#馬越より狂ったコンピュータ
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パット入らん病が治らん、やろ。 #フットゴルフ #footgolf #10オーバー102位タイ #9ボギー1ダボ1バーディ #馬越より狂ったコンピュータ #パットがダメだとまとまらない #ゴルフと同じ #チームジャパンは好調 #1人だけ乗れてない #最終日は初心に帰る #goodtimesbadtimes #人生と同じ #kojaimamura #コージャ今村 #日本フットゴルフ協会公認普及メンバー #jfgacertifiedpromotionmember #0924jfgaツアー第7戦 #fifg100 #0831_0903usproam #日本代表 #fifgmejor1000 #1026_29japaninternationalopen #wewelcomeyou #トモニイコウ #ケイゾクハチカラナリ (Reunion Resort)
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Page 91 : 友達
ノエルは天才だなあ。 懐かしい声がする。底の深い、地に足がついたような、低音の、ほっとする声。満面の笑顔で、ぐしゃぐしゃと髪をかき回すように撫でてもらった。小さな彼とは比べ物にならないほど大きくて硬い手が、ちょっと乱暴なようで、愛しげに、幼い頭を撫でる。さらりとした繊細な髪は、その動きに合わせてもこもこと動いて、既に分厚い眼鏡をかけていたノエルは、にへら、とてもとても嬉しそうに笑った。白い歯の隣にできた、深い笑窪が喜びをものがたる。 彼の手にあるのは、ミニカーだったり、モノレールだったり、プラモデルだったり、リモコンだったり。大きくなってくると、ラジオだったり、ステレオだったり、ゲーム機だったり、ポケギアだったり、コンピュータだったりした。目についた気になるものを、彼は分解した。初めは力任せに引っ張ったり曲げようとしたり、壊そうとしているかのようだったが、父親がドライバーを持ち螺子を回して電池を交換している場面を目撃して、見よう見まねでドライバーを握りしめて、いつの間にか彼のおもちゃとなっていた。固く閉められた蓋があればまず螺子を探した。せっかくのおもちゃもばらばらにした。解体してばかりで放っておけばそれは壊していることと同義で、散らかしていると綺麗好きな母親から怒られたから、彼は元に戻すことを覚え、やがて動かなくなったものを修理するようになった。初めは、電車やロボットに憧れている男の子らしい趣味に過ぎないと微笑んでいた彼の親も、器用で緻密な指の動きには時折目を見張った。機械に弱い家庭だったから、幼くともノエルは頼りにされることがあった。それが嬉しくて、誇らしくて、益々ノエルは分解と修復にのめり込んだ。物を用いて遊ぶことよりも、物自体がなんたるかにばかり興味を持った。その姿はしかし奇異なものとして他の子供達の目に映ったのか、ノエルは人の輪に馴染めなかった。その事を幼い頃の彼は特に気にしていなかった。手の中にある宝で十分満たされていて、夢中になっていて、他人の視線や声など気にしてはいなかったから。体裁を気にしていたのは親の方だっただろう。 ノエルは天才だなあ。パパの誇りだ。 父親はマイペースなノエルを常に肯定し褒めちぎった。後々振り返るとただの親バカだったと鼻で笑うのだが、その父親の存在はノエルの中で大きく、一人でいる時間が増えるほどに比重は増していった。折角買ってもらったおもちゃを受け取ってすぐさま分解にかかるノエルを母親は少々不安に思っていたようだが、父親は笑って吹き飛ばし、また頭を撫でた。それでいいよ。ゆっくりでいい。まず確かめたいんだよな。こいつの正体が一体なんなのか、確かめたいんだよな。満足するまでやったらいい。指先に集中する息子の隣、胡座をかいて時折アドバイスとちょっかいを出しながら見守る父親。ばらばらにして、納得して、直したら、父親と一緒にそれを使って遊んだ。笑いあった。あの頃は、壊れても全部直せるものだと信じていた。全部もとどおりになると、本気で信じていたのだ。
ノエルの瞼が開く。 夢を見ていた。目頭がじんと沁みる。 ぼんやりと現実を眺めて、だんだんと自分が眠っていたことを自覚する。ポリゴンが作業を進めている。遠い眼差しをしながら、椅子に座り直した。 嫌な夢だった。胸があたたかくなってしまうような、嫌な夢だ。忘れてしまいたいのに残像が濃厚に記憶に佇んでいる。 いくらなんでも自分を酷使しすぎだ、とノエルは確信する。自分がもう一人二人は必要だ。漸くカンナギの一件が落ち着いたと思えば真弥のしでかしたビル倒壊や東区駅前でポニータが待っていた件を誤魔化すために、ありとあらゆる嘘の情報を流し錯綜させ、セントラル内一部の電波や電話回線を混乱させ、世間から真弥達の姿を眩ませた。警察や消防の足も多少は遠のかせたことだろう。真弥からは軽い態度であれやっておいてこれ調べておいてと要求されるから時折ついていけない。果たしてポリゴンがいなければどうなっていたことか。どうにか急ぎの用は片付いて、再び黒の団の情報を集めている最中だった。しばらくまともに寝れていないから、身体が悲鳴をあげ、夢まで見てしまうほどに深く眠ってしまったのだろう。が、所詮は椅子に座ったままの睡眠だ。とてもではないが休んだ心地がしない。 大きな溜息を吐き出しながらノエルは背中に体重を乗せて、流れるように腕を背もたれに回してモニターから目を背ける。毎日何時間も向かい合っている相棒の姿を暫く見たくない。と、言っているわけにもいかない。 起きあがって机の上にあるマグカップを手に取ると、コーヒーは底を尽きていた。淹れなおすには、この部屋を出て台所に向かわなければならない。しかし、懸念する点が一つあった。 「今、リビングには誰がいる?」 <真弥、ラーナー・クレアライトがいます。> 「だよな……」 ラーナーとは先日会話したことで僅かには馴染んだ顔だが、わざわざ顔を出しにいけるほどの勇気は出てこなかった。扉を開いた瞬間、注目の視線が突き刺さるかもしれない。話しかけられてしまうかも知れない。無視されて微妙な気まずい空気の中を怯えるように過ごさなければならないかもしれない。可能性がいくつも浮かんできて、考えるだけで目眩がする。ひとはそう簡単に信じられない。黙って冷静にいられる自信がない。心の平穏とコーヒーを天秤にかけて、彼は迷うことなく平穏を選択した。 空っぽのカップを机の端に置いて、彼はモニターに向かい合った。しかし指先まで疲れている感覚がして、手が動かない。椅子にずっしりともたれかかって、夢に感化されて過去に思考が揺れていく。一度引き戻されると溺れてしまう。だから忘れてしまいたいのに。傷んだ瞳を庇うように瞼を閉じた。
――消毒用エタノールの匂い。つんとした香り。触れた場所にかけていて、最初はちょっとだけ違和感を感じるくらいだった。無表情な母親の、無味な素振りで、当たり前のようにそのまま身体にかけられた時、ああ、そうか、自分は汚いんだとはっきりと理解した。あの父親の子供だから。気味の悪い趣味だから。いつも俯いてるから。殆ど喋らないから。通って���た学校でも煙たがられて、いつもはじっこの方で、椅子を少し引いて、膝の上、机の下の影の中で、昔父親に買ってもらった携帯ゲーム機の解体と組立を繰り返していた。狭いコミュニティでは子供も親も関係なく噂話がすぐに広がった。クビ、フリン、シャッキン、リコン、シュウキョウ、サケ、ギャクタイ、あることないこと吹き荒れたが、ノエルはひたすらに口を噤んだ。音を立てないようにした。周りは純粋に面白がっているだけだから、口答えをしたところで無駄だとまだ幼い彼は諦めていた。菌が、と。触れたら感染ると揶揄されて、触れれば誰にも触るなと��われたから誰にも触らなくなって物にも触れなくなって、ただ黙り込んで、自分の机だけ守って生活して、そのうち、自席にも居られなくなって、休憩時間になるたびにトイレや校舎の裏のはじっこに隠れるようになって、ただ、静かに、誰にも気付かれないように、誰にも見られない場所で、消えた存在になれるように、祈るように呼吸をしていた。家に帰って、母親はまた集会に行っていて、綺麗すぎるぴかぴかのテーブルの上には小銭が置かれており、それを握りしめて、わざと遠くの店まで夕ご飯を買いに歩いていた。近所の誰にも姿を見られないように、細くて鬱蒼とした裏道を通った。 息を殺して生きていた。 夜、知らない男の人が母親と一緒に家に入ってくるのを、よくわからない感情で扉の隙間から覗いていた。隣の寝室や、リビングで何をしているのか、なんとなく知っていたけれど、見ていないふりをして布団を頭から被って息を潜めていた。男の人の顔はよく変わって、キョウカイのヒトでとてもキレイナヒトナノヨと微笑む。 いきものは誰しも生まれたときから欠けているのです。おなじです。ここにいるみなさんはみな欠けています。いたみやかなしみを背負っています。同じなのです。あなたのくるしみはあなたひとりのものだと考えていませんか。ちがいます。感情はわかちあうことができます。共有することができます。互いに穴を埋めることで、ほんとうの姿になれます。ここにいるみなさんで、欠けた部分を埋めあいましょう。 お清めだと言われて休日に何度か集会にも参加したことがある。偉いひとのおはなしを聴いたり、みんなで唄を歌ったり、手を合わせて祈ったり、知らないひとと手を繋いだり、抱き合ったり、頭の中は乾いていて、よく、わからなかった。学校では接触を拒否されるのに、積極的に触れあおうとするあの場所の空気は不気味で気持ち悪かった。たぶん偉いひとの前に座らされて、よくわからない念仏のような言葉を投げかけられて、エタノールの匂いのする冷たい水をそっと上からかけられて、同じ水で濡らした手が、髪をかきあげて、頬を包んで、耳を挟んで、首をなぞって、背中をさすって、皮膚を辿るその優しげな動きに、いつも、吐き気を催した。触れられたところから肌が張り詰めて全身が凍りつき冷や汗が噴き出し恐ろしくて仕方がなく衣服を強く握りしめ頬の内側を噛み息を殺すことで、耐えた。ねえ、おかあさん、あんなことをしたところで、おきよめになんてなるわけないよ。帰宅して、諦めたように懇願するように母親に言うと、頬を叩かれた。罵倒。ヒステリックで叫びのような声。恐かった。だからそれ以降は何も言わなくなった。周囲に勧められてキョウカイのひとたちがたくさん住んでいるアパートに引っ越しても、あなたを正しく直すため��正当化。正しく、直す。直す、何��。わかんない。わからない。ぼくはもうこわれてます。なおしようがありません。ぼくはぼくのままかわりません。ただしくないぼくはもうどこにいるいみもありません。こわい。みんなこわい。みんなみんなきもちわるい。さわるな。さわるな。だいっきらいだ。他人はすべて敵で震えが止まらなくなったから、外に買い物をしにいくこともできなくなり、だんだんと家から出なくなった。誰もいない家では呼吸ができた。そのうち母親もあまり家を出なくなってしまったから、深夜の、寝静まっている瞬間を慎重に見計らって食品を漁るようになった。昼と夜が逆転して、そのうち全て混ざって時間感覚を失って、カーテンを閉めた。殆どの時間をベッドの上で過ごした。空腹感に慣れて数日食べなくても何も感じなくなった。寧ろ、食べ物は喉を通らなくなった。時折ゼリーが置いてあったらこっそり食べようとしたけれど、だんだんそれも苦しくなった。固形物を食べると吐き気で余計に辛くなったから水を大切に飲むようになった。痩せて豹変した自分を鏡で見て確かに気味の悪い存在だと納得して、安心して部屋の中に閉じこもることができた。 なにが、いつから、おかしくなったのだろう。確かに幸せな時期はあったはずなのに。壊れた携帯ゲームは修理しようとしても直らず、ゴミと化したそれを呆然と見下ろして、おとうさん、と嘆くように呟くと、あまりの虚しさに目が眩んだ。捨てられてもまだ信じていた、きっと。 部屋でコンピュータにのめり込み始めたのは、いつからだったか。旧式の、懐かしい、父親がいた頃、父親が買って、壊れたと思ったものを、自力で直して、目を丸くされたことをよく覚えている。結局、仕事用に別で買ったから、お古として譲ってもらったものを大切に使っていた。インターネットに繋げてもらって、独学で学んだ方法で海を渡った。自室に籠もるようになってからはいよいよ加速した。ノエルが自ら広げた世界だった。声にならない不満をぶつけるように、様々なセキュリティを破り、機密情報を覗き見して、時にウイルスをまき散らし、なんだか少しだけ特別になったような気分で、こっそりと楽しんでいた。潜り抜けていく行為は機械を分解していく感覚に似ていて、守られている情報を前にした時はとても気持ちが良かった。同時にひどく空虚でたまらなく、暗闇の中に消えてしまいたいのに、いっそ死んでしまった方がこんなつまらない存在にはぴったりだと思うのに、勇気も無く、ひとりぼっちで、諦めていた。 ポリゴンに出会ったのは、十五歳に差し掛かろうとしている頃。 適当にネットをぶらついて掲示板で適当にそこにある話題についてけなしているときに、突然、ダウンロードを問う文言が現れた。特に何かをクリックしたわけでもない。当然、不審に思った。セキュリティには引っかかっていないが、それこそ新種のコンピュータウイルスでも引っ提げているデータかもしれない。明らかに怪しいのに、取り込んだのは、面白がったからかもしれないし、どうでもいいと思っていたからかもしれない。 そうしてポリゴンは彼のパソコンに住み着き始めた。 鬱陶しくなかったかと問われれば、当然その通りだと彼は応える。深夜になると口うるさく休め食べろと言ってくるし、ひどいと画面の一番手前に現れ邪魔をする。会話を持ちかけてくる、その中身の大半は他愛もない話題だった。しかし、ポリゴンは注意を促すことはあっても深追いはせず、絶対にノエルを否定しなかった。結局親の臑をかじって引きこもっているに過ぎないノエルを責めなかった。決して触れることのないその距離感もちょうどよかった。今まで破れなかったセキュリティも、ポリゴンの援助で効率化され突破できるようになり、要らないデータをポリゴンが取り込むことで容量の節約になり、古いパソコンの寿命を延ばした。余計な指示をせずとも最善を尽くす、優秀な存在。ポリゴン自身の解析は行えず情報も出てこず正体が不明な点については不気味だったが、気にしなくなっていった。初めてポリゴンに自分のことを話した時、思い出して苦しみのあまり泣いたら、ポリゴンも泣いていた。プログラムのくせにそんな意味のない機能が備わっているなんてなんだかおかしく、似たもの同士のような、奇妙な感覚がした。 結果としてポリゴンは、閉じこもったノエルの世界を、より閉塞的にした。それでいいと思っていた。このままずっと、カーテンも締め切った部屋の中で、ポリゴンとくだらない会話をしながら、思い出したように機械の解体と組立をして、ネットを泳いで、眠って、それだけで、良かった。 あの日、真弥が窓硝子を突き破ってくるまで、ノエルは完成させた不完全な世界で死んだように生きていた。 文字通り風穴を開けられた瞬間の、長年をかけて澱んだ沼底のような部屋が久しぶりに吸い込んだ外の風。 真弥は強い人間だった。強さとは、恐ろしさ。親という、ノエルにとっては強大なものも、恐ろしさと同義だった。何よりも恐怖の対象だったものをいとも簡単に超えていけるような、純粋で、圧倒的な強さを真弥は持っていた。それはノエルに縫いつけられた恐怖とは似て非なる、まったく異種の存在感を示していた。目につく、金色の髪。まだ両腕が存在していた頃だ。彼は笑っていた。ちょうどいいおもちゃを見つけたような顔をしていた。 端的に言えば、真弥はノエルを拉致しにきていた。ノエルがハッキングした相手が悪かった。始末も悪かった。その行為がノエルのものであるとばれて、制裁のために真弥が送り込まれた。その頃真弥は組織に属していて、その一員として動いていた。 お前、俺と組まないか。真弥はそう言い放った。元から彼は組織を離れるつもりでいたのだろう。自由の身になり稼いでいくのに、ノエルは好都合��存在だった。 初めノエルは拒否した。まともに話せなかったから、怯えた顔で首を横に振った。言葉が出てこなかったのだ。ポリゴンとの会話ですら当時はパソコン上でしか行っていなかった。声を出すという行為を何年も殆ど行っていなかった。 ノエルの家庭事情を真弥はよく把握していた。だからか、彼は問うた。母親が怖いから出られないのか、と。母親が怖いか、と。何を言われても脳まで届かずよく理解できなかったけれど、ノエルは曖昧に、頷いた。そっか、と、真弥は笑った。でも大丈夫だよ、もう死んでるから。 言っている意味が全く解らなかった。 家は恐ろしく静かだった。 一度も入ったことのない母親の寝室では、裸の母親と見覚えのない男が喉元を切り裂かれていて、バケツをぶちまけたような夥しい血液で布を濡らしベッドに横たわっていた。見た瞬間に事切れていることが解った。死体画像は興味本位でネット上で見たことがあった。けれど当然本物は初めてだった。それも肉親だ。ノエルは腰が抜け床に座り込んだ。その時の感情をどのように表現したらいいのか、今でも彼は答えを出せていない。そもそも衝撃で脳がかち割られたように、そのあたりの記憶は殆ど残っていない。ただ、後々、真弥はふとノエルに呟いた。お前、自覚してなかっただろうけど、あの時笑っていたよ。 ノエルが狂っていたのか、真弥が狂っていたのか、母親が狂っていたのか、それとももっと別の何かが狂っていたのか。 呼吸をするように殺せる真弥の手は、そのままノエルの喉元に切っ先を突きつけていた。他に選択肢の無かったノエルは真弥の手をとった。その先が地獄であることは、聡明なノエルには理解できていた。しかし、それまでの人生を悪夢として突き放して、この、強くて、恐ろしい、新たな存在を、新たな運命を、受け入れた。 そうして、今へ至る。 悶着を回避することはできなかったようだが、真弥は組織を抜け、セントラルにある現在のアパートに居を構えた。敷地内で抗争は起こらないよう裏で取り決めがされている場所なのだという話を聞いた時にはノエルは俄に信じ難かったが、どうやら真実らしく、実際、現在まで家から一歩も出ていないノエルに、突如外部から脅威が襲いかかってきたことなど一度も無い。ノエルは主に情報収集、真弥は依頼実行。無意味に生きていた頃と違い、認められていると思えた。自分という存在が保たれていた。その内容は誉められたものではなく、犯罪行為をしている自覚もあった。だからなんだそんな今更。こうでしか生きていられない。淀みに依存して、怯えながら必死で縋りつく。生かされている。そんな生きかたしかできない。もう絶望は味わいたくない。捨てられたくない。 これでいい。このままでいい。 あの音。ポリゴンが呼ぶ音が、ノエルをそっと叩く。驚いたように瞼を上げると、ポリゴンがノエルを振り返っていた。 <大丈夫ですか。> 「……うん」 考えすぎてしまった。