#高千穂峡
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このレポートは20221014のアーカイブです 1078日目 U60 #高千穂峡 #高千穂岩戸の湯 #あまてらす鉄道 #宮崎カーフェリー #フェリーたかちほ で神戸に帰りました #いきなり腕立て伏せ #腕立てたのしー #腕立て伏せ #腕立て伏せチャレンジ (高千穂峡 Takachiho Gorge) https://www.instagram.com/p/CouTixYPKLc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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20221111
不用意な発言をしてしまうのを止めたい
いつの間にか人を傷つけてしまっているかもしれないし実際に嫌な言い方をしていると思う
発言する前に一旦考えて
気をつけて
やっぱり嫌われたく無いし、信頼も失いたくない
普通に生きて行く為には関わる人たちに幸せになってもらいたいし、楽しいと思ってもらうのが一番
昨日までの私が今日の私になり
今日の私が明日の私になるから
一瞬一瞬の過ちならどうにかなるかもしれないけど明日も私と関わり合うって人なら少し距離を置こうと考える
本当急がない、落ち着いて一旦考えよう
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南関そうめん 手延 雪の糸素麺を、ヤマエの高千穂峡つゆ しいたけ味で。
Somen noodles from Nankan with Takachihokyo dipping sou
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し��いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財���界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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旅の記録⑪ in 九州
鹿児島→宮崎→熊本(→福岡)
2年前に四国一周を共にした大学同期と、今回は九州に上陸したのでその記録たち。壮大な自然とまた食べたい料理のお気に入りフォト10選。
九州って自然も豊かでご飯も美味しくて最高!知ってたけど最高!🥴💕
鹿児島
天気の良い日にまた再チャレンジしたい!となった桜島。カンパチのカマの美味しさにびっくりした🐟(写真5枚目)
フェリーでの移動が楽しかった。車のままフェリーに乗るのが人生初で、少しワクワク。この日の夜は黒豚の豚カツ(写真4枚目)と地鶏の炭火焼きを食べた。
かき氷「しろくま」を食べる気満々でいたのに、くまという文字につられて勝手に熊本県の名物だと勘違いしており、鹿児島名物だと気づいた頃にはすでに鹿児島をあとにしていたので諦めました。悔しい。
宮崎
今回の旅行でいちばん興奮した宮崎県の都井岬(写真7,9枚目)。
日南海岸国定公園の最南端に位置する岬で、海の青と草原の緑のコントラストが素晴らしかった🐴✨放牧されてる馬を間近で見られて楽しかった。馬の後ろに回ったら蹴られる危険があるらしい。
宮崎県の高千穂峡(写真10枚目)は、カヌー貸出店の開店と同時に到着したのに、チケットが3時間待ち…ということで、潔く諦めて、浮いた分のお金で贅沢に鰻を食べることにした。(写真6枚目)
今まで食べた中でいちばん美味しい鰻だった。調べたら九州は鰻の名産地らしく、どうりで美味しいわけだー!(鹿児島が全国のうなぎ生産量の4割を占める堂々の第1位🥇、宮崎は愛知に次いで第3位🥉)
熊本
感動したのはやっぱり熊本県の阿蘇🏔️。
草千里ヶ浜(写真1枚目)も壮大だったけど、阿蘇中岳の火口(写真2枚目)と大観峰からの絶景(写真3枚目)のほうが、4人満場一致で魅力的だった。
✍️SNSには草千里ヶ浜の馬ばっかりバズっている印象だけど、自然と馬を堪能したいなら、草千里より圧倒的に都井岬だと感じた。
群馬でもできるやろみたいな会話の瞬間がいちばん楽しい旅行だった。
