Tumgik
#鬼泣5
eieneie · 5 months
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6章終わった、ヒースクリフ~~~…の感想まとめ続きから 自分メモに近い
【上】 ・0章?で、ヒースクリフにシンクレアが撲殺されてるのがめちゃくちゃ好きで、そのあともずっと若干根に持ってたら良いなって思ってて… だから、何かあったら力づくで自分を止めてくれとヒースが言ったときのシーンで、シンクレアが「頭を強く突く位はいいんじゃないですか?」て言ったの嬉しすぎた しかもあの笑い方で… 撲殺されたの踏まえての発言…だよね?! ・シンクレアを掃除屋の真似して怖がらせるロージャ可愛すぎるし、その光景があまりにも和み 5章の無人船でホンルにも脅されてたし、根本的にホラーが苦手なんだろうな…ロージャとホンルに定期的に怖い話大会されててほしい ・キャシーより、の手紙を読み上げさせられて照れ気味のヒース、そしてそれをからかうロージャとグレゴールのやり取り本当にかわいい 思春期DKが親戚の年上2人にからかわれる奴じゃん! ・あとラブレターの下りまじでまじでまじで良すぎ 本と黒板だけを見ながら必死に勉強だけやってきたんです!的にキッてなってるの良すぎ お付き合い経験はなしの可能性高ということでいいですか ・ドンキはあんま図星言うてやるな!でも段々ドンキにもギャンッて言い返せるようになってるシンクレアもまた良し ・おめかしヒースクリフかわいすぎる スタイリスト担当ろじゃほんるありがとうありがとうありがとう 【中】 ・デッドラビッツボスの正体が…良すぎたよ~~~! バトル開始時気付いてなくて、ただ立ち姿?とか攻撃スキル名とかであれ…?てなりはじめて…からのあの流れ、本当に良すぎた ・でもめちゃくちゃ苦戦した 中指ドンキムルソーのお陰でなんとか突破しました ・憤怒の象徴的なヒースクリフが、自分の過去と向き合う中で見せるのが…そりゃ激しい憤怒でもあるんだけど、まっすぐな怒りではなくて…それこそ袋に死体がぐちゃぐちゃに詰め込まれるように、怒り以外の卑屈、嫉妬、悲しさ、愛着、色んな感情が入り混じったものなんだろうなって感じがすごく…よかった ・あとヒンドリーに対し、多分今までの旅路がなかったら結構直情的に怒りをぶつけていたんだろうが、今までの旅路で変わったからこそ若干哀れみの方が強い感じで見られるようになってるんだろうなって感じが…怒りが高まって、ある段階でスッ…と怒りの波が引くような反応をするのが印象的だった ・でもゴミカスホームレス呼びがあまりにも直球悪口ホームランすぎて若干笑ってしまった そんなこと…言うな! ・イサンマジでかわいそうだ  4章で自分の生み出した技術、九人会に向き合い、全てに向き合い、自分で決断していく(流され受け入れることをやめる)決意をしたんだろうな、て思ってるけど…マジで…過去の幸せな思い出を構成する要素のほとんどが…再会するたびに心を刺してくるの…辛かろう がんばれ…がんばれ… ・ヒンドリー、生家に対する絶望と傷つけられたという記憶が彼の根底に流れているからこそ、地獄に果てがなかったんだろうな 地獄はその人の心が画角を決めるから、その人の心の一番柔らかく温かい所に成りえた家がそれに絡みついてると心底地獄だ ・過去のヒースクリフがヒンドリーの心を決定的に壊したあの一言、あの舞台を作り上げてしまった全てにおいて…もはや両方が加害者で被害者だったんだろうけど それでも…決定的に誰かの心を壊してしまうと、両者とももう取り返しがつかなくなる、それは傷つけられた側も勿論だけど傷つけた側も同様で… 人に嫌われる、を通り越して恨まれる、そこまで行ってしまうともう…
【下】 ・別の世界のヒースクリフ~~~!!!泣 囚人ヒースクリフも何度も言ってたけど、変わりたいと思う事、その難しさ、しんどさ…本当…悲痛で… 何度も歯を食いしばって、こういう風にあれたらいい、という形にしがみついて、でも事あるごとに今までの苦労を全部自分で台無しにしてしまうような綻びが露呈して、自分に心底がっかりして、惨めに思って、もしかしたら変われたかもしれない、善くなれたのかもしれない、なんて気持ちを抱いた自分があまりにも馬鹿らしく思えて… 人が自分を変えたいと思うときって、その繰り返ししかないもんな… 繰り返ししかないんだけど、繰り返すしかない ・そしてネリー!!!泣 ネリーなんとなく不穏だな…と思ってたんだけど、彼女があの行動に至った理由が語られた後、めちゃくちゃ好きになってしまった~… ・自分の幸せの為に、消したくないと言い切れる大事な思い出を共にした人たちを切り捨てる決断ができる人だ でも自分の幸せを追求すること、それも大事なことだ… キャサリンとの思い出は大事、キャサリンやヒースクリフの事を憎み切ってしまっているわけではない…というような意図にとったけど 多分、自分の幸せを追いたいけど、キャサリンやヒースを裏切ることはできない…であのまま苦悶し続けるといつかはその二人の事も憎み切ってしまっていたのではないかと思うから、そうなるまえに…憎み切る前に、切り捨てたのは優しさでもあるなあと感じた ・鏡技術が、それまでのすべての価値基準を切り捨てさせる恐ろしさ…てことでもあるんだろうけど ・やはりリンバスのキャサリンも、ヒースクリフの幸せを一番に願っての行動だった…そしてそれがヒースクリフに届いた、ていうのが本当に嬉しかった… ・最後の色んな世界の二人、おそらく対応する世界が表示されるタイミングが微妙にずれてるのも悲しくて良かったな ・ヒースクリフの発言の「学がねえ上に性格まで汚ぇから罵ることも多い」とか、すごく卑屈な発言が多いんだけど…卑屈、妬みを感じている事をあんま隠す気なさそうなのがすごく好きだけどな 他の囚人ってあんまり卑屈な発言はしない気がする  ありそうだとしたらシンクレアだけど、卑屈というか気弱な発言が多い気がするし  自信がないからこそ妬み僻み嫉妬する、手に入れたくて足掻く、自信がないから向き合えない、負のループだね… ・clear…章タイトルに即したギミックも面白かったけど、やっぱラストのパッシブがあまりにも良い ヒースクリフの意地を見せてもらった…仲間が残っている限り、決して倒れないって…さ~~!! ・ヴェルのあの演出も本当によかった、ルイナラスト周辺のあの演出が大好きだったからさ…あまりにも格好良い…赤い視線~~!!そりゃドンキもああなるよな…てなった でも全然そのギミックに気付いてなかったから、大罪たちとマジで無限バトル繰り広げすげー疲弊した でも湧き出続ける百鬼夜行の絶望感を味わうためには必要だったのかも ・ムルソーのあの鎖のシーンも…自分で考えてその時やるべきことをやるために動いてくれて、ホンルも思ったことをそのまんまいうんじゃなくて大分言葉を選んでた感じが…担当章経てない囚人達も変わっていってる感じが…ぐっとくるな…ヒースが今回屋上に至れたのも、これまでの旅路あっての事なんだろうな ・六章クリア後、他の鏡世界のストーリーの「キャシー」の部分の表記やボイスが黒塗り、ノイズ、で徹底的に消し去られているのを見返すとつくづく…六章~… ・でも本当、指輪が残っていてよかったなあ  死体袋の台詞変化嬉しく悲しい  どんなバラバラ死体になっても指輪無くしませんように…みんな回収手伝って!!!! ーーーーーー シンクレア、イシュメ章が結構明確に過去の仇との決別!!感が強かったので、六章の荒涼とした読後感がなんだかすごく新鮮だった でもとってもよかった ヒースクリフが六章開始時点でワザリング・ハイツと向き合う勇気を得ていたこと、そしてそれはきっと今までの旅路によって得たものであるという事 様々な悪意や利己的な欲望に絡み取られながらも、自分がどうすればよかったのか、という事にも気付けたこと 人生でただ一つ、それだけ手にはいればもう他に何もいらない、というものに出会えていたのに、それがどうやっても手に入らないという事が分かってしまった後…それでも生き続けるしかないこと、どうやって生きていくかという事、それが見られて…なんかすごくよかったなあ… 「強い怒り」に支配されている、という点でイシュメールと似ていると思ったけど、やはり全然違ったのが面白かったな~… イシュメは結局誰かに自分のコンパスをゆだねてしまった自分との決着が一番にあって(あとクィークエグは死んでしまった、と何年かかけて受け入れていたのもでかそう)、 ヒースクリフはキャサリンがいるからこそ成し得る幸せが一番にあったから…一人だけでは成し得ない(と本人が思っている)人生の幸せ、てのが大分違ったのかなあ キャサリンを生き返らせるていうのはもうほぼ確実に無理なんだろう、というのは本人もわかったうえで、世界から消されたキャサリンを取り戻すことを人生の新しい目標にしつつ、「こうでなければ幸せになれない」ていう鎖から解かれた状態で、新しいドアを開けて、そこから見る人生を…歩いて行ってほし~… 心が縛られていなければ、きっと新しい幸せも、苦しさも、出会うものだと思うし(それは絶対に「それまで求めていたもの」とは違うけども…) そういう意味でも、やっぱり1・2章(グレゴロージャ)とちょっと似た終わり方だったなと思う。 個人的にはグレゴールとロージャは絶対に今後まだ色々あると思ってる…あの二人は自分の感情も隠せるし、諦めを手段として使える大人だから、担当章を経て自分の人生を歩む気持ちを強く持ち直しはしたけども、まだ果たしたいことが残っているのではないかな、と思うから… 1・2章組は明確に仇といえる存在を~というより、自分の人生を歩む決意を新たにし、3・4・5章は仇敵を倒して…というか自分の罪を見出し乗り越える決意をし、6章は罪と向き合ったことによって新しい目標を得た、て感じなのかなあ ーーーー なにはともあれ6章完結おめでとうございました! メイドバトラー人格実装楽しみ!!!!! バトラーファウファウに出てた詰めの甘い新人バトラーシンクレア人格もお見せいただけるんですよね!?楽しみ���!