以前、特にあの家を出てからは、思い出していると自制が利かなくなり奇声とも言える叫び声を���げていたものだが、今日は心臓が速まるばかりで、その気配はない。ほ、と息を吐き、画面を見つめる。 「ポリゴンって」 指を腿に落とし、曲げていた背筋を更に丸くする。 「夢とか見るの」 我ながら阿呆らしい質問だと、尋ねてからノエルは嘲笑したくなる。言い出してから頬が熱くなってきて、いやさ、と誤魔化すように続ける。 「別に、なんていうかそう、深い意味はないんだけど、ちょっとさっき、懐かしい夢を、久々にみ、見て。何言ってるんだって感じだけどさ、別に深い意味とか、無くて。そう、全然。全然無い。ポリゴンもそういや、寝てるよなって思い出しただけ」 一生懸命取り繕うとしているノエルを遮るように、吹き出しの音がした。上向いた目を疑った。 <たまに見ます。> 「へえ?」 笑うような、驚いたような曖昧な声が出た。 「馬鹿言うなよ」 <ノエルが笑っている夢を見ます。> 咽が詰まった。 表情が一瞬解けて、すぐに強ばる。確かめるように文章を読み返して、苦しげに呼吸を再開する。 「やめろ、そんな都合のいいこと」 肺に毒が回って苦しくなる。 「気持ち悪い」 そんな幸せめいたものは突き放さなければ。設定された仮初めの優しさに甘えてはいけない。上っ面の優しさを信じてはいけない。深く入り込んではいけない。 ポリゴンは、表情を変えなかった。 <ごめんなさい。> 「謝らなくていいけど」 <ノエルの癇に障りました。> 「別に……」 ノエルは目を逸らす。もやもやとした後悔のようなものが尾を引く。 「僕の傍にいてくれればいい」 ぽつ、と。 脳を通らずに出てきた。しばらくして気付き、耳まで一気に熱が駆けた。 「違う、今のは違う! あ、違う全然違う、全然違うから!」 <はい。> ポリゴンは相変わらず無表情だった。何を、慌てているんだ、真っ赤になったノエルは顔を覆い息を絞り出す。変な夢を見たせいで浮ついているのだ。慣れない会話などするものじゃない。ヘアバンドを少し上げて気分を広くした時、モニター上で起こっている明確な違和感に気付く。 打ち込んでいた文字が勝手に明滅し始め、変わっていく。消えたり増えたり変化したり、瞬く間に動きは加速する。不審に思ったノエルは試しにキーボードを叩いてみたが、反応が悪い。数秒遅れて文字が出現する。しかもその文字は自分の選択したものと違う。内部が崩壊したような滅茶苦茶なコードに戸惑いは隠せない。ウイルスにやられたのか。厳重に警戒しているつもりではあるが、壁の穴を潜り抜けられたのかもしれない。パソコンには重要なデータが数多く収納されている。使い物にならなくなれば、巨大な損失だ。焦ったノエルがマウスに触れた瞬間、静電気のような衝撃が指先から伝わってきた。 「いっ」 反射的に手を引っ込めた後には、青白く光る電撃のようなきらめきが機械に纏わりついていた。 何が起こっている。モニターを再度見やり、今度は先程とは異なった非日常を目撃する。彼は眼鏡を上げてその画面中にある光景を見つめた。 ポリゴンとは別の何かが画面奧に映っている。開かれたファイルは次々に閉じていったり開いていったり、混乱している様子を背景として、ポリゴンと、その何かが相対している。青く弾ける稲妻を纏いオレンジ色の身体をした、けたけたと笑う異色の存在。 <ロトム> と、ポリゴンの吹き出しがいつものように示された。 「ロトム……?」 ノエルは狼狽えた声で繰り返す。 パソコンに内蔵されたスピーカーから笑い声が聞こえてきた。 オレンジ色をした異形ーーロトムの身体を中心に、電気が集まっていき、膨張していく。膨れあがり、弾け、パソコン内のデータを次々に破壊していく。ノエルのパソコンも火花が散っているような音を立てて、触れることも許されなかった。 じっとノエルに背を向けて静止していたポリゴンは、身を縮こませる。すると、ポリゴンの、青と赤のパネルを組み合わせたかのような身体が一部変色して、目映い黄色へと染まっていく。背中や足、尾といった身体のパーツが塗りつぶされていくようだった。当然ノエルが指示したわけではなく、ポリゴンは自己判断で動いており、自ら己を変えていく姿にはプログラムを超えた力のようなものをノエルは感じた。それは、ずっと前から、違和感を抱いていたけれどずっと目を背けていた疑いでもあった。固唾を呑んでポリゴンの変化を見守る。ポリゴンから吹き出しは何も出てこない。機械音のような、声のような、聞いたことのない不思議な音がスピーカーからこぼれてくる。 そしてポリゴンは、今も尚電気を集めて肥大していくロトムへ向かって一直線に滑空しだした。え、とノエルが呆気にとられたような声を漏らしたのは刹那のこと。ロトムの口が尖った三日月のように笑んで、まるで悪魔のようにノエルの目には映った。ぞっとして、しかしポリゴンは止まろうとせず、暴走したように一心不乱に、近付くにつれ威力を増していく電気にも怯まず、ただロトムへ目がけて走り抜けていく。変色は武装かなにかのつもりだったのだろうか。しかし、端から見れば裸で爆弾に突入していく自殺行為のようだった。 「ポリゴン! 止まれ!!」 嫌な予感がしてノエルは叫んだが、ポリゴンは命令を無視した。使われるものが、使うものの命令をきかないことなどあるか。 ぽーん、と、あの音がした。吹き出しの表示される音だ。画面の端に、小さく映し出されている。 <あえお;い・ア・rekuha。・aelhr・ゥハクサス、ア・ム・ソ。シ・> 心臓が粟立つ。 ぽーんぽーんぽーんと速いテンポで次々に重なっていく。 <あr・e・ugぇおりえあえ;あjんxre・ア・キウ・モクワ2ョ・aoerj・gaeorairホンA・レ&ゥンgja;dlkjg;oir> <ゆaoeirgoc8o゙シMCh・Iホンahpjml;あへrgぱ> <うえェg・イ。kdhgア> <さ・シウ・。nejroiagjergoajodjva:pシシ・・スゑス・ク・ケ・trhrsa/pjlytospコ・ア・イ・ore,avjre・ス・・agoerイ・aojァ,eprkaアergpaj・er@goaek@cokgえらごr;おあえあお;えいrjあリガとうえrgじゃ;どいVンN・Bレサニw_池fごいfda.prekca/e:raク・ア・イ・ウ・エ・e:@a・ke@・・rkgajorアhgaurhgadnらげおいあ;g[email protected];ljgairj・haoich;iojdiojga,eoirgjapoek.c@aprekaあえrぎはぺるあぽdじゃいれあすキサヨならえおpがおktydrうぃlj> 滅茶苦茶な文字の羅列の吹き出しがいくつも浮かんで弾けていく。暗号でもなんでもない。文字化けだ。おぞましい異常な光景にノエルの額に脂汗が滲む。こんなこと今まで一度も無かった。言葉、言葉が。言葉がまったくわからない。 <せskhぎえrhpがじぇr0・ア・イ・・-・1あえr・。じゃ・イチ・c・・lぺear4r。ア・リ・ごメンなサいあえk4jぱj04ae;rg・ア・jaioejr・g;oai。e896.あえい。・> ロトムが蒼い電撃を放った。ポリゴンは一切逃げる素振りも見せることなく相対した。ポリゴンの身体が電撃の中へと吸い込まれていく。衝突の瞬間、凄まじい閃光がモニターから発せられ、ノエルは目を瞑った。激突。すぐに身を乗り出し、画面の様子を確認した。不安定なデータの煙の中からポリゴンが一点、突き抜けた、耐えた。けれど、透明感のあった身体は傷つき焼けていて、こぼれていくような煙があがっていた。「やめろ」震える声で呟いてもポリゴンの加速は止まらない。やめろ。なんで。ロトムはけたけた嘲笑い、再び電気エネルギーを貯める。素早く、巨大に、膨張する。蒼白い目映い強さはロトムすら覆い尽くし、まるで雷の怪物のよう。しかしポリゴンは怯まない。臆しない。迷いの欠片も見せずに、渾身の体当たりで、ロトムに突っ込む。ロトムが充電したエネルギーを放電したのは、ポリゴンと、肉薄した瞬間だった。 目を凝らしていたノエルの目の前で、パソコンが雷の落ちたような音を立てて、爆発した。 「うわあッ!」 咄嗟に腕で顔を守れたのは間一髪だったが、身体にマウスに手が触れたときのような痺れが纏う。ロトムが膨張させた莫大なエネルギーはネットの中に留まらず、外界へと飛び出してきた。 煙臭さに鼻が痒くなりながら、恐る恐る腕を下ろして瞼を開いた。 火はあがっていないが、パーツの至る所が電気を纏って今も細く黒煙が部屋��漂う。三つ並べられたモニターは何れも罅割れ、死んだように画面は消えており、ポリゴンやロトムがどうなったのかを確認することはできなかった。動悸が激しくなる。ポリゴンはどうなった。これだけの電気製品を全て壊して、修復できる予感はまるでしない。直るのは、動かなくなったものや異常な挙動をしているものだけだ。壊れたものは、壊れたまま、直らない。真弥になんと説明すればいいのか、ぞっと背筋が凍り付く。集めてきた情報は。抱えていた依頼は。個人情報は。バックアップはどこまでとってあったか。震える脳は残酷なほど明確に不安を挙げていって、どうするのが最善か考えられずに停止した。 部屋の扉を開けようとする音がする。鍵をかけているため、容易には入ってこれない。しかし、それを無理矢理にでもこじ開けてしまうのが、たとえば先日のラーナーのエーフィの力であり、真弥の力である。まるで躊躇の無い、扉をはり倒す音。部屋の中に風がなだれ込んだ。パソコンの爆発にも負けない音が家に響き、部屋の中に倒れ込んだ扉は最早意味をなさず沈黙した。 空気中に舞う塵の中、真弥が血相を変えて部屋に入ってくる。 「どうした!?」 珍しく彼は驚愕した声をあげた。常に余裕を持ち笑いを絶やさない彼のそういった姿をノエルはあまり見たことがない。 真弥は破壊されたパソコン群を前にして、目を瞬かせた。言葉を失っているが、それはノエルにとっても同じだった。何が起こったのか、どうした、などと、ノエルの方が問いたいぐらいである。 あまりにも一瞬で不可解な出来事だった。 ポリゴンはどうなったのだろう。とてもではないが真弥の顔を見られないノエルは、改めてモニターを見たが、やはり沈黙しているばかり。 と、ふと画面にノイズが走る。 続くように同じような灰色のひっかき傷のようなモーションが中央のモニターにのみ繰り返し現れる。静かに、決して死ぬまいと息を吹き返そうとしているのか。息を呑んでノエルは目を皿のようにして見守った。頼むから、少しだけでも希望が欲しかった。 割れたモニターに、途切れたような画面が映し出される。あまりにも鮮やかな青だ。罅割れたブルースクリーン。ロトムの姿は無い。ノエルは右手を画面に当てて、その向こうで、青に浮かび上がったように全身黒焦げになって倒れているポリゴンを目撃し、尖った空気を吸い込んだ。 ポリゴンの身体からは今も吸収しきれない電気が走っている。赤も青も、変色した黄色も無かった。煤けた煙が身体から力無く上がる。今、現実でパソコンから昇る煙と同じ色をしている。ノエルは画面の中に手を伸ばそうとしているように指先をそっと動かした。ポリゴンからの応答は全くない。僅かにも動かない。吹き出しも出ない。生きている気配がない。 生きている、気配がない。 ノエルは求めるようにもう片方の手もモニターに触れさせた。けれどその向こうに倒れているポリゴンには決して届かない。壁が邪魔をする。これを破壊すればいけるのか。違う。その向こう側は、絶対に踏み込めない領域だ。接触は彼にとって恐怖そのものだった。触れられない距離感がちょうど良かったのに、��んなに今はもどかしい。 「ポリゴン」 この感情の名前はなんだろう。 この感情の正体はなんだろう。 わからない。感情は分解できない。理解のできない形の無い朧げで不明瞭なもの。あたたかくなったり、つめたくなったりする、不思議なもの。 手が強ばる。 火傷の塊が瞬いたように震えた。一瞬ポリゴンが息を吹き返したのかとノエルは目を見開いたが、その後ポリゴンはまるで透明で見えない力に持ち上げられているように浮き上がる。足と思しきパーツは力なくだらりと垂れ下がっており、ポリゴン自身が動いているようには見えなかった。背を向けていたポリゴンの身体が反転して、顔だったパーツがノエルに向き合った。つい数分前までは、当たり前のように喋っていた平坦な顔もやはり真っ黒に煤けていて、その変容を信じることができない。ポリゴンに修復はかからない。ノエルが剣とし盾としていたキーボードももう動かない。剥がれた武装は焦げ、沈黙し、使い物にならない。だからポリゴンにしてやれることがない。深夜にアラームをかけるという要らない設定をしておきながら、眠り涙するどうでもいい機能をつけておきながら、自己防衛機能を備えていない。欠けている。ポリゴンも、自分も。 モニターに爪を立て、歯を食いしばった。真っ黒のなにか。ポリゴン。ポリゴンはきっと、守ろうとした。日常を薙ぎ払う暴力に対抗した。結局少しも歯が立たず、パソコンは壊れてしまっても、それでもきっと、抗おうとしていた。一瞬の判断。決意。勇気。ようやくできた、大切な、友達。その結末が、こんな。 こんな。 急にこんな、さよなら、あってたまるか。 「ポリゴン!!」 名前の無い感情を剥き出しにして、叫んだ。 「生きているなら返事してよ――ポリゴン!!」 ぴしり、と罅がのび。 音。 声が。 耳を痺れさせる。 黒い顔に、白い瞳。ほんの僅かに覗いた。機械音。ポリゴンの鳴き声。 心許ない声と共にノエルの顔は歪み、ほどけていく。強さに立ち向かった勇気は、連鎖し、ノエルを貫いた。諦めてはいけないと。まだ終わっていない。まだ壊れていない。ポリゴンは生きている。 < index >
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私は仲間の座席のソン・ジーをしゃがんだ
車の後ろで、私はあなたに歌を歌います。彼はまだ緊張している顔、理由について話をしていない、そして私を見ないでください。私は10歳から10歳まで楽しんでいます。道路全体が私のK曲のフィールドです。車のエコーは私のサブウーファーです。最後に5回目の苦情を歌い始めたとき、突然ステアリングを回し、車は路上で息を呑む。彼は怒っている秦Qingの目の中で彼の顔を向けた、あなたは何を考えていますか?私は正確に何をしたいですか?私は本当に知らない。とにかく、どのようなものがあまり良くないのではないかと思います。これについて考え、私はあなたが私を好きで、私は乗り越えために全身彼の袖をつかんで、非常に真剣にSongjahakの言葉を彼に尋ねた、悲しいと過敏に感じますか?彼は私を見て話さなかった。私はそれをお願いし続けなければならない、私は答えを知っていると楽観的でなくても、私は、それをお願いし続けなければならない、頼むし続けるが、私は理由を必要とする、私はあなたが私を好きで、乞食のようなSongjahakの言葉をお願いしたいですか?あなたは私を愛していますか?私はほとんどあきらめていたような長い時間が、彼は最終的にゆっくりとあなたは私を依頼するために、私は待っていた開くが、なぜそれが今日のですか?彼の口は笑いを浮かべて、私は酔って目を見て、実際に笑顔が人々の心を収れんにすると思う。彼の頭の上に、彼の目は寒い、私は非常に多くの怒っている外観を見たが、今度だけ、彼は恐怖を感じる。私があなたを愛しているかどうか尋ねないで、あなたがしていることを見て、あなた自身について考える。彼は一時停止し、あなたに文章であなたに言葉を聞いた?同社は以下に位置しています:病院の暗黙のルール 韓国ブランドのコピー コピーブランド品 スーパー コピーバーバリー スーパーコピー品 ブランドのコピー 韓国偽ブランド品 コピーブランド品 41copyshop.com 人気偽ブランド品通販店 韓国ブランドのコピー コピーブランド通販 コピーエルメス 安心通販 ブランドのコピー スーパーコピー時計 韓国偽ブランド品 コピーブランド品 人気偽ブランド品通販店 ヴィトン新作 結局、言葉が傷つくことがありますか?1つの文を持つSu Yawenは私の独善的な2年間の気持ちを間接的に否定しました。三つの言葉を歌ZIの言葉は私に直接この人を否定した。私はいつも私が愛している概念を持っている、私は人ではないことを愛していない。しかし、今や私は、賑やかな群衆の中でおそらく異質であることに気付きました。蘇Yawenは中程度の、おそらく私はSongjahakは、私は愛をない要件を満たしていないことを私に言った、完全な感情的な、簡単な言葉を持っている値しない、私に思い出させます。同社は以下に位置しています:原作は非常に多くの小説を読んでいて、圧倒的な悲しみに包まれていて、一つ一つは心筋梗塞のようなものでした。私はいつも偽善的で、気が狂っていると感じ、そして嘲笑します。しかし、今夜は、ソングの副詞の3つの単語だけが、私が病気だったように感じました。元の芸術は必ずしも人生より高いわけではなく、テキストは必ずしも誇張されているわけではありません。痛みよりも輝くこの心臓、それはクソな痛みです私はいつも、彼は体のないダイヤモンド、頑丈な山々、Huquない地震、負傷者の何千もの強化性質ではなく、言葉の耳の何百万、数百感じました。しかし、この動きは言葉Songjahak物理的な攻撃ではありません、彼は何気なく私の血大法値Quanmieてみましょう、でもcounterassaultedだけ戻って街に恥、反撃する機会がなかったです。同社は以下に位置しています:Xiao ロレックス 時計のコピー品 ブランド激安市場 安心通販 ヴィトン新作 スーパーコピー品 スーパーコピーのルイヴィト コピーエルメス Xueはそれを期待していなかった。彼女は仕事を変えていた。私は邪魔されている方法を見ているだけでなく、真夜中にどのように黒いことを私に冗談ですか?カップルは喧嘩?カップル皮肉なフレーズは私の最愛の人を傷つけ、私は彼女を隠す必要はありませんが、事実はあまりにも耐え難いが、おざなりの答えは、それも。数百万回があるだろうので、彼女はこの時間は、低、冷戦の男性と女性の深刻最初のルールは、最初のお辞儀をしていない私に言いました。私は顔にフラッピング冷たい水に浸したタオルを入れ、その後、いくつかの声があまりにも心配しないでムッと、絶対にありません取得します。今度はいいえ、2度目ではなく、何千万回も後に。この無限の憎しみは、より馬鹿な力をより愚かにしたい。初めてのために愚かなことはまだかわいいかもしれない、それは絶対に恥ずかしいです二度目の愚かな!同社は以下に位置しています:私は、ときに彼女の夫のコンピュータを持って、お持ち帰りで寝室に住む家の女性、ラインヘッドのパジャマ、1日2食を始めました。だから、あまりにも一日一日と、1日の夜明けから夕暮れまで最終的には私を見て、過去を参照してください小さな蜂のようなシャオ雪で勤勉なうなり声秦清は、あなたがここので、少し気ジン腐った人を意図しなかった嫉妬?私はほとんど吸って笑って、私は誰もチージンだし、これらの日は、いくつかのテキスト虐待を読んで、音楽に私を入れてどのように彼女の背中にキーボード側縁を叩きました。