやす……あんさんは?」 「ほなら、わたし、ていねいにいうよって、ていねいに書いてや」 「へい、ていねいに書きます」 「仮名で書いてや」 「へいへい、仮名で書きます」 「おうさかより、さんりみなみにあたる、せんしゅうさかい……」 「それなら、最初《はな》から泉州堺でええのどす」 「ていねいにと、いうたやないか」 「ていねいすぎますがな……泉州堺……へえへえ」 「だいどうくけんのちょう、ほうちょうかじきくいちもんじかねたか、ほんけこんぽんかじもときゅうざえもん、なごやししんまちどおりにちょうめ、おなじくしてん、にょうぼ、さよ、せがれ、まんきち」 「もし、それはなんどす?」 「こんどな、堺から名古屋へ庖丁《ほうちよう》の店をだそうとおもうねんが、ちらし(広告)のところ書きは、それでわかるかしらん?」 「知らんがな、そんなこと……そちらさんは?」 「わいは、大阪|西渡海里町《にしとかいりちよう》じゃ」 「へえへ、こりゃほんまや。大阪西渡海里町、へえへ、お名前は?」 「八文字屋徳兵衛、近江屋|卯兵衛《うへえ》、福徳屋万兵衛、大黒屋六兵衛、大和屋徳七、河内屋太郎兵衛、紀州屋源助、泉屋与兵衛、浪花屋清七、山城屋喜三郎、堺屋治助、赤穂屋太三郎、備前屋佐兵衛、讃岐《さぬき》屋喜平、肥前屋角兵衛、伊勢屋三郎兵衛」 「えーえ、おっしゃったのは、どなたはんとどなたはんどす?」 「おっしゃったのは、こなたはんおひとりや」 「え? おひとりで? ……あの……名前をぎょうさん書きましたが……これなんどす?」 「去年、うちのおとっつあんが死んでな、香奠《こうでん》をもろうたんやが、香奠がえしをせんならん、何軒あるやろ?」 「もし、うだうだいいなはんな。帳面がまっ黒になりましたがな」  番頭はん、ぶつぶついいながら下へおりてしまいました。  しばらくいたしますと、川から船頭の声が聞こえてまいります。 「さあ、だしまっすぞー」  この声に、みながどやどやと下へおりてきますと、下では、女中さんがべんちゃら(お世辞)を申しております。 「へえ、どなたさんもおしずかにどうぞ、おはようお上がりを……もし、あんたはん、わらじをお召しにならんでもよろしゅうござります。すぐに船に乗るのんどすので、そこにてまえかたの下駄がおす。それをはいてお越しあそばせ。川端へぬいでおいていただきましたら、わたしのほうの焼き印が押しておすので、あとでひらいにまいります……あの、あんさんのお弁当、これにこしらえてござります。なかに高野豆腐《こうやどうふ》がはいってござります。お汁《つい》は、しぼってござりますが、せっかくのお召し物にしみがつくといきまへんので、わらび縄でさげるようにしておす。どうぞ、さげてお越しあそばせ。ありがとさんで。どうぞおはようお上がりを、ありがとさんで、おしずかにお越しあそばせ……まあ、これは、船場の旦那《だん》さんどすかいな。おみそれ申しておりまして、まことに失礼をいたしました。まあまあ、これはこれは、坊《ぼん》さん、大きゅうおなりあそばしたことわいな。先年お越しのときは、乳母《おんば》さんに抱かれてござったのに、こんなに大きいおなりあそばして、かわいおすわいな。お帰りになりましたら、���寮《りよう》人さん(奥さん)によろしゅういうていただきますように……さきほどは、ご祝儀《しゆうぎ》をいただきまして、ありがとうさんどす。あの、おもよどんという女中《おなごつ》さん、まだ奉公しておられますか? まあ、さようでござりますか。ご忠義なおかたわいな。どうぞお帰りになりましたら、寺田屋の竹が、『よろしゅういうてくれと申しました』と、いうていただきますように……さよーならー、どなたもおしずかにお下りやーす」 「わあ、あいつ、なんや? 大きな口あきよったな」 「みんなのあたまへおしずかにをふりかけよったんや」 「ああ、そうか。ほな、さよーならー」 「これ、おまえ、なにしてるねん?」 「うん、あいつがおしずかにをふりかけよったんやさかい、わいは、さよならをゆすりこんだったんや」 「そんなしょうむないことをしないな」 「おーい、早よこい、早よこい」 「どなたもおしずかに……」 「早よこい、早よこい」 「おしずかに……」 「おい、おまえ、女中《おなごし》と船頭とみくらべて、なにうろうろしてるねん?」 「船頭は、早よこいというし、女中《おなごし》はおしずかにというし、どないしたらええねん?」 「なに、あほなこというてんねん、早ようこんかいな」 「おーい、お客さんがた、早よこい、早よこい」 「船頭はん、このお客さん、ひとりで五人前とっとくれ。こちらのお客さん、ひとりで二人前、三人で五人前、二人で三人前とっとくれ」 「あれ���、なにをいうてよるねん?」 「あれはな、ひとり前の場所やと、混《こ》みおうてくると、坐ってられへんさかい、ひとりで二人前とってゆっくり坐るとか、三人で五人前の銭を払うて足をのばすとか、ひとりで五人前の場所買うて寝るとかするねん」 「ああそうか……おい、船頭はん、ふたりで、ひとり前とってんか?」 「なんやて? ひとりでもせまいのに、ふたりで、ひとり前どうして坐りなさる?」 「ひとり坐って、ひとり肩車するねん」 「そんなあほな……肩が痛《いと》うて、大阪までいかれへんがな」 「肩が痛うなったら、枚方《ひらかた》で、上と下と交替するわ」 「なにいいなさる。早よう乗りなされ」  お客さんが船に乗りこみますと、それへ物売りがまいります。 「どなたも、おみや(おみやげ)はどうどす? おみやはどうどす? おちりにあんぽんたんはどうどす? 西《にし》の洞院紙《といんがみ》はよろしおすか? おちりにあんぽんたん……もし、あんた、あんぽんたん」 「こらっ、なにぬかしやがるねん。あっちへいけ」 「おい、おまえ、なにをおこってるねん?」 「この物売り、わいの顔みて、あんた、あんぽんたんやいいよるねん」 「そりゃ、おまえのことやない。あんぽんたんという菓子の名やがな」 「ほんまか?」 「かきもちのふくれたんに、砂糖の衣《ころも》がかかったあるのや」 「ふーん、おかしな名やな」 「東山というのやが、俗にあんぽんたん」 「そうか……おちりてなんや?」 「ちりがみのことを、京ことばで、やさしくおちりというねん」 「ほな、便所へいたら、おちりでおちり(お尻のしゃれ)をふくか?」 「きたないしゃれをいいな」 「西の洞院紙てなんや?」 「大阪ですきなおし、京で西の洞院紙、江戸で浅草紙いうねん」 「えらい名がかわるねんなあ」 「まあ、ところによって名がちがうのやな……大阪でなんきんを、京でかぼちゃ、江戸で唐《とう》なすというそうな。ところによって唱《とな》えがかわる。浪花《なにわ》の芦《あし》も伊勢の浜荻《はまおぎ》というでな」 「妙なことをいうねんな。こらっ、物売り、買えへんわい。あっちへいけ!」 「まあ、あんたはん、いっかいお声どすなあ」 「こらっ、いっかいといわずに、大きいといえ」 「そんなことをおいいかて、京のことばや、しかたがおへんえ」 「なにいうてんのや。京がどれだけえらいのや?」 「京は、王城の地どすえ」 「なんや? 王城の地? ……青物ばっかり食《くろ》うて往生の地やろ?」 「まあ、あんなことおいいる。京は、一条から九条まで法華経普門品《ほけきようふもんぼん》が埋めておすえ」 「そんなもん埋めんと、ちょっと石でも埋めえ。歩きにくうてかなわんわい」 「あんなことをおいいる……京の御所のお砂をおつかみてみ」 「なんぞになるのか?」 「どんなおこり(熱病)でもおちるえ」 「おこりがおちる? ……ほな、大阪の造幣局の金をおつかみてみ」 「おこりがおちるんどすか?」 「首がおちるわい」 「おい、そんな無茶いいないな……物売り、怒って行《い》てしもうたわ」 「京のやつがものいうと、生《なま》ったれてるんので腹が立つ」 「そんなこというたかてしょうがない。郷《ごう》に入《い》っては、郷にしたがい、ところに入っては、ところにしたがうということがある。そう、おまえのようにいうもんやない」 「けったくそがわるい。寝てこまそ」 「これ、お客さんよ、こんなとこへ寝なはったら、じゃまになるがな。のきなはれ」 「こらっ、なにをしやがんねん、人のあたまをなぐりやがって……」 「お客さんよ、船頭はしておりますが、お客さんのどたまをどついたりはしません」 「いいや、いまなぐりやがったわい」 「どつきやしまへん。じゃまになるで、どきなはれと突いたで、おまえのどたまが鳴ったんじゃろう」 「こらっ、人のあたまをなぐっといて、鳴ったんじゃろとはどうや?」 「どつきやしまへん。どきなはれと突きや、おまえのどたまが鳴ったんじゃろ……よう鳴るどたまじゃ」 「こらっ、よう鳴るどたまとはなんじゃい? 太鼓みたいにぬかしおって……なぐったわい」 「おまえさんは、なぐったといいなさる。おれは、なぐらんという。こりゃ、おさまりがつかんがな……おまえさん、なぐったといいなさるなら、なぐられたという書き証文持っとるかい?」 「こらっ、なにいうてんのや。なぐられるのに、いちいち証文を書いてなぐられるやつがあるかい」 「これ、角《かく》よ」 「おーう」 「いつまでお客人をとらまえて、からこうとるかえ? ……お客さんよう、そいつは、国からでてきて、まだ間がない者じゃで堪忍《こらえ》まいよ」 「おまえのようにやさしくいうてくれたらええのに、人のあたまなぐっといて、よう鳴るどたまやというによってに、腹が立つねん」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ」 「そういてくれたらええのや。銭をだして乗ったら客や、その客のあたまをなぐるというやつがあるか?」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ。銭をだしたといいなさるが、この船は、船行船《せぎようぶね》(水死人を供養するための川施餓鬼をおこなう船)じゃござんせんで、銭ゃあいただきます……こらえまいよというに、こらえられんか? こらえられんなら、こらえられんとぬかしてみくされ。どたまからかちまく(なぐる)ぞ」 「うわあ、こわやの。あいさつ人の船頭のほうがこわいわ。どたまかちまくいいよる」 「そやかて、おまえがわるいがな。船頭の通り道に寝てるよってに……」 「船頭になぐられるわ、おまえにしかられるわしたら、わいの立つ瀬がないがな」 「そないに怒りいな。あないにいうてるが、馬方、船頭、お乳《ち》の人というて、ことばは荒いが、気立てはええもんや。あないごつごついわんと、この大きな船がうごかされへん。馬方かてそうや。馬の手綱持ったら、年中怒ってよる。『どう、長いつらさらして、張りたおすで! どちくしょうめ! 脛節《すねぶし》いがんでるがな』……まあ、ようあんな無茶いいよる。むかしから、馬の丸顔みたことないで。みんな長いもんや。馬かて張りたおされたら痛いよってに、顔をみじこうしたいやろが、でけんさかい、気のええもんで、鼻で笑うてる、『ヒヒン』とな……『どちくしょう』て、馬はちくしょうにきまってる。脛節いがんでるて、いがんでるので歩けるのや。まっすぐやったら歩かれへんがな。けどな、ああいうよってに、馬がうごくねん。やさしいのがええというて、京ことばで馬を追うてみい。馬はうごけへんで……『ちゃいちゃい、お歩きんかいな? なにしとるねん、あんたはん、長《いか》いお顔どすな。お足《みや》ゆがんどすえ』というてたら、馬が、『そうどすか』いうて、寝てしまうわ。船かていっしょや。『どきなはれっ』てな調子でやるさかい、船がうごくねん。なあ、船頭はん」 「やかましいわい」 「それみい。おまえのために、わいまで怒られるがな」 「おい、船頭はん、早ようだしいな」 「おい、だしますぞう!」
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buriedbornes · 5 years ago
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第33話 『旧き世に禍いあれ(1) - "菌の森"』 Catastrophe in the past chapter 1 - “Fungus forest”
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 森、と呼ぶべきだろうか。
 遠くから見れば、その青さは豊かな植生を想像させ、様々な生命をはぐくむ豊かな森に見えるが、その実、その森は『森』以外の命を拒絶している。
 木々の代わりに、複雑に組み合って伸びた菌糸が、樹木のように空に向かう。梢である部分も、まるで寄せ木細工よろしく噛み合い、その様から想像するよりも酷く凍てついている。
 光の射さない森を、人は畏れ、近づく者はない。
 かつて、近づいたふたり組がモンスターに襲われた。からがら逃げた片割れが言うには、馬ほどの大きさのカマキリに襲われて、仲間は頭から食べられたという。その男自身も背中に大きく斬りかかられた痕があり、傷こそ浅かったがその日のうちに死んでしまった。近づけは呪われる、魅入られる、毒にやられる、様々な噂が立った。
 近隣に住む人々に場所を尋ねても、露骨に嫌がられる。森への案内人は見つかることない。
 菌類は、世界で一番初めに繁殖し、世界を覆い尽くした生命であるとされる。その生命力の強さは人間の想像をはるかに上回る。彼らは何らかに寄生し、共存すること、または乗っ取って成長することで繁殖を遂げた。「菌類が森を形成している」と聞いた時、フィリップは当然のように、実際の木に寄生した菌が、木の表面を覆い尽くしているのだろうとだけ考えていた。
 しかし、実際には、木々などを必要とせず、菌だけが独立し、成長しているという異常な環境だった。
 足元も完全に苔むし、通常の森の数倍の高さまで伸びた梢までを見上げる。
 完全に光を遮った空間には、ところどころに白いふわふわとした胞子が舞っていた。
 胞子を防ぐためにつけた顔を覆むマスクを通した、不気味で低く掠れた呼吸音は、そして規則正しく響く。菌糸が絡まり一本の巨木となる、それが真っ直ぐと空へ伸びる柱の間を、ゆっくりとふたつの影が歩いていく。彷徨っているわけではない。その歩みからは向かうべき先へと向かう意思が見受けられるが、広大な森と道を遮るほどの菌の巨木に翻弄され、緩やかに歩く軌道は大きく蛇行していた。
 この森の来歴は、古い神代にまで遡るとされていた。
「……仮説通り、本当に神が眠っていると考えてよさそうですね」
「ああ、そうだろうな」
 自死を選びこの森に入る者もいるという。それほどに深く、広大だった。
 屍術師のフィリップとグレーテルは、無表情で淡々と歩き続けていた。
 グレーテルが時折、歩みを止めては自身の側頭部に手をやり、目を細めて集中した後、遠くを指差す。精霊の濃い方角を探って向かうべき先を先導し、フィリップがそれに続く。
「何百年、いいや、何千年の時がここの中では流れたんだろう」
 数十メートルもの高さまで伸びた菌で出来た木をグローブ越しに触れてみたが、しっかりと堅い。強く押してもしなることもなく、力強く根付いた感触が返ってくる。
 フィリップは傍らのグレーテルを見た。彼女も顔を覆うゴーグルと、分厚い防護服や手袋、安全靴など、肌を一切露出せず、まるで奇妙な人形のように立っている。ゴーグルの奥にある瞳だけは、以前と何ら変わらず、知的な光を宿してこちらを見つめ返してくる。
 着ぶくれして奇妙な人形のような姿をしているのは、フィリップ自身も同じだ。
 何も身に着けずにここで呼吸をすれば、1分と待たずに肺から蝕まれて死ぬだろう。装備を揃えるために訪れた集落の古道具屋で出会った古老は、皺がれた声でそう告げた。そして、全ての装備を見繕い直す2人を尻目に、白く濁り始めた目で「あの森は捨てておくしかない」とはき捨てるように言って、店を去った。
 どれだけ歩いただろう。古老がいた集落から二日歩いて、菌の森の入り口にたどり着いた。森の入り口には当然、柵も、看板も、遊歩道のようなものさえない。獣道と思しき菌木と菌木の間隙を縫うように進み、ようやく分け入った。
 不意に、菌糸の枝と枝が擦れるような不自然な音が聞こえた。
 フィリップが斜め後ろを振り向くと、グレーテルの背後に、蔓が垂れ落ちている。粘膜で奇妙にてらてらと光る蔓が、ゆっくりと猫の尻尾のように先を揺らす。
 フィリップの背中が一瞬で粟立つ。
「グレーテル!」
 フィリップの叫びに、グレーテルも弾かれたように振り向き、その手を翳した。一瞬の間の後に青い炎が見え、フィリップは舌打ちをした。
「駄目だ!」
 叫びながら、フィリップは手を横に一閃した。
 蔓を焼き尽くさんとグレーテルの手から放たれた炎と、その先でグレーテルを襲おうと先端を食虫花の花弁のように広げた蔓が、澄んだ音を立てて凍り付く。
 ――これが、噂に聞いていた菌の森の怪物か……。
 見上げて注視すれば、そこここに蔓が伸びている。全ての蔓が同個体なのか、異なる個体同士が無力化された仲間の様を感じ取ったのか、するすると蜘蛛の子を散らし、逃げていくように去って行った。
 あれらは強酸性の粘液を持ち、骨をも溶かすと言われている。
「ここでは炎は使うな。分かるだろう」
 フィリップの声に、グレーテルは少しの間立ち尽くしていたが、ふいと顔を背けると、露骨に不機嫌そうな足取りで、フィリップを置いて歩き始めた。
 その背中を追いながら、フィリップは深い溜め息をついた。
 ここは『森』だ。ましてや梢に当たる部分は組み合わさっている。一旦火が付けば、どこまで延焼するかも分からない。
 この先に待ち受けるものが、その炎に焼かれてしまうようなことがあっては、元も子もない。
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 しばらく進むと、菌糸の種類が増えてきた。相変わらず空を覆う巨木たちは変わらないものの、下から葦のように生えた背の高い草状のものも増え始めた。
 はじめは魔物かと警戒していたが、ただの草に似た形状に進化した菌の一種のようだった。
 フィリップが大人になってすぐ、世界は一日にして全てを失い、崩壊した。屍者が溢れ、瓦礫に満ちた街を必死で逃げ回るしかなかった。グレーテルと再会したのはそのさなかだった。混乱の中、ふたりでどうにか郊外へと落ち延びた。
 覇王の侵攻によって、人々は絶望に追いやられ、細々と終焉に向かって隠れるように生きていた。社会や国など、あってないようなものだ。今までは動いていた陸路や海路も断たれ、物資の運搬もままならなず、世界的であらゆる資源の流通が絶えた。手元にあるもの、そこで作れるものだけが全てとなり、手近に残されたものを奪い合った。人の行き来が絶えた街道で誰かと会うことがあれば、例外なく襲い掛かってきた。
 そうして、社会が荒廃していくさまを、指をくわえて見ていることがふたりには出来なかった。
 屍術に手を染めたのも、仕様のないことだ。生き延びるため、何よりすべてを取り戻すため、戦うにはそれしか術がなかった。
 元々、フィリップとグレーテルは同じような境遇で育っていた。家庭の経済環境も近く、受けた教育もほぼ同じだ。ふたりは幼年から時間を���にし、大学で同期だった。専攻こそ、フィリップは時空間魔術、グレーテルは精霊術と異なったものの、在学中はお互い知己の仲であった。
 それでもただお互いに見知っていたというだけで、卒業後は疎遠だった。たまたま、覇王侵攻を契機に2人は再び引き合わせられた。それ以降、ふたりで屍者を用い、戦い抜いてきた。
 けれども、それももはや限界を迎えようとしていた。
 使役するための屍体が明らかに不足し始めた。これまで騙し騙し活動を続けてきてはいたが、そう長くは保たないだろう。
 フィリップの専攻は時間遡行――過去へ戻る術だった。彼の前の代にはその基礎理論はすでに出来上がっていた。ただ、そのために必要な魔力は想像を絶するものだった。そして、その消費量は遡行する時間が遠ければ遠いほど、つまり過去を目指すほどに指数関数的に増えると知られていた。
 覇王侵攻後、フィリップはずっと考えていた。今まで研究してきた延長線上で過去に干渉して現在の問題が解決する方法があるのではないか、と。数秒程度の過去遡行は実例が既にあった。ただそれも、必要魔力が少ないから出来た最小規模の実験だった。
 グレーテルと落ち合ってすぐに、彼女はフィリップの専攻を覚えていたため、「過去に戻って世界を変えることは可能だろうか」と真剣な表情で尋ねたことがあった。
 ――どうしてそんなことを?
 ――過去を変えるためです。現状を打破するには、今の努力でカバーできる領域を超えている。
 ――そうか。……現実的には無理だろうな。魔力が圧倒的に足りない。
 フィリップの返答に、グレーテルは怯まず詰める。
 ――魔石を集めたら? 大量の魔石があれば可能ではありませんか?
 ――街作りになるぞ。単に魔石を集めるだけでは意味がない、石から魔力を引き出し、一点に集中する構造にすることを考えたら、ふたりじゃ一生かかりでも無理だ。とても現実味がない。
 グレーテルは少しだけ、考え込む様子を見せた。
 ――神の力を借りるのは? それならば可能では?
 ――そんな量を借りた前例はない、全部寄越せなんて聞き入れられるものか。
 ――なら、死んだ神から奪うのは?
 ――死んだ神の力は死んだその場で霧散する。受肉して顕現した個体なら可能かもしれんが、そんな都合のいいものどこにも残っていないぞ。
 ――でも、仮に受肉して死んだ神の遺骸が現存すれば、できるという事ですか?
 ――まぁ、そうなるが……
 グレーテルと親しい関係であったわけではない。顔見知り程度だ。そんな彼女がはっきりとものを言い、貪欲に食らいついてくる姿は新鮮だったが、同時に恐ろしくもあった。
 ――あなたの言う受肉した神の遺骸は、歴史上、様々な伝承が残っていますよね。
 ――それでも、伝承だろう?
 ――ええ……。ですが、英雄が屠った神を食べ、国を築いた神話もありますし……時間がある時に調べてみます。
 この会話で終わったのだとフィリップは思い込んでいたが、グレーテルはそうではなかった。
 ある日、彼女はいつもは首から下げている眼鏡をかけ、古びて朽ちかけた郊外の図書館で、一冊の本を読んでいた。よもや殺されたのではないかと探し回っていたフィリップは、安心したと同時に隠しようもない苛立ちに襲われた。
 それでも、大きな張り出し窓に腰かけて本を読む姿は、痩せこけた頬さえ見なければ、まるで平和な時代の学生時代のように穏やかだった。
 ――屍者になっていたらと思ったら、読書か。
 ――なんのことですか?
 よっぽど夢中になって読んでいたのか、彼女は驚いたように顔を上げた。
 ――いや、僕が屍者を操っている間に、まさかいなくなっているとは思わなかった。僕の体に戻ってみたら、君がいなかった。どこか行くなら、一言くれないと困る。
 ――ああ、そうですね……すみません。突然思いついて……、あなたの様子も安定していたので、つい抜け出してしまいました。
 ――何を思い出したのかな?