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の���力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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manganjiiji · 4 months
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そこを逃すな、詩は風呂にも入る
頭がおかしいほど食べてしまって、胃の許容量を超えて食べてしまって胃が限界まで膨らんだまま仕事に行き、帰ってきて何も食べなければいいのにまた食べ、おかしいほどに胃が痛くなった。食べすぎて胃がおかしくなるのだが、なぜ胃がおかしくなるまで食べるのをやめられないのだろうか。本当に寝不足で、不眠で、寝不足で、きつくてきつくて、そうすると私は食べて気を紛らわすのだなあということがよくよくわかった一日だった。
「結婚したい相手とかはいないのか?」の問いに、友人は「け、結婚???」とかなりの疑問符を浮かべており、5年前に家庭がどうとか言っていたのは「そんなことを言っていたとしたら気の迷い」だそうだ。今年に入ってから仕事と副業(?)に集中するため友達の誰とも会っていないと言っており(話しぶりからしてどうも恋びともいないようだ)、今年ってもう5ヶ月経ってるのにそんなばかな、と思ったがどうやら本当らしかった。そんななかで時間が��きたので私に連絡をしてきたのだそうだ。あ、結構この人は裏とかなくて、言ってることそのまんまの人なんだな、ということを初めて心から思い、その友情に感謝した。友人は昨日からずっと藍染惣右介の「ようこそ、私のソウルソサエティへ」の声真似をしていた。鬼滅の刃のカラス(これも速水奨さん)のシーンを見せられて(この数分のシーンのために速水奨を使うことがすごい、とのことらしい)、速水奨って基本的に全部寂雷先生の喋り方なんだな、つまり全部速水奨なんだな、と思った。喋り方というより声の出し方なのかもしれないが。私は寂雷先生の「君あり故に我あり」という曲が大好き。ずっと聞いていたくなる。泣きそうになる。でも泣く曲じゃない。寂雷先生のことを思うと、泣いてる場合じゃないな、と思う。そんなことで、私はこの友人と、こうして半年に1回くらいは会いながら、併走して別の場所で老いていくのかもな、と思った。なんだかそのイメージはとても良いものだった。私がこの友人に恋愛感情を抱いているかと言われるとそれはかなり判断が難しいところだと思う。おそらく相手もそうだと思う。ただ友情は感じている。友情はさすがに、5年続いているし、人間としての相性はかなり良いほうだと感じる。ただ、パートナーになるのか?と言われると、まず相手がパートナーというものを欲していないなあと感じるし、私も別に欲していないんだよなあ、と感じるので、併走する異性の友人というのがやはり近いイメージになるなあと思う。
親友ということばがあるが、私は私に関わる誰にも、そのことばをちょっと使えないなあと思う。友人に序列をつけるような感覚がついてきてしまうからだ。友人に序列というか、優先順位や好意のむらがあることが悪いこととは思わない。私はただそれをあまりしたくないというだけで、それぞれの友人とそれぞれの距離や話したいこと、共有したいことがあり、ひとりひとりが「特別な友人」のため、横並びになっている。それに、親友という、特別相手を信頼している、みたいなニュアンスがあると、それが依存に繋がりそうで怖い。自立とは依存先を増やすことという言説があるが、私は自立とは自立であり、自分の傷を他人に負わせるような真似をしない、つまり本質的な依存を誰にもしないことだと思う。これは私の「依存」がもともと度を超えてヤバイものであったため、今の「誰にも依存していない」と自覚している状態が、普通の人(平均値)が「依存先を複数にしている」状態なのかもしれない。色々な友人(あるいは家族、恋人)たちと色々な方法で複雑に豊かに繋がり、その繋がりをひとつでも多く維持すること、それがもともとの学説で言われるところの「依存先を増やす」なのだと思う。
偏頭痛かと思いきや肩こり頭痛だった!ということが昨日から2度ほど起きており、偏頭痛の薬を1つ無駄にした。難しい。宇野さんのテキストに何日も触れられていない。英検が明後日に迫っている。しかし何にしろ、体調の維持そして出勤が第一優先事項だ。この考え方が、30を過ぎてもできていなかったのだと振り返ると、過去の自分が幼すぎて驚愕する。過去の自分は他人なので、驚愕するだけで、自責とか反省とかはないのだが、ただ単にそんな事もできない、わからない人がいるんだ、という感じだ。これをわかるようになるためには、数人の友人達とのここ5年ほどの付き合いで培われたというか教育された思考が重要だったので、友人たちには頭が上がらない。いつでもそう。人から教えてもらったり更生してもらったり、とにかく友人たちが私に根気強く諭してくれる。よくこんなにも頑固で幼稚でどうしようもない人間に愛想をつかさないでいてくれるな、と感動してしまうのだが、私は本当に友人運が飛び抜けて高いと思う。
2024.5.31
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fantasybrade · 1 year
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ディスガイア7クリアした
なんか勢いで買ってクリアした 自分はずっと最近の日本一ソフトウェアからは距離を置いていた
あ~~~ もうその辺から全部もうかいとこ…
中学生の時にプリニーの体験版をPSPでプレイしてからこのシリーズにのめりこんでいた 1234とプレイし、青春はディスガイアの中で過ごした
自分がディスガイア周りに「ん…?」ってなりだしたのはD2からで プレイ開始直後からバストアップイラストの異様な数の少なさや、なんか面白みのないGUI、キャラクターのアイコンイラストが新規でない、などの、細かいところがすごく気になっていた いざクリアすると、初代ディスガイアの続きのストーリーなのに影も形もなくなった地球勇者一行とか、なんかよくわからない女体化エンドや突然に現れたメインキャラの兄・妹 なんか、怪しい雰囲気がしていた
しばらくして発売した5で、「ん…?」は「んんん…………??」くらいになってた 発売前はドット絵のクオリティが4以上に上がっていたり、キャラデザがカラフルでわくわくしたし、GUIもかなり仕上がっていて今までにないディスガイアを体験できると楽しみにしていたんだけど とにかくシナリオが変で、なんだ、これ…?みたいになっていた
5のストーリーはそれまでと比べても特に王道っぽいんだけど 妙にノリが強いというか ディスガイアのキャラにしては、なんかアクのない面子が集っている感じがあって それぞれが自分たちの心に何か重たいものを抱えていて、それを一人ずつ克服して「家族」になっていく そういう、自分がディスガイアに求めていない優しさみたいなものが作品にすごい詰まっている感じがして 妙な違和感 キャラクターが出会って面子が揃うと、そのままそれぞれのキャラクターの過去克服成長パートが始まる 一章につき一人一人が順番に過去を克服して成長していく ここらへんで「なんか、順番にやってんな…」みたいな感じになってかなり変な感じがするんだけど キャラが自分たちで「今度は◯◯さんが過去を克服するんだね!」みたいな感じで自分たちでそのシナリオを茶化し始める え、え…?みたいになったのを今でも覚えてる
やっていることはこれまでのシリーズも同じようなもので キャラクターが一人ずつ増えていき、パーティメンバーが揃い、そしてそれぞれの過去を克服して、黒幕を倒す 同じはずなのになんか、なんかメチャクチャ雰囲気違うな…と思った
ノリが寒いとか言いたいのではない ディスガイアはそもそもノリが寒い 俺はそのノリの寒さがメチャクチャ好きだったんだけど 寒さの種類が変わっちゃった感じがあって 急にいきなり受け入れられなくなった
で、ディスガイアRPGっていうソシャゲが出るわけですが ここで、なんか決定的にノリの合わなさを感じて、日本一ソフトウェアと距離を置いた ここらへんで気づいたんだけど多分おれはなってしまっている、反転アンチに 自分が見ていた頃のディスガイアのスタッフではない人が作っているディスガイアを受け入れられなくなって発狂してしまった
6が発表されて、キャラグラフィックが3Dになった時は仰天した ここまでドット絵のクオリティを上げてきたのにここで3D サモンナイトが死んだ道を歩き始めたと思った 3D化があまりにショックで6はシリーズで初めて買わなかった いずれやろうとは思っているんだけど、値段に尻込みしてしまう シリーズにのめり込んでる時は値段とか全然見てなかったのに
それで、6から間もなくしてすぐ7が発表されて…
7を買ったのにはいくつか理由があった ・ピリリカがかわいい ・ピリリカの声がかわいい ・鬼滅ブームにスーパースピードで乗っかるのおもろい ・7なので7人の侍ってこと?おもろ! ・公式サイトに書かれてるあらすじがいい感じに怪文書っぽくてディスガイアらしさを感じた
そしてなにより、「ガレリア」のこともある D2に疑問を感じ、5にショックを受けている間、自分はずっと魔女シリーズの方にのめり込んでいた 初めてプレイしたのが「プリニー」だったのもあって、泉氏がディレクションするディスガイア感がすごく肌に合った 魔女と百騎兵に衝撃を受けて、「ルフラン」の完成度の高さに惚れ込んで、「ガレリア」もプレイしたんだけど 「ガレリア」には、正直なところ複雑な気持ちがある ストーリーもぼろぼろ泣いたんだけど、それ以上に未完成なゲーム部分がすごく目についてしまって(公式設定資料集の1ページ目がディレクターの謝罪文から始まるゲームってどうなの?の気持ち) それに、なんかシナリオ部分も妙な尖り方をしていて… ディスガイアシリーズとはまた違った意味で、こちらにもなんというかすごく複雑な思いを抱くことになってしまった 好きなんですけどね
そういうのもあって長らく目を背けていたディスガイアシリーズにもまた触れてみようかなという気持ちになっていた
それで、7をクリアしたんだけど もうディスガイアは完全に自分の知らないものになってしまった
まず、3D空間上のイベントシーンが一つもない 全てがバストアップイラストの掛け合いで行われる その場で起きている出来事を絵で説明できないから、キャラクターが出来事をすべてセリフで喋る 「ものすごい勢いで◯◯さんが建物を破壊しながらこっちに近づいてきます!!」みたいな チュートリアルもキャラ同士のかけあいの中ひとつひとつ教えるのではなく、ゲーム開始直後にいきなり17ページある文章を読まされる こういうの細かい部分だとは思うし作り手側の様々な気持ちを組み切ることはできないんだけど 私にはこれらがとにかく印象として悪かった
ストーリー部分も、自分はほとんどついていけなかった ノリは相変わらずだと思う キャラクターが仲間になる過程、それぞれの抱えてた問題が発覚する過程、いろんな部分に極端な描写不足を感じる 成り行きで集まったメンバーのはずなのに、なんかいきなりみんなメチャクチャ仲良く打ち解けているというか あまり具体例を上げたりするとちょっと悪口っぽくなって嫌なんだけど
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例えばこういうところで、「いや、お前が言う…?」みたいな気持ちになったり(他のキャラからフォローがない) シーフォーとスイセンは特にヤバかった印象 次回予告はこれまでのパロディに加えてネットネタも多く、にぎやかだったとは思うけど これもほぼついていけなかった
ディスガイアは、4以降明確に「絆」を描くことに徹底している印象がある 私は4の、主人公の思い描く絆のイメージ像が一般的なものと少しズレているような、それでいて、他のキャラクターたちもちょっと困惑しているような、ああいった部分に味わいを感じていた 5,7で描かれている絆に、正直私は平坦な印象を受けた キャラクターの相関の矢印がどれも同じ大きさの友愛であり、感情に大小がなく、一致団結している
4は良くも悪くもシリーズの方向性を決定付けたような印象があり、そこに自分と制作スタッフの解釈の違いが生まれてしまっているのだろうと思う
総評として、このシリーズと自分には大きな距離があることを再確認してしまったことになるんだけど 7はユーザーにとにかく好評で、6で失った信用を見事に取り戻した印象がある 自分はここまでダラダラと文句を言ったわけだけど、自分以外はとくにこういう問題を感じていない メインのユーザーが満足しているならシリーズの作品として何一つ文句はない
