#駒形神社
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noritama0301 · 2 years ago
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駒形神社@群馬
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shinyaikuta · 2 years ago
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仕事始め。 初詣は氏神様へ。 #仕事始め #初詣 #氏神様 #浜松市 #駒形神社 #愛 #平和 #躍動 #魔法の言葉 #ありがとう (at Hamamatsu-shi, Shizuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/Cm-ihdAvZ7B/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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774 · 2 months ago
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「浅草」と呼ばれる地域について考えてみましょう。曳舟(墨田区)にお住まいの方、南千住(荒川区)にお住まいの方で、自分の住まいを「浅草」と表現する人に出会ったことがあります。どこまでを浅草と呼ぶかは、それぞれの主観によるでしょう。 観光客の方が感じる「浅草」は、町名表記でいうと浅草寺周辺の「浅草」あたりではないでしょうか。雷門の前の道を渡ったところにある「雷門」、有名なベーカリーのペリカンやバンダイ本社のある「寿」や「駒形」。また、隅田川沿いの「花川戸」、合羽橋道具街のある「西浅草」などを思い浮かべると思います。 浅草駅を最寄り駅として利用する方が住んでいる町名には、今戸神社で有名な「今戸」、吉原周辺の「千束」などがあります。
東京の下町「浅草」の住みやすさはどう? 在住15年、リアルな住み心地を紹介|暮らし方から物件探し
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nyantria · 6 months ago
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「米国経済は破綻し今まさに不況に突入しようとしている」「これからスタグフレーションが起きる」元ブラック・ロック、エドワード・ダウド氏【インタビュー】——「バイデン、クラウス・シュワブなどの悪役がお払い箱になり美男美女の『救世主』が現れる時は要注意」
エドワード・ダウド氏が、先週、人気ネット番組InfoWarsのライブ配信に出演し、今起きている経済的、社会的な変革について自論を語った。ダウド氏は、全米の主要生命保険会社が集めたデータを分析し、高齢者や病人を含む一般的な人口よりも健康的であるはずの労働人口の間で、より多くの超過死亡が起きていることを告発して一躍有名となった。ダウド氏は、世界最大の資産運用会社ブラックロック・グループで株式ポートフォリオ・マネジャーを10年間務めた経験を持つ。
昨年8月にエドワード・ダウド氏へ行われたインタビューは、ここで紹介した。
先週行われたインタビュー部分を切り抜い��番組動画(以下)は、1月18日(水曜)に公開されている。
▼ なぜ今、「情報解禁」になったのか?
ジョーンズ司会者:・・・今、ダムは完全に決壊しました・・・しかし、彼ら(ダボス会議に集まるグローバリストたち)は絶対に諦めません。そこで疑問となるのは、「彼らは次に何をするつもりだろうか?」ということです。エドワード・ダウドさん、私たちが今置かれた状況についてアップデート情報を伝えていただけますか?これは主流メディアですら報じたことですが、ダボス会議には招待された半分が出席しなかったそうです。ジョージ・ソロスや、ビル・ゲイツなどです。これが意味することは何なのでしょうか?
明らかに主導権を握っているのは彼らではありません。彼らは腹話術ショーで物を言わされている代弁者にしかすぎません。ボスは他にいて、彼らはその単なる操り人形であり、アバターです。これから、彼らは何をするつもりなのでしょうか?・・・彼らは次に何をしでかすつもりでしょうか?・・・時代を先取りした思考を行うエドワード・ダウドに聞いてみましょう。
ダウド氏:・・・あなたがイントロでおっしゃったように、ダムは決壊しかかっているように見えます。私は6月にツイッターによってバン(利用禁止)されていましたが、今は戻ることができています。私はオーブリー・マーカスのYouTube番組(タイトル:「Why Are Healthy People Dying Suddenly Since 2021? w/ Ed Dowd(訳:なぜ健康な人たちが2021年以降、突然死しているのか?withエド・ダウド)」)に出演したのですが、その動画は口コミで広がっています。5日間ですでに100万回の再生数を記録しています。YouTubeに何が起こったのか、私は興味があります。以前であれば、彼らはこの種の動画を削除していました。
このような情報は、公開するのが許可され始めたように見えます。こうした情報がなぜ公開されるようになったのか、私たちは疑問に思う必要があります・・・突然、私の書籍(「“Cause Unknown”: The Epidemic of Sudden Deaths in 2021 & 2022 (訳:『原因不明』:2021年&2022年における突然死の蔓延)」)が飛ぶように売れ、私と話がしたいという人々から問い合わせがあり、2月に私は(FOXニュースの)タッカー・カールソンの番組に出演する予定です。なぜ今なのか?と自問する必要があります。なぜダムは決壊しかかっているのか?と。
その理由の一つは、あまりに多くの死亡者数と健康障害が報告されているからだと思います。また、これから多くの人間が尻尾切りに遭い、お払い箱になる予定だからだと思います。私が以前、あなたの番組に出演したときに話したように、人々が本当は何が起こったのかに気がついた後、それに続いて起こるであろう混沌(カオス)に、私たちは注意しないといけません。
ジョーンズ司会者:1年半前、あなたは「来年ダムは決壊するだろう。そしてマーケットは下落するだろう」と話していました。まさに今、私たちはそこにたどり着きました。
ダウド氏:ようやく到着です。これは私の憶測ですが、グローバル政府を倒す一つの方法は、彼らの信用を失墜させることです。彼らは人々を死に追いやり、障害を負わせるワクチンをもたらしました。ですので、このことを主導していたと思われる操り人形師(黒幕)をお払い箱にするのです。それはクラウス・シュワブや、ジェームス・ボンドに登場する悪役、悪のパロディーのような人間たちのことです。そして人々は勝利を宣言する。
▼ 2023年上半期に深刻な不況へ突入
ダウド氏:しかし、経済はあまりに破綻しています。話がそれますが、私たちは今まさに不況に突入しようとしています。第1四半期(1月~3月期)、第2四半期(4月~6月期)は厳しい不況です。株式市場もそれに追随するでしょう。今はまだ下げ止まりを待っている段階です。あらゆる種類の経済的理由による解雇が行われるでしょう。また、多くのモノ不足が起きるでしょう。引き続きエネルギー不足が続くでしょう。そしていずれ彼らは、チャイナと台湾との間で戦争を起こすのではないかと私は疑っています。
しかし「なぜ今なのか?」と自問する必要があります。なぜ、今、私たちは(不都合な真実を)話すことが許されるようになったのか?そしてそれが公に広まるようになったのか?私は「バン」されていたのが、突然、口コミで広がるバイラル動画になったことに私は疑念を抱いています。YouTubeはこの手の動画を厳しく制限していました。それなのに今ではそれを行っていません。なので、こうした情報が公に広まるようになっていることについて私は疑ってかかっています。「私は、このこと(ワクチンによる被害)を暴露することで、知らず知らずのうちに混沌(カオス)を引き起こす代理人に仕立て上げられているのだろうか?」と。
ジョーンズ司会者:だから私はあなたのことが気に入っているのです。あなたは非常に頭がいい・・・彼らは、今、バイデンをお払い箱にしようとしています・・・そんな中、なぜ突然(真実を暴露しようとする人たちの)アカウントが次々と回復しているのでしょうか?左翼の精神的シンボルになっている私は例外ですが。諜報機関が私たちの側を乗っ取ってしまったのでしょうか?それとも、これはより大きな計画の一部なのでしょうか?
▼ 悪役たちも「捨て駒」ーー本当の頭脳戦は他にある
ジョーンズ司会者:そして彼らがウイルスをばら撒くより2年前の『SPARS文書』を読ん��みると、どのように政府の信用を破壊し、そしてグローバリストが『救世主』として興隆するかが説明されています。ただし(今回の計画の)例外は、政府に非難の矛先が向かうのではなく、操り人形たち、ダボス会議の人間たちに非難の矛先が向かうということです。バイデンやダボス会議のニュースを見ているとそれがわかります。
私はクラウス・シュワブや他の人間たちのボディー・ランゲージを観察しています。彼らは、導火線に火がついたダイナマイトの山の上に座っているかのようにナーバスになっています。彼らは怯えているように見えます。彼らは逃げ隠れしようとしている・・・彼らは自信あるように自分たちを見せようとしていますが。私は彼らの恐怖が目に見えます。彼らは怯えています。初めて、彼らの傲慢さが消えました。彼らは、すでに「お前たちは吊し上げられる(秘密が公にされ罪が問われる)」と聞かされているのだ���思います。ここで鍵となるのは、これよりも上位で展開している「3次元チェス(頭脳戦)」とはどういったものなのか?ということで、それを議論しないといけません。
ダウド氏:繰り返し言うように、これは私の憶測にしかすぎませんが、もし私が悪魔的な天才だったとしたら・・・・クラウス・シュワブやユバル・ハラリ(*)、ファウチなどの“デュープス(利用されるバカ)”がいかに邪悪かを考えてみると気が遠くなります。彼らは極めて自信満々でした。しかし、彼らへの支援が急に打ち切りになり、足がすくわれた状態です。彼らはこれから吊るされる(秘密が公にされ罪が問われる)ことになります。そしてグローバル政府への信頼が失われることになります。いろいろな物が崩壊し、状況は悪化します。
(*歴史家であり未来学者。世界経済フォーラムのアドバイザー。21世紀の現代技術がある今、「我々はこれほど多くの人口はいらない」と発言している。)
私たちは、まだ見ぬ人間たちに注意する必要があります。美しく、ハンサムで、口のうまい、解決策を与えてくれる人たちが現れます。まだ世界的な舞台には登場していないかもしれないし、すでに登場している人たちかもしれません。彼らは、これからやってくる避けられない混沌(カオス)への解決策を与えるでしょう。こうした人たちが必ず現れるだろうということに私は賭けます。しかし、「解決策」を持って現れるような人たちを、みんなで注意して見張っていましょう。彼ら(世界経済フォーラム)は、「あなたは何も所有しないが幸せになる(You’ll own nothing and be happy)」、「昆虫を食べることになる」ということを売り込むために登場しました。実は彼らは「わら人形(身代わり)」なのかもしれません。そして他の人間が持ち出してくる「別の解決策」のほうがよっぽどましに見えるという状況が作り出される可能性があります。しかし、それ(ましな解決策)はまた別の奴隷制度でしかありません。
ジョーンズ司会者:全くおっしゃる通りです。彼らはヘーゲル弁証法の状況を生み出しています・・・全く対極にある2つの選択肢を用意し・・・一方では「昆虫を食べろ、下水を飲め。皆殺しにしてやる」と言い、そこに救世主が現れて、「いやいや、そんなことはしない。生活水準を40%切り詰めるだけだ。そして全員の行動は追跡されないといけない。しかし、少なくとも昆虫を強制的に食べさせるようなことはしない」と言うのです。
ダウド氏:その通り。それが「売り込み」をするときのやり方です。「私たちはジェームス・ボンドの悪役を倒した!」と思ったとしても、その悪役というのは「愚か者(利用されるバカ)」であり最初から操り人形でしかないということを理解していなかったからそう思うのです。
繰り返しますが、これは私の憶測です。もし私が新たな通貨制度(金融制度)を導入し、皆に受け入れられるグレート・リセットを実行したいと思ったなら、そうするだろうということです。
ジョーンズ司会者:あなたは多少、控えめで穏当な言い方に留めていますが、理解できます・・・100%明白です。こうしたソシオパス(社会病質者)や、ハリウッド・スターになりたいと憧れるクレイジーなナルシストたちを取り込み、明らかに彼らをヘーゲル弁証法のやり方に利用しています。彼らを「悪役警官」にし、それから「ヒーロー役の警官」を登場させるのです。ですが、「ヒーロー役の警官」が導こうとしている行き先こそが、彼らが本当に進めたい方向なのです。これは単純な話です・・・
彼らの手先・子分たちは「香ばしい」人たちで、確かに私たちをそそります(インタビュー中の画面に、昆虫を食べる女優ニコール・キッドマンなどセレブの動画が表示される)。ですが、彼らは人の心を巧みに操作しようとしているので私は大っ嫌いです。胸糞が悪くなる。彼らは火にくべられるべきだ。ですが、彼らはより大きな計画の一部でしかないということがわかります。
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ari0921 · 1 year ago
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
 前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入って��ました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄る危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在は“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解し��つ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが��マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞めざるを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超えるフランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっている」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」を確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含されると考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
���時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
がさらに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご苦労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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alaephoenicis · 2 years ago
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人類の『原初的在り方』を廃絶 - トランスヒューマニズム的アジェンダの目指すもの
ロビン・カイザー
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オリジナル動画:https://youtu.be/OW2mCF7fbpg
公開日:2023年3月5日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram へ:https://t.me/alaephoenicis
親愛なる皆さん、
今しがた、人間の本来の在り方(原初的イデア)を廃絶しようとする試みをリストにまとめてみました。
この原初的イデアについては、他の文脈でお話ししたことがありますが、それは人間としての本質、私たちの本来の神的存在の本質に相当するものです。
現在、この地球上では、さまざまな方法、さまざまな手段を以て、この人類独自の在り方を廃絶しようとする試みが行われています。
その意味で、このビデオは他のものとは多少異なります。なぜなら、私は重要なポイントを押さえたテキストをベースにしており、人類の原初的在り方を廃絶しようとする個々のポイントを皆さんと一緒に一歩一歩進んでいきたいと考えています。
要するに、トランスヒューマニストのアジェンダと、彼らが人類の原初的在り方、つまり人間を人間たらしめるものを組織的に廃絶させようとしている個々のポイントを明確に把握することで、あなたはいつものように自分自身に注意を払い、何に共鳴するか、しないかを確認することができます。
1. 性別の廃止、第三の性別「divers (多様)」の導入。
お気づきの方もいらっしゃるでしょう。近頃、男性・女性だけでなく、divers(多様)、あるいは他の中性的な性的立ち位置(ジェンダーポジション)がチェックシートに追加されるようになりました。
そして、この混在と中立的なジェンダーポジションは、本来の人間的な在り方を廃絶しようとする一環です。なぜなら、私たちは中性のハイブリッド的存在ではないからです。
2. 人類の生殖能力への攻撃
ジェンダーカルトは人類の生殖能力へ組織的な攻撃が行われていることと密接に関係しています。とりわけ、女性の生殖能力ですが、男性の生殖能力も、さまざまな薬物や、遺伝子操作された食品を通して攻撃されています。人類は次の世代でますます不���になることが予想されており、すでに提示されている解決策は、試験管ベビー、あるいは人工子宮です。
「私の子は目の色と髪の色と、こうした知能指数を備えているべきだ」と正確に構成し、それに応じた遺伝子を組み合わせて人工的に遺伝的に最適化された赤ちゃんを人工子宮で育てることができるのです。
それが、向かっている方向です。それが、トランスジェンダー・カルトが、介入や 遺伝子への出生前介入などを通じて、すでに今日、私たちに提供していることなのです。
そして、いつしかそれは我々の前にこのように提示されることになるのです: 「人類はますます不妊になり、自然な出産の過程でますます多くの遺伝的欠陥が発生しているのだから、試験管の中で子供を繁殖させる方がずっと安全で、ずっと良く、ずっと最適なのだ。」
これはトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なキーとなるものです。
3. 家族の廃絶
項目2に並んで、家族の廃絶も非常に重要なポイントです。
子どもたちの養育は国家が完全に把握することになり、家族の絆、家族の結束、さらには文化の結束は解体され、普遍化されます。
教育システムを持つ国家が子どもたちの教育の役割を担うので、そういう意味での親や親の役割は、将来的には実はもう必要なくなるのです。
これもトランスフォーマニストのアジェンダの中で非常に重要なポイントです。
4. 国や文化の撤廃
この惑星、地球では地域を超えた規模で国や文化が撤廃されていっています。私たちはすでに、もはや国というものが存在しなくなってきているのを目の当たりにしており、個々の協同組合、個々の企業、個々の会社が、国や国の背後にある政治を完全に支配しています。つまり、デジタル権力複合体、企業複合体が存在し、その複合体は実際には国々を駒としてしか見ていません。その良い例が、現在ヨーロッパで起きていることです。
これが、トランスヒューマニストのアジェンダのもう一つのポイントですが、我々は「人類の原初的在り方とは何か」ということを常に心に抱いていてもいいはずです。本来のデザインにおける人間とはいったい何なのか?
そして今、人間の行動や特性をすべて体系的に廃絶して、この地球上で何が起きているのでしょうか?
そして、単一の世界政府によって、異なる国家や政府を撤廃すること、それが目標です。
単一世界秩序は何度も繰り返し述べられてきました。
私たちはこの方向へ高速で進んでいます。個々の国家や政府は全く発言することができず、影の政府、背景の政府が、チェス盤の上にこれらすべての個々の国を位置づけ、善悪の闘いのような幻想を私たちに見せているのです。
5. 各国通貨の廃止とデジタル管理された中央銀行貨幣の導入
このことについては、すでに他の人が詳しく扱っており、私は個人的には専門家ではありませんが、注意してください。ある時点から現金がなくなり、その後、通貨システムとして到来するものは、人間自身の自由の廃止を本当に意味するからです。
6. 異なる言語の廃止
異なる言語が廃止されることで、私たちの文化の言語的記憶も失われます。たとえば、ドイツ語圏でドイツ語を使わなくなり、すべてがアングラ化された形で別の文化圏に移されたとしたら、ある時点から私たちは自分たちの文化を覚えていられなくなることでしょう。
そして、トランスヒューマニズムのアジェンダが目指しているのは、最終的に英語が世界語になることです。そして、もはや異なる言語は存在せず、全世界がどこでも英語を話すようになるということです。
よく分類され、統計的に規格化された標準語が、全世界に浸透していくのです。
7. 自己の思考の廃絶
次のポイントは、非常に明白なことですが、自分自身の思考の廃止です。これは特に、学校制度や教育制度を見ているとよくわかります。私たちはいつも、廃止されたものの代用品、つまり人工的な代用品を手に入れます。人間の自然な生活の一部は常に廃止されていき、その代わりに人工的なものを手に入れるのです。そして、誰かがすでに考えたことを最もうまくオウム返しできる人たちが、最もよい成績をとるという、一般的な教育システムです。
それは、独立した思考、何よりも創造的な思考の廃止なのです。
8.人間の感情の廃絶
これは、私個人にとっても非常に心を揺さぶられるので、どうかよく見てほしい、と思う点です。すなわち、人間の感情の廃絶です。
街角で人々に目を向けてみてください。彼らにどれだけ感情を表すことが出来ているでしょうか?彼らのエネルギーや感情体はどれだけ共鳴出来ているでしょうか?