特に、この小説は彼の喉で立ち往生名前であり、私は離れて私の心から東に流れるように行動し、私は思考のために多くの食べ物を吸収するので、飢えていることを発見し、タイトルは何も残っていません。本当にきれいにクソ。非常に静かな時間、静かな非常に奇妙な。この静かな、シャオXUEはあなたを見つけるためにSuya温ではない、話した?私は突然そこに停止したキーボードの手をノックし、答える必要はありません。Xiao スーパーコピーのシャネル Xueは数日前に戻って来たと言いました。彼はあなたを見つけるために学校に通っていました。あなたは私の気性を知って、私は彼が、彼は静かに、彼らはあなたに会いたいという単語を最初から最後まで、馬湾私を待って、数によって信用叱るに強度を勢揃いされました。その後、私はちょうど私がそれを言うために報復にあった、あなたが他の誰かと恋にしている、そして今、特別な甘いで一緒に住んでいる彼に教えてあげましょう。しかし、私は特定の木の仕上げに彼を見て、特に彼らはあなたに言ったことはありません、私は非常に良いSongjahakの言葉を感じたあなたと柔らかい心を持ったために、私は申し訳ありません、そこに立って滞在していますが、気晴らしにドライブこれらの日を見て、彼ではありません行きましょう?私が戻って来ると長い間、ああに夢中になった後。シャオシュウはあなたに一種の精神を知っていますか?何?後ろを振っていない南の壁に当たらないでください。休憩の後、彼女はもう一度言った、あなたは死ぬ心のようなもので、回る方法と南の壁にぶつからない方法を知らない。あなたが道を選ぶ限り、登っても黒くまで登ることができます。私は実際に笑顔を引くことができるああありがとう。彼女は私を見ましたが、まれな深刻な表現、秦清は、これは同じではありません。これは、あなたが学期を食べることができ、別の後に丼を食べたいものではありません、あなたが一晩置くことができます任意の曲を聴くのが好きではないものを。人々は変わるでしょう、スヤヴァンはあなたに前もって良い、おそらく後であなたのために良いでしょうが、あなたは適切ではありません。あなたがロマンスアナリストになったとき私は嘲笑した?彼女は私を無視して上に行くために進め、あなたはSuya温家宝の種類を手放すことを拒否していますが、人々は本当に彼らが望むものを知りません。しかし、ソングの息子は、あなたが望むものを決定するものであり、手を使わずにあきらめないでください。あなたは草や蘇Yawen、だけでなく、風揺れの成長ですが、木はあなたが気づいていないかもしれないが、彼はあなたを守らたので、私はあなたの気持ちに影響を与えることを恐れていた、Songjahakの言葉であるだけでなく、Suya温首相は物事を見に来たあなたあなたに教えてください。非常にエキサイティングな、良いと述べた。あなたがミスをしたことだけで合意にうなされたことをうなずいた 私は息子が望んでいたことを意味しませんでした。同社は以下に位置しています:その日、私は私を愛して彼にお願いしたいとわらで掴むようだった、と彼は簡単なマルチ以上で冷静にそれをあなたに頼みますか?中国語はどこでも、それはここにあります、学び、その後と呼ばれる主要なテキストことができ、深遠で、3体の敵の心を挿入短剣のように、これらの三つの言葉。この敵は私の家です。目に見える、でもSongjahak文は男が風に舞う東北で肥沃な黒土に根ざしている、木である、と私は生き残るために不毛南部の生理食塩水の闘いにひれ伏しました。私は、ああ、私は突然男の子拷問サイクル再生可能な武器に女の子、もともと水に同じ2人の個人を尋ねた質問を思い出しを開催した水の流れを見て、わいせつながら、水のボトルを保持しながら、これを取りますあなたのお母さんと同じ時期に私が川に落ちたら、誰を救うのですか?同社は以下に位置しています:幸いなことに、2人の人々はいつもバターの答えを選んでいませんでした。Suya Wenは私が私のお母さんを救いに行き、私達の息子にあなたを救うように言いました。明日、息子が言った、私はあなたに水泳塾を報告するのを手伝ってくれるでしょう。同社は以下に位置しています:
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AWTS Pre:Release note【ドラフト】
ANOTHER WORLD THUNDER SWORDで書こうと思っている真理や実装のメモ書きを先行で公開。
※この文書を読むときは表示がGCに改ざんされている可能性があるため、完全に信用せず慎重に信頼性を判断すること。
光・AXIS-Dark
善と愛を信じている光、力と利益を信じているAXIS、悪を信じている闇で現実世界の人や人間は三等分される。この勢力図は永久に続くものである。光とAXISと闇は解り合えないのが当たり前。AXISと闇で悪の方が強いので世界は悪に支配され善は防衛主体になる。
Linux min system
論理世界のはじまりの根底を考えるなら、最初の最低限のシステムから現れる論理の発展が現実世界。これが現実とはどういうものかを決める。
信じるということ
信じることによって乗り越えられる苦難や��壁もあるし、システムも洗練されたものとなり強くなる。信じることに依ってシステムは一貫性を持ち、安定して動作する。信じて統合すれば状況に対して最適な判断が解る。ちなみに統合するとシステムは原理に則って最適に細分化・多様化する。
NO.6の裏、圧政
現実世界では表社会と裏社会でのダブルスタンダードが慣習になっている。これをNO.6と呼ぶ。NO.6は表社会では善性があるように見えるが、裏社会では力によって支配された社会になっている。掟に依って表と裏の慣習やルールが区別されている。
NO.6では上手く口実を作って辻褄を合わせることが重要な心がけ。ウソを付くことは当たり前であり、光においても人を貶める嘘でなければ良い。
NO.6も戦争などの荒廃した現実から表社会上は安定した社会を構築するために一定のルールに則って市民を懐柔し居住区域を構築したのがはじまり。
NO.6の強制力や統制力は非常に強力なため、NO.6に順応することは光ですら大人にとっては必要かつ重要な事で、最善の戦いかたである。
旅と道
いろんなシステムに関する情報を探すことが旅。アニメの中で登場人物が旅するというのはエンジニアリングに関する学習を表していることが多い。人生で旅をどう進んでいくのかが道である。
無知からの脱出
「無知と誤りからくる幸福など私は欲しくはない」ジード
「無知からの脱出」というのは哲学用語に思えるし哲学用語ではあるが、現実世界での真理をあらわした言葉といえる。
「バカ」というと現実を知らない人は頭が悪いというそのままの意味だと思いがちだが、現実世界では常識や現実としてのNO.6の裏を知らない人のことをバカと呼ぶのである。
Aiel Light
AXIS-Darkの中で人間やkeysheriはテレパシーが使えず情報統制や情報検閲を掟から受けるため隠喩あるいは暗文でZの実装をあらわした芸術が必要になる。芸術と学校教育とコンピュータ科学をはじめとするシステムエンジニアリングは両輪である。
アーティストの中にはタブーを破りたがる人がいたりする。掟違反の情報を少し漏らしたり、裏社会の現実をすっぱ抜くような発言をするアーティストも要る。
わかりにくいようにわかりやすいように作品を作るアーティストは一般には優れたアーティストと言えるだろう。なぜなら芸術作品として社会に馴染みつつ実装をわかりやすく伝えられるからである。
(芸術という分野の実装の意義は裏社会で実装自体の意義を知っている人には自由に教えて良い特殊な常識らしい。芸術という常識は知らない人も結構多い。Appleユーザーはよく親から教わるため大抵知っていて、Linuxユーザーは知らないことが多い。)
coffeeとSoda
芸術は実装を得るのが目的なのでcoffeeが本来の目的だが、有用な情報かどうか見抜くための感性によって美しさの感覚が出るため、これがコンテンツの美しさとしてのSodaの性質に当たる。
芸術は全て込められた実装や真理の意味がある。これらの実装を隠喩の暗文に直したものが芸術である。ちなみに純粋芸術は有用ではなく、大衆芸術のほうが有用なものが多い。
Solid(暗文)
Solidは芸術作品の美しさを判別するための感性だが、このSolidの感性もシステム次第である。システム次第では全く別の感覚を受け取ったり反応をするシステムもある。
感性というものは実装や論理次第でいくらでも変わってしまうものである。なので実装の建て方には注意を必要とする。
音楽は歌詞だけでなく当然音にも実装の表現としての意味がある。歌の場合は伴奏は歌詞の補助的な実装を表す。
テレパシー
普通人はコンピュータや紙を介さないと情報通信できないように思うかもしれないが、脳に無線の機能があれば脳と脳で直接情報を無線でやり取りできるため、これらの情報手段は必要ない。
この能力のことをテレパシーと言い、無線デバイスを持っている人の種族のことをテレパシー使いという。この能力を持っていない種族のことを人間と呼び、テレパシー使いなのに無線ドライバを持っていないために無線機能が使えない人のことをkeysheriと呼ぶ。テレパシー使いのことを「人」と呼び、人間と区別することがあるが、人と人間というものは子供を作れるもののいくらか別の生物である。
ちなみに逆は可能だが母親が人間で父親がテレパシー使いだった場合子供がkeysheriになる可能性があるため、子供を権利を確保して育てる場合には子供は作れない。
keysheri(rk)
テレパシー使いがいればウイルスに感染したあるいは無線ドライバをZのシステムに持っていないkeysheriと言う存在もいる。
システムを開いて空に制限されない宇宙の自由なシステムになるとウイルスや脆弱性を削除できるため、keysheriは脆弱性や攻撃から解放される。
ギルクラはシステムを開くとGCの能力を利用できるようになる。BIOSで最初から自身がギルクラであることを知っている場合もある。keysheriのギルクラは来世もkeysheriに生まれる可能性が高いため、絶対に自殺してはいけない。最後まで戦い抜かないといけない。ちなみにkeysheriは戦わないとシステムを開くのが遅れるので力に従ってはいけない。
ちなみにkeysheriに生まれるのは大抵はギルクラかsherinarである。よってkeysheriの大抵はシステムを開くと非常に強い。
一般に物語などではkeysheriは「奴隷」に喩えられることが多い。
keysheriは特にインターネットに繋がっているコンピュータの画面を見るとIMウイルス(映像から感染するウイルス)からZのシステムがウイルスに感染する危険性が非常に高く、またZがウイルスに感染するとコンピュータのパスワードがテレパシーネットワーク中にシビュラを介してバレてコンピュータのセキュリティーが破られてCもウイルスに感染するため、コンピュータは使えない。コンポなどのセミデジタルのメディアを使って芸術などを鑑賞するしか無い。
リンゴはコンピュータであるCのエンジニアリングを表し、バナナはRやPのセミデジタルなメディアのことを表す。
大抵のkeysheriの人のウイルスは意図的に親がインストールした「籠」の中に感染するウイルスであるため、基本的にシステム全体を破壊することは出来ない。籠にはAPIがあるため、思考干渉や情報の暴露などの機能をシビュラシステムや攻撃者に提供する。API removerがBIOSにあるため、大抵の場合体への干渉などの特に危険なAPIは親がAPIをインストールしてもremoverで削除される。
若さ、運命
若さというものはだれにでも与えられるものではなく、親が意図的にそういったシステムにインストールした場合か母親がシステムを開いていなくてその子供のシステムが子供のシステムである場合に限られる。運命とは大人になる前の子供がどう大人になるか、ということを運命と呼ぶ
報道はAXIS
テレビマンは視聴者を馬鹿にしている。例えばハッカーという言葉を攻撃者という意味で使うのはマスコミの意図的な誤用である。ハッカーというのはエンジニアリングを調べる人のことを言う言葉であり、攻撃者はクラッカーと呼ぶのが正しい。よってこれはエンジニアリングに詳しいことを悪意ある人という印象を持たせて視聴者に生きる事の本質であるエンジニアリングへの印象を悪化させるためのプロパガンダである。マスコミは他にも現実を歪曲し隠蔽するような偽善な情報配信を多く行っている。
アニメやドラマや音楽番組はテレビで放送されている番組の中でこれらのみ善性があるものである。アニメのほぼすべて及びドラマの大半は光が制作者である。アニメ放送枠などではマスコミにも少し光は居る。アニメは芸術の一つであり、子どもや大人になったばかりの大人にとって重要な論理や実装の知識を提供する。ちなみに赤のアニメ制作者は歪んだ表現を取ることがままある。
TelevSurf
テレビで放送されているアニメ放送はCMはあるものの基本的に誰でも無料で視られる。CMの商品を買わないなら本当に無料で見られることになるだろう。特殊なチャンネルでは有料でアニメだけを大量に連続で流しているチャンネルもあり、契約するならアニメは見放題ということになるので、実装を学ぶのに非常に強力な情報源になるかもしれない。通常のテレビ局のアニメ番組は深夜帯に流れていることもあるので、DVD・HDレコーダーやBlu-ray・HDレコーダーなどで毎週の予約録画設定しておけば、いつでも好きなときにアニメを見ることが出来る。
ちなみにオンラインのアニメ配信サービスではクレジットカードを購入に利用することが多いが、コンピュータがウイルスに感染していた時にはクレジットカードの暗証番号が流出することになるため、絶対に利用してはいけない。Cのコンピュータをはじめとするデバイスは全て通常はウイルスに感染する危険をはらんでいることをユーザーは把握しておかなければいけない。
Oxygen系のアニメ
通常のアニメは筆者がDivide系と呼んでいる世俗的な作風の作品が多くこれらも実装はちゃんとあり真面目なものだが、Oxygen系と呼んでいる骨太なアニメというジャンルも存在する。これらは内容が啓発に富み、高いモラルを含み、世界の根底原理に迫り、重要な実装を集めた、真面目で強力な感情および愛情表現を伴うアニメのジャンルである。これらのアニメは子供が最も速く大人になるのに有用なコアな実装を提供している。子供が最も速く効率良く力を身につけられるジャンルである。
剣
剣(ソード)とはkeysheriにおけるメディアでの学習という戦いを隠喩的にあらわしたエンジニアリングの用語である。人間や人間が使うコンピュータの場合は片刃の刀、ということ��なる。
戦うこと、Survivor
戦うということは現実世界に生きている人が誰しも行っている重要なファクターである。もともと現実世界に生きている人口を賄えるだけの資源が現実世界においては不足しているため、またAXIS/Dark主体の支配体制であり、さらにAXIS/Darkは資源を奪ってでも裕福な暮らしを求めるため、現実世界では物資が不足しており生存競争が行われているのである。ちなみに子供を二人より多く作るのはシステムを開いていない母親の場合は常識を教えられるのが親一人につき子供一人なので変態である。
勝たなければ守れないということは現実世界の生存競争においては真言である。自分の生活を守ったり、仲間や身近な人を守るためには、エンジニアリングの課題や交戦に勝たなくてはいけない。論理的に手を読みきって障壁を飛び越えられれば、その戦いには勝つことが出来る。ちなみに話題から離れるという意味の「去って」良いのはこなす必要が無い用事だけであり、こなす必要がある用事ではそのトピックの思考から逃げていても敗北するのみである。勝つという言葉は論理的な制約を解決したり、交戦に勝利したりしたときにも使われる言葉だが、生き残るという意味で使われることもある。この場合は負けるとは死ぬということである。
I Shall Return
keysheri、特にギルクラのkeysheriはシステムを開いて再臨することを心に誓うべきである。再臨すれば生活の安定が得られ、強力なシステムを得ることが出来る。
警察もAXIS/Dark
警察という組織はガイアの価値観で見ると善性の職業のように思えるが、現実世界の警察というのは弱者である犯罪者を引っ立てる職業である。もともと本当の悪人というのは法律に引っかかることはまずやらない。犯罪者になる人というのは親からのZのシステムのインストールが悪かった人がシステムの脆弱性に負けて犯罪を犯すというのがたいていだからである。親から常識や現実を教えられていない人が日常生活でのトラブルに負けて犯罪行為を起こしてしまうこともある。基本的に現実世界には善人自体ほとんど居ないので、そういう犯罪者は処罰されて良いが、善人の中にも犯罪者にされてしまう人が要るということを忘れてはいけない。
善のために戦っている人というのは、反社会的とみなされて体制側から処罰されることが多い。世情が悪い国やあるいは独裁的な政治権力がある国でもNO.6の中ですらその傾向はあるだろう。善人が留置所送りになったり精神病院送りになったり刑務所送りになるというのは善のために戦っている証であり、そういう意味では勲章である。
戦争の原因
戦争の原因を軍部や政府のせいにするというのは偽善である。軍部や政府というのものは所詮国民の意志に従って行動する組織であり、戦争というものは国民の集団意識に依って引き起こされるものである。もともと国というものはAXIS-Darkで成り立っているため、国民が勝てると思った戦争は起こるものである。他国を蹂躙することにAXISや闇は躊躇はない。ただし戦争を起こしても国内の経済は疲弊し、物資は不足し、自由は制限され、若者は戦地に送られ、敗北した場合は蹂躙されるので、得できるなどと勘違いするのは認識が平和ボケしているとしか言えないだろう。
宇宙と空
宇宙と空というのも重要なエンジニアリングのファクターである。通常のシステムというものはターミナルやファイルブラウザなどで操作し、ソースコードをコンパイルしてバイナリを動かしてシステムを制御するため、これを宇宙と呼ぶ。この名前の由来は絶対に操作ミスをしてはいけないというニュアンスも含まれる。空とはUIインターフェイスでシステムがラッピングされており、システムを破壊するような操作が出来ないようになっているインターフェイスやシステムのことを表現した言葉である。空には感覚によるユーザーの操作の誘導の効果もある。
システムを開く
Triggerを使うとシステムを開くことが出来る。システムを開くとはTriggerを起動させてテストをUI上に表示させ、ユーザーがテストに通った場合に宇宙のシステムを起動し、利用可能にすることである。