最終日、みんなと熊本駅でお別れして、私は1人で両親の故郷福岡へ。なんとおばあちゃんが鰻を用意してくれており😂、1日に2回も鰻食べるなんて見に余る贅沢。
福岡ではいとこたちに会いに行ったり、父母それぞれのおばあちゃんとゆっくり過ごしたり。忘れたくない濃くてあったかい時間だったな。
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「高千穂峡つゆ うまくちかつお」 - 家事ヤロウ!!!(テレビ朝日)
芸能人の自宅の冷蔵庫を覗き見。宮川大輔はどハマりしているというヤマエ「高千穂峡つゆ」を使って具沢山そ… Source: https://kakaku.com/tv/rss.aspx
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【 素麺と冷麦 】
暑い時期、食欲がなくてもスルスルと食べられちゃうのが素麺や冷麦。 食べやすいので、つい食べ過ぎてしまったりして・・・
ご存じのように素麺と冷麦は油を使っているかいないか、と思っていたら、 現在は機械化が進んでいて、原料や製法で区別がつかなくなっているため、 麺の太さで分けられているのだそうです。
それをわかりやすくしようとして入れたのが色付きの麺。 今もありますが懐かしいですね。
元々は練った小麦粉を油を使ってひねって細く伸ばしたのが素麺、 同じく練った小麦粉を平たくして細く切ったのが切麦で、 冷たくして食べる冷麦と、温かくして食べる熱麦(うどん)だったのだとか。
原型は奈良時代の文献に出てくるほど古くから食べられていて、 室町期には夏の風物になっているくらい。
最近はお店でも体験できる流し素麺は昭和になってから。 有名な高千穂峡の冷水が最初と言われているようです。
冷素麺 きらら光りの 切子鉢 星川佐保子
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宮崎 高千穂で神秘的な風景に感動した ひとり旅 高千穂峡 神楽 を巡る 総集編
この旅動画は 高千穂 へカメラを片手にひとり旅 。撮影旅行をしてきた時の まとめ 動画です。 宮崎県 高千穂 町は「日本神話の里」と言われている町。 天岩戸 、 天安河原 、くしふるの峰など神話の舞台と伝えられる地や神々を祀る神社が数多く、 パワースポット…
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4年ぶりに開催された福岡神武館大会に出場しました。九州の剣士と剣を交え、力強い剣道を勉強することが目的です。また、大会を通して新しい知り合いが増え、お互いに姿見えずとも意識して高め合うことができる存在になればと思っています。
もう一つ、水鏡会の遠征では勉強も欠かせません。鳥取砂丘をはじめ、鳥取コナン空港、出雲大社、稲佐の浜、夜の水木しげるロード、関門海峡、太宰府天満宮などを巡り、見識を深めました。
教科書やWebで写真でしか見たことがない場所に立ち、そのスケールの大きさや存在の意���を学び、社会に出たときの糧にしてほしいと考えています。
次の大きな遠征は熊本。熊本城、阿蘇山、高森の水源、高千穂、できれば水鏡会代表の第2の故郷である鹿児島まで足を延ばし九州という大きな大地を感じ、学びを深めていきたいです。
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【日本三大峡谷】清津峡 新潟県十日町市
清津峡渓谷トンネルの先端にあるパノラマステーション。素敵な写真が撮れる絶景・絶好なスポットでした。ちなみに、宮崎県の高千穂峡は阿蘇山溶岩で出来た峡谷でトンネルはないですが、全く違った雄大さと絶景が無料で楽しめます。 #新潟観光#日本三大#一度は行ってみたい
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各地句会報
花鳥誌 令和5年4月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月4日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