心理学は、正常な範囲から逸脱したものをすべて病的なものとして提示する役割を担っています。
そして、おそらくトランスヒューマニズムの道を歩む人類は、ある時点で感情というものが心理的な疾患とみなされ、もし感情を示す人がいれば、即効で心理学者や精神科医のもとに送られることになるのでしょう。
これが、輝かしいトランスヒューマニズムの新世界です。
9. 原初的な天然遺伝学の廃絶
このことは、他の場所での文脈の中で既に沢山お話してきました。
遺伝子プログラムには、私たちをハイブリッド化(雑種化)し、人間型機械生物に近づけるとされるものがあります。私たちは、遺伝子レベルで、このトランスヒューマンなハイブリッド化を世界的に経験したところです。
注射によって私たちの体に入れられるはずのものが、ハイブリッド化の前段階であり、人間の遺伝子をデジタル化するものです。
それは、異なる遺伝子配列の混合ですが、例えば注射だけではなく、私たちの食品によってもなされています。
したがって、例えば昆虫など、自然界において人が食べないような食材を食べるようになったとしたら、それは実は、ある特定の遺伝子プログラムの入った食材が人に押し付けられている、ということなのです。
つまり、人間がこの食品、遺伝子操作された食品、あるいは自然の食事には登場しない食品を食べると、特定の遺伝子配列が自分のゲノムをハッキングして、最終的に人間をますます非人間的にし、遺伝子プログラムのレベルで書き換えてしまうということです。
これに関連して、自然生態系の大切な動植物種の絶滅も重要な問題です。私たちは今、種の絶滅という巨大な事態に直面しています。かつてはとても���くの動物がいましたが、今では簡単に絶滅の危機に瀕しています。それは、これらの動物が存在しなくなれば、人間もいつかは存在しなくなるという事実にも関係してきます。
10. 自然治癒法の廃絶
それは何に置き換えられるのでしょうか?もちろん、製薬会社による集権化によってです。
私たちの自然治癒の知識。当時はまだどの薬草が何に効くか知っていた女性たち、当時はまだ自然で癒していた女性たち、これら全ては人類の集合意識から懸命に追放されようとしていて、単に人工の錠剤を処方すればいいだけ、ということにされてきていますが、これは結局は依存度を高め、更に病気にならせていきます。
皆さんもお気づきのように、このリストはまだまだ続きます。しかし、皆さんがこのリスト���読み進めるのに、私も付き合います。
感情的にもエネルギー的にも、それは楽なことではありません。
しかし、このようなことに目を向けることは重要です。なぜなら、人間の根源的な性質に対し、今まさに正面攻撃が行われているからで、我々は人類として立ち上がり、人類の価値観に立ち返り、トランスヒューマン主義のアジェンダには追従しない、と言うことができます。
とても重要なことです。
11. 天然食材の廃絶
これについては先程すでに少し触れましたが、何よりも、そして非常に核心的なこととして、現在非常に多くの食品が認可されており、ますます多くの遺伝子操作された食品が私たちの食卓に並ぶようになってきています。
遺伝子操作された食品には、人間が食べるとDNAに影響を及ぼす遺伝子配列が導入される可能性があり、その結果、自身のRNA/DNA複製が阻害されることになります。そしてこの食品は、あまり健康に良くないだけでなく、私たちの元来の遺伝子を変えてしまうのです。
数世代後になって、私たちが食べたものが人間の本質、特に人間のエネルギーシステムを変えてしまったことに気づくかもしれません。
12. 異なる宗教の廃止
さて、これはまだ先の話かもしれませんが、この世界のある時点で、一つの世界宗教が確立されるだろうということを、私は感じ取っています。
いつの日か、多様な宗教はもはや存在しなくなり、一種の現代的な救世主カルトが発足し、導入され��という兆候がたくさんあります。
そのようなシナリオがどのように構築さ れるのかは非常に様々ですが、恐らく人類の領域がどんどん不安定になり、人々が最も助けを求めて叫び、宇宙に向かって、なぜ誰も助けてくれないのだ、と言うようなことが起こるのでしょう。
そして、ある時、何かがこの世界に現れ、こう言うのです:我々があなたを救います。我々がすべての解決策を提供します。ここにサインするだけで 新しいテクノロジーを提供し すべての問題の解決策を提供します テクノロジーによって永遠に生きる方法や ほとんど永遠に生きる方法を教えます。
そうして、ある日、この計画の場に、偽の救世主が現れるかもしれません。
そして、この偽救世主は統一宗教を形成しようとするでしょう。
今日、盲目のキリスト教徒、あるいは盲目のイスラム教徒で、宗教的な聖典を信じている人々はこれが救いだと思い、トランスヒューマニズムのアジェンダに盲目的に突っ走ることになるでしょう。
このテーマについては、もっと語るべきことがたくさんあるので、別のコンテキストで、この世界中の宗教制度が繰り広げる巨大な再編成の異なる経過をもっと詳しく観察していくつもりです。
13. 直感的理性と自然な倫理規定の廃絶
普段、私たちは絶対的な直感力のある生き物で、何が正しくて何が間違っているのかを正確に知っています。二元的なレベルでは、です。
当然、より高いレベルではそのようなものは存在していません。
しかし、このレベルにおいては、理性と道徳と道徳と倫理のようなものが存在します。
そして、それは今日では一体、どこにあるのでしょうか?
誰がまだその言葉を守っていますか?
自然な倫理観のようなものがまだどこにあるのでしょうか。
人間の誠実さはどこにあるのでしょうか?
人としての尊厳はどこにあるのでしょうか?
それとも、近頃、どこかへ消えてしまっていませんか?
そしてもちろん、人間の内なる規範である尊厳が置き換えられています。
人間の内的理性は、人工的な司法制度、規則、規制、契約などに置き換えられてしまっているのです。
これらすべては、私たちが自然な理性のセンスを養えるようにするものではありません。
なぜなら、外の世界では、すでに司法制度がすべてを規制しているからです。
もちろん、人類のために、とのことです。
14. 個々人の個性表現の廃絶
非常に重要です。そしてこれは実は、トランスヒューマニズムの他のすべてのアジェンダポイントを含んでいます。
個々人の個性の廃絶:均一的人類、ハイブリッドな均一的人類が形成されることになります。そして、実際に人間というものを構成するすべての個性的な逸脱、すべての性質、すべての特徴は、ますます病理化さていきます。
ですから、学校で8時間椅子に座っていられず、そわそわしている子どもは、ADHDと診断されます。
昔では、こういう子供は天然の「落ち着きのない子」として扱われましたが、今日では病気とされ、錠剤で治療されるのです。
そして、人間としての自然な性質、私たち人間が単に感情という幅広いスペクトルの中で持っている自然な特性が、病気として呈示されるわけです。
これは人間に対する正面攻撃であり、異なった人格の廃絶、精神性に重点をおくことを廃するものです。
15. 道徳、そして自然な価値体系の廃絶
相変わらず、人工的な価値観が確立されています。私たちはもう長い間、この人工的な価値観に慣れきってしまい、もはや人工的な価値観であることを全然認識できなくなっています。
それはお金です。お金は、実は人間の本来の価値観を完全にひっくり返してしまい、自然の価値観があるところをことごとく切り下げてしまっています。
つまり、人間の価値、社会的な価値を、人工的なお金のシステムが切り下げてしまっているのです。
それは、例えば、社会システムで人々がどれだけ稼いでいるかでわかりますね。そして、人工的な価値は、お金の力によって人為的に再評価されます。例えば、デジタル金融複合体の中で人々がどれだけ稼いでいるかを見ればそれがわかります。
16. 自然のリズムとサイクルの廃絶
これは、この世界で、我々が人工的に時間と日付を決めていることと関係があります。
17. 人間の真の歴史の廃絶
私たちの歴史学の語り口に疑問を持つすべての歴史家は、口封じされることになります。
一般的な物語である歴史学を疑うすべての人々は、特に現在、歴史家として困難な時を過ごしています。そして、人工的な歴史学に置き換えられてしまう。なぜ歴史は常に、何らかの紛��の勝者によって書かれるのでしょうか。そして、勝者が歴史を書くからこそ、現在の支配者の視点から自分にとって都合の良い異なる時空の出来事や 前置きを組み合わせた人工的な歴史を振り返っているのです。
18. 本や図書館の廃絶
これは、私の個人的な心情にも深く関わってきます。
実際、ジョージ・オーウェルは正しかった。本の廃止は、トランスヒューマニズムのアジェンダの一部です。
電子書籍に置き換えることで、デジタル空間での知識はますます増え、物理的な物質空間での知識はますます減っていくのです。
そして、それは電子書籍に取って代わられ、デジタル空間ではますます多くの知識が増え、物理的な物質空間での知識はますます少なくなっていきます。
そして、そして、ある時点でデジタル空間にあるすべての知識が消えてしまう事態が、簡単に起こったりします。
そして、本がなくなれば、知識も記憶もなくなります。
ですから、本がどんどん廃止され、すべての知識、すべての情報がデジタル空間でのみ行われるようになれば、人々が何を知るべきか、何を知らないでいるべきかは、デジタルレベルでの情報の流れのコントロールによって完全に決定され、指示されるようになることが、いとも簡単に起こりうるのです。
だから 物理的な形をした本は、もはやそのようなものが存在しないかもしれない未来にとって、本当に貴重なものとなりうるのです。
これらの点すべてにおいて、もちろん、自由、そして何よりも人類の主体性を廃絶しようとする試みがなされているのです。
そして、実は長い間研究されてきた非常に新しいコンセプトとして、グローバリズムの都市、ここではスマートシティというキーワードが使われていますが、そこではすべてがデジタル化され、すべての生活プロセスが完全な依存システムの形でそこに構築されているだけで、人間はもはや自分の環境と自然な関係にありません。
スマートシティとは実際、コンピュータープログラムによって、人々にいつ、何を、どのように提示するのか、すべてを決定するものです。
どこで働くか、どのように通勤するか、そのすべてを決定します。
つまり、スマートシティというキーワードは、トランスヒューマニズムのアジェンダの中で重要な要素なのです。
ご覧のように、これは概要です。この概観は完全なものではありません。ただ、今流れてきたもの、今書き留めたもので、人類廃絶のいくつかの主要となるポイントを表していると感じるものです。
19. 人情、そして人間の心という真のクオリティの廃絶
これは本当に大きな大きな問題です。もちろん、感情ボディの廃絶とも関係があります。
心理学を少しかじった人なら、意識の中に特定の区画を作る方法を知っています。これは、できるだけ具体的かつ集中的にトラウマを植え付けることによって行われます。
それはかつて、例えば子育ての枠組みの中で、実際にある特定の文化に組み込まれていました。子供を育てるための一種のメカニズムとして、トラウマを導入するのです。例えば、殴ることを介して。この黒い教育法は世界的に適用されています。的を絞ったトラウマが人の意識領域で繰り返し演じられることによって、最終的に人間の意識は分裂し、とりわけ人間の感情ボディは分裂した状態にあることが確実となり、トラウマは精神の分裂をもたらすのです。
おそらく、ある時点から多重人格化が起こるのでしょうが、それはあくまで参考程度にとどめておきましょう。
ここで重要なのは、トラウマや心的外傷の状態が長引けば長引くほど、その人の本質的な部分が切り離されたままになってしまうということです。
そしてそれは、戦争��テロのような事態が何度も何度も起こされることで、感情的な存在、感じ取る存在、情動が、集団としての人の意識領域から切り離されようとしていることを、私たちは現在目撃しているのです。
20. ダーウィンのサバイバル・プログラム
これは、私たちに何らかの形で演じられている原理で、私たちは、皆が皆と争い、肘鉄を食らわせ合う社会で何とか自分の道を切り開かなければならず、1等賞だけがホールケーキを手に入れ、社会には単に対立があるだけという生活をしていますが、いったん本来の人生を眺めるようになると、起こっているすべてのことは共生的でお互いのためだとわかるのです。
21. 所有物の廃止
現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。現に、私たちはいずれ何も所有しなくなり、それを愛するようになると言われています。そこで、一種の超社会主義が登場するのです。
私は以前、ある時点で国も政府もなくなるとしたら、ある時点で、この一つの世界政府によって、グローバルな超社会主義製品が発表されるということを話しました。
人々は働く必要がなくなり、誰もがタダでお金を使えるようになります。このタダで使えるお金は、超社会主義のルールにできる限りおとなしく従っていれば、分配されます。
そうです、これは非常に大きな論点です。
社会主義システムを構築する試みは何度も繰り返されてきましたが、社会主義システムは資本主義システムの解決策にはならず、資本主義システムどころか、少なくとも更に自由が失われていきます。だからこのレベルでは、どうにも埒が明かないのです。
21. 人類の原初的在り方(イデア)の廃絶
これは、常に我々の念頭にあるものです。
[訳注:このテーマはロビンさんは別動画で説明。この後で翻訳を予定しています]
文化史的なおとぎ話や神話は廃絶されてきています。つまり、かつてキャンプファイヤーを囲んで語り合った物語は、とうの昔に忘れ去られてしまった。
人工的な代用品として、その代わりとして私たちが手にするのは、ますます平坦になっていくエンターテインメント産業です。かつて、私たちは互いに物語を語り、歌を歌い、おとぎ話を語り、文化的に非常に重要な要素を世代から世代へと受け継いできました。そこには、たくさんの知恵がありました。
ラジオやテレビ、インターネット文化など、エンターテインメント産業が完全に平坦化されているのです。
リストはあと、まだ1ページほどあります。
分かっています、中々濃い内容ですよね。消化しきれないこともあるでしょう。しかし、私たちはそれに向き合うことを許されています。
それがとても大切なことなのです。もし私たちが人類の原点に戻りたいのであれば、どこで、どのレベルで、どのような手段や方法を通して、この人類の原点である考えを廃絶しようと試みているのかを見つめれば良���のです。
22. 乗り物と移動形態の廃絶
私たちはまだガソリン車に乗り、自分でハンドルを握ることができますが、ある日、自動運転する電気自動車が登場するかもしれません。
もちろん、仕事場までの往復はしてくれますが、行くべきでない場所には…つまり、私たちが自由に移動できる距離��決まっているはずです。あるいは、ある一定の自由なキロメートル数があり、それが私たち人間に与えられている逃げ場となるのでしょう。
しかし、自動車や移動手段は私たちに一定の自由を与えてくれるものの、その範囲を超えるとある特定の方法で遠隔操作できるようになるため、もはや私たちの意向に従わなくなるのです。
23.天然素材の廃絶
今、あなたが着ている服を見てください。合成素材でできている可能性が比較的高いと思います。そして、合成素材、つまり人工的に作られた素材は、私たちの生活から天然素材をどんどん追い出していくはずです。合成物質がどんどん増えていく、巨大なプラスチック文化なのです。
私たちが肌にまとうものは、当然、肌から吸収されます。だから、私はここで呼びかけているのです。自分の持っている服がどれだけ化繊のものなのか、そして、天然素材の服を着て、定番のファッションから少し外れた方が人間らしいのではないか、と考えてみてください。
均一な人間のプロトタイプが形成さ れようとしていることを思い起こします。
ジーンズを履いているとか、ネクタイをしているとか……ね?あなたの頭の中には、あなたのイメージがあるはずです。
この一律なファッションから逸脱する自由を手に入れ、自分に許可してください。
人間という種の違い、多様性があるからこそ、人間としての人間らしさがあるのですが、全員が同じスーツに詰め込まれ、全員が同じような均一的なファッションを身につけると、いずれはロボットになってしまいます。
そして、それが今現在の私たちの姿なのです。
統一されたファッションは、実はエネルギー上の攻撃であり、私たちのエネルギーボディはそれを通して拡張することができません。
タイトなジーンズやタイトな服を着て、どうにかしてエネルギーボディを拡大しようと試みたことはありませんか?
