#韓国元祖
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[Image above: D. T. Suzuki (11 November 1870 - 12 July 1966) was a Japanese Buddhist scholar and doctor of literature. ]
A message from 23 nights temple Q&A: Part 2 [Part 1]
Next question was, want to know more about Tendai Buddhism and how to do face-to-face learning outside of Japan:
More than 1,400 years after its introduction, Buddhism in Japan was born from the founders of sects in Japanese history and culture. Today, about 13 major sects exist, including the Tendai sect. Of these, three are Zen sects: the Soto, Rinzai and Obaku.
Among them the most representative are, Saicho, founder of the Tendai sect, whose head temple is Enryaku-ji on Mt. Hiei; Kukai, founder of the Shingon sect, who brought esoteric Buddhism to Japan, whose head temple is Kongobu-ji on Mt. Koya; and Dogen, author of the Shobogenzo, a philosophy book said to be a manual for Zen meditation practice and originator of mindfulness. Founder of the Soto sect, whose main temple is Eiheiji Temple.
Buddhism means 'Buddha's teachings'. In the beginning, everything was transmitted orally and it was only after Buddha's death that documents and scriptures were created. All of the Buddhist scriptures that remain today were described by the memory of Buddha's disciples. In the meantime, it underwent various transformations through the views of translators and other factors, and representative gurus from different countries established and divided into sects. The Tendai sect is one of these sects, founded by Master Saicho. Incidentally, my trusted teacher is a Zen monk of the Soto sect, and he says that one should not be confined to a sect. It is because Dogen, the founder of the Soto sect, taught that the Buddha's teaching is one and that we should not be obsessed with sects.
Those wishing to study face-to-face or Buddhist thought outside Japan should visit your local Buddhist temple or Zen centre. You can easily find one by hitting the usual keywords. However, not all are good teachers. It is recommended to search patiently for a teacher or centre that suits you. For international learners, books by Japanese Buddhist scholar D.T. Suzuki are relatively accessible. He wrote on Zen in English and introduced Japanese Zen culture to the rest of the world. He was also a prolific translator of Chinese, Korean, Japanese, Vietnamese and Sanskrit literature.
In fact, the teachings of Zen that we are learning are not like there is a holy scripture that says this is the absolute truth, nor is there a founder who says that this is the absolute truth.
And it is best not to decide on a teacher based on sect or culture, but to knock on the door of a person you can identify with. More importantly, he or she may not only be in the temple.
二十三夜堂からのメッセージ Q&A: その2 [その1]
次の質問は、天台宗についてもっと知りたい、日本国外で対面で学ぶ方法を知りたいというものでした:
伝来から1400年余りの年月を経て、日本の歴史文化のなかで、宗派の開祖たちから生まれたのが「日本の仏教。 現在、大きな宗派として存在しているのは、天台宗を含め約13宗派。その中で禅宗は、曹洞宗、臨済宗と黄���宗の3宗。
中でも代表的なのは、天台宗の開祖の最澄、総本山は比叡山延暦寺、日本に密教をもたらした、真言宗の開祖の空海、総本山は高野山金剛峯寺、そして、坐禅修行のマニュアルとも言われている哲学書「正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう)」の著者でマインドフルネスの元祖、曹洞宗の開祖の道元、大本山は永平寺など、が挙げられる。
仏教とは「ブッダの教え」という意味である。当初、全ては口頭で伝えられており文書·経典ができたのはブッダ没後のことだ。今日残っている仏教経典はすべて、ブッダの弟子たちの記憶によって記述されたもの。その間訳者の見解などを通して様々な変形を繰り返し、各国の代表的な教祖が宗派を立ち上げ分かれていった。天台宗はその一つで、最澄が立ち上げた宗派である。因みに私の信頼できる先生は曹洞宗の禅僧だが、彼は宗派に囚われるべきではないと言っている。というのも曹洞宗の開祖である道元禅師が「ブッダの教えは一つであり、宗派に執われるな」と教えていたからだ。
国外で対面学習や仏教思想を学びたいとご希望の方々は、ローカルの仏教寺院、または禅センターを訪ねてみると良いと思います。お決まりのキーワードを叩けば、すぐに見つかります。但し、全てが良い先生とは限りません。自分に合った先生やセンターを根気よく探すことをお勧めします。海外の方々は、日本の仏教学者、鈴木大拙氏の本が比較的手に入りやすいと思います。彼は英語で禅に関する著作を発表し、日本の禅文化を世界に紹介し、また中国語、韓国語、日本語、ベトナム語、サンスクリット語などの多作な翻訳者でした。
実際、私たちが学んでいる「禅」の教えは、これが絶対の真理だという聖典があるわけでも、これが絶対の真理だという教祖がいるわけでもありません。
宗派や文化で師を決めるのではなく、ご自分が共感できる門を叩くのが最良かと思います。もっと言えば、その人はお寺にのみいらっしゃるとも限りません。
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韓国の「ぺぺロ」と日本の「ポッキー」、元祖はどっち?…発売は「ポッキー」だが、マーケティングは「ペペロ」が元祖=韓国報道 [11/13] [ばーど★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1731455835/
8 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん sage 2024/11/13(水) 09:01:05.08 ID:MsbKfA4C
わざわざこんな記事書いてまで、(〇〇は)韓国の方が先って言いたかったのか
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。 男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。 ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」 そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。 その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。 そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」 2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。 そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」 樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。 そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。 事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。 いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの) 朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。 ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。 しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。 この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」 じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るので��。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。 安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。 でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」 そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」 だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。 そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」 大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。 そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。 そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。 その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。 大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」 その教団の性質��大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。 それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。 そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめています。 これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」 韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた�� 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。 なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」 現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。 建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」 本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言��を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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【 ホワイトデー 】
ご存じと思いますが、ホワイトデーは日本発祥。 広がりは中国・韓国・台湾などの東アジアだけで他の地域では見られません。
バレンタインデーのお返しに、というのがその起こりですが、 起源は各陣営が元祖を主張して譲らないとか(笑)。
名前の由来は白いマシュマロを贈るのが最初だったからか、 ホワイトの清潔なイメージもあってのことらしいです。
お返しの品にも諸説ありですがそれぞれ意味があって、 マシュマロはNo、 キャンディはYes、 クッキーは友達、 ハンカチは別れ、 ・・・など、深い意味はない場合とそうでない場合があるらしいのでご用心。
最近は菓子類よりもアクセサリーの希望が多いとのことで、 気持ちより中身になってきている? そういう時代のようです。
ホワイトデー お返し抱えて 見栄を張り 芭焦
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織田邦男先生の論稿です
現代が見習うべき大正人の精神 麗澤大学特別教授元空将・織田邦男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、ドラマのような優勝劇に日本国中が沸いた。顔に日の丸を描く人、球場内外で日の丸が振られ、国と選手と国民が一体化したような光景に、思い出したことがある。
国家と個人が一体となり
102歳で天寿を全うした父が90歳の時である。筆者に「もうそろそろ、ええじゃろう」と語り出し「実は、わしは戦艦大和を造ってたんじゃ」と。どうやら父は広島の呉工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造に携わっていたらしい。「大和については、家族にも���切話してはならぬと命ぜられていたんじゃよ」と述べ、最後に「わしももう長くないからな」と終わった。大変驚いた。国家(海軍)の命令を、帝国海軍が消滅した戦後60年間も律義に守る。しかも戦後生まれの筆者に対して箝口(かんこう)令を守り通すとは。
父が亡くなる2年前、同じ大正生まれの小野田寛郎氏が亡くなっている。小野田氏は旧陸軍の軍人で、情報将校としてフィリピンのルバング島に赴任した。師団長の横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示を受けたという。戦後も29年間、孤立無援でゲリラ戦を戦った。
手に入れたラジオで戦争が終結したことは気づいていたらしい。冒険家の鈴木紀夫氏によって発見され、帰還を促された。だが任務解除命令がない以上、任務は放棄できない。結局、元上官である谷口義美氏(元陸軍少佐)による任務解除命令を受けて帰国した。
両者に共通しているのは、国家と個人が一体となった「大正人」ということだ。父は大正3年生まれ、小野田氏は大正11年生まれである。先の大戦では大正人の7人に1人が戦没している。戦後復興の原動力も大正人が主力だった。
父には9歳年下の弟がいた。海軍パイロットとして昭和18年、太平洋のギルバート諸島上空で散華した。父は弟を思い、靖国神社にしばしば参拝した。最後の参拝は90代後半だったと思う。杖(つえ)を突きながら気丈に昇殿参拝を果たした。その時、父はポツリと呟(つぶや)いた。「何で靖国参拝に反対するんじゃろうのお」。現役時代、ある懇親会で小野田氏と同席させていただいたことがあるが、その時、小野田氏から同じ言葉を聞いたのを思い出した。
国家意識溶解の懸念
大正人にとって国家と個人は一体で、国家に尽くすことは、自分に尽くすことである。国家に命を捧(ささ)げた場合、国は永遠に死後の面倒をみる。なのになんだと、憤懣(ふんまん)やるかたない思いが感じ取れた。
国に殉じた先人に対し、国民が尊崇と感謝の念を表すのは世界の常識である。米国ではアーリントン国立墓地に、韓国では国立顕忠院に、フランスでは凱旋(がいせん)門の無名戦士の墓に国家のリーダーは参拝する。外国の要人来訪時も、必ず参拝する。これが国際共通の儀礼である。岸田文雄首相は1月の訪米の際、アーリントン墓地に参拝した。だが岸田首相は就任後、靖国神社には参拝したことがない。
いかなる事情があるにせよ、一国のリーダーが自国の為に命を捧げた先人に追悼の誠を捧げないのは異常である。異常を異常と感じなくなる時、国家と個人の一体感は失われ、国家意識は溶解していく。国家は国民一人一人の「義務と責任」から成り立っている。国家意識が希薄化すれば当然「犠牲」「勇気」「名誉」という普遍的価値は喪失し、我欲は限りなく肥大化する。国家あっての人権、人道、社会福祉であり、祖国あっての個人であるという当たり前のことが理解できなくなる。
公に尽くす生き様を忘れず
令和5年度予算が成立したが、国会での議論は見る影もなかった。昨年12月、安全保障関連3文書と共に、防衛費のGDP比2%、反撃能力の保有が閣議決定された。この時、「満足な議論もせず、民主主義の破壊だ」と野党は批判した。だが国会では十分な時間がありながら、「満足な議論」もせず、表層的で枝葉末節な質疑に終始した。参院ではウクライナ戦争や台湾有事もそっちのけで、行政文書をめぐっての「コップの嵐」に終始する体たらくである。
これを見る時、選良たちも国家意識が溶解し、安全保障や天下国家を「議論しない」のではなく、もはや「議論できなくなった」のではと思ってしまう。2021年の国際世論調査では「国のために戦うか」に対し、「はい」と答えた日本人は13・2%で最下位だった。この現実と通底するように思えてならない。
国家という「人」はどこにもいない。国家とは同胞、友人、知人、そして自分自身のことである。自分自身が国家そのものだという事実に戦後日本社会は目を伏せてきた。その結果「国家」の希薄化は深刻なまでに進んでいるようだ。
WBCで日の丸が乱舞する光景と国会の惨状が同じ日本だとはどうも思えない。数年もすれば大正人はいなくなる。国家と自分自身を同一視し、我欲を捨て、公に尽くす大正人の生き様を今こそ見直すことが求められているのではないか。(おりた くにお)
#産経新聞 #正論
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「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと
宮崎駿監督の10年ぶりとなる長編アニメーション映画「君たちはどう生きるか」が、7月14日から全国で公開される。吉野源三郎の同名の著書とはまったく違うストーリーが展開されるという以外、詳細は伏せられたままだ。とある縁で宮崎監督に面会した筆者が、新作について監督が語っていた言葉や、鑑賞して感じたことなどを振り返った。(文:吉野太一郎)
「私自身、訳が分からない」 「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」。
2023年2月下旬、東京都内のスタジオで上��された、「君たちはどう生きるか」の初号試写。米津玄師の歌うピアノバラードが流れ、エンドロールが終わった瞬間、灯りが点き、宮崎駿監督のコメントが読み上げられた。
客席から軽い笑い声が漏れた。私もその一人だった。あまりの展開の速さと、盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれず、茫然と座り込んでいたが、その言葉で我に返った。
これは「宮崎アニメ」の集大成なのか、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の再解釈なのか。とにかく、1回見ただけではとても全容を把握できなかった。
「自分のことをやるしかない」 今回の作品は、公開前のプロモーションも、メディア関係者向けの試写も一切ないまま公開日を迎えた。異例の態勢の中、内容は無論、見たことすら口外無用のキャスト・スタッフ向け試写に、なぜ私と両親が呼ばれたのかといえば、父が『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の長男で、私が孫にあたるからだ。
