#鵜目姫命
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時間差投稿2。九州弾丸1泊2日神社巡りだけの旅 宮崎県高千穂へ。 天孫降臨の地へ。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に興味持ち過ぎて、発祥の地を巡った。 高千穂神社1枚目から4枚目、槵觸(くしふる)神社5枚目以降。 高千穂神社の 御祭神は #高千穂皇神 #瓊瓊杵尊 #木花開耶姫命 #彦火火出見尊 #豊玉姫命 #鵜鵝草葦不合尊 #玉依姫命 #十社大明神 #三毛入野命 #鵜目姫命 槵觸(くしふる)神社は 御祭神 #瓊々杵命 #天児屋根命 #天太玉命 #経津主命 #武甕槌命 #1人旅 #たかちん *1人で1泊2日の弾丸九州の記録 *神社巡りし過ぎて、1泊2日で食事1食しか食べれなかった。 *1泊2日でレンタカー600Km以上走った。 *休憩ゼロでノンストップで神社を延々と周る旅 今年ももう少しで終わるので、今年行った所の記憶の為に投稿。 (高千穂神社) https://www.instagram.com/p/CH26KxaD22E/?igshid=1iasd62szg65r
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【高千穂神社】 御祭神 高千穂皇神 (たかちほすめがみ) 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) 木花開耶姫命 (このはなさくやひめ) 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) 豊玉姫命 (とよたまひめのみこと) 鵜鵝草葦不合尊 (うがやふきあえずのみこと) 玉依姫命 (たまよりひめのみこと) 十社大明神 (じゅっしゃだいみょうじん) 三毛入野命 (みけぬのみこと) 鵜目姫命 (うのめひめのみこと) など 御神木 秩父杉(樹齢800年) 高千穂郷八十八社の総杜 約1900年前の垂仁天皇時代に創建されました。高千穂郷八十八社の総社で、神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。 主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神をして広く信仰を集めています。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称です。十社大明神は三毛入野命をはじめとする10柱を祀っています。 (高千穂神社) https://www.instagram.com/p/CYnOFRuvNR0/?utm_medium=tumblr
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ご家族の高齢化もあり(ということは被害者も高齢化していくということで)、ここしばらく、救出運動の中で「もう待てない」という言葉が何度も語られてきました。
しかし、今回の米朝首脳会談を基礎にして拉致問題の今後の対応を進めるなら「いつまでかかるか分からないが、まだ待て」ということになります。ストックホルム合意の二の舞です。日朝でやるといっても米国が体制を保証し、米韓合同軍事演習も中止して、場合によっては在韓米軍も撤退させるというのでは北朝鮮の最大の脅威はなくなったわけで、真面目に交渉に応じるはずはないからです。
日本がカネを出さないといっても、トランプ大統領が「非核化のカネは日本と韓国が出す」と言ったのは安倍総理も何らかの言質を与えたからでしょう。「そのうちうまいこといくからさあ、今は我慢して出しといてよ」と言われても、米国頼みでやってきたのです���ら断ることはできないでしょう。やり方はどうするのか知りませんが、国民が止めなければ結局その方向に向かうはずです。
トランプ大統領が米韓合同軍事演習を「挑発的な戦争ゲーム」とし、「カネがかかるからやめる」と言ったのは米国の中でも驚きをもって受け入れられているようです。予測不能な大統領ですからこれからも何をするか分かりません。本当に「もう待てない」なら、今回の米国頼み戦略(?)は失敗だったという認識の上に新たな戦略を立てるべきです。そうしなければミッドウェーの後の帝国海軍のような結果になるのではないでしょうか。
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧(平成30年6月1日現在確認分) 《平成28年(2016)以前》------------------------------------------------- ※確認出来たものを逐次入れていますが、あくまで氷山の一角です。実際には遥かに多くの事件が起きています 昭和62年(1987) 1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京) 平成2年(1990) 10月28日 福井県美浜町久々子海岸 ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日 美浜町沖合や海岸 遺体2体(20代~40代) 平成10年(1998) 12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体(男性) 12月16日 島根県浜田市 遺体1体(女性) 12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。 12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊) 平成11年(1999) 1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私た��の船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) 1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 平成13年(2001) 12月16日 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231読売東京) 12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版) 平成14年(2002) 1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版) 1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版) 1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m 後方にハングルと数字)(140110読売石川版) 1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの) 3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版) 4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊) 12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ) 平成15年(2003) 1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網) 3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝ 茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後) 平成16年(2004) 12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト) 平成18年(2006) 1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊) 1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊) 1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊) 1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊) 1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊) 平成19年(2007) 6月 青森県西津軽郡深浦町 木造船・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。 平成20年(2008) 1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊) 3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版) 平成23年(2011) 9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送) 9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊) 平成24年(2012) 1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版) 1月19日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版) 4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2~3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) 12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1~2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) 12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字) 上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」) 平成25年(2013) 11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗��でハングル、ジャンパーのような衣類) 12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊) 12月25日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版)※300512時点でも現存 12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版) 12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版) 平成26年(2014) 8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国) 平成27年(2015) 1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売) 10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 木造船1隻・遺体1体(271209読売) 11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売) 11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売) 11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表 11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日) 11月6日 北海道松前町沖 木造船・遺体2体(271107読売東京朝刊) 11月14日 新潟県佐渡市沖 木造船・遺体1体(271209読売) 11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体(271209読売) 11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体(271209読売) 11月22日 福井県越前町沖 木造船・最低でも7人とみられる遺体・遺骨(271209読売) 11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売) 11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売) 12月2日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(海保の司法解剖結果で死後1~6カ月経過 靴にハングル)(271207・1209読売東京朝刊) 12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売) 12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売) 平成28年(2016) 5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版) 6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版) 10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版) 10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他) 10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版) 10月30日 青森県つがる市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版) 12月5日 京都府舞鶴市 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体(一部白骨化)(TBSあさチャン) 《平成29年(2017)以降》--------------------------------------------------- ※出典については逐次書き加えています。石川関連のほとんどが北國新聞、新潟関連の大半は新潟日報の記事です。 平成29��(2017) 1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部 1月6日 新潟県上越市柿崎区 木造船 1月6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊) 1月7日 福井県小浜市犬熊 木造船 2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船 2月11日 石川県金沢市 木造船 2月15日 京都府京丹後市間人 木造船 2月15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船 3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船 3月14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部 3月18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売) 3月22日 石川県羽咋市寺家町 木造船 3月28日 京都府京丹後市 木造船 4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台西300m 木造船(長さ約10m幅約5m)・遺体1体 5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部 5月2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船 6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船 6月26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載 男性遺体1体身長約168センチ) 7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部 8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船 9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船 9月25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部 11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載) 11月15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助 11月16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体 11月16日 秋田県にかほ市 木造船 11月19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記 11月20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見 11月21日 山形県鶴岡市暮坪海岸 木造船(長さ7m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載(庄内ブルーリボンの会資料には全長10mとの記載あり) 11月23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など) 11月23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。 11月24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ約14m幅約3.2m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等 11月25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 11月26日 新潟県佐渡市石花 遺体1体 11月26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載) 11月26ないし27日 青森県西津軽郡深浦町艫作(へなし)椿山展望台西200m 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載) 11月27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部 11月27日 石川県羽咋市 木造船 11月27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片) 11月27日 青森県下北郡佐井村 木造船(長さ12.3m幅3.6m 船首に115489 エンジン付き 後部は一部破損するも櫓はほぼ原型) サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット(要確認) 11月28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名 11月28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着 11月28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。 11月30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体(地元で聞いた話では遺体はなかったとのこと) 12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m) 12月1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船 12月1日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 12月2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体 12月2日 山形県鶴岡市米子漁港 木造船(長さ10m弱)遺体3体(4日に漂着 庄内ブルーリボンの会) 12月4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部 12月4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船 12月4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船 12月4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体 12月4日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢 木造船(12日に遺体→別記) 12月5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m) 12月5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体 12月5日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載) 12月7日 秋田県男鹿市五里合漁港北100m砂浜 木造船(「913300」と記載)・遺体2体 12月7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット) 12月7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体1体 12月7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体 12月7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部 12月7日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見 12月8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着) 12月9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用 12月9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船 12月9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体 12月9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体 12月10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体(上半身のみ) 12月10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m) 12月12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 12月12日 新潟県村上市沖 木造船 12月12日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載) 12月12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部 12月12日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢千畳敷橋付近海上 遺体3体(12月4日の漂着船が岩にぶつかって破損し中から流れ出たものと思われる) 12月12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部 12月13日 山形県遊佐町吹浦西浜海岸周辺 遺体1体 12月13日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体 12月13日 秋田県男鹿市北浦入道崎灯台南約2km 木造船(長さ7m幅1.9m) 12月13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体 12月13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載) 12月13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船 12月14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体 12月14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 12月14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本 12月14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m) 12月14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部 12月15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船 12月15日 新潟県佐渡市��相川 木造船(長さ約13m幅約3m 岩場で大破したがそれ以前はイカを干すヤグラや集魚灯の一部も残っていた) 12月15日 青森県下北郡佐井村津鼻崎南 木造船(船首に「567-66341」)1週間前の漂流時には船全体の形があったがその後時化で崩壊し海岸に各部分が海岸に漂着) 12月15日 山形県鶴岡市五十川海岸 遺体1体 12月16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部 12月16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載) 12月17日 石川県珠洲市 木造船の一部 12月18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船 12月18日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ10m弱) 12月19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体 12月19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず) 12月20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船 12月21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示) 12月21日 新潟東港沖18キロ 木造船 12月21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m) 12月21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた 船尾に「0-세・98180단천」)・遺体4体(佐井村資料には記載なし)佐井村資料には女性もののようなビニールと思われるバッグ、ライフジャケットなどが写っている。