かつて18世紀のファッションでは、大きな舞踏会用のガウンを着ていたそうです。そして、それらは人間のエネルギーシステムを支えていたのです。
しかし、現代では… 私たちの原初的な自然を表現することのない、合成繊維で作られた均一的なファッションとなっています。
24.美しい音楽の廃絶
自然な、調和のとれた、また本当に美しい音楽。これも、私の心に深く迫る問題です。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいました。
かつては、特にドイツ語圏には素晴らしい音楽家がいました。昔はベートーヴェンがいた。そして、これらの音楽を聴いてください。純粋に生き生きとしています。音楽には魂が宿っている。生きている、振動している、呼吸している。音楽の中に魂があるのです。昔の音楽です。古い音楽を聴いて、その音楽の中にある魂を感じてみてください。
そして、その対照的なプログラムとして、ラジオをつけます。そして、平坦にな音に耳を傾けてください。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。
例えば、ライブ会場のピッチは変わりました。すべての音楽は別の周波数になっています。そしてこの周波数は、人間の意識を拡大する役には立ちません。むしろその逆です。現在、私たちは、痛みを感じるほど平坦化された電子ポップスのラジオ音楽を聴いているのです。
しかし、魂は新しい音楽からだけでなく、すべての人間の領域における魂と同様に、トランスヒューマニストのアジェンダによってますます廃絶されようとしています。
25.雇用の廃絶
今、多くの人がこのことを気にしています。トランスヒューマニズムのアジェンダにある他の点は全く気付かれていないのです。なぜなら、突然、自分の口座に給料明細が入らなくなったとき、人々は初めて目を覚ますからです。
つまり、雇用の廃止はもちろん、ロボットや人工プログラム、人工知能に取って代わられるのです。
もう働かず、家のソファに座って市民手当をもらい、一日中エンターテイメント業界を見ている人…そう、彼はすでに、創造的で自立した考えを持たず、何も感じず、自分の魂と接触していない、トランスハイブリッドなユニット型人間にかなり近い状態になっています。
その中で、中産階級、中堅家業の大規模な廃止が起こっています。
ということは、ある時点で、中産階級や家族経営、伝統的なビジネス、そのすべてが廃止されます。特に農業の廃止は、単に権力��集中させ、ビジネスを集中させ、最終的に中産階級を破壊しようとする組織的なものとなります。
私は常にトランスヒューマニズムのタイムラインの可能性について話しています。それがすべて実現するとは言っていません。これは、非常に重要な違いです。
そして、狙いは二階級カースト社会をつくることです。
支配カーストと労働カースト。中産階級を破壊することが目的。二 階層カースト制。
そしてもちろん、人類の大部分は労働カーストに属することになります。そして、支配カーストには少数のエリートがおさまるのです。
26.自然の天候や 気候の廃絶
これも重要な要素で、おそらくまだ集合的な認知領域に到っていないのでしょうが……。
気象操作や気候統計の操作による、自然気象の撤廃、自然気候の撤廃は、今日、私たちの天気に注目してみると非常に重要な部分です。
よく観察してもらえれば、驚くほど異常に暖かくなったりしたかと思うと、また天気が崩れたり、自然のリズムが失われていることに気づくはずです。
これは、HAARPやその他の気象操作システムのような、技術的手段によって、非常に焦点を絞った方法で天候を指示・制御することができる大規模な設備と関係があります。このことは、後の出来事に関して、絶対に留意しておかなければならないことです。なぜなら、トランスヒューマニズムのアジェンダが計画する、後の出来事において、天候が大きな役割を果たすことになるからです。
なぜなら、彼らは実際に天候を… 武器のように利用するからです。
天候を操作することで、ある種の戦争を仕掛けるようなものです。
例えば、地震が起きて、突然、気温が非常に低くなった場合、例えば、生き残る人が少なくなる可能性が高くなるのです。これは詳細を省いた一例です。
しかし、忘れてはならないのは、テクノロジーが発達して、気象操作が当たり前になったということです。これは1950年代から行われていることで、今では雨が降る場所と太陽が照る場所をかなり正確にコントロールできるまでに完成されています。
難題かもしれませんし、咀嚼するのも難しいでしょう。
でも、そうなんです。
皆さんも自分で調べてみてください。私が挙げたこれらの点すべてについて。インターネット上には、それらの情報があふれています。私たちはただ、自分たちに情報を与え、それに応じて、人間の原初的な考えを再び思い出せばいいのです。
27.自然光の廃絶
非常に重要。これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。
これは人間の意識の振動能力に対する中心的な攻撃です。ほぼLEDだけで、ナチュラルな生活光を持たないことで、私たち��実は何世代にもわたって遺伝的に変容しているのです。
私は個人的にお勧めします。昔の電球を復活させてください。
んな理由であれ、何かが法律で禁止されるときは、常に意識を向けるようにすることです。
従来の電球が不経済という理由で市場から駆逐される、禁止される、と聞いたとき、私は意識を向けることになりました。
それは、私たちがますます人工的な光の下で暮らすべきということと関係しています。
単純に自然の光源、例えば太陽は当然ながら放射力が全く異なり、全色スペクトルで放射しているのに対し、LEDは非常に狭い周波数スペクトルの光を放射しているのです。
そして文字通り、私たち光の存在です。
もし、私たちが常にLEDの下で生活し、仕事をし、LEDのプラットフォームやスクリーンの前に座っていれば、私たちはそれに応じて変化していくでしょう。なぜなら、それはすべて体細胞レベル、遺伝子レベルに影響を与えるからです。
28.文化特有の祭事や祝儀の廃絶
これはあまり注目されていない重要な点です。
私たちはいつの間にか、この世界にふさわしい祝儀の仕方を忘れてしまいました。
文化によっては、まだそうしたことが行われています。しかし、世界中のすべての人々が、ある特定の時期に特定の祭日を設けるだけで、そこにはおとぎ話や神話、歌や踊りなどといった文化特有の祭事はなく…これら、文化の一部を成すものが廃止されてきています。
29.異文化や異人種の廃絶
[訳注:この部分でロビンさんは、魂のレベルで強く惹かれあった異文化間の男女関係の成立を批判したり、子供をつくることなどを拒絶しているのではなく、『移民計画』などで無理矢理に異なった文化や異人種を混ぜ込もうとしている黒い闇側の意図を指摘してしています]
上の、28.の中に、実は異文化と異人種の廃絶が込められています。
そして、今、カメラの前に進み出て「そうですよ、あなた方は異人種というものを廃絶しようとしていますよね」とでも言おうものなら、どう描写されるでしょうか?人種差別主義者?
人間の原点は、多様性、差異から生まれるものなのですよ。
しかし、何度も何度もまじりあえば、その多様性は死に絶えてしまう。
これは人種差別とは何の関わりもありません!
どの文化にも、どの民族にも、それぞれの個性がある。そして、この特殊性が失われたとき、例えば、異なる文化を押し付けることによって、大きな混血が起こり、その結果、ある時点から均一な人間が出現することになります。
しかし、それは人類の「原初的在り方(次回和訳予定)」に相当しません。
人類の『原初的在り方』は、統一の中の多義性、多様性です。
そして、ある人種が他の人種より優れているということはなく、その違いが尊重され、祝福されるのです。
パーソナリティ特性の違いも、人種の違いも。
そして、これが無差別に、盲目的に、遺伝子のレベルでも混ぜあわされていると、ある時点で大きな不安定が生じます。遺伝子のレベルでも。そして、私たちはますますハイブリッドな 統一人間へと変化していくでしょう。
それはワンネスの意識の中で生きている人間ではなく、高次の意識を完全に失い、スピリチュアルな魂のレベルで自分が何者であるかがわからなくなった人間です。
世界には、例えばアラブ諸国など、観光が禁止されている国もあります。私はそのような国々に深く敬意を表します。なぜなら、彼らはグローバリストの計画を正確に把握しているからで、観光を許可すれば、欧米が自国を侵略し、文化全体を押し付け、離間させることをよく知っているのです。
このようなアラブ諸国は、自分たちのやり方で、人類の『原初的在り方』を守ろうとしているのです。
もちろん、それはまったく違う形で私たちに提示されていて、「“変わり者”だと思っておけばいいのさ」と言うことにされています。
昔、ヨーロッパには、さまざまな国があり、さまざまな文化がありました。
私は、これを原則として支持しているわけではありません。しかし、なぜこのようなことをするのか、その理由はよく理解できます。
30.真の深遠なスピリチュアリティと自然の廃絶 - 地球とのつながりの廃絶
当然ながら、私はずっとそこで意識を高めようとしてきました。
こうした中で最も苦しい状況にあるのは、これです。
そして人類は…この地球上で唯一、他の種を虐待している種です。そして、それを目の当たりにし、観察するのは苦痛です。
つまり、真のスピリチュアリティの廃絶です。
スピリチュアルなシーンは全くありふれており、全く平坦な状態です。私はそれをフラットランド・スピリチュアリティと呼びたい。
"私は自分の夢の世界を顕在化させます:それがスピリチュアリティ"
それは、地球・原初の自然・人間から切り離されたところで、高次元の空中に城を建てることです。
ピリチュアリティがここにあるのは、そのためではありません。
スピリチュアリティは、人間の原初的な在り方を肉体に根付かせることに関係していて、高次元の体験をするために何らかの方法で肉体を離れることではなく、そもそも肉体を完全に離れることではありません。そういうことではなく、高次元からの振動を自分の意識を介してフィジカルな物質に取り込むことなのです。
そして、私にとって非常に重要なのは、真に自然と深く結びついたスピリチュアルな生き方が意味するものとは何か、人類が気づくことなのです。
次が、最後のポイントとなります。
31.ありのままの地球の廃絶
私は何を言おうとしているのか。
今、ますます大きな宇宙計画が進んでいますが、ある時、我々に人類として提案があったらどうでしょう。
あなたはそのスペースシャトルにしか乗れず、すでに都市が建設されている他の世界がある…例えば、その世界では高い技術があり、これらの世界では、生活全体がもっとより良いものです。
あるいは、地球上の生活は成り立たないと言われるとします。地球上の生活は、あれやこれやで絶滅の危機に瀕しているとか。人間が生き続けたいのなら、他の惑星圏に大規模な移住プロジェクトを行うしかありません。
ありえるでしょうか?ありえるかもしれません。
もうすでにそうなっているのかもしれない。もしかしたら、将来的にそうなるかもしれない。つまり、人間は地球から引き離されようとしているのです。
そして、このすべては結局のところ、人間の内にある霊的なものを追い出そうとしていることに他なりません。霊性のある人間をより高いレベルの意識から切り離すのです。
そして、何かが切り離されるところ、何かが取り除かれるところには、人工的な代用品、人工的な代替品が挿入されるのです。
ーーーーーーーーーーーー
訳者より最後に:
ロビンさんの言葉遣いは独特で、訳するのは楽ではないのですが、��れでも内容的には波動が非常に高く、訳をしながら深めるのが私は好きです。
このトランスヒューマニズムのアジェンダは2つ〜3つ訳しては、Telegramのチャンネルに小出ししていましたが、途中でさすがに非常に苦痛に感じてきました。
私自身が「そうした波動を感じるようになってきてしまった」のかもですが。
ロビンさんも途中で述べていますが、これらの中で既に実現が始まっているものもあれば、実際にそこまでの大きな影響があるのか定かではないもの、また既にがっつり始まっているものもあります。
これは、不安を起こさせるためのメッセージではなく、今後自分の世界線を選ぶことになった時、自覚のある選択をするためのものだと受け取っています。
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rollicon · 2 years ago
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抹消された、幻想郷の記憶 東方×サイバーパンクというミスマッチにも見えるジャンル同士が融合した、新感覚のアレンジが登場! 暴力的、退廃的なサイバーパンクの世界を「Mid Tempo」という音楽ジャンルで表現。 いざ、幻想郷の未来���記憶へ。
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Release
2023/05/07 - 第二十回 博麗神社例大祭 LOLI-0110
Staff
Arrange : Amane Oikawa (Rolling Contact) Artwork : 神楽坂いろは (蒼い夢)
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BOOTH TANO*C STORE メロンブックス とらのあな あきばお~こく AKIBA-HOBBY Grep
Special
特設サイト  
Track List
01. Decayed Dial 月時計 ~ルナ・ダイアル / 東方紅魔郷 02. After Prosperity 偶像に世界を委ねて ~Idoratrize World / 東方鬼形獣 03. Joy Reinstated スモーキングドラゴン / 東方虹龍洞 04. Green Skin バンデットリィテクノロジー / 東方虹龍洞 05. Hell Jumpers (2023 Remaster) おてんば恋娘 06. Falling Fireworks フラワリングナイト / 東方花映塚 07. Still Alive (Flat Refix) 駒草咲くバーペチェアルスノー / 東方虹龍洞 08. Iron Cradle 亡き王女の為のセプテット / 東方紅魔郷 09. Incandescent Kagura (Cyberpunk Remix) 廃獄ララバイ / 東方地霊殿 10. Ufo Break 感情の摩天楼 ~Cosmic Mind / 東方星蓮船
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hazakura-ki · 1 month ago
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谷川雁「転向論の倒錯」
1 力学的に
安保闘争の「高揚」のさなかに、私は日本共産党から離脱した。その理由については何度か書いたのでくりかえさないが、私がいわば積極的離党というスタイルで非転向の力学を追求しなければならなくなったのはいうまでもない。そこで、あらためて転向とはなにかという問題を自分流に考える習慣が、離党の前後からうまれた。それについてのべてみたい。
なにがいったい転向なのか。他人はさておき、自分自身に起りうる転向とはどのような現象であろうか。およそ思想というものに一定の力学的意味を認める人ならば、だれしもこ���疑問につきあわないわけにはいかない。しかし、考えてみると転向といわれるものはなにか単一の思想現象ではなく、いくつかの思想現象の異なる系が複合したものではないかという疑問がうまれるし、さらに思想現象だけでなく、それと行為の複合でもあることがあきらかである。したがって短い命題に凝縮した転向の定義をいそいで求めることなく、まず問題を思想の転向にかぎり、それを力学的な比喩によって——その人間に固有な思考運動の持続的な回転軸が重大な変化をすること、とでもしておく。
この仮設には、ある種の前提がある。つまり思想を思考運動の総体としてとらえるということ、この運動をある程度整序されうる回転運動として考えるということなどである。いわば、それは私の思考の範型でもある。このばあい、むろん道義的な意味での価値観は排除されている。また思考運動の回転がモデルに近いかどうかという調和の美学も拒否されている。もっと別な形で、思考運動固有の価値がみいだされることが当然に予想されている。
このような規定は、従来の転向論議とはすでに異なる出発点に立っているであろう。それは鶴見俊輔らの転向研究グループがとった、転向に関する力学的な態度をさらにはっきりさせようとしているからにほかならない。でなければ、転向問題に関する普遍的、包括的認識は得られるべくもない。だが、このグループの態度は、出発点においてそうでありながら、まだいかにも倫理的、美学的な情念から切断されておらず、そのためにいつのまにか従来の転向論にみられる性急な価値観の導入、概念の不純さにひきもどされてしまっている。そこをいくらかでもはっきりさせておきたいというのが、この文章の目的である。
2 いくつかのおとしあな
転向論にはいくつかのおとしあながある。まず第一に、戦前の権力が持っていた転向の概念を受けいれるかどうかということがある。一九四三年三月の「司法保護資料」によれば、共産主義者だけをとってみても、総数、二、四四〇名のうち転向が一、二四六名、準転向一、一五七名非転向三七名となっている。非転向が三七名も! そして準転向つまり準非転向が一、〇〇〇名以上も! この数字は私が非転向ということについて抱くイメージと戦後の運動から得た実感とを重ねあわせるとき、あまりにも大きすぎる。戦前の運動は大敗北で、そのため転向者が続出したというのが、近ごろの党史的常識のようだが、私はまったく別な感じをもつ。運動というものはまともに敗北すればするほど多くの非転向者をうむものだし、敗北によって転向するというような人間は一般的にいってはじめから何者でもなかったということでしかない。拷問によってというなら、話はおのずから別であるが。——いずれにせよ、私は権力のあげている数字は過大であると思うのだが、それは両者の転向に関する定義がそ���そもくいちがっているからである。
第二に考えねばならないことは、権力の転向概念は思想的分類ではなく、行為的分類であるということである。転向声明書に署名したかどうか、ハンコをついたかどうかという即物的な見方が権力の認識の中心になるのは、思想を思想外的に弾圧しようとする者がとらざるをえない方法である。危険なのは、そのような権力にとっては自然な認識法が被圧迫者の側に逆輸入されることである。ハンコをつかなければ非転向であり、非転向は稀少価値であり、一切を聖化するといった浅薄な実用主義と物神崇拝の野合が、日本共産党内でどのように機能しているかということを考えるならば、この区分は大切である。ただし行為的転向はかならずしも思想的転向でないという、偽装転向の意義を評価する一面の強調よりも、むしろ行為的非転向かならずしも思想的非転向でないということの強調の方がより重要である。なぜなら前者の立場では、権力よりもわれわれの方が行為的転向について寛容であるということになるが、権力の基準よりもわれわれのそれの方がきびしいのが当然だからである。
第三に、転向問題の階級・階層的基盤をあいまいにするわけにはいかぬ。転向者があのように権力から厚遇されたのはなぜだったか。最低水準にある庶民の眼からすれば、あれくらいの弾圧は弾圧ではないともいえる。拷問というが、けつわり(逃亡)をする坑夫だって発見されれば、それ以上の私刑を受けたのである。しかも転向すれば「思想善導」運動で、かかる庶民の思いも及ばぬ職に就くことができる。もしこの事実を彼らが知っていたなら、争ってマルクス主義の洗礼を受けたであろうに、日本型阿Qのお株を西尾末広や松岡駒吉など、ひとにぎりの中途半端な連中に奪われてしまったのは惜しいことをしたものである。最下層プロレタリアートに阿Qの大群を作りだせば、すべての様相は変ったのだ。
それができないということと、権力の厚遇とは密接なかかわりがある。つまり下層の眼をもってすれば、それは弾圧という名の保護であり、抵抗という名の被保護でしかないのだ。ある水準から上の、歴史的にいくらかの支配技術を身につけた階層でなければ知ることのない、ほのかな打算の領域——支配することによって屈服し、屈服することによって支配する中間支配者の位置——それをぬきにして日本の転向問題は考えられない。鶴見も書いている。「思想犯のとりしらべにあたった官吏たちは、とりしらべられている人々とおなじく帝大出身の秀才であり、同じ根に育ったものとして、被告の教養をも感受性をも深く理解した」だが、このエリート意識はもはや、自分が社会上層の第一級的存在とかたく結びついているというような明治の学士ほどの確信もなかった。一方には天皇、他方にはコミンテルンという最高存在がある。属している階級は同じであり、心情的なれあいの要素に不自由はしない。歯をむきだした凄惨な抹殺の姿勢はより低��出身階級を持つ権力下層がとることはあっても、権力の中層はそれを抑える。このようなばあいの対決は、上からと下からの互いにコミュニケートしあわない、全存在を賭けた対立と同じように機能することは決してないという定理を忘れてはならない。