自分は魔女シリーズが大好きだけども 毎回のように延期して、挙げ句ガレリアに至っては未完成品を提供して画集で謝罪しているDを見て、かなり複雑な気持ちになった 対してディスガイアは、6でユーザーから出た不満を全て解決した上に、かなり短い開発期間の中で削れるところは削り、力を入れるところはとことん力を入れて、延期もせず予定通り発売して5万本を売り上げている。6があれほど酷評されたというのに… 失った信用を迅速に取り戻し、これからのシリーズに繋げながら一作としてもとても良い作品になっている そういう意味で、自分の離れてしまったシリーズが今もちゃんと生きていることを確認できたような感覚があって、そこはすごい嬉しかった 今作を担当したDや、現在のディスガイアスタッフにたいする巨大な尊敬があります それに7は、テキストの節々に「ディスガイア節」のようなものを感じることがたくさんあって、それもなんか嬉しかった 全体のノリにはずっと馴れなかったものの、「これこれ!」みたいになるシーンはとても多かったように思う
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インフィニットの「俺様が暗殺されたぞ~!」といい、ディスガイアにはこういうテキストをよく見かけるイメージがある
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ピリリカは喋るたびに面白い
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この辺は、「おお、俺はディスガイアのテキストを読んでいる・・・!」みたいな大きな感動がありましたね 「悪魔将棋」に関してはいかにもディスガイアの世界に存在するバカすぎるゲームって感じで、ノリに懐かしさを感じます
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それに、いろんな部分で過去作から削られたものを感じながらも、新しい「魔界観光」システムなんかは作品に対するスタッフの愛を感じてなんか嬉しくなった このパスタ屋さん、こうやって後から話しかけることができるだけで、ぽっと出のキャラとしても印象がガラッと変わる 過去作ネタの入れ方とかも、しれっとバレないように仕込んでる感じがあって、スタッフはシリーズが好きなことがすごく伝わってくる
今作は「ピリリカ」と「フジ」、どちらも主人公だと捉えられるようなストーリーになってたけど、そこにも納得があった ピリリカ、(物語の役割としての)ポジションはフロンなんだけど、同時にこのキャラクターはヴァルバトーゼ的でもある(執事がいるし、超・性善説の描写を見るに明らかに意識されていると思う) 2つをうまく混ぜたような造形で(まあそれより遥かにマチカネフクキタルなんだけど) 彼女が物語の中で主人公がいるべき場所に居続けるのには大きな納得があった フジはラハールのように自分の父親を乗り越えるのだけど、過去に抱えた問題にはキリアを彷彿とさせる部分もある ピリリカが死んだフジを蘇らせるシーンには、初代ディスガイアに対する大きなアンサーのようなものを感じた 死ぬ方と生き返らせる方が、ディスガイア1と反対になってる ネタ部分で今作はジェンダーレス的な部分に触れまくっていた感じもあって、ここらへんかなり楽しめた って、ストーリーの骨組みだけを見ると、自分は結構この作品が好きで ただノリだけがずっとわからなくてついていけなかった 彼らの間にある絆やそれぞれの思いみたいなものが、描かれていることだけはわかるけど、描かれているということ以外はわからなかったというか まあどう考えてもユーザーとしての自分が間違えてる
ようはシリーズに対しての愛情の方向性が、1ユーザーとしての自分と、制作者の間で少しだけズレていただけなんだろう
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魔女シリーズの方も、ディスガイアに対する愛情を節々に感じるのですが こちらはこちらで愛情が歪な形すぎてちょっと困惑するところがあります 魔女シリーズって新作出るのかな…
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team-ginga · 1 year
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明��、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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tokyomariegold · 1 year
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2023/3/4〜
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3月4日 休日出勤をしてオンライン採用説明会をしてきた。 でも、もう対面の就活が復活しているらしく、そういえば昨日も国際フォーラム周辺でそれっぽい人たちを見かけた。 土曜日の少し遅めの出勤時刻はいろんなことが新鮮。高校生とゴルフをしに行く人がたくさんいた。
今回もお昼にサンドウィッチを用意してくださっていて、やっぱり食べられないので返させてもらう。これってやっぱりふつーにおかしくて失礼なことなんだろうか。こうやって疑問に思うのは認知の歪み? でも許される限り甘えていこうと思う。
帰りは図書館で本を返して、何だかんだバスを使わず歩いて駅まで辿り着いてしまった。 上司から羊文学にはまっている話を聞いて、早速ダウンロード。明日のとらやに行く予定、誰かいっしょにいけやいかな〜、と思いながら梅を見ながら帰ってきた。
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上司が4月から育休に入るので、それはとても大切なことだけれど、残される不安を吐露しておいた。 でも3月で人事異動があったりね!と鬼に笑われている気分。
今は身近にいた女の子たちが、なるべく泣かないように、その場しのぎでも、写真や手紙や私が作った何かで気を紛らわせてあげられればいいいな〜〜とか考えて、朝もいつもより多く歩いた。ので、今日も足が棒。
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3月5日 最近はとにかく眠ってみようと思っている。 通勤電車でもtoeicの消費的なお勉強や、借りた本を読んだりもせず、とりあえず目をつぶっているようにしている。 それで、昨日の夜は久しぶりにレスタミンコーワを飲んで眠ってみた。 夜中に目を覚ましたときに、体を動かしながらも頭がぼーっと何も考えられず、でもそれでiPhoneを触りながら、ちーちゃんからのメッセージやZOZOTOWNのコスメで使えるポイントの情報を認知していたようで、 朝起きた時に、昔所属していた写真サークルの卒制展の情報を調べたり、ZOZOTOWNでポイントを使って切らしていたチークを買っていたりした。 でも記憶ないままネットショッピングしてるのは怖い。
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東新宿にあるギャラリーへ行く。 このギャラリーに行く時はいつも、なるべくこの周辺を歩く時間を短くしたい、と心掛けていて、でもいつもなんだか社会の闇的なものを垣間見てしまう。今日も地下のギャラリーで鑑賞中に、地上から呻き声が何度か聞こえてきていた。 自分がこのサークルに所属していたこと、忘れたことはなかったし今もそこで出会った人たちばかりと遊んでもらっているけれど、でももう所属していた時のこれといった思い出がなく、その過去は大切ではなくなっている。 ちーちゃんがおすすめしてくれていた作品が、ちょうど私が気になる作品でだった。なんとなく写真を通してしたいことが、私と重なるところがある気がした。 それで、私はその作品を見て、いつまでもこの感じを大切にしてほしい!と思ったり、そんなこと言う立場になんて絶対になりたくないじゃん!と写真展アンケート用紙の30代に丸をしたりした。
まだ暗室作業をしている、と聞けて嬉しかった。 アンケートを渡すと、私の名前を見て、印画紙や暗室用品の棚で見たことある名前です、と言ってくれた。 その後は乃木坂で下りて、東京の、この乃木坂あたりの春は、やっぱりお漬物の匂いがするな〜と思いながらとらやの食品サンプルの展示を鑑賞。 表参道で夕方予定がありその前にミモザを買う。 帰り道、イヤリングを片方落としていたことを店員さんが気付いて電話をくれた。このイヤリング何度も落としては救われたり、買い直したり復活させ続けているな。 ミモザを買ったはいいけれど、このふわふわはお部屋を汚すのでは…… と玄関で生けるしかないかしら。
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haru-yonige · 1 month
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ちょっと思い出したから父親の話を軽く書こうと思う 死ぬ前にちゃんと書いておきたいことの一つ
今まで出会ったフィクションを含む人間(キャラクター)の中で一番キャラクター性が強いのはうちの父親だと思っている 特殊な感覚だとは思うけどわたしにとっての父は親恋人友達といった関係性ありきの存在ではなく推しとか信仰対象といったキャラクターに近い そういうおかしな人に育てられたせいで自分はオタクになったのか、おかしな人を面白がろうと咀嚼する過程でオタクになってしまったのかはわからない
小さい頃から父親の家の話を聞いて育った この話は多分母も知らなくて、身内だとわたししか知らないはず 家族という概念に並々ならぬ執着とコンプレックスを抱えてた人だったけど気軽に話せる内容じゃなかったから昔話として娘に聞かせてたんだと思う 定期的に聞かされるそれをわたしはオモロ話として消費していた わたしも母も父親の親族には会ったことがない 通常おじいちゃんおばあちゃんが両親分存在しているという事実を知ったのは中学に上がってからだった
父は写真だけ知る両親のもとに生まれて小5くらいまでおばあちゃんに育てられたという ある日からこの人がお父さんお母さんですよと一応面識くらいはある父親とほぼ記憶のない母親、ほぼ初対面の兄と一緒にでかい家で「従業員さん」たちと暮らし始めたらしい 詳しく聞いたことないけど継母だったのかもわからない ほとんどネグレクトで母の手料理を食べたことは一度もなかったみたいで、中学生くらいで家の敷地内に小屋を建ててそこで生活してたと言ってた 次男だから家はたぶん兄貴が継いでる 家には自動餅つき機があったらしい 絶縁してるんだと思ってたけどごくたまには帰ってたみたいだった 母親のことは母親と思ったことないと話していたけど父親のことは嫌いじゃなかったっぽい 
昔父のつるんでた友達が万引き常習犯でその共犯を疑われて家に警察が来た時、父親に問答無用でベランダから足首持って逆さ吊りにされたという話を聞かされた 結局冤罪だと判明した時にごめんの一言もなかったらしいのでそれはどうなんだとわたしが聞いたら「普段から疑われるような振る舞いをしてたことにあの人は怒ったんだろうな」と話していた 喧嘩が強く地域で有名な不良だったらしい父の兄貴も父も二人してお父さんのことは本気で怖かったらしい お父さんが家にいる時、朝目が合うと一言「新聞」と言われて目が合った方が新聞を持ってくると話していた 怖すぎて逆らうという発想もなかったらしい そんなわたしの祖父にあたる人はヤクザWikiに名前がある
昔わたしの母方のばあちゃんちの隣のボロ貸家に地域で有名なキチママ(山姥のように目周り真っ黒、小学校に包丁を持って脅しに行く、長男を夜通し殴り続けるなど虐待している)が住んでいて、祖父母も母も何度も警察沙汰レベルの因縁つけられたりしてたらしいんだけど、ばあちゃんが「あの人もかわいそうらしいのよ、お前なんて要らないって言われて育ったんだって」と言ってたからその話をそのまま父にしたら、「俺だって当たり前に言われてたわ」と言っていた でも父はわたしを目に入れても痛くないくらいに可愛��ってくれた 父はどう見ても(ファッションや体格の問題ではなく人相や眼光が)堅気の人間じゃなかったので、隣人を面と向かってクソババア呼ばわりして恫喝するヤバいお隣のキチママも父相手には別人のように会釈付きで愛想よく挨拶してるのを見て、やっぱりうちのパパって怖いんだなーと園児ながらに思った記憶がある 父はそこそこ整った顔の人間だったので単にキチママなりの色目使ってただけの可能性もあるが