バッグの中身はタバコ、タオル、歯ブラシ、書類らしきものなど) 12月23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載) 12月24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり) 12月24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体 12月24日 山形県酒田市浜中海水浴場周辺 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト) 12月25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m) 12月29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) 12月29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり) 平成30年(2018) 1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー) 1月4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部 1月4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側 木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m) 1月4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 1月5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部 1月5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明 1月6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字) 1月7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着) 1月7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部 1月8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m) 1月8日 秋田県男鹿市野石申川海岸若美漁港南1km砂浜 木造船の一部(長さ約7.7m幅約1.9m船底とエンジン) 1月10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さと��に3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) 1月21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた) 1月24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり) 1月24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ5.45m幅1.5m) 1月28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載) 1月30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 1月31日 山形県鶴岡市マリンパーク鼠ヶ関 木造船の一部 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。 2月2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載 2月4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載) 2月7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載) 2月9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記) 2月10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし) 2月11日 石川県加賀市美崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國) 2月13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國) 2月13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載) 2月15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり) 2月20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載) 2月21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国) 2月21日 石川県輪島市門前町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国新聞) 2月22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國) 2月24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁) 3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國) 3月10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國) 3月12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國) 3月13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國) 4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。 5月16日 北海道爾志郡乙部町 木造船の一部 5月31日 青森県中泊町小泊漁港付近 木造船
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部下を管理する七つの技術 情報源 ( じょうほうげん ) の 複数化 ( ふくすうか ) と 符節照合 ( ふせつしょうごう ) で家来の 言行不一致 ( げんこうふいっち ) を見ぬいたり、 意外 ( いがい ) なテストで本心を確認したりして、 騙 ( だま ) されないように注意し、 信賞必罰 ( しんしょうひつばつ ) で家来たちをコントロールする方法
⦅洞察六兆[韓非]から続く⦆
「術」は、[法]の運用のしかた。王様が胸の中に仕舞い込んで臣下をコントロールするもの。 王様は、無数の部下、巨大な組織を制する権力者だが、生まれついての超能力者ではない。ひとりの人間が絶対的な権力者となるには、法(機構)の確率と運営のための術(徹底した人事管理)が必要なのだ。 〖王様が使うべき七つの[術]〗 01_臣下の行動と言葉を検証して、言行の不一致がないかを判断する [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、証拠のないことは取り上げず、普段食べない食事は口にしない。遠くのことはよく聴き、近くのことはよく見て、家来がどこにいようと、その落ち度は見落とさない。家来たちの言葉の食い違いを調べて、彼らの派閥をさぐり出す。さまざまな角度から家来の申告を成果とつき合わせて、食い違いを許さない。最初の言葉と後の成果を一致させる。法を基準として、言行を数多く見くらべて、家来を統率する。まぐれ当たりの成果には賞を与えず、職分を外れた行為は許さない。処刑すべき者は必ず処刑し、罪ある者は赦さない。 相手がどんな悪者でも私欲をとげさせない決意を 揺 ( ゆ ) らがせてはならない。 衛 ( えい ) の 嗣 ( し ) 公は、家来の一人を旅人にしたてて、関所を通過させた。 関所の役人は、彼をきびしく調べたが、金をやるとすぐ見逃してくれた。 その後、嗣公はその関所を通るとき、くだんの役人にこう言った。 「これこれのとき、お前の関所を旅人が通り、お前は金をもらって見逃してやったろう」。 役人は嗣公が何もかも見通していると思い、ふるえあがった。 02_罪には必ず罰を与えて、威厳を示す 何か事件が起こったとき、それによって利益を得る者があるならば、きっと、その者が仕掛けた。損害を受ける者があるならば、その人間と利害反する者が怪しいと見なければならない。 したがって、[法・術]に 長 ( た ) けた王様は、国が損害をこうむる事件が起こったら、それによって利益を得る者を調べる。家来が損害をこうむる事件が起こったら、その家来と利害の反する者をさがす。 晋 ( しん ) の 文 ( ぶん ) 公のときだった。 料理番が焼肉を文公にさし出した。 その肉に髪の毛が一筋ついていたので、文公は料理番を呼んで追及した。 「お前はこの髪の毛でわしがむせるのを望んだのか。でなければ、なぜ髪の毛をつけたのか」。 料理番は何度も地面に額をこすりつけてあやまった。 「わたしは死に価する罪三つを犯しました。包丁は砥石でよく砥いでありますので、名剣 干将 ( かんしょう ) のようによく切れます。肉はよく切れたのに、髪の毛が切れていません。これが第一の罪です。串に肉をさしたとき、髪の毛が見えませんでした。これが第二の罪です。炉の炭を真っ赤にして 炙 ( あぶ ) ったので肉は焼けたのに、髪の毛が焼けませんでした。これが第三の罪です。もしや、わたしを憎む者が、お側にいるのではないでしょうか」。 「なるほど、わかった」。 文公が側に仕える者たちを呼び出して取り調べると、はたして真犯人が見つかったので、それを処刑した。 03_功績を挙げた臣下には、然るべき 褒美 ( ほうび ) を与える 名御者の 王良 ( おうりょう ) が馬を愛するのは、走るから。 越王 勾践 ( こうせん ) が人を愛するのは、戦うから。 医者が患者の傷を吸い血を口に含むのは、金が儲かるから。 車職人が金持ちの増加を望むのは、車が売れるから。 棺桶職人が人の死を願うのは、人が死ねば棺桶が売れるから。 呉起 ( ごき ) が 魏 ( ぎ ) の将軍となって 中山 ( ちゅうざん ) (国名)を攻めたとき、できものをつくった兵士がいた。 呉起は自ら 跪 ( ひざまず ) いて、その兵士の 膿 ( うみ ) を吸った。 それを聞くと兵士の母は泣きだした。 「将軍が子供に親切にしてくださったのに、どうして泣くのですか」。 と尋ねた者に、母はこう答えた。 「呉起さまはあの子の父親のときにも、膿を吸ってくれた。父親は、その恩に死で報いた。あの子もきっと死ぬでしょう。それでわたしは泣くのです」。 04_情報は自分の目と耳で確認し、臣下の伝聞に頼らない〔符節を合わせる〕 《参伍の道》 三人を一単位としてそれぞれの意見を聴取し、五人を一組として過失に対し連帯責任を取らせる方法。王様が臣下の意見を聞き行動を見るのは、馴れ合っている者を罰し、しっかりした見解を持っている者を賞するため。邪な者や罪を犯している者を知っていながら告発しない者も、馴れ合っているとみなして罰する。 三人を単位として一つのことを相談させたときに意見が割れないのは、馴れ合っている証拠。 五人を一組として連帯責任性にすれば、一人が罪を犯した場合、他の四人は怒って必ずこれを責めるはず。四人全員が責めないようなら、他にも罪を犯した者が居るということ。 相談が始まってすぐに意見が割れれば、各人の能力の違いが分かる。ほんの過失程度の罪でも怒るようなら、他に悪事を犯している者はいない。 《四つの評価基準》 [地の利][天の時][物事の道理][人情]の四つの評価基準で各意見の符節を合わせれば、是非善悪を判別できる。 そもそも王様は、臣下の注視するところであるから、ふだんの態度を変え、親近の者を疎遠にしたり、疎遠の者を親近にするなど恩沢を改めてみても忠誠の度合いが分かる。 注意すれば臣下の持ち物、行動など、目にみえるものからも、推察しにくい点(かくれた悪事など)を見ることができる。 馴れ馴れしくなりあれこれ他人の仕事まで手を出しがちな近習たちには、謹んで本務を遂行するようにさせる。 遠くに使いするものとの関連のあるものを特に用がないのに再三呼び出して使者に何となく恐怖の念を持たせ、出先での悪事を 牽制 ( けんせい ) する。 臣下の過去を調べ上げて、その前歴を知り尽くす。 臣下を近習の地位につけて心の内側を知り、地方官などに任命してその外に対する態度を知る。 全てを承知しながら、とぼけて尋ねてみると隠れた面が分かる 謀 ( はかりごと ) を以って人を送り込み、相手の悪事や秘密を握って 侮 ( あなど ) りを退ける。 何か疑いがあるときは、使者に誉めるところをけなし、けなすところを誉めるなど、反対のことを言わせて、疑問を確かめる。 事が起こった場合、背後にあって利益を得た者を探し出して調査すると隠れた悪事が出てくることがある。 諌 ( いさ ) め �� ( ただ ) す官を設けて、独断権を持っている役人の専横を取り締まる。 忠誠とは言えない人間を登用して、 周 ( まわ ) りの 邪 ( よこしま ) な動きを観察する。 法が公平無私なものである 旨 ( むね ) 事細 ( ことこま ) かに説明して、仕事を 怠 ( おこたり ) りがちな者やでしゃばりがちな者を指導し、ときにはへりくだったり迎合したりして、正直か、おべっか使いか、人間を見極める。 小耳にしたことやちょっとした噂話を利用して、それとなく探りを入れると思いがけないことが分かる。 偽の情報を流して臣下を対立させれば、馴れ合いになっている仲間を解散させることができる。 ある事に精通することによって、臣下を恐れ入らせる。 極秘事項がもれそうな場合は、わざと別のことをもらして相手のねらいをそらす。 欲望、私怨、出世、保身などのために他人を陥れるような複雑で紛らわしい問題が起こったときは、同じようなでき事を参考にして詳しく調べ、罪を告白したらその理由を明らかにし、罪を確認した上で処罰する。 時々隠密の使者を派遣して地方を巡視させ、民がまじめに働いているかどうか調べる。働いていないようなら(仲間を使って横着を決め込んでいるのであるから)、だんだん制度を改革していって、横着の元(仲間)をばらばらにする。 下部から上部へと徐々に管理体制を整えていけば、宰相は高官を取り締まり、高官は部下を取り締まり、将校は兵士を取り締まる。使節はその福祉を取り締まり、県令は配下を取り締まり、近習は左右の者を取り締まり、そして皇后は侍従の女官を取り締まるようになる。 話が間違って広がったり、大事がもれるようでは[法・術]による統治は難しい。 叔孫 ( しゅくそん ) は 魯 ( ろ ) の宰相で、実権を握り国政を思うがままに動かしていた。 その叔孫の 寵愛 ( ちょうあい ) を受けていたのが 豎牛 ( じゅぎゅう ) であり、彼も叔孫の名を使ってやりたい放題にふるまっていた。 叔孫には 壬 ( じん ) という子供がいた。 豎牛はその壬を 妬 ( ねた ) んで殺してしまおうと考えた。 そこで策をめぐらせ、あるとき、壬を連れて魯王の御殿へ遊びに行った。 そのとき、魯王は壬に 玉環 ( ぎょくかん ) を与えた。 壬はそれをうやうやしく受け取り、すぐに身につけようとせず、豎牛���通じて叔孫の許しを求めた。 ところが豎牛はその依頼を伝えもせずに、「わたしがこのことをお願いしたところ、つけてよろしいとのことです」。 と言って、壬をだた。 壬が玉環を身につけるのを見ると、豎牛は叔孫のところへ行って、こう切り出した。 「そろそろ壬さまを殿様にお目見えにお連れしてはいかがです」。 「子供だからな。まだ早すぎるだろう」。 「いえ、壬さまはもう何回かお目見えになっています。 この前も殿様から玉環を賜り、さっそく身につけていらっしゃいます」。 叔孫は壬を呼び出した。 見れば、はたして玉環を身につけているではないか。 叔孫は怒って壬を殺した。 壬には 丙 ( へい ) という兄がいた。 豎牛はその丙も妬んで、殺してしまいたいと思った。 折よく、叔孫が、丙に 鐘 ( しょう ) (楽器)をつくってやった。 鐘はできたが丙はすぐに打ち鳴らすことをつつしみ、豎牛を通じて叔孫の許しを求めた。 ところが豎牛は壬のときと同じように丙をだた。 「わたしがお願いしたところ、よろしいとのことです」。 丙は鐘を打ち鳴らした。 それを聞いた叔孫は怒った。 「わたしの許しも得ずに勝手に鐘を打ったな」。 そして丙を国外に追放した。丙は 斉 ( せい ) の国へ逃れた。 それから一年ほどたって、豎牛は丙のために叔孫にわびを入れた。 そこで叔孫は豎牛に、丙を呼び戻すように伝えた。 ところが、豎牛はそれを伝えもせずに、叔孫にこう報告した。 「お呼びしたのですが、丙さまはまだご立腹なさっているようで、帰ってこようとはなさいません」。 叔孫はかんかんに怒って、人を使って丙を殺してしまった。 こうして二人の子供が死んだのち、叔孫は病気になった。 すると豎牛は、自分だけで看病し、「叔孫さまは、人の声を聞きたくないとのことだ」と称して、誰も病室に入れなかった。 そして、叔孫に食べ物を与えず、とうとう餓死させてしまった。 こうして叔孫も死ぬと、豎牛は葬式もせずに、倉から重宝をありったけ盗み出すや、斉に逃滅してしまった。 信用する者の言葉を鵜呑みにしていて、親子もろとも殺される結果になったが、それというのも、家来の言葉を事実と照合することをしなかったからだ。 龐恭 ( ほうきょう ) は 魏 ( ぎ ) の太子に従って、 趙 ( ちょう ) の都の 邯鄲 ( かんたん ) に 人質としてやられることになった。 出発するとき、彼は魏王にこういう質問をした。 「もしも、誰かが『街に虎が出た』と言ったら、お信じになるか」。 「信じないな」。 「では、二人が『街に虎が出た』と言ったら、どうでしょう」。 「いや、信じない」。 それでは、三人が『街に虎が出た』と言ったら、どうなさいます」。 「そうなると、信じるだろうな」。 「街に虎が出ないことはわかりきったことです。それなのに、三人が同じことを言ったらお信じになる。邯鄲ははるかに遠い外国です。それだけ邯鄲のことはわかりにくいのです。その邯鄲に行く私のことを、留守中とやかく言う連中は、三人どころではありません。どうか、このことをお忘れになりませぬように」。 しかし、龐恭が邯鄲から帰国したとき、大勢の言うことを信じこんだ王様に、彼は二度とお目見えを許されなかった。 斉 ( せい ) の 宣 ( せん ) 王は 竽 ( う ) (笛の一種)を吹かせるとき��、必ず三百人に合奏させた。 あるとき、 南郭 ( なんかく ) (地名または姓)の 処士 ( しょし ) (学問を修めたが、現在任官していない士のこと。処は家(民間)に 処 ( お ) るの意)が、宣王のために竽を吹きたいと言ってきた。 宣王は喜んで禄を与えた。この例にならった処士は数百人に達した。 やがて宣王が死に、 湣 ( びん ) 王が即位した。 湣王は独奏曲を聴くのが好きだった。 独奏すれば下手なのがばれるため、それらの処士はみな逃げ出してしまった。 宋 ( そう ) (殷(=商)の滅滅後、その 祭祀 ( さいし ) を継がせるためにつくられた国)の宰相は、 少庶子 ( しょうしょし ) (官名)に市場の見回りをさせ、彼が帰ってくると、尋ねた。 「市場で何を見つけた」。 「いいえ、何も」。 「しかし、何かは見つけたろう」。 「そういえば市場の南門の外側は牛車がいっぱいになっていて、やっと通れるくらいでした」。 「よし、わしがお前にきいたことは誰にも言ってはいかんぞ」。 宰相はさっそく市場の役人を呼び出して叱りつけた。 「市場の門の外側は、牛糞でいっぱいではないか」。 役人はいつの間に、宰相がこんなことまで知っているのに驚いてしまい、以後は職務を怠らくなった。 斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公が 孤竹 ( こちく ) を攻めたとき、 管仲 ( かんちゅう ) と 隰朋 ( しゅうほう ) が従軍した。 出発が春、帰りは冬になったため、景色がまったく変わってしまい、道が分からなくなった。 このとき、管仲が言った。 「ひとつ老馬に知恵を借りましょう」。 老馬の 鞍 ( くら ) をはずして先にやり、その後について行ったところ、道を見つけることができた。 山岳地帯で水がなくなったことがあった。 このとき、 隰朋 ( しゅうほう ) が言った。 「蟻塚の下に水があります。蟻は冬は山の南側に、夏は山の北側に巣をつくります。高さが3糎の蟻塚なら2㍍下に、水があります」。 蟻塚を掘ったところ、果たして水を得ることができた。 宋 ( そう ) の国のある金持ちの家で、ある日、雨のため土塀がくずれた。 子供が「このままにしておくと、泥棒が入るよ」と言い、隣家の主人も同じことを言った。 その夜泥棒が入って大金を盗まれた金持ちは、息子の 聡明 ( そうめい ) さに感心する一方、隣家の主人を疑った。 05_不可解な命令をあえて出し臣下を動揺させて試す 楚 ( そ ) の 荘王 《 しょうおう 》 は即位して三年のあいだ、命令を出さず、昼も夜も楽しみにふけり、「諫める者は死罪とする」と国中にふれを出した。 伍挙 ( ごきょ ) が諫めるために参内した。荘王は左に鄭の姫を抱き、右に越の女を抱いて、鐘と太鼓に囲まれて座っていた。 伍挙が言った、「謎かけをいたしましょう。丘の上に一羽の鳥がおります。三年の間飛びもしなければ鳴きもしません。何の鳥でございましょうか」 王が答えた、「三年も飛ばないのだ。飛べば天まで届こう。三年も鳴かぬのだ、鳴けば人々を驚かそう。伍挙よ、下がれ、わしにはわかっておる」と。 それから数ヶ月、王の 放埒 ( ほうらつ ) はますますひどくなった。そこで大夫の 蘇従 ( そしょう ) が諫めに参内した。 王が言った、「そちは命令を聞かなかったのか」 「この身が殺されることで、王様にお分かりいただければ、本望でございます」 王は放埒をやめると、政務を取り始めた。 三年間観察し続けた結果に基づいて、数百人を誅殺し、数百人を昇進させた。伍挙と蘇従に国政を任せ、楚の人々は大いに喜んだ。 06_知らないふりして質問し相手の知識や考えを観察する 韓 ( かん ) の 昭侯 ( しょうこう ) は 爪 ( つめ ) を切り、その一つを手の中に隠しておいて、「爪が一つなくなった。早く探せ」。と、そばの役人たちをせきたてた。 すると、ひとりが自分の爪を切って、「見つかりた」と、差し出した。 昭侯は、こうして役人の中からウソつきを見つけた。 子之 ( しし ) は 燕 ( えん ) の宰相であった。 あるとき、家の中に 坐 ( すわ ) ったまま、まわりの者たちをたぶらかしてこう訊いた。 「いま門から外に走っていったのは、白馬ではなかったか」。 「見えませんでした」。 と、みな答えたが、一人だけ、走って追いかけた。 帰ってくると、「白馬でした」と、報告した。 子之は、こうして役人の中から不誠実な者を見つけ出した。 07_思っているのと逆のことを言って相手の反応を見る 昔、 鄭 ( てい ) の 武 ( ぶ ) 公が 胡 ( こ ) を征伐しようとしたときの。 武公はまず自分の娘を胡の王に嫁入りさせ、機嫌をとっておいて、家来に尋ねた。 「これから、どこか国を攻めようと思うが、どの国がいいだろう?」 大夫 ( たいふ ) の 関其思 ( かんきし ) が答えた。 「胡を攻めるのがよろしいかと存じます」。 武公は怒り、「胡は親類の国ではないか、それを攻めろとは何事だ」と言い、関其思を死刑にした。 それを伝え聞いた胡の王が安心して鄭への備えを解いたので、鄭は胡を攻め取ることができた。 ⦅余談[韓非]に続く⦆
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白玉装兆・②
今回のお話は前回のつづきです。
厳島神社で引いたおみくじが豊玉姫と山幸彦にまつわるものだった、という話を前回書きました。
なぜそれに気づいたかというと、前半部分に書かれていた内容と、おみくじの題名が「白玉装兆」だったから・・・
これは、豊玉姫が山幸彦に贈ったという和歌からきているな、とピンときたのでした。
↓↓
《和歌》
赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装ひし貴くありけり
《以下、私の意訳。 》
赤い宝玉は紐の緒さえ光ってみえるほど綺麗なものですが、美しく装ったあなたはまるで輝く真珠のようです。 なんと神々しく、高貴なお姿であったことでしょう。
私はべつに和歌マニアというわけでも古事記の熱心な読者というわけでもなく・・(やや近いものはありますが笑)、なぜ気づけたかというと、実はちょうどその頃、ある知人から豊玉姫と山幸彦のことを教えてもらっていたのでした。
古事記に載っているお話ですが、どんな内容なのか、一般的に知られているストーリーを簡単にご紹介します。
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昔々、海幸彦と山幸彦という兄弟が暮らしていました。
海幸彦は海で魚を捕り、山幸彦は山で獣を狩って暮らしていました。
ある日、弟の山幸彦は兄の海幸彦の釣り針を借りて釣りをしていたのですが、その釣り針をなくしてしまいます。
怒った海幸彦をなだめようとしますが聞き入れられず、海のほとりで泣いていると、鹽椎神という老人に促され綿津見神の宮殿へ向かいます。
山幸彦はそこで豊玉姫と出会い結ばれました。
のち、綿津見の宮殿で兄の釣り針を見つけた山幸彦は、豊玉姫を連れて地上に帰ります。
懐妊され臨月を迎えた豊玉姫は、出産が迫ると産屋を作り、「お産をする私の姿を決して見ないで下さい」と山幸彦に言い残し産屋に入っていきます。
ところが好奇心が勝り、山幸彦は産屋の中を覗いてしまうのです。
そこにいたのは身をもがく巨大なわにでした。
覗かれたことを知った豊玉姫はそれを恥じて、子を残し海神の国との境界を閉じて綿津見の宮へと帰ってしまいます。
こうして山幸彦と別れた豊玉姫は、その覗き見た心を恨みますが、また恋しくなって、残してきたわが子( 鵜葺草葺不合命 、のちに神武天皇の父となる)を世話するようにと妹の玉依姫を地上へ送り込みます。
玉依姫を送り出す際、豊玉姫は山幸彦への思いを歌に託して渡しました(それが先ほどの和歌)。
その歌を聞いた山幸彦はこのような歌をお返しになりました。
《和歌》 沖つ鳥鴨著く嶋に我が率寝し妹は忘らじ世のつきづきも
《以下、私の意訳》 鴨の寄りつく島でともに寝た愛しき妻よ。私はあなたを忘れはしない。たとえこの世が終わってしまっても。
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このお話をあらためて読んでから、なんとなくずっと気になっていたことがありました。
物語の中では、山幸彦に産屋の中を覗き見られたことで、辱めを受けたと言って海に帰っていったという豊玉姫。でも・・・
ほんとうに豊玉姫は山幸彦を恨んでいたのだろうか?
おふたりは、離れ離れになったことを悲しんでいるのだろうか?
違うんじゃないかなと、この二つの和歌を目にしたとき、ふっと思ったのです。
すごく純粋な、さらさらとした愛おしさを両方の歌から感じたので。
なので、確かめに行ってみました。笑 (さらっと書いてますが、行きたいな、と思っていたら、ちょうど連れて行って下さる方が現れて、すごいな、と思いました。)
二柱の神を祀る、福井県は若狭姫神社、若狭彦神社へ。
まず先に訪れたのは、若狭姫神社。
ご祭神として若狭姫(豊玉姫)が祀られています。
瑞々しい森の中にぽつん、とある、小さいといえば小さいお社です。
けれど息を呑む、類を見ないような麗しさ。一歩足を踏み入れたら、まるで龍宮城に迷い込んでしまったような錯覚を受けました。
訪れる人も少なくて、風のそよそよ鳴る音と、からすの穏やかな羽音が時おり耳元を揺らすのみ。
お社の後ろにはご神木の千年杉がそびえていて、しばし時間も忘れてただその氣に触れていました。
境内の右側に目をやると、京都御所からやってきたという招霊(おがたま)の木が悠々と立っています。
その木蔭でしばらく深呼吸をしながら、豊玉姫の御心とは一体どのようなものだったのだろう・・・などと想いを巡らせていました。
もう一緒にいられなくなってしまった山幸彦に、何を思っていたのだろう?