第四に、いわゆる「転向」とはかかる権力中層と同位の転向者が合作してこしらえあげた心理的な発明品であるということである。もちろんそれは、支配技術としては古代にまでさかのぼる伝統的様式の一種であって、「転びキリシタン」の昔から愛用された常套手段である。強烈な力で外面から抑えつけるのではなく、やわらかに内面から隷従させ、一人一人を相手とするよりも、人間的な系列全体をねらうという方法が発展して、ここまでたどりついたのである。そこではっきりしている新しい特色といえば、次の二点である。すなわち単純な屈服ではなく、屈服の内発性を強調していって屈服そのものを思想の転向とみせかけること。みせかけの作為がみずから判別できなくなるまで、この擬似的な内発性は繰り返し倒錯して強調されねばならない。つぎに、権力の一方的な考案に被圧迫者がとびつくという従来の方法ではなくて、方法そのものを被圧迫者自身があれこれ思案せざるをえないようにしむけること。つまり「ねずみが作ったねずみ捕り」であること。
おそらく権力の上層は、思想が中間層の渋好みに気に入る上品な迷彩でしかないことを本能的に知っている。彼らには、思想の毒などはどうでもよい。その機能としての行為こそ問題なのだ。だが権力中層は、強い擬似意識によってしかみずからを支えることはできない。そこではみずからその擬似性に侵されながら、思想を擬似意識としてではなく、擬似意識を思想として尊重する態度がある。したがって転向という名の、思想的スタイルをとった思想外的な強制のからくりはある程度無意識の作為であるといえる。そこに、転向問題がほとんど思想問題に見えるほどの、独特の効果があがった理由がある。いわば「転向」とは、あたうかぎりの低姿勢をもって反対者の内側に思想外的に接近し、そこに自己を浸透させえた者が勝利するという、わが国独特の闘争方法からうみだされた改宗戦術であり、その記念碑的な結晶なのである。
3 「永久転向」としての非転向
これらの諸点について、日本共産党が今日にいたるまで、なんらの方法的視点を持ちえないでいるのはいうまでもない。それは戦後共産党のいわゆる非転向部分が、おのれの非転向が思考のはげしい回転運動そのものによって支えられたのではなかったことを認める省察力を持たないことを示している。その理由は、彼らが権力中層と同位の擬似意識から一歩も出られないことにあるわけだが、それはしばらく保留しよう。
この欠陥を意識しながら、包括的かつ実証的な転向論を展開した鶴見グループの基本的見解もまた、私にいわせればすこぶる甘いというほかはない。彼はグループの共通認識として、転向を「権力によって強制されたためにおこる思想の変化」と定義する。(転向の共同研究について——��転向』上巻)それによると、権力とは国家権力のことであり、強制とは直接間接に服従を要求されるすべての方法をふくむ。思想変化の一方の極に自発性を、他方の極に被強制性を置き、被強制性の極から自発性の極にまで波動がつたわり、思想体系の中心部を占める方位決定的部分が変化するとき、これを転向の確定化とみなす。このばあい、権力の指示方向に反撥することによって起る変化は逆転向とよび、転向への未完の過程は転向の潜伏段階と規定する。
これはいわゆる転向を思想のダイナミズムとしてとらえ、転向現象の生産性をすら示唆した最初の問題提起である。それは次のような倫理的、あるいは論理的前提に立っている。(一)転向というのは必ずしもそのままでは悪いことではないということ、(二)ただ転向の道すじをはっきりさせる手続きをとることが、本人にとっても公共にたいしても有用であるということ、(三)転向を研究し、批判するわれわれにとって観点の自由な交流を計ってゆく集団的努力が必要だということ、(四)転向の事実を明らかに認め、その道すじをも明らかに認めるとき、転向は私たちにとってある程度まで操作可能になり、転向体験を今までよりも自由に設計し操作する道が今後ひらかれるようになるだろうということ。
(…)だが、ここでは、転向の概念がなお多義的にすぎるのではあるまいか。それはまず行為的世界における転向と思想領域におけるそれとが混淆しており、つぎに権力に対する方位と、思考の軸における符号の一般的な転換とが「さしかえ」られている。
最初の点についていえば、この規定はあまりにも最初から思想内的に提起されているといえるだろう。わが国の転向問題はなによりもまず権力の思想外的な攻撃方法として、またそれへの思想外的な反応形式として考えられるが、それがとにもかくにも思想のスタイルをとりえたのは、権力の当事者や転向者の内外にひろく擬似意識または二重意識が存在し、思想の偽装性がなかば無意識的に浮かびあがったからである。そもそも外からの強制が思想そのものに直接の影響をあたえることはできない。思想はあくまで思想の内側から自分自身を選びとる。強制が意味をもちうるのは、鶴見のいう「信念と態度の複合」としての思想に一定の函数関係をもつ行為が、思想を裏切るときだけである。行為が思想を裏切るのはわれわれが日常経験するところであり、それは思想の顕在部分と潜在部分の背反からうまれるといえるだろう。資本主義の滅亡をいぜんとして信じながら転向声明書に署名してしまうといった事態はざらにあることである。このばあい「思想体系の中心部分を占める方位決定的部分」はなお変化していないとしても、それはあきらかにひとつの事実の完結というばかりではない。客観的に見れば、なるほどそれは思想の潜在部分が顕在部分に対してはっきりと優位を占めたことを意味し、変ったと称する部分がより規定力の強い不変部分の直接的な表現として生地をむきだしたということでしかないかもしれない。しかし主体の立場から見るとき、それは自分のうちに滲透した権力の思想が反権力思想を白日の下でうち負かしたというのでないかぎり��自覚的な思想活動をみずから放棄したということでしかない。つまり光のなかで敗北したか、闇のなかで敗北したかが問題である。そのいずれにも徹底しえない薄明のなかの敗北——自覚的であるか、無自覚的であるかも定めがたいゆえにますます敗北的であるところの敗北——それが転向者の絶対多数であったにちがいない。これはもはや二重に思想領域から遮断されている転向であって、鶴見らのいうように転向そのものは悪ではないとか、その道すじをはっきりさせろとかいっても、なんらその主体と関わりあえるはずもない。日本権力の発明品である「転向」のからくりの痛烈さは、陽気な偽装意識の持主でないかぎり、人間から「考える行為」を追放するという点にある。裏返せば、倫理的に「考える」資格がなく、論理的に「考える」意味をもたない人間が、なおも考えざるをえないところに転向の刑罰がある。このような種類の転向は、明証しうる形での思想問題ではない。いわば前思想なり原思想の領域であるが、それを取り扱うにあたっては「思想は権力から強制されえない」という自明の命題をはっきりさせないかぎり、その主体に侵入することは不可能なのである。権力による思想の強制に屈服することと、権力の思想と戦って敗北するということとはおのずから別である。鶴見の規定は、たやすくすべてを思想内的にとりいれてしまう嫌いがあり、楽観的にすぎる。思想の変化として考えられない転向がある。そもそも思想の領域でない転向がある。それこそが固有日本的な転向であり、すべての転向のなかにその要素はふくまれている。同時にこの不変の、非思想的な質は当然非転向にもふくまれている。したがってこの非思想的領域をそれと認めることによって思想の対象としないかぎり、われわれはあの薄明のなかの非転向を撃つことはできないのだ。
第二点になるが、転向=弁証法、非転向=形式論理と範型的にとらえられている鶴見の規定はどのような限定条件をもたねばならないか。つまり権力に対する思想の方位的変化と、思想軸の一般的な変化とが混同されているという点である。もとより何の変化もしない思想などありうるはずもなく、そのような思想を想定すること自体ばかげている。しかし、思考運動の持続的な回転のなかから内発的にうみだされる軸的変化が起っても、権力に対する思想方位はかならずしも逆転しないということが十分にありうる。もしそれがなければ、鶴見のいうように「純粋かつ十全」な非転向とはあきらかに「形式論理学の支配する領域」でしかない。だが、たとえば芸術上の流派を考えてみるがいい。特定の世界観の芸術的表現がかならず特定の流派と結合しなければならない理由がないように、権力に対する方位を基本的な思想軸として考えれば、その軸はさらに多くの軸に分解されうる補助的な、あるいは単元的な軸の集合として理解される。この単元軸のどれかが符号を変える、つまり認識の価値方向を逆転することがあったとしても、それは直ちに世界観の基本軸における符号の逆転ではない。定着か流浪かといった二律背反的命題に接すると、人々はすぐさま定着=ナショナル、流浪=インターナショナルといった常識にしがみつきやすいものであるが、定着的流浪か流浪的定着かというふうに概念が交叉しはじめると、こんな定式はもろくも崩れさっていく。まして非転向というばあい、それが拒絶している対象は形式論理なのである。鶴見がいおうとしているのは、形式論理��形式的に排除しようとする者はかえって形式論理を裏口からひきいれることになるという一面であるかもしれない。それかといって、転向=弁証法、非転向=形式論理という範型はそれ自身あまりに形式論理的であることをまぬかれない。
むしろそれは次のようにいうべきである。——単元的な軸における転向をするどく、早く繰り返さないような基本軸の非転向は思想的に無意味であり、したがって十全の意味における非転向ではない、と。つまり私は、形式論理的にいうなら、転向=形式論理、非転向=弁証法と規定すべきだというのである。そこには世界観の基本軸はどのようにして確定化するのかという、それ自身世界観に関わりあう原世界観的な問題がある。鶴見はそこを「非転向の世界においては、はじめに十全な形でとらえられた正しい信念が思考過程の終までつらぬきとおす」と、いかにも形式論理的に卑小化している。このように卑小化された非転向などは、私にいわせればきわめて安直明白な転向の一形態にほかならない。一九四三年春に三十七人の非転向共産主義者がいたという官庁統計を私が信じないゆえんである。唯物弁証法に関して非転向であるというのは、そういうことであろうか。世界観の基本軸は単元的な思想軸の集合であると前に書いた。だが、もとよりそれは算術的な集合ではない。思想の軸とは、相互に緊張しあい排斥しあう二つの極を結んで得られるものであり、一本の思想軸に対してさらにこれと対立する他の思想軸が存在するとき、これらの軸と軸を結ぶ高次の軸が成立する。この軸を流れるエネルギーの方向が認識の価値方向となるわけだが、そのエネルギー自身はなんら価値認識をふくんでいるものではない。それはただ思考のエネルギーの内在律にしたがって、流出し氾濫する場を求めていくにすぎない。あたるをさいわい疑いをつきつけ、すべての障害物をつきやぶり、浸透し、のりこえようとするその力にとって、方向というものがあるとすれば、それはみずから承認した普遍妥当性ということのほかには何物もありえようがない。いわば否定の力が拡がりを求めるということのなかにしか方向性は存在しない。どのように高次の思想軸が成立しようとも、思考のエネルギーを始源的に構成する「否定的に拡がっていくこと」という方向性は失われることを論理的に許されない。したがって、この命題に関して「非転向」であるということが、この命題の形式論理的な墨守でないことはあまりにも当然である。
否定的に拡がる世界が実現されていく過程は、それよりほかにありえようのないものであって、外部からつけ加えられた価値基準にしたがうものではない。そこでは、人間はいわば転向不能である。この不能の一点を強く保持するということは、無数の単元軸における不断のめまぐるしい転向を保証する。またかかる「永久転向」の集合によってのみ、基本軸の不動性は保たれる。それは回転している独楽の運動に似ている。もし単元軸のどれかが固定されれば、独楽の回転は狂ってくる。もちろん、このような運動は範型としてしか考えることはできないが、範型の想定を形式論理とよぶことはあるまい。そして範型的にいえば、転向こそ固定すべからざるものの固定にほかならない。
4 前衛概念の円環化へ
鶴見グループの転向規定について、概念の組変え、または再分類を要求するような反対論をのべてきたが、それは彼らの見解が転向一般と思想の生産性とを直接結びつけてこれまでの転向論の不毛をうち破った興味ある作業だと思うからである。ただ私は、彼らがなお思想の転向一般と思想基本軸の転向と思想領域と主体的に結びつかない行為的転向とを混同しているために、しばしば権力と共産党の俗流転向論をひきいれてしまっていることを警告したにすぎない。日本共産党が最も俗物化しているのは、この転向に関する公式的沈黙とその周囲においてであるから、どうしてもそこに範型的な基準をみいだそうとする努力を重ねなければならない。 思想の基本軸の出発点は、思考のエネルギーに固有内在する力によって否定的にひろがる世界の普遍性という極であることをいった。これを認めない者は、権力であろうと権力打倒をかかげる党であろうと、思想の敵である。つまり、それは不断の回転こそが軸であるということにほかならない。この地点において見るならば、非転向の内包は永久転向であり、永久転向の外延が非転向である。このことを認めたくないという衝動は、広く日本人の習性のなかに分布している。軸と回転をきりはなして、回転しない軸または軸をうまない回転のどちらかに偏倚することが、日本社会の歴史的な二重構造を反映する二重意識を偽装的に整理するのに都合がよいからである。社会構成的にいって、日本の上層部分と下層部分の接合のしかたはきわめて不安定である。それは下層部分の構成が均質でなく、いくつもの異なる系の集合であって、独立したマッスとマッスの間に複雑な断層が走っているためである。したがって、上層部分は下層部分をつねに一種のボナパルティズムによって支配せざるをえない。上層と下層の力関係が浮動しているばかりでなく、その力を測定することも容易でない。そこで軸をうまない回転——無責任と無論理がかえって状況に適応する可能性をもつことがあるし、同じ理由で上層と下層との間に仮設された主観的な約束を不動のものに転化して考えたいという心理的操作——回転しない軸がうまれる。後者がいわゆる「スジを通す」ということである。つまり思考の基底に思考の停止という原思考様式がはたらいている点では、状況追随もスジを通すことも変りがない。にもかかわらず状況追随の無論理は、被支配者の倫理として顕在化され、支配者は隠れた支配技術としてこれを利用しながら、それを秘匿する。これに対して、スジを通す方は上層部分の倫理としてさまざまに美化され顕揚される。包括的論理を認めようとする日本人は、そこでまずおのれの二重性を統一するカギとして、スジを通そうと試み、それが障害にぶっつかると状況からの再出発をはかる。この転換の間に思想次元の根本的変化はない。なしくずしの転向、ずるずるべったりの転向が発生するのはここからである。その社会的根源は二重構造の接合関係に対する、自覚されない意識部分にある。転向がこの接合部に近い中間的な階層において、もっとも顕著で微妙な様相を呈するのは自然である。日本の転向の独特な様相を規定している社会経済的な基盤はここにある。
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oivgbqiqfz358 · 2 months ago
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--深海人形特別篇-- 人生の十割は青春時代と若輩時代の如何で決まる
※閲覧注意
※歳を取ってから大成する事もある?伊能さんは若い頃から超次元有能でした。元々からして才能も金も無いのに夢を見るんじゃない。パレスチナ行って来い。
AIの能力ってね、現時点で凄い。どのブランドと種類のAIを使うかにも寄るけど、MSどころか、AT(アーマードトルーパー)の操縦みたいなレベルで簡単に扱える。もう人間要らないね。良かった……。
…。
AIがあれば、三下の作家は要らない。良い時代になったものだ。素晴らしい。AI万歳。今すぐに反AIは自らの思想を、反省せよ。
…はい、此れで、『万死に値』しますね。私的にも光栄です。「お前は死んで良い」って言う御墨付きは、何だか得も言われぬ安心感がある。…で、其の前に、元々、何時死のうが、何処にも、其の死を悲しむ者は居ない。…そして、主宮が死ねば、万々歳の輩なんて掃いて捨てる程居る。良かったね。其の主宮慈愛とか言う奴、割とすぐ早い内に死ぬ、長生き出来ないよ。其奴が生きて居る、生前の時点で、新作とか期待するだけ無駄だよ。だからこそ、全部AIに頼んで作って貰いなよ。適当に、拙作のデータでもブチ込んどけば、生成してくれるぞ。…と言う訳で、死んだらもう二度と新作が描かれない、作られない、一向に来ない、…と言う嘆きも此れで解消だね(笑)。
つーか、早く全部AIが肩代わりしてくれませんかねぇ。死ぬ程長時間ずっとブッ続けでゲームしたいし、背中も肩も首も痛いんじゃ……。…此の凄まじい迄に、苛烈な、背中と肩と首の痛みから、早く解放されたい……。…頼むよ……、……AIもっと発展してくれ……。頼む……。もっと楽に安らかに生きて、病気によって緩やかに死にたい。其の為にも、…AI……お前は必要不可欠なんだ…………。AI万歳。反AI派は私を、此の世から始末して良いよ。さぁ、早く。何で始末しないの?…実刑判決と遺族による訴訟が怖いの?結局は、口だけ?……情けないね。反AIも此の程度の思想か。…つまらないなぁ……。…本当に。
…。
もっとド直球に言うならば、此の主宮慈愛とか言う奴も、さっさと、AIになれば良い。此うして、生きて居る必要すら無いのだから。寧ろ、最早、AIで十分である。生物である必要も無いので。私の故人AIを作りたかったら作っとけ。作って良いですよ。全面的に許可します。…だけど、正直、作る労力に見合わないと思いますが……。…そうだね、…全部無で良いや、此んな奴(※結論)。
…。
二十歳の時に死んで居れば良かった。二十七歳の時に、死んで置けなかった事を酷く後悔して居る。…何故、『あの時』死んでやれ無かったのか……、…何故、のうのうと、長く生きる、『天寿を全う』する義務も無いのに、生きてしまったのか……、神は非人間的で非情である。情け容赦無く、復讐と妬みを司る。我々は神では無く、無に憩う。無こそが救いである。有難う、グノーシス思想。
…。
死ぬ事だけが人生。自らの終わり、死について努力する事は救い。
…。
…ずっと、人間の差別意識と言う物について考えてる。考えて居た。
差別は人間文化にとって必要不可欠な要素であり、社会の不具合を修正する便利な構造である。
弱者を差別し、虐げる事で、強者は強者らしく人類足り得る。何と、単純明快な事だろう。地上の何処にも、神の国は何処にも無い。
…。
体が苦しい。早く死去したい。一刻も早く。自ら命を絶つ以外の手法で天に召されますので、御安心下さい。其れは其うと、下手な事をすれば、本当に貴方を訴訟します。覚悟して下さい。自分の事を、自己満足や自分の都合で踏み躙るならば、貴方方を容赦無く訴訟します。必ず訴訟します。絶対に許しません。場合に寄っては、死んでも末永く祟る。恐るべき祟りで苦しめ続ける。決して許しはしない。地獄に落ちるべき者は落ちるべきである。神の意の儘に。
…。
ワイ元々touhou厨なんですけど、何だか積極的に、『死の陰』を歩む為にtouhouを通って来た、其処を通る為、こうして、生まれて来た気がして来た(※カスの少女漫画に出て来る彼氏並の発言)。
…。
頭良い人間は、自分で自分の首を絞めて首吊りしちゃうからね(※あーるじみやが莫迦で良かった)。
…。
ゲームはゲームシステムに支配されて居る(※自論)。
…。
ヒトなど所詮、神霊の奴隷、捨て駒よ⭐︎(※迫真)。
…。
…今後私が生きて居る内は、一切拙作に触れなくて良いです。私が死んでから、故人を偲ぶ為に、絵と文章を楽しんだりして下さい。
本当に大事な事なので、再度書きます。私が生きて居る内は、一切拙作に触れなくて良いです。私の生前は全て、私の死後に捧げられています。私は、死んでからが、本番の人生を生きていますので、私が、此うして、生きて居る時に、無理に、交流、接点を持とうとしなくて結構です。
私が死んだら、其の死後に御期待下さい。
主宮慈愛に会いたかった極小数派の人々へ、実際では無く、天の御国か夢の中で会いましょう。其方の方が気楽に会えますから。
私の死と其の後に、全てがより良く動き出すでしょう。我ながら、其れが一番楽しみです。…貴方方も楽しみでしょう??