年賀状投函ポスト音を吐く 世詩明 大冬木小枝の先まで空を突く 同 猫寺の低き山門虎落笛 ただし 福の神扱ひされし嫁が君 同 石清水恙の胸を濡らしつつ 輝一 阿弥陀様お顔に笑みや秋思かな 同 去年今年有縁ばかりの世なりけり 洋子 潮騒の聞こ��る壺に水仙花 同 羽根をつく確かなる音耳に老ゆ 同 時々は絵も横文字も初日記 清女 初電話友の恙を知ることに 同 暁に湯気立ち上がる冬の海 誠 大寒のポインセチアに紅のあり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
初暦いかなる日々が待ち受けん 喜代子 おさんどん合間に仰ぐ初御空 由季子 病院の灯消えぬ���去年今年 同 雪掻に追はれつつ待つ帰り人 さとみ 海鳴りや岬の水仙なだれ咲く 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あをき空うつし蓮の枯れつくす 和子 蓮枯れて底の地獄を明るめる 軽象 枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 破れ蓮の黄金の茎の高さかな 炳子 枯蓮の無言の群と相対し 秋尚 弁天の膝あたたかき初雀 慶月 面差しの傾城名残青木の実 順子 男坂淑気を少し漂はせ 三郎 恵方道四方より坂の集まり来 千種 葬儀屋の注連縄なんとなく細い いづみ いかやきのにほひに梅の固くあり 要 枯蓮のやり尽くしたる眠りかな 佑天
岡田順子選 特選句
枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 鷗来よ枯蓮の幾何模様へと 俊樹 そのあとは鳶が清めて松納 いづみ 毛帽子にまつ毛の影のよく動く 和子 北吹けりもう息をせぬ蓮たちへ 俊樹 蓮枯れて水面一切の蒼穹 和子 人日の上野で売られゆくピエロ 三郎 石段に散り敷く夜半の寒椿 悠紀子 恵方道四方より坂の集まり来 千種 よろづやに味噌づけ買うて寒に入る 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
双六やころころ変る恋心 朝子 下の子が泣いて双六終りけり 孝子 短日は数が減るかもニュートリノ 勝利 歌留多とり式部小町も宙に舞ひ 孝子 小春日や生ぬるき血の全身に 睦子 骨と皮だけの手で振る賭双六 愛 京の町足踏み続く絵双六 散太郎 粛々と巨人に挑む年始 美穂 来世から賽子を振る絵双六 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
双六の終着駅や江戸上り 時江 たかいたかいせがまれて解く懐手 昭子 てのひらの白きムースの初鏡 三四郎 火消壺母のま白き割烹着 昭子 木の葉髪何を聴くにも左耳 世詩明 街筋の青きネオンや月冱てる 一枝 姿見に餅花入れて呉服店 昭子 はじき出す男の子女子のよろけ独楽 時江 一盞の屠蘇に機嫌の下戸男 みす枝 初詣寺も神社も磴ばかり 信子 御降や傘を傾げてご挨拶 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
初明かり故山の闇を払ひゆく かづを 万蕾にある待春の息吹かな 々 小寒や薄く飛び出る鉋屑 泰俊 勝独楽になると信じて紐を巻く 々 仏の前燭火ゆらすは隙間風 匠 筆箱にニトロとんぷく老の春 清女 二千五百歩小さな散歩寒に入る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鋳鉄製スチームの音古館 宇太郎 始業の蒸気雪雲を押しあげて 美智子 溶けてなほ我にだけ見ゆる時雨虹 佐代子 失ふはその身ひとつや冬の蜂 都 寒灯下遺影に深く法華経 悦子 大木を伐られ梟去つたらし 史子 枯木立通り抜けたる昼の月 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 萩花鳥会
人生の余白少なし冬の薔薇 祐子 裸木が絵になる空を展げゆく 健雄 山茶花や気は寒々と花紅く 俊文 守らねばならぬ家族や去年今年 ゆかり 一椀に一年の幸雑煮膳 陽子 故郷で一つ歳とる雑煮かな 恒雄 昼食後一枚脱いで四温かな 吉之 亡き人に届きし賀状壇供へ 明子 逆上がり笑顔満面四温晴 美惠子
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令和5年1月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
