#食べて応援
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役員の交流を兼ねて、ジビエカレーの試食会を行いました。障がい者の就労支援カタログ『わっくる』に掲載している商品です。田辺のジビエ職人が捌いた猪や鹿を、カレー作りが得意な奈良の施設で加工しました。
本格的なスパイスの香りで辛さも丁度良く、ジビエ肉がトロトロに炊き込まれています。レトルトに思えない美味しさ。事務局で週末カレー屋が出来そうです。
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エースコック 食べて応援北海道ミルク塩バター味ラーメン
農水省と連携した乳製品消費拡大の商品。
ミルク感というか脱脂粉乳感がありますが、なかなか(*´∀`)
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町内のイベントにも協力してくれて時折来店される地域の学生。その学生さんがいつもとは違う方たちと来店されていて挨拶に行ったらご両親だった。就活が終わり、お祝いでの食事で親を連れてきたと。町内への協力や、共に地域活性を語り合ったことをご家族に報告したら喜ばれた。ありがとうございます! ごはんって不思議だ。一緒に食事で笑顔になり、絆が生まれる。その絆がいつかは思い出になり、生きた証となる。 さて、本日の日替わり弁当です。 #3月5日 #日替り弁当 昔懐かしの味 #ハムカツ #厚切りハムカツ #キャベツの千切り #食べ応えあり ソースをかけて召し上がれ ご飯の上に #3種のチーズロール サクッと口に広がるチーズの風味 副菜は #春雨の炒め物 #自家製ツナポテサラダ 税込550円 皆様のご注文お待ちしております。 #てつたろう #ごはん #思い出 #梅田居酒屋 #中崎町居酒屋 #海鮮居酒屋 #大阪グルメ #梅田グルメ #イーデリ #支援者募集中 #社会貢献 (梅田中崎 てつたろう) https://www.instagram.com/p/CpYEzSySuKQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#3月5日#日替り弁当#ハムカツ#厚切りハムカツ#キャベツの千切り#食べ応えあり#3種のチーズロール#春雨の炒め物#自家製ツナポテサラダ#てつたろう#ごはん#思い出#梅田居酒屋#中崎町居酒屋#海鮮居酒屋#大阪グルメ#梅田グルメ#イーデリ#支援者募集中#社会貢献
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「貧困層は裏切る」ちょっと違う。幾つかある。一つはコネ文化の外にいるので「顔を潰しちゃいけない」がわかってない。「ちょ、おま…それやられたら関係者全員連帯責任だろうが!」みたいなことに目配りがなく損得の判断のみでヒョイっと動く。引き立ててやった人の社会的死亡につながる証言を自分の立ち回りの中で平気でする。「俺の立場考えてくれた!?」と言っても、そもそもしたいようにする時に他人の事まで考えてない。訓練と文化を受け取れてない弱肉強食界の人なんだなという感じ。 受け子に「搾取された分を老人から取り返すんだ」はあるだろうなと思う。パチンコの打ち子などは逆に「生活保護の人にお金をあげるために稼ごう」と言われる。どちらにせよ世の中への解像度が年齢の割に粗い。親と食卓で社会問題など語り合う習慣がないんだなと思う。 「コネ」「裏切る」に反応している人が多いですが「貧困層は裏切る」というポストが元々あって、それに対して「裏切りというのは意図と悪意を持ってやっていることだが、違う理由で裏切りとしか言えない結末になるパターンがある」としてつぶやいたことです。「彼らは(十分に受け取れていない)つまり援助されるべき部分を持つ人だが、問題部分以外は能力や性格に特に欠けるものがない人も多く、それだけに周囲の人が手を貸したがるが、結果双方不幸な裏切りの形で終わってしまう」事を書きました。
Xユーザーのまきりえこ@コミックエッセイストさん
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石川 澪は、日本のAV女優。プロダクションALIVE所属。 ウィキペディア
生年月日: 2002年3月20日 (年齢 21歳)
身長: 158 cm
スリーサイズ: 82 - 58 - 86 cm
デビュー: 2021年
ブラサイズ: B
モデル内容: AV女優
出身地: 日本
出身地について2023年1月17日時点のウィキペディアでは「東京都」となっていたが、石川本人は「出身地は言っていないような気がする。明かしていないと思う。なぜか東京都になってます。」と述べている。また同時点でのウィキペディアで職業として「YouTuber」が挙げられていたが、この点について「イベントなどで、YouTubeから知りましたと人から言われ嬉しいけれど、断じてYouTuberではない。」と述べている。
高校時代の部活はチアダンス部。部長を務め週6あるいは週7練習していたが、決して強い部ではなく、卒業してから同部は全国大会出場したという。一方で運動はある程度できるが、インドア派であり、(幼少時は)『TOKYO MXとBS11で育った』と語るほど新旧問わずアニメ作品を好む。「私にとってアニメは、大げさでなく生きる意味。この世界からアニメがなくなったら、死んじゃいます」とも述べている。漫画に関してもアニメ原作を中心に2022年時点で自宅に1,000冊、電子書籍1,000冊を保持している。石川は「セクシー女優の趣味がオタクなんじゃなくて、私の場合はオタクがたまたまセクシー女優をやっているだけ」と、これらの趣味について言及している。
初体験は高校1年生、15歳。学生時代は「自分から告白をしたことがない」と述べているが、「モテたとかじゃなく、ちゃんと好きな人とは付き合えたっていうか」と当時の恋愛環境を説明している。