父はおかしかった 勉強はしなくてもいいから給食食べに友達作りに学校行きなと言われた 基本口では明るいことしか言わないのに見ていて可哀想になるくらいに暗いオーラが出てた 父が風邪ひいて家にいる日、いつもの換気扇下の定位置で咳をしながらタバコを吸う物悲しい背中を今でも覚えている
父はよく寝言でぶっ殺してやるという台詞を怒鳴ってた 普通のお父さんは寝言で映画でしか聞かないような物騒な台詞を怒鳴らないと知ったのはある程度大人になってからだった 殴られたことはないけど悪酔いするとよく一人で物を投げて暴れてた 暴れていてもわたしを前にすると真っ赤に充血した目で早く寝ろと笑って頭を撫でた 俺が死んでもお前は泣かないもんなと笑顔で繰り返した あんまりわたしには嫌なところを見せたくなかったんだと思う これはわたしもそうだけどキレるとヤバい暴れ方をする前に即出ていって一週間くらい帰ってこなかった 他所で物理的な喧嘩をしてきて警察に迎えに行ったこともあった 歯がボロボロだったけど普通虫歯じゃああはならないと日頃から疑問に思ってたら、保健室の前に貼ってあるシンナー吸うとこうなります!のポスターと全く同じで若い頃シンナーのやりすぎてああなったんだと知った
おかしかったけどいいところもあった 庭だけが広い、風呂場玄関シンク階段一階ならどこでも上からナメクジが落ちてきたりナメクジの神出鬼没する漫画みたいな超ボロ屋に住んでいた頃、知らない子供が家の庭でサッカーし���したのを見て、「お兄さんもまーぜて!」とか言いながら一緒に混ざって遊び出してなんかその後も子供同士はなんの関わりもない子供が家に遊びにくるくらい仲良くなってた 幼稚園の預かりのお迎えでも本人同士は特に仲良いわけでもない園児たちと20分くらい遊んでから帰ってた 小学校の頃もわたしのクラスメイトだった今思えば家庭環境に問題がありすぎるビックダディ並みのジリ貧大家族の男の子を個人的にめちゃくちゃ可愛がってた でもわたしが生まれるまで子供を可愛いと思ったことがなかったらしい
野郎には辛辣だったけどあたおかクレーマーに怒鳴りつけられてる店員の女の子を見かねてあたおかクレーマーを無言で凄んで追っ払ってあげてた場面が記憶の中に三度はある そのうちの一度はモスでコーラ頼んだ奴が「なんでペプシなんだよ!」とか因縁つけて出された飲み物倒して店員怒鳴りつけるとかいう店員には全くの落ち度がないガチのあたおかによるストレス発散目的の加害案件だったことを記憶している 女子供には優しかったから気狂いに怒鳴り散らされて半泣きの店員を可愛いから変なのに絡まれて大変だねーとかふざけながら慰めてるのを見ていい奴だなと子供ながらに思っていた わたしはヤンキーとか教養のない声だけがでかい人間全般が普通に嫌いなんだけど、父はホモソ特有の「女を自分より下位の庇���対象と上から目線で断定する割に同性の悪行を咎める勇気はない」ムーブとは真逆の人間だったのでそこは尊敬してた
ボロ屋に住んでた頃いつも父とわたしだけが早起きしてたので、よくカップ麺を二人で半分こして食べた 母は2chのメシマズスレに投稿される内容と大差ないくらいのメシマズだったのに子供にはやたらと冷食や惣菜を制限してくるような人で、当然日頃カップ麺なんか食べさせてもらえるわけがなかったので、うれしかった DSが世間で爆流行りした頃、誇張抜きにして自分以外のクラス全員が持ってるような状況だったのにゲーム禁止を掲げる母のせいでいくら訴えようがコンクールで勝とうが買ってもらえなくて本気で嘆いていたら、母に内緒で中古のDSを買ってくれた
父とは仲が良かった 普通の親は素行とか人様への態度とかについて怒るんだろうけど、わたしの場合何か人として悪いことをしたわけでもないピアノのこと、言うなれば理不尽なことで四六時中母からは怒られていたので、父がわたしに怒ることはほとんどなかったというのもあると思う コンクール前に学校行かずに一日中ピアノ弾いてろと命じられていた時期も当時夜勤の仕事で日中家にいた父がよく連れ出してくれた 父はわたしを出来た子だから怒ろうにも怒ることは特にないと言っていたけど他所の家の子供になったことはないから真偽の程はわからない 今のところ嫌な思い出が本当にないので嫌いになる理由もないという感じ
父は器用だったからなんでもできた 普段絶対料理しないくせに母がいない時わたしがいたから渋々作って出てきたのが卵を包丁で割るタイプの半熟オムライスだった クックパッドもスマホ検索もできない時代に出てきたのがそれで、金もなくファミレスで外食した経験もほぼない、というか半熟オムライスがまだ一般に浸透してないくらいの時期に見たことない形状の本格派オムライスが出てきたから驚いて何でそんなの作れるの?と聞いたら昔厨房でバイトしてたと返してきた 服も自分でリメイクしてたしわたしの髪もよくレイヤー入れて切っていた 本当は無資格じゃダメだけど器用すぎて昔美容室でバイトしてたらしかった でも本人は器用貧乏を自称してた 俺は器用貧乏だからダメだけどお前は鬼才だからと言われて育った 一体何をもってわたしを鬼才と断定していたのかは知らないけど器用貧乏は天才に勝てないけど鬼才なら天才に勝てると、天才に勝てるのは鬼才だけだからと、よくそう言っていた
昔二人でマックでご飯を食べていた時父の同僚に遭遇したことがあったけど、「娘さんですか?」に「可愛いだろ?」と第一声で返していた場面を今も覚えているからいい父親だったんだと思う
エピソードが有り余りすぎていて書ききれないことが山ほどあるけれど、それでも本人の長年の自慢がここに書いたどれでもなく矢沢永吉について「パパはこの人と握手したことあるんだ!」なのが可愛かった 流石ヤンキー
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getrend · 2 months
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【社交性】5年ぶりにできた彼に親友に会ってほしいと話したら、彼「は?なんで君の友達に挨拶しなきゃいけないの?」←泣いて懇願したのに...落ち着いたら考え変わるかな
【社交性】5年ぶりにできた彼に親友に会ってほしいと話したら、彼「は?なんで君の友達に挨拶しなきゃいけないの?」←泣いて懇願したのに…落ち着いたら考え変わるかな 伝説の鬼女 ~修羅場・キチママ・生活まとめ~ 【社交性】5年ぶりにできた彼に親友に会ってほしいと話したら、彼「は?なんで君の友達に挨拶しなきゃいけないの?」←泣いて懇願したのに…落ち着いたら考え変わるかな Source: おまとめ
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pureegrosburst04 · 2 months
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ネプテューヌ「あの子達悩み事とかないよねーww」ノワール「こら、複雑な女の子と比べたらむっつりさんが可哀想でしょw」ベール「そろそろ猫騎士団スピーチの時間ですわ、出発するからB(バグ)ちゃん急い���下さいな>_<」霊猫蒼海「Okベルベル💚」
移動してからマイクを手に取りリーンボックスで演説をするB(バグ)
霊猫蒼海「ここは面白いゲイムギョウ界 地道に諦めない努力をして目標を越えていくのがプレイアブルな私が務める純粋硬派柱だと思っています」
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超鬼難ドンガッチャ00「ちょっと待った‼️」ベール「まあ、鬼ごっこで捕まるだけ捕まったスピードタイプが乱入してきましたわねw」
超鬼難ドンガッチャ00「さっきから聴いてりゃ猫騎士団だの軟弱な事言ってくれるじゃねえか。男女間の友情が存在しない現実を知ってるのは、女神テメェらだ🫵 知ってんだぜ水と油の実績メダル🎖️を横領してるってよ‼️」ブラン「…ルウィー の資金にしてる証拠なんてないでしょ、全てあのコンビが望んだコトなのよ☺️」超鬼難ドンガッチャ00「そう言うよな 実物の方が可愛いのに、その薄い萌えブタの為に前者を内心見下すエアプ飼い主共は😏<<食肉化を避けられねえ残酷な女共がよwwwww」
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ベール「あの……私達は、任豚さんを飼ってますわよ?ww」 超鬼難ドンガッチャ00「え?、ウソだあ食用だろ😰」ノワール「飼ってるわよ、今の私達が食べてるの、健全ハンティング満5歳以上向けの電脳マンモスよ?」
超鬼難ドンガッチャ00「……だ、だって横領してるだろ」
御茶ヶ滝(被害者)「されてないよ🥶」
超電チャブル(弱者)「そうだ女神様の機嫌を取れ😡」
女の子達(黒幕)「ほら証拠🖐️🤭」
超鬼難ドンガッチャ00「😭」
霊猫蒼海「えーと…だって本気を出す当たり前を貫かずにいきなり気を変えて勝てるような結果はつまらないから。さっき乱入してきた単純な男の子も含めて恥を掻いた人に優しくして欲しいんです 初心な可愛さって取り返しのつかない結末を防げる必須な個性だと断言します」
ベール「ドラゴンボールの作品では生き返る人も未来に向かいながら過ごすからポップなのですわ。過ぎ去った日々に戻る禁忌は何度も叶えてはいけませんの。同じくらい純真は一番脆くて」ノワール「時間を巻き戻しても二度と帰って来ない大切な物なのよ。だから正義を守ってくれるP(プラウド)の気高くあるのが純粋硬派柱には必要なの」パープルハート「現代の法律ならきっと大丈夫よ。人間の可能性を信じる私達がより良くしていく訳だけど ちょっとくらいサボっても、ね?😉」ラム「自分だけ変身してずるーい‼️」
防聖孤島「m(´;Д;`)m」
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富豪05「……初めて話した時から…わかってた、わかってたよ ノーダメージを極めた奴にとって、こいつは…」
〜暗黒時代〜
霧島04「純粋硬派柱、わかってるんだろ?」メンチース09「純粋硬派柱、もうわかっとるよ わからんのはバラワッシャが白い紳士を従える番狂せ。
知球GrassShining1 チー牛「それだけじゃないよく見て下さい。今まで登場してきた純粋硬派柱の人物のモチーフになってるのは無関係の表版仮想大鉱山も含め全員巨漢系でパワータイプ未満なんですよ 鬼武者シリーズでは強さと知能が比例しづらく活かされない設定も存在するんです
富豪05「あからさまに序列が出来すぎてる。下等幻魔にはギャラーンクインとか、”””お前”””より脳筋な耐久からして強い個体もいるしヒューンベイドの一国を背負っている運搬も重宝していたらしいからな」
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気になんのはこの””””オニ””””にこんなの言わせたアンタの正体や」
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B(バグ)の家族達は””””アナキンスカイウォーカー””””と同等の潜在能力の持ち主と言っていいんよ。対し未来でアチシに抜かされ次に最強の純粋硬派柱は”””ダースベイダー”””よりも劣る(赤き真実)。先鋒が相手にもされず、一方の彼は真の裏ストボスがなんであそこまで弟子に取ってでマンツーマンな育成をするんか?答えは簡単、爪と正体を隠しとるからやろ?」
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霧島04(裏ストボス)「大切なのは今だよ 俺は知りもしない自分の正体なんて考えない。想像できる将来を蔑ろにするつもりはないが、今に精一杯打ち込めないような奴は幸せにはなれないからだ。努力の果てで報われない事があっても頑張る事でしか掴み取れない栄光が存在する。ゲームオーバーは何の為にある?失敗して無駄になる危険性を背負う以外の方法で確実に得られる宝物には何の歴史もないと気付いた者だけがコレクターになれる器なんだ 可能性を切り拓く為に生きるから誰でもくだらない泣き言はするな 善悪抜きにして退屈だからこうして事実を述べてる(赤き真実)」
メンチース09「(ハズレとったんやな、水と油の仮説 やっぱこのお方は強過ぎや)」
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jinghuablog · 2 months
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一见到淑君,Sarah满脸堆笑的说:"淑君,我有件事想同你商量。"
"噢,什么事?"