人心だと、ついついよくある男女間の恨みを想像してしまうのだけれど。
私は悲しんでなどいないのですよ、と言われているような、優しく柔らかい氣があたり一帯を包みこんでいました。
長くなったので、さらにつづきます。
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白兎神社や恋島・恋人の聖地で縁結び〜道の駅 神話の里白うさぎ(鳥取)【車中泊女子の全国縦断記】
旧暦10月は「神無月」ですが、全国八百万の神々が集まる出雲では「神在月」と呼んでいます。 それに合わせて国道9号線を京都方面から出雲に向かう途中、鳥取の道の駅【神話の里 白うさぎ】に立ち寄りました。こちらも縁結びにご利益があることで有名なのです。 道の駅【神話の里 白うさぎ】 住所:鳥取県鳥取市白兎613 電話:0857-59-6700 駐車:普通車 111台/大型 14台/身障者 3台 物産館では海産物やお土産品、手づくりジェラートなどを販売。2階レストランからは海岸を眺めながら海鮮が味わえ、1階にはあの【すなば珈琲】も入っています。電気自動車(EV)急速充電器、公衆Wi-Fiも設置。 小沢見海水浴場(白兎海岸)が目の前にあるので足洗い場も設置されています。これは助かりますね。 住所はずばり鳥取県鳥取市「白兎(はくと)」。地名の由来でもある日本神話『古事記』『日本書紀』に登場する『因幡の白兎』の舞台が、この一帯なのです。道の駅の隣には白兎を御祭神とする【白兎神社】が鎮座し、周辺の原生林は国の天然記念物に指定されています。 『因幡の白兎』とは、ざっとかいつまんで書くとこんなお話です。 大国主とその兄神たちが八上姫に求婚すべく、出雲から因幡の国へ訪れてきていました。 一方そのころ、洪水で淤岐ノ島(おきのしま)に流された1匹の白兎が海を越えて渡ろうと、わに(サメ)を騙して対岸まで並ばせ、その上をぴょんぴょん跳んで、ついに渡り切ろうとしたとき嬉しさのあまり騙したことを口走ってしまいます。 怒ったサメに毛をむしられ丸裸にされた白兎が泣いていると、大国主が通りがかり、「池で体を洗って蒲(ガマ)の穂をつけなさい」と教え、その通りにすると元の姿に戻りました。(その前に大国主の兄たちも通りがかりましたが、嘘をついてからかっています。) 喜んだ白兎は「八上姫は兄神ではなく、あなたを選ぶでしょう」と告げ、こっそり八上姫にこのことを報告しました。これを知った八上姫は兄神たちの求婚をしりぞけ、大国主と結ばれました。 大鳥居横に設置されている、可愛いピンク色の【すご!ウサ縁結びポスト】には、白兎神社で縁結びの祈願を受けた御札が収められています。直筆のラブレターは勇気が要りますが、このポストに投函すると後押ししてくれるかも!? さらに、ここに投函すると【すご!ウサギ小型印】の消印を押してくれるのも人気のひとつとなっています。 この砂像は、大国主命が八上姫に求婚しているところでしょうか。この神話は「日本初のラブストーリー」として、発祥の地である白兎一帯が2010年に【恋人の聖地】に認定されました。 参道を挟んで砂像の正面に、蒲の穂がほんの半畳分ほど保護されています。昔はもっと広範囲に生えていたのでしょうね。 白兎が傷を洗ったとされる御身洗(みたらし)池。雨が降っても日照りが続いても水量が変わらない、「不増不減の池」ともいわれています。ここには2005年頃から春・夏・秋と5〜6回は訪れていますが、確かにいつも変わらないように見えます。 【白兎神社】の御祭神は白兎神。白兎が大国主と八上姫の縁結びをしたことから、縁結びにご利益があるといわれています。由緒ある神社ですが、創祀年代は分かっていま��ん。現在の社殿は鹿野城主・亀井武蔵野守茲矩公が慶長の末ごろ(1610〜15年頃)に再建したもの��、本殿は当時のままだそうです。 本殿の土台には【菊座石】と呼ばれる28弁の菊花を彫刻したものが6箇所あり、これは全国的に見ても珍しく、神社創設が皇室と何らかの関係があったものと推察されています。 神社から国道9号線に戻り、右に200mほど行くと【ハマナス自生地】があります。自生南限地として国の天然記念物に指定されており、5〜6月には赤紫色の花が目を楽しませてくれます。ハマナスはバラ科の植物で、花からはほのかに甘く優しい香りが漂い、ロマンチックな気分を盛り上げてくれそうですね。 道の駅に戻り、【白うさぎの台所】でランチに『わにラーメン』(500円)をオーダーしてみました。先ほども出てきました、わに=サメということで、人工フカヒレ入りの醤油ラーメンです。形は似ていても味も食感もフカヒレとは別物ですが、リッチな気分を味わえます。 道の駅から目の前の白兎海岸へは、国道9号線に架かる白兎歩道橋で渡ります。美しい白浜が続くこの海岸線は【日本の渚百選】にも選定されています。 歩道橋からは日本海が一望でき、絶好の撮影ポイントとなっています。写真の海岸線、左側に見える三角錐のような岩は房島です。 写真左側にそびえるのは気多ノ前(けたのさき)、正面の巨岩が淤岐ノ島です。白兎が負傷して上陸した岬が、この気多ノ前だと伝えられています。 岬のたもとには、古来、気多ノ前の神ヶ岩に鎮座していたという【白兎川下神社】がひっそりと佇んでいます。白兎神社とともに宝暦14年(1764)7月2日に再興し、大正元年(1912)10月に白兎神社に合祀されましたが、お社は今もここに祀られています。 御祭神の豊玉比売(トヨタマヒメ/海神・綿津見大神の娘)は神ヶ岩に庵をむすび鵜の羽根を敷き、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を産んだあと龍神となって海に還ったと伝えられ、婦人病に霊験あらたかとして広く信仰されているそうです。 淤岐ノ島の手前、砂浜に石燈籠がこつぜんと建っています。礎石となっているのは神楽岩、別名【恋島】といい、大国主が八神姫にプロポーズした場所といわれています。 この石燈籠は安政5年(1858)に地元の若者たちが建てたといいますから、筋金入りの〝恋人の聖地〟です! 台風や冬の荒波にも耐え、現存していることがもう奇跡ですね。ここで夕陽を眺めながら悠久の時を感じれば、しぜんと愛が深まりそうです。 気多ノ前展望台から間近に淤岐ノ島を眺めれば、頂上の鳥居もはっきりと拝むことができます。島と岬の間に広がる岩礁は、白兎の神話のワンシーン、サメの背に例えられます。この写真の時間帯は干潮から2時間ほど���ぎた頃でした。 さて、また道の駅に戻って今度は【もさバーガー】(500円)をお持ち帰り。地元の特産・もさエビのエビカツを、可愛いハート形のバンズでサンドした縁結びの地にふさわしいご当地バーガーです。 もさエビは甘エビよりも甘いと評判なのですが鮮度が落ちるのが早いため「幻のエビ」と言われているのです。そこで新鮮なうちにエビカツにしたんですね。1個につき、もさエビ5尾分が贅沢に使用されていて、外はサクサク、中はフワフワです。バンズが黒いのは、白イカのイカスミ。ボリュームある逸品でした。 道の駅では【白兎起請文】(神符3枚セット300円)などなど「縁結び」グッズもたくさん取り揃っています。 うさぎ駅長『命(みこと)』くんもお待ちしてます。正面のお姿は、現地で実物をご覧ください。 (松本しう周己) あわせて読みたい * 水陸両用バスでゆく!湯西川ダム湖探検ダックツアー(栃木)【車中泊女子の全国縦断記】 * 昭和の大スター・美空ひばりさんも願掛けした大杉に会いに行こう(高知)【車中泊女子の全国縦断記】 * 世界最小!? ダイハツ・ミゼットⅡがキャンピングカーになっちゃった【車中泊女子の全国縦断記】 * 冬でもハイビスカスが咲く天草ドライブコースその2・上天草(熊本)【車中泊女子の全国縦断記】 * 熊本・天草は11月も温暖です!ドライブコースその1・宇土から上天草へ(熊本)【車中泊女子の全国縦断記】 http://dlvr.it/Q33byx
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●神武天皇
●神武天皇を『古事記』では神倭伊波礼琵古命 『日本書紀』では神日本磐余彦尊など 神武天皇が実在したとかのニュースも流れたらしい。 色んな写真を見て絶対にその地へ行くことが出来ないモノにとって何と嬉しい。 幾つかの新しい発見も。 ヤハリ沢山のページへ出向かないと知ることは出来ないさて次はドンなのかなと。 ★神武天皇 http://bit.ly/H7IUHU 神武天皇(じんむてんのう 庚午(かのえうま、こうご)年1月1日(紀元前711年2月13日?)~ 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?))は、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇である(古事記、日本書紀による)。 日本書紀によると、在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日?)~ 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)。 『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)と称され、 『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、 始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、 狹野尊(さののみこと)、 彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。 ★神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)http://bit.ly/H0eSXN 初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、 日本の紀年法である。 略称は皇紀(こうき)という。 外にも、 皇暦(こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、 日紀(にっき)などともいう。 年数の英字表記では、「Koki」や「Jimmu Era」などといい、 皇紀2660年を「Koki 2660」「Jimmu Era 2660」などと表記する。 紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、 神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。 西暦2012年は、神武天皇即位紀元皇紀2672年である。 ★神武天皇祭(じんむてんのうさい)http://bit.ly/H6vhog 神武天皇を祭る皇室の祭祀(宮中祭祀)。大祭。また、戦前の祝祭日の一つ。 初代天皇である神武天皇の崩御日にあたる4月3日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭る。 ★ニニギノミコト http://kikihensan.miyazaki-city.tourism.or.jp/2_niniginomikoto.html ニニキノミコトが降り立った高千穂の峰については、二つの説がある。 2つの伝承地があるが、その一つは霧島連峰・高千穂峰(1,573m)だ。 宮崎・鹿児島の県境にそびえ、どこから眺めても秀麗な山容を見せる複合火山で、山頂にはニニギノミコトが降臨したとき ...
★神話の源流~はじまりの物語|県広報みやざき - 宮崎県 http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/komiya/201908/shinwa.html 天孫降臨 アマテラスオオミカミの命を受けた天孫ニニギノミコトは、 葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるため、 お供の神々とともに地上を目指して天降りし、 ついに竺紫の日向の高千穂にそびえる峰に降り立ちました。 ニニギノミコトは、 「ここは朝日が真っ直ぐに射し、夕日が輝く素晴らしいところだ」 と言って、 この地に住むことにしました。 この 「天孫降臨」 から宮崎が舞台となる 「日向三代」の神々の物語が始まります。 霧島連山 ・ 高千穂峰(たかちほのみね)の麓に位置し、 天孫降臨の伝説が残る高原町と小林市。 ニニギノミコトが愛した太陽の光が降り注ぐこの地で、心身ともに初心に帰る旅をはじめましょう。
★神武天皇御生誕の謎 http://bit.ly/H34zTZ --宮崎紀行-- 斎藤吉久 Saitoh Yoshihisa 御腰掛岩 初代天皇神武天皇の伝説が集中的に伝えられる宮崎県を旅したのは、 平成9年の夏のことである。 『古事記』『日本書紀』を読むと、天孫降臨(てんそんこうりん)から神武天皇御生誕までの舞台が、この日向に集中していることが分かる。ただしこの場合、「日向」というのはいまの宮崎県のことではなく、南九州全体を指している。大隅、薩摩両国が分かれるのは8世紀の初頭のことである。 ★神武天皇 歴代天皇事典 http://bit.ly/HwGwbz 日本書紀・古事記(以下「記紀」という)に書かれている伝説上(定説)の人物で、初代の天皇とされている。 「はつくにしらすすめらみこと」と称されている。 高天原から天降ったニニギの曾孫で、兄五瀬命らと語らい東の美しい土地を目指して日向から宇佐・筑紫をを経由して瀬戸内海に入り大和をめざした。 河内に至り、その地の先住民(?)の長髄彦がおり孔舎衛坂で戦いとなった。 ���いは神武一行に不利で兄の五瀬命を戦いで失い、また暴風雨に遭って海神を鎮めようとして稲氷命と御毛沼命の両兄が海中に身を投じた。 神武は日の神の啓示により日に向かって戦うことの益なきことを悟り、紀州へと迂回した。 その後熊野の荒坂津に上陸して一路大和を目指した。 途中ヤタガラスらの導きもあってようやく畿内大和に入った。 そこで長髄彦と戦いになったが饒速日命が神武を天神の子孫と認めて長髄彦を殺して帰順したのでようやく戦いは収まった。 しかし、神武の行く手はまだまだ困難が伴った。 橿原宮で即位して初代天皇がここに誕生した。
★はつくに-しらすすめらみこと【始馭天下之天皇/御肇国天皇】三省堂 大辞林 〔最初に国を統治した天皇の意〕 (1)神武天皇のこと。《始馭天下之天皇》 (2)崇神天皇のこと。《御肇国天皇》〔古事記・日本書紀・常陸国風土記の記述による〕 ◯はつくにしらすすめらみこと http://bit.ly/H3ouCi ・始馭天下之天皇 - 神武天皇 ・御肇國天皇 - 崇神天皇 ★神武天皇 http://bit.ly/GZu6bk 金鵄がとまった弓を手にして彼方を見つめる勇姿を描いた絵を思い浮かべる方も多いであろう。 これは神武東征神話のなかでももっとも有名な場面 からイメージされたものである。
★神日本磐余彦尊 神武天皇 http://bit.ly/H3p8jf ★神日本磐余彦尊 神武天皇 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇 ★カンヤマトイハワレヒコ【神日本磐余彦尊】http://bit.ly/H1cVcM ★紀の国の神話と神々 神武東征神話 http://bit.ly/HnSmCN ★神武天皇 古代史学の進展で実在確かに 2012-02-27 https://ameblo.jp/jtkh72tkr2co11tk317co/entry-11175718288.html ★国体の始まり・神武天皇即位 http://bit.ly/H6kHgw ★初代天皇の生誕地 - 宮崎市 https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/mayor/cat_blogs/52548.html 2016/03/03 本市が全国に誇る魅力の一つに「神話」があります。神武天皇が崩御されて2600年となる今年は、神話にまつわるさまざまな記念行事が開催されます。 神武天皇の即位紀元は、天皇として即位された年(紀元前660年)の2月11日とされています。これは日本書紀の記述をもとにしたもので、明治5年に紀元節とされたとあり、今年は皇紀2676年にあたります。神武天皇は宮崎でお生まれになり、奈良県橿原市で初代天皇に即位されたことは、ご存知の人も多いと思います。 ★-天皇陵-神武天皇 畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのみささぎ) http://bit.ly/HoQj2X 平成21年4月1日 ■代 数 :第1代 ■天 皇 名 :神武天皇(じんむてんのう) ■御 父 :草葺不合尊 ■御 母 :妃玉依姫命 ■御 陵 名 :畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ) ■陵 形 :円丘 ■所 在 地 :奈良県橿原市大久保町 ■交通機関等 :近鉄「畝傍��陵前」下車 西へ0.7km ■陵印保管場所 :畝傍陵墓監区事務所 ★第225回活動記録 神武天皇陵の謎 http://bit.ly/HwSguq
★神武天皇のお話 2009/04/03 https://youtu.be/aQ1YjnNODYo https://youtu.be/o4CctILE0QY ★神武天皇一代記 古事記・日本書紀「神武東征」 2017/03/12 https://youtu.be/PSLRbKU82cY ★橿原神宮・神武天皇陵 http://bit.ly/H1fSKc ★神武天皇大和進入 - 古代史の復元 http://mb1527.thick.jp/N3-15-3tousen2.html 第8項 エウカシ誅す 熊野越えをした佐野命一行の人数はどれほどであったろうか?人数が多すぎれば熊野山越えにおいて兵糧の問題も発生し、少なすぎれば大和のナガスネヒコに対抗することはできなくなる。九州から佐野命に従ってきた人員の大半は二木島の嵐で失われており、これに高倉下が協力者を集めてくれたと推定している。総勢100人を越える程度ではあるまいか。最大でも数百人が限度であろう。一方ナガスネヒコは数千人は集められると予想され、戦力から考えてとても大和盆地にいるナガスネヒコの敵とはならない勢力である。ナガスネヒコ軍と対決するためには宇陀地方の豪族を味方に付けなければならない。また、大和盆地内の賛同勢力にも協力を得ければならなかったと思われる。佐野命一行はナガスネヒコ軍に対してはるかに劣勢であり、地理不案内も重なり、一般に言われているように佐野命が皇軍を編成し、大和に攻め上ってナガスネヒコを征伐することなどとても不可能なことである。佐野命がナガスネヒコ軍に打ち勝って大和盆地に侵入することができたと言うこと自体が大和盆地内に協力者がいたことを意味し、神武天皇東征ではなく、倭国・日本国大合併のための東遷であることを示している。 ★神武天皇聖蹟顕彰碑・伝承碑まとめ|実際に行って見て、確かめてみたところも全部待てるてみた!(マニア限定) 日本神話 https://nihonshinwa.com/archives/2420 2016/02/22 「ココが神武天皇の事績があった場所や!」 と認定されたのが、以下の皆さん。 という訳。 神武天皇聖蹟顕彰碑一覧 ★ひむか神話街道 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ひむか神話街道 ひむか神話街道(ひむかしんわかいどう、HIMUKA MYTH ROAD) 日本の宮崎県にある広域観光ルート。 西臼杵郡高千穂町の天岩戸神社を起点に宮崎県内各地を通過し、 西諸県郡高原町の皇子原公園で終点となる。 総延長はおよそ300キロメートル。 指定路線の関係上、一部熊本県を通過する区間がある。 沿線には天孫降臨や日本書紀、古事記にまつわる神話や平家落人伝説の舞台 となる場所があり、神楽などの伝統芸能などが残されている。 「ひむか歴史ロマン街道形成構想」内のプロジェクト「広域歴史ルートの設定」で 掲げられた8ルートのひとつである「神話・伝説の道」が基となっており、 モデルルートとして2003年6月8日に全線開通・供用した。 ★神武天皇 千人万首 http://bit.ly/HwVZs3 ★神武東征、ヤタガラスの導き:熊野の説話 http://bit.ly/H6ng28
★熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)那智山:紀伊続風土記(現代語訳) https://www.mikumano.net/meguri/nati.html 那智の滝への崇拝からおこった霊場 熊野那智大社は那智の滝を神とする自然崇拝からおこった社です。 社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てられ、神としておまつりになった、とあるそうですが、神武東征以前から熊野の原住民が神としてまつっていたと考えるのが自然でしょう。 熊野那智大社の社殿は現在、那智の滝から離れた高台にありますが、かつては大滝の近くあったらしく(「那智経塚」の近くにかつての社殿があったと考えられています)、仁徳天皇5年(317年)に現在地に遷されたと伝えられます。