 グレーテルは力強く頷いた。
 ――菌の森を。
 ――菌の森……? って、あの谷間にあるって言う?
 フィリップの問いに、彼女は大きく頷いた。
 ――あの森は古代の神の眠る場所。まさかこんなところに、こんな貴書が紛れていたなんて……結末知れずの闘争記録が数多く残されていました。記されているものも古語です。
 フィリップも書架をあるけば、複数の関連した図書が見つかった。
 ――古語で書かれている歴史書でした。ここにあるものは恐らく本当でしょう。
 ――古き神が眠る……か。
 ――魔力が残されている前提となる、肉の体に宿した後倒された神が幾つか……けれど、あくまで少数でした。
 ――ああ、そうだろうな。古い記録の中でも、特に古いものにしか出てこないヤツだ。
 ――神の顕現には本来肉体は不要で、なにか特別な理由がなければそうされる事もなかった。肉体を持たずに討たれた神は、その内に秘めた魔力ごと消散し何も残らない。仮説ですが、最も古い時代には、神々も顕現する姿を試行錯誤した時期があったのかもしれません。肉体を持って顕現し、そして討たれた後捨て置かれた神など、そのものの記録はなかったのですが……
 これを見て下さい、とグレーテルは古地図を示した。
 ――神を鎮めに旅立った英雄の行方を知る者はいない……、こういう地に、恐らく討たれて倒れた神の遺骸が現存する可能性があります……その場所さえ分かれば……
 ――ん、これは……
 フィリップはすぐさま、いつも持ち歩いている汚れた地図を広げた。古地図を交互に指さす。
 ――ここが、同じく城塞……高地……少し違いがあるが、同じところじゃないか……?
 ――そうです。そして、ここに菌の森。神の遺骸が、ここに……?
 グレーテルの声は興奮して上ずっていた。まだ確定していないものの、どうしても期待が膨らむ。フィリップは大きく頷いた。
 ――行こう。試す価値はある。
 決意は固まった。装備を整えて、ふたりは早速菌の森を目指した。
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 ふたつのガスマスクを通した呼吸音。梢から垂れた菌糸は、まるですだれのように行く手を次々と塞いでいた。それを押しのけた途端、突然視界が開ける。
 フィリップは、はっと息を飲んで足を止めた。
「――……ここだ」
 ふたりで作った地図とほとんど同じ場所に、それはあった。
 死した神の寝床。
 何千年も前に英雄と戦い没したとされる神が横たわっている。
 鯨に似ている。がらんとした空間の中に大きな赤黒い鯨の遺骸が打ち捨てられているように見えた。
 遺骸の周囲にはまるで丁寧に森をえぐったかのように円形の湿った地面が都市の広場ほどの範囲で広がっており、草一本、菌木一本も生えていない。まるでその遺骸が、あらゆるものが近づくことを拒んでいるかのように。
「……うっ……」
 グレーテルは口を抑えてうずくまった。
「大丈夫か?」
「……精霊の気配が……こ、濃すぎる……すみません、少し時間をください……」
 弱々しい声で告げたグレーテルが、額につけていたサークレットを外して、座り込んでしまう。
 やむをえず、フィリップは少し時間を置くことにした。すぐそばに腰かけて、フィリップも死骸を見つめた。生身で、感覚を増強する道具も身につけていないフィリップは、その遺骸から放たれる魔力の迸りを直に感じずに済んだ。
「あれが神の遺骸か? 鯨のように見えるんだが……」
 フィリップは神の遺骸を見ながら首を捻った。
 グレーテルはまだ肩で生きをしていたが、答える余裕は出てきていた。
「あなたは鯨を見たことが?」
「祖父は漁師で、幼い頃に鯨を見たことがある」
 グレーテルは雑談には反応せず、死した神の遺骸に歩み寄っていった。
 肉の大部分が朽ち落ち、元の形は分からない。骨の先から先までの距離から、巨鯨ほどの大きさの存在だったと察することが出来るだけだ。
 フィリップも近づいて見れば、それは明らかに鯨とは異なる特徴を有していた。抱え込まれた両の腕と太ももと思しき4本の節が見て取れる。
「……人か?」
「当然人ではありません。ただ、極めて人に近い形をした、大型の何か……でしょうね。人を象って顕現したのでしょうか」
 グレーテルは微かに首を傾げていた。
 よくよく見ると、手足や頭部の形は残っている。ひとつひとつの大きさが人間と比べ物にならないくらい巨大だ。横向きに膝を抱えるような形で倒れていたため、残った部分がひとかたまりにまとまって丸々とした肉塊に見え、遠目から横たわった鯨に見えたのだ。
 グレーテルは躊躇いなく、その肉片に触れた。
「お、おい! 触れて大丈夫なのか?」
「触れないと確認できないでしょう。いまさら躊躇しても仕方ないじゃないですか。」
「それは、そうだが……」
 彼女は表情を変えることなく、手袋���したまま肉片をつまみ上げ、背負った鞄から留め金を外して手にとったモノクルを通してまじまじと観察した。流石にフィリップはまねる気にはなれず、顔を背け代わりに周囲の森を見渡していた。
 屍術師として屍体を扱うことには慣れたが、それを当然望んでいるわけもない。ましてや、死した神の肉片なぞ、触れて何が起きるとも知れぬものを、掴む気も起きなかった。
「……やはり。山羊と、おそらくは牛の混合……生贄を触媒に受肉されたものですね」
「数千年も前のものが?それだけ経っててわかるものなのか?」
「受肉した神の記録は数は少ないですが、それを食したものが不滅を得たという伝説は幾つか聞きます。残された肉そのものが不滅だとしても、不思議はないでしょうね」
「まぁ、山羊と牛のミンチなら、味は良さそうだな」
「その冗談は面白くありません」
「はは、誰が食べるものか。触るのもお断りだ」
 フィリップは肩を竦める。
 ガスマスクをしているから、臭いは分からない。
 蠅もたかりもせず、数千年を経ても微生物に分解されている様子もなかった。
「ここで朽ちていっていたということは、この神はひとりで死んだのか?」
「いえ、この辺りの骨が折れています。きっと英雄と戦い、敗れたのでしょう」
 グレーテルが示すあたりをしかめ面しながら片目で見やる。左脛と思しき位置の骨が、粉々に粉砕していた。これほどの打撃を神に与える英雄とは…。想像が出来ない。あるいは、Buriedbornesの術を介するならば、可能だろうか。ふと、古の時代からBuriedbornesの術は扱われていたのではないか、という妄想にも似た想像が浮かんだ。
「英雄や魔物は神から力を奪う……けれど、この肉体だけが残ったということは、この谷間には元々、遺骸を喰らえるような肉食の魔物や獣がいなかったのでしょう。当の英雄は、恐らく相討ちに」
「その英雄はどこだ?」
 グレーテルが指をさす。その先を見れば、遺骸を中心とした空間の縁に、ボロボロに朽ちた剣の柄らしきものだけが落ちていた。刃は完全に失われて、金の装飾部分だけが、堆積物をかぶりながらも劣化せず残っているようだ。
 受肉した神の肉体が持つ不滅性が証明されたと言える。あまりにも長い時間を経て、相対した英雄の遺体がほとんど朽ちて消え去った後も、まだこうして肉体を残していたことになる。
 木々や草花は育たず、陽の当たらない崖の下で、菌糸類だけがその溢れ出す力の恩恵を受けて菌だけの森を成した。もとより人が住めるような場所ではなかったのだから、手を付けられることもなく歳月が過ぎた事に、疑問の余地はない。
「ここに人間が来たのは、どれくらいぶりなのか」
「……はじめてかもしれませんね。このふたりの他では、はじめての訪問者なのでは? 英雄自身も、はたして人間だったかどうか……」
「好都合だな。予定通りいけそうだ」
「ええ、準備は大丈夫ですか?」
「ああ」
「魔力の計測もそろそろ終わりそうです。正式な数値はまだですが、現時点で必要な魔力を越えています」
 グレーテルは研究者らしく、目を輝かせて頷いた。フィリップも頷き返す。
「ここまで近づけば、肌で分かるレベルだな。この魔力量なら、想定通り飛べそうだ」
「ええ、そうですね」
 人生でも目にしたことがないほどの、内包された計り知れないほどの魔力量。これほどの力を使うことができれば、確実に過去へ戻ることが可能だろう。
「あーあ。どうせなら、覇王が生まれた頃まで戻って子供のうちに縊り殺せたら、もっと楽なんじゃないかな?」
「…この遺骸と同じものを数万体ご用意する気力がおありなら、どうぞ。一緒に試算したでしょうに…」
 時間は巻き戻せる。
 有限でも確実でもないが、方法論は確立している。フィリップはそれを扱える。ただ、この世には魔力が絶対的に足りない。
「この遺骸があってこそ、可能になった、それでも、たったの50年か……。だが、その時期であれば屍体も多く集まるだろう。今ではもうお目にかかれないような、名だたる英雄の屍体も手に入るかもしれない。その力で覇王を討ち、人間が人間として生きる時間が取り戻せるはずだ」
「ええ。失敗は許されません」
「もし失敗したら、どうする?」
「……そうですね、残された戦力で、覇王相手にはもう勝ち目はないでしょう。手詰まりです。未来に可能性を残すために、あなたと子でも為しましょうか」
「その冗談は面白いよ」
 フィリップが笑うと、グレーテルは不満そうに眉を寄せた。
「人間らしい生活を、社会を……取り戻さねば。国や都市が機能し、人々は安全に暮らす、学府にも人がいて、積み重ねられたものが未来に残されていくような……そういったものが、この世界には必要です」
「ああ、その通りだ」
「もし私達に覇王を打破できなければ、より可能性の乏しい後世にすべてを託すしかない。可能性は狭まるばかり。それだけは避けなければ」
「そうならないように、今、やれるだけの事はやろう」
 フィリップは杖を荷物から引き抜いた。
「さ、そろそろ行こうか」
 戻る場所はたった50年。それでも十分だ。
 人類の未来のため、有意義に使わなければ。
 フィリップは杖を握る手に力を込めた。思い切り、遺骸に杖の先を突き立てた。肉を貫く感触は、遺骸というのに生々しくぶにぶにと柔らかかった。
 杖を差した部分から、光がふわりと零れたと思えば、光の筋が一気に杖を通過し、瞬く間に杖全体が発光する。両手で握っているのに、杖のもたらす衝撃に体が吹き飛ばされそうになる。
 杖を中心に、魔力の奔流が竜巻のように徐々に渦を巻き、菌の梢も揺れ、森を包んでいたすべての音が遠ざかって行く。凄まじい轟音が響き、杖自身が悲鳴を上げる。悪路の馬車に乗せたように大きく揺れ振動し、弾け飛ぼうとする。必死でフィリップは縋りついた。
 グレーテルは風の中、近くの木にしがみついてフィリップを見守っていた。その表情は落ち着いている。彼女ならば、過去から送り込まれた屍体もきちんと回収し管理してくれるだろう。彼女のような人間に背中を任せられる自分は、こんな時代において、幸せ者ではなかろうかと時々思うが、今はその気持ちが特に強い。
「世界を、救わなくては……!」
 遂に杖は、内側からの力に負けるようにたわんだ。咄嗟に手で押さえたが、その瞬間、ガラスのように砕けて、真っ二つに折れた。
 そして、世界が揺らいだ。
「フィリップ、お気をつけて」
 何も見えない光の中で、グレーテルの最後の言葉は、しっかりと聞こえていた。
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~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
旧き世に禍いあれ(2) - "ブラストフォート城塞" 
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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2ttf · 13 years ago
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see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
6 notes · View notes
kkagneta2 · 6 years ago
Text
Tカップ幼馴染
完全に自家発電用。
「128.3センチ、………どうして、どうしてなの。………」
するすると、その豊かすぎるほどに膨らんだおっぱいから巻き尺の帯が落ちて、はらりと床に散らばる。
「どうして、昨日から変わっていないの。……何が私に足りないの。………」
と言いつつ、顔よりも大きくなってしまったおっぱいを揉んだが、触り心地は昨日と、一昨日と、一昨々日と何も変わらない。柔らかく、ハリがあって物凄く気持ちが良い、――気分としてはバスケットボール大の水風船を揉んでいるような感じか。
「だったらまだ、……まだTカップ、………」
床に散乱した巻き尺を跨ぎ越して、ベッドの傍まで行って、二つ並んだ白いブラジャーのうち左手にある方を取り、顔の前で広げて、バサバサと振る。片方のカップですら顔をすっぽりと包むブラジャーには、U65という英数字が太文字で刻まれているけれども、アンダーバストが悲しいかな、70センチ弱ある紀咲(きさき)にとっては、かなり無理をしないとサイドベルトが通らない。恨めしくタグを見つめても、カップ数もアンダーバストも負けた事実は変わらず、ため息をついてベッドの上へ投げ捨てると、右手にあったブラジャーを手に取る。そのブラジャーのタグにはV65という字が印刷されているのであるが、全く擦り切れておらず、広げて全体を見てみても、どこもほつれていないし、どこも傷んでなどいない。ただ四段あるホックのみが軽く歪んで、以前の持ち主が居たことを示している。
「あいつ、もしかして寝ている時に着ていたのか」
――もしくはこのブラジャーを着けて激しく運動したか。けれども、Vカップにもなるおっぱいを引っ提げて運動など、どれだけ頼まれてもしたくないことは、Tカップの今ですら階段を駆け下りたくない自分を見ていたらすぐに分かる、況してやあの鈍くさい女がそう簡単に走るものか。昔から急げと言ってもゆっくりと歩いて、なのにすぐ息を切らすのである。羨ましいことに、初(はじめ)が着替えるのを手伝っているらしいのだけれども、彼がこんな高価な物をぞんざいに扱う訳も無いから、この歪んだホックはきっと、寝ている間ににすーっと膨らんでいくおっぱいに耐えきれなかった事実を物語っているのであろうが、未だに信じられぬ。およそこの世のどこに、一晩でVカップのブラジャーをひしゃげさせるほどおっぱいが大きくなる女性が居るのであろうか。しかもそれが、まだあどけない顔をしていた中学二年生の女の子だと、どう言えば信じてくれるのか。可愛い顔をしているのに、その胸元を見てみると、大人の女性を遥かに超えるビーチボールみたいなおっぱいで制服にはブラの跡が浮かび上がっているし、目障りなほどにたぷんたぷんと揺れ動いているし、しかもあいつはその揺れを抑えようと腕で抱え込むものだから、いつだってぐにゃりと艶かしく形が変わっているのである。それだけでもムカッとくるというのに、あいつはあの頃そんな速度でおっぱいを成長させていたのか。紀咲は、どこかバカにされたような気がして、〝あいつ〟が中学生の頃に着けていたVカップの大きな大きなブラジャーをベッドに叩きつけると、クシャクシャになって広がっているUカップのブラジャーを再び手に取って、そのカップを自分のTカップのおっぱいに軽く合わせながら、勉強机の横に置いてある姿見の前に向かう。
鏡に映し出されたのは上半身裸の、付くべきところにほどよく肉のついた、――もちろんおっぱいはTカップなのだから極端ではあるけれども、腰はくびれているし、お尻はふっくらと大きいし、日頃の食生活のおかげで自分でも中々のスタイルなのではないかと思っている、高校3年生の女の子。紀咲はストラップに腕を片方ずつ通し通しして、後髪をかき上げると、今一度カップにきちんとおっぱいを宛てがい少し前傾姿勢へ。Tカップのおっぱいはそれほど垂れてないとは言え、やはりその重さからすとんと、雫のような形で垂れ下がり、ブラジャーを少しだけずり落としたが、あまり気にせずにストラップを、ぐいっと引き上げ肩に乗せる。本来ならばこの時点で、ブラジャーのワイヤーとバージスラインを合わせなければいけないのだけれども、Tカップともなるとどうしても、おっぱいに引っ張られてカップが沈んでしまうので、その工程を飛ばしてサイドベルトを手の平に受ける。するりと背中へ持っていき、キュッと力を入れて左右のホックの部分を合わせ、腕の攣るのに気をつけながら何とかして金具を繋ぎ止める。――このときが一番恨めしい。………女子中学生におっぱいのサイズで負け、アンダーバストで負けたことは先にも言ったとおりだが、その事をはっきりと自覚させられるのはこの時なのである。
ホックが全部繋がるまでには結構な時間がかかるから、彼女がこのUカップのブラジャーを手に入れた経緯を説明することにしよう。元々の持ち主は紀咲の幼馴染である初の、その妹であり、彼女が〝あいつ〟と呼んでいる、今年高校生になったばかりの、いつもおずおずと兄の後ろを一歩下がってついていく、――莉々香(りりか)と言う名の少女。両者についてはこの先登場するから説明はしないが、ある日莉々香とたまたま帰り道が一緒になった紀咲は、隣で揺れ動いている股下まで大きく膨らんだ塊を目の隅に留めつつ、特に話すこともなく歩いていたところ、突然、姉さん、と呼び止められる。なに? と素っ気なく返事をすると、あの、……ブラジャー間に合ってますか、たしか姉さんくらいの大きさから全然売ってなかったような気がして、……昔私が使っていたので良ければ差し上げます。あっ、でも、どれも一回くらいしか着けてないから綺麗ですよ、それに買ったけど結局使わなかったのもありますし、――と莉々香が言う。確かにその頃紀咲のおっぱいは、努力の甲斐もあってPカップに上がろうかというくらいの大きさになっていたのであるが、よく行くランジェリーショップで、PはまだありますがQカップになりますと、アンダーを大きくするか、オーダーメイドになるか、……今私共の方で新たなブランドを探しておりますが、もし運良く見つかっても海外製ですからかなり高く付きます、――などと言われて弱っていたところだったので、二つ返事で承諾すると早速家に招かれ、珍しく初の部屋を素通りして莉々香の部屋へ入る。彼女のことは生まれた時から知っているけれども、そういえばここ5年間くらいは部屋に入ったことがない。昔と同じように綺麗なのかなと思って見渡すと、案の定整理整頓が行き届いている。けれども机の上の鉛筆すら綺麗に並び揃えられている有様には、莉々香の異常さを感じずにはいられず、鞄を置くのさえ躊躇われてしまい、ドアの前で突っ立っていると、どうぞどうぞと、猫やら熊やら犬やらクジラやら、……そういう動物のぬいぐるみが、これまたきっかり背の順に並び揃えられたベッドの上に座るよう促される。莉々香はあの巨大なおっぱいを壁にめり込ませながらクローゼットの中を漁っていたのだが、しばらくかかりそうだったので、すぐ側にあった猫のぬいぐるみを撫でつつ待っていると、やがて両手いっぱいにブラジャーを抱えてやって来る。プラプラと垂れているストラップは、幅が2センチくらいのもあれば5センチくらいあるものもあって、一体どれだけ持って帰らせようとしているのかと思ったものの、気になったのはその色。とにかく白い。初からオーダーメイドのブラジャーを買っているとは聞いていたから、こっそり色んな色のブラジャーがあるのだと決めつけていた紀咲は、がっかりとした目で自分の真横にドサッ、と置かれた白い布を見る。どうでしょう、姉さんのおっぱいがどれだけ大きくなるか分からないから、とりあえず私が1、2年生の頃にしていたブラジャーを持ってきましたが、ちょっと多すぎ、……かな? 下にあるのは結構大きめのなので、ちょっと片付けてきますね。たぶんこの一番上の小さいのが、……あ、ほら、Qカップだからきっとこの塊の中に、姉さんのおっぱいに合うブラジャーがきっとありますよ。と嬉しそうに言って、下の方にあるブランケットのような布地を再びクローゼットに持って行ったのであるが、その何気ない言葉と行動がどれほど心をえぐったか。紀咲は今すぐにでも部屋を飛び出したい気持ちをグッと抑えて、上半分にあった〝小さめ〟のブラジャーを一つ手にとって広げてみたが、それでも明らかに自分のおっぱいには大きい、……大きすぎる。タグを見ると、Y65とある。おかしくなって思わず笑みが溢れる。……一体この世に何人、Yカップのブラジャーをサイズが合うからと言う理由で持ち帰れる女性が居るといういうのか。まだ莉々香がクローゼットに顔を突っ込んでいるのを確認してYカップのブラジャーを放り投げ、もう一つ下のブラジャーを手に取って広げてみる。さっきよりは小さいがそれでも自分のおっぱいには絶対に合わぬから、タグを見てみるとV65とある。今度は笑みさえ浮かべられない。……どんな食生活を送れば中学生でVカップが小さいと言えるのであろう、あゝ、もう嫌だ。これ以上このブラの山を漁りたくない。でも一枚くらいは持って帰らないと彼女に悪い気がする。―――と、そんな感じで心が折りつつ自分の胸に合うブラジャーを探していたのであるが、結局その日持って帰れそうだったのは一番最初に莉々香が手にしたQカップのブラジャーのみ。もうさっさと帰って今日は好きなだけ泣こうと思い、そのQカップのブラジャーを鞄にしまいこんで立ち上がったところ、ひどく申し訳無さそうな顔をした莉々香がトドメと言わんばかりに、あ、あの、……今は奥の方にあるから取れないんですけど、小学生の頃に着けてたもう少し小さめのブラジャーを今度持っていきましょうか? と言ってくるのでその瞬間、――華奢な肩に手をかけてしまっていたが、胸の内に沸き起こる感情をなんとか抑えようと一つ息をつき、ちょっと意地になって、けれども今気がついたように、よく考えればこれから大きくなるかもしれないんだし、もうちょっと大きめのブラジャーももらっていい? と、やっぱり耐えきれずに涙声で言ってもらってきたのが、今彼女がホックを全てつけ終わったこのUカップのブラジャーなのである。
「くっ、ふっ、……」
前傾姿勢から背筋を伸ばした体勢に戻った紀咲は、胸下を締め付けてくるワイヤーに苦しそうな息を漏らしてしまう。ホックを延長するアジャスターがあることは知っているけれども、もうそんな屈辱はこのブラジャーを着けるだけで十分である。ストラップを浮かせて、おっぱいを脇から中央へ寄せている間も、ブラジャーの締め付けで息は苦しいし、肌はツンと痒くなってくるし、けれどもあんまりお金の無い紀咲の家庭では、オーダーメイドのブラジャーなんてそう何回も作れるようなものではないから、屈辱的でもあの女が中学生の頃に着けていたブラジャーで我慢しなくてはならぬ。
紀咲はブラジャーを着け終わると、姿見にもう一歩近づいて、自分の胸元を鏡に写し込む。見たところTカップのおっぱいは、溢れること無くすっぽりとU65のブラジャーに収まって、恐らく男子たちにとってはたまらない谷間が、クレバスのように深い闇を作っている。ちょっと心配になって、ふるふると揺らしてみると、ブラジャーからは悲鳴が上がったが、溢れること無くちゃんとおっぱいの動きに付いてきたので、これなら今日一日どんなに初に振り回されようとも、大丈夫であろう。紀咲はブラジャーの模様である花の刺繍を感じつつ深い息をつくと、下着姿のまま今度は机の前へ向かい、怪しげな英文の書かれたプラスチックの容器を手にとって見つめる。毎日欠かさず一回2錠を朝と夜に飲む習慣は、初と二人きりで遊ぶときも決して欠かさない。パカっと蓋を開いて真っ赤な錠剤を、指でつまみ上げる。別に匂いや味なんてないけれども、その毒々しい色が嫌で何となく息を止めて、口の奥へ放り込み、すぐ水で喉に流し込む。――膨乳薬と自称しているその薬を小学生の頃から愛飲しているために、ほんとうにおっぱいを大きくする効果があるのかどうか分からないが、世の中にTカップにまで育った女性は全く居ないから、たぶん本物の膨乳薬であろう。親に見つからないように買わないといけないし、薬自体結構な値段のするのに加えて、海外からわざわざ空輸してくるから送料もバカにならず、校則で禁止されているバイトをしないといけないから、毎日朝夕合計4錠飲むのも大変ではあるけれども、膨乳の効果が本物である以上頼らざるは得ない。依存と言えば依存である。だがやめられない。彼女には莉々香という全く勝ち目の無い恋敵が居るのだから。……