ほとんどAVを見たことはなかったが、エッチなことは好きだった。好きだった理由は普通に気持ちいいから+ストレス発散。
デビューのきっかけはひとり暮らしがしたかったこと。プロの技を体験してみたかったこと。1対1で本気で向き合っている姿に感銘を覚えたから。FLASH取材では「学費のためもあった」と答えている。親にはデビュー半年後に職業を伝え、「やりたいことなら応援する」と回答をもらった。
プライベートでは正常位、寝バック、たまに騎乗位程度だったため、AVでの体位の豊富さに驚いた。またプライベートではセックス中にしゃべらないため、行為中も会話をするというAV撮影がすごい不思議だったという。
目と髪の色は茶色で、色白の顔立ちが関係者やファンに「なんちゃら坂の誰々」と言われるが、国内の女性アイドル事情に疎く「私がぜんぜんわからないので、言われても覚えてられないんです」と述べている。
好きな配信者はもこう。(アニメ以外は)テレビは観ず、インターネット配信(主にニコニコ動画配信)を見て育った。自身では闇属性のオタクと表現している。
人見知りするタイプだが、オタク気質なので趣味のこととか、気持ちが盛り上がる話がはじまると早口でめちゃめちゃ話すという。
好きな食べ物はアイスクリーム、自宅の冷凍冷蔵庫には大量のアイスクリームが常時ストックされている。毒展を通じ、2023年時点では虫食と毒きのこ類にも関心を持つ。
デビュー作以降、いわゆるパイパンである。「髪の毛以外の体毛は不要」と考えており、高校時代に親の許可を得て脱毛を行ってパイパンにした。回りの友達がパイパンが多く、「楽だよ」と聞いて「じゃ私もやろっかな」と思ったという。また全身の脱毛をしている。下半身の脱毛は母に相談したうえで高校生で永久脱毛している。
自室に陰毛およびすね毛を落とされて以来、歴代の交際相手にも脱毛を求めている他自分のベッドでセックスするのも嫌い。���癖症である。友人にも自宅には足を洗ってから入ってもらっている他男性は自宅に入れないレベルの潔癖で、水回りは特に綺麗にしている。
舞台版月ともぐら 胸キュングランプリの感想として「舞台で演技をしたことがないし、そもそもみんなでイベントをするような経験自体が初めてだったので、会場に着くまでずっと緊張してた」「私たちはそんなに順位にこだわってなかったからね」と答えている。
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石森プロ時代のお話を。 https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w 2011年3月11日 東日本大震災 石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。 特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。 津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。 なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。 石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。 震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。 しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。 そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。 幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。 石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。 以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。 東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。 きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。 するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、防犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。 あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。 僕は「取りに行きます。取りに行きますからその際に必要な物資を持って行きます。」とお伝えして、その日からAmazon、楽天などで簡単に食べられる各種食品、オムツ、生理用品、などなどを会社で買い込みました。 震災直後はそれらの品々こそ、なかなか物不足だったのですが、何とか集め集めて、Kさんと相談して、よう���く東北自動車道も復旧していた3月30日早朝5時にレンタルした(ガソリン不足だったので)プリウスに社員2人と僕、2トントラック🚚とその運転手さんとで、 石巻に向かいました。 途中、渋滞があったり、被害のあった道を通りながら、石巻インターに着いたのは午後1時頃だったと思います。 石巻インターに付くと高速道路の係員のオッチャンが「どこから来たの?あ、東京。何か運んでるの?」 と聞かれたので「救援用の物資、食べ物を後ろのトラックに積んで来ました。」と答えると 「許可証もらって来たの?」と言うので 「分かりません。」と答えると 「許可証あれば只になるんだけど、無いかぁ。 