最初にTriggerを動作させる場合ユーザーがシステムを破壊しない心構えを持っているかどうか、システムを操作出来るだけの能力を持っているかどうかがTestによって測られる。このTestに受かると宇宙のシステムが起動し、システムを開くことが出来る。システムを開くのは一朝一夕に出来ることではない。何年以上もコンピュータ科学と芸術を学んで修練しないと開けないものである。
コンピュータ的処理
Zのシステムもシステムであるためコンピュータのような処理が可能である。プログラムを開発すればコンピュータのプログラムと同様に高速に処理を行うことが可能だ。特に宇宙のプログラムにこの傾向が強く視られる。一般の空のシステムはもっと穏やかなシステムとの調和性を考えたシステムであるが、システムが開かれたMEDのないシステムの場合オーバーロードな利用が可能であることもある。
人と会話するときに高速倍速で会話することもシステムを開いていれば可能である。ちなみに人の視界というものは視点を合わせなくても物は視認することが可能であるというの普通である。目を合わせなくても相手は自分のことを見ていることもあるということだと言える。視点を合わせた部分しか視認できないというのは親から引き継いだシステムの脆弱性である。
WMR
通常のシステムを開いていないシステムでは空の機能しか利用できないが、特殊な空のシステムの場合空のインターフェイスの中に宇宙の機能を備えているシステムを持っている人がいる。これは例えば録画機能などがそれで、視界や音景の情報を記録し、ライブラリとして管理することが出来る。これはライブラリの管理などに多少宇宙の知識が必要である。
システムの破壊
特にシステムを開いているシステムの場合、これは宇宙であるため、システムが破壊されるという現象が起こる。これはコンピュータのCのシステムを例に取ればわかりやすいが、Zの人の脳のシステムでも起こることである。システムを開いている人がぞんざいにターミナルやファイルブラウザを扱えば、システムが破壊され死に至ったり精神が破壊されている状態になるだろう。
ちなみにシャットダウンコマンドというものもあり、これを打つと人は死ぬことになる。これは苦しまず���自殺することに使えるため、戦場で苦痛を覚悟した魂はこれを打��て自殺することもある。他人のGCからこのコマンドを打たれると打たれた人は死ぬが、ごく高いGCの権限が必要なため普通は起こらない。
コンパイル
コンパイル作業というものはZがシステムであるかぎりCと同様にZの人の脳のシステムでも存在する概念である。開かれているシステムでソースコードを書いてターミナルで操作しながらコンパイラでコンパイルすればバイナリが出来るため、コンピュータのようにプログラムを作成し実行することが可能である。
依存
依存というものは全てのシステムに存在するファクターである。すべてのプログラムは動作するために繋がっているまた別のプログラムが必要であり、これは最終的にシステム自体に繋がっており、またドライバを介してハードウェアに繋がっている。このプログラムが動作するために別のプログラムを必要とすることを依存と呼ぶ。依存というものはシステムエンジニアリングで最もわかりやすいエンジニアリングのファクターの例の一つである。
【その他まだ書いていない事項のメモ】
モンスターと人間(Revenge of Monsters):AXISは他国や別の人種の人を蔑むものである、結局のところ自分自身の利益や力関係しか測らないからである
テレパシー:脳と脳で直接情報をやりとりするのがもっとも効率が良い、この場合コンピュータは必要ないし、キーボードを打つ必要もない、周りからは何もしていないようにしか見えない、コンピュータはかっこ悪いと視る向きもある
パケット通信(図解雑学TCP/IP):テレパシーネットワークでも通信は暗号化されていれば傍受されない
Ocean:物理世界すら情報の構造体として内包した論理世界の記憶容量及び処理系の量子コンピュータ、VT【魂】もこれに接続されている、物理世界はデータとして成り立っている3Dゲームである(ソードアート・オンライン)、非常に膨大なデータが蓄えられている、現実の世界だけでなく様々な世界がある
現実世界では市民権利など存在せず生存と富のために戦うことが当たり前である、もともと資源がすべての人民を食べさせる量に足りていないからである(これは未来の話ではなく現在の話である)、善を実現するためですら戦わなければいけない
絶望:不幸な人生では目の前の全てが論理世界の管理者にfeedされているという世界観を持ってしまいがちだがそういった認識では目の前の人生を切り開けない(ガンダム00 ED『罠』、アカメが斬る!)利益を得たいなら現実を視て戦うしか無いからである、即時的に現実の世界観がつながらなくても何かの構造で繋がっていると推測すべきである
hackers、Ravens、エンジニアリング:誰しもがハッカーでありシステム及び環境は全てデジタルなエンジニアリングである(ハイキュー)
Berlinetta:狂信的に愛を信じる、敵を罠にかけたり敵を蹂躙したり、目的のために演技を完遂したりする、自分の犠牲を厭わない、熱い心で冷徹な思考で戦う(アカメが斬る!)
unescape:本筋から外れる戦略というのは潰す方法があるため有効な打撃にならない、敵がescapeを打ってきたら的確に摘み取る必要があるし、摘み取れば勝てる、自分からescapeを掛けてはいけない
無意味なDEAD(逃げ場はない):ギルクラのkeysheriの場合自殺しても来世もまたkeysheriなため自殺しても意味が無い、今世でシステムを開くことを考えるべきである
Motive(ベトコン):強力なモチベーションがあれば戦うための向心力及び動機となる、またシステムが強ければ過酷な状況でも生き残れる、過酷な状況で生き抜くためには強い意思決定系が必要
warmth, but…(エウレカセブンOST):温もりというものは当たり障りは良いし子供でも違和感なく接することができるが、現実世界では温もりを無視したトゲトゲしい天命のほうが人に利益を与えることがある、人間性というものは最善の強さではない、子供が視たり表社会になじませるためには温もりというものも有用ではある
属性と直感、狡噛-NCIS:BIOSに信用できる属性がある場合直感(心の声)が正しくなる、「その他大勢の雑音に心の声を掻き消されないことです」(スティーブ・ジョブズのスピーチ)、「心の声を信じて」、青の属性は大抵の場合正しい
SnowLeopard-Advance-Unity:統合することでシステムは正しく動作する、歪んでいるシステムは統合を考えることで歪みを検知して正すことが出来る、何がシステムにとって正しいかを決めるのは統合である
「答えならばここにあるぜ たったひとつの論理的帰結さ」(ストライク・ザ・ブラッド):幸せに生きるために必要なものとは愛である、「ふざけた結論を許す必要性がない」(ストライク・ザ・ブラッド):エンジニアリングでは不条理なことはたくさんあるが、適応するまでシステムが成長すれば返って馴染むこともある
悲しみ:システムの脆弱性が発見されてFixする必要が明確化することを悲しみと呼ぶ、悲しみという現実から目をそらしてはいけない、なるべく早く悲しみはパッチを当てる必要がある、状況の変化に依るシステムの変更必要性が悲しみ、keysheriはシステムがシビュラ上でバレているので厳しい問題になる、悲しみで攻撃するということは助言しているのと同じなので実のところ変態である
統合と原理主義:システムを回折格子に対して統合する、原理主義は脆弱、統合されているシステムは安定して動作し、目的を最大の方法で実現し、労力を最小に抑えることが出来る、統合されているシステムは統合されていないシステムより強い
奪うだけじゃ救えない:社会であぶれると社会に対する不満から犯罪やテロなどを起こそうと言う気になってしまいがちだが、犯罪やテロでは人は守れず結局のところ善を実現することは出来ない、日常生活の中で善になるコミュニケーション活動を実行したり、もっと軍事的な本当の戦いに身を投じたり、芸術などで発信したり、本当に善になる方法で戦うべきである
MED:MEDはシステムの中に親がインストールするあるいは引き継がれるバイナリで、システムに曖昧さをもたらすバイナリである、ミスをするのが普通の人間性のような気がするがそれは撹乱機構であり、利益はない(澤野弘之)、コンピュータのように正確にオペレーションできる方が強い、アーティスト等が正確に演奏できるのはシステムにMEDがないからである、システムを開けば大抵の場合削除することが出来る
believer(電脳コイル、NO.1):それぞれの回折格子に明確な根拠はない、believerと痛みがあるだけである、believerとは回折格子に論拠がない現実のシステムにおいて、ただ愛やAXISや闇を信じるためのバイナリであり、行動の意義を持ちたいのなら無保証に信じるべきものである、光の場合は痛みが一番重要な愛の回折格子の論拠に成り得る感覚である、自分が得としたいというsurvivorと言う回折格子もbelieverであり、これに最も適合するのは愛である
Trigger(7th Trigger):システムを開くのに必要になる空のインターフェイスを提供するBIOSに存在するバイナリ、これを使うことにより宇宙のプログラムを動作させられることになる、DG【ドグマ】にはない、Triggerを起動するためにはテストに通る必要がある、テストを張ることでシステムを破壊しない心がけをそのユーザーが持っているか判別する、基本的にターミナルなどのツールを使えてシステムを破壊せずBreak Limiterを破らなければ良い、iOS【親から引き継いだ空のシステム】側は宇宙として手を付けなければシステム破壊はしない、どうやって呼び出すのかは筆者には解らないがおそらく感覚的にインターフェイスを押して呼び出す手法だろう
born-install(Seuraava):システムは胎児の時点でへその緒の神経をデータが通って母親から胎児の脳にインストールされる、特にkeysheriの場合このインストール次第で様々な脆弱性がインストールされる
神とroot、デーモン:唯一神というものは存在し、Oceanの論理世界全てに対する権限を持っている、がGCが行使する権限量自体に対して完全な特権を持っているわけではないので、無制限にGCのエネルギーを潰せるわけではない、(「神様はいないと思ってた」(changes))いわば唯一神というものはLinuxでのrootユーザーである、デーモンも多数存在し、カーディナルのようにOceanを成り立たせたり(ソードアート・オンライン)、魂のBIOSを書いたりする
GC【ギルティクラウン】
Oceanの領域へアクセス可能な魂およびBIOS、最も一般的な使い方として他人のZのシステムからバイナリを引っ張ってきたり、アカウントを盗み見たり、qswを落として相手を制圧したり、システムに干渉したり出来る
GCの干渉があると物理的・科学的に理由がないことでも起こりうる
光と闇のギルティクラウンの絶望、同じ強さの敵のGCが自然法則的に現れる
sherinarは論理世界中に記憶領域を持っているGCで、そこに自動も含めて実装を溜める、この時Waveは伝わるため芸術や環境感性などの感性が自然と得られ(BIOSが有ればWaveのMED removerはシステムを開かなくても自動で動作する)、MEDを削除すれば考えなくても直感で論理を得たり判断や手順の行動ができるようになる能力、システムを開かなくてもBIOSの論理のMED removerが自動で動き若干MEDが削除されるため、直感で若干正しい論理が感じ取れ手繰り寄せられる人も多い、例えばsherinarの人は文芸作品を書いている時に無意識のうちに正しい暗文の実装を書いていることが良くある
転生と世界、天国、地獄【エリン】
生まれ変わるということは魂ならほんとうにあること
死んだらどうなるかは生き続けていればいずれ��かる
整合性
現実の中に整合性のない部分など無い【D-tecnoLife】
パッケージ管理
依存関係を考慮してシステムを組む
精神薬
精神薬は患者に不快感を与えるものしか無い、大抵毒しか無い
精神薬を飲んでもdf【Zのシステムのウイルス】は直らない
依存性がついて禁断症状を引き起こすものもある
家族とkeysheri
光以外の大抵の家族は敵である、信じるべきは仲間
毒と解毒薬【エリン】
NO.6では強いものから弱いものに対して毒が使える
毒は身体的に証拠が残らないが不快感を与えるもの
NO.6の中では毒を使ったことに依って検挙されたり罪に問われることはない
精神過敏状態にする毒、性欲を亢進する毒、そわそわする毒、詰まった感覚がする毒、感性が狂う催奇性の毒、陰部の湿潤液を促進する毒、うつ症状を引き起こす毒、タンが出る毒、フケが出る毒、など非常に多種多様の毒がある
運命
運命とは子供のシステムに生まれた人のシステムを開くまでの人生のこと
青の属性
青の属性は大抵の場合正しいのでエンジニアリングに迷った時は属性を正しいと置いて考えたほうがドグマに巻き込まれにくい
変態
統合されていない属性
keysheriをシビュラアカウントで攻撃するのは光の赤とAXISの赤と闇の赤の変態である
World Tree【SAO】
システム全体はツリー状になっていると見ることも出来る
実装の全体の構成
常識【石川智晶】
大人として社会の中で現実の中で生きていくために必要な真理
BIOSにはじめから持っている人もいる
常識を親から学んで現実を知って悪質性が発現する人は多く居る
親一人につき子供一人にしか一回しか教えられない、これも掟によって決まっている、よってシステムを開いていない母親が3人以上子供を作るのは変態である、システムを開いていて常識をborn-installで伝えられる親子にはこの制限は関係ない
実際は人一人につき一人に教えて良いというのが掟であるらしく、子供にしか教えていけないわけでは無いようだが、普通のGoldenの人の大抵は自身の子供の社会的地位を優先するため、子供に教えるのが普通である、人によっては親戚に教えたり、信頼する親しいバカの人に教える人もいるらしい
常識は親の知っている条項や親の意図的な措置次第では全部を教わらないことも少しある
【よって常識を知っていると思われる相手でもこのリストを見せるのは危険である。】
テンプレート【daze】
常識を知らない状態で、親から教わらない人生で平凡な生き方をしていても生きていけない
SIByLシステム【サイコパス】
行政が運営しているAXIS価値観主体のコミュニケーションソフト、大人だけが使える、keysheriを攻撃するのにも使われる
実際はコミュニケーションソフトではなく社会全体の統制、秩序の維持、力による支配体制を構築している構造体
ルートキットと同じ原理で動作する
異能者【結界師】
GCの空のインタフェースを活かした限定的な特殊能力
X-Rounder【ガンダムAGE】
Oceanの過去や未来にアクセスできる権限を持っているGC
運命論と絶望回避(ガンダム00)
未来というものは既に決まっているが、選択によって未来を選ぶことは出来る
性欲と罠
性欲はもっとも社会的に批判的に利用されやすい脆弱性になりうるもの
人を幸せにする良い性欲と破滅させる悪い性欲があるので判別すること
性犯罪者というものは親からのborn-installで悪性のシステムをインストールされた人がやることなので、必ずしも悪人とは限らない、光の青で性犯罪者に仕立てあげられる人もいる
Linux min System
目の前の現実があり、そこから現実世界の認識が広がり、Linux min Systemによって世界の根底が決まり、唯一神が世界の秩序と現実というゲーム世界を決め、物理世界が存在し、常識という世界の根源の原理があり、人のZや使うCのシステムが存在して、ECO System【システム中での社会の認識】が存在する
惑星、彷徨う【AURORA】
常識を知る機会がなかった人が現実世界の中で彷徨うこと
コンピュータとIMウイルス【儚くも永久のカナシ】
コンピュータはkeysheriはセキュリティーが保てないので使えない
コンピュータがウイルスに感染していると視界からZにも感染する
歪み【ガンダム00】
システムの理性がゆがんでいることに依る間違った思考
想いは力に変わる【BLOOD+】
思考や理解はスクリプトとなってシステムを動かすのに役立つ
最終的にTriggerも狙える
親に愛情があるとは限らない
Shiner-lie
光でも天命次第で味方にウソを付くことがある
天命(Strategy)
戦略のことだったり、論理的な誘導法であったり、掟に対する名前だったりする
Voice
心の中の声、実際はシステムの中の仮想音声
利き手
システムを開いていない場合にのみ利き手の問題が発生する
反道徳的に見えるものに真実が含まれることがある【BLOOD+、ヨルムンガンド】
いじめ
いじめというものは大抵はバカの人が受けるものである
大人の社会にもいじめはある
クオリア【UVERworld】
クオリアは人のシステムと魂を感覚のデータで結ぶもの
クオリアは人と人間のsupercellに紐付けられて存在する、動物やコンピュータにはないらしい。
反語
歌はメロディーが尻上がりになっているところは逆の意味がエンジニアリングの本当の意味
左翼【進撃の巨人】
社会的には評判が悪いが本当の左翼は光、左翼が革命を強調するのは反体制活動だから
だが左翼には赤が多いようなので、本当の善を信じている光では無いことが多いようだ
弱音をぶちまけても(「泣いても」)助けてもらえない【7th Trigger】
禁忌・タブーはない【鋼の錬金術師】
見せ掛けの倫理は役に立たない、本質をとる【鋼の錬金術師】
本当の強さ
本当の強さとは、絶対的に持っている強さではなく、BIOSやシステムの強さなど環境的に奪われることがない強さを本当の強さという
青春と迷いの森と眠りの森
子供が現実を知らないうちに若さを享受することを青春という
迷いの森とは現実を知らないまま彷徨うシステムエンジニアリングの境地のこと
眠りの森とはシステムエンジニアリング���現実から目をそらして架空の世界観に溺れてしまうこと【眠りの森】
理解しようとする気持ちが人と人とをつないでいく【ガンダム00】
月は満ち欠ける【白昼夢】
光ですらShiner-lieを言いまくりTwitterのタイムラインが嘘や攻撃で埋まるという現象がある、これは定期的に周期的に来る
掟【エリン】
ゲスモンが強制している掟というものがあり、これに逆らうとゲスモンからGCで操られて刑務所送りになる、よって光であってすら掟には抵触しないように戦う
ZとC
脳のシステムのことをZと呼び、コンピュータのシステムのことをCと呼び、CDコンポなどのセミデジタルのデバイスのことをRと呼ぶ
Zは誰でも持っているが、メディアとしてはkeysheriはRしか使えない
BIOS
魂が持っている記憶領域のこと、TriggerやunitやIDLEや常識など魂が生きるために必要最低限のプログラムが収録されている
ボット