元々大きな胸というものに憧れていたのに加えて、初恋の相手が大の巨乳好きとあらば、怪しい薬を買うほど必死で育乳をし始めたのも納得して頂けるであろう。胸をマッサージし始めたのは小学4年生くらいからだし、食生活を心がけて運動もきっちりとこなすのもずっと昔からだし、意味がないと知っていても牛乳をたくさん飲むし、キャベツもたくさん食べるし、時には母親や叔母の壁のような胸元を見て絶望することもあったけれど、いつも自分を奮い立たせて前を見てきたのである。そんな努力があったからこそ彼女はTカップなどという、普通の女性ではそうそう辿り着けないおっぱいを持っているのだが、それをあざ笑うかのようにあっさりと追い越していったのは、妹の莉々香で。昔は紀咲のおっぱいを見て、やたら羨ましがって、自分のぺったんこなおっぱいを虚しい目で見ていたというのに、小学6年生の秋ごろから急に胸元がふっくらしてきたかと思いきや、二ヶ月やそこらで当時Iカップだった紀咲を追い抜き、小学生を卒業する頃にはQカップだかRカップだかにまで成長をしていたらしい。その後も爆発的な成長を遂げていることは、先のブラジャー談義の際に、Yカップのブラが小さいと言ったことから何となく想像して頂けよう。紀咲はそんな莉々香のおっぱいを見て、さすがに大きすぎて気持ち悪い、私はそこまでは要らないや、……と思ったけれども、初の妹を見つめる目を見ていると、そうも言ってられなかった、――あの男はあろうことか、実の妹のバカでかいおっぱいを見て興奮していたのである。しかも年々ひどくなっていくのである。今では紀咲と莉々香が並んで立っていると、初の目はずっと莉々香のおっぱいに釘付けである。おっぱいで気持ちよくさせてあげている間もギュッと目を瞑って、魅惑的なはずの紀咲の谷間を見てくれないのである。以前は手を広げて「おいで」と言うとがっついてきたのに、今では片手で仕方なしに揉むだけなのである。……
胸の成長期もそろそろ終わろうかと言う今日このごろ、膨乳薬のケースにAttention!! と黄色背景に黒文字で書かれている事を実行するかどうか、いまだ決心の付かない紀咲は薬を机の引き出しの奥の奥にしまい込んでから、コップに残っていた水を雑にコクコクと飲み干して、衣装ケースからいくつか服を取り出し始める。今週末は暇だからどこか行こう、ちょっと距離があるけど大久野島とかどうよ、昔家族で行った時には俺も莉々香もすごい数のうさぎに囲まれてな、ビニール袋いっぱいに人参スティックを詰めてたんだけど、一瞬で無くなって、………と、先日そんな風に初から誘われたので、今日はいわゆるデートというやつなのであるが、何を着ていこうかしらん? Tカップともなれば似合う服などかなり限られてしまうから、そんなに選択肢は無い。それに似合っていても、胸があまり目立つとまた知らないおじさんにねっとりとした目で見られてしまうから、結局は地味な装いになってしまう。彼女の顔立ちはどちらかと言えば各々のパーツがはっきりとしていて、ほんとうは派手に着飾る方が魅力的に映るのであるが、こればかりは仕方のないことである。以前彼に可愛いと言われたベージュ色のブラウスを取って、姿見の前で合わせてみる。丈があまり気味だが問題は無い、一年くらい前であれば体にぴったりな服でもおっぱいが入ったのであるが、Tカップの今ではひょんなことで破れそうで仕方がないし、それに丈がある程度無いと胸に布地を取られてお腹が見えてしまうから、今では一段か二段くらい大きめのサイズを買わなくてはならない。ただ、そういう大きなそういう大きなサイズの服を身につけると必ず、ただでさえ大きなおっぱいで太って見えるシルエットが、着ぶくれしたようにさらにふっくらしてしまう。半袖ならばキュッと引き締まった二の腕を見せつけることで、ある程度は線の細さを主張することはできるけれども、元来下半身に肉が付きやすいらしい彼女の体質では、長袖だと足首くらいしか自信のある箇所が無い。はぁ、……とため息をついて、一応の組み合わせに袖を通して、鏡に映る自分の姿を見ると、……やっぱり着ぶくれしてしまっている。どんなに胸が大きくなろうとも、決してそのほっそりとした体のラインを崩すことのないあいつに比べて、なんてみっともない姿なのだろう、これが薬に頼って胸を大きくした者の末路なのだろうか。
「私の努力って何だったんだろうな。……」
と床に落ちていてそのままだった巻き尺を片付ける紀咲の目元は、涙で���れていた。
それから15分くらいして初の家の門をくぐった紀咲は、どういう運命だったのか、莉々香の部屋の前で渋い顔をしながら、またもやため息をつく。
「勉強って言っても、私よりあいつの方が頭良いんだから、教える必要なんてないでしょ。……」
ともう一度ため息をついてドアノブに手をかける。約束の時間に部屋に赴いたというのに、初はまだ着替えてすらおらず、ごめんごめん、今から着替えるから、暇だったら莉々香にあれこれ教えてやってくれ。今たぶん勉強しているから、と言われて部屋から追い出されたのであるが、昔から英才教育を受けてきた莉々香に教えられることは何も無い。むしろ今度の定期試験を乗り越えるためにこちらが教えてもらいたいくらいである。紀咲はいまいち初の意図が分からない時が多々あるけれども、さっきの一言はようよう考えても結論が出ないから、ただ単に莉々香と話をしていてくれと、そういう思いで言ったのだろうと解釈して、ガチャリと扉を開ける。相変わらずきっちりと無駄なく家具の置かれた、整理整頓されすぎて虚しささえ感じる部屋である、昔と変わっているのはベッドの上にあるぬいぐるみが増えたことくらいか。莉々香はその部屋の中央部分にちゃぶ台を置いて、自身の体よりも大きくなってしまったおっぱいが邪魔にならないよう体を横向きにして、紀咲が部屋に入ってきたことにも気づかないくらい熱心に、鉛筆を動かしている。覗いてみると、英語で何やら書いているようだが、何なのかは分からない。――とそこで、ノートに影が落ちたのに気がついたのか、ハッとなって、
「姉さん! 入ってきたなら言ってくださいよ」
と鉛筆を机の上にそっと置くと、立ち上がろうとする。
「あっ、いいっていいって。そのままで」
それを制しながら紀咲はちゃぶ台の対面に座って、ニコニコと嬉しそうな表情を浮かべる憎き恋敵と相対する。だがどんなに憎くとも、その巨大なおっぱいを一目見ると同情心が湧いてくるもので、片方だけでも100キロは超えているらしいその塊を持ちながら立たせるなんて、どんな鬼でも出来ないであろう。莉々香のおっぱいには簡単に毛布がかけられているのであるが、それがまた何とも言えない哀愁を誘っていて、紀咲もこの時ばかりは目の前の可愛らしい笑みが、少しばかり儚く見えてしまうのである。
「やっぱり、もう椅子には座れない?」
「そう、……ですね。椅子に座ると床に着くから、楽といえば楽なんですけど、それでも重くて。………」
「今バストは何センチになったの?」
「えっと、……ここ一週間くらい測ってないから正確じゃないけど、先週の木曜日で374センチでした」
「さ、さんびゃく、……」
果たしてその数字が女性のバストサイズだと分かる人は居るのであろうか。
「姉さんは?」
「128センチのTカップ。やっと中学生のころのあんたに追いついたわ」
どこか馬鹿にされた心地がしたので、ちょっとだけぶっきらぼうに言う。
「いいなぁ。……私のおっぱいも、そのくらいで止まってくれると嬉しかったんですけどね。……」
あれ? と思うと先程感じていた同情心がどんどん消えていく。莉々香は恐らく、本音として紀咲のおっぱいを羨ましがっているけれども、やはり馬鹿にされている気がしてならない。
「あ、もしかして今私のブラジャーを着けてますか? 前、アンダーが合わないって言ってましたけど、延長ホック? っていうのがあるらしくて、それ使うといいかもしれません」
と、知っていることをどこか上から目線で言われて、カチンと来る。そういえば、いつからだったか、おっぱいのことに関してはすっかり先輩の立場で、莉々香は紀咲に色々とアドバイスをするのである。
「……知ってる。………」
――だから、余計にイラつかせられるのである。
「姉さん?」
「知ってるって言ってるの。なに? いつの間に私に物を言う立場になったの?」
「ね、姉さ、――」
「そんな化物みたいなおっぱいが、そんなに偉いって言うの? ねえ、答えてよ」
「化物だなんて、……姉さん落ち着いて」
「落ち着いてなんていられるかっての。今もあんたのブラジャーが私を締め付けてるの、分かる? この気持。中学生の女子におっぱいで負けるこの気持。世界で一番大きいおっぱいを持つあんたには分からないでしょうね。………」
この女の前では絶対に泣かないつもりであったが、今まで誰にも打つけられなかった思いを吐き出していると、一度溢れた涙は止めどもなく頬を伝って��く。
「何よ何よ。私がどれだけ努力しているのか知らずに、いつも見せつけるようにおっぱいを強調して、そうやって毎日あの変態を誑かしてるんでしょう? ――どうして、どうしてあんただけそんなに恵まれてるのよ。どうして。………」
とそこで、ぐす……、という鼻をすする音がしたので、そっと涙を拭って前を向くと、莉々香は机の上で握りこぶしを震えさせながら俯いている。ゆっくりと顔が上がって、すーっとした涙の跡が陽の光に照らされる。
「私だって、………私だって紀咲姉さんの事が羨ましい。ほんとうに羨ましい」
「………」
「Tカップって、まだ常識的な大きさだし、着る服はあるし、姉さんは私のお下がりのブラジャーを使ってますけど、ちゃんと売ってますから、ちゃんと市販されてますから。……私のブラジャーが一着いくらするか知ってますか? 8万円ですよ、8万円。ブラジャー一個作るのに10万円近く取られるんですよ。……ほんとうに姉さんくらいの小さなおっぱいが良かった。ほんとうに、ほんとうに、………」
「りり、……」
「いえ、姉さんが羨ましいのはそれだけじゃないです。どれだけ胸が大きくなっても兄さんは振り向いてくれないんですもの。……」
「えっ?」
「もう何回もチャレンジしましたよ。兄さんを押し倒して、姉さんみたいにおっぱいで気持ちよくさせようと。……けど駄目でした。どうしてなんでしょうね。私だったら体ごとおちんちんを挟んであげられるのに、体全体をおっぱいで包んであげられるのに、兄さんは手すらおっぱいに触れずに『紀咲、紀咲』って言って逃げちゃうの。……」
初のことだから、もうすでに欲望に負けてそういう行為をしていると思っていた紀咲は、驚いて彼の部屋の方を向く。
「だから、意味がなかった。意味が無かったんです、――」
と莉々香は体を捻って手を伸ばして、本棚の一番下の段から手にしたのは紀咲もよく知っている、怪しげな英文の書かれたプラスチックの容器。
「小学生の頃からこれを飲み続けてきた意味が無かったんです。……」
「りりもそれ飲んでたの」
そういえば昔、どうしてそんなに大きくなるんですか、と聞かれた時に一回だけ見せびらかしたことがある。
「ええ、……でもね姉さん、私の場合違うの。兄さんが、……えっと、そういう女性を好きなのは分かっていましたから、こう、……手の平にがさっと適当に出して、お水で無理やり飲んでました」
「それ一体一回何錠くらい、……」
「15錠くらいだったような気がします。駄目ですよね、注意書きにも駄目って書いてますし」
容器のAttention と書かれた下には、〝必ず一日4錠を超えてはならない〟と一番上に太文字であるから、莉々香は4日分をたった一回で飲んでいたということになる。そういうことだったのか。………
「でもどんどん大きくなっていくおっぱいが嬉しくって、最終的に一週間も経たずに一瓶開けるようになって、……最後は兄さんが救ってくれたんですけど、飲んでないのに、おっぱい大きくなるの止まらなくて、………もう着る服なんて無いのに、おっぱいは重くて動けないのに、でも全然止まる気配がなくて、………紀咲姉さん、私どうしたらいいんだろう」
と、さめざめと泣き出したのであるが、どうしたらいいのかなんて紀咲には全然分からず、ただ気休めな言葉を投げかけていると、しばらくして初がやって来たので、せめてこの哀れな少女の気を少しでも晴らそうと、その日は3人で日が暮れるまで淫らな行為をし続けたのである。
 (おわり)
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xf-2 · 6 years ago
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(注)、これは、本編となる別途作成予定ファイルの資料編です。1952年5月1日のメーデー事件から50年以上経った現在も、人民広場における戦闘状況、その前後の様子は、「藪の中」にあります。このファイルは、その真実解明のための第一次資料7篇と解説です。添付地図は4枚とも、『メーデー事件裁判闘争史』にあります。写真9枚は、『昭和史14』(毎日新聞社、1984年、絶版)、『グラフィック昭和史11』(研秀出版、1960年、絶版)、『メーデー事件写真集』(メーデー事件被告団、1967年、絶版)からの複写です。
 〔目次〕
   1、解説(宮地)
       1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
       2、資料編題名『広場における戦闘』 人民広場地図
       3、広場の七人が語る〔真相〕
   2、資料編
     〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
     〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
     〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
     〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
     〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
     〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
     〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
             丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
 (関連ファイル)               健一MENUに戻る
    『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
    『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
    滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
    THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
    石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
    れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
    吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
    藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
    大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
    由井誓  『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
    脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
    増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
    中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
          (添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
    八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
 1、解説(宮地)
 〔小目次〕
   1、芥川竜之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
   2、資料編題名『広場における戦闘』
   3、広場の七人が語る〔真相〕
 1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
 この小説と、それを原作とした映画は、平安の乱世、都に近い山科の藪の中で、旅の武士が殺された事件をめぐるストーリーです。そして、その経過をめぐって、7人または4人が、それぞれの視点で語る〔真相〕をそのまま描いて、結論を出さないというユニークな構成になっています。
 『藪の中』の7人が語る〔真相〕 登場人物は、木樵り(きこり)、旅法師、放免、媼(おうな)、多襄丸(たじょうまる)の白状、清水寺に来れる女の懺悔、巫女の口を借りたる死霊です。
 『羅生門』の4人が語る〔真相〕 映画のシナリオは、それらを、多襄丸(三船敏郎)、真砂(京マチ子)、巫女の口を借りた武士(森雅之)、杣売り(そまうり、志村喬)に絞っています
 いずれも、一つの事件について、関係者めいめいが主張する〔真相〕通りに、繰り返し描いています。しかし、かんじんなところでは、全員が食い違っています。人間、誰でも自分をかばうエゴイズムから、どこかで嘘をつき、結局、真実はわかりません。私(宮地)は、気に入った映画を繰り返し観るのがくせで、一番多いのは、エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』の7回ですが、『羅生門』も5回観ました。黒澤明のダイナミックな演出や、宮川一夫の微妙な光と影を写し撮る撮影技術には、その都度引き込まれます。
 1952年5月1日、サンフランシスコ講和条約発効から3日目、米軍占領終結後初の首都メーデー中央集会が、神宮外苑で開かれました。そこから5つのコースでデモ隊が出発しました。そのうち、日比谷公園で流れ解散する予定の中部・南部コースのデモ隊が、人民広場と呼ばれる皇居前広場に入りました。その広場で起きた事件が、メーデー事件です。
 このメーデー事件の〔真相〕については、数百の記事、証言が語ってきました。このファイルは、資料編と解説であり、広場の7人が語る〔真相1~7〕を、結論を出さずに提出します。
 2、資料編題名『広場における戦闘』
 ただ、資料7篇とはいえ、それらの資料選択をした私(宮地)の価値判断をまったく出さずにおくわけにもいかないので、ここに、本編の骨子一部のみを書きます。この内容は、メーデー事件の全体像・真実を描くんだとする、大それた意図に基づくものではなく、私が50年後に主張する〔真相8〕に該当します。私自身を、『藪の中』の8人目として登場させるわけです。その視点は、ソ連崩壊後に発掘された朝鮮戦争をめぐるスターリン・毛沢東・金日成らの膨大な秘密暗号電報・公文書(アルヒーフ)データや、50年間で判明してきた後方基地武力かく乱戦争行動実態資料から、メーデー事件を、ソ連共産党・中国共産党の朝鮮戦争参戦軍事命令に完全従属していた日本共産党の広場突入軍事行動という一側面から捉え直すことです。ソ中両党の思惑とアメリカ「軍」・GHQの動向とを合わせて、国際的視野から、メーデー事件を位置づけることです。その詳細は、本編で分析します。
 それを分析する上で、まず、メーデー・吹田・大須事件などの武装闘争を実践した主体は、徳田・野坂分派という分裂した共産党の一部なのか、それとも、“統一回復”をした日本共産党そのものなのかを、明確にしておく必要があります。1951年10月初旬、宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」との裁定に屈服しました。国際派とは、スターリン直筆の「コミンフォルム批判」の即時無条件受諾=暴力革命路線への転換と武装闘争即時遂行を強烈に主張したスターリン盲従派だったのです。その国際的隷従体質が、国際派と呼ばれる所以(ゆえん)です。なかでも、宮本顕治のスターリン盲従・崇拝度は、あまりにも極端だったので、中央委員の80%、専従の70%、党員の90%が、彼に反発を抱き、国際派は、まったくの少数分派に転落していました。スターリンは、日本共産党を朝鮮戦争に参戦させ、後方基地武力かく乱戦争行動を展開させるために、もっとも熱烈に自分を信奉してくれている“愛すべき”宮本顕治ら10%少数派を切り捨て、ソ連NKVDスパイ野坂参三と徳田球一らの主流派に軍配を上げたのです。
 スターリン崇拝者・宮本顕治は、やむなく、自分の少数分派=全国統一会議を解散し、主流派・軍事委員長の志田重男に、「新綱領(スターリンが直接書いた51年綱領)を認める」との自己批判書を提出しました。彼の屈服により、反徳田5分派はすべて主流派に屈服・復帰し、日本共産党は、“統一回復”をしました。
 宮本屈服数日後の1951年10月16日、五全協は、軍事方針をさらに具体化し、武装闘争の実践に踏み出しました。それ以後、1953年7月26日の朝鮮戦争休戦協定成立日までの1年9カ月間の武装闘争とは、まさに、ソ中両党の軍事命令に隷従した“統一回復”日本共産党が、朝鮮戦争に参戦した後方基地武力かく乱戦争行動でした。
    『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの動向、宮本顕治のスターリン盲従度
    吉田四郎『50年分裂から六全協まで』たった8字の宮本顕治の自己批判書
 人民広場とは、皇居前広場のことで、日本国民は、米軍占領下でも、メーデーなどに40数回使っていました。ところが、吉田内閣とGHQリッジウェイ最高司令官は、スターリン・毛沢東・金日成ら3カ国共産党・労働党が仕掛けた朝鮮侵略戦争が勃発すると、その10カ月後の1951年4月27日、その兵站補給後方基地日本における治安維持のために、人民広場のメーデー使用を禁止しました。よって、それ以来、「人民広場奪還」スローガンは、東京・関東地方における正当な国民的要求になっていたのでした。
 一方、アメリカは、日本を反共の永久的な不沈空母基地にするために、占領をやめ、独立させることのほうが上策との東アジア支配・米ソ冷戦戦略に転換しました。そこから、熱い朝鮮戦争最中にもかかわらず、1952年4月28日に向けて、単独講和条約締結の準備を進めました。その日本国内では、ソ中両党が出した朝鮮戦争参戦命令に盲従していた日本共産党の四全協・五全協による武装闘争・軍事方針とその遂行が勃発していました。それだけでなく、北朝鮮系在日朝鮮人45万人と、在日朝鮮人日本共産党員を中心とする祖国防衛隊(祖防隊)が、金日成らによる朝鮮侵略戦争を、祖国解放戦争ととらえて、総決起していました。当時、在日朝鮮人の活動家は、朝鮮労働党ではなく、日本共産党に入党し、共産党中央の民族対策部(民対)の指導下にありました。アメリカ「軍」は、朝鮮半島で、最終的にアメリカ兵3万4千人(アメリカ国防省発表数字)を戦死させる激戦を続けていました。片や、日本経済は、朝鮮戦争特需によって、急速に復興しつつありました。4月28日講和発効後の日本国内治安対策こそ、アメリカの日本占領「軍」と吉田内閣にとって、最重要課題の一つに浮上してきました。なぜなら、まさに、その3日後には、「人民広場奪還」をめざすメーデーが計画されていたからです。政府・警視庁とGHQは、日本共産党が、五全協軍事方針の最大の実践として広場突入軍事行動を決定し、3カ月前から周到に準備し、突入部隊の軍事訓練をしていることを、公安調査や中核自衛隊員・祖防隊員などの中から飼育したスパイ情報によって、刻々とつかんでいました。