★こんなに面白いって知らなかった!日本神話「古事記」の神々と物語を簡単に解説! https://intojapanwaraku.com/culture/2496/ 2019/08/29 目次 世界的にも珍しい日本神話『古事記』で見られる人間の本質 伝承に止まらない日本神話のドラマチックな恋物語 日本神話に見るテーマとパターン 1.伊耶那岐神と伊耶那美神(イザナキとイザナミ) 見るなのタブー ~オルフェウス型神話~ あらすじ 2.天津日高日子番能邇々芸能命と木花之佐久夜毗売 一夜孕み ~バナナ型神話~ あらすじ 3.火遠理命(山幸彦)と豊玉毗売之命 異類婚 ~メルシナ型神話~ あらすじ 日本神話の用語一覧と解説 伊耶那岐神と伊耶那美神 見るなのタブー オルフェウス型 ヨモツヘグイ 天津日高日子番能邇々芸能命と木花之佐久夜毗売 一夜孕み バナナ型 火中出生 火遠理命と豊玉毗売之命 異類婚 メルシナ型 鵜萱葺不合命 ウガヤフキアヘズノミコト ★イワレビコ(神武天皇)の東征 http://bit.ly/H6G81q ★神武天皇社 k12 即位した場所といわれている http://bit.ly/HnZGOX ★第43話 神武天皇と建国記念日 紀元節祭 http://bit.ly/GXA9xV ★神武天皇1 http://matcha.kakurezato.com/page009.html ★神武天皇2 http://bit.ly/Hm5q1D ★神武さん参り|宮崎神宮(公式ホームページ) https://miyazakijingu.or.jp/publics/index/33/ 宮崎神宮の神武さん参りです. 神武会とは�� 神武会は神武天皇にゆかりのある宮崎神宮、狭野神社、都農神社で、ご東遷記念日にあたる平成24年10月5日に発足しました。 当会ではご神徳を発揚すべく、神武天皇御東遷二千六百年記念事業(昭和九年)、紀元二千六百年記念事業(昭和十五年)で神武天皇の御聖蹟として顕彰された地であるうちの御降誕の地、御東遷にゆかりのある神社を紹介しています。パンフレットとあわせてご朱印帳を作成いたしましたので、ご参拝の折に是非授与されて下さい ★神武天皇 - 宝登山神社 http://bit.ly/Hm5Xka ★天皇家家系図1 http://bit.ly/H6HjOA ★天皇家家系図2 http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno2.html ★天皇系図 - 宮内庁 https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html 天皇系図. 天皇系図へ(PDF形式:1,509KB)3ページ(別ウインドウで開きます). 天皇系図. このページのトップへ. 宮内庁: 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1[所在地] 電話:03-3213-1111(代表) ★天皇家直系系図 http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno0.html ★皇室の系図一覧 https://ja.wikipedia.org/wiki/皇室の系図一覧 皇室の系図一覧(こうしつのけいずいちらん)では、日本の皇室(天皇および皇族)、並びに皇室を祖とする氏族に連なる人物のうち、日本史上の主要な人物を配した系図の一覧を示す。神話上の人物も、実在の人物とする説はあるので記載する。 ★ワカミケヌ - 日本神話・神社まとめ https://nihonsinwa.com/page/2541.html ワカミケヌ 漢字・読み 若御毛沼命 別名 稚三毛野命(ワカミケノノミコト) 若御毛沼命(ワカミケヌノミコト) まとめ ○ワカミケヌは穀物神を表す名前。 ○古事記では神武天皇のこと。 ○日本書紀で対応する名前は稚三毛野命(ワカミケノノミコト)。 ○ただし稚三毛野命(ワカミケノノミコト)と神武天皇は別。 ○稚三毛野命(ワカミケノノミコト)がワカミケヌと同じとは限らない。 ★神武天皇社(御所市柏原) : 古代史探訪 https://enkieden.exblog.jp/20576997/ 2014/04/15 奈良県御所市(ごせし)柏原字屋舗 水平社博物館(0745-62-2288)の東隣 祭神: 神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇) 境内社: 火産霊社、厳島社 境外摂社: 嗛間神社(ほほまじんじゃ、ホンダワラの宮、祭神は吾平津媛) 神武天皇社の南50m。 ★最初の神様と天皇家の関係 | 日本の伝統,文化,民族風習,作法を ... https://wajikan.com/note/kami-tenno/ もくじ 1.神道は日本独特の宗教である 2.なぜ神道は、天皇家と結びついているのか 3.『古事記』が説く創生の神々 4.天皇家の祖先は「天照大神(アマテラス)」 ★神武天皇の名���込められたミカドへの思い http://bit.ly/HrOeVh ★邪馬台国と卑弥呼-183 神武天皇の実在性 http://bit.ly/HoYGeM ★神武天皇詔敕謹解 文學博士武田祐吉謹述 http://bit.ly/HoVrra ★神武天皇 http://akoyano.la.coocan.jp/hisnov/a.html 歴史小説のすべて 神話 日之本開闢 数霊 祝天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 深田剛史 今日の話題社 2005 スサノオ 私版スサノオ紀 浜野健三郎 講談社 1955 スサノオ自伝 芦原すなお 集英社 1986 文庫 覇王スサノオ伝説 司悠司 ロングセラーズ 1997 新スサノオ伝説 強き倭軍の物語 吉田まゆみ 鳥影社 1998 素戔鳴尊とヤマタノオロチ 神尾正武 星雲社 (発売) 2007 大国主命 大國主神妻訪記 白きヌプリ 山東伝蔵 本の森 2005 大国主命 神尾正武 パレード 2008 大国主命の出雲平定 神尾正武 パレード 2009 大国主命の国譲り 神尾正武 不知火書房 2011 ★神武天皇~大和朝廷を開いた初代天皇の伝説~ -1100記事 https://senjp.com/jinmutennou/ 2019/07/01 日本史には、伝説化されて実在説と架空説がある人物が多くいますが、 その中でも著名なのが、ここで紹介する神武天皇(じんむ-てんのう)です。
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8月11日から13日にかけて千葉・幕張メッセにて開催された「願い事の持ち腐れ」大握手会にて、「AKB48グループ ユニットじゃんけん大会」(9月24日、愛知・日本ガイシホール)の予備戦、および本戦の組み合わせ抽選会が行われた。 昨年まではシングル選抜の座やソロデビューをかけて行われてきたじゃんけん大会だが、今回は題して「ユニットじゃんけん大会」とリニューアル。出場資格を持つAKB48・SKE48・NMB48・HKT48・NGT48・STU48メンバー(※卒業発表メンバー除く)は、人数や各グループの枠に関係なく、メンバー同士で相談して好きなユニットを組んで、参戦することが可能に。ユニットの人数ごとに定員枠が設けられ、予戦を戦うことになった。ただし、参加はひとり1ユニットに限られている。なお優勝したユニットはCDデビューの特典が与えられる。 11日には予備戦の組み合わせ抽選と、ソロ、5人ユニット、6人ユニットの各部門の予備戦を実施。ソロ部門は、本戦に進める2枠を17名が争う激戦区。その激戦を制したのはSKE48白井琴望とNGT48の菅原りこ(※ソロユニット名「さくらんぼの妖精」)。菅原は、昨年に続き2年連続での本戦出場になる。 5人ユニット部門は5組が争���、SKE48��ンバーによる「ぉっょぃ(内山命、江籠裕奈、市野成美、斉藤真木子、福士奈央)」と、NMB48メンバーによる「nyamm(東由樹、古賀成美、谷川愛梨、林萌々香、三田麻央)」の2組が本戦出場。 6人ユニット部門は、SKE48メンバーによる「まさたのしお(野島樺乃、松井珠理奈、高木由麻奈、佐藤すみれ、岡田美紅、白雪希明)」と、HKT48メンバーによる「Chou (松岡菜摘、森保まどか、栗原紗英、山下エミリー、松本日向、宮崎想乃)」の一騎打ち。勝った方が即本戦出場ということで両者気合十分だったが、「Chou」が勝ち抜け。「まさたのしお」は地元・愛知開催での本戦への出場は叶わなかった。 翌日12日には、残りのユニット全ての予備戦が行われた。 2人ユニット部門は、最も参戦数が多い53組が20席を争い、「まりあんにん(AKB48阿部マリア、AKB48入山杏奈)」、「Wみおん(AKB48向井地美音、NMB48中川美音)」らが本戦に勝ち上がった。 3人ユニット部門は、初戦で負けても敗者復活がある“ホワイト”なトーナメント。 「ガールズバンド」というテーマで服のテーストも合わせてきたという「kissの天ぷら(AKB48大家志津香、 AKB48宮崎美穂、 NGT48北原里英)」、HKT48移籍以来初のじゃんけん大会本戦を果たした指原莉乃らの「サンコン(AKB48峯岸みなみ、AKB48/NGT48柏木由紀、HKT48/STU48指原莉乃)」、選抜常連メンバーが組んだ 「はんたんねぇ(AKB48横山由依、NMB48山本彩、HKT48宮脇咲良)」、111文字と最も長いユニット名の「秋の放課後、新校舎の体育館で一人バトンの練習に汗を流す加藤美南を屋上から博 愛の眼差しで見守りながらふと飛行機雲をみつけた矢吹奈子をみて美術室にこもり「芸術とは何 か?」と難解な問題に頭を悩ませていた自分に笑顔が戻る白間美瑠。(NMB48白間美瑠、HKT48 矢吹奈子、NGT48加藤美南)※略称は新博難」、敗者復活から勝ち上がった「ひまちょパンダ(AKB48樋渡結依、AKB48馬嘉伶、 STU48張織慧)」らが本戦出場に。 4人ユニット部門では、誰からも声がかからなかったという自虐的な「余りもの選抜(AKB48中西智代梨、HKT48秋吉優花、HKT48田中菜津美、HKT48村重杏奈)」が、姉妹グループのセンターら期待の若手が組んだ「ニコニコ(AKB48久保怜音、SKE48小畑裕奈、NMB48山本彩加、HKT48松岡はな(※正式なユニット名は絵文字で表現」という対照的な対戦もあった。結果���「ニコニコ」が勝ち、「余りもの選抜」も敗者復活で本戦出場。 16人~ユニット部門は、チーム8全メンバーと「16えんぴChu!(AKB48 16期生)」の大人数での一騎打ち。チーム8はチーム内で予備戦を行い勝ち残ったという歌田初夏(愛知県)が代表を務めたがあえなく敗退。一か八かで全員でユニットを組んだチーム8の短い戦いが終わった。 7人ユニットと8~15人ユニットは、それぞれ1組のみのエントリーだった為、「せいうち(STU48田中皓子、STU48土路生優里、STU48今村美月、STU48大谷満理奈、STU48矢野帆夏、STU48菅原早記、AKB48福岡聖菜」、「栄6期生(SKE48青木詩織、井田玲音名、鎌田菜月、北川綾巴、北野瑠華、熊崎晴香、竹内彩姫、日高優月、山田樹奈」が予備戦免除で本戦出場を決めている。 そして13日には予備戦を勝ち上がった48組が、抽選会に臨んだ。AKB48選抜総選挙との2冠がかかる指原莉乃らの「サンコン」初戦の対戦相手に注目が集まったが、なかなか決まらず抽選会も終盤へ。結局「サンコン」とぶつかるのは絶対に避けたいと言っていた、HKT48メンバーを中心とした 「余りもの選抜」が対戦相手に決まり、会場が大いに沸くことになった。 本戦は9月24日、愛知・日本ガイシホールにて行われる。 【本戦出場ユニット】 ●1人ユニット SKE48白井琴望…白井琴望 NGT48菅原りこ…さくらんぼの妖精 ●2人ユニット HKT48荒巻美咲 運上弘菜…fairy w!nk HKT48本村碧唯 SKE48木本花音…あおのん SKE48渥美彩羽 坂本真凛…Fluffy SKE48北川愛乃 深井ねがい…よこねがピョン HKT48地頭江音々 SKE48町音葉…melody Twins AKB48入山杏奈 阿部マリア…まりあんにん STU48森下舞羽 NMB48本郷柚巴…難波瀬戸内海賊団 HKT48岩花詩乃 AKB48後藤萌咲…FLEURI SKE48惣田紗莉渚 NMB48磯佳奈江…いっそーだ NMB48井尻晏菜 溝川実来…はんなり姉妹 NMB48加藤夕夏 川上千尋…◎ピース(※◎は絵文字でピースマーク) SKE48佐藤佳穂 森平莉子…LIL SKE48犬塚あさな 都築里佳…ニコイチ NGT48太野彩香 中村歩加…あゆかにちゃん AKB48向井地美音 NMB48中川美音…Wみおん NMB48堀詩音 鵜野みずき…鹿vs熊 HKT48上野遥 下野由貴…上野と下野 AKB48小嶋菜月 加藤玲奈…れなっつん NMB48村瀬紗英 矢倉楓子…ふぅさえ NMB48渋谷凪咲 STU48薮下楓…なぎっふぅー ●3人ユニット HKT48/STU48指原莉乃 AKB48峯岸みなみ AKB48/NGT48柏木由紀…サンコン AKB48千葉恵里 西川怜 STU48甲斐心愛…寝る前にひつじ数え隊 NGT48日下部愛菜 清��麗菜 村雲颯香…ジンギスキャッツー NGT48高橋真生 西村菜那子 角ゆりあ…るぷれのん SKE48大場美奈 高柳明音 松村香織…サンタロウ STU48石田千穂 石田みなみ 門脇実優菜…門石石 NMB48森田彩花 松村芽久未 山尾梨奈…ユニット名は無し、白紙のまま AKB48市川愛美 湯本亜美 田野優花…Dancing Cats NGT48高倉萌香 NMB48市川美織 HKT48村川緋杏…こけしシスターズ NGT48加藤美南 NMB48白間美瑠 HKT48矢吹奈子…秋の放課後、新校舎の体育館で一人バトンの練習に汗を流す加藤美南を屋上から博愛の眼差しで見守りながらふと飛行機雲をみつけた矢吹奈子をみて美術室にこもり「芸術とは何か?」と難解な問題に頭を悩ませていた自分に笑顔が戻る白間美瑠。 STU48尾崎舞美 黒岩唯 兵頭葵…マドンナ AKB48横山由依 NMB48山本彩 HKT48宮脇咲良…はんたんねぇ NGT48北原里英 宮崎美穂 大家志津香…kissの天ぷら SKE48古畑奈和 AKB48武藤十夢 藤田奈那…おかぱーず AKB48樋渡結依 馬嘉伶 STU48張織慧…ひまちょパンダ ●4人ユニット AKB48中西智代梨 HKT48村重杏奈 田中菜津美 秋吉優花…余りもの選抜 AKB48久保怜音 NMB48山本彩加 HKT48松岡はな SKE48小畑優奈…◎◎◎◎(ニコニコ ※◎は4人の描いた笑顔マーク) NMB48中野麗来 明石奈津子 清水里香 山田寿々…song's AKB48田北香世子 達家真姫宝 飯野雅 大川莉央…宝央雅子 SKE48大芝りんか 仲村和泉 NMB48安藤愛璃菜 小嶋花梨…フォーリンLOVE ●5人ユニット SKE48内山命 江籠裕奈 市野成美 斉藤真木子 福士奈央…ぉっょぃ NMB48東由樹 古賀成美 谷川愛梨 林萌々香 三田麻央…Nyamm ●6人ユニット HKT48松岡菜摘 森保まどか 栗原紗英 山下エミリー 松本日向 宮崎想乃…Chou ●7人ユニット AKB48福岡聖菜 STU48今村美月 大谷満理奈 菅原早記 田中皓子 土路生優里 矢野帆夏…せいうち ●8~15人ユニット SKE48北川綾巴 山田樹奈 青木詩織 北野瑠華 竹内彩姫 日高優月 井田玲音名 鎌田菜月 熊崎晴香…栄6期生 ●16人~ユニット 浅井七海 稲垣香織 梅本和泉 黒須遥香 佐藤美波 庄司なぎさ 鈴木くるみ 田口愛佳 田屋美咲 長友彩海 播磨七海 本間麻衣 前田彩佳 道枝咲 武藤小麟…16えんぴChu! ザテレビジョン
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個性派ぞろい?宇治市ゆかりのゆるキャラたち
今や全国各地に存在する「ゆるキャラ」ですが、宇治茶で有名な宇治市でも、3匹(?)のゆるキャラが活動しています。可愛らしい見た目や性格も含め、キャラクター設定がゆるすぎる宇治市のゆるキャラたち。この記事では、健気に一生懸命、宇治市のPRに奮闘している彼らについてご紹介します。
お茶の味にうるさい赤ん坊「チャチャ王国のおうじちゃま」
チャチャ王国(京都府宇治市)88代目王子である「おうじちゃま」は、宇治商工会議所公認のゆるキャラです。茶筅(ちゃせん)のような冠、「茶」と書かれたマント、抹茶味のする��しゃぶり(おちゃぶり?)という赤ちゃんのような出で立ち。そんな可愛い見た目とは裏腹に抹茶を好み、お茶ききができるなど、乳幼児らしくない設定も背負っています。
そんな「おうじちゃま」ですが、「ゆるキャラグランプリ2014」では全国で第5位に選ばれるなど、強豪ひしめくゆるキャラ界のなかでもそれなりの地位を確保しています。「おうじちゃま」が統べるチャチャ王国には、他にも「うじまる」「抹茶っ。(マッチョ。)」などの仲間キャラクターが多数おり、ゆるキャラにしては奥行きのある世界観が特徴です。また、「おうじちゃま」のテーマソングは、Berryz工房の熊井友理奈さんと℃-uteの鈴木愛理さんのユニット「抹茶ーず」が歌うなど、力の入れようが伺えます。
サバサバ系の宣伝大使「ちはや姫」
「ちはや姫」は、宇治市より宇治市宣伝大使として任命されたゆるキャラです。名前の由来は、和歌の枕詞(まくらことば)である「ちはやぶる(勢いのある様子の意)」から命名されており、名前のように、宇治市が活気ある街になって欲しいという願いが込められています。
宇治市が”宇治茶と源氏物語のまち”と謳っているためか、ちはや姫の衣装は十二単風で、顔立ちは貴族的です。手には巻物を持ち、知的なお姉さんのような雰囲気が醸し出されています。物事をハッキリ言うサバサバした性格、楽天的で自信家というキャラ設定がなされており、平安時代版の「意識高い系女子」と言えそうです。
また、宇治市長から直々に任命を受けて活動を行っているため、市長とのミーティングを頻繁に行っているのが特徴です。ゆるキャラといえども市の大使、教育から若者の雇用、果ては中小企業振興まで、宇治市が抱える様々な課題に日々立ち向かっています。
そんなちはや姫ですが、子どもたちにも優しく、多忙な仕事の合間を縫って、市役所見学の際には必ずと言っていいほど出現しています。
実在するゆるキャラ?「うみうのウッティー」
「おうじちゃま」や「ちはや姫」は、ゆるキャラ界から現世に舞い降り日々活動を行っていますが、最後に紹介する「うみうのウッティー」は厳密にはキャラクターではなく、実在する生き物です。
宇治の夏の風物詩と言えば、6月〜9月頃に行われる「宇治川の鵜飼」です。鵜飼では、川魚を捕まえるためにウミウという野生の渡り鳥を飼い慣らしてのですが、宇治では2014年6月に、日本で初めてウミウの卵の人工ふ化に成功したのです。
人工ふ化を記念して、孵化したウミウのヒナの名前が宇治観光協会から一般募集され、その際、名前とともにイメージキャラクターも発表されました。その結果、「うみうのウッティー」という名前が与えられ、今後、宇治で生まれたウミウは全てウッティーという名前を引きついで活動していくそうです。
実在する生き物としてのウッティーは、すっかり大人に成長して、2015年9月には鵜飼デビューを果たしました。ゆるキャラとしてのウッティーは、黄色いくちばしとまんまるな目、黒い体に魚を抱えており、なんとも可愛らしい見た目ですが、実際のウッティーは、割と鋭いくちばしとつぶらな瞳、スリムな黒光りしたボディで堂々とした姿をしています。ウッティーと触れ合えるイベントも開催されているので、機会があれば是非、鵜飼の時期に宇治を訪れてみてください。
PRで多忙な宇治市のゆるキャラたち
全国各地では今も、続々と新しいゆるキャラが誕生してはPRのためにしのぎを削っています。ゆるキャラ戦国時代とも言える近年、生き残るためにはしっかりと地域密着を図り、人々の心を掴まなくてはいけません。可愛らしい姿の裏には、宇治市のPRに取り組みつつ、ゆるキャラとしての独り立ちも求められるシビアな事情がある・・・のかもしれません。
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【宮崎神宮・宮崎】さわやかな風が通りぬけるお宮
「神宮」ですから、天皇がお祀りされている神社です。
その天皇とは初代天皇とされている「神武天皇ー神日本磐余彦(カムヤマトスメイワレビコノミコト)。 ここでお生まれになり大和を目指された、と神話にはあります。
鳥居も「神明鳥居」です。伊勢神宮と同じタイプ。 まっすぐに延びる参道が、キモチいいねえ。天気にも恵まれたし。
ご拝殿。 ここからお参りします。
ご拝殿の中には、お祀りされている神様のお名前が、まるで表札のように飾られています。(わかりやすい!) 左の表札にある鵜草葺不合尊、玉依姫命は、神武天皇のご両親神のお名前。鵜草葺不合尊は、鵜戸神社のご祭神です。
さらにもうひとつご拝殿。ご祈祷する人が、昇段できます。この奥にご本殿があります。
うわー、大好きな千木! 「外削ぎ」です。 青い空に伸びる千木。ウツクシイ。。。(うっとり)
自分のカラダの中にもすがすがしい風が通り抜けて、カラダの中の澱みが解消されたようでした。 (2017年9月9日参拝)