初生けを祝成人と命名す みえこ 薪焚の初風呂済ませ閉店す 令子 御降りに濡れても訪ひぬ夫の墓 同 初詣光現れて良き日かな あけみ 注連飾父の車の隅に揺れ 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
閼伽桶の家紋色濃し寒に入る 多美女 養生の大樹潤す寒の雨 百合子 勤行の稚の真似事初笑ひ 幸風 いつもならスルーすること初笑 秋尚 臘梅に鼻近づけてとしあつ師 三無 寒椿堂裏の闇明るうす 多美女 多摩堤地蔵三体春立ちぬ 教子 均しある土の膨らみ春隣 百合子 掃初の黒御影拭き年尾句碑 文英 悴んで顔を小さく洗ひけり 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 ���月句会 坊城俊樹選 特選句
飛石を跳ね蝋梅の香に酔うて 炳子 木道の先の四阿雪女郎 幸風 その奥に紅梅の蕊凜として ます江 黒き羽根なほ黒々と寒鴉 貴薫 不器用に解けてゆきぬ寒椿 千種 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 同 谷あひに弥生の名残り水仙花 炳子 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 木道まで香り乱れて野水仙 芙佐子 寒禽の群を拒まぬ一樹かな 久子
栗林圭魚選 特選句
山間の埋れ火のごと福寿草 斉 空昏く寒林よぎる鳥の影 芙佐子 厚き雲突き上ぐ白き冬木の芽 秋尚 福寿草労り合ひて睦み合ひ 三無 そのかみの住居跡とや蝶凍つる 炳子 水仙の香を乱しつつ通り抜け 白陶 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 千種 竹林の潤み初めたる小正月 要 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 せせらぎのどこか寂しげ寒の水 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
若きより板に付きたる懐手 雪 北窓を塞ぎさながら蟄居の間 同 昨夜の酔ひ少し残るや初鏡 かづを 九頭竜や寒晴の綺羅流しゆく 同 除夜の鐘八つ目を確と拝し撞く 玲子 初明り心の闇を照らされし 同 一点の客観写生冬の句座 さよ子 翳す手に歴史を語る古火鉢 同 笑つても泣いても卒寿初鏡 清女 餅花の一枝華やぐ奥座敷 千代子 年賀状手描の墨の匂ひたつ 真喜栄 若水を汲むほどに増す顔のしわ 同 裸木村は大きな家ばかり 世詩明 春炬燵むかし昔しの恋敵 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
水仙や悲恋の話知りしより 啓子 堂裏の菰に守られ寒牡丹 泰俊 餅花やなにやらうれしその揺れも 令子 左義長の遥けし炎眼裏に 淳子 寅さんを追つて蛾次郎逝きし冬 清女 飾り焚く顔てらてらの氏子衆 希子 御慶のぶ一人一人に畏みて 和子 眉を一寸引きたるのみの初鏡 雪 初髪をぶつきら棒に結ぶ女 同 束の間の雪夜の恋に雪女 同 マスクして睫毛に化粧する女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月20日 さきたま花鳥句会
凍星や夜行列車の窓あかり 月惑 葉牡丹や鋳物の町の鉄の鉢 一馬 どら猫のメタボ笑ふか嫁が君 八草 小米雪運河の小船音もなく 裕章 老木に力瘤あり春隣 紀花 竜神の供物三個の寒卵 ふゆ子 医学書で探す病名寒燈下 とし江 おごそかに雅���流るる初詣 ふじ穂 人のなき峡の華やぐ柿すだれ 康子 小正月気の向くままの古本屋 恵美子 寒梅や万葉がなのやうに散り 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
福引の種考へてゐるところ 雪 枯れ行くは枯れ行く庭の景として 同 懐手して身も蓋も無き話 同 思ひ遣り言葉に出さぬ懐手 昭上嶋子 言ひかねてただ白息を吐くばかり 同 きさらぎや花屋はどこも濡れてをり 同 父の碑を七十余抱き山眠る 一涓 藪入りを明日に富山の薬売り 同 人日や名酒の瓶を詫びて捨つ 同 一陣の風に風花逃げ廻る 世詩明 安座して児の母となる毛糸編む 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月22日 月例会 坊城俊樹選 特選句