    『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』北朝鮮系在日朝鮮人組織と運動の3段階
 1952年4月末時点、朝鮮半島で、朝鮮侵略戦争を遂行しているマルクス主義前衛党「軍」は、朝鮮労働党人民軍10万人、中国共産党人民義勇軍のべ300万人、ソ連共産党空軍のべ1万数千人でした。後方基地にいるソ中両党従属下の日本共産党「軍」は、結成途上でした。それでも、都市部の中核自衛隊500隊1万人、独立遊撃隊、山村工作隊、在日朝鮮人の祖防隊数千人がいました。共産党の軍事指令が浸透する大衆団体には、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組、産別の金属労組、前進座、および、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)などがありました。
 朝鮮侵略戦争を遂行中のソ中両党、および、その完全従属下にある日本共産党北京機関と中央軍事委員会にとっても、1952年メーデー「人民広場奪還」作戦こそは、6カ月前に決定した五全協の軍事方針を実行する最初で最大の後方基地武力かく乱戦争行動会戦に浮上したのでした。アメリカGHQ・吉田内閣・警視庁の7つの方面本部部隊数千人と、ソ中両党・徳田野坂の北京機関・日本共産党軍事委員会とは、それぞれ正反対の思惑を秘めて、五全協後の半年間、メーデー人民広場会戦に向けて、戦争作戦準備と戦闘体制を整え、5月1日、デモ隊鎮圧治安行動と広場突入行動とを激突させたのです。これら準備の詳細については、本編ファイルで分析します。
 しかし、共産党の戦闘作戦は、敵=政府・警察軍と共産党「軍」だけによる人民広場会戦ではなく、メーデー参加の一般国民を、どれだけ、いかに巻き込むのか、それによって首都東京で革命的情勢をいかに人為的に醸成するのかという戦略目的を持つものでした。言い換えれば、共産党は、講和3日後に50万人が参加するメーデーこそ、共産党による一般人民利用の絶好の舞台であると設定したのです。なぜなら、共産党は、最初から、広場突入作戦を、自分たちの共産党「軍」だけでやり、警視庁の7つの方面本部部隊数千人との戦闘をやる意図・計画などをまるで持っていなかったからです。
 5月1日の人民広場における戦闘の参加者と、その比率を確認します。
 第一、共産党系大衆団体を合わせた日本共産党「軍」数千人
 中核となる共産党員部隊は、中核自衛隊、独立遊撃隊、山村工作隊、祖防隊です。党中央軍事委員会が、馬場先門を突入入口とする中部デモ隊に配備した大衆団体は、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員、前進座などでした。そして、祝田橋を第2の突入入口とする南部デモ隊の先頭には、一般国民を広場突入に誘導する目的で、産別の金属労組、都学連一部、北朝鮮系在日朝鮮人組織の民戦2000人を配備しました。さらに、前進座には、陣太鼓10個以上を持ち込ませ、その鳴らし方で、広場突入または一時後退の合図とする指令を、各中核部隊に周知徹底させていました。前進座陣太鼓の後に設置した、広場突入指令のメーデー会場内秘密共産党本部には、東京都内5地区・三多摩地区軍事委員会から、各数名づつの軍事レポ要員(各戦闘���隊への連絡員)を配備しました。表にでる本部代表には、岩田英一を任命しました。
桜田門    二重橋
        馬場先門
 第二、人民広場に入った中部・南部コースのデモ一般参加者2万数千人
 中央メーデー大会参加者は、50万人でした。デモ5コース中、日比谷公園で流れ解散予定の中部・南部コースのデモ一般参加者は、十数万人です。彼らは、東京地裁の使用許可決定が出ているのに、なお人民広場を使用させない政府の対応に怒りを持ち、人民広場奪還の要求を正当と認めつつも、大会実行委員会による抗議声明と広場進入をしないという決定に賛成していました。実力で、広場突入をすべきと考えた一般参加者は、日本共産党「軍」数千人を除けば、ほとんどいなかったでしょう。ましてや、彼らは、軍事委員会の広場突入作戦計画の存在などまったく知りませんでした。共産党の扇動・誘導部隊が突入したので、かつ、馬場先門・祝田橋において、警察が阻止行動を謀略的にほとんど行なわなかったので、自然発生的に人民広場に入ったというのが、一般参加者2万数千人の実態です。よって、警視庁の7つの方面本部予備隊が、警棒・催涙弾・ピストルで、3次にわたる違法な先制襲撃をしてくるなどとは、予想もしていませんでした。その激戦になることを予想し、準備していたのは、日本共産党「軍」数千人だけでした。ただ、違法な襲撃を受けた一般参加者が、それに怒って、投石・プラカードなどで反撃したのは、当然で、正当防衛の行為といえます。
 第三、政府「軍」=警視庁7つの方面本部予備隊4100人
 中部コースからの全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員が、馬場先門から突入しようとしたとき、馬場先門の阻止線に配備されていた警察隊は、450人でした。祝田橋阻止線の警察隊も120人でした。二重橋前の本部でも、210人でした。不思議なことに、馬場先門の警察隊長は、警視庁本部から「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通せ」との命令を受けていました。その裁判証言どおり、彼らは、若干の小競り合いを演技しただけで、さっと左右脇に引き下がって、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員らを、人民広場に“逆誘導”したのです。祝田橋でもほぼ同じでした。
 中部コース隊が、人民広場に入っていった時点で、警視庁は、第���の桜田門から、続々と警視庁第2~第7方面本部予備隊を、広場に投入しました。全体で4千人以上の警視庁予備隊・約28個中隊は、警棒・催涙弾・ピストルなどで、完全武装していました。予備隊とは、現在の警察機動隊のことで、7つの方面本部は、この時すでに、その下に各4個中隊の首都治安維持・デモ鎮圧目的の機動隊を結成・配備していました。そして、警視庁本部の襲撃命令に基づいて、3次にわたる違法な先制攻撃という戦闘を遂行しました。そこでの攻撃対象は、日本共産党「軍」部隊と一般国民との区別をまるでしません。それは、まさに、警察側の全武器を使った無差別テロ襲撃でした。
 政府・警視庁の意図・目的を露骨に示した証言があります。それは、田中栄一警視総監が、事件の翌日5月2日、東京都議会で行なった報告です(『メーデー事件裁判闘争史』闘争史編集委員会、1982年、P.173)。「各署それぞれ自己の勢力によって自衛体勢をとるということを建前にいたしまして、予備隊その他メーデーに直接関係のある、あるいは出発地、あるいは開催地などの署員を合算いたしまして、大体四千百名の勢力によってこの五つのメーデーを取締りするという計画を立てたのであります。そして皇居前広場にこれを導入いたしまして、やがてこの五つのメーデーが逐次解散をするとともに勢力を引き上げまして皇居広場にこれを注入いたしまして、そしてこの大集団を処理するという予定を立てておったのであります。ところがこのメーデーの行進がきわめて迅速であり、またそうしたために勢力を集中することが時間的に若干ずれが生じました」。
 これは、政府・警視庁の意図と具体的な広場戦闘作戦が、「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通」し、「皇居前広場にこれを導入」し、「四千百名の勢力を、順次、皇居前広場に注入」し、「この大集団を処理するという予定」だったことを、翌日、誇らしげに報告したものです。彼らは、共産党「軍」の明白な朝鮮戦争後方基地武力かく乱戦争行動の目的とは別個に、講和条約発効3日後のメーデーにおいて、人民広場突入会戦を仕掛けた側を、わざと皇居前広場に導入しておいてから、完全武装の警視庁「軍」の3次にわたる先制攻撃によって、無差別の集団処理をし、それを通じて、日共の戦争犯罪を国民の前に暴露し、同時に、日本の治安体制を、独立3日目から一挙に打ち立てようという壮大な目的に基づく人民広場会戦にしたのです。
 彼らは、警視庁本部に刻々と入る公安・スパイ情報を分析しながら、共産党「軍」が広場突入軍事作戦を決行してくれることを逆手にとり、首都の治安確立をし、かつ、警察予備隊=機動隊28個中隊に暴徒鎮圧大戦闘を初めて実体験させる上で、願ってもないような絶好のチャンス到来であるとして、待ち構えていたのでした。
 さらにもう一歩踏み込んだ別の言い方をすれば、日本共産党「軍」は、広場突入会戦において、一枚上手の政府「軍」のわなに見事にひっかかったといえます。なぜなら、メーデー事件の全経過を見ると、政府・警視庁は、警視庁隊4100人を待ち伏せさせ、共産党「軍」を、2つの門の阻止線を空にして、人民広場に突入させるという逆誘導をしておいてから、解散警告なしに警棒を使った第一次先制襲撃をしたのです。そして、桜田門側から続々と注入した新武装部隊による催涙弾・ピストルを使った第二次包囲殲滅・広場追い出し襲撃に移行し、さらには広場外へも大追撃戦を展開して、大量逮捕の第三次掃討戦闘を遂行するという、3段階にわたる緻密な戦闘作戦を、事前に持っていたと推定できるからです。
 それにたいして、志田ら共産党軍事委員会は、広場突入後の敵の出方、敵「軍」が3段階にわたって、日共「軍」殲滅作戦をするのではないかという想定をまるでしないままで、一般国民2万数千人を、“自分たちの戦争”の道連れにしたのではないかと推定できます。
 戦争において、敵「軍」の侵略・突入作戦計画を事前に十分知りつつ、敵「軍」をして、先に戦争を仕掛けさせておき、国際・国内世論を味方につけ、それから、完璧な戦争システムで“正義の反撃戦争”に進むという手口は、アメリカ「軍」が得意とする常套手段です。第1のケースは、日本海軍によるパールハーバー突入・奇襲攻撃です。ルーズヴェルトが、日本「軍」の暗号電報解読などで事前に知っていて、突入をやらせ、「Remember Pearl harbor!」で、アメリカ世論を参戦に転換させる謀略作戦をとったということは、今や常識に近いでしょう。第2ケースは、スターリン・毛沢東・金日成の共謀による朝鮮人民「軍」10万人の38度線突破侵略戦争です。トルーマン・マッカーサーが事前にその情報を得ていて、先に侵略をやらせたことについては、萩原遼が『朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀』(文芸春秋社)で、アメリカ側データの分析により、完璧に論証しました。
 メーデー事件当日は、朝鮮戦争の真っ最中であり、かつ、3日前まで、アメリカ「軍」が日本を軍事占領していました。吉田内閣・警視庁だけでなく、GHQも、アメリカ「軍」がたたかって、5万人ものアメリカ兵が最終的に戦死した激戦状況において、日本共産党「軍」の広場突入作戦が、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動であり、かつ、それは、ソ連共産党・中国共産党による日本共産党への軍事命令に基づく一大会戦の性格を持つことを認識していました。そもそも、敗戦後40数回も使用してきた人民広場を、朝鮮戦争勃発の10カ月後に、使用禁止の占領軍命令を出したのは、GHQです。GHQは、人民広場使用または突入の政治的軍事的意味を、もっとも正確に理解していました。したがって、このメーデー事件めぐる動向は、アメリカ「軍」の常套手段としての第3のケースになるというのが、国際的視野から見た私(宮地)の見解です。この事件の背景には、GHQと政府・警視庁トップらによる、朝鮮戦争がらみの共同謀議が、メーデー当日前に成立していたと判断できます。
 占領・行政・反乱鎮圧体験を豊富に持つ米日権力「軍」にたいして、日本共産党「軍」は、ソ中両党の完全従属下にあり、敗戦7年後で戦争拒絶の国民意識を自主的に分析する能力に欠け、中国共産党「劉少奇テーゼ」という植民地型の人民解放戦争スタイルを、発達した資本主義国日本でやれとの毛沢東・劉少奇の軍事命令に盲従した軍事方針で立ち向かったのです。人民広場における武器量・武装力の違いだけでなく、広場突入会戦の戦略・事前作戦計画・相手方の情報収集戦の段階から、共産党「軍」は、敵の出方のわなにはめられていたといえます。メーデー事件に関するGHQレポートが、アメリカ政府・国防省に送られ、保管されているはずです。それが発掘されれば、『藪の中』の真実解明に一歩近づくでしょう。
 3、広場の七人が語る〔真相〕
 以下の七人(組織)以外に、マスコミ報道、映像、メーデー参加者の発言、裁判における検察側・弁護側証人の証言、第一審・二審判決文という資料が膨大にあります。それらの内容は、概況的なものから、各個人の断片的な体験記など、それぞれ数百人が語る〔真相〕です。その中から、このファイルでは、広場の七人が語る概況的な〔真相〕のみを、資料編として抽出します。
 ただ、芥川龍之介も黒澤明も、各自が主張する〔真相〕のうち、いずれが「真実」なのかを結論づけず、多面的な視点をそのまま提出して、小説・映画を終えています。『羅生門』の視点は、日本国内上映当時、不評でした。それにもかかわらず、ヨーロッパ近代個人主義の風土において、1951年、ベニス国際映画祭グランプリをとったのは、各自が主張する〔真相〕と、事件の「真実」とは異なり、真実は『藪の中』にあり、そのいずれかを絶対的真理と断定することを拒絶するという相対化思考がありました。メーデー事件は、この受賞の8カ月後でした。
 私(宮地)も、メーデー事件から50年以上を経過した現在、別ファイルの本編において、〔真相8〕宮地健一『メーデー事件における広場突入軍事行動―志田・宮本が隠蔽した裏側の真相』を書いて、藪の中の「真実」解明の一員に参加する予定です。
 2、資料編
 〔小目次〕
   〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
   〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
   〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
   〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
   〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
   〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
   〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
           丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
 〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他
 (注とコメント)、これは、共産党中央委員会発行の非合法機関誌『国民評論40号』(1952年7月1日)に、軍事委員メンバーが、ペンネーム大橋茂で発表した論文です。この全文を捜しましたが、私(宮地)の手元にまだありません。よって、大井廣介『左翼天皇制』(ぺりかん社、1976年、絶版)に載っている抜粋文(P.104~108)の全文を転載します。他1篇は、同じく、非合法機関誌『組織者11号』(1952年6月1日)に発表された論文の一部で、大井著書(P.108)にあります。この論文は、日本共産党が、広場突入を、まさに人民広場戦争と位置づけていたことを示す証拠文書であり、その内容は、共産党「軍」側が描いた広場突入会戦の生々しい戦記レポートといえます。
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 『メーデー事件の軍事的教訓』 『国民評論40号』
 中核自衛隊、行動隊による宣伝は会場内の空気を変え、全大衆を人民広場へみちびく雰囲気をつくりあげた。……このメーデー事件の全体をつうじて行動隊の宣伝活動がひじょうに大きな役割をはたしている。(中略)
 ○時四十分にデモがはじまった。中核自衛隊、行動隊等は大衆を人民広場へ導くために全力をつくした。日比谷にむかう南部、中部デモ隊のほかに、渋谷にむかう西部デモ隊は七千が渋谷へ、一万二千が人民広場へむかった。北部でも、愛労に指導され新宿にむかうものと人民広場へむかうものとに別れた。……デモ隊はアメ公帰れ、吉田を倒せ、戦争反対等のスローガンを叫び、自由党本部前では石を投げて攻撃し、パトロールカー、首相官邸前交番等へも石による攻撃を行い、革命的に行動した。(中略)
 この大衆の人民広場への行動を弾圧するために、敵は周到な計画を立てていた。かれらは日比谷交叉点、GHQ前、丸ノ内署前に、丸ノ内署長の指揮する約三百名の警官を待機させ、馬場先門には三田署長の指揮する水上中隊、祝田橋入口には高輪中隊、桜田門には小田小隊等総数二百をあて、そのほか第一方面予備隊三箇中隊を出動させていた。それらの部隊ではデモ隊をそ止しえないことは明らかである。
 かれらの計画は、この少数の警備隊によって、デモ隊を人民広場の中央にゆう動し、ここで包囲攻撃をすることにあった。かれらはそのために、第三方面予備隊四箇中隊、第四方面予備隊四箇中隊、第五方面予備隊四箇中隊、第六方面予備隊四箇中隊、第七方面予備隊三箇中隊を人民広場の周辺に待機させていた。しかも、これらの部隊には、ガス班長の指揮する約十名単位のガス班も数十組も組織していた。
 デモ隊は、二時二十分頃日比谷交叉点および馬場先門で警官隊と小ぜりあいを行ない、この警官網を突破して馬場先門から二重橋前に到着した。ここで大衆は万歳を叫びアカハタをたてた。大衆は大会を開き、解散する準備をはじめていた。ところが、敵は皇居警護官約百名、第一方面予備隊三箇中隊、三田署部隊約二百名の他に、さらに第七方面三箇中隊を増強し、これを一つに集中した。かれらは乱暴にもコン棒をふるって攻撃を開始した。大衆はこれを二重橋前に押しつめた。敵と味方の間隔は数米しかない状態だった。
  
 この対峠したなかで、デモ隊から「さがれ」という号令を叫ぶものがあった。大衆はうねるようにしてさがった。官憲は前進してきた。すると大衆は、これを引きずりこみ、プラカード等で攻撃を加えた。あわてた敵の指揮官は「警官隊さがれ」と叫ぶ、敵が後退する。デモ隊はふたたび包囲環を縮めた。このような前進と後退が数回くり返された。そのたびに敵は打撃を受けた。これはまったく創意的な戦術だった。
 しかし、この時期は戦術的にはもっとも重要な時だった。敵の兵力は約九百、味方の行動実勢力は約五千とみられる。しかも敵は動揺し、味方の志気はたかかった。したがって、ここで集中した敵の力を分散させ、これを個別的に攻撃することは可能だった。ところが、この有利な条件を戦術的に運用することがなされなかった。弱い敵の集中にたいし、味方の体制も密集体形から変化させることができなかった。この結果敵はだいたい八十名よりなる一箇中隊を単位に最後まで組織的に行動することができた。かれらは全滅する条件にさらされ、指揮官自身があわてて発砲するようななかで、部隊として大きな被害を受けなかったのである。
 いま一つ味方の弱点は、全体がデモ隊のなかに解消し、予備行動のための強固な遊撃部隊を組織していなかったことである。このために、敵の弱点を機動的に集中的に攻撃することができず、また敵の増強部隊にたいしてそなえることができなかった。
 包囲された敵は、不法にも拳銃を発射し、ガス弾を使用した。第一方面の長岡第二、永井第四部隊が攻撃の主力になっていた。かれらはこの時五十発のピストルと六十八個のガス弾を使っている。デモ隊は勇敢にもガス弾を投げ返し、敵に損害をあたえたが、全体としては相当の犠牲を受け後退した。この後退した場合も敵を引きこみ、包囲することは可能だったが、密集体形のまま祝田橋通りを挟んで敵と対時した。この戦闘において味方の弱点は味方の部隊を大きく動員し、敵を包囲する体制に指揮することができなかったことである。
 この対峠したなかで、デモ隊は敵にたいして、「お前達は何しに来たのか」「泥棒をつかまえろ」「アメ公の番犬」「どちらが悪いか考えてみろ」「税金つぶし」などと叫んで攻撃を加え、敵にたいする憎しみをバク発させていた。敵がコン棒を振るとデモ隊は石を投げて攻撃した。敵のなかからも「片っぱしからつかまえろ」「あいつをやれ」など号令をかけてきた。とくに、四十歳位の頭髪の薄い指揮官が六尺棒を振って大衆をなぐりながら指揮していた。見物している者もこの官憲の残酷さにあきれ、全体がデモ隊を支持していた。見物の大衆のなかから官憲にたいしてバ声や石つぶてが飛んでいた。先遣デモ隊は人民広場に入ってからこの時まで約一時間にわたって勇敢に闘い抜いたのである。このことは国民武装の可能性を事実によって示した。(中略)
 先遣デモ隊がガス弾ピストルの攻撃を受け、祝田橋通りへ後退しつつある時、中核自衛隊の一部は後続デモ隊に急を知らせるために走った。後続デモ隊でも「人民広場へ」「仲間を孤立させるな」が大衆の声となった。社会民主主義者はこの大衆を押え先頭の速力をおとして先遣デモ隊を孤立させようとした。しかし大衆はかれらをツルシあげながら三時二十五分頃から続々と祝田橋を渡り人民広場へ入った。広場の大衆は熱狂してこれをむかえた。新しい部隊を加えてデモ隊は馬場先門通りをはさんで大きく二つの群に別れた。この時、敵もまた増強しつつあった。先ず第六、第七、第三各方面予備隊七箇中隊が桜田門より入り、第一方面予備隊と合流した。大衆は再び体勢を整え、風上へ風上へと向いながら二つの群が一つとなり敵を二重橋前に圧迫した。これによってデモ隊は第二の勝利をかちとった。この闘争の中で最も重要と思われる時機をつかんだのである。しかし、誰も敵を圧迫した重要なこの時に更に何を行なうべきかを大衆に示すことが出来なかった。デモ隊を指揮していた人々も、この瞬間に何をやるのか決断がつかず躊躇した。従って、大衆の意志と行動を一つの方向にむけることができなかった。この結果大きな戦術的な行動を組織する機会はにげ去ってしまったのである。
 この時敵の兵力は、予備隊十五箇中隊を主力とする約千五百、味方は敢闘して結集しているもの約一万、同調的なもの約二万合計三万とみられる。従ってここで開いながら革命的な大会を持ち、解散することも不可能でないし、これを妨害し、攻撃する敵を第一回に敵を圧迫した時と同じように分断して攻撃することも可能であった。ところがこの大きな機会を失ない味方を守勢に立たす危険に陥ったのである。この闘争全体を通じてこの高揚した大衆を指導する能力と体制に欠けていた。これが決定的な弱点であった。この弱点をすくったのは、大衆の革命的な行動であった。敵は、再びガス弾とピストルでもって攻撃を開始した。中核自衛隊を中心とする大衆は、この攻撃に勇敢に抵抗した。石、プラカード、旗竿等を武器にして、敵を引きこんではこれを打ちのめし、反撃しては敵に打撃を与えた。敵も味方もここで大きな犠牲を出した。この闘いの中で見物に集まった大衆の数は数万に及び、益々増えつつあった。この大衆もデモ隊に声援を送った。
 敵は祝田橋を占拠し、大衆とデモ隊を断ち切り、デモ隊を包囲する作戦であった。そのための行動が数回にわたってくり返された。しかし、これは成功しなかった。この包囲をゆるさなかったのは、デモ隊の勇敢な攻撃力と祝田橋から馬場先門に及ぶ見物している大衆の圧力であった。デモ隊は敵のピストルと闘いながら祝田橋通りを通り抜けようとする占領軍の車輌にもしばしば攻撃を加えた。味方は一つの密集部隊として攻撃しているのに対して敵は一箇中隊を単位として行動していた。このことは敵の弱勢を補った。この戦闘中に敵は更に第三方面四箇中隊、第四方面四箇中隊、第五方面四箇中隊、その他参議院警備中の予備隊等約十三箇中隊を増強した。その他四時過ぎには、各署から召集されたもの約二千名が加わった。この部隊を大きく横隊に組み両翼と中央の三方面から圧迫を加えてきた。大衆は、これを三回はね返した。