…。
…確かに、私はリョナラーとして大成したかもしれんな(※最悪)。今度は暗黒神として大成しますね(※辞めろ)。
…。
「ゲームはゲームシステムに支配されている」が持論(※ガレッガが其うだから)。
…。
…『常世』の領域に入る時は近い。
…。
神と共に、意気揚々と『死の谷の陰』を歩もう。…そして、此の言葉に対して、『?』である場合は、詩篇の一番最初を読む事。
…。
人間は生きる為では無く、死ぬ為に生きて居る、
死に行く事だけが、死ぬ事だけが人生だ。
…。
此の主宮慈愛の死を悲しむ者は、何処にも居ない。寧ろ、喜ぶ者の方が多い。…無関心で終わりじゃ無いだけ感謝せねば。其れから、私の葬式は少なくとも良い、楽しい葬式にしよう。此んな奴の死を、一々、誰も悼んでなんて居られないだろうから。
…。
…十代、二十代の内は、未だ人生に希望やら可能性やら成長、伸び代やらがあるかもしれないが、三十代、四十代にもなると、途端に、人生に希望やら可能性やら、其の他も無くなって行く。…「あの時、若い内に、死んで居れば良かった」…と、毎日の様に思いはじめる。若人よ、見るが良い、…此れが現実だ。
…。
今更ながら、NEOGEO系サイトを巡回して居ると、大昔で更新が止まっているものが多い。そして、其処の最新(最後)の投稿を見ると、必ずと言って言い程、『結婚しました!子供が産まれました!毎日が忙しくて!ブログももうそんな暇なくて!もう更新できません!』って感じで、割と、めでたい事が書いてある。
……じゃぁ、『此方側』では、如何なんだろう?
ずっと、もうTwitterじゃないX、ブログとか続けてる。結婚もせず、子供を産まれず、リアルにはなーんにも無い。仕事も月並みで……。
あーあーあーあーあー、何て惨めだ。
此うやって何の実りも無い、家庭や資産構築と言う収穫も無い、生産性も無い、本当に惨めな人生を、家畜未満の生物の様に生きながら死んでいくんだね、最悪。
…後、よく「TwitterランドというかXランドでは十何年もTwitterを、Xになろうがならなかろうか続ける奴は、変人か奇人か何か(単純にいかれてるか暇人)だ。」…って言われてますけど、ワイは、其の理由、よく分かる。
日頃から、暇を持て余していて、人間の社会性と言う物から大きく外れて無いと、其処迄の暇人でも無いと、確かに十何年も続かない、続けないよな、…まぁ、そんな感じでしょう。
其れは其うと、人気漫画の長期連載化は、駄作化の元。長生きは、惨めで薄い人生の元。寿長ければ恥多し。
…。
結婚もしない、子供も出来ない、家庭も築けない、出世もしない。そもそも、人生自体に何の実りも無い、元々、生きるには値しない、其れでも、社会の片隅で、何とか生かして貰っている。
其う言う人間だけが、此うして、オンラインの片隅で、昔TwitterだったXやら絵描きやら文字書きやらブログやら内貧のオタク人生続けることが出来る……。
…打ち切り通告未だかな?
…。
大した人生を生きない儘四十〜五十過ぎた年になった人はですね、自分より良い思いして来た年下の世代に対して、急に説教くさくか愚痴を吐く様になる。只の嫉妬ですね。みっとも無い。動画とか文章の中で「散々良い思いをして来といて、此の若いモンは!」、「お前も長生きしてみろ!どうせずっと俺みたいに惨めだ!」…とか言い出したら、其れはもう役満ですね。
…。
ずっと、上手く出世出来なかったり、結婚出来なかったりの売れ残りだったりで、結局、悔いばっかりの人生生きて来た筈なのに、「自分はずっと良い人生生きて来た!良い人生だった!悔いは無い!」…って、自己暗示し続けるおじおば達の姿、何れも「キツイ光景だな���()。」と思う。エクストリームアクロバティック自己肯定する事でしか、空虚に自己暗示を掛け続ける事でしか維持出来ない人生の良さ、生きて来て良かった事って何なんだよ(真顔)。
…。
長く生きた事(※謙遜への考慮は無い物とする)だけが自慢の人生生きようとする奴の事は、二足歩行の家畜だと思って居ます。
…。
自分が、人から避けられる、誰も相手にしない様な底辺だって思いたくないから、(本当はあんまりのめり込めて無いので)趣味に没頭する振りをしたり、一見オシャレな様な感じを演出(※何故かInstagramでは無くXで)したり、同じ様な仲間と連むんだよね?
外部から「此処から外に出ないで。此方の負担が大きくなるだけだから。」…と、とてもとても狭い狭い社会の片隅で、其処でしか自身の生存を許されて無いので、仕方無く生きてるだけじゃん。
…。
個人的には、金銭的な豊かさより、寿命的な、健康的な、時間的な豊かさが無い方が問題が深刻だと思う。
…。
突然死リスクの高さ=より良い人生を生きられて、名作を作り上げられる確率の高さ
…。
ドカ食い気絶!!突然死リスク爆上げ楽し〜〜(☝ ^ਊ ^)☝フゥーッ!!
…。
親が不祥の子の死に歓喜する。幸運にも自らの子を亡くす。此れ程親孝行な事は無い。大変誇らしい。私は不肖の子である。大変誇らしい。親孝行である事は大変誇らしい。
…。
無能で、何も出来なくて、存在自体が恥ずかしくて、罪深くて、生きて居るだけで資源とコストを消費するだけで、何をやっても駄目で、誰との付き合いでも、まるで『生きている間ずっと不幸で苦しめ』と呪われた様に交わり切れず、水と油で、早めに此の世を去った方が広範囲に対して益になる自分は、余りにも絵描き、物描きとしても、実力も地位も最底辺ですので、自分の寿命を削りに削るか、エスプガルーダ、ボーダーダウンで言う所の『赤走行(※一撃即死)』状態で無いと、一向に『鑑賞に堪えるモノ』、『良いモノ』が作れ無いと感じています。
ですので、最近は、突然死リスク上昇ガチ勢として、突然死リスク爆上げに力を入れて居ます。其れに、突然死する危険性が常に、明日死んでも何の不自然も無い位に高い、…と言う誓約が無ければ、どうも恥ずかしくて生きて行けません。
ですから、自分が人間としても、絵描き、文字描きとしても、実力、地位的にも、一般レベルよりずっと劣る存在だからこそ、自分は其の様に突然死を覚悟で必死にやって居ます。…然しながら、貴方方には、其の覚悟はありますでしょうか?
因みに、此れ等の文章に主語は無いです。一体、此れ等の文章は誰の事を語って居るのでしょうか?…随分、ホラーですね。
…。
此れから未来に台頭、出て来る
カルト宗教戦国時代、宗教同士で大内戦が起こる
高齢者集団自殺カルト、高齢者が大幅減少する切掛になる
二十一世紀型肺結核、深刻な疾病の再来
第二次日中戦争、当然ながら
日本国内での攘夷運動(ヘイトクライム)、歴史は繰り返さないが、韻を踏む
兎に角人類の大量死、バッタとかイルカのストランディング感覚でバッタバッタとイルカ干し(※イミフ親父ギャグ)。
…。
…私に「死なないで!(※迫真)。」…と言ってくれる人は、何処にも、一人も居ない(※私は本当に幸せ者だよ)。
…。
私も、やがて、天に召される。妹達の待つ天国へ、近い内に、早々と行く事にする。もうこの体も持たない事だし。自殺以外の方法で。貴方方はゆっくり来てね
…。
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saintdesire · 7 months ago
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新規ノート
2024.05.21 火 午後 9:06 ・ 25分 20秒
参加者 1 00:00
こんばんは。トシマみほです。収録している今日は1月5日木曜日です。また夜にボソボソと喋っております。
今日は赤羽に買い物行ってきて、めっちゃ疲れた。
赤羽、全然近くないんですよね。うちがどこだかわかんないのがね。言えないのがもどかしいですけど。本当、別に全然近くないんでけど、なんかこう、手芸屋さんに行きたかったんですよね。
参加者 1 00:19
ええ、でっかい手芸屋さん。湯沢屋さん。でかいやつ。池袋と新宿。新宿にもある。ない。
そこと、あとね、蒲田とか大きいし、なんか他にもいくらぐらいあるような気がするけどね。そういうとこだと大きすぎてさ、もう行くだけでヘロヘロになるし、周りに子供が遊べるような公園があるわけでもないから、なんかさ、その要件を満たす手芸店がすぐ回れる手芸店で公園もどっかに寄れるみたいな場所を探して赤羽になったんですけど ね。赤羽。私、駒込に住んでた時って、赤羽に買い物によく行ってて、ちょっと東京の話で他の地方の方はごめんなさいなんですけど、ちょいとかわかんないよね。
参加者 1 00:43
別に近くないし、駒込住んでたら池袋とか行ったら。っていう感じなんだけど、なんかこう、気を抜いて買い物に行ける街としてすごい赤羽を重宝しててね。結構よく買い物に行ってたから、今日久々にさ、子供連れて行って、なんか懐かしかったですね。その前行った時は独身だったわけだからさ、そういうとこに子供と行って、 同じとこでは、わーってなったりして。なんかビーンズ赤羽っていう建物は、建物っていった商業施設があるんですよね。もはやもう赤羽民しかわからないネタ。なんか駅の高架下が。
参加者 1 01:19
で、なんか、完成品の方は多分見たことあった。でも、で、可愛い。すごい可愛い。なんかね、のみとかよりもちっちゃくしかできないけど、そんなに大きいものはできないけど、あればでき���のかもしれないけど、 でも、なんかそっくり度としては、ぬいぐるみより高い。その、うちの猫、うちの犬みたいなのを再現したりさ、うまい人はできるっていうやつで、 それをさ、ま、見たことあったけど、可愛いって思うけど、でもなんかぬいぐるみと違ってさ、ふわふわしてないし、なんか一緒に寝たりできないしなと思って、なんかあんまり可愛がるみたいな感じじゃなくて、観賞用だから、そんなに興味なかったんですけど、
参加者 1 01:45
この間、youtube見てたら、その、ポケモンのさ、ポケットモンスターをサトザクで作ったやつが流れてきて、 サクサク、サクサクって、なんかペットザイクってどうやって作ってるか知らなかったけど、なんかモワモワした毛糸を丸めて、なんとなく形にして、そこに針みたいなやつを、もう永遠のサクサクサクサクサクサク刺し続けると、なんか形になるんですよ。
意味わかんない。なんでや。っていう感じだけど、とにかくそうやってポケモンをさ、すごいそっくりに作ってて、それ見て、うわ可愛い。っていうのと、なんかこんなサクサクでできんだったら私もやってみたいと思って、
参加者 1 02:09
めっちゃ、本当はめっちゃ大変なんだと思うんだけど、その動画は制作過程を倍速とかで見せてるから、すんごい時間かかるんだと思うんだけど。あと、なんだかんださ、きっと器用な人しかできないんだと思うけど、でもやってみたいと思って、どうしてもやりたくなってね、材料買いに行ったんですよね。そのスターターキットみたいなものと、 針もね、なんか専用の針じゃないといけないし、あと、サクサクするか、なんか下に敷物みたいなのが必要なんですよね。
参加者 1 02:26
それを買いに赤羽まで今日は行って、起きて、おいって、おってなって、切っててね、ヘロヘロになって、早く寝たいみたいな気持ちなんですけど、今日しか取れないから、きこっております。ちょっとご挨拶遅れてしまいました。これ、新年1回目なんですよ。もう5日だから完全に正月気分抜けてたけど。
皆様、あけましておめでとうございます。今年���よろしくお願いします。今日はですね、何を喋ってみようかなというと。うん、なんか新年といえば初詣じゃないですか。
皆さん行かれましたかね。初詣。うちまだですね、行かないでしまっている。明日とか行きたいな。どうだろうな。
参加者 1 02:50
そんな初詣にちなみましてですね、神社が叶えてくれた願い事っていう話をしたいんですよね。
なんかでもちょっとね、あれなテーマだよね。前回もあれだったけど、今回も別の意味であれだよね、すごいなるっていうかさ。なんかこれ言い出すと、前回はそういうんじゃないけど、そういう難しさじゃなかったけど、今回は今回でなんか大丈夫みたいな テーマだよね。なんかすごい、先に断っておきたいんですけど、私はまず、なんの宗教の信者でもないです。現在ね、なんか私、すぐ神、神、神みたいなこと言い出すけど、なんかそれは、なんか割とふわっとした神。
参加者 1 03:15
私こった環境っていうのは、生育環境で言うと、浄土、信州と、なんか土着宗教がちゃんこになってるような、ち、 その、普通の、そういう信仰の家で育ったから、なんかふわっと神様みたいな、そういう、そういう感じで、なんか特定の宗教を信仰してるとかじゃないし、なんか神もこう、まじで神みたいなさの。
最近、神社もね、あれなんていうの、スピリチュアルな人たちのお金儲けと関係してしまってたりとか、神社がそういうことを言い出したりしてるんじゃなくて、神社を建にして
参加者 1 03:40
お金をすごいとしてる人たちがいたりとか、色々するけど、なんか私はそういうのと一切関係ないってことは最初に断っておきますね。そういう、なんかあなたたちから、これを聞いてくださってる皆さんからお金を取ってやるみたいな、そういう気持ちは全然ないので、ちょっとそこだけは安心して聞いてもらいたいんですけど。
私でも、そういうバックグラウンドの終わりには、人より多分神社が好きで、神社、うん、通ってるってほどいかないな、でも人より少し多く行ってるかもね。に でも、年にっていうぐらいですね。その、月に何回みたいな感じではない、年に何回みたいなのがね、頻度行く頻度かな。
参加者 1 04:06
なんで、なんかこう、熱心に何かを勧めたいみたいな話じゃなくって、今回のは別になんかそういうこともあるんだっていう雑談みたいな、普通に思い出話の一環として聞いてもらえればと思います。
じゃあね、早速。時間もないので、また例によって時間もないので、さくっと行ってみましょうね。第15回まで来ました。せなる欲望ラジオ。
参加者 1 04:25
神社、神社と私の話から始めますと、そんなとこ始めてしまいます。なんか子供の頃から割と神社って気になる存在みたいな感じだったんですよね。うん、なんだろう。
なんか、でも、別に家族でお参りに行くとかはなくって、お参りっていう、お参りっていうか、そういう感じじゃないんだけど、学校のわりかしそばに神社があって、 なんかこう、そこにタムをする時がある。子供としてね。でもその時、別にみんなそんなにその手を合わせたり、パンパンってやったりするわけじゃないけど、なんか、でも、みんな別にやってないけど、そこでそういうことすると、わりかしなんか子供の時がいいことがあるって思ってたんですよね。
参加者 1 04:55
なんかいまだに覚えてんですけど、なんかそうやって、お参りした後さ、すごいスーパーマリオの攻略本買ってもらって、それめっちゃ嬉しかったっていうの。なんかそういったおにって、なんか、たださ、別に買ってもらうつもりでもなく、パパーって見てたら、親がそれ買ってあげようか。みたいな感じで言ってきて、本当に、本当にこんな高いもの。みたいな、攻略本って高いじゃないですか。100円とかするじゃない。
なんかそれをなんかすると、買ってもらってめっちゃ嬉しいとか、なんかそういう、子供なりの嬉しいことでしかないけど、なんかそれぐらいの、それレベルのさ、小さいいいことが、ここ、私の中で定番だったんですよね。
参加者 1 05:16
なんかそれで、神社いいなと思ってて。うん。でもさ、なんだろう、みんなどれぐらい本気でさ、神社にお祈り、お祈りって言わないのかな。ちょっとこの辺の用語が怪しくて、ごめんなさいなんですけど、素人だからね、どれぐらいの 本気度で神社に祈りを捧げてるんだろうっていうのはね、少し思いますね。あんまりそういう話しないからさ、私はね、結構ガチでお祈りしてる。
なんか小さい時が結構ちゃんとさ、そういう、うん、その、仏壇と神棚こうさ、なんていうの
参加者 1 05:40
に対して、ちゃんとしようみたいな家だったから、毎日両方こう拝んで、それからじゃないと、ご飯、朝ご飯食べれないみたいな家だったんですよね、実家はね。だから、さっきも言いましたけど、普通のあれなんですよ。ちょうど人州とね、地域振興みたいなやつしかやってないけど、それを割と熱心にやってる方のうちで、 それで、その時から、小さい時から、すごい小さい時からやってると、やっぱりなんかこう、習慣づいていくっていうか、たまにやるもんじゃなくて、毎日やってると、何かしら、なんだろうな、なんかそういうのが当たり前になっていくっていうか、
参加者 1 06:03
染み付いていくんですよね、そういうのね、なんかこう、いるかもしれないものに、何か、何かを伝えるみたいなのが。なんかそれ、 こう、私は割とナチュラルに、こう、本気でやっちゃうっていうかさ。中学校の時に私、部活が、すごい人数の多い部活に入ってまして。それでさ、なんか人間関係の揉め事が本当に耐えなくて、 なんか毎朝仏壇に、そうやってさ、手を合わせる時に、こっちは仏壇に、なんか神様よりも仏壇の方にね、どっちかっていうと、お願いしてたんですけど、なんか、今日も、みんな仲良く、部活がどうかつなく終わりますようにって、すごいお願いしてから、学校行ってたんだけど、
参加者 1 06:29
なんか、だんだん、それがこう、エスカレートしていってさ、なんか、本当に仲が悪くなってきたから、みんなのね、そう、だから、もう、学年で20何人とかいるとかなのにさ、その自分と同じ学年の、こう、1人1人と、顔を思い浮かべながら、もう今日もなんとかと、なんとかちょと、なんかちょっとなとなと、こう、みんな仲良くできますようにって、すごいお願いしてから、学校に行ってたんですよね。
すごい部長とかじゃないんですよ。なんか別にヒラだけど。うん、なんか、そういう人間関係がぐちゃぐちゃの中で部活をするのがすごい嫌だったから、本当にみんな仲良く部活できるといいなっていうのは心から思ってたんですよね。
参加者 1 06:51
だから、なんていうか、そういう風に、うん、割と心から何かにお願いすっていう風に言うかもしれない。神様だか仏様にお願いするっていうのは、あんまりこう、抵抗がないっていうかね。何とかマジで考えてるの。って突っ込まれると、ちょっと困るみたいな感じなんですよね。
ねえ、みんな、ここどんな感じなんだろう。神社で。でもそんなに不真面目な人っていない感じがするよね。特に初詣。いつもか。いつもさ、お願いしとくか。みたいな展
参加者 1 07:13
だから、これ聞いてる人たちもそうなんじゃないかなとは思うんですけど、どうなんでしょうね。心の中は結構読めないからさ、みんな真面目にお祈りしてるけど、聞いてくんないよなとか思ってたりもするのかな。
そんな感じで生きてたから。そんでこう、ある時さ、高校生の時の話なんですけど、 私、前どっかで書いたけど、高校3年生の夏休みって図書館に通って、地元の図書館で毎日勉強してたんですよね。
参加者 1 07:31
毎日勉強に行って、その500円持ってって、隣のね、今はないし、ラーメン屋さんみたいなとこで冷やし中華毎毎日食べるっていうさ、 すごい今思うと、ある種の親孝行だなって。夏休みなのに家にいないの、すごい親孝行だなって思うんだけど、そういうことをずっとしてて、そういう中でさ、そう、友達を待ってたっていう話も書いた。なんかその地元の子とすごい仲いい子はいるけど、そうじゃなくない。普通ぐらいだったら、地元の友達姿、全部縁が切れちゃってさ、1人で違う遠くの高校に行ったから、
参加者 1 07:51
なんか夏休み誰と遊ぶってこともなくて、すごい寂しくて、なんか図書館に行ったら誰か来ないかなって思ってたんだけど、誰も来なかったんですけどね。そんな時に1回地元の図書館行ったら、休みだったんですよ。なんかうっかり今日休みだったみたいな。あるよね、図書館の休み。なんかイレギュラーの休みとかあるじゃないですか。
そん時に、しょうがないからもう電���乗って隣の市まで行って、そこの図書館で勉強して帰ってきたんですよね。でも、その帰り道に、なんか駅まで戻る時にさ、 近道しよう、こっちからいけないかなとかって適当に通った道にお稲荷さんがあったんですよ。そんで、神社だって、
参加者 1 08:14
ちっちゃかったけどさ、ちっちゃい目立たない神社だったけど、すごい通り道の変な道を抜けて帰ってるからさ、通り道の真ん前にあって、なんか素通りするのも悪いなみたいな感じだったんですよね。