その5年ほど前の2017年11月、父と私は東京・小金井のスタジオジブリに招かれ、宮崎監督と対面していた。さらにさかのぼること半月ほど前、とあるイベントで宮崎監督が突然、次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」だと明らかにし、ニュースなどで話題になっていた。親族としては寝耳に水だったのでかなり驚いたのだが、宮崎監督は「うっかり喋ってしまいました」と詫びた上で、作品について語り始めた。
2017年11月、次回新作について父に話す宮崎駿監督。手元に、古びた吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』が置かれていた=吉野太一郎撮影 小学生のとき、教科書に載っていた『君たちはどう生きるか』の冒頭部分に強い印象を受けたという宮崎監督は、年季の入った同書をスタジオに持参していた。若い制作スタッフにも読むよう勧めたところ「この本はまだ生きているね」と好評だったといい、作品のタイトルを決める段になって、一人が「『君たちはどう生きるか』がいい」と提案したのだという。制作は当時まだ始まったばかりだったが、映画の序盤とラストシーンにこの本が登場することも、宮崎監督は既に決めていた。
宮崎監督によれば、引退宣言を撤回して臨んだ今回の作品は「ずっと自分が避けてきたこと、自分のことをやるしかない」という思いだったそうだ。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」
時は太平洋戦争中の1944年、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場とともに、一家は郊外へ疎開する。出迎えたのは父の再婚相手となった母の妹。お腹に新たな命が宿っている新しい母を、眞人は受け入れられず、転校先でも孤立する。そんなある日、疎開先の屋敷で眞人は偶然、1冊の本を見つける。
屋敷の庭の森には、廃屋となった洋館が建っている。眞人の母の「大おじ」にあたる伝説の人物が建てたという。やがて眞人の前に「母君があなたの助けを待っている。死んでなんかいませんよ」と人間の言葉を喋る青サギが現れ、導かれるように、眞人は洋館の中へと進んでいく――。
ここから先は「宮崎アニメの集大成」のような不思議ワールドの冒険が描かれるのだが、少年の成長というテーマが共通するからか、宮崎監督が吉野作『君たちはどう生きるか』を再解釈したのではないかと思わせる場面も登場する。
『君たちは~』の主人公「コペル君」こと本田潤一少年は父親を亡くしており、親代わりでもある「叔父さん」との会話や交換ノートを通じて成長していく。映画の中で交わされる眞人と大おじの対話は、コペル君と叔父さんの対話を思い起こさせる。大おじが眞人に伝える「お前の手で争いのない世を作れ」という言葉は、戦中生まれの宮崎監督が次世代に託すストレートなメッセージだろう。
そういえば中盤に登場する「ワラワラ」というキャラクターは、宮崎監督が小学校時代に読んだ『君たちは~』の冒頭部分に登場する、銀座のデパートの屋上からコペル君が眺めた群衆にも見える。ではあの場面は、この場面は……次々と出現する謎めいた仕掛けに、まったく分析が追いつかないまま、2時間4分はあっという間に過ぎる。
祖父・吉野源三郎と私 試写からの帰り道、ふと思った。眞人少年が、遥か世代の離れた大おじと対話したように、私も今、祖父と直接対話できたら、どんな言葉を交わすだろうか。
1978年5月、祖父母宅で私の誕生祝いをした時の写真らしい。右から当時5歳の私、弟、祖父・吉野源三郎、祖母 私が小学校に入る前、祖父は2軒隣に住んでいて、訪ねて行くと絵本を読んでくれたり、似顔絵を描いてくれたりと、孫の私をかわいがってくれた。既に80近い高齢で、およそ3回に1回は床に伏せっていて「今日は具合が悪いからごめんね」と追い返されたが、やがて入退院を繰り返すようになり、近づくこともできなくなった。肺や喉の疾患が悪化し、最期は話すこともできなくなった祖父は、私が小学校2年のとき、82歳で死去した。
祖父は戦前、陸軍を除隊後に治安維持法違反に問われて投獄され、軍法会議にかけられたが九死に一生を得た。釈放後に作家・山本有三の少年少女向け書籍編集を手伝う中で執筆した1冊が『君たちはどう生きるか』だった。戦後は岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長などを務め、父には「反骨の背筋は伸びているか」「謙虚に堂々と」など、言論人の心構えを折に触れて説いていたというが、もちろん私は祖父から壮絶な半生を聞いたり、薫陶を受けたりしたことはない。
祖父の死後も『君たちは~』は岩波文庫に収録され、多くの人に読み継がれてきた。誇らしくもありつつ「偉大なお爺さまをお持ちで」などと言われるのがやや重荷でもあり、積極的には明かしてこなかったが、新聞記者やウェブ編集者になってから時折、祖父の残した他の著作を読み返すようになった。『職業としての編集者』(岩波新書)に収録された、戦前戦後の混乱を経て「世界」を創刊した回想録などは、親族が登場することもあって他人事とは読めず、時代が変わっても守るべき価値や教訓があることを教えてくれる。著作を読むという限定的な形ながら、これも祖父と交わす一種の対話なのかもしれない。
包装紙の裏に祖父が描いた父と私(中央)��弟。鉛筆でサラサラと似顔絵を描くのが上手だった。 『君たちは~』は2017年に漫画化され、21世紀らしい出で立ちで再び現れた。そして約6年の制作期間を経て、別作品とはいえ、宮崎駿監督の同名の映画が公開された。この間の出来事は「やさしいおじいちゃん」しか覚えていない孫に、祖父が思いがけない贈り物を届けてくれたようでもある。どこかでずっと、孫の私を見守ってくれているのではないか。そして何かを問い続けているのではないか。眞人を見守る「大おじ」のように。将来の息子に1冊の本を託した眞人の母のように。
その問いかけにどう答えるか。つまり私は、どう生きるか。とりあえず、一度見ただけでは回収できなかった伏線を探しに、もう一度、劇場に足を運ぶことにしよう。祖父との新たな「対話」の糸口が見つかるかもしれない。
吉野太一郎(よしのたいちろう) 「好書好日」副編集長。大阪、東京の社会部、ネットメディア「ハフポスト日本版」などを経て2020年2月から「好書好日」編集部員。2022年3月から9月まで休職し、韓国・慶南大学極東問題研究所フェローとして北朝鮮問題・脱北者をテーマに研究。
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旅日記① in South Korea🇰🇷
Seoul編
海外に行った記録は残しておきたい、ということで3月の渡韓した際の写真を少し。
私の中で、今までもこれからもずっと存在感ある友人たちと初渡韓した。
なんとも恵まれた幸せな誕生日をみんなありがとう。
食の感想
🐓snsでも話題のタッカンマリのお店(陳玉華ハルメ元祖タッカンマリ:写真下)
タッカンマリは、鶏一羽を丸ごと煮込んだ素朴な韓国鍋料理で、夏は夏バテ防止の滋養食、冬はあったかい鍋料理として愛されているらしい。好みで唐辛子薬味タレを加えて食べるのがオススメだよと、隣のおばちゃんが教えてくれた。
コラーゲンやビタミンが豊富な鶏を丸ごと食べられるので、多分ツルツルになりました。多分。
🥐こちらもsnsで話題のCafe Onion(写真下)
ソウル市内に3店舗(聖水洞,弥阿,安国)あって、歴史ある建物をリノベーションしていることで話題のパン屋さん。私たちが訪れた安国店は元々貴族たちが住んでいた(らしい)歴史的な街「仁寺洞」あって、街並みもモダンな感じで良かった。
写真だと伝わりにくいけれど、ひとつひとつがデカすぎて胃のキャパを容易に超えてきます。胃薬飲みながら食べてるのおかしい。味はどのパンも絶品で、見た目も可愛くてオススメ。ただ、人気��ぎて1時間半くらい並んだ。
🐙活きダコとユッケ(プチョンユッケ本店:写真下)
広蔵市場のユッケ通りにある、2017〜2023年の6年連続でミシュランガイドソウルに掲載されているユッケ専門店。活きテナガダコとユッケを一緒に食べる、名物の「タンタンイ」がこの旅行でいちばん美味くて、忘れられない。
並んでも食べる価値ありです。タコが口に吸い付くの面白かった。
🥩サムギョプサル(店の名前忘れた:写真下)
適当にそこら辺にあったお店。サムギョプサルは日本で食べるのと本場で食べるのだと味が全然違うな、という印象を受けた。とても美味しかった。サンチュ大量にサービスしてくれた店主のおじちゃん、コマウォ!
チャミスルがfresh16°(いちばんオーソドックスな水色のパッケージのもの)しかなくて、なかなか美味しく味わえなかったのが少し悔しい。
全体を通した感想
美味しい!けど、日本の韓国料理屋さんみたいに色々な種類をちまちま食べることはできなくて、サムギョプサルのお店にはサムギョプサルしかないし、ユッケのお店には生肉しかないし、あ〜キンパちょっと欲しい、締めに冷麺食べたい、とか思うのだけど、メニューにない、みたいなことが多くて。そこがちょっとわたし的残念ポイントでした。
だから色々な韓国料理を楽しむなら、胃のキャパ的に日本の新大久保最強なのかもしれない。
ショッピングの感想
私はあまり美容に興味がなく、コスメ情報にも疎いので、韓国で楽しんだのは食8、残りの1.5はショッピング。韓国で化粧品買うぞ〜お洋服買うぞ〜♩というミーハーな意気込みで参戦した結果、1番高いお買い物は、3千円のモバ充だった😅。現地で買ったhinceのリップクリームは帰国後ロフトに普通に置いてあった。
それと、私たちはかなりわかりやすいカモだった。ノリノリで買わされたクリームは全然Amazonの方が安かったけど、買った時はお得な気持ちで満たされていて、みんなで騙された!って笑った時間も楽しかったのでOKです。勉強になったね。
ノーブランドの洋服は1枚1500円くらいで、本当に気に入ったのかと聞かれたら分からないけどとりあえず安いから買ってしまう衝動に駆られ、緑のセーターを1つ購入した。日本で売ってたら多分買ってない。
街並み、人の感想
みんなせっかち。早歩き。そして想像してたより全然親切。
街並みは日本と一緒。でも日本より、少しだけネオンに凝ってて夜景が綺麗に思えた。(異国マジックかも)
韓国のここが忘れられない!っていうよりは、大好きな友人たちと韓国で過ごした時間が忘れられないものになった、という感じ。
美容医療に興味ある人は、確かに何回もいきたくなるだろうな〜って思った。韓国の人はみんなお肌白くてツルツルだった。羨ましい。
ソウルはもう満足したので、個人的に次韓国行く時はソウル以外に挑戦したい。
今度は、来られなかったメンバーも入れてまた海を越えようね^^
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堀部安嗣さん講演 (2023.02.22 於・前橋工科大学 演題『私のパッシブデザイン』
…
積極的に受け身であること
理系・文系 ふしぎな分け方
他の言い方は無いのかな、
→時間の流れかた、概念が、理系と文系では違う
横で一定・理系 時間とともに成長していく、という概念
ぐるぐるぐるぐる循環・文系
理系の人が作り上げるもの・コンピュータ、エア���ン、車etc.