東京からかぁ、高いなぁ、もう高いからタダでいいよ!行きな!」と無料で通してくれたのです。 ちょっとビックリしましたが、有り難く受け入れ、石巻インターを通過しました。 そこから石巻市に向かうと最初は道もさほど荒れていなかったのですが、石巻市に近づくにつれて、瓦礫は増え道は荒れ、市内に入れば電信柱の上の方に何かが突き刺さり、船は乗り上げ、震災がいかに激烈なものであったかは、否が応でも心に刻み込まれました。 石森プロの社員二人とは「どんな事があっても俺たちは冷静でいような!」と誓い合っていたのですが、あの光景は心にズシリ、ズシリとダメージを与えます。 ようやくの思いで、石ノ森萬画館に着きましたが、中州にあった他の建物は見当たらず瓦礫の中に石ノ森萬画館はありました。 そこでKさん達にお会いできて最初にKさんが仰ったのは「遠い所、来ていただき本当に申し訳ありません。先生の生原稿は全部、無事ですから。」でした。 その言葉を聞いて、ご本人達がどんなにか辛い状況だったろうに、この言葉をかけられて、魂が震えるほど感動、感激しました。危うく泣きかけました。 これが日本人 これが東北人 これが石ノ森萬画館 これがKさん。 日本全体に「日本はどうなるのか」という気分が満ちていた2011年3月。 僕はその時に「大丈夫だ」と確信したのです。 その後、石巻市内に設置されたサイボーグ009や仮面ライダーの立像を見たのですが、なぜか全て無事で更に仮面ライダーの立像などはピカピカに綺麗なのです。 聞けば「石巻市民の方が埃がついて可哀想だからと磨いてくれているようです」とのこと。 これも涙腺に来ました。 #東日本大震災 #石ノ森萬画館 #石巻市 #石森プロ #サイボーグ009 #仮面ライダー
https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w
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選挙は広報の総合格闘技!? 実際選挙を終えてみての私の率直な感想は、「選挙は広報の総合格闘技」であるということです。質・量・スピード全てが求められ、食べる暇も寝る暇もない程でした。脳みそを常にフル回転し続けなければならない点が、最もハードでした。ただ、やはり会社を設立してから仲間とともに日々真剣に広報と向き合ってきたこの8年の経験があったからこそ、この大きな試練も乗り越えることができたのかなと思います。 今回、様々なメディアで「広報・SNS戦略」を誰が手掛けているのかについて憶測が飛び交い、「大手広告代理店がやっている���やら「都内のPRコンサルタントが手掛けている」やら本当に都度事実無根の記事が拡散されていることは身内から聞いていながらも、当時、目の前の成果物を仕上げることだけに集中するようにしていました。当選後の日経新聞の記事や大手テレビ局の複数のニュース番組でも、「400人のSNS投稿スタッフがいた」という次なる「デマ」がさも事実かのように流されてしまい、驚きを隠せないと同時に、「私の働きは400人分に見えていたんや!」と少し誇らしくもなりました。そのような仕事を、東京の大手代理店ではなく、兵庫県にある会社が手掛けたということもアピールしておきたいです。 日経新聞の記事: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF15D1O0V11C24A1000000/ そして、SNSを通して応援の輪が広がった背景を語るのに外せないのは、やはり、デジタルボランティア皆さまの存在だと思っています。広報の総合格闘技の試合の中で、同じ目的に向かって、みんなと一緒に闘っているような感覚を持っていました。ありがとうございました。 最後に 今回の知事選は、兵庫県の未来だけでなく、今後の日本、そして政治や選挙のあり方にすら大きな影響を与える重要な選挙であったと考えており、約1か月半、全身全霊で向き合ってきました。従来のマスメディアを通して、県民の皆さまに情報を届けるのではなく、「オンライン(空中戦)」でも「オフライン(地上戦)」、ご本人の口から、兵庫県に対する想いや、これまでの実績、これから取り組まねばならない重要な政策について、愚直にそして必死に直接語り続けたこと、そしてそれが県民の皆さまに届いたことが今回の勝因だったと考えています。決して「SNS戦略」だけが勝因ではないことも強く訴えたいと思います。出口調査で、政策や公約を重視したという回答が最も多かったことからもそれが裏付けられており、お一人お一人がしっかりと情報を吟味して判断し、投票というアクションを起こした結果、この歴史を変える大勝利を生み出しました。 何はともあれ、私自身も本当に一生の記憶に残る素晴らしい経験をさせていただいた1ヶ月半でした。この記事が、今後の選挙で候補を支える関係者の皆さまに、そして広報に関わる全ての方にとって、役に立つものとなることを心から願っています。 「広報」というお仕事の持つ底力、正しい情報を正しく発信し続けることの大変さや重要性について、少しでもご理解が深まるきっかけになれば幸いです。 最後に、よくご質問を頂きますが、私は政界に進出するつもりは全くありません。また、特定の団体・個人やものを支援する意図もなく、株式会社merchuの社長として社会に貢献できるよう日々全力で走り続けたいと思っています。 結びの言葉として、心からのお祝いを申し上げるとともに大逆転での勝利を掴むことができて本当に良かったと嬉しく思います。 ドラマチックすぎる出来事でしたので、いつか映画化されないかななんて思っています!笑