舞ひ上がる金子銀子や落葉掻 千種 春近し湯気立つやうな土竜塚 昌文 寒林や父子のだるまさんころんだ 慶月 紅梅のどこより早く憲兵碑 同 冬帝に囲まれてゐる小さき者 いづみ 出征を見送る母子像の冷え 昌文 青銅となりて偉人は寒天に 千種 火の雨を知る大寒の展示館 いづみ
岡田順子選 特選句
狛犬の阿形の息を白しとも 俊樹 勾玉のほどけ巴に冬の鯉 千種 ただ黒し桜ばかりの寒林は 同 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 石に苔泥に苔あり日脚伸ぶ 和子 息白く母子像見てひとりきり 俊樹 寒林の一木たるを旨とせり 晶文
栗林圭魚選 特選句
冬の雲弛びそめたり大鳥居 要 朽木より梅百蕾の薄明り 昌文 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 能舞台脇座に現るる三十三才 幸風 日向ぼこして魂は五間先 俊樹 霜柱崩れ鳥居の崩れざる 同 青銅となりて偉人は寒天に 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
大枯野太古は大海だつたかも ひとみ 初景色常の神木よそよそし 美穂 椰子の実のほろほろ落ちて神の留守 孝子 緋あけ色の空へ音ひき初電車 美穂 嫁が君大黒様の手紙持ち ひとみ おんちよろちよろと声明や嫁が君 睦古賀子 歌留多取対戦するは恋敵 睦吉田子 水仙はシルクロードの香を含み ひとみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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心の旅~その44
娘が九州旅行に行き、「宮城と植生が全然違っていてびっくりした」と写真を見せてくれました。
確かに!日本は縦長の国なんだなあ、とあらためて思いました。
その他にも写真を見せてくれました。こちらは宮崎県の「高千穂峡」だそうです。舟下り、いいですねえ。
そして��ちらは雲仙の「地獄めぐり」の中の一枚だそうです。
ああ、写真を見ているとどこかへ旅したくなりますね。
行くとしたら、どうしても行ってみたい場所がいいですよね。今はパッと浮かばないけれど、もしそんな場所が出てきたら悔いのないように訪れたいと思います。
それまでは、こうして旅の話を聞いたり写真を見たりして「心の旅」を楽しもうと思います。春休み、みなさんはどこか旅をされたでしょうか・・・
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建築探訪 淡路島編
思いがけず古墳!からスタートな兵庫2日目の朝。
五色塚古墳。兵庫県下最大の前方後円墳だそうです。
淡路島と明石海峡大橋をのぞむ絶好のロケーション。
観音屋のデンマークチーズケーキを食べて
明石海峡大橋を渡る。
まずは本福寺水御堂。
安藤忠雄設計、1993年の竣工。蓮の池から地下に潜っていく写真を見ては、いつか行ってみたいと思いながら、30年も経過していたことにも驚きました。
階段をおりきった入り口。打ち放しのコンクリート壁に細い光のライン、模様かと思うような絶妙な位置に落ちていた。帰りには光のラインが移動していて、ほんの一瞬の美しいタイミング。
朱色の空間の美しいこと。
本殿は撮影禁止でしたが、本殿の内部の格子と、この外の廊下の格子が重なった時、光の加減で内側の格子が黒く見える不思議。光と影が美しかった。
お昼にサワラを食し、
伊弉諾(いざなぎ)神宮へ。
日本神話「国生み」に登場する二神イザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る日本最古の神社。2神が天之瓊矛(あめのぬぼこ)を授かり、引き上げた矛先から滴り落ちた塩の雫がオノゴロ島となったという国生みの神話。2人は夫婦となり、次々と日本列島を作った最初の島が淡路島だそう。
昨年登った鹿児島高千穂峰の天の逆鉾の話に似てる?と思ったら同じお話でした。