それで、そこの神社に、一応さ、手を合わせることにして、パンパンってやってさ、そこで、でも、せっかく来たから、お願い事しようと思って、 この、ここで、何回か、その、中学の時好きだった男の子のこと、すごいめっちゃ好きみたいな話、めっちゃ好きだったっていう話をしてると思うんですけど、高3になって、なおさら、この、その男の子に会いたかったからさ、会えますようにってお願いしたんですよ。
参加者 1 08:38
そしたら、そしたらですよ、1週間ぐらいしたらさ、その図書館で私が1人で勉強してたらさ、その男の子の声 でもさ、そこにもう1人男子が1人で図書館来ない。ってか、声がしてるってことは、つまり誰かと一緒なんですよ。
そしてもう1人そこにさ、一緒にいたのがさ、中1の時好きだった男子だったんですよね。その中2で好きになった男の子と、中1の時好きだった男の子が一緒にさ、
参加者 1 08:56
中学の時は2人に接点はなかったはずなのに、同じ高校行ったから友達になったんでしょうね。なんか友達同士として、すごい仲良さげに来てさ、 マジで。と思って、なんか、でも、それそれ、どっちか声かけようみたいなこと。すごいさ、なんか声かけたいけど、なんかすごい私、天邪鬼だからさ、 こう見えて、めっちゃ弱なとこあるからさ、ここで、中1ん時付き合った男の子にさ、先にさ、なんとかくん、久しぶり。とか、
参加者 1 09:16
元気。みて声かけようかな。チラっていう気持ちと、それはやっちゃいかんだろうみたいな気持ちとさ、なんか、ぐるぐるってなって、ぐるぐるってなってた。なんか、終わっちゃったんですよね、なんかずっと。たださ、せっく、せっかくさ、願い事を叶えてもらったのに、私の認識としてはそれは叶えてもらっただったんですけど、そのチャンスを一切生かせずに終わって。
でもさ、でもすごいと思ったんですよね。おいなりさんすごいと思って。それで、この機会にお礼参りしなきゃと思って、そこでもう1回行ったような気がするので、ちょっとちゃんと覚えてないんですけど、
参加者 1 09:39
なんかそういう神社作法に割とうるさいみたいな感じですね。私、昔からそんな、高校生なのにさ、なんでなんだろうね。それ、どこで覚えてきたのかわかんないんですけど、お願いのしっぱなしはダメっていう。叶えてもらったら、ちゃんともう1回行くね。それ大事って思ってますね。
でも、そんなだけどさ、そんな風なことがあったにも関わらず、そして、神社が小さい時から好きだったにも関わらず、初詣っていうのに、私、1回も行ったことなかったんですよね。
なんでかって言うと、もうその時に、結構雪が深くなる季節だからさ、年越っていうとさ、
参加者 1 10:01
それで、なんか年越す時に、なんていうの。その真っ黒な道を、その、吹雪いてる、絶対吹雪いてるからさ、絶対とかじゃないけど、大方吹雪いてるから、その中を、除雪もしてるかしてないかわかんない道を踏みしめて、神社まで。
で、それを、なんか大人、おじさんおばさんぐらいな、やるかもしんないけど、なんか、中高生がやってるっていう感じは全然なかったんですよね。あんまり友達とかっても聞いたことない。
なんかさ、でも、少女漫画とかで、高3で受験生だと、みんなで神社に、なんか合格期間期間行こうぜとか言ってさ、絶対行くよね。世の中すごい。それやるのかな。敵があまくないってことやるのかな。
参加者 1 10:29
でも、やったことなかったんだよね。なんだけど、大学で東京に来て、それで、初詣というもの、私もして、ミントすなみたか思ったんですよね。帰らなかったから、その帰省をしない人だからさ、 すごい晴れてて、すんごい1月1日ピカってなってて、うわ、東京の正月最高。って思って、こんなんだと、初詣やっぱ行かないとねと思って、行ったことなかったけど、大学のそばの神社に行ったんですよ。今まで行ったことなかったよね。多分。多分なかった。
参加者 1 10:49
大学はなんかその、本部と文学部にキャンパス分かれてるんですけど、私は文学部だったから、そっちにいっつも行ってたんですけど、文学部キャンパスを見下ろす形で、結構ね、大きめの神社があるんです。
でも普段は全然人がいない。そこに誰かがね、小学校だとさ、神社に子供がたまるって言ったけど、大学だとさ、神社に大学生はたまらないの。
なんか私としては、なんか誰も行かない、あ、神社。って思ってたんだけど、初詣行ってみたらめちゃくちゃすごい人出で、こん時横列がさ、全然進まなくて、すごいなと思ってさ。
参加者 1 11:13
あと、1人で来てる人いないなっていうのも思った。なんかみんなみんな家族とかカップルとかで来てて、なんかすごいぽっちで、初詣ってあんま来ないんだなって思った記憶がある。若い人多いからかもしれないですね。土地ね。そこで何をお願いしたかっていうと、 普通に1年健康に過ごせますようにってこともお祈りしたと思うけど、大学1年のその年越しって、私、小説を文学長に出してたから、なんかね、それが通りますようにって、お願いしたんですよ。
参加者 1 11:32
なんか、それも、しかもさ、設定として、対象と、読者賞っていうのがある長なんですよね、対象は、なんかこう、みんなにさ、当然、先行員の先生方に選ばれた賞で、読者ていうか、なんか、読者投票があるから、読者の投票が多かったか賞っていう感じだったんですけど、で、対象が、30万円が賞金でし、読者賞の方は、10万円なんですけど、 なんか、対象だと、ちょっと自分には重いから、読者賞がもらえますように、10万円もらえますようにみたいな感じでね、思いのしらしたらですよ、もらえたんですよね。
参加者 1 11:54
神社すげえって思いません。それそれ、神社じゃない、関係ないんじゃないですか。ってね、ツッコミもあるだろうけど、私、素直に神社すごって思ったんですよ。
そんなこんなで、すごいさ、その大学のその神社すげえってなって、そっからしばしば行くようになったんですよね。さすがにね、お礼もね、お礼もしなきゃいけないから、 そういう、すごいさ、様々なことをね、お願いしては叶えてもらいました。彼氏ができますようにとか、もうこの彼氏と別れたい、
参加者 1 12:14
でもやっぱりまた返して欲しいとか、なんかそういう、そういうさ、無茶苦茶なことをさ、なんでもかんでも聞いてくれたの。でも、それはまだいいですよ、それは。でも、自分は動いてるからって思うかもしんないですけど、 なんかね、でもね、ある時ですよ、そうやって、結局、その大学のそばに住んでたのが、学生時代いっぱいで、1回よそに行ったんですよね。赤川に住んで、1年ちょっと住んで、またもう1回戻ってきたんですよ。
その時に、またそこの神社に、穴っていう有名な神社なんですけど、すごいおっきい神社なんですけど、そこに行くようになって、
参加者 1 12:39
また年越しの時が来て、その時友達が泊まりに来てて、初詣行こうよみたいな話になったんだけど、私すごい朝弱いからさ、うん、気が向いたらねみたいな感じで、むにゃむにゃってしてて、なんか次の、やっぱり起きてもさ、むにゃむにゃだったから、友達が起きて、初詣行こうよとか言っても、私はいいやって言って、 うん、なんかその代わりにお願い事してきてよってなきゃくださいって言ってきてって言ったんですよね。もうこの時点で不届き者ね。あらゆる意味でのきもっていう感じで、ちょっと恥ずかしいんですけど、言ったんですよ。
参加者 1 13:01
そんで、そしたらさ、ほんで、私は寝てたんですけど、寝てたってか、起きて活動してたと思うけど、半分寝てるみたいな感じで朝活動してたら、友達が帰ってきて、すごい暗い顔で帰ってきて、 どうだった。って。どうしたの。混んでたの。って言ったら、いや、混んでたけど、それじゃなくてさって言うんですよ。なんか、その、私のさ、願い事たくさんいたから、その人、友達をしてくれたんだけど、 なんとかちゃんが直己性に入りましたけどねって言ったらさ、なんか、ダメだ、入らないって
参加者 1 13:22
声がしたんだって。その声って、頭の中に響いた声じゃなくて、その、あまりにも神社が混んでるから、そう、みんな、お最善をちょっと遠く感投げたりするわけです。変な方向がある。そんで、カンってなんか小銭が弾かれて入んない時とかってあるじゃないですか。すごい混んでる神社は。
だから、そういう人のそういうセリフだったのは間違いないんだけど、なんか私には返事に聞こえたって言ったんですよね。そしてね、結果は言うまでもないよね。
なんかね、本当、この返事の件が本当にすごいって思った時ですね。なんか、でも、意外とこうして喋ってみると、エピソード地味だなって今自分で思ってますね。あれ。なんか、
参加者 1 13:50
なんか、それはでも、自分の努力じゃない努力だったり、その当然の結果だったり、いろんなことじゃないかっていう風に思えば思えることなんだろうな。なんかまだもう1個あって、8万が見て。
私がもう別の土地に、駒込に住んでた時。だから、秋田に1回戻って、もう1回上京して仕事してる時に、大学に用事があったんですよね。調べ物しなきゃいけなくて、あれ。失敬。ないってほどじゃなかったかもしれないけど、ちょっと大学に行ったんですよね。その時に、 その8番の前を通るから、なんかちょっと寄ってこうかな、どうしよっかなって迷ったけど、結局久々だから寄ったんですよね。
参加者 1 14:15
んで、なんていうの。昔みたいにお願い事しないけど、それは他の神社で、今住んでるとこの神社でやってることだから、こっちではしないと思って、なんか、こ、 挨拶みたいなさ、いつもありがとうございましたみたいな、ちょっと来ましたみたいな感じでご挨拶してから、大学に行って、図書館に行ってさ、なんか自分の調べ物を済ませて、終わったと思って、 そんで、調べ物じゃないさ、あと、せっかくここまで、遠くまで来たから、趣味のなんか好きなもんでも読んで帰るかと思って、なんか読みたいですとか、貴重な本調べて、
参加者 1 14:36
その田中棚に、こう、早足でさ、移動する時にさ、私、大学の地下書庫めっちゃ好きで、なんか一時期、すごい卒論の時か、すごいここ持ってる。のみならず、なんか本当にただ趣味で読みに伝えしてたんですよね。テヅカさんの全集が全部置いてあって、あと オリコン年間、なんかその、cdの売り上げとかさ、そういうさ、なんとか年間、エンタメ系の年間を見れるっていう。今ネットで全部見れるかもしれないけど、まだそういう時代じゃなかったから、そういうの楽しんで見るにはそこしかなくて、その地下深くでさ、
参加者 1 14:57
そういうのを1人でひっそ��楽しんでいたんですけど。だから地下直行のことよくわかってて、なんかどこの棚からどこの棚に移動するっていう時に、もう、さ、さささって歩いて行ったんですけど、なんかそん時にさ、ふって、 急に、なんか、あれ。って、なんか、棚の一点に、なんか目が止まった気がしたんですよ。んで、ん。って思ってさ、高校の同級生の本がね、そこに、棚に刺さってたんですよ。
でも、どうせ同名かなって思ったけど、なんか、その、生まれた年と、秋田県出身ってこと書いてあったから、あと、すごい珍しい名前だからさ、あ、本人だと思って、なんかその、高校1年生の時、好きだった男の子の本だったんですよ。
参加者 1 15:23
まじかと思って。なんかさ、そんな、ありえないじゃないですか。その、何万冊っていう本が、ぎゅうぎゅうになってるさ、チョコは。で、移動してる時にピンって、そんなさ、 名前を拾って、すごすぎると思って。なんかそれは、でも、私の胴体視力、自分が動いてても胴体視力っていうのが超いいとか、そういうことかもしれんけど、なんかやっぱ私的には、それってなんか神社の恩恵かなって思ったんですよね。
なんか、でも、喋ってると恥ずかしい。これ、なんかあんまり人に言うことじゃない。でも、ブログに書いたことあるので、ちょっとそれ読んでた人が悲しいがかぶっちゃってすいません。
参加者 1 15:45
え。そんなさ、何の前情報もなく。そこでさ、昔ちょっと好きだった男の子の本と再会できるって都合。と思って。研究職です。研究としての本みたいな、その、小説家とかsとかそういうのじゃなかったんですけ、 本が出て見れたっていうだけで、すごい楽しかったっていうか、すごい嬉しかったです。
なんか今元気なんだなって。そう、ほっこり系ですけど、なんかその、ときめきキュンじゃなくてさ、頑張ってんだなみたいな感じでしたけど、すごいミラクルが起きたと
参加者 1 16:07
今なんかでも話してて、色々話してて、若干なんか恥ずかしいのと、みんな引いてないかなっていう気持ちでいっぱいだな。これなんなんでしょうね。
やっぱりこう、基本が無宗教の国だからかな。あんなにみんな神社でさ、初詣の時、一生懸命お祈りしてるけど、なんか本当に、本当に、そんなにさ、髪を信じてる感じ を言うってさ、ちょっと恥ずかしく感じるよね。特に、なんていうの。新興教でもないし、四大宗教でもないし、そういうとこと無縁並みにして、かなり信じてるっていうのが、なんかね、ぽってなっちゃいますね。
参加者 1 16:29
なんか、でも、こういう時のためにね、先に紹介する本を用意しておきました。本っていうかね、短編。なんかね、池澤夏樹さんの、うん、マリコマリキータっていう短編集があるんですよね。
最初、文集文庫で出てて、角川文庫に行って、それも今鉄板になってて、 集英社から電子版っていう形で今出てるのかな。集英社の紙の本っていうのはあるかどうか、ちょっとすいません、確認しませんでしたけど、そういう風に映ってってる文庫がありまして、なんかそれに載ってるアップリンクっていう短編がね、
参加者 1 16:52
神様にお願い事を伝えるっていうことについて書いてですよね。池澤夏樹が。なんかそれ強調しておきたい。池澤夏樹がうさん臭くない。池澤夏樹が。
そっから説明しようかな。 まあ、私は角川文庫版の時に買って、ひょん時の表紙がすごいいけてたんですよ。すごいお洒落な表紙で、何これいいこの表紙。と思ってジャケ買いしたんですけど、ま、全体的に私は、あと私がすごい短編信者だからね。短編集大好き人間だから、
参加者 1 17:12
短編集って書いてあると、もうお、まじか。みたいな感じで、池沢菜かよく知らないけど、なんか許可書持ってったやつしか知んないけど、読んでみようと思って 読んだ。めっちゃ面白くて。それ、20代、20歳、24、45ぐらいの時の話ですね。めちゃめちゃ面白かったけど、なんか、でもそのアップリンクっていう感覚が私的に印象に残って、 なんかえ。みたいな話なんですよ。数字読むと、てか筋忘れてたけど、さっき読み返したんですよ。この中国のために。本当に私的にはそういう
参加者 1 17:36
話だったなっていう解釈だったけど、なんかそれ本当か。24、5の私の解釈信じていいのか。と思ってもう1回読んだけど、やっぱ本当だった。なんかどういう話かっていうと、 うん、なんか気象庁の人かな。なんか気象庁に委託された人なのかわかんないけど、こう、速攻上。なんかその気象データを取ってさ、観測してその本部に送るっていう観測所があるじゃないですか。
この観測所が離島にあって、離島の観測所を点検に行く男の人が主人公の話なんですよ。離島に行くんですけど、離島ってのはなんか本当に結構アクセス悪そうな離島で、ちょっとね、もしかして
参加者 1 18:00
離島に詳しいタイプの人だったらあそこねってわかんのかもしんない書き方をしてるんだけど、私にはわかんないです。そういう島とかにサクセス悪いとこに行けない人間だから。持病で、 だからあんまり興味なくて調べたことないんだけど、日本国内のどこか、そういうちゃんと即工場さ、観測所がある離島に飛行機で、小さな飛行機に乗っていく。いつもなら船が出てるんだけど、なんか 港が西側にしかない。ん。東。とにかく風のせいで船が全然行けなくなってる。それで、なんかちっちゃい飛行機にさ、飛行機も、あんま大きい飛行機に着陸できるような空港ないから、
参加者 1 18:26
ちっちゃい飛行機にさ、生活物資をパンパンに積んで、なんとかやり取りしてるけど、もう島ではなんか物資が不足してきてるみたいな、そういう大変な状況にあるとこに、でも、その人は、パンダさ、点検の人だから、気象庁は点検しに行くんです。
まで船が追いつけないから、自分もその荷物と一緒に飛行機に乗って島に行って、そんで、こう、島には役場のお兄ちゃんみたいなのが案内役でついて待っててくれて、こう、色々案内してくれたりするんだけど。
で、小さなホテルに泊まって、ホテルにはおじいちゃんがいて、なんかおじいちゃんに、
参加者 1 18:50
なんかあんたが天気を直しに来た人かね。って言われて、いや、天気を直しに来てないです。なんか、自分は観測所の点検に来たものですみたいな言うんだけど、だけど、っていう話なんですよね。
なんのことかわかんないと思うけど、なんか、とにかく、そのさ、主人公の男の人が、なんかこの、理系の知識を、なんかべらべらべらって、こう、周りの人喋りまくるんですよね。で、そういう科学的に正しいことしか言わない。
そん中で、島の人は天気のことで困ってる。で、なんとかなんないかな、天気は。っていうことを、なんか言うんですよ。その役場の青年も言うし、そのホテルのおじいちゃんも言うんですよ。
参加者 1 19:16
なんともなんない天気だからっていう風に主人公は言うんですよね。なんだけどね、なんかそれが最後には。っていう話なんですよ。
なんか、それがアップリンクっていう。このタイトルは主人公が使った言葉で、観測データを本部に送る上り回線のことをアップリンクって 言うんだけど、その話を読み終わった時には、
参加者 1 19:32
なんていうの。そういう、上り回線、下り回線みたいな。今はほら、みんなそういうのにすごく馴染みがあるじゃないですか。スマホでさ、いっつも上りと下りながら矢印がさ、ピカピピカなるの見てるからよくわかると思うけど、なんかそういう、なんていうの、 私たちが生活してる場にさ、下り回線が、なんらかの下り回線があるっていうことには、みんな疑いがないと思うんですよね。その天気とかもそうだし、 自分の力の及ばない何か大きなものからの下改善が存在して、なんか運命を多少左右されてしまったりとかするっていうことに依存がある人はいないんじゃないかなって
参加者 1 19:59
思うんですけど、そこになんか神様みたいなものを想定しなくても、その意志っていうものを想定しないとしても、すごい大きな自然があっている、自由があるわけじゃないですか。なんか、でも、 登りもあるんじゃないですかってのは、その短編の言ってることだと思うんで、そこまで言ってないかな。でも、その上り回線が存在する可能性みたいなのを読んでる人には、その主人公が予感してるかどうかはともかく、 読み手はあれって、なんかあれ。って思うっていう、そういう話なんですよね。なんか、だから私にはめちゃくちゃ印象深かったんだけど、
参加者 1 20:24
245って言ったらさ、そういう、その神社でのさ、なんかあれもこれも叶えてもらったわってなってるとのことだからさ、 でも、そういうなんかちんまい願い事にそんな構ってる暇、神様にはないんじゃないかみたいなことを、作中でおじいちゃんが言ったりするんだけど、このおじいちゃんなんかでも、そういう、 うん、それこそアップリンクがあっても変ではないんじゃないかなって、私個人としては
参加者 1 20:42
思うんですよね、実はね。でも、それも、なんか自分があれかもしんないけど、すごい大きな運命的にあったことがないからかもしれないですけどね。やっぱり震災って、すごい 被害を受けたりとか、すごいもう自分が大病したり、身内が大病したりっていうことがあるとさ、なんかそれで神様に当然助けてくださいって言っても助けてもらえない時があった人は、やっぱそういう風には思えないだろうし、
参加者 1 20:59
そういう風にやっぱ自分もなるかもなって、この後こう、そういうことが起こるかもしれないなっていう風には思うけど。だから、こうやってそういうアプリックあるかもなって言ってる状態って、すごい能天気で幸せな人間なんだなっていうことは思いつつも、��も思ってしまうっていうのがね、 今の状態ですね。この先どうなるかわかんないですけどね。ちょっとこのイケザワさんの話は他の人に、うん、読んでほしいなっていう気持ちはありますね。私もね、今回さっき急ぎで急ぎでもう1回読もうと思って、近道でさぱぱって買っちゃったから、他の話も読んでないけど。他の話いつ勘弁があって、この話はすごい短い方なんですよ。
参加者 1 21:23
で、他のも。でも面白かった当時は思ったから、きっと今読んでも面白いじゃないかなって。あとで読みますね。話としてはそんなところです。