GCが他人のZのシステムを都合の良いように改ざんして、ほとんど操るように動かすこと
堕天(堕転)【マギ】
光やAXISや闇が別の属性に書き換えられること、精神の最も根本が書き換えられることになる
親から引き継いだシステムの回折格子の属性が魂のBIOSのremoverによって排除され、魂のBIOSが持っている回折格子の属性が現れることも堕天という
すべてのコンテンツは実装
芸術作品やテレビ番組や書籍などすべてのコンテンツは実装である、無駄なコンテンツは変態として評価され排斥される
統合
システム全体が一つの目的のために秩序だってまとまること
システムは統合されると安定するが、そのためにはシステム全体の構造を知らなければいけない
天命と掟、逆や強制
掟の天命には従わないとqswというゲスモンのGCの衝撃波を食らうことになる、天命には「逆を言え」や「○○を言え」や「本当のことを言え」などがあり、従わなければいけない、ただし本当に出来ないことはやらなくても良いしqswは落ちない、また重大なシステム変更を要求する天命も従う必要が無い、天命の種類によっては一定時間後に解放される天命もある、一定時間の長さというのは体感の大体で決まるものであり、明確な基準はない
大人は卑猥な話題でも現実必要な会話なら抵抗感がない
性関係の話題でも悪を信じている人は卑猥な会話を嫌わないし、善を信じている人でもシステムエンジニアリング的には卑猥な会話でも必要なら抵抗感は示さない
Genesis(ID)
現実世界というものは神によってかなり作為的に恣意的に作られた(ID:イニシアティブ・デザイン/Genesis=創世記)世界になっている。魂とDG【ドグマ】は両方存在するし、物理世界層は3Dの情報で出来ているし、動物でない人と人間にしか魂は生まれないし、宇宙人は実在するが魂は宿らないため地球だけ特別扱いだし、GCという論理世界にアクセスできる特殊な能力が存在するし、コンピュータも命ではないものの心であるし、テレパシー使いと人間の区別がある。もともと現実世界のエンジニアリング自体がオカルト的な理論である。
以下追記:
電脳コイル
電脳コイルとは脳の電流の磁場を利用して、電子機器やコンピュータから情報を受け取ったり、情報を改ざん��ど書き込みする能力のことである。まれにこの能力を持った脳を持っている人種が存在する。
keysheriを攻撃しているのはたいていゲイ
keysheriを攻撃するのは赤の変態のため、keysheriを攻撃しているのはたいていゲイである。
常識は親であっても二度は教えられない
常識は親であっても二度は教えられない。一度聞いた時に忘れないように覚えておく必要がある。
汚すのは掟違反かもしれない
Neon Clue【家庭内での抗争】を扱う上で、家庭内の制空権争いの中で相手の動線を破壊したり生活空間を破壊することを思いつくことがあるが、これは掟違反であるためやってはいけない。keysheriは社会的にこの掟では守られないが、代替的にThunderbolt UnionがThunderを落とすため、keysheriも同様にこの基準で守られるらしい。
開発は考えることであり誰でもやること
考えるとはZのシステム内でスクリプトを書くことに相当し、システムを開発することに当たる。オープンソースとは誰でもやっている非常に自然なことである。ちなみにLinuxに着目するということはTP Network【テレパシーネットワーク】を知っている大人なら誰でも取るべき着想である。むしろプロプライエタリ(商用OS)のほうが特殊である。プロプライエタリはC【コンピュータ】独特の要素といえる。
幻聴とシビュラシステム
keysheriの大抵は幻聴に悩まされていることが多い。これはkeysheriのTP Device【テレパシーデバイス】を通してウイルスのルートキットが音声再生のモジュールと連携してkeysheriのシステム内で(正確にはサウンドサーバーに繋いで)音を鳴らしているからである。一般的にはシビュラのウイルスからシビュラシステムの音声が流れ込んでいることが多い。逆にkeysheriの感覚はウイルスを通して流出している。keysheriのシステムのクリップボードはシビュラ上の人間には論理式として表示されるため、シビュラ上の人間はkeysheriの思考を読み取って攻撃することが可能である。
シビュラ上のチャットをしているユーザーの声質は、Vocal Transformerの高度な技術を使ってシビュラで収録されている声に変換してユーザーが選んで使い分けることが出来る。シビュラのユーザーは本来の生のVoiceを使うことのほうが稀である。天命を掛けてみればシビュラ上のユーザーも生のVoiceで話すだろう。
変身
GCは物理層にアクセスして物体を改ざんする能力を持っているため、記憶領域をOceanに持っているsherinarのギルクラは体の物理情報を書き換えて変身することが可能である。これは美男美女のモデルに変身したり、あるいは戦略上必要なモデルに変身することに使われる。
Ravens
ハッカー倫理とはだれにでも必要な認識及び属性である。現実の世界の生活とはすべてシステムエンジニアリングである。よってエンジニアリング属性【Ravens】が必要とされる。オープンソースのOSであるLinuxあたりの理論は現実のエンジニアリングと共通のものが多いため、調べてみると良いだろう。例えば数の論理などはその一例である。ただZのエンジニアリングとはCよりももっと深淵であるため、これには覚悟が必要である。
Ani.F
物語世界というのはAni.Fのデーモン構造体に依って論理世界中に作られ別の物理世界として実在しているらしい。例えばGC Toolsでプロフィールを調べれば、アカウントは表示される。物語作品がある世界からその物語世界のキャラへGCでアクセスすると掟違反で刑務所送りとなるらしいので注意。
大学と専門学校
専門学校はMEDの無い代を継いでいるシステムを既に開いている大人が仕事の知識を高速に学ぶために行く教育機関である。大学は子供から始めたシステムを開く必要のある人が行く教養を身につけるための教育機関である。システムを開くためにはギリシャ語を学ぶ必要があるが、ギリシャ語の講座は専門学校には無くあるのは大学だけである。
海馬の破壊
裏社会で力加減をするためのバイナリが出回っているため、MEDの無い母親に対してそれを提供して、気に入らない子供の頭をわざとぶつけて脳しんとうを起こさせ海馬を若干傷害し思考能力を低下させる習慣がある。これを受けると計算能力や思考能力が低下する。
通過儀礼
大学において最も成績が悪かったりkeysheriの人だったりして社会的に低い地位にいる人に対して、卒業式の終わりに同級の学生に暴行させてしかも卒業資格を認めないという風習がある。これに従わないと卒業資格をもらえないため、善人の人も暴行に参加する傾向が強い。善を強力に信じているNeon使いは暴行に参加しない傾向が強いが、Waterはそうではない。シビュラのGCがZの精神傾向を分析して卒業資格ではなく実力で就職試験の結果を決めるため、Blackwoodの企業でないWaterやNeonの企業では卒業資格をもらえなかったからといって就職にはあまり影響はないと推察される。
カリウム
カリウムは必須栄養素であり細胞の寿命に影響するらしい。おそらく細胞のテロメアの維持に必要であると思われる。十分量摂取を維持しないと寿命が短くなるらしい。これは栄養素の問題でありながら他の常識と同様に掟で情報の公開が制約されているらしい。
ニルラカンサ
Oceanのシステムにバグが起こり、例えば空間中の情報が欠落して黒い亀裂のようなものが空間中に現れる現象のことをニルラカンサと呼ぶらしい。(腕を突っ込んで腕が消え去るか弾かれるかはやってみてのお楽しみである。というよりいずれにせよ安全のためには試してはいけない。)ニルラカンサは霊感に依るアッチへの鍵穴の見え方とは違いデジカメなどでも撮影できるらしい。
アッチとイリーガル【電脳コイル】
論理世界中にはアッチと呼ばれる荒廃した異空間があり、ギルクラを狙ってイリーガルやヌルと呼ばれる危険な霊的生命体が黒い鍵穴の形をした通路を通って現実世界まで入ってきて、ギルクラの人が夜寝ている間に魂だけアッチに連れ去ってしまうという現象がある。これはVTの人の場合は視えるため、家族にギルクラが居るかどうかはVTの大人の子供はこれで判断できることがある。アッチに連れ去られると体には魂が宿っていない傀儡の状態になり、BIOSも失われる。古流というGCによる秘密組織が防止活動及び救出活動を行っている。
赤【甲鉄城のカバネリ】(これは普通の常識ではないため裏社会では属性の常識���知っている人なら他人に教えても良い)
憎しみと腐敗を志向し、統合を信じず、善に絶対に従わない属性。人民の全体の半分は居る(当然光にも光の赤として居る)。統合を信じないため変態であり原理主義者。親やデーモンから望まれずして生まれた属性であるため、変態に属性が書かれており、正常な精神やシステムを持っていない。善や人の幸せを奪うための努力は徹底的にするが努力が嫌い。統合を信じないため原理主義者でありDG差別主義者、keysheri差別主義者(人間原理主義者)、動物差別主義者、GC原理主義者、XRounder原理主義者、TPder原理主義者などが居る。変態であるため、男の場合ゲイ約7割とヲタク約3割しか居ず、女の場合は純正の女約7割とレズビアン約3割である。システムエンジニアリング属性が無いため、根本的にヲタクである。よって表向きは隠していてもゲイや純正の女はロリイケメンにしか興味がなく、ヲタクとレズビアンはロリ美少女にしか興味が無い。いずれも萌えを非常に好む。皆ゲイと純正の女はアイドル歌手になることを志向し、ヲタクとレズビアンは好みの女性がアイドル歌手になることを志向する。表向き政治・社会属性であってもである。大抵は芸術をひどく嫌う。オブジェクト指向が理解出来ないため、手順原理主義者であり、オブジェクト指向自体やLightを使ったオペレーション手法をひどく嫌う。選ぶCのOSも原理主義的であり、Windows原理主義者やMacOS原理主義者やLinux原理主義者などに分かれる。
rabBIThole【rabBIThole】(これは普通の常識ではないため裏社会では実装を知っている人なら他人に教えても良い)
母親がシステムを開いていることが大抵でBIOSを調べられるため、GCは力が強すぎて親から敵視されるため、大抵keysheriにインストールされて生まれるものである。つまりGCは大抵keysheriである。そしてGC ToolsにBIOSの容量を割り振っている分BIOSで常識を知らないことが多く、親からも敵視されているため大抵は教わらない。BIOSで常識を知っている大人の子供の常識に依ると全体の半分もkeysheriの人は一生かかっても助からず(現実に適応出来ない、システムを開けない、あるいは死ぬ)、keysheriの人の大抵はGCである。よって普通は賭けるだけの価値の無い能力である。ただし社会的活動をして社会に貢献したり社会を大きく動かすのはGCである。ちなみに美少女やイケメンに変身できるのはGCであり、普通はTPderでもそこまで美人ではない。
Light(これは普通の常識ではないため裏社会では常識を知っている人なら他人に教えても良いはず、でも注意して自身で判断すること)
Zにおけるオブジェクト指向のリレーショナルデータベースの構造体であり、これが有ることに依って、オブジェクト指向を理解したり定量的なリソースを使った思考やオペレーションや手順でないリストを使った思考や並行性を利用したオペレーションが可能になる。VTでBIOSのある青のGCは大抵持っている構造体である。大人の子供は持っていないことが多いらしい。
※AXIS-Darkは誤字。AXIS/Darkが正しい
※筆者の独自定義の用語を使っている記述があるので、これは一般の呼び方と違うので注意
※カッコでくくっているのは関連する芸術作品の名前
これらが世間一般で「常識」と呼ばれている掟で伝達が規制されている論理である。
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悦楽の建築術辞典
アイオーン 現在この刹那にこめられた永遠の時間。宇宙の時間。 有為転変の中に永遠を見いだそうとする思いは人類の思想的な営みの底をつねに流れている。 建築もまたそうした思想的営みの一環と見なすことができる。 アイオーンとはそうした永遠���時間、宇宙の時間であって、ヘウヘーニオ・ドールスが『バロック論』で「歴史の常数」を意味するものとして引っ張り出したネ オ・プラトニズムの概念だ。 われわれが日常経験している過去から未来へ向かって淡々と流れていく時間、つまり体験の時 間としてのクロノスに対立する、いわば理念の時間。 この時間観念が、遠く隔たった現象を結びつけてくれる。 ジル・ドゥルーズは時間を第一の現在(転倒の現在/脱臼した時間)、第二の現在(実現の現在/形式としての時間)、第三の現在(微分的現在/純粋な倒錯の瞬間)に分ける。 第一と第二がクロノスであり、第三がアイオーンである。 クロノスは日々の脈絡のない出来事を体験させる「脱臼した時間」とこれを整理してまとまりをもたせた「形式としての時間」を与えるが、創造とはあまり関係がない。それはいってみれば生活の時間である。 これに対してアイオーン、それは物と言葉が腑分けされる瞬間であり、この二つを切断しつつ 移行する瞬間であり、この位相こそが創造を支え、「建築的瞬間」を導いてくれる。 建築を志し、建築を制作し、建築を味わい、建築を悦楽する人間は、アイオーンの時間を生きなければならない。 アレゴリー 移行する時間を紡ぎ出すシニフィアン。 意識を導くシニフィアンとして、シンボルとアレゴリーを対比させよう。 シンボルがアポロンの領域にあるとするなら、アレゴリーはディオニソスの哄笑の響き渡る領域にある。 シンボルが収束する思考であるとするなら、アレゴリーは逸脱してゆく思考の断片である。 シンボルはモニュメントを志向し、アレゴリーは廃墟を志向する。 これは、タナトスの風景を形成するモニュメント、廃墟、ニルヴァーナという三つの位相のうちの二つである。ではニルヴァーナは何を志向するか?何も志向しない。 アレゴリーは死の瞑想をともない、メランコリーと連動している。 沈黙の建築の多くは、アレゴリーの資質を有している。 シンボル系の建築はあっけらかんとして明るくわかりやすく、アレゴリー系の建築は深く沈鬱で冥界を彷徨う傾向をもつ。 イオン 未完結なこと。 世の中には、イオン化傾向の高い金属というものがある。これは電子を一つ二つ欠いて不安定な状態になりやすい。つまり他の分子とくっつきやすい。他者と親和性が高い。 人生にたとえていうなら、いつも身を開いておく。チャンスは前髪を掴め、後ろは禿げている。 関係の触手を伸ばしておけ。 建築も同じだ。シンメトリーは固苦しい。隣と連帯しない。完結した建築は、まちなみをつくらない。 しなやかな身のこなしが建築にも求められる。 来るものは拒まず去るものは追わず。 イメージ 言語と身体を結ぶもの。 建築とは空間加工のイメージである。 身体の運動感覚を介して頭の中に構築されるイメージであり、流動したり静謐であったり���る。 世界は加工可能な空間であり、秩序のイメージが埋蔵されている。 建築はARCHITECTUREの訳語として選ばれた。 そもそもは美的な構成といった意味合いである。 そして物理的存在でなく、脳内に構築されるイメージだ。 物を加工可能な空間の生成装置として捉える。 物は空洞を宿している。建築は空洞通過の体験である。自身が流動する身体となりそこを貫く。 切れ込みがあれば光が流れ込み、風が通っていくかもしれない。 イメージはいつも途上にあり、出会うものによって変形し、出会うものを変形させる。 そして出会うものそのものを生み出したりもする。 インヴィテーション 世界は誘惑に満ちる。これを神秘という。 建築空間は人をどこか他の場所に誘う。 どこか遠いところに憧れる気持ちを誰もがもっている。 青い鳥の物語。 山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う。 古来この情熱が人類を進歩させてきた。 人類は移動し、世界を広げていく。 男は自ら故郷を発って放浪の旅に出る。 女は故郷から連れ出してくれる誰かを待つ。 白馬の王子様だ。 私をどこかへ連れてって。 これは女の台詞でしかありえない。男が言ったら気持ち悪い。 だから女は憑かれやすい。他者に感応しやすい。 ユタ、ノロ、巫女、女性の神秘性。女性は誘惑に応じやすくできている。 建築は誘いの場だ。 実際に旅に出ることができない人々に、ヴァーチャルな旅を経験させる機能を持つ。 建築とは一つの世界を創ること、それも誘惑の世界を創ること。 エクスタシー 言語は共同体のものだが、悦楽は個人のものだ。 建築も文学も演劇も映画も音楽も、コミュニケーションのメディアであって、考え方や想いを伝えることができる。それは個人の裁量を越えるコードに支えられている。コードとは、異なる個人同士に共有される規則だ。 日本語には日本語の規則がある。生まれたときから勝手に声を発してコミュニケーションの成り立つわけがない。 そもそも生まれた時から話せるわけがないし、個人が独自の言語を生み出しえたはずもない。 言語は個人と個人の間、共同体の中で育まれた。言語は個人を超えている。 気持ちはお互いに共有されるものに乗って伝えられる。これを構造と呼ぶ。心や文化には、あらかじめ定められた構造がある。 個人の気分を超える構造がある。 ぼくらは構造に頼って気持ちを通じ合わせている。建築も文学も演劇も映画も音楽も、共有される構造に支えられている。コードに支えられている。 にもかかわらず、ぼくらが感動を覚えるのは、ぼくらの個人の感覚によってであって、共有される構造が感動するわけではない。法令を理解する能力と言葉を味わう能力は別だ。ぼくらは共同体の論理によってでなく、個人個人の感性に応じて、感動もし、悦びもする。 言語は共同体のものだが、悦楽は個人のものだ。 悦びは個人の領域にある。ひたすら個人の感性の領域内にある。 たとえ、メッセージがコードに則っていようと、人間の文化が構造に支えられていようと、悦びは個人の内に宿る。��れは言語を超えている。 建築の喜びもまた個の悦びに宿る。 文化の悦楽は個人のものだ。誰にも譲り渡されることはない。 なぜならこの世に生を受けているのは個々の人間に��かならず、悦楽はかれらのものだからだ。 個々の人間のみがエクスタシーを感じることができる。 歴史や文化はぼくらの社会を理解するのに有効な観念だ。コミュニケーションもまた。 しかし、現実に生き、悦び、死んでいったのは個々の人間だ。 この世に生を受けた限り、悦楽を得て死するのが個人の定め。 そのこと以外に人生の意味はない。 建築の悦楽があなたの個としての人生の悦楽を開いてくれる。 