文系 1000年前以上の、弘法大師の書
200年以上まえのモーツァルトの音楽
ドストエフスキーの文学
いつの時代でも良いものは良い
1日の循環
建築の世界 理系的・文系的のバランスのとれた世界 いろんなタイプの人がいる方がよい
警鐘を鳴らす、ブレーキをかける建築家
堀部さんは、文系的だと自覚
建築は、果たして進歩しているか、進化しているか。
防水技術、免震技術 進歩
それらが人の幸せに役に立っているか
…
映画 ファースト・マン
静謐な映画
ニール・アームストロング船長の自伝的な映画
人類の栄光の光の裏にある闇、影
地球上では、自然ゆたかな所での家族との暮らし 東西冷戦 生存確率の低いロケットに乗り、たどり着いたのは空気もない死の星
地球は緑豊かで美しい土地だったのに、なぜ危険をおかしてまで
瀬戸内海の美しい自然
いまでも200年前の風景の残る
東京のほうが進んでるよね、との劣等意識を持つことが多い。もったいないこと。
讃岐市のプロジェクト
やりたいこと、ただひとつ。
この土地を、国立公園にふさわしい土地に戻してゆく 建築もいらない、けど、建築の役割はあるし、できること、人々に安心を与えることは建築に出来る
東京の風景 東京の方が豊かだと、地方の人は錯覚してしまっている ふしぎなこと
富山 宝物があるのに
兵庫 20年前は森だったところ
中央へ、宇宙へ
侵略 キリがない
宮沢賢治の詩 僕は家族にほめられた、僕は世界に誉められた、その先にどこへ行けば?
コロナ禍 ステイホームの自粛のとき、自分の足元を見つめざるを得ない→自分の地域の良い点に気づいた 足元への評価
roots
根源
根のあるもの
足元にすでに持っているもの
どんなものを土台にして、私たちは思考しているのか
…
原風景
横浜の鶴見
色んな人が行きかうカオス
鶴見線 鉄ちゃんのあいだでは有名
中学のとき、ヨーロッパ 写真を撮った
国道駅のアーチとのかさなり
自作でも 意識したわけではない、原風景が滲み出る →設計という行為
曹洞宗大本山 近所に
お寺のもつ悠久の時間の流れ、不気味さ、幼少期触れて生きてきたことは幸運だった
���きなお寺は風景が変わらない
50年前の樹 祖父と一緒にみた
再訪するもき、私はここで生まれてきたのだ、と実感 そこでの、子どもと老人のことを祖父と私にかさねる
記憶 確かな記憶のない限り、未来を見出せない お墓 ショッピングセンターが立ったり、バイパスが通ったりすることはない
静岡県浜松市 趣のある素晴らしい日本家屋・庭に住んでいた。今、その場所は道路の下に眠っている 往時の記憶が甦らない、すべて破壊されている 道路による記憶の破壊
…
見たこともない、感じたこともないものは
つくれるのだろうか?
設計 それ以外はできない
見て感じたもの、記憶を頼りに、今へ状況へ再現する
いきなり_
幸せについて
同伴者と吹雪のなか、つらい登山のイメージ
つらい、眠い、衣服はびちょびちょに
そのなかで、暖かな山小屋を発見する
幸せに とても小さな建築で、いろいろなことが出来る。食べる、眠るetc.
人種のちがいも関係ない、歳の差も関係ない
信じている宗教も関係ない inclusiveな
外部環境が室内に入り込んで来たような建築でも、庇の出が陽を遮ったり、風通しがよかったり、床の肌触りがよい、など。自然環境を、変換している。 ホモ・サピエンスの
日本の庭のおもしろさ 私たちにはあたりまえ、だが、フランスの建築学生と京都のこうとういんに行ったとき、おもしろい、おもしろい、と。音がおもしろい。アプローチの石のヴァリエーション 靴を脱ぐ所スノコ、畳、めまぐるしく床の材料が変化してゆく。こんな小さなところで、これほどの変化していくのは面白い。
新緑の美しく見える秘訣 背後の常緑樹
新緑の淡さを引き立てる、背景としての濃い緑
全部が新緑、全部が常緑、というのがふつう
アメリカとか
コンビネーションのあるのは珍しい
…
人間の感情はどうして生まれたのか
生存のために必要となる、咄嗟の行動や判断のために進化の過程で作られた
森でクマに出会う。恐怖の感情を抱く、その後の行動の選択肢を広げていく 恐怖という感情を引き金にして
仲良しの友達、幸せ、喜びの感情
こいつと付き合っていると、自分は生存できるぞ、との。
生存のための引き金、スイッチ
雪の夜の暖かな山小屋
生存の喜び
反対に、もう生きていたくない、とか、生存のことを考えていない人は、感情の起伏がなくなってくる 感情の、生存における大切さ
ヒュッゲ デンマークの概念
これを日常生活でしているからこそ、世界でいちばん幸せな国とされる
日本��先進国のなかでは幸せ指数が低い
ヒュッゲの反対をやってきた
150年前・200年くらい前は、日本もそうしていた。
今の日本の住の風景
居住性の進歩 けれども、それらがある程度達成できたとき、この姿が、幸せな住まいの環境なのか、と。
使い捨てられるもので風景が構成されている。幸せ感の乏しいのは、使い捨ての時代だからでは?
竹富島 色んな不便、不都合、多々
住まいや環境はトータル 幸せ感としてはこちら
…
あるものを活かす
パッシブデザイン
あるものとは?
気候風土、自然エネルギー
歴史、文化
記憶
風景
ハードウェアではなく、ソフトウェア、手に触れられないもの
ブリコラージュ ありあわせのもので作る
→『和』では?