"事情是这样的,昨天我不是跟你说了,今天要来二位新租客,谁知道这一下子来了四个人,男的倒是可以将就一下挤挤,可里面还有一位女生,让我愁死了。"Sarah用手指了指站在她身边那位新来的姑娘,说:"就是她。"
"你好!我叫林丹丹,叫我丹丹也可以。"那位姑娘甜甜的一笑。
"你好,我是陈淑君。"
"嗨——大家光顾着介绍,正事还没说呢。"Sarah觉得这些虚头巴脑的客套话,能免则免,在这里哪来这么多规矩呀,她说:"淑君……丹丹刚下飞机,她一时半会没有合适的地方可去,只能来到我们这里。现在人家碰到了难处,我们总不能把她拒之门外吧,所以我来求你帮个忙。"
"这跟我帮不帮忙有什么关系?"
Sarah懒洋洋的往门框上一靠,笑得一双小眼睛眯成一条缝,她说:"唔,怎么没关系。我是这样想的,要不先委屈一下在你房里打个地铺,住上个几天,你看行吗?"
"可这么小的地方怎么睡得下?"淑君感到十分诧异,这间房间顶多六、七平方米,她一张床差不多已经占去一半的面积,难不成要人家睡到床底下去吗?
Sarah见她面有难色,急忙笑嘻嘻的说:"说来你不敢相信,我刚来悉尼的时候,曾睡过比这还小的房间。"Sarah觉得光嘴上说并不能表达清楚,于是她跨进房间,用手比划着说:"地铺一半放在你的床下,也就是说,丹丹的脚伸在你的床底下,上半身露在外面,一个人只要睡熟了,自己都不晓得是睡在英国的皇宫还是虹镇老街的滚地龙。"
淑君��说的无言以对。她转过头看了一眼丹丹,正好与她求助的眼光相遇,淑君还能说什么呢?只好点头同意。
淑君本来准备下午写二封信,一封写给家里,报个平安,免得他们牵肠挂肚的担心,再写一封给佳丽,想说说路上的见闻和感想。现在房间里忽然住进一个陌生人,把她原有的计划全给打乱了。整个下午她只好跑到外面瞎转悠去,但不管是漫无目的的闲逛,还是在小径树荫下的枯坐,或是公园里看着小孩们欢天喜地的游玩,眼前的一切她都觉得了无生趣,情绪低落到了极点。她恨自己性情软弱,多愁善感,也非常后悔走到今天这个地步,当初真不该答应佳丽来着,要不她还在上海过悠闲的日子。佳丽对她最了解,可偏偏在这件事情上看走了眼。淑君认为自己哪有那份能耐和勇气,去面对眼前的困难和挑战,不仅如此,她现在所面对的难题跟她原来对澳洲的认知相差悬殊,这都要怪贾东杰把澳洲吹的天花乱坠,当初要是诚实一点,或许她就没有这么的盲目。从申请那该死的签证那一刻开始,烦恼就一个接一个的出现,现在她最怕接下来还有什么意想不到的事情会发生,虽然人都是从失败中去学习,但眼前的不可承受之重让她无法勇敢去面对未来。
不仅对她自己的选择恼恨不已,现在连她的生活也开始了节衣缩食。今天中午她只吃了一碗藕粉,外加几块饼干,晚上只煮了二个红糖水铺蛋吃。如果要问这是为了什么?她也回答不上来, 反正就这么自然而然的开始要求自己,能节省一点是一点。淑君开始怀念起在上海想吃什么就有什么的好日子,过去从来没有为吃发过愁,现在才体会到为吃发愁的苦恼。
前一天,淑君头还没有碰到枕头就开始呼呼大睡,可今天晚上她再也无法入眠,躺在床上静静的想着心事。月光又重施故伎地从百叶窗帘的缝隙中溜了进来,一条条细长的光影爬满屋子。今晚的月色特别明亮,不仅比上海的大,也比上海的亮,更比上海的白,上海的月色总带着朦朦胧胧的忧伤,不过这里的月亮却带着冰凉和凄苦。
怱然,淑君恍惚听到有几声嘤嘤的啜泣声。她心头一紧,是梦?是幻?可都不像,是昨晚的幽灵?也不是,这哭声像是一个女孩子。淑君睁开眼睛,微微抬起身子往床下看,只见黑暗中有半个地铺露在了床的外面,几道光影映在被褥上,随着哭声微微的抖动。丹丹整个人都蜷缩在被窝里,只有几缕头发露在外面,她的悲悲切切声像是一声声的叹息!
淑君躺了下来,她无意去打扰人家。唉!初来乍到,谁又能保证在没人的时候不暗自垂泪?就拿下午来说,当她孤单单一个人看着一群群的孩子游玩的时候,心情难过的不能自已。小孩们快乐的奔跑,上窜下跳,滑滑梯,荡秋千,跷跷板,那一幅幅天真烂漫的童趣,让她不由自主的想起过去带着儿子在静安公园游玩的情景。触景生情带来的痛,让她泪眼婆娑,感慨万千。自己抛夫弃子,远涉重洋,这份内疚和隐痛到现在��在隐隐作痛。在这个寂静的夜里,一想起母子分离,哪个做母亲的不痛断肝肠?她们所受的心理压力,甚至是煎熬,如果未来得不到孩子们的尊重和理解,那她们现在所受的这份罪就毫无价值可言……淑君再也不敢往下想,但思绪就像是一辆下坡的车,惯性足以让它一路狂奔。
过了好久,淑君听到一阵窸窸窣窣的声响,她睁眼一看,只见丹丹坐直了身子,二手撑在地上,身子一点点往后移,想把伸在床底下的二条腿抽了出来。淑君装出熟睡的样子翻了个身,侧身面对着墙。等丹丹趿着拖鞋,从门外进来的时候,淑君已经亮起了灯,坐在床上等她回来。
"丹丹,让你受罪了,我怕你黑灯瞎火的睡下去不方便,所以开着灯等你。等你睡下之后,我再去关灯。"
"谢谢你的好意!吵醒了你了,真是对不起!"
"没事"淑君等她睡姿放安稳了,便关上了灯,上了床。
"淑君,你是什么时候来这里的。"在黑暗中传来丹丹甜甜的嗓音。
"我只比你早一天。"
"我们这是一前一后呀,我看你一个人占有一个小天地,还以为你来了很久,看来你的运气真好。"
"运气再好,我都有点后悔来这里。"
"我也是,一踏进这栋房子就后悔不迭,现在更是后悔,自己吃点苦倒没什么,可我舍不得孩子,真不知当初怎么会鬼迷心窍办留学的,现在-切都晚了。"说这话时,她的语气听起来有些异样。
听到丹丹说起孩子时那颤抖的声音,淑君心里也跟着泛起一阵苦涩。等听完她的最后一句话,更是在内心激起极大的共鸣。有心反悔,无力回天对一个孤身在外的女人来说非常的残忍。女人要跨出自己舒适的生活圈,放弃积淀多年的人脉本属不易,如果她们的心里还装着对孩子的挂念,对家庭的愧疚,还有女人常有的患得患失的天性,所有这些加起来所带来的冲击,挣扎和煎熬,足以压垮脆弱女人那道心灵防线,淑君就属于这样一个女人。
黑暗中,淑君看不清丹丹的表情,只觉得自己的眼泪在眼眶里打转,然后像盛满水的杯子一样,不断顺着脸颊涌了出来,弄湿了头发,浸湿了枕头,这是她来悉尼之后,第一次放任眼泪尽情的流。让泪水多流些吧!流个痛快,如果流完之后可以告别过去,没有思念,也没有伤感,那该有多好呀,如果不能,那就只剩下用时间来疗愈伤痛,有人说时间管用,但到底如何实在不好说。
过了会儿,丹丹见淑君没反应,便轻声地问:"你睡着啦?"
淑君回答说:"还没呢,被你刚才一说,我也情不自禁的想起自己的孩子。"
"那你生的是男孩还是女孩?"
"是个男孩,今年才 5岁,以前在上海都是孩子他爸管教的,这点我做的很不称职,现在想管都无从管起,所以特别的自责。"
"我是个女孩,不过平时都由我父母代管着,他们总是心疼我……"丹丹停了一会,像是话到嘴边又咽回去似的,
淑君听她说话没了下文,就接着说:"你说我们这些做母亲的,在上海都是被家里男人当宝贝宠着,含在嘴里怕化,捧在手里怕摔,可我们偏偏生在福中不知福,非要出来受这种洋罪,到底图个啥。"
"出国到底图个啥?唉——怎么说呢,有时觉得目标很清晰,有时又很迷茫,其实我们只不过是在追逐曾经的梦想。很多时候,人是永远追赶不上梦想的,你跑得越快,它飞得比你还快,所以聪明的人都不把梦想当饭吃,想想可以,千万不要当真。"
"梦想?可我早已过了梦想的年纪,拖家带口的还有啥梦想可言。"
"或许我们女人爱作梦,而且沉迷其中,不愿醒来,所以在我周围已婚女性出国的很多。"
"其实归根究底在于经济地位,上海女人在经济上独立必定带来人格上的独立,出国只是这种自主意识觉醒的表现形式,不管是老一代的,还是我们这一代的女人都是如此。"
"所以上海有一句流行说法,‘一等女人跨大洋,二等女人嫁南洋,三等女人暖洋洋。‘ "
淑君卟哧一笑,说:"这‘暖洋洋’到底是啥意思?"
"就是被家里男人宠爱的甜在心里的感觉呗。"
淑君心里想:"我还不是被男人宠上了天,这不也照样出国了吗。"可她嘴上却说:"看来三等女人最幸福,有男人宠爱该有多好呀。"
"哎——话可不能这么说,男人跟男人不一样,也有三六九等之分,你没听说还有一句对男人的评语?"
"没有呀,说来听听。"
"说上海男人‘没本事的围着锅台转,长本事的围着裙裾转,本事大的围着美元转。’ 那些已婚出国的上海女人当中,家里要么有一个买汰烧的男人,要么是个花拆拆的男人。"
淑君咯咯笑个不停,说:"丹丹,你说的太好笑了,还让不让人睡觉啦……其实我们女人走到这一步也很无奈,谁叫家里的男人不争气呀,只好由我们女人冲锋陷阵来打天下,拿自己男人开涮算是便宜他了。"
"我和你的情况不一样,我是离婚后才动了出国的念头。
"哇,你比我厉害,直接把男人一脚给蹬特了。"
"唉,真是一言难尽啊。好男人大多无能,但凡有点能耐的男人又大多无德,中国男人偏偏都是这副德性,真苦了历朝历代的女人们,可我们现代女性为什么要受这份窝囊气。"
"这倒是一个有趣的说法……"
"为了这份‘有趣’,付出的代价也不菲啊。"
我的一个闺蜜说的更有趣呢,说我是现代版的《娜拉》,其实我们上海女人只有开风气之先罢了。"
"你是读文科的吧。"
"不是,你为什么这么问?"
"你能把出国比作一种自我意识的觉醒,这样的表述像个文科生。"
"我是个医生,在新华医院儿科工作。你呢?"
"我在九院…… "
"哎哟,第九人民医院?那我们是同行啰!"淑君兴奋的要想叫起来。
"不,是六机部第九设计院,我是学土木工程的。"
"九院在哪里?"