 四時十五分頃デモ隊から流れでた一部が、日比谷公園側で占領軍の乗用車を襲い、これに火をつけた。これは、人民広場事件の政治的な性格を最もあざやかに示したものであり、大きな意義ある出来事だった。しかもこれは人民広場の中で闘っているデモ隊にとって行動の新しい方向を示したことになった。敵の圧迫によって、デモ隊の一部は祝田橋から電車通りへ退却した。これに続いて全デモ隊が見物の大衆に擁護されながら馬場先門と祝田橋から街頭に流れ出た。敵は残虐にもこの後退するデモ隊を背後からねらい打ちにした。特に見物の少い馬場先門寄りで最も残虐な攻撃を加えた。このためデモ隊には多くの犠牲者が出た。
 占領軍の乗用車を焼きはらった経験は、すぐ一般化した。大衆は十五人位が一組にたり、次々と車を倒し、流れるガソリンに火をつけた。このため祝田橋から日比谷までの間に、米軍の自動車十三輌、警察の白バイ一台が焼きはらわれた。この事件の全体で八十三輌の事輌を襲撃している。もえあがる車輌を消火するために、丸ノ内、有楽町、永田町をはじめ各消防署から二十台の消防車と米国消防隊三隊が出動した。しかし大衆はこれを妨害し、ほとんど到着させなかった。デモ隊は丸ノ内一八二中隊の消防車を破壊し、中崎署長、長井司令補等十名をたたきのめした。有楽町一八二中隊のホースはほりに投げこみ、五中隊のホースは切断した。
 この人民広場の事件で、敵は危篤四名・重傷七三名・軽傷七四三名・占領軍の負傷者四名と発表している。味方の死者、負傷者等正確な数字はわからないが千名近くにおよんでいる。この大闘争の中で国民救援会は大きな役割を果した。救援会救護班のトラックは、プラカードを立てて、ガス弾とピストルの飛ぶ中で負傷者を収容し、病院にはこんだ。見物の大衆は、カンパを行なってこの救援活動を援けた。
 街頭に流れ出たデモ隊の一部は、日比谷公園や三信ビルの横に結集し、ここで小さなしかし鋭い闘いをくり返した。それは夜八時過ぎまでつづいた。(中略)
 米帝と吉田の一味共は、この事件によって新しい敗北をなめた。これは全世界の平和勢力を勇気づけ、新しい国際的な実力闘争のノロシになろうとしている。日本の労働者階級は、この闘争によって、勝利の確信を��め、武装行動を目指す実力闘争を前進させつつある。この実力闘争、武装行動に守られ、広汎な国民の民族解放民主統一戦線は前進しつつある。われわれは、この闘争をいろんな角度から分析し、戦術的にも幾多の教訓をくみださねばならない。それによって発展しつつある闘争に役立てることが必要である。
 『人民広場を血で染めた偉大なる愛国闘争について』 『組織者11号』
 日比谷公園の市街遊撃戦は前後三時間に亘って行われた。敵はジリジリと押してき、遂にその一角をすて日比谷映画附近から有楽町に至り、解散後も全都的に行われたものである。この闘争では、完全に敵をホンローした。敵はつかめないデモ隊に極度に神経を疲らせ、日比谷では映画見物帰りのアベック二組がなぐり倒され、中年婦人が意識不明に陥り、大衆の罵倒の的となった。(中略)
 当夜デモ隊側でつかんだ彼我の損害は次の通り、
 警官死亡三(うち一名は丸の内久保次席)重傷二八、負傷五三。堀へ投げこまれたもの六。ブル新カメラマン一名のばさる。
 アメ兵、水兵二名、GI一、ガード一、堀へ投げこまる。高級車炎上十台、日比谷~馬場先門~都庁前のもの軒なみガラス破カイ。アメ公大型バスガラス破カイ(三台)。
 自由党本部、明治ビルガラス破カイ。
���デモ隊側死亡-都庁高橋正夫氏、東大一、法大一、をふくむ五名。うち一名はMPに射殺(当夜国救しらべ)。負傷者約三〇〇名(重傷多数を含む)。
 〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他
 (注とコメント)、これは、警察庁警備局『戦後主要左翼事件・回想』(1967年、絶版)に載っている17事件の一つの「メーデー事件の概要」全文(P.132~134)です。別に、回想として、警察官3人の手記があります。それらの内容は、広場にいた警察官側からのメーデー事件です。共産党「軍」側から見れば、警視庁「軍」は敵であり、警察側から見れば、共産党「軍」と一般参加者は暴徒となります。他一篇は、警察文化協会『戦後事件史』(1982年、絶版)第7章「日本の独立―破防法の成立」にある「血のメーデー・検察側の見解」(P.362~367)です。
 ただ、警視庁・東京地検側の『メーデー騒擾事件の総括』に関する極秘文書があり、そこには、メーデー事件裁判でも隠蔽した詳細なデータや、公安・スパイ情報が含まれているはずですが、現在まで、外部に漏れていません。これが、発見されれば、『藪の中』の「真実」にぐっと近づくのですが。というのも、『吹田・枚方事件の総括』に関する大阪府警・大阪地検の極秘文書が漏れ出て、枚方事件被告の脇田憲一が入手し、その秘密データも含めて、『吹田・枚方事件』を執筆・出版する予定になっているからです。
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 『皇居前メーデー騒擾事件』
 昭和二十七年のメーデーは、日米講和条約発効後初めてのメーデーであったが、当時は、破壊活動防止法反対闘争直後のことであり、また、朝鮮人団体は出入国管理法実に強く反対していたなどの情勢に加えて、厚生省が皇居前広場の使用を禁止したことなどもあって、革新系諸団体の気勢が大いにあがっていた。
 大会は、午前十時三十分より明治神宮外苑において約一五万が参加して行なわれ、午後零時十分閉会、ついで五コースに分かれて会場を出発し、デモ行進に移った。当初、北部コースに編入されていた日本共産党員、学生、朝鮮人ら約三、〇〇〇人は、デモ出発の直前、急にコースを変更し、日比谷を解散地とする中部コースに加わってその先頭に立ち、途中、各所で投石やジグザグ行進などを行なって日比谷公園にはいった。
 その後、この梯団は、気勢をあげながら皇居前広場をめざして不法デモに移り、これを阻止しようとした警察部隊に対し、竹槍(やり)、こん棒をふるって阻止線を突破し、さらにGHQ(連合軍総司令部)前で自動車一九台を破壊するなど、暴徒と化し、一気に皇居前広場に殺到した。さらに、三々五々、皇居前広場にはいった者もこれに合流し、暴徒の数は約四、〇〇〇人に達した。
 午後二時三十五分ごろ、各所に配備されていた警察部隊は、急拠、二重橋前に転進集結し排除に当たったが、暴徒は、激しい投石を浴びせ、竹槍、こん棒などをふるって部隊に突入し、ついにけん銃を強奪するという事件にまで発展した。このような状況から警察側は、催涙ガスを使用するなどしてこれが鎮圧に当たり、遭遇戦さながらの状況を呈するに至ったが、暴徒の圧倒的勢力に押され、警察官に多数の重傷者が続出したため、やむを得ずけん銃を発射してこれを威嚇し、午後二時五十五分ごろ、一応、祝田橋通りまで制圧した。
  
 一方、同時刻ごろ、南部コースの先頭梯団にいた朝鮮人約二、〇〇〇人が、日比谷公園から皇居前広場へ向って殺到し、祝田橋でこれが阻止に当たった警察部隊四八人全員に重軽傷を負わせてこれを突破し、さきの暴徒と合流した。このため、暴徒の数は七、〇〇〇から八、〇〇〇人となった。膨張した暴徒は、ますます気勢をあげ、竹槍を構えた朝鮮人約二〇〇〇人を先頭に激しく投石を加えながら攻撃をかけてきたので、警察部隊は、再度、催涙ガスを使用して、一せいに前進、制圧を加え、彼我(ひが)入り乱れて激しい攻防を展開し、ついに午後四時十五分ごろ暴徒を皇居前広場から排除した。
 排除された暴徒は、付近に駐車中の外国自動車および警察車両十数台を次々に破壊、または放火炎上させ、日比谷公園内外および有楽町駅付近、馬場先門外等の各所において小部隊の警察官を襲い、重軽傷を負わせるなどの残忍な暴力を振るい荒れ狂ったが、午後七時ごろに至ってようやく平穏に復した。
 メーデー騒擾事件における被疑者の逮捕は六九三人にのぼったが、一方、警察官も八三二人が負傷(生命危篤八、重傷七一、軽傷七五三)したのである。
 『血のメーデー』 検察側の見解
 計画的に会場から 先鋭分子が誘導 秘密会議で決定
 皇居前事件について佐藤検事総長は、「デモ隊がコン棒その他をもっていた点などからみて、一部のものの計画的犯行だと思う」むねを語っているが、検察当局はこの事件を左翼先鋭分子の仕組んだ“計画的暴行事件”の色彩が強いとみている。ではデモ隊の一部はどのようにして“デモ終点”の日比谷公園から皇居前広場へ誘導されたか――以下は当局の調べ、目撃者の話などから総合したそのいきさつである。
 ○警視庁の情報では、今回の事件は去る二十九日、東京工大内で日共系先鋭分子により秘密のうちに決定された予定の行動だという。それによると、同日午前十一時から午後六時の間に同大地下食堂で日共系青年祖国戦線の主催により「反戦権利擁護労働青年全国会議」が開かれ全学連、祖防隊、民青など四十四団隊、七十五名が集って「人民広場を労働者の実力をもって奪取しよう」との決議を行い、全国の日共系先鋭組合と各種団体に指令したという。
 ○この指令を裏書きするように、この日、外苑の中央会場では午前十一時半すぎ、組合代表の演説が後二、三人で終ろうとするころ、共産系組合員、全学連、日傭労務者とみられる一群の約二百名が中央ステージに殺到「人民広場へ行こう」と騒ぎはじめた。重盛議長が「この度は統一メーデーだから統一的行動をしよう」と説得に努めたが、聞き入れられず、演壇は一時、この一群の人たちに奪われ混乱した。しかし、日共幹部の岩田英一氏が両者の間に入って代表に一席演説させることで混乱は収まり、式は終了した。
 ○かくて〇時二十分、デモ行進に移ったが、この時に学生、朝連系団体とみられる一群は、外苑の道路にピケラインを張って「人民広場へ行こう」とアジリはじめた。渋谷コースを行進していた西部デモ隊のうち学生を主力とする約二百名の一団は、これと呼応するように、青山四丁目角に差しかかると隊列をはなれ、日比谷の方向へ転進、日比谷コースを進んでいた中部デモ隊も赤坂表町付近にさしかかったころ、全学連の約五千名がデモ隊の先頭を追い越して口々に「人民広場へ行こう」と叫んだので、デモ隊の足並みは乱れてきた。
 ○虎の門コースを進んでいた南部デモ隊も文部省にさしかかった午後一時半ごろ金日成氏の肖像をプラカードにかかげていた北鮮の一隊が「人民広場へ」と叫びつつジグザク行進に移り、警官隊と小ぜり合いを演じ、外人乗用車に石を投げたりしはじめた。このころ中部デモ隊も永田町付近で自由党本部に小石を投げ、正面窓ガラスを破ったが、先鋭分子ははじめから小石をポケットに相当用意していたと見られるという。
 ○赤坂表町付近で行進の先頭に抜けがけして行進のイニシアチブを握った都学連、北鮮人、日傭労働者などの一群は、二時ごろ日比谷公園に入ると一応音楽堂付近に集った。この時十五、六のグループに分れて整列していた全学連の五、六番目に並んでいた「民主青年西部地区」というプラカードの一隊が「人民広場へ行こう」という叫びをあげた。これをキッカケに、デモ隊はドッと公園外に流れ出し、馬場先門方面へと濁流のように押して行き、これが時間の経過とともに、ふくれ上がって行ったのである。
 正しく血のメーデーとなってしまった。働く者の祭典であるはずが、暴行集団となってしまったことは、世界中の電波に乗った。中でもアメリカ人にすれば恩を仇で返される思いがしたことであろう。メーデーの歴史を汚した事件として記録されている。
 〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』
 (注とコメント)、これは、メーデー事件裁判闘争史編集委員会編の822ページの大著(白石書店、1982年、絶版)から、事件の概要を書いた「序章」(P.12~16)の全文転載です。事件・裁判記録については、被告団長岡本光雄『メーデー事件―昭和史の発掘』(白石書店、1977年、絶版)があり、そちらでも事件概要を詳しく書いています。いずれも、被告・弁護団側からのメーデー事件と裁判闘争史です。検挙1232人、騒擾罪起訴被告261人でした。上記の解説でのべましたが、さらに区別すれば、これは、4種類の被告からなっています。
 第一、広場突入軍事命令を遂行した日本共産党「軍」メンバーです。広場に入った3万人中、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・山村工作隊員・日本共産党員である北朝鮮系祖防隊員や、それらが突入の指導をした大衆団体は、数千人います。しかし、被告261人において、彼らが何人いるのかは、共産党が公表しないので、分かりません。日本共産党は、広場突入軍事作戦計画の存在を、裁判開始時も、六全協後も、全面否認しました。日本共産党は、共産党員被告だけのグループ会議を秘密に開き、否認を指令しました。共産党「軍」の被告も、その軍事方針については、党中央命令に従って、完全黙秘しました。よって、広場突入軍事命令を出した党中央軍事委員は、誰一人逮捕も、起訴もされていません。
 第二、共産党「軍」以外の共産党員で、たまたま人民広場に付いて行き、警視庁「軍」の3次にわたる違法襲撃に怒って、反撃し、逮捕・起訴された被告です。共産党中央委員会は、第一と第二の比率を当然知っています。なぜなら、共産党中央委員会・党中央法規対策部は、共産党員被告の秘密グループ会議を、20年7カ月間の裁判過程で、何回も招集しているからです。もちろん、被告団の共産党細胞指導部(LC=Leader Class)も、党中央法規対策部員と共産党員弁護士・国民救援会細胞とを合わせて、結成し、裁判対策を、一般被告団会議の前に決定していました。この裁判グループ細胞結成は、吹田事件・大須事件においても、常識です。
 第三、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)2000人と祖国防衛隊員(祖防隊員)たちで、逮捕された131人の内、起訴された日本共産党員です。彼らは、金日成らが仕掛けた朝鮮侵略戦争を祖国解放戦争ととらえ、朝鮮民主主義人民共和国国旗を先頭に、人民旗数百と金日成の写真プラカードを掲げ、第2の広場入口である祝田橋の先頭部隊の一つとして突入しました。彼らは、1955年の六全協まで、日本共産党員でした。同時期に、民戦は、朝鮮総連に組織転換し、それとともに、在日朝鮮人日本共産党員は、離党し、朝鮮労働党に入党し直しました。日本における朝鮮労働党組織は、学習組(がくしゅうそ)になりました。朝鮮総連も学習組も、本国の朝鮮労働党の直接指令を受けます。よって、1955年以降、メーデー事件裁判被告団は、その中に、朝鮮労働党員被告を含み、彼らは、朝鮮労働党の指導下で行動しました。
 第四、共産党の広場突入「軍」に扇動・誘導されて、人民広場に自然発生的に入り、警視庁「軍」の3次にわたる無差別襲撃を受け、それに怒って反撃したが、広場突入作戦などまるで知らなかった一般参加者2万数千人の中で、逮捕・起訴された被告です。261人中、これら4種類の被告の比率は、共産党軍事委員会と六全協後の野坂・志田・宮本らごく一部幹部だけが知っています。メーデー事件の大弁護団も、グループ会議に参加する一部の共産党員弁護士以外は、これらの比率を知らされていないでしょう。
 被告・弁護団の裁判闘争方針は、共産党「軍」の広場突入戦争作戦が現実に遂行されたのにもかかわらず、その存在を否認しつつ、騒擾罪無罪のたたかいをすることを強いられました。そこには、かなり無理がありました。なぜなら、メーデー人民広場突入事件の裏側の一側面は、政府・警視庁「軍」4100人の違法な先制襲撃という面だけでなく、ソ中両党の軍事命令に盲従した日本共産党「軍」が、まさに、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動として行なった最初の大会戦そのものだったからです。2つの『裁判闘争史』を読むと、その苦渋、停滞、被告団内の対立がにじみでています。共産党員以外の第四の被告たちは、警視庁「軍」の襲撃に怒るとともに、共産党「軍」の広場突入戦争作戦の存在と実態を明らかにせよと、共産党に強烈な批判と要求とを突き付けました。
 私(宮地)の立場は、『裁判闘争史』の内容について、共産党の広場突入会戦遂行の諸事実問題とそれに関する記述以外では、『裁判闘争史』の見解と、騒擾罪無罪の判決内容を支持するものです。ただ、被告弁護団側が、4種類の被告を抱えて、被告団の統一を維持していくためには、「メーデー事件は、極左冒険主義の実践ケースではない」とする立場を貫かざるをえなかったことを理解します。といっても、それは、共産党が、広場突入軍事行動に関して、具体的な総括をし、それを公表すべきであるという前衛政党としての結果責任の取り方とは、別問題です。その結果責任には、“統一回復”共産党が、自分たちの朝鮮侵略戦争参戦のために、一般国民2万数千人を利用し、道連れにし、被告216人中の何人かを、20年7カ月間メーデー事件裁判の第四の被告にしたという道義的責任も含みます。これは、警察・検察側による弾圧、でっち上げ裁判という問題とは異なる、かつ、それに解消させることのできない共産党側の政治的道義的問題です。
 私は、名古屋市生れ育ちで、大須事件の現場を熟知しています。また、愛知県の民青・共産党専従15年間において、大須事件の被告たち十数人を個人的に知り、話を聞いています。その裁判闘争においても、4種類の被告を含み、同様な問題が発生していました。大須事件検挙者は、日本人119人、在日朝鮮人150人でした。実刑判決確定で下獄した3人中、1人は在日朝鮮人でした。大須事件の共産党員被告だけのグループ会議が、私の共産党専従時代、所属する名古屋中北地区・愛知県委員会事務所の3階会議室で開かれるのを、私は何度も目撃しました。私は、騒擾罪判決が唯一確定した7・7大須事件も、5・1メーデー事件と6・25吹田事件と同じく、騒擾罪無罪であると確信しています。それだけでなく、3番目の事件として、警察・検察側による騒擾罪でっち上げの謀略性という面では、大須事件がもっとも悪質だと判断しています。大須事件の一端については、HPファイル『「武装闘争責任論」の盲点』で分析してあります。なお、下記文中の太字は、私(宮地)がつけました。
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 一九五二年(昭和二十七年)五月一日――首都の労働者は第二十三回メーデーを迎えた。明治神宮外苑のメーデー会場から五つのコースに分れてデモが出発した。中部・南部二つのコースは日比谷公園を解散予定地としていた。いくつものデモ隊がそのまま日比谷公園を通り過ぎ、人民広場(皇居外苑広場)へ向かって進んだ。シュプレヒコールが湧きあがった。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
 三日前の四月二十八日、「単独講和」と呼ばれ、その賛否をめぐって世論を二分した「平和」条約が発効した。七年に及ぶ占領は終った。だがアメリカ軍は帰らなかった。朝鮮戦争が続いていた。占領時代の抑圧政策もそのまま引きつがれていた。メーデー会場に人民広場を使うことは許されなかった。「独立」後最初のメーデー――禁じられていた言葉、いや「占領政策違反」という「犯罪」でさえあった、人民の叫びがほとばしり出た。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
 午後二時二十分過ぎごろ、先頭のデモ隊が馬場先門に到着した。
 この時馬場先門には約四百五十名の警官隊が配置されていた。二重橋へ向かう車道入口に阻止線を張った、わずか一個小隊三十数名の警察官もなぜか左右に開いた。デモ隊の前に人民広場への道がまっすぐに通じていた。車道一杯に広がり、スクラムを組んで広場へ入ったデモ隊は、広場へ入ったというその喜びのおもむくまま、やがて駈け足に変って行った。
 二重橋前の砂利敷広場は、たちまち、万歳の声と打ち振られる赤旗、そして笑顔、握手、踊りの人波で埋まった。人びとは、二年間禁じられていたこの広場の土をその足で踏んだ。誇らかな満足感、解放感、ほっとした安ど感、疲労感。それぞれにかみしめながら、談笑し、歌い、あるいはひと息入れて、人びとは集っていた。
 午後二時四十分。事態は急変した。
 全く突如、警官隊が襲いかかったのである。馬場先門からデモ隊を追尾してきた警官隊が、デモ隊の先頭に回り込むやいなや、全体を二重橋側の堀際に押しつめるように、警棒をふりかざして殴り込んだ。一瞬にして起こる大混乱。警棒で頭を割られ倒れろ者、眼前に迫る警察官の形相におびえて後退する者、つまずき倒れる者。逃げまどう者の頭に、背にめった打ちされる警棒、傷つき倒れる者をさらに踏みにじる泥靴。
 混乱するデモ隊の中に、二分後催涙ガス弾が、五分後拳銃弾が撃ち込まれた。数千のデモ隊は、多くの負傷者をかかえて、銀杏台上の島から楠公銅像島へ後退した(第一段階)。法政大の学生近藤巨士は、この時警察官に後頭部を強打された。五月六日未明、慈恵医大東京病院で、彼は二十二歳の生涯を閉じた。
 午後三時過ぎごろ、新しいデモ隊が祝田橋から人民広場へ入った。中部コースの後続隊と、つづいて南部コースを行進してきたデモ隊である。
 祝田橋上には約百二十名の警官隊がいた。一応阻止の隊形をとった警官隊と、デモ隊の先頭のごく一部との間で小ぜり合いがあった。だが、警官隊はすぐ広場の中へ引きあげてしまい、デモ隊の大半はなんの抵抗もなく祝田橋を渡った。中部コース後続のデモ隊の多くは、祝田橋を入ってすぐ右手の芝生、楠公銅像島に上がった。そこには、二重橋前で警官隊の襲撃に会い、追い散らされてきた人びとがいた。
 そのころ、楠公銅像島上のデモ隊に対峠(じ)する形で、中央自動車道路をはさむ反対側の芝生、銀杏台上の島には、三個中隊約三百名の警官隊が隊列を整え、警戒配置についていた。つづいて祝田橋から入った南部コースのデモ隊は、この警官隊の前を通って中央自動車道路をまっすぐ行進し、やがて左折中央自動車道路に面した楠公銅像島上のデモ隊に対峙していた警官隊は、この時いっせいに引きあげ始め、二重橋前の砂利敷十字路付近に移動した。���重橋前砂利敷十字路……一九四六年(昭和二十一年)の第十七回メーデー以来、そこが大きな大衆集会の会場となった。つまり人民広場の中心であった。
 楠公銅像島にいたデモ隊の中で、警官隊のいなくなった銀否台上の島へと移って行く動きが起こった。「解散集会だ。」「集会に集まろう。」呼びかけが伝わった。銀杏台の島に上がったデモ隊の一部も、銀杏台上の島の方へ移動し始めた。人びとは、この日人民広場へ入ることができたというだけで、満足だった。禁じられていた場所をとり戻した、という勝利感でもあった。目的はもうすぐ達せられる。しめくくりの解散集会だけが残っていた。
 その期待で、デモ隊は、二重橋前砂利敷十字路をなかばとり囲むように、銀杏台上の島を中心に、右は銀杏台の島へ、左は桜田濠沿い砂利敷路面へと延びる形で、結集していった。祝田橋から人民広場へと入るデモ隊は、まだあとを絶たなかった。広場にはもう三万を越えるデモ隊の人びとがいた。一方、警官隊も続続と増強されていた。
 三つの方面予備隊(当時、全都を七つの方面に分け、それぞれに警備実施を主任務とする予備隊がおかれていた。いまの警視庁機動隊にあたる)から動員された八個中隊約八百五十名が、二重橋前砂利敷十字路に横隊で整列し、その三分の一は桜田門方向に、三分の二は馬場先門方向に面する形をとった。L字型隊形である。後方二重橋の前に二個中隊約二百名が控えた。
二重橋砂利敷十字路に展開 ―→ 警官隊の攻撃開始      ―→ 警官隊の攻撃と
した警官隊のL字型隊形        とデモ隊の崩壊          デモ隊の抵抗
(これら3地図は、『メーデー事件裁判闘争史』P.193、195、199に掲載されたもの)
 午後三時二十五分ごろ、再び警官隊の襲撃が始まった。警官隊の前に立った指揮官が、高くかかげた警棒を前に打ち振り、「進め」と号令した。L字型隊形のうち桜田門方向に向かっていた警官隊が、まず前面のデモ隊に殺到した。解散集会をめざして集まりつつあったデモ隊にとって、それは突如始まり、そして全く一方的なものであった。桜田濠沿いの砂利敷にいて、この突然の攻撃を受けたデモ隊は、たちまち蹴散らされた。理不尽な暴挙をまのあたりにしたデモ隊の一部は、警官隊に向かって進み、抵抗した。