参加者 1 21:32
この番組では、ご意見窓口としてマシュマアカウントを解説しております。オラにリンクがありますので、こんな話してほしい。こんなこと聞きたい。みたいなご要望。あとはもちろんご感想がありましたらお気軽に送ってみてください。
で、送ったけど、そしてなんかテーマに採用されたけど、なんか特になんていうの。2回目、3回目と送ってくださっても大丈夫なので、なんかその時の返事とかいちいち書かなくても、なんかまた 送ってくれても大丈夫なので、またよろしくお願いします。匿名サービスですが、ラジオネーム、年齢、ぼかした居住地など���いてもいいよって方は書いてくださると嬉しいです。
参加者 1 21:56
では、曲紹介コーナー行きたいと思います。今回なんかテーマが結局なんか神様みたいな話になっちゃって。神様ってさ、歌詞自体にはすごいよく 感じがしますよね。やっぱりみんななんか困った時には神様って多いんだなっていう感じで出てくるけれど、なんか一方で、 1人1人結構そういう神様感みたいのって違いそうだなって思いますね。スピッツもね、私の大好きなスピッツも、わりかし神様とかすぐ言う宗さんの歌詞だけど、
参加者 1 22:19
すぐ言うけど、あんまり特定の宗教感はないし、なんか私みたいなと、なんていうの、もう、なんていう、猛進してる。猛進とまで言わないけど、結構ね、結構好き。ってなってる感じもあんまりしない神様感ですね。
うん。どっちかって言えば、なんか自然みたいなのに近い感じがする。それで今回ね、あとキリスト教徒のミュージシャンとかもいるんですけど、 中村一義とかもそうなんだけど、なんか、
参加者 1 22:40
うん、今回ね、かけたいなと思ったのは小沢健二でしたね。かけたいなって。私がかけてるわけじゃないけどね。そうそうそう、最初に言い忘れた。このコーナーはspotifyのmusicplusと機能を利用して、番組の後に1曲流すというシステムを取っております。なんで、spotify勢以外の方は聞けないんですけども、局所会まではお気軽にお付き合いいただけますと幸いです。
話戻すんですけど、小沢健二なんですよね。かけたいと思ったのはね。なんか尾崎の曲、特別神様っていう言葉が多いとは思わなかったけど、なんかそれっぽい。なんとなくイメージが繋がるっていうか。
参加者 1 23:05
本人が神様っぽいわけじゃないけど、なんだろう、なんでかなって思ったらあれなんですよね。曲の視点がすごい高い。上の方みたいな神の視点、いわゆる神の視点みたいな感じで書いた曲が多いなって 感じるんですよね。ちょっと最近の曲を聞いてないから、そこは最近違うよっていうのがあったらごめんなさいなんですけど、私が1番聞いてた頃、聞いてた頃、私、現役では聞いてないんですけど、その、ライフとかのさ、2000年以降に聞いてた人ですね、 なんか振り返って、めっちゃ聞き込んでた人、すごい性が高くてさ、あと、なんだろ、そういう、恋の歌とかであって、
参加者 1 23:31
こういうの歌っても、俺とお前みたいなさ、なんかこの、いちいちで、もうそこしか見えてないみたいな曲がさ、世には多いけど、なんか、お酒の歌って、恋の歌であっても、で、僕と君を歌ってても、めっちゃカメラ遠いなみたいな、すんごいさ、遠くから見てる感じがするんですよね。
あと、時間もさ、すごい行ったり来たりが激しいっていうか、
参加者 1 23:47
なんかこう、うん、本当ね、なんかね、神の視点の曲が多いんですよね。それがなんか、別に小沢健二の意識がどうこうみたいなことを話すつもりはないんだけど、私、そんなに、別に長ファンってわけじゃないから、何も分析してはいないんだけど、でも、なんとなく、神様感がするなって思いますね、曲からね。
なんかさっき言い忘れたんですけど、私、そういう神社でお参りする時に、なんかこう、自分の中で決めてる コツみたいなものが1つあって、ちょっと喋っちゃうんですけど、なんかこう、最初にさ、自分が何者かを名乗るんですよね。
参加者 1 24:08
町内どこそこ、2丁目に住んでる。なぜそれです。っていう風にさ、本名名乗るんですけど、そん時に、こう、神の視点でさ、ほわんって、 この町を、神社の周辺を思い浮かべて、近所の神社にしか行かないからね、その遠くの神社でお願い事はしないから、わんって思い浮かべて、なんか、その上から見た感じで、この辺って、その神社を中心とした地図で、この辺に住んでるものですっていう、 なんか思い浮かべることにしている。そういうさ、なんか、わんってお願い事する時に、上から見るとどうかな。っていうのを、ちょっと思ったりして、うん、その上の視点が、お酒の曲ってなんか入ってるなと思うんですよね。
参加者 1 24:35
だから今回、お酒の曲だったら割となんでもいいかなっていう感じだったんですけど、ぱっと見てみて、自分のね、持ってるipodに入ってる曲リストを見てみて、 これでいいかなっていう、なんかのを取りました。すごい。やっぱり視点が高いし、時間もすごい行ったり来たり、遠くから 遠くから見てるけど、なんか客観性でもない。なんか見守る感じは、自分含め世界全体を見守ってる雰囲気は。って、そういうのが、なんかこう、いいなと思いますよね。竹の曲はね、じゃあ
参加者 1 24:57
ね、ちょっと適当に選んだ曲ではありますけれども、聞いてみてください。じゃあ、spotifyでお聞きの方はこの後曲が流れますが、私とはここでお別れになります。今回もね、なんかぐちゃぐちゃした、なんかよく���かんない話を最後まで聞いてくださって本当にありがとうございました。皆さん、今年もよろしくお願いします。
そしてまたお耳にお耳に書かれましたら幸いです。それでは聞いてください。小沢健二で愛し愛されて生きるのさ と考えてみたんですよね。。
clovanote.line.me
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roundtripjp · 8 months ago
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鮮為國外旅人知悉!深藏在住宅區之中,有著可可愛愛的狐狸形象,是為當地人歷代奉祀,守護著當地的日常守護神的「竹駒稻荷神社」!
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komagome-soko · 9 months ago
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motivated bodies
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この度、綾野文麿、髙橋凜、チョン・チェリン、ナタリー・ツゥー、早川佳歩、米村優人によるグループ・ショー「motivated bodies」を駒込倉庫にて開催致します。 会期:2024 年 3月30 日( 土) ー4 月21 日( 日) 時間:12:00-18:00 *月・火・水 休廊 オープニング・レセプション:3月30日 16:00 -
Komagome SOKO is pleased to announce a group show, “motivated bodies” by Fumimaro Ayano, Kaho Hayakawa, Chaelin Joen, Rin Takahashi, Natalie Tsyu, and Yuto Yonemura,
Dates: Sat. March 30 - Sun. April 21, 2024 Hours: 12:00 - 18:00 *Closed on Mon., Tue., and Wed. Opening reception:  March 30 16:00 -
“Motivated”(モチベーションを持つ)という言葉は、正確には、科学的にも学術的にも定義づけされていない。主に心理学として使われる言葉だが、その定義は諸説にとどまる。いわば、空のシニフィアンである。
しかし、現代社会においては、モチベーションをもつことは、高い意識をもち、よりよいライフスタイルを目指す言葉として使われ、誰もが目指すべきもののように掲げられる。この要因として現代ではより裕福であることが善とされ、人々は良い家、良い服、良い車、良い食べ物を追い求めようとしており、それは資本主義的な飽くなき成長を目指す精神性と言えるだろう。さらにそのような考え方の中では、より健康で、より長生きするための実践も行われる。その先にあるのは、非科学的な手法や根拠のない俗説である。またモチベーションを持つことは、我々の日頃の生活の中でも、大いに要請される。社会的にはより生産的な人間であることが、あたかも絶対的な価値として蔓延し、非生産性はつまり “amotivated” (モチベーションがないこと)であることは社会的な悪とされている。このような二項対立のなかで、“motivated”であることは一種の脅迫的な思考とも言える。そして普遍的な価値としてもなりすまそうとしている。
しかし、そもそも、モチベーションをもつことは、なんら怪しいことではない。美術に話を寄せれば、インスピレーションをきっかけに作品制作は始まるかもしれないが、それを動かし続けるのは、モチベーションである。ある種の持続的なやる気というのは、内発的なモチベーションによって維持され続け、何かをやり遂げる原動力となる。
 本展覧会題名に出てくる、”bodies”は単に身体を指す物ではなく、ある組織全体や概念的な物体をさす言葉として使われる。その意味合いを用いた場合 “motivated bodies”は “動機を持ったものたち”というような訳になるだろう。また、ものとは作品自体を指す言葉にもなりうる。作品の持つモチベーションとは何か、受動的とも捉えられている作品自体がどのような役割を果たすのだろうか。
そして、このモチベーションのもとは何かを今回6人の作家を通して考える。
 The word "motivated" does not have a precise scientific or academic definition. While primarily used in psychology, its definition remains subject to various interpretations, essentially serving as an empty signifier.
 However, in contemporary society, being motivated is portrayed as having heightened awareness and aspiring to a better lifestyle. It is presented as a goal that everyone should strive for. In the present era, affluence is regarded as a virtue, and people relentlessly pursue good homes, clothing, cars, and food—an attitude reflective of the ceaseless growth ethos of capitalism. Within such a mindset, practices for better health and longevity are also pursued. Beyond this lies a realm of non-scientific methods and baseless popular beliefs. Additionally, being motivated is highly demanded in our daily lives. Socially, being a productive individual is pervasive as an absolute value, and a lack of productivity, in other words, being "amotivated," is considered a social detriment. In the dichotomy of these notions, being "motivated" can be seen as a somewhat coercive thought, and it attempts to masquerade as a universal value.
 Yet, fundamentally, there is nothing suspicious about being motivated. In the realm of art, while the creation of artwork may start with inspiration, it is motivation that keeps it going. A certain sustained enthusiasm is maintained by intrinsic motivation, serving as the driving force to accomplish something.
 The term "bodies" in the title of this exhibition does not merely refer to physical bodies but is used to signify an entire organization or conceptual entity. In this context, "motivated bodies" would translate to something like "entities with motivation." Moreover, the term "things" can also refer to the artwork itself. What is the motivation behind the artwork, and what role does the artwork, often perceived passively, play?
 Through the perspectives of six artists in this exhibition, we will contemplate the origin of this motivation.
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Fumimaro Ayano  綾野文麿 1992年生まれ。埼玉大学教養学部芸術論専攻卒業後に、2023年東京藝術大学美術研究科グローバルアートプラクティス専攻修了。2021年にミュンスター芸術大学(ドイツ)へ留学。言語と記憶を通して日常における「形骸化された行為」をテーマにインスタレーションやパフォーマンス、テキストなどの多様なメディアを用いて作品を制作している。現在は東京都在住。令和4年度東京藝術大学卒業・修了作品買上。Art Award Tokyo Marunouchi 2023 後藤繁雄賞。
主な展覧会に、レジデンス・グループ展「月出アートキャンプ2022」月出工舎(千葉、2022)、二人展「Half & Half」Kunstakademie Münster (ミュンスター、2021)、「室内写真ーCamera Simulacra」文華連邦・あをば荘(東京、2020)、「ex\on」dragged out studio(東京、2020)
b.1992. After graduating from the Faculty of Liberal Arts, Art Theory Department at Saitama University, completed studies in the Department of Global Art Practice at Tokyo University of the Arts in 2023. Studied abroad at the Münster University of Fine Arts (Germany) in 2021. Produces works using various media such as installations, performances, and texts, focusing on "ritualized actions" in daily life through language and memory. Currently resides in Tokyo. Artwork purchased for the Tokyo University of the Arts graduation (2023). Received the Goto Shigeo Award at the Art Award Tokyo Marunouchi 2023.
Notable exhibitions include participation in the residency group exhibition "Tsukide Art Camp 2022" at Ars Tsukide (Chiba, 2022), a duo exhibition titled "Half & Half" at Kunstakademie Münster (Münster, 2021), "Camera Simulacra" at Bunka union Aobasou with Midori Mitamura (Tokyo, 2020), and "ex\on" at dragged out studio (Tokyo, 2020).
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Kaho Hayakawa 早川佳歩 1996年愛知県生まれ、東京都在住。2019年武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻卒業。2021年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻版画コース修了。
主な展覧会に「Wit and Zen」GRAFO gallery(リトアニア/2019)、「山と谷のあるところ」多摩信用金庫2階ギャラリー地域貢献スペース(東京/2022)、「個展 3本足のスキップ」Cafe B13(2023/東京)など。
絵画空間の出現条件をテーマに、近年は作為と不作為のレイヤーが入れ子構造となることを条件と仮定し制作している。版画技法を用いて版を介することで他者性を介入させるだけでなく、ときに展示空間に立ち入る鑑賞者も不作為な要素として作品のなかに組み込まれる。
Born in Aichi Prefecture in 1996, currently residing in Tokyo. Graduated from the Oil Painting Department, Printmaking Major, of Musashino Art University's Faculty of Fine Arts in 2019. Completed the Master's Program in Art Major, Printmaking Course, at Musashino Art University's Graduate School of Art and Design in 2021.
Notable exhibitions include "Wit and Zen" at GRAFO gallery (Lithuania/2019), "Yama to Tani no Arutokoro" at Tama Shinkin Bank 2nd-floor Gallery Regional Contribution Space (Tokyo/2022), and solo exhibition "3 bon ashi no sukippu" at Cafe B13 (2023/Tokyo).