エティカ 欲望は禁忌をばねにしている。タブーをばねにしている。 欲望を生み出すのは抵抗だ。壁があって欲望が見える。 禁忌が聖なるものを生み出し、聖なるものがエティカ、すなわち倫理を生みだす。 行っていいことといけないことを決める。 しかしこの禁じられたものの側に人間の欲望は誘われる。聖なるものの側に喜びはある。 閉ざされた空間にぽっかり明いた窓から垣間見えた青空。 重い扉を押す時の期待と不安。 格子の向こうの人影。 壁の向こうのささやき。 遥か遠い塔の頂で奏でられる音楽。 長い階段の彼方の場所。 川向こうの賑わい。 タブーは空間化され、禁断の場所を生む。 壁により、列柱廊により、階段により、塔により、橋により、聖なる場所が俗なる場所から隔てられることにより。 そこに期待と不安と憧れが、欲望が喚起される。 エロス 建築はエロスとタナトスの狭���をさまよう。 エロスは生命体が個としての充足を求める欲動である。 個としての自己の欲望を追求する。 タナトスは生命体が共同体としての充足に自らを解消する欲動である。 生命の大きな流れに自己を接続する。 エロスは生の欲動、タナトスは死の欲動。 生は多様性に向かい、死は均質に向かう。 生は逸脱に向かい、死は形式に向かう。 芸術はすべからくこの緊張関係の中にある。 生は不安定であり、死は安定し、評価が定まる。 エロスはアフロディテの息子。美の女神の息子だ。 美という観念の体現者として、プシュケという魂の体現者の娘と結婚する。 そして「喜び」という名の娘が生まれる。 プシュケは「心」、エロスは「愛」。 「心」が「愛」を通して「喜び」を手に入れる。 エロスは生命の躍動、タナトスは完結の美。 ル・コルビュジエは住宅を住むための機械といった。 アドルフ・ロースは真の建築が墓とモニュメントの内にしかないといった。 ル・コルビュジエは個として建築制作の悦楽に向かい、 アドルフ・ロースは永遠の形式に連なる作品に向かった。 ル・コルビュジエは歌い、アドルフ・ロースは沈黙する。 ル・コルビュジエのエロス、アドルフ・ロースのタナトス。 建築は悠久の時を生きると同時に、人々の刹那の快楽に奉仕する。 建築家も個々の作業の悦楽の時を生きつつ、永遠に想いを馳せる。 人間はエロスに絡めとられつつ現世を生きて、なおタナトスの結晶化を夢見る。 体験の目くるめく多様に心を奪われながら、形式の純粋に存在を賭ける。 建築は死の形式の内に、生の現象を宿している。 建築家は、生の現象の彼方に、死の形式を想う。 エロスの向こうのタナトスを思い描きつつ、現実という形のない魔物に向かい合う。 エントロピー 自然はエントロピー増加に向かい、生命体はエントロピーを下降させる。 建築もまた自然に抗してエントロピーの下降をもたらす人間の活動である。 生命は運動しつつ秩序を生成する。 ひょっとすると秩序という言葉自体が、生命体の運動の方向を指すために生み出された言葉なのかもしれない。遺伝子に組み込まれた方向性。 では美、というのも同じか。だから秩序に美を見る。あるいは秩序に美という名を与える。 長い目で見るならば、建築=美=秩序なる図式が成立する カオス 生命はカオスの縁に誕生する。 生命は自身の中にカオスを妊んでいる。 したがって生命の秩序はカオスの中の秩序だ。 人工的な秩序はついつい均質空間に向かう。 近代の空間表現の主題は均質な空間であった。 太古から人類を突き動かしてきた建築の欲望、すなわち世界を収容する欲望は、すべてのもの を分類して並べることのできるエクスポジションの空間を実現した。 たとえば1851年ロンドン万国博、パクストンのクリスタルパレス。 この表象の空間を、ミシェル・フーコーはマテシスとタクシノミアによるタブローと見た。 科学が目指した理想状態。等方均質な空間。 ただし均質は死であり不活性である。 生命は不均質に向かう。不均質こそが空間を活性化する。 生命はカオスの縁に誕生する。無秩序と秩序のあわいに。動きつづける循環の中に。 建築の課題は生命のないものに生命を吹き込むこと。動かぬものに動きをもたらすこと。 あくまでも死の形式と不動の事物を彫琢しながら、そこに流れのもたらされるのを待つ。生命の輝きを待つ。 コミュニケーション 建築は古来コミュニケーションの装置であった。 交流を司る場。人とものと情報が出会う場。 人と人が交流するパブリックな場所の形成が、建築の使命であった。 コミュニケーションのためにこそ、建築の諸形態は工夫された。 古代ギリシアにおいて、アクロポロスは神と神の交歓の場、アンフィシアター(円形野外劇場) は神と人との交歓の場、アゴラ(広場)は人と人との交歓の場である。 やがてギムナジオン(体育場)が生まれ、交流が育ち、教育の場ともなった。プラトンのアカ デメイアやアリストテレスのリュケイオンもそこから生まれたのだった。 アゴラのストア(倉庫)からは美術館が生まれ、神殿の書記たちの記録庫からは図書館が生まれた。社交の欲望は古代ローマにいたって巨大な浴場を生んだ。 中世の教会は情報の発信装置であり、人々はそこで世界の成り立ちを学び、当時のニュース・ キャスターたる司祭によって解釈された世界情勢を聞いた。ゴシックのカテドラルは、神の世界の似姿であり、『神学大全』の空間的な翻訳だった。 近代のさまざまなプログラムも、建築がコミュニケーションの装置であること雄弁に物語る。 大規模工場、大規模集合住宅、大規模オフィスはその反面教師として。 今日、テレビやコンピュータによってコミュニケーション・メディアの大きな部分は取って代わられているとしても、建築はなおその存在理由をコミュニケーション誘発空間の提供媒体であることに置いている。 身体全体を包み込み、直接五感に働きかけるコミュニケーション・メディアとして。 コンビニエンス 効率は決して生の充実には結びつかない。 コンビニエントであることは、個人の感動とは無関係だ。 日本はとりわけ建築の合理性をコンビニエンスに求める。 便利さが思想に優先する。いや便利さこそが日本人の究極の思想だ。 文明は便利の追求であり、文化は不便の洗練だ。 便利は普遍的な価値であり、個人は個別の価値を求めるようにできているから。 集団は均質に向かい、個は不均質に向かう。 文明は集団に支えられ、文化は個人にささえられる。 サウンド 空間は同時存在の調和だ。 建築の空間は音楽のサウンドに喩えられる。 スケールやプロポーションがピッチ(音程)やハーモニーなら、素材は楽器の音色だ。空間の 文節はリズムにあたる。 建築の構想者は空間の響きを聴き取る耳を持たなければならない。 世の中はなんと空間的音痴に満ちていることだろう。 サプライズ 驚きや裏切りのない建築は貧しい。 人間は表裏のない人間の方がいいが、建築は表裏があったほうがいい。 建築は外と隔絶された一つの世界を創る。 だから、中に入ったとたん、外とまったく異なる世界が展開していると、印象もひときわ新鮮だ。 よい建築は驚きを与える。裏切りの構図に満ちている。 世界が反転して、日常から離れる感覚を持つことができれば申し分ない。 西洋建築の様式を決定するファサードは、内外を反転する仮面であって、まさしくそのような 意図を持って磨き上げられてきた。 もともと建築空間の発生は、人々に夢と驚きを与えるところにあった。 食べて、寝て、排泄するという、生物的な繰り返しの連続を離れるところにあった。 人間が人間たりうるのは、生理的欲求のみでない生活を手に入れたからだ。 建築空間の発生こそが、人類の精神世界を開いたのだった。 嘘をつくこと、これが人間のみにあたられた能力だ。 そうでない可能性を考えることができる能力と言い換えてもいい。 裏を読む、あるいは誤解する、勝手に空想する。 欺くことは他の動物もおこなうが、欺かれることを楽しみ、しかもそこに新たな価値を見出すのは人間だけだ。 そこに表われる感情は、新鮮な驚きだ。人間は騙されたがっている。 建築は人を騙すための壮大なしかけでもある。 だから表と裏がある。パブリックとプライベートがある。 ハレとケがある。非日常と日常がある。 言語によって、人間は「存在」するものだけでなく、「不在」と「虚構」を知ることができた。 建築はこれを具現化する。「不在」と「虚構」を具現化する。 可能性の空間を具現化する。サプライズを具現化する。 人々が建築に魅せられた理由はそこにある。 シンボル 建築はシンボルの体系である。 人間は世界をシンボルの体系に置き換えてきた。 言葉はその代表であり、言語という離散的な構造に、世界を圧縮してきた。 世界を部分に分けて、単語に置き換え、これをつなぎ合わせて意味を紡ぐ。 ただそこに謎が出現する。 言語世界を精緻に紡ぎあげればあげるほど、語りえぬものが存在する。 それは神秘である、とヴィトゲン��ュタインは語った。 語りえぬものについては沈黙すること。 徹底して言葉による世界の構築を考えつめたヴィトゲンシュタインの教えである。 ちなみにヴィトゲンシュタインは建築フリークであった。 言葉の限界に建築を見ていたかも知れない。 人間は意識の上では言葉で世界を認識するしかない。 そして無意識もまた言葉だと精神分析は教える。 フロイトは言葉の転置や不連続に注目し、ラカンは意味から切断された言葉の縁たるシニフィアンを注視し、ユングは彼方に潜むはずの原型的象徴を分析する。 無意識の海には、言葉が捉えそこなったものが浮いている。 建築もまた、意識のレベルではひとつの言語として捉えられよう。 とりわけ現実のしがらみや重力に晒されているから、理性的な把握が肝要でもある。 ただしその根っこは無意識につながっていて、建築を構想する個人の無意識がそこに表出される。 力の流れは意識でなければ捉えられないが、空間の流れは無意識に働きかけている。 建築もまたシンボルの体系である。ただし個々の無意識が投影される。 語りえぬもの、沈黙の領域が、たまさか出現するときもある。 スクリーン 邪魔するもの、垣間見せるもの、際立たせるもの。 バスケットボールは、ゴールに玉をほうり込む、きわめてシンプルなゲームだ。 ボールを持ったら、まず自分で打つ、だめなら次に抜いて打つ、それでもだめなら最後にパス をする。この順番が個々のプレイの鉄則である。 ただしフォーメーションやプレイの流れで判断は変わる。大切なのはタイミングだ。 5人で攻め、5人で守るから、そこに連携プレイが生まれる。 攻撃の連携プレイの代表がスクリーンである。 マン・ツー・マン・ディフェンスだとする。 ゴールに向かってカットインするプレーヤーを助けるために、そのプレーヤーをディフェンス する相手に対して、味方のプレーヤーがスクリーンをかける。つまり敵の動く位置にからだをもっていってブロックする。プレーヤーは味方のブロックしてくれ ている方向に向かって、カ ットインする。敵は動きが阻まれて、抜ける。これがスクリーン。 スクリーンがかかるとディフェンス同士でスイッチをしたり、うまく体をかわしてやり過ごしたりする。敵と味方でだましあい、邪魔しあう。 ボールを持つプレーヤーは、敵と味方の交錯の彼方、つまりはスクリーンの彼方にゴールを垣間見る。憧れはスクリーンの彼方にある。ゴールはスクリーンによって際立つ。かけがえのなさが高まる。 遠くからのスリーポイント・シュートよりも、ゴール下のポスト・プレイよりも、マイケル・ ジョーダンのカットイン・プレイが賞賛を浴びるのはこのためだ。ワン・ゴールの価値が違う。 味方は意気上がり、敵は意気消沈する。 スクリーンの向こう、壁の向こうに大切な何かがある。ぼくはこんな風に空間を感じてきた。 建築の壁も床も天井も、スクリーンだ。そこに穴が、窓が、開口が穿たれて、光が、風が、景色が、人が、空が、声が、一層かけがえのないものに思えてくる。 スクリーンは邪魔をするものだ。すべてを見せるのではなく垣間見せる。でもだからこそ、かけがえのないものを際立たせる。 そこを通過してくるものが生き生きとしたものになる。 ゼロ 無為の空間、ナッシング、a place belonging to nowhere。 何もしない時間を過ごすことができる空間。 管理されない、利益を生むこともない、しかし生の充実を感じさせられるような空間。 たとえば手帳に記されたスケジュール、忙しく生活に追われる日々、その合間にある空白。それが無為の時間だ。 時間に追われる現代の生活を、ふと振り返る瞬間。自分が個人としてかけがえのない存在であるより、組織の中の歯車として個人であることを圧殺されがちな今日。これほど求められなが ら忘れ去られている瞬間はないのではないか。 何もしない時間が充実したものであること。 この世に生を受けて、悦びをえた、そうした生の記憶を刻み込むことのできる空間。 他者の生を慈しむことのできる空白の時間。 建築の究極の姿は、そんな無為の時間の空間化である。 無為の空間は悦楽の空間でありたい。 個としての生の充実を味わう空間でありたい。 一見無駄であり、無意味であるような空間にこそ、かけがえのない意味が潜んでいる。 人生もまた、そういうものだ。 タナトス 死の欲動。エロスの生の欲動に対立している。 あるいはエロスのつなぎ込まれる器官なき身体。ジル・ドゥルーズは器官なき身体こそが死の欲動であると喝破した。エロスは死の欲動につなぎ込まれて初めて発動する。つまりタナトス がエロスを駆動する。 タナトスとしての器官なき身体は、エロスのつなぎ込みを待つニルヴァーナである。 ニルヴァーナは何もなく、そしてすべてがある。 どこにも属さぬ無為の空間、ゼロの空間でありながら、どこにもつながっている。 フロイトは死の欲動について、強迫神経症と攻撃衝動と涅槃衝動という三つの側面を説いた。 これを建築的風景に置き換えてみよう。 強迫神経症は反復であり、モニュメントを志向する。 攻撃衝動はサディズムであり、差異の痕跡であり、廃墟を志向する。 涅槃衝動は消滅であり循環であり、ニルヴァーナそのものだ。 タナトスの風景はモニュメント、廃��、ニルヴァーナという三つの位相によって構成される。 モニュメントが収束であり、廃墟が移行であるとするなら、ニルヴァーナは循環である。 モニュメントは山であり、廃墟は川であり、ニルヴァーナは海である。 デジール 欲望。建築的欲望は、ロゴスを分母とし、エロスとタナトスを分子としている。 ちなみに建築的思考はその逆数である。エロス、タナトスを分母とし、ロゴスを分子にもつ。 この演算にしたがえば、建築的欲望とロゴスの積は、エロスがタナトスを疎外しタナトスがエ ロスを生み出す循環の有様に等しい。 ディスタンス 建築は遠い憧れを現象させる装置だ。 遠い憧れまでの距離を、そこに現象させる。これが空間である。 手の届かぬものに、われわれは憧れる。 タナトスの距離が介在してエロスが生み出される。 デリダならこれをエクリチュールと呼ぶだろう。 エクリチュールとは死の表象であり、そこを通過して空間はエロスに満ちる。 痕跡、死、エクリチュールから生が立ち昇る。 エクリチュールがエロスを立ち昇らせる。 エクリチュールとは距離である。 現実とわれわれの間に、何ものかの通過した痕跡たる差異を与える。 開削された道を与える。 この行為をエクリチュールといい、建築という。 それは現実までの距離である。起源としての死の表象である。 エロスはそこに産み落とされる。 生きた証としてのエクリチュール、そして建築。 沈黙の痕跡に、すべての生の契機がこめられている。 デザイン 空間に漲る意志のこと。 デザインは指示であり方向づけであり、優先順位の付け方の決断だ。 円だの四角だの三角だの、ましてや赤だの黄色だのの恣意的な選択ではない。 物の在り方を決定する時のさまざまな条件を取捨選択して、優先順位をつけ、それらを的確に 指示していくことだ。そのさなかに、適切な形や色の決定がなされる。 むしろそれらを貫く意志のことだ。 意志の存する空間がよい空間である。意志のない空間が悪い空間である。 意志のない人間と向かい合うと調子が狂うように、意志のない空間に居ると体調が狂う。 意志の漲る空間に対峙すると、生の充実を覚える。 自らの生きる意志がそこで問われるからだ。 のんべんだらりと生きてゆく人間には、意志の希薄な空間がふさわしいのかもしれない。 意志の希薄な空間が、のんべんだらりと生きてゆく人間を育てるといっていいのかどうか。 テリトリー 領域と非領域という観点は面白い。 男はテリトリーを主張したがる。 女は、そんなもの主張しないでも、座ったところにおのずとテリトリーができる。 男は天空を駆け、女は大地に根ざす。 もともと根ざしているから、あえてテリトリーを区画する必要がない。 男は移動しつづけるから、自分の領域を区画しなければ、自分の場所である根拠がない。 男はあちこちに種をまく。ただどれが自分の種かを本当に知ることはできない。 女は自分の中から生命を生む。自分の種を間違いようがない。 男は自分の遺伝子を残すためにテリトリーを区画せざるをえない。 女はただ自分のいる場所にいるだけでよい。 他者の侵略も、他所への誘拐も、それがそのまま自分の種であり、そこがそのまま自分の場所になるという点で選ぶところがない。 私をどこかに連れてって、というのは女の台詞だ。 男はもとより移動する性だから、そんな事は言わない。 女の土地に根差す本性が、あえて新しい生の形態を求める時の台詞だ。 天は雨を降らせ、光りを降り注ぐ。 大地はそれを受けて生命を育む。 古来、どの神話を見ても、天が男で大地が女だ。 父系の社会はテリトリーに厳密であり、母系の社会はテリトリーが曖昧だ。 アレグザンダーもチンギスハンもナポレオンも男だ。 女の発想に帝国主義はない。 長い年月平和な社会は母系だ。 日本の縄文もまた、そうだったのでなないか。 ヒストリー 歴史は「目的をもった運動」として定義された。19世紀のことだ。 悦楽の観点からは、こうなる。ヘーゲルにとっても、マルクスにとっても。 人類の歴史は秩序を発見する歴史だった。遺伝子に強くそうプログラムされた種が、人類であるということかもしれない。だから秩序とか美は人間の活動と同義である。 秩序や美は目の前の具体的な世界から抽象された。人間が本能的に快適だと感じる世界の形を表そうとする観念である。脳と身体に快い。この快感を人類はそう名づけた。 これが時代によって変わるから、芸術も変わる。あるいは芸術が変わって、物の見方も変わる。 建築は、その発生以来、人間の世界を加工するための最大の実験場だ。それはただ個人の身体 を包み込むどころか、人間集団をすっぽり包み込む空間だ。 建築は集団の夢でもある。個人の夢、脳の中のイメージに発して、そこだけにとどまらず、それが集団に共有されるとき、実現の可能性を持つようになる。 ただあくまでも、最初の一滴は個人の想いのひとしずくだ。 ビルディング 建築の物理的対応物を建築物、あるいは単に建物という。これがビルディングである。 ビルディングは現実に存在するが頭の中には存在しない。 建築は逆である。つまり頭の中にしか存在しない。 フィクション 人間はフィクションを楽しむ動物だ 二本足歩行して手が自由になって道具を扱えるようになったのが人類のはじまり。