"我在外滩上班。"
"每天对着人山人海的外滩要比我面对人山人海的病人来的更富有生气。我喜欢朝气蓬勃的人群,也喜欢外滩。"
"外滩确确实实具有历史底蕴,富有海派风情,但同是上海人,看外滩的角度也有云泥之别,年轻人看到的是万国建筑,老人体会的是苍桑岁月;女人看到的是摩登时尚,男人想到的是权力欲望;穷人体会到的是物力维艰,富人缅怀的是逝去的十里洋场。"
"这话说的好,同样是上海人,用你的话说也有云泥之别,这点我深有体会。我每天在医院工作,什么样的上海人没见识过,‘上只角’的并不都是体面人,‘下只角’的也不全是乡下人。"淑君觉得丹丹的话特别有道理,这又让她联想到上海人的天差地别。
"体面人要慈悲为怀,乡下人要保有良善天性,这样的社会不会差到哪儿去的。可是无论是谁一旦把慈悲和良善弃如敝屣,原始人的狰狞面目便粉墨登场,原始人哪还有什么上下之分呢?"丹丹似乎意识到这个话题有些沉重,又改口道:"说外滩的,怎么一下子扯了这么远。"
"嗨,都是我说跑题了。对了,我们住在这里的人好像跟外滩特别有缘,男房东在外滩的一家进出口公司工作,另一个男房客听说在外滩的东风饭店,也就是过去的国际海员俱乐部工作,那个女房东据说也是在外滩上班,可她是黄鳝批发巿场的买卖人,现在���加上你也在外滩上班,这里又多了一道上海外滩的风景。"
"喔唷,真有这么巧的事,我们设计院的大楼跟海员俱乐部和批发市场都只有一步之遥。我家也住在附近,走路上班只要几分钟,中午还可以回家睡个午觉。"
我上班要花上个把小时,没出嫁前上班还方便些,那时我住在四川北路。"
"又是巧事一桩,我家在四川南路上的金陵大楼,这一南一北的是不是特别有缘。"丹丹停了一下,在黑暗中笑出声来,说:"这让我想起宋朝李子仪的一首《卜算子·我住长江头》,我把它改一下,"我住路这头,君住那头尾,与君同路不识君,共饮浦江水。"
淑君咯咯笑个不停,说"哎哟!丹丹,你真是了不起,妙言绝句,张嘴即来。听你这么一说,不禁让我想起我从小玩到大的闺蜜,她也曾吟过一首有关南北的小诗,这首诗是这样写的‘小窗南北遥相望,丽君倚窗度韶华。’我们两家窗对着窗,也是一南一北。她叫佳丽,绝对是个才女,可不知道为什么才女情感多坎坷。"
"也没什么,我只把它当成是一种人生历练。"
"我的人生历练少,说不定这趟出国还真落得个大败亏输收场。"
"我们的起点都一样,再说了相对于命运,历练只是其中一部分,冥冥之中更多的是运气。"
"丹丹,听房东介绍说,你在这里只是临时落落脚的,是这样吗?"
"是的,我和我的朋友一起申请签证,他在这里有落脚处,可他的鉴证老是没下来,所以我就不等他了,自己先来了。"
淑君心里咯噔一下,不禁暗自感概:"要是佳丽有这么好的运气,我一定还在上海无忧无虑的生活。但话又说回来,我怎么觉得丹丹跟佳丽有点神似,莫非上天知道我失去一个闺蜜,冥冥之中又差遣一个来跟我作伴。"
丹丹见淑君没开口,又接着说:"我去邮电总局去拿签证的时候,那阵势简直把我吓一大跳,取件大厅比过年的菜市场还要热闹。当时我就觉的不对劲,所以就毫不犹豫的买机票来了,果不其然,在虹桥机场碰到的那一幕简直跟逃难差不多。"
"那你怎么会来到我们这里的呢?"
"本来我是去我那位朋友的落脚处,可我又忽然不想去了,所以只能在飞机上求人家帮帮忙。还好这架飞机的乘客大部分是上海人,特别是坐在我旁边的那位姓王的上海人,经不住我的死緾硬磨,答应带我来试试,但并没有绝对的把握。还好在这里遇到了你们,帮了我一个大忙。"
"这没什么,大家都是上海来的,干嘛这么见外呀?"淑君心里暗暗佩服丹丹的勇气,这些单独出来的女孩子都很勇敢,天不怕,地不怕,像是Sarah、飞机上碰到的夏小慧、还有林丹丹。淑君忽然觉得跟她们的差距太大了,自己从小在母亲和姐姐的照顾下长大,唯有读书算是努力,工作还算认真,所以一路走的非常顺利。自己的性格决定了不会去巴结逢迎别人,也不会环拱在有权势的人周围,更不肯拉下面子求人帮忙办事,"求人帮忙?"这种事情她想想都会觉得害怕,更别提直接向人开口求助了。于是淑君用颇为自责的口气说:"你的胆子真大,换成是我决对开不了这个口。"
"那是因为你还没有到山穷水尽的地步,真到了那个时候,我看你怎么办!"
"或许是吧,在这里无依无靠的,说白了就是适者生存,否则的话,只有卷铺盖回上海。"说到这里淑君觉得有一件事她特想弄明白,于是问道:"你还没告诉我你打算在这里住多久,今后又有什么样的打算?"
"我也不知道,反正先找一个相对固定的住处,这样读书、打工都要放便些。"说到这里丹丹觉得有点不好意思,接着又说:"给你添麻烦了,真不好意思。"
淑君连忙说:"我不是这个意思,我只是想告诉你,与其舍近求远的找住处,为何不住在这里?听房东说,这里人员流动性很大,等有机会,我们俩合租一间大房间一起住,你觉得怎么样?"
丹丹说:"这个主意好是好,先把它作为一个选项放在一边,等开学了,情况掌握全面之后再定夺。不一定非要住在这里,我们俩去别处住也行。"
"我可一定要住在这里,哪儿都不去,除非…… "
"嘻嘻,淑君,你真逗,良禽都知道择木而栖,何况是人呢?该不这里有让你放不下的人和事?"
"算是吧!以后有机会再告诉你。"
"不要有负担,想说就说,不想说也无妨,什么事都讲究个水到渠成。"
淑君也觉得这个办法好,如果贾东杰能立马把钱还上,跟丹丹一起到外面去住,还真是一件自己求之不得的好事。丹丹的年纪与自己差不多,但为人处事却老练大方,有这样一个朋友在身边,自己或许能更快融入社会,更快适应新的生活。现在淑君才知道知识只能提高人的认知水平,而阅历才能改变人生轨迹,如今她面临的问题是如何用知识来丰富阅历,这才是当前最要紧的事情,当然这不是一蹴而就能做到的,但克服畏惧心理,勇于直面现实是第一步,跨出了这一步,自己一定能不负众望。
"明天我先去学校注册,看看那里能碰到些什么人,了解些有用的信息,这比二眼一摸黑的强多了。"
"淑君,你把眼睛睁开看看,我们俩还真是二眼一摸黑的瞎聊呢。"丹丹在黑暗中发出咯咯的笑声。
淑君也大笑了起来,
屋内还是黑洞洞的,只是那月光从丹丹的床褥移到了淑君的床头,细细的,淡淡的,带着朦胧的睡意,好像一直在聆听她们的清淡。她们越谈越觉得投缘,但再怎么着都抵不住睡意阵阵袭来,说话成了有一搭没一搭的独角戏,越唱越吃力,最后久久没人开口,一个个也就蒙胧的睡去了。过了没多久,窗外传来几声鸟啭,先是一二只的独唱,渐渐引来了此起彼伏的大和唱。东方破晓,红日东升,新的一天又开始了。
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zutsunokotodake · 3 months
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6/9日
朝、5月分の日記をアップ完了させる。
シャワートイレの件。不動産屋から「大家さんと直接やり取りして」と連絡。案の定大家さんから「(付帯設備ではなく)残置物です」と来たので新品でしたよ?と返し、逡巡の末「対応します」と。対応するなら気持ちよく対応する、残置物扱いにするならそうする、こっちがちょっとごねたら「じゃあ対応します」というのはいちばん悪手では。「今日は日曜なので明日月曜に業者に連絡して、業者から連絡してもらいますのでうんぬん…」ってことで遅くなりそう…。自分で手配して自分で交換してたら今ごろ作業完了してたんだけどなー。やり取りの中で何度も「急に壊れたんですか?」と訊かれて、それって「経年劣化じゃなくて、なにかして壊したんじゃないですか?」って言いたいんだろうか。逆に訊くけど、「だんだん壊れる」ってことあるんですか? 訊かなかったけど。いやしかし、ここ数日ウォシュレット使えてないので快便な感じじゃなくて出が悪い。泣。
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お昼はお寿司。
午後に入ってやっぱり服薬。土日の頭痛は空腹由来な気がする。もっと早くちゃんと食べれば頭痛回避できるだろうか。
YouTubeでたまに見ているフランス政府公認ガイドのRyokoさんの出した本を読み始めているのだけど、フランスでもやっぱり日本のイメージってフジヤマ、ハラキリ、ゲイシャで、それはまあそういうものかって思ったんだけど、それはイコール「日本の女性=芸者=娼婦や(いかがわしい)マッサージ師」ってことを指すようで、ちょっとびつくり。
関西ツアーの撮影データを伊勢くんに渡す用にHDDにコピー。
相変わらず面白いNHK「世界サブカルチャー史」、今はゴシック編。大槻ケンヂ氏も出演。ゴスロリにつながるゴシックの始まりは吸血鬼ドラキュラの映画。監督はトッド・ブラウニング。どこかで聞いた名前だと思ったら映画「フリークス」の監督だ。Wikipediaを見たらいろいろ知らないこと書いてあって、露悪的に作られたわけではなく「サーカスで奇形の芸人達と親しんでいたブラウニングにとっては、彼らをそのままスクリーンに映し出すことは至極当然のことであった」らしく、そしてその「フリークス」で「これにより映画人としてのキャリアは事実上終わってしまう」と。
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oy4z · 3 months
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ユーフォを見ろ。
ついさっき、5分前に、「響け!ユーフォニアム」第3期12話を見た
その結果、ユーフォを視聴し始めてから6年くらいのクソデカ感情が爆発しそうになったので、第3期最終話を待たずして感想を書き殴らせてくれ...
あらすじ
落ち着いてあらすじを書く気持ちになれないので省略
ユーフォを見ろ
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この記事は響け!ユーフォニアム第3期までのネタバレを多分に含みます!!
未視聴の方はブラウザバック推奨です!
というか本当に読むな。今すぐユーフォを見てからここに戻ってこい。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
久美子の決意
いや正直、「全国オーディションは流石に主人公の久美子でさっさと決まってその後の話で尺使うんでしょ」と思ってたよ...
「ソリは...」って久美子の名前が一瞬呼ばれたときに、久美子と全く同じ反応をしたし、決選投票になるって聞いて視聴しているだけのヲタクなのに胃への負担がズシッと来るのを感じた
ただそれ以上に、音のみで判断させるっていう格付けチェック方式のオーディション方式を久美子自ら提案して来るとは... もうやめてくれよ~~!!!ヲタクの胃が持たないよ~~~~!!!!!になってしまった
流石にこの提案にはあの鬼畜クソメガネの滝センセイすらびっくりしていたし、滝先生が涙したのを見て俺も泣いた(報告
カッコよすぎるよ久美子...なんでお前そんなに強いんだよ... うーん、もうソリ君ね!!!俺の独断と偏見でソリは君!!!