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今晩は休みだったので、X(Twitter)を巡回していたら「子供をAV女優にしないにはどうしたらいいか」みたいな内容のスペースがあったのでおー…ってなり聴いてみた。そのスペースの主催者の方はキャリアのあるワーママで、AV女優が謎に表に出てきていて憧れの対象になることもある現状に違和感や恐怖を覚えている…みたいな感じだった。現役AV女優が怒り狂って凸ってたりけっこうまともな意見が出たり色々とカオスだった…ちなみに私は、今の世の中はおかしいと思っている派。小学生の女の子がAV女優見てかわいい~!って言ってるのとかかなり怖いなというか不気味だと思う。私もAV→風俗だけど、差別されるべき存在だと思っている。まあ汚ねえからスーパー来るんじゃねえよとか言われたらさすがに困るけど…子供の前で職業を公言するなと言われたら当然そうする。というか絶対しないしそもそも。私が考える子供をAV女優や風俗嬢にしない方法は「しっかり怒りつつ愛情たっぷり大切に育てて自己肯定感をはぐくむ」だと思う。逆にこう��ててなるならもう宿命なので仕方がない。主催者の方がさっき投稿してたんだけど、AV女優って家庭環境やばい人けっこういる。様々なジャンルのやばさがあるけど、共通するのは子供らしくいられなかった、自己肯定感がはぐくまれなかったなど。かくいう私も兄弟姉妹よりも出来が悪かったため親が兄弟姉妹のほうを極端にかわいがって私には無関心だった。それが子供ながらにずっと悲しかった。自分がどうであれ愛してほしかった。なので(?)、ナンパとかされたら普通きっしょ死ねと思うんだろうけど私は喜んでた。私も人に愛される(?)要素ちょっとあるんだ~って。その流れでAVのスカウトについてって~という感じ。たぶん親にかわいがられてたら、というか大切にされるってどういうことなのか知ってたらAVはやらなかっただろうなーと思う。バカだったし、スカウトに君なら絶対に人気になるだとか本当にかわいいとか言われて嬉しかったし撮影の時に色んな大人がちやほやしてくれて、この人たちは私を大切にしてくれてるんだと思ったよ…そんなこと思うバカいないでしょ…と思われるだろうけどいるんだよ…変な言い方になるけど、生まれて一番最初に入る家族というコミュニティで大切にされることを学べないとほかでも無理というか難しいんじゃないかと…でも、怒らずひたすら甘やかすというのもよくないと思う。だめなことをしたらしっかり怒る。自分のためを思って怒ってくれる存在を知っていたら、にこにこ近づいて甘い言葉を言ってくるけど全然自分のこと考えてくれてない人の意図にも気付けるんじゃないかなー。私は親に怒られたことがなかった。私に無関心だったから。わざと怒らせて気を引くことも考えたけど、もっと嫌われることが怖くてできなかったな~AVに出たのはそんな親への当てつけだったのかもしれないと最近になって思った。意味ないけど。もうちょっと書こうと思ったけど眠いから寝ます…( 'ω')とりあえず、子供をAV女優にさせたくないなら、子供がもういいよーってなるくらい愛してるを伝えて怒るときは怒って、その怒るときも大切だから怒るんだということを伝える…みたいなのでどうでしょうか…それが性教育とかガチガチに監視するとかお小遣いをちゃんと与えるより断然効果あるんじゃないでしょうか…お小遣いは大切かもしれないけど…なんか昔の愚痴大会みたいになってしまってモウシワケナイAV女優や風俗嬢を差別するな!と子供をAV女優や風俗嬢にさせたくない、はじゅうぶん両立すると思いますよー 子供には説明むずかしいだろうけど…あと、自己肯定感って本当に本当に大切だと思う。まともな人生歩めなくなる。数年前に、吉野弘さんの「奈々子に」という詩を知って読んでみたら誇張抜きで3時間くらい泣いてそのまま気絶するように寝たwwよかったら読んでみてください…( 'ω')(追記)「AV女優は立派な職業です!差別しないでください!子供をAV女優にさせたくない、させないようにするにはどうしたらいいかとか差別です!」って主張するのは自由だけど、職業に貴賎はあるんだから仕方ないというか…差別じゃなく区別なような気が…むしろ「あたしAV女優になりたい!」って子供に言われて「おう!応援するぞ!」って親が言う世の中になったらやばくない?AV女優への偏見を無くしたいなら、自分が気に食わない意見に口汚い言葉で猛反論するよりも寄付するなりボランティア活動するなり誰かの役に立つようなポジティブな言葉を発信するなりしたほうがいい気がする
(追記)子供をAV女優や風俗嬢にしないにはどうしたらいいか?
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虫食いたい人は食えばいいけど俺は要らないし大半の人が要らないって言う虫に補助金出すなら酪農とか農業を応援すればいいしその前に食べ残しとか食品の廃棄問題を何とかすればいいのにっていうのが俺の感想かな麻雀行ってくるね
ビートきよし with MさんはTwitterを使っています
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449:↓名無し:24/08/28(水) 12:12:33 ID:ah.ll.L1 コメ不足の話 前例ありまくりで今回も先に釘を差しておいたのにやっぱりダメだったというだけの顛末ではあるんだけど あまりに酷いんで書き捨てさせてほしい 先週末に実家で母とお茶してたときにコメ不足になってるらしいね近所���店でも飾り棚になってたねと話してた 母はいつも配達してもらう米穀店が今年は夏前から休業しちゃってるからあと一月くらいで食べきっちゃうし不安だなと言う もう少しで新米シーズンで農家に縁付いてる義妹が定期的にいっぱい送ってくれるからブランドこだわらないならそれ食べる? って私が返したら母はほっとしたように笑ってくれた 帰宅してから義妹にその話をして、わせ品種がもうしゅぐ収穫だから新米前のいま自宅保管してるの少し分けてもらうことに お願いごとに近いのにいつもみたいな身内価格でいいよと言ってくれたのもあり、母が直接お礼したいというので義妹来訪時 荷物と一緒に私の車に同乗してもらって実家に連れて行った それでお米14キロ分の真空パックをキッチンに置いてから母お手製のみたらし団子食べつつ三人で話してたら 酒に酔って上機嫌の父が男性数人引き連れて入ってきた で、当たり前のような顔でお米を誰がどのくらいもらおうって話を始めたからまず義妹がどういうこと?