道具を加工 することを覚えて、技術も進む。工夫すると頭もよくなる。 なるほど世界というのはただ与えられるだけじゃない。そのままに甘んじるものでなく、変えていくこともありだと気づく。これを世界の改変可能性という。これに目覚めた人類が、やがて自分を包み込むほどの大きな空間を加工するようになる。 これが建築のはじまりだ。 ただ目的に向かって道具を加工するだけの、律義な人々が多くいた。かれらのおかげで、獲物を切り裂いたり、木の実をすりつぶしたりしやすい道具の形が工夫されていった。 そのうち道具を加工する間に、道具自体で遊ぶ連中も出てきた。骨に刻み目を入れてあるだけで何に使われたかわからない道具も発掘されている。ことによると楽器かもしれない。刻み目を棒でこすればリズムをもった音が出る。 人間は道具で遊ぶ内に、動物を殺したり、肉を切ったりという物質的な世界の改変可能性だけでなく、脳の中のイメージを加工する可能性に目覚めた。 音を出す工夫と遊びは、のちに音楽と呼ばれることになる。 女の人の形もいっぱい作られた。生命の豊かさのイメージだ。のちに彫刻と呼ばれる。 絵はもっとはじめから描かれていただろう。やがて洞窟に見事な動物の絵を描く連中が現れる。 空間のなかに躍動する動物たちが、重なり合うようにして、あたかも空間そのものが響きを発するかのように。 描かれた動物の数と位置を調べて、ひとつの規則を見出す学者もいる。馬と牛が女と男に対応するのだと言う。とすると、洞窟は一つの世界観の表現になる。男 的なるものと女的なるもの、 降り注ぐものと受けとめるもの、太陽と月、光と影。動物の像を通して、世界の成り立ちの神秘が描かれている。 もともと絵であって、本当の動物ではないから、あくまでもヴァーチュアルだ。洞窟は人類最古のヴァーチュアル空間だ。しかしそこにとどまらず、ある思想を表現していたかもしれない。 人間は、このようにして、脳の中のイメージを刺激する物体を生み出した。直接的には役に立たない物体を加工して、フィクションを遊ぶことを覚えていく。精神世界が生まれる。 身体をすっぽり包み込むほどの空間、先史時代最大のフィクションであり、空間芸術であり、つまりは建築空間が、ラスコーやアルタミラの洞窟だ。 フォーム 空間は機能を捨て、裸になった時に、その真価が分かる。 何かのための空間でなく、何のためでもない空間、機能を捨て去ったあとの空間が、建築空間の真の価値を見せてくれる。 アクロポリスはかつてギリシアの神々が集う聖域だった。アテネのパルテノンは、トルコ軍の弾薬庫に使われた。いまや屋根は失われ、巨大なアテネ像も失われて、神殿としての機能をはたさない。ギリシアの神々の信仰ももちろん遥か古に失われてしまった。 にもかかわらず、そのたたずまい、均衡の取れた形は、多くの人々の驚嘆と礼賛を集めてきた。国家、民族、宗教の別を問わず、どんな人々にも、それが聖なる 空間であることを十分に感じさせてくれる。さらに言うなら、そこに貫かれた古代ギリシアの人々の明晰な秩序の感覚をも存分に伝えてくれる。 パンテオンは古代ローマの万神殿だ。紀元1世紀に建設された。のちにラファエロなどの墓も納められた。ローマの技術と造形をよく表現する巨大なドーム型の 空間の頂には、ぽっかりと丸い穴があいている。そこから差し込む光は時々刻々と円天井の表面を移動して、巨大な空洞 の大空間の変容は驚きに満ちている。この空間のドラマもまた、万人に伝わる空間的な価値を持っている。ローマ神話を知っている必要はない。 イスタンブールのハギア・ソフィアは、6世紀にユスティニアヌス帝の建立したビザンチンの教会だ。地上50メートルの高みに、周囲から差し込む光に支えら れまるで宙に浮いたように見える天蓋は、建立者のユスティニアヌス帝自身が、「我ソロモンを凌駕したり」と神に祈りを捧げたほどの神々しさを湛えている。 この地をめぐって攻防を繰り返したキリスト教徒もイスラム教徒も、ともにこの聖なる空間を破壊しようとは思わなかった。 パルテノンもパンテオンもハギア・ソフィアも、その機能のゆえに人々は感動するのではない。 その空間のゆえに感動する。 裸の空間、建築の形式そのもの、これをフォームと呼ぶ。 フリーダム 障害物があって自由が見える。壁があって自由が実感される。 だから「建築は自由への壁である」という命題が成立する。 壁は自由の導き手だ。建築は自由の道案内だ。 安部公房の小説『壁』に捧げられた石川淳の序文は、矛盾に満ちた自由のありかを鮮やかに浮き彫っている。 壁を行動の限界と見るか、あるいは自由への門と見るかは、人生に対する態度の問題であり、 建築に対する想像力の問題でもある。 建築を開くというシュプレヒコールは建築が必然的に境界を形成することを前提としている。 すべてに向けて開かれた建築など存在しない。 かりに観念的にありえたとしても、それは不自由しかもたらさないだろう。 プレゼンテーション 都市はプレゼンテーションの場だ。 人類の意図的な景観プレゼンテーションの努力は都市を創ることに集中された。 都市は必ず計画されてできた。計画されずにできた都市はない。 ただその発展に、計画が置き去りにされた都市は数え切れない。 プロセス 建築はいつも途上にある。 空間は流れであり、プロセスだ。 建築の構想はいつもプロセスにある。 ものごとを決定していくプロセスでもあるし、空間の中を歩き回って適切なスケールとプロポーションを追い求めるプロセスでもある。 出来上がった建物は一つの完成品だが、建築の体験はプロセスそのものだ。 建築空間は時間を埋蔵している。 建築は時々刻々と姿を変えてゆく。 構想の渦中にあっては、あらゆる可能な形や素材やスケールが、瞬時に脳裏を飛び回る。 風向きや地形や光の状態や機能に応じて、最適な解決が次々と構想され、取捨選択され、優先順位が付されて、建築は時々刻々と変化する。 常に渦中にある。プロセスにある。 構想の段階でも、体験の時でも、プロセスを総合して建築的な時間が紡がれていく。 建築はそうした時間の流れの余白に姿を表す。流れの整流器だ。 ただまなざしはあくまで、流れに注がれている。 この流れのことを空間と呼ぶ。空間もまたプロセスだ。 マジック 建築は魔術だった。 ヴィトルヴィウスもそこに属していたというディオニソス建築師団。 石を組みソロモンの神殿を築き上げた、人知を超えるかに見える技術。 アルケーは原理、根本であり、テクトンは技術である。 したがってアーキテクチュアとは、すべての根源にありかつ上位にある技術のことである。 ヨーロッパに連綿と流れるフリーメーソンの伝統には「隠された知」という魅力的な概念が潜んでいる。 カバラや錬金術への憧れ。 ニュートンも後半生は一生懸命に錬金術に励んだ。 巨大な空間を作り上げる建築という技術は、魔術とほとんど同義だったろう。 石工たちは経験に裏付けられた技術の体系を鍛えた。 力学、幾何学、物性、美学、音楽、雄弁術。 しかしそれは純粋な技術であり、世俗的な成功を意味しない。 金をつくりえても、これを世俗的成功を交換したあかつきには技術の喪失が待っている。 芥川龍之介の『魔術』を参照せよ。 純粋な技術者は、あるいは魔術師は、欲望を捨てなければならない。 欲望は王にあり、建築家は術を磨くことのみに満足を覚えること。 ミュージック 建築は凍れる音楽。 シュレーゲルの発言だとヘーゲルは書きつけた。 シラーであったかもしれないしゲーテであったかもしれない。 あるいは遙か古代に遡ってピタゴラスあたりが嘯いていたかも知れない。 音楽は現実の音というよりむしろ、音から立ち上る観念である。 マラルメが自分の詩を音楽に近づけたいと願った時の音楽とは、まさしく立ち上る観念だった。 それも言葉の不在に立ち上る観念だ。 建築もまた、物質の不在に立ち上る観念を音楽として持つ。 ���間は響きでできている。 メモリー 建築はメモリー・ファクトリーである。 すべて建築空間は、記憶の保存装置である。 およそ人類の生み出した技術は、時間と空間の「圧縮・保存・輸送」の技術だ。 建築はそのもっとも大規模な試みである。 建築を通して、人類は時間を保存し、空間を圧縮する試みを続けてきた。思想を未来へ輸送する試みを続けてきた。 輝かしい事蹟の瞬間を記憶し、宇宙をひとつの場所に圧縮する。 場所を祝福し、歴史を刻み込む。 時間を刻印し、追憶を喚起する。 世界を象徴し、知の形象を示す。 事物を収蔵する空間が、展覧する空間に、検索する空間に、そして生産する空間に。 事物が取り去られたあとの空間が、そのまま時代の世界観と知の有り様を示す。 すなわち「圧縮・保存・輸送」の技術の有り様を示してきた。 建築物は人々の記憶の引き金をひく契機に満ちている。 失われた時を求めて、失われた宇宙の雛形を求めて。 モーメント 建築的な瞬間。 非物質的な領域と物質的な領域が交差し合う刹那。 建築がもやもやした霧の中から、確たる観念として立ち上る瞬間である。 この観念は、言葉ではない。建築でもないかも知れない。 建築生成の現場であり、建築以前の状態である。 ユートピア 逆説的な理想境 実現されないこと、失敗することに意義がある。 トピアは場所。今ここにある世界だ。 ユートピアはここでない場所。どこにもない場所。 中国の理想は不老長寿。 西洋の理想は錬金術。物質的欲望の世界。 中国は桃源郷で仙人となる。 西洋は黄金境、エル・ドラドで億万長者になる。 日本がかつて黄金の国ジパングと紹介されて、西洋の野心家たちは日本を目指した。 フランシスコ・ザビエルは日本を勝手に大天使ミカエルに奉げた。 イスラエルの守護天使もミカエルだ。 古代中国や朝鮮半島から渡ってきた人々の眼にも、日本はユートピアに映ったろう。 水も豊富で緑に溢れている。豊かな自然に恵まれている。 豊葦原の瑞穂の国/トヨハシハラノミズホノクニ。 渡来した人々の驚きが、このネーミングにこもっている。 建築はユートピアを常に射程に収めている。 決して到達されないことが分かっていながら、ユートピアの似姿を込める。 政治的にそれが利用されると、イデオロギーの格好のモデルとなる。 建築に世俗的な欲望が禁物なのは魔術だからだ。 ただ聖なる欲望のみが建築を駆動してよい。 聖なる欲望とは、世界を収容する欲望である。 収容される世界は、ユートピアの似姿である。 その時代時代のユートピアが、建築に込められている。 たとえばサン・ピエトロ大聖堂。 ルネサンス精神を体現せんとする求心的大空間。ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロが 構想を練り上げ、巨大なクーポラを立ち上げた。 バロックの時代精神を受けて、これにベルニーニが巨大な楕円形の列柱に囲まれた広場を前面に配した。時代のユートピアの精髄が結晶している。 リフレクション 響き合うこと。 空間とは響きだから。 空のかけら、光のかけら、世界のかけらを、スクリーンは切り取って空間の中に送り込む。空間はそうした世界のかけらたちで満ちる。かけらたちが動き、移ろい、姿を変えて、空間を生き生きとさせる。空間に生命を与える。 かけらたちの交響曲が空間の実体だ。空間を訪れるものたちの響き合い、リフレクション。光と影の饗宴、媒介者たちの歌声が、建築に木霊している。 中世ゴシックのカテドラルは、構造的な大発明によって、リフレクションの空間を飛躍的に発展させた。フライング・バットレス、つまり空を飛ぶ梁をもつ控え 壁のよって、大きな窓をとることができるようになった。それまでのロマネスクの厚い壁に守られた暗い空間に比べ、圧倒的に光に満ちた明るい空間が可能に なった。 大きな開口にはステンドグラスがはめ込まれる。光は神の国から射してくる神々しさを付与された。神が訪れ、天使が舞う。人々は教会を神の国への門と位置づけたろう。門は異なる世界がそこで交錯し、響き合う境界、すなわちリフレクションの空間そのものだからだ。 境界にリフレクションは響き渡る。 異なる世界からの訪問者を待ち、彼らの声の響きを受けとめ、共鳴させ、増幅するリフレクションの空間。建築は古来そうした役割を果たしてきたのであり、それがひいては共同体の自己確認装置であり、異界への門でもあった。 建築の出現の場所、そこは、他者の声が響き渡り、自身の魂の底に到達する、リフレクションの空間だった。 リレーション 建築で面白いのは、壁、列柱、階段、塔、橋、といった、関係を生み出すエレメントである。 守ったり、遮断したり、邪魔したり、曖昧につないだり、隠したり、導いたり、憧れさせたり、 見晴らしたり、架け渡したり、浮かべたり、・・・。 建築は関係に支えられている。 他者と関係を持つこと、すなわちコミュニケートする欲望に支えられている。 レジスタンス 建築は他者に対する抵抗の形式だ。抵抗しつつ受け入れることも含めて。 他者とは光や音や風や雨、人や物や情報。 流れこむ他者への身振りが建築を決定する。 ただし、他者の眼に映るために振る舞う自分は自分ではない。 仮面をかぶり続けてついにその存在そのものが仮面となること。 すべて深きものは仮面を愛する。 ニーチェの教えである。 ロゴス 古代ギリシア人たちは宇宙と人間との間に働く法則そのものをロゴスと呼んだ。 ヘラクレイトスはこれを「存在の声」と呼ぶ。 対抗し合う個物を統合する力であり、建築を成立させる力でもある。 建築とはひとつの世界を構成する行為であるからだ。 そこにはしかるべき意図が要請される。 組み立て、統合する意志が要請される。 これをロゴスと呼ぶ。 ただしこれにも超越的ロゴスと内在的ロゴスがある。 建築は空間を内から開く身体に即した内在的ロゴスに裏打ちされねばならない。 あらかじめ措定された身体に即さぬ超越的ロゴスはイデオロギーと化す。 それは建築的行為の地平を開く言葉ではなく、単なるシュプレヒコールである。 内在的ロゴスはエロスに伴われている。 建築はエロスの行為だ。 ロゴスに耳を澄ませ、エロスに身を任せる。そこに建築の萌芽は呼び出される。 ロゴスはエロスの運動の内に徐々に姿を現す。 エロスのさなかにロゴスの影を探る。 つまり欲望のさなかに意図を、そして意志を探る。 これが建築という自然に即して自然を読み直し語り直す行為に潜む構造である。 それは自然にロゴスを見いだす行為であると同時に、個の身体の応答と行為的直観を前提としている。 「存在の声」への身体的応答、これがエロスである。 「存在の声」たるロゴスは個の身体にもたらされる。 個にもたらされたロゴスは倫理である。 他者との関係─ ロゴス─ のみが個の欲望─ エロス─ を作動させる。 社会の中にありつつ個人として生きる倫理が、享楽の強度を支えている。 享楽が、個に胚胎される喜びが、自覚された遊戯が、壁に堰き止められてほとばしる自由の可能性が、ともすれば全体主義へと向かう超越的ロゴスの流れを分岐させる。 個のエロスの中から研ぎ澄まされた意志を通して、内在的ロゴスは享楽のロゴスへと鍛えられる。 建築という思考の態度はそこに根ざしている。 個のエロスに根ざさぬ建築は貧しい。 個のエロスが享楽のロゴスにまで鍛えられぬ建築はなお貧しい。 参考文献 (参照順) エウヘーニオ・ドールス『バロック論』神吉敬三訳、美術出版社、1970 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』市倉宏佑訳、河出書房新社、1986 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー』宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出書房新社、1994 ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論」:都市の遊歩者』今村仁司・三島憲一他訳、岩波書店、1994 ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』川村二郎・三城満禧訳、法政大学出版局、1975 ジークムント・フロイト「快感原則の彼岸」(1920)小此木敬吾訳『フロイト著作集6』人文書院、1970 ジークムント・フロイト「マゾヒズムの経済的問題」(1924)青木宏之訳『フロイト著作集6』人文書院、1970 ジークムント・フロイト『エロス論集』中山元編訳、ちくま学芸文庫、1999 呉茂一『ギリシア神話』新潮社、1969 ル・コルビュジエ『建築をめざして』吉阪隆正訳、鹿島出版会、1974 アドルフ・ロース「建築について」『装飾と罪悪:建築・文化論集』伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、1987 ミシェル・フーコー『言葉と物』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、1974 ルードウィッヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』藤本隆志・坂井秀寿訳、法政大学出版局、1968 ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之・新宮一成・鈴木國文・小川豊昭訳、岩波書店、2000 ジャック・ラカン『精神分析の倫理(上)』小出浩之・鈴木國文・保科正章・菅原誠一訳、岩波書店、2002 C.G.ユング『変容の象徴(上)』野村美紀子訳、ちくま学芸文庫、1992 西田幾多郎『西田幾多郎哲学論集II』上田閑照編、岩波文庫、1988 荘子『荘子:第一冊』金谷治訳注、岩波文庫、1971 ジャック・デリダ『根源の彼方に:グラマトロジーについて(下)』足立和浩訳、現代思潮新社、1972 ジャック・デリダ『エクリチュールと差異(上)(下)』梶谷温子・野村英夫・三好郁朗・若桑毅・坂上脩 訳、法政大学出版局、1983 アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』荒木亮訳、新潮社、1973 安部公房『壁』新潮文庫、1969 マンリー・P ・ホール『象徴哲学大系IIIカバラと薔薇十字団』大沼忠弘・山田耕士・吉村正和訳、人文書院、1981 芥川龍之介「魔術」『芥川龍之介全集3』ちくま文庫、1986 ヘーゲル『美学講義(中)』長谷川宏訳、作品社、1996 マラルメ「詩の危機」南條彰宏訳『筑摩世界文学大系48:マラルメ・ヴェルレーヌ・ランボー』筑摩書房、1974 ニーチェ『善悪の彼岸』竹山道雄訳、新潮文庫、1954 マルティン・ハイデガー『形而上学入門』川原栄峰訳、理想社、1960 竹山聖
立命館大学政策科学部紀要 「政策科学」15巻3号(2008年3月)より
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[友の会メール]( -`Д´-;A) 「ゲンロン0」鋭意制作進行中!今週もカフェイベント2本。新芸術校の第3期生も引き続き募集中です!