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そんでもって、ここ!ここで黒江真由ちゃんとオーディション直前に対話するシーン!!!!!
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もうこの会場が映るだけで否が応でも思い浮かぶ1期のオーディションの情景...
この時に誓った実力で奏者を選出すべき、という信念を久美子は誇っているし、コレを否定することは久美子の3年間の否定なんだよね
だからといって自分にまでそれを課すかね...いや課すんだな... 本当に強いよ...もう本当...
黒江真由ちゃんの存在
このシーンで初めて黒江真由ちゃんの過去について語られる。
前の学校では仲の良いユーフォ奏者がいた事、自分だけがコンクールメンバーに選ばれ続けていたこと、そのことが原因で友人と疎遠になってしまったこと...
だからオーディションやコンクールより、部内の不和を避けたいんだと語るけど
自分ではオーディションを辞退しない、できない 音楽には嘘はつきたくないんだね~~~~!!!!!
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もう回想シーンの真剣に練習する黒江真由ちゃんの姿で泣いた、もうダメ
正直、黒江真由ちゃんの存在は3期に唐突に登場した邪魔者くらいにしか捉えていなかったし、久美子が乗り越えるべき障害で演出とすら思ってた...
ただ違うんだね...黒江真由は響けユーフォニアムの立派な登場人物です!!!!!!!
うーん、ソリは君!!やっぱり独断と偏見でソリは君にしよう!!!
久美子には、「音楽はみんなで仲良くやるもの」という考えと、麗奈の影響によって生まれた「より上手く、より上を目指して特別になる」という信念がどっちも共存している。
黒江真由ちゃんはその前者の考えを強く持っているしポリシーとしている。だからこそ久美子は同族嫌悪を感じていたし、それに伴う心の距離を示す描写も多くあった。
でも、俺みたいに吹奏楽未経験の視聴者だと、どうしても楽しさを捨てて必死にもがく姿は見てて辛いし、黒江真由ちゃんの考えも大いにわかるわけで...
そうした、「共感できるけど、ストーリー上は邪魔な存在」として扱われていた真由ちゃんに対する視聴者のジレンマみたいなところも、今回改めて真由ちゃんの過去と今にスポットが当たることでわだかまりが溶けた気がした
この時点でまだ開始10分くらい、おじさんはボロボロ泣いてました
オーディション
もーーーーーーーーーーーダメ
ココまで聞いて正直、「久美子が好きだからソリ!」と言えないほど迷ってて俺も真剣にオーディションで選出するべきだと思っていた
だからこそ、何度も2つの演奏を巻き戻して聴き比べた、アニメなのに目をつぶって聴いた
音楽の良し悪しなんて判断できないド素人の俺じゃ、全く優劣なんてつけられなかったし、実際あの演奏だと違いはあるものの、どちらを選ぶかは個人の裁量によるんじゃないかなとすら思うくらい2人とも良かった
部員全員での投票は麗奈の1票で決まる展開に転がって、 麗奈が選んだのは......真由ちゃんの演奏...
いやもう分かってるじゃん!!!! 久美子の音なんてとっくに分かってるじゃん!!!! そのうえで久美子と全く!同じ!考えで! 実力が上の方を選んだんだなと!!!!久美子に嘘をつかないために!!!!1年の自分たちの信念を汚さないために!!!!
もう...ここに至る構成が、作画が、演出が、演技が、音楽が、すべて良すぎてすべてに感動して
すっごいなんかもうこみ上げた、響けユーフォニアムを1期を見て今日に至るまでの5,6年くらいの期間のわからない何かが
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あああああああ、もう見れません これ以上なく悔しいし悲しいし、ただ納得感だけはしっかり合って新年に沿っていて、こうならざる得ないんだなという展開だった
オーディション後
もう残り尺5分、この時点でもう心が持たないし鼻をかむティッシュも残ってなかった
口を開けて見ていた、久美子の演説、奏ちゃんから久美子への悔し涙
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そして...ラストシーン 麗奈と久美子、大吉山で話すシーン
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
すみません、箱ティッシュ買いに行ってきました。
儚く美しい1期の名シーンの再現
再現、が、こうも、こうも... ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
すみません、書けません... ヲタクの語彙力じゃここを表現できませんし感想すら書くのが野暮
おわり
本当に「響け!ユーフォニアム」をこの第12話に感じたし、儚くて悔しい...キツいです...
本当はもっと演出とか作画が良かったよ!!!京都アニメーション神がかってたよ!!とか書きたかったけど、もうダメ
今すぐに、「響け!ユーフォニアム」第1期1話から再生して、この第3期12話まで見てくれ。 俺が言いたいのはそれだけだ
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nailsalonprincess · 4 months
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常総市からお越しのS様~ぷっくりフラワーネイル
つくばみらい市にあるネイルサロンプリンセスです。   最近、鬼滅の刃のアニメが放送されているので、また原作を読みたくなってしまい、読み始めてしまいました。 もう何度も読んでいるのに、何度も泣いてしまいます。 今回のアニメはアニメオリジナルのシーンが多い気がするので、原作を知っていても新鮮で面白いです   常総市からお越しのS様、ハンドジェルの付け替えでのご来店です。 ネイルはぷっくりフラワーネイルにしました。   透け感のあるピンクのぷっくりフワラーネイル! ホログラムが透けて見えるのが可愛いですよね^^ ご来店ありがとうございました。 またのご来店を心よりお待ちしております。     【5月の定休日】 5月は6日(月祝)、14日(火)、15日(水)、22日(水) 【6月の定休日】 3日(月)、8日(土)、18日(火)、28日(金) ※換気や消毒の為、ご予約の間隔を十分開けております。…
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mouniassn · 5 months
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自殺業力,迴向前後差很大!
以下一位有緣人分享,來文照登:
自殺業力,迴向前後差很大!從小我就是個活潑、開朗又好動的小孩,每天和左鄰右舍的小孩玩在一塊。一直到升上國一後,就莫名變得自閉且沉默寡言,也不愛與人接觸。曾經每天玩在一起的朋友、同學和玩伴,我也變得很少與他們接觸。每天除了上學,放學回家後就不愛出門。和那個曾經每天玩到吃飯和睡覺時間才會回家的我,可以說是天差地別!人也沒來由的變得非常悲觀,常把自己關在房內,莫名哭泣;也開始常會有想輕生的念頭,只是沒有勇氣做傻事。
如今回想,國一是我人生中一個很大的轉捩點!因為那時期的我,除了忽然個性變得悲觀、自閉、沉默寡言,還有想輕生的念頭,同時也接觸善書和宗教。
影響我最深的是我的外公,外公在孩子長大成人、各自成家後,選擇了出家的路。小時候的我只要聽到誦經聲,內心就會非常非常的詳和、平靜,這樣的經歷到現在仍然很鮮明。因為這樣的因緣,我對佛教特別有一種歡喜心。青年時接觸佛教道場,知道輕生是不對的事情,更不能解決人生的種種問題,但輕生的念頭,仍不時的會從心裡頭冒出來。但我總把這不好的念頭,用理智壓下去!
《阿伯的話—現場開示精華節錄》:「人身難得,自殺一世,影響七世:愈接近過去世自殺的年歲時,若又碰上運低,則容易有自殺的傾向。故,人要修行,以提升智慧來扭轉運勢的低迷及突破挫折,也可減少自殺業力的影響;然而,最究竟的方法則是透過請示,並以誦經、持善佈施來化解此業力的影響,從根本解決,並且切莫再犯。」一直到106年3月,接觸到牟尼精舍,透過網路請示:「本世常有想輕生的不好念頭,請示是否有干擾?」
佛菩薩開示:「前六世,因利益衝突與人打架,打輸一時想不開,憤而自殺,故遭此報。需先以最虔誠的心懺悔,並誠心持誦《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》各138遍,待持誦完畢,來信專案迴向化解此因果業由。並且迴向圓滿後,需要親自到精舍,幫您銷除自殺業力對於阿賴耶識之影響。」我才知道原來自己前六世曾輕生,才會造成今世常有輕生的念頭。
《阿伯的話—現場開示精華節錄》:「過去世有自殺過,在本世或來世接近當初自殺的年齡或運勢較低迷時,就會再次想要自殺;自殺一世,影響七世,故千萬不要自殺。曾有自殺業力者,也不要氣餒,可誦經迴向化解此業力,而業力迴向成功後,再至精舍消除自殺對阿賴耶識的影響,日後心性可漸漸光明,自殺陰霾可一掃而空。」
由於佛菩薩陸續開示出來的討報業力不少,我到111年5月時,才因緣俱足唸完佛菩薩開示「化解前六世曾輕生業力的經文數」。迴向圓滿後,也請精舍幫忙銷除自殺業力,對於阿賴耶識之影響。到現在時隔一年左右,我已經完全不會有想輕生的念頭。現在的我,就算遇到人生不如意,也完全不會有輕生的念頭,甚至認為自己以前是頭殼壞掉(台語)嗎?怎麼會有輕生的念頭。我透過唸經迴向,化解前六世曾自殺的業力,前後真的差很大!
有些人不信輪迴轉世的正確觀念,缺乏正知和正見,以為輕生後就能一了百了,人生中所有面臨的一切痛苦就沒有了。等到了解輕生背後的真相,是如此痛苦,後悔就已經來不及!因此絕不要有以為結束生命,就能解脫一切痛苦的錯誤知見。
《阿伯的話—現場開示精華節錄》:「在自然法則下,人是要自然地死亡,故自己若決定提早結束生命,不論是任何方式,皆屬自殺,往後會有自殺的業力果報累世跟隨;而人還沒死,但卻因病而痛苦地活著,通常係因正在受報,可能有公報也可能是私報。若不想承受而自殺,業力在這��子討不到,下輩子必定再次追討。」輕生者遇到人生課題,卻因為不想面對困難和挫折,或想逃避該受的果報而選擇輕生!只是把原本該面對的人生課題,以及該受的果報,延緩到來世,而且還要加上自殺的業力苦果。來世還是要再次面對相同的人生課題和果報,並加上自殺的業力影響,對自己真的完全沒有益處。
111年左右,和同事聊天時,他提及,他的姪子是一個西醫的準醫生。不久前一直向家人透露說,怕自己無法勝任醫生的工作,而處在極度沒信心和悲觀的負面情緒中。家人很怕他想不開,一直特別關照他,但不幸的事還是發生了。就在一次他姪子的媽媽外出時,他姪子在家選擇輕生走了。一個擁有大好前程的年輕人,就這樣離開了人世。我聽到的當下很驚嚇,也感到惋惜!如果同事的姪子,有因緣接觸牟尼精舍,也能透過向牟尼精舍佛菩薩請示,查出造成他沒有自信和想輕生的背後原因,是否他的未來就能改變,憾事也不會發生了!
假如你或週遭的親朋好友,常有想輕生的念頭,可以透過牟尼精舍專解因果業力的平台,查出背後的原因,並遵照佛菩薩開示的化解方法去做,給自己一個重生的機會!