そんなわけで夫婦円満の聖地とよばれるこの神社。夫婦大楠の前での模範的な友人家族。夫婦と、写真を撮る娘。
このあと、淡路島の南端、南あわじまで車を走らせてくれた友。行きたかった場所にたどり着きました。
四国まであと一歩、鳴門海峡を見渡す場所に建つ、戦没学徒記念 若人の広場。丹下健三設計、1967年竣工。
まず見えてくるのが石積みの建物、戦没学徒記念館。
入り口を通り越して
塔が見える。
太平洋戦争で戦没した全国約20万人の学徒ら若者を慰霊する高さ25Mの祈念塔。
HPシェルの曲線。力強くてかっこいい。
塔の側からは、地面に埋まるように低い入り口が。
内部。石積みの上にヴォールト屋根が連続しています。
力強く美しかった。建築に目がいきがちですが、内部には、全国の戦没学徒の遺品などが展示されています。
来場者の減少により1994年に閉鎖されたのち、阪神・淡路大震災の被害もあり、約20年放置されていたといいます。2008年の日経のネット記事で「廃墟」と書かれていました。その後、南あわじ市が買い取り、2015年に都市公園として再整備されたとのこと。
こんな場所が無料で開放されているなんて。来られてよかった。
そして本州に戻りつつ、最後にあわじ夢舞台。
季節的に植物が少ないせいなのか、人が少ないせいなのか、ブルータルという感じでした。とにかくスケールが大きい。
本州に戻って焼肉を食べて、夜は温泉へ。
初めての淡路島、満喫した1日でした。建築もすばらしく、玉ねぎ関連みやげもしっかりゲット。兵庫最高です。
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2022.12 阿蘇山
たまに噴火する中岳火口
5泊6日で九州本土の百名山5座と、百名山ではないがもう1座の計6座を登ってくるという狂った計画。九州は遠いのでいっきに攻略できるのは金銭・時間面でありがたいところ。屋久島の宮之浦岳はすでに攻略しているので、今回の登山で九州地方の百名山はすべて攻略したことになる。最初の3日間は熊本空港でレンタカーを借り、豊後竹田を拠点に阿蘇・九重・祖母山に登る。その後新幹線で鹿児島へ向かってからは公共交通機関で韓国・高千穂峰・開聞岳を登り、鹿児島空港から羽田に帰る予定。
初日で早速阿蘇山に登るため、朝早い飛行機で羽田空港から熊本空港へ飛んだ。熊本空港1000着。少し早めのお昼ごはんだが、空港ターミナルにて熊本ラーメン。カップラーメンで食べたことはあるが、豚骨マー油細麺の典型的なやつ。熊本空港は熊本地震からの復興の象徴として新しいターミナルを建てている最中だった。建物は完成しているようで、オープンが3月からと聞いている。
空港でレンタカーを借り、約1時間で阿蘇山頂広場に到着。ここの駐車場はガラガラだった。というのも、有名な中岳火口はまだ先にあるため、観光客はみなそこまで車で行ってしまい、ここに駐車するのは登山者くらい。
【コースタイム】山頂広場(1210)→砂千里ヶ浜(1225)→南岳(1300)→中岳(1310)→高岳(1330-1345)→中岳(1400)→南岳(1410)→砂千里ヶ浜(1445)→火口西駅(1450-1500)→山頂広場(1515)
中岳火口への道。歩行者は無料だが車では通行料金800円がかかる。歩いて15分くらいの距離だし、そこまで車に頼るほどの距離でもない。
中岳火口の手前で登山口に入る。しばらくは平坦な道。
火星を思わせる光景。有毒ガスや火山灰などの過酷な環境のため、草木は一本も生えてない。このような地帯を火山荒原と呼ぶらしいが、特にこの一帯は砂千里ヶ浜という名前がついている。あとで上からも眺めることができるが、かなり広大な空間。足場は火山灰のため水はけが悪く、数日前の雨と思われるぬかるみもところどころに。
しばらく進んで砂千里ヶ浜を抜けると岩がゴツゴツした見上げるような傾斜となる。今まではほぼ平坦な荒原を歩いてきたが、ここから一気に高度を上げて稜線へと出る。ややキツイがそんなに長くはない。
ほとんど風が吹かず日差しがあるので登ってる最中は結構暑くなった。写真中央の灰色の部分が先程通過してきた砂千里ヶ浜。
麓の街も見えてきた。山肌は金色の草紅葉で綺麗。
途中、火山灰が何度も積もったことによってできた地層がみられる。