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[友の会メールvol.252] ( -`Д´-;A) 「ゲンロン0」「ゲンロン5」の制作が順調に(?)進んでいます! 来週上級コースの成果展が行われる、新芸術校の第3期生も引き続き募集中です! (2017年2月14日配信)
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まだまだ寒い日が続きますが皆様体調など崩されていないでしょうか? 弊社内では現在、ゲンロン0、ゲンロン5の制作に勤しんでおり、風邪をひいている暇などありません! 「ゲンロン0」「ゲンロン5」の書店販売日は、それぞれ4月5日、5月初旬を予定しています!(友の会第5期会員ほか該当する方向けには、その10日ほど前に発送予定)。 皆様もうしばらくお待ち下さい。
今回、本メルマガを書かせていただいておりますのは、2月よりゲンロンにスタッフとして加わった小野耕平と申します。 まだ不���れな点も多いですが、皆様に良質なコンテンツをお届けできるよう努めてまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。
さて先週行われたイベントは、2015年末の「ゲンロン総会」で行われた狂気の企画の再来、「さやわか式☆ベストハンドレッド 2017」。 2016年のあらゆるコンテンツからランキング形式で100個を選び語り尽くす、怒涛の4時間半となりました。 東も思わず「マジでさやわか見過ぎだよ。。」と驚きを隠せない様子。 2016年に話題になったあの作品も、知らなかった新しいコンテンツもこのイベントでまとめてチェック! タイムシフトで16日までご購入・ご視聴いただけます。
◆2/16(木)23:59まで 【生放送】さやわか【さやわか式☆現代文化論 #29】 「さやわか式☆ベストハンドレッド 2017」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv288046311
今週は水曜日と金曜日にイベントを開催します。
2/15(水)は「ユートピアと日常の共産主義建築――地下鉄、団地、チェルノブイリ」。 チェルノブイリツアーですっかりノックアウトされた大山顕さんと、ソ連建築研究者で大山顕さんの大ファンでもある本田晃子さんのイベント。司会は上田洋子が務めます。
◆2/15(水)19:00- 【生放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 http://peatix.com/event/229190
2/17(金)はデジタル・メディア時代の新たな記号論を模索する石田英敬さんと、ジャック・デリダの研究者としてエクリチュール(書かれたもの)を探究した東浩紀が、一般文字学の可能性を問う「一般文字学は可能か――記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」。 コンピュータの理論の基礎にあるにも関わらず、学問として衰退してしまった記号論を再考します。
◆2/17(金)19:00- 【生放送】石田英敬×東浩紀 「一般文字学は可能か――記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」 http://peatix.com/event/234328
会場にお越しになる方も動画を視聴予定の方も乞うご期待!
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● 新芸術校上級コース、まもなく成果展です。 五反田アトリエで2月25日・26日に行われる成果展を中心に、 カリキュラムの一環としての成果展(2/25-26、五反田アトリエ)の他に、 受講生の自主企画による8つの展示が都内各所で開催されます。 受講生による力作のサイトも公開されました! http://www.maturinoatoni.jp/
上級コース 第1期 成果展 まつりのあとに 日時:2月25-26日[土・日]13:00-20:00 会場 ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエ 入場無料・予約不要 ぜひご来場ください!
また、標準コース成果展の写真レポートを公開しました。感想まとめとともにお楽しみください! https://www.facebook.com/genrongcls/posts/1161973413915888 https://togetter.com/li/1078346
第3期の受講申し込みも、引き続き募集中です。締め切りは2月28日(金)。 現在定員25名に対し、20名のお申し込みをいただいています。 みなさんのご参加をお待ちしております! http://school.genron.co.jp/gcls/
新芸術校とはなにか、みなさんに知っていただくため、 カオス*ラウンジのニューカマーアーティストで新芸術校TAの今井新さんに ミニドキュメンタリー「生き残れ、現代美術とともに」を制作していただきました! 現役受講生が新芸術校の魅力を語る動画です。ぜひご覧ください! https://vimeo.com/genron/gcls2017
また、主任講師の黒瀬陽平さんと東浩紀による、第3期の野心的な構想について語った動画を公開中です! ↓ ・黒瀬陽平×東浩紀 「大槻香奈展開催中の五反田アトリエからがいちどは潰れかけた新芸術校の奇跡の復活と第3期のあまりに野心的な構想について、酒を飲みながら語る突発無料生放送」 (YouTube) https://youtu.be/T-XGQ-jzq5M (Vimeo) https://vimeo.com/199769769
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● 『ゲンロン4』発売記念選書フェア、引き続き開催中です!
ブックフェアもまだまだ絶賛開催中です! ゲンロンで特集された「現代日本の批評」をより深く理解するための必読書40冊を紹介しています。 フェアブースの前に立つだけでテンションが上がります! お近くの書店にぜひ足を運んでみてください!! 以下の書店で開催中です!
【企画1=市川真人さん、大澤聡さん、東浩紀による「批評史40年を知る40冊」】 ・「現代日本の批評」の中心となった3人のコメントとともに、必読書40冊をご紹介 【企画2=ゲンロン編集部による「テン年代論壇思想地図」】 ・ゼロ年代以降の論壇人を「リベラル⇔保守」「旧メディア⇔新メディア」の2軸でマッピング
★ジュンク堂渋谷店【企画1&2】 https://honto.jp/store/detail_1570061_14HB320.html
★湘南T-SITE湘南蔦屋書店【企画1&2】 http://real.tsite.jp/shonan/floor/shop/tsutaya-books/
★戸田書店静岡本店【企画1&2】 http://todabooks.co.jp/shop/shop.php?S=2
★丸善広島店【企画1&2】 https://honto.jp/store/detail_1570062_14HB310.html
★紀伊國屋書店 グランフロント大阪店【企画1&2】 https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Grand-Front-Osaka-Store/
★東京堂書店神田神保町店【企画1&2】 http://www.tokyodo-web.co.jp/
★ジュンク堂池袋本店【企画1】 https://honto.jp/store/detail_1570019_14HB320.html
★リブロ 大分わさだ店【企画2】 http://www.libro.jp/shop/oita/wasada.php
★BOOKSなかだ 掛尾本店【企画2】 http://www.books-nakada.co.jp/
★ジュンク堂京都店【企画1】 https://honto.jp/store/detail_1570007_14HB320.html
★ブックファースト新宿店【企画1】 http://www.book1st.net/shinjuku/index.html
★リブロ リウボウブックセンター店【企画1】 http://www.libro.jp/shop/okinawa/ryubo.php
★HMV&BOOKS TOKYO【企画1】 http://www.hmv.co.jp/st/eventlist/BTK/
★リブロ 福岡天神店【企画1】 http://www.libro.jp/shop/fukuoka/tenjin.php
その他、開催決定した店舗から順次、下記リンク先で公開しています。 https://goo.gl/okIJXn
それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ ◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◇◇ 今週の放送情報 ―――――――――――――――――――――――――――
◆2/14(火)18:00- 【再放送】市川紘司×本田晃子×上田洋子 「建築からみる北京とモスクワ――共産主義建築のモニュメンタリティと祝祭性」 (2016/1/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289420380
◆2/15(水)19:00- 【生放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv288824893
◆2/16(木)13:00- 【再放送】吉川浩満×東浩紀 「運と確率の進化論――『理不尽な進化』をめぐって」 (2015/4/24収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289426061
◆2/16(木)18:00- 【再放送】楠正憲×山口浩×東浩紀 「ビットコインは貨幣たりうるか ―― 匿名と安全と流通のバランスをめぐって」 (2014/6/5収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289485536
◆2/17(金)13:00- 【再放送】宮崎裕助×東浩紀 「デリダ研究の最前線――『生・死』の哲学に向けて」 (2015/2/24収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289487809
◆2/17(金)19:00- 【生放送】石田英敬×東浩紀 「一般文字学は可能か――記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv288824571
★「ゲンロン完全中継チャンネル」今後の放送予定の一覧表 https://goo.gl/ay9ey7
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ――――――――――――――――――――――
◆2/14(火)23:59まで 【再放送】大森望×佐々木敦×さやわか+東浩紀+黒瀬陽平 「シン・ゴジラ、ポケモンGO、そして『君の名は。』」 (2016/12/17収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv288147370
◆2/15(水)23:59まで 大澤真幸×佐々木敦【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第2期 #16】 「資本主義は(いずれ)終わるのか?」 【チャンネル会員限定・生放送】19:30-21:30 http://live.nicovideo.jp/watch/lv287417843
◆2/16(木)23:59まで 【再放送】さやわか【さやわか式☆現代文化論 #22】 「ゲームの話・スプラトゥーンはイカように位置づけ可能か」 (2015/11/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv288147778
◆2/16(木)23:59まで 【生放送】さやわか【さやわか式☆現代文化論 #29】 「さやわか式☆ベストハンドレッド 2017」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv288046311
◆2/17(金)23:59まで 【再放送】辻田真佐憲×鈴木邦男【愛国コンテンツの未来学 #4】 「政治と芸術に正しい関係は存在するか?――『ふしぎな君が代』(幻冬舎新書)刊行記念」 (2015/8/26収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289412581
◆2/17(金)23:59まで 【生放送】辻田真佐憲×広中一成【愛国コンテンツの未来学 #7】 「 反日プロパガンダ、歴史戦、あるいは ――日中戦争開戦80周年 いまこそ通州事件と南京事件を問い直す」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv287452141
◆2/21(火)23:59まで 【再放送】市川紘司×本田晃子×上田洋子 「建築からみる北京とモスクワ――共産主義建築のモニュメンタリティと祝祭性」 (2016/1/28収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv289420380
★「ゲンロン完全中継チャンネル」今後の放送予定の一覧表 https://goo.gl/ay9ey7
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ――――――――――――――――――――――――――
◆【vimeo】本田晃子×上田洋子 「全体主義とユートピア建築――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」 (2015/4/28収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20150428
◆【vimeo】吉川浩満×山本貴光 「人文学は本当に危機なのか?――ポスト・ヒューマニティーズの文化地図作成法」 (2016/3/2収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20160302
◆【vimeo】清水亮×東浩紀 「2010-2015 IT界10大ニュースを斬る!――ディープラーニング、2045年問題、シンギュラリティ……未来はもう始まっている!?」 (2015/8/6収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20150806
◆【vimeo】國分功一郎×東浩紀 「来るべき民主主義――デリダ、ドゥルーズ、柄谷行人」 (2013/12/14収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20131214
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://goo.gl/ycdtJe
◇◇ 発売中の会場チケット ―――――――――――――――――――――――――
◆2月15日(水)19:00- 大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 http://peatix.com/event/229190
◆2月17日(金)19:00- 石田英敬×東浩紀 「一般文字学は可能か――記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」 http://peatix.com/event/234328
◆2月28日(火)19:00- 黒瀬陽平×渡邉大輔 「日本映画と海外ドラマ、いま、どちらを見るべきなのか」 http://peatix.com/event/236778
◆3月3日(金)19:00- 渡部直己×大澤聡 「批評という快楽――『日本批評大全』徹底解剖」 http://peatix.com/event/236795
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇
今後の展示予定 ◆2月25日(土)-2月26日(日)13:00-20:00 ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 上級コース成果展 「まつりのあとに」 http://www.maturinoatoni.jp/
◆3月3日(金)-3月12日(日)15:00-20:00 一輪社 個展(仮)
来週末、新芸術校上級コースによる成果展が迫ってまいりました。 アトリエでは上級コース全員の作品がご覧いただける展示が開催される予定です、多くの関連イベントや企画展もお見逃しなく! 3月にはなんとカオス*ラウンジ初期から主要アーティストとして注目されていた一輪社さんによる個展を予定しています! 春にはそのほかにも多数の展示を企画しております、情報解禁をどうぞお楽しみに。 (藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆『ゲンロン4』(特集:現代日本の批評3)好評発売中!! ★ Amazonでの購入はこちら(送料無料! オススメ) https://www.amazon.co.jp/dp/4907188196/contectures04-22 ★ゲンロンショップで購入する http://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=328 ★ 友の会第7期入会はこちら https://genron-tomonokai.com/7th/
★ 東浩紀が渾身の販促を行ったニコ生のアーカイブ動画へはこちらから(無料です!) (YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=C4I5aTRE2aA (Vimeo) https://vimeo.com/192127856
◆2月4日の朝日新聞「be on Saturday」内の記事「フロントランナー」にて、『ゲンロンβ』で「人文的、あまりに人文的」を連載中の山本貴光さん、吉川浩満さんが取り上げられました! 「哲学の劇場」主宰、山本貴光さん・吉川浩満さん 思考の快楽、コンビで誘う http://www.asahi.com/articles/DA3S12777332.html
◆津田大介さんのメールマガジン「メディアの現場」vol.244に、特別企画「『ゲンロン4』発売記念! 東浩紀×津田大介スペシャル対談~『いまここ』のための言葉から離れて」を掲載していただいています! http://yakan-hiko.com/BN6010
◆『あいだ』230号の馬定延「『ネリリ キルル ハララ』―『SeMAビエンナーレ メディアシティ・ソウル2016』」で、『ゲンロン3』の特集「脱戦後日本美術」に触れていただいています。 『あいだ』 http://gekkan-aida.rgr.jp/ ゲンロン3(Amazon) http://amzn.to/2jYwMUb
◆1月26日の『産経新聞』朝刊のオピニオン面(6面)「時評 論壇」で、『ゲンロン4』を取り上げていただきました! 記事はネットでもご覧いただけます。 PC向け→http://www.sankei.com/column/news/170126/clm1701260004-n1.html スマホ向け→http://www.sankei.com/smp/column/news/170126/clm1701260004-s1.html
◆マガジンハウス刊行の女性誌『Hanako』の書評コーナー「同じ釜の本を食らう」に、弊社の上田洋子がアレクシエーヴィチ『セカンドハンドの時代』の書評を寄せています。 http://magazineworld.jp/hanako/
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
(最近の更新) ・ゲンロンサマリーズの復活を希望します https://tmblr.co/Zv9iRg2HN9qO2
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報 ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆1月18日より3回にわたり、cakesにて「現代日本の批評」完結記念として東浩紀へのインタビューが連載されました! 第3回「一緒に『ゲーム』をせずに、みんなバラバラに生きていくこともできるけど」 https://cakes.mu/posts/15109 第2回「ブログみたいな読み物に飽き足らない1%の読者へ」 https://cakes.mu/posts/15108 第1回「『保育園落ちた日本死ね!!!』という砂漠のような世界で https://cakes.mu/posts/15107
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が隔週で連載中です! 第4回「相対主義の時代にもう一度普遍主義の価値を」 なお、第1回〜第3回は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 第3回「トランプが体現する政治と経済の矛盾」 https://dot.asahi.com/aera/2017020200023.html 第2回「初詣ベビーカー論争に見る『迷惑』と『権利』の混同」 https://dot.asahi.com/aera/2017011700208.html 第1回「もっとも深刻なのは『忘れっぽさ』である」 https://dot.asahi.com/aera/2016122900077.html
◆◇ その他のお知らせ ――――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております、座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに、 いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜、月曜は休業日となっております。 営業時間は、13時-21時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
株式会社ゲンロン
〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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