和風とは、有り合わせで作られる、非常にレベルの高い行為から生まれる
家庭料理 素晴らしいブリコラージュ
冷蔵庫の残り物、スーパーで買ってきたものと合わせて
和 足し算 引き算
ほうれん草の胡麻和え
和えている
明太子スパゲッティ
日本の人たちの得意としていた
極東 漂流物を、イノセントにあり合わせて組み合わせて作りあげた
cnt.) ないものをねだる
自分がすごく良いものをもっているのに、何か他を憧れる
→侵略や戦争へ
70数年前、わたしたちも痛い目にあった。資源、植民地
…
モーターボート アクティブ
ヨット パッシブ
これからは燃料も高いし、すべてヨットのような建築に、という訳ではない。
ふたつの要素を足し合わせる、共存させる
どっちか一方では足りない、幸せ感を感じる住まいにはならない
目的
幸せ感 心身が楽になる 健やかに暮らす
手段
アクティブ+パッシブ
ご利益
省エネルギー
光熱費削減
…
温熱デザインへの取り組み
まずはパッシブ 太陽の恵み、土地の持つポテンシャル
アクティブ 性能の良いエアコン それを活かす
建物の性能 断熱性能、気密性能
ねこ は、居心地の良い場所を見つける天才
猫が天才であるわけではない。
ホモ・サピエンスが何故、そう思うか。
ホモ・サピエンスと猫の心地よいと感じる場所が近い 犬の心地よいところとはちょっと違う
猫 生まれたところは、暑いところ。暑さにはつよい
犬 暑いところではハアハア
ホモ・サピエンス 暑さに強い
30℃越えでも走れる
寒さに弱い パフォーマンスができない
吾輩は猫である、で、人を評して、やかんみたい、と。
ホモ・サピエンス アフリカ起源
それからどんどん北上
ほとんどの歴史を暑いところで暮らしてきた
→住まいをあったかくしましょう、というのが、私の建築観
…
私たちは生存できるのか
孫の世代まで、良い環境はあるのか
狩猟採取時代もよりは生存の危機を感じないことが多くなった現代人
コロナ禍でそれを意識
ほんとうに、このさき建築をつくれるのだろうか
生存の危機を感じたこと
→しっかり認識して、どういう建築が出来るのかetc.を自問すべき
あるものを活かす、というのがおおきなヒント
熱容量の大きな家 非常に効果がある
住まわれている人たちの幸せ感がおおきいと感じることが増えた
あるものを活かす 壁からの放射温度が快適
…
安定した家に居ると、外に出たくなる
屋根のかかった屋外に出たくなる
両親の葉山の家
半屋外
→ヒント、韓国の民家
冬の部屋と夏の部屋が分かれている。
冬の部屋 紙、オンドル
夏の部屋 ふきっさらし
潔い構成だなー。
…
鎌倉 扇ケ谷の家
スタディ いろいろ
最後の決め手はパッシブデザイン
南面の窓を大きく
あれもこれもダメ、となると何の一歩も踏み出せない 太陽光発電は、戸建ての屋根に乗せるのは素敵なことと自分は考える
けど、美しい瓦の屋根にそれが乗るのは、というのもあった
情緒的なものと機能的なものを合わせる
デザインによってできうる
シンプルに、自宅の庭で野菜を作る、みたいに太陽光発電を考えている
電気、移動に莫大なコスト 自分の家で発電できることは爽やかなのではないかな
デザインの力です達成できる、との信念
…
南面 ソーラー
北側 庭的な グレアの少ない
アメリカ サンタモニカ
街区 太い道路 細い道路
太い 伝統 雑多なものが出ないように
細い サービス機能
(細い道路の方 日本の街の感じと似ている)
…
土地は親から譲り受けたものではなく、孫から借りているもの。ネイティブ・アメリカンの言葉
貰ったものなら汚してもよい
借りたものなら汚してはいけない
自身の所有の土地としても、その意識で
「土地を所有している」といっても、多くは所有していない、太陽、大地の奥、雨、風
原発
覚醒剤をやって人生を破滅した人が覚醒剤の怖さを語ると説得力がある
原子力の怖さ、ヤバさを、説得力を持って語れる 原発から10年、原爆から100年経っていない いま、原発が再稼働しようと。
…
↓私の質問への答え。堀部さんが書いていた、トタン小屋の形の美しさと、著書『建築を気持ちで考える』でのアスプルンドの章について
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益子さん
住まいは掘立小屋くらいでいい
そこを整えいく
しかし、人の家を設計するとなると、、
自宅と人の家���設計が変わる
アスプルンドの章、気持ちが入っている
大好きな建築家
自分の設計は、形式性 構造の綺麗さ、コスト、施工性などから考えている。
正面性とか歴史性とかからではない
アスプルンドの建築、死者の声がする。彼の死生観が感じられる建築
…
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低��医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯���裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024/12/28 19:00:18現在のニュース
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粛清は、革命や反革命、クーデター、弾圧の一場面として行われる事も多い。共産主義・独裁国家・新たな王朝の建国(日本では新たな幕府が設立された時や新たな征夷大将軍が就任した時)においては、体制を保つために必ずと言って良いほど発生する[注 2]。特に、新たな独裁政権が誕生した時は、謀反を起こしやすい人物、将来自身またはその後継者を脅かしそうな存在(将来は自分または後継者を抹殺するような人物)に対して行われる。 ベニート・ムッソリーニは独裁者の中では同胞の殺戮を伴う粛清には消極的な方だった。 1933年1月、ソビエト連邦において全連邦共産党(ボリシェヴィキ)が決定した総粛清(全党チーストカ)は、のちに続く「大テロル」と無関係とはいえないものの、党員の資格審査活動であり、末端党組織による党員記帳の乱雑さをただそうとする性質のものであった[6]。 2013年に朝鮮民主主義人民共和国で発生した金正恩による張成沢派粛清(およびそれに関連した族滅を含む大量殺戮)の際、朝鮮中央通信は「張成沢を取り除き、その一党を粛清することによって、党内に新しく芽生える危険極まりない分派的行動に決定的な打撃を加えた」と報道し、金正恩政権が公式に「粛清」の語を使用した[7][8][注 3]。これはテロル的な意味での狭義の「粛清」の一例と言える。 主な粛清 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "粛清" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2010年8月) 焚書坑儒 - 中国(秦)(紀元前213年 - 紀元前212年) 前漢の高祖劉邦による建国の功臣(韓信・彭越・英布など)の粛清(紀元前202年 - 紀元前196年頃) 曹操暗殺未遂事件の報復(後漢)(199年) 長屋王の変 - 日本(729年) 応天門の変 - 日本(866年) 安和の変 - 日本(969年) 北条氏による族誅 - 日本(平安時代末期 - 鎌倉時代) モンゴル帝国の4代目皇帝モンケによるチャガタイ家・オゴデイ家に対する粛清 - モンゴル帝国(1251年頃) ワラキア公ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)による粛清 - ルーマニア(15世紀中頃) 明の太祖洪武帝による建国の功臣などへの一連の粛清 - (14世紀末頃) 胡藍の獄 - 胡惟庸の獄(1380年)と藍玉の獄(1393年)の総称 文字の獄 空印事件(1376年) 郭桓の案(1385年) 林賢事件(1386年) 李善長の獄(1390年) 明の成祖永楽帝によるクーデターと一連の粛清 靖難の変(1393年) 壬午殉難(建文帝政権の臣下関係者などへの一連の粛清。