ってたずねたんだ そしたらおとうさんにいつもの礼がしたいから好きなだけ家にあるお米を分けるって言われたと で、女三人で父に詰め寄った結果、電話を立ち聞きしていて、うちはまだあるから先に無い無い愚痴を話してた飲み仲間に あげようと思ったって そこからめちゃくちゃ揉めたんだけど、しょせん父と同類の野郎どもだけあって、お父さんとの約束だしお礼言ったじゃないかと ごっそり持ち去ってしまった 残ったのは真ん中からハサミ入れられた袋のお米とボックスのがいくつかだけ、周囲にコメが散らばってるところに 母が膝から崩れ義妹は憤怒そのものの顔で仁王立ちで悲惨なことになった その後私と義妹で散らばったお米をかきあつめて残ったお米と一つの袋に入れ直して、 母は当面の着替えと貴重品のをささっとまとめて、三人ささっと実家をあとにしてその後の対応は母に一任してるけど もうダメというのはわかる 私が覚えてる限り父ってずっと変に外面がいいというか、母が輿入れの時持ってた着物とかも 困ってる貧しい人に施しとかいってあげちゃったり震災の備蓄品を定期的になんかのNPOに送ってしまう 腹立つのが父は自分の懐を一切痛めてなくて、全部母のだけなくなってることで、 私が小さい間は父方の祖母が私の面倒を見てくれたおかげで仕事が出来ていたというのを盾に泣き寝入りだった ただもう祖母はいないし私も大きいし、直近も真珠婚式の労いに私が母に渡したネックレスを勝手に寄付金代わりにって 支援団体に送ってしまったので次同じことやったら離婚って母が釘を差してた なのになんだよ米くらいでって俺いいことしかしてないじゃないかって顔真っ赤で言い返してた父に失望しか感じない 自分の親ながら、こいつなんなの?って思うし義
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バイコット
「バイコット(BUYCOTT)」とは、不買運動である「ボイコット(BOYCOTT)」の対義語。
購入することで、より公平な企業や団体、生産者を応援しようというものです。
普段食べる食品や、身につけたり、使ったりしている製品が、どのように作られているのかを知り、共感し、お金を使うという行為は、誰もが共生できる世界につながっていくと思います。
パレスチナの人々が作る農産物や加工品、伝統工芸品などを購入することもそのひとつです。
何より、食べて美味しく、目にも美しく、使って嬉しくなるパレスチナ製品をお近くのお店で、通販で、ぜひ手にしてみてください。
◎架け箸 (ヨルダン川西岸地区の作り手とのフェアトレード雑貨/パレスチナのオリーブの剪定材を使用した箸やブローチ、手刺繍雑貨、アップサイクルバッグなど) ・オンラインショップ ・instagram
◎タトリーズ (レバノンのパレスチナ難民女性たちが作る手刺繍製品、ガザ応援グッズの缶バッジ、ステッカー、ポストカードなど) ・オンラインショップ ・instagram *パレスチナ子どものキャンペーン (CCP Japan)による運営です。
◎パレスチナ・アマル (UNRWA・Sulafaガザ難民女性によるパレスチナ刺繍など) ・オンラインショップ ・instagram *Sulafa:1950年に立ち上げられたUNRWAの刺繍プロジェクト���難民女性の収入や刺繍の伝統文化を守り、継承していく役割があります。 *パレスチナ・アマルさんはガザ支援NGO 【Amal for Gaza】を立ち上げられました。こちらもご覧ください。
◎パレスチナ・オリーブ (ガリラヤ地方の生産者団体からのオリーブオイル。※2024年度はヨルダン川西岸地区からのオリーブオイルとなります。 ヨルダン川西岸地区からのオリーブ石けん、刺繍製品も。) ・パレスチナ・オリーブの商品のお取扱店一覧 ・パレスチナ・オリーブから直接通販する場合はこちらをご覧ください。 ・instagram
◎APLA (ヨルダン川西岸地区産オリーブオイルと、そのオイルを使用し日本で製造した石鹸など) ・オンラインショップ ・instagram
◎FOVERO (パレスチナのストリートファッションブランド。パーカーやトレーナー、Tシャツ、トートバッグなど) ・instagram *注文から到着までの日数が数週間〜2ヶ月と幅があったり、着払い料金が発生する場合もあるようです。その時々の国内情勢により変わる可能性を踏まえつつ、お友達とまとめて注文して送料を分担するのもオススメです。
【 番外編① 】
◎MOMO 大久保にお店を構えるとても美味しいお菓子のお店です。「パレスチナについて話すきっかけになれば」という思いから『オリーブの枝葉をくわえた鳩のクッキー』を販売されています。売上の一部は北海道パレスチナ医療法師団への寄付となります。通販ページには寄付のみをできる項目も。 お店の営業日、イベント出店の詳細はXアカウントなどで事前にご確認ください。
【 番外編② 】
日本の食品メーカーである下記の3社が、パレスチナ支援のため、国際連合世界食品計画WFP協会にそれぞれ1000万円の寄付をされました。
◯プリマハム(2024.2.15)
◯明治(2024.3.5)
◯カゴメ (2024.4.1)
人権意識の高い良識ある企業の製品も、日常品の買い物の中に取り入れて、買って応援していきましょう。