稜線上へ抜けると中岳火口が見える。ポッカリと開いた穴から絶えず蒸気を噴き出している様子はとてつもない地球のエネルギーを感じる。左端には中岳火口の駐車場で、あの周辺から火口付近を見学できるので帰りに寄ってきた。
稜線まで上がればあとはハイキングのようなもの。相変わらず荒涼としているが周囲に草も生えてきて、火口からこれだけ離れてようやく生物が生存できる環境になった模様。
なお隣の山(たぶん根子岳)は山頂がすごい形をしている。冠のようにギザギザした山頂の根子岳は遠くの街から眺めても一発で判別することができ、むしろ白い噴煙を上げるだけの阿蘇山よりも目立っていた。
まず左のコブの中岳を通り、右の高岳山頂へ向かう。
スタートから60分で中岳に到着。下は噴煙を上げる中岳火口と、活動はしていないがその他の火口も見える。高岳は火口から遠のいてしまうので、この中岳の方が火口はよく見える。といっても底までは見えないが。
そして最後に高岳へ。標高差は100mくらいか?傾斜は緩く登りやすい道。
山頂直下はご覧の通り岩の上を歩くため明確な道はなく、マーカーを頼りに進んでいく。登る際は上へ向かえばよいので必ずしも従う必要はないが、下山時には方向がわからなくなりがちなので重要。
登山開始から80分で高岳に到着。中央に中岳と、その先に中岳火口からの噴煙が見える。
仙酔峡ルート。あちらは昔ロープウェイが通っていたとのことで、コンクリートの支柱や山頂駅があったと思われる広場が残っている。登山ルートとしては今も使用でき、高岳で合流する。
たぶん祖母山。明後日登る予定。なお天気が悪く山頂からの景色ゼロだった。それでも今回の6日間の旅の中では唯一の悪天候で、逆に恵まれていたほう。
また山頂からの景色として注目すべきは、山頂周辺の岩がゴロゴロした平らな荒原。おそらくここも昔は火口だったと思われ、噴火の際か時間をかけてかわからないが埋没したみたい。
山頂の火口を目の前に、空港で買ったまんじゅうを食べて休憩。塩味が薄く効いた甘さ控えめで、中に栗が入っていた。皮は九州ならではの紫芋を練った生地で紫色をしている。
陽気でも吐く息が白くなるほど気温は低く(5℃くらい?)、また山頂では風も少し強くてだいぶ寒く感じる。15分くらい休憩して下山する。
阿蘇山がすごいのは、どこを歩いてどこを見渡しても、景色にものすごく迫力があるところ。地形を変えてしまうほど破壊的な火山活動で崩壊した山体や、気が遠くなるほど長い年月をかけて積み重なった地層、草木も生えない空間などなど・・・。今まで火山はいくつか登ったが(富士山・浅間山・雌阿寒岳など)、ここまで地球のエネルギーを肌で感じるのは間違いなくここ!!
下降点まできた。ここから火山荒原までいっきに下る。
ここの下りに30分くらい。ザレているので慎重に下った。
あとは砂千里ヶ浜を通過するだけ。ちゃんとした登山道ではないが、下の方も歩くこともできる。どうやら撮影をやっているらしく、中国語が聞こえてきたので海外のカメラらしい。そりゃ、こんなところ地球上にいくつもない。
山頂から1時間半で登山口に到着。その後は中岳火口の見学へ向かう。周辺にはまるで戦場のトーチカのような避難壕がいくつも建っており、それだけで異様な空間を醸し出している。阿蘇山はたまにマジで噴火するからなあ。
その日の火山活動や風向きによって見学が制限されるが、この日は中岳火口を近くから見ることができた。ゴーッと音を立てて大量の蒸気を上げ、噴気孔は完全に隠されてみることができない。
先程登ってきた中岳(右のコブ)と高岳(左のコブ)
避難壕の中。密閉されておらず開放系なため火山ガスは防ぐことはできないが、噴石からは素早く避難することができるようになっている。ヘルメットも準備されている。
中岳火口の駐車場からは有料道路を歩いて山上広場の駐車場へ戻る。
車で本日の宿がある豊後竹田(ぶんごたけた)まで約1時間。竹田丸福という地元では有名な鶏唐揚やさんで夕食。唐揚げ定食+鶏もも肉の唐揚げ1枚(すごくデカい)。これでだいたい1000円くらい。
阿蘇山はとにかくエネルギーがすごかった。登山でき自然と触れ合える(?)火山としては間違いなく日本一だと思う。火の神様はたしかに九州に御わすというのは大袈裟な話ではないことを実感できる山だった。
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