 だが、この時、密集するデモ隊の中へ催涙ガス弾が撃ち込まれた。攻撃開始前ガス班があらかじめ桜田濠に沿って進み、デモ隊の後方に回っていたのである。催涙ガスが急速にデモ隊の上をおおった。全警官隊がいっせいに警棒を振りかざして突進した。あちこちで拳銃も発射された。
 デモ隊全体はまたたくまに総崩れとなり、潰走した。逃げまどう人びとの頭を割り、肩といわず腰といわず、全身を打ちのめす警棒。目をのどを痛めつける催涙ガス。誰かれかまわずに突きつけられ、そして発射される拳銃。倒れる人びとを踏みつけて、警官隊は進んだ。デモ隊の多くは再び楠公銅像島に逃げた。芝生の上のいたる所に負傷者が横たわり、これを介抱する人や、互いにかばいあう人たちの群れがあった。祝田橋から広場を出た人も少なくない。警官隊は銀杏台上の島を猛進し、中央自動車道路の線で停止し、再び隊列を整え直した。この間十数分である(第二段階)。
 午後三時四十四分ごろ、日比谷公園に沿う都電通りの祝田橋近くで、一条の黒煙がのぼった。アメリカ軍人の自動車に火がつけられたのである。警官隊の攻撃を受け、広場から逃れ出た人たちのうちごく少数の者が、怒りのおもむくがままにとった行動でもあろうか。しばらくあとのことになるが、都電通りのもっと日比谷交差点寄りに駐車してあった十台近くの自動車が、同様ごく少数の人たちによって、ひっくり返され、火を放たれた。どれもアメリカ軍人の乗用車である。こうしたできごとの中でも、広場内への警官隊の増強がつづいていた。
 午後四時。広場の中では、さらに残虐な警官隊の総攻撃が、いっせいに開始された。新たに広場に投入された二つの方面予備隊七個中隊六百名余を加え、警官隊は徹底した暴力で、デモ隊を一人残らず広場から追い出そうとしたのである。二度にわたる警官隊の先制攻撃は、非道な暴力に抵抗する力をさえ、デモ隊から奪っていた。デモ隊はもはやちりぢりにされた群衆であった。
 警官隊は、ほんの数分間で、楠公銅像島の群衆を一掃し、その大半を日比谷濠土手に押しあげ、追いつめた。狭く逃げ場もない土手の上で、人びとは混乱し、警棒の乱打を浴び、無気味に向けられる銃口で脅かされながら、やがて最後に、警察官の悪ばを背に馬場先門から追い払われた。それは、文字どおり袋のねずみを追うむごたらしさであった(「掃討戦」)。
 この総攻撃開始の直後、東京都の職員高橋正夫は、背後から拳銃弾で心臓を射ち抜かれ、即死した。二十三歳である。
    
 警官隊は、広場から追い立てられ逃げ散った群衆を追って、組織的暴力を市街地にまで拡大した。ただの通行人も、アベックも、老人も、婦女子も、見さかいのない暴力の対象であった。警官隊の暴行脅迫は、日比谷公園、有楽町一帯、丸の内から東京駅付近に及び、午後六時ごろようやく終わった。
 この日、警官隊が発射した拳銃弾七十発、投じた催涙ガス弾七十三発。デモ隊側のぎせい、死者二名、重軽傷千数百名である。一九五二年五月一日人民広場の内外で起こったできごと――メーデー事件そのものがまぎれもない政治的弾圧である。
 そして、メーデー裁判は政治的弾圧の継続である。その日午後三時四十分ごろ、警視庁と東京地方検察庁は、デモ隊側の計画的集団犯罪として、この事件に騒擾(じょう)罪を適用すると決めた。人民広場の中で警官隊の組織的暴力がまだつづいている、その時である。疾風のように大量検挙が始まった。警官隊がその手で加えた傷害こそ、まずなによりの目印��された。二週間で逮捕者は八百三十八名にものぼった。総検挙者数千二百三十二名。東京地方検察庁が騒擾罪で公訴を提起した被告人の総数二百六十一名である。
 第一審・・・・・
 東京地方裁判所は、当初、八合議部による分割審理方式を提示した。被告・弁護団はまずこれとたたかわなければならなかった。獄中被告の出廷拒否、合同面会など新しい経験を重ねながら、ともあれ刑事第十一部による統一審理方式がかちとられた(もつとも不幸ながら「分離組」と呼ばれる人たち二十余名がいた)。
 第一回公判一九五三年(昭和二十八年)二月四日。判決まで実に十七年。その間公判を開くこと千七百九十二回。取調べた証人は、検察側五百四十九名(総論関係二百四十四名、各論関係三百五名)、被告・弁護側三百四十四名(総論関係二百七十一名、各論関係七十三名)、合計八百九十三名(延べ千三百二名)に達している。そして、十四人の被告たちが世を去っていた。判決言渡し一九七〇年(昭和四十五年)一月二十八日(「分離組」は二月十三日)。
 判決は、二重橋前の第一段階における警官隊の実力行使を違法としたが、第二段階以降についてはデモ隊側に騒擾罪の成立を認めた。無罪百二十名。有罪百十七名(ただし十五名は騒擾罪以外で有罪)。一月二十八日統一して判決を受けたうちの有罪被告は、全員控訴を申立てた。その日の被告団総会は、無罪となった者もそのまま被告団にとどまり、ともにたたかうことを誓い合った。「分離組」で有罪となった中から三名の人たちが控訴を申立て、この被告団に加わった。控訴審における被告人は、結局百名になった。
 第二審・・・・・
 一九七一年(昭和四十六年)九月三十日東京高等裁判所第六刑事部に控訴趣意書が提出された。第一回公判同年十二月十四日。審理はかなり迅速に進んだ。公判回数二十二回。取調べた証人は、被告・弁寺側の請求した二十六名である。判決言渡し一九七二年(昭和四十七年)十一月二十一日。判決は、第二段階における警官隊の実力行使をも違法と断定し、騒擾罪の成立を全面的に否定し、騒擾罪については全員に無罪を言渡した(公務執行妨害罪などで十六名が有罪となった)。一九七二年十二月五日――騒擾罪全員無罪の判決は確定した。検察官が上告を断念したのである。
 二十年七か月――たたかって、たたかい抜いてかちとった勝利である。被告・弁護団が一貫して主張したこと、それは「つくられた騒擾罪」ということである。本書は、「つくられた騒擾罪」とのたたかいの歴史である。
 〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
(注とコメント)、総評常任幹事会声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.20)にあります。労働界を二分する意見の分裂内容は、増山太助『血のメーデー』に書かれています。これは、〔真相6〕増山太助ファイルから抜粋しました。
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 総評常任幹事会声明 1952年5月2日
 五月二日総評は常任幹事会を開いて声明を発表した。その政治部長島上善五郎は第二十三回中央メーデー実行委員長であった。
 「(一)第二十三回メーデーは、平和と民主主義を守る国民的行事として全国労働都市において未曽有の大動員をえて、日本民主化の主柱がいよいよ強大となったことを示した。
 (二)しかるに中央メーデー行事解散ののち日本共産党分子がおこなった集団的暴力行為は遂に流血の惨事をまきおこした。このことについては総評労闘が何ら関知するところではないが、民主的労働組合の責任において甚だいかんにたえない。
 (三)今次事件は民主的労働組合が営々としてつみあげてきた民主主義をいっきょ後退させ、反動ファッショ勢力を誘発するに至る危険があり、明らかに階級的裏切り行為と断ぜざるをえない。われわれは極左極右のいずれをとわず、かかる一切の暴力行為にたいし厳正な批判を加え、断固排撃するものである。
 (四)わが総評は今日まで反動資本と共産党支配とに抗争する民主的統一戦線を強化拡大し、破防法案、労働法改惑などにあらわれた吉田政府の逆コースに対して整々たる三〇〇万の労闘ストをもってたたかってきたが、その間共産党勢力のシュン動を許さずいよいよ全国民の信頼をかちえてきたところである。
 (五)しかして吉田政府は、必ずや破防法の必須を訴えるであろうが、すでに本事件はソウジョウ罪をもって対処しているのであって、みづから破防法の不要を証明しているではないか。
 (六)いまや今次事件を口実として破防法案、労働法改悪等をもつて基本的人権をじゅうりんし総評の打ちだす労働運動を弾圧しようとするならば、いよいよ内外与論に訴え、さらに頑強な実力行使をもつて、これらを阻止するところまでたたかい、吉田政府の反動政策をあくまで追及し対決するであろう。
 一九五二年五月二日   日本労働組合総評議会」
 労働界を二分する意見の分裂
 記者団に囲まれたメーデーの実行委員長、総評政治部長の島上善五郎は、「この事件はメーデー行事が終った後に共産党系分子と、その影響下にあると思われる一団によって行われた不祥事で、実行委員会としては関知しない。これは反労働者的行為である」「しかし、政府が、破防法をはじめとする露骨な弾圧政策をとり、とくに皇居前広場の会場問題について裁判決定を無視した態度は暴力行動に絶好の条件をあたえたもので、さらに警察の発砲、催涙弾の乱射は事態を激化させたもので、政府の反動政策強行には断乎反対する」と語った。なお、総評の高野事務局長は沈黙を守り、「民族感情の爆発だ」といった副議長の太田薫にたいし、炭労の諸富義高は、「予定した共産党の暴動演習だ」とくってかかったのが、労働界を二分する代表的な意見であり、民労連はもちろん、新産別も後者の意見に組した。
 〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
 (注とコメント)、3つの資料を載せます。いずれも、日本共産党中央軍事委員会が準備・計画し、広場突入指令を出した事実について、完璧に隠蔽しています。そして、軍事委員会作戦・広場突入命令を、下記にある「一部の人」にすりかえる詭弁を使っています。
 第一、日本共産党国会議員団声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.21)にあります。議員団の中に、党中央軍事委員会メンバーはいなかったので、彼らは、広場突入作戦を、事前に知らされていなかった可能性があります。
 第二、メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会、その内容は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.285)に載っています。懇談会に出席した野坂参三答弁は、軍事作戦発令者による真っ赤なウソです。というのも、朝鮮戦争2年目の真っ只中において、後方基地武力かく乱戦争行動の最初で最大の戦闘となる広場突入会戦は、少なくとも3カ月前に決定されており、その最終的作戦計画決定権者は、志田重男一人であるはずがありません。朝鮮半島における激戦を指揮しているソ中両党のスターリン・毛沢東・劉少奇と、北京機関の徳田・野坂、日本国内軍事委員長志田らによる戦争作戦計画だったからです。しかも、この当時、暴露されていませんでしたが、野坂参三は、1945年以来のソ連共産党NKVDのスパイでした。野坂共産党第1書記・軍事委員長志田・指導部復帰者宮本顕治らは、フルシチョフ・スースロフ・毛沢東・劉少奇らから、「六全協で、武装闘争の具体的総括をすることを禁止する。極左冒険主義と抽象的に誤りを認めることだけは許す」との命令に屈服していました。スパイ野坂第1書記は、当然のように、ソ中両党の利益・命令を上に置き、メーデー事件被告・家族をあざむいたのです。
 第三、共産党の公認党史である『日本共産党の65年、70年、80年』(80年は、P.120)は、いずれも、この分量しか記述していません。しかも、メーデー事件と広場突入作戦との関連を隠蔽しています。そこから、まったくの第三者的で、広場突入会戦の戦争責任を放棄した書き方になっています。〔真相7〕石田雄ファイルにあるように、丸山眞男が、この事件を念頭に置いて、『戦争責任論の盲点』を書き、日本共産党が、戦前だけでなく、メーデー事件についても具体的な総括を公表して、前衛政党としての結果責任を果すべきと批判したという石田雄の推論は、さもありなんという説得力を持っています。
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 日本共産党国会議員団声明 1952年5月1日
 日本共産党国会議員団は、即日「本日の事件は人民広場の使用を吉田内閣が不法にも禁止したことから起こったもので事件の一切は吉田内閣が負うべきものである。今日の弾圧こそ破壊活動防止法案をすでに実行に移したもので、わが党は日本国民の自由の名において厳重に抗議する」旨の声明を発表した。
 メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会 1955年10月24日
 十月二十四日夜メーデー事件被告、家族と共産党との懇談会が産別会館講堂で開かれた。日本共産党から第一書記の野坂参三のほか松本三益、長谷川浩が出席した。
 懇談会は、その名に比してはかなり激しく、メーデー事件の評価に関する意見、疑問、共産党に対する批判、不満が交わされる場となった。党員被告を名指しで非難したり、被告同士で論争する場面も見られた。二、三の人から、敵の挑発というだけでは納得出来ない、あの日のメーデーに極左冒険主義の方針があったのではないか、という疑問が出た。野坂らはこう強調した。メーデーに対する党の方針とメーデー事件と呼ばれているものとは客観的に区別して評価すべきである。党が騒擾事件を計画、指導したことは断じてない。「人民広場へ行こう」というのは広範な人びとの当然の要求であった。問題は、これを全体的行動に組織するという観点に立つのでなく、一部の人たちの行動に頼ろうとしたところにあり、極左冒険主義の誤りの影響と言ってよい。権力はこの弱点を利用し、挑発・弾圧を加えた。人民広場へのデモの正当性とともに、警官隊の攻撃に抵抗した行動の正しさも消えるものではない。
 日本共産党中央委員会『日本共産党の80年』 2003年1月20日
 (メーデー事件に関する全文)……六全協後における唯一の公的な事件評価記述
 この闘争のさなかの五二年五月、いわゆる「血のメーデー」事件がおこりました。占領軍と吉田内閣は、五〇年六月いらい、「人民広場」とよばれた会場(皇居前広場)をメーデーその他の集会に使用することを禁止していました。この日、中央メーデーに参加したデモ隊の一部が、この不法な措置に抗議しながら、「広場」に行進しました。警察当局は、デモ隊を「広場」内に誘導したうえで、数千の武装警官隊をもって攻撃し、警官隊のピストルなどで二人が殺害され、千人をこえる重軽傷者がでました。
 (『日本共産党の65年、70年』の上記同一記述から削除した文) ……削除の理由は不明
 この事件は、占領支配と単独講和にたいする大衆的な怒りと抗議の一つの反映であった。
 〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
 (注とコメント)、ここには、4つの資料を載せます。増山太助は、入党後、党中央文化オルグ・全国オルグを経て、関東地方委員、1950年初頭から東京都委員、「50年分裂」のときには、主流派内の東京都ビューロー幹部であったが、裏側で、武装闘争反対の活動を行なっていました。
 第一、彼は、主流派に所属しつつも、当時の日本の情勢、労働運動の状況、国民の意識実態から、武装闘争を遂行することは誤���であると考え、ビューロー幹部5人を中心として、主流派非公然ビューロー内における非公然グループを作り、武装闘争実践を骨抜きにする面従腹背行動を組織し、展開していました。その組織・行動内容については、『武装闘争責任論の盲点』の「2派1グループの実態」で分析しました。
 第二、武装闘争を行なった幹部たちについて、8人の人士群像を描きました。これは、HPに転載してあります。
 第三、メーデー事件の概況を『血のメーデー』で描きました。これも、HPに転載しました。
 第四、増山太助は、メーデー前日の東京都ビューロー会議にも出席して、人民広場突入作戦に猛反対しました。東京生え抜きのビューロー員も、全員が反対しました。激論の末、結局、他のビューロー員も含め、突入方針は否決され、人民広場使用不許可にたいする抗議だけにすることが全員一致で決定されました。その決定を裏切って、志田軍事委員長は、その深夜から5月1日早朝にかけ、規定方針どおり広場突入せよとの軍事委員会命令を徹底させたのです。当時の共産党組織は、4つに分かれていました。(1)北京機関と自由日本放送、(2)合法の臨時中央指導部(臨中)、(3)非合法の地下政治指導部ビューロー、(4)非合法の地下軍事委員会Yです。
 非合法地下の都ビューロー会議で、広場突入軍事行動が否決されたのに、志田軍事委員長→非合法地下の東京都軍事委員会Yというルートで、広場突入軍事方針が決行されました。増山証言は、共産党が広場突入軍事行動を行なったことを証明する重要なデータの一つです。この資料は、増山太助『五〇年問題覚書(下の二)、―「柴又事件」の前後から「血のメーデー」へ―』(『運動史研究8』、三一書房、1981年、P.100~125)の内、「五」(P.120~125)を、一部中略して、ほぼ全文を転載したものです。このHPへの転載については、増山太助氏の了解をいただいてあります。
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 第一、『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの実態=増山太助らの武装闘争反対グループ
 第二、増山太助『日本共産党の軍事闘争』軍事闘争の先頭に立ち、指導した8人の群像
 第三、増山太助『血のメーデー』メーデー事件の概況
 第四、増山太助『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
 ところで、五二年という年は、年頭から荒れ模様の情勢となった。スターリンは、元旦のメッセージで、日本人民の総決起をうながし、臨中は、これにこたえる声明を発表して呼応した。一方、占領軍と日本の支配階級は、四月二八日に予定された、単独講和・安保両条約の発効と、それにともなう総司令部(GHQ)の廃止にそなえて、つぎつぎと積極的な手をうってきた。労働者階級は、年末闘争にひきつづき、“占領終決”という画期を前にして、いよいよ“不屈な面魂”をもって決起しはじめた。一月一六日、賃金共闘は、弾圧法規反対��、総評と統一行動をとることを決定し、一八日には、労働法規改悪反対闘争委員会が代表者会議をひらいて、当面する情勢の分析と戦術をねった。
 ところがその三日後の二一日に、突如、北海道で白鳥警部射殺事件がおきた。そして、これが敵側に利用されて、いっそう弾圧体制が強化され、「新たな従属・支配体制」を強める契機となった。だが、労働者階級は前進しつづけ、二六日には、総評、労闘、官公労共催の弾圧法規反対労働者総決起集会がおこなわれ、三万人を結集した。吉田首相は、三一日に、警察予備隊を切りかえて、防衛隊をあらたに設置するという、威嚇的な方針を言明。二月一三日には、安保条約に基づく日米合同委員会の設置が本決りとなった。そして、一五日から、日韓両国の正式会談が開始され、米・日・韓の防衛体制を強めながら、国内弾圧諸法規の整備に馬力をかけはじめたのであった。
 一方、二〇日には、東大でいわゆるポポロ事件―ポポロ劇団発表会に私服警官が潜入―がおき、京大では第一次京大事件―小林多喜二祭に警官が潜入―が同時多発して、その摘発闘争・弾圧反対のたたかいが燃えあがった。さらに、翌二一日の反植民地闘争デーには、全国二六カ所で高揚した集会が決行され、激しいデモが敢行された。その結果、五七名もの検挙者を出したが、たたかいは持続する様相をしめした。なかでも、東京・南部の反植民地闘争デーの集会には、武器を持った労働者の集団が公然と姿をあらわし、一時、蒲田・椛谷地区を解放地区にした。政府は、二八日に、日米行政協定に調印、日米合同委員会を発足させた。二月末日現在、『アカハタ』弾圧以来の後継紙で発禁処分になった紙種が八一八に達した。まさに、彼我の攻防は目にみえてつばぜり合いの形になってきたのであった。
 こうした状況のなかで、二月以降、五全協の「軍事方針」がつぎつぎと具体化され、下部に浸透していった。その代表的なものは、「中核自衛隊の組織と戦術」「軍事行動の前進のために」であり、「組織と戦術」のなかでは、「武力革命」の段階を三つに分け、第一段階では、軍事委員会の指導下に中核自衛隊を組織し、大衆闘争に武装行動の必要性を認めさせつつ、これを革命的闘争へひきあげていくこと。第二段階では、中核自衛隊の指導下に、広範な大衆を抵抗自衛組織に組織していくこと。第三段階では、大衆闘争を国民的規模にまで拡大し、抵抗自衛組織を人民軍に発展させ、武力革命に突入する、という構想をあきらかにしていた。そのために、『栄養分析表』で、(一)時限爆弾、(二)ラムネ弾、(三)火焔手榴弾、(四)タイヤパンク器、(五)速燃紙(硝化紙)などの構造や製法が、軍事委員会の単線指導で下部に流されていった。
 前述したように、“単独”講和、「独立」ということは、軍事占領下にあって制約されていた政治的自由を、一定のカッコつきではあるが「国民のもの」にしなければならない、ということであるから、それ以前に、占領軍と日本政府は、革命勢力とその組織を出来るだけ弱体化させておかなければならない。そして、総司令部廃止後、かれらがいっきょに政治的進出をはかれないようにしておかなければならない。だから、この時期におこなわれた一連の弾圧措置は、朝鮮戦争前夜の軍事的予防措置とはことなり、「独立」を保持するための政治的予防措置であったわけだ。したがって、この措置のあとには、当然、党の合法的活動の拡大が予想されていたにもかかわらず、党中央は、むしろ、これを逆にみて、「サンフランシスコ体制と安保条約」による「占領制度の永久化・制度化」に「軍事行動」を対置して、突破しようとしたのであった。
 三月に入ると、たたかいはにわかに激動した。一日、総評、労闘主催の弾圧法粉砕総決起大会が開催され、これには一〇万人の労働者が結集、全国的には延一千万人以上の労働者が、事実上ストライキをうって参加した。そして、わが国最大の政治的示威行動を展開した。これにたいし、政府は、二七日に、「治安維持法」の復活といわれた、破壊活動防止法案要綱を発表して対決し、また、これを撃って、翌二八日と三一日の両日、総評、労闘合同拡大戦術委員会が、破防法反対に、断固、ゼネストをもってたたかう方針を決定した。
 こうした攻防のなかで、党の「軍事行動」は、いよいよ発動しはじめたのであった。関東地方では、神奈川県委員会が先頭を切り、三月一九日の未明、横浜の進駐軍物資集積所へ火焔ビンが投げ込まれ、二九日の夜八時には、吉河特審局長宅へ火焔ビン投入の襲撃がかけられた。これにたいし、国警は、二八日に、後継紙『平和と独立』の印刷所、配布所など、全国で一、八五〇カ所を捜査。二九日には、三多摩の山村工作隊にはじめて手入れがおこなわれた。これに反発して、三一日には、川崎の米軍資材置場、横浜市の「エリア・2」とよばれる進駐軍住宅付近に時限爆弾をしかける攻撃がおこなわれた。また、同日、総評、労闘は拡大戦術会議をひらき、破防法反対のゼネスト第一波を四月一二日、二波を一八日に決定して、対決の決意を表明した。
 私は、この時期、宣伝・教育部門を担当していたが、破防法反対の宣伝活動に全力をあげ、このたたかいを広範な大衆自身のものにするために努力した。(中略)
 しかし、四月から五月へかけて、私たちは、ビュー・ロー・キャップの枡井トメを中心に、連日、たたかいの指導に没頭していた。そして、四月一二日の破防法反対の第一波ゼネストには、三〇万人の労働者を結集、破防法案が国会に上程された翌日、一八日の第二波には、政府の恫喝をけって、一一〇万人がゼネストに参加するという、成果をおさめた。また同日、これに同調する都学連一五〇〇人の国会請願デモが組織され、全学連は二八日に破防法反対のストを決行した。いうまでもなく、この日、一九五二年四月二八日は、対日平和・安保両条約が発効した日であり、第二次世界大戦に敗北した日本が、七年間の占領から、沖縄を残して、一応とき放たれた日であった。だが、私たちは依然として潜行をつづけ、この二八日の前後には、メーデーの開催方法をめぐって、都ビューロー内部で深刻な討議をくり返していた。