※追記※ 上記で紹介した企業の中には、パレスチナ支援の一方で、まだ未解決の問題(動物実験を継続しているなど)を抱えている企業もありました。こういうこと(例えば○○ウォッシングなど)は見極めるのがとても難しいですが、パレスチナの食料支援や人道支援を行う企業がもっと名乗りを上げて欲しいという気持ちもあり、ひとまず掲載はこのまま続けます。ひとりひとりで考え、検討し、「買って応援する」という行動に繋がっていけたらと思います。
*今後は、オリジナルのチャリティグッズなどを販売されているお店なども、少しずつご紹介していけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之��、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見���竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.148 (2024/12/4 + 12/11 )
2024 4th + 11th december
M1 冬景色 (よしもとかよ と やまのしんちゃんズ)
M2 tenpu ki bai (Mayra Andrade) M3 alala das marinas (Milladoiro)
M4 time (Des'ree) M5 linnunmieli (Varttina) M6 ポテト (井上侑) M7 illumination (Secret Garden) M8 クリスマスに何します? (むぎ(猫))
[好日の素…漆器を愛でること。]
1月以来、 度々能登の祖父母の家へ出向いて 片付けをしているのですが、 日帰りだとどうしても 作業より移動に時間が取られてしまい また、少人数での作業なので なかなかすべての部屋が 満足に片付くということがなく… 前回ようやく 台所が片付いたタイミングで 倒れた食器棚の中にあった ほこりだらけの古びた漆器を 数点持ち帰り、 ダメ元で洗ってみたところ、 写真を撮ろうとすると こちらが映り込むほどに 艶が復活! そして手に取ったときの なんともいえないしっとりとした触感に 驚いたのでした。 そういえば、納屋にもまだ 漆器の何某かがあったはず…というわけで 先月ようやく 11か月ぶりに納屋の2Fに足を踏み入れることに。 いろいろなものが 倒れたり傾いたりしている中に、 ありました…漆器たち! 以前、番組に出演してくれた かみしばいのマアサさんが 助っ人に駆けつけてくれて、 漆器の入った箱を運び出してみると およそ20人分以上の御膳や器が 入っていました。 かつては冠婚葬祭のさまざまを それぞれの家で行っていたため、 これだけの量の器が残っているのです。 陶器やガラス器の類は いくらか友人に使ってもらっているのだけど 漆器は手入れも難しそうだし 使うシチュエーションも限られるかな…と 敬遠してしまっていたところもあります。 祖父母が大切に保管してきたものとはいえ さすがにそんなにたくさんはもう必要ない、でも ゴミとして捨てるのはさすがに心が痛む…と 話したところ、マアサさんが 「つなぐおわんプロジェクト」に お願いしてみてはどうか、と。 「つなぐおわんプロジェクト」は 被災したおうちにあって 処分される輪島塗の器を引き取って クリーニングし、販売し、その収益を 被災地支援にする、という取り組み。 https://lit.link/notoowanproject 後日、少しだけ手元に残して 無事にお引渡しが済みました。 輪島塗の職人さんや作家さんの手による 漆器を購入して応援するのも もちろんいいと思いますが、 古くは江戸時代のものから (我が家の器は幕末のもののようでした) 明治、大正の時代につくられて 大切にされてきた漆器を あたたかな思いと共に 暮らしの中で生かしていただけたなら、 それもまた素敵な 支援のかたちのひとつではないかと思います。
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[日々是食べたい!… じゃがいもと鶏もも肉の酢煮]
すっかり寒くなりまして、 食卓に並ぶものも 変わってきたのではないでしょうか。 鍋ものや煮込み料理を ハフハフといただく時間は、 寒い季節ならではの 幸せかもしれません。 そんな煮物の中でも わたしのお気に入りのひとつが じゃがいもと鶏もも肉の酢煮。 名前の通り、酢を加えて煮る シンプルな煮物です。 ほくほくのじゃがいもと 鶏もも肉のうまみ、そして 加熱によって角の取れた 酢のまろやかな酸味が とてもおいしい! 辛いのがお好きなら 一味を加えるのもおすすめです。 シンプルだからこそ、 大切なのがお出汁。 市販の簡易出汁をつかって つくったこともあったのですが この煮物については ちゃんと鰹節と昆布で 出汁をひいてつくる方が おいしいと思います。 そして、その残ったお出汁を スープとして 二度たのしんじゃったりも…! ごはんを加えて ぞうすい風にするのもアリです。 さっぱり、ほっこり、そして なんだか元気が出ちゃう気がする 大好きな一品です。
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寄付って難しいよね、という話。 自然災害とかが起きて、「寄付しようね」という話から「寄付したことは堂々と言っていい、もっとアピールしてもいい。 自分のメリットのためでもいい」とか「偽善だと叩くのはおかしい、偽善であっても実行すべき」みたいな投稿をよく目にするんですが、 それはそれで同意しつつ「寄付をすることを公言するデメリット」みたいなのもあるのです。 結構「偽善だと叩かれるからだろ」みたいな思い込みの人もいると思うんですが、全然違う悩みもあるよ、というのを書いてみます。 特に問題提起をしたいわけでも、議論を活発化させたいわけでもなく「情報の共有」に近い投稿です。 -- 僕も、寄付をそれなりにするタイプなんですが、寄付をしたことを明言したり、一度寄付をしてしまうと、めちゃくちゃ寄付を募集している人から連絡が来ちゃったりするんですよね�� 例えば、応援しよう、と思って寄付をしたところ、そのNPOの人から「今はこれをやっているんですが、困っている子供達のために寄付してください」とか「影響力をお借りしたいので、これを拡散してくれ」というのが、頻繁に来てしまいます。 これは、その人が悪いというよりも、完全に構造的にこうなっています。というのも、寄付で活動をしている人たちって - マーケティング費用にかけられるお金が限定的である - 寄付を集める場合に、もっとも効率的なのが、一度寄付をした人に営業をかけ続けることである - 寄付をした人の、寄付回数と単価を上げ続けるのが、もっとも活動をドライブさせる という性質があるからです。 となると、寄付をするようになると、いろいろな人から「これを拡散してくれ」「これに寄付をしてくれ」という連絡が来続けます。 そして、さらに営業効率を上げるとしたら「多く払っている人からアタックするべき」というのもあります。 例えば、1000円を寄付してくれる人に倍にしてくれ、と頼むよりも、年間100万円を払っている人に、1%増やしてくれ、というほうが、10倍効果が高いわけなので。 -- また、大きなNPOなどでは、手紙が頻繁にくるようになります。 「今、アフリカではこんな悲惨なことが起きています。ワンピース一枚の値段で、この子供が売られています。あなたの寄付が必要」とか、「この子は、一日一色しか食べられません。 一日の食費がたったの500円です」みたいな、感情を刺激するような、写真付きのレポートとかで来続けたりします。 読んでて辛い気持ちになるやつです。 これまた構造的な問題で - ロジックで見せるよりも、感情を最大限刺激して、反応を引き出すことが寄付を集める上でもっとも合理的 - なので、「かわいそうな子供」「悲惨な人たち」というのを、効果的に伝えるようになりがち というのがあります。 -- んで、これら、どちらの問題も「社会的に良い活動をしている人たちがもっとも効果的なことを実行している」という点で、まったく非難されるべきことではないわけです。 ただ、「実名で善意で行動して公開したら、お金やSNSでのシェアを要求され続けられるので、限界まで利用される気がしてなんかしんどくなる」というのと「感情を刺激するような悲惨な写真やテキストが送られ続けて、見るのが辛い」みたいなことが起こっちゃうんですよね。 -- 一時期、Facebookの広告が全部、NPOなどで、3投稿につき1投稿くらい、戦争や貧困で悲惨な目に会っている人たちの写真が出てきたり、殺処分間近な動物の写真が出てきたりして、みるのが辛い気持ちになったりしました。 そして、なんかしてあげたいと思って寄付をしたりすると、さらにターゲットになって広告が増えるという循環になったりしていました。 今では、ほとんどが詐欺広告になったので、ほっとしています。 -- というので、寄付をしたことを明言したり、シェアをしていると、どんどんとそういうスパイラルに陥っていき、最終的に悪い感情になっちゃったりするんですね。 「いつもテンプレートのメッセージでプレッシャーをかけてくるな」とか「断っても、食い下がってきて、結局寄付とシェアをすることになるな」みたいな気持ちになったら、なんか、その人たちの活動が目に入るだけで、疲れてしまうというか。 また、NPOや社会活動をやっている方がよくいうこととして、「こういう現状を知っておいてもらいたい」というのがあります。 それは本当にそうだろうなあ、と思うのですが、それを知り続けた結果、ものすごい暗い気持ちになってしまいます。でも「目を背けてはいけない」とか「恵まれている人は知っておくべき」みたいなプレッシャーも出てきちゃってて、、 結果として、戦争、人種差別、アフリカの貧困国の惨状、子供への虐待、シングルマザーの貧困、食事を食べれない子供や若者、中毒症患者、などいろいろな情報が入ってきて、認知と感情の限界に達してしまう、みたいなのが感じます。 あらゆる困っている人の情報を摂取し続けると、気分が落ち込んでしまうというか。 -- というので、個人的には、社会活動系は、なるべくこっそりやろう、匿名でやろう、という気持ちになっています。寄付自体をやめるとかはよくないですし、続けたいので、自分が続けやすい、疲弊しない形にしたいというのが本音です。 寄付をしていることを公言するのはめっちゃ良いことだと思いますし、「自社のブランディングになるからやろうぜ!」という意思決定でも、それで困っている人にお金が流れ���のは良いことだと思うので、どんどんやったほうがいいと思うんですが、このような理由で公言しない人もいるので、書いてみました! インターネットで何を叩かれてもさほどダメージがないんですが、善意の人からの行動の方が、ダメージが蓄積するなあ、と思っています。
Xユーザーのけんすう/『物語思考』4万部突破さん
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まるぴ(1999年11月5日 - )は、日本のタレント、女優。群馬県出身。ゼロイチファミリア所属。
生年月日 1999年11月5日
現年齢 24歳
出身地 群馬県
身長 / 体重 157 cm / ― kg
大学2年の頃からサロンモデルとして活躍した後、2021年11月にゼロイチファミリアに所属し、芸能界デビュー。2022年春に大学を卒業した後は一般企業に就職し、OLと芸能活動の二刀流で活動していたが、悩んだ末に会社を退職して芸能活動に専念する。
後述のようにバスケットボールファンであり、2022年10月には念願が叶ってバスケットボール応援番組のレギュラーとなった。
趣味はバスケットボール観戦、美味しいご飯屋さん巡り。特技はオーバーリアクション。好きな食べ物として、パクチーとワインを挙げている。
かき氷が好きで、多い時には月40杯をオーバーする。