苛烈さから「瓜蔓抄」と呼ばれる)(1393年 - 1403年) ユダヤ人追放令 - スペイン(1492年) ストックホルムの血浴 - デンマーク(1520年) メアリー1世によるプロテスタント粛清 - イギリス(1553年 - 1558年) イヴァン4世(雷帝)による恐怖政治(オプリーチニナも参照) - ロシア(1565年 - 1574年頃) 士禍 - 朝鮮(主に15世紀 - 16世紀頃) サン・バルテルミの虐殺 - フランス(1572年) 秀次事件(豊臣秀吉による豊臣秀次とその関係者の粛清) - 日本(1595年) リンチェピングの血浴(カトリック信徒粛清) - スウェーデン(1600年) 徳川家光による元幕臣原主水の処刑(1623年) 徳川家光による徳川忠長と加藤忠広の改易(1632年から1633年) 清教徒革命時のプライドのパージ (Pride's Purge) (1648年) 文字の獄(雍正帝による反対派粛清)- 清(1726年) フランス革命時代の粛清 九月虐殺 - 「反革命派」の逮捕・虐殺(1792年) 恐怖政治 - ロベスピエール派によるもの(1793年 - 1794年)[3] テルミドールのクーデター - ロベスピエール派に対する粛清(1794年) 復古王政下での王党派による白色テロ(百日天下を参照) - フランス(1815年 - 1818年) 蛮社の獄 - 日本(1839年) 安政の大獄 - 日本(1859年) 新選組内部における粛清 - 日本(1863年 - 1867年) ソ連での粛清 レーニンによる粛清(1917年 - 1924年)[3] トロツキー率いる反対派の排除 (Case of Trotskyist Anti-Soviet Military Organization) (1920年 - 1925年) スターリンによる大粛清(1934年 - 1938年)[3] 大逆事件 - 日本(1910年) - 明治天皇暗殺未遂事件を口実とした無政府主義者の処刑 中華民国における上海クーデター(1927年) ハンガリー評議会共和国による赤色テロ(英語版)(1919年) ハンガリー王国による白色テロ(英語版)(1919年 - 1921年) ヒトラー(ナチ政権)下での粛清 強制的同一化政策(1933年 - 1945年) 長いナイフの夜(1934年) ヒトラー暗殺未遂事件の報復(1944年) フランコ体制下のスペインにおける白色テロ(英語版)(1936年〜1945年) 第二次世界大戦終結に伴う粛清 非ナチ化、ナチス協力者への追及 (Pursuit of Nazi collaborators) (1945年~) 連合国軍最高司令官総司令部による日本の公職追放(1946年~1951年) エピュラシオン - (1944年 - 1949年)フランス共和国臨時政府・フランス第四共和政政府によるヴィシー政権関係者・コラボラシオン参加者に対する粛清 冷戦下における西側各国の赤狩り マッカーシズム - アメリカ(1948年 - 1950年代前半) レッドパージ - 日本(占領軍)(1950年) 済州島四・三事件 - 韓国(1948年) 保導連盟事件 - 韓国(1950年) 整風運動 - 中国共産党(1942年 - 1945年) 二・二八事件とその後の白色テロ - 台湾(1947年 - 1992年) ハサン2世による指導の時代(英語版)(1961年〜1980年代) 9月30日事件及びその後の共産主義者粛清 - インドネシア(1965年 - 1966年) 文化大革命に伴う粛清 - 中華人民共和国(1966年 - 1976年) 内モンゴル人民革命党粛清事件 イディ・アミン政権下による粛清 - ウガンダ(1972年 - 1979年) クメール・ルージュによる大粛清 - カンボジア(1975年 - 1979年) 連合赤軍における総括(山岳ベース事件) - 日本(1971年 - 1972年) 汚い戦争 - アルゼンチン(1976年 - 1983年) 北朝鮮における粛清 金日成による南労党派、延安派、ソ連派、甲山派の粛清(1950年 - 1968年) 金正日による金聖愛・金平一派、ソ連留学組の粛清(1992年 - 1997年)、深化組事件(1997年 - 2000年) 金正恩による張成沢派の粛清(2013年) 2016年トルコクーデター未遂事件関与者への粛清 - トルコ(2016年)
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韓国人「日本が元祖の飲み物」
韓国人「日本が元祖の飲み物」 ・・・Pickup アナグロあんてな 韓国人「日本が元祖の飲み物」 Source: アナグロあんてな
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「これは戦後の日本の政治史の中で、旧統一教会がどう関わっていたかということについて言えば、特に1980年代に統一教会が組織として信者を例えば『公設秘書』『私設秘書』として派遣するという、連綿とした流れがあったんですよね。しかし今回新たに明らかになったのは国会議員だけではなく地方の市長、県会議員、知事とかそういうと���ろにまで全国に広がっていたということが明らかになってきたのが今回の大きな特徴です」 私の表現では『空白の30年』なんですよ。1992年に『国際合同結婚式』が行われて、有名な歌手、スポーツ選手が出ることによって芸能スキャンダルとして話題になったんだけど、実は『霊感商法の統一教会なんだ』ということはあの時代、多くの人が知ったんだけど、それから30年。ほとんどメディアも報じてこなかったから、その間に着々と色んなところに浸透したというのが今回の大事件を通じて明らかになったということです 統一教会が抱える多数の企業団体があります。これを見ると本当に幅広いんだという印象を受けます。例えば、経済ですと『統一グループ』といいまして、建設会社、貿易会社、自動車関連会社など、マスコミは「世界日報」「ワシントンタイムズ」、そして文化、芸術、医療機関まで、さらにボランティアは『世界平和女性連合』とUPF(天宙平和連合)。安倍元総理がUPFにビデオメッセージを送っていたということが明らかになっています。そして学術分野では「世界平和教授アカデミー」そして政治のところに「国際勝共連合」とあります。これらは全てダミー団体だということなんですけども、『ダミー団体』とはどういう意味ですか? その組織に関わると例えば統一教会に約束するのは、統一教会の教えを勉強するために韓国のセミナーに行くとかですね。そういう文章にサインをして、協力するという約束すればビラ配り、電話をかけること、票の分配とか、そして寝食を忘れた選挙運動をやってくれるんでね、政治家からすれば人を雇うとものすごくお金がかかる。 「そうなんです。統一教会の教えの中で、韓国がアダム国家、日本がエバ国家、つまり韓国では教団に尽くさなければいけないという教えが徹底して信者たちに教えられて、そういう流れの中で1975年に文鮮明教祖が日本の統一教会の組織に送金命令を出して、10年間に約2000億円を送ったという。これは、統一教会の元最高幹部が雑誌への取材で具体的に明らかにした事実なんです。もっとびっくりするのは、1999年から2008年までの9年間に実は2000億円どころか、約4900億円送金したというのは統一教会の内部文書に出ていて、2011年の週刊誌の記者が明らかにしたことなんです。そういうお金がどこから行っているかというと、霊感商法とか、今回の山上徹也容疑者の母親のように、『献金、献金、献金』で1億円出したとかそういうお金です。さらに言えば今、来年の5月3日までに、日本の信者たちには183万円の献金が求められているんですよ。 だから官庁の中でも、宗教法人法はこのままでいいのと、公序良俗に反することやっているのは宗教法人格を与えていていいのかというような議論にもなっているんですね。ですから、この機会にそういうところまで議論、国会などでやっていかなければいけないというふうに思っております」 世界に統一教会があるんですが、韓国と日本の組織が大きな比重を占めていて、霊感商法をやっているのは日本だけで、霊感商法を信者さんたちがやれば多くの人たちが犠牲となって、お金を2000万、3000万、1億円と出したんですよね。だからそういう歴史的な統一教会と日本との関係で、そして構造の中で経済活動をやるのが日本だという位置づけになってしまったんです。 もう一つ一番大事なのは、『信仰二世』です。お父さんお母さんが信仰を持った人で、子どもたちは自動的に信者にならざるをえなくて、例えば統一教会の場合、祝福二世と言って、『合同結婚式』に参加して、そのもとで生まれたお子さんは恋愛もやっちゃいけないんです。だからすごく矛盾を抱えている人たちが何十年、この社会にいらっしゃるわけで、そういう人たちの悩みを日本社会としてどうケアしていけるのかということを国会、地方レベルでもちゃんとした仕組みを作っていかなければいけないというふうに思っております」
【解説】『統一教会と政治家との関係は?』『保守系政治家と結びついたのは一体なぜ?』取材歴40年のジャーナリストが解説 安倍元総理銃撃事件 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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2024年10月5日
インタビューに応じる中村敦夫氏=2022年8月29日午後、東京都内、藤田直央撮影
旧統一教会追い50年、中村敦夫さん「安倍氏への忖度で右往左往」(朝日新聞)2022年9月18日