 五二年の中央メーデーは、前年同様分裂メーデーになったが、それだけではなく、会場も皇居前広場の使用が許可されず、結局、神宮外苑に押し込められてしまったことが、破防法反対闘争の高揚のなかで、戦闘的な労働者の憤激をよびおこした。そして、その怒りは、占領時代における軍事的・植民地的支配にたいする反抗のあらわれでもあり、同時に、日本が一応「独立国」になって、占領法規が効力を失った途端に、占領軍を肩代りして前面におどり出た、国家権力の暴力装置にたいする反抗でもあった。それだけではなく、その底流には、反革命戦争としての朝鮮戦争にたいするうっ積した怒り、とくに在日朝鮮人組織の抜きがたい不信と激怒があった。
 中央メーデー準備委員会周辺の討論を反映して、都ビューローが討議をくり返した問題点は、戦後“革命期”に、“人民広場”と呼称されて、たたかう労働者・人民の“意志の確認”“決起”の場所となっていた皇居前広場を、「独立」を機に、実力で「奪還すべきだ」という意見にたいする賛否をめぐる問題であった。当初、キャップの枡井は、「占領下の制約はなくなった」「其のメーデーは人民広場で」の主張であり、組織部を担当していた浜武司や、労対の益子正教らもこれに同調していた。しかし、東京はえ抜きの他のビューロー・メンバーのほとんどが、これに反対する立場をとった。私は、メーデーの主力部隊である総評の意向を尊重すべきだと考えていたし、なかでも、「平和四原則」を守り、総評を“ニワトリからアヒル”に変えるために奮闘していた高野実ら左派の立場を強めることが、「独立」後の彼我の状況を有利に展開するポイントであると確信していたから、共産党が系列下の組合や全学連をつかって、「人民広場」に固執し、実力で“奪還”することには反対であった。これにたいし、枡井らは、「少なくとも、共産党の部隊は人民広場に入り、使用させなかったことの不当性を抗議すべきではないか」と主張しつづけた。
 しかし、真剣な討論の末、しかもメーデーの前日に終日の討議をおこなった結果、全員の意見が完全に一致し、「人民広場には入らないこと」、「中央コースのデモ隊は、広場側を通過の際、シュプレッヒコールで人民広場使用不許可の不当性を訴えて、抗議の意思表示をおこなうこと」、「人民広場突入を強く主張する自労や学生部隊などをデモ隊の先頭に立たせず、後部に回し、市民を先頭に立てて、予想される敵の挑発から大衆を守るために、金属労働者や官公労の労働者たちによる統制を強めること」などを決定した。私たちは、この決定を生み出してホッとした。そして、「独立」後第一回のメーデーが、労働者、人民の血気さかんなメーデーになることを期待したのであった。
 私は、メーデーの当日、会場にいけない無念さを晴らすために、メーデー終了後、妻と娘たちに会い、せめて家族水入らずの祝盃をあげる予定を組み、その連絡をとった。そして、その文面のなかに、「人民広場へは入らないことになった。僕の分もふくめて、先頭に立って堂々と行進して下さい」と書いた。ところが、周知のように、メーデーはいわゆる「軍事行動」を展開して、“血のメーデー”になった。先��に立っていた妻と娘は、祝田橋よりはるか手前で警官に襲われ、妻は頭部を殴打されて三針ぬう重傷、娘は腰部を��たれて大きなアザをつくった。二人は通りがかりのひとに助けられ、傷の手当をして、私の友人の家に逃げ込み、かくまわれた。私がこのことを知ったのは、夕飯を食べないで待っていた夕刻近くであったが、私は、思いもよらない“血のメーデー”に驚き、家族がそれにまき込まれたことに愕然とした。同時に、「ついに、東京都委員会の決定は守られなかったのか」と残念に思い、ともかく現場近くまでいって情報をつかもうとした。そして、私が友人の家に駆けつけたときには、まだ、その周辺にも、この日の昂奮が無気味な余韻を残していた。みると、友人宅の戸棚のなかにかくれていた妻の顔は青ざめ、娘はおびえてふるえていた。私は二人を見守りながら、まんじりともせずに一夜を過したが、ひさしぶりに会う妻と娘に、こういう状態で会おうとは夢にも思わなかった。やたらと涙があふれ出て、複雑な怒りが全身に充満し、どうすることもできない感情にさいなまれつづけた。
 翌日、東京都委員会は緊急ビューロー会議をひらき、善後策を協議した。まだ、現場の情報が十分収集できなかったが、何人かのビューロー員は、「あれほど慎重に討議して決めたのに……。なぜ、東京の党組織はああいう行動に出たのだろう」「これは、Yのひとり歩きではないか」と、Yを兼任していた枡井に、「おばさんだけは知っていたのではないか」と質問するひともいた。しかし、枡井も「知らなかった」といい、「ともかく、こうなったからには……、不当弾圧抗議の声明を出そう」ということになり、枡井が執筆することになった。その内容は、メーデーの日から放送を開始した、北京からの「自由日本放送」と趣旨が一致していたので、後日、枡井は得意気であった。この放送原稿は、NHKをレッド・パージになり、中国へ渡って「自由日本放送」の仕事にたずさわっていた藤井冠次の証言(『伊藤律と北京・徳田機関』)によると、伊藤律が書いたということであるから、枡井と伊藤律の評価は、だいたい一致していたことになる。
 また、六全協後の東京都委員会の総括のなかで、私は、“血のメーデー”における「軍事行動」の責任を追及したが、そこであきらかになったことは、前日ひらかれた東京都委員会のビューロー会議終了後、浜武司が中央へよびつけられ、「人民広場へ突入せよ」と指示されたという。これを伝えたのは、志田の命をうけた沼田秀郷であることも、本人の証言によってあきらかになった。浜は、夜を徹して各地区を歩き、「中核自衛隊」の動員手配をおこない、「全く自分の責任で、当日の行動を組織した」と証言していた。
 だから、私の推測では、中島誠が書いているような(『流動』一九七八年一一月号)「メーデーをきっかけに、『人民広場』を奪い返し、日本の首都のどまん中に一種の革命的状況をつくり出そうと計画し、動員を組織し、広場へのなだれ込みの順序、入り口の分担、隊列の組み方、そしてそこでの『戦闘』のやり方に至るまで何日も前から綿密に計画を練り、練習をも積み、『人民広場』での革命的状況をさらにどのようなものに展開してゆくかまで展望していた」というようなものではなかったと思う。もし、中央軍事委員会にそのような机上プランがあったとしても、“血のメーデー”は、党の「中核自衛隊」と党員を主力としてたたかわれたもので、大衆の蜂起を党が下から支えて、組織したものではなかった。だから、「革命的状況」を「展開」し、「展望」をきりひらくことは、全く不可能なことであった。
 ついでに付記しておくと、この総括会議をおこなっていたときには、志田の「お竹事件」はまだ“闇”のかなたにあり、志田と官本顕治はアベックで全国の党大会に出席していた。したがって、この“協力体制”をくずさないために、「志田の政治的責任は追及すべきではない」というのが、反“主流派”のひとたちの共通した意見であった。つまり、このときには“分裂した一翼”の“極左冒険主義”について、“国際派”のひとたちも“関わらない”のではなく、“不問に付する”態度であった。
 (中略) 血のメーデーにつづく「五・三〇事件」記念日の岩の坂、新宿、大阪吹田などの交番襲撃事件―火焔ビン闘争が多発して、ようやく盛りあがった大衆的な労働運動―破防法反対闘争に水をさす結果をもたらした。すなわち、破防法反対闘争の中心部隊を形成していた社会党や総評左派を動揺させ、右派単産幹部を狼狽させて、多数の部隊を脱落させた。(中略) こうして破防法は、七月四日の衆議院において可決成立し、二一日に公布され、同時に公安調査庁も発足したのであった。
 〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
          丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
 (注とコメント)、これも、HPに転載してあります。石田雄現東大名誉教授は、メーデー事件当日、東大職組の一員として、人民広場に入りました。警察は、東大職組の2人を逮捕しました。丸山眞男は、広場にいませんでしたが、東大法学部教授会として、その対応にあたりました。日本共産党宮本顕治は、丸山眞男の『戦争責任論の盲点』にたいして、異様なほどの丸山批判キャンペーンを13回も展開しました。宮本顕治は、それによって、その丸山論文だけでなく、共産党批判をする丸山眞男の全学問業績の否定とその社会的抹殺を謀ったというのが、私(宮地)の判断です。共産党の丸山批判キャンペーンの実態と本質については、2つのファイルで分析してあります。
 石田雄論文は、丸山眞男論文の一背景に、メーデー事件に関する日本共産党批判があったとする証言です。
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   石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
   『共産党の丸山批判・経過資料』13回の丸山批判キャンペーン
   『志位報告と丸山批判詭弁術』1930年代のコミンテルンと日本支部
以上  健一MENUに戻る
 (関連ファイル)
    『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
    『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
    滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
    THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
    石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
    れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
    吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
    藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
    大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
    由井誓  『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
    脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
    増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
    中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
          (添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
    八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
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adu-web · 2 years ago
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⁡ 2022.06.24.fri. ⁡ ⁡ 「五穀の玉手箱」 ⁡ ⁡ 古より日本で主要とされてきた 米・麦・あわ・きび・豆の 五穀からインスパイアされ 五個の炻器を詰め合わせた玉手箱。 ⁡ 五個の円にご縁をつなぎ 皆様に幸せが続きますよう 願いを込めてつくりました。 ⁡ オブジェとしてはもちろん 箸置きとしてもご使用いただけます。 お手持ちの紐に通して首飾りとしても。 ⁡ 最後に玉手箱を包むのは 自然の力を存分に授かり染め上げた、 泥染のリネンのクロス。 ループがついているので その後も様々な用途にお使いいただけます。 ⁡ adu.5周年という節目に ようやく形にすることができた玉手箱。 ⁡ 自分へのご褒美に 大切な方へのプレゼントにどうぞ。 ⁡ 店頭では6/25.satより adu.online shopにては本日15時より ご購入いただけます。 限定数になりますのでお早めに ☺︎ ⁡ ⁡ 【詰合内容】 ○五個の炻器 *1個につき3.5〜4.5cm程度 *貫通する円 約1.5cm *作家の手仕事のため、形は不揃いです *おおよそ、小豆色・炭黒色・灰白色の3色に分けられます  どの色味が何個入るかはご指定いただけません *11×11×4.5cmのグレーの紙箱に入ります ○約45cm角の泥染クロス、ループ付き ループと生地は、運針で縫われています  糸の色はそれぞれ違うのでご了承ください ⁡ 【制作】 五個の炻器|水谷智美 @tomomi_mizutani 生地|北一浩 @kazuhiro__kita クロス制作|工房沙弥糸 @kobo_samiito (adu.) https://www.instagram.com/p/CfLAkWBPpRJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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thereareonlydeer · 2 years ago
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行ってきた。 参加アーティスト一覧の中に会田誠や鴻池朋子の名前があったから、ドラえもんがテーマとはいえ案外大人向けの展示なのかと思っていた。クリムトや芳年の絵が当然に飾ってあるような感じ。 いざ館内に足を踏み入れたらカップルと子供連れしかいなかった。なんなら建物から出てくる人とすれ違う段階で明らかに美術館らしからぬ年齢層の低さを感じていた。ついでに修学旅行中と思しき中学生集団もいた。ミュージアムってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
以下感想。
・村上隆らしいごちゃごちゃ感と色彩感覚。とてもドラえもんらしい。 ・Mr.。萌えは抑えめ。構図が楽しい。 ・佐藤雅晴。ノスタルジー惹起映像。ニコ動画で見たことあるような雰囲気。 ・梅佳代。ドラえもんにまみれた家族写真。これほんと好き。 ・しりあがり寿。エンディングを見た子供が爆笑してたのが印象的。 ・西尾康之。プロジェクションマッピング(?)ってここまで精巧な画を描けるんだと感動。 ・町田久美。くっそオシャレ。すごい好き。 ・福田美蘭。ただただ技術がすごかった。技術としてのartでした。 ・蜷川実花。チェキverとインスタverが並べられていたのがとてもよかった。いいよねスパダリドラえもん。 ・鴻池朋子。この人の造る作品全部好きだわ。プライマルで有機的で繊細かつ大胆で。 ・小谷元彦。ハリウッドSFドラえもんだった(?)。動物とメタルとの融合がとても刺さりました。 ・奈良美智。いつもの。おめめがバシバシでかわいい。眼帯付けさせてるの性癖出てる。 ・渡邊希。漆でこんなものが造れてしまうのかと息をのんだ。しゅごい。 ・会田誠。さすがに自重したらしい。 ・コイケジュンコ。シンプルにかわいい。 ・森村泰昌。この人の作品は前見たことあるんだけど、今回一目で「あ、あの人の作品か」と分かった。ただのポートレートなのにどうしてこんなにオリジナリティを感じるんだろう。 ・篠原愛。ツノクジラ、人魚、ドラえもんとのび太。どれも違うタッチで描いてるの独特。 ・坂本友由。巨女フェチ溢れすぎ。 ・山本竜基。初めて作品を見るアーティストだったけど、一目惚れしちゃった。ぞわっとする黒い物体とかくっきりとした陰影のつけ方が良き。 ・増田セバスチャン。KAWAII‼ ・中里勇太。おきれいなペガサス! 凛々しいお目目が好き。 ・クワクボリョウタ。計算されつくされた影絵。制作過程を想像するだけで頭が痛くなるシリーズ。 ・山口英紀、伊藤航。ひみつ道具の工業デザイン的解釈実体化とその水墨画。緻密すぐる。 ・後藤映則。光の演出ヤバすぎるんだが? ・シシヤマザキ。Twitterでたまに流れてくるやつ。 ・中塚翠涛。モンドリアンな構成に「光」と「影」が映えてオシャンティ。拙者この手のグラフィックデザイン大好き侍。 ・近藤智美。首折れた。 ・れなれな。多分参加アーティストの中で一番若い人。白黒でシンとした空気感はまさに静かな決意。
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hi-majine · 5 years ago
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たがや
 このごろでは、交通事情のためになくなってしまいましたが、両国の川開きというものはたいへんなものでした。  花火見物の客で混雑をきわめて身うごきもできなくなるんですが、それでも花火がきれいにあがると、「たあまあ屋ー」なんてんで、ほうぼうから声がかかると、みんなもう夢中になってみとれております。  しかし、花火のほめかたというものは、たいへんにむずかしいそうですな。ご年配のかたにうかがいますと、上へいってひらいた花火が、川へおちるまでほめているのが、ほんとうのほめかたなんだそうで……だからうんと長いあいだほめていなくてはいけないと申します。 「たあまあ屋あーい」  てんで、じつに長い。  これと反対なのが、役者衆のほめかたで、ごくみじかく、ぱっとほめます。  歌舞伎のほうだと、「たやっ」なんて声がかかります。ほんとうは、音羽屋というべきところをみじかく「たやっ」とかけるわけです。  新派のほうでも、「水谷っ」「大矢っ」と、やはりみじかくほめます。  これを花火のほめかたでやったらぐあいのわるいもんで…… 「おーとーわーやあー」 「うるせえやい、こんちくしょう」  なんてんで、張り倒されてしまいます。  また、役者衆のほめかたで花火をほめたら、これもぐあいのわるいもんで…… 「玉屋っ」 とみじかくやったら、花火が上へあがったまんまおちてこなかったりして……まさかそんなこともありますまいが……
 むかしは、玉屋と鍵屋と二軒の大きな花火屋がありましたが、玉屋のほうは、天保十四年五月、将軍|家慶《いえよし》公が日光へご参詣のときに自火をだしましたために、おとりつぶしになってしまいました。ですから、あとにのこった大きな花火屋といえば鍵屋だけなのですが、どうも鍵屋という声はかかりません。  端唄《はうた》にも、「玉屋がとりもつ縁かいな」というのがありますし、小唄にも「あがったあがったあがった、玉屋とほめてやろうじゃないかいな」というのがあって、鍵屋のほうはまったくとりあげられておりません。ですから、江戸時代の狂歌にも、   橋の上玉屋玉屋の人の声    なぜか鍵屋といわぬ情《じよう》(錠《じよう》)なし  なんて同情したのがあります。
 さて、むかしは、五月二十八日が川開きの日でしたが、その当日、夕方になりますと、両国橋の上からそのあたりは黒山の人だかりで、爪も立たないようなさわぎ。みんな押したり押されたりしながら夢中で花火をみております。  その混雑の最中に、本所のほうから徒士《かち》の供ざむらいをつれて、仲間《ちゆうげん》に槍を持たせたさむらいが馬を乗りいれてまいりました。  まことに乱暴なはなしですが、そのころは、士農工商という身分制度がきびしくできあがっておりましたから、みんな苦情をいうことができません。 「寄れ、寄れ」  とどなられますと、たださわいで道をあけようとするばかり…… 「おい、馬だ、馬だ、馬だ。そっちへよってくれ」 「寄れないよ、もう橋の欄干《らんかん》にべったりはりついてるんだから……」 「もっと寄れよ、なんなら川の中へとびこんでくんねえな」 「じょうだんいっちゃあいけねえ……おっとっと……押すなよ。押すなってば……死んじまう!」  みんな必死になって馬をよけておりますが、さむらいのほうではそんなことは平気で、なおも人ごみのなかをすすんでまいります。
 一方、両国|広小路《ひろこうじ》のほうからまいりましたのが、たが屋で……このたが屋という商売は、いまではすっかりなくなりましたが、むかしは、桶《おけ》のたがをなおしてあるくことを稼業にして、ほうぼうの家をまわっておりました。  そのたが屋が、仕事を終えて両国橋へさしかかってまいりました。 「あっいけねえ。うっかりして、きょうが川開きだったことを忘れてた。こう人ごみにまきこまれたんじゃあどうにもしょうがねえ。あとへもどることもできやしねえや。しかたがねえ、通してもらおう……すみません。通してやっておくんなせえ」 「いてえ、いてえじゃねえか。だれだい? あっ、たが屋だ。こんな人ごみのなかへそんな大きな道具箱をかついできちゃあしょうがねえなあ。早く通れ、早く通ってくれよ」 「へい、すみません……みなさん、すみません」  てんで、たが屋は、まわりの人たちにあやまりながらすすんでまいります。  一方、さむらいのほうも、 「寄れ、寄れ、寄れい」  と人をかきわけながら、だんだんと橋のなかほどまでやってまいりましたが、これがたが屋と橋のまんなかででっくわしてしまいました。 「寄れ、寄れ、寄れと申すに……」 「へえへえ、すみません」  寄れといわれても、爪も立たないような人ごみのなかで、道具箱をしょってるのですから、たが屋としてもおもうようにはなりません。ただもじもじとするばかり……こうなると、さむらいのほうでもじれったくなってきたとみえまして、 「ええ、寄れと申すに、なぜ寄らんか」  といったかとおもうと、ダーンとたが屋の胸をつきました。不意のことなので、たが屋は持っていた道具箱を、おもわずドシーンととりおとしてしまいました。  間のわるいときはしかたのないもので、道具箱のなかの巻いてある竹のたがが、おちたひょうしに、つっつっつっつっと伸びていったかとおもうと、馬に乗っていたさむらいの笠《かさ》をはじき飛ばしてしまいました。あとは、さむらいのあたまの上に、お茶台のようなも���がのこっているばかりで、まことにまぬけなかたち。 「無礼者め!」  さむらいは烈火のごとく怒りました。 「へえ、ごめんください。いきなり胸をつかれましたんで、道具箱をおとしてしまいました。すみません。かんべんしてやっておくんなさい」 「いいや、ならぬ。この無礼者め。ただちに屋敷へ同道いたせ」 「すみません。どうかゆるしてくださいまし。お屋敷へつれていかれたら、この首は胴についちゃあいねえんだ。そうなると、家にいる目のみえねえおふくろが路頭にまよわなくっちゃなりません。ねえ、どうか助けてくださいまし」 「いいや、勘弁まかりならん。いいわけがあらば屋敷へいって申せ。さあ、まいれ」  ただでさえ人ごみなのですから、たが屋とさむらいのやりとりをかこんで黒山の人だかり。うしろのほうにいる連中はなんだかわからずにあつまってるようなことで…… 「なんだ、なんだ、なんだ」 「巾着《きんちやく》切りがつかまったんで……」 「ああ、よくあるやつだ。巾着切りは男かい、女かい?」 「いいえ、巾着切りじゃありません。お産ですよ」 「お産? このさなかに赤ん坊ができるんですか?」 「ええ、この人ごみで押された上に、パーン、パーンという花火の音ですから、赤ん坊だってうかうか腹のなかにはいっちゃあいられないとおもうんですよ。だから、お産にちがいない」 「ちがいないって、みえたんじゃないんですか」 「いいえ、これはあたしがそうおもったんで……」 「いいかげんなことをいうなよ。こっちはほんとうにするじゃねえか……あっ、こっちにずいぶん背の高い人がいらあ、この人に聞いてみよう。もし、そこの背の高い人、ねえ、そこの背の高いおかた」 「なんです?」 「なかはなんです?」 「気の毒に……」 「気の毒?」 「そう、気の毒だよ」 「へえ、そんなに気の毒なことがおこってるんですか」 「いいや、おまえさんが、なかがみえずに気の毒だ」 「なんのこった。みえねえで気の毒だってやがら……しゃくにさわるねえ。なんとかしてなかがみてえもんだ……えーと……そうだ。こうなりゃあ最後の奥の手をだして、股ぐらくぐって前へでちまえ。えー、ごめんよ、ごめんよ」 「あっ、びっくりした。股ぐらからでてきやがった……やい、泥棒」 「なんだと、この野郎、泥棒とはなんだ。いつおれが泥棒した?」 「泥棒じゃねえか。おれの股ぐらくぐったとき、てめえは、股ぐらのできものの膏薬をあたまにくっつけてもってっちまいやがって……」 「えっ、股ぐらのできものの膏薬? あっ、あたまにひっついてやがらあ、きたねえ野郎だなあ……えっ、どうしたんです? ……え? あのたが屋が? たがで、さむれえの笠をはじき飛ばしたんで……うんうん、かわいそうに、意地のわりいさむれえじゃねえか。かんべんしてやればいいのに……供ざむれえもいばってるけど、馬に乗ってるやつはひどく意地が悪そうだねえ……やい、意地悪ざむれえ、ゆるしてやれ。かわいそうじゃねえか。この人でなしの犬ざむれえめ」 「もし、あなた」 「なんです?」 「なんですじゃありませんよ。あなたがさむらいの悪口をいってくれるのはうれしいんですけれどね。あなた、人がわるいや、悪口いっちゃあ、すっと首をひっこめるでしょ? だから、馬上のさむらいがこっちをにらんだときには、ちょうどあたしの顔が真正面。気味が悪くってしょうがないよ。たが屋ともども屋敷へ同道いたせなんていわれちゃあたまったもんじゃない。だから、悪口をいったあとで首をひっこめるのはやめてくださいな」 「えっ、そうなるかしら……どれ、どれ、もういっぺんやってみようか……やい、この意地悪ざむれえ、ばかざむれえ……ああ、なるほど……こうやって首をひっこめると、あなたの首が真正面だ。こりゃああなたがにらまれるわけだね。まあにらまれたのが因果だとあきらめて、あなたもたが屋といっしょにお屋敷へいらっしゃい」 「じょうだんいっちゃいけないよ」