中高当時は部活で、大学ではサークルでバスケットボールをやっていた。しかし、前者で練習試合中に膝前十字靱帯を損傷して思うように続けられなくなったうえ、後者では趣味で続けようとしたものの諸事情で運動がまったくできなくなってしまった。それによる自暴自棄になっていたところ、サロンモデルをやらないかと声をかけてもらえたことにより、気持ちが前向きになっていったという。
Bリーグが好きで時間があれば常に試合を観ている、応援しているチームは群馬クレインサンダーズ。
挨拶として「やほみちゃん」(やっほーみんな+ちゃん)を使用する。それに対して返信するときは「やほぴちゃん(やっほーまるぴ+ちゃん!)。
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石森プロ時代のお話を。 https://x.com/takigawa_w/status/1789176940924223586?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w 2011年3月11日 東日本大震災 石ノ森萬画館のある石巻市、石ノ森章太郎ふるさと記念館のある登米市も被災しました。 特に北上川の中州にある石ノ森萬画館は津波に往復で襲われました。 津波が押し寄せた時、一階の玄関エントランスなどはビルっぽい四角い形で瓦礫が突っ込みダメージを受けました。が、それより上は丸い形状が幸いして津波が逃げて建物全体の破壊は免れました。 なんと、石ノ森萬画館は石ノ森章太郎先生が生前に「中州に降り立った宇宙船のイメージで」との設計コンセプトで丸みを帯びた楕円形のフォルムだったのです。 石ノ森章太郎先生が起こした奇跡と感じました。 震災の当日、地震と津波に建物は耐えたものの、中州の橋の欄干に津波で流されかけた方々、約20名が命からがら、掴まっていました。石ノ森萬画館のOさんがこれを見つけて「萬画館の中に入ってください!」と招き入れました。 しかし北上川を上った津波が戻って来たのです。 そこで再び欄干に摑まる別の約20名の方々。またOさんが、萬画館に招き入れ、約40名の方々とOさんは、余震の中、萬画館で過ごします。 幸い、萬画館には非常用電源もあり、レストラン用の食材もあったので、石ノ森萬画館を避難所がわりに5日間過ごしたそうです。 石ノ森萬画館の職員家族の方も奇跡的に皆さんご無事でした。 以上は全て後から聞いた話ですが石巻市では有名な話となりニュースやマンガにもなりました。 東京に居た我々は心配しながら石ノ森萬画館のK役員に連絡を取り「必要なものは何ですか?」とお聞きしました。 きっと食糧、医療、衣料など不足しているものが沢山あると思ったからです。3月19日の事です。 するとKさんは「石ノ森章太郎先生の生原稿が10万枚、石ノ森萬画館に保存されています。幸い棚から一つも崩れずに浸水もせずに無事です。ただ玄関ドアが壊れてしまい、防犯的に危ないので生原稿を引き取ってくれませんか」と仰るのです。 あんなに大変な時に心配しているのは石ノ森章太郎先生の生原稿なのです。 僕は「取りに行きます。取りに行きますからその際に必要な物資を持って行きます。」とお伝えして、その日からAmazon、楽天などで簡単に食べられる各種食品、オムツ、生理用品、などなどを会社で買い込みました。 震災直後はそれらの品々こそ、なかなか物不足だったのですが、何とか集め集めて、Kさんと相談して、ようやく東北自動車道も復旧していた3月30日早朝5時にレンタルした(ガソリン不足だったので)プリウスに社員2人と僕、2トントラック🚚とその運転手さんとで、 石巻に向かいました。 途中、渋滞があったり、被害のあった道を通りながら、石巻インターに着いたのは午後1時頃だったと思います。 石巻インターに付くと高速道路の係員のオッチャンが「どこから来たの?あ、東京。何か運んでるの?」 と聞かれたので「救援用の物資、食べ物を後ろのトラックに積んで来ました。」と答えると 「許可証もらって来たの?」と言うので 「分かりません。」と答えると 「許可証あれば只になるんだけど、無いかぁ。 東京からかぁ、高いなぁ、もう高いからタダでいいよ!行きな!」と無料で通してくれたのです。 ちょっとビックリしましたが、有り難く受け入れ、石巻インターを通過しました。 そこから石巻市に向かうと最初は道もさほど荒れていなかったのですが、石巻市に近づくにつれて、瓦礫は増え道は荒れ、市内に入れば電信柱の上の方に何かが突き刺さり、船は乗り上げ、震災がいかに激烈なものであったかは、否が応でも心に刻み込まれました。 石森プロの社員二人とは「どんな事があっても俺たちは冷静でいような!」と誓い合っていたのですが、あの光景は心にズシリ、ズシリとダメージを与えます。 ようやくの思いで、石ノ森萬画館に着きましたが、中州にあった他の建物は見当たらず瓦礫の中に石ノ森萬画館はありました。 そこでKさん達にお会いできて最初にKさんが仰ったのは「遠い所、来ていただき本当に申し訳ありません。先生の生原稿は全部、無事ですから。」でした。 その言葉を聞いて、ご本人達がどんなにか辛い状況だったろうに、この言葉をかけられて、魂が震えるほど感動、感激しました。危うく泣きかけました。 これが日本人 これが東北人 これが石ノ森萬画館 これがKさん。 日本全体に「日本はどうなるのか」という気分が満ちていた2011年3月。 僕はその時に「大丈夫だ」と確信したのです。 その後、石巻市内に設置されたサイボーグ009や仮面ライダーの立像を見たのですが、なぜか全て無事で更に仮面ライダーの立像などはピカピカに綺麗なのです。 聞けば「石巻市民の方が埃がついて可哀想だからと磨いてくれているようです」とのこと。 これも涙腺に来ました。 #東日本大震災 #石ノ森萬画館 #石巻市 #石森プロ #サイボーグ009 #仮面ライダー
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