身口意的思想觀念、行為模式和習性,對於心性的長期熏染,會造就一個人慣性的思想觀念、行為模式和習性。積極、正向、良好的的思想觀念、行為模式和習性,會熏染心性,帶來正面良好的延續和影響。相對的,悲觀、不良的思想觀念、行為模式和習性,也會長期熏染心性,而造成負面的延續和影響,這是心性提升或墮落的重要關鍵。
人生在世,要培養良好的習性。良好習性的熏染,會讓人的心性,在不斷的輪迴轉世中,一直向上提升、增益。相反的,不良的習性和行為,卻會讓人的心性,在不斷的輪迴轉世中,一直往下沉淪、墮落。因此習性的好壞,會透過身口意,不斷熏染我們的心性,直接影響心性的提升或墮落,不可不慎!
接觸精舍至今,已有六年多的歲月。目前除了唸銷業力的經文,同時唸《六祖壇經》銷魔性和超度祖先的經文。我感受到這幾年來,遵照佛菩薩開示的法藥執行,所帶來的改變是業力慢慢銷融,心性方面也慢慢提升。以前常會起執心的人事物,漸漸能放下了,原本很在意的事,也不再像從前那麼在意了。譬如,以前要經過好幾年,才會慢慢淡化執心的事,現在經過幾天的心情沉澱,就能漸漸放下,甚至有一些事完全不會在意了。
感謝有牟尼精舍,這樣一個專解人生中各種因果問題的平台,無論是婚姻、家庭、事業、家族、痼疾、學業…等都能請示,有你們真好!
(分享完畢)
這是一篇針對自殺和修行非常有感應的分享文。有緣人從快樂的小學生進入中學後,莫名變得晦暗不想與人往來,輕生念頭不斷,直到認識牟尼精舍請示後,得知自己有自殺業力。唸經消除完自殺業力,從此再也沒有輕生的念頭,還覺得自己當初是頭殼壞掉才想自殺。
小編和有緣人一樣,也有兩世的自殺業力。前二世的《金剛經》、《藥師經》已經唸完,剩下80部《地藏經》。有時太久沒唸,就會出現情緒低落和輕生的念頭,尤其在被沖犯和黑氣充滿時,狀況就會加倍。覺得人生沒有希望,活著很累,會一直哭、一直哭,哭到泣不成聲,哭到睡著。
但是,如果我在此時選擇唸一部《地藏經》,小迴向消除前二世自殺業力,神奇了!唸完馬上像換了一顆腦袋瓜一樣,剛才那種痛苦、難受、輕生的念頭,彷彿從來沒存在過一樣。這證明自殺業力真的會影響一個人的思考,也證明唸經絕對能夠消除自殺業力。
有緣人在分享文中也說了,他在消完自殺業力後,已經完全不會有想輕生的念頭,還認為自己以前是頭殼壞掉(台語)嗎?怎麼會有輕生的念頭。有沒有唸經迴向,化解自殺業力前後,真的差很大。
所以,如果您發現自己,也常常有意、無意間有輕生念頭,或是身邊的人有此傾向,請您真的可以試試去牟尼精舍請示,是否有自殺業力?若有,就趕緊唸經消除它。
自殺業力如果不消,這腦袋怎麼樣就是想不開啊!文中有緣人也有提到,同事姪子未來有大好前程,明明擁有許多人羨慕的未來,結果還是想不開。為什麼?那是業力啊!您當時過得再好、再幸福美滿,還是只能感受到人生的缺憾。
自殺一世,後面有七世都會自殺,要抵抗業力真的太難了,只能透過唸經來自救!牟尼精舍不但免費,佛菩薩還會幫忙換個有智慧的腦袋,這個「性價比」爆表啊!
如果您沒有自殺業力,恭喜您!也奉勸您千萬別走上這條路。因為自殺只是逃避其他業力討報的最差手段,不只沒有辦法消除那些業力,來世還是會再遇到,而且多了自殺業力,還會影響後面七世。先別提投胎,連當鬼都慘兮兮,要在枉死城不停重複當初自殺的行為,直到預定壽終正寢的時間。還要受地獄刑罰,地府第一殿就要審判自殺業力,然後進地獄服刑。
小編剛開始唸消自殺業力的經文時,靈識想到被枉死城和地獄刑罰折磨的痛苦,哭成淚人兒。跟那些刑罰比起來,人間各種受報的痛苦,真的好多了。重點是,當人還可以唸經消除業力,有各種重報輕受的福利,也可以選擇唸經。
一失人身,萬劫不復,您想怎樣都由不得您。所以,千萬、千萬不要自殺。感到人生痛苦時,先唸一部《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》,或是《六祖壇經》,隨您選。唸完您就覺得世界充滿希望和光明,有了智慧,人就不犯傻了!
有緣人文章就提到,自己這幾年唸經消了許多業力,整個人變得不再那麼執著,對事情比較快看開、放下,這就是他增加智慧的證明啊!
無論您遇到什麼過不去的困難,幾乎都可以經由請示因果業由,透過唸經逐漸改善,要相信佛氏門中有求必應。福是修來的,不是求來的。有用心唸經,就有感應,沒有努力唸經付出,還求什麼呢?天下沒有不勞而獲的事。
過去無明,犯下因果,現在不能光道歉,得唸經來當賠償金。唸經又不用花錢,趕緊動起來!唸經消累世業力和自殺業力。唸完,您就改寫了自己的命運,將如有緣人所述:「擁有積極、正向、良好的思想觀念、行為模式和習性」未來人生將是截然不同的幸福光景。南無大慈大悲觀世音菩薩摩訶薩!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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mobsprooftheweb · 5 months
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せのしすたぁ 10周年ワンマンライブレポート「生きろ!!」
せのしすたぁ 10周年ワンマンライブレポート
text & photo 松原弘一良(MOBSPROOF)
「生きろ!!」
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2023年11月19日に新宿MARZで開催されたフリーワンマンライブで発表された10周年記念ライブ。満を辞して2024年5月6日、盟友・NATUREDANGER GANGをゲストに迎えて渋谷クラブクアトロにて開催された。
開催発表から約半年の間にこれまで以上に精力的にライブを行い、なおかつNATURE DANGER GANGと過去に発表したコラボ曲「ATOMIC・デンジャー・しすたぁ(仮)」のドープ過ぎる新MVの発表、さらにはコラボ新曲「超・本気・モンキー」の発表、2枚組アルバムをワンマンライブ当日に発売、フジロッ久(仮)が歌詞を提供したコラボ曲「わたしパンクス」の2024年ヴァージョンの発表、新曲MV「STAND BY ME」公開など矢継ぎ早にニュースを発信するも、チケットの前売りの動きが芳しくなくツイートで残り枚数のカウントが行われさえもした。そんなハラハラの中、当日の会場は溢れだすほどの人で埋め尽くされ、せのしすたぁの強運を感じるしかなかった。
今回、会場に来た人々はせのしすたぁの強力な磁場に引き寄せられた“目撃者たち”といっても過言ではないだろう。
ライブアイドルシーンが熱狂を持って迎えられた時期にスタートし、いくつものアイドルグループが誕生・解散、さらにはエンターテインメントのあり方を否応無しに変化させたコロナ禍を経てもサヴァイヴしているせのしすたぁの歴史の“目撃者たち”でもある。
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また、会場にはせのしすたぁの10周年を祝ってか古参ファンの姿も多く見られ、開演前から「せのしすたぁ、NATURE DANGER GANG、おやすみホログラム、Have a nice day!」による『SCUM PARTY!』を彷彿とさせる独特の熱気が充満していたのも印象深い。
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16時15分、ゲストのNATURE DANGER GANGがスタート。約1年ぶりとなる彼らのステージはブランクを感じさせないエナジーを発し、開演前からヴォルテージがマックスを超えていたファンによりさらに加速していく。ダイブ、モッシュ、ダイブ、モッシュ、ダイブ…延々と繰り広げられる乱痴気騒ぎと怒号にも近いコール&レスポンスはステージ終了まで止むことはなかった。混沌の幕開けで、誰もがこの日は最高になるのを確信したのではないだろうか。
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そんな熱気が下がる間もなく、せのしすたぁがステ��ジに現れる。しかし、挨拶もそこそこにいきなりフロアに設置された“フロア中央ステージ”へ。1曲目はNATURE DANGER GANGで暴れまくったオーディエンスに問いかけるように「まだいけるかい?」と歌う「YES!!」。歌い終わるなり感極まって涙をみせるゆーたん(ライブ終了後、ゆーたんは「360度せのが好きな人たちがこんなに集まってくれてるって思ったら、泣いちゃいました。」とツイートしている)。そして、しっかりと抱き寄せるまお。
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それも束の間、ステージに戻り干渉に浸る間もなく、「I want you back」「Loser」「Forever」の3曲を披露した後、MCでNATURE DANGER GANGからの影響を語るまお。
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「everytime everyday everynight」を挟み、再び“フロア中央ステージ”へ向かい披露されたのは「ワタシアイドル」「アイドルなんてなっちゃダメ!ゼッタイ!」という、せのしすたぁを語る上で外すことのできないキラーチューン! 収集のつかないほど盛り上がるフロアの中、2人を取り囲むケチャはまるで神聖な儀式のようであった。
またステージに戻り、新旧の名曲を相棒であり、せのしすたぁの名物とも言える“脚立”に乗ってオーディエンスを煽りながら歌うせのしすたぁ。オーディエンスはMIX、オーイング、イエッタイガーなど始終息つく暇もないほどのコールでそれに応える。
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そんな喧騒の中、「ハートブレイカー」の曲間で「生きろ!」と叫ぶまおの姿は、これまでの彼女たちの生き様を知る人にはズシンと響くものがあったのではないだろうか。いや、知らなくても全霊をかけたせのしすたぁのこのステージを見た人たちには力強く響いたと思うのだ。
そして、ある意味恐怖の瞬間が到来する。そう、せのしすたぁとNATURE DANGER GANGのコラボステージの時間がやってきたのだ。これ以上ないぐらいに相性が良く、その反面、混ぜるな危険と言わざるを得ない組み合わせであることは過去のコラボステージで充分証明されているだろう。
しかも今回は「ATOMIC・デンジャー・しすたぁ(仮)」に加え、新曲「超・本気・モンキー」の2曲である。興奮に震えながらスタートしたステージは想像以上に刺激的で混沌としていた。モッシュやダイブが同時多発的に発生し、フロア中央ステージでは裸祭まで発生。まおもステージダイブでフロアの後方まで泳ぐ暴れ��ぷりを見せた。
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もはや制御不能かと思ったが、まおの鬼スキルによる仕切りでステージ上にはせのしすたぁだけとなる。
脚立に登り肩を組むまおとゆーたんの姿も雄々しく、フロアもラスト・カオスの準備万全の中、最後の曲「ラストチューン」がスタート。コロナ禍でコールやモッシュが禁止され、“湧く”ことが制限されたこの曲もこの日は以前の輝きが完全復活したと言えるのではないだろうか。「イエッタイガー」のコールとともに繰り広げられるモッシュとダイブの嵐。多幸感に包まれた暴動が終焉に向かって加速していく。
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熱狂を纏ったまま、せのしすたぁの10周年を祝うパーティーは終了。終演後、会場の外では熱狂冷めやらぬファンが集団で楽しそうに過ごしており、特典会も長蛇の列で賑わいで、11年目に突入したせのしすたぁを祝福するムードに漂っていたのも印象的であった。
なお、この日の模様は何らかの形で映像化される予定である。
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kachoushi · 5 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分や赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫􄼺の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし 美穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
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令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ……………………………��………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に余寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の��ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
総門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月 昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも悪しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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