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【高千穂神社】 御祭神 高千穂皇神 (たかちほすめがみ) 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) 木花開耶姫命 (このはなさくやひめ) 彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) 豊玉姫命 (とよたまひめのみこと) 鵜鵝草葦不合尊 (うがやふきあえずのみこと) 玉依姫命 (たまよりひめのみこと) 十社大明神 (じゅっしゃだいみょうじん) 三毛入野命 (みけぬのみこと) 鵜目姫命 (うのめひめのみこと) など 御神木 秩父杉(樹齢800年) 高千穂郷八十八社の総杜 約1900年前の垂仁天皇時代に創建されました。高千穂郷八十八社の総社で、神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。 主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神をして広く信仰を集めています。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称です。十社大明神は三毛入野命をはじめとする10柱を祀っています。 (高千穂神社) https://www.instagram.com/yankodayo/p/CYnNwhhv7ch/?utm_medium=tumblr
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悪魔と詐欺師【調査会NEWS2721】(30.4.30)
18年前の南北首脳会談(金大中・金正日)のとき、「悪魔と詐欺師の抱擁」と言った人がいました。今回はあの二人よりもう少し小物ですから、多少品のない表現をすれば「悪ガキとパシリの密談」ということになるでしょうか。
考えてみれば暴力団の親分と詐欺師が話し合いをして「治安の良い、正直な社会にしよう」という結論になるはずはありません。演出にごまかされて何か本当に平和になるかのような幻想を持つ人もいるようですが、北朝鮮は何も変わっていないのです。変わっているのは韓国の方です。
北朝鮮の指導者は自分の叔父を高射機関砲でバラバラにし、異母兄をサリンで毒殺し、多くの幹部を粛清し、収容所も公開処刑も維持して国民には無差別な労働現場への動員を強いている人間です。もちろん拉致被害者を返すなどと、自分で反省して行う人間ではありません。
今回「板門店宣言」の中には「南と北は、地上と海上、空中をはじめとするあらゆる空間で、軍事的緊張と衝突の根源となる相手に対する一切の敵対行為を全面的に中止することにした。差し当たって、5月1日から軍事境界線一帯で拡声器(宣伝)放送やビラ散布をはじめとするあらゆる敵対行為を中止し、その手段を撤廃し、今後非武装地帯を実質的な平和地帯としていくことにした」という文言があります。
もともと韓国側は北朝鮮が宣伝放送を流そうがビラを送ろうが痛くも痒くもありません。しかし北朝鮮は情報の流入が体制を揺るがすものであると恐れています。今回両方がやめると言っても実質上北朝鮮側が得をするだけです。そして韓国内で行っている北朝鮮のプロパガンダはそのまま、というよりさらに激しく行われるでしょう。
日本も米国も、今まで何度も騙され続けています。かつては韓国も騙されていましたが、今の韓国は騙されるどころか自分から北朝鮮の側に行っているのです。その現状をしっかりと認識すべきでしょう。幻想は拉致問題の進展も遠ざけてしまいます。 ///////////////////////////////////////////////////
<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関 する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等> ※事前申込み・参加費等についてはお問い合わせ先にご連絡下さい。
・5月16日(水)18:30「今、日本から朴正煕を考える」(同講演会実行委員会主催) ・会場 拓殖大学文京キャンパス(文京区小日向3-4-14 地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅下車5分) http://www.takushoku-u.ac.jp/access.html ・調査会荒木代表が参加 ・問合せ 荒木(090-8517-9601)三浦(080-3485-7189)
・5月25日(金)18:30「日本を救うシンポジウム」(日本再生同志の会主催) ・会場 星陵会館(千代田区永田町2-16 地下鉄永田町駅・国会議事堂前駅・溜池山王駅下車) http://www.seiryokai.org/kaikan/map.html ・調査会荒木代表が参加
・6月23日(土)18:00「草莽志塾」(同塾主催) ・かでる2.7(札幌市中央区北2条西7丁目 011-204-5100)JR札���駅徒歩13分 ・代表荒木が参加 ・問合せ・出口塾頭(011-737-1798) ※事前申込みが必要です。
・7月14日(土)19:00 映画「ドキュメント 拉致」上映会・記念講演会(ACT FACTRY TOPIX主催) ・会場 CONEMA BOKAN(井の頭線池の上駅すぐ 03-3481-6997) ・調査会荒木代表が参加
・7月25日(水)14:00「アニメ『めぐみ』上映会」(拉致問題対策本部・北海道庁・札幌市・救う会北海道主催) ・札幌駅前地下広場(地下鉄札幌駅と大通り駅をつなぐ地下通路のオープンスペース) ・代表荒木が参加 ・問合せ 北海道庁国際課(道庁代表番号 011-231-4111) ※イベント自体は10:30に開会され14:00までは映画が繰り返し上映されます。
・9月1日(土) 埼玉県民集会 ・調査会荒木代表が参加
・11月10日(土)「拉致問題講演会」(群馬県・救う会群馬他主催) ・安中市 ・調査会荒木代表が参加 ---------- 「月刊Hanada」6月号 荒木論文「現地レポート 北朝鮮船、今も続々、漂着中」
・channelAJER(チャンネル アジャ)では代表荒木の担当する番組『救い、守り、創る』を送信しています。会員制ですが1回30分の番組の前半は無料で視聴していただけます。 http://ajer.jp ----------- ※特定失踪者に関わる報道は地域限定であってもできるだけ多くの方に知らせたいと思います。報道関係の皆様で特集記事掲載や特集番組放送などについて、可能であればメール(代表荒木アドレス宛)にてお知らせ下さい。 ---------- <荒木共著『自衛隊幻想」』(産経新聞出版)> ・定価1200円(税別) <荒木著『靖国の宴」』(高木書房刊)> ・定価1000円(税別) <荒木著『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(展転社刊)> ・定価1800円(税別) _________________________________________ 特定失踪者問題調査会ニュース --------------------------------------------------------- 〒112-0004東京都文京区後楽2-3-8第6松屋ビル301 Tel03-5684-5058Fax03-5684-5059 email:comjansite2003■chosa-kai.jp ※■を半角の@に置き換えて下さい。 調査会ホームぺージ:http://www.chosa-kai.jp/ YouTube https://www.youtube.com/channel/UCECjVKicFLLut5-qCvIna9A 発行責任者荒木和博(送信を希望されない方、宛先の変更は kumoha551■mac.com宛メールをお送り下さい) ※■を半角の@に置き換えて下さい。 <カンパのご協力をよろしくお願いします> ■特定失踪者問題調査会■ 郵便振替口座00160-9-583587口座名義:特定失踪者問題調査会 銀行口座 みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2520933 名義 特定失踪者問題調査会 (銀行口座をご利用で領収書のご入用な場合はご連絡下さい) ■特定失踪者家族会■ 郵便振替口座 00290-8-104325 特定失踪者家族会 銀行口座 ゆうちょ銀行 普通預金 店番128 口座番号4097270 特定失踪者家族会 代表者大澤昭一 ______________________________________________________
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧(平成30年4月26日現在)
《平成28年(2016)以前》------------------------------------------------- ※確認出来たものを逐次入れていますが、あくまで氷山の一角です。実際には遥かに多くの事件が起きています 昭和62年(1987) 1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京)
平成2年(1990) 10月28日 福井県美浜町久々子海岸 ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日 美浜町沖合や海岸 遺体2体(20代~40代)
平成10年(1998) 12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体(男性) 12月16日 島根県浜田市 遺体1体(女性) 12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。 12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊)
平成11年(1999) 1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私たちの船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) 1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊)
平成13年(2001) 12月16日 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231読売東京) 12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版)
平成14年(2002) 1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版) 1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版) 1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m 後方にハングルと数字)(140110読売石川版) 1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの) 3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版) 4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊) 12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ)
平成15年(2003) 1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網) 3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝ 茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後)
平成16年(2004) 12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト)
平成18年(2006) 1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊) 1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊) 1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊) 1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊) 1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊)
平成19年(2007) 6月 青森県西津軽郡深浦町 木造船・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。
平成20年(2008) 1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊) 3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版)
平成23年(2011) 9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送) 9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊)
平成24年(2012) 1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版) 1月19日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版) 4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版)
11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2〜3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) 12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1〜2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) 12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字) 上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」)
平成25年(2013) 11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗料でハングル、ジャンパーのような衣類) 12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊) 12月25日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版) 12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版) 12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版)
平成26年(2014) 8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国)
平成27年(2015) 1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売) 10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 木造船1隻・遺体1体(271209読売) 11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売) 11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売) 11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表 11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日) 11月6日 北海道松前町沖 木造船・遺体2体(271107読売東京朝刊) 11月14日 新潟県佐渡市沖 木造船・遺体1体(271209読売) 11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体(271209読売) 11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体(271209読売) 11月22日 福井県越前町沖 木造船・最低でも7人とみられる遺体・遺骨(271209読売) 11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売) 11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売) 12月2日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(海保の司法解剖結果で死後1~6カ月経過 靴にハングル)(271207・1209読売東京朝刊) 12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売) 12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売)
平成28年(2016) 5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版) 6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版) 10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版) 10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他) 10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版) 10月30日 青森県つ���る市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版) 12月5日 京都府舞鶴市 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体(一部白骨化)(TBSあさチャン)
《平成29年(2017)以降》--------------------------------------------------- ※出典については逐次書き加えています。石川関連のほとんどが北國新聞、新潟関連の大半は新潟日報の記事です。
平成29年(2017) 1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部 6日 新潟県上越市柿崎区 木造船 6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊) 7日 福井県小浜市犬熊 木造船
2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船 11日 石川県金沢市 木造船 15日 京都府京丹後市間人 木造船 15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船
3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船 14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部 18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売) 22日 石川県羽咋市寺家町 木造船 28日 京都府京丹後市 木造船
4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台付近 木造船・遺体1体
5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部 2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船
6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船 26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載 男性遺体1体身長約168センチ)