「ねえ、おさむらいさん、さっきからいう通りの事情だ。どうか助けてやってくださいな」 「いや、勘弁まかりならん。この場において斬りすてるぞ」 「ねえ、そんなことをいわずに、助けてくださいまし」 「いいや、ただちに斬りすててくれる。そこへなおれ」 「じゃあ、どうしても斬るってんですかい。どうしてもかんべんしてくれねえってんで……」 「くどい斬りすてる」 「なんだ、この丸太ん棒」 「丸太ん棒とはなんだ」 「そうじゃねえか。血も涙もねえ、目も鼻も口もねえやつだから丸太ん棒てんだ」 「無礼なことを申すな。手はみせんぞ」 「みせねえ手ならしまっとけ。そんな手はこわかあねえや」 「大小が目にはいらんか」 「そんな刀が目にへえるぐれえなら、とっくとむかし手づまつかいになってらあ」 「ええい、二本さしているのがわからんかと申すのだ」 「わかってらい。二本ざしがこわくって、でんがくが食えるかよ。気のきいたうなぎをみろい、四本も五本もさしてらあ、そんなうなぎをうぬらあ食ったことああるめえ……おれもひさしく食わねえが……斬るってんなら、どっからでもいせいよくやってくれ。斬って赤くなけりゃあ銭はもらわねえ西瓜《すいか》野郎てんだ。さあ斬りゃあがれ」  たが屋がいきなりたんかをきりはじめたので、こんどは供ざむらいのほうが押され気味になってまいりました。  形勢《けいせい》不利とみた馬上のさむらい、ぴりぴりと青筋を立てて、 「斬りすてい!」  と命じたからたまりません。 「えい」  とばかり、供ざむらいが抜けば玉散る氷の刃《やいば》とくればいせいがいいんですが、ふだん貧乏で内職に追われてますから、刀の手入れまで手がまわっていない。すっかりさびついてるやつを、ガサッ、ガサッ、ガサッ、ガサッガサッガサッ……ひどい音を立てて抜いたやつで、いきなり斬りつけてきました。たが屋はこわいから、ひょいと首をひっこめると、刀が空を斬って、供ざむらいのからだがすーっと流れた。そこへつけこんで、いきなりその利腕《ききうで》をぴしりっと手刀で打ちました。ふだん桶の底をひっぱたいていて力がありますから、供ざむらいは、手がしびれて、おもわず刀をぽろりとおとしてしまいました。 「あっ、しまった」  と、ひろおうとするのを、たが屋が腕をつかんでぐっとひっぱったから、とんとんとんとむこうへ流れていくところを、おちてた刀をひろいますと、うしろから、「やっ」と袈裟《けさ》がけに左の肩から右の乳の下へかけて、斜《はす》っかけに斬ってしまいました。くず餅みたいに三角になっちまいました。 「わあ、えらいぞ!」  弥次馬たちは大拍手。  こうなると、馬上のさむらいもだまっていられません。ただちに馬からとびおりまして、仲間に持たしてあった槍をとりますと、石突きをついて鞘をはらい、キュッ、キュッ、キュッとしごいておいて、ぴたりと槍をかまえました。 「下郎、まいれ!」 「なにを! さあこい!」 「やっ」 「えい」 てんで、双方にらみあいとなりました。
「どうです、たが屋の強かったこと、おどろきましたねえ、供ざむらいが三角になっちまった」 「しかし、こんどはいけない。主人のほうは強そうだ。この調子じゃあ、たが屋はやられちまうよ。なんとか加勢してやりたいねえ」 「これが町なかなら、屋根へあがって、かわらをめくってたたきつけるって手もあるんだけれど、橋の上じゃあそれもできやしねえ」 「かまわねえから、下駄でも草履でもあのさむれえにぶつけてやろうじゃねえか」  わあ、わあとまわりの弥次馬が、さむらいめがけていろんなものをぶつけるのですが、腕のちがいというのはしかたがないもので、たが屋はじりっじりっと押されて、欄干《らんかん》間近かになってしまいました。これ以上押されると、欄干にからだがついてしまって、もうよけることができなくなってしまいます。  どうせ田楽《でんがく》刺しになるんなら、身をすててこそ浮かぶ瀬もあれ、一勝負やってやれってんで、くそ度胸をきめたたが屋が、ひょいっとさそいのすきをみせました。  これに乗らなければいいんですが、さむらいとしても、まわりの弥次馬がわあわあさわぎながらいろんなものを投げつけてくるのですから、だんだん冷静さをうしなってきておりました。そこへすきがみえたんですから、「えいっ」とばかり槍を突きだしました。ところが、たが屋のほうは、さむらいをさそうためにつくったすきですから、ひょいとからだをかわすと、満身の力をこめて槍の千段巻きのところをぐっとつかんでしまいました。やりくりがつかない。しかたがないからはなしちまった。やりっぱなしというのはここからはじまったというけれど、あんまりあてにはなりません。  さむらいがあわてて刀の柄へ手をかけようとするところへ、たが屋が飛びこむと、 「えいっ」  とばかり斬りこみました。  いきおいあまって、さむらいの首が空高くぴゅーっとあがります。  これをみた見物人たちがいっせいに、 「あっ、あがった、あがった、あがった、あがったい、たあがあやーい」
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bluff5507 · 6 years ago
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ゴールデンレコード
満天の星空、というものを初めて見た時、大倶利伽羅は己に足りないものはきっとこれだったのだろうと確信した。 幼い頃から己には何かが足りないような気がしていた。それが心なのか、趣味なのか、与えられた感情なのか。理解できなかったものを、満天の星空の下で理解することができた。これが心だ、これが感情だ、これが激情だ。暴れ狂う感情の奔流に流されながら、幼いながらに確信したのだ。そのときから、大倶利伽羅は星の下でしか生きることができなくなった。 大倶利伽羅はあまり裕福な家庭ではなかったが、生まれて初めて両親におねだりをして、天体望遠鏡を与えられた。大人になってもその天体望遠鏡を持っていて、幼い頃に貼ってしまったシールを未だに剥がすことができないでいる。両親共にこの世を去って、叔父の長谷部国重に引き取られてからも、大倶利伽羅にとって星空とは特別であった。
大学生になってから、人がまばらに入るような小さなプラネタリウムにアルバイトで入るようになった。幼い頃から通っていて、館長がアルバイトどうだろう、と勧めてくれたのだ。快く引き受けて、週四日大学の帰りと土日に入っている。長谷部は大学を卒業するまでしっかりと育てる、と金銭面での補助をしてくれている。このアルバイト代は将来的に長谷部に金を返すためにと思って取っておいているが、中型のバイクだけは購入した。 一人暮らしを始めて、バイクに乗って当てもなく走り、満天の星空を眺めて自宅へと帰る。夢のような日々であった。
そんな日々に小さな転機が訪れたのは、立冬が来てすぐの頃だった。少し寒くなってきた頃合いで、夜は長袖の上からコートを軽く羽織る程度でないと出歩けない。この季節になってくると、天体観測も趣が出てくる。そろそろまたバイクを走らせてどこかへ行こうかと思っていた矢先のことだった。 日曜日の夜、最後の上映時間になると殆ど誰も来ることはない。誰も来ないのであれば、閉めても構わないと言われていて、その日もそうしようと思って受付から立ちあがったところであった。 男は息を切らせて、最後の上映に間に合うかと訊ねてきた。 真白い雪のように白い肌に、金に輝く蜂蜜色の瞳、右目に眼帯をした、ぬばたまの髪の男だった。スーツの上にトレンチコートを羽織り、黒い皮手袋をつけている。
「大丈夫です、上映できます。」 「よかった。ありがとう。」
大倶利伽羅が今まで見た、どんな人間よりも美しく、凛としていた。人というにはあまりにも美しく、造形はどんな芸術品よりも優れていると思った。長い前髪の下、眼帯の下に一体何を隠しているというのか。そこを暴いてみたいとさえ思った。 頭を振って、目の前に立つ男にチケットを渡した。それを、皮手袋をしたまま男は受け取り、蜂蜜色を柔らかに和ませてありがとう、と言った。 とろけそうな瞳に、甘く低い声音に妙な心地になる。 男はその日から毎週必ず通ってきた。日曜日の夜、最後の上映のタイミングで男は来る。スーツであったり、私服であったりとまばらではあるが、男の容姿は目立ち、毎週必ず来るために大倶利伽羅はすっかり覚えてしまっていた。決まった時間に現れて、決まった時間に帰る彼のことを。
その日も、同じように日曜日の夜、最後の上映の時間に現れた。 ありがとうと笑ってチケットを受け取った男は、無数の座席の中から端の方を選んで座った。他に客はいないのに、なぜ真ん中ではないのだろうか。それを問うようなこともできず、上映時間に扉を閉めに、大倶利伽羅は中へと入った。 オーナーからは、客があまりいないときは観ても構わないと言われていて、時折そうしていたために、この日も何とはなしに座席に座った。男の横顔が見える位置だった。男はこちらを気にした様子もなく、目の前で上映される満天の星空を眺めていた。 展開される星空たちを眺める男の金に輝く瞳が、人工の星空の光を映してきらきらと輝いた。男の瞳は大倶利伽羅の瞳と似た色をしていたが、この男の色はもっと美しい。本物の星空の下であれば、一体どのような色を映すのだろうか。そう考えたら、男のことが気になってしょうがなくなった。 冬の大三角形、とプラネタリウムの中で女性の声が響いた。 オリオン座の上の方、御者座。黄色みを帯びた色合いの御者座の一等星、カペラが強く輝いている。プラネタリウムの中で線が引かれ、御者座の絵が描かれた。 冬の大三角形の「ベテルギウス」と「プロキオン」を線で結び、直角に北へ曲がったところ「ポルックス」がある。ほぼ同じ明るさで「カストル」があり、ふたご座の線が引かれて行く。 オリオン座の「ベテルギウス」、こいぬ座の「プロキオン」、おおいぬ座の「シリウス」。これで冬の大三角形となります。そう、女の声でナビゲーションがあった。 きらきらと輝く男の瞳が、それらを一瞬足りと逃さぬようにとじっと見ている。瞬きをするたびに、男の瞳から金が、星が、零れ落ちそうだ。 己がどうしてしまったのか、全く分からない。こんなに興味を示したのは、星空のことだけだったのに。今は星空を眺めることより、男の横顔だけを見詰めることに夢中になっていた。 上映が終わり、大倶利伽羅は慌てて視線を戻して扉を開けた。館内の空気が入れ替わり、現実に戻ったような心地になる。は、と息を吐いて振り返れば、男は立ちあがって、明るくなった天井を見詰めていた。まるでそこに星空がまだあるように見上げる彼に、名残惜しさを感じた。 男は大倶利伽羅に気付くと、大倶利伽羅の前を一礼して通って行った。彼の残した残り香だけが鼻に残る。 大倶利伽羅は男が見詰めていた天井を見上げた。確かあの辺りは、ベテルギウスがあった辺りか。半規則型変光星と呼ばれるそれは、周期的または不規則に光が変わる。距離にして642光年。途方もない距離に、ロマンチックなものすら感じない。
それからも男は、プラネタリウムを観にやって来た。決まって日曜日、夜の最後の上映時間に。 大倶利伽羅は男とまともに話をしたこともなければ、名前も知らない。ただ、男がやってくるときに今日の服装はスーツだの、先週は私服だっただのと勝手に思っているだけだ。自分自身で、こんな己が気持ち悪くて仕方ない。こんなストーカーみたいに、男の服装をチェックしているだなんて。 男はその日、二つのコーヒーを持ってやって来た。この小さなプラネタリウムは飲み物に関しては自由だ。少し傾斜のついた椅子に座るときは要注意だが、零されることも滅多にない。ただ、二つコーヒーを持っていることに疑問を抱いた。なぜ、と思いながら男にチケットを手渡せば、男は大倶利伽羅に一つのコーヒーを渡した。まだ温かいそれを思わず両手で受け取って男を見上げる。
「あげるよ。もうずいぶんと冷えてきた季節だろう。下のショップで買ってきたんだ。」
確かにこのプラネタリウムがある建物には、コーヒーショップも入店していたが、まさか自分にと購入してきたものだとは。ついでかもしれないが、大倶利伽羅の胸には衝撃が走った。この、何とも言えない感覚には覚えがない。新しい星が生まれたとニュースが流れたときでさえ、こんな気持ちにはならなかった。面映ゆいような、嬉しいような、胸が温かくなって、むずがゆい感覚だ。
「あ、ありがとうございます。」 「今日もお疲れ様。」
にこりと笑って、男はチケットを受け取ってから中へと入って行った。どうしたら良いか分からずに、男から貰ったコーヒーをカウンターに置いて、上映時間になるまでぼうっとしていた。 上映が始まっても、今日は中へと入らずに、コーヒーを飲みながら上映時間が終わるのを待った。普段であれば細々とした雑用をこなしているが、もうそんなことをしているような気分でもなかった。雑用は明日に回しても問題ないだろう。 金に輝く瞳が、己を映していた。それだけで、星々の輝きを見詰め続けているような優しい心地になる。大倶利伽羅はこの感情を知らない。ぽっかりと空いた穴を埋めるはずの満点の星空だって、こんな���情を教えてはくれなかった。
己は一体どうしたのだろうか。
あれほどまでに熱意のあった天文学にも身が入らず、男のことばかりを考えていた。名前を知りたい。彼の、宵の明星のような瞳に己を映してほしい。そればかりが頭に浮かんだ。これを恋と呼ぶには少しあどけないような、他愛もない小さな想いだった。 彼が来ない平日の夜、アルバイトに入っていても彼の姿を探してしまう。今週末必ず来ると分かっていながら、彼が来ないかもしれないと不安になることもあった。日曜日になれば、今か今かと彼を待ち、いよいよ彼が現れれば、彼と共にプラネタリウムに入り、彼の顔をじっと見ていた。彼は一度も気付くことなく、満天の星空を眺めていた。 彼の金の瞳を、宵の明星にたとえたが、ゴールデンレコードにも似ているかもしれないと思う。喩えられて嬉しいものではないかもしれないが、ボイジャー探査機に搭載されたゴールデンレコードのジャケットの色にも似ていると感じた。あれは美しいもので、大倶利伽羅のお気に入りでもある。 地球外知的生命体探査のひとつであり、地球や生命の分化を伝える音や画像が収められているレコードだ。地球外知的生命体が発見し、解読されることを期待して打ち上げられたもので、いつしか、もしかしたら、と期待を背負ったものである。 困難を乗り越えて星の世界へ。その言葉がひとつのメッセージとして収められていた。レコード自体が銅製なのは少しいただけないが、知的生命体がいる、いないにしても夢のある話である。その、美しい黄金のレコードの輝き。それに、似ているなと、思ったのだ。
  「今日もお疲れ様。これ、どうぞ。」
たまの気まぐれで、男は大倶利伽羅にコーヒーを差し入れた。他の客であれば断っていただろうが、男からの差し入れは、どうしてだか断ることができずに受け取ってしまう。
「……どうして、いつもくれるんだ。」
ある日、いつも通り差し入れられたコーヒーを受け取り、敬語も忘れて男に尋ねた。男は大倶利伽羅の言葉を聞いて、ぱしりと瞳を瞬かせた。宵の明星、ゴールデンレコード、大倶利伽羅がそれらに喩えた瞳が黄金に煌めく。
「ええと、理由なんて特にないんだけれど、いつも会うし、ここ気に入ってるから。」
だからここで働く君も気に入ってるんだ。 そう言った男に、何と返して良いか分からず、大倶利伽羅はただ、そうか、とだけ返した。男は特に気にした様子もなく、瞳を和ませてカウンターから離れて行った。 気に入っている、男はそう言った。それが、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、感情の発露の仕方が分からずにぐっと胸を押さえた。どうしたら良いのか、本当に分からなかった。 上映時間になって、重い扉を閉めに行ったとき、男と目が合ってしまった。気まずくて目を逸らしたが、男はにこりと笑っていた。ばくばくと心臓が鳴り響いて男へ向ける感情が大きくなっているのを感じた。後ろ手で扉を閉め、男の後ろ姿をじっと見つめたまま、大倶利伽羅は動くことができなかった。よく見ればつむじが二つあるのか、男のぬばたまの黒髪は二か所飛び出ているのが分かって、また息が苦しくなる。 ベテルギウスは、と説明する女性の声などとうに聞き飽きていて、男の声が聴きたいなと、思った。 はっと気が付けば上映時間は終わっていた。男は大倶利伽羅の前を会釈して通り過ぎて行く。その男に声を掛けたくて、けれど、どう声を掛ければ良いのか分からずに、男の背中を見送る。 館内の掃除が終わり、レジの締め作業をして、鍵を閉めて自宅へと帰る。すっかり冷え切った暗い部屋へと足を踏み入れてから、膝から崩れ落ちる。仕事に身も入らず、男のことばかりを考えている。
「すき、なのか……?」
それも分からず、初めての感情に振り回されっぱなしだ。 夕食も買ってくることができなくて、腹が鳴りっぱなしのままベランダへと出た。相も変わらず都会では星は見ることが叶わなくて、霞がかった暗い空を見上げた。月だけが爛々と輝いて、大倶利伽羅を見下ろしている。金色の輝きに、彼を見出して、大倶利伽羅は己の単純な思考に落胆した。もう深いことなど考えられずに、ただ単純にまた彼に会いたいと願う。
次の日の夜、久方振りに天体望遠鏡を手にして外へと出た。己がこんな思考に陥るのも、最近本物の星を見ていないからだと言い聞かせる。 明日のシフトは休みで、特に用事もない。星が有名な地名を頭の中でいくつかピックアップしながら、バイクの上に望遠鏡を固定する。望遠鏡片手に好きな場所へと走り回れるのは、今の内だけかもしれない。 ふと、背後から視線を感じて振り返った。そこには、月をバックにこちらを見ている美しい男がいた。思わず息を飲む。男は、プラネタリウムに毎週来る男だった。近所に住んでいたのか、と驚いていれば、男は蜂蜜色の瞳をとろけさせた。
「君、プラネタリウムの人だよね。」 「あ、ああ。」
そうだと頷くにも、壊れてしまうのではないかと思うほど首が重く、骨を軋ませながら首を縦に振る。
「君、星が好きなんだね。それ、天体望遠鏡でしょ。」 「そうだ。」 「それから見る星は、どんな感じなのかな。」
男の美しい唇からぽんぽんと飛び出す言葉についていけそうもなく、思わず考えることを放棄して、口から出るままに言葉を滑らせる。それは、己でも信じられないような言葉だった。
「一緒に、見に行くか?」
なぜそんことを言ったのか、自分で理解できなかった。ただ口から滑り出てしまって、今更訂正するなんてことはできない。 言ってから、喉がごくりと鳴って、己でも緊張していることが分かった。 一体どうすると言うのだ。この美しい男をバイクに乗せて、星が良く見える場所で何を話せば良いのだ。名前も知らない男を、ただ毎週彼が通い詰めているプラネタリウムでバイトしているだけの己と、接点なんてそれだけしかないのに。
「いいの?」
男は嬉しそうな笑みを浮かべて快諾した。それがまた、信じられなかった。名も知らぬ男の後ろに乗って、知らないところへ行くことを承知するだなんて。 ああ、本当に信じられない。 シートの中に積んであった予備のフルフェイスを渡し、男が被ってしっかりと顎紐まで付けたことを確認し、大倶利伽羅はバイクを走らせた。頭の中でピックアップしたいくつかの場所の中から、比較的近場の丘を選択する。それでも数時間とかかる距離だ。男の体温を背中に感じてどくりと心臓が鳴る。大倶利伽羅は戸惑ったが、男はしっかりと腹に手を回してきた。男のパーソナルスペースの狭さにまた驚いた。 郊外へと進めば、暗い夜道は街頭も少なく、人の気配もしない。人家もまばらになって山道へと入っていく。何度も行っていてすっかり覚えてしまった道を、緊張しながら進んでいく。不意にカーブで、腹に回った男の手に力が入れば、また緊張が高まった。
「着いたぞ。」
目的地に着いたとき、すでに23時を回っていた。男の仕事のことなどすっかり忘れていたが、大丈夫なのだろうか。しかし男がフルフェイスを外し、空を見上げて上げた声に、すっかりそんなことなど忘れてしまう。
「わあ、すごい!満天の星空ってこういうことを言うんだね!」
表情を綻ばせて声を上げた男は、公園の草むらに倒れ込んで星を見上げた。子供のようにはしゃぐ姿に、思わず大倶利伽羅も表情を緩めた。 大倶利伽羅がバイクの後ろに人を乗せたことも、己が天体観測をするときに誰かを連れてきたのも初めてだった。長谷部の車で天体観測に行ったことは何度かあったが、こうして大倶利伽羅が年齢を重ねてから誰かを連れて来たことなどなかった。
「気に入ったか。」 「もちろんだよ。僕、都会育ちだからこういうのは初めてだ。」
都心から少し離れただけで、星空は簡単に男を出迎えた。 大倶利伽羅は男の横に天体望遠鏡を組み立てる。組み立てている大倶利伽羅の横顔を、男はじっと見ていた。
「そういえば、あんた、名前は。」
ついに聞いてしまった。聞いてしまえば、後戻りはできないと思ったが、それでも知りたかった。美しい男の名を。己には彼を呼ぶのに不便だからと言い聞かせて。
「ああ、そういえば教えてなかったね。僕は燭台切光忠。」
変わった名字だと思ったが、己も人のことは言えまい。光忠という名は、ずいぶんと彼に相応しいものに思えた。
「変な名前だと思ったでしょ。」 「そんなことはない。変わっているとは思ったが、俺も人のことは言えないからな。俺は大倶利伽羅廣光という。」
そう伝えれば、男は瞳を瞬かせ、朗らかに笑みを浮かべた。
「格好いい名前だね。」
お前の方が、など言えなかった。名前などどうでも良いと思っていたが、彼がそう言うのならば、そうなんだろうという妙な自信につながる。 名前も知らない男の、名前をついに知ってしまった。不思議と高揚する気持ちに、ついていけそうになかった。星も見ていないのに、気持ちが高ぶっている。 組み立てた天体望遠鏡を、燭台切光忠が覗く。その横顔は、今まで見たどんな星々よりも美しかった。
男のきらきらと輝く瞳が、大倶利伽羅を振り返ったとき、星の光を反射した。その瞬間、理解する。 大倶利伽羅が求めていたものが、これだということを。足りなかったものを埋めた先にあるものを。
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