「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」は日本の社会や政治に何をもたらしてきたのか。ニュースキャスターや参院議員も務め、約50年前からこの問題を追う俳優の中村敦夫氏(82)に聞いた。
――統一教会に関心を持ったきっかけを教えてください。
1970年代からです。全共闘(全国の大学に広がった学生運動)が崩壊し、オイルショックが来て、高度経済成長期にモーレツに働いたサラリーマンも報われない。欧州では環境やジェンダーフリーなど新たなテーマが出ていましたが、日本では左右の境がぼやけ、社会の連帯が薄れていました。
私は72年からテレビの時代劇で「木枯し紋次郎」を演じるなど俳優として忙しかったのですが、監督としても社会問題をテーマに映画をつくりたかった。時代を象徴する題材はないかと探していたら、駅前や大学の構内に黒板を持ってきて、懸命にオルグ(勧誘)しているグループがいるわけです。
それが統一教会系の学生組織の原理研究会でした。統一教会について調べると、朝鮮半島を植民地支配した日本は韓国に貢ぐべきだとか、でも反共産主義で岸信介元首相とつながっているとか。支離滅裂に感じましたが、世間はそういうことをあまり知らない。80年代にはバブル景気に向かう日本に浸透し、信者が霊感商法にかり出されていきました。
ワイドショーで批判をしたら…
――中村さんが教団と明確に対峙したのは、93年にテレビで批判してからですね。
合同結婚式に日本の芸能人が参加し、マスコミが盛んに取り上げていた頃です。ゲストで出た民放のワイドショーで意見を聞かれ、教義や活動がいかがわしいと言ったら、名誉毀損(きそん)罪で刑事告訴されました。そこで統一教会を追及してきた学者や弁護士、ジャーナリストと一緒に記者会見して反論しました。
ややこしい団体だから触れない方がよいという空気が一般的でしたが、私ががんがん反撃を始めると正面から反論してもいいんだいう感じになって、みんながついてきてくれました。わかっていることを何とか形にしたいと、マインドコントロールをテーマにした小説も書きました。
――当時、どうしてぶれずに批判できたのですか。
私は表現者であり、言動のモチベーションは不正や不公平に対する怒りにあるからです。今でも統一教会の問題で信教の自由を持ち出す議論がありますが、宗教の話ではありません。マインドコントロールを駆使した「不安産業」といえるでしょう。高額な商品をほとんど人件費なしで売らせ、買わせる。被害者を支援する弁護士や牧師たちとやり取りし、信者や元信者にも会って確認しました。
政治思想には一貫性が必要ですが、これもころころ変わっているようにみえます。反共と言いながら、創始者の文鮮明氏は91年に訪朝して金日成主席と会い、関連企業が北朝鮮に進出しました。90年代半ばからは国会議員をめざしましたが、当選したらこの問題も引き続き追及しようと思っていました。
――98年の参院選東京選挙区で無所属で初当選すると、最初の国会での質問で9月に法務委員会で問題を取り上げています。92年に実現した文氏の入国を認めるよう、日朝国交正常化を唱えていた自民党の金丸信副総裁が法務省に働きかけた件をただしました。
99年に東京で合同結婚式が予定され、文氏がまた来るかもしれないという情報がありました。文氏は82年に米国で脱税で有罪となり、日本政府の上陸拒否事由にあたっていたのに、92年は入国を認めた。前例とするのかと法務省に聞いたら、「諸般の事��を総合的に考慮した上、慎重に検討する」という答えでした。
――公安調査庁に対して、教団や関連団体から国会議員に秘書が何人派遣されているか把握しているか、とも質問しています。
私に届いた投書の中身がリアルだったので、ただしました。「種々社会的な問題を引き起こしていることは十分承知しており、大いなる関心を持って統一教会という団体の動向については広く情報を集めている」と言いながら、秘書派遣については「把握していない」という答弁で、大丈夫かと思いました。
統一教会に食い込まれた国会議員は、国家を危うくしかねないとの自覚を持つべきです。私は当時の小渕内閣で外相になった高村正彦衆院議員が80年代末に関連企業から車を提供されていたこともその際に指摘し、罷免を求めました。
――高村氏は2018年まで自民党副総裁を務めました。朝日新聞の今年8月の取材に対し、80年の衆院選で初当選以来、教団から選挙で支援を受けていたが、車の提供を知ってすぐ返却した上で関係を断ち切ったと述べています。
それでも、外国に本拠がある集団とそこまで深い関係にあった政治家を外相にするなんて、国家の体をなしていない。上に立つ政治家たちがそうだから、官僚も答弁に困っていました。やはり岸元首相以降、自民党内の一部には特別な存在だから、調べてはいても忖度して何も言えないのではと思いました。
目先の票につられる政治家の危うさ
――新党で臨んだ2004年の参院選比例区では議席を得られず、政界を離れました。その後、国会で教団の問題はあまり取り上げられていません。
国会議員の頃は小会派で質問時間が短く、政府答弁ものれんに腕押しで反響が広がりませんでした。環境問題など他にもやりたいことも山ほどあった。マスコミも悪いですよ。合同結婚式で騒いだけど、オウム真理教の問題に関心が移り、年中ある統一教会の被害者の集会にほとんど取材に来なくなりました。その間に統一教会はより目立たないように、深々と政治に入り込んでいきました。
――具体的には、教団はどのようにして政治家との関係を深めたと考えますか。
やはり選挙です。政治家にとって選挙が一番大変だということは私も経験しました。後援会ががっちりあり、人を集めて態勢を組めるのは代々の世襲政治家ぐらいで、ほかは選挙のたびにあたふたとあちこちにお願いする。そんな中で信者がボランティアで入り慣れた手つきで動いてくれれば、こんな便利な人たちはいません。
選挙で世話になった政治家なら、講演会やパーティーに来てくれ、祝電を打ってくれ、と言われると断れず、広告塔になってしまう。目先の票さえ手に入ればと思うから、その危うさが分からない。だから「電報を打ってくれと言われりゃ打つ」といった自民党の二階俊博元幹事長のような発言が出るんです。
――いま、安倍晋三元首相を殺害した容疑者が教団に家庭を壊されたと恨みを持っていたということで、教団がまた注目されています。この状況をどう考えますか。
安倍氏は小泉内閣の官房長官の頃に友好団体の集会に祝電を送り、霊感商法の被害者の弁護士らが抗議しています。首相を務めた後、最近になっても友好団体の集会にメッセージを送っていた。祖父の岸元首相からの三代にわたるつきあい、派閥の選挙マシンとしての実用性はあったのでしょう。
しかし、あれほど愛国心を唱えながら、なぜ日本で高額献金など社会問題を引き起こしてきた集団とつながり続けていたのか。指導者として論理的な政治思想があったのか。安倍氏を忖度してきた集団が政界で右往左往している。政治家が劣化したことで、国の能力が劣化している。国民は今回の事態をきっかけに、日本はとんでもないことになっていると気づき始めているんじゃないでしょうか。(聞き手 編集委員・藤田直央)
1940年、東京都生まれ。98年の参院選で東京選挙区から無所属で立候補し初当選、04年まで1期務めた。最近は各地で原発問題の朗読劇を催す。作家でもあり、旧統一教会をモデルに94年に書いた小説「狙われた羊」が今年再版予定。
コメントプラス
藤田直央(朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)【解説】 書きました。お元気でした。時代劇「木枯し紋次郎」は私が生まれた頃。合同結婚式でテレビが賑っていたのは大学生の頃で、原理研の人たちがキャンパスにいました。
匿名での脅しは多かったそうですが、むだな公共事業など他にも社会問題を追及していて、統一協会とは限らないから、とあまり話されませんでした。
ぶれずに批判できたのは、「私は表現者であり、言動のモチベーションは不正や不公平に対する怒りにあるからです」。後輩として肝に銘じました。
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<正論>自虐教育は日本の没落を招く
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
「汚染水」「強制連行」
報道によると日本教職員組合(日教組)が開催した教育研究全国集会(教研集会)で、東京電力福島第1原発から放出される処理水を「汚染水」とした教材を使用した授業例が発表されたという。「日本の資源・エネルギーと電力」と題する中学校の授業で、原発事故や廃炉工程を取り上げた教材には「汚染水の放出を強行」と記載したという。
福島の場合、自然界にもあるトリチウム以外の放射性物質を除去した処理水である。海洋放出については、国際原子力機関が「国際的な安全基準に合致」し、人や環境への影響は「無視できる」との報告書を公表している。