7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部
8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船
9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船 25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部
11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載) 15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助 16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体 16日 秋田県にかほ市 木造船 19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記 20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見 21日 山形県鶴岡市五十川八斗島南 木造船(長さ7m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載 23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など) 23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。 24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ7m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等 25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 26日 新潟県佐渡市石花 遺体1体 26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載) 26日 青森県西津軽郡深浦町 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載) 27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部 27日 石川県羽咋市 木造船 27日 青森県西津軽郡深浦町 木造船(船首に赤い文字で「2093」と記載) 27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片) 27日 青森県下北郡佐井村 木造船 サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット 28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名 28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着 28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。 30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体
12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m) 1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船 2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体 4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部 4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船 4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船 4日 山形県鶴岡市温見米子漁港沖 遺体3体 4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体 4日 青森県西津軽郡深浦町 木造船・遺体2体 5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m) 5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体 6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載) 7日 秋田県男鹿市五里合 木造船(「913300」と記載)・遺体2体 7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット) 7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体1体 7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体 7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部 8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見 8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着) 9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用 9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船 9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体 9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体 10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体 10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m) 12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 12日 新潟県村上市沖 木造船 12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部 12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部 13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体 13日 秋田県男鹿市北浦入道崎 木造船 13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体 13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載) 13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船 13日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載) 14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体 14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本 14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m) 14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部 15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船 15日 新潟県佐渡市下相川 木造船(長さ約13m幅約3m) 15日 青森県下北郡佐井村 木造船 16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部 16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載) 17日 石川県珠洲市 木造船の一部 18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船 19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体 19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず) 20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船 21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示) 21日 新潟東港沖18キロ 木造船 21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m) 21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた)・遺体4体 23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載) 24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり) 24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体 24日 山形県酒田市浜中 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト) 25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m) 29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) 29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり)
平成30年(2018)
1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m) 4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー) 4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部 4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m) 4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側 木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m) 4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部 5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明 6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字) 7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着) 7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部 8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m) 8日 秋田県男鹿市野石申川海岸 木造船の一部(長さ約7.7m幅約1.9m) 10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さともに3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) 21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた) 24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり) 24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ5.45m幅1.5m) 28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載) 30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。 2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載 4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載) 7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載) 9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記) 10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし) 11日 石川県加賀市美崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國) 13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國) 13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國) 13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國) 13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載) 15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり) 20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載) 21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国) 21日 石川県輪島市門���町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国新聞) 22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國) 24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁) 3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國) 10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國) 12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國) 13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國) 4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。
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日本神話由来の神[編集] あ行[編集] あ[編集] 青沼馬沼押比売神(あおぬまぬおしひめ) 阿加流比売(あかるひめ) 飽咋之宇斯能神(あきぐいのうし) - 伊弉諾尊の冠から神に成る 秋比売神(あきびめ) 秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびおとこ) 阿久斗比売(あくとびめ) 悪樓(あくる) 浅間大神(あさま) 阿邪美都比売命(あざみつひめ) 阿邪美能伊理比売命(あざみのいりびめ) 足柄之坂本神(あしがらのさかもと):坂の神 味耜高彦根神、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこね)- 農業、雷、不動産業の神 葦那陀迦神(あしなだか) :「古事記」にみえる女神。 大国主神の妹。 足名稚命、脚摩乳命(あしなづち):⇒脚摩乳・手摩乳 葦原色許男神(あしはらのしこお):⇒大国主 阿須波神(あすは) 阿曇大浜(あずみのおおはま):阿曇(あずみ)氏の祖 吾田媛(あたひめ) 熱田大神(あつた):⇒天叢雲剣(草薙剣)・三種の神器 阿曇磯良(安曇磯良)(あづみのいそら)- 海の神 姉倉比売(あねくらひめ) 穴戸神(あなと) 沫那藝神(あはなぎ):⇒速秋津日子神参照 沫那美神(あはなぎ):⇒速秋津日子神参照 阿比良比売命、吾平津媛(あひらひめ、あひらつひめ) 淡島神(あわしまのかみ) あま・あめ[編集] 天知迦流美豆比売神(あましるかみづひめ) 天津国玉神(あまつくにたま) 天久米命(あまつくめ) 天津彦根命、天津日子根命(あまつひこね)- 日の神、海の神、風の神 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえず):⇒鵜葺草葺不合 天津日高日子番能迩迩芸命(あまつひこひこほのににぎ):⇒瓊瓊杵 天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみ):⇒火遠理 天津日高彦瓊瓊杵尊(あまつひたかひこににぎ):⇒瓊瓊杵 天津日高彦火火出見尊(あまつひたかひこほほでみ):⇒火遠理 天津麻羅(あまつまら)- 鍛冶の神 天津甕星(あまつみかぼし)- 星の神 天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ):⇒国産み参照 天照御魂神(あまてるみたま) :⇒天火明、天照大神、饒速日など諸説ある。 