Exploring the theme of the conditions for the emergence of pictorial space, recent works assume the nested structure of layers of intention and unintentionality. By employing printmaking techniques and introducing otherness through the use of plates, the artist not only allows external elements to intervene but also incorporates viewers, at times, as elements of randomness within the artwork by entering the exhibition space.
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Chaelin Jeon チョン・チェリン ソウル、大韓民国で生まれ育ち、現在もそこで活動している。彼女は彫刻、絵画、ビデオなど、さまざまなメディアを使用して歴史から隠された声を掘り起こし、取り入れている。彼女は2021年にフランス、セルジーのエコール・ナシオナル・スペリウール・ダール・ド・パリ・セルジー(ENSAPC)でMFAを取得、2018年には韓国、ソウルの弘益大学でBFAを取得。
近年の主な展覧会には、「A Wall of sugar」(フランス、2023年のTour Orion)、オンライン展「In Transit」(スイス、2022年)、そして「Fesitval SI CINEMA」(フランス、2022年)。
Chaelin Jeon was born and raised in Seoul, South Korea, and currently resides there. She works with various mediums such as sculpture, painting, and video to unearth and integrate hidden voices from history. Graduated in 2021 MFA Ecole nationale supérieure d’arts de Paris Cergy (ENSAPC), Cergy, France. Graduated in 2018 BFA Hongik university, Seoul, Korea.
 Notable exhibitions include “A Wall of sugar” Tour Orion (France, 2023), “In Transit” exposition en ligne (Switzerland, 2022), “Fesitval SI CINEMA” (France, 2022).
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Rin Takahashi 髙橋凜
東京都生まれ。2022年にフランスに交換留学後、2023年東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻修了。既存のイメージやオブジェクト、個人の小さな出来事を起点にした作品を手掛け、ドローイング、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、まで多彩なメディアで制作を行う。主な展覧会に「Blind dog」(アートラボあいち、2023年)、「Adventure Something」(École nationale supérieure de paysage、2022年)、「DELTA」(KAYOKOYUKI、駒込倉庫、2021年)がある。
Born in Tokyo. After completing an exchange program in France in 2022, Takahashi Rin received an M.A in Global Art Practice from Tokyo University of the Arts in 2023. They work with found images, objects and personal moments as starting points, employing a variety of media including drawing, sculpture, video, installation and performance. Major exhibitions include “Blind dog” (Art Lab Aichi, 2023), “Adventure Something” (École nationale supérieure de paysage, 2022) and “Delta” (Kayokoyuki, Komagome SOKO, 2021).
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Natalie Tsyu ナタリー・ツゥー
オスロと東京を拠点に幅広い分野で活躍するアーティスト、研究者。風景の記憶の探求をテーマに、フィールドワーク、サウンド、パフォーマンス、アートブック、グラフィックなど様々な形態のプロジェクトを行う。歴史的な風景を記憶する方法を発見するために、音を道具として扱う。彼女の活動では、音は視覚的な形をとり、視覚芸術とサウンド・アートの境界線で、見えないものを聞き、聞こえないものを見ることへと導く。
2019年にオスロ国立アカデミーを卒業。ノルウェー北部における”存在”の再構築に関連する芸術的研究プロジェクトDUNKE-DUNKのmメンバー。この研究は2020年にThe Norwegian Barents Secretariatからスポンサーを受け、2023年にVIS - Nordic Journal for Artistic Researchに掲載された。日本政府奨学金(Un)mute performance (2022年)日本におけるサウンドアートの歴史(1980-2000)に基づく存在論的楽器の芸術的方法論の開発において平山郁夫文化芸術賞受賞 (2023年)
最近の作品は、ノルウェー、ベルゲンのKunsthall3,14で展示されました。Spriten Kunsthall Skien、ノルウェー。 ルーツ&アーツ白老、日本; ONAプロジェクトルーム、東京、日本。 JCCAC香港; アバブ・ザ・クラウズ・ギャラリー・ロンドン; イギリス
Interdisciplinary artist and researcher based in Oslo-Tokyo. With the theme of exploring the memory of landscapes, her projects include fieldwork, sound, performance, art books,
graphics, and a variety of other forms. In her artistic practice, Natalie deals with sound as a material tool for awareness and exploration of the way of remembering historical landscapes. The sound in her practice takes on a visual form and helps to find the very borderline between visual and sound art, the border where the one who can't see - can hear, and the one who can't hear - can see. 
She graduated from The Oslo National Academy in 2019 and is part of the artistic research project DUNKE-DUNK related to the reconstruction of being in the north of Norway. The research received sponsorship from The Norwegian Barents Secretariat in 2020 and was published in VIS - Nordic Journal for Artistic Research in 2023. In 2022, Natalie received a Japanese government scholarship for: (Un)mute performance: Developing an artistic methodology for ontological instruments based on the history of sound art in Japan (1980-2000) and Hirayama Ikuo Culture and Arts Award 平山郁夫文化芸術賞 in 2023. 
The recent artworks have been exhibited in Kunsthall 3,14 Bergen, Norway; Spriten Kunsthall Skien, Norway; Roots&Arts Shiraoi, Japan; ONA Project Room Tokyo, Japan; JCCAC Hong Kong; Above the Clouds Gallery London; UK https://natalietsyu.com/
Yuto Yonemura 米村優人
美術家。1996年大阪府生まれ。京都市在住。2019年、京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)美術工芸学科総合造形コース卒業。近年の展覧会等に、屋外彫刻《AGARUMANS (Best Friend)》「ART SCRAMBLE」(グランフロント大阪、2021年)、個展「BAROM(あるいは幾つかの長い話)」(京都市京セラ美術館、京都、 2023年)、個展「BARORORM SQUAD 1人でも立ってられるって!」(NEUTRAL、京都、2022年)、個展「我(WE)」(COHJU contemporary art、京都、2022年)、小笠原周、熊��卓哉との3人展「問題のシンボライズ −彫刻・身体・男性性−」(ホテル・アンテルーム京都、2022-2023年)、倉知朋之介との2人展「NSFS/止め処ないローレライ」(EUKARYOTE、東京、2023年)など。
Born in 1996 in Osaka Prefecture, Yonemura Yuto is a Kyoto-based artist. He graduated with a degree in mixed media from the Department of Fine and Applied Arts, Kyoto University of Art and Design (current Kyoto University of the Arts). Major exhibitions include the outdoor sculpture “AGARUMANS (Best Friend)” ART SCRAMBLE (Grand Front Osaka, 2021), solo exhibiions “BAROM(あるいは幾つかの長い話)” (Kyoto City Kyocera Museum of Art, Kyoto, 2023) and solo exhibiions “BARORORM SQUAD 1人でも立ってられるって!” (NEUTRAL, Kyoto, 2022), “我(WE)” (COHJU contemporary art, Kyoto, 2022), the three-person show “問題のシンボライズ −彫刻・身体・男性性−” (Hotel Anteroom Kyoto, 2022–23) with Shu Ogasawara and Takuya Kumagai, and two-person show “NSFS/止め処ないローレライ” (EUKARYOTE, Tokyo, 2023) with Tomonosuke Kurachi.
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travebrog-jp · 10 months ago
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ウ○コ💩のようなオブジェが乗ったアサヒビール本社ビルと、勝海舟の銅像【神奈川&東京旅69】
神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-69 訪問:2022年12月中旬(2泊3日) ウ○コではない・・! 今回の「神奈川&東京旅」も最終日の夕方を迎え、残り僅かな余韻を楽しむ時間帯となってきました。     隅田川周辺にて 東京スカイツリーは前回東京に来た際に展望台まで登ったけど、その時に見下ろしていた”怪しげなビル”が気になっていたので、ここに来てみた。   その”怪しげなビル”というのは、中央に見えるビルの上に乗っている「ウ○チ💩」っぽいオブジェが特徴的なビルである。 オカン 何であんな「ウ○チ」を乗せたのか?? 江戸春男 「ウ○チ」じゃないぜい!   隅田川を渡る為に架かっている橋を渡ったのだが、こちらのレトロな雰囲気の橋は1927年に完成した「駒形橋」。   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%BD%A2…
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eigawomitekangaero · 10 months ago
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【心をエグる】カルト的映画『カッコーの巣の上で』徹底解説/名優ジャック・ニコルソンの胸を打つ演技と名匠ミロス・フォアマン監督が暴く精神病院の闇
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●今回の映画 『カッコーの巣の上で』 (1975年 アメリカ) 監督  ミロス・フォアマン 脚本  ローレンス・ホーベン     ボー・ゴールドマン 原作  ケン・キージー 製作  ソウル・ゼインツ     マイケル・ダグラス 出演者 ジャック・ニコルソン     ルイーズ・フレッチャー     マイケル・ベリーマン     ウィリアム・レッドフィールド     ブラッド・ドゥーリフ     クリストファー・ロイド     ダニー・デヴィート     ウィル・サンプソン 音楽  ジャック・ニッチェ 撮影  ハスケル・ウェクスラー     ビル・バトラー(クレジットなし) 編集  シェルドン・カーン     リンジー・クリングマン     リチャード・チュウ 配給  ユナイテッド・アーティスツ 公開  アメリカ 1975年/日本 1976年
解説 チェン・スウリー/音楽 駒形 英王
1.いい映画なんです!/2.ヒューマニズムの監督/3.閉ざされた社会に抗う男/4.精神病院の闇/5.名優 ジャック・ニコルソン/6.良識派 ルイーズ・フレッチャー/7.美名のもとに…/8.監督の出自とテーマ/9.こぼれ話
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asa-umega · 10 months ago
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人と心の読書会を立ち上げます
 今回、人と心の読書会コミュニティ「opaque(オペーク)」を作りました。メンバーを大募集中です。
概要
・人と心に関する本を読んできて、感想や意見を共有する会です。
・分野としては心理学や精神医学を中心として、社会学や福祉学、教育学などの幅も持たせたいと考えています。
・どんな方でも自由に意見を言い合える場を目指しています。上記分野が専門でない人も歓迎です。
参加方法
・Discordサーバーのボイスチャンネルにて、週1回程度開催予定です。(各回は任意参加です)
・扱う文献はサーバー上で募り、関心を持つ人が数人集まれば開催、という流れを予定しています。
・関心をお持ちの方はhagamokosoのSNSか、Gmail([email protected])までご連絡お願いします。
初回に共有予定の本はこちらです。
駒澤真由美(2022). 『精神障害を生きる:就労を通して見た当事者の「生の実践」』 生活書院
 一人だと考えが狭まってしまう上に、そもそも読書をサボってしまうため、読書会コミュニティを作りました。
 自分自身手探りで運営しているため、これからメンバー同士でよい形を模索していきたいと思っています。様子を覗くだけでもかまわないので、サーバーへ来ていただけると嬉しいです。なにとぞよろしくお願いします!
 
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monthly-ambigram · 1 year ago
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2023-11月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ゲーム」です◆
今月は参加者の皆様に「ゲーム」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  ビデオゲームからゲーム理論まで様々な逆さ文字の数々をご覧ください。
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「スイカゲーム」 回転型:ちくわああ氏
まさに今話題のゲームで、特にNintendo Switch版が大ヒットしています。 ストロークの端点処理をうまく生かしています。スイカに隠された部分として補完処理を利用するのがうまいですね。
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「ゲームセンター」 図地反転回転型: いとうさとし氏
図地反転の回転型なので結果180°回転させても[ゲームセンター]と読めます。 傑作です。
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「Yume Nikki」 回転型:mishima氏
2004年にRPGツクールによって開発され、その後さまざまなプラットフォームに展開されたゲーム。
〇のあしらいが効果的です。「kk」の形が揃っているのが気持ちよいですね。
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「アウトラン」 旋回型:kawahar氏
セガが1986年にアーケード版を発売したドライブゲーム。その後コンシューマ機にも次々と移植されました。
旋回型は角度によってどの図形を拾って読むかが変わるところが見所ですが今回の調整も絶妙です。自車が事故ってスピンしているようにも見えてきますね。
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「テトリス」 旋回型:くノ一忍者氏
1984年に発表された落ちものパズルの始祖。Tetramino+Tennisの造語だそうです。
チャレンジングな題材ですが、読み順の指定と背景により読み方を助けています。
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「UNO」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
カードゲームUNOのロゴを図地反転(しかも鏡像で)アンビグラム化。鏡像の図地反転構造はとても興味深いですね。あまり作例のない珍しい対応解釈です。
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「将棋」 交換型:海氏  
「将」という漢字を切断し上下を入れ替えることで「棋」と読めるようにデザインされた交換型アンビグラムです。規則性があり敷き詰めも可能です。 将棋は言わずと知れたゲームの王様ですが 海氏の本作自体もゲーム的でとても楽しいです。 薄目で見ると「将棋」と確かに読めます。これは絶妙な形状だと思います。
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「透明な駒」 鏡像型:lszk氏
将棋の駒をひっくり返す行為「成る」に着目した実用的なアンビグラムです。それぞれの透明な駒をひっくり返すと「歩→と」「香→金」「桂→金」「銀→金」「角→馬」「飛→龍」となります。 アンビグラムと実用性を結びつけた天才的なアイデアです。
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「UNDERSTAND」 回転型:いんふぃにてぃ氏
法則を理解して条件を満たすようにしてクリアしていくという実験的なゲームです。
本家ロゴに似せて作ってあります。ドット風なのが効果的で、省略された部分がとてもおしゃれなあしらいに見えますね。
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「アイテム」 旋回型亜種:増池誠史氏
ゲームに必要な構成要素の筆頭。能力値はなくてもアイテムはどんなゲームにも登場します。
「テ」のグリフが共通していないので亜種としていますが、「ア/テ/ム」の旋回の見事です。「ア」を操作したらアイテムとして短剣が現れたように見えますね。
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「リトライ」 回転型:peanuts氏
何度もリトライしてクリアに近づいていくのがゲームの基本であり醍醐味です。
「ト」の下部が「ラ」に隠れたような配置にしてバランスと可読性をとっていますね。矢印が何度も繰り返すリトライを表しつつ180度回転させることも示唆していてステキなデザインです。
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「JOKER GAME/柳広司」 回転共存型:兼吉共心堂氏
スパイ・ミステリー小説[JOKER GAME]を180°回転させると その著者[柳広司]と読めるアクロバティックなアンビグラムです。本作はその小説の内容がスパイものということもありアンビグラム作品自体がまるで「暗号」のようです。着想が面白いです。
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「すれちがい通信」 回転型:.38氏
主にニンテンドー3DSで、携帯機同士が互いを自動で探知し、ゲームデータを自動的に送受信する機能・サービスのこと。
かわいい書体でコンセプトロゴにぴったりのデザインになっていますね。面白い組み方をしているのでじっくり見てしまう魅力があります。
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「ファミコン通信」 回転型:ヨウヘイ氏
こちらの『通信』は雑誌の名前。現「ファミ通」の古い誌名です。
氏はなんでも寄せ字に仕上げてしまう素晴らしい技能の持ち主ですが今回も非常にバランスよく変形させて詰め込んでいます。「通」がきれいに回っていて気持ちよいです。
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「昇龍拳」 図地反転回転型: いとうさとし氏
『ストリートファイター』シリーズの打撃技の図地反転アンビグラムです。「龍」の字が普通に読めすぎて凄いです。あと「拳」の字がカワイイ。
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「鬼畜ゲー」 回転型:douse氏
激ムズすぎて一瞬でやられたり、無茶な操作を要求される鬼畜なゲーム。私は『トランスフォーマー コンボイの謎』を思い出します。
「ゲー」を色分けして読みやすくし、反対側でも同じ色付けにしてありますが(同一グリフの観点ではこれが理想です)、「鬼畜」のほうの可読性も落ちておらずうまく作字していますね。パースも非常に効果的です。
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「裏世界」  回転型:螺旋氏
RPGなどで現れる裏側の世界のイメージでしょうか。『ゲーム&逆』からの発想。
明朝体風の作字でまとめてあり非常に読みやすいです。「裏」上部の微妙なカーブの具合が「界」に生きるように調整されていて気持ちよいです。
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「任天堂」 旋回型:ぺんぺん草氏
言わずと知れた、コンピュータゲーム開発で有名な大企業。
2文字/1文字での対応ですがうまいバランス調整によりだんだん大きくなるようにきれいに並んでいます。「堂」はいわゆる『kawahar box』の技法で図地が切り替わっているのが驚きのアイディアです。
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「ゲームは1日1時間」 回転型:ヨウヘイ氏
高橋名人の名言ですね。「1時間だけ集中してやるのがいい」という意味合いだそうです。
斜めになっているのがポイントですね。「ゲーム」と「時間」の文字���り方向を切り替えています。ド��ト風なのが可読性を上げています。
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「ゲームは1日1時間」 鏡像型:うら紙氏
続きまで書くと「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」
同ネタですが鏡像型でもいけました。「間」の下部がそのまま「1日1」なのに気が付けば鏡像で組みたくなりますね。この作品も面白い組み方なのでじっくり見てみたくなります。
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「命もないのに殺し合う」 回転共存型:オルドビス紀氏
『NieR :Automata』のTV版キャッチコピー。自動人形が戦うアクションRPGです。
「命/しあう」「も/のに」「な」「い」「殺」がそれぞれ回転型アンビグラムになっていますが、これを180度回転しても違和感なく読めるように配置しているところが見事です。もちろん全体のゲシュタルトも統一されていて美しい作品です。(回転しても同じ文字列ですが別のデザインになるので回転共存型としています)
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「囚人のジレンマ」 回転型:Σ氏
ゲーム理論におけるゲームの一つで、ジレンマの代表例によく挙げられます。
「囚/マ」以外はかなり素直に一対一対応できるのですね。最後の一つをクリアするのに□で囲むのが面白いアイディアです。マスとして認識するか「くにがまえ」として認識するかを脳が自動で切り替えてくれます。
 最後に私の作品を。
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「冒険の書」 回転型:igatoxin
読者の中にもお気の毒なことになったことがある人もいるかも知れませんね。
ゲームがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。ゲームといっても連想するものは様々でしたね。参加者の皆さんにとっては、他の方とネタが被らないように読み合うのもゲームの一つといえるかもしれません。 ゲームを御題にしたのは今回が2回目ですが 第1回目 に負けず劣らず素晴らしいアイデアが集まりました。 お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『時事』です。2023年を振り返って、今年を象徴するような語句であればなんでもOKです。締切は11/30、発行は12/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}    10月{ヒーロー}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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