原発で生じたトリチウムを含む排水の海洋放出は、中国を含む全世界の原発で恒常的に行われている。中国は「核汚染水」と呼んで日本を非難するが、外交的手段として非難しているのであり、その不合理さは当の中国が一番理解しているはずだ。日本政府は「科学的根拠に基づかない主張」と抗議している。学習指導要領は教員に対し、科学的観点での指導を求めている。だが教員はなぜ、こういう中国側に立った非科学的教育を実施するのだろう。
また小学校教員が漫画「はだしのゲン」を教材として「アジアへの侵略や強制連行」について取り上げ、広島への修学旅行の事前学習を行ったことが発表された。「はだしのゲン」は、史実かどうか未検証の行為も描かれており、教材の適切性を巡っていまだに議論が割れているものだ。そもそも歴史をこれから学ぶ児童に対し、いきなり「アジアへの侵略や強制連行」を教えることが適切な教育と言えるのか。
迷惑するのは子供たち
これであることを思い出した。約40年前、筆者は米空軍大学に留学した。その際、同じ留学生の英空軍将校に質問をしたことがある。「英国ではアヘン戦争をどのように教えているか?」と。一瞬、彼から笑みが消え、飲んでいたビールジョッキを置いて、筆者を凝視して静かに答えた。「義務教育では教えていない」。彼は続けてこう言った。「なぜ、義務教育でアヘン戦争を教える必要があるのか。義務教育での歴史教育は、子供に対し先人が示した気概を教え、国家との一体感を育成し、大英帝国のために尽くそうという志を育むのが目的だ。アヘン戦争は英国の歴史の中でも義務教育の題材としてはふさわしくない」と。これを聞いて目から鱗(うろこ)が落ちる思いがした。英国人の誇り高さの源泉はここにあるのかと。サッチャー政権が、教育の立て直しに懸命になっていた頃である。
同じ時期、米国ではレーガン大統領が米国教育の現状に危機感を抱き、教育の立て直しに躍起になっていた。彼はこう言った。「もし非友好的な外国勢力が米国に対して今日のような凡庸な教育をするように押しつけたとしたなら、それは戦闘行為に相当するとみなせるものだ」
「汚染水」教育の結果、「総理の怠慢」「首相退任してほしい。責任をとれ」といった生徒の意見がみられたそうだ。また児童が「日韓併合で連れてきて働かせる」とメモを取る様子が自慢げに発表されている。事実誤認や未検証の行為を子供たちに教育し、堂々と教研集会で発表するという屈折した心理。レーガン流に言うならば、このような教育は「戦闘行為に相当する」だろう。
迷惑するのは子供たちである。「青少年を見れば、その国の未来が見える」と言われる。こういう自虐教育がいまだに行われている現実を知り、将来を憂慮せざるを得ない。
国への誇りを失えば
戦後教育は敗戦のトラウマから「国家」や「公」より、「個」「私」を優先した。国家と歴史、民族と文化を貶(おとし)め、国歌、国旗を拒否し、祖先、両親への敬慕、師弟の礼節まで、あらゆる伝統的価値観に背を向けた。マルクス史観の影響を受け、権威、権力の否定が底流にある。
国際連盟事務次長を務めた教育者、新渡戸稲造は米国で名著「武士道」を著し、日本人の高邁(こうまい)な精神を紹介した。美術史家、岡倉天心はニューヨークで「茶の本」を出版し、日本の伝統文化について広く紹介した。かつて日本人は日本に対する誇りを持ち、強烈なアイデンティティを保持していた。海外で優れた日本の文化や伝統について紹介し、命懸けで日本のために情熱を燃やした。報道のような自虐教育が続けば、日本に誇りを持つ日本人は育たない。
欧米にこんな言葉がある。「英国人を自慢しているやつは英国人だ。ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている」。かつて世界を席巻したスペインはなぜ没落したのか。子供たちに対しスペインはインカ、マヤを滅ぼした悪い国だと自虐教育を続けた結果、スペイン人から誇りが消えた。これが没落の主因だという。決して人ごとではない。(おりた くにお)
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エストニアは、東大で集中講義をしにきてくれたRaud先生の故郷。人口が少ないエストニアでは、先生の名前を言うだけで、知識層の人々は、おぅお前はReinの知り合いなのか。。。と驚嘆してくれる。彼の父、祖父と、みんな知識人で、彼の妻も作家。日本に住んだ二週間、先生は早稲田での講演とかもあったのだけど、もう泣きそうな位にホームシックになっていた。サンタさんみたいな体格を震わせて、涙をジーンと浮かべながら、家族が側にいないって辛い。。。とぼやいては大酒を飲んでいたっけ。先生はロシア語なども含めて二十ヶ国語位はペラペラしゃべる。早稲田では日本語で講演してくださった。それも、道元について。そんな、先生が愛してやまないエストニア。歴史はやばい。常に隣国ロシアの脅威にさらされている。タリンなんて、サンクトペテルブルクの目と鼻の先である。KGBの抑圧時代も含め、自由について敏感な国でもある。KGB時代の、知識層をターゲットにした独房には、建物に入っただけで寒気がして、独房にまでは行けなかった。そう。ワシはヒヨイ。
国会議事堂と大統領府のピンクの建物は、ブエノスアイレスのカサデローザを想起させる。独裁者が出る国って、なんでピンクに塗りたがるんだろうか。。。ピンクが好きなワシは、なんとも真綿で首を絞めていくような政権の象徴としてピンクが国家権力の象徴的建物に使われている事に脅威を覚える。そして、その前には、ロシア正教の教会である。きゃー。ロシア。。。の香り。
エストニアは、まるで絵本の世界と、デジタル最新世界が同居した国。寒いだろうに、近代建築は、透明性と自由を尊重したい為か、ガラス張りの建造物が多い。左は旧市街を見渡す丘からの絵本の眺め。右はワシのホテルがある港湾地区の開発地域の眺め。
そして、ワシの初日の遅い昼食兼早い夕食は、北朝鮮の方と思わしき怪しい、とても怪しい一軒家の韓国料理屋に行ってみる。温かい、辛さも哀しみも苦しさも、ぜーんぶ味わった末の優しい包容力があるんだけど、苦労してきたであろう話さなくてもお人柄が忍ばれる店主のおっちゃん。片言で、ワシ、イルボンやねん。。。と言う。途端に破顔になる。エストニアというよりも、どこからどう見てもロシア人の奥さんが作ってくれた手作りのキムチと、カッペリーニを使ったカルグクスをいただく。丁寧に牛肉でダシを取ってあり、優しい味わい。一口、スープを口にしただけで、なんか涙。老夫婦の辿った人生は、いかなるものだろう。途中、ロシア語を話す背の高いスーツ姿の老人が見える。ロシア語で静かに話し込む。ワシは彼らのロシア語を、コロナ中に練習していたカタコトロシア語を思い出しつつ、何故か郷愁に浸る。不思議な空間。もう絶対、おっちゃん、スパイやったんでしょ。。。と思うし、別にそれを分かる人には分かる感じで、良いですって感じ。奥さんも落ち着き払っている。そして、大きなお屋敷の一画で経営する韓国料理屋を後にして、ワシは人生を思う。人生の深さや重みを知っている人は、おしゃべりで寡黙だ。人生とはパラドクスだからだ。ワシも超おしゃべりだけど寡黙である。
そして、エストニア国立劇場で、バレーではなく、ベルリンを舞台にしたミュージカル、キャバレーを鑑賞。バレェにしようか悩んだんだけど、エストニア語と英語の字幕ですっていうのに惹かれてしまう。ワシってやっぱ、オタクかも。。。そして、もともとドイツ人が書いたスクリプトで、ドイツ語、フラ語、英語がポロポロでてきて、めちゃくちゃ、左脳言語野が刺激される。視覚的には、エストニア語と英語の同時字幕なので、ワシ、もう大興奮。休憩に思わず、普段は行かないバーに行ってオレンジジュースを飲まないとやってらんない始末。
話の内容は、ドイツ批判である。エストニアでナチ批判のミュージカルを、すぐ隣で戦争していて、ドイツは戦争支援で大量の兵器を送っていてという現実の中で、ミュージカルは、当に、ドイツの狭小な国民性。長いものに巻かれてしまう権力に弱く、従ってしまう弱い市井の人々。そして、一番悲しいのが、政治なんて全く関係無いと思っていた人々が一番影響を受ける被害者になること。今の状況、反映しすぎてて、ワシ、ドイツに帰りたくなくなる。ドイツ好きな奴って何を見ているんだろう。何がドイツを好きにさせるんだろうか。ドイツ人のクッセー体臭か。料理の不味さか。あるいは、白人だから良いのか。むしろ、何も、見ていないから、平気でドイツ好きーとか言っているんだろうな。つーことは、そういう無知な人々が、一番、有事には被害者になるんだろうな。。。そして、ワシは情報収集家なので、貧しい雑草なんだけど、色々と頑張って嗅ぎ回って、なんとかかんとか、危機一髪で逃れられる類なんだろうなぁ。。。と思う。
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