天照大神(あまてらすおおみかみ)- 三貴子、太陽神 天照大御神(あまてらすおおみかみ):⇒天照大神 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命 (あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ):⇒饒速日 天石門別神、天石戸別神(あまのいわとわけ) 天種子命(あまのたねこ) 天道根命(あまのみちね) 天活玉命(あめのいくたま) 天宇受売命(あめのうずめ)- 芸能の女神 天之忍男(あめのおしお):⇒知訶島 天之忍許呂別(あめのおしころわけ):⇒国産み参照 天忍日命(あめのおしひ) 天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)- 稲穂の神、農業神 天之尾羽張神(あめのおはばり) 天迦久神(あめのかく):⇒天之尾羽張参照 天香山命(あめのかぐやま) 天香語山命(あめのかごやま):⇒天香山命 天之久比奢母智神(あめのくひざもち):⇒速秋津日子神参照 天之闇戸神(あめのくらど):⇒大山津見神参照 天児屋根命(あめのこやね)- 託宣の神 天之狭霧神(あめのさぎり):⇒大山津見神参照 天探女(あめのさぐめ) 天之狭土神(あめのさづち):⇒大山津見神参照 天之狭手依比売(あめのさでよりひめ):⇒国産み参照 所造天下大神(あめのしたつくらしし):⇒大国主 天手力男命(あめのたぢからお)- 腕力・筋力を象徴する神 天棚機姫神(あまのたなばたひめ)- 織機の神 天之都度閇知泥神(あめのつどへちぬ) 天之常立神(あめのとこたち)- 始源神、天空神 天豊足柄姫命(あめのとよたらしからひめのみこと) 天鳥船神(あめのとりふね):⇒鳥之石楠船神 天苗加命(あめのなえますのみこと) 天羽槌雄神(あめのはづちのお) 天日照命(あめのひでり):⇒建比良鳥命 天一根(あめのひとつね):⇒姫島 (大分県) 天比登都柱(あめひとつはしら):⇒国産み参照 天夷鳥命(あめのひなどり):⇒建比良鳥命 天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみ) 天日鷲命(あめのひわし)- 豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神 天之吹男神(あめのふきお):⇒家宅六神 天両屋(あめふたや):⇒両児島 天太玉命(あめのふとだま):⇒布刀玉命 天之冬衣神(あめのふゆきぬ) 天火明命(あめのほあかり) 天穂日神、天之菩卑能命(あめのほひ)- 農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神 天目一箇神(あめのまひとつ)- 鍛冶の神 天之御影神(あめのみかげ) 天之甕主神(あめのみかぬし) 天之水分神(あめのみくまり):⇒水分神 天御虚空豊秋津根別(あめのみそらとよあきつねわけ) 天之御中主神(あめのみなかぬし)- 宇宙の根源神 天御柱命(あめのみはしら):⇒級長津彦命 天八意思兼(あめのやごころおもいかね):⇒思兼神(おもいかね) 天若日子、天稚彦(あめのわかひこ、あめわかひこ) 荒河刀弁(あらかとべ):紀国の国造 淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけしま) 沫那芸神(あわなぎ)⇒速秋津日子神参照 沫那美神(あわなみ)⇒速秋津日子神参照 阿波神(あんば) い・う・え・お[編集] 五百箇磐石尊(いおついわむら) 座摩神(いかすりのかみ) 活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめ) 活津日子命(いくつひこね) 伊古奈比咩(いこなひめ):伊古奈比咩命神社 伊古麻都比古神(いこまつひこ):往馬坐伊古麻都比古神社 伊古麻都比賣神(いこまつひめ):往馬坐伊古麻都比古神社 伊弉諾尊、伊耶那岐命(いざなぎ)- 創造神、国生みの神 伊弉冉尊、伊耶那美命(いざなみ)- 創造神、国生みの神 石凝姥命(いしこりどめ)- 金属加工の神、鏡の神 伊豆山神(いずさんじん):⇒火牟須比(ほのむすひ)、伊弉諾尊(いざなぎ)、伊弉冉尊(いざなみ)) 伊須流伎比古(いするぎひこ) 伊勢津彦(いせつひこ):『伊勢国風土記』逸文に見える神 五十猛神(いそたける、いたける)- 林業、造船、航海安全、大漁の神 市杵嶋姫神(いちきしまひめ):⇒宗像三神 一目連神(いちもくれん):⇒天目一箇神 伊豆那姫命(いづなひめ) 伊豆能売(いづのめ)- 厄払いの神 稲背脛命(いなせはぎ):天穂日神の子 井氷鹿(いひか) 石押分之子(いわおしわくのこ) 磐裂神・根裂神(いわさく・ねさく)- 武神 石巣比売神(いわすびめ):⇒家宅六神 石土毘古神(いわつちびこ):⇒家宅六神 磐筒男神(いわつつのを)- 武神 磐筒女神(いわつつのめ):⇒磐筒男神 葦夜神(いや) 磐長媛命(いわながひめ)- 不老長生の神 宇迦之御魂神(うかのみたま)- 穀物の神 鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえず)- 農業の神 保食神(うけもち)- 食物神 宇比邇神・須比智邇神(うひぢに・すひぢに)- 大地の様子を表す神 宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)- 活力を司る神 蛤貝比売、宇武賀比売命(うむぎひめ、うむかひめ):⇒蛤貝比売・蚶貝比売 表筒男命(うわつつのお):⇒住吉三神 天表春命(うわはる)- 開拓、学問、技芸、裁縫、安産、婦女子の守護神。 榎本神(えのもと):榎本神社 淡海之柴野入杵(おうみのしばぬいりき) 大麻比古命(おおあさひこ) 大雷(おおいかづち、おほいかつち):⇒火雷大神 意富加牟豆美命(おおかむづみ) 大口真神(おおぐちまがみ)- 日本狼の神格化 大国主命(おおくにぬし) 大気津姫神(おおげつひめ)- 食物神 大事忍男神(おおごとおしお) 大年神(おおとし):⇒年神 意富斗能地神・大斗乃弁神(おおとのぢ・おおとのべ)- 大地の様子を表す神 大戸日別神(おおとひわけ):⇒家宅六神 大直毘神(おおなおび):⇒直毘神 大己貴神(おおなむち):⇒大国主 大日孁貴神(おおひるめ):⇒天照大御神 大禍津日神(おおまがつひ):⇒禍津日神 大宮能売神(おおみやのめ):⇒八神殿 大物忌神(おおものいみ) 大物主神(おおものぬし)- 水神、雷神 大屋都比賣神(おおやつひめ):⇒大屋都姫・都麻津姫 大屋毘古神(おおやびこ):⇒家宅六神・五十猛神 大山咋神(おおやまくい)- 山の地主神、農耕の神 大山津見神(おおやまつみ)- 山の神、海神 大綿津見神(おおわたつみ):⇒綿津見神 淤加美神(おかみ)- 水神 奥疎神(おきさかる) - 伊弉諾尊の左手の腕輪から神に成る 興玉神(おきたまのかみ) 奥津甲斐弁羅神(おきつかいべら) - 伊弉諾尊の左手の腕輪から神に成る 奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさひこ) - 伊弉諾尊の左手の腕輪から神に成る 奥山津見神(おくやまつみ):⇒迦具土神参照 乙子狭姫(おとごさひめ) 大戸惑子神 (おほとまとひこのかみ):⇒大山津見神参照 大戸惑女神 (おほとまとひめのかみ):⇒大山津見神参照 淤加美神(おかみ) 淤美豆奴神(おみずぬ) 思金神(おもいかね)- 知恵の神 淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神(おもだる・あやかしこね)- 大地の様子を表す神 か行[編集] 迦具土神(かぐつち)- 火の神 風木津���之忍男神(かざけつわけのおしお):⇒家宅六神 春日神(かすが) 家宅六神(かたくろくしん)- 石の神、門の神、屋根の神、風神 金屋子神(かなやこ)- 鍛冶職人に信仰される神 金山彦神(かなやまひこ)- 鉱山の神、鉱業・鍛冶の守護神 金山姫神(かなやまひめ)- 鉱山の神、鉱業・鍛冶の守護神 神直毘神(かみなおび):⇒直毘神 神皇産霊神(かみむすび)- 創造神 神大市姫神(かむおおいちひめ)- 農耕神、食料神 神屋楯比売(かむやたてひめ) 迦毛大御神(かも):⇒阿遅鉏高日子根神 賀茂建角身命(かもたけつぬみ) 賀茂玉依姫(かもたまよりひめ):⇒玉依姫 賀茂別雷神(かもわけいかづち) 加夜奈留美、賀夜奈流美(かやなるみ) 鹿屋野比売神(萱野姫神)(かやのひめ)- 草の神 韓神(から) ��貝比売、枳佐加比売命(きさがいひめ、きさかひめ):⇒蛤貝比売・蚶貝比売 - 赤貝の神格化 木祖神(きのおや):⇒杉原大神 木俣神(きのまた)- 木の神、水神、安産の神 金鵄(きんとび、きんし) 久延毘古(くえびこ)- 田・農業の神、土地の神、学業・知恵の神 久久能智神(くくのち)- 木の神 菊理媛神(くくりひめ)- 縁結びの神 櫛磐間戸神(くしいわまど) 櫛玉命(くしたまのみこと):⇒饒速日命 櫛名田姫神(くしなだひめ)- 稲田の女神 櫛真智命(くしまち) 九頭龍大神(くずりゅう) 国魂 (くにたま) 国狭槌尊 (くにさつち)- 大地の様子を表す神 国之久比奢母智神(くにのくひざもち):⇒速秋津日子神参照 国之闇戸神 (くにのくらど):⇒大山津見神参照 国之狭霧神 (くにのさぎり):⇒大山津見神参照 国之狭土神(くにのさづち):⇒大山津見神参照 国之常立神(くにのとこたち)- 始源神、大地神 国之水分神 (くにのみくまり):⇒水分神 - 水の神 国御柱命(くにのみはしら):⇒級長戸辺命 熊野速玉男神(くまのはやたまのお):熊野速玉大社 熊野久須毘命(くまのくすび) 熊野牟須美神(くまのふすみ):熊野那智大社 闇淤加美神、闇龗神(くらおかみ):⇒淤加美神 闇御津羽神(くらみつは)- 水神 闇山津見神(くらやまつみ):⇒迦具土神参照 黒雷(くろいかづち、くろいかつち):⇒火雷大神 家都御子神(けつみこ):熊野本宮大社 苔牟須売神(こけむすめ) 事解之男神(ことさかのお) 事代主神(ことしろぬし)- 託宣神、海神、五穀豊穣商売繁盛の神 木花咲耶姫神(このはなのさくやびめ)- 火の神、水神、妻の守護神、安産の神、子育ての神、酒造の神 木花知流比売(このはなちるひめ) さ行[編集] 賢彦名神(さかしなひこな) 前玉比売(さきたまひめ) 折雷(さくいかづち、さくいかつち):⇒火雷大神 福井神(さくいのかみ) 辟田彦、杉原彦(さくたひこ、すぎはらひこ):⇒杉原大神 辟田姫(さくたひめ):⇒杉原大神 刺国大神(さしくにおおかみ) 刺国若比売(さしくにわかひめ) 佐保姫(さほひめ)- 春の女神 寒川比古命(さむかわひこ) 寒川比女命(さむかわひめ) 猿田彦(さるたひこ)- 道の神、旅人の神 塩土老翁(しおつちのおじ)- 航海の神、潮流を司る神、製塩の神 磯城津彦命(しきつひこ) 敷山主神(しきやまぬし) 思子淵神(しこぶち):⇒七シコブチ 下照姫神(したてるひめ) 天下春命(したはる)- 開墾の神 志那都比古神(しなつひこ)- 風神 級長戸辺命(しなとべ):⇒志那都比古神 白山比咩神(しらやまひめ):⇒菊理媛神 杉原大神(すぎはら) 少彦名神(すくなひこな)- 国造りの協力神、常世の神、医薬の神、温泉の神、呪術の神、穀物神、知識の神、酒造の神、石の神 須佐之男命、素盞嗚尊(すさのを)- 三貴子、海神、嵐の神 須勢理毘売命(すせりびめ) 住吉三神(すみよし)- 水神 瀬織津姫命(せおりつひめ) 底筒男命(そこつつのお):⇒住吉三神 ソソウ神:⇒諏訪大神 た行[編集] 高淤加美神、高龗神(たかおかみ):⇒淤加美神 高皇産霊神(たかみむすび)- 創造神 高照姫神(たかてるひめ) 湍津姫神(たぎつひめ) 多紀理毘売命(たきりびめ) 栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)- 織物の神 健磐龍命(たけいわのたつ)- 阿蘇山の神 建葉槌命(たけはづち):⇒天羽槌雄神 - 織物の神、機械の神 建比良鳥命(たけひらとり) 建御雷之男神 (たけみかづち)- 雷、剣の神 武水別神(たけみずわけ):⇒建水分神 建御名方神 (たけみなかた):⇒諏訪(須波)大神 建御名方富命彦別神 (たけみなかたとみのみことひこがみわけ) 田心姫神(たごりひめ):⇒多紀理毘売命 手力男命 (たぢからお):⇒天手力男命 竜田姫 (たつたひめ)- 秋の女神 多邇具久(たにぐく) 多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみ) 玉祖命(たまのおや)- 勾玉の神 玉依姫神(たまよりびめ) 道俣神(ちまたのかみ) - 伊弉諾尊の袴から神に成る 撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ):⇒瀬織津姫 月読命(月読尊、月弓尊、月夜見尊)(つくよみ、つくゆみ、つきよみ)- 三貴子、月神 土雷(つちいかづち、つちいかつち):⇒火雷大神(ほのいかづち) 角杙神・活杙神(つぬぐい・いくぐい)- 大地の様子を表す神 都麻津比賣神(つまつひめ):⇒大屋都姫・都麻津姫 頬那藝神(つらなぎ):⇒速秋津日子神参照 頬那美神(つらなみ):⇒速秋津日子神参照 手名稚命、手摩乳命(てなづち):⇒脚摩乳・手摩乳 遠津待根神(とおつまちね) 遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらし) 時量師神(ときはかし) - 伊弉諾尊の袋から神に成る 年神、歳神、大年神、御年神、若年神、大歳神、正月様、恵方様、歳徳神(とし) 鳥取神(ととり) 鳥鳴海神(とりなるみ) 豊受比売(とようけびめ) 豊雲野神(とよくもの)- 大地の様子を表す神 豊玉姫神(とよたまひめ)- 海神、龍神 豊日別大神(とよひわけ) 鳥之石楠船神(とりのいわくすふね)- 船の神、運輸・交通の神 な行[編集] ないの神(地震の神) 直毘神(なおび)- 厄払いの神 長白羽神(ながしらはのかみ) 中筒男命(なかつつのお):⇒住吉三神 泣沢女神(なきさわめ)- 水神、井戸の神 鳴雷(なるいかづち、なるいかつち):⇒火雷大神 丹生都姫(にうつひめ):丹生都比売神社 饒速日命(にぎはやひ) 邇邇芸命(ににぎ)- 稲穂の神、農業神 奴奈川姫(ぬなかわひめ) は行[編集] 波自加弥神(はじかみ):㯮椒神社 八幡神(はちまん、やはた) 埴安神(はにやす)、埴安彦神(はにやすひこ)、埴山姫神(はにやまひめ)- 土の神 速秋津比古神・速秋津比売神(はやあきつひこ・はやあきつひめ)- 川の神、港の神 早池峰大神(はやちね) 祓戸大神(はらえど) 日河比売(ひかわひめ) 比佐津媛(ひさつひめ) 一言主神(ひとことぬし) 日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてるぬかたびちおいこちに) 火之迦具土神(ひのかぐつち):⇒迦具土神 樋速日神(ひはやひ)- 火の神 比々羅木之其花麻豆美神(ひひらぎそのはなまづみ) 比売大神(姫大神)(ひめ) 蛭子神(ひるこ) 深淵之水夜礼花神(ふかぶちのみずやれはな) 伏雷(ふすいかづち、ふすいかつち):⇒火雷大神 経津主神、布都努志命(ふつぬし) 布帝耳神(ふてみみ) 布刀玉命、太玉命(ふとだま)- 託宣の神 布怒豆怒神(ふぬずぬ) 布波能母遅久奴須奴神(ふわのもぢくぬすぬ) 辺疎神(へさかる) - 伊弉諾尊の右手の腕輪から神に成る 辺津甲斐弁羅神(へつかいべら) - 伊弉諾尊の右手の腕輪から神に成る 辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこ) - 伊弉諾尊の右手の腕輪から神に成る 火遠理命(ほおり)- 山幸彦、稲穂の神 火須勢理命(ほすせり)- 稲穂の神 火照命(ほでり)- 海幸彦、稲穂の神 火雷大神(ほのいかづち) 火牟須比・火産霊(ほむすび):⇒軻遇突智 ま行[編集] 禍津日神(まがつひ)- 災厄の神 登美夜毘売(みかしきやひめ) 甕速日神(みかはやひ)- 火の神 水分神(みくまり) 御食津神(みけつ):八神殿 三島神(みしま):三嶋大社 溝咋姫神(みぞくいひめ) 道乃長乳歯神(みちのながちは) - 伊弉諾尊の帯から神に成る 罔象女神(みつはのめ)、弥都波能売神(みづはのめ)- 水神 御年神(みとし):⇒年神 水内神(みのち) 水光姫(みひかりひめ)- 水神、井戸の神 三穂津姫(みほつひめ) 美呂浪神(みろなみ) 武塔神(むとう) 胸鉏比売(むなすきひめ) や行[編集] 八重事代主神(やえことしろぬし):⇒事代主 矢川枝姫命(やがわえひめ):矢川神社 - 諸芸上達・諸願成就の神 八雷神(やくさのいかつち):⇒火雷大神 八坂刀売神(やさかとめ) 八島士奴美神(やしまじぬみ) 八十禍津日神(やそまがつひ):⇒禍津日神 八咫烏(やたがらす) 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬ):⇒国引き神話 倭大国魂神(やまとおおくにたま) 山彦、山幸彦(やまひこ、やまさちひこ):⇒火遠理命 八意思兼神(やごころおもいかね):⇒思兼神 由良比女命(ゆらひめ):⇒由良比女神社 ら行・わ行[編集] 若雷(わかいかづち、わかいかつち):⇒火雷大神 若宇加能売神(わかうかのめ) 若尽女神(わかつくしひめ) 稚日女尊(わかひるめ) 和加布都努志能命(わかふつぬし) 稚産霊(わくむすび)- 穀物の生育を司る神 別雷大神(わけいかづち、わけいかつち):⇒賀茂別雷命 和豆良比能宇斯能神(わずらいのうし) - 伊弉諾尊の衣から神に成る 綿津見(わたつみ)- 海神
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の神の一覧
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アナ雪から読む“女の幸せ”とは
2014年の大ヒット映画、『アナと雪の女王』は もう皆さんご覧になっただろうか。 今や、ディズニー映画の中でも群を抜いて人気のある作品だが、 私は観た後に、どうも心にわだかまりが残ってしまった。
本稿では、この心のもやもやの原因を探っていきたいと思う。
私のアナ雪論について語る前に、 まだ見ていないけれど歌だけは聞いたことがある、 という方のためにあらすじをご紹介しておこう。
主人公のアナとエルサは王女の姉妹。 姉のエルサは幼い頃から、触れたものを凍らせたり、 雪や氷を操ることのできる不思議な力を持っていた。 ある時、誤って自らの力でアナを傷つけてしまったエルサは、 自分の持つ力が恐ろしくなり、部屋に閉じこもるようになってしまう。
やがて二人は大きく成長し、エルサの戴冠式の日となった。 そこでアナは王子と恋に落ち、その日のうちに婚約を決意する。 しかしこれに猛反対したエルサは、アナと衝突してしまい、 思わず公衆の前で自らの力を晒してしまった。
国を飛び出したエルサは、初めて解放されたかのように いきいきと魔法を使い「ありのままの姿見せ」始めたが、 その魔法の力によって王国は冬となり、激しい寒さで人々は困り果ててしまう。 そこでアナはエルサを連れ戻すため、旅に出るのであった。
旅の途中でアナは山男のクリストフと出会い、彼と行動を共にする。 やっとの思いでエルサの雪の城にたどり着いたアナだったが、 エルサを説得することができず、 力が制御できなくなったエルサは、アナの心を凍らせてしまった。
アナの心を溶かすには、真実の愛が必要と知ったクリストフは、 王子のもとへとアナを連れていくが、 アナが愛の証のキスを求めたとたん、王子の態度は一変。 彼の目的は、王国を乗っ取ることだったのだ。
自らの体が凍っていくのもかまわず、 王子に殺されそうになっているエルサを助けたアナは、 とうとう頭の先から足まで氷となってしまう。 エルサはアナの体を抱きしめ、涙した。 すると、その涙は氷を溶かし、アナは命を取り戻した。 魔法を制御する力は“愛”だとエルサは知ったのである。
というお話。 ディズニーであるからして、もちろん終わりはハッピーエンドである。
しかしながら正直言って私��『アナと雪の女王』が苦手だ。 歌は、良い。 映像も、きれいだと思う。 しかし、どうもあのストーリーだけは受け入れることができないのだ。
なぜ、アナは王子様とくっつかないのか!? ディズニープリンセスなのに。 お姫様は王子様と結婚するものではなかったのか。 ということが、どうしてもひっかかってしまうのだ。
私は幼稚園の頃からディズニー映画を見続け、 大学生になった今でも電車の中で動画を見ては、 ロマンチックなシーンにうっとりしているような女である。 時には目に涙を浮かべて真剣な表情で見てさえいる。 シンデレラと王子様が庭にでて手を取りながら愛を歌うシーンなんて、 本当に素敵ではないか。 そのロマンチックなシーンがアナ雪には欠けていると感じられ、 どうも不完全燃焼なのである。
アナ雪も、途中までは面白かった。 凍ってしまったアナの心を解かすには、愛する者のキスが必要、という展開。 これはもうまさしくディズニーの定番である。
が、王子様はまさかの悪役という裏切り。
まあ、恋の相手は何も王子様ではなくてもいいだろう。 アラジンだって逆玉(玉の輿)だし・・・・・・。
しかし、体まで凍ってしまったアナを助けたのは、 恋仲であったクリストフのキスではなく、姉のエルサの涙だった。
そう、真実の愛とは姉妹愛だったのである! めでたしめでたし。
・・・・・・・。
うーんここがどうも腑に落ちない。
もちろん姉妹愛も素敵だ。
しかし、『シンデレラ』や『眠れる森の美女』に親しんできた私としては、 どうも納得がいかない。 ガラスの靴がシンデレラの足にぴったりとはまった時の感動や、 王子様のキスで夢から覚めたオーロラ姫が、ラストでドレスを揺らして踊る姿の美しさ。
あの感動は一体どこに?
思うに、『アナと雪の女王』には、 世間が考える「女の幸せ」の在り方が変わってきたことが表れているのではないか。
ディズニープリンセス全盛期の作品を観て育った私が『アナ雪』に求めていた感動は、 「プリンセス」としてのアナが恋人と織りなすラブストーリーにあった。 一方で、多くのアナ雪支持者たちは「一人の女性」としてのアナが成功を掴むまでの努力の道筋に感動したのではないだろうか。
これこそ、私が『アナ雪』を見た後に頭を抱えてしまった理由である。
なんだか、 「これからの女性は、王子様がやってくるのを夢見ていないで、 自分の足で歩いていかなくてはいけないよ」 と諭されているようで恐怖すら感じたのだ。
確かに、かぼちゃの馬車もガラスの靴も、 私たちを王子様のところへは連れて行ってくれなかった。 あんなのは世間知らずの少女たちが頭の中に描いたおとぎ話にすぎないのだ。
今、女性たちは白馬の王子様を夢見ることを止め、 自力で生きていくことのできる強さを身につけ始めている。 しかし、「女は強くなった」なんてよく耳にするけれど、 女が強くならざるを得ない状況を社会が作ったのではないか。
今の社会をサバイヴしていくためには、アナの生き方が正しい。 私たちは、入るわけもないガラスの靴に足を突っ込んでいるのをやめて、 スニーカーの紐をしばって、自分の足で走っていかなくてはいけないのだ。
おっしゃる通り!ぐうの音もでない。
でもね、女の幸せは何も仕事で成功することだけじゃないと思う。 好きな人と結婚するのが幸せだなんて、古臭い? そんなわけ、ないではないか!
運命の人を探し求めるのも、一つの立派な生きる道だということを忘れたくないし、 忘れないでほしい。 それが非現実的だとかあほらしいとか否定するのは、 なんて夢の無い、悲しいことだろう。
だからね、私は今の子供たちに『シンデレラ』も見てほしい。 夢はいつか覚めてしまうかもしれないけれど、 それでも素敵な夢を見てほしい。
女性が社会に進出し始めた時代には、 結婚が女の幸せだという固定観念を押し付けられて、 さぞ息苦しかったことと思う。
でも、今は逆に「女性も自立しなくてはならない、男と同じ土俵で戦おう!」 という風潮が強すぎるのではないか。 女は男に守ってもらってちゃいけないだろうか? 三歩下がって着いて行ってはだめなのか?
世の男性たちよ、耳を大きくして聞いてほしい。 確かに、女たちは強くなった。 しかしね、君。 今なお女たちは、自分を幸せにしてくれる運命の相手を探し求めているのだよ。 「強い女論」を鵜呑みにして、ほったらかしにしないでくれたまえ。
結局女の幸せってなんなのだろうか。 幸せになるためにはどうすればいいのか。
王子様が白馬にのって迎えにくるのを信じて待ち続けるべきなのか、 それとも自分の手で幸せを掴みむべく、戦いにいくべきなのか。
答えはそう簡単には出せそうもない。 きっと幸せが何かなんて人それぞれで、 アナもシンデレラも、幸せならどっちも正解。
幸せの答えなんて、人の数だけあるのではないかと思う。
大切なのは、「これが幸せの形である」と言い切ってしまわないこと。 こうするべき、なんてどうして他人に決めることができようか。
幸せのあり方は、どんどん多様化してきているのだ。 世間のイメージは、移り変わっていくのではなく、枝分かれしていかなくてはならない。
『アナ雪』は、幸せを掴んだ女性の、一パターンにすぎない。 絶対的正解ではないのである。
さてさて、今回は『アナ雪』を通して、 女の幸せを世間がどう捉えていると考えられるか、 私の思うところについて語ってきたが、 次回の後編ではさらなる私の『アナ雪』とディズニーに対する思いを綴りたいと思う。
それまでにぜひ、最寄り駅のTSUTAYAかGEOなんかで 『シンデレラ』から『アナ雪』に至るまで、ディズニーの名作を借りて、 私の戯言をたまに思い返しつつ、お家でゆっくり観ていただきたい。
え? いい年してディズニーアニメばかり借りるなんて恥ずかしい? そんな人は思い切ってAmazonで大人買いをしてみてはいかがだろうか。 3000円かそこらで、何十年にも渡って人々を楽しませてきた「夢」を買えるなんて、安いものである。
おおたにさゆり
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【宮崎神宮】 かむやまといわれひこのすめらみこと 神日本磐余彦天皇 かむやまといわれひこのすめらみこと(第一代・神武天皇) 相殿 鵜鷀草葺不合尊 (御父君) 玉依姫命(御母君) 神武天皇は初代天皇にご即位するまでは、神日本磐余彦天皇、ご幼名を狭野尊と申し上げました。天照大御神から五代目の御孫にあたります。鵜鷀草葺不合尊(鵜戸神宮ご祭神)の第四皇子で、母は玉依姫命(たまよりひめ)と申します。お生まれは宮崎県西諸県郡高原町狭野(にしもろかたぐんたかはるちょうさの)と言われ、この地には狭野神社が鎮座しています。 社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。下って第十代崇神(すじん)天皇、第十二代景行(けいこう)天皇の熊襲(くまそ)ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神(おうじん)天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭(しゅうぞうちんさい)した旨が旧記に伝えられています。 (宮崎神宮) https://www.instagram.com/yankodayo/p/CYidgl-La8o/?utm_medium=tumblr
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●木花咲耶姫 コノハナノサクヤビメ
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●木花咲耶姫 コノハナノサクヤビメ 木花之佐久夜毘売 コノハナサクヤヒメ 木花開耶姫 ★コノハナノサクヤビメ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、又は単にサクヤビメと呼ばれることもある。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。 オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)がいる。ニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。 ★絶世の美女、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話と祀られている神社 https://www.e-sogi.com/guide/27985/ 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは、日本神話に登場する女神です。非常に美しく桜の花の名の語源ともいわれています。また作者不明ではあるものの、平安時代の初期につくられたとされる「竹取物語」のかぐや姫のモデルだとも伝わっています。絶世の美女と謳われた木花咲耶姫とは、どのような神様なのでしょうか。そのご神ご利益・ご神徳や祀られている神社をご紹介します。 目次 1 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは 2 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)のご利益・ご神徳 3 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が登場する神話のストーリー 4 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られる神社 5 まとめ ★八百万の神大図鑑- 木花佐久夜毘売 https://00m.in/9zMrY 【和魂】美『開花の時です』. 蕾が花開くときです。 人は美しいものに引き寄せられます。 内面だけではなく外見を磨くことであなたの魅力が増します。 後回しにしていたことに挑戦してください。 心地の良い環境が整うでしょう。 今は美容関係と縁が深くなっています。 あなたに相応しい相手を引き寄せるでしょう。 ★木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示 http://kibanamano.cocolog-nifty.com/ 2006/10/23 地球にある者全て神の恵みなり。 そを我が国の物とし、また、自国に無き物他国からとりてもと、考ゆる汚れし者たち。 大きな神罰、いずれ下りしもの。 世界の神は一つなること気づけば争いなくなるらん。 ★コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)とは|ご利益や祀られる神社 https://00m.in/yv9XL 2018/08/18 - コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)とはどんな神様なのか?神話の中のコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の話から、ご利益(御神徳)、祀られている神社、富士山とコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)との関係と言った話まで解説をします。 ★木花咲耶姫とは (コノハナサクヤビメとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9C%A8%E8%8A%B1%E5%92%B2%E8%80%B6%E5%A7%AB 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の元に姉のイワナガヒメと共に嫁がされるが、イワナガヒメは大変醜かったため追い返され、木花咲耶姫だけが妻となった。 ★絶世の美女、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話祀られている神社 https://www.excite.co.jp/news/article/ESogi_27985/ 2019/11/19 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは、日本神話に登場する女神です。非常に美しく桜の花の名の語源ともいわれています。また作者不明ではあるものの、平安時代の初期につくられたとされる「竹取物語」のかぐや姫のモデルだとも伝わっています。絶世の美女と謳われた木花咲耶姫とは、どのような神様なのでしょうか。そのご神ご利益・ご神徳や祀られている神社をご紹介します。 ★木花咲耶姫命 http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/konohana.html 別称:木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメノミコト)、神阿多津比売命(カミアタツヒメノミコト)、豊吾多津媛命(トヨアタツヒメノミコト)、神吾田鹿葦津姫命(カミアタカアシツヒメノミコト)、酒解子神(サケトケノコノカミ)、木花知流比売命(コノハナチルヒメノミコト)、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)性別:♀系譜:大山祗神の娘。邇邇芸神と結婚し火照(ホデリ)命(海幸彦)、火須勢理(ホスセリ)命、火遠理(ホオリ)命(山幸彦)を産む。姉は石長姫命(イワナガヒメノミコト)神格:山の神、火の神、酒造の神神社:富士山本宮浅間(センゲン)神社、浅間神社 日本の木の花の代表といえばもちろん桜である。 その桜の美しさを体現しているのが木花咲耶姫命だ。 「木の花」が美しく「咲く」というのは、ものごとの繁栄を象徴する名前である。 神話には、日本の山の神の総元締の大山祗神の娘で、天孫邇邇芸命と結婚してその子を産む、見目麗しい女性として描かれている。 ただ、桜の花は満開になればやがて散る。 美人薄命という言葉があるように、この神はまさに美しさと同時に花の命のはかなさも象徴している。 これを表しているのが天孫の寿命の神話だ。 詳細についてはそちらを参照していただきたい。 ★木花咲耶姫さまと共に - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/konohanasaku/ 2014/08/25 2006年、全ての龍の孤高の王たる白き龍が目覚めた。 始まりは、2005年秋. 神社仏閣*足跡つけし場. 神仏は 人々の直ぐ傍におられます。 ぜひ、心を向けて下さい。必ずお導きがあります。 困った時だけでなく心を向けられることをお薦めします。 ★木花咲耶姫様の御神示 http://konohanasakuya.blog.jp/ ウイルスにも役割がある この世の万物事象すべてに役割あり。 山や海や川に住む生命も小さな虫も雑草も、小さな石ころでさえ役目ありてつくられたり。 大元の神が善の神と悪の神をつくられたるは、この世を調和させる為ならん。 細菌とて善玉菌悪玉菌あるように、ウイルスも同様なり。 ウイルス、細菌の感染症に対し、人間は都度薬を作りて対応するなれど、結果さらに強きウイルス、細菌作り出す。 ★神無月特集(9) 邇邇芸命と咲耶姫 http://www.ffortune.net/calen/izumo/sinwa/sinwa09.htm さて地上の国が天照大神の子に譲られることになったので、天照大神は最初 の予定通り天之忍穂耳命を下らせようとしますが、このとき天之忍穂耳命に 子供が生まれたので、その子(天照の孫)邇邇芸命が代わって降臨すること になりました。 この邇邇芸命(正式には天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子番能 邇邇芸命と いう長い名前である)には八尺の勾玉・鏡・草薙剣の三種の神器が渡され、 天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命・思金神・手力 男神・天石門別神などの神が付きしたがって地上へと降りて行きました。 ★木花咲耶姫を祀る神社の写真集 http://www.kaiunnoyashiro.com/jinja-link/0-konohanasakuyahime.htm 東口本宮冨士浅間神社 静岡県 小山町 木花開耶姫命・大己貴命・彦火火出見命 一幣司浅間神社 静岡県 御殿場市 木花開耶姫命 北口本宮冨士浅間神社 山梨県 富士吉田市 木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵命・大山祇神 箱根神社 神奈川県 箱根町 瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花咲耶姫命 木花咲耶姫 安産の神、子育ての神。 オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘。 天孫ニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。 ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。ホオリの孫が神武天皇。 火中出産の説話から火の神として祀られるようになり、富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになったとされているが、 浅間神社の総本宮である富士山本宮浅間大社では、水の神として富士山の噴火を鎮めるために祀られたとしている。 別名 木花之佐久夜毘売・木花開耶姫・神阿多都比売(カムアタツヒメ)・鹿葦津姫・葦津姫(カヤツヒメ) ★木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話やゆかりの神社 | SPIBRE https://spirituabreath.com/konohanasakuyahime-11009.html 2019/05/01 物語における登場人物としてヒロインと言うのは今も昔も欠かせないものであり、日本神話と言う物語においてのベストヒロインと呼べる神様は誰かと言われたらそれは恐らくコノハナサクヤヒメであると言えるでしょう。またコノハナサクヤヒメは「富士山信仰」とも関係がある神様でして、日本神話をちょっと詳しく知りたい方には是非とも知っておいて貰いたい神様の一人。 そこで今回はこの日本神話における当時の日本人にとっての理想を詰め込んだとも言えるコノハナサクヤヒメについて御紹介させていただきます。 目次 1.神話に出てくる神様と言う目で見た姿 2.祭られる神様として見た姿 3.神話「ニニギノミコトとの誓約(うけい)」 4.2つの役割を持つコノハナサクヤヒメ 5.まとめ ★相撲は神事 : 木花咲耶姫様の御神示 2017/11/27 http://konohanasakuya.blog.jp/archives/27374271.html 相撲は神事 相撲は神に捧げる神事ならん。 なれどその意識は今は薄れ、ただ力と力のぶつかりあい、最後には我と我のぶつかりあい。 長きに渡り受け継がれたる神聖なる相撲のその世界に入るものは覚悟をして臨まねばならぬ。 日々修行続けるは魂を磨くためなり。争いをするためにあらず。 相撲は宇宙を表す国技なれば、土俵は黄、四本柱の青、赤、白、黒、五行を表すなり。 日本の誇れる国技も暴力、嘘、隠蔽、体質と変わりぬればもはや神事にあらず。 相撲に携わるもの指導するものはいつも正しき行動にて魂を磨き少しの事に感情を揺さぶられぬ強さ、寛容さ必要ならん。 相撲を観る者もまた相撲は神事なることをしっかり心に刻み神聖なる心をもちて観らねばならぬ。 相撲の世界穢れるは神への冒涜となりにけり。 ★みやざきの神話と伝承101:可愛岳と可愛山陵 https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/021.html ●「花米」を供え参詣 北川町ではニニギノミコトの山陵について、国が指定している「伝説地可愛山陵」とは別に可愛岳(727.7メートル)を山陵とする伝承が古くからある。可愛岳は西南戦争で、西郷軍の鹿児島・城山への最後の敗走が始まるところである。政府軍もよもやここを越えるとは、と思ったほど険しい山である。 可愛岳は行縢山とともに古代から信仰の山であった。天永元(1110)年の可愛岳に関する記録に、「年籠(としごもり)用途分」(年末に用意するもの)として「愛(エ)山正月1日鏡餅3枚 花米」とある。「花米」は神社参詣のとき神前に供える米のことである。八幡宮の神事、およびそのために用意しなければならない品物の目録に可愛山に供えるものが記されており、信仰の古さを知ることができる。 ★岸町二丁目 木花咲耶姫の山車 - 川越まつり https://kawagoematsuri.jp/dashi/25konohanasakuya.html 山車は二重鉾、四つ車、唐破風付き囃子台で廻り舞台。原型は昭和27年の牛車に屋台を乗せた小さなものだった。昭和33年以降その原型に改修を重ね、平成27年に現在の形に完成させた。 人形は岩槻の福田東久の作。古事記に安産、子育ての神として登場する神武天皇の曾祖母 木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)。山車の彫刻や見送り幕、四方幕の図柄にも木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)に関連する物語が表されている。なお四方幕は現代の名工桐生市の大沢紀代美の作。彫刻は掛布の松林��。 ★木花開耶姫神社-R指定な川柳がいっぱい!珍しいハート形の神様【雲仙】 https://www.9navi.jp/konohanaya-shrine.html (注意) *この文面の中には一部に【閲覧注意】が含まれます。 卑猥なものが苦手な人は見ないで下さい。↓↓. 温泉地で有名な九州の雲仙。 こちらの温泉街の裏手を少し歩くと、原生沼が広がり散策コースとなっています。 この原生沼のすぐ��にあるのが木花開耶姫(このはなさくやひめ)神社です。 古事記や日本書紀にも出てくる女神様でロマンティックな響きがする名前だから、さぞかし神社もロマンに満ちたものと思いきや、、、?! もくじ 1 山道には短冊がいっぱい 2 注意点その1:大人限定 3 注意点その2:山道 4 注意点その3:駐車場 ★富士山と女性の深い繋がり【あなたの知らない富士山 ... - TABIZINE https://tabizine.jp/2018/07/07/192878/ 2018/07/07 7月1日は、日本の象徴かつ世界遺産である富士山の山開きです。富士登山はもはや日本人のみならず、海外旅行客にも人気。そこで、「祝!富士山開山」として、富士山のトリビアを全8回特集でお届けします。第7回目は「女人禁制」だった富士山について。 目次 1 江戸時代に、富士登山が大流行 2 富士講ってなに? 3 富士講本部は渋谷の道玄坂にあった 4 女人禁制だった富士山 5 富士山に行けない女性はどうしたの? 6 はじめて富士山に登った女性は 7 実は紀元前にすでに登頂した人物がいた 8 ドラマティックな木花咲耶姫の人生 9 富士山の神様は女性 10 富士山は女性と縁が深い山だった ★女子力アップ!木華佐久耶比咩神社ー岡山県の ... - 岡山の街角から https://www.okayamania.com/spot/rekishi/konohanasakuyahimejinja.htm 美の神様を祀る、倉敷市の木華佐久耶比咩神社をご紹介します。 詳細 祭神:木華佐久耶比咩命 大山祇命 大國主命 別名、愛称:福南山神社 所在地:倉敷市福江1671-4 駐車場:有り、無料 参拝は24時間可 ★霧島神宮・御由緒 http://www.kirishimajingu.or.jp/contents/goyuisho.html 霧島神宮の御由緒や御祭神について御紹介しています。 相殿神:木花咲耶姫尊(お后)・彦火火出見尊(御子神)・豊玉姫尊(御子神のお后)・鵜 草葺不合尊(御孫神)・玉依姫尊(御孫神のお后)・神倭磐余彦尊(御曽孫神). ★このはなさくや図鑑~美しい日本の桜~ - Biglobe http://www7b.biglobe.ne.jp/~cerasus/ 日本最古の書「古事記」に登場する木之花咲耶姫(このはなさくやひめ:さくらのように美しい姫の意)は桜の女神です。 「このはなさくや図鑑~美しい日本の桜~」は桜をこよなく愛する者が桜を探求するあまり、出会った一期一会の桜図鑑です。 本サイトは、桜図鑑 桜の品種データベースです。 Last update 2020/2/15 MENU 日本の桜について・桜の名前から-桜図鑑 桜の各部位・花の咲き方から-桜図鑑 桜の花の色から-桜図鑑 ※現在編集中 桜の系統と品種について ★海援隊の盗作と、木花咲耶姫様からの神示 | 愛上王 上を向いて歩こう http://firstdoor.jugem.jp/?eid=433 2012/04/20 今朝、某ブログランキングに並んでいます記事タイトルを眺めていましたら、 パクリに関した話題らしき記事を発見。(臼さんとこですな。 今回はでかしたわ。) で、自分のこの目で確認しました所、 以前にもブログ、「イスファロン」から盗作したのが発覚した海援隊がまたヤッタようです。 今回は二つ盗作していたのが明るみになりました。 イブの地球 宇宙昆虫 2012年3月17日 10:35 http://blog.iruka.holy.jp/?eid=760 http://megalodon.jp/2012-0419-0616-43/blog.iruka.holy.jp/?eid=760 ★木花咲耶姫さまからのメッセージ - 宇宙∞sora - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/sora_666/e/509a3212085cb0c79f4dca849a980b9b 2011/08/28 久しぶりに木花咲耶姫さまがおこしでした マイラと私にメッセージをくださいました "あなた方がしていくことが やっとわかりましたね 地球上に光を降ろすのです あなた方にしかできないこと あなた方はシリウスにも魂があります" 私たちは金星やベガやシリウスにもいたようです いたというより魂の系列なのでしょうが ★木花咲耶姫様からのスピリチュアルメッセージ | 愛とソウルメイトを引き寄せる https://ameblo.jp/romantic-alfred/entry-10878178240.html 2011/05/01 先日、 とても素敵な神社を 見つけました。 この神社は、 雑誌や本などでは 載っていないので、 あまり有名な神社ではないのですが、 すばらしい神社です。 その神社には、 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと) が祭られていて、 木花咲耶姫様の像があります。 ★【再掲】発展の歪 : 木花咲耶姫様の御神示 http://konohanasakuya.blog.jp/archives/1479919.html 2015/04/14 文明の急速なる発展の歪みは今この世に表れんとす。 便利なる物品あふるるは人間の知恵深きゆえなれど、便利さと共に失いたるものも多かりなん。 そのつけは時に人間の想像を遙かに超え表るるなり。 重大事が起こる前に、文明の過ちに気づきて改めねばならぬ。 人が撒きたる毒による病も、今表面化したるはまだまだ氷山の一角。このままなれば、人が撒きたる毒にて人が滅びる恐れありと悟るべけれ。 文明栄え、便利になるは悪しきにあらず。 宇宙の理に適う文明なれば、人の命を疎かにすることはなし。 ★木花咲耶姫からのメッセージ | 本質からの喜びへと還ろう https://ameblo.jp/purna-aqua/entry-12316693267.html 2017/10/04 富士山リトリートツアー ~ Part4~ のつづき、まとめですkira* こちらの記事 たくさんの方にお読みいただきました。 それでは、最終章を・・・ 必要な方へと届きますように ★大山祇神社 「木花咲耶姫」と「瀬織津姫」が同一と言われる理由 https://makild.exblog.jp/16302761/ 2011年 10月 30日 昨日は、大山積神に5つの名前があるということをお話しました。 そして、716年、宮浦の本宮が完成した時、一緒に、4つの神社が建てられ、その神社の神々は、5つの名前があるという、本当の意味の神々の神社だった。 かなり長い文章になってしまい、よくわからなかったかもしれませんが、根本の考えは、5つの神の名前があるということです。 それが、古事記の中での名前と、それと同じ意味を持つ、本当の神の名前の神社だということでした。 ★木花開耶姫:玄松子の祭神記 https://genbu.net/saijin/konohanasakuya.htm 木花開耶姫 このはなさくやひめ 別名 木花咲弥姫命:このはなさくやひめのみこと 木花之佐久夜毘売:このはなさくやひめ 神阿多都比売:かむあたつひめ 豊吾田津媛命:とよあたつひめのみこと 神吾田鹿草津姫命:かむあたかあしつひめのみこと 許乃波奈佐久夜比売命:このはなさくやひめのみこと 酒解子神:さかとけのみこがみ ★古事記の日本神話『コノハナサクヤヒメ』をラノベ風に現代語訳して http://kojiki.co/nihonshinwa/episode32.html 日向に建てた宮殿で国造りを進めながら、ニニギは立派な大人へと成長した。 そんなある日、高天原から葦原の中つ国まで案内してくれたサルタビコが、故郷に帰りたいと言い出したので、ウズメに送らせることにした。 そのついでに、ウズメが1人でサルタビコに声をかけた時の勇気を称えて、名前をあげた。 ★コノハナサクヤヒメ - 日本神話・神社まとめ https://nihonsinwa.com/page/75.html オオヤマヅミ神の娘で、天孫ニニギ命と結ばれて、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を産む。姉はブサイクで頑丈なイワナガヒメ神(石長比売)。燃やした小屋で出産したことから火の神ともされ、古代ではバリバリの活火山だった富士山の浅間神社の祭神でもあります。花とその儚さを体現した美しい神。父のオオヤマヅミ神が酒を造ったことから酒造の神として一緒に祀られることも。
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